『夜と朝の間に』
 
気にかかる思想者「安藤昌益」①
              2020/04/05
 
 安藤昌益はフリー百科事典『ウィキペディア』では次のように紹介されている。
 
安藤昌益(あんどうしょうえき、1703年(元禄16年)ー1762年11月29日(宝暦12年10月14日))は、江戸時代中期の医師・思想家・哲学家。秋田藩出身。号は確龍堂良中[1]。思想的には無神論やアナキズムの要素を持ち、農業を中心とした無階級社会を理想とした。死後、近代の日本において、社会主義・共産主義にも通じる思想を持った人物として評価を受けた。
 
 このあとに、生涯・思想・著書などの項目に沿って記事があり、一読すれば安藤昌益についての概略はわかることになっている。
 安藤については以前ちょっと触れたことがあり、現代語訳で『統道真伝』や『自然真営道』を読んだ感想を述べたこともあったような気がする。そこでは、かつての歴史的な偉人、聖人、為政者等を小気味よく罵倒していてびっくりした、というようなことも言っていたはずだ。
 ぼくとしては今もその気持ちは変わらない。安藤昌益っていいよなあと今も思う。
 何がそう思わせるかを考えてみると、ごく「ふつうの人」を基準に世界とか社会を見ているからだと思う。しかし、なぜそれをいいと思うかについて説明しなければならないとなると、ちょっとやっかいである。自分がそう考えているからとしか言いようがない。何だ、自分の考え方の嗜好性に過ぎないじゃないかと見られればそれまでなのだ。そして、今のところはそれ以上のことを奮起して解析、解説しようという気にはならない。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」②
              2020/04/06
 
 ごくふつうの人たち、ごくふつうの暮らし、それはどういうものか。安藤昌益にあっては、それは身近な生活者であり、当時の社会では多数を占める農民と彼らの生活そのものであったろうと思う。自給自足の自立的生活と、補完的な小集団の相互扶助とでそれは成り立っている。背後には自然の運行があり、動植物の、これも素朴な生活の営みが見えていた。
 恵みとともに過酷をももたらす自然の運行の元で、動物も植物も黙って生き、また黙って死に絶えていく。それ以上でもそれ以下でもない生活がそこにはある。
 人間もまた本来はそういう生き死にを繰り返す存在ではなかったか。悲喜劇や喜怒哀楽という形式で言えば、小さな悲喜劇や喜怒哀楽は繰り返されたであろうが、大きな悲喜劇や喜怒哀楽はまれなるものに違いなかった。
 生き物の特性は食と性だと言われるが、田畑を耕して自ら作った穀物や野菜を食し、婚姻して子をもうける。そうした生活に充足できる農民こそは偉大な存在である。
 少なくともそうした生活に充足できる人々は、戦いの悲劇、惨劇を生みだすものでもなく、強欲な搾取を弄するものたちでもあり得ないのだ。安藤は、そういう慎ましい生活者たちの慎ましい生活を、奪い去ってしまう権利は誰にもないはずだと考えたに違いない。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」③
              2020/04/07
 
 江戸時代の地方の農民の生活は、文明や文化の発達と無縁ではない。むしろ、それらの部分的な結果である。「直耕」という概念によって穀物生産を至高の人間的活動のように礼賛する安藤昌益も、だから、けして文明や文化を全否定するわけではなかった。ただ、途中、誤りがあったとだけは言いたかったかもしれない。そのあたりについては、イバン・イリイチの「交通・医療・学校」への批判的言辞がシンクロして思い出される。つまり、「過剰」ということについてだ。
 安藤昌益は、文明や文化というものには、たいした価値はないんだというように見なしていたように思える。毒にも薬にもなるというように。
 文明史、文化史を概観すると、秀ができ拙が生まれる。また上下の格差が拡大し、戦争そして収奪と、下の方の被害が甚大になってくる。なぜなのか。
 ともあれ、安藤は、人間の価値ある生き方というのは、そうした文明や文化の発展に貢献するところにはないと考えていった。
 では、どういうところに生きるに値する価値を見いだすことができるのか。
 
 
【気にかかる思想者「安藤昌益」④
              2020/04/08
 
 どう生きればよいか、なんて、そもそも考える方がおかしいというくらい解答不能な問いだというのは、これくらいの年になるとわかりすぎるほどわかる。だとしたら、はじめからそんな問いは無意味だということになる。しかしながら、そうは言っても、いつまでもその問いの衝迫めいたものは心から去らないこともまた確かなことだ。
 生き方に、価値のある生き方、価値のない生き方というものが、有るかどうかということも、先の問いに類似している。
 良いか悪いか、価値があるかないか。これはすべて人間が勝手に作り出した概念の元に、勝手に考えていることだ。自然界で、宇宙で、人間界にのみ通用するこうした観念作用はどこにも見当たらない。
 安藤昌益は、人間のみにもたらされたこの幻想世界が、やがて人間世界に苦をもたらすものであることを知っていたように思う。そんなものはすべて人間世界の勝手なこしらえ事に過ぎず、自然界には善悪も存在しなければ、価値の上下もない。したがって本来は人格的な上下、地位的な上下、権威的な上下という観点もなく、すべてそうしたものは人間界にのみ通用するに過ぎない、偏狭なこしらえ事であるというようにだ。
 釈迦や孔子などの言説に対する罵詈雑言とも言える反発は、言葉を弄すること、文字を弄することへの批判にも発展する。言葉をもてあそび、文字をもてあそぶものたちは、自分の食を自分で獲得、生産せねばならないものたちのあいだからではなく、その意味からいえば労働を要しない閑人たちのあいだに流行した。安藤の言葉で言えば、不耕貪食の輩の言い訳の武器となったに過ぎない。関係として、社会を、世を、見渡せば、言葉にせずともそのことははっきりと見える。見えるにもかかわらず言葉がそれにフィルターをかけ、曇らせ、その絶対的な関係が、そうではないのかもしれないと惑わせる。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑤
              2020/04/09
 
 安藤昌益は自分が八戸藩の町中で医者の看板を掲げながら、今の医者どものやっていることは治療と称して病を悪化させ、実状は、まるで人殺しをやっているようなものだと批判している。
 安藤は、だからもっと確かな知識や技術の習得が必要だ、とそこで言っている訳ではない。わたしが安藤の著作を読んだ限りでは、単純化して言うと、人間にも生得の治癒力があるのだから、その力を十全に発揮できるように支援すべきだと言っているように思えた。
 まず動植物のそれぞれの種ごとに、それぞれの種には医者など存在していない。犬猫が怪我をしたり病んだりしても、だからすぐに悪化させて死んでしまうかというとそうではない。医者という存在がなくとも、しばらくして自然に治癒している動植物の姿を目にすることがある。もちろん、すべてがそうだというわけではなく、怪我や病気が原因で死ぬ犬猫もいる。だが犬猫はもちろん、動植物一切は死を恐れて泣きわめいたりしないし、長生きを求めることもしていない。そもそもそういう欲がない。欲がなければ煩いもない。運命を受け入れるかのように黙って死んでいく。
 言葉があまり発達せず、もちろん文字も未だ作られていなかった先史時代、あるいはもっと以前の人類では、自然のそうした動植物たちとあまり違った状態にはなかった。
 安藤はそうした時代を「自然の世」ととらえ、解剖学者三木成夫が 「桃源郷」や「エデンの園」といった言葉を持ち出したように、それを理想と考えたことは間違いないことに思える。
 安藤昌益は、農耕を主とした労働一般からかけ離れた知識や技術、学問、芸術、芸能を否定し、また権力者の必要から生じたものとして文字文化までをも否定していく。その視点はかなり独自なもので、わたしは驚くほかなかった。安藤も直接、わたしには師はないし、書物から学んだものもないというように言っていたように思う。では、どこからそういう考えが導かれたかというと、目で見、耳で聞き、体験や経験をした事柄の中にその根拠があるのだという言い方をしていたように思う。つまりは、自己の受容できる範囲の中の、それは自然であり、人間社会であり、動植物の社会であるというように。
 だから、安藤の思考には系譜というものが見当たらない。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑥
              2020/04/11
 
 安藤昌益には為政者どもと戦ってという意識は全くなかったようだし、八戸藩とか幕府への謀反、転覆を実力行使に訴えて叶えようという考えもなかったようだ。ただ、おかしなことがいっぱいあると感じ、それを突き詰めていったところに為政者、偉人、聖人といった類いに批判の矛先が向かわざるを得なかった。もっと言えば、自分が本当だと思ったところを、これも、本当はそうしたくないところの言葉でもって文字に綴っていくと、そういう表現になったというようにできている。たぶん、安藤は自分の考えを書き綴っていく過程で、これはおおっぴらに世に問えるような代物ではないという自覚はあったのではないかと思う。密かに書き綴り、それをむやみやたらに他人にひけらかすことはなかった。ごく気を許せる一部のものだけに、語って聞かせ、また書き綴ったものを公開したようだ。 ふつうに考えれば、安藤の『自然真営道』や『統道真伝』は、根源的で本質的な体制批判の書と見なされ、為政者側の目に触れたらただではすまなかったろうと思われる内容に満ちている。安藤もまたそれを重々承知していたためか、現行の幕藩体制を一気に変えることが難しいというなら、という言い回しで迂回して『自然の世』に行き着くための折衷案のようなものまで用意周到に提示している。
 いずれにしても、ぼくは安藤昌益の著作をいくつか読んで、大筋のところで安藤の考え方はいいではないかと思った。この考え方なら、誰も悪いというやつはいないんじゃないかとも思った。だが、ぼくなどには当然とさえ思える安藤のような考え方は、この日本の地にいっこうに広まらない。彼の時代にあっても、わずかに秋田の生家の近隣を中心とした、少数の人々に強烈に支持されたに過ぎなかった。ぼくにとってはそれでさえすごいことのように思えるが、それでもいつも真がそんな扱いでしかないことは、とても残念でならない。安藤は自分の思想がどの程度に受け入れられるかを熟知していたに違いない。百年後、千年後によみがえればいいのだと思っていたかもしれない。それくらいたてば自分の言いたかったことが理解されるようになるかもしれない、というように。
 同時代の人々にはどうして通用しないかを、もしかすると安藤昌益は知っていたかもしれない。ぼくが思うに、それは国家という共同幻想(共同観念)が強固に作用しているからだ。為政者がいて社会が成り立つという幻想。逆に言うと、社会が成立し続けるためには為政者が必要だという幻想。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑦
              2020/04/13
 
 人間が、考え、話す、ということはどういうことなのか。
 たとえば他者と何気なく世間話をしているときに、ぼくは時々疎外された気分になることがある。彼は向こう側の世界にあって、ぼくはこちら側にいて、はじめからの前提が違っていると思ってしまう。相手が大人であっても子供であっても変わりない。幼児であっても、ああ、もう向こうの住人だなんてことを思う。カタコトであっても、善悪や是非の判断を示したりするときは、特にはっきりとそう思うことがある。それは彼の発した言葉であっても、その背後には家族、そして社会の存在が見えてしまう。彼の考えは彼個人のものではなく、元をいえば家族や社会の観念や幻想が憑いたものだ。それは当たり前のことで、誰もそれを免れない。そしてそれはぼくにしてもそうに違いないのだ。
 自分の言葉、考え、観念がどこから来たのかと疑問を持ち、さかのぼって解析していくと、現在の家族や社会ばかりではなく、その歴史的な累積からもたらされたものであることがわかる。遙か昔から引きずってきた痕跡がうかがわれる。そしてまた、歴史の変貌も片棒を担いでいるに違いないことがわかる。家族や親族、あるいは地域社会のしきたりや、あるいは宗教的な教え、法以前の法といった類いのものが、個の思考や観念の母体であったり、上から被さるものであったりする。
 歴史的に国家が形成される段階に入ってくると、たとえそれが小国家、部族国家であっても、国家的組織が形成、維持されていくためには、組織内のまとまりが個々の人々に要求されてくる。そうしないと維持できないことは明白だと思う。組織が大きくなり、やがて統一部族国家のような大所帯になると、自ずからその要求は強力にならざるを得ない。「心を一つに」など、安易に叫ばれる昨今だが、要するに秩序の維持安定を、それは個々の口を借りて代弁する言葉となっている。
 こうしたことは、現代の社会における学校のあり方を考えれば容易に想像することができると思う。
 学校で何を教えるか。知識、技術、はたまた箸の上げ下ろしから善悪に至るまで、、社会生活に必要と思われる諸々が、教育課程として用意されている。だが、端的に言ってしまえばそれは、国家の維持や発展を前提条件とした上で、よき社会人、国民を育成するということなのだ。つまり、国家の維持や発展に寄与しないものははじめから除かれる。おおもとのところで取捨選択が行われ、それは神がするものではなく人間がするものだから、厳密には私的で恣意的なものになることを免れない。もちろん装飾されて、そうではないように見せかけられている。
 安藤昌益は『自然の世』にあって、善と悪とは独立に別物としてあるわけではなく、善悪でもって一事であると言い、親鸞が「善悪もて総じて存じそうらわず」と述べたことは、要するに累積的な価値概念に異を唱えたものだとみることができる。通念をひっくり返し、そんなものはみな狭小な人間世界での恣意的な作り事に過ぎないんだよと言っているのだと思う。我々の頭の中はそんな風に他のあらゆることに影響されてできあがっていて、あまり鵜呑みにしちゃいけないよ、あまり信用しちゃいけないんだよと言いたいのだと思う。
 善とか悪とか言っているのは人間だけで、それを考えられることが高級なことかと言えば、では人間が他の動植物よりもいつも高級な生き方をしているかというとそうは言えない。いじめ、対立、紛争、貧富等々、ある意味動植物社会より劣って見えることがしばしばだ。これはいったい何か。
 安藤昌益は人智の及ばぬ『自然の世』の、動植物の生の有様を、それ以上でもそれ以下にもなり得ないものとして肯定するほかないとみていたと思う。時に弱肉強食、小競り合いやいざこざがそれらの社会に垣間見られるとしてもだ。同じように太古の昔の人間社会に、小さないざこざや家族、親族、部族間の衝突があったとしても、それは肯定するほかないものと考えていたように思える。それらは他の生き物たちのあいだにも見られることだからだ。ただそのあげくにある閾値を超えて大集団となり部族国家形成の段階に至って、いっそう紛争、殺し合いが大規模化した。これを発達した人間の知の所産とみて、知の働き、『法の世』の短所に思い当たった。法とは私法であることを免れず、ある意図を持って拵えあげられるものに他ならないというようにだ。そしてそれによって利益を饗されるのは、いつも決まって一部の権力層においてであって、大多数のものたちは逆に供与する側、収奪される側に回ってしまう。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑧
              2020/04/14
 
 安藤昌益は『自然世』と『法世』とに区別して論じているが、今で言うならば、『先史時代』と『歴史時代』の区別くらいに当たるだろうか。はっきりとはわからないが、ぼくはそれくらいのところで了解している。またそれくらいで理解していくと、ぼくにとっては分かりやすい。細かい差異、正誤は専門家ではないからあまり気にしない。
 ところで、安藤はもちろんのこと『自然世』すなわち自然の世でいいと言っているので、人間が作り出したところの『法世』、つまり法の世を間違っているんだと批判している。あるいはろくでもないもんだと非難する。
 安藤が生きた当時の身分制としての上下関係、卑賤や貧富、あるいはまた善悪とか正誤とか忠や不忠、孝や不孝などといった概念は、根源的には『自然世』から『法世』と進んでいく過程で生じた。あるいは逆に、そういう概念が生じて、それを重視するようになって『法世』へと突き進んだとみる。その時点で誤りが生じた。それを助長したのが偉人、聖人、宗教者達で、彼らのような存在がなかったら『自然世』のままに、私欲に駆られる社会には突き進まなかったと言う。
 このあたりはちょっと今で言うところのエコロジストの考えに似ている。だが安藤は単純に、原始に帰れと言っているわけではない。人間の人間らしさは認めるが、つまりそれは文明や文化の発達だが、自然に内包された自然でもある人間の立ち位置を、忘れるなと言っているように思われる。そこで安藤が提言するのは『直耕』という概念で、文字通り直接に田畑を耕作し、自分の生活は自分の生産でまかなうべきであると言うのである。これははっきりとは示されていなかったように思うが、他の生産様式としての一次産業すべてを含んでいる。余剰ができれば互いに交換すれば、竈は賑わう。それは肯定している。
 安藤昌益の考え方がとても魅力的だとぼくが思うのは、当時の幕藩体制下にあって、すべてをなくして転覆してしまえというのではなく、段階を踏んで当時の体制を変えていけばいいと言っている点だ。統治という形態、形式、それを即座になくすことが不可能ならば、とりあえず、殿様であろうが家臣であろうが、はたまた商売人、細工人であろうが、耕作地を持たせて、それぞれの家族分の食い扶持は自分たちでまかなうということに決めれば、それでよいとする折衷案を示している。つまりは『直耕』であり、これが平等の核となって、その上で殿様であったり家臣であったりというのはかまわないとしている。いや、そうは言い切ってはいないかもしれないが、ぼくにはそれらしく思えた。
 細々とではあってもこういうように耕作に紐付けされたら、それまでそうやっているだけでよかった諸々の活動の効率性、生産性は阻害されるに違いない。殿様なんかやってられない、学問なんかやってらんないよ、となるに違いない。逆に言えば、食の生産獲得がいかに大変なことであるか、誰もが身をもって経験することができる。安藤は、そういうことを言いたかったと思う。また自然から学ぶことは他のどんな学びよりも優先さるべきであると、言外にも言っているようにも思える。
 ぼくは時折夢想する。現代にこれを実現させたらどうなるだろうか、と。総理大臣も総理としての仕事をそこそこに切り上げて、明るいうちに野良仕事をしなければならない。でないと、家族が明日食べる米を用意できない。もちろん家族分の耕作地だから、家族で協力すれば一日の耕作に要する時間はそれほど多くなくてすむ。わずかでも毎日こつこつ耕せばすむことだ。3,4時間やれば十分かもしれない。総理などという職は今日的にはその難しさ、その大変さは想像するにあまりあると考えられるが、前提として、国民一般の思いをくみ取れてこその職であると思えば、そういう体験こそ民の苦楽を知る唯一無二の契機となり得る。それがなければ本当はその資格さえないとぼくなどは思う。
 ここに来て、ふと、解剖学者養老孟司の参勤交代説を思い起こす。それは現在の過疎化を逆手にとって、会社などでも長期の休業を義務づけ、田舎に行って農業をさせるというものだ。隔年とかというようにして、都会から田舎へ順繰りに出かけて米作りをする。そこでも自然をはじめとして、たくさんのことを学べるはずだ。詳細は養老さんの本から探してみてもらいたいが、何となく安藤の説に近いものがあるような気がする。
 もちろんどちらの説も実現性となると、どうかなあと思わせるところがある。だが実現すれば体験の共通を核として、未来に向かっての理想の社会のイメージを、いっそう豊かに膨らませる手助けとし得るのではないだろうか。ほんのわずかではあるが、ぼくはそんなことを夢想する。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑨
              2020/04/16
 
 細分化と専門化そして分業化。あるいはそこからの多様化。歴史を大まかに眺めると、人類はそういう方向に、まっしぐらに突き進んできたとみることも、できそうな気がする。おそらくは、我々の発達した脳の特性の一つに数えられるものかと思われる。
 今日では高度な専門性は、他からは窺い知れないほど高度に発達した。しかも微細に細分化、分業化もなされてきたから、ひと同士の共通性を見つけることが次第に難しくなってきている。横に同年代を見、また縦に世代間を眺めても、単純化して言うと共通の話題を探し出すことが難しくなっている。次第に個々の人間は点のような存在になっていく。 絆、つながり、はては思いやりといった語が頻繁に飛び交い、そうしたことにまつわる動画、映像が、これでもかというくらいモニターに映し出されるようになった。それはそうした事情による自衛本能の反映、危機意識の反映でもあるだろうか。
 歴史が推進する人間社会の高度化、多様化は、防ぎようがないように思える。文明的なそれは、非可逆的だ。止まらない。
 にもかかわらず、この歴史の一方的な進化、発展に対して疑義を呈したり、あるいは自然からの逆襲のように災害が生じ、今日のような感染症が流行してこれを阻害する出来事がないわけではない。すなわち、我々の歴史は絶対の順風満帆ではないようなのだ。我々の社会はこうしたことを警告と受け取り、乗り越えるべく試行錯誤を繰り返す。
 安藤昌益が提示した、人みな『直耕』すべしという主張は、今は全く実現不可能な幼稚な考えと見なされるかもしれないが、ではそれ以上のことを誰が考え出したかと言えば、皆無に近いのだろうとぼくは思う。
 江戸時代にあって、一次産業が全産業に占める割合は七、八割くらいはあっただろうから、安藤の考えは時代的には妥当なものである。天皇とか幕府の長が一声あげれば可能だったかもしれない。むろんあり得ないことだが、平等社会を希求するところでは一考に値する考えではあった。『直耕』は、安藤にとっては平等を担保する義務であり、制度として設けられるべきものであった。これ以外の差異は成るように成ってよかったのである。
『直耕』は、そうした差異を打ち消すものとしても作用することを、安藤は信じていたに違いない。
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑩
              2020/04/17
 
 安藤昌益は、無知や無垢とかいう、いわゆる「頭」の働きがあまり活発ではない状態を見下すことがない。逆に、偉人や聖人、また釈迦に対して、言い過ぎじゃないのかと思うほど激しく批判の言葉を投げかけている。彼らの豊富な知識量、頭がよいとか、頭が切れるとか、人々を驚嘆させ、畏敬させるところの優れた知見全般に対して、きつく嫌悪してみせる。そういうものが、直接間接に権力に結びつくためだ。つまり人々の上に君臨し、人々を支配する手段を提供する元になるものだからに違いない。
 安藤は、『直耕』の概念を提示して、自然がひとりでに運行する中で生命をはぐくみ、あるいは動植物が自らによって自らの生命を維持する活動に従事しているように、人間もまた耕作して穀物を生産し、自らがそれを煮炊きして食する以外は残余のことと考える。つまり、樹木にたとえればそれが幹や根にあたり、ほかの活動は末節の枝葉のようなものとみる。『直耕』で表すところの、働いて飯を食う、それが生きることの基本中の基本で、根幹に位置する最も大事なことだという。これを人間の生涯から見れば、生まれ育ち、働いて婚姻し、子をもうけという過程を踏むが、その基盤を通底するものとして『直耕』、すなわち働いて飯を食う、飯を食って働く、そのことがあるとする。
 ここにはぼくの解釈が入り込んで、安藤の言葉そのものとは言えないが、『直耕』を現代社会に置き直したときに、今のところぼくはこれくらいにしか考えることができない。 ところで、安藤が生きた江戸時代、『直耕』の実践者といえば職業的に多数者の農民に他ならず、農民の生き方こそ根幹であり、理想とする生き方、価値ある生き方であると、安藤はそこまで踏み込んで言っているように思える。それはしかし、大多数の人間が穀物や野菜の生産に従事する農民であることから、当時にあって、いわば当たり前の、ごくふつうの生き方に他ならない。さらにいえば、ごくふつうの生き方こそ価値ある生き方であり、理想とする生き方だと安藤は考えていたのでもあろう。もちろんそこには漁民や山仕事に従事するもの達の生活も含まれている。今で言うところの、第一次産業の従事者達全般を指すものと考えてもいい。
 安藤昌益は、『直耕』に充足する生活を価値ある生き方であり理想と考えたが、実践者としての農民や漁民達といえども完璧に『直耕』に充足する生活をなしえたかというと、おそらくはそうではない。大小の違いはあれ、はみ出す部分、逸脱する部分が常にあったに違いない。人間とはまたそういう存在だからだ。感受性を持ち、また考えることをしてしまう。言い換えれば、『直耕』の中心から常にはじき出されてしまう。そして最も離れてしまったのが、聖人や釈迦といった面々であると安藤は考えていたと思われる。
 このように考えてみると、安藤昌益の考えは、吉本隆明が「大衆の現像」という言葉で提示した考え方によく似ていると思う。どちらも、歴史の主流はごく当たり前の生活、ふつうの生き方にあるのであって、偉人や聖人をはじめとして、歴史的に賞賛される所業の数々は『直耕』の単純さに耐え得ない逸脱からなるものととらえている。
 吉本や安藤の考え方は、それぞれの時代の社会的な常識からは理解しがたいものだったかもしれない。わずかに熱烈な賛同者があるばかりで、社会全体に浸透したとは言いがたい。それは現在にあってもそうであって、現実の人間社会はいつまでたっても覚醒しない。残念だがぼくはそう思う。そしてそれを阻害するものは何なのだろうか。
 ぼくは長い間このことを考えてきた。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑪
              2020/04/18
 
 子どもの頃、ラジオで相撲と野球の実況をよく聞いていた。2、3年もするとテレビが出回りはじめて、近所の家で観戦させてもらった。よき時代で、「テレビを見せてけらいん」(「テレビを見せてください」)と言いながら訪れると無条件に見せてもらえていた。初代若乃花。読売巨人軍の長島茂雄。子どもの頃のスーパースターだ。憧れた。自分もスーパースターになってみたいと夢見た。
 これは現在にあっても同じで、子どもはそういう存在に憧れ、そういう存在になってみたいと夢見る。
 小学生の頃は、柔らかなゴム製のボールと竹のバットで野球ごっこをした。中学になり、クラブ活動では軟式野球部に入った。そこでは自分の適性とか、実力とかが知れた。夢はすぐに覚めた。
 今日ではしかし、夢をあきらめるな、夢を持ち続ければ必ずかなう、などといろいろな場面で子どもそして若者を煽ることばが飛び交う。ぼくらの頃と比べると、子どもも若者達もそうしたことばに背を押されて、けなげにも努力を積み重ねて、いろいろな分野、領域で活躍したり、成功したりする事例も増えているようだ。「めでたしめでたし」と言えばよいかどうか。
 安藤昌益や吉本隆明がごくふつうの暮らし、生き方、そこに本当は価値があり、理想でもあるんだよと述べていることを思い出せば、こうしたことは逆行であり、価値ある生き方、理想の生き方からは遠ざかるのではないかと複雑な思いになる。
 子どもの憧れというものは、人間的な自然であり、本来もっている志向性のようなものだ。どうしてもよりよくという向上心、上昇志向性は人間から切り離すことはできない。だが、実際にはそれをやり通し、夢を叶えることのできるものは、おそらくはごくわずかであるに違いない。そしてそのわずかの範囲の中に入れたものが、「夢は努力すれば必ずかなう」と励ます。
 ここで成功しなかった側の代表者として、親鸞に登場してもらおう。
 親鸞は浄土真宗の祖となったひとだが、もちろん最初から祖であったわけではなく、はじめは誰もがそうであるような一介の修行僧であったに他ならない。
 当時の、常識的な僧としての修行、また課せられる戒律があったわけだが、後年、親鸞は、自分は修行を全うできなかったし戒律も破っちゃったよと公言している。どこまで本当かどうかわからないが、まあ当時の一般的な高僧達のようなあり方でなかったことは確かなようだ。またさらに後年、修行なんかするな、戒律なんか持たなくていいという趣旨を言っているわけで、最終的には仏教世界を信じるも信じないも、それぞれのひとの考え方次第ですと突き放している。
 イチローが、野球なんかやってもやらなくてもどっちだっていいよ、と言っているようなものだ。
 親鸞は厳しい修行や戒律を課す既存の宗派とは一線を画す宗派の祖とされた。それもまた彼の本意ではなかったかも知れないが、続くもの達があってそうなった。ごくふつうの生き方、暮らし方を肯定する宗派として、民衆のあいだに、親鸞の思うところとは別に広まっていった。皮肉である。
 いずれにせよ、親鸞も安藤昌益も吉本隆明も、平凡な人間の平凡な人生のあり方を肯定し、またそこに価値や理想の源泉を求めた。あるがまま、なるがままが一番いいのだと。これでしかし、凡夫の我々は首肯し、安堵し、心に安寧を持ち続けることができるであろうか。どうも、そうも行かないようなのだ。そしておそらくその時、彼らは異口同音に次のようなことばを言うに違いない。すなわち、「いいんです、それでいいんです。偉大な価値とは真逆と思えるそんな平凡な反応の中に、真の偉大さの正体があるんですよ。」というように。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑫
              2020/04/20
 
 安藤昌益の思想で最も注目されるのは『直耕』という概念だ。それは宇宙の運行、自然世界の営みをも含み、内在する始まりも終わりもないエネルギーの伝播が創出し、産出する運動自体、またその全体を指す。そのエネルギー運動は、破壊しながら新たなるものを生産して、螺旋状に繰り返す。
 地球世界で見れば、山を作り海を作り、あらゆる動植物などの生命を生みだしているそれは、人間が田畑を耕作する行い、運動、活動などの、はたらきをもって生みだすことと同じ意味合いをもっている。
 ひとは地を削り、耕して種をまき、それに太陽光、風、雨などの自然現象の内在エネルギーを相乗して穀物を生産する。ひとはそれを食して自らの個体維持を果たす。
 ひとの耕作は、自然の運行、動植物の生命活動の延長上にある、ひとに備わる本来的な活動と捉えられる。
 こうして、自然の行い、動植物の行い、人間の行いは『直耕』の概念の中で、同一線上に配置される。
 ところで、安藤昌益はこの『直耕』の概念の発明をもって何を目指しているかと言えば、人間社会における『平等』の基準であり、座標軸を持つことが眼目にあったのではないかと考えられる。
 安藤昌益は、「人間は平等でなければならぬ。何となれば云々」の、云々の部分を掘り下げていった。そこに『直耕』なる造語が現れた。『直耕』は由緒を持ち、そのことで平等もまた単なる夢想ではなく、本来的にそうでなければならないものとして捉えられるようになる。ひとは上下があってはならぬ。また卑賤、与え、与えられる関係を持つものではない等々。
 安藤はひとり考え、ひとり掘り下げた。既存の知の累積は、安藤の発見と何ら同調するところのないものばかりであった。そういうものだけが世にはびこっていた。そればかりかそうしたものの考えの背景、また源泉ともなる釈迦や聖人の教えは、不平等を逆に固定することに役立つものとなっている。いわゆる自らは汗して耕すことをせずに、学を積んでそれを教え伝達することによって、他人のあがりを頼りそれを貪り食う輩を輩出することに関与してきたのだ。安藤はそうしたものの全般、また為政者や聖人、釈迦までをひっくるめて不耕貪食の徒と呼び、蔑んだ。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑬
              2020/04/22
 
 安藤昌益は人間の歴史社会を『自然の世』と『法の世』とに区別している。簡単に言えば『未開社会』と『文明社会』くらいの区別になるだろうか。
 安藤は『自然の世』を、宇宙自然との調和のとれた、また均衡が保たれた社会と考えている。ある意味で理想とするところであり、逆に『法の世』とは私欲の蔓延る世であって、否定されなければならないと考えていた。そして、何度も何度も生まれ変わって、必ずや『自然の世』を再現させてみせるとまで言っていた。
 これはしかし、原始に帰れという主張とは少し違っている。また、当然のことながら帰れるわけもない。
 別の角度からこうした経緯を論じた人として、解剖学者の三木成夫をあげることができる。三木の場合は生物史からする考察だが、同様に、人類の脳が加速的に発達してもたらされた文明社会への移行の後の世に、危機感を表明するものであった。彼は、人体において動物性器官がしだいに植物性器官を浸食し、これを支配する過程が社会の変化を促す要因の一つであったとして捉え、また自然に調和した心情を精神が凌駕していくことでもあったとみる。頭の発達、精神の発達の結果がどうであったかといえば、現状の社会がそれを証明して見せている、と。
 安藤も三木も、自分の生きた当時の社会を見て、総じてそれを批判的また否定的なまなざしで見ている。
 言っていることは、過剰な知の発達が、自然と調和した人間社会に、不平等や戦乱や、支配、搾取などをもたらしたということだ。安藤も三木も、人類が誕生してしばらくはこんなにもひどい社会ではなかった、と考えていたように思う。『自然の世』、あるいは『先史時代』を一つの理想郷のように語るのはそういうことだ。
 生物学的な脳の発達、あるいはこれにともなっての知の発達は、止めようとして止まらない。
 吉本隆明は、安藤や三木と似たところを共同幻想の成立と発達の問題として考察した。言い換えると国家成立の以前と以後の問題として捉えたと言うことができる。
 そこでは共同幻想の解体と消滅が課題となり、結果として、不平等や戦乱や、支配、搾取のない、そして現代に形を変えた大集団に依拠しない、自立的な古代社会生活の浮上が夢想された。いや夢想するのはぼく自身であって、吉本本人ではない。何となくそんなところじゃないかなとぼくが思うだけだ。
 いずれにしても三者ともに、平等な社会、理想とする社会のイメージとして、その視線が古代に向けられていることはいかんともしがたい。ぼくは三人の世界観に共感してきた。だが本当にそれでいいのだろうか。
 仮に自己史になぞらえれば、古代は1歳から4、5歳にわたる幼児期であろうか。それ以後学童期や青年期、壮年期を経て、老年期に至る。たしかに、生涯を見渡すと自分が最も生き生きと輝いて活動したのは幼児期だったかも知れない気がする。以後は、中原中也の詩、「汚れっちまった悲しみに」を地で行く生涯であったというように。
 だが、そうであったにしても、自身としては、いつの時期にも一瞬一瞬に全力を傾けて走り抜けてきたと思わぬでもない。よりよい生き方、理想の生き方であろうとして走り続けてきた。すべては無駄だったのかと問えば、おそらくそうではない。なるほど老年になってからというもの、幼児期の子ども達の輝きは、いっそう輝かしく感じられる。そこに何があるのかは未だ定かではないが、幼児のきらきらした輝きを、すでに失ったものとみるばかりではなく、残りの生涯を照らす明かりのようなものとして活用しようとする自分がいることも同時に感じている。そんな貪欲さが、個人にも歴史にもあるのではないか。
 古代には戻れないし、ぼくらは幼児に戻れない。だが未来に向かって古代を見、幼児を見ることはできる。幻の、汚れっちまわない未来を、そこに見ているのだ。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑭
              2020/04/23
 
 現在の知識者たちは末裔に過ぎない。結局のところ善だの悪だのと言ってりゃ金になり、飯が食える。
 コロナ騒ぎの渦中に、内定が取り消された今春卒業の若者達への同情が集まった。地方自治体の中では役場への仮採用を行うところもあった。大学によっては在籍する学生に給付金を授けるところもあるようだ。
 学校が休校になって見えてきたのは、つまるところ、その必要性の第一は就職と関連があるということだ。よくわからないが中国の科挙制度の、これもまたなれの果てのように受け取れる。見渡すところ、70年代の教育改革運動の爪痕ひとつ、残ってはいない。
 それもこれも、あれもこれも、悪くない、悪くはないよ。みんな、末裔達が引き起こす悲喜劇の範疇なのだから。
 釈迦以上の釈迦も、キリスト以上のキリストも、あるいは孔子以上の孔子も現代には存在しない。もちろん神武以上の神武もだと付け加えてもよい。だとすれば、それぞれの初源に向かってそれを撃つしかないのではないか。
 安藤昌益が、当時の知識人や武士階級に直接的な批判を投げかけるよりも、伏羲や孔子や釈迦に向かって吠えたのは、遡って遡っての根源、乃至は社会の変化のターニングポイントで指揮棒を振ったのが彼らだと考えたからだ。また、そこに責任を負わせるほかにないと考えたからだと思う。つまり、後の世に多大な影響をもたらしたとみたからだ。
 安藤に倣って言えば、小さな伏羲、小さな釈迦、小さな孔子、あるいは小さな神武もキリストもあちこちに群れている。彼らは決まって自分を善だと思い、自分のする行いも発言も、すべからく社会のため、他者のために役立つものと思い込んでいる。だが、たいていそれは横向きに、あるいは平面的に現在を認識するところから錯覚するだけであって、そこに奥行きや深さというものがない。もちろん別になくてもかまわないし、誰からも問われる気遣いのない世だから結構なことだが、本当は誤射角を広げているだけだと疑ってかかるべきなのだ。一流大学の専門(バ)家たちの薄っぺらい警告談義を聞いていると、現在社会での胡座のかきかたが透けて見えて、思わずうそ寒さを感じる。
 今、コロナのせいで病院の医者と看護師とがクローズアップされて、その健闘ぶりが紹介され、彼らを支援する動きも紹介されている。ぼくは夜警という仕事なので、そんなときに、病院に詰める警備員や清掃員達の待遇、処遇はどうなっているかと思い巡らす。防護服やマスクなどは与えられているか。そういうところまで視線を下ろしての発言が少なすぎる。そういうところでは昌益が生きた時代と、それほど違いがないのではないかと思える。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑮
              2020/04/24
 
 安藤昌益は、男が耕作し、女が機を織る、それを基本的な家族のあり方として認めている。また、竈で穀物や野菜を煮炊きすることも基本的な生活様式として考えていた。
 そこからは、当時の農民の一般的な暮らしぶりがイメージとして浮かんでくる。
 衣食について、とりあえず家族分を自給自足的な形でまかなうことができたならば、それでよしとする。また生産や収穫に余剰ができたときにはそれを物々交換に回し、もって農民が魚を、漁民が米を得ることができるとしている。ただし、衣服なども含めて、過度に生活の豊かさを求めてはならないと戒めてもいる。つまり、私的な欲望、欲求を野放しにさせてはならないとする考えが昌益にはあった。どこかで、あるいは常に、自制の心を働かせねばならないというのだ。
 安藤はまた文字文化を嫌った。芸術や芸能の類いも、怠惰や欲心を促すものとしてだめなものだと言っている。
 安藤の言うところを総合し、また概略的に要約してみれば、自らが食するものを耕作し、自分たちが着る衣服を織り、もって家族の団欒に憩う、そうした生活ぶりが理想として提示されているように思える。
 現代の機械化された農業からは思いもつかない当時の米作りは肉体労働そのものであり、おそらくはそれだけで精一杯で、ほかに短歌や俳句を作ったり楽器を奏でたりといった余裕は持てないに違いない。逆に言えば、そういう文化面の発生や発達は肉体労働を要しない余裕のある層から生じ、またそうした層の中で発展していった。
 安藤は文字に対して否定的だったが、話し言葉まで否定しているわけではない。同じように芸術や芸能の類い、あるいは文化全般に対しても、ある発達段階のところまでは少しも否定的ではなかった。それが、家族また親族単位の自給自足的な生活から独立して分業化し、専門化していく過程で、それをすべて過剰として見なした。そんなふうな気がする。逆に言えば、安藤の考える根本的で基本的な生活様式に紐付けられている限りにおいては、何も否定の対象にはならないということだ。
 ここのところをどう考えたらよいか、ぼくは少し悩むところだ。安藤の考える理想の社会、あるべき社会をイメージしてみると、どうしても幾分か退屈でつまらない社会のように思えてしまう。また、個性が埋もれ、単色な社会が延々と続くようにイメージされてならない。みんながみんなそれが大事で価値ある生き方だと納得し、そこから逸れないことばかりに気を使って暮らすことを心がけたら、それはそれで寂しい世界ではないか。もちろん本当にそんな社会が到来すれば、その時はそれを寂しく思うこともないという事態になるのかも知れないけれども、ちょっと首をかしげざるを得ない。
 つまるところ、安藤昌益も三木成夫も、頭(脳)の発達により、私的欲望が頭上を跳梁する社会を招いたと言っているわけで、これをどう解決していくのかという問題を提示したのだと言えば言える。こんなことそう簡単に答えられないことは目に見えている。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑯
              2020/04/26
 
 安藤昌益についてはあまり言うこともなくなった。全集があり、解説があり、いくつかの評論もあって、その気になれば読むことも研究することもできる。ではそれをもう少し本腰を入れてやってみようか、となると、なかなかそういう気にはならない。
 安藤昌益は当時も今もあまり広く知られてはいない。明治の初め頃や戦後の一時期に、少しばかりブームになったくらいのようだ。
 江戸時代、青森の八戸藩の町医者として過ごしていたことが、当時の戸籍台帳から判明したと言われている。それ以前の過ごし方については残された記事が少なく、はっきりしていないようだ。ただ、著作を見ただけでもその知識は広範に及び、また医術をはじめとしていろいろなことをよく理解していた人だということはわかる。
 医術を学んだり、多くの書物を読んだりしたのだとすれば、若い時分は京都や江戸に住んだ経験もあるに違いないし、また多くの研究書はそのことを伝えてもいる。後年、師もなく弟子もないと述べていたことから推測すれば、その時の学びは一人する学びであったのでもあろうか。そしてそのほうが、合点がいく。現代で言えば、下宿に一人読書にふけってあまり他との交流もない学生生活で、研究室にたむろする学生のようではない。ちょっとした同好会的活動に参加するようなことはあったかも知れないが、のめり込んで活動したという痕跡も昌益には見当たらない。
 八戸に移り住んだ経緯も明らかではないが、いずれにしても、秋田県の大館市に生まれ、京都に出て八戸に移り住むまでのあいだに特筆に値する所業、功績等は何もなかったようだ。
 だが、安藤昌益の思想は、一夜にしてなったものとは言いがたい。言ってみれば、青年期から以後にかけて、巷間に埋もれるようにして、沈黙し、目立たぬようにその時期を送ってきた安藤昌益が、突如として『自然真営道』『統道真伝』を書き上げ、公開するまでに至ったのか、その経緯が謎的に立ちはだかる。
 一介の町人にすぎない町医者として身を処していた安藤は、もしも契機というものを持たなければ、静かにそのあり方を全うして死んでいったに違いないと思う。ぼくはそういうところに大きく興味をそそられる。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑰
              2020/04/28
 
 国家が機能しないとわたしたちの生活は維持できない。学校がないと学ぶことができない。病院がなくて医者がいないと病気や怪我を治せない。会社がないと働けない。ハローワークがないと仕事を探せない。車がないと出かけられない。電気や電化製品がないと生活が成り立たない、等々。
 よくよく考えてみると、わたしたちの生活は文明の累積の上に成り立っていて、もっと言うとそれらに依存しまくっている。あるいは胡座をかいていて、前述したような考えを当然とする場所へと、知らず、落とし込まれている。
 今日のコロナウイルスによる感染症の世界的な大流行で、わたしたちの世界がこんなにももろい形で欠陥を露呈するとは、少し前まで考えもしなかった。いや、お気楽に想像してみることはあっても、現実的にこのような形で突きつけられると、この実感に量り知れない重みが増す。
 一言で言えば、わたしたちがコロナ感染の流行を脅威と感ずるのは、全くの他律的・依存的形態の生活にどっぷりと身を浸けているせいで、その裏返しとしてのように、脅威と感じてしまうといっていい。つまり、それまでの他律的依存的な生活様式が失われてしまうのではないか、という恐怖にかられてのことだ。そう感ずることはしかし、非難されたり批判されたりすべきことではない。
 東日本大震災、そして原発事故のあと、一帯は壊滅的な打撃を受けた場所もあり、発達したあらゆる文明的機能もまた壊滅し、原始が露出した。わずかに残った住、食、衣だけを頼りに、個人が、家族が、反他律的に、ということは自分たちだけで、やれること又やるべきことを原始に寄せて為すほかなかった。そして細々とではあるが、目の前の現実への対処を繰り返す延長上に困難を乗り越えていったと言えば言える。
 わたしたちはその際に二つのことを考えることができた。一つは、文明史的な一切の機能が停止しても、わたしたちの生活は続くし、又続けられるということだ。一瞬ではあっても、原始や古代に近い生活はわたしたちにも可能であるということ。
 もう一つは、これは必ずしも現実化しなければならないということではないが、簡単に言って、学校、病院、鉄道、会社、等々の文明の発達から生みだされた組織、機能の無い世界を想定してみる必要があるということだ。わたしたちはそれらのどれ一つに対しても、直接的に関与せず、すべて他にゆだねてしまっている。悪く言うと、わたしたちは空っぽである。何一つつかみ取っておらず、分け与えられている。それは家畜やペットのようではないか。それではコロナのような危機的状況に直面した時に為す術を持たない。そればかりか不安、焦燥に駆られ、慌てふためき、パニックを助長する。
 東日本大震災と原発事故、そして今回のコロナ感染の世界的な大流行と、直接には人為によってもたらされたものとは言えないが、自然の環境に対する人間社会の営み、人間社会環境の過剰とも言える侵出が遠因かと思えば、ここに安藤昌益が提唱した『自然の世』、人間の自立生活、との接点が浮かび上がる。
 
人気(じんき)ノミニシテ活行スルコト能ハズ。転定ノ気行モ人気ノ感ヲ受ケザレバ行ナハレズ
 
転定ト人ト一和シテ直耕シ、活真妙道、尽極ス
 
 安藤昌益は、つまるところ、天地自然と人間社会とは相互に関係し合っていて、影響し合うものだとみている。それからすれば、私心から生じた『法の世』が進化発展するにつれ自然環境を悪化させるとして、今日のエコロジストに似た考えに発展する要素を内包するとも言える。こう言えばいささか拡大解釈過ぎるのかも知れないが、安藤は人間社会における不幸な出来事のすべてを、自然との乖離から計る尺度を用いて表す傾向があり、ここでの記述にも含まれている。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑱
              2020/04/29
 
 安藤昌益は『自然の世』から『法の世』へと移行した歴史を、『自然の世』へと引き戻すために何度でも生まれ変わってみせるんだと、どこかで述べている。
 歴史を逆行させることも、死んだ人間が生き返ることも今ではあり得ないことだとわかっている。昌益はしかし、そういう言い方で本当は何を言っているかといえば、自分の主張の正しさ、普遍性に自信があるということであり、あるいは実現に向かっての並々ならぬ情熱を吐露している、ということになるのであろう。それだけは、確からしく思われる。
 先にも見たように、安藤は系譜を持たない。それは、依拠する思想や後見人を持たぬことであり、お墨付きを持たずに、ただ自分の言葉と情熱だけを頼りに文を綴ったと想像してみることもできる。そういう意味では今日言うところの党派性とは無縁の、特異な、稀な思考者、思想者である。
 それは著作の漢字表記のオリジナリティーを見ても明らかで、「転定」と書いて「てんち」と読ませ、意味的には「天地」、あるいは「天と海」を表すと考えられている。これは造語と言っていいのだろうが、これによって従来なら「天地」ですますイメージや概念の位相や次元をずらすことができている。旧来の、手垢まみれのイメージや概念と同じに見られたくない、そういうところから脱却して物言いをしたい、そんな欲求からの具現化をはたすための造語や読み替えであったろう。それは著作全般にわたっていて、読みにくさ、分かりにくさを生じてもいる。逆に言うと、それだけ執心しているということであり、かなりの拘りがあったということでもある。自然真営道の中の「私制字書巻」では、従来の漢字表記を別ざまに作り替えることを執拗に繰り返していて、一読してこんなことをする安藤の気が知れないと思い、とても読み進む気になれなかった。現代語訳した人の他に、これをまともに読み終えた人は一人でもいるだろうかと訝しく感じもした。知見狭くして、ここをまともに論じた文章は目にしたことがない。又、安藤以外にこんな暴挙(?)を企てた人がいると聞いたこともない。安藤はおかしな人なのである。それだけにしかし、安藤にとっては、どうしても書き示しておかなければならなかったということでもあったのであろう。それをすっ飛ばして、封建制度の批判だとか、平等論だとか、農本主義、日本型エコロジストのはじまりなど論じても、我田引水になりがちになることを免れない。そう思うのだが、それを読み通すのはいつのことになるのやら、これまた見当がつかないでいる。今のところ、その情熱がない。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑲
              2020/04/30
 
 いまごろ安藤昌益を持ち出して、読み、又読解みたいなことをしてどうする。特異な思想者という以外、取り立てて今日に問題とするべき点など無いじゃないか。そこそこに知識もあり、問題意識も深いものが見られるものの、誤字、脱字、誤認なども随所に散乱して見え、その水準は一貫しているとは見えず、第一級の思想家のものと呼ぶには差し控えられる。仏書、儒学書など、すべて原典にあたって研究しての言及なのかも疑問に思える。町医者風情が閑に任せて、一般にもたやすく手にできる書物を読みあさり、故意に激情を交えて脚色した批判、否定の文章を書き綴って世を驚かす、そんな意図でもって書かれたにすぎないのではないか。目の付け所はよい。すげえなあと思わせるところもある。だが、そこから先の発展性のようなもの、いわゆる拡張性が安藤の思想にはない。となれば、継続的に継承されていく道筋というものも、ちょっと見つからないということになるかと思う。
 つまり、「安藤昌益全集」というものもでているし、そこそこの評や研究書の類いもあるし、それでいいじゃないか思える。あとは学者、研究者、愛好者に任せておけばいい話だ。まったくその通りといえばその通りで、たとえば、安藤を語るときのキーワードと言える『直耕』など、今日ではまったく通用しないだろう。当時の社会は農業、漁業、林業だの、第一次産業の従事者が八割を超えていたとみられ、田畑の耕作は広く一般的なものであった。現在ではこれがほんの数パーセントとなり、第三次産業が約七割を占めるようになった。つまり、今ではごくふつうの暮らしといえば第三次産業の従事者の家庭を中心に考えなければならない。もちろんそれとても、実際には多様化していて、一口にこんな暮らしぶりと言い切ってしまえない。
 時代は昌益の思念、著述など歯牙にもかけず進んできた。そしてそのスピードは加速するばかりで、今や情報網、交通網の発達によりグローバル化した世界だ。鎖国政策をとった江戸時代には純粋に国内問題として考えられても、現在ではそれではすまないという面も多々あるということだ。
 さて、以上のようなことも考えつつ、なお安藤昌益が気にかかるという面を、自分の中から少しずつ引き出して行ってみよう。
 安藤の『自然の世』を大ざっぱに国家以前と考えてみる。そうすると『法の世』は、当然国家成立以後のこととなる。そこで国家の定義ということになるが、我々はこれを氏族共同体から部族共同体へ移行した時点と見なしている。具体的にいえば、何らかの理由で氏族共同体が二つ以上合わさった時を部族共同体の成立と見て、これを国家成立の起源と考えるのである。ある時代、こうした部族国家が各処に成立するようになり、またこれらが離合集散しつつやがて統一部族国家を形成するようになる。そして、ある特定の領域全体を覆う統一が図られたときに、歴史を通して我々の知るところの国家がそこに現れる。その要件の一つを簡単に言えば、その共同体の総意とは関わりなく、治者周辺の恣意による、完全に独立した強大な軍隊が治者によって組織されることである。これにもう一つ加えれば、それは法の整備であり、ここに文字の出現ないしは加担というものも出てくるのである。
 ここに語ってきたことに少しは関係のありそうな記述として、次に安藤昌益の言葉をあげてみる。前段は国家以前である『自然の世』であり、後段は国家成立後の『法の世』の有様である。
 
