正月に詠む
 
お正月だというのに
胃がしくしくと
悲鳴をあげているかのよう
なのは僕だけではない
 
なにゆえにか
老いたる母に
年賀の挨拶の言葉をかけない
のも僕だけではない
 
時は過ぎてゆくのに
後悔は確定しているというのに
その道を避けて通ることをしない
のも僕だけではない
 
東北の冬の夜の
どこもかしこも
真っ白にさび付いた雪景色の中で
かさっと静寂が破れ
暗赤色の南天の実のひとかけらが
顔をのぞかせる
時は闇
ずたずたに切り裂かれた物語が
根雪の底に息を潜める
 
明日 陽が昇るならば
鼻歌を歌ってやる
明日 吹雪いたならば
吹雪のど真ん中に出て行って
空をかき回して
晴れ間を作ってみせる
2014/01/04
 
 
非詩的な台詞で
 
 格差社会が浸透し、マスコミが大々的に取り上げて社会問題化して久しいのにいっこうに改善される兆しがない、その理由は分かりきっている。
 社会をリードする政治家や官僚それから学者やマスコミが、繰り出す言葉とは裏腹に改善する気などもともと無くて、逆に問題のあることが、彼らの存在意義を堅くすることになっているからだ。
 社会に問題がある方が彼らの出しゃばりに有利に働く、ただそれだけにすぎない。つまり問題が利を運んでくれるものだから、濡れ手で粟を、自分たちの手で葬るわけにはいかないのさ。これはうまくできた上層の仕組みで、権力が加担しているからなおいっそうループして続く仕組みになっている。
 こんな現実はぼくらにはおもしろくないが、おもしろくないと考えるのが精一杯で、社会全体がそうしたシステムに屈しているのだから何ともならない。何ともならないのだから、個人的には斜に身構えて、時折言葉の上で不快や嫌悪の感情をまき散らすほかに憂さを晴らす手立てがない。ぼくはそうやって過ごしてきたし、今も過ごしている。かっこいいんだか悪いんだか、逃げてんだか挑んでるんだか、ただ、ひとつだけ言えることは、生きるということとは次元の違う戦いにはまり込んでしまったのだとは言えそうに思う。
2014/01/05
 
 
冬の夜
 
冴え渡る冬の夜の星々は
自然現象の一瞬にすぎないとも言えるし
感覚が美的に捉えれば
それはそうなのだとも言える
つまりはどう捉えて見せたって
それはそれなりにそうなのだ
 
まだ
冬の夜の精神は星のごとくに冴え渡るということはあり得る
冴えた精神は冴えているという時間の中で
あたかもそれを光芒のように感じるということもあり得る
だがいつもそれは星々のように
一瞬一瞬の非連続な連続の現象というものだ
明日には厚い雲の下に淀んでしまう
 
苦悩の連続は
時折
たしかに怪しい光芒を発する一瞬を持つ
2014/01/05
 
 
越えられない資質
 
感覚を削いで透明になった少年の
こころを成仏させ得ない
繰り返しの問答を
繰り返すたびに
求める解は遠くなっていく
 
消えかかって生まれたのか
消えるべくして生まれたのか
未熟で不適応の少年の苦悩など
この社会は関知するところではなかった
少年の肉体はこの世にあり続けて
魂は住処を持たなかったと言っていい
少年の不幸はその乖離にあったというのではなく
魂から突きつけられた懐疑的な精神に
捕らわれたところから生じた
 
生き延びるために
少年の理想は
イツモシズカニワラッテイルデクノボウ
だったのに
やはり遙か遠い道をさまよい歩かねばならなかった
 
少年は今還暦を三年ばかり超えて
異和を抱え込んで大衆の中にいる
2014/01/10
 
 
物質から生命へ 生命から意識へ
 
そこには居なかった
居たとしても幻想のようにだ
ここにわたしは居ない
居るとしても幻想のようにだ
幻想がわたしなのだ
わたしは幻想なのだ
消えたところで誰も気づかない
誰も悲しみはしない
誰も傷つきやしない
 
生命とはそういうものだと思ってきた
人間とは生命の未来であり過去である
だからわたしは生命であるのだろうと考えてきた
移行や転移を繰り返す人間社会はそれとして
生命は宇宙の理の姿形であって
宇宙に散在する極微のかけらのひとつであり
それがまたひとつの小さな小さな宇宙というほかはない
 
生命はかけらに他ならないが
人間という生命のひとつのかけらは
やっかいである
わたしもまたやっかいである
生命のひとつのかけらにすぎないのに
反自然や超自然の要素を
意識や意志という在り方でもっている
そうして
人間社会にしか通用しない物語を編んでは
その内部に生きることを
何事かのように思いなしている
2014/02/16
 
 
二様に生きている
 
二様に生きている
ひとつは流れなのだ
たとえば家という場に流れている流れ
たとえば通勤の流れ
たとえば職場で皮膚を触れていく空気のような流れ
たとえばテレビ画面を流れる社会の動きという流れ
その流れはひとときも滞ることなく
如実に変化を示している
 
