泡立つ子どもの世界
 
もくじ
源流論 1
源流論 2
源流論 3
源流論 4
源流論 5
源流論 6
源流論 7
源流論 8―@
源流論 8―A
源流論 8―B
源流論 9
源流論 10―@
源流論 10−A
源流論 10―B
源流論 11
源流論 まとめ
 
 
源流論 1
              2015/12/04
 幼児期までは「けんか」はあっても「いじめ」はない。そこまでの知恵が回らないと言えばそうかもしれないが、それだけとは言えないような気がする。おそらく乳児や幼児の生活の主たる拠点は家族内にあり、少し範囲を広げて考えても親族などの血縁の共同性に守られて存在するからだと考えられる。非血縁集団の中で自ら小集団を組むようになってはじめて、いじめは本格化する。
 系統的発生論は、個体の成長・発達は人類の進化・発達に対応すると考えている。そこから見れば、原人・旧人・新人の区分のうち、原人、旧人までを乳児期、新人は幼児期以降に該当させてよいと思われる。意味ある音声言語の発達と飛躍的に活動範囲が広がった新人出現以後は、個体では乳児期から幼児期へ移行した時期に対応すると見なされる。もちろん、これ以外に、論者の数だけ人類史と個体史の対応のさせ方は様々である。
 いま、新人のところを時代区分の考えに置き換えて、先史人、歴史人というように読み替えてみる。そして、乳児期としての原人、旧人はそのままに、先史人と歴史人を我々の年齢区分のどのあたりに対応づけられるかと考えてみたい。
 解剖学者の故三木成夫さんは、幼児期と児童期が重なるおよそ3歳前後から10歳前後までを先史の時代に対応するとしていた。おそらく三木さんは、10歳前後の精神構造が文字文化に耐えられる構造に発達すると見なした。だから幼児期、そして児童期の一部は先史に重なり、歴史時代は10歳以後に対応されると見た。
 このことはしかし、経済社会的な範疇で考えた時の区分とは微妙に相違してしまう。例えば思想家の故吉本隆明さんは食料の調達の仕方や集団の組み方から、時代を原始未開、前古代、古代、またそれ以降というような区分の仕方をしている。吉本さんの考える古代の特徴は、農業が発達して中心の産業と言える社会の到来であり、集団的には非血縁の部族社会が成立し、統一部族国家が成立した時期ということになる。これに先立つ前古代は狩猟採集と原始農耕が併存し、共同体の構成としては血縁であることを脱する以前の主に家族、親族、氏族までの間で構成されていた時期と言うことができる。
 吉本さんの考え方から言えば、原始未開には乳児期までを充てて、前古代には幼児期以降をあてはめるところまでは三木さんの考え方とも矛盾しないように思える。ただ吉本さんの考える古代という時期は、非血縁の共同体で統一部族国家の成立時期にあたり、これは現在でいえば小学校に入学して、非血縁集団を組んだ生活が始まる児童期に該当すると考えることも出来る。
 しかし、問題なのは、三木さんの考え方にしても吉本さんの考え方にしても、現在の心理的な発達区分であるところの児童期をはっきりと、それぞれの考える人類史の区分と明確に対応づけられない点だ。
 三木さんの考えは、およそ10歳くらいまでの子どもには先史人の名残が見られるというものであり、現在の児童期という区分とはずれている。また吉本さんの考えでは現在言うところの5、6歳に始まる児童期が、本当に古代に対応づけられるかの確証が得られない。経済的には両親の完全なる庇護下にあり、それでいながら義務教育の形で生活のほとんどを非血縁集団の中に過ごしているからだ。
 三木さんの採用している区分としての歴史人を人間の成長、発達史の上から10歳以後とし、吉本さんの言う古代を、仮に自ら非血縁の集団(徒党)を組み、飛躍的に自立した活動の可能性を持ち始める10〜12歳前後と考えれば、両者は10〜12歳のところで歴史時代及び古代と対応づけられるように思われる。そうして考えた時に、では、三木さんが先史人の後期のように見なし、吉本さんの考え方から見れば前古代の後期に見なし得るおよそ5歳から10歳の間を、現在、児童期と呼ばれている時期に重ね、果たしてその時期に知識や技能、道徳などをぎゅうぎゅうに詰め込む在り方は、子どもの成長に適合した妥当な制度であると言いきれるだろうか、という疑念にとらわれる。本当は知識や技能、道徳などを身に付けさせることが妥当な時期は、三木さんが歴史時代の始まりに対応すると考え、また吉本さんが古代と呼んだ時期に対応できると見なされる10〜12歳頃から始まるのがよいのではないか。
 結論から先に言えば、およそ10〜12歳までは幼児期の延長と考えるか後期幼児期と考えることが妥当だと思われる。そう考えればおよそその年令までは過度の学習や規範を強制すべきではないことがはっきりする。あるいは吉本さんふうにその時期を少年少女期と呼び変え、生活の全てが遊びと解釈してそのような場所と設備、そして時間とを子どもたちに提供することが、本当は子どもの成長や発達にとって自然な過程と言える大事なことなのかもしれない。
 このように系統発生論的な立場に立って考えれば、現在の学校教育制度は人類史の進化、発達の歴史を、あるいはその一切の蓄積の本質や真髄を正確に個人に植え付ける流れに沿ったものだとは言いがたい。また歴史的産物とは言えるが、恣意的で、共同体の意向が大きく反映した、けして個を優先して育成する配慮のもとに成り立った制度とは言いがたい。
 もしも10〜12歳までを三木さんのように先史の時代に対応させ、吉本さんのように前古代に対応させて考えるならば(本当はこれについての吉本さん本人の直接の言及はないが)、この時期までは本来なら家族、親族、氏族を中心とする共同性の中に過ごすことを第一義とし、非血縁集団の中に過ごすことはこの時期の最後期あたりからとしなければならない。そうしたら子ども史上最悪の凄惨ないじめ問題は、少なくともその最悪の事態を回避することが出来るのではないだろうか。
 もちろん現行体制がすぐに変えられるとは思えない。
 だが現在子どもの成長、発達の道筋はぎくしゃくとし、これをスムーズに進ませるように変えていくことは急務のことだ。何よりも現在の子どもたちの姿が、制度的な改変の急務であることを告げている。
 何が問題なのかははっきりしている。三木さんのような生物学的なカテゴリーの窓からのぞいてみても、あるいは吉本さんのように経済社会的なカテゴリーの窓から眺めてみても、現在の学校制度をもとに設けられた6歳からの児童期という発達区分が、自然、教育と込みになって語られ、考えられていることが問題なのだ。
 個体発生は宗族発生を繰り返すという考えの立場に立てば、乳児から幼児、そして現在小中学生と呼ばれるおよそ10歳から15歳までの子どもの精神構造は、先に見た先史時代とか前古代とかの、人類前史の精神構造に対応させることが出来る。だが人類史を振り返ればそこまでの時代に、一定の年令に達した子どもを集めて狩猟採集の訓練や軍事訓練など、現在の学校教育制度に繋がるような慣習の痕跡を見つけることは出来ない。つまりこの制度様式は、子どもの自然な成長、発達過程の中に近代になってはじめて意図的、人工的に挿入された、異質な成長過程を組み込んだものと考えることが出来る。そしてこれが本来の自然な成長の過程とどんなに異質であるかは、今日の子どもたちの学校そして家庭での生活を観察し、また振り返れば一目瞭然だと言えると思う。まるで人工心臓をつけた身体が拒絶反応を起こすかのように、子どもたちは現在の世界、今日の社会に生理的な拒絶反応を起こしているかのように存在している。苦しんでいるのはどの子どもたちも同じだ。ただ遭遇する現実以外を知りようがないから、その状態が本来の在り方と錯覚する以外に子どもたちは自己を救済することが出来ない。わずか数十年前の野原を駆け回っていた少年少女の姿など、今日の子どもたちはもはや想像してみることさえ出来ないところに追い込まれている。不登校があり、校内暴力、家庭内暴力があり、いじめがあり、さらには樹木とか虫たちとかの世界の入り口に足を向ける子どもたちがいるといったあんばいだ。これで子どもたちの発達や成長が、異常な過程に押し込められていると考えなかったら嘘なのだ。
 
源流論 2
              2015/12/09
 人間の新生児が他の動物に較べて遅延して成長するのはいろいろな理由が考えられるが、授乳やおむつ交換の世話を含めてつきっきりで母親(代理)と接触する中で、言語の習得をはじめ人類がこれまでに獲得してきた様々な歴史的な体験の蓄積、その成果を新生児に植え付け、現在的な世界に適応して生きられるようにするためだというのも、おそらくそのひとつである。
 その時母親は現在世界の体現者(代理者)となって乳児に接し、母親が獲得した現在世界の要因は全て、つきっきりの接触を通じて乳児に転写される。このことはその後の子どもの運命を決定し、左右するほどに重要なことだと思える。
 しかし、胎児期から乳児期にかけて個体の資質や性格のおおもとが、母親やその代理者を通して形成されるとは言え、これだけで現在世界への適応が十二分に果たされる条件が完備されるとは思えない。そのために、現在の社会では以後、幼児期、児童期、思春期などの発達段階を経て、およそ18歳から20歳までを未成年と考えて適応のステップをこしらえている。つまり、一人前になるための手厚い手助けをしていることになる。
 こう考えると他の動物たちとは隔絶の感がある。また、個体が自活するためだけにもこれだけの猶予期間を有するということは、いかに人類の無形の蓄積がその起源から膨大なものに膨れあがってきたかが想像され、それを身に付けなければ現在社会に生きられない、それを身に付けるために20年近くの歳月を要する、そういうことに改めて驚かずにいられない。半分冗談交じりに言えば、この先寿命の延長と加速する歴史時間を考慮すると、30歳、40歳までが未成年として扱わなければならない時代が到来しないとも限らないのではないかとさえ考えられてくる。
 それはそれとして先の話を繋げば、現在の幼児期、児童期などの区分は当然ステップアップの時期区分であり、これまで人類が積み重ね蓄積してきたもののうち、必須のものを子どもたちに獲得させる時期にあたっていると見なすことが出来る。
 明瞭な形で目に見えるそのひとつは、いうまでもなく児童期に始まる学業である。現在、高度な文明社会にスムーズに適応できるようにするため、社会はこの様式、制度を編み出し、子どもたちに知識や技能、また道徳律などを提供してきた。西洋の歴史ではおよそ200年、日本では150年ほど、学校教育の機能は十分に使命を果たしてきたと言えば言えそうに思う。
 しかし、系統的発生論の考え方からすれば、なぜ6歳(日本では)という時期に学校教育制度に組み込み、そこで知識や技能や道徳律をぎゅうぎゅうに詰め込まれなければならないのかがよく分からない。というよりも、前述してきたように本当は10歳以後からがふさわしいと思われる。そうすると、幼児期と、現在言うところの児童期とでは、人類の歴史が蓄積してきたもののうちでいったいどんなことを植え付けられ、あるいは身に付ける必要があるのかということになる。ここのあたりも本当はよく分からない。
 子どもの心的、精神的な成長、発達から考えれば、母親(代理)との接触は人間的な基礎の基礎を埋め込まれる時期だと考えることが出来る。学校で教えられることは非血縁集団の中でのふるまい方であり、社会生活に必要となる基礎的な知識や技能などだ。現在の高度な文明社会ではさらに高度な知識や技能の習得が必要となって、中学、高校、大学への進学が当然のように受け取られている。
 考えたいことは、母親との一対一の関係から学校における同一年令集団の関係までの過程で、いわゆる今日言うところの幼児期という発達区分の中では子どもの成長、発達の歴史から言えば何が獲得され、そしてそれはおよそ2歳から5歳くらいの区分の間で十分に獲得されているものなのかどうか。またそれ以後、すぐに学業の集団生活に入って、その間に何か獲得すべきものの体験の欠損が生じているということはないのかどうか、というようなことについてだ。
 幼児期ということは言うまでもなく家族体験ということだ。家族共同体内に暮らし、母親以外の家族から愛情をはじめとする様々な心的な接触の契機がもたらされ、その過程でよりいっそう人類の歴史が積み重ねてきた現在性という所産に近づく。具体的には言語の拡張であり心的な枠組みの拡大であったり、人類初期の共同性体験であり、あるいは古代や先史時代における精神構造に自分のそれを高めていくことが行われているのだと思う。
 この時、乳児期における母親との密なる経験はそのまま幼児期を通過していく場合もあれば、拡散し、幾分か否定されるという場合もあり得る。つまりそのことは複数(家族内他者など)の視線や視点を自分の中に取り入れるということでもある。そのように、次元が異なっていく過程で構築と解体が心的に積み重ねられていくと考えられることが出来よう。具体的には幼児期において、乳児期における母親から獲得したものは家族内で相対化にさらされ、およそ児童期になると家族関係から生みだされたものは血縁内、地域内において相対化にされされ、その度に精神の解体と再構築化が子どもの内部でめまぐるしく変転されていくと思われる。
 このように見てくると、確かに幼児期は家族共同体の体験であり、これは歴史的には先史の時代もしくは前古代に対応づけられそうだ。また、孤絶した家族共同体というものを想定しないとすれば、これには親族から氏族共同体までが自然な構成として入り込んでくる。親族とは血縁及び姻戚関係にある人々を指し、兄弟姉妹が新たに婚姻することによって空間的に家族の外部へと拡張していくことで成立する。また氏族とは親族空間が拡大して血縁性は薄められるものの、同じ祖先から出た一門を指し、年長者の中の代表が統率する社会構成の単位であり、はっきりと非血縁のいくつかの氏族を併合した部族集団が成立するまでの、最大の集団を構成するものだったと考えることが出来る。
 このあたり、素人にとって人類の初期にどのような集団形成がなされ、どのような経過をたどってどのように形態変化、発展を遂げてきたものかはよく分からない。ただ子どもの社会性との関連からその成長と発展の過程を見ると、家族から親族、そして遠い血縁の一門というあたりまでは現在社会にも名残を留め、うっすらとではあるが未だに意識されているところのように思われる。つまり、子どもたちはそれぞれの共同体の差異に出会いながら、外部世界へと空間を拡大しつつ成長、発達していくもののように見受けられる。そして氏族までのはっきりとした拡大した空間性を把握し、自覚的になるためにはそれ相応の時間を要することになり、氏族内での習俗、慣行を理解するようになるのは子ども期といってもかなり後期に属することは間違いない。
 日本ではおそらく明治期以前まで、個体の生活空間は家族、親族、氏族、そして氏族への広がりの間に浮上してくる地域社会の空間内に、その生涯を埋め尽くすことが一般的だったのではないかと思われる。言葉を換えていえば、その緩やかな共同体を背景のように持ちながら、実際の個体を律する上位の規範は家族、親族、氏族、つまりは血縁共同体というものの内部にあり続けたと思う。もちろんはるか以前から部族社会が成立し、強度の掟、規範、法に縛られていなかったとは言えない。けれどもそうした非血縁集団を構成した以降においても、それは必ずしも血縁の絆を尊重しなかったということではなかったように思う。逆に非血縁集団を構成していても、互いの血縁性を尊重し合う非血縁の共同体でありえたように見える。
 つまり、かつての日本の子どもの成長というものは、母親から家族、そして親族や氏族そして村落共同体のような狭い地域社会に地続きのように接続しながら、それぞれの段階における共同性から生みだされた観念や幻想の中を試練としてくぐり、自らの、共同性の一員としての在り様を決定していくものだったと考えられる。それはつまり、段階的な成長と発達を遂げていく様式だったということである。
 
源流論 3
              2015/12/13
 ここまで、人間の胎児や乳幼児や児童期の精神構造が、人類の原人、旧人、新人という進化の区分における、それぞれの前史時代の精神構造に対応できるのではないかと考えてきた。またしばしばそういうものとして考えてみた。それは主に有史以前として、三木成夫さんの歴史区分の捉え方からすると先史時代までということであり、吉本隆明さんの区分から言うと前古代というところまでを考え、それは子どもの年令で言えばおよそ10歳までに相当すると考えてきた。
 有史以降というと、思いつくのは古代、中世、近世、近代、現代という区分で、いま仮に対応の流れをそのまま無理に当てはめれば、10歳以後から20歳頃までと言えないことはない。だが、今のところこれを対応づけることは難しくて出来ないし、仮に結びつけて考えてみたとしてもそれほどの重要性はないだろうという気がする。それでも人類史の精神構造の段階を考えようとした時に、およそ現代人で言えば20歳くらいのところまでは継続して考えられなくはないという気はする。逆に、そう考えてみると、人類前史と子どもの精神構造の対応はいっそう、その結びつきが堅固なものに感じられてくる。
 こういう考え方を極端に単純化すれば、人間の個体は、人類史の原始未開の段階から現代までの精神の発達の経過を、わずか20年前後の間に通過すべき宿命を背負っているように思われる。そう考えないとまたこの長い未成年という期間が、どうして現代社会にあっても必要なのかが見えてこない。そしてそのことは、個体の精神的な成長の遅滞というものが、逆に人類の精神の発達の質量ともにどれほど大きなものであるかを暗示しているように思われる。もちろんまた数百万年とも数十万年とも想定される人類史のたどった足跡を、20年に凝縮して転写するという荒技が個々人の精神内部において行われているということは、内からも外からも半ばうかがい知れないことで、ただに呆然と思慮してみるほかにない。
 自分の物心ついてからの未成年時代を振り返る時、露ほどもそういう過程を踏んでいるなどとは思いもしなかった。目先のあちらこちらに心と頭とを激しく動きめぐらしていた時に、実は感じ、考えることによって、それ自体が感覚や思考を歴史的現在性という水準の最先端に成長、発達させるステップを重ね合わせていたということになる。
 胎乳児期に母親との一対一の根源的なコミュニケーションに始まり、家族血縁共同体を経過し、地域共同体へと行動範囲を拡大しながら精神性を拡張し、徐々に世界とは何かに目ざめ、把握していく過程である。そうした次元の異なる関係性を通過しつつ人間の個体は成長し、社会や国家、あるいは国際社会の一員という水準に突出する。
 本当は、ここまで文章にしてきたところを何度も頭の中で繰り返し反芻して考えながら、どうしても疑問に思うところは、今日のいわゆる学校制度が家族と国家の共同体の中間にあるべき地域共同体をすっ飛ばして、直に家族から国家共同体へと子どもたちを招聘している点だ。子どもたちは家族の一員であるとともに、国家という枠組みの中の一員としてその間を行き来するようになっている。言い換えれば、本来ならば個人と国家を媒介する1つである地域共同体をほとんどないものとし、唯一媒介となる家族はもはやほとんど媒介の用をなさないところへと追い込まれている。これをうまく言い表す自信はないが、言ってみれば教育的配慮、指導というような形で、家族は自分たちの子どもを自分たちの思い通りに育てることさえ出来なくさせられてきているということだ。
 今日の、いわゆる子どもたちが荒れている、様々な問題を引き起こす、それらの原因は家族内における子育て、しつけ、教育、それらがしっかりなされていないからで、家庭や親の教育、啓発、啓蒙が必要だとする考え方が学校側(社会や国家の側に立つ代弁者と言うほどの意味合い)には頑として存在する。極端に言えば、こうした考えは家族の改革を迫るものであり、もっと露骨に言えば現にいまある自然な成り立ちとしての家族を破壊するように働きかけている。具体的な形態を破壊するという意味ではない。子どもの内面における家族の存在意義を破壊するのだ。子どもの、生きる意味や価値は公教育を通じ自由な個人として確立すべきことを促され、家族あるいは両親の実際に生きた経験からなるそれぞれの生に対する姿勢は、幼児期までに子どもに受け継がれながら、公教育の中で否定される。家族のしつけ、慣習、言葉遣い、身なりに始まって、あらゆるものは一般論的な常識の範囲に矯正を加えられる。母親から家族を経過した児童期の子どもは、獲得した生きる基準、規範と言うべきものを学校によって国家基準、国家規範へと書き換えられることになる。元々が国家基準、国家規範に合致した家族基準、家族規範を持った家族の子どもは、そこをスムーズに経過することが出来るかもしれない。しかし、そうでないとすれば、子どもは獲得した内面の家族をことごとく否定され、そのことによって深層で深く傷つき、そうまでいかないとしても誰にも告げられない内面の混乱、あるいは錯乱に近い体験を孤独に経なければならないと思える。
 この流れは戦後を境に加速してきた。地域のコミュニティーは破壊し尽くされ、家族もまた瀕死にあえいでいる。子どもたちは直に国家の国民生産装置としての公教育に対峙し、自由なる個人、すなわち由緒、系譜を持たない、地域や家族のしがらみを断ち切られた個人へと成長することを強制される。一個の人間はもっとどろどろした存在の仕方をするはずなのに、それはもはや牧歌的だとして排除される。
 こんなことがこのまま継続されていいものだろうか。
 国家国民の統合という大義の下に個々の生き物としての人間性は圧迫され、その果てに非人間的とでも言うべき悪性が、個々の生理の深層から泡ぶくのように立ち昇ってきているように見える。これを見てまた子どもが悪くなった、家族の質が低下したとして、教育力の向上が急務と歎いてみせる。そういう固定観念の呪縛に取り憑かれた人々がいかに多いことか。いや、それでも良い。考え方はいかようでも、その考えの元に実践したことが子どもの生活をよみがえらせ、生きる喜びに満ちたものへと変えることができるなら、すぐさまそれをやってくれと願うだけだ。けれども、どうもそうはならない。ここ10年だけを見ても、教育の世界は同じことを同じように繰り返している。
 どの学校、どの学級にも、平気で教師を罵倒する子どももいれば隅の方で小さくなっている子どももいるだろう。授業中にもだらしなく座り、教科書を開かない、ノートに漫画を書いている、友達と私語を交わし、挙げ句の果てに縦横無尽に立ち騒ぐ子どももいるかもしれない。おそらく全国のどの学校、学級にもそういう光景が当たり前のように展開されるようになっている。
 いったい何がどうなってこうなってしまったのか。大人たちは誰もがそう考えるだろう。けれども、教養を積んできたはずの大人たちの誰もがこの情景について確かな理解と判断が出来ず、また確かな解決策も見いだせないで来ている。そうして思わず声を出して笑いたくなるが、相変わらず教育や教養が大事なんだと自他に思い込ませようとしている。もちろん、この現実を前に何も解決策を見いだせない、教育や教養を腹一杯詰め込んだ大人たちの考えや発言は嘲弄されてしかるべきなのだ。この現実を前に、糞の役にも立たない教養を看板のように胸に垂らした連中こそ、もう一度教育を受け直し、教養を改めてみるがいいのだ。そうしたら、現在教育と称してどんなにくだらないことを行っているのかに目を開かれる思いをするに違いない。
 一方で、この教育、教養が、現代社会を生きるために必要であり、成人前に身に付けておくべきことが歴史的に見て必須となっていることは、これまで考えてきたところかも知られる。要はその時期と規模と内容であり、質なのだと思える。また、とりあえず現在の児童期と呼ばれるあたりで、昔の地域共同性に代わる、国家と個人を媒介する代替物、その様式と中味とを考えてみなければならない。そこで子どもの成長と発達が無理なくスムーズに、連続的に展開していくイメージを構築できなければ、おそらく子ども世界は今後も縮退の一途をたどり、生き残りをかけた厳しい世界は更に厳しい世界へと変貌して行くに違いない。そうなった時、ことは子ども世界に留まらず、大人社会もまた大きく変わっていくだろうことは考えるに及ばない。子どもたちは成長し大人になる。
 ぎゅうぎゅうに知識や技能を詰め込まれ、あるいは詰め込むふうを装ってその時間に耐え、やれ姿勢がどうのこうの、態度がどうのこうの、声を出すな、聞かれたことに意思表示しろ、けんかをするな、優しさを持て、友達に親切にしろ等々、およそ6時間の授業中がんじがらめの規範の中に生活し、これが大人になってどのような反作用となって現出するものか…。大人たちは分かっているだろう。理性によって自らの言動を律しているとはいえ、内面、あるいは精神とか心とか呼ばれる中において、他者に言えない狂気を誰もがひっそり飼い慣らしていることに気づいているはずだ。
 見ていると、多くの大人たちは我慢をしている。耐えている。自分が我慢をし耐えているのだから子どもだって出来るだろうと思っている。あるいは無意識の自虐的、他虐的面が露出して、「子どもにもやらせろ」という意向に反映して出てきている。
 けれども加速した時代の時間は凝縮され、現在の子どもを取り巻く状況はかつて大人たちが体験した比ではなく、あらゆる牧歌的なものが取り払われて、周囲に緩衝はなく、すさまじい力が直に個人を襲い、自然かつ家族的な「私」は公的な「私」への変身を強いられる。これがいかに過酷なのかは一部の従順ならざる子どもたちによって証明されている。心ごと、体ごと、拒絶する淵に追い込まれる。これをまた公的なものに扮したものが公的な言葉で叩く。何と言うことだろうと思う。だがそれは穏やかな光の下で平然と日常的に行われている。
 
源流論 4
              2015/12/26
 人類が誕生してから今日まで、どんな個人的な、あるいはどんな集団的な形態のもとに生活を送ってきたのかについては、ほとんど学問的な知識を持ち合わせていない。ただ他の動物や生き物たちを見ながら、性的な対の関係を基調に単一あるいは複数の家族集団(あるいは群れ)を形成し、これが大きくなりすぎた場合には分家という形で少し離れた場所に独立の集団(群れ)を形成したかもしれない、などと想像している。ここで人類の初期の集団形成(群れ)が、必ず血縁者によって構成されていたのかどうかについてはよく分からないところで、しかし、現在のように非血縁者で氏素性の分からない他人を隣人として生活する社会の到来は、時代的に言ってかなり新しい形態だろうということは言えそうな気がしている。いずれにせよ、原始未開から古代にかけて初期的な家族集団の群れは結合と離反を繰り返しながら、徐々に生きるための協力を行っていくように進展し、社会性を発達させて非血縁の集団を形成できるように発達してきたように思える。
 しかしながら日本の縄文期などを考えてみると、青森の三内丸山遺跡などの例は別として非血縁をも含んだ数百人あまりの大集団が、ある地域に分散して社会生活を営んだという痕跡はまれなものだ。多少の見聞きした範囲では、近隣に見られる遺跡(宮城中央部の山間)はほとんどが孤立して存在し、1家族、多くても3、4家族と見られる規模の住居跡が見られるだけである。
 これらを総合して考えるに、縄文期における日本列島では比較的規模の大きい集落を形成する場合もあれば、単一の家族がそれらの集落や他の家族集団とは離れて、単独に生活する場合もあったというように考えられてくる。もちろん当時の遺跡から発掘された遺物を見るとかなり広範囲で交易や交流があったということが知られ、現在考えられる以上に当時の人々が活発に移動していたと推測することも出来る。けれども、小集団から大集団に至る全ての集団が頻繁に交通、交流していたとは言えず、年に1、2度、少なければ数年に1度の部外者、まれ人に接触する機会があったということも言えるのではないだろうかと思う。
 要するに、こんな話から何が言いたいかというと、少なくとも日本国家の起源と目される起源300年前後の大和朝廷成立以前は、各家族単位であったり、その寄り合いとしての集落規模の単位で、いわばバラバラで自由な、そして緩やかな生活規範や規律の下に生活できていたのだろうということだ。個人、あるいは子どもの存在様式においても、その言動を規制するものは家族法(しきたり)的なところを大きく越えるものではなく、その分、現在よりは格段に制約は少なかっただろうと考えられる。家族的ということは一般的には親和的ということであり、家族単位で自由に気ままに暮らせるということは、現在から見ると人間生活における1つの桃源郷のようにも考えられる。
 縄文以後、日本社会には稲作が伝播され、それに伴って食糧貯蔵がなされるようになる。物々交換、交易、交流がいよいよ活発となり、社会の網の目は著しく密になり発展を遂げていったものであろう。親族から氏族、また部族へと範囲は拡張していった。集団や共同体と呼べる形態が拡大されていくにつれ、思い込みによるしきたり、宗教法のようなものが集団や共同体をまとめるものに必要とされて発達していく。これは逆に本来バラバラであった家族や個人を規制するものに変わる。
 いずれにせよとても単純化していえば、人類社会は気ままな個人や家族という在り方から、膨張した社会の一員という在り方へと進んできた。関係の網の目は密で膨大なものとなり、現在、人間はもはや直に社会とは切っても切れない関係として存在する以外に、その存在を維持することが出来なくなっている。
 このように人類は自然動物的な「群れ」を長く過ごした後、徐々に血縁集団的な段階を経て今日のような非血縁の集団による社会生活を構成するようになってきた。どうしてそのような道を歩まなければならなかったのかはよく分からないが、おそらくそれは進むべくして進んできた道だとは言えそうに思える。
 大規模の集団形成には、メリットとデメリットとがあった。メリットは何と言っても個々の力を1つのベクトルに向けて結集し、個人や小集団では適わなかった強力が発揮できるようになったことだ。これによって人間社会は高度な文化や文明を生みだし、加速的にそれらを発達させることが出来た。いまあるわたしたちの便利で豊かな社会はその結果だと言っていい。
 これに対してデメリットは何かといえば、家族単位、個人や小集団単位で、社会に気兼ねなく、いわば何ものにも縛られずに、どんな制約や規制も受けずに、自由気ままに存在することが難しくなった点だ。つまり、どんな意味でも国家的社会の枠組みから無縁に生きることが出来なくなったことだ。
 今日のような社会、国家のもとでは、個人としての人間はその一構成員でしかなく、そのように振る舞わなければならないものとなった。自分に命じることが出来るのは自分だけという時代は帰らぬものとなり、現在では国家や社会の意向に従って、しかもそれをさも自分の意向であるかのように仮構して自分の中に取り込み、その上で自分に命じて自分を動かすというふうになってきている。これは誰かがそのように働きかけたり、強制したりしているというわけではない。ただ今日の社会のシステムというべきものの声に従って、自分からそうするように仕向けられているのだとは想像することが出来る。
 このような在り方の1つの典型として、我々は今日の日本における学校教育制度を見直そうとしてきているのであるが、如何せんこのような考察に興味を持つものは皆無に等しいのだ。
 問題はこうだ。かつて人間は余り広くない世界で、自然をはじめとする身近な事象あるいは血縁の人間を観察する中で、感じ、考え、それをもとに一切のふるまいを決定できた。その結果はよい時も悪い時もあっただろうが、自分で決めたことだという満足感や充足感だけは味わうことが出来ていたに違いない。これは生きることの根源に横たわる何かで、人間の生命に分かちがたく結びついた衝動のようなものと言ってもいいと思う。
 しかし、現在に置かれた状況はかつてとは違い、そこに圧倒的な力で国家、社会という共同体の側からの働きかけが介入し、個人の感覚、考え、反応は制約を受け、あるいは矯正をかけられることになっている。特に今日の小中学生の学校生活というものは、家族によって養われてきた人間としての素地というものが教育や指導という名の下に常に矯正の憂き目に遭い、自己改善をうるさく要求される。学校のない時代に育った子どもたちは、そのようにせかされることは一切なかったはずだ。どう考えても、現在の学校生活が子どもの世界、特に内面世界を豊かに育むシステムだとは思いようがない。確かに物と金はつぎ込まれ、外部的な教育環境は高度に発達してきた。けれどもそれと反比例するかのように、小中学生の子どもたちのこころ、内面は隠れて見えなくなるか、ボロボロに荒廃したすがた形を見せるようになっている。
 愚かにも大人たちは18世紀のヘーゲルの幻影に性懲りもなく取り憑かれていて、いかに共同体の一員としての人間の育成を果たすかに日々腐心している。だが、子ども世界は本音では少しもそんなことは望んではいない。内面に育った樹木の幹と枝葉に四方八方からかけられた矯正のための針金や糸を、一瞬でいいから取り外してくれと叫んでいるのではないか。樹木は光を感知しながら自らのすがた形を整える。そのあるがままの自然なすがた形を認めてもらいたいのだし、そのようなものとして生きることを認めてもらいたいと訴えているように思われる。これが適わず、相変わらず共同体の要求に添うことを望まれ、矯正に甘んじなければならないとすれば、内面を消失するか殺してしまうほか方途はなくなる。
 もう一度言おう。わずか6歳から、こうしろああしろと内面の世界にずかずか入り込んでごちゃごちゃにかき回し、自分裁量の時間を奪い取ってしまう教育の名の下の強制的な働きかけは、わずか200年足らずの現代の教育制度を除いて、かつての人類の歴史のどんな時代にもなかったことだ。その是非はここに来て正念場を迎えていると言っていいと思う。歴史とはそういうものだと思う。
 我々は自分たちの考えが正しいものだとも唯一無二のものだとも言いたいわけではない。ただ世の中の進む方向でらちが明かないのなら、こういう考え方もありうるよと言いたいだけだ。そして、本当に現在の子どもたちの置かれている状況を心配し、また未来を心配するならば、どうか一緒にあらゆる可能性を探りつつ考え、検討していきましょうと言いたいのだ。またそのことだけを切に願っている。おそらく表層を飛び交う言語だけを追っていたのでは問題の本質を掴むことは出来ないのだ。とりあえず、怠惰だけの訳知り顔とその発言は無視して進めるところまで進んでいく。
 
