『老いの渇望』
27 人は生き方を変えられるか
E 五里霧中を彷徨う。出口が見えない。
2023/01/20
気がついた時には自分がいて、周りには家族や親族やその他多くの人たち、そして動植物などの生き物たちがいた。もっと言えば、そこには大地があり空があり自然があり、他方人間界には社会というものが存在した。それらの中にすでに自分も組み込まれていて、つまり、生存というものは始まっていた。
乳児の頃は母親と自分の区別がつかないと言われている。言葉を覚えはじめの幼児期には、雨降りを見て「オソラガナイテイル」とか、月が雲に隠れる様子を見て「オツキサマネンネシタ」とか、自然の事象を人間の行動と同列に見て平気である。いちいちの違いに気づきはじめるのは物心がつく4才ぐらいからだ。
以後、人の精神の成長と発達は、どこまでも差異を緻密に緻密に認識して行くことだと言いたいほど、すべての事物事象をはっきりと捉える方向に向かって加速して行く。
細部にわたって明瞭に把握したい。そういう衝動が、人間にはある。それは人類史を振り返って考えてみても明らかなことだ。文明も文化もそれを基点として築かれてきた。たぶん個体史も同様の過程を辿ることになっている。
高齢になった現在、たくさんの違いを目にとめ、それとともにいろいろ理解できたことがあったと思う。二十歳の時には子ども期に見えなかったことが見えた。三十代には二十代に見えていなかったことが見え、同様に四十代、五十代、六十代を過ぎ、七十代となってさらに見えてくるものもあり、分かってくるものもある。だが、皮肉なことに、ここに来て、見えたり分かってきたことよりも遥かに未明、不分明なことが膨大だと以前よりも明瞭に感受されてきた。それは奈落の底に手を触れた気分にさせる。
年を経る毎に見えてくるものと見えないものとが、少しずつピントが合うように明瞭になってくる。分かるということと同時に分からないこととが、これもまた鮮明になってくる。老いた精神の風景はそれだ。どこまでも差異は鮮明になって行くが、高度な文明社会生活上においては何の役にも立たない。またしてもそこでそのことに気づくことになる。仮に、また万が一の話としていえば、たどり着いた地点で人生というものについての悟りを得られたとして、余生としか言えぬその後の人生にそれをどう生かすことが出来るか。五感をはじめとして衰えるばかりの身体機能、そして認知の衰え。もう「その時」が迫って感じられて、悟りなど冥土の土産と言った笑い話くらいにしかならない。世界を動かすことも変えることも出来ないことがはっきりする。また当然でもあるが、それで、よいのだ、ということも。
最後の力を振りしぼって、心の向きを変える。変えて変えてその先に、動物や植物の存在の仕方が見えてくる。人間と決定的に異なるのは、言葉を介さないコミットの仕方だ。互いに察知の触手を空間に、あるいは地中に張り巡らしている。もちろん人間の生涯にもその力が発揮される時期がある。胎児期と乳児期の一部においてだ。それから高齢になり、口数が少なくなり沈黙がちになる人たちは、その時期、つまり胎乳児期の心象に戻ろうとしていると見なすことが出来る。言葉の舞台から立ち去り、察知の触手で世界を受け止めようとする。老いた人々の沈黙や無言はその証だ。
知を論理知と感覚知の2つの系で考えてみると、論理知には知覚、知識などの語が考えられ、感覚知には察知、感知、探知などの語が当てはまりそうに思える。
多分だが、人間にはももともと2つの知の系が内在しているのだが、幼少期と老人期では感覚知が前面に出て、少年少女期から壮年期には論理知が活発化すると考えられる。論理知は幼少期や老人期には背後に後退していて、感覚知もまた少年期から壮年期にかけては後景化する。
ここまでの文脈で言えば、論理知は経済性、合理性、効率性と相性がよく、感覚知は相性がよいとは言えない。というよりも、経済性、合理性そして効率性などとは無縁だ。論理知は縦軸を上下し、損得に結びつく。少年少女期から壮年期にかけて活発になる論理知は、経済活動のまっただ中に突き進むことになる。そこで成功したり脱落したり、悲喜こもごもの現実が展開されていくわけだが、いずれにしても損得勘定の広場に出て行くがための論理知は手段であり道具となる。
生きるために個体は、衝動として論理知を磁針のように見なして損得の広場に出向いて行く。ちょうど近世ヨーロッパにおいて始まった大航海時代、そして半ば暴力沙汰に近い植民地化、海外征服の如くにである。
存在が喚起する感覚知に対し、論理知は教育知に密接に関係し教育知から喚起されてなるものだ。ロジック。西洋文化、文明の最大の武器。これが世界を席巻し世界に活力を与えた。もちろん一方では第一次世界大戦や第二次世界大戦を喚起した元凶でもある。
鋭敏で且つ豊穣な感覚知の裏打ちを持たない論理知は頭でっかちである。それは獣以上に獣臭さに満ちている。こうすればああなると決め込んで、すべてをコントロール下に置こうとして憚らない。
論理知は世界を牽引してきたが、その分、世界は感覚知を軽視してきたように見える。論理知は認識の真や正しさを主張する。要するにディベートのように相手を打ち負かす際に有効な精神上の武器となる。また支配の有効な道具ともなる。
そうした意味では論理知はその高みにおいて支配知、権力知の様相を呈するようになる。これには例外はないように見える。唯一、例外がありうるとすれば、感覚知のフィルターを潜り抜けた論理知のみがそうならずにすむと言えるだけだ。そんなことは簡単にできるものではない。ほとんどは論理知から支配知、権力知の虜になって行く。論理知、支配知、権力知を操ったつもりでいながら、本当は逆に操られてしまう。だが、そこまでは認めなければならないような気がする。それ以上を求めることは酷だという気がするのだ。未来永劫に続く業であると考えるほかない。
こんにちの社会の経済活動は、感覚知がすっぽりと抜けた論理知のみが我が物顔に突き進んでいると見える。
誰もがこれに加担しなければならない訳ではない。現にそれから疎外された経済難民は存在するわけで、そちら側に立てばはじめからグッド・バイ、別の道、別の生き方を考えたってよいわけだ。
気がついた時には国家内に生存していたわけだし、そこから逃れたり外れて生きることも難しい。身体的に、また生活的には国民として行動しながら、しかし観念的には10のうちの4程度を国民意識として振り当て、残りの6くらいはどんな組織、どんな体制にも依存しない、ただの人や人間というものでありたい。
最近とある新興宗教組織がマスコミの話題となって、また献金問題が批判的な文脈で語られていたが、ほとんどコントとか漫才のようにしか思えなかった。笑止と思える。あの組織の大きなものが国家で、国家は献金の代わりに強制的に税金を収奪して憚らない。新興宗教組織は糾弾しても国家を糾弾しようとはしない。そんなマスコミ報道、お笑い芸人から有識者文化著名人一切を「くそ食らえっ」て思う。そこら中に感覚知不在の論理知が蔓延っている。何も察知できていないじゃないか。感知しようとしていないし、探知しようとすらしていない。そんなのに加担したらお終いだ。もちろん加担しなくたってお終いには違いないのだが。
経済活動から疎外される経済難民の姿形で何を考えたいのかと言えば、国家の枠の外れ、言ってみれば他界にあって、国家というものに依存せずに生活を再生、再建出来ないか考えたいのだ。せっかく、疎外され難民となった以上、経済国家、国家経済とは無縁に、難民の難民による難民のための経済行為、翻って国家を超える難民生活を構想したいのだ。
それは国家の支配や規制が及ばないから前古代社会に相似したものになるはずである。つまり現在という時代の先端に前古代が立ち上がってくる。これは別の言い方をすれば、さらなるグローバル化と共時して、地縁、血縁を基調とするローカル化、すなわちよく見知った小さな共同体が単位構成されるということである。あるいはそういう方向に自然に向かうに違いないということであり、また、意識的に向かっていくということである。グローバル化とローカル化、流れは両極であり、双極である。
