『「芸術言語論」への覚書』を読む
 
 昨年、二〇〇八年の暮れに発行された吉本隆明の『「芸術言語論」への覚書』は、一言で言うと近年の主張の繰り返しと言っていい。しかし私にはその文章の端々に新しい発見、つまりテーマとしては同じであっても、その言い回しに微妙なニュアンスの違いが含まれていて、かなりの刺激を受けながら読み進むことができた。それを少し自他に明らかなものにしてみたい気がしている。うまく行くかどうかは分からない。
 
 「神話伝承と古謡」
 
 冒頭に、「日本の神話的伝承と古謡との結びつき方は、いちばんわたしなどの関心をひくところだと言っていい」とあるように、吉本は古典を題材としたこの種の文章をこれまでにも少なからず書いてきている。古典に材を取った代表作には、例えば『共同幻想論』や純粋に文学的と言える『初期歌謡論』その他の歌人論のようなものがあるが、古典の素養が全くない私には、どちらかというと退屈を感じさせる類の文章である。
 この小論に登場する古典は、主に、『万葉集』であり、『古事記』、『日本書紀』である。これも私は一、二度ふれた程度だ。
 言うまでもなく、『古事記』や『日本書紀』は、当時の初期日本国の統治者が自らの正統性を誇示し、支配体制を安定的なものに保持すべく考えて編集されたものに違いない。その中には古代の詩歌と呼べる形式の歌も多用され、登場人物たちが歌ったというように記されている。吉本はこの小論で、記述された神話的な伝承が事実かどうかは別として、神話的伝承と古謡の合体が「日本神話の最大のモチーフ」と見て、『記・紀』の記述もまたその典型と考えている。
 
 八世紀か九世紀ごろ、『万葉集』の選出の時代になると、日本の詩歌は七・五調の長歌とその反歌として使われた五七五七七の和歌とに形式的には収斂してゆくようになった。もちろん例外の破調もある。これは社会秩序と詩歌の形式が共に安定してきたことを意味している。そしてそれ以前に歌われた、神話や伝承の物語と結びついた破調で形式の定まらない民謡や各地の土俗の歌謡を区別すると、古謡と呼びうる詩歌を抜き出すことができる。もちろん、なかには後に定型になった詩歌に移りそうな作品も、すでに定型が確立したものもあるが、音数律として破調のものということを古謡の形式とみなすのが分かりやすい。
 これは神話的な伝承の宮廷付の語り手や放浪の語り手たちが物語を飾ったり、興味を持たせたりするために、もともと流布されていた古謡を
捉びとって伝承の物語と結びつけたからだと推察することができよう。
 
 
 ある古典歌を古謡と呼ぶ根拠は一つしかない。最初の歌謡集を八、九世紀頃に成立した『万葉集』とみなすと、ここでは七・五音数律を基本にする長歌と、その反歌としての倭歌とは形式としての定型をほぼ確定している。もちろん例外もあるし、音数律の小さな違いもある。また関東の後進地域の方言を含めた異風の歌もあると感じさせる。それにもかかわらず統一された編集意志が感じられるものになっている。この編集意志の統一性は、支配制度が文化的に確立された徴候としてかんがえることができるようにおもえる。
『古事記』や『日本書紀』のような神話的伝承と、それにつづく歴史を記述した書物にも歌謡が長短とも、記述の芸術性や物語性を協調したり劇化したりするために使われている。ここに使われた歌謡は、例外はあろうとしても、概して音数律形式も統一性が少なく、内容も任意に選ばれて物語性や芸術性を強化するために引用されている。この統一性は少なく、だが俗謡らしさも含めて多彩な引用歌謡は編集意図と無関係な多様なものになっている。いくさ歌もあり、囃し俗謡もあり、また神話的伝承にぴったり適合する歌謡を択んだりした作意が露骨なものも含まれている。とうてい『記・紀』の編者の創作とはおもえない。自然な言い方をすれば、風俗のなかで流布されていた古謡とみるのが妥当だとみなされよう。
 
 引用した記述は前段が冒頭部におかれ、後段は結びの部分に書かれている。つまり互いに呼応している部分で、一小論の主旨はここに尽きていると思う。そして、引用していない部分であるところの中段は、後段の結論を導き出すための考察ということになる。本論となるその考察も、古典論の醍醐味といえようが、古典の素養のない私はその是非をあげつらう立場にはない。知的に刺激を受ける叙述があちこちに散見するが、私的には結論部分の叙述を抑えておけばいいと思っている。
『記・紀』に登場する歌は、登場人物たちが実際に歌った歌でもなければ、編集者の創作でもないということである。そしてそれは形式の定まった長歌や反歌でもなく、それ以前に歌われ、民謡や各地の土俗の歌以外に風俗のなかで流布されていた古謡であると吉本は言っている。さしあたってここではそれだけを理解しておけばよいと思う。
 