源流論 5
              2016/01/02
 ヨーロッパでは中世に徒弟制度というものが生まれ、およそ10〜16歳の青少年が見習い仕事をしていた。これが19世紀頃まで続いていたという。日本ではこれに類するものに年季奉公とか丁稚というものがあり、江戸時代に盛んだった。こちらも年齢的にはだいたい10歳前後からだったようだ。
 10歳から16歳というと大人たちとの会話が成り立ち、また身体的には大人たちと同等の力仕事ができるようになったり、そこまでいかないとしても補助的な仕事は手伝えるくらいの年令だと思える。
 つまりそれくらいの年令あたりから少年少女たちは社会の予備的一員として参加していったわけで、ではその直前頃はどうかというと子守とか家業の手伝いをちょっと始められるくらいで、それがなければ遊んでいられたのだろうという気がする。
 江戸時代の僧侶で歌人の良寛の伝記には、たしか、子どもにせがまれて一日毬つきやカルタ遊びをしたことが記されていたと思う。これは近世の江戸時代の後期のことで、だから一般的にはそれ以前から子どもといえば遊びの代名詞だくらいに思いなされていた。
 平安末期、後白河法皇が編者で作者とされる『梁塵秘抄』には次のような歌が見える。
 
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
 
 これはいちおう古代、中世、近世と文献が残っているところから眺めているわけだが、それ以前、あるいは原始未開の社会から、子どもは遊びが本分であったということを考えておきたかったのである。
 幼児の「ごっこ遊び」などもそうだが、子どもの遊びは真似に始まると言っていいくらいに見聞きしたことの真似事が多い。真似は学ぶに通じ、代々親から子どもに受け継がれる遊びも多い。我々の年代ではお正月の遊びであったたこ揚げのたこ作りやお手玉は、父親、母親が先輩筋だった。
 現在の幼児期から児童期にかけての子どもの生活は、おそらく原始未開の社会から近世に至るまで、その大部分は真似と学びを包括する遊びを中心としていた。この遊びは、社会にとっては有益だとは言えなかっただろうが、子どもたち自身にとってはけして無益ではなかったはずである。
 近代国家が成立して以後、ほうっておけば悪いこと、よくない生活に染まりかねない遊び中心の子どもの生活は、学校教育制度のもと、その管理下に取り込まれることになっていった。かくして6歳から15歳くらいの9年間は、それまでの遊び一辺倒の生活から、知識、技能や道徳的な規律を学ぶことに変わった。もちろん学制が始まった時点から現在までの間に、教育の世界もまた社会の移りゆきに影響を受けながら大きな変遷を遂げてきた。初期の牧歌的な授業風景から少しずつ牧歌は排除され、いまや先生にとっても児童生徒にとっても授業は息苦しさを感じさせるものに変わった。このあたりの経緯、またその詳細について知りたければ、世に五万と書物があふれており、それを読めばいいと思う。だがそんなことに興味はない。体験を通じて感覚的に分かることは、今日の学校ではかなり強圧的に知識、技能、道徳的な生活律を児童生徒に注入しようと働きかけ、児童生徒は逆にそれを忌避する姿勢を示すことになっている。そして児童生徒の側がそう動けば学校側は更に指導効率を模索して、何とか注入を全うしようとして子どもを追いかけるというあんばいで、果てしなく「いたちごっこ」に近い状態となっている。これは結果的に、ぎゅうぎゅうに学ばせる体制を強化、強度化することに繋がり、かつての「遊びが全て」という子ども世界を子どもたちから奪い取ることに貢献していると言っていい。
 
 問題は、たかだか200年足らずの公教育制度によって、それまでの数千年、数万年に及ぶ人類の歴史の中の、遊びが全てという子ども世界を塗り替えたことが本当に未来に向かって普遍性を持ちうるかどうかということだ。同様に6歳から15歳くらいまでの時期、本当に歴史的に蓄積されてきた知識や技能、あるいは基本的な生活習慣や道徳的な規範を学ばせることが妥当かどうかということだ。
 結論から言えば、けしてそうではないと思える。6歳からの義務教育というものは、かつての年季奉公や徒弟制度などに見たような10歳頃からの社会参入を、なおいっそうスムーズにそしてより効果的になることを目論んで早期化したものだと言える。だが、およそ児童期に重なるこの時期は、人間の生涯という視野から眺めた時には母親や家族に培われた心的、幻想的なものを外部に向かって放射し、そのことによって生じる吸収や反発などの反応から、現実世界のなんたるかを確認していく時期にあたっている。これは本質的なところでいえば人間関係の学びであり、自己と外部世界との関係の学びであり、関係の折り合いをつける重要な学習の時期だと見ることも出来る。これに較べれば、算数や国語の学習などはさほど重要なことではない。また道徳的なことなども頭で理解するのではなく、子ども同士の遊びを通した触れ合い、交わり合いの中から徐々に徐々に内面に形成されるものだと考えるべきだ。つまり、急がずに黙って待っているべきだと思える。
 
 もう少し違う観点から幼児期、そして児童期、年令で言えば3歳から15歳くらいまでを眺めることが出来る。そしてもしかするとこちらの方が重要なことであるかも知れない。
 子どもは1歳過ぎぐらいから言葉を獲得して口にし、同時に他者の発した言葉を理解するようになる。5、6歳になれば一般の大人との会話も成り立つと言われ、10歳を過ぎれば社会通念のようなものもほぼ把握できてくる。
 言葉を獲得することは思考が出来る、あるいは思考するようになるということであり、この思考ははじめ象徴思考と呼ばれるものから、徐々に概念思考が出来るところへと進んでいく。
 解剖学者の故三木成夫さんは、概念思考は2歳くらいを始まりと考えていた。また、それまでの象徴思考はだいたい1歳半から2歳半までの幼児の中心の思考で、以後その座は概念思考に譲っていくとされている。三木さんは思考とは頭の働きで、象徴思考も思考と言うからには頭の働きに他ならないが、そこではまだ心が優先していると考えている。そして概念思考が芽生える時点では、およそ五分五分で「心」と「頭」とが釣り合った状態だと考えていたようである。
 三木さんにならってヒトの内面を「心」と「頭」からなるものだと考えれば、言葉の獲得以前の内面の世界は「心」中心だと言うことが出来、言葉の獲得以後は「頭」の働きが「心」と均衡するようになり、さらにそれ以後は徐々に「頭」の働きが内面を侵食して「心」を駆逐していくと考えることが出来る。簡単に言えば、大人になって行くということはしだいに「心」を失っていく過程だということだ。さらに言葉を換えて言えば、心情よりも精神、理性で動くようになるということである。
 今のところはっきり区分できないが、年齢的に見てわたしたちがほとんど理性的だと言えるように振る舞うことが出来るとすると、およそ18歳から20歳くらいかなと思う。10歳くらいからその芽生えは感じられるけれども、その頃はまだ心情の側面から言動が影響されることも多いように思える。つまり理性的ならざる、「心」が後ろ髪引く言動は15歳くらいまでにはまだ残っていて、強く挙措に表れる場合もけして少なくない。18歳くらいになると、何となく自分の資質や性格を隠して(「心」が後景に退く)他者や社会に接触するすべを身に付けられるように思う。
 ここまでを「心」の側面から概括すると、まず胎児や乳児のところでは「心」が目ざめ、それが内面的な中心、あるいは全てだというイメージが得られる。次に思考の発達と言語の獲得とが込みにやってきて、だいたいそのあたりから幼児期が始まっていると考えてよいと思う。幼児期から「頭」の働きは活発化し、象徴思考から概念思考へと発達していく。ここで、象徴思考というものが「心」の世界と深く関係する「頭」の働きであることに留意しておく必要がある。抽象的な概念思考に比較して言えば、象徴思考は物や具象と不可分で、「心」と「思考」とは併存する状態だと考えると考えやすい。この、象徴思考が最も得意だと言われるのが世界的に見ていくと日本民族で、ここのところは変に誤解してほしくないのだが、人類史的に見て他の民族が早くから「心」から「頭」への移行を速やかに成し遂げた時に日本人は長くそこに留まっていた。これは停滞であるとマイナスに考えるむきもあるかも知れないが、別の側面からは独自に「心」の世界を拡張し、豊穣にし、独特の「心」、文化を形成したと見ることも出来る。一言で言えば、それは自然との関係、捉え方、関わり方に特徴的で、自然に入り込んでこれを理解するという方法を完成させていった。これは他の民族とは真逆と言っていいくらいの差異を生みだし、ある意味で根源的な共通理解を不可能と思わせるような違いとなって表れている。古代、中世において完全に中国化し得なかったり、近代以降の西洋文明、文化の輸入の果てに、どこか西洋化を果たせない苦渋に苦しむというのは、そういったところに起源を持っていると見なせる。
 我々日本人の幼児期はいま述べてきたところと無関係ではない。逆に深く根源的なところで関わり合っているように思える。
 現在の日本社会において、前近代的な「心」の形成、成長というものは「頭」の働きとは言えないもの、つまり「無知」のように考えられがちである。あるいは重要な過程だとは考えられていない。これをないがしろにして早くから知識、技能を覚え込ませようとしているかに見える。もっと言うと、本当は「心」の形成はどうあるべきかを考えていないし、「心」とは何かがよく理解されてはいないと思える。特に日本人の「心」について日本人自身がよく分かっていない。
 愚かと言えば愚かなことだが、明治以降、また戦後以後、日本は西欧列強の優位性を認め、これと対等な水準までこの国をレベルアップすることを目標に努力してきた。その努力は西欧の思考方法を輸入し、これを日本人の中に接ぎ木しようとするものだったが、西欧人を理解しようとしていつの間にか自分たちが西欧人になりきろうとする動きに微妙に変わっていった。産業から始まり、生活様式や子育て、またファッションや文化、言語に至るまで欧米化を推し進めてきた。教育に対する根源的な考え方も、根本には欧米の精神スタイル、思考スタイルが居座っている。
 けれども日本人の根っこの心性は欧米の精神性と相容れない型を持っていて、どんなに教育改革を推し進め人間的な初期の段階から西欧の型を埋め込もうとするも、これは未だ成功しているとは言いがたい。もちろん表層的な西欧の思考方法、形式論理性、あるいは知的水準はきれいに欧米化したと見なすことも可能だが、そしてそれくらいのレベルに達したと一応は言ってみることができるが、その核のところになるとどうしても異質さは際立つ。自明のことと言えば自明のことだが、日本人を形成してきたのは気候や風土に始まる自然環境であり、長い間の風俗、習慣、自然信仰的なしきたりのようなものであり、今日の大人や子どもといえどもそうした日本の歴史的な体験の蓄積と無縁ではあり得ないからなのだ。
 このまま強固に現在的なスタイルを貫き、教育や生活スタイルなどの一切を欧米化のままに進めば、いつか「心性としての日本」は消失して晴れて欧米人になりきれるのかも知れない。だがそれがどんな過酷さを我々にもたらし、子どもたちにもたらすかは現在の日本社会を眺めるだけでも容易に想像がつく。またその結果、どのような個人を出現させ、社会を出現させていくかについてもある程度の予測はつく。つまり、「心性としての日本」を消失する代償として、それは価する価値を持つかと言えば全くそんなことはない。そういうところで見習うべきところはもはや何一つないと言っていいのではないか。
 日本では、前古代というべき縄文文化が他の世界の狩猟採集生活に比して長く続いた。本質的に文字を持たない文化圏ということになり、思考としての深度や進度、高度化には世界に向かって寄与しなかったかも知れないが、心的な深さ、広がり、豊かさということでは世界的にもまれに見る水準にまで日本人を推し挙げたと思える。
 この縄文期を子どもの成長の段階に対応づけるとすれば、幼児期から現在の児童期と呼ばれるあたりにまで拡張させて考える以外にないと思える。そう考えた時に、どうしてもこの時期に知識や技能などをぎゅうぎゅうに教え込むことは不当だと思わずにいられない。現在の教育体制と折り合いをつけるには、逆に遊びを中心とし、本命とし、学習的なことはほんのさわりの程度、二の次、三の次のことと、子どもの生活の中から抜いて考えるべきと思われてならない。
 西欧の思考は全てを思考の水準で優劣をつけたがる。そこでは、原始未開は野蛮で獰猛で知的なかけらもない動物の生活そのままの世界が広がっていたと考える。けれども我々日本人は知的さや思考的な貧しさとは言えるとしても心的な豊かさの広がった縄文の時代を経験したところから、原始未開においても人間という名のつく以上けしてその時代を心性の豊穣さと無縁だったとは考えない。
 それ(原始未開)は子ども期に対応させれば胎乳児期にあたり、我々はこれを心的に無限の可能性を秘めた時期であると捉え、ここから人間についてのたくさんのことが学べる時期だと考えている。これは以後の児童期のあたりについても同様に言えることだ。これらの時期を、知的に貧困な時期でそれを注入させるべきだと捉えるか、心的に豊穣な世界が広がっている時期だと捉えるかは千里の径庭ほどの溝が横たわっている。
 我々は本当は現実を目の当たりにして厳しい現在の社会を生き抜かなければならない時に、仕事に追われ、積み重なる仕事や生活のあれこれを次々にその手で裁いていくことを強いられる。つまり、こんなことを考えていられるほど閑ではないというのが実情であると思える。教育の世界では今日の授業をどうするか、明日、起こるかも知れないいじめに心を傷つける子どもがいたらどうするか、日々そんなことに腐心しているに違いない。それは全くその通りで、そんな中で先生たちにそれ以外に考えることを負わせるわけにはいかない。
 まだ当分、子どもや先生たちもあずかり知らぬところでこういった思考の数々の試みが、いくつもいくつも繰り返され、そのほとんどが闇に消えていくことが覚悟されなければならないのだと思える。逼迫は周囲に充ち満ちているが先は長い。鼻歌を歌い、手に野の花を摘みながらこの先に進む以外にない。
 
源流論 6
              2016/01/10
 柳田国男の『海上の道』という著作の中に次のような記述がある。
 
少なくとも是までのように、よその国の学問の現状を熟知し、それを同胞の間に伝えることをもって、学者の本務の極限とするような、あわれな俗解は是で終止符を打たれるであろう。
 
あわれや私などの物を学ぶ頃には、もう一通りの真理はすでに古人が明らかにしてくれているように思って、そこまでたどりつくことを先途《せんど》とするような者ばかりが多かったのである。
 
 
 これは借り物の学術について述べたものであろうし、明治の開国以来の日本の学問世界の伝統とは、往々にしてそういうものであったと思う。西洋文化・文明を模範とし、西洋の知識・学問を学び、熟知することは、日本の一等はじめの学者たちにとってみれば本務の極限と言えた。
 柳田はこれを「あわれな俗解」と退けて見せた。すでに真理は解明されていて、その真理に辿り着くことだけが学問だと見なされるところでは、いつまでたっても創造的な学問など身につくはずがない。
 柳田の発言には明治以来の学問の現状に対する嘆きと、自らの民俗学的な研究の体験が切り開いてきた創造的な学問の領域が、そうした現状とは一線を画すものであった事への自負がこめられている。要するに、学び、熟知することは当然で、そこから先にこそ学問の本領があるとでも言いたかったものと思える。
 戦後思想界の巨人と呼ばれた吉本隆明の発言にも、先の柳田に類似した発言が見られる。
 
 ところで、わたしの〈言語〉の考察がひきおこした反響のうち、もっとも関心をそそられたのは、言語学者、外国文学者、外国哲学者、あるいはその予備学生たちからの〈外国ではもっとすすんだ言語の考察がすでになされている。それに比べればこの試みにはかくべつの新味も水準もない〉という類いのものであった。わたしはにわかにこの種の評価を信じないが、それでもべつな意味で苦笑した。わたしのいいかえしたいことはいつもこうである。〈もともとこの領域はきみたち自身がやるべきものなのだ。もしできるならやってみせてくれ。それだけわたしの手間がはぶけるのだから。〉
 わたしは、かれらが文献よみと解釈と知的密輸の専門家であることをしっているが、みずから創りあげるべき能力も水準もないこともよくしっている。そこでわたしのようなものが、逆説的な世界に歩み入らなければならなくなる。     (『心的現象論序説』はしがき)
 
 2つの発言からは、日本の学者、知識者たちの多くが、よその国の学問の熟知をもって事足れりとしたり、それで知の頂に達したかのように曲解する様子がよく覗われる。もちろんこれは平成の現在においても通用する見方であり、学者、研究者のみならず、受験を眼目とする日本の教育全般に行き渡った学習者のスタイルそのものと言っていい。
 日本社会において、頭がいいとか勉強がよくできるということは、既存の知識、技能を熟知することであり、またそれをどれだけたくさん獲得できているかにかかっている。あちこちから知識をかき集め、それをもって難解な試験によい成績を収めれば、それで頭がいいということになっている。
 つまり、本当はその先にどう挑むかが問題であるはずなのに、そこまで辿り着いたことをもってよしとする風潮が学問と学習の世界に蔓延している。その先に行かない、行けない。それなのにいかにも何事かを成し得たような顔つきだけはすぐに身に付けてしまう。
 明治の文豪夏目漱石は、時の政府からイギリス留学を命ぜられ、それこそ柳田や吉本の言うような一通りのヨーロッパ文化、学問の経験を積むことを課せられた。しかしそこで漱石が突き当たった問題は、表層の問題に過ぎない文化や知の翻訳の問題、つまりどのように日本に輸入するかということよりもはるかに根源的な、東洋と西洋に横たわる深淵であった。漱石はある程度東洋については熟知していたがために、かえって西洋との埋めることの出来ない差異に気付かなければならなかった。そうして神経衰弱を来したと言われるほどに、ひとり、もがき苦しみ、戦ったと言える。漱石は独自に、苦闘の末に当時では先駆的な文明批評眼を手にすることになったとは言え、その代償は我々の想像をはるかに超えるものだったに違いない。漱石は単に頭のよい、勉強の出来る秀才に収まる器ではなかった。外国の学問や知識をありがたそうに両手に包み、日本に持ち帰って見せびらかすことに優越感を覚えるような人間ではなかった。西洋の知を真っ向から解析しようとして、自らを狂気の淵に追い込まざるを得なかった。逆に言えば、西洋の知は漱石にそれを強いるほどに強固で堅固なものとしてそびえ立つものであり、成立の根源に遡って解き明かすことを漱石に強いた。むろんそういうことが東洋の果ての日本人の、ひとりの努力などで可能になるはずもなく、しかし、西洋の学問や知の成果としての果実を日本に持ち帰って食したところで、西洋の知や学問を自らのもの、すなわち日本人のものとして移植できるはずもないことは漱石には気付かれていた。また移植できたところでその先に希望の未来があるかというと、そんなものがあり得るはずもないことも理解していた。そして漱石の味わった苦しみは、大正、昭和、平成を通じて、日本の精神史の底流に涸れることのない地下水のように注ぎ続けられ、混迷と混乱を深くさせてきたと考えることが出来る。それが表層の現象としてすぐに感知できることが、柳田や吉本の言ういわば既存の学問や知識の切り貼りに過ぎない日本的な学問水準であり、知的な創造生産力の欠如と言ってみることもできる。
 こうした明治以後の西洋にまねぶ精神史の流れは、細かいことを別にすれば古代から中世にかけての仏教の輸入と民衆化、土着化までの過程に類似している。空海や最澄はそこから眺めれば留学生の中の大秀才たちだとは言えても、明治の留学生としての漱石ほどに文化的な格闘の痕跡は残していない。俗な見方をすれば留学体験を一種の箔にしつらえて、現代で言えば東大や京大の学長に上り詰める道を歩んだと言える。仏教が本当の意味での旧、あるいは原日本人の心性、風俗、習慣をとどめた民衆に浸透するものかどうかは、法然や親鸞の出現を待たねばならなかった。親鸞に至っては、宗派の解体寸前のところまで仏教の教えは懐疑され、否定され、民衆のための宗教として強力に変形されていった。民衆に根付かない宗教は日本に根付くはずもなく、そんなものに確たる意義が見いだせるはずもない。
 親鸞が、浄土の教えを信ずるも信じないも各々ですよ、でも自分はそれを信じますと言っていることと、日本の西洋化について漱石が、皮相上滑りの開化であっても涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならないと語ったこととは、時を経ながらある種、相通じるものがあるような気がする。中国と西洋の違いはあれ、外部の優位なる文化や知が押し寄せる時、あるいはそれを内に取り込もうとする時、なぜか日本の心、精神の古層で定着を許さない固い岩盤のような抵抗に突き当たる。しかも表層面ではこの上もなく柔軟に受容できているにもかかわらず、である。最終最後のところで日本的心性は、外国文化の真髄をどうしてもその核に受け入れる事が出来ない。同様に世界に普遍の文化を生みだすことも出来ない。そういう特殊性が感じ取られる。
 これらのいくつかの点、または総合が、日本における創造的な知性、その能力や水準の高度化を阻む要因になっているという気がする。そしてあるいはそのことは日本的心性の中に超人間的な知への不信感がくすぶり、大事なのは知よりも情であり、人間もまた自然の一部として自然の懐の中に抱かれるように存在することが、一番よいことで幸せなことだという思い込みがあるからなのかも知れない。
 いずれにしても日本の知的世界、学問世界では、既存の知識とせめぎ合って自ら創造的に真理の世界を切り開いていく能力や水準への志向性も見当たらなければ、その伝統もない。ただ先行する研究やその成果の後追いから優れたところだけをこっそり我が物のように取り繕い、いかにも自分が考え抜いたことだという体裁で、これを帽子のように頭に被って知者の本務のように錯覚している。
 言い換えれば優れた考え、見解と評価されたものをあちこちから寄せ集め、部分をつなぎ合わせて現実や現象を表層的に診断し、あれこれの処方を述べては事足れりとしている。もちろん藪医者の処方と同じで病態を根原から治癒する処方となり得べくもない。
 こうした学問、学者が横行しているとすれば、教育の世界もまたいかに安易な水準のところに停滞しているかの推測はつく。これが、知的、学力的水準に限定されて考えられるならば問題は何もないというべきだ。そんなものはどうでもいいという意味合いと、明治以来の外部の知の移植をもって学問の本務と見なす伝統によっても、知的に世界水準に到達することはそんなに難しいことではないという意味合いからだ。
 しかし、教育の世界においてはその足下とも言える義務教育の段階から揺らぎ、現象として不登校、いじめ自殺、授業妨害、非行化、学習放棄、校内暴力、家庭内暴力等々へ子どもたちを駆り立てている。これが100%家庭に問題があり、あるいは子ども個人の問題だと考えるものはあるまい。なにがしか現行教育、及びその体制に内在する問題や社会に内在する問題が関与していると考えられることが普通だ。
 文科省をはじめとして諮問機関、教育委員会、学校などの関係機関は様々に会合を持ち、解決策、解消策をその度に講じてきたはずだ。学校教員に義務づけられた県や事務所、町単位のそれぞれの研修会等を含めて考えれば、それこそ気が遠くなるほどの回数で講演を聴講し、頭を付き合わせて話し合いを進めてきたに違いない。
 結果的に個々の教員の知識は膨れあがったかも知れないし、表向きの現場の沈静化、押さえ込みにもある程度の効果はもたらしたのかも知れない。しかしそれは上からの指導の強化によってもたらされた出来事に過ぎず、個々の教員や児童生徒の心にくすぶる厭世的な気分を和らげることには役立っていない。容易に沈静化される部分のみが沈静化し、押さえ込み出来る部分だけが押さえ込まれたに過ぎないと見ることも出来る。
 現場で児童を観察する限りにおいて、その場ではごく普通に対応できる子どもである場合でさえ、いったんこれを背景となる社会に置き直して全体の中で考えてみると、事態は計測できない不可知さに彩られる。今日明るく元気で、将来にわたってさほどの障害に出会うことはあるまいと見えても、その明日は確約されるものではない。いったい何がどうなってこんなにも子どもの世界は危なげなのか。それは、現実世界はいつでもそういうものであるからだ、と一応引き下がって考えてみることは出来る。けれども多くの子どもの倦怠感、牙を剥き出しにした動物のような感情の発露、他者の言葉に示される無反応、全てを他人事のように受け取っているかのような生の希薄感等々は、本当にいつの時代にも子どもに内在するものだと考えるのが妥当なのだろうか。
 全ての先入見を排除した果てに自分を見つめ、子どもたちを見つめてみる。すると不安で不明な世界に、ただ裸形の姿の生命が立ち尽くしているだけのように見える。この人間という形の生命は、どこから生まれてどこに向かって歩いて行くのか。同様に子どもたちもまたどこから人間的な特徴を表し、どのような経過を辿って成長し、最終的にどこに向かって歩いて行くのか。1つの自然的な生命の展開に基準を置いて考えるならば、そこに人間的な理想の粉飾を加えてみることは可能であり、また是と言えるであろうか。
 全てはまだよく分からないことだらけではあるけれども、子どもの世界を考える時に、それはすでに経過した時の反復ではならないはずである。子どもたちにとって未知の世界であると同じように、その未知の世界を抱え込んで、考慮して子どもたちの後ろ姿を見守るべきである。あるいは同行のシュミレーションを描くべきだ。
 ここでは現在の社会で学童期に一様に課される学習の行く末が、せいぜいがこんなところだよということを示したことになると思う。逆に言えばそんな行く末から下ろされ、構築された小中のカリキュラムや学業過程が、評価できる水準にないだろうなということは容易に予測がつくと思う。つまり、ありがたがって専念しなければならない何事もないというのは当然だ。もちろんそうは言っても、明治以後の公教育体制が民衆の知的水準を押し上げたり、それに伴って産業体制やその他で国際的競争力をつけて文明の発達や高度化、社会的、物質的豊かさをもたらす原動力であったことも否定できない。だから、一概に教育は良くないとも良いとも断定すべき事ではない。そういう評価がなされてもなされなくても存在するものは存在するし、今のところ学校教育が社会から消失するなどという考えも起こりようがないことだ。ただ余り重きを置かなくてもよいと考えることは十分にあり得るし、事実そういう考えの元に学校よりも家族的イベントのスケジュールを優先させる家庭も多くなってきている。これは当然の流れのような気がするし、もっともっと強まっていく傾向にあるという気もする。これは現行の学校教育体制への不安や不満の表れであったり、批判的な心情の傾向もそこから覗われる。こうしたことはより学校運営を難しくして行くであろうし、子どもたちやそれぞれの家庭の学校離れという側面を加速させていくかも知れない。そうすると、また、学校生活の中に様々な問題を生じさせる要因にもなり、さらに家庭や子どもの不安や不満がいっそう高じるというように繰り返される。その先にはもちろん公教育の崩壊が待ち構えているが、時期的な予測はつかない。すぐ目の前かも知れないし、だいぶ先のことかも知れない。あるいはすっかり形態を変えて公教育としては持続するということになるのかも知れない。持続するにせよ消失することになるにせよその時に子どもたちの心的な世界が、現実世界を肯定的に受け止められてしなやかに対応する力を身に付けているかどうかだ。そのように育ち、意欲を後退させずに在り続けられているかどうかということだ。これらのことについても、またいつか別の形で考察しておかなければならないことだと思える。
 わたしたちの考察はちっとも進展しないし、足踏み感があることも事実だ。さらに、いたずらに問題の周辺にかかずらっているだけのように見えるかも知れない。だが、泡立つ子どもの世界の周辺の厚みを巡り、何度でもその厚みをこそぎ落とすように考察しながら、しだいに核心に迫っていこうとしていることだけはたしかなことだ。時間の制約もなければ回答の約束も必要ではない。自利的発想も無ければ自分の社会的な価値を高めようという発想も無い。ただ自分の自由になる時間の中で、好き勝手に、目に見え、心に感じたことを記述し、記述したことからさらに先の方に思考の触手を伸ばしていくということを繰り返すのみだ。これからも、そうしてやっていこうと思っている。
 
 
源流論 7
              2016/01/17
 自分の小・中・高と、学校生活を振り返る時に、どうしても全体的には窮屈であったという思いが強い。ただその窮屈さというものが当時はどうすることも出来ないもので、生きるということはこういうことなのだと自分に納得させる方向で受け取めていたと思う。別の言い方をすれば、世の中は窮屈なものだという刷り込みをその時に与えられたという気がする。また、それ以外の自由さというものの体験が当時にはなかったから、そういうものなのだという受け取り方以外の受け取り方は出来ようがなかったとも言える。
 そういう感受を唯一救ってくれたのは、たぶん遊び時間に同年の子どもたちと遊んだりふざけたりすることだったと思う。小学生の時は特にそうだった。その時だけは開放感があり、長時間ではないけれども思う存分遊びやふざけに興じた。もちろん、そうした中でもいちゃもんをつけたりつけられたり、諍いを起こしたりけんかをしたりしたことはあっただろうが、そうした時の気分のつまずき程度のことは、窮屈さに比べて何ほどのこともなかった気がする。つまり遊びやふざけも夢中であれば、ちょっとしたけんかも夢中になってやっていた。これは授業の堅苦しさや息苦しさ、窮屈さを解消してくれるものであって、これがあるためにたいていのことは我慢できたと思う。
 ちなみに、小学校を卒業し、中学に入学する前の春休みに何人かで連れ立って小学校に行った際、校舎や、職員室に出入りする先生たちの姿を見て、思わず心の底から笑いがこみ上げてきた事を覚えている。今で言う、大きなストレスから解放された喜びの、それは表れではなかったろうかという気がする。
 中学や高校生活でも基本的には同じ事で、部活動をはじめとして同級生、あるいは先輩後輩の付き合いの多くは楽しいものだった。そういう付き合いがあればこそ、堅苦しい授業をはじめとした学校生活にも耐えられたが、もしもそういう集団の中で孤立して存在しなければならなかったとしたら、当然今日言うところの不登校になっていたのかも知れない。
 最近は、学校ではよく児童生徒や家庭を対象としてアンケートを採ることが多い。子ども向けとしては、学校が楽しいかとか、授業はどうか、いじめられていないかなどの設問があり、結果はおおむね良好なものだと発表されている。アンケートを頻繁に採るということは、文科省からの指示ということもあるのではないかと思う。時々その結果のまとめ的なものが公表されていたと記憶している(内閣府のホームページ等に見られる)。余り関心がないので明確には言えないが、印象としてはいろんな教育機関の取り組みが功を奏しているように結論づけているように思えた。設問されたり、聞かれたりしたら、子どもはそう答えるだろうなという位のものでしかないと思う。学校生活が楽しいかと聞かれれば楽しいというのがおおかたのところだ。その中味的なものは冒頭に述べたところに同じで、子どもは基本的に同年齢の子どもと過ごすこと自体が楽しい。だから、そういう答え方をすることは当たり前のことだ。逆に、そうでなければよほどひどいということになる。特に小学生段階で、1%でも2%でも楽しくないとする答えがあればよほどのことで、98%の楽しいという答えよりも深刻に受け止めなければならないことだと思える。
 何と言っても子どもにとって、学校に就学するということはそれ以外の道がないという一本道で、しかも他は何も見えないというような暗いトンネルのように映じるものだ。他とは比較のしようがなく、嫌も嫌でないもない。これをしろと言われ、あれをしろと言われ、基本的には言われるとおりに黙ってそれをやっていくほかにない。それが、教わるということであり、子どもにとって教わることは逃れることの出来ない1つの運命的なものだ。またほんとは子どもはそのことが分かっていて、逃れようと考えることすらしないし、出来ないものだと受感していると考えていい。
 大人たちは自分が体験しながらそういう部分はすっかり忘れていて、学校はいろいろなことを教えてくれるよいサービス機関だくらいに考えている。息苦しさや窮屈さの感覚は薄れてしまって、ただ役立つ面だけに注意が向くようになり、教育されなければよりよい人間に育たないと考えるようになってしまった。教育が、学校が、よい人間をつくり、失敗すれば悪い人間に育ち、犯罪者が増えると短絡的に考えるようになった。あるいはまた就職が出来ない、いい仕事に就けないなどというようなことも重ねて考えるようになった。
 こういう考えは全くの嘘だとは言いきれないとしても、学校生活について半分のことしか言い得ていないと思う。特に自分が経験したはずの感覚的な側面を、中途半端にしか思い出さないことが問題だ。それでは現に生活している子どもの、頭ではない、心の問題を共感的に理解することを不能にしてしまう。 そこはもう少し真剣になって思い出してみるべきだと思う。誰でも心に暗い闇(ここでは未明や煩悩くらいの意味)を抱えたことはあるはずだし、例えそれが一瞬に過ぎないとしてもそれが思い出せなければ現在の子どもの心の闇に向き合うことは出来ない。
 
 一般的に考えれば、学校に通うことによって感受する窮屈さや息苦しさ程度のことは、我々がクラスで友達と遊ぶことで解消できていたように、現在の子ども世界でも何らかの形で解消できていると考えるのが妥当だという気がする。また、そんな程度のことはこの先社会に出て会社などの組織に入った時にいくらでも、そしてもっと厳しい形で直面する出来事に過ぎないとも言える。その意味では、それくらいのところは何とか自力で乗り切らないと将来が不安だということにもなると思う。言ってみれば学校生活に多少の抵抗や摩擦が無いと、逆に将来のためにならないという考えも成り立つかに思える。そしてそういうところからは、今の子どもたちは忍耐力が無い、耐性が弱いというような意見も出てくる。
 こうしたところをどのように処理して考えたらいいのかというのは、本当はよく分からないところだ。
 息苦しさや窮屈な感受は出来るだけ緩和する方向で学校教育を改革するのか、もっと厳しくして窮屈さや不自由さに耐え、多少の困難にも耐え抜く力をつける方向に変えていくのか。真逆と言っていい2つの方向性は、可能性としてはどちらもありと考えられていて、世間の声としても双方が飛び交っているように聞こえてくる。
 
