『老いの渇望』
 
19 国家間の戦争をなくす方法を考える
                   2022/06/21
G
 太古から現代まで偉人や聖人と呼ばれる人たちは洋の東西を問わずたくさん輩出している。これに予備軍的なエリートたちを含めるとその数はさらに多くなる。だが、もとを言えば彼らもはじめから偉人や聖人やエリートだったわけではない。家系、また思想や知識の系譜を遡れば、どこかで一般的な常民、平民、そうした出自にたどり着く。彼らを生成した土壌はごく普通の人間的な「食と性」を基幹とした人々の生活の営みそれ自体であり、逆に言えばごく普通の人々の暮らしが彼らを生成させた。だがいったんそうした民衆の暮らしから離脱して偉人、聖人、もしくはエリートといった存在になった彼らは、こんどは民衆を教え導く立場へと変身を遂げる。彼らが区画した領土内に営まれる社会生活全般にわたる指導者、統轄者、また始祖となり支配者となる。それから数千年、人々の生活の営みの総体であるところの社会は、限られたエリート層、エリート集団によって牽引されることとなった。こうした共同体の発展の仕方は世界的に見ても共通の発展の仕方を見せており、その意味では普遍的なものだ。言い方を変えれば、各所に発生した共同体は徐々に規模を大きくした果てに国家を形成し、さらに形成後はエリート集団の盛衰、交代劇を繰り返すなどしながらも、その大枠や基本形態などは維持して今日に至っている。
 ところでこのエリート及びエリート集団は社会から生み出されたもので、社会の存続なしにはまた成り立たない。その意味では社会に従属した存在なのだ。では一般の大衆が営む生活から成り立つ社会は、エリート層から構成される国家にもともと従属するものかというとそうではない。国家がなくとも社会は成り立ち、存続する。分かりやすく考えれば、例えば日本の縄文時代の遺跡あとから当時の生活ぶりが再現されたりしているが、そこに国家成立の痕跡はない。国家がなくとも社会は地域社会として成り立っていた。人類史の初源に向かっていけば行くほど、エリートやエリート集団的なものの影は薄く、もっと言えば存在していない。このように本来的に見れば、社会が主で国家は後発のもので従であるし、別の言い方をすれば大衆が主で後発のエリート集団は従なのである。ところが国家と社会、エリート集団と大衆との従属関係は逆立したものになってしまっている。すなわち、少数のエリート集団の恣意が大衆の願望や意向とは乖離して、社会の動向を決定づけることがしばしば行われる。エリート集団がエリート集団に都合のよい、エリート集団のための社会を編成し、仕組み作りを行うようになっている。
 エリート集団による大衆の指導と啓蒙。悪く言えば支配。大衆はそれらを受け入れ、付き従う。こうしたエリート層と大衆との関係は、いつまで続けていくべきものだろうか。
 国内の統治、対外的折衝、そうしたすべてが国家装置を介してエリート層の思惑で動くことになっている。これを本当の意味での民意を反映させて動かすようにするにはどうすればよいのか。
 国家を維持する装置は多岐にわたって存在すると思うが、偉人、聖人、エリートの類いを価値のある存在だと遇する遇しかた、考え方、感じ方、そういうものもその一つだと思われる。もちろんだからこそ偉人、聖人、エリートなどと呼ばれるわけだが、本当にそういう生き方、存在のしかたが理想なのかどうかについては一考を要するという気がする。原始、古代においてごく普通の人々が生活に埋没して地道な暮らしを重ねているときに、いずれにせよ後世に偉人・聖人と称される者たちははそういう生活からの逸脱、いわば落ちこぼれで、一般の暮らしの圏外に自らの身を置いたのである。なぜ、大多数の人々は生活圏内にとどまり当時としてはごく当たり前の生活に埋没し続けられたかと言えば、これはわたし個人の推測や直感に過ぎないが、その生活のさらに中心の方に、曰く言いがたいとんでもない価値の存在が予見せられていたからであろう。それに比べれば逸脱していった者たちに付された偉人、聖人などの称号は、取るに足りない浅い価値に過ぎないことを察知していたからの埋没なのかも知れない。
 では大多数の大衆がごく普通の生活の中に、とんでもない価値を予見できたものとはいったいどういうものか。それは言ってみれば心をすりあわせて協働する共同体社会の産物で、そこに自由と平等への通路が垣間見られたからであったろうと思う。国家の統治、支配の及ばぬ人々の生活の底に流れている自由と平等への通路。統治、支配があるから完全形とはいえないが、希望や理想ではあり得た。自然の中にごく当たり前のように存在した自由と平等。それは何ものにも代えがたい価値であって、いっときの繁栄や偉人・聖人として遇される栄光とは全く質の違う価値であると言ってよい。密かにではあるが、自由と平等の言葉を知る以前に、大衆は生活者としての身をもってそれを感知し得ていたと思う。
 偉人、聖人、エリート、そして彼らによって区画され構成され組織された国家の体制は、自由や平等を標榜したとしても自らの存在によって最も自由や平等からかけ離れる。また現在のエリートらが発信する自由や平等は、大衆の言葉以前の自由や平等の身体性と言うべきものとも全く違っている。ただ概念の上での自由や平等を言っているだけに過ぎず、大衆にとってはただの絵に描いた餅状態なのだ。あると言えばあるのかも知れないが、制限付きであったり、限定的であったり、全くの自由さや平等を体感したり実感したり出来る代物ではない。
