付箋集
 
付箋その五十一
「秘密保護法」その騒動の本質を考えてみる      2013/12/14
 衆議院で「秘密保護法案」が通過した。アメリカの方から吹いてくる風が否定的かなという思いで、今国会では成立しないだろうと考えていたらそういう結果にはならなかった。ということは、アメリカ政府を真ん中に、その周辺では肯定的に見られた法案だったということになるかと思う。第一には日米同盟の視点から、米軍の負担軽減に寄与するという見方がなされたのかもしれない。アメリカにとって見れば、日本の民主化度より、軍事面でいざというときに使い物になってくれている方がよいということなのだろう。
 ぼくなどには、アメリカの秘密文書、機密事項などの徹底した管理と、逆にまた徹底した原則公開の遵守は尊敬に値するものだった。一言でいえば、かっこよく映った。せめて日本もあれ位のことができたらと思っていた。そうしたらもう少し政治家も国民から信頼されるようになるだろうにと。
 ところで、関係するところで日米同盟の進化、深化の問題があるが、ぼくには関心がない。まあ、日米の政府関係者が考えて、成るようになっていくのだから成るようになっていくのを傍観するだけだ。基本的には、日米同盟が進化(深化)しても、ほとんどはアメリカのいいなりになって動く未来というほかに選択肢などなさそうだから、そんなバカなことに賛成できるわけがない。これが逆に軍事面でアメリカを訓導する立場に立ってリードしていくというなら話は変わるが、現状では絶対にそうはならないだろう。原爆を叩き込まれて、なおかつ今後に軍事面のお先棒を担ぐなんて、いったい日本の政治家は何を考えているのか分からない。日本人の先祖を裏切っているのは彼ら政治家で、よく靖国なんかにお参りできるものだと思う。
 もう一つ、当然のことながらこの法案は日本の防衛問題にも直に関係する。だが、考えてみればなんだかんだと模索したあげくに、結論的には軍事力、軍事的な抑止力にしか解決の糸口を見い出せないとすれば、第二次大戦後の世界、冷戦後の世界、日本の戦後世界は何だったのかということになる。
 先進国の先輩にあたるはずの日本が、中国の古い手練手管の外交に脅威を覚えるほどに柔であり、お坊ちゃん的だったとは信じられない。広く、深い、中国の歴史や政治、経済、文化の分析と世界認識を元に、真の世界デビューの仕方を教えるくらいの度量があってもよかった。今どき軍事じゃないぜ、というようにだ。それがやっぱり目には目を、だということになると、戦後に世界に向かって高らかに宣言し、50年以上の長きにわたって世界平和を訴えてきたそのものが擬態だったということになってしまう。
 極東ブログのマスターは、やけに安倍政権(安倍個人かもしれないが)を持ち上げるけれど、ぼくはそれほどに評価しない。リアリズムの観点から、そういうように安倍を持ち上げる視点に帰結してしまうのだろうが、ぼくはブログ作者のリアリズム自体に、何か言いしれぬ不満を感じる。彼は世界認識の方法において、永遠の傍観者、同伴者的思想の持ち主ではないのかと思われる。結局、彼は自分の知の精度を高めるところにしか興味を抱かないように見える。そうして世を深く嘆き、悲しみを湛えて見せている。
 何かが違う。
 安倍は、政治の力を信じている。それを顕在化しようと努めている。けれども、ぼくにはそれは逆行する妄想としてしか感じられない。「政治の信頼を取り戻す」という安倍の繰り返しの発言は、権力を使って集団を動かしたり、権力を得たり、保ったりすることを肯定している。それを正しいことだと考えることは、個人の自由や勝手の範疇に属している。だがそれは大いなる錯覚であるとぼくには思われる。そんなものは一昔前の政治の金科玉条の蒸し返しでしかなく、権力が世界の平和、社会の幸福に資するなどといった幻想はもはや過去の遺物と同様のものだ。力で、内政を押し切ることには多分それほどの抵抗が起こるだろうとは思えない。今回の法案の成立にあたっても、事前にはっきりと反対や抵抗を宣言するものは勢力的にはわずかで、事後に学者を中心とした反対表明の署名活動が進んだに過ぎない。これが、「法案」を廃案にするだけの力を集約していくとは思えない。
 内田樹はこれまでに何度か取り上げて紹介したように、「法案」には反対の立場を明確にしてきた。今、正確なところを言うことは出来ないが、ぼくの印象では、「戦後」最大の「悪法」くらいのところは語っていたように思える。武田邦彦さんもこれに準じたとらえ方をしている。どちらも詳しくは実際にブログの記事を参照して確かめてもらいたいと思う。極東ブログのマスターのとらえ方は、これら二者とは真っ向から対立すると考えていいと思う。これも正確なところは分からないが、極東ブログの記事を読んでいて、明らかに内田さんの立場を批判していると思われる箇所があった。少なくともぼくは、ああ、これは内田さんへの批判なんだなと思ったのだ。で、ぼくは、どっちもどっちで、いいところもあれば『なんだかなあ』と思うところもあった。だが、もう少しざっくばらんに言うと、こうした対立の図式自体に興味が湧かなかった。いずれ、極東ブログの記事は「法案」に善意の視線を送りすぎていると思えるし、内田さんの記事はまた逆に過剰に悪く捉える意図を持っているように見えた。
 ぼくとしては日本の政治家でも官僚でも、法律や法案とかのとらえ方というものに、欧米先進国並みのとらえ方が出来ていないと思っている。文言そのものの理解ではなく、行間の理解が出来ていないのだ。面倒なのでざくっと言ってしまえば、あらゆるところに日本的なものが顔を出すとここでは言っておきたい。だから、こんなものは(法案)、法律として成立してもしなくても本質的には同じだと思っている。成立すれば通りがよくなって、あとのことがスムーズに運ぶということはある。要は、早いか遅いかというだけで、たしかにスピードを加速したいものにとっては成立の可否は重要事ではあるだろう。
 ただ、遅くてもいずれそうなるであろうということになると、問題は法案の可否ではすまされないという気がする。つまり根本の問題は法案を破棄すればすむことではないとぼくは思う。そこを穿つことが問題なのであって、今のところ誰もそれをなしえているようには思えない。
 なぜぼくがそう思うかというと、この法案が「国家」を前提としているからだ。賛成派も反対派も、守ろうとする「国家」について何の疑義をも差し挟まないで肯定しているように見える。そこがどうもはじめから納得できないところだ。
 
 ここで少し視点を変えてみる。
 今日の日本国は、政治的にも経済的にもほころびが見え始め、総じていえば弱体化していると言えなくはなさそうである。だから、繁栄する強い国へと引き戻そうと力が働くことは理解できる。だが、はたしてそれがいいことか悪いことか、また弱体化していくことがいいことか悪いことかははっきりとは分からないところがある。少なくともぼくはそう思っている。ぼくの指標は、日本という「国家」が完璧で理想的な「国家」へと成熟するというところにはない。ただ社会に生活する大多数が、精神的にも物質的にも今よりもよい暮らしが出来ることを指針としている。極論すれば、指導層の利権に資するだけのような「国家」などは亡くなってもいいと思っている。また、そんな「国家」などがなくなっても、即刻社会生活が消滅するなどとは少しも思っていない。逆に「国家」が消滅したために、社会生活が大多数の生活者にとってより暮らしやすいものになるならばそれで不満はない。
 こう考えていると、「秘密保護法案」というものは大きく「国家存亡」、あるいは「国家」自身の問題であるにすぎなくて、問題としては二の次としか思えないものだ。そしてどうかすると、時の政府というものはいつも「国家的な問題」というものを優先して考えるところがあって、その時に大衆の生活的な問題は二次的な問題のように扱われてしまう。 一般的に、「国家」が亡くなると国民の生命や財産が危うくなると直結して考えられているところがあるが、では、人類史は当初から国家を必要としたかというとそうではない。「国家」の無い時代があったのである。そこから言うと、「国家」は永久に不滅である必要はないということになる。だから無くせと言うのではない。あくまでもひとりひとりの国民が主で、「国家」は従でしょうと言うことなのだ。それがいつしか「国家」が亡くなると国民もまた消滅するのだというように錯覚されてしまっている。勢い、国民を犠牲にしても「国家」を守ろうということになってしまう。これでは主従関係が逆さまになる。 「秘密保護法」ははっきりとダメな法案だと思っているが、だからといってこれを廃案に追い込んだり、破棄に追い込む運動が組織されなければならないかというと、ぼくは全然そうは思わない。だから学者の署名活動が活発だと聞いても、日本の知識層は相変わらずだねとしか思えない。もう少し本質的に、根源的に、ばっさりとやってくれる人が出てこないものかと思う。まあ日本の知的、思想的水準はこういうところでやや見えてしまう、ということだけは言っておきたい。
 
付箋その五十 
仕事の合間の退屈しのぎ    2013/11/14
@ 今どきでも何かといえば天皇って、どこまで苦肉の策なのだろうか?
 最近の出来事を考えたときに、二つのことを思い浮かべる。
 ひとつは国会議員になった無所属の山本太郎が、天皇陛下主催(?)の秋の園遊会(?)の会場で直接、天皇に自筆の手紙を渡したという話題だ。テレビでは山本議員が直接手渡しする瞬間をとらえた画面が放映された。
 見ているこちらの心には一瞬違和の感情が走り、その後すぐに「手紙を渡した」ことが了解され、後は平常の流れが画面の向こうにもこちら側にも戻ったという気がした。
 個人的には、『これは直訴なんだろう』とか、『昭和初期の青年将校みたいな真似だな』というような感想を持った。
 テレビでは司会者や解説者、コメンテーターから各党の国会議員の発言などが、山本議員の行動に関していろいろに取り上げられ紹介されていた。まあ、たぶんそんなことを言うのだろうなと想像できるような話ばかりだった。世間一般の、常識的な見解と言っていいと思う。で、当然、天皇に親近感を抱く人、そうでない人に分かれるし、山本議員に対してもっとも厳しい意見としては、議員辞職を迫るものもあった。
 こうした事件はなるようになるものだし、なるようになって「良い悪い」を判定するつもりはこちらにはさらさら無い。山本議員本人だってその行為が常識的にどうだとか、さらに、それを強行するとどうなるかくらいは当然考えに入っていたはずだ。だからまあ、なるようになって良いのである。
 ところで、山本の行為に共感するものがいるかも知れないと思うが、そう思うのは彼の手紙の内容が、放射線に怯える福島の子どもを助けて欲しいと願うものだったからだ。これは山本のインタビューに応えた発言の中にあった。この問題、つまり福島の子どもたちの被爆に関しては、無責任や隠蔽などで自治体も国の機関もアテに出来ない。その意味では止むに止まれぬ行為だったと、理解を示す人もいるのだろう。そう考えると、これはやはりかつての青年将校たちの心情に酷似するのかなと思わないではいられない。
 はっきりと言いきってしまうと、今に至ってもなお、何かというときに天皇を担ぎ出すことに帰結してしまう山本議員のような行為は、認めがたいなとぼくは思う。心情は分からないでもないが、目的が福島の子どもの健康を気遣ってとはいえ、考え方、やり方としては時代錯誤を含んで単純すぎるし、仮にメディアに取り上げられることを勘定に入れていたとしても稚拙だと思える。もちろんこうした行動は稚拙であるか否かを問わず、目的に到達するかどうかが全てであるから、よくも悪くも大きな反響を呼び目的に近くなると考えてのことだろう。しかし、山本の天皇への願いをこめた手紙がそのことに実効性があるかどうか、あったかどうかは疑問だ。また今回のメディアでの小さくはない扱いによって、子どもたちの健康に結びつくかということも疑問だ。
 当然のことだが、山本自身にはこの行為の実効性がいくらかは信じられていたにちがいない。しかし、その認識は間違いだろうとぼくは思う。敗戦以後、天皇が象徴としての存在に変わったからというだけではない。山本の今回の行動の裏には、どこかに、日本の国には全てを超越した存在としての天皇がいるとか、いて欲しいとか、いなければならないとかの考えが潜んでいるように思える。これは「現人神」を待望することとあまり変わりない。少なくとも、行動に表した山本の無意識部分では、そういう期待とか願望があったと言えると思う。そのことを悪いとは言わないが、しかし、認識の水準としては問題にならないレベルだとは言えよう。今さら天皇にお出ましいただかなくても、と思うし、そういう民度に後退しなければならない必然も感じない。つまり山本の行為も思考も、出口が見出されないことによる疲労や衰弱の過程で陥りやすいそれに陥ったに過ぎないと思える。
 山本はもう少しわが国日本の国家の起源を勉強したらよいと思う。そうしたら天皇の威厳や威力の起源についても考え得るし、今さら象徴としての天皇が、社会や政治の問題に首を突っ込むべき存在ではないということも理解するに違いない。いまだに皇室は国民の多くから敬愛され親しまれる存在であり、これからもそれ以上でもそれ以下でもない在り方が皇族たちの願うところであるかも知れず、その意味でも山本は、こんな拙劣で自分の無力を暴露する以外の何ものでもない行為をとらず、ほかに策を見出すまで考えるべきだったと思う。もっと厳しく言えば、自分ひとりの力ではどうしようもないから天皇に下駄を預けるような「運動」、つまり「福島の子どもの救済」などやるなということだ。結果的に、天皇も政府高官も行政も動かないということになったら、誰が救済行動の責任を取るんだ。山本はひとりで取りきるつもりか。あるいは取りきれるか。もちろん、直接的に責任を取るべきは福島の子どもたちひとりひとりに対してであることは云うを待たない。
 山本ははじめから誰かをアテにして、それが支援者に始まるのか大衆に始まるのか分からないが、それほどの力の結集に至らないアテ外れの連続の末に、最終的には一気に天皇というところまでアテを引き上げてしまったかに見える。要するに、はじめから一人っきりでも戦い抜ける戦略のないところから行動を起こしている。こういう人は挫折しない。失敗やうまく行かなかったときの原因を、おそらくは周辺の存在や精神に帰すからだ。こういう「運動」や「活動」をぼくは評価できない。動機だけは善のように思えるが、善の心だけでは救済は果たされない。
 もちろん山本の行為はかつての青年将校たちの行為と同列にも置けない。時代背景の違いは当為者たちの軽重を決定的に変えてしまっているからだ。
 およそ、こんなところがこの問題に関してのぼくの感想になる。蛇足になるが、ぼくは山本太郎の脱原発運動の全てを否定するものではない。また現在のところ、脱原発運動そのものに関心がない。かといって推進派に同調するわけでもない。強いて原発問題の今後に関していえば、当分の間は凍結して、しっかりと事故処理や原因究明や技術的な対応などが行われるようになった時点で再稼働を議論するのがいいと思っている。もちろんその間に、原発より優れた代替エネルギーの開発がなされたらそのほうが結構だとも思っている。要は、国会議員になったほどの人物が、右か左か分からないしどちらでもかまわないが、いったん苦境に立つとまたぞろ天皇を担ぎ出すその事に、ニッポンって変わらないねぇ、という感想を持ったというだけなのだ。
 
A 「秘密保護法案」について
 ふたつめには、安倍政権の「秘密保護法案」についてである。
 こちらに関しては思想家の内田樹さんのブログに批判的な見解が紹介されていて、ぼくはほぼ同意することができるように思っている。だが、ここで言いたいと思っていることはその問題のことばかりではなくて、2度目の首相就任後の言動や挙措振舞い全体を眺めて、安倍晋三という政治家におぼろげに感じているそのこと自体についてである。それは個人的な印象に過ぎないから、別に誰かに知って欲しいとか聞かせたい事柄ではない。ただ自分の印象に、もう少し鮮明さや形というものを与えたいと欲しているだけだ。
 大ざっぱに言うと安倍は日本国を強くしたいと願っていると思う。この強くしたいというのは軍事大国になるというよりも、世界の中で強い発言権を持ちたいという意味合いでである。あるいは愛され尊敬されたいということである。この願望や執念がどこから来るかは今は問わない。ただそれが第一に感じられる。そしてそのために安倍が考えていることは、アメリカと対等の関係、対等の地位につきたいのだと思う。幸いにアメリカとは文書や言葉の上だけとはいえ、同盟関係にある。名実ともに同盟国同士ということになれば、その関係や地位は対等に成り得る筈である。それが現実としてそうなっていないのは、軍事をはじめとして多くのことをアメリカに依存し、頼っているからである。
 アメリカに対等な国として認めてもらうには、頼ったり依存しているところから変えねばならない。そうすればアメリカにも一人前の国として認めてもらえ、そのことは同時に世界の中での発言に大きな後ろ盾が付いたことになり、上手くすればアメリカに次いで重要な国のひとつと受け取られると、安倍首相は考えているのだろうと思う。
 特にそんな安倍が実現したいと考えていたのは、軍事面でもアメリカの要望に応えていきたいということだと思える。世界の警察官としてアメリカが行動するとき、いの一番に支持を表明して軍事的に重要な役割を担うことが出来れば、アメリカに喜ばれるに違いない。安倍にとってそれは今後を占う重要な分水嶺になると考えられているに違いない。
 想像でしかないが、安倍が今日のアメリカとの関係の中で日本がどういう位置取りをすべきか考える際に、安倍本人がかつて小泉首相の補佐的な立ち位置にあったことが大きく影響している気がする。身に付けたのはパートナーの力を利用して自分を押し上げる方法である。それにはまず相手のお気に入りの戦略を把握して、その戦略の中で自分が唯一無二の重要な役割を果たしてみせることである。もっと単純にいえば、相手に必要だと思わせることが出来なければならないということだ。
 「秘密保護法案」の策定は、情報管理が十分でなければ、アメリカに信用されてアメリカの保有する世界戦略上の重要な情報を、いつまでたっても流してもらえないからだ。それはいつまでたっても対等の独立国という扱いをされないことを意味する。安倍はこの法案を元にしっかりした管理体制が出来れば、アメリカのいっそうの信用を得て、世界の警察官の一員や、最低でもアメリカの使いっ走りになって仲間の一員になれるとでも思っているのかも知れない。それこそ強い国日本への一里塚だという気になるのも当然かも知れない。だが内田樹のブログの記事によれば、大手新聞等にみるアメリカの受け止め方はおよそ否定的であるということである。それは当然で、どんなに反論して見せても、この法案は一時代前の抑圧の道具としての役割がもっとも期待されるようにしかできていない。アメリカにさえ、そう看破されている。安倍首相本人を含め政府は、国民には懸念することは何も生じないとして言いくるめようとしてきた。だが、アメリカに向かっても、懸念には及ばないと説得して法案成立まで一直線に突き進むだろうか。おそらく説得も出来ないし、愚劣と蔑まれるような法案を成立させるだけの度胸も無いだろう。なにせちょっとでもアメリカの気に入らないことをやろうものなら、安倍首相の遠大且つ壮大な夢は元の木阿弥、無に帰してしまうに違いないからだ。だが、自国民にはシラを切り、アメリカの懸念には即座に挙げた手を下ろすようだったら、これではいったい安倍は、日本国及び日本国民の総理なのかアメリカのひとつの州の知事に過ぎないのか分からなくなる。
 
 安倍をはじめ政治家全般も、どこかに勘違いがあって、自分の立場で考えていることが国や国民のためになると錯覚している。つまり、右に見てきたようなことだ。この錯覚は大いなる錯覚というべきで、大きく広い視野から世界を見ている自分の目が常に正しいのだと過信させる。
 ある意味で優秀な政治家ほど、国を導き国民を導くためにはこれが一番良い方法であり戦略であると思い込む思い込みが強い。そして、そのためには多少の犠牲はつきものでやむを得ないのだと必ず開き直る。だが、統治者の頭にある国や国民は、はじめから国の存続や永続に深く関与できるものを選別した上でその像が出来上がっている。彼らにとって大事なのは共同体の存続にとって不可欠の人材なのであって、一般の国民のひとりひとり、しかも下層にある人々のことなど口でいうほど気にかけてはいない。そんな見ず知らずの、地位も名誉も金もない他人を気にかけていたら、現在の政治は物理的にいっても成り立つはずがない。
 本当はそこはピラミッドの頂上に鎮座する政治などの指導層が、自らピラミッドを切り崩し、底辺と思われる多数の層に下降することが理想だと思える。そうしてそこに存在する人々ひとりひとりの要望や願望を根こそぎ拾い集めて、これを解決する積み重ねを地道に積み重ねる営為のほかに政治の理想はあり得ない。そしてまた、そんな営為の積み重ねが国と国民とをほんとの興隆に導くのだし、理想的な社会の永続を可能性として開示してくれるものという気がする。
 もちろん、それでは国家間の対立や緊張に対処し得ないと考えることが一般的かも分からないが、国家間の対立や緊張のそもそもが本質的にそれぞれの国家の主導者、統治者間によってもたらされるものであることを考えると、国家という共同幻想とその共同幻想の守護者、奉仕者たちの消滅こそが近未来に向かっての社会の希望だという気がする。
 安倍首相をはじめとする政治家たち、そして大阪市長の橋下徹などもそうだが、いまだに自分たちが国内の政治や経済を主導する立場にあると勘違いして、さまざまな政策を考案し実行しようと企てている。だが思うようなスピードで考えたとおりの政策が実現できない焦りから、障害になるものを特定し、それらを何とか排除しようと躍起になっているように見える。そのことは、ややもすれば部外者の目には強権的で独裁者風に見えてしまう。実際、強権的で独裁者的でなければ今日の政治は停滞を余儀なくされる。それがいやならこうした手法を我慢しろというわけだ。 しかし、原因はむしろ抵抗勢力にあるのではなく、高度に発達した今日の資本主義社会からもたらされたものだとも言える。例えば経済は首相や日銀総裁の決断で左右されるものではなく、新規の産業の興隆も、補助金などといった政治の介入でどうこうできるものではなくなっていると思える。例え一時的に微少な効果が見られたとしても、だ。少なくともそれらの影響は、政治家などが考えたがっているほどものではなくなっている。こうしたことはかつて吉本隆明が指摘したように、政治経済の決定権がはっきりと大衆に移行していることを暗示しているのではなかろうか。
 前政権の民主党は大衆の支持を得て政権を奪取したが、大衆を裏切ることによって政権の座を自民党に明け渡した。もしも民主党が大衆を裏切らずに、大衆が支持した政策の多くを実現させていたら継続して政権の座にあったであろう。その意味ではもはや決定的な力は大衆側にあり、大衆の心が求めているものが何かに気づいて、それを政策に盛り込んだ党や無所属の立候補者が勝っていくのだろうと思える。逆に、指導者面して大衆に説教を垂れるだけの候補者には票は集まらなくなる。文字通り、大衆の意向をつかむ能力を持つものこそが大衆の支持を得ていくのだ。
 とはいえ、民主党の例にもあるように、政権奪取後に大衆を裏切れば同じ憂き目を見るのは間違いない。そしてそれを画策するのが官僚以外にないこともはっきりしていることだろう。民主党は官僚の悪知恵にはまって、結果大衆を裏切ることになり、最後は大衆の手によって放棄され、遺棄された。官僚の意向と大衆の意向ははっきりと対立していると言うことができる。大衆の意向を汲まなければ政権の座につけない。だがいったん政権の座に着くと、今度は官僚の意向を汲まなければ政策の実行や実現が難しくなるということなのである。そして官僚の意向を汲んで政策を実行すると、今度は大衆にそっぽを向かれる。政治家は、二つの熱い鉄板の上で踊らされているようにも見えてくる。
 
 安倍政権は世界の軍事的動向もそうだが、グローバルな世界経済の動向においても、常に「置いてけぼりを食いそうだ」という強迫観念を持っているように見える。それで、後追いで、さらに追い抜くことが使命のように思い込んでいる。矢継ぎ早の政策案などの提出はそうした問題に対する焦燥感の表れだろう。ただそういった世界の表層部分の動向について、安倍や橋下といった人たちは一様に無批判に、前のめりで追従していくように見える。彼らにとっては現実世界への適応こそが問題で、大衆個々の実存的な願望は視界の外に置かれている。そこに支持と非支持とが二極化されて吸着していくように思われる。 今回の「秘密保護法」などはあまりにもばからしくあほらしく、時代錯誤も甚だしい。これは報道で批判的に論説されていることが常識的な見方だと考えることが出来る。法案が成立するかしないかは、そうした代弁する世論や民意というものの威力の程度と、水面下のアメリカの意向とにかかっている。
 ぼくが本当に疑問に思うのは、どうして安倍などは日本を強い国、世界の一等国に押し上げることにしか政治家としての理想を持たないのだろうかということだ。少なくとも一生活者に過ぎないぼくや知人や仕事仲間たちにとって、日本が世界の主要国であり続けることは一義的な関心にはなり得ない。毎日を汲々と過ごすその息苦しさから解放されたいと願い、しかもその願いがどこにも届かないことを知りつつ、毎日を頑張っているとしかいいようがないような仕方で生活に明け暮れている。政治はそうした自国民の不満を敏感に察知して、改善の手立てを講じることこそ第一義とすべきではないのか。そうして安心と安定と繁栄をもたらした上で、これを世界各国の安心と安定と繁栄の参考に供するという形で発信していくべきだと思う。その意味では、アメリカにも西欧にも、後追いするに足る理想や模範はそんなに多くは存在しない。 稚拙な例えだが、超豪華なマンションや住宅に住み、自家用ジェットや高級車で移動し、我が世の春みたいに暮らす連中に、誰もがそれほどうらやましく感じる時代ではなくなっている。それはぼくたちが自分の子どもの頃にくらべて格段に生活水準が上がったにも拘わらず、自分の内面や社会の諸相のぎくしゃくした不安定さに直面して、文明すなわち生活水準の高度化は必ずしも人間的な幸福感と一致するものではないと考えるようになったからだ。それは一般生活者の、自然的な生活水準の高度化に準じればいいので、しゃにむに獲得することが大事なことではない。
 これは国レベルの話でも同じことで、大国でなければならないというのは侵略や植民地化が横行した時代を引きずったままの考えだろうと思う。もちろん、違った形での攻防も現在的にあり得ようが、むしろそうした現実的な課題をどう乗り越えるかという発想と認識を求めるべきではないかと思う。その意味では、本当は日本はそれこそ世界に冠たる知恵を持っているし、心性を持ちうるという気がぼくにはする。そこから見れば、日本の指導層は世界から見た日本の適材適所の位置を見誤っているように思われる。ややトーンが落ちてしまうが、有り体に言えば、誠意、誠実、正直さみたいなものが日本が誇れる日本人の心性でしょう。今日に至ってもまだそうであると言えると思う。これをなし崩しに崩してきたのは指導層に第一義の責があると思うが、大衆にはなお生きて存する。これを人間の理想的な心性の1つと見なすならば、これもまた理想のひとつである戦争放棄の理念と一緒に世界に発信し、一貫して態度と主張とを示し続けるべきであると思える。
 そんなことは世界に通用しないというものもあるだろうが、その時、本当に遅れているのは世界なのかこちら側なのかはそう単純には判定できない。また、本当は通用させることが第一義とも思わない。現在とは動的なものである。そしてこの動的な現在において信じているところがあるとすれば、その信じているところを素直に表に表す以外に、互いに有益なコミュニケーションは他に求められないと思う。
 以上、まあ、仕事の合間の退屈しのぎに考えた、個人的な独白に過ぎないものではある。
 
付箋その四十九
宇田亮一著「吉本隆明『共同幻想論』の読み方」について C    2013/11/02
 ここまで、はじめに考えていたよりも宇田の著作について上手く要約できずに、足踏みしてきた感がある。
 この本を読んで、宇田が吉本隆明の思想的に広汎な考えをよく理解し、「共同幻想論」という本を中心によく整理してまとめ、それを上手く紹介できていると感心した。
 その感心したところを、今度は自分が端的に表現することで、宇田の著作の紹介と、自分の「共同幻想」に関わる考えの整理を兼ねて文章を書いてみようというのがそもそもの発端であった。始めてみるとこれが難しいということと、それに伴って、心的に一定の状態を保って読解や表現に向かう煩わしさに抗しきれず、少しずついい加減な水準に堕していった。そのことを分かった上で自分に許してきた。
 
 これらのことに少しこだわってみる。
 そもそもが宇田の著作は吉本の「共同幻想論」の解説書、案内書として編まれたものである。その意味では余分なものをそぎ取って、とにかく「共同幻想論」の世界を分かり易く、しかも宇田が言うところの「共同幻想論の凄さ」を含んでダイジェストに紹介したものと言える。「共同幻想論」の世界をそのような意図で書き表しているかぎりは、そこに含まれる内容は不可欠の、そして必要最小限の、いずれもそれを抜きにしては従前の目的が果たせない項目立てや文章であるといっても過言ではない。はじめ私はその中でも特に感心したところを中心に取り上げていけばいいと考えていた。一応、一章と二章は、お気楽にだが、そういうことをなしている気分だった。けれども第三章の「共同幻想論」の各論になると、ひとつひとつに踏み込んで考えることが億劫に感じられた。同時に、長く「共同幻想論」から遠ざかっていた私には、宇田の解説や要約が正鵠を射ているか、あるいは原著作者の吉本の意に対して、必要にして十分に応えているものかが分からなくなっていた。つまり細部にわたっては宇田の文章にあれこれ言えない、付け加えるところを持たない自分がいることに気づいたのである。
 そうこうしているうちに、私は抽象的な概念を使って抽象的な思考を続けることは、どこかしら虚しいことのように思い始めていた。例えば共同幻想という概念であるが、これはわたしたちの頭の中にだけ存在することが出来るものであると同時に、その意味内容についてはそれを考えたことのある人の数だけ存在しているはずだ。つまり、ひとりひとりが考える「共同幻想」はどれもみな少しずつ違っていて、どれひとつとして同じであることがない。仮にそれが宗教や法という形に集約されて外化されるにしてもだ。その証拠に、というほどでもないが、吉本の「共同幻想論」に言及する数人の有名無名の人の文章を読んだが、そのイメージしているところは画一ではないことが見て取れる。
 もともと「共同幻想」という言葉自体が吉本の造語だとされる(?吉本本人には「対幻想」が造語という発言がある)。自分の中にあるイメージを「共同幻想」という言葉で命名して見せた。そのイメージは物として取り出してみせることも出来ないし、スクリーン上に再現してみせることも出来ない。元をたどればヘーゲルの「共同精神」「共同観念」に突き当たるが、おそらくはほんの些細な、しかし吉本からすれば看過できない差異があって「共同幻想」と置き直すほか方途がなかったのだろう。だがそう考えると、厳密な意味では個々人のイメージとしては、また別の造語による命名が必要ではないのかと私は思う。それくらい微妙に、それぞれがイメージする「共同幻想」「対幻想」「自己幻想」の内実は異なる様相を呈していると思う。そこにかかずらい、語の定義を明確に求めようと緻密に考えれば考えるほど、逆にそれぞれの差異の方が大きく見えてくるようになる。それは抽象的な語彙の運命だが、にもかかわらず、わたしたちの思想や学問や研究や、いや日常の生活ですらその上に成り立っていると言える。
 
 実は疑念はもっとある。宇田のストレートな心地よい解説の文章は、宇田自身の読解を基本のイメージとして、吉本の文章の中から宇田にとって都合のよい部分をピックアップして並べ立てているのではないかという疑念だ。そこにはもちろん宇田の才能や力業も見えてくるのだが、他に比べて論じ方自体があまりにスマートすぎる気がするのだ。もちろんそれさえも宇田の意欲と研鑽のたまものだと言えなくはない。
 そして、それやこれやで最初の頃の私の視点は消失してしまった。それから、こうなったらもう一度「共同幻想論」の「禁制論」からおさらいしなければならないのではないか、と思うようになってきたのである。
 そう考えてきながら、しかし、そんな面倒なことはしたくないと考えているのが今の時点での私の思いである。できることなら、ここに書いてきた全てをうやむやにしたまま、強引に第四章までを書ききって早く終わらせたいとただそれだけを考えていると言っていい。
 
 考えあぐねて何日か過ぎた。ぐだぐだ言い訳がましいことを並べ立てても仕方がないから、ここからまた第四章に関連するところに戻って文章を書き進めてみる。
 
 とりあえず宇田の文章から離れてみて、残るところ、覚えているところを手がかりにしてみたい。たしか第四章は、三章で「共同幻想論」そのものの読解を終了して、その後の「共同幻想論」というか、吉本の遺言のように残していったものを読み解くみたいな文章だったと思う。
 私には、ここが世にある吉本論、あるいはこれまでの「共同幻想論」を論じた文章と決定的に異なる箇所だと思っている。結論めいたことを言えば、宇田はここで「共同幻想論」が、観念の国家がどのようにして形成されたかについての論考であったことと、その思索の延長上に吉本が辿りついたところは(ハイイメージ論などを想定して)、自然過程としての国家の消滅、解体の言及であったと指摘している点だ。あるいは、そうした吉本の予測が言葉や思想や観念の上だけではなく、現実的に国家解体の初期過程に入りこんだと指摘していると言い換えてもよい。私の少ない知見では「共同幻想論」について論じながら、これを国家の形成から解体までの長いスパンで、しかも現在に解体の問題が浮上したことを語った文章を読んだことがない。確かに、後年の吉本の発言とその文字化を読むと、きれぎれに観念としての国家の消滅を示唆する言葉が散見されたと感じる。けれども私などは宇田の言う「一本道」でそれを理解しては来なかったクチだ。
 後年、吉本が消費資本主義と命名してさかんに消費社会のことを述べていたことは知っている。資本主義がマルクスが生存していた頃とは格段に進歩・発展して、マルクスたちの考えたことは修正や変更を余儀なくされたり、もっと言うと既存の経済学が通用しないほどに資本主義が高度な段階まで来たという意味のことを述べていたと思う。吉本は特に産業構成の変化に目を止め、一次産業ばかりか二次産業の減少と三次産業の台頭と興隆が、ある時期から三次産業で過半を超えるまでになったところで資本主義が一段高度化したと見ていた。そしてそこを結節点に、消費資本主義というべき段階に突入したとして、消費が生産を上回る社会になったことに人々の注意を喚起しようとした。吉本によれば、生産と生産に携わる人々の比率が3割程度という社会は、そしてますますその比率が下がるだろう社会は、歴史的には古代と前古代との間にしか想定できないということになり、少なくとも生産と消費の関連からは、「現在」の向こうに「前古代」が浮上してきたのだとしか言えないものということになる。そしてこれは吉本が「共同幻想論」で幻想としての国家の形成過程を考察したそれに遡って、まさに国家生成に逆行する事態が、国家の消滅が、今日の社会に現出したとみなしてもおかしな話ではないということになる。これは相当にインパクトのある説ではないだろうか。
 言うまでもなく、「前古代」とは狩猟・採集・漁労など主に自然の恵みに与ってこれを消費する社会で、原始農耕が始まったとはいえ多くの人々が生産に携わったと言えるのは、水田稲作が本格化する「古代社会」を待たねばならなかった。同時に、この「古代」という時代は、定住化が進むと共に集団的には血縁から非血縁へと拡張し国家形成の条件が整い、実際に多くの国家群とこれを統一していく勢力が出現した時代であった。言いかえれば、「古代」において稲作が本格化すると共に生産に従事する人々が大半を超えるようになり、共同体の規模も仕組みも大きくまた複雑化し、現実の国家とその基礎となる共同幻想としての国家とが形成されたのである。
 現在の先進資本主義国の生産形態や生活形態が、消費と贈与というスタイルにおいて「前古代社会」のそれに一回り巡って近づいてきたことを受け、宇田亮一はここに古代社会に成立した幻想の国家が緩やかに解体していく契機を見ている。いや、それを吉本隆明が予測していたのだと宇田は指摘する。もちろん現実的には「前古代社会」に戻る道理はないわけだから、血縁や氏族にとどまる共同体に縮小したり閉じたりしていくこともあり得ない。だが国家の解体を象徴する共同規範が緩んで来つつあり、現に緩んでいる部分が多く見られつつあるとは言えそうな気がする。
 蛇足であるが、共同幻想とは集団のあるところには必ず生じるもので大小さまざまにあり得るが、問題になるのは国家規模の共同幻想であり、それが何故問題かといえば強固な禁制や規制や強制がはたらいて、個々の私的な部分とも言える対幻想や個人幻想を、時として度を越す抑圧によって病的に傷つけてしまうものだからだ。そこまでに至らない小さな規模の共同幻想は、宇田の言い方を使えば「ほったらかしにしてもよい」共同幻想で考察の対象から外されることになる。
 さて、共同幻想としての国家、国家としての共同幻想が解体し、消滅するというときに、
わたしたちに安堵が生まれたり、理想が近づくというようなハッピーな気分に浸れるかというと、たぶんそうはならない。何故かというと、今日的な国家は共同幻想の最終形態と言われるものの、この最終形態は権力闘争という形で幾度も代替を繰り返してきているものだからだ。その意味では、仮に外堀が埋まったと言ってもまだまだ別の国家に取って替わるだけかも知れないし、国連という形で国家の上の機構に統一されていくのかも知れないという怖れはなくもないといえる。
 宇田亮一は高強度の共同幻想はいずれ解体し、「国家の次に来る共同幻想」は低強度で
前古代社会の再構成といえるものになると言っているが、それがまた自然過程であるかのようにそのように進むのか、そこにわたしたちの願望や実現への努力が必要なのかは明確ではない。
 いずれにしても、今日の世界の加速するグローバル化を受けて、安倍政権は大企業の後押しを兼ねながら日本国を国民主権から金儲け主義者たちの主権国家へと変革しようとしている。もちろんこれは吉本や宇田をはじめとして、国家という共同幻想の解体の兆候を
考察してきたものたちが感じとったものを
彼ら政治家たちが直観的に察知していることを背景として、その不安や恐れから生じてきた国家権力担当者たちの怯えを象徴するものだと見ることもできる。たしかに、なにかが変わろうとする足音が近づいてきている気配は、社会や個人の内外を問わず忍び寄っていると思わずにはおられない。それがどんな形になるのか、私にはまだよく分からない。ここでの宇田亮一とネットのブログでの思想家内田樹は、ともに、「顔なじみの共同性」や「地域規模の共同性」に再構成していくことに希望的なイメージをこしらえているように見える。だが、もともとがそういう地域の顔なじみの中に育った私は、それに近似した共同性に希望や理想を託せるのかと疑問を感じないではいられない。
 もう一つ不明なことがある。
 今日の世界のグローバル化は、企業が国境を易々と超えているところに特徴が見いだせる。言い方を変えれば、経済が政治を二義的なものに引き下げ、経済や市場が世界を主導しているようにさえ見える。もはや経済をコントロールするのが政治ではなく、経済が政治を動かしていると言ってみたいくらいだ。TPP協定などもその一環に思えるのだが、そこからも従来の国家の枠組みとか境界の強固さとかが緩んできているという印象がある。いや、弛めないと国の存立自体が危ういという地球規模の状況が生まれつつあるという気がする。これは、吉本や宇田の説とは別の側面からする、もう一つの国家解体の兆候であるとともに、要請でもあるのではないだろうか。ただしこちらにはもう一つ上の共同幻想に向かう動きがあり、それを考えても簡単に「顔なじみの共同性」に私たちの社会が向かうような気が、私にはしない。
 
