『老いの渇望』
 
29 吉本隆明さんのこと(ぼくの吉本体験)
 
 B 続・吉本さんの国家論
 
 前回は「共同幻想論」について述べた。それは、現実の国家ではなく幻想の国家について述べたものだと言うように語ってきた。中身的にはもう触れたくない位のぐだぐだだった。まあそれはいいとする。
 今回はもうひとつ、吉本さんの国家についての別の観点からの考察について触れておきたい。
 中国の歴史書、「魏志倭人伝」などにも明らかにされていることだが、弥生時代晩期の日本ではすでに小国が乱立する時代であったことが記述されている。言ってみれば豪族ごと部族ごとに独立し、そのために近隣との戦いが絶えなかったという。これは言わば部族国家がすでに成立していたと言うことだ。これを初期国家群、部族国家群とみて、ここからさらにこれらの国家群を統一する方向に歴史が進み、やがて大和朝廷が成立した。これが統一部族国家の誕生となる。
 吉本さんは、現代に生きるわたしたちが国家を問題として考えるに際し、どこまで遡って考えることが出来るかと言う時に、この統一部族国家の成立までが有効な範囲だと指摘した。そうぼくは捉えている。部族国家の統一と統一以前とをはっきりと区別して、現代日本国家の母体は統一部族国家の成立をもって、これを起源とするというように考えたと思う。
 こういうことが「共同幻想論」と並んで、吉本さんの国家論の核を為しているとぼくは考えてきた。
 国家の本質は幻想の共同性であるということ。また統一部族国家の成立をもって、今日の国家に繋がる初期国家の成立、また起源であると見なすこと。この二つの視点を押さえて考えたら、国家についての文章の読み書きにあまり臆せずに向かっていける気がした。
 ついでなのでもうひとつ言うと、吉本さんは同時代的で具体的な国家について言う時に、よく狭義の国家という言い方をし、それは政府であるという言い方をしていた。国家というものを狭い意味で考える時には、それは政府であると言うことでよいのだということである。何故かと言えば、国家の賠償問題などで実際的な当事者として対応するのは時の政府で、これが国家の代表として被告側に回って応じたりしている。裁判では、国家を相手取った時に実際に対応するのは実権を持つ政府がするのであり、吉本さん流に言うとそれが狭義の国家だと言うことになる。
 広義の国家というと、まず一定の領土と国民の存在を基礎として、全体を統治する組織をもった政治的共同体や公組織的共同社会を指す。要するにそれらすべてをひっくるめて、これを国家と呼んでいる。これが広義の国家なのだが、日本で国家という場合に、たいていの人はこちらをイメージするかと思う。いわゆる抽象的ですこぶる曖昧なイメージとなる。これを分かりやすく、実質的実権的な意味合いで政府が狭義の国家なのだと考えると、ずいぶんとイメージが明瞭になる。
 
 大雑把に言えば、ぼくは吉本さんの国家に関連する論述からこんなことを学んだ。一言で言えば、国家というものはどのように形成されたかということ。そして初期に形成された国家は、やがて近代国家へと変貌を遂げ、さらに現在においてどうなってきたかということ。そういうようなことを一人の読者として追いかけて、理解しようとしてきた。
 
 国家の起源や本質について考えてきて、現在どんな考え方をするようになったかというといろいろある。そのひとつは、国家は人間が作り上げてきたもので、そうである限りにおいて、完璧なものではないと言うことだ。また、口に出して言うのも憚られるような絶対的なものでもない。もともとはいくつもの村落みたいな共同体が存在し、互いに相争うようになってまた結合し、そうした中で力をつけて頭角を現したもののうちからトップに上り詰めて、やがて統一王朝が出来たという話である。この事を具体現実的に考えると、その過程でたくさんの人命が犠牲になったはずである。どんなきれい事を言っても、そうした事実は消えない。国家は、知力と腕力を元に相手方を打ち負かす、それを何度も繰り返して最後まで戦い抜き勝者になったものが統一を果たしたのだ。大和朝廷はそうして成ったものだし、統一国家成立のその後も、最上位者の座を巡っての権力闘争は中世から近世、そして現代へと引き継がれている。武士が立ち、富者や知者が立つように変遷した。
 現代に生きる日本国民の多くは、勝者の側の末裔であるかも知れない。だとすれば多くの国々を滅ぼし、人命を殺めた者たちの末裔である。また敗者の側となって山奥に難を逃れた者たちの末裔であるとすれば、覇者となり国家を成立させた側の人間はみな、祖先を苦しめたならず者と考えるはずだ。
 国家とは、国家の最高権力者たちとは、このようにして作り上げられ、このようにして成ってきたものに他ならない。これは人間社会の進化発達の、止むを得ない自然な過程と言えば言えるのだろうが、いつまでも権威ある権力者と崇め奉る必要は少しもない。
 
