子ども期の教育と遊び その一
              2014/12/29
 小学生の算数に、最大公約数とか最小公倍数という言葉がある。これについて説明は要しないだろう。
 義務教育というのは子どもが15歳くらいまでの間に、社会人として必要な最低限の知識や技術や規範を身につけさせ、そしてスムーズに社会人として仕事人として移行できることを念頭に制度設計されたものだ。この意味では小中の児童生徒に課される知識や技術や規範の学習は、そのために必要最低限の、言い換えれば冒頭の最大公約数的な、あるいは最小公倍数的な意味合いを持つものと考えられる。
 今回、学習支援員として教育現場に入って見るかぎりにおいて、どうもそこのところが自分の中で、はっきりしないなと感じられた。
 ひとつは、簡単に言えば社会生活のどのあたりのレベルを想定して最大公約数的、最小公倍数的な集約をしてカリキュラムが構成されているのかという疑問が生じる。
 ふたつめには、あるいはそれよりも、たとえば算数や国語や社会、理科といった教科を見ると、それらの学問的な基礎・基本の習得といった意味合いがつよく打ち出されて、結局のところこの両者が錯綜しているように思われた。
 学問的な基礎・基本の習得という面から言えば、これは高校や大学への進学率の高さから必然的に要求されてきたことといえよう。つまり、上の方から下の方に向かって、これくらいのレベルのところまではきちんと習得させておいてくださいよということだ。そうでないと大学での勉強にはついてこれませんよということになる。これが小中の各教科に渡って指向されると、教員にとっても児童生徒にとっても相当の負荷になるとわたしには感じられる。
 
 一般的な個人の社会生活を想定すると、学校で習う勉強のほとんどは不用だと言っていいと思う。そういう言い方が誤解を生じるとすれば、学校で習った勉強がほとんど身につかなかったとしても多くの人はあまり障害を感じないで社会生活を送ることができていると言い換えてもよい。極論すれば、現在のようにマスメディアやインターネットなどが極度に発達した世界では、知識や技術の集積が個々の脳に蓄えられる必要はなく、その機能は外部化されて存在すると考えてもよいことになっている。つまりいつでも必要なときにそこから知識や技術を取り出せ、個々の脳が記憶しておかなければならないという必要性はない。わたしたちの移動の手段が手足から自動車などに置き換え可能になったように、本来個々の脳が果たすべき知識や技術の記憶は外部化されて存在すると考えてもよい段階になっている。脳に記憶したことを呼び覚ますかわりに、わたしたちはマスメディアやインターネットの世界から必要なものを取り出せる。いまやわたしたちの脳は、その一部の機能を外部に持つことが可能になっているといえよう。
 考えようによっては、他人もまた自分の脳の外部化されたものと考えることが可能で、聞くとか教えてもらうとかによっていつでもそこから必要な知識や技術は手に入れることができる。
 このように考えると、わたしたちは本当に興味があって知りたいこと必要なことに頭を使えばよいのであって、あまり意味のない専門的な分野の知識や技術の習得に無理矢理頭を使う必要はないのではないかと思われてくる。小学校の教科の基礎・基本の考え方は、上位の学習機関から下ろされたものにすぎず、専門的な学問分野からは必須の考えかもしれないが万人が習得しなければならないものではけしてないと思う。ましてすべての教科に渡ってそれが要求されるとなるとそれこそたまったものではない。わたしは小中高、大学のすべての機関でいい加減に勉強してきた。それでも人並みに仕事もでき、社会生活も送ることができたと思っている。本当に勉強したと思えるのは大学の時に、個人的に文学にのめり込みいろいろな書物を読みあさっていたときくらいのものだ。また教員の時に仕事の悩みから勉強を余儀なくされたが、これはあくまでも仕事に付帯する勉強で、わたしの概念の上からは勉強の範疇には入らないものと考えている。
 
 
子ども期の教育と遊び その二
              2015/01/03
 前回述べたように義務教育の教育課程には、学問的な専門分野からの要請もあり、また社会からの集約的な要請といったものも含まれるに違いないと考えられる。後者についていえば、わたしには会社などの経営者的な視点からの要請が色濃く反映しているのではないだろうかと想像される。
 文科省の審議会などを通じて、学者や経済界などからの意見が教育の内容に反映することはありうることだと思われる。そしてそれ自体は別に悪いことではないかもしれない。けれども万人が学者になろうとするわけではないし、会社などの欲するエリート幹部候補になろうとするわけでもない。そう考えれば、それらの義務教育に対する種々の分野からなる多種多様な要望を含んだ教育内容は、幾分かは多くの児童生徒には過剰な負担を強いるものになるに違いないと思う。
 たとえば漢字を書く際の、止めや払いなどの厳守。算数の台形の面積の求め方で、(上底+下底)×高さ÷2の立式における上底と下底の順序の固守等々。これらは社会生活の中ではほとんど使う機会がないものもあり、公的な書類に漢字を書く場合でも画数や形の間違いがなければほとんどはそれで済ませることに過ぎない。またふだんの生活の中では算数の公式、日本の歴史や地理、動物や植物の体の仕組みとか気候現象とかに無知であってもさしたる不便は感じることはない。エリート層になったり専門家になっていたりすれば、いい加減なところですますことができないという現実はあろう。だがそれはエリート層や専門家が厳守していけばよいことだ。それは1つのクラスの中で考えれば一割に満たない割合と考えていいと思う。そういう一割に満たないもののことを考えて、全体に重箱の隅をほじくるような厳密さを要求する学習が本当に必要だろうか。もちろん実際の教育の現場では、誰もがそこまで習得できなくてもよいことにはしている。だが、「そこまでできなければほんとはダメなんだ」という思いが指導する側にもされる側にも生じてしまうに違いない。すると、普通に考えれば全体的な学習レベルは押し上げられるかもしれないが、学習そのものへの意欲はそがれてしまうことになるのではないかとわたしには危惧される。
 わたしはこうした問題の研究者でもないし専門家でもないから実際のところは分からないが、学校の子どもたちに本当に勉強が好きだという雰囲気は感じられない。そして好きでもないのに、学力低下などとメディアの無責任な煽りを受けたり世論の煽りを受けて萎縮した学校が学習漬けにするものだから、子どもらは毎日けなげに少ない量ともいえない宿題に取り組んでいる。これは一体どういうことなのだろうか。およそ200年ほど前までの歴史を振り返ってみれば、子どもたちがこうした無味乾燥な営為に9年間以上も従事しなければならなかった時代は無い。飢えて放浪する悲惨さは今日の子どもたちにはないかもしれないが、精神的には自他に見えない嫌悪感に隷属された状態にあると見えなくはない。もちろんこれはわたしの個人的な感受以外の何ものでもない。しかし、このことと現在の社会に見られる子どもたちの異常な振舞いの増加との関連の結びつきに、ついわたしの想像は駆られることになってしまう。
 
 
子ども期の教育と遊び その三
              2015/01/04
 ここ半年くらい、暇なときはネットで無料の海外ドラマを見ていることが多い。最近はずっとアメリカの犯罪ミステリーというべきカテゴリーのドラマを見ている。読書の体験を呼びおこすと、たとえば横溝正史の金田一シリーズを読んでいるような状況に似ている気がする。
 単純に見ていることが楽しく、また気が楽なので、そういうひとときに心身を委ねているといえばいいだろうか。残るものは何もなく、また非生産的なのだが、わたし自身はこれを「快」と感じているようなのだ。
 ところでこのドラマを見ていると、なんとなくだがアメリカの社会生活の一端が垣間見られる思いがする。特に気を引かれるのは性に関する描写や登場人物たちの考え方の言説だが、比較するまでもなく、同類の日本のドラマとは格段のちがいで「自由さ」が感じられる。雰囲気を含めてそう思う。
 一視聴者としての感じでは、アメリカのドラマでは、アメリカ人にとっては「性」は大きな関心事なのだなということが分かる。そしてこれをアメリカという国は真正面に見据えて、真摯に考えているのだということも伝わってくる。日本のように、風俗としてはさらけ出すがまともに「考える」ことをしない、できない伝統とは隔絶した感がある。こういう面での日本の後進性は決定的だが、しかしまた同時に、西欧流の明るみにさらけ出してそれをまた西欧流に思考していくあり方が普遍的な先進性と言っていいのかどうか、わたしにはまだよく分からないところだ。
 ドラマを見る限り、アメリカの思春期の青少年や少女は、多くが自他の性衝動や性愛やそれにともなう行動や考えや言葉を肯定的にとらえているように思われる。もちろんすべてのアメリカの青少年や少女たちが同じであるわけはない。アメリカという国が人種のるつぼであるように、様々のあり方が混在しているに違いない。それでも全体としてはやはり「自由のスタイル」は貫かれているように思われる。わたしたちの国ではこうはいかない。わたしには、自由度が徹底していないように思われる。自由だよ、という建て前はある意味で明確に打ち出されているが、それはあくまでも表向きのことで本音のところでは非常に強固に閉鎖的な部分が感じられる。性を尊重できていない。これは人間の少なくとも半分以上を尊重していないことと同じだ。わたしはそんなふうに思う。
 
