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  再訪 「太宰治の世界」
               佐藤 公則 

第一巻 『晩年』
 
 太宰治の小説に触れたのは,高校三年になるかならない頃のことだったと思う。進学か就職か,生か死かに精神を働かせ,また性の奔流に翻弄される時期でもあった。
 彼の作品に耽溺したのは,多分二,三年のことだったと思う。自分の思いを代弁する唯一のもので,その頃はあったはずだ。その生々しい心的な体験は,現在からは振り返って感じることは難しい。だが,「よいとしか言いようがない」 という全面的に肯定的な気分で,彼や彼の作品を久しく読み返してみることさえなくなった現在もなお感じていることは,少なくともぼくにとって,太宰治は何事かであったと思うのだ。今一度,彼の作品群に足を伸ばし,彼の世界に遊んでみたい誘惑に駆られた。
 太宰治の処女創作集と言われる「晩年」 には,「葉」以下十五の短編が集められている。これを改めて一週間ほどかけて読み終えたが,中には内容をさえ忘れかけていた作品があった。久しぶりに読んで思うことは,やはり才能があったんだな,ということだ。どの作品も,そこそこに出来上がっていて,読み物として楽しく読めた。気にかかったことは,母の像が薄く,死の領域に近く存する祖母の像が大きく感じられたこと。時代物の扱いがうまく,文体が安定していること。全般に,着想のおもしろさがあること,等々である。
 無意識の荒れをどう裁けばいいのか,太宰治の若き日の内面的な格闘を作品の背景に思い浮かべながら,しかし,太宰治はまだ「太宰治」に成熟していない未完の場所にとどまっているのだと思われた。
 才気にあふれ,また何事か秘めた思いに引きずられ,生きる意味や価値を鋭く問おうとする姿勢は若者に共有し,共感を呼ぶに違いないが,だが未だそれ以上のものではない。いや,精神の苦しみや悶えを,ストレートに,あるいはありのままに表そうと手を変え品を変えする,その愚直なまでの真摯さが,読み手の心を揺さぶるのかもしれない。作品を読むかぎりにおいて,その愚直さは本物であると察知される。若き読者は,自己の認識の届かぬ不可思議の世界に迷い,傷つき彷徨う。太宰治もまた,その姿の典型を作品世界にあぶり出して見せることができたのだと思う。
 この筑摩書房の「太宰治全集」の解説を,共感的批評家の代表とも言える亀井勝一郎が行っている。その評に違和はない。亀井の他に,奥野や福田,平野や本多などの名を思い出すが,今は彼らの評に何の感興も起こらない。そういう見方もできるのだろうと,ただそんなふうに思うばかりだ。しかし,それらは所詮ぼくのものではない。ぼくの,書かねばならない理由が,ここにある。
 
 
第二巻 『二十世紀旗手』他十四編
 
 「虚構の春」
 これは太宰治宛(本名の津島修治宛も混じるが)の書簡,葉書をそのまま掲載しているかのような体裁がとられている。内容は忘れていて,それなりに新鮮な気持ちで読み進むことができた。
 実際に来た手紙というリアル感を持たせるためか,まったく意味のなさそうな葉書,手紙の類までもがあって,その無意味さが読み進む際のリズム,起伏を作っている。分析的に読み進めれば,作者のテクニックが至る所に発見できたりもする作品なのかもしれないが,そして読み進めながらそのことを意識してもいたのだが,今のぼくにはとりあえずそんなところはどうでもいい。
 読み進む中で注意を喚起され,緊張を強いられたのは,「心中」に至る過程,またそれに関連する左翼運動への参加の仕方に言及したくだりだ。
 これは差出人の側の体験になっていて,その分大変ストレートに,素直に述懐し,実際には太宰の体験の事実に近い姿が描かれているように思える。この手紙の記述によれば,太宰はかなりな深さで運動にのめり込んでいたし,夫ある女との情死事件がどのような背景のもとに行われたのかも,ある程度の推察ができるように感じられる。もちろん,これは小説の中の一部の記述であって,鵜呑みにすることはできない。だが,全くのこしらえものであるかどうか,自分をよく見せようと粉飾した叙述であるかどうかは見分けがつく。太宰の文章の中では,過剰に卑下して見せるでもなく,居直るでもなく,珍しく飾りをできるかぎり施さない,それだけに精一杯真実を表現しようとした叙述の箇所であると思った。
 もう少し懐に入り込んで読むならば,この時期の太宰の生活的な,精神的な背景が浮かび上がり,作品は豊かなイメージをふくらませるのかもしれないが,色気抜きで読めばこれくらいの感想が正直なところである。ただ,全くの創作だとして考えても,逆に実際の書簡をほとんど書き写しただけだと考えても,原稿用紙をうめることの労苦を思わせられてしまう作品だ。どちらにしても,このような作品に仕上げるには持続と忍耐が必要ではないか。その際の,作者を支えるエネルギー,言いかえれば創作意欲はどこにあったのか,太宰の作品群の中では分かりにくいもののひとつで,それは書簡を綴ったものというこの作品のスタイルに起因するような気がする。
 
 「狂言の神」
 この小説にいたって,とても太宰的なものに出会ったという思いがした。
 小説の冒頭には,マタイ伝から「なんじら断食するとき,かの偽善者のごとく悲しき面容をすな。」の引用がなされている。
 偽善というのは,太宰治が意識的・無意識的,あるいは自己であるとか他者であるとかを問わず,繰り返し繰り返し訴え続けた何かであった。このことばの魔的な力に取り憑かれると,人間の精神は一時の中断も許されない監視モニターを常時配置することになる。
精神のバッテリーはその為に消耗を余儀なくされ,また常時充電しなければならなくなる。太宰治はことにこの偽善などの問題には敏感でありすぎたと思う。太宰の多くの心労はモニターを監視し,偽善についてのリポートを提供し続けたところにあると言ってもいいほど,この問題に過敏であった。
 この問題を,ぼくは「偽善的であることが,とても人間的なことなんだよ。」と,スライドして考えることにしてきた。過度の罪悪感,潔癖感から逃亡するためにである。人間は多かれ少なかれ,偽善から免れて生きることのできない生きものなのだ,というように。そして,それは太宰治の戦いと,見事なまでの犠牲ぶりを土台にして獲得したものだと言ってもいいかもしれない。
 だがこれは,言うまでもないことだが,まったく偽善的でいいということを意味していない。自分から偽善を排し,他者の偽善は攻撃しないという営為のための方便である。偽善は指摘することがあっても,攻撃はしない。それは自他ともに苦しいことだからだ。
 さて,この小説は,「今は亡き,畏友,笠井一について書きしるす。」という書き出しで始められている。この後,作家,笠井一の絶筆の履歴書の下書きが紹介される。この略歴は紛れもなく太宰のそれに酷似していることに読者は気付く。こうして,他者の名を借りて自分の思いを述べる方法は太宰がよく使う手である。
 少し読み進めると,小説の体裁は太宰の手で打ち捨てられる。笠井一もへったくれもない。自分の身の上なのだという告白がある。さらに,「私は,日本のある老大家の文体をそっくりそのまま借りて来て,私,太宰治を語らせてやろうと企てた。」と,この小説のモチーフを述べている。とても太宰治らしいところは,こうした,従来ならば文体のほころび,破綻にすぎないところを積極的に自己の小説の方法に取り入れたことだ。始めの動機は「もはやどうでもよくなった」として,その意図の中絶,小説の失敗を印象づけながら,また作家太宰の正直さを読者に余韻として残しながら,最後まで読み進むと,その破綻が破綻に思えないように小説の中に組み込まれてしまっている。もちろん何度も読み返し,練り直しながら,内側に練り込むように書き進めているのだ。
 この小説で他に取り上げたいところは,笠井一の念願は「人らしい人になりたい」という記述の箇所だ。これは太宰の小説に最後まで反復して示される彼の根源的な希求であり,ごくふつうの生活者の生き方に価値ある生き方を見いだすもののことばであると思う。この表現を裏返すと,「私は人ではない」という言い回しになり,他の作品に登場する。
 太宰治のファンになると,こうしたことばも脳裏を離れなくなることばに違いない。そこから人間とは何か,自分とは何か,生きるとは何かの問いが始まり,無限に問い続けるほかなくなってくる。いまなら,「人らしい人」に基準なんてないのだと思い,「人はみな人らしい」以外ではありえない生き物だと考えるようにしている。どんなに逸脱しているように思えても,所詮,人間の為すこと考えること,人間以上でも以下でもあり得ない。逆に言えば,人間は時代の概念をはみ出す可能性を持った存在だと考えなければ間に合わない。「人間はこういうものだ」という定義は,歴史から生み出されるものであって,未知に向かっては成り立たない。善い悪いではなく,そういうものと考えた方がいいように思う。
 もうひとつ取り上げてみたいのは,小説の中頃にある。
 「暗鬱でもない,荒涼でもない,孤独の極でもない,智慧の果でもない,狂乱でもない,阿呆感でもない,号泣でもない,悶悶でもない,厳粛でもない,恐怖でもない,刑罰でもない,憤怒でもない,諦観でもない,秋涼でもない,平和でもない,後悔でもない,沈思でもない,打算でもない,愛でもない,救いでもない,」云々と,これだけのことばのたたみかけは,太宰治の他にはあまり見かけないのではないか。
 効果はさておいて,これだけ並べ立てては見たものの,読み直し,推敲の過程でさすがにしつこいとか煩わしいという思いが起こって削除するとか,もう少し吟味,整理とかをしそうである。だが,太宰治は堂々とこれだけのことばを並べ立ててもとのポケットにしまい込んだりしない。並べすぎという常識を覆すことをあえて敢行する。目立たないかもしれないが,こういうところにも太宰の反骨,骨太の真骨頂があるのではないか,とぼくは思っている。ことばが,感情を表すのに的を射たものに辿り着くために並べ立てているのではない。はじめから,ぴたっと感情を言い当てることばがあり得ないことは自明のことなのだ。ことばで言い表せない感情であることを強調するが故に,並べ立ててその効果を作り出している。時として太宰の冗舌に内在する,方法的な特徴のひとつであると思える。
                                    つづく
 「ダス・ゲマイネ」
 この作品は,芸術好きの大学生の交遊を描いている。中心になるのは主人公と馬場と呼ばれる音楽専攻の学生である。
 2度読み返してみたが,あまりおもしろくないというのが実際のところで,記憶に残るところも少ない。空虚な熱気とでも云うほかない学生時分の,明けても暮れても文学に熱中した当時を思い出し,そういうところを描きたかったのかななどと考えた。題名を日本語訳すれば,「卑俗」ということらしいが,つまりは芸術への熱中も学生一般に共通するところで「ほんもんじゃねえよ」ということなのかもしれない。
 作中で太宰らしいと思うところは,花街の遊女たちを「自分を恥じていない」,「精一杯堂々と生きている」と見て,感心しているところだ。もちろん,こう言い切ることにぼくならためらうところだが,太宰は違う。だが,ぼくも太宰が云うところは実感できるし,同意することができる。芸術を云々している学生は「卑俗」で,彼女たちは「高貴」に近いところに位置するといった視線でながめられている。だが,さらに云えば,それは絶対的な「高貴」ではないことも太宰には考えられている。甘酒屋のお手伝いの娘の存在が,それだ。遊女たちを「高貴」から引きはがす存在としての「娘」。だが,さいごにはその「娘」さえもが「卑俗」へと引き込まれていくことが暗示されて終わる。
 ざっと見て,この作品にはこれくらいがぼくの精一杯の感想である。奥野などは,この作品にヨーロッパ的と日本的なるものとの対比などを見ていたようだが,ぼくはそんなことまで考える気にはならなかった。太宰にしてみれば,可能性を探った実験の意味合いもある作品であるかもしれないのだが,結果として,そんなにうまく仕上がった作品ではないように思われた。
 
 「雌について」
 理想の女性について,友達のアパートなんかで酒を飲みながら語り合った記憶がある。この小説はそんな雰囲気をこしらえている。ぼくには,それ以外に余り考えさせることのない作品である。題名も,何となく太宰らしくないと感じる。
 
 「創世記」
 文頭,片仮名で始まり,句読点の打ち方などは,ぼくの記憶にある太宰の文体に重なって,太宰らしさがよくでていると感じられる。だが,内輪話というのか,文壇や近しい知人に向かって書いているようで,これについてもやはり詳しく述べてみたいという気持ちが起こらない。パピナール中毒で入院する前後の時期であるからか,鋭さ,意気込み,ユーモアなどがあっても,書いている中での息切れとでもいうべき弱点を見せる作品だと思う。
 
 「喝采」
 この作品もまた,上記作品同様である。文体はただ,講談や落語を思わせるような,流れるような口語体が駆使されている。後半は中村地平のことを語っていて,弱気で素直な太宰の心境が表れている。
 
 「二十世紀旗手」
 冒頭,―(生まれて,すみません。)のことばが記されている。小説は序唱,壱唱から十唱へ続き,終唱で終わっている。「唱」というからには,「となえる」とか「うたう」とか,あるいは「文言を声高に言う」ことを表すために使用したものであろう。
 こうしたスタイルや内容は忘れていた。しかし,「生まれて,すみません」のことばをはじめとして,記憶に残っていることば,言い回しがあった。
 今,それらを思いつくままにあげてみると,たとえばこんなものがある。
  「芸術は,旗取り競争ぢやないよ。」「タンポポの花一輪の信頼」
  「私は,この世の愚昧の民を愛する。」
  「ばか,と言われたときには,その二倍,三倍の大声で,ばか,と言いかえせよ。」
 このほかには,「きみ,神様は,天然の木枯らしと同じくらいに,いやなものだよ。」などに太宰らしさを感じる。
 「奇蹟だ,奇蹟だ,握手,ばんざい。ばからしく,あさまし,くだらぬ騒ぎやめて,神聖の仕事はじめよ。はいと答えて,道問えば,女,唖なり,枯野原。」これなども太宰がよく使う書き方だ。句点までの一文ごとに,心の調子を変化させている。「ばんざい」から「ばからしく」までが句点ひとつだけで,落差が大きい。最後の「はいと答えて」から「枯野原」までの一瞬のしらけた,空虚さへの導きも,思わず感心させられてしまう。読めばスムーズだが,書こうとするとうまく真似できないのではないか。
 「私の欲していたもの,全世界ではなかった。百年の名声でもなかった。タンポポの花一輪の信頼が欲しくて,チサの葉いちまいのなぐさめが欲しくて,一生を棒に振った。」
 これなども太宰らしい。「信頼となぐさめが欲しかった」と告白しているものだが,それは素朴でありふれた「信頼」や「なぐさめ」で,実にそんな程度のものを欲したのだと言っている。たぶん,彼が求めていたのは,庶民の,あるいは愚昧の民にのみに与えられた,飾りや偽りのない,また裏や疑念のない,「信頼」や「なぐさめ」であったし,それを可能にするような「こころ」であったのだと思う。
 それはしかし,最初から不可能であった。娼婦のもとに通って歓迎されたためしがないと言っているように,太宰自身に最も無垢な「こころ」や「可愛らしさ」がなかったか,あるいは逆に過剰にあったために,擦りあうことがなかったのだ。角度を変えれば,自他の差異を掘り下げすぎたところから来る,一種の近代病に近い。もともと個には差異があることで,必要に迫られて共通性を探ってきたのが人間の歴史である。言語などはその最たるものだと言われている。その意味では,太宰の側で,「信頼」や「なぐさめ」に疑念をもたなければよかったのだ。また,太宰にしか要求できないような「信頼」や「なぐさめ」を太宰自身が他者に与えることができていたかどうか,また他者がそれを欲するかどうかは分からない。
 太宰の小説を読み始めた頃は,ぼく自身も純粋さを突き詰めるような考え方をしていた。もしかすると今でも,それは残っているかもしれない。そこでは他者との「心の差異」が大きくて,その空隙が埋まらないことに,どうしようもない不安と寂寥を感じている。「心の差異」を感じ,怯えることによって,余計に「心の差異」を大きく感じるようになってきたと言えなくもない。他に心を激しく動かしていれば,こうはならなかったのかもしれないと思う。太宰の小説に見るそうした偏りへの親近感は,彼の小説に触れて目ざめたものか,逆にぼく自身にそういう意味の偏寄があったために親近感を覚えたのか,これはもう,ただ内臓からの共鳴という他はないと言ってみたい気がする。
                                 つづく
 
 「HUMAN LOST」
 精神病院に入っていた当時を題材にした作品である。題名は忘れられずにあったものだが,今回数度読み返してみて,期待するほどではなかった。ただ,初めて読んだ当時はもっと食い入るように読んだはずだという余韻がある。ひとつひとつのことばの内側に入り込んで,読めたはずだ,という思いが,否定できずに残る。
 太宰の小説群の中では,詩的なというか,物語性を犠牲にしながらも彼にとって意味や価値のあることばが選択されて,並べられて構成された作品群のひとつである。
 孤独な魂が,孤独の極限に覚悟して立ち,理解されることを放棄して,ひたすら自己にこだわるところから表出されたことばでもって刻まれた表現であると思う。コミュニケートすることを,ある意味で拒絶している。
 読者が,極限の場所に自らの身を置いて読むのでなければ,うまくつかみきれない作品ではないか。そしてこれは,同時期に書かれた作品に共通している傾向だという気がする。そのせいか,今のぼくにはこの辺の作品群は,いわゆる入りにくい作品群となって感じられている。読みながら,苦しくなるのだ。
 彼の思いは伝わってくる。そしてまた,言いたいこともよく分かる。書かれてある,その通りだとも思う。
 ただぼくは,当たり前のように仕事をしてきて,家に帰り,夕食を終え,テレビの声を聞いたりしながら彼の作品を読み,この文章を綴っている。思考の力にも,そのほかの感覚の力にも,疲労を残しながら書いている。彼の表出の集中度のレベルまでに自分の精神の集中度を高めるのは,容易ではない。ぼくはぼくの今ある場所から太宰を読み,見えてくるものをその通りに書きたいと思っている。このあたりの太宰の作品群は,ぼくのいる場所まで降りてきてくれる優しさに欠けている。と言うより,そんなことにかまっていられるほどの余裕もなく,自分の体勢を立て直すことに必死なのだと思う。支離滅裂,詩的,何とでも言えるが,内臓の声の表出であることには違いない。他者の内臓の声を聞くには,自分の内臓の声によく耳を傾けた経験が不可欠である。そのレベルでしか,正しく,あるいは深く理解することができない。どれほど正確に自分の内臓の声を理解しているか。他者の内臓の声の理解は,その程度において決定されると言ってもいいのではないか。
 ふと,妻の発狂に,くっつくように共に精神病院に入った島尾敏雄のことを思い出す。島尾もまた,異常の世界の淵にあって,その深淵を病妻物語と言われる中に書き表した。その表現するところは,太宰と違って,徹頭徹尾,「大義」「名分」からは遠かった。
                                   つづく
 
 この作品において太宰は,妻や知人そして肉親への悪態,入院した脳病院に対する非難的なことばを並べている。また,「私は,享楽のために売春婦買ったこと一夜もなし。」「私は,享楽のために,一本の注射打ちたることなし。」「その人と,面とむかって言えないことは,かげでも言うな。」などのことばも記している。島尾には,こうした言辞が一切なかった。太宰が,必死に自分を立て直し,崩壊を防ぐために闘うとき,島尾は逆に自分というものを解体する方向へと突き進めた。島尾の姿勢は妻の発狂に結びついていたのかも知れず,太宰の姿勢はもしかすると妻を守ることにつながっていたのかも知れなかった。太宰は確かに戦おうとしていた。決して好戦的ではないのだが,やむを得ずの戦いに果敢に挑んだ。もちろんそれは,必敗の予感に満ちた戦いではあったはずだ。その戦いの跡を丁寧に辿ってみせる力はぼくにはない。だが,誰でも彼の作品を読むことで,容易にそれは知りうると言える。島尾には,それは幸せな境遇,と映っていたに違いない。
 「あなたは知っている?教授とは,どれほど勉強,研究しているものか。」「学問の過尊をやめよ。試験を全廃せよ。あそべ。寝ころべ。われら百万の富貴をのぞまず。立て札なき,たった十坪の青草原を!」
 これらのことばが,太宰のどんな心的な背景をもとに表出されたことばであるかを,想像できるだろうか。ただのはったりではない。命を削るような創造の苦しみ,そうした経験をかいくぐる渦中に見聞きした真実を記していると思うのだ。学者の勉強,研究などには負けないだけの,創造の修練を経てきているという自負が言わせることばである。
 また,学問をやめよと言っているのではなく,学問の過尊をやめよ,と言っていることにも注視したい。そこには,百万の富貴と学問の過尊との結びつきが直観されていて,自由が第一だよと言っているのだと思う。
 
