学校教育論(その八)      2013/04/23
続 公教育の破綻
 前回、思想家内田樹さんのブログの文章、「学校教育の終わり」に刺激を受けて、主に自分の考えるところを書いたが、ここではもうすこし内田さんの文章に沿って論を展開してみたいと考えている。うまく行くかどうかは分からない。
 内田さんは冒頭、ここ最近の日本の教育界で起こった一連の事件(いじめ自殺や体罰など)は、日本の学校教育システムが制度疲労の限界に達していることを示していると述べている。そして教育制度の何が悪いかというと全てであって、局所的な手直しで何とかなるレベルでは無いとも言っている。
 はじめに、ここでいう教育制度、学校教育システムについて内田さんの考えるところを引用しておく。
 
日本の近代学校教育システムは「国民形成」という国家的プロジェクトの要請に応えるかたちで制度設計された。つまり、学校の社会的責務は「国家須要の人材を育成すること」、「国民国家を担うことのできる成熟した市民を作り出すこと」に存したのである。サラリーマンになるにしても兵士になるにしても学者や政治家であっても、教育の目的はあくまで「国家須要の人士」の育成である。成否は措いて、この目的そのものは揺るぎないものだった。
1945年の敗戦でも、学校教育の目的が国民国家の未来の担い手を育てることであるという目的そのものに疑いは挟まれなかった。戦後生まれの私たちの世代は「民主的で平和な日本の担い手」たるべく教育された。
明治維新以来、学校教育は「国民国家を維持存続させるため」のものであり、教育の受益者がいるとすれば(そういう言葉は使われていなかったが)、端的に共同体それ自身だったのである。
 
 この内田さんの語るところに異論はない。公教育としての学校教育は、共同体の、共同体による、共同体のための制度であるということ。「国民形成」というのは共同体としての「国家」存続の鍵をなすもので、その限りにおいて必須の制度だとも言うことができる。 ここを読む限りでは、内田さんは明治以来の学校教育は第二次世界大戦の敗戦後も、地続きに存続したと考えているように思われる。確かに、制度の目的は同じで継続したと言えるのかもしれないが、しかし、共同体、国家、どう言っても良いが、公の部分の内実は敗戦によってはっきりと異質になったとぼくには考えられる。つまり、当然ながら「『国民形成』という国家的プロジェクトの要請」の内実が変節を蒙っているのだろうと思う。制度としてのの器は同じだが、中身が違う。それは、日本という国家、共同体の質が、明らかに戦前とは異なる位相に自らをおかなければならなかったからだ。
 ぼくにとってはここは難所でとても言い尽くせるものではないが、あえて言ってみれば次のようなことになる。
 敗戦の前は、日本の「公」と言えば、直接「天皇」を指すものだったろうとぼくは考える。絶対の服従と同時に敬愛の対象でもあった。その限りでは信心にも似て、全国民の精神的な拠り所でもあったと思う。敗戦により、「天皇」は憲法によって日本国の象徴という位置に置かれることになった。これは苦肉の発明で、実はこのことによって日本の「公」は実に曖昧なものになってしまったと思う。肯定でも否定でもない一種の妥協案、折衷案であって、このことにより逆に統一的な民族の精神とも言うべき、共同観念が結集すべき幻想上の支柱を失うことになってしまった。民族の精神は宙づりになり、「公」「共同体」「国家」に結集しようとしても、実質的本質的に出来なくなってしまったのではなかったかとぼくは思う。代わって、その空白を埋めるものが何であったかといえば、例えばヨーロッパにおけるキリスト教的倫理のような、人間精神の拠り所というべきものは、何もなかったと思う。強いて不明に分け入って探すならば、それは仏教における空無、空虚を内実とした「無思想」という思想、ではなかったかとぼくは考えたいわけだ。
 そう考えると、戦後日本の「知」的世界が結局のところほとんど口先だけのもので、言うこととやることが違う、いかに中身のない(「ことば」に責任を持たない)議論に終始してきたのかの説明がつきやすいのだ。
 
 内田さんはどうかといえば前述したようにここのところは素通りしている。そして、戦後生まれの世代も基本的には共同体の未来の担い手の育成が目的とされて、そのような教育が為されたと述べるにとどまっている。。
 だが、1970年代以降、明治以来の学校教育の目的が変更したと内田さんは指摘している。
 
この合意が崩れたのは一九七〇年代以降のことである。
歴史的理由については贅言を要すまい。歴史上例外的な平和と繁栄である。私たちは「平和と繁栄のコスト」をいろいろなかたちで支払うことになったが、学校教育の目的変更もそのひとつである。
このとき、学校教育の目的は「国家須要の人材を育成すること」から、「自分の付加価値を高め、労働市場で高値で売り込み、権力・財貨・文化資本の有利な分配に与ること」に切り替えられた。
教育の受益者が「共同体」から「個人」に移ったのである。
 
 すなわち、まれに見る平和と繁栄の結果、日本の学校教育の目的は「共同体のため」のものではなく、教育を受ける側の「児童生徒を益するため」のものに移行したとされる。しかし、本当はこの文脈からだけでは、どうして平和と繁栄が教育の受益者を「共同体」から「個人」に移行させるかは明らかではない。それは次に続く文章においても、はっきりとは言われていないとぼくは思う。
 それよりも内田さんの記述になる「1970年代以降」の言葉から、当時の学生運動、別の言い方をすれば「全共闘」運動を即座に思い浮かべる。そしてぼく自身は当時を振り返って、「全共闘運動」が一部政治性を含みながら、大多数の一般学生大衆においてはより「教育」への異議申し立ての意味合いが強かったように考えてきた。そして今ではあれは、一種の「教育批判」であったし、その後の「教育改革」に先鞭を付ける運動だったと思っている。つまりそれは、内田さんがいうところの学校教育の目的の変更と無関係ではないのではないかと思える。そう考えながら内田さんの文章の続きを読むと、思いは複雑なものになる。すこし長いが引用する。
 
もちろん、明治に近代学制が整備されたときから、人々は自己利益のために教育を受けた。ほとんどの場合はそれが「本音」だった。だが、「おのれひとりの立身出世のために教育を受ける」という生々しい本音を口に出すことは自制された。あくまで学校教育の目的は「世のため人のため」という公共的なレベルに維持されていたのである。
七〇年代以降、それが変わった。人々はついに平然と学校教育を「自己の付加価値を高め、自己利益を増大するための機会」だと公言するようになった。教育の受益者が「共同体」から「個人」にはっきりと切り替わったのである。
だが、その根本的な変化が学校教育をどのように変容させることになるのか、どのように「破壊する」ことになるのか、そのときの日本人は想像していなかった。
その後、教育はつねに「教育を通じてどうやって個人の利益を増大させるか?」という問いをめぐって論じられた。教育改革も教育批判もその点では同じだった。その前提そのものが設定の間違いではないかという反問をなす人はいなかった。 
もちろん文科省の発令する文書には依然として「愛国心」や「滅私奉公」的な言辞がちりばめられていた。だが、そこで言われる「愛国心」は実際には単に「上位者の命令に従うこと」しか求めていなかった。「滅私奉公」してまで何をするかというと、「グローバルな経済競争に勝ち残ること」つまり「金儲け」なのである。
このとき、国民国家はほぼまるごと「営利企業モデル」に縮減されたのである。上司の言うことを黙って聞いて、血尿が出るまで働いて、売り上げノルマを達成すること、それが学校教育の事実上の目標に掲げられる時代になったのである。
 
 明治という時代に「『おのれひとりの立身出世のために教育を受ける』という生々しい本音を口に出すことは自制された」のは何故か。もちろんぼくはそれを、絶対天皇制下にあったため、と考えたいのだ。昭和になって第二次大戦後、それが取り外されて二十数年が経過し、その過程で例外的な平和と繁栄が訪れて「自制」は消失することとなった。そして学生運動が批判することによって生じた教育改革が、結果的に何を壊すことになって、何をもたらすことになったかの結末は、今日から見れば余りに皮肉な結果というほかないのではあるまいか。
 内田さんの言い方に沿って言えば、「金儲け」(自利)に奔走する国家・国民に互いを形成して行ったと言うことができる。いったいどうしてそういうことになるのか。ぼく自身は、1970年代の学生運動を皮切りに、その後高校、中学、小学へと下っていった体当たり的な学校批判、教育批判は、日本歴史上初の、未成年者からする大人社会への反抗であったと考える。あるいは明治維新以来の、時間が長くそして規模の大きな、けれども穏健な内紛であったとも考える。そこから言えば、そうした一連の批判、反発が内田さんが言うように単にどのような結果をもたらしたか、というような問いによって評価すべきとは思ってはいない。つまり、動機は純であって必然だったと思いたいのだ。そしてそれらの一連の批判、反発を内蔵させた行為を受け取る側に、全ての結果責任をかぶってもらわなければ困るとぼくは思っているし、かぶせたいのだ。
 一連の学生から児童生徒までの学校と教育への反発は、今考えれば「公」の部分への異議申し立てであり、公私の「私」の徹底した優先への願望であり要求であったと考えていいのではないだろうか。結果として、それは社会的に「私利」の暴走にまで発展して広がったが、しかし戦前の「公」を担った指導層の無能と愚劣と無様とに丁度見合った、「私」の愚と無様なのだろうと思う。たぶんここには日本的な精神風土上の、また歴史的な事情があるのだろうと思われる。一言でいえば、「個」の未熟さなのではないかと思う。ここから、本当は日本的な「個」や「私」の孕む課題を明確にして徹底的にこれを掘り下げるべきだったとぼくは思う。教育もまた、「自立した個人の育成と成長」を掲げ、同時にまた「個」や「私」についての議論を深めるべきだったように思う。そうしなければ明治以来の「文明開化」が、単に外在的な様式のみを真似る皮相なものだったという批判を免れることは出来まい。そしてまた、夏目漱石の苦闘を漱石ひとりに負わせて、他人事としてそこからすり抜けた以後の知識人たちの怠惰もまた追求されて然るべきであろう。そういう意味では「教育」は第二次大戦前も以後も、本当には日本人の精神的な課題に真正面から対峙しては来なかった。少なくとも敗戦を契機として、その課題に気付くべきであったとぼくはいま思う。そのことを直接的に、また学問的に指摘したわけではないが、少数の文学者たちだけが鋭い感受性で受け止め、ぼくたちにそのことを示唆し続けてくれた。そのついでに言えば、ぼくがこの日本に欲するのは自立的な精神の自由であり、個々の人々がそれを獲得することである。とりあえず、何ものにも左右されずに自分なりの考えを所有できるようになるということ。そうして、そういう個人の自由な意思の総和としての社会が構成されること。誰もがそれぞれの個人の自由な意思を尊重し、その結果がバラバラになることを苦にしないということ。言ってみればこれだけのことになるかと思う。
 このことが出来なかった「教育」など、本当に本当のところは蔑視してきたと言っても過言ではない。性格的にぼくは陰険でいやなやつだと思うが、再就職で教員になるときも、「もしかして」という期待を持ってぼくは小学校の先生になった。それから二十年、重箱の隅をつつくように教員生活の中に「教育の言い分や本音」を探り続けた。結論を言えば、ぼくはその間、らっきょうの皮をむき続けていたに過ぎなかった。現場から文科相、文科大臣に至るまで、何のことはない、社会に横並びに区画された一区画の「村」に過ぎないことが分かったばかりだ。
 借り物だらけの教育理念と、同じく他国からかすめ取った教育課題で、さも大層なこと、大事、を行っているように見せかけの出来る、実に愚かで下らない連中だ。もっと言いつのらせてもらえれば、教育学者なんてものも、ただ研究費の増額が目当てで研究を行っているに過ぎないように見えて、思わず「ああ」と声が漏れる思いだった。誰も、子どもたちのために、「クルシンデイヤシナイジャナイカ」、そう思った。全ては政府や文科相の下部機関に過ぎないし、その下に働く、出世や名誉を欲しがる連中に過ぎない。
 と、まあ、それでもいいんだけど、ね。
 
 さて、熱くなりすぎたので、ここで風向きを変える。以下は勉強と思ってほしいのだが、すこしのんびりしながら内田さんの見識の深さに浸っていただきたい。これまた長い引用である。
 
「公教育」という理念を考え出したのは啓蒙主義の時代のフランス人だが、行政制度として実現してみせたのはアメリカ人の方が早かった。だが、そのときも公教育の導入には強い抵抗があった。というのは、アメリカ社会は伝統的に「自己教育・自己陶冶」を重んじる国だったからである。
学校教育に税金を投入すると聞かされたアメリカの裕福な市民たちはこう言って抗議した。
「もし教育を受けたものが、そこで得た知識や技術のおかげで出世し、高い地位を求めるのであれば、それは自己負担でやるべきことではないのか。なぜ、私が刻苦勉励して納めた税金を他人の子どもの教育に投じて、自分自身の子どもたちの競争相手を作り出さなければならないのか?」
この反対論は強固なものだった。
公教育論者たちはこれを説得するために苦肉の理屈に訴えた。
あなたがたが税金を投じて学校教育を整備してくれれば、文字が読め、四則計算ができ、基礎的な社会的訓練ができた子どもたちを作り出すことができる。それは長期的にはビジネスマンのみなさんにとっても「よいこと」であるはずだ。彼らは優秀な労働力となり、活発な消費活動を行う消費者になるだろう、と。
市民たちはこの言い分を受け入れた。とりあえずアメリカの高額納税者たちは「労働者の質向上と市場の成熟」という長期的な利益を「今期の税額の多寡」という短期的な利益に優先させるくらいの計算能力を備えていたのである。
日本の教育改革論はどれも公教育への税金投入に反対したこのときのアメリカの納税者のロジックを下敷きにしている。すなわち、「教育の受益者は本人だ。そうであるならば、教育のコストは自己負担すべきだ」というものである。
貴重なる公金を支出するなら、学校は目に見えるかたちで、今すぐにその「見返り」を示さねばならぬ。それはとりあえず能力が高いが、安い賃金と長時間労働を受け入、上司の命令に従順な労働者を量産して、納税者の金儲けを支援させよというものである。
ここには「次世代の共同体を担う成熟した公民を育成する」という長期的な国益への配慮はもう見られない。企業の収益が今すぐに増大するような教育的アウトカムばかりが求められている。そして、「短期の損得を先にして、共同体が瓦解するリスクを冒すな」とそれを抑制する対抗的なロジックを語る人はもはやメディアにはほとんど登場しないのである。
 
