武田邦彦さんの最新ブログの情報(2017.3.1)
 
 たぶん吉本隆明さんの文章の中でだったと思うけれども、フランスの哲学者であり文学者であったサルトルが、資本主義が送り込んだ最後にして最強のチャンピオン(あるいは代表選手くらいの言葉だったか忘れた)だという言い方でミシェル・フーコーを認めていたと述べた箇所がありました。ちょっと、「チャンピオン」という言葉を含め、その言い回し全体がはっきりと記憶されたものではないので、正確さには欠けますが、しかし、ニュアンスとしてはそんな感じでした。
 サルトルにとっては自分の主義主張とは異なる対手だが、それでもフーコーを認めないわけにはいかない、というところだったと思います。
 ぜんぜんスケールから内容から、それに比すわけにはいかないのですが、わたしが武田邦彦さんを、時として「いいよ」と持ち上げたりするのは、少しそうしたニュアンスを込めています。言ってみれば、保守主義の代表選手として、わたしは常識的且つ現実主義的な見識を持つと武田さんを認めないわけにはいかないのです。まあ、時としてウルトラナショナリズムの貌を見せることもしばしばですが。
 リベラル、つまり少し左翼がかった自由主義者は言論領域に掃いて捨てるほど存在しますが、それらがいい気になってテレビなどのマスメディアで、ある種の世論の構築に加担していると、わたしなどもうかうかするとその尻馬に乗ってしまうときがあります。武田さんはそういうときに、世間の風潮や空気感に流されずに、自分の科学的な経験や研究の蓄積を元にして、例え全体の中では異論として受け入れられないとしても、はっきりと自分の意見を曲げずに主張していく人です。これは原発事故後の1ミリシーベルトにこだわり続けた見解、そしてスタップ細胞問題の時に、はっきりと小保方さんを擁護した態度などに端的に見ることができました。保守主義特有の右翼がかった見解もないことはないのですが、信じるところをけれん味なく主張する姿には好感を持ちます。
 彼の主張するところに耳を傾けると、半分くらいは肯定できるところがあって、あと半分のところはわたしにとっては否定したい部分です。でも直接対決すればわたしは負けます。もちろん直接対決することはないし、負けると言っても武田さんをわたしの意見で納得させることはできないだろうというくらいの意味です。つまりまだ、武田さんのような人を納得させるくらいの力をわたしは持っていないということです。
 もう少し言えば、わたしから見ると武田さんといえどもある重大な欠点をもっているように見えます。それは公平に言うと、本当に武田さんの欠点かもしれないし、あるいは逆にわたしの側の重大な欠点かもしれないのです。そういう場所で、わたしは何とか自分の考えをもって武田さんのような人を乗り越えていきたいと思っているのです。でもまだそれは果たせていません。
 昨日わたしは山本哲士さんの本の紹介みたいなところを書きました。おそらく山本さんの著作の世界は武田邦彦さんには無縁の世界です。仮に武田さんが山本さんの名前くらいは知っているとしても、その著作の世界は全くの関心の外にあると思います。国家論、権力論といったところは武田さんにはないです。国家は国家として、権力は権力として認識はしているでしょうが、あくまでもそれらについては疑いようのない事実として現実主義的に受けとめ、それを肯定することの上に立って物事を考えていくスタイルをもっていると思います。山本哲士さんは、昨日の文章にも見られたように、その前提がはじめから作為されたものであるとして、疑ってかかる必要があるのだと考えています。わたしも、現実世界は現実世界として受けとめ、しかし、目に見えるように環界に、それがすべてだというように存在するこの世界を普遍のものだというようには考えていないのです。いくらでも変わりうるものであるし、作り替えることができるものだというように思っています。実際に日本の歴史をざっと眺めてみても、近いところでは明治維新というものがあり、それまでの日本国や日本社会とはすっかり様変わりした事実を目にすることができます。維新を推進した人たちは当時江戸時代の末期にあって、国家、社会、権力の総体をおかしいと根底から疑ったり、当時の現実を何とか変えたいと願ったのだと思います。現実はこうだからといって、その現実に自分たちの考えや行動を合わせなければならないとは思わなかったのです。根こそぎの根底から国を変えなければならないと考えたと思います。
 その是非は別として、武田さんは現在の日本の国防についてやはり現実主義者らしく、アメリカとの安全保障条約を基本として、中国や北朝鮮などの脅威に対応した自衛隊の配備、沖縄における米軍基地の継続維持の必要性を発言したりしています。そしてそのことについて、自分の国を守ろうとして何が悪い、あまりにも当然のことではないかと考えていると思います。
 ここなのです。今のぼくが言えることは、武田さんはここで、「国」というもの「国家」というものについての考えが、旧来の日本的な捉え方のままで、そこがぼくなどの考え方と違っているということです。「日本」あるいは「日本の国」というときに、武田さんは人も土地もすべてを一つのものとしてひっくるめて言っていると思います。ですが、ぼくは「国」や「国家」というものを、いまの「政府」くらいに考えています。また「国家」という言葉でもって、ぼくたちのような一介の生活者と、知識層、富裕層、権力層で構成される支配層を一緒くたにしてほしくないと思っています。
 ぼくら生活的に社会の底辺を構成する層にとって、「日本は」とか「日本国は」とか、社会を俯瞰する上段に自分を押し上げて考えたり発言したりするスタンスは、短絡か架空であるかでしかないのです。そういうスタンスは本当には取りようがないのです。そんなことを考えても何の権限もないし、誰かに、どこかに聞き届けられるということも金輪際ないことなのです。また実際に考えもしません。相も変わらず日々の生活にてんてこ舞いになっているのが関の山なのです。同じ日本人と一括りにされても断層があり、断絶があります。
 武田さんの国防の論理には、わたしたち個々の生活者の意識という視点が見られません。捨象されてしまっています。どうしても国家や公が優先されてしまいます。家族、地域、国家といった共同性が、その水準や段階の違いがあるにも拘わらずに、そこでは一緒くたに扱われています。武田さんは、人間は他に利する生き方をすることで自分を利することができるという論理の組み方をします。「公」に立ってこそ「私」に生きることができるというのです。わたしは逆に「私」があるからこそ「公」も成立しうると考えます。どんな共同性にとっても、その成立の起源になるのは「私」の存在であり、「私」という個の存在です。単位となる元々の「個」の存在がなかったならば共同性は成立しようがない。だから「個」が大切にされなければならないのです。
 武田さんがまだ踏み込んでいない、国家というもの、国家の持っている権力というものが果たして本当にわたしたちの生命や財産を守るためのものになっているのかというようなことを、根源から問うているのが山本さんたちのような人たちで、本当はわたしたちのためにはなくなった方がいいのじゃないのかと考えています。もちろんそこでは資本主義国家も社会主義国家も区別なく、国家形態の解体が視野に入れられて考えられているのです。
 少し回り道をしてしまいましたが、ここで私が言っておきたかったことは、国家についての考え方、国家というものの捉え方については武田さんの言葉をそのまま呑み込むよりも、山本さんのような考え方を参考にしたり、その考えの行く末に注意して見守っていくくらいの方がいいよということです。国家や権力についての考え方はそちらの方がずっと深いです。だからそういうところを足がかりにして、武田さんのような国や国家の考え方をする人を超える考えを手に入れたいと思っているのです。
 ですが、だから武田はダメだといいたいのではありません。かえって、にもかかわらず、武田さんはとても深くてためになることもたくさんいっているということを言いたいのです。
 武田さんにしろ山本さんにしろ、それぞれに長所があって、わたしたちはそうしたよいところをちょこちょこつまんで学んでいくことができます。こういうところはこの人に、ああいうところはあの人にというように。そして全体としてこんなところを押さえておけば、この世界に対してとんでもなく誤った見方をしてしまっていたとか、誤った考えをしていたとかの失敗を少なくしていけるのじゃないかと考えるのです。
 わたしたちは学者でも知識人でもなく指導層にあるわけでもありません。緻密で正確な知識、思考を持たなければならぬ必要もありません。ただなんとなくという仕方で、また漠然とであっても、いくつかの要所を押さえておけば、それで一応どんな状況にも自分の判断、決断で対応できるようになると思います。
 こう書いていてふと思ったのですが、わたしがこんなふうに言っていることは、自衛のために護身の空手とか柔道とか合気道を学ぶみたいなことと似ている気がします。わたしはその手の修練のつらさや苦しさがいやなので考えたこともありませんが、そう考えると、わたしのこの文章から山本さんや武田さんの文章、発言から何かを学ぼうと考える人もそんなにいないだろうということになります。そして、それでいいのだと思います。そのほうがごく普通で当たり前の生活者の当たり前の態度だろうと思います。だから無理に薦める気はさらさらないのです。
 
 さて、本当にいっておきたかったことが後回しになり、そしてついでのもののようになってしまいました。実は、武田さんのブログの最近の発言「科学者の人間観」シリーズがあり、5回にわたって録音されていますが、その内容がブログの中でも秀逸の部類に入るできだと感心しながらききました。とりあえずそれぞれのサブタイトルだけを記述しておきますと、(1)インテリの人間性、(2)性善説と性悪説、(3)世の中を良くすることができるのか?(4)平凡な生活は意味がないか?(5)赤ちゃんと父母、というようになっています。最後の(5)だけはなぜかタイトルが「科学者の人生観」となっていましたが、サブタイトルが連続していますので単なる書き違いかとおもわれます。
 文章ではなく、音声の記録なので、一般に語りかけるやさしく分かりやすい言葉で述べていますが、中身的には深く質の高いものだと受け取れました。そしてまたこれまでの武田さんの発言に聞かれたことの無い、新たな一面、武田さんの考え方の根本を感じさせる箇所もずいぶんあった気がします。これは聞いておきたい、あるいは聞いて損はないなと思い、是非ここで取り上げて紹介しておきたいと思いました。文章ではないので引用もできませんし、解説するには面倒であり、ここはひとつ実際に聞いてもらうのがよいと考え、こういう次第になったというわけです。
 書き始めからさらにブログは更新され、最新のものには「子供のイジメ問題」のタイトルがつけられています。こちらもちょっと聞いたところではためになる部分がありました。 少しだけ触れますと、明治以降の学校は国家のための学校で、本当は徐々に個人(子供)のための学校に変わっていかなければならなかったのに今日までそれを持ち越している。現実的にはもう国家のための学校では成り立たなくなっているのに、無理に継続されていてそこにいろんな歪みが生じてくる原因があるというようなことが述べられていました。わたしは先の山本さんの著作から、国家のための学校という考え方はすでに自明となっていましたが、個人(子供)のための学校という発想はあまりなかったのでびっくりしました。武田さんはアメリカの教育がそれだといっていましたが、そのあたりは機会があれば少し勉強してみたいと思います。教育改革の関連でいえば、山本さんは学校を無くすという視点で考えていましたし、吉本隆明さんは大学教授の国立私立の垣根を取り払った異動の義務づけという考えを示していました。それ以外ははなから根本的な改革を指向しない小手先ばかりの改革案に過ぎず、誇張すれば利権温存の考え方ばかりです。その中では学校教育の今日的な歪みの根源に触れた武田さんの考えは一考に値するかもしれないと思えました。わたしは小学校くらいは、良くて昔の寺子屋ふうになるのが関の山と思ったりしたこともあるので、ここではちょっと武田さんを近しく感じました。
 ということで、まあ一度聞いてみて下さいとおすすめして、今日はこれでお別れしたいと思います。
 
 
   山本哲士の知的極左性を遠くから眺める(2017.2.26)
 
 山本哲士は2月20日のブログで、「『ブルデュー国家資本論』を脱稿」した旨書き記している。そして、
 
これで、吉本共同幻想国家論、フーコー統治制国家配備論、ブルデュー国家資本論、の3部作が完成、ひと区切りがついた。
(略)
この3著は、方法を一貫させた。それぞれ、一つのテクストを徹底して読むこと、そこから「意味するもの」の作用を、読みとること、そして3者を総合交通させる、という手法である。
 
と続けている。
 山本の言うところでは、『ブルデュー国家資本論』に先だって、『吉本共同幻想国家論』『フーコー統治制国家配備論』が成立していたことになるらしい。熱心とは言えないが山本の論ずるところを注目してきたわたしには、吉本やフーコーについての山本の論点は少しばかり察しのつくところがある。切れ切れだが彼らに関するいくつかの論述に触れてきているからだ。ブルデューについてはあまり記憶がない。ここでは山本自身が、感想めいた形で著述過程の事柄に触れているので、概要を知る手がかりくらいにはなるかもしれない。ブルデューを論じながら、見えてきたこと、分かってきたことが生な形で語られている。引用してみる。
 
ブルデュー自身の論理が、穴ぼこだらけであり、かつ、なにもかも行きつく先には国家があるという短絡手法であるため、どうこれを生産的な継承へひきだせるかで、苦闘した。
 
「意味されたもの」は単純である、家族・「王の家」の世襲的再生産様式から、国家貴族の「能力・メリット」再生産様式へ移行した、そこに法律家たち・司法界の編制がなされて「官僚制再生産様式」が出現した、という軸である。もう、これは、論理的に、国家次元と法・官僚次元とが同一化された論理破綻なのだが、それではどうしようもないゆえ、思考されている理論要素を再構成して、自身が提示しながら何ごとも概念化しえていない「国家資本」「国家アクトactes」を練り上げていくほかない、と象徴資本や「再認」など理論基礎を見直しながら、わたしなりの構築をなした。
 
象徴資本の集中化によるメタ資本が、国家資本だというのだが、それは何ごともいいえていないで「支配」へと短絡されてしまう。
 
ここに、国家を生産者であるかのようにしているもの、つまり「能力」に依拠した法律家や官僚を産み出しているものは、「主語制様式の集中化」において蓄積してきた国家資本の「効果」であることがわかってきた。
 
なぜ、学校文法で、主語がありもしない日本語だと主語化するのか、それは諸個人の認知思考において、国家や社会を主体化・生産者化・行使者化するためであることが見えてきた。自分は社会的代行為者となってこそ、主体化・主語化できるということがかさなる。
 
レーニンが「国家権力」所有があるとしたものさえをもつくりだしてきたのは、国家を西欧でも主語化していたのだということが、みえてきた。言語市場の統一化は、主語制様式の統一化であったのだ。
 
「共同幻想の統治制化は「国家資本」を主語制様式へ集中化し、そこからさまざまな諸制度。諸機関を国家配備してきた」と、3極がまとまった。
 
 これで山本の言わんとするところが即座に理解できるというのは、よほどの山本の著作の愛読者であろう。わたしも本当にはよくわからぬ。よくわからぬが少しだけは見当がつく。そしてその限りで、どうも重要な著作であるらしいという勘だけは働く。少なくとも、医療に例えれば、既知の手術法をもってある患者に適応するのとは違い、自らの手で発見、作り上げた方法をもって手術に臨むというように、根源からしてオリジナルな産物だと予測される。
 すでに、既知なる論理や思考が通用しない領域に、現実世界は駆け抜けてしまっている。停滞と閉塞が世界の思想の現実ではないかと、おそらくはそういうものにあまり縁のないわたしたちのようなものにも、そう映っているのが現状ではないかと感じられる。正確に世界を把握する、世界を認識する。現在ではほとんどの人がそれを諦め、わずかに一握りくらいの人たちが挑戦し続けているに過ぎないのではないか。山本もまたその一握りの中の一人かもしれない。もちろん枯れ木も山の賑わいで、そのことを自称する人たちはたくさんいる。だがそうしたものの発言や著述の底には、著名な先人の思考や理論、論理が透けて見えることがほとんどだ。そういうもので世界がとらえきれるはずがないことは自明のことである。
 だからといって山本の行き方が正解の方向に向いているかどうかは分からない。だが、どういう方向を向いているかを知っておくことは無駄ではない。その一端を知る手がかりとして、山本自身のブログの発言は一定の意味あいを持つだろうと思う。ここにまた続きを引用しておく。
 
国家に実体などはない、しかし、国家は国内の物事のすべてを統治しているだけでなく、生産者として、行使者として振る舞っているかのように思われている「国家思考」が、「わたしは日本人だ」という末端にまで無意識に浸透し、国家が国民を守り、安全であるかのように防衛していると「国家認識」されている、しかも主権は国民にあるとされて、国家の国民無視の横暴さに、政治家たちの考慮の無さに憤ったりしてもいる。こうした、国家認識・国家思考は、認知諸構造と客観諸構造とが一致されたもので、社会的代行為者の諸個人が形成されていく過程で領有され、知覚・評価カテゴリーになって身体化されている。それが、国家・国家資本がつくったものだとされてしまう。
 
すると、自分がなしていることとは別のことを実際には為しており、自分がこうだと考えていることとは別のことを為している日々の様態になり、それが「それはそのようにある」と自然化されていく。国家は国家である、学校は学校である、経済は経済である、という「界」が実際にすべてだとなっていく。
 
これが、国家資本であり、共同幻想であり、統治制である。
 
国家は支配も、命令も、抑圧もしていない、そうであるかのように思考されているだけのものだ。
 
ここが改めて把捉されると、自分の再認の認知構造がどうなってしまっているのかが、すうっとみえてくる。
 
そこへたどりつくために、各600頁もの言説思考過程の訓練を自らに課すしか無い。
 
国家を知らないことは、自分を知らないということだ。
 
だされた結果だけを構成していけば物事はなされるとみな思い込んでいるから、同じことしか繰り返さない。
 
だれがみてもおかしいという物事が、確固として維持されていく。
 
自分が日本や物事をかえていくことはできない、国家がなすべきことだと外化されていく。主語制は国家が集約しているからだが、それは、しかし自分がそうしたものにしているからだ、ということは考えられもしなくなっていく。
 
もっとも遠いもの、それはもっとも身近なものであるのだが。
 
さて、この日本で、いったい何人が、この3著をよみこめるのか。
 
わたしは売れる市場のために書物を書いてはいない、完売して制作コストがまかなえゼロになる。損も得もしない。物事の事態の本質を見極め、現実実際がどうなっているかをひたすら言述生産している。書かれないかぎり現実にはならないからだ。
 
この先に、思考や理論は拓かれていかねばならないのだが、そうしないかぎり
 
知の腐敗の国家思考が蔓延してしまっている情況をつきぬけていくことはできない。
 
 繰り返していうが、わたしは山本のよき読者とも理解者ともいえない。まして山本が繰り出す理論的な専門の用語、知識、見識みたいなものに追いつくことなど、とてもできないものと諦めている。しかし言っていることのうち、おぼろげにそしてほんのわずかにではあるが、なるほどと感じさせるところがある。そういう部分をつなぎ合わせて、これはどうやら気に止めて置いた方がいいぞと思うのである。
 わたしは、自身にとっても今すぐここに引用した山本の言葉が役立つとも思わないし、役立てようとしているわけでもない。ただこういうものがあったことを覚えておきたいのである。もしかすると、あとで何かの時に役に立つかもしれないと思ってのことである。役に立つかもしれない。役に立たないかもしれない。どっちでもよいのだ。ただ確実に、ここにははじめから敗北覚悟で巨大なものと戦う戦士にとって不可欠な、戦略や戦術の視点が獲得されていて、わたしにある示唆を与える。敗北覚悟だから負けてもいいのだ。ただし、負けるだけではない。おぼろげな対手の顔がはっきりしてくる。戦い組み合いするからこそ、より見えてくるものがある。(山本自身は理論的な勝利を確信しているかもしれないし、その意味では負けを覚悟しているともいえないだろう。ただし、理論的な勝利が即現実を変えるかという意味ではほとんど勝算をもっていないだろう。)
 わたしたちは別に、だれしもが「知の腐敗の国家思考が蔓延してしまっている情況をつきぬけていくこと」を必要としているわけでもなければ、希求しているわけでもない。逆にごく普通に生き、生活している人がほとんどだ。しかし、そうしたごく普通の生活がいつも、そして確実に約束されているわけではない。もしもそうした平凡な生活があやしくなったり許されなくなったりするときに、たぶんわたしたちは考えることをする。何を考えるかは人さまざまだが、山本のようなこうした試みは、わたしたちが考える上での依拠すべき選択肢の一つとなり得る試みのように思われる。そんなことはあるかないかも分からないし、あっても遙か遠いことで、すでにわたしたちはこの世にいないかもしれないが、
存外その時は近くに迫っているかもしれない。そんなことはどうせ分からないことだ。だからこれで、とりあえずわたしは書くことを止め、皆さんは読むことを止め、いずれもここまでのことは忘れてしまっていいのである。
 
 
  「大前節」は健在である(2017.2.25)
 
 何げなくネットニュースを見ていたら、久しぶりに大前研一の名を目にとめた。ニュースの見出しは「首相は韓に偏見¢蜻O氏指摘」とある。さらにサブの見出しには〈安倍首相の対米「隷従」と韓国への「居丈高」を大前研一氏指摘〉とあった。この見出しは妥当なものだろうと思うが、掲載された大前さんの文章をぼくが読んだところでは、アメリカの対日植民地政策は現在も継続していると指摘する点がもっとも興味深く、また適確に状況把握、状況診断を行っていると思えた。
 そこで、それほど長文でもないし、ネットで公開されているくらいだから著作権問題もないだろうと判断して、全文を引用させてもらうことにした。関心がないひとも一読して損はないと思える。「へぇー」くらいに感じて、あとはきれいさっぱり忘れてもらっていい。以下、自分の関心のあるところ、気に入ったところは赤文字に変えてある。
 
 * * *
 いよいよトランプ新政権が始動した。「アメリカ第一主義」で「不寛容」なトランプ大統領の登場は、日本が「真の独立国家」になるための好機である。
 
 というのは、日本人は未だにある種の根深い「偏見」から抜け出せていないからだ。それは、たとえば敗戦を終戦と言い換えたり、戦前のほうが良かったと考えたりすることで、そのほとんどは「官制」、すなわち役所が作ったものである
 
 その最たるものが昨年末の安倍首相のハワイ・真珠湾での演説だろう。あの演説原稿は、一昨年の安倍首相のアメリカ連邦議会上下両院合同会議での演説原稿と同じスピーチライターが書いたものだと思う。なぜなら、どちらの演説でも戦後日本にアメリカが送ったミルクやセーターへの感謝を述べたり、「希望の同盟」という言葉を使ったりしながら、アメリカに対して歯の浮くようなおべんちゃらを連発しているからだ。
 
 そして真珠湾での演説で、安倍首相はアメリカ人の「寛容の心」を称賛し、新たに「和解の力(the power of reconciliation)」という言葉を多用した。
 
 だが、「the power of reconciliation」というのは、アメリカ人でも普段はまず使わない表現である。おそらくスピーチライターが、謝罪はしないが謝罪しているように感じさせるための文脈の中で、無理矢理ひねり出した言葉だと思う(アメリカ連邦議会での演説では「和解の努力」という言葉を使っていた)。
 
 しかし、もし「和解の力」が安倍首相の外交における基本信条であるならば、韓国・釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置されたことへの対抗措置として日本政府が駐韓大使と釜山総領事を一時帰国させるなどしたのは、矛盾しているのではないか。
 
 第二次世界大戦で日本はアメリカと太平洋地域で熾烈な戦いを繰り広げたが、アメリカ本土には迷惑をかけていない。一方、韓国は植民地にして本土に迷惑をかけたことは間違いない。安倍首相が「和解の力」を本当に信じているのであれば、大統領がスキャンダルで職務停止になって死ぬほど恥ずかしい思いをしている韓国に対し、10億円払ったのだから日韓合意の約束を守れ、と迫って傷口に塩を塗るのは言葉と行動が違うことになる。
 
 アメリカには僕のように隷従し、韓国には居丈高な態度を取る。アメリカは尊敬・信頼できるが、韓国は尊敬も信頼もできないという、ある種の「偏見」が見え隠れする。
 
 しかし、アメリカは「和解の力」など信じていない。その証拠に、今もアメリカは首都圏に米海軍横須賀基地と米空軍横田基地を保持している。なぜ戦後70年以上経っても首都圏に米軍基地があるのか?
 