 「つかれた?」
 「ああ。」
  これが人の世のくらし。まちがいなし。
 
 こんなことばも,太宰のことばに,なっている。
 
 
 「燈籠」
 この作品の筋は,恵まれない境遇の娘がとあることで青年に恋し,その青年のために店先から物を盗んで捕まるという,ただそれだけの小篇である。
 娘は普段から質素な暮らしぶりで,目立って善いことも悪いこともしない,ごくつましい庶民生活を送ってきた。その彼女が好きになった青年のために,どろぼうをした。
 強盗とか犯罪者とか呼ばれる人たちは,愚かだけれども馬鹿正直な人たちなんだと言う見方が太宰にはある。作中においても主人公の娘に,「私は,強盗にだって同情できるんだ。あの人たちは,きっと他人をだますことのできない弱い正直な性質なんだ。人をだましていい生活をするほど悪がしこくないから,だんだん追いつめられて,あんなばかげたことをして,二円,三円を強奪して,そうして五年も十年も牢へはいっていなければいけない。はははは,おかしい,おかしい,なんてこった,ああ,ばかばかしいのねえ。」などと言わせている。そうして,盗みをはたらいた原因の当の青年からは,「さき子さんには,教育が足りない。さき子さんは,正直な女性なれども,環境に於いて正しくないところがあります。」などと言われてしまうことになっている。
 恵まれて,学問や教育を身につけた青年の,優位の席に胡座をかいたうそ寒く,浅薄な物言いは,誰もが顔をそむけたくなるものだが,実のところ,無意識の中で誰もがとっている態度でもある。
 決してよくできた作品とは思わないが,ちょっとした道のくぼみに目をとめるように,社会的な事象の裏側に悲喜劇を見る優れて人間的な洞察力が表れている作品であると,ぼくは思う。
 こういう,社会的な常識から見れば価値の転倒と思える見方を,ぼくは若き日に太宰から学んだように思う。文学とは何かと考えるとき,その原点のひとつが「価値を逆さまにする」ところにあると思うのはぼくだけであろうか。
 
 
 「姥捨」
 年譜などによると,前年に妻の小山初代と水上温泉へ行き,自殺を企てたことが知られる。この作品はその未遂事件をもとに,書かれている。もちろん,その体験に即して筆は運ばれているが,太宰は事実を書き留めたかったわけではなく,文学作品としてのモチーフ,つまりある価値の表現のためにこれを題材にとったものと考える。
 作中において,太宰は主人公「嘉七」の口から告白を言わせている。そのことばは,太宰自身のことばに近く,心をえぐるようにしてその奥底から取り出され,書き記され,繰り返し吟味する過程を経て定着された。これらのことばは,同じような境遇の人々にとって,自己を代弁するようなとても貴重なことばであると思う。
 生活の中で,誰にも理解されない,自分の中だけで悶々とする思いをもつことは少なくない。その時に,自分の心を代弁するようなことばに巡り会うと言うことは,とても勇気を与えられ,支えになることだと思う。そういう出会いを期待して,人はことばの森に,詩や小説の世界に繰り返し足を踏み入れる。
 若き太宰には野心があり,夢があり,希望があった。それは芥川のような天才的な小説家への憧れであったかもしれないし,革命への意志,使命感かもしれなかった。
 気付けばしかし,三度の自殺未遂。
 もはやかっこよさもなく,人生の落伍者,敗残者として,社会の底辺に心細い姿をさらしているにすぎない。名声どころか,「嘘つき,なまけ者,うぬぼれ,ぜいたく,おんなたらし」などの代名詞にさえなっている。
 それでもまだ生きていかなければならないとしたら?
 もちろん,多くの世間の人々は,見えない挫折の経験をその心の背景に持ち,その痛みを生涯の友と苦笑しながら引き受ける以外にないようなしかたで,日々の暮らしを営んでいる。太宰もまた,挫折の果てに,気付くところがあった。
 「私は,やっぱり歴史的使命ということを考える。自分ひとりの幸福だけでは,生きていけない。私は,歴史的に,悪役を買おうと思った。ユダの悪が強ければ強いほど,キリストのやさしさの光りが増す。私は自身を滅亡する人種だと思っていた。私の世界観がそう教えたのだ。強烈なアンチテエゼを試みた。滅亡するものの悪をエムファサイズしてみせればみせるほど,次に生れる健康の光りのばねも,それだけ強くはねかえって来る,それを信じていたのだ。私は,それを祈っていたのだ。私ひとりの身の上は,どうなってもかまわない。反立法としての私の役割が,次に生まれる明朗に少しでも役立てば,それで私は,死んでもいいと思っていた。誰も,笑って,本当にしないかもしれないが,実際それは,そう思っていたものだ。私は,そんなばかなのだ。私は,間違っていたかも知れないね。やはり,どこかで私は,思いあがっていたのかも知れないね。それこそ,甘い夢かも知れない。人生は芝居じゃないのだからね。おれは負けてどうせ近く死ぬのだから,せめて君だけでも,しっかりやって呉れ,という言葉は,これは間違いかも知れないね。一命すてて創った屍臭ふんぷんのごちそうは,犬も食うまい。与えられた人こそ,いいめいわくかもわからない。われひと共に栄えるのでなければ,意味をなさないのかも知れない。」
 「われひと共に栄える」という自覚は,挫折の後に辿り着いた場所であった。しかしこの,「われひと共に栄える」在り方は,最後まで太宰には手に取ることのできなかった在り方でもあった。
 未遂の後に,主人公の,そして太宰の心に,すべての粉飾が取り払われたありふれた心境が訪れる。
 「人間は,素朴に生きるより,他に,生き方がないものだ。」
 「生きていくためには,愛をさえ犠牲にしなければならぬ。なんだ,あたりまえのことじゃないか。世間の人は,みんなそうして生きている。あたりまえに生きるのだ。生きてゆくには,それよりほかに仕方がない。おれは,天才でない。気ちがいじゃない。」
 何の変哲もない,あたりまえのありふれた述懐だが,身も心もずたずたになるほどの経験,格闘を経てきたという自負が,太宰の心境の裏側を支えていたと思う。
 この作品について,うまく述べることはできなかったが,ぼくの気力の方が尽きている。ここで終わらせておきたいと思う。
                                  つづく
 
 「I can speak」
 山梨県御坂峠の天下茶屋から甲府に降りた頃の,小さなエピソードを綴った掌編である。
 作家である主人公が下宿で作品を書き進めていると,女たちの歌声が聞こえてくる。隣の製糸工場の女工たちが,作業しながらの歌声で,そのうちの際だっていい声に主人公は次第に心ひかれていく。辛い過去を負い,再出発に意気込みながら,しかし孤独な主人公には,唯一の励ましになったのである。
 二月の「寒いしづかな夜」,工場の塀の上の窓から顔を出す女工に語りかける,酔った無学な弟の声が聞こえてきた。そっと耳を澄ましていると,「偉くなるために夜学へ通っているんだ」というようなことを弟はいっている。それが,「I can speak English」なのだ。姉は,なんだかやたらに笑っている。
 主人公は,その弟の英語に,なぜか心が打たれた。そして「ふっと私は,忘れた歌を思いだしたような気がした。」といい,「たあいもない風景ではあったが,けれども,私には忘れがたい。」と述べている。
 ぼくはこの短い作品に,太宰らしさを強く感じる。少なくとも,ぼくにとっての太宰は,そうなのだ。姉弟に流れる情愛と,弟の習いたての英語を発声するその底に流れる純粋な思いというようなもの。そんなものに太宰の感性の針は大きく振れる。それは裏を返せば,「うわっ。ひでぇ。酸鼻だ。」という表現と出所は同じなのだが,ようするに「I can speak English」のことばに,ことばの意味する以上の意味や価値を瞬時に読み込み,鋭く反応してしまう。その感性が太宰的なのだ。
 表現上からいえば,これは,省略の妙ともいうべきで,理由をくどくど述べていたのでは逆にその時の感受が読者には伝わらない。読者の記憶,回想を最大限に利用して,空隙を読者のそれに任せて埋める。日本古来の文学の手法である。ただ,何を対象にしてかということが,作家の個性に関わるのだ。
 あまり学のない男が,偉くなりたくて何かをはじめるといった図は,いつの時代にもよく見られることだ。実際的には,愚かなやつだな,などと思うものだが,しかし,その愚かさは実は己のものでもあるという振り返りが時を隔てずに訪れる。どこかに共鳴が起きる。
 太宰は最後をこう結んでいる。
 「あの夜の女工さんは,あのいい声の人であるか,どうかは,それは,知らない。ちがうだろうね。」
 ロマンチストでありながら,リアリストでもある太宰の面目躍如たる一文ではないか。そんなふうに思わせるような遊びを最後に用意しているところが,また,心憎い。
                                  つづく
 
 「富嶽百景」
 この小説は,よく記憶に残っている。中期の(亀井)代表作にあげられるもののひとつである。すっきりと読みやすく,剣道でいえば,作者としてのスキが見られない,きちんとした作品に仕上がっている。ところどころ,太宰らしいエピソードも含みながら,しかし全体としての内容は特にどうということもない,小説家の仕事先での見聞録だ。
 この安定した筆運びは,太宰治の文筆家としての力量を感じさせる。主題にも内容にも奇抜さはないのだが,それをスムーズに読み進めさせる力がある。職人の作った陶芸,木工ならば,見た目にそれと分かるように,小説にも職人技や味わいを感じさせる言語表現上の美が存在する。
 ここでは,有名なフレーズとなった「富士には月見草がよく似合う」という表現を取り上げておけば充分であろうか。何がどう似合うのか,よく考えると,とたんにうまく言えなくなってしまう何かだが,これ以外の表現はないというようなあり方で人々に記憶されている。この作品を読んだことがあるものに,「富士には何が似合う」と書かれているかを問えば,全員「月見草」と正解するにちがいないと思える。理由はよく考えもしないし分からないのに,もう,はまってしまうのだ。
 当時,「月見草」がどんな花なのかも知らないで,しかしぼくには,その「月を見る草」という漢字の意味合いをもつその花が忘れがたいものになった。後年,実物を見てああこれかと思ったが,なんだか意外の感をもった。かえって,これがなぜ富士に似合うのかが分からない気がした。
 それでも,いまもって「富士には月見草がよく似合う」という表現は否定できず,「これでいいのだ」と思ってしまっている。
 ほかに遊女の一団体をながめる主人公の心理など,その内実に分け入って考えればいくらでも考えは浮かんできそうだが,理屈っぽくなるだけできっと後悔しそうである。余韻を残しこの作品に関してはここで筆を留めておきたいと思う。
                                つづく
 
 「懶惰の歌留多」
 この作品は,「歌留多」の名の通り,「いろはにほへとちりぬるをわかよ」ごとに小さなエピソードを並べて一編としている。ここでは気にとまった部分を引用し,それについての感想を述べる形で進めてみたい。
 初めの部分は,太宰らしく,なにやら言い訳がましい語り口で作品を書くことの動機について,また小説家が文章を書けないときの姿を戯画化して表している。簡単に言えば,「私」が書かない理由は,「怠惰以外の何物でもない」ことを繰り言のように書き記している。最後には,「ええッ!と,やけくそになって書き出」すことになるのだが,その文字が,「懶惰の歌留多」である。
 怠け者の自分に言い聞かせるかのように,手を代え品を代え,いろいろな言い回しを試みている中に,つぎのような箇所がある。
 
 「苦しさだの,高邁だの,純潔だの,素直だの,もうそんなこと聞きたくない。書け。落語でも,一口噺でもいい。書かないのは,例外なく怠惰である。おろかな,おろかな,盲信である。人は,自分以上の仕事もできないし,自分以下の仕事もできない。」
 
 これは,今この文章を書き,またほかの文章を書いてホームページというものを更新している自分の心境にとても近いものがある。徒労でも不毛でもいい,とにかく書き綴るのだと。いや,今ではそれはそう思う前に書くという行為に向かう,いわば衝動のようなものと化している。
 夕食を終えると,どっと眠気を催し,仮眠したりしなかったりしながら,這うようにして二階に上り,とにかく続きを書く。内容はもちろんたかが知れているのだ。落語や一口噺にさえなっていない。ただ,書くことで,考えることで,思考の脈絡をつけたいとだけは望んでいる。卑小なものかも知れないのだが,こんなぼくであっても,もう少し行けば,見晴らしの良い,すっきりと展望できる地点に辿り着けそうな気がする。その為にはこういう無理矢理にでも書くという過程が,どうしても必要なのだという気がしている。何か,「死」というようなものまで予感しながら,とても切迫した,他のことはみんなどうでもいいというような,そんな,感情に占められている。
 太宰の文章から,だから太宰の心情をぼくはそんなふうなものとして理解していることになる。もちろん,太宰はプロの小説家であるから,書きたくないときでも,書けないときでも,書かなければならないのは当然である。小説に全てをこめるのでなければ小説家たり得ない。職人と同じに,作品がものを言う世界に生きているからだ。そう考えると,実は多作である必要はないとも考えられる。たったひとつの作品で,大作家と称されることはあり得る。だが,それだって見えない修練の時期はあるはずで,想像でしかいうことはできないが,きっとそれは凄まじいの一語に尽きるとぼくは思う。
 太宰は作家の楽屋裏を開陳して見せていることで,玄人筋には軽薄と映っていたかも知れない。だが,表にさらす怠惰の姿と,同じく時に修練の片鱗を垣間見せる表現上の姿とは別に,「引きこもった世界での」徹底した修練というものは確実にあったはずなのだ。そして,それは,実は全てをさらけ出すかのような彼の文体からは,かえって想像しがたい,見えにくいものとなっている。それはまた,彼の含羞の本質を語るものでもある,と,ぼくは思う。
 さて,次のような箇所もある。
 
 「ああ,たまらない,たまらない。私は猛然と立ち上がる。
  おどろくことは無い。御不浄へ行ってきたのである。期待に添わざること,おびただ しい。」
 
 もう少し前から引用すべきだったかも知れないが,落語でいえば「落ち」の多用が太宰の文章の特徴であることを,一言いっておきたかったのだ。抜群のセンス。ぼくはそう思う。現在の芸能人でいえば,ビートたけしの話芸を思い起こす。確実にポイントを押さえながら,本来深刻になるべき所を深刻にならないところに転じたり,笑いに転じたり,すっと自然体でできている。真正面から取り組めば,哲学者になるほか無い所だが,おもしろくもない世界だし,第一,庶民には無縁の世界だ。阿呆からアウトローまで混在する庶民の世界に共感し,彼らに自分のことばが届くこと,交流できることを希求するものにとって,哲学の野暮さはたまらないはずなのだ。
                                つづく
 
 さて,先にも述べたように,この小説は「いろは」歌留多の形式をとり,読み札のように「い」は「生くることにも心せき,感ずることも急がるる」等として,以下にその文から喚起されたイメージがことばでつながれるといった形で進む。つまり,「い」という文字から「生くる・・・」が思い浮かび,また「生くる・・・」ということばから思い浮かんだ話がその後につなげられていくのである。
 ちなみに「ろ」からは「牢屋」が思いつかれ,「は」からは「母」を思いつくといったように,文字間の関連性はあまり考えられていない。
 「に」は,「憎まれて憎まれて強くなる。」というように,いかにも太宰的なイメージの選択がなされているが,その中に,「おやっ」と思われる文があった。それは次のようなものである。
 
 「戦争と平和や,カラマゾフの兄弟は,まだまだ私には,書けないのである。それは,もう,はっきり明言できるのである。絶対に書けない。気持だけは,行きとどいていても,それを持ちこたえる力量がないのである。」
 
 ここには,ひっそりとであるが,「戦争と平和」や「カラマゾフの兄弟」のような小説が書きたいという思いが告白されている。また,なぜ今それが書けないのかが十分,反省的に熟知されているように思える。「持ちこたえる力量がない」ということばに,正確な批評眼,客観的な内省の力が感じられる。
 この時の太宰は,長生きをして力を蓄え,上記の二小説に匹敵するような作品を目指す意気込みがあった。小説家として,王道を歩みたいという思い,正当派作家への志。それは間違いない。いずれ,「戦争と平和」や「カラマゾフの兄弟」のような作品を書くつもりでいたのかも知れない。「まだまだ私には」ということばに,その思いが感じられる。ぼくには,太宰のこんなことばは記憶になかった。だから,おやっと思ったのだ。そして,太宰が,願い通りに力量を蓄えて,二つの小説に挑戦する作品の創作に向かったならばどんな小説になっていたかを夢想した。
 だが,結果として太宰は長生きもできなければ,世界的な名著として残る文学作品をものにすることもなかった。挫折の理由はいろいろにあるけれど,ここではそれを惜しまずにはいられないことを述べるに留めておきたい。
 ところで,この「に」の後半部において,次の描写がある。
 
 「ふと目をさますと,部屋は,まっくら。頭をもたげると枕もとに,真白い角封筒が一通きちんと置かれてあった。なぜかしら,どきッとした。光るほどに純白の封筒である。キチンと置かれていた。手を伸ばして,拾いとろうとすると,むなしく畳をひっ掻いた。はッと思った。月かげなのだ。その魔窟の部屋のカアテンのすきまから,月光がしのびこんで,私の枕もとに真四角の月かげを落としていたのだ。凝然とした。私は,月から手紙をもらった。言いしれぬ恐怖であった。
 いたたまらず,がばと跳ね起き,カアテンひらいて窓を押し開け,月を見たのである。月は,他人の顔をしていた。何か言いかけようとして,私は,はっと息をのんでしまった。月は,それでも,知らんふりである。酷冷,厳徹,どだい,人間なんて問題にしていない。けたがちがう。私は醜く立ちつくし,苦笑でもなかった,含羞でもなかった,そんな生やさしいものではなかった。唸った。そのまま小さい,キリギリスに成りたかった。」
 
 月かげだと了解して,瞬時に「月から手紙をもらった。」と受け入れる神経。そしてすぐに続く,「言いしれぬ恐怖」とは何か。また,月を見て,はっと息をのんだのはなぜか。何が,「なまやさしいものでは」ないのか。
 ここを読んで,強く印象に残った。そしてすぐに其角の「蟷螂の尋常に死ぬ枯野かな」という句を思いだした。と同時に,その裏には個体生命の絶対的な孤独,それを意識する人間精神の凄まじい奥の深さ,重さといったものがぴったりと張り付いているのだという思いを重ねた。
 人間は孤独なのだ。当然であるかのように,孤独なのだ。太宰治はそれを実感していた。それは親鸞の「善悪のふたつ,総じてもって存知せざるなり」のことばにある,人間の考える善悪,また善行,悪行など,たかが知れているという透徹した認識に近い,人間の人事を超えた,「自然」に融解した認識の次元といってもいい,実感であった。そこにはもう沈黙しか残らない。だから,「キリギリスに成りたかった」というよりも,「キリギリスに化した」というほうが正しいことばの選択であったかも知れない。
 蟷螂もキリギリスも,秋の枯れ野の中に,それが当たり前であるかのように屍をさらしているのを見る。ぼくたちは何の感慨も持たずにそれを眺めるということが,あり得る。見ていながら,「死」というものに,気付かない。そういう「死」が,本来の死かも知れず,そういう「死」が,見ているぼくたちを見返している。そしてそういう「死」の視線がぼくたちの側にもある。その時,ぼくたちも「自然」そのものであり,意識の背景としての無意識が,その視線を支えるのだ。
 最後の方は,曖昧さとはったりとが同居しているが,ここはこのままにしておく。
 太宰の小説の方もこれ以降の文章は,それなりで,特にコメントしておきたい箇所もない。筆一本で生活していくということは,大変なことだなと読後に感じたことを付け加えて,次の「黄金風景」に進んでゆきたいと思う。
                                  つづく
 