 ここまでの言及で今の段階における私の念頭の思いは、きめの粗い素描としてではあるが拾い尽くし、書き尽くしたと思う。とりあえずこんなところで終わっておく。
 
付箋その四十八
宇田亮一著「吉本隆明『共同幻想論』の読み方」について B    2013/10/24
 第一章では、一部の人にしか馴染みのないそもそもの「共同幻想」という言葉の概念、そのあらましを紹介している。もちろんそれといっしょに「対幻想」や「自己幻想(個人幻想)」についても述べていた。また吉本の『共同幻想論』を通底している考え方が、近代主義的な思想家たちとは全く違うということにも触れ、さらには「共同幻想」には「強度」があるというところまで指摘している。
 第二章では、『共同幻想論』という書は、一章であらましを紹介した「共同幻想」「対幻想」「個人(自己)幻想」という吉本独自といってもいい人間の観念のはたらきの捉え方を元に、それらが「原始未開」「前古代」「古代」といったそれぞれの社会の、共同体の規模や生活と生産手段の変遷の中でどのように展開して行ったかなどの概要を教えてくれていた。
 いわばこの書は一章、二章で『共同幻想論』を読みこむための基礎・基本を読者に習得させ、三章ではいよいよ『共同幻想論』を各論にわたって読者と共に読んでいくというスタイルをとっている。もちろんここが宇田のこの著作の本論にあたっていて、さかれるページの割合も一番多い。
 『共同幻想論』は十一編で構成されていて、順番に「禁制論」「憑人(ひょうじん)論」「巫覡(ふげき)論」「巫女論」「他界論」「祭儀論」「母性論」「対幻想論」「罪責論」「規範論」「起源論」となっている。宇田はこのうちの「禁制論」と「他界論」が時代を貫通するテーマを扱っているとして個別に論じ、「憑人論」「巫覡論」「巫女論」を原始未開社会を舞台とする第一グループ、「祭儀論」「母性論」「対幻想論」
を前古代社会を主な舞台とする第二グループ、
「罪責論」「規範論」「起源論」を古代社会が舞台の第三グループというように分けて、大きく5項目に組み替えて解読していく。私は正直に言えば時代別に組み替えて読むという宇田のような発想をしえなかったから、宇田の書を読み進めて全体的な理解と理解の深まりとが共時になされたことに驚いた。以前にこういう読み方が出来ていたらずいぶん違ったろうなとも思った。
 ところで、『共同幻想論』の著者本人である吉本が、宇田亮一がグループ分けして見せたような意図を持って配列していたのかどうか、私にはそのことを言及する吉本の発言の記憶がない。発言の記憶はないが、こうして宇田によって示されてみれば、それが吉本の意図したものだというように思われてくる。それほど宇田の解説は「はまって」感じられるのだ。
 「原始未開」「前古代」「古代」は言うまでもなく、経済社会構造と心的(精神)構造の違いに基づいた歴史の時代区分だと見ていい。「原始未開社会」は生活手段が狩猟・漁労・採集の社会で、心的な世界もヒトの生涯で言えば乳児期のようなもので、未明から少しずつヒトらしい心的な形成がなされた時代だと言える。この時代はおよそ10万年続いたと見られ、宇田はこの気の遠くなるほどの時間の中でヒトは自分と他者の曖昧な境界を区別するようになっていき、地続きだった現実の世界と心の世界が分化していったと考えている。次に「前古代社会」とは生活手段が狩猟・漁労・採集にプラスして焼畑農業のような原始農耕がはじまる社会のことを指し、「生産」が始まった時代と言うことができる。
生活上もそれまで一体であったのが、それぞれ社会生活と家族生活と個人生活とが分離する兆しを見せ、事実分離していった時期である。心的な世界も、ヒトの幼児期に譬えられると思うが、いろいろな理解が深まり視野も広まる時期だったと考えることができる。ここでの文脈の流れで言えば、宇田はこの時期に共同幻想・対幻想・個人幻想がはっきりと分離したと述べている。
 「古代社会」についても同様に重要な言及がなされるのだが、そのことよりも、今私はヒトの心や考える力、言い換えれば人間の観念が、暮らしを取りまく状況や生活手段、採集や生産といった経済社会構造などと相互に影響し合いながら歴史を刻み、文明と文化を発達させてきたことを強く再確認する思いでいる。人間の社会も歴史も、観念の存在なしには成り立たなかった。そしてそのことは、幻想としての国家(共同幻想・共同観念)ばかりについてではなく、人類の歴史そのものを理解する上でも第一に考慮しなければならない問題だと思える。
 結局、こうした時代区分と、吉本の『共同幻想論』の各論をグループ分けして解説するくだりは、とても分かり易くて、ともすると『共同幻想論』を直に読みこんでいたときよりも、全体的な見取り図を見ながら軽快に読み進んでいくような快適ささえ感じることが出来た。そして当然のことながら、私のこのような稚拙な文章を抜きにして、直に宇田の『共同幻想論』各論を解説した本編にあたってもらうのが、吉本の『共同幻想論』を理解するための最短で最良の方法ではないだろうかという気がしてくる。そんな理由からここではあまり多弁を弄さない方がいいと思い、これだけで止めておきたい。
 
付箋その四十七 わたしのニュースの読み方A     2013/10/18
 現在の日本国の首相である安倍晋三という男について、わたしは前回の首相時から大言壮語癖のある人間ではないかと直観してきた。これにはあまりたしかな根拠はないから与太話として片付けられても仕方ないが、昨今では虚言癖もあるのではあるまいかと怪しんでいる。ただし、大言壮語や虚言にも所々に宝くじのような「アタリ」があるために、かえって批評がしづらいところがある。こういう政治家に関しては、判断を保留しておく方が誤らないですむと考えてきた。もちろん誤解してほしくないのだが、彼を批判したり非難することを保留し、なるべく避けたいというのは彼を政治家として認めているということではなくて、逆に批判や非難の価値がないと考えてのことだ。
 自分の過去から安倍のような人間性に近い者は居ただろうかと考えると、高校の時の空元気であんぽんたんな生徒会長が居た。要するに生徒会長という役柄が好きだというだけで、毒にも薬にもならないが威勢がいいだけの生徒会長としてうってつけだった。一般生徒も彼を無視して憚るところがなかったから、面倒くさいことが少なくて、それだけに都合のよい生徒会長だったに違いない。安倍にも、特に富裕層や指導層などにはそう見られる側面があるように思える。政治や政治家が、子どもの頃に好きだったアニメや漫画や玩具のように好きなお坊ちゃんで、漫画オタク同様政治オタクと言っていいくらい政治のことが頭に詰め込まれている。だが、ただそれだけのことだ。ひと言でいえば政治的な表層にしか目利きの及ばない、だが表層においては通人として通用する人材だとは言えよう。
 この、あまり人間的な興味も持てない安倍首相がどんな性格で、どんな政治を行っているかを端的に示すものとして、ネットに公開されている東京新聞の記事は最適だと思う。臨時国会での安倍首相の所信表明演説における主張の主なものに、記者がいちいちのコメントを差し挟んだものが16日付けで掲載されている。これを読んだだけでこの政権がいかに我々の意にそぐわない政策に向かう集団かが理解されるし、理解するのにはこれだけの材料で十分だと言える。以下に、東京新聞の政治欄に書かれた記事全文を引用させてもらう。
 
震災復興 成長戦略 都合いい数字引用 所信表明演説 
2013年10月16日朝刊
 
 安倍晋三首相が十五日行った所信表明演説では、デフレ脱却に向けた成長戦略の実現、被災地の復興加速、福島第一原発の汚染水対策などを重要課題と位置付けた。しかし、政権にとって都合のいいデータが多く示され、厳しい現実を示す数値は示さなかった。これでは国民の信頼は得られない。 (城島建治、横山大輔)
 
◇経済
 首相は経済政策に関し「昨年末○・八三倍だった有効求人倍率は、八カ月で○・九五倍になった」と、雇用状況が改善していると強調。「若者、女性をはじめ、頑張る人たちの雇用を拡大し、収入を増やす」と明言した。
 
 だが、総務省の労働力調査によると、政権が発足した昨年十二月以降、非正規雇用の労働者は増加している。昨年十二月は約一千八百四十三万人だったが、今年八月には約六十三万人も増えて約一千九百六万人。過去最多の水準になった。逆に、正規雇用の労働者は微減しており、安倍政権の政策が雇用の安定につながっているとは言えない。
 
◇復興
 東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた集落の高台移転について、首相は「ほぼすべての計画が決定し、用地取得や造成工事の段階に移った」と順調に進展していると説明した。
 
 しかし、震災から二年半がたつのに、対象の三百三十四地区のうち、造成する業者が決まったのは百四十三地区しかない。造成工事が完了したのは十地区のみ。安倍政権が経済政策として全国で公共事業を増加させたことで、被災地で資材や作業員を調達しにくくなった影響も出ている。
 
◇汚染水
 東京電力福島第一原発の汚染水問題に関して「漁業者が事実と異なる風評に悩んでいる。食品や水への影響は基準値を大幅に下回っている。これが事実だ」と述べた。
 
 しかし、福島県沖で捕れた魚から、食品の基準値(一キロ当たり一〇〇ベクレル)を超える放射性物質が検出されるケースが相次ぐ。今月だけでも、岩礁帯に生息するシロメバルから一キロ当たり五〇〇ベクレル、海底のババガレイから同じく三〇〇ベクレルの放射性セシウムを検出した。
 
◇外交
 演説では、外交政策について「首相就任から二十三カ国を訪問し、延べ百十回以上の首脳会談を行った。世界の平和と繁栄に貢献する」と語った。
 
 しかし、歴史認識などをめぐり対立が続く中国、韓国との首脳会談は実現していない。演説では両国との関係改善には触れず、事態打開のめどが立っていない現状を浮き彫りにした。(太字 佐藤)
 
 ほぼ解説は不要であろう。まさに安倍政権とは、都合のいい数字と都合のいい解釈にデコレートされた、人心をアンダーコントロール(制御される)下におく政権なのだ。その意味でも東京新聞の記者のコメントはとてもまっとうなものだと思う。最近では政権に遠慮してか媚びてか迎合してか、こういうまっとうなことを書く新聞も記者も希有なものになっている。いずれにせよ、福島原発の汚染水漏洩がとても制御できているとは言えないように、一般大衆がこの政権に完全にアンダーコントロールされることはあり得ないのだ。それほどこの政権が緻密な人心操作術に長けているとは思えない。
 この記事を念頭に置き、さらに思想家内田樹さんのブログで安倍首相の政治姿勢に関する記事、いわゆるグローバリスト政治家論とでも言うべきいくつかの文章を読めば、今日の日本の政治と経済の状況についておおよその枠組みは把握できるように思う。
 そこから浮かび上がるものは、この国の政治家も経済人も、東日本大震災や福島原発事故で被害にあった人々の生活に関心がないばかりか、一般大衆の社会生活にも関心を失っているという赤裸々さである。要するにテメェラの関心事にしか関心がないという、精神のない職業人が国家的な要職を占めているということだ。もちろん見解はいろいろにあるだろうが、私はそう思っている。
 
付箋その四十六 わたしのニュースの読み方@      2013/10/17
 極東ブログ10月14日付に、「なんとなく心に引っかかっている、やりきれない二つのニュース」と題した記事が掲載されている。 2つのニュースの1つは、
 
横浜市緑区の踏切内に倒れていた74歳の男性を助けようとした女性が電車にひかれて亡くなった事件
 
である。また、もう1つは、
 
三鷹市の女子高生ストーカー殺人事件
 
ということになる。
 これら2つの事件について、極東ブログの作者はかなり丁寧に報道された事実をかき集め、推論を加えながら記事を書いている。
 で、「なんとなく心に引っかかる」という点ではわたしなどもその仲間で、けれどもそういう気持ちというのは日常茶飯で作者のようにこれを1つの記事のように書こうとは思わなかった。いや、思わなかったというと嘘になるが、思っても書くまでには至らなかったということだ。
 1つ目のニュースについて、端的にいえば作者は反射的に救助した女性の行動に感心したことを述べている。ただ、亡くなったこの女性に対して政府が紅綬褒章を授与したことで、こういう行動を過剰に促すことに繋がらないだろうかと作者は心配している。そして
 
紅綬褒章が「自己の危険を顧みず人命の救助に尽力した者」に授与されるなら、近年の事例はどうなっているのか気にな
 
って、いくつかの事例を過去のニュースから探し出してつきあわせ、結果として紅綬褒章の授与は妥当なものだと結論している。
 わたしはこの記事の作者が客観性を大切にしていることが分かり、そのことで作者の誠意も感じられ評価できるように思っている。わたしはそこまではしないし、出来ない。
 わたしのこの事件のニュースの読み方は次のように決定づけられる。
 まず報道を事実だろうと受け止めて、女性の行動を反射的に行った行為と考える。そしてあんなことを反射的に行えることに感心するとともに、人間というものはまだまだ捨てたものではないのだなと思う。
 女性の行為がよいか悪いかは考えないことにする。なぜかというと、よいか悪いかを判断すべきケースではないと考えるからだ。女性はとっさの行為としてあのような行動を取ったのであって、そこには人間というものがとっさの時には自分の不利益も顧みずに、平気で他人を救うことができるという事実が存在しているだけだ。
 わたしたちは彼女のそうした行動を知って、誰もが心を動かさずにはいられない。彼女の中にある人間性がそういうものであるとともに、私たちの中にある人間性というものもそういうものであって、そういうものだと認めるほかにいいようがないとわたしは思う。それをよいとか悪いとか考えがちなのもわたしたち人間の性なのだが、そこに来るともはや事象からかけ離れた別の次元のことになってしまうと思うので、わたしの場合は時々そこでの判断をあえて放棄することがある。
 もう少し突っ込んでいえば、彼女がああした行為を取ったのは彼女の生まれ育ちのせいだろうと考えている。生まれ育ちから、ああいう行為が行えるような内面を持つことになったとしか考えようがない。そういう内面を心と呼ぶとすれば、心は時として頭で考えることを超越した行いを人間に執らせることがあり得るのだと思う。
 もうひとつ密かに考えることがある。それは、あんな形で死を迎えることに関してである。どうかすると日常わたしたちはああいう形で死を迎えることを予測し得ない。そればかりか、そういうことはないだろうという考えに傾きがちである。だが、本当は死というものは彼女のケースのように、予測しない中で訪れるものではないのかというのが今わたしが考えていることだ。そういう死をわたしはどこか心の奥底で恐れている節がある。それはどうしてかよく分からない。何かの中断という思いが不安とともに心に駆け巡るが、考えてみると今中断して困る何かというものは何ひとつ自分の中に見いだせない。それでも、またどこからともなく生存が中断することへの忌避の念が湧いてしまう。たぶん、わたしたちは日常的には一寸先の未知を不連続の連続とはとらえずに、単に連続するものと思い込んでいるのだろう。脳がわたしたちにそう思い込ませていると考えてもよい。あるいは脳には一瞬後は断崖だという認識の機能がないとか、あえて欠落させられているとかかもしれない。いずれにせよ、そこまで来るとわたしたちの思考は凍り付いてしまい一歩も先へ進むことが出来ないでしまう。生存の中断が事実であり、中断としてしか死はあり得ないのに、その中断をわたしたちは認めたがらない。言いかえれば、生きている間にわたしたちの生が全うするなどということはあり得ないことに思われるのに、だ。
 わたしたちは彼女の突然の死が痛ましいことのように感受したりしているが、その根拠はおそらくその中断の先に何か楽しいことが待ち受けているかもしれないと考える、わたしたち人間の性癖が関与している。またどうかすると、当事者がわたしたち自身ではないことに安堵する気持ちも感受の中には含まれていよう。そうしてそれやこれやのいろいろな思いを人々の内面に喚起させて、彼女の行動と死という現実は過去の方角にフェードアウトしていくに違いない。ただ両親や兄弟などの肉親の彼女に対する思いだけが、いつまでも生々しく脳裏に去来するだろうことは想像に難くないとだけは言える。
 
 さて、先の事例を言い尽くせたわけではないが、2つ目のストーカー事件について考えを進めてみる。極東ブログの作者はこの事件に関して2,3のやりきれなさを感じたと述べている。たぶんこのやりきれない感じというものが記事を書くきっかけに繋がっているように思う。
 1つ目のやりきれなさは、「ストーカー事件をいうのをどう捉えてよいのかよくわからない」ことと、「現状の体制では防ぎようがない」と考えるところから来ているようである。もうひとつは、被害者である女子高生の、モデルか女優かを目指した活動への非難が聞こえてくるところに起因するらしい。また容疑者の性向に問題があるとして、事件が防げるか防げないかの問題ではないというあたりからも、やりきれなさを感じているようだ。 ストーカー事件に見るわたしの関心はほぼひとつに限定される。残余のものは第三者とか傍観者の立場として、あれこれ考えて何かよい考えが出せるというようには思えない。 わたしの関心はと言えば、ストーカーの心理である。
 中学生の頃運動部に所属していて、ほんのお遊び程度だが休日に家でひとりで練習することもあった。その頃同級生で好きな異性がいて、練習にかこつけながら彼女の家の周辺をランニングしたりした。今で言えばストーカーの初期段階だが、ランニングする姿を彼女に見てもらいたいとか、ひと目でも彼女の姿を目にしたいとか、そんな感覚があったように思う。
 高校の時にも通学のバスの中で好きになった女子に、昂ぶった気持ちでラブレターを書いて送ったことがある。その頃はバスの中で彼女の横顔を、誰にも感づかれないようにチラ見するのが最も大事な儀式のようになっていた。これさえ今考えるとストーカーの初期段階に思える。学校に遅れないように乗るバスの時刻表では2本の便があって、出来るだけ彼女の乗る便に往遇したいと考えていたのは事実であった。
 昂ぶる気持ちを抑えられずに送ったラブレターの返事が来て、お付き合いしてもよいと書かれた文面を読んだ時は嬉しかったが、同時に変な感じがあった。うまく言えないが、とっさに他人事のような思いに落ち込んだのだ。少し後になって、よそ事のような思いは強くなった。中学の同級会でわたしは彼女と初めて話をすることになったが、どきどきや緊張などはあっても、ラブレターを書いていた時のようなめくるめくような思慕の思いは失せていて、我ながら怪訝な気持ちになった。ラブレターを必死になって書いた時点で、わたしの自己表現は終わっていたのだと思う。わたしは自分の中の好きという気持ちに突き動かされて、好きと表現し、そう表現した時点で欲望の自己表現は成就したのだと思う。後は性欲に見る身体的な自己表現が残っていたのであろうが、当時のわたしはそれとこれとが結びついていなかったように思える。
 それらの経験を通じて、といえるかどうか心許ないところではあるが、わたしは自分の心というものは身勝手なものであるということだけは痛く身にしみて感じた気がする。また他人の気持ちや考えというものが、こういう言い方はうまくないかもしれないが、自分のそれらとまったく起源を異にするものだということも心の底から理解するようになった。 わたしがどんなにひとりの人を好きになっても、それはこちら側の事情に過ぎず、それをもって相手をわたしの意に従わせたり、心を向けさせることは不可能であり、またそうしてはいけないのではないかとわたしは考えるようになった。これは逆から言っても当てはまるし、またわたし自身が何よりも他者から強制されたり、支配されることを好まない資質を持っているから考えるところでもあるかもしれない。
 このような、他人を支配してはならないし、出来ないと考えることは何も難しい知識の研鑽などは一切必要としないと思う。ただ自分に問いかけさえすれば、誰も自分がそのように強制されることはいやなのに決まっているから、他者にもそれはしてはいけないと考えるだけのことだと思える。
 ここから全ての度を超すストーカー事件について言えることは、加害者側の内省する力が足りないか中途半端なために引き起こされる事件だということだ。被害者がどんな性格で、どんな気立ての人で、どんな考えの持ち主であるかなどということは一切関係がない。また実際に付き合ったことがあったかどうかということも関係ない。いろんな人間がいる中で、そういう人はストーカーの果てに殺されても文句が言えないなどということがあるはずがない。凶行に及んだ方が一線を踏み外したと批判されるほかないのだ。そして、加害者になる側の、この内省力を高める以外にストーカー事件を防ぐ手立てはない。これが社会の一員としてのわたしの考えるところである。ただ、文学的な方に少し片寄って言わせてもらえれば、わたしにはストーカーの気持ちも少しはわかり、加害者の男性の一途にのめり込んだように思えるのめり込みにもある種共感は覚えるのである。身の破滅を予測できるにも拘わらず、錯覚も混じるかもしれないがひとりの女性を好きになり思い詰める。自分はそうまで女性を好きになったことがあるだろうか、と思うのである。
 
 2つの事件はまったく別物だが、どちらも通常の思考回路を保っては行えない行為を行っている点で共通している。人間をこうした行為に駆り立てる衝動は人間の思考の範囲では解明できないに違いない。解明できないが、人間の持っている能力の1つとして、自己犠牲をいとわない行動と、他人を犠牲に供する残虐な行いとがわたしたち人間に共存することだけは理解できる。極東ブログの作者の言をパクるならば、たしかに「やりきれなさ」は残ると言えるかもしれない。
 
付箋その四十五 対なる幻想の後退劇        2013/10/11
 「死の刺」に代表される島尾敏雄の病院記、病妻物は、「家庭の事情」小説という見方もあるが一種の、今日的な意味合いでの家庭内暴力とも言えるのではないだろうか。これまでにもすでにそういう捉え方がなされていたのかどうか寡聞にして分からないが、ぼくは子どもたちの家庭内暴力との酷似を感じている。といっても、どちらかというと「暴力」そのものに訴える形というより「ひきこもり」や「不登校」という形の、広義の家庭内暴力のうちのひとつに相似するように思える。
 妻は、「あなたはこれまで妻らしく接してくれたことがあっただろうか」、あるいは「妻に対する理想的な接し方として、自分に接してくれたことがあっただろうか」と繰り返し夫を詰問する。
 こういう問い詰められ方をしたら、たいがいの世の夫たちは幾分かの負い目や引け目を感じないではいられないだろうと思う。どうしたって100%の理想的な接し方をしたと言い切れないからだ。小説の妻は、そう言い切ってもらいたいという願望を潜在させながら、同時にまた夫がそうしなかったことによる謝罪をどこまでも要求していくという内在的な矛盾にさらされ、夫はまた妻の尋問に対して内部崩壊し、袋小路のように解決の糸口を見失っていく。
 世間一般的に言えば、夫と妻との関係はここまで深みにはまる前に、別居や離婚という形で決着を図ることが普通だと思う。ここまでこじれるのは逆に言えば小説の夫と妻とに、お互いへの異常な執着心があったからだろうと思う。それを愛と呼ぶべきかどうかは分からない。
 小説では、事の発端は夫の浮気に発している。では浮気をしなかったら妻から夫への問い詰めは無かったと言えるだろうか。
 ぼくはここまで顕著に表れないとしても、隠微な形でならどんな妻たちにも潜在的にありそうな気がして仕方がない。何故かというと、体験から言っても夫婦の関係からは妻の期待を裏切ったり、妻の希望通りに自分が意に沿った行いをしていないことを承知しているからだ。それは仕事が忙しいとか、職場の人間関係が複雑でとか、自分の性格や嗜好からとかいろいろな理由付けは出来るが、結果として100%どころか50パーセントの意に沿うことすら生涯的には不可能なことだろうと思う。そして本当は男女ともそう感じながら口にださずにすませているのだという気がする。
 子どもの場合を考えたときにも、非血縁的な集団の中に入っていったときに、ちょっとした不如意やちょっとした挫折があって、それらを親のせいにしてみることは考えられることのような気がする。すなわち、自分をちゃんと育ててくれたのかとか、理想的な育て方をしてくれたのかとか、本当に愛情を注いでくれたのかとか、言葉にして問わない場合でも子どもは無言のうちで問うているような気がする。両親からすれば100%理想的な育て方をしたとは言えないところがあるから、先の妻に対する夫のようにどこまでもその問いを許容したり譲歩しがちになる。
 親子が夫婦の場合と違うのは、離婚や別居というように、初期の段階で、もつれていくことを回避する手段がないことだ。また、今日では強い夫を演じるように強い親を演じようとしても子どもに通じることは少ないだろう。親は子どもにひたすら寛容になり譲歩や後退を繰り返し、子どもは先の妻のように、だが言葉でというよりも不登校や引きこもりや時には暴力という形で、どこまでも容赦なく試すという試みのサイクルに入っていく。たぶん、子どもは先述の妻のように内在する愛憎の矛盾に引き裂かれ、場合によっては精神的に病んでいくことも先の妻と同じだ。
 小説の主人公であった夫は最後まで、抱き合いながら妻との葛藤に沈んでいくが、そのことが最良の方法と言っていいのかどうかはぼくには分からない。そのことで彼の家族は希有の体験を強いられ、最悪に近い形では殺人や無理心中に発展する可能性もなくはなかったと言えよう。作者自身と考えられる主人公は、すべてを受け止め、背負い、一から妻との関係を作り直す物語を紡ごうとする。家族の再生を目指す。
 子どもの家庭内暴力は、両親が譲歩と後退を小説の夫のように徹底したら、すべての登場者たちの内部崩壊を乗り越えて再生へと舵を切ることが出来るだろうか。出来るかも知れないが、満身創痍の犠牲を孕むことだけはたしからしく思える。
 
 ぼくたちは、近代的で自由な、しかしどこか幼さのある危なっかしい恋愛の行く末と、注がれるべき愛の受容に失敗した子どもの行く末が、家族の解体という本流に共に合流する様を眺めていることになる。二つの事例は全く別物のように見えながら、実は同じ経済社会体制の舞台上で演じられる受難(愛憎)の物語ということでは同じ側面を持つ。もちろん受難にさらされているのは対なる幻想ということが出来るし、それを強いてくるのは共同なる幻想であるということは、仮にそれらが現象の背後に隠れて見えないとしても確かなことだ。ただぼくが言えるのはそこまでで、その先にどのような対なる幻想を希求し、そのために共同なる幻想がどのように再配置されなければならないかを語ることは、まだぼくの思考の及ぶところではない。
 
付箋その四十四
宇田亮一著「吉本隆明『共同幻想論』の読み方」について A      2013/10/10
 第二章で宇田は『共同幻想論』のюヲさということで、次のように述べている。
 
 まず最初に『共同幻想論』のюヲさを一言で述べておきたいと思います。それは「人間社会の本質とその歴史を共同幻想・対幻想・個人幻想の関係構造として取り出した」ことです。
 『共同幻想論』ではэ煙ケの人間社会を大きく三つの時代に分けて考察します。原始未開、前古代、古代の三つです。『共同幻想論』で大事なことは、この三つの時代区分をщ、同幻想・対幻想・個人幻想の関係構造の違いとしてとらえることです。
 
 これは言いかえれば、原始未開、前古代、古代について、それぞれを共同幻想・対幻想・個人幻想の関係構造の違いとして論ずれば、国家形成過程の本質を言い尽くせるということになる。少なくとも吉本の『共同幻想論』は、はっきりとその射程をもって書かれているということを宇田は言っているのだ。そして宇田は実際にこれらの概念を再構成して、「国家」生成の過程を跡付けて見せてくれている。それ自体の叙述も見事ではあるが、それ以上に私は途中に挿入された、原始未開・前古代・古代の時代区分とそれぞれの時代の経済社会構造の変遷を述べたくだりに思わず唸ってしまう。これはまあ「前振り」みたいなもので、この重要性は最後のオチを大化けさせることになっている。
 ここで一応ヒントになりそうなことを言っておけば、宇田はまず日本の古代社会において水田稲作が生活手段の中心になったことを言っている。これはつまり人間社会が、本格的に生産活動を中心にすることを意味している。同時にこの古代という時代は血縁集団としての氏族共同体から、非血縁集団である部族共同体へと飛躍し、さらにはまた統一部族共同体を形成するに至る時代だということだ。まだある。前古代社会で共同幻想・対幻想・個人幻想が完全に分離して、それぞれの位相、領域に分かれたヒトの観念のうち、共同幻想そのものが分化・分離するのが古代という時代だということだ。
 生産活動が本格化し(共同体が総力を挙げて生産活動に従事するようになったということ)、共同体が血縁から非血縁集団へと飛躍し、共同幻想が構成員を強く規制するようになってきたとき、私たちはこれを初期国家生成の必要十分な条件と考えて差し支えないと思える。そしてこのことは、現在の先進国社会の産業構成比あるいは産業における生産と消費の構成を比較することとによって、少なくとも今日の生産活動については前古代社会に酷似してきたことが見て取れるようになる。
 
 ところで、ここまで来て私は宇田亮一のこの本における特徴を、おおよそではあるが言ってみせることができるように思う。
 私のように長い間吉本の著作を幼児のようなたどたどしい足取りで追い続けたものにとって、宇田の著作に出てくる言葉や概念はおよそ既知的なものであるといってよい。どこかで読んだことがあったり、考えたりしたことのあるものばかりといってもよい。だが宇田のように吉本の著作の世界の全体を俯瞰し、あれとこれとを関連づけて再構成してみせるだけの力は私にはなかった。
 別な言い方をすると、宇田亮一の最大のお手柄を推量するに、吉本の後年の消費社会(超資本主義)と経済社会構造などへの言及が別の意味では共同幻想の解体過程にあたることと、そのことはそのまま前古代の様相を呈し、これに段階という概念を導入すればアジア的段階とアフリカ的段階とが浮かび上がってくるということを整理して示した点にある。そこから帰結することは、国家という高強度の共同幻想は必然的に消滅に向かうという予測であり、同じく必然的に低強度で血縁集団のように規模の小さな共同体が社会的に前景化していくに違いないという予測である。それは最終章である第四章、「『共同幻想論』はщ゚未来を予言する」にすべて流れ込むように構成されているはずだが、とりあえず今回はここまでということにしておく。
 
付箋その四十三
宇田亮一著「吉本隆明『共同幻想論』の読み方」について @      2013/10/08
 この著者の二冊の本をつい最近になって読んだ。いずれも有名なといえば有名な吉本隆明の著書、『共同幻想論』と『心的現象論』についての、自称、解説書である。著者自身の言葉によれば、
 
この本は臨床心理士が書いたガイドブックだということになります。あるいはサラリーマンが書いたガイドブックだということになります。(「吉本隆明『共同幻想論』の読み方」より)
 
ということになる。けれども、解説書、ガイドブックという言い方は謙遜だろう。世にある案内書、解説書の域をはるかに超えていると私は思う。
 吉本隆明の『共同幻想論』と『心的現象論』
は、すでに現在では過去の遺物として扱われることが一般的であると思う。一部の支持者(といっても本当はどれほどか分からない)を除けば、学問や医療の世界からも文学や政治の世界からも、それらの著書が話題に上ることはまず無くなったと言っていい。私などはそのことを残念に、また悔しく感じてきた部類に入る。もちろんそれらが今日においても真に状況的な問題や課題の核心を衝いた論考だと信じていたからだ。けれども世間的には埋没されてきた。言い方を変えると、あえて埋没させようとする悪意を、私は世間のどこかに嗅ぎとる思いを抱いていた。本当の本物はこういう扱いを受けるのだなと、いいようもなくこの世界の在り方に嫌気がさした。
 吉本さんはしかしその後も精力的に『ハイイメージ論』や『母型論』を書き続け、初期の思考を拡張したり発展させたりした。私などには、初期の問題意識の継続のさせ方と、逸脱せずに一本道に追求していく展開の仕方とは見事と感ずるほかはなかった。もちろん社会の吉本さんへの関心は薄れていく一方であったが、吉本さんと吉本さんを愛する読者とは、吉本さんが開拓していく、そして開拓していった思考の先に、本当に思想的に困難で緊急の課題が、しかも世界的な規模の課題が横たわっていると信じて疑わなかったに違いないと思う。
 宇田亮一は前述した二冊の著作の中で、吉本さんや吉本さんの愛読者たちが内部の目にはっきりと映し出していながらそのゆえに考慮する必要さえ感じなかった外部の目に対し、言ってみれば彼らに代わって吉本思想の世界の全体図を分かり易く示し得ている。そればかりではなく、彼の著作によって、いったんは埋没の危機に瀕していた『共同幻想論』と『心的現象論』は、現在に以前にも増して生き生きと甦る思いが、私にはした。
 
 ここから宇田亮一の着想のすばらしさや卓見などを拾い上げていってもいいのだが、いちいちあげていったらきりがないと思うので、『共同幻想論』についての論考の中で特に感心した部分を繋いでいくようにしながら紹介してみたい。
 「吉本隆明『共同幻想論』の読み方」は次に示す4つの章からなる。
 第一章 щ、同幻想って何だろ
 第二章 『共同幻想論』のюヲさって何      だろう
 第三章 『共同幻想論』を読む
 第四章 『共同幻想論』はщ゚未来を予      言する
 まず第一章では『共同幻想論』の概要を述べている。
 言うまでもなく吉本の『共同幻想論』は国家論であるが、歴史的なあるいは現実具体的な国家の機構や形態などに言及したものではなく、観念上の国家論である。国家とは共同観念なんだ、そういう切り口で国家を考えることができるということは、ヘーゲルなどの西洋近代哲学が教えるところであった。この共同観念は歴史的には宗教、法、国家というように変遷したり保存されたりしてきた。吉本はそれに着目して、共同観念としての国家の生成を原始未開社会から跡付けようとするのだが、同時に広義には心の問題としても考えなければならないものでもあった。観念を広義の心の問題として考えるときに、人間の現実的な在り方として3つの局面があるのではないかと吉本は考え、それとの心との対応を考えてそれぞれ、共同幻想、対幻想、自己(個人)幻想と呼んだ。この中の対幻想を、一個の独立の領域、独自の位相として取り上げたことは吉本のオリジナリティーである。私たちはこれによって、私たちが漠然と心や頭をはたらかせて内面に思っているところのものを、ひとつは集団性に関係するところものとして「共同幻想」を、またひとつは一対の関係としての「対幻想」を、そして自己自身との関係を表す「自己(個人)幻想」をというように大まかには3つの領域として抽出できるようになる。
 宇田は、ここでは「幻想」を「観念」と見なすばかりではなく、「規範」の意味合いも持つものだとして「観念」と並列に置いている。いわゆる微妙なニュアンスの違いをそれによって区別しているのだが、いくぶん共同幻想、対幻想、自己幻想といったときの「幻想」の意味合いを受け入れやすいものにできていると思う。
 この章で私が感心したのはほかにもある。例えば、吉本は共同幻想と個人幻想は原理的に逆立ちの関係にあるとするが、ごく最近まで吉本思想の理解者といえどもこれを明確に把握する人は多くはなかった。ところが宇田はこれを「前景化」と「後景化」という言葉ですっきりとまとめて見せた。すなわち、私たちの内面では「共同幻想が前景化すればするほど個人幻想は後景化」し、逆に「個人幻想が前景化すればするほど共同幻想は前景化する」というようにだ。一般的に言えば、私たちは例えば職場に出向いているときには「個人幻想」は後景に引っ込めて、逆に「共同幻想」を前景化するものだと考えると何となく理解の筋道が立つような気がする。
 また宇田は共同幻想には強度があるという言い方もしている。高強度の共同幻想では「共同幻想が大きく前景化し」、そのために「個人幻想は大きく後景化する」ことになると説明している。これは、
 
違う言い方をするとыkュ度の共同幻想とは「共同規範・共同観念が前景化することで、構成員の怖れや縛りが大きくなる」あるいは「構成員の強い怖れや縛りによって、共同規範・共同観念のрツながりが維持される」
 
ということになる。ここから、高強度の共同幻想において個人幻想を萎縮させる度合いの大きいものほど個々人に対する抑圧が大きく、
宇田に言わせるとрルったらかしておくわけにはいかないという観点が出てくることになる。
 このあたりの解説を読むと私自身にも理解が進んだような気がしたし、単純に、ああ、分かり易いなと私は思った。ほかにも読めばためになることが多いが、とりあえずこの章はここまでにしておきたい。
 
付箋その四十二 ぼくらは泣き寝入りしているんだろうか?    2013/09/22
 この頃は新聞を読むことはほとんど無くなった。世間の出来事はほとんどの場合テレビのニュースで見聞きし、少し気にかかることがあれば時々インターネットのニュースや関連記事を追ったりする。詳細に知りたいことは内田樹さん、武田邦彦さんのブログ記事、それから「極東ブログ」や冷泉彰彦さんの「ニューズウィーク」の中にあるコラム記事を読んですましている。
 で、主に目を通すことが多い武田さんや内田さんの記事を読みながら、気が滅入る気分になったということを今日は言ってみたいわけだ。
 どちらもひと言でいってしまえば、政治、経済、社会、あるいは学者の世界というようなもののいわゆるエリート組織、共同体の批判が多い、とぼくは感じている。武田さんや内田さんの記事を読む限り、権力や権威にすり寄るものたちのほとんどが個人的でちゃちな見解に過ぎない思い込みをもとに、力や権威を借りて強引にそれを所属する組織や場合によっては組織外にも波及させていることが読み取れる。これは特にエリートにありがちな大きな間違いだと思う。個人の頭の中にあるに過ぎない考えやイメージを現実化しようとするわけだが、これは本来誰もが持つ欲求であり、一握りの人間の頭で考えたことを支配的に行使してすむ話では本当はないと思う。自分は政治や経済や社会や知識学問に精通している、そういう思い込みや自負があるのだろうが、そんなものはたいてい間違っている。つまり保守であれ進歩、革新であれ前衛ぶる指導者の立場からするイメージの実践と強制はやがて破綻するものに過ぎないことは自明だと思う。だが、いくらぼくたちが自明だと考えても、現実には同じことが繰り返されて日本の社会は泥沼の底に沈み込んでいく。
 
 たとえば内田さんの最近のブログ記事は、
五輪招致の問題や福島原発からの汚染水漏洩問題に絡めながら、安倍総理や彼の政府の政治姿勢に疑義を呈するものだった。また、大阪府の教育長の「君が代の起立斉唱」に関する通達に言及してこれを批判していた。あるいはすぐ後の回では大阪市の「民間からの校長公募」問題に触れ、これの失敗が任命側の橋本市長の資質が反映したものだと批判している。
 武田さんのブログでは最近では話題が多岐にわたっていて、幾分ぼくにはしっちゃかめっちゃかの様相を呈していると感じられるが、メディアと御用学者、東大教授、政府や自治体、それに東電上層部や幹部への批判は継続して行われている。
 内田さんや武田さんのそれらのブログ記事をざっと見渡して、気持が萎えるのを感じないわけにはいかなかった。彼らに批判される連中は、社会の上辺に寄生して国民や大衆の労働の上がりをかすめ取って自らを肥やし続け、元となる本体よりも大きな存在になってしまっている。それはちょうど、夏の庭の雑草のように刈り取られ引っこ抜かれても次から次へと庭一面を覆ってしまう繁殖力のすごさや、大きくなって本体よりも寄生虫が主になってしまっているような印象を思わせる。しかも、皮肉なことにそれらはみな社会的な発言力を有し、影響力を持った連中ばかりなのだ。言い換えれば国民や大衆のために存在するものたちこそが国民や大衆を食い物にする術を身に付けてしまったと見ていい。
 それらがこぞって、自分たちだけの金儲けを企み、自分たちの地位や立場をよくすることだけを考え、権力におもねり、嘘が顕わになってもさらに嘘を突き通し、弱いものを生かさず殺さず最低の報酬で生産に従事させるように画策する。
 