 
 「歌集『おほうなはら』について」
 
 このタイトルの原稿は、(一)から(三)まであって、ここでは一つの文章と捉えて寸評を試みる。
 歌集『おおうなはら』の作者は昭和天皇で、吉本は米沢高等工業学校時代に知った山形県民歌の歌詞が、昭和天皇の作成したものであったことを接点としてあげている。当時作者が誰かは知らず、しかし、いい歌詞だなと感じていたそうだ。
 偶然だが吉本のこの文章を読んですぐに、ある雑誌で昭和天皇の特集がされていて、歌人でもあり指南役(?編択者?)にも召されたことがあったという岡野弘彦とかいう人の、昭和天皇の歌に関する文章が掲載されているのを見た。そこでは、一言で言って全体的に共感的な賛辞の言葉がちりばめられていて、私には「ああ、そうですか」と感想を持つより仕方のないものだった。
 これに比べると吉本の文章は、自力で構築した文学理念を基準として持ち、その基準に沿ってすっきりとよいところはよいとし、ダメなところはダメと断ち切って評していると思われる。
 直接歌を評したものではないが、強く感心を喚起された箇所を次に引用してみる。
 
 戦争期、「生き神さま」的な理念と感覚と情操は「天皇は神聖にして侵すべからず」という「明治憲法」によって理念化され、陸海の軍事力を指揮できる「法律」によって保護されていた。戦後、ロシア王朝を解体したロシア革命のレーニンによる政治理念は、「唯物論の科学性を根本とし、さまざまな段階にある観念論と敵対する」「国家が存在する限り、プロレタリアが解放されることはない」「唯物論は科学諸学の進展とともに進展し、人類の文化諸科学とも呼応する」とされた。
 
 (中略)
 
 ここまできて、政治支配を軸とした普遍的な制約がおぼろげに見えてきた。統治・支配・民衆指導は、どんな固有名を使用しても、強力であればあるほど、政治権力とそれに従順な文化(科学・芸術・文学等)傾向を択び出す作用を最重要な課題に向わせる傾向をもっているということだ。もちろん同時に少数のその対立概念を産みだす。
 さしあたり、ここではそれ以上深入りしなくてよい。文化の諸領域を政治的な支配・統治・社会指導の諸力の外におくこと。文化に対してこれらの支配・統治・指導力を及ぼそうとする試みは、圏外でのみ自由だとしても、圏内に足も踏みいれることはできないこと。さしあたりそれで充分としておく。
『おほうなはら』の大部分を占める擬感性や擬情操は帝王学の∧君主は民を統治し、そのためには民をいつくしみ、その不幸や病気や不運をもたらすことのないよう祈念し、いたわらねばならない∨という理念を根幹としている。ロシア・マルクス主義の支配理念は∧文化諸力は政治的価値と文化的価値の二つをモチーフとして完成されねばならぬ∨という理念を根幹としている。これを文化諸力の外側にしか流通せず、内部へ干渉できないとすることになる。これでスターリン治下にそこをついた疑似理念は圏外におかれることになる。
 論議はいくらでも緻密に細部にわたるだろうが、さしあたり単純な原則が、何ら、制約も禁止もなく述べられれば充分だと思う。
(「歌集『おおうなはら』について」の「その一」より)
 
 要するに吉本がここで何を言おうとしているかは明白で、文学は文学として、支配・統治・指導力の外に、独立して立たなければならないものだとしている。それが天皇制であろうと社会主義であろうと例外はない。そういう文学理論が構築されなければならないのだし、その理論の中では支配・統治・指導力といった力は文学の内部からは圏外のものとされるということだ。その文学理論とはもちろん、この本の標題ともなっている『芸術言語論』に他ならないと思うが、しかしそれは未だ完成されたものとはなっていない。
 だが、何を基軸にそれが構想されているかは言ってみることができる。全体像というには及ばないが、少なくともその一部あるいは片鱗をこの小論の(その二)に私は見ることができるように思う。
 
 作者の自己と自己の願望のイメージの間の豊かさが文学や芸術の表現の価値をきめる最大の要素だとすれば、日常的に慣れきった主題を択ぶことはさまざまな労苦を特別にはらうこともたしかなことだ。その意味では、芸術の本性は利潤を目的に択べない無償のもので、そのかわりにどんな主題もモチーフも自由に択んでよいことになる。それは芸術的価値の表現以外の負担をできるかぎり平安にするためだといえる。
 
「作者の自己と自己の願望のイメージの間の豊かさ」を、吉本は別のところで、「自分と、自分が理想とするところの自分との間の問答の繰り返し」と言っていたことがある。もちろん同じ事を言っている。その意味するところを私なりに考えれば、こう生きたいとか、そうしたいとかということがあって、しかし現実的にはそうできない自分がいて、内面的にその間を行ったり来たりしているということ。つまりそのようにその人が内面的なこだわりがあって、行きつ戻りつの繰り返しの果てに、理性的あるいは情操的な豊かさを獲得していくということ。そのことに関して、繰り返しの問答がもたらす豊かさというようなもの、それが文学や芸術的表現の価値の最大の要素だと言っているものと思う。
 平たくいえば、表現の中に、内面に行きつ戻りつして獲得した豊かさの影のようなものがにじみ出ていれば、それが芸術的価値として認められるということなのだと思う。芸術的価値の根源はそこにしかないと言っている。 ひるがえって、六百余首にわたる歌集『おほうなはら』を評して、
 
