「風信」                            H6,12,8

  
 辛いと思っているうちはいいのだ,と長いこと思ってきた。ごまかしながらここまで来たことを,僕は手柄だとも,反対に,卑下すべき事だとも思っていない。
世界を正しくつかむこと,誤らないこと。本当は,そのことだけが僕の最大の関心事だった。けれども,実際には,自分がどんなに体たらくであったかを,僕は知っている。
 酒を飲まずには,言葉を刻めなかった。書物を読むことは,苦行に似ていた。この「風信」3号もその延長線上にある。この間,個人的には長男の中学校での登校拒否,不登校という思いも寄らぬ出来事があっった。「これは,俺のせいだな。」と,終始感じていた。この思いには,自分なりの根拠がある。せめて,誰か一人の人くらいには分かってもらいたいものだと思っている。
 不登校そのものは,大変きついものであると同時に,どおってことないものだとも言える。何故となれば,その事実だけで,自分や当の子ども,家族の命が絶たれることはなかったからだ。
 精神的な苦しみには底がない。血を吐くような苦しみと形容したところで,即死に到ることはない。人間は,強くなれるものだなと感じた。僕がこんな風に考えるようになったのは,たぶん,太宰治や島尾敏雄の影響が強いと思っている。
 今も酒の勢いで言葉を紡いでいるのだが,この後,どんな与太話が飛び出すか,まあ,ご笑覧あれ。
 
 
 フロントガラス越しに,赤いテールランプ流れる夜の高速道路。歴史を飛び越した人間たちに,与えられた安堵,ある啓示。
 「死ぬまで走り続けるがいい。目の前の赤いテールランプを追って。」
 闇の中の赤の点在が,僕たちの精神の所在を象徴している。
 
 一人の時のなんと豊かな時間よ。僕は逃げる。逃げる。そうして,死と対峙している。心地よい緊張。精神の集中と自由。ギアを手繰り,ハンドルを回す。
 
 昼間の仕事は何だったのかと思う。必然性の感じられない出会いと別れの繰り返し。心を通わせたいと思うのに,他者のそんな要求には応えられない無数の自分がいる。これが生きることの全てというのなら,こんな世界は無縁だと言い放ちたい。
 
 この世界には,現在の枠組みを壊したくない,現在の枠組みから多大に恩恵を被る奴がいて,そうかと思えば,大した恩恵にも与らないくせに,何を誤解してかせっせと片棒を担ぐ奴がいる。徳育なんて言葉は,時の為政者が枠組みを堅固なものにするために,いつも使ってきた護符のようなものだ。
 この世界を絶対的なもの,必然的なものとみなす限り,この世界に生きることは勉強させられることだ。学ぶことだ。秩序の保持。我慢と忍耐。努力,精勤,誠実,等々。なるほど,こうして僕らの社会は初めて成り立つのであって,無秩序になれば,僕たちの生存そのものが危うくなる。いや,自分だけなら一暴れしてくたばるのもいいが,家族が,そして,子どもたちがいる。彼らの将来が人質となって,初めから従順に従う他ないようにできている。
 それならば,この世界の枠組みから恩恵を被る側に何とかして立つ方がいい。そう考えても,けして非難されるべきものではない。慈悲深い人間であろうがなかろうが,いずれ,どちらの側かに立つのだ。実は願う通りに行くものではないが,多くのものは,恩恵を被る方に行きたいと考え,ひしめき合う。席の数は決まっているのだから,当然挫折するものもでてくる。
 正の方向に向かって生きようとする姿は,いじましいなどと侮ってはいけない。大変なエネルギーを要するし,試してみればどんなに困難なことかすぐに分かる。ぐれてしまう方が,精神衛生的にはよほど健康的ではないかとさえ思われる。
 
 
 どうしたらあんな詩が歌えるんだ。知的文化人の心をくすぐる,あんな詩が。ちょうどいい具合なんだ。寂しさと連帯感。失って久しい愛の格式。そう,需要がどこにあるかを知ってつくっている。もしくは,多数の心を把握できているということだ。それに抜群のテクニック。
 けれども,あれが本当に詩,なのか。
 優しく,暖かく,広く受けとめてくれる,古里のような雰囲気を漂わせた世界。しかも,厳しさ,残酷さをくぐり抜けたユーモアさえ湛えた世界。
 あんまり見事に出来すぎていて,勝手に生を楽しんでくださいという他はない。本当にそんなに生きることがすばらしいと思うんなら,どうぞいつまでも感動し続けてください。
 
 こんなふうに生きたかったのではない。けれども,物心ついてから今日まで,こんなふうな生き方しかできなかった。
 わからなさや,気味の悪さがあって,一人では耐えられない思いがあったのだと思う。それは解決されなければならないものだったが,解決できなかったし,そのために,僕はいつも誰かを求めるようになっていた。少なくとも,同じような思いを共有できる人を必要とした。結局は無いのだけれど。
 
 仕事,生活,それは二次的なものにしかならない。精神の怯え,不安が解消されなければ,何の生活か,何の仕事か。そこで,僕の生は成り行きに任せた印象を持つものとなった。偉くならなくていい。贅沢が出来なくたっていい。詰まるところ,不可解や気味の悪さを解消できることが生の目的であり,とりあえず,そのための生存,そしてそれを保証する仕事,労働というわけだ。
 結婚をし,子どもを育てた。意図的にも無意図的にも安心は得られず,わからなさ,寂しさの感覚は増大した。
 夫として父親として,僕なりの奮闘は試みてきたものの,その役割,責任を全うしてきたとは言えない。もちろん,駄目は駄目なりでいい。この結末が何をもたらそうとも,覚悟は出来ている。その意味で,僕の挑戦,僕のもう一つの戦いがここにあった。もちろん,そう簡単に負けるわけにはいかない。僕なりの抵抗,負け戦をひっくり返そうとする戦いは今も継続しているのだ。
 僕を真に葬る資格を有するのは,だから,妻と子どもたちだけだ,と僕は考えている。
 