 ここまで読んできたところを整理すると、内田さんはひとつは大企業と国家(政府)がタッグを組んで、日本という国全体を巨きな営利企業体に形成、推進させてきたと考えているように思える。またひとつは、そのことによって「公教育(学校教育)」を長期的な「国民形成」の観点からではなしに、グローバル世界に対応した、競争に打ち勝つためだけの即戦力としての労働力、労働者を育成するものに変更させてきたと解析しているように思われる。それは言ってみれば巨きな「営利企業体としての日本国」にとって都合のよい「国民形成」と言うこともできる。
 アメリカやフランスの教育事情に通じている(たぶん諸外国全般の教育事情についても)内田さんの博識に感心し、また引用した文章に見る内田さんの認識、見解にもぼくは大いに感心し、学ぶところも多い。ただひとつ、この文章だけではなく内田さんが教育について論じるときはいつも、「国民育成」の観点を基本として、それが肯定的なニュアンスを含むところにぼくは違和感を感じてきた。ぼくにはどうかすると、「国家」存続のための「国民形成」、その手段としての「公教育」そのものが肯定的に扱われてきたと感じる。そこからは「共同体」が「個人」に優先するという考えしかくみ取れなかった。だが、それはたぶんぼくの誤解なのだと思う。そのことは結びの部分を読めばはっきりする。だがその前にもう少し内田さんの言うところに耳を傾けておきたい。  
 
近代の学校教育が「国民国家内部的」な制度である以上、学校教育の衰退が国民国家の衰退と歩調を揃えるのは当然のことである。
 
 ここは読めばすんなりと理解が通るが、改めてよくよく考えてみるとなかなかのことが語られていることが分かる。内田さんの文脈では、もはや学校教育に「公民の育成」という長期的な国益の配慮がないから、当然国民国家を担う人材にも事欠き、衰退していくほかないことになる。また衰退が歩調を揃えるということはその逆も言えることになる。そういう関係としての国家と学校教育の見方は、おもしろくて参考になる。
 内田さんは、ここから、日本国もそうである「国民国家」と「学校教育」の衰退についてひとつの側面から論じている。ひとつの側面とは経済面ということである。
 
経済のグローバル化に伴って、いま世界中で国民国家はその解体過程にある。領土があり、官僚組織と常備軍を整え、その土地と文化につよい帰属意識をもつ「国民」を成員とするこの統治システムそのものが終わりつつある。
グローバル資本主義は人、資本、商品、情報が超高速でクロスボーダーに移動することを要求する。この要求は不可逆的に亢進し続ける。クロスボーダーな運動にとって最大の障害は国境、ローカルな国語、ローカルな法律、ローカルな商習慣である。これらすべてをすみやかに排除することをグローバル資本主義は求める。
経済のグローバル化を強力に牽引しているのはアメリカという国家だが、アメリカの国家戦略を実質的にコントロールしているのはすでに政治家ではなく、グローバル企業である。
 
 国民国家の解体、統治システムの終焉。それが経済のグローバル化、グローバル企業の台頭によって始まっていることが語られている。グローバル企業の戦略によって、「政治家も官僚組織も軍隊もメディアも、もちろん学校教育も総動員される」から、学校教育もグローバル化に再編、最適化され、従来の学校教育の体をなさないものになっていくと続けられている。さらに、
 
残念ながら今の日本の支配層の過半はすでにグローバリストであり、彼らは「次世代の日本を担う成熟した市民を育てる」という目的をもう持っていない。
ご本人たち自身が子弟を外国の学校に通わせており、国内での雇用創出にも地域経済の振興にも興味がなく、所得税も法人税もできれば納めずに済ませたく、彼らがその収益を最優先に配慮する企業の株主も社員もすでに過半が外国人なら、それも当然である。
だが、不思議なことだが、「正直なところ、日本なんかどうなってもいい」と思っている人間しか社会的上昇が遂げられないように今の社会の仕組みそのものが再編されつつあるのである。
だから、まことに絶望的なことを申し上げなければならないのだが、今の日本では学校教育を再生させるために打つ手はないのである。
 
と、内田さんは日本の学校教育の再生が不可能であることを断定する。
 また、いまだに教育改革をまくし立てている「政治家やメディア知識人」たちは、古い「人参と鞭」戦術が破綻していることに気付いていないと批判している。内田さんによれば、「勉強すればよいことがある」という利益誘導は「欲望を持たなくなった子どもたち」にも、「あまりに合理的、効率的にスマートな生き方を求める子どもたち」にも無効であるとされる。かえって、学校から彼らが立ち去ることをむしろ推進するとも述べている。ついでに「引きこもりや不登校の子どもたちは」といえば、彼らは「反社会的」な訳ではなく、逆に「過剰に社会的」なために今日的な教育イデオロギーをあまりに素直に内面化して、学校教育の無意味さに耐えられなくなっていると分析している。これらの考えは、ぼくらには深く頷けるものである。特に引きこもりや不登校の子どもたちのくだりはたいへん面白いし、一見消極的と見える彼らの行為が、鋭敏で能動的な感受性の結果もたらされたものであることを見抜いたところに深く共感をおぼえる。積極的な拒否、ある意味で正しい拒否と言って悪い理由はない。教育イデオロギーの内面化というのは教育理念的なものと、社会が教育を良しとする空気感をひっくるめて教育が価値あるものだと心的に形成することを言うと思うが、現実の学校教育を体験するとそれがあまりにかけ離れているので、無意味か無価値に見えてその場から撤退してしまうのだと思える。イデオロギーと現実の形態の乖離、ギャップといえばよいのか、あるいはまた教育者たちの言葉を過剰に信じて受け取ってしまったがためにか、ともかくもそのことに傷つく子どもたちがいたということである。そしてこれは生活者大衆の比率にも同様なことがあると思うが、実際には多くを占める学校に通う子どもたちは「なぜ学校に通うか?」を自問することもなく、みんなが行くから自分も行くという程度の動機でぼんやり学校に通っているに過ぎないと内田さんは言う。
 根本的に、大衆における最も標準的な大衆とはそういう存在だとぼくは思う。ぼんやりと通う大多数の子どもたちは、基底の部分を形成するものだと考えておいたほうがよい。その多数の存在がある限り、社会的意味合いでの病態は極限ではない。逆に言えば、その数が減少することこそ警告なのであって、内田さんの考えとはやや異なると感じられるが、現在は一種のボーダーライン上にあると言っていいのではないかとぼくは考える。
 内田さんは日本の学校教育と欧米のそれとを比較し、日本の方が劣化が激しいと言う。その理由は、欧米の方がまだしもエリートたちに「公共的な使命」感があり、学校はそういうエリートを育成する機能を保っているということにある。ひるがえって日本ではどうかというと、東大や京大の卒業者のほとんどについてそういった自覚を持たないと述べている。
 
彼らは子どもの頃から、自分の学習努力の成果はすべて独占すべきであると教えられてきた人たちである。公益より私利を優先し、国富を私財に転移することに熱心で、私事のために公務員を利用しようとするものの方が出世するように制度設計されている社会で公共心の高いエリートが育つはずがない。
 
 そして内田さんは次のように結論する。
 
結論を述べる。
日本の学校教育制度は末期的な段階に達しており、小手先の「改革」でどうにかなるようなものではない。そこまで壊れている。
唯一の救いは、同じ傾向は世界中で見られるということである。
学校教育が国民国家内部的な装置である以上、グローバル化の進行にともなって、遠からず欧米でもアジアでも、教育崩壊が始まる(もう始まっている)。だから、日本の学校教育の相対的な劣位がそれほど目立たなくはなるだろう。
 
 世界的なグローバル化の進行が諸悪の根源なのであろうか。ともかくも内田さんは学校教育制度の崩壊は世界的な傾向であるといっている。しかしながら、その中でも日本の学校が崩壊の先陣を切っているのはなぜなのだろうか。日本のグローバル企業が政治家も官僚組織もメディアも取り込む戦術に長け、逆に政治家も官僚組織もメディアも単純に私腹のためにグローバル企業の太鼓持ちをする愚かな人間どもだからか。どっちもどっちなのかもしれないが、ここでもやはりぼくは公共心のなし崩し的な消失が、敗戦を境とした日本における、「公」の実質的な変容を遠く因としているような気がしてならない。日本人の場合、たとえ同じ内容の言葉を耳にするにしても、「天皇」の言葉となれば「重し」のように機能して人々の頭上に居座る。同時に公共の中の倫理的態度も喚起するものだったのではないかと考える。
 戦後の憲法に規定された戦争放棄や平和志向にも倫理感が込められていたのではあろうが、所詮は日本人にとって主を持たない不特定多数の声に過ぎないものではなかったろうか。そういうものに慣れてはいなかった。主が欠ければ烏合の衆となって、私利と私腹に奔走する。それがここで内田さんが描写して見せてくれた今日の日本、及び日本人の姿に重なってぼくには見えてくる。
 とはいえ、ぼくは何も天皇制の復活をいいたいわけではさらさらないことをはっきりと言っておきたい。敗戦とその責任追及の過程から、あるいは米軍占領下という事情の下で、国民主権の国家への転換は必然的だったと思うし、そのこと自体はよかったと思う。そして、しかし、敗戦の意味合いが本当に日本国の五臓六腑に染みこむまでには六十数年を費やして、今貫通しようとしているとイメージする。この倫理的な公共心の衰退が最終的な敗戦でなくて何だろうか。敗戦後の再出発にあたって、日本は「天皇のため」にではなく「・・・のため」の空白になった部分に、単純に「民主的な国」とか「平和な日本」とかの抽象的な概念をあてはめ、埋めようとした。本当はそんな単純なことでよいはずがなかった。国民的にはまた、かつてのような「重し」としての「公」が軽減された限りにおいて、空虚を埋めるものとしてそこに「私」という文字をあてはめた。
 本来はこの「私」は、自己形成や自己実現の考え方を伴った「個人」の自由と独立を主張するものであった。さらに、本当は自立した「個人」の集合体としての社会や国家が構想されるべきはずであったのに、現実には利己主義に歪曲されて、そちらのほうが社会全体へとまたたく間に波及していった。
 安易な欧米化の方向性にはじめから無理があったと見るべきなのか、方向性は必然的なものだったが観念の上での欧米化の不徹底をそこに見たらよいのか、ここは評価の分かれるところではあるが、ぼく個人としては「不徹底」と考えて、ここから先はオリジナルな徹底化を図るほかにあるまいと考えている。もちろんそれの具体的な提示その他の準備は何一つ出来ているとは言えないのだが。
 
 一挙に遠いところまで来てしまって、話もまた胡散臭いものになりつつある。
 先の結びに続く内田さんの、結びの結びと言っていい文章を以下に引用する。
 
もう一つだけ救いがある。それは崩壊しているのが「公教育」だということである。国民国家が解体する過程で、公教育は解体する。だが、「私塾」はそうではない。
もともと私塾は公教育以前から、つまり国民国家以前から存在した。懐徳堂や適塾や松下村塾が近代日本で最も成功した教育機関であることに異議を唱える人はいないだろうが、これらはいずれも篤志家が「身銭を切って」創建した教育機関である。
このような私塾はそれぞれ固有の教育目的を掲げていた。「国家須要の人材」というような生硬な言葉ではなく、もっと漠然と「世のため人のために生きる」ことのできる公共性の高い人士を育てようとしていた。
それがまた蘇るだろうと私は思っている。隣人の顔が見え、体温が感じられるようなささやかな規模の共同体は経済のグローバル化が進行しようと、国民国家が解体しようと、簡単には消え失せない。そのような「小さな共同体」に軸足を置き、根を下ろし、その共同体成員の再生産に目的を限定するような教育機関には生き延びるチャンスがある。私はそう考えている。そして、おそらく、私と思いを同じくしている人の数は想像されているよりずっと多い。
 
 軸足を「小さな共同体」に置いた「私塾」というような形でなら、「教育」は生き延びる可能性を有しているのではないかという夢が語られている。いや、希望が。なるほど、内田さんが言うように、<「小さな共同体」に軸足を置き、根を下ろし、その共同体成員の再生産に目的を限定するような教育機関には生き延びるチャンスがある>のかもしれない。だが、はたしてそういうものが生き延びたからといってどうなる?「公共性の高い人士」が育成されて、この国とこの国の民を救うとでも言うのだろうか?
 まだある。内田さんは公教育の崩壊について述べながら、連関するとして国民国家の解体(崩壊)をも自明のことのように書き留めている。国家が解体しても、それが即共同体の解体とはならない。ただ大きなひとつのまとまりとしての共同体は消失し、小さい共同体の群としてそれぞれは存在する。その小さな共同体の、さらに小さな単位の共同体の中に「私塾」といった形の教育機関は残る可能性があるし、逆に言えば国民国家が解体しても小さな単位の共同体は生き続けるものだということを、そっと文中に置いているという見方も出来る。それは将来的な地方自治の行方や在り方といったものを暗示しているという見方も可能だ。
 つまり、ここには意図的か無意図的かは別にして、近代国家解体のシナリオがうっすらと仕込まれているように見える。
 このことを焦点化していえば、内田さんが言う国民国家、すなわち近代国家はグローバル経済下において、グローバル大企業を中心とした「営利企業体」化して国家間の境界を無くしていくということ。そのことによって公教育も破綻し、従来の国家の運営と経営との両面で破綻をきたさざるを得ない状況に陥ると予測される。もはや残るのは営利に集約されてモンスター化したグロテスクな機関であって、内部には政治家と官僚組織とメディアやメディア知識人、そしてグローバル企業体の企業人たちが無秩序に合体して存在する。 これは歴史的に言えば、自然過程に属するとぼくには思われる。つまり善いか悪いかとか、阻止すべきか否かとかの問題ではない。国家解体のプロセスとしての問題があるだけだ。少なくともぼくにはそう思われる。
 