統治意識が、政治(運動)家の指導意識やロシア・マルクス主義の前衛組織とおなじで、芸術性を幕の外に隔ててしまっている。私は人間性を発現できる自由のないところで芸術、文芸は成立ちえないからだとおもう。統治意識も政治的前衛の指導意識も、それを閉じてしまえば人間力としての平等な自由は行き場所を失ってしまう。そこでは芸術性は成立つはずがない。
 
と書いている。
 しかし、吉本は統治意識や前衛的な指導意識を持っていることがダメなのだと言っているわけではない。「それを閉じてしまえば」とあるように、統治意識や指導意識を対象化することなく、その意識に立って作品を生み出しても芸術的な高い価値は望めないと言っているのだ。もう少し言えば、統治意識にせよ指導意識にせよ、そのものの発現としての表現は芸術的には無意味で、内面的な自己劇化の中で無償性を獲得しなければ優れた芸術にはなり得ないと言っている。私はそういうように読み取った。
 このことを実証的に示すために、吉本は後鳥羽院の作品と昭和天皇の作とを比較してみ
せている。
 
 たとえば後鳥羽院の遠島時の作品と記憶するが、
 
  我こそは新島守よ隠岐の海の荒 き波風心して吹け
 
 これは詩(芸術)になっている。それはこの帝王が抜群の詩的技量の深さであり、統治環境を失ったところで統治の意識を自己劇化しているからだ。その意味では『おほうなはら』は摂政時から教えられ、身に備えられた統治意識に大勢を制せられているといっていい。
 
   昭和十九年
  つはものは舟にとりでにをろが まむ大海の原に日はのぼるなり
 
   昭和二十年代
  風さむき霜夜の月に世をいのる ひろまへきよく梅かをるなり
  戦のわざはいうけし国民をおも ふこころにいでたちてきぬ
  海の外の陸に小島にのこる民の うへ安かれとただいのるなり
  爆撃にたふれゆく民の上をおも ひいくさとめけり身はいかならむ とも
 
 私のような歌を知らないものにも、後鳥羽院と昭和天皇との作の、声調の違いというか、響きの違いというものはすぐに感じられる。後鳥羽院の作には、「個」が露出してくるように感じると言ってもいい。
 吉本は「統治環境を失ったところで統治の意識を自己劇化している」と後鳥羽院の作を評価し、「これは詩(芸術)になっている」と書いている。これに比較して昭和天皇の作は、「身に備えられた統治意識に大勢を制せられてい」て、とても一級歌人の歌とはいえないと評している。片方は統治意識を持ちながら芸術性を保ち、一方は統治意識に大勢を制せられていることによって芸術性が薄められてしまっている。この微妙な差異を論ずる言葉を私は持っていないのだが、感覚的にはとてもよく理解できる気がした。      このすぐ後で吉本は、昭和天皇の作についての一つの感慨を述べている。なるほどそれらの歌は、戦争の現実に対しての統治意識からの率直な思いが込められてはいる。しかし、「あの大戦争を発祥し、また終息に導いた統治帝王として、この歌から伝わってくる芸術(歌)の響きの程度で済んだだろうか」と、吉本は言っているのだ。
 私は比較された後鳥羽院の歌を思うと、吉本のこの指摘は納得できるように思える。そしてその指摘の鋭さと、こういう事は吉本以外の誰にも言えないことだなと二重に感服してしまう。要するに後鳥羽院の作にははらわたから絞り出すような響きが感じられるのに、昭和天皇の歌にはそれが感じられないのだ。
 
 これでは統治君主として擬似的な感応だけで過ぎたとしかおもえない。そして作者よりも編集担当者の取捨選択に左右されていて、編択者の戦争観と敗戦感によって、作品を戦争責任から外がわにおこうとしたのではないかという疑念が萌す。そうでなければ、作者はまるで生まれながら人間(性)を憎んだり愛したりする感情をもてない場所に隔てられていたのかとも思える。それは生き神(現人神)ではありえても人間性を身につけた人間個人としては不充分であったともうけとれる。
 
 私にはこの文章にある吉本の「疑念」は、的を射たものだという気がする。
 この後に、昭和天皇の後年の作について、特に母を偲んで作られた歌を吉本はいくつか挙げているが、心情的な身の丈にあったいい歌だと、無言のうちに伝えているように私には思われる。そこには昭和天皇に対する吉本の複雑な思いが込められているように、私には思われた。
 同じ題名の(三)において、吉本は(一)や(二)と同じようなことを、バージョンの違いを思わせるような、つまり多少のバリエーションを付した表現をしている。これはと思う部分を引用しておく。
 
