『母型論』にみる「心と言語」
 
   はじめに
 
 以前、心とは何かについて、解剖学者三木茂夫の著作から多くの示唆を得て文章を書いたことがある。心は深層、あるいは核のところで内臓の働きや動きに起因するもので、さらに体壁系の感覚器官の働きや動きが相まって形成されているというのがその時の理解だった。もちろんこれにヒトの脳の発達がなければ、私たちは現在のようにこの心の存在を意識できなかったということになる。
 三木によれば、内臓は「食と性」を本質とする器官で、体壁系の感覚器官はその目的を遂げるための手段の系に属している。そしてその体壁系の器官は内臓=「食と性」の目的を遂げるために配備されたものと考えると分かりやすいということだった。脳もまたその延長にあると考えれば考えやすい。
 こうした仕組み一切はまた、「生命」の戦略の上にあると言ってもいい。要するに「生命」が保持されるために飽くなき新陳代謝が繰り返されなければならないのだが、すべての生物の営みには日々自己を更新しなければいけないという命題が隠されている。「食と性」は個体としての自己の更新と、類としての更新すなわち繁殖にかかわる問題で、両者は生命あるものの活動の根幹に関わっている。
 ところで、ことほど重要な「食と性」の器官である内臓の動きや働きが心の本源(植物的本能)であるとして、これだけではあくまでもヒトの心以前の状態であることは言うまでもない。これに先ほど述べたような体壁系の感覚器官の働き(動物的本能)や肥大した脳の働きや作用が関わって、はじめてヒトの心と呼ばれる状態が用意される。
 普通私たち成人は心の表現としてことばを使いこなす。ことばで心の様子や内容などを表そうとしている。歴史的に層を重ねてきた現在のことばに未熟で舌足らずな子どもたちは、そのかわりであるかのように、たとえば喜びいっぱいの表情とか笑顔あるいは戸惑いや恥じらいといった表情で、内在する心を表現していると考えることができる。もっと幼い幼児、あるいは乳児になるとどうかといえば、身体的表現にも不慣れで、心自体がまだ未明の中にあるように観察される。これを乳幼児から大人へとの発達の順に考えると、はじめに内在するだけの萌芽としての心が、しだいに明確な輪郭を持ちながら外とのコミュニケーションへと向かっていくものであることがうかがい知れる。
 吉本隆明は『母型論』(1995/1)のなかで心的な異常や病気の由来を言語以前の心の考察の過程から説き進めていて、これは心についてより一般的、概略的な理解と把握をしたい欲求を持つ私にとっては刺激的な論考だった。その表現しているところのおおよそを理解し、共感を覚えたり、分からないでいたところがはっきりしたような気がしたり、読み返す度に自分自身が心及び心と言語の不可分の関係、また言語の獲得の過程を掴むことに肉薄しているように思えたりした。これを自分なりに整理し、自分の了解できたところまでをまとめて、ことばとして表現できないだろうかと考えた。心の発生から言語を獲得した心の段階までを掴めたら、一応納得めいた気分が持てそうな気がする。そのために、幾度となく読み込んだ『母型論』ではあるが、今回ははじめに心と言語に関連する項をメモを書き留めるようにしながら迫ってみたいと思う。
 順を追って『母型論』を読み進めてみる。はじめに題名と同じ「母型論」と冠した項がある。
 
 
  母型論
 
 胎児、そして出産後一年くらいの乳児にとって母親(母親代理)は生命維持に欠かせない絶対的な存在だ。受胎後、胎児は母親の胎内で成長する。胎児の顔が魚類から両生類や爬虫類、ほ乳類のおもかげからヒトらしく変化していくときに、体内の臓器、各器官等も進化をなぞるようにしながらヒトらしく備わってくる。つまりはじめからヒトになっていてそれがただ極小だというわけではない。たとえば胎児の心臓は、受胎後三十六日目あたりにそれまで魚のおもかげを宿した左右の隔壁のない心臓から、隔壁ができてさらに私たち人間の心臓へと微妙な変化を遂げていくとされている。
 受胎後七〜八か月では意識が芽ばえ、八か月すぎには母と子のきずなが完成される。ここから出生後一年くらいの間に、「母の形式は子どもの運命を決めてしまう」、と吉本はこの項の冒頭で主張している。何がどのようにしてそのようなことが言えるのか、詳細は本文を読んで貰うのがいい。私の大ざっぱな理解では、出産前後のこの時期に胎乳児の「無意識の核」が、直接的には庇護者である母親(母親代理)との関係から形成されるためだと読めるように思われた。
 
外の環界の変化を感じて母親の感情が変化すると代謝に影響するため、母と子の内コミュニケーションは同体に変化する。母親が思い、感じたことはそのまま胎児にコミュニケートされ、胎児は母親とほとんど同じ思いを感じた状態になる。これは完全な察知の状態にとてもよく似ている。これが胎乳児の無意識の核の特徴になるといっていい。ただ母から子への授受がスムーズにのびのびと流れるかどうかは、べつのことだといえる。母の感情の流れは意識的にも無意識的にも、すべて無意識になるよう子に転写される。わたしたちはここで感情の流れゆくイメージを暗喩として浮かべているのだが、母から子への流れが渋滞し、揺動が激しく拒否的だったりすれば、子は影響をそのまま受ける。影響の仕方は二極的で、一方で母の感情の流れと相似的に渋滞、揺動し、拒否的であったりと、そのまま転写される。だがこの拒否状態がすこし長い期間持続すれば、あるいはもう一方の極が子どもにあらわれる。ひとことでいえば無意識のうちに(もともと無意識しか存在しないのだが)母からの感情の流れを子が<作り出し>流線を仮構することだ。後年になって人が病像として妄想や幻覚を作るのは、この母からの感情の流れを<作り出す>胎乳児の無意識の核の質によるものとかんがえられる。たとえば被害妄想では、加害者は<作り出さ>れた母の感情の流れの代理者だ。この代理を演じるのは母、兄弟からはじまって親和した者また偶然の人物のばあいには、この人物の親和した表情、素振りを、加害者に仕立て上げて感情の流れを作り出し、それを被害者として受け入れるものとかんがえられる。(太字は佐藤)
 
 ここを読むと、胎乳児の言葉以前の心の考察の向こう側に、成人の心的な異常や病気の発生の源流への、吉本のまなざしが込められていると理解されよう。
 かつて母親の胎内にいることを経験しながら、私は何一つ取り出せる記憶を持ってはいない。だからここで言われていることが事実であり、また実証できるものであるかどうか分からない。たぶんできないことだろう。ただイメージとして、母体の側に異常なほどの変化が生じれば、母親の感情の起伏や心理の流れが、臍帯を通じた血流の変化や子宮の収縮などとして、何らかの形で直接胎児に影響するだろうということは理解されそうに思う。体内での母子の閉じられた交通はここで「内コミュニケーション」と呼ばれているが、私にはたいへん想像をかき立てられることばだ。吉本は、「内コミュニケーションとは、考想察知、超感覚、思い込み、早合点、誤解、妄想、作為体験などに開かれている」と述べている。体内における母親との無意識のやり取りの結果として、後年、こうした可能性に結びついていくことを述べたものだが、逆に言えば、考想察知や超感覚や思い込みや妄想などは、元々の原因をここに措定するほかないことを言っていることになると思う。
 勘が働くということばがある。あるいは山勘、勘で分かる、動物的な勘などと日常使うことがある。これなど、胎児が環境としての母体の異常、たとえばそれが血流の変化に表れたとして、胎児にしか分かりようがない形で察知していることは間違いないのだが、後年勘と呼ばれるそういう能力が作用しているのではないだろうかと私には想像される。五感では感じないことを感じとる一種の感覚、ひらめき、そういうものに近いものとして私は「内コミュニケーション」を理解しているのだが、その内コミュニケーション能力は例えば透視とか未来予想とか、そうしたまだよくは分からないものの能力の根拠にもなるものではないかと思う。極端に言うと、羊水のなかに存在したときの、身体全体で察知したときの未分化の了解機能。
 こういうところから私は人間的なすべては胎乳児期に原型が完備されていて、以後はただその原型の延長上に複雑化、異質化、覚醒化されていくものではないかと考えてしまう。
 無意識の核はだが内コミュニケーションによって形成されるばかりではない。出産後、
 
 外コミュニケーションに転じたばかりの胎乳児は、授乳の時の口腔による接触、乳首の手による感触、乳房のふくらみ、乳汁の味覚、臭いなどを世界環界のぜんぶとみなすことになる。
 
 これは現在というよりも少し前の日本の社会における母子の光景であるかも分からない。特に古き良き日本の習俗では、乳児は極端な母親依存、母親への親和が形成される状況にあった。そしてここでもまた母親の意識的無意識的な感情、心の「写し」や「刷り込み」が乳児との間に行われ、無意識の核の形成に関与することになる。「世界環界のぜんぶ」という言葉から、私には出産後の、比喩としての羊水の中状態というイメージが浮かんでくる。後年、私たちは大なり小なりその世界に辿りつこうとしてか、その世界から逃れよとしてか、生涯を費やすものだという見方も出来そうな気がする。
 この時期、母親がどのような心的状況にあるかは千差万別であろう。個人的にたとえば私の妻が出産するときの心境がどうであったか、私自身その当時よく考えていたわけではない。生活にゆとりがあり満ち足りていれば、スムーズな授乳や養育がなされたのかもしれないし、内心に不満や不安に満ちた日々を過ごしていたのであれば、そのようなものとして子に「写し」や「刷り込み」がなされ、子どもの無意識の核の形成に傷や不安定さ、コミュニケーション的な障害などをもたらしているのかも知れない。
 ところで、ここで「外コミュニケーション」の言葉が出てくるのだが、「内コミュニケーション」との違いは出産前か後かの単純な違いのように思われる。簡単に、胎内での主に母胎とのコミュニケーションを「内コミュニケーション」と呼び、出産後個体として生み出されて主に感覚器官による外界との交流を
「外コミュニケーション」と呼ぶと、ここでは理解しておくことにする。少し付け足しして推理するところを述べれば、「外コミュニケーション」には体壁系の感覚器官が主に機能するところから、「内コミュニケーション」では植物性の内臓器官の機能が関係するかのように考えられる。内臓器官そのものの働きや作用とまでは言い切れないとしても、何らかの関わりがあるに違いないと推定される。
 一項めの「母型論」においてはこの後、胎乳児の無意識の核が形成される過程で、母親の感情や心理の流れが圧倒的な形で胎乳児に「転写」「刷り込み」されるものであり、後年の心的な異常や病気がそこに発症の根拠を持つことが丹念に展開され、記述されている。これもまた母と子に閉じた「内コミュニケーション」そのものでもあろうが、その部分についてはとりあえず読み流して先に進むことにする。
 