 教育や学校に関連するところでいえば、まずわたしたち大人がけれんみ無く、あっけらかんと明るく、性の問題を話題にすることができない、そういういわば伝統がある。おそらく性にまつわる日本的な思考や態度の伝統は存在するのだが、今日的な西欧の生活様式を追いかける思考スタイルの中にそれを取り上げることは難しいことなのだ。倫理システムの新旧の違いと言ってみたいが、ほんとはよく分からない。
 そんなところでともかく日本における性の問題はごちゃごちゃ、ぐちゃぐちゃして、何が何だかよく分からない状態として存在する。進歩的であるかといえば、その根底に非常に古めかしい、古めかしさを通り越して迷妄や野蛮さが混在するというようにだ。わたしたちがこんなカオスを抱えているところで、性の問題に自信を持って立ち向かえるわけがない。そうしたらできるだけ遠ざけるか、見ぬ振りをするか、その問題に蓋をしておくかするほかはない。この姿勢は性の発現期としての児童期に、ぎゅうぎゅうに知識や技術や道徳や規範を詰め込む姿勢に矛盾しない。そしておそらくそれは、意図的、意識的に性を押さえつけ、閉じ込めておくべきと考えてのことではない。ただよく分からず、魅惑的であり不気味でありという、日本人的な性の受け止め方が強いているのだと思う。
 わたし個人は、アメリカという国のように、もう少しヒトにとってのっぴきならない生理的問題であると同時に心的で、心の形成においても大きく関与するところの性の問題を真正面から見据える、成熟した精神を日本にも求めたいと思う。そうすれば性の発現期としての児童期について、そのあり得べき姿を、もう少し性の問題から見直す必要性を誰もが感じられるようになるかもしれないと思う。それは心の形成という生涯の発達段階にかかわる大きな問題で、知識や技術といった、本気になればあとでいくらでも修正可能な、たんなる今日的で社会的であるにすぎない問題とは大いに異なるからだ。どちらが本質的で根底的で緊急の問題であるかは言うを待たないと思う。もちろん、人間性をねじ曲げないために、学問的に、また科学的に哲学的に蓄積された、心身の発達段階の考え方の成果を優先させて考慮すべきなのだ。
 言わずもがなのことだが、ここで「性の発現」と呼ぶものは必ずしも狭義の「性的」、「セックス的」な意味合いと同義ではなく、広義には「生命的な発現」ととらえるべきものだ。これには狭義の「性的」な意味合いも含まれるが、それ以上に生命的な現象全般を指すものであり、生命衝動の本質そして核にあるものが性的衝動と分かちがたく不可分であるために、「性的な発現」と呼ぶほかに言いようがない。これを児童期にからめてもう少し分かりやすくいえば、この時期にヒトは、心的な両性具備から、より男性的か女性的かに自分の観念の性を選択し決定していくものと思われる。この選択と決定は無意識の内に行われるために、無意識を解放した遊びがこの時期に何よりも必要となる。このことはもう少し詳細に、また緻密に追究されるべきことがらだと思われる。
 
 
子ども期の教育と遊び その四
              2015/01/12
 学校というものは共同体の最終形態である国家が管理運営するもので、人的資源の有効活用という側面を持つ。これはシステム上いたしかたのないことで、さらにそれを平たく言えば家畜化を意味するものだ。国家の作る基準を元に人的な規格化を図る。中身や内容が人権的であり保護的であれ、この枠組み自体は否定できない。
 このことはしかし同時に、人類が多大な時間を費やし歴史的に練り上げてきた至上の考え方であり制度であるという側面を持つ。わたしたちはこういう形以外に、現実に至上の楽園を子どもたち全体のために建立したという歴史を持たない。個別には愛情溢れた両親の元に、至上の楽園を生きた子どもたちはいたかもしれない。近世以前、子どもたちの運命は家族と親族、氏族的な習俗や慣例などの身近な共同体の管轄の元にあったと考えていいと思う。だがその実態は現在から見れば様々な問題点を抱えていたに違いない。
 ウキペディアの近代学校教育制度という項目の中に次のような記述があり、手軽だからという理由だけでここにちょっと引用してみる。
 
中世における教育は、徒弟制度が主流であった。言語による意思疎通が可能になる7〜8歳から大人に混じって働き、職業技能だけを叩き込まれ、職業技能が一人前であると判定された時点で、大人扱いされた。労働現場の監督は、職業の先輩ではあっても、教育の専門家ではなかった。いったん労働現場に入れば、近現代の感覚では子供と見做される年齢でも、飲酒や恋愛が、自由とされた。
 
それに対し、17世紀の教育者たちは、子供として保護される時期の延長と、不道徳な大人から子供を引き離す作業に取り掛かった。不道徳の本質は、セックスのことだと断言してもいい。子供との性行為も、公然と行なわれていた中世の社会通念とは、相容れないものであったが、子供との性行為を是認する意見と否認する意見とが綱引きし、否認する意見が勝利して現在に至っている。
 
 これはヨーロッパの話であり日本のことではないが、おそらく日本においても似たようなことではなかったかと想像される。また中世以前についてもこういうところから、要するに子どもへの関心が社会の中心的な課題に浮上した時代は無かっただろうと推測できる。
 フィリップス・アリエスを持ち出すまでもなく、わたしたちは近世および中世以前、あるいはもっと古代からそれ以前の子ども期、児童期というものをはっきりと示すことができない。歴史的にそういう記述が少なく、そのことは子ども期についてあまり強い関心が払われていなかったことを物語っている。これは養育者たちが関心を払わなかったというのとは違う。共同体の枠組みの中に子どもが登場する機会がなかったというだけだ。社会的な関心として下位にあった。
 いずれにしても、近世になって子ども期は社会の大きな関心の枠組みの中に登場し、それ以降はさらに大きな関心として取り上げ続けられるようになってきた。そして家族の生活もまた、その営みの割合からいって過半以上を子どもの成長のために費やすようになってきたと言っていい。誰もが子どもは大事と考え、子どもの成長を見守り、子どもの世話を焼きたがる時代は歴史上かつて無かった。それほど今日では、子ども、子どもと口をそろえていっている。
 けれども、現在ほど子ども期が注目された時代は無かったにせよ、あるいは今日ほど慈愛のまなざしで子どもたちが見守られたことはかつてなかったことだとはいえ、同時にこれほど子どもたちにとって受難の時代は未だかつて無かったことだということができる。子どもたちは容赦なく社会の視線を浴びることになった。社会の視線に晒されることになった。誰もが等しく子どもらしさを要求され、明るさや素直さを要求され、善良さを要求され、男の子らしく女の子らしくを要求され、夢持つことを要求され、道徳を要求され、学習に対する意欲を要求され、挙げ句の果ては比較され優劣を競わされ、性格がどうのこうのとあげつらわれたりする。これがはたしてわたしたちの社会や共同性が最高度に発達させてきた人間性の帰結としての制度であり、その到達点だと考えるべきだろうか。
 
 日本では児童期を中心に子どもたちの世界に異変が起きている。故吉本隆明は彼の著作である『心的現象論』や『家族のゆくえ』などで、何度も、その原因が児童期から思春期にかけての、知識や技術や道徳や規範のごりごりの詰め込みと、そのことが結果的にもたらす影のはたらき、すなわち生命衝動の核心部分に関係する「性的な発現」が抑圧されるためではないかと問うている。
 この「性的な発現」は、無意識の遊びの中にしか十全には発現し得ない。また、これは「性教育」の問題とは縁もゆかりもない。
 人間の心的な「性」は、新生児期の、母親ないしはその代理との関係の中に初源を持っている。一組の特別な対の関係の中では、どちらかが男性的か女性的かであるほかの対応をとり得ない。男性でも女性でもない、たとえば中性という概念は人間のみならず生物的にはあり得ないのだ。これは身体器官の性器が男性器であるとか女性器であるとかとは関係なく言うことができる。
 わたしのイメージでは乳幼児期に、いわば心的な「性」が育まれるが、それは無意識の核および核の周辺に形成される。これは「三つ子の魂百まで」という諺にあるようなヒトの性格と不可分の関係にある。性格の1つの大きな柱と考えられてもいい。「性」を内在させたこの性格的なものは乳幼児期に形成と顕現とを同時に進めていくが、本格的に社会とのつながりの中でヒトの性格や資質が試練を受けたり格闘したりしなければならなくなるのはそれ以後、すなわち児童期にあたっている。
 この時期は、少なくとも中世以前までは、養育者や家族の庇護の元にあった幼児期から大人期に向かっての端境期にあったといえる。労働の予備軍的な、能力の不足したちっちゃな大人であった。だが待遇としては大人扱いされるようになる。実際には大人の真似をするに過ぎなかったのだろうが、この時期にしかし、自己、すなわち潜在する「性」的なものを含めた性格や資質やらの一切を社会的関係の中に初期的に発現することになるのである。学校制度が発達した現在は、この時期に30人前後のクラスの中で、同年齢の子どもたちと多くの時間を共に過ごすということになっている。当然そこに「性的な発現」を含めた自己、自分の、性格やら資質が露出されてくるのだが、これは遊びの中で自分を解放するという形をとる。
 うまく言えないのだが、この時期の重要さだけは指摘できる。歴史的に見て、この時期に学習や技能や道徳的なことを半強制的に詰め込まれる時代は無かった。近代から現代にかけて、わたしたちは何の疑問もなく、ただ発達した文明社会の恩恵を浴するかのように学校制度の恩恵に浸ってきたと感じている。事実、わたしたちは誰もが一定の知識や技術を身につけ、それによって進展する社会に適応してきた。あるいは新聞、テレビ等で世界の動きを知り、ごく普通の生活者でありながら世界の平和について考えたりすることもできるようになった。だから教育的な制度のすべてを否定しようとするものではない。だが、たかだか2、3百年足らずの学校制度以前の子どもの世界は、ある意味で自由勝手、気ままに、自分の裁量だけをたよりに生活していたわけで、今日の日本社会に見られる特に子どもの心的な異常が原因であるかのような様々な振舞いや事件などとは無縁であった。もちろん現代の子どもの引き起こす事件には様々な原因があり、学校制度にだけその責任を帰すことはできない。とはいえ、「こうすればああなる」式の考え方で設計された学校制度の充実と成熟、言い換えればこの制度が完全なる子どもの世界の囲い込みを果たしてきたことは否定できないわけで、歴史的に見て初めての子どものための制度が皮肉にもこのような結果をもたらしたことを、わたしたちは虚心に見つめなければならないと思える。
 
