『老いの渇望』
 
3 老いの渇望 その一
              2021/06/13
 
 ここ数年身体的な衰えが顕著に表れてきた。一番最初は頭髪が薄くなった。特に頭のてっぺんがはげてきて、家族は辛辣だから「すっかりはげたね」と躊躇なく言う。
 それからは耳、目、鼻と、容赦ない衰えは全域にわたって浸食してきた。耳は聞こえにくく、目は左側が白内障気味、鼻もまた左の慢性鼻炎がひどく、常に詰まった状態になった。
 これに加えて、昨年の11月に自宅の階段の下の一段を踏み外して、そのまま玄関のタタキに腰を打ち付けて痛いのなんの。救急車に運ばれて病院に行き、以後約一ヶ月は家で寝たきり生活。今も足腰が万全の状態とはならず、気になり、また気を使う毎日となっている。
 対処療法で市販薬に頼り、なんとかごまかしごまかししながら毎日を送っている。気持ち的にはこれで踏みとどまりたく思うのだが、各所とも改善するわけもなく、このことは少しずつ精神をも浸食し始める。
 気がつけば、心から気力がすっかり抜け落ちている。心を占めるのは、こうした身体器官の衰えのことであり、これに対する不安、焦燥などだ。
 ところで、こういう事態はひどくぬるま湯的であるということは理解できている。
 たとえば、飢餓状態であるとか、恋人に会いたいが会えない状況にあるとかであれば、心的にはそのほうが強い刺激となり、取って代わって心を占めるに違いない。
 令和3年になって5ヶ月ちょっと。この間、文学、教育、思想的なことで差し迫って感じられることは何もなかった。もともと趣味以上のものではなかったし、食と性ほどの切実さもなく、はっきり言えば二の次、三の次ということになる。
 異性への関心から社会への関心までの一切が、半透明になり、消えかかっているという気がする。これは欲動からの解放であり、脳機能の衰退を意味するものであろうか。いずれにしても心に焔は消えかかり、薪を調達する気力も削がれた。そして時々のあがきだけが喉元に迫り来る。老いてなお、何事か渇望しているようなのであるが、何事かと記すようにこの正体がよくわからない。