 ここまで来てぼくの思考はフリーズする。グローバル企業全盛時代(?)を迎えて、だが、内田さんなどが考える義を持った教育は「私塾」という形態をとってでも生き延びねばならないものなのだろうか。まずそれが第一の疑問で、自問自答の中では答えが見いだせない。もうひとつは、営利起業国家と化した国家の内部でドロップアウトした人々が、はたして「小さな共同体」を持続可能な形態で運営できるものかということだ。これすらも、よほどの知力と胆力を持ち合わせなければ不可能に思える。つまり、ぼくらのようなごく普通の生活者にとってはどちらも非現実的に思えて、ぼくら自身はいずれ成り行き任せに生きるほかないひとりとして埋もれていくのだろうと思う。そうしてただひとつ、どのように生きて見せようとも、感じたことを考えることだけが価値なのだと思う。
 
 
学校教育論(その七)      2013/04/13
公教育の破綻
 公教育は完全に破綻した。
 昨日、内田樹さんのブログを見たらそんな題名と内容の記事があった。(あとで見直したら『学校教育の終わり』という題であった)
 こういう見解はしばらく前からあったしぼく自身もそう考えてきたから、あまり目新しい感じもなく驚きもない。ただ、思想家である内田さんは文章家でもあるから、その巧みな書き方に感心させられた。そして自分もこういう書き方ができたらと羨ましく思った。
 ここでは、公教育の破綻について、内田さんの考えもすこし拝借しながら自分なりの見解をまとめておきたいと思う。
 さて、公教育とはその名の通りで、分かりやすく言うと国の指針で立案された教育全般を指すものだと言える。そうすると、国家とか民族とかいった共同体の意向が反映した教育になることは不可避のこととなる。そして一般的に言ってしまえば、その共同体の成員として、あるいは同じことだが社会市民としての人材の育成が教育の目的になる。共同体の意思が共同体の存続にある以上、必然的にそういうことになる。
 明治から第二次世界大戦まで、日本の公教育は「公」を基本的な柱として、それに尽くせる人材の育成を目的としてきた。それは国家的な方針であり要請であり、同時にまた個々の国民の要望でもあった。時期としてみれば、日本全体が「公教育」を尊重した稀な時期であったと見ることもできる。この間、どのような目標の下に教育が実践されてきたかを概観するに、明治の始めに出された教育勅語を読むのが手っ取り早い。以下に引用するのは、武田邦彦さんのブログにあったものをそのまま使わせて貰った。(「口語訳」となっているが、誰の手による訳であるのかは不明である。)
 
「父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕える」(教育勅語そのままの口語訳)
 
 武田さんも書いていたが、現代に違和感を感じさせるとすれば、法律に「従い」とか、勇敢に「仕える」とかの部分であろう。「従い」を「尊重し」に、「仕える」を「行動する」などとすれば問題なく(この読み替えは武田流)、今日の社会にも受け入れ可能な気がする。少なくとも語られている内容は、ぼくらの世代まではあまり文句の付けようがないものだと思える。
 ぼくは戦後の昭和26年の生まれだが、全体の基調は幼少期の教育環境の雰囲気とぴったり符合する。戦後、教育勅語そのものは廃棄されたが、実際にはぼくらもまた、この教育勅語の中にある雰囲気の中で育ったのである。何よりも、周囲の大人たちのぼくたちに語りかける言葉が常にこういう内容を含んだものであった。そしてぼくらもまた素直にそれを聞いていたのである。少なくともこうしたニュアンスで教育を考えることに慣れ親しんだものたちにとって、いわば教育勅語に流れる理念は普遍的で妥当なものだったと感じられるとも言える。しかし、今日の社会にあってもこの理念が通用するかというとちょっと疑問だ。ぼくらの世代までは、まあまあ良いことを言っていてケチの付けようがないじゃないかと考えるに違いないが、もっと下の世代にはあまり実感が持てないのではないだろうか。なぜかというと、周囲を見渡したときにこの理念を体得していそうな人物が見当たらないし、何より、今日的な社会状況下では、「世のため人のため」に勉強するという発想は理解に苦しむに違いないからだ。この理念を持ってきて教育の再生を考えても、うまく行くとはぼくには思えない。
 
 本当は、敗戦によって明治期以来の日本の公教育は破綻していた、終わっていた、はずだ。敗戦で、「公」がすっ飛んだ。なぜならば、天皇制から戦後の民主制への移行の過程で日本国は軍隊を持たない国になり、自国の軍隊を持たないということは現在的な国家像から言えば国家の体を為していないということができる。「民主的で平和な日本」と標榜してその担い手の育成を教育の目的に掲げたが、半ば実体のないところからの出発であった。国家の体を為していないということは、共同体から「公」(民族の精神的な支柱)が失われていることであり、当然ながら「公」のないところに「公教育」が成り立つはずもないのである。日本国は軍隊を持たないという意味で実質は一共同体でしかなく、しかしながら対外的には国家であり続けた。好意的にいえば、「超」国家的に存在したとも言える。「公教育」もまた一部を欠落させた「公教育」でなかったかと思う。ちょうど軍隊に変わるものとして自衛隊が創設されたように、「公」の、しかし核の部分を抜いた「公教育」が行われてきたと考えてよいように思う。この国の民族の精神は天皇制に馴染んできたのに、その部分をふいと外された民主制にすげ替えられた。民族精神が一夜で切り替えられるわけはないし、よそから持ってきたものをそのまま移植しても、それで「公」を形成しうるはずもない。これ自体矛盾だと思うがこの矛盾は解消されずに今日に至っている。その溝を埋めるかのように、社会的には「私」の台頭が戦後を象徴する。国家に尽くすというよりも、個的な生活を第一義とする社会に生まれ変わろうとした。アメリカの一時的な占領を経て、欧米化にグンと舵を切った。アメリカの傀儡となった指導層の意向ばかりとは言えず、大多数の国民もそれを歓迎したと考えられる。
 たぶん、戦後の出発時には欧米の教育観が相当に意識されていたものと思われる。日本的には国家といった場合に、一般的に国家と個人が分かちがたく結びついたイメージをすると思うが、欧米ではまず個人があってその次に国家、という順序で考えられているのではなかろうか。教育についても、明治以来の「世のため人のため」の教育が日本的とすれば、欧米では自己実現のために、あるいは自分を成長させるために学習するということが基本だったのではないかと思う。つまり個人がよりよい個人に自分を成長させるために、教育を受ける権利を持つという考え方になるかと思う。欧米を発祥の地としたこのような個人を大切にする社会という考え方は、戦後の大多数の国民から支持され、歓迎された。教育においてもそういう理念が踏襲された。が、しかし本来は自己教育、自己陶冶、「個」の「自立」が課題だったはずだが、「個」を大事にするということが個人の私利私欲を大事にするというところまで、究極にはこの戦後の日本社会は踏み込んで行ってしまった。つまり欧米のいいとこ取りをしようとしたのだが、この接ぎ木は一時的には成功したかのように思われたが、弊害もまた大きかったと言える。
 ぼく個人は、先に引用した教育勅語の言葉は日本的でとてもいいものだと思える。だからといってこれを現代にもってきても、とても時代錯誤だ、という気がしないでもない。ここにある理念が通用した時代は幸せであったと思う。たとえば「親孝行」が語られるが、そしてそれはぼくの脳裏にもときおり去来するものではあるが、現代という時代に生きる中で、努力すれば誰にも出来得る行いであるとは到底思えない。現代社会ではとてもそんな余裕は持てないし、風前の灯火といっても過言ではない気がする。つまり、現在の社会はここに語られる理念が理想的であるかもしれないが、その理念的な世界があり得ない世界であることを多くの人々が「知ってしまった」社会だということができる。もっと言えば、人間というものはここに語られていることとはまったくの別の種のものではないかということを、見聞きして分かってしまった世界である。勅語を言って聞かせても、即座に「だって、そんな人いないでしょ」とか「無理無理、自分には絶対無理」という言葉がはね返ってくるだけに違いない。よくも悪くもそれが今日的な現実だ。
 今日の日本社会を俯瞰すれば、「競争」をベースとした側面を持つことを否定できない。もちろん昔からそうだったといえばそうだが、昔はもう少し純粋な「競争」で、昨今のように直にカネや暮らしの豊かさを手に入れる手段としての意識は薄かったのではないかと思う。ところが現在の「競争」はシビアで、しかもそれが自己超克的な意味合いからよりも、「他者に勝つ」という側面が強調されて意識されている。そして出来得るならば効率のよい、ということは、最小限の努力で最大限の効果が期待できる競争に日々励んでいると言うことが出来よう。学校教育においても然りである。学習もスポーツも「報償」を得る手段と化している。しかも大人たちと同じように、出来るだけ効率的に、合理的に手に入れることを当たり前のこととして考えるようになってきている。生涯にわたって自分の身体能力や思考する能力を、こつこつと高めていこうと考える子どもなど誰ひとりもいない。それはそうだろう。親たちも含めて周囲にそんな大人たちを見たためしがない。また「そんなことしていったい何になるの?」と問われたら、返答に窮するか、説得力がないことを知りながら美辞麗句でその場を切り抜けうようとする大人たちしか周りにはいない。
 端的に言えば、現在のように情報化社会、グローバル化した社会にあっては、子どもたち個々がたてるアンテナには、全てが入り乱れて入りこんで受信されていると見て間違いない。仮に全ての信号の意味合いを理解できないとしても、子どもたちの感受は確かだ。
つまり、ほんとはもう嘘やごまかしがきかない。大人たち自身、本当は何もかも分かっているくせに、それが恐いものだから自分たちにも必死に嘘やごまかしを押し通し、真実から目をふさいでいる。そして同じことを子どもたちにも施そうとしている。
 
 ぼくがはっきりと特に公教育(学校教育)に疑問を感じ始めたのは、大学に入って大学紛争を体験したときだ。大学紛争には政治的な意味合いもあったが、大学の経営批判、執行部批判などを通じて、学問の公平、中立など、教育改革的な意味合いが強く感じられた。文部省などの既成の権威に対する感性的な反発でもあった。今考えると紛争に参加した一般学生の多くは、「俺たちにも心地よい椅子(地位とか職業的な意味合いで)を用意しろ」ということであったし、「現行の教育制度に不満である」という意味合いの意思表示でもあったように思う。そしてそのことは高校、中学へと継承されていったし、小学校へも波及していったと見るべきものであると思う。そうした教育への異議申し立ては大学から小学へと下るにつれて、頭脳的な段階から心情的な段階へ、そして身体生理的な段階へと表現や形態を異にするが、本質は同じことであった。なぜそう言えるかと言えば、そのたびに設置者や施行者は教育改革を余儀なくされてきたことからも理解できる。教育は反発や批判に晒されながら、自らの改革を推し進めてきた。だが改革に次ぐ改革の結果どうなったかと言えば、よりいっそう教育現場を荒廃させてきたに過ぎない。このごろの報道で取り上げられたのは、子どもたちの学習能力や身体能力の低下であり、いじめとそれによる子どもの自殺、不登校や引きこもり、それから教員たちの疲弊現象などなどだ。結果として改革は改悪を繰り返したように見える。そのたびにまた教育問題、教育問題と繰り返されて、表面的に過ぎない改革が実施されて改悪を呼び込む。そういう負のスパイラルに突入している。いい加減、誰だって明るさも希望も持てなくなってくるに決まっている。底が透けて見えそうな薄っぺらな人間が、教頭なり校長なり教育長になったりして、どんなに立派めかした大儀なり理念なり倫理なりの言葉を発しても、今時の児童生徒にも、同僚であるはずの教員たちにも、そんなものが通用するはずもない。通用するかに見えるとすれば、子どもたちや個々の教員たちの擬態が、社会そのもののそれのように高度化しているのだと思ったほうがいい。つまり、泳がせられているのはお互いさまなのだ。
 
 なんだかんだと事件を起こしながら、またなんだかんだと批判を浴びながら、それでも現に「公教育」は存続を続けている。本当は撤廃したくても出来ないといったほうが正確なのだが、それはそれとして、この4月の入学式、始業式に始まり、先生たちは毎日学校に出向き、子どもたちもそのほとんどが通学をはじめている。学校という教育の現場は相変わらずの学校生活を繰り返す。
 子どもたちは出席を積み重ねて進級、進学し、日々の学校生活を繰り返す。友だちと遊び、授業中は読み書きをして、昼にはみんなと一緒に給食や弁当を頬張る。勉強が出来る子、運動の得意な子、まじめに掃除をする子、掃除をさぼって叱られる子。昔から見られた光景が今も同じように見られるに違いない。そして今時に見合った成長もしているには違いないのだ。やさしい子もいれば乱暴な子もいるし、おとなしい子も騒がしい子もいるのだろう。その子どもたちもやがて社会人にならなければならない。子どもたちは飛び込んでゆくべき社会を選択できない。逆に社会も、実質的には企業などの職場も、今も児童生徒の中からしか採用の選択が出来ない。子どもたちの中には、現行社会に入っていくことを拒否する子どもも存在するだろう。その逆もまたあり得ないことではない。だが、そういうことをも含めて社会も子どもも学校も、今の在り方を続けて行くしか方途がない。公教育が破綻していようが終焉していようが、今その中を子どもも先生も生活している。生活し続ける限り、すこしでも明るく楽しく振る舞いたいと考えるのは当然だ。そこに膂力を傾ける。社会生活も学校生活も、人間のする生活とは、いつだってそういうものだ。そしてそういう次元ではいくらでも為すべきことはあり、為すことによって生じるドラマが展開してゆくこともまた、限りがないと見るべきである。
 