 初めに不可解ありき,恐怖ありき。そういうことだった。それが全ての始まりだった。生きること,生活することは,当然のように精神の上にそうした不可解や恐怖の重層をもたらした。
 初めから,生きようとする指向に欠けた。生きることは反逆だった。本当のことをいうことは,たった一人の革命だった。流血し,無数の傷を負った。だが,これが僕にとっての日常だった。
 愛するものを巻き添えにしてきた。この罪は消えないし,また隠すべきではない。
 
 在り続けることが何かなのだと思わずにはいられない。例え負の存在であろうとも,いや,それだからこそ,在り続けなければならない。在り続けること,そして,感覚に張り付いた言葉の切れ端をつなぎ合わせて,誰かに伝えること。
 誰にも分かるはずがないじゃないか。そう打ちのめされて,諦めることもあった。もう眠ってしまおうと努力したこともあった。けれども,諦めるにも,眠ってしまうにも,この世は僕よりもあんまり酷い。
 
 
 元に戻って考えよう。
 僕は仕事をしている。楽しさが無い訳ではないが,毎日面白くないと思っている。
 家族がある。健康で,それぞれに何とかやっている。
 悲惨さは何処にもない。全てに恵まれているという訳ではないが,そんなに酷くもない暮らしを続けている。妻や子に,同僚や先輩に感謝もしている。
 けれども,なんだか僕は毎日戦っている気がしている。日のうちの数カ所で,ふと木陰に出くわしたような時間に,僕は《もういい》,と思ってしまう。もう生きることをやめたい。人間をやめたい。そんなふうに,耐えられないほどの苦痛を感じてしまっている。
 けれども,僕はまた,生きたい。与えられたこの命を,本当に大事に使いたい。そう思っている。
 
 僕は,感じる人間としての自分を大事にしてきた。すると,僕の前にある先人の言葉は,信ずるに足りないものとなった。《違う。嘘だ。》いつしか,僕の前に道はなく,僕は僕の言葉で道を開き,前に進むほか無くなっていた。
 受け売りではない,物まねではない,生き方をしてきたつもりでいるが,自分を生きることのなんと辛いことか。僕は,精神の上で,たった一人の道を耐えてきた。いや,そんな格好のいいものではない。倒れんばかりの,立っているのがやっとという状態に違いなかった。僕はよろける力を利用して,前に進もうとしたが,たぶん同じ場所を踏みしめていたにすぎなかった。
 
 二兎を追うものは一兎をも得ず。文学と仕事と,どちらも捨てきれず,どちらも追いきれず,僕は終わるのではないか。僕自身が明確に示さなければ,誰がこの戦いについて知るだろう。誰も知らない。そうして僕は,何のために生きたと言えるのだろう。どんな風に生きたと言えるのだろう。何の痕跡も残さないまま,時間の闇の中に消えて行く。
 
 不連続の思考が続く。だが,待ってほしい。さまよう思考が,やがて収斂していく場所。そのために,この道草がある。
 
 ヒマだから・・・といった君に,僕なりの仕方で反撃を試みる。いや,その言葉は認めよう。僕はしかし,君が思うような思いで認めるわけではないのだ。ヒマだからこんな思いになると言う訳ではないはずだ。この思いが,他の事を,どうでもいい事にしてしまうのだ。そう,みんなにとって大事な事,早急に解決すべき事,従事しなければならない事。それら全ての事より,僕にはこの思いが大事な事なのだ。
 
 
最低の夫でも 死ぬまで僕は夫でいよう
最低の父親でも 死ぬまで僕は父親をつとめよう
 
部屋の中で干からびた顔とぐうたらに寝そべった体と
少しも威厳のない思いつきや投げ遣りな言辞と
 
見かけ通りに自分を演じて
誰もがそんな見かけ通りの自分を信じるだろう
それでいい 静かなそれがいい
 
僕は愛する まるで見境無く全ての命を愛する
全てを愛するという事は
子どもたちよ 聞いてそして理解してほしい
君たちだけを愛し 君たちのためにだけ生きているのではないということを
 
けれども 最後の最後ならば僕は君たちの為に
喜んで僕の命の火を 燃やし尽くしてあげよう
 
 
 
 
  <寂しい別れに>
 
風のように瞳を澄ませたまま
出来るだけ遠くへ遠くへ 時間を旅立たせたかった
それは 冗談じゃねえよ とか
とてもじゃねえがやってらんねえ ということだと思うけれど
僕の闘いの流儀だった
 
歯を食いしばって寂しい別れに耐えようよ
僕はいつだってそうすることに馴らされてきた
僕には 風の色が分かる
 
ああ,けれどもそれが何なのだ
僕にはその瞬間が耐え難い
明るくまぶしい輝きよ 僕を瓦解してしまうものよ
向日葵の花よ 届かない僕の〈ことば〉よ
この寂しさは〈秋〉だ
 
 
 
 
 
  <こんな風にありたい>
 
こんな風に生きたいと願って
そんな風に生きられたためしは たぶん誰にもない事
陽気にスウイ ング ナルヨウニナルサと訳知り顔
 
もう 諦めてしまうさ
投げてしまいたい人生
ではなくて 自分の生まれつきを
感覚を 思考を 色を 風を 痛みを 
怒りを 激しさを 涙を 
星を 蟻を 新雪を  
命を
 
愛することは見えないものをみること
触れ得ないものに触れること
僕には分かる 人間の概念が死んだんだ
男が女を愛するのではなくて
人間が人間を愛するのではなくて
命はただ命しか愛せなくなってしまったんだ
肉体は肉体で自由に解き放ち
精神は精神で自由に解き放ち
僕はただ〈運動〉としての君に出会う
僕たちは宇宙の中で頼りなく動く
ひとつひとつの無限小の点にすぎない
僕はそれが一種の救いだと思う
 