 「黄金風景」
 この作品はぼくにとってはとても太宰的で,よく記憶に残っている。大作ではないし,格別テーマや話の内容がおもしろいわけではない。けれどもとても太宰らしいとぼくが勝手に思っている,好きな作品のひとつである。
 はじめに作者と思われる話の主体者が,子どもの頃に女中をいじめた経験が語られている。自身,「私は子供ときには,余り質のいい方ではなかった。」という告白から始まっているが,のろくさい,無知で愚鈍な女中「お慶」に対してのいびりの描写は,まさにいやらしい子どもという印象をもたらす。
 それは本当にそうだったろうと思われる。ぼく自身,家は貧しかったが両親が共働きでお手伝いさんを頼んでいて,そのお手伝いさんに同じような意地悪をした覚えがある。それは忘れることができない。似たような経験が,この作品を近しいものにしている。
 旧家であり,地域においては名前の知れた家の出でもある作者は,しかし今は心中未遂などで世間をさわがした文筆家で,海の近い小さな町で自炊の保養をしている。そこへ戸籍調べの巡査が来て,実は主人公と同じ村の出身で,しかも子どもの頃にさんざんいじめた「お慶」の旦那だった。主人公はそれを知って,昔を思い出し,いたたまれなさを感じる。しかも,巡査は,こんどいっしょにお礼に伺うということで,主人公である作者は飛び上がるほどにぎょっとしてしまう。
 3日後,実際にお慶の家族が訪ねてきたのだが,主人公である作者は用事をつくって逃げるように町に出て行ってしまう。町で何をするでもなく時間をつぶした主人公が,しばらくして家に向かうと,近くで海に石の投げっこをしているお慶親子三人を認めた。
 巡査と妻のお慶の声が主人公の耳に届く。巡査は,頭の良さそうな方だといい,お慶は「目下のものにもそれは親切に,目をかけて下すった。」などといっている。それを聞いて,主人公は立ったまま泣いてしまう。いじめたばかりのお慶が,そんなことばを言うことが主人公には不可解だったにちがいない。そしてそれをお慶夫婦の勝利だと主人公は感じた。
 そして,「負けた。これは,いいことだ。そうでなければ,いけないのだ。彼らの勝利は,また私のあすの出発にも,光りを与える。」と結んでいる。
 主人公は,現在,大家の出である自分に後ろめたさを感じている存在である。関係性として,下層で生活する人々に対して優位な立場に押し上げられる自分を客観視した場合,その優位はいわれのないものだと考えられるようになっている。下層のものが自分のように知識を得て,怒りを生じたならば真っ先に血祭りに上げられる階級に存在すると考えていた。そんな自覚もなかったとはいえ,子ども時代に「おぼっちゃん」でいて,女中さんをいじめていたということは,否定したいこと以外の何ものでもなかったであろう。
 主人公である作者の思いとは別に,お慶夫婦は,作者を誇らしげに受けとめている。お慶の思い出の中には,いじめられたことどころか,逆に親切で思いやりに満ちた少年の姿しかなかったのだ。ここでは,アジア的で日本的な階級社会の姿の一端が垣間見られる。奉公が決して後世に取り上げられるような搾取や略奪ばかりの関係ではないこと。場合によっては,感謝されるほどの関係にあり得たこと。
 この作品において,作者がかつての奉公人の心情に肩入れをして,奉公人たちの側から自己否定的に作品形成を行っているから,ここに現れた作者の倫理を肯定的に評価できる作品とみなしがちである。事実そういう面も感じられるのだが,今回読み直してみて,主人公と作者の心情のちぐはぐさが,実は互いに誤解しあっていることから生じるものではないかと考えるようになった。
 作者は,太宰は,どうしてこれを勝ち負けで捉えなければなかったのか。少なくともお慶夫婦にはそんな勝ち負けの意識などは端からなかった。自分たちがお世話になった豪家の「ぼっちゃん」が,作家として名を成しつつあることへの単純な誇らしげな思いばかりであった。その古い日本的な階級意識が,マルクス主義に傾倒することもあった太宰の近代的な考えを負かしたということなのか。少なくとも太宰は,そういう思いをそっとこの作品に込めているという気もする。
 文章としては荒っぽいけれども,ここでぼくは太宰治ほどに一般大衆としての存在の価値を高く評価し続けた作家はいないことに言及しておきたいと思う。大衆から浮上する地位や名誉,知というものでさえ,究極としては解体されなければならないことを理念というよりは感覚的に知っていた作家である。自分が負けなければならないという形を通して,「知」が,大衆以上の権威をもって君臨しては成らないことを示し続けた。「黄金風景」は,そういう課題をも盛り込んだ作品として読み取ることができるのではないか。最後にこのことを記して,この巻を終えることにしたい。
                                  つづく
 
 
第三巻 『女生徒』他十四編
 
 「女生徒」
 この作品は,若い女学生の一日を追って,その心の動き,思い出などを,本人が告白するかのように書いている作品である。もちろん,作者太宰の作り上げた女学生で,どれだけ実際の女学生の心理や感覚的な生理に近づけるかが問題となる作品だ。
 題名は覚えていたが,一読してその内容は印象とはやや違っていた。案外あっさりと読み通せた感じだ。特に大きく印象に残るところもない。また,読んでいて余りにも気恥ずかしくなるような,無理な設定,誇張された心理の描写もない。無難に,女性徒になりきれていると思える。だが,このような女学生が実在するかと考えれば,やはり,太宰がこしらえた人形という枠を出るようなものではないと思える。同時にしかし,近似的に,あり得そうな気もする作品となっている。
 感覚に,ことばが,論理が,追いつかないといったような危うさやもろさを感じさせる十代の半ばという時期,肉体と精神のアンバランス,そういう曖昧模糊とした不可思議さが表現されている。
 朝,目をさましたときの,主人公の気持ちの描写から作品ははじめられている。
 主人公の設定を作品に沿って追っていってみると,まず,朝に弱いことが分かる。彼女は起きて,寝巻のままで鏡台の前に座り,鏡を覗いた。次に,今日から5月という設定が示される。庭に出る。ここで,父親が最近死んだことが明かされる。この家には,ジャピイとカアという二匹の犬がいて,彼女は少しかまってやる。
 次に部屋の掃除をはじめる。この日,母親は知人の縁談のために朝早くから出かけている。みそ汁を温める。食堂で一人でご飯を食べる。その後戸締まりをして学校に出かける。出がけに門の前の草を,少しむしる。畠道,神社の森の小道を抜けて停車場に向かう。電車に乗って本を読む。
 お茶の水のプラットフォムに降り立つ。学校で女の小杉先生の修身らしき授業を聞く。お昼ご飯を友だちときゃあきゃあ言いながら食べる。午後の授業。伊藤先生の図工。放課後,友だちと美容室に寄る。帰りのバスに乗る。
 バスを降りて,田舎道を自宅に向かう。途中,青草原に寝転がる。家に帰り着く。
 客がいて,母親が帰っている。あいさつする。井戸端で手足を洗う。魚屋さんが来る。北海道の苫小牧に,嫁いだ姉を思い出す。ジャピイをかまう。部屋にはいる。鏡を覗く。台所へ行き,米をとぐ。父親が生存中は,小金井に家があったことが言われる。客をもてなすための料理を急ぐ。客は大森の今井田さん夫婦と七歳になる子ども。みんなでいっしょにご飯を食べる。一人で後片づけをはじめる。
 今井田さん家族と母とが出かける。郵便箱から夕刊と手紙を取り出す。兵隊に行く従兄弟の順二と弟である失明した新ちゃんの存在。座敷をはいて,風呂を沸かす。風呂が湧いて入る。風呂から上がって庭に出る。部屋へもどって机の上の百合を眺める。母親が帰ってくる。母の肩をもむ。母に,クオレの本を読んでやる。母が寝る。風呂場で洗濯する。風呂場の掃除をして部屋にもどる。母親との短い会話。布団に入り,寝入る。
 ざっと,こんなふうだ。
 女学生の細やかなしぐさ,心理が,よく表現されている。また,精神と肉体の発達のアンバランスが,いかにもそうかも知れないといった具合に挙措や意識の流れの描写の中に描かれている。現実への反発。時に,投げやり,悪や不善や堕落への傾斜。それらもみな,脈絡もなく挿入されている。現実に生きている姿というのは,いずれこうしたものだと,否定も肯定もしようがない,ただこれを前提にする以外には何も始まらないのだと,太宰は言おうとしているようにぼくには聞こえてくる。
 この作品には,言おうとして言えない何か,言いたくても言えない何かも,作者の意図を離れて表現されているという気がする。端的に言えば,意味と価値についての言及を規制するところから来るものだ。意味を抜く,価値を抜く,そういうスタイルが危ういところで成り立っている。これは何かの始まりであったかも知れない。
                                つづく
 
 「葉桜と魔笛」
 この作品は,老夫人の回想の物語だ。簡単にあらすじを追うと,早くに母を亡くした父と姉妹三人家族の話で,病気がちの妹が十八で亡くなる3日前のエピソードが中心の物語となっている。
 エピソードについて言えば,腎臓結核で寝たきりになった妹の,実は自身の手で自分宛に出した手紙を見た姉の「私」が男性からのものと誤解して,最後の別れの内容らしき手紙を読んで妹を不憫に感じて,「彼」に成り代わり妹に手紙を出したというものだ。
 はっきり言うと,ぼくにはこの作品の世界がわかりにくい。たとえば,作中にこんなことばがある。
 
 「私も,まだそのころは二十になったばかりで,若い女としての口には言えぬ苦しみも, いろいろあったのでございます。」
 
 「私自身,胸がうずくような,甘酸っぱい,それは,いやな切ない思いで,あのような 苦しみは,年ごろの女のひとでなければ,わからない,生地獄でございます。」
 
 「姉さん,ばかにしないでね。青春というものは,ずいぶん大事なものなのよ。あたし, 病気になってから,それが,はっきりわかって来たの。ひとりで,自分あての手紙なん か書いてるなんて,汚い。あさましい。ばかだ。あたしは,ほんとうに男のかたと,大 胆に遊べば,よかった。あたしのからだを,しっかり抱いてもらいたかった。
        中略
 姉さん,あたしたち間違っていた。お利巧すぎた。ああ,死ぬなんて,いやだ。」
 
 なんだか,自分も通ってきた道であるような無いような,現在の若い女性たちが考えるところに近いような近くないような,そんな不思議な読後感を抱く。
 文章を読みながら,「性」が「心」であるような結びつき,古典的な世界というようなものを感じ,また,芥川の文章の影響といったものをも思った。それはしかし,さしたる根拠があってのことではない。
 
 「秋風記」
 題名は記憶になかった。しかし,読んでみると,大変よく覚えている内容であった。たぶん最もよく心を捉えられた太宰の作品群の中の一つだ。
 
 「あの,私は,どんな小説を書いたらいいのだろう。」
 
 この冒頭の一文に,漫才師の言うところの「つかみ」がある。この率直な,構えを解いた,いきなりの本音で書き出されては,こちらの本音も揺さぶられる。一瞬にして,心の奥処の襖が開かれてしまう。
 この作品に登場するのは,作者と思われる小説家の「私」と「K」,そしてちょっぴりとだが芸者さんがひとり顔を出す。
 「私」と「K」とは,血のつながりはないが家族同様の間柄であると説明される。これは微妙なところだ。この微妙さは,現在における「私」と「K」との関係の微妙さにつながっている。
 「K」は既婚者で子どもがいる。結婚の相手は「私」ではない。連れ合いは作品には登場しない。だが,今年の晩秋,「私」は「K」の家を訪れ,口笛を吹くと「K」は裏木戸を開けて出てきて,旅行の誘いに頷く。そういう間柄だ。今で言うならば不倫を想像するほか無い関係だが,作品中にはそんな間柄には発展しない微妙さが継続する。姉弟ではないが,姉弟以上の対なる関係を持続する友だちとしての男女。ぼくには考えられないところだが,肉体関係に辿り着かない,危うい均衡を保ったまま二人っきりの旅行さえできる関係が成り立っている。それは,ぼくには,一種の羨望を抱かせる。
 そのこととは別に,読んで心ひかれる,作中の「私」のことば。
 
 「ひとことでも,ものを言えば,それだけ,みんなを苦しめるような気がして,むだに, くるしめるような気がして,いっそ,だまって微笑んで居れば,いいのだろうけれど, 僕は作家なのだから,何か,ものを言わなければ暮らしてゆけない作家なのだから,ず いぶん,骨が折れます。僕には,花一輪さえ,ほどよく愛することができません。ほの かな匂いを愛づるだけでは,とても,がまんができません。突風のごとく手折って,掌 にのせて,花びらむしって,それから,もみくちゃにして,たまらなくなって泣いて, 唇のあいだに押し込んで,ぐしゃぐしゃに噛んで,吐き出して,下駄でもって踏みにじ って,それから,自分で自分をもて余します。自分を殺したく思います。僕は,人間で ないのかも知れない。僕はこのごろ,ほんとうに,そう思うよ。僕は,あの,サタンで はないのか。殺生石。毒きのこ。まさか,吉田御殿とは言わない。だって,僕は,男だ もの。」
 
 また,こんなことばもある。
 
 「過去も,明日も,語るまい。ただ,このひとときを,情にみちたひとときを,と沈黙 のうちに固く誓約して,私も,Kも旅に出た。家庭の事情を語ってはならぬ。身の苦し さを語ってはならぬ。明日の恐怖を語ってはならぬ。人の思惑を語ってはならぬ。きの うの恥を語ってはならぬ。ただ,このひととき,せめて,このひとときのみ,静謐であ れ,と念じながら,」
 
 読者は,自分をよく代弁するものを,その作品の作者を,愛する。引用したことばを,ぼくはぼくを代弁するもののように感じて,逆にこれらのことばに自分というものを託した。引用部以外にも,あちこちで喚起される共鳴の思いはこの作品全体に及ぶ。
 ふと,Kはもうひとりの太宰という思いがかすめる。Kのような女性などあり得るはずがない。もしKの実在があったとして,この小説の中では,しかし,Kはもうひとりの太宰が乗り移ったKである他はない,という思い。
 また,この作品はぼくの資質を映し出す鏡であると思う。
 たとえば本当の愛というものは瞬間にしか成り立たないもので,そこで死ぬのでなければ,生活の中に埋没し,浜辺の砂の皺のように跡形もなく消えてしまうものだという思いがぼくの中にはある。そこでは,心はいかようにも揺れ動き,愛は諍いから憎しみへと容易く変貌することがあり得る。いや,それが一般的であるとさえ言える。そんな純粋さなど,犬でも食わぬとわかっていながら,しかし,その純粋というものの希求を手放しがたい。これは,ぼくの中の何に起因するのか。誠にやっかいな性質であると思うのだ。
 思えば,ぼくは太宰を通して,ぼくというものを探ろうとし続けてきた。その旅は一旦,自分を超えようとする自己の人格形成に向かい,諦めて,今,くるりと向きを変えての帰り道,不変の「自己」に対峙しようとしているのだと言えば,言えるであろうか。
 今夜も疲労の極み。あえて中断をおそれず,次回,自分探しの旅を太宰の作品中に再開したい。
                         つづく
 昨夜,早めに筆を置いて,翌日。
 読み返してみてどうにも気持が萎える。もう少し,書けるはずだという気がしていたのに,納得ができない。なぜなのだろう。
 たとえば,こんな文章が作中にある。
 
 「どうしても,死ななければならぬわけがあるのなら,打ち明けておくれ,私には,何 もできないだろうけれど,二人で語ろう。一日に,一語ずつでもよい。ひとつきかかっ ても,ふたつきかかってもよい。私と一緒に,遊んでいておくれ。それでも,なお生き てゆくあてがつかなかったときには,いいえ,そのときになっても,君ひとりで死んで はいけない。そのときには,私たち,みんな一緒に死のう。残されたものが,かわいそ うです。君よ,知るや,あきらめの民の愛情の深さを。」
 
 ぼくはこうしたことばに,太宰の肉声を聞く。そのとき,ぼくは「やさしさ」だと思いこんでいる。けれども,これはかつてぼくが体験した,ぼく自身の心の底からの声であり,魂の響きだ。文章にはならなかったけれども,あえて文章にすれば,こんなふうに書き表すほかないようなもの。かつて感じた,思いというものを,喚起する文章。それがぼくにとっては太宰の文章であると,半ば言いたいわけだ。
 すると,ぼくはぼく自身の声,思いというものに酔い,それを他者の中にも見たいという願望を抱いていることになるだろうか。
 善悪ではない。また,本当は,ことばの意味してしまう内容,その指示を主とするわけでもない何か。
 現実の仮装をはぎ取り,真摯にその声に対峙すれば,それは身体自身の発する声であり,内臓の声であると思う。あえて,これをまたことばにすれば,それは「孤独」ということばに行き着くであろうか。
 母体からの分離。子宮との訣別。声にならない「さようなら」が悲しいのだ。螺旋の記憶をたどっていけば,それは,宇宙の生成にも及ぶ。ビッグバンによる,星々の生成と消失の繰り返し。生命は,そんな無機物の記憶もまた体内に取り込んでいるのではないか。そうとでも考えなければ,この「寂しさ」は片づかない。
 太宰治を読んでも,現実に対処するいかなる仕方も学び取ることはできない。学び取ろうとすれば,逆に生きることは苦しくなるばかりだ。現在に,太宰が甦るとは到底思えない。丹念に作品の一つ一つを追ってみても,それは過ぎた時代,過去の古典的な時代の産物だ。
 けれども,自分というものの来歴を掘り起こしたところでは,太宰は地から染み出してくる水のように,来歴の底から染み出してくる,いわば一つの「色」となって読者自身の「色」と不可分になる。
 ぼくたちはもしかすると一つ一つの衛星であるのだから,「孤独」とは余儀ないものだ。だが,かつては一体であったという記憶だけは残っている。愛は,それを確認する手段であるかも知れない。「孤独」に死ぬということ,それは尋常な在り方であって,自然の摂理に適っている。恐れることはない。明日もまた,「パンと愛」のために,仁義なき戦いは地表に繰り広げられ,繰り返されてゆく。
                              つづく
 
 「新樹の言葉」
 この作品では,冒頭の書き出しに感心した。少ない言葉で,甲府の町を言い表している。ぼくには見たことのない町だが,文章のようにすっきりと,よい町のように想像された。 少し,引用してみよう。
 
 「甲府は盆地である。四辺,皆,山である。小学生のころ,地理ではじめて,盆地とい う言葉に接して,訓導からさまざまに説明していただいたが,どうしても,その実景を, 想像してみることができなかった。甲府に来て見て,はじめて,なるほどと,合点でき た。大きい大きい沼を,掻乾して,その沼の底に,畑を作り家を建てると,それが盆地 だ。もっとも甲府盆地くらいの大きい盆地を創には,周囲五,六十里もあるひろい湖水 を掻乾しなければならぬ。                             沼の底,なぞというと,甲府もなんだか陰気なまちのように思われるだろうが,事実 は,派手に,小さく,活気のあるまちである。よく人は,甲府を,『擂鉢の底』と評し ているが,当たっていない,甲府は,もっとハイカラである。シルクハットを倒さまに して,その帽子の底に,小さい小さい旗を立てた,それが甲府だと思えば,間違いない。 きれいに文化の,しみとおっているまちである。」
 
 及ばずながら,このような文章が書けたらいいなと思うのだが,なかなか難しい。いらぬ形容や,つい,よけいな説明を付け加えて,かえって回りくどく分かりにくい文章にしてしまう。
 さて,すっきりしているのは,しかし,この冒頭だけで,このあと作品は急展開する。作者が,この甲府で,しばらく仕事をしていた時の出来事が次に語られるのだ。それは,若い郵便屋の青年に声をかけられるところから始まる。
 郵便屋は,作者の本名を知っていた。そして,作者が「内藤幸吉さんの兄さんだ」といって,ひとりではしゃぎ,幸吉さんに知らせてあげると言い残して去ってゆく。
 残された作者は怪訝な気持になり,また,狐に化かされたようでしだいに不愉快になり,終いには仕事も手につかず甲州産の白葡萄酒の一升瓶を取り出してがぶがぶ飲んで寝込んでしまうことになる。
 日常の中に亀裂を生じる予測不能の出来事。作者はこの出来事に,思いの外,心的なパニックに襲われる。
 考えてみれば,たしかに人生の中ではまれに,こういうことはあり得るのだと思う。
 代わり映えのしない,退屈な日常。しかし,時として予想外の事態が突然に襲ってくる。
防御の構えがないから,その不意打ちに,戸惑い,変な力みが入って後で考えれば笑い話のような愚かな行為を平気で行ってしまう。
 そういった一般的な意味では,このエピソードにおける作者の不様な心理の動揺も当然のごとくに思える。だが,作者の動揺は,どこか尋常ではない。そこには,「片言半句でも,ふるさとのことに触れられると,私は,したたか,しょげるのである。」という,作者の事情や,「またまた,逆転,てひどい,どん底に落ちるのではないか,と過去の悲惨」の体験が思い出されるところからよってくるものだと思われる。つまり,作者にはどんなに平穏な日常の中にあっても,事あれば「怯え」の状態にスイッチオンする,いわばスタンバイ状態にあるのではないか,と勘ぐりたくなってくる。それは太宰治の人間性を解くカギのようにも思われるのだが,今はそこへ踏み込むべき時ではない。作品にかえろう。
 ところで,こうした作者の動揺は,結果として杞憂であった。
 郵便屋が言うところの「内藤幸吉」なる人物は,作者のかつての乳母,「おつる」の子どもだった。乳のつながり,幸吉はいつかこの乳つながりの兄に逢いたいと妹の恋人でもあったこの若い郵便屋にそのことを打ち明けていて,上述のような形で作者との出会いの契機につながったのであった。
 太宰の小説をよく読んだものには,繰り返し登場する乳母の存在の大きさは了解されているだろう。ここでも,幸吉から「おつるの子です」と告げられたとき,主人公は「飛びあがりたいほど,きつい激動を受けた」と表現し,「いい青年だ。これは,いい青年だ。私には,ひとめ見て,それがわかるのである。からだがしびれるほどに,謂はば,私は,ばんざいであった。大歓喜。そんな言葉が,あたっている。苦しいほどの,歓喜である。」と作者に告白させている。
 この作品における主人公である作者の,乳母に対する思いを文章に探ってみる。以下,
 
 
  この乳母は,終始,私を頑強に支持した。
 
  つるは,私の教育に専念していた。
 
  私が,五歳,六歳になって,ほかの女中に甘えたりすると,まじめに心配して,あの 女中は善い,あの女中は悪い,なぜ善いかというと,なぜ悪いかというと,と,いちい ち私に大人の道徳を,きちんと座って教えてくれたのを,私は,未だに忘れずに居る。
 