 にもかかわらず、21世紀の現在においても偉人、聖人、エリート人気は絶大で、国家の枢要を担う彼らは社会の上に君臨して直接間接に社会を統治、統轄し続けている。それだけではない。同時に若者や大衆に向かって門戸をひろげ、 盛んに「おいでおいで」をしてくる。エリートの再生産である。エリートへの道を一見容易にすることで、またその道へ誘うことで、エリート及びエリート層に対する支持や憧れを一層堅固なものにしようとするのだ。
 現在ではエリート層の裾野も広がり、わかりやすい例で言えばヒーローたちの群像をイメージすればよい。いろんな分野、領域でヒーローたちは続出し、その数が多い分ヒーローで居つづけるサイクルは短くなった。彼らはエリート層の予備軍ともなり、そうした中から実際に何割かはエリート層に掬い上げられ取り込まれることになっている。権力や権威を持つこと、人を支配下に置くこと。その魅力は人にとって抗えないもののようで、現在の社会はこれを活力に廻っているかのような様相を呈している。
 国家とは政治的統治を核としたエリート集団のさらにまたエリートたちによって組織された共同体であり、領土、領土内の住民、そして統治権を持って構成される。だからこれを組織運営するものの実態はエリートたちなのであって、このエリート集団が自身を放棄したり、解散したりして消滅すれば国家も消滅して、後には人民の人民による人民のための生活社会だけが残ることになる。このことは想像しにくいし、社会的にも相当の混乱が伴うかも知れないが、それで社会が消滅することはない。何度も言うように、国家が存在しなくとも社会生活は以前にもあり得たし以後にもあり得るものだ。ただエリートによる大衆支配の構造が終焉するだけだ。
 この構造を断ち切ることは現在ではたいへん難しいことに感じられるかも知れないが、もともとが偉人、聖人、エリートたちによる知力・暴力を持ってしての国家形成、支配体制であったのであるから、これが未来永劫続くことはごく普通におかしいことなのである。
 知力・暴力から始まった国家が、しばしば戦争を起こし、戦争に巻き込まれることも国家自体の成り立ちからして避けられない出来事であって、地上から戦争をなくすには最終的には国家の消滅がその帰結であると考えざるを得ないのである。
 しかしながら全世界が一斉に国家形態を解き放つことは考えにくいことであって、ならば当分の間は国家法を頼りに規制をかけることによって、戦争を回避する方法を積み重ねていくしかない。それは政府の決定権のさらにその上に国民大衆、民衆の、意志決定のフィルターをかける仕組みを構築することである。各階各層からの無作為の抽出によって選ばれた国民大衆の直接投票で以て最終の意志決定をする仕組みなどがその一例であり、戦争をするしないの大事の局面においてエリートの判断に委ねるのではなく、多数の国民大衆の判断に任せるということである。その場合、エリートによる覚醒した叡智によっての判断よりも、国民大衆の生活知からくる無意識の直観的判断の方がより大局的に正しい判断が成し得るはずだとわたしは思う。仮にそうでない場合でも、国民大衆の総意ということでそれに従うことをわたしは躊躇しないと思う。
 
 
19 国家間の戦争をなくす方法を考える
                   2022/06/05
F
 現在までに積み重ねられてきた東西の思想・哲学、もっと広く観念世界の構築という捉え方でもよいが、その総量は膨大なものだ。それらは知識として現在に伝達され、また大いなる遺産として残されている。おそらく現在に生きるわたしたちの思考の大部分、あるいはほとんどが、源流を遡ればそういうところに行き着き、逆に言えばそういうところから派生した部分的でしかも些末な、ひとつの末端に位置する考えに過ぎないということになる。
 ところで、古今東西の思想・哲学、また構築された観念世界を批判的に検討したときに、仮にこれらすべてが誤りであると結論されたならば、そういう結論を導き出した一個人はどうするだろうか。
 ある個人は自分の身の丈よりも遥かに高くそびえる観念の構築物をガラガラと突き崩しつつ、一方で基礎から石を積み重ねるように観念の構築をやり直そうとする。
 また別の個人は、現在という河口付近に支配的に存する観念及び思想・哲学の源流に遡り、その根本的、また根源的な誤りを指摘し、そのことによって文字の出現以後の観念世界を全否定する。
 この個人二人に共通するのは、もともと人間も含めて生き物というものは宇宙、そして地球環境においてみな平等でしょう、と考えているところにある。自然環境は何ものをも差別するものではない。人間社会においても、本来は上下、階級の差別なく、個人や小集団で思い思いの自由さで生活ができていた。狩猟や採集、そして穀物の栽培を始める頃まではそうしたごく普通の人間的な暮らしが地表に展開していたのであって、人間の原像、人間社会の原像はそういうところにしか求めることができない。