帝王の統治意識、政治家や社会的指導者意識、宗教家の釈教歌で、芸術的な上質の詩歌は存在し得ない。もし存在したらかけ値なしにその同時代における一級の詩歌人と言える。それは、古来から優れた宗教家はすぐれた有償人(教化理念の人)であるからであろう。道元の語録にもそれは否定を述べており、日蓮にもある。にもかかわらず宗教家につつしみの意を表しながら、良寛は道元に匹敵し、宮沢賢治は日蓮に匹敵する非教化の無償の詩歌人だといえる。
 昭和天皇の作歌も統治意識を言語の表面に現していて詩歌の芸術性(無償性)をさまたげている。芸術には統治も指導も信仰もいらない。もちろん有償の力量は何もいらないのだ。
 
 
(この間に母親について歌った歌が引用され、それに対するコメントが書かれ、さらに自然詠が五十首近くあげられていて、その後に昭和天皇の歌人としての力量が次のように短くまとめられて評されている。)
 
歴代の皇統の作者としては中位の歌人といえようと感じる。後鳥羽院のように同時代の一級歌人に匹敵するとは言い難いと思われるが、相応の力量と思える。生物学者と聞こえているが、自然詠では樹木や草花について、私のような素人にはまったく解らないこまかい観察に及んでいて、作者の自然詠の特色をなしていると思える。
 
 引用した最後の文にあるように、「相応の力量」をもった歌人というのが吉本の最終的な評であるように思える。作者である昭和天皇といえば、誰にとっても正確に対峙した評を行うことは難しいと感じられる。変に褒めそやすか、故意に貶めた評をなしてしまうか、つまり対象としては厄介な存在に違いない。大筋でいえば吉本の評は、客観的な、右にも左にもぶれないまっとうな評ではないかと感じられる。そしてここまで来れば、文芸批評家としての吉本は、まさしく一級の批評家であると私などは考えないではいられない。
 
 
 「人生についての断想」
 
 これについては編集後記で、編集者である松崎之貞が「談話原稿をまとめたゲラの余白を使ってとても細かな字でびっしりと加筆・訂正がなされていた」と書いている。
 目が悪くなったなどの悪条件下での吉本の最近の本は、ほとんどは談話を元にして、ある時は談話そのものとして、ある時はそれを文章調に手直しをして成立しているという印象がある。たかが売文、されど売文というところか。生涯を掛けているという気迫だけは伝わってくる。
 はじめの方でも書いたが、このての内容は最近多くて、吉本を読み続けている私などは、ああ、また類似の内容だなと感じる。正直、読み流して終わってもいいか、とも思う。だが、乗りかかった舟である。一つ二つ、どうしても気にかかるところくらいは取り上げておこうと思う。
 
 学校制度が発達してきて、学校教育的範囲で限定されたものを「頭のよさ」というようになってきていますし、これからますますなるでしょうけど、僕は、そういうやり方とか捉え方はやめた方がいいよ、と思います。それは国家の教育方針の問題だから、なかなか変わらないかもしれません。
 
 
「頭のよさ」の定義が、学問、学生でいえば勉強だけについていわれる傾向はこれからもますます多くなると思います。だけど、それはあまりいい方向ではないと思います。
 学校の勉強が得意なら、それを極めてもらいたいけれど、そうじゃない人はたくさんいるんじゃないでしょうか。勉強が大好き、と言う人はどっちかといえば少数派です、普通は。
 勉強がだめだったら、感覚的な才能が優れているということもありますから、それ以外のことにもっと重きをおいて励めばいいんじゃないでしょうか。普通にいう「頭がいい」というのは、大学を出たとかいうことだとしたら、人生もっと別の尺度があるよということを心得ておくべきです。
 
