『未帰還の友に』
 
 作家太宰を慕って集まってくる大学生たちの一人でもあったろうか、鶴田という名の若者が卒業と同時に軍隊に志願して入営し、一年後には戦地に旅立った。やがて国内もたびたび空襲を受けるようになり、戦場と変わらないようになる。
 戦闘は、烈しく過酷で、日本側の状況ははなはだ心細いものとなる。戦地からの便りも途絶え、安否が気遣われる。
 そういう状況のところで、文学と酒を介しての彼との交流、エピーソードが回想される。 作品の中心となるのは、酒が飲みたいばかりに行きつけのおでん屋の娘と鶴田君との縁談話をでっち上げるところであろう。もとより、嘘から始まった縁談話であるが、冗談から駒の例えで、当人同士の密かな交流が「僕」の知らないところで進行していた。戦地に旅立つ前に鶴田君が告白したところでは、鶴田君ははじめからその娘さんが好きだったという事であった。
 二人は、手紙のやりとりをするうちに、親密さがまして恋仲になっていった。だが、鶴田君の戦地行きが決まって、いつまでも彼の帰還を待つという娘さんに、鶴田君は関係を絶つべく手紙を送って戦場に向かった。
 「僕」は気がかりになって、おでん屋の様子を見に行くが、店を閉じて田舎に引き上げていて消息はつかめなかった。戦地の鶴田君にもそれくらいの情報しか伝える事が出来ない。鶴田君からの音沙汰も全くなくなった。
 
君たち全部が元気で帰還しないうちは、僕は酒を飲んでも、まるで酔えない気持ちである。自分だけ生き残って、酒を飲んでいたって、ばからしい。ひょっとしたら、僕はもう、酒をよす事になるかも知れぬ。
 
これが、作品の結末である。
 
 この作品の読後の印象は、短篇の技法上の工夫が試みられているような、まあそれなりの作品なのだなと思った。それから、直前の「十五年間」や「苦悩の年鑑」に感じられた切迫感のようなものは抑えられているなと感じた。そして原稿料ほしさのために書かれた作品かなとも考えた。
 そうかも知れない。違うかも知れない。ただ、「未帰還の友に」という題名が気にかかった。国内にいる「僕」には、戦争は、はや過去のものの如く感じられるが、未帰還の兵士たちにとってはこの戦争は完結されたとは言えないかも知れない。そんな時に、あたらしい現実の到来だとか、春の枯葉だとか、浮かれていていいのか。それでは、戦争が終わったらすぐに、掌を返すように軍部の悪口を言う連中と、さして変わりが無いじゃないか。そういう反省が書かせた作品ではないか、と、密かに、思うところが、ぼくにはあった。それはまるで見当違いかも知れないけれども、この作品の、「十五年間」や「苦悩の年鑑」に比べてのトーンダウンは、何事かであると思われてならないところがある。
 太宰は酒が好きで、よく酒を飲んだようだが、同じくらいに文学、芸術が好きで、よく考えた。先に引用した結末の部分における「酒」は、文学、芸術、文化などを云々することに置き換えて考えてみても面白いのではないか。
 そうして考えてみると、戦後の、さかしい言論の情況への、一歩離れた場所からの批判という構図が浮かんでくる。死者をして語らしめよ。未帰還兵をして語らしめよ。真に、語る資格を持つものは彼らのうちにあるのだ。と言う、思いが聞こえては来ないだろうか。「僕はもう、酒をよす事になるかも知れぬ」とは、内に、小説を書く事をやめる、思想の表出をやめる、いっさいの言語による表現をやめる、そういう思いが込められていたのかも知れないとぼくは想像してしまう。もちろんそのことは、「物言わぬ者たちの思いをくみ取れなければ作家足らず、それを為さなければならぬ」という使命感や、作家としての自負をそこに読み取るものでもある。だから、「未帰還の友に」であり、これを書かなければならなかったのだと、またぼくは思っている。
 
 
 『チャンス』
 
 この作品が何を語っているかといえば、作品の結末に置かれた彼自身の言葉、
 
 庭訓。恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である。
 
の中にすべてが込められているのではないかと思う。いかにも太宰らしい。そして幾度かふれられているように、ここには、戦後のあらゆる面での便乗主義に批判的であった太宰の、同じ批判精神が息づいている。主に恋愛について物語られてはいるが、それだけではない。何事に依らず、「チャンスに乗ずるのはげびた事だ」と、太宰は本心を述べている。太宰は本心を告白したまでである。これを読んで、共感するか何とも思わないかは読者の勝手だ。逆にチャンスに乗じないのはバカだ、そういう考え方だってあるし、市民権も得ていると思う。本当は多くの人がチャンスがほしいし、チャンスがあればそれに乗じたいと考えると思う。そう理解する方が自然な気がする。
 太宰はチャンスに乗ずるのではなく、意志でもって恋愛に対せと教えている。そしてチャンスもないのに十年思い続ける片恋に、恋の最高の姿を見ている。意志という割に十年もぐずぐずと思い続けるというのは矛盾だという気もするが、でも、チャンスに乗じて事を果たさんとするよりは、異性を「想う」という点においてはるかに真剣で、精神に高貴さというようなものを認めるとすればそういうものだと言いたかったに違いない。
 戦後の知識層の変わり身の早さは、よく聞く事がらである。教科書の墨塗りは、そのことを象徴している。臭いものに蓋をして、そしてそれで終わり。そこにはなんの苦悩も反省もなく、学習効果を期待できる何ものもない。戦中の教えの何がよくなくて、どうでなければならなかったなどの真剣な論議が必要であった。それこそ、そういう、理想や夢に向かう意志が。そうではなく、生活のために戦後思潮の流れに唯々諾々と従い、チャンスがあればそれに乗じて自分の利益となる方に身を寄せた。それでは真の学問も思想も芸術も育ちようがあるまい。たぶんそれを太宰は嘆くのだ。
 ところで、作品はここで述べている事を延々と書きつづっているのではない。かえってそういう言葉は隠されている。そして、それどころか、
 
恋愛至上主義なんてのを大学の講壇で叫んで、時の文化的なる若い男女の共鳴を得たりしたようであったが、恋愛至上というから何となく高尚みたいに聞こえるので、これを在来の日本語で、色慾至上主義と言ったら、どうであろうか。交合至上主義と言っても、意味は同じである。そんなに何も私を、にらむ事は無いじゃないか。恋愛女史よ。
 
という、恋愛について、きれい事で着飾ろうとする思潮を茶化すかのような文章を多くつづっているという印象が強い。こういうところの表現において、ぼくの心証にぴったりとはまるような表現をする文学者は太宰がぴか一である。
 
「愛」は困難な事業である。それは、「神」にのみ特有の感情かも知れない。人間が人間を「愛する」というのは、なみなみならぬ事である。容易なわざではないのである。神の子は弟子たちに「七度の七十倍ゆるせ」と教えた。しかし、私たちには、七度でさえ、どうであろうか。「愛する」という言葉を、気軽に使うのは、イヤミでしかない。キザである。
「きれいなお月様だわねえ。」なんて言って手を握り合い、夜の公園などを散歩している若い男女は、何もあれは「愛し」合っているのではない。胸中にあるものは、ただ「一体になろうとする特殊な性的煩悶」だけである。
 
 若い男女の胸中にある性的煩悶は、実際には太宰自身が大いに経験した煩悶にちがいない。ぼく自身にも経験があるし、その経験がなければただ想像力でこんな心理の奥底、心理の襞のようなものについてこうした表現が出来るわけはないと思う。
 ここでぼくが何を言いたいかと言えば、太宰の文章の、特有のエロスについて、それがどうとははっきり言えないけれども、感じるところがあるという事を言いたいのだ。
 エロスという視点から、何か言える事があるかも知れない。そういう興味関心に心惹かれると言う事だ。
 太宰自身は、性愛の描写はとてもと言うくらいに少なく、たとえあっても短くあっさりと、淡泊な書き方をする。隠すと言ってもいいし、正面切って描く事が出来ない作家であると言い換えてもよいかも知れない。それでいて、下卑たものではないが、たいへんエロスを感じさせる作家であるとぼくは思っている。それは一つ、太宰について考察するに値する事ではないかと考えている。この点はしかし、また別のところで深く考える事にして、ここでは深入りせず、これでこの作品から離れる事にしたいと思う。
 
 
 『たずねびと』
 
 この作品は、疎開先であった妻の実家の甲府も空襲にあい、最後の疎開先として、青森の実家へと親子4人で向かった時の旅の様子を描いたものである。甲府から青森への長旅と、五歳の娘と二歳の男の子を連れての道中を思い合わせると、その辛さはどういうものであったかは容易に想像がつく。まして、敗戦間近の、その日食べるものにも不足していた頃の事である。
 この道中の事は、先の「津軽」と題する小説にもその一端に触れて書かれていた。しかしこちらの作品の方が、その旅の様子に詳しくふれて書かれている。読んで、とてもしんみりとさせられた。その時期は、だれもが大変だったんだろうなと思った。
「私」の、父として、夫としての心の動き、家族への思い、そういう面では大変人並みのもので、妻子を気遣いながら、しかし思うにまかせない現実に立ち往生する様子がよく伝わってくる。しかし、この立ち往生はまた、父であり、夫であるところに全身身を置くところから強いられるもので、その意味では太宰はよく父であり夫であるという立場に終始しているように見える。少なくても、家庭を放り投げて芸術に生きたというような通俗なイメージはここにはない。ぼくにはこれが本来的な家庭における太宰の姿であったろうと思われる。つまり、本質的には家庭的な人であったと、ぼくは思いたい。
 ところで、「たずねびと」という題にあるように、この作品はその折りに、汽車の中で太宰一家が困っている様子を見て、蒸しパンや赤飯、卵などを与えて仙台駅に降りた娘さんを探すための手記という設定が為されている。礼をする間もなく、ましてや名前も住まいも聞く事が出来なかったため、後日この地方の文芸雑誌に手記を寄せたという形である。 これは小説であって事実そのままではあるまいとぼくは思う。似たような事があったかも知れないが、そして先の「津軽」にもそれらしき事を匂わせる記述はあったが、たぶん細部は異なっているはずだと思う。
 それよりも、二十歳前後に見えたその女の人にもう一度あって、一言お礼を言いたいという思いを持つ主人公の手記の最後に、
 
 逢って、私は言いたいのです。一種のにくしみを含めて言いたいのです。
「お嬢さん。あの時は、たすかりました。あの時の乞食は、私です。」と。 
 
このように書かれているのが気になって仕方がない。
 まず、「ありがとう」という言葉が出されていない。普通なら、「あの時は、たすかりました。」の後に、「ありがとうございました」の言葉があってしかるべきである。また、その前にある言葉、「一種のにくしみを含めて」というのも、よく理解が出来ないところである。これらをどう解すべきなのか。
 作品を読む限りにおいて、施しを与える側にいる娘さんに偽善の匂いはない。人として、ごく普通の対応があるばかりだ。
 けれども、食べものを頂いたその時の太宰の反応は、作品では次のように描かれている。
 
私は何も言えず、ただぼんやり、窓の外を眺めていました。夕焼けに映えて森が真赤に燃えていました。
 
 感激しているというのとも違う。余計な事をしてくれると怒っているというのでもない。放心し、ただ情念だけが真っ赤に燃えている。言葉によっては掬い取れない感情の動き、奔流、沸騰、がある。
 太宰は娘さんに天使を感じ、そのことで自身は即刻乞食に堕した。愛の乞食。愛を与えたのは娘さんで、受けた側は、その愛の尊さを知りうる乞食以外にはない。娘さんの行為の尊さを感じた太宰は一瞬にして乞食に転落した。そういう事なのだろうとぼくは考える。「一種のにくしみを含めて」ということは、「一種のにくしみ」なので、通常流通するにくしみそのものではない。また、太宰がこの時受けた気持ちを通常言われるところの「感謝」といっても当てはまらないだろう。「感謝」の思いの頂点で、「感謝」をも飛び越したところに感情が走ってしまい、最早、「一種のにくしみ」というほか無い感情にたどり着いてしまったのではあるまいか。ぼくはここで一応、このように解釈してみる。
 
 
 『親友交歓』
 
 この作品は、太宰が津軽の生家に避難していた時、自称、幼なじみで親友という男の訪問を受けた際のやりとりを書いたものだ。もちろん事実かどうかは分からない。太宰はよく身辺の事実を持ってきて、それを元に話を作る事が多いので、事実の詳細はどうであれ、そういう事に近い事はあったのではないかと想像される。
 その男は、太宰の言葉によれば、見事な男、あっぱれな奴、好いところが一つもみじんもない男であった。
 簡単に言うと、男は幼なじみで親友だったと言いながら太宰を訪問した。しかし、太宰にはその記憶がない。否定も出来ないので、型どおりいらっしゃいという事になるが、これが思いもかけない長丁場の「親友交歓」になってしまう。飲み、食い、言いたい限りの事を言って、さらには土産まで強要し、そしてお別れの時には一言、「威張るな」と烈しく囁いて帰って行ったのである。
 
 小学校時代の同級生とは言っても、私には、五、六人の本当の親友はあったけれども、しかし、このひとに就いての記憶はあまり無いのだ。彼だって、そのころの私に就いての思い出は、そのれいの喧嘩したとかいう事の他には、ほとんど無いのではあるまいか。しかも、たっぷり半日、親友交歓をしたのである。私には、強姦という極端な言葉さえ思い浮かんだ。
 
 いみじくも、「強姦」という言葉を太宰が言うように、この作品から受ける印象は、他人からの一方的な交流、一方的な関係、そしてそれが強姦的な強要の関係にあるということだ。太宰が書きたかったところもここにあるという気がする。その男がどういう男であるかという事よりも、またその性格、個性が何であるかよりも、この一方的な押しつけの関係というものの存在について書きたかったのではなかろうかと想像する。
 そこでは太宰は、徹頭徹尾受け身的で、その男との関係で攻勢に出られなかったように、社会や現実との関係でなされるがままにという自分のあり方を振り返っているような気がする。自分と現実との関係を、その「強姦」的なものに象徴させて捉えて見せているという気がする。あるいはぼくが、そう考えてみたに過ぎない。
 しかし、そう考えると、なぜ太宰がこれを書かなければならなかったかが、ぼくには合点がいくのだ。そうでなければどうしてこの作品が書かれたのかがぼくには分からない。 もっともらしい説明を受けて、本当はよく分からないながら、ああだこうだといわれるがままに、社会や現実に従っているという事がぼくたちにはあるのではないか。ふっと気がついたら、とんでもねえ、あれはなんだったのだろうか、と思うような事が。ぼくなどは、大学紛争などが、心理的には似たような体験であったような気がしている。紛争の嵐に飛び込めという声があって、飛び込んでは風に飛ばされ飛び込んでは風に飛ばされしている間に、ふといつの間にか紛争の嵐は止んでいて、えっ、あれは何だったの、と、答えのない懐疑が残された。
 だから、考え過ぎかも知れないが、太宰の「内戦」の体験が、ここには書かれているのではないかと思っているのだ。
 これくらいが今は言えるくらいで、この作品はぼくにはちょっと不思議な、分かりにくい作品であり、また少し気になるところの作品であるということを一言いっておきたい。
 
 
 『男女同権』
 
 この作品は、自称ダメな人間であるところの、ある老詩人が、教育界で「男女同権」と題し講演したその速記録という形を取っている。
「男女同権」という言葉は、一般的には、社会的に地位と権利を持たない女性に男性と対等の地位と権利とを認めようとする考え方だと理解されている。これはもともと西洋に発したもので、個人があって、その上に男女同権の考え方があるように思う。
 日本の場合、個人というあり方が、つい五、六十年前まで、なじまないものであった。家父長制に見られるように、個人よりも、「家」を主とした社会だったからだ。明治以降は特に家父長制一本化が強くなったようだ。そういうところでは、実際的にもまた予備軍的な存在としても、「父」となる男性が中心的な社会を形成するということになる。
 日本は、先の大戦で敗戦し、それまで偉そうにしていた男たちの弱みとなり、逆に女たちが強くなっていった。敗戦を境に民主主義が復興し、男女同権が叫ばれたのは事の成り行きとしては当然のことであったかも知れない。女性たちはチャンスに乗じたということになるだろう。
 
 太宰はこの作品で、男女同権の考え方を逆さまに考えて見せた。男女同権といえば、誰もが、女性の権利を男性に対して主張するものと理解するところを、主人公である老詩人に、男性の権利を女性に対して主張出来るものと理解させて言わせている。
 この老詩人の男女同権の理解の仕方の根拠は、自分が女たちから受けた様々な意地悪や冷酷さや残忍さである。作品では、主人公は、これでもかこれでもかというくらい、女性運が悪く、いろいろな打撃を受けることになっている。
 これは自身の体験に比して考えると、これだけのことはなかった、だから主人公のような女性に対する怨念のようなものは自分は持たなかったという他はない。だが、さらに自分の一生のようなものを考えた時に、どこか、女性という存在を中心に、自分はくるくる回っていたのではないか、という疑念のような思いが起こってくる。
 この作品は表向きは男女同権をテーマとしているが、この表向きのテーマとはべつに、その裏側に、どこか、この根元的な男女の問題というものが秘められているような気がする。
 
 日本の社会では、母親の子育てにおける役割が大変大きいと思う。べったりと接する中で、母親は、「女の子は弱いから、いじめてはいけない、守ってあげなさい」といい、「乱暴してはいけない」、「男らしくありなさい」と教える。いや、そう教わったはずである。そうにちがいない。
 女の子は弱い、その言葉を胸に、いざ外に出かけて女の子たちに会うと、何のことはない、女の子たちは手強くて、時にからかい、嘲笑し、侮蔑し、身体に危害を加えることは少ないけれども、精神的な打撃はたくさん被ることになる。いや、そうだったはずだ。
 母親に植え付けられた先入観によって、無防備に女の子に接し、不意打ちを食らうということを、男性は何度も繰り返した経験を持っているものではないだろうか。
 
 自分の今の感覚をうまく言えそうもないので、別の角度からいってみると、どうもぼくは最初から妻に頭が上がらない部分があったように思うところがある。何も悪いことをしていないのに、酒を飲んで泥酔し、「すまん、すまん」と謝った経験がある。これは今でもよく分からない。なにが「すまん」なのか。ただ、心の深い深い奥底で、そういう思いがガスのように湧き出ているもののように思われる。これは、頭で考えることではないようだ。自分の存在が、愛や感謝の対象として認められていないという不安感によって、そういう言葉を発したものでもあったろうか。そうしてまた世の女性たちに対して、彼女たちの願うところのものとして、自分が存在し得ないという先験性によるものか、自分の存在そのものを苦しく感じる時がある。
 こんなことを言っていると少し病的に思われるかも知れないが、倫理というようなものを考えてみても、どうも根っこには、この性的な影響があるのではないかとぼくには思われてならない。幼児の時の、母親との関係というものもあるのだろう。
 
 とりとめもない話に広がったが、この作品からぼくはこんなことを考えるように誘発されたということである。その意味で、作品の内容は取り立てていうこともないのだが、そのテーマに含まれる作家の無意識は、思ったよりも深い深い井戸の底に通じているのではあるまいかというのがぼくの感じたことなのである。
 