 占領していた当時、アメリカは「日本は、また我々に歯向かうかもしれない」と考えていたからだ。米ソ冷戦時代、ソ連に対峙するなら基地は北海道や東北、北陸に移したほうがよかったはずなのに、横須賀と横田は手放そうとしなかった。日本も返還要求をしていない。
 
 また、沖縄についてもアメリカは「民政」を返しただけで「軍政」は返していないという“事実”を認識すべきである。だから昨年12月に輸送機オスプレイが空中給油訓練中の事故で墜落した時も、わずか6日後に空中給油訓練を除く運用を再開し、1か月足らずで空中給油訓練も再開した。日本政府は事故直後、在日米軍にオスプレイの飛行停止を要請したが、それはあくまでも建前であり、アメリカは全く意に介していないのだ。
 
 要するに、日本とアメリカの関係は「和解の力」どころか、まだ戦後の植民地支配が実質的には終わっていないのである。これは両国政府の間で“合意事項”になっているのだが、そのことを日本政府は国民に説明していない。
 
 この問題を含め、日本の指導者は日本が「真の独立国家」になるために、ビジネスライクなトランプ政権誕生を奇貨として、対アメリカをはじめとする外交関係を“棚卸し”すべきだと思うのである。
 
※SAPIO2017年3月号
 
 以上であるが、文末の「SAPIO2017年3月号」の文字は、この文章が掲載された雑誌を意味しているだろうし、引用部が掲載された全部か一部の抜粋かは分からない。もちろん当人の直接の文章かも確かめてはいないのだが、そういうつもりでここに転載している。
 
 書き出しと終末に、日本が「真の独立国家」となるためにの文字が見られるように、大前研一の文意はそこを中心としているのであろう。だが一生活者としてのぼくは、いまのところ日本が「真の独立国家」になるかどうかにはさしたる関心がない。どうであれ、これまでも生活し、今も生活できているからだ。また指摘にある韓に対する偏見も、安倍首相に始まったことではない。これに対しても関心はさしたるものではない。だが、大前の、日本がアメリカの植民地支配下にあることを述べている文の、その論理といっていいのか、解析は、強烈である。真偽の程よりも、推理力、オリジナルの読み解きがとても魅力的に感じられる。またこれは大前の言外にあることだが、この文章から、たとえばアメリカが「日本はまだ我々に歯向かうかもしれない」と懸念する裏側に、実際に日本人の中に、心の奥深くに歯向かう気持をひた隠しにした連中がいるのではないかと想像されてくる。それは、表向きの「隷従」の程度が異常なほどに強すぎると考えられるからだ。「歯の浮くようなおべんちゃらを連発」するのは、その裏に、「いつか寝首を掻いてやる」くらいの思いが潜んでいないと、そんなにも自己卑下に徹していられるわけがないというように。これは勘ぐりに過ぎないのかもしれないのだが、安倍首相の言動を見てきていると、どうもその典型のように見えてしまう。面従腹背のモデルとしてである。
 独立したいのだが、自分のどこかに報復の気持が残っているため、アメリカに対して正面切って強く独立を、是正を、言い出せない。そういう心境が指導層には潜在するのかもしれない。つまり自分の影に怯えている部分が、日本の一部の人にはあるのかもしれないということだ。これが「隷従」に「隷従」を重ねる遠因になっている。わたしにはそんな気がする。
 
 しばらく一般メディア上で鳴りを潜めていると思った大前だが、その大前節は健在で、上記のようなことまで考えさせる示唆に富んだ文章は貴重である。そう思ってここに転載した。
 
 
 アジア的時間の喪失(2013.8.28)
 
 これは前回掲載した文章が不満で、はじめから書き起こすつもりではじめる文章である。
前よりも整理された形に書き上げられれば良しと考えている。大きな意味では推敲文ということになるのかもしれないが、たぶんそれにはきりがない。私にとっては書き言葉も話し言葉同様不自由である。言葉は、不自由である。もっというと、能動的な表現は不自由であるということになるのかもしれない。
 
 
 内田樹が語るように、もしも宮崎駿が「現代人がもう感知することのできない、あのゆったりとした『時間の流れ』そのもの」を表現したかったのだとすれば、宮崎は私たちに苦々しいあるひとつの問いを投げかけていると言える。
 内田の評を信じれば、宮崎によってとらえられた「時間(の流れ)」は、明治・大正期という時代の中とはいえその時代に限定されたり留まるものではなく、遥か悠久の昔に地続きの「時間(の流れ)」というように考えられていると思う。また柳田国男の民俗学的な著述の世界を重ねて考えると、その「時間(の流れ)」は日本という国の成立期と本質的には同じか近似の「時間(の流れ)」だと見なしてもよいように思われる。少なくとも内田は「植物的時間」という言い方によって農耕社会もしくは狩猟社会に遡って、そこまでを射程において宮崎作品に描かれた「時間(の流れ)」を考えているはずだ。そして、もし宮崎が内田が考えたように考えていたとすれば、悠久からの植物的な時間に準拠した日本人の生活時間の喪失は、日本や日本人の喪失そのものではないか、という意味合いのところまで、拡張して考えていたはずだと思う。つまりその流れで考えると、宮崎はこの作品を通して「日本」や「日本人」が、あるいはその概念が「喪われてしまったんだよ」、ということを観客に突きつけたことになる。だとすれば、美しい風景描写は、日本はこんなに美しかったのだと誇示するものではなく、逆に喪失の意味の恐ろしさを、次に来る暗黒を、暗示するものかもしれない。もちろん風景や目に見えるものが暗黒になるという話ではない。「日本」や「日本人」がなくなるという話もピンと来ないが、だが、私たちが何になるのか、私たちはどこへ行くのかと自問すれば、明らかに恐怖は押し寄せてこよう。そして、私は内田も宮崎も一瞬かも知れないがその恐怖に触れたのだろうと想像した。
 
 内田が言う「植物的時間の喪失」、「日本人の生活時間の決定的な喪失」は取り返しのつかないものだ。内田によれば宮崎は喪失を観客に感知させるために、風が吹くなどの自然現象の描写を普通ではない細密さで描いた。もちろんそのことによって逆に「喪失」を感受させるためだ。だが、執拗に「喪失」を観客に気づかせることにいったいどんな意味があるのだろうか。「失った時間」への懐旧の情を共有したかったのだろうか。例えば、「昔の日本、日本人はよかった」というような思いの。おそらくはそうではない。ただ、自分の目に写る真実、事実を突きつけたといった方がよい。そして、この現状を目の前にしてあなたはどうするのか、と問いかけている。その問いかけが観客(私たち)に無言の、そして無意識裡に、静かなる戦慄を感じさせないわけがない。
 
 明治維新以後、植物的でアジア的な時間の残渣を帯びつつも、日本は近代化へと向かった。明治・大正・昭和にかけて近代化の獲得とアジア的時間の喪失とは表裏であり、また同義でもあった。近代化をはたすことはアジア的な段階からの離脱であり脱皮である。歴史は日本がそのように進むしかなかったことを教えている。世界情勢を受けてのこととはいえ、日本はそのことを選択した。今さら悔やんでもどうなることでもないし、悔やむべき事ではないと私は思う。
 さしあたって近代化は上手くいったと言うべきなのだろう。特にアメリカとの関係が密接になった第二次大戦後は経済的に大きく発展し、先進国の仲間入りを果たした。もちろんその一方で、地域や家族の諸関係、古くからの習俗、習慣、しきたりなどが近代化の余波を受ける形で大きく変貌することとなった。私などにはそれは日本的な生活様式やシステムの瓦解に感じられた。露骨な言い方をすれば、目に見え形に表れるものは豊かに繁栄したが、心とか精神とかのような形もなく目に見えることもないものは、路頭に迷っているというのが現在的な実感である。そしてさらにそれらから日本らしさ、日本的と呼ぶべき特徴や特質が見失われてきているのではないかということも、今日の実感としていうことができる。さらにもっと言えば、私たちは日本人という概念からも遠ざかっているような気がする。いったい、そうして私たちは何ものになろうとしているのであろうか。
 私はこんなふうに考えてきたが、世評、日本や日本人が美化された発言が昨今では多く聞かれるようになってきていると思う。私の感覚では日本人の誰もが非日本的化していると思えるのに、その度合いに反比例するかのように、日本的とか日本人らしさとかが逆に表面的に取り沙汰されるようになってきた。おそらくは明治以後の西洋化の最後の段階にさしかかって、消えかかった「日本的」なるものが危機の中に風前の灯火ゆえにかえって妖しい光芒を放っているものでもあろう。
 私は宮崎や内田が、アジア的そして日本的な時間が失われてしかももう元に戻らないものだとして愛惜する気持を尊重する。また、そのことが日本人のメンタル部分に、どれほどの深さと広がりとで影響を与えるか、控えめに映像作品や映画の感想という形で提出する姿勢に好感を持つ。しかし、そのことがどんなに日本や日本人に革命的な混乱や混迷をもたらす要因になるにせよ、私たちにとっては超えなければならない運命のようなものであって、今まさにどう超えていくかを宮崎や内田や武田邦彦などは考えるべき責務を担っているものと思う。彼らはしかし、失ってきたもの、失いつつあるものへの過度な愛惜を正統的なナショナリズムという形で表現するにとどまってしまっていると私には写る。それを敷衍しても、もう「美しい日本」には戻れないことは彼らがいちばんよく知っているはずなのに。
 ここ最近の内田や武田の言説は、古き良き「日本」の伝統解体を少しでも遅らせようと、意識的無意識的に意図した内容になっていたと思う。内田は負け戦が分かり切っていた大阪市長選で、橋下徹に対抗する政治思想の支援を買って出て維新勢力の減殺に奔走していた。武田は日本の歴史の再認識や、明治以後の戦争の再認識などをブログに展開し、ときには天皇の統治が世界に稀な優れたものであったと持ち上げたり、教育勅語を持ち出して今日にこそ必要とされる内容が盛り込まれたものと褒め称えたりしている。もちろん武田が言わずもがなのように言うように、日本にとって天皇の支配、統治がもっともよく合意できる政治形態であったことや、民衆にとっても非統治的な立場からはその形態がもっとも「楽なものの一つ」であったことはその通りだ。けれどもこのアジア的特質とも言える支配と被支配の関係が、今日の日米関係における従属的な姿勢にも波及していて、「アメリカの言うとおりにしていればいい、何故ならそれが楽だから」という姿勢に通底している。つまりこのように、従順なる従属性は長い時間をかけて作られてきた国民性のようなもので、王様に遜ることによって自分の身を守り生活をつなぐ処世のようなものになっている。そこに日本的美質が産みだされる土壌も形成されるのだが、現在世界の標準の考え方の原型をもたらしたヨーロッパの思考から見れば短所ともなり、美質と短所はあらゆる事象において重なり合い、どのような立場からのものであろうとも一方を誇張してすむような話ではないと私は思う。はっきりと言えば、内田や武田が昨今考えているような美しいだけの日本は、どんな過去を持ってきてもあり得なかったはずだ。
 ついでに言えば最近の武田は欧米の思考そのものにも批判の矛先を向けていて、そこはやや私なども考えるところであり、しかしそれをまともに考えたらこの文章は留保するかはじめから書き直しを迫られることになる。言うまでもなく、戦後生まれの私は欧米型の思考が優れたものだとして教育の大半をかけて教え込まれてきた。また社会に出ても表向きに通用する思考の基本が欧米の考え方を基礎としたそれであって、ただその上に日本的な受容と解釈と表現が成り立っている。これを疑って何が残るかと言えば、先に述べてきたことと同じに、アジア的な特質にまみれた思想や心情だけだと言ってよい。それを愚かだと言うつもりはない。古い日本に回帰し、アジア圏を構築して今日の中近東のように非西欧を貫くことも可能性のひとつではあるかも知れない。
 私は逆に、すっかり西欧型の思考に染まりつつ自立していくんだという考え方もひとつだと思う。また武田のように欧米の思考の型に危惧を抱けば、そこに日本的心情をかき混ぜて全く新しい型の思考を生み出せないだろうかと夢想することももう一つの道だろうと思う。
 いずれにしても、西欧型の思考を土台において批判検討した上で乗り越えていくということができなければ、文明開化の努力と軌を一にするアジア的時間の実際的な放棄とは無に帰すると私は思う。つまり持って回った言い方の上に何が言いたいのかというと、個人の自立と、自由・平等・助け合いの理念の下に社会が構築されること、それが望みなのだ。私たちはそのためにアジア的時間の喪失を覚悟してきたのではないか。私は宮崎にも武田にも内田にも、今さら「知らなかった」などとは言わせたくない。私たちの世代は誰もが地域や家族や風俗や習慣の変節を目の当たりにしながら、しかもそれをやむを得ないと半ば是認しながら歩んだはずだ。私には内田も武田も日本的なものの解体という犠牲の上に、自分たちの生涯や生活を築き、しかもややうまく立ち回ってきたものたちであろうと認識している。少なくとも、現在彼らが所有する知はいま述べたところの犠牲無くして成り立たなかった富のひとつだ。それは批判されるべきではなく、生活上からは当然の営為に含まれる。しかし、だからといって日々の瞬間瞬間に生起する疑義や認知や放棄や黙認といった心的な流れを闇に葬っていいというものではない。ましてそんなことはなかったかのように取り繕うこともまた、世間には通じても思想者、思考するものとしては信頼に値しないのではないかと私は思う。
 私たち世代は誰もがアジア的な時間の喪失という歴史の流れの中に今もあり、けして無縁であることができない。加速に抵抗するか積極的かの違いはあっても、いずれ個々の人為的な力は大きな流れの中でさほどの意味を持たない。ただその渦中を流れていることは否定できない。つまり私たちはそのことを認知しり得る。
 私たちにできることは、自らの思考の安全ではあるまい。これまでの営為が無に帰するとも、状況から振り落とされずにその行方を凝視し続けなければならない。改めて失ったものの美しさを語っている場合ではないのだと思える。そして宮崎も含め、特に武田や内田には停留を本質とするアジア的時間への懐旧の情ばかりでなく、より広範の歴史認識の中で私たちが目指すべき未来を指し示して欲しいものだと思ってきた。もちろんこの場合未来とはついの目先の未来ではなくもっと長い射程の未来であって、逆にその未来からの視線でもって私たちの近未来を明るみに出して欲しいのだ。そのことによってまた私たちの明日の指針は明確にされるのだろうと思う。
 私個人としては西欧型の思想や哲学は越えなければならない山であって、平たく言えば私たちはまだまだその水準に到達していないと思う。中途半端な模倣という段階にしかない。それは今回の震災や原発事故後の対策や処理で明らかになったと思う。変にアジア的・日本的な言説もあちこちに露出した。これでは西欧、欧米の影響を受けたとさえ恥ずかしくて言えないくらいのものだと思った。日本人の言動の芯には科学的・合理的あるいは論理性に貫かれた信念の欠片もなく、法の精神とか法令遵守の姿勢みたいなものも日常的なある段階のところまでは拘束性を持つが、ある閾値を超えると突然アジア的・日本的解釈でもって手放される。これは私には豹変としか写らない。悪く言えば本質的には「うそつき」の民族だと言うことになる。本当はこれは私たち日本人の本意ではないが、特に非日常のある局面ではこういう事が起こる。私はそこは欧米を模倣し、論理が骨肉化するまで自分たちのものとする影響を受けてもよいと思った。つまり一方では欧米化を進めつつ、また一方ではアジア的、アフリカ的であるというように、私たちの心情から精神までの作用を拡張していく必要があると思う。そんなことが可能かどうかはよく分からない。だが、包括的に内面の可能性の全てを開拓していく以外に、さしあたって今日の日本、世界を、そしてそれらの未来を私は考えることができない。
 
 
  消えた風景 『風立ちぬ』を巡って(2013.8.21)
 
 内田樹さんの8月7日のブログは、『風立ちぬ』と題して、宮崎駿監督作品の映画『風立ちぬ』についての感想めいたものが書かれていた。ちょっと面白くて、少し長いが、というより記事のほぼ半分ほどの量になるが以下に引用させてもらう。
 
『風立ちぬ』にはさまざまな映画的断片がちりばめられている。
それのどれかが決定的な「主題」であるということはないと思う。
むしろ、プロットがその上に展開する「地」の部分を丹念に描き込むことに宮崎駿は持つ限りの技術を捧げたのではないだろうか。
「地」というのは「図」の後ろに引き下がって、主題的に前景化しないものである。
宮崎駿が描きたかったのは、この「前景化しないもの」ではないかというのが私の仮説である。
物語としては前景化しないにもかかわらず、ある時代とその時代に生きた人々がまるごと呼吸し、全身で享受していたもの。
それは「戦前の日本の風土と、人々がその中で生きていた時間」である。
宮崎が描きたかったのは、私たち現代人がもう感知することのできない、あのゆったりとした「時間の流れ」そのものではなかったのか。
映画は明治末年の群馬県の農村の風景から始まって、関東大震災復興後の深川、三菱重工業の名古屋の社屋と工場、二郎たちが離れに住む黒川課長の旧家、各務原飛行場、二郎と菜緒子が出会う軽井沢村、八ヶ岳山麓の富士見高原療養所・・・を次々と細密に描き出す。
そのどれを見ても、私たちはため息をつかずにはいられない。
そうだ、日本はかつてこのように美しい国だったのだ。人々はこのようにゆったりと語っていたのだ。
それらの風景のひとつひとつを図像的に再生するとき、宮崎はアニメーターたちに例外的なまでの精密さを要求した。
自作自注の中で宮崎は風景についてこう書いている。
「大正から昭和前期にかけて、みどりの多い日本の風土を最大限美しく描きたい。空はまだ濁らず白雲生じ、水は澄み、田園にはゴミひとつ落ちていなかった。一方、町はまずしかった。建築物についてセピアにくすませたくない、モダニズムの東アジア的色彩の氾濫をあえてする。道はでこぼこ、看板は無秩序に立ちならび、木の電柱が乱立している。」(http://kazetachinu.jp/message.html)
「みどりの多い日本の風土」こそは、私たちが近代化することで(とりわけ戦争に負けたことによって)決定的に失ったものの一つである。
でも、厳密に言うと、私たちは「風土そのもの」を失ったわけではない。
国破れて山河あり。里山の風景は戦争に負けてもそれほどには傷つかなかった。
けれども、深く傷つけられたものがある。
それはそのような「みどりの多い日本の風土」の中でゆったりと生きていた日本人たちの生活時間である。
人々はかつてこの風土に生きる植物が成長し、繁茂し、枯死してゆく時間を基準にしておのれの生活時間を律していた。
植物的な時間に準拠して、それを度量衡に、人々は生活時間を数え、ものの価値を量り、ふるまいの適否を判断した。
でも、戦争が終わったときに、日本人はその生活時間を決定的なしかたで失っていた。
日本人は1945年にある種の「時間の数え方」を亡くした自分を発見したのである。
それは一度なくしたら、もう取り返すことのできないものだった。
農村の上空を飛翔する飛行機の風にゆらぐ稲や、軽井沢に吹き渡る風にゆらぐ草を宮崎は恐るべき精密さを以て描いた。
どうして、「風が吹く」ということを示すためだけに、ここまでの労力をかけるのか、怪訝に思う人がいるだろう(私は思った)。
「風が吹く」ということを記号的に処理する方法はいくらでもある。
マンガなら、何本か斜線を引いて「ひゅー」と擬音を描き込めば、それで済ませることだってできる。
でも、宮崎はそれをしなかった。
「風が吹く」というひとつの自然現象を記号的に処理しないこと、かけられるだけの手間をかけてその自然現象を描写し、その風の肌触りを観客の身体に実際に感じさせること、その効果に宮崎駿はこだわった。
おそらく、それが「失われた時」を感知させる唯一の方法だと宮崎が信じたからだろう。
植物は、ただの記号でもないし、舞台装置でもない。
芽生え、育ち、生き、死ぬものである。
そのようなものとしての植物に身を添わせるようにして、かつて人々は生きていた。
植物的な時間。
これは宮崎駿の選好する主題の一つである。
『ナウシカ』の腐海の植物も、『ラピュタ』で天空の城を埋め尽くす樹木も、『もののけ姫』の森も、人間たちの生き死にとはまったく無縁な悠久の時間を生きていた。
かつて人々はそのようにゆったりと流れる植物的な時間と共に生きる術を知っていた。
その知恵が失われた。
 
 私は映画を見ていない。だから内田さんが述べている感想や解釈の適否をあげつらうことはできない。けれども勝手なことを言わせてもらえば、『内田さんの言っていることはそんなに的外れなことではないんだろうな』くらいには思う。同時に、内田さんの文章が宮崎駿監督作品について述べたものであることを度外視しても、ということは私のような読み手が映画を見ていなくても、この文章をおもしろいと感じることは可能だと思う。現に私は映画も見ていないし、堀辰雄の作品も読まず、堀越二郎も知らない。だが、内田さんのこの文章は私にはおもしろいと感じられた。そしてそう感じたわけを言葉として、あるいは文章として言っておきたいと思ってこれを書き出している。
 
 内田さんが、宮崎監督は戦前の日本の美しい自然、風土、そしてそれらに依拠した人間生活、また内在した植物的と呼んでいいような時間を描いた、と語るとき、内田さんは宮崎さんの感性に同致している。つまり宮崎さんのことを語りながら内田さん自身の告白にもなっているように思える。私はそのように受け取った。そしてその時同時に内田さんにも宮崎さんにも、憎悪とか嫌悪にも似た感情を湧き上がらせたような気がする。『またしても自然回帰、過去への回帰、日本的アジア的特質への回帰、か?』と。そして一瞬後には戸惑いながら、『何故に期を同じくしてそこに走るのか?』という問いを問うている。このことはここに関連はないが、同じくブログをチェックしてきた武田邦彦さんの、最近の記事の傾向にも同じ趣が感じられていて気にしてきたところだった。
 引用した内田さんの文章を読むと、明治・大正期にはまだ残っていた日本におけるアジア的時間とともに、西洋に象徴される先進的な世界時間に日本が登場したという時代状況が語られているように思える。そしてそれ以後は、徐々に日本全体が加速する世界時間の中に組み込まれて進歩・繁栄を手にしていく中で、ゆったりとしたアジア的時間を、緩やかにまた急激に喪失していくという流れが見えてくる。ここに、失われていくアジア的時間への懐旧の念が生じることは容易に想像されることではある。
 何千年、あるいは何万年かもしれないが日本人がどっぷりと浸ってきたアジア的時間の日本人に残した遺伝的な痕跡が、たかが百年や二百年の社会状況の変化などで消失するなどということはあり得ない。日本人とは、アジア的時間の日本的特徴を備えた民族と言ってもいいくらいに分かちがたいものだ。当然、個人の中からアジア的時間を放出して、先進的な世界時間を総入れ替えすることには抵抗もあるし、発作だって起きる。またそうすることが正しいのかどうかも分からない。けれどもただひとつ言えることは、過ぎてきたアジア的時間にそのまま後戻りすることは不可能だし考えるべきことではない。もちろん現代という世界時間が顕わにする閉塞感や行き詰まり感の打開を考えたときに、アジア的時間の何らかの融合や再生のための変換手法が発見されれば、あるいは有効かもしれないというところまでは否定できない。そして、まだ誰もそこまでの射程で考えて回答を示してくれるものはいないと私は思っている。
 
 一家言を為す表現者や思考者たちは、何故今また純日本的なものへの回帰的な傾向を見せるのだろうか。彼らには一様といってよいほどに、「戦前の日本の風土と、人々がその中で生きていた時間」に対する郷愁が見受けられる。そして何がそうさせるのか。
 一言で言えば彼ら巨匠たちは(すべての日本人といっても同じことだが)、生活や思考スタイルの欧米化の極限に到達したのだと思う。あるいはそう感受する現代という時代に遭遇した。つまり極限まで個々の内外に欧米化を取り込んで、そのあげくについに自らの内なる日本的なもの、アジア的なものとの融合が為しえないものと、自分の内面深くに降りたって結論するに至ったからにほかならない。私にはそう思える。このことはそう単純ではないが、あらゆる局面で実は表面化してきた事態には違いない。
 
 たぶん内田さんや宮崎さんや武田さんや私たちは、大きなくくりで言えば同世代に属すると思う。だから、私は宮崎さんや内田さんの「戦前の日本の風土」に対するイメージに少しも違和感はない。戦後生まれだが田舎育ちの私には、草木が繁茂する中に宇宙の天体の動きに合わせて生きる植物時間と、さらにそれに合わせた人間社会の時間の流れというものを彼らのように感じることができる。つまり、内田さんの「日本はかつてこのように美しい国だったのだ。人々はこのようにゆったりと語っていたのだ。」という言葉に、即座に感応できる。だが、私にはそれを郷愁として許容することもできないし、『「失われた時間」を求めて』という言葉に表すことも、とても出来たものではない。私に言わせればそんなことにうつつを抜かしているような余裕はない、ということになる。これはどのように受け取ってもらってもけっこうだが、日々の生活に四苦八苦している大衆にはおよそ無縁の世界であり、まだ教養の世界に遊べる若者や知識人の中でだけ通用する感性の表れであると思う。
 
 山間の小集落の間を、幅二間ほどの広さの川が縦に曲がりくねって流れている。川沿いには上から下へと水田が続き、川を挟んだ両側の奥には馬車を通すほどの道がどちらにもあって、その道沿いに少し間隔をとって農家が並んでいる。わたしたちが子どもの頃はやっとバスが走り始めたくらいで、車などはたまにしか見かけなかった。まだ道には牛や馬の姿の方が多かった時代である。
 春夏秋冬の自然の美しさをあげだしたらきりがない。冬の夜に、父の背に負われて近所の叔父の家に風呂をもらいに出かけて見上げた星空。夏のかんかん照りの日の、部落の子どもたちみんなが集まって川で水浴びした光景。日々の生活の思い出も、語り出したら一冊の本を書くのと同じになるだろう。
 それはなつかしい郷愁を呼び覚まし、たしかに「美しかった」としか言いようがないし、地域の人々の優しく穏やかで調和のとれた共同生活というものも、いま思えばいっそう価値のある暮らしであったと感じることもできる。そういう中で暮らせた一時期を誇りに思うこともできる。そして宮崎さんや内田さんが言うように、それらすべては「少し前まで人々がその中で生きていたけれど、いつしか失われてしまった時間」であるという感慨もまた、現在の私たちははおそらくは共有しているということができそうに思える。けれども、そう言ってしまうことは私には悔しくてたまらないことである。何故かといえば、文字通りそれは「失われた」時間であると同時に、私たちが「捨ててきた」時間でもあり、「捨てることを強いられた」時間でもあるからだ。もちろん私(たち)は積極的にそれを捨ててきたわけではない。すべての状況が、私(たち)をしてそれらを捨てさせたのだ。ちょうど映画『風立ちぬ』の二郎が「捨ててしまった」ようにだ。今頃になってそれを懐かしく感じてなんになろう。それを言葉に表してなんになろう。もしも、本当にそれを「失われた大事な時間だった」と感じるとすれば、それはそれ以後を無意味であったと述懐することと同じではないのだろうか。つまりそういう文脈の流れでは人間の営為はいつも、未来に向かうことが本当は大事な時間を失っていくことだということになるのではないか。
 宮崎さんや内田さんや武田さんたちにとって、もはや「現在」とは無意味な時間になったということなのだろうか。つまり、もう少し拡げて言うと、戦後をすべて無為に過ごしてきたとか、戦後はすべて無意味になったと断定したいのだろうか。もしもそうだとしたら、彼らの今日の名声や地位に与してくれた大衆、一般生活者である私たちは、あるいはもっと身近な彼らの支援者たちはそのことをいったいどう捉えたらよいのだろうか。「失った時間」と言いながらそれを奪還する気もなく、ただ己の喪失感や虚無感を満足させるだけの作品を見せられて、同じように「失ってきた時間」と呟いて共同のぬるま湯に一緒に浸れとでも言うのだろうか。私はごめんである。「失った」時間とじっと対峙して、何か答えのようなものが浮かび上がって来るというなら別だ。だがそんなことがあるはずはない。あるいは対峙し続けることに特段の意味があるようにも思えない。宮崎作品の美しい映像、風景描写を、表現された言葉からイメージすればそれは美しくまたゆったりとした時間も表現されているが、私には、作品がリアリティーを出せば出すほど、本当に生きた人間は不在の、廃墟の描写としてしか受感されない。たしかに美しいが、そこに、私は「いない」、私たちは「いない」、命あるものはそこには「いない」。ただ、細密な時間だけが流れている。
 