現在、既存の大きなコミュニティーの内側にあって、小さなコミュニティーが再評価されこれを形作る流れが起きているように見える。ただすべては流動的で、どんなものがどのように成長するかは予測できない。
経済難民のコミュニティーも同様で、この先はまだ五里霧中の中にあると言ってよい。具体的にどう形成して行くべきかが見えてこない。ただ、若い世代が模索している兆候は見える。国家体制にあぐらをかいた指導者、支配層に見切りをつけ、内部にありながらそれを超えるコミュニティー作りが加速度的に進められようとしている。たぶんたくさんの試行錯誤がこれから積み重ねられて行くのだ。何があっても、自分が楽しいと思えること、好きだと思えること、そして最後に豊かさを感じられること。この3つを手放さずに暮らしていくことが肝心なことだ。そうであれば、昨日、今日、そして明日の貧しさが少しも以前と変わらないとしても、その貧しさの質は変わっているだろう。その上で、豊かさや幸福への察知、感知、探知の出力を最大値に上げて、その所在に向かって突き進むのだ。とりあえず、それだけを口にしてこの項を終えることとする。
D 経済活動からの疎外や離脱を、洪水社会からの脱出、未知なる世界への出航と捉え直してみたい(ノアの方舟構想)
2022/12/04
歴史時代は文字の使用に始まる。それと同時に、歴史時代の始まりは力ずくの支配、統一部族国家成立の時期にも重なる。いわゆる、頭がよく、力の強いものがその後の歴史をこしらえて今に至っている。争いや策謀を好まない気弱な者、また心優しき者たちは、その後の歴史や社会の底辺に暮らし、ここにはっきりと大きな意味での上・下の階級が固定した。
わたしが一番つまらないと感じているのは、その後の歴史を塗り替え、作り替えしてきた国家という枠組み、その構造とか様式というものは、いずれにせよ国家以前の群立した共同体の均衡、また秩序や平安を乱したならず者が力ずくで作り上げたもので、いったんそれが成立すると延々とその系譜が引き継がれて現在に至っているということだ。ならず者たちは、その後、英雄や偉人と遇されるようになるが、それでも安藤昌益の言葉を借りれば天道を盗み天に代わって人々を支配するようなったということには変わりが無い。
何の権利があって人の上に立ち、指示したり、命じたりすることが出来るのか。そこにどんな根拠があるか。もちろん何もない。あるのはただ腕力と知力とで大規模共同体を統率する権利をつかみ取ったというだけだ。
武力で平定し、武力・知力で統率した。そうして成立した体制をどんなに修正したところで、根本が変わりようがないことは自明のことではないだろうか。要するに、力があれば何でも出来る、という神話が今も語り継がれる。
国家形態が時代によってさまざまに変わってきているが、元々が天に代わり、人為によって人々を治めるものに違いなく、すでにそこが自然ではない。不自然で、しかも、不平等な体制である。その不自然・不平等、さらに悪く言えば暴力でこしらえられた体制が2000年継続した。21世紀の真の叡智に問いかけたら、そんな装置は早晩、解体するか無効化した方がよいと言うに決まっている。
歴史は権力者が作ったものだ。権力者、支配者にしか歴史は作れない。平民、民衆、大衆には歴史を作るだけの力は無い。こんにちのように民主主義、国民国家などと標榜する国家においても、国家中枢にある為政者とその取り巻きたちの意向は忖度などによって社会全体に下達され、行き渡る。例えば学校教育は、その影の働きとして、現在社会、現在の国家体制、そうした諸々を、人々の、人々による、人々のためのシステムというように教え込む。ほとんどの国民はそうした教えの洗礼を受けて成長するために、国家社会に対する疑義を抱かないで育つ。最終的には人間にとって、社会にとって、国家はなくてはならないものと信じ込む。だが、国家とは闘争の中から闘争に秀でた者の手によって生み出されたもので、全民衆の合意によって作り上げられたものではけして無い。はじめから支配層と被支配層とに色分けされて成立した。被支配層にとっては理不尽な統治形態を強制されたと言うほかない。もちろん民衆は唯々諾々と従うほかになかった。
初期の群小国家群を含め、問題にしたいのは人間による人間の支配である。そこにはギリギリに詰めて考えれば、力ずくの関係しかない。反抗し、異を唱えれば、為政者側からの恣意や意向で制度化された刑罰が科される。国家成立以前に比べれば、圧倒的な縛りが個々人に課されたことになる。
人間社会には、地縁、血縁、友情などがもとになって自然発生的に生じた共同体(社会)と、利益や機能を第一に追求する人為的にこしらえられた共同体(社会)とがあると思う。言うまでもなく、太古の原始的伝統的社会は自然発生的に生じたものであり、そこから少しずつ人為的に利益や機能を追求する社会の形に変貌を遂げ、現代日本社会は特に戦後、自然発生的な地域共同体社会は急速に縮退して行った。それに反比例するように、社会は加速度的に利益(経済性)や合理性、効率性を追求してきた。これは国家のする「富国」の方針に合致する。
国家、すなわち利益追求の大規模共同体は国家中枢にあるものには好都合の形態かも知れないが、平民、民衆、一般生活者たちにとっては理想の形態ではない。規模的に言えば地縁、血縁などをもとにした地域社会程度が、身体と意識、自然と人為を併せ持つ人間の生活の場としては適度な大きさだという気がする。イメージ的に言えば古代の統一部族国家以前に独立的に存在した小国家や未国家群の規模である。もっと分かりやすいイメージでは江戸期の藩であったり、現代では県や市の規模ということになる。それが規模の上限で、血縁、地縁にこだわるならばもっと小規模の方がよい。肝心なことはそれがアメリカの各州のように、主権を持つ独立した主体であることである。
利益、機能の追求は近代化の特徴である。国家成立後、徐々にその傾向を強めてきたが、日本においては明治以降急速にその傾向は早まり現代に至っている。その結果、高度経済成長期、バブル期を境に日本経済は頭打ちとなり、その後低迷、衰退、下降を迎えた。過疎、少子化、高齢化と、先々に対する不安と心配とが顕著になってきた。現在日本の国家社会は、庶民にとっては生きにくく暮らしにくいものになった。これを是正するに、法律や制度を量産しても無駄だ。そんなことは分かりきってしまった。根本から立て直すにどこまで遡るべきなのか。そしてそれはどう考えても武力、腕力、知力がなした国家の成立、その以前にまで遡って考えられなければならないものだと思う。人が人の上に立ち、上・下、そして支配、被支配の体制を構築したところに問題の出発点がある。そういう国家体制を保守する限りにおいては何事も始まらない。善人であろうがなかろうが、統率者の首のすげ替えでは、にっちもさっちもいかないところまで来てしまっている。国家以前を今に持ってくるほかに方途はない。
経済活動から疎外され、それによって国家から最も遠い距離にあるものが経済難民たちである。高齢者、障害者、未(非)就労者たち。富国、そして利益、機能を追求する国家社会において、人為的に損害と犠牲を強いられる存在。少し前に起きた「相模原障害者施設殺傷事件」は象徴的な事件であり、加害者の行為は国家意志を代理する行いと見て見えなくもない。
国家が最も忌避するもの、それは利益、機能の追求を妨げるものだ。典型は非就労と自然、そして自然の中でも自然災害ということになろう。
逆説的に言えば、国家を悩ますにおいて未(非)就労は効果的である。国家体制、国家存在の無効化、形骸化、解体に向かって直接的、間接的に効力を発揮するに違いない。具体的には経済活動から疎外されたままで、逆にそのことで好きなことを楽しく継続する、そういう生き方が出来れば、彼は無意識の変革者となる。そんな大げさな言い方をしなくても、国家の土台を揺るがすことには違いないと思える。
公に尽くし公に役立つ生き方というものは存外つまらぬ結果を招くものだ。現在までのところ、人間社会でそれを行えばたいてい指導層や支配層の得になるようにこの国家社会のシステムは出来上がっている。だったら下層庶民の生き方としては私に尽くし私に役立つ生き方、隣人に尽くし隣人に役立つ生き方をした方がよほどよい。