 昔、近隣の市の教育長が、「タバコの煙から子どもたちを守ることは教育者の使命だ」
と宣言し、教育施設の敷地内禁煙を大々的に打ち出したことがあった。テレビも新聞も大きく取り上げ、そうした雰囲気を盛り上げることに一役買った。ぼくはこんなバカなことをやったり、こんなバカを許容する連中と一緒くたに見られるのは嫌だったから教員であることを早々に止めた。それまでにもいろいろに不満はあったが、我慢に我慢を重ねたところでもう付き合いきれなくなったのだ。
 福島原発事故が起きて、学校関係者の誰ひとりとして、「放射能汚染から子どもたちを守ることは教育者の使命だ」と公言し、教育施設敷地内から徹底して放射線除去に努めようとしたものをぼくは知らない。もちろん心ある現場の先生たちの中には、個人的に努力した人はいるだろうが、教育委員会や教育長や校長たちといった本当に困難なときに立ち上がるべきものたちが沈黙していた。ぼくに言わせれば、「逃げた」ということになる。これはテレビ、新聞も同様だ。
 いったい、タバコ問題のときにはあれほど結託して盛り上げておきながら、本当はこちらこそ国民、大衆にとって大問題である放射線の問題に関しては沈黙を貫いたこいつらが、今も夏場の雑草の如くに社会にはびこっていられるのはどう考えても不思議で仕方がない。発言力をはじめ、どんな力もないぼくらは内面で罵倒しておくほかないのだが、こういう理不尽を是正する装置や機能を持ち合わせた者らが理不尽の元になっているのだからどうしようもない。
 対象はいろいろに相違するが、内田さんや武田さんが取り上げて批判したりしていることもおよそ同様のことだと言っていい。
 つまり日本社会は今日自浄作用を失い、また自らの力で是正する機能も失い、とんでもなくひどい状態で「嫌になっちまう」、ということだ。
 普通じゃないし、狂ってるよ。本音を言うとぼくはそう思っている。ごく普通の、あたりまえのことが出来ていない。あたりまえと思われる考え方がなされていない。
 ただ、こんな悲惨で陰惨な社会の状況でありながら、物質的・経済的にはまだなんとかやり繰りできている段階にあるといえようか。またエンターテーメントの興隆も国民大衆の不満を和らげる効果を担っている。今日の日本社会の唯一褒められる点だと言っていい。 しかしこれさえも風前の灯火かも知れないという不安は残る。来年4月からの増税がどうなるか。聞こえてくる話では法人税は逆に大幅に減税になりそうだと言うことだ。報道関係サイドからは何でも自分とこにかかる税は、免除してもらうように必死に働きかけているらしい。狡い連中だ。安倍首相は五輪招致決定から大型公共事業や製造業の再生にご執心で、これは時代錯誤かと思う。高度成長期の再現を画策しているのかとも思うが、かりに一時的な効果はあっても長続きしない。逆にぼくらが考える本来的な不況からの脱出時期は先延ばしになるだけだ。想像されるのは一部の業界のみの富に寄与するばかりで、社会全体の底上げを図るまでには至らないに違いない。また底上げが少しされるにしてもかなり遠回りすることを余儀なくされるだろう。これは経済学に関する領域の問題だからこれ以上ここでは立ち入らないことにする。
 
 個人的には年金も安いし、地方では労働賃金も安くてはたらき場所も少なく、通勤に必要な車の買い換えも、築後30年の痛みにいたんだ家のリフォームも夢のような話になっている。雨露を凌ぐだけで、この先65歳を過ぎてどう老後に向かっていけばよいのか皆目見当がつかない。もう少しましな指導者や本当に本当の知識の人が出現して、この社会に根源的に「喝」を入れてくれなければどうにもならない。どうにもならないがそれもまた夢物語である以上、ぼくたちとしては意味もないかも知れない研鑽をこつこつ繰り返し、国民大衆として各界の半端なエリートたちに負けない実力を蓄えていくしかないのだろう。
泣き寝入りか狸寝入りかどちらに転がるか自分にも分からないところで、さしあたって徒労のようにも思われるこの一日を積み重ねていくほかにあてはない。
 
付箋その四十一 「五輪招致」雑感        2013/09/09
 昨日今日(8日)とオリンピックの東京招致でテレビが賑わっていた。最終的に東京に決定して、テレビ各局は浮かれた気分を表に現して、その過熱ぶりはやや異常かなと思えるくらいだった。
 感想を言えば、第一に猪瀬東京都知事と安倍首相のタッグ(と私の目には写った)が結果をもたらしたと思う。発表前は不安もあり、五分部五分かなと予想していた。それがやや圧倒的と言ってもよい勝利をもたらしたのは二人の執念だろう。結果的にはよかったのかもしれないと私は思っている。このことがきっかけとなり、不況脱出の起爆剤にならないとも限らないと考えるからだ。安倍首相はそのことも念頭にあって必死に努力したのだろう。私はそう考える。もちろん見方を変えれば、経済学者や財界政界のすべてが頭を寄せ集めてもデフレスパイラルの脱却の処方箋を書きようがなかったと言える。もっと言えば自分たちではどうしようもなかったから、五輪招致にかけるほか無かった。これが失敗していたらと考えるとぞっとする。何も手がないことに内外が気づいたに違いないからだ。そうなったら日本丸の浮上はもっと遠い先にしか思い描くことが出来なかった。本当はこれは国家経営上の前代未聞の綱渡りだった。それを知ってか知らずか関係者と報道とが一体になり一大事を成し遂げた。日本の長所と短所が露出したように私には見えた。もしかすると無意識が加担した歴史的な曲がり角であったと、後世には見えるかも知れない。それくらい大きな結節点になることは間違いない。もちろんこれには大きなリスクも伴うと私は思う。言うまでもなく、福島県を中心とした放射線の問題が大きく関係してくる。
 これは第二の感想にもかかわるが、猪瀬都知事と、たぶん皇族と言っていいのだろう竹田という五輪の代表的な関係者が、「福島は東京から250キロ離れているから安全」という主旨の発言をしていたのをニュースで聞いた。こちらはもちろんハッとした。それは福島が危険であることを明言したことと同じだからだ。少なくともその発言を聞いた福島の人々は、仮に危険性が既知のことと理解していても内心に衝撃が走ったに違いないと思う。もしもわたしが現在福島に住んでいる人間だとしたなら、テレビの向こう側に向かって罵声を発したに違いない。
 報道を垣間見た限りにおいて、少なくとも文化人に類するところの側に席を置く人々は、力を結集して五輪招致を決定した。これはこれだけの情熱と力と努力を合わせれば、これだけのことが出来るということのひとつの証明になる。つまり日本国も日本人も、いざ「その気」になった時には結構な力を発揮するという証明だ。
 五輪招致の成功にくらべ、私には震災及び原発事故の後、日本国や日本人は五輪招致と同じくらいに「その気」になって復旧や復興に取り組んだのかというと、決してそうではなかったと思う。端的にいえばその責任は権力のトップにあるというのが私の考え方だ。この国やこの国の人々は上に立つ者の本気度に左右されて動き、その事が事の成否を左右するとまで言えそうな気がする。あるいは、出来事の深刻さを時の政府やそのブレーンたちがどの程度に認識し、適切な対処を考える能力を持っているかどうかにかかっているというのが特徴だ。上が最適な判断を下せば、日本人というのはそれを最適に処理する力を末端に至るまで発揮することが出来る。そういう力を誰もが持ち合わせている。私はそう思う。ただ上の方で判断を間違うと、それはとんでもない結果をもたらすことにもなる。そして、醜いカモフラージュが続くというのは今回の震災や原発事故後に私たちが目の当たりにした光景なのだ。
 さて、五輪招致の決定によって、ここのところやや薄れかけた震災の復興状況、原発事故処理に対しての海外メディアの意識は、再びそしてこれまで以上に深く厳しい視線を注いでくるに違いないと私は思う。たとえば、おそらく放出された放射線量の情報開示や調査をもっと強力に要求してくるだろう。このことは逆に、間接的とはいえ国民にも開かれてくるに違いないからよいことだと思う。そんなことで事実と真実に向かって開かれる契機となる可能性も出てくる。
 安倍政権(でなくともよいが)が、そうした世界視線を正確に受け止めて、逆に世界に向かって復興の範を示すような動きを加速させることが出来たならばいいなあと私は思う。別に私は安倍首相も自民党も好きではないが、この際、彼らの意識や意図とは別に、結果としてそうしたことが実現されたら万々歳なのだがと感じている。そこでは世界視線が注がれることが大きな弾みになる。日本の英知がどれほどのものかが試される。
 五輪招致が決定したので、日本政府はたとえば東電にまかせきりに近い事故処理や福島住民のケアに、もっと本格的にそして迅速に取り組む必要が出てきたと私は思う。これまでと同じようにだらだらしているわけにはいかない。それは当然だ。そしてその事は少なくとも福島県民や近県の人々の安全な生活にプラスに働くことも間違いない。その可能性がちょっと出てきたぞと私は思う。まあ自分自身を含めて、棚ぼた式の解決策以上の解決案など誰も考え及ばなかったことは胸に刻んでおかなければならないことはたしかなのだが。
 
付箋その四十 我が契約社員事情       2013/09/09
 現在の「ビル管理設備職」に就いて丸7年になる。それも契約社員という形態で、私にとっては全て初めての経験ということが多かった。
 勤務先は競輪の場外車券売り場の建物で、持ち主の会社(オーナー)があり、その建物の施設・設備の保守を請け負った別の会社の、
私は一員ということになる。私は保守を請け負った会社と契約を結び、実際には別の会社の場外券売り場の施設で働いているということになる。給与は一ヶ月働いた時間分がまずオーナーから会社に入り、2割ほどがピンハネされて私の手元に入る仕組みになっている。
私を雇用した会社は何の労力も使わずに、毎月時間給の2割を懐に入れることができる。
それは雀の涙ほどのものでしかないだろうが、ちりも積もれば山で、そういう現場をたくさん持てばなんとかやっていける。つまり役員クラスを食わすのにその一助を担っている。
 宮城県の仙台近郊では、時給は全国の最低賃金よりは少しよいというのが相場だ。私はフルタイムのために社会保険に加入できるなどがひとつのメリットとしてあり、これでもう少し時給が上がったらさしあたって文句はないということになるかもしれない。小都市のそこからまた離れた地域では働く職場も職種も限られている。買い手市場といってよい状況で、私のように何の取り柄もない60を越した人間は、働く場所があるだけでもうれしいと考える人が少なくない。
 私が働く職場では、ほとんどがパートや契約社員の形態で、半分以上、いや8割ほどは60を過ぎた人たちが働いている。それほど内情に立ち入って聞くことはできないが悠々自適と見える人は少なく、想像では自分も含めて月々をやりくりすることでやっと生活できている人が多いのではないかと思う。これがひと頃は経済大国と浮かれた国かね、と私は思う。
 ところで、この施設は10周年を今年の3月に迎えたが、客数も売り上げも右肩下がりに減少してきている。間に東日本大震災があり、建物に被害を受けて3階は使えなくなったり、競輪が好きな人たちにもさまざまに被害があったせいなのかと思う。さらに、そういう事情とは別に、日本経済の不況や不景気が末端のこのような地域にも行き渡り、お客さんの懐具合が以前にも増して悪くなっているのかもしれない。まあ私たちにはどうしようもない不景気が、広く深く浸透して来ているという感じがぬぐえない。
 そのことは私たちの労働環境にも影響し、この10年時給は据え置かれて、さらに人員整理、人減らしが進められている。部署としては清掃、施設内の警備と駐車場の警備、放送・放映に携わる部署、券売機の保守やお金の管理に関係する部署、それらの部署のほとんどはパートや契約社員で占められ、それが客数や売り上げの減少に比例するように少しずつ減少傾向にあって歯止めがきかない。
 パート、契約社員の全員がいなくなると場外車券売り場というこの施設は機能停止状態になるから、自動的に閉鎖ということになる。わずかに親会社の社員は残るが、彼らだけでは成り立たない。
 客数や売り上げの減少をこのようにパートや契約社員の削減によって賄う方式は、出来るだけ本体に打撃を与えず周辺に配置した人員を緩衝のように使うことになり、企業にとってはなかなかに使い勝手のよい方式になる。企業は損失を最小限に抑えつつ、いざとなったらいつでも撤退すればよいことになる。はじめからオーナーである企業にとっては、私たちのような従業員はどうなろうと関知するところではない。それはオーナー側と請負の契約を結んだ会社も同様で、ただ必要とされる駒を集め、要らないと言われたら止めさせるも転属させるもほとんど意のままと言って過言ではない。
 施設内に努めるほとんどのパート、契約社員は会社もオーナー会社もそのようなものであることを知り抜いている。
 こういう施設は景気に左右されて存在する。何代かの運営責任者を見てきたが、私にはやる気も能力もない人たちに見えた。たかだか全部がないか一部を持っているように見えるかの違いがあるだけだ。こういう管理者側の愚劣と無能で、多くのパートや契約社員といった従業員の運命が左右されるのかと思うと
憤りを通り越して情けなくなる。それは直接の雇用主の会社であっても同じことだ。
 私はこれまでの職業を通じて、ひとりの宮沢賢治、ひとりの太宰治にも出会ったためしがない。もちろんそうした会社には、彼らのような人間が生きられる土壌がないからに違いない。『これが二十一世紀に生きる私たち庶民生活者の実力なのだ。』とでもうそぶいておくほか仕方がない。
 
付箋その三十九 もっとラジカルでいいんじゃないか?    2013/08/06
 7月21日に行われた参院選の結果について、内田さんのブログ記事の中に次のような文章が見られた。
 
今回の参院選の結果の際立った特徴は「自民党の大勝」と「共産党の躍進」である(それに「公明党の堅調」を加えてもいい)。
この3党には共通点がある。
いずれも「綱領的・組織的に統一性の高い政党」だということである。「あるべき国のかたち、とるべき政策」についての揺るがぬ信念(のようなもの)によって政治組織が統御されていて、党内での異論や分裂が抑制されている政党を今回有権者たちは選んだ。私はそう見る。
それは民主党と維新の会を支持しがたい理由としてかつての支持者たちが挙げた言葉が「党内が分裂気味で、綱領的・組織的統一性がない」ことであったこととも平仄が合っている。つまり、今回の参院選について、有権者は「一枚岩」政党を選好したのである。(太字は佐藤)
 
 内田さんはこう見立てているが、ぼくはそう思わない。というか、仮に「有権者は『一枚岩』政党を選好した」のだとしてもぼくにはどうでもよい。素人目にも、はじめから自民党が大勝するに違いない選挙だった。その点では安倍首相も自民党執行部も大過なく選挙を終えたと言える。ミスが少なかったというように見えた。
 内田さんは、「有権者が選好した」という言い方をしているが、これには有権者が「積極的」に選好したかのような印象が残る。ぼくにはそうは思えない。組織票がしっかりしているところに票は集まり、党内がごちゃごちゃしていたり実績のない党には票が集まらなかった。どうのこうのと言ってみても、有権者は選挙に興味関心をもたなかったその結果がこういうことになったのだと思う。よほどの民主主義好きだとか、1票の行使に執着を持つ人だとか、会社や個人で党や立候補者と何らかの縁がある人でなければ、今回の選挙に進んで関わろうとする気になれなかったと思う。つまり、こんな選挙、無効でいいやと思う人が多かったとぼくは思う。
 これも見当違いであるかどうかはどうでもいい。個人的には政治には失望しているし、選挙にも興味を無くしている。マスコミやそこを餌場にする進歩的文化人らしきものたちが、どんなに啓蒙的訓辞を連射しても、長らく下層にとどまるものたちはそれこそ梃子でも動き出すことはないだろう。唯一動いた先の民主党政権誕生の時の選挙は、しかし、あまりにもひどい結末を迎えた。鳩山、菅、野田の3政権の罪は大きい。これでしばらく2大政党制を目指す動きは停滞するだろう。
 これも、僕らにはどうでもいいことである。まだこの国は今議員となっているあんぽんたん政治家たちのおかげで、そんなに極端に良いことも悪いこともできない政治を執行していると言えばいえる。
 ジャーナリストや知識人の中には、1票を行使しないことで国民は悪政を招くと脅すものもいるが、大半の有権者が棄権して組織のしっかりした党の立候補者しか当選できなかったとしても、この国の政治が大きく悪くなるかと言えばけしてそうはならないだろうとぼくは思う。楽観的なのかも知れないが、逆に言えばぼくらに満足できる政治などはかつていっぺんだってあったことはない。つまりぼくらにとってさえ、ちょっと悪い政治、ちょっと偏りのある政治が常態であったのである。民主党に政権交代が行われて、では何かが変わったかと言えば、結局何も変わらなかった。ぼくらにとってみれば政治家はみな同じ穴の貉で、金や権力や名声が好きで執着し、自己保身に目が眩んだ連中ばかりだということになる。これで政治家に期待しろという方が無理である。誰が当選したって同じさ、そう考えて、投票なんかに出かけられるかという話になる。今日ではこういう話はややタブーに近くなってしまった。無頼もいなければ皮肉屋もいなくなってしまった。何だか正当な物言いをするものばかりの世間になってしまって面白くない。ロックだパンクだと言っても、それは社会の1ジャンルになってしまい、派手さや賑やかさを演出する小道具に堕した感がある。
 
 内田さんは経済や情報のグローバル化に伴って、否応なしに政治過程にその影響が及びはじめていることに危惧を感じているようだ。自民党安倍政権に対する最近の批判もまた、それに端を発している。政策決定のスピーディー化、効率化、あるいはコストパフォーマンスへの過剰な意識といったものは、安倍首相本人や取り巻きたちの「機を見るに敏」の資質から派生してきていることも間違いない。その結果がどういうことになるか、内田さんは「国民国家解体」の予測を立て、憂慮し、悲観的になっているということも出来る。褒めて言えば本当の知性の持主であるからこそ、国家解体のシナリオを今日の状況から読みとっているとも言えるわけだが。
 ぼくはあえて違和とは言わないけれども、このことに関して、内田さんほどには旧来の、そして現状の「国民国家」を信用してもいなければ親和も感じてはいないし、どうしても維持存続を望む立場にあるわけでもない。愚民のひとりにということになるのかもしれないが、「国家」のない社会を経験していないのだから、仮に「国家」が無くなった場合については想像がつかない。通俗には「国家」が消滅すれば諸外国が押し寄せて、自分の領土にしようとして戦禍の海と化すかのように言われている。さらに、全員が奴隷になるか殺されるか、一般的に言って悲惨な目に合うに違いないと何となく思われている。本当はどこにもそんな根拠はないにもかかわらず、だ。ちょうど、「死」が恐いものだと思われているのと似ていると思う。その先が分からないから恐怖感が増幅する。
 
短期的には持ち出しだが100年後にその成果を孫子が享受できる(かも知れない)というような政策には今政治家は誰も興味を示さない。
原発の放射性廃棄物の処理コストがどれくらいかかるか試算は不能だが、それを支払うのは「孫子の代」なので、それについては考えない。年金制度は遠からず破綻するが、それで困るのは「孫子の代」なので、それについては考えない。TPPで農業が壊滅すると食糧調達と食文化の維持は困難になるが、それで苦しむのは「孫子の代」なので、それについては考えない。
目先の金がなにより大事なのだ。
「経済最優先」と参院選では候補者たちは誰もがそう言い立てたが、それは平たく言えば「未来の豊かさより、今の金」ということである。今ここで干上がったら、未来もくそもないというやぶれかぶれの本音である。
だが、日本人が未来の見通しについてここまでシニカルになったのは歴史上はじめてのことである。
 
 ここで内田さんの批判が政治家に向かっているのか、あるいは日本人全体に及んでいるのか分からないが、ぼく自身は自分にもここでの批判の内容が当てはまるような気がしている。というか、逆にすべてを未来からの声に従って考え、行動する者がいたらお目にかかってみたい。ぼくのご先祖さまでさえ、そんなふうに考えてくれていたかどうか、はなはだ疑問である。少なくともぼくら下層生活者にそんな余裕があるだろうか。無いのが当たり前だ。百年の計をたてる政治家が、内田さんが言うほどご立派な存在だろうか。ぼくはそう思わない。いずれ、本当は利己心にすぎない自分の考えを強引に押し通したり、強制したりしているに過ぎないと考えるからだ。 ごく普通の生活者たちの、その時々の必死の生活の積み重ね以外に、今日までの人類の歴史を継続させた要因を、ぼくはほかに考えることができないと思っている。同時にまた内田さんの言い方を借りれば、もともと歴史というものは初めての連続として成り立っているとも言える。全てが新しい自体の連続であるならば、「今」、「今」と続けていくほかはない。そして本音が「金」だというところまで堕ちて、さてその先に見えてくるものが見えてこなければ、所詮ぼくらに未来など訪れてくるはずがない。
 
 ここまで書いて、どういうわけか急に意欲を失って続きを書くことを怠ってきた。2週間から3週間くらいのブランクがある。
 暑いとか湿度が高いというせいだったかも知れないし、単に面倒だったということかも知れなかった。とにかく、考えること、書くことが嫌だったのである。まだその余韻は残ったままだが、早くにこの文章にピリオドを付けなければならない。ただそれだけの理由でまたこれに取りかかっている。
 
 この文章を書き始める動機は、はじめからやや弱いものであった。それこそ、いまだに選挙などというような形式的な民主主義、それは最早形骸化しているとしか思えないのだが、そんなものを半数近くの国民が信奉している現状がたまらなく嫌だった。だから一言悪態をついておきたいと思った。誰かひとりくらい、こんな選挙、投票に出かけたって意味がないよと言ってくれる思想家がいてもいいくらいのものなのに、誰もいない。こんな無駄なこと、しかも多額の税金が使われるのに、「止しちまえ」と言うものがいない。こんなふうに、システムが一人歩きして、取り残されるのは「人間」だということになってしまっている。
 いや、実はあってもいいんですよ。
 1票の権利を行使したいと考えている人は確実にいるのだから。そんなふうに好きで選挙に行っている人はいます。
 問題は、棄権しちゃいけないとか、投票に出かけることが正しい事だみたいに、しらっと言う奴がいるから頭に来る。もう、そんな状況は現実によってとっくに追い抜かれてしまっているというのに。これを検証しようという問題意識さえ骨抜きになっている。
 誰がどう考えたって現行の選挙制度は現実に合わなくなってきている。あんな下らない政治家連中を、どうしてわざわざ投票所まで出かけて投票し、選出しなければならないのか。意味がない。政党も要らない、立候補者も要らない。そもそも議員の数をもっと減らして、町の世話役のようなことをする人たちの中から持ち回りで国会に送ったらいいさ。ボランティアみたいな賃金でも、今いる政治家たちくらいの仕事はやってくれるに違いないと思う。実際的なことはみな官僚がやってくれるだろうから、まあそれで問題はない筈だ。
 
 と、まあ言いたい放題のことを言って溜飲を下げたい、本当はただそれだけのことを目的としてしゃべってみたかったのである。
 
付箋その三十八 「凡庸」ということ    2013/07/02
 もう40年近い前になるかと思うが一緒に文学や思想を語り合った友だちから、これも20年ほど前になると思うが手紙をもらったことがある。その時彼は精神を病んで通院していたと思う。いや、通院はもっと前からで、その経緯とどこかしら救済を求めるような声音を差し込んで、その前後にも合わせて何通かの手紙をもらっていた気がする。
 そのたびに、ぼくは露骨な励ましを抑えた励ましの気持ちを込めて手紙を送っていた。でも、その手紙のやり取りは通常の手紙のやり取りと変わらないが、ぼくには彼との間でしか了解できない暗号を読み解きあう、そんな気持の貼り付いたやり取りだったという気がしている。
 ところで、ある時の彼の手紙に、ぼくに対する批判的な部分を書き込んだ手紙があった。そこには、かつては文学的に思想的に鋭い感受性も見られたが、最近の君にはそれさえなくなってきたし、そこいらの生活者の凡庸さと変わらない凡庸な姿しか見られないというようなものだった。そういう批判をふと思い出してこれを書き始めている。
 
 ぼくは当時、彼の言うことが間違っていないと思ったし、他者から見ればその通りなのだろうと納得する気分だった。
 どう言えばいいのだろう。精神や頭脳に去来する一切は、たしかに去来して僕らの言動に少なからず影響を及ぼすこともあるが、それは人間にとって第一義ではないという考え方をしていた。もう少しくだけた言い方をすれば、生きているということは片時も休まずに感じたり考えたり、苛立ったり悩んだり、快や不快を繰り返すものだと言える。そうしてただそれだけのものだということでは誰にでも共通している。そこに、本当はよい悪いとか、鈍だとか鋭いとかの差異はたいした問題にはならないのではないかというような考え方をぼくはしていた。
 人間はそういう内面に積極的に関わる場合もあれば、それが煩わしくて遠ざかる場合もある。だが、人間以上に関わることもできなければ人間以上に全く関知しないでいられるというものでもない。つまり人間は人間的な限界の内側でしか対応することができない。 ぼくはいつからか、そこは無意識になるがままに任せようという考え方をするようになった。混濁し、翻弄され、あれこれ悩み、時には想像もつかない幻想の彼方に連れ去られることも仕方のないことであって、だがそれらはすべて自然現象のように自らの意志でどうこうできるものではない。雨が降れば濡れたままでいるか傘をさすかであるように、精神上のあらゆる現象には、自分の初源の、いわば無意識の対処をもって処する以外に、本当はどんな客観的に妥当だと言える対処も存在しない。そこに価値を創造することも否定するものではないが、ただそれはそうすることによって気分のよくなる人間がそれをするに過ぎないのだろうと思う。つまり、それはやってもやらなくても同じだろうという考え方だ。
 実生活とは少しも文学的でもなければ芸術的でもなく、すこぶるたんたんとして退屈なものだ。そういうところでは鋭い感受性などは自他に邪魔になるだけである。なるべくそういう面を懐奥に隠して生きることが、現実に生きることと思っていたのだ。だから彼の批判は当たっていたし、自分は自分で納得のできる批判だったのである。そして彼宛の手紙に凡庸さを強調したというのは、凡庸に生きるということがけしてつまらぬ生き方ではないということを彼にも理解して欲しかったからである。
 
 ぼくの少年時代はもともと文学的でも芸術的でも、まして政治的でも思想的でもない環境に育った。ただ自然まみれの、動物生の環境にあったといってもいいくらいだ。
 中学、高校と、エネルギーの大半は部活と勉強に注いでいたのだろうと思う。
 少しずつ周囲に対して自分に対して、違和感や孤立感を覚えていったが、それがふとしたきっかけから文学に結びついていった。部活や勉強、それから日々の同級生たちとの付き合いだけでは満たされないものが、つまるところそこに着地した。いま思うとこれは全く別のものであってもよかったのだが、当時は文学の言葉にいちばん刺激されて反応した。そこから少しばかりのめり込んでいくのだが、自分という存在の根底からわき出た違和感や孤立感みたいなものを、文学的とか、文学的感性とかと、自他共に混同していったものと思える。本当は違和感や孤立感を持ち扱いかねて、文学の領域に重ねて考えただけなののかも知れないのに。
 それからもうひとつ。ぼくは小説家では太宰治の小説に触れたことで文学に対する気持が一変したのだが、その後は島尾敏雄の小説に惹かれた。作風は違うが、作家として、あるいは作品の根底に潜むもののある特徴として、破滅型と言えなくもないと思う。彼らの文学は、作家である彼らの人生を幸福な色に染め上げることもなければ、読者をも幸福にするものではなかった。そう思う。逆にそういうところに文学的な醍醐味もあるのだが、得てして芸術的なるものは悲劇的であることが多い気がする。人間を活かさない文学や芸術とは何か。
 それはある種、ひとりの人間の資質の不幸が織りあげた織物のようなものであって、「やむを得ず」作品として仕上げられたと言っていい。
 ぼく自身は文学からそういうことを学んだのであって、文学的であるとか、あるいは芸術性のようなものにはあまり関心が向かなかった。
 主に文学などを通して学んだことはそういうところに尽きるし、またそんなところで文学からの学びは尽きた気がする。
 
 その後、彼からの手紙はぷつりと途絶えた。こちらから送った年賀状も宛先に該当者なしでそのまま戻ってくるようになった。彼がすっかり病棟生活を送るようになったか、あるいは健康を害して他界したかも知るところではない。ただ、ぼくにとって彼はもう一人のぼくであり、ぼく自身はもう一人の彼であるという思いをいまも強く持っている。そうしてこちらにいるぼくは、彼のような自身の内面に巣くった人たちとの二人三脚で、かろうじて凡庸な生活に相渉ることができていると感じているのである。凡庸な生活を凡庸に送ることも、ぼくにとっては並大抵ではない労苦が伴うものと感受されているのである。
 
付箋その三十七 「戦争」を考えるスタンスA    2013/07/01
 武田邦彦中部大教授の「戦争観」をやんわりと批判する文章を書いていたら、書き上がった翌日の武田さんのブログに、続編の『反日日本人・発生の経路と原因(7) 与謝野晶子の詩』なる、とても短い文章が掲載されていてそれを読んだ。読んで、まず、『ちょっと言い過ぎじゃないのか?』と思った。それから一連の歴史認識についての最近の武田さんの文章を慌てて拾い読みした。だが、拍子抜けで、意外なほど新たな知見もなければ曲解や誤認が認められたわけでもない。過去の資料や歴史認識を表面的に辿ったり、受け取った事実認識をやや恣意的に並べ立てるとこういう見解になるかと思った程度だ。ただ過去の日本国や日本人を、もう少し丁寧に且つ具体的に言えば天皇や軍人などの支配層を批判している日本人嫌いなだけだ、と思った。彼の親族や先祖に「戦争」に関わる人物がいたのかどうか分からないが、「責任者」、「指導者」、「支配層」、それから「著名人」なども好きそうな武田さんらしい考えだと思った。この人はやっぱり、知の人であり上昇志向を貫いている人だと思う。
 
 与謝野晶子の詩を引用し、その詩の替え歌まで今回のその文章で披露している武田さんは、けれども、福島原発事故の一連の、被爆から福島住民や幼児、子どもを守れの過激なほどの叫びが、本当に彼らのことを考えてのそれなのかを疑わしく感じさせる。同じように執拗に訴えたり書き綴ったりしているのだが、それとこれとはベクトルが真逆である。
 今回見たブログの文章の書き出しはこうだ。
 
日露戦争の時の与謝野晶子の詩・・君死にたもうことなかれ
 
旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて・・・
 
ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
 
親は刃を握らせて人を殺せと教えていない。でも、目の前で強盗が自分の子どもを殺そうとしている時、親はどうしろと教えただろうか?
太字−佐藤)
 
 引用の終わりの2つの文は、特に後のものは意図的にねじれをこしらえている嫌な文であり、武田さんは時々他の文章でも平気でこういうことを行う傾向がある。「プロの物書きではないから」みたいな逃げ道も用意しているのかも知れないが、少しでも言葉や文章を修練した経験を持つものが見ればトリックは明白である。
 指摘した文は疑問文だから読者は答えを用意していい。その前にまず一つ。問いには「親はどうしろと教えただろうか?」と丁寧な、そして何気ない設定がおかれているが、まずこんな「教え」は親は絶対に口にしない。百歩譲ってこれを「無言の教え」と考えても、もともとはっきりとした答えは出せない種類のものだ。模範解答はありそうで、ない。もちろん教えられなくても咄嗟に判断する力を私たちは保持している。
 普通に考えれば、防ごうとして「戦う」か、恐くて「逃げる」かである。武田さんは前者の「解」をねらっているのかも知れないが、こういう問いの立て方自体が姑息であり、私に言わせれば卑劣だ。なぜなら、強盗と「戦う」と答えたとたんに、戦場で「戦う」ことを否定しにくくなる文章構成だからだ。戦場で「戦う」ことが、強盗と「戦う」ことと同義、同質のことのように、ここでの引用と地の文とが仕組まれている。もちろん同義、同質ではないし、平気でこのような混同させる文章を書く心情は上等のものではない。
 もともと世の中にはここに書かれているような事象(強盗の件)はあり得ないことではない。個人的にはもしもこういうことがあったらなどと考えすぎる人も存在すると思うが、考えてもこういう事態での実際の行動はケースバイケースで、本人の意図するところとは関係なしに振る舞ってしまうものだ。戦うこともあれば、逃げ出すこともあるというように。人間はそういう存在だと私は認識している。だが武田さんの認識、というよりは倫理観はこれと違っている。そういう場で逃げるのは卑怯であり、卑劣で、同じ人間としては認められない、というような書き方が為されている。こういう倫理観の表明は個人的には認められるが、これを他者のしばりとして使ってはならないと思う。往々にして統率者タイプにはこれが多い。武田さんには自分なりの人間認識の枠組みがあり、そこからはみ出したものはすべて軽蔑の対象とするような大いなる錯誤あるいは狭さがあると思う。こういうタイプは自分の言動にも厳しく律する態度を保持するが、他者にもそれを要求する傾向がある。武田さんにとって、こういう場で「逃げる」という選択肢はもともと存在しないのだろうという気がする。あるいは、始めから考慮の外に置いている。だが繰り返しになるが、こういう偶然や思いがけない事態に出会ったときには、人間もまた自然界の一部としての動物生に陥り、反射的に行動してしまうものなのだ。だから、たとえ素人の物書きといえどもこういう書き方は決してしないものだと言える。言い換えると、掟破りの文章作法という気が私にはする。
 
 もうひとつ、どうしても言っておかなくてはならないことがある。これもまたマジシャンの分かりにくい手つきのようなものだが、与謝野晶子の詩では「おとうと」は非日常の戦場にいることが想定にあり、武田さんが立てた問いが想定するのは社会的に日常生活の中に稀に起こりうる非日常的な事件であるということだ。これは「戦い」という言葉だけを介すれば並列できる事象と考えられるかも知れないが、武田さんの表現には「目の前の強盗」が敵国であることと、その敵国が殺そうとしている「自分の子ども」は「家族や日本国民」を比喩しているという二重性が含まれている。つまり、日常の中で本当に自分の子どもを殺そうとする強盗がいるときと、非日常としての戦場での敵国の兵士と遭遇したときの「戦い」が、均質化されて故意に同じと見誤らせる二重性が隠されている。あるいは武田さん本人がそのように自分も錯誤しているのかも知れないが、当然ここでの「戦い」の質は本来的に別次元のものだ。同列に論じることができない短絡的な思考だ。
 武田さんは意図的に、旅順口包囲軍を「国家」そのものとし、またそれを親にたとえている。そしてひとりの兵士である「おとうと」を同じく「国家」の一部分のように見なし、後に控えたすべての日本国民を庇護する「親」(=「国家」)として「子ども」(=「後に控えたすべての日本国民」)を守ろうとするのはあたりまえだとするロジックを行使している。だが国家が国民を守ることと、実際に親が子どもを守ることは同列に考えることのできない問題であり、武田さんの論理はそこを同一平面上にあるものと、この点では観念上の誤解や無理解がある。本当はこんなことは現在では常識の部類にはいる。
 武田さんのようにこのような見方、考え方、ロジックが、「虚偽」でしかないのにどうして可能かというと、次にある文章にヒントが隠れているように思える。 
 
この世には矛盾というものがある。「責任ある人」というのは「矛盾と事実を認めて評価する」と言うことでなければならない。
 
要するに武田さんは「責任ある人」に価値をおき、それを上位、優位とする精神秩序の枠内にあるからだ。もっと言えば「責任ある人」の矛盾は許容されるべきだという考えが武田さんにはあり、武田さんはその「責任ある人」の矛盾を踏襲することもまた無前提に許容されるべきだと思い込んでいる。私はこういう評価の仕方をヘーゲルの著作に見た記憶がある。そしてこれに類似する思考を「ヘーゲルの悪しき亡霊」と呼んで、二十一世紀の現在にも支配的なイデオロギーの根拠を形成しているものの一つと考えてきた。もちろんこれらは瓦解し、消滅させられなければならないものだ。
 
 武田さんは続けて、次のように書いている。
 
この詩はその後も日本の反日日本人に大きく影響をし、反戦運動の一つのシンボルになった。
 
でも、私が「それはそうだ。でも強盗が侵入したらどうするの」と言うと答えがない。それが今でも続いている。女性でも「世の中の一部だけを理解していれば良い」という時代ではないと思う。自分の娘が乱暴され、自分の息子の両手首を切り落とされた方がよい、それでも戦争をしたくないと思うのだろうか?
 
 ここではまず、『でも強盗が侵入したらどうするの』という問いが重要だ。そして普通に考えれば武田さんの言い分と違って、答えのない方が正解である。何度も言うように、国家対国家の間の「戦争」について考えているときに、個人の家に強盗が侵入してきたときの問題にすり替えが行われているからだ。これは次元のちがう問題だから、応えに窮して当然と言える。先にも言ったように家庭に強盗が入りこんだら普通は抵抗する。しかし、これを同じように、一般生活者大衆に対して隣国が攻め込んできたらどうするかという問いとして設定することはできない。外国が攻めてきたらどう防ぐかは私たち国民が考えることではなくて、まずは外交や防衛を担当するものたちが考えることである。攻めてきた兵士が家庭に押し入ってきたらという問いならば、これは即、家庭人としての個人の問題になりうる。「国家」が他国の侵入を防ぐことと、「家庭」において強盗を防ぐこととは全く別次元の問題で、これを国の防衛担当でもない個人に問うこと自体が間違っている。家庭ではそうだから国レベルでもそうでいいとは一概には言えない。「強盗」は「軍隊」や「兵士」とは違うし、侵犯や侵攻の動機や理由は全く別物である。それを省略して「襲ってきたら」という一点で考えさせようとすることは一種のタブーに属する。これをやるのは武田さんがあまり好きでもなさそうな政治党派の常套手段であり、大手新聞、テレビの報道であり、御用学者や専門家であり、つまりは「武田よ、お前もか」ということになる。原発では筋を貫いているのに、「戦争」では御用聞きを買って出ているように見える。それは私には不思議なことだし残念でもある。
 
 私たちの社会生活において、本当に自分の家に強盗が押し入ってきたら戦うか逃げるか、恐怖のあまり震えて声も挙げられないか等のいずれかであろう。こんなことは問うまでもない。場合によっては台所の包丁を握りしめて強盗と渡り合うかも知れない。
 だがこれは敵国が侵犯してくることとは違う。ここでの武田さんの問いがずばり「敵国が強引に侵攻してきたら」ということであれば、私たち一般の生活者はこれに応える立場にはないとそう言えるだけだ。何故なら、そのために国民は「国家」に税金を納め、それによって政府や官僚や他の諸機関を介して他国からの侵犯も予防しているということになっている。つまり、その手の問題は専門家に委託して、自分たちが考える必要がないシステムを構築している。万一外交に無能な専門家たちのせいでそれが破れて、武田さんの言うような他国の侵犯に襲われたとすれば、その時はその時でそれぞれがバラバラに、あるいは急ごしらえの組織を形成して戦ったり逃げたりてんでに対処することになる。こんなことは言うまでもない。たぶん武田さんは、だから軍隊を組織してしっかりと有事に備えなければならないと言いたいのだろうし、またそれを読者の口から言わせたいのだろうと思う。少なくてもこういうところでは、ふざけた野郎だと言うほかはない。また実際に私はそう思っている。
 もしかして原発問題でもこんな短絡的な思考の元に原発推進をやってきたのかと思うと、事故後の一貫した対応を応援してきたことがいやになる。『「世の中の一部だけを理解していれば良い」という時代ではない』ことを肝に銘じるべきは、武田さん本人でもある。よくまあ恥ずかしくなく、「女性でも」なんて言えたものだ。いかにも大学教授らしい雰囲気を出して、無知な女性を諭すことを想定して書いているのだろうか。何様のつもりなんだろう。相当な自惚れ屋であることは間違いない。
 
自分の娘が乱暴され、自分の息子の両手首を切り落とされた方がよい、それでも戦争をしたくないと思うのだろうか?
 