 転定ハ一体ニシテ上無ク下無ク、統ベテ互性ニシテ二別無シ。故ニ男女ニシテ一人、上無ク下無ク、統ベテ互性ニシテ二別無ク、一般・直耕、一行・一情ナリ。是レガ自然活真人ノ世ニシテ、盗乱・迷争ノ名無ク、真侭・安平ナリ。
 然ルニ聖人出デテ、耕サズシテ只居テ、転道・人道ノ直耕ヲ盗ミテ貪リ食ヒ、私法ヲ立テ税斂ヲ責メ取リ、宮殿・楼格台、美珍味ノ食、綾羅・錦繍ノ衣、美宦女、遊楽、無益ノ慰侈、栄花言フ計リ無シ。王民・上下、五倫・四民ノ法ヲ立テ、賞罰ノ政法ヲ立テ、己レハ上ニ在リテ此ノ侈威ヲ為シ、故ニ下ト為テ之レヲ羨ム。且ツ、金銀通用、之レヲ始メ、金銀多ク有ルヲ、上貴キト為シ、少ナク、無キヲ下賎シキト無シ、凡テ善悪・二品、二別ヲ制ス。是レヨリ下タル者、上ヲ羨ムコト骨髄ニ徹シ、己レモ上ニ立チ、栄花ヲ為サント思謀ヲ慮リ、乱ヲ起シ、命限リニ合戦シ、上ヲ亡ボシ、己レ上ニ立チテ栄侈ヲ為スコト又倍ス。之レヲ羨ミテ乱ヲ起ス者又出デテ、戦ヒ勝チテ上ヲ亡ボシ、己レ上ニ立チ、奢欲ヲ為スコト又倍ス。是ノ如クシテ、転真ノ転下ヲ、或イハ盗ミ、或イハ盗マレ、欲欲・盗盗・乱乱トシテ止ムコト無シ。
(取り急ぎインターネットにあるものをコピーした。文の大意、また引用の大意も何となくわかるかと思う。今はそれでよい。)
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」⑳
              2020/05/04
 
 安藤昌益は、弱肉強食の動物世界を忌避すべきものとしては見なしていない。かえって遠くから憧憬のまなざしで見ていたようにさえ思える。
 人の目で見る動物世界は、無秩序であり、食うや食わずの戦いに明け暮れている殺伐とした世界、冷酷非情な世界とも映る。しかし、一歩退いてこれを自然界の視線で見直すならば、それら混沌の動物世界にも、ある秩序のあることが理解される。一言で言ってしまえば、いずれもが自然の掟に従っているということであり、しかもそれらはすべて自律、独行の営みであることだ。それは植物世界においてもそうであって、全体として調和のとれた世界が構成されていると見た。
 その限りにおいて、先史の人間の世界に起こるもめ事、諍い、盗み、傷害、乱闘、決闘のようなものまで、そういうことは自然界にも起こりうることなんだよと見て、まったく問題視していなかったように思われる。
 たとえば動物社会においての個的な、あるいは集団的な縄張り争いというようなこと。これは一時的な出来事であり、決着すればそれに従って平穏や調和が再び保たれる。つまり人間界の争いごとであっても、そうした一時的な紛糾というものはいくらも起こりうることで、それは、善いとか悪いとかという問題に置き換えちゃいけないんだと考えていたように思う。言葉を換えれば、自然界レベルのことは、自然界の内部で解消されるべきということだと思う。
 自然界に起こる様々な出来事に、逐一ああだこうだと言ってみても仕方が無い。そういうものであり、それは変えることができないものだからだ。だから、我々としては、そういうものだと認めるしかない。いや、認める認めないもなく、嵐があれば晴天の日もあるというように、苦があれば楽もある。昌益流に言えば苦と楽とで一つ。それがまた自然ということでもあろう。そして、安藤が『自然の世』という時の『自然の世』には、こうした自然の側面が含まれて考えられていたに違いないと思われる。
 安藤昌益が言う『自然の世』は、けして天国や極楽といった意味合いの理想郷ではない。もっと現実的で素っ気ない、極論すれば、うんと退屈な社会かも知れない。
 ここで角度を変えて、安藤の言う『自然の世』を共同体の規模で考えてみると、はじめに血縁、地縁、友情など自然発生的に結びついた、比較的小規模の共同体、集団が考えられる。この自然発生的に形成された規模の小さな社会集団は、初期の共同体として長く続いたものと思われる。これが利害を共有する地域共同体へと発展していく過程において、血縁的には家族、親族、氏族へと広がりが見られるようになる。氏族は血縁でもあり地縁でもあるように、血縁的な結びつきは薄まりつつ、遠くまで広汎に延びたものだ。
 安藤の考える『自然の世』とは、共同体の大きさや広がりで言えば、この氏族共同体、氏族社会あたりまでかなと考えられる。これは時代で言えば弥生の前期、中期までというところだろうか。その頃まで、国家形成以前の血縁、地縁、あるいは親和的結びつきによる共同体は日本全土に数多く点在していたと見られる。こうした諸々の氏族共同体は後に利害を基礎とした結合、あるいは抗争による吸収合併のような形で部族社会、部族共同体を形成するに至る。こうなればもはや初期古代国家と呼べる形態を、内外に保持するようになると考えられる。
 一言で言えば、日本全土のあちこちに棲み分けて散在した小集団群が、結合、分散を繰り返しながらも徐々に大集団化していった過程が想像できる。近代国家は、ある意味からすれば歴史的な変遷を経てきた、大規模化した共同体の最終形態と言える。
 もちろん、安藤昌益はすでに、近世日本の国のあり方を『法の世』として過激に否定して見せた。共同体規模で言えば、部族化する以前の、地域に限定された自然発生的な共同体の規模までの方がよいと考えたのである。そして、『自然の世』に戻すまでに何度でも生まれて来ると執着を示した。
 結論から言うと、国家とか国とかと称するものは、けして揺るぎない唯一無二のものではない。それは歴史的にも、あるいは同時世界的に見ても、離合集散があり、枠組みは流動的である。
 ヨーロッパでは国家共同体を超えて欧州共同体(超国家)が発足したかと思えば、英国が離脱したりしている。また旧ソ連から独立した国家の中には、さらにまた規模を小さくするような一部地域の独立が見られる。
 日本においても、少し前には道州制が話題になり、地方への権限委譲が取りざたされた。いずれも現行の国家あるいは国家内制度が、無謬で、完璧に完全な最終形態ではないことを物語っているように思われる。
 ほんとうはここから、現行の国家はより堅固なものへと組織していくべきものなのか、消滅させた方がよいものかどうかなどへ発展させて考えたいところだが、時間を費やしすぎたので、潔くここで中断する。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」?
              2020/05/06
 
 安藤昌益は『自然の世』を理想として、当時『法の世』であるところの幕藩体制を『自然の世』に変えたいと願った。
 当然のことながら、一気に原始の生活に戻ることも、社会構造や組織を無くしてしまうことも不可能である。
 前回見たように、ある一定サイズに達した国家が自らを変えていく時に、歴史的かつ一般的傾向として、それまで以上の規模に膨らもうとするものだ。より大きくというように。現在ではしかし、これとは逆に、それまでの規模を解体し、それぞれに縮小した国家を形成する傾向も見られるようになった。
 興味深いことに、安藤昌益が『法の世』から『自然の世』にどのように変えるかという時に提案した方法は、規模の大小とは関わりないものであった。
 
 若シ上ニ活真ノ妙道ニ達スル正人有リテ、之レヲ改ムル則ハ、今日ニモ直耕・一般、活真ノ世ト成ルベシ。然レドモ上ニ正人無クンバ、如何トモ為ルコト能ハズ。盗乱ノ絶ユルコト無キ世ヲ患ヒバ、上下盗乱ノ世ニ在リテ、自然活真ノ世ニ達スル法有リ。止ムコトヲ得ズ、左ノ如シ。
 △失リヲ以テ失リヲ止ムル法有リ。失リノ上下二別ヲ以テ、上下二別ニ非ザル法有リ。似タル所ヲ以テ之レヲ立ツルニ、暫ク転定ヲ仮リテ之レヲ謂フ則ハ、転定ニ二別無ク、男女ニ二別無ケレドモ、私法ヲ為シテ、転、高ク貴ク、定、卑ク賎シク、男、高ク貴ク、女、卑ク賎ク、高卑・貴賎ニシテ一体ナリ。之レニ法リテ上下ノ法ヲ立ツル則ハ、今ノ世ニシテ自然活真ノ世ニ似テ違ハズ。
 
 安藤昌益がここで言っていることは、統治と被統治、富者と貧者、あるいは権力、地位等々の面での上下関係が今現在に実際にあるとしても、これをそのままで、しかし無効にしてしまうことは出来るんだよ、と、こういうことなんだろうと思う。
 
○上、臣族多カランコトヲ欲スルハ、乱ヲ恐ルル故ナリ。故ニ臣族ノ多カランコトヲ止メテ、只乱無カランコトヲ専ラニスベシ。上ニ美食・美衣・遊慰・侈賁無ク、無益ノ臣族無ク、上ノ領田ヲ決メ、之レヲ耕サシメ、上ノ一族、之レヲ以テ食衣足ルトスベシ。諸侯、之レニ順ジテ国主ノ領田ヲ決メ、之レヲ以テ国主ノ一族、食衣足ンヌベシ。万国凡テ是ノ如クシテ、下、衆人ハ一般直耕スベシ。凡テ諸国ヲ上ノ地ト為シ、下、諸侯ノ地ト為サズ。是レ若シ諸侯、己レガ領田ノ耕道怠ラバ、国主ヲ離スベキ法ト為ス。若シ諸侯ノ内ニ、迷欲シテ乱ヲ起シ上ヲ責メ取ルトモ、決マレル領田ノ外、金銀・美女無シ。故ニ、上ニ立ツコトヲ望ム侯、絶無ナリ。税斂ノ法、立テザル故ニ、下、侯・民ヲ掠メ取ルコト無ク、下、上ニ諂フコト無シ。上下在リテ二別無シ。
 
 今現在に行われている私法、平たく言えば私的で恣意的な規則、その上にちょっとした規則を付け足すだけで無効化が果たされることを、具体例を示して述べている。
 引用部のはじめでは、殿様(上に立つ者)が多くの家来を持ちたいと思うのは反乱を怖がるからで、反乱がないようにとだけ考えれば家来なんか少なくてすむと言っている。簡単に言うならば、家臣の数を減らせと言っている。つまりそういう法を付け足せ、と。
 さらに、上の者が贅沢をせず、養うべき家来も数少なくして、己の身内の衣食が足るだけの領地を決めてこれを耕すように取り決めればよいとしている。つまり、上に立つ者であっても一族の食衣は一定の領田だけでまかない、ほかに金銀や資財、妾のような者も持たないという取り決めを立てよという。もちろん、年貢の取り立てみたいなこともやめれば、家来や役人がどうかしてその一部を自分のものにするというようなこともなくなる。それはトップに立つ者にとっても余計な蓄えがなくなるわけだから、誰もトップに立とうとする者はいなくなることを意味する。
 まあ、およそこういう具合に安藤の説は展開していき、『法の世』にありながら『自然の世』のごとき社会を現前に浮かび上がらすべく、これ以降も尽くされていく。
 ここまでのところで思うことは、絶大な権力を保持すると誰もが思う「上」(トップ=上に立つ者)の、羽をもぎり取られた姿だ。そして、個人的には上の家族、一族の、人数分に見合った領田のほか、余分な私有地を認めない取り決めというものに大きく興味を抱かされる。さらに生活の一切は、自分たちの領田で自分たち自身が耕作してまかなわなければならないとすると、上に立つことのメリットが全くないに等しいわけで、これでは国を切り盛りする重責だけが重くのしかかるだけで、誰も手を上げて成りたがるものなどいないさと思ってしまう。それは当然安藤の意図するところで、ふと、ここまで来ると吉本隆明の「当番制」に色合いが似てくるなあ、という気がしてきた。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」?
              2020/05/08
 
 安藤昌益の「失リヲ以テ失リヲ止ムル法」とは、私制(私法)をもって私制(私法)を止める方法のことであった。
 安藤の言う私制(私法)とは、ほんとうは統治者、権力者の私的な作り事にすぎない制度や法を、「公」と見せかけて誑かしていることを指しての言葉で、見せかけの「公法」はもともと「私法」から発したという意味で使われている。
 当時、「公」と言えば、疑いも無く天皇家や徳川家を指すものであったろうが、安藤はそれを認めていない。天皇家も徳川家も元々は「私」であって、我が物顔で人々の上に君臨するのは、自分を「天」に見せかけようとしているのだと考える。つまり、「公」でも「天」でもないのに、それらしく擬態する、頭がおかしな奴らだと。もちろん具体的に天皇家や徳川家の名をあげてはいなかったようだが、そういうことだったろうと思う。
 ある集団というものは、明文化されようがされまいが、内部にある取り決めを抱える。つまりある規則のようなものを作る。ある規模の大きさまでは、内部で決まり事を作るのに全員の参加が可能である。しかし、集団が大きくなるにつれて、全員が参加しての取り決めは難しくなって行く。そして規模がある一定以上になると、今度は内部の小集団ごとに代表者を決め、合議によって取り決めが決定されるようになる。さらに規模が大きくなると、個々の下部集団とはまったく別に、独立的な政策集団のような形が出来て、そこですべての規則を拵えるような形に変わっていく。こうなってくると、共同体の構成員全体の意向、もっと言えば一般の構成員達の考えは反映されなくなり、逆に願うところとは別のきびしい掟のようなものが前面に押し出され、断ち切れないつながりや強度の束縛となって構成員に下達されてくる。
 以上のことは、現在の議会制民主主義国家の日本においても当てはまるもので、政府機関および官僚組織は本質のところでは統治を念頭に置き、個々の生活者の思いや願いに寄り添う政治を行えていない。それは、「公」の体裁を取りながら、本質は「私」を実践しているに過ぎないといえる。
 安藤は、極論すれば、人間の作る高強度の公法が真に「公」とは言えず、「私」なるものであるからすべてぶっ壊した方がいいと考えている。士農工商などの枠組み。租税の法。あるいは上下、高貴卑賤、男尊女卑等々。
 ただ、それを為すのもまた私法に過ぎないことを安藤はよく知っていた。それが「失リヲ以テ失リヲ止ムル法」によく表れている。あやまりを止め、なくすのもまたあやまりによってしか為し得ないというようにだ。だが、「法世」でありながら「自然の世」であるかのような世を現出させる「私法」であれば、肯定してよいと安藤は考えていた。端的に言えば、それは「上」の権力、高貴卑賤、貧富などの二別の別、それらの無効化、無力化を果たす内容を含んでいればよかった。
 このように考えてくると、あらためて、安藤昌益の、平等実現への徹底した思いの深さが感じられてくる。
 
 
気にかかる思想者「安藤昌益」?
              2020/05/09
 
 安藤昌益が考えたような平等思想が、どうして歴史には時折出現するのか。あるいは逆に、なぜ、ほんの時たまにしかそれは出現しないのか。
 いや、社会の不平等を厭う心情はいつの世にもあり、そして平等を希求する願いはいつも切なるものとしてあり続けているのだが、では、平等とは何か、それはいかようにして果たされるかについて持続的根源的に考え続けること、また社会が自身の課題として実現化に総力を挙げて取り組むことは、想像以上に困難を伴うもののようだ。
 現代の知は、たとえそれが子どもという立場においてさえ、差別や格差、貴賤の別はあるべきではないことを理解している。この、頭で理解できていることを、今日の先端科学、高度情報化、等を擁する文明社会は、少しも実現し切れていない。
 阻害するものは何か。結論から言えば、それはきみであり、わたしだ。つまり人間だということになる。
 ここまで考えると、もしかすると、不平等をなくそうと考えることの方が、頭の変なやつが考えること、ということになるのではないか。社会は擬似的には受け入れているように取り繕っているが、ほんとうには受け入れていないんだから、そういうことになるのかも知れない。
 現代では、小学校段階でも平等の理念は学習する。そして少しずつ社会も平等を実現する方向に変わってきていると教えられる。でも就職という形で社会の構成員として組み込まれてみると、誰の目にもかなりの不平等は露見する。反対の意を持ちながら、やがては差し迫った業務や生活に追われ、意志は背後に退いて行ってしまう。また、自己の意志とは関わりなく、意識的あるいは無意識的に、自分が不平等を体現していってしまうことになる。上には忖度を為し、下には傲慢を貫くなどなど。
 しかし、安藤昌益を通して平等について考えるというのは、社会の内側に生まれる自然発生的な不平等についてではなく、主に国家の成立とともに出来上がった上下の関係、これを根源として発生する不平等を考えたいのだ。
 安藤の論もまた、そのことを中心とした記述がなされている。そしてその不平等は、本来的には国家の消滅無くしては達成し得ない。
 もちろん安藤も論じたように、制度はそのままに、『自然の世』の平等を実現することは、話としては可能だ。つまり、国家は存続されても、あって無きがごとくにすればよいという話になる。安藤の著述での指摘はよく考えられたものだが、現在から見れば遙か古典的な思考と言うほかはない。だが、とても希少で貴重な思考であることも間違いない。 様々な個人的な思いつきを交錯させながらの記述だけに、今回も相当ぶれたものになったが、もうしばらくこういうスタイルを続ける。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる
              2020/05/14
 
 「安藤昌益全集」が農山村文化協会という社団法人から刊行されている。
 第一巻は、稿本「自然真営道」のうちの『大序巻』と『真道哲論』とからなっている。『大序巻は』最晩年の作といわれ、「自然真営道」の冒頭に総論のような形で書かれている。
 はじめてこれを読んだ時に、書き下し文と現代語訳とが上下に分けて表示されていたが、現代語訳だけで読んだ。それでもあまりぴんとこなかった。江戸時代までの日本語で、自然とは何かを解説しようとすると、一例ではあるが、こんなことになるのかと思った。
 
▲自然トハ互性妙道ノ号ナリ。互性トハ何ゾ。曰ク、無始無終ナル土活真ノ自行、小大ニ進退スルナリ。小進木・大進火・小退金・大退水ノ四行ナリ。自リ進退シテ八気互性ナリ。
 
 引用は書き下し文だが、明治以前の日本で学問的な著述をなすとすれば、こういうことになっていた。
 これは、現代の日本の教育を受けたものにとって、とても理解しづらく、わかりにくいものだ。
 互性、妙道、土活真、小進木、大進火、小退金、大退水、四行、八気、いちいちこれ何?と問い返したくなる。
 同時代人はこれを理解し得たのか。漢文の素養があれば、一応のところは読み取れたかも知れない。しかし今のわたしたちにはまったくなじめない。日本人の使用する言語としてはさして変わらないのに、概念、意味、用法などに著しい断層、断絶を感じる。
 しかし、それはさておき、この書き下し文では、「自然」とは何かと問い、それに答える記述がなされているようだとは理解できる。理解できる範囲でいえば、自然とは「互性妙道」のことだと結論づけられている。これだけでは伝わらないと見て、著者は次に、「互性妙道」という語のうちの「互性」について解説する。現代語訳では、次のように書かれている。
 
では「互性」とは何か。言ってみれば、「土活真」という根源的物質の始めも終わりもない永遠の自己運動であり、あるいは小さくあるいは大きく進んだり退いたりすることである。土活真が小さく進めば「木」、大きく進めば「火」、小さく退けば「金」、大きく退けば「水」の四行となる。この四行がまたそれぞれ進んだり退いたりして「八気」となり、互いに依存し対立する関係となる。
 
 ヨーロッパ発の科学、学問など知り得ない時代のひとりの日本人が、自然について精一杯考え抜いて記述した文章、しかもそれを現代人に理解できるように訳してこれだ。
 現代教育を受けてきたものにとって、「土活真」にそのまま置き換える語彙はない。けれどもイメージとしてだけ見れば、粒子エネルギーのようなものをイメージしているのかとも考えられる。それを名付けるに、当時では、そして安藤昌益においては「土活真」の語をもってくるほかになかった。それだけのことだ。
 安藤昌益の視線は、本質という見えないものに向かっていて、それは現代の我々の視線と軌を一にするものかも知れない。それが安藤の著述を稚拙と笑えない理由だ。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる②
              2020/05/16
 
 物事を原理的に考えようとすると、哲学的に考えるところから始まるような気がする。そしてまた根本のところから考えようとするならば、自然を対象に、 あるいは自然そのものや、自然と人間との関係を対象として考える傾向が、先人達の思索には見られるように思う。たとえばマルクスにも自然哲学的思索があり、そ こから疎外概念が抽出される。これはマルクスの論考の基底に位置する概念の一つになっていて、とても重要なものだ。
 安藤昌益が「自然真営道」という大著で、「自然」の文字を題の一部とし、冒頭『大序巻』で書名の由来として自然論を述べる件は、上記の事情から推察す れば当然のごとくに思える。
 
木ハ始メヲ主リテ、其ノ性ハ水ナリ。水ハ終リヲ主リテ、其ノ性ハ木ナリ。 故ニ木ハ始メニモ非ズ、水ハ終リニモ非ズ、無始無終ナリ。火ハ動始ヲ主リテ、其ノ性ハ収終シ、金ハ収終ヲ主リテ、其ノ性ハ動始ス。故ニ無始無終ナリ。是レガ妙 道ナリ。妙ハ互性ナリ、道ハ互性ノ感ナリ。是レガ土活真ノ自行ニシテ、不教・不習、不増・不減ニ自リ然ルナリ。故ニ是レヲ自然ト謂フ。
 
 前回の引用部では、自然とは「互性・妙道」の呼び名であり、「互性」とは「土活真」という根源的物質が、互いに有機的に依存、対立しながら「四行」 「八気」に進退する自己運動のことだと述べていた。
 ここに引用するのはすぐあとの記述部分で、「妙道」が「土活真」の「四行」「八気」の運動の、永遠性、機能性、法則性を指す言葉と述べられている。
 そして、こうしたことが「土活真」という根源的物質の自己運動であり、それが、教わらず、習わず、増えもせず、減りもしないで「自(ひと)」り「然 (す)」るので、その運動全体(互性妙道)を「自然」と呼ぶと安藤は述べている。
 いささか強引な要約かも知れないが、ここまでのところはおよそこれくらいに解釈しておきたいと思う。その上で、もう少し安藤の自然観に近づいてみよう。
 終わりから見てみると、要するに安藤は、「自(ひと)」り「然(す)」るから「自然」と謂うと述べている。何が「自(ひと)」り「然(す)」るのかというと、それは「土活真」の自己運動であり、引用の元となる全集の解説ではこの「土活真」が根源的物質、あるいは万物の元基である根源的物質のこと、とされている。万物の元基である根源的物質の自己運動。「自然」とは、本質的にはそのことを言うんだと安藤は言っているように思う。
 「土活真」という言葉にはなじめないが、これをエネルギー体のようにイメージすれば、「土活真」というエネルギー体が自己運動することで形成され、また現れた世界の総体を「自然」と呼ぶということになり、これならば少し身近に感じることが出来る。エネルギー体は姿形を変え、合体したり分散したりし、気体や固体や液体になり、温度、匂い、味覚も生成する。また生命を生みだす元として、地球上に動植物を出現させ、あるいは宇宙、星座、あらゆるものの生成の元基となる。
 この万能であるエネルギー体の「土活真」が、始まりも終わりもなく次々と進退して万物を生成し、形成する一切を総称して「自然」と呼ぶならば、「宇宙」全体がまた「自然」の別名に他ならない。
 安藤は宇宙全体がエネルギー体である「土活真」が、進んだり退いたり、あるいは自在に変形し、変容する過程で生成するものとした。そしてそれは、エネルギー体そのものの性質によるもので、永遠の自己運動の過程でそうなり、またそうなると考えた。おおざっぱではあるが、単純明快で、西洋の自然科学、自然哲学など無かった時代に、よく考え抜かれた自然についての記述、分析であると思う。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる③
              2020/05/17
 
 人間の目の前に現れる事物、事象、水陸に生き死にを繰り返すありとあらゆる生き物たち。それらはすべて「土活真」という根源的物質の、始まりも終わりもない永遠の自己運動が進退して生成したものだと安藤昌益は考える。
 科学が高度に発達したヨーロッパの風土では、現在でもしばしば万物の創造主は神だという言説がなされるところからいえば、安藤の考えはアジア的で、自然が生みだしたものだという考えに近い。これは優劣の問題ではなく、地域的な違いというほかにない。どちらにしても(科学の立場からも)完全に解明できているわけではなく、そうである以上完璧に異説を否定することは出来ない。
 とにかく安藤昌益は自説を展開するために、根源的、初源的なところへと遡って考察した。安藤は学者でも研究者でもなく、青森は八戸在中の一介の町医者に過ぎない。江戸や京都には儒学者がおり、分派した朱子学、陽明学、国学、あるいは古学などの学者、研究者もいたに違いないが、そういう世界とは断絶して、自分の考えたいことだけを自分の体験、経験、そして感覚だけを頼りに深く掘り下げた。安藤の、今で言えば知識者への痛烈な批判に根拠を持たせるためには、原理的なところに遡っての思索、検証が必要とされたに違いない。これは学一般に対して、相当な深さまで自分を落とし込まなければ、つまり引きこもって考え抜かなければ為し得ないはずだ。その意味で、安藤昌益は学者、研究者ではなく、思想者、思索者と呼ばれなければならないと思う。その思想は孤立する故に異彩を放つ。
 少し脇道に逸れたかも知れない。急がず、次の文面を読んでいこう。
 
 活(かつ)真(しん)トハ、土(ど)ハ転(てん)定(ち)ノ央(おう)ニシテ、土(ど)真(しん)ハ転(てん)ノ央(おう)宮(きゆう)ニ活(かつ)活(かつ)然(ぜん)トシテ無始無終、常(つね)ニ感(かん)行(こう)シテ止(し)死(し)ヲ知ラズ。其ノ居(きよ)ハ不去(ふきよ)・不加(ふか)ニシテ、其ノ自行ハ微(び)止(し)スルコト無シ。活然タル故ナリ。常ニ進ンデ木火ノ進(しん)気(き)、金水ノ退(たい)気(き)ヲ性(せい)トシテ転(てん)。常ニ退キテ金水ノ退気、木火ノ進気ヲ性トシテ定(ち)。転(てん)定(ち)ノ央(おう)、土(ど)体(たい)タリ。進気ノ精凝(せいぎよう)ハ日(び)ニシテ、内(うち)ニ月(づき)ヲ備(そな)ヒテ転(てん)神(しん)、退気ノ精凝ハ月ニシテ、内ニ日ヲ備ヒテ定(ち)霊(れい)、日月互性、昼夜互性ナリ。
 金気、八気互性ヲ備ヒテ八(はつ)星(せい)転(てん)・八(はつ)方(ぽう)星(せい)、日月ニ気和シテ転ニ回(まわ)リ、降(くだ)リテ定ヲ運(はこ)ビ、八気、互性ヲ備ヒテ、進気ハ四隅(しぐう)、退気ハ四方ニシテ、四(しい)時(じ)・八(はつ)節(せつ)、転ニ升(のぼ)リ、升降(しようこう)、央(おう)土(ど)ニ和合シテ通(つう)・横(おう)・逆(ぎやく)ヲ決シ、穀(こく)・男(だん)女(じよ)・四(し)類(るい)・草木(そうもく)、生(せい)生(せい)ス。是レ活真、無始無終ノ直耕(ちよつこう)ナリ。故ニ転定、回(かい)・日(じつ)・星(せい)・月(げつ)、八転・八方、通横逆ニ運回スル転定ハ、土活真ノ全体ナリ。
 
 全集の書き下し文の通りにふりがなを振っていたら、結構な時間が経過した。
 「直耕」の文字が出てきて、さてこれからと言う時かもしれないが、ここは自重、自粛して次回に持ち越すことにする。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる④
              2020/05/18
 
 前回の引用の前半部では「転定」の言葉が出てくるが、これは「てんち」と読み、現代語訳では「天と海」になる。「てんち」だから「天地」かと思うがそうではない。「土ハ転定ノ央」というのは、だから、天と海の中央に大地があるという意味になる。ここでは、細かいことを抜きにすれば、天と海と大地、それから太陽(日)と月の成り立ちや関係性が述べられている。
 それからまた「進気」「退気」の文字が初めて出てきて、進退を繰り返す「土活真」には「気」がつきまとうことが示される。この「気」という言葉は現在ではポピュラーとは言えないが、「気合い」などに通じて、過去の日本を振り返る時にしばしば耳にする言葉ではある。現在でも、ぼくらの年代では時々口にすることもあるが、ほんとうはよくわからないで使っていたり、またよくわからないから「気」という言葉を当てたりしていることが少なくない。ウィキペディアを参照すると、
 
気は、物に宿り、それを動かすエネルギー的原理であると同時に、その物を構成し、素材となっている普遍的物質でもある
 
と説明されている。これだとまるで安藤の言っている「土活真」そのままのような気もするが、安藤の著述からは分けて捉えられているように見える。
 こうなってくると、だんだんとお手上げだという気分になってきて、詰めて考えていくことがきつくなってくる。そして、大まかな了解のところで過ぎていくほか無いと悟ることになる。
 後半部分になると、だから、「土活真」の「気」がいろいろに関係、変容しながら進んだり退いたりして、穀物や人間の男女、鳥獣虫魚、草木を生成していくんだと理解し、細かな点は捨象してしまう。つまり、雑だけれども、これくらいざっくりとしたとらえ方をしてよしとしておきたい。
 一つ大事なことは「直耕」の文字が初出している点で、これは万物の元基である根源的物質としての「土活真」が、エネルギー体として進退する中で万物を生成し、形成していく過程をとらえて「直耕」と命名したものと考える。そしてこれを人間が田畑を耕す姿に重ね合わせ、自然のする万物の生成過程と、人間の穀物の生産過程が同じく必然的なものと安藤は言いたかったように思う。
 一応安藤の記述に沿って、こんなところではないかと思うわけだが、受け取りが正解かどうかはわからない。また、安藤の記述が真であるかどうかということもよくわからない。ただ、ここでは、人間のする農事としての耕作が、単に職業の一つとしてではなく、もっと普遍的な行為という位相にまで高められて捉えられるように思われるし、それがまた安藤の狙いであるというようにも思われる。もちろんここでも、ほんとうにそうかと問われれば、よくわからないと答えるしかない。安藤は無理矢理こじつけているんじゃないか、と考えないわけでもないのだ。
 いうまでもなく、米作りは日本史で言う弥生時代に盛んに行われるようになった。それ以前は狩猟採集で、穀物栽培は日本史や人間史から見てもごく最近の出来事といって言い過ぎではない。また現代になると逆に農業従事者は減少の一途をたどっている。つまり、人類に普遍的な活動とは言えないのではないかと思える。
 仮に「直耕」を田畑の耕作ばかりではなく、狩猟採集も含めた一次産業全体のようなものと広く考えればどうなるだろうか。そうすると、そこには初期人類の食の実相、つまり、他の生き物たちと同様に自分の食い分は自分で都合つけなければならない、そういう実態が見えてくる。自分のことは自分でする、自分の食い物は自分で見つける。そこにあるのは余儀なくされた自立の姿だ。そしてそれは本来は生き物たちに共通する姿である。
 人間社会は、あるいは人間社会だけが、そういうあり方から「与える」、「奪う」という関係に入り込んでいった。後に安藤の著述に出てくる「不耕貪食」が出現するようになる。それは、自然の本来的な生成行為、生産過程から逸脱した行いではないか。宇宙広しといえど、これを肯定する根拠はどこにも見当たらない。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑤
              2020/05/20
 
 安藤昌益は、自身の言葉で、宇宙の生成から太陽や月や地球の陸と海、そして人間や鳥獣虫魚に至るまで、どのように生みだされたものであるかを語ってみせた。安藤の言葉では、それは万物の元基としての根源的な物質である、「土活真」の自己運動が生みだしたもので、元々はそれから派生したものとされる。だから同一でありながら異なっており、異なっているが同一であるという性質を内包しているのだという。
 安藤の主張には、多分に、日本列島在来住民の自然観の継承や仏教の宇宙観などが潜在しているだろうが、それに自分の生活体験、生活感覚が加味されて構成されていると思う。つまり、そうして、誰でもが抱くぼんやりとした世界認識を、言葉を駆使して一つの世界観へと結晶してみせた。
 常識的に見れば、安藤の方法は、蓄積されてきた知の体系をがらがらと突き崩し、一から積み上げるといった半ば原始的な手法だ。こういう方法を、小利口な知識人達は取らない。また取れないと思う。
 安藤が「師もなく弟子もない」という時、自分の思想が先人のそれを継承する意図の元にするのではなく、また後世に継承されていくものでもないことをよく知っていたと思う。言ってみれば安藤の教科書は地域社会であり、家族生活であり、自分の身体であり、感覚でありというように出来ていた。それに無意識となった歴史的知の蓄積とが、内側で自己問答する形で思想が形成されていった。そういうものがそう簡単に理解出来たり、されたりするものではない。
 がしかし、異なるものでありながら、共通のものということはありうる。仮にだが、ここに深さという考えをもってきて、字面の違いは歴然とありながら、深度において共通するということは言えるのではないかと思う。思想の深さ、あるいは言葉一つとってもそこに込められた言葉以前の精神の深さというようなもの。安藤の著述には意味内容とは別の、そうした背後の精神の深さが、主張として込められているように感じられる。
 だから、表層の意味されてあるところとは別の、ほんとうに意味しようとするものの読み取りが、安藤の著作では必要とされる気がするのだ。そういうものをぼくはこれまで、太宰や島尾や吉本の文章からも受け取ってきた。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑥
              2020/05/22
 
 『自然真営道』「大序巻」第一段の終わり部分は、以下のようである。
 
 故ニ活真自行シテ転定ヲ為リ、転定ヲ以テ四体・四肢・府蔵・神霊・情行ト為シ、常ニ通回転・横回定・逆回央土ト一極シテ、逆発穀・通開男女・横回四類・逆立草木ト、生生直耕シテ止ムコト無シ。故ニ人・物・各各悉ク活真ノ分体ナリ。是レヲ営道ト謂フ。
 故ニ八気互性ハ自然、活真ハ無二活・不住一ノ自行、人・物生生ハ営道ナリ。
 此ノ故ニ転定・人・物、所有事・理、微塵ニ至ルマデ、語・黙・動・止、只此ノ自然・活真ノ営道ニ尽極ス。故ニ予ガ自発ノ書号『自然真営道』ト為ルハ、是レノミ。
 
 前回引用する時に、漢字にふりがなをつけてみたが、表示したら括弧書きになってしまったので、今回はつけなかった。
 また、結びに『自然真営道』と書かれてあるように、全巻の書名、あるいは表紙、総目次等はすべて『自然真営道』となっているが、最晩期の論考として付されたこの「大序」では、題名として『自然活真営道』の文字が書かれている。解説では「真」は「活真」の略とされ、だからこの1段では、「自然」「活真」「営道」と区切られてそれぞれに説明がなされているとみられる。この不統一の理由はよくわからないが、「真」がもともと「活真」の意であることを強調しておきたかったのかと思う。
 ところで、冒頭引用部は最後の「営道」の説明であり、これを受けて結びにこれらを要約して、
 
 故ニ八気互性ハ自然、活真ハ無二活・不住一ノ自行、人・物生生ハ営道ナリ。 
 
とまとめられ、さらに、
 
 此ノ故ニ転定・人・物、所有事・理、微塵ニ至ルマデ、語・黙・動・止、只此ノ自然・活真ノ営道ニ尽極ス。
 
と書かれている。そして、このことをもって題名を『自然真営道』としたんだ、ということである。
 要するに安藤昌益は、「自然活真営道」、これを略した「自然真営道」、の言葉を持ってこの世界を言い尽くせる、あるいは言い尽くせたと考えたのだろう。
 砕けた言い方をすれば、天地、万物、人、あるいはあらゆることがらやことわり、それらのごく微細、微小に至るまで、語るも黙るも動くも止まるも、そうした「世界」の一切は、「自然活真営道」または「自然真営道」の語に、収斂、集約、させることが出来る、そう言っているのだ。
 安藤の初源への立ち還り、遡及の仕方はとても魅力的であり、見事なものだ。
 この世界、この宇宙から、人間と人間社会とを取り除いて考えれば、すべてはそうなるべくしてなってきた世界、こうなるしかあり得なかった世界、なるようにしかなり得なかった世界のように見える。だが人間社会だけはそれらから隔絶している。安藤の言葉で言えば、「自然活真営道」の道を踏み外している。唯一「不耕貪食」がまかり通る社会を形成してしまった。宇宙広しといえども、それを為したのは人間だけなのだ。安藤はそれを誤りと見たが、このことはもう少し先に進んで考えなければならない。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑦
              2020/05/23
 
 「大序巻」第二段に移るが、初めに解説者によるこの段の概要が記述されているので、これを引用する。
 
第二段では、どの家にもあるいろりを例にとって、活真の有機的な運動を説く。いろりの煮炊きする作用を、穀物を食物に変える一種の生産活動と見て、いろりを人間生存に不可欠なものとして位置づけ、そのうえで、天地もいろりも人間もひとしく生産活動をしているという理論を展開する。前半では、いろりでの八気の相互関連性が、後半では、いろりのはたらきと四季八節の推移との対応が示される。
 
 第一段では、天地・万物の生成といった壮大なスケールの話がなされたが、一転してここでは住居内の囲炉裏や竈の話になる。これが原理的に同一と論じられるが、一読しただけでは屁理屈に過ぎないと感じられてしまう。よく読み込んだらどうかわからないが、本音のところ、そういう気さえ湧いてこない。
 安藤にとっては第一段の、土活真の自己運動から万物の生成が成ることと、第二段で取り上げた各家の炉内に起こっていることとが、同一原理の元に行われていることの証明は大事な勘所だったろうが、これを読む側にはちょっと辛いものがある。
 先ずは、こじつければそう言えないこともない、という思いが前面に出る。つまり、自説を通すために、無理矢理囲炉裏で行われる煮炊きを、活真の自己運動につなげて解釈しているように感じられる。
 もちろんそれでもいいのかも知れないが、一般の読者の立場に立てば、ここでは否応なく田舎者で三流の思想者の文章を目にしているように思われ、読解の意欲が下がる。
 ここで少し無理をして、展開の例を挙げてみる。
 
進木ハ薪、進水ハ煮水ト互性ナリ。薪ノ用盛ンナル則ハ、煮水燥キテ煮水ノ用止ムハ、薪ノ性トナル故ナリ。煮水ノ用盛ンナル則ハ、薪ノ用達セズ進木ノ用止ム、煮水ノ性トナル故ナリ。薪ト煮水ト等対スル則ハ、互性ノ妙用相達ス。
 
 今、囲炉裏に鉄製の鍋がかかり、何かが煮炊きされている。鍋の下では薪が炎を上げ、鍋の蓋は沸騰するお湯で時々持ち上げられ、そこから煙となって蒸気が立ち上る。
 安藤は常日頃から人家の囲炉裏や竈を見ていて、分かりやすく言えば、エネルギーの伝播、転移の仕方に目をこらしていた。
 薪を燃やしすぎると水は蒸発して無くなってしまい、反対に薪を少なく燃やすと水はお湯にもならずに残ってしまう。まあそんな囲炉裏の状況を事細かに解説していくのだが、こんなことに興味を抱くものは少ない。
 であるから、安藤の視点を一流の思想者と見るか、三流の田舎者と見るか、評価は分かれるかも知れない。
 いずれにしても個人的には意欲が減退するのはたしかで、こういうところをいちいち取り上げて考えていくことは、とても大儀なことのだ。ほんとうの三流の思考者としては、こんなところをはっきりと言っておかないと嘘になるので、先ずは本音を言っておく。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑧
              2020/05/25
 
 前回の引用には「進木」「進水」の言葉が出ていたが、「木」「水」はいうまでもなく「木・火・金・水」、いわゆる安藤昌益の言う四行のうちの二つだ。
 古代中国の五行説では、万物は「火・水・木・金・土」の5種類の元素からなり、それらが「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」(「ウィキペディア」から)と考えられていた。安藤はこの5行のうちの「土」を独自に、中心の要素と見て別格に扱った。ということは、五行説についても詳しく知って理解していたのだろうと推測される。
 引用の続きでは「退木」「退水」、それから「進火」「進金」、「退火」「退金」と出てくる。すなわち、「木・火・金・水」の四行とそれぞれの「進」と「退」とで八気の、炉内における相互の関係性が述べられる。
 最初の「薪」と「煮水」の関係から「鍋蓋」と「潤水」(現代語訳では「つゆ汁」)、「炎」と「鍋つる」、そして「蒸し」(蒸気)と「鍋」との関係まで、それぞれについてそれぞれのはたらきがほどよく釣り合うと鍋の中のものはいい味に仕上がる。つまり、
 
四行・進退・互性・八気ハ一気ナリ。故に一行闕クル則ハ、炉ノ妙用皆倶に絶ユルナリ。四行・進退・八気相達スル則ハ、炉用調成ス。
 
ということになる。
 そして安藤は、このように囲炉裏においてなされていることは、天地を駆け巡る八気が大地にいたって万物を産みだすのと同じ、絶妙なはたらきだと述べている。
 もともと中国に端を発する五行とは、自然現象の四季変化を観察し抽象化された、自然現象、政治体制、占い、医療など様々な分野の背景となる性質、周期、相互作用などを説明する5つの概念である(ウィキペディア)そうで、安藤はこのあと四季・八節についても、四行を元に囲炉裏に行われていることと同じだと論じていく。
 
 是ノ如ク、一歳・八節・互性・妙道、炉二備ワリ、食物煮熟シ、口二入リ胃二至リ、人ヲ助ケテ常ヲ得ルハ、乃チ炉土活真ノ直耕ニシテ、転定・央土活真ノ直耕シテ万生熟スト同一ノ妙道ナリ。
 
 このように安藤は、「自然・活真・営道」が天にも大地にも、あるいは囲炉裏にあっても同一原理ではたらき、作用しあっていると言いたい訳で、それを論証すべく様々に苦労している。これを納得できるかと言われれば、いやあ、昔の中国の自然哲学思想などにはとんと理解が及ばなくて、と答えざるを得ない。安藤の記述する語彙には背景があるのだが、こちらにはそれがないから、どうにも上滑りの理解しか出来ない。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑨
              2020/05/29
 
 小学生の頃までは、近所、親戚の家のほとんどには囲炉裏があったと記憶している。だから、安藤昌益が記述する、囲炉裏に鍋を吊り下げ煮炊きする光景はよくわかる。もちろん、竈もふつうにあった。
 父の兄が後を継いだ近くの実家には土間もあり、すぐ脇には柵が設けられて馬がつながれていた。まだその頃まで、生活様式という点で、江戸時代はそれほど遠い昔ではなかったのかも知れない。記憶にはないが、3歳か4歳くらいの時の写真があり、そこでは着物と草履姿で遊ぶ自分の姿があった。
 ところで、実際に囲炉裏や竈のある生活を見て体験したことがある者としても、天地の生成活動を伴う運行と囲炉裏や竈を使っての煮炊きとが、同一原理で動いていると見ることは難しい。
 言葉の上では、活真の四行八気の運回が天地万物、また生命を生み育成し、囲炉裏や竈が材料となる穀物や野菜を食べ物に換えるそのことが、生成行為として類似するとは理解できる。しかし、どうしてもそこに実感を込めることが出来ない。
 安藤昌益は、常日頃、人家の囲炉裏や竈を見て、そこに活真の運動が表れているのを感じたと言う。そういう安藤の姿を思い浮かべてみる。薪が燃え、鍋から湯気が立つ。炎を強くしたり弱めたりしながら、調理が完成されていく。安藤は他人の家でばかりではなく、自分の家でも幼い時からそんな光景を目にしていたに違いない。そのたびに、安藤はその光景に何か惹かれるものを感じていたのだろうか。さらりと流して見ていたのだろうか。それともファーブルが昆虫を観察するように、飽きずに見入っていることもあったのだろうか。いずれにしても、そんなごくありふれた日常の光景を、宇宙の運行及び万物の生成過程と同じだと、安藤昌益以外の誰が考えつくだろうか。それは類い希なる卓見と言ってよいものだろうか。あるいは過剰な思い込み、根拠のない引き寄せの類いか。その発想は飛躍しすぎていて、常人には伝わらないのではないか。
 こうやって考えてくると、安藤昌益はどうしても普通じゃないと思えてくる。おかしな人で変な考え方の人だと思う。理解しろという方がおかしいし、はたして身近にいる人はどう見ていたのか。安藤が自分の考えていることを口にしたところで誰が共感するだろうか。多分誰もいなかったし、いるはずがない。もちろん例外があり、数人の理解者はいたようだが、どうしてそういうことになるか見当がつかない。常日頃、安藤は自分の思考が他者に通じないとわかっていたはずだ。そのことに悩み苦しみもしたはずだ。ただ彼の博識と医者としての実力が八戸という地域にあって、いくぶん名士扱いされ、徐々に理解者を得ていったのかも知れなかった。
 ずいぶんと道草を食ってしまった。不十分にしか読み解けないのだが先に進んでいこう。
 
 故ニ転定ノ八気・互性ノ妙気行ハ、悉ク炉内ニ備ハルナリ。是レ何ノ為ゾ。人、穂莢ノ穀ヲ煮テ食ワンガ為ナリ。転下・万国・万家異ナレドモ、炉ノ四行・八気・互性ノ妙用二於テ、只一般ナリ。此ノ一般ノ炉二助ケラル人ナル故ニ、人ノ業ハ直耕一般、万万人ガ一人ニ尽シ極マルコト、明ラカニ備ハル其ノ証、是レ炉ナリ。
 
 囲炉裏にも、穀物を煮て食べるために四行八気が働いている。このことはどの国のどの家にも通じ、共有されている。人間というものはそうした炉のはたらきに助けられているもので、したがって、例外なく人間のすべきことは直耕、すなわち田畑を耕して穀物を生産し、これを煮炊きして食することである。そしてその証拠となるのが囲炉裏でありそのはたらきである。
 そう安藤は語る。その語るところはつまり、囲炉裏における活真のはたらきは穀物を食べ物に換えることであり、言葉を換えて言えば直耕ということなのだから、人間もまたそのことに準じて直耕すべきだと言っているのだ。
 そして引用部分のあとには、人間の内臓においても同じ事が行われていて、それ故に囲炉裏のはたらきを教えられずとも知り、それを活用できたのだと述べている。
 ここまで何度も理解に苦しむところを言ってきて、今なおそれは変わりない。しかし、ここには通りいっぺんに読み流してしまえない部分がある。それはやはり直耕の言葉であって、ぼくなりに把握するところでは、安藤はここで直耕以外は何もするなと言っているように思える。人間は田畑を耕して食物となる原料を生産し、これを煮炊きして食べることが「生きること」そのものだと述べているように感じる。「生きること」はそれ以外ではない、と。あるいはそれ以外のことは邪魔なことだと。もっと極端な言い方をすれば、働いて飯を食うこと、飯を食って働くこと、それ以外は何もするなと言っているように思えるのだ。これは当たらずとも遠からずといえるのではないか。
 生き物の特性は食と性にあるといわれている。そのうちの食に限定すれば、人間だけが栽培しこれを収穫するという生産過程を踏む生き物である。ここに動植物との違いがあり、人間らしい生き方とは、とりもなおさずこのことを実践することである。
 仮にこうしたことが安藤の真意だとして、ぼくらはこの考えをどう受け止めるべきだろうか。いや違う、人間はもっと考え、感じ表現する生き物で、豊かな心を持つことが生きることの価値なのだと反論するのがいいか。あるいは、安藤の言うとおりで、生産労働と家事炊事以外の価値なんかあるものかと同意すべきだろうか。ぼくには後者の方が普遍的な生き方に近い生き方に思える。
 もともと人間は原始に近い頃、猿に近い生き方で、採集生活をしていたと思われる。そこから石器を使っての狩猟生活に進み、そして耕作栽培へと進んだ。だから人間といえども事の初めから生産労働をしていた訳ではなく、それはだいぶ歴史が下っての話である。その流れから考えれば、必ずしも直耕、すなわち田畑を耕して食物を得ることが普遍の生き方とは言えない。そして現代、農業従事者は就業人口の一割にも満たない数になってしまっている。つまり現代には通用しない考え方と言ってよい。ではまったく迷妄かというと、そうとも言い切れないように思える。安藤の創出した直耕の概念を、もう少し広義に捉え返し出来ればのことだが。それを吉本隆明のように「大衆の原像」と言えば、それが出来たことになるのかどうか、ぼくにはまだよくわからない。
 言うまでもなく安藤の「直耕」の概念と吉本の「大衆の原像」とに共通するのは、人間の生き方の価値についてであり、ともに根底、根源的なところに、より大きな価値を見ようとする考え方である。余分なものをこそぎ落とし、こそぎ落とし、骨格となるところに価値の源泉を求めようとする。こうした捉え方考え方は、しかしながら依然として少数派であることを免れない。現代にあってはもはや風前の灯火状態にあると言ってもいいと思う。これをどうよみがえらせるかを考えたいところだが、これはもっと先の話になりそうである。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑩
              2020/06/01
 
 「大序巻」の第二段で、もう心が折れそうだ。解説文にも、
 
 こうして、天体ー四季ー農耕ー炉ー顔ー感覚ー内臓を結び、宇宙の天涯から人身の内奥まで通ずる「一連」「一感」の運動が系統づけられる。その対応と系統付けの仕方には、稚拙な発想や無理なこじつけをふくみながらも、意図されていることは、客観的自然と主体的営為とをつらぬく普遍的運動の法則の把握にある。 (全集第一巻 大序巻 解説 P59)
 
とあるように、天体から炉までの過程だけでも、「その対応と系統付けの仕方には、稚拙な発想や無理なこじつけ」の多くふくまれている。
 これが第三段に進むと、顔ー感覚ー内臓の対応と系統性に及ぶが、やはり無理なこじつけという印象を免れない。ただし、これを全くのでたらめと決めつけられないのは、こうした系統付け、対応付けの仕方が、解剖学者の三木成夫の著作にわずかだが類似性を感じるからだ。まったく無縁なる二人の医学者でありながら、人体に対する医師的な感覚というものは似るところがあるんだなと不思議に思う。
 それもこれもひっくるめて詳述するだけの力は自分にはない。そこで、第三段については概要の記述を引用して、深入りせずに進めたい。
 
第三段階では、人の顔面にある諸器官の感覚機能と、その相互関連性にふれ、それといろりの作用を対比し、さらに季節ごとの農耕作業と対比していく。最後に直耕の哲学を論じ、天体の運行も、いろりの調理作用も、人の感覚機能も、すべてが活真のあらわれだという物質的基礎を指摘するとともに、生産活動での人間の主体性を強調している。
(全集 P77)
 
 繰り返しになるが、三段目までのところで安藤昌益が言いたいことは、大筋のところは理解できる。概要の記述で言えば、「天体の運行も、いろりの調理作用も、人の感覚機能も、すべてが活真のあらわれ」という点につきる。しかし、それぞれの記述部分について言えば、「稚拙な発想や無理なこじつけ」と思える箇所が随所にある。
 そう思ってみるがしかし、本当に発想が稚拙で、また無理なこじつけで記述を進めているとすれば、もう少し安藤の記述に破綻があってしかるべきだと思える。それが、ないように見える。そればかりか、記述の奥というか裏側というか、確固としたイメージに裏打ちされた自信のようなものまで感じられる記述だ。一気呵成というか、迷いながら書いては訂正し、書いては訂正しという書き方ではない。
 