 
 
 
  <愛と信仰について>
 
キリストは たぶんペテロやユダやマタイたちに
「僕を信じてくれ」としか言わなかった筈だ
彼らは ただ毎日が退屈で面白くなかったから
信じないまでも 惹かれるものがあってキリストに従った
 
キリストの言葉を信じないほうが当たり前で常識的だと
僕は思う 有り金はたいてキリストにかけた奴等は
実にみんなどうかしていた
 
親鸞は坊主をやめた
「どうだっていい」
それが最後の人間としての思想だった
妻を持ち その他の全ての戒律を破った
同調する奴は確かにいたのだけれど
そんな奴は馬鹿だ
親鸞は 同調しない者の心に彼の心を砕いた
 
キリストも親鸞も
ついてくる奴が居なくたって 一向困らなかった
端から諦めていたと 僕は思う
愛も信仰も同じで
あり得ないことに自分を賭けるところにしか成り立たない
そう 僕は思っている
だから 君には耐えられないから止めろと言いたいのだ
けれどもまた僕は 何処までも信じてほしいと願ってもいる
とても 虫のいい話だと知っていながら
 
 
  <ただそれだけのことだ>
 
逢いたくてたまらない
そばにいて感じていたい 声を
聴いていたい 向日葵のように笑うその顔を
黙って眺めていたい そうして
できることなら きみのその髪や頬や肌に触れていたい
 
それがどういうことなのか 許されることなのかどうか
本当は危うくもろい信号を察知しながら
もう僕にはどうだっていいことだ
 
明日きみに会えたらいい
僕の思いはそれだけだ
ただそれだけのことだ
 
恋とか愛とか いいこと悪いこと
生き方や 誠意や思いやり あるいはきみの幸せについてなどなど
考えつくことはみんな考えたけれど
僕はもうそんな煩わしいことを考えることは止めた
悩んだってこの思いがどうなるものでもない
今はこの思い一つ 純粋にこの思い一つを生きたい
 
きみに伝えて きみがどう応えてくれるのかくれないのか
そこから先はもうじたばたしたって始まらない
実に まな板の鯉状態って訳だ
僕は愚かであるだろうけれど
この馬鹿さ加減が丁度いいのだと
僕は僕を誇りに思っている
きみを好きになった僕を誇りに思っている
 


 <見ること>
 
見ること それが街の景観
駅前のビル 繁華街の雑踏 あるいは町外れの朽ちかけた看板
であろうと
青いまた曇天の空 雪に白い彼方の山 暗い森
目の高さに盛り上がったうねりの波や寒い砂浜
であろうと
またはこころ惹かれる人の姿態や言動の全てであろうと
見ることは不可思議を呼び起こす
 
声をかけることが躊躇われる
こころは景観のこころに出会いたいと思うのに
足踏みをしたりすり抜けたりしてしまう
 
全てをこのままにしたまま
あらゆる事の設定を変更することはできないか
つまり 宇宙視線の中に
無限時間の中に または生命の混沌や死の中に
あらゆる現実的・観念的制約を超えて
僕たちの物語を育むことは出来ないのか
こねずみのようにおどおどする自らの人格に
僕たちの自由への夢は失速せられている
取り沙汰される人間の悪行などたかがしれているのに
誰もそれを言おうとはしないで善の毛皮をかぶろうとする
人間に可能なことを全てやり尽くした後
「人間」という概念の死滅することだけが救いだ
 
僕は 僕たちの物語が卑小な言葉で翻訳されることだけは
拒否し続けたいと思う



  <貼り付いたもの>
 
緩やかに 深く息を吸うと
玄関のドアのあたりまで暗い寂しさが居座っている
貼り付いたものは死の影と呼んでもいいだろう
それは忘れていたほどに遠く逃れてきた故郷だ
 
僕はたぶん あそこから生じて
あそこへ還ってゆく
それを死と呼ぼうが呼ぶまいが
細胞の湖面がひときわ細波のように泡立った後
平らに静まり返り または熱が失われて
五感が軋み 意識の内側で叫びが木霊する頃
僕はもう 穏やかに自分を手放すばかりになる
 
人間の世界に執着がない
深夜の放送が終了するように もうこれ以上見るものがない
これ以上無い平和と幸福の最中に
生活は確実に僕を追いつめてきた
人たちの会話の中に
職場の机の足下に
通勤の路上に <運><不運>があった
<絶望>と<幸福>が入り交じって砂や大気を構成し 
僕を取り囲んでいた
そうして生活は僕に絶望を感じさせるようにあった
 
たぶん不幸は誰にも訪れるもので
人は死んだり死ななかったりしてきたのだと思う
境界はあって無いに等しいように存在すると思う
 
  <窮地にあって>
 
窮地ということばは今の僕に当てはまる
圧迫するものがこんなにも寄って集って訪れたことはない
ありふれた不運だが なんだか
僕を苦しいほうに苦しいほうにと追いつめる
こんなに集積したんでは さすがに跳ねのけるのに腕力がいる
それよりも絶望感に押し潰される
 
<そうか 生活はこんなふうに生理を破壊するようにして
 人間に自死の道を進ませるんだな>
 
多くは金の問題だ
 
のっぴきならない道
あれもこれも末すぼまりに感じられ
こころがこころに閉ざされたように思われてくる
これはなかなか耐え難いことなんだなと思う
 
どうあっても生き抜く道を考えればいい
常識なんかに囚われないで生きる
それが僕の思想だ
 
現実にどう生きたかという事と
どんな思想をもって生きたかという事は
たぶん関係ないことだ
 
 
 