 今、こうした由緒ある原像近く生活し、暮らしを営めているのは、遥かに変遷を遂げたとはいえ、やはり一般的な生活者、大衆、民衆ということになるのではないか。人間世界の主役、人間社会の主役はどう考えても一般大衆でなければならないし、現にある時期まではそうであったはずである。だが時を経て、極端なまでに脳力を発達させてきた人間たちは、我欲に長け、狡知に長け、あるいは殺戮の武器を手にして他集団と争い富を奪い合うようになった。やがて豪族が起こり、豪族同士の戦い、勝利によっての併合が繰り返され、集団の規模はさらに大きくなり、血縁、地縁のない部族集団から統一部族集団へといたって国家が成立する。首長は大きな権力を勝ち取り、英雄と謳われ、各地方からの貢納も得て莫大な富も手にすることになる。これは悪く言えば大泥棒の手口である。だが勝てば官軍、統一して国の頂点に立とうものなら、神の化身、神の使いなどと持ち上げられることはあってもこれに逆らうものは出てこない。こうして国家的レベルでの支配と被支配の関係が人間世界に定着した。
 力あるものが一般の民衆そして社会を牛耳る。その後、ソフトな国家支配に変容したこんにちの民主主義国家、国民国家、福祉国家においても、この関係、この事実が変わることはない。上下の不平等、階級、差別が起こり、エリートによる、時に先鋭で時に緩やかな大衆支配、搾取は恒常化した。
 日本国成立以前、さらに群小国家成立以前、弥生時代とか縄文時代とか呼ばれる時代があり、人々はこの島国の中に生活を営んでいた。もちろんそれ以前、旧石器時代と呼ばれる時代にも人々がいて生活していた。縄文時代の前期から中期にかけての遺跡、三内丸山遺跡の居住者数は数百人、また500人くらいという説もあり、当時としては大人数だろうが現在の町や村の人口に比しても遥かに及ばない共同体規模である。もちろん、不平等や階級や差別、支配や搾取などを想定することはできない。 
 日本に国家体制が確立して以降、貢納や租税といった経済的支配が行われたことはもちろんだが、意図的無意図的で間接的な観念の統制が行われたことが一番の問題だと考える。そのことを如実に物語ってくれるものは「古事記」や「日本書紀」のような統一王朝によって編纂された書物で、この列島の歴史を自分たち王権の歴史のように塗り上げてしまった。もちろんこれは全体的で客観性のあるこの列島の歴史から見れば、一部の同族の視点から作り上げられた歴史に過ぎないのだが、列島全体の歴史であるかのようにそれ自体が振る舞うのである。さらに言えば、これら記載された文字の至る所に王権内に構築された思想・哲学、また観念の無意識も潜在させられて、これが列島全体、またそこに住む人々の頭上を覆うことになる。無意識だが巧妙な洗脳と言ってよい。人々は恣意的に、また思い思いに自由に頭の中で考えたり妄想したりできる存在であり、実際にそれを実践出来ている存在であるが、 それはしかし、もうひとつの頭上を覆う観念世界、またその大きな枠組みを超えることが出来ない。いったん確立された歴史が、その後の日本人の意識にどれほどの影響を与えたか、また陰に陽にどれほどの規制として作用してきたかは計り知ることが出来ない。それらの書物は、少なくともその後に輩出した日本の知識者によって何度も研究され、検討される対象となった。無関心ではおられず、結果として後の世の人々の意識をも規制してきたのである。
 わたしたちは当時の王権下の民衆の子孫であることを免れないし、わたしたちの思想や観念世界は当時の思想、観念世界の亜流のまた亜流であることを免れないのだと思う。伝統文化が引き継がれるという言い方の中には、否応なしにそうしたことも含まれ、またそうしたことを暗示するものであることは疑う余地がない。
 現在のわたしたちは、国家が存在し、わたしたち一般人はこの国家に所属しているということを至極当然のこととして受け止めている。国家が存在しなければ社会が維持できなかったり、成り立たないのではないかとさえ考えているように思える。また実際に具体的な国家機関としての行政、立法、司法が機能しなくなった世界は想像することさえ難しい。だが遠い古代には国家という存在さえなかった時代があること、さらにまた国家が成立したことによって世界のあちこちで大規模の戦闘、戦争が起こるようになり、高度化した文明により一気に人類の繁栄の頂点にあるかのようなこんにちの社会にあってさえ引き続き戦争は起こり得るのであって、国家を廃絶していくべきかこのまま維持していくべきかの議論は世界的な課題になってきていると思える。
 そもそも遠い古代には日本や韓国、朝鮮、中国などの区分けもなく、それはそれぞれの国を統轄し始めた者たちによってなされた区分であり線引きに過ぎない。民族という考え方も国家成立後のもので、人類の初期からすでに混血は進んでいて、現在にいう民族もそもそもがそうした混血の末裔である。人間はただ人間であるだけである。そしてほとんどの人間は自分たちの生活が最も大事なものなのであって、平等であり、戦争のない社会を希求している。それには階級や差別や不平等、さらに戦争をも産み出す国家は邪魔なものであり、無くなった方がよいに決まっている。ただこれを一気になくしてしまうことは、権力を持ち支配し統轄する側の者たちの行えることであり、しかもあえてこれを行い得るものなどはそれらの中に存在しない。だとすれば仕組みや機構は残したままで、支配や階級や差別や権力の集中やを産み出さない、あるいは無効にするような、そして一般の大衆、民衆の意志を直接的に反映するような仕組みや機構に変えていけばよいのだと思える。現在の官公庁が行うような上意下達式は一切だめで、 下意上達式へと逆さまに転換していくのである。こういう議論をこれから行っていかなければならないと思う。そのためにも、まだまだ執念深く考えを詰めていければと考えている。
 
 