 
 『トカトントン』
 
 久しぶりに読み返して、その内容はこんな感じかなと思いこんでいたものとはだいぶ違っていた。「笠井一」さんものと、一緒くたになって覚え込んでいたものらしい。だが、何かに熱中したり、何か事をなそうとした時に決まって「トカトントン」と金槌を叩く音の幻聴に悩まされる、そんな話であることには間違いなかった。そこのところだけは強く印象に残って、はじめに読んだ時から現在まで、ぼくにとって忘れられない小説となっている。
 この小説が、傑作だとは言い切れないと思う。けれども、「トカトントン」という音が聴覚に貼り付いて、忘れ得ないという点で、ぼくはこの作品を密かに高く評価しているところがある。
 これは、梶井基次郎の「檸檬」という小説のように、忘れようにも忘れられない。感覚がもう、これらを受け止めてしまっている。仮に八百屋でレモンを眼にすれば、必ず梶井の名を想起してしまうように、何がきっかけということは出来ないが、生きてきた過程の中で常に「トカトントン」の響きはぼくの脳裏にこだましてきたと思う。これはしかし、小説の主人公のように激しく脱力感を伴って感じるというものではない。比喩的に言えば主人公には病的な要素が感じられるが、ぼくの場合はそれよりも少し懐疑的な要素が伴って感じられるというものだ。
 主人公は、太宰と思わしきとある作家のファンで、作品は彼が作家に宛てた手紙という形式になっている。火急の用件ということで、主人公は作家に、自分の現在の情況を報告し、自分の置かれたその情況から救ってもらいたい、あるいはその情況を脱するための教えを手紙で請う。この手紙を受け取った作家は、簡単な返答を主人公に返し、それで作品は終わりということになる。
 
 主人公が「トカトントン」の幻聴を聞くようになったきっかけは、日本が無条件降伏をし、天皇の玉音放送を聞かされた日に発している。
 
そうして、それから、若い中尉がつかつかと壇上に駈けあがって、
「聞いたか。わかったか。日本はポツダム宣言を受諾し、降参をしたのだ。しかし、それは政治上の事だ。われわれ軍人は、あく迄も抗戦をつづけ、最後には皆ひとり残らず自決して、以て大君におわびを申し上げる。自分はもとよりそのつもりでいるのだから、皆もその覚悟をして居れ。いいか。よし。解散。」
 そう言って、その若い中尉は壇から降りて眼鏡をはずし、歩きながらぽたぽた涙を落しました。厳粛とは、あのような感じを言うのでしょうか。私はつっ立ったまま、あたりがもやもやと暗くなり、どこからともなく、つめたい風が吹いて来て、そうして私のからだが自然に地の底へ沈んで行くように感じました。
 死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました。前方の森がいやにひっそりして、漆黒に見えて、そのてっぺんから一むれの小鳥が一つまみの胡麻粒を空中に投げたように、音もなく飛び立ちました。
 ああ、その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌で釘を打つ音が、幽かに、トカトントンと聞こえました。それを聞いたとたんに、目から鱗が落ちるとはあんな時の感じを言うのでしょうか、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消えて、私は憑きものから離れたように、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持ちで、夏の真昼の砂原を眺め見渡し、私には如何なる感慨も、何も一つも有りませんでした。
 そうして私は、リュックサックにたくさんのものをつめ込んで、ぼんやり故郷に帰還しました。
 あの、遠くから聞えて来た幽かな、金槌の音が、不思議なくらい綺麗に私からミリタリズムの幻影を剥ぎとってくれて、もう再び、あの悲壮らしい厳粛らしい悪夢に酔わされるなんて事は絶対に無くなったようですが、しかしその小さい音は、私の脳髄の金的を射抜いてしまったものか、それ以後げんざいまで続いて、私は実に異様な、いまわしい癲癇持ちみたいな男になりました。
 と言っても決して、凶暴な発作などを起こすというわけではありません。その反対です。何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽かに、トカトントンとあの金槌の音が聞こえてきて、とたんに私はきょろりとなり、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあとにはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何ともはかない、ばからしい気持ちになるのです。
 
これ以来、主人公はある時は小説を書く時に夢中になり、またある時は自分の仕事である郵便局の仕事の忙しさにてんてこ舞いで対応し、または恋をし、労働者のデモを見て感激し、またはマラソンランナーの必死のラストスパートに感動し、ことごとくその度毎にトカトントンの幻聴を聞き、一気に興ざめの気持ちに落ち込む事を繰り返す羽目になる。
 
 もう、この頃では、あのトカトントンが、いよいよ頻繁に聞こえ、新聞をひろげて、新憲法を一条一条熟読しようとすると、トカトントン、局の人事に就いて伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮かんでも、トカトントン、あなたの小説を読もうとしても、トカトントン、こないだこの部落に火事があって起きて火事場に駈けつけようとして、トカトントン、伯父のお相手で、晩ごはんの時お酒を飲んでも少し飲んでみようかと思って、トカトントン、もう気が狂ってしまっているのではなかろうかと思って、これもトカトントン、自殺を考え、トカトントン。
(中略)
 教えて下さい。この音は、なんでしょう。そうして、この音からのがれるには、どうしたらいいのでしょう。私はいま、実際、この音のために身動きが出来なくなっています。どうか、ご返事を下さい。
 
 ごく普通に考えれば、敗戦がもたらした精神的な後遺症とでも言って済ます事が出来るかも知れない。心的な体験として、当時、程度の違いはともかくとして人々に広く共通するものがあったのではなかろうかと想像される。小説だから、そこのところは極端に引っ張って見せて衝撃を与える工夫をしたという事になるのかも知れない。
 作家として、戦後の人々の心の在処をこのように捉え、それを拡大して見せた技量に、少なくともぼくは感嘆を禁じ得ない。後に「しらけ世代」と呼ぶ言葉が登場するが、その到来の先駆けが既にここに示されていたと考えるのは、単にひいきの引き倒しに過ぎないだろうか。
 心理学や精神分析は、主人公に病名を与える事が出来るかも知れない。戦争の後遺症の一つであり、だから戦争はよくないのだと主張する人も出てくるかも知れない。
 ぼくはしかし、そういう事を考えるのではない。
 言ってみればぼくは主人公の心的な体験は、多くの日本人が近似的に共通に体験したものだという気がする。特別な事はない。誰もが似たような状況にあったと思う。けれどもこの体験は、共通でありながら個別である。その個別を、人は生きなければならないという事が、問題なのだと思う。その点で、個別であり孤独なのだと思う。これは共通の体験でありながら、それでいて特殊個別的な類の体験なのだ。おそらく誰かに相談できる問題ではない。仮に相談できたとして、それによってどうにかなる問題でもない。
 思いあまって主人公は年来の傾倒する作家に、手紙の形で相談を持ちかけ、作家は次のように返答を与える。
 
 拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得る者をおそれよ。」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です。不尽。
 
 作家は主人公の苦しみを、「気取った苦悩」だと切り捨てる。主人公にはまだ、醜態をさらしたくないという気取りがあり、それは生きるという事に十全にせっぱ詰まった状態ではない、ある種のゆとりの中にいるからそうなのだという。本当に余裕がない者は、しゃにむに生き、それが醜態であるかどうかには関心さえ持てないはずだ。あなたは生活というものの中に身を殺すようにしていきながら、その実、魂は生活の中に解消されないように必死に守っている。そんな者は甘ちゃんで特権の座に居座るものだ。本当に苦悩を体験し、苦悩の渦中にある者は、身も心も生活の中に捨てるようにして生きているものだ。そういう人たちを見なさい。そうすれば、いかに自分がぬるま湯の中に生きているかが分かるだろう。自分ひとり、真冬の厳寒の中にたたずんでいると思いこんではならないのだ。そう、作家は言いたいのだろうとぼくは理解する。
 けれども、自信ありげな作家のこうした思いは、それで主人公の気持ちを翻させる事が出来るのであろうか。
 ぼくはたぶん、この作家がいるようなところに自分の身を置く事は出来ない。主人公と作家の間とを行き来し、その行き来する事自体がぼくの迷いを象徴するものだという気がする。身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼすとは志向し得ても、それを可能にするのは意志の問題であるのかどうか。いや、大切なのは実際に身と霊魂を埋めるという事ではなく、それを生の実際とする人々に畏敬の念を抱く事なのだ、という理解で十分なのかどうか。
 
 主人公にトカトントンが聞こえ、その音のために身動きが出来ないとしても、それはそれでいいのではあるまいか。何ものがれる必要はあるまい。のがれたいと思う主人公の切実な思いはあるのだろうが、おそらく、もがき苦しんでのがれられるという保証はどこにもない種類の、それはもう精神的な問題なのであろう。だから、作家からの返信を手にして、主人公の何が変わるわけでもないような気がする。イエスの言葉に震撼し、啓示を与えられたとして、そのあとにトカトントンがまた聞こえないとは限らない。
 作家は、イエスの言をたよりに、それを信じ、類似の境遇を耐え、かいくぐって現在があるのかも知れない。それがそのまま主人公にも通用するとは、おそらくは考えにくい事だ。その意味では、主人公はまた主人公で、作家におけるイエスの言のような何かを、探し当てなければなるまい。見つからなくてもよい。死ぬまでトカトントンの幻聴が聞こえつづけてもいいのだし、いずれそんなものは生きていく中で霧散して行くものだと考えてもいいと思える。
 大事なことは、主人公において、トカトントンの幻聴を、おのが身に引き受ける事だと思える。己の身に降りかかった事は、己の身に引き受ける他はあるまい。
 作家が、贅沢な悩みだと言っているのはまったく当たっていると思う。この場合の「贅沢」は、必ずしも物質的か精神的かを指すものではない。ただ、「贅沢」としか語れないある位相的な立場だ。これは積極的に享受してみせる他はあるまい。ぼくは、そう思う。そもそも、どのように生きたらよいかということで、おあつらえ向きの生き方など、ぼくらの前にはまさしく幻影としてしかあり得ないのだから。それを昔の人は、「なるようにしかならない」と言った。幻聴と言い幻影と言い、人はそれに振り回されてしか生きられないものだ。
 
 ここで一つだけ問題にしておかなければならないと思う事は、敗戦のショックに見舞われたという事だ。敗戦が予期せぬ事で、主人公は不意打ちを食らい、幻聴を聞くようになった。そしてそれは主人公にとって、身体的生理的なところにまで届く、大打撃を受けたという事だと思う。多少予測があったとしても、どこかに無防備があった。ここまで根こそぎ自分が掬われてしまうという打撃は、逆に言えば相当入れ込んでいたという事だし、相当真剣に考える事をしていたことを前提とするように思われる。そして、先に言ったように、それでいてそれらの考えの中に、どこか無防備があったという事だと思う。
 現在と少し先の未来について、見通しを誤っていた。そのギャップが、あまりにも大きすぎた。主人公の世界像に、不備があったのだと思う。これは、生活に埋没する事によって、容易に意識から消し去る事の出来る問題である。ただ意識が意識としてこれを課題とし、意識的な解決を強く要求する場合にのみ、知的な課題として個人にとどまるという事はあり得る。つまり主人公は、無意識のうちに知的な課題として情況を受け止めたために、いつまでもトカトントンの幻聴を聞く事になっていると言ってよい。であるからには、自らの戦時体験を、今一度かいくぐり、知的に再構成し直して見せなければ意識の納得は贏ち得ないのではないだろうか。
 すべてを放棄して果敢に生活に埋没してみせるか、知的奮闘の末に幻聴を霧散する方向で昇華してみせるか、主人公には二つに一つの道があったと思う。どの道を辿るかは作品では描かれてはいない。ぼく自身のはるかに希薄な体験に即して言えば、生活に埋没しきる事も、あるいは知的課題として克服し去る事も出来ないで現在に至っているという状況である。これがどこにたどり着く運命にあるか、皆目分からない。だが、時はそのように、分からないままに進んでいるというだけだ。引き裂かれて宙づりのまま、よく耐えろとだけは、誰かがそっと耳打ちしてくれる者のある事だけは確かだ。
 
 
 『メリイクリスマス』
 
 小品だが、上品で巧みな短篇として仕上がっていると思う。例によって作家太宰らしき主人公「僕」が登場し、昔なじみの若い娘さんと偶然に出会い、ほのかなエロスがあり、男女の深い仲という間柄とは無縁の、それでいて「唯一のひと」とも言える娘さんの母親の死を知って厳粛が訪れる。師走のにぎわいの中の場末の屋台に、面白くもない冗談を言っている紳士がひとり。やがてその紳士が、屋台の前を通りかかるアメリカ兵士に向かって、「メリイクリスマス」を叫ぶ。そのユーモアに、思わず噴き出す「僕」だが、娘さんとのその屋台での小さな、ひっそりとした、母親を供養するための時間は、静かに続いていく。
 これだけの作品だけれども、出会いの時だけは娘さんへのふとした下心も見せながら、母の死を知ってからの、一瞬にして心が切り替わる「僕」と、そしてその「僕」の思いやりのようなものの姿は、作品の上とはいえ尋常ではない。この作家の、心の玉と言うべき、何を大切にしようとしているかがうかがわれる作品のようにぼくには思われる。たぶん、実生活上に、そのことを体現しようとする壮大な夢に、作家は取り憑かれていたのだ。こういう味わいの作品を、太宰以外の作品に見かけられないのは、そのことに依るのだとぼくは思う。その意味で、イエスの、「おのれを愛するが如く隣人を愛せ」という言葉は、この作家にとって、理念ではなく、実践上の問題であったにちがいない。その、「愛」におけるドンキホーテの如き「錯乱」を、決してぼくは笑って済ます事は出来なかった。太宰治は、おおかたの人にとって最早遠い過去の人であろう。だが、ぼくにとってはそうではない。彼の願いの、タンポポの花一輪、そのか弱さと儚さとは知りながら、それを希求する精神の途絶えてしまっていいのかという思いだけは残している。無駄であろう。苦笑のうちに消える意識の、その消えかかる現在であるのかも知れない。けれども、こういう小さな作品を通して、既に亡き太宰は、成仏できない霊でもあるかの如く、ぼくのような半端な人間をとらえて放さないのだ。ふと、ここでは、そんな事を考えた、それだけの事だ。そういう事にして、結ぶことにする。
 
 
 『ヴィヨンの妻』
 
 この作品の題名にもなり、作中にも名前が出てくる「フランソワ・ヴィヨン」という人がどういう人か百科事典を見てみると、およそ次のように書かれていた。
 
 15世紀フランスの詩人である。中世最大の詩人とも、最初の近代詩人ともいわれる。
 パリ大学を卒業したが、1455年乱闘騒ぎで司祭を殺してしまい、逃亡。窃盗団に加わる。1461年に投獄されるが、恩赦により出獄する。その後再び傷害事件を起こし、死刑宣告を受けるも、追放刑に減刑され、1463年パリを追放される。その後の消息は不明である。
 無頼・放浪の生涯であったが、近代的ともいえる詩作を残した。作品に『形見の歌』(1456年)『遺言詩集』(1461年)など。
 
 無頼・放浪の生涯の中で、殺人も起こせば、そのほかに窃盗、傷害など多数、ということにでもなるだろうか。そういう人が中世最大の詩人、最初の近代詩人とも言われるらしいから、詩とは何か、文学とは何か、凡人のぼくらには分からないものになる。
 犯罪者と文学ということになれば、後に小説も書き、詩も書いたといわれる「永山則夫」の名が思い浮かぶ。
 太宰治の「ヴィヨンの妻」と題されたこの作品は、法に触れるような犯罪行為を平気で行いながら詩人でもある「大谷」の妻が主人公である。大谷がヴィヨンや永山と違うのは、作品を読む限りにおいて、殺人を犯したことがないことと投獄の経験がないことである。大谷の悪行は、ぜいぜい他人の金を盗む、詐欺的行為を為す、女をたぶらかす程度のことだ。
 ヴィヨンも永山も、殺人という窮極の悪行を為すが、どこか行き当たりばったりの事故にあったように殺人を犯したという印象が持たれる。これは詳しく調べたわけでもなく、単にぼくがそう感じるというだけのことで根拠はない。ところが、この作品に登場する大谷は、やることはみみっちいが、どうも確信犯的な印象が持たれる。理性を持ち、理性と格闘しながら、理性を放棄するようにして悪いことをしている、とでも言いたいところだ。 大谷に特徴的なことは、「生まれた時から、死ぬことばかり考えていた」ような人間で、しかも「へんな、こわい神様みたいなものが、ぼくの死ぬのを引きとめる」と考えるところにあると思う。そのために、生きていることは、死ぬことを止められた状態につながれているということだ。考えてみれば、そういう状態にあって、庶民の普通の暮らしが身に付くはずがない。
 死にたいと思い続けながら生きているということ。そこに世間の常識に従うなどといった余裕はないだろう。最早そういう位相で生きているのではない。同じ現実社会に生き合わせながら、大谷の行動を律するものは、世の中のルール、常識というものとはかけ離れたものになる他はない。そのように大谷は生きている。彼もまたある意味で必死に生きているのだが、その必死さが、大谷の場合には複数の女と関係を持つことになってしまったりする。そう理解するしか仕方がないのではないだろうか。
 こういう生き方、存在の仕方は、善悪では片付けることが出来ない。
 心に善悪を埋め込まれ、目の前に社会的規範のカードをたくさんぶら下げられても、それに従わない暮らしというものは世の中にいくらでもあるわけだ。
 理性で自分を律する。近代は、それを人間の理想のように掲げて、表向きはそういう人間が構成する社会のというものの実現を目指したが、実際はどうであろうか。残念ながら人々は理性的に生きるよりも、もっと衝動的な生き物であったように見える。理性的ということは、本性的に生きる自分の姿を見て、罪の意識をふくらまし、これを強固にしていくことだ。ある種誠実な人ほど肥大化した罪意識を内蔵し、自己の内面において、この処理に当惑し、苦しみ、戦っているかも知れない。
 太宰の分身とも言えそうな作中の大谷も、こういう人たちのうちの一人だというように見える。
 大谷は表面的に見れば、ヴィヨン程の大物ではない。もっと小心で、大きな事件を引き起こすには、回避能力が勝りすぎている。察知が働くといってもいい。行きつけの店で、店主のいる前で店の金を持ち逃げするとは大胆なことだが、どうも無頼とはほど遠い、子どものような行為だと思えて仕方がない。対女性に関しても、女性の敵と呼べるほどの無頼ぶりは発揮していないと言っていいのではないか。
 大谷の、どこか進んで悪を為そうとする仕業をどう理解したらよいのかよく分からない。身と霊魂とを悪の所業の中に滅ぼし尽くそうとしているようにも見える。だが、人非人というマスコミの評判をいやがったり、神様におびえていると自分を考えているあたりは、どこかまだ中途半端な感じだ。まだ、「よい人間」の道を探している観がある。
 
 ところで、作品の主人公は大谷ではない。無頼派詩人の妻が主人公だ。
 どうして妻を主人公にしたのだろうか。
 金儲けを企まない。夫の浮気に嫉妬しない。客の若い男に体を奪われても、必要以上に自分をさげすんで見せたり、苦悩したりしない。
 妻の、特徴的なところを探すと、こんなところが挙げられる。ほかにも、子どもが病弱で、成長も遅いが、そういうことに身を細らせるように嘆くことはしない。その事実を受け入れてその範囲で、出来ることを為している。強い。うまく言えないが、彼女には生物的とでも呼びたい強さが感じられる。そういうところも、描かれていると思える。もしかすると、精神的には大谷よりも妻のほうが「無頼」と呼べるような存在ではないのかと思えるような疑いさえ感じさせられる。
 作品の最後に、大谷が店の金を盗んだのは妻と子どもにいい正月を送らせたかったからと告白した時、この妻は喜びもせず、「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。」と言い切っている。夫に、必要以上の愛情のかけ方を要求してはいない。
 戦後六十年を過ぎたいまも、「生きていさえすればいい」という言葉は、よく耳にする言葉であるような気がする。太宰は何も未来を予言したわけではなかろうし、太宰の描いた意識世界がいま到来していると持ち上げるつもりもない。けれども、どこかこの妻の生き方は、現在に生きる女性たちの一つの生き方の典型、あるいは、一つの理想型の姿に、だんだんと見えてくるように思えて仕方がない。知的な女性でもないし、感性的に優れたところを感じるわけでもない。言ってみればありふれた、どこにでもいそうな女性だ。けれども作品を読んで、そうしてこの女性について考えていくと、どうも少なからず魅力的な度合いがじわじわと深まっていく。
 