繁栄至上主義の経済社会から敢えて脱落する、1歩退く、まずその勇気が必要だという気がする。覚悟と言ってもよい。もちろんそれでいて逆の立場を否定はしないのである。
前に見たように梁塵秘抄の一節、「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん」は、人間は何のために生まれてきたものだろうかを問いかけている。そこにはまた、衛生や医療の未熟な時代に幼くしてこの世を去る多くの子どもたちの存在が伏線として隠れている。この世に生を受けながら、いつ不慮の事故や病のようなものによって生を絶たれるかも知れない儚い人間の生命。であればこの世において、生きている間に好きなこと、楽しいことを存分に味あわせてやりたいものではないか。子どもの遊び興じる姿を見ながら作者はそう考えた。それは自分の生き方にも跳ね返り、自分の生き方はこれでよいのかという自省をも促したに違いない。
近年の日本社会では、毎年自殺死が2万から3万を数えるという。これは東日本大震災の時の死者数に匹敵する。それが毎年のように繰り返されているというのだ。これには、取る物も取り敢えず「ちょっと待ってくれ」と言いたくなる。そんな覚悟が出来るんなら、開き直って、好きなこと、楽しいこと、やりたいことをやってからにしてほしかったと思うのだ。ゲームをする。大いに結構。ネット三昧。これまた大いに結構。人には自分の好きに生きる権利があると思う。まずは自分のやりたいこと、好きなこと、やって楽しいことをとことんやってみる。ほかに何もなくてよい。ひとまず他者との競争を諦める。争って勝ってよい気持ちになることを諦める。金持ちになることを諦める。勉強が出来るようになることを諦める。すべてを諦めすべてを失っても、これさえやっていけたら夢中になってやり続けられるものを探す。絶望するのはその後でもできる。だが、そこで本当にやりたいこと、楽しいこと、自分の好きなことが見つかって、それに夢中になって生きたら、その後に立ち塞がるどんな障壁にもたぶん簡単に絶望するはずがない。やりたいことをもっと続けるために障壁を乗り越える方策を必死に考え出すし、そうして実際、軽々と乗り越えて行くはずだ。そうなれば、一般的な貧しさや孤独や、あるいは他人から後ろ指さされるような事態にあっても、そのこと自体は自分の生にとっての第一義とはならない。いうまでもなく、やりたいこと、好きなことが第一義になっているからだ。
ここまで来て、やっと少し@の坂口恭平さんの言葉との接点を見いだせたように思うのだが、未だひとつの通過点が視野に入ってきたと言えるにすぎない。
本当の問題は題に示すとおりに「人は生き方を変えられるか」であり、現在社会に生きる生き方を忌避し、それとは別の生きることの意義、生きる価値というものを打ち立てたいと考えているのだ。もちろん、現在社会に生きる人々、その生き方を否定しようと言うつもりはサラサラない。ただ訳あってそれに同調できず、やむを得ずそういう所から離れざるを得ない時、自分を支えるものがなければ即難破ということになりかねない。そうではなく、経済活動からの疎外とか脱落を難破とは見なさず、位相を異にする別の大洋に向けての出航と捉え直したいのだ。そして、そう捉え返す視座をどこに求めるかをはっきりさせることが、そのためには必須なのだと言える。
まだ諸々整理のつかないことが多いが、ここでひとつだけ言えることがある。それは、「人は生き方を変えられるか」という問いについてで、これは表面的な生き方のスタイルを変えるという意味合いを持たない。傍から見ると昨日と今日とは代わり映えのない生き方や生活でありながら、内面的には大きく変わった生き方というものを指している。言い方を変えると、位相の違い、次元の違いというようなものを含んでいる。そういう意味合いの問いでありタイトルであるということを、ここに来てはっきりさせてもよいように思われる。
C 経済活動からの疎外を既成概念からの脱却と結びつけたい
2022/11/18
自分が高齢者の仲間入りをするようになって、たしかに身体的にも精神的にも衰えてきていることが実感される日々が多くなってきた。こうなってくると、この先に待っているのは目が見えないとか音も声も聞き取れないとか、あるいは足腰が立たなくなったとか、将来の暗さばかりが心の中を占めるようになってくる。これでは5年、10年、あるいはもっと長生きしたところでただの延命に過ぎない。生きる甲斐がないじゃないかと思う。わずかとなった高齢者の先行き、将来に何の楽しみも湧いてこない。
50代のころは身体もまだ元気で、60代になって肩の荷を下ろしたら悠々自適、好きなことだけやってその後の人生を楽しめるものだと期待していた。けれどもそんな人生はやってこなかった。ただ経済活動の第一線からは退くことが出来て身軽な感じにはなった。その後は小遣い稼ぎと称していくつかの非正規雇用、アルバイトやパートにつき、気分的にはお手伝い感覚でやってきた。そして、どちらかと言えば細々という形容が似合うような暮らしをしてきた。これからは心身ともに衰える一方に違いないし、いざというときにはどういうことになるのか、その日その日をつつがなく生きるだけで精一杯である。
ここまで特に悪いことをしてきたわけでもないのに、この先こんな先細りの老後を送らなければならないことに納得のいかない気持ちも残っている。旧約聖書を読み込んだわけではないが、ヨブの呪詛めいた言葉が思い浮かぶ。けれどもこれが現実であるのだから、この現実を受け止め折り合うほかない。
将来に何の楽しみも見いだせない高齢者の老後だが、本当は、こんな調子で生き続けるのは何かおかしいし、知的にもだらしがないという気がする。せめてもう少し生きがいや張り合いのある老後を送りたいし、そのためにも老後を生きる意義のようなものが見いだせたらよいのにと思う。
前回のBでは、経済活動から疎外される経済難民として、引きこもり、障害を持つ人、そして高齢者を対象に少し考えてみた。前回は考えなかったが、経済活動からの疎外の意味ではここに子どもも入ってくるかも知れない。ただし、子どもに難民の意味合いはあまりない。
国民全体から子どもと経済難民とを引き算すると、残るは経済活動まっただ中にある人々ということになる。この人たちは何らかの職業に従事していて、それぞれ会社員だったり店員だったり自営業を営んでいたり、あるいは企業の経営者だったり弁護士だったり政治家だったり公務員だったりしている。はたまたスポーツ、芸能、メディアで活躍する人たちもいる。総体でこの国の経済活動の主役を担っており、国家存続の要にもなっている。もっと言えばこの人たち全員でこの国の経済を盛り上げ、文明・文化また便利で豊かな社会生活に貢献し、以て全国民の幸福に寄与したり、支えたりしているということになる。
そこで、本来ならば第一線で働く人たちに、誇りと喜びを以て楽しく働いてもらいたいわけだが、実際には毎日やめたいと考えたり働くことが苦痛だと考える人が多いようである。仮にそうであっても、報酬がとてもよいということであれば我慢も出来るだろうが、ここ最近は給料が上がっても小幅で、かえって物価の上昇率の方が上回っている。これではどうもお話にならない。
現在現役で働いている多くの人たちが、不安や苦しみを抱えながら働いているということであれば問題である。報酬の上でも、労働環境の上でも満足できないということであれば仕事を変えてみてもよいのだろうが、そのことでの成功例はあまり多くはない。それで結局、いやいやでも我慢して働いているようで、これはひとえにある程度の文化的な生活レベルを落としたくないからであろう。そうして我慢に我慢を重ねたあげく、体調不良を訴えたり、酷くなると鬱を発症する人が急増しているという。
