『老いの渇望』
 
25 「インクルーシブ教育」について
2022/09/30
 
 東京新聞ウェブページ(9月26日付け)に、次のような見出しの記事が載った。『障害児が普通学級で学ぶ「壁」をなくして 日本で進まぬ「インクルーシブ教育」 国連障害者権利委が日本に勧告』。そして、冒頭の記事は以下のようなものであり、括弧書きで記者の名前も見られる。
 
 国連の障害者権利委員会は今月、障害者権利条約に基づき、日本政府に対して障害児を分離した特別支援教育の中止などを求める勧告を発表した。スイスで行われた審査の段階では、日本の市民団体が直接、障害児が普通学級への就学を拒否されるケースがあると権利委に訴えた。国連は障害児と健常児が共に学ぶ「インクルーシブ教育」を掲げ、欧米などで浸透しているが、日本では十分に進んでいない。(城島建治)
 
 これを読むと、「国連の障害者権利委員会」から「特別支援教育の中止」が求められているとはっきり分かる。当然の勧告だろうとわたしは思う。ただここまで明確に指摘されるとは思いもしなかった。
 わたしは以前の教員時代から、漠然とだが、特殊学級とその後の特別支援学級の存続はおかしいと思っていた。さらに障害者の福祉施設というのもおかしいと感じていた。どこがおかしいと思ったかというと、障害があると見做されるものと、無いと見做されたものとの接点が学校でも社会でも奪われているからだ。生涯にわたって、ほぼ分け隔てされている。これは障害児・者側からも言えることだし、逆に健常児・者側からも言えることだ。
 こういう体制を作ったのは主に官僚と学者と有識者たちであると思う。くだけた言い方をすれば頭のよい大人たちだ。日本社会全体のあり方を見て、こういうことでよいと結論したものだろう。しかし、彼らのような者たちが考えることはたいてい間違う。自分たちがよいと思うことを一生懸命になって考えて結論するのだろうが、それは自分たちがよいと思うだけの自己満足に陥ってしまっている。障害や障害者について、中途半端にしか向き合って考えていない。それがはっきりと露呈してしまう。さすがに欧米はこのことについても先進国であり、日本は後進性が露呈して恥ずかしく感じる。
 障害者の視点に立つことを欧米人は100%可能だが、日本人はそこに社会体制側の意図を紛れ込ませてしまう。60%は社会や組織の運営の視点で考え、障害者の視点に立って考えることはせいぜい40%くらいの比重にしかならないとわたしは想像する。
 学校教育もそうだが、障害者の政策も、あるいは国民の人権についても、大人の事情であったり、運営する側、経営する側、統率する側の思惑が入り込んで、徹底的に子どものことを考えてとか障害者のこと、あるいは国民のことを考えてということができていない。たぶん当人たちはそうしているつもりなのだろうが、実際には国連の勧告が示すように、そうなっていないのである。そしてそうしたことについての世界水準を認識できていない。
 
 問題は、個人を重視し、個人を受け入れるために社会が進んで変わっていくべきだとする社会か、既存の社会を絶対的なものとし、個人はこの社会に適応していくべきだと考える社会かということだ。
 例えば日本の学校教育では、ほとんどが目標を社会人の育成ということに置いている。よく考えればこれは、子どもは未完成だということを言っているのと同じだ。いうまでもなく、これは社会としては後者の社会だ。どの子どもも生きられる社会に作り替えるという発想ではなく、既存の社会に子どもを当てはめるように育てていくという発想である。変わるのは社会の方ではなく、子どもの方であるとする発想である。
 文科省のサイトに掲載されている特別支援教育の理念や考え方は、
 
 「特別支援教育」とは、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うものである。
 
 また、すでに述べたとおり、現在、小・中学校において通常の学級に在籍するLD・ADHD・高機能自閉症等の児童生徒に対する指導及び支援が喫緊の課題となっており、「特別支援教育」においては、特殊教育の対象となっている幼児児童生徒に加え、これらの児童生徒に対しても適切な指導及び必要な支援を行うものである。
 