 
 A 吉本さんの国家論                  2024/09/13
 
 吉本さんの国家論というと、先にも掲げた「共同幻想論」が有名だ。特徴はと言うと、タイトル通り幻想の問題として論じている。序論のところでまず、「国家の本質は共同幻想である」と述べている。国家について考察するにあたって、実体的、現実的な部分をいったん除外して考えて、観念的、幻想的なところで語りうる国家論と言うことだ。この考え方はヘーゲルに影響されている。ヘーゲルはどこかで「国家は共同観念だ」(日本語訳)と述べていたはずだ。
 国家の本質が共同幻想だとか、共同観念だとかという言い方に初めて触れた時にとても驚いたことを覚えている。実際的な国家というのは遠い古代に発生し、さまざまに形態から体制から変化し、さらに滅亡したり誕生したりを繰り返してきた。またこれを現在世界的に見ても、多種多様と言わざるを得ない。だがこれをどの国家にも当てはめて考えられる本質として、抽出することが出来れば、ある意味国家について考える際にとても考えやすくなる。
留意しなければならないのは、吉本さんは国家の本質は共同幻想だといっているのであり、単に国家が共同幻想だと言っているのではないことである。
わざわざ本質はと断っているのは、揚げ足を取ってケチをつけてくる他の論者たちを、はじめに排斥しておきたいからだと思う。ヘーゲルは断りを入れていないが、前後の文脈からすると、あるいは論理の進行上、そういう意味合いで語っていることは確かだと思える。
 さて吉本さんは「共同幻想論」のなかで、人間の幻想領域というものを想定し、とりあえずこれを「自己幻想(個人幻想)」、「対幻想」、「共同幻想」という3つの層に分けて考えた。これを現実生活的な場面に関係づけて考えると、自己と自己との関係、自分と特定の他者との対の関係、さらに自分が所属する共同体や集団内での関係となる。もっと単純化すれば、一人の時、二人の時、三人以上の時というように、わたしたち人間はこの三つの次元を行ったり来たりしながら生活しているということになる。そして、わたしたちはそれぞれの次元において、それぞれの次元に応じた幻想というものを秘めたり外化したりしながら生活している。これが難解に感じられるとすれば、一人の時は対幻想や共同幻想が後景に退き個人幻想が前景化するし、恋人と二人の時は個人幻想と共同幻想が後景化し対幻想が前景化する。そして、集団の中にいる時は個人幻想と対幻想が後景化して共同幻想が前景化すると考えると、とりあえずはイメージしやすいかと思う。
 頭の中の意識とか想念とか思考とかが「幻想」の一般的な現れになると考えてよいと思うが、とにかくこれを一枚ののっぺりとした平面、あるいは混沌とした空間のように捉えたのでは分かりにくい。そこで要素に分け、三つの層に分けて考えようとした。人間の頭の中での出来事、これを「幻想」と一括りにすると、全幻想領域は、個人幻想、対幻想、共同幻想の三つの層に分類でき、この三つの層を考察することで全幻想領域について語り尽くすことが出来る。論理の上ではそう言えるのではないかと思う。
 吉本さんの「共同幻想論」を読んで、国家というものはその本質からだけ言えば、我々の頭の中に形成されてあるものだと言うことが理解できた。頭の中に形成されたものが本質なんだということである。
 自分の事、自分についての事で頭がいっぱいになることがある。また家族のことを考えて頭がいっぱいになることもある。あるいは学校のことや勤め先、または部活のことやサークルのことで頭がいっぱいになることがある。これらはそれぞれ自己幻想の問題、対幻想の問題、共同幻想の問題と振り分けて考えることが出来るようになる。共同幻想の問題の中に、国家もまた一つの分野のようにしてすっぽりとはまり込む。人間の頭の中、全幻想領域の中で、国家というものはその程度のものに過ぎない。本質から言えば、部活やサークルの問題と同列にあり、変わらない。
 国家がそのようなものであるとすれば、国家の消滅は何も実体的な国家を暴力革命のような形で消滅させることが唯一ではないことになる。共同幻想という形態で国家が頭に形成されるものだとすれば、その形成過程を逆に辿り、それを無効化してしまうことが出来るのではないか。そういう問題意識が生じてくる。
 当時、国家が主導する戦争について、また国家そのものについて本気で考え論じていたのは吉本さんだった。どんな系譜にも属さず、依存せず、自分の感性と知力だけで道を切り開き、一から構築する孤軍奮闘するその姿に多くの人が魅せられ共感し、支持していたと記憶する。
 しかし、世間的にまた社会的には、「戦後最大の思想家」などと称されながら、「共同幻想論」は一部のものに読み継がれるだけになって行った。知識人、市民運動家、マスコミは相変わらず戦争反対を唱え、デモを行ったりしたが、それらは随伴的で少しも有効的なものではなかった。戦後憲法は戦争放棄を唱い、国民もまた戦争反対の立場に完全に立っていたが、にもかかわらず国家というものはいつでもそこを飛び越しうる可能性を持っていることを誰もが危惧し、そして有効な手立てを見つけ得ないままに今日に到っている。
 もちろん前述したように吉本さんの「共同幻想論」からの国家論も、その先の地平を切り開くように展開していくことは敵わなかった。一瞬の光芒は社会生活の下に埋もれていき、バトンを引き継ごうとする後継者も鳴かず飛ばずで推移してきた。
 だが、こうしたことで吉本さんの「共同幻想論」、国家論が時代とか社会とかに擦られ意味も価値も失ったかというと、そうではないという気がする。今も生きている。まだ終わったわけではない。そう思う。「共同幻想論」を核とする吉本さんの国家論を超えるものは、未だ見聞きしたことがないのだから。
 吉本さんの国家論は「共同幻想論」に尽きるものではなく、吉本さん自身の手によってさまざまな展開が為されている。それらを含め全体的に検討されることは今後のことに属する。同時代の思想家や学者たちには手に余る。後世に引き継ぐ人があってほしいし、またそうでなければいけないのだという気がしている。
 