  いろいろの本を読んで聞かせて,片時も,私を手放さなかった。
 
  一夜,つるがいなくなった。(中略)翌る朝,起きてみて,つるが家にいなくなってい るのを知って,つるいない,つるいない,とずいぶん苦しく泣きころげた。子供心なが らも,ずたずた断腸の思いであったのである。あのとき,つるの言葉のままに起きてや ったら,どんなことがあったか,それを思うと,いまでも私は,悲しく,くやしい。
 
  私の実感として残っているのは,懸命の育ての親だった若いつるだけで,それを懐か しむ心はあっても,その他のつるは,全くの他人で,つるが死んだと聞かされても,私 は,あ,そうかと思っただけで,さして激動は受けないのである。それから,また十年, つるは私の遠い思い出の奥で小さく,けれども決して消えずに尊く光ってはいるのだが, その姿は純粋に思い出の中で完成され固定されてしまっているので,まさか,いまのこ の現実の生活と,つながるなどとは,思いも及ばぬことであった。
 
  なにせ,どうも,乳母のつるが,毎日せっせと針仕事していた,その同じ個所にあぐ らをかいて坐って,酒をのんでいるのでは,うまく酔えよう道理がなかった。
 
  きつい語調が,乳母のつるの語調に,そっくりだったので,私は薄目をあけて枕もと の少女をそっと見上げた。きちんと坐っていた。私の顔をじっと見ていたので,私の酔 眼と,ちらと視線が合って,少女は,微笑した。夢のように,美しかった。お嫁に行く, あの夜のつるに酷似していたのである。それまでの,けわしい泥酔が,涼しくほどけて いって,私は,たいへん安心して,そうして,また,眠ってしまったらしい。
 
 
 書き写しながら,さまざまな思いが錯綜する。その中でも,太宰の乳母に対する切実な回帰の情は,あらためて大きなものなのだなと実感された。
 乳母は,下層の庶民の象徴でもあるとぼくは思う。太宰は,下層の庶民の懸命の情熱によって育てられた。太宰が,時に小説家としての自分を卑下し,庶民に対する応援歌でもあるような作品を書き上げるとき,「思い出の奥で小さく,けれども決して消えずに尊く光って」いる乳母,彼女の中に見た尊い光,言葉を代えて言えば,ごくふつうに生きる人々の中に存在する珠玉のような光,それを讃える歌でもあったのではないかと思う。それをうまく説明はできないが,考えに考え抜いた後の,本当に「人間としての価値ある生き方」,それが,そこにあるのだと,太宰は言いたかったのだとぼくは思う。それは時代を超えて,主義主張を超えて,永遠なるものだと,太宰は言い,ぼくもまたそう言いたいのだ。それは無私であり,自己犠牲であり,母性の本能なのだ,とそう言ってしまえば,つい口を滑らせてしまったことになるだろうか。本能,たとえ人間の社会にあってさえ,生きてゆくことにおいてこれを超える理屈,言いかえれば理性というものは存在しない。そうしてその中でもひときわ否定しがたいものとして「母性」の本能がある。それは生命を織り出すものであり,つくり,育むものであるからだ。この母性本能の発現の前に,あるいは社会のルールや,常識やあらゆる理性的なものが意味を失う場合が時としてある。脳のこしらえもの以前に,本能が,より初源であり根源であるからだ。この大小,後先,を見誤ってはならない。
 さて,作品からだいぶ離れてしまった。また,作品を読み解く努力よりも,自分の勘を優先したところで文章を書き進めてきてしまったかも知れない。作者のテーマやねらいとするところから逸れて来てしまったという不安,能力のなさも心配される。それらはしかし,許してもらうほかはない。言ってみたいと思われたことは言えた。これが,善くも悪くも「ぼく流」の試み,ということになる。最後に,作品に立ち戻り,この幸吉兄妹に対する作者のエールを引用して終わりにしたい。
 
 「つくづく私は,この十年来,感傷に焼けただれてしまっている私自身の腹綿の愚かさ を,恥ずかしく思った。叡智を忘れた私のきょうまでの盲目の激情を,醜悪にさえ感じ た。」
 
 「君たちは,幸福だ。大勝利だ。そうして,もっと,もっと仕合わせになれる。私は大 きく腕組みして,それでも,やはりぶるぶる震えながら,こっそり力こぶいれていたの である。」
                                つづく
 
 「花燭」
 主人公である「男爵」と呼ばれる綽名の男について,作者は次のように書き記す。
 
 「この男は,その学生時代,二,三の目立った事業を為した。恋愛と,酒と,それから ある種の政治運動。牢屋に入れられたこともあった。自殺を三度も企て,そうして三度 とも失敗している。多人数の大家族の間に育った子どもにありがちな,自分ひとりを余 計者と思い込み,もっぱら自分を軽んじて,甲斐ない命の捨て所を大あわてにあわてて 捜しまわっているというような傾向が,この男爵と呼ばれている男の身の上にも見受け られるのである。なんでもいい,一刻も早く,人柱にしてもらって,この世からおさら ばさせていただき,そうして,できれば,そのことに依って二,三の人のためになりた かった。自分の心の醜さと,肉体の貧しさと,それから,地主の家に生まれて労せずし て様々の権利を取得していることへの気おくれが,それらについての過度の顧慮が,こ の男の自我を散々に殴打し,足蹶にした。それは全く,奇妙に歪曲した。このあいその つきた自分の泡のいのちを,お役に立ちますものなら,どうかどうか使ってください。
    中略
 われは弱き者の仲間。われは貧しき者の共。やけくその行為は,しばしば殉教者のそれ と酷似する。短い期間ではあったが,男は殉教者のそれと変わらぬ辛苦を嘗めた。風に さからい,浪に打たれ,雨を冒した。この艱難だけは,信頼できる。けれども,もとも と絶望の行為である。おれは滅亡の民であるという思念一つは動かなかった。早く死に たい願望一つである。おのれひとりの死場所をうろうろ捜し求めて,狂奔していただけ の話である。人のためになるどころか,自分自身をさえ持てあました。まんまと失敗し たのである。そんなにうまく人柱なぞという光栄の名の下に死ねなかった。謂わば,人 生の峻厳は,男ひとりの気ままな狂言を許さなかったのである。虫がよいというものだ。 所詮,人は花火にはなれるものではないのである。」
 
 小説は,こんな「男爵」がふとしたことから映画の撮影所に行くことになり,そこで同郷で,しかもかつて「男爵」の実家で女中をしていた「とみ」と出会い,やがて結婚に至るという暗示を残して終わる。
 話の筋自体,少し無理が感じられるし,惹き込まれて読み進めると言ったほどの魅力はない。努力は感じられるのだが,題材,文体,それらの深まりや広がりも,今ひとつといった感じだ。印象に残らない。
 上記の引用は,その中で,この作品に限らず,いろいろな作品に繰り返し登場する「作者」と思しき「主人公」のある時期のプロフィールだ。この作品に,どうしても必要な挿入であったかは,疑問が残る。だが,このように太宰は,何度も何度も過去の自分を描き続ける。それは,ことばも違い,ニュアンス,背景も様々だが,本質的なところは変わらない。「人のためになりたい」,「生まれた家柄により,労せずして権利を得ていることへの後ろめたさ」,それらが彼の行為,言動を推進するものだったとする告白だ。強度の強迫観念。そんなふうにさえ感じさせられる。こうした思いは,実は彼だけではなく意外と多くの人が抱く感情として,決して特殊ではない。だが,度が過ぎるのだ。「人間失格」のことばは,だから,こうした思いを度を超えて抱き続けたことからくる,当然の帰結とも言える。同じ内容に苦しんだ宮沢賢治の「修羅」も,人間になりきれぬところから使われたことばであろう。二人は,共に人間的であろうとして,彼らの言うところの「人間」になりきれなかった点で共通する。青森と岩手。ここから,蝦夷という地理を思い浮かべることは早計だろうか。もちろんそうにちがいない。だが,奇しくも自分を人間以外とする二人の共通は,自恃,矜持,そしてある種の劣等感においても共通する。これは,風土に関わりないことだろうか。度を超えた実直さ。ぼくはどうしても,二人からこうした印象を受けてならないのだ。
 話を戻して,太宰について言えば,彼は自分の資質をえぐり出し,客観視することによって危機を脱出しようとしたと言えば,言える。この小説の終末,作者は青年の口をかりて「男爵」に告げる。
 
 「自信の行為の覚悟が,いま一ばん急な問題ではないのですか。ひとのことより,まず ご自分の救済をしてください。」
 「僕だけでは,ございません。自己の中にアルプスの嶮にまさる難所があって,それを 克服するのに懸命です。」
 
 これは知識者としての降伏であり,転向であろう。だが,生活者としての第一歩を踏み出す出発の,それは覚悟でもあったろう。大義名分のない世界へ。それはある種の人々にとって,畏怖すべき,困難が待ちかまえた世界なのだ。
 
                        つづく
 
 「愛と美について」
 これは,兄妹五人と母とが住んでいる家庭の話だ。退屈なときには皆で物語の連作をするのが習わしとなっていて,とある日曜日,客間に集まったみんなが母のこしらえた林檎の果汁を飲みながら物語を創作してゆく様子を描いている。長男は二十九才,末弟が十八ということで,こんな家族,日本の家庭にはあり得ない。そう思わせるような設定が,あえてなされていると感じられる。
 作者の言うところによれば,「父は,五年まえに死んでいる。けれども,くらしの不安はない。要するに,いい家庭だ。」となる。いい家庭とは,暮らしに困らないということなのだろう。またそれゆえに,お互いを思いやるゆとりを持ち,ある意味理想的な家庭像が浮かび上がってくる。どちらかといえば,西欧や旧ロシアの貴族,上流階級にもしかするとありそうな,そんな家庭像だと想像された。
 作者である太宰は,はじめに兄妹一人一人の性格を紹介し,次に,彼らの性格の表れる語り口で物語を語らせてゆく。その順番に繋ぎ語られるストーリーもまた,ちょっとしたしゃれた小話,というところか。これを「瀟洒」というのだろうか,「ショートショート」と呼びたいような物語になっていて,小さな「落ち」まで用意されている。さらに,兄妹が順に紡いだ物語が終わって,最後にそれまで耳を傾けていただけの母親が軽いジョーク,引っかけを,子どもである五人の兄妹たちに披露して,この作品は終わる。
 この作品には,傷だらけになった内面をさらにえぐり出すといった,いわゆる通俗的な「太宰らしさ」は影を潜めている。もう一方で,こういう「太宰」があるのだと,これは太宰から読者への手紙であろう。こういう面も自分にはあるのだと,言いたかっただろう。そういう面で,なぜ社会との関係が構築できないのかは,太宰に限らず多くの人々にとっても同様のことがあるのではないか。そう,思う。
 特に,小学生の教員であるぼくには,子どもたちのだれにでも備わる「善」なる部分が,必ずしも関係の中心となって広がっていくようには見えていない。本来の子どもの,冗談が好きで,明るく,やさしい面が,どうして広がらずに末すぼまりになってゆくのか。逆にちょっとしたボタンの掛け違いで,彼の「善良な部分」は理解されず,誤解の上に関係は広がり固定していくと見える。それは悲しいことであり,世の中の不可解さ,でもある。だれもが,そういう生来の「善良な部分」押し殺したり,抑圧されて生きる宿命を背負っている。そう,ぼくは思う。
 

つづく

 

「火の鳥」

 「懶惰の歌留多」という作品の中で,太宰治は,「戦争と平和」や「カラマーゾフの兄弟」などの本格長編小説は,今の自分には絶対に書けないのだという思いを吐露していた。

 「火の鳥」という作品を読んで,ぼくはそのことを思い出した。そして,逆に太宰はどれくらい自分が書けるのかということを試してみようとしたのではないか,と。

 作品の冒頭には,『序編には,女優高野幸代の女優に至る以前を記す。』とある。そして未完の作品の中頃には,『本編には,女優高野幸代の女優としての生涯を記す。』と記述されるのだが,その本編は序編の長さにも満たないところで中絶している。

 主人公の「高野さちよ」のほかに複数の人物が登場して,それぞれに性格を割り当てて,それらの人物たちの交錯や交流を記しながら作品を形成していこうとしているように思われた。

 たとえば,ドストエフスキーの作品によく見られたように,それぞれの登場人物の日常的な言動までもが克明に追いかけられ記述され,意味ありげな推理仕立ての趣向の中での登場人物たちのしつこい饒舌や議論好きが,これでもかこれでもかと展開されている世界。そういう作品を構想したのだが,やはり太宰は書ききれなかった。

 読みながら,ぼくはそう思っていた。

 やはり,というのはぼくの思いなのだが,油絵と水墨画の違い,肉食と草食の違い,にも似た体力の違い,器の違い,民族性の違いを感じるのだ。

 話の展開や登場人物たちの会話に,なじめないものがあった。こんなことばを話す日本人はなかろうとか,頭で作りすぎた会話ではなかろうかと思わせられてしまう箇所がたびたびある。

 作品は習作の域を出なかったかもしれないが,「火の鳥」という題名には,作者太宰治の並々ならぬ意気込みを感じる。失敗に終わったかもしれないが,それは意味ある失敗であると言っていいのではないかと思う。書こうとしたものの大きさと,真が,太宰の筆を折ったのだとすれば,鍛え直さなければという課題が明確になる。

 主人公「高野さちよ」は,女性としてのどん底の境遇を生き,作者太宰は彼女を不死鳥のように蘇らせる使命感を抱く。それは自己の再生をかけた戦いでもある。そこに「火の鳥」の題名の由来がある,そう,ぼくは思う。「高野幸代」という名の女優として新たな出発をするところまでこぎつけたところで,しかし,小説は未完のままに終了してしまう。その中絶を,ぼくは太宰の力量の限界と見るのだが,それは決して太宰を貶める意味での言ではない。先の太宰自身のことばを借りるならば,「今は書けないのだ」と分かっていながらの挑戦を,それは意味すると考えるからだ。そういう位置にある,これは未完の小説であると思う。

 こういう小説だって,俺は書ける。太宰は,そう言いたかったのかも知れぬ。登場人物たちの口を借りて,自身,言いたかったことも述べられている。たとえば,愛情について,

心に思っているだけでは本物ではなく,表現しなければならないんだ,というようなことも言わせている。その意味では,決して借り物ではない水準までの表現はなされている。だが,と言うべきか,完成までに筆を運ぶための,気力と体力に当時の太宰は欠けていた,とぼくには思われて仕方がない。この小説を完成にまで強引な力業で漕ぎ着けるには,自らの身を削る,命を削る,そう表現するほかない苦しさがあったのだろう。そこを乗り越えて,太宰がこの小説を完成させていたなら,どんな小説にできあがっていたのか。それを考えると,思いはふくらむが,同時にはかない想像でもある。この辺りでぼくもまた,この小説から離れていかなければならない。

 

つづく

 

 

 「八十八夜」

 太宰の小説には,「笠井一」さんシリーズとでも呼んでみたい作品群がある。主人公に作家「笠井一」さんが登場する作品群である。

 何編あるのかまだ数えてみたわけではないが,ぼくの印象には,そう残っている。印象に残るくらいだから,ぼくはこれらが好きなのである。

 「笠井一」さんは,数年前までは勉強もし,前衛的でかなり名を挙げた作家だったのであるが,いまでは陋巷のつましい生活を大切に考え,「姥捨」という作品に倣っていえば「われひと共に栄える」在り方を手探りで生きている。若き日の脂ぎった意気込みを,純粋であるとはいえ,いい気なものであると嫌悪したのだ。

 しかし,笠井さんはそれで安心立命を得たわけではない。まともな生き方を志して起居振る舞いを非の打ち所のないごとくに努め続けたあげくに,今度は,かつて何度も口にして論じあったこともある芸術家の名前,それを聞いてもどういう作品を作ったどういう人だったかが思い出せなくなっている自分に愕然とする。低劣,耄碌,ご隠居の老爺の姿。そんなことばが浮かんできては不安におびえる。そしてはちゃめちゃになりたくなって旅に出るのだ。

 書き出しの部分に,太宰は全精力を注いだかに見える。

 

 笠井一さんは,作家である。ひどく貧乏である。このごろ,ずいぶん努力して,通俗小説を書いている。けれども,ちっとも,ゆたかにならない。くるしい。もがきあがいて,そのうちに,呆けてしまった。いまは,何も,わからない。いや,笠井さんの場合,何もわからないと,そう言ってしまっても,ウソなのである。ひとつ,わかっている。一寸さきは闇だということだけが,わかっている。あとは,もう,何もわからない。ふっと気がついたら,そのような五里霧中の,山なのか,野原なのか,街頭なのか,それさえ何もわからない,ただ身のまわりに不愉快な殺気だけがひしひしと感じられ,とにかく,これは進まなければならない。一寸さきだけは,わかっている。油断なく,そろっと進む,けれども何もわからない。負けずに,つっぱって,また一寸そろっと進む。何もわからない。恐怖を追い払い追い払い,無理に,荒んだ身振りで,また一寸,ここは,いったいどこだろう,なんの物音もない。そのような,無限に静寂な,真暗闇に,笠井さんは,いた。

 進まなければならぬ。何もわかっていなくても絶えず,一寸でも,五分でも,身を動かし,進まなければならぬ。腕をこまぬいて頭を垂れ,ぼんやり佇んでいようものなら,

― 一瞬間でも,懐疑と倦怠に身を任せようものなら,―たちまち玄翁で頭をぐわんとやられて,周囲の殺気は一時に押し寄せ,笠井さんのからだは,みるみる蜂の巣になるだろう。笠井さんには,そう思われて仕方がない。それゆえ,笠井さんは油断をせず,つっぱって,そろ,そろ,一寸ずつ真の闇の中を,脂汗流して進むのである。十日,三月,一年,二年,ただ,そのようにして笠井さんは進んだ。まっくら闇に生きていた。進まなければならぬ。死ぬのがいやなら,進まなければならぬ。ナンセンスに似ていた。笠井さんも,流石に,もう,いやになった。八方ふさがり,と言ってしまうと,これもウソなのである。進める。生きておれる。真暗闇でも,一寸さきだけは,見えている。一寸だけ,進む。危険はない。一寸ずつ進んでいるぶんには,間違いないのだ。これは,絶対に確実のように思われる。けれども,―どうにも,この相も変わらぬ,無際限の暗黒一色の風景は,どうしたことか。絶対に,嗟(「ああ」のルビつき−佐藤),ちりほどの変化も無い。光は勿論,嵐さえ,無い。笠井さんは,闇の中で,手さぐり手さぐり,一寸ずつ,いも虫の如く進んでいるうちに,静かに狂気を意識した。これは,ならぬ,これは,ひょっとしたら,断頭台への一本道なのではあるまいか。こうして,ぢりぢり進んでいって,いるうちに,いつとはなしに自滅する酸鼻の谷なのではあるまいか。ああ,声あげて叫ぼうか。けれども,むざんのことには,笠井さん,あまりの久しい卑屈に依り,自身の言葉を忘れてしまった。叫びの声が,出ないのである。走ってみようか。殺されたって,いい。人は,なぜ生きていなければ,ならないのか。そんな素朴の命題も,ふいと思い出されて,いまは,この闇の中の一寸歩きに,ほとほと根も尽き果て,五月のはじめ,あり金さらって,旅に出た。この脱走が間違っていたら,殺してくれ。殺されても,私は,微笑んでいるだろう。いま,ここで忍従の鎖を断ち切り,それがために,どんな悲惨の地獄に落ちても,私は後悔しないだろう。だめなのだ。もう,これ以上,私は自身を卑屈にできない。自由!