 
子ども期の教育と遊び その五
              2015/01/21
 児童館での小学1年生から3年生の子どもたちは、会社勤めなどの母親たちが迎えに来るまでの2、3時間を、学校の宿題をしたり遊んだりして待っている。
 遊び盛りの子どもたちにとって、宿題などはまあ現実からの「嫌がらせ」程度にしか思えない。しぶしぶやっている。
 遊びは、室内では積み木、ブロック、カードなどを使った遊びやちょっとした鬼ごっこ風なことをしたりしている。外の広場を使うときには、砂遊び、雲梯のようなものでの遊びや鬼ごっこ、ドッチボール風なこと、また縄跳び、あるいは草木を使っての「ごっこ」ふうの遊びなど多岐にわたっている。
 幼児期のお絵かきやままごとを過ぎて、しかし児童期のこの時期にも子どもたちの生活のメインが遊びにあることは一目瞭然と言っていい。この時期の子どもたちの多くは、実にパワフルに遊ぶ。またこの時期の子どもの様子をよく観察すると、遊びの中にかならずと言ってよいほど個別の性的な要素が入り込んでいる。わたしの見るところでは、5、6人の同年の子たちの遊びの中でも少しずつ特別なひとりとの関係を指向し、閉じられた一対の関係を求める傾向の中に最も顕著に表れていると思う。さらにいえば、この時期の子どもの言葉にも行動にも身体的な性の要素を示すものへの関心が強く見られるとともに、精神的な愛情行動に関心を示すなどの形で、この時期から本格的な性の奔騰のはじまりを想定することができるように思われる。
 
 遊びは子ども期の自然な欲求に思えるが、もっと言えば人間の生涯を通じての自然な欲求ではないかと思える。わたしたち大人もまた、本当は遊びとも仕事とも見分けがつかないような形で「食」を確保しながら、生涯を送りたい願望を潜在的に持っているのではないだろうか。狩猟採集時代の古代人を考えると、しばしば飢餓的な状況におかれることもあっただろうが、果実や獲物などが豊富なときには現代人以上に実に豊かな「気分」の中で生活を送ることができたのではなかろうか。いわば遊びと労働とが見分けがつかない形で日々を過ごす瞬間があったに違いない。それが永続すれば、わたしたちの理想と言える。
 
 幼児期からはじまって、児童期、思春期までは、理想を言えば「遊び」中心の生活を送ることだと思える。それが人間という生き物にとって、生涯を考える場合でも時期的に自然な欲求であり、自然な過程であるように見える。これは「遊び」という言葉を使っているが、実は「遊び」という言葉の中には様々な要素が入り込んでいる。幼児期の「ままごと」でも何でもいいが、その時期の遊びには人間の自然な発達や成長に資する何かが必ず含まれている。「遊び」を通じて子どもたちは「学習」すると言い替えてもよい。思うに、「遊び」を通じてのその「学習」には、学校で詰め込まれる文明史的な知識や技能には代え難い、ヒトにとって重要な何かがあると思える。あるいは言い方を変えれば、わたしたちの時代の科学はその重要さをはっきりと解明してはいない。まだまだ社会経済を優先し、経済効率を優先し、子ども期を労働予備軍、社会生活の予備軍のようにしか思いなしていない。健全な市民の育成などというのも、ほんとはその程度の視野の中でしか考えられていないと言っていいと思う。
 
 わたしたちは食料生産における野菜や家畜などの栽培や育成などと同じように、ヒトの成長もまた現在の科学知で計量できたりコントロールできるかのように思いなしている。だが、よかれと思って強化してきた子どもの教育が、本当によいことばかりなのかどうかは現実が答えてくれている。それは言わずもがなのことで、社会も家族も子どもの育成や成長に不安を増幅させている。
 見栄えのよい、また質のよい野菜が量産される中で農薬が不安視され、無農薬の有機農法が一方で行われるようになっている。ここ当分は両方の立場がそれぞれに試行錯誤や模索を繰り返し、それぞれの立場でよりよい農法を極めていく道を辿るのだろうと思う。食糧の問題は、うまくて安全な質の確保と量の確保に尽きるだろう。では教育はどうなのか。これは長年教育について考えてきたわたしの脳裏に、いつまでも渦巻いている疑問だ。徹底的な管理強制か自由放任か、あるいはまたその折衷案であるべきなのか。いまもこれに答えることができない。野菜の栽培でいえば肥料と農薬を使った農法がいいのか、無農薬でより自然に近い形での栽培法がいいのかという問題に近似すると言えよう。意見は立場によって左右する。今のところ、「絶対」はないように見える。どちらの立場も、ほんとは徹底的であればあるほどいいのだと思う。どっちつかずの中途半端が一番よくないのではないか。教育も同じで、現在のように管理と自由との間で中途半端にやっていることが一番よくないような気がする。昔の軍隊式で徹底して規律と管理の重視をするか、まったく自由にしてしまうかのどちらかの方がいっそよいという気がする。今日の状況のような、矯飾の奥に沈み込んだ異常や病的な様態からは解放されるに違いないと思えるからだ。しかしどちらにも難点があって、現実的ではない。前者には人権などの問題が絡み、後者にはいずれ現在の教育制度の最終段階である大学の入試の問題や、就職時の試験等の問題がある。だが、誰かがこの門を開かねばならぬ。すでに、長きにわたったこの教育の現実から多くの成人が社会に巣立ち、彼らはすでに家庭を維持するだけの力も忍耐も失って家族の解体を加速させ、子どもたちの虐待の加害者としてけして少なくはないそうした父親、母親を排出するようになっている。すでに親たちも子どもたちも、一見すると繁栄と平和に満ちたこの社会に耐え得なくなっている。ほんとは誰もが切に救済を願いながら、表沙汰になるのは自分以外の誰かを迫害するという形をとるほかになくなっている。
 今日の学校教育においてこうした視点から教育を見直す考察が見られるか?現場を離れて10年以上たつが、本当に危機感を持った考察は不幸にして未だ見聞きしたことがない。すべてが自分の頭を使って、自分の能力をフルに使って、自分の体験や経験の奥底をくぐり抜けて、問題の本質を解明しようとしない。誰もが他人の考察をあてにして、そうして誰も果敢に考察し、解明しようと試みるものは皆無だったのだ。おそらく、すべてを背負った教育の現場においても流布された学説を浅く受けとめることしかできていない。そして依拠するその説を何の疑いもなく、自分の考えであるかのように自他に言い聞かせながら、結局は己自身を糊塗している。それなのに、その口でよく「努力せよ」と他者には言えるものだと思う。仕事で努力することは当たり前。苦労し、疲れるのも当たり前。けれども、現在はそれをこえてなお粘り強く考え抜く必要に迫られているのだとわたしは思う。そのように社会の状況も教育の状況も危機的であり、過酷なのではないか。わたしたちはそのことを誰にも強制できないし、またしようとも思わない。考えずに済ませることのできるものたちは、考えずにすましていいのだと考えている。だが、わたしたちだけは事の本質に気づきかけている。気づきかけている以上、限界を超えて考え抜いていかなければならない。なぜなら加害者となり被害者となる子どもたちの無意識が、わたしたちにそのことを語りかけて止まないからだ。教育とはそういうことではないかと、教育者失格を自認するわたしは思っている。
 
 
子ども期の教育と遊び その六
              2015/01/25
 遊びとは何か。現在のわたしたち大人にとっては仕事の合間の息抜きであったり、気晴らしや楽しみ、つまり生活の中心が仕事であるとすれば、自分の時間をそれ以外の非生産的なことがらに費やすことだ。
 一般生活者としての現在のわれわれは、一日の内の8時間程度は睡眠に、また8〜10時間程度を仕事に費やし、残りの6〜8時間くらいは家族生活や自分の趣味などに費やす時間としている。これは習慣化されていて、わたしたちは何の不思議も感じないで毎日これを繰り返している。農耕社会の成立を起源に、文明の発達と共に積み重ねられてきた生活様式の、今日的に達成せられた局面と考えていいと思う。
 24時間を「食と性」と、敵から身を守るために、常に緊張しながら生きなければならない動物生から、わたしたち人間の生き方は脱却したということができるだろう。これによってわたしたち人間だけが他の動物たちに比べて、連続して必死に生きるという事態からは免れることができている。つまり「余裕」ができたということになる。それによって、24時間を3分割して、仕事と睡眠とその他の自由に使える時間とに振り分けることができるようになっている。
 
 子どもの場合は、大人の仕事に当たる部分がないということが特徴的だといえる。
 知られているように、動物の場合は遙かに短い1、2年という養育期間を経ると、自立を促される。種ごとにこの期間に長短はあるだろうが、これにくらべると、人間は遙かに養育者に依存する期間が長いということだけは言えそうに思う。一般的に言えば7〜8歳になると言語による意思疎通が可能になり、身体能力もちっちゃな大人といった程度の働きが可能になる。1人前とは言えないまでも、教わりながら、仕事の手伝いや補助的な作業くらいはできるようになる。生殖機能がどれくらいで完成するのかは個人差があるだろうが、それに前後して精神的な発達が伴い、昔は、だいたいはそれらの機能の成熟を機に、仕事的にも社会の一員としても1人前の働きを促されていたように見える。
 前に見たように中世のヨーロッパの徒弟制度の時代には、7〜8歳頃から大人に混じって職業技能をたたき込まれるようになり、よく習得できたものは1人前の大人扱いがされるようになったといわれる。この1人前扱いには飲酒や性愛的なものも含まれたようで、このことがまたその時期の年齢の道徳的、倫理的な未熟さを、逆に浮き彫りにしたとも見られる。いわば子ども期が社会の関心の対象として大きく取り上げられ、それによって子ども期そのものが延長されて考えられるようになってきたと言ってよい。簡単に言えば、文明史的な発達と共に、その分だけひとは観念上の課題を課されることになり、その修得のために1人前と認められる時期を後方に延長されるようになった。
 