 もうひとつ、不思議な魅力を感じるところが作品の中にある。それは、盗んだ金を返した店で、まだある夫の借金の形に働き始めてからの夫婦の会話である。二日に一度くらい、夫が店に飲みに来て、夫婦で一緒に家路を辿るようになってから、
 
「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ。」
「女には、幸福も不幸も無いものです。」
「そうなの?そう言われると、そんな気もしてくるけど、それじゃ、男のひとは、どうなの?」
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです。」
「わからないわ、私には。でも、いつまでも私、こんな生活をつづけて行きとうございますわ。椿屋のおじさんも、おばさんも、とてもいお方ですもの。」
「馬鹿なんですよ、あのひとたちは。田舎者ですよ。あれでなかなか慾張りでね。僕に飲ませて、おしまいには、もうけようと思っているのです。」
「そりゃ商売ですもの、当たり前だわ。だけど、それだけでも無いんじゃない?あなたは、あのおかみさんを、かすめたでしょう。」
「昔ね。おやじは、どう?気附いているの?」
「ちゃんと知っているらしいわ。いろも出来、借金も出来、といつか溜息まじりに言ってたわ。」
「僕はね、キザのようですけど、死にたくて、仕様が無いんです。生まれた時から、死ぬ事ばかり考えていたんだ。皆のためにも、死んだほうがいいんです。それはもう、たしかなんだ。それでいて、なかなか死ねない。へんな、こわい神様みたいなものが、僕の死ぬのを引きとめるのです。」
「お仕事が、おありですから。」
「仕事なんてものは、なんでもないんです。駄作も傑作もありゃしません。人がいいと言えば、よくなるし、悪いと言えば、悪くなるんです。ちょうど吐くいきと引くいきみたいなものなんです。おそろしいのはね、この世の中の、どこかに神がいる、という事なんです。いるんでしょうね?」
「え?」
「いるんでしょうね?」
「私には、わかりませんわ。」
「そう。」
 
 このあと妻は若い男に犯されるのだが、それはともかく、ここの会話の部分を読んでいると、不思議な調和と安心のようなものをぼくは感じる。会話の意味、言葉の意味をやや後方に退けて読むと、とても男女がいい会話をしていると、そう言ってみたくなる。へんな例えだが、二人の会話が一つの細胞だとすると、その細胞の中に満ちた細胞液が、とても生き生きと健康的で、美しいとさえ思われる。会話の中から、とてもいい関係があぶり出てくる感じだ。書きながら太宰は、ある種の恍惚感に浸ってはいなかっただろうか。ぼくには、そんな風にさえ思われる。そして、「ああ、女の人と、こんな会話が成立したらなあ」と思う。
 女の人から見たら、これは男の身勝手な言い分かも知れない。女の人には女の人の、理想の会話があるにちがいない。たぶん、こんな会話に、ぼくのような思いを持つ事はないのだろう。それでも、とても魅力的だという事は言っておきたい。形而上的な男と、形而下的な女と、その本質的な差異が、差異のままで溶け合う事が出来ている。あるいは差異を認め合っているとでもいおうか。
 
 とりとめなく書いてきているが、ついでにもう一ついってみたい事は、この作品は、無頼派の宣言などではなくて、家族の解体を予兆する作品であり、新しい時代の新しい女性の到来を予測させる作品だという事だ。こういうところの細かい解析は、専門の人たちにお任せし、期待したいが、どうしてもぼくにはそう映ってくる。
 虚無からではなく、「生きていさえすればいいのよ」と言える女性の台頭。この言葉は本当はとても女性的なもので、女性の本質に照らしてまっとうだと思える。男が言うには嘘があるが、女が言うには本当の事になる。そういう事が言える女性が多くなってきたし、今後ますます多くなっていくのではないかとぼくは思う。そして、それはたいへん結構な事だとぼくは考える。過程に於いては、ちょっと紙一重のところもあるかも知れないが、大勢はそういう方向に向かって間違いないと言える。
 
 敗戦後の作品を読んでくると、太宰は敗戦直後に大きな衝撃を受けたが、やがて開放感を伴い一時的な期待を持ったという事も分かる。しかし、世の、なだれ込むようにして便乗主義に走る姿に幻滅し、はじめの頃に持った危うい期待感は喪失する。
 幻滅から、太宰の精神はより鋭く研ぎ澄まされ行き、少しずつ、核心へとにじり寄って行ったように感じられる。それは「家」の問題であり、「夫婦」の問題であり、「性」の問題であるとぼくはいま予測している。そういうところに射程をおいて、いま少し彼の作品を追わなければならない。
 
 
 『母』
 
 若い帰還兵と港町の宿屋の女中。となると、まあ戦争前後の頃は売春という言葉が連想される。ぼくにはそういう経験はないのだが、当時の風俗を扱った小説や記事、その手の文章表現にはそういう事が書かれている。
 この作品に於いても、売春行為というものが描かれている。作者である「私」は、この帰還兵と女中との売春行為を好意的に受け止めている。特に、女中を「聖母」という言葉で形容し、売春の場を提供する日本のこうした宿屋について、いいものだと感じているように書かれている。
 すべての売春行為を肯定しているというわけではない。前後の脈絡があって、この時の、この二人の関係において、作者はそういう感慨を持つに到ったという事である。それは作品に書かれている。読めば作者の感じたところは何となく理解される。ぼくも、「聖母」とは、この女中さんの、この時の姿に降臨してくる何かではないかと考えるという傾向がある。偉人ではなく、無名の、性と切り離せない形で社会に存在する女性の中に、時に、「聖母」の表情が垣間見られるものだというように。
 けれども、こういう感受は客観的な事実関係とは無縁だ。ただそう思うというだけの話で、作者もまた自身の感受をそのまま提供しているだけの事だ。そうして読者であるぼくはそれに共感を覚えるというにすぎない。それだけのことで、何も、売春婦が聖母だと作者もぼくも主張したいわけではない。
 
 ところで、作者は冒頭において次のように記している。
 
 けれども私は、その港町の或る旅館に一泊して、哀話、にも似た奇妙な事件に接したのである。それを、書こう。
 
 つまり、そうして書かれたのがこの作品であるのだが、この物語は、「かわいそうな話」にも似た、奇妙な物語だというのである。
 何がかわいそうな話に似ているのか。どこに奇妙さがあるのか。
 かわいそうなのは帰還兵の境遇か、はたまた女中の、春をひさぐ行為にあるのか。あるいはこれを知った作者の側に、かわいそう、はあるのか。見方によるのだけれども、極端に言えば、「生きる」というところに「かわいそう」はつきまとうものではないか、そうぼくには感じられて仕方がない。すべてがかわいそうだといえば言えそうに思われる。そうしてそれは何も言った事にはなるまいと思う。
 ぼくらは、こう言う事で何かを解決しようとしているわけではない。昔のひとの、かわいそうという感受に、同調しているだけだ。作家の意図も、そういうところにあると思う。「もののあわれ」と言えばよいのだろうか。これは一つの世界観で、歴史をくぐり抜けて現在の人々の感性にまで送り届けられてきたものだという気がする。すべてが理性とか善悪とかで割り切れるものじゃないぜ、という警告でもある。同時に、その使い方によっては通俗に堕するものでもある。その案配が難しい。
 作品の題名が「母」としているところも、なにか「かわいそう」、「あわれ」の雰囲気を伝えているように思う。世の中、社会、そういうものが、「母」なるものと通じるものであってほしいと、子は感じるものか。
 太宰が希求するものが、そういう「母」なるもの、世の中というもの、なのか。
 作家は傍観者である。「もののあわれ」を感じていれば、それですむ。この作品では、作家太宰はその傍観者に安住しているように見える。少なくとも作品成立のニュアンスにおいて、太宰は傍観者の姿に満足げである。作者の座した姿勢において、居心地の悪さといったものは作品からはうかがうことが出来ないように出来上がっている。社会の片隅から、そういった「もののあわれ」を拾い上げて、それを一服の絵に仕立てて、そして作者はその場からひっそりと消えてみせる。確かにそこには残像としての「もののあわれ」はピンで留められてとどまってはいるのだが、さて読者はこのあとどうすればよいものやら。疑問を投げかけようにも作者はそこにとどまってはいないのだ。
 この作品には、これ以上にもこれ以下にも近づくことは出来ない。作者が拒絶しているのではない。現実が、ぼくたちから「考える」ことを取り上げてしまうからだ。そういう現実に、ぼくたちは時たま出会っていて、それを言葉によって解説できない時に、無意識にぼくたちは見ざる、聞かざる、言わざるの態度をとることになる。そして、言葉に出来るものだけで、この世界を構成しようとする。これは、とても、おそろしいような気がしないでもない。
 太宰治の、意外にオーソドックスな作家精神というものをこの作品に見て、そしてこの作品から離れることにしたいと思う。
 
 
 『斜陽』
 
「斜陽」は、戦後の貴族の没落を題材としたものだが、大きくぼくの興味と関心を引くのは主人公である「かず子」、それと「直治」、「上原」の3人の人間についてである。何故この3人であるかというと、さしあたって太宰の分身であるかのように舞台に登場し、太宰の言動を代弁するかのように振る舞っていると見えるからだ。まさか、「かず子」は分身ではあるまい、そう誰もが言いそうだが、ぼくは「かず子」もまた太宰の精神的な意味では分身の一人であると感じられる。
 この中で、「直治」は、かつて自殺未遂、心中未遂を引き起こし、薬品中毒にもなった若き日の太宰を彷彿とさせる。作品の中で「直治」は、それほど好きでもないダンサーと無理心中を遂げるが、「かず子」に向かっての遺書を残す。この遺書にはしかし、太宰自身の本心がちらついている。別な言い方をすれば、太宰は登場人物の一人に自分の考え、自分の語りたいところの一部を語らせている。そう思ってぼくは読んだ。あるいは読みながらそう感じた。
 若き日の太宰は、生家の富と権勢に対する罪障感から、左翼運動に荷担し、やがてそれにも挫折して、以後、まっしぐらに自虐的な生き方に突き進んだ。遺書に残された直治の告白は、当時の若き太宰の内的体験の告白として読んでも大過ないように思われる。
 そうして読む直治の遺書の中に見えてくるものは、あるいは遺書の言葉の意味するところの底に浮かんでくるものは、太宰の気質であり、世間への不適応というような問題だ。遺書の終わり近くに、直治が自分の無理心中の結果としての死が、思想的な問題ではなく、「自然死」であると規定していたのは、直治の資質が世間に相渉っていく場面でどうしようもなく打ち当たってしまう座礁感を表しているとぼくは思う。
 
 ぼくは自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。
 生きていたい人だけは、生きるがよい。
 人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です。
 ぼくのこんな考え方は、少しも新しいものでも何でも無く、こんな当たり前の、それこそプリミチヴな事を、ひとはへんにこわがって、あからさまに口に出して言わないだけなんです。
 生きて行きたいひとは、どんな事をしても、必ず強く生き抜くべきであり、それは見事で、人間の栄冠とでもいうものも、きっとその辺にあるのでしょうが、しかし、死ぬことだって、罪ではないと思うんです。
 
そうしてさらに、
 
 僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きてきたのも、これでも、精一ぱいだったのです。
 
 死に誘う声を四方に聞くひとは、生きる理由を求めて得られない。そういう反省を生きて考え続けてきたひとの告白が、ここに語られているように思える。
「何故ひとは生きて行かなければならないのか」。こういう問いに応えられる言葉をぼく達は持っていない。何故なら、この問いを発するのは意識であり、人はしかし、意識だけで生きているものではないからだとぼくは思う。つまり、意識が意識を掘り下げたところでそんなところに答えがあるわけがない。人の生死は、本来は意識とは何の関わりもないところにある。しかし、意識は意識こそが自分だと思い、時として自己の生命まで抹殺する。それは意識の傲慢さであり、錯覚である。それが証拠に、意識がどんなに念じようとも、それ自体で死に至ることはない。手足の協力無くして自殺など出来ないのだ。そしてまたそのために手足を手繰るのは意識の働きであるといわなければならない。「何故人は生きるか」。意識がこんな事を考えるようになる前から、人類は、何十万年も、黙って生き続けた。その事実は、何故生きるのかを考え始めるよりも遙かに長い間続いてきたのであり、その問いを発する以前の問題なのだというほかはない。
「僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。」という時、明らかに話者は自分という人間を、人間の意識行為という外皮を引き剥がして、「生命」の水準という所にまで自分を引き下ろして語ろうとしていると思う。「僕という草」、と、自分を植物にたとえているという事は、人間の「意識」という、人間的な、あまりに人間的な機能というものを、とりあえずは切り離して考えてみたときに可能になる喩えだからだ。
それは、「生きられない」「生きたくない」という、そういう思いが、どうも、思想とかの人間の考え方の問題ではなく、自己存在の、本源のような所から発せられる声のように直治には、ということはもちろん太宰自身にも感じられていたからなのだと思う。
 引用部分の後に、直治は貴族という出身階級や、「人間はみな同じ」という平等の観念が自分の「生きにくさ」の理由であったかのように挙げてみせるが、そんなものは意識が後から着飾って見せた装飾の一部に過ぎないと思える。そういうことが言えばいえるという程度のものだ。なんとなれば、直治が級友や民衆に感じた疎外感など、別に貴族出身でなければ感じられない疎外感であるとはいえないからだ。貴族出身でなくとも、直治のように対他に恐怖することは出来る。また、周囲から「クソていねいの傍聴席を与えられている」と妄想することだって出来る。本当は考え方の順序が逆だ。いろいろに考えたが、どうも「自分の生きにくさ」にはこれといった理由付けが出来ないように考えられた。もっと本能的なところで、直治にも太宰にも「生きにくさ」が直観されているはずなのだ。太宰は、あるいは太宰の作品は、何度も何度もこの「生きにくさ」の究明に繰り返し挑み続けてきたと言ってよい。太宰が「思い出」などのような過去を繰り返し書き続けたのはそのためであるとぼくは思う。
 太宰の作品は、底の方でいつも「人はどう生きねばならないか」を問い続けている。また、真実の、正しい生き方(もしもそういうものがあるとすればだが)に恋い焦がれている。それによって、自分の「生」を、「存在」を、認めてもらいたい衝動が潜んでいると言ってもいい。このことが何を意味するかと言えば、どこか心の奥の奥の方で、太宰に「生きるな」と告げる声が聞こえていたからに違いない。
 作品ではしかし、直治の、心中という形での自殺は、若き日の太宰を、あるいは太宰の根元的な不安を、彼岸に追いやったことを意味する。つまりそれは死でしかあり得なかったというように、墓標を立てて見せた。そこで一つの決着がついたと言えばいえる。つまり直治に象徴される若き日の太宰の苦悩は、悩みに悩み、考えに考えた末に結局「空」にたどり着いた。「生きにくさ」を解き明かそうとして「生きる」ことに、何の意味があるか。本来の人間が「生きる」という意味は、もっと別のところにあるに違いないし、そうでなければならないものだ。簡単に言えば、直治のそれまでの生き方は、生きる動機につながらないものだった。何のことはない。自分は生きにくい、ただそれだけの結論だった。もっと言えば、いろいろと理屈づけてみたその苦悩は、手放すほか無いものだったことに直治は、そして太宰は突き当たっていたのである。
 直治の死は、作家太宰にとって、ともかくも、過去の自分との、そういった意味での訣別を意味していたとぼくは思うのだ。それは少しも「解決」を意味するものではなかったのではあるが。
 
 上原は、貴族出身の直治とは違うが、言ってみれば民衆の中に育った直治とみることもできる。また、直治が若き日の太宰の精神的な象徴とするならば、上原は直治の年齢を越えて生き延びた太宰の以後の生活ぶりを象徴する人物として拵えられているとみることができる。上原は、作品上で寡黙である。かず子や直治に比べ、ほとんどその内面を語る機会を与えられていないと言っていい。上原の人間像については、直治の遺書やかず子の上原に宛てた手紙、あるいはまた地の文となる、かず子の語りの中などに断片的に表されている。例えば、上原とかず子の会話の中の次のような上原の発言。
 
「死ぬ気で飲んでいるんだ。生きているのが、悲しくって仕様が無いんだよ。わびしさだの、淋しさだの、そんなゆとりのあるものでなくて、悲しいんだ。陰気くさい、嘆きの溜息が四方の壁から聞こえている時、自分たちだけの幸福なんてある筈は無いじゃないか。自分の幸福も光栄も、生きているうちには決して無いとわかった時、ひとは、どんな気持ちになるものかね。努力。そんなものは、ただ、飢餓の野獣の餌食になるだけだ。みじめな人が多すぎるよ。キザかね。」
 
 上原が太宰の分身的存在だとして、この言葉にこもる思い以上のものを、太宰は上原について語る気はなかったであろう。この作品は、上原を主人公にした物語ではないのだ。今は、悪徳生活で名の知れた作家である、そういう部分でのみ、上原は登場している。そうして直治もかず子も、良くも悪くもそういう上原に影響されており、その存在は寡黙であるが上原の存在無くしてはこの作品は成り立っていないだろうと言えば言える。
 直治は、生きていくのに自分には何か一つ欠けたところがあると自覚していた。上原は、生きているのがとにかく悲しくて仕方がないという。上原には、他人の嘆きが、よそ事ではなく受感されている。もっと言えば、他人の心と自分の心とが不可分のように感じられている。察知であり、テレパシーの能力といってもよいような何かが、働いているという気がする。それは決して特異な事ではない。ミラーニューロン、という、意識か脳かの働きもあるというではないか。とにかく、上原には他人の不幸のような雰囲気に敏感に共振してしまう何かがあり、生きているうちには自分の幸福はあり得ない事を強く感じている。
だが、ここでは、上原についてこれ以上立ち入って考えようとは思わない。
 問題は、「かず子」にある。
 太宰は、直治を描きたかったのでも、上原を描きたかったのでもないだろう。すでに述べたように、直治を若き日の太宰に見立て、上原を現在までの太宰の世間での姿として象徴させてみれば、「かず子」は当然未来に向かっての太宰でなければならない。直治は途次で倒れた。上原もすでに残骸のように生きるのみで、未来に向かって何の展望ももてない様子である。作品の末部にかけて、「かず子」だけが、未来に生き延びるある戦略を孕んで生き生きとして見える。太宰が「かず子」に、未来に生き延びる道、その一筋の光明を託したと考えるのは荒唐無稽なことだろうか。少なくとも、ぼくにはそのようにこの作品が読めるのだ。かず子は直治を受け継ぎ、上原を受け継ぎ、二人にできなかった未来への一歩を踏み出そうとする。それはそのまま太宰自身の思想の向かうべき先を探る試み、そのものでもあるのではないか。そう、ぼくは思う。
 かず子の母が死んで、
 