 今のところ学校の勉強ができることを「頭がよい」と評価する傾向があるけれども、これは特権化や権力に結びつくというだけで、あまり意味がないというのはその通りだと思う。吉本がいう傾向は、最近も「学力テスト」問題が話題になるくらいだから根強いものがあって、そう簡単に、見方、考え方が社会の中で変わるとは思えないことだが、それはそれとして、そういう風潮に迎合しない方がいいのではないかと思う。世の中がますますそうなっていくということは、庶民生活者の多くもそう考えるということであり、そうすると異質の見解をもつということが庶衆の間では辛くなることだが、まあそれでもガリレオに倣って、それは「頭がよい」ということではないと胸に温めておくことがよいと私は思う。現代は特化して秀でているところがあると、それがその領域ではもてはやされるけれども、それはそれだけのことであって、自分もそうならなければならないということでは全然ないと思う。よくやっているな、頑張っているな、そう思うくらいのところでいいのではないだろうか。自分を比べてみる必要なんかは全くないと思う。
 一本の巨木にたとえると、大多数の生活者は幹の部分と根っこの部分にあって、それを形成し、そこに点在しているのだろうと思う。枝が伸び、尖端に広がる葉や花は離れたところから観賞する分にはよく目立つ部分だといえるだろう。人間の社会で活躍する人々は、私にはこの枝先の花や葉のようなものだと思える。庶衆から離れて、しかも輝いて見える。樹木にとって葉や花が必要なものであるのと同じに、庶衆から離れて、それぞれの領域で特化した才能を顕示することはけして悪いことではない。だが、花の開花も、根や幹の部分があってこそのものであろう。根や幹を持たずに、すべてが葉や花であることはあり得ない。逆に根や幹だけの樹木も、味気なさ過ぎる。しかし、後先でいえば、根や幹があってこその葉や花なのだろう。もしも、花や葉が美しく、観賞に堪えうるものだとすれば、それは根や幹がしっかりしているためだというようにも言えるだろうと思う。
 最近は、個性や能力の開花だとか何かで、樹木にたとえれば葉っぱや花のことばかりが話題になり、またもてはやされる傾向があるが、この根っこや幹の存在は忘れてはならないのだと私は思う。幹や根っこは離れたところからは、地味で目立たない。もっと言えば見ようと意識しなければ見過ごしてしまう部分だ。だがこれを見過ごしていたら、全体が理解できないし、本当に「大事」なことを見誤ってしまうかもしれない。
 ここに「階級、階層、社会的格差による見解の相違」が生じるとどうなるか。
 マスコミ、知識人、学者、その他の社会的な指導者の立場にある人たちは、階層的にいえば中流の上に近いかそれ以上のところにあるのかもしれない。そこの階層の見解が、社会全般の見解のように流布されている。だが、本当は中流の上以上の範囲の見解に過ぎないのだといえるに違いないのだと私には思われる。そして、それが社会全体の見解であるかのように流通する。つまりそこに特権が生じていることが理解される。そこの階層の見解が、標準であり、基準であると装われるのだ。これはシステム的にそうなってしまうと言ってもいい。それはしかし、枝葉を見て根幹を忘れていると言ってもいいことだ。社会的総体の見解が、その階層を中心として形成されていこうとする。その階層の見解が特権的で、流通や流布に唯一力を行使できるシステムになっているのだ。それの何が問題か。社会的総体の見解と見間違われることによって、実は個々人の見解が見失われていくことである。つまりもっと露骨にいえば、社会的格差の中くらいのところから底辺までのところに生きる人々からは、言葉が失われるということなのだ。それを顧みるに、深く考える必要はない。
 
資本主義国では中流の上くらいまでが特権的で、社会主義国では政府要人や官僚が特権的です。
 ここまで説明すれば若者たちの夢や希望の持ち方や、夢や希望を失って、ニートや不登校がふえる理由も理解できるのではないでしょうか。どういう風に夢や希望をもったらいいのか、本当に悩んでしまう場面におかれたら、必死にじぶんで考えてみてください。そんな場面に出会わないでスムーズに生きられたら、スムーズに生きてゆけばいいとおもいます。ここまできたら、政府要人や知識人、有識者の言うことも、遠い他国に夢や希望を託すことも役に立ちません。ただ若者たちが自力で考えたことだけが指針になると思います。僕も悩みながらそうしています。これが枝葉ではない僕にとっての幹のかんがえ方です。
 