 府蔵二於テハ、胃ハ炉内二同ジフシテ、胆ハ薪、肝ハ鍋蓋、小腸ハ燔(もゆる)火、心ハ鍋内ノ蒸ス、大腸ハ釣(つる)、肺ハ鍋、膀胱ハ煮水、腎ハ潤水ナリ。是レガ胃土活真の自行ナリ。
(全集 P77)
 
 第三段でのこういう記述は、一見して、何のことやらさっぱりわからない。ただし、第二段で、「燔火節(ホドヨ)ク釣モ節ク煖(あたた)ムハ、互性相達スナリ。」とか、「蒸気ト鍋ノ気ト等対スル則ハ、互性ノ妙用相達ス。」とかの記述のあったことを思い出せば、前節が小腸と大腸、後節が心臓と肺の関係を指すので、一概に無関係なことと切り捨てることは出来ない。安藤においては、こうした方程式は自明のことのように扱われている。ただぼくたちにとっては少しも自明ではないというだけだ。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑪
              2020/06/04
 
 ここまでの「大序巻」の記述について、細部にまでわたって、それが正しいか誤っているかを吟味しようとしても仕方がない気がする。正確な部分もあれば明らかに誤りと思える部分もある。そのへんの吟味は研究者の領域だ。
 ここまでを読み、安藤昌益が言いたいことの概略はつかむことが出来る。
 それはまず大きく宇宙全体について、万物の元基と考えられる活真のダイナミックな自己運動が、ひっきりなしに行われる世界である。またその自己運動は生成活動を伴うもので、星々が連なる宇宙そのものや、地球というこの星の海や大地を生成したものでもある。さらに、活真の自ずからなる四行八気の運行、・運回は地上においては植物や動物や人間まで産み出した。安藤はこの活真の変幻自在な様を別の言葉では互性妙道と呼び、四季の折々の変化と穀物の生成にも関連させ、またこれに内在する生成の法則は、人間生活における炉や竈の煮炊きにも同様に顕れているとする。安藤はまた、人間の内臓にも活真が備わり、八気の相互作用や通横逆の有機作用が行われているとする。そしてそれは人間の顔に備わる感覚器官にも顕現し、八つの器官の相互の関係や、さらには天地、いろり、内臓などとの対応関係などが言及される。
 つまるところ、大は天地宇宙から小は人間の感覚器官に至るまで、進気・退気の相互関係をもつ活真の統一的な自己運動に貫かれているとしている。
 以上を踏まえ、安藤は万物の元基である活真の自ずからなる生成活動を直耕と名付け、
 
 直耕トハ食衣ノ名ナリ。食衣ハ直耕ノ名ナリ。故ニ転定・人・物ハ、食衣ノ一道二人極ス。其ノ外二道ト云ウコト絶無ナリ。故二道トハ直耕・食衣ノコトナリ。
 
と第三段を結んでいる。
 さて、現在を生きるものにとって、安藤昌益のこうした言説はどのように受け止めるべきなのだろうか。古い、非科学的な迷妄の類いと見て忘れてしまうのがいいのか。
 西欧発の科学的思考がスタンダードとなった現在世界に於いて、アジアの片隅に存在する日本の、かつて中国的な思考に影響された時代の自然哲学的思考はもはや無意味にすぎないものなのだろうか。もちろん、そうとも言えるのだろう。安藤の思想がなくても、現在世界は少しも困らない。前へ前へと進み続け、新しい考えは生まれ続けている。
 いや、そもそもが「自然真営道」を読もうとしても漢文調の、しかも安藤によって独自に組み替えられ、また組み立てられた概念が混じり合い、理解が難しい。これは現在にあっては、言葉以前の心を読み取ろうとするに似ている。
 いずれにしても、安藤昌益は宇宙には一つの原理、法則がはたらいていて、あらゆる事に貫徹していると考える。それを一言で表すに直耕の言葉をあてて、また言葉を換えて食衣とも言っている。そこから、人の存在、つまりその在り方について、宇宙的な統一原理、法則に準じ、直耕すなわち衣食に関わる活動に徹することが最も重要なことであり、これを於いてほかに重要事は何もないと述べている。
 言うまでもなくこれは安藤昌益個人の見解であり、俺はこういうように観察し、考えた結果、世界はこうなっていると思うよ、という世界認識の仕方を語っている。これに対する賛否は自由で、なかなかいいんじゃないというものもあれば、変なことを言っていると考える向きもあるに違いない。
 こんなふうに確認作業を行きつ戻りつしながら、次の第四段に進んでいきたいと思う。初めに概要の記述があるのでこれを引用してみる。
 
第四段階では、はじめに穀食の哲学を論じたあと、これまで述べた自然哲学を総括し、四行・八気論に集約し、万物における四要素・八要素の相互関連を説き、四と八の規準数字の重要さにふれる。最後に「自然真営道」の哲学が、書物や思弁から得られたのではなく、生産と消費における人間の営為を物象化した炉と顔の観察という、現実の観察から得られたことを強調する。
 
 ここで気になるのは終わりの方で、安藤の考えの道筋は日々の生活の経過を観察して成ったものという点だ。
 これが安藤昌益の独特の思想形成を象徴していて、いわゆる農民視点、町人視点が基礎になっていると理解できる。言い換えると、当時のごく当たり前の生き方、ごく当たり前の生活の仕方から、目にしたこと、感じられたことを再度振り返って筋道立てて論じようとした結果、安藤の考えは「自然真営道」に結晶したということだ。このことは同時代の学者達とは大いに違っている。というよりも、古来から現在に至る知識人達の在り方と根本からして異なっているように思える。
 知識を、非知識層の足場にあって、同時代の知識人達が展開する知識水準にまで持ち上げてみせることは容易ではない。安藤はこれをなした歴史的に見て数少ないうちの一人だと思うが、安藤の論述の背後にはごくふつうの生活者の目と、感覚とが隠れて存在している。それらは思弁しない、論述しない目と感覚であって、安藤はそれをもって思弁し、論述したにすぎない。言い換えれば、思弁せず論述しなければ、安藤もまた目と感覚を持つだけのただの普通の生活者にすぎなかった。さらにいえばそれらの目と感覚は、文字化思弁化はしないけれども、文字化され思弁化された世界をすでに見て感じて、すべてわかっていると考えてよいのではないか。安藤はただそれを言葉に表す役目を負っていた。そのことは安藤が一番よく知っていたと思える。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑫
              2020/06/08
 
 前回の終わりに述べたところは、例えば安藤昌益自身の言葉を借りると次のような記述となる。
 
 故二予、炉内・面部ヲ以テ、自然・転定・人物ハ、活真・自行・八気・互性、明暗・一感ノ妙道ナルヲ知リ尽ス。
 
 わたしは、いろりと顔を観察することで、自然・天地・人・物はみな、活真の自己運動、つまり八気の関連運動であり、みな明と暗の対立を含んで一つのはたらきとなる精妙な運動だということを、知りつくすことができたのである。
 
 安藤の四行・八気説は、元々は古代中国の五行説が土台となり、初期にはこれを踏襲していた。四行は火・水・木・金の四行で、五行とはこれに土を加えたものだ。安藤は晩年この土を火・水・木・金とは別の、より根本的なものと捉えて、四行・八気とは土の運動過程における四つの現れ方、八つの現れ方と考えるようになった。
 だからこの場合、いろりと人の顔の観察から知ったので古書などを学んで知った訳ではないというのは、四行・八気の説は俺の発明だよと言っていることになる。五行説など知らなかったし学んでもいない、ということではない。ただ、ふだんにいろりや人の顔を見る生活をする中で考えてみたら、昔からの五行説は誤りで、正しくは四行・八気と捉えるのがよいと考え、またこれを確信したのであろう。今のぼくらには四行も五行もよくわからないところで、当時の安藤がどんな思いの中でこれらの記述を書き綴ったかもピンとこないところだ。しかし、引用部分のあとに、
 
 昔の聖人・釈迦・老子・荘子・聖徳太子などの万巻の書にも皆無のことだから、古典から学んで知ったわけでもない。
 
と、これは現代語訳だが述べられていて、かなりの昂揚感があったのかも知れないと想像される。大胆な言い方をすれば、安藤は釈迦や聖徳太子なんかより俺の方が上だぜという気分でいたのかも知れない。
 次の第五段では自説の四行・八気をもとに、従来の説がその法則をわきまえていないとして批判が展開される。批判の的となるのは、儒教であり、仏教、道教、神道、伝統医学と、手当たり次第だ。主に諸説と安藤の考えるところの顔の八器官との対応が為し得ていないと批判しているのだが、そもそも諸説はそういうところをはなから考慮していない。安藤は四行の火・水・木・金それぞれに、進火、退火と進退を添えて八気とし、これと顔の器官とを対応させるように八器官とみて論を展開するのだが、これは強引である。
 安藤の言い分はこの段の結びのところでわずかながらうかがい知ることができる。ここも現代語訳の方を引用することにする。
 
 聖人や釈迦などが私欲にもとづいてでっちあげた学説とやらは、やれ五行だ、三陰・三陽だ、やれ相生・相克だ、六陰六陽だ、やれ十干・十二支だ、十二経だなどというが、みな八気の相互関連を知らない偏った知識による惑いである。だから真理のかけらもない世迷い言だ。たとえば心のことを論じても、精神に備わっている八気の相互作用を知らずにでたらめをいうばかりである。こうしたわけで、伝統的なこしらえごとの教学は、どれもこれもはなはだしいまちがいであり、そのために世の中すべてが迷い、搾取と争乱がやむことがないのだ。自然・活真が営む道には搾取も争乱も迷いもないことは、いろりと顔の観察から自ずと知りえたところである。だから自然真営道をかかげて、これを実践し、聖人や釈迦などが私欲にもとづいてでっちあげた学説に反対し、これをしりぞけるのである。したがってわたしには師もなく弟子もなく、教えもせず習いもせず、おのずと備わった活真の力で、おのずと認識したのである。
 
 ここもまた強引に、八気の相互関係、相応関係について知らないから、みな間違ってしまうと述べている。
 ここでただひとつ、肯定してもよいと考えられる言い分が潜んでいる。
 それは書き下し文で、「古法ハ凡テ妄失二シテ、転下ノ総迷・盗乱止マズ。」という箇所に明らかであるように思える。つまりどういうことかというと、仏教や儒教が後世の人々にどんなに立派な教説であるとたたえられるにしても、実際の世の中は迷いの中にあるし、他人のものを取ったり争いごとが続いたりしているということ。すなわち、きれい事や立派な教えなんて何の役にも立たないじゃないか、という点にある。こうしたらよい世の中になるという諸々の教説は、多数の支持や賛同を得たにもかかわらず少しも世の中を変えることがない。そればかりかかえって世の中は迷い、他人のものを貪り取り、争乱も増すばかりである。だとすればそれらの諸説には何の意味も無い。直ちに唾棄すべきじゃないか。
 それらの教説は、少しも衆生の現実の生活苦を取り除くことはないし、救済もしない。教説が役立つのは教説する側ばかりにだけで、結局は教説する側にとっての私欲を満たすばかりである。これまでのどんな教説もそうであって、結局のところ平民とか衆生とかと考えられる人々をないがしろにする側のもの達の、あるいは意識的無意識的な私利私欲で拵えられた「私法」である。
 明らかに安藤はそれらとは一線を画そうとしている。
 
 故二文字・書学、予、之レヲ預カラズ。故二予二師無ク弟子無ク、教ヘ無ク習へ無ク、自備・自知ナリ。
 
 安藤にはただ「私法」をなすもの達への怒りが渦巻いていたに違いない。そんな彼が、怒りの矛先である「私法」の産物へと、自らの著作を作り上げるはずがない。私利私欲を徹底的に排除する形で、安藤の生活と文体は積み上げられていくように思える。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑬
              2020/06/10
 
 第六段は、解説者の概要によれば、文字論の形の易学批判、聖人批判・学問批判であり、全体としてやや短めである。ここでは約半分となる後半部を引用しておく。
 
 一切ノ字ハ、己レガ得手勝手ニ私作シ、書学ト為シ、之レヲ以テ上ニ立チ、下ヲ教ユルト為テ私法ヲ立テ、不耕貪食シテ、直耕ノ天道ヲ盗ミ盗乱ノ根ヲ植ユルヲ、転下ヲ治ムルト為ス。是レヨリ永永・盗乱ノ世ト成ル。故ニ字書・学問ハ転道ヲ盗ムノ器具ナリ。真道ハ炉・面ニ備ハルコト知ラズ。故ニ文字・書学ヲ用ユル者ハ、転真ノ大敵ナリ。此ノ故ニ予、文字・書学ヲ採ラザル所以是レナリ。
 
 前半部は基本的な文字(漢字)を例に、それらがおよそ事物の理・象・貌・似にもとづいて作られたことを述べている。そこから引用部に続くわけだが、安藤は、一切の文字は権力者、支配者が得手勝手に私作したものだと断定して、その洞察は鋭い。
 言葉や文字というものは、人間にとって先天的なものではない。あとから身につけたものだ。発生の過程はここでその詳細を言うことはできないが、簡単に言えば、どちらも必要から生じたと考えておけばまず間違いが無い。言葉は文字に先行するが、人類にとっての言葉の必要は、人の乳幼児期を観察するとよくわかるような気がする。あわわ言葉の様子でもよいが、体の動きと一緒に、懸命に何かを訴えたい衝動に駆られている。あるいはそんなふうに見える。つまり言葉は、どの個体にとっても等しく手に入れたい何かであり、本来備わる人間的な表出意欲が長い時間の経過の中で獲得し、現在へと形成してきたものだ。それは今なお変遷し続けていると言える。
 文字の必要はそれとは違う気がする。文字が発明されるまで、人間は長い年月を話し言葉だけで過ごした。それで生きていくことにさほどの支障は無かった。狩猟採集から稲作栽培まで、小さな集落、小さな共同体で生活を営む限りにおいて、村落内の意思の疎通は話し言葉で十分伝わったはずなのだ。大事なことは口承口伝の言葉通り、時代を超えて語り継いでいけばよいだけだった。
 今日の日本においては、文盲率が世界的に見ても低い方だと言われているが、これは明治以降の学校教育の発展が大いに寄与しているとみてよい。それ以前は、農民を含め、文字の読み書きのできないもののほうが圧倒的に多かったようだ。それを身につけなければならぬ義務もない社会であったし、必要も無かったからである。それで十分生活も社会も成り立っていた。
 文字の出現も言葉の発生とは比べものにならないだろうが、かなり古いことは古い。これがある程度の体系を整え、使い物になるまではやはり相当の年月を費やしたに違いない。もちろん、これを使い物にするために、おそらくは権力者、支配者達からの庇護、擁護を受けなければ成立しなかっただろう。
 先にも言ったとおり、小さな村落内では話し言葉があれば、必要な情報は隅々にまで行き渡る。これが多くの集落、村落をまとめる大規模の共同体を形成するに至ると話は変わってくる。
 いろいろな意味で、支配者、権力者達には文字は圧倒的に便利で、必要不可欠のツールとなったに違いない。遠い地にあるもの達への正確な指示命令や、そちら側からの報告。租税などに関しての決まり事を徹底し、細かく正確にこれを行うためにも数詞を含む文字の活用は大変な効果を発揮しただろう。支配者、権力者達にとって、文字は武力の次に最大限に重要な、統治のための文化資本となったに違いない。
 学問が学問たる所以もまた文字によるところが大きい。学問の発生は様々に考えられるだろうが、帝王学ではないけれども、推進したり制度化されていく過程には、支配者、権力者の力を必要としたはずである。つまり、働かずに食っていける制度、階層が作られたり擁護されたりしてこそ、学問は飛躍的に発達していったのであろう。
 安藤昌益は、この文字、学問を以て支配者、権力者達が、自然・活真の作り上げたこの世界を私物化したと見て、彼らを不耕貪食の輩と蔑み、文字、知識、学問はその道具でしかないと否定した。
 この考え、この認識は返す刀で安藤を切りつける。おまえもまた文字をもてあそび、文章を書き、学問のごとき体裁を為しているではないか、と。安藤はこのことに対する弁明を交えながら、第七段以降を記述していくことになる。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑭
              2020/06/11
 
 第七、八段は、あやまりによってあやまりを破棄するという論法が用いられ、記述される。例えば七段には次のような記述が見られる。
 
軍ヲ以テ軍ヲ起スハ失リナリ。軍ヲ以テ軍ヲ鎮ムルトシテ軍ヲ起スハ、又失リナリ。是レ、失リヲ、失リヲ以テ、之レヲ去ルナリ。故ニ又、失リノ字書ヲバ、失リノ字書ヲ以テ、失リノ字書ヲ破棄ス。故ニ失リノ字ヲ仮リテ、以テ古失ヲ去ル。
 
 文字を否定するのに、その否定する文字を以てするというのは矛盾だが、最終的にこの世界で文字が用いられないようになるならよいとする論法だ。
 これはどう考えても詭弁だと思うが、あえてこれを書くということは、安藤にとってこのことが相当に意識する問題であったからだと思う。そして、この支配や搾取の道具としての文字を使うにあたって、安藤には密かな戒律があったに違いない。それは、自分の記述が、古来からの誤りを指摘し、これを乗り越える考えを示し得た時に、自身も文字を放棄するというものである。あるいは放棄しなければならないということだ。
 革命のために国家の軍隊に対峙する。それは革命を起こす側も軍隊をもつことだ。そして革命軍がこれに勝利した時、本来ならば速やかにこの軍隊を解散させなければならない。そうでなければ国家を消滅させることはできず、単に古来から続く国家支配の塗り替えにすぎなくなってしまうからだ。
 安藤の文字否定の論は少しも国家の問題にふれるものではないが、ここには解体に向けての共通の問題がある。
 安藤が何度か、師も無く弟子も無く、ということを言う時、自分や自分の記述に、力、権威、そういうものが付かないようにという用意周到な配慮が込められている。なぜならば、少しでもそうした力、権威が付着したり残ったりすれば、自分が批判し否定しようとした学問、学説と同類のものになってしまうからだ。これを嫌っていた安藤は、この段の詭弁にも似た記述をあえて書かねばならなかった。言い訳じみてあまり褒められた記述ではないが、その動機についてだけは同情することができる。
 第八段は関連する内容で、次のような言葉が読める。
 
失リノ字ヲ以テ、一切ノ古書ノ失リヲ破棄シテ後ハ、字ハ無用ナリ。
 
失リノ字ヲ以テ、失リノ書ヲ破リテ、字ヲ捨テザル者ハ、一生ノ迷ヒヲ去ルコト能ハズ。
 
 安藤の徹底した文字否定は、ちょっとほかに見たこと聞いたことがない。安藤自身も、「コノ書ヲ視ル者、驚神シテ疑ヒヲ為サンカ」と述べているくらいで、隔絶した認識と自覚していたことであろう。文字は無用、文字は捨て去るべきと安藤は言い、後に自らの言う直耕を実践して安藤は生涯を閉じたが、当然のことに世に文字は消失せず、それどころかいっそう我が物顔に大きな顔で居座っている。
 安藤からすれば、現在のような文字、学問の隆盛は、巧妙な支配網の貫徹と映るに違いないが、おそらくはその通りで、そしてまた文明と軌を一にして、その流れを押しとどめることなどできないのだろう。もっと言うと、考えること自体が無意味なことなのかも知れない。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑮
              2020/06/13
 
 第九段目とされるところはとても短い。この中で安藤は、自分の著作の動機について述べている。
 
 予、此ノ書ヲ綴ル。自然・活真・自感・四行・進退・互性・八気・通横逆ノ備道・妙行ヲ見シテ、豪厘モ私ノ分別知ヲ加ヘズ。古聖・釈・老・荘・医・巫・諸仏・諸賢・諸学者ノ未ダ知ラズ未ダ言ハザル所ノミ、之レヲ言フ。
 
 安藤昌益は、この世界の成り立ちの根本が「自然・活真・自感・四行・進退・互性・八気・通横逆ノ備道・妙行」の言葉で言い尽くせるとし、自分のこの発見に相当の自信を抱いている。「自然真営道」はこのカギ括弧の部分を詳しく、またわかりやすくするために書かれたものだが、これまで誰も知らず誰も言ったことがないものだと自負する。
 この自信や自負が正当なものかどうかは判断が付かないが、少なくともここで安藤は、記述した「古聖・釈・老・荘・医・巫・諸仏・諸賢・諸学者」といった錚々たるメンバーに対し、少しも気後れしない物言いをしているように見える。肩を並べているか、あるいは自分を上に置いて見下ろしているかのようにも見えてくる。古聖も釈迦も諸仏も自分に同じ等身大に見て、地上に引きずり下ろしている。
 こういう見方、捉え方、考え方は、例えば太宰治の「駆込み訴え」のイエス像にも感じられたことで、凡人からするとやはりすごいと思わざるを得ない。
 一〇段でも安藤のリアリズムが発揮されている。
 
 聖人ノ曰ク、「身ヲ修メ、家ヲ斉ヒ、国ヲ治メ、天下ヲ平ラカニス」ト云エリ。転下ノ学者、之レヲ貴ブ。是レ貴キヤ。
 
 世の学者達は孔子の言葉をありがたがっているが、これは本当に貴いものか、と読む側に問を投げかけている。
 安藤はこの後に、飢饉、凶作の年には不耕貪食の学者達も飢えに苦しみ、「身を修める」どころじゃなくなるだろうと続ける。挙げ句の果ては農民から食べ物をわけてもらったり、あるいは餓死してしまったりして、学問は生きる足しにならないと農民達からも侮られる始末である。本当に貴ぶべきは、だから学問とかではなく、食べ物であり、これを生産する活動ではないかと安藤は言外に言う。そしてさらに、
 
一身ヲ修ムルコトスラ能ハズ、何ヲ以テカ国家・転下ヲ治平センヤ。之レヲ弁ヘザル者ハ、聖仏ノ学者ナリ。故ニ字書ハ転下ノ大怨ナリ。
 
と断じている。
 これはちょうどイエスの「人はパンのみにて生くるものに非ず」という言葉の裏返しで、
そうは言っても人はパン無くして生きられるものではないという反論に同じである。
 学者達は物質的な満足だけでは物足りず、精神の豊かさの優位性を求め、農民と農民の生き様を支持する安藤は、それよりも根本の食とその生産の大事さを主張する。この対決はなかなか決着がつけがたいところだが、ここで安藤の「不耕貪食」の言葉の発明が力を発揮してくるように思う。要するに、学者達は自分では一切の食料生産の活動に携わらず、生産者が生産した食料を教授の報酬として受け取り、これを貪り食っているという主張だ。これは少々学者達にとっては意地悪な言い方で、特に「貪食」の言葉には安藤の主観が色濃く反映している。だが、それにも相応の理由、ある種の道理はあるように見える。それは何かと言えば、一般的な傾向として、学問や知識に優れていることがよいことだという通念が世に浸透していて、これを打ち破るためにはそれ相応の言葉の威力が必要とされる為だ。「貪食」あるいは「不耕貪食」の造語には、そういう力が宿っている。
 この言葉によって学者達は、どんなに天下国家を論じても、所詮は他人が汗して作った食料を盗み食いする連中と変わらないという視線にさらされる。学者達には侮辱であるが、日頃教えると称して上に立つ者の、それは宿命とも言える。
 仮に、「不耕貪食」の汚名を返上したいというのであれば事は容易である。学問しながら、同時に食料生産に携わり、自分たちの食い分は自分たちで生産するというふうにすればよいだけのことだ。もちろん、それが可能かどうかはまた別の話になる。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑯
              2020/06/16
 
 第十一段の文章も短い。
 
 或人問ヒテ曰ク、「今ノ世、万国、皆偽談・偽行ノミニシテ真語・真行無キハ何ゾヤ」。答ヘテ曰ク、「聖人出デテ五法ヲ立テ、偽談ヲ教ヒテ、転道・転下ヲ盗ム。
  (中略)
厩子出デテ三法ヲ立テ偽談ヲ為ス。皆偽談ヲ以テ教ヘト為ス。世挙ゲテ偽談・偽行ヲ為スハ、此ノ所以ナリ。是レ字書・学問ノ為ル所ナリ。故ニ転下ノ怨ナリ。
 
 今の世に、まことの言葉、まことの行いが無いという嘆きは、「今」を超えた時代の嘆きなのだなあと思う。
 安藤昌益はこの問いに、後世に語り継がれる偉人、聖人たちのそもそもの教えや行いが間違っていたのだと説く。だから、それを伝える文字や書物や学問のいっさいが、社会に害をもたらすものだと答える。
 安藤にとって、まことの言葉やまことの行いを教えるものは自然の内側に存在するものである。個々の人間が、これがそうだろうと思って口にする真実とか道とかは、個人が勝手にそう思って言っているだけで、本当はその人の拵え事にすぎない。だから天道、天下を言っているようでも個人によって脚色された天道、天下にすぎず、それは個人に私物化された天道、天下であるほかない。
 安藤は自然の法則を「直耕」の概念に集約させ、人間は食衣に関連する生産活動以外に行うべき大事はないとする。それ以外の行いや考えはすべて自然の法則からの逸脱であり、偽談、偽行の根源と見なす。聖人や偉人の教えとか導きとかは逸脱の最たるもので、それ故にそれを著した書物や学問も偽談、偽行を誘発する元となって、それがあり続ける限り社会も人々も迷い続けるとする。
 ここで、それを言うなら安藤昌益自身も同じ過ちを再現しているのではないかという疑義が生じる。そしてそれは多分、同じなのだと思う。ただし、安藤には、古来からの大知識人、大教養人と自身とを峻別する最後の切り札があった。言うまでもなく、それは「不耕貪食」、「不耕盗食」の言葉で表すところの存在の有り様の違いである。別の言い方をすれば、それは専門家か専門家でないかだ。「直耕」を信条とする昌益は、「知」を専門とし、もって食衣を他に委ねてよしとするわけもない。自分の為す文字も書物も、かりそめのものと自覚している。用が済めば、いつでも知の世界からは足を洗うことができるのだ。そのためには師も弟子もいらず、徒党や党派を組もうともしない。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑰
              2020/06/18
 
 前回の十一段目から十三段目までは、「或人問ヒテ曰ク」というように安藤昌益への問いかけにはじまり、それに答えるという形式になっている。
 十二段目は安藤の文章が悪文だと謗るものの問いかけから始まる。
 昔の書物は文章が優れているが、おまえのは悪文だ。どうしてもっとよい文章にしないのか、というようにである。
 悪文かどうかの判断は別として、安藤昌益の文章が宛て字や造語などが多く、旧来からの文法的視点からすると、かなり逸脱していると受け取られることは仕方がないように思える。安藤自身、出来合の思想に、またそれを顕す文章やその作法に反発してのことだから、独自性を打ち出すためには批判的リスクも承知の上でのことだったはずだ。実際に面と向かって問われたならば、「いやあ、そうなんですよね」くらいにはぐらかして済ませたかも知れないが、ここの場面ではややムキになり、
 
凡テ文字ハ転道ヲ盗ムノ器ナリ。之レヲ知ラズ文ヲ好ム者ハ、道ヲ盗ムコトヲ好ム妄惑ノ甚シキ者ナリ。
 
と予(われ)に言わせている。
 現代語訳では、
 
そもそも文字というものは、天地自然の道を私物化し、搾取を正当化するための道具だ。こんなことも知らずに文章に凝るような輩は、好んで天地の道を私物化するあやまりもはなはだしい者だ。
 
となっている。
 安藤の記述する「転道」を現代語訳では「天地自然の道」と言っているわけだが、ここには安藤の言う「活真」の自己運動、別の言い方をすれば「直耕」という生成活動が伴う。「転道ヲ盗ム」とは、だから、「直耕」という生成活動を盗む、我が物にするという意味合いが生じる。
 本来なら「転道」に倣い、自らも生成する活動を行うべき所をこれを放棄し、天や人の生成した物を、知識、学問を教授する見返りとして受け取る所業。それは「転道」に反し、
横合いから掠め取る所業であると安藤は主張する。
 ここで、知識、学問の教授もまた広い意味では生成活動であり、直耕にあてはまるのではないかと疑義が生じる。つまり物質的な生成、生産活動とは言えないが、精神的なそれと考えれば考えられなくはないと思われる。安藤はしかし、自然の生成運動を物質的な生成の側面からのみ考えている。そして逆に、文字を使いこなすまでに至った人間の発達した精神の発動を、天地自然とは隔絶した邪な所業のように捉えている。人間の精神が文字を生み、これを道具として上と下、貴と賤、支配と被支配を確定していき、上に立つ者が耕作せずして食料を貢がせるようにまでなった階級の構成と、構造の堅固化に寄与したというように。そしてここに、一般の住民の生産物を搾取する仕組みが成立した。文字はその要の役割を果たすものだから、これを好むものは搾取の側に立ち、人の上がりをもって自らの生きる糧とする者たちであると安藤は言明する
 文字は最初、支配者が所有し、使用した。それは徐々に一般の庶民、大衆にまで浸透していった。その流れは学問や芸術、芸能の流れと同じだと言える。一面で、それは耕作労働からの解放の歴史でもある。日本近代においては、夏目漱石の高等遊民の階層を生じさせもした。この流れの極限には、凡て遊民だらけという事態も想定される。そうなったらそうなったで、ある種人類にとっての理想とも見なしうる。そうなれば安藤の考えは、歴史の過程に生まれた危惧の表明にすぎないものとなる。
 そうでなくても現在の社会にとって、安藤のような主張は、変わり者の狂った言い草としか受け取られないかも知れない。現在ではもう、文字は生きていくための必需品のようなものだ。こんな主張に耳を傾けようとすること自体も、おかしなことをしていると受け取られかねない。だが、本当の是非の判断は、もう少し先の方で為されなければならないように思える。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑱
              2020/06/22
 
 第十三段では、或人が「結局お前の言っているところは、聖人や釈迦をこき下ろして自慢しているだけのことじゃないか」と安藤に向かって言い、それに対して、そうじゃないよと弁明する構成になっている。
 ここでの安藤の言い草は、第一に聖人である孔子をけなすのは老子や荘子もやっているということ。
 すなわち、老子は「大道廃レテ仁義起ル」と言い、孔子の仁や義の主張は大道が廃れているからのことで、仁義に自然の大道があるわけではないと語って儒教をけなしたことを取り上げている。また、荘子も自分の著書に盗跖と孔子の挿話を載せ、孔子が盗人の元祖とも言われる盗跖に大盗人だと言われた物語があると指摘する。
 安藤はそれらを聖人を謗る例として、第二に、自分の主張は老子や荘子とは違うんだよと言う。
 
老・荘倶ニ聖人ヲ謗レドモ、己レ等モ不耕貪食シテ、転道ヲ盗ムコト聖人ト同罪ナリ。之レヲ弁ヘズ聖ヲ謗ルハ偏惑ノ甚ダシキナリ。
 
 つまり、孔子も老子も荘子も、関係性として、存在形態として同じじゃないかと言い、自分はそれとは違うと語る。
 自分の場合は、自然・活真・互性の妙道を明らかに指し示すだけであって、彼らはこれを知らないから誤っていると指摘するので、こき下ろしたり貶したりしなければならないほどの価値なんて、彼らにはないさと安藤は言っている。
 大まかに言ってしまえば安藤が主張するのは一点に集約でき、それは、自分たちの食衣生活については全て耕、織の労働をもって賄う、やりくりすべきだ、というものだ。それが自然の大道というものであって、人間といえども例外であってはならないとする。
 現在で言えば安藤の主張は自給自足的な生活であり、先進諸国の都市部ではあり得ない暮らしということになる。だが、新人類の出現以来、先史時代と言われる時代のある時期まで、それはある程度当たり前の暮らしぶりであった。人間一人一人が、あるいは家族単位で、食料を求め、探し、調達し、あるいは耕作し、栽培して自分たちの口に入れた。
 そこまでは自然の大道に沿った暮らしを人間もしていたのであり、動植物の暮らしともさしたる差異はなかったのだ。
 安藤は、その頃まではよかったと考えている。その頃までは、上下・貴賤・善悪の二別がなく、自然発生的な上下・貴賤・善悪の萌芽ですんでいたからだ。これを確定してしまったのは国家規模の共同社会の王となったもので、取り巻き達、道具としての文字、書物などがこれに手を貸したと見る。その部分は宇宙にも自然にも存在しない、人間だけの発達した幻想が行わせたところのもので、安藤はこれに強く反発した。
 大きく、また客観的に考えると、安藤の主張にも一理あるような気がする。だが同時に、どこか無理があるという気もする。
 安藤昌益の思考の眼目は、平等社会の実現にある。少なくともそのひとつであるはずだ。これを念頭に「自然真営道」の著述は展開する。この傾向性を考えるに、知や精神、要するに頭の働きにブレーキをかけなければならないという主張のように見えてくる。極論すれば、頭がよくなることはいいことじゃないと言っている気がする。頭がよくなると自分の得しか考えなくなるというようにも言っている気がする。現在社会は国を挙げて教育競争に明け暮れているわけだから、安藤の主張など歯牙にもかけられない。安藤に言わせればますます盗乱、上下・貴賤、迷走する社会ということになる。本当にこれを押し止めようとするものなど皆無に近くなってきたのだ。
 三木成夫は、動物の種の絶える時、その動物の特徴、特性が異常なほどに発達した時をもって、絶滅に向かってのスイッチが入るということを言っていた。人間ならば頭、すなわち頭脳の異常なほどの発達の極限にそれが訪れるということだろう。
 それがいつか分からないとしても、そうした提言、警告があったことは覚えていた方がよいかも知れない。絶滅の宿命を断ち切れないとしても、対策を講じてそれを遅らせるくらいは出来るかも知れないからだ。安藤の主張もそうした提言のひとつとして、まだまだ詰めて考えられてしかるべきことではないかという気がする。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑲
              2020/06/25
 
 第十四段についての概要は次のように書かれている。
 
第十四段は、昌益の創作した寸話だが、虫のせりふに託している内容は、権力者への批判である。それは、権力の民衆に対する悪質ぶりと、権力自体がもつ自家撞着との二面からする本格的な権力論となっている。
 
 ここで言う権力者は、昌益の記述では「伏羲」である。これについては注釈の項があり、以下のように書かれている。伏羲は、
 
古代中国の伝説上の帝王であり、三皇・五帝の初代。はじめて民に漁労・牧畜を教え、庖厨(料理)を教え(ここから庖犠ともいう)、八卦を描き、文字を作ったとされる。昌益はこの伝説を批判し、伏羲以前の社会こそ、上下なき万人直耕の共同体であったといい、これを破壊して階級社会にしてしまった伏羲を、最初の権力者として糾弾している。
 
 伏羲についての注釈の前半部を読むと、民に漁労や牧畜のやり方やいろいろな料理を教えたり、あるいは占いや文字を発明して、民の生活の向上に貢献した立派な王様だということになる。伝説とはこういうものだが、まあ後の帝王学の基本となるような事柄で記述されている。
 一般にこういう伝説が流布されるところでは、それを鵜呑みにするのが通例であると思う。文字に書かれていれば、いっそう「そうなんだ」と受容するほかない。だが、この「受容」は、言葉が示すだけの単純な内容の「受容」ではない。「受容」とは文字通り受け入れることだが、心の底から信じ切って受け入れるのと、信や不信もなく通りいっぺんにただ受け入れるのとでは違う。伝説を受け入れる民もまた、いろいろな受け入れ方をしたと思う。
 王様と一般の民との関係もまた複雑である。支配と被支配の関係といえばそれはそう言えるに違いないが、それは王と民との一面の関係を抽出したもので、関係全体ではない。民はよきリーダーは讃え、悪しきリーダーには面従腹背する。極端な場合は民衆が王様を倒して殺してしまう例だってある。その時は支配と被支配が逆転する。
 こういうことを言い出すときりがなくなる。なので終わりにするが、ここで安藤が伏羲と民との関係に見ているものは、主に租税賦役の関係からの上下であり、支配関係である。
 王であり、支配者である伏羲の何がだめなのか。安藤はここでも同じ主張を繰り返す。 人は宇宙世界にもってただ一人で存在する。この存在の仕方は人として平等であり、だれ一人違わない一人としての存在である。そうである以上、自然の摂理、法則に則り、直耕、すなわち自らの手で耕作し、衣を織り、それらを生産し食衣して自らを養わなければならない。これが自然の摂理、法則というものであって、伏羲らはこれを私的な法制に変えて民の耕作物を横取りし、私的欲望を満たすことに消費している。それは大規模な盗人行為であり、鳥獣虫魚に同じ所業といえる。そういうものが仁、すなわち思いやりの心を説くなどとは笑止千万ではないか。
 伏羲とカマキリとの物語において安藤が語らんとしたことは斯くのごときのものである。王は虫のごとく自然法則のままに生きる民に及ばない。安藤はそう言いたいのだ。
 安藤にとって、文明・文化の未発達な「上下なき万人直耕の共同」社会こそが理想であった。天候によっては凶作もあり、小さな横取りや盗み、そうしたことにまつわる諍いや争乱さえあったかも知れない社会は、しかし、生活の苦しさ、厳しさにおいても平等であった。安藤は、この平等こそが、自然の摂理法則と軌を一にして、動植物を含めた自然宇宙と一体の価値であり、具現としての直耕であると考えていたように思う。そして安藤は、「これが真だよ」と言いたかったに違いないが、仮にこれが真だとして、現在社会において「真」が私語と化していない証拠はどこにも見当たらない。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる⑳
              2020/06/26
 
 第十五段は、また学問にもどって述べている。当然、学問に対する批判的なまなざしが注がれているのだが、ここでは学者達がどうして安藤の言うところの、活真の自己運動の法則を知りえないのかに限定してその理由を言っている。
 簡単に言えば、それは書物だけを見て考えているからで、身近な現実や自己自身から出発して考えようとしないからだと説いている。そして、活真の法則的な運動を認識しようとするなら、
 
目前ト己身トニ備ハル道ヲ以テ、明暗・互性ヲ知リ尽スベシ。
 
と述べている。
 要するに、天地・自然の摂理、法則性、言い換えれば真理、真実というものは身近な現実世界に横たわっており、古典や教条などの書物の中にあるものではないよと安藤は言う。目の前の身近な現実と、自分の心と身体とが本物のテキストであるのだと。
 こういう所は簡単なようでいて本当は難しい。具体的に安藤の言うところを立証するのは難しいし、逆の立証も難しいからだ。
 真は安藤と学者達のどちら側にあるのか。
 前に安藤は、あやまった文字を使ってあやまった文字を打ち破るのだと自分の著述の動機を語っている。
 文字、これを知と言い換えれば、知をもって知を駆逐する。知の戦い、知と知の戦いである。つまり真はどちらにあるかと競う。
 本当はこのあたりで、安藤に分があるよと言って軍配を上げてしまいたいところである。しかしながら、学者達が外部の書物、古典に依拠していることと、安藤が身近な現実に依拠していることとは、同じく人間が勝手な基準を持ちだしていることにすぎず、実際にはそうした基準は自然・宇宙の果てのどこにも存在しないのではないか。とすれば、民のごとくどちらも取り合わないということが最上ということになろうか。おそらく安藤はそこまでは視野の中に入れていたという気がする。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/06/28
 
 「大序巻」第十六段は、全文が神山仙確によって書かれている。全集の解説、また十六段の概要には神山仙確は昌益の高弟とされているが、昌益、仙確達の間では「師無く弟子無し」が暗黙の了解事項であったろうから、実際には仙確達は昌益に心酔した同行の人たちという立場にあったのであろう。
 仙確自身、この文中で、
 
吾道ヲ問イテ其ノ答ヲ採リテ、以テ之レヲ師トナス。
 
と述べている。人としては同格であり、それぞれが「転下二只一人」の自立した人間同士であり、上下に転びやすい師弟関係にないことを強調しての言葉だと思う。仙確が師と仰ぐのはあくまでも昌益の思想の言葉であり、昌益その人ではない。ささいなことだが、こういう所の徹底ぶりは昌益の人格にまともに影響を受けた徴であり、逆に言えば昌益の人格の直接的な反映と言えよう。
 さて、概要にも述べられているが、この段は直接に昌益を知るものが描いた昌益像としては唯一の文章であり、思想や世界観、人生観、また日常の生活態度から風貌に至るまで、昌益の全貌が表されている。大変興味深いところなので、ここでは冒頭の数行を抜いて、現代語訳の文章を書き写してみる。
 
先生は、聖人・釈迦・老子・荘子・聖徳太子などが、いずれも到達できなかったことだけを説き著し、古典の字句の解釈などは少しもされない。万物に備わっている法則、つまり、明と暗に代表される事物の矛盾関係を知りつくしておられる。先生のすばらしい認識とみごとな実践をみると、まことに活真そのものの人といえる。その人柄は貴くも卑しくもなく、顔だちはとりわけ美しくも醜くもない。その精神・心情は、活真の矛盾運動の精妙な法則に通じており、身近な現実と自分の体とに備わる矛盾の法則を見て、始めも終わりもない活真が、天地をつくり、回・日・星・月を産み、穀物や人間や動植物を産み出しながら通横逆の三つの方式に相互関係をもつ八気として精妙に運回するのは、ただ活真の生産労働だということを知り抜かれておられる。だからつねに直耕を重んじてそれをないがしろにされない。いつも、昔の聖人や釈迦、老子や荘子などらが、寄生生活をして自然の法則をおかし、上下の支配制度をでっちあげ、偏った心の惑いや迷いによるうめきがあふれる悪魔の世をつくり出し、そのために人間が畜生と同じ境遇に転落することを嘆かれた。人々が今後永く搾取と争乱に苦しむことを憂えて、自らが直耕を行うかわりに活真の営みを書物に綴り、その真理を後世に伝え残して、この世を搾取も争乱もない平和な世にすることを願っておられた。先生が直耕で一生を送ることは、一代限りの生き方としては真実にかなっている。だが、鍬を筆にかえて『自然真営道』を著し後世に伝え残すことは、一代限りではなく、永遠・無限の真実にかなう生き方であり、まさに筆による直耕だといえる。先生はこのように熟慮されて、『自然真営道』を数十年にわたって書き継いでこられたのだ。
 
 以上はこの段の前半部分だが、書き写しながら、やはり昌益の弟子格の文で、特に書き写した最後の部分になると、批判される側の反撃の口実を与える論理が展開されていると感じる。カナ交じりの文では、
 
直耕ニ代ヒテ真営道ヲ書ニ綴リ后世ニ貽スハ、永永・無限ノ真道・直耕ナリ。
 
となるが、これでは既存の研究者、学者達までもが、自分たちも同じ事だと言いかねない。つまり、仙確は、昌益よりも少し抜かっている。昌益は、言葉としては、文字としては、こういう所を残さなかったという気がする。昌益は前の部分でも、文字を使っての文字で著された書物を批判するという矛盾を、矛盾のままで押し通している。弁明はあるかなしかの最小限にとどめている。仙確は、昌益の矛盾を体裁をつけて穴埋めしようとしたが、これは勇足であろう。直耕はあくまでも食衣のためのもの。
 仙確の気持ちもよく分かる。直耕を現在の社会に照らして考えると、どんなことになるだろうかと結構真剣に考えたことがあるからだ。その時に、仙確と同じようなことも考えたことがある。だが仙確のように言うと、直耕自体が汎用性を帯びてしまう。何でも直耕に置き換え可能だということになりかねない。そうなると、せっかくの支配、権力批判の武器となる直耕の言葉が薄まってしまう。少なくとも昌益の意とするところではなくなると思う。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/07/01
 
 小学生の頃、山間の小さな村落のまたそのうちの一つの部落と呼び習わす生活圏で育ちながら、人々の間に身分の高い低いがあることをなんとなく感じ取った。それは序列といった方がいいのかも知れないし、あるかなしかの貧富の差と呼んだ方がいいのかも知れないが、子ども心にどうしてその人は周りに遠慮がちであるのか不思議でならなかった。
 朝早くから夫婦で田んぼ仕事に出て、終日家と家の前の田んぼを行き来するだけで、いわゆる怠けて遊んだり、寄り合いとか酒の席とかで浮かれている姿を見たことがない。まあ絵に描いたように真面目な生活ぶりをするご夫婦だった。
 その家の子どもに同級生の女の子どもがいて、その子は恥ずかしがり屋の面はあったが少々がらっぱちな面もあり、その頃のその地域の女子としては特段変わったところもなかった。
 今考えても、質素な暮らしぶりではあったが、特別な家庭ではなかったように思う。ただその部落内では親戚関係といって見当たらず、親戚関係にある家々の盆暮れの出入りの賑やかさの陰に隠れ、ひっそりとしていたという印象がある。
 朝晩学校の行き帰りに、いつも家の前の田んぼに出ていて働く夫婦の姿があった。こちらが「おはようございます」と挨拶すると、同じように挨拶をしてくれた。ただ、その挨拶の距離は縮まりもせず遠のきもせず、どこまでも一定の距離が保たれた。それは部落内における夫婦の立ち位置そのものであったようにも思われる。
 子ども心に、ただひたすら農事に勤める夫婦の姿を見るにつけ、部落内でもっと尊重されてもよいのにとか、もっと大きな顔をしてよいのにとか思った。反対に、部落内で偉そうにしていたり、大きな顔をしている大人達も見ていて、この夫婦のような謙虚さがないなあという感じ方もしていた。つまり、そういう違いがなぜ、そしてまたどういう根拠からそういうことになっているのかについて、よく分からないままに、しかし、ひとり心に気にかけながら幼年をくぐり抜けようとしていた。
 うまく言い切れなかったが、子どもの頃のこうした心的な体験はひどく些細だが、たくさんたくさん積み重ねられていたという気がする。そして本当はそうしたことが自分の原初を形作ってきたものではないかと思う。
 安藤昌益の思想の原初もまた、安藤の幼少期の経験、体験が元になり、安藤はまたそれを大切に反芻したという気がする。
 安藤の著述には、自分の感性や思考に蓋をして、外部の知識をもってそれがさも自分の感性や思考だと錯覚することへの警戒感が潜んでいる。あるいはまたそれは違うという考え方が保持されている。文字や書物を頼ることはだめなので、身近な現実や自己の心身を見つめ、掘り下げるところに真が浮かび上がって認識されるようになるという主張は、前述した部分を含んだものと思える。
 こうしたところから考えれば、学問をして上下・貴賤を知るのではない。安藤もまた同様で、幼少期からの生活体験を通じて感じ取っており、知っていたということになる。これを意識的にすくい取るか否かは彼の現在が決めるもので、それ自体は消失するものではない。もちろんこれをすくい取るか否かはどちらでもよいことだ。
 上下・貴賤や人間が等しく平等であるということについて、安藤のこだわりは徹底している。これが並大抵なものでないことは、聖人、学者達への反発が物語っている。関係の絶対性というような言葉こそ使っていないが、聖人や学者達に向かって、お前達は教え導くと称してきれい事を並び立てるが、実際には生産者達のあがりをあてにして、そのために生産者に余計に苦役を課すことになっているじゃないかと罵倒する。なんだかんだと言ってもお前達が上下・貴賤をつくり、不平等を固定化しているじゃないか、と。客観的に見たら文字や書物や学問はそういう道具にしかなっていないじゃないか、と。
 昌益がここまで徹底して言い切る背景には、やはり、自己体験からの思考、思想の形成の仕方をしたからだとしか考えようがない。そしてそれは頭のする思考ではなく、内臓思考と呼んでよい形態からくる思考なのだ。
 これに優位、劣位のレッテルを貼っても無意味だ。ただ、古くさい言い方になるが、個人にとって宿命的か否かの差異だけは残る。これもまた良否とは無縁なるものである。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/07/02
 
 考えながら書き、書きながら考えしているが、前回は十六段の前半部を書き写し終えたあとに、心に思い浮かんだことなどをつい書き散らしてしまった。
 今回は十六段の後半部を書き写すだけにする。前半部の延長で、もう少し昌益の人となりに踏み込んだ記述がされていて興味深いところだ。
 
 先生のつね日ごろのはたらき方や生活態度はまことに質素である。朝夕の飯と汁のほかはいっさい口にしない。酒はたしなまず、妻以外の女体と交わることはない。道にかなったことでなければ質問してもけっして答えず、世のため人のためには問われなくてもみずから語り、片時も無駄にせず、正しい生き方をして怠らない。他人をほめることもけなすこともなく、自慢することも卑下することもない。地位の高い者をうらやむことも地位の低い者を見くだすこともない。つまり、人を貴んだり卑しめたり、へつらったり貪ったりすることがない。家のまかないは、貧しくもなく豊かでもなく、借金もしなければ貸すこともなく、その時々の受払いは今の世の状況に応じてするが、それに気をつかうことはない。まわりの人々がほめそやすと、「わたしもつまらないにんげんになったものだ」と嘆き、逆にけなすと、「わたしもまんざらではないようだ」と喜び、人をけなしたりほめたりすることは、愚人や賢人や聖人がすることであって、正しい生き方をする人には無関係のことだと超然としている。だがひとたび世間の人々の人相を見るとなると、人々の心理状態、行為や動作の傾向を見分けることがじつにたくみだ。自然の法則以外のことは教えず、かといって自然の法則についても、それは各人に備わっているものだから、無理に教えこもうとせず、習おうともしない。自分や他人を甘やかさず、かといって憎しみもせず、親しむことも遠ざけることもしない。わざとらしい孝行もしなければ不孝もしない。慰みごとや楽しみごと、楽器や歌、遊びごとなどは、それなりに聞いたり見たりはするが、心を奪われることはない。けれども、たずねてみるとなに一つ知らないことはない。質問しなければ、自分から押しつけがましく説教じみた話はしないが、人に備わった法則については、質問のあるなし、勧めのあるなしにかかわらず、実践にもとづいて教え、怠ることがない。世間の贈答は、世のならわしどおりにするが、それに心を奪われることはない。人が欲しがれば物惜しみせずに与えるが、欲しがりもしないものを押しつけたりはしない。人の生死は、活真が進んだり退いたりする矛盾運動の必然的なあらわれと自覚しているので、ことさらに生を喜んだり死を恐れたりはしない。
 
 人の個性だとか性格だとか、あるいは生活態度、行動傾向などは千差万別だと思う。このばらつきを図に点在させれば、仙確の昌益像は限りなくゼロ基準に近いところに位置するような気がする。ある意味でとても没個性的だが、反対の意味ではそれ故にとても個性的だということになるかも知れない。また違った角度からは極めて常識的で標準的で、そのへんの市井の人と見える。ごくふつうの生き方に近く、それでいて人はなかなかそこにとどまることは難しく、大半はそこから逸れて行ってしまうものだ。仙確の昌益像には揺るぎが見えないが、本当であればなかなかなものだと思わないわけにはいかない。ここでは単純に、立派な人だったなあと結論しておきたい。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/07/06
 