そこまでではないとしても、例えば宝くじで高額当選したら即仕事を辞めると応える人は多い。半分冗談で架空の話だからそうなるのかも知れないが、そういう話ではほぼ99%くらいがそう応えると思う。これはしかし、本音であろうと思う。心の奥ではそう思っている人たちが、いざ仕事の現場に立つと自分にむち打つように勤勉に、自分の力以上の力を発揮して働く。仕事が終わるころにはヘトヘトで、だが翌朝にはまた仕事モードに切り替えて出かけて行く。でも本当は仕事が嫌で嫌で、出来ることならしたくない。まあほかの動物ならダラダラ過ごしている時間に、人だけは半強制的に仕事を強いられるわけだから、仕事が嫌だという気持ちも分からなくはない。人間にもダラダラして過ごす動物の習性が、本能を司る脳のどのあたりかに潜在的に存在しているに違いないと思う。
仕事がいやというのが本能的な人の叫び、心情の本音だとすれば、それではいけないとブレーキをかけるのが人の意識や理性ということになるのだろう。歴史的に現代に近づくほど、精神とか理性とか呼ばれる人間的な特性が発達し、本能的、心情的な部分を内部に押さえ込むようになってきた。ちょうど衣服をまとって裸体をその下に隠すようにである。そして日本では、高度成長期を超えたあたりから、土木業、建設業で働く労働者たちがふんどし一丁とか、上半身裸でとか、そういう姿を全く見せなくなった。作業着にヘルメット姿へと変わった。バスの中で赤ん坊に母乳を与えるお母さんの姿も現在ではすっかり見られなくなった。人の裸、つまり自然の部分は隠され、すっかり衣服で覆われるようになった。そして同じく自然な部分とも言える本音や本能などといったものも、理性的精神の下部に押し込まれて当然になった。
関連してもうひとつ考えておきたいことは、これは明治以降、そして特に戦後といってよいのだろうと思うが、集団、組織、共同体などにおける人的構成が全く無関係な者たちで構成されるようになったということである。以前は親族、せいぜい広くとっても近隣地域くらいの範囲である種の集団を構成していたものが、縁もゆかりもない者の集まりに変わって行った。どこの馬の骨かも分からないものが一緒になって仕事をするということになった。あるいは学校も高校・大学となるといっそうそうで、ただ同年齢ということだけを基準として、見知らぬ者たちが集まることになった。いわゆる地域を越えたグローバル化である。
見知らぬ者同士の集まり、それ自体が動物界ではあり得ないことだ。警戒し合い、争いへと発展するはずである。どうして人にはそれが出来たかというと、たぶんそれがすべてではないとしても、本能部分を抑制する精神や理性の発達が寄与したと思う。個に内在し残存する身体的なテリトリー感覚、縄張り感覚、あるいはパーソナルスペース、対人距離と呼ばれるものによる防衛行動的なものを、理性で抑圧し、表面化しないように制御した。もちろん人には協調性、親和性という性質もあるから一概に言うことは出来ないが、人と言えども個体として存在する限り、その奥底、核の部分には初源の生命的なバリアが張られているはずで、個体を貫くものには、これはどこまでも残存するはずである。残存するはずであるが、これは相当意識しにくいもので、現代人はこの感覚を相当麻痺させられてきていると思う。東京の山手線の朝晩の混雑などを思い浮かべればすぐに理解できると思うが、あんな生態は本来野生の生き物に出来ることではない。人間という生き物が出自である自然を捨て、身体感覚よりも意識中心の生き物に変わったかのようだ。
だからというべきか、逆に個の意識の独立性は重視され、思想、信教の自由は侵されてはならないと言われるようになった。身体的なテリトリー空間は土足で踏みにじられたが、精神上の領域は、表面的にはその代償であるかのように尊重された形になっている。
経済活動から疎外された面々は、社会不適応やら落ちこぼれやらのように周囲から見られ、きつい思いをしてきた。またそう思われることでよけい社会との距離が開いてしまう。高齢者も、不要のもの、迷惑なものと周囲から見られていないかと常に気にするようになっている。
どうして負債を負っているかのように自分に自信を持てないかというと、この社会では経済活動(労働)のまっただ中に籍を置くことがまっとうな人間であるという暗黙の了解があるからである。とりあえず働いておれば納税者ということになり、国家社会の成員として認められる。障害者や引きこもりの人々にはそれがままならない人が少なくない。
病気や怪我で経済活動の第一線からリタイヤすると、病院で治療して治癒すれば再び第一線に復帰して行く。病院はともかく病人や怪我人を治し、戦時には兵士として前線に送り出し、平和時には労働者として経済活動のまっただ中にに送り返す、そういう役割を担っている。これと同じで、障害者支援の最大の目的も経済活動に関わって自立した生活が出来るように手助けすることである。だが学校現場でも支援センターのようなところでも、興味が持てそうにない単純作業、しかし何とか可能な作業があてがわれて済まされている。こんな程度で経済活動のまっただ中に参加して行けとは無理な話である。
経済活動のまっただ中に参加することは、個人的には給料を受け取り、蓄財し、もって便利で豊かで文化的な生活を享受することにつながる。こうしたことが個人的な動機としては大きいことだ。そしてもちろんこのことに大衆一般も能動的である。だがここには、個人的には意識されない、そして深層に隠れた社会や国家の思惑があり、それは納税者の増加、納税金額の増加というものである。国家社会は自らの意志は表にせず、労働者、大衆の自らする欲望の充足を煽り、そそのかし、納税者と納税額の増加を目指す。
うがった見方をすれば、仏教や儒教、その他のあらゆる思想や宗教の教えるところ、勤勉や利他や忠誠や忍耐、滅私等々というものは、すべていろいろな言い方で一生懸命仕事をしろと説いていることに同義だ。もっと言えば、雇用するもの、雇用されるもの、どっちを選択してもよいが、とにかく経済活動に従事することを薦めるものになっている。
ところで先に考えたように、実際に経済活動に携わる人たちの現在の状況はあまり明るいものとは言えない。半端なくストレスが掛かり、油断すればリタイヤ寸前に追い込まれる経済活動の現場である。そういう場所に、今、子どもたちや障害を持つ人たちを本当に送り込まなければならないものだろうか。むしろ、健常な若者たちの中にも、それが嫌だと考える人、拒絶する人が多くなっているのではないか。戦線離脱、経済活動まっただ中からの後退。経済活動からの疎外に続き、経済活動から積極的に後退しようという動きが少なからず起こっている。我慢して働き、蓄財し、子孫に残す。そういう人生から、少し働いてたくさん遊ぶ人生へと移行しつつある。禁欲的、克己的な生き方から、今をできるだけ好きなことをして楽しく面白く、そして適当にダラダラ生活するという生き方へ。
現在の社会で仕事をするという時、自営業や第一次産業などを除くほとんどの仕事では雇用・被雇用の関係ができる。言い替えると、使用者と労働者との間で労働契約を結ぶ。そして一旦その関係に入れば服務規程から働き方までさまざまなルールが網羅されされていて、働く側は自分の頭や体を使うことであるのにそこに自己決定権がない。与えられた規程に沿って頭や体を働かせなければならない。自営業や第一次産業の従事者の多くは自己決定権を持ち、極端に言うと自分の気分で働いたり働かなかったりすることができる。労働者は自己を背後に退かせて、労働力として経済活動の中に参加する。一般的には、1日24時間のうちの8時間は労働力として経済活動の現場に立つ。その間は自由な振る舞い、わがままな行いや思い、そういうものを全部我慢しなければならない。それが前提だから多くの人は我慢するし出来るのだが、生理的また動物本能的には相当のプレッシャー、あるいはストレスが掛かっていると考えていいのだろうと思う。また当然そうしたプレッシャーやストレスなどを跳ね返す力も必要なので、表面上の仕事に関わる問題も含めればかなりの労力を費やしていると思う。その時に、労働者自身の内的な動機付けのひとつに義務感、しかも過剰な義務感があるように思える。それが根底にあって、プレッシャー以外にもさまざまな問題がある中で、それを跳ね返して仕事に打ち込む際の内的な力にもなっている。けれどもそんなことをいつまで続ければいいのだろうか。また、いつまで続けていられるものだろうか。