 戦闘、開始。
 いつまでも、悲しみに沈んでもおられなかった。私には、是非とも、戦いとらなければならぬものがあった。新しい倫理。いいえ、そう言っても偽善めく。恋。それだけだ。ローザが新しい経済学にたよらなければ生きておれなかったように、私はいま、恋一つにすがらなければ、生きて行けないのだ。イエスが、この世の宗教家、道徳家、学者、権威者の偽善をあばき、神の真の愛情というものを少しも躊躇することなくありのままに人々に告げあらわさんがために、その十二弟子をも諸方に派遣なさろうとするに当たって、弟子たちに教え聞かせたお言葉は、私のこの場合にも全然、無関係でないように思われた。
 
 そして聖書の一節を引用し、再び、
 
 戦闘、開始。
 もし、私が恋ゆえに、イエスのこの教えをそっくりそのまま必ず守ることを誓ったら、イエス様はお叱りになるかしら。なぜ、「恋」がわるくて、「愛」がいいのか、私にはわからない。同じもののような気がしてならない。何だかわからぬ愛のために、恋のために、その悲しさのために、身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得る者、ああ、私は自分こそ、それだと言い張りたいのだ。
 
 太宰は、作品の中でかず子に「私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。」と語らせ、自分こそ恋のために「身と霊魂(たましい)とをゲヘナにて滅ぼし得る者」だと言わせる。そして、かず子は上原の子を身ごもる。
 
 どうやら、あなたも、私をお捨てになったようでございます。いいえ、だんだんお忘れになるらしうございます。
 けれども、私は、幸福なんですの。私の望みどおりに、赤ちゃんが出来たようでございますの。私は、いま、いっさいを失ったような気がしていますけれど、でも、おなかの小さい生命が、私の孤独の微笑みのたねになっています。
 けがらわしい失策などとは、どうしても私には思われません。この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだか、このごろ私にもわかって来ました。あなたは、ご存じないでしょう。だから、いつまでも不幸なのですわ。それはね、教えてあげますわ、女がよい子を生むためです。
 
 蜂の社会は女王バチ一匹のためにあるかのように我々には見える。そしてその女王バチは、結局のところ蜂社会を次世代につなぐ役目を担っている。そう考えると、人間の世の中の一切は「女がよい子を生むため」にあるのだと考えてもさほど不自然なことではないと思える。
 なんだ、そうか。宗教がなぜ興ったか。なぜ「国家」なるものができたか。すべては「女たちがよい子を生むため」に出来たのだと考えれば合点がいく。難しく考える必要はなかったのだ。男たちの努力と奮闘は、究極のところその一点にかかっている。人間はいろいろなことを考えはするが、結局のところ、種の保存という大きな命題に突き動かされる存在にすぎないのだろう。と、太宰が、考えたか、どうか。
 ところで、「かず子」の上原への2回目の手紙に、次のように書いてある箇所がある。
 
 世間でよいと言われ、尊敬されているひとたちは、みな嘘つきで、にせものなのを、私は知っているんです。私は、世間を信用していないんです。札つきの不良だけが、私の味方なんです。札つきの不良。私はその十字架にだけは、かかって死んでもいいと思っています。万人に非難せられても、それでも、私は言いかえしてやれるんです。お前たちは、札のついていないもっと危険な不良じゃないか、と。
 
 この言葉の意味するところは、直治、上原、かず子のうち、誰が語っても不自然には思えないに違いない。3人が3人とも、底に共通する思いがここには流れている。そしてこれは当然太宰本人の心の底に流れる思いを源流としている。
 
 世間と闘う。いまぼくはこれを真正面において、論ずる力と余裕はない。ただ、直治は力つき、上原は残骸のように生き延びているだけの中で、ただ一人、かず子だけが生き生きと戦いを継続しているという印象がある。この戦いは、女ならではのものである。上原には出来ない。当然太宰にも出来ない。しかしぼくには、かず子という人物を創造し、この作品の中で私生児の母として誇り高くこれを宣言するかず子の姿を描く太宰に、何かしら未来に向けて歩き出せる安堵感のようなものが宿っていたように思われてならない。それは倒錯した考えかもしれないが、「負の十字架」にかかって死ぬために生きる、とでも言うほかないような、ある決意のようなものだとぼくは考える。
 
 人はなぜ生きるか。それは誇り高く女が子を生むためであり、母の愛を身に受けた子がその愛を受け継いで、愛を生きることで自身の中にその愛を成就するためである。子は、愛の伝道師たるべきものなのだ。
 
 革命は、いったい、どこで行われているのでしょう。すくなくとも、私たちの身のまわりに於いては、古い道徳はやっぱりそのまま、みじんも変わらず、私たちの行く手をさえぎっています。海の表面の波はなにやら騒いでいても、その底の海水は、革命どころか、みじろぎもせずに、狸寝入りで寝そべっているんですもの。
 けれども私は、これまでの第一回戦では、古い道徳をわずかながら押しのけ得たと思っています。そうして、こんどは、生まれる子と共に、第二回戦、第三回戦をたたかうつもりでいるのです。
 こいしい人の子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。
(中略)
 私生児と、その母。
 けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。
 
 国も、国の政治も経済も、あるいは文化や文明も、すべてはどこに向かって開かれていかなければならないのか。それは畢竟、女性が子を生み育てる事を手助けするためではないのか。それ以外のどんな名目が必要だろうか。
 家族が形成され、主に男たちが中心となって、いろいろなシステムや組織、制度を作り上げていった。女たちは子に寄り添い、男たちは環境を整備しようとした。そうして、挙げ句の果てに今度は作り上げた高度な文明社会の中で、よい子を育てるという目標を忘れて人々はシステムからの声に従い、システムの声に翻弄されるようになってしまった。古い道徳、世間のしがらみ、社会の黙契、約束事。
 腑分けするように、人間の、本当の言葉と嘘の言葉を選り分けていったら、最後に、「恋と革命」の二文字が残った。「恋」はまっしぐらに突き進むものだ。「革命」は、淀みを突き動かし、常に新鮮さとよりよいものを目指す、情念のダイナミズムを源泉とし、一滴の血も流さぬ「革命」を、「道徳革命」と命名しよう。
 
 恋と革命。それは世の中のすべてを敵にまわして、徒党を組まず、たった一人でする反抗であった。「身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得る者」。かず子が、「自分こそそれだと言い張りたいのだ」というとき、それはそのまま作家太宰治の口にしたい言葉であった。
 これを純粋主義、理想主義と言うべきかどうか僕には分からない。言うまでもなくこれは、太宰治の気質がたどり着いた場所だ。そしてわずかにこの場所にだけ、太宰は生きる理由と意味とを自身にすくい上げてみせることが出来たのである。
 
 戦後、そして太宰が自殺してから六十年あまりがたった。振り返って今の社会を展望するに、たくさんのかず子とその子供たちとを見ることが出来る。何よりも、そうしたスキャンダルを取り上げる報道の世界では、そうだ。不倫があり、離婚があり、母子家庭が増え、私生児も多くなった。そればかりではない。未来のかず子たちの中には、子育てに窮し、自らの手で子の命を断つ者さえ出てきた。
 女たちは、かず子のように、男たちに頼らない生き方を選んできたと言えば言えそうに思える。「恋と革命」、女たちは(男たちも)そんな言葉で自らの行為や生き様を表現しはしないだろうが、「世間なんかは信用していない。私たちのことをあれこれ言う、善男善女の顔つきの、不良や悪女よりももっと危険な、こっそりと大きな悪事をなしている連中、あんたたちはそれじゃないか。」とは言いたいに違いない。
 しかし、これがめでたしめでたしの社会であるか。かず子や太宰が希求したのはこれか。もちろん、そんなことはない。
 
 革命は、まだ、ちっとも、何も、行われていないんです。もっと、もっと、いくつもの惜しい貴い犠牲が必要のようでございます。
 
 よりよい社会を求めて、時に、無法という悪をなす。磔になった、イエスがそうであった。対極に位置する親鸞は、磔の極悪人を眺めて、悪人こそは救われると説いた。「悪」と喧伝される者たちは、貴い犠牲者の一人でもあるのだろうか。
 少なくとも、上原をも貴い犠牲者の一人と見るかず子の視点からはそうであろう。
 人間の生き方についての考え方、言葉を換えていえば、新しい倫理。それが社会の中に確立されていくのはこれからのことに属する。日々、世間をにぎわす悪行の数々、あるいは悲喜劇の中に、古い道徳と法では律しきれない人間の実存から発せられる、新しい倫理を要求する声が聞こえてくる。犠牲者の声。その声を包括して、生まれるべき倫理の正体とは何か。太宰が生きておれば、その正体をかいま見たであろうか。ぼくにはまだ、遙か遠いところにあるように思われてならないのではあるが。
 
 
 「父」
 
 この作品はよいと言っていいのか、悪いと言うべきなのか、ぼくには分からない。困った作品である。ここまで本音で語られると、読者としては、何とも言いようがない。そんなふうに思わせられる。
 この作品はとても太宰的だ。自分を解剖して俎上にあげる。「さあ、これが私です。何か文句がありますか。」そう言っているようにさえ思える。
 けれども、それはそう見えるというだけかもしれない。作家の計算が、そこにないとは言えない。おそらく、ただ本音を、作者の真実を、強引な力業で書いているように見せながら、そう見せる作家の手腕が裏に働いていると考えた方がいいのかもしれない。
 
 主人公(太宰)は、充分にわが子を愛する気持ちがあり、妻を大事にしたい思いをもっている。けれども、現実的な場面では、子どもも妻もないがしろにして、文学を通じた仕事仲間やその周辺の人たちとの付き合いに身を投げるように日々をすぎている。
 
 午後三時か四時頃、私は仕事に一区切りをつけて立ち上がる。机の引き出しから財布を取り出し、内容をちらと調べて懐にいれ、黙って二重廻しを羽織って、外に出る。外では、子供たちが遊んでいる。その子供たちの中に、私の子もいる。私の子は遊びをやめて、私のほうに真正面向いて、私の顔を仰ぎ見る。私も、この顔を見下ろす。共に無言である。たまに私は、袂からハンケチを出して、きゅっとこの洟を拭いてやる事もある。そうして、さっさと私は歩く。子供のおやつ、子供のおもちゃ、子供の着物、子供の靴、いろいろ買わなければならぬお金を、一夜のうちに紙屑の如く浪費すべき場所に向って、さっさと歩く。これがすなわち、私の子わかれの場なのである。出掛けたらさいご、二日も三日も帰らない事がある。父はどこかで、義のために遊んでいる。地獄の思いで遊んでいる。いのちを賭けて遊んでいる。母は観念して、下の子を背負い、上の子の手を引き、古本屋に本を売りに出掛ける。父は母にお金を置いて行かないから。
 
 主人公(太宰)は、自分の所業について、客観的に見る目をなくしてはいない。
 
 ついさっき私は、「義のために」遊ぶ、と書いた。義? たわけた事を言ってはいけない。お前は、生きている資格も無い放埒病の重患者に過ぎないではないか。それをまあ、義、だなんて。ぬすびとたけだけしいとは、この事だ。
 
 しかし、主人公(太宰)には、盗人の三分の理のようなものかもしれないが、言い分がないわけではない。
 
 それは、たしかに、盗人の三分の理にも似ているが、しかし、私の胸の奥の白絹に、何やらこまかい文字が一ぱいに書かれている。その文字は、何であるか、私にもはっきり読めない。たとえば、十匹の蟻が、墨汁の海から這い上がって、そうして白絹の上をかさかさと小さい音をたてて歩き廻り、何やらこまかく、ほそく、墨の足跡をえがき印し散らしたみたいな、そんな工合いの、くすぐったい文字。その文字が、全部判読できたならば、私の立場の「義」の意味も、明白に皆に説明できるような気がするのだけれども、それがなかなか、ややこしく、むずかしいのである。
 
 ぼくもいくらかそうであったが、世間の男たちにはこの作品における主人公の言い訳がましい言葉に、若干の同情と共感を持つに違いない。女性ならどうであろうか。聞いてみた事がないので分からないが、公然と浮気さえする主人公であるから、すこぶる不評であろう。「義のため」であろうがなかろうが、家庭を顧みないで外で遊びほうける夫は、落第を言い渡されるほかはあるまい。「義」なんぞ、どうでもいいから、お米の配給の列に並んでくれ。それが、まあ普通の、妻や女性たちの言い分だろう。
 主人公(太宰)は、そういう事に気付かぬ訳でも知らないわけでもない。それでも、炉辺の幸福を追求することや、炉辺にすっぽりと納まって自足するという事が出来ない。何故かというと、胸の奥に、自足する事を許さぬ文字が、何がどうとはっきりとは読みとれないが浮かんで見えるからだ。
 ぼくには、主人公(太宰)の胸の奥の白絹に這う文字が、「<私>の利のために行う言動を一切するな」というように読める。「<私>の利のために生きるな」と読み替えてもよい。これは、「他のために生きよ」というものとは、少しニュアンスが違う。「他のために」ということには、どこかしら自分の存在を、プラスのものに転じたい願望が加わっている。何か意味あるもの、価値あるものにしたいという欲求が潜在する。しかし、主人公(太宰)の場合には、そういう、自己の存在をプラスに転化したいという欲求がない。もっと言えば、前向きなとこがどこにもない「生」という印象ばかりが残る。
 ここに、太宰的なものがあると僕は思う。いや、そう言っては、倫理的な思い過ごし、そういうものが付随してしまうかもしれない。かつて、吉本隆明は太宰を論じた文章の中で、「破滅的な生を『ただ生き続ける事』」と、その文字を読んだ(「悲劇の解読」)。それは、ぼくには必ずしも十分に納得いくものではなかった。しかし、これを先のように読んでみても、すっきりとはしない。
 
 作品を読むと、何故こうまでして主人公は家庭を犠牲にし、人とつきあう事に奉仕しなければならないのかが分からない。おそらく、主人公にも作者にも分かってはいまい。
 
 炉辺の幸福。どうして私には、それが出来ないのだろう。とても、いたたまらない気がするのである。炉辺が、こわくてならぬのである。
 
 こうなると、もはや病者に紙一重である。いや、病者と言っていいのかもしれない。
「炉辺がいたたまらない気がする」、「炉辺がこわい」、というあたりに、負の感性の、さらに太宰らしさが感じられる。これは誇張された言い方のようにも感じられるが、たぶんそうではない。大まじめな告白の言葉なのだ。
 
 太宰治は、過渡期の犠牲者という言い方を使ったりはしているが、自分の破滅的な生き方に大義名分がない事をよく知っていたように思える。この作品で、アブラハムや宗五郎の子別れには自分や肉親を犠牲にしても、信ずるところに従って行為する者の、強い決意というものがみなぎっている。主人公(太宰)は、この「信」と「決意」とが、強固さという点でアブラハムや宗五郎に劣っている。「信」のゆらぎは、胸の奥の文字が読みとれないというところに象徴的に現れている。この「信」は、アブラハムにも宗五郎にも、何が何でもそうしなければならないというような、「絶対」のものとして彼らを突き動かす原動力として作用している。主人公(太宰)の「信」は、その意味ではとても危うく、中途半端である事を免れない。もっと言えば、彼の内面には元々「信」が納まるべきスペースなど一切無かったと言うべきかもしれない。ただ、激しく憧れはしたけれども。
 
 作品は、「義とは、やりきれない男の哀しい弱点に似ている」、という言葉で締めている。そこで、読者は読後に、「義」をテーマにした作品のように錯覚するが、本当はそうではない。主人公(太宰)は、どこにも安らぎの場所がないと言っているのだ。戦争が続いた一時期、すっぽりと身を隠せそうに思えた炉辺にも、結局は憩えないと言っているのだ。
 もう少し極端な言い方をすれば、自分の本能的な生命力のあたりにうごめく、その不可知のうごめきへの恐怖におののいていると見える。これがどういう事なのかはぼくにもよく分からない。ただ、生きようとする力を必死に抑えて生きているのが主人公(太宰)の姿だとしか思えない。「生きてはいけない」と言い聞かせながら生きている姿と言っても良い。
 こういう人間の生き方は、世間的には破天荒と映る事を免れない。本当に彼を理解するものなどいないから、自らの言動の根拠となる、他人への言い訳の言葉がほしくなる。それが大義名分であり、「義」と言う事になるのだとおもう。「自分がこういう生き方をしているのは、これこれこういう理由があるのだ」と言いたくなるに決まっている。また、そういう盾になるものを身につけなければ、自分が持たない。
「斜陽」において太宰は、「身を殺して霊魂を殺し得ぬものどもをおそるな、身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得るものを畏れよ」という聖書の言葉を取り上げていた。ゲヘナを、世間の中での生活に置き換えれば、太宰はただ生活者の位相に自分を埋没させて沈んで行けばよいだけだった。たぶんそんな事は考えた上でのことであったろうが、また、経験的にそれは自分には出来ないことを知った上で、太宰は身と霊魂とを、別なところで滅ぼし去ろうと考えた。「斜陽」のかず子にとって、それは「恋と革命」というものであった。だが、太宰自身はそれを信じたわけではなかったであろう。
 絶対的な「負」の場所。疎隔感という蟻地獄。もしそんなものがあるとしての事だが、太宰はその場所に、自分の身と霊魂とを滅ぼし得るとは自負していたに違いない。「義」とは、太宰にとって、自分にする、そうした自分への殉教に他ならなかったと、ここでは一応、書き留めておこうと思う。
 
 
 「斜陽」
 
「斜陽」は、戦後の貴族の没落を題材としたものだが、大きくぼくの興味と関心を引くのは主人公である「かず子」、それと「直治」、「上原」の3人の人間についてである。何故この3人であるかというと、さしあたって太宰の分身であるかのように舞台に登場し、太宰の言動を代弁するかのように振る舞っていると見えるからだ。まさか、「かず子」は分身ではあるまい、そう誰もが言いそうだが、ぼくは「かず子」もまた太宰の精神的な意味では分身の一人であると感じられる。
 この中で、「直治」は、かつて自殺未遂、心中未遂を引き起こし、薬品中毒にもなった若き日の太宰を彷彿とさせる。作品の中で「直治」は、それほど好きでもないダンサーと無理心中を遂げるが、「かず子」に向かっての遺書を残す。この遺書にはしかし、太宰自身の本心がちらついている。別な言い方をすれば、太宰は登場人物の一人に自分の考え、自分の語りたいところの一部を語らせている。そう思ってぼくは読んだ。あるいは読みながらそう感じた。
 若き日の太宰は、生家の富と権勢に対する罪障感から、左翼運動に荷担し、やがてそれにも挫折して、以後、まっしぐらに自虐的な生き方に突き進んだ。遺書に残された直治の告白は、当時の若き太宰の内的体験の告白として読んでも大過ないように思われる。
 そうして読む直治の遺書の中に見えてくるものは、あるいは遺書の言葉の意味するところの底に浮かんでくるものは、太宰の気質であり、世間への不適応というような問題だ。遺書の終わり近くに、直治が自分の無理心中の結果としての死が、思想的な問題ではなく、「自然死」であると規定していたのは、直治の資質が世間に相渉っていく場面でどうしようもなく打ち当たってしまう座礁感を表しているとぼくは思う。
 
 ぼくは自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。
 生きていたい人だけは、生きるがよい。
 人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です。
 ぼくのこんな考え方は、少しも新しいものでも何でも無く、こんな当たり前の、それこそプリミチヴな事を、ひとはへんにこわがって、あからさまに口に出して言わないだけなんです。
 生きて行きたいひとは、どんな事をしても、必ず強く生き抜くべきであり、それは見事で、人間の栄冠とでもいうものも、きっとその辺にあるのでしょうが、しかし、死ぬことだって、罪ではないと思うんです。
 
