『老いの渇望』
 
10 「国家」に閉じられているような気がする
                     2021/10/18
 
 現在の日本の「社会」は、発達した文明や文化が隅々に行き渡り、かつてないほどの便利で快適な生活ができるようになった。だが、ちょっと視線をずらせば、そこには格差があり、この社会を謳歌するものもあれば貧困に苦しむ者たちもいる。毎日のように殺人や盗難や様々な諍いの報道が絶えず、社会の片隅でひっそりと自死を遂げる者たちも後を絶たない。高度な文明、文化を持つ「社会」といえども、そのような影の部分を無くしてしまうことができない。できないでいる。
 そもそもが人間「社会」にはそうした影の部分が生じる側面があり、それは是正できないものだと達観する意見もある。そしてそれが安藤昌益が言う「自然の世」の「社会」であるならば、わたしも仕方のないことだと諦めることができる。だが、安藤の言葉で言えばこんにちの「社会」は「法の世」、すなわち人智の手の加わった「社会」であり、過去の偉人、聖人たちがこぞって作り上げた世界である。それの何が問題かと言えば、それまで個々ばらばらに散在した集団、共同体を統一し、頂点に君臨することによって天下を我が物にするといった暴挙を行ったことにある。これにより「自然の世」の「平等」は瓦解し、以後、人の上に人を作り、人の下に人を作る世が長く続くことになり、光と影の織りなす混乱を助長させたと安藤は考えた。
 安藤が言ったところの「法の世」の「法」とは何か。少なくともそれは自然物ではないし、自然がこしらえたものでもない。「標準として守るべき事柄。おきて。法令。法度(はっと)」などの意があるが、「法」として整備される以前の太古では「呪い(まじない)、占い」などのようなものがあり、宗教的、信仰的なそれらが「法」の前身だと考えられている。つまり、観念や言葉を自分たちのものとできるようになった人間の、頭で拵えたものと言ってよい。
 安藤昌益は、共同体「社会」を統制するこの「法」が、人の上に立つ者たちが拵えた「私法」に過ぎないことを見抜いた。共同体の統率者が、臣下や大衆を統制するために「私法」を共同規範、つまり「公法」として用いたのである。これにより、本来自然発生的に構成されていた「社会」はその上部に統率機構を置くようになり、その全体をもって「国家」は構成されている。「国家」はだから、一般大衆が営む生活「社会」と生活「社会」の動向を左右する権力組織とが共存して成っている。そして一般生活者大衆は、本来的にこの「国家」の形成にも維持にも関与していない。おそらく一般生活者大衆にとって「国家」は、第二の自然のように頭上に君臨しているだけのものだ。にもかかわらず、「国家」が放つ「国家」の本質としての共同観念、共同幻想は、生活者大衆が自らそれに合一するように働きかける性質を持ち、無意識的に「国家」の一員として振る舞うような強制力も併せ持っている。
 ホモサピエンスの出現が今から30万年前として、日本の縄文人は約1万3000年前から日本列島に存在したとされている。日本に初期小「国家」群が誕生したのはおそらく弥生時代後期から古墳時代にかけての頃と考えられる。それら小国家群を統一的にまとめた大和朝廷の成立はおよそ1700年前くらいとして、日本の「くに」、日本国、つまり現在の日本の「国家」はそれ以降のおよそ1700年くらいの歴史しか経ていない。人類史から見ればごく最近の出来事であり、圧倒的に「国家」以前の社会の方が長くあった。今、仮に1万3000年前に遡ってみたとして、「国家」出現を2000年前と考えても残りの1万1000年は「国家」のない「社会」なのである。30万年前に遡れば、29万8000年は「国家」なしの「社会」が継続していたのである。しかし、日本では約1700年前に誕生して以後「国家」はその頂点に天皇や武士の頭領などを置き、時代時代で交代劇を繰り返しながら今日までその「国家」的形態を崩すことなく継続させてきた。つまり、「社会」に対して支配的であった。これは約150年前に明治政府が出来、議会制民主主義を標榜する近代「国家」と形を変えても同様である。現在において「国家」が絶対的な共同体の形態であるように思われるとしても、それはそう思われるというだけで、少しも真実ではない。
 安藤昌益は、「法」をもって「くに」を成し、「国家」を成した初期当時の首長等が一般の生活者大衆の上に立ち、「自然の世」にはなかった上下、尊卑、あるいは貧富といった二別をこの世にもたらしたと考えた。またそのおかげで争乱や盗み、騙しなどの犯罪も格段に増加したと考えた。
 それらの根幹にある重要な問題点は、「法」すなわち貢納、刑罰などの制度化であり、これによって一般生活者大衆が生産したものを横取りする仕組みや、上が下を罰する仕組みができあがって、富と権力をもとにした奢侈が「お上」に集約した。安藤はそのように考えて、「私人」にすぎないものの采配によって「社会」の動向が左右されるべきではないとした。そして、支配と被支配の関係のなかった以前の「自然の世」の「社会」に戻らなければならないと説いた。