 
   連環論
 
 わたしたちは生誕のあと一年未満の乳児の過程、この過程に異和がうまれることが、乳児の前言語の状態になにをもたらすか、そして前言語の状態とはほんとはなにかについて、もう少し繊細にかんがえてみたい。そのために乳児が母親(代理)と栄養からもエロスからも接触するただ一個の器官といっていい口(腔)、口(腔)のなかの舌、その感覚(味覚)、歯それにつづくのど、食道管、気管などの機能の意味をはっきりと手に入れておきたい。それと一緒に口(腔)の周辺におかれた鼻(腔)の気道や嗅覚器としての機能もまた一つの意味をもって、前言語の状態、その異常に関わりをもつとみなすことにする。
 
 冒頭にこう述べているこの項は、基礎となる発生学的な知識を三木茂夫の著作から得て考察が進められていると思われる。冒頭に述べたとおり、私は実際に三木茂夫の著作、それも一般の読者が手にいれられるかぎりの著作に目を通している。だから、吉本の発生学の知識がそこから来ていることがよく分かる。そして第一節ではこの発生学の知識を基礎におき、人間における雌雄の性行為と乳児が母親から乳頭を介して栄養を摂取する行為を、同致する行為あるいは行為の同調を遂げているとみなす論が展開される。ここで吉本が発生学に付加している考察はその一点だといっていいと思う。
 
 母親と乳児との授乳行為を媒介にした直接の栄養摂取の起源の形と、それに二重化した性的な行為の感覚(エロス覚)との同致、その異常の実態に接近するために、わたしたちはなお、口(腔)の周辺の感覚性についても、発生学の知識を与えられていなければならない。
 
 二節の始めの記述である。
 この後の展開は、主に鼻や肺を介した呼吸作用や鼻の嗅覚機能との関連などがとり上げられている。
 まず呼吸作用についていえば、どんな生き物についても本来は一定のリズムで、スムーズに呼吸し続けられることが自然だということがいわれている。例えば魚類のえら呼吸や植物の呼吸がそうであるように。しかし、動物一般は上陸して肺呼吸となり、この呼吸運動は手足を動かすときに使う動物筋肉にゆだねられることとなった。その結果、簡単に言うと私たち人間では、日常の立ったり座ったりでも、あるいは考えながらパソコンのキーを打ったりしているときなどでも、息を一瞬止めたり詰めたりしている。その間、呼吸は止まってしまう。ことばを話すこともしかり。いわば自然でリズムが一定であるべき呼吸を犠牲にして私たちヒトの心身の行動は成り立っている。このことは音声言語の発生に直接関連することであり、ふだん気にしないですんでいる呼吸行動の特殊性(発語を含む)はあたりまえのようでいてあたりまえではない。
 鼻は呼吸のために肺に送る空気を取り込むとともに、嗅覚機能を持った感覚門でもある。ここでも例えば吸い込んだ空気に刺激臭があれば、一時的に呼吸が中断されるようなことが起こりうる。吉本はこういったところから、「帰するところは植物的な内臓系と動物的な感覚をつかさどる体壁系の筋肉や神経と、脳中枢への伝達などが、どこかで交叉できているからだといえそうだ。」と推論する。そして「またこの機構に異変をきたせば統御の機構はくずれ、いったん指令された行為は、その行為の根拠である生命代謝そのものと矛盾するまで続行されてしまう。」と述べ、ここに分裂病者の、金だらいのなかの水に呼吸門を浸して自殺できる根拠を求めている。また、
 
嗅覚はいわば呼吸に対応する体壁感覚の生命=性の起源(エロス覚)のいちばん本質的なかたちなのだといっていいとおもう。呼吸器官のどこかで定常状態が破られれば嗅覚はそれに照応して鋭敏になる。また吐く息と吸う息のリズムは乱れる。さらに嗅覚は吸う息の異変を幻嗅として創出することができるようになる。酸素摂取のための吐く息と吸う息のリズムがとりもなおさず嗅覚にとって性的なエロスの過程なのだ。
 呼吸を介してみるとすれば自然な植物性の内臓呼吸を意志的に、あるいは意識的に切断したり追いつめたりすることで得られるヒトの個体の心身の行動は、どこまでも内臓呼吸を体壁の意識的な筋肉と神経につなげ、この意識的な呼吸の統御が優位になって行く過程を、ヒト的な過程とみなすことになる。ヒトが呼吸作用を介してなにかを言おうとすれば、それは人為的に呼吸が統御されたものを指すことになる。
 
と続けている。「この意識的な呼吸の統御が優位になって行く過程を、ヒト的な過程とみなすことになる」という文は三木茂夫の「人間の心身の行動は呼吸を犠牲にして成り立っている」という言葉とともに、覚えていた方がよい。私はそう思っている。また、これに続けて禅の呼吸法についても言っているが、これが正反対に「動物性の筋肉や神経で統御される感覚部門を遮断し」、植物的な呼吸を修練で行うという指摘は理解できるものの、禅自体とその効用、ここで指摘されている分裂病や精神薄弱の現象をこの呼吸法で「根底から絶ちきる」などのことについて私はよく分からない。
 引用の部分で他に気持を引かれるのは、「酸素摂取のための吐く息と吸う息のリズムがとりもなおさず嗅覚にとって性的なエロスの過程なのだ。」というところだ。こういうところは三木茂夫の著作にはなかったところだ。三木は身体をベースに心や精神の発生に触れたが、エロスに言及したところはなかったという気がする。エロスといえばフロイト的世界と私は思ってしまう。実際吉本はフロイトから影響を受けていて、以前からフロイトの考察を引用した文章も多く発表している。ここでは三木茂夫の世界とフロイトの世界とが結びつけられていて、結びつけたのはもちろん吉本のオリジナルだという気がする。知見の狭い私なので自信はないが、ほかで見聞きしたことがない。乳児の心の形成と言語の獲得にエロスがどう関わるのか、たぶん関わるに違いないと思うのだが、とりあえず次の三節に進んでいく。
 
でもわたしたちがヒトの<心>とか<精神>と名づけてきたものの性質やその働きは脳の一般的な働きと同一ではない。何を<心>と呼び何を<精神>と名づけてきたかは、げんみつにいえばあいまいで、個体によっても個別の文化の基層のちがいでも、まちまちでありうる。ただ<心>とか<精神>とかと呼びならわしているものが、発生的にいえばいままでたどってきた植物性の器官と動物性の器官の運動や自然な律動のうえに、ヒトの特質といえる肥大した大脳の皮質の、いつも自己距離を微分化し、覚醒している運動のうえに三つ巴に総合された建物だということは確かだといえよう。(中略)
 たとえば体温を定常状態(三六〜三七)にたもつために血液の流れは交感神経によって調節されている。いまヒトが何かショックをうける事態にぶつかったとすると、循環系の大元の心臓の動悸は高鳴ってドキドキし、乱れたりする。ほんらい植物系の自然な支配にあるべき血流が、交感可能な神経の支配をもうけて、外界のショックに交感し、血流を早めたり、つまらせたり、乱れさせたりするからだ。<心>が恐れたり、驚いたり、喜んだりといった言い方で、わたしたちは<心>の感情を指したりするが、こういう言い方の状態に入りこんだとき、心臓の植物神経と交感神経(あるいは交感しうるようになった植物神経)の動きの状態から、<心>の動きの状態を指すところに跳出しているのだといえる。この微分的な跳び移り(転移)が<心>とか<精神>とか呼んでいるものの発生の起源だといっていい。これは言葉で指すことも証明することもできないが、経験や実感、もっと無意識のところでは、誰でも<心>が高揚したり、驚いたり、恐怖したりしているあるひとつの感情状態と心臓の動悸の異変とが対応する状態を知っていることになる。では何によってこの状態を知っているのか。規範をつくることができないために、はっきりとした輪郭をあたえられない前言語的な内コミュニケーションによって、この状態を指すよりほかないようにみえる。たとえば乳児は出生後一年ほど言葉をもたない、規範的な輪郭をつくれぬ状態とは、そんなに重要な問題ではない。輪郭をつくれぬために内コミュニケーションが植物神経系や交感神経系をつかって内臓器質的につくり出され、それが微分的に<心>や<精神>を感情の動きとして跳出させる発生機(ナッセント・ステート)の状態をつくれることが重要なのだ。
 
 最初の部分では三木茂夫の「心」観がそのまま踏襲されているように思える。わたしもまた三木茂夫の著作に語られる「心」観に納得させられた経験を持っている。そしてその上で、吉本がここで三木の「心」観に何を付加しようとしているかについても、よく分かるような気がしている。
 簡単に言ってしまえば、三木茂夫が考察した「心」観をベースに、三木が言及しなかった、言語との関連、あるいは心的異常や病気との関連に発展させて吉本は自らの「心」観を見通しよくさせたいと考えているのだと思う。
 私の拙い理解をあえて要約して言ってみれば、三木茂夫は生命の起源に近いところにある植物器官を源として、後から備わった動物性の器官がしだいに植物器官を浸食し始め、ついにその影響を植物器官にまで及ぼすまでに発達したところから植物性の内臓器官と交叉する連絡が付けられるようになり、それが脳を介してヒトの「心」的な状態を準備するようになったと論じていたと思う。これを表すのに吉本の引用した文章は腐心の後を留めている。「跳出」、「微分的な跳び移り」、「内コミュニケーション」等の言葉にはその苦心の跡が見える。
 
誰でも<心>が高揚したり、驚いたり、恐怖したりしているあるひとつの感情状態と心臓の動悸の異変とが対応する状態を知っていることになる。では何によってこの状態を知っているのか。規範をつくることができないために、はっきりとした輪郭をあたえられない前言語的な内コミュニケーションによって、この状態を指すよりほかないようにみえる。
 
「<心>が高揚したり、驚いたり、恐怖したりしているあるひとつの感情状態と心臓の動悸の異変とが対応する状態を知っている」のは、自分の内部的な状態を自分の内部で把握することであり、このように知ったり把握したりする(より正確に言えば感覚的にとらえている)状態を「前言語的な内コミュニケーション」といってみるより仕方ないと吉本は考えているように思える。単独で「内コミュニケーション」とは何かと考えてみてもはじまらない。定義できにくいものをそう称している言葉なのだろうと思う。そして「内コミュニケーション」は規範(輪郭)のない常に前言語的状態で作用する交通、もしくは通じ合いといえる。
 
輪郭をつくれぬために内コミュニケーションが植物神経系や交感神経系をつかって内臓器質的につくり出され、それが微分的に<心>や<精神>を感情の動きとして跳出させる発生機(ナッセント・ステート)の状態をつくれることが重要なのだ。
 