  <見えない>
 
死にかけた魂を追い続けた僕の目には
母の優しさも あなたの優しさも映らなかった
そんなことで涙して 
本当は僕には
林の先端の 揺れる大気の層の
静かにはねつける複合が 渦を巻いていた
 
僕のように甘えるだんご虫は在り得る
一頻り小水を垂れては
太古の森に帰ってゆく
寂しい音がする
 
ピテカントロプスがビルを薙ぎ倒す
時計が午前2時を打ち
ぬいぐるみが腐肉を食らって叫ぶ
 
もう あなたを愛する事なんて出来ない
西行のこころが降臨すると
僕はもうとある敷居を跨ぐばかりのようなのだ
 
あなたを愛している
信じてはいけない
そうだ 信じてはいけない
僕にはもう
誰の姿も見えない
 
誰にも ぼくの姿は 見えない
 
  <辿り着いた場所で>
 
やっと「人間」のない場所に辿り着いた
剥き出しの「今」という現実あるいは自然
たった一つの希望の場所
ことばも消え
小鳥さえ飛び交わぬ
 
涙がにじむコンピュータ
 
至福を感じ時を越える
<無惨>と一体となって
沈むことも軽やかに舞うことも自在となる
 
弱き者はそよ風に窒息する
そのことはなんら恥じらうことでもなかった
そのように楽しく死んでいけばよい
満ちて生きたのだから 不幸ではあり得なかった
 
明日 僕は賑わいの中に居よう
 
 
 
  
  <秋の入り口にたって>
 
秋風が瞳を切り裂いて 高く晴れた空を舞う
幾度もこころを殺してきた孤独が
秋の入り口にたって際だつ
ふとした怯え その先のことばが続かない
 
透き通った空をさっと掃き去った雲
あの人もこの人も開きかけた唇を閉じ
赤トンボの下のコスモスが揺れている
哀れむような気配を残して立ち去る人々
小さな格子の窓ガラスの中から紅葉の林の奥に拒絶は消失する
 
暗く凍りついた時間が
誰からも愛されない違和として陽炎のようにゆっくりと歩き出す
 
生きてきた精神には
どんな顔をしてみせたって たぶん元に戻るほかない顔がある
 
 
 
 
  <夢の中の夢に>
 
慣れない夢の中で小さな善を積み重ねてみた
もう眠ってもいいのだと 眠っていた優しさを振り絞って
息切れしながら夢の中の夢に辿り着いた
夢は消えて 古い人間の汗と息づかいだけが残った
 
夢の終わりには儀式が要る
きれいな雲を食べて決別のドロップを吐き出す
それから河原の冷たい水に浸かり
何事もなかったような顔で帰途につく
道すがら真っ赤な酸漿を手折って
 
ある日のこと まあるく土を盛り上げいつまでも踏みしめ佇んでいた
草は草のままに生き 水は水の姿で流れた
空は悲しいほどに退屈だった
 
またある日のこと 地球が3度泣く声が聞こえた
心の向きを変えるために 狂ったように虚空を切りつけた
悲しいのか愉快なのかさえ分からなくなっていたんだと思う
小鳥が目の前に降り立ったし オオバコが雨ごいでもしていたのかもしれない
全てはどうでもいいことに思えていた
 
夢の中の夢に 軽く会釈をして立ち去る
夢が小さく一つ咳をした
 
 
  <悲しい夢>
 
血の流れない日々に君に会いたい
空からも梢からも滴り落ちる惨たらしい血糊はきっと僕が流したものだ
瞳にかかった薄膜を剥がすように僕はこの風景と戦ってきた
 
取り返しのつかないほどに白く濁った歴史の障害
ただ生きて在ることがこんなに意味のない時代は嘗てなかった
自然への異和として存在する自然物の浮遊
肩を落として世界の隅々に蔓延っている肉塊の群よ
明るく明るく大きな声で「善」を歌うおぞましくも恥ずかしい同胞よ
本当に自分の姿が見えるのか
路傍に不幸の華が開きその華の下に不幸の種が落ちた
悲しい者のイメージがある限り
歌われた「善」は自ら血を滲ませなければならぬ
それでなければこの世界はあんまり酷い
 
愛を語れぬ唇からも血は滴り落ちる
一滴が倫理となって世界の閉塞を切り開くのでなければ
僕の死は頓死になる
最後の一滴が残っている限り僕は戦い続ける
たぶん君は疲れて眠っている
悲しい夢を見ながら
僕は血の流れない日々に君に会いたい
 
 
 
 
  <ちいさないのち>
小さな命に小さな頭がのっかっている
小さな頭は小さな悩みでいっぱいだ
<>が何者か分からないので
約一メートルの距離で近づいたり離れたりを繰り返し
 
にこっと目が合えば擦りよって体に触れては翻る
 
それはきっと不可解であるが故の振る舞いだ
親しいような怖いような
優しいような恐ろしいような
私の歩く回りを舞っている
そうしてきっと私という者を観察し
私という者との付き合うべき距離を測っている
 
びっきぱの花茎をむしり取り
ショウリョウバッタやこおろぎを捕まえながら
<>という訳の分からん者を囲んでくれる優しい子どもたちよ
まるで仲間に入れてくれるつもりでもいるのかい
その四肢は軽やかだ
こぼれんばかりの新鮮な表情は豊かな謎に満ちている
 