 いずれにしても、大人とは仕事中心の世界に参入することを意味しており、子ども期はそれが猶予されてある時期だということができる。また現在、老人期とは60歳や65歳の定年を迎えた時期を基本に、それ以降を指すと考えることができる。これは子ども期に似て仕事や労働を猶予される期間だとも言えるし、そこから疎外される期間ということもできそうに思える。こうした見方をすると、子ども期と老人期との狭間の仕事に携わる期間が、人間として生きることの中核の生き方のように考えられてくるが、これは偏狭な見方に過ぎない。ほんとは子ども期も老人期もそれ自体として独立した時期とみなす必要がある。それぞれに時期に見合った中心的な課題を持ち、予備軍的な、あるいは退役的な見方だけではそれがとらえきれないのではないかと思われる。老人期を迎えたばかりのわたしは、内心で、これからはいよいよ現役を退いた、社会にとって不用な存在に押し込められていくような不安を感じることがある。こう考えるのはこれが1つの共同の幻想として自己幻想に覆い被さってくるからである。この共同幻想にすっかり覆われてしまえば、わたしは自立した自分というのを持ち得なくなってしまうだろう。こうした格闘は老人期の特徴の1つとも言えよう。
 
 子ども期の遊びの意味についてもう少し考えておきたい。
 幼児期の遊びについては何度か触れてきたが、一般的に内遊び、家の中での遊びということができる。それとなく家にいるものの監視が行きとどいた中で、積み木やお絵かきやままごとやごっこ遊びといった形の遊びを思い浮かべることができる。これらは言うまでもなく、幼児が見聞きしたこと、あるいは体験や経験を元にその子どもならではの再構成された表現という側面を持つ。いってみれば現実とまったく脈絡のない遊びというのはあり得ないということだ。遊びには現実からのヒントが必ず存在するし、媒介されるものだと言っていいと思う。
 遊びには、遊ぶこと、なぐさみをすること、あるいはまた、心のおもむくままにするなぐさみ、などの意が辞典に書かれている。なぐさみにはまた、楽しみ、気晴らし、もてあそびなどとある。
 幼児の生活を考えると、眠りや休息、そして授乳や食事などの時間以外はすべてが遊びに見える。生活のほとんどが遊びに見える。養育者などにかまってもらいながらの遊び。ひとりで何かをいじったり、もてあそんでいるといった形での遊び。飽きるとまた違った対象物で遊び、それはころころ変わるが一日を止めどもなく遊んでいるふうに見える。
 大人の世界ではこうした幼児の遊びは一見して全くの無駄に思えるのだが、幼児の世界に入り込んで考えれば、遊びは成長や発達と同義だと思える。幼児の遊びには成長や発達の成果の側面と、さらなる成長や発達を促す側面とが同時に表れる。たとえば幼児の前で小さなボールを転がすと、興味を持てば幼児はそれを手でとらえようと追いかける。こういう場面では手足を上手に使いこなすとかコントロールする能力がついているか、まだついていないかが判定できるし、ボールをしっかりとつかめない場合でも、それを必死につかまえようと、体全体を揺り動かしてボールをとらえようとするところに身体能力の訓練という意味合いが生じる。
 子どもの遊びには意味がある。それは幼児期から児童期にかけての軒遊びや外遊びについても同じことだ。身体的にと精神的にと、遊びを通じてそれまでに身についた能力を発揮しながら、それをいっそう高めていくという形での成長や発達がそこで行われると言っていい。それらを微細に観察し研究することは学者の領分である。
 
 
子ども期の教育と遊び その七
              2015/01/31
 これまでの繰り返しになるが、子ども期の過程とは遊ぶことが必然的な過程である。一人立ちするために、遊ぶことが必須の課題である時期と言ってもいい。そこでは、遊ぶという形態を通してしか成長や発達はあり得ない。逆にいうと成長や発達が、遊びという形でしか達成できない時期を子ども期と言う、と考えることもできる。もっと言えば、この時期にはどんなに熱心にそして本格的に習い事や勉強をしたとして、それらはすべて遊びの範疇に入る。遊びは別に、いい加減であることを意味していない。なぜこの時期の生活のすべてが遊びと言えるのかは、子ども期の習い事にせよ勉強にせよ、すべてが即食うための活動とは言えないからだ。それは遊びというほかない活動であって、子ども期とは、遊ぶほかにどんな活動の必要性も必然性も生じない時期だと言える。
 
 人類が古代に、心的に「人間らしさ」(愛情の目ざめなど)のようなものを獲得してから、狩猟採集を含めた食料調達の活動ははっきりと親や他の大人たちの分業に割り当てられ、未発達の子どもはそうした活動から引き離され、年齢的には徐々に後ろに引き延ばしされるようになったと考えられる。大人や親の愛情と、時代的な食料の充足から来る余裕とがそのことを可能にしていった。それ以前、乳児期には狩猟採集に参加できなかっただろうし、幼児期においても足手まといなどの理由から大人たちと一緒の活動は行えなかったかもしれない。だが幼児であっても条件的に飢渇を余儀なくされた場合は、周囲の大人たちのまねごとをしてなんとか飢えを凌ごうとしたことはあったはずである。未明の原始の時代にはふだんにそうした状況は訪れ、動物生に近かった当時であれば、幼児といえども今日の動物の生き様に似ていまよりは少し早い時期から、食料調達の活動に参加せざるを得ない場合が多々あったと考えられる。
 現在ではそうした原始や古代には想像もできない恵まれた環境の中で、また恵まれた育ち方を享受している子どもたちは、ひ弱で、発達も遅く先延ばしになっている面がある。それに比べ、原始・古代の子どもたちは、四肢の筋力、体力をはじめ、身体能力は現在よりも格段に早くそして強く発達、成長することを必要とされたに違いない。たぶん今の時代のように、子どもをゆっくり、大切に育て上げられるようになったのは農耕生活が定着してからだ。その辺りが、自覚的に子どもを養護するようになった起源と考えたい。
 今日では特にそう言うことができるが、子ども期には遊び以外に、差し迫ってしなければならないことは何もない。大人たちのように自分や家族などが食うために働くとか、自分ともっとも関わりの深い共同体のために、維持や運営を支える活動などの義務を課されることもない。その意味では、成長や発達の自然過程としては、生活のすべてが遊びであるという言い方もできよう。
 もちろん今日のように、学校教育制度の中で知識や技能や社会のルール、地域的な習慣や習俗の規範めいたものを身に付けることを課されたりはしているのだが、それを果たさなければ即生活に支障が生じるとか、直接生死に関わるということでもあり得ない。
 
 以前の文章でもちょっと引用した覚えがあるが、吉本隆明は『家族のゆくえ』と題する本で次のような文を書き留めている。
 
 少年少女期というのは、学制から見れば小学校へ上がるころから中学生までの時期になるが、ここでいちばん重要なことは遊ぶことの拡大だとおもう。親の側からいえば、何も干渉せずに遊ばせる時期だとおもう。
 少年少女期の定義は何かといったら―「遊ぶこと」がすなわち「生活のすべて」である生涯唯一の時期だ。「生活がすべて遊びだ」が実現できたら、理想の典型だといえよう。遊び以外のことは全部余計なことだ。この理想が実現できなければ、おどおどした成人ができあがる。もちろん、わたしもそうだ。これは忘れてはいけないことにおもえる。
「遊び」が「生活全体」である、というのが本質だから、できれば遊び以外のことはやらせないほうがいい。どんな大金持ちの息子であろうと、どんな貧しい家庭の子どもであろうと、生活全体が遊びの時期であるという意味では隔たりがない。みな同じだ。後白河法皇の『梁塵秘抄』ではないが「遊びをせむとや生まれけむ、戯ぶれせむとや生まれけむ」は、思春期や成人期では遅すぎる。ただのつまらない引き延ばしになってしまう。
 親が「勉強しろ」とか「うちへ帰ったらちゃんと机の前に坐れ」というのは余計なことにちがいない。多少、勉強も背負うとすれば、どこか部屋の片隅の方で教科書を開くとか宿題をするくらいだったら、学校制度と折り合いがつくのではなかろうか。これは早期教育の中心課題におくべき、生涯に影響する問題であるとおもう。本を読むのも遊び、勉強も遊び、というほうがいいとおもう。そういうことであれば、制度だから多少は勉強を背負ってもいいけれども、そのほかの要素を入れるのは邪道だとおもう。これは絶対間違いないと、確信をもってそういえる。わたし自身はご多分にもれず、借財を背負うに似て「遅すぎる」の連続だったとおもっている。
 どの家族もたいていその邪道を歩んでいるとおもう。だいたい母親が邪道だし、場合によっては父親だって邪道だとおもう。あるいは学校の先生も。
 小学校の先生は勉強なんか教えなくて、子供たちと一緒になって遊んでいればいいとおもう。いちばんいい教育は休み時間にいっしょに遊んで、喧嘩の仕方を教えたりキャッチボールのやり方を生徒に教えてやることだ。絶対それがいちばんいいとおもえる。
 要するに、教えないようにして教えることしか身につかないとおもう。自分も遊びながら、生徒も勝手に遊びながら聞いている。わたしはそんな感じで教えてもらいたかった。
 少年少女期は生活全体が遊びなのだから、親でも先生でも、もし遊んでやろうというのなら、いっしょに遊んでしまう。自分も子供たちといっしょになって遊ぶ。それがいちばんいいやり方だ。先生や親にとっては遊んでいる時間は生活の一部だけれども、子供にとっては、この時期、それが全部であり絶対なのだから、そうおもって子供たちに接してもらいたかった。(太字は佐藤)
 