19 国家間の戦争をなくす方法を考える
                   2022/05/18
E
 わたしは社会運動家でも何でもなく、ただどんな境遇にあっても人に備わる自由な考え、考える自由はあるわけで、わたしはわたしが自由に考えていることを文字にしている。そこで戦争がなくなればよい、国家なんかない方がよいという考えに至って、この考えというものを記述している。実践的に戦争をなくすとか国家をなくすとかの活動をするというのとは違っている。ただ頭の中だけで無い方がいいよねと考えているだけで、そしてこれを文字にしてさらに公開などしているということは、皆さんはどう考えますか、自分が考えていることは変だろうかとか、自問自答を超えて他人の考えとのすりあわせをしたい欲求からこうしているものと思う。
 この方法は全くうまくいかないが、自分にはこの方法しかないし、またうまくいくことを強く望んでいるわけでもない。こういうことを繰り返していると、頭の中、意識や考えが少し整理される。すると、それでもう少し前に進める気がしてくる。
 こういう考え方の傾向は、わたしの癖で、幼少期からのものだ。極端な例を挙げれば、自分の身の回りのあちこちには夫婦げんか、親子げんか、兄弟げんか、友だち同士のけんか、さらにいえば村同士、部落同士の対立の気配みたいなものもあって、それらはわたしを不安にさせた。いやだなあと思っても、それを止めるとかなくすことなど自分にできることではなかった。自分も当事者になることがあったし、思いとしてはすべての人がいやなものだと感じながらこれを克服できないでいるような気がしていた。これは子ども心になかなかの難題で、ただ世間とはそういうもので、そういう世間がわたしを疎外したのかわたし自身が自分を世間から疎外したのか分からないが、一歩後退したそんな関係が後々まで続くこととなった。
 村落内外の親和と協力。家族の団らん。親子愛。兄弟愛。友だち間の友情。そういうことも確かにあって、あるいは普段の生活はそういうことの方が遙かに多かったに違いないのだが、関係の亀裂に対しての怯えはいつまでも払拭されずに残った。
 社会人となり社会全体を見回してみても人間関係の永遠のユートピアなどどこにも見当たらない。そればかりか、人間社会はいつまでもそこにこだわって停滞することなどなく、関心をよそに移してそういう関係を無きがごとくに振る舞って見えた。考えれば人間も、人間社会もそういうことでしか前に進めない。個々の取り繕うという努力、また折り合うことによって成り立っている。
 時折、社会にはそうして人々が苦心して取り繕う平穏を、そんなものは嘘じゃないか、今も社会には諍い、中傷、嘘や騙しや私的欲望が渦巻いており、強者が弱者を食い物にしているなどと、真の姿を人々に突きつける人が出現する。わたしにとってそういう一人が太宰治であった。太宰はあえてそれを言うのに、自らも傷つき、血を流しながら小説作品として世に示した。人間社会の負の部分をあぶり出しえぐり出すには、自分が傷つかない正義の場に自分を置いては成し得ない。それこそ自分の負を一緒にあぶり出し、えぐり出すことによってしか共感は得られない。太宰はそうしたことで支持を得、戦中、戦後の時代に多くの人々は彼の作品に関心を寄せた。多くのものを失い、支配統括する側の権威も失われて、人々が見えないものを恐れずに見る勇気を持ち得た、敗戦とはそういう一瞬だったかも知れない。だが、混乱の最中に生じた亀裂の奥の真を垣間見、真に触れ、真を語るそのことは彼自身をも激しく傷つける。無傷では済まされない。真なるゆえの蹉跌と孤立を余儀なくされた精神の象徴ともなって、太宰が迎えた結末に、誰が耐え得るだろうか。それもまた一瞬の光芒、線香花火のきらめきとなって、やがて地に落ち、再び闇を迎えることになる。
 戦後の荒廃と混乱の中で、誰にとっても急務なのは生活の立て直しであった。生活はパンなくして成り立たない。米作りや生活必需品などの物作りから始まり、日本人の多くは黙々と働いた。人はパンのみにて生きるにあらずと言えども、パンなくして生きられるものでもない。そうして社会は動き出し、国家も再構築されて行き、類を見ない繁栄から停滞を経て現在に至っている。
 そしてまた、世界では国家間のトラブルから戦争や代理戦争や内戦が始まり、日本国内においても会社や学校のような組織、集団にはいじめが発生し、夫婦間トラブル、家族間トラブル、地域内のトラブルは絶えず、人々は不安を背後に隠し抱きながら懸命に今日を生きようとする。問題は解決される方向には進まず、ただ先送りされるだけだ。ただこれを批判することはわたしにはできないような気がする。問題の直視から解決の模索まで、これはもう個人のなせる技ではない。もちろん集団ならなせるというものでもない。何がどうしてこうなっているのか。混乱と混濁は止むことがない。