金色の秋の陽の澄んだ青空の下
小さな悩みでいっぱいの小さな頭がとんぼのように飛び交って
明日の朝 浅い眠りの中できっと追われる夢を見る
 
 
  <理想へ>
 
この夏10人の男と寝た娘は明るく輝いている
18からこれなら末頼もしい
「愛」なんて軽いし たぶん別れもまた軽く美しい
 
ビキニの水着の中で女が進化する
ほんのちょっとの隙間から未来の女が見える
 
衣服に編まれた歴史を捨てろ
重いものはみんな捨てろ
裸になって女は未来の女に近づき
女に近づいた男は未来の男に近づく
 
娘たちには無知と見まがう明るさがあり
明るさはなんと言っても道しるべとなる
 
《きみを抱きたい》
きみを抱ける男になりたい
 
娘たちは明日子どもを産む
そして子育てが始まる
新しい母の顔が現れる
歴史に作られた顔が
歴史の無意識に作られた顔が
 
 
 
  <一つの死>
 
意味もなく一つの命が消える
活字となって音声となってその一つの死が伝えられて
意味となる手前でその死の意味は凍り付き
凍り付いた後で意識のように私たちの意識から消えた
 
不可解な死を不可解なままで
私たちは幾つのその幼い死を迎えまた送ったことだろう
私たちは眠り 変わることなく生活を紡いだ
目覚めることを懼れながら仕事に麻痺し
その合間にクリームシチューを流し込んだ
自分や自分の視界の中に 注意深くいじめの構造図をあてがいながら
結局検証する前にまたもや新しい一つの死を迎えるばかりであった
 
夜中にこのことについて考えているからといってなんになろう
悲しいばかりの声が聞こえてきたからといって何ができるだろう
明日の仕事を考えながら眠りについた無数の人々にも
ささやかな幸いは訪れなくてはならない
私もまた愛する者たちの幸いに心を尽くさねばならない
 
小さな寂しい死はいつまでも寂しさの中からとけ出せない
死と引き替えの水晶の槍先は願う相手に届かないまんまだ
 
意味のない死というより 意味を与えられない死は
いつまでもこの世から去りがたく
円を囲んで遊んでいるほか無いようだ 
 
 
 
  <死と詩>
 
一つの詩が凛として歌われるそのとき
一つの死が影のようにさっと視界をかすめていったのを目撃した
 
詩にとって恥ずかしいことだと感じることは旧いことなのか
 
詩が加担した感受性の生成は その詩にも責任があるのではないか
 
歌われて権威となったその詩に嫌悪を感じる
 
今日も一つの詩は語り継がれ
一つの死は無意味に消えていく
死もまた一つの詩であったのに不可解であるが故に誰もが解読を諦める
その同じ感性が一つの詩を持ち上げているのだ
 
それならば詩は死を越えていたか
詩は死を優しく包んでいたか
詩は一つの詩の戦いや中絶の後に戦いの継続を志していたか
それは空虚や何もないところからの戦いであったのに
詩の男はいつも在るところから始めていた
 
在るところから始めるようになったその男を僕は信用しない
正しいことをいい始めたその男に権力の生成を感じた
一つの死はけして成仏することのない一つの死のままがいい
詩もまたそんな詩のままがいい
 
 
 
  < >
 
足音が聞こえてくる
希望も絶望もない生活の中から
希望でも絶望でもないものの足音が聞こえてくる
 
「憎しみと恨みと悲しみでいっぱいです」
確かに男の唇は小さく震えるように刻んでいた
 
足音が聞こえてくる
憎しみと恨みと悲しみでいっぱいの足音が刻んでいく
 
 
戦いは白昼の中で
静かな喧噪の中でおこなわれる
例えば昼休みの窓際できみの心がカマイタチに出会う
きみは痛みを隠すように「うっ」と小さく息を止めて
それから
きみの世界の住人がきみ1人であったことを感謝する
きみは優しさを武器にして何処までも降りていこうとする
誰も傷つけずに戦いを成し遂げたいと願っている
きみはしだいに「きみ」をなくす事が
きみの戦いの意味であったことに気づき始める
 
 
 
  <ヘチマ>
 
窓の外にヘチマが垂れ下がっていた
鮮やかな緑の葉と茎と実
わずかになった花
 
ぼくはヘチマの生き甲斐というものなどについて考えた
生きる喜びなんてものがあるのだろうかと
 
ヘチマは思いもなく垂れ下がっているばかりだった
 
生きる喜びを求めるのは人間ばかりだ
 
そしてぼくは何かに触れたような気がした
 
なぜ 人間ばかりがそんなことに心を消費するように出きているのだろう
私たちもまた垂れ下がっていればいいのではないのか
落ちるまでただ垂れ下がっていれば
 
ヘチマはなぜヘチマの姿なのだろう
喜ぶにせよ嘆くにせよヘチマはヘチマの姿でしかいられない
やがて季節を告げる風が吹き
ヘチマはヘチマの姿を隠すだけだ
 
 
  < >
 
例えば詩の営みのように
秘めた日々を生きることが残ったぼくのかすかな望みだ
 
けれども 日は昇り 日を繋ぎ
やっぱりぼくはネズミ色の背広を着て家を出て家に帰る
ひょっとしたら妻や子を置き去りにすることの選択もあり得るのではないかと
さびた凶器を抱きながら
 
けれどもまた 日は昇り 日を繋ぎ
ぼくの微かな望みなど現実化したところでどんな意味があるものでもない
人間ではない命となって
かぜの中に漂いやがて消える運命にあるだけのことと思い知る
 
ああ こうして日々を二つに引き裂いて
それでもぼくの命はぼくだけのために使いたい
 
 
  <>
 
煙草の煙を深く深く吸っている
たぶん この生から逃げたいのだ
 
世界には事件が満ちている
ニュースなど見るきもしないのにいつか目と耳とを介して
僕たちをとらえてはなさない
逃げても逃げても逃げ切れない
 
明日僕は仕事に出かけられるのかどうか
分裂病となった現実に
免疫を持たないまま出かけてもいいものかどうか
僕はまだ確かなのだと思うけれど
誰にも問うことができない
 