 改めて言うまでもなく、この『日記風 顔のある窓』に、自分の児童生徒理解の深さを問うように書き続けてきたいくつかの文章の中で、現行の教育体制下における、知識や技能や道徳的規範から日常的な生活習慣、あるいは立ち居振る舞いまでも強制的に子どもに注入することを批判的に見てきた。現場の先生をはじめ、全ての教育関係者が頭を抱え込むような子どもたちの姿、それは例えば不登校であり過剰ないじめであり、校内暴力であり学習妨害であり、陰に籠もれば家庭内暴力などもそうだが、そういう姿に子どもたちを駆り立ててきた大きな要因としてそれがあると考えたからだ。こういう考え方はこれまでも皆無ではなかった。しかしながらこういう考え方が全面的に支持され受け入れられて、学校が劇的に変化することはなかった。「抑止」のための対策が大幅に取り上げられ、言ってしまえば表面的な件数が減少すればいいというような対策ばかりが矢継ぎ早に講じられてきたに過ぎない。
 いい高校に入り、いい大学に入るための、受験本位の学習は今も健在である。落ちこぼれは社会的に排除していく方向で、これにも誰も何も言わない。学校は変わるどころではない。子どもが自殺で死んでも、犯罪を犯しても、教育関係者、専門家も、誰ひとり道義的倫理的責任を負ったり、取ったりしたためしがない。学歴重視もそのまま。大学間の格差、高校の格差もそのまま。全て教育の存立の根底が問われるような出来事に対して、知らぬ顔を通すばかりか、上から目線が貫き通せるということはいったい何事であるのか。 前述した対立する2つの立場、意見とはいえ、本当は教育を尊重し重要事と考えることでは同じ土俵に立っている。またこうした意見の対立とは別に、実際社会は公教育とその内部に存在しざわめく子どもたち全部をひっくるめて、ざわめきを把握しつつ認めて放置しているという現状がある。もはやそういったことがひとつでもあってはならないというような認識の段階にはない。教育は見方によっては機能が停止したと同然の状態にあっても、これを自覚することさえ出来ない不能、もしくは不感応に陥っている。
 自由で子ども本位の学校を唱う識者や専門家は、自分の子どもには有名大学を受験させる。よりよい学校作りの政策を推し進めようとする指導層にある親は、子どもをみな小さなうちから海外に送って学ばせる。そういう連中の何をどう信じればいいというのか。
 端から日本の学校や教育は眼中になく、公教育における現場のざわつきなどはどうでもいいことなのだ。教育はただ、その先にある人生を、他のものよりも優位に、有利に過ぎゆくための、ひとつのお墨付きを得るというそれだけのことに過ぎない。そしてそれが得られたら、後はどうでもいいことなのだ。いい仕事に就く。世間的な信用や信頼を得る。金と権力を持つ。それが全てであり、学問も、真理も、あるいは平等や助け合いなどということも本音ではどうでもいいことに過ぎまい。全て言うこととやることとは違っている。教育は皮肉なことにそういう者たちのためにこそ大いに役立ってきた。
 もちろん末端においては国の文盲率を引き下げたり、努力したものには成功者の椅子が与えられることもあったかも知れない。その意味や価値をどう評価するかは人によってまちまちだろうが、だがたかがそれだけのことであろうし、競争の果てに恩恵を得られたのはわずかな者たちだけだという見方をすることも出来る。
 かく言うわたしたちのような存在を含め、世の大人たちは子どもの世界に起きている異変とも言える出来事を放置している。深く掘り下げて考察していると言っても、指導層や識者が頭を付き合わせて対策を講じようとも、子どもの世界のざわつきは何一つ変わらない。念のために言っておきたいが、おそらくは人類史上初めてと言っていい子どもたちの心的、精神的な危機的状況を生みだしているのは現在である。誰が何をどのように考えてみても、こうした状況下に子どもを追い詰めた時代はかつてなかった。これが例えば戦闘化の命が奪われるような状況に比べて、はるかにましだと考えることは人間の存在についての本質的な誤解によっている。戦闘下で被弾から逃れ助け合う親子・隣人の間に、小休止のような平穏とともに互いに深く固い絆が認知される場合もあれば、平穏で一切が飽和な状況の中でひとり心の触手を固く縮め、全ての絆を自ら断ち切るという場合もあり得る。その絶望の度合いを他に比べるということはできない。ただ残されたものに重荷が課されることは確かなことで、重荷を負うものは彼の死と絶望とを認めないために考えることを強いられる。断ち切られた絆を修復する、それが唯一の在り方だからだ。
 
 それにしても日本の知とはこんなものに過ぎなかったのか。人間の知とはこんなものに過ぎなかったのだろうか。
 いじめ自殺の報道が出れば文科省はいじめ防止、いじめ根絶の通達を委員会経由で学校に下ろし、学校に一丸となった対策を求める。学校では先生たち全員が、本気を丸出しにして、いじめは悪いことだ、やってはいけないと毎日子どもたちに向かって説教する。そんなことで防止されるいじめはほっといても大事に至らないいじめに過ぎず、漫画の「ドラえもん」に登場するジャイアンのいじめに同等のものと断言できる。
 子どもというのはそんなに利口でもないが馬鹿でもない。いじめがよくないことは自他に見聞きしてよく分かっている。自分がいじめたりいじめられたりの体験があれば、なおさらいじめが嫌なものだということは実感されている。人と人との間に起こる出来事に対して、例え子どもといえども心は敏感に良いことか悪いことかの判別がつく。それは、嫌な気持ちになるかよい気持ちになるかで判断が出来る。他をいじめて生じる内面的な引っかかり、違和感、嫌な気持ち等々の心的な体験と経験こそが子どもの心に何事かを付け加え、子どもの心を育てるもとになる。
 もともと義務教育など無い時代には、子どもの心はそんなふうにして育つものであった。この時、子どもの内面に去来する思いをどう処理するかの判断の基準は、乳児期の母親との関係にある。その関係が親和的で乳児によい影響を与えていれば、成長した子どもはそれをもとに人との関係を良好なものに保とうとするし、関係がよくなかったとすればいつも判断に迷いが生じて攻撃的であったり逆に防御的になりがちになる。このおおもとは変えることができない。変えることができないところを変えようとしたり、それに善悪のレッテルをつけたりするものだから自体はよりいっそう悪い方へと突入する。
 子どもは自然物である。以前は我々が里山と呼ぶ農村の自然の風景と同じに、荒れた自然林でもなければ花壇に栽培される草花でもないというような、ちょうど中間のところに手入れされて存在するものであった。里山では樹木は肥料を施されることなく自らの力によって育ち、けれども余分な枝葉や絡まる蔓、あるいは人の歩行を阻むように密生する竹笹のごときものは丁寧に刈り払われた。これは目的的な1種類の樹木の植林とも違い、ただ整えるという人間の本来的な意識から発したものと思える。
 そうした過去において、子どももまた同様に自然な成長力はそのままに、ただ外的にほどよく手を加えて環境を整え、後は本人の志向するままに成長するにまかせたのである。 子どもを雑木林などと同じに、手入れされた二次的自然物と見なすことに抵抗があるかも知れないが、子どもはけして人工化できないものであるし、人工化しようとしてはいけないものだということは明白である。
 自然に善悪は存在しない。日本の子どもは善悪のないところで成長していく。唯一元になっているのは乳児期までの母親との愛の体験である。それが自然な成長を推進する力の源である。だから自然な成長力には強弱も生じれば指向性のばらつきも生まれる。これは6歳からの学校教育によってどうにか出来るものではない。それでは遅い。遅いからこれを矯正しようとしたり、指導しない方がいい。そして思春期以前はまだ自然性の渦中にあると考えられるから、善悪の考えも注入しない方がいい。子どもは思春期になれば、かつての乳児期の母との愛の体験、及びそれの外的環境を潜り抜けた経験の仕方などから、自然に善悪を考えるように成長する。教育や指導は、自ら善悪を確立する力をつけることを待って、それを内省させる方向で働きかけることが望ましい。
 自然の生き物は元々が生命力にあふれ、誰に教わらなくても支援されなくても自ら成長する。人間の新生児も生まれ落ちた当初は同じようにほとんどが意欲満々で、成長する力を携えている。もちろん自然そのものは過酷な側面があり、あっさりと動植物の生命を絶ちきることも当たり前のようにあり得る。人間の場合は特に、最低でも一年は親の庇護がなければ生きられないという宿命を負っている。しかしながら、どんな生き物にも自らのうちに、生きて成長しようとする力は宿っていて、これが絶えることはほとんど無いことだと言っていい。ただ人間だけが例外的に、生きる力を自らの手よって断ち切ることを可能にした生き物だといえば言える。
 大人の世界では、早くからそうした現象が見られることは文字に記録されている。だが子どもの世界にもそれが起こるようになったのはごく最近の出来事である。
 これは単純に、身体だけがあって頭の働き、心の動きがなければ起こりえないことは理解されることだ。
 逆に考えれば、いかに人間的な特徴とも言える観念性、幻想性が人間存在に本質的な影響を持つか、あるいは非常にデリケートな重要事項、与件であるかということを示している。言い換えれば心の問題、精神の問題と言うことになるが、現在この領域は世界的な理念の崩壊と表裏となって、分裂したり統合失調を来していると見られる。俗に言えば難しくなっているということだが、我々の社会はこの現実に対して真正面に見据えて考えるよりも、回避する方向に進んでいる。本質的根源的に考えることから遠ざかり、表層にすり替えて上辺の解決ですまそうとしている。もちろんそんなことで解決する問題は一部の表層の問題に過ぎず、核の問題は悪化の一途を辿っている。もっと言えば、このような分かりにくい、見えにくい、困難で暗い問題を、表沙汰にすることをタブー視するような雰囲気が社会に蔓延している。しかも勉強とか教育は大切だと公言し、関連する仕事に携わる者たちの間で、こうしたことについて考えることを避ける傾向にある。その気持ちは分からないでもないが、そうであるならばせめて、勉強や教育が大切とは公言しないでもらいたいと思う。もっと言えば、はっきりと糞の役にも立たないものだといってもらいたいと思う。こういう、困難で、考えたくないような嫌な問題に対して、身を竦めてフリーズする「知」とは何なのか。そんなことのために明治以来、教育制度を設けて「知」を子どもたちに注入し続けてきたのであろうか。すばらしい教育で「知」を注入されてきたはずの大人たちが、本当に「知」を必要とする問題には向き合うことをせず、回避するのはなぜか。ありていに言えば学校教育で学んだことは単なる知識の集積で、本物の「知」でも「知恵」でもなかったということになるかと思う。だが、本物の「知」や「知恵」が人々にないというのではない。ただそれは精神や心の奥底にしまい込まれ、表に取り出して使ってみることをしないと言うだけだ。わたしを含めて多くの者たちは、自分が考えることは卑小で価値がないと、嫌というほど教えられてきた。学業とはそのように信じ込む過程そのものであった。真理はすでに外部に存在し、それを追い求め熟知して、世に広めることが「知」の本務と錯覚した。
 それなら分かる。そんな付け焼き刃の「知」で、困難を切り開いて行けるはずがないし、行こうとするはずがない。
 今必要なのは既存の「知識」ではない。それが少しも今日の子ども世界を救済する力の無いことは現実が証明している。大事なのはこのことについてひとり一人が考え、考えたことをさらに考えていくことだ。子どもの世界の周りにいる大人たちの考えが深まれば深まるほど、それがわずかずつでも子ども世界によい影響を与えないはずがない。これは乳児に対して母親が四六時中気にかけて接することに似ている。四六時中気にかけることは愛情がなければ出来ない。知的に関わったり、教育的に関わったりすることは一切必要ない。子どもの世界を考えることも、そこに専門的な知識は不要だと断言してもいいと思う。かえってない方がいい。なぜなら子どもの世界を今日のような泡立つ世界にした責任の一端はそういうところにもあるからだ。
 現実を変えようと意識することが大事なことだとは思えない。現実を完膚なきまでに知ること。そのために紆余曲折を何度繰り返しても自前で考え続けるということ。そしてなるべくたくさんの人々が考えを深めることで、それは現実を変えていく一歩になり得ると思う。
 
 この「日記風 顔のある窓」を書き続けている時、あるいは他のことを考えたりする時もそうだが、時折脳裏に去来する言葉がある。それは吉本隆明さんの詩の中にある次の言葉だ。
 
つみあげられた石が
きみの背丈よりも遙かに高かつたとしたら
きみはどういう姿勢でその上に石を積むか
   (「この執着はなぜ」 吉本隆明全著作集1 定本詩集より)
 
 ここで「つみあげられた石」を、歴史的に蓄積されてきた知や思想の集積と解すれば、梯子をかけて上に積むか、石をよじ登って積むかだと思える。だがもう一つ方法があって、いったん全ての石を突き崩して一から積み始めることもありだと思える。最後の方法が気に入っていてそう解釈したいのだが、吉本さんの意がどこにあったかは確かめようがない。ただ先行する優れた知や定説がある中で、自分もまたなお考えることを続けることの原動力として、この句を思い出されずにはいられない。全ては自分の「背丈よりも遙かに高」く聳え立ち、考える前に心が萎えるからだ。しかしこの句が暗示するように、一つ一つの石を突き崩して更地にし、そこから石を積み上げていくことなら出来そうな気がしてくるのだ。これは独りよがりと見られるかも知れないが、ただ腕をこまぬいて見ているだけよりは自分の流儀に適う、そんな気がしている。今回は、ここまでで終わろうと思う。
 
 
源流論 8―@
              2016/01/22
 インターネットを眺めていたら、たまたまある小学校の校長だった人のホームページに出会った。少し詳しく見たり読んだりしていると最終の更新が08年とあり、その頃に校長として在職し、以後退職された方だろうと分かった。おそらく退職してもう更新はしないけれども、ホームページはそのまま閉じずにおかれているということだと思う。
 ホームページのタイトルは『杉田久信の教育提言 《基礎学力と教育再生》』となっている。また[山室中部小学校]という学校名が記載されていて、当時その学校に校長として勤務した杉田久信という人のホームページだと判明した。このように公開されてあるのだから個人名他記載された内容を転載したり、それに論評を加えたりしても差し支えないだろうと考えてここで取り上げてみることにした。以下、お付き合い願う。
 タイトルから察するに、この校長先生は荒廃する教育の現状を見据え、強く、教育は再生されなければならないと日頃から考えていた人のように思われる。そして再生のためのキーワードが「基礎学力」であり、それの徹底こそ再生の核心だと考えていたようだ。
 その考えや主張は現在でも学校現場、あるいはその周辺に流布される考えや主張に同根のもので、さらに主流となっている考えや主張だと言える気がする。特に、現場の管理職の方たちのいろいろな方面からなされる教育批判、その受け取り方、あるいは反論の主たる考え方が表れているように思える。
 このホームページは大きく4つのサブタイトルに分かれ、そこには、「はじめに [基礎学力の徹底こそ教育再生の核心]」、「理論編 [今、なぜ基礎学力か]」、「実践編 [基礎学力はこうしてつける]」、「心の教育 [規律ある中での温かい指導で心は育つ]」という文字が記述されている。そして次のような記述が「はじめに」の冒頭におかれている。
 
 「読み・書き・計算は教育の一部にすぎない。知識より考える力が大切なのに、ドリル的な学習に力を入れるのは問題だ」と、基礎学力の重視に反対する意見は今も少なくありません。
 
しかし、これまで基礎学力をおろそかにしてきたことこそが問題です。この結果は深刻です。できる子とできない子の学力格差が拡大し、二極分化の形で学力低下が大きく進行してきました。基礎学力の低下はできない子供たちの間で深刻さを増しています。象徴的なのは、中学生や高校生の中にかけ算九九さえ身についていない生徒が全国どこでも珍しいことではなくなっていることです。
 
彼らは中学校以降、勉強に全くついていけず、毎時間「分からない」「できない」という現実の前で、「私は馬鹿だ」「なにをやってもだめだ」との深刻な劣等感と虚無感に包まれ、一方では無気力に、他方では授業妨害や立ち歩き、中には憎悪からの破壊に走る者まで出ています。部活で救われている子供もいますが、基礎学力が身に付いていない状態では、多くの子供たちは自信をもてず自己肯定感も感じられないのです。
 
このことから、基礎学力は単なる教育の一部ではなく、全人教育の基盤・土台であるといえるのです。
 
そして、基礎学力を身に付けさせることは義務教育学校の最低限の責務だと考えます。
 
 当時、校長だったこの人の考えは、今も現場の校長や教員や、あるいは教育の関係者の多くが考えていることと同じだと思う。現象面ではその通りだと言えることが書いてあり、少なくとも半数以上の考え、立場を代弁するものだ。またこの主張を聞いて納得したり共感する一般の人々、保護者も相当数いると思われる。表面的にはそんなに文句をつけるところがないように思える。
 残り半数はどういう考え、立場にあるかということは、「理論編 [今、なぜ基礎学力か]」で杉田さんが述べているところからうかがえる。そこで杉田さんは戦後長く教育批判が支配的論調になったと言い、いろいろな教育批判に反論を記している。その中で数多の教育批判が「学歴社会批判」「受験戦争批判」「偏差値批判」「知育偏重批判」「詰め込み教育批判」「管理教育批判」「画一教育批判」というように分類されているが、それらを受け入れ、それらに同調し、そういう考え方をしているものがほぼ残りの半数だと考えることが出来る。
 ところでこのように見ると、学校の現場や教育の世界は相対立する2つの立場、考え方で占められているように思える。そして実際にその通りだと言えないこともないが、本当はそうではない。単純な言い方をすれば、どちらも学校教育を尊重し、学校教育ありきのところから出発しているという点では同じ土俵の上、同じ器の中にちゃんと入っている。ただ方法論が異なっているだけだ。公教育を信奉し、信仰し、現状の学校制度や体制が子どもの成長・発達にとって不可欠と考える点では少しも対立しているとは言えない。
 これはもっとずっと約めて言えば、指導者主体の教育か子ども主体の教育かであり、子どもに優しい教育か厳しい教育か、母親的な教育か父親的な教育かくらいの違いに過ぎないと言える。あるいは日教組的か管理者的か、学習者目線か指導目線かである。そして、この対立は、どちらも教育を重要と考えるところからくる対立に過ぎない。
 ところでここではっきりと言っておきたいことは、わたしたちの考察はこうした学校教育を前提においた対立の図式を飽き足らなく思い、対立の図式から離れてもっと根底的なところから考えようとする意図を持っているということだ。だから、これまでの考察がそれに適うものかどうか自信はないが、前述した対立の文脈の中で見られることを拒否したいという思いが強い。また、考察がそういうところまで到達することを希求している。
 こんなことを頭に置いて考える時に、実は杉田さん的な考えや立場も、あるいはその反対も、眼中からこぼれ落ちてどうでもいいことになってしまう。そして、それぞれに一生懸命考えて侃々諤々議論するのはいいじゃないですか、やればいいじゃないですか、気が済むまでやればいいんですよということになる。議論の末に今よりもよい考え、深い考えが出てきたらそれはそれで結構なことだ。とことんやればいいんだと思う。
 杉田さんのように、現場の校長さんがはっきりと様々な教育批判に対して反論を述べているのを見ること、そして公開しているのが見られることはまれなことだ。教育に対する熱意も人一倍あるからなのだろうが、普通はそこまでいかない。仲間内の井戸端会議ふうのところで留まっている。
 ここでは杉田さんの教育に対する熱意に敬意を表しながら、杉田さんの見解との差異を考え、その過程で自分の考えるところをより鮮明にすることを試してみたいと思っている。主に「理論編 [今、なぜ基礎学力か]」をもとに進めていこうと思う。
 この項の総論と言えるところで杉田さんは次のように述べている。
 
以下には、これまで展開されてきた主な教育批判を詳しく記しました。これらの教育批判の論調は子供に優しい耳障りのよい響きをもっていて、おおむね国民に疑問なく受け入れられてきました。しかし、これらの考え方に一貫しているメッセージは、勉強に関わる全て【学歴、受験、偏差値、知育、知識など】を否定的に伝えていることです。それらは、「勉強否定論」(「ゆとり教育亡国論」の著者大森不二雄氏)、「反知性主義」(エコノミスト原田 泰氏)とでも呼べる欠陥のある考え方です。私は、これらの欠陥のある考え方こそがハーシュの言うように日本においても教育荒廃の大きな原因であり、出発点となっていると考えています。ですから、ここを真正面から明確に論破しておくことは、教育の再生にとって最も大切なことだと確信しています
 
 この杉田さんの考えは、少し距離を取って見れば、「教育荒廃」の責任の「なすりあい」といって言えないことはないという気がする。批判側の立場も逆からそう主張しているわけだし、決着がつかないことは自明のように思える。また、「教育荒廃」が思想の違いのみで論じられているところもうなずけない。考え方が教育の内側だけに閉じている。もっと外側の経済社会構成、産業構造、文明史、精神史との関連がどうかという視点から考えることも可能だが、多くの教育論議はそこまで射程が届かないのが大部分だ。それではつまらない。結局、国際的であったり歴史的であったりという、より広い範囲から教育を捉え直してみるということは発想されないで、現在的な教育の内側だけで「教育荒廃」の原因を探ろうとしている。これでは互いに対立する考えのつぶし合いになり、真の荒廃の原因は捉え損なってしまうと思う。現に今も荒廃は深く進行しているように見える。そしてこの荒廃は、欠如がもたらすものではなく、逆に飽和からもたらされている様相を呈しているといった点で、決定的に70年代、80年代の荒廃と次元を異にしてきている。それを、杉田さんたちの考え方からは見抜くことは出来ないと思う。
 「教育の再生にとって」と語っているように、ほとんどの教育論議は「教育の再生」を目的として語られ、人生とは何か、その時に子どもの成長過程はどうあればよいかという、人間の生涯の中での一過程としての子どもの生活を考察するというようにはなっていない。極端に言ってしまえば、子どもにとっての最良の生活が教育を必要としないところにあるとすれば、教育など再生しなくてはならない理由がなくなる。そこから言うと、もしかすると教育の再生を必要とするのは子どもではなく、それに関係している大人たちや国家に代表される共同体だけであるのかも知れない。
 ここまで言ってしまうともはや言うべきことも無くなってしまう。少し論を急ぎすぎたかも知れないので、ここで杉田さんの言い分に耳を傾けてみることにする。
 
    ◇学歴社会批判⇒学歴より本人の実力が大切。学歴だけでは幸                    せになれない。子供の適性による進路を。
 
    ◆反論 上記の意見には基本的に同意します。今日の社会はその方向で動いてお        り、既に学歴社会は崩壊しているとの説があるくらいです。
 
        しかし、学歴の高い人には実力のある人も多数います。学歴を得る過程        で獲得したものは知識だけでなく、努力することや集中力、持続力、認        識力等の様々な能力です。これらは、社会に出てからも必要なもので         す。
 
        学歴は無いよりあった方が明らかに有利です。医者や弁護士、高級官僚        などの専門職や社会の指導的立場になるためには大学を出なければなり        ません。また、多くの職業でも定職を得るには学歴や資格が必要です。        昔も今も、貧乏から抜け出す上で、学歴は極めて有効です。
 
 ◇印は教育批判を要約したもので、◆の印は杉田さんの反論になる。以下も同じだ。
 反論にうかがえるように、批判的な言辞が全て誤っているというようには杉田さんも考えていない。首肯できる面もあるとしている。だからおそらくは、批判側の立場の人々もここで反論している杉田さんの認識、洞察に一部首肯することはできるに違いない。だが杉田さんの反論の文章をよく考えると、学歴社会批判に対する反論と言うより、少しシフトをずらして実力主義的発想からの考えを述べていることが分かる。そして簡単に言えば、現状社会を生き抜くためには実力(力量)が必要で、その実力(力量)は学歴や資格を得る過程で身につくと言っているのだと思う。
 これではもう、ごもっともというほかない。現実はこうなんだからこうするほかないと言っているわけで、こんなことはだれだって分かることだ。子どもたちだって分かる。杉田さんはだから、我慢して勉強しろとか、させろとか言っているだけなのだが、自分の中では何か高級なことを言っているつもりになっているような気がする。そんなことはない。素手では生きられないから武器を持てと言っているくらいのもので、しかし、子どもや大衆は、武器を持たなければ生きられない世の中は嫌だという思いの中に、沈黙しているものではないのかという気がする。そういう子どもや大衆の思いを考えの中に組み込むことの出来ない教育論議は、結局のところ大衆からも子どもからも遊離して、支持を得ることは出来ない。そうなるとこの手の考えの人々はいっそう、子どもも大衆(一般人すなわち親世代)も指導しなければならないと考えるようになる。
 受験戦争批判に対する杉田さんの反論にもひどい錯誤がありそうなので、次にこれを指摘してみる。だが、その前に一言ことわっておきたいが、ここでは見ず知らずの杉田さんの言説を批判することを眼目としているわけではない。そういう気持ちは全くない。ただ杉田さんの考えが現在の教育世界に流通する、ほぼ半数くらいの考えを代表すると思われるところからこのように取り上げ、それらの考えと自分の思索の差異をはっきり示そうとしているに過ぎない。その意味で、やや利用する目的で取り上げているだけのような後ろめたさを感じながらやっていることは言っておきたい。
 さて、杉田さんは「受験戦争批判」については、「過度の受験競争が子供の心を追いつめている。」というものだと要約している。そしてこれに対する反論として、
 
これは一部の人々によって広められた虚構ではないでしょうか。事実は、受験競争の激しかった頃の方が若者の自殺率は低かったのです。また、校内暴力も不登校も少なかったのです。精神科医の和田英樹氏によれば、日本で受験競争が最も激しかった1970年代は世界のどの先進国でも青少年が荒れ自殺も多くなった時期です。その中でも日本は例外であり、日本の当時の現状は極めて希な現象として世界で注目を集めたとのことです。
 
受験競争には一部に行き過ぎた現象も見られましたが、大局として、受験戦争は子供の心身を害するほどの悪影響を及ぼしてはいなかったと思われます。逆に、多くの受験生は、目標が明確なので努力も真剣に行い、その過程で勉強以外にも多くのことを学び、前向きに生きていました。また、競争は切磋琢磨を促し、子供たちの学習意欲や学習態度を向上させるのに役立っていました。
 
というような捉え方をして見せている。
 批判側の「過度の受験競争が子供の心を追いつめている。」といった見方と、杉田さんのように、いや、そうじゃない、子どもたちは前向きで明るかったという立場の認識とは真っ向から対立するが、本当はひとつの現象が2面性を含み、それぞれ一方に偏ってそれを強調するところから対立の関係が生じるに過ぎない。
 これは先の戦争について様々に書き残された文章に散見されるところだが、それを読むと、戦時中、思いのほか人々の肉体も精神も健康で明るかったことが覗われる。識者の言葉にはそれが、戦争に勝たなければという明確な目標が社会全体に行き渡り、かえって他に悩む隙間を持ち得なかったためだと解されていた。だが、この「明るく健康で」というのがくせ者で、この言葉を聞くとすぐに太宰治の「明るさとは滅びの姿であろうか」という言葉が思い出される。つまり、「明るく健康」な見え方に間違いは無いとしても、これを字義通りに捉えて安堵することも、逆に、だからこそ病的だと捉える捉え方もあり得ることだ。暗さということ、悩みというもの、そういうものが一切無いことがよいことだとは一概には言えないことだ。もちろん、ある方がいいとも一概には言えない。
 戦時中はおそらく自殺も犯罪も少ないはずだ。個人も、社会全体も、余計なことを考えていられなくなるからだ。では、自殺も犯罪も少なくなるから、常に戦争をしている方がいいとは誰も考えない。受験戦争にだって、少しはそんなふうに言える面があった。環界が厳しい時にはそれに対する対処で精一杯になり、環界が緩やかで平穏になると余計なことを考えるようになる。だからといって厳しい環界を理想と思うものはいないだろうし、長く厳しさが続けば一途だった心もやがては折れる。
 確かに終わりの方で杉田さんが言うように、「競争は切磋琢磨を促し、子供たちの学習意欲や学習態度を向上させ」たかもしれない。だが、その果てに「医者や弁護士、高級官僚などの専門職や社会の指導的立場に」上りつめた人々は、いったいどんな社会の出現に貢献したと言えるだろうか。それがユートピア世界だとは誰も言うまい。またその出現した社会に、彼らが全く責任がないとは誰も言い切れまい。むろんここで、責任があると言おうとするわけではない。子どもの学習意欲や学習態度の向上が喜ばしいと言えるとしても、それが一体何ほどのことかと言ってみたいだけだ。そんなことを過剰に讃美して喜ぶのは親たちと教育関係者と指導層にある者たちだけだ。そんな程度の学習意欲や態度は、ほとんどが大学卒業以前までですり切れて消失する。またそれを自力で消失できないとすれば、よほどエリート意識が過剰に根付いたためだと言える。それは精神の病である。
 何度も繰り返して言ってきたことだが、受験を目標とした勉強は外部に蓄積されてきた知識、技能をかき集め、その集積の優劣を競うものに過ぎない。そのことは西欧近代の模倣の延長に過ぎず、脳の機能からすれば自然に志向していく過程だと見ることも出来る。そのことをおろそかに言うつもりもないが、本当に大事なことはその外にある。
 かつてヘーゲルが「歴史哲学講義」の中でアフリカ的な原始未開社会を歴史の外に切り捨て、動物のように野蛮で人間性のかけらも持たない世界と断じた。そして同じように西欧知は傲慢にもアジア的世界をも含む、他の西欧ならざる世界に比較し、自らの優位性を高らかに主張した。それが西欧以外の世界に対して行ったことは植民地支配であり、自らの繁栄のための富の収奪、略奪であり、利用であり、現地の文明、文化の破壊であった。各地において風俗、習慣の伝統は断たれ、ただ否応なく西欧を後追う近代化だけがもたらされた。西欧発の近代化は世界に波及して行った。それは支配と強制的な近代化として表れた。西欧知はそのように世界に具象化され、そして高度化した文明社会を具現化し、だがその陰でかつてのアフリカ的、アジア的世界にあった共存と共生、共助、小さな村落の中の親和的関係といった心や精神の豊かさは、見る影もなくやせ細って行ったと言っていい。この西欧近代と「医者や弁護士、高級官僚などの専門職や社会の指導的立場に」上りつめた人々は、ある面において酷似する。
 つまり、教育によってもたらされる知の向上、高度化とは、かつて西欧知が辿った運命を踏襲しないとは言い切れない代物でも同時にあって、それは必ずしも仲よく助け合う関係を築いたり、育むものではないことをも知っておかなければならない。
 こう考えてくると知の指導者たちは似たり寄ったりで、いつも知の前衛として無知なるものを啓蒙していくことが正しいことだと信じ込んでいる。けれどもそれは後進地域に対する西欧近代の姿勢と同じで意識的ならなおさらだが、無意識においてさえ権力を行使して支配することと同根と言える。本当の知の課題とは他を啓蒙、指導するところにあるのではなく、非知や無知を取り込んで代弁するところのものでなくてはならないと思える。言い換えると、人の心や精神の本当の豊かさとは万物への共感と、助け合い、仲よくすることで築かれる関係の豊穣さそのものであり、その根源に向かって考え、自らそうした関係を築き上げていくことが指導するものの本来的な立場だと思える。そして、教育者であれば子どもたちとの間にそういう関係を築き、子どもたち同士の間にもそういう関係が敷衍していくことをもって教育の使命、知の使命と考えるべきである。
 杉田さんの受験戦争批判に対する反論の最後の方では、すでに少子化によって批判も反論も無化されているというように述べている。しかし、中高生の塾通いは依然高い水準に留まっているように思われる。このことは仮に倍率が減少したとしても、入試の水準が極端に落ちることはないためで、その閾の高さから来るものに違いない。そしてその高さの設定には傲慢な知性主義の傾向が感じられる。本当に必要なのは経験と経験を掘り下げる知性であるのに、その代替としてオタク的、マニアック的とも言える難易度の高い知を望む錯誤。それは数の戦いから質の戦いという形に変容していても、やはり苛烈な戦いとして今も受験者には認知されているもののように思われる。それは、精神が追い詰められるというよりも、明るく健康的に目標に向かって努力する過程で、向上心そのものがエリート意識の病に知らず知らずに毒される怖さを伴う、と言い換えるべきかも知れない。
              この項続く
 
 
源流論 8―A
              2016/01/30
 次に、「勉強ばかりしていては、頭でっかちになり、まともな人間にはなれない」という知育偏重批判に対して、杉田さんがどう反論しているかというところを考えてみる。
 
◆反論
○「勉強をすれば人間性がおろそかになる」というのは、子供たちの実態を知らないで発言している空虚な観念論でしかありません。事実は全く逆なのです。今日問題なのは、常識としての基礎学力や基本的な知識さえ身についていない子供たちが増えていることです。特に、基礎学力の低下は、できない子供たちの間で深刻さを増しています。このような学力実態が、高学年や中学校での授業崩壊や荒れやキレにつながっている例は少なくありません。学力の崩壊が人格の崩壊につながるのです。今必要なのは、全ての子供たちに確かな基礎学力を身につけさせることです。
「知育偏重批判」の根底には反知性主義や勉強を敵視する思いがあると思われます。しかし、勉強や知識を敵視したり軽視したりしていては、これからの知識社会を生きていくことすらできません。
 