 植物神経系や交感神経系をつかって内臓器質的に作り出されるのは、内コミュニケーションであり、またこの内コミュニケーション微分的に<心>や<精神>を感情の動きとして跳出させる発生機(ナッセント・ステート)の状態をつくるということがここで言われていることだ。
 ここまで来ると、先に考えた「外コミュニケーション」が出産後で、「内コミュニケーション」が胎内で行うコミュニケーションという考えは訂正しなければならない。いま推定できるのは、ここで言われているところのコミュニケーションには、前言語的な内臓器質的に作り出された段階の「内コミュニケーション」、この段階を越え、言語の獲得に向かうとともに獲得されてそれを行使するところの「外コミュニケーション」の二つがあり、場合によっては個人のなかに「内コミュニケーション」が生き続けて作用する例があることも推測される。
 ところで、「ヒトの行動は身体運動や意志の働きもふくめて、すべて呼吸の犠牲の上に成り立っていて、自然な呼吸を妨げることなしにヒトの心身の行動はありえない」とは三木茂夫の言葉だが、これに示唆を得て吉本は次のような音声あるいは音声言語発生の力学に迫っていく。
 
 この状態には音声の側からも近づくことができる。本来は植物性のリズムによって営まれる呼吸の作用は、無意識でも意識してでもいいが、緊迫した外界の場面に出会ったとき、詰められたり、停止されたり、停滞したりすることで、リズムは乱される。その挙句には吐息のように吐き出されたり、勢いをもって呼びだされたり、憤りをもって断続させられたりする。この呼吸が植物性から動物性の感覚神経にゆだねられ、ある呼吸リズムの規範に近づいたとき、いいかえれば脳へいたる感覚神経系に共通した刺激通路をつくることができるようになった長い世代の音声リズムに共通性を見出したとき、この呼吸リズムの強弱や断続や間のとり方の独自さと偶然とは、前言語的な共通の規範とでもいうべきものを手にいれたとかんがえることができる。ここまでくれば、呼吸作用は限りなく内コミュニケーションを呼吸または声として成り立たせていることが分かる。
 
 前の引用では血流の乱れが、後の引用部では呼吸作用が、同じように本来の自然な植物的リズムで営まれるべきところを動物的筋肉や神経の支配、あるいは浸食によりリズムが乱されるとともに交感が交叉して、長い年月の間に(ということは幾世代も重ねた経験の累積のすえに)内コミュニケーションの手段につながっていくことが指摘されている。そしてこちらは<心>や<精神>の発生機の状態ではなく、言語成立の手前の前言語的な状態をつくるものとかんがえられているように思われる。そして、この節と項の結びでは、
 
言語状態の発生が呼吸器系統、いいかえれば口(腔)、鼻(腔)、気管、肺の自然なリズムの分節化に由来するだけではなく、内臓、たとえば心臓や胃の交感神経系のリズムの異変からもたらされる<心>の内コミュニケーションの発生にも由来している
 
のではないだろうかと、呼吸作用の変質から生み出された声と内臓系からくる心の動きとの二つからもたらされる内コミュニケーションを言語状態の発生に関連づけている。もちろん、発声の準備状態が整ったからといって、一挙に音声言語の発生に直結するわけはないから、心の内コミュニケーションも介在するというこの推論は妥当だと私には思える。そして、言語をもたない乳幼児がそれでも何事かを訴えかけようとする仕種のように、そこには言語発声の意欲がどこかからやってこなければならない。吉本はそれを、内臓に由来する<心>の内コミュニケーションに起因する、と考えているような気がする。
 ここまで来て、私には乳児が何事かを訴えかけるかのように、時には体全体を揺するようにして片言の音声を発する場面を思い浮かべる。その時乳児の心的世界には、言語を獲得する以前の感情や内コミュニケーションやらが混沌と渦巻いていて、呼吸に係わる筋肉や神経や器官などと一緒に意味ある音声言語の発声にむかって集中の度合いを高めているに違いない。それはおそらく私たちが想像できる以上の集中の度合いを必要としていて、また一瞬のうちにマックスに達するような集中の仕方でなければならないと考えられる。比喩的にいえば前言語的な段階にある乳児は、心的な上陸を目指し、自己超克的な努力というか葛藤というか、それらを繰り返す日々を送っているといえよう。私はそこに、かつて脊椎動物の祖先であった魚類が海から陸に上がったときの、肉体や呼吸の仕組みに強いられた改造のドラマに匹敵するような、過酷な生き残りの劇が演じられていると想像する。そしてその過程をスムーズに潜りぬけて言語を獲得してきたものたちだけが、この社会にごく当たり前の生活者として今を生きていられるという気がする。逆にいえば、この時期に私たちは最初で最後の失敗や挫折が待ち構える関門に突き当たっていると言えるのかもしれない。
 
 
   大洋論
 
 心と言語の発生から成立までの過程がイメージできるところまでに近づいてきている気がする。だが、もうひと足で届くように思いながら、その先に深い谷底が横たわっているように感じられることも確かだ。到達点が間近にありそうでいて深い靄のなかに隠れている。これは三木茂夫の著作を読みあさったり、自分なりに学んだことを「心の現在」としてまとめた後でも感じていたことだった。
 この項の一節のはじめには、人間が音声を発するために使う諸器官の構造は種族や民族を越えてほぼ同一であるとして、同じように種族や民族を越えて共通する要素は母音であるという指摘がなされている。そして、
 
 わたしたちはここで、種族語や民族語の差異を超えた母音の共通性を、ヒトの類としての共通性に対応するという仮定にたてば、その共通性は咽頭(腔)(のどぼとけ)から口(腔)や鼻(腔)にかけての洞腔の構造が同じということに帰着するとかんがえるのが、いちばん理に適っているようにおもえる。そしてこの仮定はもっとさきまでおしすすめることができる。
 ひとつは母音は波のように拡がって音声の大洋をつくるというイメージだ。そして母音が咽頭(腔)(のどぼとけ)から口(腔)や鼻(腔)までの微妙に変化する洞腔のあいだでつくられ、発音されたにもかかわらず、大洋の波のような拡がりのイメージを浮かべられる理由は、この母音が内臓管(腸管)の前端に跳びだした心の表象というだけではなく、咽頭(腔)(のどぼとけ)から口(腔)や鼻(腔)の筋肉や形態を微妙に変化させる体壁系の感覚によってつくり出されるものだからだ。いいかえれば母音の大洋の波がしらの拡がりは、内臓管の表情が跳びだした心の動きを縦糸に、また咽頭(腔)(のどぼとけ)や口(腔)や鼻(腔)の形を変化させる体壁系の筋肉の感覚の変化を横糸にして織物のように拡がるため、大洋の波のイメージになぞらえることができるのだ。
 
 ここであっさりと、「母音の大洋の波がしらの拡がりは、内臓管の表情が跳びだした心の動きを縦糸に、また咽頭(腔)(のどぼとけ)や口(腔)や鼻(腔)の形を変化させる体壁系の筋肉の感覚の変化を横糸にして織物のように拡がるため、大洋の波のイメージになぞらえることができるのだ」と言われても、それを読むこちらにはそう簡単にイメージできることではない。当然大洋の波のイメージには個人差があり、また、なぜそういうイメージでとらえる必要があるのかさえ皆目見当もつかない。もっと言えば唐突すぎるという感が否めない。だが、吉本のいうこの「大洋の波のイメージ」が全くイメージできなければ、これらの文章の細部をどんなに理解しても「母型論」、その中でも言語以前の心から言語を獲得するまでの心的な過程までを、読み解いて理解したことにならないのではないかという気がする。
 引用箇所の少し前に、いろんな種族語や民族語の母音が、言語の原音のバリエーションだという指摘があった。ということは逆に民族で異なる数ある母音はすべて原音の範疇に入ると考えてよい。そしてこれは内臓管の聴覚的な表情を縦糸に、体壁形の筋肉の感覚の変化を横糸に織物のように拡がっていくものだから、大洋の波のイメージになぞらえることができるとされる。原音としての母音が、すでに波のように拡がって音声の大洋をつくっているということは、言語の海域とでもいうべき領域がこの時共時に決定されてしまうことを意味するのではないのだろうか。子音をはじめとして、母音と子音との組み合わせで出来る様々な民族語や種族語としての言葉は、この大洋のなかに生まれそして消失する波であるのかも知れない。だがこのあてずっぽうは、やはり単なるあてずっぽうにしかすぎないようだ。
 
 大洋のような母音の音声の波の拡がりは、それ自体で言語といえるだろうか?ごく普通にいえば、内臓(腸管)系の情感の跳びだしである心の動きと、喉頭(腔)(のどぼとけ)から口(腔)や鼻(腔)にかけての管状の洞腔の筋肉の動きの表出である感覚の変化から織りあげられた母音の波は、「概念」に折りたたまれた生命の糸と出合えないかぎり、言語と呼ぶことはできないはずだ。
 
 この項の二節の始まりにはこう述べられている。これで即先の私の推量が完全に否定されるものではないが、吉本の言う大洋の波のイメージとはどこか食い違っているようだ。だが今はそのことに固執していられない。ここで「概念」の言葉が出てきたからだ。とりあえず先を追っていくことにする。
 が、しかし、「概念」の文字はここだけで、このあとは母音を言語脳(左脳)で聞く旧日本語族やポリネシア語族と、母音を右脳(非言語脳)で聞くそれ以外の語族の話が展開する。簡単に言うと、旧日本語族やポリネシア語族は自然現象がもたらす音を言葉として聞く習俗のなかにあり、母音もまた自然音と同じく意味ある言語のように左脳優位で受け取られる世界らしいということだ。これは角田忠信の『脳の発見』に表される研究の成果に依拠してなされた考察の結果だ。
 前言語的な段階でのこの二極化は、私には悩ましい。とりあえず吉本はわれわれの言語のもとになるかと思われる旧日本語族やポリネシア語族について考察していくようであるし、わたしもまたその後を追っていくほかはない。次の三節は短めで、しかも内容は濃く要約してすますこともできそうにないので、ほとんどになってしまうがここに引用してしまおうと思う。
 
 第一に、乳児は鰓腸の内臓感覚が  一面にひろがった顔の表情面を  押しつけて、母親の乳房の肌触  りを四六時中、典型的にいえば  一年のあいだ毎日のように体験  する。
 第二に、乳児の舌と唇には内臓系  の鰓感覚である味覚の蕾によっ  て母親の乳汁の味を知りつくし、  同時に体壁系の舌の筋肉の微妙  な動きで乳頭をとらえ、また乳  房の表面をなめまわす感覚を体  験する。
 第三に、乳児の手は授乳のとき母  親の乳房を撫でたり把んだりし  て、触覚によって乳房の形を確  かめている。
 第四に、口(腔)の周辺の嗅覚器  である鼻(腔)は、母親の匂い  や乳汁の香にひらかれるし、目  はま近の距離で母親の乳房を環  界の全体のように視たり、すこ  し距離をおいて母親の顔の表情  を読みとったりしているとみな  される。
 