美しい飛行機を設計することを夢見た一人の青年が穏やかな少年時代から妻を失うまでの間に、最も大きく変わってしまったものは、何よりも時間の速度だった。
そして、まことに皮肉なことに、ゆったりとした時間の流れに身を浸し、その中で植物的時間を享受することをおそらく望んでいた青年は、その半生を航空テクノロジーに捧げることによって、「時間の流れを爆発的に速める」という人類史的事業に深く加担してしまったのである。
ゆるやかに大空を舞うように飛んでいた二郎の足踏みの「夢の飛行機」が、空気の壁を切り裂くように飛行する零戦に変容するまでの十数年の間に、彼は顕在的な夢を実現しつつ、彼自身の潜在的な夢を破壊していたのである。
宮崎は主人公の造形についてこう書いている。
「私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。」
そのように簡単に言葉にできることを述べたくて宮崎駿はわざわざ映画を作ったわけではない。
「映画でなければ表現できないこと」を描きたくて、宮崎はこの映画を作ったのだと私は思う。
「失われた時間」を求めて。
 
 二郎は、たしかに内田さんが表現したように、「顕在的な夢を実現しつつ、彼自身の潜在的な夢を破壊し」たと言えるのだろう。科学文明の進歩・発達には寄与したが、という話だ。それは宮崎さんや内田さんにも言えることのように思える。分かりやすく言えば西洋的な合理的・論理的・科学的な思考方法を身に付けて、ある境地を極めるところまでは到達した。だが、ある時ふと気づいて振り返ると、何か大事なものを忘れて来たか、落としてきたような気がする。それは一言でいうとアジア的な時間であり、日本人のアイデンティティーそのものと言ってよいなにかだ。人生における往相から還相へのターニングポイントで、一家言の巨匠たちは、奇しくも思いを同じくしているということなのだろう。
 内田さんの文章の中の宮崎駿は「映画でなければ表現できないこと」を描きたくて映画を作ったのだが、本質的に言えば成功者の感傷に過ぎない述懐のようなそれを見て、観客としての私たちは何を思えばよいのか。私ならば「ふざけるな」と言いたい。内田さんも宮崎さんも武田さんも、「失われた時間」の過程を自己の形成に十分に活用し得た、そういう人々である。そのことを忘れてもらっては困る。比喩的に言えば資本主義の恩恵に十二分に浴しながら、資本主義は悪だという言い方をする連中と彼らの現在的な感慨とは、何ら変わりがないと私は思う。そうじゃない、そのおかげであなたの現在があるのでしょう。しかもそれは底辺の庶民から見れば、「うまくいったほうじゃないか」と見える人生だったように思える。少なくとも表面的な彼らの処世の姿からは、そう見えることは間違いがない。彼らが顕在的な夢を実現しつつ、潜在的な夢を破壊した人々だとすれば、私たち無名の庶民は顕在的な夢にも挫折し、潜在的な夢も見失った人たちと言うことになる。けれども、いずれにしても言い方を変えれば互いにアジア的なもの、日本的なものを解体させてきたのであって、そこには躊躇すべき理由も他の選択肢も無かったのであり、必然的な流れの中で現在を迎えているに過ぎない。
 アジアや日本といった固有の時間を失うことは当初から分かり切ったことであった。当時は負の遺産と自覚されていたことだからだ。そこから脱皮しようとして、誰もが成虫になり得たように錯覚するが、半ばグロテスクで醜塊な現実は蛹の姿に過ぎないのかも知れない。つまりまだ西洋を取り込んだ果ての真の、新生日本は誕生していないと言うべきだ。
 
 内田樹という人もずいぶんと「かっこよい」事を書く人なんだなと思う。
 宮崎や内田や武田がそろってこの時期に、日本的なものの復権や価値の見直しを図っても、それ自体を私は悪いと批判するつもりは少しもない。戦後の一般的大衆的な知はそこを見過ごしてきたという事実は否めないからだ。大事なのはそれをどういう「台」の上に乗せて見直すかの、その「台」が何かという問題だと思う。
 
 失われた時間と言えば、失われた日本とか失われたアジアとかの言葉を連想する。そして、完全な喪失を自覚しはじめているのはアジア圏の中でも日本だけだろう。
 失われたアジア?それはもう戻れないということであれば、日本はどこに向かっているということになるのだろうか。西洋の歴史になぞらえればヨーロッパの古代へということになりそうだが、まさか。
 
 いずれにしても、明治以後の文明開化のその果てで、知や芸術にたずさわる我が巨匠たちは現代社会の突端に位置して、一様に「こんな筈ではなかった」と述懐している図が思い浮かぶ。『風立ちぬ』の二郎が現実的な夢は手にしたのに潜在的な夢が破壊されたと同じに、これらの巨匠たちは名声や地位を手にしながらもうひとつの夢から見放されたか、見失ったか、挫折してしまったかのようだ。そしてアジア的時間に回帰しようとしている。これは戦後どころか明治以降の庶民の苦労を無駄に帰する、エリートたちの、統治者風の視点に自らを擬した思想的な無意識の回転が顕在化したものと私は思う。
 
 
 『改憲案の「新しさ」』(内田樹)を読む(2013.5.16)
 
その一   2013/05/11
 昨日、「日本の現在地」と題した思想家内田樹さんのブログ記事を読んで感想めいたことを書いたが(『日記風2011年11月から』に掲載「日本の現在・国民国家解体の危機」)、直前にもうひとつの記事があった。それには自民党の憲法改革案に関連しながら、草案に無意識に表明されたいわゆる改憲勢力の考え方の、ある新しさについて触れている。
 そのことに言及する前に、内田さんはいま世界が地殻変動的に大きく変化しようとしていることについての認識を、以下のようにとらえて書いているので引用してみる。
 
大づかみに言えば、私たちが立ち合っている変動は、グローバル資本主義という「新しい」経済システムと国民国家という「古い」政治システムが利益相反をきたし、国民国家の統治システムそのものがグローバル資本主義の補完装置に頽落しつつあるプロセスのことである。その流れの中で、「よりグローバル資本主義に親和的な政治勢力」が財界、官僚、マスメディアに好感され、政治的実力を増大させている。自民党の改憲草案はこの時流に適応すべく起草されたものである。それは言い換えると、この改憲案には国民国家解体のシナリオが(おそらく起草した人間にも気づかれぬまま)書き込まれているということである。(太字|佐藤)
 
 私たちは資本主義という経済システムが高度化し、超資本主義という段階に入ったという言説を10年以上前に吉本隆明さんから聞いている。それから言えば、内田さんが言う「グローバル資本主義」という言葉と、それがより「新しい」段階の経済システムだという見解もそれほど驚くことでもない。いずれにしても資本主義の高次の高度化の問題で、内田さんはこのグローバル資本主義という経済システムが、国家の枠を超えて完全に一人歩きしていることを指摘している。それだけではない。この新しい経済システムは、国民国家という古い政治システムを解体、若しくは別物に改変しようと意図することや、あるいは、新しい国家の形態を要求しているということも言外に含ませて語っているように思える。内田さんは明確に言及していないが、文脈の流れからは、この新しい経済システムに見合った「新しい」統治システムが要求されるだろうことは容易に予想がつく。
 日本の政財界、官僚、メディアは一体となって流れを形成し、グローバル経済システムを後方支援する形をとっているといって過言ではない。彼らの多くがこの流れに乗らない手はないと考えるのは当然である。そこで、「古く」なった国民国家を改変する手順のはじめとして憲法改正案が自民党から出されることになった。もちろん、「よりグローバル資本主義に親和的な政治勢力」によるものであることは言うを待たない。
 
 だが、改憲問題について語られるのは、先に引用した文章のすぐ後にというわけではない。その前にもう少し国民国家と今日的なグローバル企業との違いについての予備考察という形でページが費やされている。
 先の引用の後、まず、国民国家というものが長期の展望に立つ制度であるのに対し、企業は基本的に短期の利益追求を計る組織だという違いが述べられる。
 
グローバル資本主義は「寿命が5年の生物」としてことの適否を判定する。国民国家は「寿命100年以上の生物」を基準にして判定する。
 
 内田さんによれば、株式会社の平均寿命は日本で7年、アメリカで5年という統計があるそうで、考えてみれば経営計画もそれくらいのスパンでしか意味をもたないし、それ以上の期間を考えることは一種空想の領域に入ってしまうことになる。大手の有名企業を基準として考えがちな私たち庶民には、会社の寿命が5年前後という実態は目から鱗の驚きでもある。短期に利益を追求し、それがうまく行かなかったら即時に会社をたたむ。そんな会社が案外多いのかもしれないと思える。
そういう会社が地域のこと、社会全体のこと、従業員の生涯の生活のことなど考えられるわけはない。もっと端的に、造っては壊す、壊しては造る、短い期間でのそうした繰り返しの中に参入して利益にありつこうというのが現代的な会社だとさえ思えてくる。このことについては、だがもう少し勉強しないと確かなことは言えない。
 次には機動性の違いが言及される。国民国家は土地に縛られ、境界線内の居住する国民を背負い込んでいる。グローバル企業は自己利益を最大化することが目的だから、そのためなら不揃いに独立した各国家の一切の制約なしに動きたいわけで、その意味では国家の境界は文字通りのバリアーとして企業にとって不快な存在となる。「全世界を商品と資本と人と情報が超高速で行き交うフラットな市場に変えたい」というのがグローバル企業の強い望みだと内田さんは指摘する。
 こういうところでは既知のものとして、開かれた国家、閉じた国家という概念を思い浮かべるが、ここで開かれているのは国家ではなくグローバル企業が先であって、このグローバル企業が国家をこじ開けるかのようなイメージを抱く。これはよいことか、悪いことか?内田さんはしかし、この後に怒りを秘めた大いなる懸念、不安めいたものを表明する。 せっかくの機会だから、内田さんの認識する歴史的状況がどんなものかを知りうるためにも少し長いけれども引用してみる。
 
このような状況下で、機動性の有無は単なる生活習慣や属性の差にとどまらず、ほとんど生物種として違うものを作り出しつつある。
戦争が始まっても、自家用ジェットで逃げ出せる人間は生き延びるが、国境まで徒歩で歩かなければならない人間は殺される。中央銀行が破綻し、国債が暴落するときも、機動性の高い個体は海外の銀行に預けた外貨をおろし、海外に買い整えておいた家に住み、かねての知友と海外でビジネスを続けることができる。祖国滅亡さえ機動性の高い個体群にはさしたる金銭上の損害も心理的な喪失感ももたらさない。
そして、今、どの国でも支配層は「機動性の高い個体群」によって占められている。だから、この利益相反は前景化してこない。奇妙な話だが、「国が滅びても困らない人間たち」が国政の舵を任されているのである。いわば「操船に失敗したせいで船が沈むときにも自分だけは上空に手配しておいたヘリコプターで脱出できる船長」が船を操舵しているのに似ている。そういう手際のいい人間でなければ指導層に入り込めないようにプロモーション・システムそのものが作り込まれているのである。とりわけマスメディアは「機動性が高い」という能力に過剰なプラス価値を賦与する傾向にあるので、機動性の多寡が国家内部の深刻な対立要因になっているという事実そのものをメディアは決して主題化しない。
スタンドアロンで生き、機動性の高い「強い」個体群と、多くの「扶養家族」を抱え、先行きのことを心配しなければならない「弱い」個体群の分離と対立、それが私たちの眼前で進行中の歴史的状況である。
 
 これを読んで内田さんの今日の支配層に対する怒りが伝わらなかったら嘘だと思う。
 すこしばかりマンガチック(強調されたコントラスト)でないこともないが、私などの思い描く指導者層のイメージとそんなに違いはない。ただ意識的か無意識的か分からないが、国民国家と被支配層にある国民とがここでは微妙に重ね合わせられて、グローバリストである支配層との対立した構図、図式が描かれている。これはより単純化すれば、指導者層に連鎖する一群と、中層から下層の庶民との対立が物語られると言ってよい。
 
その二    2013/05/16
 内田さんの『改憲案の「新しさ」』は、彼のブログ記事としては長い方である。そしてまたかなり重要な内容を含んでいると私は思っている。そこで、一気には読み解けないので、この記事に対する私の対応として何回かに分けて考察した方がよいと考えた。これが二回目になるが、これで終えることができるかどうかは成り行き次第ということになる。 さて、先の引用の続きに、「ここでようやく改憲の話になる」という一文が書かれている。だが本論の中の各論が論じられるのではなく、ほとんど総論と言ってもよい内容が語られている。そこには内田さんの憤怒が溢れるように流れ、何度読んでも私は強く引き寄せられ、同様の憤怒にかき立てられるようでならなかった。その文体、その声調は、他者をして内田さんの懐に引き込む魅力に富んでいると私は考えるほかない。そして本当は、多くの人がこれを直接に目にして欲しいと願わずにはいられなかった。ここではこれをどう裁けばよいのか、しばし黙考のための猶予を必要とするように思い、思いながらしかし何も変わらないだろうこともまた予測がつくのである。
 とにかく、先へ進む。
 続いて語られていることは、かつてのこの国家の要人は、この国に存する国民の生活と安全のためを考えて政治に携わったということであり、今日の過半の政治家はそうではないという新旧の違いだ。そして新しいものたちの今日的な実際について、鋭い言葉の矛先でその観念するところの深層を抉り出している。たとえば以下に引用するような文章によって。
 
もう今、「この四つの島から出られないほどに機動性の低い弱い日本人」を扶養したり、保護したりすることは「日本列島でないところでも生きていける強い日本人」(註 およそグローバリストの成功者たちのこと|佐藤)にとってはもはや義務としては観念されていない。むしろ、「弱い日本人」は「強い日本人」がさらに自由かつ効率的に活動できるように持てるものを差し出すべきだとされる。国民資源は「強い日本人」に集中しなければならない。彼らが国際競争に勝ち残りさえすれば、そこからの「トリクルダウン」の余沢が「弱い日本人」にも多少は分配されるかも知れないのだから。
 
 自分もまた「日本列島でないところでも生きていける強い日本人」の政治的グローバリストたちは、「この四つの島から出られないほどに機動性の低い弱い日本人」のことを、誇張して言うと、もはや実質的には政治的に考慮をする対象とは見ていない。そうした現状がはっきりと見て取られている。そればかりか、同様にグローバリストたちは「『弱い日本人』は『強い日本人』がさらに自由かつ効率的に活動できるように持てるものを差し出すべき」と考えているという。これは内田さんの認識であり、内田さんの感受性に映し出されたものだ。マスメディア等を通じて伝えられる政治家たちの動向は、内田さんと私たちとでは専門家と素人との違いはあるだろうが、おそらく目に映し、耳に聞くものという次元ではあまり違いはない。言わば、同じものを見て内田さんはこういう見方が出来て、なおこれを全体的構造的にとらえることが出来ているということになる。当然だが、同じ光景を見ながら、これらの政治家たちの言動を真剣に日本の将来を考える結果だ、と賛同的にとらえる立場というものも認めなければならないと思える。それはNHKを筆頭とするテレビ界や大手新聞、それらに群がるメディア知識人、ジャーナリストらの多くがそうだ。すべて政府の意向にすり寄って考え方を組み立てているといってよい。みんな支配層、指導層に組み込まれたいと願っている連中だ。そうしないと自分の専門の分野での活躍や、自分の考えの現実化が難しいと考えるからだろうと思う。また、「弱い日本人」の側に入る人たちの中にも支持者はいる。グローバル化した熾烈な競争社会の中では、俗にいうアメリカンドリームのような「どんでん返し」を期待してのことだ。そこには宝くじを買うときのような、確率的に平等という思い込みが耳元でリフレインされる。だが、「頑張ればそれなりに報われる」社会と喧伝されている社会で本当に報われるには無形の資格や条件がいるし、もっと露骨にいうと「強い日本人」の中でだけ、成功と報酬のキャッチボールが繰り返されるにすぎない。なぜなら、半無意識的ながら、そういうような制度作りを目指そうとしているのだから。結局、アメリカンドリームならぬジャパンドリームの確率は宝くじよりもはるかに低いものにすぎず、天文学的と言っていいと思う。少なくとも、こういうような文章を読んでいる人たちの中からは巨万の富を手にする人は出ない。絶対に出ない。これは自信を持って断言できる。(まあ、この文章を読む人なんて滅多にいないんだし、これくらいのはったりなら言っても害はないでしょう。)
 私自身はここでの言葉に倣えば、「弱い日本人」に属することは間違いない。まがりなりにも税金を払う立場から言えば、それらがすべて「強い日本人」たちのために流用されてしまうことは何がどうであろうと面白いはずがない。内田さんのブログの文章は次にこう続いている。
 
改憲案はこの「弱い日本人」についての「どうやって強者に奉仕するのか」を定めた命令である。
人権の尊重を求めず、資源分配に口出しせず、医療や教育の経費は自己負担し、社会福祉には頼らず、劣悪な雇用条件にも耐え、上位者の?使に従い、一旦緩急あれば義勇公に報じることを厭わないような人間、それが「弱い日本人」の「強い日本人」に対する奉仕の構えである。これが安倍自民党が改憲を通じて日本国民に飲み込ませようとしている「新しいルール」である。
少数の上位者に権力・財貨・威信・情報・文化資本が排他的に蓄積される体制を「好ましい」とする発想そのものについて安倍自民党の考え方は旧来の国民国家の支配層のそれと選ぶところがない。だが、はっきり変わった点がある。それは「弱い同胞」を扶養・支援する「無駄なコスト」を最少化し、「すでに優位にあるもの」がより有利になるように社会的資源を傾斜配分することを確信犯的にめざしているということである。
 
 
 私は批評家ではないし、新聞の切り抜きなどを保管したりなどしないからここにいちいちを証明してみせることはできないが、安倍首相をはじめとした政府閣僚、安倍支持の自民党首脳や各議員たちの昨今の言説からこの文章に込められた意味合いはよく了解することができる。特に末尾の太字の部分の「無駄なコスト」の削減では、医療費や生活保護費などの見直し、教育の制度や内容の見直しを話題にする点に、すでにその心理は反映していると考えてきたところである。
 いや、それもあるが引用部の前半もまた見過ごしてはならない重要な部分である。重ねてそれを引用すれば、
 
人権の尊重を求めず、資源分配に口出しせず、医療や教育の経費は自己負担し、社会福祉には頼らず、劣悪な雇用条件にも耐え、上位者の?使に従い、一旦緩急あれば義勇公に報じることを厭わないような人間、それが「弱い日本人」の「強い日本人」に対する奉仕の構えである。これが安倍自民党が改憲を通じて日本国民に飲み込ませようとしている「新しいルール」である。
 
 となる。繰り返して言うが、これは内田さんが安倍自民党の改憲案からあぶり出したグローバリストたちの本意と言うことであり、彼らが直接にこの意味を口にしているわけではない。これが本当かどうかを信じるか否定するかは読者に任せられているわけだが、私はこれを信じ、また共感する。私などの目にも政府や関係者がやっていることはこういうことだとしか見えない。なぜなら、いくつか例に上げられた項目についての国民の、善処して欲しいという願いはことごとく無視に均しい扱いを受け続けていると感じられてきているからだ。
 ちょっと脇道に逸れるが、ここまで書いてきて、結局のところ私は内田さんの文章は私が感じたり考えたりしていることを上手に代弁してくれているものとして共感し、また優れていると考えているのだなと思う。思いを、言葉として鮮明に書き表すことはそれほど容易ではない。内容が深く広ければなおさらだ。単に文章がうまいというのではなく、言葉にすることが困難な事柄を分かり易く言葉で表現し得ている。そこにも私は感心するわけだ。 さて、先の引用の文章に戻って言えば、いったい時流の支持を得た支配層、指導層の連中は、私たちありきたりの生活者をどこまで軽んずる気かと憤りを覚えずにおられない。全くふざけた話で、私ひとりだけでも一個の人間としての立場で彼らと拮抗する方法と手段を何とか手に入れたいと思う。つまり、その「新しいルール」に対して毅然と「否」を唱え続けたいと願う。「私」がそれをしなければ「私」自身でもある他者がそれをするわけがない。また「私」にやれないことであれば、どんな「私」にもやれるわけがない。少なくとも、それと知りながら「強い日本人」に奉仕するような真似は、たとえ間接的な、迂回する形をとった場合でもしないですませたいと思う。ただその流れをくい止められるかどうかになると、策は何もない。
 
改憲の目標は「強い日本人」たちのそのつどの要請に従って即時に自在に改変できるような「可塑的で流動的な国家システム」の構築である(変幻自在な国家システムについて「構築」という語はあまりに不適当だが)。
 
国家システムを「機動化する」、「ゲル化する」、「不定形化する」ことによって、個別グローバル企業のそのつどの利益追求に迅速に対応できる「国づくり」(というよりはむしろ「国こわし」)をめざした政治運動はたぶん政治史上はじめて出現したものである。
 
 経済優先、ということは産業や大企業優先の考え方はしばらく前から続いていて、私などのようなものから言わせれば目に余るものがあった。それでも、時々の政権はバランスをとるような姑息な手立ても忘れなかった。だが今回二度目となる安倍政権発足後、いくつもの支流が合流して大河を形成するように、一気呵成に内田さんが言うような「可塑的で流動的な国家システム」を目指す勢力が台頭してきたと思える。誰が見てもグローバル企業の利益追求に迅速に対応できる「国づくり」を目指していることは明白だ。いや、あからさまだと言ってもいいくらいだ。そして「弱者切り捨て」の思想も、語る言葉とは裏腹に、あるいは言葉の無意識に貼り付いて、はっきりと打ち出されていると考えられる。ここまで国家を首相個人の指導的考え方の元に改編しようとする動きを、たぶん私たちはこれまで体験したことがない。ちゃかした言い方をすれば、北朝鮮の金家の継承体制がちょっと似ている。これは安倍首相個人の指導力の強さというよりは、多分に時宜的なものが加担していると推測できるが、最も厄介なことは首相個人も背後に棲息するちゃちなブレーンたちも、自分たちが意図した結果について想像する力が非力だということだろう。内田さんも指摘している「改憲案」の抱える無意識と同じで、自分たちの論議や政策が総合的に考えてベストだと思っているから、その無自覚が厄介なのである。
 この後、内田さんは具体的に改憲草案の中からいくつかを示して、国民国家解体のシナリオを解読して見せている。
 だが、各論を読み、そこから内田さんの考えを抽出する作業を続けるには、もはや私の思考の体力が限界に来ている。とてもそのしんどさに耐えられそうにもないのだ。
 最後に各論のまとめとも言えそうな文末を、こちらもちょっと長くなるが引用して、あるいはこれっきりになるかも知れないのだが、このブログ記事へのコミットを中断するということにしたい。
 