 さて、ここまでは自分の脳裏に去来する断片をつなぎ合わせて文章にすることが可能であった。内田樹さんのブログの文章では、ここで言及できなかった昨今のグローバル社会、グローバル企業の影響について分かり易く解析されている。是非そちらも一読していただきたい。ここではそこまで踏み込んで考察する煩を超えて論ずることが出来なかった。ただ、戦後の公教育の出発にあたって、「公」が欠落、もしくは「公」としての不備や中途半端さがすでにあったのではないかという視点は、オリジナルなものと自負している。それ(「公」の欠落や不備)は敗戦による負の遺産が、今も総括されずに尾を引いているからととらえて間違いないと思われる。もう少しいえば、民族精神、宗教といった日本人の精神的支柱がばらばらなままであることに帰せられる。つまり、現象的には「公」としてのまとまりに欠けることを意味する。
 日本近代に始まる日本の学校教育を遠望するに、常に政治そして経済に引きずられて歪みが生じているとぼくの目には映る。ここ数年はそれがあからさまで、政治・経済に利用されるばかりのように感じられてならない。それは内田さんたちの指摘するとおりだろう。これでは現場の先生たちが可哀想だし、子どもたちも可哀想だ。大きな流れに取り込まれ、自らシステムの内部に組み込まれていくことを如何ともしがたい。先生も子どもも、学校そして教育がよいものだ、価値あるものだと考えたいし感じたくて仕方がないのだ。半身は不安を感じながら、だ。
 だがぼくらにはどうすることも出来ないというのが実際だ。
 
 正直に言うと、「日本再生」とか「教育再生」とかの言葉を聞くたびに、ひとつのまとまりとしての共同性が一丸となる確固とした形態を構築することがよいのか、逆にもっともっと解体していくことがよいのか分からない。実際、武田邦彦さんのように教育勅語を持ちだして、その精神に還るべきだというニュアンスで論じられる場合もあれば、内田樹さんのように「公教育」を切り捨て、「私塾」をイメージした小規模の共同性の中に活路を見出そうとする考えもある。今のところ、ぼくは判断を保留している。つまり何となくどちらにも与することが出来ないような気がしている。ただ、解体は徹底的である方がいいのではないかとは考えている。
 バラバラな個人の自由意思が互いに尊重し合え、バラバラなままでしかも共同性が成立するというような、そんなところまで個人も社会も成熟しなければ何も始まらない。そこまでは思考の矛先を届かせたいと願っている。
 
 
学校教育論(その六)      2013/03/12
「体罰と指導・教育」
 内田樹さんが3月4日のブログで、主に運動部や競技スポーツに関する体罰について、武道の修行と比べながら述べていた。これが面白かった。参考にもなった。ぼくは大阪で起きた運動部顧問の体罰による生徒の自殺に関し、これまでちょっと躊躇するところ、保留するところがあって、あまり積極的に考えず、発言もしてこなかった。教育とも絡むこの問題について消極的と思われるのも何なので、内田さんの論に沿いながら自分の意見も述べておきたいと思った。
 まず、内田さんの、体罰、処罰についての考え方に触れておきたい。
 
処罰で脅すというのは、はっきりした到達目標とタイムリミットがある場合に限られます。
能力の発現までのんびり待っていられないというときに、処罰の恐怖や、金や名誉といった利益による誘導や、マインドコントロールやドーピングが採用される。
時間が迫っているので「背に腹はかえられない」というのがそのときの言い分です。
(中略)
競技ではパフォーマンスを最大化すべき時間も場所もあらかじめ決まっています。その時点にピークをもって来られるなら、そのあと足腰立たなくなっても構わない。極端な話、廃人になっても構わない。
(中略)
体罰や成果主義に伏流しているのは、生き物としての強さを犠牲にして、今ここでデジタルに数値化できる身体能力を限定的に高めようとする傾向です。それは「身体資源をできるだけ長く使い延ばそうとする」人間の生物的本性に対する攻撃です。
今のスポーツ界はそれを「リミッターを解除して、心身の限界を超えると『いいこと』がある」という利益誘導と、「言うとおりにしないと『ひどいめ』にあわせる」という恫喝を使い分けて行っています。
「いいこと」というのは進学や就職や年収や名声であり、「ひどいめ」というのは体罰や屈辱のことです。
 
 これだけのことを言ってもらえば、付け加えることは何もないと思える。大阪の運動部顧問の体罰も、ついこの間騒がれたオリンピック女子柔道の監督の体罰もこの論理で説明出来る。体罰を是認してきたり、行ってきた人々も、これを読めば「あ、そうか。しない方がいいな。」と考え方を改めるかもしれない。
おそらく当人たちは自分のやっていることを客観的に理解できていない。もしかすると、よいことをしているつもりになっている。そういうことはあり得ないことではない。
 主観的にどう考えようとも、客観的に人間と人間の関係性において「利益誘導」と「恫喝」で人を動かすということは、人間としてやってはいけない部類にはいるとぼくは思う。思うが、自分もまた小さな規模でこっそりとなら、手段としていろいろな局面で行使することはあった。そのたびに、小さくこっそりと反省した。このことは、現実の社会生活の中で半強制的に強いられると言えなくはない。
 他者を動かすということ。これには読んで字のごとき体罰と、体罰には至らないがそれに繋がって「飴とムチ」の使い分けとがある。一般に指導とか躾けとか言われることもその範囲にあり、それぞれに他者を動かすのに言葉で打つか、拳で打つかの違いはある。心か体かの違いはあっても、「打たれる」ことでは違いがない。そうでもしないと往々にして「他者」というものはこちらの思惑通りには動かないものである。思惑通りに動かしたいときに「打つ」。スポーツ、運動の場面に限らず、他者を動かすということは日常生活に充ち満ちている。ほとんど「生活史上の問題」と言っていいくらいのものだと思う。家庭生活から学校での生活、そして社会に出て会社生活をする場合でも、親が子を、先生が生徒を、上司が部下を動かす、誘導する、そういう場面は昔から頻繁にある。社会生活のほとんどの場面がそうだと言ってもいいくらいかもしれない。そしてそこまで範囲を拡げて体罰の問題を考えると、天文学的なケースバイ・ケースを考えなければならない。で、ここで内田さんが運動やスポーツ競技に限定して体罰の問題を論じるのは、ある意味で当然と言える。そしてその範囲内では、内田さんの話は説得力がある。
 ところで先の引用の最後の部分の前に、学校体育の問題点に触れた箇所がある。直接体罰について言及しているのではないが引用しておく。
 
自分の身体能力を「一生かけて高めてゆくもの」だとは考えない。それは学校体育でも同じです。学校体育は、子どもたちの中に潜在している多様な身体資源を、ゆっくり時間をかけて、ていねいに吟味し、開花させるという仕事には、ほとんど興味を示しません。
学校体育はその宿命として「成績をつける」ことを義務づけられています。そのためには他の条件を全部同じにして、数値的に比較考量可能な能力を見るしかない。タイムを計ったり、距離を測ったり、スコアを数えたり。
でも、人間の蔵している身体能力のほとんどは数値化できません。少なくとも、学校で使えるような装置では測定不能です。
武道的に言えば、「何でも食える能力」や「どこでも寝られる能力」や「誰とでも友だちになれる能力」や「正しい道案内人を見つける能力」は危機的状況を生き延びる上で、走る速さやボールをゴールに蹴り込む精度よりもはるかに有効です。でも、これらの能力は複雑すぎて計測不能・数値化不能です。そして、「数値化できない身体能力」は今の学校体育では「存在しない」ものとして扱われます。
数値化できない身体能力は「ないもの」として扱う。それは競技会が終わった後のアスリートたちの心身については何も「考えない」スポーツ指導者のマインドと同質のものです。(太字 佐藤)
 
 末文を太字にしてみたが、かつて小学校教員経験者としては耳が痛い。全くこの通りだと思うし、現役の時は身体能力について内田さんが考えるような考え方は出来なかった。こうして読んだり聞いたりすれば、こういう認識が至極当たり前と思うのだが、自分でも考えられなかったし、教育関係者から聞くことも一度もなかった。そしておそらく、現在の教育界にあっても、こういう認識を持っている現場の教育者は皆無に近いと思う。
 こういう意見を聞くだけでも、学校教育が完璧なものではないことぐらいすぐに分かる。そしてそういうものだとして、指導するものもされるものも「適当」にやっていけばいいのだが、どうも狭い視野の中でそれを絶対とか正しいとか思い込み、力を込めたりするから余計に変なことになる。内田さんの文章の流れで言えば、「数値化できる身体能力」が全てだと錯覚して、その能力の向上に血眼になる。そもそもの認識に誤りと隔たりがあり、その上に指導と学習があるから、「数値化できる身体能力」は飛躍的に伸びるが、「数値化できない身体能力」は埋もれたままになる。
 内田さんは言外に、人間対人間の関係になっていないよ、と言いたいのかもしれない。理想を言えば内田さんの言葉にあるように、「子どもたちの中に潜在している多様な身体資源を、ゆっくり時間をかけて、ていねいに吟味し、開花させる」ことだというのはすぐに理解できることだ。ただ、教える側も教わる側も、そもそもが人間についてよく分からないままに、誤った方向に向かって努力していることが多い。そしてまた周囲もその努力をたたえたりするから、さらに誤った方向にとんがってゆく。その過程で体罰も起きる。 そう考えるとアホらしくてこんなことをまともに考えるのがいやになる。結局、みんな「アホだ」でいいじゃないか。大なり小なり「アホ」を免れることが出来ずに生きている。誰も一筋縄で批判や非難など出来ることではない。疲れてきたせいか、考えが乱暴になる。
 この文章はここでいったん一息つくということにする。(3/9)
 
 さて、再開。そもそも学習能力とか身体能力とかは、人類の初期には認識されていなかった。当然訓練もなく、ただ生活全般の中でそれぞれの習熟があり発達の契機があったものと想像される。計画的にそれぞれの能力の向上を意識するようになったのは、おそらくだいぶ後期になってからと考えてよい。
 ぼくらが明瞭に、集団的に身体の訓練がなされていただろうと推測出来るのは、日本ではだいたい平安や鎌倉時代あたりで、そのあたりから現在に近い、訓練を目的とする訓練の芽ばえが感じられる。今日でもだいたいはそうだと思うが、この場合の訓練は、個人が個人のために個人によって能力を開発する、いわば自己目的的に行うというより、何かほかの目的のための手段や道具化していると言ってよい。例えば紛争や戦争のためなど。内田さんが言っていた意味での、個体がよりよく生き、延命するための能力開発という側面は、表向きはどうであれ、今日でも実際にはそういう綺麗事にはなっていないように思える。理念と現実のギャップは、紙一重のようでいて千里の径庭がある。
 
 今日の学校教育というものは、個人の能力開発という側面ではひとつの集約された場である。
 小学校の教員をしていた頃、ぼくはすこし乱暴だった。小学生の子どもにも、こちらの言うことを聞かないときにはげんこつしたことがある。二十年努めて、十度くらいは本気でげんこつしたかもしれない。げんこつするときは嫌な気持になる。たいていは相手を説得できない、自分の無力という一種の引け目みたいなものを持ちながら、「えいやぁ」とやってしまう。
 自分が子どもの頃、大人とはそういうものだった。つまり、怒ると恐いものだった。自分が大人になったときに、むかしの大人を真似するふうに感じた。とある場面で判断や決定に迷うと、過去の体験から参考になるものを探すように、昔の先生たちの姿を思い浮かべた。その姿を追っているような錯覚があった。つまりまだぼくらは理想とか理念とか精神的なものによって動くというより、経験や体験を反復しているという気がしないでもない。野蛮さから抜けきれていない。
 学校の日常的な中では、体罰はタバコ問題と同じで無くなった方がいいものであることは間違いない。またなくなっていくだろうと思う。ただし、タバコが個人的な嗜好であるという微妙さがあるように、一定のルールに従わない児童生徒がいる場合にどうするかなど、体罰問題にも微妙さは残る。教室や廊下に立たせるのも体罰か体罰に近いと言われる。いや、子どもにもいろんな境遇の子がいて、すっかり教員を「ナメて」かかる子どももいるのだから、その対応に教員も苦慮することは防げない。部外者からかんたんに体罰は野蛮でいけないと言われても、「じゃあ、お前が指導してみろよ」と即座に言い返したいというのが現場の教員たちの気持だろう。教員も人間であって、理性そのものにも転化できなければ、悟りを開いた聖人でも何でもない。感情があって時には怒りで自分を抑えられない場合だってある。現に人権問題の先進国にあってさえ、法整備等が進んでいても実際に暴力や体罰等で摘発されることが全くなくなるわけではないことが知られている。つまり法があってもひとりひとりの人間は法をはみ出す可能性を持つ存在である。この種の問題や事件を無くすには、だから人間を「無くす」以外にはないのだ。ただいろんな環境作り、状況づくりで、減らしていくことだけは何とか可能だと思える。
 先の内田さんのスポーツとか運動に関連した指導者の体罰問題への言及と、学校教育課程内での指導上の体罰問題とではすこし次元がちがう。見かけ的に大きく違うのは、正規の学校教育のカリキュラム内では常習的に体罰を行うことは不可能だということだ。逆に言えば部活とか競技スポーツの中では、常習性は起こりうると言える。それは「閉じられた」状況の、「閉じられ度」の程度の問題であろう。打開策もたぶんそういうところにある。開かれたものにしていくこと。それも限りなく開かれたものにしていくことが必要であると思う。
 それにしてもいじめや体罰による自殺が大騒ぎされるが、そしてそれは当然であるとも言えるが、具体的な事件も加害者も見えない社会全般、教育全般の中での、観念的な加害と被害から、これもまた観念的な(時には身体を伴う)自殺がどれほどのものかと想像しないではいられない。社会全体からそういう「契機」を減らしていくしか方途はないように思えるが、それは社会全体の問題のようでいて、実は個人的な不断の努力なりが集積されて初めて全体に波及するというように多面的でもある。またこういう側面の問題では、ジャーナリズムやメディアこそが「開く」ことを使命として社会的に担っていくものと思うが、現実にはそこまで手が回らないようだ。そんなことに時間をかけて取材しなくても、事件や話題に事欠かなくて、次から次へと順番待ちのように押し寄せている。それらを取り上げると次がまた待っているのだから、ひとつひとつを丁寧に掘り下げることなど物理的にも無理なのに違いない。昨今では使命、そして存在自体が危ぶまれている。こうしてみると、最後にはやはり個人に還って、個々人の自立的な思考を頼みとするほかなくなっていく。そして偉い思想家などだけではなくて、生活者の思考としての自由が充実していくことが必要ではないかと思う。こう考えると即座に、そういう時が来たらこうした問題も解消しているに違いないさ、という内部の声が聞こえてくる。素人の「教育評論家」まがいとしては、このあたりがオチでも、許されるのではないかと思う。2013/03/12
 