 素因子としていえば、すくなくともこれらの内臓系の感受性からくる心の触手と、筋肉の動きからくる感覚の触手とは、大脳の皮質の連合野で交錯し、拡張された大洋のイメージを形づくっているとみなすことができよう。この大洋のイメージの拡がりは、少しも意味を形成しないが、その代わりに内臓(その中核をなす心臓)系の心のゆらぎの感受性のすべてと、感覚器官の感応のすべてを因子として包括していることになる。この拡張された大洋のイメージは、言語に集約されるような意味をもたず、それだけで意味を形成したりはしない。だが、それにもかかわらず心の動きと感覚のあらゆる因子を結んだ前意味的な胚芽の状態をもっている。そこでは顔の表面と舌や唇と手触りのすべてが触覚を形成し、この触覚の薄れの度合いが距離感として視覚と協働している。嗅覚の薄れの度合いもまた距離感や空間の拡がりの認知に、無意識のうちに加担していることになる。おなじことを心の動きについていえば、この内臓系の感受性の薄れの度合いは、記憶という作用に連合しているとみなせる。感受性の薄れの度合いの極限で、心の動きは記憶として認知されるといってもいい。もうひとつ発生学者の考え方から汲みとるべきことがあるとすれば内臓感覚には自然な自働的なリズムがあり、これは心音や呼吸のような小さな周期のリズムから、日のリズム季節のリズムまで多様なリズムを表出し体壁系の感覚もまた睡眠と覚醒のようなリズムをもち、これは心の動きに規範をあたえることに加担し、やがて大洋のイメージが意味形成に向かうことにつながってゆく。(太字は佐藤)
 
 三木茂夫の『心とからだ』や『内臓の働きと子どものこころ』などの著作にみられた世界が、ここでは言語に結びつけられる道筋のなかで取り上げられている。
 三木は授乳時をふくめた母親と乳児のあいだの濃密な時間のなかで、いったいどんなことが行われているか乳児の側に立って発生学的に開示して見せてくれた。わたしたちが、ただただ微笑ましく感じながら眺めているに過ぎないそのかたわらで、乳児たちはあらゆる感覚を総動員しておっぱいにしがみついているといっても過言ではない。顔の皮膚感覚、指での接触感、匂いや香りを受け取る嗅覚、また視覚や聴覚もフルに稼働しているといっていいのだろう。そしてそうした全体でとらえたものを配列し直すようにして、距離感や空間の拡がり、形状の認知、等々の構築経験を蓄積していく。また吉本はさりげなく触れているが、心の感受性の薄れの度合いは、逆説的に聞こえるが実際には記憶という作用に連合しているということも、驚くべきメカニズムだと私などは考えきたところだ。その事実や研究は学者、科学者の諸先生に任せるとして、こうした乳児の成長過程に起こるいっさいが、吉本の言うところの大洋のイメージを意味形成の岸辺に押し上げていくとされている。そしてそれは大脳皮質の連合野で起こっているであろうとイメージされる世界だ。
 次の第四節では、母親と乳児のあいだに交わされる「アワワ」言葉と擬音や前意味的な音声が、段階的に意味形成の途中になるものとして取り上げられている。これらはまだ母と子に閉じられていて、意味をつくっている現在的な言葉を子は感受できない。
 
 この大洋的な心の動きと感覚の動きとが織り出すイメージの世界には、このイメージに対応できるような「概念」の凝集された天抹線が生まれてこなくてはならない。これを母親と乳児との関わりのところで小鳥を例にいえば、乳児が大洋のイメージのなかの小鳥と、空をとぶ実在の小鳥と、紙のうえに描かれた小鳥とを、同じ小鳥の「概念」として同定できるようにならなくてはならない。だが母親の乳房をなめまわし、触れたり、嗅いだり、味わったりした感受性と感覚の胚芽ともいうべきものの体験は、次の段階ではこの「概念」の同定を容易にするにちがいない。第一段階の「アワワ」音声の水準も第二段階の擬音や前意味的な音声の段階も、この第三の段階にきて言語としての意味形成にむかうことになるが、それと同時に大洋のイメージの世界は、その特色のうち、とても重要とおもわれる波動を失ってゆくことになる。
 
 たいへん面倒な指摘だし、分かりにくい言い回しになっている。こういうところは三木茂夫の文章にもあり、同じように掴みにくかった記憶が残っている。それでも細部の理解にこだわらなければ、概要として言っていることは分かる気がし、直観的に正しいと納得できるところがある。ただ、たとえば
 
だが母親の乳房をなめまわし、触れたり、嗅いだり、味わったりした感受性と感覚の胚芽ともいうべきものの体験は、次の段階ではこの「概念」の同定を容易にするにちがいない。
 
と説明されても、どうしてそうなるか(どうして次の段階で「概念」の同定が容易になるか)は煙に巻かれたと同じで、この文章からだけではよく把握し得ない。ただ乳児のいろいろな経験の蓄積が脳内の連携や精度の向上に結びつき、つまり脳の発達をも押し進め脳内での前言語的な概念形成がなされていくと考えられる。分からない箇所は今ひとつある。
言語の意味形成にむかっているとき、大洋のイメージの世界が「その特色のうち、とても重要とおもわれる波動を失ってゆく」という指摘だ。この波動が具体的に何を指すのか、吉本は言及していない。というか、故意にそのものにベールを被せているようにさえ見える。この時点で私はそれをエロス覚ではないかと推理するのだが、後になってその波動が何を意味していたのか明かされることになり、今はそれを明かさなければならない必然はないところからこんなもったいぶった言い回しをしているのかとも考える。それはこの段階では少しも明らかにされてはいない。
 
 
   異常論
 
 この項の一節目では、前項までの乳幼児の前言語的な段階における内面の考察に関わらせて、フロイトの精神神経症に対する考察が取り上げられ関連づけられている。
 フロイトについて私はその著作を直接に手にしたことはない。多くは吉本の『心的現象論』などの著作の中に出てくる範囲でしか知らないと言ってもいい。臨床医学の立場から、精神の世界を解きほぐした人。簡単にいうと私はそんなイメージを持っている。特にリビドー、性衝動が生命の根源に関わっており、人間の精神と呼ぶ働きのなかにも少なからず影響を与えるものだということをその著作の中で解き証した人、と思っている。精神分析学の創始者、あるいは大家という見方でいいだろうか。
 
 フロイトが見つけだしたところでは、あらゆる精神神経症のただひとつ変わらぬ源泉があるとすれば、性の欲動のエネルギーで、その流れの異常が症候を形づくることになる。そしてあらゆる精神神経症には例外なく無意識のなかに封じ込められた性の倒錯の感情がこもり、同性の人物に対してリビドーが固着しているとみなされる。
 
 神経症を神経症たらしめているのは、ヒトの根源にある性の欲動のエネルギーであり、その流れに異常がある場合神経症が形づくられる。そして神経症には例外なく無意識のなかに性の倒錯の感情が封じ込められている。 吉本はここから、「神経症の下にあまねく拡がる基盤」は「大洋」の波の動きだと考え、「大洋」の世界から症例との関連を解析してみせている。
 性の欲動のエネルギーの異常について、まず吉本は乳児における食と性の未分化について説いている。乳児がおっぱいにしがみついて乳を吸う。それは食の行為であるとともに、性の行為と未分化だとみなせると言っている。つまり二重化されて分かちがたい行為だということだ。もちろんこの時母親の乳頭は男性器に、乳児の口腔は女性器に見立てられる。ここに性と食との共時性の起源があり、成長して食と性が分離した後もなくならず、二重の層となって私たちの内臓や体壁系の動きからつくり出された心的な世界に、普遍的な性の意味を与えることに与っているという。吉本によれば、これが「内臓系の植物神経的な動きと動物系の感覚器官の知覚作用とに性的な意味を与えている素因」であり、性的意味合いが過重に重みづけられたり、エロス覚が過剰に充当されたりして異常が生じるものと述べている。たとえば、「サディズムとマゾヒズムは、体壁系に属する皮膚の痛圧感覚が、エロスとして過当な備給をうけたものとみなせる」、などというように。
 どう言ったらいいだろうか。素人の私はこういったところで私たち人間の、心身の成り立ちの不完全さを考えてしまう。ちょっとしたことで大脳皮質の連合野における神経回路が混線するとか、そのために錯覚するとか混乱するとか、そういう不完璧さがいくらでも指摘できる生き物のような気がしてしまう。
 三木茂夫はどこかで一個の臓器を例に、胎児から乳幼児への成長の過程で下手をするとうまく形成ができずに、進化の途中の、たとえば爬虫類の段階で成長がストップする例を挙げていた。それは一臓器に限らず、心的な形成の過程においても、いつでもスムーズに形成がなされていくとは限らないのではないかと私には思われてくる。それどころか、あまりにも失敗の可能性に満ちているとさえ危惧される。もっと平易に言えば、成長するとは、実は目には見えない大仕事だなと感じる。失敗は誰にも起こりうるし、失敗した責任は誰にもない。そして失敗とは実は進化における先祖の段階にとどまること(退行)を意味していて、奇形などといった言葉で差別されるべき根拠はどこにもないと思える。つまり人間の原始的な段階では、神経症的な異常さや病的なあり方は、もしかするとそういったことの方が普遍的なあり方であって、そうしたあり方の方があたりまえのように多かったのではないかとさえ想像する。少なくても人類が言語を獲得する以前の心的な世界は、乳児と同じ「大洋のイメージの世界」にとどまっていたはずだから、規範(輪郭)のないところでその生活の中の愛憎も善悪も私たちの想定できる枠組みをはるかに超えたものであったに違いない。
 さて、性の欲動のエネルギー、その流れの異常は、そもそもが食と性の共時性から心身の活動全般にわたって性的な意味を付与される人間的な成り立ちを出発点としている。そしてたとえば目の知覚作用に、共時的にエロス覚が過剰に充当されると窃視症とか露出症とかの症候として表れる。この時、どうしてエロス覚が過剰に充当されるかは言及されていないが、次の性的な倒錯の感情や同性へのリビドーの固着についての、「大洋」の世界のなかの表出の結びつき方の問題の記述と関わっていよう。
 