だが、安倍自民党はそのような選択を拒んだ。改憲案は「他と同じような」、「戦争を簡単に始められる国」になることをめざしている。それは国民国家として生き延びることがもはや彼らにとっての最優先課題ではなくなっているということを意味している。漫然と馬齢を重ねるよりはむしろ矢玉の飛び交う修羅場に身を置いてみたい、自分たちにどれほどのことができるのか、それを満天下に知らしめてやりたい。そんなパセティックな想像の方が彼らを高揚させてくれるのである。でも、その高揚感は「国民国家が解体するリスク」を賭けのテーブルに置いたことの代償として手に入れたものなのである。「今、ここ」における刹那的な亢奮や愉悦と「国家百年の存続」はトレードオフできるものではと私たちは考えるが、それは私たちがもう「時代遅れ」な人間になったことを表わしている。国民国家のような機動性の低い(というか「機動性のない」)システムはもう不要なのである。グローバリストが戦争を好むのは、彼らが例外的に暴力的であったり非人道的であったりするからではなく(そういう場合もあるだろうが)戦争をすればするほど国民国家や領域国家という機動性のない擬制の有害性や退嬰性が際立つからである。安倍自民党は(本人たちには自覚がないが)グローバリストの政党である。彼らが「はやく戦争ができるようになりたい」と願っているのは、国威の発揚や国益の増大が目的だからではない。戦争機会が増大すればするほど、国民国家の解体が早まるからである。惰性的な国民国家の諸制度が溶解したとき、そこには彼らが夢見る「機動性の高い個体」たちからなる少数集団が圧倒的多数の「機動性の低い個体」を政治的・経済的・文化的に支配する格差社会が出現する。この格差社会では機動性が最大の人間的価値であるから、支配層といえども固定的・安定的であることは許されない。一代にして巨富を積み、栄耀栄華をきわめたものが、一朝あけるとホームレスに転落するめまぐるしいジェットコースター的な出世と降位。それが彼らの夢見るウルトラ・モダン社会のとりあえずの素描である。
改憲案がまず96条を標的にすることの理由もここから知れる。改憲派が改定の困難な「硬性憲法」を法律と同じように簡単に改廃できる「軟性憲法」に変更したいと願うのは、言い換えれば、憲法が「国のあるべきかたち」を恒久的に定めることそれ自体が許しがたいと思っているからである。「国のあるべきかたち」はそのつどの統治者や市場の都合でどんどん変えればよい。改憲派はそう考えている。
安倍自民党のグローバリスト的な改憲案によって、基本的人権においても、社会福祉においても、雇用の安定の点でも、あきらかに不利を蒙るはずの労働者階層のうちに改憲の熱心な支持者がいる理由もそこから理解できる。とりあえずこの改憲案は「何一つ安定したものがなく、あらゆる価値が乱高下し、システムがめまぐるしく変化する社会」の到来を約束しているからである。自分たちがさらに階層下降するリスクを代償にしても、他人が没落するスペクタクルを眺める権利を手に入れたいと願う人々の陰惨な欲望に改憲運動は心理的な基礎を置いている。
自民党の改憲案は今世界で起きている地殻変動に適応しようとするものである。その点でたぶん起草者たちは主観的には「リアリスト」でいるつもりなのだろう。けれども、現行憲法が国民国家の「理想」を掲げていたことを「非現実的」として退けたこの改憲案にはもうめざすべき理想がない。誰かが作り出した状況に適応し続けること、現状を追認し続けること、自分からはいかなるかたちであれ世界標準を提示しないこと、つまり永遠に「後手に回る」ことをこの改憲案は謳っている。歴史上、さまざまな憲法案が起草されたはずだが、「現実的であること」(つまり、「いかなる理想も持たないこと」)を国是に掲げようとする案はこれがはじめてだろう。
 
 中断するとことわっておきながらだが、最後の最後にひと言だけ付け加えさせてもらいたいと思う。
 内田さんの文章全体について、あるいは、同じことだが自民の改憲案を読み解いて起草者の思慮するところを引き出す作業について、私は内田さんの考えに共感し、全体的に支持することにおいてやぶさかではない。特に世界的規模の政治や経済の流れに迅速に対応するために、支配層にあるものたちがやむを得ないという考えの元に弱者に負担を強いるやり方を公然と、あるいは平然と行おうとする事態に憤りを覚える。だが、内田さんの文章はそうした憤りを述べるために書かれているようには思えない。私たち庶民に起これと言っているのでもないようだ。また安倍自民党の改憲案が、多数を獲得して実現するとも逆に実現しないだろうと予測するわけでもない。そういう意味では現実はこうなっているとか、状況がこうなっているとかを単に開示して見せているという趣の方が強い。少なくとも私にはそう感じられた。それは読者である私たちに、「こういうことだが、あなたはどうするか」という問いを投げかけるものであるというようにも読める。迸る怒りや憤りをなだめながら、冷静に筆を運ぼうとしているというふうにも感じられる。
 いずれにしても、東日本大震災以後、内田樹さんと武田邦彦さんのブログをほとんど欠かさず読み続けてきて感ずることは、国を挙げてというか、支配層・指導層にあるものたちが、私利や保身なども含めて自己満足のためにあからさまに、露骨に、やりたい放題をやり、さらにそれを助長するシステム作りに喜び勇んで取り組む姿だ。
 少し前に私は、企業がコストカットの名目で人件費削減に取り組むのを、しかもそれが投資家や経営者のために過剰なまでに行われていると感じて「人喰い」と呼んだが、ここに来てこの「人喰い」は単独の企業どころか国家的規模にまで及んでいると感じる。富裕層、支配層、指導層、それらで構成した不定形の共同体のために、それらを支えるための、それらに人肉の美味さを味わわせるための、政治・経済のシステム作りが進んでいる。この事態は、民主党の体たらくが呼び込んだと言えなくもない。それがあまりにひどくて民主は選挙に大敗したが、この期に乗じて安倍自民党は勢い付き、矢継ぎ早に懸案事項の論議を進め、政策を確定し、メディアを通しての国民へのアピールも怠らず、今日におよんでいる。だが、反面私などが第一義に関心をもつ福島の除染問題や放射線量関係については、マスコミと一蓮托生となって故意に話題を遠ざけているとしか思えない。景気対策、経済対策に陣頭に立って采配しているような印象に比して、福島復興、被爆軽減等に関する安倍首相の姿勢はいかにも印象が薄く、大臣や関係者任せとすら感じられる。これが安倍首相の本体であり、本来的な姿であると私は思う。外交関係も同様で、概ね内田さんがここで素描している通りであろうと思う。政治家、あるいは歴代の首相としてけしてぼんくらとは言えないが、それほど底に深みを持つ人間であるとは思えない。もしかすると維新の志士気取りかも知れない橋下と同程度で、逆に、もしかすると坂本龍馬にしろ西郷にしろその他諸々の維新の志士たちも、あるいは案外今日の安倍や橋下とそれほどの器の違いはなかったのかも知れないと思わないでもない。
 言わば第二の開港とたとえてみれば、内田さんは幕府側で安倍さんや橋下といった連中は尊皇攘夷派か。もちろんこれは冗談半分とはいえ、私自身は古い国民国家がいいとも新しいグローバル化対応国家がいいとも考えない。言い換えれば幕府側にも尊王攘夷派にも肩入れする気にはなれない。それはどちらも同じ穴の貉で、単に党派的な違いでしかないように思えるからだ。いずれ権力を握ってしばらくすれば、庶民、国民、ごく普通の生活者たちは、相変わらず自分たちが権力からは遠い存在であることに気付くにすぎない。つまり内田さんの『改憲案の「新しさ」』には、こうした両義的側面が付加されてくると思える。
 
 
  なぜ今「アフリカ的段階」なのか(一)(2013.3.6)
 
 日本の支配層、指導層、エリート層、上層部、富裕層、どう呼んでもいいが、要するに一般大衆よりもいい思いをしながら生きている人々のことを考えると、つい、ヘーゲルを結びつけてイメージしてしまう。
 ヘーゲルについて詳しく知っているわけでもないし、研究したと言えるほどその著作を読みふけったわけでもない。たぶん、二、三の著作をとばし読みした程度だ。あるいは批評家や思想家の著作に引用されたり、要約されたりしてインプットされたヘーゲルのイメージがそのまま固着されて、それが表層に浮かんでくる、そんな程度のヘーゲル像なのだ。
 そんなぼくの中のヘーゲルは、近世ヨーロッパの巨大な知性の象徴である。言いかえれば、知の頂きに君臨する巨人である。
 彼の特徴に、頂きにある自分(あるいはヨーロッパ)を基準として、たとえばアフリカ世界を眺めるということがある。すると当然、彼の目に映じるアフリカは粗野だとか野蛮だとか、あるいは残虐とか無法状態とかというようになる。
 吉本隆明は『アフリカ的段階について』と題した著述の中で、ヘーゲルの歴史哲学の原理をなす文明史観を批判している。
 
 私たちがヘーゲルのアフリカ的な世界への理解といちばん離れてしまう点は、原住民が人間としての豊かな感情や情念をもたず、宗教心も倫理もまったくしめさない動物状態の野蛮とみなしているところだ。ヘーゲルは野蛮や未開を残虐や残酷とむすびつけ、生命の重さや人間性を軽んじている状態にあると解釈している。だが現在のわたしたちは西欧近代と深く異質の仕方で自然物や人間を滲みとおるように理解し、自然もまた言葉を発する生き生きした存在として扱っている豊かな世界だとおもっている。文明の世界が残虐で野蛮だとみなしているものは、独特な視点から万有を尊重している仕方だと解することもできる。
 ヘーゲルはいわば絶対的な近代主義といえるところから、世界史を人類の文明の発展と進化の過程とみなした。そこからは野蛮、未開、原始のアフリカ的なものは、まだ迷蒙から醒めない状態としかかんがえられるはずがない。たしかに自然史(自然をも対象とする歴史)としては妥当な視方だという考えも成り立つ。だが人間の内在史(精神関係の歴史)からみれば、近代は外在的な文明の形と大きさに圧倒され、精神のすがた形はぼろぼろになって、穴ぼこがいたるところにあけられた時期とみることもできる。外在的な文明に侵されて追いつめられ、わずかに文化(芸術や文学)の領域だけを保ってきた。そして文明はこの内在的な文化(芸術、文学)の部分を分離して削りおとすために、理性を理念にまで拡げる過程だったとみなすこともできる。精神の内在的な世界は複雑さと変形を増したが、輪郭を失って文明の外観からは隠れて見えなくなる過程だったといってもいい。現在が、ヘーゲルの同時代の精神よりも、認識力を進化させたとは到底いえないとしても、内向して深化してゆく認識を加えたとはいえよう。
 ヘーゲルの同時代は絶対の近代主義が成立した稀な時期といってよかった。時代が歴史を野蛮、未開、原始と段階をすすめるものとみなしたのは、内在の精神史を分離し捨象しえたためはじめて成り立った概念だった。現在のわたしたちならヘーゲルが旧世界として文明史的に無視した世界は、内在の精神史からは人類の原型にゆきつく特性を象徴していると、かんがえることができる。そこでは天然は自生物の音響によって語り、植物や動物も言葉をもっていて、人語に響いてくる。そういう認知は迷信や錯覚ではない仕方で、人間が天然や自然の本性のところまで下りてゆくことができる深層をしめしている。わたしたちは現在それを理解できるようになった。これはアフリカ的(プレ・アジア的)な段階をうしろから支えている背景の認識にあたっている。
 わたしたちは現在、内在の精神世界として人類の母型を、どこまで深層へ掘り下げられるかを問われている。それが世界史の未来を考察するのと同じ方法でありうるとき、はじめて歴史という概念が現在でも哲学として成り立ちうるといえる。
 
 知性、理性、これもまた何でもよいが、ヘーゲルの文明史観、歴史哲学が無視したアフリカ世界のように、「理知」が無視して切り捨てる世界が今日にも存在するように思えてならない。
 吉本の考察の次元を低くしてぼくたちの生活の場に降ろして考えるときに、吉本の文章に描かれるヨーロッパ近代とアフリカ世界の対比はぼくにはエリート層の世界と一般大衆の世界、あるいは大人の世界と子どもの世界というように読み替え可能な気がする。そして、いずれも知的に発達したり能力が優れていることでそうでないものたちを従える(支配する)という構図が生じているように思える。これは当然といえば当然、妥当といえば妥当と言えるかもしれないが、弱さや下層の立場にあるものにとってはいつまでたっても面白くない世界ということになる。これまでのところ、高度な文明の原動力といえる西洋発の「理知」が果たしてきた役割といえば、マイナス面を特化して言うとより劣るところの文明を駆逐し、植民地化し、収奪し、自分たちのためにだけ利用するだけのことではなかったかと、考えられないこともない。
 この国の指導者、エリートたちは、ヘーゲルがアフリカ世界を歴史の考察の対象にならないとして除外したように、一般生活者大衆を無知蒙昧と一括りにし、さらにこれを無視して共同体の運営を行うことを習慣としている。政治、経済、学問などあらゆる分野領域で、ヘーゲル的な理性、理念そして知からの視線(歴史観・文明史観)が放射され、大衆の「非知」的ながらも豊かな感情と情念の世界を正当に認知せず、しかもそこから意味と価値とを抜き取り続けてきたといっていい。要するに無意味な存在か何かのように扱ってきている。昨今はそれが際だって感じられる。
 吉本の意図は、はたして歴史は文明史的な考察だけで済むのか、そうした一面的な捉え方で現在にも歴史概念は通用するかという問題提起にあると思える。また、異議申し立てに際して吉本が提出しているのは、内在の精神史という概念である。そしてそこで考えられるアフリカ的段階の価値は、知の発達とは異なった仕方で万有の本性にまで下りて認知ができる、深さをもった可能性にあると語っている。つまり、もしも人間に存在としての価値があるとすれば、その発生時と到達時の両方を考えながら両方に納得できる理路を見つけなければ価値に辿り着けないということなのだと思う。
 ここで、内在する精神を心に、外在の文明は頭のはたらきによってもたらされたものと一応の区別をして考えてみることにする。ぼくの理解できる範囲でいえば、それらのことは解剖学者三木茂夫の、頭のはたらきと心のはたらきという捉え方に還元すればより単純化して考えることができるように思う。
 人類の発達という時間軸に沿っていえば、動物生の段階から、人間には心の目覚めの時期が生じて、万有を受容する心の発達があった。少し遅れて、頭のはたらきが活発化して思考する力が発達した。今日においては、身体の変化に匹敵する割合でしか発達しないように思える心に比較し、頭のはたらきの発達にはめざましいものがあったことが知られる。そうして、より理性的に進歩を遂げた現在の人類は、心のはたらきにさしたる有用性を感じないようになってしまったといっていい。それはヘーゲルの思索にも影響を与え、また今日のぼくらの社会生活全般にわたっても、心情や情念といった面は片隅に追いやられ、一切は頭のはたらきばかりで構成されるようになってきたと言ってもよい。重しのようにのしかかった理性や理念の前に、心は行き場を失ってひたすら内向したり、自らによって自らを消耗させられるほかなかった。
 人間の一生を考えると、未熟な幼児から始まって成人へと成長してゆく過程と考えられる。この過程を内面性の過程という面で考えると、心の目覚めを経て、徐々に思考する過程へと移行していくように考えられる。いわば成長とともに、心のはたらきと頭のはたらきとは逆比例していくかのように思われる。心とよぶものはどこか曖昧な面をもち、成長や発達の視点では常に身体や身体の変化に制約されて存在する。反対に頭のはたらきにおいては身体的な制約もなく、認知を重ねていくことで思考力は発達し続けていく。そして、十分な思考の発達をもって人間の成長と考えることが、現在においては一般的である。これは人類の進化の過程に対応し、それと重ね合わせて考えることを可能にする。人類も未熟な幼児期を過去に有し、発達や進化によって成人期を迎えるに至った、というようにだ。
 ヘーゲルが当時のヨーロッパを、世界的に見て精神が最高度に発達した地域であると考えたように考えれば、個人としての人間は成人してはじめて人間としての完成の姿と見られる。そしてそれまでの過程は、途次にあって未完成な姿でしかない。ヘーゲルの歴史の見方も、個としての人間の一生についての見方もそれなりに妥当な見方と考えることもできるが、内在する精神の過程として見直せば、未明の世界も幼児の世界も、歴史や社会から除外してもよいとは言い切れないと思える。それこそ人類や個人としての人間の「原型にゆきつく特性を象徴してい」て、そこで(原始や幼児の世界で)展開されている「認知は迷信や錯覚ではない仕方で、人間が天然や自然の本性のところまで下りてゆくことができる深層をしめしている」と考えることもできる。そこから考えると、現代という時代も、成人として社会に存在する個としての人間も、結果としてそういう力能を失っていく過程を経てきたといわなければならない。もちろん個人としての人間も人類の歴史も後戻りすることなどできない。いわば不可避の過程を辿って現在に至っている。
 
 ヘーゲルのような文明の発達や進化を基準とする考え方をとるかぎり、前に進むこと、高度化することが常に意味や価値を持ち、停滞や先進からの離脱は圏外に追いやられることと同義になる。しかも、そこではヘーゲルが思い描いたような理想的な人間性や精神性が培われるどころか、経済的欲求をはじめとする「欲望」が増殖して、社会が「欲望」を達成するための競争の場になってしまった観がある。人々は自分の「欲望」を安全で簡単に手に入れられることを基準として、会社や団体やグループなどの組織を求め、離合集散を繰り返す。とても理想的、模範的とはいえない姿をさらすしか能がなくなっているようにみえる。これが、人間が己の中に求めてきた、至高の姿、そのなれの果てかと思うと愕然とする。たしかに、三木茂夫がゲーテか誰かの言葉として繰り返し語っていた、「人間は動物よりも獣らしくなった」と見られなくはない。かえって声高に語られるようになったとはいえ、そこに、愛とか、共感とか、慈しみなどといった他に対する本物の情感は見事なまでに欠落するようになった。擬感情、あるいは知によって偽装された深さのない愛や共感で賑わっているようにも見える。しかも一部の人間は、それさえ気づけなくなってしまったといってよい。「欲」が度を越して「盲目」になってしまったのだ。自分たちが、死肉を貪るハイエナよりも、実際、激しく富を貪っていることに思いが至らない。いや、分かっていてもすでに精神が麻痺を起こしていて、それが当然のことのように獣よりも満足げである。
 あまり適切な例とは言えないが、現在の学校におきている問題も、そうした事態を象徴するひとつに数えて数えられないことはない。いじめ、体罰が原因かと疑われる中でひとりの子どもが死ぬと、決まって学校側は「いじめはなかった」、「体罰はなかった」という否定からはじめる。組織の防衛、ひいては組織に所属する自己防衛が先に来る。さらに詰めて考えれば、自己の力量の不足、人格の否定を指摘されることや、さらに仕事環境の喪失、立場や地位の喪失、組織内の関係、人間の関係、そうしたもの一切について、傷つくことを極度に恐れている。自分を守る、それはつまるところ自分を支えているいろんな意味でのまたいろんな種の「益」を失いたくないということなのだ。もちろん、そこまでは人間的自然のひとつに数えて、真っ当な反応と見てもよい。だが、その前にひとりの子どもの命が失われてしまっているのである。どちらがより取り返しのつかないことであり、重みとして感じなければいけないかは明白なはずだ。けれども、おそらくは、痛ましい事実ではあるが死んだ命は帰ってこないとして、つまり自分たちに都合のよい考え方を採用して、組織を守る、自己保身をする、そういうところに職員たちみんながなだれこんでいく。命の尊さなどと口では言うが、本当に尊いと思うならば、他のいっさいを犠牲にする覚悟でなければ口に出来ない言葉であることを知っていて当たり前だ。まして、まがりなりにも、日頃「先生」とか「教師」と呼ばれる職業に就いた人々ではないか。そしてこのような本来本末転倒と思われる現象が、至るところに露出してきているように思われる。
 
 さて、すこしばかり脇道にそれて、またその枝道を突き進んだ感があるが、ここで軌道修正しておかなければならない。
 吉本隆明が『アフリカ的段階』をまとめたのは、ひとつにはヘーゲルの文明史観的歴史観に対する批判を明確にするためだ。少なくとも冒頭に引用した部分を読んだだけでも、そのように受け止められる。アンチテーゼと言ってもいいのだろうが、はたしてそれはうまくいったということになるのだろうか。
 ぼくがここで考えていることは価値の転倒で、要するにヘーゲルのいう理性や理念に対するに吉本のいう「アフリカ的段階」の復権が、はたして可能かどうかという問題だ。ヘーゲルはその『歴史哲学講義』の中で、ヨーロッパ近代をあからさまに肯定し、その肯定に根拠を与えるために、あるいは学的に支えるためにこの書物の中の世界を構想した。彼の文章上の論理は巧みで、だが、ヘーゲルといえども一個の人間にすぎないものの考えるところは絶対の真理でも無謬でもなく、そこには詭弁も混在する。たとえば、アフリカ世界は歴史の外に追いやっていいなどというのはヘーゲル個人の思考の嗜好にすぎず、その時点では、単に大ヘーゲルの考えたことを否定する力量を持った人物が存在しなかったという事実を表すのみだ。そして文明史観についていえば、ヘーゲル以後も、ヘーゲルの構想した世界史を超えて歴史を哲学的に構想する人物が出現しなかったという一点に尽きる。裏を返せば、それだけヘーゲルの文明の発展や進化の過程としての歴史観はよくできていた。だがよくできているからそれに修正を加えてならないという法はない。現在から見れば、明らかにヘーゲルは理性や理念を偏重しすぎていて、吉本の言葉を使えばそれは「内在の精神史」を捨象、切り捨てできたからこそ可能になった偏重であった。
 もうひとつヘーゲルの特徴をいえば、個人的に現実的社会的な境遇に過不足無くはまりこむことが出来ていて、現実を肯定的また好意的に受け止め、そこを起点として全ての思考を組み立てることが可能だという点にある。ヘーゲルが存在した社会は、ヘーゲルに広く深い知識や認識を与え、なおその上に意味や価値を認め、また付与する社会だった。ヘーゲルが有頂天になってヨーロッパ近代に対し、絶対的な肯定から出発してその根拠を歴史的にそして哲学的に模索していったのは当然であった。だが、そのためにというべきか、ヘーゲル以後の世界史の混迷と、今日的な閉塞があるとぼくには考えられる。もちろんそれはヘーゲルの責任ではけしてない。
 誇張して言えば、ヘーゲルの為したことは偶然の所産に対して絶大な根拠を与えたことだ。偶然を必然に組み替えるヘーゲルなりの論理のトリックも存在したとぼくは思う。理性の発展過程としての歴史という見方は、そう見えたからそうだというに過ぎず、後は事実や資料を基に論理を駆使して、他の反論や異論を許さない精緻な論を組み立ててみせればいいだけのことだ。
 そうは言っても、ヘーゲルやヘーゲルの亜流、またその子孫としての今日の日本の支配層に定着したヘーゲル的な思考の傾きを旋回させることは出来ない。
 ぼくは優れていることがいいことだとは思わない。すなわち、今日的な価値から言えば合理的であったり理性的であるということだが、これを優れていると見ることは時代的な強制も働いているのであって、これが人間にとっての歴史の最終段階でもなければ、歴史の最終形態でもないことは自明のことのように思える。
 
 吉本はヘーゲルの考えた国家、文明の発展、いや、なによりもその土台となっている「理性」に対する∧信仰∨を解体してしまいたかったに違いない。でなければ、歴史は理性の自己実現に向かって進むことを肯定しなければならない。肯定してもかまわないのかもしれないが、それ自体は理性的でも論理的でもなく信仰に過ぎないから、ヘーゲルよりもさらにヘーゲル的に徹底すればそこはそう言いきるのではなく、保留されなければならないのだと思う。なぜならそうした抽象的な言い回しのうちでは、例えば遺伝子情報に基づき、その指示するところの実現に向かって歴史は進展するなどのように、可能という意味ではいくらでも言いかえ可能だからだ。
 ヘーゲルの主張をそのまま認めれば、「理性」万能、「頭」万能を認めることになる。そして全ての基準に「理性」の物差しが、それこそ万能の物差しであるかのようにあてはめられる。そこからは冒頭に引用した吉本の文章のように、アフリカもアジアも歴史にとって第一義に重要な地域とは見なされないということになってしまう。そういう歴史観、文明史観を是認できるはずがない。
 三木茂夫は、理性(頭)を軸として発展する社会は早晩自滅するだろうことを暗示した。そうして競争よりも調和を求める心、心情の復権を目指すべきだと唱えた。吉本の「アフリカ的段階」がその声を受け止めていないはずはない。三木が歴史の進行方向にズラシを求めたとして、吉本はこの著においてその入口、突破口を少なくとも明らかにすることを自分に課していたに違いない。推測に過ぎないが、私はそう思う。
 
 生活者大衆やその子どもたちが、本当のところどんなにぞんざいに扱われるか、あるいは対等な扱いがされないものかは、今回の福島の原発事故がはっきりと示した。それらは完全なる被害者であるのに、まったくの蚊帳の外に置かれ続けた。真実は知らされず、最小限の被爆になるような守られ方もしなかった。嘘をつかれ、目隠しをされ、加害者が誰になるかも曖昧なままで放置され続けている。行政・司法・立法の三権が三権とも、どんな「都合」によって運用されるものかもはっきりした。もっと本質的に剔れば、理念は、被支配者に嘘をつくし、被支配者たちのためにあるものではないということだ。
 私たちはこうした現実に不服である。未来に、理性がどんなに素晴らしい国家を成熟させ、どんなに素晴らしい社会を構築するのだとしても、今現在がこういう無様を展開するのであればそれに異議を申し立てるのは当然すぎるくらい当然のことだ。まずは社会の被支配層にあるものの、支配の側の配慮から外に投げ出される構造を断ち切らなければならないと感じる。
 吉本隆明の「アフリカ的段階」は、私などのこうした思いに応える著作だったのではないかというのが、今回何度目かの読み直しを行う主たる動機であった。そうして二、三度読み返しながら、しかし私はそこに答えを見出すことが出来なかった。これでヘーゲルを超えることが出来たのだろうか。これで支配層の思考の殻を破る力を持つのだろうかと、どんなに願望を込めて読みこんだか。
 ここで私は吉本の著作に答えがない、力がないと言おうとしているのではない。ただ私の欲する答えが、簡単に手に入らないということのみを語っているだけだ。そうしてひとまずここで一区切りを付けておくこととする。
 
 
  年始にあたって(2013.1.10)
 
 2013年、平成25年を迎えた。今年の年賀状には、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」から、
 
 アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レ ズニ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ
 