 第十七段は、「大序巻」前半の活真論・互性論の繰り返しの言及だが、いっそう深く、詳細な展開を試みようとするもののようだ。例えば男と女については、
 
男ノ性ハ女、女ノ性ハ男、男女互性ニシテ活真人ナリ。
 
と述べられており、これは以前の記述の繰り返しだが、ほかに明徳暗徳・天明地暗・日明月暗・明回星暗・穂穀莢穀・雄雌・牡牝・ヲムシメムシ・ヲウヲメウオ・オキメキ・転定定転なども例として列挙されている。これらはすべて、相対的関係にあるとか相互関係的とか、あるいは矛盾関係として対であり、対でもって一なるものと説かれる。順に言えば人間は活真人で、以下、活真徳、活真の全体、活真神、活真運、活真穀、活真鳥、活真獣、活真虫、活真魚、活真草、活真木などのように言葉が並ぶ。
 このあとの季節の記述についても同様に、みな活真の相互関係と運行とによって規定しあっているものだと説かれる。そしてこの段の結びは次のように締めくくられる。
 
明徳ノミ言フ者ハ偏惑ナリ。暗迷ノミ言フ者モ偏惑ナリ。転ノミ言フモ偏惑ナリ。定ノミ言フモ偏惑ナリ。男ノミ言フモ、女ノミ言フモ、心ノミ言フモ、知ノミ言フモ皆悉ク互性ノ備ハリヲ知ラズ偏惑ナリ。凡テ古聖・釈・老・荘・厩始メ、万万ノ書言、悉ク明徳・明心・明知ノミ言ヒテ、互性ノ備ハリヲ知ザル故ニ皆偏惑・横気ニシテ、落罪ノ根ナリ。
 
 明るさは暗さがあるから明るいと認識するのであって、明るさだけがあったらそれが明るいかどうかを知りえない。
 安藤がここで主張していることは、そういう類いの論法で、あらゆる存在、またあらゆる事象には矛盾する関係が内在すると言っているのだと思う。
 便宜上、昔の聖人を始め、悉く一方的に明るさに偏った物言いをしたり、一面的な見方しかしないので、すべてがおかしなことになってしまって世の中も悪くなった。人間ごときがこの世界を軽々に論じたり、判断すべきものじゃないし、また本当は出来ないんだよ。 安藤昌益はそういう思いを含んで記述しているように思えるが、しかしながら、世間一般からすれば安藤の考え方こそが偏惑と見なされる気がする。
 片や権威ある、そして歴史的時間の底をくぐり誰もが認めるところの書物群と、権威も来歴もないポッと出の所見、しかも思い込みが激しく独断的な調子で書き進められた著述。これが世間一般に即座に通用するとは思われない。誰がどう考えても無謀ではないか。それでも安藤は書き進めていく。
 これまでの所、安藤の手持ちの札と言えば、直耕であり、不耕貪食であり、ここで展開しているところの活真の進退・互性というものである。これらは安藤の発明であり、独創でもある。誰かから学んだものでも、模倣でもない。これだけで既存の思想、知の蓄積を批判していく。
 もちろん安藤は仏教や儒教、聖徳太子の教えなども読んで理解していたに違いない。だが安藤はそれぞれの教え、思想の内側に入り込んで批判してはいない。すべて枠外からの批判であって、既存の思想が考えもしなかったところを突いていく。
 思考の本質は幻想であり、もっと言うと妄想である。さらに言えば自然から疎外された人間の独りよがりな言い訳である。そういうものをどうしてもてはやそうとするのか。本当に切実で大事なことはほかにある。次第に、安藤が言うところにはそういう考えが含まれているように思われてくる。
 前回、前々回の仙確による安藤の人となりを記述した文章と併せて考えると、安藤の思想は世間的な常識すべての反転と映る。同時にそれは、文明の進展に対する果敢なる懐疑、挑戦というようにも受け取れる。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/07/07
 
 第十八段では始めに「活真気」について触れている。天や海、それから大地の内部を例に、それぞれに「活真気」は満ちているとし、それは目に見えない無形のものだとしている。また本来それは清浄なもので邪汚気を含まないと語る。
 そもそも「活真」とは万物の根源的物質、元基とされ、「活真気」とは気として運行状態にある活真のことである。そしてそれは天にも海にも大地の中にも清浄な姿で、常時存在するものだということだ。
 本来そのように清浄な「活真気」が、邪悪な気に変わってしまったのは聖人や釈迦が現れて以降のことだとその後に続く。
 横気、すなわち鳥獣虫魚の動物的世界が人間界でも支配的なってしまった。
 それは聖人や釈迦らが私的に上下の制度、観念的な枠組みを作り、教え導くとして実は自分らの欲求のままに働きもせず搾取し、下の衆人を苦しめことに発すると安藤は言う。
 そこから羨望、欲心、恨みつらみなど様々な汚れた気が生じはじめ、しだいに上下共々邪悪な気に狂い、もともと清浄な天地自然の「活真気」を不正な邪気にしてしまった。
 安藤はさらに、そういうことが干害、冷害の原因となり、凶作と民衆の餓死や伝染病の流行を招いたと述べる。
 人間社会の有様と自然現象を直に結びつけて考えるのはやや強引な気もするが、現代社会における地球温暖化の指摘などを思えば、安藤の記述は予言めいて見える。
 いずれにしても、ここからの結びの記述には安藤らしさが全開に出ていて、「自然真営道」全体の中で、こういう所が安藤の主張の核になっているのだなと改めて気づかされる。
 
是レ其ノ本、聖・釈、私法ヲ立テ、不耕貪食シ、己レ先ヅ盗欲心ニ迷フテ、而シテ後ニ世人ヲ迷ハシ、欲賊心ト為サシメテ致ス所ナリ。
 
 注釈の項に、盗欲心は支配する側の搾取、収奪の欲とあり、欲賊心は民衆のヌスミの欲を意味するとある。
 さて、「聖・釈、私法ヲ立テ」とは安藤が繰り返し述べている言葉だが、未だにこれをすんなり受け入れることが出来ない。かすかにだがどこかに戸惑いが残っている。特に釈迦当人に対しては、不耕貪食の汚名を着せることにためらいがある。貪り食うというイメージが湧かないのだ。もちろん比喩的な受け取りをした上でのことだが、そこまで言うかねと、内心に呟く自分がいる。
 安藤の人となりは仙確が記すところによれば、表向きはごくごく一般的な人の立ち居振る舞いをしている。気さくで温和な人のようにも思える。しかし、聖人・釈迦に対する批判は辛辣で、そこに表向きではない情念の炎が感じられる。つまり、どこか近親憎悪的な過剰さがあるように思えるのだ。
 言ってみればそれは激しい「知」に対しての憎悪である。
 釈迦は自身が生きた当時としては最大級の哲学者であり、知的求道者であり、解脱もしたとされ、言ってしまえば安藤の言う清浄の化身とも考え得る人であった。そういう釈迦に対し、「私法ヲ立テ、不耕貪食シ、己レ先ヅ盗欲心ニ迷フテ」と言い切る時、安藤は情念を押し殺しながら、言葉がそれを裏切って情念の迸りをみせるかのように感じられる。あるいは釈迦という「知」の極限に向かって刃物で切りつけると同時に、その刃先は自分の中の「知」に向かっても鋭く刺し込んでいる。よかれと思って為した修行、探求が、世に流通していく時点で制度化し、かえって人々の心の手枷足枷に変貌するメカニズムを、安藤は凝視できていた。たぶん、「知」のそうした機能、はたらきをを自覚し、人知れず自分に封印した経歴が安藤にはあったのではないか。そしておそらくその道は細い細い道なので、安藤にとって苦い戒律ともなったはずである。それにゆえに、半強制的に寄進を貪る仏閣、当時の寺の大本になる仏教の始祖としての釈迦に対し、怒りを抑えきれなかった。
 民衆の苦しみを救済すると称しながら、よりいっそう生活苦を呼び寄せるのは、お前達の寄生生活に原因の一端があるじゃないか。安藤はそれぞれがする主観的主張の裏側に、まったく主張とは異なる客観的な関係性が存在することに、あるいは生じることに、かなりの深さで自覚できていたのだという気がする。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/07/11
 
 第十九段の概要は以下のように記されている。
 
第十九段は、はじめに顔の八器官の互性関係を詳論し、次いで簡潔に独自の天文観が示され、また人間の精神現象の互性を主に生理面から述べ、終りに天地と人身との相互交流のことを論じ、その間を縫って「気道ノ互性」と「味道ノ互性」という独特な論理が展開され、あたかも自然哲学の概論といった観を呈している。
 
 たとえば冒頭は次のように書かれている。
 
 面部ノ八門、互性ノ妙徳ハ、凡テ視ルコトハ眼ノ主ニシテ、其ノ視ルノ妙徳性ハ耳ヨリス。眼ハ木気、耳ハ水気、互性ノ備妙ナリ。転定・運回、八気・互性ノ木気、目ニ感合シテ視ルコトヲ主ル。運回ノ水気、耳ノ水気ニ感合シ、耳ノ水気ヨリ視ルノ妙徳性ヲ為ス。故ニ活真ニ視ル則ハ、視ル内ニ七門ノ妙用伏シテ、視ルノ一映ト成リテ、転定・人・物ノ色・品・形、目ノ黒玉ノ水内ニ浸シテ視ルナリ。水ハ知ナリ、知ハ霊ナリ。目ノ視ルコト、知水ニ浸シテ、霊、視ル物ノ其ノ品ヲ分明ニス。七門ノ妙徳用、視ル内ニ伏ス、故ニ視尽クサザルコト無シ、是レ活真ノ視ルナリ。
 
 こうなるとまったくお手上げで、何を言っているかさっぱり分からない。たどたどしく読み解いて字面上を少し理解できたとしても、「視ルノ妙徳性ハ耳ヨリス」の文言などが本当か誤りかこちらでは判断がしかねる。昌益は仮にも医者であるから大きく誤ってはいないだろうが、どこまでそれを素直に受け取ってよいのか。
 生命の進化の歴史から類推すれば、分化したそれぞれの感覚器官は、原初は未分離、未分化の状態にあったと考えられる。そしてそれがそれぞれに特化していく形で進化が行われ、現在の哺乳動物に見られるような、目や耳や唇や鼻や舌などになった。そう考えると、そもそもが単体の当時に備わったものの分離、分化と言えるから、昔の一体時の相互連関の名残が残っていても不思議ではない。
 つまり、目と耳は互いに関連しながら精妙なはたらきをするという安藤の指摘はそれほど荒唐無稽な話ではないし、ここで言われる「七門ノ妙徳用」もあながち否定されるべきことではないかも知れない。
 安藤は八器官は互性関係にあり、互いにつながっていることを言い、これがこの段ではおよそ全集の15ページほどにわたって詳しく記述されている。
 正直ここを読み進めるのはうんざりするし、医学的、生物学的知識もないものにはとてもじゃないが付いていけない。安藤はしかしこういう所を馬鹿丁寧に記述していくものだから、始末に負えない。もちろんここには安藤の医者としての面目もあり、思い入れもあるのであろう。それは読む側の礼儀としてしっかり受け止めねばならないとは思うが、こちらにはその力能が無い。よってここは研究者や専門家の手に委ねるとして、これ以上の深入りを避けることとしたい。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/07/14
 
 安藤昌益の体制批判は、当時の八戸藩、徳川幕府、あるいは天皇制に直接向かうものではなかった。
 今日、例えば学生を先鋒とした香港市民の、香港政府及びその後ろに存在する中国政府に対する抵抗運動を見ると、それは直接的である。安藤はそういう方法、戦法をとらなかった。
 香港における抵抗運動のようなものを日本の場合で考えると、六十年安保闘争を思い浮かべる。当時のスローガンのひとつが「反米」だとすれば、香港の場合、「反中」になる。当時の日本は大部分がアメリカの言いなりになっており、現在の香港は今後いっそう中国の言いなりになるほかない状況にある。
 それぞれ大アメリカ、大中国が後ろに控え、抵抗するもの達の切実な声が、同じように切実な声として対手に届くことは先ずあり得ないと言ってよい。だが、そうではあっても当事者達は声を上げずにいられないということが、きっとある。
 日本の明治維新は、長きにわたってこの国を支配し治めた徳川幕府に対抗する、薩長土肥を中心とした倒幕(討幕)軍の勝利により、大政奉還、王政復古と進み行われた。
 これは今考えると内戦であり、権力闘争と言ってよかった。実質の統治者が武士から天皇に代わっただけであった。もちろん主にヨーロッパの影響を受けて文明開化といった装いがあるものの、支配関係、支配体制に大きな違いはなかった。
 以後、このときに奔走し活躍した坂本龍馬、西郷隆盛、勝海舟、高杉晋作、あるいはその他の人々も、国民の間ではヒーローとして現在に名を残している。
 これら幕末維新の志士たちが、偉業を成し遂げたとして後世に伝えられることはある意味当然のことで、そこに大きな疑義はない。しかしながら、彼らの多くは地方の下級武士達で、倒幕(討幕)運動を支えたイデオロギーとしては彼らの存在の有り様が大きく関わっていた。つまり、もう少しはっきりと言ってしまえば、やや開明的な地方の、小役人的な考え方が主流を為していたように思われる。当時はそれが先進的な考えであり、源流は朱子学や陽明学など既存のものであったようである。さらに儒教、儒学がその大本になる。 安藤昌益は明治維新に先立つこと、およそ百年前に没している。言うまでもなく、安藤は根源的かつ原理的な考え方からすでに孔子に対して辛らつな批判を展開している。
 こうしたことを考え合わせると、安藤昌益という人は維新以前の百年も前から、維新に展開された思想の数倍も深く、根源的本質的な考えをしていたと分かる。これは、すごいことではないだろうか。しかも、倒幕(討幕)、維新が、あくまでも統治の考えに発し、帰結するのに対し、安藤の考えは、被統治側のごくふつうの暮らしを基底とした平等社会を夢想するものであった。どちらがより根本的であるかははっきりしている。安藤昌益の方が普通に生きることの価値をよく知っているのだ。
 現在の日本社会は、安藤昌益を深層に閉じ込めたまま、坂本龍馬のようなヒーローを相変わらず讃え続けている。坂本らは、支配・被支配の関係を解体するものではなく、単に首をすげ替えて社会の刷新を図ったにすぎないにもかかわらず、多くのものに憧れを口にさせている。それもたいしたものだが、裏を返せば、未だ大勢は支配の側に自分の椅子を、潜在的にか顕在的に求めていることを明かすものとなっている。それを悪いとは言わない。だが、その流れを断ち切らないことには、いつまでも悪縁は絶ちきれず、行きにくさ、苦しみも断ち切れることはない。安藤の思想はその極限において、再度登場することになるに違いない。そして、当分の間、この社会はその極限に達することはないと思われる。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/07/16
 
 第十九段については最初に述べたように、主に顔に備わる目や鼻などの器官の互性関係が詳述されている。安藤が面部八門としてあげているのは、まぶた、目玉、唇、舌、鼻、歯、耳輪、耳穴である。
 こういう勘定の仕方、そしてそれぞれの相互関係についての記述は、前にも述べたように素人的には眉唾物としか受け止めにくい。つまり、「こんなことは習っていないよ」とか、「教わってないよ」ということになる。今日においてはもちろんそうだが、当時にあっても独特な捉え方であったと思う。しかしながら安藤的には八門としての捉え方に理を見出していたのであり、それ故に互性の詳述が出来た。現在的な学問体系から見て、安藤の捉え方が誤りであると指摘するのは、あるいは容易なことかも知れない。しかし、安藤的にも独自の体系化を試みているわけで、宇宙的規模から人身に至るまでの互性関係を関係づける思考的営為は、誤りの一言で価値を失うものではないという気がする。外からうかがえば、何もないところから出発した安藤の営為は、考え尽くせるところまで考え尽くしている。荒削りで過誤を含んだ体系化なのかも知れないのだが、こういう思考を実践し得た思想者は日本においてはごく稀だと言ってよい。古くは儒教や仏教の思想、明治以降ではキリスト教をはじめとしたヨーロッパの思想、それらを正しく深く理解することが日本的な思想者、知識者の中心的な営為であったように思う。これに較べ、安藤の営為は教わらない、習わないとして、まったく逆の行程をたどっている。しかし、本当に学問的なのはどちらの側であるのか。本当に学びを自身のものとしているのはどちらの側であるのか。安藤昌益の著述はそういうことまで考えさせる。
 考えることの必然という言い回しがもしも成り立つものだとすれば、安藤のそれはいろいろな角度から見て必然的なものだと見える。考えようとして考えたのではなく、考えざるを得ないようにして考え尽くした結果である。究極的には真かどうかの問題でさえなくなってしまう。それでは学問の名に値しないという者があればそれはその通りと言うほかなく、安藤であれば、それなら学問の名称を破り捨てて惜しむことはなかったに違いない。そして、人がする最上の思考は真か否かを基準にするばかりとは言えず、人間的世界、あるいは人間社会を最上のものにしていくことに向かって、寄与するか否かにあると答えるであろう。もちろん、真か否か、寄与したかしなかったかの判断は、ほとんど永遠に近いところまで引き延ばされるものだ。もっと言えば、本当は人間はそれを判断することが出来ない。
 互性関係の体系化に挑み、これをなんとか苦労して体系化にまでこぎ着ける安藤の、苦労それ自体をわずかでも感じ取るために、以下に詳述の一部を引用してみる。
 
 此ノ根ハ面部ノ八根ナリ。故ニ転定・人・物、八根ヲ以テ之レヲ尽シ極ムルタメニ備ハル者ナリ。人、胎内ニ在リテ、頭面先ヅ始マリ、鼻穴及ビ七門ヲ開キ、母ノ吸息ヨリ転ノ八気・定ノ八気、互性ノ妙気ヲ受ケ、府蔵成リ形体成ル故ニ、面部ハ人身ノ根ナリ。故ニ八根ナリ。人気ヲ転定ニ通ズルニハ、八門ナリ。
 
 引用のはじめの方では、人の顔の八器官は宇宙・人間・万物の、精妙な運動を知りつくすために備わっていると述べている。
 人が胎内にある時、顔の八器官で母から天地の八気を受け取るから、面部は人身の根にあたると引用の終わりの方で述べている。だから顔の八器官を八つの根と言うとも続け、さらに人の気を転定に通じさせるのも八器官なのでその時は八門と呼ぶとしている。気を受け取る、気を発する、いわゆる、気の「出」と「入り」に関してのことだ。「入り」だから「根」で、「出」は「門」と呼ぶと言っていることは理屈に合っている。
 
此ノ故ニ八根・八門ノ互性・妙道ヲ以テ、転定・人・物、毫厘ノ事理、真妙、之レヲ知ラザルコト無キ様ニ、活真自リ之レヲ備フ者ナリ。然ルニ、此ノ己レニ備ハル面部・互性ヲ知ラザル古聖・釈・老・荘ノ如キハ愚ト云フニ足ラズ偏狂・乱惑ナリ。后世此レニ迷ハサル、之レヲ患ヒテ此ノ面部・八根・互性・妙行ノ備道ヲ見ス者ナリ。故ニ活真ノ妙道ハ、八気・互性ノ一道二極マリ尽スナリ。此ノ外ニ道ト云フコトハ絶無ナリ。八気互性ハ一連気ナリ。故ニ一門主用ヲ為セバ、七門之レニ伏シテ、其ノ妙徳用ヲ行ハシム。転定ノ八節モ一節主行ヲ為セバ、七節之レニ伏シテ、ソノ節ノ妙徳用ヲ行ハシム。時ニ回ル気行モ又是ノ如シ。
 
 人は八つの器官をもって、天地・人間・万物のことから些細な事柄とその意味することまで、すべての本質を認識できると述べ、またそのために活真がひとりでに人間に八つの器官を備えさせたと述べている。
 さらに安藤らしく、「古聖・釈・老・荘」たちはこのことについて、まったく無知で、どうしようもない馬鹿な連中だと罵倒する。
 名指しされた聖人、偉人たちは、倫理・道徳といった面で、いずれもこれ以上ないというほどの深さまで考え尽くした人たちであったろう。安藤はそうした彼らがそれぞれに到達した境地について一顧だにせず、最も身近な身体やその各器官、あるいは生活の足下に横たわる真理に盲目であったというその一点により、はねつけている。
 ここでも安藤は、世の人々が「古聖・釈・老・荘」らに惑わされていることを憂い、こうして顔の八器官の精妙な相互作用の法則を明らかにしたと記す。そして、自分の主張する活真妙道は、八気の相互作用という一つの法則に尽くされるもので、これ以外にどんな真理もあり得ないと述べる。
 安藤によれば、八気の相互作用とは一連の気の運動で、顔の一つの器官がはたらくとき、他の七器官がその中に伏在し、中心になる器官を助けてはたらかせる作用のことである。そしてそれは自然の季節においても同様で、一つの季節が行われるときには他の七つの季節が伏在し、精妙な運行を助けるとする。
 そして、このように、季節のような時間とともにめぐる気の運行も、人間に行われる感情や精神の営みも、まったく同じ構造で行われているものであるとする。
 一見すればまったく異なる季節と人間の感情や精神の動きについても、あるいはそれぞれの内部においても、「活真の互性妙道」が行われていることを安藤は見出していく。そしてこれを宇宙全体から人身、さらには鳥獣草木に至るまで広げ、徹底的に言い尽くそうと試みている。
 こうした適用、またいちいちの検証的記述が随所で行われているのだが、まず第一にその労苦に頭が下がる思いがする。それは誰もがやっていないことで、一から十まで安藤自身が互性関係、相互関係を見出しながら記述を進めなければならないことだ。
 つまりここで言っておきたかったことはそのことで、安藤の思想的営為は0から始まり、さらに一から十まで安藤自身の手で行われているというそのことである。安藤の前に先行する思想はなく、安藤の後にも、八気の互性関係で貫かれた主張というものはない。
 安藤が本当に言いたかったことは、この世が八つの気の互性関係に貫かれているという内容ばかりではなかった。あるいはそのことを通じて真に言いたかったことは、人の思考にはつねに驕りがついて回るもので、むやみにその力を振り回すべきではないということである。人間の思考は創造的で、その機能と作用は現世的ではない。人以外にその作用を行使するものはどこにも見当たらない。どこにも見当たらないから思考はそのはじめから、幻想もしくは妄想を本質とするものである。本来この世界にないものが、この世界を知ったかのように、自分で勝手にすべてを組み立てて、これを真実であるかのように自らに納得させているのは、本当は傲慢以外の何ものでもないし、そもそもそこに真実のかけらもない。そんなものはいずれ、不意の出現と同じようにこの世界から不意に消滅するに違いないのだ。
 本当に安藤がこんなことを考えていたかどうか、自信はない。ただこんなものが視野の片隅に存在したのではないかなあと想像してみただけである。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/07/19
 
 第十九段を大雑把に見てきたが、もう少し見ておいた方がよいと考える箇所がある。それはこの段の終わりの方にあり、先に引用した箇所の続きにあたる部分だ。
 
 面部ノ八門ニ転定・運回ノ気行ヲ感合シテ、八門ノ妙用行ハルナリ。人気ノミニシテ活行スルコト能ハズ。転定ノ気行モ人気ノ感ヲ受ケザレバ行ハレズ、故ニ転定ト人ト一和シテ直耕シ、活真・妙道、尽極ス。故ニ転定・一体、男女・一人、耕織・一行、意思・一心ナルコト、八門ノ一備ヲ以テ明然タリ。是レ炉内ノ八用・互性、飯汁ヲ煮熟シテ、飯一粒内ニ八気・互性具ハリ、胃内ニ入リテ府蔵ニ通ジ面部ニ発シ、而シテ八門ノ妙用ヲ行ウ、八門ノ互性ヲ以テ炉内ノ妙用ヲ行フ、是レ転定・八気・互性ノ妙気行ヨリ之レヲ爲シ、一活真ノ自行ナリ。
 
 ここを少し丁寧に読み進んでみたいと思う。
 まずはじめに、面部つまり顔の八つの器官に天地を運回する気がはたらきかけ、これに人間の気が感じ合って八器官の精妙な作用が営まれる、とある。また逆に、天地の気の運行も、人間の気のはたらきかけを受けないと行われないと述べられている。
 安藤によれば、気とは活真の自ずからなる運動の際の一形態、あるいは一つの現れである。活真は万物の元基として有形無形に限らず、そのものを存在たらしめている要素である。だから、天地・人・物、そして有形無形のすべては気(活真気)を顕現するものだということになる。そしてこれらの気は、相互にはたらきかけ、また相互に感じ合う関係ともなっている。
 面部にはたらきかける天地の気は、面部の各器官によって受容され、面部の機能や作用を促し、八器官は精妙にはたらく。そのことはまた、人間の気として、八門すなわち八つの器官から天地自然に、逆にはたらきかけるものとなる。自ずからなる互性関係、相互関係がそこに生じるのであり、人間も天地自然も同時にはたらき合い、作用し合う関係にあるということになる。
 これを入力と出力の関係として捉えれば、天地の出力に人間の側は入力で対応し、人間の出力には天地の側が入力で対応しているということになる。もちろんこのとき人間も天地も、考えられない速度で、ほとんど同時的に入出を行っているということになる。
 こういう所はなんとなく、マルクスの自然哲学における疎外論とつながる気がするが、はっきりとは分からない。というか、まだ明確には出来ない。ただ少しばかりそう思うだけである。
 とにかく人間は八つの器官、本当はそれだけではないが、それでもって天地自然に向かったときにそこから何かを受け取って、ある場合はそのことによって次なる行為が促される。このとき、例えば身近に向き合う自然に向かって人間が何らかの行動をとると、自然はそこで変容を被る。
 極端に考えて、この宇宙に人間しか存在しないとなれば、目、耳、鼻、口などの存在意義がなくなる。それぞれの器官の活発なはたらきが必要ないのだ。天地・人・物があり、それぞれに気が伏在してこそ、それを受け止めるための器官がある。そしてまた、この器官から人間の側に新たな気が生じ、これが天地自然の気に向かって発せられて、天地自然の気もまた新たなるものとなる。。
 安藤はおそらく、ここでこうしたことを考えているのであって、一言で言えば相互作用ということになるが、あらゆる物象、事象はその集積の上になっていると捉えていたように思う。
 互いにはたらきかける関係にある2つは、対立しながら互いに生成し合う。生成し合うから、これを直耕し合うと捉え、「転定ト人ト一和シテ直耕シ、活真・妙道、尽極ス」と安藤は結論する。こう考えてくるとどんな事物、事象でも単独で生じたり存在するものではなく、常につながりの中にあると考えられてくる。
 
転定・一体、男女・一人、耕織・一行、意思・一心
 
 天と海とで一体、男と女で一人、耕すことと織ることで生活の営み、思うことと考えることとで一つの心。安藤はまたこう語っている。
 安藤は、こういうことは外部の書物や学問を通して知ったのではなく、自分の身に備わる顔の器官を通じて、容易に知ることが出来るんだと述べる。
 また、顔の中の八つの器官の相互作用を知ってこれを活用すると、炉の中に行われる飯汁の煮炊きにも八気の相互作用が応用でき、うまく調理できたものを食物として胃に入れ、栄養が臓腑に送られ、さらには顔に届いてそこでまた八つの器官の精妙なはたらきが展開する。
 こうして天地の八気の相互作用、顔の八器官の相互作用、いろりの中の八つの要素は、連関し、また循環する。
 先の引用部分から、うつらうつらとこんな所まで考えてみたのであるが、あくまでもこれは一つの途中経過であって、こんな道草を食いながら次なる二十段へと次回は進んでいくこととする。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/07/21
 
 第二十段は病気について述べている。
 冒頭、活真は八つの気となって相互に対立したり、規定し合ったりの関係をとりながら、縦、横、逆に天地を運回し、人身を運回し、さらには鳥獣虫魚、草木を運回して生成を常とし、その活動の内には病気などというものは存在しないと述べる。また、そもそも活真に病などというものはないとも述べている。
 安藤によれば、人間の病気は聖人や釈迦があらわれて私的に上下の規範をこしらえて以来のことで、そのために世の中全体に欲望が蔓延したからだという。この欲望、欲心は横気で、よこしまな気である。これが天地の気を汚し、まず天地自然が病む。さらに人間に帰して病気を生じるとする。
 安藤の指摘は分からないでもないが、現代の医学からすれば迷妄であろう。第一に聖人や釈迦の出現以前に病気はあり得た。何なら人類が出現する以前の鳥獣虫魚だけの世界であっても、病というものはあり得たはずだと想像がつく。
 そもそも生命体は奇跡的に生じた。逆に言えば、とても敏感で壊れやすいものだ。だが上手にコントロールすれば長い時間生き続けることも出来る。このコントロールミスが病を誘発し、ひどいときは死に至る。
 安藤が、病も八気・互性によって起こると述べていることは、つまりはこの制御ミスを指すものではないかと思う。もちろんこの制御ミス、コントロールミスは人為的とも生体的とも言えない。安藤的に言えば、活真の自ずからする自己運動それ自体がもたらすものであって、起こるべくして起こるものだとも考えられる。考えようによっては、生命体というのは全くの健康体であることが奇跡的と言えるほどにとても微妙に成立しているもので、生涯において、どこにも微小の狂いも持たない完全体である期間はほとんどないといっていいくらいだ。
 安藤はこの段の最後で、病気も八気・互性、治療に用いる薬草も八気・互性を備えていると語っている。そして古来からの医法はこれをわきまえずに行うので人を殺すものになっていると続ける。だから八気・互性について知らないものは医者になるな、またこのことを知らない医者の薬は飲むなと戒めている。
 これは単に安藤の偏見とは受け取らない方がよいという気がする。また他の医者をおとしめたくて言っているのでもないのだろう。おそらく、安藤にこのように言わせるほどに、医療ミス、医療過誤の事例が世にたくさんあったのではないかと思う。またそのように受け取った方がよいという気がする。
 毒を以て毒を制するという言葉があるが、薬は使用を誤れば毒にもなる。
 安藤はどこかで薬なんか飲むな、穀物を食わせた方がいいんだというようなことを言っていた。生命体について、人体について、まだまだ分からないことが多い。先に述べたように生命というものは微妙なバランスで成立している。ある部分に支障が生じ、これに対して治療薬を投与するとき、これによって今度は全体のバランスを崩すことがあり得るかも知れない。それよりも、栄養を摂取するという形で体内の抵抗力、免疫力を高め、これによって自然治癒力を十全に発揮させることの方がよいのだと、安藤は考えていたように思う。
 こういう安藤の考え方が正解かどうかは分からない。だが、現代医学界においても、安藤のような考え方をする医学者も少なからずいるような気がする。おそらく決着がつくのはずっと先のことであり、あるいはどこまで行っても決着はつかないのかも知れない。
 さて、二十段の病気論はこれくらいにして、次に進んでいこうと思う。
 二十一段は生死の問題に踏み込んで書かれている。
 
 生死ノコトハ、無始無終ナル活真ノ自行、進退・互性ハ生死ナリ。活真進メバ生ナリ、退ケバ死ナリ。生ノ性ハ死ナリ、死ノ性ハ生ナリ。生死ハ互性ニシテ無始無終ナリ。
 
 このように、安藤は独特の論法で生死を論じ、人間の男女、昼夜、呼吸、心と知など、あらゆる事に「互性ニシテ生死ナリ」と適用していく。そして、
 
活真、進退・退進、互性・性互、是レ生死ニシテ、転内定・定内転、生内死・死内生ニシテ、生死ハ無始無終ナル活真、其ノ居ハ去ラズ加ヘズシテ、而モ活真ナル故ニ、其ノ気ハ常ニ活活トシテ進退・互性止ムコト無シ、是レガ生死ナリ。故ニ生死ハ互性ノ名ニシテ、活真ノ妙体ナリ。
 
という認識を示している。
 今時のものからすれば、こういう所は基本的に、仏教の生死観と明確な見分けがつかない。あるいは禅問答に出合っているかのような気がする。つまり、分かったような分からないような、である。
 ところが安藤は、
 
 是レヲ不生・不滅、不去・不来ト観ル則(とき)ハ、活真ヲ死空ト為ス偏知ノ妄惑ナリ。
 
と書いて、仏教の生死観を否定している。
 さらに、
 
生死ハ、座禅・工夫・戒律、凡テ修行シテ知ル者ニ非ズ。
 
とか、
 
諸宗ノ僧等、座禅・工夫シ、経・陀羅尼ヲ誦シ、念仏シ、種種ノ修行スルハ、悉ク生死ニ迷吟スルナリ。
 
として、生死観の違いを明確にして念押ししている。そのうえで、書物や学問にうつつを抜かさず、生死のことで迷ったりうめいたりすることもせず、ひたすら直耕の活真・妙道をしていればいいんだと結論づけている。
 要するに、生死は活真の自己運動と同じく人為的にどうこうするべきものではないから、考えるな、ほっとけ、と言っているのと同じことだ。
 おそらく安藤の生死についての考え方は、これを真正面から捉えることは出来ないし、真正面から越えていくことも出来ないので、ひたすら食うために働き、働くために食うということに徹することでこれを認識し、越えていく以外にないということを言っているのだと思う。なんとなく、こういうそらし方は、親鸞の「横超」の意味するところに似ている気がするのだが、もちろんまだ確証できるというほどではない。
 ところで安藤昌益のこうした病気観、生死観は、現代ではまったく問題にされなくなっている。テレビでは毎日のように医療問題が取り上げられ、これに健康食品、健康器具、医薬品のCMが垂れ流しと言っていいくらいに溢れている。また少し前までは、病院の待合室は毎日老齢者でいっぱいだった。つまり、多くの人たちが健康で長生きできるようにと願い、またそのためにせっせと努力をするようになってきたのだ。まるで、安藤の考えるな、思い煩うなという投げかけとは真逆に向かってきた。その意味では、再び安藤は忘れられた思想家というレッテルがふさわしい存在だとも言えそうである。だが、安藤の側からすれば、人々の病院通い、健康志向などなどはそれこそ「生死ニ迷吟スル」姿の究極と言ってよい現象であり、専門家、学者、医者にだまされ、マスコミにあおられての「迷吟」と見えるのかも知れない。そういう意味では時折思い出し、ふと我に返る、そういう存在として完全に忘れ去られてはいけない人であり、思想であるのかも知れない。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/07/22
 
 二十二段は、昌益の思想や人となりを知る人が、少し疑問に感じているところを昌益本人に聞く設定になっている。会話とすれば一問一答で短い段になる。
 内容も特段のことはなく、少々つまらないところでやり過ごしていいところだ。
 はじめに質問者が、天地自然は穀物をはじめ万物を生みだし、人はこれを食用にするが、これは天が人に恵んでいるのか、人が天から貰っているのかと問う。
 昌益の直耕思想からすれば、与えることは相手に恩という負い目をおわせることになるし、貰うことは盗むことと同じだからどちらにしても具合が悪い。そこで質問者は、先生はそこの所はどう考えているのですかというのだ。
 昌益はこれに答えて、いやいや天は直耕して生み続けているだけだし、人がそれを食用するのは貰うとか盗むとかじゃなく、それ自体が人の生成活動、つまり直耕ということになっているんだよ、と言う。したがって、天と人とは直耕を通じて一体となり、活真の永遠の自己運動を担っているものだとする。
 今日の日本社会では天の恵みという言い方をよくするし、これに対して感謝しようという風潮が見聞きされる。
 本音で言えば、みんながみんな同じことを言うので、じつに鬱陶しい。天に感謝なんて実際には出来ることでもないし、これにあえて反発してみせても何もいいことがないから、黙認するしかない。こうした風潮をよくよく考えれば、仁・義・礼・智・信などを唱えた儒教、あるいは釈迦ブッタの教えに始まった仏教が真っ先に思い出される。
 言ってみれば二十一世紀のこの日本社会に、依然として、紀元前に始まる儒教・仏教が人々の精神の底流に暗躍しているということになる。考えようによっては、相変わらず紀元前四、五世紀ごろの思想、精神の影響の内にあり、現在も捕らわれ、支配されているということになる。つまり、自分に限っても、自分のこの精神は意外に自由なもんじゃないぜ、ということになってしまう。
 安藤昌益はそれに比して自由だ。仁義、苦楽、孝行者不孝者、善悪、信不信、愛憎。精神がそれらのものでごちゃ混ぜになっていない。つまり、かわし方を心得ているように見える。
 人間や人間社会にとって、紀元前に発した思想である儒教や仏教が、いかに偉大で根本的なものであったか、それは現在に至るまで影響を及ぼしているところから理解される。またこれらの思想を批判する安藤昌益が、いかに根本的、根源的な思考をなした人であるかということも、これらのことを踏まえると理解できる気がしてくる。人間的とは何か。人間力とは何か。おそらくは、現代社会に生きる現代人は、儒教や仏教の代までは遡るのであるが、それ以前にまで遡ることをしていない。どういう理由か、そこに制限をかけている。安藤昌益は、孔子や釈迦を批判することで、その制限をとき、それよりも遙か以前に遡り、言ってみれば心の健康、精神の健康を取り戻そうと試みた。いや、そこでは健康という言葉自体がそぐわない。ここで思いつくのは心や精神の天地自然との一体への回帰、というようなことだが、これにも少し怪しいところがある。
 承知のことだがしかし、安藤の思考の営為、その思想は日の目のあたらぬ局所に追いやられ、再び忘れられかけている。そのこと自体は、成るようにしか成らぬことにすぎないが、せめて我々は自分の心と知(精神)が古き引きずりの過程にあることを知って、立ち止まって考える余裕をどこかで作る必要があるのではないか。
 つまらぬ段と言っておきながら、思わずこういう所まで思いを走らせてしまったが、「時間を戻して」次に進もう。
 第二十三段は伝統教学批判となっている。はじめに、
 
 転定・活真ノ妙道ハ、互性・生生・直耕ノミ。
 
と記述し、以後は伏羲の易、神農の「本草経」、黄帝の暦法、堯の暦、舜の楽器、禹の「洛書」、湯の「日々ニ新タ」の考え、西伯の周易、周公の詩、孔子の「明徳」及び一生の書物や言葉、子思の「中庸」、その他孟子、老子、荘子、さらにはいっさいの仏教書、いっさいの医学書、すべての神道書という具合に挙げ、これらはどれも互性を表したり言及していないとしている。
 そのうえで、みな私的に作り上げた妄失で、世に迷いをまき散らし、人々を畜生道に落とす罪を担うと批判している。
 安藤はこれらすべてについて原作にあたり、事実に基づき、調べ研究した上で批判しているのかどうかは分からない。量的に考えれば膨大になるので、おそらくは当時の、思想体系を網羅した全集のようなものがテキストになっているのだろう。安藤にとってはそれで十分で、つまりは互性の一点に絞ってこれ基準とし、有るか無いかを判別すればよかった。僧侶、儒学者・朱子学者たちからすれば、批判の眼目が何であるか分からないに違いない。安藤はそれもよく承知していたであろう。そういう輩をまったく問題にしていなかったと思われる。それだけ、自分の思想の独創性に自負を抱いていた。
 NHKのドキュメント「歴史誕生 追跡 安藤昌益」の中で、井上ひさしは安藤を称して、自分のことを釈迦と同等かそれ以上のものと見なす人だったと述べていた。孔子も釈迦も全面的に否定するくらいだから、当然、最低でも同等のものとして、あるいは対等のものとして見ているのでなければ、そういうことは為し得ない。過去の偉大とされる人物を、そういう曇りのない目で、要するに評判とか風評とか神話とか伝説とかのいっさいを無視して、あたかも目の前の隣人を見ると同じ感覚で見るというのは、それだけでも本当は相当に難しいことだ。それを平然と為していて、実は平等の概念を骨の髄まではっきり自分のものとすることの出来た希有な人である。尊大や傲慢とは違う。そしてそれは一つの謎にもなる。安藤はいったいどういう資格があって偉人聖人を貶し、またそうした内容の著述をなしたのか、というように。もちろんそれはこれまで見てきたところからも明らかで、互性、直耕の概念の発見、創出によるものであることは間違いない。安藤はこれを万物の存在法則、絶対的な相対関係とみて、この発見に自信を得たのである。そこから見れば、孔子も釈迦も、不平等を囲う国家共同体を前提とし、胡座をかき、前提を強固にするだけの言説をなした不耕貪食の輩にしかすぎなかった。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/07/25
 
 第二十四段は二十三段に続いて、それまでに歴史が積み上げてきた様々な知的、精神的構築物、またそれを学んで自らのものとする専門者に対し、真っ向からの批判を展開する。その批判の仕方は昌益らしいもので、対象をはじめからよこしまな横気の発現と決めつけた上で、これを罵倒するというものだ。短いので全部を掲載しておく。
 
 儒書ヲ講ズレバ、衆人群聚シテ之レヲ聞ク。横気ヲ以テ講ズル故ニ、横気ノ者等、同気相求メテ之レヲ聞ク。仏書ヲ説ケバ群聚シテ之レヲ聞ク、医書講ズレバ之レヲ聞クモ、老・荘ガ書、之レヲ講ズレバ之レヲ聞クモ、神書又軍書之レヲ講ズレバ之レヲ聞ク。悉ク皆同気相求メテ、横気ヲ講ズレバ横気ガ之レヲ聞クコト腐蕩ノ内糞ニ臭気ヲ発スレバ、青蠅之レヲ追フテ離レザルニ同ジ。臭気・青蠅倶ニ横気ナリ。講ズル所ノ書、之レヲ講ズル所ノ者、之レヲ聞ク者、倶ニ横気ナレバナリ。
 
 学者、哲学者、宗教家、医者、その他あらゆる知識人、教養人、文化人、また軍学者の類いを、ことごとく横気の者と呼び、その講義、講話は「腐蕩ノ内糞ニ臭気ヲ発ス」と激しく罵っている。またこれを喜んで聞く群衆も、横気の「青蠅」と一刀両断である。
 横気の者とはそもそも鳥獣虫魚等の気を指す。翻って、獣のごとく欲望丸出しの者を言う言葉となる。ちなみに、解剖学者の三木成夫は「ヒトのからだ」ほかの著作で、人間の脳の発達、つまり知的精神の発達により、かえって人間の言動は獣以上に獣臭くなったと、同じような意味合いの言葉を残している。
 いずれにせよ、上も下もこぞって私的欲望に走る。安藤はそのように世の中を眺めていたようである。これはしかし、解釈が難しいところである。
 ここで安藤が言おうとしているのは、表向きの、いわゆる目に見え耳に聞こえる欲望のことではない。勧善懲悪物語の一つの典型として、よく登場する悪代官の類いだと言っているわけではないのだ。逆に、万人に善の人、社会に貢献し、平和と安寧を願う聖人、偉人、また一般の誠実で心優しき人々に先の言葉は向けられている。
 彼らの何がよこしまな横気なのか。それは宇宙の法則に備わる互性を理解せず、自分たちの意識、思考、言葉などを絶対的なものと思い込み、その狭小な理解をもってそれが生きること、生活であると錯覚しているからだ。そんなものは直耕とは言えないもので、人間の社会を人間の本来の意味の生活からかけ離れたものに導くだけのものである。
 そもそも人間も宇宙の法則によって生みだされたものであって、逆に言えばその精神と身体にも宇宙の法則が内在している。それを自覚するならば、直耕こそが生きて生活するすべてであって、それ以外の人間的な精神の躍動一般は、人間界のみに通用する極めて狭小なものにすぎないのだ。しかも、この人間の意識というものは扱いにくいもので、他者のため、社会のためと思い込めばそれだけで自分を正当化するという性質を持つ。しかしながら、どんなに仁や善を旗印としてこれを振ってみても、宇宙大の規模から見れば、所詮人型に閉じこもったちっぽけな仁や善であるにすぎず、人間社会にさえ実現されるものともなり得ない。
 実は、人間が仁や善を振りかざして実際になしていることは、不耕貪食であり、自己を自己以上のものに押し上げ優位に立ったり、他者の上に立つということを成しているのだ。これこそが人間社会に上下をもたらした元凶といえば言える。
 さて、思わず安藤に乗り移るようにして書き進めたが、そのことも含めてこの回には不満が残る。もう少しうまく書けないかという悔いも残る。気力、精神力の状態が今ひとつなので、切り込みも浅くなってしまったのかも知れない。大事なところだが次回に委ねるほかないようだ。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/07/26
 
 第二十五段は、仙確による昌益への葬送の辞とされる。
 
 人在リテ、「真営道」ノ書ヲ誦シ、直耕・活真ノ妙道ヲ貴ブ者之レ在ル則ハ、是レ乃イ「真営道」ノ書、作者ノ再来ナリ。此ノ作者、常ニ誓ツテ曰ク、「吾レ転ニ死シ、穀ニ休シ、人ニ来ル、幾幾トシテ経歳スト雖モ、誓ツテ自然・活真ノ世ト為サン」ト言ヒテ転ニ帰ス、果シテ此ノ人ナリ。是レ此ノ人、具足ノ活真、転ノ活真ニ一和シテ、活真ノ妙道自発ス。故ニ之レヲ誓ツテ違ハズ。
 
 後世に「自然真営道」を読んで、これに感銘を受ける者があれば、それは著者安藤昌益の再来であると仙確は言う。なぜならば、安藤昌益は常々、自分が死んでまた幾年が過ぎようとも必ずこの法の世を自然活真の世にしてみせる、と言ってこの世を去ったのだから。
 確か埴谷雄高が「思想のバトンリレー」というようなことを言っていたが、その言葉を思い出させる仙確の文である。
 これを読むと、昌益は、本当に埴谷と同じように考えていたように思える。百年、二百年、あるいは千年単位で継承者が現れることを切望していたし、信じてもいたかも知れなかった。それだけ自分の思想に普遍性の手応えを感じていたのでもあろう。
 さて、この二十五段目をもって、「自然真営道」(「自然活真営道」)における「大序巻」を読み終えたことになる。全集ではこの後に総目録が掲載されていて、ぱっと見に、この「大序巻」は安藤の著述のほんの一部に過ぎず、焼失、紛失したものまで考えると相当の量が書かれていたと分かる。ここまで読むだけでもずいぶんと難儀したので、とても安藤を知りつくすなどできないことだと実感される。
 全集では次に「良演哲論巻」が組まれていて、目録の中に「真営道書中、眼燈此ノ巻ナリ」ともあるので、ここまでは読み終えておきたいと思う。
 次回からはそういうことで進めるが、「大序巻」を読み終えた今、何か言っておきたいことがあるかというと、特段何も思い当たらない。もう、何をどう読んだか先のことはすっかり抜けている。ただ毎回苦し紛れに書き綴った、その思いだけが残っている。
 あえて言えば、安藤の著述した世界はとてもスケールの大きいもので、それまでの日本の知識者、学者連とは根底から違っている。文学で言えば、それまでの日本の文学的風土からは想像できない世界を、自由自在に表現した宮沢賢治のようだ。
 どちらも中央とは遠く離れたところで活動したので、当時もてはやされていた都会的な思想や文学の影響をあまり受けずにすんだ。つまり目先をちらつかせられずに、じっくりと宇宙的な規模で考えたり、表現したりすることに目を向けることが出来たのだと思う。流行と不易という言い方をすれば、流行に敏感になりすぎず、不易にもゆっくり時間をかけて向き合うことが出来た。そういうことを記述のあちこちを読みながら感じ取った。両者とも、中央にとどまっておれば焦燥に駆られたりして、それぞれにした表現は不可能だったかも知れない。まず、受けること、批評されること、地方の片隅ではそういうを諦めるところから始めなければならない。いわば読者、あるいは誰に向かって書くのかというときに、それらを度外視して、ひたすら自分に正直に、自分の本当と思えることに向かって書くということを余儀なくされる。嘘やごまかしを交えたら、その表現は続かない。それから両者ともに夢中になって記述している。言葉が降りてくるゾーンにいつも入り浸っているかのようにも感じられる。そういう意味で、地方や辺境では雑音が少なくていい。もちろん、都会には都会の切実さがあるから、どちらがどうだと言うことではない。昌益にしろ賢治にしろ、中央から離れたことがよい意味で影響したかも知れないと思うだけだ。
 思いつくのはこれくらいのところで、あとは次回からまたボツボツと「良演哲論巻」を読み進めていくということになる。自分の場合は雑音がないばかりか、何の刺激も無くなって、ただ趣味として習慣的に読み書きしているだけなので、中身も薄くなっていくばかりだ。ほかにこれといってすることもないので、これからもネット動画の鑑賞の合間を縫って読み、書き進めていこうと思っている。とりあえず行けるところまで行ってみる。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/07/30
 「良演哲論巻」の部(1)
 
 冒頭、仙確が昌益の紹介の形で、昌益の思想の根幹にもふれている。これを書き下し文と、その現代語訳をさらに自分なりに換えた文章にして、続けて記述してみる。
 
 生マレテ童壮ニ至ルニ、師ヲ採ラズ、書ヲ学バズ、自(ひと)リ生マレナガラ、自然、活真・自感・進退・互性・八気・通横逆ニ運回シテ、転定・央土ニシテ活真ノ一全体ナルコトヲ知ル。
 
 生まれ、子ども時代を経て壮年に至るまで、人に師事することも書物から学ぶこともしなかった。生まれながらの自分だけの力で、自然とは、「活真」が自感・進退・互性・八気として通横逆に運回し、天と海と陸とを構成する一大総体のコトなのだと理解した。
 
自身、具足ノ八気・互性・妙道、面部ヲ以テ、転定・人身、一活真ノ一序ナルコトヲ明知シ、人道ハ、転・活真ト与(とも)ニ直耕ノ一道ナルコトヲ知ル。
 
 また自分の身に備わった八気・互性・妙道、これを顔の各器官の関係において観察することで、天地と人身とが同じ「活真」の法則の下にあることをはっきりと理解し、人間の道というものは天(=活真)とともに行う「直耕」、その一筋であるべきことを知った。
 
転真、万物・生生ノ直耕ト、穀精ナル男女(ひと)ノ直耕ト、一極道ナリ。此ノ外、道ト云ヘルコト絶無ナルコト明カシ極ム。
 
 つまり天を運回する「活真」の万物を生みだす「直耕」と、穀物の精から成る人間の「直耕」とは、究極のところまったく同じ活動である。これ以外に、人間が行わなければならないことなど、何一つ無いのだということを明らかにし、これを極めた。。
 
 故ニ古書、聖・釈・老・医・巫、凡テ転下ノ万書ハ、活真・転定・互性ノ妙道ニ非ズ、而モ悉ク清偏精ニ生マレ、偏惑説ナルコトヲ知ル。
 
 以上のことから、昔から貴ばれてきた書物、例えば孔子、釈迦、老子、伝統医家、神道家などによって著された高名な諸々の書は、活真・転定・互性の妙道とは無縁の、しかもことごとくきれい事で観念的に偏した拙劣な考え、思想であることを見抜いた。
 