一昔前は、特段の用事などがない時は老若男女を問わず縁側に座布団を敷いて寝そべり、日ざしの下でうつらうつらする光景がよく見られた。何ならすぐそばで犬や猫も日向ぼっこをしている。町場でも田舎でもよくある光景だった。山深くの田舎暮らしには、そうした光景が今でもわずかに見られるかも知れない。それは原始から続いてきた人の自然な様の一端かと思う。
肥大化した精神と、同時に肥大化した欲望が、そうした光景を一変させる。現代人はそうした有り様を、経済性、効率性、合理性の観点から無駄と見なし、そういう時間をもっと有用活用すべきと考えるようになった。精神や理性があれもだめこれもだめと本能や本音に規制をかける。できるだけ自然を排し、何もかも意識のコントロール下に置こうとしている。
明治維新により日本近代国家が成立し、「富国強兵」をスローガンとして掲げた。この言葉の中の「富国」とは、国家を挙げての経済力強化を意味した。これがさらに急激に経済大国へと成長したのは戦後であり、そこから現代日本が始まっている。
このように、国家的プロジェクト、経済へのてこ入れは明治政府に始まり、以後現代、現在へと続く日本人の仕事に向き合う姿勢は、最近よく耳にする、楽しんでやるとか好きなことをやるとかというようなものではない。どちらかと言えば、義務感だとか、我慢、忍従、忍耐、苦行、そういった言葉からイメージされるたいへん窮屈なものだ。さらにちょっと金銭的な余裕が出来ると勝手に仕事を休むなど、働くか働かないかを自分で決めていた昔とちがって、近代から現在にかけてそういう自己決定権も手放して行った。
国家と、国家下で民衆を導く思想や宗教や学識の教えとが、そうした民衆の仕事観を育んできたに違いないと思う。それは短期的に有効だったかも知れない。だが今となっては先述したようにたいへん窮屈なものに感じられて、日本人の多くが仕事が苦痛だと感じている遠因となっている。
一日のうちで最も主要で且つ活動的な時間を、我慢して義務的にする仕事に費やすことになることは、苦痛であり屈辱的でもあろう。最も活動的である人生の主要な時間をそのように差し出さなければならないこと。それを主導してきた者たちが国家中枢の指導者たち、政治家たちであり、資本家たち、経営者たちである。彼らは労働力を搾り取り、以て自らの財を築いてきた。経済活動まっただ中の労働者たちは、そういう連中の口車に乗ってか乗らずしてか、結果的に「不耕貪食」の徒をのさばらすこととなった。
経済活動のまっただ中にあって、仕事にも生活にも充実感や達成感を得て活躍できている人は、今のままでよいと思っているわけだから今後もそのまま活躍していけばよいと思う。問題はそうでない人たちであって、先行きが夢も希望もないということではだめな気がする。ここまで述べてきたように、経済活動から疎外された状況で生きることが苦痛だとか、ちっともいいことがないと感じることには、いろいろに理由や根拠があったりするわけで、過剰に身を縮める必要は無いように思う。畢竟、高齢者にとっても、障害を持つ人々や引きこもりがちな人たちにとっても最も克服しがたいものは経済活動の垣根ではなく、自分もどっぷりとつかっている社会通念だとか時代的な観念、共同幻想の類い、もっと言えば幻影に過ぎないのではないか。不安から苦悩から、そして苦痛から、それらは身体的にではなく、最初は心的なところからやってくる。心を捨てることが出来れば、苦悩は容易く消える。ただ心を捨てることは容易ではないというだけだ。だが、まるっきり出来ないというわけではない。仏教の修行や座禅の修行、またアジア的な悟りの修行にはそれに類した修行がある。例えば瞑想は無心状態を創り出すことで、一過的であるが心を捨てたと同じ状態になる。心を無にすると苦悩が消えるというのであれば、そもそも苦悩とは存在しないものであって、意識、あるいは心が創り出したものに過ぎないということになる。自分でこしらえた幻影に振り回されてどうしますか。そう、言ってみたい。
経済活動からの疎外ということを反転して考えれば、日本資本主義経済活動からの脱却ということになる。この言い回しには何の意味も無いが、ただなんとなく格好よい響きがある。経済活動から疎外される人たちがその先頭に立つとなれば、ますます格好よく聞こえる。
ここからさて、そうした話につなげてさらなる展開へと進んでいきたいところだが、ここまで考えたり書いたりしただけで満腹感が生じて頭も働かなくなってきている。ひとまず、漠然とではあるが、既成概念の呪縛を解く問題、その際に浮上する人の先輩格である動物生、そして植物性の生存戦略が参考になるのではないか問題、等々を次回に持ち越して考えることとし、この回を終える。
B 経済活動から疎外される経済難民
2022/11/05
とりあえず生きるためには飯を食わなければならない。飯を食うには現在の社会では働くことが必須の要件となる。働くこと、すなわち仕事をするということで、これはもう四の五の言わずにやるしかない。そんなふうに腹を括ったらたいていのことは何とかやっていける。万一ひとつの職場で長続きしないとしても、すぐに次の職場を探して、飛び飛びでも働き続ければ飢えて死ぬことはない。
最近はしかし、未就労者が増加している。ニート、ホームレス、引きこもりなどは以前から問題になっていたし、それに加えて不況にあえぐ産業従事者の失業やコロナ禍の失業、その他さまざまな理由があって仕事をしていない人の数が増えている。しかし、一方的に仕事離れが加速しているとは言い切れず、以前なら若い人が従事しなかった3Kの業種に就労する若者や壮年の姿が、この地方都市では少なからず見受けられるようになってきている。企業、店舗などの業績が回復せず、採用をセーブしているために人材がこれまでになかった業種に流れ込んでいると感じられる。それらの仕事はあまり高収入が期待できないように見えるが、背に腹は代えられないからか、仕事ができるなら何でもよいという状況も一方で生まれている。仕事をするとしないが分断している。
未就労者、低賃金の就労者。所得格差が酷いことになっているが、低所得者層がただただ真っ暗闇というわけではない。ほんのり薄明かりが灯ってもいる。本人が仕事がなくても、働かなくても、また家族全体としての十分な所得と貯蓄とがなくても、その気になれば数年は食いつなげる余力を各家庭が持つようになっている。昔と違って、家族も不就労に理解を示したり諦めたりで、修羅場を回避する術を身につけてきてもいる。また、家庭内暴力、親子対立の激化から親の子殺し、子の親殺し、孫の祖父母殺しなど悲惨な結末を迎える事例が少しだけ減少しているかに見える。とりあえず、いま現在が何とか食べることが出来ていて、家族内でさしたる不満もなく文句もなく小康状態を保てているならば、しばらくは危機から遠ざかれる。つまり、何もせずにいながら生きていける猶予期間が、現在の社会では少し長めになってきているという気がする。
職に就かず、40代、50代とぶらぶらして過ごす。そういうことが珍しくなくなってきた。見方を変えれば、そういうことが許される時代になってきた。もちろん当事者ともなれば、社会からの疎外感や他人との比較で神経が病む寸前まで自分を追い込んだりすることもあるのかも知れない。目の前は真っ暗闇で、生きた心地のしない毎日ということもあり得なくはない。けれどそうこうして何の前進も後退もなく、5年が経過したり、10年が経過するということはさほど珍しいことではなくなってきた。とりあえず生きている、そういう状態で2年が経過し、5年が経過するようになっている。そうした猶予が生じている。ただ、せっかく長く猶予が与えられても、依然として身を隠すように生きているだけではつまらない。現在の社会が与えてくれた猶予期間をどう活用するかは本人次第だ。いままでそんなふうに過ごしてきたとして、これからの5年10年を考えるならば、できるだけ好きなことをしたり楽しく居心地よく過ごすように考えたらどうかと思う。一昔前なら家庭内の目も、周囲の目も、もっときつかった。それが少し緩和し、そうなってしまった以上そうなるしか仕方がないと許容される時代になった。だったらこれからの5年10年を、自分のためにも周囲のためにも上手く活用する方が得だ。どのようにこれからの5年10年を使うか、基本は自分次第で、どう使ってもよく、これまでと同じように過ごしてももちろんよいし、180度変わったってよいわけだ。薄情かも知れないが、最終的にはこれはおのおのが決定していかなければならないことだ。