いまひとつは
やはり流れといえば流れなのだが
正確には停滞であるということが出来る
意識の流れ
思考の流れ
これらは渦を巻きながら停滞している
 
個の内と外とに繰り広げられる
生の場において
わたしたちは翻弄される
ゆきあたりばったりの
時を浪費している
2014/03/01
 
 
名残折り
 
 この年になるといいたくても言えなかったことがたくさんあったなあと思う。親父も、おじさんやおばさんたちも、肝心なことは何も告げずに逝ってしまったという感じがする。そしてきみも、きみも、あるいはまたきみも、いや、ぼくが、黙って立ち去ってゆくに違いない。人間の不思議を懐にしまい込んだまま、誰にも打ち明けられないままに、打ち明けないままに。それって、言わないことは悪意なんだろうか、善意なんだろうか。聞けなかったことは、不徳なんだろうか、徳なんだろうか。
 
 突然に逝ってしまう。誰もぼくを愛さなかったと思う。
 ぼくは誰も愛せなかったかもしれない。
2014/03/06
 
 
或る独白
 
負の殉教みたいな真似をしては
いざとなると怯える
まさか聖人紛いは無理としても
プラスマイナス零に限りなく近づけるように
労苦を積み重ねてきた
つもりでいる
 
はてさてそこで
現実には零の地点は限りなく遠かった
労苦を積み重ねる毎日から
失策のようにマイナスが袖口からこぼれ落ちる
こぼれ落ちて
身の丈よりも高い石垣になる
 
ひとのめざわりになり
癇に障ったり
側にいても役に立たない人になる
《どうすればいいのか》
まさか
《生まれてすみません》とは
口が裂けても言えない《言えない》
2014/03/12
 
 
個の形で
 
ぼくらの一日の労苦はたわいもない
疲労には由緒がない
朝起きてハローワークの求人を検索して
それから茶碗を洗ったり洗濯したり
小遣い銭がないので
家に閉じこもって
のんびりテレビを眺めたりして
一日を消化する
 
貧しい暮らしなんだか
高等遊民なんだか
訳も分からなくなって
それでも日一日をつつがなく過ぎて通る
 
おかげで人間社会の仕組みとか
流れとか
姿形とかを
ぼんやりとながら分かりかけてきたものの
それとともにあとわずかの時間が残されている
だけだということも分かりかけてきた
 
いったいこれが何なのかと
自問の数だけが増えるとともに
自答には保留が積み重なり
許容量を超えて
ぱらぱらとこぼれ落ちる音がする
 
幸福とか不幸とか
充実とか徒労や不毛とか
人間社会に流通する全ての言葉が
まるで実感に則さない
異種の何事かのように感じられてくる
 
異和なんだ
全ての根源的な実感は
まるで世界という全体から引きちぎりとられたお餅みたいに
命という形の
体のいい分離
残酷な遮断
言いかえると放り出されたと見えなくはない
 
さてそれはそのように言えなくはないとして
そこから先がぼくたちに与えられた
試みの使命なのだと思うのだが
気が狂いそうになったら
沈黙に着地せよと
誰かが教えてくれている声がする
 
まだ
漂う
猶予だけが
残っている
2014/03/13
 
 
とある思い
 
腹が減ると感覚が冴えてくる気がする
 
訳あってアパートの一室かなんかで餓死した人も
冴えた感覚の時間を通り過ぎたのだろうなあと思う
 
二十一世紀の文明の発達した
今日のような日本の社会の中にあって
原始社会の人々にしばしば訪れることがあったと思われる
飢餓体験が反復されるとは
「時間」についての大いなる不明や誤解が
わたしたちの側にあるのではないのか
 
たとえば植物から動物
動物から人間へという階梯は
階梯というよりも未分化からの分離にすぎないのではないのか
 
冴えた感覚と思考ほど苦しいものはない
人間とは
研ぎ澄まされた感覚と思考の中で
無為を貫き餓死に至ることの出来る存在なのだが
わたしは
原始生命体が
自分を放棄することがあるのかどうか
などというようなことを思わないでおられなかった
2014/03/13
 
 
ある連帯
 
遊んでいますよ
毎日たっぷり寝てもいます
言ってみれば
暇つぶしに穀潰し
悠々自適に野垂れています
 
3・11もTVの喧噪に組みせず
非難されることも袋だたきにされることもなく過ぎ
自由というものの寂しさが浸透してきたと感じる
 
ぼくはぼく
きみはきみですよ
ありがとう
ぼくは考えています
2014/03/14
 
 
「追い込み」考
 
 クジラの追い込み漁が非人道的だという話は、禁煙運動に似て行きすぎだと思うな。また、行きすぎた禁煙運動が社会から喫煙者を締め出そうとするそれ自体は、追い込み漁そのものにも似てきている。個々人を追い込んでいるそれを、非人道的だと喝破するものは少ない。
 一方では追い込み漁そのものを追い込み、また一方では喫煙者を追い込む、この行きすぎた「追い込み」の動機とか、過剰に思えるお節介さとか、異常に加熱した正義感などが、どこに発祥の根拠を有しているのかがよくわからない。分からないが、どこか、「信」という共通の宗教的基盤に酷似したものに裏打ちされているような気がする。もしも宗教的な「信」の構造に似たところから発しているものだとすれば、これはもう問答無用という次元の話になってしまう。そして確かに、これを推進していこうとする勢力の側からはそういう空気が濃密に漂っていると感じられる。
2014/03/16
 