 江戸時代の安藤昌益は、彼の著作「自然真営道」の中で「法の世」と「自然の世」とを区別し、問題の多くは人為によって法を建てた「法の世」にあるとした。「自然の世」とは自然の摂理、理法に適う行き方をしていた頃に遡る社会を指すもので、安藤はこの社会、そこでの生き方に戻るべきだと主張した。それだけではなく、一足飛びに「自然の世」に戻すことはほとんど不可能に違いないから「法の世」にありながら「自然の世」のごとき世界を構築しようと提唱した。そして実際に法や制度など多岐にわたって、こうするのがよいと示して見せた。
 安藤の教えるところは現在風にいえば、国家が成立する以前と以後にわけることであり、当然安藤が生きた時代は封建国家の真っ只中であったわけだが、これを国家がなき社会に戻そうという企てであった。
 もちろん国家が成立する以前の社会にも自然発生的な、つまり人間的本質が引き起こしてしまう諍い、不和、またさまざまなトラブルはあり得た。だが古代に国家が成立し、人が人の上に立ち、王が君臨し、上下関係、貧富や尊卑また階級が生じると、差別や不平等が起こり、上は下を押さえつけ、下は上に取って代わろうと立ち向かい、社会の混乱はいっそう拍車が掛かったように増幅する。さらに人々には税が課され、支配層は働かずして富と贅を尽くすこととなり、以後下層のものが上流階級の生活を羨むという関係が定着するようになった。こうしたことが人間社会のあり方、人々の生き方、生活に影響をもたらさないはずがない。
 古代に国家が成立し、人々の上に立つ者が現れて以後、以前にも増して人々の負担、生活苦、社会苦、心的な混乱や苦悩や煩悩は増大したはずである。それは中世、近世、近代、現代へと引き継がれ、しかもただ引き継がれるだけではなく
、強く大きくまた鋭くなってきているように思われる。
 国家以前、「法の世」以前の社会で引き起こされたさまざまなトラブル、諍いは、これは自然発生的なもので、人間の本能や本質に根ざしているものだと言えよう。だから、この問題の解決はそう簡単になせるものではなく、人類の最終最後のところまで持ち越される課題であるものが多いような気がする。これに比べて国家の成立後に積み重ねられた問題、課題は、極論を言えば国家を廃絶することによって解消されうる。少なくとも可能性としてはあるはずだ。また逆に国家の成立後に付加され、引き起こされたさまざまな問題は、国家を廃絶しない限り解消されることがないと言える。
 完璧にと言えないまでも、とにかくわたしたちが普通に生活しながら戦争をなくす考え方を考える場合に、第一に近代国家以降の民族国家、国民国家、あるいは福祉国家と呼ばれる国家自体をなくす、あるいは形だけは残して無効にしていくということを前提に置くことが必要と思われる。仮にそこまで行かなくても、第二には吉本隆明の発案による、自衛隊を動かすときの最終の意志決定を完全に民衆の手に委ねるような条項を憲法に盛り込むという、憲法改正を積極的に行う方向性として考えることができる。
 第一そして第二のどちらにおいても、為政者、支配層、権力層、政府及び政府首脳に全権を委ねるのではなく、それらには主役の座を退いてもらって、民衆自身の素朴で率直な考えなり意志なりが決定権を持つことになり、民衆が主役になるというように進めるということである。
 
 
19 国家間の戦争をなくす方法を考える
                   2022/05/12
D
 吉本の提案があまり検討されなかったり取り入れられなかったように見えるもうひとつの理由は、世界の中でただ1国だけが戦争をやらないと決めてもあまり意味がないように思えるし、それが理由で他国の侵略を許し国が滅んでしまえば元も子もないと考えられたからではないかと思える。さらに言えば、吉本には戦争をなくすというベクトルの先に、国家自体をなくすという大きなテーマがあり、それが感知されると現在世界では誰もが尻込みするということになる。
 吉本隆明の考え、また思想を長らく読み込んできたものにとっては、彼の国家の解体論も戦争論も、原理論、本質論としては極めて妥当な論と受け取められる。
 憲法に戦争放棄を謳うことも、さらにまた吉本の主張の通り、自衛隊を戦闘のために動かすときは民衆の合意なくしては動かせないという条文を憲法に盛り込んだとしたら、これはもう世界に類のない画期的な憲法ということになる。憲法改正の機運が高まっているこんにち、どうせならそこまで言ってしまえばいいのだ。そういう運動こそがなされるべきである。
 それが為されたとなれば世界に類を見ないことなのだから、普通の国じゃないことを卑下するのではなく、逆に世界に誇るべきこととして胸を張ってしかるべきである。一足飛びに軍隊をなくすという言葉ではハードルが高いが、民衆の合意によってという文言ならば、軍隊を持ちながら軍隊が無きがごとくに抑制を発揮しうる。
 
 
 
19 国家間の戦争をなくす方法を考える
                   2022/05/12
C
 国家は成立するやいなや、その体制を維持すること、及び拡大していく方向に舵を取るもののようだ。たまには分裂して2つの国になってしまうこともあるが、そうなってもそれぞれはそれぞれにまた拡張するように動いたりする。国家は進んで自らを解体したり縮小するようには動かない。これを国家の属性と考えれば、国家間戦争はいつでも起こりうる可能性があり、常にそれに備えて軍備を整えておかなければならないというのが世界の常識みたいになっている。戦争は避けたいが、ならず者国家が戦争を仕掛けてきたらどうしたってこれに応戦しなければならない。その準備を怠ったら、場合によっては国が滅んだり、支配下に置かれて苦しい目に遭うかも知れない。これは堂々巡りというか繰り返しというか、これではいつまでたっても戦争がなくなる方向には向かない。