仕事に就かない、就けないという点だけで言えば、ニートや引きこもりは現在の社会で障害者と呼ばれている人たちと状況は似ている。彼も我もそれぞれに原因や理由があって普通の仕事、例えばサラリーマン、会社員、公務員などのような正規職員への採用が思うように行かなかったりする。
障害者という言葉は自分の中ではこれを死語と見なしたい。そこで障害者を、過度に効率性・合理性を追求する社会から疎外された「経済難民」くらいに考えれば、これは障害者に限らずニート、引きこもりなども同じカテゴリーにあるものとして考えられそうに思う。そこでは職に就いていない人々を社会に適応できない人々と考えるのではなしに、さまざまに多様性を持つ人間存在というものを包摂できるだけの社会に、未だ成熟していない、到達していないと反転させて考えることが出来る。そう考えると、そうした経済難民への救済策も妥当なこととして視野に入り込んでくる。
例えばこれは北欧のどこかだった気がするが、ある会社が障害のある人に可能な範囲の仕事をしてもらい、また仕事に見合った低い賃金を支払う。しかしこれを国か地方の自治体かで補填して、年齢相応の標準的な賃金にして障害者に届けるという、制度・システムが構築されているらしい。こういう仕組みがあれば、企業や会社自体も雇用しやすいし、働く側も張り合いが出る。
これまで学校に行けない人とか、学校を出ても社会に適応できない人とか、当初は走りであったごく少数の人たちが周囲に白い目で見られたりして辛い思いをしたが、最近ではそういうほかからの見方考え方は揺らいできた。多様であることが当たり前という考えや意識が市民権を得てきた。逆に、後手に回って適応できていないのは学校や社会の方だとする見方考え方も出てきて、これから主流になるのはそういう方向ではないかという気がする。
食べて行くだけでやっとの年金受給者、つまり一般的な高齢者大衆も将来が不安だという点では他の経済難民たちと同様である。年金がある分マシかというとそんなことはなく、介護保険料をはじめ年金から徴収されるものもあって、年金だけではやっていけない。また、ほんの少し先に痴呆や寝たきりの影がつきまとい、将来的な不安を常に抱く羽目になっている。こちらも現行の社会では高齢者たちの不安を払拭出来ない。
ここまで述べてきたある意味での経済難民たちは、経済社会から疎外されて落ちこぼれそうになっている、あるいは実際に落ちこぼれてしまった人たちである。しかしながら、あくまでも社会の経済的な側面での経済的な落ちこぼれと言えそうなだけで、人間的な落ちこぼれであることを全く意味しない。これは当の経済難民たちも、そうでない者たちもよくよく承知しておくべきことだ。そして経済社会から疎外されたとしても、それは彼らの責任ではなく、不寛容で不完全で欠陥のある社会のせいであること。また、そのために社会はその欠陥を補完すべく自らを変えて行くに違いないだろうということ。そういうことは自明のこととして弁えておくべきである。
大金持ちになる。ヒーローになる。注目されるリーダーになる。こうした人間界の夢からは遠く隔たることになる。社会や他者のために役立つ。正しく善良な人間になる。そういう生き方を目指す向上心さえ失う。
大半の高齢者、障害者、引きこもり、いわゆる経済活動から疎外される難民は、将来に夢も希望も持てないでいる。たぶん、持てていないと思う。
例えばぼくもそのひとりである高齢者は、この先高収入の職に就くことはあり得ないことだし、それ以前に足腰から目や耳や鼻などの器官の老化が顕著になり、もってあと10年くらいの命かと弱気になる。その10年も、いまよりもっと心身の老化、衰えが進む10年であって、この先、『生きても何もいいことなんてないや』と思ってしまう。言ってみれば人生の先読みだが、そんな先読みしか出来ないままで、これからの10年を平常心で生きることは実はたいへんきついことで、いっそ早く死んだ方がマシだと思うことも当然のように起こり得る。
自然界の動物を眺め見ると、といってもテレビなどで時折目にしているに過ぎないが、活発に動き回るのは主に食料を調達する時と繁殖期に相手を獲得する時だ。それ以外の時はもっぱらダラダラ過ごすことが多く、そのほかの活動と言えばせいぜい集団移動で動くくらいだ。野生動物の一生は、人間に飼われたペットの生活と比較すればすぐに分かるが、とても過酷なものだと思う。ところが過酷でありながらも、彼らは一生の大半をダラダラ過ごしている。ライオンの雄や猫とかはその典型で、敵の脅威がないとよく寝そべっている。ゴリラなども居心地のよい場所を見つけたら、そこでじっとしている。たいていの生き物は、それで当たり前である。必死なのは狩りをする時と交尾相手の争奪で争う時だけだ。後はダラダラ、のんびり、ゆっくり、居心地のよい場所で居心地よく過ごそうとしているようだし、実際にそのように過ごしているように見える。
おそらく人の祖先も同じで、空腹になると木の実を探したり狩りをしたりし、満たされればその余はもっぱらダラダラ過ごしていたに違いない。日本で言えば縄文の中期くらいまでは狩猟採集の生活が中心と考えられているから、その頃までは勤勉である必要もなく、ダラダラ過ごす中でただ知恵のようなものだけは蓄積されていった。縄文の後期になるとぼちぼちと米作りも行われたらしいし、弥生になると本格的になっておそらくその頃から田んぼの管理の必要性が生じ、勤勉である必要も生じてきた。
ぼくらが子どものころ、近所には農家が多く、ほとんどが朝早く起きて夜も9時くらいには寝ていた。田や畑の仕事は肉体労働が主で、1、2時間も働けば休憩するといったふうであった。子どもの目にはきつい仕事には見えなくて、休憩、昼寝、休憩、そしてその合間に仕事をしているかに見えた。それと、夫婦で、あるいは隣の田畑で作業するご近所と、仕事しながらたわいも無い世間話、隣人知人の噂話やゴシップ話など、何というか、適当に楽しみながら働いているように見えた。少しも必死さや深刻さが感じ取れなかった。
弥生以降の農耕がもたらしたであろう勤勉さと言ってもその程度で、今の時代から見れば牧歌的であった。
ダラダラ生きることは、人間以外の生き物にとっては基本的なスタイルである。人間も生き物である限り基本は同じであると思う。そして過去に遡れば遡るほど、ほかの動物たちと同じく一日の大半をダラダラして過ごしていたに違いない。
どうして人間も含めて動物一般の生き方がそのようにダラダラ過ごすことになるのかと言えば、四六時中動き回るとエネルギーが消費されてお腹がすくからだと思う。お腹がすくとまた狩りをしなければならない。そこでまたエネルギーを消費する。エネルギーを過度に消費しないためには、必要時以外は動き回ることをセーブする必要がある。いざというときのためにエネルギーを温存する。ダラダラにはそういう効果があるのだろう。
またダラダラしている時には呼吸や血流をはじめ、身体的には安定とか平静が保たれて、それはたぶん心地よいことだ。快不快で言えば快の状態である。生き物たちの快の基本中の基本が、その状態の内側にはあるのだろう。そう考えると、より徹底してダラダラ生活を営んでいるのは植物ではないかと思えてくる。さらに考えれば、動物のダラダラした状態は植物への回帰、あるいは植物化の状態のようにも見える。
植物、動物、そして人間と、比較して考えると、一番省エネで合理的、効率的に生きているのは植物だという気がしてくる。その意味では人間の生き方が最も効率的でも合理的でもなく、莫大なエネルギーを使って、挙げ句の果てに、一方に不幸を担わせることで一方に幸福をもたらすような粗悪な社会システムを構築してしまったと見える。そんなおぞましい社会は、人間以外のどんな植物も動物もあるいはその他の生命体も形成した試しはない。神や仏や科学・学問を生み出し、それらを信仰してきた人間たちだけが、現在にそんな社会を作り上げてしまったのだ。