 少し前に、いわゆる「ギャル」出身の、洋服とかアクセサリーとかの販売の女性社長が、農業経営に向かって計画を進めているというような話をテレビを通して見たが、私は驚くとともに感心し、また根拠はないが期待できるような気がした。
 おそらく渋谷とか新宿とかの賑わう街でショップ経営でもしているのだろうが、業界の大手やブランド品など、バックをもたずに経営を成り立たせている手腕は、私などには到底真似の出来ないことだ。つまりは勉強的なこともでき、感覚的にも優れていなければそうはいくまい。そういう人が、一般的にじり貧であるかのように言われる農業に、どんな勝算があって参入しようとするのか、もしも私がまだ若者であったならば、一緒に参加させてもらいたいところだ。私などには想像すらできない、しかし、コロンブスの卵のような、非常にシンプルで新鮮で、しかもそれがいつか農業のオーソドックスな形態であると認証されるようなアイディアを持っているという気がする。生産なのか販売なのか、詳しいことはいっこうに解らないが、政府や自治体などの「公」の主導や支援以外のところから出てくる、そうした若者たちの自力の試みにこそ私には未来の希望がもてそうな気がする。要するに、閉塞する社会状況に風穴を開けるのは若者に違いないし、若者は悩み、そして自力で考え、また考えたことを自力で実行に移していく以外に方法はないのだと思える。八十をとっくに過ぎた吉本隆明が、「僕も悩みながらそうしています」とは、なかなか言えない言葉ではなかろうか。
 引用した文章の少し後で、小学校での英語学習について触れているところがある。吉本によれば、これもまた枝葉を教えて幹を教えない類の話ということになる。私のような庶民生活者が新聞やテレビを見ているだけでは、小学校への英語の導入には賛成派と反対派が同じくらいいるように見える。そうすると、私自身は反対派だが迷いが生じることになる。それだけの賛成派がいるということは根拠があるのだろうと思うからだ。吉本はもちろん、そんな必要はないといっている。余計な勉強だ、ということだ。
 アメリカの州の一つにでもなったら小学校での英語もいいと思うが、小学校の教員でもあった私はその話題が出たときに、冗談じゃないと思った。最近の子どもたちは、学校の勉強をする準備ができていないことが多い。別の言い方をすれば、学校の勉強をする以外のことに頭を使う必要があって、そのことで忙しい。感覚的なことに頭を行使することが忙しくて、勉強に打ち込む余裕がないと言いかえてもいい。だから本当は余計な勉強は極力なくしていったほうがいいのだと思える。
そのあたりはもう少し克明に専門家が分析して言ってもらいたいことだ。
 つまり、学校で教える勉強の中には「国家」が必要とする要素が含まれていて、単に社会生活をするために必要な勉強はほんの一握りに過ぎないといえる。その一握りを勉強すれば充分で、残余のものはおぼえなくたって、出来なくたって、社会生活を営むのに支障はない。学校で教える勉強をすべて修得する必要は誰にもない。また教えられるすべてを必要とする職業はどこにもない。ただ、学者や国家官僚や医者やその他のいくつかにおいて、資格取得のための条件として基礎づけられているだけだ。英語にしたって、将来それが必要になるのはほんの一握りの子どもに過ぎないといえるのではないか。第一、本当に必要になったら、その時になって必死に取り組むだろう。それでは遅いというなら、そういうものは英語圏に移住するなり、個別に環境を整えればいいだけのことだ。私は東北は宮城の、そのまた山深い地域に育ったが、英語の必要性は何も感じることがなかった。大学で東京に出たが、これまた米英人と付き合う機会がなかったので会話の必要もなかった。小学校で英語を教える必要を感じている人たちは、自分の生活や仕事の環境からそれを感じているので、その生活や仕事に無縁の私たちのようなものにはその必要が感じられない。つまりはここでもそういう必要を感じるという、特権的な層がいてそういうことを言い出しているものなのだろう。それは全社会的なものではないぜ、と私は思う。国語の勉強さえ嫌ったり敬遠したりする子どもがいるなかで、どうしてすべての小学生の子どもに英語をやらせなければならないか、この特権者層の頭の構造の馬鹿さ加減に腹が立つ。
 世界的な情報やコミュニケーションの変化や進展に伴い、英語を身につけておいたほうがいいだろう。だから小学校から学ばせるのがいい。そんなことは誰でも言えるし、考えつくことだ。だが、こんな言いぐさや考えは、自分が立っている場所で考えつくことや言えることを考え、言っているに過ぎないので、この場合は子どもがどんな場所にいてどんな心的なくらし方をしているかについて想像することもできないし、それを考えようとする気持さえ持ち合わせていないと言っていい。
 昔、情報教育や総合的な学習の時間が導入され、ブームになったとき、私は学者や研究者たちが都合のいいことばかりを言って、要するに「自分たちの時代の到来」とばかりにはしゃぎ回っていたのを苦々しく思い出す。役に立たない本を書き、いかにも先進的な授業が出来るといったふれこみで研修会や講習会を開き、教員たちを集めた。だが数年後、現実化してみれば、今度は学力低下が騒がれて教職の現場は叩かれることになった。こういう図式がはっきり見えるようになったときに、私は馬鹿らしくて、教育界はだめだと思った。唐突な言い方になるが要するに経済学と同じく、支配の学の範囲内にしか教育もまた存在し得ないと思えたのだ。どう言ったらいいのだろう。自立した教育という領域が存在しない、とそう言ってみてもいいだろうか。もちろんこれは私個人の感じ方で、どうでもいいことだ。
 教育学の始まりは帝王学にあったのではないかという気が今の私にはしている。王の子息からやがて家臣の子息たちへとさまざまな意味での教育の有効性が広まり、最終的には近代国家における近代の教育制度、すなわちすべての子どもたちを教育するという制度への流れというものを考える。そこには厳然と「必要」があり、「要請」というものもあったと考えられる。もちろんこれには宗教的な「教え」というものも含まれていた。
 つまり、教育というものは初めから「有償性」というものを伴ったものであるのかもしれない。これに対して、私は長い間、「無償性」というものでこれを考えてきたのかもしれない。教育は「無償性」をその内容の一つに持っていた。しかし教育そのものは有償的である。私は誤解してきたのであろうか。たぶん誤解してきたのだ。そうでなければ、教育を無償とみなして、そうした教育を創造しようとして挫折したと言えるのかもしれない。これもまたどうでもいいことだ。
 私はこの「人生についての断想」等でもそうだが、吉本の文章を読みながら自分の体験を振り返ったり、自分の体験に引き寄せて考えることが多い。それは文章を理解するためでもあるのだが、そこで差異ををはっきりとさせ、自分の輪郭を明瞭にしようとする方法でもある。簡単に言えば、それで自分というものがより鮮明になっていくという場合がある。「人生についての断想」は、その意味ではたいへん刺激を受ける文章でもあり、私にとっては示唆されるところも多いのである。 今ここに述べてきたのは、小項目で言えば「専門の勉強は就職してからすればいい」というところに関連してのものだが、この後は親子の愛とか夫婦の愛、そういったところを核に語られている。これらは特に個人的な体験を交えて述べられているところなので、これをどう取り上げて何が言えるのか、本音を言えばお茶を濁したいところである。はじめの方に、おやっ、と思う部分があるので、まずはそれを指摘しておく。今のところその後の展望は何もない。
 