 おそらく、読むひとが読めばわたしのこれまでの子どもの遊びに関しての文章が、吉本のこの文を追認するように徘徊してきたのだということが知れよう。ここで吉本は彼の認知のすべてを出し尽くしているわけではない。逆にそれを抑えながらただ彼が断定できると思い込んでいるところを珍しいほど熱く語っているだけだ。その分というべきか、それにも関わらずというべきか、論理的な説得力に欠ける。わたしはそこを補填するようにして理解したいと試みてきた。もしかするとそれは「信ありき」から発していて邪道であり深読みの危険を伴った読解かも知れない。だが、わたしにはどうしても吉本が、盲信のように信じているに過ぎないところを語っているようには思えないのだ。引用した箇所の言葉の背景には、地下水脈の大きな流れのような彼のこれまでの膨大な思索の流れが隠されているにちがいない。これらは表面のほんの一部の上澄み部分が表現されたものだとわたしは考えているのだ。吉本はここではそれだけを述べれば足りると考えていたのだと思う。深層の部分は『心的現象論』などの著作の中で充分に考察し、あるいは解明してきたのだからというように。わたしはそういう考慮の元に、繰り返しその総体の理解に向けて問いかけてきたつもりでいる。
 ここまで言えば、これまでのわたしの文章がけしてわたしのオリジナルな考察や言葉からなるものではなく、吉本のそれを追体験的に認識しようとしているに過ぎないことが明白になってしまうだろう。それはしかし、それでいい。わたしはただ、心の奥深くから子どもの児童期の本質を理解したいと願っているだけだ。
 
 いま、なにげに太字にした部分を取り出して並べてみる。
 
  @遊ぶことの拡大(少年少女期の重要課題)
  A少年少女期の定義は何かといったら―遊ぶこと」がすなわち「生活のすべて」であ   る生涯唯一の時期
  Bこの理想が実現できなければ、おどおどした成人ができあがる
  C「遊び」が「生活全体」である、というのが本質
  Dこれは早期教育の中心課題におくべき、生涯に影響する問題であるとおもう
  Eこれは絶対間違いないと、確信をもってそういえる
  F教えないようにして教えることしか身につかないとおもう
 
 発達心理学などの研究の世界を覗くと、幼児期までの遊びの重要性に言及する部分はあっても、児童期となると、学校制度が上に被さってどうしてもそれとの関係で発達やその課題が指摘されてしまっている。そのために、吉本が言うように、児童期の重要課題が遊ぶことの拡大にあるとか、「遊び」が「生活全体」である、というのが本質、というような言明はなされていない。おそらく、こうした学問、研究の発達がすでに学校制度ができあがってからのものであるため、児童期を考えるのに学校制度に組み込まれた児童を対象とするほかなかったからであろう。研究の対象とする児童の心理にせよ行動にせよ、すでに学校制度の影響が隅々にまで浸透している。
 学校制度を視野から引きはがしてごく普通に考えれば、幼児期から児童期にかけて、子どもは内遊び、軒遊び、外遊びというように段階的に遊びを拡大していくもののように考えられる。成長発達の自然な過程としてはそういう流れがごく当たり前に考えられることだ。それが自然な過程であるかぎり、そこにはまた成長、発達に及ぼす重要な課題が潜在しているはずだ。意味のない時期ではないし、意味のない遊びの拡大の時期ではないはずなのだ。意味のない無駄な遊びの時期ではないはずなのに、わたしたちの社会は児童期の子どもたちから自由な振舞いの時期を取り上げて、秩序と役割に奉仕するように子どもたちに課し、また去勢してきた。そのことがどんなにひとに内在する自然性を傷つけてきたか、その全体的な解明がまだだとしても、今日の社会の子どもたちの突然のように引き起こす殺傷事件を見れば、そこに投影されているとみなすことはごく自然なことと思う。だからこそ吉本は「早期教育の中心課題におくべき、生涯に影響する問題であるとおもう」と述べ、「遊びが生活のすべてである」という認識を児童期、吉本のいう少年少女期に割り当てる必要性を強調しているのだ。
 
 胎児は子宮から産み落とされるが、こんどは家族や家が母体であり子宮であるといえるだろう。その狭い空間が乳児にとっての全世界になる。この全世界ははじめに母胎であり子宮であったものが段階的に拡大していくとみなすことができる。幼児期に成長すれば全世界としての家族や家から少しずつ外界を取り込んでいき、全世界もまた少しずつ拡大されていく。そのように個体の心的な成長と発達は還界認識の自己化を拡大していくように見える。言い換えると、その都度心的な出産と誕生とを反復していくようにおもえる。それが遊びの拡大を通して連続的に行われているのだと考えることもできる。もちろんこれは実証のないたんなる憶測に過ぎないといわれたらそれまでだが、そう考えるとわたしにはとても分かりやすくなる。子どもの発達や成長についてイメージしやすくなる。
 子どもの成長や発達に伴う世界(時空)の拡大は遊びを原動力としてなされる。それが一定の水準に達したときに、ひとは子ども期を終えることになる。つまりその時点でひとは、自分にとっての全世界の了解を一定の水準で内在化させたものとみなすことが可能だ。
 
 
子ども期の教育と遊び その八
              2015/02/14
 出生時および出生直後の赤ちゃんの肉体的、精神的状態を見れば胎児の時に母親の精神状態がどうだったか、また胎内で母親からどんなメッセージを受けとったか、あるいはそのメッセージによってよってどれだけ影響を被ったかが分かるという研究や考え方がある。
 それからの推測だが、母胎が持続して幸福と充足とを感ずる状態にあれば、胎児はそこでの生活を好適なものと感じ、無意識の内に環界(自分を取り巻く世界=全環境)を好適なものと認知するにちがいない。反対にそこでの生活から不安や恐怖に動揺する状態が得られれば、無意識の内に猜疑、不信、疑惑などが芽生えるだろう。
 ヒトの資質や性格の大本はそこで無意識の内に埋め込まれ、自分と自分以外のもの(世界)との関係の初期の形式、あるいは構造の枠組みを決定するように思われる。それはしかし、だからといって決定的なものとはいえない。出生後の母親の授乳の態度もまた、次元を異とした環界からのメッセージとして乳児に受けとめられるために、二次的な資質、性格の形成に結びつけられる。つまり、端的にいえば一時的な資質、性格形成の補正が可能になる時期だということもできる。
 これはその後の幼児期にまで持ち越され、
乳児までの母親との関係としての全世界は、
父親および家族内世界へと拡張されていくものと思われる。拡大していく環界がどこまでも乳幼児に好適なものかどうかを感じさせる度合いで、乳幼児の無意識に形成される心的な資質や性格は多少の変化がもたらされる。つまり、第二の補正、第三の補正くらいまでは想像できるような気がする。
 今日では児童期にいたって子どもの世界は社会にはじめて抵触し、この期をもって彼の(彼女の)全世界はある水準に到達するとともに、無意識の性格の枠組みは決定してしまうと考えられる。これは思春期以後、どんなにじたばたしても動かすことができない。
 以上のことから理想的な子育てというものについて考えてみると、第一に母親を不安や恐怖といった状況から解き放ちより健やかな状態の中に過ごさせることであり、第二に乳幼児からすれば、拡大する環界としての家族が仲良く親和的に暮らせているということだろう。そういう環境があればそれが子どもにとっては環界としての世界を意味するから、そうした親和性や情愛のみちあふれた中では
まずおかしな性格だけは形成されるはずはない。第一段階の大本の性格形成は、「三つ子の魂百まで」の諺にあるようにだいたいその辺りで決定されるだろうが、児童期にも第二段階あるいは第三段階もしくは最終段階として、やはり性格形成に影響を及ぼす時期だという特徴が見られるようにおもえる。
 わたしは児童期というのは、子どもにとっての世界が地域社会にまで広がる(村落共同体程度の範囲)時期のように思われる。子どもにとって全世界が母親だった時期から、家族、地域へと世界は拡大していく。吉本隆明はこの時期を「遊びが拡大する時期」とか、「遊びが生活のすべての時期」というように定義していたが、これを受け入れ、けして強制的に抑圧をかけて包囲しないことこそが子どもにとっての理想的な育ち方だとおもえる。 子ども同士の遊びはいろいろな資質や性格の表出であり、そこでは衝突や折り合いや妥協や愛憎が刻一刻と発揮されるにちがいない。また、男の子らしさや女の子らしさなど性的な発現もはっきりとしていく時期といえる。少なくとも、自然的本能的な成長、発達の側面を抑圧しないで、こういう方向での育て方や育ち方をしたら、今日の児童期にまで降ってきた殺傷事件のような深刻な事態は、緩和されていくのではないかとわたしには考えられる。
 