 
学校教育論(その五)       2013/02/02
 
「教育について思うこと」という題で、内田樹さんがブログに文章を書いていた。読んで面白かったから少し引用などしてみたい。
 
残念ながら、今日の学校教育が直面している危機は無数の行為の複合的効果である。
そして、たぶんそのほとんどの行為は「善意」に基づいて行われている。
日本の教育をダメにしてやろうと陰謀を画策している好都合な「張本人」はどこにもいない。
文教族も、文科省の官僚も、教育委員会も、自治体の首長も、現場の教師も、保護者も、メディアも、教育学者も、もちろん子どもたちも・・・全員が「日本の教育を良くしたい」と思ってさまざまなことを行ってきた、その集積が今日のこのありさまなのである。
私たちが目の前にしているのは「問題」ではなく、「答え」である。
私たちの誰かの悪意や怠惰の結果ではなく、私たち全員の勤勉なる努力の結果なのである。
戦後68年間、私たちは教育現場に有形無形さまざまな干渉を行い、その算術的総和として、教育の現状を現出させたのである。
単一の「有責者」を名指して、それを排除すれば話が終わると言うような知性の怠惰が許される場面ではない。
 
 このあたりは説明不要で、ぼくも同感だというほかはない。では、現在の教育の状況が「答え」なのだとしてこれからどうすべきなのかというと、内田さんは、外野からの言説は外野からのものだとことわった上でその範囲内で言ってもらって、後は黙々と実践する教育者の邪魔をしないことと言っているように思える。
 ひとつ、外野の例を挙げてその発言の有効性について揶揄する部分があるので、これもちょっと引用しておきたい。つまり、外野が言っていることやっていることを教育的に実践するとどういうことになるか、それを戯画化して示している部分である。
 
できることなら、石原慎太郎閣下にはぜひ「体罰塾」を作って、物理的暴力と心理的恫喝がいかにすばらしい若者を育ててみせるか、それを世に問うて欲しいと私は思っている。
安倍晋三総理には「愛国塾」を作って、彼の愛国心教育を思う存分実施されて、どれほどすばらしい愛国的若者が育つかを満天下に明らかにすればよろしいかと思っている。
グローバル企業の経営者たちには、彼らの新人研修がどれくらいすばらしい若者を生み出しているか、離職者や鬱病罹患者や自殺者についてのデータも添えて全面公開して頂きたいと思っている。
 
 ここまで明確に言及されたら後はもう何も付け加える必要はない。つまり、「こうしたら、ああなる」方式で有効は方法など何もないということなのだろう。
 
 さて、「よりよい教育」とか「子どものため」とかの「答え」、大人たちの努力の「結果」として今日の教育の状況がもたらされたものであれば、そして今日の教育のその状況が多くの人に憂慮すべき事態と認識されるのであれば、そこには錯誤があり、思いもかけぬ陥穽があり、錯誤や陥穽を認識できなかった理性や感覚の未熟さがあったというべきではないか。
 はっきりしていることは歴史的な到達として文明が発展し、高度化して、一方では教育制度の精度が向上するとともに、他方の結果として、教育の現場の不穏当は生じたのである。
 文明の発展や高度化がどうして教育の現場を不穏当にするのか。実はこと教育に限らず、さまざまな領域や分野で、文明の発展や高度化は全体を活気づかせ、あるいは内側から沸騰させずにはおかなかったのである。それは物量や情報量の多さ、情報網や交通網の過密化など現実の中で人間を除いた周辺の状況を激変させてきた。変化は加速し、唯一、なぜか人間だけが加速化から立ち後れて存在している。いや、発達や進展の装いを纏っても無駄である。われわれは「新人類」へと一足飛びに発展しようがないのである。
 現在がもたらすこの混沌と混迷の中に、ヘーゲルならば自由と理性の足音を聞き取ろうとするのかもしれない。そしてそれは可能性のひとつであるかもしれない。
 内田さんの答えはといえば、次のような言い回しで語っているところにその答えを添えているのであろうと思う。
 
「誰からも干渉されず、100%自分のやりたいようにできる教育機関」を自分で身銭を切って作り、その教育成果を世に問う以外に、自分の教育理論と実践の有効性を証明する方法はない。
私はそう思う。
実際に私と同じように思っている人がたくさんいる。
そうでなければ、「なんとか塾」という名前の教育機関が「雨後の竹の子のごとく」全国津々浦々に生まれているはずがない。
もう口説はいい、と。
実際に自分で教育をやってみて、自分の仮説を検証するしか方法がない、と。
そう思っている人が増えている。
私はこれは現状に対する健全なリアクションだと思う。
 
 これは、少なくとも公教育を視野に入れた発言ではない。ここから公教育の否定を聞き取ることには無理があるが、同じように公教育の可能性の声も聞こえては来ない。私塾みたいな形でコツコツを教育実践を積み重ねる。内田さんの説は例によってこんな形で終わることが多い。こうとしか言いにくいとか、言えないとかはよく理解できる。それがまた現実重視の思想の立ち位置であるかも分からない。だが、だが、そこに本当に可能性は見いだせるか。
 
 だいぶ以前のことだが、山本哲士さんの教育論に興味を持っていくつかの著書を読んだことがある。その時に、学校のない社会の可能性を視野に入れて考えるという姿勢に触れた。主に公教育を論じていたように思うから、内田さんの考えと大きく違うわけでもないが、そこでは教育そのものの本質に分け入っての是非までもが問われていたように思う。問いは中空に浮かんだままだったから、ぼく自身の思考も宙に浮いたままで置き去りにされている。ただそれらをも総合して考えたときに、内田さんのここでのこれからの教育のあり方に関連して述べている件は、「とおりゃんせ」の童謡が聞こえてきそうな、明かりのない細道を辿るに似てたいそう頼りなく映る。それは第三者というべき教育外部の人間に、華麗なるフットワークよろしくジャブやフックを見舞ったのとは好対照である。今はぼくも第三者になるのだろう。ここは謙虚に内田さんの言に耳を傾けておいて、自戒を誓っておくだけの方が無難であるのかもしれない。
 
 最後になるが、昨日ニュースで大津市の第三者委員会が中学生のいじめ自殺に関しての報告書をまとめ、市長に提出したことを知った。報告書の結論では、いじめが自殺の原因であるとして因果関係を認める内容であった。報告書の内容が詳細に報道されたわけでもないし、ここで軽はずみなことは言えないけれども、ニュースに触れた際の反射的な感想としては「よく調査したんだな」というものだった。これはまず、因果関係を認め、いじめが自殺の原因と特定した結論から感じた。少なくとも、これまでの学校内や教育委員会内部の一般的なおざなりの調査からは、こんな結論を見いだせるはずはなく、こういう結論を見いだせること自体、相当の実際的な調査を要することは容易に想像がつく。メンバーのひとりである「尾木ママ」を、思わず見直す気持ちにかられた。もしかして彼が加わっていなければこの結論までには至らなかったかもしれない。詳細はこれから少しずつ後悔されていくだろうと思う。また、ここまで来れば任命権者としての女性市長の決断も評価しなければなるまい。
 さて、元教員の立場から言ってみれば、この事件でのいじめと自殺の因果関係についてもっともよく見えていたのは担任だったはずだ。内心という言い方をすれば、担任は内心ではよく分かっていたはずである。次に管理職である教頭や校長も、担任に次いで自殺がいじめによるものであることを知っていたと思う。いや、知っていたと言うより直観的にそれと把握していたはずである。ただ担任も管理職も、それを論理で説明するだけの力量を持っていなかった。それは必ず、「因果関係が認められなかった」という表現になって現れる。これはたぶん自分が当事者であったとしても、「因果」を追求されたらそういうことになるだろうと思う。「いや、それはよく分かりません」と。何を根拠として証明できるかは一般人にとっては至難の業だ。
 教育委員会等の上層は、これを持ちだして現場の先生たちの考えを、否定的な方向に誘導しがちである。と、ぼくは思っている。
 いずれにしても、今回の第三者委員会の結論は同種の事件に絶大な影響を与えるはずである。別の言い方をすれば、そうやすやすとは「嘘」が罷り通らなくなると思う。こうなればもはや担任は実感を素直に吐露するほかなくなるだろうと思う。そして、もちろんそうしたほうがいい。
 いじめの問題はまだまだ底が深いが、今回の結論はこの問題のひとつの結節点になるだろうと思う。
 
学校教育論(その四)教員養成改革  2012/09/18
 
意味のない改革
 中教審が教員養成改革を文科相に答申したという。報道によると、正教員として教壇に立つのは「大学院修士課程修了」が原則になるらしい。大学を出て2年はさらに勉強が必要になるということだ。
 どこからということもなく、教員の資質や指導力の向上などが要望されているようだから、こういう答申が出てくることは理解できる。理解できるが、今日的な学校や教育へのあり方に対応した改革として肯定できるかというと疑問符が付く。正直に言えば、中教審などの組織が考えるこれが限界なんだろうなと思う。これまでの「学校の先生」とは違って「研究者的」に教育に携わっていく、そういうことなのかなあという気がする。すでに教員になっている人々にとっては、盛りだくさんの研修や講習が待っていそうでいやだろう。後輩は自分たちよりレベルの高い者たちだらけということも居づらさを感じさせる。何よりも、これまでの自分たちの頑張り、努力が評価されていないことが分かってがっかりするだろうなと思う。
 直観的なことで言えば、臨床医の養成という気もする。あるいはまたこれまでの教員の仕事がやや看護師的であったことを考えれば、これから学校の現場は看護的よりも医師を配した診察の場、治療の場に変貌を遂げるのかなと思う。中教審は今日的な教育の場の混乱を前に、より専門性を重視してそういう判定をした。
 そもそもこういう審議会が発足して、提案されたことが即効、たいへん有用だったというような事例にお目にかかったことがないような気がする。何かをしているようだが、やった何かは政権とか政府とか文科省などのアリバイ工作に一役買う以上に役立ったことはないのではないか。ずっと続いて存在し、ずっと何かをやっているのに、学校や教育は改善したとか再生したとかの評価を受けた試しは一度もない。中教審が解体して何も提言しなくなったとしても、一足飛びに学校や教育が消滅するとは思えないから、「こんなこと止めたら」とぼくなんかは思う。まず金の無駄。それから、現役の先生たちも含め、教員志望の人たちが振り回されて可哀想だ。みんなが苦労して、そして何も効果がない。そんなことを何遍繰り返したら気が済むのだろう。
 日々仕事に励んでいる先生たちがこんな提案を聞かされて、鼓舞されるなどということはまず無い。人格的に柄のよくないぼくだったら、内心、『審議会のクソ委員、アホども』くらいには罵倒するところだ。
 こういう提案の根本にあるのは、「知」というものへの行き過ぎた信頼だと思う。勉強期間を長くし、学問的にも高度といえるものを身に付けさせたら何とかなると思っている。というか、それ以上のことを考える力のない連中が委員となって考えているから、これ以上のことが考えつかない。
 新聞各社の社説などでは一様に、教員の資質、専門化した技術力、指導力が向上すること自体は是としているように思う。
 だがですよ、そこまでやってこれがうまくいかなかったらどうするつもりなの、と聞きたい。教員志望者にもっと勉強させます?研修期間を長くとります?そのうちに誰も先生の成り手がいなくなるんじゃないの?
 はっきり言えば、「知」が糞の役にも立たなかった、という結果に終わることさえあり得る。つまり相変わらず問題が改善されずに残ったら、もはやそれ以上の打つ手は無くなってしまうのではないのか。
 もちろん、無くなったっていいのだ。学校教育によって養成される「知」など、たかが知れている。現実の、いじめ、不登校、暴力等々の諸問題を、子どもたちの頭でする低級な問題だと見誤ったら間違いだ。これらは全て現実がはらむ先進的で高度な問題を抱えているというべきで、体系的な「知」に先行する。修士課程を勉強したからといって理想的な学校づくりができると思ったら大間違いである。もちろん現実的な養成態勢も固まっていないし、報酬とか待遇とかの問題もあるから早晩頓挫することも予想される。ひと言でいってしまえば今度の教員養成改革は、意味のない改革である。
 文科省も中教審とやらも、失敗続きだといってもいいくらいなのに、そういう組織や機構への依存度が大きくなるから不思議だ。失敗を続けているのに、権威、威信は増幅する。けして地に堕ちない。いや、地には堕ちているのだが、威力だけは失わないでいられるのである。あまりにも失敗続きで、もはやどうしようもなく、そういうところに他より続ける以外になくなっていく。逆に拠り所になっていくようなものだから不思議である。
 