 前半の方で言われている、「常識としての基礎学力や基本的な知識さえ身についていない子供たちが増えている」のは確かなことだと言える。そして、「できない子供たち」が荒れていく、素行全般が怪しくなるということも何となく言えそうな気がする。そのために、最近の学校では基礎学力の向上を教育の目標に掲げるとともに、各学校に学習支援員が置かれることも珍しいことではなくなってきた。学習支援員とは児童の学習や心的なケアの側面を支援、補助するもので、また授業が円滑に進むように、教育活動全般にわたる助っ人的な存在として市町村委員会ごとに個別に採用され、各学校に配置されている。
 ここで杉田さんが言っているような意味合いから、今日の教育界全体が基礎学力の向上を学校教育の集約のように見なしながら、これを目指ざそうとしていることがよく分かる。しかし、考えてみれば、基礎学力の向上がこのような意味合いで取り上げられることは今に始まったことではない。かつて、自分が現役で教員をしていたころから各市町村、各学校では同様の取り組みが繰り返されていた。その頃にも、なかなか基礎的な知識が身につかない子どもはいて、先生たちはそんな子どもたちの将来を心配していた。そしてここで杉田さんが考えていることと同じように考えて、「全ての子供たちに確かな基礎学力を身につけさせ」ようと努力した。けれども、なかなか思うようには事は運ばなかった。特に郡部や田舎に行くほどに学力は低くなり、これは容易に改善の兆候が見いだせないものだった。それでも、どのような子どもにも最低限の学力は保証しなければならないとして、先生たちはがんばってきたと言える。
 当時も今も、子どもの能力という面では変わり映えがしないという気がする。出来ない子どもの割合もそんなに違いが無いように思えるが、ただ、出来ないとなると極端に拒絶や放棄の様相を示すという点で、今日の子どもたちは以前の子どもたちよりも耐性が弱いとは言えそうだ。以前の子どもたちは学習についていけないからといって、すぐに荒れるというようなことはなかった。そのへんは先生も子どもも、うまくごまかしごまかしやっていけていたように思う。もちろん今でもそういう部分はないとは言えないが、どこかしらずいぶんとシビアな様相を呈して、子どもも先生もどこかぴりぴりした感じを醸し出している。
 杉田さんはここから子どもの人格が崩壊することに繋がると見ているわけだし、それを防ぐにはどうしたって基礎学力をきちっと身に付けさせることが必要だと説いているわけだ。これはちょっと聞く分には、なるほどなと納得させられる言辞かも知れない。原因は基礎知識を身に付けていないために学業に自信を失い、自分に自信を失うところにあるのだから、それを身に付けさせればいいのだというように。だがそれはいま述べてきたように以前から継続して取り組み続けてきながら、容易に改善されなかったものである。先生たちはずっとそこに力を入れて取り組み続けてきた。だが、身につかないものには身につかない。ここで、そもそも教育課程に問題があるという考え方もあり得たが、一般的にはそれが教員の指導力不足というように見られたり考えられたりしたと思う。そして今度は子どもの学力不足や学力低下と同じに、先生たちの指導力低下や指導力不足と見られたりした。つまり、こういう問題はいつも子どもや現場の先生の問題にされてしまうのが通例になっている。
 数人の学習支援員を学校に配属したところで、簡単に変わるものとは思えない。そんなことは自明であったし、実際に支援員を配置するなどの改善策を講じてきていても、依然として現場のざわつきは続いていると言っていいと思う。
 杉田さんの言い分を聞いていると、耳障りがよくて一般の人が聞けば正しい主張のように受け取られるかも知れない。けれどもそれは現実の土台となっている部分を普遍的な真であるかのように見なすからそうなのであって、その土台に疑問を感じたり疑ってかかるならば、杉田さんの主張はただ通俗的な見解に過ぎないことが分かる。
 たとえば、杉田さんは「常識としての基礎学力や基本的な知識さえ身についていない子供たちが増えている」と、いかにも学校の先生が言いそうなことをただその通りに述べている。だが、ここで「基本的な知識」とか「基礎学力」と呼ぶものを、本当に基礎・基本としてこの時期の子どもたちに与えるべきかどうかについて、杉田さんのような人をはじめとして多くの現場の先生たちは考えたことがないに違いない。教えるべき内容は全て文科省から降りてきて、現場ではどのようにそれを実現化、現実化していくかが問われるだけだからだ。うまくいかないとすればやり方が問われる。言い方は悪いが、これが基礎・基本だと上から降りてきたものは字義通りに受け取り、これを基礎・基本として子どもに埋め込まなければならないもののように思いなす。文科省が決めたこと、偉い先生方が考えたこと、それにケチをつけることは常識的ではない。しかし子どもが荒れるのは基礎・基本が身につかず、勉強が出来ないことに自責の念を覚えるからではない。周囲や世間一般が、勉強が出来る出来ないを人格評価に過重に結びつけたり、学校の勉強が出来ないことによって自分の将来が閉じられてしまう錯覚を子どもの心に植え付けたりするからだ。社会全般がそういう考え方、つまり勉強が出来なければ将来の展望がないということを暗黙の了解事項としてしまっている。だから杉田さんのような教員は、というよりも教員のほとんどは、学習指導者としての立場上どうしても内向きになって知識の注入に関心が向いてしまう。本当は、たかが学校の勉強が出来ないというだけで劣等感を持ったり心が追い詰められる児童生徒を、周囲の観念や幻想や偏見から守るべきはずなのに、それらと一緒になって子どもらをむち打つことになる。それはもはや宗教の形式、宗教の形態と言っていい。また学力の神話に洗脳された姿とも言える。こういう教育信仰は世の中を席巻していて突き崩すことが難しい。彼らは教育が高い人格を形成し、それを身に付けることに失敗したものは人格的に低劣になると信じて疑わない。それはちょうどヨーロッパが数世紀前にアジアやアフリカに向けた視線と同質のものだ。つまり、言外に、自分たちは優れていると思い込んでいるだけに過ぎない。
 
 こういう教育批判や反論をまともに考えようとすると、砂をかむような味気ない思いでいっぱいになる。教育を批判する方もそれに反論を唱えるものも、どっちにしたってくだらないじゃないか、ダメじゃないかと思えて仕方が無い。
 勉強ばかりしていたらまともな人間になれないという批判も、勉強の出来ない子どもが荒れたりキレたりして授業崩壊を起こす基になるという反論も、現象の上っ面をなでただけの発言だ。教育批判の先の発言には、「まともな人間」て何だよと問うてみたいし、きみは自分を「まともな人間」だと思っているのかと揶揄してみたくなる。また反論側の発言にも、軽々しく「学力の崩壊が人格の崩壊につながるのです」などと言ってもらいたくないと思う。学力が高くても人格が崩壊しているように見えるとか、変だと見える例はたくさんある。いや、そういう方が多いんじゃないかと思うことさえ、ままある。学力と人格とは直に結びつけて考えることは出来ないことだ。それは簡単な言い方をすれば、学力の問題は現実に近いところでやりとりしている心的な表層の問題で、人格はその表層と深層の間にある中間層に形成されるものだからだ。そして性格の核形成は深層の問題になる。次元や位相が違うと言い換えてもよい。また、仮に杉田さんが言う「学力の崩壊が人格の崩壊につながる」ことを認めるとしても、じゃあそれが学校現場を舞台に起きているのだとしたら、学校はそういうことが起こりうる場だということを言っているということになる。だって事実としてそうなっているとまで言っているのだから。そうしたら、「学校は学力を子どもに身に付けさせる機関ですが、まれに失敗してお子さんを人格崩壊させることがあります。」と、はっきり公言しなければならないのではないかと思う。うまくいかなかったら人格崩壊さえきたす制度や教育システムなんて、そもそもがおかしなことだと杉田さんは考えることがなかっただろうか。それではそういう資質を持った子どもには、もうこの世に生きるなと宣言するに等しい。
 杉田さんは学力低下や人格崩壊の原因を「知育偏重批判」に帰したい考えのようだが、そういう批判があったために学校で勉強を少しも教えなくなったとは考えにくいし、事実そうなったことはない。批判があろうがなかろうが同じように熱心に教えて来たはずだし、それでも多少学力が落ち込む場合もあって、子どもが荒れることを抑えきれないということだったと思う。また、そういう批判のせいで人格崩壊が起こるほどに一気に学力低下が起きたとも考えにくいことだ。普通に考えれば、子どもたちの心が荒れたりキレたりの現象の増加は基礎学力の向上に努めたか努めなかったかではなく、もう少し複合的に、学力低下以外の面からも考えてみるべき事である。
 本当は子どもの人格の形成に関与するのは、学力よりも周囲に存在するものの人格の影響が大きいと考えるのが普通だ。人格が崩壊するというのだったら、生徒の周囲に見習うべき人格、よい影響をもたらす人格の持ち主が存在しないからであろう。子どもが人格崩壊する場合を本当に先生たちが思っているのだとしたら、先生たちこそ胸に手を当てて、自分の人格が生徒の模範と言えるかどうかを沈思してみるがいいのだ。高潔な人格だけが資格を持つと言いたいわけではない。極端に言ったらどんな人格でもよいが、知の鎧を外した裸の人格で子どもに接したら、それが一番子どもの人格形成によい影響を与えるはずなのだ。少なくとも崩壊するようには進まない。逆に崩壊寸前の教員の人格が子どもに転写していくのであって、しかもそれを隠して無理に立派な人格のように自分を仮構して振る舞うから、子どもたちも真似して本来の自分を殻の奥に閉じ込めてしまう。これでは理想と現実の乖離が大きくなって、歪んだ人格形成を強いてしまう。
 学力が低い子どもの心が荒れたり、キレたりしやすく、また授業を妨害したり暴力を振るったりする傾向は確かに皆無ではないかも知れない。しかしそれは学力が身につかないためではなく、先生たちが自分をごまかしてきれい事ばかり言ったり、学校や社会全般が学力が低いことを劣等と決めつけたり、進学などを含めてそういう子どもの行き場を失わせている現実があるからだ。また大人たちがそういう現状を放置しているからだ。そうなったら誰だって暴れたくなるに決まっている。
 先生をはじめとする教育関係者たちは、そうなることを回避するために一生懸命になって基礎学力を身に付けさせようと努力するわけだが、それがかえって逆効果になる場合もある。先生たちがどんなに尽くしてもダメだということは現実にあるわけで、実はそこから先について、先生はじめ教育関係者たちの考え方は全く無力なままで立ち止まるほか無くなっている。それは当然だ。なぜならある程度の学力を納めたこの人たちの学力とは、定説に学び、定説に到達するところまでをもって良しとして、そこから先には進めないものだからだ。自力で困難を切り開く、考えを創りあげる、そんな力が無いことなどははじめから知れている。そんな力があったらはじめから学校の先生になっているはずがない。またなったとしても、教頭や校長になる遙か以前に学校を辞めてしまうに決まっている。だから端から教育関係者たちの教育批判も反論も、本音を言わせてもらえばちゃんちゃらおかしいのだ。
 杉田さんが取り上げた教育批判と、それに反論を述べた杉田さんの意見とは、実は数十年も前から流布されていることどもで、教育界はただ右寄り左寄りとダッチロールを繰り返してきたに過ぎない。同じことが数年のサイクルで入れ替わっているだけのことだ。何とかまだ墜落せずにすんでいる。それだけの努力をしてきたことは確かだが、墜落せずにすんでいるだけで、とても快適な飛行が出来ているとは言えない。子どもの世界はますます泡立ち、その心はもはや異常と正常の区別を失わせている。そういう現状で、知ったかぶりや、したり顔や、啓蒙家気取りの指導者面は最悪というほかない。
 はっきり言えば杉田さんの以後の反論も、以前からの教育界での論議、考え方から一歩も出るものではない。目新しい考え方、発想というものは何一つ見られない。そういう考え方の焼き直しとか、切り貼りとからなっている。教育的文献を読み、それらしい解釈を添え、さも自分の考えであるかのような加工を施している。つまり上層の考えに自分を同調させているだけだ。自分もそんな程度のことしか出来ないからすぐに分かるが、ほとんど自力で創り出したり生みだした考えはなく、全て借り物のコラージュと言っていい。我々が聞くと噴飯物だが、子どもや保護者の半数くらいには通用している。なぜかというと新聞やテレビで伝えられる出来事やニュースの中に、同様の考え方や言説が含まれているからだ。専門家や評論家の言葉もそこに含まれている。すると、伝えられたそれは疑いようのないことだと思えてしまう。それはかつて自分も体験した。身近に知っている先生たちの考えというのも全てそれだ。だいたいの専門家や学者や研究者というものは世界的な権威を模倣し、熟知し、密輸入して世に広めることで事を成したと錯覚する。すると世に広まったそういう考えそのものが権威そのものと化し、人々の頭に定説として植え込まれる。誰もが教えられたことをそのままに、ただそのままに受け入れて、口で同じことを繰り返せばそれが自分の考えで、学んだことだと思い込む。
 だが、大事なことは、ニュースや報道で見聞きしたことを覚えて、他に伝えることではない。大事なことはそれを疑い、出来事やニュースの中に真実を探すことだ。もっと言えば自分の考えも含めた全てを疑うことだ。その先にしか真実を探り当てることは出来ない。そしてまたその判断は、自分の実感を通し、自分というフィルターを通し、自分で行うものでなければならないと思える。問題解決が常に記憶した既存の知識の中から求める受験とは異なり、迂遠でも、必要なところでは分析、解読の全てを、自分の手で行っていかなければならないのだ。そういう地味な作業から逃れて、安易な受け売りで渡りきれるほど現実は甘いものではない。甘いものではないが、多くの教育者はそういうもので渡りきってしまおうとしている。自分たちは自分たちが言う学力を、そういうように活用してきたから、そういうように活用できると範を示すに過ぎない。そこに、どんな知の優位性が存在するだろうか。そんなものはどこにもない。あるのは処世と合理化による傲慢さだけだ。
 社会の実際としてはそれはそうなのだから、これについては我慢をしよう。だが、世に指導的立場にある者たちの、政治家ならば国民、教育者ならば児童生徒への向き合い方において、自分の掌から落ちこぼれてしまう者たちに対し存外冷たく無責任であることが気になって仕方が無い。口にして言えば国民ひとり一人と言い、ひとり一人の子どもと言いながら、見捨ておかれる国民、邪魔者として婉曲に切り捨てられる子どもは皆無ではない。ただその存在は、この社会では強く焦点を当てられるよりもオブラートで包まれるように、曖昧になった末にかき消されてしまう。
 国民や子どもをそういうところに追い込んでおきながら、自分は何一つ傷つかず、家庭円満、寄せられる地位や名声や富を恥じること無く、平気で人々の前で平和や幸福や善悪を説く、その神経がどうしても理解が出来ない。内奥に秘めた、自分の嘘や怠惰に、灼けるような痛みは感じないのだろうか。
 ここ2年ばかり、ぼくらが子どもの成長や教育について考察してきたことは杉田さんのような人たちが考えたこととは違っている。もはやここで見てきたところに類似するところからは何一つ学ぶべきことは無い。もちろんだからと言って自分たちの考察が優れて高級なものだとは少しも思わない。だが考えるべき価値のあるところを考えてきていることは信じて疑わない。道はまだまだ地平線の先の見えない向こうに続いていて、とても生きている間にそこまでたどり着けそうにないが、弱音を吐く力があったらそれを歩みに変えて行けるところまで行けたらそれでいいと思っている。願わくば今しばらく同行の歩みを、ともに。
 
 
源流論 8―B
              2016/02/06
 今は学力低下のもとになったと教育崩壊の権化みたいに言われる「ゆとり教育」が始まった時、これはいいもんじゃないかと思った。勉強時間が少なくなって、勉強自体も何か遊びと見分けがつかないような楽しいものになるのじゃないかと期待した。極端な言い方をすれば、国語は読み書き、暗記といったことを中心に学習し、算数は加減乗除の計算を中心に繰り返し学習する。その他のことはみな遊びみたいにやってしまう。そういうことでいいんじゃないかと思った。しかし、実際に始まるとそういうことではなかった。「総合の時間」が導入されて、それが実際の取り組みになった時に、ああこれはダメだなと直感した。特に小学校の高学年では総合学習のテーマが「環境」問題や「節電」の問題等が取り上げられることが多く、つまりそれは正論、結論ありきの、誘導目的の学習に過ぎないと感じられたからであった。そういう学習は本当は一番やってはいけないことだ。
 実際の趣旨がそういうところにあったのかどうか分からないが、学習全体が考えさせることに主眼を置くようになった。だがそもそも考えるということはその人の必要性があるところで考えるのであって、また考えるということは読み書きの反復練習に比べてもはるかに高度で、言葉の他にたくさんの引き出しがつくられていなければ考えろと言われてすぐに応えられるのは大人でも難しいことだ。
 こういうところは杉田さんの主張にも一部共通するところがあって、だから杉田さんの文章にはその通りだと思えるところもたくさんあった。そのことは何度でも言っておきたい。
 「総合的な学習」を目玉とした「ゆとり教育」が頓挫したにはたくさんの原因や理由があり、現場の教員たちにも考えるところが少なからずあった。それはいま言っても仕方がない。ただ、文科省主導の公教育はもう破産しているなとその時は思った。どんなすばらしい(?)改革案を掲げてみても、そこに内在する理念が現実化できることはないだろうと思う。もうそれははっきりしている。指導層と現場との乖離の溝は絶対に埋められない。現場を知らない上層部と、上層部の理念を受け止められない現場の乖離は構造的なものだ。そうできあがっているからそうなるほかはないというように、うまくいくはずがない。
 杉田さんのホームページの文章にも「ゆとり教育」に触れている部分がある。そこを少し引用してみる。詰め込み教育批判に対する反論の部分で以下のようなものだ。
 
・ゆとり教育、新しい学力観の一貫として四半世紀にわたって「教え込むのでなく、子供が自ら気づき学ぶように興味・関心・意欲を重視した授業」の大切さが強調され、全国の学校で実践されてきました。しかし、これはどんな結果をもたらしたでしょうか。それは、子供たちに学習意欲が著しく低下したという事実です。今日、どの調査でも日本の子供たちは先進国の中では一番勉強してないことが明らかになっています。子供の興味・関心・意欲を重視することは誰もが賛成する正論です。そのような授業に努めてきたのに、なぜ学習意欲が低下したのでしょう。それは、「詰め込み授業を追放して興味・関心・意欲の重視の授業を!」の方針から、反復学習やトレーニングが著しく軽視されてきたからだと考えられます。例えば、どの学校でも算数の授業研究では、子供たちが興味・関心をもつように「授業導入の教材選び」の研究に膨大な時間をかけています。そこでは、反復練習で学習内容を定着させることが研究の対象になることはありません。なぜなら、反復学習やドリル学習は教師主導の詰め込み教育であり、「新しい学力」の対極にある「旧い学力」の典型とみなされたからです。それで、漢字や計算の練習は授業中にやるものでなく宿題にされることが当たり前になりました。また、「計算は電卓でやればよい。大切なことは考える力をつけることだ」との計算練習を軽視する考えが広がりました。(現在の教科書では、複雑な計算は電卓でやることになっています)
 
 ゆとり教育に杉田さんが言うような傾向があったことは確かかも知れない。詰め込み教育への反省がゆとり教育を生んだのだが極端な傾向に走り、今日ではまた杉田さんが言うような反復学習やドリル学習に極端に走ろうとする傾向も見られる。たぶん、今日的に湧き上がって来ている教育現場での諸問題は、そんなことですっかり鳴りを潜めたり、沈静化してしまうということはないはずである。そうするとまた詰め込みに対する反省が盛り返し、同じ愚行を繰り返すに違いない。
 これらから考えることは、子どものためによかれと考えながら大人たちがバタバタする図だ。ああでもないこうでもないとひねくり回す図だといってもいい。大人たちがこうしてひねくり回したり騒いだりしている間に、肝心の子どもたちはすっかり学習意欲を無くし、勉強嫌いが多くなってきている。はっきり素行が悪くなったり荒れた言動の子どもを除けば、学習態度はそれほど乱れた様相を見せずに、である。つまり、まじめな態度で深く静かに勉強嫌いを潜行させている子どもが増えているように見える。ストレートな言い方をすれば、やった振り、やっている振りだけは見事にやってのけている。
 問題はだからもっと根本的なところ、根源的なところにあるような気がする。
 いま、学校教育全体から見て、よいなあと思えるところがひとつだけある。それは担任の先生とひとり一人の子どもたちが等距離にあり、かつ親和的な触れ合いを感じることの出来るクラスを見た時に思えるもので、そこには何とも言えない自然な心の交流の雰囲気が充満している。それはたぶん担任の先生の性格とか人格が反映するもので、子どもたちひとり一人に居心地良さが漂っていると感じられる。
 日々の授業内容がどうなのかはよく分からない。教え方が特に上手だとも、よいとも思えない。時に廊下で数人の児童を注意したり叱責する場面を見かけたこともある。そこから甘やかしているだけではないということが分かる。何がどうなってよい雰囲気のクラスに仕上がっているのかの確証は何もないが、ただ一点、その担任の先生は正直に自分のありのままで子どもたちに接している様子がうかがえた。ただそれだけで「何ページを読んで」と指示されると、全員が机の上に教科書を両手で立てて読み始める。昔の授業風景と言っていいだろうか。そんなことがごく当たり前に行われている。他のクラスにいたら率先して立ち歩きなどしそうな子どもたちも、実に行儀がいい。それがまた少しも力による強制と感じさせないところが見事だと思える。もちろん強制など少しもしてはいないのだ。子どもたちは「こうしましょう」と言われたことに、ただ素直に従っているだけのように見える。いや、従っていると言うよりも、自分から進んでそうしているように見える。
 そのクラスにも学校の勉強が得意ではない子どももいる。けれども、どこか授業を受ける姿勢、態度には前向きなところが残っている。出来ないことの負い目みたいなものは皆無ではないのだろうけれども、それが変に複合された感情としては外に表れない。つまり過度の負い目にはならないように担任が受け止め、そのことがいわば緩衝として機能しているものでもあろう。
 そういうクラスの光景を見ると、「ああ、学校というものはあってもいいものだなあ」と思う。
 大事なことは、先生と児童生徒との間のナチュラルな信頼関係なのだと思う。公教育の場はこれが成り立てばいいのであって、この経験は学力がつくとかつかないとかの比ではない。これはちょうど、胎児から乳児にかけての母と子の間に成立する信頼と不信の関係の、次の段階に訪れる重要な関係といっていいと思う。学校は今日の社会では幼児から成人に向かっての中間に設けられた制度で、これを動かしがたいものとして認めざるを得ないと考えるならば、ここでは知識や技能、道徳的なことを教える以前に、先生たちにとって全ての児童生徒の丸ごとの受け入れと、嘘のない本音での対応の仕方が何より重要なことだと思える。つまりこの時期の子どもたちにとっての重要事項は、人格形成の途次にあって裏表のない人格に出会うことだ。子どもたちは出会った人格からたくさんのことを吸収し学び取る。そこで出会った人格が子どもの感覚で受け止めたものと実際とで隔たりがなければ、子どももまた裏表のない人格を形成して行くに違いない。そのことはまた内面に乖離を抱え込む必要を持たないことになり、負担に苦しむことも少なくてすむ。
 とりあえずこういうところが可能になれば今日見られるところの荒れるとかキレるとか、あるいは学習意欲とか生きる意欲とかの面での喪失という最悪の事態は防げると思う。乳児期での母親(代理)との関係、そして現代社会においては学校での重要な第三者としての担任との関係が良好なものであれば、人との関係の基礎的な枠組みはまず人並みのものとして子どもの心に形成されると見ていい。その枠組みは過剰に攻撃的になることも受け身的になることもないように、ある閾のようなものとして作用する。そこを越えて攻撃的になることも受け身的になることも、よほどのことがない限り、制限するものとしてその枠組みは機能すると考えられる。つまり、逆に言えばその時の心的な体験がよほど悪いものでなければ、他に対する関係の仕方において悪くなりようがないのだと言っていい。
 小学校から中学校にかけての学校の先生や担任は、子どもの目から見れば学習や道徳規範を教えてくれるという側面より、人間の本質を体現する重要な他者として目の前に表れるものであり、よりその側面で注視される存在だと考えた方がいい。子どもの無意識の関心はその側面に注がれる。それはおそらく、成人前の子どもたちにとって言葉の獲得の次に来ると言っていいほど重大で、しかも無意識の欲求なのではないかと推測される。つまり家族内での両親とは別に、より規模の大きな他人同士の集まりである共同体の中に、範となる人間、人格を探し求める時期なのではないかと思える。推測に過ぎないから余り大きな声で主張する気は無いが、このことは過剰で過激な場合には、ということはつまり、一種の、人間世界に対する、根源的な信頼や不信に関連することだが、この時に不信に心が満たされたならば、それは子どもの自殺願望にも結びついていくという気がする。だからとてもデリケートで重大な問題だ。ここがスムーズによりよい形で通ることが出来たら、つまり、信頼に足る人物に出会えたならば、後は学習でも何でも多少厳しかったり苦しかったりが強いられたりしても、前向きに、耐えていくことが出来るに違いない。杉田さんなども言っている、学習に「集中して取り組む」とか、「粘り強く、忍耐強く取り組む」とかは、ここに述べたようなことが実は前提になってはじめて可能になるのではないかと思う。というより、それがクリアできていたら黙っていてもそうするようになると思う。またそれをクリアしていないところで前向きに学習しても、それはその場しのぎの一時的なものに過ぎないと言える。そこのところが、現在では非常に危なっかしくなってきている。過激な言い方をすれば、仮面を被って接する大人や先生が多くなりすぎて、そんな人たちが子どもたちを取り囲んでいるのだ。これでは子どもは不安に駆られ不信に駆られるに決まっている。仮面には人格がないから、子どもの印象は宙に浮いてしまう。そして無意識の中で不安や不信が募り、ひどい場合には人間性としての像が心的に拵えられなくなるために、ある日突然、異常で非人間的と見える振る舞いに及ぶようになってしまいかねない。
 このあたりはもう少し厳密に詰めて考えていかなければならないところだと思う。ここでは提起だけに留めておいて、またべつな機会に探っていきたい。
 
 ここまで考えてきたところで疑問に感じているところがある。それはとても素朴なものだが、とても難しく感じられる問題なのだ。
 勉強というのはそんなに大事なことだろうかというのがその疑問だ。
 マルクスの「無知が栄えたためしはない」という言葉は、それはその通りだなと思えるところがある。その言からいえば、知識や技術や道徳規範の習得は大事なことのように思える。つまり、勉強というのはけして不要なものではない。
 一方で、人間の基本的な生き方を考える時に、「食と性」、すなわち今日的な社会生活の上からいえば働いて食うことと、ある年令に達して結婚をし子どもを産み家庭生活を営むこと、この両面に関わり煩って行けばそれでもう十分じゃないか、人間的な使命や生き方は達成したことになるじゃないかという考え方があり得る。そこでは余計なこと、つまり勉強して知識を持つこととか立派な考え方を持つとかはいらないことになってしまう。 現在の日本社会では、前者の「知」の有意義性、有意味性が強調され、またそういう考え方の方が優位に置かれているように思われる。だから子どもの親も学校の先生も、知識や技能の注入、獲得に一生懸命で、子どもの塾通いもごく普通のことのように公認されている。これは教育崩壊が公言される今日においても全く衰える傾向を見せないどころか、よりいっそう激しさを増してきている気がする。親も学校の先生も、何とか子どもに勉強させよう、させようと必死になっているような気配さえ感じられる。
 人間には、世の中は進歩発展して行かなくてはいけないんだという考え方と、いやいや、進歩発展していけば行くほど世の中は戦いが起こり、乱れることになるからそれはよくないんだという、大きくいって二通りの考えがあるように思う。しかし現実は、明らかに進歩発展して行くことが人間社会の必然のように動いて来ているように見える。だがそのように動いて来ながら、一方で人々は自縛的に苦しんで来ているようにも感じられる。
 こういうところが現在の社会にあって、本当によく分からないところだ。
 人間には向上心というものがある。よりよくなろうとするとか、よりよくしようという心の働きを指す。これはよりよい人間になろうとかよりよい社会をつくろうという考え方に繋がっていく。これが極端になると、勉強がよく出来て、困っている人を救済できるような立派な人間でなければダメなんだというように錯覚するところまで行ってしまう。確かにそういう立派な人もいるのだろうが、ほとんどの人は世にありふれて存在する人々で占められているわけで、逆にそういう在り方で存在する存在こそ人間というものなのだと言える。つまりそれは、大勢のわたしたちであり、あなた方である。もっと言うと、そんなに都合よく立派な人間には成れやしません、ということになると思う。大勢のわたしたちやあなた方は、悪く言えば人間としての失敗作だろうか。もちろん、到底そんなふうに言えないことは誰にだって分かることだ。そしてそれが人間存在だということも。そうした時に、子どもだっておあつらえ向きの立派な子どもでいられるわけがないじゃないですかと思える。よく勉強し、行儀作法を心得、明るく前向きで、健康的ではつらつとし、誰とでも仲よく出来る子どもを目標にして努力せよと言われたって、できるはずがない。というか、それ以前に、ギャップの大きさに意気消沈してしまう子どもが圧倒的多数だという気がする。人間には向上心があり、どこかで理想の人間像や子ども像を考えてみることも必要かも分からない。けれどもそれはあくまでもうまく事が運んだらということであって、必ずそのように「ならなければならない」ものとなったら、大人でも子どもでも生きることは苦行になってしまう。欠陥があることはいいことだと言えないが、悪いことだとも言えない。いずれにしても子どもも大人も、どこまで行っても欠陥あるところから出発して欠陥あるところに着地することを繰り返す。それが人間存在というものであり、もしかするとちっとも変わり映えしないのだけれども、それでもとても人間的だと言えるところは心に葛藤を繰り返すところだ。それは目に見えないもので、いつどのように行われているかも分からないが、大人でも子どもでも誰もが必ず行っていることだ。そう考えたら、人間はもうそれだけで十分なのじゃないかと思えてしまう。それ以上立派にならなければならない必要性はどこにもないんじゃないかと思う。勉強なんかいいじゃないか、小さな欠陥をあげつらうことなんかいらないじゃないかと、そう思える。
 少し前のことだが、ある先生が退職を迎え、離任式で子どもを前にして、「皆さんなら戦争のない平和な世界を実現出来ると思うから努力してほしい」という意味合いの言葉を残して去った。少し親しかった人で、人のよい人だったので、その言葉を好意的に受け止めたかった。しかし、反射的に「それはずるいよ。子どもたちに託す前に精一杯自分が努力すべきだし、もしそれが自分に出来ないのだったら子どもにも託すべきじゃない。」という内心の言葉を打ち消すことが出来なかった。これは親にも先生たちにも、同じように言いたいことだ。子どもたちは自分たちの現実を自分たちの力で生きていると言える。そこには例え幼くとも考えることも葛藤もある。苦悶も呻吟もあるかも知れない。そんな時に横から、「ああしろ」とか「こうしろ」とか、あるいは「善」の押し売りとか、「仲よくしろ」の仲裁とか、そんなことは全部余計なことではないのか。子どもといえども一個の人生の主体に向かって事細かに干渉するくらいなら、まず自分が子どもに向かって言うだけの模範を、実生活上で示して見せたらいいじゃないかと思う。それが何よりの「教え」になることは考えるまでもない。それが出来なかったり、しないでいるくせに、未熟な子どもたちにはあれこれ知ったかぶりの物言いをする。そんなことが少しもためにならないことは、各々の子ども時代を振り返ったら簡単に理解できることではないだろうか。子ども時代に教育をされ、そのおかげで欠陥のない立派な大人に成長したと、あなたたちは本当に思っているのだろうか。たぶんそうは思っていないはずで、逆に教わらなかったからそうだとも思っていないはずなのだ。
 教え導かれれば誰もが優れて立派な人間に成長する訳ではないように、放って置かれたから誰もが非社会的な人間に成長するということでもない。ただ学校というのは、そういうきっかけや機会を与えるものであることは確かで、それを自分に引き寄せるのはやはり子ども自身に内在する目に見えない力である。
 自分を省みれば、優れて立派な人間どころか、平凡、凡庸にも及ばず、せめてそういうところにまで自分を高めたい、力を持ちたいと日々感じながら生きているというのが実際だ。イメージ的に言えば負を背負って零地点に辿り着くことだが、それもやっとの事で可能になるかならないかというところに、現在いるというように考えている。ここから言えば、凡庸はいいじゃないか、平凡はいいじゃないか、ありきたりに苦労する人生というのも捨てたもんじゃないよと見えて仕方がない。
 家庭も学校も、子どもに立派になることを望まなくてもいいじゃないか。子どもが気付かないくらいの静かな愛情をずっと注ぎ続けられたら、それでいいんじゃないだろうか。そうすることで、後年、他人の人生を狂わすようなことをしでかさないように育ったら、十分親の努め、先生の努めを果たしたことになるんじゃないだろうか。後はごく普通に、少しだけ富んだり貧しかったり、幸が濃かったり薄かったりするのが人生で、それを全うすればいいだけの話である。あなた方のように、わたしたちのように、である。
 
 唐突だが、ここで一昔前にフォークシンガーとして人気のあった吉田拓郎さんの歌を思い出した。「わたしは今日まで生きてみました」のフレーズが繰り返される歌だ。この歌の「わたし」を「子ども」に入れ替えて、替え歌にしたらどうなんだろうと思った。こんなことをしても吉田さんの不利益にはならないだろうから、ちょっとその歌詞をお借りして替え歌にして表してみる。
 
 「今日までそして明日から」
 
子どもは今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
子どもは今日まで生きてみました
そして今 子どもは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと
 
子どもは今日まで生きてみました
時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて
子どもは今日まで生きてみました
そして今 子どもは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと
 
子どもは今日まで生きてみました
時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとりあって
子どもは今日まで生きてみました
そして今 子どもは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと
 
子どもには子どもの生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう
 
けれど それにしたって
どこで どう変ってしまうか
そうです わからないまま生きてゆく
明日からの そんな子どもです
 
子どもは今日まで生きてみました
子どもは今日まで生きてみました
子どもは今日まで生きてみました
子どもは今日まで生きてみました
 
そして今 子どもは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと
 
 どうであろうか。急に世俗的な流行歌ふうの歌詞を持ってきて戸惑われるかも知れない。また、こんなところでこのまま文章を終えたら、多言を費やして、結局何も語らなかったのと同じじゃないかという印象を残してしまうかも知れない。けれども、何故かそれでいいという気持ちでいるし、自分の考察もその水準もまだまだこういうところに及ばないんじゃないかとも思えている。平易な言葉で短くというのが理想で、まだ当分たどり着けそうにはない。
 