「大洋」は縦糸を内臓系の動きから跳出された心の動きとして、横糸を体壁系の感覚作用の拡がりとして、このふたつの糸から織られた波の拡がりにたとえることができる。そしてその原型は母親と乳(胎)児のあいだの栄養の摂取と性的な関わりから作られていることがわかる。もし何らかの理由で乳児の無意識やその核のなかに母親への栄養の摂取(と同時に性の親和)にまつわる強く過剰な固着が生まれたとする。この「何らかの理由」はもちろんよくわかっている。母親と乳(胎)児との関係で、母親の無意識と意識の側に鬱屈や抑圧や曲折があるということが「何らかの理由」を形づくっている。この場合、母親の無意識が素因子であれば「大洋」は見かけのうえで手頃なリズムを反復する波の動きでありながら、波の下では渦巻きや乱流や不斉なりズムの波が混沌としている。ただ表面からおしはかることができないだけだ。この水面下の動きは確実に乳(胎)児の無意識や前意識にそのまま「写され」また「刷り込まれ」ているとみなすことができる。乳(胎)児はたぶん言葉を獲得してゆく過程とともに、母親への過剰なエロス覚の固着をもつように成長してゆく。この乳(胎)児が幼児をへて前思春期まで達したとき無意識のなかでじぶんを母親と同一視することになり、母親にそうされたかったのにそうされなかった欠如を、じぶん自身を性の対象にして充たそうとする(ナルチシズム)か、そうでなければじぶんに似たじぶん以外の同性を対象にして母親に願望したようなエロスを注ごうとすることになる。これは性的な倒錯症のひとつの型をつくっている。また母親から嫌悪を植えつけられた乳(胎)児は、女性をすべて母親に似たものとして嫌悪と情愛をうけとり、嫌悪を消去するために同性にその愛を転嫁しようとするにちがいない。それは生涯にわたる女性からの逃避に結びつけられるとしても、本人がその理由を知っているかどうかはまったく自身ではわからないといってよい。これもまた倒錯症のべつの型をつくることになる。
 
 この節もほとんどを引用することになってしまった。
 精神神経症についてのフロイトの見解に、吉本は「大洋」の波の動きからの解釈を試みている。これまでの流れから見て、私には吉本の考察が、つまり目の付け所がずれているようには思わない。かえって文章が指摘しているところは吉本の感受性の鋭さを表しているようにさえ感じられる。にもかかわらず、私の中でイメージはなかなか結実しない。だが無理にでもイメージは押し広げていかなければならない。
 乳胎児期に、起源としての心的世界が立ち上がる。それは母親との関係が原型をつくるといってもいいような世界だ。そして言語以前の心的世界であるところから、何も生じない神話の海のような混沌が支配している。だが、その海のような混沌の世界には心と言語とエロスとが胚芽の状態のように溶け込んでいる。もちろんその世界の深層には内臓系と体壁系の各器官と大脳皮質、そしてそれらを結ぶ神経のはりめぐらしによって生じる世界が背景のように沈んでいる。遺伝的要素を除けば、出産前後のその時期に、歴史的現在までの心的な過程を濃縮して子に入力するのは、閉じられた母と子の関係の世界からでしかない。より直接的にいえば母から子へ、栄養と一緒に流し込まれる。つまり本来ならばそこまでが、子が現在的な世界に生きられるための初期的条件が準備される心づくしの時期だと考えることができる。だがそこに障害が生じやすいというのも、複雑化し高度化した人間の心的な特徴だといっていい。そして宿命的な意味合いで心的障害が生じるとすればその原因はただひとつ、吉本が大洋期と呼ぶ時期の母と乳胎児との関係の世界にそれを求めるほかはない。そしてその世界がスムーズな感情の流れに充たされていれば、ただそれだけで一次的な障害は回避されるに違いない。だがもしも母と子の関係にスムーズな交流の世界がなければ、子は異常や病気の因子を抱えたまま成長することになる。
 これまでのところから無理にでも私が自分のことばでイメージできる世界はこんなところだ。貧弱といえばその通りで、それでもこれを持って先を読み込んでいくほかに私に方法はない。
 第二節を見ていこう。ここも繰り返し繰り返し読んだが、どう読み解けばよいか迷うところだった。つまりそれはこちらの迷いの姿勢のせいで、書かれてあることが難解だということではない。それにすこし気づいて、ここでは外側から簡略に内容を紹介するに留めておくことにする。
 まずフロイトの乳幼児の性の振舞い、その異常性や倒錯についての考察の一端を取り上げ、これに対する吉本の指摘がいくつかちりばめられる。それらの細部を省いて大まかにいえば、吉本はフロイトの幼児性欲の世界に対して、もう少し緻密なステップを踏んで考察すべきだという考えを提出している。それは乳(胎)児期に「大洋」という概念を設定してここまでの考察を進めてきた吉本にとっては当然のことと思える。
 
 私たちはフロイトに釣り出されて「大洋」的な世界をいくらか無造作に超えて、乳幼児期の性的な振舞いの世界にまで言及してきた。本当は男性の乳児も女性の乳児もすべて女性的であり、同時に栄養の摂取についても受動的な世界がまず普遍的に存在し、そこから、男児と女児とに分化してゆく世界への転換を考えにいれなければ、乳幼児の性の振舞いの倒錯や異常に言及することはできないはずだ。
 
 三節の始まりの文章で、フロイトへのいわば批判めいた文章になっている。「乳児はすべて女性的であり、同時に栄養の摂取についても受動的な世界がまず普遍的に存在し」とは、言うまでもなく「大洋」の時期を指している。そしてフロイトが言うような乳幼児の性の振舞いの異常や倒錯はこの女性的な「大洋」の世界から男女に分化してゆく世界への転換、ということを考慮に入れないと誤ってしまうと指摘している。要するにこの前言語的な「大洋」を輪郭ある時期と確定せずに、幼児期とか小児期とかの中に一緒くたに入れて考えるからあいまいさを招くということだ。そういう批判の仕方をしている。
 では、すべて女性的で受動的な乳児の「大洋」の性の世界は次にはどこに向かうのだろうか。男児の場合は女性的から男性へ、女児の場合は女性的からいったん男児的を経て女性へと転換されていくと考えられているように思われる。このあたりは微妙なところで、私は自分の理解に自信が持てない。女児の男児的を経て女性へという転換の仕方は、時に男児的を省略して女性から女性へと記述されていたりする箇所がほかの文章のなかであったりするからだ。だが、この節で私が一番気にかけている箇所は別にある。先の引用の続き、
 
この転換を促すいちばん主な素因は、乳(胎)児が言語を獲得してゆく過程だとおもえる。そしてこの過程を乳(胎)児から乳幼児への性的な備給の転換に対応できると仮定すれば「大洋」の世界がその天抹線で「概念」を対象として性の備給を成し遂げる過程を思い描くことができる。
 
 もしも乳(胎)児から乳幼児への性的な備給の転換に言語を獲得してゆく過程が対応すると仮定すれば、という意味の流れがひとつあると私は読みとるのだが、これがよく頭に入ってこない。対応できると仮定すれば、とはどういうことか。性の転換と言語の獲得とが一緒に進行するということをいっているのだろうか。もしそう考えるとして、その考えの根拠になるのは何か。どうして一緒に進行すると考えることができるのか。成長過程の心的世界で成長に伴って性転換というものが発生し、言語の獲得がやはりその心的な世界の中で共時的に進んでいくと考えられているのだろうか。
 また、ともかくも対応できると仮定したときに、どうして「大洋」の世界が「概念」を対象として性の備給を成し遂げる過程を思い描くことにつながるのだろうか。そして「概念」を対象とした性の備給とは、ここでは、「大洋」の世界の中で「概念」が性的対象のように仮構されたり受け取られたりすることをいうのだろうか。
 こういったところはいくら考えてもよくは分からないところだ。この節でどうしても分からないところはもうひとつある。乳幼児の脳が活発に働くようになって、概念を形成するようになったとき、
 
ここでおぼろ気に「大洋」の波頭は言語的な水平に接触する。この過程は図式的にいえば、身体的にみた男性の乳幼児と女性の乳幼児にとって、つぎのような過程に対応するといえる。
 
 男性の乳児  女性から男性へ   (口(腔)から陰茎へ)
 女性の乳児  女性から女性へ   (陰核から膣(腔)開口部へ)
 
 この過程は、鰓腸の上部と下部とにおける開口部がもつ栄養の摂取と性の機能についてのあいまいな両義性を解体し、それぞれの性器と栄養を摂取する器官とに分離する過程を意味している。この過程はもっと別の言葉でいうこともできる。栄養摂取と性の欲動とが身体の内臓系でいちばん鋭く分離する場所と時期を択んで、乳児のリビドーは言語的な世界の中に圧縮され、また抑留されるというように。
 
 前言語的な「大洋」は、「概念」が形成されるようになって「大洋」の波の動きをいっそう言語的な水平へと押し上げてゆく。この時期に、口腔と性器とのあいまいな両義性ははっきり分離し、栄養を摂取する器官と生殖担当の器官とに分かれる。ここまでは肯定してもよいとして、次の「乳児のリビドーは言語的な世界の中に圧縮され、また抑留される
というところには、即座に首肯できないところがある。いや、本当をいえばそうなんだろうなと思い、そうでもなければ「言語」に到達しないのではないだろうかという予感めいたものもある。だが、これは目で確かめるというわけにはいかない。それ故にあっさりと肯定も否定もするわけにいかない。吉本の記述の流れから推量すると、フロイトのリビドーとかエロスとかいうものがそれまでの口腔と性器との「あいまいな両義性」から解放されたときに、言語的な世界の方に集中する、またそうでなければ「大洋」の世界から「言語」へと跳出する契機を見いだせない、そういうところから帰結する考え方ではないかと、一応は考えてみることができる。しかし、これは想像の域を出ない。もう少し吉本の考察するところを追っていかなければならない。
 この節の後半は、フロイトの「親たちがあまりに情が深くありすぎることは、もちろん、害をあたえる。」という見解に対して異和を唱えている。単純化していえば、フロイトがいう意味での「過剰な親の愛情」は乳胎児期を過ぎた後の時期にみられた親の態度で、かえって乳胎児期に「情が深く」接することのできなかったことに対する例外のない代償だと吉本は述べている。すなわち、
 
いいかえれば「大洋」の世界の波の下で、無意識が荒れていることに由来して、乳(胎)児もまた成長がすすむにつれて情がなかった代償を求めて両親の情愛をどこまでもむさぼろうとしたり、両親の情愛の譲歩をどこまでも求めて病的(家庭内暴力)になったりするのだといっていい。
 
というように。
 四節においても、フロイトの神経症やパラノイアと小児の性愛との関わり、そしてそこでのフロイトの考察と「大洋」の世界から考える吉本の考察との差異が展開する。フロイトを直接に読んだことのない私には、その部分は読み流すほかになく、ただひとつここは読み流せないと考えるところを引用しておきたい。
 
フロイトの考えたこと、そして発見したと信じたことは、たぶんわたしたちの「大洋」の世界の波動の成り立ちと、この世界が言語をどうやって獲得してゆくかの過程と深くかかわっている。単純化していえば、言語を成り立たせるまでにいたる過程で、鰓腸系と泌尿系を混同させるエロス覚は、言語のなかに収蔵されてしまうようにおもえる。別の言い方をすれば鰓腸系と泌尿系を混同しているエロス覚の表出(跳出)は、「大洋」が言語面を成り立たせてゆく源泉のエネルギーにあたっている。もっと別の言い方もできる。「大洋」が前言語の状態から言語を形づくってゆく過程によって、ヒトの乳幼児は一様に精神神経症を幾分かの度合いでまぬかれてきた、というように。
 