 本音を垣間見てしまえば、なんて下種で下劣で下品な心情の持主なのだろうと思う。たとえ話を持ち出すにしても、こういう読み手のことを思いやらない表現は素人の物書き以下の表現というほかない。ここにある脅しの手口は、敵国はみな鬼畜であると喧伝した戦中の広報活動そのままの手口ではないか。武田さんは1回でもいいからブログ用に書いた記事を読み直した上で掲載した方がよい。今どき幼稚園や小学校の先生でも、子どもが間違った考え方をしているからといってこんな卑劣な脅し文句を使って考えを変えようとはしないだろう。武田さんは大学教授だから、学生にもこんな脅し方をしているんだろうな。本当に見損なった。怒りを通り越してもの悲しい気分だ。
 
 ブログの最後で、武田さんはこともあろうに与謝野晶子の詩を次のような替え歌に仕上げて見せている。この傲慢、冒涜もまた決して許せないことだ。
 
旅順口包囲軍の中に在る弟を思いて・・・
 
ああおとうとよ 君は盾
君逃げたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
父のなさけはまさりしも
父は命を惜しむとて
国を捨てろとおしえしや
母を見捨てて逃げよとて
二十四までをそだてしや
 
弟が逃げれば母は殺される。そのためにこそ命がある。
 
 ここで武田さんが与謝野晶子の詩の何が不満かがはっきりする。与謝野の詩が「公共」よりも「私」を優先させていることに不満なのだと思う。武田の作ったあまり上手くもない、というより江戸時代の人情話を思わせる程度の替え歌には、はっきりと戦前の「滅私」が強調されて打ち出されている。「国」を捨てるな、「国」のために命を惜しむな、さらに「国」=「故郷」=「母」という民族心理の古いラインを引っ張り出して、若者に「戦争」参加を呼びかける半世紀以上も前の政治的な宣伝手法を踏襲している。
 開いた口がふさがらない。すべての点で与謝野晶子の詩の世界に遠く及ばないのっぺりとした、浅い世界観だけが顔を覗かせている。この替え歌を戦前の田舎のおじいさんが作ったものとして、その時代にそっくりそのまま持っていっても違和感がないに違いない。その程度の詩にもならない詩を与謝野晶子の詩に重ねる鈍感さ、愚挙、これで大学教授なんだからいやになる。こんな心情は自分の家族、肉親にだけ耳打ちすればばいいのであって(その自由は保障されている)、それはそれで勝手にやればいい。だが、デマゴギーまがいのこんなちゃちな好戦思想を、私たちの目の前に、お願いだから公開しないでもらいたい。武田さんが婦女子を前に説教を垂れる遥か以前に、日本の戦後思想は武田さんがここで言いたかった問題を乗り越えて遠くまで行き着いている。意見が言いたいならせめてそれらの先行する考察をしっかり読みこんで、その上で語ってくれるのでなければ聞いているこちらが恥ずかしくて仕方がない。
 
 それにしても、「君は盾 君逃げたもうことなかれ」はなんといやな響き感じさせることか。比喩としても、これは原始的な、生贄が普通のこととして観念されていた古い時代の精神が産み出すものと同じとしか思えない。「君は盾となって矢に射抜かれよ」と言っているのだ。人間が何かの盾になるという発想は「滅私」であり、「公共」が優先されているのだ。だが、「公共」そのままでは説得力に欠けるので、二重底のように背景に「母」を持ってくる。人の弱みにつけ込む最低の言葉であり替え歌であると言っていい。
 これは武田さん本人の地声であろう。
 武田さんはこの詩の中では作者である「姉」の位相にあり、同時にそのまま「戦争」遂行の「指導者」の立場に同化しているといっていい。そして「弟」すなわち国民、若者、学生、未成年者へとこの「滅私」の精神を脅迫を交えて説いて回る役割を演じている。「戦争」責任者、推進者たちの口調はみな同じである。「お前が戦わなかったら、お前の母は殺される。お前はそれでいいのか。お前の命はなんのために、誰のためにあるのだ。母を救いたければ、殺そうとやってくる敵と命を賭けて戦え!」、そう叫んでいる。ただし、その辺の安仕立てのドラマによくある設定であり、武田さんの認識もまたその程度だということをよく表している。武田さんに全く欠けているのは、志願してか徴集されてかにかかわらず、一般的な兵士のすべての生涯にとって「戦争」が何を意味するかということの考察であり、兵士ひとりひとりの視線だ。そういうものに無関心だということが、ここでの短い文章にはよく表れている。この致命的な欠陥は、武田さんが「反日日本人」と規定する人々かその影響の元にある人たちに語りかけるのに性急なあまり、つい無防備で欠陥をさらしてしまったのだろうと考えられる。
 
 これが福島原発事故後に、東電や政府を含む原子力行政、その体制全般を糾弾し続けてきた同じ人間が発する言葉なのだろうか。そこでは第一に弱者たる幼児の被爆を防げと叫び、被害者住民の立場に立って少しでも被害が少なくなるようにと先頭に立って戦い続ける姿があった。「公私」について言えば、それは「公」よりも「私」を支援するスタンスに立っていた。こと「戦争」ということになると発言は一変する。
 
 もしかすると武田さんは、被爆住民と子どもの盾となって守ろうとすることと、国家間の「戦争」で国民のために戦地に赴く兵士の姿とを重ね合わせて考えているということなのであろうか。つまり「盾となって守る」、「人に尽くす」、という共通性があると考えて。だが、それは個人の倫理として内面にあるかぎりはかまわないのだが、味噌も糞も同じと見なす考え方で、すこしも万民に一般化できる考え方ではない。けしてその一事をもって「戦争」容認、「戦争」擁護を人々に触れ回って欲しくないと思う。
 武田さんの歴史認識、過去の日本の戦争はすべて悪だという見方や兵士に徴集されて戦った国民がすべて無駄なことをしたという見方は極端で見直されなければならないという考えは、その通りだと私も思う。しかし、だからといって「戦争」になったら国民はみな兵隊に志願し、国家の盾となって戦うべきという結論にはならない。必要悪だということにもならない。未来に向かっては「戦争」などない方がよいと誰もが思っている。ちょうど原発事故が再び起きない方がよいと誰もが思っているようにだ。そのために武田さんも、原発停止を含めて、再び被爆しない方向を探ってきたと思う。「戦争」もまた、起きたらどうするかではなく起きないようにどうするかをまず第一に考えるべきだと私は思う。安倍政権が政治的判断で原発再稼働を容認する方向を打ち出しているが、武田さんも自身の判断で「戦争」自体を反対する人たちの考えを批判し、「戦争」容認と理解されかねない発言をしている。一方は経済や景気の停滞を理由に、また一方は家族を守るため国を守るためという理由によって。だが、どちらも国民ひとりひとりを第一義に考えているようには見えない。「みんなのため」「国のため」という言葉は「公共」を装ってはいるが、本当は利己心を基にして発しられているに過ぎない。妥当性も普遍性もない。
 
付箋その三十六 「戦争」を考えるスタンス@     2013/06/25
 6月20日付のブログで、中部大の武田邦彦さんが自身の「戦争観」を文章と音声との両方で語っている。最近はこんな形で表現されていて、音声の方は文章に比べて作者の感覚的なニュアンスがより分かり易く伝わってくるように思われる。そこを意識しての音声ファイルの組み込みかなと想像する。
 武田さんの日本が過去に行ってきた戦争についての考え方は、今回同様従来からしばしば断片的には語られて来ている。ひと言でいえば、明治以降に日本が行った戦争には自衛的な意味合いが強く、またそれまで白人が行ってきた侵略や植民地化といった要素が極めて低い、逆にそれらを変革するきっかけを作った、いわば肯定できる戦争だったということが武田さんの言いたいことだ。
 今回はそう主張できる根拠として、日露戦争と大東亜戦争の二つを引き合いに出して論を組み立てている。
 日露戦争に関しては、日本がこの戦争に勝ったことで結果的に植民地支配に呻吟してきた有色人種に勇気を与えたと評価し、「日本が世界の平和と平等、独立に大きな寄与をした」「誇るべき戦争」だったと述べている。 
 また、大東亜戦争についても、「日本が白人軍を攻めた国は植民地から独立を果た」すきっかけを与えたと評価し、
 
大東亜戦争における日本の目的は「大東亜共栄圏」、つまり白人をおい飛ばして自分たちの国を作り、その共同体でアジアが繁栄しようというものであり、とりあえず東南アジア地方を植民地から解放し、そこにある資源を買って日本の繁栄を続けるという意図だった。
 
と述べて日本の戦争突入を擁護している。要は歴史的な意義、その効果の面を取り上げて語っている。
 
 武田さんは俗に言う「自虐史観」を嫌っている。
 終戦後、日本はアメリカ占領下でそれまでの運命共同体的な「日本人はすべてが兵士」という考え方を180度転回して、「戦争はやってはいけないものだ」という考え方に変わった。70年近く過ぎた今日から見れば、ウルトラな戦争肯定が、同じくウルトラな戦争否定に走ったと見える。あるいは日本人は、自身の手で自身を洗脳したと見えなくもない。それだけ極端に変貌した。一気に極右から極左への転向という事象は、誰が見てもおかしいと思うはずだし、しかもそれが日本において罷り通ったということはこれから先に再転向も有り得るという怖れも感じさせる。いずれにしても、この国の人々の頭上に飛び交う声が集まって「大東亜戦争は悪」だったという一つの流れを形成した。さらに、「戦争は悪」であり、進んで戦争に突入することを繰り返してきた「日本国」は「悪い国」であるという意識が私たち日本人の中に堅く根を張ってきた。武田さんは、それが行き過ぎであることと、一方的であることが不快なのだと思う。日本や日本人のよさをもっと誇るべきだと考えて言っているかも知れない。
 
 私は例えば江藤淳とか、西尾幹二(表記は?)とかを似たような主張をしていたとすぐに思い浮かべるし、吉本隆明も戦争はすべてが悪いと言い切れない旨発言していたことを思い出す。また、戦争末期に潜水艇の特攻隊長でもあった島尾敏雄は、戦後になってからも自分たちは犠牲者だったとして戦争を否定するような大声を挙げることがなかったことも知っている。
 つまり、その意味では武田さんの主張したいこともよく分かる気がすると言っていい。もう少し具体的にいえば、兵隊として徴集され戦地に赴いた一般の人々は「国家」=「家族」=「地域の隣人」みたいな考え方で、これを守るために戦争で戦った。そうした祖先、先輩たちの功績をないがしろにするような考え方を、同じ日本人としてすべきではないだろうというのが武田さんの思いだろうと思う。この点は私も理解するし、彼のブログの文章の文意においても、いたって常識的な見解であると思う。それだけではなく、認識において正しいところがあるという感じもしている。
 ただし、武田さんの文章や発言は私からすれば大変粗雑で危なっかしいものがあると見える。例えばこのブログの結びはこうなっているが、
 
このような歴史的事実を整理して、それでも反日日本人は「大東亜戦争は悪」と言うのだろうか? そういう日本人はいないだろうし、それほど日本を嫌いで、祖先のやったことを批判したければアメリカかどこかの白人国家に移民して欲しいものだ。
 
戦争否定が即「反日」的とか、「祖先のやったことを批判するものは移民しろ」的な主張に聞こえるところはいただけないという気がする。
 大東亜戦争は悪であったとか、侵略であったとかと考える立場はありうる。正義の戦いであったと主張する立場が有り得るようにだ。また歴史的事実の整理という点でも、人によって立場によってアングルの相違から異なってしまうことは当然のことである。
 こうした意味では武田さんのここでの文章は分析し、批評する対象ではあり得ない。ただ一方的に自分の主観を述べたまでのことだ。任意の事実を恣意のフィルターを介して整理する、それで多くの支持を獲得していくとは思えない。歴史的事実の実際には武田さんが主張する側面もあるが、対立する考えの側にもそれなりの事実の選択と整理の仕方とがあって、その結果がそちらの考えの人々の発言に反映していると言えるのだろう。
 
 もう少しいえば、ここでの武田さんは「植民地化は一方的に悪」という立場に立っているが、武田さんの論理を使って白人種の国々の人々が主張しようとすれば、「植民地政策によってアジアに発展と繁栄がもたらされた」という言い方も出来ることになる。つまり、一つの出来事には表裏が生じるのであって、善か悪かのどちらか一方だけということはあり得ないことだと私には思える。
 
 私が「戦争」について言えるとすれば、「過去の戦争」には先のように両義性が付きまとうが、いずれにしても「国家間の戦争」は国民を犠牲にするもので、国民のひとりでもある私はそれを承伏しかねるということだけである。戦争はすべきではない。何故かといえば、結果的にそれは互いの国民を減らすことであり、自分が減らされることも他人を減らすことも私はしたくはないと考えるからだ。これは、この地上にごく普通に暮らす「生活者」の誰もがあたりまえに考えていることだと信じて疑わない。ただ、「生活」という水準ではどの国の人々も助け合ったり仲良くできるのに、「国家」とか「国家の指導者」とかが介入してくると国境と呼ぶものの侵犯をめぐっても武力を使って解決しようとする動きが出てくる。それらは自らは武器を取らずに、被支配層の国民を使って戦わせようとする。この遥か昔から続くシステムは昔から続いているだけに堅固なものと言わざるを得ないが、「真っ先に死ぬのは誰か」ということでは平等でも公平でもないことは誰もが知っていることであり、現在でも人間にとって最大の課題と言える。これを、解決すべき課題とはとらえずに、「現実はこうだから」と自衛戦争の可能性を考えたりするのは、自分を兵士のひとりとして戦場にたつ可能性を持った生活者とは考えずに、為政者側に立った考え方をするからである。それが日露戦争や大東亜戦争の意義を正当化したがる所以であると、私は思う。武田さんや江藤さんや西尾さんらにしても、戦争に関しては大局的視野、歴史的意義であったり、指導層の統率の力量や動きであったり、国際政治の流れであったりというところからの意見が多いという印象がある。ごく普通の生活者の位置に自分を降ろして、その心の深い井戸の底から戦争を見ようとはしない。あるいは見てもそこに自分の思想的な根拠を求めようとはしない。個人よりも社会を優先したい考え方が彼らにはあるからだ。いや、そうじゃないと武田さんは言うかも知れない。単に、日本人が日本の国を嫌ったり、祖先を批判することが耐えられないのだ、というように。そしてたしかに、一部には全身に西欧を身に纏った日本人がいて、近親憎悪をあらゆる「日本」に向かって振りまく姿がないわけではない。だがそれも、信条の自由であり、宗教や表現の自由の埒内なのである。日本批判だから移民しろとは「村八分」そのままの再現である。
 
 武田さんは福島原発事故後に、それまでどちらかというと原発推進の側の立場にあったことを痛烈に反省し(理由は東電や政府等の対応にあった)、その意味合いを込めて言動及びブログの文章などに反映させてきた。大変率直で真摯な一貫した態度だったと私は評価してきた。そこには福島住民とその子どもたちへの、言いかえれば個人の生命や生活を最優先に考える考え方が強く潜在していたと思う。
 私はこの事故と事故後の状況を昭和20年の敗戦に重ね合わせて考えることができるように思いなしてきた。つまり、原発推進派であった武田さんにとってこの事故は戦中派にとっての敗戦に匹敵するような「敗北」を意味したはずだ。それがどれほど大きな衝撃であったかはその後の武田さんの言動から容易に推察できる。
 進んで戦争にのめり込んでいったら、原爆を落とされたり、想像できなかったほどの大敗北を喫した。自分の知力を傾けて正しいと思い善と思ったことが、そのような結果を迎えたことに平静でいられるわけがない。これは、安全だと思い、日本や日本国民のためになると考えて原発推進に努めながら事故を迎えた武田さんの心境に限りなく近似したものだったと思う。そして武田さんが事故後に見たのは自らのブログに書き出してきたように、企業や、国や、自治体や、あるいは一般の国民の、かつて目にしたことのない醜態であった。あるいは愚劣であり、嘘であり、保身であり、無能であり、無知であった。これで愕然としなかったらどうかしている。
 武田さんはここで推進の側の立場からやや反対側にスライドしたはずだ。気がついてみたら、日本という国は原発を稼働させる基礎的な条件を全くクリアできていなかったということだと思う。ちょうど敗戦が起こるべくして敗戦を迎えたように、原発事故もまた起こるべくして起きたのだ。事故が起きてはじめて武田さんはその認識に到達した。これは何がどうであれ、「二度と戦争はすべきではない」と考えた戦後の出発点に同型であるはずなのだ。武田さんは、事故後も依然として原発の必要性や有用性、例えば経済発展に不可欠などの言葉を臆面もなく繰り返す原発再稼働派の動きとははっきり袂を分かったはずだ。そこには住民個々人や子どもたちの生命や未来を軽んじる、自己の権益重視の大人たちの目論見で社会が動いていく有り様があり、それは武田さんが美化して考えようとしている戦争についても本当は言えるはずだ。そうであれば、やや過激で度を越すような戦争批判や日本国批判について、もう少し冷静に眺めてもよいのではなかろうかと思う。同時にまた、武田さんが強調している日露戦争や大東亜戦争の宣伝めいた口ぶりも、いささか慎まねばならないという考えも芽ばえてくるのではなかろうか。私はそう思う。
 
 ここで私が指摘したいことは「敗北」が内包していた構造的な類似だけではない。武田さんが信じて推進に努めた原発同様、戦争もまた善であり正しいという幻想に捕らわれ、積極的に関わりがちなものだということが言ってみたいことだ。
 武田さんは原発推進が、結果として間違いであったことを分かったはずだ。そして大東亜戦争にも武田さんが言うような大義はあっただろうが、結果としての「敗北」と責任問題を含めた戦後処理の過程に、原発事故後に見られた稼働の連帯責任者たちの無責任と同じ姿があったはずなのである。それは原発を稼働できる資格がないのに稼働させたに似て、ある種の無謀さとデタラメさが戦争遂行に先だって潜在していたはずなのである。だから事故が起こるべくして起きたように、戦争の敗北は当然のこととして敗北に終わったのである。原発事故には自身をも含めての責任追及を厳しく行いながら、過去の戦争や敗戦に対しては、単に大義を強調するだけでは論理的にも矛盾する気がする。もし武田さんが当時の戦争の推進派であったら、今回の事故で福島の住民に寄せたような責任感と反省とから、深く自分の考えが間違いであったと告白し詫びるに違いないと思える。そして、戦争遂行の責任者たちに向かって批判の先鋒となり、「大東亜戦争は間違いだった」と語るに違いないと思える。そうではないだろうか。
 だが、今回の記事を書き、戦争を語る武田さんは、国家や一般人や子どもたちの未来のために戦った人々というところにウェートを置き、殉教を美徳と考え、それを強調するかのように見える。それではしかし、いまだ大義を夢見る今日の原発再稼働派の、原発事故の犠牲も止むなし、その優先度は低いと考える考え方を越えることが出来ないのではないだろうかと私は懸念する。それは私の「戦争」を考えるときのスタンスとは違う。
 ここまで武田さんを持ち上げるような文章も少なくなく書いてきた私ではあるが、そして実際になかなかの言説だなと感心することも多かったのだが、ことこの「戦争」に関しては些細なズレといってもいいくらいのところかも知れないが気になってやり過ごせないと感じた。同時に、またそれは両者の間にある深淵でもあるような気がして、そのことを刻んでおかなければと思いたってこれを書いた。武田さんみたいに「自衛戦争」や「よい戦争」という言い方をしたら、どの国だってもっともらしくそういうことが言えるに決まっている。逆に言えば絶対の正義(の戦争)なんてどこにもない。個々の正義ならいくらでもある。実は一つの特殊の正義にしか過ぎないのに、それを絶対であると過信するから争いごとになる。遥か昔からそうであったはずだ。いくら武田さんが過去の日本の戦争は立派だったといったって、民衆にその声は届かない。何故ならそれは今日の世相では「原発政策は立派なもので正しかった」と言っていることに等しいからだ。
 
付箋その三十五 経済戦争の生贄
              2013/06/07
 少し前になるが、新聞で「限定正社員」構想なるものの記事をちらと読んだ。その時には、「ああ、雇用を進めようとしているんだな」ということと、「解雇条件を弛めるのか」ということを同時に思った。要するに企業にも被雇用者にも通用する折衷案として考えられたのだろう、くらいに思ったということだ。
 60を過ぎた自分には今さら企業の正社員採用などはあり得ないだろうし、あり得てもバリバリ仕事するなどまっぴらだからその記事はそれで過ぎた。
 昨日(6/6)のことだが、インターネットでジャーナリストの冷泉彰彦さんのコラムのページを見たら、6月4日付の『「限定正社員」構想の議論、欧米では一般的だというのは大ウソ』という見出しを見つけた。面白そうなので文章をコピーしてワープロに変換し、読みながらいまこれを書いている。
 それにしても辛辣な見出しである。ひとりの国際ジャーナリストから、「大ウソ」とまで喝破される政策論議を打ち出しているのは自民党である。ひどいものだ。こういう題でこういうことを書かなければならない冷泉さんも辛いだろうな、と思った。欧米出身のジャーナリストなら、呆れて、日本を見下して、コメントするにも価しないと考えるに違いない。この制度を導入しようと計る自民党と財界は、他国から見ればすぐに「ウソ」とばれることを同胞に向かってしらを切る、何という連中なんだろうと思う。内紛を抱える国の政府と中身はよく似たもので、ただこの国の国民は争いごとが嫌いでじっと耐えている。よくも悪くもそこが違うと思った。ここが、土台となって二千数百年の間天皇制を支えてきた民族性、国民性というものなのだろう。
 
 さて、冷泉さんの言うところを整理して簡単に理解しておこう。
 まずまとめの部分を引用してみる。ここには冷泉さんの世界視点の経済・社会状況の把握があり、その上での指摘が完結に述べられている。
 
労働市場の柔軟化というのは、上級の管理職・専門職から先行して進めるべきだし、そのような優秀な人材こそ、企業の内部で「その会社にしか通用しない」育て方をするのではなく、専門の大学院やMBA、あるいは国境を越えた転職などを通じて育っていくようにすべきです。
 
 そのような「当然の流れ」を無視して、まず初級職でしかも「ワークライフバランスを切実に求めている層」から先に雇用を流動化する、解雇の規制を緩和するというのは話が逆だと思います。少なくとも、「欧米では一般的」などというのは真っ赤なウソです。
 
 「限定正社員構想」というものを大ざっぱにとらえると、転勤がない、残業がない、福利厚生が正社員と同じ、終身雇用制、と割にいいことずくめのようだが、従来の正社員に比べて解雇の規制が緩くなっている。また、管理職や専門職に上りつめることを始めから外して考えられた「低位の正社員」といえる。喉から手が出るほどよりよい待遇を欲する、その意味での下位の労働者(日本のパートや派遣社員等)からすれば、この制度はたとえ「低位」であろうともよい制度と思うかもしれない。そしてたしかに、もしも彼らの多くがそういう形で採用されたら幾分か現状よりはましということが言えるかもしれない。だが、たぶん企業は実際にはそういう方法をとらない。若手の新規採用をこの方法で行うということになるはずだ。企業にとっての醍醐味(?)は、解雇しやすいのだから採用もしやすくなるということだ。必要なときにはさっとかき集めて、ちょっと重くなったら切り捨てる。制度的にはそれで問題がないということになる。まあ企業を主体として、被雇用者にもおこぼれのような「希望」を与えると言えばいえる。そしてたしかに、対象となる新卒者たちが「仕事と生活」のバランスを重視するのならその点のメリットがないこともない。
 問題は、欧米では一般的だというふれこみのこのワークスタイルは、実際には、
 
アメリカを例にとって言えば、フルタイムの雇用には2種類あって、「残業手当のつく(残業手当適用除外でない)ノンエグゼンプト」という一般職と、「残業手当のつかないエグゼンプト」つまり管理職や専門職があるのは事実です。
 
 また「制度上残業手当のつく一般職(ノンエグゼンプト)」は基本的に「9時から5時」の仕事である一方で、「制度上残業手当のつかないエグゼンプトの管理職・専門職」は成果主義ですから、基本的によく働きます。会社から支給されたデバイスで24時間メールとSNSで「つながって」いなくてはならないのは、この人達です。
 
 ですが、解雇に関しては「管理職や専門職は簡単に解雇される」一方で「一般職の雇用は組合や雇用契約で守られている」のです。勿論、一般職も事業所の閉鎖などの場合は、現状の日本の法制よりは解雇される可能性は高いと思います。ですが、高給な管理職や専門職よりも、一般職が「簡単に切られる」とか「景気変動や人材流動化の対象」になるなどということは「ない」のです。
 
ということになる。
 ここで言われていることは重要である。少し大袈裟に受け取ると、欧米では企業内の弱い立場のもの、つまり管理職・専門職ではない一般職がある水準でしっかりと守られているといったイメージが持たれる。これには人権意識や合理精神など、欧米型の理性・理念がしっかりと根付いていて、私たちにとってはどこまで行っても届かない欧米精神の神髄のようにまぶしく感じられる。
 今回の「限定正社員構想」もそうだが、日本では基本的にはリストラは低位の社員・パートなどが最初にターゲットにされる。どうしてそうなるかは冷泉さんが丁寧に解説している。ここでは、日米構造協議ですでにアメリカから指摘されていたことも含めて、欧米式の雇用の根幹に触れる考え方を見ておきたい。
 
 1つは、企業の立場からは「高給の管理職・専門職」をリストラした方が効果があるからです。解雇というのは、トラブルを回避しながら行わねばならず手間のかかる行為ですが、高給の人材から入れ替えたほうが同じ手間でもコスト削減効果が大きいからです。
 
 もう1つは、その方が「社会として筋が通る」からです。高給の管理職や専門職は、それなりに貯蓄も信用力もあるので解雇に「耐え得る」でしょう。また、何よりもより広い労働市場の中で新たな職を見つけることができるわけです。更に言えば、成果主義が徹底している中で、パフォーマンスが悪ければ最悪解雇されるというのは自他共に納得感はあるわけです。
(太字は佐藤)
 
 この欧米式の2つの考え方は、特に欧米でなければ考えつかないとかの種類のものではなく、あまりに当然で当たり前の考え方であると思える。もう冷泉さんの言うとおりだというほかない。ひとつ目のリストラ効果は、先に言った日米構造協議でも銀行の管理職等を想定してアメリカが日本に指摘したものだ。ふたつ目は、これは他国に指摘されるまでもなく、日本の下層生活者なら誰もがそう考えてきた考え方に過ぎない。だが現実には日本では余力を持たない、「耐え得ない」下層の生活者が首を切られて路頭に迷うことが多い。どうしてこんなにも自明のことをこの国は改善しようとしないのか、できないのか。私はこういった現実の事態や状況を考えたときに、ややセンセーショナルな言い回しだが、北朝鮮はもうひとつの日本国で、日本はもうひとつの北朝鮮ではないかという、そういう思いすら抱いてしまう。要するに精神風土の根幹が徹底的にアジア的後進性の呪縛にとらわれているように思われてならない。
 
 とにかく「管理職や専門職より低位の正社員」の方が「より解雇されやすい」などという制度は欧米にはありません。アメリカには少なくともないし、EUの場合は更に雇用を守る法制になっていると思います。この点で「解雇しやすい限定正社員制度」なるものが「欧米では一般的」などというのは大ウソです。
 
 冷泉さんはこのように言い切っている。私は欧米の事情など勉強したこともないから、ただ冷泉さんを信頼するしかないのだが、これはウソではないと思っている。
 経済をも含むグローバル化した世界の中で、もっともそれに対応できていないのは自民党を始めとする政治家や官僚や財界の連中であろう。彼らがしっかりと世界情勢を把握し、突き詰め、どこに舵を切るかを正しく判断できたら、それがほんとの国際競争に勝つ要因となることは間違いないので、戦時中のように促成の特攻要員を増やすような愚を再び繰り返すべきではないと言っておきたい。
 
付箋その三十四 基準1ミリをめぐって     2013/06/03
 武田邦彦さんのブログを見たら、芥川賞作家の玄侑宗久さんが原発事故後の福島の現状から、放射性物質の除染等の問題に関して苦言を呈しているということだ。
 玄侑さんのホームページを覗くとたしかにそれらしい文章があった。簡略に言えば、1年1ミリシーベルトという線量基準の決め方はおかしいもので、いわばそんな古い基準に縛られて除染等を行うことに意味はないと言っているようだ。玄侑さんはかなり放射線に関する知識を蓄積した上で考え、また発言しているようなので、おろそかにしてはいけないと思われた。特に低線量被爆に関しては最近の研究や実験の成果も視野に入れ、さらに疫学的知見も取り込んで、事故から今日までの被爆量ではまったく健康に問題が起きないだろうと言っている。もともとの根拠となっているのは、権威あるとされた専門家の発言やICPRの勧告や調査報告等にあると思われる。
 こうした玄侑さんの発言は、武田さんと真っ向から対立するようにぼくには思われた。また武田さん自身そう考えたからブログに取り上げたのだろう。
 武田さんはこの1ミリの数値が、放射線が人体に及ぼす害の基準値として妥当かどうかについては言及していない。いろいろな説や考えや実験データ等があり、また個体ごとの違いもあるので、なかなか明確に予測できないというのがこれまでの武田さんのスタンスであったと思う。その上で、専門家でも合意が難しいこの種の判断を、ひとまず法令に依拠して対応していこうと結論していた。
 一読者としてのぼくは、とりあえずは武田さんの考え方でいいのではないかと考えてきた。その最大の理由は、事故が起きる前までの原子力(発電)関係者の間では、年間1ミリシーベルトを被爆限度とする合意があり、法令にも示されていたというところにある。それがいざ事故が起きたからということで、実は被爆は100ミリまで大丈夫とか、低線量被爆は体にいいとか聞かされても、科学的事実や真理やそれに関わる自説を述べるタイミングとして不適当と思うほかない。つまり武田さんもそうだがぼくも、法令なり基準なりが実態に即さないと分かっていたのならその時点で変更を働きかけるべきなのに、その跡も見えず、事故が起きたとたん時節到来とばかりに自説を展開するそのことを発言者として幼稚だと考える。
 ここが玄侑さんと大きく違うところだと思う。玄侑さんは事故後のマスコミでの専門家の自説の展開を、科学者の信念に基づいた立派な主張だと肯定的である。武田さんは、先のように、概して言えば「豹変」だと感受する。たぶん認識しているそれ自体に大きな違いはないのだが、それぞれの立ち位置によって受け取り方やその後の方向性に大きな隔たりが生じている。
 
 両者の考えについて詳しくはホームページ等に直接アクセスして読みとってもらいたいが、武田さんは玄侑さんの主張の先には地方自治体に現行法令を無視することを勧奨する面があるとして、その点から民主主義の手続きを否定するものと批判している。武田さんのそういった読み取りは納得できるものだ。そして玄侑さんを名指しして問いかけているので、はたして玄侑さんはどう応えるかが興味深いところだが、これを書いている時点ではまだ返答は出てはいなかった。
 こう書いてくると、武田さん玄侑さんの両者はまったく対立しているかのように思われてくるが、よく考えるとそれがそうではない。実は両者は除染対策を中心にして対立しながら、奇しくも、逆の立場から政府、行政、自治体、東電などのやり方を批判している点で共通するところがある。もちろんその中身は、玄侑さんが除染費用を無駄にかけているのではないかという立場だし、武田さんは事故後の初動が遅いことと、危機管理体制の拙劣さを最初から批判し続けてきていた。また低線量被爆は問題ないという玄有さんの立場に対して、どのような人体被害があるかまだはっきり分からないと慎重なのが武田さんである。それでも、最終の最終の批判の矛先は政府や行政、関係組織・諸機関に集中していって、結局のところ金の使い方、仕事の進め方でお役所的な域を出ないという結論に至るかと思う。これを地方や民間に移譲するかしなければ、事あるごとに同じことを繰り返す気がする。その意味からも今回の武田さんの、玄侑さんに対する公開質問の行方がどうなるか、今後の展開を注視していきたいと思っている。
 
付箋その三十三 世界から疑問視される『本音』(未定)   2013/05/30
 私は武田邦彦さんのブログから、例えば年度を比較した福島の農産物の出荷額の中で米の出荷額だけがあまり減少していないことを教えられて、汚染米が知らないうちに流通させられているのではないかと怪しむ。
 もしそんな事態が起きているとすれば、そこには農家や関係者のあまりよろしくはない『本音』が覗いているのだろうと思う。これがどのような『本音』かといえば、政府や学者や医者たちが大丈夫と言うから、多少放射線で汚染されても生産したものは売って金にしたいという『本音』である。そうすると法例に示された基準などは単なるお飾りのような『建前』になってしまう。これは政府や学者や医者なども同様の姿勢で、情報公開の理念や、法令や従来の放射線量の基準値やらの『建前』の部分が一切無視されて、『本音』一辺倒の、自分の都合を優先したまったく情けない言動であるというほかはない。『建前』には幾分か原則や理想と言うべき部分が含まれるのだと思うが、日本社会ではあまりにも原則や理想が軽んじられる傾向がある。
 だが、いとも造作なく『建前』(理想)という閾を跨ぎ越す日本的特性とも言えるこうした『本音』は、世界に通用するだろうか。
 
 最近、もうひとつの日本的な『本音』を垣間見ることになった。それは橋下徹大阪市長の「慰安婦問題」に発した一連の発言である。個人的には、戦争と性衝動の現実について橋下発言は『本音』といえる部分を正直に話していると感じてきた。もちろん実態がそうであったとか現在がこうだとかを超えて、それが普遍のように着色されかかったつい勇み足を感じさせる部分もあり、「おいおい、ちょっと」と思わず心配する箇所もあった。
 一連の発言はアメリカ軍における性的不祥事に及んで、激しくアメリカから喰いつかれることとなってとうとう橋本市長の撤回宣言まで行き着き、この方向で収束に向かう様相を呈している。
 ジャーナリストの冷泉彰彦氏は自身のブログでこの問題に触れ、「管理売春は現代の基準では性奴隷」、「国境を越えたコミュニケーションでは理念型の発信しか通用しない」という二つの指摘をしていた。つまり、安倍政権の第二次大戦中の「慰安婦問題」発言も含めて、日本の政治家たちには自分の発言が世界でどう受け取られるかについての理解が、恐ろしいくらいに無いということである。
 
 私がここで何を言いたいかと言えば、簡単にそして端折って言えば、「日本の常識は世界の非常識」という言葉に近いことだ。
 関連するさまざまな記事を読む中で、世界の人権問題を監視する国連の社会権規約委員会というものが存在することを知った。実際に自分が委員会の存在とその主張などを確認したわけではないが、いくつかの紹介記事の印象としては、先の福島原発事故や慰安婦問題に関していろいろに問題点を指摘しているらしい。そしてそういう流れから考えられたことは、どうも私たち日本人は法令遵守とか人権意識とか、欧米からの受け売りを血肉化しきれていないんじゃないだろうかということだ。もっと言うと、指導層から一般国民大衆に至るまで、日本人の発言や行動は国際感覚的に相当の差異を潜在させている気がして仕方がない。
 西村真悟衆院議員(日本維新の党から除名)の「韓国人の売春婦はまだうようよいる」発言などは論外と切り捨てたいが、これが国会議員であったり、マスメディアにうろちょろできる政治家であったりを考えると、日本国全体の問題なのだという気がする。国内でこそその野放図な発言は異色を放つが、国際的な視野の中におくと、発言の根っこが腐っていて使い物にならないことがすぐに分かる。西村の言うとおり日韓を問わず売春を生業とする女性が今日にもたくさん存在するとすれば、それは回り回って政治の貧困を意味する。そうした現実を政治的課題に繰り込むこともなく、あるいは放任してきた政治家としての自らの姿勢を顧みることもなく、ただ蔑視するだけの姿は人格的に欠陥があるというほか無く、到底国際的に通用するはずもない。これは他の政治家たちでも同様だ。すべて人格的に劣化している存在と見て間違いなく、安倍総理大臣をはじめとして、世界の把握から国際感覚に至るまですべてどこかに誤解やズレを内在させているように思われる。それは私たち国民にも行き渡っていて、内から外への視線と外から内への視線とを変な具合にすれ違わせているようだ。そしてそれはまた肝心なところでそうなのだ、と言ってみたい気がする。
 
 バブル期を前後して、学生運動からウーマンリブなどの活動を経て、日本の精神文化も相当国際的になったという気がしていた。大江健三郎がノーベル文学賞を取り、吉本ばななや村上春樹(こちらも最近受賞)が海外でもよく読まれていると言った話題も私たちを有頂天にさせたと言ってよい。だが構造的不況からデフレスパイラルに陥って以降、何やら底の方から日本的特殊性がむくむく露出してきた。気がつけば吉本隆明の言う第二の敗戦期で、第一の敗戦の教訓を日本の指導層は何一つ学んでいなかったことが明らかになった。少なくとも日本的「知」は見かけ倒しで、国際的に(欧米先進国、特に米国に)太刀打ちできるものではなかった。内政に関しての教育的指導がアメリカからなされるくらいの体たらくで、反論したり言い負かすほどの力量など無かったと言ってよい。追い打ちをかけるように東日本大震災が襲ってきて、時の民主党政権の国家の体を為さないような拙い震災処理、隠蔽に終始した原発事故処理によって、国家の哲学も理念も糞もない解体寸前の一資本主義国に堕した。そうでなかったら、第一の敗戦後と同じように領土を問題にしてロシアや中国は揺さぶりをかけたりはしなかったはずだ。
 
 一連の歴史的経緯は日本発の二つの『本音』
に合流し、国連の機関から、直截にはアメリカから批判をもって指摘されるにいたっている。私は、知的に刻苦して日本的「知」という形での再構築を果たさなければ、外交ばかりでなく国内問題ですら解決が長引くばかりか、第三、第四、の敗北を繰り返す気がする。要するにボクシングにたとえれば、1回戦ボーイ、せいぜいが2回戦や3回戦止まりでノックアウトされるのが日本という選手なのだろう。
 
 もう少し考えてみる。
 福島の一次産業について言えば、放射線量を明確にするということが原則で、これが基準を越えたり、越えないまでも消費者の心配から売れないということになれば国や地方や東電が補償しなければならない。こういう方向で合意される必要がある。つまり、生産者サイドの責任、企業や行政の責任等が明確に国民全体の中で合意されていなければ、この種の、汚染米が流通しているのではないかというような不安は払拭されないと思う。
 この辺の事情は大変曖昧で、うやむやにされていることが多い。憲法や法令などをよく理解すれば、先に指摘した考え方でおおむね妥当だと思えるが、いざとなると勝手な解釈がまかり通る。こういうところが真っ先にダメだと思える。第一に報道までをも含めたオピニオンリーダーたちが、原理原則をおろそかにしすぎる。その傾向はこの国全体を覆っている。
 被爆した住民に関しても、国連の人権委員会の調査ではきちんとしたアフターケアがなされていないと判断されたのだろう。それは当然で、国も県も、民を守るための組織であり機関であるという原則を自らがしっかりと把握できているようではない。
 
 以前から、日本人の人権意識は国際感覚とのずれや差異が大きいのではないかと感じるところがあった。今日のようにグローバル化した世界では、こうした面での世界からの監視が広く深く行き渡り、ずれや差異は顕著に、
また数多く指摘されていくことだろう。国内の思想家が、学者が、論議を重ねてなお外部からの指摘によってしか是正の道をたどれないとすれば、この国に自浄能力が欠如していることは明白であり、「占領下の押しつけ憲法からの脱却」論議など身の程をわきまえないにもほどがある。
 疲れたのでここで終わる。
 