 こうした「国家」成立の経緯を無名のそしてとある村落の生活者の視点から見直せば、ある日急に外部の巨大な勢力の支配下に置かれることになったということであり、それはそうなってしまったことだからあたかも自然災害を受け入れるほかないように受け止めるしかなかった。勝手にやってきて勝手に支配者となり、接点のない一介の生活者にすぎぬものとしては関知するところではなく、はるか天上の出来事のように思いなされたに違いない。協議もなく、理解も肯定もしていないのに、世の中にはこういうことがあり得ることを知った。
 安藤昌益が言う「自然の世」にも社会的共同体は存在し、またどんな共同体も共同体である限り内部に共同幻想が生じる。簡単な言い方をすればルールや決まり事のようなものだ。だが「自然の世」の共同体、集団は血縁と狭い範囲の地縁とが元になって構成されており、成員全員が自分の考えも述べ、納得してできあがったルールである。これに対し、「法の世」のルール、統一的な「国家」のルールは個々の成員にとっては自分が参加できない「上」からの一方的で強制的な、そして支配的なルールの色合いとなる。成員に四の五の言わせないが、成員たちはこれを共同の規範として「法」の遵守を強いられることになる。
 国民主権主義の近代「国家」と言えども、その成り立ちは古代における統一部族国家に由来する。そして一旦「国家」が成立してしまえば、日本の場合は特に大きく領土や支配の体制も変わることなく、ただ政治的中枢にある政権担当者が変わるだけで今日に至っていると言える。武力、知力に長けた連中が統一的な支配を勝ち取って作られた「国家」だが、この形態が今日まで続いていることには理由があり、その大きな理由はこの形態の持続にメリットがあるからであろう。人を支配し社会を支配し、富と名誉も転がり込む。
 こんにちの世界は、ある意味でこの「国家」を単位として形成されているといってもよい。そしてそれぞれの「国家」はみな、権力闘争の末にできあがったものだ。「国家」を成すために、あるいは「国家」体制を維持するために、どれだけ人民大衆が犠牲になったことか。犠牲になるほとんどは支配される側のものであり、支配する側を守るために支配される側が力を尽くしてきたのだ。
 しかし「世界」は、自身のこうした姿に自己嫌悪を覚えていない。そればかりか至極当然の顔つきでいる。言い換えると、「世界」と言う知性が「国家」単位を認証しているばかりか、積極的に肯定しているとわたしには映る。暴力に媚びた知性、ではないかと、ふと、わたしは思う。
 さほどの腕力もなく、優れた知力もないわたしたち、またこんなわたしたちの祖先は「国家」の設立に寄与することなく、おそらくそういう意識を持ったこともない。ただただ日々の食と住まいのために、身と心とを砕いているだけであった。強制的な貢納以外にあまり「国家」との接点はなく、本来的には「国家」などどうでもよい生活を送っている。だが、これも巨視的にあるいは客観的に眺めるならば、「国家」の意志や方針といった類いの影響を、足の先から頭のてっぺんに至るまでに受けて日々生活をしていることになる。否応なくそうなっていると言ってよい。
 先日の東京オリンピック、パラリンピックにおいては、選手たちは口をそろえて「日本のために」、「日本を背負って」、「応援してくれる国民みんなのために」、など言い、個人が国と同致し(観念ないし幻想上において)、単なる住民生活者と言うよりは「国家」の広報担当か運営担当かのような位相に身を置いているように感じられた。これを聞く国民視聴者も同様で、「日本のために頑張ってください」など応援メッセージを送ったりなどしていた。この時、わたしはほとんどの人が現在世界のありよう、また「国家」のありように疑問を持っていないのだなと思った。また仮に疑問を感じるとしても、生まれた時からすでに「国家」の一員に組み込まれているわけだから、「国家」のない世界なんて想像できず、さらにまた、考えても無駄という実感があるのかもしれない。
 社会に生起する様々な諸問題に、様々な人が様々に考え、こうしたらよい、ああすべきだというようなことを言ってきている。だが、あるいは悩み、苦しみながら得た解決策を実際に行ってみても容易に解決できないことが多い。貧困の問題しかり。格差の問題、いじめ問題もしかり。盗み、殺人の類いもしかり。手を変え品を変えいろいろに解決策を考えたり、批判や寛容の言を費やしたりしながら、一つ次元を上に持つ「国家」論が不問に付されたり停滞し続けてきたとわたしは感じている。根本のそこが問われなければ、どのように現実の社会のあちこちをつつき回してみても、解決しようがないのではないかとわたしなどは思う。そういう議論がほとんどない。最近の日本では特に、「国家」解体論に言及する知識人や文化人や学者はほとんどいない。かえって片棒を担いで権力にすり寄る連中ばかりが目立つ。そして、「富」の頂へ、「権力」の頂へ、あるいは「知と名声」の頂へと登り詰めるべく先を急いでいるように思われる。
 それは「国家」を、「国家」の本質としての「共同観念」、「共同幻想」を擁護し、堅固にし、あるいは肥大化させて行く流れであるかのようにわたしには映る。この流れに敵対しうる思想は今のところない。政権批判、体制批判も、これまでの歴史と同様に、「国家」内の交代劇の範疇を出ない。
 もうそんな次元での議論には飽き飽きした。またそんな議論の光景にも背景にも飽き飽きした。生活の疲弊が口を閉ざしにかかる中で、これからどのように耐え、考えることの歩みを続けられるのか皆目見当もつかない。