「むごたらしい」と「気楽」は一緒だ
 
身体についてこれほど条件のよいときはなかった
自然と人工との狭間で心がこんなにも揺れるものではなければ
どうしたってこの時代はハッピーだというほかはない
 
誰も責めるわけにはいかない
命ある限り命は生きようとするだろう
生きることに窮したものが生きるために行う何事も
否定しようが肯定しようが
誰にも止められないことだけが確かだ
 
心というものはなんて弱いものだと僕は思う
たぶん地球のすべてが震えている


  <>
 
気がついたら《死んでいた》
『何処へ行ってしまったのだろう』と問い続けていて
失ったことを知ったとき
これは自分をも欺いた自死の成就なのだったと悟った
 
看取るものはなかった
誰を悲しませることもなかった
花輪も弔辞もなく
形ばかりの読経もなかった
町は町としてのいつもの時間を演じ
信号を小走りに駆け抜けた男の
透明にかすんだ姿に気づくこともなかった
男は変わることなく変わることができたと言っていい
 
やっと雪がちらついた 遅い冬が訪れた日だった
家々は暖かく膨れ上がり ブラウン管には飽食と旅とが溢れていた
「とてもすてきなことじゃないか」
男の遺言は微笑ましいものだった
 
息を止めて時が渡った
仮説にはなかった未知が残った
開くはずのない男の唇から息が一つ漏れた
「長い冬の始まりにすぎない」
 
  
  <>
 
空から睡眠薬を散布して
みんなが寝入った頃
僕は核のボタンを押そう
 
その後地球がどうなろうと
たとえば緑が消滅し
空は灰燼と化し 海が死魚の群で泡だっても
みんなはそんなことについて考えなくていいのだ
 
死は安らかだ
まして 地球からいっさいの命が消えることは
これ以上にない安らかさだ
 
憎しみも 悲しみも 不幸な惨劇もない
飢えもない 涙もない 憤りもいらない
もはや一つの命のために無数の死が 生け贄が
必要となることはない
 
いじめによる自殺もなければ 不登校の辛さを感じることもない
差別もなければ嫉妬もねたみもない
餓鬼のように仕事をする必要もなく 無意味な生活からも逃れられる
 
生きたいと思う心
夢や愛も
一切の死の前では諦めがつくに違いない
いや 諦める前に
一切が消滅し 泡立ち
地球は死の中にやっと永遠の安らぎを手に入れるに違いない
 

 <>
 
辿り着いた島の高台に立ち
呆然と眺める水平線は遥か彼方にある
日の中に陽炎のように瀕死になった笑みが融ける
 
確か 重たくうねるこの海に無謀な闘いを仕掛けたのは
水面の高さにしか視線の届かぬ頃のことだった
いま思えば 初めて海に泳ぎでた原始の人と変わらぬ心性であった
 
過程の苦労は忘れた
ただ口元を塞ぐようにたゆたう波の重畳に
いつも死の幻影を怯え続けていた
初めから 陸地の無い陸地
岸辺のない岸辺に挑んだ それは報いだったのだ
 
湾のはずれ わずかに外洋の荒波を受けるちっぽけなこの島は
町が作製した地図にも載らぬ無名の島
闘いを放棄し 屍を晒すには格好の島だ
 
夢の家に
妻が内職の手を休めずに座っている
16になった息子が手枕でテレビを見ている
そんな光景がつい昨日のことのように思い出される
今日からここに生きなければならない
なに食わぬ顔で土を耕さねばならぬ
もう誰にも心を打ち明けることなんてないんだ
もう誰にもこの険しい相貌を見せなくていいんだ
この穏やかな生き死にの中で
 
H9.7.4
・神戸の小学生殺害事件の犯人が中学生であったことに,驚きを禁じ得ない。と,まあ,いってみることはできる。しかし,本当のところは,何があってもおかしくない時代だと考えていたから,表向きの衝撃はそれほどでもない。それが実際だ。生首を切断し,校門に捨て置かれていたとして,その光景はテレビドラマなどでおなじみの怪奇性だ。中学生が容疑者だということに,インパクトはあったが,一瞬の間をおいてみれば,その少年が特異な存在だというような印象は残らない。また,今更慌てふためいた振りをして騒ぎ立てることも,テレビ報道の一種のパターンのようで恥ずべきことなのだ。
・とうとう来るべき時代に突入したのだというのが,<わたし>の感想のすべてだ。あとはいらない。この種の事件は,忘れようとした頃,つまり1,2年後に再び起き,その周期で今後継続していくであろう。誰も,何も止めることができないし,止めようとする策はすべて無効だ。
・12年前ほどになるだろうか,少年少女の自殺,いじめ,暴力等が新聞紙上をにぎわした頃,そしてその対処が教育界でも盛んに話題にされた頃,わたしはそれほど増加また減少がないこと,沈静化を装いながらもっと隠微に見えない形で進行していくに違いないと予想した。それが今回の事件で表に出始めてきたのだと,わたしはとらえている。乱暴な言い方をすれば,時代が容疑者の少年に,その役割を与えた。この事件,この事件の容疑者。それは偶然にすぎないと言い切ってもいい。それほど,この種の事件が勃発する危険性は,ピークに達していたと考えてもいいのかもしれない。少なくとも私はいま,そうとらえるべきだと考えている。はっきりと,時代は未知に突入した。
・「家庭教育の貧困」という言葉は,誤っているとはいえない。しかし,そういったからといって,なにが始まるわけでもないことは自明だ。これはわたしの問題だ。つまり,一人一人の問題だということ。
 家庭のしつけが悪いというが,では,誰が親としての自分のしつけがうまくいっていると自信を持っていえるのだ?
 また,「戦後教育のつけ」という言葉があるが,これも,いってみるだけの言葉で,本当は死語にしかなっていない。戦後教育は「敗戦処理教育」なのだ。だから,今更それを悪いといってみたところで仕方がない。戦前の家族,日本人の倫理・道徳観がすべてよかったのだとは誰もいえまい。敗戦がすべてを狂わせたのだし,敗戦をもたらした好戦の意志が,戦前の土壌に明らかに存在した。戦後教育を今更に誤っていたと見るのは簡単だが,なに,戦時中と同じように渦中にあってはすべての人々が荷担し,推進を担っていたのではないか。俺は信じていなかったとか,誤りに気づいていたといってもらっては困る。その恩恵をしこたま食らったからこそ,今君は大きな顔をしてしゃべっていられるのではないか。本当に辛酸をなめたものは,大きな顔なんかできやしない。
・それから善人ぶった知識人に一言いっておきたい。要するに対策もなければ解決もない。俺たちは無能だとはっきり言いきったらどうなんだ。それから時代はもっともっと暗くなると言い切ったらどうなんだ。そしてそれが常態だということも。
・もっと言おうか。人間はやがて大きく二分される。生き残れるやつと,生き残れないやつとに。分水嶺は,この世界の管理のきつさに,精神が耐えられるか否かにかかっている。精神の変調から,異常へ,世界のこの階梯から,誰も免れることはできない。よく生きようとする本能だけが生き残るだろう。どんな精神が生き残るのかはどうでもいい。始まりがあるとすれば,そこから新しい歴史の創造がある。つまり,混沌からの創造だ。それはとてつもない歴史の始まりかもしれないが,なに,ユートピアの到来が人間の勝手な思いこみにすぎないとすれば,人類がどこに向かおうと,なにを実現しようと,人類の一人芝居にすぎないし,その終焉が来ることも確かなことだ。そんな下らないことに憂いてみせるより,今の自分の生がそれでいいのかどうか,本気で自分に問いかけてみればいい。継続と繰り返しこそが,未来を運ぶ。
 