 ここまで、仙確がした昌益の紹介の言葉、そのおよそ半分あまりにあたるが、ここに安藤昌益の思想の神髄が表現されているように思える。それは何かといえば、人間にとって「生活」がすべてだという思想である。しかもその「生活」は自らの力によって食料を調達し、同じように自らの力で家庭を形成、運営していくものでなければならない。安藤の言葉では「活真転定互性妙道」、または「直耕」ということになるが、これをできるだけシンプルにまたわかりやすい言葉にして現代に持ってくれば、こう考えてみるほかない。ごくあたりまえの「生活」。ごくふつうの生き方。生まれ、飯を食べ、育ち、働き人となり、結婚をし、子を育て、老いて、そして死ぬ。迷いなくその道を一筋に進む、それだけでよいのだ。それが一番価値ある生き方なのだ。難解な安藤の言葉を、分かりやすくくだいて言えばそういうことなのだと思う。
 生き物全体について考えてみると、その特性は「食と性」に収斂出来る。これは生き物の「生活」の根幹であり、本質である。生き物の「生活」は、乱暴な言い方をすれば、食うことと子孫を残すこととにつきる。これは人間ばかりか、植物においても動物においても同じで、栄養を取り込み、自身を拡張しながら子孫を残すことを繰り返す。これが生き物の「生活」の根底にある。
 植物の「生活」、動物の「生活」、そして人間の「生活」。これらの「生活」すなわち「生きてする活動」の柱が「食と性」なのである。安藤は生き物のするこの活動を、自分の力で成し遂げ、作り上げていくものだからひっくるめて「直耕」と名付けた。この言葉は、直接的な耕作と、安易に考えるとそうなるが、本当はそうではない。そのものがする自力的活動、自立的活動すべては正しく一筋の生成行為であり、生産活動にもなっている。例えばそれは、生産と消費において消費が単なる消費ではなくて、第二の生産と言ってよい側面を含むものであるように、である。つまりここで言えば、ある動物が草を食する行為は次なる草の生成という生産活動に結びつく。これは意識して、あるいはそういう意思を持ってするのではない。生き物の活動が、無意識的自然のままに行われれば、必然的にそうなっているということを示しているのだ。それが「直耕」である。四の五の言ったり考える必要はない。自ずからなる運動であリ、活動なのだ。安藤はそう言っていると思う。 またこのことは生き物にとどまらず、視野を広げれば大地や海の活動というようにも敷衍して考えることも出来る。例えば、生き物たちは地球環境によって生成されているというように。そう考えてみれば、それは地球、つまり大地や海やそのほかの環境の生成活動、生産活動と捉えられ、地球全体のする「直耕」というようにも考えることが出来る。
 さらに視野を広げて宇宙規模で考えれば、動的な変化を生成活動と見なし、これまた宇宙的「直耕」と捉えることも出来る。
 安藤は根源的には、万物の元基としての活真の、様々な場での様々な種類の活動によって成されるものとして、その生産行為に準じた側面を「直耕」と命名した。それは宇宙のする「生活」そのものと言っても差し支えない気がする。
 しかし、たぶんこれは強引に過ぎるところで、よってここでは生き物に限ってだけ当てはめて、人間もまた他の生き物たちと同じように、「食と性」の基本的「生活」を心がけて生きることを提案した思想だ、と言うに留めておきたい。
 安藤は、それ以外に人間の成すべきコトは何も無いんだと強調する。
 食料の獲得活動、生産活動、それに加えて衣服の生産、そして子どもを産み、育てる活動、それ以外にやらなければならないことは何もないし、何もやらない方がいいんだとさえ言い切っている。
 ここで、本当は、「以外は何もするな」というのが昌益の思想の眼目なのだ、と言っておきたいところである。
 昌益は、こういうところで宇宙や天地自然、あるいは他の生き物たちに倣って、人もまた生きるべきだと進言している。なぜなら、その中で人間の世界だけが突出して異質であり、概念や観念をもてあそび、上下、尊卑、貧富などの不平等世界を現出し、自我の跳梁跋扈する社会を産出するものであるからだ。
 さて、ここでの仙確の記述が安藤思想の総論の部分にあたると見なせば、ここで踵を返してよいと思われるところである。これから後は各論の展開となり、そこを精査したところであまり意味あるものとは思えない。人間、いやわたしたちは、安藤が理想とする生き方としての「直耕」、「生活」の中核部分から逸れずに生きることが不可能な生き物だからだ。さらにまた現在社会は急速に概念の現実化に向けて突っ走っており、渦中においてこうした思想の振り返りの余裕など持たせないように進んでいるからだ。
 安藤昌益の「直耕」思想、「生活」にいわば閉じこもることを推奨する思想を理解したところで、あるいは共感以外の何ものも手にすることが出来ないのは明白である。誰がそんな道を実践していこうとするだろうか。誰もいないだろう。少なくても、こうして文字によって記述された文章を読み、また自ら文字を駆使する輩の中で一番それがない。ただ、今となってはごく少数のまったく無名な人々の中に、わずかにその後ろ姿を垣間見る思いをすることがあり得るだけだ。
 名の知れた学者、政治家、宗教家、専門家、医者、スポーツ選手、芸能人、俳優、歌手、タレント、ユーチューバー、そんなものは本当はたかが知れている。彼らの得意とする領域、分野において、彼らが割いた以上の時間を割き、努力した以上の数倍の努力を積み重ねたら誰もが近いところにたどり着くことが出来る。理屈を言えばそうなる。だが、逆に、身辺の細々したことに四六時中身を入れて対峙すること、これを生涯かけて行うことはかえって容易なことではない。悲しいかな、人間は常から思い悩むという習性を持ち、己を己以上のものにしようとする衝動に突き動かされて止まない。そうしてたどり着いた世界が現在社会であり、その世界は概念によってがんじがらめになった世界である。ある見方をすれば、一つの異常なバーチャル世界とも言える。これを尊重しながら、なおかつ、安藤が理想とした生活共同社会を共存させることが可能かどうか。もう少し先まで考えてみる必要がありそうな気がする。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/08/03
 「良演哲論巻」の部(2)
 
 前後してしまったが、この「良演哲論巻」
は安藤昌益と門人たちとの討論集会の記録とされている。前回はその冒頭、仙確による開会の辞そして昌益の紹介である。
 これ以後は、短く区切って昌益の講演内容と、これに対する門人たちのコメントを添える形で記述が続いている。
 これ以降は、ぼちぼちよ読み進め、特に気にかかったところがあればこれを抜き書きし、しばしその内容について考えてみたい。さっそく〔1〕の番号が付されているところを見てみる。
 
〔1〕○ 良曰ク、「無始無終ナル活真・転定・人物ノ備道ハ、外ニ向ヒテ尋ネ工夫スル者ニ非ズ。己レガ面部ノ八門・互性ノ妙道ニ具ハレリ。是レヲ以テ悉ク極尽ノタメニ備ハレリ。」
 
 これは昌益の常套句と言ってよい言葉である。これまでにも何度も目にしてきた。
 こういう言葉からは、真理というものは書物を読んだり学問を通じて会得するもんじゃない、という昌益の心の声も伝わってくる。それは、はじめから自己の内側に潜んでいるものであり、自分の身体や精神を深く掘り起こすことで見えてくるんだと言っているようにも聞こえる。
 学校に行かなくたって、勉強なんかしなくたって、真実を見抜き、真理に到達することは可能だ。また、それを可能にしたからといって得意げになる必要もないし、公表する必要もない。昌益のように著述して残すこともなく、生涯寡黙の中に没していった無数の昌益が生活者大衆の中に存在したかも知れない。本当に偉い人たちというのは、そんなふうに、一見すると何でもない人のように見える人たちの間に紛れ、見分けがつかないようにして存在するのだ。誰もその存在に気づくことが出来ない。逆に言えば、だからこそ偉大なのだとも言える。
 
〔12〕○ 良曰ク、「木金・華実・互性ハ活真ノ生道ナリ。之レヲ知ラズ、『春秋』、賞罰ト為ル者ハ、永ク后世ノ殺業、偏惑ノ甚ダシキナリ」。
 
 「良曰ク」の「良」は「良中」、つまり昌益のことだ。
 木気の春には花が咲き、金気の秋には実を結ぶという春と秋との互性、つまり相互転化は活真の生成活動である。このことを知らずに『春秋』という書物を書き、善悪で賞罰の基準を定めた孔子は後世に殺人をはびこらせる原因を作った。偏ったあやまりもはなはだしい。
 ほとんど現代語訳そのままを記述してみたが、ぱっと見ると前後の文章の関連がはっきりしないかのように感じるかも知れない。
 前段は季節の春秋の関係について、間に孔子の『春秋』の書名を置き、後段では『春秋』の中に弁じられた善悪を基準に賞罰が定められたことなどに言及している。
 安藤がここで言いたかったのは、春と秋の相互転化は善と悪との場合にも通じるもので、よって善悪でもって賞罰の基準としたのは甚だしく誤っている、ということだと思う。つまりもう少し分かりやすく言えば、善と悪というのは春と秋くらいの関係でしかないんだよということである。花の季節として春があり、実りの季節として秋があるように、善がなければ悪はなく、悪がなければ善もない。善と悪とでもって一つという考え方である。善だけということも、悪だけということもあり得ない。善悪は人間にしか通用しない狭く窮屈な概念で、自然や宇宙では通用しない。自然や宇宙規模で善とか悪のことを考えたら、人間の行う善悪など、まったく問題にすらならない。それを重箱の隅を突くようにして、善や悪だのといちいちに付箋を貼り付けるなどまったく馬鹿らしいことだ。善だけで生きられる人もなければ、悪だけで生きられる人間もない。賞罰を設けたことも、その基準に善悪の概念を取り入れたこともはなはだしいあやまりである。安藤の短い言葉には、そういう大きな問題も含まれていると感じる。
 最後の「后世ノ殺業」の言葉だが、公的に是とされた罰としての死刑が仮に頻繁に行われたとすればそれも一つの殺業であり、かつまたそのことが人を殺すことへの躊躇、不安、抵抗を少なくしていったことは否定できない。さらにこの罰を恐れるあまり、それから逃れようとしてやむなく殺人まで犯してしまうということにつながった可能性もある。いずれにしても、後の世に殺人行為が頻繁に行われるようになったのは、遠く孔子の時代に起因すると安藤は考えた。
 昌益の時代、朱子学、陽明学、古学など、儒学を大本とする学問は相変わらず栄えていた。そんな中で、孔子と同等か、あるいは孔子を見下すようにして批判を展開する昌益は、今ではちょっと考えようもない途方もないことをしている。遠慮、謙遜などのひとかけらも見られない。これがまた謎であり魅力でもある。
 
 
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              2020/08/05
 「良演哲論巻」の部(3)
 
 第二十一項では一項から二十項までの発言の概括として、仙確の質問とそれに答える昌益の発言に続き、やはり門人の一人である嶋盛慈風がこれを敷衍する形で発言している。その最後の部分にあたる箇所は次のようである。
 
 六家ハ、儒家・兵家・道家・医家・仏家・巫家ノ六法ナリ。明暗ハ、活、進ミテ明、退キテ暗、退ク暗内ハ進明、進ム明内ハ退暗、内ハ性、外ハ体ナリ。外、明体ハ、内、暗性、外、暗体ハ、内、明性、活真・自感・進退・退進・互性、自リ備道ヲ尽ス。故ニ、明暗ハ互性、善悪ハ互性、一切万物事、悉ク尽スニ、一活真・自感・進退・一互性ニシテ、備道ヲ極尽スナリ。之レヲ知ラズ、暗ヲ去リテ明ノミヲ採リ、悪ヲ去リテ善ノミヲ採ル、而シテ以テ教ヘト為シテ私法ヲ立ツ。故ニ悉ク偏惑ノミ、一ヲ揚ゲテ万ヲ知ラシム。吾ガ夫子、后世ノ為ニ偏惑ヨリ盗乱ノ止マザルコトヲ患ヒテ、以テ此ノ書言ヲ演(の)ブ。
 
 明と暗、そして善と悪、どちらも対の概念として成り立つものである。明暗の明は暗があっての明であり、暗がなければそもそも明の言葉の意味、あるいは概念が成立しない。善悪にしても同じことで、悪がなかったら何をもって善とするか分からないし、善がなかったら悪も成り立たない。明暗も善悪も、概念として対立しながら、対立する一方の概念との関係によってしか成立しないものなのである。
 明暗も善悪も不分離に成り立つもので、これをバラバラにして、しかも片一方だけを価値あるものと見なすことは意味がないばかりでなく、有害なことなのだ。冥暗を捨てて明徳であるようにとか、悪行を捨てて善行のみを行えとか、昔から人々の上に君臨する王や家臣、さらにそのまた家臣たちは、自分たちに都合のよい社会制度を作り上げ、その制度を維持するために道徳的な教えとしてこれを活用してきた。言い換えると、共同の幻想のように作り上げていった。
 これは言葉の政治的な利用の一例で、文字や学問はさらに政治的共同体にとって必須のアイテムとして作り上げられ、育てられていった。
 安藤昌益は、それまでの徳や善の捉え方が一面的なものに過ぎないことを見抜き、社会全体をよくするどころか盗乱や不平等な社会をもたらす原因にもなったと考えた。
 先の慈風の言葉は、安藤のこうした意をよく弁えていて、よき理解者の一人であったように思える。こういう門人たちが十数名集まった八戸での集会。遠くは京都、大阪からの参加者もいたという。
 当時、昌益に思想の理解者がいたということが第一に不思議なことである。また、そのような高い水準の門人が十数名もいたということ、しかも江戸、京都、大阪にも存在したということが第二の不思議である。彼らがどのような思いで、はるばる東北は八戸という田舎町に集まったものか。
 いずれにしても皆が皆、ここに書かれている考えを共有できていたとすれば、相当に前衛的でハイレベルの集団であった。
 例えば善悪についての言及で思い出すのは親鸞の言葉で、「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり」との言が「歎異抄」に記されている。安藤一門もまた、畢竟、親鸞と同じ場所にいて、何が善で何が悪かなんて偏見を排除して考えれば決して言えることじゃない、という立場にある。つまり相当に深いところまで踏み込んで考えられている。
 現在ではしかし、こうした深いところまで踏み込んで議論されることなく、かえって浅いところで、表層で、しかも既製の物差しを借りて善悪が論じられることが多い。目に見える善が善で、目に見える悪が悪とされ、内なる悪や内なる善は見向きもされなくなっている。その傾向はますます先鋭化し、今日的な炎上、バッシング、叩き、などの形に転化してきている。そしてもちろん、こうしたことは一面的で偏りを持った今日的な学問、教育の一成果であることは疑いようがない。
 すでに江戸時代にあって、安藤一門は観念や概念の世界が引き起こす、こうした事態を予見していたとも言える。そしてこの予見された事態はさらに加速し、社会を席巻して止みそうにもない。
 安藤昌益は、最終的には、統治者の道具に過ぎない文字や書物を過信するな、ひたすら直耕の道を進めと叫んだ。だがその声が現在に届くはずもなく、かえって直耕を忌避する社会へと進んだ。安藤から見れば、誰もが支配の側に回りたい願望によって動き、不耕貪食の道に競って群がっているように見えるかもしれない。だが、皮肉なことに、それもまた人間の矛盾運動と見なしうることで、昌益思想はこれを批判することはできない。
 不耕貪食の層は増え続け、やがて社会を臨界点へと運んでいく。そのとき社会はどんな変貌を遂げようとするのか、しないのか。あるいは安藤昌益の主張する直耕は、再び未来の選択肢の一つに浮上してくるのかどうか。それらのことは、だれにも予見し得ないことではあるが、あえて言うなれば、私たちの社会はそういうときに当てにできる思想をそれほど多くは持ち合わせていないのである。
 
 
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              2020/08/07
 「良演哲論巻」の部(4)
 
 昌益と門人たち、あるいは門人たち同士による討論は第七十七項まで続いている。その内容はすでに読み終えた「大序巻」にほとんど重複し、さしあたって目新しいものはないように思われる。
 ここで「良演哲論巻」の目録(目次)を振り返っておくと、
 
良子門人、問答語論
 
私法盗乱ノ世ニ在リナガラ、自然活真ノ世ニ契(かな)フ論
 
炉ヲ以テ、転下一般ノ備ハリヲ知ル論
 
音声韻ノ所以論
 
古説『韻鏡』妄失ノ論
 
の五つが示されている。そしてこの全集では、初めの「問答語論」に一項から七十七項までの番号が付されている。
 前回まで見てきたように、「問答語論」各項は主に昌益の短く切った言葉が初めに置かれ、門人たちが補足や関連発言を続いて行う形をとって進められている。読む側には、昌益の言葉の注釈や解釈がなされているように受け取られる。そして、読み進むにつれ、これは「大序巻」に表されていたところの内容と、骨子はさして変わらないと分かる。
 つまり、前回のようにこれのいちいちを取り上げて考えるところを付け足してみても、二番煎じ、三番煎じの域を出ない気がする。すでに「大序巻」で行ってきたことだと。もちろん、だからといって、自分にとってそれが不毛だとは思わない。理解が深くなるだろうという気はする。そして元々が、何か当てがあって始めたという記述ではない。ぼつぼつ取り組んで、何か得られるところがあれば儲けものくらいの思いで始めたことだ。いわばある程度予測してのことだ。しかし、ここまで来てそのことが重荷に感じられてきた。そこでこの「問答語論」についてはここまでとして、とりあえず終わることにしようと考え始めた。
 しかし、これではあまりに唐突であろう。そこで七十七項まで一渡り通読してみて、何か一つくらい取り上げる箇所がないかと探したところ、やっと一つを探り当てた。もちろんこれも自分の中ではパスしても差し支えないところだが、あえて取り上げるならばということで考えて、ここに持ってきた。以下第四十八項の件である。
 
〔48〕○ 又曰ク、「子ニ慈愛ヲ為サズ、憎疎ヲ為サズ」。
 
「親ニ孝ヲ為サザル故ニ、子ニ慈愛ヲ為サズ。親ニ不孝ヲ為サザル故ニ、子ニ憎疎ヲ為サズ。是レ慈・孝ノ名無キ故ニ、親子・一和、真道ニシテ、禍災・迷吟ノ患ヒ無シ。教ヘ無キ備道ナレバナリ。」
 
 四十項から五十六項まではほとんど門人相互間の討論で、昌益の発言は最初と最後にあるだけで、あと見られない。ここは京都在住の有来静香という門人の発言となっている。
 ここに言われていることは、子どもをことさらかわいがったり大事にしないとともに、憎んだり疎ましく思ったりもしないということである。さらに補足して、親に対してもわざとらしい孝行も不孝もすべきではないことが言われている。
 これはちょっと引っかかる。どうしてかと言えば、自分たちの世代では親に孝行するとか、子どもを愛するということが一つの常識のようになっているからである。常識、すなわち一般人が持つべき知識ということで、これを持ってないとなると批判されることもあり得るから、大抵はこのことを頭の中に入れておく。そうなると、それは親や子に対する無意識の自然感情を監視したり評価するものとして機能するようになる。
 実際、こうした言葉で自分を振り返って考えてみると、親孝行はすべきもの、子どもには愛を尽くすべきものと、かなりの窮屈さで考えていたような気がする。安藤たちの考え方では、これは古来からの仁や慈愛の教えが世に浸透したことを意味し、さらにその教えが人の心を規制して、自らには負荷として作用していることを指している。つまり、教えにとらわれた結果、そうなるのだと言っていることになる。
 これは一見すると些細なことに思われがちだが、相当に根深いところを見ているので、慎重にならなければならないところである。
 安藤たちは、基本的には、教えから自由になれと言っている。そうすれば、しなければならないとか、すべきだとかいう外的な圧から解放され、本来的に親子に備わる情愛という自然感情で接するようになるとしている。
 これは正論なのかもしれない。だが本音をさらに掘り起こしてその上で言えば、自分という存在は、何かしらの教えにとらわれて、ほとんどがんじがらめ状態ではないかとすら思えてならない。さらにその結果が現在の自分を成り立たせている。これを白紙に戻すことは可能だろうか。
 いや、そうではなくて、安藤らはそういう心的現象を腑分けして、できるだけ自然感情的なところをイメージとして心的に繰り込み、それを規準にして振る舞えということを言うのかもしれない。つまり、ことさらな、あるいは過剰な、かわいがり方や孝行をしなければよいということ。それであれば、少しの心がけでそれはできそうな気もする。
 ここのところだけを考えてみても、安藤昌益の思想は原理主義的でありながら現実主義的一面ものぞかせる。
 また、安藤らのここでの集会の様子からは、これらの討論が安藤らの思想を世に広めようとする目的というより、内輪で理解し合う、深め合うことを目的としているように思われる。それぞれの知人、隣人を教化しようという意図も全く感じられない
 さて、話が少しそれたが親子関係に戻ると、ここで言われたことを理解した上で、なお遠く孝や仁の教えに迷わず、言ってみれば常にナチュラルな感情で接することが可能になるだろうか。これまでの自分を考えると、そうは簡単にいかない気がする。全く同じとは言わないまでも、場面場面で相変わらず迷い戸惑うことはありそうに思える。そしてこういうところはどう処理すべきかよく分からない。もちろん当然だが、いつものように胸に秘め、黙して過ぎることになるのだろうが、これでは本を読み考えた意味が無いということになるのではないか。
 おそらくそれはその通りなのであろう。
 安藤昌益の思想は、ひとりの人間のする心的葛藤について言及もしなければ触れてもいない。迷いや惑いの言葉で概括し、内側には徹底して入り込まない。多分入り込んでもどうしようもない領域として捨象している。さらに言えば心的葛藤などは要らぬ惑いだとして、そんなものにとらわれるなという立場を貫いているように思える。そして、そういうところで時折、遠く及ばないと感じて2歩3歩後ずさりする自分の姿も見えてくる。
 
 
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              2020/08/09
 「良演哲論巻」の部(5)
 
 「良演哲論巻」について、第一の「良子門人、問答語論」は前回で読み終えたことにする。次に「私法盗乱ノ世ニ在リナガラ、自然活真ノ世ニ契(かな)フ論」だが、これは本論考の最初に、少しだけ取り上げてコメントしている。が、しかし、ここでもう少し丁寧に読み進めてみたい。
 
△無始無終・土活真・自感・四行・進退・互性・八気・通横逆・妙道ハ、転定ニシテ土活真ノ全体ナリ。
 
其ノ妙序、転ハ定外、定ハ転内ナリ。外、転内ニ定備ハリ、内、定内ニ転備ハリ、転ノ性ハ定、定ノ性ハ転ニシテ、転定・互性・八気・通横逆、日月互性、回ト星ト互性、運回一息止ムコト無シ。万物、生生無尽、是レ活真・転定ノ直耕ナリ。
 
○是レガ小ニ男女ナリ。故ニ外、男内ニ女備ハリ、内、女内ニ男備ハリ、男ノ性ハ女、女ノ性ハ男ニシテ、男女互性、神霊互性、心知互性、念覚互性、八情、通横逆ニ運回シ、穀ヲ耕シ麻ヲ織リ、生生絶ユルコト無シ。是レ活真・男女ノ直耕ナリ。
 
転定ハ一体ニシテ上無ク下無ク、統ベテ互性ニシテ二別無シ。故ニ男女ニシテ一人、上無ク下無ク、統ベテ互性ニシテ二別無ク、一般・直耕、一行・一情ナリ。是レガ自然活真人ノ世ニシテ、盗乱・迷争ノ名無ク、真侭・安平ナリ。
 
 全集ではこの論は八つに分けられていて、冒頭引用箇所はその〔1〕の全部である。
 ところで、目録に示された「私法盗乱ノ世ニ在リナガラ、自然活真ノ世ニ契(かな)フ論」について最初に考えておきたい。
 まず「私法盗乱ノ世」とは何かだが、題名の現代語訳には、「私欲にもとづく階級制度により、搾取・争乱が絶えることのない現実社会」と記述されている。「私法」が「私欲にもとづく階級制度」と考えられているようだ。ここまで安藤の記述を読んできた限りでは、この訳に特別の不服はない。しかし、階級制度という言葉には、やや共産主義、あるいはマルクス主義寄りの言葉遣いではないかという懸念がある。訳者がそういう立場というよりは、こういう言葉遣いが時代的に関心を持たれそうだから使った、という理由ではないかと思う。これは自分で考えてみてもうまくいかないが、あえて自分にしっくりくる形に直して言えば、「個人的もしくは私的な恣意で作られた共同規範」くらいに思えばいいかなと考えている。国全体の規範となるとつい公的規範と受け取り逆らえないもののように感じてしまうが、もともと天に存在したというものでもなく、時の統治者周辺で相談して作り、最終的にはトップの統治者の承認の元に公布されたものだろうから、それは個人的もしくは私的と考えて差し支えない気がする。ちなみに、これは明治憲法であれ第二次世界大戦後の日本国憲法であれ、いずれ統治者サイドの思惑あるいは意図や意思や思惑が入り込んでいるだろうから、民主的な手続きを踏んでいようがいまいが同じで、厳密に考えて個人的もしくは私的に作られたとするほうが妥当だと思う。
 もう一つ、ここでは「自然活真ノ世」という言葉について考えておかなければならないと思う。これも安藤昌益独特の用語で、現代語訳には「自然の法則そのままの社会」と記されている。ここの「社会」は人間社会のことで、これが自然の法則そのままとなれば、社会規範などもごく初期の自然発生的なもの。つまりは国家以前の共同体社会、地域社会的なものが思い浮かぶ。昌益が文字や書物を毛嫌いしていることを合わせ考えれば、先史時代まで遡る必要があるかもしれない。いずれにせよ、昌益の「自然活真ノ世」とはそれくらいまでの射程を考えさせるもので、それくらいまで遡れば人工的なものが一層希薄だとか、動物性に近かったとか、より自然に密着した形で生活していただろうとか、大規模な戦闘もなかっただろうとか、ほとんど貧富の差というものもなく平等に生活していたんじゃないかとか、いろいろに想像される。もっと言えば殺し合いとか盗みとか、支配や被支配、貢納制度などもなく、ある意味で理想的な社会だったんじゃないかとも考えられる。安藤はもちろんこの「自然活真ノ世」に理想社会を見ている。
 さて、こういうところから先の目録の小題に戻って考えると、その意味するところは、「統治者の恣意によって作られた制度や規範と盗乱が盛んな現実社会にあって、まるで一切そういうもののない理想的な自然社会、平等社会にする話」、くらいのことになるかと思う。大げさに言えば社会変革論、革命論ということになるかもしれないが、内容的には血なまぐさいものではない。
 さて、小題についてはこれくらいのところで、ここから引用した冒頭部分について考えていきたい。
 初めに、安藤は宇宙全体の成り立ち、構造について言及している。まず、宇宙には根源的物質として「土活真」なるものが存在すると想定され、それ自体に内在するエネルギー運動が様々に活動して、宇宙全体を構成しているとする。
 宇宙全体を生成し、なおかつその生成活動は止むことを知らず、次々に万物を生み育て、尽きることがない。そのおおもとが「土活真」だと言っている。
 これは現在の一般人の感覚としてみれば、「素粒子」に類似する捉え方なのだろうと考えて大差ない気がする。またあったとしてもそれは専門家や専門領域の問題で、ここではこだわらない。
 いずれにしても、ある元になるものがあって、単独であるいは結合して、空間や物質を構成することになる。
 安藤にならえば、天や海や大地、さらに太陽、月、星々はみなこの「土活真」を元基としてなるものであり、それぞれに現象としては異なる姿や形を示すが、要素としては同一だということである。
 この「土活真」の絶妙な配分と配置、そして運動性は地球上の生命一般から人間をも生み出すことになり、よって人間には宇宙を凝縮して小規模にしたものという性質の同一性が内在すると考えられている。
 そこで安藤は人間の男女も見かけは違うものの本質は同じで、対なる関係として関係の内部では互いに対立しながら、共時に依存しあう矛盾した関係を結ぶものだとしている。
 また、こうして人間にそして人間の男女に備わった「土活真」は、人間においての食の行為、性の行為を誘発し、働きかけ、とりわけ「食」に関しては進んで稲作栽培に至った。安藤はこれを「直耕」の言葉に凝縮し、人間のする自然生活の上限と見なし、宇宙全体から人間生活を一本に貫く「土活真」の生成活動として認識可能であると考えた。「土活真」の生成活動、すなわち「直耕」、これこそが宇宙規模の大法則である、と。
 引用の最後部は、このように考えてきての論理的に当然の帰結である。
 天地は一体、男女にして一人。上なく下なく、相互に関係し合いながらそこに尊卑の差別などありようがない。ただひたすら「土活真」の生成活動に準じ、「直耕」を行うのみ。これにより、人間社会は共通の営みとなり、共通の感情が生まれ、互いに理解し合って暮らせるようになる。
 これが「自然活真人ノ世」であって、そこには搾取や収奪、これに対する反乱、あるいは陰謀、術策、諍いなど存在しようがない。もちろん存在しないものであればそれらの言葉もまた死語となって、人々の知るところではなくなる。ただ活真が尽くされるばかりの平安な世界となるのである。
 さて、安藤の論述の要諦は、人間の理想的社会とはどういうものかであって、記述したところの一々の真偽ではないと思える。誤っているところは後世にこれを訂正すればよいのであり、誰もやったことのない世界認識と把握の上に立って、上下差別のない平和で平穏な世界や社会の希求の、これは記述である。
 冒頭の記述からは、かつての昔にそれは存在していたことが言外に述べられている。「自然活真ノ世」がまさにそれで、人間が自然人に徹していた頃の社会だ。その理想社会はかつて存在していたが失われた。
 安藤のこのような認識には賛否が起こるだろうが、この認識には当時の社会状況が深く関係している。少なくとも安藤にとって、当時の社会は平和でも理想的でもなく、変わらなければ、変えなければと切迫感を以て感じられる状況にあったのだと思う。そこで過去の歴史に学び、理想に近いのはどこかと訪ねていった。そして過去の「自然の世」である。安藤の記述はだから、次にどうしてそれが失われたかに言及していく。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/08/11
 「良演哲論巻」の部(6)
 
 前回の結びで、昌益は「過去の歴史に学び、理想に近いのはどこかと訪ねていった」と書いた。これは、誤りだ。というより、その前後の文を含めて、微妙に昌益を誤解しているのではないかと懸念される。安藤昌益は、こちらが想像したよりはもっと科学的であったかもしれないという気がする。情動よりも理知が勝っていた人ではないか。
 すでに見てきたところの「大序巻」冒頭に、次の記述があったことを思い出す。煩をいとわずに読み返してみる。ここまで来れば安藤の記述にも少しなれて、おおよその意味合いはたどれるようになっているはずだ。
 
▲自然トハ互性妙道ノ号ナリ。互性トハ何ゾ。曰ク、無始無終ナル土活真ノ自行、小大ニ進退スルナリ。小進木・大進火・小退金・大退水ノ四行ナリ。自リ進退シテ八気互性ナリ。木ハ始メヲ主リテ、其ノ性ハ水ナリ。水ハ終リヲ主リテ、其ノ性ハ木ナリ。故ニ木ハ始メニモ非ズ、水ハ終リニモ非ズ、無始無終ナリ。火ハ動始ヲ主リテ、其ノ性ハ収終シ、金ハ収終ヲ主リテ、其ノ性ハ動始ス。故ニ無始無終ナリ。是レガ妙道ナリ。妙ハ互性ナリ、道ハ互性ノ感ナリ。是レガ土活真ノ自行ニシテ、不教・不習、不増・不減ニ自リ然ルナリ。故ニ是レヲ自然ト謂フ。
 活真トハ、土ハ転定ノ央ニシテ、土真ハ転ノ央宮ニ活活然トシテ無始無終、常ニ感行シテ止死ヲ知ラズ。其ノ居ハ不去・不加ニシテ、其ノ自行ハ微止スルコト無シ。活然タル故ナリ。常ニ進ンデ木火ノ進気、金水ノ退気ヲ性トシテ転。常ニ退キテ金水ノ退気、木火ノ進気ヲ性トシテ定。転定ノ央、土体タリ。進気ノ精凝ハ日ニシテ、内ニ月ヲ備ヒテ転神、退気ノ精凝ハ月ニシテ、内ニ日ヲ備ヒテ定霊、日月互性、昼夜互性ナリ。
 金気、八気互性ヲ備ヒテ八星転・八方星、日月ニ気和シテ転ニ回リ、降リテ定ヲ運ビ、八気、互性ヲ備ヒテ、進気ハ四隅、退気ハ四方ニシテ、四時・八節、転ニ升リ、升降、央土ニ和合シテ通・横・逆ヲ決シ、穀・男女・四類・草木、生生ス。是レ活真、無始無終ノ直耕ナリ。故ニ転定、回・日・星・月、八転・八方、通横逆ニ運回スル転定ハ、土活真ノ全体ナリ。
 故ニ活真自行シテ転定ヲ為リ、転定ヲ以テ四体・四肢・府蔵・神霊・情行ト為シ、常ニ通回転・横回定・逆回央土ト一極シテ、逆発穀・通開男女・横回四類・逆立草木ト、生生直耕シテ止ムコト無シ。故ニ人・物・各各悉ク活真ノ分体ナリ。是レヲ営道ト謂フ。
 故ニ八気互性ハ自然、活真ハ無二活・不住一ノ自行、人・物生生ハ営道ナリ。
 此ノ故ニ転定・人・物、所有事・理、微塵ニ至ルマデ、語・黙・動・止、只此ノ自然・活真ノ営道ニ尽極ス。故ニ予ガ自発ノ書号『自然真営道』ト為ルハ、是レノミ。
 
 さらにここでは特に結びの記述に注目したい。活真の存在と、それが「生生直耕シテ止ムコト無」い運動性に触れた後、天地宇宙、そして人、物、ことごとく活真の分体であると言及し、
 
此ノ故ニ転定・人・物、所有事・理、微塵ニ至ルマデ、語・黙・動・止、只此ノ自然・活真ノ営道ニ尽極ス。
 
と述べている。
 つまり安藤はここで一切を活真の働きに還元できるものと考えていて、人の言動のいちいちから人間社会に至るまで、活真の動きや働きが及んだものという捉え方をしている。
 安藤思想はこれを根幹としていることはまず間違いないところで、さらに安藤はここで活真の神髄とも言うべき「生生直耕」に目を向け、人の生の王道もまたそこにあると考えた。
 活真に生成活動が見られると考えるところまではよいとして、活真の凝集体とも言える人において、その生成活動としての直耕が食料の生産行為であると決めつけて捉えたことは、言ってみれば安藤の勝手である。そこに客観的真実があるかどうか、ちょっと疑わしい。安易に結びつけているような気もする。
 それはそれとして、ここで安藤の考えの経路に沿って言えば、人間生活、人間社会の根幹にも、この生成活動としての直耕が置かれるだろうことは自然な帰結である。すると、それは理想云々する問題ではなく、当然にそうでなくてはならぬものということになる。
 言い換えれば、ごく当たり前にそうであらねばならぬ生き方、そうであらねばならぬ社会のあり方が、そこから導かれてくることになる。「自然活真ノ世」とはだから、人間社会で言えば均しく生成直耕が行われていた時代、世の中、というくらいの意味合いになる。理想でも何でもない。そうでなければならないという次元の異なる話、なのだ。
 安藤は、正義の人でも良心の人でもなく、民衆第一の人というわけでもない。そういう倫理的な背景から、一歩抜きん出ていた人とみる方が遙かに的を射ている。
 ここでは、ひとまずこのことを振り返っておくこととする。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/08/13
 「良演哲論巻」の部(7)
 
 この世界は(土)活真の生成活動、言い換えれば活真の直耕に尽きる。天と地も、天と海も、あるいは人間の男女も、活真の互性妙道の結果として天となり地となり海となり、人間の男女となった。この世のものは何一つ、活真の自り(ひとり)然す(する)直耕の成果でないものはない。だから、この世界において活真は要素でありながら全体でもある。
 当たり前のことだが、天と地といっても元々は活真。人間の男女も活真。そこに本質的な差異はない。互いに対立しながら依存し合う関係があるだけだ。よって、いずれも上なく下なく、互いに交換可能を秘めているのではっきりと2別できるというものでもない。
 だが、と安藤は考える。人間社会にだけはこのあり得ない2別、上下の身分、貴賤、はたまた善悪などのような対立する2項が数多く設けられている。それは何故か、と。ここから安藤の筆致は一気呵成に加速してゆく。
 
 △然ルニ聖人出デテ、耕サズシテ只居テ、転道・人道ノ直耕ヲ盗ミテ貪リ食ヒ、私法ヲ立テ税斂ヲ責メ取リ、宮殿・楼格台、美珍味ノ食、綾羅・錦繍ノ衣、美宦女、遊楽、無益ノ慰侈、栄花言フ計リ無シ。王民・上下、五倫・四民ノ法ヲ立テ、賞罰ノ政法ヲ立テ、己レハ上ニ在リテ此ノ侈威ヲ為シ、故ニ下ト為テ之レヲ羨ム。且ツ、金銀通用、之レヲ始メ、金銀多ク有ルヲ、上貴キト為シ、少ナク、無キヲ下賎シキト為シ、凡テ善悪・二品、二別ヲ制ス。是レヨリ下タル者、上ヲ羨ムコト骨髄ニ徹シ、己レモ上ニ立チ、栄花ヲ為サント思謀ヲ慮リ、乱ヲ起シ、命限リニ合戦シ、上ヲ亡ボシ、己レ上ニ立チテ栄侈ヲ為スコト又倍ス。之レヲ羨ミテ乱ヲ起ス者又出デテ、戦ヒ勝チテ上ヲ亡ボシ、己レ上ニ立チ、奢欲ヲ為スコト又倍ス。之レヲ羨ミテ乱ヲ起ス者又出デテ、戦ヒ勝チテ上ヲ亡ボシ、己レ上ニ立チ、奢欲ヲ為スコト又倍ス。是ノ如クシテ、転真ノ転下ヲ、或イハ盗ミ、或イハ盗マレ、欲欲・盗盗・乱乱トシテ止ムコト無シ。
 
 古代中国の王たち、またその家臣である権力に群がるものたちが為したこと。これを引用箇所からざっと見の箇条書きに抜き出してみる。重複するところもあるが、ここはあまり厳密さを要しないと思うので、よいとしておく。
 
 ?不耕貪食。
 ?私法を立てる。
 ?租税を取り立てる。
 ?贅沢の限りを尽くす。
 ?王民・上下、五倫・四民の法を立てる。
 ?賞罰の政法を立てる。
 ?驕り権勢をふるう。
 ?金銀通用を始める。
 ?貴・賤、善・悪など、あらゆる物事を2つに振り分ける仕組みを作る。
 
 これにより、下のものは上を羨んで乱を起こし、滅ぼして栄華を手にしようとすることが繰り返されるようになった。すなわち、欲欲・盗盗・乱乱として止まない世の中になった。安藤は、そう考えて行った。単純に言えば、世の中が悪くなったのは聖人たちの所為だというように。
 聖人とは、辞書そのままでは「知徳がすぐれている理想的な人物」あるいは「賢人」などと記述されている。安藤はこれを古代中国を統一した初期の王侯たちの意に用いたり、またあるところでは孔子を指す言葉として用いている。ここではどちらかというと前者の意味合いが強いので、王とその家臣たち、そして地方を治めることを許された諸侯たちというように理解しておくこととする。言ってみれば民を支配する側に立つ連中、またはそのトップである。
 安藤はしかし、こうした支配者たち、権力者たちに聖人の名を冠しており、彼らが立派な人であるとか偉大な功績をなしたとかいう歴史的なふれこみを一概に否定してはいない。
 そうなのだ。ここが安藤昌益のおもしろいところで、支配者権力者たちを悪逆非道の人民の敵というような薄っぺらい見方をしていない。かえって知にも徳にも優れた立派な人という歴史的評価を踏襲し、冠された聖人の名をそのまま用いている。そして返す刀で、歴史的にまた社会的に高名で聖人と敬われ、賢く徳に優れた人々の出現により、世の中は一気に、そして変に悪くなっちゃったんだよと言っているのだ。
 本来なら善くなっていくべきなのに、先に引用したようなことが次々に増大していく。その火付け役が、実はひとくちに偉大で立派とされる人たちなんだよと安藤は言うのだ。
 賢く、徳に優れていること。賢・徳は、世の中をよくしていくどころか、欲望、策謀、横取りからの争乱をもたらす因となるものだ。
 世の常識的な見識に対し、安藤昌益のそれは全くの真逆に向かう。180度、価値観を反転させたものだ。寡聞にして、その時期にこのような見方を世に向かってできた人を知らない。
 さて、安藤昌益の返す刀は過去の聖人たちに向かうだけではすまない。あろうことか瞑想して境地を極め、悟りを開いたと後世に伝えられる釈迦に向かっても容赦ない。
 
 是レニ釈迦出デテ、欲心ノ迷ヒヲ足シ、心欲・行欲、益々盛ンニシテ、
 
と、さらに世の中の混沌、汚濁を深めることに加担したとされる。続いて、
 
世ハ聖人乱シ、心ハ釈迦乱シ、転下・国ヲ盗ムノ欲、極楽往生ヲ望ムノ欲、交々発リテ止ムコト無ク、欲ハ盗ミ、盗ミハ乱、乱ハ迷ヒニシテ、君ハ臣ヲ殺シ、臣ハ君ヲ殺シ、父兄ハ子弟ヲ殺シ、子弟ハ父兄ヲ殺シ、王モ僕ト為リ、戎モ王ト為リ、侯ハ民ト為リ、賊モ侯ト為リ、極侈有リ、極窮有リ、軍戦シテ衆人大イニ患ヒ苦シム。此ノ悲シミノ人気、転定ノ気行ヲ汚シ、不正ノ気ト成リ、凶年シ、或イハ疫癘シ、転下皆殺シノ大患有リ。暫年止ミ治マリ、又発乱シ、兵乱止メバ、心欲乱甚ダシクシテ、又兵乱起リ、治乱倶ニ乱乱トシテ止ムコト無シ。
 
として、欲心の迷いが世の中の乱れを加速していったとされる。
 言わば聖人が世の乱れの火付け役とするなら、釈迦の説法はその火に油を注ぐものだったというのだ。
 こうして、衆人に善の発露と認識されるものすべてが、結果として世には善以上の悪として顕現することになる。安藤は、その不可思議なメカニカル、システム性にこそ注意を向けるべきであると、いち早く警鐘を鳴らしたと言える。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/08/18
 「良演哲論巻」の部(8)
 
 聖人は物的な充足への欲を、釈迦は心的な充足への欲を、それぞれ衆人に植え付ける役割を果たした。安藤から見れば、人の社会はそうした欲望の拡張によって、欲欲、盗盗、乱乱の世界をまっしぐらに突き進み始めた。
 螺旋階段を駆け上るように、安藤は内容的には重複するところをやや角度を変えながら記述を進め、繰り返される混乱や戦乱が社会にもたらされる本質に迫っていく。
 
 治ハ乱ノ根トナリ、上ニ植ヱザル故ニ、枝葉ノ賊、下ニ生生止ムコト無シ。上、盗根ヲ断ラザル故ニ、下、枝葉ノ賊盛ンナリ。故ニ転下ノ盗乱・賊徒ノ絶ヘザルハ、上ノ侈リヨリ之レヲ為ス。上、盗乱ノ根断ラズシテ、日々ニ下ノ盗賊ヲ刑伐ストモ、全ク絶ヘズ。絶ヘザルハ、上、己レヨリ之レヲ為ス。己レト賊ヲ出シテ、賊ヲ伐ルヲ政事ト為シテ威ヲ張ル。狂乱ト言ハンカ、悪魔ト言ハンカ、言語同断、心行不能演弁ナリ。軍ニ勝チテ上ニ立チ、治ムルト為トシテ乱根ヲ植ヘ、栄侈ヲ為スト視ヘシガ、忽チ乱起リテ春雪ノ如シ。勝ツ者、上ニ立チ、又是ノ如シ、無限ニ是ノ如シ。
 
 そもそも、治、すなわち統治は、「乱ノ根」となるものであると安藤は言う。戦乱、争乱、反乱が起こる根本が統治にあると。
 統治者は不耕貪食をし、私法を立て、下々に貢納を強制し、また自ら贅の限りを尽くす。これを見て知って、下々が泥棒をはじめとする犯罪に手を染めないはずがない。上が搾取、争乱を自ら行って断ち切ろうとしないのだから、下では枝葉の犯罪が盛んになるばかりである。根幹と言うべき主要な犯罪は、すでに統治者がこれを行っているのだ。
 これではどんなに下の盗賊に刑罰を科しても、犯罪はなくなるものではない。なくならないのは下々が不善で不徳だからではなく、上が自らも犯罪と同等のことを為し、そのことによって下々に犯罪者を作り出しているからだ。このように自分で犯罪者を作り出しておきながら、犯罪者を刑罰に処すことが政事であると威張ったりする。
 
狂乱ト言ハンカ、悪魔ト言ハンカ、言語同断、心行不能演弁ナリ。
 
 上に立つ頭のよい連中、支配者、政治家、徳を修めた宗教家、そういう連中の考えも行いも訳が分かんねえ。
 世の中を悪くしてきたのも変にしてきたのもおめえらの所為じゃねえか。それなのに、偉そうな顔つきと態度で下々を指導したり教えを垂れたり、挙げ句の果ては無知蒙昧の輩と蔑んでみせる。勉強ができ、知識を身につけたことがそんなに素晴らしいことか。だったら、下々が心の底から感心できるようなことを、何かひとつでも証明して見せてくれ。
 つまり、善人、偉人かのような顔つきのおまえだよ。上に立つおまえ自身が変わってくれなければ、上から降りるのでなければ、世の中は変わらない、よくならない。
 記述する安藤の気持ちに乗り移るようにして言葉を吐けば、このようになるのかもしれない。
 ここで安藤が述べていることは、善や徳に優れているかどうかとは関わりがないということ。人間の人間としての中身が問題ではなく、客観的な関係を絶対として見たときに、どうなっているかが問題とされている。そういう視点を持ったときに初めて、安藤の主張は意味を持ってくるし、理解もされてくる。
 引用の末部についてはもはや解説も解釈も要しないだろう。治めることは乱根を植えることで、これが永遠に繰り返される。
 安藤は直接語っていないが、「自然真営道」において安藤が語っていることは本質論的にいえば国家の問題だと思う。また、知の問題でもある。国家の問題でいえば国家をなくせといっているわけだし、知の問題でも、これを放棄し、非知に着くのがよいのだと述べているように思う。いずれもとても興味深いが、未来に続く問題として受け止めれば、これを創造的に理解するにはなかなか難しく、先読みも聞かない。いつか現在的な問題として語ってみたいが、今はそれどころではなく、まだしばらくはうだうだとした営為を余儀なくされるのだろうと思う。焦れったいが、寄り添うように進むしかないと諦める。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/08/23
 「良演哲論巻」の部(9)
 
 歌・舞・謳・能・茶ノ湯・碁・双六・博奕・酒狂ヒ・女狂ヒ・琴・琵琶・三味線・一切ノ遊芸、情流離・芝居・野郎・遊女・乞食ノ衆類、悉ク妄乱ノ徒ラ・悪事、止ムコト無キハ、上ノ侈リヨリ出ヅルナリ。本、聖釈ヨリ始マル所ナリ。天竺・南蛮・漢土・朝鮮・日本、一般ニ是ノ如ク、迷欲・盗乱止ムコト無シ。生キテハ四類ノ業、死シテハ形化ノ生死、免ルル期無シ。少シクモ活真ノ妙道ヲ弁ヒ、改ムルニ非ズンバ、無限ニ迷欲・盗乱絶ユベカラズ。故ニ、是レガ私法ノ世ノ有様ナリ。
 若シ上ニ活真ノ妙道ニ達スル正人有リテ、之レヲ改ムル則ハ、今日ニモ直耕・一般、活真ノ世ト成ルベシ。然レドモ上ニ正人無クンバ、如何トモ為ルコト能ハズ。盗乱ノ絶ユルコト無キ世ヲ患ヒバ、上下盗乱ノ世ニ在リテ、自然活真ノ世ニ達スル法有リ。
 
 引用部分のはじめは「私法ノ世」の有様について、そのあらましが書かれている。
 一切の遊芸や乞食の衆類など、そして風俗、風紀を乱す無用な悪戯、悪事などが「迷欲・盗乱」の具体として想定され、それが無限に絶えずに世間からなくならないのは、ひとえに支配者の驕りに端を発していると安藤は言う。これもまた、もとをたどれば聖人、釈迦に始まったことだとさらに自説を続ける。
 ここで気になるのは、安藤がなくなった方がいいと考えているらしい一切の遊芸、そこに文化・芸術・芸能の類いが含まれていることだ。安藤の筆致からは、これらは不要だというニュアンスが漂っている。これは一般的に言えば、過去、そして現在の常識的な受け取りとは異なっている。常識的には生活に潤いをもたらしたり、精神的な豊かさをもたらすとして肯定されているように思える。
 今、どのページかは覚えていないが、弟子筋に当たる者が安藤の実生活に触れて、芸能事にも人並みくらいの関心と興味を示していたとするエピソードを記した箇所があった。また、盆暮れの届け物のやりとりもそれなりに行っていたようだから、実生活の場と論理的思考の場とは区別していて、記述上の否定が必ずしも全否定を意味するかというとそうではないのかもしれない。
 ただどちらにしても、遊芸などの隆盛、発展が、支配者の出現と軌を一にすると考えていたことは間違いないことのように思える。遊芸の発生が、ではなく、飛躍的な発達がである。
 食料の調達やその生産性が向上すると生活にゆとりが生まれ、それによって人は余計なことをしたり考えたりするようになる。芸能の類いの発生や発達もそうした経済的基盤と無関係ではない。支配と被支配の関係構造が生じ、被支配層の生産によって支配層が支えられるまでになると、支配層には食料生産に要する時間が不要になり、ゆとりが生まれる。そしてその分、観念的世界が膨張していくことになる。安藤からすれば「自然活真ノ世」からの逸脱と「私法ノ世」の到来が、結果として文化、芸術、芸能などの飛躍的発展に結びつき、それ自体がまた人間にいっそうの欲望とそれを達成するための思考力、さらにそれを楽して手に入れるための盗み、戦いを生じさせ、助長させたと捉えられた。
 安藤昌益は、明るいということがよいという価値観、考えることも行うことも善でなければならない、善がよいとする価値観は、あくまでも過去の偉人、聖人によって作られた価値観に過ぎず、一面的で誤りだと一蹴している。明は明暗の一面、善は善悪の一面、暗や悪に目を塞ぎ、明や善だけを取り上げて論ずることは観念上、あるいは言葉の上ではできても、少しも本来的ではないんだよと言う。いや、実際にはそういう記述はないが、そういうところまで考えをつめた上で記述していると思う。
 だから、安藤昌益という人は、精神世界、幻想世界を、人が「生きる」という時の価値基準としては第二義的なものと見なした。
 人はパンのみにて生きるにあらず。だが、同時に人はパンなくして生きることはできない。
 安藤は第一義に後者の「食」をもってきて、次にノーマルな意味合いでの「性」を置き、人としての本質とも言える精神世界や幻想世界をそれ以下に落とし込んだ。
 これが正解であるかどうかは分からない。だが、「盗乱ノ絶ユルコト無キ世ヲ患ヒバ」、こう考えるほかないと思われたに違いない。
 引用部の後半を見ると、現状世界の混迷、混乱を避け、これを改めるためには「上(かみ)」に正人が立たなければならないと安藤は認識していたことが分かる。逆に言えば、「下」にあるものがどんなに正論を唱えても、世の中は変わらない、そのメカニズムをよく知っていたと思われる。現状世界を変える力は「上」にしかない。しかし、そのためには「上」は「自然真営道」を体現し実践する「正人」でなければならず、これまた絶対的矛盾以外ではない。どうすればいいのか。
 「私法ノ世」、「上下盗乱ノ世」に在りながら、「自然活真ノ世ニ達スル法」とはどういうものか。次に安藤はその方法を具体的に説いていく。
 その前に、今思いつくことをメモしておく。ひとつは安藤が「自然活真ノ世」という時、とくにこれを「私法ノ世」と対で考えている時は、「国家」に対しての「社会」というほどの意味合いで置き直して考えられのではないかということがある。そうすると、「自然活真ノ世」に対する「私法ノ世」は「国家」に置き直して考えることができる。
 もう一つの思いつきは、この先に安藤が述べている「自然活真ノ世ニ達スル法」の具体的な記述は、大きくは憲法を改正する意味合いをもつのではないかということである。現在に向かって、そういうことを提案しているのではないかという気がするのだ。これからそれについて見ていくわけだが、これを念頭に置いて考えてみたいと思っている。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/08/27
 「良演哲論巻」の部(10)
 