 
源流論 9
              2016/02/21
 子どもの成長と発達について、子どもたち自身をふくめ多くの人々の関心は小中高そして大学と、よい形で通過して社会人として巣立っていくことであるように思える。
 よい形で通過してということは、しっかりと学業を修めるということがひとつであり、もう一つは通過の過程でそれが中断するような問題が起きないことを指している。
 考えてみると社会や個々人の関心や願いはそんなことに過ぎないのだが、現状の長い学校生活というトンネルを潜り抜ける過程は、まるでブラックボックスの中を潜り抜ける過程のようであり、あるいはそこに様々な障害物があり、外部から見れば障害物競走を行っている過程と言えなくはない。
 もちろん現在ではそこに様々な問題が生じて、社会的な関心を引き寄せているということは言うまでもない。そしてその関心の主たるものは障害物を取り除けという方向に集約させて考えることが出来る。社会全体も個々の大人たちも、相変わらず子どもの学業過程を無事にスムーズに通過させるためにどうするか、ということだけを考えている。
 そのことは一般的に言えばごく普通の関心であり、対応であると言えそうである。だから、そのこと自体を余り詮索したり批判してみても仕方がない気がする。現実にそういう関心の向け方をし、そういう方向で対応を考えるということには、ある種の必然的な理由があってのことだろうと思われるからだ。
 ただし、自分自身の子ども時代、そして小中高、大学を通過する過程をよくよく考えてみると、どうも学業とか進学とかが第一義的な問題ではなかったような気がして仕方がない。もちろん目の前にちらつく大きな問題ではあったのだが、そのことは自分がやるかやらないか、努力するかしないかで解決できる問題だということは分かっていたような気がする。
 一般化できないことかも知れないが、子ども時代を振り返った時に、いまでも鮮明に思い出すのは悩ましい「夢」の数々である。この場合の「夢」は睡眠時のもので、特に記憶に残っているのは空を気持ちよく飛んだり、また落下する恐怖に苦しむ「夢」である。もう一つよく覚えているのは、野原を走り回っていると必ずといっていいほど蛇に出会ったり、着地する足が蛇を踏むという「夢」である。これにはもちろん常に恐怖感が伴う。恐怖というとこれは「夢」とは別だが、夜昼問わず家の中のトイレに入るときに背筋がザワッとする怖さがあったことを思い出す。いま思うとそれは閉所恐怖症ということだったかと思うが、子ども心にそのことを幽霊に結びつけて捉えているようなところがあった。
 このことで何を言おうとしているかというと、つまり、小学生当時の自分の切実な悩みというものは環界との折り合いの付け方で、それがうまくいかずに苦しんでいたのではないかということだ。それが自分にとって第一義に切実な問題であったという事だ。
 これに関係する例をもう少し挙げてみると、小学四年の時に担任の先生に職員室に呼ばれて理不尽な注意のされ方、叱られ方をしたときがあるが、その時自分は反射的に先生の足下につばを吐いてしまった。一瞬その場が凍り付く感じがあった。取り返しのつかないことをしでかしたという気分にもなった。
 またこれは六年生の時だが、一番親しいと思われていた友達から「好きで一緒に付き合ってきたわけじゃない」という宣言を受けた。これも大変ショッキングなことで65のこの年まで忘れずに覚えている。
 こうしたこと以外にも、体が痩せて小さかったことや、よく友達と諍いしたことなど、悩みの種が尽きなかった子ども時代であったことを思い出す。
 はっきりと言えばこれらの個人的な諸問題というものは、当人にとって見れば切実なものであるにもかかわらず、友達や両親、あるいは学校の先生にも話せないし相談できずに教えてももらえない、また解決のつかない問題であった。だから人知れず思い悩むことになり、解決の方途は自分で探すほかないものだ。いまこの時期を振り返ると、日常の生活は遊びが全てであり、内面的にはそういう苦悩が全てであったように思える。こうしたことに比べたら学校の勉強などは、本人にとっては取るに足りない事だったように思える。こう言うと、学校の勉強や宿題は一切やらなかったように聞こえるかも知れないから、もちろんそれはそれでやっていたという事を言っておかなければならない。どちらかというと授業中に手を挙げて発表したり、宿題はきちんとやる子どもだったと思う。そこには何と言うか、つまり、しなければならないという脅迫めいた気分があって、本心から好きで勉強をしていたという事とは少し違う。だからその時代をトータルで考え合わせれば悩ましい夢の形に象徴させて考えることが妥当で、子どもの一番の問題は無意識の葛藤にあり、そういうことをやっているんだという事をきちんと認め、そのことを尊重しなければならないという気がする。
 学校でも、家族などの身近な人たちからも教えてもらえないこういう問題について、解決とまではいかないまでも、ある示唆を与えられたのは文学によってであった。
 文学に本格的に出会ったと言えるのは高校の時だが、小学中学と物語や小説そして詩歌の類いに触れてある親しみは覚えていた。当時はその親しみがどこから来るのかは分からなかったが、いま思うとそれは個人的な心の琴線に触れる唯一のものだったからだと思える。そこではじめて現実の家族、地域、学校生活からは得られない、つまり内面的な悩み事に抵触する分野、領域を見いだしたように思える。もちろんこれは自分だけの余りに個人的な出会いではあったけれども、人間には何か現実具体的な諸関係の中にはさらけ出すことの出来ない、内面的な秘め事が誰にでもあるに違いないと考えるようになった。
 いま述べてきたところから本当は何が言いたいかというと、人間には容易に伝達可能な頭による知の働きと、もう一つ煩悩をもふくめて考えることの出来る心の働きがあるということである。知は、比喩的に言えば水面であり表面的に了解し合えるところのものである。一方心は底を流れるものであり、深層にあってこれを取り出して了解し会うということは考えられるほどに容易なことではないと思われる。
 心と言ってみたが、ここで子ども期を考える考え方からいえば、これは性格と差し替えて言い表すことも出来る。
 つまり子ども期にとって何が重大な問題なのかといえば、心の問題すなわち自分の性格が重大問題なのであり、それと周囲の人間との関係、事象との関係がどのように折り合っていけるかということを常に模索しながら生きているということなのだと思う。
 しかし社会全般は、子どもが日々めまぐるしく心を動かし生活していることに注意を向けず、またそのことに子ども期を生きる根源的な価値があるという見方が出来ずに、かえって子どもには余り必然性も意味も無いように見える外部の知識、技能の習得を早期教育の形で注入し続けてきた。確かに人間の心というものは目に見えず、それだけで何かを生みだすことはないかも知れない。これに比べると頭の働きというものは何かを生みだしたり作り出したりする基になり、有意義に思えるし、使えば使うほど、鍛えれば鍛えるほど、発達していくことがはっきりとしている。
 これは身体的に言えば体壁系の筋肉や動きを鍛えて発達させることに似ている。目に見え、形に表すことが出来る。だが心臓のような内臓系は常に一定の動きをしているにもかかわらず、鍛えようとしてもはっきりと変化の兆候を見ることは難しい。そこで今日の社会ではジムやエステやジョギングなどで体壁系を鍛えることが流行になり、内臓系に対する注意はおろそかにされるか、もっぱら医薬品やサプリメントに頼るということになっている。そしてこのことはそのまま我々の頭と心の成長や発達の、現在的な状況を反映していると見ることが出来そうに思える。
 あえて言ってみれば、本来、生きることの主体は内臓系の「食と性」そのものであって、体壁系はそれを支えたり促進させたりと補助的な役割をするものだ。にもかかわらず、どうかすると我々の目は体壁系の方に強く注がれ、そちらの方が生きることの中心のような位置を与えられ、篤く手入れされることとなっている。そして関心はあるのだが内臓系は何となく成り行きにまかせられているといった気配である。
 現在の子どもたちの頭と心の状況も同じで、体壁系の頭は学校で知識や技能や道徳律をぎゅうぎゅうに注入されて鍛えられている。けれども主たる出所が内臓系の心はやはり成り行き任せにされ、あるいはとんちんかんにも頭の問題に混合されて教育的なところで何とか出来るものと錯覚されたりしている。だが本当はそんなことでどうにか出来るものでないことは分かりきっている。つまり社会全体が内臓復権を目指すもので無い限り本当の内臓の健康があり得ないように、心の方が頭よりも基になるんだよという意識改革が成されない限り、激しく泡立つ子ども世界、いじめ、暴力、不登校、殺人などの、心が関与する問題というものは緩和されていったり沈静化していくということはあり得ないのだ。人殺しがよくないことで、罪に問われる事は誰でも頭では理解している。そういうところのぎりぎりの決定や決着には、頭ではなく、心の方が強く関与するものなのだ。そして心というものは、頭で考えるということほどに、自身で完璧にコントロール出来るものではないということは理解されなければならない。
 今日、教育学や心理学などの学者も専門家も、あるいは子どもの親も学校関係者も、こぞって学校教育活動の強化、道徳や知識、技能を教え込むことに懸命であることは不自然な事であり、おかしなことである。そしてこのことのおかしさ、不自然さに気付こうとさえしていないように見える。
 じゃあどうしたらいいのか。そう考えて、しばらく考えあぐねていたところで、「日本子ども学会」という名称のサイトに次のような発言があった。おあつらえ向きというわけではないが、ここから先を考えていくために少し引用して、この先に考えがつなげられるかどうか試みてみる。
 発言者はこの会が講師として呼んだ総合研究大学院大学教授長谷川眞理子さんで、「進化生物学から見た子ども≠ニ思春期=vという演題が書かれていた。「日本子ども学会」にも、長谷川さんについても全く未知なのだが、発言には共感できるところがあった。 
 今の子どもをめぐる状況は、すごく大変なことになっていると私も思います。近代国家による組織だった教育というのは、戦力としての国民をつくるためだから、字が読めて、計算ができて、何か言えば何かやってくれるような人間を大量生産するために、子どもを一定規格化する教育を持ち込んだということだと思います。それは人間が本来、何を学び、何を学び合って育っていくのかということではなくて、国家が国力を増強させるために何を教えるのが一番よいかということでつくられてきた教育プログラムです。
 
 私はチンパンジーの研究をしているときに、半ば狩猟採集、半ば焼き畑農耕で生活しているトンゲという人々と一緒に暮らしていたんですけれども、トンゲの人たちで学校教育を受けていない人たちは、本当に五感がすごく優れているし、自然に対する知識がたくさんあります。だけど、若い世代で、学校に行くようになった世代は、そういうことはわかりません。だから、チンパンジーを見つけるトラッカーとして雇えるのは30歳以上の人です。30歳以下の子は体力もたくさんあるし、好きだから行きたいと言うんだけど、雇っても役に立たない。彼らより私の方が先にチンパンジーを見つけますから、全然ダメなんですよ(笑)。若い世代と上の世代を見て、習ったものが違うと世界の見方も全く違うのだと、本当に思いました。
 
 その意味では、今の日本の学校教育は、学問の知識とか、特定の技術を操作することを習うということをやっているから、昔の子どもたちが上の子から下の子へと伝えていた、たとえば小さい子の面倒の見方であるとか、ケンカしたときの仲裁の仕方とか、そういうのもすごく減ってしまっているのでしょうね。私の小さい頃は、電車に乗ったらみんな、窓の外を必死で見ていましたが、今、窓の外を必死で見ている子どもなんていないですよ。ほとんどがゲームを見ている。そうすると、本当に観察しない。観察しないと、物についての直感力がなくなるから、すごく困ると思います。でも、そういう状況を止められない。どうしましょうね(笑)。
 
 でも、京大の幸島さんだったと思うのですが、言っていましたが、自然観察教室で子どもたちを見ていると、最初はゲームがなくて、やることがなくてものすごく困ってブーブー言うんだけど、そのうち物を観察し始めるんだそうです。アリをじっと見るとか。子どもは本質的に好奇心があるから、物を観察するんですね。それを、いろんなつまらないおもちゃを与えるから、ダメな影響があるんですね(笑)。(太字は佐藤)
 
 つまり生物学、人類学的な見地から、現在の子どもたちは本来的な育ち方というものを少しも考慮されずに、共同社会の維持目的を中心にした教育プログラムに支配されていることが語られている。
 長谷川さんも言っているように、このような状況を我々の現在社会は深層では「止められない」。「どうしましょうね(笑)」と思っているに違いない。またここでも同じような言葉を継いでもいいのだが、本当は笑い事ではすまないはずだ。
 長谷川さんのような学者さんをはじめとして、現在の子どもたちが子ども本来の生き方や育ち方が出来ないところから、様々な問題が生じていると考える人たちは少なからずいると思うのに、その声は社会の大勢を形成しているとまではいかない。多くの大人たちそして親たちも、子ども世界が今日のような状況を呈するようになっても相変わらず子どもの成績がどうの、受験がどうの、社会性がどうのと、さらに状況を悪化させる方向での物の見方考え方しかしていない。これではますます子どもの変調とか不満とかは加速度的に増していくほか無いと思える。
 親の世代も本当は自分たちの成長過程の大部分を学校生活の中に過ごし、本来的な成長過程から引きはがされて、抑圧に心を苦しませ、また無意識の奥に傷を負ってきたに違いないと思える。けれども、そんなことはきれいさっぱり忘れてしまったり無意識の奥に閉じ込めてしまったりして、我が子には教育プログラムの開発者に近い言説に馴致したり同致した位相で接し、その方向で努力するように促す。もちろんそれでもまだほとんどの子どもたちは、自己内部の無意識が発する声と外部の声とが折り合える箇所を見つけ出し、異常の手前で踏ん張って生活できていると言える。とはいえ、そのような子どもたちといえども親と子の世代間で、世界の見え方は断絶と言っていいほどに隔絶してしまっているに違いないと思える。そしてもちろん祖父母と親の間にも世代観の相違は大きく横たわっていよう。これが高度文明社会の実像のひとつだといえば言える。「どうしましょうね(笑)」という声は、どの世代にも共通するもので、どの世代もどうすればいいのか本当はよく分からなくなっているというのが今日の社会状況に違いない。それなのに自分はさも何でも知っているような顔をした大人たちは多い。嘘でしょうと思う。それは誰かの考えをパクっているだけでしょうと思える人が多い。実際はだれも何も分からないところで、いまの子どもたちにはなおいっそう相談できる大人たちはいなくなっているという事になる。社会的に大事にされているように見えて、子どもたちのこころは孤立化の道を辿っているように見える。大人たちにはそれが実感できないのではないか。今の時代に子どもでいる事がどのように大変で在るのかが分からない。子どもが子ども期にどう過ごす事がいいのかも分からなくなっている。
 いや、大人たちの多くは心の奥深くのところでは、少なくとも子ども期をどう過ごすべきかは分かっているのじゃないだろうか。それが社会的な諸事情を勘案するところから、口をついてでることが無くなっているのかも知れない。変わりにというか代弁してというか、次のように結論してみる。
 子ども期は遊びが生活の全てとして遊ばせればいい。胎児期、乳児期に形成された性格の核、それが家族生活の中で幾分丸められる幼児期を経て、以後は変転する集団の中にそれまでに形成された自己を存分に発現し、ぶつかり合い、支え合い、それは次の段階の意識的な自己形成の基礎を構築する事になる。勉強というものもまた、次の段階から始められていいものだ。
 以上、これで終わりといきたいが、最後にこの項で言っておきたい事は、泡立つ子ども世界はそのまま我々に警告を発しているという事だ。あるいは意識的にそう考えた方がいいという事だ。
 我々は身を挺して警告する子ども世界の泡立ちから、たくさんの事を学ぶ必要がある。 現在の泡立つ子ども世界を歎く大人たちは数多い。そうして思い思いに是正のために何かをやったり、考えたつもりになっている。けれどもそれはあくまでも「つもり」にしか過ぎず、「思い込み」でしかない。この「思い込み」は社会的に席巻し、そのことはまた思い込んだ事が正しい事のように錯覚させる空気感を形成していると言う事ができる。
 それが、現在の大人たちが経過してきた子ども期と関係しているでしょう、とここで言ってみたい。つまり、子ども世界の泡立ちを歎く前に、自分たちの足下も泡立っているでしょう、それをしっかり見ましょうよという事だ。そこを見ればまず自省から始まり、生育歴を遡る事もあるかも知れない。子どもの世界とのつながりはそこに見いだす事が出来る。そして自分の反省にたって子ども世界を眺めるのでなければ、本当の子ども世界というのは見えてくるはずがない。それは自分の事が見えないという事と同じだ。見えなくとも差し支えはないのだが、だったら指導者面をして他人(ひと)の事、子どもの事をあげつらうのはよせやいと言いたくなる。
 
 
源流論 10―@
              2016/03/07
 生命体が、非生命としての自然世界(無機的自然)に対して異和であるというとき、それは自然世界からの疎外とも言えるし、産み出されたものだという見方も出来る。いずれにしてもその時、一個の生命体は「原生的疎外」の領域を手にする、と吉本隆明は『心的現象論序説』の中で述べている。
 
 まず、生命体(生物)は、それが高等であれ原生的であれ、ただ生命体であるという存在自体によって無機的自然にたいしてひとつの異和をなしている。この異和を仮に原生的疎外と呼んでおけば、生命体はアメーバから人間にいたるまで、ただ生命体であるという理由で、原生的疎外の領域をもっており、したがってこの疎外の打ち消しとして存在している。この原生的疎外はフロイドの概念では生命衝動(雰囲気をも含めた広義の性衝動)であり、この疎外の打ち消しは無機的自然への復帰の衝動、いいかえれば死の本能であると考えられている。
 このいずれの意味でも生命体は、外側を無機的自然に開き、内側を〈身体〉に開くひとつの混沌とした心的領域を形成している。たとえば、原生動物では、この心的領域は、心的というよりも、たんに外界への触知にともなう無定型な反射運動にすぎないが、人間では心的といいうる不可触のあるひろがりをもった領域を形成している。
 
 有機的存在である生命体は無機的自然にたいして異和そのものであり、そのことによって異和の領域を持つ存在だと定義されている。フロイトでは、その異和の領域に生命衝動(雰囲気をも含めた広義の性衝動)や無機的自然への復帰の衝動(死の本能)が発生すると考えられ、吉本は同じくこの異和の領域に、共時的に心的と言いうる領域が形成されるのだと述べている。
 こういう規定は緻密に論理を構築していく際に必要なことかも知れないが、さしあたってここでは、どんな生命体もそれ自体で原生的疎外の領域を孕んでいるということと、人間の場合にはそこに心的な領域、つまり心の原初のようなものが形成されるんだと考えておけばいいと思う。ただし、この段階、すなわち原生的疎外の段階で、心的な領域とか心の原初といっても、普段我々が考えている心やその領域のこととはまるで別物だということは言うまでもない。原生動物の場合には、心的領域といっても「外界への触知にともなう無定型な反射運動にすぎない」と言われているように、原生的段階での人間の心的な領域も、あえて言えば、原生動物の無定型な反射運動とそれほど異なる段階にはないと言っていいように思われる。
 さて、このように考えたところで、吉本の言う原生的疎外の段階における人間の心的な状態というものから、人類史の初期の心的な状態や、人間の胎児の心的な様相というものが想像されてくるように思われる。それはまだきわめて動物的な段階に近い。そしてここではそのイメージの獲得だけが大事なことで、もともとそれがほんとか嘘かの判定に参入する資格もなければ、そんなことに関わるつもりもない。
 ここでは特に、胎児のまだ心と呼べない段階での、しかし初期的な心的形成が成されている状態を思い浮かべることが出来れば足りる。すると、胎児には、普通に言うところの心は育っていないけれども、心のようなもの、心の萌芽はすでに発生していると見なすことが出来そうである。そして吉本の言い方にならえば、胎児の心的領域は外側を母胎に開き、
内側を〈身体〉に開く、ひとつの混沌とした領域として形成されていると言うことができる。これはフロイト的に言えば生命衝動と死の本能の行使を意味するもので、その意味では、胎児は出生以前から子宮内において、心的にもダイナミックに生きていると考えられるし、そう考えなければならないものだと思える。
 原生的疎外の水準における心的領域は、アメーバのような原生動物、そして植物、動物、人間に関わらず、生命体が共通して持つ特質である。以前見たように、吉本はさらに人間だけの心的領域を形成する、「純粋疎外」の領域というものを考えている。これについて考えたり説明したりすることは、困難でもあり面倒なことでもあるので、ここでは吉本思想のよき理解者、宇田亮一の解説的な文章を引用して、手っ取り早くイメージできるようにしたい。ここでは哲学的に考察したいのではなく、心の形成のイメージを豊かに持ちたいのだ。
 
ヒト固有の心≠ェ生物一般の心的なもの≠ニどう違うのかについて、吉本さんはこう説明します。人間だけが「原生的疎外の心的領域それ自体を「空間化関係づけ)」、「時間化了解)」できるのだと。つまり、生物一般の心的なもの≠ナは空間と時間とは一体化していましたが、人間だけが「原生的疎外」の時間(了解)を、さらに空間化する(関係づける)ことができるのです。そして、それをさらに時間化することができるのです。そしてそれをさらにさらに空間化する(関係づける)ことができるのです。これがヒトの心の時空間の本質です。一言でいえば、時間と空間を相互に転換できるのです。吉本さんはこのヒトの心だけに生じる時空間転換の特性を固有時間=A固有空間≠ニよびました。そして、この固有時間、固有空間の心的領域を「純粋疎外」とよんだのです。つまり、「原生的疎外の心的領域それ自体を空間化し時間化することで生じる心的領域が「純粋疎外」なのです。
 
 これはもう少し平易に置き直すと、生物には、植物の心、動物の心、のような言い方で言われる心的なものが共通にあるということである。また、それは対象的な環界への反応、反射運動となって表れる。そして、ヒトだけはこの植物の心、動物の心を、さらに対象化できる心的機能を持ち合わせているということになる。
 つまり、屋上屋を架するではないが、一次的な心に立って、二次的、三次的と、次々に心の対象化を繰り返していけるのが人間の心であり、そういうヒト的な在り方の心的領域を「純粋疎外」の心的領域と呼ぶということだ。
 空間化(関係づけ)や時間化(了解)の言葉、概念などはなじみにくいかも知れないが、これは外界を捉える、すなわち感覚器官での外界の受容から、脳に伝達されて了解に至るまでを、時間―空間の概念で表したものである。原生的疎外の心的領域では、たとえば動物では、【あそこ何かがいる=ネズミ】が瞬時に識知されると考えられている。
 宇田亮一は、人間の心的なものが、ここで言うところの原生的疎外の段階に留まっている様相は、乳児の在り方に認知されると言っている。そして言語獲得のプロセスにおいて、原生的疎外から純粋疎外への変容が行われると述べている。少し長くなるが宇田の解説を引用してみる。
 
ごはん、母親、ネコ、イヌ、自動車といった対象物を「原生的疎外」の心的領域で扱っているときは、関係づけ(空間化)と了解(時間化)が一体化しているため、言語は成立しません。もっと言えば、言語化する必要がないのです。過不足なく、関係づけ(空間化)、了解(時間化)が一体化しているので、言語化の契機が存在しないのです。しかし、心の時空間が、固有時間、固有空間に変容し始めると、心の中で了解した(時間化した)、ごはん、母親、ネコ、イヌ、自動車といった対象物をもう一度、関係づける(空間化する)ことになります。いわゆる対自″用が起こるのです。これが「原生的疎外」から「純粋疎外」への変容です。ごはん、母親、ネコ、イヌ、自動車といった対象物を心的領域でもう一度、関係づけることになるのです。言い換えれば、外部の対象物を了解した後、その了解自体を対象物としてもう一度、了解作用が起こるわけですが、この時の対象物は内的なものであり、実在物ではありません。だからこそ、この内的なものをあたかも外界(環界)の実在物のように捉えようとする衝動が生まれるのです。この衝動が発語≠ノつながります。ここから言葉が生まれるのです。「マンマ」「ママ」「ニャンニャン」「ワンワン」「ブーブー」と言う言葉が飛び出してくるのです。つまり、「原生的疎外」の心的領域で了解したものをさらに関係づけるという時空転換によって、はじめて言語表現が可能になるのです。この時空転換が満一歳あたりで生じるということです。
 
 宇田の、「この時の対象物は内的なものであり、実在物ではありません。この内的なものをあたかも外界(環界)の実在物のように捉えようとする衝動が生まれるのですこの衝動が発語≠ノつながります。」という発言に内在する論理は見事なものだ。ここには三木成夫の生物学的な見方からする、言語の成立に関する見解が含まれているように感じる。少し寄り道になるが、こことクロスすると考えられる三木の文章を書き写してみる。
 
 私は、この時の情況をこう考えています。それは、もちろんさきほどの二重映し≠フ理論が基礎になっている。つまり、幼児たちにとって問題なのは、見慣れているものではなくて、初めて接するいわゆるイメージのつかないものです。ここでいう目前の印象像を裏打ちする回想像の持ち合わせが、そこにはない。伝家の宝刀である、あのなめ回しの記憶がないのです。手にとって、しげしげと眺めながらゆっくり難度もなめ廻したかつて≠フ記憶がまるきりないわけです。いうなれば勝手(かつて=\佐藤)がわからない。洒落ではありません。
 くどいようですが繰り返します。コップを見て、円を感じるときの後見人―それは、かつての舌の運動記憶―しかもその運動記憶の再燃であります。幼児たちにとって、この後見人がいない時は目前の印象像は、まるで宙に浮いてしまうのでしょう。このことは幼児たちにとっては大変です。そのままにやり過ごすことのできない、まことに切実な問題なのでしょう。
 これで幼児たちの求めているものが、なにものなのか明らかになったと思います。それは、かつてのイメージすなわち印象です。印象という文字は、ものの本質を表しているように思われる。印はハンコ、象はあの朱肉に残った文様≠ナす。幼児たちは、このかたちの持つひとつの実感を求めている。ここです。つまり、かれらの求めているのはそのようなひとつの実感ですが、ここではそれを「言葉」として求めているのです。言い換えれば肉声の織りなす、そうした文様でもって、それを実感しようとしている。 (三木成夫「内臓とこころ」河出文庫 p132)
 
 外部の対象物を捉えるのは感覚器官が行っている。しかし一次的に捉えたものをさらに対象化するヒトの純粋疎外の心的領域は、心的領域であることによって対象物はすでに内的化されており、その内的化された対象物は実在物ではなくなって、三木の言い方を借りれば、「宙に浮いて」いる状態に同じことになる。これは「やり過ごすことのできない、まことに切実な問題」で、ここに「発語」の契機が生じてくる。つまり、ヒトの心的世界に浮上するものを心的世界であたかも実在物のように扱うために、ヒトは、三木が言うところの「ハンコの文様」すなわち「発語」〜「言葉」を生みだし、これを介することによって、ヒトの心的世界を心的世界たらしめたと考えることができる。
 ほんとは、三木の文章は初めての「ワンワン」や「ニャンニャン」などの発語を経た後の幼児の、「コレナーニ」と尋ねる語彙獲得の時期のことを述べたものである。だから宇田の言わんとするところとは時期的な違いがあるのだが、純粋疎外の心的領域に変容したヒトの心が、必然のように「発語」〜「言葉」を持つに至る経緯が二人の発言から理解できるように思える。
 このように、吉本が言うところの人間の純粋疎外の心的領域においては、外界の「実在物」は「言葉」に変容すると言ってもいいし、「言葉」が「実在物」に変容して存在すると考えてもよいように思える。もっと誇張すれば、心的領域では「言葉」が、心的な「実在物」そのものなのだと言っていい。
 ここまでを概括すれば、ヒトは乳児期においてヒト的な心的変容を経過するということと、同時にそれは、ヒトに「言葉」の獲得を促し、必然のように強いてくるものだということである。
 これらのことは他の生き物には見られない人間固有の発達過程である。また、これがヒトの赤ん坊の、異常と言っていい成長の遅さの理由の、ひとつであると推論することもできる。
 ところで、胎児期における原生的疎外の心的領域において、胎児は母親との交流を、あたかも原生動物の無定型な反射運動のように反応しながら過ごす。母親の心身に緊張が走れば、血流や筋肉の収縮などの変化が胎児の心身にも伝わり、何らかの反射的な反応をもたらす。心的に言えばそれは原生的疎外の領域に起こることであり、全て無意識的な体験となる。この無意識下で、生命としての胎児は、自分が愛される存在であるか否か、歓迎される存在か否かを、子宮内での居心地の良さや悪さというもので判定する。
 もしもそこでおおむね居心地よく過ごすことができていたとすれば、外界の劇的な変化という出産時のショックを経た後も、生命力あふれた赤ん坊の姿態を垣間見せるに違いない。
 そして、それからの約一年の間、授乳から排泄物の処理などを含めて、母親や母親代理のかいがいしい世話を受け、愛情を注がれた乳児の生きる意欲はいっそう輝きを増す。  これはまた、先に述べた心的な変容と「発語」〜「言葉」を自らのものにしていく過程と重なるところである。誰もが見たことがあるに違いないが、この時期、母親(代理)は乳児が理解しようがしまいが、しきりに乳児に向かって声がけする。これがどんなに大事なことか、ここまでを読めば容易に想像がつくことと思われる。
 ここで少し補足しておけば、吉本が言う無機的自然に対して、異和として存在する生命体が持つ原生的疎外の心的領域と、人間においてのみ純粋疎外の心的領域に変容した心的領域とは、ヒトの中で併存するだろうということだ。必ずしもヒトの中で、心的領域が原生的疎外から純粋疎外に変容したために、原生的疎外領域が消失するわけではない。それはどこまでもあり続け、ただ純粋疎外領域が前景化した時には原生的疎外領域は後景に退き、逆に原生的疎外領域が前景化する場合もあり、その時は純粋疎外領域は後景に沈んでしまうということになる。さらに付け加えて言えば、吉本の原生的疎外の概念には植物的な内臓系や、それとの関連が強い脳幹の視床下部(生命中枢)、及び大脳辺縁系との関係があるのだろうと予測される。また、純粋疎外には動物的な体壁系と大脳皮質が深く関係していると思われる。
 吉本の言語論では、「発語」〜「言葉」は自己表出と指示表出の概念によって解説されているが、これは宇田によれば、自己表出は内臓表出に、指示表出は体壁表出に置き換え可能だとされている。これを前述したところに重ねて考えれば、心自体にも言葉自体にもこの二系列が関与し、織り合わされていると考えられる。
 ここで、言葉に関する自己表出と指示表出の概念を分かりやすく受け取るために、宇田の文章を借りてみる。
 
吉本さんは、海をはじめて見たとき、狩猟人の内側からこみあげてきた衝動であり、それが〈う〉という音声で喉を突きあげて出てきたこと≠みつめているのです。これがいわば言葉の生命力≠ナあり、魂≠ネのです。「自己表出」には表出者の生命力≠竍魂≠ェ込められているのです。ただ、「自己表出」だけでは言葉は成立しません。それだけでは単なる叫び声∞うめき声≠ノすぎないのです。それはちょうど赤ちゃんの泣き声が生命力≠ナあり、魂の叫び声≠ナあるにもかかわらず、言葉ではないのと同じです。「自己表出」に意味が付加されることによって、初めて言葉≠ヘ成立するのです。この言葉の意味≠ェ「指示表出」です。ですから、「自己表出」が生命力∞魂≠フ表出だとすれば、「指示表出」とは意味≠フ表出だということができます。
(宇田亮一『吉本隆明 “心”から読み解く思想』彩流社 p95)
 
 これとは別に、宇田は「芸術の言葉」と「日常生活の言葉」とに喩えて同じことを述べている。もちろん前者は自己表出面を強調する表現であり、後者は指示性、すなわち意味性を重視する表現であるのはいうまでもない。
 赤ちゃんの様子を思い起こしたり、宇田の文章を読み返して思うことは、自己表出、つまり表出(表現)意欲が先んじていそうだということである。それがなければ指示表出欲求自体が成立しないように感じられる。自己表出意欲は生命表出欲求そのもののようでもあり、フロイトの生命衝動に分かちがたく結びつくものだとも思える。そこで、自己表出性は言葉以前の言葉、言葉の根幹なのであり、これが言葉の価値と見なされる。比喩的に言えば内臓表出であり、一方、指示表出性という意味性の獲得は言葉を言葉たらしめるものと見なされ、これは体壁系が深く関与した表出と見なすことができる。
 以上、吉本の疎外論と表出論を中心に、胎児期から1〜2歳頃の乳幼児期の心や言葉について考えてきた。同じテーマを何度も繰り返し、遅々として進まないかのように見えるかも知れないが、明瞭さの度合いは増してきているはずだ。さしあたって、もっともっと透明度を高めて、子ども期の心的形成の経過を辿ってみたいというのが望みだ。また、最近の不穏な異常気象とも見える現象にも似た、泡立つ子ども世界の本質がどこにあるのかを、もっともっとはっきりさせたいという個人的な執着もある。そしてそれはただそれだけのことであり、それ以外の何ものも目指すものではない。もっと言えば、この考察は自分という個人に留まったままのものでもよいと思っている。すでに、自分以外の誰かに分かってもらおうという思いは捨ててきている。もうこんなことが話せる相手は周囲には誰もいない。誰もいないことが当然になった。さらに、世にいる教育専門家たちの様々な情況論、その口ぶりに、全く興味、関心の針が揺れなくなった。どうでもよいことだらけである。 もう一つ、やっておかなければならないことがある。吉本の関係論からする心的な問題で、いわゆる共同幻想、対幻想、個人幻想といった幻想論である。これを次回に考えてみたいと思っている。最終的に今回の考察とどう結びつくか、そこまで進められたら次のステップに移っていけると思う。
 