 そうして,笠井さんは,旅に出た。

 なぜ,信州を選んだのか。他に,知らないからである。

 

 長い引用になったが,誰もが共有するに違いないこのような意識体験が,見事に描写されていると,ぼくには思われる。

 これを,詩人はひと言で表現してみせることができるのかも知れない。けれどもここに,字間,行間に,ちりばめられてある微妙なニュアンスは,これ以外の表現の仕方では伝わらないに違いないと確信できる気がする。「あの,気分」を,どう表現したらいいのか。それがリアルに,表現できている。

 この中でも,ぼくの注意を喚起したのは,たとえば,「八方ふさがり」と言葉にしながら,「これもウソなのである。」という,太宰の,心理の中のウソを拒絶する腕力の強さである。自分の思いをも徹頭徹尾疑ってかかる,太宰の馬鹿正直さ。だが,確かに,どんなに悩み苦しもうとも,人は,そのこと自体で死に至ることはできない。もしかすると,発狂さえ,できない。だから,苦悩の時の,精神の実際の在りようは,太宰の表現する通りなのだ。

 何かに,誰かの言葉に,寄りかかることが可能な時点では,闇の中をこのように手探りで進むというような状況に出会うことはなくてすむに違いない。高村光太郎の,「ぼくの前に道はない。ぼくの後ろに道はできる。」といった詩の言葉は,同様な状況から生まれ出た言葉なのだと,ぼくは思う。意識が,思考が,自立する時に,避けて通れない状況が,そこにはあると思われる。既成の道を歩くのではない。それらの道はすでに,自らが歩むには値しない。いや,それらの道を歩くことが,なぜか不可能になってしまった自分が存在するのだ。ならば,均された道以外の場所を歩く他はない。不安と闇ばかりが支配する中を,一寸ずつ進む。

 太宰は高村のように,我が来し方を振り返って,そこに新たな,自らの歩みが切り開いた道のできていることを確信し,揺らぎ無い自信を持つことができなかった。太宰の懐疑がより深かったというべきかも知れない。

 引用の最後にある,

 

  そうして,笠井さんは,旅に出た。

 なぜ,信州を選んだのか。他に,知らないからである。

 

も,とても太宰らしく,ぼくの気に入っているところだ。

 実は,笠井さんが信州を選んだのは,旅館に名前を知っている女中さんがいたからだ。そのことはすぐ後に明かされている。そこのところを,つっけんどんに「なぜ,信州を選んだのか。他に,知らないからである。」と暴力的に断言する書き方は,太宰治ならではのことである。すくなとも,ぼくにはそう思われる。

 ウソではない。だが,すぐ前までの,一寸さきは闇といってしまえば言い切れてしまうところを,冗舌を思わせるほどの丁寧さで,これでもかこれでもかと螺旋を描くように書き進める筆致からの百八十度の転換の妙は,ぼくには唸りたくなるほどの見事さに思えるのだ。強いられる緊張からの一瞬の解き放ち。読者には,そう実感されるに違いない。ぼくなどは,思わず声を出して笑ってしまったくらいなのだ。その後で,心の中で本当に唸った。

 重たさと軽さ。思うに,太宰治は,重さと軽さとを自在に行き来できる,希有な資質を持った作家であったと言っていい。作品の中に,蝶のような華麗な舞,蜂のような急所を突く一刺しが,類を見ない形で表現できている。これは,重たさからよりいっそうの重たさへと引き込んでゆく,島尾敏雄の「死の刺」の一連の作品群を思い浮かべて比べてみれば,モチーフや主題の違いを越えて,その違いはいっそう鮮やかであると思う。

 
                               つづく
 
 この後,笠井さんは下諏訪までの切符を買って汽車に乗る。汽車の中では,青年たちの文学談義,また彼らが駒ヶ岳と八ヶ岳を間違う話しなどがあって,それらへの笠井さんの反応が描かれる。
 やがて汽車は下諏訪に到着し,笠井さんはそこで汽車から降りるが,下諏訪には感興が湧かず,結局タクシーに乗って上諏訪に行き,名前の知っている女中さんの居る旅館に泊まった。女中さんの名前は,ゆきさんといった。
 ゆきさんは笠井さんを憶えてくれていて,部屋の手配,お酒の相手,そのほか,部屋係として世話を焼いてくれた。ゆきさんにとっては,お得意様といった程度の間柄に過ぎず,その日はまたゆきさんも忙しいらしく,笠井さんが思うようにはかまってくれなかった。
 一人飲みつぶれて眠った翌朝,部屋を掃除しに来た若い女中さんと,悪事をなした。この悪事がどんな程度のものだったかは,文中には描かれてはいない。ただ,その現場をゆきさんに見られ,笠井さんが大いに動揺し,自責し,「舌噛んで死にたい。」とまで考えたところから想像すれば,やはりセックスするにまでいたったということなのかも知れない。
 このあたりは,ぼくにはよく分からない。昔の旅館が,ある意味,そんな場所であったかも知れないし,そうでなかったも知れないし,こういうことは実際に起こりうることなのかどうかも定かではない。
 もっというと,笠井さんが浮気をしようがしまいがどうだっていい。ついでに,セックスに及んだとして,そんなに後悔することか,と,不可解さが湧いてくる。後悔するくらいならはじめからしなきゃいい。ただそれだけのことじゃないか。そう,思う。
 ゆきさんに知られたこと,見られたことが問題であるならば,これもはじめからもっとゆきさんを大事に考えて,他の女中さんとのアバンチュールなどあり得ないように自己規制しておけば良かっただけのことではないかと思ってしまう。
 要するに,こういう悪事の経験がぼくには皆無で,笠井さんの場合の事情がよく理解できないのである。だから,最後に,「笠井さんは,いい作品を書くかも知れぬ。」と書かれていても,何のことやら,少しも納得されない。
 ぼくにはだから,この小説は前半部だけが強く印象に残り,後半は,どうでもいい挿話が小説の形をとるために無理矢理こしらえられた作品と感じられる。けれども,この前半の部分だけでも,ぼくには他に類を見ない,太宰ならではの作品,いや,表現,と評価できる気がしている。
 ついでにいえば,あまりぱっとしない生き方をしている人たちの心の中に,笠井さんのような心の葛藤は日常的に繰り返されているとぼくは思う。そしてそれは表に現れてこない。生きるということは,その葛藤を抱えて耐えることだ。そういってもいいかも知れない。耐えきれないと感じるとき,笠井さんはめちゃなことをしたいと思って旅に出たが,多くの人は,身の回りの,もっと些細なところで,もう少し地味な解消法を工夫しているに違いないのだ。生活者の苦悩は芸術家の苦悩に匹敵するし,両者に価値の違いという差異は存在しない。ただ,精神世界に美があるとするならば,その仮定の中においてのみ,芸術家の苦悩は意味と価値を付与されると言えるだけだ。
 
 
 「美少女」
 こういう作品はどう言ったらいいのだろう。甲府の近くの,とある温泉場の大衆浴場で,少女の美しい裸身を見たというだけの挿話である。きちんとした文体ですっきりと表現された,掌編である。裸身を見たといっても,いやらしさはない。かといって,過剰に清潔感を強調した作品でもない。
 少女の裸身の美しさ。それに接して,純粋の,観賞的感動を得たということなのだろう。相手にも,周囲にも,また自分にも嫌らしさを感じさせることがない,そういう希有なことがあり得るのだということに,太宰は,驚きとともに,深く感じるところがあったのかも知れない。自分の中に,心情と理知との調和を体験する。この自然で無意識な体験は,人間固有の,崇高な性能の現れといったものを実感させる。
 これが,ありふれた大衆浴場といった場で,起こりえたことに,あるいはそういう創作イメージを想像するところに,太宰治の面目躍如たるところがある。一片の涼風のように,すがすがしさを感じさせられる作品となっている。
 ま,あえてコメントすれば,これくらいのところだろう。
                                   つづく
 
 「畜犬談」
 この小説の題名ははっきりと記憶していた。書き出しの部分も,概ね覚えていた。
 
  私は,犬については自信がある。いつの日か,必ず喰いつかれるであろうという自信 である。私は,きっと噛まれるにちがいない。自信があるのである。
 
 高校生の時にこれを読んで,同じことを感じる人はいるものなのだなということを,心底思った。日常の中で,友だちや同級生間では,なかなかに言えない自分の本音というものに,小説は前触れなしにどんと飛びかかってくる。
 こんなことを言えば,自分の弱さ,小心,怯え,そういうものを人前にさらし出すことになり,ひいては仲間たちのあいだで物笑いになる。そう考えて,人前で口には出さないものの,犬を前にすると,いつも「私」と同じ不安に駆られることになっていた。
 実際には,この年まで犬に噛まれたことはない。犬を避けてきたせいもあるが,自分の犬に対する思いこみが,実際に犬とは無関係で,勝手な妄想の類だからだろうと今は考えている。ただ,吠えられることは今でも多い。犬は,吠えて,威嚇してもよい相手ということを知っているにちがいない。そういう思いこみは消えずに残っている。
 同様のことでいえば,ぼくはヘビについても,例えば山歩きをしていると必ずヘビに遭遇するにちがいないという思いこみがある。そして,こちらについてはかなりの確率で,実際に出会ってしまうことが多い。別に喰いつかれもせず,ただ足下をさっと逃げて行くそれだけのことなのだが,その音と姿とに背筋が凍る。被害は一度もないのだが,出会ってしまい見てしまったそれだけで,うわーっと思ってしまうのだ。これがなぜなのかわからない。今でも,謎である。ヘビに,責任はないと思う。嫌いなものを,ただ嫌っている,そうとしか言うほかない自分があるだけなのだ。
 山や草原では,必ずヘビを見てしまうという,自信がある。
 ところで,小説は,作者とおぼしき主人公「私」の犬対策について筆を進めている。甲府の街中をうようよ徘徊する犬を警戒し,
 
  私は実に苦心をした。できることなら,すね当て,こて当て,かぶとをかぶって街を 歩きたく思ったのである。
 
と主人公の「私」に吐露させている。さすがに,「かぶとをかぶって」とまで言われると,これは太宰流の,くすぐりを入れた表現だなと思うのであるが,この大げさな表現がまた嫌味でないところが感心させられる。
 これはしかし,「いかにも異様であり,風紀上からいっても,決して許されるものではないのだから,私は別の手段を」とらざるを得ない。そして,次に考え出された窮余の一策とも言うべき「私」の妙案は,
 
  とにかく,犬に出逢うと,満面に微笑みを湛えて,いささかも害心のないことを示す ことにした。夜は,その微笑みが見えないかも知れないから,無邪気に童謡を口ずさみ, やさしい人間であることを知らせようと努めた。
 
というものだった。
 他人のことはよくわからないのだが,これなどは,主人公はもちろん,太宰自身の像にもなり,また読み手のぼく自身の像も重なって,自分の秘密が看破されてしまったような気さえしてくる表現になっている。今でも,ぼくはどうしても犬の脇を通るしかないときは,声をかけて自身の怯えをカモフラージュしようとしたり,全身に油断のない気配をみなぎらせて犬に隙を与えないようにと努めている。犬が吠えたり襲おうとする前に,犬にそうしてはならないことを知らしめたい。そうしたときに,ぼくのとる態度はそういうものになる。もちろん,これは怖いからなのだ。吠えられること。噛まれること。これはどうしようもなく,怖い。だから先回りをしてそういうことをする。
 うまく言えないが,生きるということは,ぼくの場合,実はこういうことの連続だという密かな思いがある。なんだかんだと一丁前のことを言い,そういう顔つきをして見せても,仮面の下にはいつも主人公と同じこんな素顔でいることが意外に多い。そう,思う。 さて,しかし,主人公の小説家は,先の苦肉の策である犬へのお愛想が度を過ぎたのか,逆に犬に好かれるようになり,散歩の帰りについてきた一匹の子犬を飼う羽目になる。
 この後,犬との関係がよくなって和解が生まれるのかというと,そういう話にはならない。ポチと名前を付けたその犬の,姿形の悪さ,行状,性癖の悪さなどが延々と繰り言のように述べられる。そうこうするうちに,主人公夫婦は東京三鷹に建築中の家を借りることになり,その準備が進むとポチは捨てて行かれることに決まる。けれども家の完成は予定よりも遅れ,ポチはまたひどい皮膚病にかかってしまう。
 三鷹に引っ越せばこのポチとも別れられる。そう考えて夫婦は我慢するが,家主からは後十日,そしてさらに二十日待て等の知らせを受け,皮膚病がいよいよひどくなったポチが側にいることにさえ嫌悪を感じ,いよいよこれを毒殺しようと決意する。
 決行の朝,四時という時間に「私」とポチとは,かつてポチが住処としていた練兵場付近に出かける。途中,大きい赤毛の犬がポチを背後から襲おうとしたとき,「私」は思わずポチに赤毛との喧嘩を許し,思う存分やれと大声を発する。喧嘩のあいだ,「私」はポチに,思う存分喧嘩をしろ,と心で語りかけ異様に力んでその場に立ちつくしていた。
 ポチが勝ち,褒めた後主人公は練兵場で,ポチの目の前に牛肉のかたまりを与える。ポチは音を立ててそれを食べているうちに,「私」はその場を離れる。
 帰途,中学校の前まで来た主人公が振り向くと,視野の中になんとポチがいた。薬品が効かなかった。主人公は即座にそれと察知する。
 結局,主人公はこんなポチを東京へ連れて行くことを決心する。芸術家は弱者の味方なんだ,そんなことを妻に言いながら,ポチに卵を与えるように指示するが,妻はずっと浮かぬ顔をしている。そういうところで小説は終わっている。
 犬に限らず,動物を飼ったことがある人なら,その動物とのエピソードの一つや二つはあるにちがいない。可愛いと感ずるときもあり,また心底邪魔くさいと思うときもあるのだろう。それが生活における自然というものなのかも知れない。
 昨今はこれが,動物との心の交流という綺麗事で飾られて流布されるきらいがある。そんな綺麗事ではないよという,アンチテーゼに,かろうじてこの小説はなりうるという気がする。
 時代的に言えば,飼い犬や飼い猫との関係は,当時はこんなものだったのではないかと思う。今ならば動物愛好協会や,保護団体,個々の愛好者から非難囂々の主人公の行為と考えである。
 ぼくが子どものころも,家々では飼い猫がたくさん子どもを生むと,間引きして数匹は川に流された。ぼく自身も,家に生まれた子猫を捨てた記憶がある。放り込んだ,川を流れ下っていく子猫の鳴き声と姿に,悲しみとは違う,何かしら言い表せない思いを感じていたように思う。子猫たちは流されながら必死にもがき,岸に生えた木から張り出した枝に運良くしがみつくものがあったり,すぐに流れに巻き込まれ水中に姿を消して行くものもあった。そういう光景をぼくたちの世代は何度も見て育ったのである。
 何が言いたいかといえば,太宰治は,作中の主人公「私」を通して,善悪併せ持った「人間」を抉って描いている,そのことが言いたかったのである。あるいはそうした人間としての自分を描いている。多少の戯画化は見られるけれども,邪魔には感じない。
 犬嫌いの主人公が犬を飼うことになったのは,偶然である。捨てるつもりの犬が,皮膚病にかかり,これを殺そうと決意したことも偶然の重なりの結果である。薬が効かずに,犬が死ななかったことも偶然である。こうしたいくつかの偶然の結果,主人公はついに,このひどい皮膚病にかかった駄犬を,東京に連れて行こうと決心した。犬嫌いの主人公の気持ちに変化が生まれたのである。主人公と犬との関係の変化が,同時に生じている。
 殺そうとまで嫌悪したのに,あることをきっかけに関係が,逆に濃密になる。そういうことがあり得る。取るに足りない生き方をしている日常の中に,そういうことは山ほど積み重なっている。ここでもまた,生きるということはこういうことだよと,教えられている気がしている。
 「犬」は,好むと好まざるとに関わらず関係を強制してくる「現実」社会の暗喩となっているかも知れない。と同時に,「現実」の中の,もしそういうものがあるとすれば「自然」の暗喩ともなっている。
 最後に,主人公は,それを認めて受け入れている。太宰にとって,それが生きる理由であり,「もっとも大事なこと」だと信ぜられたにちがいない。
 
                                つづく
 
 
 「おしゃれ童子」
 この小説は,瀟洒,典雅を美学の一切とする少年を主人公として,いわゆる少年のおしゃれの遍歴を綴ったものである。作者によれば,この少年の美学は,少年の生きることの全てであり,人生の目的全部がそれにつきているという。
 少年の数々の凝った服装の発明は,面白くもあり,珍妙なものだ。けれども,人は他人のそうした苦心に興味はない。さて,自分はどうだったかを振り返ると,そこにはしかし少年ほどではなかったにせよ,常に自分はどう見られるかを気にし,人には言えないこだわりを発揮し続けていたに違いなことが発覚する。むしろ意識は,人々の間にあって,常にそういう働きに終始していたのではないかとさえ思えてくる。
 そう考えると,おしゃれが生きることの全てであり人生の目的全部という,作者の言葉が,あながち誇張とは言えない気さえする。
 ぼくたちは,ただそれを忘れているだけだ。そして,もう少しいうと,ぼくたちにはおしゃれ心を現実的なものとする財力に欠けていた。そういうことだろうと思う。
 少年が大きくなり,左翼思想に出合ってからは,おしゃれの暗黒時代が続いたと作者は書き記している。外形的に,服装にお金をかけることがなくなったということであろう。言ってしまえば少年のおしゃれ心も,その程度に過ぎない。その頃を作者は,心の暗黒時代とも言いかえているが,意識の動きとして考えてみれば,対象が別物に取って代わられたといっても良いかもしれない。
 要するにこの主人公の粘着質のこだわりは,当時は左翼思想の周辺に向けて発揮されていたものであろうと考えていい。
 左翼思想とも訣別して,しばらくすると,主人公は恋人とのデートに着ていくものを巡って,またぞろおしゃれごころが頭をもたげるようになる。しかし,今度は自分の財の範囲の中で用意しなければならず,その困窮の状況から,借衣という手段を選択することになる。誇りというか,見栄というか,悲しい性であると同時に,場合によっては自分を向上させようとする意識の原動力が,そこには存在する。
 小説は,主人公の借衣をテーマとして創作した川柳の紹介をもって終わっている。小説という表現の中にさらなる表現を挿入し,二重性を構築して複雑さを増しているが,作者の心情の複雑さを想像することは出来ても,それを見極めようとするところまでは,この小説がぼくの関心を強めるまでには至らなかった。
 
                                  つづく
 
 
 「皮膚と心」
 主人公は新婚の妻。中毒性の皮膚病にかかったところから,彼女の独白がはじまっている。全編,独り言のような,読者に語りかけるような,文体である。
 太宰の「語り」の文体の特徴は,一文が長く,たくさんの読点で区切られている。それによって場面の転換,主人公の気持ちの切り替え,等々が自在に操られ,複雑な事柄がニュアンスも含めてうまく表現されていると印象される。
 誰かそれを「イタコ」の語り口調に似ていると評していたように思う。特に後年の「駆け込み訴え」という作品などはその典型としてあげられていた。
 「皮膚と心」では,これも太宰の特長の一つと言えば一つである女性心理を告白調で描いている作品であるが,題名にあるとおり,女性の心は皮膚感覚そのものだということを述べているものだと思う。
 その気づきは,太宰だけのものではないが,太宰はそのことにこだわった作品を少なからず書き残している。そしてそのこだわりが何故なのかは,ぼくにはよく分からないところがある。
 この作品も,皮膚病がきっかけとなって,主人公の女性の様々な心の揺れ動きが描かれているが,それがリアルな女性の心の動きを表現出来ているかどうかは分からない。とあれ,人間の探求となれば,男性はまず「女」の究明は避けて通ることの出来ない関門であろう。そういう意識が,太宰にはあったのかなかったのか。たぶん,あったのだろうと思うし,そうした意味では,成功しているかどうかは別として,「女の一生」についての,予備実験的な色合いを感じさせる作品ではないかと,ぼくは思っている。少なくとも太宰にとっては,描ききって見せなければならない,作品の一つであった。
 