日本の「知」は借り物
 教員養成の修士レベル化を採用している国はいくつかあるらしい。フィンランドとかフランスとか。結局はそういった諸外国の真似かと思う。独自のアイディアは出てこなかったのだろう。相変わらず、歴史的な脈絡もなくそういうところをかすめ取ってくる。それが教育的見識の高いお歴々のやることだから、ちゃんちゃらおかしい。なに、連中は本当は何も考えてやしない。国を支える礎として、子どもたちを利用することしか考えていないのである。たぶんフィンランドとかフランスとかにはそうした態勢を取るに至るまでの、理念的な積み重ねの歴史が存在した。外国からかすめ取るようにして導入した制度ではないはずである。これが今日の日本の限界である。哲学、理念において創造的なそして歴史的な累積がない。だから当然なのだ。
 日本において「知」の働き、理念の格闘を唯一もっとも大きなスケールで行い得たのは、知りうるかぎりでは親鸞を筆頭に、ほんの一握りの人々だけではないかとぼくには考えられる。親鸞は、生死について、善悪について、徹頭徹尾理性的に、そして論理的に追求できた中世最大の思想家であった。特に「悪人正機」の説は世界的に言っても遜色のない独自の思考、理念に結晶したといっていいのではないか。ぼくはそう思う。中国由来の「知」を借りながら、その「知」で日本人の心や日本社会の問題を掬い上げた。それは啓蒙であって啓蒙ではなく、啓蒙に真反対でありながらそれ自体が啓蒙であり得た。
 何が言いたいのかと言えば、日本においては抽象的論理的思考、また理性や知の繋がりとしての伝統というものはなくて、ほんの一握りの思想者がぽつんぽつんと点在するに過ぎない。変な言い方かも知れないが、日本という風土は、もっと言えば日本語という環境下では哲学的な思考をするものにとって過酷であるといって差し支えない気がする。だから、昔から今日まで、純粋に観念的な思考というものは借り物を用いて思考するほか無かった。古くは中国経由の仏教や儒教に内在する理念であり、それもまた借り物の文字や著作を媒介にするほかなかった。中世から近世以降はヨーロッパの精神や理念からも影響を受けるようになった。さらに今日においては欧米の科学的合理主義に覆われ、借り物を自分の本来のものであるかのように錯覚しながら駆使して、懸命にオリジナルを主張してきているといっていい。だが、先にも言ったように、本当に借り物を消化した上で日本的現実を潜りぬけ、創造的に理念の頂に登り詰めるのは至難の業であり、それを達成したものは数えるほどしかいない。
 ちなみに、現在の日本語から漢語、翻訳造語、カタカナ語などの一切の輸入語を除いたら、研究論文などが書けないばかりか、下手をすると今日的な日常会話さえ成り立たないのではないかと思う。日本人の多くは、そういうことを意識して生活してはいまい。自分たちの考えることは自分たちのものだと思っている。だから自分の考えていることが中国の影響にあるとか、ヨーロッパの思考法の影響下で考えているとは思ってもみない。だが、「ヨーロッパ知」のように、伝統の上にたってそれを引き継ぐように思考を拡張したり転移させたり、あるいは先へ詰めていくというような思考の経路を辿ることは、実は未だそれほど熟達してはいない。さらに、社会生活の中にまで染み通ってはいないと思える。生活といい精神といい、その歴史的土台が違い、思考の根源を問うときに日本的土台というそれは、空隙のままになって気付かれていない。もちろん根源の土台が空隙でもコミュニケートは可能である。普段はそれで済ますことも出来る。けれども借り物はあくまで借り物である。何かの時にその欠陥が露呈する。たとえば、欧米発の民主主義が本当に日本に根付いたかと言えば、それは表層に留まっていて、民主主義の元になる個人というものの確立が実は日本では未だ実現されていない。今回の民主党のマニュフェスト違反のように、すぐさま手放して恥じない民主主義である。仮に欧米がキリスト教を起点にして個人的に精神機能を発揮してきたとするならば、日本人の元々のそれは鎮守の森を霊感的に受け止めるそれだから、個人が精神を内向させる中から理論的に考えていく方向というのは不得手である。だから今日の日本の民主主義の実態は、世間主義と言ってもいいようなもので、個人が核になっているのではなく世間の空気感のようなもので民主主義を実践していると錯覚しているに過ぎない。問題が生じて個人が問われると、そこに個人の善悪や正義や真実といったものに関わる思考の跡はなく、個人は個人としての姿を消失させる。代わって無責任の体系が露出する。また個人が責任をとるという姿勢は皆無になる。
 当然のことながら教育の理念もまた、ヨーロッパ知を借り物とする延長上にある。
 
肝心なのは「本当のこと」「真実」「正直」
 昨今のいじめ、暴力、その他の不祥事の際の教育関係者の対応を見ても分かるように、ほとんどそこに自立した個人としての責任ある姿を見かけることはない。正直さ、誠実さ、教育愛、子どもへの奉仕、そんなものを全てすっ飛ばして自分や組織の保身に汲々とする姿をさらけ出している。それが教育の上層にある者たちなのかと、呆れて笑いそうになってしまう。情けないといったらない。研修や指導力の研鑽以前に、人間としてもっとも大事で大切にしなければならないことを個人として自分の中に確立させておかなければならないだろう。それがなくて、どんなに組織運営的に努力を重ねてみても肝心なところが抜けてしまう。昨今の校長や教育長などの対応をみると、教育組織の腰巾着か、文科省や教育委員会等の傀儡を目にするばかりだ。
 論理性というものが身に付いているのであれば、原理主義と言わないまでも、自分の主張は紛れもなく自分の主張として貫かれるはずのものであろう。誠意や正直を旨とすればそれが表れる。だがわれわれの社会にはそれがない。善悪も正義も真実もうやむやにして、個に立脚して社会に対することがない。皆が皆、私には個人というものがありませんよと宣言したり、告白しているようなものだ。日本人の個人の根源には、おそらく今は無意識となった神道(天皇)がいまだに潜在する。要するに神頼みの精神であり、精神を神と和合させるから何を言い、どう行動しても免罪を約束された行いになってしまう。言い換えれば思想的な無思想である。
 そうした教育関係者の最近の報道を通じての言動ほど、日本には自立した個人が育ちにくい土壌が存在することを確信させる出来事はない。学校の先生たちや先生の経験者たちが、である。正義にも、誠実にも、善悪にも、真実にも立脚しないで、そうして日々子どもたちに接しているのである。いや、普段はいかにもの顔つきで誠実に教育理念に向き合った顔をする。だが、いざという時には何もかも吹っ飛ばしてマスコミにもうろたえた姿をさらす。そうではない。そこでは教育界を守ろうとする姿勢が必要なのではなく、真摯に真実に目を向けた姿をありのままにさらすことが必要なのだ。これは、研修期間を長くとったり、修士課程を経ればどうにかなるという問題では全くない、と思う。
 フィンランドやフランスの真似をしたって、学校を取り巻く現実ばかりか、もっと大きく歴史的現実といった土台が違っているのだ。それを考慮しない教育改革は、はじめから座礁に打ち上げられることが目に見えている。もしも今回の改革が実現化したら、教育格差が広まったり、また全体的には教育世界の混迷の度合いがいっそう複雑化して、深みにはまりこんでいくに違いないと予告しておきたい。
 
教育の目的は
  人間としての自分に誇りを持たせること
 教育の目的を、たとえば思想家内田樹は、よりよい市民社会形成に寄与できる人材の育成という観点で考えていた。大阪市長の橋本徹は、グローバル世界の到来の中で個人的にも企業人としても、自立してやっていける、そういう観点からの人材育成を目指しているように思う。科学者でもある武田邦彦教授は、働いて社会のために役立ちながら、自分も生活できるようにしていくために教育はあるとしている。
 三者三様だがたいした差異はないとぼくは思う。いずれも、市民社会に存在するかぎりは教育が、そして現状の公的教育機関が必要だと考えているらしい。市民社会も学校も存続することを前提としている。だが本当に、幾世紀後にも今日的な市民社会や学校は不動のものとして存在し続けなければならないだろうか。ぼくにはそうは思えない。いずれも過渡的な姿だと見える。
 三者はどちらかというと教育の恩恵に浴した人たちの部類にはいる。そういう人たちは必ずそのものの存在を前提として考える。教育の存在に感謝しているだろうから、無くそうという方向で考えるということをしない。別に無くすことがいいと言いたいわけではないが、在ることを前提としたくない人たちも中にはいるに違いない。そういう人たちの気持ちも汲まなければならない。あまり学校や教育においてよい目を見なかった人たちは確実にいる。中には怨念を抱いて学校を眺めているものもいるかもしれない。たとえば数年前の宅間守受刑者はそういうことだったかもしれない。
 学校は卒業後の人生に大きな影響をもたらす場合がある。幸運な人にはよいが、運の悪い人には最悪である。なぜぼくたちはそういう事態に甘んじなければならないのか。
 学校で教える知識や技能は、機能面で将来に役立つ道具と捉えられて、逆に言えばその効用面だけがクローズアップされて考えられがちである。確かに市民の育成に有用であるし、社会的な競争に勝つための手段にもなり、働いて金を稼ぎながら社会に役立つことにも必要である。けれども、子どもたちが求めるのはそれだけではない。必要なのは、自分=人間に対する誇りであろう。自分=人間が価値ある存在であるということ。
 その要求に応えるには、どのような人にも人間的価値が内在していることを見極める、それこそ「人間的な力」が必要である。
 つまるところ人間としての価値というものは、「本当」や「正直」や「真実」を体現し、平和とか愛とかに進もうとする動的な力を指すものであろう。少なくとも子どもたちは自分に誇りを持って生きるために、おとなたちにそういう先人の姿を見せてほしいのだし、自分もそういう姿に向かって努力したいと望んでいる。人間て、いいじゃないか。自分も人間として、人間的な力を発揮できる人間になりたい。無意識に、そう子どもたちは望んでいよう。それが人間としての自分の誇りにつながり、生きる力につながり、学ぶ力につながっていくのではないか。
 教員ばかりか全てのおとなたちは、子どもたちに向かって、「人間ていいぞ」「人間として生きることはすばらしいぞ」と伝えなければならないし、伝えられるような生き方を示さなければならない。誇りを失い、競争に勝ち金儲けを考えるばかりではだめなのだ。その意味で今日の社会は、子どもに誇りや希望をもたらすものではない。
 子どもの自殺が後を絶たないが、いじめの過酷さによるばかりではない。自分の中にも外にも「価値」が見いだせなくなって、いわば内なる空虚がそうさせた側面が推測される。 こういう事は何も修士課程を踏まなくても考えられることである。そして今まさに日本の社会に不足しているのは、こういうメンタルな部分についてであろう。だからこそ少し前の「ブータン」の幸福社会が話題になった。その意味でもメンタルな価値をどこに置くか、日本の社会はたくさんの論議を必要としていると思う。そしてそこがしっかりすれば、改革の方向性なども自ずと決まってくるように思われる。
 
 
学校教育論(その三)        2012/07/28
 
 前回の「いじめ」に関する文章を書いた後に、少しだけ消化不良だったという思いが残っている。マスコミが被害者遺族の側に立った報道を展開し、実際に大津の市長が遺族に謝罪し、少年の自殺がいじめによるものだという視点から再調査を約束してそれを具体化していこうとする段階に進んできた今日、やはりそのことはもう少し考えておかなければならないと思える。
 自分が自殺した少年の親だったらという、親の立場でどうしてもこの種の事件を考えることが多いので、その点から見るとどうも一連の報道に違和感を覚えるのである。報道されたかぎりでは、少年の親は被害者の立場から学校や教育委員会、教育行政を相手に回して責任追及していると映る。その先に、もちろん加害者の少年や、保護者の問題もあるのだろうが、いずれにせよ、「子どもに対する保護者としての親の責任」という問題がその姿勢から見えにくい。それはもちろん、報道の仕方などにも問題があるのであろう。
 自分の子どもがもしも同じようなケースで自殺したら、ぼくならばどうするだろうか。
 そう仮定したときに、いろいろな思いが湧いたとしても最終最後に残る思いは「自分は子どもを守れなかった」という自責の念だという気がする。今回のような「いじめ」が関与する場合には、なおさら、「子どもが自分に助けを求めなかった」ことやあるいは求めていたのに「シグナルを見落とした」として自分を責めるだろうことは疑いがない。自殺した少年の親も、必ずやそういう自問に直面し、あるいは自責の念に駆られ眠れぬ夜を幾夜も過ごしてきたことと思う。その内面の問答の過程やその結果について、少年の親はぼくの見聞きするかぎりでは一言も口にしてはいない。(あるいはそういう機会を与えられていない)つまり、親と子の関係について、少年の親はどのように考えを整理したのかということだ。
 少し親には過酷な言い方になるかも知れないが、子どもの生死について最終的に責任をとれるのは親以外にはない。どうしたって親は最後の砦で、それを飛び越して子どもが自殺などした場合、親としては本当は自分の無力さを思い知る以外ないのではなかろうか。子どもが死の領域に、自ら進もうとする場合にも、あるいは病気や事故的な要因から入りこんでいこうとする場合にも、それを防ごうとしたり飛び越えさせないためのあらゆる方策を講じたりすることは当然親がそれをいちばんに出来る立場にある。
 