 
 @ 戦争体験からの国家論                 2024/08/30
 
 詩人で思想家の吉本さんは、たくさんの本を世に送り出した。現在、晶文社から出されている「吉本隆明全集」は全38巻、別巻1とある。ざっと見渡した所で、どれだけ書いたんだと、まず舌を巻く。書いただけではなく、それらを書くためにまたどれだけの量の本を読んだのかと考えると、到底およびも付かないことと以前から感じている。
 これはちょっと余談だが、今騒がれているメジャーリーガーの大谷翔平選手の活躍を見るのと同じで、どうしたらそあんなふうになれるのか、全く分からない。努力や才能といった所で、ぼくらの想像できる範囲からは大きく逸脱して、それすらもかなわないと感じさせる。
 吉本さんは、ぼくからすれば文学界や思想界で大谷選手級の論者である、と言えば、文学や思想になじみのない人にも少し分かってもらえるだろうか。言うまでもなく、大谷選手のファンのように、ぼくは長い間吉本さんのファンであり続けて来た。大谷選手は野球の選手で、吉本さんは文学者、思想家と職業は異なっているが、ファンの心理と言うことだけで言えば同じなのだろうと思う。すごいと思い、憧れもし、一挙手一投足に悲鳴を挙げる。端から見たらそんな感じなんだろうと思う。吉本さんは東日本大震災の1年後に亡くなった。心にぽっかり大きな穴が空き、指針とか、拠り所というべきものを失った。今もぼくはそんな感じが拭えない。
 
 さて、長年のファンとして吉本さんの文章を読み、論を拝聴してきたぼくは、一度その体験をこのへんでまとめてみたいと考えた。大仰なことではない。ファンであるぼくが感じたり考えてきたことを、ファンなりにまとめてみたいというそれだけのことである。これにはもうひとつの理由があって、特に吉本さんの没後、吉本さんの思想、考えていたことが、当然のことだがぼく自身の中で薄まってきたことが一因だ。過去の戦争の風化を憂う人たちがいるように、吉本さんの思想や考えが自分の中で風化しそうな状況を、ぼくは少しだけ心配している。読み返すこともめっきりなくなって、以前読んだあれもこれもだんだんと思い返せなくなってきている。しがみついてきた手から力が抜けるように、吉本さんの思想が頭から離れていきそうだ。
 