 私の立場は、鰓腸系と泌尿系を混同させるエロス覚が言語面を成り立たせてゆく源泉のエネルギーだという指摘に、もっとも強く関心を引かれることは間違いない。精神の異常や病気だけの言及であれば、ただのお勉強といった程度のお付き合いにしかならない。とはいえ、吉本のこういった指摘に関心が喚起されても、すんなりと受け入れられるというわけにもいかない。これをかみ砕くようにして理解したいというのが私なりの欲求で、考えながら書き、書きながら考えているわけだ。素養のない私には無謀だということはよく理解している。だがあるところまでの努力はしてみたいのだ。もう少し続きを追う。
 五節では私の期待をはぐらかすように言語の獲得といった面には触れず、強迫神経症と宿命的な反復強迫の境界を接した類似と、相違とが論じられている。
 いうまでもなく神経症は精神の異常とされ、反復強迫はある種の心理とか行動とかに表れる個人に繰り返されるパターンで、表向きは性格や気質と呼ばれるようなものに近い。たとえば付き合う異性がいつもどこかに共通性があるとか、離反や接近の仕方が同じパターンをもっているとかで、誰もが大なり小なり抱えている傾向性と考えることができる。そしてこの反復強迫は表向きはそう見えないとしても、個人の内側からはほとんど強迫神経症と境界を接しているといってもおかしくはないくらいのものだ。神経症と反復強迫との相違について吉本は、簡単にいえば「大洋」の世界の波の下の深層が穏やかであるか、逆に乱流や渦動や渋滞しているかで違うという。もちろん今まで見てきたとおりその違いは、乳(胎)児との関わりにおいて母親(その代理)の側に素因は発祥する。そして宿命的な反復強迫の謎を解くかぎは「大洋」の前言語的な世界だけなのだと吉本は考えている。
 私は自分の過去を内省によって振り返るとき、あの時もまた別の時も、いつもあるよく似たパターンを繰り返してきたと考えるときがある。それは積み重なっていつか自分の宿命のようだとさらに考えたりする。狂おしく抗ってみたり、宿命を超えようとしたり、力なく抗うことにあきらめたりしたことがあったかも知れない。胸に秘めて、ともかく平常と思われる生活に立ち戻る。異常さのかけらなどどこにもないような見かけのうちにありながら、心にはその呪縛から解き放たれたい希求が切実であったかも知れない。もちろんその願いなどどこにも届くべくあてはない。私は内心で、どこからが異常か分からない境界に佇んだことがあるような気がする。そしてその宿命的な反復強迫が誰にも大なり小なりあるのだと考えたときに、人間はそこに存在するだけで「助けて」と叫んでいる存在なのだという気がした。もうひとつ言えることがある。私たちは悩んだり佇んだりしたときに、必ずといってよいほど過去の心的な経過や過程を遡る。とり合えずそうすることで過去から教訓や啓示のようなものを受け取ろうとする。それをさらに遡って考えると、おそらく私たちは無意識に始原としての母との関係に遡行して、というのはそれが自分の由来でもあるからだが、常にそこを起点に置いて考えるという傾向をもつ。あるいは最終的にはそこにしか辿り着けない。そのことが反復の理由でもあるのだが、この起点は生涯動かしようがなく姿形から表情まで変わることがない。言い方を変えれば私たちは、母の描いた宿命のデッサンを生涯にわたって完成させるように生きているという見方もできよう。なぜならばどんなに遡ってみようと試みても、あるいは別世界があるにちがいないと行きつ戻りつしてみても、あるのは母との関係が支配するその世界だけだからだ。抗い反発するにせよ妥協や諦念を身につけるにせよ、無意識の奥深くにしまい込まれた関係の核は遠くから私たちに宿命の囁きをささやき続けるといっていい。
 吉本が『母型論』で主なモチーフとしているのは乳胎児期に集中して表れる心や言語や心的な異常や病気の諸問題で、ことばを変えれば「大洋」期全般に関わる考察である。その意味で必ずしも直接言語に関わる考察が述べられるわけではないが、共通しているのは母の感情の流れのスムーズさや渋滞の有無が子どもの決定的因子になり、なおかつ心的な現象全般に影響を及ぼすということだ。そして心的な異常や病気の問題も、ただ単体に心的な異常や病気の問題ですむのではなく、言語の問題としても「大洋」期全般のなかで総括的に論じられる。言い換えると、心的な異常や病気の考察を深めることなく、言語の獲得の過程を深く掘り下げることは不可能かも知れないのだ。次の項目からは「病気論」が展開され、なおも精神の異常や病気の世界に分け入って、私などの無知な輩にはストレスが強いられるが音をあげずに今しばらくついていかなければならない。
 
 
   病気論T
 
 一節では精神の異常と病気との概念の解釈及び定義が述べられている。これはこれで面白さもあるのだが、深入りすればいくらでも時間を費やしてしまいそうだ。ここでは異常や病気の規定の一端を引用して先に進むことにする。
 
「異常」とは感覚器官が現実の一部に圧倒されて働きかけることをやめ、現実の欲求するままに無意識のなかの衝動を抑圧させた状態のことで、病気とは感覚器官が現実に圧倒されることは異常とおなじだとしても、現実に働きかけようとせずに、内臓系の心の働きの内部分野に新しく架空の現実をつくりあげ、それを心の働きで把握しようとしたり、感覚的に(幻覚的に)感受しようとしたり、関係づけようとしたりすることを意味している。このばあいあたらしくつくられた架空の現実は、元の現実の名残、記憶痕跡、表象などから素材をとってつくられるもので、またつぎつぎに新しく変化し、じぶんを更新してゆく。それを把握しようとして感覚器官の働きも架空の知覚である幻覚をつぎつぎにつくりだすこともあるし、架空の意味づけに当たる妄想にのめりこんでいったりすることもありうる。そして新しく架空につくりあげた現実世界が、本当の現実にとって代わる極限まで行ったとき、病気は完成された姿をみせるとおもえる。
 
 この項の二節では、悲哀やメランコリーについて論述されている。ここでちょっと注意を喚起される記述は、愛犬を事故で失ってメランコリーに陥った女主人の愛犬への「愛」について語っている件だ。この女主人は以前に夫を亡くしたが、その時には愛犬を失ったときほどのひどい症状をみせなかった。吉本は女主人の愛犬への愛が、
 
わたしたちの文脈の「大洋」的な世界、いいかえれば母親と乳(胎)児のあいだの感情の世界、あるいはそれ以前(それ以前があるとして)の世界と等価な初源的な「愛」になぞらえられる。
 
と述べている。そして、女主人の
 
夫との愛は、すくなくとも言語が「愛」の意識面を吸収した以後、相互的な「愛」の条件が合致した後に成立したものだ。愛の喪失や愛する対象が失われ消失したときの悲哀とは、言語が介在することなしには成り立たない。メランコリーにまで陥没したとき、はじめて「自我感情の低下」といっしょに、悲哀は「大洋」面に接触するといえる。
 
と続けている。つまり、言語を獲得する以前の「大洋」的な世界の初源的な「愛」と同質の「愛」が愛犬に向けられていたために、女主人の悲哀はメランコリーにまで深まったと解することができる。「動物」や「植物」に対する「愛」と、人間に対する「愛」との質的な差異がここから感じとられるのであり、心的な段階として動物や植物に対する愛がより根源的であり初源的であり、そのため喪失によって受ける打撃が場合によっては、より本質的、本格的でありうることが理解されそうな気がする。
 三節ではパラノイア、妄想症が論じられている。これも「大洋」期にある乳胎児に母親が充分な男性的なエロス覚を与えなかったことを遠因として、成人になって「大洋」期に性愛が退行して同性愛的欲求が露出し、これを抵抗や防衛しようと反応するところから妄想が形づくられるとされる。
 心の病、精神の病はすべて吉本が提起するところの「大洋」期に根源的原因が求められ、個人のヒト的な成長過程は、どれだけそれから遠ざかって病気を回避することに力を傾ける過程であるかにかかっているように見えてくる。逆に言うと、乳(胎)児期の前言語的な未分化の心的な混沌、「大洋」の過程が想像を超えて色濃く宿命的な色合いを湛えていると感じられる。
 パラノイアについてみれば、今少し説明を要する節ではあるが私の意図はそこにないので、ここは先に進むことにする。
 
 
   病気論U
 
 この項ではブロイラーの著作をテキストに、分裂病が俎上に上げられて論じられている。一節で、
 
わたしたちはエロス覚を内臓器の動きと感覚器官の動きにすべて伴う普遍的な感覚とみなしてきた。すると音声言語の最初の芽ばえは内臓と感覚器官の動きの汎エロス性から離脱できた最初の何らかの異変とみなされることになる。
 
という文章が注意を引いた。ここで、太字の部分がはじめはうまく了解できなかった。内臓と感覚器官の動きにひろく行き渡ったエロス性とは、しかしよく考えると吉本が言うところの「大洋」期の乳(胎)児のあり方で、そこではまだ男、女としての分化が成り立たない。男女の初期の分化では、私の想像を交えていえば、エロス覚は男、女として性器に収斂していくか概念に収束するはずだから、もはや「汎エロス」ではありえなくなる。つまりは「大洋」期の離脱であり、概念の形成を伴って音声言語の獲得の初期状態に転移しているということになる。
 もう少しこれを単純に言い換えてみれば、「汎エロス性」は「大洋」期。音声言語の芽ばえは「大洋」期以後を意味しているから、「汎エロス性」からも離脱しているとみなすことができる。ではこの「汎エロス性」はどこへ行くのかといえば、ちょうど第一次的な性の転換期に当たっているから、男女の分化及び、これまでの吉本の記述のなかからは概念に集中して言語獲得の方に関係していくのだろうと予測される。あるいは自体愛的なところから、自己愛や対象への愛へと向かっていくのかも知れない。このあたりになると私の理解は正直あやふやになる。これはもう少し先で確かめられるかも知れない。
 二節、三節とも分裂病に関する批評的論述が続く。ここで引用を要すると考えられるのは三節にある次のような箇所だ。
 
 もしナルチシズム的な性の欲動の状態を自体愛的(autoerotisch)と呼べるならば、この状態はただひとつ言語の発生機の条件をそなえた時期にあたっているといっていい。対象へむかうべき性の欲動が自己にむけられることで過剰にエロス覚が身体に蓄えられ内臓器の動きに伴ってそのエロス覚が噴出する契機が生まれてくるからだ。内臓器の動きが心の動きとして跳出(表出)されるように、それに伴う自体愛的なエロス覚の噴出は、言葉の発生機の状態を自己表出として用意することになるとかんがえられる。もしも<母>と乳(胎)児との大洋的な波の世界に、乳(胎)児または<母>の自体愛をまねき入れるエロス覚の契機がなかったら、言語の自己表出としての発生はありえなかっただろう。分裂病は実に微妙にこの一瞬の空隙状態に関与している。なぜなら分裂病の症状はナルチシズム的な自体愛をふたたび自己以外の対象愛へとみちびくための経路をすべて切断している状態を意味しているからだ。
 