 日本は第二次世界大戦に敗北したあと、憲法に戦争放棄を謳って軍隊を持たないことにしたが、準軍隊と言うべき自衛隊を組織した。外交や国際貢献で他国とのトラブルを完全に解消しきれる自信がなかったからだろう。こんにちでは専守防衛のための自衛隊であるというようにも言ったりしている。万一のことがあったらどうするんだというのがその言い訳になろうかと思う。しかし、日本在住の一般の生活者たちは、全くの無防備で生活している。万一暴漢が襲ってきたらどうするんだと考えて、拳銃や刀などを備えている家はない。日々警察の護衛があるわけでもないから、万一の時は諦めるしかない。妻も子も守れないかも知れないが、いざとなれば徒手空拳で立ち向かうしかない。日本の生活者の武器は、その「覚悟」という一本のみだ。だったら日本の国家、政府首脳もその「覚悟」でやったらいいじゃないか、そうわたしは思うがそれは変であろうか。
 2月の末にロシアのウクライナへの侵攻が始まって、またぞろ日本の防衛体制のあり方が論じられるようになった。少し過激になると、やはり核兵器を持とうかという話も出てくる。危機的状況をシミュレーションし、これを弄んで嬉々としているようにしか思えない。
 前回に述べた吉本隆明の提案がそれほど注目されないのは、吉本が戦争をなくす前提で考え抜いて帰結するところを述べているのに対し、多くの人が戦争はなくせないんじゃないか、だとしたらどうしたらいいんだろうと、考えるときの前提の次元が異なっているせいではないかと思う。さらに多くの人が、攻撃に至るまでの過程、その経緯の時間的経過を考慮することなしに、ある日突如として核弾頭が飛んでくるイメージで考えてしまうから、最新の迎撃ミサイルが必要などと考える。ロシアとウクライナの場合でも兆しは数年前からあり、以後それに備えてた準備がなされてきてのこんにちの状況である。こうなってしまえば、つまり実際に戦争に突入しまうところに立ち会えば、吉本の提案は現実味が薄れ、遠く隔たったものになってしまう。
 同じく戦争に反対する立場からの声で、最も多勢であるのは憲法の改正反対、そして戦争放棄を謳った九条を守れの声であろう。しかしこれはいろんな言い方があるが、自民党政権による幾度かの解釈変更でもって憲法改正を待つまでもなく、少しずつ自衛隊の活動範囲が広げられたり危険地帯に派遣を可能にするなど、じわじわと既成事実が積み重ねられて風前の灯火状態に見える。つまり、そうした訴えは繰り返し念仏を唱えているのと変わらず、主張自体がいつまでたっても受動的で消極的である。戦争反対を主張する立場から言えば、吉本の主張は唯一能動的な主張でこれを支持しないというのはおかしいのだ。
 
 
19 国家間の戦争をなくす方法を考える
                   22/05/11
B
 前回は、近代国家成立以後に近代的な武器で装備された軍隊同士が戦う国家間の戦争と、それ以前の国家内の紛争、内戦とは区別して考えなければならないというようなことも述べた。
 かつて詩人であり思想家である吉本隆明は、同じように国家首脳らが自分たちの意志だけで動かせる軍隊を編成し他の国家と抗戦することを戦争と呼び、民衆自身の意志で自発的に編成し、またこれを自分たちの意志で動かして戦う戦いとを区別した。つまり近代化した軍隊が行う国家間の戦いを戦争と言い、民衆自らが編成した自警団的な戦闘集団が行う戦いは、戦争とは言わないとした。
 言うまでもなく、なくさなければならない戦争は前者の国家間の戦争であり、民衆の民衆による民衆のための紛争、戦闘は否定しないというのが吉本の考え方である。そこには民衆の感情の直接的な発露が戦闘という形をとろうとするならば、これは否定できないし否定すべきではないという認識がうかがわれる。法律がどうのという前に、自分が思ったこと、感じたこと、考えたことを行動に移すことが人間が生きるということに関しての根源的かつ本質的なパターンであり、誰も否定できない個人の自由にそれは属するものだからに違いない。これは単純な平和主義者の考えでも発言でもない。
 縁もゆかりもない者たちが集められて編成された軍隊が、これまた縁もゆかりもない他国の軍隊と、自分たちの意志とは無関係に戦闘を繰り広げる。その戦いには直接的な人間性が介在する余地は皆無であり、人間性がぶつかり合うといったような戦いの必然性も皆無である。あるのは指揮系統の上部からの命令に従い、それに準じて私を滅し、ただ敵を倒す、敵を殺す、そのことに没頭していくだけだ。そんなことは軍部の指導層か政府首脳かが命令を撤回すれば戦闘にならずに済むわけだし、中止を命令すれば即座に戦いは終わる。つまり、この手の国家間の戦争は、こういう意味から言えば回避の余地が十分にあるのだと思える。