H9.7.6
・今日も神戸の事件がテレビの画面をにぎわせていた。しかし,もうそれほどこうした報道に関心はない。誰が語っても,心惹かれる言説はない。
・この事件の影響は,自分の生き方を問うという形で自分に迫っている。学校教育の現場にこの後もあり続けていいのか。苦しくはないのか。家庭の存続のために,家族のために,今の生活水準を保持するために,俺は自分を犠牲にするのだろうか。学校を善くしようとすることの愚かしさと,でたらめさと,虚しさと,俺は十分に知り尽くしている。
・子どもを善くしようとして子どもを苦しめている教師や親,そして大人たち。またぞろ中途半端なお節介。善意による囲い込みで,本能の部分を削っていく,大きなお世話。大人たちは本能を殺す毎日で,それはそれでいいが,子どもたちは本能壊滅の危機を察知し,必死の抵抗をする。止めようがない。やがて,本能をもぎ取られ,骨抜きされた,善人だらけの世界が到来するだろう。それはそれでいいのかもしれない。もしも,世界がそういう人類のあり方を望むのならば,人類にはそこへ行く道しか残されていないのだ。それがすべて,欲しないことだとか,善くない方向だとか言う人を信じない。これらの事件,息苦しい社会,毎日の苛立ち,等々があったとしても,もしかして人類は望んだ方向に向かって確実に歩み,恩恵も決して小さくはなく受け取ってきたのだから。
・君は今の生活を変えられるか,捨てられるか。仮にそうしたとして,君の明日には何が待っている?
・本能と生理。危機的状況。
・「善いこと」に向かって歩んできた大人たち。苦しい思いをたくさんしてここまできたのだ。だから「善いこと」をしない子どもたちは許せない。「分からない子」「言われた通りにしない子」「期待を裏切る子」等々。
・だが言えることは,大人たちは無責任だ!必ず言い逃れをする。子どもたちに告白を強いているくせにだ。
・校長たちよ,肉声でしゃべってみろ。退職後のことがそんなに心配か。命を懸けて話すことが人生に一度はあってもいいはずだ。そうだ,個人の責任において,自分の言葉で話してみろ。職務に忠実な姿を見ると,戦前の滅私奉公の図式とあまりにもぴったりと一致する。そして無責任の体系もそのまんまだ。自分だけが苦しい矢面に立てばいい,などと,のぼせ上がっちゃいけない。君達の顔はいつも上の方に向けられている。教育委員会,管理規則。そんなものに縛られて,あんたは子どもから離れてしまった。少なくとも感覚は,大衆からも孤立しちまっている。
 
H9.7.14
・ニュースで,不登校児童のことが話題にされていたのを偶然に見た。そこで,脳が老人痴呆症に似た状態になることが判明したと言われていた。行き着く先は過労死だとも。また,体温の低下が起こると言うことも言われていた。2・3時間の時差があり,朝が弱く,深夜目がぱっちりするそうだ。起きても眠っている状態。医師は,冬眠といっていた。
・産経新聞の切り抜きをもらったが,そこでは神戸の事件がコラムとして論説されていた。子どもたちが息の詰まりそうな状況にあること。それが異常な状態だとは分かっていても,社会・学校の仕組みは容易には変更できず,手をこまねいてみているしかない。そんな印象を受けた。もちろん,活字には何とか早急に対策を講じなければ,という焦燥感があふれてはいたのだが。
 
 
  <透明人間は生きている>
 
望み またはがんじがらめの不可避により
その存在を徐々に薄めさせながら
気づかれることもなく生まれ
透明度を完成した人間
自由度は極限
絶望度は限界
生きていることがそのまま苦行なのだ
 
何故にと問われても答えられない
『ここに着地するしかなかったのだ』と
透明なことばで告げる
透明さゆえに
その声を聞き取るものもいない
肉体はこちら側に置き捨てて
魂ばかりで駈け去った これが報い
 