 
「老い」についての断章
 
 この年になると、夜になって眠ることがなんだかものすごい楽しみに感じる時がある。もう少し年を取ったら、もっと楽しみになるのではないだろうか。何でもいい、とにかく日中に活動していることからの開放がそこにはあって、眠る前にほっとした気分になるのだろうと自分では分析的に考えている。
 すこしずつすこしづつ、起きて活動することがしんどくなるのではあるまいか。
 とにかく最近は床につく時に無心になり、放心に近い状態になって目を閉じることが出来るようになっている。内省的にいえば、これはとても幸せなことだ。ありがたいことだ。 以前なら、そこで少しだけ罪悪感を呼び込んだところかもしれない。今はそれを呼び込まずに済んでいる。年を食ったということかもしれないし、動物生命の生理現象として肉体の死が侵入してきたということなのかもしれない。
 生きて活動するということは、いずれにしても重力や空気抵抗やその他の自然的なものに逆らっていることなのだろうから、やがて疲労や消耗が訪れることは間違いないことだと思われる。力尽きて逆らえなくなる時がいつか来るのだろうから、毎日の眠りは、その時の予行として繰り返しイメージしてみようかという気になっている。
2014/03/20
 
 
我が孤独の消化法
 
T
いつの頃からか自分が話したいことや
自分を話したいという気持ちが無くなっていることに気づいた
たぶん話しても相手にされないことが長く続いて
そうなってきたと思う
 
自分の話したいこと
話したい自分に誰も興味を持たないから
さしあたって不都合というものはない
またそのためにぼくが孤独を感じたとしても
ごく普通に耐えられる習性を身につけている
ぼくにとって生きるとはそういうことだと観念している
 
ぼくが話したいこと
あるいは自分の人間性というものについて
ストレスを発散するように
どこで外に吐き出しているかといえば
文字という書き言葉を使って
それを為しているということになる
たいていこちらも一方通行に他ならないが
とりあえず言いつのるということで
生理的な意味合いでのつじつまは
合わせることが出来ているように思える
 
異議申し立てをするつもりはない
2014/03/21
 
 
受身の処世術
 
面接をふたつほどこなしたが憂鬱である
不採用の不安と
採用されても喫煙にブレーキがかかることの不安だ
後者のことを考えることの方がより憂鬱である
大げさだが
喫煙者にとってみれば死活問題である
 
過日用事があって町役場に行くと
全面禁煙で灰皿がひとつもない
『けちくさく糾弾を恐れているんだ』
『ほころびひとつが命取りか』
『自粛自粛のオンパレード』
清く正しくみんなが生きている
 
真っ昼間の地方でも
平然と
狂気が共有されている
若い「権利の主張」という形の
 
『さしあたって我慢していくか』
『ここんとこ吸い過ぎてるし』
2014/03/23
 
 
生きるということ
 
黙っているのは信頼や親しみからではなく
非難の言葉を口にしないだけのこと
ぼくの あ・い が
いつも人との間の途中に行き悩んでは
方向音痴のように
「きみ」に辿り着いていないからなのだ
そこで歯がゆい寂しさが「きみ」を襲う
「きみ」は息子であってもいいし
配偶者であってもいいし
あるいは愛人であっても
職場の同僚であっても同じことだ
 
こちら側ではずっと
諦めて背を向ける「きみ」の姿を
繰り返し見送り続けてきた
歯がゆい寂しさはぼくをも襲っている
 
ぼくが本当に あ・い しているのは何なんだ
ということは
一番大事にしているのは何か
ということ
それは確実に
「きみ」であり「きみ」であり「きみ」であるのに
「きみ」以前の
正体不明の「きみ」に向かっている
それは あ・い の病ではないか
病んだ あ・い はどこから来たのか
どこから
 
遠い過去の方から
傷ついた あ・い の
あ・い を
注がれたから…?
 