今も続いている信仰に、そんなものは迷妄だから止せといっても始まらない。信仰の自由ということもあることだし、それはそれで突き進んだってかまわない。まあ好きにやるがいいのだ。そう言うほかはない。
そんなことよりも、信仰からの離脱、覚醒のキワに立つ人々の存在をこそ注視し、その可能性を突き詰め、考え、これからに開いて行きたいのだ。もちろんそうした存在とは、ここで指摘してきた現行社会における経済難民としての存在であり、具体的には非就労のニートや引きこもり、そして障害者、あるいは少額の年金に人知れずあえいでいる高齢者の存在である。
マイナスからプラスへの転機。経済難民の存在は、現在という時空においてやっとその可能性を内在させる存在として光芒を放つ機会を得ている。つまり、幸福な生き方へのパイオニアとして、一方の極を代表するものの先頭に彼らは位置していると考えたいのだ。自信を持ってそう反転し、反転した考えを披露していきたいのだが、これにはもう少し時間を要する。いつものようにゆっくり、のんびり考えてゆければよい。
A 黄金期についてざっと考えてみる
2022/10/27
後白河法皇によって編まれた「梁塵秘抄」の有名な歌。
遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそゆるがれる
この歌には無心に遊び興じる子どもたちの姿があり、それを眺める「我」、つまり大人の姿がある。
子ども等が数人集まって遊ぶ遊びはいつの世も同じようなもので、たわいも無いことにキャッキャキャッキャと笑い転げたりしている。それでいて、どこか本気で、体の動かし方にも心の動きにも真剣さが漂う。遊びまた戯れることが、成長発達に欠かせない活動に見える。子ども期は、好きなことをして遊ぶことが生活のすべてという時期だ。
そんな子どもたちの様子を観察して、作中の大人の「我」は心を動かされている。考えさせられ、思わされ、あるいは感動や感銘を受けるところまでいったのかも知れない。しかしそこはぼかされて言及されていない。そこにかえって読み手の想像が立ち上がってくる。「我」が一般の青年から壮年にかけての男子の場合と「遊女」であった場合とでは、また読みの中身は変わってくる。いずれにしても無心に遊ぶ子ども等とそれを眺めている大人の対比の構図は同じで、無心でいられない大人たちは自省や悔恨の念に駆られているといった様子が思い浮かんでくる。大人たちは子ども時代に戻れないことを知っている。そのために余計に懐旧の念が募ることになるのだろう。自分たちも子どもだった時には目の前の子どもたちのようであったに違いないが、その頃には、よもやこんな大人になっているだろうとは夢にも思わなかった筈だ。
人の生涯と日本の歴史の進展を重ね合わせて考えてみると、3才くらいから9才くらいまでの子どもは、旧石器時代から縄文、弥生を経て古墳時代までの時期に重なると言えそうだ。先史時代か歴史時代かというと、当然、先史時代に区分される。飛鳥以降が歴史時代の始まりになるが、年齢でカウントすると10才以降になる。冒頭の歌の作者は30才前後から上の年代だろうと想像されるが、彼(彼女)が遊び興じる子らを眺める図式は歴史時代人が先史時代人を想像的に眺めやる図式に同じである。大人が子どもを眺めて羨望し、歴史時代から先史時代を振り返り眺めて羨望する。これはしかし、よくよく考えてみればおかしなことだ。本来なら逆であるべきなのだ。
年齢を加える毎に、あるいは時代を経る毎に、進歩し、発達し、経験が蓄積され、叡智や理知が増し、成熟し、それらを誇示こそすれ、過去の幼稚であるとも見なせる先史時代や子ども期に後ろめたい思いを抱いたり恥じ入ったりする謂れは、本来ならば一切ないはずである。あるいは無くて当たり前である。
ところがである。過去のどんな時代をも凌駕する高度な文明文化、先進科学技術に支えられた便利で豊かな社会を形成する現在の日本社会においてさえも、すべてに劣るように見える先史時代、そのうちでも特に縄文時代に憧れ、羨望する人々が後を絶たない。また同様に子ども期を振り返って、これを自己史における黄金期と呼んで憚らない多くの大人たちが存在する。いったい何がそうさせるのか。
文明、科学技術、また学問知などは後戻りしない。未来に向かって一方的に進歩や発達を続けて行く。これは脳の発達のあり方によく似ている。似ているはずで、現実の人間世界は脳の機能、働き、別に言えば意識が外化してなったものだ。脳の働きもまた発達が止まらない。
これに対して、人間の脳以外、例えば身体的なもの、骨格や筋肉や感覚器官、あるいは内臓各器官などは、古代からそれほど大きく変化していない。発達してもごくわずかなものだし、同じ程度に退化してきた部分もある。
解剖学者の三木成夫は、人間の心は根幹の部分で内臓と密接に関係しており、内臓の動き、状況、状態などが心の動きを作ったり心の動きに反映したりすると述べている。
ここで何を言おうとしているのかといえば、人間において唯一急激に発達し続けている脳の機能に対して、骨格や筋肉や内臓といった部分で大きく発達するものはなく、人間の心もまた古代から大きく変わらないもののひとつだということである。端的に言えば、頭の働きは大いに変わり発達し続けてきたが、心あるいは心情の働きはある意味では旧態依然としている。ここから心は身体に属し、身体は自然に属する、などと格好よく言ってみたいが、そう簡単には言えないことだからこれくらいで止める。ただ、とどまるところを知らない頭の発達、それに比して身体や自然につながれ大きく変わることなくきた心、この、人の頭と人の心との乖離や隔たりは広がる一方で、このことが人間にどんな影響をもたらすかは、今のところ誰にも分からない。
ただ、頭中心の生活を余儀なくされる大人たちは、心中心の生活の子ども等を羨望し、頭中心の現代人(歴史時代人)はまだ心優位の先史時代人に向かって羨望のまなざしを向けている。
このように考えてきて、子どもを羨望する大人たちの人生、先史時代人を羨望する現代人(歴史時代人)の人生は、いったいどういうことになっているのかと心配せずにはいられない。
遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
どうしてこの世界(人間世界)は、願うところから遠離るように進んで来、またこれからもさらに遠離るように進んで行こうとするのだろうか。
子どもたちも先史時代の人たちも、好きなこと、楽しいことを適当にまたいい加減にやって、そのことが生活それ自体でもあった。大人そして現代人は子どもや先史時代の人たちの無心やおおらかさや束縛のない自由さを失い、自分たちがこしらえた決まりや規則にがんじがらめになって、延々と身動きの取れない状況下で四苦八苦を続けているように見える。これを打開してどういう生き方、どんな人生を送りたいと望んでいるのか、その答えはすでに明示されていて、お手本は先史時代及び子どもの生活の中にすでにあったと考えることが可能だ。後はそれを実践すればよい話である。素朴にそして率直に、嫌なことは無理してしようとしない、これを徹底して生きていけばよい。そういうことになりそうに思える。もちろんこれには自分の能力を過信しないなどのほか、現代人が求めがちな富や名声、あるいは権力を放棄しなければならないという代償が必要となる。これらはしかし、考えてみれば些細なことだ。そう、思う。
@ 好きなことをして生きるという言葉の衝撃
2022/10/25
自分の言語表現に関しては、不毛であり徒労でありということを割に自覚してやってきた。たいした才能もない上に、教養とか知識を吸収する努力もそれほどしてこなかった。ごく普通の一般的な生活者でありながら、ただちょっと部屋にこもって考えることが好きで、それを表現してきたに過ぎない。つまり、何ものでもない人間の書いた文章は、何ものにもならないと承知して、あくまでも趣味の一環のようにしてやってきたのである。