(中略)
 
 また、LD・ADHD・高機能自閉症等の状態を示す幼児児童生徒が、いじめの対象となったり不適応を起こしたりする場合があり、それが不登校につながる場合があるなどとの指摘もあることから、学校全体で特別支援教育を推進することにより、いじめや不登校を未然に防止する効果も期待される。さらに、これらの幼児児童生徒については、障害に関する医学的診断の確定にこだわらず、常に教育的ニーズを把握しそれに対応した指導等を行う必要があるが、こうした考え方が学校全体に浸透することにより、障害の有無にかかわらず、当該学校における幼児児童生徒の確かな学力の向上や豊かな心の育成にも資するものと言える。こうしたことから、特別支援教育の理念と基本的考え方が普及・定着することは、現在の学校教育が抱えている様々な課題の解決や改革に大いに資すると考えられることなどから、積極的な意義を有するものである。
 我が国が目指すべき社会は、障害の有無にかかわらず、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う共生社会である。その実現のため、障害者基本法や障害者基本計画に基づき、ノーマライゼーションの理念に基づく障害者の社会への参加・参画に向けた総合的な施策が政府全体で推進されており、その中で、学校教育は、障害者の自立と社会参加を見通した取組を含め、重要な役割を果たすことが求められている。その意味で、特別支援教育の理念や基本的考え方が、学校教育関係者をはじめとして国民全体に共有されることを目指すべきである。
 
というものだ。
 言っていることは文句のつけようがないくらい立派なことだが、何はともあれ、今回の「国連の障害者権利委員会」からの「勧告」は、中止しろと、こうした理念、考え方をバッサリ切り捨てている。権利委員会の言い分は、簡単に言えば、どんな理念また考え方にせよ実際のところはその教育法が障害児の普通学級からの分離、隔離になってしまっているというものだ。こういう特別支援学級と普通学級の分け方について、おそらく子どもたちが本音でどう思うかをアンケートに採るというようなことは一度もないと思う。また、小さなうちから分離また隔離状態に置いて、社会人になって急に理解し合え、支え合え、共生し合えと言っても無理な話だ。はじめからその土台を奪っている。
 特別支援教育についていつも言われることは、一人一人の子どものニーズに沿って、丁寧できめ細やかな指導ができるという言説である。日常生活習慣から学習の指導まで、つきっきりで見てあげることができる、世話することができる。携わる教員も、使命感をもって一生懸命取り組んでいる。
 それで何がいけないかと多くの人が、たぶん考える。しかし、わたしに言わせれば、そこに見られるのは社会や人間や子どもに対する極めて表層的な理解で、それに併せて大人たちが都合よくそれでよいと思い込んでいるに過ぎず、本当には子どもたちのためになっていないということだ。そこには現在に生きる大人の視点しかない。障害児の立場や障害児の視点に立った考え方が全くなされていない。考えているとしても、全く浅いところでしか考えられていない。当然のことながら普通学級に所属する子どもたちに対しても、頭のよい大人たちの考えは同様に浅いところでしか見ていない。どこかで、障害者は健常者の欠陥品だという考えが横たわっている。人間として同等であり平等だという考えにたどり着いていない。
 飛躍しすぎだと思われるかも知れないが、特別支援教育的な考えは、明治期の富国強兵という国家のスローガンに起因するとわたしは思っている。江戸時代の鎖国政策から開国へと舵を切る時、世界で自立できる国家を目指し、国家社会の繁栄を第一の課題とした。教育もそのための柱のひとつと位置づけられ、迅速な知識、技術の習得を目指すべきだと考えられた。その姿勢は現在にまで引き継がれていて、いかに合理的且つ効果的に学習の習得をなし得るか、そういう体制作りが継承されている。「公」が主で、「私」は従となり属となる。「私」が主となるためには、より深く根源的なところで転換が果たされなければならないが、これが骨肉に染み渡っていて難しいのである。
 渡辺京二「逝きし世の面影 日本近代素描T」(葦書房)に次のような記述がある。
 