 親子の愛情ということからいうと、僕は若いときからそうだったけれど、親の愛情、特に男の子ですから親父の子供に対する愛情に比べたら、自分は絶対にかなわないなという感じはしていました。もっと極端にいうと、絶望的なときには、「俺は人を愛することはできない人間なんじゃないか」と思うこともありました。自分と自分の子供との関係の中でもそれを感じます。親の愛情は子供には多少ちぐはぐで見当外れで恥かしかったり、照れくさかったりは感じましたが、それは僕も子供からすれば多少ともちぐはぐに思えるかも知れません。
 
 ここで何をおやっと感じたかといえば「俺は人を愛することはできない人間なんじゃないか」という表白の部分だ。これまで親子や異性愛について触れた文章は数多く目にしてきたが、吉本がはっきりとここまで言い切っている文章は目にしたことがない。愛情表現が苦手とか、ちぐはぐだとか、愛情はあるんだけどうまく相手に届けられないとか、そんな程度だったのに、ここでは「人を愛することはできない人間」かも知れないとまで考えたことを言っていて、ええーっ、そこまで突き詰めて考えることがあったんだ、と驚いた。 実は、ここまで言い切られてしまうと、こちらの自分自身の「愛」についての考え、概念が揺らいでしまうことになる。愛ってなんなんだ、人は人を愛することができるのか、そういうものをすべて「愛」と呼んで、それで済ましてしまっていいのか。そんなことまで考えてしまう。愛情というのは意識的なものであり、同時に無意識的なものでもある。無意識的な愛情は、この意識でもって実体を捉えることはできない。つまり何かそういう感じがあるんだけれども、他にそれを呼ぶ術がないから私たちはそれを「愛」と呼んで済ます。あるいは、たぶんそこに「愛」があるんだと思い込ませてみる。これを疑ったらきりがないし、別の、言葉と感情の間の問題にもなる。自分の親や子に対して、愛情のスムースな流れが肯定できないと言うこと。そしてそこまで言われてしまえば、「ああ、自分にも思い当たることがあります」という告白が引き出される人も出てくるのではあるまいか。人知れず、そこを悩んでいる、あるいは悩んできた、と言うこと。吉本はそれを隠さない。そこはどう評価すべきか解らないが、たいしたものだと思う。
 これ以降も吉本は愛情問題に絡めて「人生についての断想」を展開しているのだが、さすがに私の方がついて行けずに、ここで断念するほかなく、あるいは立ち往生を決め込むことにしたい。親子の愛、夫婦の愛、胎児から一歳未満までの間に充分な愛情を掛けられなかった子供は長じて事件を起こしやすい、等々の持論が展開する。これらは最近の本の中で繰り返し語られてきたことだ。これは要約したり整理して見せることもできなければ、一部だけを切り取ってその部分へのコメントをつけてみてもしょうがないことだ。それぞれが目を通して読み進め、自分の経験と比較したりしながら、また自分なりの考え、感想を温める以外にないと思う。私自身、内面にどうしてなのかと思うところがあり、そういう部分が吉本の言葉によって、これこれこうなのだからこうなのかもしれないと、ほんのすこし解明の糸口を与えられた気になるところがあった。そういう意味で、他の人からでは聞くことの出来ない言葉があると私は思っている。蛇足だが、そこには決して何かの解決の道筋が見つかるというものではない。それを求めてもたぶん無駄で、ただそのことについての解明の道筋、どう考えるのがいいかというその道筋が見えるに違いないということなのだ。うまく言えないが、それは解決とは言えないまでも、非常に肩が軽くなるような、救いのような、そんな部分がたくさん隠れているように私は思う。たとえば引きこもりやニートと呼ばれそうな若者に、ここにある言葉をそっくり届けたいなあと思われるところが随所に散見される。そして届くまでの言葉を、私も獲得したいと切に思う。あるいは私のこういう試みが、吉本の言葉を届ける一助になればよいと心の底から思っている。
 最後の最後で、一カ所だけ注意を喚起する意味合いで引用しておきたいところがある。
 