 
                                   つづく
 
 「俗天使」
 この小説を読んで,面白かった。内容が,面白かったわけではない。どうということもない,ということは太宰らしいということを言うのだが,つまりは作者の,例の独白,一人語りがあるだけだ。読んで想像される作者の教養,人格にも,さしたる共感,感動を覚えるものでもない。
 作品のはじめで,主人公はミケランジェロの「最後の審判」の写真版を目にして,その中の若い清楚の母マリアに,「聖母」を見る。感動を越える衝撃に貫かれ,主人公は食事の箸を止め,自分の部屋に戻って机の前に座る。
 神が描かせたとさえ感じさせるミケランジェロのその作品に比べ,小説家である主人公は自分の作品がスケッチ以上のものではないことを知っていて,その格差を厳然と突きつけられるように感じる今,創作意欲を失って,締め切り間近ながら,なかなか小説を書き進めることができないことになる。
 破れかぶれの気分で,主人公は自身の「陋巷の聖母」体験を書くことにする。たぶん,作者太宰の実体験に近い「陋巷の聖母」像が三例描かれる。
 この間に,後の作品の構想が紹介されるが,そこには「人間失格」の題名で小説を書くことも予言されていて,それは確かに実現されるものであるから興味深い。太宰の中で,作品の構想は長く温められ続けて後,作品化される過程が理解される。
 ところで,「俗天使」というこの作品でぼくが興味を感じるのは,一つには,太宰の女性に対する執着であり,また彼の女性観といったものにである。男が女に惹かれるのはあたりまえ,そういう声も聞こえてきそうだが,太宰ほど,女性女性と言っている作家も珍しいのではないか。確かめたわけではないが,そういう印象は,ある。そして,鍵になるのが,「聖母」という言葉に象徴されるような,どこか清く美しく汚れなく,ある意味では近寄りがたいもの,近づいて触れてはいけないものとして描かれるのが特徴的である。何故触れてはならないかと言えば,「自分」が触れたとたん,「聖母」は「聖母」でなくなってしまう,そういう聖母に対極なものとして,「自分」を描いてしまうところが,また太宰的である。
 これは,太宰の別の言葉で言えば,「自身の恥辱を告白」するということになる。
 別の言い方をすれば,恥辱を受けるところに聖母は現れ,聖母を見るところに自身の恥辱が浮かび上がる。そういう関係性の中に,描かれる。
 「女に好かれるはずがない」,作者そのままのような主人公は,何故か頑なにそう思いこんでいる。ふとした時に,かすかながら自分への女性からの好意を感じた時に,周章狼狽,かえって惨めな思いを持つことになる。本当は,この「惨め」は,自分の選択である。そういう位置に,自分を置きたい願望が,主人公あるいは作者太宰にはあると考えることができる。そして,そこには幼少時の女性(母的)体験が影響しているのであろうと思われる。
 女に好かれる価値のない自分に好意を寄せてくれるのは,支那そば屋の女中や,小さな病院の看護婦,湯治で温泉に滞在する娘さん等々である。それこそ陋巷に生きる女性たちである。そこには,主人公の弱み,弱点に敏感で,同情を寄せてくれているような母性を感じる。
 主人公はもっと,何か高尚なところとか,長所といったところで自分への好意を持ってもらいたい願望を抱いているはずであるが,そういうことにはならない。評価されないのだ。
 ある意味,同情に近い好意は,受けて恥ずかしくもある。支那そば屋では,そこの女中が頼みもしない鶏卵をそばの上にかちっと割って持ってきてくれた。主人公は自分が貧乏たらしくて同情されたと感じる。しかし,女中の好意は,見返りをあてにしない好意である。純粋の同情。それは否定すべきではない,人間的な行為なのではないか。主人公には,そういう観念が残る。ここに描かれた女中さんの行為は,決して特別なものとは言えない。時にちょっとしたサービスとして,いろいろな場面で起こりうることで,「どうも」と礼を言ってすむ事柄であるし,多くの人にとってはそれで終わらせる事柄でもあるように思える。つまり,日常の中でのちょっとしたよい出来事,を越えるものではない。
 「自身の恥辱を告白」すると言うよりは,「恥辱を告白することに,わずかな誇りを持ちたくて,書いているのだ。」と,主人公が言い直す時,この「わずかな誇りを持ちたくて」という言葉に,今一度,ぼくは立ち止まって考えることになる。「わずかな誇り」とは何か。何故,「わずかな誇りを持ちた」いと考えるのか。こういう疑問が湧いてくる。 というのは,他でもない。このぼく自身にも,一般的には恥ずかしいことを,好んで人目にさらそうとする傾向があるから,興味を感じるのだ。この小説を,面白いと受け止めたのだ。そう,分析出来ると考えている。
 恥辱を告白することの,わずかな誇り。うまく言えないが,それは物を書く時の,自分を投げ出す,差し出す,さらけ出すといった,「無私」の姿勢への誇り。少なくともぼくの場合は,そういうことに近いと思う。嫌なこと,苦しいこと,辛いこと,恥ずかしいこと,そうした一切のことを越えて表現する。表現とは,そういう物でありたいと考えているのだ。逆にいうと,それしか自分にはありませんよ,ということを言っていることになる。太宰がここでいっていることも,そういうことだろうと,ぼくは思う。
 資質としかいうほかない太宰の「聖母」観は,実はどこまで行っても独りよがりの物で,相手との人間的な接点に欠けている。あるいは交わることができないといっても良いかもしれない。勝手に一人そう思いこんで,時に苦しんでいるのだ。この病は現実にはどうにも治癒する見込みのない病と考えるほかにない。ぼく自身もまた,この病を同じくする者ではないかと長い間考えてきた。現実的な事柄には覇気を持って対することがなく,ただ,正直というもの,真というものに向かってだけ,命がけの熱情を注ぐことができる。もちろん,これは病ではないのかという自覚は充分に持ちながら。
 一つ見逃していたことがある。もしかすると太宰は自身をキリストに重ね合わせているのかということである。「最後の審判」のキリストは,戦かうキリストである。だが,未来に磔を約束された姿も暗示されたキリストである。
 そのキリストのそばには,どうしても聖母マリアは寄り添っていなければならない。ミケランジェロにとっても,太宰にとっても,そうでなければならないものであった。
もちろん,彼らは自身をキリストに重ね合わせて考えることがあったはずだ。そうして側にマリアが存在することは,何をおいても欠かせない彼らの希求であったはずだ。
 太宰にとって,現実にはあり得るはずもない処女のままの清楚な母マリアは,しかし,架空のままにしておくことはできない。そうであるならば,キリストもまた架空の存在となってしまうから。そこで,陋巷の中にマリアを求め,そこに神話化される以前の,人間キリストを添えることになる。もちろん,役者太宰がその場に立つことになるのだ。妄想かもしれないが,しかし,全世界と戦っているのだという,過酷さに包囲されているかのような精神の状況からもたらされた自負が,そうした演出を可能にさせたと言える。
 最後に,ぼくにとってミケランジェロに描かれたようなマリアは,あるいは太宰がそこに見たマリアは,まだ目にすることがないことを言っておきたい。
 
つづく
 
 「?」
 本当のことを言おうとする時に,ふざけたような口ぶりで言う。太宰を評する人たちはだれもが,そんなことを指摘する。この作品にも,そういう傾向は見られる。けれども,幾分か,真面目さを残した印象を与える作品だ。
 この作品では,作家として,芸術についてを中心として,自分の思うところを素直に,言葉を探し,あるいは選びしながら語っている。性格的に卑屈で,はっきりと気持ちを言葉にできない弱さがあるなどと書いているが,そう言いながら,コケの一念で芸術を「究明」するというような骨太の声明を,はっきりと刻んでおくことを忘れない。
 主人公の小説家は,自身の芸術性に自信が持てないで悩んでいる。自分では,自分の紡ぎ出す言葉に,他のだれにも真似の出来ない「価値」があるはずだと考えながら,いや,そうではないかも知れないという思いに揺れている。
 彼の不安は,世間一般に飛び交っている人々の考え,それを表現した流行する言葉に,自分の考えがどうしても合わないというところから来ている。大多数の思念に対する,たった一人としての自分の思念。その図式が,彼に不安を呼び寄せる。
 時は戦時下である。出征する兵士がいて,主人公は多くの人々のようにして兵士を見送ることが出来ない。思いは複雑である。反戦を語るのでもなく,戦争に迎合することも出来ない。世の中は自分の意志や思いとは関わりなく動いていく。祖国を愛していないのかと問われれば,いや,その思いは持っていると答える他はない。だが,大きい声で臆面もなくそれを口にすることが主人公には出来ない。出征は他人事ではない。主人公にとって,見送る兵隊さんたちは,あたかも分身のように,つまりたくさんの感情移入をし,兵隊さんたちに乗り移るようにして兵隊さんたちを考えることになっている。主人公の,戦線の人に対する卑屈は,その結果として彼の心に訪れる。
 兵隊さんたちの中には、かつて文学を志し、小説家になりたいと願っていた人たちもいる。戦時下の中でこつこつと文字を刻み、小説としてできあがったそれを主人公のもとに送ってくる。彼はそれを読んで、それらが決して小説としてはよい出来に仕上がっていないことを思う。特に、既成の小説の範囲で、彼らはどうしてもそれらの既成のものの影響を受け、そしてそのスタイルを真似ていると感じる。言ってみれば、自分の手足、目や耳を使って書いた物ではないということを言っていることになるだろうか。既存の小説家の、感じ方考え方、戦争の捉え方を真似て、自分の身辺や情勢を見ていることを、看破する。そういう見方、感じ方をしなければならないのだと、若い兵士たちもとらわれていると見える。
 芸術とは、小説とは、そういうものではないと主人公は、そして太宰は言いたかったに違いない。思想は思想として、言葉にはしかし、思想とは異なる次元での身体的な言葉の側面があり、そういう個性的な身体にまで降り立った、身体の声を反映した表現こそが必要なのであると。
 主人公はしかし、いざ自分が戦地に赴いたとしたなら、どういうことになり、どういう小説を書くことになるだろうかということは、想像することさえ出来ない。その意味では、戦地でくたくたに疲れて、小閑を得た時に蝋燭の下で懸命に書き続けた兵士の、文学への志、情熱といったものは、その作品のできばえとは別に認めるほか無い事柄なのである。 戦時下で、自分に精一杯の銃後の奉公、役立てることは、自分宛に送られてきたそうした原稿を、文芸雑誌の編集者に紹介し、あわよくば雑誌に取り上げてもらうことである。そういう努力はしてみても、またうまくいって努力が実っても、主人公には胸を張ってみせることの出来ない思いは残ってしまう。自分は、時流にうとい、「遊戯文学」を書いていると感じているからだ。
 太宰は、盛んに主人公に自信のなさを表白させている。「私は、やはり病気なのであろうか」とか、「小説というものを間違って考えているのであろうか」とか、「確乎たることばが無いのだ」とかいうように。いわば、実体験から手探りで得た小さな実感の世界が、思念として飛翔しないことの齟齬を噛みしめている。その意味ではいつも小さな場所にとどまるしかない。それに悩んでいると言ってもいい。
 雑誌社や新聞社の人が家を訪れ、取材のような談話のようなやりとりをする時でも、作家である主人公の言葉はしどろもどろの体裁で描かれる。
 ただ、小説を書くにあたっての信条を問われると、「悔恨」であると即座に応答する。「悔恨の無い文学は、屁のかっぱ」とさえ豪語する。だが、すぐそのあとで、
 
   僕は、ちっとも自分の心を誇っていません。誇るどころか、実に、いやらしいもの  だと恥じています。宿業という言葉は、どういう意味だか、よく知りませんけれど、  でもそれに近いものを自身に感じています。罪の子、というと、へんに牧師さんくさ  くなって、いけませんが、なんといったらいいのかなあ、俺は悪いことを、いつかや  らかした、おれは、汚ねえ奴だという意識ですね、その意識を、どうしても消すこと  ができない(後略)
 
と、主人公に言わせている。
 「悔恨の文学」は主人公の信条であるが、僕には大きな意味はないように思える。悔やもうが悔やむまいが、勝手であろう、そう思う。
 注目したいのは、引用部にある。「おれは、汚ねえ奴」だという意識は、何となく、太宰の過去の、情死、党活動からの離脱などを考えて、そういうことなのかなと思ってしまう。そして、ある意味そうには違いないのかも知れないと思う。ただこれを、無意識がもたらしてくる罪意識として考えてみると、母親との関係を言っている言葉なのかなという気もしてくる。そう解釈した時に、どういうことが言えるのか。
 知っての通り、太宰はごく早い時期に病弱な母から離され、乳母に育てられることになった。憶測に近い形で言うことになるが、太宰が母親から引き離されるこの過程で、乳児の太宰には無意識の中に負荷としての傷が生じたのではないだろうかと思われる。
 乳児にとって、自分の全世界とも言うべき母の退出、あるいは不在、神隠しは、戸惑いや恐怖をもたらすものである。
 どうしてこんな理不尽が起きるのか。乳児が経験する心的な傷は、問いの形のままで放置せられ、ただカメラのシャッターで切り取られた光景のようにデータとして保存され、無意識の奥底にしまい込まれる。
 あえて乳児のそうした戸惑い、恐怖に、後年の人間界に得た言葉で応えようとすれば、それは、「俺が悪かったから」という言葉になるほかはない。きっと俺が悪かったからだ。きっと俺が気に障ることをしてしまったからだ。
 これが太宰治の気質がこしらえた母と子の物語である。
 母の突然の不在は、そういう傷を乳児に負わせるに違いない。
 太宰の先に引用した部分、宿業と言い、罪の子と言う言葉は、だから母と子の物語から生まれた言葉であり、探り当てた言葉がそういう言葉でしか言えなかったところに太宰治の悲劇は存在した。
 この後のところで、太宰は、
 
   いのちは糧にまさり、からだは衣に勝るならずや。空飛ぶ鳥を見よ、播かず、刈ら  ず、倉に収めず。野の百合は如何にして育つかを思え、労せず、紡がざるなり、され  ど栄華を極めしソロモンだに、その服装この花の一つにも如かざりき。きょうありて  明日、炉に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装い給えば、まして汝らをや。汝ら、  これよりも遙かに優るる者ならずや。
 
というキリストの言葉を引いて、これで救われたことがあると主人公の作家に言わせている。そして、罪意識を超えて生きる力を与えてくれたことがあった、と。
 「汝ら、これよりも遙かに優るる者ならずや」というキリストの言葉に、太宰は慰められ、同時にまたこの言葉は、大衆、市民、あるいは世間的弱者にまなざしを向ける時の、太宰の心中の終生変わらぬ思いを語る言葉であったに違いないと思う。
 また後のところでこういう文章がある。
 
   私は、まじめな顔をして酒を呑む。私はこれまで、何千升、何万升、の酒を呑んだ  ことか。いやだ、いやだ、と思いつつ呑んでいる。私は酒が、きらいなのだ。いちど  だって、うまい、と思って呑んだことが無い。にがいものだ。呑みたくないのだ。よ  したいのだ。私は飲酒というものを、罪悪であると思っている。悪徳にきまっている。  けれども、酒は私を助けた。私は、それを忘れていない。私は悪徳のかたまりである  から、つまり、毒を以て毒を制すというかたちになるのかも知れない。酒は、私の発  狂を制止してくれた。私の自殺を回避させてくれた。
 
 多少の誇張がないとは言えないだろうが、これもまた太宰の本心を生真面目に告白した言葉だと思う。「酒は私を助けた」の言葉に、何をいい気な、と非難することは容易だ。そして実際にそう感じる人はいるだろうと思う。だが、こういうことはありうるのだと、ぼくは思う。人によって、「酒」は、さまざまなものであり得る。煙草でも、ゲームでも、ギャンブルでも、学問でも、そのほかの何であってもいい。ただ、それで救われたと実感する人は必ずいるに違いないと思う。友だちでもなければ肉親でもなく、まして病院でも、学校でも、その他の社会的公共機関でもない。
 ヒューマニズムは、顔を背けるかも知れないが、だから多くの人は臆面もなく「酒は私を助けた」等とは口にしないだろうが、太宰治は、ぼくたちが口にしにくいところをきっぱりと言い切っている。そこに、「嘘」が無い。簡単なようであるし、たいしたことではないように思われるかも知れないが、現代においてもなお、太宰ほどに「本当のこと」を言うことに骨身を削り、「本当のこと」を大切にし続けるひとは、数えるほどにしか見あたらないとぼくは感じている。
 少なくとも太宰は、このように自分を語りながら、実は他人の「酒」を考えることができている。その独特の方法が、ぼくを引きつけてやまない。
 
つづく
 
 「兄たち」
 この小説は、ある父親に先立たれた家族の四男を主人公として、彼の目から長兄、次兄、三兄を見てそれぞれの性格を描写し、特に後半部は主人公と三兄の関係が中心に書かれている、そういう作品になっている。
 他にも多く見られるように、もちろんこの性格なり関係の在り方などは太宰治本人の家と兄弟がモデルとなり、実際の生活実体験がもとになって、それを変形して成ったものと言ってよい。これまでにもたくさん登場した兄弟、家族を素材として成る作品群の一つである。
 抵抗無くすうっと一息に読んで、心に残ったものは最後の、「父に早く死なれた兄弟は、なんぼうお金はあっても、可哀想なものだと思います。」という言葉である。この言葉は、三兄が早くに死んで、その処理に奔走する過程で、長兄が急に手放しで慟哭したことのすぐ後に出てくる。
 差し障りのない程度の、強調や誇張のない文章で兄弟について書き、どちらかといえば書き流したと言える印象の持たれる作品であるが、最後の締めの述懐が、結局はこの作品で語りたかった唯一のものかなと受け取られる。当たり前に、世の中にたくさんあることの、悲劇とは言えない、また悲劇とは成りにくい悲劇。しかし、考えてみると、家族に大きく影響を持つもの。
 読後、そうだよな、本当は、こういうことの方が大きい問題だよな、と、そう思った。 たぶん、主人公は、あるいは作者である太宰は、長兄が父の代わりを果たし、その重圧に耐えられないで慟哭する長兄の一瞬のこみあげる何かに目を向け、それをしっかりと了解することができている。それは世間的に、日常茶飯のことかも知れないし、誰もが口にしないで生涯耐えていく何事かであるかも知れない。
 文学というものは、面と向かって人に言えない「思い」、会話のベースに乗りにくい「心」、本来的にはそういうところに目を向け、これを表現するところに本質があるものだと思う。
 現代は、個々のそうした「思い」が、大変見えにくい時代となっている。その意味では小説、あるいは文学全般が、大変書きにくいもの、表現してもその表現が読者にストレートに受け取られにくいものとなっているような気がする。たぶん、「思い」は個々にあり、個々にありながら共有出来ない寂寥が、ぼくたちの心の色を染めている。「言葉にして言わなくても分かってくれている」という思いを、もはや肉親に対しても望めないような雰囲気が、もろもろの家庭内事件から伝わってくる。ましてや他人の心は。それを思うと、せっかくの青空も一瞬にして陰ってしまい、世界中の人々がまた、モノクロの世界に寂しく寒く、身を丸めるように心を閉ざし、今を生活しているのだと思われ、変な悲しみに襲われてくる。そしてこれが自分一人だけの妄想であってくれればという、祈りのような願いに変わる。
 思わず、作品から離れてしまった。作品の内容はどうでもよい。何かを伝えるために、その目的を遂げるための手段としてその内容があるとすれば、その核心が了解されれば詳細はもはや不要である。手段はいくつでもあるだろう。稚拙もあれば、巧緻を極める場合もあるであろう。その意味ではここでのこの作品の評価は、可もなく不可もなく、である。この作品については、こんなところで切り上げようと思う。
 
つづく
 
 「春の盗賊」
 この小説には、「読ませる力」が働いている。ただ、それがどんな力なのか、よく分からない。筋は、主人公である太宰という作家の家に、泥棒が入り、金を奪って逃げた、それだけのことである。泥棒も、そして主人公の妻もここには登場するが、これらの登場者は影が薄く、ほんの一瞬登場するだけの印象しか読後にはもたらされない。
 ほとんどは、主人公の一人芝居である。独白である。作家太宰治の過去とおぼしき過去を、主人公が喜怒哀楽を交えた長台詞で廻し、後半にやっと題名の通りの盗賊の話になる。盗賊が登場し、「金を出せえ」と凄んだりはするが、しかし、舞台の上ではまるで黒子のように暗がりの中に佇んでいるだけである。
 その泥棒はまた、こともあろうに主人公が部屋に招き入れたのである。
 ここには、通常の、泥棒に襲われた時のパニックになるというありふれた姿が主人公にはない。パニックがあるには違いないのだが、それが、一般的に言われるような、「どろぼう、どろぼう」と大声を上げ、あわてふためく様とは変わっていて、へんに落ち着いてしまうパニックとして描かれている。泥棒にお説教するという構図である。そのお説教はしかし、どこか間が抜けていて、泥棒が涙を流し、改心するというようには出来上がっていない。主人公の説教は浮ついていて、泥棒はその浮ついた説教をかいくぐって悠々と室内を物色し、目的の金を手にして黙って立ち去っていくのである。主人公は立ち去る泥棒に気づくことさえなく、暗がりの中に、思いつきのストーリーを長々としゃべり続ける。やがて妻が隣室の電燈をつけ、主人公に泥棒の立ち去ったことを告げる。主人公は、やっと事件の現実性に気づき、体をがたがた震わせるというように、描かれている。
 この「事件が遅れてやってくる」という事実は、感覚的に、よく分かるという気がする。パニックが、身体的な即座の反応としてではなく、努めて平静を装った意識性として第一に主人公を襲うという特異性がまずある。それは世に言われる大人物の冷静な対応とはまた別物である。後者には相手を観察し、分析する余裕があり、前者には全くそれがなく相手のことが見えていない。感覚器官は機能しているが、連合の面において、極めてちぐはぐになっている。
 この小説の前半部は、作家太宰治の、精神病院への入院など私生活上の醜聞と、そこから立ち直ろうとしての意気込み、決意やらが独白されているという印象として残る。その果ての結末であるから、全体として「滑稽感」が構成されているように思われる。
 主人公の作家の「滑稽」が、前半部の生真面目さとはうって変わって、結果的には全体に漂うことになっている。
 太宰治の小説には、心的に内的な共感とも言うべきものがある。読んでいて、その時だけ、うん、うん、よく分かる、という共感の在り方だ。これは読んでいる時にも読後にも、何に共感したのかと自問しても言葉にできない、身体的、あるいは皮膚感覚的な何かだと言ってみせるしかない。
 あえてこれを別の体験で置き換えてみれば、漫才やコントを見ている時に感ずる共感と似ている気がする。一瞬、心がくすぐられるような、後には格別残るものもないのだが、そのくすぐられたという感覚だけが、いやにはっきりと残ることになっている。また、それを感じることができなければ、おそらく漫才やコントの演者にもまた太宰治にも、魅力を感じないで立ち去ってしまう視聴者や読者に終わるほかないように思われる。
 「滑稽感」を含めて、人生には、表舞台で取り上げられたり大勢の前で論議されたりすることのない、しかし、一人一人の心の体験としては印象に残り、有意義と感じられる気づきがちりばめられ、散在しているという気がする。社会や共同体にはあまり意味がないのに、心に残って離れない、そういうものがたくさんある。文学も演芸も、ある意味で個人のそういう思いを取り扱い、それゆえに大衆の中に息づいてきたと言えるのではないだろうか。太宰治の小説に見られる、ちらりとくすぐりを差し込む一つの特色は、現在、「お笑いの世界」にしかその一端をうかがうことができないとぼくなどは感じている。「お笑い」は低級なものかも知れないが、大衆にしっかりと指示されている。戦後の文学の感性は高級になったかも知れないが、いやになるほど生真面目で、逆に滑稽の視点を見失ってしまった。全体の硬直化を笑いの中に包み込む、そしてその中に骨太の批判精神が貫く、そういった作品にお目にかかることはまずなくなったと言っていい。もちろんぼくは文学の世界にそれほど通暁しているわけではないが、そんな印象を抱いている。
 太宰治は感性を読ませる作家である。「読ませる力」は、だから太宰の感性に内在する。それは、人生の中のくすぐり、「滑稽感」に極めて敏感に反応する感性、それを察知し表現出来る感性だと言ってみたい気がする。滑稽は、大真面目の極地の、これまた極北に浮かび上がってくるものである。大真面目であればあるほど、そこに滑稽が鮮やかに浮かび上がってくる。その滑稽をつかまえることで、太宰は逆に大真面目を表現した。これは太宰文学の手法の一つともなり、やるせない人間性の秘密に抵触する無意識の方法とも成りえた。これには文学のうちの小説でなければ表現として成り立たないような必然はない。だが、その表現スタイルは時代によって変わっても、時代の常識を疑う、まともな感性の系譜は続いていくに違いない。たぶん小説とは別の領域に、太宰的感性は生まれ変わっていく。太宰はそういう感性の持ち主を弱者という言葉で表現して見せた。もう少し別の言葉で言い直すと、大衆の中の多数、あるいは多数の支持を得ないもの、ということになるだろう。もっと言えば少数であり、孤立するものを意味している。そして皮肉なことに、多数の大衆の共感や支持を得るのもまた、この少数であり孤立する個人であることも多い。 やや太宰論に流れようとしてきている。修正が効かないところまで突っ走らないうちに、止めておこう。
 