すると
生きるということは
誰もが世界との関係をやり直していることになる
時に全世界の代理者として
小さな菜園の水やりのようにして
あ・い を注いでいることになる
腐らせたり枯らしたり
ほどよい水加減に四苦八苦することになる
夢見るのはいつも
生き生きと育つ植物たちの輝く世界であるのに
隣家の菜園に過ぎないのに
「ぼく」」と「きみ」の菜園だけが
陰の中に黒ずんで見えてしまう
 
生きるということは
何度でも繰り返しやり直すこと
いつか世界がそれを果たすために
辛苦は
繰り返される価値があるのだ
2014/03/28
 
 
季節がフェイドアウトする意味
 
季節はまた意識の内側で誕生以前に
つまり未明のところに帰りつつあるのではないか
四季という範疇に居座らねばならぬ必然はない
寒いとか暑いとか
やけに差し込むとか優しく包んでくるとか
 
時間の観念 時間の概念が
渦巻き
ばらばらに解体されて
渦の中を流れていく
原始もしくは前古代へタイムトラベルする
まだその日暮らしの富と性とに
翻弄される日々であろうか
 
偶然の恩恵や贈与を待ち望む日々
刹那の一喜一憂
未分離未分化への退化
老化に見紛う退化
退化に見紛う老化
 
同族へ
小さな共同性へ
時代は後戻りしたがっているか
2014/03/30
 
 
こころの不在の構図
 
巨大なペニスの上に大脳皮質を乗せ
巨大な胃袋の上に大脳皮質を乗せ
さらに種々の巨大な欲望の上に大脳皮質を乗せ
ちっぽけな理性を乗せた大脳皮質は
埋没する
 
それがわたしだと言って見せてもいいが
とりすました文化人よ 知識人よ
政治家よ メディアよ ジャーナリストよ
経済人よ 商人よ 役人どもよ
見かけの≪清潔≫さの陰に隠れ
きみの獲得した理性は
自らの欲望を
自らにさえ見えないごとく
ひた隠しに隠すことに必死だ
そうして醜悪な幻想社会という現実を
目に見えるきらびやかな物質の氾濫で覆い隠している
だが残念なことに
どんなに『現実が全てだ』と大文字の声が呼びかけても
『現実』を感得するのが『幻想』によってである以上
『幻想』は
ついに全ての『幻想』を察知するのに
反射に要するほどの時間も要しない
 
つまり
みんな分かっているのだよ
分かっていて我慢しているのだ
分かっていて口をつぐんでいるのだ
そうしてきみたちと
きみたちの村社会の仲間たちとは
そんなことまでも知っていながら
涼しげな顔をより涼しげに見せている
 
険しく沈んだ顔を見下ろし
その顔たちと一緒に
この世界からのこころの消失に加担している
2014/04/01
 
 
固疾
 
経験による積み重ねはいつもリセットしてしまう
そのために
今日はいつもゼロからの出発
まっさらなところから始めることになる
いつも いつも いつも
初めての今日があるばかりなのだ
 
理由はよくわからない
自らのうちに物語を形成することへの嫌悪
関係の構築への嫌悪
つまり
現代人なら誰でもそうするだろうこと
そう考えるだろうことを
否定し尽くしたくて仕方がないのだ
あるいは
そうではない在り方を実験している
 
おかげできわめて生きがたい生存を負うことになったが
どうあっても降参だけはしたくないのだ
例え玉砕することになったとしても
 
寄りかかりもたれ合うこの世界が嫌いだ
一人では生きていけないと
あっさりと「本当のこと」を捨ててしまう生き方が嫌いだ
代わりのように
暗黙のうちに私利的意志の一致または契約を結び
その小さな共同性の意志が
あたかもみんなの共通の利であるかのように装う
その姑息さが嫌いだ
 
どんなに嫌いでもそれが人間であり
その人間がまた
時に私利を離れて他利に奉仕することがある
つまり とても≪善≫なるものに変貌することがある
 
するとぼくの世界への嫌悪は
資質の内側に閉じ込められる
あるいは閉じこもって
資質を呪うかのように
また閉じこもる
2014/04/02
 
 
心身の衰えを感じる時に
 
寄る年波の疲労にくるまる
理由はない
重力に耐えられず
真っ直ぐの背を一秒と保てない
焼かれたスルメのように
曲がりきって
とりあえずそこで踏みとどまる
 
歩くことは億劫になり
呼吸さえもがやっかいである
少しずつ
老いの坂道を転がりかけている
たしかなことは
反転することはけしてないだろうという思い込みと
反転することを願う気持ちさえ
湧いてこないことだ
 
もうこれ以上
辛いことはしたくない
自然に逆らうことは欲しない
 
眠りたい 眠りたい
ここまで来たら
慰め程度の楽しさなんか
邪魔くさいだけのような気もする
眠りたい 眠りたい
元気でいられる一瞬のほかは
身も こころも 頭脳も
伏した姿勢の中に
過不足無く同化していたい
2014/04/07
 
 
わたしを裏切るもの
 
陽射しに溶ける
溶けて雪崩れる
風に揺らめく
揺らめいて拡散する
 
気化したり
液化したり
時に固化したりほぐれたり
 
影に引きこもり
明に躍り出たりする
 
時に 一途に
時に ぶれる
 
反復するのに
形態を異にする
 
変幻自在をもって
こころと言う
 
こころよ
不可知にして
いつもわたしを裏切るものよ
お前のためにわたしは強くあることができない
2014/04/13
 
 
大人はみんな「・・・・・」
 
先生様
小さな子どもは子猫のようです
傷ついた犬のようです
小さな獣のようであることもあります
 
西欧の巨匠をまねて
理想的な市民生活者を育成するために
徹底して指導すべきという立場の職にある
あなた方ですが
本当にそれでいいのでしょうか
いや そんなことができますか
 