 ぼくから見ると、吉本隆明さんは先の敗戦を境に右翼少年から左翼に転じた人だ。戦後、マルクスに多くを学び、戦争を批判的に検討するとともに、その責任は指導部、延いては国家に行き着くと考えた。初期の吉本さんは、革命の可能性を模索した。国家(現実的には政府)を倒そうとする革命的な運動家や実践者、またその同伴者の様相も呈していた。大まかには1960年の安保闘争を経た後、吉本さんは運動とか実践よりも理論の方に足場を置いたように見える。当時は運動家の理論的支柱を兼ねた存在とも思えたが、次第に運動は衰退の道を辿り、吉本さんは情況に向かっての発言から徐々に本質論の言及に移行する過程を辿った。ぼくらからすれば、吉本さんは戦争と革命の相似性に気づき、物理的な破壊を伴う革命の可能性を自分に禁じたと思えた。それだけではなく、本質論を追求することによって事象の真に迫り、これを人々の幻想に向かって明らかにして行く。そこに微かな革命に到る道を探ろうとしたかに見える。
 急激に根源的に本質追究の過程に進み、主要と言われる著作を次々と書き繋いで行った。とりわけ「言語にとって美とは何か」「共同幻想論」「心的現象論」は、吉本さんを論ずる際に誰もが避けて通れない高名な作品たちだ。 運動の衰退もあり、ぼくはその頃の吉本さんは「少し向きを変えたな」という印象を持っている。賑やかな表舞台から少し退き、理論的研鑽に潜行した。その行き方は判断として正しかったとぼくは見ている。けれども世間的には、とぼくは言ってみるしかないのだが、吉本さんの言動に興味や関心を持ち強く支持していた人たちの中から、たくさんの人たちが吉本さんから離れて行ったような気がしている。篩にかけられたように、どこまでも吉本さんについて行こうとする人たちと、それぞれの事情から疑念や疑義を持ってしまった人たちとが明瞭に分かたれた。もちろんこれはぼくがそう思うだけで確証といったものはない。
 吉本さんは先に挙げた主要作をはじめ、他にも重要な作品と言える著作を次々に世に送った。けれどもいずれもが、ぼくらには本質的でまた硬質な内容であって、徐々に理解することが難しく感じられるようになった。また潜行しすぎて、あまり表に登場しなくなって、ぼくらにはとても重要な作品と思われるものまで話題に上ることがなくなっていった。はっきりいつ頃からとは言えないが、徐々に文学雑誌が廃刊に追い込まれたり、街から書店が消えていったりした。同じくして文学や思想が、一部マニアックと思える人を除いて、非常に衰退していったとぼくなどは思っている。社会が高度経済成長期から絶頂期を経て、やがて衰退期と停滞期の循環過程に入った頃と軌を一にしている。その過程で記憶に残っていることは、湾岸戦争やイラク戦争、国内ではサリン事件や吉本さんの最晩年に起こった東日本大震災などがある。いずれにおいても吉本さんは時流や世間の動向に迎合することなく、どちらかと言うとそれらに反対する立場を貫いた。もちろん吉本さんなりの考察や主張があってのことで、ぼくなどはいつも吉本さんに与する考え方をしていた。ただ、それらのこともあって、吉本さんは四方八方からの孤立をいっそう深めて行っているとぼくなどは案じていた。正しい見解は吉本さん側にあるのに、それが認められず広がらず、孤立していくことは悔しいこと以外の何ものでもなかった。
 ぼくが一番危惧するのは、吉本さんの死後、国家を論ずる論客が全くと言って良いほどいなくなったことだ。優秀だなと思えた人たちも国家とは何か、国家は解体されるべきか、はたまた存在すべきかと問うこと自体をしなくなった。どんな言葉も国家ありきから始めている。ただ暗黙のうちにその存在を是認するというふうだ。吉本さんからバトンを引き継ぎ、その先を考察する人がほんとに目立たなくなった。沈黙してしまった。
 晩年の吉本さんはどこかで、せっかく歴史的に国家という形態まで辿り着いたのだから、これを無くして超国家、国家連合という形態まで持って行く必要は無い。現在の国家の形態のまま、国民のために尽くすという部分を上手く活用し、利用して行く方が良いという考えを述べていたと記憶する。つまり死ぬまで国家の去就と言うことについて考えていた。吉本さんなりに、自分の考えの修正と言うことを手放さずに考え続けていた。
 吉本さん世代は、戦争に、国家に、しこたま翻弄された。敗戦により、多くの人々は茫然自失した。多数の戦死者、市民を犠牲にした戦争とは何だったのか、吉本さんは考えずにはおれなかった。国家を信じ従った自分とは何だったのか。
 国家が存在する限り、戦争は必ず起こる。たいていの国家は平和時にも軍備を持ってそれに備えている。戦争が起こることを前提に国家運営を行っている。軍隊という傘の下にとどまる限り、安全が確保されていると言うよりは、逆にいつ何時危険にさらされるか分からないと考えた方が無難だ。何の武器も持たず素手で生活している市民たちより、武器を隠し持ったヤクザ同士の方が抗争に発展しがちだと言うことに似ている。
 対立するヤクザ同士なら、一方がうっかり武装解除したり武器を捨ててしまったら、もう片方のヤクザの格好の餌食になってしまう。ふつうヤクザ同士ならそう考えて、武器を捨てることはまずない。こういう発想や考え方は、国家同士においてもそのまま通用してしまう。侵犯を恐れ、常に戦いの準備を怠ってはならないことになる。その意味ではヤクザは国家みたいなもので、相手側の不審な動きに敏感でなければならない。
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