 安藤昌益の言う「自然活真ノ世」は、自然原始の社会の意味合いも含むだろうがそればかりではなく、自然発生的な社会、つまり血縁の名残をとどめた家族から親族・氏族・部族までに拡大した共同体社会の総体を指すと考えてよいと思う。これにももちろん、例えば長老会議といったような政治機能があり、それには統率権も存在した。
 これに対する「私法ノ世」は、血縁関係を振り切り、いくつかの部族を統合するまでに拡大した共同体を基盤とする社会を指すと思える。この共同体社会では、政治機能、統率機能が格段に発達し、強力になり、王権のように社会の総体から独立した組織形成がなされるまでに至る。つまり初期国家と呼んで差し支えない条件が充たされた共同体社会だ。
 ここで、国家というものは社会の中の政治性(政治機能)が独立し、強化され、組織化され、共同体社会全体を統率し、支配するに至った段階でそう呼ばれるものと考えておく。
 すると社会と国家との関係は、社会生活それ自体と社会に内在する政治性の関係のことで、これが未分離の状態から分離し、分化していく過程を経て、やがて社会と国家の概念に行き着いたものと考えてよいと思われる。つまり、日常生活を専らにする社会と、日常生活から政治的な事柄だけがすっぽり抜け出て専門化していった国家と、機能的には二分できる。ただ、現在でもこの国家と社会の区別は曖昧で、総合して社会と呼んだり国家と呼んだりしている。ここではとりあえず、国家と社会の違い、国家とは社会の政治性の高度化した形態を本質としたものと捉えておく。
 そこで、安藤の言う「私法ノ世」とは、共同体に内在した政治性が独立した権限を持つようになった段階の社会を指し、「自然活真ノ世」はそれ以前の社会と区分できる。
 安藤の記述では、「私法ノ世」とは中国に聖人が出現して以来の世で、彼らは私法を立て王朝、すなわち国家を成立せしめた。これを諸悪の根源と見なし、「自然活真ノ世」に戻すべきと主張したのは、国家的政治機能や組織を消滅させよと言っていることと同じである。なぜならば安藤には、国家は社会を支配下におくもので、あくまでも一部のものたちの意志や考え、つまり私欲でもって社会を私物化するものと考えられたからだ。
 これを武力や宗教的権威などで行えば聖人たちの二の舞なので、安藤はそうは言わない。社会構造、法制度などはそのままで、これを「自然活真ノ世」に組み替える方法について言及しようとする。
 
△失リヲ以テ失リヲ止ムル法有リ。失リノ上下二別ヲ以テ、上下二別ニ非ザル法有リ。似タル所ヲ以テ之レヲ立ツルニ、暫ク転定ヲ仮リテ之レヲ謂フ則ハ、転定ニ二別無ク、男女ニ二別無ケレドモ、私法ヲ為シテ、転、高ク貴ク、定、卑ク賎シク、男、高ク貴ク、女、卑ク賎ク、高卑・貴賎ニシテ一体ナリ。之レニ法リテ上下ノ法ヲ立ツル則ハ、今ノ世ニシテ自然活真ノ世ニ似テ違ハズ。
 
 上下あるいは高卑・貴賎の仕組み、構造はそのままに、言ってみればこれを骨抜きにしてしまう方法があると安藤は言っている。
 
 ○上、臣族多カランコトヲ欲スルハ、乱ヲ恐ルル故ナリ。故ニ臣族ノ多カランコトヲ止メテ、只乱無カランコトヲ専ラニスベシ。上ニ美食・美衣・遊慰・侈賁無ク、無益ノ臣族無ク、上ノ領田ヲ決メ、之レヲ耕サシメ、上ノ一族、之レヲ以テ食衣足ルトスベシ。諸侯、之レニ順ジテ国主ノ領田ヲ決メ、之レヲ以テ国主ノ一族、食衣足ンヌベシ。万国凡テ是ノ如クシテ、下、衆人ハ一般直耕スベシ。凡テ諸国ヲ上ノ地ト為シ、下、諸侯ノ地ト為サズ。是レ若シ諸侯、己レガ領田ノ耕道怠ラバ、国主ヲ離スベキ法ト為ス。若シ諸侯ノ内ニ、迷欲シテ乱ヲ起シ上ヲ責メ取ルトモ、決マレル領田ノ外、金銀・美女無シ。故ニ、上ニ立ツコトヲ望ム侯、絶無ナリ。税斂ノ法、立テザル故ニ、下、侯・民ヲ掠メ取ルコト無ク、下、上ニ諂フコト無シ。上下在リテ二別無シ。
 
 江戸時代であれば天皇をいうのか将軍をいうのかよく分からないが、まずは最高統括者の上(かみ)の領田を法として決めることが言われている。これも一族と言うから、まあ親族を範囲として衣食が足りる程度の土地および耕作地ということか。
 またこれに準じて全国の藩主の領田も同様に決めて、自分たちで耕作して自分たちの衣食をまかなうようにするとしている。
 すべて土地は上(かみ)の管理としながら、その配分は一族にとって足るものとして、下(しも)、衆人も同様ということだ。
 上、諸侯(国主)、下と、身分や階級はそのままに置きながら、実質的には平等が担保されるように考えられている。
 この中に一筆、「是レ若シ諸侯、己レガ領田ノ耕道怠ラバ、国主ヲ離スベキ法ト為ス。」と記されていることも面白い。
 いずれにしても、これらは法として定めるように考えられていて、言ってみれば法改正に他ならない。つまり、安藤昌益の、
 
稿本『自然真営道』第二十五「真道哲論巻」
○私法盗乱ノ世ニ在リナガラ自然活真ノ世ニ契フ論
 
の主要な点は、今で言うと改正法案といったような意味合いがあると思う。あるいは憲法改正問題と言ったところになるだろうか。もっと言えば、安藤昌益の記述のすべてはここに集約されると考えてもよいくらいで、何はともあれ原理的考察からはじめ、ここまで一人でやりきっているところはすごいとしか言い様がない。しかも身分的にはただの地方の町医者である。アカデミズムとは真逆の極致がここにはあり、本来は最終に言うべきことだが、この時点で吉本隆明の言葉を借りて同様に「天晴れ」と呟きたくなる。
 さて、このように安藤の改正案は具体的な形で、しかも多岐にわたって記述されている。以下、しばらくこれに付き合ってみる。
 
 ○税斂ノ法ヲ立テ不耕貪食スル則ハ、臣等、君威ヲ仮リテ権柄ヲ張リ、下民ヲ貪ル、此ニ始マル。
 ○故ニ税斂ノ法無ク、上ハ上ノ領田ヲ耕サシメ、若シ耕道ニ怠ル侯・民有ル則ハ、之レヲ制シテ耕サシメ、之レヲ上ノ政事ト為ス。能ク耕サシムレドモ、上一粒取ルコト無ケレバ、侯・民、感伏シテ背ク心無シ。
 
 租税制度の廃止への言及と、最高統括者の責務、そして耕作義務を怠る者への罰則について述べている。
 安藤はここでひとつの理想を語っている。当時においても現在社会においても、租税は社会維持に不可欠で、絶対に無くすことはできないものだと考えられているように思える。百人が百人中、租税は無くせないと思い込んでいるに違いない。しかし、安藤からすれば歴史的に見て租税は聖人の出現後のことであり、「自然活真ノ世」には無かったことであるから、本来的には無くなるべきものと考えられている。未来永劫無くならないものかどうかは未来にならなければ分からないことで、どういう未来を招致しようと願うかは現在に関わることである。実際に租税が制度として現実化された折りもそうしたいと願ったものがいたからのことで、自然がこしらえたものでも何でも無い。逆もまたしかりで、それを強く希求するものがなければ始まらない。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/08/31
 「良演哲論巻」の部(11)
 
 ここで日本の中世、近世の法制度というものを概観しておきたい。手っ取り早くネットで検索してみたら次のような記事があった。
 
日本の江戸時代までの法体系は、近代に継受されたヨーロッパの法とは大きく異なる性質を有しています。ヨーロッパの法は、民法や商法に代表されるような私法、いわゆる「私人」相互間における法が発展したところに大きな特徴があります。それに対して、たとえば江戸時代は──時代劇などで過酷な刑罰を科すシーンがありますが──「国家」が民衆に対して刑罰を下すタイプの法体系(刑事法)が発展した時代でした。諸説ありますが、江戸幕府が権力を統合した強力な政権だったことが背景にあると言われています。
ところが中世の法体系は、近世法に連なる要素を含みながらも、もう少し性質を異にしていたように思います。と言いますのも、さまざまな領主が一定の自律性を持った支配を行っていた中世には、国家権力と呼べるような強力なまとまりはなく、そのぶん法の中心領域というのは刑罰を定めた法よりも、個人間・私人間で成り立つ私法的な法の領域が発展していたからです。ただ、ここでの個人・私人とは商人や農民なども含めた社会の人々一般ではありません。幕府に所属する御家人や、朝廷に所属する官人、荘園領主やその下にいる荘官などを指します。このような身分の人たちが、自身の所領(土地)をめぐって争う際の裁判規範が発展した点に中世法の特徴があります。ここに江戸時代の法体系との違いがあり、ヨーロッパの法と似た側面が見出せるのです。(一橋大学 法学研究科講師 松園 潤一朗 『前近代の法体系から、現代の法体系をとらえなおす』より。以下も同じ。)
    (中略)
前述しましたように、日本の中世には、個人間・私人間で成り立つ私法のような観念・制度が見られました。領主が、自分の所領を侵奪しようとする相手に対し、自らの権利を保持する手段として、裁判で判例や代々伝わる文書をもとに所領の権利を主張するだけではなく、近代国家では原則として違法行為とされる、実力によって相手の妨害を排除するといった「自力救済行為」が一定の合法性を帯びていました。
ヨーロッパの場合は農民や職人など身分集団ごとの自律性が高く、領主の自律性も認められていました。絶対王政などの集権的な政治体制が敷かれても、身分制議会などを通して権力構造は保たれ、君主は行政権しか持ち得ない……というように、身分の自律性が保たれたうえで国家という集合体ができあがっていきました。くり返しになりますが、日本中世の分権的な秩序は、このヨーロッパの秩序と多少とも近いものがあります。それが戦国時代を経て近世(江戸時代)になると、法の性質が大きく変容したことは、日本法制史上の謎と言えるでしょうか……。
    (中略)
その問題についての議論は多様です。一つ紹介しましょう。豊臣秀吉にせよ、徳川家康にせよ、統一政権をつくった政治家は天皇を利用しています。天皇を名目上の頂点に置き、その下に大名を配し、「大名のトップ」が将軍であるという上下関係に編成された権力構造をつくりました。そこには、皇帝がトップダウンで指示を出す中国の律令法がベースにありました。その法体系を利用して国制(統治の体制)の転換を行ったがゆえに、ヨーロッパのような議会制的な権力構造が発展しなかった──というのが一つの議論です。
一方で──より民衆支配に焦点を当てた議論として──、そもそも江戸時代の体制はそれほど稠密な、統合された権力としてはとらえられないという議論もあります。民衆の属する村落というものには強い自律性があって、権力はその上に「乗っかって」支配しているだけだ、というものです。専制的なイメージとは裏腹に、実は江戸幕府の体制は、戦国時代までにできた村落などの構造に乗っかっていただけだ、と。
 
 日本の江戸時代までの法体制について分かりやすい指摘がなされている。ここでは安藤の記述を理解するために、一応こんなことが背景にあるということを頭に入れておきたかったので引用した。
 これまで見てきたように、安藤昌益は当時の世を差別的社会と見て、それが諸悪の根源だからこれのないところまで戻るほかないと考えた。安藤の言葉で言えば、「私法ノ世」から「自然活真ノ世」への回帰である。しかしこれが容易でないことは安藤もよく知っていて、同時に平和主義的であった安藤は、「失リヲ以テ失リヲ止ムル」方法に着目した。つまりは、誤りの私法を止めるのに誤りの私法を以てするという方法である。
 当時の法体制は引用文からも感じ取られるように、近・現代のように整備されたものではない。これは安藤の考えた言わば「私法」にも影響し、またそれを規定していたと思われる。具体的ではあるが雑でもあり、それをまたどのようにして法として定着させられるかという見通しも持っていない。ただ前近代法的な記述がなされているだけなのだ。
 前回の「税斂」の法を無くす案の後には次の記述がある。
 
 ○諸国ノ不耕貪食ノ遊民ヲ停止シテ、其レ相応ノ田地ヲ与ヒテ耕サシム。今ノ世ノ民ノ如ク、其ノ一族、食衣領ノ外多田ヲ耕スベカラズ。今ノ世ノ民ハ、食衣領ノ外ニ、貯ヒ侈リノ為ニ多田ヲ耕スハ、今ノ上ニ似セテ為ルナリ。故ニ無益ノ費シテ反ツテ貧ナリ。遊色・慰芸ヲ禁ズ。若シ耕ヲ怠リ遊芸ヲ為ス者ヲバ、一族、之レニ食ヲ与フベカラズ。
 
 職業もなく遊んで暮らしている遊民に田地を与えて耕させる。田地は私有ではないから、開拓して広げることは制限される。耕を怠れば、一切施しなどは無用にして食に困らせ、耕すしかないことを身をもって知らせる。概ねこんなことが書かれている。
 「遊色・慰芸ヲ禁ズ」という言葉もあるが、安藤の考えではこれらは「私法ノ世」になり、社会に迷欲、混乱がもたらされたから生じたもので、「自然活真ノ世」になれば自然消滅したり衰退すると思われているものだ。つまり、理想的な社会、理想的な世の中になれば存在する価値や意義がなくなる、というように。これは本当にそうかどうか分からない。安藤の考えは単純すぎないかと疑問が生じる。
 こういうところは実に悩ましいところで、今の段階ではその是非に言及しないことにする。とりあえず不問にして、とにかく言うところにだけ耳を傾けていきたい。
 
 
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              2020/09/04
 「良演哲論巻」の部(12)
 
 人間の個体にとって大事なことは食べることであり、そのために食料を安定的に獲得、生産することである。
 原始には他の動物たちと同じく狩猟採集以外になかった人類は、収穫の不安定さからやがて穀物の栽培や家畜の成育など、安定的に獲得できる道を見いだした。
 安藤昌益は、その中でも特に日本において盛んに行われてきた米作りに目を向け、誰もが一定の耕作地を持ち安定して食糧の供給(自給)がなされれば、とりあえずその社会は争うことを必要としないだろうと考えた。この考えにさらに個人の見解以上の普遍性を付加すべく、宇宙全体を貫く生成活動という観点から「直耕」の概念を創造的に捻出し、これを人間の耕作活動と結びつけた。言ってみれば、人間を宇宙自然の一員と位置づけたのである。
 そういう安藤の考えからは、当然の帰結として人間のなすべきことは主に田地の耕作、直耕以外になく、これにはほかに衣服の生産、漁労、狩猟のような生活再生産に要する諸事が含んでいる。
 そこには、人間がなすべき生活と生活の再生産のための最低限度の活動といった意味合いが込められ、ここから逸れることに安藤は容赦ない。
 前回に見た租税の廃止、遊民、遊色、慰芸を無くすように求めることなどは、すべてに例外なく耕作、直耕を求めるもので、上から下に至るまで個人また一族の自給生活といった趣を呈し発案されている。
 先に続き、次に引用する記述も同様の展開を見せている。
 
 △○金銀通用ヲ為ス故ニ、売買・利欲ノ法盛ンニシテ、転下、利欲ニ大イニ募リ、漢土ヨリ天竺・阿蘭陀・日本ヲ奪ハント欲シ、或イハ日本ヨリ朝鮮ヲ犯シ、瑠球ヲ取ル等、金銀通用売買ノ法ヲ立テ、自由足リ、侈リヲ為シ易キ故ナリ。侈リハ乱ノ根ナリ。之レヲ知リテ金銀ノ通用ヲ止ム。元来、人ハ穀ヲ耕シ麻ヲ織リ、食衣ノ外何ノ別用無キハ、転定ノ与フル備ハリナリ。
 
 安藤が記述するところ全般にわたってそうなのだが、こういうところでも我々は絶句し、そのあげくに思考が停止してしまう。
 社会に金銭トラブルは多く、現在社会のように賃労働が主となった世界では、金銭に対して尋常でないほど鋭敏に反応せざるを得なくなっている。金銭が生活の根幹に関わるまでに浸透しているからだ。言わば我々の生活は金銭に骨がらみの生活になっている。
 金銀の通用を止めろ、無くせという安藤の話はどう受け止めればよいのか。
 以降の記述についても同様で、ただ記述された言葉に耳を傾け、理解し、それで終わってしまう。否定も肯定もしようがない。また意味があるようにも思えない。
 
 ○家老・用人・諸役人・平士・足軽等、入リ用之レ無シ。皆、相応ニ耕スベシ。
 ○工職ハ、上、相応、侯・民、相応ノ家・器、細工スベシ。美家・好器ノ細工、之レヲ禁ズ。常、細工ノ用無キ則ハ、相応ニ耕スベシ。
 
 当時の職、また身分のいちいちについて安藤は同様に記述を連ねている。
 
 ○遊民ハ、僧・山伏・社人。慰芸ハ遊女・野郎・芝居等。侈芸ハ謳・能楽一切ノ鳴リモノナリ。徒ラ・悪事ハ、斬リ取リ・強盗・火付・博奕・碁・双六等。背病ハ願人・託鉢、凡テ乞食ノ衆類ナリ。是レ等ハ皆、慰芸ハ上ノ侈リニ倣フテ出ヅ。徒ラ・悪事ハ上ノ侈リ・費ニ因リテ、下窮シテ出ヅ。此レ等ノ類多キ則ハ、国窮シテ乱此ニ起ル。故ニ上ニ侈リ・費ヲ止ムル則ハ此レ等ノ類、自ラ止ム。此レ等ノ類ニ相応ニ田畑ヲ与ヒテ耕サシム。
 
 社会の混乱、騒乱はすべて統治する側の層の贅沢や浪費などを原因として引き起こされ、下層のものがこれを羨んでまねたり、窮したりするからだと言っている。これが長引けば国全体が窮して大乱を呼び寄せる。
 先に考察したように、上もまた決められた領田を耕し、奢った生活や浪費をやめればこうした世の迷いはすべてなくなる。
 その上で、遊民、慰芸、あるいは侈芸に携わる全ての者たちに相応の田畑を与え、耕作させることと記されている。
 以上のことはまた、上の職分として行うべきとした一文がこの後に付されている。
 
 △○只無乱ヲ守ルハ上ノ転職ナリ。土地ヲ与ヒテ耕サシムルハ、一般ニ転真ノ道ナリ。
 
 政治のトップに立つ者は社会の平和を維持するのが天が与える使命である。だから、前述したように諸々の職や身分にある人たち全てに田畑を与えて、それを耕させるようにすることが唯一の任務である。
 およそこんなことを言っているのだが、はじめの文については現在にも違和感なく通用すると思われる。問題は後の文で、これはどう読み取ったらよいのか。
 ここでふと、解剖学者、養老孟司の「参勤交代」説を思い起こす。安藤との関わりだけで言えば、都会の生活者にも耕作体験および田舎暮らしをさせる話である。
 養老はこれをかなり本気で言っているようなのだが、安藤の言葉と同様に、受け止める側はあまりにも現実離れしているように感じるためか浸透していない。
 これは耕作という一点を除けば少しも交錯するところのない話なのだが、その一点に対する執着ということで、何かしら運命的な一致とでも言ってみたい誘惑に駆られる。
 そういうことも想起しながらだが、ここで安藤の記述に戻って言えば、全体に安藤の記述は文明、文化の全否定という趣が感じられる。あれもだめ、これもだめ、直耕以外に人間がすべきことは何もないんだと言っているのだから、多分そう受け止めてよいのだろう。だが、そこに思想の重心を置いているかといえば、そうではないような気がする。そうではなくて、社会を変える大前提として、まずはじめにスタート地点に平等が実現されなければならないのであって、すべての者に平等に土地を与えるという安藤の考えは社会変革の要のように意識されていたのではないだろうか。変な言い方になるが、そのためにはまず文明、文化は脇に置いておく、そういうことではないかという気がする。そうしていったん社会的に平等の条件を作り出した上で、その後に付随して生じてくる文明や文化はその時点で問うことはできないものだから不問に付される。
 まあ、今という時間からいえば、歴史をご破算にする仕方というか、そんなことを苦労して行っていたのだなという気がする。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/09/07
 「良演哲論巻」の部(13)
 
 安藤昌益の思想、その哲学的な考え方は、原理的で根源的だと思う。
 目の前の現実世界が絶望的にしか見えない時、人は世界が間違っているのか、自分の感性が誤っているのかの緊張を強いられる。仮に、世界の方が正しいのだとすれば、個人は自分の感性を抹殺しようと動く。逆に感性を信じるならば、彼は単独で世界と戦い、これを改変しようとするに違いない。そしてその戦いは、すでに破産していると感じられるすべての観念、概念に向けて行われる。
 それは、現在世界を構成しているすべての観念、概念の外に、土台から組み立てなおすものでなければならない。安藤昌益の思想は、その衝迫から生み出されたものに違いない。。
 
つみあげられた石が
きみの背丈よりも遙かに高かったとしたら
きみはどういう姿勢でその上に石を積むか
 
(吉本隆明 詩「この執着はなぜ」より)
 
 普通にこの詩句の問いに答えるなら、落ちないように細心の注意を払いながら必死に頂に登り詰め、一石を投じるくらいのことになるかと思う。もちろんこれとてもかなりの努力と苦労と緊張は強いられる。
 この詩の作者吉本も、またこの論が対象とする安藤も、やり方は違っている。
 つみあげられた石をガラガラと突き崩してしまい、もう一度一から積み始める。
 安藤の記述もまた、この石の一つ一つに他ならない。
 
 ○字書・学問ハ、不耕貪食シテ転道・転下・国家ヲ盗ムノ根ナリ。第一ニ之レヲ停止ス。其ノ輩ニ土地ヲ与ヒテ耕サシム。若シ受ケズシテ遊徒ノ事ヲ為サバ、其ノ一族、之レヲ捕ヒテ食ヲ絶タシメヨ。飢ヱテ苦シム寸、再ビ暁シテ耕サシメヨ。耕・穀食ニ非ザレバ、人在ルコト能ハザルコト、自リ知リテ必ズ耕スベシ。
 
 もはや現代語訳も要しないだろう。主たる内容は読んで字のごとしである。
 耕作の労を費やしてなお、字書・学問に執着する時はこの限りではない。やるがよかろう。安藤は言外にこう言っていると思う。
 まずは生活上の自立、自力を第一として、その上で趣味、嗜好、自由を謳歌するがよかろう。そう言っているのであって、記述における各項の「禁ず」などの言葉は、この順番が逆になっているからこその言葉になっているのだと思う。またそう解しなければ、とんだ強制、強圧を強いる思想ということになってしまう。門弟の言葉によれば安藤は地域の習俗、習慣になじみ、ごく普通の暮らしぶりをしていたようであり、決して頭の固い原理主義者であったわけではない。彼はごく一般の生活者に対して全幅のと言っていいほどの信頼と親愛を寄せている。それは次の記述にもうかがわれることで、あえて言えば、善悪を兼ねそろえたところの人間性をこよなく好きであったのであるという気がする。
 
 ○上、賞罰ノ法ヲ立テ、功有ル者ハ之レヲ賞シ、罪有ル者ハ之レヲ罰ス。故ニ役人、功有ル者モ賄無キ則ハ之レヲ罰シ、罪有ル者モ賄有ル則ハ之レヲ免ス。罪有ル者、賄無キ則ハ速ヤカニ罰ス。故ニ賞罰倶ニ伐ト成リ、転下日々ニ人殺シノ業ト成ル。故ニ速ヤカニ此ノ賞罪ノ法ヲ止ム。只、上、其ノ領田ヲ耕シテ下ヲ責メ取ラザル則ハ、希フトモ罪人出ヅルコト無シ。罪人無キ則ハ何ノ賞罰カ有ラン。故ニ賞罰ハ聖人ノ始ムル罪法ニシテ、后世ノ重失ナリ。故ニ全ク之レヲ止ム。
 
 土地を与え、租税などはなくしてしまって耕作させたならば、誰も罪を犯すはずはないんだから罪法なんか不必要だ。安藤はそう言うのだ。
 要するに親鸞も言っていたように、罪を犯すにも契機というものがあり、この契機を取っ払っちゃえば人間というものはそんなに大きな悪なんてものは為さないんだよ、という話なのだと思う。
 そもそも、心が悪くて悪を為すというものでもないし、心が善だからよいことをするというものでもない。善も悪も本質的には少しも心の問題なんかじゃないだよ。安藤も親鸞もそういうことを言っている気がする。だから二人とも、ほかとは違って契機の寄ってくるところを行きつ戻りつして考えた。異なってはいるが、そういうことではないかと思う。もちろん、どうしたらその契機を抜くことができるかが、二人の脳裏の中で大きな課題として顕在したに違いない、という気がしている。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/09/16
 「良演哲論巻」の部(14)
 
 個人を迷わせ社会を混乱させてしまうもの。安藤は執拗にその一つ一つを洗い出し、否定し、耕作に立ち返ることを説いていく。
 
 ○寺僧ハ、其ノ法ヲ止メテ、田地ヲ与ヒテ耕サシム。暁シテ曰ク、「直耕ハ転真ノ妙道ナリ。成仏ト云フハ、転真ニ至ルノ名ナリ。故ニ直耕スル則ハ、乃チ生仏」ト暁シテ、之レニ耕サシム。宗旨ハ別別ト雖モ、至ル所ハ成仏ノ一ツ、成仏ハ直耕ノ転真ナリ。「否」ト言フコト能ハズ。禅・教、宗宗モ本一ツノ仏法、取ル所ハ一成仏ナリ。
 
 成仏とは死んで天地自然に帰すること。言い換えれば天地自然と一体になることであり、直耕は生きて天地自然と一体、生きながら成仏するようなものだ。だったら求めるところの成仏の先取りのようにして、耕作に汗すればそれが適うだろう。不耕貪食して特権階級に居座る寺僧、教えと称する仏法などは必要ないのだ。すでに農民一般は直耕して天地自然に一体、成仏を遂げている。
 こんな論理、思考の筋道を唯一の武器として、安藤は強大な伽藍に立ち向かう。安藤の記述の矛先は、信仰の対象として形成された諸々の仏神、仏法の説く主要な概念、語彙にも向かっていく。
 
 ○地蔵トハ、地ハ田畑ナリ。蔵ハ田畑ノ実リヲ蔵ム。乃チ直耕ナリ。之レヲ暁シテ耕サシムルハ地蔵ナリ。
 ○観音トハ、直耕ハ転真ノ自リ感クコトヲ観ル。音ハ転真ノ息気ノ感ナリ。故ニ観音ハ、転真・直耕ノ名ナリ。之レヲ暁シテ耕サシム。
 ○薬師ハ、瑠璃光・春木ノ青色、転真・直耕ノ初時ノ名ナリ。之レヲ暁シテ耕サシム。
 ○不動ハ、中央土、動カズシテ田畑ト成リ耕サシム、転真ノ妙体、耕道ノ太本ナリ。
 ○大日如来ハ、日神ノ名、直耕ノ生生無極ノ主神ナリ。
 ○阿弥陀ハ、阿ハ春種蒔キ、弥ハ夏芸リ、穀弥々盛ンニ、陀ハ秋ノ実リ、冬ノ蔵メ陀キナリ。四十八願ハ、四時・八節、耕ス穀ノ実リ、成就ノ名ナリ。故ニ、乃チ直耕ノ名ナリ。
 ○禅録・教経・三世ノ諸仏・極楽、凡テ皆直耕シテ安食・安衣・安心シ、生死ハ活真ノ進退ニ任ス。是レ仏法ノ極ト、之レヲ示シテ耕サシム。
 ○修験ハ、口ニ仏経ヲ誦ミ、行ヒニ祈祷・神事ヲ為ス。是レ仏トハ直耕スル転真ノ名、神ハ日輪、直耕ノ主ナリ。両部習合ハ直耕ノ名ト、之レヲ暁シテ耕サシム。
 ○巫者ハ、天神・地神・万物ノ神・人身ノ神、八百万神ハ、転ノ日神、四時・八節・運回・生生・直耕ノ妙道ナリ。故ニ社人ハ直耕ノ太本ト之レヲ暁シテ耕サシム。
 
 いずれにも語尾に「耕サシム」の言葉が付され、単なる説得ではなく、強制を伴う条例や法令を意識した記述のように見える。
 仏教全体に対しては、信仰そのものを止めよとは言っていないようである。教え広めること、あるいは勧誘のようなことは止め、諸々の修法、教法に代えて、ただ同じ趣旨でもって耕作に勤しむべきと訴えている。
 上下・貴賤の差別ある社会から実質上の差別を抜き、自然発生的社会への組み替えの唯一の道標を直耕として、安藤は不耕貪食のシステムを撃つことに懸命である。
 ただし、安藤の本業である医者については例外的に「耕サシム」が抜かれている。
 
 ○医者ハ、人失(あやま―佐藤)ツテ諸病ヲ為ス危命ヲ救フ。人ノ命ハ穀精ナリ。故ニ穀ヲ耕シ食フテ、病者ニモ穀食ヲ勧メ危命ヲ救フ。人身ノ備ハリ、万物ノ具ハリハ、八気互性ノ妙道ナリ。之レヲ知ラザル者ノ治方ハ、悉ク人ヲ殺ス。故ニ堅ク之レヲ停止シテ、互性ノ妙道ヲ知ル者ヲ医者ニ立テ、是レニ危命ヲ救ハシメテ、其ノ一族ハ耕サシム。
 
 全体的にこの論での記述は無作為的で、次にはこんな記述が見える。
 
 ○盲人ハ、時ノ不幸、時ノ一族之レヲ養フテ穀粒ヲ引カシメヨ。
 
 細かく規定しようとするかのようだが、他の心身の障害に関しての記述はなく、荒い。
 以下には様々な職種、あるいは嗜好品などへの具体的な言及があり、「耕サシム」を筆頭に、「禁ズ」「用ユベシ」「用ユベカラズ」などの言葉が並ぶ。
 
 ○商人ハ、金銀通用・売買スル故ニ、利欲心盛ンニシテ、上ニ詔ヒ、直耕ノ衆人ヲ誑カシ、親子・兄弟・一族ノ間モ互ヒニ誑カシ、利倍・利欲・妄惑ニシテ、真道ヲ知ラズ。上下ヲ迷ハシ、転下ノ怨ミ、転真ノ直耕ヲ昧マス大敵乱謀ナリ。速ヤカニ之レヲ停止シ、田畑ヲ与ヒテ耕サシム。
 ○暦家・天文家ハ、転ノ気行ヲ計ル。転真ハ気行ヲ以テ互性妙道ニ万物生生スルハ、直耕ナリ。易・暦・天文・陰陽家ハ、分キテ直耕第一ノ家ナリ。故ニ其ノ書学ヲ止メテ直耕スル則ハ、乃チ易・暦・陰陽ノ通達ナリ。之レヲ暁シテ耕サシム。
 ○染屋スル者ハ、藍染一品ニシテ、種品ノ美染ヲ止メ、一族ハ耕サシム。
 ○箱屋スル者ハ、水箱一品ニシテ、賁箱ノ類ヲ禁ズ。一族ニ耕サシム。
 ○桶屋・椀膳屋ハ、常用ノ一品ニシテ、無益ノ美器ヲ禁ズ。其ノ一族ハ皆耕サシム。此ノ外、諸職人ハ常用ノ一品ノ外、皆之レヲ禁ズ。
 ○茶ハ、毎家ノ裏ノ畑ニ之レヲ耕シ用ユベシ。
 ○莨?ハ、凡テ用ユベカラズ。
 ○菜種、茄・瓜ノ類、凡テ耕シテ食フベシ。
 ○庭園ヲ築キ植樹等スルコト、凡テ之レヲ禁ズ。
 
 金銀の通用および商売の停止。易、暦、天文、陰陽を生業とするものは、これを廃止して耕作させる。
 染屋は藍染め一品だけ製造し、華美なるものは禁止。製造に携わる当人の分の耕作は一族で負担させる。箱屋(おけや)も同様、装飾は禁止。桶屋、椀膳屋も同様。このほかのさまざまな職人にも、常用品以外の制作は禁止させる。
 安藤はさらに、茶は自家製にせよとか、タバコは一切吸うなとか、ナス、キュウリなどの野菜は自分で耕作して食えとか、細々したことまで規制している。ついでに、庭園を築き、庭木を植えることなどの贅沢も禁止するとしている。
 こうした主張だけを取り上げたならば、かつての共産主義国の理念、およびこれを現実化しようとする際に必然的に生じた強圧政治を思い浮かべてしまう。そこまでは考えないとしても、当時にあって広く世間が周知するところとなったとしたら、つまんねえ世の中が到来すると考えたに違いない。
 安藤のこういうところの考えを、どのように判断し、どのように評価するか、とてもとても悩ましく、ぬかるみに足を取られ身動きできなくなった状態と同じで、文章が進まない。正直に言うと、半分投げ出したくなってしまう。
 ここでも、何度も何度も気を取り直して書き進めようとし、そのたびにうんざりして、安藤の神髄と思われる部分は一応論じたのだから中断してもいいと考えた。でもさすがに中断は悔しくて、本文の紹介と解釈のみでとにかく過ぎてしまえと思い、そのように進めてみた。多分、中に入りすぎて自分の位置が分からなくなった、そんな状態なのだろう。
 幸い咎める者は誰もいない。ここからも好きにやってゆく。あるいは、好きにやってゆくほかにどうすることもできない。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/09/21
 「良演哲論巻」の部(15)
 
 安藤昌益の言う「自然活真ノ世」とは、具体的、実際的には稲作を中心とした農業社会のことである。広く言えば今日言うところの第一次産業社会となるが、その核はあくまでも農耕である。
 
 △凡テ田畑ニ成ルベキ土地ニ、八穀ノ類生ズ。穀精ガ男女ト生ル。
 
 故ニ山岳遠ク、広キ地、用水ノ便ル処ニ、町・邑作ルベシ。諸侯ハ、軍戦ノ恐レ無ケレバ、城作リ無用ニシテ、町屋ニ作ルベシ。山近キ所、川水有リテ、田畑ト成ルベキ所ニ、村里ヲ作ルベシ。海辺ハ、水便・河川流レ入ル地ニ、邑村作ルベシ。諸国・転下、凡テ水便有リテ田畑ト成ルベキ所ニ、邑村ヲ為スベシ。
 材木ハ深山ヨリ採ルベシ。山近キ所ハ、山木ヲ採リテ燔木ニスベシ。山遠キ所ハ、田畑ニ成リ難キ岳野ニ林ヲ立テ、先ニ茂ルヲ採リテ燔木ニ為シ、採リテ跡ニ小木ヲ植ユベシ。林ノ絶ヘザル様ニ之レヲ続クベシ。
 山里・海辺ハ畑多ク田少ナキ処ノ者ハ、粟・稷・秬・麦・蕎多ク米少ナク、直耕シテ食フベシ。広原、田多ク畑少ナキ処ノ者ハ、米多ク粟・稷・秬・麦・蕎少ナク、直耕シテ食フベシ。莢穀ノ類、大豆・小豆・角豆、仰豆、能ク耕シテ味噌ヲ作リテ食フベシ。麻綿ヲ耕シテ織リテ衣ルベシ。美食・美衣、全ク之レヲ禁ズ。
 
 稲・黍・大麦・小麦・大豆・小豆・粟・麻の8種の穀物の類いは、すべて田畑に適した土地に生育する。人が穀物を栽培し、これを主食とすることは理に適ったことなのである。こうした穀物と人の居住空間は密接不可分の関係にある。さらに穀物と人との切っても切れない関係から言えば、人は穀物によって成長し、成人してやがて子を成す。極論すれば、人とは穀物の精の変様体であり、穀精が変化して人になったのだとも言える。
 安藤ははじめの2行でおよそこんなことを言っているが、ここで人は「男女」と表記される。男女と書いてヒトと読ませるわけだが、安藤にとっては男女の性差は交換可能でかつ本質的には同一と考えられているのでこのような表記になる。
 こういうところは素直に納得しがたいが、理屈で考えるよりも、例えばある種類の魚で所属する群れが雄だけになった場合に雄が雌に変わることがあるそうで、そういう例を想起する方がよいと思う。男女、雌雄の二別がが絶対的なものではないというよい例である。
 さて、穀物の生育地と人の居住地との密接な関係を述べた上で、であるから市街地は山や丘が遠く、広々とした平野部の水利に便したところに作るべきであると続く。
 為政者や役人が考えるところに踏み込んで、事細かに安藤は語っている。別に誤っているとかではないが、こういうところは安藤にしても専門外なのだから書かなくてもよいのにと思う。読み流してよいところだが、逆にこちらの筆の進め方で難儀するところでもある。
 
 ○山遠ク海辺ノ者ハ、其ノ近所ノ原岳ヲ見テ林ヲ立テ、屋材及ビ燔木ニ為ベシ。海近キ邑ノ者ハ、海水ヲ煎ジテ塩ヲ採リ、諸国ニ出シ、米粟・穀類ニ易ヒテ食フベシ。
 
 いちいちこんなことまで言っている。
 だいたい安藤が言うまでもなく、山里や平野や海辺にすむ人たちは、ここで言われていることと同様のことをこれまですでに行ってきている。取り立てて目新しいことは何も言っていないと思う。誰もが考えつきそうなことを考えているだけだ。
 
 ○上主ノ住処ハ、広原・中国ニ町屋ニスベシ。帝城・宮殿・美屋ハ無用ナリ。
 金銀ハ本、山石ノ脂ニシテ、乃イ石瓦ナリ。故ニ通用ヲ止メテ、菜草一種ニテモ、売買ノ法、堅ク停止ス。
 
 ここでは統治者の住居は国の中央で平野部に置き、町家並みの質素な作りにせよと語っている。城や宮殿や豪邸などは無用という件と合わせ、安藤らしさはある。
 後半の金銀についての見方も冷めていて、瓦礫と同然だという指摘もまた安藤らしいと言えば言える。希少で鋳造すると美しくもあり、これを瓦礫と同じという見方は一般的とは言えない。ただ安藤は無理して無関心を装っているようではない。今のところ金銀を貴重と感じ考えるのは人間だけで、おそらくそこには感覚と観念や概念などが加担しているのであろう。その点、安藤は現実的、即物的で、人間的また主観的な見方考え方を排そうとする傾向がある。元々の資質がそうなのかというとそうではない気がする。「自然真営道」などを考え、書き進む途次に鍛えられた安藤の知が自分を変えてしまった。自分の血肉となったその知が、金銀を瓦礫に同然としか見れなくなった。多分そこに嘘はないのだろう。ただ人間の欲望は真理や知を凌駕するもので、知をもって留めることは不可能である。言わばそれが人間的であるとするならば、安藤の知は人間性のインポテンツである。安藤の知が描いた理想は、社会に安心と安寧、そして平等を生み出すかもしれないが、社会の進化や発展、活気や刺激とは無縁である。そういう気がしてならない。もちろんそれでもいいのだが、それが本当に理想かと言えば肯定することに二の足を踏む自分がいる。つまり依然としてよく分からない。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/09/27
 「良演哲論巻」の部(16)
 
 人間社会の発達や発展には自然発生的にそうなった部分と、人為により加速された部分とが重なっている。自然発生的と言えるのは共同体の意志決定に血縁が深く組み込まれている領域や段階までで、以降の統一部族社会などの非血縁集団に組織された社会では、絶大な権限を持つ王や臣下など、支配者層の人為が共同体の動向を左右する。
 後者のように、共同体社会が国家と呼ばれるような段階に組織、構成された社会では、歴史的に振り返ってみると文明・文化が爆発的と言っていいほどに発達したり発展していることが分かる。いろいろな理由は思いつくが、ここではそのことについては詮索せず、ただそういう傾向があることだけを喚起しておく。
 ただひとつだけ考えておくと、人間個人を見ても、障害や困難がある時の方がこれを克服しようと知的にまた感覚的に機能が発揮され、その分、それぞれの機能が発達していくというメカニズムになっている。
 安藤昌益が構想した平等で平穏な社会、すなわち「自然活真ノ世」は、その代償であるかのように文明や文化の発達を度外視したもののように見える。あるいは逆に見れば、文明や文化の発達を度外視する代償として、平等で平穏な社会を手に入れようと企むもののように思える。
 
 ○衣服ハ、上ハ綿衣、下ハ麻衣ニ限ルベシ。絹類ハ全ク停止ス。絹類、蚕ノ巣ニシテ、人、衣類ノ備ハリニ非ズ。麻綿ハ転真ノ与フル所ナリ。
 鳥・獣・虫・魚ハ、大ハ小ヲ食フニ、序ヲ以テ互ヒニ食ヒ食ハル。四類ハ四類ノ食物ナリ。故ニ人ノ食物ニ非ズ。之レヲ食フコト停止ス。人ニ備ハル食ハ、穀・菜種ノ類ナリ。酒ハ素ヨリ人ノ飲物ノ備ハリニ非ズ。人ノ為ニ大毒ナリ。全ク之レヲ停止ス。
 ○若シ上、不耕貪食シテ栄侈ヲ為ス則ハ、転道ヲ盗ムナリ。故ニ下、之レヲ羨ミテ貨財ヲ盗ム。乱、此ニ始マル。故ニ上、之レヲ明カシテ栄花・遊楽ノ侈リヲ止ムル則ハ、下、羨ムノ心無ク、欲心自ヅカラ止ム。是レ上、盗ノ根ヲ絶ヤスナリ。故ニ下、枝葉ノ賊自ヅカラ絶ヘテ、上下ノ欲盗、絶ユル則ハ、庶幾フトモ乱ノ名ヲ知ラズ。是レ上下ノ法世ニシテ、乃イ自然活真ノ世ナリ。
 ○若シ下、侯・民、耕織ニ怠リ、遊侈・放逸ヲ為ス者之レ有ル則ハ、上、之レヲ刑伐ス。之レガ為ニ上ニ立チ、政事為ルコトヲ弁ジ、外ニ拘ハルベカラズ。
 ○若シ生レ損ネノ悪徒者出ヅルコト之レ有ル則ハ、其ノ一家一族ニ之レヲ殺サシメ、上ノ刑伐ヲ加フルコト勿レ。之レヲ邑政ト為ス。毎一族、互ヒニ之レヲ糺ス則ハ、悪徒ノ者之レ有ルコト為シ。
 ○愚人ノ曰ク、「上、刑伐ノ政法ヲ為シ、日々ニ刑伐ヲ行フテスラ、悪徒・盗賊世ニ絶ヘズ。況ヤ、上ノ刑伐無ク邑政ノミニシテハ、則チ悪徒日々ニ益シ、必ズ乱逆起ラン」ト云ヘリ。是レ甚シキ愚ナリ。上ニ賞罰ノ政事ヲ立テ不耕貪食スルハ、転道ヲ盗ムナリ。而シテ、栄侈ヲ為ス故ニ、下、上ノ栄侈ヲ羨ムノ心絶ヘズ。故ニ終ニ上ヲ亡ボシ、己レ上ト為リ、栄花ヲ為サント欲スルヨリ、乱ヲ起ス。此ノ故ニ聖人、上ニ立チテ、賞罰ノ政事ヲ為シ、不耕貪食スルハ、転道ヲ盗ムナリ。故ニ盗ミノ根ト成ル。故ニ下ニ枝葉ノ賊、生生シテ絶ユルコト無シ。故ニ盗乱止ムコト為シ。無限ニ是ノ如シ。
 是ノ如ク無限ニ盗乱・罪悪・妄惑止ムベカラザル妄愚ノ失リヲ観明カス故ニ、上下ヲ絶スルコト契ハズンバ、責メテハ上下ヲ立テナガラ、上下無キ活真・自然ノ世ニ契フコトヲ明カシ、之レヲ論ズ。
 後後年ヲ歴ル間ニ、正人、上ニ出ヅルコト之レ有リ、下ニ出ズルコト之レ有ル則ハ、無盗・無乱・無迷・無欲、活真ノ世ニ帰スベシ。
 
 国を支配する王やその臣下らは、天道を盗んで私物化するものである。またすべてを支配することによって不耕貪食、欲望のままに贅を窮めた生活に走る。支配される下々は、困窮の生活にあえぎながら、いつか王のような贅沢な生活をしたいと夢見、不満を抑えきれぬものは手っ取り早く悪事を為す。
 安藤の言う「自然活真ノ世ニ契フ」社会においては、王とその臣下もまた下々の者もひたすら田畑の耕作に努め、贅沢を排し、麻や綿のみを身につけ、肉食はせず穀食・菜食に徹する。酒も飲まず、タバコも口にしない。
 安藤昌益は、もともと人間の社会は王や臣下の存在もなく皆平等で、自分及び家族、親族といった一族の食料調達が主たる活動で、平穏に暮らしていたと想定する。また、そこに立ち戻るべきだと言外に主張する。その主張の根拠は「私法ノ世」の社会のでたらめさ、上(かみ)の「不耕貪食シテ栄侈」、下(しも)「羨ムノ心」、「盗乱・罪悪・妄惑」など、もろもろの「妄愚」、すなわち憂慮すべき社会の現状にあった。
 安藤の時代からおよそ300年を経た現在の社会でも、一般的に考えれば世の中は便利になってよくなったと言える面と、以前よりも悪くなったと感じる面が同居する。安藤が生きた時代でも、多くの人はおそらく同じようによくなった面と悪くなった面の両方を感じていたに違いない。つまり歴史は両極に拡張して行くというようにも見える。そういう意味では安藤の記述は、文明・文化的なもの、総じて言えば社会そのものの発達を悪く言い過ぎるような気がしないでもない。逆に社会一般はどう考えているかと言えば、文明・文化の発達、生活向上を優先的に考えていて、社会悪、人事の悪については刑罰や教育などに委ねている。つまり両者は反転する関係にある。
 ここで少し小さくまとめた言い方を試みてみれば、結局安藤の言っていることは、人間にとっての価値ある生き方というものは非常に単純なところにあって、ごく普通の生き方が大事なのだということなのだろうと思う。その中でもさらに大事なことは命を維持し、さらに次代にそれをつなぐための、安藤にとっては耕作、つまり食料の生産活動である。それ以外のことは価値ある生き方からの逸脱と見なされる。とりわけ感ずること、考えることは逸脱の方向に向かって開かれやすい。これを安藤は耕作を主とした生活の内側に向けて行使すべきと考えていたように思う。
 人間というものは世のため、人のためということを考えさせられがちである。安藤もまた例外ではない。しかし安藤がたどり着いたところは、世のため人のためということを考えないことの方が世のため人のためになるという逆説であった。感じ、考えることを不用意に行使していけば、いずれは人として最も肝心な活動である耕作をないがしろにしがちになる。あるいは自分で耕作せずに、他人の生産物をもって自分の喰い分とするようになる。その分どうしても耕作者に負担を強いることになる。やがて上下、貴賤の階級、身分が生じる。
 耕作をないがしろにせず、なおも思想を思想することは可能だろうか。安藤の場合は、書字・学問の類いを「失(あやま)リ」としながら、しかしそれをもって旧来にあった書字・学問の「失(あやま)リ」を粉砕するという言い方をしていた。今でいえば知識人たちということになるが、彼らの著すものはすべて生きる基本と言える耕作から逸脱し、かえって遠ざかるほど価値が高まるもののように言説する。彼ら自身がまた耕作から遠ざかって行く。身体を忘れた思念が、妄想の極限に向かってかけて行くのだ。そういう思想は世の中をさらに混乱させていくだけのものだ。そうではない。人間にとって、田畑の耕作から転じて、生活そのものを耕作していくことを最も大事なことだとする芯を持った思想だけが、唯一思想するに値する思想である。
 安藤は習わずして学んだ知識をすべて捨てるようにして自らの思想を紡いだ。そういう意味で思想的には孤絶の人である。忘れられるには理由があるのだ。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる?
              2020/09/30
 「良演哲論巻」の部(17)
 
 少し前に、支配者のこしらえた制度、賞罰の法は即刻廃止すべきだという記述が見られた。
 現実には褒賞は功績があり、かつ役人の目に適った者や賄賂を贈る者たちに与えられ、
功績があっても、そうでないものは褒賞されないことがある。また罪を犯したものでも賄賂を贈ったものにはこれを許し、贈らないものは容赦なく処罰した。
 このように国家的制度の公正な実施ということには無理があるものであって、こういうものは無い方がいいのだというのが安藤の考えである。
 これは本質的には国家の解体ということを暗示させるもので、今でいうならば大胆にも法律などは全部無くせという提案である。
 普通は、上に立つものの啓蒙が功を奏して、社会から犯罪をなくし、騒乱を排するための法なのだとする理解が多数を占めるが、安藤はこれは統治の手段に過ぎず、不耕貪食を合理化する策と見なす。統治、支配を安定的に継続させるためのものでしかなく、不耕貪食と人の上に立って贅沢を窮めたい欲からなる策に過ぎないと喝破する。
 では国家的法を無くした後に、こうした権限はどこに委譲するのがよいと安藤は考えたか。それは前回以後の記述の中に垣間見られる。
 