 現実には未婚女性の出産や離婚家庭が増加し、父子家庭、母子家庭が増えている。子育ての環境は悪化の一途を辿っているようにも見える。児童虐待のニュースも頻繁に見聞きされる。こうしたことの多くは子どもの無意識に、環界(世界)が不快なもの、恐ろしいもの、嫌なもの、といった印象を蓄積させて行くにちがいない。加えて学校教育で5、6時間をみっちりと学習だ、しつけだ、などと毎日やられたら子どもはどうなるのか。暴れたくも騒ぎたくもなるし、生きる意欲さえ失われてしまうのではないのか。
 いま、小学生から大学までの学習とか勉強とか言われているものは、一生懸命知識や技能をコピーしたりされたりしているにすぎない。いわば所詮受験のための勉強や学習に過ぎない。その季節を過ぎたら何も残らない。せいぜい残ったとしても読み書き計算と、あとは取るに足りない知識や技術の類に過ぎないだろう。このことは多くの大人たちが自分の胸に手を当てて考えればすぐに分かることだ。今の時代の子どもたちは、必要を少しも感じられないところで課されるそうした強制には反発してみせるしかないし、自分の将来のためだといわれても実感できるわけもない。子どもと先生とが妥協しあって教室で行われていることは、当然本当の勉強や学習とはほど遠いものだ。勉強も学問も、ずっと先にあってその先からはじまる。いまやっている勉強のほとんどはいらないものだから、子どもも先生も適当にやればいい。ムキになってやる必要は全然ない。あとは高校や大学の受験と就職時の試験をどう考えるかだ。ここをうまくしのげればいいのだが、現実はそう甘くはできていない。ここが問題であり難関のひとつだ。
 学校制度があるかぎりにおいて、基礎や基本として触れることはかまわないが、少なくても小学生から中学生にかけては本末転倒で、人間の根幹としての性格や資質の形成を考えるならば、勉強や学習を第一義に考えるべきではないと思える。この時期は遊びこそが第一義に考えられるべきで、親も先生もそう意識するだけで子どもに負荷される無意識の負担は軽減されるように思われる。だからそうなってほしいのだが、これが実現されるには親や先生たちの意識の変革が必要だ。これも相当に困難なことだ。たとえば、吉本が『家族のゆくえ』で「早期教育の中心課題におくべき、生涯に影響する問題である」と、ある意味で渾身の思いを込めて提案しても、社会や教育の世界から一顧だにされない厳然たる事実がある。吉本の言葉が通用しないばかりでなく、そうした状況に波風さえ立てることができなかった。これは吉本の思想を細々と追い続けてきたぼくのようなものには打撃であるし、現実に風穴を開けるどんな可能性も見つけられずに今日にいたっている。不毛と徒労を前提として、なお考え続けずにはいられないのだ。
 
 文明の加速度的な進展とともに、この社会の中で大きく変わってきたことのひとつに家族の崩壊現象がある。それとともに、存在が学校教育制度とこみになった子どもの世界、特に心とか精神とか呼ばれる面に異変が生じてきたことは周知のことだ。
 何度も繰り返してきたが、吉本隆明は発達心理学などにおける区分の中のひとつとしての児童期について、それがたかだか2、300年前くらいに近代学校教育として制度化された時期からの概念で、いわば限定的なものではないのかという疑念を述べている。つまりヒトの自然な発達や成長にとって、少しも必然的に経ていくべき時期とはいえず、文明の発達によって産み出された産物に過ぎないのではないのかということだ。私はその考えに同調している。
 教育制度とこみに考えられた発達区分はさらなる文明の発達や高度化にとって必要とされるもので、そのように組み込まれ組織化され、教育はいっそう文明に寄与する制度として強化され、拡大されてきた。けれどもこの制度は文明の進展を加速度的に推し進める効果をもたらしたが、ヒトに内在する精神史からはこれを窒息させたり、あるかなしかのところまで後退させるといったような作用をもたらした。いわゆる、ヒトの心がぼろぼろになったり、孤立し、いがみ合い、強欲や猜疑心に駆られるようになったと見られるのはこのことに遠因があるのではないかと考えられる。高度な文明生活の享受。だがその代償として、わたしたちの社会は子どもたちに反自然的な、知識と技術と社会的な規範をぎゅうぎゅう詰めにした生活時空を強制し、これに馴致しないものを真綿で首を絞めるように社会から脱落させ閉め出している。これは正常で豊かなこころとは真っ向から対立する現実の生成にあたっている。
 
 
子ども期の教育と遊び その九
              2015/02/22
 学習や技能に優れること。道徳心を持ち、ルールを遵守すること。平たくいえば、親も先生も含めた世の中全体がこんな姿を子どもに望んでいるようだ。
 俗に七十年代といわれる全共闘運動は、教育闘争を本質として展開されたと考えられるが、わたしは運動の裾野のそのまた末端にあって先の押しつけられた子ども像の解体に一縷の望みを託した。当時も今も、基本的にその子ども像にはかわりがない。それまでに小・中・高の過程を経たわたしには、学習や技能に優れることや、道徳心を持ちルールを遵守することといった点で、同年代の彼我が差別的な扱いをされることはどうにも承伏しがたいものだった。あちらがよくてこちらが悪い、そういう評価自体が、うまく言葉で言い表すことができないが許し難いことのように感じられていた。神様でもないのにどうしてそんな単純な物差しで人間を、子どもを計ろうとするのか。大人たちの、あるいは社会の傲慢さはぶち壊されて当然であり、また、見えないシステムの手先として具体的にわたしたちに評価を下すものたちは、評価を下す資格を有しないものたちだとしか思えなかった。
どうして君たちが人間を、子どもを、いいとか悪いとか判断できるのか。人間について、子どもについて、一体どれだけのことを洞察できているのか。
 もちろん、何の洞察ももたないからこそ、簡便に評価や判断を下せるのだという言い方も成り立つだろう。まったく表層のところで人間や子どもについての浅い判断を下せるものたち。自分がそういう判断や評価を下すことに何の疑念も感じないものたち。そういうものたちが評価や判断を下して、そうできることによって自分は偉いものであるかのように錯覚している。それは人間性を侮蔑する行為でなくて何であろうか。思うに彼らは自分の人間性の浅さを人間性の標準であるかのように錯覚して、人の心、子どもの心はみな同じようなものだと誤解している。負の心性に気づくことない、無の心性に近い心性の持ち主たち。
 こう言っているわたしが、社会の下層にあるものや子どもたちを過剰に美化したり、善良な心の持ち主であり純真なものたちだなどと誤解しているとは考えないでもらいたい。子どもたちや大衆のもつ狡さ、嘘、陰険さ、執拗でたちの悪いいじめやバッシングや村八分的な陰惨さについては十分に経験済みの上だ。そしてそれは何も大衆や子どもたちにだけ見られる特徴ではなく、人間全般について同様のことが見られると思っている。つまり指導層も大衆もない、大人も子どももない、
誰もがもっている心性で、人間はただそれをふだんに拒否する意識的な努力を必要とするとわたしは考えている。
 指導者面をしたがるものたちは、自分たちはそうした意識的な努力をしていると錯覚している。そしてその上で子どもや大衆の上に立ち、そのことを強要する。だがその強要する一点において、彼らは客観的な関係の網の目の上において強制したり迫害したりする立場に立ってしまっている。彼らにはそのことが分からない。分かれといっても無理なことだ。彼らはいつも自分の行っていることは善だと信じ込んでいるし、強制や迫害が大衆や子どもたちのためになることだと信じて疑うことを知らないからだ。
 
 観念(幻想)の共同、共同の観念(幻想)、どう言ってもいいのだが、教育の周辺では未だに冒頭に述べた価値観が固定化されている。わたしは長い間それを今日的な迷妄として打破し、却けたいと考えてきた。けれども、それはますます強固にわたしの目の前に立ちはだかっている。
 
 知識や技能に優れることは、けしてそれだけを取り上げていいことだと言うことはできない。それはある意味で自然な過程であったり必然的な過程であったりというに過ぎない。それを習得する努力を含めて、単にその時代、その社会にその役割を担うことになったそれらの人々は、その優れた知識や技能を自分に占有のものと考えるべきではないと思える。それは他の大勢の人々、あまり知識や技能を持たない人々に向かって、奉仕的に使われるのでなければ意味がない。なぜなら少なくとも獲得した半分は人類の歴史および同時代の社会から与えられたものにすぎないからだ。贈与には贈与をもって報いるのが当然だ。知識や技能を得ることは偉いことでも何でもない。それを持って威張ったりすることは愚かだ。たまたま得ることを可能とする条件下にあって得たに過ぎないのであり、逆にそれを得たことでどう活用するかを考える責任が生ずる。問題はそこからだとわたしは言いたい。
 知識や技能の習得は、地位の向上、権威や権力の獲得、富の獲得と分かちがたく結びついている。これによって人と人の間に上下が生じ、格差が生じる。本当は逆でなければならないはずだ。戦後の教育はわたしたちにそれを教えたはずなのに、結果は真逆であり、そうでありながら教育はそれに答えようとはしていない。相変わらず同じことを主張しながら真逆の結果を容認し続けている。平等をうたいながらそれを実現せず、格差を助長し、固化しようとさえしている。現行の教育と教育制度は、あまりに利己的な生活向上のための手段や道具と化している。わたしたちの国は教育の先進国としても存在すると思うが、この先進国からして教育制度の悪しき面が拡大、膨張しつづけていると言っていい。進学のための、就職のための、官民を問わない登用制度の低年齢化に他ならない。こんなことがどうして21世紀の今日の教育の課題にならなければならないのか、わたしにはあほらしく感じられて仕方がない。
 
 今日の教育制度が最大限に個人に効果が発揮したものとして、わたしたちはすぐに社会の枢要な位置についている人たちを思い浮かべることができる。たとえば安倍首相。たとえば官僚や他の政治家たち。たとえば財界人。たとえばマスメディアの上層部。たとえば企業や法人の上層。たとえば学者や研究者たち。たとえば芸術家や評論家たち。彼らは今日の教育制度の寵児という見方もできる。
 教育はこういう人間と思想の形成に役立ったのかとおもえる面と、こういう人間と思想の形成しか産み出すことができなかったのかという、両価性としてわたしの前に現れる。そしてわたしには後者の数の方が圧倒的に多いように思われるのだが、それはわたしの目が曇っているせいだろうか。威張り腐った文明人面をし、金に強欲で、地位や権威や名声に聡く、平気で大衆に嘘をつき、保身に長じ、自分たちを賢く偉いと誤解している連中。教育や教育制度はそのことを正当化づける根拠とされている。つまり都合のよい道具にしかなっていない。これを避けるのは教育の力ではない。それは何の力かと言えば、うまく言うことはできないが、人間の力だと言ってみるほかに言いようがない。しかも人間の個人の力だと言うよりも、他者の力であり、関係の力だ。それは聞こうとするものにのみ、聞こえるものとして日常の中にふだんに存在する。それは人類の歴史が願望として、今日まで地下水脈のように流し続けてきた言葉にならない言葉のようなものだ。
 