そうしてさらに、
 
 僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きてきたのも、これでも、精一ぱいだったのです。
 
 死に誘う声を四方に聞くひとは、生きる理由を求めて得られない。そういう反省を生きて考え続けてきたひとの告白が、ここに語られているように思える。
「何故ひとは生きて行かなければならないのか」。こういう問いに応えられる言葉をぼく達は持っていない。何故なら、この問いを発するのは意識であり、人はしかし、意識だけで生きているものではないからだとぼくは思う。つまり、意識が意識を掘り下げたところでそんなところに答えがあるわけがない。人の生死は、本来は意識とは何の関わりもないところにある。しかし、意識は意識こそが自分だと思い、時として自己の生命まで抹殺する。それは意識の傲慢さであり、錯覚である。それが証拠に、意識がどんなに念じようとも、それ自体で死に至ることはない。手足の協力無くして自殺など出来ないのだ。そしてまたそのために手足を手繰るのは意識の働きであるといわなければならない。「何故人は生きるか」。意識がこんな事を考えるようになる前から、人類は、何十万年も、黙って生き続けた。その事実は、何故生きるのかを考え始めるよりも遙かに長い間続いてきたのであり、その問いを発する以前の問題なのだというほかはない。
「僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。」という時、明らかに話者は自分という人間を、人間の意識行為という外皮を引き剥がして、「生命」の水準という所にまで自分を引き下ろして語ろうとしていると思う。「僕という草」、と、自分を植物にたとえているという事は、人間の「意識」という、人間的な、あまりに人間的な機能というものを、とりあえずは切り離して考えてみたときに可能になる喩えだからだ。
それは、「生きられない」「生きたくない」という、そういう思いが、どうも、思想とかの人間の考え方の問題ではなく、自己存在の、本源のような所から発せられる声のように直治には、ということはもちろん太宰自身にも感じられていたからなのだと思う。
 引用部分の後に、直治は貴族という出身階級や、「人間はみな同じ」という平等の観念が自分の「生きにくさ」の理由であったかのように挙げてみせるが、そんなものは意識が後から着飾って見せた装飾の一部に過ぎないと思える。そういうことが言えばいえるという程度のものだ。なんとなれば、直治が級友や民衆に感じた疎外感など、別に貴族出身でなければ感じられない疎外感であるとはいえないからだ。貴族出身でなくとも、直治のように対他に恐怖することは出来る。また、周囲から「クソていねいの傍聴席を与えられている」と妄想することだって出来る。本当は考え方の順序が逆だ。いろいろに考えたが、どうも「自分の生きにくさ」にはこれといった理由付けが出来ないように考えられた。もっと本能的なところで、直治にも太宰にも「生きにくさ」が直観されているはずなのだ。太宰は、あるいは太宰の作品は、何度も何度もこの「生きにくさ」の究明に繰り返し挑み続けてきたと言ってよい。太宰が「思い出」などのような過去を繰り返し書き続けたのはそのためであるとぼくは思う。
 太宰の作品は、底の方でいつも「人はどう生きねばならないか」を問い続けている。また、真実の、正しい生き方(もしもそういうものがあるとすればだが)に恋い焦がれている。それによって、自分の「生」を、「存在」を、認めてもらいたい衝動が潜んでいると言ってもいい。このことが何を意味するかと言えば、どこか心の奥の奥の方で、太宰に「生きるな」と告げる声が聞こえていたからに違いない。
 作品ではしかし、直治の、心中という形での自殺は、若き日の太宰を、あるいは太宰の根元的な不安を、彼岸に追いやったことを意味する。つまりそれは死でしかあり得なかったというように、墓標を立てて見せた。そこで一つの決着がついたと言えばいえる。つまり直治に象徴される若き日の太宰の苦悩は、悩みに悩み、考えに考えた末に結局「空」にたどり着いた。「生きにくさ」を解き明かそうとして「生きる」ことに、何の意味があるか。本来の人間が「生きる」という意味は、もっと別のところにあるに違いないし、そうでなければならないものだ。簡単に言えば、直治のそれまでの生き方は、生きる動機につながらないものだった。何のことはない。自分は生きにくい、ただそれだけの結論だった。もっと言えば、いろいろと理屈づけてみたその苦悩は、手放すほか無いものだったことに直治は、そして太宰は突き当たっていたのである。
 直治の死は、作家太宰にとって、ともかくも、過去の自分との、そういった意味での訣別を意味していたとぼくは思うのだ。それは少しも「解決」を意味するものではなかったのではあるが。
 
 上原は、貴族出身の直治とは違うが、言ってみれば民衆の中に育った直治とみることもできる。また、直治が若き日の太宰の精神的な象徴とするならば、上原は直治の年齢を越えて生き延びた太宰の以後の生活ぶりを象徴する人物として拵えられているとみることができる。上原は、作品上で寡黙である。かず子や直治に比べ、ほとんどその内面を語る機会を与えられていないと言っていい。上原の人間像については、直治の遺書やかず子の上原に宛てた手紙、あるいはまた地の文となる、かず子の語りの中などに断片的に表されている。例えば、上原とかず子の会話の中の次のような上原の発言。
 
「死ぬ気で飲んでいるんだ。生きているのが、悲しくって仕様が無いんだよ。わびしさだの、淋しさだの、そんなゆとりのあるものでなくて、悲しいんだ。陰気くさい、嘆きの溜息が四方の壁から聞こえている時、自分たちだけの幸福なんてある筈は無いじゃないか。自分の幸福も光栄も、生きているうちには決して無いとわかった時、ひとは、どんな気持ちになるものかね。努力。そんなものは、ただ、飢餓の野獣の餌食になるだけだ。みじめな人が多すぎるよ。キザかね。」
 
 上原が太宰の分身的存在だとして、この言葉にこもる思い以上のものを、太宰は上原について語る気はなかったであろう。この作品は、上原を主人公にした物語ではないのだ。今は、悪徳生活で名の知れた作家である、そういう部分でのみ、上原は登場している。そうして直治もかず子も、良くも悪くもそういう上原に影響されており、その存在は寡黙であるが上原の存在無くしてはこの作品は成り立っていないだろうと言えば言える。
 直治は、生きていくのに自分には何か一つ欠けたところがあると自覚していた。上原は、生きているのがとにかく悲しくて仕方がないという。上原には、他人の嘆きが、よそ事ではなく受感されている。もっと言えば、他人の心と自分の心とが不可分のように感じられている。察知であり、テレパシーの能力といってもよいような何かが、働いているという気がする。それは決して特異な事ではない。ミラーニューロン、という、意識か脳かの働きもあるというではないか。とにかく、上原には他人の不幸のような雰囲気に敏感に共振してしまう何かがあり、生きているうちには自分の幸福はあり得ない事を強く感じている。
だが、ここでは、上原についてこれ以上立ち入って考えようとは思わない。
 問題は、「かず子」にある。
 太宰は、直治を描きたかったのでも、上原を描きたかったのでもないだろう。すでに述べたように、直治を若き日の太宰に見立て、上原を現在までの太宰の世間での姿として象徴させてみれば、「かず子」は当然未来に向かっての太宰でなければならない。直治は途次で倒れた。上原もすでに残骸のように生きるのみで、未来に向かって何の展望ももてない様子である。作品の末部にかけて、「かず子」だけが、未来に生き延びるある戦略を孕んで生き生きとして見える。太宰が「かず子」に、未来に生き延びる道、その一筋の光明を託したと考えるのは荒唐無稽なことだろうか。少なくとも、ぼくにはそのようにこの作品が読めるのだ。かず子は直治を受け継ぎ、上原を受け継ぎ、二人にできなかった未来への一歩を踏み出そうとする。それはそのまま太宰自身の思想の向かうべき先を探る試み、そのものでもあるのではないか。そう、ぼくは思う。
 かず子の母が死んで、
 
 戦闘、開始。
 いつまでも、悲しみに沈んでもおられなかった。私には、是非とも、戦いとらなければならぬものがあった。新しい倫理。いいえ、そう言っても偽善めく。恋。それだけだ。ローザが新しい経済学にたよらなければ生きておれなかったように、私はいま、恋一つにすがらなければ、生きて行けないのだ。イエスが、この世の宗教家、道徳家、学者、権威者の偽善をあばき、神の真の愛情というものを少しも躊躇することなくありのままに人々に告げあらわさんがために、その十二弟子をも諸方に派遣なさろうとするに当たって、弟子たちに教え聞かせたお言葉は、私のこの場合にも全然、無関係でないように思われた。
 
 そして聖書の一節を引用し、再び、
 
 戦闘、開始。
 もし、私が恋ゆえに、イエスのこの教えをそっくりそのまま必ず守ることを誓ったら、イエス様はお叱りになるかしら。なぜ、「恋」がわるくて、「愛」がいいのか、私にはわからない。同じもののような気がしてならない。何だかわからぬ愛のために、恋のために、その悲しさのために、身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得る者、ああ、私は自分こそ、それだと言い張りたいのだ。
 
 太宰は、作品の中でかず子に「私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。」と語らせ、自分こそ恋のために「身と霊魂(たましい)とをゲヘナにて滅ぼし得る者」だと言わせる。そして、かず子は上原の子を身ごもる。
 
 どうやら、あなたも、私をお捨てになったようでございます。いいえ、だんだんお忘れになるらしうございます。
 けれども、私は、幸福なんですの。私の望みどおりに、赤ちゃんが出来たようでございますの。私は、いま、いっさいを失ったような気がしていますけれど、でも、おなかの小さい生命が、私の孤独の微笑みのたねになっています。
 けがらわしい失策などとは、どうしても私には思われません。この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだか、このごろ私にもわかって来ました。あなたは、ご存じないでしょう。だから、いつまでも不幸なのですわ。それはね、教えてあげますわ、女がよい子を生むためです。
 
 蜂の社会は女王バチ一匹のためにあるかのように我々には見える。そしてその女王バチは、結局のところ蜂社会を次世代につなぐ役目を担っている。そう考えると、人間の世の中の一切は「女がよい子を生むため」にあるのだと考えてもさほど不自然なことではないと思える。
 なんだ、そうか。宗教がなぜ興ったか。なぜ「国家」なるものができたか。すべては「女たちがよい子を生むため」に出来たのだと考えれば合点がいく。難しく考える必要はなかったのだ。男たちの努力と奮闘は、究極のところその一点にかかっている。人間はいろいろなことを考えはするが、結局のところ、種の保存という大きな命題に突き動かされる存在にすぎないのだろう。と、太宰が、考えたか、どうか。
 ところで、「かず子」の上原への2回目の手紙に、次のように書いてある箇所がある。
 
 世間でよいと言われ、尊敬されているひとたちは、みな嘘つきで、にせものなのを、私は知っているんです。私は、世間を信用していないんです。札つきの不良だけが、私の味方なんです。札つきの不良。私はその十字架にだけは、かかって死んでもいいと思っています。万人に非難せられても、それでも、私は言いかえしてやれるんです。お前たちは、札のついていないもっと危険な不良じゃないか、と。
 
 この言葉の意味するところは、直治、上原、かず子のうち、誰が語っても不自然には思えないに違いない。3人が3人とも、底に共通する思いがここには流れている。そしてこれは当然太宰本人の心の底に流れる思いを源流としている。
 
 世間と闘う。いまぼくはこれを真正面において、論ずる力と余裕はない。ただ、直治は力つき、上原は残骸のように生き延びているだけの中で、ただ一人、かず子だけが生き生きと戦いを継続しているという印象がある。この戦いは、女ならではのものである。上原には出来ない。当然太宰にも出来ない。しかしぼくには、かず子という人物を創造し、この作品の中で私生児の母として誇り高くこれを宣言するかず子の姿を描く太宰に、何かしら未来に向けて歩き出せる安堵感のようなものが宿っていたように思われてならない。それは倒錯した考えかもしれないが、「負の十字架」にかかって死ぬために生きる、とでも言うほかないような、ある決意のようなものだとぼくは考える。
 
 人はなぜ生きるか。それは誇り高く女が子を生むためであり、母の愛を身に受けた子がその愛を受け継いで、愛を生きることで自身の中にその愛を成就するためである。子は、愛の伝道師たるべきものなのだ。
 
 革命は、いったい、どこで行われているのでしょう。すくなくとも、私たちの身のまわりに於いては、古い道徳はやっぱりそのまま、みじんも変わらず、私たちの行く手をさえぎっています。海の表面の波はなにやら騒いでいても、その底の海水は、革命どころか、みじろぎもせずに、狸寝入りで寝そべっているんですもの。
 けれども私は、これまでの第一回戦では、古い道徳をわずかながら押しのけ得たと思っています。そうして、こんどは、生まれる子と共に、第二回戦、第三回戦をたたかうつもりでいるのです。
 こいしい人の子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。
(中略)
 私生児と、その母。
 けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。
 
 国も、国の政治も経済も、あるいは文化や文明も、すべてはどこに向かって開かれていかなければならないのか。それは畢竟、女性が子を生み育てる事を手助けするためではないのか。それ以外のどんな名目が必要だろうか。
 家族が形成され、主に男たちが中心となって、いろいろなシステムや組織、制度を作り上げていった。女たちは子に寄り添い、男たちは環境を整備しようとした。そうして、挙げ句の果てに今度は作り上げた高度な文明社会の中で、よい子を育てるという目標を忘れて人々はシステムからの声に従い、システムの声に翻弄されるようになってしまった。古い道徳、世間のしがらみ、社会の黙契、約束事。
 腑分けするように、人間の、本当の言葉と嘘の言葉を選り分けていったら、最後に、「恋と革命」の二文字が残った。「恋」はまっしぐらに突き進むものだ。「革命」は、淀みを突き動かし、常に新鮮さとよりよいものを目指す、情念のダイナミズムを源泉とし、一滴の血も流さぬ「革命」を、「道徳革命」と命名しよう。
 
 恋と革命。それは世の中のすべてを敵にまわして、徒党を組まず、たった一人でする反抗であった。「身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得る者」。かず子が、「自分こそそれだと言い張りたいのだ」というとき、それはそのまま作家太宰治の口にしたい言葉であった。
 これを純粋主義、理想主義と言うべきかどうか僕には分からない。言うまでもなくこれは、太宰治の気質がたどり着いた場所だ。そしてわずかにこの場所にだけ、太宰は生きる理由と意味とを自身にすくい上げてみせることが出来たのである。
 
 戦後、そして太宰が自殺してから六十年あまりがたった。振り返って今の社会を展望するに、たくさんのかず子とその子供たちとを見ることが出来る。何よりも、そうしたスキャンダルを取り上げる報道の世界では、そうだ。不倫があり、離婚があり、母子家庭が増え、私生児も多くなった。そればかりではない。未来のかず子たちの中には、子育てに窮し、自らの手で子の命を断つ者さえ出てきた。
 女たちは、かず子のように、男たちに頼らない生き方を選んできたと言えば言えそうに思える。「恋と革命」、女たちは(男たちも)そんな言葉で自らの行為や生き様を表現しはしないだろうが、「世間なんかは信用していない。私たちのことをあれこれ言う、善男善女の顔つきの、不良や悪女よりももっと危険な、こっそりと大きな悪事をなしている連中、あんたたちはそれじゃないか。」とは言いたいに違いない。
 しかし、これがめでたしめでたしの社会であるか。かず子や太宰が希求したのはこれか。もちろん、そんなことはない。
 
 革命は、まだ、ちっとも、何も、行われていないんです。もっと、もっと、いくつもの惜しい貴い犠牲が必要のようでございます。
 
 よりよい社会を求めて、時に、無法という悪をなす。磔になった、イエスがそうであった。対極に位置する親鸞は、磔の極悪人を眺めて、悪人こそは救われると説いた。「悪」と喧伝される者たちは、貴い犠牲者の一人でもあるのだろうか。
 少なくとも、上原をも貴い犠牲者の一人と見るかず子の視点からはそうであろう。
 人間の生き方についての考え方、言葉を換えていえば、新しい倫理。それが社会の中に確立されていくのはこれからのことに属する。日々、世間をにぎわす悪行の数々、あるいは悲喜劇の中に、古い道徳と法では律しきれない人間の実存から発せられる、新しい倫理を要求する声が聞こえてくる。犠牲者の声。その声を包括して、生まれるべき倫理の正体とは何か。太宰が生きておれば、その正体をかいま見たであろうか。ぼくにはまだ、遙か遠いところにあるように思われてならないのではあるが。
 
 
 「女神」
 
 大戦が終わって、ある日主人公のもとを、昔の飲み友達である細田という人が訪れる。彼は戦時に満州に渡った人で、苦労を強いられたためか、すっかり様子が変わっていた。そればかりではない。話が、突飛で異常である。彼の妻は実は女神で、また彼と主人公とそれからもう一人の大人物の生みの親なのだという。主人公はすぐさま、ああ、これは精神を病んでいるんだなと即断する。
 話の流れで、主人公は細田さんを自宅まで送り届けようと考える。そうして細田さんの話の中にも登場する彼の妻に、一言、彼をこうまでさせたことに対する苦言の一つでも言っておこうと思いながら出かける。
 途中細田さんの異常な言動に腹立たしさを感じながら、ともかくも彼の家にたどり着き、彼の妻を前にしてみると、彼女はいたって普通の、異常の影一つ感じられない健康そうな女性であった。主人公が部屋を眺めてみても、小綺麗に整頓せられていて、とても狂人が住んでいるようには思えなかった。主人公には、そこに幸福な家庭の匂いさえ感じられた。 主人公は細田さんが席を外した隙に、彼の妻に引き止められるのを振り切って、そそくさと細田さんの家を後にする。そして浮かぬ気持ちを抱いたまま、駅前の屋台で大酒を飲んで自分の家に帰っていった。
 主人公の心にわだかまっていたのは、細田さんの奥さんのことについてだった。狂人と暮らしを共にしながら、まるで平然と、何事もないかのように立ち居振る舞いをしている、そのことがどうしても理解できなかった。主人公がそのことを妻に問うと、
 
「狂ったって、狂はなくたって、同じ様なものですからね。あなたもそうだし、あなたのお仲間も、たいていそうらしいじゃありませんか。禁酒なさったんで、奥さんはかえって喜んでいらっしゃるでしょう。あなたみたいに、ほうぼうの酒場にたいへんな借金までこさえて飲んで廻るよりは、罪が無くっていいじゃないの。お母さんだの、女神だのと言われて、大事にされて。」
 
 これを聞いた主人公は、眉間を割られた気持ちになり、
「お前も女神になりたいのか?」
と家人に尋ねる。妻は、笑って、「わるくないわ。」と言って、作品は終わる。
 
 この作品は、「女性」というものの「わからなさ」を書こうとしたものだとぼくは思う。そう思うが、自信はない。旦那が狂人で、妻がいとも平然とそういう旦那と生活を共にしているという図を、ぼくは見聞きしたことがない。そんなことはあり得るだろうかと、まず思ってしまう。主人公が細田夫人の内面的なものを「わからない」と呟く前に、そんな家庭が存在するかどうかが、ぼくには分からない。ただ、言えることは、作家(太宰)は、大まじめに、そういう家庭があると言っているのだし、そういう女性がいることを言っているのだと思える。それを前提にした上で考えてみれば、この作家、太宰は、女性が、どんな現実をも受け入れる、そういう度量の大きさというか、飲み込みの大きさというか、そういうことを言っているのだという気がする。そしてそれは、男性には不可解な、ある種神秘的な「女性の本質」に届く視線で女性を見て、初めて突き当たる不可解だと言っていいように思える。
「狂ったって、狂はなくたって、同じ様なものですからね。」
と、作家自身の妻の発言も、異様な気がする。女性にとって大事なことは、自分を大切にしてくれるということであり、極端に言うと、相手が狂人であろうが健常人であろうがかまわないということになる。そういうこととは無関係に、自分を大事にしてくれることが第一だということだ。
 こういうことを妻に言われたら、男は誰でもへこんでしまうに違いない。こうなるとどこまでも男は受け身にまわる他はない。作家の妻はもちろん冗談半分の気持ちで言っているところがあるに違いないが、それを聞く作家も世の男性も、単なる冗談ごととしては聞くことが出来ない。内心、びくっと、怯えるところがあるに違いない。大事にしていないからではない。大事にしているつもりでも、それがそのまま妻に通じていないことが問題なのだ。男が妻を大事にする仕方と、妻の考える大事にされるされ方とには、越えることの出来ない大きな隔たりがある。
 ここで作家は、このことを知ったときの自分のおののきの気持ちを、読者に伝えたかったのではないかというのが、ぼくの読後感の大部である。
 