 蓄えられた性の欲動である自体愛的なエロス覚が、内臓の働きや動きを元にしてなる心の動きに伴って噴出する契機が生じたとき、ほとんど言語が獲得されたことと同じことを意味する。そう私はここから受け取ることができる。すくなくともこの認識は言語獲得の間近に近接できていると思う。
 この後にも三節、及び四節では分裂病についてのスリリングな考察がなされていて、目から鱗がはがされていくような思いがする。だがここでの私のねらいはもっと鋭角的に言語に近づきたいのだ。四節の最終部分を引用する。これは『母型論』において、私が獲得したい思考に関わる記述の最終部分となっている。
 
言語の陰画の状態は様々なあらわれ方をするが、いちばん大切なことは、いつどうして陰画は言語の陽画(言語そのもの)に転化するのかということだ。この過程がどんなに困難でさまざまな障害を伴い、全うすることが稀な過程かを今も表象しているのは、分裂病と病者の存在そのものにほかならない。分裂病こそが言語の陰画が言語の陽画(言語そのもの)に転化する過程の病気として発生するものにほかならないからだ。自我の注意とその性的な欲動の対象へのエネルギーの集中が死にそうに過重ともいえる状態。そのために同時に行わなければならないそれ以外の性的対象からの欲動のエネルギーの全き撤収。大洋面の波から萌したこの強烈な選択の過程のどこかに失敗があれば、言語の陰画は陽画に転化することはできないとおもえる。この強烈な選択の過程で失敗した大洋の世界は、ホモジニアスな性の欲動(<母>の不在)にとり囲まれた異質の、異様な部分世界をつくるほかない。わたしたち(人類)はこの強烈な選択の過程を経て言語に到達すると、心的な現象からは、こういうことができよう。
 
 
   メモの終わりに
 
 ここまで読んできて、私は獲得したいと考えていることの八割くらいは了解できた気がする。後の二割くらいはまだ不明のなかにあり、もしかするとそれはまったく理解していないことと同義だという気がしないでもない。
 ここまでの吉本の考察を、ひとつは人類が
言語に到達した場面のイメージとして、もうひとつは乳児が言語を獲得する場面としてイメージしてきた。私の中ではいくぶん混乱していて思念が行ったり来たりするところがあった。吉本はどこかで、人類が言語を獲得するためには性的な欲動の対象へのエネルギーの集中が必要だったと述べている。言い換えると、ひとりの異性に持続的に性愛を集中させることが不可欠の要素としてあったという。これが集中の体験として必要だったのか、直接言語の表出として意味あるものだったのかは、正直よく分からない。またそのことは大洋期の乳児にとっては母親(母親代理)との関係の中で考えられることと一応は推測できるけれども、これもまた確信できるまでには至らない。
 吉本が「母型論」の序に書いた中に、私の関心からは二つのことが述べられていて注意が引かれた。ひとつは、これまでいくつかに分散して考察してきた系列を一つに結びつけて考察したいという考え。もうひとつは、柳田国男の「海上の道」は実証的に正確か誤謬かを問うことが不毛な、イメージでつくられた柳田の世界観であり、そのために学説的な論文というよりは普遍文学的な作品になっていると述べているところだ。特に二つめのところでは吉本自身が自分のこれまでの考察を元にして、同じように世界観を凝縮した作品に仕立て上げたい欲求のあることが理解された。すくなくとも「母型論」はそういう吉本のモチーフを形にした作品になっていると思う。吉本に倣っていえば、知識あるいは学説として正しいかどうかではなく、著者の好奇心を源泉に格闘して手にいれた認識を素材に、自身の世界観を作品として凝縮させたものだ。 率直にいえば私は吉本が言語の陰画から陽画に転ずる一瞬を、吉本がイメージしているのと同じにイメージしたいと願っていた。そうしてこの作品を読んだのであるが感動をおぼえた文学作品を読んだときのように、感動的な余韻を残しながら言葉にならない作品の真理は遠ざかって行くというような、そんな結末を迎えている気がしてならない。文学作品を読むということはそういうことで、理路整然と組み立てられた知識として残ることはまずありえない。
 私は本棚に並んだ数少ない自分の蔵書のうちからほこりにまみれた『母型論』の塵を吹き払い、丁寧に読み直してみようと考えたのはなぜだったかよく分からない。新刊を購入して読み、ある程度の感動をおぼえ、ちょっと固くて歯が立たないといった感想を持ちながら、それっきりになった。最近は本を買って読むことはほとんどなくなったから、とうとうすることがなくて以前に読んだ本を読み返すほか無くなったということもある。手にとって読み返してみて、予想外に面白かったから何度も繰り返して読むようになってしまった。そこからちょっと、書くという方向にベクトルが向いた。確かに、心とか言語とかに興味はあった。だが私は一心不乱にそれを探究してきたというのではない。読みながら、書きながら、どうしておれはこんなことをしているのだろうと不思議な気がしていた。現在乳児と向き合った生活をしているわけでもないし、精神病の患者に接触して生活しているわけでもなく、ただ知的な欲求や好奇心がこうさせているのだろうと考えるほかなかった。もちろん飯の種になるわけではない。私の文章を待ちわびる誰かがいるわけでもない。誰も喜ばせないし、何かのためになるわけでもない。私はしかし、そういうことをやりたがる。とはいえ、読み書きする過程でもっと違った考えがなかったわけではない。素朴に、もしかするとすごいことを考えているのではないかと気分が高揚するときもあった。言語を獲得するその時の瞬間を、目の前の出来事のようにイメージできたら、とてつもないことのように感じた。しかし私がこんなに興奮して読み書きする対象となる吉本の『母型論』は、文学誌や思想誌の中で大きく取り沙汰されたようには思えない。知見の狭い私には黙殺のようにさえ受け取れた。おそらくは特殊な専門領域の世界では話題にはなってはいたのであろう。私の世界はそういう場所からはるかに隔たっていて、物音がひとつも聞こえてこないということなのかも知れない。それで、私は自分のやっていることがすごいことじゃないかという錯覚からは免れることができている。大したことじゃないし大した意味もない。要するに趣味的に、時間があってそれを考えたいと思ったときに、ちんたらちんたらとマイペースで考えておれば、それで良いのだということになる。これはただそれだけの意味しかないと言っていい。
 