付箋その三十二  ちょっと気になっていること      2013/05/30
 原発事故や消費税増税の話題、つまりは原発推進や選挙での政党及び政治家の選び方に関して、最近、国民の責任みたいな言われ方をしている文章や記事が目につく。感覚的には少し多いなという気がして、そこにはちょっと違うんじゃないかという気分も、知らず湧いているようだ。
 文章を読むと、言っていることは理解でき、納得できる部分もあることはある。だが、直接的ではないが言っていることは、国民がメディアや知的な富者たちに幻惑させられたり騙されたりと、愚かであるという意味に収斂できるように思える。
 こういうメッセージを発信する人々はだいたいが知的所有者である。総じて知識あるものといってよいと思うが、その位置から国民を見ればたしかに愚かに見えるに違いない。同時にまたそのメッセージには、国民にもう少し賢くなって欲しいという期待や願望が込められているように思える。
 僕自身もややそれに近い考え方をしている部分がある。ひとりの生活者として、いつまでも指導層、支配層に騙されたり、いいように搾取されるのではつまらない。知を持って、少なくとも無知なる故の不当な待遇から脱却したいなどと考える。そのために知的な上昇を遂げなければ不可能ではないかと思うのだ。当たり前の生活者とは言え、個々人がそのように意思すれば、国民全体の知的水準を高めることは今日の日本社会においては容易いのではないか。そうなれば、国家や社会の在り方において、現在以上にもっと国民主体の形をとれるのではなかろうか、と。
 だが自分自身を振り返ると、仕事をしている時間を含めて一日の大半は文学やら政治やら、いわゆる知的な思考に寄っている。始終頭の中で転がしていないと、知的な思考は焦点化されていかないから。そんなふうに、見方を変えると僕は知的な思考に逃げ込んでいるということができる。
 逃げていると考えたときに、何から逃げているかといえば、生活の中のとりとめのない頭の動きからといえば、ややここで言いたいことに近いかもしれない。
 平均的な生活者は知的な思考に逃げない。仕事や家族生活に、考えることも含め全的に向き合っている、ように見える。もちろんそれには家事の合間に昼寝をするとか、仕事の後で飲み屋で同僚と一杯やることも含まれる。
 こうした生活者が日常とかけ離れた思考をしないからと言って、簡単に頭を使っていないとか愚民だとか言えるだろうか。僕は言えないと思う。ぼくらが本を読み活字を追って頭を使っている時、ごく平凡な生活者が本を読まないから頭を使っていないとは言えない。やはり生活身辺にまつわることに頭を使っているはずだ。僕らが退屈だと思ってさっと通り過ぎるところで、彼らの頭脳は立ち止まって注視し、僕らが気づけなかった何かを発見する。そして平板さの中に隠れた小さな凸凹も見逃さず、研ぎ澄まされた感覚でもって舐め回すように頭を使っているに違いないのだ。
それは科学的、合理的、学問的といわれる思考とは別の頭の使い方で、知識と言うよりは知恵に属する頭の働かせ方であると思える。そして、そのことによって彼らは僕たちよりも習俗や風習や習わしなどをはじめとして、生活の厚みを刻み込むように把握できているのだと思える。
 そこにこそ、人間社会を一本の樹木にたとえれば太い幹の部分や根っこといった根幹があるのであって、こうした生活者の存在なしに人間社会もその歴史もあり得なかったはずなのだ。そう考えると、彼らの間にありながら彼らとの間に隔たりを持ち、通じない自分の言葉を持ちあぐね、封印するほか無い僕の思考の営為とは、やがて剪定される末端の松の葉に他ならないと落胆せざるを得ない。
 だが、こういう物言いは、おそらくは知者たちの愚民呼ばわりと表裏をなしているに過ぎないかもしれない。
 
 いずれにせよ今回の大震災や原発事故後に、被災地の住民ばかりではなく全国民が、この国の治者たちと知者たちの発言や振る舞いを目と耳に焼き付けた筈である。直接的な批判や抗議は少ないとはいえ、不信や不満を顕わにするほど治者と知者の無能と愚劣だけは心に刻んだと思える。紛争のような激しい抗議をしないからといって、無能と愚劣を見抜かないのでも許しているわけでもない。ただ馬鹿は相手にしないという姿勢であるのかもしれない。だからといって我が国民、我が生活者たちが即刻賢者に変貌する訳もない。これからも何度もだまされ辛酸をなめるに違いないし、それが平凡な生活者だと逆に言っておきたい気もする。
 
付箋その三十一 「私利」と「利他」       2013/04/27
 むかし吉本隆明が太宰治を論じた文章の中に、確か次のようなことが述べられていた。 太宰は、自分を犠牲にしてでも他者の利益や幸福を考えて行動する、というように生きる人ではなかった。つまり利他的ではなかった。だが、だからといって私利的な人かというとそんなことはなくて、「私利」を拒絶する人であった、というように。
 この意味するところは鮮明に記憶している。 利他的に生きた人というと、すぐに思い出すのはヘレン・ケラーとかマザー・テレサといった人物の名前だ。詳しく知っているわけではないが、二人とも他者のために尽力した人だという印象がある。
 日本の文学者では、他者のためを考えた人として宮沢賢治を思い浮かべる。賢治には有名な『雨ニモマケズ』の詩の中に、「アラユルコトヲジブンヲカンジョウニイレズニ」という言葉があって、これは「私利」の放棄であろう。「東ニ病気ノコドモアレバ」以下の句は、他人のために生きることを詠ったものだ。太宰の場合はもう少し庶民的な通俗さがあって、当然自分を勘定に入れないではすまないのだが、次の瞬間に自己否定が走る。
 先の太宰を論じた吉本の文章は、自分もまた太宰と同じく「他者のためを」前面に出して生きる資質ではなくて、しかし「私利」を求めるタイプではないと言外に語っているように読めた。ほんとのところは分からないが、少なくとも読者としてのぼくはそのように受け取った。
 この世界には極端化して言えば、自分の利益のためだけに生きる人と、自分の利益は度外視しても他者の利益のために生きる人がいると思う。普通の人はその両端の中にあって、振り子のようにある程度の振り幅をもって生きているように思う。
 ぼくの場合はどうかというと、自分の利益を求める意識が発動すると、即座にそれを恥ずかしく感じる意識が生じて、利益を求める言動を全てとは言わないが押しとどめようとする規制が働く。これは少しも人格的な高潔を意味してはいない。また人間的な優劣や上下には関係がなく、「私利」や「利他」は単にこの社会に生存する限り強いられてくる一つ一つのタイプなのだといえる。少し言い方を変えると、「私利的」であれ「利他的」であれ、そうなりたくてそれぞれのタイプになったものではないだろうと考えている。
 では何が原因でタイプの違いが出てくるのかというと、まず言えることは生まれつきがよくて他者のためを考えて生き、生まれつきが卑しいから自分の利益しか考えないというものではないだろうと思う。生まれたての赤ん坊に、はじめからそんな運命が約束されているとはとうてい思えない。強いて言えば、その後の数年間の個別的な現実との出会いの中でそういう性格的なもの、タイプ的なものが形成されていく契機があるのだろうと思う。 だから社会に生きる生き方の中に、批判や賛辞という評価の分かれるところは仕方ないところだが、「利他的」であるとか「私利的」であるとかは、元々は横並びに平等なものだろうとぼくは思う。そして、誰もが幾分かは「私利的」に生き、幾分かは「利他的」に生きるのであって、生涯を完璧に「私利的」に生きたり、「利他的」に生きたりするものではないということだろう。
 また、他者のためと言ったり考えたりしながら、実は意識的、無意識的に「私利」、すなわち個人的な利益の欲求に突き動かされている場合だってある。
 もう少し踏み込んで言うと、人間も生体的に見れば「私利的」であることが当然であり自然なのであって、ほどほどの「私利」は健康な証拠と言ってよい。
 今日的な社会では、私利私欲が毛嫌いされ、他者のために生きる、社会のために尽くすことが高貴な行いのように流布される。そのためにかえって、私利私欲は言動の奥底に隠されるようになってしまっている。
 公務員は公僕とも言われるように、公衆に奉仕する職業の人だが、仕事がそのまま給料という形で「私利」に繋がってもいる。そのため、本当に他者のために尽くしているのか、自分のためなのかが見えにくい。官僚などは堂々と組織的に「天下り」システムを構築し、自分たちの定年後の生活を優先させているくらいだから、公然と「私利私欲」を前面に出していると言っても過言ではない。
 それなのに、今でも小中学校では「他者のために」尽くすことの大事さを子どもに教えることになっている。また国民一般にもマスメディア等を通じて、他者への奉仕、社会に尽くすことの大切さが喧伝されている。
 世界の歴史が進み、人間精神の歴史も進んで、世界は理性や理念が外化したものと見なすとすれば、理性や理念の働きは評価されねばならない。しかし、同時に、この理性や理念の働きは「詭弁」に過ぎないとも感じられてくる。なぜかというと、理性や理念というものは知識人をはじめとする指導層の間に生じたり論議されたりして、その後で一般の国民から子どもたちまで啓蒙という形で下りていくことになるが、実際のところ指導層は先の官僚のようにこれを保身や私腹の具にしてしまうことが多い。高尚な理念に跪くふりをして見せながら、そしてこれを公衆に説きながら、間をおかずにこれを使って商いの算盤をはじく。たとえばリサイクル、たとえば地球環境や温暖化がそうで、これは数え上げたらきりがない。指導層はこういうもので金の流れを創り出し、操作し、自分たちの懐に金を呼び込もうとする。またそれができるから指導層に身を置こうと努力する。
 こんなことがいつまで続くのかと思う。指導層と理性や理念と金の流れとは、強固なひとつのシステムとして構築され、どこまでも指導層に都合のよいだけの世の中になってしまっている。子どもや一般の国民だけが常に「善く生きること」の理念を言葉のシャワーとして浴びせかけられ、反発心や反抗心までもが萎えさせられてしまう。そうして健気にいつまでも「どう生きればよいか」などに悩んでいる。
 こんなばからしいことはないと考えて「私利」に走っても仕方がない、とぼくは思う。だからぼくはそれを思考の上では許容したい。だって範であるべき指導層がほとんどいま述べたような体たらくなんだから。指導層に倣って、隣人に「社会のために生きよ」とか、「他者のためになることをせよ」とか、とても言えるものではない。
 教育や教育的な考え方というのは、ぼくのような言い方や考え方とは違って、指導層のよき道具、ひとつの宣伝媒体と化している。いずれ教育とはその程度のもので、これから脱するためには自己陶冶、自己教育、すなわち自立的な精神を自分で培っていくしか方途がないとぼくは考える。ただその先には何があるかと問われれば、ぼくにはまだ答えようがないのだが。
 
 
付箋その三十 ウルトラな日本社会       2013/04/02
 環境衛生の発達から免疫力が低下し、結果的にアレルギー疾患を増加させた。衛生的な環境改善は大多数の生活向上に貢献したが、一部の子どもを含めた人々の、その生活の一側面においてはマイナスの働きをしたことは否定できない。そのことをふまえて中部大の武田邦彦さんは、やや極端な言い方だが、
 
つまり、アトピーで苦しんだ人はある意味では「衛生的な環境が良い」と主張した医師の被害者ということがわかります。この考え方(全体が正しければ、一部の被害者は無視するのが正義)はかなり根強く、今回の福島の原発や原発再開問題でも顕著に見られます。
 
また「正しい」というのはかなりいい加減で、人間は「現在正しいこと」を追求しがちであり、「正しいことが行われた後でも、それは正しいか」などとは考えないということもわかります。
 
と述べている。
 「人間は『現在正しいこと』を追求しがちであり」という言い方は暗示的であり、「正しい」ことを追求することが「正しい」ことかどうかについては、武田さんは判断を保留している様子がうかがわれる。短期的には、そして全体的には人間にとって良いことであっても、しばらく経ってみると「副作用」が表れて、実はとんでもないことだったということは有り得ることである。
 日本では戦後、復興から高度成長の過程で欧米化するとともに家庭生活も格段に衛生的になった。その結果、私たち日本人の体内の免疫力がいっきに低下して、逆にアレルギー疾患を増加することになってしまった。ここには日本人の、「極端に走る」傾向が加担している。「衛生的」と言えば、社会全体が天井知らずに「衛生的」にならないと済まない。
 私たちの世代までの子どもは、青っぱなを鼻から垂らし、着物や洋服の袖でぬぐうのが普通だった。だがそのあと何年も経たずに、日本の子どもも赤ちゃんも全員が「キレイ」で「可愛い」顔立ちに変わっていった。これはもうあっという間の出来事であった。衛生的な暮らしは日本の隅々にまで行き渡った。だがそれは人の体内にばかりではなく、国土を含めた日本全体にさまざまな弊害をもたらした。そうしたことを考えると、「良いこと」には必ず「悪いこと」が付きまとう、と覚悟しておいたほうがよいと思うくらいだ。
 
 私たちの社会の表層を見るかぎりにおいて、私たち日本人は、正しいこと、良いことをしがちな民族だと思える。しかも、そこにはイメージとして、塊となったイワシの群れが右に左に敵から逃れるときのような仕方が思い浮かぶ。あちらが良いと言えばあちらに、こちらが良いと言えばこちらにというようにだ。 自分を一匹のイワシの立場に喩えて言えば、本当は誰が自分を突き動かしているのかは分からない。そして自分の意思でというよりも、勝手に体が反応して、群れの流れに従って動いているようである。
 イワシの群れに支配権を持った指導者はいるのだろうか。たぶん、いないのだろうと思う。先頭にあるものは次々に入れ替わっているように見える。ただ群れの成員全てが、群れの中でどのように動くべきかが一瞬に感知されて、本能的に、反射的に動いているのだろう。
 私たちの社会も、誰に指示されたり命令されてというのではなしに、群れとして群れ全体が検出した「正しいこと」「良いこと」に向かって突進する場合があるように思える。そうして、次から次へと、「正しいこと」や「良いこと」、を、渡り歩いている。
 世間的な雰囲気、空気感、そういうものが何ものかを「正しいこと」「良いこと」と認知し、成員に伝達する。すると、「節約」の雰囲気が醸し出されれば一斉に「節約」に向かってなだれこみ、「省エネ」の空気感が蔓延すれば「省エネ」になだれこみ、「脱原発」の声が聞こえればそちらの方向に向かって行く。そして、いつの場合もそうした結果、何がもたらされるかまでは思考の矛先が届いていない場合が多い。ここには感覚的な(と言っていいのかどうか分からないが)察知能力の発達に比べて、思考する力の貧弱さが際だって感じられる。あるいは考えることを無駄だとするような、偏見も見て取れる。しかし、考えを徹底的に詰めていくというような仕方で考える力を付けていかないことには、いつまでもこういう社会の在り方を変えていくことができないように思える。別に社会の在り方を変える必要はないと言われればそれまでだが、それではいつまでたってもイワシの群れのような変転を繰り返しているだけで、個人の自立と共同の精神(観念)とが併存する社会には到達できないのだろうと思う。
 こうした日本人の特性や性格を裏の裏まで知りつくしているのは誰かといえば、同じ日本人に決まっている。彼らは追い込み網漁の漁師がイワシの習性を利用して一網打尽にするように、日本人や日本社会の習性を使って利得を得る術を知っている。官僚から始まり、「良いこと」「正しいこと」をさかんに広めたり、論じたり、語らいながら手を握りあっている連中を見たら、彼らが主犯、共犯者たちであると思ってまず間違いはない。
 環境衛生の発達は多くの人々に益をもたらしたが、さらにはアレルギー疾患や長寿社会の混乱や悲惨な事件など、害になるものまでももたらす原因をも作ったと言える。そこにはいつも慎重さや懐疑の心がたりない。もう少しそういう自制的な部分があれば、アレルギーに苦しんだり、準備不足の長寿社会の到来に戸惑ったりすることなく、「良いこと」「正しいこと」の恩恵に浴することが出来たかもしれないのだ。そのためには、いつまでも「良いこと」や「正しいこと」に思える発言を、繰り返し発信する発信者の言葉を鵜呑みにするのではなく、彼らが「自利」を目的に、そのための手段として「良いこと」「正しいこと」を言っているか否かよくよく見極めなければならないのだろうと思える。そうでなければ、やはりいつまでもイワシの群れのように、今日の社会で、群れの流れに流されていくだけのことになる。それではつまらないというだけではなく、一部の利を求める者たちの共犯者となって、新たに「副作用」に苦しむ人たちを産みだすことに加担してしまわないとも限らない。それはこの国の一般生活者大衆の本意ではないと私は思う。
 
 
付箋その二十九 老いとは何かV     2013/03/21
 平均寿命が80とか90とかになってきて、多くの年寄りは行き当たりばったりに生きているに違いない。高齢者の生き方はこうだというような社会的な通説、あるいはまた合意というものが育っていないためだ。だから高齢者はみんな自分の頭で、ああでもないこうでもないと必死に模索したり試行錯誤をしながら今日を生きているのだと思う。
 なにせ日本人にとって、それは世界にとっても同じことかもしれないが、50歳、60歳以上の人生とその意味について考える機会がこれまではなかったと言っていい。戦後、劇的に寿命が長くなって、その間五、六十年を経てやっと、高齢者の生き方の見本やお手本がないことに気付いた。だから多くの高齢者は、自分の過去の延長上に今があると考えていると思う。つまり精神や肉体の衰えの過程を生きなければならないものだと感買えていると思う。それで、足元はよく見えないのだが、じわじわと前に進んでいる具合だ。
 ぼくは62歳になったが、漠然と65歳までは働けると感じている。自分の体力と、標準的な企業の雇用状況を見たり考えたりしてそう思う。また、もしかすると70歳か、その近くまで行くかもしれないと思う。本音は早く楽になりたいのだが、年金だけでは食べていけないだろうと思う。だから、働く時間を少し減らしながら、でもしばらく続けるというのが現実的という気がする。
 ぼくにとって長く生きる意味は何かというのは、まだよく分からない。先輩たちと同じくこれまでの人生の延長に過ぎないとも思えるし、そうじゃない高齢者としての生き方の意味を探したいという気持もある。
 
 このごろ、妻は自分もパート勤めをしているためか、稼ぎの少なくなった夫に家事の分担を要求してくるようになった。ぼくが以前と同じに家庭のことを顧みないと不機嫌になる。でも、どうしても張り切って掃除、洗濯、庭の手入れなどをやりたい気持になれない。これも本音を言えば、出来れば遊んでいたい気持が強い。それは趣味に打ち込むというようなものではなくて、子どもの頃のような、行き当たりばったりに思いついたことを自由にやりたい、そんなことなんではないかなと思う。とにかく、無責任に、自由に、その時に楽しそうだと思うことをやっているのが一番ではないかなと考える。
 
 ぼくが努めている場所にはたくさんの還暦を過ぎた同僚がいる。たいてはパートとか契約社員の形態である。時間給で安上がりなのだ。みんな第二、第三の職場なのに違いない。ぼくだけ設備管理、中でも空調といってエアコンを運転して温度調整をやる仕事をしている。あとは清掃や警備の仕事がある。ぼくも含めてみんな、誇りを持って仕事に従事しているふうではない。「年とったらとりあえずこんな仕事でもして」という、消極的な動機なのではないかと思う。仕事は誰にも出来るようなことで、たぶん根気や我慢が必要なだけだ。給料は安いから、みんな条件のよいところがあったらそちらに行きたいと思っているはずだ。でも、若いときのような無理はもうごめんだとも思っていると思う。
 場外券売り場の遊技場だから、警備本部というものが設置されていて、そちらだけは警察署長上がりなどが、ぼくらとは比べものにならない破格の待遇で勤務している。まあ、世の中はこんなものだ。またそういう人たちはプライドもあり、民間の、とりあえずの頭数が必要とされる悪条件の仕事に耐えられるはずがない。つまり再採用先は限られる。退職者の弘済会みたいなところの斡旋に頼るしかないということもできる。悪く言えば自力だけで民間に飛び込むだけの勇気も持ち合わせなければ、飛び込んで耐えられるだけの能力もないに違いない。ギャンブル場は、再採用先として採用側との何となくの黙約ができているように思う。それはいってしまえば天下りの一種だ。
 
 ところで、ここの客は大半が年金を小遣いにしている老齢者だ。ぼくらのちょっと先輩たちが多い。中には今にも倒れんばかりにして歩く人もいるくらいで、建物全体が高齢者で埋め尽くされていると言っても過言ではない。いつ死んでもいいような人が順番待ちをしている待合室みたいでもある。彼らは人生も終わりに近いというのに、ギャンブルにうつつを抜かし、うまくすればちょっと多めの小銭を手に入れようとひしめき合っている。
 ほかにやること、やりたいことがこの日本の社会には何もないのだ、などとぼくは思ったりする。しかし反対に、こういう遊技場やパチンコ店がなかったら、高齢者にはもっと楽しみが少ないのかもしれないと思うと、あった方がよいに違いないと思ってしまう。もちろん同じく老いた配偶者や家族の人たちは、そうして使いきってしまう小銭を家庭に、あるいは自分たちに回せと思っているかもしれない。つまり、遊ぶことに反対かもしれない。
 ここに来る客の中の多くは、現役引退後、世界旅行をしたり、グルメツアーに参加したり、余暇を別荘で過ごすとかの生活にはちょっと手の届かない人たちだったのではないかと思う。孫にせびられて残った年金を、何とかギャンブルにつぎ込むくらいが関の山といった階層の人たちと思う。たぶんぼくらと似たかよったかの先輩たちであろう。
 本当を言えば、ここやパチンコ店などのギャンブル場は、こうした高齢者からなけなしの小銭をかすめ取って成り立っている。ひとり数千円でも、千人からだと数百万。これを百店舗、千店舗、全国の全ての店舗と考えたら、高齢者はけっこうお金を回しているじゃないかと思う。しかも、大金持ちではなく、ほとんどは万札を持てない人たちで、ポケットから出したり入れたり何度も躊躇しながら券を購入した、そのお金が回っていくのである。塵も積もれば山である。そうして、どんなに悪質に客から金を巻き上げるパチンコ店でも、警察の手が回らないのは当たり前である。巨大な産業をつぶせるわけがないし、先にも言ったように、良い天下り先だからだ。
 
 さて、自分の行く末もここに集まる客たちと同じかと考えると、そうだ、と思う。今のところ、体が動くまでは働くということしか考えられない。働けば、パチンコに出かけるくらいのことは出来る。働かなければそれが出来なくなる。結局パチンコでは擦ってしまうのだから、その間は何も残せずにただひたすら自分が消耗しているだけのことである。まるで擦るために働いているのだ。モルモットが例の輪の中で走り続けるあれと同じである。つまらない。つまらないから妻を盛んにパチンコに誘っている。夫婦してこれだが、意外にこのごろのパチンコ店ではこうした夫婦の姿をよく見かける。高齢に向けての意味や目的が見いだせずに、さしあたって遊べるうちに遊んでおこうということかもしれない。夫婦で家庭を顧みない。顧みないといってもせいぜいが猫の額ほどの庭の手入れか、家の中の片付けくらいで、親戚や知人とも付き合いも以前のようではなく行き来がほとんどないから、そうしたことに価値も見いだせなくなっている。必要が工夫をさせるので、必要がなくなってしまうと工夫もしなくなる。
 
 宝くじが当たって何億円かを手にしたと考えてみる。これには幾分か高齢者としての自分の描く理想が反映するかもしれない。
 まず、辞めたいと感じることもある今の仕事は続けるかもしれない。金銭に余裕があったら、契約社員というこの立場は意外に社会的な繋がりを保つという意味でも、楽な形態かもしれないという思いがある。お金には困らずに、何かちょっと趣味的な気楽さで、仕事をして稼ぐという社会生活の基本だけは守っていく。そこにはなにかしら安堵がありそうだからだ。ただし、有休を含めた休みは出来るだけたくさんとる。それで、夫婦で国内の小旅行などもしてみる。すこし着飾ってタクシーでコンサートに駆けつけるなんてこともやってみたい。家を買い換えて、こういう文章を書いたり読書したりするのによい環境を整えるのもやってみたい。とりあえず高級外車も買おうか。
 これくらいだろうか。これでは夢がないし、ただ現在の金持ちの断片的な姿を追っているだけだ。
 と言うことは、自分には高齢者の理想の在り方は存在しないということなのだろう。こうしたい、こうありたいということがあまり見えない。さらに言えば、もしかすると今在る生き方が考えているほどに不満ではないのかもしれない。
 今在る貧しい生き方とそれほど違わなくてもいいのだが、神様仏様のように、すべてを「知りたい」という気持だけは心のいちばん奥底にあるような気がする。高齢になっても生きようとする意味、目的、それは、自分の場合にはそんなところにあるのかもしれない。そう考えると、この世にあることが何となくイヤだイヤだと思いながら、なお執着を残しているような自分に合点がいく思いがする。
 
 
付箋その二十八 「国家」小考  2013/02/28
 国、国家というものは、政府関係者等に言わせれば、国民の生命や財産を守る機関であり組織であり共同体であるということになるが、今日まで、実際的現実的なありのままを言えば、権力を中心として同心円状に外側に向かって、すこしずつ国民を守る「守り」としての効力は薄まっていくものだと思える。つまり、中心に権力があり、その周囲に群がる者たちにとってはかなりの有益性を持つものの、権力から遠い存在にはあまりありがたみのないものだと言わなければならない。
 国や国家の中枢にあるものは、当然、全ての国民をと口にはするだろうが、それは理想や建前ではあっても歴史上、あるいはいかなる国家においても完全にそうであった試しはない。いつまでたっても実現しないものを、私たちの世界はいつまで夢見るつもりでいるのだろう。たびたび報道などで話題になっていても、それはただ話題にして商売繁盛に結びつけようとしているだけで、誰も本気で政府に実現を迫る気配はない。つまりどこまで行っても「言葉」だけの「お遊び」と言って言えなくはない。
 国家の中心にあり、周辺にある者たちにとって、守るべきものはこの国家という機構であり形態である。なぜならば、これを守ることが自らの生命と財産を守ることに直結するからである。詭弁として、自分の生命と財産を守るとは言わずに「国を守る」「国民を守る」と言っておれば、そう言うだけで「自分」を守ることになる。
 
 国家的な権力が、国民の中でも権力から末端に位置する人々の生命や財産を守るのは、偶然の場合であったり、言い方は悪いが国家の存在が必要不可欠であることを大きくアピールできる場合に限られる。それが誇張であったり言いすぎでないことは、切り捨てられ放棄され犠牲に供される人々の数を考えればよい。国民生活者は、ある場合たったひとりで、吹きっさらしの中に己の身を守って立ち続ける。それだけで精一杯だということは、常に可能性としてはありうる。
 ある国家は、他国を例にとって自国の民衆の不遇の数や度合いとを比較し、よそよりもましだと思わせようとするが、その場合でも、全ての国、国家において、本当は単に程度の違いがあるだけだということを隠し通すことは出来ない。
 これらから考えて、要するに国とか国家とかで呼ぶものは、必ずや内部において繁栄するものと衰退するものが共存することが分かる。一方が栄えるということは、どこかでそれを支えるために犠牲を伴うことを意味する。歴史上、ひとつの国や国家内部で全てが均しく繁栄することなどあり得なかったと言ってよい。完全な平等など為政者側の者たちはまともに考えた試しはない。その種の観念を集大成したと、ぼくらが象徴的に考えるかのヘーゲルも、歴史上の偉人、英雄は別格視し、あるいは人間の属性としての教養とか認識を他の属性よりも高級なものと見なすなど、ある種の偏見、偏りは持っていた。その時点で不平等は是認されていてと、ぼくには思える。
 ヘーゲルは人間の理性の究極目的としての国家・国家機構みたいな事を言っていて、国家の成熟が何ごとかであるように考えたが、これにはまたいろいろな疑問を感じる。少なくとも現在という段階で、未来への希望を託せる国家は世界中のどこにも見当たらない。だが、逆に言えば世界は国家に依存する形での集合体であり、この先EUがさきがけとしての超国家に、全てが向かっていくかどうかなどは依然として未知数にあると思う。また、もともと宗教から法へ、法から国家へという道筋について考えると、国家が宗教の最終形態と言えるから、各民族が宗教から解放されるのでなければ超国家の理念は実現しないとも言える。そんなことを思うと、現実の出来事の中に萌芽を発見したとしても実際は遥かに先のこととなる。生活者が考えるべきことじゃない。
 
 
付箋その二十七 老いとは何かU     2013/02/21
(老いの「グチ」みたいなこと)
 詰所というと警察官や警備員が仕事のために出向いて集まる場所というイメージだが、ここの詰所はそうではない。設備員の控室であって、しかもひとりですごしている。
 小さなテレビや冷蔵庫があって、お水を汲んできてお湯を沸かし、お茶を飲むことも出来る。暖房や冷房も効き、贅沢を言わなければまあまあの居心地でいられる。ただ一日中ひとりですごし、これが何年も続くとさすがに飽きる。テレビを見、新聞や本を読み、居眠りなどもすることもあるのだが、六年間続けて、さすがに飽きた。もうこの仕事を辞めたい。何度そう思ったか。
 これって自分の人生を象徴しているのかもしれない、と思う。取り立てて悪条件が集中したわけでもなく、人生において苦労らしい苦労もなかったが、どこかで、飽きたという、そんな、聞く人が聞けば贅沢な実感を抱いている。かといって、外に何か特別なしたいことがあるわけでもなく、ただぼんやり昨日も今日もそしてたぶん明日も同じと思い、飽きた飽きたと念仏のように繰り返し考えているにすぎないのである。
 生きるために、得られた仕事を継続する。好きでも嫌いでもなく、ただ自分にも出来ることだから続ける。そういう心境に近くなってきた。つまりは、こんな境遇に至ったからにはこの境遇を引き受ける以外にはない、そんな「無」にちかい境地なのだ。これは無言の大衆の一般的な感情ではないかと思いなしてきたところだから、感慨深い。俵に足がかかって後がない。ここまで来たらもう何があっても動じようがない。腹が据わる。善悪、総じてもって存知せざる也、である。
 アホのように生きているということになりかねないが、なに、例えそうだとしてもどうでもいい。自分の場合、生きるとはこういうことで、文字通り現実とは無意識に生きる場であるという以外にない。成るようにしか成らない、あるいは成るようにして成った結果である。ここに過不足など感じようがない。但し、彼我の垣根を取り払ってしまえばの話である。
 
 書きかけ終了後、数日が経過した。その間、この文と関係し気にかかっていたことは「死」について、のようだ。夜寝る前に、ちらちら脳裏をよぎったのがそれだった。『ああ、まだ怖がっているのかもしれない』と、そう思いながら眠りについていた。
 老いた母のこと。一昨年に死んだ父のこと。それに昨年なくなった吉本隆明さんのことなども思い浮かべていた。
 
 ぼくはこれまで意識を言葉にして、時には文字に、そして今日ではほとんどをパソコンに書き込み、あるいはこれをホームページに掲載してきた。これは、自分の死を迎えたら全て闇に埋もれてしまうということは確実だ。そこまでは、覚悟はしている。覚悟はしているけれども、どうもそれは納得とは違うようなのだ。納得していない。不服である。そういう部分がかすかに意識の奥に感じられる。 文字を駆使して成功した(?)知識人、芸術家は、言葉が書籍になって残ったり人々に記憶されたり、つまりはそう簡単には消失しないものだ。
 
 一般の生活者は、現実の活動を積み重ねるままに、ある日突然それが中断するという形で死を迎える。
 いちばん身近にいるぼくの妻は、観察する限りではどうもぼくのように近い将来について、具体的には死について、頭で考えているように思えない。彼女にはぼくのような「言葉」が、頭には全く去来しないようなのだ。ぼくはそれが生活者の本来的な、あるいは現実的なあり方ではないかと予測してきたところだから、何だか潔いもののように思える。頭で考えているというより、体全体が頭や脳であるような生き方をしているのかもしれない。それだからあえて「言葉」に置き換えて考える必要がないのだろう。
 ぼくはそれで、自分が小心者で不安症だと顧みずにはおられない。重箱の隅をつつくように、脳の奥処の微細な襞を言葉によって言葉を探す愚にとらわれているのではないかと。そして、たぶん実質的にはそんなところだろうと落胆しないわけにはいかない。遠回りに遠回りを重ねて、なお原形的な生活者に何も役だつような考えを生み出すことが出来ていない。
 
 間近に死というものを感じながら、これまでの生涯が無為であるとか無駄だったとか考えざるを得ないことは、さすがに辛いことである。ただこれも考えるから辛いのであって、本当は考えることを強制するものは何もないと言うべきである。
 
 夜中に布団に潜り込む刹那、このまま永眠ということもあり得ないことではないという考えに取り憑かれる。一瞬ではあるが、ほとんど毎夜と言ってもいいくらいの頻度でそれがある。そして、そのたびに、「やり残したことはないか」と自問する自分がいる。決まって、「そんなことはたぶん無いし、生きるということはそういうことではない。」と自分に答えている自分がいる。それはしかし綺麗に整理された言葉で、おそらく内心はもっとグロテスクだ。やり残したことは山ほどあって、それを全てやり終えようとすれば過ごしてきた時間の数十倍もの時間を費やさなければならない。そんなことは不可能だし、自分にはそんな苦労や労力に耐えるだけの力量はないと知っている。言い切ってしまえば、全てをやり残して死んでいくほか方途がない。
 
 
付箋その二十六 メディアの劣化   2013/02/11
 2011年3月11日の東日本大震災、それに続く福島原発事故以降、私たちはメディアに釘付けになった。そこで夢中になって今現実に起こっていることとこれからの復旧や復興に向かって行く際の、全体的な把握をしっかり行いたいと願った。つまり、メディアの中に懸命にフィットする言葉やイメージを探し歩いたと言っていい。だが、結果は大きな落胆を強いられるものだった。
 もちろん、以前から私はメディアに不満を持ち不信を募らせてはいたのだが、今回の3・11以降のありさまは改めてどうしようもなく陳腐で腐敗しきったものであることを知らされた。こういう捉え方は、直接、新聞やテレビ等を見て感じるとともに、主に武田邦彦さんなどのブログを読みながら同じ受け取り方をするものだと感じ、徐々にそうした感受が蓄積し、膨らんで形成されていったものだ。このことは、震災以後の自分の文章の中に断片的に書き記してきたと考えている。
 さて、もうひとりの注目するブログの著者である内田樹さんは、最近同じようにメディアに対して次のような批判を投げかけている。ただしこれは昨年、つまり震災一年を経ての文章だとことわりがある。(ブログ記事「メディアの劣化について」より)
 
メディアはいわば私たちの社会の「自己意識」であり、「私小説」である。
そこで語られる言葉が深く、厚みがあり、手触りが複雑で、響きのよいものならば、また、できごとの意味や価値を考量するときの判断基準がひろびろとして風通しがよく、多様な解釈に開かれたものであるならば、私たちの知性は賦活され、感情は豊かになるだろう。だが、いまマスメディアから、ネットメディアに至るまで、メディアの繰り出す語彙は貧しく、提示される分析は単純で浅く、支配的な感情は「敵」に対する怒りと痙攣的な笑いと定型的な哀しみの三種類(あるいはその混淆態)に限定されている。(太字 佐藤)
 
 各種メディアはつまり、本気で視聴者や読者に記事を提供するという気がないし、スポンサーやスポンサー予備軍に気を使いすぎて本筋の使命を見失ってしまっていると言っていい。その結果としてまさに、「語彙は貧しく」、「分析は単純で浅く」、到底私たちの「知」を刺激し活発に働かせる内容を持たない。はっきり言えば、目にすることの出来る多くの取材も記事も、構成や表現法も、端から真実や事実に到達しようとする意思に欠け、在来の手法を踏襲するにすぎなかったと思える。心構えとしても、技術的に見ても、レベルが低すぎて、メディアの堕落は極まったと断定するほかなかった。もう、こんなのを相手にしても無駄だとしか思えなかった。
 内田さんはもう少しメディアとの関係も深いので、私のように投げ出すようではなく、噛んで含めるような言い回しで丁寧に説いている。
 
メディアは「ゆらいだ」ものであるために、「デタッチメント」と「コミットメント」を同時的に果たすことを求められる。
「デタッチメント」というのは、どれほど心乱れる出来事であっても、そこから一定の距離をとり、冷静で、科学者的なまなざしで、それが何であるのか、なぜ起きたのか、どう対処すればよいのかについて徹底的に知性的に語る構えのことである。
「コミットメント」はその逆である。出来事に心乱され、距離感を見失い、他者の苦しみや悲しみや喜びや怒りに共感し、当事者として困惑し、うろたえ、絶望し、すがるように希望を語る構えのことである。
この二つの作業を同時的に果たしうる主体だけが、混沌としたこの世界の成り立ちを(多少とでも)明晰な語法で明らかにし、そこでの人間たちのふるまい方について(多少とでも)倫理的な指示を示すことができる。
メディアは「デタッチ」しながら、かつ「コミット」するという複雑な仕事を引き受けることではじめてその社会的機能を果たし得る。だが、現実に日本のメディアで起きているのは、「デタッチメント」と「コミットメント」への分業である。ある媒体はひたすら「デタッチメント」的であり、ある媒体はひたすら「コミットメント的」である。同一媒体の中でもある記事や番組は「デタッチメント」的であり、別の記事や番組は「コミットメント」的である。
 
 要するにひとつの出来事に対して、冷静沈着に、客観的、科学者的態度をとることと、当事者の内面をかいくぐるような出来事への接触を図ることとが同時に行わなければならないということだと思う。言いかえれば、傍観と共感の共時である。内田さんは、日本のメディアはそこが分業化されてパターン化していると分析するのだが、それもひとつではあろうが、こんにちの日本のメディアの「腑抜け」はそれだけでは片付かない気がする。
 私は新聞社であれテレビ局であれ、ひとつの媒体が媒体ぐるみで、言いかえるとその媒体の社主や局長クラスから末端の平社員に至るまで、無意識にも、保身すなわち利権の恩恵に与ることを第一義としているからだと思う。別の角度から言えば、ちょうどいじめ事件の際などに垣間見られる教育委員会の体質や、原発事故後の東電にみる体質と同じものが、それらの媒体にも共通に存在しているのだろうと想像する。そして、しかも、それら全てに共通して内部には言い分を持っているはずなのだ。すなわち「教育を守る」ため。国策としての原子力行政の保守。パニックからの国民の庇護等々と。それら(自分が所属する組織の理念や目的の防護)は、真実や事実よりも価値ある、とする気風が無意識下に脈々と波打っているという気がする。そしてそれが日本人の体質であり、隠れた宗教観ではないかとさえ考える。それは違うんじゃないのか、と問うてみても始まらない。清濁を併せのみ、真実を墓場まで持っていく日本人の何と多いことか。そこには隠蔽と呼ばれるものの本質が隠れている。そういうことを語る論理を、血肉化しようと日本人はしてこなかった。わずかな知識者を除いて、戦争体験がそれほど多くの人々によって口にされることがなかったのは、体験を論理の俎上に乗せる困難があったせいもあるが、それを第一義としない体質、気風、伝統などが原因だったかと思う。
 その意味では内田さんが「メディアの劣化」と呼ぶのは、「メディアのガラパゴス化」と言いかえてもよく、極めてアジア的、特殊日本的要素が露出したと見ることもできる。
 