 ○夫婦婚合ノ事ハ、太本、穀精ガ男女ト生ル則、始メテ生ズル男女ハ夫婦ニシテ、此ノ夫婦ノ子、兄?ハ次ノ夫婦ナリ。之レヨリ人倫続キテ無限ナリ。故ニ兄?、夫婦ニ成ルトモ恥ナラズ、人道ナリ。只、男ハ他妻ニ交ハリ、女ハ他夫ニ交ハレバ、四類ノ業ニシテ大イナル辱ナリ。故ニ其ノ父母其ノ目功ヲ以テ、相応相応ニ嫁・聟ノ婚合ヲ為シテ、中人ヲ立ツルコト勿レ。中人ハ偽言ヲ為ス故ニ後ノ禍ヒト為ル。
 然シテ、若シ密通シテ犯ス者之レ有ラバ、一族、談合シテ之レヲ殺シ、人知レズニ行フベシ。盗ミヲ為ス者、密婬ヲ為ス者、讒侫ヲ為ス者、凡テ悪事ヲ為ス者之レ有ル則ハ、其ノ一族之レヲ捕ヘ、先ヅ食ヲ断チテ飢苦ヲ為サシメ、異見ヲ加ヘテ一タビハ之レヲ免シ、飢苦ニ懲リテ再ビ悪事ヲ為サズ、能ク耕ス則ハ可ナリ。若シ弁ヒズ、再ビ悪事ヲ為サバ、一族之レヲ殺ス。
 如何様ノ悪事ナリトモ、之レヲ為ス者之レ有ル則ハ、一タビ飢苦ヲ加ヒ、「人ハ食セザル則ハ乃チ死ス、耕シテ安食スルノ外、道無シ」ト、之レヲ弁ヘシメ、弁ヒテ再ビ悪事ヲ為サズ、能ク耕ス則ハ転ノ助ケナリ。弁ヒザル者ハ、一族之レヲ殺ス。是レ、己レヨリ出ヅル悪者ヲ己レト殺ス、又転ノ行フ所ナリ。目前ニ省ル、悪シキ気行ニ生ズル草木ハ、又悪シキ気行ノ則必ズ枯ル、是レナリ。故ニ、一族ヨリ出ヅル悪者、一族之レヲ殺スハ、私ノ罪ニ非ズ、乃イ転ノ道ナリ。然レドモ、転道、人ヲ殺スニ非ズ、人ノ失リヨリ失リヲ殺ス。一族ヨリ一族ヲ改ム。転道ニ契フノミ。一族、直耕シテ失リ無キ間ニ、不図シテ悪者出ヅルハ、時ノ失リナリ。故ニ一族之レヲ殺スハ、一族ノ失リニ非ズ。失リニ非ズシテ不図ノ失リヲ殺ス故ニ、速ク失リヲ省ミル、故ニ続キテ悪者出ヅルコト無シ。是レ失リ無キ転ノ徳ナリ。
 聖人、上ニ立チテ不耕貪食スルハ、乃イ転道ヲ盗ム失リナリ。此ノ失リハ盗ミノ根ト成ル故ニ、下ニ枝葉ノ賊絶ヘズ。上、盗ミノ根ヲ改メズシテ下ノ賊ヲ殺ス故ニ、根絶ヘズシテ、殺セバ出デ、殺セバ出デテ絶ヘズ。此ニ糺ス則ハ、彼ニ走リテ賊ミス。如何ニ術ヲ尽シテ殺ストモ、賊絶ヘザルハ、上ノ盗根ヲ断ラザル故ナリ。
 一族ハ失リ無キニ、不図シテ出ヅル失リ之レヲ殺スハ、失リノ根無キ故ニ、一タビ殺セバ、又生ズルコト無キ所以ナリ。此レヲ以テ、悪者出ズル則ハ之レヲ殺セバ、根無キ故ニ、盗乱絶ユル所以ナリ。道ヲ盗ムヲ「盗」ト云イ、財ヲ賊ムヲ「賊」ト云フ。上ニ立チテ不耕貪食シ転道ヲ盗ム、是レ盗根ナリ。此ノ根ヨリ、枝葉ノ賊下ニ生ユ。盗ミハ万悪ノ根ナリ。故ニ転下ノ万悪・妄惑ハ、上ノ不耕貪食ニ出ヅ。故ニ上ノ不耕貪食・侈費ノ盗根ヲ止メザルノ間ハ、万万歳・無限ヲ歴ルト雖モ、盗乱賊悪事、絶ユルコト無キ所以ナリ。故ニ上ニ立ツ人、能ク能ク此ノ旨、明弁スベシ。
 
 結婚についての記述などもあって焦点化しにくいが、ここで読み取るべきは、共同規範は一族までのものをもって最高規範とすべきという、この一事ではないかと思う。これ以上に規模が大きくなった共同体に作られる規範は、逆に窮屈な束縛を強制することになり、人に面従腹背の性格を植え付ける。
 一族とは親族など血縁関係を持った集団である。一族より出た悪者は一族によって処罰する。はじめは餓え苦の報いを受けさせて反省を促し、反省するならば更生の機会を与える。そうでなければ一族によってこれを殺す。はなはだ過激にも思えるが、安藤は真面目にこれを訴えている。ただ解説を読むと、この場合の殺すは斬首などのようなものではなく、餓死することをも厭わないというぐらいの意味合いのようである。つまり、反省するまで食料を与えない、そのことを徹底させることを狙いとして、あえて「殺す」の言葉を用いている。そのように解している。
 一族によるこのような処罰は天道、すなわち自然の法則に適うもので、社会から悪事を取り去るのにはこのやり方が一番よいと安藤は考える。これに代わって聖人などというものが出て社会を統治すると、それこそ悪事をそそのかすような社会を構成することになるから、悪事は増えこそすれ減ることがない。それではどんなに凶悪な犯罪者を処罰し、殺してこの世から無くなるように謀っても無駄なのだと安藤は指摘する。そもそも統治者がその権限を行使することは、本来天然自然が行うことに取って代わった行いで、言わば天然自然のみに与えられた力を盗用して私物化していることなのだ。これは人間界における最初にして最大の盗みの合法化に当たり、これ以上の悪業はないとさえ言えるものである。しかもこれが社会の根源に居座り、統治の根幹を形成しているから、そこからさまざまな悪業がさまざまに派生してくる。言うならば、悪業の根となって悪業の枝葉を産み出し続けるものとなる。
 天に代わって成敗する、などは笑止。そもそも天に代われると思うことは傲慢以外の何物でも無い。
 このような社会は、根そのものが社会に他ならないから、その根を断ち切ることができない。刑罰をどんなに厳格に実施し、どんなに増幅させて悪業を取り締まろうとしても、かえって根の肥大化を進めるだけで、枝葉の悪業はますます盛んになるばかりなのだ。
 権限を、一族という血縁の共同性に留めるならば、事態は変わる。この小社会には不耕貪食の制度も組織もない。自然法則に従った生活の営みと人間関係の相互交流があるばかりである。この小社会でもしも悪事を為すものが出たとしても、自浄作用で悪事を改めさせることもでき、悪事の芽を速やかに摘むこともできる。
 安藤昌益のこうした考え、思索には、ある種の示唆が隠されているように思われる。今ここでそれを明らかにできるほど自分の読み取りは整理されていないのではっきりとは言えないが、共同幻想の解体と前古代の浮上という吉本隆明の思想との接点が、おぼろげながら立ち上がってきたという気がしている。
 だが、ここからどう展開していけばよいものか、五里霧中は変わらぬまま、視界はいっそう混沌としてくるばかりに感じられる。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる51
              2020/10/03
 「良演哲論巻」の部(18)
 
 国家成立後の歴史において、社会を支配下に置く統治者の中には善政を敷くものもあればそうでないものもいた。前者は後世に聖人あるいは聖人君子と崇められ、安藤昌益はしかしこれを否定する。人や集団の上に立ち、権力を有し支配政策を執り行うこと自体が天道を盗む行為だと批判した。それから言えば善政か悪政かは問題ではなかった。
 特に問題とされたのは統治システムに組み込まれた貢納や租税などの制度だ。
 
 ○上ノ欲侈ハ下民ノ直耕責メ取ルニ有リ。故ニ民窮ス。窮スル則ハ必ズ賊心起ル。故ニ上ノ法度、信伏スルコト無シ。上、之レヲ憎ム。信伏セザルハ、乃チ上侈欲ノ罪ナリ。此ニ於テ、上ハ下ヲ憎ミ、下ハ上ヲ誹リ、憎シミト誹リト交々争フテ、終ニ乱ヲ為ス。此ノ故ヲ明カシテ上ニ不耕貪食・欲侈ヲ省ク則ハ、悪賊ノ根断タレテ、下ニ賊絶ヘテ、自ヅカラ優(ゆた)カナリ。
 
 民衆の生産物を搾取する限り、掟・法・禁令など、いわゆる法度、法令を正しいものとして心から従う民衆など存在しない。面従腹背、きっかけがあればいつでも反抗心は表面化する。
 貢納や租税といった支配から生じる実際的な搾取を廃止して、贅沢をしようという気も起こさず進んで上が民衆と同じに耕作すれば民衆の不満もなくなり、盗賊が生まれる要因も消滅して世の中は自ずと豊かになる。
 こうなれば当然のことながら世に反乱も絶えて金銀通用の意味合いも薄まる。
 
 ○上ニ金銀ヲ貯ユルハ、乱ノ時用ヒンガ為ナリ。上ニ侈欲無ク下優カナル則ハ、希フトモ乱起ルコト無シ。已ニ乱・侈リ無キニ於テ、金銀何ノ用ニカ為ン。通用無キニ何ノ貯ヘヲカ為ン。故ニ無乱ノ世ニハ、金銀ハ大イナル怨ミナリ。故ニ金銀ヲ貯ヒテ転下・国家ヲ治メント欲スル者ハ、乱ヲ憎ミテ己レト乱ヲ作ル者ナリ。下民、金銀ヲ貯ヒテ家ヲ富マサント欲スル者ハ、貧ヲ憎ミテ己レト貧ヲ作ル者ナリ。故ニ上下、此ノ旨ヲ示シ、上ハ上ノ領田ヲ耕サシメ、安食衣シテ、只、直耕怠慢ノ者ヲ刑ムル則ハ、下ニ耕ヲ怠ル者出ヅルコト無シ。
 
 安藤にとっては金銭の通用もまた悪しき弊害と見なされた。便利には違いないが、蓄財して反乱に備えたり贅沢したくて蓄財に走ったりと、元々の用途から逸れて利用されるようになった。結果的に社会的な貧富を拡大し、盗乱、反乱を引き起こす要因にもなったのである。
 お金の通用も、もとはといえば上となるべき政を担う連中の発案になるもので、そこに長期的な展望も思慮もなかったというべきである。国家の中枢を担うものといえども、だから生産労働を怠る者を咎めるというその一点だけを行い、他の政治的な行い一切は一族かもしくは地域の共同体に任すべきである。そして全体の調整者として役人的また顧問的な役割に徹すべきで、もしも正人と言える人が上に立つ時は即刻そのように一切の権威、権限、権力を無化する方向に段階的に進んでいくはずである。
 安藤の記述はそこまで述べてはいないが、おそらくはそういうことも視野においていたに違いない。
 
 ○上、下ヲ慈シムコト勿レ。下、上ヲ貴ブコト勿レ。上、下ヲ慈シマザル則ハ、下、上ノ恩ニ亢ルコト無シ。下、上ヲ貴バザル則ハ、上、下ノ敬ヒニ侈ルコト無シ。上侈リ無ク、下亢ルコト無キ則ハ、上下有リテ上下ノ分境無シ。
 
 まるで儒教の教えのようなものとは正反対のことが語られている気がする。同時に、震災後に避難所を訪れた天皇、皇后の慈愛にあふれた姿を映すテレビの映像が思い浮かぶ。避難所に暮らす住民の、なんとも言えず感激した面持ちも、画面には一緒に映し出されていた。
 安藤はこういうことは逆に、上下の境界を強固に線引きしていく光景と考えている。
 上は己の慈愛の気持ちに心高ぶり、下は下でこれを恩と感じて心を高ぶらせる。
 安藤昌益はこういう光景を前にして、みじんも心奪われることがないような気がする。あるいはこういうことに心奪われてはいけないと自制を働かせる。人間界を離れたところから見れば、大いなる茶番に過ぎないからだ。上も下もあり得ない幻想、妄想に酔いしれて、それぞれにそれぞれの物語を編み上げていく。一般的には優れて人間的と見なされる場面だが、安藤はここに人間的な欠陥、限界をも見ていたように思える。
 歴史的に積み上げられ編み上げられてきた概念や観念。この成り立ちと結果は不可避に違いないが、安藤はなんとかこれを突き崩し、更地のような場所まで遡りたかった。余談だが、安藤が漢字の組み立てをやり直して作り替えた試みは、そういう衝動からなったものと思う。
 安藤が独創的な考えのもとに、最後の最後まで手放したくなかったものは上下の差別無き社会であり、平等な社会である。いわゆる、「上下ノ分境無」ければ、
 
 此ニ於テ無欲・無盗・無乱・無賊・無悪・無病・無患ニシテ活真ノ世ナリ。是レ転高ク貴ク、定卑ク賎シク、二別有ルガ如クニシテ一活真ノ政事ナリ。此ノ故ニ、活真自然ノ耕道ヲ行フ者ハ、乱世ニ在リテ乱苦ヲ知ラズ。治世ニ在リテ治楽ヲ知ラズ。富家ニ在リテ富栄ヲ知ラズ。貧家ニ在リテ貧苦ヲ知ラズ。活真ノ世ハ治乱・富貧ノ名無キハ、金銀通用無ケレバナリ
 
 一足飛びに国家及び制度的なるものを無くせないものならば、あって無きがごとくに一切を無化する方策を考えればよい。安藤の言説は果敢にこれに挑戦した労作と言える。
 法の世、その構造を打ち壊し活真の世に帰る。それは別な形でかつて存在した平等な社会の現在的再現である。すでにできあがった制度のまま、それに移行する方法。辛苦して、安藤は一人それを構築しようとした。
 法の世にありながら活真の世そのままの政治の実現。国家の形を持ちながら実質は一族や地域に実権が委譲された政治の実現。上下二別の形を持ちながら、分境無き政治の実現。
 それは言い方を変えれば宇宙に一人、個々が覚悟して自立した生き方を目指すのでなければ手に入れることができない。万人は一人であり、一人は万人であるという関係があるからだ。その一人ができないとするならば万人ができないことになる。だから依存を排し、一人立たなければならないのだ。
 依存関係を断ち切り、生活的には「直耕」を旨とする生き方に徹すること。そして生活の周辺にあって、そこから逸れずに生活するならば、「乱世ニ在リテ乱苦ヲ知ラズ。治世ニ在リテ治楽ヲ知ラズ。富家ニ在リテ富栄ヲ知ラズ。貧家ニ在リテ貧苦ヲ知ラズ。」という、価値ある生き方を手にすることになる。
 生活の底から身をよじるよう上に向かって伸び、離脱していこうとするのではない。逆に生活の底の方に向かって降りていくのである。ただひたすらの生活を繰り返す。そういう生活に励むならば、当然のことのように乱苦も、治楽も、富栄も、貧苦も、異次元の出来事のように存知せぬものとなる。
 人間の社会はしかし、歴史的に見れば安藤の提唱するあるべき姿とは真逆の道筋をたどってきた。乱苦を嘆きまた呻吟し、治楽には狂喜乱舞、また富栄に驕り、貧苦には不満を募らせた。このような体験からすれば、安藤の言う自然の法則そのままの社会の到来など、夢物語としてさえ信じられないに違いない。現在社会においてはなおさらのことだ。
 安藤の真逆指向は次のような言葉にも表れている。
 
親ニ孝ヲ為サザル故ニ、子ニ慈愛ヲ為サズ。親ニ不孝ヲ為サザル故ニ、子ニ憎疎ヲ為サズ。是レ慈・孝ノ名無キ故ニ、親子・一和、真道ニシテ、禍災・迷吟ノ患ヒ無シ。教ヘ無キ備道ナレバナリ。
 
 親に対してことさらな孝行も不孝もしない。また子に対してもことさらな可愛がりもしなければ憎み疎んじるということもしない。慈とか孝とかの教えにとらわれず、身に備わった自然感情のままに接することで世迷い事から離れ、本来の親子関係が実現する。つまりそうした概念、言葉、文字のなかった時代のほうが、作為がなく、本来的な親子関係があったという考え方である。
 これは門弟の静香の言として記述されたものだが、安藤本人の考えと違わないだろう。
 現在の社会を見るに、がんじがらめと言えるほどに「教え」なるものが張り巡らされ、わざとらしい作り物の孝行や慈愛にあふれている。ことさらな「愛」、ことさらな「絆」などもその典型で、身に備わった自然で本来的な感情はどこかに置き忘れている。己を窮屈に縛り、そうでなければならないものと己を糊塗するから、やがて破綻が生じる。
 安藤は、そんなものはすべて脱ぎ捨てて、身に備わった本来的な自然感情に誇りと自信を持ち、あるがままに振る舞うのがよいと言いたいのだと思う。
 もちろん今現在ではある意味、自身もまた作られた存在になってしまっているから、本来的な感情を取り戻すには自身の中にそれを探索する一手間が必要とされる。言い換えれば、労を惜しまぬ自己問答が必要になる。だがそうしてさえ、本当に本来的な自然感情にたどり着けるかどうか、確証はない。それほど人間社会、及び人間個々の存在は思いがけないほどの遠くまで来てしまっているのかもしれない。
 
 
自然真営道 安藤昌益】を読んでみる52
              2020/10/07
 「良演哲論巻」の部(19)
 
 
 
 安藤昌益の考案による「活真」の概念は、今で言うところの素粒子に相当し、「活真」それ自体にエネルギー、すなわち仕事をする能力の存在も考えられている。宇宙の形象すべてはこれがもとになって成り立つものと考えられ、形象なきところにもまた「活真」が存在すると安藤は考えていた。
 
△ 活真妙論。夫レ天ニ向ヒテ回・日・星・月ノ外ヲ観ルニ、形象ヲ指ス者無キハ、是レ活真ナリ。
(中略)
 是ノ如ク、形象無クシテ活キテ感(はたら)ク故ニ、妙徳・妙用、真行ス。故ニ人・物ノ情・行ハ活真ノ妙用ナリ。此ノ妙用ノ主ハ活真ナリ。
 
 つまり安藤は、人そして他のあらゆる生物また無生物のすべての変化、生き死に、そして行為や心情に至るまで、「活真」の作用でないものは皆無としている。
 このように、「活真」の作用は人の行為や心情に深く関わり、これらを現象させている根本とも言えるのであり、「活真」はそれらの主であるという言い方をここで安藤はしている。
 主を「あるじ」や「ぬし」といった意味で考えれば、人や物を領有・支配するものの意になる。また「主客」と使う時の意で考えれば、主は働きかける側を指し、反対に客は働きかけを受ける側に回る。これを「活真」と人との関係に持ってくれば、「活真」の支配と働きかけを受けて、人の情・行・業が発現するということになる。
 安藤はそう語っているのであると思える。そして、「主ハ活真ナリ」から着想を飛ばし、「活真」は主なり、主と言えば人社会に即しては「上(かみ)」ということになり、そこで、
 
主ハ上ナリ。故ニ下民ノ情・行・業ハ、上主ノ妙用ナリ。上主ハ活真ノ分ナリ。
活真分ヲ以テ上ニ立チ、妙用ヲ以テ下民ト為ス。故ニ下民ハ上主ノ妙体ナリ。
 
と続けている。
 現象世界を統括するのが「活真」であり、人間社会を統括するのが「上」であるから、「上」は「活真」作用と同じ作用を「下民」に対して持つことになる。安藤はこういう論理で、「下民」は「上」の意志、こうしたいという意図や可能性を体現するものと考える。
 現象世界における「活真」と「万物」の関係は、人間社会における「上」と「下民」との関係に置き換えられる。
 
故ニ活真ト万物ト、二別ニ非ズ偏一ニ非ズ。上主ト下民ト、二別ニ非ズ私一ニ非ズ。
 
 活真と万物、上主と下民とは、互いに不即不離の関係にあり、どちらか一方が重要だとか、どちらか一方に帰属してしまうというものでもない。
 
活真ト万物ハ自然備ハリノ妙道ナリ。上下二別無ク一般耕ハ人ノ備道ナレドモ、止ムコトヲ得ズ、上下ヲ立テ安平ト為ル則ハ、私ナガラ転定活真ノ妙用ニ似セテ以テ之レヲ為スニ、妙徳ハ上、妙用ハ下ニシテ、徳用ハ二別ニ非ズ、上下ハ二別ニ非ズ。
 
 本来なら社会に上下の区別など無い方がいいのだが、やむを得ず上下関係を残しながら社会を平安にしようとすれば、人為的ではあるがこのように天地自然の活真の法則に似せて上下関係を運用する以外にない。
 
之レヲ以テ上ニ立チ、之レヲ行ウ則ハ、上下ノ私法ノ世ニ在リナガラ活真転定ノ妙道二契フテ、治乱・盗賊・迷苦ノ名無シ。上下トモニ横気ノ落罪ヲ免レ、永ク人転ヲ離レズ。
 
 以上のことを十分に理解し、また自覚して上に立ちこれを実践していく時は、上下という二別の法を残しながら「自然活真ノ世」に合致して、治乱・盗賊・迷苦とは無縁の社会が形成される。そして、上下ともに畜生道に陥るようなこともなく、無限に死んでは天、生じては人という巡回を繰り返す生き方ができる。
 ここまで来て、最終的には「上」に立つ者が安藤の記述を読んで深く理解し、また実践していかなければ、「自然活真ノ世」もどきには進めないことを知る。
 あっけないというか、正直がっかりするような結論であると思う。「上」の心がけ次第のように受け取れるが、数千年から一万年近くにも及ぶ国家共同体の歴史の中にそんな王や帝やらがいたためしはないのだ。そう簡単にそんな時代の到来など期待できはしない。
 しかし、安藤昌益のここまでの記述行為を通して考えてみると、本来不必要な文字・学問の世界を文字・学問を用いて糺す、その先駆けの自信に満ちていた。また後世に、自分と同等・同様の志をもつ、生まれ変わりのような人材が輩出してくることを信じていた。 つまり何度も何度も生み出されては消え、生み出されては消えする平等社会への希求が繰り返されるに違いないと考えられていた。
 安藤昌益の乾坤一擲。それは例えば大河に投じた一石がやがて大河の流れを変えるように、自分の著作が上下の層に関わりなく浸透していき、やがて大きなうねりとなっていくことを期待し、夢見たものか。
 いやそうではなく、安藤には確信があったのだと思う。つまり、人間の世界がこうであってほしいという願いは、誰がどう考えてもただ一つに決着するはずであり、それは自分の考えた理想社会であるはずだと。
 もしも、一回考えただけでは合致しなかったら、もう1度根底から考え直してみてほしい。必ず合致するはずである。それでもだめなら2度3度、あるいは100度まで考え直してみたら必ずや合致するはずである。自分はそれくらいの思索を重ねて提示しているのだから、誰もが本気で考えたならば必ずここに帰着するはずである。
 またこれを時間軸に沿って考えた時に、百年後か千年後か、必ずやここに帰着する。
 安藤はそう考えていた。人間はどうあればよいか。社会はどうあればよいか。答えは本当は単純なものであり、そんなことは人間はとうの昔から分かっていた。ただ分かっていたところに帰着するのに時間がかかっているだけだ。
 今は過渡的社会にあって、あれもだめ、これもだめの試行錯誤を体験していると考えればよい。その繰り返しの果てに、やがてただ一つの落とし所に誰もがたどり着く。それは「自然ノ世」には違いないが、原始そのままのそれではなく、高度な文明と共存した「自然ノ世」である。その時、上下に関係なく、人々には皆、実感として安藤の描いた理想社会のイメージが思い浮かんでいるはずである。そのイメージの集積が、きっと社会を変えるし、またその原動力となる。
 安藤昌益は、そういうところまで考えていたと思われる。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる53
              2020/10/11
 「良演哲論巻」の部(20)
 
 ある常識的で一般的な考え方に疑義を呈する時、その考えのもとになったと推測される以前の考え方に遡って、これを批判的に検討するという方法がしばしば見られる。
 どうしてそうするかというと、その方が手っ取り早く、また根本的に、対立する考え方を批判、否定しやすいからだ。
 つまり現在のある常識的な考え方が枝葉だと考えれば、その幹や根に当たる部分まで遡ってそれを断ち切るならば、広がりを見せる枝葉の一つ一つを撃たなくても一気に全体を打ち倒すことができる。つまり効率がよい。
 ここでいえば安藤昌益の思想の方法はこれに近い。安藤が生きた江戸時代に人々の考えに大きく影響を与えていたものは、日本古来からの神道的なもの、また中国を通じて輸入された仏教、儒教などに代表される。
 安藤はまず、アジア最古の書物と言われる「易経」に遡りながら、これを批判的に検討した。だがそれはその時代の考え方を考えるだけではすまなかったはずである。なぜなら、その時代に新しく獲得された考え方の以前の考え方、感性、心性が、無数の支流となって注ぎ込み、それがもとになって新しい考え、すなわち「易経」の世界を形成したはずだからである。つまり文字活用、あるいは発明以前の太古の人々の考え方、感じ方がそこには含まれていると見なければならない。
 安藤が「易経」に大きく影響を受けつつなおその書の誤りに言及し、我流に改変して自分の考えの根底においたのは、それ以前の太古の感性、心性、すなわちより根本に遡り検討した結果である。
 安藤は思念の源流に遡り、後は先人たちの成した水路の分岐口というべき遺構を打ち壊して新たな流れの道筋を示せばよいだけであった。
 概観すれば安藤昌益の『自然真営道』は、そのようにしてなったものである。
 かつて吉本隆明は、安藤の思索営為を、思想の考古学と呼んだ。その意味するところを考えると、ここに述べてきたようなことだったのではないだろうかと思う。
 さて、安藤昌益全集第一巻もいよいよあと残すところわずかとなった。
 
△ 孔丘、世ニ聖人ト為ス。曾参ハ孔丘ガ弟子ナリ。曾参、儒法ヲ孔丘ニ学ブ間ニ、自リ活真・転定・直耕・備妙ノ人道ヲ発明ス。故ニ真道、衆ノ門人ニ越ヒ、師孔丘ニ勝レリ。故ニ孔丘、宗ヲ曾参ニ譲ル。魯ノ候、之ヲ聞キテ、禄ヲ曾参ニ賜ラントス。参、辞シテ曰ク、「人ニ施ス者ハ常ニ人ニ?(おご)ル。人ノ施シヲ受クル者ハ恒ニ人ニ諂フ。天道ハ与ヒテ受クルコトヲ為ズ。君、今吾ニ禄ヲ賜フハ天道ナリ。吾、之レヲ受ケテハ、争(いかで)カ諂ヒ無ケン。諂ヒハ天道ヲ盗ムナリ。吾、禄ヲ受ケザル所以」ト云ヒテ、終ニ受ケズ、直耕シテ転真ト道ヲ同ジフス。孔丘ノ曰ク、「吾ニ勝レル者ハ、此ノ一語ナリ」ト云ヒテ黙ス。
 
 安藤昌益が曾参を孔子よりも認めていたのは間違いないが、ここに記された曾参と孔子の説話、エピソードがすべて事実にもとづくものかどうかは全く分からない。また安藤のそれぞれに対する評価が妥当かどうかも分からない。
 ここで分かることは安藤がする評価の基準で、上下関係および不耕貪食を是とするか否かで人物の価値を考えているということだ。それによれば、曾参はこれを否定し自立的生活者として世に立つことを良とし、孔子は諸侯に依存し上下関係に収まることを肯定しているので、曾参の方が勝れているとしている。
 
是レ孔丘ハ師ナレドモ、自然・転定・直耕・活真ノ妙道ヲ知ラズ。妄リニ、先聖等ノ不耕貪食シテ天道ヲ盗ム妄惑ヲ追ヒ、己レ倶ニ不耕貪食シテ天道ヲ盗ミ禄ヲ得ンコトヲ欲シ、転下ヲ盗マントス。転下ヲ治ムルハ盗乱ノ根ナルコトヲ知ラズ、転下ヲ治メント欲シテ一生流牢シ、先聖ノ盗ミニ己レガ盗ミヲ重ネ、四類ニ落罪スルコトヲ弁ヘズ、悲シミノ至リナリ。曾参ハ弟子ナレドモ、自リ活真・転定・直耕ノ備道ヲ発明シ、直耕シテ天真ト与ニ行フテ、永劫、人転ヲ知ラズ。
 
 太平の世にしようとして世の中を治めようとすること、そのことにすでに盗乱の根は内在してしまう。安藤は何度も繰り返してそれを記述している。
 そうではないと安藤は考える。太平の世を望むならば、人の上に立って世を治めようとするやり方ではなくて、自らが争いのない生活を実践する、そういう範を示すべきなのだ。また、何かの心得違いで人を支配しようとする者があれば、毅然としてその支配体制の外に身を置くべきであり、かつ屈しないことを貫くべきである。これを具体的に言えば、生活への没頭、その一語に尽きる。働くことを中心に、自分の生活、家族の生活の細々したことにも身と心とを砕き、それ以外のことには関知しない。不可避に関わらねばならない時には、そういう生活を本拠地として言動を為すことが必要なことである。
 安藤が繰り返し述べてきた思想の骨子には、そういう思いがうねりとして感じられる。
 続く記述には一読では意外の感を受けるが、よく考えればこれがまた実に安藤らしいと思えることが述べられている。
 
孔丘ハ清偏精ニ生マレテ偏知ノ迷人ナリ。曾参ハ清濁両精等シク妙合シテ生レ、無偏正知ノ正人ナリ。
 
 孔子は「清」に偏った生まれつきのために、その知もまた偏って世界を正しく把握できない人であった。これに比べると曾参という人は「清濁」合わせ持って生まれ、「清濁」あるこの世界を正しく把握できて「正人」と呼べる人である。
 安藤にはまた「善悪」で一事という考えがあり、ここでの「清濁」と同じにどちらか一方だけの概念では成立しないものだとしている。常識的にいえば、普通は例えば今日の学校や社会においても「善悪」なら「善」の勧め、「清濁」なら「清」の勧めが一般的である。だが安藤はそんなことには何の意味も無いので、そもそも「悪」を伴わない「善」など存在しないし、「濁」を伴わない「清」など存在しないと考えている。そんなものが存在するかのように考えるのは人の本性、本質でもある、妄想、創造的な妄想以外の何物でも無い。安藤はそう考える。
 「善悪」や「清濁」などはもちろんのこと、その他諸々人間の行いや考えに関する基本的かつ重要なことは、遙か紀元前にすべて考え尽くされている。その後の時代はただこれを不必要なほどに精密に腑分けしてきたに過ぎない。そのために細部にとらわれすぎ、全体を見失うというおかしなことになってしまった。つまり神経質すぎ、言動をこじんまりとさせたりして自らをがんじがらめに縛り上げてしまった。それもこれも遠因は聖人の出現時に遡る。言い換えると国家の出現に軌を一にしているということになる。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる54
              2020/10/18
 「良演哲論巻」の部(21)
 
 いよいよ「契フ論」の終わりになる。前回に続く記述で、「曾参」の生き方をこそ範として、絶対に不耕貪食すべきではない旨が強調されて終わっている。
 
此レヲ以テ乞世ノ人、之レヲ明弁シ、例ヒ上下ヲ立ツルト雖モ、上下与(とも)ニ直耕シテ、活真ノ妙道ヲ失(あやま)ラザル則(とき)ハ、無欲・無盗・無乱・安泰ナリ。只曾参ヲ以テ天真ト為シテ、以テ不耕貪食スベカラズ。案ジ省ヨ、活真・通気主宰ノ人ニ生マレテ、僅カノ失リニ因リテ、主宰ノ通気ヲ埋メテ横気ヲ揚ゲテ主ト為シ、上ニ立タンコトヲ欲シ、不耕貪食シテ、僅カノ栄花ニ天道ヲ盗ミテ、永ク四類ニ落ツルコト。
 孔丘、一生ノ書言ハ、曾参ガ禄辞退ノ一語ニ如カズ。釈・老・荘、凡テノ書言モ然リ。
 
 ここで「永ク四類ニ落ツル」は時代の影響であろう。あまり感心するところではない。安藤にはこういう記述が時々見かけられる。簡単に言えば、ここでは畜生道に落ちるみたいな意味合いで言っているのだが、多分に宗教的であり、安藤の言葉を使えばそのまま偏惑・迷妄の類いと言える。
 がしかし、安藤昌益の真価、真骨頂は付言の言葉の中にこそうかがわれる。
 魯の国主が禄を与えて召し抱えようと話を持ちかけてきた時に、曾参はこれを辞退した。禄を受けて不耕貪食するは天道に反する。意志を貫いて辞退の言葉を国主に告げた曾参の行いは、孔子並びに他の聖人、儒学者たちの一生をかけて為した書字・学問、あるいは言動一切を遙かに超えて素晴らしいものである。
 曾参のほうが偉大であると安藤は言っているのだ。
 しかし、曾参の言動は意識的である。考えて、その結果、そういう言動に至っている。なぜかというと、元来は孔子の影響を受け、孔子に学ぶところから始まっているからである。つまり、もともと曾参は知の人であったからである。安藤の言い方を借りて極論すれば、一度は道を踏み誤った人である。
 曾参を偉大とするならば、本当はその先にもっと偉大な人はいるのではないか。
 無意識のうちに、何ら難しい理屈など口にせずとも、黙々として曾参と同じ行いを苦も無く行ってきた人、行っている人が。そんな人は書字・学問上の歴史に残らない。無名の中の、さらに無名の先に曾参より偉大な人は隠れて存在するのではないか。
 曾参は確かに、安藤の言う天地自然の道、すなわち天道を人々に知らせるに好適な人物であった。そういう人もかつて有ったと世に知らしめるにはよい例である。しかしそれがそのまま最も偉大な人かと言えば、それは違う。そういう人がもしいるとすれば、その人は生まれつきからして書字・学問などには関心を向けず、いわゆるごく普通の生活に紛れて他人の耳目に届かぬ人であるはずで、季節や風景の一隅にひっそりと存在しているに違いない。つまり見かけ上は偉大からは最も対極に位置する人であるはずだ。
 安藤が批判し、否定し、罵倒した歴代の聖人、釈迦、儒学者たちなどは、本当に偉大な人が属する普通の生活から最も遠ざかった人たちである。腕力の人、知の人、才の人たちとは、ごく普通の生活にとどまり得ない人たちであった。だが考えてみればすぐに分かる。世の中の人が皆腕力の人に憧れ、皆腕力の人になったらどんなことになるか。あるいは知の人の教えに従い、知の人を目指す人々ばかりなった世の中はどうなるか。あるいは才ある人ばかりの世の中はどうなるか。考えるだけでゾッとしないだろうか。すべての人が、「我こそは」と連呼する世界である。そうした世は、きっと基本的なことが抜けてしまう。ということは、そんな世は成り立たないということだ。では、何が世の中を、社会を、成り立たせているのか。もはや言うまでも無いことで、実は傑出することにベクトルを持たない人々によって維持、形成され、支えられている。その生活は一見すると単調で、退屈なものである。だが、この単調さと退屈さは、環境界としての宇宙や地球におけるそれとして考えると実に貴重なことで、それは生命世界を生み支えている。同様に人間社会を根底で支えているのもそういうものである。
 太平の世とは、その単調さと退屈さが主流になった世界である。それは原始的とは違う。現在の場所から言えば、高度な単調さと退屈さということになる。
 さて、しかし、このことについてはここでは考え尽くせない。
 いずれにせよ安藤昌益は、社会及び世の中の人々の常識に反し、過去の書物、言説を根底から批判する形で一切の思考、感覚を反転させた世界を書に著して見せた。それはまた安藤の思考、感覚の世界そのものでもある。
 安藤の独創は、彼の思考と感覚の孤独を想像させる。門弟と言われる支持者たちが町医者時代にも、それから生家に戻って農民生活に没頭した時代にもあったようだが、それらの支持者たちが本当に安藤のすべてを理解していたかどうかは分からない。つまり、継承しがたいものだ。そこに、本当の思想の運命というようなものを感じないではいられない。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる55
              2020/10/23
読了後のⅠ
 
 ここまで、稿本『自然真営道』第二十五「真道哲論巻」の「私法盗乱ノ世ニ在リナガラ、自然活真ノ世ニ契フ論」を、記述にそって見てきた。そしてここでの安藤の主眼は、題名にあるように統治システムが稼働する私法の世にありながら、人が人を統治するこのシステムを無効化するためのもう一つの法の樹立であると読み取れた。
 安藤にとって、人間がこしらえた人間社会のための法則は自然の法則から大きく乖離し、個人的な欲を介入させる欠陥をもつものだ。これがひいては社会に汚濁を招き寄せ、戦乱から盗乱、悪業で賑わう世にしてしまった。このシステムがこのまま稼働し続ければ、世の中はますます迷い、混乱に陥っていく。私欲が盛んなばかりで無能な統治者、統括者にこの世を委ね任せておく訳にはいかない。
 そもそもまっとうな人は統括者や権力者になりたがらない。同じ人として人の上に立つことにためらいを覚えるからだ。それは人の感受性としてまっとうなものだ。そうである以上、トップリーダーにそういうまっとうな人を期待することはできない。であれば、現行のシステムや制度的なものをそのままに、その本質となる共同幻想の部分で統括者側の恣意性を骨抜きにする、全く異なる規則、運営を目論む以外にない。
 こう考えるには前段があり、安藤はそこで人間社会と人間社会以外の自然界とに共通する「直耕」概念を発明、発見している。つまり、自然界における生成活動と、人間社会における生活再生産行動を結びつけ、具体的には人の主要な食糧である穀物の耕作こそがそれに適う活動であると考えた。
 安藤にとって、人間が為すべき最も大事で基本的なことは食べることであり、このことを最も効率的に達成するものとしての穀物の生産、そのための耕作行為を必須と見なした。活動するために食べ、また食べるために活動するという同時進行性は誰にとっても不可避のことに違いない。これにはその他の一次産業への従事、また衣食の衣に該当する生産行為も含まれている。つまり衣食住に関する基本的行為だけが自然界とつながる唯一無二のもので、それ以外はあってもなくてもさしたる重要性はないと考えられた。あるいはどうでもよいことだった。そう思えるほどに最重要のことと位置づけられた。そうした中でも食に関わる耕作こそが人間の生成活動の象徴的な行いであり、これはすべての者が主体的に行わねばならない活動である。このことに上下、貴賤の別はない。では、そうしたらいいではないかというのが安藤の根本的な考え方だ。
 つまり、ほとんどの時間、あるいは生活の一切をそれに費やしていたであろう先史の時代にこそ、人間本来の生活、社会が営まれていたと考え、とりわけそうした中に広く浸透ししていたに違いない人間相互間の親愛性、平等性を取り戻す改革案を講じた。
 人社会は、初期には血族を大事にし、一族で助け合い支え合って生活した。婚姻の際に、近親相姦の禁忌(タブー)が一般化すると、親族は氏族へ、さらに部族へと集団は拡大した。血縁による自然発生的な広がりはここまでで、もちろんここには集団的な生活の決まり事も存在した。だが、薄まるとはいえそこにはまだ血縁関係があり、決まり事を破った場合に科す制裁にも一族の代表者たちの合議、また配慮などが介在したに違いない。つまりその段階までの共同体の社会システムには血が通っていた。
 もちろんここまでの共同体の段階のすべてにおいて桃源郷のような理想社会生活が営まれていたかといえば、そうではないだろう。なぜかといえば、人間の個は、家族内にあってもそれを超える集団内部にあっても常に親和的、共感的にいられるわけではないからだ。そういう個の集まりとしての集団に、波風ひとつ立たない状態などあり得るはずがない。ただ、そういう波風が起こる状態も含めて、それが自然発生的と見なされるならばそれは是認される以外にない。自然界に嵐や洪水、地震、雷、火山の爆発から干ばつなどが起こるように、人間の社会や個人にも異変は常に生じるものだと言っていい。そしてそれは社会も個人もある程度は黙って受け入れなければならない事柄なのだ。理想社会の内実といってもおそらくはそういうものだ。
 有史の時代に入り、地縁共同体や統一部族共同体が形成されるようになると、人間の社会も個人も自然界の掟だけではなく、より強度の人為的な掟にも支配されるようになった。安藤昌益はこれを嫌った。賦役、貢納、租税などのようなものに加え、刑罰なども一般化した。支配と被支配の関係、境界が明確化し、永続的になった。他人の耕作物をほしいままにする者と、他人の分の耕作を強制的に強いられる側と、二分された。豪奢な生活と喰うだけがやっとの生活とに二分された。
 知力、腕力に優れた者が取る言動は、いつの間にか人及び集団を支配することに向けられるようになった。さすがに露骨すぎることにはわずかにためらいがあると見えて、身の安全を守るとかよりよい生活の手助けをするとか、つまり収奪することの対価を払う体裁だけはとっている。もちろんこれは不平等条約と言うべきだが、強者が弱者に対して行う行いには常に不平等の関係、その固定化がつきまとう。弱者はこの不平等条約に逆らえない。逆らうことは極端な場合には死に直結するから、諾と言うほかにない。
 いったい、「優れている」ということが人の上に立つことだという意味合いはいつ頃になったものか。本当は人の下に、縁の下の力持ちのように存在すべきはずと思えていたが、そうではなくなってしまった。
 安藤が生きた江戸時代には、すでに共同の規範、身分制なども固定化されて存在した。これに違和を唱えるには武装蜂起しか考えられない。実際、明治維新はそうしてなった。安藤は遡ることその百年以上前に、それが歴史上何度も繰り返された反乱、単なる政権交代に過ぎないことを熟知していた。つまり誰が上(かみ)に立つかの争いで、上下二別の法を無くす戦いではないということを。
 安藤が一番に考えていたことは、主として耕作などを中心にふつうの暮らしをしている生活者が、より自然体のふつうの暮らしができるということであった。それにはせっかくの生産物を合法的に収奪する制度や仕組みがあってはならないことであったし、これに抗し反乱を組織して血を流すことも肯定できることではなかった。また、どうせ上下二別ほかの制度や仕組みを残存させる政権交代劇など、何の関心も無かったはずである。
 学問や宗教の類いも同様で、「真・偽」、「善・悪」などという二別の法をもって、結果、人を操ろうとするものであった。研究、修行、修練などと称して自らは耕作を放棄し、その成果を対価に他人の耕作物を手に入れ、これを食すことが罷り通るようになった。ひとつひとつの事例としてみればさしたる収奪のようには見えないが、社会全体としてみれば相当量が不耕者の生活を支えるのに必要となる。その対価は「教え」と称する、実際のところ対価にふさわしいかどうか分からない類いのもので、しかしこれも農民たちの生活を圧迫するまでになる。荘厳華美なる寺院建立の原資のそのまた原資はどこから生まれるかを考えれば、収奪のからくりとシステムのありようが見えてくる。果たして荘厳華美は原資の原資を生み出した真なる生産者たちの生活に資するものになっているか。収奪システムを持続するためだけの大いなる浪費、蕩尽の類いに過ぎない。
 宗教・学問により真や知を得ても、結局のところはそれぞれの「我欲」を開放し、また「我欲」に向かってまっしぐらに突き進むだけである。つまりは更なる上下、優劣を構築し、人社会を振り回していく。人間の行いそして思考は、放っておけば無限に「我欲」の跳梁と化す性質がある。
 安藤の発明による「直耕」概念は、歴史的に発達を遂げた文明、文化、その制度や仕組みをそのままに、内在する弊害を無くすにも有効だという気がする。上であろうが臣下であろうが、あるいは学者、僧侶、商人、職人であろうが、すべてに住居地はもちろんのことその上に耕作地を分配し、いわば食料に関しては自給自足を原則とするという考えである。人によっては半日を耕作に、また半日をそれぞれが専門と考える職業に時間を費やすかもしれない。また別の人は、これを季節によって変え、主に春と秋は耕作に、その他の季節には目一杯自分の仕事をするというように計画するかもしれない。また例外的に専門職としてどうしてもつきっきりに従事しなければならない場合には、一族がこれを負担するというように考えられている。
 安藤の考えるこの新たなる制度、仕組みが現実化すれば、一つの平等性という形が担保されることになり、安藤が言うように不耕貪食の輩は存在せず、租税のありようなども変わっていくことになる。
 ここで見てきた「契フ論」にせよ、この前の「大序巻」にせよ、あるいは『自然真営道』全体で安藤が提案するものは、この新たなる制度、仕組みである。そしてその必要性、妥当性についての苦心の記述とも言える。
 これを実現するためには、人間の無意識の精神性、つまり本来的な価値から遠ざかろうとする傾向を明らかにし、人々の思考のベクトルを変えることが肝要である。安藤は、自分と同じような考えが何度も何度も世に現れては消えする、その繰り返しが必要であることを知っていたと思う。自分が生きている間に、今ある制度や仕組みを変えられるとも変えなければならないとも考えてはいなかった。そんな簡単に変わるものじゃないことをよく認識できていた。また同時に、ある意味徒労や不毛のようにしか見えかねない自分のこの試みを、もし為さないでしまえば後に続くものを途絶えさせてしまうと考えたに違いない。もちろん実際に後に続く者があるかどうかは分からないことである。しかし、これを自分がしなかったならば、他人もしない、他人にもできない、そういうレールを敷いてしまうことになる、というようなことには自覚的であったように思う。つまりそこで安藤は、この程度の悪戦苦闘はきみにだってできるはずだ、と未来の自分に向かって語りかけているのだ。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる56
              2021/01/16
読了後のⅡ
 
 安藤昌益は、思想的また宗教的な始祖とも言うべき聖人君子たちを徹底的に否定して見せた。孔子も釈迦も昌益の生きた江戸時代の遙か昔の人だから、その否定は残された彼らに関する著作や学問に触れてのことである。
 安藤はそうした聖人たちの、世界認識、人間理解、それは根底から間違っていると捉えた。自然の観察、考察から始めて、万物の元基としての「活真」という概念を産み出し、これが互性妙道に運回して宇宙を作り上げていると考えた。この自然法則から地球ができ、生命が誕生し、植物そして動物を出現させ、さらに人間を生成し人間社会を生成させた。よって人間はその法則下に、それに準じて生活することが最も正しく真なる生き方だと彼の著作において断じた。
 それに対して聖人たちは自分の勝手な考えで作り上げたものを、あたかも自然法則かのごとく人々の頭上にかざし、自分たちに都合のよい社会の仕組みにしてこれを民衆に強制したと強く批判した。そこで安藤が最も強く嫌ったのは、人為がまだ及ばない自然のうちに成り立っていた社会の仕組みを、人為的な仕組みに作り上げ、そこに人の上下、尊卑といった概念を定着させていったことだ。
 安藤が否定した聖人たちの思想とは、現実的な生活言語とは次元を異にしたところに考えられた体系化された思考内容、思考形態であり、ふだん人々が生活上で他人と交わす言葉とは違う。人々が生活おいて話す言葉を、安藤は自然の法則下にあるものとして考えていたようであり、これは否定していない。
 問題は文字がらみの言語で、こちらを安藤は人間による創作、創造によるもので、自然法則の延長にあるものとは違うと見ていた。よく言えば人間の発明だが、悪くすれば天道、天命を偽装するものとなり、実際にそのように使用され、そのように機能したと安藤は考えた。そしてそんなものは全部嘘っぱちだと撥ね付けて見せた。高度に観念的、概念的、理念的な世界というものは、自然界には存在しない。
 
 現代に生きるわたしたちは、ある種の困難や困惑の状況下で、古の聖人、釈迦や孔子や西洋ではキリストや古代の哲学者たちを思い浮かべ、彼らの残した言葉にすがって状況に耐えたり乗り越えようとしたりしている。またそのたびに彼らの偉大さに、とても及ばないなあと内心に呟いたりしている。
 安藤は真逆である。誰もが食うことをはじめとして、心穏やかに安定した生活ができる環境が得られれば、殺人はおろか強盗、争乱、姦通、虚言など起こりようが無く、心に迷いが生じようもないことだと考えた。問題は精神世界、観念世界を膨張させることではなく、逆にその膨張、拡張の必然性を打ち消すべく現実世界を変えてしまえばよいことだと考えた。そして文字を用いること、学問をすることなどはすべて止めちまえと言った。精神とか観念とかの拡張によって人間社会が得たものは、歴史的に見れば安心、安寧の世界どころか、大規模化する争乱や戦乱であり、いっそうの混乱、混迷である。
 そういうところから、社会の争乱、心の迷い、そうしたすべては聖人君子の出現に遡ると安藤昌益は断言している。
 思想そして書字、学問の始祖たちは、人間の生き方をあらぬ方向に導いた。縄文、弥生を経て、家族、地域の狭い境域に採集したり栽培したりして食料を得、住みよい家を工夫し、炉を造り、衣服をこしらえ、そうしたごくふつうの生活にほとんどの人々は充足できていたはずである。これを破壊した戦犯は誰かと考えれば、第一に理・知・心の先導者たちであったに違いないのだ。彼らははじめはボランティアのように他者のために尽くし、手伝い、時によりよい生き方を教えるものだったかもしれない。しかしやがて他者からの贈与、貢納、布施、托鉢などを常態化させ、これを階級や職制として分離し、言ってみれば人の上に立つようになってしまった。君臨ということかもしれないが、見方によってはごくふつうの生活、ごくふつうの人間らしさから外れた変な奴ということになる。安藤はその生き方を「不耕貪食」と言って嘲り、諸悪の根源のように見做した。動物でも自分で狩りをして食を得るのに、人様の採集したり狩ったり耕作して収穫したものを平気で口にできる、動物にも劣る存在のように考えた。まさに他者のものを盗食、貪食して迷惑をかけながら、同じ口でよりよい生き方はなどとご宣託のように述べる。そうじゃない、と安藤は否定した。人に教えるとか指示するとかそれ自体も間違いだが、仮に教えるとして、一番の教えとなることは何かといえば、自分自身が直耕、すなわち鍬を持って畑を耕し、自分や自分の家族のために働くことである。生命の自(ひとり)立つ姿、その範を自ら示すべきであった。すべての生き物がそうであるように、自分のことは自分ですべきだし、多くの人々に寄りかかって寄生した生き方をすべきではない。
 安藤はこんなかたちで人は皆直耕すべきことを説いていったが、実際の歴史は逆行して現代に至っている。直耕の元になる農業、田畑の耕作は大規模化し、就農人口は激減した。自ら耕作することの煩いから逃れるようにして成り上がった政治家、官僚、学者、芸術家、芸能人、はたまた宗教人、他の諸々の文化人たちは、相変わらず社会の表層に群れを作って泳ぎ、一般の人には一目をおかれる存在であり続けている。つまり安藤の言うのとは真逆に、そういう生き方の方が価値があるのだというように目されるようになっている。
 