                              つづく
 
 「駈け込み訴え」
 この作品も、前作同様「語り」のスタイルで書かれている。前作では、作家である太宰本人と思われる主人公が、読者に語りかけるというスタイルを取っていた。この作品では、キリストを裏切ったユダが、今で言えば、警察署に駈け込んで警官に訴えるとでもいうような形で、全編ユダの語りというスタイルで書かれている。題名に表れているように、それこそ急いで駈けきて、息せき切って訴え出ている様子が、「語り」の調子でよく表れている。
 作品を読んで、この「語り」の調子の良さにまず驚く。表現が、巧みだと感じる。全体に、息せき切るといった切迫感があり、あわてて言いつのったり、支離滅裂な思いつきの言葉とその訂正があったり、その中で、キリストとユダの心的な結びつき、そしてユダのキリストに対する「思い」というものが、よく描かれていて破綻がない。
 太宰治は、キリスト教徒でもなく、キリストの研究者でもなかった。彼の、この作品を書き上げる動機は、聖書一冊にあった、そう言っていいと思う。聖書一冊を繰り返し読み、読み込む中でこの作品の構想が生まれた。その意味では勝手な聖書理解とキリスト理解の産物であったと言っていいかも知れない。数ある研究書、解説書なども目にすることはあったには違いないが、きりがないことと、どちらかといえば文学書を読むように読んだ自分の聖書体験が問題であったに違いない。聖書を前に、その膨大な歴史や背景はとりあえず捨象して、直接対決、真っ向対決を挑んだ感がある。その自信とプライドの高さは尋常ではない。それほどのめりこみ、読み込んだということでもあるだろうが、そうであっても、普通はキリスト教という全世界的な宗教の重さに尻込みし、ためらうところを、太宰という作家は果敢に表現してしまう。この意味では、日頃、悔恨やためらい、はにかみなどの言葉を多用しながら、意外に骨太な表現者であると言っていい。
 この小説は、キリストやユダを素材としてはいるが、宗教の書ではない。宗教的視点からの批判はいくらでも起こりうるだろうが、そこに意味はない。では、この作品はどう捉えたらよいのか。
 以前も今も、この作品は太宰の代表作の一つといってもいいほどの、優れた、いい作品だと思っている。だが、それを批評の言葉としてどう表現すればよいのかを、即座に思いつくことができない。何がどう優れているのか、それが、うまく言えそうにない。
 
 「駈け込み訴え」を読み、まず感じることは、聖書理解が優れているという点だ。
 文学者が「聖書」を宗教的、あるいは宗教者的に読み解くのではなく、単に、ひとつの「表現」として読んだ場合に、どれだけの深さでその「表現」を理解することができているか。そこに照準を合わせると、作品「駈け込み訴え」には、作家太宰のすぐれた作品鑑定眼とも言うべきものが内在していると感じられる。
 では、その目は、「聖書」の中に、何をどう見たのか。
 「聖書」を読む中で、太宰は、キリストを、実在の、体制の宗教者的な反逆者と見なしたと思う。異端的、急進的な教団の教祖として君臨するキリストを想定した。その上で、「聖書」に書かれたさまざまな奇蹟物語や説教を、現実的な地平に引き下ろすように読み解いていった。
 「駈け込み訴え」では、たとえば「ユダ」は、キリストが行うさまざまの奇蹟の裏舞台で、奇蹟が奇蹟として実現するようなやりくりをする、作中の言葉で言えば「危ない手品の助手」としてキリストを支え、あるいはキリストと他の弟子たちのパンの世話をし、日々の飢渇から救う影の功労者として描かれている。謂わば、教団を維持するための財務担当であり、そのまま経済的な奇蹟の本当の立役者のようにも描かれている。
 こういう理解には、かつての非合法の反体制的な活動の経験が影響しているかも知れない。
 
   私はあの人に説教させ、群衆からこっそり賽銭を巻き上げ、また、村の物持ちから  供え物を取り立て、宿舎の世話から日常衣食の購求まで、煩をいとわず、してあげて  いたのに、あの人はもとより弟子の馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。お礼  を言わぬどころか、あの人は、私のこんな隠れた日々の苦労をも知らぬ振りして、い  つでも大変な贅沢を言い、五つのパンと魚が二つ在るきりの時でさえ、目前の大群衆  みなに食物を与えよ、などと無理難題を言いつけなさって、私は陰で実に苦しいやり  繰りをして、どうやら、その命じられた食い物を、まあ、買い調えることが出来るの  です。
 
 こういった取り巻きの苦労というものは、どんな組織にもつきものなのかも知れない。この箇所を読んだ時、ああ、聖書はこのように読めばよいのか、このような読み方も出来るのかと、感嘆しながらそう思ったことを思い出す。大群衆に奇蹟を感じとられたことは、実は影に奇蹟でも何でもない、味も素っ気もない、現実的で俗的で台所的なやり繰りの上に成立している。太宰的、ユダ的、多少意地の悪い視点というものが、ここにはあると言っていい。もちろんこれが唯一の解釈だと言う気はないが、しかしこんな解釈もあり得るのだという点では、出色であると思う。こういう解釈は、自分の生活経験、日常を振り返ってみた時に、なるほどあり得ることだと実感される。そういえば、こんな形で募金を集めたり集められたりしていた経験があったな、と。
 太宰治の聖書理解の特徴、あるいはもっと広げて言えば、太宰の思想や信条は、常に体験上の実感をもとに、それを伸縮させて結実されたものである。これは、言ってみれば、思考に身体性が備わっているということであり、その意味では思考の抽象度を高めていく場合にかなりの抵抗と苦しみとが予想される。
 ぼくがたぶん太宰が好きなのは、この、身体性を振り切っていない点にあると思う。実感が語る言葉に嘘もホントもない。ただ、そう感じ、そう考える、と言えるだけだ。
 
 この作品からもう一つ考えることを強いられてくることは、ユダから見たキリストとユダとの関係である。
 ユダにとってキリストは、心根の美しい人であり、最上の精神家である。けれども、ユダに対してはいつも意地悪さと軽蔑を含んで接しているようにユダには感じられている。 ユダから見たキリストとの関係は、一種の性愛的な関係に見える。二人がそういう関係にあるというのではなく、ユダが一方的に、そういう関係の取り方をしているということである。主従や師弟の関係を越えて、キリストの存在はユダの心を大きく占めている。少なくとも太宰は、この作品で、そういう関係として描いた。
 この関係は、ユダにとっては一方的な片思いの関係に見られないことはない。
 新約聖書の、例えばマタイ伝その他において、ユダはキリストを裏切るものとしてほんの少し舞台に登場するだけだ。そしてその裏切りの行為は、聖書の記述の中には何の前触れもなく、突然のように証される。小説ではないから、裏切りの前のユダの心理はもちろん、裏切りに至る過程や内部的な背景などは一切省略されてある。
 その空白を、太宰治はユダの物語として埋めて見せた。
 言ってみれば、キリスト的なものへの嫉妬、そしてもっと言えば父性的なものへの嫉妬といってもいいような何かが物語の中には埋め込まれて感じられる。強く、美しく、華やかに光り輝く、太陽的な存在への、嫉妬、そしてそれに対して抱いてはいけないある種の不信感。それらが綯い交じってユダの内面に波打つ。
 キリストとの対比において、ユダは母性的であるほかはない。ユダにも父性への憧れはあり、自ら光り輝く存在でありたいという願いもあった。それが、キリストには自分への敵意として感じとられた。ここにフロイトの父親殺しの心理を想定してもいい。キリストはユダにとっても偉大であり尊敬出来る存在であるが、自らを光り輝かせるためには、目の上で大きな影を創り出すたんこぶのような存在でもあった。その意味では、ユダにとってのキリストは父的な存在でもあった。
 ユダはキリストとの関係において、「従」として影を生き、影の役割に精通し、また母性の本質についても知りうることが出来た。その意味では、太宰はこの作品を夫婦の物語としても読めるように、もちろんそれは意図しないことではあるだろうが、書き上げてしまったのだとも考えることが出来る。実際、この作品の中でユダが感じるキリストの無意識の底意地の悪さを、妻が夫に感じ、熟年になって妻が離婚を切り出す現象が昨今は多くなっているのである。夫から見れば、もっとも油断がならないのは妻の視点であり、その視点から見れば、「一貫した自己」という意識上の妄想が崩れ去ることになり、それは意識における「自己」すなわち「私」を解体させてしまうものでもある。その恐怖感が、逆に妻への冷たさや意地の悪さのような形で反映してしまうことになる。キリストもまた、側近のユダに、そういう視点の生じていることを、ユダの瞳の奥に感じとってもいたであろう。
 ユダが、もっとキリストに自分を大事なものとして扱ってほしかったと語る時、それはある状況における妻の夫に対する言いぐさと同じことになる。
 弱いものの見方であるといいながら、同じように弱さを持っている自分にはちっとも優しくしてはくれない。これがユダの言い分だとすれば、妻らしい扱いをしてもらえなかったというのが妻の言い分になる。その時点で、キリストや夫が、「いや、じつはそうではないんだ」と振り絞るような思いで「本当」を告げようとしても、もはや通用しない。
 この「裏切り」という事実を巡って、「非」はユダ的な側にあるのかキリスト的な側にあるのか、太宰の「駈け込み訴え」という作品は読者に問いかけてくる。
 聖書は、キリストの口を借りて、ユダを「生まれてこない方がよかった」という言い方で冷酷に突き放す。ユダ的なものへの憎悪、翻って母性的なものへの憎悪は半端ではない。 後年、だったと思うが、太宰の言葉に、「生まれてきてすみません」という表現があったような気がする。いや、あったはずだと思う。それは、この聖書の中のキリストの言葉を直接に我が身において引き受けて、出てくる表現であったのではないだろうかと思う。ユダ的なものを自身に引き受けて、出てきた言葉がそれなのである。その時、太宰が自身をユダ的なものに置き換えたとすれば、太宰にとってキリスト的なものに置き換わるべき存在は何ものであったのであろうか。実の父か、家族か、社会とか世界とかの外界の一切か。それが何ものかは特定出来ないとしても、太宰にとって、それは常に自分を「否定する声」として機能し、また自身を脅かすものとして作用するものと感じられたに違いない。
 
 「駈け込み訴え」の中のユダは、キリストがマルタの妹のマリアに恋心を持ったと感知し、それはあってはならないことのように受け止めている。言ってみれば、これはユダがキリストを美化する度合いを物語っている。そしてこの美化の度合いは、ユダの心的な面での気質的なものに拘わっている。
 ここから感じられてくることは、ユダと同様に、自分にとっての憧れの対象を「美化しすぎる」という太宰の心的な傾向性である。美化しすぎるがゆえに、そうでない部分が見えた時にはげしい反発を感ずる。あるいはこの反発の正当性を主張したいがために、あえて対象をそれが持つ以上の美化によって粉飾するといっても良いかもしれない。
 互いに相容れない「世界と私」という太宰の大テーマが、ここに浮かび上がってくるとぼくは考えている。悪いのは、「世界」か「私」か。太宰の小説を眺めていくと、繰り返しその問いを問うているように見える。「私」は「世界」に受け入れられない、そういう根源的な実感が、こういう問いをもたらす。
 「世の中」に受け入れられていないという実感を、太宰は何度も何度も小説の中で反芻してきた。それは、そうではないという希求を確かめようとする行為でもあった。「私」が、何か思い違いをしているのではないか。「私」が何か、知らず知らずに悪いことをしたからではないのか。
 「駈け込み訴え」の中のユダの冗舌は、自分の考えや主張に対する自信のなさや不安を象徴している。
 
 言葉によって創り出された世界を、幻想の内側に閉じこめ、これを考慮せずに考えれば、ユダが抱えるキリストに愛されない不安、そして永遠に世界との和解が成り立ちそうにも思えない太宰の抱える不安は、出生の前後に、赤ん坊が周囲に感じた不安に由来するのではないか。さしあたってそう考えるほかにはないのではないか、そう、ぼくは今考えている。逆に言えば、出生の際に受け止めた不安が、太宰の小説となって、膨大な思考や言葉を生み出したかも知れないと考えていることを意味する。
 もしかすると、たったそれだけのために、つまり、根源的な生への不安のために、人間的な弱さは言葉を生み出し、考えるという行為を補填しなければならなかった。正義といい、愛といい、自由といい、人間の世界はなぜこんなことに惑い続けなければならないのだろうか。なぜ植物のように、他の動物のように、あっけらかんと生き死にの様を、その通りに生き、そして死ぬことは出来ないのか。生命の進化の歴史の中で、人間だけが例外的に「苦悩」するという行為を背負わされている。それに一体どんな意味があるか。
 たとえ、歓迎されることのなかった出生であったとして、出生という事実を取り消すことは出来ない。「生まれてこないほうがよかった」、「生きるな」、そう、外界が語りかけてきてもいいではないか。死ぬまでは生きるのである。どう生きるか、思い煩うべきはそこで、自分が世界にどう受け入れられるかではなかろう。その意味では動物、植物、他の一切の生命はあなたに対してひとかけらの関心も持ってはいないと言うべきである。それでも、一つの生命は産み落とされたこの世界で、やはり一つの生命として振る舞い、やがて一つの生命としての終わりを迎えるのである。その終わりは、生命自体に負わせるがいい。それは人間界では「運命」と呼ばれる。
 作品「駈け込み訴え」から、とんでもない冗舌に流され、こんなところまで飛んでしまった。とりあえず、これを終わる。
 
つづく
 
 出生前後の不安が、その人の生涯にはつきまとう。そのようなことを先に書いた。「駈け込み訴え」はもちろん、その他の太宰のさまざまな作品も、その不安から逃れ、またその不安と戦う過程に生じた産物という見方に立てば、愛、信頼、革命、正義、生活、家庭、そういうテーマで作中に精神の格闘の軌跡を窺うことが出来たとして、それは二次的なものでしかない。
 だから作品には価値がない、というのでは、ない。
 宗教者のように断食などの身体的な修行を通して、通常でない意識の状態に入り込んで、そのおぼろな意識の中で神や仏を見たとしよう。その神や仏の姿を詳細に語る記述を見せられたとして、さらにその神や仏の是非を言う必要があるだろうか。
 言いたいことはそういうことだ。
 問題は、その宗教者が、腹一杯飯を食い、ただ寝ころんでいたら神や仏を見なかっただろうということだ。それを宗教者の徳や信心の問題にするのは、間違っているとは言わないまでも、身体をないがしろにする意識中心主義的に過ぎやしないか。
 そういう疑問を今感じている。
 「駈け込み訴え」は、ユダのキリストへの愛と憎しみの物語として読むことが出来る。太宰は聖書の中に、そういう物語を読んで、自分の鑑賞眼を信じそれを表現して見せた。作品中でユダの目に見えたキリスト、そして作品中に語られたユダ自身の思いと言葉もまた、作者太宰の感性が聖書の中に見、そして聞いたものだ。
 聖書の中で、ユダの裏切りは素っ気ない描写ですまされている。しかし太宰はそこにこそ真の物語があり、それはこういうものだと提示して見せた。裏切りという、圧倒的に立場の悪い側に立っての弁護を引き受けるかのように、ユダの裏切りの、いわば必然性とも言うべき経緯を、想像力一つを武器に開陳して見せた。それはユダの無罪を主張しようとするものではなく、情状酌量をねらうような、もっと言えば、法は人を裁けるのか、人は人を裁けるのか、そういう地平にまで問題を広げ、投げかける内容を含んでいた。
 なぜ、これほどまでに圧倒的に立場の悪い側に立って、いわば世間に敵視されることもあることを覚悟しながら、そこに、見え隠れする、おぼろげな、ミクロの世界のようなかすかな、「美や善」を掬いとり、表現しようとするのか。おそらくそこには、周囲の人々が振りかざす物差し、目の中にあって人を測るその物差しから、正当に評価されないといった自己の感受性の経験があり、ユダの裏切りの行為の上に照射された。
 キリストが体制への反抗者であるならば、ユダはキリストへの反抗者であった。聖書がキリストを主人公とする物語であるならば、世界のどこか片隅にでもいい、ユダを主人公とした物語があってもいい。そこには世界に受け入れられるような正義はないのかも知れないが、愛と真実は隠されているはずだ。それは太宰が信じているところの、自分の中にある、世間には認められないかも知れない愛と真実の物語に重なる。
 これでも、「生まれてこなかったほうがよかった」と言われなければならないか。謂われなき、侮蔑、蔑み、無視や冷酷といった眼差しに晒され続けなければならないか。
 
 どう考えても、世界は自分を「生きよ」と歓迎して迎えてくれているようには思えない。ユダから見たキリストを描きながら、太宰はユダにとってのキリストが、自分にとっての「世界」と重なることに思い至ったに違いない。その思いの底に、本当はキリストの次のような思いが熱く渦巻いていた。
 
「禍害なるかな、偽善なる学者、パリサイ人よ、汝らは酒杯と皿との外を潔くす、然れども内は貪欲と放縦とにて満つるなり。禍害なるかな、偽善なる学者、パリサイ人よ、汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまの穢れとに満つ。」
 
 しかし、太宰はキリストのこの言葉に対するユダの反応を次のように表した。
 
「これまで述べた言葉のうちで一ばんひどい、無礼傲慢の暴言を、滅茶苦茶に、わめき散らしてしまったのです。左様、たしかに、やけくそです。私はその姿を薄汚くさえ思いました。殺されたがって、うずうずしていやがる。」
 
「馬鹿ことです。噴飯ものだ。口まねするのさえ、いまわしい。たいへんな事を言う奴だ。あの人は、狂ったのです。」
 
 「世間」や「世界」の常識は、あれが正義であり、あれが真であると、権威の衣をかぶせて自分に教えてきたが、実際には多くは「偽善なる学者、パリサイ人」の類に過ぎないではないか。太宰にはそう思われていたはずなのに、ユダにはまるでそんな思いには一切関知しないように語らせている。そのことは逆に、故意にユダが心の奥底にその思いを隠し、そのことでかえってその思いがキリストよりも強い激情の中にあることを想像させてくる。そしてその激しさは太宰本人のものでもあり、そうであるがゆえに、ユダの胸の内に深くしまい込んだのだと。
 「偽善なる学者、パリサイ人」に対する瞋恚は、キリストのものでもあるとともにユダのものでもあった。だが、キリストがこれを口にする時、ユダにはすでにキリストに対する疑念があった。
 キリストの横に立って、同じようにパリサイ人を非難する言葉を吐き出してもいい。しかし、ユダをもっとも苦しい目に遭わせているのは、他ならぬ横に立つキリストである。この関係性を、絶対正義の立場に立つキリストは果たして気づいているのだろうか。
 「善人」の顔つきをした善悪の番人、パリサイ人の、穢れた本質を見抜き、それを果敢に攻撃するキリストは、たしかにパリサイ人とは異なっている。その内面は貪欲も放縦もなく、穢れに満ちることもない。だが、少なくともユダにとっては、自分を蔑む強者の側に、キリストは立っていると見える。その意味ではやはり、「外は美しく見ゆれども」、内には謂われなき差別の視線が巣くっている、と感じられたに違いない。
 太宰もまた、ユダと同様に絶対正義の士に、弱点となる矛盾を嗅ぎ分ける嗅覚にすぐれたところがある。絶対正義の士になりたくてもなれない自分の資質をよく知っていた。この嗅覚の鋭敏さが、自分に向けられた時、絶対正義の立場は自ら崩壊してしまうからだ。この嗅覚の鋭敏さは、太宰に負の位置にあり続けることを強いるものであった。作品「駈け込み訴え」は、この感覚からもたらされた産物であったと言っても言い過ぎではないと思う。
 