 
付箋その二十五 老いとは何かT        2013/01/11
 還暦の年に東日本大震災に出会い、もうすぐ2年目を迎えようとしている。この間、震災後の復旧や復興はもちろん、原発事故にも関心をもち、主にこれらのことについて考えてきた。そういう影響もあるのかどうか定かではないが、このごろ、『これからだな』という思いを強くしている。これからが本当に人間らしく生きるときであり、人間としての真価が問われる、そう、胸の奥で思うときがある。
 これまでは何か社会の側から、「こう生きなければならない」みたいな強いる力が働いているようで、それに従ったり反発したりしながら、でも大枠ではその範囲内にすごした。今、少し若い人を見ると、『必死に、なりきろうとしている』とか『演じきろうとしているんだな』と見える。それは教わったこと、つまり外部の声を聞きながら、必死に自分のあり方を探り、判断して努めてきた結果としてそこに立っているように見えるからだ。目の前にいる人は誰も、人生という学芸会の主役を張ってそこに立っている。それは見事に演じきったりあるいは失敗したりと、さまざまな姿を見せている。ここからもっと単純化して言えば、60歳前後までは、人は小学校の学芸会みたいに人生を送っていると言える気がする。自分のあるべき姿に向かってよちよちと、幾分かは、ぎこちなさを見せながら歩いている。生き方の真似といってもいい。
 これは自分だけかもしれないのだが、還暦を過ぎて、まずは頑張らなくていいという思いに至った。これには伏線があって、社会、あるいはもっと広範囲に、期待されなくなったという事実がある。外部の声がなくなった。
 家庭からはもはや高収入を期待されなくなった。仕事では大きな貢献を期待されないし、異性からも性的な魅力を期待されることはもはやないのだろう。有り体に言えば、老いの寂しさに突き当たったということなのかもしれない。廃品回収でどこかに持ち運ばれるわけにも行かないので、無用の長物としてどう生きるかが問われると言えば言えそうに思える。学芸会のように、このように振る舞いなさいという演技指導もなければ、台本というものもなくなっている。だが、完全に舞台から下りたというわけでもない。せいぜい、エキストラとして「目立たないようにそこにいて下さい」と言われているくらいのものだ。 はてさてどう振る舞うべきなのか。しばらくぼうっと佇んでいると、目の前には道がないことにも気付く。真似すべき範も、鮮明なものは皆無に近い。老いの道は自分で切り開けということかもしれない。「あ、そう。じゃあ、やりましょか」と、分が悪くなるほど反骨心みたいなものがあふれ出す。
 昔は隠居と呼ばれて盆栽などをいじった。しかし今日ではそれでは収まりがつかない。そんな余裕もない。老いに向かう道というのはやはり、黄昏よりもいっそう暗い闇に向かっていくようなものだから心細さを禁じ得ない。もちろん、老いてもなおあらゆる面で生涯現役を貫く人もいるわけだが、そんな人は稀で、考えてどうなるわけではない。
 ここで言ってみたいことはそれらのことを含めて、いずれにせよ「台本」のないこれからが、どのように人間的な生き方をするのか試されるということなのである。つまり、どのように生きなさいという意味での定説もないから、全き自由と言ってもいいすぎではない。全て自己責任で生き方を選択していいのである。「台本」はゼロから自分で作る以外にないということでもある。これはある種、痛快でないこともない。
 もう一度言えば、もはやどう生きたっていいのである。他者にののしられようが何しようが、背負うものが何もないと仮定すれば、恐いものも何一つない。で、どうするか?って。それは「内緒さ」、と気取ってみたいが、なに、今日も明日も吹きっさらしの中。
 
 
付箋その二十四 日本人の心性について      2012/12/25
平和なる山の麓の村などに於いて、山神楽或は天狗倒しと称する共同の幻覚を聴いたのは昔のことであったが、後には全国一様に深夜狸が汽車の音を真似て、鉄道の上を走るといふ話があつた。それは必ず開通の後間もなくのことであった。又新たに小学校が設置せられると、やはり夜分に何物かゞその子供等のどよめきの音を真似ると謂った。電信が新たに通じた村の貉は、人家の門に来てデンポーと喚はつた。其他造り酒屋が出来ると、季節はづれに酒造りの歌をうたふ者があり、芝居が済んで暫くの間は、やはり空小屋の中で囃子拍子木の音をさせるといふ毎夜の噂があつた。斯ういう類の話は決して一地方だけでは無く、而も一家近隣が常に共々に此音を聴いたと主張するのであつた。新しく珍しい音響の印象は、これを多数の幻に再現するまで、深く濃かなるものがあつたらしいのである。我々の同胞の新事物に対する注意力、もしくは夫から受けた感動には、これほどにも己を空しうし、推理と批判とを超越せしめるものがあったのである。(柳田国男『明治大正史 世相篇』第一章 目に映ずる世相 九 時代の音)
 
 これは吉本隆明の『柳田国男論』からの孫引きなのだが、この文章の内容は長く心に引っかかっていた。
 それぞれの逸話はいつか聞いたり読んだりしたことがあると思わせられるものだ。そして自分の生まれ育った昭和二十年後半から三十年代の初めにかけても小さな山間の集落には、それほど変わらぬ共同の暮らしがあったような気がしてくる。「ほら、本当はこうだったろう」。柳田の文章はそう語りかけてきて、そういえばそうだったという気になるのである。習俗の生成に関わる日本的特質、そして形成された習俗の継承をここに読みとって、あながちまったくの見当違いとは思えないのである。
 もうひとつ、こういうところに見えてくる地方の人々の心性はついこの間までは実際にこんなふうで、迷妄や未開と不可分なものを持ち合わせていた、あるいはそういう段階にあったと理解されてくる。すなわち、わが日本の村落に生活する人々のおりなす習俗に潜む心性は、遙の古からそんなに変わりばえせずに、ついこの間までこのような形で延々と生成され、継承されてきたのではなかろうか。根拠を問われたら困るが、悪くいえば科学的合理的な事実や真実などは問わず、ただ共同(集団)の幻想の構築、合致だけが人々の重要事だったのではないだろうかと思われさえする。吉本隆明の言葉を引用すれば、「嘘と誇張が暗黙のうちに共同で許容されて習俗を形成」してきた、ということになる。吉本の柳田論の趣旨とは別に、ここに表れた日本的な心性は、アジアの中でも飛び抜けて欧米化の装いに成功した今日の日本社会の中で、どのように変貌したのかしなかったのかが気になるところである。
 いや、本音を言えば、嘘と真が骨がらみとなってわたしたち日本人の習俗を形づくる心性は、今も内なる核の部分では何一つ変化せずに存在しているのでは無かろうかと疑わずにはおれないでいる。
 たとえば大震災後の、メディアに流れ続けた、空虚相半ばする「絆」の大合唱。たとえば福島原発事故後の、「ただちに健康に影響はない」の発言やデータの隠蔽、情報の統制。さらに汚染された瓦礫を県外処理する際のことや、汚染された農産物や食材を流通させようと意図する裏側には、ここに見る日本人の論理性や合理性を超越してしまう心性が、密接に或いは緩やかに影響してはいなかっただろうか。これらにさらに政治家たちの虚言や政治的慣習、習俗、或いは原子力村等の内輪に許容された習俗を付け加えてもよい。
 そこで私たちが目にしてきたものは、救済や復旧、復興に向けて迅速に対応するどころか、復興予算がでたらめな使われ方をしたり、無関係と思われることに配分されたりしている事実。またそんないい加減なことをしながら、震災や原発事故で疲弊する国民に、増税による負担を強いようとすること。あるいは被爆そのものが量的なものを問わず「してはいけない」筈だったことが、「この程度は問題がない」という声にすり替わったこと等々数え上げたら本当にきりがない。総じて、復旧、復興のかけ声だけは大きいが、肥満してヨタヨタとしか動けないシステムの、機能不全に陥った姿であった。これは戦後の叡智が全ての面で結果的に、ダメであったと総括する以外にないような出来事であると感じられた。いざとなったら政治家も知識人も経済人も、どいつもこいつも、愚鈍で無能で付和雷同で、しかも倫理的でさえないことも露呈した。何なのだ、この国のエリート層は、そう思ってがっかりした国民は相当数存在すると思う。何だよ、俺たちの国のエリート層も権力層も柳田の描いた明治期の庶民、村民とそんなに差がないのじゃないのかと私もまた思った。客観的な事実認識と、それに対する適切で冷静な対応がどこにも見られなかった。大きな危機、非常時の前で、誰かが声をあげるとやみくもにみんながそれに(特に指導的立場の層にある者たちは)追従した。
 日本人にはどこか自分が所属する集合体は絶対的で、柳田の文に見られるように、その集合体の主要な人物のひとりが見たり聞いたりしたことに、無意識に同調してゆく傾向がうかがわれる。ひとりの主たる人物が、村落に関わるとある新しい事物や事象に出会って、それに尋常ではない注意力が注ぎ込まれて彼は幻影を見、幻聴を聴く。彼にはそれが幻影や幻聴だという認識はなく、もちろん真であり、事実だと信じ込んで(ある場合は作為を持って)共同体内部の人々に時に啓蒙的に触れ回る。すると、それを聞いた人たちはその話が本当か嘘かの次元で客観的に受け止めるというよりも、話し手の心性に乗り移って聴くために、そっくりそのまま写し取って受け止めてしまう。そこには、あり得ないことをも、いとも容易くあり得るとして受容する独特の心性が働いている、と思う。
 これは別によいとか悪いとかという問題ではない。また精神が発達しているか遅れているかというような問題でも無いような気がする。仮にそう言えるとしても、精神そのものには責任がない。たぶん、気候や風土が独特の心性を培ってきた。
 気持や心情といった心の表れのもうひとつ奥処には、身体と身体を取りまく環界とに密接につながる部分があり、民族の心とはそういうものに支配的に影響されながら形成される。もちろん上位の、思考のはたらきという領域にもその影響は表れはするが、たぶん思考そのものは独自に発展する特性を持っている。吉本が柳田論の中で「外部の視線」と呼んだものは、主として文明の先進国である欧米が発達させてきた、科学的合理的な概念と論理的思考の体系から放射される視線を指し、明治以降のわが国はこれを翻訳した造語によって思考するという芸当を行ってきた。これにより、本来融合するはずのない日本的な心性と欧米発の思考形式とを並立させ、両立させてきた。これも、よいとか悪いとかの問題ではなくて、ただ「外部の視線」と「内なる心性」との甚だしい乖離が、今日の日本社会の混迷をもたらすもののひとつとして、表層に浮かんできている気がする。ざっくりといえば、日本人は平常時には「外部の視線」中心に社会を構成し、生活を構成し、それをコミュニケーションのツールとしても活用する術を体得しながら、非常時になると根っこにある心性が顔を出して「推理と批判とを超越せしめ」た言動を為すことがある。柳田はこれを「我々の同胞の新事物に対する注意力、もしくは夫から受けた感動には、これほどにも己を空しうし、推理と批判とを超越せしめるものがあったのである」と好意的に書き記しているが、裏を返せばいつだって豹変できるということであり、「自分がなく」「無思想」で「個」としては実体(精神的に)を持たないということになるかと思う。精神は実体がないというのはその通りだが、社会は実体のない精神をあるものとした上での交流で成り立っているのだから、いざとなって精神が没個性では、どう対応してよいか分からなくなる。ひとことで言えば、自分がない、訳の分からんやつだということになると思う。
 精神は沈黙を大部とするかもしれないが、言語によっても表象されている。大事な局面で言語に無責任であるとなれば、ということはつまり発言内容に責任を持たないということになるが、これでは困るとしかいいようがない。一縷の希望を託した民主党の政治はまさしくこれであった。
 私は個人として、自分の発言(言語)には責任を持ちたいと思ってきたし、内容が事実に相違していたら率直に誤ったり訂正することを旨としてきたと考えている。また、事の真偽に際しては、深くそれを探り、自分が確信を持てないことは軽率にそれを口にすることがないように自戒してきたつもりでいる。これは多分に西欧的な知識に影響されて(間接的にだが)のことに違いない。そしてこれを血肉化する願望を私はどこかに抱いてきた。しかしその過程で、自分にも存在するであろう日本人としての心性を切り離して縁がないように装うことはすまいとも考えた。またそんなことが簡単に出来るほど根の浅いものとも思えなかった。しかし、政治家をはじめとする日本の文化人、知識人たちは進歩派ぶってはいるが、こういう危機的状況になると民主主義や自由主義の原則原理までかなぐり捨てて、自己自身と自身が所属する村社会の保身、あるいは藁一本にしがみつくように利権にしがみつく姿勢をあからさまにして恥じない。こんな国、こんな国民にするために、何十年、何百年、何千年の日本の歴史、人々の願望、人々の辛難艱苦があったのかと思うと、怒りがこみ上げ、人間の卑小さに生きていることが恥ずかしいと感じるほどに嫌気がさす。
 今回の東日本大震災を経験して、私にひとつの推理が働く。それは原日本人の精神が、自然の猛威によって何度も何度も叩きつぶされる経験を持ったのではないかということだ。そこでは人間の意識も意志も、もっといえば考えや精神の行為そのものが、自然の力の前には何物でもないことを思い知らされる連続であったと、これもまた考えられる。自分の意識の絶対や完全が信ぜられるほど、自然はいつも人間の意識によってどうにかできるものものなどでは全然なかった。もちろん豊かな恵みをふんだんに与えてくれもするのであるが、地震や津波をはじめとするさまざまな自然の猛威は島国日本を繰り返し襲って人たちの心を痛めつけてきたに違いない。
 四囲を海にかこまれ、頻繁に大規模な侵略に襲われるでもなく、人為の迫害はそれほど心配する必要がなかった。日本人の心性をどん底に放り込むのは他民族の侵略ではなく、いつも自然の災害であり、その自然は論理では捉え尽くせない非合理なものである。非合理的なものに頭を抑えつけられずにはおれなかった日本人の心性が、合理を追求する精神を構成できるはずはなかった。はるか古の日本人は、多くの「注意力」を自然に向かって注ぎ込まなければならなかったのであり、草や木の葉の揺れに「言葉」を聞き取らずにはおられなかったのである。そして少なくとも今日まで、日本人は、あるいは日本社会は、自然への畏怖を内蔵させており、その意味では、逆に言えば、人知はたかが知れていると高を括るところがあろうかと思う。政治家や他の指導層たちの発言が余りに軽く、魂のかけらも感じられないのは、そのことの象徴でもあるのではないか。国民との約束、社会正義、人間的誠実、情報の公開、いざとなったらそんなものどうでもよいのだ。悪くすれば日本人の心性は、底なしに開き直れるように出来ている。
 だって、自然界に埋没した心性には、自然的現実の方が理性より上位であると理解されているんだから。そして、今日に生きる多くの日本人も、自分の言動が非合理、非条理だって、自然と同じだからいいんだと思っているに違いないんだから。
 情けないよ。まがりなりにもこの国のもっとも進歩的な連中が、もっとも文化的、もっとも知的、いろんな意味でももっとも優れているだろうと目される連中が、自分を勘定に入れた上での言動しか為しえないんだから。私がここで述べてきたことの自覚なんて誰ひとり持っていやしない。
 
 ここまでの文脈で私は日本的な心性を批判的に考えてみたわけだが、もちろん実は批判一辺倒で考えているわけではない。そこには自然深くへ下りていって、自然と直に交流する精神の層というべきものが見て取れる。つまり、自然界における動物生や植物生に直に触知できる可能性を保持していると見ることもできる。それは圧倒的な貧しさというわけではなく、見方を変えると個に内在する精神の豊かさに通じる。これを未来にどうつなぐべきか、ひとつの課題として浮かんでくる。無反省の文明の発達は格差を生み、同時にとてつもない貧困を生み出す。これが人類の栄光かと思うと、そうかもしれないし、それじゃいけないと言うべきなのかもしれない。
 また現在の私たちは慣れない、根の浅い個人主義に禍されても来た。だが、これもまた退くも行くも地獄にほかならない。
 私たちはまだ何も生み出してはいない。ただその端緒にゆっくりとだが近づいてはいるように思える。
 
 
付箋その二十三 衆議院選挙について      2012/12/11
 武田邦彦さんのブログの内容が、かなり多岐にわたるとともに内容が込み入って感想を整理するのが難しくなっている。印象としては先鋭に、かつ「現在」への苛立ちを隠しきれない、そんな言葉として表出されて来ているように感じられる。
 そんな中、12月9日付のブログは単純明瞭で文章も短く、読みやすかった。それには『自民党政治は利権から離れたのか?』と題した文が記載されている。当然、武田さんの答えは「否」である。(参照
 この文章ではひとつおもしろい指摘があった。末尾にある、「再生可能エネルギー」を主要な政策として採用しているかどうかで、利権を求める政党であるかどうかが分かるという指摘である。ここでは詳しく解説もできないが、過去にさかのぼって武田さんのブログを読んでもらえばすぐにその意味が了解されるに違いない。武田説では「再生可能エネルギー」論議は国民や国の将来のためではけしてなくて、「利権」が絡んだ攻防というのに過ぎないとされる。もはや「原発」はだめそうだから、こんどは「再生可能エネルギー」で利権を漁ろうとする目論見が背後で暗躍しているということらしい。たぶんその通りだとぼくも思う。その意味ではぼくなどはどんな政党にも期待できないと思っている。だって官僚や政治家なんて、そういう「うまみ」がなかったら誰も目指すはずがないもの。
 とりあえず、武田さんはそのことをリトマス紙のような試薬として捉え、投票の際の政党の選別に活用しろと提唱しているわけで、ひとつの有効な試みであるとは思う。
 そうは言いながら、先にも言ったように、ぼくなどには利権を求めない政党はどこにもないという疑念は払拭できない。その意味では民主や自民はもちろん、第三局にも期待は持てずに、今のところ投票しようという気持ちも湧いてこない。そしてこっそりと、全国民で無投票するくらいの方がおもしろいのに、などと不埒なことを考えてしまっている。ぼくの考えは極端でやくざなものだから、もちろんつゆほども広めようなどとは思ってはおりません。で、投票行動のきっかけのひとつに、ま、今回の武田さんの考えもありかな、というところでここに紹介してみようということにしたというわけです。
 いずれにしても、こんな民主的といわれる選挙がいつまで続くんでしょうかね。実質破綻しているとぼくなどは思っているのですが、みんな大まじめにやってますもんね。
 ぼくはどの政党が政権党になってもよいから、肝心なところでの政策に対するイエス、ノーを、国民投票でやってもらったらと思います。それが可能になったら、政権党なんて持ち回りでやってもらったってかまわない気がしていますね。最終的に国民の意思が反映されるような仕組みになれば、今回の民主の公約違反が大手を振ってまかり通ることもないはずですし。そのことが憲法に明記できたら、後のことは枝葉末節ということになるのではないでしょうか。
 
 
付箋その二十二 節約節電の意味するもの     2012/12/10
 小学校の教員を辞めて十年にならないくらいだろうと思うが、その頃も学校では「電気の節約」「節電」に取り組んでいた。先生も、子どもも、それから家庭をも取り込んで、全体が、「よいこと」をしている確信を持っていた。この信じ込みは脅威だった。
 ぼくは面と向かって、それは「悪いこと」だとは言えなかったが、どこかに「うそ」が潜んでいることだけは感づいていた。それと、同僚の先生たちは「善い人」たちだが、深く考えることをしていないな、ということがその時にもよく分かった。
 当時も今も、個別的生活的には適度な「節約」「節電」は当然のことといえるのだが、これを社会全体に拡げようと、運動として取り組むことは適切ではないし、間違っている。
 近代は電気の発明によって人々の生活を飛躍的に向上させたといっていい。電気をふんだんに使って生活を豊かなものにすることは、間違ったことではない。ただいくつかの弊害とかマイナス要因とかが目に見えてきて、そうした時に下ぶれする。「節電」しなきゃとなる。学校では、廊下の電気は無駄だから消すようにしましょう、などとなる。無駄がはっきりしていたら、はじめから廊下に電気設備を備え付ける必要はなかったはずだ。
 本当は、電気も水もふんだんに使えることがいいに決まっている。そして弊害やマイナス要因が生じたら、それ自体としての解決を図ることが本筋である。
 この国は、昔から何かがあると一般の大衆、生活者の生活の縮小によって乗り越えようとする伝統がある。典型は、「ぜいたくは敵」、「欲しがりません勝つまでは」などの戦時のスローガンに顕著だ。
 学校の子どもや一般生活者の生活を豊かにしたままで、障害や障壁を取り除き、克服し、止揚していくといった構えが国全体、社会全体としてできるようになったら最高だ。「節約」や「節電」といった運動は、本当の障害や障壁が何かを隠すはたらきをしてしまって、ある意味では目くらましの効果を持っている。
 たぶんこっそりとほくそ笑む者がいて、学校では今日も先生たちと子どもたちとが一緒に「節電しましょう」などと言い合っている。
そんなこと、気持ちが暗くなったり、消費を冷え込ませたり、行政や電力会社の言いなりになる土台作りに貢献したりするだけで何一ついいことはない。逆に子どもと先生、そして学校は、電気をふんだんに使えるようにしてほしいと、声を大きくしてねだるべきだと思う。先生たちは子どもたちのためにもそうした方がいいのに、委員会や行政に言い張るだけの器量も勇気も持たないから逆向きに子どもたちを組織し、「節電」などでお茶を濁している。そもそも二酸化炭素の削減など、一般生活者や子どもたちが考えてどうなるものでもないさ。やるべき所管庁があるだろうし、本当に喫緊の課題となったら日本などさしおいて、まずアメリカが総力を挙げて怒濤のような取り組みを見せるに決まっている。そうしないのは喫緊ではないということだし、でも、データの収集と精査と検討だけは怠らずに、広く深く進行させているに違いない。 先生たちが「節電対策」と称して校内キャンペーンをはって真剣にやればやるほど、一種の悪ふざけか「節電ごっこ」にしか成り得ないことは目に見えている。
 先生たちよ、もう少し思考を鍛えないと、世論の作り手たちの思うつぼだぜ。
 世の貧困者には「節電」も「節約」もない。ただ世の中全体が、あるいは世の中全体で、「貧しさ」を正当化させようと意図しているように感受される。しかも、一方では巨万の富を得た富裕者を見せびらかせられつつ、だ。そして、「節電」「節約」などの取り組みは、貧困者が富裕層を仰ぎ見て呪詛の言葉を吐き出すそのことに、背後から「ためらい」を強いる力として働きかけるに過ぎない。ひと言でいえば、世の中の「嘘」が集約されて表出された現象と言える。
 
 
付箋その二十一 日本的バッシングの怖さ   2012/11/09
 文科相の田中真紀子さんが、大学としての認可を申請していた三つの学校を不認可としてバッシングを受けた。審査する審議会では認可としていたものを覆したので、ことのほか反響が大きかった。申請していた関係者はもちろんのこと、認可されればそこに入学しようと考えていた若者たちの当惑が連日メディアに取り上げられ、結果的に田中さんが前言を撤回する形で認可を認めて一応の収束となった。まあ形の上では田中さんの言動はみっともない、ということで終わったという気がする。詰めが甘い、先の読みが甘い、ぼくなどもそう思わざるを得なかった。
 ただひとつ、認可するかしないかを決定する際のひとつの段階に審議会というのが設けられていて、その構成メンバーのほとんどが大学関係者ということに田中さんは異議申し立てをし、ぼくはそれは当然のことだなと田中さんを容認したい気がしていた。だいたいが、認可が下りる前に建物もでき、教授連の確保も済んでいるというから、審議会の審査自体が形骸化していると思わざるを得ない。そんな会に、大学関係者を中心とした数十名が雁首をそろえて何をしているのかということになる。肩書きのある者たちが出席して、ちょちょいと署名して、はいこれで滞りなく審査が終了しましたという図式はいろいろなところで見かけられるが、大半は形式的なもので、しかしけっこう経費はかかるものだ。無駄な歳費を削るには、こういうものを片っ端から無くしていけるようにしなければならない。
 テレビのニュースなどでの聞きかじりからは、田中さんは大学の数が多すぎること、質の問題がないがしろにされている現状などを是正したい旨が大きく伝わってきたが、かえってそちらの方は説得力に欠けるとぼくなどには思えた。何を今さらと思うのだ。
 思想家の内田樹さんによれば、今回の田中さんの本意は、大学にこれまで以上のビジネスマインドや競争力を吹き込むねらいがあったろうということである。彼のブログではそこから持論に発展して教育について述べられていたように思えたのだが、やっぱり思想家の考えることは深いね、と感心するほかはなかった。騒動の核心について関心のある方は、そちらを参考にしていただきたいと思う。
 ぼくのこの文は全容を理解した上でのコメントではないし、どちらかというと今回のこの騒動は取るに足りない騒動に過ぎないと思っている。その取るに足りないことにわっと群がる日本人の、その攻勢のかけ方に驚きと不気味さを感じたということに、ひとこと言及しておきたかっただけだ。
 
 ぼくがこの騒動でもっとも深く感じたのは、メディア及び、その報道の意図に乗っちゃう視聴者、それにさらに乗っかろうとする政治家の面々のバッシングの早さ、強烈さである。
 報道側の強みは弱者、今回の場合は大学が認可されたときの生徒になるだろう受験者の立場に寄り添ったところにある。いったん審議会では認可の方向で検討されたから、受験しようと考えた若者たちの期待が田中さんの一言で消滅した。これはニュースになるとばかりにメディアが飛びついたのは当然だろう。若者たちの夢を田中さんの一言がつみ取ったとばかりに大々的に報じた。もちろんそうした側面がないわけではないが、認可の手続き上からいえば、何も田中さんは異常なことを為したわけではなかったと思う。
 ぼくなどはもともと審議会などというものは胡散臭いもので、公正を謳いながら実質は底流に利権の綱引きが隠されているものだと経験的に考えてきたところだから、会の決定に疑問を呈することは悪いとは思わない。仮に不正があったとしたら、その時点で認可の取りやめは当然のことと思う。その時には受験希望者がどんなに落胆したとしても、不認可が覆ることはないに違いない。またメディアも異議を唱えられないだろう。
 ぼくから見れば、メディアの報道は端から田中つぶしを意図しているような気がして仕方なかった。そう考えた理由は、今述べたような審議会の在り方で審議された結果を、大臣と名の付くものは追認するだけでいいのかという問題意識による。大臣といえでもやはり自分なりの所見は持っていなくてはなるまい。それに照らして審議の在り方は適正なものであったかどうか、確認して認可の判を押すということになるだろう。その途中経過について、報道は少しせっかちすぎる気がした。その審議の内容など細部について田中さんのほうからも何も言及がなかったし、報道もまたそこに遡って詳細を調査したということもないように思う。そこがすっぽり抜け落ちたままで、いつの間にか田中さんの口から認可という言葉が出て終わってしまった。
 世間そしてぼくらの印象からいえば、「なんて人騒がせな田中さんだ」ということになる。旦那さんのこともあったから、余計印象は田中さんにとってよくないものになった。
 ぼくは今でも心の底では、これほど報道からバッシングされるほどのことを田中さんはしていないと思っているのだが、報道の手にかかれば小事も大事に変貌するとつくづく感じる。第一、報道は審議会の在り方をこれっぽっちも掘り下げる姿勢を示さなかった。ぼくなんかは下衆の詮索で、申請の側から審議会のメンバーにどれくらいの金品の攻勢があったのかが気になるところだ。どちらも大学、教育の関係者が多いのだから、もしもそういうことがあってそれが公になれば大問題に発展するだろうと考えた。ま、あくまでも下衆の勘ぐりでしかないが・・・。
 
 もう一点だけいっておきたいが、この一連の騒動に関して野党自民党の政治家が、田中さんの軽率な言動は問責に価すると鬼の首でも取ったかのように語っているのを見て、つくづく情けないと思った。確かに田中さんの一種不用意な発言で、関係者や学生さんたちは奈落の底に突き落とされたような思いを持ったかもしれないが、そんな敵失に乗じて攻勢をかけるばかりになっては自民党もおしまいではないのかと思う。報道で騒がれなくなっても、日々辛い思いをして生きている人たちはいくらでもいる。震災の被災者、原発事故の被害者、避難者。こちらについても救済策や支援策の実態はまだまだであるし、行政的には穴だらけのザル状態と見える。政府与党のその体たらくに対して、野党連中はどこもそれを是正させるだけのアイデアも力も持たなかった。要するに成り行き任せで、被災者たちを納得させるだけのきめ細かな対策が今も行われていない現実は、与党ばかりか野党の責任でもある。もしも、このことひとつだけでも本気で真剣に考えたら、そのことに必死で他を顧みている余裕など無いはずだし、そうでなければいかに他人事として事故や震災に関わっているかということになると思う。 今回の現象全体を見ると、小児病的で、日本人は精神的な意味合いでの力の発揮のしどころを、すっかり見失ったのかもしれないとすら思えてしまう。
 そこじゃないだろう。報道も、政治家も、ジャーナリストも、視聴者も、本当の力の入れどころはそこじゃない、別にあるだろう。ぼくが本当に口にしたかったことは、どうやらその辺にあったらしいと、いま思うところである。
 
 
付箋その二十 「日本書紀」を読んで@    2012/11/02
 日本書紀を読んでいたら、たぶん飛鳥・奈良時代あたりのことであるが、男女間そして子どもの所有、養育に関して「おや」と思わせる記述があった。それは概ね次のようなことだ。
 良男・良女(一般人?)の男女から生まれた男の子は父親のほうで所有、養育すべきこと。女の子は母親の側で。それから良男と下層の使用人の女から生まれた子ども、使用人同士から生まれた子どもは云々、というように細かに規定されていた。(正確には日本書紀を参照してください)
 その時代の天皇が取り決めたふうに記述されていて、「へぇー、そんな細かいことまで天皇が」という思いと、もうひとつ、わざわざ記載されているくらいだから、けっこう子どもの親権、養育権、所有権的なものは当時バラバラだったのかなと推量された。これに加えてもうひとつ、家族や婚姻にまつわる制度というものは現在とは相当隔たりがありそうだなと思えた。
 今日に言われる「家族の絆」みたいなことで古代を考えると、相当なズレがありそうな気がする。少なくとも当時の下層の使用人である奴婢には、日常の中に生じる性の行為と、それがそのまま婚姻や家族を形成するということに結びつかない面が感じられる。しかし実際に性行為は行われていたであろうし、それによって子どもも生まれ、その子の所在をめぐってさまざまな問題が発生していたことが想像される。世相全体がそのことでひとつの騒がしい状況を示しているのでなければ、わざわざ天皇が、父母のどちらが子どもを獲るかというような詔勅を発するわけがない。
 そう考えていたらあるブログの記事に、現在のような婚姻そして家族の成立は太閤検地以後で、江戸時代の初期からということになりそうだという指摘を見つけた。分かりやすく考えると、ひとりひとりが自分の耕す土地を持てるようになったということかもしれない。それは家族構成の基盤ができたということになるのだろう。とは言っても、そうとう親族単位、村単位の規制がかかっていて、一戸の家、家族で何ごとも決定できたとは限らない。
 現在のぼくらが持っている婚姻とか家族とかの概念は、おそらくは明治期以後の地租改正、つまりは貨幣経済の発展後の農村の再編成とともに形成されたもので、また昭和の敗戦後の農地改革でいっそう大きく変容せざるを得なかった結果であろう。
 いずれにしても太古には、一部の豪族、貴族など経済的にも上層にある家の子どもは別にして、多くの下層の子どもたちは労働力としてみられることが普通だったかもしれない。同時にそれは子どもたちに冷淡だったということではなく、地域や村内を含め大所帯で扱い見守るものであって、親との愛情だけが突出してあったのではなかったということも言えそうだ。この辺はもう少し勉強しないとと思う。たまには本屋に寄って参考になる本を探してみようかな。読書の秋、なんだし。
 
 
付箋その十九 思想的終焉  2012/09/28
 平たくいえば、自分の生活実感に基づいていろいろな考えを学び、検討して自分の考えというものを確立する。そしてその考えに基づいて、この社会の中で真っ直ぐに屹立して揺るがない、そういう生き方が大切なように思う。そして正直に自分を生ききる以外に、自分に満足できる生き方など他にないような気がする。もちろん他人の考えというものもその流れの上で尊重することになる。
 日本近代は自由と民主主義、科学的合理主義あるいは精神の個人主義を西欧から学んだが、これらを正しく把握し、日本という社会に定着させることが出来なかった。すべからく日本的共同体、共同性の動的圧力に押しつぶされてきた。日本精神の土台は他にあった。
 第二次世界大戦の敗北後、日本近代主義は
国民主権を謳った新憲法下で再生を試みようとしてきた。推進のためのキーワードは民主主義であり、「私」の確立であり、個の自立であったと考えられる。これをひとつのカオスを含んだ運動ととらえれば、この運動は今日の民主党政権下においてはっきりと頓挫したと言っていい。少なくとも日本における指導層、政治家、官僚、財界人、学者、知識人、報道関係者らにおいて、真に国民を主権者とした民主主義を理解し、その実現のために真摯に実践を貫き通し得たものは皆無であった。彼らに思想的な一貫性のかけらも見つけることは出来なかった。特に東日本大震災、福島第1原発事故以後は壊滅に拍車がかかった。政府、官庁、その他全ての関係機関をあげて、その対応のまずさは想像を絶した。それこそがもう一つの「未曾有」の出来事であった。わざわざ枚挙するまでもない。政治と報道が一体となって原発事故に覆いかけたベール、増税論議の推進、どさくさに紛れての諸官庁の予算請求。嘘、隠蔽、我欲、無責任など、ありとあらゆる非民主的、無思想無節操的な立ち居振る舞いが横行した。私たちは思考の拠り所とすべき何ものもない、思想的な焼け野原の中に立つこととなったと思える。ただ今今日の社会を顧みて、こういう認識に立たなかったら嘘である。私はそう思う。
 明日に向かって明るい徴候など、どこにも見当たらない。だめな共同性と、顔がカッと灼けるほどに恥ずかしい個人の系譜、それはたとえば菅直人のような惨めなパフォーマンス、それはたとえば言葉に二言を持つ野田佳彦のような本当に泥鰌のように汚れて恥を知らない精神、それら1国の総理に象徴されるアホの系譜しか私たちは持っていない。誇りを失ってなお彼らの「お仲間たち」を含め亡霊となって何度も甦る。
 思想は現実のこうした凋落を目の前にして、歯止めをかける力を持たない。どこかで何かをさえずるような声は奏でているのだが、頽廃の現実は怒濤のようにそれを乗り越えてかき消してしまう。まさに震災の時の津波のように、思想的な一切は呑み込まれ現実の底に藻くずとなって漂うばかりだ。思想もまたこれで完璧な敗北を迎えたということになる。 明らかに、今日の日本の現実は、過去の思想的な営為の無力を証明している。それがどんな立場の思想であってもよい。ほぼ壊滅に近いくらい求心力を持っていないか、引きこもっているように見える。現実の総体に拮抗し、人々の生きる支えとなってさらに社会的にも影響を与えるどんな思想があるか。どこにも見当たらない。ただいまの現実は、一般人から文化人に至るまでその言動に見られる考えの中核を占めているものは衝動や本能で、自己保身の無意識に絡みとられてまったく思想の体をなしていない。場当たり的であり、風見鶏的であり、多数や権力に迎合し、趨勢や共同性の空気感に敏で言動を決定しているようにしか思えない。思想の一貫性など、風前の灯火とさえ言えないほどだ。
 小さなさえずりとしての思想はかすかに聞こえては来る。その声には裏打ちされた知識の蓄積があり、こんにちの社会的な諸問題をうまく腑分けし解析する言葉もちりばめられている。だがそれはそれだけのことだ。もしくは自分の身の回りをひとつの思想的な空間として構成し、この社会とは異種の価値観を形成して特殊集団的な共同性を構築して見せている。
 だが点在する思想者とその思想には、社会の表層にこしらえられた網目の中の自分の位置に、自足しているかのような気配が感じとられる。もちろん思想とはその程度で十分という言い方も成り立つ。思想には直接に現実としての社会を変える力はない。だが現実を変え、切り開こうと意図せぬ思想にどんな意味があるだろうか。今日の思想には怒りもなければ血の滲んだ憤怒もない。徒に現実を追認し、すると現実はさらに先に行って、嘘を塗り重ねたり情報を操作したり隠蔽したりを繰り返す。また思想は追う。追うが、現実を追い越して人々を魅了し、人たちの規範となることは出来ない。永遠に状況の同伴者として振る舞う以外にないように見える。
 
 
付箋その十八(南島 島尾敏雄)      2012/09/22
 島尾敏雄さんの『非小説集成』の『南島篇』を時折読み返している。独特の表現がなつかしく、また親しみを呼び起こす。
 島尾さんは奥さんのミホさんの療養を兼ねて、奥さんの故郷でもある南島、多くは奄美大島の名瀬に移り住んでいた時期があるが、そこを中心に多くの文章を書き残している。
 島尾さんは奄美、沖縄全体の島々を総称してヤポネシアと呼んだりしていたが、それが確立されひとつの考え方として認められたものになっているかどうかなどはよく分からない。そういうことを含めて、私は島尾さんの「南島論」の熱心な読者であったわけではない。ただ島尾さんの「南島」(日本における)という地域へのこだわり、その地域への惚れ込みが興味深く、また「文章」として「嘘」のないことに、いつも読んでいて「ほっと」させられた。またそれがよくて、彼の作品や文章を読まない時期にもよく島尾さんの名を思い出すふうだった。
 知ってのとおり島尾さんは、終戦までの1、2年を奄美の加計呂麻島に駐屯した部隊の隊長として指揮を執った。後に当時の島での部隊生活などを小説に書き上げているが、その時から「南島」に対するある種の思い入れ、思い込みはあったようである。
 一言でいうと、それまで日本本土での生活経験しかなかった島尾さんにとって、奄美の島々に足を踏み込んだことが、『古事記』や『日本書紀』の世界に足を踏み入れたようにも感じられた。タイムトンネルを潜りぬけた、そのようにも錯覚されるような、島尾さんにとってみれば古代と地続きの世界が眼前に広がっているように感じられたのだろう。それと同時に、島尾さんは島人の生活の貧しさと、中央の文化から遠ざけられた地域的歴史的事情にも関心をもったようだ。それだけではなく、島尾さんは島に住む人々の人なつっこさや開放的な暮らしぶりにも親近感みたいなものを抱いていた。
 
 私は小学校教員であった頃、一時期を山村の僻地に赴任したことがあり、島尾さんよりはいろんな意味で小規模と言えるがよく似た心的な経験をしたことがある。そして、言葉的にも表情的にもあまり豊かとは言えない山の人々の表現に、実は彫りの深い陰影があって、内在するその情緒性の豊かさに驚かされたことがあった。それ以降、その地域に住む人々の誰をも好きだと思わずにはおれないような不思議な体験をしたのである。そのことはどう言ったらいいのだろう、大袈裟かもしれないが何か人間としての故郷に出会ったような、同じ日本人としての魂と遭遇したというような、そんな喜びを人々との交流の中で感じたのである。一歩人々の心の中に入りこむと、無限に許される、そういう安堵感を人々の中で感じることが出来た。
 もちろん山の人々は私に同じにおいを感じたわけはなく、こちら側の一方的な思い込みに過ぎなかったのだが、私はそれでも充分であった。そして山を離れた後も、私はそんな思いを心の奥底に留めておくことを自分に許し、密かにそれを宝物のように温め続けてきた。これは私ひとりしか知らない。
 島尾さんの南島の人々について書いた文章を読んで、私の住む東北は宮城というやや北方よりの地域との違い、そして周囲を海に囲まれた島と本州の山村との違いなどその違いは大きなものだが、私には同じ日本人としてという以上に、この南と北の人々の姿は酷似して感じられる。同時に両者には辺境である共通として、中央からの強制的な文化の浸透から免れた感もある。そのことで人々の挙措振舞いの中には、少しばかりかも知らないが、万葉のような古代が昨日のことのように残っている夢想さえ抱いてしまう。
 実際その辺境の山の麓のあちこちでは、万葉どころかもっと古い縄文土器が地表に露出していて珍しくない。ちょっとした原っぱを熊手のようなもので掻くだけで、土器の破片はいくつも転がり出てきたが、そのように人々の表情をさっとひと掃きすれば、そこに古代の人々の面影がたちどころに現れるような気さえしたのである。
 考えてみれば、辺地の山麓は開拓などにも無縁で、どちらかというと縄文時代以後も手つかずに放置されてきたのだろう。数千年を経ても、その辺りは塵や泥土の堆積なども数ミリに満たない。逆に言うと二、三ミリ下は、縄文の生活が営まれていた「現場」だった。 現在でもそのあたり一帯の畑には土器の欠片が散乱していて、そこに暮らす人々はそれに見向きもしない。もちろん子どもたちも普段にそれを目にしながら、遊び道具にすらしなかった。その場所に、「縄文」や「平安」や「昭和」などの時代区分は存在しない。
 