を借り、座右の銘らしきものとして、抱負というか決意というか、それらしいものを述べた。もちろん社会に向かって大きな顔と大きな声で意見を述べる立場にある者たちの、震災後の余りにひどい「損得勘定」ぶりが目に余り、腹立ちまぎれということもある。
 だが、受取人は「なんだ、こんな青臭いことを、還暦も過ぎていまさら」と思うかもしれない。「訳が分からん」、「辛気くさい」、「胡散臭い」なども想像される。
 以前はそんな受取人の思いを考えて、当たらず障らずのことばかりの文面を作成し、投函した。今年はあまり悩まず、「えいっ、やっ!」で決めた。どうせ、恥も後数年で消失するに違いないのだから。旅の恥もかきすて、人生の恥もかきすて、である。
 この中で、重点は「ヨクミキキシワカリ」である。つまり「勉強する」ということだ。いや、もっと正確には「勉強したい」ということだ。希望である。やっと本当の勉強が出来そうな気がしているのである。ただどこまでやれるかは成り行きしだいだ。眉唾である。膝を正して、10分と保ったことがない。これは大きな声で言える。
 「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」というのは、主観的には昔からそうした姿勢、態度をとろうとはしてきたから、感じとしては難しい気がしない。最後の句の「ワスレズ」については、からっきし自信が持てない。これについてはどんなに記憶力が優れていたとしても、全てを、そしていつ何時でも、忘れずにいるということは人間には不可能だろうという気がする。何かを考えるということは、その時はほかのことが念頭から消え去っているということだと思う。数歩譲って、必要に迫られて思い出そうとしたときに、確実に思い出せることを言っているとしても、年も年だし、この点はあまり自信がない。まあ、仏さんか、人間では聖徳太子のような人しか可能にできないのではないかと思う。ま、これもできるかぎりにおいてそのように努めるということでお茶を濁しておくに如くはない。
 
 さて、今年の年賀状の話題はこれくらいにして、ここからは社会に目を転じて、その情況を捕捉しておきたいと思う。
 例のように中心となるのは内田樹さんと武田邦彦さんのブログである。両者とも年末、また年始に際して昨年の総括的文章を掲載している。ほんとはそれらの文章を直接読んでもらうのがいちばんなのだが、それだけではちょっと安易すぎるので、少しだけ解釈や解説を加えて進めていこうと思っている。ほかに、内田さんのブログに紹介されていた「カフェ・ヒラカワ」店主、平川某さんの文章を読んだらこれも面白くて、合わせて考えてみたい。いずれにしても三者の記述内容を足してしまえば、昨今考えていることがほとんど言い尽くされる気がして、逆にいえば自分の考えることはたかが知れていると知らされる。 それでも、こういう試みの中で認識が整理されて再び思考に帰って行くならば、少なくとも自分のためにはなるだろうなと思える。 いみじくも、三者の思考とその記述は「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」為されていることがよく理解された。政略的、策略的なかけらの見えない文章だからこそ引きつけられた。インターネットでは簡単にこういう人々の考えに出会うことができる。今やテレビ、新聞等では逆に「損得勘定」の言葉にしか出会えないと言えばいえる。
 
 さて、はじめに武田さんのブログ記事だが、題は『総括:アウシュビッツと原発再開・・・「切迫した集団心理」がもたらす狂気』となっている。「アウシュビッツ」とは穏やかではないが、これはどうでもいい。
 武田さんはここで二つのことを語っている。ひとつは総括として次のような問題意識だ。
 
年を終わるに当たって、どうしても解決しておかなければならないことがあります。
 
それは、福島原発事故が起こって以来、「なぜ、これまで政府、法律、権威、官庁の指導等を重んじてきた人たちが、ほぼ1、2年で自由奔放な考え(被曝について、これまで自分が行ってきたこと、法令の精神や規則、通達を無視すること)に変わったのか?」ということでした。
 
 以前は一般の生活者に対しても新聞やテレビ等を通じて、「被爆」や「放射性物質」はちょっとでも危険だと広く伝えられていたように思う。しかし、事故後は、「実は少量であればちっとも健康に影響はないし、実際に浴びた量としては全然問題がない」という言われ方をしだした。武田さんはこれを事故前と事故後では言うことが違う、豹変じゃないかと指摘しているわけだ。
 被爆による健康被害はまだまだ分からないことが多いという。少量なら安全だというのも、少量でも危険だというのも、両方とも間違いとはいえない。だが唯一の被爆国として、核アレルギーの日本国は戦後、核の危険性を一貫して主張し、放射性物質にも厳しい制限を課してきているはずである。これが事故を起こしてしまったから制限の数値を急に変えるというのは、余りに節操がない。武田さんが怒るのは当然だと思う。仮に今回の事故の被爆量で健康に何の害がなかったとしても、基準値はやはり基準として制定されているのだから、そこを中心として言動が統一されなければ意味がなかったと思う。事が起きる度に「暫定基準値」として自由に数値が変えられるのであれば、数値を基準として置いておくこと自体が無意味である。
 テレビなどでは少しずつ「安全だ」を繰り返す放送が多くを占めるようになっていった。そういう経緯を見ながら視聴者の多くは、本当のところはたぶん見抜いているはずなのだと思う。たとえば武田さんの次のような言葉に、視聴者としての一般の人々は共感を抱くに違いない。
 
知識人がそれまでの信念を捨てて電力にすり寄った原因の一つは、「福島の人が病気になるのだから、俺には関係がない。それより少しでも経済が停滞する方が俺には問題だ」という思いが心の底にあるのでしょう。福島の人の健康より、自分の所得が1万円でも減るのが困ると思っているのでしょう。そのような自分の心の底にある「利己的正しさ」を隠すための学問がヨーロッパの倫理学、その言葉が「絆」だと思います。
 
 所得が1万円でも減るのが困るというのは誇張だが、一般知識人の発言の奥にはそういう個人の「利欲」の根っこのあることが透けて見える。そしてそれ自体を否定する気はないが、せめてその口で「福島の復旧、復興」などは言うべきではないと思う。また、二度と「人命」とか「健康」が最優先、などという言辞を口にすべきでもない。学問を口にする資格さえないと言っていい。
 あまり思想的な原理原則に固着するのもどうかと思うが、いったん本音を経由し、格闘した末の思想的な言辞でなければ聞く甲斐がない。もちろんほっといても利欲に目が眩んだ連中の言葉は死滅するのは間違いないが、耳障りだ。そんな知識人たちは百害あって一利なしだが、利権の広告塔の働きもするからなかなか死に絶えない。こいつらは人間として端からどうかしているのだ。
 新聞やテレビ、あのNHKさえもが地域産業の復興の後押しを、特集を組んだりしてやり出した。それを見ていると、これらの媒体が、本当に経済の停滞を恐怖していることがよく分かった。推測でしかないが、というよりインスピレーション的に言えば、国民の生活や働く人々の暮らしを直接に心配してというより、まわりまわって自分たちの仕事や生活の現状を維持したいがゆえに、応援の素振りを見せているに過ぎない気がした。
 武田さんはこのブログで、常識的な知識人と目されるものたちの発言内容の「逆転劇」について、もうひとつのことを言っている。それは「切迫した環境の中では人間は集団的になんでもするようになる」という集団心理の問題で、ナチスドイツや、スターリン時代のソ連、それに戦前・戦後の日本と同じく、今回の原発の爆発は「切迫した集団心理」を導き、結果として、知識人の「信念を大きく変え」てしまったのではないかというものだ。だが、例えそれが妥当な捉え方だとして、これきしの状況の変化でそれまでの自分の発言をいとも簡単に翻す信念や思想など、信念や思想の名にも価しない。つまり、はじめから外部の思想や信念を借りて身に纏っていた連中に過ぎないのだ。こういう連中が指導層の一部に食い込み、大衆とは違うという優越感に支えられて、とんでもないことをしでかしてなお時代を動かしたり作ったりしているかのような錯覚に陥っている。とんでもなくとんまな連中だし、それを許容している社会もとんでもない社会というほかはない。だが、依然として現実は、その一面かもしれないがこんなありさまであるし、それは武田さんが言うような震災や原発事故に誘発されて生じたものではなく、ただ平常時に隠匿されていたものが慎重さを剥がれて露出したと見るべきであると思う。いつだって生活者の目に映る知識人はこんなものだったし、その意味では武田さんだってこれをきっかけに強く自戒しておいた方がいいや。
 最後に、武田さんが「耳打ち文化」と命名したものについて一言いっておきたい。
 
先日、そのうちの一人が私に小声でこう言いました。「武田先生、原発を無くすことはできないらしい」。
 
この話は集団が作るある雰囲気と、100の事実や論理も一言の耳打ちで変わるということを示しています。指導層は忙しいので普段から十分な議論をするのではなく、ちょっとした耳打ちの中に真実があると信じているので、それまで自分が考えてきたことを一気に捨てることが多いのです。
 
 実はこれは指導層に限らず、誇張すると、僻地の村の寄り合いなどにも見られる図であることは間違いない。日本的な習俗を形成する日本人の心性もしくは超常の心性の問題で、柳田国男が幻聴や幻覚にのめりこみやすい特質として採録した、村里の共同体の幻想の構築のされ方に本質的に通底すると思う。
 客観的な事実や論理の共有よりも、主観的な共時の同調、その含意、阿吽が最優先されるのが日本的と言えばいえる。その意味ではヨーロッパの科学的合理的な精神を血肉化し、自分の方法とすることが出来ている武田さんの方がこの国では異質で少数派だということになる。そしてこの問題はもう少し本格的に為されなければならないのだが、ここでは次の内田さんのブログに移っていくことにする。
 
 こちらは新年の挨拶がわりに、ある媒体の新年号に寄稿したものの転載だと記されている。文章は内田さんのものとしては比較的短いという印象だ。内容をかいつまんで紹介すると、震災と原発事故の後の日本社会についてだが、大まかに言って日本人が二極化しつつあると述べている。一方はメディアを通して流布される考えで、何となく震災や原発事故の話から遠ざかろうとする意が込められている。
 
だが、彼らが震災と原発事故の話は「もうしたくない」と思っていることはよくわかる。「厭な話」はもう忘れたいのだ。
それよりは、どうすれば経済が成長するか、どうすれば税収が増えるか、どうすれば国際社会で威信が増すか、どうすれば国際競争に勝てるか。そういう話に切り替えたがっているのはよくわかる。震災だの原発事故だのという「辛気くさい話」はもう止めたいのだ。それよりはもっと「景気のいい話」をしようじゃないか。相当数の日本人がそういう気分になっている。その苛立ちが列島を覆っている。
 
 そういえば選挙前後の自民党議員の口からは、原発の再稼働やTPP、憲法改正、防衛費の増額などが聞かれるようになり、国民の関心をそうした方向に向けようと意図しているように思われた。内田さんはそういう人たちの考えというものをしっかり捉えていて、こういう切り口の文章を書いたのだと思う。
 これに対してもう一方の人々と彼らの考えについて、内田さんの文章は次のように述べている。
 
それに対して、震災や原発事故の被災者に継続的な支援を続けてきた人たちの姿はしだいメディアの後景に退いている。
もともと彼らを駆り立てていたのは、個人的な「惻隠の情」であった。被災者を支援しない奴は「非国民」だというような攻撃的な言葉遣いで被災者支援を語る人間は私の知る限りどこにもいない。他者の痛みや悲しみへの共感は政治的な語法となじみが悪いのだ。
でも、「口を動かすより手を動かす」という謙抑的な構えをとる人たちにメディアはすぐに関心を失ってしまう。メディアは、その本性からして、「ぺらぺら口を動かす人間」「何かを激しく攻撃している人間」を好むのである。
 
 地に足のついた支援者、ボランティア。その活動の姿勢は謙抑的でメディアに馴染まないという。
 
そういうふうにして日本人はいつのまにか二極化しつつある。それが「ポスト3・11」のもっとも際だった日本社会の変化ではないかと私は思う。
一方に「賑やかだが空疎な言葉をがなり立てる人たち」、「何かを激しく攻撃する人たち」、「他責的な言葉づかいで現状を説明する人たち」の群れがいる。メディアはこの「うつろな人たち」の言動を好んで報じている。
だが、他方に、個人としてできることを黙々と引き受けている人たちがいることを忘れたくないと私は思う。誰かを責め立てても事態がすぐに好転するはずがないことを知っており、まず自分の足元の空き缶一個を拾うところからしか秩序を再構築することはできないということを知っている人たちがいる。この人たちの声は小さく、表情は静かである。だが、彼らこそ「地の塩」だと私は思っている。
 
 続けて内田さんはこう結んでいる。
 
私が今の日本社会を見ていて、あまり絶望的にならずにいられるのは、周囲にいる若い人たちのうちにいくたりもの「地の塩」を数えることができるからである。誰に強制されたのでも、教え込まれたのでもないし、「そうすればいいことがある」という利益誘導に従ったのでもなく、黙って「空き缶を拾う」ような仕事を淡々と担っている若者たちの数はむしろどんどん増えているように思われる。苛立ち、怒声を上げている若者たちは目立つ。だから、世の中には「そんな若者」ばかりだと人々は思っているかも知れない。だが、静かな声で語る、穏やかなまなざしの若者もまたそれと同じくらいに多い。彼らに日本の希望を託したいと私は思っている。
 
 これを読んで、「賑やかだが空疎な言葉をがなり立てる人たち」、「何かを激しく攻撃する人たち」、「他責的な言葉づかいで現状を説明する人たち」についての関心はあるが、二極のもう片方についての関心は薄いかもしれないと反省した。いや、反省ではない。関心が薄かったことについて少し自覚できたというくらいのところだ。
 内田さんと認識的に共通するところは、大まかに言うと、メディアに流れる「経済」一辺倒の社会的な雰囲気についてで、これはどうしてこういう事になるのかといぶかしく感じている。武田さんのところでも述べたが、震災の被災者の厳冬の中の生活や、福島で子どもの被爆に不安を抱えた、親たちの問題が(つまり除染等を含む)第一で、どうにかもう少し手厚く(生命、健康、生活について)支援してほしいものだと考えてきた。国、そして社会の景気の回復についてはもちろん早く回復してほしいと願うが、順番としては第二であって、支援が先廻しだから我慢をしろと言われたら納得して我慢をするのが我々国民の大部であると思う。その意味では国民自体として日本人は謙抑的であり、大声で偉そうに、主張を誇示してがなり立てる連中はほんのわずかだ。そしてそのほんのわずかな者たちに気を使って、マスコミも政治もその主張を取り上げるからよく本末転倒がおきる。権力者、金持ち、そういう連中の手先となってメディアも政治も動くからどうしようもないと感じる。内田さんは、あまり絶望的にならずにいられるのは周囲の若い人たちの多くが黙って「善」を行うからだと述べている。たしかにそういう人たちも増えているのであろうが、彼らに日本の希望を託せるとまでは思えない。そもそも託すということが自分のやることに見切りを付けた上での発想であろう。そういう境地には自分はまだ遠い。
 自分には、ボランティアをするという発想はない。もっと微視的で無意識のボランティアなら行っているという気もするが、それらしくやることは考えにくい。どうしてかというと、誰にでも生活の場があり、そこにあると周囲との関わりが生じる。そうすると、そこに大小の課題も必ず生じるものだと思う。つまり狭い自分の周囲に限っても片付かないことは多い。それを圧してというか超えてというか、もともとの関わりが薄い場所に行ってさらに問題や課題を抱え込むということを発想しにくい。こちら側に他者の悲しみや痛みへの共感が薄いという事情があるのかもしれないが。また、これだけは言っておきたいが、まじめにこつこつボランティアに取り組む人たちを「くさす」意図はまったく持っていない。ただ自分の場合について、個人的なことを語っているだけである。
 誇張して象徴的に言えば、すぐに、そういうことが出来そうなのは宮沢賢治だなと思い浮かべる。彼なら黙って淡々と、穏やかなまなざしで空き缶拾いだって出来そうである。でも、そう簡単に宮沢賢治にはなれないでしょう。あっさりと自分はそう考えてきた。だから他者に託す気にもなれないのである。
 いずれにしても、報酬もなしに共感だけで仕事をする人たちがいることは知っている。体や手足を使って瓦礫の処理こそしていないが、本当は自分の思いの内側では、考えることで貢献するあり方もありそうに思うのである。たぶん結果としては貢献できそうもないが、こういう試みもその一つに加わることが出来たら、というのが自分の願いでもある。
 
 最後に、平川克美さんのブログ記事を取り上げておきたい。平川さんの名は、何かの雑誌で見かけた気がするのだが、どういう人であるかはまったく知らない。内田さんの記事で知り、紹介されていたアドレスに飛んで読んだばかりである。
 一読して面白いと感じ、また武田さんや内田さんの記事とかすかに関連するところもあると思ったので、一応読み解くことにしてみたい。題名は『「移行期的混乱」を生きるということ』とあった。(気が向いたらどういう人かをWebで調べて、文章の終わりに簡単に書き留めておくことにしたい。)そして項立てが3つたてられている。
 ●歴史的な人口減少
 ●増殖する重貨幣主義
 ●三・一一以後
というように。
 はじめの「歴史的な人口減少」の中において、題名にもなっている「移行期的混乱」という言葉の持つ意味についての、本人による解説がある。つぎはぎの引用によって概要を捕捉してみる。
 
そもそもの発端は、二〇〇六年をピークにして日本人の総人口が劇的に、しかも長期にわたって減少し始めたことについて、これをどのように考えるべきかというところにあった。
 
簡潔に言うなら、現在の総人口の減少は、将来に対する不安や経済の縮小による先行きの不透明感によってもたらされたのではなく、むしろ反対に社会の進歩の帰結として起きていると考えているからである。そもそも、人口が減少すると大変だから、経済を何とかしなければならないというのは、問いのたてかたが間違っている。人口減少は、「答」なのだ。
 
人口減少とは、多くの政治家、識者、文化人、産業人が言うように経済成長鈍化の原因であるというよりは、経済成長の結果であり、民主主義発展の歴史的帰結であるということである。日本は今、人口減少の危機にあるのではなく、増えすぎた人口規模を適正人ロへ戻す人口調整フェーズにあるということである。そして、この人口調整フェーズが落ち着くまでの数十年間のあいだ、右肩上がりの経済に牽引された社会の価値観や倫理が、現実に起きている社会基盤の移行のなかで大きく揺らぐことになる。私は、このことを「移行期的混乱」と呼んだのである。
 
 これはとても健全な考え方であると思う。読みながら、この論法はぜんぜん分野の異なる「いじめ問題」などにも通用しそうな気がした。特に、「経済成長の結果であり、民主主義発展の歴史的帰結である」という部分はそのまま使いたいくらいだ。これに明治期以後の教育政策推進の結果と付け加えてもよい。そして「いじめ」が増加したから教育を重視しなければという考えは、あとさきが逆だということも平川さんの文脈通りでよい。
 それはさておき、ここまでのところでは平川さんが「混乱」と呼ぶのは社会の価値観や倫理の揺らぎであることが分かった。そしてそれは、社会基盤の変化と人口の増減との相関からもたらされていることも了解された。このことは賛否を呼ぶかもしれないが、概ね妥当な見方ではなかろうかと思う。
 次に「増殖する重貨幣主義」の項を読んでみる。
 
 『移行期的混乱』という本を書いている前後の数年、国際的にはリーマン・ショックとそれに続く世界同時不況があり、国内でもさまざまな企業不祥事が頻繁に起きていた。
 二〇〇〇年から二〇〇九年のわずか十年のあいだに、雪印集団食中毒事件、日本ハム牛肉偽装事件、三菱自動車リコール隠し、耐震強度偽装マンション販売事件、ライブドア証券取引法違反事件、村上ファンドインサイダー事件、コムスン介護報酬不正受給事件、不二家期限切れ原材料使用事件、ミートホープ食肉偽造事件、飛騨牛偽装事件、船場吉兆廃業などなど、目立った事件だけでも枚挙にいとまがない。
 企業不祥事は、これ以前にもあったが、これほど集中的に起きたことはなかったし、食品偽装や建築偽装といったものづくりの根幹が揺らぐというのもはじめてのことだろう。なぜ、こんなことがこの時期に限って頻発したのか。
 
 いやあ、思い出すねえ。たしかにこれらのことが頻繁だったと思う。どの事件についても、テレビのニュースやワイドショーで大々的に報じられたから、ざっと見ても知らない事件はない。個人的には「耐震強度偽装」のあたりなんかは、国会喚問みたいなこともあって熱心に見ていた記憶がある。
 ところで、集中的におきたこれらの事件に関して、評論家、メディア、学者の見解は、これに登場した経営者たちが新手の悪質な経営者たちだというように、そのイメージを造形したがっているように思えた。特に建築の「耐震強度偽装」などといったものは、一般の国民から有識者たちまでが呆然とするような信じられない出来事であったから、「企業倫理の崩壊」などのようなことを思いつくのは仕方がなかった。
 だが、平川さんはそうした評論家、メディア、学者の見解に違和感を感じたという。実際の経営者たちの素顔は、報じられるほどに悪質、反倫理とは見えなかった。つまり、これまでにもあった「ちょい悪」の経営者たちと人間的にはそんなに違わない。違ったのは、これまで手を付けなかったところ、日本人ならやらないと思っていたところで起きた事件だったので、メディアなどの過剰な反応を呼び込んだ。平川さんはそう見ている。
 ではなぜ、起きるはずのないところ、起きてはいけないところで事件は起き始めたのか。ここからが平川さんの主要な見解である。
 
あえて簡単に言うならばそれは、経済成長こそが人々を幸福にするのであり、お金こそがこの世の中の最も重要な価値であるという、ここ数十年間に世界中に流布した「物語」の結果だということである。
 
そして、この「物語」を完成させるエンジンは、合理的経営であり、コストの外部化であり、効率化というものである。
 多くの企業が、株価を上げることに腐心し、コストダウンに躍起になり、生産の現場には効率化一辺倒の号令が響き渡る。このことをどこまでも推し進めていけば、いや、これらの価値観が企業にとってのプライオリティであると信じる人々が一定数を超えれば、企業はいとも易々と禁じ手としてのコストダウン、つまりは不良在庫の再利用や、手抜きや、材料の偽装といったところに踏み込んでしまうのである。
 
 つまり、企業競争から来る経営合理化が、最後に踏み込んでしまった末路としてこれらの事件が引き起こされたと見ている。
 平川さんのこうした見解は同感できるものだ。さらに平川さんは利潤の最大化が企業の目標で、それに適った行動が経営者の倫理となって一般社会の倫理と逆立ちして現れることも指摘している。これもまた現象論としては妥当な見方だと思える。
 少し遅れてからだったかもしれないが、個人的には、これらに加えて企業の人件費カットの猛烈な推進、その方法のさまざまなあり方というのも付け加えてほしかったと思う。たとえば派遣労働も企業経営側に優位の運用形態が許容され、それは「人喰い」や「同胞を喰らう」ことに違いなく、しかも見かけの合法性により巧妙に批判をかわしながらのコストカットの方法であった。繰り返すが、一連の人件費削減の流れは禁じ手としての「人喰い」に、多くの企業が踏み込んだことを象徴している。それほどに経済合理主義、平川さんの言う重貨幣主義は、企業経営に染み通ったと考えてよいと思う。
 さて、平川さんの文章に戻って、この項の最後では前項の人口減少問題へと接続させて、次のように締めくくられる。
 
 しかしながら、ここにきて、夥しい企業不祥事を生み出す背景となった重貨幣主義、経済成長至上主義というものが、大きな危機に遭遇している。
 その最大の兆候こそが、日本におけるドラスティックかつ長期的な人口減少であり、それは同時に、私たちは、もはや経済成長至上主義や重貨幣主義とは異なった価値観を生み出すことなしにはやっていけないかもしれないということを示唆している。
 
 一言いっておけば、長期的な人口減少が経済成長至上主義等の大きな危機の兆候となるのかどうかについては、残念ながらこちら側の認識が及ばない。ただそういうものかと耳を傾けるだけの水準でしかないのである。
 平川さんの文章は次に最後の項である「3.11以後」に引き継がれる。
 疲れてきたせいもあるが、ここでは一足飛びに平川さんの結論としての結びの文章を引用することにする。
 
 「移行期的混乱」の時代を生きるとは、これまで思考停止してきた、起こりえないことが次々と起こる可能性のただなかを生きているということにほかならない。日本における有史以来の人口減少が示唆しているのは、私たちの作り上げてきたシステムの賞味期限が尽きてきたということであり、この経済成長至上主義を点検して、新たな生き方を模索せよということでもある。だが、まだ誰もこのことを切実な問題として考えてはいない。
 
 これだけではやはり分かりづらい。反省し、煩を厭わずこの項の流れを辿ってみる。
 時間の流れからいえば、前項までの社会的な状況があっての東日本大震災が起き、原発事故が起こったということである。
 地震と津波について平川さんは、それはいずれにしても古来から幾度となく訪れた自然災害で、日本人は必ずここから再起できると確信している。しかし、新たに加わった原発事故についてはこの先の予測がつかないとしている。たとえばプルトニウム239の半減期は二万四千年といわれるが、この年数は意味不明、想像外のことで、しかもこの社会、この世界はこれを内側に抱え込んでいる。
 われわれの社会、われわれの世界は、経済合理性至上主義というべき考えに取り憑かれた末に、
 
起こるか起こらないかわからないことのためにコストをかけるのは経済合理性に反しており、結果として巨大地震などは起こらないし、起こったとしても原発だけは大きな被害を蒙(こうむ)ることはないという信憑にいきついた
 