 このごろ「ニート」というアメリカ語の俗語がテレビや雑誌や本などに登場します。たぶん語音から推察するとNeetで、無駄な暮らし方をしている若者のことを総称しているのではないかとおもわれます。階層としては先進的な地域の中流の上か中の家族の子弟、もしかすると逆に生活保護過程とかホームレスに近い階層の子弟を指しているのかも知れません。後者については、精神的なケアはまず考慮はいらないと僕は思います。食生活や人間関係の貧しさが、必ず倫理または反倫理と結びついていますから、どこかの時期に覚醒がやってきます。中流の上か中のニートはなかなかの難物だとおもいます。少なくとも日本国ではまったく新しい社会の新しい現象で、既成のマニュアルには引っかかってこないとおもわれるからです。該当する家庭の八割くらいは、こういう若者を抱えているでしょう。隠すなよ、と言いたいところです。
 
 先進的な地域の中流の上か中の家族の子弟、その何がやばいかといえば、突発的に異常を来しやすいということだ。その原因は、食べることの倫理的な不安が消されてしまっていることにある。この階層の若者に比べて、中流の下から下流の階層の若者たちには「貧しさ」から喚起される倫理や反倫理が生じるために、逆に異常とか異様さとかからは免れうるとみなされる。指摘されていることは難しい問題なので、安易なコメントはできないが、社会の経済的な現象ばかりではなく、精神的な現象においても現在が不安を抱えていることを指摘したものとして記憶しておくべきことだと思える。その階層の子弟の八割という推察は、まだどこからも聞こえてこない数字ではないかと思う。この大胆な予測は、私自身もっと心震わせるほどに受け止めるべきかも知れないと考えている。
 ふと漱石の小説の主人公にもされた「高等遊民」の人物像を思い浮かべた。彼らは後進国の食うことに困らない連中で、しかし後進国ゆえにか倫理的な軋轢を体験せざるを得なかった。それなりに明確な苦悩は持ち得たのである。倫理的に悩むことすらできない、そういう高等遊民が今ニートとして出現しているのかも知れないなと思う。彼我を越えて、そういう領域、あるいはそういう位相に生きざるを得ないということは、たいへんきついものがあるだろうなという気がする。
 私は『こういう世の中も、自分もいやだな』という思いから、半分身を引くというか、半透明の姿で生きるというか、中途半端な生き方をしてきた。こんな世の中に荷担したくない、こんな世の中に謳歌して生きていたくない、そんな気持の部分があったと思う。選択肢として、アウトローになる、日陰者として生きる、過激な反抗者として振る舞うなどがあったと思うが、そういう決心もできなかった。反対者に、世の中はきびしいというのは本当だと思う。そして多くの生活者は、反対の思いをどこかで何かで調和させて、危うく綱を渡るように生涯を送っている気がする。私は少しばかり反対の気持ちを貫きたくて、しかし、ごく普通の生活者でもありたくて、それをどう調和させるかに心を砕いてきた。きっとふつうの人よりは無器用だったのではないかと思う。そうして見つけたのは、内面的には過激に反対者でありつづけようとし、見た目の姿は穏和で従順な生活者の姿である。自分の考えを、どこまでも考えていこうとするときには、残念ながら不如意な部分もあるけれども、こういう行き方しかない、そういう気がするのである。そして何よりも、自分の考えを考えていきたいと思っているのだ。
 おそらく、吉本が中流の上か中の層の出身者のニートが危ないと予見するとき、自力で「これしかない」「ここしかない」という立ち位置を発見できないことを指している。言いかえれば、私には孤独の苦しみが待ち構えていたが、彼らは孤独を味わうことからも突き放されて、ただぽつんと存在しているだけの寂寥しか残されていないのかも知れないと思う。それは一種の時代の病で、ゆくゆくは世間を騒がせるほどに表層に露出してくるものかもしれない。
 
 以上、未発表の原稿として第一部「神話と歌謡」の中におかれているものについて思うところを述べてきた。第二部は単行本未収録原稿で、雑誌、新聞等に発表されたものが並んでいる。これらをまとめて第二部のタイトルは「情況との対話」とされている。
 私はこの文章の初めに、ほとんどの内容は最近の吉本の本の繰り返しだが、使われる言葉の違いやニュアンスの違いがあり刺激的な箇所もあったと述べた。
 しかし、幾度か読み返すうちにその刺激は緩和され、特に第二部にまとめられているのは小文で、その一々にかかわって考える必要はないように思われてきた。いや、感想めいたものを書く煩に耐ええないように思われてきた。それは私の事情である。
 第二部には文学に関係したもの、それから社会現象全般の問題が取り上げられ、もちろん一つ一つに吉本ならではの発言が各所に見られはする。話題は個別的で表層にかかわるものだが、発言は深層の原理的な思考を基準としていて、けして薄められたものとなっているものではない。埴谷雄高についての文章を除き、語り口、言葉づかいはどこまでも平易である。平易だが言っている内容には深いものがある。これらを喩えて言えば、私がそのことを伝えようとすれば数百枚の原稿用紙を費やすに違いないところを、数枚で言い尽くすことができているように思える。それが現在の吉本隆明であり、その姿に歎異抄に現れる親鸞の姿を、私は二重に見ているような気がする。
 とりあえず、ここで私のこの文は終わることにする。