 
  『母型論』にみる「心と言語」
   について
 
 心や精神の発生とか形成とか仕組みとかについて、いろいろな人がいろいろな言い方で論じていて、どの考え方がいちばんいいかなどは確定しにくい、そういう問題なのだろうと思う。私自身は三木茂夫の著作に啓蒙されて、基本的には三木の考え方で心をイメージすると分かりやすくてそういうイメージで心をとらえている。
 三木は解剖学者でまた古生物学や発生学にも精通しているらしい?著作を読むかぎりにおいて、私はそう理解している。「ヒトのからだ」などの著作名にも端的に表れているように、彼は体の成り立ちや仕組みから説き起こし、ついにはヒトの心がどのように表れるかにまで言及していった。難しいことは何もない。彼の著作を読めば、誰もがなるほどと肯くにちがいない。何せ解剖学者なのだから体の隅々を熟知し、その知が明確な根拠となって説得力がある。私が三木の著作から学んだことをイメージとして単純化すると、心ははらわたと身と脳とを三つの柱として、互いに働きや作用が交叉したり拮抗したりして大脳連合野に3D映像のように立ち現れるものとみなしている。はらわたはもちろん植物性の内臓のことであり、身とは動物性の体壁を指す。内臓と体壁と比類なく肥大した脳と、この三つの器官の機能や作用から織られた織物が心の動きや働きを形成する。簡単にそう私はとらえることにしている。もちろん本当はもっと複雑なことや細かなことがたくさんあって単純ではないが、ふだんの生活の中ではそこまで言及しなくてすんでいる。ならば、こんなところで充分だ、と思っている。必要が生じたら、もう少し丁寧にいえばいいのだし、もっと詳しいことが必要なら三木の著作にあたって応えればいいだけのことだと思う。
 三木は心と頭の働きとを分けて考えた。このことについても、感ずることと考えることと私は単純に分けて考えることにしている。 そもそも私が心について関心を寄せたのは、思春期の頃から心にもやもやを感じたせいで、当時は文学的に興味を示す形で出発したものだったように思う。異性を含む対人関係、家族や学校などの共同体や社会との関わり。心のもやもやは拡大する一方で、文学作品を読み、人生論を読むなどして防衛策を立てようとしたのだったろうか。何にも役に立たなかったと言いたいところだが、この年まで何となく大過なくすんできているのだから、少なくとも持ちこたえる役には立ってきたのかも知れない。
 教員に再就職して子どもたちに接触するようになってから、『子どもの心がわからない』と切実に思うことが多かった。それまで、文学的に考えていた心や、教育課程の単位取得で学ぶ児童心理学、発達心理学などの子どもの心ではとても教育現場におけるひとりひとりの心に対応しきれなかった。三木茂夫の心の世界は、心はどこから来たかを根源的に問うもので、言ってしまえばヒトの心のすべてを包括する位置に立つ。具体的にいちいちの心に対応する世界ではないとしても、すべての心に共通する起源を掘り起こし、ひとりひとりの心がその起源を根っことして、それに胎内での過ごし方、出産後の過ごし方に色を染められて現在に至る。その過程が見通しよく見渡せる心観だと思えた。子どもの心には歴史が刻まれている。母親との接触、家族や地域、共同体の習俗や文化、あるいは周囲の自然環境、生活環境との接触の過程が、おそらく見えない形で年輪のように心の形成に与っている。それらのすべてを把握することなどできはしない。だが、心の仕組みや成り立ちがそのようなものだと知っていることと知らないこととでは、子どもたちへの接し方が違ってくる。それがよいかどうかはまた別だ。私の場合は寛容になっていった気がする。悪く言うと放任に近くなり、さらに悪く言えば「オレは子どもや子どもの心にによい影響を与えねぇな。いっそ止めちまえ。」となって、子どもたちとの関係を断つところまで行った。今日の子どもたちは私たちの時代と違い、育った環境、心の背景がひとりひとり差異が大きい。元々習俗や文化や経済的条件をも体現した母親との関係をベースに背負った子どもたちは、ほかの子どもとの著しい差異に出会うと、差異に出会うこと自体にそう慣れていないから心的に小さな痙攣を引き起こす。ふとしたことが許せなくていじめたり、逆に萎縮していじめられたりもその結果のひとつだ。同じ空間の中に同居しても、心的にはお互いに理解不能なところまで遠い距離にあるといってもいい。今日、郊外の団地に建つ学校は典型的で、クラス全員がバラバラだということはありえる。この隙間を埋めるのは担任あるいは副担任ほかの、数名の先生が集まってもおそらくどうにもできることではない。あてずっぽうに言うと親と子全員が数日間、気心が知れるまで話したり生活したりする期間が必要で、そうでなければ教育環境としての学級は成り立つはずがないと思える。ないと思えるが、実際にはそれで成り立っているように装われている。そこにはたぶん、子どもと先生と家庭とそれを見守る機関との間で、それぞれがそれぞれに相当の無理、我慢や上辺の繕いに努力していると見て間違いない。これはもう教えるとか学ぶとかの以前の問題ではないか。
 私はそういう認識に到ったとき、大げさに言えば自分の無力に打ちのめされた。小学校の教員としてその世界にとどまることは、三つ巴の不満のたまり場としてあるほかない学校を、そうでないもののように見せかけることにいっそう加担するだけだし、子どもの不満の爆発や自傷行為を予測していて何もできないだろうことが明白だったからだ。まだある。私が校長になり、教育長になり、文科省幹部のトップになり、文科大臣になったとして、現実的に学校をどう変えるか、具体的にイメージが持てなかったからだ。私はただ根底から解体しなければという思いのうちに立ち尽くすばかりだった。これじゃあこの世界にいても何にもならないやと思うのは当然だった。学力の向上。個性の伸長。生きる力の育成。現場ではこんな標語めいたものが蔓延していた。そういうところで子どもに自信がついたり、悩みが解決したり、友だち関係、クラスのまとまりなどがよくなったりすることはもちろんあるにはちがいない。またそういうことで楽しい学校生活を送れる子どもたちが増えるということも、決してないことではないと思う。そうなることを願って努力する先生たちもいたし、その努力には敬意を表する気持もあった。けれども私の心の底では、きりがないじゃないかということと、一方に明るさと輝きが増せば、もう一方に暗さが生じるという観念が固く居座っていた。そこをどうするかに対策とまでいわなくてもよい、考えや思いが届いていないではないかといいたかったのだ。そして、私自身がそれらの打開に何の力も発揮し得ないでいたし、以後も発揮し得ないと考え、無力感に打ちのめされたのだ。それが、退職後の今も心を考えるエネルギーの源泉になっているともいえるし、言語の獲得及び心と言語の関係について考えるエネルギーの源泉にもなっていると思う。 さて、子どもたちと接する中で子どもの心を理解したいという思いが増したことは先に述べたが、心について考えていくとどうしても言葉の問題が絡まってくる。感ずること、あるいは思いというものは言葉抜きには扱えないと同時に、言葉そのものではないというところも特徴的だ。また、思いや感じたことや考えることは言葉と共時であったり、同時通訳のようにほとんど時間差がないといってもいい。少なくとも私たちの体感としてはそうだ。心の中で思いを巡らすときや内心に感じたことを意識しているときや、もちろん考えているときは言葉を介してそうしている。 三木茂夫は、心の考察の中で言葉の発生にも触れていた。簡単にいうと満一歳前後の呼称音を伴う指差しの中に、言語獲得の標識が示されているといっている。つまり幼児における最初の言語がその姿だということだ。もちろんこの他にも『母型論』のなかで吉本が取り上げていたように、人間の言葉としての音声が「響きと化した内臓表情」とか、言葉の発生が大脳の聯合野と密接に関わっていることなど随所で触れている。だがまとまって言語の発生や獲得に力点を置いて書かれた文章はなかったと思う。
 吉本の『母型論』では、身体の仕組みから心とか精神と呼ばれるものの形成までを三木茂夫の考察から借りて、その上にソシュールやラカンの言語学の考察、さらにフロイト、ブロイラーといった精神医学的な考察を継ぎ足し修正を加えながら言語の発生と獲得の過程を論じている。
 内面とか精神とか心とか呼ぶものは、内臓感覚、体壁感覚、大脳の三つの柱からなる。イメージとしては、脳内で多種の感覚刺激などが混合し合いそれを鏡の中に映し出す脳の働きがあって、そこに内面とか精神とか心とか呼びならわすものが3Dの映画やテレビのように立体的に浮かび上がると考えることができる。もちろん、これは私の勝手につくりあげたイメージだが、そう考えると自分には分かりやすい。乳児の場合全てにおいて未発達といえるから、混線から砂嵐がかったり斜めに流れて3Dテレビもしっかりとした像を結ばない状態を想像してみることができる。やがてこれがしっかりとした映像と音声に変わるのは、各器官の発達ももちろん特に脳の連絡機能とか互換性とかが発達し、脳内において結びつきがしっかりしてくるからと考えられる。素人なりには、大脳皮質の「聯合野」と呼ばれる領域の高度な発達が、心の形成や言語の発生にもっとも密接に聯関していると思われる。
 言語は、言語以前の心を土壌としてそこに発生の萌芽の状態を持つとイメージできる。発生のはじめは音声言語だから、口腔から喉仏にかけての繊細な動きの面での発達と、呼吸作用の意図的な停止や、呼気や吸気のコントロール、量的な調節が可能にならなければならない。また、発生の萌芽である前言語的な状態から発生と呼べるまでの準備が整ったとして、そこからすぐに言語が獲得され発生するわけではない。『母型論』ではこの時に、イメージとしての大洋という概念でこれをとらえ、内コミュニケーション、概念、エロスなどを引き込んで言語の陰画とでも呼ぶべき状態を設定してみせている。そしてこの言語の陰画が言語の陽画、すなわち言語そのものに転化するのは性的な欲動を契機としていて、その性的欲動の対象へのエネルギーの集中の度合いが閾値に達したとき、言語は言語そのものとしていわば夢精のように内と外とに向かって放射されると考えることができる。夢精といい、内と外に向かってといい、どちらも拙い私の思いつきみたいなイメージだが、陰画から陽画に転ずる転じ方、同じく乳児に言語が獲得され発生する仕方には、夢の中の出来事といっていい境界の曖昧さが存在する。
 これが私の大ざっぱな言語獲得過程のイメージになるが、乳児の場合吉本の言う性的欲動の対象とは<母>的なものになるのだろうと思われる。だから母と子の一年未満の間の関係に異常があれば、後年、言語の喪失にも等しい分裂病の症状に追い込まれるということが起こりやすくなると考えられる。
 先にも書いているが、私の三木思想の理解や『母型論』の理解が正しいのかどうか分からない。また実際にまだまだ分からない部分があり、ぜんぶが理解できたと思っているわけでもない。そういうことは研究者や学者や思想者に任せておけばよいと思っている。私はごく普通の生活者で、そこまで緻密に追うだけの力量も見識もなく、またそういう環境にもない。もっと言うと必要がない。ただ、かすかにだがもしもこうした素人の試みに必然性の影があるとすれば、心と言葉と双方から私は自分の異質さを思い知らされる日々を今も生きているというところに理由が見つかるかも知れない。はっきりいえば私は他人の思うところ、口にだされる言葉がよく分からない。逆の言い方をすると、私の思いや私の言葉を他人にしっかり受け止めてもらえたという実感を持ったことがない。反対も然り。そこのところだけはずっと曖昧なままで生涯の半分を過ぎ、帰りがけの今も生々しい傷となり時に血が滲んだり瘡蓋をこしらえたりしているなかで、悩ましく考えざるを得ない動機になっているという気がする。
 心や言語の発生や獲得の過程を考えることですこし理解できたことがあるとすれば、おそらく私の孤独の起源は乳胎児期の育てられ方に求めるほかにないだろうということだ。それは「母型論」のはじめにあったように、宿命的なものだといっていい。これまでの人生の中で、私は何度かこの宿命的なものに抗い、これを超えようと努力した経験を有している。そして超えることが可能だと感じられる地点までたどり着き、同時に超えた先の光景を眺めながらとたんに超えることへの執着を失い、その度に自分の孤独へと引き返してきた。それはいま思っても、自分の流儀、愛や善や人間らしさの精一杯の流儀で、同時に自分らしくちゃちなものだった。そしてたぶんその心は自前のものとはいえず、いくらかなつかしい匂いのする先人たちの心に学んでの私の流儀であり、同時に最も遠い心を畏敬しての流儀であった筈だ。
 吉本の「母型論」の考察には、広義の言語論という面のほかに、やはり吉本自身の来歴を辿る意味合いが含んでいるように感じられた。その結果として、「病気論U」の結びの言葉には言いしれぬ感動をおぼえた。この世界につなぎ止めてくれるはずの母の不在に、どこに母を呼び求めればよいか分からず立ち尽くす分裂病患者。この異和と孤独の住人からすれば私たちの苦悩はただの苦悩ですんでいて、彼らの存在はたとえば吉本の考察を可能にしたともいえよう。生きるということはこういうもので、分裂病の患者たちでさえこうしたさまざまなヒューマニズムを支える考察を引き出した存在といえばいえる。
 人間って、大変だ。人間って、すごい。最終の感想はこのふたつで、しかも乳児、幼児の過程を経て学校に通う子どもたちの、ただ世話を受けて育まれてきただけの姿と見えるその裏に生命的な葛藤と格闘のドラマを思うとき、私は上陸した脊椎動物の祖先に出会うかのような畏敬を覚えずにはおられない気がする。種々の発達障害、ダウン症、自閉症などの子どもたちとも接し、私はどのように彼らと向き合ったのだったろうか。彼らの周囲には数は少ないとしても濃密で優しいまなざしが充ちていた。だが、そのことがすべて彼らの孤独と飢渇とを満たすものとは思えなかった。そのことにおいて私は自分の孤独と共通の何かから切り離された心という面を思い、かえって端からのすれ違いに慰められたといっていい。いずれ私たちはこの世界に、瞬時を植物的か動物的か人間的かに生き、やがて力尽きて消えていく運命にあるひとりひとりに過ぎない。
 吉本の考察が現在の知的な世界の中でどんな意味合いを持ち、どんな位置づけがなされ、またどんな遇され方をしているのかは分からない。この書にのめりこんでみた私からしても、いくらか言語の成り立ちや発生の仕組みについて了解できるところがあったにせよ、それが分かったからなんだということの解は何もない気がする。あるのはその言語観や心観に対しての共鳴だけだ。そしてその余韻だけをひそかに胸に蔵しているだけに過ぎない。明日もまた私は孤独な思いをもてあまし、一日の終わりに、とりあえずその夜を越えることだけといった感情に呑み込まれるのだろう。考えることは生活に何の足跡も残さない。よって私がこれまでの人生から得た言葉でこの文章を閉めてみたい。頭は無駄に使うもの。
              2010/6/14