と平川さんは断定する。そして、想像力の及ばないもの、手に負えないもの、そういうものはすべて思考の圏外に追いやってしまい、先送りするか、あり得ない、起こらないとして希望的な観測の中に潜り込むようになったとしている。だがそれは単なる希望であって、正しい認識ではないことも事実である。
 そして先に引用した結びの文章へと接続していく。
 大ざっぱに言って、人口減少というような形で社会基盤の移行が進む今日において、経済合理主義も経済成長至上主義も最早賞味期限がつき、これらに変わる価値観に基づいた新たな生き方や社会システムが模索されなければならないという警告、平川さんの文章はそれを発していると読解できる。
 なるほどと納得できそうにも思えるし、相変わらずはっきりしたものが見えてこないなあという思いも禁じ得ない。ただ、人口減少を、こうした経済主義的な流れの中で捉える捉え方は初めて目にするもので、参考になった。大筋で、人口減少をどうにかしなくちゃとか、対策を講じる論法には違和感を覚えていたので、結果だという断定の仕方は新鮮だった。問題はそこに何を読みとるべきかであり、こっそりと言えば、日本人の男女の無意識が長寿という形での個人の拡大時期にあって、類の拡大の方向性が弱まっているかと考えることもあった。これはまた別の話ではある。
 
 三者に共通するのは、今日の日本社会を覆う経済の停滞、不況が構造的なものであったり、あるいはその責任が舵取りする側にあるとか、言いかえればいくつもの要因を抱え込んで長期的なものになるという認識である。にもかかわらず、指導者側の人間や企業の経営者、それらの周辺に巣くう連中は相も変わらず利権の引っ張り合いに躍起になっている。その様相を見ると、少しずつ必死さが増してきているように見える。あるいはまた、自分たちさえよければよいという本音を次第に露わにさせてきているように思える。それは、パイが縮小しているから当然なのだが、経済成長優先を主張する彼らはそのために相当あくどい立ち回りをするようになった。
 ここでの三人の識者たちは、そうした指導層の側の中枢や周辺にたむろする連中に、もう何かを期待することは無意味だと見切っている気がする。同時に、国民ひとりひとりもまたこの現状から自立した市民として、陰に何ごとかを覚悟せねばならないことを訴えているような気がする。ニュアンスの違いがあり一律にこうだとは言えないが、自分の目と耳でよく見聞きし、そうして自分で考え、理解するとともに判断し、行動や活動や生き方を決めなければならない、と訴えているように思える。だが、これだけでは為政者を信用するなといっているだけに斉しい。それならば、この国では昔から信じたふりをするという形で幾度となく繰り返してきた抵抗の姿ではあったであろう。
 三人はこのような解析を積み上げて、為政者たちの発言の無効を訴える。記事を読む側は共感したり賛同したりする。そういう中で間違いのない正しい生き方を探れということでもあろうか。いや、そうした試みをふだんに繰り返し、今ある自分を超えていくことだけが何かだと訴えているのかもしれない。
 
 
  「現在」への言葉(2012.10.14)
 
 それははじめ、私に目のさめるほどの豊かな存在としてうつった。豊かな、といっても、そこに巨石文化が残存し、古い建築物や彫刻がかくされており、伝統芸能がうけつがれ、古文書が数多く保存されているというようなことではない。それらの点に関していえば、そのどれをも島の中では見つけだして満足することはできない。そこには簡素な生活様式と、そしてその日その日のくらしのあとで意志的にその痕跡を消してきたとさえ思えるほど、人間が自然につめあとをのこすことに、どんなかたちでも興味を示してはいない、すさまじいばかりの自然へのめりこみが見受けられたのだ。この島にはほとんど無人島と見まごうほどの記録の沈黙が支配していると思われた。しかし、どういうわけか、この島はその沈黙の中からはたらきかけてくる豊かさを暗示する、見えない信号をだしており、送られてくるその波長が層を追って私をひしととりかこんでくるのを感じないわけにはいかなかった。
 
 島尾敏雄非小説集成第二巻南島篇U所収、「九年目の島の春」と題された文章から引用した。
 これは主に奄美大島を念頭に受感されたことが述べられたものだが、文章の後の方では奄美の島々全体に対する印象も、ほぼ同じであることが語られている。
 ところで、引用箇所の中に「簡素な生活」とあるが、東京から住居を移した当時の島尾敏雄が捉えた奄美の島のくらしは、象徴的に、次のように表現されている。
 
水の不自由な隆起珊瑚礁のあらわな島では、水桶を頭上にのせた女たちが胸をそり、腰をすえて水運びする魅惑のすがたがあった。部落じゅうが集まるくらしの場がそこにあり、島の個性的な生活の習熟がそこで生まれた。県道の通らない部落がなおランプをともして、文化の行きとどかぬ人間まるごとの古いアマンユ(奄美の世)の生活が残っていた。牧歌的な小型工場の黒糖製造。かやぶき分棟民家の群れ集まった南島的部落のたたずまい。櫛風沐雨の木造小学校。名瀬市内を走るバスに乗り込むと、深い目眉と明るい表情をもった少女の車掌は、素足のままで勤務していた。それらの総体は奄美の個性を形づくり、衰弱しない活力を感じさせた。
 
 およそ昭和三十年頃の、移住者の目に映った奄美の姿であった。
 前段で島尾敏雄は奄美大島が「目のさめるほどの豊かな存在」と言い、しかしその豊かさとは「巨石文化が残存し、古い建築物や彫刻がかくされており伝統芸能がうけつがれ、古文書が数多く保存されている」という意味ではないと断言している。逆に、目に見え形あるものとしてどんな島の歴史を物語るものも残っていないことによって、いわばその沈黙の姿から豊かさが醸し出されるふうに述べている。
 あからさまに、また誇張して言ってしまえば、ガラパゴス諸島のように文明文化から取り残された島だという一面を持つことは否定できない。しかしそれゆえに、島の暮らしは気の遠くなるほどの昔の生活様式を、あまり変化させずに残しているのではないかということなのだ。それは人間生活の初源、日本人の生活の初源を考える視点からは、それ自体が稀に見る宝庫だということになる。おそらく遺跡や伝統芸能やらの文明文化に関わるものは、その裏にそれが必要から産み出されたという意味での労苦が隠れて存在するに違いない。そういう面から不毛と見えることは、逆の意味で、労苦などがなくても持続的な生活が可能だったことを示唆していよう。
 およそ残存する遺跡や遺物といったものは、文明や文化の象徴であり、どんな古いものでも人類や人間の歴史から見れば比較的新しいものと言える。しかし、ある種の辺境にあっては文明文化を生み出しもせず、侵入を試みるよそからのそれにすっかり染まってしまうこともなく、相変わらずそこに住まった当初からの生活様式がゆっくりとゆっくりと変遷するにとどまって、挙措振る舞いや風習などの次元に多くの古式を残していると考えられる。島尾敏雄の視線は明らかにそういう方面に注がれている。
 ぼくはこの「九年目の島の春」を読んで、たくさんのことを考えさせられたし、同時に何かしらたくさんの示唆を送ってくれるような思いがした。今それを明確に取り出して説明することは難しい気はするのだが。
 それでもまずは思い浮かぶがままにそれを取り出してみれば、ひとつは文明や文化の流れに遅れた地域でも、後段の文章に見られるような何か人間の本原といってもいい生活ぶりというものがあげられる。経済的物質的には貧しいかもしれないが、そこには人間が本来持っている生きることに前向きな姿勢とか明るさとか協調性とかがあり、逆向きに言えば近代的な苦悩やしゃちこばった姿勢や身を縮めて生きるような不自由さがない。気取りもなければ過度の競争の息苦しさもない。そしてバスの車掌である少女の、深い目眉と明るい表情と勤務時の素足からは、ついゴーギャンの絵に描かれたタヒチの世界さえ思い浮かべてしまう。ひと言でいってしまえば野蛮とか粗野とかに見紛う生活の中に、しかし何かしらなつかしい、人間らしさの原型が含まれていはしないだろうかと思う。
 こうした感受は、古いものこそがいいとか昔に返れという主張に同じものと誤解されるかもしれないが、けしてそうではなく、島尾敏雄もその陥穽の罠はよくわきまえている。にもかかわらず、文明や文化の発達した先進地域が後進の地域に比して、本当に「優れて」「上位」にあるといえるのかどうかという懐疑を手放してはいない。つまり、発達したとされる地域の内側に生じて無意識の、「不遜」さや「傲岸」さや「見下し」に、どうしても納得がいかないのだ。文明や文化こそ進んではいないが、いくらかそれと反比例するように、人間としての生きる喜び、あるいは人間性や情緒性の豊かさ、内側からの自由さ、家族や隣人との親和性などは、都会などよりも辺境といわれるところにこそ昔通りに存在している。文明や文化にとって、そうしたものは必要ないものだったのだろうか。
 島尾敏雄のこうした視線の送り方に、ひと言でいえば共感を覚えた。
 それから、これは島尾敏雄が自覚していたかどうかは別として、島尾さんの沖縄や奄美に送る視線は、個々の人間に送る視線に同じではないかと考えた。言い換えれば、人間に対しても同じ見方が出来るような気がした。というよりもあるいは、ぼくは人間を見るときに同じような視線を送っているなと気付いた。うまく言える気がしないが、文明文化が個人に要求してくる道徳とか教養とかを模範的に身に付けたような人と、反対に粗野で野卑であまり上品でない人がいるとすると、ぼく自身はどちらかというと後者のほうに寄り添う気持が強い。そしてそれはやはり、作りものでない人間らしさが、後者のほうに分があると考えるかららしい。島尾さんのこの文章を読んで考えたらそういうことが少しはっきりした。また「九年目の島の春」の文章は「無名の大衆を表した記述」のように、読み替えが出来そうな気さえする。実際ぼくはそのようにも読んだ。
 ぼくの印象では、現代の日本の中間層よりそれ以下に生きる人々は高度な文明や文化の影響が及びにくい。それはいつも後回しになって、匂いのように彼らの頭上、表層を駆け抜けていく。人々が手にいれようと手を差し延べても掴めない。すると、高度な文明や文化を掴み損ねた彼らはいつも幾分かは古式のままに存在することになる。貧しさは貧しさを再生産するという数式で考えれば、古式もまた古式を再生産するだろう。最大限に誇張して言えば、現代的に先進的で高度な文明文化に浴する人に比していえば、人間としての原型を保っている、初源に近い、そういう人たちだということになる。
 ぼくの知っている故郷の近隣の農家の昔人たちは、おとなしく、控えめで、また黙々とよく働いた。またぼくの知っている辺境の山の人たちは素朴で警戒心強く、口数少なく、都会人から見れば語彙や表現力も劣っているように見えた。だが本当は山の人たちは対自然の中に育まれた察知能力に優れ、表現力はその程度で充分であることが村落内では自明とされていたのだと思う。
 生き物に比して言えば、辺境に近い人々は野生であり、最大限に文明文化を享受した人々は家畜化していると言えば言えよう。今仮にそう考えてみれば、どちらが魅力的かは判然とする。特に「人間(生き物)とは何か」という種類の問いの中では、家畜化された生き物は、自体としてみれば貧しく見える。
 もうひとつ島尾敏雄の文に関連して考えることは、「記録の沈黙」についてだ。奄美の遺跡、古い建築物、古文書の無さということは、それがどういうことなのか、何を意味するのかが何となく分かるようで分かりにくい。たぶんぼくはこれを個人の業績のように考えてみようとしたと思う。つまり何も残さない人生というようにだ。今日ではこの場合、彼の人生は意味がなく、価値がなく、つまり不毛だったと捉えることが一般的ではないかと思う。黙って生き、黙って死んでいった。そういう人生をどう見ればいいのか。島尾さんの文章では、旅行者には不毛と映る奄美の、遺物や記録の無さ、その無の中から、豊かさを暗示する信号が出ていると述べていた。そういう見方に倣って考えると、地位も金も名誉もなく、知識や技術やあるいは哲学も思想もない、思い浮かぶのは無名の大衆の沈黙した生き様であり、その沈黙から豊かさが発しられるということになる。
 島尾さんが奄美の沈黙の生活史と豊かさとについて記述している箇所で、こんなところがある。
 
潮風にさらされ彫り深く、かたち小さく、いつまでもわらべのように世代を重ねた島の人々の記録のない生活史は、われわれの国の存立をささえるために歴史の底深いところで役だちながら、それを認められもせず、みずからも知ることなく、ほかのところと関係なくかぎられたせまい自分たちの島々だけのことを観念してすごしてきた。
 
だが、なくてはならない大切な存在であったと島尾さんは考えていた。引用部分はそのまま大衆についての記述であると述べていけない理由があるだろうか。存在するだけで人々に役だち、けれども誰にも役だっていることが正当に評価されることなく、自分もそういう自分の存在価値が分からず、関係の貧しさの中で、限られた狭い自分の生活の営みの範囲内だけに心を砕いて生きた大衆の…。
 ぼくは小学校の教員でもあったのでたくさんの小さな子どもたちを見てきたが、どんな観点からもなかなか評価されにくい子どもがいることを知っている。学校での教育的な評価は狭い上に堅苦しく、ましておよそ人間の全体の評価をなし得る体のものではない。それから社会的な価値観というのも能力とか経済性とか組織への忠誠度とかいい加減なもので、ここで言う名もない大衆的な存在の価値が評価されるわけがない。そういう子どもたちは、上昇志向の欲があまりない。受身的と言ってもいい。逆上がりが出来なくてもあまり悔しさを感じない。悔しくないからあまり努力しようともしない。別に落ち込むでもなく、内向的になるというわけでもなく、出来ないことにも自足し、これといった指導が通用しない。何も特技があるわけではない。趣味や際だった興味の対象があるわけでもない。学級の仲間たちと一緒にいて生活しているだけで、もう充分満ち足りているといった雰囲気でいる。こういう子どもはなかなかに評価の言葉をつなげられるものではない。せいぜい協調性があるとか、みんなと楽しくやれているというくらいだ。褒めてやれるところが少ない。しかし、ぼくはなぜかそういう存在の子どもたちが学級や学校の存在を支えているように考えたくて仕方なかった。たとえばよい例えではないが、料理でいう「つなぎ」のように、それ自体に料理としての価値は少ないがそれがないと料理自体が成り立たないというような、重要な役割、職人にしか知られない価値と同質の価値を、そうした子どもたちは有しているように思われた。ただそれを知る人は少ないだけだ。
 ここでぼくが言っている意味が、はたして島尾さんの「九年目の島の春」の文章とシンクロするものかどかうか自信はないが、先ずはこうした考えが励起されたのだった。
 
 人間とは何か、人間の幸せとは何か、あるいは人間としてどう生きればよいか、などということを考えざるをえない人々にとっては、引用した島尾さんの特に後段の文章を読んで、一度は立ち止まって考えようとするに違いないと思う。少なくとも筆者である島尾さんは、奄美で見かけた人々の生活を羨ましく感じたろうことは想像に難くない。物心付いて「お話」のようなものを書き始め、学生時代にはいっぱしに文学的な苦悩のポーズも強いられた。卒業して軍隊に入隊し、すぐに爆弾を抱えて特攻する震洋隊の隊長として奄美の加計呂麻島に配属された。およそ1年半(?)を待たずして終戦の報を知らされ、特攻の任務からもとかれた。ちょっとやそっとの体験ではない体験をした人である。時代に翻弄されること少ない生き方を、羨ましく感じなかったはずがない。もちろん、人々の生活も、生活に埋没する中ではけして平坦に過ぎるものではないことは了解できるし、戦後の奄美にも文明文化の波がこれまでにない圧倒的な力で押し寄せ、人々の生活が一変する様もつぶさに見ることになった。そしてそういう奄美の中にあって、島尾さんは文明の恩沢をこうむることによる生活水準や医療や福祉や交通など全般にわたる利便の向上と、逆に古い懐かしの奄美の衰弱という矛盾を前に、いっそう深く考えることを放棄しなかった。
 文明や文化の発達や進歩というものは人類史の自然な方向性であり、必然でもあろう。ぼくらもまたその恩恵にどっぷりと身を浸し、生きて生活をしている。これは否定するものではないと思う。否定するものではないと思うが、このためにどうかして人間や人間の生活が萎縮していくことは大きな疑問に感じる。これは過渡的な人間の感受に過ぎないだろうか。それとも解決すべき課題として保持すべき疑問という範疇に入るものだろうか。
 
 さて、実は島尾さんの文章を読んでここに記述したようなことを考えていたときに、内田樹さんのブログの文章を読んで、一瞬、感銘に近い感情を覚えた。同時に、島尾さんの文章が思い出され、二つの文には共通があるとひらめいた。そのひらめきはやはり一瞬のものだから、今となっては無意識の底に沈んでしまったような気がする。それでも、もう一度それを無意識の底から取り出せないだろうかというのがこの文章全体を構想した動機である。うまく行くかどうか分からないが、ここからは内田さんの文章に沿って記述していくことになる。
 ブログの記事は、教育問題について沖縄の雑誌からインタビューを受けての、内田さんの発言が採録されたものだ。先ずは冒頭に近いところの引用から。
 
今回の事件(大津市のいじめ問題を指す―佐藤)で、学校や教育委員会が情報を隠蔽した理由は、「バレたら叱られる」からです。だから、とにかく目の前の問題解決を先送りしようとする。
ミスがあれば、お互いに責任をなすりつけあって、責任を押しつけられたものが周りからの集中攻撃を浴びる。学校教育そのものがその「いじめの構造」を再生産している。
だから、他者からの攻撃を恐れて身を縮める。嵐が過ぎるのを首をすくめて堪え忍ぶという生き方が日本社会に行き渡っている。「何もしない」というのがもっとも合理的な選択だと思われている。
 
 先述の文章に関連させていえば、発達した文明文化の象徴としての学校教育内の出来事である。しかも学校長や教育委員会が関係している出来事である。関係しているだけではなく、見苦しい弁明の主体となって報道を通じ社会に醜態を晒している。子どもたちのいじめの実際も含め、これが文明や文化の先進国におこっている事件かと思えば、高度な文明文化を獲得したことに喜んでいる連中に、自戒も込めて過度に思い上がるなと言ってみたい。
 引用文中、「学校教育そのものがその『いじめの構造』を再生産している。」という指摘は、なるほどと感じた。もはや学校や教育委員会は無責任の体系で、ミスを隠し、弱いところに責任を押しつけ、集中攻撃を浴びる同僚があっても援護の手を出さないのは肌身に感じてきたことだ。ただ、内田さんはここで教育関係者を弾劾しているわけではない。日本社会全般に思考のメスを入れている。
 
今の日本では、失敗があった場合に、「なぜこんな失敗が起きたのか、システムのどこに瑕疵があったのか、管理運営のどこに手落ちがあったのか」を問うということをしません。反撃できない弱い個人や集団に罪を押しつけて、そこに攻撃を集中し、彼らを排除することで「穢れを祓う」ということを社会問題のほとんど唯一の解決法としている。日本全体が「いじめ社会」になってるんです。
 
 日本社会に潜在し、また顕在もする「いじめ」は、集団統合の仕掛けとして人類史の早い時期から発生した仕組みだと内田は言う。 だが、この程度のことははじめて聞く話ではないし、はじめて考えることでもない。気になることは日本の社会総体と、またある意味で社会を象徴的に反映しているということができそうな学校教育の現場が、いったいどうなっているのだろうか、ということである。 現役の先生だった当時を思い出すと、ぼんやりとだがひとつの教師像というものがあった。それは上からの強制を伴う教師像であるとともに、自分からもこうでなければならないのではないかという思いがこしらえた教師像で、二つ重ねになった教師像である。
 小学校教員だったので、各教科に万能であること。子どもを引きつける授業が出来ること。子どもたちの学力を向上させ、技能面の修得も可能にさせ得ること。学級経営が上手であること。保護者などの外部との折衝などにも長ずること。子どもから信頼されること。 数え上げたらきりがないが、まあこんなことなどだ。たいてい、理想とはこんなにも遠いものかと脱落感を味わう。味わいつつも年に一度は指導主事の学校訪問というものがあり、ありがたいことにご丁寧な指導をしてくれるのである。現場の先生たちからすれば、ごく若い先生を除いてプライドだけは高く、指導主事の先生からさしたる能力がないと見抜かれたり、注意を受けるなどはいやだという思いがある。そればかりか教わることがあるだけでもいやなのである。もっと露骨にいうと、指導主事に何かいわれることはもちろん、授業を見られたりすること自体がいやなのだ。さらに言えば、指導主事が学校訪問すること、指導主事と接すること、それら全てが「嫌」ということになる。たぶんその関係は、子どもが先生を嫌がるのと同じである。
 指導主事の先生たちは、現場の先生たちが自信を持って子どもたちを指導できるように助言し、指導する立場にある。あんちゃん先生やおんちゃん先生を優秀な先生に仕立て上げるための専属の精鋭である。仮に先生たちが優秀になったとして誰が喜ぶのか。先生たち自身であり、教わる子どもたちであり保護者たちということになろうか。けれども、いちばん喜ぶのは学校や教育の中枢に位置するシステムであろう。システムが何かを行うこと自体に、システムの自己保身と自己増殖の欲望が自動的に発動してしまうからだ。
 優秀な先生たちが出来てシステムは喜ぶ、が、システムは自身の考案者でもなければ運用の責任者というわけでもない。では本当にそのことを必要としているのは何ものか。
 とりあえず今はそれを、社会を構成する構成員のうち上層に位置する者たちと考えておく。彼らにとっての社会とは、自分たちを上層に置くシステムである。これを維持して守ることは自分たちの利に通じる。その社会、そのシステムが安泰であるかぎり、彼らは上層にあっていろいろな利便をこうむることが出来る。彼らが欲するのは現在の社会やシステムの安定であり、それに資する構成員である。学校はその一部で、先生たちはまたその中の一部ということになる。そしてあくまでもその一部として有用であること、役に立つことが望まれている。システムにとって最もあってはならないことは、それ自体の無効性がバレることであり、それ故にあらゆる有ること無いことがでっち上げられて有意味性が仮構されなければならない。
 子どもたちはさらに、そうした社会のシステムに貢献することが望まれている。いってみれば予備軍として養成されようとする。ゆくゆくは社会を構成する一員となり、社会の発展に貢献することで上層部の維持発展に寄与することが期待されている。学力が高い。スポーツに秀でる。品行方正。あるいは英語力、コミュニケーション力、グローバル性、パフォーマンス性、何でもよい。教育の成果としての実りある果実、能力の開花を通じて付加価値を持った商品に育てばいいのだ。さらに愛国心や勤勉性や忠誠心などを加味してもよい。いずれにしても大切なことは、どこの誰かという個人などはどうでもよくて、社会システムの現在に都合のよい人材が求められていることは間違いない。
 ところが、指導主事と先生の例と同じで、子どもたちは教えられること、指導されることに辟易している。自分に秘められた価値を拾い上げられるのではなく、ある意味全く別のところからの価値を押しつけられる。それは自分のためというよりも、他に有用な商品化を意図されてのことが明らかに察知されてしまうから、無意識が拒否する。つまり、教育的美辞麗句の陰にはシステムの側の利用の意図が透けて見えるので、そのカラクリに人間的な抵抗が示されるといっていい。そこで教育のシステムは抵抗をなし崩しにするために、魅力ある褒美を用意する。
 
 今の学校教育というのは、子どもたちを競争させて、数値的にランクづけをしている。
相対的優劣を競わせて、勝者に褒美を、敗者に罰を与えれば人間はその能力を開花させるという「競争信仰」が学校を覆い尽くしています(略)
 
 褒美とは、社会的な階層としての上層に上りつめる階段に誘う切符、その幻想としての切符の発行である。このことは大人になった先生たちの場合も同じで、指導主事訪問などの「仕掛け」にクリアーすると、上層からの引き抜きがあるかもしれないと幻想する。そういう期待値に魅せられて、大人も子どもも競争社会を生きなければならないといえる。 その姿はこれまでにも何度も例に出した覚えがあるが、一本の蜘蛛の糸に群がる地獄の血の池の亡者たちの姿だ。地上の楽園に這い上ろうとして、次から次へと他者をけ落として糸をつかもうとする亡者たち。上りかけた者を引きずり落とし、群がる亡者の頭や肩を踏み台にする。その争いは延々と続き、亡者たちはあきらめることをしない。
 
競争的な発想をすると、修業の目的は地球上の70億人全員を倒してチャンピオンになるということになる。
すると、論理的には自分以外の70億ができるだけ弱くて、愚鈍で、無能であることを願うようになる。できれば、この世界にいるのが自分ひとりで、あとは全部消えてしまうことを願うようになる。
 
 こうした現世的な競争を強いているのは、芥川の作品に登場していた釈迦ではない。蓮の池のほとりに陣取るのは上層階級の者たちであり、「力あるものは喜んで迎える」と手招きする。
 
競争的なマインドの人は、つねにどうやったら周りの人間の心身の発達を阻害し、能力を下げることができるかを考える。
閉鎖集団内部での相対的優劣を競う限り、自分の能力を高めることと、他人の能力を引き下げることは同義ですから。日本の場合は、競争原理によって、これにみごとに成功した。その結果、全員が全員の足をひっぱるような情けない社会ができてしまった。
競争は国を滅ぼす。僕はそう考えています。
 