 
源流論 10―A
              2016/03/13
 満1歳頃になると、「原生的疎外」の心的領域の了解事項をさらに対象化する「純粋疎外」へと、乳児の心的な領域は変容する。ここで、他の生物とは特異な、人間らしい心的な位相を乳児は初めて手にしたと言えるのだが、この時の心的領域の変容は共時的に「発語」〜「言葉」を要求するものであることは、前節で見て来た通りである。
 これは人類史に重ねて言えば、人類が完全に動物的な段階から離脱したことを意味する。
 心と言葉との、きわめて人間的に特徴的な成立過程を見てきた今、次に考えておきたいことは吉本の幻想論、つまり共同幻想、対幻想、個人幻想(自己幻想)が1歳以後の乳幼児の心において、どのように展開していくものかについてである。
 このことを考えるにあたって、まず我々人間における、対人間関係が基礎になっていることを理解しておかなければならない。
 単純に言えば、ヒトは一人でいるか、二人でいるか、三人以上でいるかということで、対人間関係の在り方は言い尽くされてしまう。そして、それぞれの在り方には、自己との関係、自分ともう一人との1対1の関係、その他大勢との関係という異質の関係が形成されることになる。この関係は、それだけでそれぞれの関係に即した感情や思考という形での心的疎外(表現)を生み、それぞれに個人幻想、対幻想、共同幻想というように命名されると理解すればよい。
 乳児期は、これら諸関係はすべて未分化で渾然一体となっている。生まれ落ちてしばらくは、心的な世界は未だ原生的疎外の段階にあって、自分と母親との区別もつかないとされている。当然ながら、個人幻想、対幻想、共同幻想はまだ未分化な状態である。
 しばらくすると、乳児は母親(代理)と自分との区別がつくようになる。表れては消え、消えては表れする母親(代理)の存在に気付き、同時に対象とは別の存在としての自分にも気付いていく。やがて自分と母親(代理)以外の他者(父親、兄弟姉妹等)存在にも気付くようになり、先ほどまでの概念で言えば心的領域が「純粋疎外」へと変容可能となる過程の中で、少しずつ個人幻想、対幻想、共同幻想という3つの次元が分化し始めていく。
 ここで少し「幻想」について触れておけば、たとえばいま対象としている乳児と母親(代理)とは、一対の母子の関係として特別な関係である。この特別な関係は、この母子の間にだけ、この母子に限っての特別な関係意識を生じさせる。これは対の関係の中に生じる意識であり、宇田の言葉を借りれば、「酸素」(母)と「水素」(子)が結合して「水」が生じるように、二人の間にだけ生じる特別の関係意識なのである。このようにして生じた「水」は、もはや「酸素」にも「水素」にもなり得ないし、還元し得ない。そしてそれは、この二人の間に限っての「愛着」「信頼」
「絆」というようなものを心的に形成したり、あるいは全く表裏の「憎悪」「不信」そして「怖れ」や「縛り」などを形成するに至る。つまり対幻想とは、そのように心的な世界に生じるもろもろの観念や心性を指す。
 個人幻想や共同幻想も同じように、自己対自己の関係、自己対集団(共同性)の関係から疎外され、産み出される観念であり心性であるということができる。
 これら個人・対・共同の三つの次元は、それぞれに個人の心的な領域に生成し、形成されていくが、それとは別に個人を離れ外化されていくものもある。文学や芸術の分野は、凝縮された個人幻想が外化した例である。共同幻想では、宗教、法、国家に、典型的に外化した例を見ることができる。対幻想については、明確に外化した規範的なものはないと言っていいが、その家族形態は対幻想の形態的な外化と見なすことができる。
 要するに人間の心的な領域に現象する心的な世界は、個人的な問題と性を基盤とする家族的な問題と、そして国家的(共同体的)問題と、3つの次元を異にする問題として整理して考えることができるということだ。もっと単純に言えば、個人の問題か、恋人や家族の問題か、国家の問題かというように、大別できるということだ。
 とりあえずここでは、心的な世界を一次元ののっぺらぼう≠フようにごちゃ混ぜにして捉えるのではなく、3つの次元の異なる世界の構造を持っていると捉えておきたい。
 さて、先に乳児の心的な世界は、「純粋疎外」という心的変容を、言葉を獲得し始める1歳頃に共時的に果たしていくと考えてきた。そしてその心は、やはり同じ時期に、人間的関係の構造として3つの次元の異なる関係意識、個人幻想、対幻想、共同幻想に分化していくことも見てきた。
 いまこれを個人生活、家庭生活、社会生活という観点から見直せば、乳児期から幼児期にかけての中心的な世界は家庭生活にあると言えるだろう。言い換えれば、対幻想を主体にした世界に生活の中心はあるが、ここから徐々に幼児は社会生活の方に歩み出す。同じような年代の幼児たちとふれあう機会も多くなり、そのような触れ合いを契機として共同生活への気づき、自己への気づき、言い換えれば、3つの次元の異なる幻想の分化はいよいよその度合いを増していく。
 では、3つの次元の幻想がはっきりと分離(明確な差異化)するようになるのは、いつ頃と想定できるだろうか。実は、宇田亮一は先の著書で、すでに乳児期には分化を遂げ、幼児期にはそれが分離するものと考えていた。だが、幼児期といえば柳田国男が取り上げていた「軒遊び」や「庭先での遊び」のイメージが強く、社会生活の場面は浮かんでこない。幼児にとって家庭生活の背後に控える社会生活は、まだ薄ぼんやりとした幕の向こう側にあるものであって、幻想的にも分化の途次にあると考えた方が無難な気がしてならない。これはこの先もう少し考えてみることとして、いまの時点では、だから、分離する時期は、強い「つながりと縛り」を意識して集団を組むようになるギャングエイジ、およそ10歳前後と考えたいと思っている。
 ここは「系統的発生論」の考え方からすると、人類史の区分、または歴史区分と関係するところで、原始未開、前古代、古代と子どもの発達過程をどのように対応づけるかという意味で大事なところである。吉本さん自身はこれをはっきりと対応づけてはいない。おそらくそれは明確な根拠がないためで、我々がこれをいい加減な推理、思いつきで言っていることは本当は逸脱に他ならない。けれども宇田さんもそうだと思うが、それを承知で考えているわけで、それぞれにもう少しはっきりと子どもの精神構造を明確にしたいという思いがそうさせている。そうしてこういう議論が百出して、やがて根拠を見いだして明確にされていく礎になれば、それでいいわけなのだ。
 学校制度が始まる前は、だいたい10歳前後を境に社会生活に組み入れられていっていたようである。西洋では徒弟制度で親方につくとか、日本の丁稚奉公などはそれくらいの年令から始まっている。そういう共同性の中に一員として入り込んでいくことは、既存の共同幻想に参画していくことでもあり、自らの心的世界にもそれをはっきりと形成させていくことでもある。そのことによってまた個人幻想は、はっきりと分離して意識されるようになると思える。
 言うまでもなく、学制が始まると、学校という共同幻想に6歳から接触せざるを得なくなる。これは社会生活そのものとは言えないけれども、模擬的な要素として社会生活は入り込んでいる。だから、以前よりは早い段階で共同幻想に接触することになっていると言える。またこの模擬的な社会生活は、高校や大学への進学率が上がることによって期間の延長の方向にあり、実際の社会への参入を遅らせている。
 いずれにしても、子どもたちは学校に入学することによって、国家的規模の共同幻想を心的に体験することになる。またそういうものに、否応なしに心的世界を占められるようになっていく。角度を変えて言えば、学校という共同性の中で、学校という規範を、強く意識させられることになる。また、強いつながり≠ニ、一方ではまた強い縛り≠煬o験することになる。
 さしあたって、幼児期を過ぎたこの時期に学校という共同幻想の、強いつながり=i連帯意識)と縛り=i規範意識)とを体験、経験することが、本当に順当な在り方なのかが問われなければならないと思える。
 その理由の一つに、いま、いじめ問題を挙げることができる。どういうことかというと、今日的なギャングエイジ以降の少年少女たちは、明らかに集団の組み方が、この高強度の学校という共同幻想の体験に影響されていると考えられるからだ。子どもの集団の、強いつながり=i連帯意識)と縛り=i規範意識)は、学校がする子どもたちの観察や監視や管理の強化や深化とともに、以前にも増して強く、そして深く水面下で行われるようになってきているように思われる。その意味で、現在のいじめ集団に行われる共同幻想の高強度化=Aつまり、縛りの強さ≠ヘ、学校体制の進化(深化)に見合うものだと言える気がする。そして、いじめる側にしても、いじめられる子にしても、集団における共同幻想としての規範意識が、かなりな程度、ということは大人たち以上に、中間的な曖昧さを取り払って過剰に白黒の決着を意識しているように見かけられる。だから規範外と思われるものに対して、いじめは度を超して、徹底して行われるようになってきている。
 子ども集団における規範意識の強まりは、学校生活における規範意識の強要が影を落としているに違いないし、中間の曖昧さが、今日の子どもたちの意識から排除されているように思われることも気がかりである。これは類推でしかないのだが、おそらくは、子どもの生活過程から「軒遊び「庭遊び」「外遊び」的なものが欠落したり縮退してきて、家族と学校(現実社会)の中間にあった、地域社会的な生活体験の希薄化が関係するように思われる。誇張すれば、家族生活からすぐに学校という集団生活に接続されることで、その間にゆとりというか、ハンドルの遊びのような、そういう中間の曖昧さが心的に見落とされてきて、子どもの反応や対応にもその部分がなくなっているのだと思う。もっと言えば、家族生活でもない共同生活とも言えない、その移行過程の中間にあった対人関係が、希薄になってしまっているのだ。ここは本当は本格的な集団生活に対する予備演習的な意味合いを持ち、大事なところだ。そしてそこのところは保育所のようなところで予備的な穴埋めをしようとしても、どうしても大人の介入の度合いが大きいから結局保育所は学校の代理を務めてしまい、子どもが自ら中間的な対人関係を身に付けるということにはならない。 いじめ問題でついでに言えば、最近は学校現場でもマスコミなどでもいじめ根絶≠ネどと大きな声で言われているが、これが社会生活上、家族生活上の予行演習的な側面を持つことを誰も言わないことはおかしいと思う。子ども期というのは対人関係の基礎を培う時期とも言えるわけで、あらゆる善から悪の体験は成人後の判断とか決断とかのよりどころになるはずである。
 たとえば夫婦間を考えてみても、うまくいっている間はいいが、少しうまくいかなくなると、責めたり責められたりということも出てくる。これが少し深刻になっていくと、ねちねちといじめに酷似した様相を呈するようにもなるが、これをどうして多くの夫婦が回避する方向に努力できるかと言えば、かつてのいじめるいじめられるの体験があるからだとも言える。そういう過去の対人関係の体験があるからそこまで言っちゃいけないとかの判断がつくわけで、それがなくて初めて本格的な対立の経験、深刻な経験にぶつかるのだとすれば、すぐに決裂していくに違いないことは容易に想像がつく。つまり、いじめ根絶≠ネどを言うということは、対人関係における免疫を排除する方向に向かうことと同じことなのだ。目先の事件性に慌てて、誰もが本質的なところまで見失おうとしている。これが教育関係者を筆頭に、その考えるところを席巻しているのだとすれば、どうにもたまらない思いがしてきてならない。先生たちを悪くいうつもりは少しもないが、いったい人間理解、子ども期の理解はどうなっていることなのか。一枚の文科省からの通達に対して自分の生活経験を対置し、「これはおかしいんじゃないの」ということを誰も言えない。これは実に情けない話なのではないだろうか。ここかしこ、そういう風潮は日本全体に蔓延している。
 さて、幼児期を過ぎた児童期(子ども期)について、もう少し考えておかなければならないことがある。それは活発さを増し、活動的になった子どもたちは、本来ならばそういった自己を外部に向かってどこまでも拡張していく、外に現していく時期なのだと思えるのである。おそらく、放っておけば自分の性格的なものを外部に試し、良いことも悪いこともさらけ出し、あらゆる意味合いからの性的な開放も黙っていればやってしまおうとするに違いない。なぜならそれが生命の本源であり本来だからだ。
 人間以外の生き物は、みなそうやっている。動物の子どもが兄弟で組んずほぐれつして遊ぶ。狩りとも遊びとも見分けのつかない形で獲物を追いかける。走り回り、追いかけ周りしているうちに、うっかりとどことも言えないところまで遠出してしまい、慌てて巣に戻ろうとする。その姿を見ると、人間の子どもも本来はそうした姿を見せていたものであり、聞けば、子どもも子どもらしい性的な快感や満足を求める性向を持っているのだという。 そういう本来子どもが持っているいろいろな活動性が抑圧され、特に同じ子ども期といえども、動物のように好き勝手に過ごす時間は知識や技能や道徳性を注入される時間に取って代わられる。それだけではない。先生たちの教えといい指導といい、長年の蓄積は見えない形で高度化し、しかも複雑化してきていることは間違いない。逆の意味から言えば、理解を要求する水準は上がってきている。少しこれを具体的に言えば、かつては子どもたちがある程度の読み書き計算ができれば、先生は良しと考えていたところが、いまはもう少し詳細な部分についてまで理解を届かせようとする。しかし、最近の子どもの多くは逆に、学習の必要性を実感できない状況下におかれ、教育する側の思惑との乖離は大きい。極端に言えば、心の底では勉強はしなければならないという実感が持てないのに、頭では勉強はしなければならないものだと理解しているために、子どもが溜め込むストレスは半端なものではない。ある意味、それは想像を絶すると言っていいくらいのものに思える。まさに、日々の授業における子どもの様相は、自分に自分でむち打って何とか授業について行こうとしている、と見える。それが真の姿ではないだろうか。目は黒板を見つめているのに、その瞳の奥に光るものがない。目覚めているはずなのに眠っているように見える。考えをノートに書きなさいと指示されても、ノートの空白はなかなか埋まらない。
 だが先生や友達の誰かが冗談を言ったりするとその場は和み、みんな我に立ち返ったように子どもらしい日常的な姿に戻る。そして、その時≠フ一瞬はなかったかのように掻き消えてしまう。
 子どもたちは表向きは相変わらず子ども世界の住人として、深刻さのかけらもないように楽しく愉快げに、ときには貴人のように傍若無人に振る舞っているように見える。
 けれども内面を覗えば、どうもその理解は一筋縄ではいかないようである。もちろんそういうところでの苦労、確執、葛藤はどんな時代、どんな環境においてもあることで、変わり映えしないものだとは言える。我々世代でも当然にあって、たとえば、子ども期の本当の個人的な生命的奔流は「夢」の形を借りて、わずかにその本質を指し示すものでしかないのかも知れない。それは余りに文学的、哲学的に穿った見方に過ぎないといわれるかも知れないのだが、子どもたちを見ていると、競争力をつけるとか、成功体験を持たせるとか、追いかけるべき夢を持たせるとかの、大人の発想による大人的な配慮は、実はどうでもよいことなんじゃないかと思われる。子ども期はその存在様式だけで実は何かと懸命に、そして必死に戦っている。そう思えてきて仕方がない。そしてそれは、親兄弟といえども、けして手助けなどすることのできない実に個的な戦いであると思える。
 稚拙な例だが、たとえばパソコンがアンダーグラウンドで内部の整理的な作業を行うことがあるが、この時に他のプログラムを立ち上げても作動が遅れたり、時にはフリーズしてしまうこともある。
 つまり子ども期もまた、表面上からはうかがえない、しかし当人にとっては必要な作業が内部に進行し、その時に外部からの働きかけが過剰になると、とてもきつく、苦しい状態になるのではないかと思える。
 おそらくどの子どもも平等に等しく、その戦いめいたものは秘密裡に進行しているはずだ。その時期は本当は十分に時間を与え、他からは過度の負担を与えるべきではないという気がする。特に早期の、社会性獲得に向けての強要はいらないものだ。それよりも、それこそ子ども期本来の在り方を、子どもがいま以上に謳歌できる方向で配慮すべきだと思える。それが唯一、大人たちが子どもたちの戦いに後方支援できることであろう。子どもは何も未完成の作品などではない。その時期時期でその時期なりに完成した作品であり、ただそれが死ぬまで続いていくだけだ。その時期その時期には、その時期なりの本来的な過ごし方が、かつてはあったはずなのであるが、歴史的に発展を遂げた今日になって、逆に子ども期を、子どもたち自身が謳歌できないという、皮肉が結果がもたらされていると言うことができよう。普通に考えたら、社会全体にゆとりができて、子どもたちが自由に生き生きと過ごせる時間と場所を、社会は提供できるはずなのである。だが子どものためにと構築した環境は裏腹である。それが今日そうなっていることは、泡立つ子ども世界が証明している。子どもたちが十分に満足して生活できているならば、どうして子ども世界がこのようにも泡立つ理由があろうか。子ども世界が泡立つのは、いずれも言葉にできない不満を抱えているからであろう。ならばその不満を緩和し、排除する方向で考えていくことが大人の努めである。
 言い足りないことはもっとたくさんあるが、ここはこれくらいにして、次回はまた別な角度から今日の子どもを取り巻く環境の変化について考察を試みていきたい。
 
 
源流論 10―B
              2016/03/15
 どれくらい前になるか忘れたが、糸井重里さんが主催するネットの「ほぼ日刊イトイ新聞」の中に、糸井さんと吉本隆明さんとの対談が連載された。面白くて全て読んだが、その中に、『日本の子ども』というタイトルの冒頭に次のような会話があった。読んで、さすがに吉本さんだなあ、と感心したことを覚えている。それを以下に転載してみる。
 
糸井 「人間が育つ」ということについて、たくさんのことを学校にまかせてしまっている気が僕なんかは最近、するんですが。
吉本 そうですね、学校に関して言うとすれば─まともには言わないけど、まず、親は子どもに対して、「これ(子ども)にかまってたら大変」という思いが、どこかにあるんじゃないでしょうか。
糸井 ‥‥なるほど。
吉本 つまり、どこかに都合よく子どもの面倒を見てくれるところがないかと、親は思っているんだと思います。子どもは通常、四つぐらいになったら幼稚園に行きますね。幼稚園や保育園だけではなく、幼児教室のようなものもあって、たくさんの子どもたちが通っています。親も、教室の経営者も、遊び相手や友達ができていいとか、家にばかりいたら引きこもりになるとか、さまざまな理由をつけるでしょう。
 けれども、早期教育をやりたいとか、そういうところまでの意識は特にはないと思います。とにかく子どもがそこにいる間、親は「自分の手がかからない」。誰もそう言わないかもしれませんが、それが本音じゃないでしょうか。
 学校の先生に教育のすべてを委ねてしまうことのおおもとにあるのは、結局そのあたりの「声にならない本音の部分」だと思います。のちのちいろんなことの原因になるのも、その部分であると僕は思います。
糸井 それは、昔からそうだったんでしょうか。
吉本 少し前はそうじゃなかったです。「数え年でいえば、八つか七つ、そうなったら学校へ行くもんだ」と、義務的に考えていて、親が「手が抜けてよかった」と思っているふうには、子どものほうからすると、見えませんでした。
 親が子どもをかまう期間は、赤ん坊のときからはじまります。柳田国男流に言うと「軒遊び」です。それは、家で子どもを遊ばせておいて、親は縫い物をしたり、掃除したりしていればいい、という時期です。子どもに全くかまわなかったら、外に出ちゃって危なくてしょうがないからどこかで用心して子どもを見ているけれども子どもに夢中になってるわけでもない、そういう状態です。
 子どもが外で遊んでも大丈夫、というふうになりかけたときが、ちょうど小学校に上がる歳ですね。
 学校が云々という前に、親と子の関係の変化のほうが大きいんだ、と僕は思っています。子どものことは基本的に、全部親がやることだよ、というふうに思っています。だって、ほかの人が責任を取りようがないことじゃないですか。
 こういうことを言うと、「それは一時代前の、家父長制度の名残だ」と言われますが、そんな馬鹿なことはないと僕は思ってます。子どもの時期のことは両親の責任です。
糸井 親がそう思えなくなって、学校の責任が大きくなってきたことのおおもとにあるのは、何でしょうか。
吉本 まずは、親の「自分のやりたいこと」が昔に比べてたくさん出てきたということです。そうすると、子どもを「半分かまう」ことが鬱陶しくなります。それよりも、働くとか、おしゃべりしあうとか、自分も何か を習いに行くとか、そのようなことが優先されるようになってきました。
「女の人は子どもを半分かまってればいい」という時代じゃなくなって、自分自身が何かしたい、ということのほうが主になってきました。ですから、子どもをあんまりかまっていられません。そしたら子どもは、どこかに預けたほうがよくなる。
 結婚したあとの女の人が、自分自身のことについて活動的になったということが第一なんじゃないでしょうか。そしてそれを声にして言わないことに何か原因があると思います。
 (ほぼ日刊イトイ新聞『日本の子ども』 
 
 まず、自分の結婚、子育ての経験から言うと、そこには予期せぬ事がたくさんあることに気付かされた。それまで、学校生活が長く、自由で好き勝手な生活を続けていた。民間会社に就職して仕事をしながらも、プライベートの時間は自分のやりたいことをやっていた。ちょっとだけ、文学的な興味が強く、学生時代からの延長で本を読んだり、詩の真似事のようなものを書いたりしていた。
 結婚すると、相手に合わせながら生活しなければならなくなった。それまでは、時間というものは全て自分だけのために費やせるものだったから、本を読んだり詩を書いたりすることを中断したり、犠牲にしたりしなければならないことを初めて経験した。もちろん、そうしたことがあってさえ、結婚生活の充実感に満足感を覚えていたのではあるが。
 子どもができると、当然、そのことにも気を配らなければならなくなってくる。これもまた初めての経験で、夜泣きや不意の高熱に病院に走るなどのこともあった。
 要するに、家庭生活を営むということは、想像していた以上に大変なことなんだなということを、そうなって初めて実感した。
 それまで、そういう訓練、予行的なこと、また予備知識的なことも一切なかったから、全てが初めて経験することで、いま思うと余裕がなかったと思う。結婚、そして子育てについては、かつて、渦中にあった自分の親の姿を子どもの目で見ていただけで、その記憶だけを頼りにして対応にあたっていたのだと思う。夫婦とも親元から離れての新婚生活だっただけに、不安もまた大きかった。
 全く、その頃は何の考えもなかった。生きること、生活することに対して、具体的目標を持つことも、計画も、必要なこととさえ思わないでいた。いま思うと、はじめからおかしかったと思うのだが、生きること、生活することは、何の考えも努力もなしにできるものだと思い込んでいた節があったように思える。それは、本当は人生について、もっとも大事で肝心なことを欠落させて生きていたこと、生活していたことと同じだと思う。我々の社会も、親の世代も、そういうことは教えてくれなかった。
 学生時代は文学や政治や思想に興味を持っていた。「人間とは何か」「心とは何か」というようなこともよく考えていた。解答は見つからずに、結婚をし、子育てをするようになってからもずるずると考え続けた。もう少し言ってしまうと、そうしたもろもろの問題を解決することが、自分にとっての生きる理由なのではないかと考えてきたところがある。これがよいかどうかは分からない。ただそのように執着してきたし、長い間そこにとらわれてきたように思える。
 これは自分にどう始末をつけるかという問題に思えるのだが、比喩的に言うとこれはじっと鏡に対座して問答を続けることを、生活の中心に置くようなものだ。生活には仕事に費やす時間もいるし、親戚や近隣との関係というのも入り込んでくる。その上に妻や子どもにも四六時中配慮しなければならないとなると、自分のようなものにはこれがなかなか大変なことなのだ。ずいぶんと悩んだ。ずいぶんと悩んで、もしかすると自分は結婚という形も子どもの存在も邪魔だと感じているところがあるんじゃないだろうかと思ったりした。そして、これからの社会はきっとこういう問題で悩んでいくだろうなと考えた。
 対談の中の言葉にもあるが、自分に何かやりたいこと、しなければならないことがあると、ついそれを優先したい気持ちになってしまう。
 自分がそんなふうだったから、同世代やそれ以降の世代の人たちも同じなのではないかと思った。
 仕事を通じて、多くの女の人たちも見てきているが、同世代の女の人たちには何か同じようにもがいている&舶ェがあるように見えていた。単純に言うと、「自分の人生はこれでいいのだろうか」とか「価値ある生き方をしたい」とかを真剣に考えるようになっているんだなあと感じた。あるいは、「もっと遊びたい」とか、「楽しいことをしたい」とかに向かっての積極性を持つ人が増えているんだろうなあと思った。その頃は、女性の大学への進学率も増えて、いろいろな知識を持ち、考えることをするようになって、いっそうそうなってきたように思える。
 そういうところは自分の母親には見えなかったところで、母親はそういう部分はおくびにも出さずに、子どものために、夫のためにということで、ほとんどの時間を家族や家庭のために費やしていたように見えた。それはもうひたむきにという感じで、母親世代にはそのことがまだ、「生きる価値」そのものであり得たのかも知れない。また、誇りであり得たかも知れない。
 結局、自分と同年代の女性たちは、母親世代の、ある意味、犠牲的な生き方から解放されたかも知れないのだが、新たに「悩む」ことを始めたんだなあと、当時、漠然と感じていたことを思い出す。
 実際のところ、当時の女性たちは何かを探し、何かに悩み、常に何かを行おうとしていた。こちらから眺めれば、何をじたばたしているのかと見えないこともなかったが、総じて「ああ、女の人も大変なのだ」と思えた。
 この対談で吉本さんが言っていることはそういった意味からも大変妥当な物言いで、よく分かるなあという気がした。また、こういうことがちゃんと見えて、こんなふうに指摘できる人はそう多くはいないよ、とも思った。
 生きるということ、人生ということ、これを自分を主体に、あるいは自分を中心に考えるようになったら、これはもう他のことがお留守≠ノなるに決まっている。だが、時代が、「何ものの犠牲にもならずに、誰もがただ己の理由によって生きる権利を有する」と教えていたという気がする。教えているから誰もがそれに習った。そして、習った結果、どんな現象が生じたかといえば、そのもっとも大きなものは女性の家事労働、育児からの撤退である。
 これは女性自身からすれば、積年の願望であったかも知れない。その成就は男性の側からも歓迎したいところである。
 けれども何かが変わるということは、さすがによいことばかりではなくて、そのもっとも大きなツケは、生まれてくる赤ん坊に回ったと考えるのが妥当だと思う。あるいは、それ以後の子どもたちをも直撃した、と言いきってもいいように思える。
 大まかにいえば、前の世代の母親たちに共有されていた乳児や幼児、あるいはそれ以降の子どもへの寄り添い度を、仮に心的に80%程度と考えれば、あとの世代の母親たちにおいては70から60、あるいはそれ以下へと徐々に下降して来たことは疑えない。あるいは50%まで落ち込んだと仮定して、その差となる30%の心的な領域に何が埋め合わされることになったかといえば、もちろん女性たちによってまちまちであるが、彼女たちの拡張された関心の向かう先がその空隙を埋めるようになっているのだと思う。
 母親の心が、胎児や乳児、さらにそれ以後の子どもに向かっておよそ8割くらいの割合で向いているときと、仮に5割くらいの状態になったときとを比べて考えると、これが1年、2年と続けば、胎乳児にももちろん重大な影響を与えるが、それ以後の子どもにも大きな影響をもたらす気がする。どのように影響するかというと、子どもの側から見れば、『あまりぼく(わたし)に関心を持ってくれないんだね』という、声なき声になると思う。実際に、母親たちの関心は多様化していると言っていいのだから、子どもに注ぐ母親の心的な時間、そういうものが短く薄くなる。子どもからすれば「疎かにされている」と、錯覚されて受け取られても仕方がない。そしてどんなに母親が主観的に子どものために自分を犠牲にし、辛労を重ねていると考えていたとしても、客観的な関係からは「疎かにした」あるいは「ちょっと手を抜いた」事実というものは残ってしまう。
 これまでの考察からすれば当然なのだが、胎乳児期の母親の心身の状況、状態は全て胎乳児に向かって流れ込む。逆に言えば胎乳児には母親の状態、状況が全て分かる。つまり、母親がどんな扱いをしているか、胎乳児にはすっかりお見通しだということができる。これはなかなか実証しにくいことだが、このあたりの事情は幼年期、児童期になって子どもの態度となって表れてくる。つまり胎乳児期のかまわれ方、愛情や関心の注がれ方、居心地などが満足すべきものだったか、逆に不満であったかは、幼年期、児童期の、子どもの姿、態度を見れば判断がつく。目つき、顔つき、体つき、言葉遣い、挙措振る舞い等々。もしも胎乳児期の扱われ方、育てられ方に不満を抱いていたとすれば、そういうところにはっきりと不満の色、怯えの色、不安の色などが浮かぶ。もしも影響が心的に内向したところで行われているとすれば、それは表面上には覗いにくいが、それでも、やはり日々の言動の中に違和感を感じさせる形で露出してくるものだと思われる。これが逆にある程度満足できるものだったとすれば、上記のもろもろはもっと緩和される形で表れるか、さらに満足なものであったならば表情からして常ににこやかに、愛想よく、生き生きと日々を送ることになっているに違いない。もちろんその時期には家族生活、学校生活が介在し、かつての母子関係だけではない、別のストレスに突き当たって、子どもの心身に揺らぎを生じさせる影響もあるかも知れないが、それでもおおもとがしっかりしていれば揺らぎは決定的なものにはならない。つまりある程度のところは自力で乗り切っていける。
 胎児、乳児の時期に100%の満足を与える子育て、扱いをすることは、おそらく人類史上あり得たことはなかったろうと思う。もちろん現在でもあり得ないと考えていい。すると、みんな大同小異の子育てじゃないかと考えることもできる。つまり、比較して優劣を決める事柄ではないし、そうはならない。 ただ、ここで考えておかなければならないことは、「親」が変わってきたことで「親子の関係の変化が大き」くなっている、という吉本さんの指摘である。父親にも母親にも、仕事などを含めて自分の生きがい、やりたいことが多くなって、そちらを優先する傾向が強くなってきているということだ。そうなると、ともすると子どものために割く時間が減少することになって、子どもの側からすればちっとも一緒に遊んでくれない、ほったらかしにされている、という気分になるかも知れない。また、これで勉強をしろ、親の言うことを聞けなどと要求しても、それは虫がよすぎる話だと言うことになるのかも知れない。吉本さんが言うように、「のちのちいろんなことの原因になる」その原因とは、いままで述べてきたところにあると思えるが、これは社会的に考える問題であるとともに、親世代も考えておくべきことだと思える。なぜなら、このことの問題は時代的な変化が伴って起きてくることで、なかなか個人の力だけでは解決しにくいところもあるが、このことを認識できるか否か、自覚するかしないかで、問題が起きたときのその後の対応に大きな違いが出てくるだろうからだ。対応を間違えないためにも、こういうことは心に留めておいた方がよい。
 最近は、昔の子どもと今の子どもは違うとか、子どもが変わったとよく耳にする。しかし、変わったのは親の世代が先で、その影響を子どもたちは受けることになっている。
 歯に着せた衣をはぎ取ってあからさまなことを言えば、子どもは邪魔くさい、鬱陶しい、煩わしい、いない方がいい、手がかかる、等々、子どもが成人に至るまでに、一瞬でもこういう思いが心をよぎらなかった両親や大人は、今日的には皆無ではないかと思う。このことは子育て経験者ばかりではなく、実は、社会全体が、いまはそんなふうに考えている時代なのだと言う気がする。社会全体が子どもに配慮しているそぶりを宣伝するが、内実は面倒な生き物だと考えているに違いない。露骨に言えば、そう考えているともう。そのくせマスコミからPTAを含めて、子どもの人権、子どもを大切に、等々、いかにも良心的な庇護者の口ぶりでもの申している。だがそんなことはみんな嘘だ。先にも述べたように、現在という時間は一人ひとりに「自分のために」生きることを強いているので、子どものために、ましてや縁もゆかりもない他人の子どものために考える時間を与えやしない。つまり、本音はそういうところにありながら、子どもが邪魔くさいものだという事実の部分、本音のところは、誰も赤裸々に明かそうとしないし、まして、そこの部分を切り開いて解剖しようとはしていない。そのせいもあってかあらずか、母親たちが公言する言葉も、ソフトで口当たりのよい、耳障りのよい、マスコミと同じに道徳主義的、人道主義的色合いにすり寄った言葉ばかりで、「とても子育てに専念する心の余裕がない」という本音の部分を声に出して言わない。周囲もそういうことを言わない。本音の行き場はどこにもない。そしてそういうことは誰も取り上げないから、本音を糊塗した理想の上滑りだけが、広く繰り返されていくだけである。
 こういうことは社会現象の全般とよく酷似している。空疎な上辺だけの理念が飛び交っている。
 これだと要点は隠されるから、問題が起きたときに本質部分に踏み込めずに、結果、誤った対応の仕方、対策を繰り返す。学校におけるいじめ問題とその対策もそんな一つで、何一つ有効な対策を考えつかないばかりか、いじめ根絶∞≠「じめの早期発見≠ネど誤った方向に走る。なぜなら、いじめ問題についても自分の頭をひねって考えているものは皆無だし、子どもの成長と発達について根本から考えようとしているものは、教育関係者の中に誰一人いないからだ。そして何よりも、誰もが経験しているはずのいじめ体験を自分の内側からえぐり出して、それを解析するところから始めようとはしないからだ。せいぜいが文科省からの通達と資料を丁寧に読み込むとか、一部評価の高い学者の研究を読み込んで、それを自分の考えのごとく口にしたり実践して見せたりしているに過ぎない。そんな実感の伴わないところで対策を講じ、実践しても、およそ的外れの結果しか呼び込まないことははじめから分かりきっている。
 やっていることは外部にあったものの受け売りを素早く消化しているに過ぎないのだが、当人たちはそれを、自分が考え、自分が実践しているのだと錯覚している。それは違う。それはただ出来合いのノウハウを頭に入れ、ノウハウにしたがって動いているというに過ぎない。そういういわば知的な低迷、荒廃が、気づかれずに進行している。
 こうしたことの全ての原因が何かと言うことは、はっきりしていることである。現代人は正直じゃないということだ。正直になれないようになってきたと言い換えてもいい。何故、正直になれないのか。それは正直になれないように育ってきているからだ。第一に元々の親世代が、自分の興味関心を優先させて子どもとの付き合いを疎かにしてきたくせに、子どもから不満が出ると、本当の本音は言わずに、別の理由をくっつけて言い訳ばかりするようになってきた。つまり、そういう嘘の付き方を学び、上手になってきたのだ。それはどこからそして何から学んだかと言えば、おおもとは社会からだと言えるし、また学校からだとも言える。
 いちいち例を挙げるのは面倒なので一つだけ取り上げると、たとえば最近やたらと浮気や不倫報道が多いが、マスコミに登場するコメンテーターやも視聴者も、対象になる人に対して過大に悪者扱いをし、浮気や不倫が、大いなる人倫に反することであるかのように、またやっちゃいけないことのように、喧伝したりしている。けれども、まあ普通に長くこの世に生きていれば、そういう物言いが大うそだということはすぐに見抜ける。だって生きている中で、周囲にそういう例は数知れぬくらい見聞きしてきているからだ。こちらの目や耳に届かない分を加えて勘定したら、どういうことになるか。ごく普通の一般大衆においてもそうなのだから、これが芸能人やスポーツ選手や政治家など、派手でまた誘惑の多い世界にいるとなると、そんな事しないでいられるはずがない。だったら、みんなやっていることだよと認めればいいし、認めた上で大きすぎる代償を支払わないですむような落としどころを、社会全体で考えればいいのだと思う。
 学校なども構造的にはこれと同じようなことで、悪いことはしちゃダメでよいことばかりをしましょうというように、本当は先生たちにだってできもしないことや、それこそ絵に描いた理想のようなことばかり子どもに教えて、それが良い教育だなどと思い込んでいる。子どもたちはそこで何を学んでしまうかといえば、親や大人たちと同じ、本音を言わないこと、隠すことを学ぶだけだ。そして大人になり親になって、受け売りの正論、上辺のきれい事、表向きの言葉だけで、また子どもに接してしまうことを繰り返していく。
 だが、本音に怯え、本音を隠すことで(実際はみんなバレることなのだが)、後々どんな結果をもたらすかは考慮しておくべきだ。考慮して、世間や周囲がどうこうではなく、自分の本音と理想とのギャップの間で問答していくことが大事なことだ。
 本当は子どもたちは「遊び」を通してそういう問答を内々に行い、そこからたくさん大事なことを学び取っている。その大事さは学校で教えられる知識や技能や道徳的なものの比ではない。はるかに原初的で人間的なものだ。できればそこに一切の大人の価値観、善悪観、世界観などは持ち込みたくないと思うほどだが、如何せん、現実は福島の放射線同様すっかり汚染されきってしまっている。
 子どものためと言いながら、親も他の大人たちも、実際には「自分のため」を優先しているじゃないか。だったら子どもは子どもで「自分のため」に、興味関心の全てである「遊び」を選択して何が悪いか。今どきの子どもたちは、周囲をも巻き込むように自らの世界を泡立たせる言動を見せながら、本音ではそういうことを訴えたいのかも知れないと思う。
 