 自殺した少年の親は、少年がなぜ自殺せねばならなかったかの原因究明を欲している。もちろん当然のことだ。彼らは今のところそれを外部に求めている。いじめを受けての不安、絶望、おののき、等々が少年に深刻な心的損傷を与えたことは間違いない。だが、いじめに原因があるとして、加害者の少年たちがあるいは何らかの法的措置によって罰せられても、被害者少年の親がそれで気が済むとはどうしても考えられない。
 悔恨の情といっていいのか、どこまでも引きずってしまう思いというものは残るという気がする。自殺に赴かせた親としての責任という問題、つまるところ自己自身の問題に、たぶん何度でも立ち返らざるを得ないのではないだろうか。
 
 加害者側の少年たちの親についても考えておかねばならない。こちらについてもやはり責任問題はあると思う。本来なら捜査機関の出番を待つまでもなく、子どもたちから真相を聞きただし、全貌を把握した上で子どもに非があればそれを謝罪するのが筋であろう。第三者機関によってしか真相を知り得ないとするならば、そちら側に元々親子関係の齟齬や破綻があったというべきで、親はそのことを隠すべきでないと思える。この場合、子どもを守るというのは真を隠して守るというのではなく、子ども、あるいは子どもの行為を根源的に理解することによって責任の一端を負うということにほかならない。そういう問題が残っているという気がする。
 
 こう書いてきてしかしどうにもまだ腑に落ちないという気がする。加害者側の少年たちのいじめは執拗で、ねちっこく、また陰険である。被害者の少年は反発の機会を失し、無限にいじめに従順であったり、受け入れていたとさえ感じられるほどだ。そして親たちは自分の子どもたちの心も行いも見えず、感じられなくなっている。先生たちは関わりあいになりたくないとして目をそらし、以前の日本の「師弟意識」の面影はどこにも見当たらない。いったい何がどうなってこういうことになっているのか。
 
 ぼくが最も好きな作家である太宰治は、かつて「家庭の幸福は諸悪の本」といい、「子どもより親のほうが弱い」とか「子どもより親が大事と思いたい」などのことばを作品の中に残している。どちらも簡単に言ってしまえばその時代に流通する価値観を反転させたものだと言えなくはない。前者は、家庭は大事だけれども弊害として他者の生活に無関心になってしまうことを警告していた。また後者は、敗戦により自信も誇りも木っ端微塵にされて内面に空虚さを抱えた大人、男親などの内面の葛藤をずばり指摘したものだ。太宰自身は自分の思想的な、あるいは芸術的な苦悩に引きずられながら心中という形で生涯を閉じ、残された家庭もそれなりの不幸を背負ったといってもよいかもしれない。だがしかし、時代の中で太宰が演じた姿は太宰本人の生涯の中に収まって閉じられたのではなく、かえって現在にまで持ち越され広がり続けてきた。ぼくはそう思う。誇張して言えば、何人もの太宰が親となり家庭を築きながら煩悶し続けている。うまく繕い、理想的、模範的な家庭人となった太宰もいれば、反対に離婚を重ねたり家庭崩壊に突き進む幾人もの太宰もいる。結果として、少子化、離婚率の上昇や結婚しない人たちの増加などは、敗戦の後の太宰の煩悶と期を一にしながら始まったと見えなくもない。それはつまりは明治期の「西洋<知>」の導入に始まり、和洋折衷や葛藤を経て、第二次世界大戦の敗戦により日本的な情の世界は駆逐され根こそぎ西洋知化していったということだ。ちょうど日本全土に広がったセイヨウタンポポの繁栄のように、である。
 民主主義、個人主義、自由主義、資本主義、経済の偏重、なんでもよい。その全てと言ってもよい。自主的にせよ、半強制にせよ、あるいは洗脳的であったにせよ、それらを取り込んできた日本という国そして社会は、特に戦後六十年あまりを劇的な変化とともに過ぎてきた。気がつけば後戻りできないところまで西洋化してしまった。あげくに日本的な習俗、慣習のほとんどが形骸化してきたように思える。
 ぼくらはたぶん感覚的にはそのことに気付いている。だからこそ、行きつ戻りつしながら混乱し、しかしながらこの路を先に向かって進むほかないことも了解している。退くも地獄、行くも地獄の状況が目の前に広がっている。
 古き良き時代の日本的な家族の絆、親子、家庭生活はずたずたに引き裂かれ、わずかに絶滅危惧種のようにあちこちに点在するだけになってしまった。
 喩えていえば、ガラパゴスと世界標準であれば世界標準へと舵を切ることは当然の流れであろう。産みの苦しみといいたいところだが、それにしては犠牲があちらこちらに飛び火してしかも大きすぎる具合になっているのではないか。
 
 死んだものだけが犠牲者だと言えるわけではない。今回の事件についていえば、加害者の少年たちもその親たちも、先生たちや教育行政の担当者たちもまた人間的な本質、人間力、そう言いたいような何かを見失ったと言えるのではないか。もちろんこんなことを考えているぼくたち自身もまたそれを免れ得ているわけではけしてないと思う。そこでぼくは今日も考えるのだ。他人任せや他人に要求するのではなく、自分こそがしっかり考えることができるようにならなければならないのだと。その意味で太宰の言を借りるならば、弱いのは自分であり、しっかりしなければならないのも自分であり、考えて考えて考え抜いて切り抜ける以外に方途はないのではないかという気がする。マスコミやその周辺に巣くう訳知り顔の識者の「正義」や「認識」の程度で現在を了解してしまうわけにはいかない。それらはただ混迷や錯誤を助長し、犠牲を生み出す装置のひとつに過ぎなくなってしまっているからだ。
 とはいえ、考え抜こうとするぼくらの側にも落とし穴はある。伝統、風俗習慣、慣習、ひっくるめて故郷喪失、母型喪失とでも言いたいような内面の「闇」の深化という問題だ。時として、糸の切れた奴凧のような自らの精神、意識に直面し、戦慄を覚えることがある。考えることにおいて自立することに固執するあまり、喪失を拡大する。これもまたいつか来た道で、孤立するだけの営為ではないのか。人知れず現実に静かに着地することでさえ、並大抵のことではかなわないことのように思える。それはあたかも今回のいじめ問題における親たちの位相のような、「非在」へと向かう道の途次かもしれない。その意味では同じ現場を歩く誰もが同行者と考えるほかない。そしてただ、目を見開いて通るかどうかだけが問われているのだろうと思う。
 
 
学校教育論(その二)                                                    2012/07/18
 このごろまたいじめによる自殺問題が話題になっている。目に入り耳に聞こえてきたものだけでも、大津市や浜松市ではすでに中学生が死亡し、宮崎や愛知ではいじめがエスカレートして対象となった子どもの意識を喪失させるまでに到ったり、加害側が「自殺に追い込む会」というものを結成していじめを加速させたというものがある。
 これらに関する識者の見解として、いわゆる「夜回り先生」として一時話題に上った
水谷(?)さんの民放局のニュースの解説を聞いた。また、原発事故以後よく参照している武田邦彦中部大教授のブログでも、関連する記事を読んだ。テレビによく出る「尾木ママ」や、ニュースのコメンテーターや解説者等の話はだいたいは聞き流してしまった。
 さて、水谷さんや武田さんの話を大ざっぱにまとめていうと、教員や校長、教育委員会、教育長、総じて学校側の対応の悪さや嘘や隠蔽が指摘されていたように思う。それについてはぼくも同感で、相変わらずひどいもんだねぇ、と思いながら報道を見聞きしてきた。そういう指摘はおおむね妥当な指摘だというべきで、これに異論を覚える人はそれほど多くはないだろうと考えられる。
 
 武田さんは、本当のことを「正直」に、「ありのままに」話すことがこういう時の対応として事態を改善するために必須だと、記事で言っているように思えた。水谷さんの場合はさらに、事件性が疑われる際には学校関係者も聖域意識を断ち自分たちで素人判断するのではなく、法の精神と自立性を尊重し、個人の人権を守る立場から警察に捜査を依頼するなどの措置をとるべきと語っていたように思う。
 その話の後で印象に残りまた考えたことは、この国は法治国家でありながら、実は自分を含めた国民は法に馴染まない国民性を有しているのではないだろうかという根源からの疑問だ。「基本的人権」というようなものは誰もが何度も耳にし、口にしてきている。しかし、本当に骨の髄からこの国の国民は法に内在する精神を理解してきたと言えるのだろうか。もし本当に理解しているというならば、事態は違う様相を見せていたのではないだろうか。そんなことを考えた。それは事件を伝え聞き憤りを覚えた第三者の、たとえばインターネットに加害者の子どもたちの名前などを公表した行動にも言えることで、明らかに少年法を踏みにじり、自分の激昂のままに形に表した行動に過ぎない。法の精神はある意味身勝手なそういう行いを推奨したりしていない。
 
 ここから、もう少し自分の見解に沿ってこの問題に関して述べてみたい。
 まず、教育界がダメだということはこの件の学校、教育委員会その他の関係者による保護者対応、マスコミ対応を見て再確認した。何も変わらない。何も反省しない。過去の事例を何も教訓として生かすことが出来ず、相も変わらぬ対応だった。その姿勢は、「学校」や「教育」や「教育界」や「教育行政」を守る、庇う、そういうことに終始していた。馬鹿である。「ひとりの子どもを守れない」のは当然なのだ。彼らのような連中には、「ひとりの子どもの命」よりも「教育」や「教育界」が大事なのである。本末転倒で、「教育」などについて考えたこともない一般生活者、国民、大衆の「ありふれた人間性」に彼ら「教育者の人間性」ははるかに及ばない。「教育」に取り憑かれものの成れの果てが彼らの言動から透けて見えてくる。
 このことについては彼らも被害者である、と言えなくもない。「教育」に取り憑かれ、逆に人間性の本質といったものを見失ってしまった。「教育」に取り憑かれると、自分の保身ばかりではなく、「教育村」全体を擁護してしまうのである。「教育」をよりよくしようとする使命感が、現場に欠陥があったり、瑕疵があることを決して容認することが出来ないのである。ちょうど原発の「安全神話」のように、「教育」に「学校」に「非」はあり得ないとするのがシステムからの要求であり、疑問なく復唱することは至上命令でもある。だから長年学校に勤務し、教育に従事してきたものには余計に「教育」や「学校」擁護の姿勢がつきまとう。
 先の水谷さんは長年高校教師をしていたが、異例中の異例で、ともかくも学校教育の中ではひとりひとりの子どもこそが主人公で、「児童生徒の学校生活が第一」の理念を見失わなかった人だったように思える。だから、本気で、真剣に考え続けられたら、「教育」にがんじがらめに取り憑かれてしまうことなく「子どもひとりひとり」に「奉仕」すべきことを理解するはずだし、できるはずである。だが、残念ながら多くの教員はそこまで突き詰めて考えることをしていない。考えはするだろうが、その実態はといえば、浅い自己問答や同僚と話すくらいのところだから、「大人の事情」「自分の生活第一」「ひとりの無力な個人としての子どもより教育界全体を守る」などなどから、本当に大事なことに辿り着けなかったり、見失ってしまうのである。もちろん、臆病や嘘つきやごまかしやその場しのぎに終始する、もっとも大事な時と場で「本当のこと」が言えない輩は論外だ。
 
 しかしながら、「いじめのない学校」を作れとか、いじめの実態を見抜けない教員は教員としての能力に欠けるとかの論議には賛成できない。
 まず、いじめには発生の根拠がある。現在でも未開の種族に近いあり方で生活する部族をテレビなどで見ると、児童期の子どもたちはそれらしい独特の集団形成をしていて、つまり仲間内だけの世界があり、仲間内だけに通用する価値観や同様な掟などがその中に含まれている様子をうかがうことが出来る。もちろん「秘密基地」などのような、仲間内だけの秘密事項も存在するだろうと思う。たぶん、このような児童期・少年期の仲間とか、部族の意志が反映した小集団の内部では、能力や性格や親疎の差異などから少しずつ差別化のきっかけが生ずる。そして全体の集団が大きくなるほど小集団が派生し、グループごとの優劣が競われたりすることにもなると思う。どうしても、ケンカや差別は発生する。また小集団の結束を図るために、他のグループとの対立が表面化したり、どのグループからも疎外されがちのものに示威行動や威嚇的な行動をとるといったことも多くなるに違いない。児童期・少年期のそれらはいずれも諍いに始まり小さないじめの契機を含んでいる。本格的ないじめは、そういうところから特定の個人に対して繰り返し繰り返し嫌がらせをしたり、あるいは暴力を加えたり、あるいは理不尽な事柄を要求するところに現れる。
 現代の大人の世界にも当然のことながらいじめはある。子どもの時から一度も他者をいじめたいという気持を持たなかった大人は、存在しないに違いないと思う。要するにこの世界では、気にくわないと感じる機会はどこにも転がって存在するし、気にくわないと感じる他者も数多く存在してしまうものなのだ。
 その意味では、学校からも社会からもいじめがなくなることはないだろうと考えられる。子ども期にはそれが自他の違いの発見から、そして自他を比較したり好悪が明確になったりなどの成長、発展とともに自我の拡大により、思いの外化、表現がいじめの基礎になると考えてもよい。つまりそれは誰にとっても、大人であれ子どもであれ、紙一重で行ってしまうというものなのだろうと思う。
 