                                つづく
 
 「老ハイデルベルヒ」
 この作品は、「私」の小説のファンと思われる、三島の青年との交遊が描かれた小品である。ここでも、「私」は主人公であり、作家太宰本人であるかのように書かれている。 書き出しには、「八年前の事」と言われているから、現在の「私」は八年後の「私」で、その「私」が青年との交遊を思い出し、思い出した事を語るという事になっている。
 作品の終わりの方では現在の「私」が顔を出し、妻と妻の母との三人の小旅行の途中三島に降り立ち、彼女たちにかつての思い出の三島の地を紹介するのだが、青年をはじめとしてその時に知り合った知人たちは居なくなり、三島も当時の面影はなく荒涼として、「私」の面目が立たなくなってしょげてしまった事を紹介して終わっている。
 この作品世界が、事実をもとにして成り立っているかどうかは分からない。
 作中に展開する、青年たちとの交遊はありふれていて、言ってしまえば、「若者たち」のエネルギーとその無為なる消費がいつの時代にもあるものだと感じさせられたに過ぎない。作中の「私」はしかし、現在に至るその後の八年間の創作が、三島という土地とそこでの交遊を抜きにしては語れないと、少し大げさな印象を持たれるような言葉でその重要性を語っている。
 その言葉の意味するところは、しかし、作家を考えずにこの作品を作品として読むだけの読者にまでは伝わっては来ない。太宰の小説の根っからのより文学的なファンであるならば、この八年間の中の、太宰治の創作上の秘密といったものに解読の食指を刺激されるかも知れないが、それはこの作品を離れる事につながる。
 強いて言えば、三島の土地柄、人情、それらが消えていくところのものであったというあたりが、主人公の「私」にとって何かしら古き良き時代という、かけがいのない時代としての意味合いをそこに感じようとすれば感じる事が出来るかも知れないと思う。
 もう少し言えるところがあるのかとも思うが、これくらいで終わりたいという思いもあり、その思いに従う事にする。
 
                                 つづく
 
 「善蔵を思ふ」
 この作品は、一つには農家の主婦を装って薔薇を売りつけに来た女に薔薇を買わされてしまった事と、もう一つは故郷出身の芸術関係者の集まりで、主人公が酒を呑みすぎて思わず犯した失態の話とが結び合わされて出来ている。
 この二つの話も、誰にもありそうな、ありふれた出来事であるといえば言えよう。その出来事を、太宰流に、切り取って見せている。
 比喩的に言えば、同じ被写体をカメラで写すとして、ただの写真として見えるか芸術として感じさせるかはカメラマンの腕にかかっている。
 対象をどう料理するか、太宰はたしかにありふれた出来事の中から出来事以上の何事かをすくい上げ、それをただの記録としてではなく、作品として仕上げている。
 作家の力量といってしまえばそれまでだが、太宰の作品は共通して読後に太宰の心を余韻として感じさせる。懸命に自分の心を訴えかけてくる。そうして、人の心とはこれほどまでに孤独なものであるのか、という思いに打たれる。太宰という人の作品を通じ、太宰という人の心の声を聞き、それは不特定の人の心でもあるのだろうと推測するようにもなる。これほど心を、あからさまに作品の中で叫んだ人を知らない。それは愚直なほどだ。そう、思えてきた。よい悪いではない。作品は、そうでなければならないというのでもない。そうであってはいけない、というのでもない。「こころからこころにものを思わせて、身を苦しむる我が身なりけり」と歌った西行の歌が思い出される。
 心の声を聞く事に生涯をかけ、生涯を棒に振る、太宰とはそのような人生だったのではないか。もちろん、太宰の身を苦しめたのは自他の心にとらわれていたからに違いない。心にとって本当の事とは何か。絶対の真を求めてその岸辺にたどり着かない。
 この作品で太宰は、不健康、頽廃をはらむ煩悩の心をテーマに、それこそが尊いのだと言っているように思える。悪の自覚ゆえに弱い心。貧しく孤独な心、そして悲しい心。だからこそ一本の薔薇に感動出来る心。人生で得た少ない心の報酬、その中で、満ち足りる事の出来る心にこそ、真にもっとも美しいと感じられる瞬間は訪れるものではないかというのである。また、そうであってほしいという痛切な願いでもある。少なくともそこに文学の王道を感じとるからこそ、ぼくは太宰を哀惜して止まないのではないかと思う。
 
                                  つづく
 
 「誰も知らない」
 
    誰も知ってはいないのですが、と四十一歳の安井夫人は少し笑って物語る。
 
 こういう書き出しで始まるこの作品は、夫人の過去の思い出の語り、友だちの芹沢さんの事、芹沢さんの兄さんや自分の一家の事などを簡略に述べながら、自分の一つの不可思議の行動について打ち明けている。
 それはこれまでに他人に話した事もなく、かといって他人には知られたくない秘め事というわけでもない。
 友だちの芹沢さんが駆け落ちのようにいなくなったそのことを知らせに来た彼女の兄さんが、その足で彼女と彼女の相手のいるところに出かけると言って電車に乗る後を、衝動的に追いかけたという話だ。突然電気のスイッチが入ったように、芹沢さんの兄さんへの思いが彼女の中で燃え上がり、たまらず下駄を突っかけなりふり構わず走り出す。だが兄さんに追いつく事は出来ず、そのまま静かに言えに戻ると、心もまた平静に立ち返ったというような、ありそうでなさそうな、なさそうでありそうな話として夫人の口から物語られるという事になる。芹沢さんの兄さんを、以前から意識していたというような、それを示唆する何事も語られてはいない。本人にとってもその行動は唐突であり、夢と見間違う不可思議な行為なのだ。
 こんな事があり得るのだろうかと心に問うてみると、なにやらありそうに思える。情動というのだろうか、後で考えてみれば何と言う事もない一時的な感情の動きによって自らの身体が不意に思わぬ行動をとる。
 安井夫人の体験は、ごく一般の恋愛体験とは異なっている。恋愛の起承転結がなく、突然に燃え上がって突然に冷めるといった形のものだ。
 自分にも不可解で、人にもどう説明してよいか分からない事を、ぼくたちはただ静かに心にとどめおく。そういう事がある。安井夫人の経験もそんな種のもので、人は人に語れない、意図的に隠しておく事ではない秘め事を、心に抱いているものではないのか。この作品は、そういう事を考えさせるものでもあるという気がしている。
 人は、どれだけの事を心に抱いたまま、他人に伝える事もなく、伝えようともせず、ただただ己の心に心を反芻させ、人生を送っているという事なのか。そしてそれをどう処理したり始末するというわけでもなく、つまりは、身体的にと同じく死に向かって開放していくという事になる。それを考えると、本当に人は孤独だなと思う。孤独を意識するゆえに、また悲しいものだなと思う。人を愛するというのは、この思い無くしては語れないだろう。
 この作品は、こうした意味合いから、小さな作品ではあるが読者の共感や共鳴、支持を得られる作品になっていると思う。
 
                                 つづく
 
 「走れメロス」
 太宰中期の代表作の一つといわれるこの作品は、学校の教科書にも取り上げられてきた有名な作品で、今さら付け加える何ものもない。
 批評家の多くの言葉もこの作品に対しては概ね肯定的で、信頼と友情の物語としてよい作品の一つに数えられているようだ。
 ぼくはしかし、はじめてこの作品を読んだ時の戸惑いを忘れられない。太宰治の顔が、言葉が、思い浮かばず感じられなかったのだ。ひと言で言えば、太宰らしさがない。そういう事だったろうと思う。ぐじゅぐじゅと心の隈々を、ああでもなこうでもないとほじくり返すような、神経過敏な、自意識過多な、不毛と徒労に疲労困憊する言葉の悶え、空転する意識の囚われの感覚のかけらも感じられない。すっきりと、堅牢な言葉で、終始物語が進められている。言っている事、言おうとしている事は、分かる。だがこの物語の世界は理想にして、こんな世界は、自分には無縁だと思った。手が届かないところの話であって、太宰治という人は、同じくこんな世界に憧れる事はあってもついに自分の手にする事は出来ない事を覚悟し、それゆえにぼくは太宰が好きだったのに、と思った。極北の世界。太宰の小説に興味を抱いたぼくには、この作品は、本当に極北の世界に思われた事だった。そして全てのこの作品に対する評者の言葉は、むなしく響き渡るものに過ぎなかった。鼻白む思いとは、こんな時の事を言い表すものなのだと思われた。
 なぜこの「走れメロス」という作品は、評価が高いのか。それがどうにもぼくには分からない。たしかに、作品の中のメロスの言動から、感動が生まれない事はない。それはしかし、架空の世界という遊び場における感動と言う事に過ぎないのではないのか。古典的な芝居、もっと極端に言えば神話の世界の物語というような、今は遠い遠い物語とぼくには思われた。
 もちろん、太宰にこの作品にあるような明るく健康な理想がないという思いは持たなかった。しかし、それは秘めて、外に表さないからこそ美しい。また、外に表れないからこそ理想は理想のままに、いつまでも理想として密かに心にはためいている。そういうとらえ方をしていた。
 そんな理想を、言葉にし、作品にしてしまえば、こんな程度のものになってしまう。これがそんなに評価されるべきものか。
 
 久しぶりにこの作品を読めば、一気呵成に読み終え、またそれを可能にする文体であるなと感心した。一点の濁り、そしてよどみのない文章。そう言っていいほど、ほどのよいリズムと緊迫感を湛えた筆致を感じさせられた。もしかすると、例の、伝説的な口述筆記の類かも知れないとも思った。それほどすらすらと読める文章になっている。玄人筋には、それと分かる文章力、表現力なのかも知れない。
 しかしぼくには、太宰が、太宰もこういう文章が書ける、それを誇示するだけの作品に過ぎないのではないかと思われてならない。基本的な作家としての力量、太宰にも、それが修練のたまものとしてしっかりとあった。それを示す以外、あまり意味のある作品とは思われない。  
 西欧の古伝説と、シルレルの詩から題材とテーマとを喚起されたと思われるこの作品は、太宰の生活体験とはかけ離れた無縁の世界だからこそ、ふだんなら照れくさくてかなわない、青臭い信頼と友情の物語を淀みなく語れる事になった。逆にいうと、体験にこだわらなければ、あるいは自意識から自分を解放すれば、こういう物語世界はいくらでも表現出来たのではないか。またそういう素養が、おそらくは相当の読書量を通して培われていたと推測出来る。これは、幾分趣は異にするけれども、日本古典、説話物語からとった「お伽草子」の類からも想像されてくる。
 
                                つづく
 
 「古典風」
 この作品の題名の後に、―こんな小説も、私は読みたい。(作者)―と、小さな活字で書いてある。太宰の小説には、始まりにこのような自分の言葉、あるいは名の知れた先人の短い言葉が挟まれていることがしばしばある。
 ここでは、読者の立場から「こんな小説も読みたい」と言っているのであり、「そんな小説を書きます」と言うことを言明しているということになるのであろう。
 その通りに、表面的にも太宰の他の作品とは趣の異なる書き方がなされ、工夫した作品であるという印象が持たれる。
 主な登場人物は伯爵家の跡取り、主人公「美濃十郎」と、その家の下女として雇われた「尾上てる」、そして実際に登場するわけではないが、美濃の恋人と思われるKR女史である。文章はAからHまでのアルファベットで仕切られ、最後のHでは一行だけというように長短ないまぜられながら物語が展開していく。
 Aでは、美濃とてるの最初の出会いがあり、Bにはてるの身の上話があり、てるが庭先で拾った美濃十郎の手帳に書かれたメモ書きが紹介される。Cでは、KR女史の美濃十郎に寄せる思いを含んだ美濃あての手紙の全文が掲載されてある。Dでは、美濃が、遊び仲間の詩人に、自分の書いたローマ皇帝「ネロ」の伝記の一部を読んで聞かせるという話で、母親がネロを出産し、育てる経緯が中心に書かれている。
 Eには、「イヴン・ゴル」の短い言葉が5行におかれ、Fでは、美濃とてるとの関係の破局が暗示される文章があり、Gでは短く、美濃がある実業家の次女と結婚したことが書かれ、最後のHでは、「みんな幸せに暮らした。」と一行の文で締められている。
 美濃もてるもKR女史も、それぞれに自分の思いとは別の生き方が展開していくことになりながら、「みんな幸福に暮らした」という結末は、考えれば、大変重い一行であると思う。
 言ってみれば、それぞれに青春の挫折と苦悩を抱いた登場人物たちが、後年、身に降りかかる現実生活に取り込まれていくことが暗示され、そしてそれからの生き方が、「みんな幸福に暮らした」というひと言で締めくくられる。
 本当は幸福にはなれそうにもない三人である。どんなふうに暮らしたというのか。おそらくは絵に描いたような幸福ではなく、市井一般に見られる生活が待っていたはずなのである。つまりは、ぼくたちが経験してきたような悲喜こもごもの生活を送ることになったに違いないのである。それを敢えて「幸福に暮らした」と、太宰は言っていると思う。「幸福な暮らし」とは、そういうものだということなのだろう。
 こういう見方をすれば、逆に安穏と生活しているかのように見える一般の生活者の背後に、青春の苦悩と挫折などを見て取ることになる。どんな人にもそういう苦しい過去や境遇はあったのだと。もちろん、今現在もそうであるかも知れない。だが、そうであってもそれがまた客観的には幸福という以外にないのだということも示唆されている。そういうことを、ぼくは考えさせられた。
 この他に、作品中のネロの伝記の一部は、とても面白くできていると感じた。太宰は、こういう異国の物語や、説話に題材をとったものなどは大変上手に裁くことが出来て感心する。文章の途中に、話の筋を引き裂くように自分の生の感情を挿入して、文章の一定の密度を破綻させてしまうというようなことがない。しかし、オリジナルなものとして、そういう物語を創作することはついに出来なかった。その謎はつい手の届きそうなところにあるとも感じるが、また遙か遠いところにあるという気もしている。
 
                              つづく
 
 「女の決闘」
 今回読み直してみて、この作品は意外に面白かった。原作があり、それは鴎外全集の翻訳篇に載ったものだと作品の中でいわれている。十九世紀のドイツの作家「ヘルベルト・オイレンベルグ」という、あまり日本では有名ではない作家の作品を森鴎外が翻訳したものらしい。
 原作は、簡単に言うと、亭主の浮気相手であるロシア医科大学の女学生に決闘を申し込んだ女房が、拳銃での決闘に勝ち、その後自首し、監房の中で絶食を通しながら死んでいった話である。また最後に、その亭主は拳銃で自殺したことが暗示されて終わっている。 太宰は、この原作は原作としてそのまま紹介しながら、ところどころに心理や情景を挿入して、いわば原作を膨らませている。原作を素材として、それに太宰流の味付けを施してみせている。
 作品中の原作の部分だけをつなぎ合わせてみると、余計な形容なり描写なりが省かれた、そのために印象としては素っ気ないが、大変緊密な文体で書かれたよい作品と思われる。特に檻房に訪れた牧師宛に書きかけの女房の手紙文は、読み進んでいく中ではっとする部分があった。
 原作という素材自体がよいものだから、その素材を使っての太宰の料理もまたおいしいものになっていると言うべきだろうか。
 ぼくには太宰の内面の多くが、そこには装飾のようにちりばめられ、施されてあるように思える。左翼活動、入水心中、その他のかつての太宰の体験の感慨が、それと気づかれないように作品の奥底に流し込まれている。女性について、恋愛について、芸術や芸術家というものについて、あるいはその心理について、太宰は作品を破綻させることなく作品としての水準を保ったままで十分に自分の思いを展開することに成功していると思う。  ここでも、全くのオリジナルな創作ではないという特徴がある。批評ではないが、批評的である。
 
 ここで終わったのではあまりにも素っ気ないという気持ちを持ちながら、しかし、ここで深入りしてじっくり考えたところを披露する気持ちのゆとりもない。時間はいくらでもあるが、心身が低迷のサイクルにあるためだ。
 今でも読むに堪える作品であることと、太宰を語る場合に意外と重要な作品と言えるのではないかということを記して終わろうと思う。
 
                                つづく
 
 「乞食学生」
 この小説も、時代的な色合いを差し引いて読めば、今でも面白く読める作品になっている。話の筋としては、作者太宰と思われる作家が書き終えた原稿をポストに入れた後の悔恨の心境というようなものが語られ、その後そのまま玉川上水を散策し、土手に寝ころんでいつしか眠り込んでいる間に見た夢が主たる内容として物語られている。
 簡単に言えば、その夢の中で、作家は二人の学生と知り合いになり、宵の渋谷の街を酔って歩いて失った青春を再び取り戻した気分になったというものである。
 現実にはあり得そうにない、そんなファンタジックな内容だが、そんなに違和感を感じさせないで読めるように書いてある。深刻なところはない。
 面白く読めるもの。このころの太宰はきっとそういう作風を心がけていたに違いない。そう思わせるほど、少し前までの話の筋を突き破って顔を出す、太宰の懊悩の表出は影をひそめている。それを抑えている分、文章に「色」が感じられる。あるいは陰影と言ってもいい。ユーモアや、四角張って大げさな言葉の扱いも巧みだ。
 たくさんの読者を得るために、おもしろおかしく読める小説を書くという意味では、この小説は通俗的な大衆娯楽としての要素を含んでいると言える。またそう言っても別に差し支えはないと思う。そういう作品も書ける。太宰にとっては、この時期、生活の安定とともに作家としての安定した時期を迎えていたのだろうと想像出来る。
 
                                 つづく
 
 「盲人独笑」
 この作品は、「葛原勾当日記」をもとに、太宰がその一部を少し脚色して作品化したものである。はじめに「葛原勾当」の人となりが紹介され、そして彼の二十六歳の時の日記が示され、終わりにそれが「勾当」の日記そのものではなく、太宰の手の加えたものであることが証される。
 作品の中心となる「勾当」の日記は、平仮名ばかりで短く、誰に琴の稽古をつけたとか今日の天気はどうだとか、ほとんどたわいのないものである。
 そうは言っても、読んでいると、盲人の生活そして盲人の世界がどんなものであるか大いに想像が逞しくせられ、これがなかなかに面白い。思想とか、概念とか、そんなものはどこにもない。本当に身近な、手で触れることの出来る身辺雑記の記録である。その中に、わずかに「こまつやの、おかや」との秘めたる交情が太宰の手によって虚構されてある。それは、気づくか気づかぬ程度に、つつましく、寡黙に、あるいは無愛想に記されている。 本当の日記は、あるいはそんな匂いもない、ただ退屈な記録であるのかも知れないが、太宰はまあ、そのように、読み物として付加価値をつけてと言うことなのかもしれない。原文の日記がどういうものか、ぼくは見たわけではないが、太宰はその日記の「青春」を原文よりあからさまに浮かび上がらせた。あるいは本当に、そういう想像をかき立てる記述が原文にあったのかも知れない。
 いずれにしても、盲人であっても二十六という年齢を考えれば、そういう一女性との交情の事実はあっておかしくはないことである。
 日記が、言葉を控えめにしていることで、読み手には逆に日記の作者の生活や心境が、版画の線のように力強いタッチで浮かび、深く印象として残ってくる。そこには、ぼくたちの想像力が大いに参加しているということが出来る。「言葉は少ないほどよい」。太宰は時々そういう言葉を書き記しているが、この作品は、それを実践するもの、あるいはその実験作といっても良いような作品となっている。孤独、寂しさ、そういう言葉は少しも使ってはいないのだが、そういうものがよく伝わってくる。
 
                             つづく
 
 「きりぎりす」
 この作品は、売れない貧乏絵描きのもとに嫁いだ女性が、世間的には成功して画家として大成した夫に逆に愛想を尽かして、離婚の意志を固めたことを綴った手紙文である。
 作品の妻の言い分は何かというと、言うこととやることが違うじゃないかとか、嘘つきとか、あるいは夫の成金趣味であり、出世欲といったものに対してである。
 作者である太宰はどこにいるかといえば、一面ではこの作中の妻に対する夫の位置におり、ある場合には妻の位置にいると言っていいのではないかとぼくか考えている。自分を戯画化し、返す刀で世の大家、著名人、文化人に異議申し立てをしているように、ぼくは思う。妻の背骨の中でかすかに鳴いているように感じられたきりぎりすの鳴き声は、切なく侘びしい。妻が、「この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きていこうと思いました。」と書き記す時、それは太宰自身の覚悟でもあった。
 表現、表出、ひいては芸術の原点とは何か。それは一匹のきりぎりすの、やむない鳴き声であろう?太宰はそう言うのである。それはもてはやされるためのものでも、ましてや金銭に換算され、富や地位、名声を売るためのものではない。そういう思いを、あらためてしたためた、これは作品である。
 
 「短篇集」
 この間の最後に、短篇集として6つの小品が載っている。それぞれに味わいもあるが、ここでは取り上げない。これで4巻を終了する。