 
源流論 11
              2016/03/26
 1960年の安保闘争(全学連運動)を皮切りに、70年代では全共闘運動と呼ばれる大学紛争が報道を賑わし、以後、現実社会体制に向かっての意識的、無意識的な「否」の言動は、高校、中学、さらには小学校の段階にまで低年齢化して行った。この受け止め方は一般的ではないかも知れないが、個人的にはこれらの一連の社会問題化した現象には、しだいに低年齢化してきたという部分を含めて、何らかの共通性があるような気がして仕方がない。もちろん現実社会体制に向かっての意識的、無意識的な「否」の側面を言いたいのだが、それには大学、高校、中学、そして小学という段階に応じて差異が認められ、一括りには論じられないところもある。大学生の場合には反社会的と見られた言動に、まだ理念や理論の陰影が込められていた。高校や中学になるとそういう陰影は薄まったものになり、被抑圧的感情や鬱屈をただ生命的、本能的に解放する、回避する、そんな様相も呈するようになった。これは外部からは「理由の見えないない暴力」の現象と映じた。そしてそこからさらに小学段階に下ってくると、現実社会(家庭・学校・学級)への生理的な拒否、反発が、ほとんど原生動物の反射運動のような様相で表面化してきているように見える。
 つまり、低年齢化するごとにその現象を言語化することが難しくなり、当事者たちも関係者たちも、あるいは第三者的立場のものからも見えにくい、分かりにくいものになってきている。
 いったい子どもの世界に何が起きているのか。あるいは心的世界を中心に、子どもの発達、成長過程にどんな問題が生じているということなのか。問題の原因や理由を探すべく、これまでに様々な角度から考えてきたが、ここが根源であり根本であるという場所に突き当たったという実感は持てないできた。だが、それらしきところに近づいてきているということは言える。言えるが、近づけば近づくほど関係の糸の塊は錯綜として、ひとつを解きほぐそうとすればすぐに別なところに塊ができ、延々とこれが続くかのように思えて暗澹とする。
 前記に見たように、様々な問題の多くは、「学校」という舞台の上に起こってきたことは間違いない。そして必ずしもそうと言えない場合においても(家庭内暴力等)、継続する学校生活を一つの引き金、契機として、問題は表面上に露出してくるように見える。
 いまその実際については問わない。ただ、学校を通過する過程で子どもたちは一様に何かにつまずくことになっていて、そのつまずきを原因としての傷つき具合が尋常ではない、ということは言えそうに思える。
 小学校といえば、子どもたちは初めて本格的に集団生活を送るとともに、知識や技能や道徳的な規範を注入されるという経験を課される。ここに最初の適応、不適応の契機が存在するが、本来ならプロの先生たちがいて、子どもたち全員が適応していくようにサポートしていくはずである。そして実際にそのようにサポートしているはずなのである。にもかかわらず、たくさんの問題がここに化学反応のように生じているとすれば、さしあたって二つのことが検討されなければならない。
 ひとつは子どもたちを教育する学校側の問題であり、その制度、様式、存在のあり方などについてである。もう一つは送り手側である家庭の問題であり、学校に送り出すまでの子育て期間に、しっかりとした子育てができているかどうかということである。
 前項(10―B)で考えたこととの関わりでいえば、1970年代の大学紛争時にはもう一つ、前後してウーマンリブ旋風が吹き荒れた。いわゆる、女性の社会における地位向上を目指す運動で、大きくは、女性解放運動(フェミニズム)とも言える。戦後の日本にはすでに、「女性と靴下は強くなった」の言葉が生まれていたが、70年代以降は特に女性は元気に活発になったように見えた。これは一言でいえば、女性が「女性らしい生き方」を越えて、「人間らしい生き方」を求めるようになったということである。その結果、女性たちは「結婚をして子どもを産むことが女の幸せ」という、前世代までの通念から自由になっていった。働きたい、学びたい、遊びたい等々、したいことがたくさん出てきた。こうなったときに、当然のことながら結婚をして子どもができれば、その生後1年間の乳児への授乳と様々に世話する期間は「やりたいことがやれなくなる」期間となり、大変きついものになる。この子育てが、他のやりたいことに比べて自分にとって意義があり、価値があると考える女性にとってはそれほどの負荷にはならないだろうが、そうでなければ大変大きな問題になる。
 極端に言えばいまの世の中全体が、老若男女を問わず、「一度きりの自分の人生を大事にして生きたい」という方向に向いていると言える。そうしたときに、一番の摩擦が生じる場面はどこかといったら、言うまでもなくすぐに思い浮かぶのは女性の出産と育児期間ということになると思う。この期間だけは、他にどうしてもやりたいことがあっても我慢しなければならない期間となる。
 ここで嫌々我慢したり、他のやりたいことを優先するとすれば、子育ての方で手を抜くとか、乳児の方からすればぞんざいな扱い方しかされなかったということになる。後々問題になるのはここのところである。
 我々の世代以降、胎乳児期に理想的な接し方、育て方を100%の確信を持って、できたと言える人はほとんどいないのではないかと思う。というか、55%以上と応えられる人でさえかなり少なくなるのではないかという気がする。男親か女親かを問わず、みんなが自分のやりたいことを持つようになり、心のどこかでそれを優先したいと考えるようになってきたからだ。それを誘惑するような豊かで高度な文明社会になってきたというせいもある。いったんこうなってしまうと、子育てのための我慢、自己規制から、早く解き放されたいという気持ちも出てくる。
 子どもが学校に通い始めることは、その意味では母親、父親の心的な負担を軽減することになる。主に母親の負担が大幅に軽減されると言ってもいいが、いずれにせよ父親、母親の安堵感は言葉や行動や態度に表れる。生活全体が少しずつ子ども中心から、自分のしたいこと、仕事とか友達とのおしゃべりとか、そういう方向にシフトがずれていく。もう誰にとっても家族生活が人生の最大の楽しみだとは思えなくなってきているのだ。
 少しずつ家庭の外に行動を拡大する父親や母親が、子どもをほったらかしにしてずっと外向きでいられるかというと、なにかにつけ家庭内のことに目を転じなければならないことは出てくる。これが煩わしいと感じなければ、何も問題はない。だが、たぶん、そうはならない。内心で、「めんどうだなあ」、「わずらわしいなあ」と思ってしまうことが多々あると思う。とはいえ、それでも必死に親たちは子どものために教育費を稼ぎ、休日には一緒に行楽に出かける。ところでここで、親たちの心は引き裂かれる。家族生活の充足感と、個人としての自己の欠如感、空白感にである。その反対もある。これは子どもが経済的に自立していくまで、行きつ戻りつしながら続く。子どもはおよそ20年をかけて成長、発達し、やがて巣立っていくが、この年月は今どきの親たちにとってけして楽に通過できる期間ではない。ともすると、子どものために自分の人生を削られるなあと感じる親が、最近は多くなっているかも知れない。
 こんな傾向が親だけでなく、社会全体の無意識を形成しているという気がしないでもない。つまり、社会全体が、「子どもって煩わしいなあ」とか「手がかかるなあ」とか、「もう少し扱いやすくなってくれないかなあ」とか思っているのではないかと思う。学校でももちろんそうだけれども、たとえば子どもの万引きにお店や警察が困ったり、公共施設で子どもがうるさくして困ったり、通学路でふざける子どもたちに運転者が困ったりと、どうもこの社会で、子どもという存在は歓迎されていないところが多々感じられる。そこでまた「しっかり子どもを教育しろ」という話になるのだが、これらのことはもっと露骨であけすけに言えば、「この社会に子どもは邪魔な存在である」と言っているに過ぎないのである。何と言い訳しようが、実際にはそういう話になる。
 このことは逆に言えば、いかにこの社会が子どものことを抜きにして計画され、構成された世界であるかを物語っている。ちなみにいま述べたような人間社会の空間で、特に都市ではカラスなどは別にして、イヌ、ネコなどの動物は、その空間からほとんど排除されていると言っていい。端的に言えば公共の交通機関から閉め出され、公共施設から閉め出され、道路から閉め出されるというように、許される生活空間はほとんど制約されている。それは人間世界のルールになじめない自然の生き物だからで、低年齢の子どもというのはこれに一番近い。つまり社会の意志の通りには動いてくれない、やっかいな存在の一群なのだ。
 こういうところを、親も社会も、反射的、防御的に、「そんなことはない」といきり立って否定するのではなく、いったん、「そういうこともあるかも知れないなあ」と受け止め、認めることがなければ何事も始まらない。もしもこれを正面から受け止め、認めることができれば、そこから「ではどうしたらいいだろうか」ということになり、建前を越えた本音のところでの社会的な論議も行えるようになっていくと思う。また、そうして社会全体で考えていかないことには、つまり子どもの行いの全ては親に責任があるの一点張りでは、残念ながら子ども世界の泡立ちはこの先に渡って、食い止められないのではないだろうかという気がする。
 ついでに視点を学校に移して、こちらの角度からもここで考えておきたいが、ごらんのように子どもの育成過程には、従来にない大きな変化が生まれているのである。言ってしまえば、入学前から子どもの心的な状態には不安要素が紛れ込んでいて、それは親の愛のまなざしの減少、比喩的に言えば日光不足の植物のような育ち方をしているためだ。これが日照時間の不足からなるものか、光源そのもののエネルギーが弱まっているためかは分からないとしても、子どもに心的な不安定さと弱さや耐性のなさなどを与えていることは確かなことだ。生きることへの根底的な不信感、不安感、不満が無意識の心の核に様々な強度で形成されていると考えられる。
 こんな子どもたちを前に、入学したてから知識や技能や集団生活の規律をぎゅうぎゅうに押し込め注入していくことは、子どもの心的な不安定に拍車をかけるように作用し、結果としてこれを顕在化するように加速させててしまうに違いない。
 つまり、小学校段階での子どもたちの不適応については、ひとつはそれまでの子どもの家庭内の生育環境の問題があるし、もう一つには迎え入れる側の教育体制が、生育過程の変化に対応し切れているかどうかという問題もあると思われる。さらに全ての根っこには家庭か社会かを問わず、「子どもというものは面倒な生き物だなあ」という、これは誰もが真正面切って「認めたくない」思いが潜在する。子どもたちには今日の社会全体に蔓延しつつ潜在するそうした「厄介視」とか「迷惑感」とかが、本当はすっかり察知されているような気がする。しかも、社会的には、表向きなところでは「子どもたちのために」「熱心な取り組み」が様々な形で実践されているといった体裁が取られているから、子どもたちの察知は混乱させられる。つまり自分を信じるか外部を信じるか、訳の分からないところに引き裂かれていくように見える。
 こうなってきたことの根本は、現代、あるいは現在という時代性の中で、人々は個人、家族、社会といった3つの生活形態を取りながら、いずれの場面においても自分の「個」を優先したいと考えるようになってきているからだ。これはやむを得ざる変化で、自分の生涯を自分のために使うという、ある意味では個人の正当な権利の主張だと見ることができる。しかし、そのことのために、これが過渡的な現象かどうかは別として、個人は家族や社会の各場面から撤退せざるを得ない局面に立たされるという、半ば意図せぬ危機に直面する。家族は個々バラバラに解体しはじめ、社会はあちこちで機能不全に陥る。
 そのしわ寄せは子どもを直撃し、結果、心的な不安定さや脆弱さをもたらす基になってきていると思われる。これは常に表立って表面化しない場合でも、目の前に何らかの障害や困難が立ちふさがったときに初めて顕在化するということができる。
 本来なら生涯の中で唯一、全力で遊ぶことが肯定されて然るべき児童期に、現在は学校制度が設けられて学習や集団の規律を注入されることになっている。一部の子どもたちにはそのことが障害に感じられたり、乗り越えがたい困難に感じられたりする。あるいはまた、場合によってはその時期に心的な癒やしや不満のはけ口や、生命意欲の修復が必要なのに、ただに制度上の理由からそういう子どもたちに対しても一律に学習や道徳律の習得が課される。つまり、そこでは共同幻想が個人を押しつぶすように立ちはだかっている。 ここまでで一応考えられる状況的なことの全てとはいわないまでも、大事な要素というところは触れてきたように思える。ならばついでのことだから、「出生率の低下」や「晩婚化」を視野に据えた社会に潜在する無意識について、もう少し触れておく。
 はっきりと言えば、今日の社会の先端的な「現在」は「出生率の低下」や「晩婚化」という顕在化する現象によって、無意識のうちに「子どものいない社会」か、「子どもが生きられる社会」を目指すかという分水嶺にさしかかっていることを教えている。これには倫理的な意味合いはなく、ただ歴史的な必然という考えだけが横たわっているかに見える。放っておけばどちらの流れが勢いを増すかだし、どちらかの未来を選択しても一応は差し支えのないことだと思える。ただ、判断の中途半端さだけは存在するものに倫理的な苦痛を強いてくると言える。いずれにしても、現在社会はこのことを意識化すべきであるし、その上で人々に問わなければならないと思える。つまり社会的な議論を尽くさなければならない。
 この世界から子どもたちが消える。これは現在の人々からすれば考えることさえ忌まわしく、反射的な反発を招くことだと思う。だが、もしも本当にそういうことになったら、この社会がどんなに円滑にまた順調に発展して行くことかと想像しないではいられない。男も女も仕事にのめり込み、休暇には羽目を外して思いっきり遊ぶ。教育費を含めて子どもの育成にかかる費用は、全てを自分たちの欲するままに欲するところに注ぎ込み、オール電化の暮らしや心ゆくまでファッショナブルな生活が楽しめる。子どもの不登校、いじめ、非行、暴力にも悩まなくてすむ。お店からは万引きが減少する。公共施設はいつも整然とし、落ち着いた大人の雰囲気がいつも味わえる空間となる。車の運転からも大幅にストレスが減少する。全ていいことづくめではないか。
 というように、実ははじめから、この社会は真に子どもの立場に立った設計が成されていない。仮に子どものことが考えられていたとしても、せいぜいが大人に都合よく考えられた子ども像を元に成されていて、当然のことながら多くの無知と誤解から成り立っている。学校はその典型のひとつで、明治以前の時代の子どもがこれを見れば、遊び場としての小川を奪われ、岸辺を奪われ、獣道を奪われ、野原を奪われ、あぜ道を奪われ、堅いコンクリートの収容所にぎゅうぎゅうに押し込められて、まるで収監された囚人のような生活を送ることになったかと錯覚するだろう。
 はたして社会的な現在地から、子どもを産み、育成することを生きることの第一義として、身と心を捧げ、自己を犠牲にして厭わぬ「家族」への回帰は可能となるだろうか。社会はまた本当に個々の成員の子どもを社会自身の宝として、自らをほとんど180度反転させた制度設計を構築していく困難さに耐えうるだろうか。
 個人としての生活、家族の一員としての生活、社会人としての生活という3つの場面を考えたときに、自分の場合も現代人の例に漏れず「個人」を大事に考えてきた。そして自分の「個人」を大事にする以上、他者の「個人」も大事にすべきというように考えを進めてきた。犠牲にもならずに、また誰をも犠牲にしないあり方というものは可能かという道を、手探りしつつ歩んできたとも言える。だが本音を言えば、いつも歩くたびに何かを踏みにじってきたという「感覚」から逃れられない。そういう生涯の実感からいえば、社会がどうここを潜り抜けていくかは予断を許さないところだと思えるばかりだ。
 
 
源流論 まとめ
              2016/04/07
 
はじめに
 
 子どものいじめ、不登校、ふざけや非行や暴力、傷害等々、またそこからの精神障害、もろもろの精神的な、あるいは心の異変に移行しそうな動き、等々への関心を離れることができない。おそらく自分にもいくらかそういう傾向性が子どものころからあり、現在に至っても克服するべき課題としてずっと対面してきたことだからに違いない。
 これらのことについて、この『源流論』では、原因は何か、どうしたらそういう問題が起こらないようにすることができるのか、何かよい解決方法があるのかと考えてきた。
 ここではひとつの区切りとして、考えてきたところを整理し、まとめておきたいと考えている。
 だがその前に、こうしたことを考察する立場としてひとこと言っておかねばならないことがある。それは何かと言えば、現に子どもの世界に起きているもろもろの出来事は、いま述べたように、自分の生涯にとってけして無縁の出来事ではないということだ。だから自分を部外者のようにしてこれらの問題を考えることはできないし、すべきではないと考えている。これは自分だけではなく、本当は世の全ての大人たちにも言えることだと思う。これらの問題に関しての多くの言説は、自分を部外者のように装って、客観的、傍観者的にのみ言葉を連ねているものが多い。言葉のどこにも当事者意識の含みが感じられない。自分が子どもだった時のこと、自分が今子どもだったらという発想…。それでは外部に存在する知識としての言葉をもてあそんでいるに過ぎず、現にいまその人がその問題を、どのように抱えながら、どのように生きているかを伝える生身の、生きた言葉とは言えない。そんなものはただ我々の頭、子どもの頭を、右から左へと通過していくだけの言葉だ。そんなものは言っても言わなくてもどうでもよいものだ。意味がない。特に正論と思わしきものにその手の言葉が多い。こうしなくちゃいけない、ああしなくちゃいけないというような言葉。そんなものは誰もがとっくに分かりきっていて、それができないところに苦悩というものがある。
 いじめはいけないよ、という言葉。けれども、自分はさもいじめとは縁のない人間であるかのように話すその人も、自分の生涯のどこかでいじめられたりいじめたりの経験はあったはずである。その経験から、いじめの関係構造を断ち切る方法を心得、いまは解放されたと言い切れるのかどうか。もしかして、いまもなお、いじめたりいじめられたりの関係から自由になれずに存在しているのかどうか。胸に手を当てて考えるべきだ。そしてもしも大人になってのいまも、いじめの関係から完全に自由になっていないとすれば、いじめについて、それはそう簡単にいいとか悪いとか言える問題ではないということが分かるはずである。(だいたい、子ども世界内の「いじめ根絶」なんてことを簡単に口にする人たちは、大人社会に中にある大きな「いじめ」を不問にしているか、無関心か、加担しているか、要するに少しも「根絶」しようなんてしていないことで共通している。)
 今、少しだけ、子どもの世界に起きていることがらに関わることを自分の場合について言えば、子どものころから対人関係がうまくいかないなあとか、あまり精神的に健康とは言えないんじゃ無いかなあと考えることは多々あった。また、同級生たちとは仲良くもすれば喧嘩もした。それはしかし現在の子どもの世界のようにある域値を超えることなく、日常生活的には一応、それほど大きな波風を起こさない形で過ぎてこれたといえば言える。それはなぜかというと、偶然的な要素とか環境のせいも大きかったのだと思うが、自分なりに工夫したことで言えば、相手との距離を取る、間を取る、心の向きを変える、閉空間に風穴を開ける、そういうことを意図することで何とか乗り切ってきたような気がする。自分の場合には、そういうところでは他人をあてにするという発想は無かった。5、6年生くらいになると、親にも先生にも友達にも誰にも相談しなかった。相談できるとも思わなかった。ひとり、心の中に対話し続けた。人間とはそういうものなんだよ、というのが現在も自分の結論である。そもそもがそこに原因があるのかも知れないが、とにかく自分の内面だけでもがき苦しんで、一歩間違えるとどうなるか分からない瀬戸際のようなところを歩んできたと思っている。
 現在の子どもの世界においても、この「瀬戸際」を歩く子どもは少なくなく存在すると思う。つまり、自分に起こる問題は自分の問題として抱え込むことである。今日の社会評論家、教育評論家たちはこの点について「抱え込むな」と指導するのが通例になっている。そうして、親や先生たち、周囲にいる大人たちには、それを見切って対処しなさいと言う。しかし、体験的に言えば、その当時、誰にも介入してほしくない気持ちがあった。これはうまく伝えられないが、「神聖にして犯すべからず」という気持ちが今もあり、個体存在はそれがあってこその個体であり、見え透いた嘘の「つながり」はやはり嘘でしかないと思っている。つまり、そこに来ると、「分かるわきゃないよ、他者のことは」という気持ちになる。分かったような錯覚、分かってもらったような錯覚を経験した覚えはある。だがそれは、観念であり幻想である。そうしてその本質は錯覚である。
 けして他者を理解すること、子どもを理解することに努力することを無駄だと言いたいわけではない。また不必要だと言いたいわけではない。しかし、どこかに個体としての尊厳を感じているところがあり、自分と別の個体との間にはそれ以上に踏み込んではいけない領域があるように思えるのである。別の言い方をすれば、個体とは常に生成、変化をともないながら存在するもので、理解できても断定できないものだというものがある。つまり、理解したときにはその個体は常にその先に行っているものだと理解している。
 そう考えると、個人の心的な奥処の問題は当の個人がどうしても自ら考え、たとえどんなふうにであっても自ら解決する以外にないことのように考えられる。また、誰にもそういう能力が備わっているように思われるのである。
 そのように、今の子どもたちも自分の問題を自分の問題として抱え込み、何とか自力解決しようと孤軍奮闘しているだろうところまでは理解できる。そのために危ない綱渡りのような「瀬戸際」にさしかかっているかもしれないと想像することもできる。そして現在、この「瀬戸際」に抗しきれず、踏ん張りきれない形で外的な圧力を受け止め、瓦解するような形で事件の被害者になり加害者になるというように追い込まれることが、多くの子どもを捉えて出てきているのだと思う。
 かつて、友人のひとりが精神病を患って入院したと聞いたとき、「彼は私であり、私は彼である」という以外の考えを持てなかった。それまでに何度も何度も互いの心の内を語り合って、了解し合える間柄だったからだ。その彼が精神病と診断されたならば、自分がそうではないというのは信じられないことだ。また、自分がもし病んでいないとするなら、彼も病んでいるとは言えないのではないかと思えた。いずれにせよ、正常、異常の境界は大変曖昧だし、どちらに転ぶかは紙一重とその時には思われた。
 そういうところから、仮に精神の不幸(と言ってよいかどうか分からない)が誰かに訪れる事態になったとして、最悪、「彼か私」である以外にないのではないかと思う。
 自分では自分の努力や工夫が功を奏したのではないかと思う以外にないが、おそらく、本当はそうではないと思う。思うが、当事者的にはそのようにジタバタしたわけで、ジタバタそのものは誰もが行えることのような気がする。そしてジタバタした揚げ句に「彼か私か」どちらかに近い道を辿ることになるのだろうが、そこから先のことは分からない。ただ言わずもがなの一言をここに付け加えれば、自分の方が彼よりもほんの少し「狡さ」が勝っていたのかと考えていることを言っておきたい。言い替えると、自分の方が図々しさが勝っていたのかもしれないというようにだ。それは結果としてそう考えられるということだ。
 つまり、現在でもなお人ごとでは無いという位相で「子どもの世界の泡立ち」を見ている。そうして原因や理由を考えてきた。
 そこでここではそれを整理して考えてみたいと思う。うまくいくかどうか分からないがやってみる。
 
 
1 子ども世界に変化をもたらした周囲の変化
 
 まず両親がいて子どもが生まれ、育ち、6歳になって小学校に入学するという過程は、明治以降変わらず今日まで続いている。そして戦後のある時期まで、この発育過程がとりたてて問題にされることはなかったことだと言っていい。基本的には以前と同じ経過を辿りながら、どうして今の子どもたちには、かつてない規模の大きさで、前述したような、いじめ、不登校、暴力、傷害などの問題が生じているのか。実はその答えは簡単なことで、考えれば誰にでも容易に想像がつく。
 かつてと今とで発育過程の基本線が変わらないとすれば、逆に変わったことは何かと考えてみる。そうするとすぐにひとつふたつの変化が見いだせる。思いつくままにそれらを列挙してみる。
 ひとつは時代が変わり社会が変化したことだ。このことで生活スタイルが変わり、家族が変わり、親の意識が変わった。
 親の意識、特に女性、母親の意識が変わり、自分のやりたいことや考えることが増えて、子育て期間中も、以前の母親たちのようには子育てに集中できないようになってきた。そのことは、子どもの成長・発達の過程に以前には見られない大きな変化をもたらしたと考えられる。
 さらに、学校や先生も変わった。学校は教養ある市民の育成という牧歌を離れ、受験戦争という形で子どもたちに成績の競争を強いるものに変わってきた。またそういう変化にともなって、勉強や社会規範、道徳的規範を教えることも、以前先生たちが自分なりの教え方をしてすんでいたものが、子どもがきちんと習得しないのは先生の教え方が悪いのだと言われるようになり、過度に責任を感じなければならないように変わってきた。
 一方で、最近の先生は夏休みにも子どものいない学校で仕事をするようになった。それは子ども中心の寄り添う教育ではなくなったことを意味し、先生の仕事が、教育制度の維持や、文科省とか教育委員会への忠誠を誓う働き方に変化してきたことを物語っている。これは親たちの意識の変化と同じように、先生たちの意識の半分にしか子どもが住まわないようになったことを意味する。その分を制度維持のための仕事に割り振ったと言うことだ。
 以上、大ざっぱに、そして簡略に子どもの周囲の変化について考えてきたが、これらのことが大本になって子どもの現在を構成するようになったと一応は言ってみることができると思っている。
 
 
2 子どもの成長と発達
 
 以前の考察からも分かる通り、子どもの胎児期と乳児期は人間の個体にとって決定的といいほどの重要な意味を持っている。エリクソンとかトマス・バーニーらは、その時期に主として母親との関係から人間一般、あるいは人間社会への基本的信頼や不信が個体の無意識に刻印され、それは生涯に渡ってその個体の受容と表出のパターンを反復させる最初の刻印になるとしている。言い換えれば、胎乳児にとって全世界である時期の母親との接触の過程で母親への不信が強固に形成されると、以後の他者との出会いには全て母親との関係が二重映しによみがえり、したがって対他の関係はいつも不信から始まることが基本になってしまうということだ。単純に言えば育児の失敗と見なされるそれは、昔にもあることで、生育過程は外からは容易にうかがい知ることはできないけれども、後々社会に出てごく普通の生き方とは思えない生き方をしているように見える場合、たいていはそのことが起因となっていると言っていい。
 では、胎乳児に基本的信頼を植え付けるには母親はどうすればよいかというと、理想的な接触の仕方としてはごくわずかの対処の仕方が数えられるだけだ。一言でいうとすれば、中断なく心的にまた行動的に、絶えず胎児や赤ちゃんに愛情と関心のまなざしとを降り注ぎ、あるいは世話をやき、内的な(言葉以前のところで)コミュニケーションを樹立し、形成していくことである。
 だが、これがおよそ100パーセントに近いところで成立し得るかどうか、たぶんできないことは日常生活を考えると誰にでもすぐ分かる。たとえば授乳しているときに電話のベルが鳴ると、授乳を中断して受話器を取ることになる。この時乳児は自分の欲求を阻まれたことで一時的な不信を覚える。だが、こんな程度では一過的で、心的に不信が形成されるまでには至らない。本当に不信が形成されるのは持続的、継続的に母親の心が胎乳児に向かわずに、胎乳児の生理的な欲求に無関心であったり、世話をやくことが疎かになった場合だ。
 このように、さすがに完璧に100パーセントの育児というのはあり得ないことだが、逆に、継続的に胎乳児の欲求に母親が拒否的に接することも滅多なことではあり得ないことと思われるから、かなりよく出来た場合には75%から80%くらいの育児は実際に可能な範囲と思われる。
 これはしかし現在社会では以前に見てきた通り、女性にやりたいことが増えたり、あるいは女性の思考が子どもを産み育てること以外にも多様化してきたために、母親が胎乳児に十分な愛情とまなざしを降り注ぐことを難しくさせ、実際は50%前後を境界としてちょっと上か下かになっていると思う。つまり、母親の関心が子ども以外のことにも多様化して、その分、子どもに向ける意識の部分が疎かになってきている。中でも一番の障害は、核家族化したために、場合によっては育児の責任を母親が一身に背負わねばならない状況ができたこと。それによって育児は難しいこと、面倒なこと、もっと誇張して言えば子どもなんて足手まといだ、と母親たちに感じさせ考えさせるような状況が生まれてきたことだ。それが証拠に「少子化」「晩婚化」「虐待」といった現象が生まれ、現在深刻に論議されるようになってきた。もちろん、望んだ結婚、妊娠ではないために胎乳児に嫌悪感しか感じないで子育てしたことや、夫や姑との関係の悪化からそのことに心をとらわれて、とても子どもに愛情を注ぐどころではないといった状況は昔にもあったことだ。ただ相対的に見たときに、現在の育児の状況の方が胎乳児にとって、以前よりはよくなっている面と、逆に以前より悪くなっている場合とに両極端化しているように見える。しかし、概して、生活水準から見た大部分の中間層から下層にかけては、育児的に「手抜き」されてしまう状況が拡大されてきているように思われる。それは主に母親の思考や活動が外に広がってきているためで、それに伴って育児以外にいろいろなことを考えたり、活動したりするようになってきたためだ。母親(女性)にとっては自由の範囲が広がったことでよいこととも言えるが、胎乳児にとっては受難の時代を迎えたということになるのかも知れない。
 乳児期から幼児期への移行の過程で、もう一つの大きな出来事は「言葉の獲得」である。これは思考と一体のもので、この時期から、想像するとか空想するとか、あるいは判断するというようなことが言葉と込みになって出来るようになってくる。言ってみれば何か心的に世界が広がる端緒の時期で、これに続く幼児期は爆発的な語彙の拡張と、思考を含めた心的な拡張がともに行われる時期と言うことができる。立ったり歩いたりの身体の成長・発達もあって、少しずつ、心身ともに両親の庇護の範囲から外部世界に歩を進めていくようになる。
 幼児期は言葉の獲得と形成によって、胎乳児期における母親との内コミュニケーションから、いわゆる他者一般とのコミュニケーションを可能とする手段を身に付けたことを意味するが、この時期における言語遊び的なことも含めた活動は、成人後における社会的なコミュニケーションの基礎を形づくる。
 またこの時期の遊びは、以前は「ままごと」と呼ばれる台所の仕事や食事などのまねをする遊びに見られたように、大人になったときの家族的な生活や社会的生活の中でどう振る舞うか、あるいは職業的対処の仕方というものを遊びの中に展開し、それは成人以後における生活の予行演習の意味合いを持っている。これは鬼ごっこやかくれんぼなども同じで、幼児の生活は、生活事態が学びとも遊びとも区別のつかない形で進行する。
 幼児がよく大人の言動を見聞きしそれを真似することは、そうすること自体によって脳裏に記憶され、大人になってからの生活のある局面でよみがえり、かつての両親と同じような対応の仕方をしたりする。そのように、大人になってからの全ての言動の隠れた支柱でありうるし、よくよく考えると実際に支柱になり指針になっている場合が多い。
 学校がなかったころは、生活そのものが遊びであったこの時期はおよそ10歳くらいのところまで地続きにあった。あるいは丁稚奉公といった見習い時期までを真似事、遊びの延長と捉えれば、その年令区分はもう少し後方に伸びて15歳くらいまで考えられる。つまりほんとは幼児期から思春期までの発達区分は大変曖昧で、児童期と言われる区分は学校抜いて考えると架空のものになってしまう。また学習という概念も消失する。児童期という区分はだから、学校があることを前提として成り立つ、近代以降に考えられたものだ。
 いずれにせよこの時期までの遊びは、極論すれば人間生活全般の学びと、その学びに準じた未来の生活の予行演習的な要素を強く持っている。人との付き合い、恋愛から夫婦生活など、それらの基礎はほとんどこの時期の生活、すなわち遊びの中で学び、習得したことが反映して成り立つと言っても過言ではない。これは学校の勉強とは異質の学びである。
 もう一つ、幼児期から児童期について言っておきたいことは、徐々に時間、空間の深まり、広がりを体験していく過程だということである。空間の広がりの方が分かりやすいが、家族空間から地域社会の空間に行動範囲が拡大していく。これは同時に心的な空間の拡張にもなっていく。言い換えると大人に近づくように、自立して社会生活ができるように成長・発達していくということだが、児童期では乳児期、幼児期を経て培ってきた言語活動に典型的なように、身に付けた一切を外部に向かって発現していく時期にあたっている。特に児童期で注目すべきは、乳幼児期を通して体験した母親及び家族内の対幻想をもとに、性の意識も先の事柄などと一緒くたに前面に押し出されてくる時期だと言っていい。ここで、性的な意識は押し隠すべきだというのは身勝手な大人の論理で、実は自分もその時期には無意識にそれを発現していたわけで、ただ忘れていたり忘れたふりをしようとしているに過ぎない。生き物の特性とか根本を考えれば「食と性」との二大特質にある。大人よりも生き物の自然に強く規定される子どもは、より純粋に性的な意識に従順であり、これが前面に現れ出てくることは本来的に言えば当然のことである。ただし、このことの出現は思春期以降の性的な意識、振る舞いとは別に、子どもらしさをともない、遊びたい欲求、騒ぎたい欲求、暴れたい欲求、凶暴になりたい欲求、ふざけたい欲求、笑いたい欲求等々の形をとって発現してくるものである。つまり、それらの欲求の根源には、生命的と言っていい強烈な性衝動が、生命衝動として貼り付いている。言い換えればこれらの欲求は、リビドーに突き動かされて表出されて来るものだと考えることが妥当であると思える。
 