 近代人の装いを身に付けた都会の人々について考えると、つまるところ彼らの装いから欧米を取り除けば近世までの日本人が露出する。さらにまた仏教や儒教などの中国を除けば、奈良以前の日本ということになる。もともとの日本、生粋の日本ということになれば最低でもそこまで遡らなければならない。現代の日本人は完全に中国及び欧米の影響下、そしてその延長線上に存在する。
 そうした時に、より原日本人に近いかどうかを基準にした場合、時代や文化の尖端に位置して先進的に生きている人々こそもっともそこから遠ざかった人たちということになる。
時折、最先端の文明で身繕いしているかのような都会に住む人々を、私はそういう目で眺めてしまうことがある。
 ある時期から、私は自身をも含めて「現在的」である人々ほど他国の借り物で装った人々と思え、また何といってもそれは装っているに過ぎないのだから、一様に「つまらない」もののように思えるようになった。
 いや、そう言ってしまうよりも、もともとの日本に近いか遠いかを考えるようになり、何とかして原日本を現在的な世界時間に甦らせる方途はないものだろうかと考えるようになった。要するに原日本的なものでもって、世界普遍性を獲得できないだろうかというようにだ。
 このあたりになるともはや夢想に近くなるので、ここで終わった方が無難かもしれない。ひとまず手を休めることにする。
 
 
付箋その十七(人的支援を集められる人とそうでない人)        2012/08/09
 ロンドンオリンピックも終盤にさしかかっている。ここに来て、メダルを獲得したり受賞したり、または敗戦した選手たちのコメントを多く聞くようになった。はじめは何気なく聞いていたけれども、聞いているうちにどの選手もほとんど同じことを口にしていることに気がついた。それは、「多くの人に支えられて」オリンピックの競技の場に立つことが出来たとか、メダルが獲得できたとかというようなこと。また、「たくさんの方の支援」を受けてその恩返しの意味で競技を競ったという意味のことや、日本に帰って感謝を伝えたい等々がよく聞かれた。故郷で応援してくれる人、近場では同じ種目のチームメートや監督、コーチに向けて、あるいは自分の家族に、やはり感謝したいなどと言っているのがよく聞かれたのである。
 はじめはやや紋切り型の言葉として響き、また言ってるなくらいで聞いていたが、何度も聞いているうちに選手たちは本気で言っているんだと分かってきた。建て前ではなく本音で言っている、そう聞こえるようになった。選手たちは率直に本心を吐露している。
 
 そうした選手たちのコメントを聞いて何が気になったかというと、まずそのコメントが「優等生」的であるという点についてである。いつからこんなに品行方正になった?それが素直な疑問として浮かんできた。
 オリンピックに出場する選手たちの「努力」
が並大抵のことではないことは、中学や高校の部活での運動経験からよく理解することが出来る。ふつうの選手のほとんどは自分が精一杯の努力をしていると思い込んで、しかし、記録を達成したり上位入賞を果たす選手は、必ずといっていいほどさらなる努力を重ねたものたちである。それが、県や国から世界に向けて、やはり他の選手よりもいっそうの努力を積んだのでオリンピックへと勝ち上がっていったものたちということだ。金メダルを取ったらちやほやされたっていい。報奨金だって国会議員の年収くらいはあげたっていい。「努力」をして勝ち上がり、オリンピック競技においては素晴らしい活躍で感動さえ与えてくれた。いやあ、鍛え上げた体ひとつ。素直に、選手たちはすごいと思う。
 だが、人一倍の努力を重ねてきた選手たちが、異口同音に「自分ひとりの努力で出来ることではない」と、オリンピック出場やメダルの獲得について話しているのである。先に「優等生的」と評したが、そうした発言には根拠があると考えていいだろうと思える。たしかに、表になり陰になり、選手たちを支えた人たちはいたであろうし、支援や応援無くしては為しえなかったこともあったりはするのであろう。選手は心にそれを思い、支援や応援への感謝とねぎらいを口にした。それは当然あってしかるべき光景である。
 けれども、である。ぼくは少しずつ彼らのそうしたコメントに違和感を覚えるようになってきたのである。それは、何か。正当でもあり、美談と言ってもよいようなそれらの光景に、どんな違和感を覚えるというのか。それを探り当てたくてまたこの文章を書いているといってもよいのだが、たぶんそれはこんなことだ。
 選手たちが一流のアスリートに上りつめる過程において、さまざまな人間関係を経験しなければならなかったことは確かなことと思われる。そしてまた練習試合の遠征等で、旅費の応援や支援といったものも必要としたことだろう。その他いろんなことでの練習環境も大事なことはいうまでもないし、それもまた多くの人の支えなしには出来ないことには違いない。だから、恵まれた人的関係、環境に感謝するのは当然のことだ。とはいえ、画面のこちら側にいる一般視聴者の多くは、選手とも無関係であり、選手たちを取り囲む人的関係や環境とも縁がない。また応援というけれども、それほど選手個々について詳しく知って一生懸命応援しているというわけでもない人は大勢いる。かくいうぼく自身も、ミーハー的に中継を眺めているだけで応援に熱心なわけではない。たぶん、熱心に応援しているのは友人、知人、家族や親戚で、まあ大半の視聴者は傍観的な立場でいる筈だ。
 テレビ観戦の視聴者を含めて、選手たちは応援に感謝しているわけだが、それを見聞きするこちら側では、いやいやそんなに感謝されてもそれほど熱心ではなかったのだから面はゆい。もちろん、ぼく個人に感謝しているのではないことは自明だが、画面からはぼく自身にも感謝が述べられているように錯覚するのだ。
 さて、そうこうしているうちにぼくは思ったのだが、感謝の意を述べる選手たちには、ぼく個人などはさしおいてたしかに人的支援は集まっていたはずだ。そう考えたときに、この社会には人的支援や、広い意味での種々の援助が集まる群れと、集まらない群れとが、明確に二分されて存在するような気がしたのである。気がしただけでなく、はっきりそうと断定してよいのかもしれない。
 逆に言えば、人的支援、環境的な援助体制を集められない選手というのは、大きな舞台へと進められないと言えるかもしれない。かくいう視聴者としてテレビを見ているぼくも、外部からの支援や援助は少ない方だと思うし、ほとんどないといっていいくらいのものだ。
 つまり、何が言いたいかというと、少しずつ広がっていく人間関係や交流というものを、苦手とせずに上手に付き合っていける人もあればそうでない人もいるということだ。ほとんどの視聴者であるうちの選手たちと同年代の若者は、支援などしてくれるものもなく、単独でこの社会に突き当たっている。一方では支援者に囲まれ感謝の意を述べるかと思えば、一方では誰に顧みられることもなく働く場所も失って孤独に沈んでいる。人間関係の豊かさと貧しさが顕著に現れ、且つ、オリンピックレベルのスポーツには最早個人の努力を越えた周囲の支援や応援と、環境整備は欠かすことが出来ない。言葉を変えればそうした環界がメダル級の選手をつくりだしている。
日本のメダルが何個になったなどと賑わっている社会は、そういう社会である。支援を集めるものと支援が集まらないもの。集められるものは上昇し華やかなスポットを浴び、集められないものは傾向としてこの社会にあって下降していく。おそらくこれはサラリーマンであっても、ひとつの地域の集団の中にあっても、似たような光景が展開していることだろう。
 
 ここでぼくは格差や差別を主張したかったわけではない。オリンピック選手の話を聞き、ああ、社会はこうなってきているんだと感じたことを述べようとしたまでだ。そして人的な集中はまたさらに連鎖して集まりを大きくする。いたるところでそうした集まりが群発し、かと思えば取り残された人々がいる。ぼく自身は、スポットを浴びたメダル級の選手たちの才能の豊かさと開花を素直に喜びながら、けれども豊かさ故の貧しさの存在も感じている。そしてまた、逆行の孤独で孤立した若者の関係の貧しさや視野の狭さなどと、逆説的だが、貧しいが故の人間的な豊かさというようなものにも思いをいたさざるを得ないのである。
 メダル獲得の選手たちは、自分の成長にはひととの出会いが欠かせなかったと感想を述べるわけだが、その言いぐさはぼくのかつての上司がいった言葉に同義である。折々にひととの出会いの大切さを語っていた。それは自分を社会の中で人並みか、それ以上と考えての言葉であろう。自分を一定の成功者と考えてのことだ。そういう見方は一般的であろうし、そのことに文句はない。ただひととの出会い、関係の結びつき、その時に何が起きているかに思いを馳せているだけだ。出会いを自分のものにできる人とできない人の違い。どうしたときに結びつきが出来、どうしたときに解れてしまうか。結びつきが出来れば人間的な評価が高まり、うまく関係を結べないものは何となく人間的に欠陥があるように想像されてしまうのはなぜか。還暦を過ぎたぼくに、この社会はまだまだ謎だらけだ。
 
 
付箋その十六(気がつけば「座右の銘」)                 2012/08/01
 武田邦彦先生の少し前のブログに、周りの空気感や流れというものを気にせずに本当のことを言うようになったことのきっかけとか、そのことによってどのような変化が起きたかというようなことが記事として書かれてあった。いつからか忘れてしまったが、僕自身も対世間への態度として、自分の本当を、剥き出しにすることで対処しようと心がけてきたから、その時は同類に出会った気分になることが出来た。
 時と場の中で、ここは大事なところだとか要所だとか感じられる情況の中では、本音をさらけ出すというか、ありのままを率直に述べることにしている。そう決めてしまうと選択肢がなくなるから、迷うこともないし自分の立場を考えて嘘をいう必要もなくなる。
 イメージ的に言えば、「ほんとう」をさらけ出すことは俵に足をかけた状態に自分を置くことなので、もうそれ以上に追いつめられて後退することが出来ない、後退する場所がない、そういうことなので、ある意味で非常に気が楽になることでもある。「ほんとう」のことを言って、後どうなるかは、成るようにしか成りようがない。つまりその後どうなるかを配慮する必要もなくなるわけである。
「ほんとう」のことを言ったために、仮に自分に損や不利益があったとしても仕方がないと納得できる。つまり、その後にどうなるかではなく、「ほんとう」が第一義となっているのでその余は二義的なものに転落する。
 ぼくはぼくなりにあみ出した処世術みたいなもので、ぼくはこれを世間に相渉るための「武器」としてきた。というよりも、自分の考え方や感じ方のすなわち「ほんとう」が仲間をつくれないために、つまり孤立したり孤独であったりしたために、裸の「ほんとう」
を生きるほか無かったと言うことなのである。
もはやこれ以外に生きようがないというところにきていたといってもよい。それはこれ以上後退しようがないという意味で、「武器」なのであった。そしてどんなものに対してもこれ一本で処する以外にないのである。
 武田さんは、本音を言う、本当のことを言うことで、さらに孤立を深めたというのではなくかえって支持を得るようになったと言っている。自然体で生きられるようになり楽になったとも言っている。同じようなことをしても、ぼくの場合はそんなに良いことばかりとは言えないところがある。だが、今のところはこれを通すほかに、自分の生き方はありそうに思えない。「この道より他に行く道はなし」という、誰かの詩句が聞こえてくるのである。つまり、「ほんとう」を言う、「ほんとう」を生きるは、もはや自分にとってはひとつの「座右の銘」と化していると言える。
 
 さらに、こんなことを考えているうちに、いつしか知らず知らずに想起されて繰り返し念頭に浮かんでくるフレーズがあった。宮沢賢治の「雨にも負けず」の中の次の部分だ。
 
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニイレズニミキキシワカリ ソシテワスレズ
 
 先の「ほんとう」との関連をはっきりと把握できているわけではないが、武田さんの文章を読んで考えているうちに自然に湧いてくる風に浮かんできたフレーズだ。思えば「ジブンヲカンジョウニイレズニ」という姿勢を、自分はとりたいものだと長いこと考え続けてきた気がする。いつ何がきっかけでそう考えたかはもう思い出すことは出来ない。ただいつからかそうあるべきだという考えに取り憑かれていた。今となっては、これもまたいいとか悪いとかの問題ではなくて、自分が生きるためには不可欠だというような受け止め方で受け止めている。
 たぶん、自分を勘定に入れたら「ほんとう」が歪んでしまう。そうはならないようにという戒めから、賢治のこのような詩句に同調したのではないかと予測される。まあこれが考えられる関連ということだが、そんなことよりも、自分はいまこの賢治のフレーズを「今までこうしてきた」という文脈ではなく、これからさらに徹底していきたいという考えの中で脳裏に浮かばせている。還暦を過ぎ、これから果たしてどれほど生き長らえることが出来るのかは分からないが、それでも生きられる間はいっそうこの姿勢を徹底していきたいと、そう思っている。これもまたひとつの「座右の銘」と呼ぶことが出来るだろうか。何となくそう考えることがあって、覚書のつもりでここに書き記してみたのである。
 
付箋その十五(震災復興費の執行状況から)              2012/06/29
 6月29日の新聞で、東日本大震災復興予算の4割が使われなかったという記事が掲載されていた。額にして5兆8728億円とのことだ。
 記事では、約4割の予算が執行されなかったのは極めて異例だと言い、「被害状況の把握が難しい中で、予算を多めに計上した面もあるが、政府が被災地の自治体との調整に手間取るなどして、復興事業が想定通りに進んでいないことが浮き彫りになった」としている。費用の執行状況は復興庁が集計したとされているが、繰り越し及び不用額は次のようになっている。
 
繰越項目と金額
 
 ・東日本大震災復興交付金(復興庁)
  1兆3101億円
 ・災害復旧事業費(国交省)
  5730億円
 ・災害復旧事業費(農水省)
  5029億円
 ・災害廃棄物処理事業費(環境省)
  3941億円
 ・被災者生活再建支援金補助金(内閣府)  1837億円
 ・除染事業など(環境省)
  1681億円
 
不用額の主なもの
 
 ・災害復旧事業費(国交省)
  3554億円
 ・災害公営住宅整備事業費(国交省)
  1112億円
 
 これらのうち、もっとも繰越額が大きい「震災復興交付金」は予算として1兆5612億円を計上したもので、この中の1兆3101億円を繰り越すというのだから呆れる。復興庁は「復興事業の実施に向けた自治体との調整に時間がかかるものが多いため」と説明しているとのことだが、被災者がこれを聞いたらどう思うだろうか。いったい国も自治体も、いざといった時にどんなに頼りないかがよく分かる。国民、住民、被災者そっちのけで、ちまちまと細かい手続きに時間を要して肝心のサービスが遅延することになる。こういう行政の手順重視は平時にはそれほど不便を感じないかもしれないが、震災などの緊急時にはかえってそのことが弊害になる。
 その他の繰越と金額を見ても縦割りの弊害や融通のきかなさが手に取るように分かる気がする。
 災害廃棄物処理事業費と除染事業費が繰り越されることも気になる。どちらも思うように処理作業が進んでいない。これについては「災害廃棄物や放射性物質の仮置き場がなかなか見つからないことが原因だ」と記事には書かれている。これも情けない話で、放射性物質関係のものは東電の敷地とか、近辺の土地を何十倍かで買い付けてそこらを置き場として最終処理を進めたらいい。津波や地震による廃棄物は近場に焼却炉などを作り、一気に処理し、処理が終われば焼却炉を解体する計画で進めればよいと思う。予算が余っているんだから、大胆に、有効に活用すべきだと思う。それに、作業員を大幅に採用し、しかも破格の日当を出してやってもらえれば、いろいろな意味で復興は進んでいくだろう。
 こんな復興遅れの体たらくで、政府はよくもまあ「財政再建」は待ったなしだから増税を受け入れろと国民に言えたものだと思う。金を集めても、こんな能なしの政治家、官僚がいるかぎり、本当に国民の必要に応じた使い方が出来るわけがないし、湯水のようにムダに垂れ流されるだけのような気がする。
 支援金補助金や住宅整備事業費なども、被災者が竜宮城に生活するみたいに手厚くしてやったらいいじゃないか。辛くそして過酷な体験をしてきているのだから、ただ生きていられるだけの環境作りでは不充分なのだと思う。何倍もの手厚い支援を受けてこそ、やっと心の傷が幾分か癒え、またこれからを前向きに考えていけるようになるものだと思う。こんなに繰越金が出るなら、はじめからそのつもりで被災者に手厚い保護、支援をしていたら、避難生活の中で自殺者を出さないで済んだかもしれなのである。
 
 野田佳彦なんかは復興庁を作ったくらいで後は被災地に知らん顔ではなかったろうか。だが復興庁の行政上の実際はこんなもので、かえって中間項が増え複雑化したような気さえしてしまう。つまり復興の目玉である復興庁は、たいして役に立っていないということだ。野田は、他人任せにしないで、陣頭指揮を執り、省庁の垣根を越えて復興に立ち向かうこと、また復興のための全ての予算について手続きを簡素化し、被災地がすぐに使えて役立てられるようにすること、などなどを一国の総理として、「政治生命」を賭けてなすべきであったと思う。責任は自分がとればいいのである。こういう時こそどんどん金を使えばいいのであって、東京の一等地に議員宿舎を建てるなどに比べたらはるかに有効な活用だと思う。
 「政府が被災地の自治体との調整に手間取」ったために予算執行が遅れるとはどういうことか。これは真正面から受け取れば、政府も自治体も、いまかいまかと支援を待つ被災地の住民の期待に応えるどころか、かえって期待を裏切るものとなっているということだ。逆に見れば、政府と自治体が関与しなければ、調整に手間取る時間はなかったはずだ。しかし、非常時に、政府や自治体が関与しないということは可能だろうか。
 はっきり言ってこの先は僕の考えいるところではない。だがそれを可能だと見ないと、ぼくたちの生活は阻害機関を養っていくだけのような気がして仕方がない。
 
付箋その十四(小論 政治家の社会倫理の質を読む)          2012/05/26
 昨日のテレビのニュース等でお笑い芸人コンビ「次長課長」のひとり、「河本準一」の母親の「生活保護費不正受給」の問題が取り上げられていた。渦中の河本本人による記者会見も催され、受給していたことは事実だが関係担当者とのやり取りをした上での受給なので不正の認識はなかったと述べていた。
 詳しく調べたわけではないが、耳に入ってきたところを総合すると、はじめに女性雑誌が匿名で不正疑惑を記事にし、それを見て自民党の「片山さつき」が厚労相などの関係各省に調査を働きかけたりなどして、少しずつ事のありさまが明らかになってきたようだ。また、その調査結果を受けて「片山」は自分のブログで疑惑の芸人が「河本準一」であることを公表したと伝えられている。
 河本本人が記者会見でも述べていたように、芸人の仕事は不安定だったり自らの病気休業があったりしたため、母親への援助を最小に留めていたということは一応の弁解としてはあり得ると思う。また援助額等に関して管轄の機関との話し合いなども経ていたというから、道義的問題は残っても「不正受給」に相当するかどうかは今のところ即断することはできない。
 背景には全国的に生活保護費受給の急増があり、雑誌記者側とすれば衆目の関心を集めるいいネタを手にいれたというところだったろう。それにまた近頃さっぱり話題にも上らなくなって、テレビ出演等の機会も少なくなった片山さつき議員が存在感を示すためにもこの問題は恰好のものだったに違いない。
 事実は遠からず明らかになっていくことだろうが、いずれにしてもぼくには河本親子がそれほど悪質な不正受給を行ったようには思えない。端的にいえば、うまくすれば法の網の目をかいくぐって「おいしい」思いができる、そういうことなんだろうと思う。そんなこと、そういう場面に出くわせば誰だって考えるに違いない、極めてありふれた事象のような気がぼくにはする。
 小沢一郎の秘書の政治資金報告書の虚偽記載の問題も、資金そのものがやや法の網をくぐって集めた類の金だからという面があってそうしたように思えたし、そういう問題は社会に蔓延していると思う。極論すれば「国民皆脱法(違法までいかない)」で来ているんだから、そう目くじらたてなさんなとぼくならば言いたい。識者が口をぬぐって綺麗事を言うほどの綺麗事など今の日本にはありはしないし、また逆に政治家が思うほどバカな国民はいやしないというのが現在の日本社会に対するぼくの認識である。
 
 さて、河本のようなお笑い芸人が吉本興業のような会社に所属するようになったにしても、内容的には芸人の身分として個人経営的な要素も多分に含まれていそうな気がする。彼らは人気のある間は、太鼓持ちのようにあちこちの番組にお呼びがかかってもて囃されるが、人気が下降したら芸を披露する場所もなくなり、芸人のままでは日々の生活さえままならなくなることも多くの先輩芸人たちのたどった道だ。その意味では、いわば自営業を営むひとが外食してその時のレシートを使って仕事上の経費にうまく計上したり、趣味の上で購入したものを仕事でも使用できるからということで必要経費に回したりする感覚で、合法的なぎりぎりのところで生活保護の延長を考えても、それに対し傍からとやかく言うことではないような気がする。まずは対応に当たった関係機関がその職責の元に許可を与えたのだし、違法行為があればそれなりの機関が調査し法にてらした処置を執ることだろう。
 庶民が、こういったある種小ずるいとも見える行いに染まるには、多分それなりの理由とか由来とか由緒があるに違いない。想像するに、個々の生涯の過程でこの種の小ずるさに何度か接してきたり、逆に、自分の正直さで損したり馬鹿を見たりした経験が何度かあったからに違いない。また自分は生涯のほとんどにおいて損ばかりしてきたと思えるような人にとっては、機会があれば「おいしい」体験をしたいと考えることは誰にもあり得ることだ。ただ、「おいしい」体験を独り占めするとそれに嫉妬して近縁者から告げ口するものが出てきやすくなるものだ。今回の雑誌記者の耳にもそれらしきものからのネタの提供があったに違いない。
 会見で河本は返金すると話していた。騒動はそれで決着してよかろうとぼくは思うが、テレビ画面の印象では「片山さつき」議員は河本の会見の際の発言に納得してはいないようだった。推測でしかないが、河本側に「不正の意識」があったことを会見で告白していれば、片山は納得していたかもしれない。
 
 この騒動を通じて、ぼくにはどうしても腑に落ちない思いがひとつだけある。それは、どうして「片山さつき」はこんな問題に手間暇をかけて関わるのかということだ。河本の年収が4千万近くあって、どうして母親を援助しないのか、出来ないわけがない。そういうことで告発したかったのか。
 片山の実名公表によって、河本は会見を開き、母親の受給の事実を認めた。このことにより、河本の芸人生活はもしかすると終焉の危機を迎えるかもしれない。それは片山がやるべき事であったり、片山にしかできないことなのだったろうか。片山が実名公表までして芸人河本を追い込むだけのどんな理由があるのだろうか。
 不正は許せない。そういう片山の正義漢とか倫理、政治信条、社会的使命感のようなものが彼女を突き動かしたのだろうか。だがこうしたことで生ずる結果を予測すれば、たかだか河本個人の芸人生命を脅かすことと、もう一つこちらの方が大きく影響されると思うが生活保護の申請と審査、許諾の基準を厳密化させたり、慎重にさせたりするだけのことだ。
 もしも片山にイメージとしてこれらのことが胸の中にあってこの問題に関わったのだとすれば、ぼくには片山の倫理観は弱者や貧困者いじめの方にベクトルが向いているような気がして仕方がない。
 片山の立ち位置としては、あるところまでの調査が進展したところで司法に任せきりにしてよいという判断もあり得たはずである。そして普通はそこまでで、その後は身を引いてしかるべき筈だ。
 河本の母親の受給額は年間でいえば、150万円前後くらいのところかと思う。仮にこれが不正受給だとして、またこの事例に近い受給者がたくさんいたとしてこの問題に厳格に対処することが本当に急務のことなのだろうか。ぼくにはそうは思えない。ましてや片山などの国会議員がこのような問題に時間や労力を傾けていったい何になるのか。河本の現在の年収の額(推定4000万)は今後10年以上同じように続くかもしれないし、あるいは1億の大台を超えてさらに延びていくものかもしれない。だが、一夜にしてその額の全てを失う現実が、河本本人を襲う場合さえあり得る。
 河本の側に「もらえるものはもらっておこう」という庶民のけちくささや性悪さが皆無だとは思わないが、それは大金を得るようになったといってもあくまでも庶民のけちくささで庶民の性といってもよく、庶民としての存在のもの悲しさを象徴するものではあっても、モグラ叩きのように叩いて叩いて根絶やしにしなければならない直接の対象だとはぼくには考えられない。
 つまり、力を込めてうつべきはもっと違うところにあるのではないかというのがぼくの思うところである。たとえば官僚の不正蓄財、天下り等々。直近の問題では原子力や東電、その構造的な諸問題にメスを入れ、闇に隠れた利権の貪りにこそ片山の目は向かってしかるべきではないかと思う。だが、現実には、少額の(とぼくにはおもえるのだが)生活保護受給に目を向け、ちまちまとそこに不正があったかなかったかなどを問題にしようとする。そんな小事の問題解決をどんなに押し進め積み重ねたところで、現実が展開していくところは生活保護が必要にもかかわらず申請を自粛し、断念する人々もまた増えていくということだ。そのことによって財政の圧迫が雀の涙ほども緩和されたとしてなんになるだろう。庶民のする不正まがいの、法の網をくぐる算段を逐一つぶして歩き、財政支出を抑えたところでそれが何になるか。弱いものいじめを徹底するだけじゃないか。弱者や貧者には厳格を求める、悪しき為政者の統治感覚がぼくたちの周囲には今もたちこめている。
 
 結局のところ強いもの、大きいものについては片山は不正の調査依頼さえしないし、出来ないのだろう。先の震災以後、片山は法にてらして放射線量を0.1ミリシーベルトになるまで除染せよと発言したのを聞いたことがない。子どもの安全と健康を守るために可能な限り被ばくさせてはならないと発言し、政府にその対策を迫ったということも耳にしたことがない。意図せぬ犯罪行為とはいえ東電は毒物放出の第一責任者であり、司法がその責任を問うのは当然のこと、と言ったこともない。原子力予算を一時凍結し、それを全て福島再生、東日本再生のために使うべきだと政府に要求したこともない。
 要するに針の穴ほどの小さな不正かそうでないかの問題に実名まであげて疑惑をただす一方、本当の国民の関心事や国民に見えにくい問題には全く無関心かのように振る舞ってきたのではなかったか。こういう国会議員、こういう政治家を拍手喝采で迎える国民は誰一人おるまいと信じたい。
 
付箋その十三
 ?有償への誘い(「罪悪感」について)?              2012/05/13
 東日本大震災の被害者に対して過度の罪悪感を感じるのは間違いではないか、とぼくは思っている。
 震災後に食料品店やスーパーに並び、順番を待っているときなど、ふと、自分は何をやっているのだろうと思うことがあった。波に呑み込まれるなどした人々から見れば、悠長に買い物など、恥ずかしいことのように思えた。だが、自分と自分の家族のために食べ物を買い求める列に並んで、とりあえず口にできるものを手にいれようと願う自分がそこにいる。同じ頃に、瀕死の人が生死をさ迷っているかもしれないのに、それを手助けしようともしない。こんな緊急の事態なのだから食うものの心配をする場合ではなく、津波で被災した浜に飛んでいって、家屋の下で押しつぶされかかった人を発見し助ける作業に自分も加わるべきではないかなどとも考えた。もちろん現実的に考えれば、車で移動することになるが、行って戻るだけの燃料の確保など行動を起こすには無理で無茶なことが多い。 少し前の宮城・岩手の内陸地震の時も、何かできないだろうか、何かしなければならないのではないかと考えながら、実際には行動を起こさなかったし、どこか遠いところでの出来事のように感じていたというのが本音のところだ。三十数年前の宮城沖地震の時は確か大阪に住んでいて、やはりテレビ、新聞を見ながら驚き、だが遠いところの出来事という思いがあった。また阪神淡路の震災も驚愕はしたが、それで何かをしたということはない。
 こうした「震災」に直接、間接に遭うと、ぼくは必ず宮沢賢治を思い出してしまう。賢治の思想は、災害の現場に瞬時に移動しすべての人を助けおおせることを自明の前提としているように思える。もちろんそんなことはできるはずがないのだが、賢治にとっては可能だとか不可能だとか以前に「使命」として考えられている。そうしたいと念じる力の強度が半端ではない。だが、念じることがそのまま現実になるというのは宗教の世界であり奇跡の世界である。奇跡は、仏教でもキリスト教でも起きる。賢治を思い、古来からの宗教の奇跡の物語などを考えると、人間には、古くから、他を助けたいと願う心が尋常ではなくあるということが分かる。とすれば、今日の我々にとって奇跡は奇跡に過ぎないが、人類はこれから何千年か何万年かをかけて願望を実現していくのではあるまいか。そんなことを考える。ちなみに、親鸞はすべての人を救済することはできないんだとはっきり述べている。ただ、一度浄土に行って戻ってからなら可能なんだとも言っている。これなどは、折衷案かなとぼくなどは思う。
 
 存在から喚起される倫理としての「罪悪感」を、どうこう論じてみても始まらない。個人の問題で、それをどう処理するかがあるだけだ。これを保持して苛まれるのも良し。悩み苦しみ行動へ転移するのも良しといわなければならない。もちろん高笑いしながら「罪悪感」を心からどこかにすっ飛ばしたっていいのだ。あるいはまた「罪悪感」て何?という人がいても不思議なことではない。あればよいというものではないし、無ければ困るというものでもないような気がする。「罪悪感」を強く感じるひとはそう感じる必然性を抱えているのだと思うし、そうでないひとは必然性が薄いとぼくは思う。心がよくて強く「罪悪感」を覚えるというのでもなければ、心が悪いから「罪悪感」を感じないというものでもないだろう。これを普遍の問題か何かのように考えて、大げさに取り上げて論じてみせるのは間違っている。それはけして人間性にとって普遍の問題でもなんでもありはしない。また、過度に「罪悪感」を披瀝してみせたところで始まらない。問題は、助かるべき人々が確実に救助に与ることであり、その他のことはその他の意味しかもたない。もちろん密かに個の倫理観を表明する文章があってもよく、それに共感や反発が寄せられるのも世の中というものであり世間でもある。
 太宰治は下降する倫理として、自己の「罪悪感」を率直且つ大胆に表明する作家だった。だが、太宰は自分の「罪悪感」を取り出して見せはするが、それを素のままに肯定したり、そこに価値観を含ませたりする作家ではなかった。もしもそういう匂いを自分の中に敏感に察知するようだったら、即座に客観的な地平に引きずり出し、つっこみを入れてちゃかしてみせなければ落ち着かぬ、そういう徹底した姿勢があった。逆に言えば「罪悪感」をひけらかしはしてもそのことを恥じないではいられなかったのであり、恥ながらも「罪悪感」を表明してみせねばならなかった。たぶん彼の骨太の文学精神が、もっと先の向こうに触手を向けていたからに違いなかった。
 
 昔祖母が危篤状態だったとき、病室に祖母と二人きりになった。今考えると変だが、その時ぼくは『ぼくだけが祖母を救うことができる』と思い込んだようだった。一瞬に近いが、ぼくが手を差し伸べたら奇跡を起こすことができる、そう本気で思った。
 ぼくとしては、雷のような激しい音量の声で、『治れ』と唱えれば、祖母の病はたちどころに治癒されると確信的に思われていた。けれども、それがあまりにも異常であることは自覚されていたのでぼくはそうすることができなかった。で、ぼくはそうしなかったことに、祖母の病を治癒せずその機会を失ったことに、すなわち『罪悪感』を感じた。それはぼくのこころの秘密だ。
 今でも、その時ぼくが強く念じて『治れ』と声にすれば治ったのではないかということに対し、自分の中では半信半疑なところがある。また多少なりとも『罪悪感』みたいなものも残っている。21世紀に生きる人間としてははなはだ野蛮ではあるが、なぜかこれを全く否定し尽くすことができない。もちろん通常の自分としては、あるいは他人と話す位相に自分をおいたときには、笑い飛ばす側に自分がいるのだが、一人の中では割り切れていない部分が残存する。いや、本当に、その時は治せると直感できていたのだ。・・・
 だから、心を極度に研ぎ澄まし強い集中力へと自分を立たせれば、奇跡を起こせると思い込むことも可能だと思うし、逆に救済できなかったことへの過度の『罪悪感』も理解できなくはなく、あっても不思議では無いとも思う。ただ、それに過剰な意味づけや価値の付与をするようになると、宗教というものに向かって紙一重の距離に近づく気がする。倫理的には上昇へとベクトルが向いていることになる。ぼくに言わせれば、まあ、無償、つまり不毛と徒労に耐えられなくなった心情のたどる道だなと思うだけである。
 
付箋その十二(敗戦軍団じゃないか)                 2012/05/11
 経団連の「21世紀政策研究所」、その中の「グローバルJAPAN特別委員会」から『2050年 シミュレーションと総合戦略』と題する報告書がまとめられて、ネットでも公表されている。
 日本の将来におけるさまざまな課題をシミュレーションして問題提起し、
 
学界、経済界、官界の英知を結集し、経済・産業・雇用、税・財政・社会保障、外交・安全保障の各分野において、各界の有識者との議論や、海外調査等を精力的に行い、今般、報告書として取りまとめた
 
ものだということである。
 興味本位で一読してみたが、退屈きわまりなかった。新聞の中見出し、小見出しを切り貼りして並べたような文章に思えた。誰かが
何かを言っているようなのだが、誰が何を言いたいのかはっきりしない。「誰」については、輪郭がはっきりしないが、ただやたらに偉そうにしている雰囲気だけ感じ取れた。提言という面もあるので仕方ないが、ああしろ、こうしろの文句が多い。でも、全体に自分とは関係ない事柄を語る口調で切実味が薄い。「何を」言いたいかについても、確かに何かを言おうとはしているのであるが、現在の日本の状況を他人事のように述べる位相に身を置いているから、提言や分析自体が他人事で2050年のシミュレーションといったって何一つ明確なイメージなど示せていないのだ。はっきり言えば「阿呆」である。個々の細かなデータの集積だけが取り柄といえば取り柄である。
 もう少し丁寧に読んでいちいち批判してやってもよいが、ムダだと思う。お金持ちの経団連生え抜きの研究所員が、時間と金をつぎ込んでこんな中身の薄い報告を書いて澄ましているのだ。委員の数も、ヒヤリング相手の有識者の数も相当で、よくもまあこんなに馬鹿ばっかりを集めたものだと感心する。日本の将来などと大言壮語する割には、低賃金の非正規雇用者が「明日の生活をどうしようか」と思案するほどの切実味も、切迫感も欠けていて、全体にだらしない報告書だという他はない。今日の日本経済の低落ぶりに責任感の欠片もなく、自分たちで現状を切り開く気概さえ感じられない文章である。何なんだろう、こいつらは。こんな程度の現状把握やシミュレーションや、それに対する対策は、欧米ならとっくに済ましているかもしれないし、多分もっと深く広く緻密にデータ集積や分析を施しているに違いないのだ。さらに、同じほどに深く広く緻密に、未来に向けて指針を示すことができるに違いない。つまり知的な戦略の水準において、わが国の水準は世界水準にはるかに及ばない、そういうことになっちまっているのではないのか?
 各分野における今日の日本の低迷や凋落は、そうした情報の収集や収集したデータを有効活用しまた分析する知的競争の結果でもあるし、そういう面で負け続けた結果であることをどうして理解し、認めようとしないのだろう。いや、十分に分かってはいるのだが、だからといって2050年までには巻き返していて、国民生活への寄与も増大させるといった経済人としてのプライドは欠片も見つからない。もっと言えば、この報告書の文章には致命的とも言える欠陥があって、比喩的に言うと血の通う国民がイメージとして登場してこないことだ。これがグローバルだの何だの、はては人材の質など口にするのだから腹の底から怒りがこみ上げてくる。何も正確な予言を期待する訳じゃないんだ。悲観的なシミュレーションを明確にできたら、本気のその克服策を考えて考えて考え抜くべきなんだ。その上で自信を持って方策を提案すべきなのに、単にスケジュールにのっとって下らない報告書を公表されても意味がない。
 経団連なんて、少なくてもここ十年以上は敗戦軍団のひとつに過ぎないじゃないか。いわば経済的な敗戦としての総括も反省もできていないのだから、こういう連中の考える提言や対策が功を奏するなどとは考えにくいことだ。細かく検討するだに価しない。だいたいがぼくは素人でそんな柄じゃないし。
 
付箋その十一(一次感想)  2012/05/05
 知人に借りたDVDで日活映画『幕末太陽傅』を見た。主役のフランキー堺が最高だった。これに尽きるといっても良いくらいだ。しかしそれだけでは味気ないので、もう少し感想を付け加えてみたい。
 配役が豪華だった。準主役級に石原裕次郎がいた。それから、小林旭二谷英明小沢昭一西村晃、その他見知った顔は限りなく、つい最近まで活躍している俳優人が多かった。女優では、芦川いづみ岩下志麻、それからたぶん郭屋のおかみに扮していたのは山岡久乃と思えたのだが、みな若かりし頃である。
 さて、はじめにあげたフランキー堺のことだが、今回改めて彼の演技を見て心の底から驚いたというのが本音だ。こんな役者が日本にいたのだ、そう言いたいくらいのショックをうけた。フランキー堺はテンポが軽快で、演技が演技に思えないほどスムーズだった。そのため落語のべらんめー口調の世界に引き込まれて、そのまま終わりまで引っ張って行かれた具合だ。滑舌もなめらかで、動きも見るものを引き込むリズムがある。
 日本独自の時代物の映画だが、そのエンターティーメント性はそのまま世界に通用するのではないかと思ったくらいだ。また幕末という時代背景、そしてその時代に生きた庶民の暮らしぶりや、江戸庶民の貧しくも明るく朗らかな、そして人間味あふれた精神の豊かさが余すところなく描かれていると思った。
もちろん、江戸庶民のいい加減さ、性悪さ、冷酷さなどもそれらに匹敵する比重で描かれている。もしかすると、この作品の背景にはアメリカの陽気な楽天性が影響を与えていたのかもしれない。
 ひとつ、欠かせないエピソードは、売れっ子の女郎の一人が知り合いの草紙売り(?)
を、借金返済の目的か何かで騙して川に突き落とす件だ。計画も思いつき、場当たり的で、また人を殺すことなのにどこか平気で悪びれるところがなく、いとも簡単に実行に移してしまう。そして突き落とした後では、ごめんねとかいいながら、『なんまんだぶ、なんまんだぶ』と唱えて、すっかり罪の感覚も流してしまったような装いでいたりする。こういうところはもう一つ驚きであったし、内心に『ああ、』という思いが禁じ得なかった。これはリアリズムだとかのことばでは言い尽くせない何かという以外にない。また実際にこんなことがあったかどうかとも関係ない。ただ、どこからともなく「人間とはこんなもんだし、こんなもので人間はいいのだよ」という声が聞こえてくるように思えるのだ。この場面は殺人をテーマとしながら、少しも陰険なところがないし、また人の命が羽毛のように軽く扱われている。それでいて、「成仏してね」みたいな、生命を尊ぶ習慣を保持している。そう念じながら狩りや漁をし、対象を供養したりなどする日本人の特徴がここでの人殺しの場面にも適用されていると思う。腹を満たすための狩りと負債の返済のための殺人とが、同じ重さのように扱われており、まことに身勝手で今日の現代社会と変わるところは何ら無いのだが、自分の身勝手な行為の自覚と生贄への詫びとか感謝の気持ちとかが、今日とは明らかに違っていたと言えると思う。
 幕末という時代、武士、侍にとっては落日を迎えるのだが、庶民にとっては空の覆いがとれて降り注ぐ日射しを浴びるということになる。束の間の「庶民の時代」の陽炎が立ち上るが、それは特別の理想郷でも何でもなくて、この映画に表現されているような猥雑な賑わいに充ちたものかもしれないと思える。
 それでも、あっけらかんと明るく楽天的な世界がかつてはこの日本の社会に存在していたと思うと、現在の偽装に充ちた陰険な世相と比較せずにはいられない。ひとが、生き生きとしかもありのままの姿で生きられた昔が、今となっては手にすることのできない自由と人間味に富んだ世界だったのではなかろうかと感じられるのだが、さて現代は未来にどう表現される時代ということになろうか。
 