刃こぼれのように
現実の次元にねじれを起こす
完璧のはずの透明度が俄に混濁する
『つ・・ つ・・よう』
八つ裂きということばが似合いそうな
表情のない顔で笑ってみせる
『会いたかった』
内側に叫びながら
ことばは機能を失っている
 
どうしたらいいのだろう
死ぬか世界の破滅か その狭間で危うく立っている



  <少年>
 
夏の日差しの下で
蝉時雨に濡れている
真っ黒になった少年の向こうから
視線の束が窺っている
 
青い空と白い雲と
海が あつらえたように美しい
 
キラキラと反射する光と
海面を移動する影とぼくの空白と
 
この関わりがうまくほどけない
 
ぼくは小学校の教師で少年一人だけの担任だ
 
「社会に適応できる力」だなんて
ぼくを参らせることばで
見えないドラマが仕組まれている
 
海に遊び 小高い丘の斜面でアリやセミやトンボを捕まえ
一日中飛び回りはね回っている少年
夏休みが終わると
君が無造作に生き物をその手に捕まえたように
今度は社会や制度の手によって いやもしかするとぼくの手によって
逃れようもなく 君が捕まる番だ
 
自由な少年
君はどうして好きなことをしていられない



  <>
 
積み重なり また積み重なるこの疲労は
現実の反復とぼく自身の反復とによる
不可解であることと既知の感受とが交差し
岸辺のない岸辺 着地のない落下
不毛な円環 を形成している
 
秩序のない詩のように
生きてきた老婆の相貌にあこがれる
美しい若さはまぶしく
老いて形式となった生命の昇華した姿は気高い
 
ここをくぐり抜け
あそこをまたくぐり抜け
一日を生きまた一日を生きて
 
ぼくはいったいどんな資格があって瞋恚っているのか
あいつもこいつも嘘の考えだと身もだえているのか
また暗く明るく時間を上滑りしていることか
 
痕跡を残さない詩を書き続ける
ぼくはそれに耐えていこうと思う
それは誰もがなしえなかったことであり
どの人の通り過ぎた道にも残された
積み重ねられた疲労の証だから
 
 
 < > 
 
きみが大声で言っていることは正しいようだが少し間違っている
あたかも人間としてのつとめであるかのように錯覚させながら
実はきみの名声を上げることにしか役立っていない
きみは少し前に気づき 選択した 
賢いきみの頭脳が考えた世間知とでも言うべきものにすぎない
きみの考えに頷き拍手を送るのはきみによく似た小秀才たちだけだ
そうしてきみたちは居心地のよい空間を独占し互いに健闘を讃え合う
所詮お山の大将になりたがり症候群だからそれはそれでいいさ
きみの苦労に報いる見返りとしてそれは見合っている
 
けれどもそんなことはとうにお見通しだよ
そんな生き方も認めた上でいい気になるなと釘を指したい点はこうだ
ひとつ 物理的に苦労したとしても生きやすい
ひとつ 排除につながる
ひとつ 
 
 
  < >
 
計算なしの行き当たりばったりで生きてきたんだ
ほしいものには抑制が利かず
いつも清水の舞台を飛び降りた
 
太陽を欲しがったときも
後先考えず 手を伸ばした
心が凍てついて限りなく淋しく思えていたから
あの人の笑顔と炎とがほしかったんだ
 
ちょうど世界というイメージが欲望の身を任せていると感じられたとき
僕もまた世界でありたいと願ったのだ
 
そして夢が現実に追いついたとき
僕はただの能なし野郎にすぎなかった
何度考え直してみても
心は厳寒の底に潜り込むばかりだった
 
ああ 愛していると叫んでみたい
誰を愛することができるものか
悲しみや辛さばかりを与え
僕はこの現場から逃れたいと痛切に思う
そしてまた思う
僕は本当に愛している
自分を愛するように身近に触れ得た人々を
それを証明するのは
自死と自然死とが合致するその瞬間であると
 
 
  <>
 
桜の花が散り 新緑が濃霧の底からぼんやりと姿を現す
霞んだ青空の下でくすんだ精神の底から生命力が泡立つ
これはおかしなことだ 今さっきまで絶望を嘆いていたこの生命
身体が高笑いをする
とはいえ 依然として何かが変わったわけではない
固く結ばれた両の手は唇を閉ざしている
拒食症に近く 緘黙に近く ふと破局する精神のイメージが押し寄せる
 
楽になりたいという思いと 虫への変身願望が身近になる
闘う前に自らを沈み込ませてどうなるものかと精一杯こらえながら
見えないドラマの主人公を演じきるのもよいかとも思う
 
いや それは間違っている
ぼくが倒れたら 真なるものの明かりが一つ消える
この世界はもっと罪深くなる
だからどうあってもこれ以上病んではならない
弱くてはならない
 
確かにこの世界にはそこにあるだけで関係の網の目が重畳する場所がある
ことばは空洞化し 概念は死んで干物となり 他者は生きる人形となる
 
 
 
H13.6.6
6.5の毎日新聞 特集ワイド 斎藤貴男
「親の学歴や社会的地位,収入,教育に対する意識の差などによって子どもの進路が決められるという{機械不平等}のなかでは,将来に何の夢も紡げない」
 
  前教育課程審議会会長 三浦朱門「ゆとり教育の本当の目的は優れたリーダーを養成することにある。エリート教育とは言いにくい時代だから,回りくどく言っただけだ」
 
  教育改革国民会議座長 江崎玲於奈「いずれは就学時に遺伝子検査を行い,それぞれの子どもの遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていくと思う」
 
  人間を生まれたときから格付けし階層化しようとする時代。
 
学校選択の自由を謳歌できるのは,ほんの一握りの人だけ。学歴なり財力なりを持っていない大方の層は無視されている。
 
  他者の心や境遇に対するごく常識的な想像力と人間的な優しさ。

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