フォーチュンはディクソンら友人とともに鎌倉を訪ねたが、町中に入ると女が一人道路の真ん中に坐りこみ、着物を脱いで裸になって煙草を吸い始めた。明らかに気が違っているのだった。フォーチュンらが茶屋で休んでいると、彼女がまた現れて、つながれているフォーチュンらの馬に草や水を与え、両手を合わせて馬を拝んで何か祈りの言葉を呟いていた。彼女は善良そうで、子どもたちもおそれている風はなかった。フォーチュンたちはそれから大仏を見物し、茶屋へ帰って昼寝したが、フォーチュンが目覚めて隣室を見やると、さっきの狂女が、ぐっすり寝込んでいる一行の一人の枕許に坐って、うちわで扇いでやっていた。そしてときどき手を合わせて、祈りの言葉を呟くのだった。彼女はお茶を四杯とひとつかみの米を持って来て、フォーチュン一行に供えていた。「一行がみんな目をさまして彼女の動作を見つめているのに気づくと、彼女は静かに立ち上がって、われわれを一顧だにせず部屋を出て行った」。狂女は茶屋に出入り自由で、彼女のすることを咎めるものは誰もいなかったのだ。当時の文明は「精神障害者」の人権を手厚く保護するような思想を考えつきはしなかった。しかし、障害者は無害であるかぎり、当然そこに在るべきものとして受け容れられ、人々と混りあって生きてゆくことができたのである。
 
 「国連の障害者権利委員会」が、勧告という形で日本に求めていることは、結局こういうことではないかとわたしは思う。「インクルーシブ」とは、「仲間はずれにしない」「みんないっしょに」という意味で、障害児も健常児も同じ空間で共に学び共に生きることが求められている。
 引用の記述は、おそらく幕末から明治の初めにかけての世相を写し出したものだが、「人権」の考え方がなかったころに、日本ではすでに理屈抜きに実践されていたのである。もっと言うとそういう面では欧米を越えていたかも知れないとわたしは考えている。
 当時の日本には「人権」の思想(頭)はなかったが、心があったのである。そして現代の日本では、「人権」の思想(頭)は持ち得たが、その反面心が失われてしまった。 
 学校では、以前から特別支援学級と普通学級の交流が行われてきているが、前提として分離、隔離があるのだから、いろんな意味で、そしていろいろな面から見て、交流そのものに矛盾も感じられる。また中途半端な交流に陥りがちになる。そこから言えば、分離、隔離の完全な撤廃が望まれる。
 今回の勧告を受けて、永岡桂子文部科学大臣は会見で記者の質問を受け、特別支援教育を中止することは考えていないと明言している。そればかりか、日本の特別支援教育の理念、考え方自体に「インクルーシブ」推進の考えが含まれていると言っている。そして、これを実施する過程の中で、「障害のある子供と障害のない子供が可能な限り共に過ごせるように」配慮がなされていると述べている。勧告の趣旨はしかし、「可能な限り」なんてことを求めているのではない。完全な実施が求められているのだ。「人権」を最重要と踏まえ、最優先して考えるのでなければ「勧告」に対して応えることにはならないだろうと思う。もちろん応えていくことが正しいのだとわたしは考えている。
 
 これでこの文章の最後にしたいが、一言断っておきたいことがある。国連の障害者権利委員会の勧告があってこれを書き始めたのであるが、そのために、「インクルーシブ教育」に肯定的、ひいては現行の学校教育、公教育を肯定、またこれを前提として話を進めているかのような印象を持たれるかも知れないが、わたしはそこは否定的である。国家(政府)存在にも否定的だから、国家が作る学校にも否定的で、できれば学校なんか無くなった方がよいと考えている。これ(国連)についてもその存在が中途半端で、大国、強国の意向に左右される存在だから否定的である。こういうことは言うだけなら只だし、違法でも何でもないからここではっきりと明言しておく。ここではだからベストではなく、ベターなことを述べたまでのことである。