付箋その十(寛容・非寛容)
              2012/05/05
 福島原発事故で長期に避難を余儀なくされている人たちのうちで、同じ県内の他の市に移り住んで現在も滞在している人たちがいる。
 少し前の新聞で、賠償金か補償金かを貰った彼ら避難住民たちの中で、職探しもせずにパチンコ通いをしている人々が大勢いて、地元住民の顰蹙を買っているという記事があった。さらにそうした市民の風評を伝え知った市長が、ニュアンスとしては他町から来た避難住民のパチンコ通いする行動を問題視する発言があった。
 福島の原発事故がなかったら波風立たない問題だが、事故のおかげで無くてもよい県民同士の軋轢が生じているわけだ。片方は避難するまでに到らず補償金ももらえない。もう一方はそれまでの居住地からの非難を強いられ、慣れない地で、したいと思う仕事にありつくあてもなく、貰った補償金でパチンコに興ずる。双方不満がくすぶらないといったら嘘になるだろう。いずれにしても、元からその地に住む住民と避難してきた住民との間に起こる軋轢は予想されることで、住民同士がそのいざこざの中から落としどころを探り合って解決の道を探るほかに仕方がない。昔からのことわざでいえば、「雨降って地固まる」ということになるだろうか。日本の民衆は古来からそうやってきたと思うから、あまり大きな問題とは思わない。民衆の叡智はそう簡単に壊滅したりはしないだろう。ただ、ある意味では被害者同士ともいえる住民相互が、ぶらぶら遊んでいることをきっかけにいがみ合うといった図式は、光景として淋しいものがある。本当は避難住民を受け入れる側の住民にも、たとえば賠償主体者としての東電は礼を尽くすべきだと思うが、そういった配慮が欠けていることが元はといえば遠因だという気がする。
 ところで、この件について職場内の部署の異なる人とたまたま語り合うことがあった。
 彼は主張の中で、補償金を貰いながらパチンコに興じ、職探しもしない不真面目さはダメではないかと発言した。それに対してぼくは、合法的に貰った補償金をどう使おうが個人の自由だから、これを非難すべきではないのではないかと言った。
 彼の口調は、まじめに苦労して生活しているその町の住民を前に、避難生活の場所を提供してもらいながらパチンコ通いするなど、不真面目きわまりないということだったと思う。彼は元からいる住民の側の視線に立ち、ぼくは反対に避難した住民の側の目線に立っていたといえる。そしてお互いに相手を説得しきれないで、もの別れになって終わった。もちろん互いに説得しようと語り合ったわけではないが。
 さてぼくが地元住民の立場だったら、たぶん『こんちくしょう』と思い、その後で避難先でパチンコに興ずる人々を『いい気なものだ』と思い、あるいは『おれも、もう少し原発の近場に住んでいれば補償金がもらえたのに』と羨む気持になったかもしれない。だから少しは地元住民の言い分も分からないではないのだ。でも、そこで少し『羨んだり、妬んだりしてはいけないのではないか』という自制の心が動く。もしかすると、パチンコに興じた避難者の姿の奥に、深い悲しみが横たわっていないとも限らない。そう想像してみて、『そうだよ、他者の心は計りがたいものだよ、仮に彼の言動からは怠惰や堕落の匂いしか感じ取れなかったとしても、自分のその感覚だけで人の内奥まで決めつけてしまうことはできない』と考える。
 仕事場の部署違いの同僚の発言の根拠は、
補償金は東電から出るにしても政府の支援が元になっており、その元はまた税金で、もう一つ遡ればまじめに働く人々がやっと払ったお金でもある、というところにある。それを聞くと一瞬ひるむ感じになってしまうが、しかしとぼくは思う。元の出所がどうであっても、その決定は避難住民自身には何の関わりもなく、あくまでも直接の支払先は事故責任の明白な東電、もしくは政府を含めた二者で
あって、適応者には当然支払われるべきだ。
もちろんそこに人品骨柄、貧困、富裕その他の一切の不平等が入り込む隙はない。ましてその使い道などは他人が口を挟むべき何ものもないのではないか、というのがぼくの考える筋道であった。日本国民の血税であろうが無かろうが、事故の補償は原発の誘致時に取り決められていたであろうし、手順にのっとって行われたことであれば万人がこれを認め、どんな使われ方をしようが異議を差し挟むべきでないことは、憲法や法律からも保証されているというべきである。
 直接的に被害を受けた人々は、普段の生活ができなくなった補償、賠償としてお金を受け取ったので、国民の血税をそのままに貰ったわけではない。それとこれとは分けて考えなくてはならないという思いがぼくにはある。今まで通りの生活ができなくなったのだ。ぼくならもっと補償金や賠償金を手厚くしてほしいと考えると思う。想像だが、たぶん役人や経営者サイドの発想で補償や賠償の額が決められ、ほとんど一方的に決定されているに違いない。そして普通に考えれば、たとえば資産的なものであれば八割補償とか、少し値切った額で決められているに違いない。本当は、それこそ二、三年遊んで暮らせるだけのお金は必要で、時間の経過を気にせず、その経過の中で何とか空虚感を忘れて次のステップに進んで行けそうな気がする。それをすぐに働かないからといって、遊び人か何かのように言うのは少し酷に過ぎる。思うに、これまでの生活を失った上での些細な賠償や補償のお金ではないか。
 弱者、被害者、貧困者が、どんな形にせよ当座の生活の足しになる金銭に恵まれることがあったら、『同胞よ、少しばかりの猶予を喜んで享受せよ。こちらには天の恵みは降りてはこないが、君たちのささやかな幸運は私にとってもささやかな救済に感じられる。』とでも呟いて、喜びを分かち合いたいものだ。
批判に値する本当の相手は、パチンコに興じようが遊びほうけようが、決して彼らではない。彼らは遊び続けてもせいぜい1、2年、長くて3、4年位のところだろう。その後にはもしかするともっと過酷な状況が待ち構えているかもしれない。すると今のその期間はほんの慰め程度の猶予の期間にすぎない。
 互いに誹り合う図式は『同胞相食む』のそれと変わらない。できれば避難先の地元住民の人々はもう少し寛容に、そして本当に非寛容に接すべき相手は何かということについて、心静かに思いを巡らしてみて貰いたいと思う。
 
付箋その九(贈与と乞食と) 2012/04/19
 十年ほど前くらいだろうか。吉本隆明さんがある雑誌の対談で「贈与経済」という言葉を口にしていた。その後同じ雑誌で、聞き手の側の方としては世界経済においてはちっとも「贈与経済」の片鱗は見えないが、この現状をどう見るのかという点で質問を加えていた。ぼくもそしてたぶん聞き手の人も、最初の吉本さんの話を「贈与経済」に移行していくべきというように受け取っていたのだと思う。ところが吉本さんの回答では、ちっともそういうふうに考えているようではなくて、対談の質問と回答がちぐはぐだという印象を与えられるばかりだった。
 ところで、昨夜インターネットを眺めていたら、内田樹さんが最近のブログに同じように「贈与経済」の言葉を題に入れた文章を掲載しているのが目にとまった。読み流して眺めただけだが、文末の方では「贈与経済」が近い将来一般化する意味合いで締めくくられていたと記憶している。あたかもそれは資本主義経済の、近未来における自然な帰結だとでもいうように語られていて印象に残っている。まあ、いわば予言されているわけだが、
さてどうなることか、ぼくにはまだよく分からない。ただ現在のところアメリカ発の格差社会が日本にも浸透してきているところから、ここまま進捗すれば遅からず収益の再分配を議論する必要が出てくると考えてきたので、内田さんの話も荒唐無稽とは感じなかった。
 あまり遠くない将来の話として、ある高額所得者がネットワークに登録された貧困者、あるいは貧困者の多い地域に、まるで「ボランティアさせていただく」みたいなノリの気分でお金を無償供与する。夢みたいなところもあるが、それがまるで当然のように行われる社会が到来すると内田さんは言っている。
いや、言っていたという気がする。
 世界や日本の経済の動向や現状、その縮小や停滞を考えたときに、これを極端なところまで引っ張って考えれば内田さんが言っていることの根拠がそこにあることを理解できる。後は必然的にそういうところに行くしかないのだということも納得できよう。
 これをわかりやすく解説することは甚だ面倒なことである。やってもいいが、やっても今のところはそんなに意味があるとも思えない。だからここではやらない。
 
 内田さんが、吉本さんのかつての発言を受け止めた上での今回の「贈与経済」論なのかどうかは、今のところは分からない。ぼくとしては、かつて吉本さんが格差化、貧困化を論じたときに、金のあるところから供与させて分配するのが手っ取り早くまた一番即効性があるだろうと述べていたところに同調し、また同じ主旨の吉本さんの「贈与経済」発言と理解していたので、それに相似した内田さんの発言を横並びの主張だと受け止めている。
 ある種、傍流のこうした考えや発言の流れがあるかと思うと、一方にはまた堅固な昔ながらの考えや発言も健在である。
 たとえば武田邦彦さんは、原発設置を承諾した県や市町村に、国から交付金とか補助金とかの名目で高額のお金が下りることをとらえて、乞食の発想と辛口に批評している。つまり、額に汗して働きその代価として報酬を受け糧道とすることが大事と説き、交付金や補助金を端から当てにした姿勢は恥ずべきと考えている。ぼくには、武田さんの関連する文章からはそう読み取れた。これを広げて考えると、極端に言えば、生活保護を受ける事態はやむを得ない場合を除き、あまり真っ当なことではないという辺りまで行きかねない。
もちろん武田さん自身はそこまで踏み込んでいっているわけではないが、その境界は観念上は微妙であると思う。ぼく自身はそういうところを文章から読みとると、養老孟司さんもそうだったが武田さんも同様で、この人たちはどうして自分が乞食になる可能性まで波及させて考えることができないのかと、その硬化した想像力の貧しさを不審に思う。信念か何か知らないが、この人たちには自分がけして乞食にならない、なりようがないという自信が根本にあるのだ。裏を返せば、激しい競争社会の中で、どうあっても他者に負けないという意志を彼らの内面から汲みとることができる。そこには現実としての競争社会を是認し、そこに生きるものとしての、熾烈な競争を生き抜くことへの肯定的な哲学が内在しているという気がする。
 本当は、武田さんや養老さんの考えは真っ当な考えの範囲内にあると了解できる。だがこんな程度ならその辺のおじさんの考えと変わりばえしない。
 たぶんこのあたりで理系と文系の違いが顕著になる気がするが、「困ったら人の物を取ったっていい」というところまで、意識の領域を広げて考えることがこの人たちにはできないに違いない。それは必ずしも道徳や倫理の問題に還元できるだけのものではない。もう少し生命の根幹にまで遡って考えることができる問題だ。それが固い地盤に突き当たってそれ以上に掘り下げることができないのは、彼らの出自と出身に関わってくる。武田さんや養老さんには、もしかすると魂の滅びの境界に接近した経験がないか、足りないと言えるのではないか。あるいはまた無難な体裁を整えるために想像力という言葉に縋って言えば、近似の体験が少なかったからだと言えよう。たとえ道徳的、また倫理的に非難されるべきとしても、内面に喚起する欲望やエゴ自体を根こそぎ否定することは、人間を否定することと変わらないことになるのではないか。ぼくはそう考える。要するに一般生活者の性悪さ、小狡さ、そういうものをどのように自分の中に組み込むかというところで岐路があるのだろう。
 
 この件に関してはこれからも繰り返し話題にすることと思う。ここでは社会的と個人的とを故意に混同したままで考察したが、次元の相違に気づかなかったのでも無視できると考えたわけでもない。いずれにしても賛否を抱える問題で、対蹠的、対立的位置にあることは間違いなさそうなので、ここではこのざっくりした構図をワンショットとして掲げてみた。
 
付箋その八(「繰り返し被爆」への不安)
              2012/04/12
 武田邦彦さんのブログを読んでいると、4月に入っても福島の定時降下物(セシウムが空から降ってくる量)が減らないという。それどころか昨年の6月より多くなっていると、危惧を表明している。
 武田さんの一連の発言、たとえば政府自治体が行う瓦礫処理への批判的な言辞をはじめ放射性物質が国内に拡散していくことへの危惧や警告は、セシウムなどが数年で自然消滅するようなものではなく、かき集めて一つ所に封じこめて厳重に保管するのでなければ日本という器の中を循環し続け、つまるところ国民に「繰り返し被爆」を強いることになるからだ。武田さんの説を文字通り受け取れば、イメージとして、最終処理まで持っていかないうちは放射性物質は空中を漂い地表に落ち、また空中に巻き上げられたり植物や動物の体内に入りこんだり、あるいはそれを人間が食したり、さらにはまた汚染された物自体があちこち移動しあってという形で汚染が繰り返される。たとえば飛散したセシウムが陸地を離れ海に拡散したとしても、魚などの体内に入り、それを捕獲すればまた陸地に水揚げされ人間の体内に入りこんだりして「繰り返し被爆」の一因になる。何よりも無害になるまでの期間が相当年かかるのだから、空中、地表、地中、水中、海中、どこにあっても放射線を出し続けて害する力も変わらないことははっきりと認識されなければならないことだ。
 極端に考えれば、百出たものは回収されなければ百のまんま、いたずらにあちこちを移動して回るだけのことになる。しかもその間は放射線を出し続ける。一瞬だけ放射線を出してそれで消滅するというわけではない。
 武田さんは「政府は30年から100年にわたる日本人の被曝量を推定し、それを元に基本政策を立てないと、日本に住めなくなる可能性もある」とも言っている。多少誇張があると見積もっても、これは大変なことだ。
 また低線量であっても長期間、外部からと内部からとの被爆を受け続けたらどういうことになるのか。特に子どもたちが大人になる30年先40年先に、さまざまな症状が出て苦しむようなことになったらいったいどうするのだろう。仮に一握りの犠牲者しか出なかったとしても、私たちの道義的、倫理的な不誠実、無作為、心性の劣悪は、歴史的な汚点としてあぶり出されるに違いないと思う。少なくとも後に患者となった人がいるとすれば、その多くが当時(現在のこと)に発症が予知できる立場にあった人々に向かって激しい怒りを覚えないでは済まないだろう。そういう責任を主体的に背負うのも、あるいはうっちゃるのも関係者達の人間の質にかかっている。
 武田さんの一連の批判の論法は現行の法律に依拠したもので極めて正当であり、穏当なものだと思う。政府も東電も自治体やマスコミ、原子力関係者に到るまで、非常時には法律などに囚われない、自分たちにとって都合のよい解釈をし、主観的なその解釈を公に流通させて恥じない、というスタンスをとり続けてきた。依拠するものはそれぞれの恣意的な考えという、たいそう頼りないものになっている。はっきりと非合理的な国民性を露呈した。もちろん法律に則るわけでもなく、科学的でもなければ理知的でもない。つまり日本人の悪い面、劣性的な面が全て出た形だ。これにがっかりしたり、愕然としなかったら、嘘だ。あれもダメ、これもダメ、昨今の日本を振り返ってよいと思われるところはひとつもない。
 せめて、武田さんが警鐘を鳴らす「繰り返し被爆」への不安を真摯に検討したり、50年後、100年後に被爆に苦しむ患者が出ないことを目標として、段階的にこういう取り組みをしていくというようなことを明確にしながら関係機関が実践してくれることを願うばかりだ。
 
付箋その七
 (ひとつだけ奇妙に希望
   を持てる確かなこと)2012/03/26
 河北新報3月22日に評論家で早稲田大学教授の加藤典洋が、「吉本隆明さんを悼む」と題した文章を寄せている。
 加藤は、昨年の原発事故をきっかけにしたインタビューの中で吉本さんが、「人間は滅亡が近いよな、と悲観したくなる中で、ひとつだけ奇妙に希望を持てる確かなことがあるとすれば、それは人間の平均寿命」の「伸び」が「止ま」らないことだと述べたことに違和感を覚え、しかし、今になってみるとそれは吉本さんの不変な考え方だと理解できたことを言っている。さらに、そこで言われた「平均寿命の伸び」が思想的な達成であるという考えが、吉本さんの変わらぬ考え方だと納得した理由を加藤は、吉本さんとイリイチとの対談のときの話などを交えて暗示している。
 
イリイチの話題が病院での延命措置の非人間性、無意味さに向かったとき、吉本さんが、イリイチを制して、いやこういうことはなってみなくてはわからないですよ、家族が患者を少しでも生き延びさせたいと思うことを、否定できるでしょうかね、と述べられた。(太字 佐藤)
(中略)
家族が死んでしまうと、われわれはあのとき、悪あがきせずに父に、母に、あっさり死んでもらった方がよかったかもしれない、と反省的に思う。でもその反省が、死の間際の少しでも長く生きていてほしいと願うクモの糸にもすがる非望よりも賢いという保証など、どこにあるだろうか。
 
 加藤が先の原発事故後のインタビュー記事に戸惑いを覚えたように、ぼくもその記事のその部分をどう理解すればよいか分からなかった。それは以前の吉本さんの本や講演記事などでは見たことも聞いたこともない発言で、いかにも唐突に思えた。そして、もう少し吉本さんの発言の全体を読み直して考えるほかないと、その時はそのままに、分からない部分として残したつもりであった。
 今、加藤の文脈の流れを借りて、次にそのことをぼくなりに考えてみたい。
 
 延命措置の問題は現在でも大変難しい問題だと思う。先のイリイチのように、いたずらな延命に非人間性や無意味さを見ようとすれば見えないことはないし、また吉本さんがいうように、心の底から延命を願う家族の願いというのも尊重されなければならない、と思わないわけにはいかない。イリイチとの対談の際の吉本さんの言葉を振り返ると、賢者や識者の「知」がどんなに優れたものであってもその「知」が効力や効果を発揮するのは瞬時のもので、より長い時間軸を取ってみれば大衆の切実な願望こそが歴史をつくり、歴史を積み重ねる原動力だと言っているように思える。つまり、「患者を少しでも生き延びさせたいと」願う家族の思いがつぶされないかぎり、賢者の小賢しい「知」(倫理)は、大衆の思いとしての圧倒的な厚みのもとに沈み込み、やがて消え去るものにすぎない。大衆の切実な願望というものは、「知」(倫理)によってどうにかなるようなものではないんだよ、そう吉本さんはいいたかった気がする。
 さらに「平均寿命の伸び」を思想的な達成だとする解釈だが、これは人間の欲望の達成だと変換して考えることもできよう。そして現在ではそういうように考えることが一般的ではないかと思う。他の動物に倣って人間の標準的な寿命(動物生としての自然な寿命)を考えると、だいたい40才前後が平均的な寿命といわれている。だから現在の日本の平均寿命の80から90という数値は驚異的なのだ。自然な寿命を倍以上に延ばすなどということは、他の生き物には及びもつかないことだと思える。
 これは医療や保健、衛生面等での進歩・発達に支えられたことは間違いない。では、この医療や保健や衛生などの思想や技術や施策上の進歩・発達が何に支えられているかと言えば、遠くは人類史、人間史に及ぶ欲望や願望に支えられたものだということができよう。つまり本人が長生きしたいと望むことや、家族が病人等を長生きさせたいと願望するところに、さらにはまたそういう願望などを実現させたくて尽力する他者の思いやりの心などに、その根拠を有している。この欲望や願望や第三者の思いやりなどは、もしかすると生活者大衆の無意識が形成するところの思想の一端と呼び変え可能かもしれない。そうであるならば、つまり、歴史的に積み上げられてきた願望や欲望の集積として大衆の思想は存在し、また思想的な達成として「平均寿命の伸び」は結果を現在に示しているのではなかろうかと考えられる。いや、吉本さんたちはそう考えてきたのではないかと思う。「思想的な達成」はだから、吉本さん個人のではなく人類、人間、あるいは大衆のであって、それはまたひとつの願望の達成、夢の達成の意味合いを含んでいるとぼくには感じられる。
 これが実際、吉本さんや加藤典洋に考えられた意味かどうかは定かではない。だが、加藤の文脈に沿いながら考えた結果としてぼくはそう思う。
 
 解釈が正しいかどうかは正直自信はない。しかしそれとは別にしても、平均寿命の伸びが広くは人類の、そして狭くは大衆の「思想的な達成」であるという考え方は、とても魅力的に映る。平均寿命の伸びは思想的大家のなせる技でもなければ、思想的指導者達のなせる技でもない。それは人間の願望と、その願望が生まれた時点から今日までの時間の集積とが織りなしてきたもので、長い年月を経て、やっと現実化してきており、これからどこまで延びるか現在のぼくたちには想像もつかないことでもある。
 また、「思想的な達成」という考え方はぼくらにとっては大変鼓舞される考え方であり、指摘でもあるように思う。なぜなら今日の社会状況の中で、思想の無力、思想家の無力を痛切に実感するからだ。特に今日の日本では第二の敗戦、敗北、ある種の終焉の時期にあたって、思想家と呼ばれる人たちの多くは沈黙し、あるいは休眠に近い状態にあって何一つ有効な発言を為しえない。まして効力を発揮しようがない。現実を変えることも、湖面に波紋を投げかけることも為しえていない。もちろんそれは東日本大震災後の今がそうだというばかりではない。政治、経済、学問その他全ての分野で、敗北、敗戦、終焉を決定づけるその時に到る過程全てにおいてそうであった。さらに、思想的敗北という自覚すら持たないことは致命的である。けれども、これらすべてをもってしても、大衆の思想的な達成に関わるものではない。単に、それぞれの分野のリーダー層がもたらす、個々の分野における敗北であり終焉なのだと言っていいのだろう。それは全体に波及するが、大衆を巻き込んだ全敗北とまでは言えない。少なくとも、日本の大衆の思想的な達成としてみれば、世界の中でもトップクラスの平均寿命の長さを持っていて、これは特定の誰彼のおかげということではなく、大衆の選択、その無意識の連続の結果と考えることができよう。それは、やや強調したコントラストで象徴的に言えば、今日の知識人の「敗北」と大衆の「無敗北」の図式を鮮明にする。もっと分かりやすく単純な言葉で言ってみれば、個人によって考え出され、生み出された思想というものは所詮個人によって生み出される契機を保持したまでのもので、思想の達成という現実の出来事とは無縁のものだということだ。つまり個人の思想に力がないことや、思想が現実を切り開いたり変えたりする力を持たないことは、ほんの些細な事実であるというに過ぎない。それは人類の希望や願望に厚みを加えるだけである。それはまたぼくらが考えられる以上の未来に向かって放たれた、時空を越える言葉だとも言える。
 加藤典洋も指摘するように、ごく普通に生活する人々の生きる営みの中に繰り返されるごくごく簡単な考え、そして思うことの繰り返しには、はるかなる厚みと深みとを想定することを加味すれば、相当の根拠があるといえよう。軽視してはならないというよりも、もっと露骨に重視しなければならないのだと思える。それを、とても楽天的な感じもするが吉本さんは考えていて、「希望」といい、また「思想的な達成」と捉えたのではないかとぼくは思う。遠い遠い過去からの願望の言葉が、現在に辿りついたのだ。
 
付箋その六(吉本隆明さんの死)
              2012/03/19
 3月16日の夕、テレビのニュースで吉本隆明さんの訃報を聞いた。ここしばらく、まあ、数年、あるいはそれ以上、体調はけしてよくないよう風聞で伝え知っていたから、とうとう来るべき時が来たかという思いを持った。私の父は吉本さんと同じ年の生まれで昨年の8月になくなったから、吉本さんは父よりも半年近く長生きしたことになる。
 父についても吉本さんについても、私はだいぶ前から「もしも死んだら?」ということを繰り返し考えていた。もちろん結論めいたことはなくて、そのことはただ自分の自衛とか防衛とかの本能の強さを示すものだったかもしれない。繰り返し考えることで、無意識に他者の死を受け入れる準備をしていたという気がしないでもない。
 はっきり言うと、私は子どもの時から数えてそれなりの数の他者の死を体験してきたが、その度に死というものに向き合ったまま立ち往生してきた。呆然と立ち尽くし、死の意味も死とは何かということについても、はっきりと理解できたことはない。ましてや死の全体像については、気の遠くなるほどはるかなものに感受されて仕方がなかった。
 死んだとまでは認識しながら、死の概念を明確にできていないのだ。そこでどこか意識の核の当たりで空白が生まれることになる。いやそれはもともと空白であったかもしれない。どうも、少しずつ生と死の区別のつかない境界へ、私は単独に向かっているような気がして仕方がない。
 
 父も吉本さんも、よく生き抜いて最後を迎えたという気がする。それぞれの生き方の違いはあるが、そう思う。それに比べると、自分はまだ生ききっていないなあと思う。つまりまだ余力を残していて、これはもったいないことなのだ。すり減ってすり減って死んでいくのでなければ、死ぬ甲斐がないような気もする。私には父も吉本さんも、ぼろぼろの雑巾になるまで、身をすり減らして生き抜いたように思える。自分に割り当てられた「生」という蝋燭を、最後の最後まで使い切ってこの世を去った。一人は現実生活上の師であり、もう一人は観念の上の指針の役割を担う師の一人であったということが出来る。
 
 吉本さんの業績や功績については、いろんな人たちが今後しばらくは断続的に評したり論じたりすることだろう。さしあたって今の私にはそういうところはあまり興味がない。黙っていても誰かがそれをやるし、それはこれまでと同様の、寸足らずであったり、あまりにも概括的であったりと、私たちを満足させるものは出てこないに違いないのだ。批判も肯定も、吉本さんの思想の「掌」の上を一歩も超えることはできないのだろうと想定できる。吉本さんの思想はもう一度しっかり検討されなければならない。それには吉本さんの思想のスケールに、匹敵するくらいの器を持った思想家の出現を待つほかない。
 冷戦構造の終焉を境に、世間的には一度吉本さんの思想は表舞台から姿を消しつつあった。当の吉本さんは不満を込めながらしかし状況から一歩も引くことなく、常に現象の本質を鋭く剔り、全方位を意識しながら異議申し立ての位置を失わずに発言し続けた。時に、ボケたかと揶揄されることがありつつも、吉本さん独特の史観の尺度を持って見返せば、やはりそれらについても重要な示唆がちりばめられていた。そのことに気づきもせず手が届きもしないものたちの思考は、何かに迎合したり何らかの利害を秘め、また社会の空気や流行に敏で、機に乗じて借り物の英知をひけらかす程度に過ぎないと思えた。
 吉本さんは亡くなったが、吉本さんが思想界に存在したこと、文学の世界に存在したことは消去できない事実として残る。そうである以上、無視や無関心がどこまでも通るとは少しも思えない。現に私たちは吉本さんほどの吸引力を持った思想家、文学者をこの社会の中に発掘しようとしても出来ないでいる事実が何ごとかを物語っていよう。
 私個人としては吉本さんが辿った道程をできるかぎり追い、その先に吉本さんが目にしていた光景をまずは追認できればと考えている。もちろん本当は彼のたどり着いた場所からほんの少しの地点でも前に進めたらよいという野望は、当然なくてはならないことだと思ってもいる。少々舌足らずで、思うことの何分の一も表せてはいないが、とりあえずという思いの中でこの一文を掲載しておく。
 
付箋その五(頑張れ武田教授) 2012/02/08
 中部大の武田邦彦教授は今も頑張っている。最近は放射線の放出や降下が落ち着き、対処の問題よりもほかの学者などのいい加減な発言に対する批判が多くなっている。
 武田教授の文章は誤字脱字、文字変換の間違い、あるいは文の接続に飛躍しすぎがあったりと、けして上手な書き手とは言えないと思う。また、おそらくは忙しい合間のキーボードの打ち込みだから推敲の手間もかけられないに違いないし、誤記がそのままになって掲載されていることも少なくない。
 その上で、読者としての私は分かりにくい箇所は想像で補い、筆者の意図、考えるところを正しく理解しようと努める。そうすると、武田さんの主張は八割から九割方は納得できるもので、その意見に疑義を呈するところは少ない。バッシングがあると聞くが、それはたぶん言葉尻を捉えたり、一部を拡大解釈して揚げ足を取る意図を持ってそうしているのであろう。虚心坦懐に読めば、武田教授の内なる倫理は非難されるべき質のものとは思われない。つまり、結構いい線行っていると私は思う。教授という雇われものにしておくのは惜しい。
 最近のブログでは武田先生は御用学者とか、予算の争奪や分配に力を発揮する学者に批判的である。そいつらが日本の「知」をだめにしてきたと罵倒しかねない勢いと強さで文章を綴っている。そういう文章も私は諸手を挙げて共感しながら読むのであるが、そのあたりで少しだけ武田先生に文句が言いたくなってくる。そこを、少しだけはっきりさせておきたい。
 武田先生は学問が好きだといっている。それで学者になった。いってみれば学問を続けてやっていこうとするときに選択肢はなくて、現状では学者になる以外に道はない。言いかえると純粋な意味での学問研究は、あらっぽくいえば今日では大学もしくは半公共的な研究機関までの独占となっているということだ。どうしてそうなるかといえば、研究費用がもらえ、個人や家庭の生活を維持するための生計も約束されるからだ。それで研究に専念できる。
 武田先生のように、現在の制度、システムの内部に入り込んだものはよい。だが、入り込めなかったもの、入り込まなかったものは、常識からすれば学問研究は続けられない、放棄せざるを得ないということになる。
 私のようなものからすれば、知を独占する機構の中にあって知の在り方を批判したところで先が見えると思うばかりだ。徹底的にやりきれないに決まっている。逆に言うと徹底的にやりきるということは、現在の知の体制をぶっ壊すか、自らを体制の外に追いやるかのどちらかをたどって決着に至る以外にないと思える。私としては、武田先生、もう野に下って批判を徹底的にする道を選択したらいかがかと思うが、さてこの先武田先生が反骨のおもしろ教授で終わるか、あるいは日本に数少ない大思想家に化けるか、今少し見守っていきたいと思っている。
 
付箋その四(敗走) 2012/02/07
 どうしてそんな考えを持つようになったか定かではないが、教壇に立って、もう子どもたちに教えること、伝えることは何もないと考えた。百%そう思ったとき、子どもたちはもう手の届かない「むこうの人」になっていた。その時、僕自身が亡霊と化したのかもしれないし、子どもたちが完全に亡霊と化していく時間の経過を、僕はただ指をくわえて見送るだけだったのかもしれない。
 「むこうの人」という言い方は抽象的で、あまりに比喩的に過ぎるかもしれないが、そういうほかなかった。すくなくとも「こちらがわ」に属する人たちではないことは、はっきりとして感じられた。本音を言うと僕は満足していた。「みんな、向こうに行ってしまえばいい」、そう考えていたところがあったからだ。そしてもしかすると僕自身がそれを子どもたちに仕向けていたのだったかもしれない。
 とりあえずそうして僕は教育の世界、学校を去ることになった。内心ほっとしていた。窮屈な責任感から解放された気がした。その点では僕自身が亡霊であるという自覚が強かったのかもしれない。僕の考え方、僕の感じ方を彼らに注入してはならない。
 僕は亡霊としての僕自身を隔離するために、その後の処理に努めた。静かに、世間的な場所からフェイドアウトしていく必要があった。それが僕の「敗走」の物語なのだが、これを理解する人はどこにもいまい。
 
 物語はしかし、終わりを意味したばかりではなかった。僕自身、そこに始まりの予兆を感じとっていたといってもよい。自らを隔離した後で僕は純粋に自分の観念を相手にしなければならなかったのだ。あるいは膨張させるべく、全ての時間を傾けていったといってよかった。時間は停止したままであった。ただ停止しながら拡張を続けていた。その拡張する時間の中を、僕は僕の観念で充たしてしまいたい願望が極度であった。
 
 僕は相変わらず空間に嵌め込まれていた。だが、かつて和解や溶融を望んだときのような混沌たるざわめきは自らに失われていて、冷ややかに乾いた感覚だけが事象を凝視するだけだった。僕に残されたことは、ただひとつのことなのだと信じられた。
 それは「あちら側」に向かって強力な爆弾を投げつけることにほかならなかった。しかも、一瞬でシステムを破壊し、危うい均衡に混乱をもたらすものでならなければならない筈であった。もちろん、そのことで誰をも傷つけないことは自明の前提としなければならない。
 一度、思考と感覚が停止し、しかも自らに残されたわずかな余力で再びそれを揺り動かし覚醒させなければならなかった。
 
付箋その三(たまーに、文学的な)
              2012/02/07
 村上春樹の作品は少しも熱心にではないがいくつか読んだことがある。印象として言えば、世界水準の文明、文化を享受する人間の生活にまつわるささいな起伏と、主人公たちの特殊ではないが特異な感性がドラマ仕立てに展開される、そういうものだと思う。要するに歴史的な最先端から未来を臨むほどほどの知性の持主の、先行き不明感が凝視されているような作品群だと、一応理解できると考えてきた。それが停滞を表すものなのか、発見の予感を含んだものなのかは分からない。ただいつもその一歩手前で作品は終わっている。そういう印象が強い。悪くいえば、だらだらよだれを垂らしている作品群だと言えなくはない。もちろんこれは個人的見解であるが。純文学にエンターテイメント性を取り入れたとか、エンターテイメント作品に純文学的な難解性を加味してみせたとか、そんなふうに考えると雰囲気としては分かりやすく感じられるかもしれない。
 毛色は違うが、高橋和己から政治的、思想的メッセージ性を除けば、意外に近いものがあるのではないかとこれもまた個人的に思うところではある。もちろん表層的には左翼系、ノンポリ系と言えるほどの違いはあるのだが。
 ここで言おうとしていることはしかし、村上のことでもなければ高橋のことでもない。
が、これ以上のことはまた別の機会に続けられれば続けることにしたい。
 
付箋その二(福島原発周辺の環境調査)               2012/02/06
 二月四日の河北新報の7面にイギリスの新聞インディペンデント紙の記事が短く紹介されている。内容は、今回の福島原発事故の環境への影響を調査している日米などの研究チームの調査結果についてで、同原発周辺で鳥の数が減少しはじめていることが分かったというものである。研究チームはチェルノブイリとの比較で、放射性物質放出による生物への影響を調査し、その結果、
 
 福島の方が生息数への影響が大きく、寿命が短くなったり、オスの生殖能力が低下したりしていることが確認されたほか、脳の小さい個体が発見された。この他、DNAの変異の割合が上昇、昆虫の生存期間が大きく減少するなどの影響も見られた。
 
としている。
 日米などの研究チームがこういう調査をしていることもぼくたち生活者の耳目には余りよく届いてはいなかったけれども、紹介されるように英紙が真っ先にその調査結果について報じていることは、逆に日本の報道の緊張感の無さ、だらけ加減が際だって感じられた。
 こんなことがどうして英紙に先を越されて報道されるのか、ぼくには全く分からない。自国のことであり、調査チームの主要国であり、日本国民に真っ先に報道すべきは自国の報道機関であるべきでしょう。報道に巣くっている者たちの関心が足りないのか姿勢に問題があるのか、いずれにしても日本の「知性」そのものにどこか欠陥があるようにしか思えない。新聞、テレビなどに一般大衆的な「知性」を象徴させて考えているぼくには、これも知的敗北のひとつと勘定するほかない気がする。
 福島原発周辺の自然環境のうち、これは鳥についての調査であり、しかも記事の内容からただならぬ影響の大きさや深刻さが浮き彫りにされている。もちろんこの結果は植物への影響、そして人間への影響も勘案されなければならないと思える。こういう調査は当然あってしかるべきだが、これに関心を向け、国民に注意を促すのは報道の役割のひとつでもあろう。この手の調査とその結果が、どんなに貴重なデータとなり大事なものであるかは、客観的な事実、科学的な真実を重んじる伝統ある西欧の文化がやはり一日の長がある。日本の知の底力は、本当の意味からはそれに追いつけてはいない、とぼくは思う。そして、それはささいな事実かも知れないが、こういう報道の際の後塵を拝するところに顕著に現れるのではあるまいか。公共機関、また公共的な役割を担った機関等が本当に「国民の生活に資する」使命を理解することができるようになったら、こういう問題をこそ、大きく、早く、正確に伝えるに違いない。
 
付箋その一(縄文的なものへの憧憬)                2012/02/03
 仕事をしていて、お国訛りで『こばがくせぇ』と思わなかった仕事はない。『馬鹿臭い』の意だが、侮辱的なニュアンスが若干こもったときに使う。「何でオレがこんな馬鹿馬鹿しい仕事を」という意味合いを含んでいる。 近代以後の雇われ仕事、賃労働というものは、個人からすればたいていこんなものだと思う。それに比べ、極端だが縄文時代といわれる狩猟、採集に関係しそうな仕事は、もちろん仕事として実際に関わった経験はないが、『こばがくせぇ』とは感じないのではないかと思われてならない。木の実やキノコなどを探して取る。川や海に出て魚を捕ったり、兎や猪を追い、鳥に網をかける。うまくいけば大漁(大猟)で、下手をすると空手で帰ることになる。だが、この場合の空手には、内面的には納得とか満足感みたいなものが幾分か付随してくるものだという気がする。一方、前者には安定して賃金収入が伴うけれども、後者のような内面の満足感は得にくいものだという気がする。
 
この、仕事における満足感、充足感などの欠如は、仕事運が悪いといって片付けてよいのかどうか分からない。それよりも、自分の裁量で行う自由度に関係するのではないかというのが考えるところだ。要するに自分の好き勝手にやって、それで獲物が捕れなかったら、それで終わり。そういう方がよほどすっきりしていると考えられるのである。ひもじさも我慢ができる。
 
若い人が安い賃金で時間めいっぱい機械のようにこき使われる。現在的な過酷な労働現場では、ぼくだったらすぐに『やってらんない』と思い、やめてしまうに違いない。そしてどこにも自分の思いにかなうような働く場が無いということになれば、どういったらいいだろう、いわゆる「まともでない」仕事に手を染めることだってありうることだと思える。ま、それ以前に楽なバイトを探してその日暮らし的な生活に入っていくのかもしれない。とにかくそうやってやり繰りしていく中で、何かよいこと、運、みたいなものがひらけてくるように感じたら、その時こそ本気でそれを追いかけるということになるのだろう。
 
子どもの頃から将来を見据え、計画を立て努力するなどといったことはぼくらには考えがつかない。最近のスポーツ選手がいう、「夢をあきらめずに追い続ける」などということも、ぼくらの子どもの頃にはあまり身近ではなかった。憧れてはすぐにあきらめることを繰り返したといった方がいい。
 
人間辛抱といわれるが、三十年四十年とひとつ仕事をやり続けるというのは相当なものだと思う。日本には以前、終身雇用制というものがあって、多くの人が一つ所で仕事をして、それが当たり前だったときもあるが、労使関係に日本的なものが当時は色濃くあったものだろう。それが薄れ、いまではぎすぎすした関係になって辞めるのも解雇するのもドライなものになった。ぼくらの年代はそんな狭間を経験してきた。入社から七年目で会社をやめると言ったら、「どうぞ」といって投げ出された。本当は上司にも問題があったのだが、部下の言い分は上司より上には届かないものなのである。その頃から使い捨ての前兆はあった。その後教員になったが、ぼくの場合はそこでも二十年が限度だった。耐性がない。清濁併せのむ度量がない。何とでも言えるが、自分としてはひとつの組織に所属できるのはそれくらいじゃないかと思える。それを越えると組織の中に溶け込んでしまい、もしも腐った組織の中にあれば、自分も腐っていくことを容認しなければならなくなっていくのだろう。
 
どういう生き方がいいなんてことは一概には言えない。逆に、いいも悪いも無いのが生きるということだといいたいくらいだ。ぼくは金持ちにも有名にもならなかったが、人間的な反応という点では真っ当に経過してきて現在に至ったと思う。けして立派でもないし優秀でも何でもなかったが、短所欠点も多くひどく人間としては平均的な、ということは、いかにもの人間らしさで今日まで生きてこられたのだという気がする。ぼくはごく普通の、大勢いる人々こそ好きだったから、客観的にはそういう人間として生きられたような気がして、それをほのかな幸せのようにも感じるのである。