ごらんなさい
ぼくを含めた生活者一般は
あなた方の目にはどう映っているのですか
教育の成果ですか
失敗作ですか
間をとってまあまあということになれば
ほら
子どもたちはまあまあじゃないですか
 
勉強がまあまあ
しつけがまあまあ
マナーがまあまあ
エゴっぷりがまあまあ
正直さや嘘つき度がまあまあ
まじめなふり
分かったふり
やってるふりも大人顔負けにまあまあでしょう
優しさや思いやりも
いじめやバッシングの仕方も
大人社会と寸分違わない
所詮ぼくらのやっていることを越えて
異常と言える振る舞いなど何ひとつ無い
 
子ども社会などほったらかしにして
大人社会の指導層もほったらかしにして
つまり全ての権限や権威を無効化するようにして
自由で余裕があり
公明公正で
格差の少ない平等な社会の建設に向かって
あなた方が目を転ずるならば
指導者を指導する視線を獲得するならば
そこに本当の教育
根本の範が
浮上するのではありませんか
 
大人に為しえないことを
子どもだから可能かもしれないと考えるなんて
それはあなた
子どもたちが可哀相すぎます
 
子どもの時に頑張ったせいで
たくさんの監視と評価に晒されたせいで
大人たちはほら
みんな「・・・・・」です
2014/04/14
 
 
4月
 
末梢神経の梢に
小さな桜の花びらが咲き誇り
青い背景が透けている
校庭の子どもたちのように
無邪気に微笑みかけてくるような
 
『花のしたにて春死なん』とは
そういう意味なのかな
 
 
ああ
それならば
それがいい
 
にっこりほっこりと
死んで行ければ
それはいい
2014/04/15
 
 
前古代から古代への広場
 
無邪気な笑顔が織りなす
融和の空間
また よそ者を見る
いぶかしげな視線が
つと 威嚇する表情に変わる
 
校庭には前古代から古代にかけての空間が広がり
小さな平和と小さな戦とが交錯する
 
もちろん小さな諍いは
いつだってうまく収束され
回避され
何事もなかったかのように
平静さは
空間を浸食してしまう
 
そしてそれらはそのままの在り方で
桃源郷そのものの再現となる
あるいは喪失の始まり
 
春 4月
子どもも先生も
なんだか
新しくなった
 
あちらこちらで歓声が上がる
2014/04/16
 
 
現代の社会の一側面について非詩的な断章
 
ブームとしての
健康
ダイエット
禁煙などには
ほんのひとかけらの真実と
水増しに水増しを重ねたような
たくさんの虚偽がある
また
ある種の共通する「仕掛け」がある
 
その「仕掛け」には主に金が絡む
 
ブームになって誰がいちばんに得するのか
誰がいちばんブームの犠牲になるのか
 
ぼくの父はたばこをやめて
10年後に肺がんの手術をした
だから
「禁煙すれば肺がんになる可能性を減らせる」
という言葉は信じられない
仮にほんの少しの真実が含まれるとして
どうしてここまで喫煙を追い込まなくてはならないのか
現代社会のお節介は度が過ぎるし
個人を代弁する形での行政の出しゃばりが
半端ではない
これでは国や県などの公的機関に依存する
市民を増やすばかりではないか
それで自分たちの存在意義が高まり
喜ぶのは誰か
反対に新たな公的機関の設立と維持を
負担するのは誰か
 
自分たちのことは自分たちの考えで決める
自分たちが判断し 決断し 行動する
 
ぼくたちからはそうであるべき苦労さえもが剥奪される
 
一見快適だが
制限と自己負担とが大きい
介護施設に閉じ込められているかのようだ
2014/04/17
 
 
初めての世界
 
朝 いつもの
未知や未明にちかい世界へ
探検に出かける
昨夜 確かにあった
幻想上の地図の
入り口と出口とを示す赤い×印が
ここ数日は
どこにも見当たらない
 
この世界での体験や
またその反省と思考の反芻は
未知と未明の現実の前に
何の役にも立たず
今日もまた少年のような
初々しさで
現実社会に瞬きする
 
年ばかりを経て
いつの間にか足手まといになっている
もうこの世界では
生きていけないのではないか
どこまで行っても
初めての世界にしか出会えない
極度の精神的緊張は
限界を超えている
か・・・?
 