 子どもの世界のいじめは、大人には見えにくい。大人の目のないところに子どもは子ども独自の世界を展開していると言えるからだ。同様に大人の世界のいじめは子どもには見えにくい。子どもと反対に、大人は子どもには理解しにくい大人の世界を形成している。 子どもは子どもの世界から時折大人の世界を垣間見る。ある時大人のいじめを目撃して、子どもの世界にそれを持ち込んでしまうと言えるのか、子どもの世界でのいじめの経験を大人になってから追想して大人は大人のいじめを行うのか、そこはよく分からない。
 いずれにしても子どもの世界はケンカであれ、いじめであれ、大人の目の届かないところを選別して行われることを本質としている。仮に先生にケンカやいじめが見咎められた時には、さらにこれなら見つからないだろうと思われる場所に移動してそれは繰り返される。だから先生や大人たちが追いかければ追いかけるほど、地下や路地の奥に潜り込んでいくのは当然のことなのだ。これはどんな大人が介入しても、完全に止めることが出来るといった性質のものではない。要するに最終的には当事者の子どもたちが、どこで潮時かの判断を下さなければ止まらない問題なのだ。
 このことに対して、おそらく世間が判断しているほどには個々の教員には責任はないと考えなければならないと思う。普段の子どもたちの学校生活や友だち間の風聞などから、それが「いじめ」と言えるものかどうか、またどの程度の人権的侵害があるかないかなどを判断することは難しい。それはまた多くは子どもたちの集まる「学校」を舞台に行われるけれども、「学校教育」の中心的課題ではなく、あくまでも「学校教育」の副産物に過ぎないものだ。先生たちはいじめを無くすために先生になったわけではない。
 昔から、ケンカもいじめも学校にはあった。先生たちは流血さわぎになったりすると出張ったが、そうでなければ黙認していた。自分も経験上子ども時代にケンカをした覚えがあるし、当事者同士でその始末を付けることが大事なことも経験的に知っているからだ。また、めったに命の奪い合いなどに発展することは稀であることもよく知っていた。牧歌的時代といえばそうだが、当時の子どもたちには何となくだが抑制する力が備わっていた。
 
 いじめはなくらならない。いじめはよいとか悪いとかの問題ではない。いじめは人間社会の至るところに潜在するものである。先生たちは、いじめによる自殺などには責任が及ばないと言ってよい。
 子どものケンカやいじめの理想的な姿は、当事者間で決着がつくことである。大人に知れずに始まり、そして終わることである。ぼくらの子どもの頃はそうであった。先生たちも、見ても見ぬふりをしたり、端から見る気もなかった。子ども同士のことは子どもに任せていたのである。
 
 昨今の子どもたちのケンカやいじめは、強者にもそして弱者にも限度がなくなったようにみえる。つまり、いじめの場合、いじめる方にもいじめられる方にも限度がないように思われる。いじめる側は「死」に至るまで追い込もうとするし、いじめられる側も「死」ぬまで後退していくように思える。以前は、追い込む側も追い込まれる側もそこまで徹底することはなかった。
 もう一つ、最近のいじめは「弱いものを半狂乱的にいたぶる強者側の遊び」という側面を持っている。限度を知らない、その枠を持たない子どもの心性が今日的な特徴と言えば言える。
 
 一連の報道をそれほど熱心に聞いてもいないし調べてもいないのだが、ひとつだけ気にかかる点があった。それがこの文章を書こうとした発端である。
 それは、教育行政の「非」を追求するという構えで報道がなされていたように思われるけれども、親や家族のあり方というものがあまり問題にされていないのではないかという点にある。
 ぼく個人の、いじめによるだろう自殺ということでの問題意識は、いじめる側の子どもにもいじめられる側の子どもにも、その心の中に親や家庭が不在ではないか、あるいは影響が少なすぎはしないかというものだった。この感受に根拠はない。ただ事件の過程における子どもたちのどこまでも厭くことなくエスカレートしていく侵犯と後退の劇は、内的規範の喪失を思わせられるのである。これは倫理的枠組みの喪失と言い換えてもよい。
 その心的、倫理的枠組みや規範というものは親をはじめとした家庭の生育環境の中で形成される。また地域的な環境の中で形成される。ぼくはそう考えている。そしてもちろん、幼児期の無意識の内側に形成されるものだから外部からもうかがい知れず、本人にも無自覚なものだと言える。ぼくの考えではそれは他者との関係を規制する。だが、いじめられる子どもの側でもいじめる子どもたちの側でも、規制に加担する枠組みとしての親や家庭、さらに強いて言えば地域の影がほとんど伝わってこない。
 被害者側の親は、いじめが子どもを自殺に追い込んだのではないかとして学校側の認識を問い、その過程で学校側の対応に懐疑し、最終的には加害者として3人の子どもを告訴した。加害者側の親は、当然のことながら自分の子どもたちの行状を擁護する姿勢をとっている。自分がどうかを別にすれば、被害者及び加害者たち全ての親は、この一連の報道の中ではあまりに存在感が無さ過ぎる気がする。さらに自分ならどうかを別にして言えば、被害者となって自殺した子どもの親は、自分の子どもが死に至るまでに何をしていたということになり、また加害者側の親は自分の子どもが他の子どもを自殺にまで追いつめているときに何をしていたということになるのか。そういう問題が何一つ問われていないような気がする。親が悪いのだというつもりはさらさらない。ただ今日の社会的環境において、さらにまた子どもを育てる過程において、親や家庭の果たす役割は極微に縮小してきているのではないかというような危惧を感ずるのである。そしてもしも日本の歴史や文明にそういう流れがあるとするならば、ぼくはそれを近々には太平洋戦争の敗北にその源流を考えたいのである。
 戦後の日本は経済復興を果たし、いかにも敗戦国の中での成功者のように讃えられた。だが、国民の精神、生活思想的には、あたかも幽霊となって戦後を生きたのである。もちろん当人たちには気付かれもしなかった。互いが幽霊の姿となっていれば、どうしてそれが幽霊だと気付けよう。幽霊が子を産み、その子がまた幽霊の子を産み、次第に幽霊の姿は完成した姿をあらわすようになってきた。その姿は透明であり、無である。あるいは朗らかに明るく健康で、常識的且つ良識的である。矛盾する明るさと滅びとが同居している。個人といえども個は充ちておらず空無であるか、ただ寒々とした寂寥に支配されているのだ。何もない。楔もなくつながれた鎖もない。自由、荒涼とした自由が眼前に広がっている。父の影も母の影もどこにも見当たらない。
 周囲は、社会はどうなっているのか。得体の知れない見ず知らずの隣人に辺りを取り囲まれている。軽い会釈をして通りすぎるが、隣人の向こう側では嘘や隠蔽や、人喰い、利権漁り、富者や強者の巣作りが横行している。節操などない。元々が精神的幽霊からなる烏合の衆なのだからやりたい放題で罷り通ることが出来る。
 遊びの延長なのだから他者を死に追いやっても許される。加害者の子どもたちの心はそこまで「たが」が緩んでいる。もちろん、一国の総理大臣の倫理的な「たが」の緩みと、全く同一の構造であることはいうまでもない。子どもたちはそのように自己形成を遂げようとしている。
 
 ここまで来たらもはや落ちるところまで落ちるべきである。
 第二の敗戦期とは実はこうした意味から、敗北のやり直しを意味している。やり過ごした敗北の総括といってもいい。それなくして今日の日本社会のなし崩し的な崩壊現象(と、ぼくは勝手に思っているのだが)から、再生への道筋を描くことはできないのだろうと思う。いじめによる自殺という痛ましい事件も、大きな流れから見ればそうした諸々のひとつの象徴として考えられるのではないかと思い、そのことをここに書き留めた。他の識者らとは違い、ぼくらはこの種の事件を完全に、そして未然に防ぐことは現在のところ不可能であると判断せざるを得ない。ただし、個人的にこの種の事件に遭遇したとき、現役の小学校教員であったときのぼくはいくつかの個人的な原則に従って対処していたし、もしも今現役であったならばやはり同じように対処することになると思う。それはひとつには、一対多数のケンカやからかいやいじめであるならば、事の是非を問わず一に加担する姿勢を貫くことである。これは、心と体とを張って多数の前に立ち塞がるということである。こういう時だけはボスザルとなって群れを統率する意識を持たなければならないし、妥協してはならないのであって、陰で行った場合でも決して許さないという強い意志を示さなければならないと思う。これは男の子の場合でも女の子の場合でも、またよく見知った子かそうでないかの区別は一切付けずに、全て同じ姿勢で臨むことが当然のことだが必要である。大人で教員とはいえ、判断や状況把握を間違えてしまうことはある。だが、最悪の事態がどうなるかを想定でき、それを避ける対処が出来ていれば多少の過ちは幾らでも修正が効く。そしてそのことで自分が疎まれる、恨まれるなどということはなおさら些少の出来事に過ぎない。そう考えてそれを実行することは、今の大人ばかりが周囲に満ちた環境の中でも変わることはない。
 
 
学校教育論(その一)
                           2012/05/22
 朝日新聞5月11日の朝刊の記事によると、橋下徹大阪市長が府知事の時に立ち上げた「世界に通用する人材育成」のための施策、これが思うように展開せずに行き詰まりを迎えている。こういった事態を受けて、内田樹氏は自身のブログの中で「利益誘導教育の蹉跌」と題した文章を掲載している。
 内田氏はもともと橋本市長の提唱する教育観や理念に批判的であったから、今回の文章もその延長上にあって「利益誘導教育」が成功する見込みは端からありませんよと言う中で、自身の教育観および理念を繰り返し語っているように思われる。
 内田氏が一貫して主張してきているところは、「学校教育の目的は金が稼げる知識や技能を習得させることじゃない」ということと「学校教育の目的は次世代を担うことのできる成熟した市民を育成することである」ということだ。これが教育の本義であり原点として現行の学校教育が根底から変わっていかなければ、教育が復興していく道筋はないと言っているのだと思われる。たぶんここを源流として一つの教育の改革案を内田氏は提唱し、さまざまに活動しているのではないかと考えられるのだが、その先については私の方に関心がない。
 
 ジャーナリストの冷泉彰彦は、彼自身のブログの中でこの内田氏の文章を取り上げて評している。たとえば内田氏の文章の以下のところを引用し、その指摘するところが正当であると評価しているように考えられる。
 
「やりたいこと」に達するために、しぶしぶ迂回的に「やりたくないこと」を我慢してやるようなタイプの人間は、どのような分野においても「イノベーターになる」ことはできない。これは自信を以て断言することができる。ぜったいに・なれません。(中略)だから、ジョブズやザッカーバーグを「グローバル人材」のサクセスモデルとして示しておきながら、「『グローバル人材』になるために、先生の言うことを聞いて、学校の勉強をちゃんとやりましょう」と言ったって、それは無理なのである。
 
「最もイノベーティブな子ども」は学校においては「能力計測不能」の「モンスター」としてしか登場しようがない。でも、文科省や経産省の役人たちは「モンスター」については何も考えていない。何の指示も出していない。だから、教師たちは「モンスター」が出現したきたら、青くなって潰しにかかるはずである。
 
 けれども、ではどのようにしてグローバルな人材を育成(イノベーティブな人材育成)するかというと、内田氏の主張は先のようなことで、冷泉氏はこれを以下のように批判している。
 
 ですが、これに続く内田氏の提言は余りに抽象的で、無力感すら漂う感じなのです。例えば「学校教育の目的は金が稼げる知識や技能を習得させることじゃない」と言う以外に「計測不可能」な能力を持つ子供たちを学校教育に引き戻す言葉はない、とか、「学校教育の目的は次世代を担うことのできる成熟した市民を育成することである」というのが教育の本義だ、というのは「正論」かもしれませんが、これでは一歩も先へは進めないように思われました。
 
 内田氏がグローバルな人材育成やイノベーティブな人材育成を本気で考えているかどうかは疑問だが、冷泉氏にこうした批判を許す余地はその考えの中に残している気が私にはする。あるいは思想者の言葉としてはそこまででいいのかもしれないが、たぶん実際に教育に携わる側に近いところでは具体的にどうすればよいかが見えてこないに違いない。
 
 冷泉氏は続いて氏自身の、現代に通用するグローバルな人材育成としての教育がどうあるべきかの提案を述べているが、それについてもまた私には関心がない。
 
 学校教育が実質的には破綻を来たし、終焉の時期を迎えたというのが私個人の認識である。だが、制度としての学校教育は、これからも惰性のように続くことは間違いない。後はこうした多様な考え方に引きずられて細切れになり、解体の道をたどるだろう。
 小手先の改革が通用しないことはもちろん以前から言われていて、では小手先以外のどんな抜本的な改革が可能かというときになかなかこれといったものは出現しなかった。私たちの現在の社会は、それを生み出す能力に欠けているといわなければならないかもしれない。
 近代的な公教育制度といったものはたかだか二、三百年以内に確立したものに過ぎず、産業や経済の発展などの影響から社会的に必要性が生じた。その意味では、同じ様式、同じ制度がどこまでも通用していくとは考えにくい。先のように解体は必須だ。
 言ってみれば日本における現行の学校教育は資本主義社会の進展にあわせて、あるいは隷属してその歩みを進めている。
 現在、資本主義を分析する考えの一つに消費主義とか超資本主義とかの、いわゆる古典的な資本主義を超えた新たな地平に人間社会が遭遇していると考える考え方も提出されている。とすれば、教育の世界もまた未知の領域にさしかかっていると考えないわけにはいかない。つまり超教育、あるいは超学校教育をイメージしなければならない時代を迎えていると言ってよいのかもしれないのだ。