 
2 聳え立つ「学校」
 
 幼児期を過ぎて、行動がさらに家庭の外側に向かって拡大していくものであることは先に見てきた通りである。その時期は、自然な成長・発達の過程として性的な発現をともなうものであることも見てきた。そしてこの時期の性的発現は、フロイトの言う生命衝動に不可分で、別の言い方をすれば生きる意欲の発現そのものに他ならない。
 この時期、現在の子どもたちはほんの2、3世紀前に発明され、設計された学校制度というものにであう。そしてその時、どういう理由にせよ、成長・発達の途次にある人間の個体としての子どもたちと学校との関係は、性的発現を外に向かって拡大、放射していこうとする子どもたちと、それを抑圧して知識や技能や社会的な規律を身に付けさせようとする学校とが対立した関係にあると言える。
 これが対立であるということは、本来なら人間の子どもの「自然」な成長・発達としては、何の外的な制約も受けずに自己を外界にあるがままの姿で、言い換えれば自由に発現させたい欲求を持つということである。これに対し、現在の社会の共同意志は、これを抑圧し、代わりに学校制度を設けて歴史的に蓄積されてきた知識、技能、社会規範を埋め込もうと働きかけている。
 もちろん、おそらく学校がなかった時代においてもこの時期の子どもの性的な発現が、のべつ幕なしに自由奔放であり得たわけではないと思われる。家族的な制約、地域社会的な制約の働きかけはあったはずである。社会生活という概念には、人間の自然性を抑圧しなければ成り立たないという考えが含まれているはずだからだ。その意味では昔も今も、子どもが成長・発達する過程において生命本能の荒々しい顕現欲とその制止との対立は続いてきている。
 現在、対立の場としての学校において、どうして様々な問題が浮上してきているのかということについては複合した難しさがあるが、基本形はここの対立の図式にあると言っていい。生命衝動(性衝動)を内在させた、ふざけたい、遊びたい、騒ぎたいという欲求がこの時期の子どもには本来的に表れでてくるものであり、学校は学習や規範の習得の形でこれを抑圧するからだ。抑圧した上で、静かにしていなさい、席に座っていなさい、勉強が一番大事だから勉強しなさい、勉強に集中しなさいなどと、子どもの欲求とまるで相反することを押しつけている。ここに、いじめ、不登校、暴力などの問題を引き起こす基本的、本質的な原因がある。逆に言えばこの抑圧と対立の関係を無くせば、それらの問題が解消されたり緩和されるのは間違いないことだ。 ではそうしたらいい、というのは簡単なことだが、見てきたとおり人間社会の歴史はそうした人間の自然性の部分、本能的な部分を制約する方向で進んできている。そしてそうである限り、そこには重要である何かが存在していると考えることが妥当であると思える。
 性的な意識、振る舞い、そうしたものの自由な発現を弾圧し、抑圧し、逆に蓄積してきた知識、技術、社会規範などをこの時期にぎゅうぎゅうに個に注入するというのは本当に必要なことなのか、重要なことであるのか、社会的にはっきりと論議が尽くされているようには思えない。肯定派と否定派とがともに存在するが、はっきりと決着はついていないように思える。その中途半端さが現在を現在のままに継続させている。その対立の源流には、私見ではヘーゲルがいてルソーがいる。ルソーを自然派と捉えれば、ヘーゲルは反自然派である。明瞭な理性を人間的な本質と考えるヘーゲルと、自然な心性、心性の自然を人間的な本質と考えるルソーとの対立。こういうところの次元で考えると、そう簡単に判断はできないし、してはいけないという気もする。どちらの方が好みかと言われればルソーの方を挙げたいが、本能の方を弾圧抑圧して無理矢理勉強させ、また規範的に自律する人間に育てることが本当に必要ないことなのか、あるいは本当によくないことなのか、我々にはまだよく分かられていない。この逆に、自然的な粗暴な振る舞いは全てダメなんだ、だからそういう本能的な部分は全て押さえ込んで弾圧し、消滅させてしまう方がいいんだということにも納得することができない。
 しかし、ここまで考えてくれば子どもの自然な成長・発達の過程と、学校教育が意図するところとの「のっぴきならない」対立の関係が、鮮明に理解できてきたと思える。そうして、このきつい対立の図式から浮上してくる重要な問題、つまり、いじめ、不登校、自殺、暴行、傷害などのもろもろがどの子どもの身にも降りかかり得る可能性を持つことも理解されるはずである。学校は大きな壁として子どもたちの前に聳え立ち、その出口の門は、あるがままの子どもの姿の前ではきつく閉じられてしまう。勉強し、規範を身に付け、大人社会に順応する姿形に変身してみせるのでなければ門は開いてはくれない。
 
 
3 学校と家庭と子ども
 
 学校に通う全ての子どもたちは学校生活を起点として、いじめ、不登校、あるいはいたずらから暴力などのあらゆる騒ぎを引き起こす当事者の可能性を持って存在する。考えてきたとおり、それはもう善悪や道徳、倫理を越えた欲求と抑圧の対立の次元から生じてくる問題であり、ある意味ではそれは当然のこと、当たり前のこと、あるいは逆にない方がおかしいくらいの問題と言えるものだ。遙かな昔から、個人と社会にはそういう逆立した関係が存在するのだ。
 日々の学校生活においては、だから大小様々な問題が煩わしさを感じさせるほどに生起しているということができる。そこには放っておいてよいこともあれば、放っておけないようなことも起きている。そして実際のところ、何をどのように問題として受け止めるかは先生たち個々によって違っている。
 ここで述べておきたいことは、ある意味で昔から存続する学校の日常があり、そもそもがその実態は泡立つ世界と言っていいのだが、そういう全体の世界の中で特別に騒ぎの中に突出していく子ども、逆に普段からひどくおどおどした様子を見せ、消極的である子どもの存在である。言ってみたいことはつまり、それが少し度を超していると見える場合があるということである。これは欲求と抑圧の対立の図式から言えば、その関係図式からもろに♂e響を受ける子どもたちであると考えることができる。もう少し言えば、そういう子どもたちは日常的に泡立つ世界の中で凡庸であることができない。またいい加減にやり過ごしたり受け流したり、ある意味では多くの子どもが身に付けている耐性が身についていない子どもたちである。こういう子どもたちは学級という枠の中で、平凡であり標準的であるという意味合いからは突出してしまう存在である。悪く言えば脱落してしまうということができる。
 これが本格的にそうだと言える場合は、いじめたりいじめられたりする当事者となり、不登校の当事者となり、騒ぎや暴力の当事者となる。そしてここで大事なことは、全体から突出してしまう、脱落してしまう子どもたちは、まず間違いなく胎乳児期における母親との接触の失敗、関係の失敗、「基本的信頼対不信」のところで「不信」を植え付けられてしまった子どもたちであるということができる。これはまず間違いなくそう言えることで、根底に「不信」が形成されていると正常な枠組みが心的につくられないために、ある現象に対する反応が正常さの範囲を逸脱しがちになる。だからある大きな障壁にぶつかったときに、その反応は正常な枠組みを超えたウルトラな反応として表面化することになる。
 これが母親が胎乳児期に経済的、精神的に恵まれた環境に守られ、あるいは健康的で心の底から手塩にかけて愛情を注ぎ世話することができていたら、胎乳児の心の枠組みに「基本的信頼」がおかれ、以後のどんな障壁にもその枠組みを逸脱して反応することはあり得ないと考えられる。
 このように考えるところからいえば、現在のように子どもたちが引き起こす様々な諸問題は起こるべくして起きていることで、こういう問題が起きたときには手遅れだよ、しょうがないよというほかはない。すでに学校が、先生たちが、どんなにがんばってもどうしようもないよということになる。つまりそこに責任はないんじゃないかと思える。
 もう一度おさらいして問題の根幹を尋ねれば、女性や母親が西欧的、欧米的に知的(生活上の知恵が豊かになったこととは違う)になったり、活動的になってきたために、従来からの日本的な育児にある意味からすれば身を入れて応対することに難しさが生じている。そのことで、胎乳児からすれば母親に対する基本的信頼を形成しにくくなってきたという状況がある。
 もちろん、このことを持って女性や母親に「子育て」に専念しろということはできない。けれども、現在のように子ども世界の出来事が社会問題化する状況下で先行きを心配するなら、そこのところでちょっとがんばってみたらということはできそうに思える。また社会的にこの問題を深刻に受け止めていることから、社会に向かってもいま述べてきたところを中枢として、子育て支援を社会的に論議し、考えていくべき時期ではないかと申し添えておきたい気がする。こういう論議なしに、「子どもがいなくなると国がなくなるから、女性は子どもを2人以上産むことが大事だ」などという荒っぽい考えを、中学の校長や大学教授が言っているようでは問題は何一つ変わっていかない。
 ただ、時代の大きな変化の流れの中で、個々の家族、夫婦、親子がその変化に対して生活防衛的にどう対処したらいいかということであれば、結局先の結論めいたところに帰結すると思う。それが安全策であり自己防衛できる範囲である。あるいは自分たちの手と力でできる唯一のことだと言えそうに思える。そこの部分、つまり胎乳児期の子育てに関わる部分をうまく通過することができれば、外界に多少荒波が立つ場面に遭遇するとしても、子どもは大過なく通過していき、その時代の標準的な生き方の枠組みに収まって生きていくことができる。そしてそこで親として、多くは望まずに、そういうありふれた平凡な生き方ができたらそれが何よりのことだと言えれば大したものだと思える。子どもはそうやって大人になっていくしかないのである。
 
 
4 子どもの世界
 
 自分たちが子どものころ、大人たちは現在のように子どもの世界に関心を持っていなかったような気がする。全然無関心だったということではないが、何と言ったらいいか、子どもの生活や遊びに余計な口出しをしなかった。
 たとえば学校生活でも、当時の先生たちは授業を終えるとさっさと職員室に戻ってしまい、次の授業まで校庭や教室に姿を見せなかった。子どもからすると、それは監視の目がないことになるから、遠慮せずに校庭でも教室でも自分たちのルールで思う存分遊んだり暴れたりできた。いたずらが過ぎて窓ガラスを割ったりするとゴツンとやられたが、喧嘩で泣いたり泣かしたりというようなことにまでは介入しなかったと思う。
 先に述べたこととの関連で言えば、おしりを逆さまにするくらいの勢いで遊んだり、ふざけたり暴れたりしたい時期に、それを抑え込んでじっと席について勉強することを課されるわけだから、子どもからすれば「休み時間」は抑圧や緊張から開放されたいし、それこそ全力で遊ぶ楽しい時間にしたいわけだ。たてまえ的には「休み時間」は遊ぶ時間ではなく、トイレに行ったり次の授業の準備の時間と指導されてはいたのだが、汗だくになって教室に戻るのを咎められたというような覚えはない。当時の先生たちは自分たちの体験からもそういうことがよく分かっていて、分かった上でそういうような意図的な「ほったらかし」をしていたのではないかなあと思う。これは先生たちばかりではなく、当時の親たちや周囲の大人たちにおいても同じことが言える気がする。「気配り」半分、「ほったらかし」半分が子ども世界に注ぐまなざしだった。
 親も先生もあるいは他の大人たちも目の届かない「子どもの世界」が当時は確かにあって、そこには子どもたち個々に、知られたくない不安もあれば悩みや秘密もあった。その時に、親を含めて大人たちが、大人と子どもの垣根を取り払って身近にいて相談に乗ってくれる方がよかったかどうかは一概に言うことはできないが、個人的には自分の内面を覗かれることに抵抗があったから、不介入が逆に一種の救いであるといった面があった。これについても何となくだが、「目が届かない」のではなくて、「見ぬふり」をしてくれていたのではないかと今になれば思う。
 ここからさらに言うと、当時は子どもは子どもで大人世界に口出ししてはならないという暗黙のルールがあった。子どもは大人の世界に口出しせず、逆に大人も子どもの世界にあまり口出ししない、そういう相互関係が自然に成り立っていたという気がする。
 当時大人が子ども世界にあまり介入しないということは、ようするに「教えない」というあり方だったように思える。これには「教えない」ようにして「教える」という側面と、安易に「教える」ことのできないある種の「難しさ」を熟知している、という側面の2つがあっかも知れない。そこから言えば、体験を通して自ら学べという姿勢がそこに貫かれていた。
 冒頭近くで、子ども世界の住人としてそこに暮らしていたとき誰にも言えない内面の葛藤や悩み、思いを抱えていたと述べた。大変きつかったけれども、相談者がいないときに何をするかというと、おそらくは果てしない「自問自答」の繰り返しである。教えてもらえないというときには、「自問自答」によって自らの解を切り開いていくほかはない。もちろんどんなに「自問自答」を繰り返してもその時点で解が見つかるわけはない。だが、「自問自答」の習慣だけは覚える。そしてそのことの繰り返しに耐える仕方も学んでいく。そう考えてみると、以前の教育も子育ても、人間性ということに関しては子どもたちが自ら学び取ることを固く信じ、学び取るまでをじっと待ち、またそれぞれに学び取ったことに対して問わない、あるいは規定しない、規制を加えない、そういう寛容さも併せ持っていたと思える。これは主観で言うのだが、当時の大人たちはけして子どもたちを知的に劣っているとか未熟であるという見方で見るばかりではなく、大人と同じく「心を動かす」人として、どこかで尊重してくれているところがあったように感じる。そして、そういう自他の「心」をとても大切に、大事に扱っていたという気がする。だから生半のことを「教える」よりは、「教えない」ことで子どもたちに伝わる伝わり方に意を尽くしていたのではないかと思う。
 道徳をしっかり教えろ、しっかり教育しろ、などの言葉に表れているように、現在の大人たちは、そして先生も親も、言葉で子どもが理解できると思い込んでいる。話せば分かると思い、また子どものことなんてすっかりお見通しだと思い込んでいるようにも見える。だがおそらくそれは誤解であり錯覚である。
これは心の動きよりも頭の働きを優先的に考える大人の癖で、人間理解、子ども理解が救いようがないほどに退化しているのだ。もちろんそれらの言葉を真に受けて成長する子どもたちもまた、自ずから退化の道を歩むだろうことは疑えない。そして真に受けない子どもたちにこそ、未来の希望が託せることも言うまでもないことである。これはここまでの考察から当然帰結する考えで、文科省、学者、専門家のする文言を何ら批判的に検討することもなく、疑念も持たぬ人々には、到底受け入れがたい、また理解しがたいことであろう。そのことは仕方がないとしても、分かった風をして「子ども世界」に土足で介入していくことだけは厳に謹んでもらいたいと願うばかりである。
 
 
5 学校の理想
 
 学校がなければ過去から現在に至る知の蓄積、技術の蓄積を学ぶ機会は、ほかにちょっと考えがつかない。子どもも含めて人間は、ほんとのところを言えば強制的な働きかけがないところではなまけて勉強などするはずがないと思える。少なく見積もっても7、8割方はそうではないかと思う。現在の段階ではそうなってもよいという風には結論することはできない。そうなると、現在的な教育体制を一掃するというような議論は幾分乱暴で、また現実味もないように思える。
 そこでとりあえず緊急避難的に社会問題化した部分の解消という点だけを考えれば、とりあえず漠然とだがいくつかの考えが浮上してくる。思いつくところを述べながら少しずつ整理してみたいと思う。
 まず一義的に考えなければならないことは、小学生という子どもの時期が、大ざっぱに言えば生きる意欲と同義の性の発現を本質とする時期にあたるということを踏まえなければならない。つまりそれは生命意欲として、騒ぎたい、暴れたい、ふざけたい、笑いたい、などという欲求として外に現れ出てくるものだということで、このことを念頭に置くことが大前提だ。そう考えたときに、学校の教育活動全般は子どものこの生きる意欲としての性の発現を弾圧し、抑圧するというように対立した構図となっている。これは当然以前からそういう関係であったわけだが、今日の大部分の子どもたちにとってはこれが大きな障壁であり、また大変にきついと感じられる対立になっていて、ここから様々な「泡立ち」が生じているということになっている。
 以前からの対立の関係をことさら「きつい」と感受するのは、ひとつは子どもたちの育ってくる過程にその根源を求めることができる。つまり先にも見てきたように、胎乳児期における母親との関係が昔とは違ってきていると考えられることだ。そしてそれは、現代の女性が以前に比べてとても活発になってきた、生き生きと生きるようになってきた、その結果、子どもを産み育てるというこれまでの女性の特権と見られたものに対して、逆にそれが制約のように感じられてきたことによる。つまり、どうも無意識のところで結婚や育児が手枷足枷のように感じられてきているところがあるように思える。そうした女性たちの無意識が、「少子化」「晩婚化」「未婚化」の形を取って表れてきている。もちろん、男性たちにとってもなおのことで、全体として、結婚をし、子どもを作り育てることに対して自信が持てず、尻込みする傾向見せてきている。そうした女性、男性、母親、父親の心の定まらなさは育児にも反映し、子どもの無意識の核に「信頼」を形成することを難しくしている。
 このようにして育ってきた子どもが、先に述べたような学校との対立の図式に直面したときに、その対立が大変「きつい」ものに感じられてしまう。
 現在の学校活動全体の様子を見ていると、この対立の深刻化の潜在に対して、教育的指導という側面からさらなる抑圧をもって解決していこうという傾向を見せているように思われる。これはうまくない比喩だが、ブレーキペダルの遊びを無くしていくようなもので、子どもたちにとっては日々の学校生活がとても窮屈な閉塞したものにますます傾斜していくと感じられるに違いないと思う。
 子どもの欲求と教育の意図とが絶対的な矛盾と対立を強めていくわけだから、誰がどう考えたって一触即発だということは分かるはずだ。
 この煮詰まった状況を打開するのは実は簡単なことで、比喩的に言えば風穴を開けることだ。窓を開けることだ。ノーサイドを設けることで、もう少し具体的に言えば教育的意図をいったん白紙にしてしまうことだ。意図的に小休止状態をつくることである。もっと言えば担任の先生が、一時的に先生という衣を脱ぎ捨てればいいというだけの話だ。
 教育的指導をいったん放棄するということ。そうして、子どもの遊びたい、笑いたい、ふざけたい、走り回りたい欲求を叶えてやるということ。解放してやるということである。これをやれば、おそらく一時的には子どもたちの欲求も沈静化し、勉強が嫌いだという子どもも何とかそれなりに取り組むはずである。 ここで、勉強嫌いについてひとこと付け加えれば、おそらくそれも言葉を持たないときの、つまり胎乳児期における母親との内コミュニケーションのあり方が反映していることだと思える。母親からの胎乳児への無意識の発信が、胎乳児にとって受け入れがたいものだったのだ。それが断続的に続いたのだと思う。もちろんそのことばかりとは言えないことだが、主要な要素であることは間違いないと思える。これを一元的に脳機能のせいにして考える傾向があるが、それは間違いで、脳機能の形成の背景にそういうことがあると思える。いずれにしても、これはもう教え方がどうのこうのではなく、嫌という程愛情をふり注いで新たなコミュニケーションを確立していく以外に勉強嫌いを是正する方法はない。経験上、それができる先生は数少ないと思われるが、理屈上はそういうことだと思う。
 さらについでに言えば、学校全体として子どもの欲求と教育意図との対立を緩和する余地はもう少しあるように思える。これは実現の可能性はきわめて低いと考えられるが、基本的に子どもたちの欲求は性の発現、つまり具体的には遊びたい、ふざけたい、騒ぎたいところにあるわけだから、全体的に「指導」色を弱めればいいと思うのだ。何と言っても現在的には、育児の段階で子どもたちは昔のように安定した育ち方ができていないという傾向にある。これは先に考えてきたとおりで、どんなに学校から家庭にお便りを頻繁に出したところで是正できる問題ではない。もっと社会的な論議、取り組みを進めない限りどうこうできることではなく、となれば、学校側が対立の緩和を図った体制を取る以外に緊急の対策はないと思える。そうでなければ、先に見たように担任の先生たちの負担はいつまでも継続していくことになる。そこにはいつも、いじめ、不登校、暴力などの発生の契機が潜在してしまう。
 知識、技能の植え込み、道徳規範の植え込みを果たしながら、同時に子どもたちの欲求の解消を図るには、現在進めようとしている指導の徹底を5年生からに先送りして考えることが一番いいことだと思える。逆に1年生から4年生までは、指導しないようにして指導するようにするのである。ほんとは全く指導しないで遊ばせるというのが理想だが、そうも行かないだろうから少しはやるということにすればいい。
 こう考える根拠は系統発生論の考えからのもので、歴史的に見て、文字文化の成立と子どもの発達過程からおよそ10歳以降に学習の始まりを想定できると考えるからである。生まれ月に関係なく、全員が10歳以降で出発する小学5年生がこれに該当する。なぜ10歳以降に対応付けできるかの詳細は以前の記述を参照してもらえばいいが、とりあえず4年生までは遊びを主体に、遊びを通して学ぶ事柄を尊重するということになる。こうなれば性的な発現の部分はかなりの程度に解消されることになると思う。そうしたら5年生からは、相当に知識、技能の詰め込みをしてもその許容量は確保されるものだという気がする。そうして、かえってそうすることが学習的に見ても効果的なはずである。
 ここで、果たして5年生から本格的に学習を始めたとして、文字の読み書きから単純な加減計算を経て現行の5年生の学習まで、一年で習得することが可能かという疑念が誰しも生じると思う。もちろん、その疑念に明瞭な回答を今の時点ではできない。だが、意外に可能ではないかなと思っている。やり方さえ間違えなければ可能なはずである。
 
 
6 子どもの変容
 
 昨年度、学習支援員として主に4年生教室に出入りしていた。そのうち複数名は3年生の時から知っていて、児童館で宿題を見るという関係だった。
 その中のひとりについて言えば、遊びは活発にする子どもだが勉強では九九もほとんどできず、宿題も友達と相談して答えていたり盗み見して答えて平気な子だった。
 4年生の算数の授業の時も同じで、顔を見合わせればとにかく答えを教えてと言う。考え方を教えようとすると面倒くさがり、すぐ答えを教えてくれないと嫌だとダダをこねる。そのへんは低学年児童のようで手がつけられない。ほかにも机から落ちたものを拾ってくれとか、こちら側からすればさんざんな子どもだった。こうなるとこちらも相手が孫だったらこうなるのかなあと想像して対応するほかなく、腹の中に気に入られるようにという気持ちも含みつつ、我が儘に応えていった。以前に現役であったときにはそこまでしたことはなかったし、だから担任の先生の迷惑にならない程度を考えながらそうしていた。
 そういうことが2学期くらいまで続いていたと記憶するが、3学期頃からどういう理由か分からないがヒントを与えたり、答えを教えたときの反応が違ってきていた。「あ、そうか」と、まるで理解していないときとは異なる反応をするようになり、宿題プリントもクラスの中で高位になる正解度を出し続けるようになった。何よりもプリントでは、自分で考えた証である計算メモがいっぱい書き込まれるようになっていった。中には九九の段をいくつか書き込んで答えを見つけていった痕があって、ついほほえましく感じたことを思い出す。聞けば、家のあちこちに九九表を貼って暗記し始めたのだという。
 こういう変容がどうして起こったかはよく分からない。年令から来る自覚なのか、家庭の協力や努力によるものか、あるいは担任の先生のマジックなのかはよく分からないことだ。支援のこちらはどんな相手にも同じで、ただ要求があればそれに応えることだけを旨としていた。ただ屈託のないあからさまな要求はその子からのものが一番多かった。多くて、内心「全く」と思いながら、しかし丁寧に対応し続けた。
 別の子どもだがこんなことがあった。やはり算数の宿題プリントに「分かりません、教えてください」のメモ書きがあった。これには丁寧に、答えから式から考え方から問題の捉え方に至るまでプリントいっぱいに赤書きした。それはちょっと書く方も大変だったけれども、そうすることによって暗黙に、『ひとというものは頼まれたり要求されたときには、精一杯それに答えようとするものなんだよ』ということを伝えておきたかったのだ。もちろんそんなことは伝わらないことを前提にしながら書いたわけだが、それ以後、ちょくちょく「分からない、教えて」のメモが増えて、それと同時に先の子どもにも見られた考えの痕跡、計算の痕跡がプリントに見られるようになった。そしてほんの少しだが、正答率が増す傾向が見え始めた。
 こちらの子どもも4年生なのに九九が不安で漢字が書けない。授業中はお客様状態で、問題に答えるときは隣の席を盗み見していることをよく見かけた。こういうことはもう注意しても意味がない。注意で直るんだったら最初からそんなことはしない。言い方は悪いかも知れないが、これくらいの年令になるともう、そうした意味では手遅れなのだ。これは1年生に入学したときからそうで、もっといえば1、2歳くらいまでに決定してしまう。
 こういう子どもたちが本当に多くなった。クラスの三分の一から半分くらいは、本当に一定期間でいいからひとり一人密着して支援したいくらいだ。そういうように思わせる子どもたちが多い。ただし密着して支援するにしても、それははじめに時間をかけて、信頼関係を築いた後でなければ意味がないから大変なことだ。たぶん体が2たつ3つあっても足りない。
 現場を見て考えると、いろいろな問題が噴出していることが分かる。しかもそれぞれが重層して絡まり合っている。だからもう手の施しようがない、というのではない。人間という生き物はいつでも、どこからでも、現在の自分を越えていこうとすることができるし、越えていくことができる生き物である。越えようとすることはいつからでも始められる。そのきっかけが見つかったり、与えられればいいだけのことだ。
 もともと、子どもたちが騒がしくて勉強をしたがらないというのは昔からのことだ。そういう意味からは、今の子どもたちも紆余曲折を経ながら社会の一員に成長し、我々と同じように生活していくだろうことは間違いなくそうだと言えると思う。だったらそれでいいじゃないか、抑圧を弱めて、強く勉強をさせる必要はないじゃないか、と思う。またいろんなことを無理に教えようとする必要はないじゃないか、と思う。
 それでもなお、やはり教育は大切で、ひとり一人の子どもを救済しつつ育成しようとするならば、母親が胎乳児期の育児のあり方を見直さなければならないように、学校もまた指導のあり方を見直すべきだと思う。
 わずかの光明に過ぎないが先の子どもの例に見たように、子どもは変容する。変容の可能性を秘めている。確かにそのひとつのリトマス紙は、学習にも見ることができる。学習にまつわるひとの話を聞くことができるかどうかがそのリトマス紙になる。話が聞けてそれを受け入れることができるようになるためには、「信頼」が必要になる。「信頼」がないところでどんなにためになることを話しても無駄だ。そして小学生段階では子どもの心を開き、そこに「信頼」の種を植え込むには、おそらくは太陽がひたすら光を放ち続けるに似た、一方的な「献身」の姿勢が必要になる。それがなぜ一方的でなければならないかは、その効果が計算できないからだし、計算してはいけないことだと思うからだ。
 たぶん、こんな泥臭い考えは現在の教育事情では受け入れられない考え方だと思われる。今日では子どもの意欲を引き出すあの手この手の教育技法の方面に関心が向き、完璧な授業を演出する指導者の特集を組んだテレビ画面を見たこともある。
 けれどもそこには本来的には指導者と被指導者との従属関係、あるいは依存と依存される側の固定した相互関係の構造しか見当たらない。いわば知の側面だけが前面に出て、この時期の子どもたちに必要な、指導者の人格や人間性に触れてそれを判断する力を養う契機を見失わせる。それは自己形成という過程で、表向きと本音とを二重に形成する人格を生み出すことに繋がる。相変わらずのそんなことではつまらないことではないか。できれば本音と建て前が統一した子どもに育てる方がよい。そのためには先生が、本音の部分を隠さずに子どもに接し、自分の性格や人格をあけすけにすることだ。子どもから見えやすくすればいい。これはどうしても人間には自分をよく見せたい気持ちがあるから、言う葉易く行い難しというところがある。ちょっとした勇気を有する。けれどもやろうとすればできないことではない。そういうところは高校や大学の受験のための勉強どころではない、生涯に関係する本来的な教育の肝心要なのだから、とても重要な事柄だ。
 ここでは最後になるが、ここまで述べてきたことの少し次元の異なる受験の問題、これに関係する教育課程の問題にも触れないできた。また日本という国の教育の根幹部分に関連する、悪しき支配的な理念というものにも言及しなかった。本当を言えばそこが一番変わらなければならないところだが、またそこが変われば波及して全てが自ずから変わっていくのだが、ある意味の難しさがあってここでは言っても意味がないと考えた。
 一言だけ付け加えれば、先に述べた先生たちの仕事が夏休みにも学校で行われてきたことに象徴されるように、子ども不在の仕事もまた子どもに接するときと同等の仕事と見なされるようになった。このことは無意識のうちで、学校においては先生と子どもの距離とを広げる作用を、今後に向かって積み重ねて行くに違いない。そしてまた善意に解釈すれば、無意識に、先生たちを教育制度の維持の方向に従わせ、給与の出どころに対する忠誠を誓わせるように働きかけを強めていくことになると思う。逆の側面から言えば、先生たちにとっての子どもは、だんだん「おまけ」の方向にシフトがずれていくということになる。ボランティアの導入、学習支援員の導入ということもそれを助長していく一因になるだろうと思える。もちろんこれらのことは先生たちが決めたことではない。いってしまえば日本の教育を支配し、指導する層が深く関わっている。官僚、政治家、学者、その他の教育関係者の中枢にある者たちの共同の幻想から成立してきたものだが、実はそのものたちこそ制度の維持に関しての情熱、地位と金の出どころに対する忠誠心は並外れていて、その分、生身の子どもたちについては「おまけ」の「おまけ」のようにしかそのものたちのこころに住みつけないでいるはずである。
もっと言うと子どもたちのことが見えていないし、さらに言うと見えていなくとも少しも差し支えなく、彼らのように教育的に子どもを育成することに関与する仕事は成り立つということである。こういう実態がいつまで続いていていいものだろうか。
 
 
あとがき
 
 これは「泡立つ子どもの世界 源流論」のまとめにあたる記述である。これをもって「源流論」の締めということになるが、当事者としてはまとめたというよりはどこか部分、部分を抜粋した感じがある。「源流論」で展開したうち、ここに記述されなかったところも多くある。ただ、全体を通してこれが実力的に生活的に精一杯であった。
 内容的にはおわかりのように、幾人かの著名な著者たちの考え方を借用して出来上がっている。これをさも全てが自分の考えであるかのように配列したようなものだが、ただ全ての著者たちの考え方を心の中で何度も転がして、自分の血となり肉となるほどに咀嚼した上で、ここに借用してきたものであることを一言ことわっておきたい。そもそも自分で発明したものなど自分の中にはひとつもないことは先見的(最初から分かりきったことという造語)なことだと思っている。
 以下に思い出す限りでの影響を受けている著者名を挙げておく。
 
 吉本隆明
 三木成夫
 山本哲士
 養老孟司
 E・H・エリクソン
 トマス・バーニー
 
平成二八年四月七日