「太宰治全集」を読み終えて
 
 どうしてそういうことになるのか分からないままに、思春期に、内向した。暗く長いトンネルの途次、偶然から太宰の文章に出会った。いきなり胸ぐらを掴まれたように、彼の作品に引き寄せられ、その魅力に取り憑かれた。のめり込んで傾倒した時期は、人生という尺からすればほんの一時期の出来事であったかもしれない。けれども、自分の中ではその時期に決定的な何かを、その時期の太宰体験の過程で、意識の中に埋め込まれたというような思いがしている。
 この人の「コトバ」は、「シンジテモイイノデハナイカ」と思うとともに、書かれてある文字面の底で、本当はどんな言葉を持ってしても語れない思いが、どんなことなのか、これも言葉にしては言えないけれどもよく分かるような気がした。心の琴線が共鳴する、そういう出会いであったような気がする。この体験が文学であったことは、いま思えば、決して幸福なことではなかったかもしれないと思う。友人や隣人に、同じ思いを持つことができなかった。生きて変化するものにではなく、文字というデータを介して、自分が造形した幻想の太宰治に恋したようなものだからだ。こんなことが幸福に結びつくはずはない。そう、いまのぼくは思っている。
 大学に進学してからは、高橋和己、島尾敏雄、吉本隆明というように、出会いとのめり込みとの遍歴が続いた。そうして大学を卒業し社会人となってからは、次第に文学作品とその世界からは遠ざかっていった。
 本当に恋したということで言えば、太宰治は自分にとっての文学における初恋の人であった。それだけに、いまでも相当に思い入れは強いといってよい。
 だが、初恋は所詮、過ぎた日の体験にすぎない。言いかえれば過去の出来事であり、今それをどうこうしなければならないというものではない。現に、全集を読み終えた今、当時の熱い思いは蘇る術もなく、心境には複雑なものがある。相当に年を食い、この社会とのなれ合い、身過ぎ世過ぎに、身も心も汚れちまった、ということかもしれない。
 
 整理するまでには至らないが、太宰文学について、いくつか明瞭に言えることがあるように思える。それを取り敢えずはあげてみる。
 
・太宰治は胸の奥の真を隠さぬ表現者であった。本当のことを探求し、探求したところの本当のことを言い、そのために、ときに生活を、己の命を削るように生きた表現者であった。
・彼の作品には浅いところから発する声と、深いところからの声と、際だって異なる系列が存在する。深いところからの声は、宿命に触れて発せられたものであり、浅い声は、生活的にも文学的にも安定した自己の存在に自信が持て、自己存在以外の対他に目を向けた時に発せられる声である。
・譬喩的にいえば、青森の、古代人に地続きの心性に、西洋近代的自我を接ぎ木したために、余計な苦悩を背負った作家であった。「世間」との戦い、「聖書」へののめり込み、これらは頭脳的な西洋の移植を証するものであり、太宰治という作家は、自らに西洋近代を洗脳してしまった作家といえるのではなかろうか。完全とは言わないまでも、日本における西洋近代の達成した一つの典型の姿として見ることも可能である。
 西洋近代的自我とは、約めて言えば、意識信仰である。太宰治は、自覚こそなかったかもしれないが、意識的であることを重んじた作家である。
・「死にたくて仕方がない」という、宿命的とでも言うべき内奥からの声。彼の一生の中での多くははその声との格闘の歴史といってもよい。宿命に抗うが、結果として波間に呑み込まれるようにしてその生涯を閉じた。太宰の、そういうところを作品にあらわした表現に見られる深いところからの声は、現代においても切実な共感を持って読む人はいるのではなかろうか。
・ぼくにとってはまさしくそうなのだが、太宰治という作家は、古典に数えられるどんな高名な作家よりも、彼の愛読者にとってかけがえのない、唯一無二の作家に数えられる可能性をもった作家のように思える。例えば「新釈諸国噺」における「吉野」、「駈け込み訴え」、「お伽草子」などの作品はとても好きだし、いい作品だと思うのだが、万人に認められるかというと、さすがにそうとは評価されないように思われる。それが何故かといえば、文体も意味内容も、何かしら普段着めいたくだけた調子がそこに漂っているからだと思う。逆な言い方をすれば、重厚な装いがない。だからといって軽々しい事柄を軽々しく言っているだけかといえば、人間としての生き方の矛盾とか、そこから生じる苦悩とか、知識人が課題解決すべき諸問題を真っ向から抱え込んで、本格的に考え込んでいることが分かる作品となっている。
 読者としての自分は、「お伽草子」を傑作だと思っているのだが、外に向かってそう言うことができにくい。明治以降の文学者で第一人者はと問われれば、夏目漱石と応えることが無難で、太宰が一番だとはなかなか言いにくい。そう思っていても、そう言うことにためらいが残る。それは、いまだに評価がむずかしい作品であり、作家だからだと思う。 読者であるぼく自身が、太宰治をすぐれた作家だと思いながら、なにがどうすぐれているかを根拠を示して論理的に説明してみせることがむずかしい。むずかしいが、作家という職業を別にして、知識者として、考える人として、すぐれているという形容詞を取り外すことも出来ない。そうして、太宰はすごい作家(ひと)だということをずっと胸に持ち続けている。たぶん、ぼくのような読者を数多く抱えた、特異な作家であると思う。
・前近代を引きずりながら、はじめて本物の西欧近代を目の前に見て、異質さと深い裂け目を自覚し、それ故の格闘を強いられた文学者は夏目漱石であった。結果、妄想と胃潰瘍とに象徴されるように、漱石は大きく苦しむことになった。
 太宰治の時代となると、知的にはかなりの程度で西欧近代化の波は押し寄せていて、すでに漱石のような前近代を引きずることも軽減されていたはずだ。ある意味、西欧近代の考え方に抵抗はなく、かえって全面的に受け入れ、消化すべき時代にさしかかっていたと見ることができる。太宰が、聖書に深くのめり込んだのも、そういう背景があってのことのように思われる。
 
 以上、行き当たりばったりで思いついたことを言ってみたが、だからどうだと言えばどうということもない。一読者として、恩義のようなものを、こういう形で返すこと、こういう形でしか返せないこと、満足と不満が綯い交ぜに交錯しながら、取り敢えずはこれでしばらくまた太宰から離れることになると思う。