 
 「フォスフォレッセンス」
 
 太宰治には珍しい、夢と現実の狭間を行き来する心象を、さっとスケッチしたとでも言いたいような作品である。
 題名の「フォスフォレッセンス」は花の名のようであるが、日本名で何という名の花かはまだ調べていないので分からない。太宰にしては小洒落た作品で、夢を題材としている分、堅苦しい倫理や道徳の枠は取り外され、軽い、自由なタッチが感じられて好ましい。
 
記憶は、それは現実であろうと、また眠りのうちの夢であろうと、その鮮やかさに変わりが無いならば、私にとって、同じような現実ではなかろうか。
(略)
 私は、一日八時間ずつ眠って夢の中で成長し、老いて来たのだ。つまり私は、所謂この世の現実で無い、別の世界の現実の中でも育って来た男なのである。
(略)
 この世の中に於ける私の現実の生活ばかりを見て、私の全部を了解することは、他の人たちには不可能であろう。と同時に、私もまた、ほかの人たちに就いて何の理解するところも無いのである。
 
 夢についてこのような考え方をしているところをみると、夢について、意外に太宰は思うところがあった人ではなかったろうか。つまり、もっともっと夢を題材にして書けたのではないだろうか。
 夢と現実とが浸食しあい、曖昧になった境界を超現実ふうに描きだしたこの作品は、実験的でもあるし、未知の可能性を感じさせる作品とも受け取れる。
 この作品を読んで、かつて島尾敏雄が太宰について、「蝶々のように行く先々で密をつみ取って疾駆する後ろ姿」というような印象を書いた文章を思い起こした。
 決して代表作でも傑作でも大作でもないが、太宰のこういう「太宰らしからぬ作品」は、本当はもっとも太宰的な作品だと言っていいのではないだろうか。何故か、そんな気がしてならない。読んで、苦しくならない。作者にも、書いていて、何かしら楽しげなところがあったのではないだろうかと思わせるような、ある種の幸福感、成就感さえ漂う。あるいはそういう具合にぼくには受け取れる。太宰がこういう方向での才能を開花させるように生きていたら、と、しばし、手を頭の後ろに組んで、ぼくは目を閉じる。
 夢を題材にしたこの作品には、意味が形成されない。それでいて、不思議な情感だけは伝わってくる。そこに感じ取られる太宰の感性は、一種独特だ。どこか装いを解いた太宰の、裸の心とでもいってみたい、柔らかな揺れに出会っているかのように感じられる。
 
 
 「朝」
 
 この作品も、作家自身が主人公であるようなスタイルで書かれている。だが、どこまで本当かどうかは分からない。せいぜい事実は1割程度ではないだろうかと推測されるが、まあ、そんなことはどうだっていい。推測することにあまり意味があるとも思えない。
 話は、小説家の主人公が、自宅の外に仕事部屋なるものをもっていて、その部屋の主人である若い知り合いの娘さんとある夜、ふとしたことから深い関係になりそうになったという、ただそれだけの作品である。
 
 仕事部屋。
 しかし、その部屋は、女のひとの部屋なのである。その若い女のひとが、朝早く日本橋のある銀行に出勤する。そのあとに私が行って、そうして四、五時間そこで仕事をして、女のひとが銀行から帰って来る前に退出する。
 愛人とか何とか、そんなものでは無い。
私がその人のお母さんを知っていて、そうしてそのお母さんは、或る事情で、その娘さんとわかれわかれになって、いまは東北のほうで暮らしているのである。(後略)
 
 とまあ、娘さんとの関係はこんな感じで、決して主人公は「ねらっている」わけではない。だが、まったく性の対象として意識していないかというと、そこはたいへん微妙なところである。
 ある日、主人公は久しぶりの友人と大酒を飲み、歩けないくらいに酔ってしまって、娘さんの部屋に泊めてくれと上がり込む。娘さんは主人公を信頼しているし、主人公はまたやましい気持ちで泊まりを強要したわけでもなさそうである。すくなくとも、主人公はそんな気持ちはないと言っているように思える。
 夜中にふと目が覚めて、主人公はかつての酔いの勢いから情事に及んだ幾多の経験を思い起こす。酒を飲むと、性的な交わりを求めて自制が利かなくなる自分の性癖をよく知っていた。
 部屋が真っ暗なままでもいけない。主人公は娘さんに蝋燭を点けさせる。
 蝋燭の炎を眺めているうちに、主人公はあることに気がつき恐怖する。蝋燭がとても短かったのだ。自分が眠る前に蝋燭の火が消えたら、自分が何をしでかすか自信がない。娘さんのくれた寝酒のコップ一杯の酒の酔いが、自分を大胆にしていくように思える。
 主人公は覚悟しかける。蝋燭の火が消える。
 その時、主人公の目には暗闇が押し寄せたのではない。いつの間にか夜が白々と明けていた。主人公は起きて、帰る身支度をした。
 
 性欲に惹かれていく力と、それに抗しようとする思いとが、綱引きのように引き合う様がうまく表現されていて、読者の側にも自分の経験から来る感性の既体験が呼び覚まされる。
 こういうところは通俗的な要素もあって、なかなか作品化しにくいところがあるのではないだろうか。だが、太宰は自分の中の、こういう心の機微を剔りだして、白日の下にさらけ出してしまう。そして露悪趣味とは紙一重のところで、作品化し得ているように思える。ぼくはふと、源氏物語の世界を思い浮かべた。
 
 
 「おさん」
 
 作品のテーマは夫の浮気である。主人公は夫に浮気をされた妻で、夫の浮気に気付きながら、それでもまだ夫を愛し、様々に思い迷う女性として描かれている。
 夫は仕事の失敗など、人生においての不如意な出来事が続き、戦時に妻子が疎開している隙に浮気に走ったもののようである。
 作品の中の妻は、夫の浮気に気付いて苦しむが、耐えて、夫との関係が完全に壊れてしまわないように模索し、また夫への気遣いも見せる。なぜ、浮気を怒って感情のままに夫を責め立てないかというと、浮気をする夫がどこか苦しげに見えるからである。また、妻である自分に対して、申し訳ないという思いをその挙措の中に何気なく感じさせるからである。
 読者には、浮気という事実がありながら、この夫婦には互いへの気遣いというものがあって、それがまた互いをつらくさせているように思える。
 そうした中で妻は、新たに夫との、苦しくない関係の持ち方を考えていく。それは簡単にいうと、互いの気持ちを楽にさせるような生活の中での振る舞い方をする、あるいはまたそのように気持ちを変えるというようなものだ。
 妻のその、生理的とでもいいたいような、人生の意義だの何だのの堅苦しい縛りを脱ぎ捨てた自在な感覚は、しかし夫には持ちようがなかった。革命の十字架などのもったいぶった、世間への見栄とも思えるような言葉を手紙に残して、浮気相手と心中してしまう。
 
 作品に、夫の浮気相手は登場してこない。雑誌社の女記者として簡単に触れられているだけだ。妻と女記者とは面識がない。三角関係でありながら、作品は夫と妻との二角関係でしか成り立っていない。三角関係に陥る前に、夫は心中という形で関係を清算したと言えるかもしれない。
 それにしても、妻は夫に対してか浮気相手に対してか、どうして憎悪をかき立てないのだろう。
 また作品全体に関して、夫の浮気相手の扱いがあまりにも無視に近く、何も言い表されていないことがどこか気になる。夫が心中までした相手である。これは作品が妻の手記のような形で書かれているからだろうか。浮気相手の女性の人格が見えない分、夫婦や家庭に侵入する外部からの影、襲いかかるものの一種不気味な気配が、余計に恐ろしく感じられてくる。
 
 
 「犯人」
 
 この作品は新聞か雑誌などの犯罪記事に題材を求めて、太宰流に膨らませて成った作品のような気がする。文章はやや荒く、心身にゆとりのなさや多忙さが反映しているのではないかと考えられる仕上がりのように思う。
 西鶴をぼくは知っているわけではないが、西鶴を好きだという太宰が、やや西鶴を意識しながら書いているのかなというように空想してみた。
 一人の若者が薬物を大量に飲んで死んだ。死ぬ前の数日を娼婦と過ごし、そのための金は実の姉をけがさせて、盗んだものだ。元はといえば、好きな女性がいて、その女性と所帯を持つために姉に相談に行って、うまくまとまらず、カッとなって包丁で斬りつけたところに端を発している。
 まあ、世の中にはそんなこともあるのだろうなと、ぼくの読後感はそれくらいのところであった。一寸の虫にも五分の魂。犯罪者にも、それ相当の理由があるというところか。それを代弁しようと試みたものであろう。
 若者には一つの錯覚があった。姉を包丁で斬りつけて、血を見て、逃げる道々に姉は死んだものとばかり思った。しかし、実は腕に傷を負っただけである。それが分かっていれば若者は死ななかったかもしれない。勘違いし、抜き差しならぬことをしでかしたように思い、死を選んだ。どこかに滑稽味を残しながら、人生のはかなさのようなものを感じさせる。
 
 
 「饗応夫人」
 
 客の接待が尋常でなく、限度を超えたもてなしをする一人の女性が主人公の物語である。語り手というか、作者は、この家の女中という設定になっている。
 先の大戦で招集され、南方に行って行方知らずになったこの家の主人の妻は、もともと歓待好きの女性だ。ある日、主人の同僚であった、今は妻子を疎開させ一人暮らしをしている男とスーパーマーケットで出会い、挨拶の中で家に寄ってくださいと招いてしまう。この男がまた常識はずれで、一度一人で挨拶に寄って後、毎度我が物顔で何人かの連れを引き連れてこの家を利用するようになってしまった。女中の「私」は苦々しく思うが、主人であるこの家の奥方は半狂乱に近いような形で過度の接待につとめる。そしていつしか体をこわし喀血する。
 作品の終わり近くでは、さすがに体が持たないとして、この饗応婦人も実家である福島に静養に出かける決心をする。荷造りもし切符も買って用意万端、さて玄関を出ようとすると、例の男たちがやってきて、奥さんは断るどころか大いに歓待して客たちを家に上げてしまう。女中である「私」は、あきれてしまうのを通り過ぎて、「奥様の底知れぬ優しさに呆然」としてしまう。そして、「人間というものは、他の動物と何かまるでちがった貴いものを持っている」のではないかというような感慨を持つ。
 この、「人間というものは、他の動物と何かまるでちがった貴いものを持っている」という言葉で、この作品は現実味を帯びているように思えてくる。この女性の、「底知れぬ優しさ」と、「動物とはちがって貴いもの」という二つの言葉には、太宰が本気で語りたい思いが込められているように思える。少なくとも太宰は、女主人の饗応が「優しさ」に発したものであり、そこには「動物とはちがって貴いもの」があると、そう確信的に語っているような気がする。その迫力に、読者としてのぼくは、おっ、と立ち止まらざるを得なかった。ここで太宰は、饗応婦人の態度に肯定的なのだ。あるいはもっと貴いのだと訴えている。
 作品の女主人公ほどではないにしても、大いに客を歓迎する饗応夫人は、どこかで見かけたような気がする。客として悪い気がしないが、しかし、身を削ってまで歓迎してもらいたいとはどんな客も思わないに違いない。まして、金を受け取り、商売として饗応しているわけではない。また、体をこわしてまで接待するのならば、それは「やめた方がいい」とぼくならば言うに違いない。無理というものを、誰にもしてほしくないと思う方だからだ。まして、自分というもののために誰かに無理をさせるのならば、それは即刻そうならないための方策を考える。あるいは、へりくだる。
 作品の中の饗応夫人のような実在の人物として、ぼくは宮沢賢治を思い浮かべる。何も饗応という点で接点があるというのではない。その、「過度」な行いという点で思い出すのだ。「他のために」という徹底した行為、と言ってもいい。宮沢賢治もまた、そのことによって肉体を酷使し、病に早くして倒れた。ぼくには遙かに及ばないことである。
 女中は女主人の底知れぬ優しさをみて、気を取り直し、自分も少し見習って客たちに優しくなろうとして作品は終わる。ぼくもまた、今よりは少し優しくなってみようかという気になっている。
 
 
 「酒の追憶」
 
 これは作者の酒にまつわる思い出として書かれた作品である。作者は作家太宰自身で、だから太宰の、酒にまつわる思い出ということになろう。伊馬春部、古谷綱武などの名が出てくるから、作り話だけのものとは思われない。読んでいるとすべて事実のような、小説と言うよりは随想を読んでいるような気になる。だがどこまでが事実でどこからが虚構であるかは分からない。
 ぼくは読んでいて面白かったが、特段解説するには及ばないだろうと思った。ただ、記憶に残るところは、遙かさかのぼれば、酒はお燗させ、小さな盃でちびちびやるものだったという作者の言葉である。
 今でも、酒をあまりたしなまないのは、何となく尊重せられないように思われるところがある。そして、大酒飲みは、ただそれだけで豪傑のように見なされ、「すごい」ということになる。そういう風潮があって、酒席の場では競争のように、必死に口に盃やグラスを運ぶ。ひどいのになると、いくら飲んでも酔わないと言う。こうなると何のために酒を飲むのか分からない。大きな無駄、である。
 東西を問わず、大量の酒が造られるようになった文明国では、競って酒を飲み、酒に強いものが英雄扱いされる。よく考えると、どうしてそういうことになったのか、よく分からないところがある。
 戦場での酒席が、事の発端かと思われる。だが、日常世界に立ち返って、それがそのまま同じように繰り返されたかというと、「もったいない」ということもあって、頻繁に行われることはなかっただろうと思える。作者の言うように、杯やグラスでちびちびやるのが常識だったのではあるまいか。一人二人酔っぱらいが出るのはにぎやかになって歓迎されることもあっただろうが、度を超すとおかしな事にも成りやすい。そのあたりがどんなものか、酒についての歴史に興味が持たれた。酒のようなものが発見され、作られるようになってしばらくは、少量で気分も高揚し、少量で満たされた時代が続いたのではあるまいか。そんなことをふと考えたということで、この作品を離れることにしたい。
 
 
 「美男子と煙草」
 
 この作品のはじめのほうで、作者は文学的、あるいは芸術的な戦いを、「古いものとのたたかい」という形でたたかってきて、孤軍奮闘してきたがもはや負けそうになってきている、というように告白している。これらの言葉は、太宰自身の言葉として解釈して差し支えないだろうとぼくは思う。うまくまとめられないが、初期の頃から、太宰は確かにそういうものとのたたかいの遍歴を、あちこちの作品にちりばめるように記していた。
 そのたたかいが、どういう戦いで、どういう意義があったのか、またその結果どんな業績の爪痕を残したのか、ぼくにはまだよく分からないところがある。もっと言うと、本当は彼の文学はどんな爪痕も残していないのではないか、という疑いをぼくは抱いている。 それで彼の作品の価値が失われるかというと、ぼくはそう思っていない。価値は高いが意義は認めにくい、漠然と、ぼくはそう思っているのだ。時代に翻弄されながら、時代を超えて価値ある輝きが、今も彼の作品からはなたれているように思われてならない。それが何で、どのような輝きであるかを、しかしぼくは言うことが出来ない。人間の心の奥底に突き当たったときに、初めて触れることの出来る類の言葉。彼の作品には、そういう言葉が原石のようにあちこちにちりばめられているから貴いのだ、と、そんなふうには言ってみたい気がする。
 
 作品の中ごろから、太宰は雑誌社の企画で、戦後間もない上野の浮浪者と一緒に、写真に写るために出かけた顛末を書いている。
 雑誌社での、ウィスキーのもてなしなど、だいぶ誇張されたりデフォルメされたりしている部分もあるだろうが、上野の浮浪者の巣と言われる地下道を見たり、寝そべる浮浪者を見ても、不思議に感じられるほど太宰は社会時評的なコメントを語っていない。一つは、浮浪者も太宰自身も美男子であるということで共通していると話し、もう一つの発見は、ほとんどが、どん底状態であるにもかかわらず煙草を吸っていたと話す。
 ここで太宰は小さな共通点をあげ、作家という境遇と浮浪者という境遇が紙一重のものであることを語っているように思える。同行の記者たちには多分太宰の気持ちが理解できない。
 
 社会派的正義の言葉を口にしないことがまず大事なことだ。それは嘘だから。太宰はそれに変わって、共通の場所、共通の土台を見つけだそうとした。それが「美男子」であり「煙草」であるのだが、それはそのままその通りの言葉であると共に、ある何事かの比喩を暗示しているものなのかも知れない。それは、読者が勝手に考えればよろしい。太宰は多分そう考えて、その思いを口の奥に飲み込んでしまっている。ただ、最後に、浮浪少年たちに贈る言葉を、これもまた届かぬ事を思いながら祈りのように書きつづっている。
 
 天使が空を舞い、神の思し召しにより、翼が消え失せ、落下傘のように世界中の処々方々に舞い降りるのです。私は北国の雪の上に舞い降り、君は南国の蜜柑畑に舞い降り、そうしてこの少年たちは上野公園に舞い降りた。ただそれだけの違いなのだ。これからどんどん成長しても、少年達よ、容貌には必ず無関心に、煙草を吸わず、お酒もおまつり以外には飲まず、そうして、内気でちょっとおしゃれな娘さんに気永に惚れなさい。
 
 大人の浮浪者達は、太宰には自分の分身と感じられたかも知れない。その境遇には、大人である以上、言い訳が許されない。政治や社会のせいと言っても通用しないのだ。身から出たさびではないが、その人の、幾たびもあった選択の、その連続の結果としての今のありようであると考えるほか無い。だからこそ、太宰は少年達にのみ、上記の言葉を捧げている。その言葉の、なんと平凡なことか。揶揄するつもりはない。世に担ぎ出された作家の、削り取り、推敲し、何度も書き迷ったあげくの、ついに許容した連帯の言葉であると、読者は信じていいのではないかとぼくは思う。
 
 作品は上記の言葉で結びとなるのだが、例によって太宰らしいコメントが附記として付け足されている。ひとつは、その時に撮った浮浪児たちとの写真の一枚が、ヨハネ伝の弟子の足を洗ってやる仕草に似たポーズであったために、裸足の子どもの足裏がどうなっているかという好奇心から出たものであるということわり。もう一つは、女房が二枚の写真を見て、とっさには浮浪者と自分の亭主との見境がつかなかったという、落語の「おち」のような話だ。こういう附記によって、太宰の作品は、もう一つ構造を複雑にする効果を発揮していて、太宰作品の魅力の一つとして考察の対象になるのではないかと、密かに考えるところではある。
 