 全ての競争が国を滅ぼす元になるかどうかは別にして、どういう仕方にせよ自分をこの社会の上層に置きたいと願う願いは切実な様相を見せている。そのために過酷な訓練を課したり、どんな手を使ってでもというのは日常茶飯である。それを否定はできない。できればそちら側に回りたいという誘惑は、時折自分にも訪れることがあるからだ。もちろんその誘惑を生涯をかけて打ち消すことに密かな矜持を持ち続けてきた。だが、そのような矜持さえ実は消えようが残ろうが大きな意味はないと思っている。
 問題と感じるのは、ここ二十年近くの経済不況や、金融危機などに追い打ちをかけるようにして発生した東日本大震災と福島原発事故後にあっても、政治家をはじめ大企業の経営者、さらに天下り官僚や御用学者、大新聞、テレビ関連などで占められる利権に群がるハイエナ種の、露骨なまでに自分たちだけに都合のよいシステム維持にかける執念の凄まじさであり浅ましさだ。これを見て、文明文化の先進性とは何かと問わずにはおれない。福島の復興、日本の再生などの綺麗事を言いながら、やろうとしていることは現日本の、主として上層部を現状維持で持続させようとする姑息な言い訳なのだろうと思う。危機に乗じて、現在の体制的なものをいっそう堅固なものに固めなおし、かえって盤石なものに再建しようと意図するかに見える。被災地の個々の人々、家庭。被爆汚染されたちの個々の人々、家庭。そちらに向かっては目と耳と心とを充分に差し向けているようには見えない。二の次、三の次の印象さえ持たれる。いったい政治は何をしているのだろう。メリハリを持たせ、小回りをきかせ、急を要するものに迅速に対応することができていない。肥大化したシステムのために、全ての動きは鈍化している。政府閣僚はこれを放置し、復興支援、再生援助のポーズを決めて、後は行政システム任せ、成り行き任せで目配りが利かない。
 おそらくは、たとえば福島で被爆した子どもの親たちが、どのような思いで日々の不安に耐えているかそれらの人々には分からないし考えてはいない。救済の手をどこに差し延べるべきかは明白なのに、子どもたちをはじめとする住民たちのの安心・安全対策よりも、生産物の安心をPRすることに重きをおくような愚行を演じている。生産者を救済するなら、原発推進の補助金をそちらに廻し、生産物を買い上げるだけで充分だろう。取り返しがつかないのは放射線による心身へのダメージであり、ガンの発生にあることは言うを待たない。そちらについては報道も抑制しがちで、情報は靄の中にあって明らかにされていない。
 さらにまた野田総理は、かつては否定していた消費税率のアップをいとも容易く撤回して、増税法案を成立させた。特に被災地の人々にとっては、疲弊した感情に追い打ちをかける政策であり、これを首肯する生活者大衆はないはずなのだ。はっきり言えば、「待ったなし」は、現在の体制、システムの中核に関与する者たちにとっては、保身の意味から「待ったなし」だとは言えるかもしれない。だが震災や事故によって心身に不安を抱え、救済こそが待ったなしだと思う人々にとっては、世界の中で経済大国日本を演じる関係者としての上層の人々の思惑などどうでもいい。増税による福祉向上は建前で、財政の立て直しや健全化こそがそのねらいの中心のひとつであろうが、これもまたただひたすら現在の体制やシステムを崩壊させたり縮退させないための方策で、もちろん現況にあって利を得る者たちが手を取り合って必要と認めた対策に過ぎない。全てが彼らのために周り、彼らのために動く体制でありシステムであると言って過言ではない。民主主義を仮構した独裁政権の誕生であり、権力を握ると「どじょう」だって「なまず」より恐いことがはっきりした。大人や、その国の文明・文化度を象徴的に代表しているはずの総理大臣や政府閣僚らがこんなことばかりしていて、子どもたちのいじめなど無くなりっこないに決まっている。地方は中央を真似るし、国民はまた権力や権威の行いをまね、子どもらは大人の「くずれた姿勢」ばかりを見せられて育つ。「くずれ」を強調していくほかに道はないさ。
 この国にあってはごく普通の生活者も震災や事故の被災者も、被災した子どももあるいはほかの子どもたち全ても、王宮の生活を維持すべき働き蟻の群れに過ぎないのではないかと思えてくる。その中のいくらかは王宮に使えるものとしてつり上げられるが、それもまた王宮の維持に欠かせないシステムのひとつで、そのために蟻の群れの内部では恒久的に熾烈な競争が続くことになる。
 野田を含めて多くの指導層側に回った連中は、働き蟻からの成り上がり者に過ぎない。だがいったんそちら側に回ると王宮の維持に躍起になる。だがそのことで本当はいったい何を守ろうとしているのだろうか。日本という国か。あるいは伝統とか文化といったものか。さらにあるいは日本人という民族や民族の誇りか。また世界に誇れる日本というものなのか。いずれにせよ、それら一切のものが成りたつのは、それこそ島尾敏雄が語っていた「沈黙の生活史」を編む民があってこそと思える。そしてそこには「民意」というものがまた隠れている。古代の支配層は、自然の変化を察知する能力の延長上に「民意」についての察知能力にも長け、「民意」を活かしながらの繁栄を築きあげたのだと言える。その意味では彼らはまだ民の生活の場の近くに存在し、民の声なき声も己の心に取り込んで響き渡らせることを可能にする位置にあった。 無知で原始的な生活を送っている住民を、利発で心の優しい指導者が教え導いたおかげで日本人という優秀な民族が形成されたと考えるわけにはいかない。地域に偏在する住民の「沈黙の生活史」が含む「民意」がまずあって、それを汲んではじめて支配や指導の手が尽くせたのであって、その逆ではあり得ない。仮に日本という国の誇り、日本人という民族の誇り、優秀さというものがもしあるとするなら、それは「沈黙の生活史」の内部にもともと誇りとすべきものや優秀さが内在したのであり、さらに言えばひとりひとりの個体にそれらが形成されていたからというほかはない。その意味では現代に下層に生きる人々も上層にある者たちも、斉しく過去の自分たちの出所に目を転じ、誇るべき生き方すなわち「やさしさ」、「思いやり」、そして本来の「太陽のように明るい」心情をこそ掬い上げてこなくてはなるまいと思う。そうした「やさしさ」や「思いやり」や「他者の心情の察知」こそが、ぼくたち日本人に内在する「価値」であり、また「誇り」とするところではないかとぼくは考える。同時にそれは自然に「めりこむ」ように交わり、自然から汲み上げ文化、伝統へと昇華した古代の日本人の精神活動及び生活様式でもあったろう。
 ここまでの文脈から逸脱するかもしれないが、再び内田さんの文章を引用してみる。
 
今の日本で「愛国心」と呼ばれているものは、同胞に対して非寛容であることです。「ほんとうの日本人」の頭数をいかにして減らすかに夢中になっている人間じゃなければ「非国民」とか「売国奴」などという言葉は口にしません。彼らはべつに国を愛しているわけじゃない。誰かに「非国民」と言われるのが怖いので、自分が言う側に回ろうとしているだけです。本来の愛国心は恐怖や恫喝と最も無縁なものです。
 
でも、日本人は無垢な愛国心というものをもう持てなくなっています。前の戦争であまりにひどい負け方をしたから。
ただ戦争に負けただけならこれほどまで卑屈にはならない。でも、あまりにひどい負け方をした。国運をかけた戦争で、何百万人も死んだ後に、戦争指導部が驚くほど愚劣で無能な人間たちによって占められていたことを知らされた。救いがないんです。
ただの敗戦なら、「臥薪嘗胆」で耐えられる。でも、これほどみじめな敗戦では「次は勝つぞ」という言葉がどこからも出てこない。日本人は敗戦で何か大きなものをなくした。「誇り」というものを根こそぎ失ったんです。
 
―今「誇り」という概念を子供たちに教えるのはすごく難しい気がします。国に対しても、自分の属する母集団に対しても。先生が合気道で教えていらっしゃる「誇り」とはどういうものですか。(太字はインタビュアーの質問)
 
僕が武道を始めたのは1975年ですが、今思うと、一番大きな理由はそれだと思います。敗戦国に生まれた子どもとして、二言目には「日本は戦争に負けたから」と言われて育ってきた。でも、何か世界に誇れるものがなければ子どもだってやっていけない。そのときに発見したのが武道です。それが僕にとっては国民的な矜持の支えだった。
その事情は今でも変わりません。
経済力があっても軍事力があっても、それだけでは国民的な誇りは持てません。誇れるのは伝統的な文化だけなんです。それだけは金で買えないし、暴力でも奪えない。
それが日本にはある。それだけが国民的な誇りの足場なんです。
なのに、人々は金や軍事力で誇りを手に入れようとする。
伝統文化が存在しない国で、どうやって自国への誇りを保つことができますか。
シンガポールの最大の懸念は伝統文化がないことです。ビジネスチャンスがあるということだけでは愛国心は基礎づけられない。金で人を引きつけているなら、もし他にもっと条件のいい国が出てくれば、国民がそちらに流れ出てゆくことを止められない。
ブータンでは「国民総幸福量」ということが言われましたけれど、あの国で何が国民の幸福を支えているかというと、他の国にはない文化なんです。貨幣の量じゃない。
 
 敗戦によって完膚無きまでに叩きのめされて失った誇りは、伝統文化に回帰して掬い上げてこなければならないことが語られている。そして武道家の一面を持つ内田さんは、具体的実践の事例を問われ、
 
何ができるんでしょうかね。とにかく僕は顔が見えて声が聞こえて手が届く範囲からしか始められない。だから、道場を作った。
最年少は4歳から入ってきます。小さい頃からやっていると、やっぱり佇まいが違いますね。昔の日本の少年らしさというか。姿勢とか歩き方とか礼のしかたとかが。今の子どもたちのやっているだらだらと崩れた身体運用も一つの「型」であって、あれはあれなりに社会的な規制に従っているわけで、別に楽なわけじゃない。だから、武道の道場で気分のいい身体の使い方を知ってしまうと、もうああいうだらだらした身体の使い方ができなくなる。
 
―佇まいというのはとても美しい日本語ですが、メディアで目にしなくなりました。その美しさは見える範囲内でしか伝えるのが難しいですね。
 
言葉で伝えるものじゃありませんから、日常の起居を通じて、礼儀正しくしている人をみて身体的に感化されるしかない。
「礼儀正しくしろ」って言ってもダメなんです。現に礼儀正しい人がかたわらにいれば、自然に呼吸するように礼儀正しさが身について行く。道場というのはそういう空間なんです。
 
本来、学校もそういう道場的な働きがあったと思いますが、今はもうありません。
 
と応えている。そして、
 
今の学校は教育商品や教育サービスを販売してる「市場」ですから。
先生は売り手で、保護者や子供が消費者。消費者は別にマーケットに何かを学んだり、人間的成長を遂げたりするために来ているわけじゃない。買い物に来ているだけです。
スーパーの入り口から入った消費者が出口にたどりついたときには別人になっていました、ということはありえない。店内に何時間いようと、何年いようと、入り口から入ったときとまったく同一の人物であって、買い物籠の中身だけが増えているというのが消費者です。
市場では消費者の欲望の初期設定は最後まで変わらない。
学校は本来欲望を更新するための場所です。学校に入学するときは、そこで卒業するまでに何を学ぶことになるのかわからない。自分がそんなことを学ぶと思ってもいなかったことを学んで別人になることが教育なんです。
 
と結んでいる。
 消費者としての保護者はまだ、「市場」と化した学校の商品やサービスに一縷の希望を持っている。上層への階段を上りつめるための切符が手に入れられるかもしれないと。けれども、内田さんが語っているような学校教育の影の働きを身をもって体験する子どもたちは、知識や技能といった衣や鎧を幾重にも重ね着させられ、終いには背負わされる。重荷を耐え続けたら、その先にエリートの階段が待ち受けているかもしれない。けれども、そんなことを喜ぶ子どもがそれほど多くいるわけではない。なにせ「沈黙の生活史」の中に、民族的な佇まい、挙措振舞い、それを伝統的文化にまで昇華した古代人の末裔でもある。その遺伝子、DNAはほそぼそとも伝承されてきているに違いない。彼らはすぐ目の前の指導者からテレビの中の指導者までをつぶさに見て、その挙措振舞いから何を受け取るかは明白である。つまり学ぶべきことが何もないことを学ぶ。それは子どもたちの日々の挙措振舞いや言動のうちから推察されよう。
 ある子どもたちは「市場」としての学校から不登校や引きこもりの形で撤退する。「市場」では人間としての「誇り」も生きる「価値」も売っていない。そればかりか愚劣と無能が「市場」に蔓延して、口と鼻を塞いでくる。ある子どもたちは「市場」から押しつけられたものをブラックホールに落とし込み、それをくりかえして「市場」を通過する。いずれにせよ子どもたちは、愚劣と無能な指導者や誇りを持たない大人たちの間で、それ以外のものになる道を見いだせずにバーチャルな世界へとひたすら突き進んでいくように見える。
 たぶん、絶望的なのだが、ぼくらは精神の佇まい、挙措振舞いを、常に意識に取り込んで歩まねばならない。それは「沈黙の生活史」を現在に引き寄せながら生きることを意味しているように思える。それは自らに「誇り」と「価値」をもたらすためであると同時に、子どもたちの「誇り」と「価値」を再生するためでもある。彼らが誇りを持って生きられるために、ぼくらが為すべきことはそういうことではないか。
 大事なことは競争で一番をとることではない。そういうこととは次元を異とするごく普通の暮らしの中に、自分をどう反映させるかということに尽きる。内田さんは「佇まい」という言葉を使い、ぼくはあまり意識せずに
「挙措」「振舞い」等のように言ってきたが、逆にそこのところに向かって意識が変わっていくのでなければ、そこを掘り下げていくのでなければ、本当の意味で立ち直ったとは言えないんだろうなと思う。
                了   
 
 
   終焉のイメージ (2011.11.3)
 
 震災後に見えてきたもの
 
 世界や日本の経済の混乱と低迷、さらに円高によるわが国の製造業の危機的状況については関知するところではない。また日本の原子力発電の継続や廃止に関する議論にも興味はない。全てはメディアを越えた向こう側の出来事であり、メディアを自分たちの現実であると認知しないものには、自分の思考、発言は意味のない世界に留まることを余儀なくさせられる。つまりそこまで到達する力を持ち得ないもの、大衆の側の自立的な思考の試みというようなものは、ことごとく辺境の地、無為の世界に閉ざされるというわけだ。声をあげても意味がないと分かっていて、継続して思考し続けるなどできるわけがない。であるならば、関係ないと言い放つことこそが生活者の正しい選択であるのだろう。
 
 メディアが区画した世界、メディアによって文字化され、映像化された世界は幾層にもフィルターがかけられている。そのためか酷くねじ曲げられ、ゆがみ、本当のことは全て無意識によって表現される。逆に意識的な部分は全て作為と操作によって充たされる。
 私たちはメディアによってしか世界性に到達しないのであるが、だが到達した世界は上記のように歪んだ世界でしかない。言い換えると私たち普通の生活者は永久に真実の現実の世界性に到達することはできない。
 私たち個々の生活者にとって、真実の世界は私たちの身体の移動する範囲に限られる。そこでこそ私たちの五感は真の現実に触れるわけであるが、だがそこにもまたメディアの影が投射し、私たちの思考や発言に対して呪縛するものであることが知られる。
 観念や幻想と呼ばれる領域に対するメディア的な呪縛とは何であるのか。少なくともそれは言葉や文字に関わる。それが使われるや否や、意味を構成し、その意味はメディアを通じた世界へ即座に吸引されることになる。言い換えれば、言葉はそうした過去の歴史性を引き連れたシステムのレールに乗って運ばれるものであると同時に、過去の歴史性に繋がれているので、今という現実からは永久に遅れてやって来る概念なのだ。本当はメデイアとはそうした概念の寄せ集めによってできている。
 
 日本のメディアのダメさは限定的である。権威や権力にこびへつらう。これは言辞が権威や権力に批判的であるかどうかとは関わりがない。その異様さは今回の原発事故の報道によって顕著だ。政府の公式発表や、放射線の暫定基準値の策定に無批判で、データの隠蔽や基準値のご都合主義をかばい続けた。そう言ってもいいほどに国民一人一人の視点から真実を探求し、掘り下げ、明らかにしていく努力が皆無だったように思える。大本営発表そのままに、政府や事故の当事者たちが公表した事実を無批判に報道し、もっと言えば情報操作に加担した。こんなメディアなど存在しても迷惑なだけだし、第一が自らの堕落をそれと自覚していない症状は、最悪の事態だといっていい。
 管政権をはじめとする政治家のダメさ加減も今回の大震災、原発事故によって明白になった。もちろん官僚の保身的体質や地方の首長、自治体の無策無能、とりわけ理念、哲学、信念の欠如、自立的な思索の経験の欠如がはっきりしたことは、これ以上にない絶望感、空虚感、有り体に言えば私たちを「がっかり」させた。
 
 日本全体がこんな有様だったのだ。大震災の幕が開いてびっくりである。振り返ると、ここ二十年ほどの日本国は経済で破綻し、政治で破綻し、文化、学問、社会でも結果的に負け戦が現在である。これが第二の敗戦期なのか第三なのかはどうでもよい。ただ先進国における世界的な凋落の中で、確実に日本もまた、少なくともこの二十年近くは敗北の過程を繰り返し辿ってきたのである。そして、今回の原発事故や大震災の未曾有の被害を前にして、敗戦直後の無政府状態に近い、精神の荒れ地に私たちは置かれていることを実感する。信頼に足るものなど何一つ無い。
 各領域のリーダー、指導層はすべて敗戦を認めるとともにその責任を取るべきだと思うが、責任を逃れるすべだけは巧みで、しかもその層では互いの責任を問わない黙契が成り立っているらしく、ベールで覆われた陰に隠れて所在さえはっきりしない。
 前述に重複するが、今日、私たちにとって最も分かりやすい敗北の姿は、原発事故時の無様な対応の仕方や事故データの隠蔽などにあるだろう。それは政府、東電、そしてNHKをはじめとする大マスコミがひとくくりに、主権者である国民一人一人の生命や健康に配慮するという大前提をあっさりとどこかに吹き飛ばしてしまって、全く別物のために、別物を優先した行動基準をもってそれぞれに職種を汚した。政府は危機管理上、即座のデータ開示と、それに伴う住民の避難に真っ先に取り組むべきであった。だが実際には人々の混乱状態に陥ることを恐れ、また指導者の配慮が間に介在して、結果としてさまざまな局面での初動の遅れをもたらしただけでなく、住民の被爆を是認して実際に被爆させた。はっきり言って、首相である管をはじめとした指導者やエリートの配慮を、私たち国民はこれっぽっちも望んではいない。
 それよりも判断材料になる真実のデータを一刻も早く開示してもらいたい。多くの国民の願いはそうなのであり、それに応えることの出来ない政府など以前ならともかく、今現在の時代にあっては邪魔なだけなのだ。
 東電もまた、民間企業として事故の顛末を包み隠さず開示すべきであったのに、企業のエゴを優先し、住民の被爆からの避難や放射線で汚染された土地の除染やらを第一義に考えようとはしなかった。原子力保安委や原子力委員会や何かと一緒くたに、国民や住民や利用者に顔を向けているものではないなということがすぐに分かる。しかも、そのことが分かってなお、それらが大きな顔をしてそのまま居座り続けることに私たち国民の方が無力感でいっぱいになる。はっきりいって皆が無責任で頭に来る連中ばかりなのだ。
 マスコミの報道も、私のような普通の視聴者にも意図的であることがはっきりと想像できるような報道が多かった。コメンテータや学者の起用の仕方、司会者の話の筋の運び方、
どれをとっても国民一人一人の立場に立った番組作りをしている局など皆無だったといっていい。どこかに政府や東電に気を使う色や雰囲気が感じられたし、また生活の困窮や危険に無縁な、恵まれた環境にあるものにしか作ることのできない番組が出来上がっていると思えた。情報を精査したり、必要な情報を探り出したりえぐり出したり、そんな力も努力ももう全くないのだと思えた。悩み苦しみ、真を求める新聞やテレビの記者魂、死ぬ気の取材など、期待する方がどうかしているのだ、と考えるほかないのかもしれない。
 
 私たちは東日本大震災後、日本社会の中に何を見てきたというべきなのか。
 口では命の大事さとか、国民一人一人を大切にとか言うが、はっきり言って先に挙げたような政治、経済、社会、文化、学問、報道などといった領域の指導者、関係者等は、その∧無意識∨において自分を国民大衆とは峻別し、国民大衆の所在を分かっていないばかりかほとんど無視していることが分かった。彼ら自体が観念の世界の住人となっていて、いつしか彼らが口にする「国民」とは、彼らの観念の内部にすむ「国民」にしかすぎず、現実の個々の人々は観念の外、あるいは形而下に存する何ものかに変容されてしまっている。そうでなければ先の領域にあってそこを牛耳る彼らの、今現在に至る傲慢さと鈍感さとは到底理解できない。
 本当は、彼らの仕事、彼らの業績は、一にかかって何でもない普通の人々、国民大衆の利益に供する、それが最終的な目標ではないのかと私は思う。かつて三波春夫という歌手が「お客様は神様です」という名文句を発したが、それをもじれば「国民」こそが彼らにとっての「神様」でなければならないし、職業人としての自分の存在意義もそこを根拠として開かれるはずである。黙って国民を、子供たちを被爆させる馬鹿が、実際にはこの国をリードし続けている。
 戦後憲法により、国の主権は「国民」に移行したはずなのだが、そのことをきちんと意識化出来ているかと言えば、もしかすると私たちの社会はそのことを血肉化し、本当の意味での民主主義の定着や成熟を果たしてきたとは言えないのかもしれない。まさか「天皇」に忠誠を誓うとまでは先祖返り、時代錯誤はあり得ないだろうけれど、ではそれに代わる何に彼らの忠誠心は向かっているということができるか。おそらく、西洋的思考からすればそれは「国民」、具体的には構成員である一人一人の個人に向かうべき筈のものであるのだが、その転換はうまくできていないか、あるいはまだしっかりとした合意形成の途次にある。端的に言えば、現在の指導的立場に居座るものたちは、そこが空白になっているか、意識できてはいないだろうが「利権」や「金」や「所属組織」といった文字にすり替わってしまっているのかもしれない。
 これを日本的な「知」の、完膚無き敗北の一つと勘定しないでやり過ごすことができようか。
 今日、漠然とだが、戦後六十年を経て、この国の思想もまた敗北したと断ぜざるを得ないような気がしている。戦後の理想的な社会へといううたい文句は、今回の大震災と原発事故の前に決定的に壊滅したと私は感じる。 民主主義の基礎、基本が、指導者層から一般大衆に至るまで、全く身に付いていなかったんだ。私は先に挙げた指導層そしてそれに扇動される大衆の挙動、言辞を見てそう考えざるを得なかった。
 世界大戦敗戦後のどさくさの中で、誰が痛みを多く負担しまた少なく負担したか、誰が痛みに耐え誰が痛みから逃れることができたかは、その後の復興の過程が教えている。誰が最も深く傷つき、誰が傷つかずにすんだか。
 国民もまた暗黙のうちに分かっていたはずだ。敗戦を境に、昨日、今日、明日と、表情を含めて見た目が変わらずに在り続けるもの、挫折を感じさせないもの、そう言う連中はどんな凄惨な状況をもするりとすり抜けていくものだ。
 今回の震災や原発事故後においても、犠牲者はもちろん、大勢の傷ついた被災者がいる。
被害は天災がもたらしたが、人災が輪をかけて被害を大きくしたといっていい。その中でしかし、何の影響も受けなかったかのように、昨日と同じ今日を迎え、今日と同じ明日を迎える部外者づらの、だが何らかの形で被害者にコミットする面々がいる。明らかに悲しみや苦しみを共有してはいない、うっすらと表面をなぞるようにしか接触していない、自分の職や、懐や、地位とか立場とかを温存した、それでいて綺麗事をほざく、綺麗事の領域を一歩も外に出ない、そういう連中がいる。それがどういう連中かは、なぜかそういう連中にかぎってテレビなどのマスコミに登場するから一目瞭然だ。ああ、こいつらにとっては今回の震災や原発事故は、心と体に不調をきたすどんな影響もないのだな、ということがすぐに分かる。太宰治流に言えば、誰も苦しんでいないじゃないか、傷ついていないじゃないか、ということになる。まさか被災者のようにとまでは言わないにしても、本当の激励や応援は言葉ではなく、その場所で、その立場で、自分ができる戦いの、悪戦苦闘のその姿の中に共感という形で潜んでいよう。特に被災者はそれらの面々を目にして、信頼できるものと信頼できないものとを、容易に、そして敏感に見抜いたに違いないと思う。
 それにしても何と多く、傷つきもせず、平然と挫折感無く、敗北感無く日々をやり過ごすことのできるものたちがいることか。そしてそのほとんどが、国や社会を牽引していく立場に在り続けるものたちであることか。政治や経済や言論界をリードしていく立場にあるものたち。それらがこぞって国民一人一人をではなく、何の考えもなしに、自分や自分の組織、仕事の場、それらに染みついた利権、それを失わないことだけに汲々としているように見えることか。
 
 善なる徴候が無いわけではなかった。芸能人やアーティスト(?)、一般市民のボランティアのさまざまな支援活動はいろいろな見方もできるのであろうが、総じて個々の被害者に直接的にまた心情に寄り添う形で、政府や行政や東電やマスコミなどの対応とは、その質と内容において全くちがうものであった。少なくとも被害者に直接向き合って、一方的に善なるものを与えるばかりではなく、逆にそのことから結果として学ぶものも彼らにはあったのだと思える。
 もう少し踏み込んで言えば、政府や地方行政のようなものが機能しなくても、あるいは無くなっても、市民的な組織レベルで対処できる可能性をそのことは示唆しているのではないかと私は考える。そういった意味では、矛盾した言い回しになるが、国民の一人一人の人間的なレベルは、確実に高度化してきている気がしないでもない。そのことは、今回の大震災が唯一指し示した希望の光であるように私は感じている。
 
 
 小「武田邦彦」論
 
 「全滅」と言って良いかはわからないけれど、今から20年ほど前、バブルが崩壊して「今後の日本をどうしていこうか」と言うことになった時期から、今まで日本の主要政策は失敗が目立つ。(武田のブログからの引用)
 