 先の吉本隆明は、戦争を回避するやり方ということで語っていたことがある。それは憲法の条文などに、自衛隊を戦闘目的で動かす時は民衆の同意を必要とするというような項目を盛り込むということである。民衆の中から各職業、各階層毎に100人ずつ任意に委員として選び、委員全員の同意がなければ自衛隊を動かすことができないとすれば、もうそれは戦争をなくすこと自体に限りなく近づくに違いないと言っている。もちろん憲法では「戦争の放棄」を謳ってもいるのだが、上記の項目を盛り込むならばいっそう自衛隊をシビリアン・コントロールの下に置くことになり、当然政府の勝手な意向で自衛隊が戦争に参加する事態を防ぐことになる。完璧に戦争をなくせるということではないが、これをクリアして自衛隊を動かすということはかなり難しいことになる。
 この吉本の主張は、たいへん地味なものであると同時に控えめなものであり、
すでに低迷し始めた思想界においてもあまり取り上げられなかったと記憶している。だが「忘れられた思想家」、江戸時代の安藤昌益が主張した「法の世」にありながら「自然の世」を体現する法の改正とよく似て、わたしにはこれ以上にない具体策が示されたものと感じられる。確かに上述の項が挿入されたならば、国家間の戦争遂行にブレーキをかける効果は絶大なはずである。にもかかわらず、このことを真剣に考察する思想家、知識者、また進歩派政治家は皆無であった。
 こうした連中はみなエリートだったりエリートになりたがっている者たちで、集団や共同体の動向を決めるのはエリートでなければならないと思い込んでいる。逆に言うと、一般の民衆にその権限を持たせたくないのだ。もしも一般の民衆に動向を決定する権限を持たれたら、自分たちの存在意義が薄れる。ここにも自分たちを過剰に買い被りすぎる連中が存在する。詰め込みの知識など一切持たなくても、先のような仕組みが憲法に盛り込まれたら国の動向を決める会合や投票に参加でき、ありのままの意思表示で少なくとも戦争か否かの未来が選択できることになる。これは何度でも言ってみたいが、この手の選択に、過剰な知識の集積も事情通や情報通の集積も、あるいは思索や会議も全く必要がない。つまり包み隠さぬ本音を素直に吐露できるかどうかだけが大事で、一般の民衆には簡単にそれができ、エリートたちにはまたそれは最も苦手で不得意とするところであろうと思われる。
 吉本の提案は、現状の国家、また社会をそのままに、戦争をなくす可能性へのシフト移行の一方向を示すものだ。これはおそらく20年前くらいに言っていたことだが、現時点においてもこれを超える発言や記述に出会えていない。この提案の特に優れているところは、現状の国家社会のあれこれを大なたを振るって改革する困難さは少しも必要とせず、憲法に一文を盛り込むだけという、省エネでありながら効果が絶大だという一点を狙ったところにある。仮に戦争に断固反対という立場の国会議員が結集して法案を作成し、議会に持ち込めば即刻成立するとまでは言えないが、大きな争点となって継続して審議されるかも知れないし、議論が煮詰まると賛成派が多数になって可決する可能性も何年後かには見えてくるかも知れない。
 吉本は核心を述べていたのだが、この核心に至る道程については一切と言えるほど詳しく語ってはいない。そこについては政治家や運動家の考えることであり、力あるものは自力で切り開くと考えてもことかも知れない。いや、単にさすがにそこまでは親切ではいられないということだったのかも知れない。
 
 
19 国家間の戦争をなくす方法を考える
                   2022/05/10
A
 @では、そもそも国家が存在する限り、戦争はなくならないのではないかという疑問を中心に述べてみた。現在までのところ、国家運営には政府機関のような組織が設けられ、主にそれらが中心となって国家の運営にあたっている。当然ながらそこにはいろいろな権限が与えられ、国家全体にわたっての支配的な機関という側面も持っている。一般の民衆、大衆は政府の方針、意向、指示等に対し、原則的にまたさまざまな場面で被支配的な立場に立つ。ここまでのところ、国家は一般民衆を支配下に置き、その上に支配層が君臨するという関係を内在的に解消し得た試しはない。
 支配側に立つ者は、被支配的な立場に耐え得ない。これが国家間でマウントの取り合いに発展した場合、結局は支配者同士の争いに他ならないから行き着くところは戦争で決着をつけるということになる。ここで、どうせならそれぞれの政府を代表して首相を筆頭に大臣副大臣など、30人くらいで(人数は適当でいいと思うが)戦って決着をつけようというルールで戦ったら、これはもう一般の民衆は拍手喝采で応援することだろう。だが上に立つ者はこういうことは絶対にしない。自分たちが傷つくことはしたくないから、募集して集めた兵士たちを代わりに差し向けて戦わせる。支配者の代理で戦わせるという側面がありながら、これを伏せて国家のため、国民のために戦うのだとさかんに嗾ける。そんなケチなトリックなど使わずに、本当は自分たちが率先して戦って見せたらいいのだ。それで負けて国家が滅んでも、民衆の生活は続く。新しい国家、新しい支配者に支配されることはあっても、負けて必ず皆殺しになるわけでもなければ、もしかするとそれでもっと民衆の自由度が増すということだってあるかも知れない。実際にアメリカと戦って日本が負け、アメリカの占領下におかれた時に当時の民衆はそういう体験、経験をしたに違いない。