夕刻
家路の途次
長い放心をくぐり抜けて
玄関の扉を開ける
『明日もまた』
そう考えると
早く眠りにつかなければと思う
2014/04/29
 
 
悲しい非正規
 
新しい仕事
新しい職場
新しい人間関係
全てが面倒です
 
年がいってからの
これらの対応には
相当のエネルギーが必要だと分かりました
 
ぼくらのように
もう アルバイトやパート
契約社員や派遣の仕事しか雇用のないものは
たぶんみんながみんな
このようなちっちゃな悩みに
大きく苦しんでいる気がします
そうして何度も職場を歩き回って
また苦しくて
長くいられない悪循環に
いっそう悩んでしまっているのでしょう
 
世の中ではあんまり問題にならないことだけど
個人個人では分かっているに違いないけれど
どうにも仕方がないことだと
沈黙の声がさらに縮まります
 
人間関係は今
下層の世界しか知りませんが
酷いことになっています
やれ 誰が足を引っ張っただの
誰それはサボってばかりいるだので
少しも個人を尊重するふうではありません
 
正社員クラスのところは
忙しいなりに力を抜ける部分もあって
自由度は確保されているのでしょう
ぼくらにはそういうところの配慮も
抜け道もなくて
労働時間内はフルに働いて当たり前
という風潮が
ごく自然のように
ぼくらを取り囲んでいるのです
雇用側や正規の被雇用者たちはそれで
非正規の職員が
非人間的な処遇にあることさえ
感じられないでいるようです
そういう雇用の形態
そういう非正規の被雇用者たちの扱いに
慣れていないし
分かっていないし
無関心でもあります
 
非正規職員は
非正規職員に監督させる
これが今日の風潮で
なかなかにうまく考えられた仕組みです
大会社が下請けを使い
下請けはまた下請けを使い
下に行くほど条件が悪くなるという構図は
そっくりそのまま当てはまります
下に行けば行くほど
口答えや疑義を呈することに
空しさを覚えてしまうのです
 
ああそう言えば以前の職場で
同僚である年配者が言っていたなあ
『場長の温情に感謝しなくちゃ』って
何に対してのことだったかは覚えてはいないが
妙に耳に残っている
そうして考えるのは
「いまぼくらはいつの時代を生きている?」
2014/04/30
 
 
歯の痛みは自分で治す
 
痛い歯が
大きく痛むと頭痛を伴う
歯の痛みに連動して
引きつるように
同じ側から頭痛もわき起こる
 
痛みが度を超すと大変なことになるので
その時は鎮痛剤を飲む
 
歯の痛みは虫歯などの原因にもよるが
疲労がたまることからも
引き起こされる
痛みが激しくなるのは
決まって疲れを感じる時で
身体の抵抗が弱まるからだろう
 
歯の痛みには疲労回復がとても大事だ
歯医者に行って治療することではない
抵抗力が弱まると
いちばん弱いところが打撃を被る
ぼくはそう確信している
とりあえず健康を心がけて
それでも痛みが治まらない場合は
歯医者さんへ行こう
それからでも遅くはない
2014/05/01
 
 
前向きな夢
 
阿呆のように生きている
虫ケラのように生きている
それでいいんだなあ
おれは
耳を澄ませば聞こえてくる
ちいさなちいさな
死の足音
 
自他の死の前に
ひとは
誰もが泣くまいとつとめている
のかな
 
ひとの目にさらされないように
おれの奥さん
最後にひとりで看取ってくれるかな
かな
 
ボソッと
「バカッ」ってつぶやいて
くれるかな
かな
 
前向きな夢を
懸命になって探してみたら
こんな言葉になって出た
今日
2014/05/06
 
なぜ詩を書くか
 
 1日という日の中にはいくつもの発見や驚きがあるのに、日はそのことごとくを呑み込んでしまう。そう考えると、誰もが毎日驚いたり発見したりして、しかもそれらの全てが日の中に呑み込まれていることになる。大人でも子どもでもそうなのだ。
 録されないことはあまりにも多い。紙にも記憶にも。そしてそうであることには根拠がある。わたしたちにはきっと限界というものがあるに違いないのだ。
 
 驚きや発見のその瞬間が何かである。わたしたちはその時、確かに心でそれを受け止めた。その、煩わしささえ感ずる心の動きの積み重ねが、生きてあることそのものでさえある。
 わたしにとって詩を書くとは他人のそんな心に出会おうとすることだ。深い、奥の奥のそれに出会って、共感したり分かってあげることだ。形だけのように手をつなぐことではない。
2014/05/13
 
 
知のジョギング
 
 若いときには仕事を終えてから本を読んだり考えることをしていた。疲れていたけれども、その頃はそんなにも苦痛に感じることはなかったことが今となっては不思議だ。
 この4月から10年ぶりくらいで同じようなことを始めているわけだが、夕食後の思考はほとんどものにならない。疲労と睡魔が潮の干満のように繰り返し襲ってきて、もっと若いにしても、こんな労働者、生活者が、社会にそんなに存在するわけがないと思う。
 こんなことをするのは異常か病的にちかい。とてもひとには勧められないし、しなければならないなどと言うこともできない。自分でいうのも何だが、独りよがりの不出来な思考の結果しか残せない。10年後の、体力の落ちた今日ではなおさらこと、頭を働かせること、考えることが、実はきついことであることが分かる。
 