 
子ども期の教育と遊び その十
              2015/03/01
 どこまで本気なのかは分からないが、安倍政権下の文科省から学力向上のうたい文句が流され、メディアからも盛んにそういった面での情報が伝えられてきたという印象を持っている。
 事の発端は、受験戦争や詰め込みを反省した「ゆとり教育」実施後の国際的な学力調査で、日本がその順位をかなり落としたところからはじまっている。
 以前の教育方針が転換し、「ゆとり教育」が打ち出されたのはわたしがまだ現役で小学校教員をしていたときのことだ。それまでの、教員にも児童にも過重な負担を強いる教育の現場に不満を持っていたわたしは、文科省や学者たちから下ろされてくる「ゆとり教育」という方針の転換に少しも満足ではなかったけれども、とりあえずその方向での理念の現実的な実現を図る以外の改善策など見いだせず、できるだけ転換を好機とするために個人的に努力もし、研究もした。だが、その過程で体感したことは、「これはうまくいかないだろうな」ということだった。一言でいえば、学者と役人たちとでこしらえた「ゆとり教育」の理念は、文言の官僚的色彩と相俟って、現場の先生たちにはストレートに理解されないものだと思われた。逆にいえば理念の構築者たちはあまりにも現場に無知だということも言えた。伝達の方法や形式の問題なのか、教員たちの理念を理解する能力の面で力不足なのか、上から下への多重な伝達経路が途中でノイズを差し込むためなのか分からないが、その初期から「これは駄目だ」ということが感じられた。「ゆとり教育」の推進と具現化の過程は、この国の教育が完全に機能不全に陥っているという実態をわたしに教えるものだった。これは教育制度システム、あるいはその中でも制度の機能システム上の問題で、回復の見込みはないと判断された。
 案の定それからしばらくして「ゆとり教育」は豊かな果実を実らせることなく終焉を迎え、方針の転換ということになった。導入された「総合的な時間」の理念は高尚なものだったが、教育的実践そのものはみすぼらしいものだった。この理論と実践の落差は真に考察すべきものだがこのことさえしっかりと解明されずに、こんどは一転して国際的な学力低下の調査結果に不安する勢力が中心となって学力向上が強化されることになった。ふざけた話だ。一国の教育方針を決めるからにはあらゆる予測できる事態を予想し、そのことも踏まえた上で方針を決定し貫くべきなのに、中身の吟味精査など抜きにしてまたぞろ掲げる旗を差し替えて事を構えようとする。こういうやり方では同じ結果しか生み出さないことは自明で分かりきっているはずなのに、相変わらずのお役所仕事でその場しのぎだけを繰り返す。「受験戦争」も「ゆとり教育」も「学力向上」も、その間の児童期や思春期を主とした、いじめ、引きこもり、家庭内暴力などの、子どもの世界の生活や精神の異変に何らの実効性ももたず、ただに表向きの看板をすげ替えて話題づくりをし、「努力しています」のアリバイづくりをしているだけの話だ。こんなことが繰り返されているのを見ると、本当に誰も、子どもの世界の荒廃を憂いているものはいないのではないかと思ってしまう。研修会、研究会と称するものが何度も行われ、有識者の提言が何度も出され、文科省の方針が転換され、けれども子どもの世界の荒廃は相変わらずで、何のどんな効果もまったく見られずに日々荒廃は進んでいる。
 臆面もなく、またぞろ「学力向上」を持ち出すなどは正気の沙汰ではない。子どもの、しかも荒廃や危機に直面した子どもの世界を無視して、国際的な場での国家的な競争という体面を表沙汰に、学力を向上させよとは何だ。我が国の指導層は、自国の国民や子どもの生活の荒廃や危機にまったく無頓着であるにもほどがある。怒りを通り越して情けない。そういう連中が指導層に居座っている。
 わたしに言わせれば、学力を上げることなどは教育の目標や公教育の方針とするに値しないことだ。少なくとも我が国において、小学校から大学にいたるまでに言われるところの「学力」とは、歴史的に累積された知識や技術、技能などを個人の脳に転写するだけのもので、要するに「コピペ」、コピーアンドペースト、の問題に過ぎない。どれだけ正確に、どれだけたくさん、それを個人の脳に転写することができたかが問われるだけのことだ。こんなこと21世紀の今日の差し迫った教育課題に本当になり得るか。
 できるだけたくさんの多種多様な知識や技術を習得し、難問、奇問に、それらを上手に切り貼りするようにして答える、いわば知のスポーツ、知の遊びが本当に現在の子どもたちに必要なことだろうか。元々が「コピペ」に譬えられるようなものにすぎない「学力」が、今日の教育の重要な課題になるとはどうしても思えない。国際的な評判を得たいだけの連中に、子どもの世界をかき回されたり、彼らの思惑通りに子どもの世界を提供するなどは、教育にたずさわった経験があるものとして最大の恥辱であると感ずるし、本当は現役の先生も親たちも怒りの声を上げるべきなのだ。こんなものは近代教育制度の初期の課題にはなり得ても今日的な課題になり得るはずがない。個人的に刻苦勉励して、多大な知識や技能を脳に転写したそれだけのことで、何の価値ある生き方をしたわけでもない東大生などがどうして一目置かれるような具合にこの社会は構成されてしまうのか。もはやそれは知の領域における宗教とみなすほかはなく、その実態は制度とシステムの肥大化や協力者として、真正面からあるいは側面から奉仕する宗教的な信奉者としての意味しか持たない。彼らが知の部分を捨象した人間の実態生活について何を理解しているだろうか。人類の歴史のそれは枝葉の問題に過ぎず、根幹は無名の大衆の日々の生活、その沈黙の表出の中にしか表れないし見えては来ない。
 いったん文科省が「学力向上」と言えば、日本全国津々浦々の離島の小規模学校までその教育方針に「学力向上」の文言を打ち出すにきまっている。これもまったくばかげた話で、しかも関係者は一寸もこれをばかげた話だとは思わないで推進することだろう。はっきり言ってこの国にはひとりの自立した教育者も存在しない。みな奴隷に成り下がり、家畜化した教育者ばかりだ。
 
 わたしが今どこかの小学校の校長であれば、学力の向上などは二の次三の次の問題にして、「遊ぶ力の向上」をメーンにして教育のプログラムを組むだろうと思う。それを実現化するにはもちろん市町村の教育委員会の承認という難問があるにはあるが、もしも正攻法ではクリアできないのであればいくらでも裏道を考えることはできる。そのようにしてともかく小学校では、小学校卒業までは、遊びをメーンにして生活させたい。
 今の日本の社会は、若者を中心として形の上では自由主義を繕っている。その雰囲気は児童期の子どもの精神にも伝わっているに違いなく、以前にも増して自由さ(身勝手さも含んだ)へのあこがれは深刻になっている。その反動と言えるかどうか、学校は以前にも増して監視的な面が強化され、じわじわとあるいはやんわりと、またからめてから抑圧を強化してきている。たとえば掃除や絵本の読み聞かせと称するボランティアの積極的受け入れや、学校評議委員会の定例会や、学習支援のボランティアの要請等々によって学校機能を高め、堅固なものにしてきている。そしてそれは対処療法的には一定の成果を収めているとも言える。だがこれは量的な導入によって、かろうじて全体を布団をかぶせるように押さえつけているようなものだ。事の本質の解明に向かったものではない。
 現役時代の時もそうだったが、今も授業は45分間を単位として、その間は静かに席について学習することが基本とされている。わたしの子ども時代には当然のことでも、今の子どもには通用しないことが多い。じっと坐っていることに耐えられないと平気で口にする子どもが少なくない。我慢できない子どもが多くなっているということだろうが、これを昔の子どもと同じように我慢させることがいいことだとは思えないところがある。いろいろな条件や状況が変わっているところで、こういうところは変えずに、同じように堅持していられるのかという問題がある。ほんとはこれは子どもの身になって考えてみなければ分からないことだ。先生を含めた大人たちは、子どもの立場に立つのではなく、指導者として、教える立場からしか子どもを見ないものだからできないことはなんとかできるようにさせなければならないという考え方に立つ。45分間静かに席について学習できないことはダメなことで、これをできるように指導し、教えることが教育だと思っている。子どもはそう受けとらない。自由勝手に振る舞っていたいのに、先生はそれを制止し、制御すると感じとっている。
 あたかも政治や政治運動の指導者たちが、大衆は無知な存在で啓蒙しなければならないと考えたように、教育の現場では子どもが無知な存在として教育されることが必須だと考えられている。だが大衆がそうであるように、子どももまたけして無知として存在しているものではなく、家族や親族や周囲の人々、あるいは友だちなどとの関係の中で生き、愛憎をはじめとする人間的な諸力を込め、希望し、夢を抱き、不安におののき、悩み、恥じらい、誇り、信じ、懐疑しなどしながら日々を充分に人間らしく暮らしているのだと言える。見方によっては単純とも見えるその日々の子どもらしい営みを、意味のない、あるいは価値のないものと考えることはあまりに偏狭であると思う。子どもたちの人間形成に大きな影響力を持っているのは、本当は子どもの身近に存在するものたちの中にあり、自由や平和や共助のあり方の萌芽もそこから、つまり身近な関係の世界から生まれるものだといったほうがいい。けして道徳や大人たちの口だけの理念が子どもたちに影響するわけではないのだ。そしてもしも影響するとしても、同じように口だけの、上辺だけの、悪しき二重性をもたらすという意味での影響があるばかりなのだと思える。
 