 支配層、指導層にあるものは、自分たちはかけがえのない要人かのように錯覚し、常に後方で作戦をたて、命令を発し、指揮を執らねばならないと自他に言い聞かせるが、それは自分を買い被りすぎだ。偉人伝、英雄伝に影響されすぎている。後釜、首のすげ替えはいくらでも可能だ。優秀(?)な人材はいくらでも輩出される。もっと本音で、自分は流れ弾に当たって死ぬのはいやだ、傷つき、手足を失ったりするのはいやだとはっきり言ってしまえばいいのだ。
 政府首脳同士の殴り合い、蹴り合いで戦争が決着できるなら、そういう戦争は何度あったっていい。一般大衆はそれに巻き込まれずに、そして決着がつき、仮に他国に併合されても以前の生活と変わらぬ生活が約束されるなら不平も不満もないだろう。だが首脳たち、その取り巻きたちは絶対そんなことはしない。
 遠い昔から、例えば村同士、部落同士の戦い、喧嘩みたいなことはいくらでもあった。だから戦争は人間社会にはつきものだとして、これはなくすことは不可能だという考え方もある。
 しかし、ここで戦争と言っているのは古代のそういうせめぎ合い、中世、近世の武将たちによる内戦と言うべき紛争とは別のものとして考えている。それらは国家同士の戦いではないし、分かりやすく言うと公正な立場からの仲裁役の可能性が存在する。最終の仲裁役が国家になるわけだが、国家同士の戦いとなると仲裁役同士の戦いとなって、これを仲裁するものは現段階では国連ということになり、これは未だその機能を発揮できていない。またアメリカのような強大国の言いなりになる側面があり、とても公正だとは言えない。
 どこまでとははっきり言いにくいが、例えば夫婦や親子間にも争いは起き、村と村の間、部落と部落の間にも争いが起きるが、これは当事者たち同士の意志が反映しての争いで、ここで問題にしようとしている戦争とは異なる。ここでいう戦争は民衆一人一人の意志に関わりなく、政府が専門の戦闘集団として組織した軍隊を使って、これまた民衆の意志とは関わりなくこれを動かして、他国の同じように組織された軍隊と戦わせる、そういう戦争のことを言おうとしているのだ。兵士たちはもちろん国民から募集に応じてなった者たちであるし、私怨も遺恨もない他国の兵士たちと戦うことを命じられて、ただその命令によってのみ前線に赴き互いに血と血を流し合わねばならない。もちろんそれだけですむはずもなく、兵士ではない一般の市民、民衆をはじめ、あどけない子どもから老人たちまでもが巻き添えになり多数の死傷者を輩出する。
 20世紀に2つの大戦を経て、世界の、ごく普通に暮らす一般の生活者たちは、もう2度と戦争が起こらないでほしいと痛切に願ったはずである。そしてその願いを踏みにじるのはまたしても各国の政府要人、またそれぞれの国家であり、ここでも民衆の意志は決定に関われないままだ。こんな国家、政府の有り様はいつまで続けさせておくべきものなのだろうか。
 
 
19 国家間の戦争をなくす方法を考える
                   2022/05/09
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 国家というのは人間が平和で安心できる生活を営んでいくための、最高の共同体の形態であり、最高の観念の共同体なんだという考え方がなされてきた。そうして近代国家成立以後から現在の国民国家、あるいは福祉国家と呼ばれる形で小さな変遷を繰り返しながら、しかし国家の枠組みはよりいっそう堅固なものに進化を遂げている。もちろんグローバル経済の発展のように、国家の境界があって無きがごとく見えることもあり、そこに国家解体の兆しを見る考えというのも一方には生じている。だが国家がそう安々と解体するようには今のところ考えることができない。国家は堅固で、かつ柔軟であって、問題があれば変容や修正を繰り返しながら、その時代に見合った形態に自らを変貌させていく。
 わたしたちが所属する国家、その形態の、ふだんは隠れていてあまりお目にかかることのない怖い貌のひとつは、戦争を引き起こす主体だということだ。戦争がなぜ起こるかといえばそこに国家が存在するからだし、国家形態を維持する限りそこに戦争が起こりうる可能性は常に存在してしまう。
 世界中の国家は、内部に軍隊を組織し、所持している。軍隊は専門の戦闘集団であり、戦争というものを予期して組織される。これを管轄するのは政府であり内閣府であり、いざとなれば首脳の意志決定で軍隊を動かすということになる。現在のところほとんどの国家は、その意志決定を民衆にではなく、民衆の代表者の代表者という形で首脳陣に任せているという状態になっている。
 しかし、代表者の代表者が常に民意全体に耳を傾けているかといえばそんなはずもなく、それは建前に過ぎないことは誰もが理解しているはずだ。
 国家の首脳たちが本当に民衆の代表であり、また代表者たちの中の代表であるならば、自国民を互いに他国民を使って殺させるというほかない戦争を行うはずがないし、それ以前にそういった武装集団を組織して平気なはずがない。戦争によって第一に傷つくのは民衆から募集された兵士たちであり、また、前線に生活する民衆たちだ。政府首脳および支配者層は傷つかない。こんな理不尽を見過ごせる政府首脳や支配者層などはいつまでも蔓延らせておくべきではない。