 とまあ、ここまでは自然の過程で考えることで、ぼくはまだもうダメだとは言い切れないと思っている。仕事や環境に慣れるというか、体力が、この生活のリズムに慣れるところまで適応力を上げていけるのではないかという気がしている。そうしたらまだまだこの知のジョギングも継続していくことができるのではないだろうか。あと二ヶ月、あと二ヶ月あればきっとぼくにも余裕ができる。余裕で適応してみせる。
2014/05/14
 
 
同行
 
齢を重ねて
いま放課後の一年生と
児童館への道を歩く
 
おしゃべりをする
立ち止まる
てんでんばらばらな隊列で
知らぬ間にいがみ合っていたりする
 
ああ
いつか来た道なんだ
若い頃にさっと駆け抜けたこの道を
老いたる姿形で歩いている
 
まだ行けると思っていたこの道
<命なりけり>の道
 
だれも
また越えてゆこう
とは思わない
この道を
引率よりは遠く
ひたすらの同行を思い重ねて
2014/05/17
 
 
或る戦い
 
母の視線
あるいは母の視線をなぞった
幻影の視線に怯えて
少年は吹きっさらしの中にしゃがんでしまう
自身の異質さに目覚めた少年は
異質さを
乗り越えられない強固な壁のように
いつからか
思いなしている
母の視線を
増幅させながら
 
ところで
わたしもまた少年の日から
自らの異質さと
それ故の幻影の視線に怯えてきた
もしかしてわたしが見かけ上
ある集団の一員のように振る舞い続けてきたとするならば
それは
常に幻影の視線に立ち向かい続けてきたからだ
つまり
本質は幻想の問題に過ぎないと直感したからだ
 
この年になってなお
わたしは人との出会い頭には
いつも怯まずにはいられない
そしてあたかも初対面かのように
心を一瞬こわばらせる
ところがその時
本当は何かが突然に始まり
その一瞬後にはその何かが終わっている
そうして何事もなかったかのように
わたしは内側に入り込むことに成功するのだ
少年よ
必要なのは何食わぬ顔つきなのだ
己の心を観察するもうひとつの視線なのだ
 
少なくともわたしたちにとって
異質さの解消が必須なのではない
少年よ
明日になれば状況が一変するなどと考えるな
年を経れば
笑い話にできるなどとは考えるな
 
優しき人よ
憤りを露わにして
学級に殴り込め
それが苦もなくできるほどに
激しく己に向かって憤れ
思い悩んだ果てに
考えに考えよ
そうして全ての思考を放棄して
注がれる視線の銃弾に撃たれよ
 
ぼくはそうやって
今も
この世界と戦っている
自分の資質と戦っている
2014/06/01
 
 
ただ 思う
 
青い空と白い雲と
梢を渡る風を眺めながら
ぼくは人間的な利には縁が薄かったのだと思う
 
けれども
賢治流に言えば
玄米と味噌と少しの野菜は
ぼくの家族のために欠かすことはできない
もしもこのことが阻害されるなら
ぼくは大いに反発することだろう
 
その余のことは
あればあってもいいし
なければなくてもいいというような
そんな
なるようになるしかないことだと思っている
お金がないとか
友だちがいないとか
みんなから変人と思われようが
何の優れた功績も残さないと思われようが
そんな社会的な価値判断や評価などは
一切がどうでもよくて
ぼくはそんなところには生きては来なかった
というか
正直に言えば
どうこうできることは半分くらいしかなかった
ということだ
 
ぼくが優しいというのは半分が嘘だ
真面目さもぼくの性格がそうだからというのでもない
ぼくの生き方に関して
ぼくには半分の決定権しかない
あとの半分は現実からやってくる
厳密に言えば現実の関係から
そうして残した砂の足跡は
結果としてそこに表れたものにすぎない
 
利に薄かったのは
利を望んでも能力がなく
また現実がぼくに利をもたらすような環境ではなかった
ということに過ぎない
けして
ぼくが聖人君子ふうで
清廉潔白な人柄だからなどということではない
 
環境のせいにするわけではないが
ぼくらはそんなふうにしか生きられないものだと思う
よいも悪いも
ぼくらの存知出来るところのものではない
2014/06/16
 
 
老いたる人
 
老いたる人は行きがけの道
迷いの果て
頼りないほど小さく
遠景の中に消え入りそうに見える
 
もはや
関係を手入れする力を残さない
 
ほったらかされて雑草の生い茂る庭を
群れから離れて進軍する
一匹の蟻のように
未明の明け方にむかって覚悟を新たにする
壮絶な孤独へ
荒れ果てた荒野へ
力の限りを尽くして辿り着く
精神
2014/06/22
 