 さてこんな風に考えた上で、さて、安藤昌益の思想、そして彼の著した「自然真営道」の価値がどこにあるかと考えれば、わたしは「知」のぶっ壊し方にそれを求めたいという気がする。安藤は聖人たち以後のあらゆる思想そして考え方を、聖人君子たちの亜流あるいはそこから幾重にも枝分かれした支流のようなものと見なし、一切の以後の書字、学問には少しも価値を認めようとしなかった。逆に、害あるものとしてすべて退けた。観念的、概念的、理念的なものすべての、いってみれば学問言語・言説のほとんどすべてに否定的だった。
 これは返す刀で自身の著述にも向かう。もちろん安藤ははじめからそのことを考えていた。文字をもって文字文化を、文章をもって文章世界を、思想をもって思想領域を、すべて木っ端微塵にしたかった安藤は、それを文字を使い文章に表し、一貫した思想として結実させるほか無かった。安藤は充分そのことを承知していて、それを為したあとは現実の生活世界に戻って、思想や学問的世界に未練を持たなかったはずである。わたしの好きな言い方を真似れば、「知」の頂に登り詰めて後、そのまま「非知」の世界へ還ったのである。
 「知」に対する徹底抗戦という意味合いで、安藤の戦いっぷりは徹底している。あらゆる言説の始祖としての聖人君子の時代にまで遡り、そこから「知」、また観念の世界を根源的なところから否定して見せたのはわたしの知るところでは安藤一人である。しかもどんな系譜にもつながらず、ひたすらなる自然の観察、人間及び人間社会の観察からここまでの著述を成し得たことは驚愕以外の何物でも無い。師もなく弟子も持たず、学問指南の機関、後見役らしき存在なども背景にはこれといって見当たらない。思索に費やすべき時間や資金というものも特別なものがあったようには思えない。つまりはその生活ぶり、また思索や著述のための環境が、わたしのような「オタク」的在り方とたいして代わり映えがしないように見える。そしてそれは驚きでもありまた鼓舞されることでもあった。
 安藤昌益は知性や理性、あるいはそこに宗教性や芸術性を含めてもよいが、ひどく人間的と言える頭の働きを嫌ったように見える。それはどうしてかといえば、人たちの間に上下、尊卑、あるいは善悪、清濁のように、自然界にはない二分法、別な言い方をすれば平等性を損なうそれが元凶であると考えたからだと思う。大雑把に、植物、動物、人間と考えてきて、人間だけがそういうことを頭で考えるようになって、強度に自分及び人間世界を拡張し始めた。自然界では異種の存在になったと言える。思想以前、あるいは聖人君子の出現以前の人間及び人間社会は、まだそうとはいいきれないところがあった。自然と、はっきりと乖離した集団ではなかった。人間同士に上下という関係を持つ必要が無かったとも考えられる。
 
 今日のわたしたちに流通している「善悪」、「優劣」、「愛憎」、「正・不正」また「倫理・道徳」などの内面的なすべての問題点は、遙か昔の聖人の時代に根本的なところはほとんど考え尽くされ、言い尽くされている。あとは時代を追うごとに、状況に合わせてちょっとずつの変容が為されてきたに過ぎない。さらに現代ともなると、教育や情報、ネットワークなどの発達によって判断基準も多様化し、個々人の内面はそれらに浸食され、そのために逆にひどく窮屈に感じられるようになってきた。もっと極端に言えば、人間的な精神性はつまらなくなって、劣化の一途をたどっているように思える。
 だからといってそれらがすべて死滅したというわけではなく、現在においても依然として人の心の中にくすぶり続けて、五里霧中の中に亡霊のごとく彷徨っていると見える。
 歴史時代の黎明期に体系化されたそれらの観念や概念、理念は今日までしぶとく生き延びてきつつも、果たして未来にも生き続けられるものかどうかは分からない。
 いみじくも安藤昌益が生涯をかけて著作に著した聖人たちの思想の全否定は、誰の手を借りずとも、超現代社会がそれを現実のものにしようとしているかのようにわたしには思われる。少なくとも、個々人の内面に行われている道徳的な、また倫理的な判断基準は壊滅的なところにまで追い込まれていると感じられる。
 
 解剖学者三木成夫は、人間の意識作用、精神作用を、心の働きと頭の働きとに二分して考察した。心の働きは内臓の動きに由来し、頭の働きは脳に起因すると大まかに捉えた。そして発生の順序としてははじめに心の目覚めがあり、次に頭の働き、すなわち思考するなどの能力が生じたとしている。そしてはじめは兄貴分の心のかげに隠れていた頭の働きは、次第に勢力を増し、ほどよく心とバランスのとれた状態にまで発達したが、やがて頭の発達は心を凌駕するまでになったと述べている。
 安藤昌益の聖人・釈迦たちの否定は、心を凌駕するまでに発達した頭の働きの否定であったと思える。逆に言えば三木成夫のように、心と頭の働きの均衡のとれた状態を理想としたように見える。
 安藤昌益にしろ三木成夫にしろ、どんなに理想と考えてもその時代、その時期に戻ったり同じように再現が可能とは考えなかった。何より獲得してきた文明、知識をゼロにすることなどできない相談である。ただそこを共通の理想とできるならば、近似の落とし所を見つけることは可能だと考えていたように思える。
 
 蛇足になってしまうが、ここで、これまで述べたことを角度を変えたところからとらえ直してみれば、それはこういうことに近い。
 たとえば、わたしたちは普段に色とりどりの景色を見ているが、この景色は実際に物体に色がついていてそれを見ているということではない。色覚情報から脳がこれをバーチャルな景色として処理し、作り出している。コンピューターがバーチャルな世界を実現する以前に、実は元々人間世界はバーチャルにできあがっているのである。人間の観念の働きにもこれによく似たところがあって、わたしたちの脳が作り出したバーチャルなものだということでは違いがない。つまり、もともと人間の行為、行動にも善の色も悪の色もついていないのだが、これに善悪の色をつけてそのように見ているのがわたしたち人間なのである。それはわたしたち人間が勝手にそのように作り上げたものなのである。
 人間は内外にこういう世界を作り上げてしまった。こうした歴史的な積み重ねは後戻りできない。
 安藤が全否定したことは、結局のところはひどく人間的なことについてである。これを否定すればもはや人間ではなくなる、そういう瀬戸際のところまで追い詰めている。人間の個人史になぞらえれば、幼児のところまでで成長を止めてしまえというような無謀な考えに近いと思う。そんなことにはなるはずもないし、できるわけもない。ならば、当然の如く安藤昌益という思想家は、忘れられてしまってよい思想家なのであると思う。
 だが、わたしたちは知らず知らずのうちに、色とりどりの景色と同様に、この世界に生きてさまざまに感じ考える意味や価値というものが、脳が作り出したもので、これもまたバーチャルなものではないかと気づき始めている。あるいはこういう段階にさしかかり始めているのではないか。そうとすればやはり、安藤昌益の考えたことの現代版的な思考、思索は、ひっそりとでもいいから試されてしかるべきではないかなどと、わたしのような者には思われる。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる57
              2021/01/21
読了後のⅢ
 「自然活真ノ世」と「私法ノ世」
 
 安藤昌益の「自然活真ノ世」とは、簡単に言えば自然法則下の社会で、文字というものが出回る以前の段階の社会だと考えてよいと思う。厳密に言おうとすれば難しくなるが、ここではその必要性がないのでそれくらいに考えておく。
 これに対して「私法ノ世」とは、社会的規範、規則が設けられた社会を指す。この場合、法とは社会的あるいは公的なものであると言えるが、個人で作成されたにせよ多数で作成したにせよ、法そのものは私製であることを免れない。
 よって、私人がこしらえた法、「私法」と安藤昌益は記述した。また法は制度化されるから、「私制」という造語で安藤は表すこともある。
 安藤は「私法」といい「私制」といい、天道を盗むものとしてこれを嫌った。
 結論からすれば、安藤昌益は「私法ノ世」に進んだ人間社会を「自然活真ノ世」に戻すべきだと提唱した。「私法ノ世」における人為の不自然が、後世にさまざまな歪みや矛盾や軋轢を持ち込み、戦乱や混乱やさまざまな害をもたらす元凶となったと考えたからだ。「自然活真ノ世」には、それほどの規模の害悪のようなものは生じなかった。小さな規模のものはあっても、自然淘汰的にそこでは解消されていたと考えたに違いない。
 だが安藤は、自分でも、一足飛びに「自然活真ノ世」に戻ることができるとは考えていなかった。そこで「私法ノ世」にありながら、あたかも「自然活真ノ世」であるような社会というものの有り様を想定し、記述した。具体的には「私法盗乱ノ世ニ在リナガラ、自然活真ノ世ニ契(かな)フ論」となる。
 分かりやすくいえば、安藤が考えた自然活真の営みという自然法則に沿って、その範疇内で社会の仕組み、制度、規則、規範というものを改変して制定しようとするものだ。中では罰則は全廃するなど、かなり踏み込んだ内容を語っていて、全体的に見て通用しそうにない。ガしかし、理屈的には一貫しているように見える。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる58
              2021/01/24
読了後のⅣ
 ふつうの生き方について考えてみる①
 
 安藤昌益は後世に偉大だと称えられている人々、例えば釈迦とか孔子とかを、とんでもない駄目な奴らだと批判している。これは裏を返せば、市井に埋没して無名に生きる生き方をしている人の方が、生き方としては勝っていると言っているようなものだ。
 安藤のような考え方は歴史的に見ても、あるいは現代社会の中で考えてみても、極めて少数派に属し、常識的には通用しないだろうと思う。だがぼくは世の中とは真逆の、安藤のような考え方が好きだ。
 価値観を逆転させた安藤と同じような考えを持ち、そういうことをはっきりと言えていたのは、文学者では太宰治で、世代が下っては思想家でもある吉本隆明が、「大衆の原像」という言葉でごくふつうに生きる生き方の価値を説き、若い世代に影響を与えた。
 彼らの文章記述はそれぞれにインパクトがあり、社会に一石を投じるものであったと思うが、残念ながら社会総体の価値観をひっくり返すようなことにはならなかったように思う。それどころか、今日の社会ではマスメディアの発達も伴い、ふつうではない生き方の方がことさらな注目を集め、若者たちの間ではスポーツ、エンタメなどの世界の実力者、かつ人気者がもてはやされるようになっている。ふつうではない生き方にこそ価値があるという考えが息を吹き返し、社会全体を席巻してしまっているようにも感じる。
 これはしかし、歴史的に見ても順当な反応のように思える。ふつうに対しては何も感じないが、ふつう以上のものには「すごいねぇ」とつい感心してしまう。これはもう人の性だから、致し方のない事柄に属する。そしてそういう反応の方が社会的には多数を占め、主流となり、さらなる歴史を積み重ねていく動因にもなっているように思う。
 
 安藤昌益は、この国の後世に多大な影響を与えた孔子や釈迦や聖徳太子など、偉人と遇される昔の人たちの思想を根本から否定した。
その根拠の一つは、自分の食い扶持などを、他人が生産し収穫したものでまかなってしまったことだ。またそういう仕組みを作ったり、またそのことを否定したり是正しようとしなかったことだ。そして、そういう人間の考えたことがまともであるはずがないと断言した。
 安藤は天、また海や大地といった宇宙全体、そして植物や動物の生態、その生活の営みなどを考え、人間社会に見られるような支配・被支配、あるいは一方的な略奪依存の関係は人間世界以外には皆無だと思い、どうして人間社会にだけそういうことが行われているのかを考えた。そこで目をつけたのが過去の聖人君子たちで、安藤が生きた当時の社会の、土台を形成したとも考えられる思想的でかつ制度上の始祖と言える人たちであった。
 安藤からすれば、人間といえども食料調達を自分でするのはごくあたり前のことであった。特に江戸時代には8~9割が農民であったろうから、それがふつうだという思いは強くあったのではないかと思われる。そしてその多くは朝から晩まで耕作と日常生活の細々したことにすべての時間を費やし、昨日も今日も明日も同じ繰り返しに耐えて生きている。そしてそれこそが人間の本来的かつ理想的な生き方であると考えたのであろう。つまりまだそこには「自然ノ世」の名残が残存した。
 現実世界から、聖人君子の出現以来の思想的、制度的影響下にあるものを払拭すれば、世の中のいろいろな矛盾、不条理は解消される。安藤はそう考えたものと思われる。
 結局のところ、孔子の教えは騒乱の世を輪を掛けて騒乱にすることにつながったし、釈迦の教えもまた人の心の迷いをいっそう深くしたに過ぎない。であれば、人間社会の混乱を治めるには逆行する以外に無いでは無いか、というように考えたかもしれない。
 一度嘘をついたらその先は嘘で塗り固めるほか無いように、聖人君子の教えはその後を決定づけた。安藤は聖人君子を撃つことでその歴史に歯止めを掛けようとした。その試みが失敗かどうかは、まだ首の皮一枚残して結論には至っていないように思える。だが今日に至って風前の灯火であることは疑いようがない。
 
 安藤昌益の著作から考えて、聖人君子と遇される過去の偉人たちにおいて何が足りなかったかと安藤が考えていたかというと、「ふつうに生きるということの価値」に全く気づこうとしなかったところ、あるいは配慮できなかったところだと思う。逆に言えば安藤昌益の「自然(活)真営道」は、「ふつう」を凝視するところから始めて成り立った著作だ。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる59
              2021/01/28
読了後のⅤ
 ふつうの生き方について考えてみる②
 
 人間の生涯には一つのサイクルがあり、人はそれを繰り返している。
 それはつまり、生まれ、育ち、成人となって仕事をし、結婚して子どもを産み育て、やがて老いて死ぬことである。この生涯は、食と性を根幹とする生き物の特性を反映していて、本質的に他の生き物と変わらない。
 ふつうに生きるとはまず、この基本のサイクルに沿って生きることである。
 概ね、人類誕生以来、人間はこのように生きてきて、大きく変わることはない。大枠では人はこのサイクルに沿って生きてきたのであり、これがふつうの生き方だ。であれば、これに沿って生きたならば、人間は人間として全うしていると言えるのではないか。
 人間はどのように生きればよいのか、という問いに対する、それは一つの解にもなる。
 
 安藤昌益は、この生涯のサイクルに絡めて言えば、ただ一点、仕事すなわち食料を得る方策として、人は皆「直耕」すべきことを説いた。自らが食料を生産し収穫すべきで、買ったり貰ったりすべきではないと言った。そして、それさえしていれば人間としてはそれが必要十分で、ほかにしなければならぬ何事もないと述べた。
 つまり安藤にとってはそれが価値ある生き方というもので、聖人君子や学識者たちのように人の上に立って命令したり、教えを授けたりするものは、微塵も上級なものだとは考えなかった。他者を動かそうとするものではなく、自ら動くものを愛したのである。
 
 吉本隆明は、ヘーゲルやマルクスという偉大なる思想家、哲学者を引き合いに、いちばん駄目な、価値のない生き方をした人たちだと語ったことがある。ふつうの平凡な生き方から、最も逸れて行ってしまった生き方をしたことを理由としていた。
 
 微妙な質の違いはあるが、安藤昌益と吉本隆明はよく似ていて、価値の見いだし方が一般的な見方とは逆向きである。平凡ということが実は最も偉大で、偉大と見えることがいちばん駄目なことだと考えている。つまり、非凡は価値ではないという考え方をしている。
 こういう考えは、当然のことだが広く受け入れられるはずはない。ただ、外在的な知識としては、主権在民という憲法の言葉があるように、生き方をも含めた無名の大衆の価値というものに、目線が向きつつあることも否定はできない。それが本当に心の底から思えるようになるには、まだまだ遠い道のりがあるような気がする。だが、絶望的というほどでは無い。
 
 ぼく自身は安藤や吉本の影響を受けているが、100%心から本当にそう思っているかというと、少し疑わしいところがある。こうして生活以外のところに興味を持ち、文章を綴ったりしているところがそれだ。心の底からこんなことはしない方が増しだと考えているのに、ついつい向かってしまう。
 安藤も吉本も知識者であり、知識者である自分を否定しながら知識者として立っている。知識者としての含羞が、そこにはある。ぼくにあるのは含羞ではなく、単なる戸惑いである。もともと知識量はわずかだが、わずかなそれも捨てたくて捨てたくて仕方がない。にもかかわらず、わずかなそれを引きずってこうしている。どこかに、まだ書こうとする気持ちが残っている。生活者失格、知識者失格、である。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる60
              2021/03/14
読了後のⅥ
 「直耕」考①
 
 安藤昌益が言う「直耕」は、天地自然(宇宙)の運行から人間の生存の仕方にまで直結する、生成や生産の側面を表した言葉である。これを広義の意味合いと解すれば、狭義には、人間が直接に田畑を耕作することを言う。
 後者で言えば、「直耕」するのは各人である。上下、貧富、善人悪人を問わず、すべての人間は主食である穀物生産を自分で為し、自給自足的たれと安藤は言う。この時人間は天地自然と直に対峙する。対峙して個となり、個となって天地自然となり全体となる。「互性妙道」、対立して一体である。これは個人で耕作しようが集団で耕作しようが本質的には同じである。
 ここからイメージ的には、全宇宙に自立した人間存在という姿が思い浮かぶ。そんなふうに、すべての存在は個としてありながら、その姿のままで全体に拮抗している。そういう捉え方、考え方をしたいと思う。
 安藤昌益は、しばしば「師なく、教えず、習わず、学ばず」のようなことを言っているが、これは精神的な意味合いで言うところの「直耕」と解することができる。精神もまた自らによって耕されなければならない。
 人から教わるな。人に教えるな。すでに知識として構築された諸々を学習するな。それらは精神上の模写に過ぎず、本当の自分の考え、自立した自分の思想を持ち得なくなる。
 安藤自身はもちろん、儒教や仏教に通暁し、孔子、孟子、老子、荘子など当時の著名な思想家らの著作、思想も理解していた。それは直接自分で読んだ理解で、師や先人から教えられて得た理解ではない。また、何がどう書かれてあるかについては理解したものの、それらを安藤はすべて否定した。
 安藤が「弟子を持たず」と言う時、おそらくはこのことが関わっている。つまり、思想というものは深く掘り進めば掘り進むほど、他と共有できるものではないということを安藤は知っていた。自分の考えと他人とのそれとの違いが顕著になる。それを知ったが故に、自分の思想を説くことの無意味を安藤は知っていた。安易に同調せず、「きみはきみの思想を深く深く掘り下げよ」と、安藤は言いたかったに違いない。もしも思想することに意味や価値があるとすれば、そういう営為のあとにしか見いだせない、と。考えるということ、思想するということは、大地に鍬を打ち込むようにそれぞれが行うべきことである。
 古代における世界的な思想、あるいは知の先進性というものは中国において実現された。現代では欧米の考え方がそれにとって代わっている。世界普遍性を持つ考え方といってもいい。
 昔も今も日本人はそれらの思想の世界普遍性を理解し把持するだけが精一杯で、自ら世界普遍性を保持した思想を創出することができないでいる。別な見方をすれば、外国のそれを学び、これを国内で理解できているのは俺一人だと威張ってみせるくらいのことしかやってきていない。
 空海も、聖徳太子も、あるいは明治政府も、中国やヨーロッパの思想、文化、文明を国内に持ち込んで、日本的に展開したに過ぎない。
 こうした意味から言えば、安藤昌益の「自然真営道」は世界普遍思想の創出を試みた、日本国内で初めての著作であると見られなくはない。もちろんその萌芽として、あるいは先駆けとしてである。
 けして自信があるわけではないが、とりあえず、わたしは安藤昌益をこういうところに位置づけてみたいと思う。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる61
              2021/03/21
読了後のⅦ
 「直耕」考②
 
 人類の始まりをいつにとるかは難しいようだが、現生人類から数えても約20万年ほど前になる。仮にこれを基点と考えると、それでもおよそその期間の95%以上は、人類は狩猟採集の生活を送っている。つまり安藤昌益の言う「直耕」、具体的には穀物栽培を中心とする農耕は、人類史からして極めて最近の出来事に属する。
 実は安藤の「自然ノ世」は、人類が動物生と同じ程度に自然にまみれて生活していた狩猟採集の時期を指すのではなく、今から約1万年前くらいに始まったとされる農耕社会がイメージされており、かなり文明も文化も発達した時期だと言うことができる。その意味では少しも「自然ノ世」ではないが、安藤はそこまでの社会の発達を、いわば自然な発達と捉え、総じて「自然」と考えたようだ。
 さらに人間社会に聖人君子が出現し、社会を法的に統率するようになったことを「私法ノ世」と仮に命名すれば、それ以前を「自然ノ世」と名付けることは不自然ではない。このように考えてくると、「自然ノ世」は法が支配する以前の世ということで、おおむね、安藤はそこまでを人間社会の自然状態のように考えたように思われる。
 当然のことだが、「自然ノ世」には法以前の法、思想以前の思想が存在していたはずである。そして安藤はそこまでの人類の進化・発達、人間や人間社会の進化・発達は認めていたことになる。
 ところで、安藤は生活基盤、社会基盤を、「直耕」すなわち農耕におくべきことを強く推奨しているが、これこそは国家誕生の経済的な基盤と言えるもので、「法の世」を招来するものでもあった。また同時に聖人君子の誕生を促すものでもあった。
 安藤において、そこは歴史の大転換期と目されていたに違いない。
 人間社会が穀物栽培に至るまでに発達をとげたことは理に適っている。けれども国家の誕生とともに聖人君子が出現し、法と文字による大衆支配が行われるようになったことは取り返しが付かないほどの大きな誤りである。なんとなれば、それは以後の世の大きな混乱の元凶となったからである。
 
 △然ルニ聖人出デテ、耕サズシテ只居テ、転道・人道ノ直耕ヲ盗ミテ貪リ食ヒ、私法ヲ立テ税斂ヲ責メ取リ、宮殿・楼格台、美珍味ノ食、綾羅・錦繍ノ衣、美宦女、遊楽、無益ノ慰侈、栄花言フ計リ無シ。王民・上下、五倫・四民ノ法ヲ立テ、賞罰ノ政法ヲ立テ、己レハ上ニ在リテ此ノ侈威ヲ為シ、故ニ下ト為テ之レヲ羨ム。且ツ、金銀通用、之レヲ始メ、金銀多ク有ルヲ、上貴キト為シ、少ナク、無キヲ下賎シキト為シ、凡テ善悪・二品、二別ヲ制ス。是レヨリ下タル者、上ヲ羨ムコト骨髄ニ徹シ、己レモ上ニ立チ、栄花ヲ為サント思謀ヲ慮リ、乱ヲ起シ、命限リニ合戦シ、上ヲ亡ボシ、己レ上ニ立チテ栄侈ヲ為スコト又倍ス。之レヲ羨ミテ乱ヲ起ス者又出デテ、戦ヒ勝チテ上ヲ亡ボシ、己レ上ニ立チ、奢欲ヲ為スコト又倍ス。之レヲ羨ミテ乱ヲ起ス者又出デテ、戦ヒ勝チテ上ヲ亡ボシ、己レ上ニ立チ、奢欲ヲ為スコト又倍ス。是ノ如クシテ、転真ノ転下ヲ、或イハ盗ミ、或イハ盗マレ、欲欲・盗盗・乱乱トシテ止ムコト無シ。
 
 安藤のこうした言い回しは、逆側の立場からは全く逆向きに言い換えることができるに違いない。そしてもちろんそういう記述の方が一般的である。こうした現象をわたしたちは文字に記すことはできるが、押しとどめたり逆転させたりすることはどうしてもできない。社会はわたしたちの頭上遙か上を、何のけれんみもなく、清々と流れて行っている。そしてわたしたちの現状は、いつも言ってみるだけ、考えてみるだけの状態に落ちてしまう。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる62
              2021/04/2
読了後のⅧ
 「直耕」考③
 
 テレビのニュース、ワイドショー、あるいは報道番組などに出演する学者、専門家、芸術家といった類いのいわゆる知識人、文化人たちは、いかにも高級なことを口にしているように見せるが、それが本当に高級なのかどうかは疑わしい。安藤昌益の言い方にならえば、彼らはみな「不耕貪食」の徒である。自分が生きていくための食料をすべて他人の生産活動に委ね、何一つ自分の口に入れるべきものを自分でまかなうことをしていない。威張っている政治家たち、官僚、役人も、人の衣食住を支える生産従事者が存在しなければ一夜にして消滅する。これがあたりまえに通用するのは人間社会においてだけであり、ことあれば真っ先に窮するのはそういう人々である。これは逆に言えば、食の原料を生産し供給する人々がいて、不耕貪食の輩を養っていると見ることもできる。
 一瞬ではあるが、先の敗戦において日本国内の「高級」は壊滅し、正気を失った。細々とながら正気を保てたのは、自然相手の一次産業の従事者、言い換えると「直耕」者たちだ。この一事をもってしても、何が本当に「高級」であるか考え直した方がよいと思う。
 実業に対する虚業。巷間言われている「高級」はほぼほぼ虚業に属し、それらはみな口と頭を巧みに使いこなし、高級を偽装した詐欺師の所業を行うものと言っても過言ではない。取りようによっては、そう言い切ることもできる。そして、安藤ははっきりとそう言い切った。なぜならばそういう類いの者たちで形成された「私法ノ世」において、「自然ノ世」における平等性が損なわれ、支配と被支配、搾取と被搾取が生じ、本来的な価値の転倒が行われたからである。安藤はそのことに激しく憤り、さらに価値の転倒を希求し、「直耕」が本来的な価値なのだと提唱した。
 安藤昌益が生きた時代では、大雑把に言って9割の食料生産従事者が非従事者の1割を支え、約300年後の今日では1割が9割を支えていることになっている。
「直耕」は忌避され、逆に人々は意識的、無意識的に「不耕貪食」に「乗っかって」来たのである。「私法ノ世」の社会は、資本主義社会からこれを超えて消費主義の社会へと進み、言ってしまえば「不耕貪食」の快楽が社会全体で推進されてきた。
 これにはおそらく不可避の部分があるに違いない。
 聖人君子が出現した背景には、すでに「自然ノ世」にその土壌が存在した。現在の社会は微小化した聖人君子たちでひしめき合うが、大きくは初期の聖人君子たちの模倣であり模写であろう。聖化したり俗化したり、亜種だらけになったと言ってもよい。もとをたどれば始祖である聖人君子にたどり着くが、さらに遡ると「自然ノ世」にその萌芽はある。安藤はそれ以前は捨象し、「私法ノ世」の始祖となった聖人君子や釈迦たちを果敢に攻撃した。「私法ノ世」、つまり上下・貴賤・尊卑・善悪などの二別をもたらす国家の制定に寄与したと考えたからである。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる63
              2021/04/07
読了後のⅨ
 安藤昌益の余韻①
 
 安藤昌益は、人間の頭の働きが生み出した個人幻想、対幻想、共同幻想など、幻想領域すべてに渡ってこれを否定した。別に言えば全観念、全思想、全思考の否定である。特に安藤は、後の世の人々の考えに影響をもたらした大本は中国の聖人君子の代、また仏教の始祖となる釈迦の代に提出されあるいは確立されたとみて、そこに遡り批判を加えた。つまり後世が偉い人だとして崇拝・盲信する対象について、それらこそが人間社会に弊害をもたらし混乱を招いた元凶だとして批判を展開した。
 わたしは長い間、本当の正しい考えはどういうものか、真の思考に到達するにはどう考えていったらいいのか、というようなことを自問自答してきた。これは言ってみれば、同時代の時間の枠組みの中で、こっちが正しくてあっちは間違っているという色分けをやろうとしていたのだ。言い換えれば、自分の考えていることの方が「ほんとう」に近いと言いたかったのだと思う。そういうことで認められたい願望があった。
 ところで、そのときの例えば正と誤、真と偽について、わたしは何ら疑うことなく、すでに外部に存在するそれらの概念をそのまま踏襲して使っていた。善・悪についても同様だが、しかし考えてみればこうしたわたしたちが身につけた基本的な概念は、遙か昔の偉人・聖人の代にすでに突き詰められ考え抜かれた概念で、そのまま今日まで生き生きとわたしたちに受け継がれてきたものだと言える。つまり社会規範とか、道徳規範、倫理規範とかの枠組みの土台となっている。わたしはそれを何ら疑うことなく受け入れていた。
 安藤昌益という人はこの元をたどり、聖人君子の代、また釈迦の代にたどり着いた。そしてそこに、人間社会を盗盗、乱乱の社会におとしめた大いなる誤りがあったと喝破したのである。
 わたしは安藤の記述はわたしたちの生存、わたしたちの存在を根底から覆す、あるいは揺さぶるものだと感じた。わたしたちの言動、あるいは考えることの土台となる枠組みを否定するのだから、はしごを取り外され、以後よって立つべき根拠を見失ったように思えるのだ。
 上・下、貴・賤、善・悪、優・劣、そう言うニ別なんて人間が勝手に考え思い込んでいるだけのもので、架空のものなんだよと安藤は言う。
 安藤はそういうやり方でわたしたちの観念、幻想の土台を一瞬にして取っ払ってしまった。もちろん安藤の言を真に受けるならばだが。
 
 わたしたちは物心ついた時に、善か悪かを問われ、どちらについて生きるべきかの選択を余儀なくされた。それは半ば強制的に善をとるほかない状況の内においてである。
 悪を引き剥がし、善のみに生きることを教わり、以後そのことに苦しみ続けた。つまり、日常的に善か悪かの価値判断を不眠不休でやってきたに等しい。
 これに対して安藤昌益は、善・悪で一事、すなわち、善か悪かという問い自体が成り立たないものだと述べている。善か悪かと考えることが間違いだし、善に片寄って生きようとすることもおかしなことなのだと言っている。
 わたしは幼い時に生きることに臆病で、また心は不安におびえていた。そういうものに生きる指針となるのが過去の偉人たちの言葉であり振る舞いであり、心のありようであったと思う。遙か高みに置かれた理想の姿、また目標だった。
 安藤の「自然真営道」がそうしたことの一切の否定の書であった時、つまりこれを読んだ時に、わたしは「あっ」と思った。自分の考えというものがどれほど先人によって規定されているものであるか、またそこから何ほども逸脱し切れていないものであるか。
 それは釈迦の手の上の孫悟空の説話のように、どこまで行っても過去の偉人、聖人たちの考えの範疇の中で思い悩み、思考しているに過ぎないものだと思った。
 安藤はそれらから全く自由であり、独立し、逆に誤った考えだと既存の思想、知識を否定した。わたしたちが超人かのように遇した偉人、聖人を、まるで隣人の頭のおかしな連中だぐらいに茶化して見せたのである。安藤は確かに孔子も釈迦も、自分と同等か自分よりも考えが浅い者たちのように見下している。つまり、完全に偶像崇拝することから解放されている。日本には珍しい、画期的な考え方ができ得た人だと思う。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる64
              2021/04/15
読了後のⅩ
 安藤昌益の余韻②
 
 安藤昌益は門弟格の者たちとの問答を記述した中で、親や子に対して殊更孝行めいたことをするとか可愛がるとか、しない方がいいんだと言っていた。
 一般的には、親孝行しなさいとか、子どもに愛情を注ぎなさいとかの教えが流通しているから、わたしにはちょっと引っかかる言葉だった。親孝行という孝行はできなかったなとか、もっと子どもに愛情を注ぐべきだったなとかの心残りがわたしにあったからだ。
 安藤は、一言で言えば、親に対する気持ち、子に対する気持ちというものはすでにそれぞれの身に備わっているもので、殊更それを強調して相手に伝えようとしなくてもよいのだとしている。
 こういうことはとても些細なものであって、しかも繊細だから、わたしには安藤のようにきっぱりと言い切ってみせることが難しい。逆な言い方をすれば、安藤には揺るぎない考えというものがあって、わたしには羨ましく、またそのことはたいしたものだなあと感心させられる。わたしもそんなふうに言ってみたい。しかし、言えば、言った先から心に揺らぎが生じるに違いないのだ。
 安藤の言葉からは自然体がいいとか、ふつうがいいとかのニュアンスが感じられるが、そこには人間存在自体への信頼の響きも感じられる気がする。言ってみれば、存在そのものが倫理を喚起するように人間は存在する、と安藤は見做していたのではないかと思う。
 であれば、はじめから父や子への自ずからの思いというものも身に備わっているはずだから、あえて外部の知識、他人の言葉、浅はかな考えでもって上塗りする必要はない。そんなふうに安藤は考えたものかと思われる。
 それらは存在倫理に対し、外的倫理を構成するそれぞれの要素であり、わたしたちはこれを内部化するように半ば強いられる。外的倫理が存在倫理に取って代わる。それがもう当然のようになっている。そうなるともう安藤のような考え方は通用する余地がないのではないかと思われる。そしてまた実際に圏外におかれて見向きもされない。
 しかしながら、人間世界においてどうして倫理的事柄が取り上げられ、それが個人、家族、社会倫理として頭で考えられるようになるかと言えば、大本のところに存在が喚起する倫理があり、それが意識化されるからだと思う。意識に上ったものは言語化される。この過程で元々の存在倫理と言うべきものは極度に人間化される。これは言ってみれば魚を刺身にするようなもので、人間にとって都合がよいように手を加えているのだ。
 存在倫理をベースとして頭でこしらえられた倫理。
 安藤は、概念化され、思考化された倫理のそのまた奥に存在倫理と言うべきものがあり、そこに錘を垂らすべきだと強調している。もっと言えば、無意識に任せよと言っているのだと思う。そういうところに、下手に意識の手を加えるな、と。
 
 親孝行や子どもへの愛情の注ぎ方に安藤が言及したのは、現実社会においてこうした事柄に関係する諸問題が顕在化していたからに違いない。そしてたぶんそれは多くの場合、倫理の問題として取り沙汰された。そのように、巷間、取り沙汰されながら、いっこうその問題は解決も収束も為されることがなかった。こんにちの社会的問題と同様であったろう。安藤はこれに対しての自分の見解をここに示した。もちろん、これが解決も収束ももたらすものでないことは安藤自身が承知していたはずだ。ただ心構えとして、安藤が述べたようなことを勘定に入れるか入れないかは、その問題の当事者になった時に大きく変わるものだと言える。そしてそれはただそれだけであり、意味的に言えば何の意味もない。だが精神の深さという価値がそこに生ずるのではないか。
 安藤の考え方には深さがある。さして問題とされる事柄についてではないが、こういうところの安藤の言及にもまた、見過ごせない一つの見所があるようにわたしは思う。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる65
              2021/04/30
読了後のⅰ
 安藤昌益の余韻③
 
 安藤昌益における「直耕」、すなわち穀物栽培における耕作行為は、人類の食生活史上最高度の到達点だという考えが安藤にはあったように思える。これによって食糧の安定供給が可能になった。他の生き物の食事情を考えれば、これがいかに画期的かが理解できる。
 生き物の特性は「食と性」にあるとされるが、「食」に関して、これ以上ないという形で供給が確保されることになったのである。
つまり個体維持の側面で、人類にとって一つの解決が見られたということでもある。他の哺乳類などを見ると「食」の問題は未だに切実な課題で、食うや食わずの日々で明け暮れているように思える。
 人間は耕作して穀物を生産し続けたなら、とりあえず生き物における「食」の問題はクリアしたことになる。これは生き物としての人間の最大の課題を解決したことになるから、ある意味では人間は田畑の耕作、すなわち「直耕」以外に苦労して為すべきことは何もないと安藤は考えた。
 もっと極端に言えば、「直耕」から離れていくにつれて人間は駄目になっていくと考えた。人間の価値ある生き方を「直耕」に留めおこうとしたのである。
 安藤昌益の生きた江戸時代、田畑を耕作し穀物を生産する農民の数は9割を超える。こうなると農業に携わっていることはごくふつうのこととなり、このふつうが価値あることだということにもなる。
 世間一般の常識に反し、安藤が最も駄目な者たちだと批判して見せたのは、後世に偉人、聖人と遇される人たちについてであり、釈迦も含め、錚々たる人格者、学識者、為政者たちが安藤によって否定された。さらに学問、芸能、芸術に携わる者たちも根こそぎ否定された。それらはみな真に価値ある生き方というものを理解せず、人々を誤った方向に導き、誘い、世の中に盗みや騒乱を招いた元凶になったと指摘した。
 彼らはみな自身によっては耕作して食料を得ることをせず、税や教授料の形で他者の生産物を横取りし、逆に生産者以上に生産物を手にすることとなった。そういう仕組みの元でぬくぬくと「不耕貪食」、それを恥じることもない。生き物として人間として、真に高級な生き方をしていると言えるのはどちらであるか。もちろん安藤は人々をだまさない、人の上に立たない、そういう「直耕」の人たちを価値ある生き方、高級な生き方をしていると考えたのである。
 最終的に安藤は、万人に平等に耕作地を与え、食は自給自足でまかなう社会の仕組みを考案した。これはわたしには大変魅力的な考え方に思われるが、第一次産業従事者がすでに1割にも満たないこんにちの社会においては、実現不可能と見做されるに違いない。だが、一つの理想社会をイメージする時、こういう考え方、耕作地を再分配するという考え方は、いつまでも光芒を失わずに人々の脳裏に存在し続けると思われる。
 ここで少しだけ補足しておきたいが、「直耕」こそが人間生活の原点のように安藤は言うが、これは万人が農民たれと言っているのではない。逆に農民たちに向かっては、富を得ようとして耕作地を広げてはならないと戒めているくらいだ。基本は、家族の食い扶持をまかなう程度の耕作地を所有するだけでよいとされ、武士であろうが商人、職人であろうがみな同様に耕作に携わるべきとされている。つまりそこだけは平等に設定しておこうというのが安藤の眼目である。
 「直耕」は、狭い意味では直接的に田畑を耕作することを指すが、少し広げて言えば生活を再生産する基盤でもある。「直耕」して、あとは生活の細々したところまで、自分の頭と心と体を使い、没頭するように関わり合っていく。安藤は価値ある生き方というものをそういうところに見いだしている。
 当時の社会も現在社会も、遠くは聖人君子や釈迦といった人々の思想や考え方の流れのそのまた影響下にあるから、安藤とは違って価値あるものは生活の外に、またかけ離れたところにあると考えている。安藤の考えはそれらとは真っ向から対立し、言ってみれば生活の内側に向かって思想していくというようなものだ。「直耕」を軸として生活を営むそれ自体が学問、思想、芸術などに携わるよりも、はるかに優れて大事なことであり、同時にまた正しい生き方であると述べている。
 安藤の主張するところを読み込んでいくと、思想すること、学問することがすでに過ちであるという考えがうかがわれる。そんなことよりも「直耕」一筋、生活の細々したことに意を用いてふつうの暮らしをすることが何よりなのだと。考えるな、自分の考えを過信するな。そのようにも聞こえる。
 しかしながら安藤の「自然真営道」は、自身のそうした考えを裏切り、否定すべき文字を用い、否定されるべき思想、哲学の記述をあえて行っている。もちろん安藤はそれに自覚的であり、学問、思想などの書物の誤りを糺して知らしめるのには、同じく学問、思想でもって糺すことが効果的としている。そしてそういう意図でもって「自然真営道」は書かれた。つまり、本当はいやなのだが、止むに止まれずにこれを為すのだと安藤は言っている。功成り名を遂げる為の学問、思想ではけしてなく、本来やるべき価値のないことを自分はするのだ、と。
 ここで、読む側にとってはある戸惑いを感じないではいられない。一切の思想的営為を否定する書そのものは、それ自体が否定すべき思想的営為からなっている。言ってみれば読まれることを拒否した書だと言える。しかし著述されている以上は、これを手にしたものは読むということになるのは当然である。
読者は読んでどうするかが問われる。著者である安藤の考えに従うなら、記述された思想世界から決別すべきである。一切の思想、知識、学問の世界に背を向けて、「直耕」そして生活世界に埋没していくことが要求されているからだ。が、それはまた、別の意味で思想的言説に影響されたということになる。
 既存の思想、学問を全否定する安藤がどうして自らのそれを著述したか。書き著したりせず、沈黙の内にただ「直耕」すればよかっただけではないのか。
 戦後最大の思想家と謳われた吉本隆明は、
安藤昌益はあれも駄目これも駄目とすべての思想を否定しているように見えるが、「正誤」や「真偽」ではないある観点から、価値ある考え方、価値ある思想という捉え方もできていたのではないかと述べている。そしてそれは吉本流にいえば、精神の深さ、浅さという観点のようなものに近いとしている。つまり、安藤はすべて「正誤」でいえば「誤」、「真偽」でいえば「偽」と全否定しているが、価値軸として精神の「深さ」「浅さ」で見る見方が、安藤にもあったのではないかとしている。それから言えば、仮に本来的に「誤」や「偽」に過ぎないとしても、この思想は精神の深いところで為された思想だというような水際のところで、かろうじて思想の成立、存在意義を保とうとしているかに思える。これは、街灯の下に散乱する無数の死に体の思想群から安藤や吉本自身の思想を峻別し、また救脱する視点のように窺われる。
 深いところで為された思想、芸術、学問などだけがかろうじて成立しうる。そして深浅の目安の一つとして、「直耕」すなわち根本的かつふつうの生活を最大価値に持ち、それがいかに内在化されているかが問われることになる。
 が、これで納得しうるかと言えば、わたしはまだ疑心暗鬼の途中にある。依然としてよくわからないし、この先の展望も見えない。そしてここでの考察はとりあえずここまでとする。
 
 
【自然真営道 安藤昌益】を読んでみる66
              2021/05/20
読了後のⅱ
 安藤昌益の余韻④
 
 最後の安藤昌益というか、彼の大著「自然真営道」に記述された最終最後の問題は何かと考える。つまり最終に残る印象それに内在する問題は何かだが、わたしには人間社会の平等の問題と、人間及び人間社会の共同体規模に対する言及だと言う気がしている。もちろんこれはわたしの主観であり、安藤の記述には平等や共同体規模に関する直接的な言及はない。ただ全体を通してわたしにはそれらしく感じられたということだ。
 平等に関しての記述で記憶に残る箇所は、人の顔を観察すれば誰もが同じように目や鼻や耳や口を持ち、しかもそこに何ら上下、貴賤の別はないと述べたあたりだ。そういうところから、本来は人というものはみな同じで、平等な存在であると教えている。
 そして、それなのになぜ人社会には上下、貴賤の別が生じたかを問い、遡って古代の聖人君子たちの思想、それを元に制定された規範、規則、賞罰の法、あるいは制度の問題などのすべてを、人為による恣意から作られたものに過ぎないと批判し、またそれが格差や不公平や差別の元凶だとしている。
 安藤はそこに一線を引き、その手前までの社会を「自然ノ世」と呼び、以後を「私法ノ世」と呼んで区別した。
 安藤は人間及び人間社会を上下、貴賤、貧富、尊卑のように二別する「私法ノ世」を、人為による不自然な在り方の社会だとしてこれを否定し、上下、貴賤などなかった頃の「自然ノ世」に戻すべきだと考えた。
 為政者、統轄者に、もしもこのことをよく考えて理解し、正しく把握できる「正人」がおれば、「自然ノ世」に戻ることは簡単であると安藤は言う。しかし、そもそもが「正人」でないからこそ為政者、統轄者になるのであって、これは期待できないことだと安藤は考えた。そして苦肉の策として、「私法ノ世」にありながら「自然ノ世」であるかのごとき社会の有り様というものにたどり着いた。
 端的に言えば、安藤は法をもって法支配の要所を無効化しようと考えた。「自然真営道」には、どういう制度を無くすべきでどういう制度を設けるべきかなどが、いろいろな箇所で具体的に述べられている。それらは総合してみれば、差別のない平等な社会を希求するものといってよい。
 「自然ノ世」と「私法ノ世」の違いは、ひとつにはその社会が社会規範としての法を確定する以前か以後かで区分される。前者は、共同体の規模が氏族を上限として広がった社会で、人為的な法がまだ完備されておらず、逐一成員の合議や長老会議、あるいは巫女を通しての占いなどのようなものが法の役割を果たしていたと想像される。これに対して後者は、共同体が部族にまで拡大し、政治的な権力、または宗教的な権威を掌握した組織を有し、組織の意志を持って全成員に課す規範として、人為的に法が制定されるに至ったと考えられる。
 さらに別の見方をすれば、国家以前と以後の問題だと考えることができる。国家の成立は部族社会に初源を見ることができ、血縁関係を払拭した、規模が大きくなった共同体の形成と軌を一にする。つまりそこに飛躍がある。安藤はそこを詳細には論じていないが、確実にそこを見つめていたと思う。
 いずれにしてもある歴史的段階まで地域ごとに散在した中小の規模の共同体が、融和によってか戦いによってか結びつき、全く血縁、地縁のないもの同士までがくっついて大規模化していった。こうなると、命令、禁止、制裁といった強固で強度の社会規範が必要とされ、安藤の言う「私法ノ世」の私法が確立していくことになる。支配層と被支配層との格差、出身の違いによる差別と被差別、そのほかさまざまな不公平が生じる根源は、その肥大化した共同体に求められる。少なくとも安藤の考えは、そういうところまでの触手を伸ばしていたと思う。
 賞罰、刑罰の法をすべて取り払い、犯罪者に刑罰を科す権限は家族や親族に限定して持たすべきだとしたのは、おそらく人を支配する上限をそこに定め、それ以外で人を支配してはならないことを安藤は言っていると思う。
 言ってみれば家族(親族)共同体の法を絶対的な権限として、社会共同体の法をその余の便宜的なものに留めるという一種画期的な考えも安藤は示している。
 さらに安藤は税法や金銭流通の撤廃にも言及していて、これは共同体社会の存立基盤にも関わるところだから大変な問題提起だと言える。もちろんこれらは社会的な格差、不公平、差別の問題とも密接につながっていて、安藤がこれらを主張することは当然のことである。躊躇なく、安藤は廃止すべきものは廃止せよと語る。「自然真営道」は、そうした率直な物言いをしている。再び平等な社会を取り戻すためには、これだけのことが改められなければならないのだ、というように。
 さて、ここまで拙い文で言いたかったことをさらにまとめる形で言うならば、わたしは安藤の「自然真営道」に、平等な社会の実現とそれに関連する前提としての国家(最強度の観念の共同性)の解体の問題があると思っている。それらを希求する記述なのだ、というように。安藤の言葉に倣えば、上下二別のない社会、為政者層からのあらゆる権限、権力の剥奪、そういう問題なのだと思う。
 
 ところで、わたしはここで安藤の思想に共鳴し、これを持ち上げてもって自分の名も知らしめたいというのではない。
 わたしが今、「自然真営道」を胸の中に振り返りながら思っていることは、これをランダムに箇条書きにしてみれば次のようなことだ。あまり意図なく記述してみる。
 
1 安藤の「自然真営道」に見られる、「平等な社会」への執着はなぜか。
2 「平等な社会」の待望は、いつの世にも  社会の基底にあり続けてきたよ  うに思われるが、それは現在社会にも引き継がれているのだろうか。
3 東日本大震災、そして原発事故と未曾有の体験を経た時、以前も以後も、事  態を正確に把握し対処し得た知性や理性というものを感じられなかった。つ  まり、その時、知や理は、黙するか、ハチャメチャなドタバタ劇を演じたに  過ぎなかった。つまりすべてが信ずるに価しないように見えた。政治も学問  も言論も、だ。だとすると、「何だ、全く太刀打ちできないんじゃ、すべて  の分野・領域が、以前も駄目だったし、以後も駄目だってことじゃん。震災  と原発事故で瓦解しちゃったってことだ」、と、そんなふうに考えられた。  すっかり焼け野原になって、以後、ずっと欲望の闇市が続いて理念もくそも  ない。
4 こんにちの政治、学問、言論の立場において、形骸ではない、すなわち死に  体ではない理念、概念は存在しうるのか。あるとすればそれは何か。
5 吉本隆明の最晩年、「第二の敗戦期」という言葉を残したが、たぶんそれと  前後して、「平等だけは手放せない」というような趣旨の言葉を発言してい  る。少なくともわたしの記憶にはそれがある。そしてそれは、死に体にした  くないということなのか、それだけは死に体にはならないということなのか、  今も考えあぐねている。
6 すべての理念の終焉、すべての概念の終焉。にもかかわらず、人間の世界は、  この現実社会は、何事もないかのように継続していく。ならば、理念などな  くて結構、という話になるではないか。そして確かに現実はそのように活気  づいていると見えなくはない。
7 フランスの建国理念としての、自由・平等・友愛のうち、今日的な先進社会  においては擬似的にせよ、自由と友愛の実現、半分の可視化は為されている  気がする。あるいは平等も含まれるかもしれない。がしかし、平等の場合は  他の二つと異なり、もっと直接的、具体的に表すことのできるもので、その  意味では達成されてはいない。つまり、今日的な課題であり続けていると言  える。
8 要するにこんにちの日本社会において、すべての理念、概念が終演したと考  えても、なお「平等」の理念だけは、首の皮一枚を残して今日的にも切実な  課題として捉えうるのかもしれない。21世紀に生き延びる切実な課題。そ  う考えれば、安藤昌益は普遍的な課題に立ち向かった、自身、普遍性を持っ  た先駆者だったと言えるかもしれない。
9 既存、既製の政治、学問、言論など、どれ一つとして当てにできるものはな  いように思える。本音を言えばまたそれが実際であり、それは震災、原発事  故後に実証された。ならば他を当てにせず自分でコツコツやってみるほかな  いが、この自分という奴がさらに当てにできそうもない。どうすりゃいい。  知らん顔するか。
10  安藤昌益の思想は趣味の思想、アマチュアの思想である。著述したものは売  買の対象になっていない。その上で、これほどの水準をもって記述を成し遂  げたことは一驚に価する。あらためて、いったいどんな人だったろうかと想  像せざるを得ない。もちろん想像を絶していて、わたしには思いもつかない  のであるが。
 
 ざっとこんな具合である。こんなことが胸に去来し、挙げ句の果てに疲れて終わる。
 現在社会を牽引しているのは情報ネットワークのめまぐるしい高速度化である。この速さはもはや主体を持ち合わせず、無人のまま自動的に加速化を進めている。
 こういった社会を正確に読み込むこと、考えること、進む方向の軌道を未来に向かって繋ぐこと、そういうことが個人の力量では到底できなくなりつつある。そんなふうに思える。加速する時代の速度に振り落とされそうだ。加速した表層を見れば、確かにそういうことになる。しかし、底の方の流れは表層ほどではない。本質はそういう底の方にある。少なくともわたしにはそう見える。底に沈み、底の流れを穿ち、水路を変える。本質へ。真へ。そういうところにしか希望はない。
 安藤昌益は自立の思想者の一人として、時代に逆らって立ち向かった。やむを得ず、だと思う。自分の「ほんとう」のことに向かって、ストイックに順じた。安藤の残した記述の世界に満ちた響きは、無名の生活者の沈黙の響きによく似ている。