ところで、ここでは謙遜してこのように綴って見せたものの、よくよく読み込んで考えてもらえば、ちょっと普通じゃないなと気づくのではないかと思う。不毛や徒労を承知しながら考え、文章に表現する行為を継続することは普通どころか、変態的と呼んでいいことだ。何よりも自分自身が、時折自分は変だなと考えてきた。そしてそのたびに、こんな無駄な人生の使い方をする人はそうはいないだろうと思った。自分は、その手のプロであると自称することが許されるのではないかと思うほどだが、これは一言で言ったら馬鹿とか異常とかになりそうだ。
才能もない上に血のにじむような努力も一切せず、だらだらと意味ない表現を繰り返し、ほとんど反響もなく誰からも相手にされない。昔はそれで落ち込むこともあったが、しばらくするとそれが世の中の道理だと気づいた。それは単純なことで、自分の書いたものが他人にはつまらないからだ。
自分がやってきたことは価値がないことである。全くの無価値である。無価値なことをやり続けてきた自分もまた無価値であり、それは人生が無価値だということにもなる。それでしかし、どういう訳か、ぼく自身は平気で、強く落ち込んでしまうということがなかった。いや、軽く落ち込むことは多々あったに違いないが、無価値ないしはマイナス価値が自分にとっての正当な評価に違いないから、ここを拠点としてやって行くしか仕方がないじゃないかと居直り、また切り替えてやってきた。どこかに結構の図太さがあるのだ。
つい先頃の話だが、坂口恭平さんの「広く浅く生きる効能」というブログの文章を読む機会があった。そこには、好きでもないことを延々と続ける人生を送る人に対する助言、人生相談に応えようとする文章が綴られていた。
簡単に言うと、「苦しい生き方をしている人に、楽な気持ちで生きる生き方」を教えている文章であった。
正直これには驚いた。わたしたちの前には人生の道案内のような教えというものがあって、それは遠くは神道や仏教や儒教のようなものから派生した教えと言うことができる。現実の環境とおなじように、新旧入り交じった観念(幻想)の環境は人々の精神を重層的に取り囲んでおり、人々の考えや行動に影響を与えたり規制したりしている。一部の人々にとって、そうした既存の観念(幻想)環境は重くのしかかるように感じられるもので、坂口さんはそういう人々に重しを取り除き身軽になる技術を伝えようとしている。その文章を読んで、久々にまっとうな価値の反転、転倒の文章に触れたと感じた。
自分の始まりもどこか、自分は「できる人間である」とか、「できなければならない人間である」という思い込みから始まっていたような気がする。逆向きに言うと、そう考えるように思い込まされてきた。だから上手くいかないことがあると割合に過度に落ち込む性分だった。それがより強度になると、自分はそこまで行かなかったけれども、鬱状態に陥ったり、自分を責め、自分を嫌い、自傷行為に走ることもままありそうに思う。世の中を眺めると、そういう人の割合が多くなってきているように感じる。ぼく自身がそうした傾向を持っていたので、こういうことには感覚が敏感に反応する。そして辛くなる。これはぼく自身もそうであるし、どうにかして同じように落ち込んで自分を責める性分の他人も自分も一挙に救済できる方法がないものかと考えてきた。
その場合にぼくにはぼくのやり方があって、坂口さんの考え方とは真反対に行った気がする。広く浅くではなく、狭い一点に向かって深く下降するというやり方を採ってきた。これはぼくの好きな文学者、太宰治や島尾敏雄や吉本隆明といった人たちの影響が大きかったと思う。もちろんこれはその人たちの所為というわけではなくて、ぼくがそういう影響のされ方をしたということに過ぎないのだが。
坂口さんは、やさしいがどこか辛辣な部分もあって、失敗が多く何もかもが上手くいかなくて極度に落ち込み、ついには鬱になり自殺しかねなくなるような人たちに対して、プライドだけが高く中身は実に適当な人間だと言い放ったりしている。適当、つまり他人から見れば例えばたいした努力もせずに試験を受け、それに落ちて、落ちた自分が許せずに極度に悩んで苦しみのルーティンにはまり込んだりしていることを指摘する。それほどの努力もできない、根は適当でいい加減な人間なのだから、それなりの適当な生き方というところで妥協して生きればよいのにと話を進めていっている。まさしくぴったり自分にも当てはまる話だ。
そうしたところから、肩の荷を下ろして、好きなことを適当にやるという生き方、広く浅く楽しみながら生きる生き方というものを推奨する文章を坂口さんは書き進めていく。「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し」とは徳川家康の言葉として伝えられている有名な言葉だが、坂口さんの言葉は「背負った重荷は捨てるところから始めましょう」という話だ。たぐいまれなるリーダー、統轄者、統治者の家康と、ごく普通の大衆のひとりに過ぎない自分とを同列において考える必要は微塵もない。同様に天才や秀才たちと自分を比較する必要はどこにもない。彼は彼、我は我で、本来大衆や凡人はは楽しんで生きてこそ大衆や凡人である。苦難は統治者や天才たちにに任せるのであって、貢納や名声はその代償であろう。
現在の日本社会はしかし、先進国としては自殺者が多く、うつ病などの精神的な疾患を増加させる社会となっていることも確かなことだ。メデイアを通じて毎日のように各界の能力に優れた人たち、著名人、成功者、そして次世代の期待の星たちがもてはやされ、そんなふうに社会的に注目されたり評価を受ける存在にならなければならないように思い込ませられる。だが、そうなるためには能力のほかにも努力とその継続がおそらくは必要なのであって、誰もがそれを成し遂げられるというものではない。さらにこの社会は、常時、これらの成功者の像を個々人の頭脳にこれでもかというほどに送りつけ、酷くなると個人の頭脳に強迫観念のように定着してしまうことも少なくないと思われる。
一方に、毎日楽しげに、忙しげに、あるいはきらびやかに生き生きと活躍している人々がいるかと思えば、また一方には鬱々として自分を責め続け、心身及び生活にも影響が生じて無気力、果ては自殺願望に悩まされながら生きている人々がいたりする。
坂口さんの文章を読んで一番に感銘したことは、ともすれば人間の不幸、世界の不幸を全部背負い込んでしまおうとしてかえって深くもがき苦しむ善意の人に対し、身の丈に合わない刻苦勉励はやめにして、好きなこと、楽しくできること、それらを生真面目にではなく適当に、またいい加減にやりましょうと発想の転換を促しているところだ。
世のため人のためではなく、自分の好きなこと、楽しいことを生きる目標にして生きていってもよいのだ。天才や超人ではなく、ごく普通の中途半端な能力のまま、それに見合った生き方、人生を楽しむというほどのスタンスで生きていってもよいのだ。
坂口さんの文章に見られる主張は、格別目新しいものとは言えないかも知れない。表向きの言葉として、自分もしばしば口にしてきたことがあったという気がする。だが、やはり表向きの言葉にすぎなかったようだ。実際には好きなことをやり続けるどころか、人知れず刻苦勉励を自分に課してきたと思う。70も超した自分には、自分や自分の身内だけが楽しく生きる生き方を目標に生きることも、あるいは考えることも本当には身についてはいない。頭でそう考えてもなかなか実践が伴わない。だが、一回り回って考えると、坂口さんの、本気で適当に生きる生き方というものは、実践されてこそ価値が生じるものだという気がする。 レトリックではなく、好きなことを適当にやる生き方を「大真面目」に、また「生真面目」に提案したのは坂口さんが始めてだ。そう思えるくらいの衝撃を彼の文章から受け取った。そしてその時、同時に、彼のこのような考えを基軸に、これまで自分が考えてきた領域の全体を統合する視点としてこれを活用できないかという考えが自分に生まれた。それはまだ兆しの程度に感じ取られているに過ぎないのだが、ここから少し時間をかけて試行錯誤を繰り返して行ってみようと思う。