 ところで、最近の武田邦彦のブログの中に、次のようなコメントが見られた。
 
赤ちゃんは誰もが意欲満々に生まれ、自己達成欲に充ち満ちている。だからそのまま育てれば思春期になっても大学生になっても、意欲があり、自己達成欲のある素晴らしい子供になる。それを毎日のように壊しているのが、両親と学校の先生と私は思う。(太字は佐藤)
 
(略)
子供が何かを達成したときには「褒める」とか「オモチャを買ってあげる」のではなく、「達成したことを子供と一緒に喜ぶ」ということだ。
 
厳しく育て、常に共感する・・・これが教育の王道であることは、多くの先人たち、先端の教育学で認められていることで、なにも特別なことではない。
 
 教育の王道かどうかは別として、このコメントには単純だが重要な観点がいくつか示されている。まずは「赤ちゃんは誰もが意欲満々に生まれ、自己達成欲に充ち満ちている」
という言葉に着目したい。母親の胎内での過ごし方に特別な事情がないかぎり、武田の言うように新生児は「生きようとする力」を携えて生まれ、またその必死さをけして隠すことはない。生命には生まれながらにして生きようとする力が備わっている。フロイドはそれを生命衝動と呼び、広義に性的衝動と分かちがたいことを伝えている。武田は、この言葉のあとにすぐ、「だからそのまま育てれば思春期になっても大学生になっても、意欲があり、自己達成欲のある素晴らしい子供になる」と続けているが、わたしたちの考え方では少なくとも胎児期から乳児期にかけて母親(母親代理)との関係が良好であればという条件が付加される。つまり胎乳児期に理想的に愛情いっぱいの育てられ方をしたら、もともと携えられていた生命衝動、生きようとする力が効果的に発揮されて、誇張していえば黙っていても自己達成欲のある子どもに育つということだ。ひとまず、ここでは勉強ができるとか頭がよくなるとかとは関係なく、こう言うことができる。これは人間の子どもの成長過程における普遍性に関する問題で、ごく普通の自然な成長というものはそこまでは保証されているものだと言ってもいいと思う。だが、皮肉にも現代社会では人間の自然な成長過程を掻き乱し、阻害するものとして両親と学校の先生とが立ちはだかっていると武田は言う。とても粗っぽい言い方だが、武田の言っていることはわたしがこのシリーズで考察してきたことや前のシリーズで考察してきたことの、結果的には同じことを端的に述べたものということができる。もう少しいえば、せっかくもって生まれた生きる力、生きようとする力、生命衝動を、親と学校の先生たちとで台無しにしてしまって、自己達成欲の芽を摘んでしまっていると武田もわたしたちも考えていることになる。
 もうひとつ武田のコメントで考えておきたいことは次の、「達成したことを子供と一緒に喜ぶ」という言葉だ。この言葉の前で、褒めるとかおもちゃを買ってやることなどいらないことだとも言っている。
 おもちゃを買ってやることもそうだが、褒めるということも流行になっていて、どちらも子どもが何かを達成したときによくとられる手段だと言える。個人的には、よく学校では先生たちが児童を無駄に褒めるのを見聞きし、辟易することが多い。無駄に褒めることもおもちゃを買うことも、ほんとは先生や親たちが、「子どもと一緒に喜ぶ」という共感の手間を省いていたり、共感するという心情そのものを消失していることの裏返しのような気がしている。つまり本当に子どもと関わろうとしていない、いっしょになって遊んでやる、かまってやる、考えようによってはそういうことが煩わしく感じられて、そこをはしょってけちっている無意識の罪障感として、おもちゃや無駄な褒め言葉に形を変えていると思う。本当に心の底から「子供と一緒に喜ぶ」には、前段に子どもと一緒に過ごす時間が必須である。そしてはじめて子どもが何かを達成したときにいっしょに喜ぶことができる。そこには何の思惑の生ずるはずがない。自分のことのように嬉しく感ずるから喜べるのだ。そういう寄り添いの時間を、今の親も先生も、子どもにとって何よりも貴重で大事だと考えることができない。かく言うわたしもそうだったからあまり親や先生を批判することはできない。でも、今となってみればそうすべきだったと思う。あとでこんな反省をしなくてもいいようにという思いで、今こんなことを親や先生たちに向かって言っている。
 最後に武田さんは「厳しく育て、常に共感する」のが子育ての王道だと述べているが、「厳しく育て」には少し異論が残る。「優しく育て」てもいいのじゃないかと思うところがあるからだ。文末に「特別のことではない」という言葉がおかれているように、ごく普通の感覚として普通に育てればいいわけで、それが厳しさか優しさかはあまり考える必要がないように思える。意図的に厳しく接したり優しく接したりしなくても、個々人はそれなりでそのままの素を出して、ある人は厳しく、ある人は優しくというのがそのまま出てかまわないのだとわたしは思う。とにかく、特別なことをしなくたって元来が子どもには生きる意欲が備わり、自己達成欲をもち、それを壊さない育て方が大事だというのが武田さんのここでの結論だと思う。それには寄り添う時間、かまってやる時間が必要だし、自分のことのように子どもの生きる力、生きようとする力を愛することが必要だと思う。その他のことはなるがままの成り行きに任せて、それでまずは生きることの上での不都合は生じないと考えていいと思う。
 
 子ども時代の遊びは人類が累積してきたもののうちで、歴史的な成果のひとつと考えることができるように思える。幼児期から18歳前後まで、教育制度に抑圧されながらも子どもの遊びは拡大され続けてきた。この事実は他のどんな生物とも異なっている。子どもの遊びは幼児期の内遊びから軒遊びへ、そして児童期の外遊びへと拡大していく。これだけの時間を遊びだけに費やす生き物をほかに知らない。児童期の遊びは活動の範囲も内容も広がりと高度さをもたらす。この時期はいわゆる子どもの遊びの絶頂期として典型的な
とても重要な時期だ。同時に乳幼児期のくぐもった心身の性的な要素が外面化して、その発現が奔騰化する時期にあたっている。生きる力の変形とも言える遊びの衝動は、性の衝動と発現とに分かちがたく結びついている。存分に遊ばせるということは性の奔騰を抑圧しないことと同じだ。性の発現や外面化は、本人にとってみればアメーバの触手のように手探りの感知の過程の連続で、この時期のそうした体験と経験はその後の自己達成欲の展開と維持に大きく影響すると思える。とりあえずこの時期の自分の潜在する性を外面化し客観視することは個にとってとても重要なことだとは考えることができる。存分に遊び、それにともなって潜在する自分の性を存分に外化する体験や経験を経なければ、将来に禍根を残すとわたしは思う。といっても、この時期の性の発現とは個性の発揮と同義の程度のもので、大人の考えるセックス的な性とはまったく関連がないとはいわないまでも違っている。そこに接続する子どもらしい性の展開が、段階的なものとして想定することができるように思う。いずれにしても、それは人間としてというよりも、生物存在として本能に直結する二大特性のひとつにちがいないからおろそかに考えることはできない。それを抑制してすむという話ではないのだ。
 ところが今日の社会は、子どもの生活のメインともいうべき遊びや性の発現を、学校教育制度に組み込むことによって子どもの生活全体の中の端っこにそれを封じ込めてしまっている。そうして歴史的に累積された知識や技術の、大脳皮質へのコピーに多くの時間を割くように子どもたちを囲い込んでしまっている。これがどんな弊害をもたらしてきたかは今日の子どもの世界を見れば歴然としている。武田さんが言外に言うように、自己達成欲、言い換えれば生きる意欲の喪失だ。どうしてこんな状況を放っておくのかわたしには理解できない。そうして誰もが異議など唱えそうにない「学力向上」の名にかくれて教育的環境ををいっそう強化し、子どもの自由な遊びと生命的発露としての性の発現を大幅に抑圧しようとしている。これを見過ごすことは加担することと同じだ。親も先生もわたしたちも、子どものためと思いながら、もって生まれた子どもの生命力を縮減し、破壊しにかかっている。
 水面に浮かんだ金魚が口をぱくぱくさせ、水中では欠乏した酸素を空中に求めるように、今日の子どもたちもまたどこかに避難すべくあちこちに出口を探し求めている。あるものは引きこもりの形で、またあるものは他に被害者を求める形で、そしてまたあるものは樹木や虫や無機物の方角に向かい、人間の子どもであることから逃れようとすることで危機を回避しようとしている。
 
 ここまで語ってくればもはや言うべきことはないかも知れない。私の考えはこれ以上でもなくこれ以下でもない。ただひとつ言っておくべきことは、現実の社会や学校教育制度に逆行するようなこうした考えは先見的に実行不可能と思われることについてだ。これについて、わたしは吉本隆明の提案に含まれている「折り合いをつける」ということで、なんとか遊び中心のシフトに転換できると思っている。勉強も遊び、学校生活全体も遊びというようにシフト転換できれば、子どもの心に抑圧として乗りかかってくるものを軽微な規範程度のものに転換することはできそうな気がする。これには親の意識の変換が最も重要で、社会の空気感を含めた考え(共同幻想)に立つのではなく、親子の情愛を中心とした家族関係、家族感情(対幻想)に立脚した意識の持ち方、具体的には何の偏見も持たずに純粋にただ子どもをかまうということで乗り越えていけるだろうと思っている。子どもにあまり多くを望まなければそれは可能だ。多くを望まないことでかえって子ども本来の自己達成欲は健全に育っていく。学習も適当、スポーツも適当、一見するとそれは個性が発揮されず、大きな夢や望みも抱けず、何につけても中途半端な子ども期を送っていると見えるかも知れないが、枝葉ではなく幹や根っこの方では生きる意欲に満ち溢れた心的に頑丈な骨格を形成して行くにちがいない。そして夫婦親子が親和的で、開放的な関係が築けたならば、それ以上と言えるものはほかに何もありはしないのだ。わたしはそう考える。