 
 「眉山」
 
 日本の短編小説にはよくありそうな、そんなふうに読後に思う作品であった。
 作者は小説家で、音楽家や画家の知人が多い。新宿の若松屋という料理屋に、よく集まって飲む。若松屋に行けば誰かが居るし、居れば誰かが来る。そういう感じで利用する店ということになっている。
 一人の若い女中さんがいて、「僕たち」の共通の嫌われ者、笑い者、あるいは茶化したり、あるいは便利に使われたりする対象になっている。
 女中さんはいろいろ失敗もし、「僕たち」の機嫌を損ねることもしばしばある。だが、根は明るく、悪びれないで、注文の多い「僕たち」常連客によく尽くしてくれている。その娘さんが、「僕たち」の誰にも予測できなかったのだが、腎臓結核という病気で、すでに手遅れになっていて実家に帰されてしまった。あまりに突然のことで、またさんざん悪態をついたり、笑い者にしたりということで、それを境に「僕たち」はその日から河岸を変えることになった。もちろん、本当は「僕たち」の誰もが、その女中さんを本心では「いい子」だと思いながら、からかっていたというところがあったのである。
 モデルがあったとすれば、これは哀悼の意のこもった作品ということになるのかもしれない。
 
 
 「女類」
 
 この作品も、文体的には高座で落語家が客に語りかけるように、読者に語りかける「話体」で書かれている。
 話の筋は、終戦直後に文芸雑誌の編集者になった「僕」が、新橋のある屋台のおかみと仲良くなり、しかし「僕」のそれほど本気とは言えない気持ちでの別れ話から、その女が自殺してしまったというものである。
 けれども、この作品のおもしろさは、あるいは注目すべき箇所は「僕」と「おかみ」の痴情話にあるのではない。不意のように登場する、編集者としての「僕」の担当する作家、笠井健一郎なる者の、「僕」に対する忠告の言葉の中にある。引用が長くなるが、耳を傾けてもらいたい。
 
僕はね、人類、猿類、などという動物学上の区別の仕方は、あれは間違いだと思っている。男類、女類、猿類、とこう来なくちゃいけない。全然、種属がちがうのだ。からだがちがっているのと同様に、その思考の方法も、会話の意味も、匂い、音、風景などに対する反応の仕方も、まるっきり違っているのだ。女のからだにならない限り、絶対に男類には理解できない不思議な世界に女というものは平然と住んでいるのだ。君は、ためしてみた事があるかね。駅のプラットフォームに立って、やや遠い風景を眺め、それから、ちょっと二、三寸、背丈が高いか低いかに依っても、それだけ、人生観、世界観が違って来るのだ。いわんや、君、男体と女体とでは、そのひどい差はお話にならん。別の世界に住んでいるのだ。僕たちには青く見えるものが、女には赤く見えているのかも知れない。そうして、赤い色の事を青い色と称するのだと思い込んで澄まして、そのように言っているので、僕たち男類は女類と理解し合ったと安易にやにさがったりなどしているのだが、とんでもない一人合点かも知れないぜ。僕たちが焼酎を一升飲んでグウラグラになった、ちょうどあれくらいの気持ちで、この女類という生き物が、まじめな顔つきをして買い物やら何やらして、また男類を批評などしているのではないのかね。焼酎一升、たしかにそれくらいだ。しらふで前後不覚で、そうしてお隣りの奥さんと井戸端で世間話なんかしているのだからね。実に不思議だ。たしかに、女類同士の会話には、僕たち男類に到底わからない、まるっきり違った別の意味がふくまっているのだ。僕たち男類が聞いて、およそ世につまらないものは、女類同士の会話だからね。前後不覚どころか、まるで発狂気味のように思われる。実に、不可解!
 
 男と女は分かり合えない。それは、人類と猿類の種属の違いほどにも男と女の隔たりは大きいからだ。もはやその隔たりは、男と女ではなく、男類と女類とに分けて考える方がふさわしい。
 作中の作家、笠井健一郎は、大げさに、そして幾分滑稽味を含ませながらそう言ってみせる。そして最後には女に裏切られるに違いないのだから、付き合いを清算すべきだと「僕」に忠告する。何のかのと言ったって、女は結局は金さ、という言い方も笠井は「僕」に向かってしている。
 結果として、おかみは最初で最後の恋に破れて自殺してしまう。「僕」と、おかみの元内縁の夫「トヨ公」と、「僕」の上司「柳田」とは、ひと月後くらいに屋台に現れた「笠井」を一回ずつ叩いたり蹴ったりする。デタラメな事を言って女を死なせちまいやがって、というようなところだろう。
 笠井健一郎は、抵抗することなくみんなにやられながらも、最後は千円という香典をおいて去っていく。書かれてはいないが、彼なりに、後悔とか申し訳ないとかの気持ちがあり、香典はその表れであろう。
 ともかく、この作品はそうして笠井が去っていくところで終わっている。
 作品としては、他者を信じなければいけないという、そういう教訓めいたものを残して終わっていると見てよい。だが本当にそんなきれい事で終わりなのかと考えると、ぼくにはそうではないとしか思えない。少なくとも、太宰の本心は、作品が終わったあとにも、作中の笠井の、上に引用した言葉の中にとどまったままであるように思われてならない。 人と人とは理解し得ない、というのは太宰文学の本流ではないとしても、途切れることなくその始まりから終わりまでに地下を流れ続ける隠れたテーマであったようにぼくは思う。そういう点からいえば、作中、笠井の先の言葉は、太宰の本気の、生真面目に自分の「本当」の気持ちを語った言葉にちがいないと思う。
 
 ぼくがここでこれを取り上げるのは、太宰は結局ここで、概念の世界と感覚の世界の同一と差異の問題に突き当たっていたのではないかと考えるところにある。感覚の世界とは絶対的な非同一性にある。何一つ同じである事はない。概念の世界は反対に、同一化し、まとまりを作る。太宰が、ここで男類女類と言っている事は、身体の相違を元に、それだけ男女は違っているのだから感覚するところも大いに異なっていて当然だということなのだろうと思う。男たちとはまったく別個の感覚でこの世界を感受していると。それなのに、それ自体が概念化の産物でもある「ことば」を介すると、同じ「ことば」を用いるということがあり得る。いや、それが全てだと言ってもよい。
 簡単に言えば、男が「好き」と言うのと、女が「好き」と言うのとでは、背景がまったく異なっている場合があり得るという事を太宰は言いたかったのではないだろうか。
 男の「好き」には、目的は交合の意味しかないが、女の「好き」には、一生私に奉仕してという意味合いがあるかも知れない。どちらがどうであるかは実際のところはわからないにしても、そこに食い違いがある事だけは本当ではないか。
 このことを突き詰めていけば、男女の相違を越えて、個体と個体は全くの別物で、同じと考える根拠はどこにもない事になる。
 今ここに蜜柑が二個あるとする。大きさや色、姿形をとっても、あるいは置かれてある場所から言っても、これを完全に「おなじ」ものと見なす根拠はどこにもない。どんなに相似のものを持ってきても、この世界に、この宇宙に、同じものは決して存在しない。これを、「おなじ」とくくる能力を有するのは、人間の頭、「脳」だけだということである。 本当は人間は、宇宙にぽつんと存在しているにすぎないのではないか。理解し合い、分かり合っているように見えながら、それはただそう思いこまなければ生きておれないとか、無理に了解しあっているように装っているとか、そういう事にすぎないのではないか。「ぼく」が哀しいと感ずるとき、この感情は誰とも共有できずに、ポツンと、点のように宇宙の中に存在するだけだ。仮に共感を覚えてこの姿に同情を寄せる人があっても、その人が感じている「哀しさ」は、「ぼく」の感ずる「哀しさ」そのものではない。
 こういう次元で、人間を、あるいは宇宙に存在する全てをとらえるならば、確かに全ては唯一無二の閉じられた個の集合にすぎないとは言えるのかも知れない。だが、そんな事に気付いたからと言って何が変わるわけでもない。
 
 ここで、何やら大きなテーマに遭遇しそうな予感がするが、ぼくにはそれを解読するだけの力がない。これ以上の展開は難しいので、ここは暗示にとどめて次に進んでいくしかない。
 
 
 「渡り鳥」
 
 一人の青年が、ある晩、あんまり親密とも言えない知人たちに出会って、次々にその場限りの会話を重ねる。それを映画のショットのように、つなぎ合わせたというような作品になっている。劇らしい山場もなく、クライマックスのない映画みたいだ。
 読後は、原稿の締め切りに追われてやっつけ仕事で書いた作品ではないか、とか、この時期、心身共に疲れのピークにあったのかな、などと考えた。それほど、どうにも褒めようのない作品だなと思う。
 題名の「渡り鳥」は、この青年が人に出会うなどして現実と接触を強いられる場面を繋ぐ様が、沼を渡り歩く鳥のように思われたからではなかろうか。青年には故郷もなく、止まり木もない。意味のない出会いと別れを繰り返すだけのように描かれる。確かなのは希薄な現実感覚ということなのだろう。作品に見られる限り、青年の三つの出会いと別れは等価であり、また、どうしてその場面が選択されるのかは理解が届かない。もっというと、どうでもいい事の羅列だ。
 生きるということから、意味とか価値とかを抜き出せば、まさしく人生とはこの作品に描かれるように行き当たりばったりの出会いと別れの連続であるかも知れない。人間らしからぬ人間模様といったらいいだろうか、人間らしさを抜き取られた人間生活。もう少し踏み込んでいうと、ありきたりの世間の光景の中に、唯一魂の交歓のない世界が描かれている。それさえもしかし日常にはよくある事だ。ただ、この主人公である青年には、現在から未来に渡ってそれがあり得ないだろうというように描かれている。
 作品は、失敗に終わっているというようにしか出来上がっていない。しかし、現在から振り返ってみると、ある予言めいたものを秘めた作品というようにも思える。たぶん深読みにすぎないのだが、現代の若者の一群の中には、この青年のように現実に比重をもたない、のっぺらぼうで透明な苛立ちを抱えて生きている若者が少なくないのではないか。
 蛇足を言うと、この作品を読んで、ドストエフスキーなど、翻訳物の会話文を読んでいるかのような錯覚を覚えた。いや、そんなペンの運びに似ていると感じた。いわゆるドストエフスキーの、あの饒舌。ぼく自身は、彼の作品を読んでの感動の半分は、無駄とも思えるあの膨大な饒舌を我慢をして読み続けた事に由来すると考えてきたところがある。この作品は、本当はだから当初かなりの長編を意図していたのではないだろうかと密かに感じた次第である。こんなところを語るのが精一杯だ。
 
 
 「家庭の幸福」
 
 「家庭の幸福は諸悪の本」。
 いったいこういう言葉を、歯に衣きせずに、言い切ってしまう文学者がほかにいるだろうか。
 作家太宰自身と思われる主人公が、ある日体調を悪くして終日床につきながら、ラジオを聞いていた。夜に街頭録音というものがあり、民衆と政府の役人とのやりとりが放送された。聞いていると、民衆の困ってせっぱ詰まった発言に対して、官僚がへらへら笑いを伴いながら適当に受け流すように返答している状況が目に見えるように聞こえた。「私」は、官僚のそんないい加減さに逆上し、憤怒し、憎悪さえした。
 作家である「私」は、少し落ち着いてから、先の役人について、日々の生活の視点から、民衆との討論のあとの彼の生活の展開といったものを空想してみた。そこでの彼の姿は、きわめて常識的な、しかもよき家庭人である。家庭の幸福。家庭の平和。うるわしい風景。
 けれども、と作者は考える。役人の、彼なりの一生懸命さは、民衆を怒らせ、「私」を悔し泣きに泣かせた。どうして、こういう事になるのだろうか。
 作中の「私」は、そこからさらに短篇小説を空想する。
 まったく幸福な、平和な家庭がある。主人公はその家の主で、家庭人としても仕事人としてもまったく非の打ち所のない、模範的な人物である。役所の戸籍係である彼は、ある日勤務を終える時間に、彼のいる窓口にひどくみすぼらしい身なりの女性が出産届を持って現れたが、時間が過ぎたという理由で慇懃に受付を拒否する。その女はその夜、自殺をする。だが、戸籍係の彼は、彼が受付をしてやらなかったばかりにその女が死んだとは夢にも思わず、明くる日もよき家庭人であり、よき職場の同僚でありと、平和な日々を送る事になる。彼には何の罪もない。
 先のへらへら笑いの役人と、作中作の短篇の主人公とは、生活態度や勤務態度といった点で共通するものがあり、端的に言えばそれはまじめさという事だろう。欲張りでもないし、自虐的な生活を送っているわけでもない。一昔前の、二宮尊徳の道徳的な現代版といっても良さそうな人物である。違っている事と言えば、同じくまじめな仕事ぶり、生活ぶりであるのに、後者では自殺する犠牲者が出ている事である。
 作者の言いたかった事は何か。
 法や道徳、倫理の促すところに従って、それをよく守る生き方としているからといって、それで、誰にも指さされるような生き方はしていないと誇れるものではないんだ、ということではないか。君自身に罪はなくとも、約束事に忠実な君の振るまいが、時として他者を自殺に追い込む引き金の役割を持たないとも限らない。君は、君自身や君の家庭を大切にするあまり、想像力を欠いて、意図せず他者を苦しませてしまうということはこの世界にあり得る。
 作者は、だから家庭の幸福は求めるな、家庭を犠牲にして他者の利益につとめよと言いたいのではない。家庭の幸福を求めてもいいのだが、そのことは他者の幸福を阻害せずには成り立たない側面があるということを、想像力によって把握し、もって今少し謙虚に当たるべきだと言いたいのだと思う。もう少しあかの他人の生活に想像力を働かせろ、と。 作者がラジオで聞いたところの役人のへらへら問答は、マスメディアの当時に比べれば極度に発達した現在において、いやというほど日常茶飯に聞かれるものだ。何一つ変わっていないし、それどころか、家庭の平和、家庭の幸福、家庭の利益を求める家庭のエゴイズムは、そのための手段を選ばないようにさえ思える。その象徴としてバーゲンに群がる主婦の姿をあげてもよい。笑うつもりは全くない。ただそこから見れば、太宰のいわんとする事はなお牧歌的に聞こえてくる。
 にもかかわらず、というべきか、現在という時間枠において、「家族」は崩壊の危機に瀕し、解体の危機に瀕している。いったいどういう事になっているのか。
 太宰がこの作品において描いた家族像は、父親の働きを中心に、妻が、子どもが、家族中が、物質的に豊かさを獲得していく過程にあって、かしこまってその豊かさを歓迎し喜び合う家族である。現在はあろう事か豊かさにも飽き、めいめいがそっぽを向き合う関係にあるといっても過言ではない。父は外に享楽を求め、母は妻であり母であるという役割に疲れ、女とは何かを自問し、子どももまた好き勝手をするほかなくなっている。幸福な家庭など例外的にしか存在できないと言っていい。この現状に触れたら、太宰は何と言うだろうか。実はこの現状に対し、当時の太宰の家庭は先駆的であったと言っていい。家を省みない夫。しかし、(好きで妻子を泣かせているんじゃない)という内心の思いがあった。(仕事のために、どうしても、そこまで手が回らないのだ)というように。
 
 太宰治の言い方にならえば、家庭の幸福は諸悪の本であるから、現在の「家庭の不幸」は「諸善の本」にならなければならない。だが、そうなっているようには思えない。これは太宰が考えたところの前進としての過渡期の姿であるのか、あるいは後退のなれの果てと見るべきか、考えてしかるべき事の一つとぼくは思っている。それはまた別の機会にということになる。
 
 
 「桜桃」
 
「家庭の幸福」と同じように、若いときに読んでとても強く印象に残った作品の一つである。
「子供より親が大事、と思いたい。」という書き出し。これは、高校生で、自我に目覚め、主張することばかりであった自分には、少しばかりショックであった。
 
子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親の方が弱いのだ。
 
 こういう文を読んで、両親への反抗の気持ちが萎えた。ぼくよりも一つ上の兄が、大いに反抗的であった。兄の反抗にあって、確かに親の方が、うろたえて為すすべを失って弱々しく見えるときがあった。親の弱さを見て、さらに追い打ちをかけるようなまねは出来なかった。
 こういう太宰の作品を読んだ影響もあったのだろうが、そのころから自分は結婚もせず、自分の子も持つまいと考えていた。しかし実際には結婚もし、子供も二人持った。子供を持ってからも、あるいは今現在も、太宰の「子供より親が大事、と思いたい」という言葉は一時も脳裏を離れたことがない。
「子供より親が大事」という言葉には、子供のうちの成長は動物的なものであり本能的なものであるという認識が隠れている。引き替え、親の世代になった人間には動物的な成長も本能的な成長もなくなるというのが普通だ。言ってみれば子供は放っておいても成長する。その点、親という年代は、人間的な苦悩なり試練なりが押し寄せ、ある意味で「人間らしさ」の能力を高めるよう求められる。かまけてしまえば、どうということもない。あくまでも子供に奉仕し、一生を捧げるのも人の道である。しかし、作品の主人公はその道を選べない。それは人間とは何かを考える仕事に従事してきたからかも知れない。あるいはもっと単純に、世間で生き抜いていく上でのあれこれに傷つきやすく、繊細になっていくからかも知れない。資質や性格のせいといってすませられるものかも知れない。
 ぼくの受け取ったところを率直に言えば、自分を戒める言葉ではないだろうかというのが本当のところである。自分がもっとしっかりしなければならない。子供のためと称して、自分の苦しい戦いから身を引いてはならない。そういう狡猾と欺瞞を自分に許さない、翻って、きみはどうなのかと問いを突きつける、そんな言葉であるような気がした。「きみはそんな、すれすれのところで戦い続けているのか。」と。
 
 ぼくはといえば、太宰がよく引用した、「身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得るもの」の言葉にすがって、自分の魂の苦悩などはきっぱりと捨て去り、家庭に自己を埋没させて何の躊躇も感じなかった。その方がよいという判断であった。
 ただ、太宰がこの言葉、「子供より親が大事」を発するとき、彼の過去の体験から否応なく強いられてくるもので、だから、太宰の姿勢を否定しようとは思わなかった。
 
 子供が大事と言いながら、そのくせ実は自分をもっとも大事にしている親の、何と多かったことか、小学校の教員として、口には出来なかったが、ぼくの体験から来る実感である。だが、決してそれも責められるべきではない。
 
 
 「人間失格」
 
 太宰治の文学には、地方の地主の家に生まれ育った子供時代、またその階級的な自己否定の念にとらわれた学生時代、そして左翼運動への接近と挫折、女性との心中や自殺未遂、そして麻薬中毒、アルコール中毒等々、自分の半生を繰り返し繰り返し書き記し、内省的に掘り下げた作品の系譜が存在する。
「人間失格」は、その系譜に於ける完結した最後の作品である。 
 異常なまでに執拗な、と思われる半生の回顧は何のためかというのは、おぼろげには感知できる。自分の生き方にまとわりつく何か、その何かを究明せずにはいられない衝迫があったからだ。絶えず、脳裏から離れなかったからと言ってもよい。
 この作品の中心となるところの手記の作者「葉蔵」とは、確か「道化の華」の主人公でもあったはずだ。大庭葉蔵。「道化の華」においては、作者そのものであった。ここでは手記の作者であり、作品の作者は、手記の作者とは別人としての、太宰本人と推測できる作家だ。「人間失格」の手記には、「道化の華」にはなかった「葉蔵」の、その後、がある。彼を、「大庭葉蔵」という名前を、「人間失格」の手記の作者に仕立てたのには、作家太宰の強い思い入れがあったにちがいない。
 