 
時間「0」の「夢」の向こう側へ
 
物みなを視線となって触れていく
痕跡を残さずに掠めていく
樹木の梢に繁った
葉と葉との隙間に一休みする
愉快に流れてゆく
夢のような自在を手に入れる
ここには「時間」という観念がない
代わりに「永遠」という観念が
横ざまに時を超える
3年前に死んだ父が
今もそこに時を止めて
未遂の「死」を
未遂のままに貼り付けている
 
わたしは生きたままで夢の自在を手にする
子どもたちの心の隙間を掠める
人と人との間
人と物との間
物と物との間
全ての間という間を風のように
触れて渡る
 
影を引きちぎるように
実体を「夢」から引きちぎる
2014/07/24
 
 
「破天荒」
 
「破天荒」を道具にしている芸人たち
「破天荒」を忘れ去った文学者たち
「破天荒」に縁のない学者たち
それらいっさいを否定して
社会の中でごく普通な暮らしぶりを見せる大衆の中に
自分の生涯をかけて
「破天荒」を演じきらねばならぬ人々がいる
これは一体何なのだ 本当は
警鐘を鳴らし続ける役目を負った
知識者よ
エリートよ
指導者たちよ
腹の底から腐りきった亡霊どもよ
魂のないクズどもが
嘘八百を並べたり
威張り腐ったり
結論ありきのどうでもよい会議に連座する度に
確かに社会というものはお前たちのためだけに
都合のよいシステムに変わっていっている
「力」に群がる蝿どもが
病的で異常な
紳士面や文化人面をすればするほど
病的と異常とは
つまり無意識な「破天荒」は
大衆の中に発現し
その身をもって警鐘となる
報道はそれを他人事のように
やれ異常だ病的だと決めつけるが
ふざけるんじゃない
自分の異常や病的であることは棚上げにして
もっともらしいことばかり言いやがる
何が「原因の究明を」だ
バカ
そんなことはお前自身の体質を探れば
一目瞭然のことではないか
それが一個人をターゲットとして
乗り移っていったに過ぎない
 
本物の文学者よ知識者よ
思想者よ
君たちは今どこで何をしているのか
わたしたち一般者のために声を上げよ
啓示を垂れよ
真なる証として
きみの内なる「破天荒」の旗を
高く掲げよ
2014/08/02
 
 
晴れ渡る秋の空だというのに
 
晴れ渡る秋の空だというのに
浮かない顔して身を震わせている
冷気を運ぶ風と
風に運ばれてきたわずかなお天気雨と
 
晴れ渡る秋の空だというのに
紅葉を散らす校庭に
子どもたちはまばらに舞っている
足下を掠めて茶色の葉っぱが邪魔をする
 
晴れ渡る秋の空だというのに
出張ってきた寒気で台無しだ
 
校舎の中は大賑わい
ふざけて笑ってそのうちに
きっと泣く子が出てくるよ
泣く子が出てくるよ
2014/10/30
 
 
「を」
 
忘れたり思い出したりしている
緊張したり弛緩したり
 
時間に上ったり空間に下りたりして
猶予
拵えた
つもり
 
時を占めることは
できなかったか
 
「知」も「情感」も
を 防ぐことはおろか
を 黙過するものにすぎない時に
 
どこでだれにさよならを言えばいいのか
 
言わずに
過ぎて行けるのか
 
また忘れたり思い出したり
緊張したり弛緩したり
 
時間に上ったり空間に下りたり
2014/11/16
 
 
ある日に
 
お節介だと悪くはとるな
知らんぷりだと悪くはいうな
 
貧乏人は品がないと悪くはいうな
富裕のものは心が広いと善意にとるな
 
こころよ
世の中を悪くはいうな
しかして
そのような誘いに屈するな
2015/01/21
 
 
小さなひとよ
 
小さなひとよ
きみははぐれた言葉のようだ
何を言いたいのか
何を指して語られているのか
その指示も衝動の強度も
伝わってこない
 
小さなひとよ
愛らしくかじかんだひとりひとりよ
時にわたしたちよりも天真爛漫に
時にわたしたちよりも
小さなはげしい憎悪の固まりとなって
遊びまた泣きじゃくるひとよ
めまぐるしく動く感情の動きに
わたしは失った愛を思い出すばかりだ
2015/01/24
 
 
問題行動
 
つまらんいやだと体ごと語る子に
45分間がまんせよと言えるだろうか
45分の忍耐を
それがいじめや拷問ではなく教育愛なのだと
丸め込こまれる子らがいて
丸め込まれない子らがいて
丸め込もうとする先生がいて
しないできない先生がいて
誰と彼とがそうなって
彼と誰とがどうなって
とりあえずは思いの丈を思いのままに
ああいやだいやだと席を立つ
 
(そういえば 我慢のならない研修では
    おれも無断で雲隠れする常連だった)
 
「先生なんてみんな嫌いだ」のことば突き刺さり
遠くこだまして吐き気のようにせり上がる
 
(そういえば胸の奥処の扉の中に
    遙かに遠い霞のように言葉にできない言葉もあった
                    太宰の「義」ではないけれど…)
 
2015/02/17