 いまは自分には、幸福も不幸もありません。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
 
 手記の結びの部分である。四十とは作家太宰の年齢を思わせ、二十七とはもちろん手記の作者、葉蔵の年齢である。「人間、失格」の刻印を自らの額に打って以降、葉蔵の行方は知れない。おそらく自殺したのではなく、どこかで、「ただ生き続けている」にはちがいないとぼくは想像する。
「ただ、一さいは過ぎて行きます。」との感慨は、葉蔵のみならず、振り返る四十の太宰の感慨でもあったはずだ。もしかすると、人間失格を自覚して以降、「ただ、一さいが過ぎてきただけだ。」という作家の忸怩たる思いが、逆に過去の葉蔵を呼び寄せて作品は成ったのかも知れない。
 
「人間失格」という作品は、幾度か読み返してみれば、結局のところ、宇宙にポツンと点のように存在する魂の孤立、意識の孤立を描いているように思える。葉蔵の生涯、その長い旅というドラマの終焉、その結果は、とても虚無的な印象が強く残るものだ。
 もうひとつ、愛の物語でもあったのではないかとも考えられる。手記の主人公が、生涯もがき苦しんだのは、愛を求めて得られず、愛薄き人を愛そうとして愛しきれない、そういう愛の齟齬、ひるがえって考えれば、絶対的な他者との隔離感がテーマであるとも感じられる。
 たぶん、太宰が欲したのは、全ての人々の幸福と、彼らの心にぬくもりのように広がる幸福感を共有することであった。彼が生涯持ち続けた他者との疎隔感を埋めるためには、どうしてもそれが必要であると感じられていたにちがいない。けれども、もともとの資質のように疎隔感を抱えたものにとって、他者との幸福感の共有など、夢のまた夢にちがいなかった。どうしても、他者との間に感じられた溝を埋めることが出来ないと考えたとき、太宰は他者との関係性の障害にある世界を「人間失格」と名付けて見せた。けれども、うまく言えそうもないのだが、少なくとも太宰を支持する読者にとって、こういうところにこそ本質的な意味での「人間らしさ」、「人間らしい世界」というものが開示されてくるのではないかと考えるにちがいない。
 
 作品から聞かれる太宰の声は、他者がわからない、人間の生活がわからないという周縁に終始している。それはしかし、本当は個人における意識と身体の問題として、そのように置き直して考察できるものではなかったのだろうか。
 
 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。
 
 腹が空いたら「めし」を食う。動物は、四の五の言わない。
 比べて、手記の作者葉蔵の少年期では、身体からの声が、ストレートに意識に届かない、そういうズレのようなものを感じることが出来る。記述に多少の誇張があったとしても、こういう事はもっと考察してしかるべき事のような気がする。
 
 自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部めいめいのお膳を二列に向かい合わせに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばんの下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質の家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集まり、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛みながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えたことがあるくらいでした。
 
 推察できることは、心と体との関係がすでにぎくしゃくとして、押し出されるように過敏に意識を働かせる少年の姿である。意識が勝ちすぎている。意識と身体のバランスの幸福な調和が見られない。家族の中にあって、意識を張りつめ、おどおどびくびくする緊張を強いられている姿と言ってもよい。身体の声を聞く余裕など無いのだ。
 
 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞こえませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。
 
 ここでうがった見方をすれば、手記の作者である主人公は、「自分」というものを「意識」に限定して考えているような気がする。「意識」は、それ自体が「めし」を要求しはしないし、必要としない。「めし」を必要とするのは「身体」である。作者の性癖は、「自分」から「身体」を疎外して考えるところにある。そう言ってみたいほど、「身体生理」に対して無関心か、冷ややかな関係の取り方をしているように思われる。あるいは関心を払えるほどの余裕がない。作品に悲劇があるとすれば、こういうところに端を発している。
 
 つまり自分には、人間の営みというものが未だに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世の全ての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、輾転し、呻吟し、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われてきましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。
 
 他者が自分よりもずっと安楽なように見える、というのは、主人公が他者の中に意識と身体との幸福な調和を感じ取っていたことをものがたっているように思われる。意識と身体との幸福な調和、それはどう言ったらいいだろうか、意識を働かせすぎないですむ存在のあり方である。つまりまだ身体の声を大脳で感じ取れる人々。そして余計な思い煩いをしなくてもすむように生きている人々。
 
 自分には、禍のかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が背負ったら、その一個だけでも充分に隣人の命取りになるのではあるまいかと、思ったことさえありました。
 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍など、吹っ飛んでしまう程の、凄惨な阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けていける、苦しくないんじゃないか?エゴイストになりきって、しかもそれを当然のことと確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか?それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快なのかしら、どんな夢を見ているのだろう、金?まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分一人全く変わっているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
 
 今では、こういう「本当のこと」を言えば、医学や心理学の対象に見なされてしまいそうな気がする。そこで、そういう本音を語ることはタブーとされ、個人の心の底に隠される。
 夢中になって太宰の作品を読んだ頃、この記述の箇所と同じ心的な体験が自分にもあると感じていた。正しい言葉を語る人がいて、しかし、現実が望む言葉どおりにならない時に、言葉は宙に浮いて煙のように消えていく。その時、言葉は、死ぬ。しかし、言葉を語った本人は死にもしなければ消えもしない。このことに対して、当人には、悔しさや苦しみといった何らかのアクションが生じて当たり前と思うのに、意外にそれがそうでもない。端からは、どうということもなさそうに見える。自殺もしないし発狂もしない。あろうことか、そのあとも何度でも「正しい」ことを発言する。「苦しくないんじゃないか?」、他人の言葉に、そう反応する自分がいる。もちろん、自分もまた同じように発言し、同じように発言に責任を負わない場合があり得る。けれども、それに関して自分は狂いそうになるほど後悔したり、死を思うほどに絶望的に思うことが多い。他人もそうなのだろうか。いや、そのあとの言動を見る限り、とてもそうは思えない。彼らはただ言ってみているだけなのだろうか。「言葉」に対する、この、思い入れや思いこみの違いとは何なのだろうか。
 女性に対して、今でもぼくは、「愛している」という言葉を使えない。「愛」が何かわからないのだ。こんな気持ちだということは、いろいろな言葉を駆使して伝えるが、それを「愛」と呼べる自信がない。ところが、自分の子供に対してだけは、内心においてではあるが、「愛」している、という言葉を使うことを、自分に許すことが出来ている。「愛」とは何かがわからないのに、この「思い」は「愛」と呼ぶほかに変わる言葉がないと、いわば、直観する。
 太宰もまた、「言葉」に大変敏感であるように思える。
 生活の中で、「苦しい」という言葉は、いろいろな場合、いろいろな場面、外的内的な状況によって使われる。そんなことは太宰にだって理解されていたにちがいない。ただ、内省的にまじめになって考える時の太宰は、言葉を字義通りに考える癖がある。「苦しい」という言葉は、文字通り「苦しい」時に発せられる言葉でなければならない。そして、この「苦しい」実感は、個の内面に関しても、大きく類に広げても、決して同一ではあり得ない。感覚世界はいつも唯一無二で、同じということはあり得ない。ただ、概念の世界に変容された時、たとえば「苦しい」という一つの言葉に集約されて表現される。本来的に、感覚の世界を考えた時には、一人一人違っているのは当然のことなのだ。わからなくて当たり前と言っていい。
 作者の、わからないという言い方は、本来は概念として受容すべき言葉を、感覚の世界にまで引きずり込んで考えるところから来ているように思う。そう言わないまでも、どこかに混同があるように思えてならない。
 日本は、概念を突き詰めてきた国ではない。思想や哲学や理念に結晶させる言葉を磨き、思考するよりも、茶碗などの「かたち」にこだわり、美を追究するになじんだ国だ。言い方を変えれば、一生を棒に振る方法として、1+1を考えて棒に振るのではなく、茶碗を焼いて好む色形に仕上がらない時に叩き壊す仕方で棒に振るタイプの人種である。
 太宰治を考える時、良くも悪くも西洋と日本の、この狭間に生きた、つまりは日本の西洋化の時代に生きた、ある意味では典型的な犠牲者であるという気がしないでもない。その意味で、太宰は日本には意外になじみにくい一神教としてのキリスト教(聖書)理解に優れた人でもあった。日本人には神風はあったが、祭り上げるべき宗教はなかった。神道も仏教も、意識下になじんではいたが、唯一神にはならない。宗教的には訳がわからない国である。
 太宰が外国人であったとしたら、他人、すなわち日本人がわからない、日本人の生活が見当つかないという言葉に、読者は合点するにちがいない。いつの間にか、太宰はそういう位相に滑り込んでしまった。そう思ってみれば、「道化」という親愛表現方法を見つけたということも、外国人が日本人の中でことさら陽気に振る舞ってみせるような、もしかするとそういう方法しかないと納得されるような打開策であったかも知れない。そうでなければ異国の地にあった漱石のように引きこもってしまうほかはない。
 周囲も、手記の作者もあるいは作家太宰も変わらず日本国にすむ日本人であるのに、まるで外国の地に来た異邦人のように振る舞うことになったしまうのはなぜなのか。それを先には欧米化のせいにしてみたい誘惑に駆られて、暗示のように書いてもみたが、さして根拠があるわけではない。そう見ようとすればそうも見えるという程度のことだ。しかし、少しずつだが範囲が狭まってくる手応えだけは感じ取ることが出来る。
 
 そこで考え出したのは、道化でした。
 それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴイスでした。
 
 自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。(中略)
 けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡そ対蹠的なものでした。その頃、既に自分は、女中や下男から、哀しい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中でも最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。しかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間の特質を見たというような気持ちさえして、そうして、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼らの犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡りに訴えても、政府に訴えても、終局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言い分に言いまくられるだけの事では無いかしら。
 必ず片手落ちのあるのが、わかり切っている、所詮、人間に訴えるのは無駄である、自分はやはり、本当の事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化を続けていくより他、無い気持ちなのでした。
 なんだ、人間への不信を言っているのか?へえ?お前はいつクリスチャンになったんだい、と嘲笑する人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。現にその嘲笑する人を含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。
(中略)
互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかいう道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間が難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦を教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間の生活と対立してしまって、夜々の地獄のこれほどの苦しみを嘗めずにすんだのでしょう。自分が下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、またもちろんクリスト主義のためでもなく、人間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があったのですから。
 
 幼児期に受けた性的いたずらに影響されたのだろうか。それとも、それらをも含めた幼少時の、実の父母との疎遠な育てられ方の環境に原因があるのだろうか。自分が絶対的に他者と隔てられているという強固な意識。手記の作者の意識は、そのまま太宰のものだと考えて良いように思える。
 こういう疎隔感は、しかし、太宰の専売特許であるとは見なしにくい。誰でもが人生の一時期に、しかもある程度のっぴきならないような局面にさしかかったような時期に、他者との関係性を振り返ってこのような孤独感に打ちのめされることはあり得ることだ。そうして、答えのない懐疑に向き合うことの不毛さと徒労とに疲れ、そういう懐疑自体を知らず知らずに手放すという道順をたどる。あるいはそれどころではない差し迫った生活に追われ、一瞬、深淵をのぞき込んだ後に、恐怖感を残しながらその場から去っていくというのが普通だと思う。
 太宰治は、これを意識的に持続し、また傷口を広げるように拡張し、誇張して我々の目の前に突きつけた。相当に、これは思うところがなければ出来ないことであり不可能なことだ。しかも太宰の場合、紙の上での実験というようなものではなく、生死をかけた挑戦であった。おそらく太宰は、自分に与えられた「本当のこと」に殉教しようと、いつしか覚悟せざるを得ないところまで行っていたのである。
「第二の手記」のはじめには、「竹一」という、作者の「道化」を見破った唯一の少年との交流が描かれている。その中に、「竹一」が言うところの「お化けの絵」の話がある。ゴッホの自画像、モヂリアニの裸婦像、それらを竹一は「お化けの絵」と言った。「葉蔵」は、その時、
 
この一群の画家たちは、人間という化け物に傷めつけられ、おびやかされた揚句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼等は、それを道化などでごまかさず、見たままの表現に努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいてしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる、と自分は、涙が出たほどに興奮し、
「僕も画くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を、画くよ。」
 
と、声をひそめて、竹一に言った。そして、これらの著名な画家たちが、
 
何でも無いものを、主観によって美しく創造し、或いは醜いものに嘔吐をもよおしながらも、それに対する興味を隠さず、表現のよろこびにひたっている、つまり、人の思惑に少しもたよっていないらしいという、画法のプリミティブな虎の巻を、竹一から、さずけられて、
 
葉蔵は、自画像の制作に取りかかってみた。
 
 自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上がりました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、(後略)
 
「人間失格」の「手記」は、この「お化けの絵」の、絵の具を言語に変えた表現、「陰鬱な心」の写実なのだと僕は思う。
 
 作品はこのあと、第三の手記と移り、そこでは、堀木との縁から始まって、シヅ子、京橋のバアのマダム、ヨシ子、薬屋の未亡人たちとの、荒んで凄惨な関係がこれでもかというくらい続いて描かれていく。
 アルコール中毒からモルヒネ中毒。葉蔵の周囲の目には彼の姿は半狂乱の姿と移り、やがて堀木、ヒラメ、ヨシ子に付き従われ脳病院に入院する。葉蔵の脳裏には、その時、「人間、失格」の文字が浮かぶ。
 こうして、お化けの絵は完成する。タイトルは「人間失格」。それらしい色に塗り込められ、そしてそれが作者葉蔵の真実である。葉蔵が、そのように、自分の半生を描いて見せたというだけだ。それは、胸底にひた隠しに隠している自分の正体、陰鬱な心の、真実の表現である。であるならば、葉蔵は、「表現のよろこびにひたって」いたはずである。 手記の作者と作品の作者とは別人格であるとされている。
 そこには何があるのだろうか。読者は、結局は太宰自身の表現であると考える。けれども作家は、それを区別している。距離を置きたいのだ。距離はある。けれども読者には、その距離は明かされない。
 あとがきで、作品の作者は「もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこの人の友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない。」と、冷たく言い放つ。手記にも登場した京橋のマダムが、作家の冷たい言葉から葉蔵を救うように、
 
「あの人のお父さんが悪いのですよ。」
何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした。」
 
と言って救いの手をさしのべて作品は終わる。
 さすがに、「神様みたいないい子」とは歯が浮く思いがするが、葉蔵は、それほどによい人間であろうと心がけつつ、手記に書いたような生き方をするしかなかった、その思いと実際との乖離の、千里の径庭とも言うべき距離を、よく表しているとは言えるかも知れない。
「人間失格」を読み、考えても、人間とは何かという問の答えとしての認識の広がりや深まりの手がかりをつかむことは出来ない。なぜ、主人公の葉蔵は自らを人間、失格と考えたか、何が人間らしいことで何が人間としてダメかということも、すっきりとした理解を与えてはくれない。ただ人間と人間との間にある深淵をのぞき込んで、一瞬の恐怖に怯え、怖いと思った瞬間その深淵は蓋をされて、そこに深淵が広がっていたことなど無かったかのように、いつもの現実世界にたたずんでいる自分に立ち戻るという印象が残されているだけだ。そうして太宰治その人は、黒いマントに身を包み、視界を覆うばかりに降りしきる雪の巷間に消えていく。後に残されたのは「おお、可哀想」という言葉一つだろうか。そしてそれは、もしかすると、大慈悲心と呼ぶべきものか?
 手記のはじめには、「恥の多い生涯を送って来ました。」という言葉が置かれている。確かに、葉蔵の行状は恥の多い生涯といって差し支えないように思える。だが、それは罪とは違うという気がする。しかし主人公は、その恥の多い行状を、罪として自分に取り込んでしまう人であったように思える。どうして「恥ずかしい」と思える行状が、彼の中で罪に変容してしまうのか。
 人間は、誰でも恥ずかしい体験はしてしまうものだ。恥の多少、大小の違いはある。あるいはぬぐいきれない、取り返しのつかない恥ずべき体験というものもあるかも知れない。だが、その上だなおも人間は生きていくべきものだとぼくは思う。
「生きることは罪である。」
 太宰は、そう直接的には言っていなかったと思うが、彼の自己体験に基づいた告白的な作品の系譜を思い起こせば、次第にそういう方向に向かって書き進めてきたと収斂させて考えることが出来るのではないかと考えられてくる。そのために、恥の行状を拾い集め、生きて一歩前に進むたびに、人を傷つけ、不幸にし、悲しませる、そういう生涯の自画像を描ききった。
 けれども本当のところは、京橋のマダムの言のように、太宰を人間として高く評価する人だっていたはずなのである。
 過剰な倫理観といってよいのか、太宰には、時折通常の人間の持っている倫理の尺度を超えて、倫理的な潔癖性とでも言うべき傾向が見られる。現実の場でそうであるのではない。意識の内側で、人よりも余計倫理的なのだ。自虐と言ってみたいほど、自分の厳しい倫理の尺度を自分に当てはめて見せ、そうして自分で苦しんでいる。そんなふうに感じさせる。
 人間というものは、それほど潔癖に生きられる生き物では無いという尺度は、太宰には成り立たなかった。もちろんそんなことは重々承知の上で、意識にのみ、その潔癖な倫理の尺度を当てはめて見せ、ある時は罰して見せたのである。
 それは何故なのか。太宰治の問題は、ぼくにとってはそのことにつきると言っても過言ではない。何故太宰はそのように罪を背負い、そのために、誰もが大なり小なりやってしまうに過ぎない恥ずかしむべき体験の数々を、過剰に、自分が生きているための罪と自覚しなければならなかったのか。
 思うに、その執着は異常で、太宰治を文学者の中でも特異な存在に押し上げている。行状がすさまじく破廉恥だからではない。そういう文学者は、あからさまにすれば吐き捨てるくらいいるにちがいない。生きることがそのまま罪である、そういう思いこみの強さと持続とが群を抜いて異常であり、その世界への執着がまた異常なのだ。
 復讐、と見間違うばかりの、自分の生に対する、あるいは現実世界に対すると言ってもよい、根源的な、悲痛の叫びが、今ぼくの耳には聞こえてくる。まるで宇宙空間にポツンと産み落とされた幼児の、泣き声のようなものだ。母がいない、祝福がない。だが彼は、地方の金持ちの家で、乳母や女中に囲まれて、不自由ない金持ちの息子として育てられる。
 
 まだ、多くを語らなければ終われない思いを抱きつつ、それはまた別の機会に語ることにして、ここはこれで幕を閉じることとする。
 
 
 「グッド・バイ」
 
 太宰最後の未完の小説と言われる。題名が題名だから、その後の玉川への入水は、覚悟の上と当時の人々には受け取られたのではないだろうか。
 それはともかく、作品は通俗的な読み物としてそれなりに面白いとぼくは思った。文体は軽く、テンポもそう悪くはない。ただ、作家の疲労感のようなものは全体に漂っているという気がする。文から文へのつながり具合が、少し投げやりな感じ。躊躇を跨いで、エイと次に進める感じ、そういう書き方に感じられる。悪くいうと二日酔いの文体、そういう気がしないでもなかった。
 内容も、重たいものを、なるべく軽く明るく書き進めようと意図していたのではないかと考えられた。
 総じて、作品としてや作家としての衰退のようには感じられない作品のような気がした。それだけに、中絶を残念に思う。仮にこの作品が完成して、それが通俗小説になり、作家もまたそれなりの作家に成り下がっていくとしても、それは死ぬことよりもよかったとぼくは思う。そのことで、過去の作品がどう変わるというものでもない。
 未完の作品に対して、これ以上あれこれと言ってみても始まらない。一応、これで全集の、習作などをのぞいた全作品に目を通し、感想を書くという行為は終わることになる。