 自身のブログの中で武田はこう主張している。武田が「全滅」と言っているところを、私は「敗北」とか「敗戦」とかという言葉でイメージするのだが、その言葉自体は吉本隆明の「第二の敗戦期」という言葉に示唆されてのものだ。
 私は武田や吉本とちがって大学教授でも思想家でもなく、一般生活者にすぎないので言葉の使い方は曖昧でありまたいい加減なところもある。けれども指示したいところは両者の表現したいところに近いものだと言っておきたい。そしてそれはどういうことかと言えば、まあここ数年の二人の表現を精査してもらえたら分かるはずだからそうしてもらいたいといっておく。いずれにしても、ここ十数年、日本の政治経済、あるいは社会、文化を含め、すべてダメじゃん、そう思っているし、これは敗戦時の壊滅状態を引き合いに出してイメージしてみるほかに喩えようがないのだという気がする。
 
 何度か言ってきたが、大震災後、原発事故後の言論界で未曾有の状況を的確に把握したり分析したりできていた知識人・有識者として、一般人としての私の目に触れたかぎりでは大前研一と武田邦彦、その他数人の名前を挙げ、彼らの言説から私は自分の認識を拵えてきたことをはっきりさせてきた。また、反原発の御旗みたいになっている小出某教授、震災や原発に直接関係ないが退職した元厚労相官僚、元検事の郷原某、その他ジャーナリストの中にも注目すべき発言をしている人も大勢いて、つくづく頭のいい人、優秀な人、まじめに考えている人はいるもんだなと思った。そして現在の状況を認識する材料として参考にさせてもらってきた。
 そうした人たちの中でも武田は、自分の専門を突出してというべきか、あるいは専門性を食い破ってというべきか、他の言論人よりも自分の奥深くの人間性に依拠して、いわば魂の叫びと捉えるべき位相で発言しているのが印象深かった。私は今いちばん信頼できる知識人の発言として、日々更新される彼のブログを食い入るように読んでいる。
 武田の関心は多岐にわたっていて、けして原発問題だけを論じているのではないが、そうは言っても最近のブログの中身のほぼ九割以上は原発関連の話題だ。
 原子力発電に直接的に携わった人間の一人として、武田は大地震と巨大津波との後におきた福島原発の水素爆発、水蒸気爆発などに衝撃を受けるとともに、その後の被害が最小限に留まるように緊急提言を続けた。すなわち事故後の最も本質的な対策として、武田は住民を被爆させない、被爆を最小限にくい止める、そういう提言を一貫して主張した。
 武田の主張は単純明快だが、その中でも彼が力を込めて主張してきたことは、被爆から子供を守りたいというその一点だ。私はそう受け取った。
 もともとは原発推進派の側にいた関係者の一人として、最終的にそれが事故により凶器と化して子供を襲う事態に、彼の倫理観は戦慄を覚えたに違いない。第二次世界大戦で唯一の被爆国となって、戦後全国民にトラウマとして影響し続けたそれを、あろうことか敵国からではなく、結果的には日本人によって日本国民を、その子供たちを放射能で被爆させることになる。広島、長崎の苦悩を自国民の手で繰り返すことに平気でいられる大人たちがいるはずがない。武田はそう考えたに違いないが、実際には政府、東電、自治体の長、役人、関係者等は「大人の事情」を優先して、初動において少しでも住民たちの被爆を防ぐという徹底した方策をとらなかった。その状況から、では、せめて子供たちの被爆を減らそうということならみんな動き出すに違いないと考えて、武田は特に子供に特化して訴えてきたのではないだろうかと私は想像する。
 私を含めて、一般の国民生活者は結果を目で見てはじめて被爆の恐ろしさを実感するものだと思う。写真に残された広島、長崎の被爆者の姿。記録された病院での患者の様子。被爆によって亡くなった人の数。
 たぶん被爆や放射線にそれほど詳しくもない私たち生活者は、福島原発事故を目撃して、被爆は仕方のないことと、はじめの段階で考えたような気がする。当時の官房長官、枝野の「ただちに健康を害するものではない」という言葉を信じもした。被爆が恐ろしいことと考えてはいても、それがどのように恐ろしいのかは、実際に体験したり、直近で見聞したりしなければ真に理解することはできないのだろう。そして、被爆の不安はいつまで続き、どこまで広がるかに漠然と関心を移したという気がする。だが、専門家でもある武田はさすがに危機管理上の判断をすみやかにくだして、事故が起こってしまった以上、次の段階として避難等による最小限の被爆に向けて行動すべきことをブログ等で提唱した。つまり、事故が起き、放射性物質が飛散したにせよ、その段階でもやるべきことはたくさんあることを武田は知っていたということになる。私を含めた多くの国民が、事故を起こったこととして許容するほか無い態勢にあったときに、武田はそこを始まりとして逆に臨戦態勢に入ったと思われる。
 武田にとって、飛び散った放射線を上手に回避する方法、すみやかな警戒区域付近の住民の避難、そして福島の土地を元に戻すという意味での除染等々は自明のこととして当然手を尽くすべきことであった。あまりにも当たり前のことだが、武田らにとっては事故はあってはならないことであり、また実際に事故が起きた以上は被爆を最小限に留めることが認識上当然のことであった。そして最終的な被害を最小限に抑えることが可能だということも認識上既知のことだったと思える。
 被爆から子供を守ろう、できるだけ被害を少なくしようという武田の呼びかけは、本来なら被爆国日本の大人たちが総意として持っているべき筈のものであった。だが三月十二日から今日まで一貫してそう主張し続けた知識者としては、御用学者は論外で、(もちろんそれほど熱心に情報を集めたりしたわけではないので)私は武田邦彦しか知らない。
 政府、東電、マスコミはもちろんのこと、原発や放射能関連の専門家と呼ばれる人たち、それに多くの国民までもが、すべて「大人社会の事情」によって言動を埋め尽くしてきたことは異常である。それ以前に、基底において言うべきこと為すべきことがあったはずだが、見事なほどにそれは抜け落ちていた。
 事故が起こり、その後の対応は、敗戦を迎え唯々諾々と戦地から引き揚げてきた兵士の像や、呆けたような体で玉音放送を聞いている内地の人たちの像に重なって見えてくる。もちろん私自身もまた大地震の余震に怯え、即座に「被爆から子供を守れ」という考えを持ちようもなかった。要するに腑抜けた大人たちの仲間の一人であったにすぎない。
 私は今回の大震災とそれに続く原発事故からの一連の動きと、主に武田のブログやその余の活動を見ながら、もしかすると私たち日本国民は戦後六十余年を何も学ばずに過ごしてきたのではないかという疑念を持ち、それを打ち消すことができなかった。武田の正統な主張に対して、支持をしたのは一部の母親たちであり、それ以外は、メール等でのバッシングから武田を擁護するどころか、あえて黙認して過ぎてきたのである。私はそれを現在的な敗戦、あるいは敗北の光景の一つとして数えざるを得ないと思っている。
 
 
 終焉のイメージ
 
 ここ数ヶ月、敗戦、敗北、終焉といったイメージが固着して離れなかった。そのことを言葉として具体的に表したかったのだが、今までのところうまくできたとは思えない。また思いのほか遅々として進まなかった。もちろん日々の困窮した生活の中で、いい加減な考え方しかしていないということもあるだろうし、表現が未熟だということもあるだろう。しかし、この国の指導的立場にあるもの、リーダー的な層に存在するものたちの、根っこから腐りきった様相を見て、敗戦、敗北、終焉といった言葉をイメージしながら、ふとだからどうなのだと自問するととたんに気持が萎えるばかりで、勇ましく表現を続けるというわけにはいかなかった。
 腐りきっていても、これからも変わらずリーダーなのだ。また総理大臣のようになんど首をすげ替えても腐りきっているとしか見えないように、これはもう構造的に、システム的に腐りきったものを再生産する土壌が存在するのだとしか考えられない。
 仮に、すべてがダメなんだと考えたとしよう。敗戦であり、終焉であるというように。だが確実に明日は来るし、その明日をダメな彼らに任すほか無いこともたしかなことだ。根本的に本質的にダメな彼らが深く反省し、自浄できるなど考えられない。相変わらず同じことが繰り返されていくに違いないのだが、それをどうすることもできない。さらに言うと、どんなに根本的本質的にダメであろうと、表面的に運営上の手さばきには長けているのが彼らであり、功罪で言えば功もあるから、そのこともまた考慮しなければならないという気になる。するともう、批判すること自体が何かしら虚しくなってしまうのだ。
 
 原発事故直後の、とりわけ福島及び近隣の子供たち、そして住民の被爆からの回避の方策。地震被害、津波被害の被災者への種々の支援の方策。どれ一つとってもリーダー的な立場にあるものの対応や対策は、たとえ市町村の小単位にあっても焦点がずれていて適確ではなかった。それは、そのことで最も苦しんでいるものたちへの支援が、最も行き届かないといった結果を生じさせている。支援のスピード感の無さ、行政の手続き上の煩雑さ、複雑さ。
 このことは少し前にあった若者たちや低所得者層の貧困の問題、派遣労働などに象徴されるある種過酷な労働環境の問題などに関する政策や方策などの、いい加減な対策に共通するものがある。つまりそれは何度でも繰り返すが、強固な利権の村社会が存続を続けるために逆に真に救済を必要とするものが一定の犠牲を強いられ、救済策と称しながらその村社会の運営は構造的に、そして狡猾といえるほどの巧妙さで自らの体制の維持を一義とするように出来上がっているのだといえよう。
 それは、今目の前に溺れかかっている人間を見て、警察、救急車、消防などのどの機関に連絡すべきか悩む姿に喩えられる。もちろんどの機関に助けを求めるかを考える前に、自力で救えるかどうかを試してみるべきで、それが不可能だと判断できたときに応援を頼むことが普通の対処の仕方だ。だが、とりあえず何としてでも助けるというその緊急性を、初発の決断を、しかるべき組織、関係者は二の次のようにして行動しているとしか思えない。
 そうした一種利権の網の目で構成された村社会の全体の仕組みを、私たちは国家と呼んできた。国家は破綻してはならない。国家は衰弱してはならない。だが、そうした国家と呼ばれるものが実現しているものは、実際には利権の村社会に巣くうリーダーサイドのメンバーの利害調整についてであり、国民主権とは名ばかりである。
 国家としての政府は、時によってただ主要なメンバーの首をすげ替えて、利権村の構図や構造だけは延々保ち続けているのである。
 
 武田のブログに啓発されてのことだが、たとえば政府やメディア、それから原発関連の専門家と称するものたち、加えて文科省、経産省、環境省、検察警察などが東電に対して厳しい態度を下さないのは、既得権益を共有する持ちつ持たれつの仲間だからなのだ。言うなればこの持ちつ持たれつの権益の網の目を構成する構成員が、日本のリーダー層を構成しているという図式が出来上がっている。
 私たちは今回の震災の復旧、復興の過程において、こうした図式をありありと見せつけられ、またイメージできるようになった。もちろん先に述べたようにおぼろげなイメージはあった。またその図式の存在を薄々感じてはいても、これほどまでに正義や誠実さといったものが踏みにじられ、人類愛、人間愛というべきものがおろそかになっているなどとは信じたくもなかったものだ。少なくとも、子供たちに多少の毒物は我慢して摂取しろと言う大人たちや、役所の職員や、生産者、会社員などがいるなどとは考えられなかった。しかし、事実は、彼らそして平均的な一般人の殆どですら、子供たちの健康被害を考え想像する余裕すらなく、無責任の構図をなれ合いの中に解消しようとしたのである。日本の平均的な社会もまた、こんなにもすべてに利害を優先する村社会だったのだと言っていい。そして最下層の末端にいる私たちがまた、彼らの権益に垂涎を垂らし、おこぼれに与ろうとしたり、あわよくば自分もそちらの側に回りたいと願う予備軍の一人に時として誘惑されることのあることを思い、いたく恥ずかしく感じないではいられない。
 利権の村社会との血縁をたち、あるいは内と外とにおいてそれらに抗い、結果、弱者となり貧困にあえぐものこそが正しい。また正しいものこそが無縁でいられると言うこともできよう。だが、正しいものは総じて滅びやすい。正しく滅ぶものは美しいかもしれないが、美しくあるだけでは私にはもの足りぬ。私たちは歴史を背負った個でなければならない。つまり、個は個として持続するために、個という宿命を課せられているのだろうと思う。しなやかに、強く、個であり続けることこそ私たちは選択しなければならないのではないか。
 それを教えてくれたのは西洋における個人主義の考え方であるが、それを私たちの知の土壌に根付かせるためには自立という考えを導入することが不可欠であった。私たちの文化ではこれを独り立ちと呼んできたが、経済的にばかりではなく、思想面においても、助けを借りず、支配を受けず、自分で考え行動するそれを自立という。自立とはひとりでやっていくということだ。そして自ら滅んではならないので、あるかなしかの水脈を辿って自らの生きる道を懸命に繋ぎ続ける方策を、常に志向し続けなければならない。
 自立とは、正しさと強靱さとを兼ね備えたときに完成する革命的思想の根幹を形成する。あるいは、そうでなければならないという意味では必須の前提である。また個の自立をもって革命と呼び、個の革命的事象をもって自立と呼ぶことができよう。
 
 残念ながら、国家的社会的な壊滅状態、政治、経済、学問、その他の全領域、またグローバルな国際的立場、競争等においても、敗戦、敗北、終焉のイメージが濃厚な中で、私たち一般的生活者、国民の力量もまた問われ、同じく敗戦、敗北、終焉を迎えたと言わざるを得ない気がする。この思いは苛烈で、私たちは今回の大震災の被災者や原発事故の被災者、被災地と一緒に、この状況を乗り越えて復旧、復興ができるかを試されている。私はそう思う。
 私個人は自分の考えることにも自信が無くて、とてもこの先を切り開いて行けそうにもないが、とぼとぼとこの路を歩みきるほか何も残されてはいない。また残っていないのは当然だとも思っている。ただ、私のイメージする大文字の終焉は始まったばかりだが、あちらこちらでたとえば武田のブログに共鳴にする声をあげる人々がいて、また武田以外にもこの状況を果敢に切り開こうと意志する知識者、思想者はいて、それらは私にたくさんの黙示、啓示を投げかけてくれる。それに力を与えられて、私たちはまだそう簡単に倒れるわけにはいかないのだろう。ただそれだけを思う。
              11.10.30

 

 

   父の死そして老い、葬儀 パート2 (2011.10.11)
 
 付記
 
 一つの区切りとして、やや性急に書き終えてしばらくして、何か書き足りないものがあったと気づく。それが何かはっきりしているわけではないが、考えながら書き留めてみる。
 
 一つは人が人を理解するということである。これは私には難しくて、これまでの生涯を通じて理解できると言い切れるのは太宰治についてだけである。根拠も理屈も何もない、私自身に問うて、あの人は理解できると感じて疑いようがないからである。
 そのように考えて、ではこの私に対して逆の立場で理解するものはいるだろうかと思うと、たぶん皆無にちがいないと思える。これはかなり寂しいことだ。
 自分というものを本当には理解されずに、人は生き、そして死ぬ。実人生においては、太宰治もそうであったかもしれないし、もしかするとほとんどの人々はそうであるのかもしれない。
 個人の全て、個人史の全てを理解するということにあまり大きな意味はない。その人の本当の価値を、素手に握るように、しっかりと理解できているかどうかにかかっている。いや、分かっている、という思い込み自体が大事なことかもしれない。
 私の感性が異常なものでなければ、人は丸ごと自分を理解してもらいたいと望むものだし、また自分の価値を認めて貰いたいものだと思う。そのような思いを背に負いながら人は生き、そして死ぬ。考えてみれば、それは愛という問題にもそのまま通じている。
 神の愛、仏の慈悲とは、現実にはあり得ないかもしれない人間を越えた愛や慈悲で、また人間を越えて理解し、価値を見出してくれる存在として神や仏はイメージされている。人間社会の相対的な世界においては実現ならざるもの、それを託すものとして神や仏は創造されたに違いないのだが、そのことはまた心底から希求する愛や理解や価値の認定が人間相互の間では難しいことを物語っている。
 
 一人の人間の生涯の全てを知りつくすことは不可能である。たとえそれが親子夫婦の間柄であっても、である。だが、少しのことであるならば知ることは可能だ。
 私は父の生涯について、もう少し知ることができたのではなかったかという後悔を持っている。小さい頃のこと。戦時中のこと。戦後の中国からの帰還のこと等々。けれどもためらいに似たものがあって、それらについて充分に父から話を聞くことはできず仕舞いであった。
 だが、本当に理解しておかなければならなかったのではないかと感じていることは、それとはまた別のことだ。
 太宰の言葉を借りていえば、私は生涯かけて何かと戦わなければと心に決め、緩やかに進退を繰り返しながらそれでもどうにかこうにか戦いを続けてきたと思っている。それは思い込みであり、自己満足であるのかも分からない。だが、私はやはり戦ってきたのだと公言することはできる。しかしまたそれは一人っきりの心細い戦いであり、大義のない、人に説明してみせることのできない、また自分にもよく分からない戦いであるに過ぎない。そんなものは無いに等しいといわれてしまえばそれまでである。
 しかし、人間一人一人には、人に言えないそんな秘めた戦いが誰にもあるのではないのかというのが私の考えである。盗人にも五分の魂の如く、どんな人にも珠玉の、また聖戦ともいうべき秘めた戦いはあるのだろうと思える。
 父もまた、生涯をかけて何かと戦ってきたものだろう。その何かを、息子の一人としての私は、多少なりとも理解しておくべきではなかったかといま思うのである。それはもはや想像力を持ってしか近寄ることのできないものとなったのではあるが、遅まきながら、課題の一つとして目の前にそれを置いておかなければならないと考える。
 
 課題といえばいまひとつ、父の死は私に老いの問題を考えさせた。といっても、そこから何を考え何を学ぶべきか、もしくは何を考えて何を学んだかがはっきりとしているわけではない。
 父の死は、想像できる範囲の中でいえば、やや寂しかった死だと私には思える。先に書いた通りに私のことでいえば、老いた父に対して「ほったらかし」に近い姿勢に終始した。晩年、体が衰弱してからも子や孫が頻繁に集い、父を励ますふうではなかった。時折メディアに取り上げられるような和気藹々の理想的な家族の風景には、やや遠いものがあった。
 私自身のことに限っていえば、自分のこと、自分の家族のこと、それに日々の生活のことで手一杯であった。そう考えることで、私は自分を誤魔化し続けてきたと偽悪的に言ってみることもできる。
 私の中では、現代風の姥捨て山を、自身もまた架空の父母を背負い、進行しているような気分でいることが多かった。どうしても高齢者は二の次三の次になって、それは社会全体を俯瞰してみても、また自身の微細な心のひだに分け入って考えても、実態はそんなところだといっていいのではないかと思う。努力を惜しまなければ、もっと老いた父に寄り添って、もっと濃密な時間をともに過ごせたはずなのに、私はそれを作り出せなかった。
 老いの問題を整理して、二つに分けて考えてみる。一つは自分が老いていく問題として。もう一つは社会の中における高齢者の問題として、どう考えていけばよいかということだ。
 
 自分の老いについては、比較的簡単に考えをまとめることができる。一言でいうと、自立した生活を死の瞬間まで全うできれば理想的であると私は考える。経済的に、また日常生活的にも子供や他人の世話にならずに済ませたら、まず任務終了である。父は多くはないが自分の年金で、およそ自分の老後の生計は賄うことができていたので、これは立派だと思う。おかげで私は両親の生活のための出費をいっさい出さないですんだ。私は父ほどに年金の受給はないが、その代わり、生活の規模を縮小してその中でやり繰りしなければと考える。年金が皆無ではないのだから、分相応に生活すれば何とかなるのではないかと思うし、何とかしなければならない。
 爪に火をともすようなつましい生活が待っているかと思うと気持は萎えるが、仕方がない。日本や世界の先進国の景気や経済状況を考えると、この先好転するとは努々考えることなどできない。しばらくはかえって窮屈な生活を強いられることになるのだろう。根気よく、また社会的動向にも注意を払いながら自衛していくほかない。
 すぐ目の前の老後の生活に何の明るい兆しも見えはしない。私たちのような一生活者にはどうしようもないのだ。希望のかけらもないように見えるが、絶望の雲に覆い尽くされたともいえないので、ただひたすら忍耐の日々になるのであろう。それでも、日常生活の中に、生きてあることの喜びに触れるような何かを見つけだす必要があるのだろう。今現在、それは見いだせないとしても、探す意欲を無くしたらそれは永遠に見いだせない。どこかにあると思い、探し続けることが肝要だと思える。
 父の死は、やや寂しい死だったと前に書いたが、私自身の死はもっと寂しいものになるだろうと私は覚悟している。たぶん私はそういうように生きてきたからだと思う。
 振り返ると私自身の生涯では、関係を広げる時期と縮める時期とが交互に訪れた。関係を広げあちこちに配慮すると身が持たず、どこかでそれがもたらす煩わしさから逃れたがった。五十を過ぎてからはブツブツと関係を断ちきるようにして進んだ。そのことでいったい私に何が最後に残るのか、残ったものに自分の残りの生を捧げようと考えていた。あとわずかしかないようにも思い、焦り、不安にも駆られたのである。結局のところ私に残っていたのは、生きて、無駄に考えることを貫き通すというただそれだけである。
 私の考えでは、無駄に考えることは極めて人間的なものである。それは人間にしかやれないことだということもできる。それではそれに打ち込もうではないか。それがわたしの考えである。
 もちろん、それも自分の思い通りに行くものかどうかは分からない。私の勘では、思い通りに行かないことの方が現実的だと思える。けれども、自分が老いてこれといってやりたいことも、あるいはできそうなことも他に何もないのだ。生活の場面で生起するいちいちのことがらは無原則で、私の欲望や願望に関わることとは全く関連のないところで動いているということができる。そこでは欲望や願望そのものが無意味に近く、生きる場としては無意識の領域に近い。考えることや思考の過程はこれとちがって、あることがらについて幾度も反芻できる意識的な領域にある。私は現実の場で無意識として生き、つまりそれはナチュラルな生活者として生きることを思い描いているのだが、それを反芻する意識の領域において精魂を傾けたいと言いたいのだ。
 自分の老いについて、私にはたったこれだけの貧困なイメージしかない。何とか人のお世話にならずに自立的な生活を全うすることと、生きている間ひたすら考えることを継続する意志との二つである。
 
 一般的な、そして日本の社会的な老いの問題について、私は本当は言える立場にもないし、言うべき材料を持っているわけでもない。ただ、肉親や親戚の老後の生活の見えた範囲での知見や推測や想像を持つ経験があるだけだ。また、新聞やテレビなどのメディアを通して知り得たことを材料として語る他はない。
 まず第一に家族の崩壊現象の社会的な広がりを指摘しておきたい。具体的にイメージとして思い浮かぶことは、たとえば熟年者の離婚の増加。たとえば夫婦間や親子間の殺人の増加。男女を問わず高齢者のひとり暮らしの増加。家庭内暴力、あるいは近隣住民との諍い等々。
 これらは以前から言われていた核家族問題や地域離れ現象の、年月を経て現れてきた現象と思える。
 私が見聞きする実際の範囲では、先に挙げた事例の極端に惨憺たる出来事に近いという家族の例は皆無だ。だが逆に、どの家族も問題を抱えていないという事例もまた皆無で、高齢者もまた余裕を持って老後が生きられているという例は全くといっていいほどあり得ない。理想的な家族も、理想的な老いも、私の視野の中には入ってこないのが実状だ。
 老いにはまた肉体的な健康の問題、精神的な鬱などの病気や痴呆やぼけなどの問題もある。若い人々には思いのほか、厳しさに直面する連続なのだという気がする。そしてたぶんそれはそれ相応の経験と年齢を積み重ねてしか見えてこない光景に違いない。
 老いに直面する人々にとって、必要なのは経済的な安定とか余裕が一つで、さらに周囲に老いへの理解者がいっぱいいるということであろう。おそらくその二つを同時に実現できている高齢者は極端に少ない。いや、この中の一つでさえ手にすることができるとすれば、よほど恵まれた人々なのだといえる。私などの将来には、どちらも手に入るはずはない。そして現在に老いに直面する人々においては、経済的にも人間関係的にも厳しい現実にさらされている人々が大多数なのではないかと思える。
 老いを豊かに、また充実して過ごすなどは雑誌などや広告の文句にあふれているが、私にははるかに遠い夢物語にしか思えない。
 
 私たちの社会は本当にはまだ死についても老いについてもよく分かってはいない。ただ恐れているだけだ。そうして目をそらしたり、架空の現実をメディアの中に探り当て、それに自分の運命を預けることで均衡を保とうとしているかのようだ。
 私の父は老いに直面し、さまざまな問題に果敢に挑み、よく抵抗したが力尽きた。その戦いは私の模範となり、参考となるに充分であった。父は少しずつの後退戦とその戦いのきつさ、困難さをよく私に伝えた。私は老いの大変さの理解を父を通じて知ることができたが、たぶんその理解はまだ表面的に過ぎた。もう少しその戦いに尊敬と、自ずからの支援とが加わるところへ理解が進められるべきだったと思える。
 老いることが本当はどうであるかが分からないかぎり、介護の今日的な問題も何一つ解決されることなく、介護精神の問題や技術上の問題として、どこまでも継続していく課題であるに違いない。つまりまだ先は遠い。  (了)  平成二十三年十月十一日
 
 
 
   父の死そして老い、葬儀 (2011.9.3)
 
 父親の葬儀を終えた。私は世間との付き合いが薄い方なので葬儀の段取りなど何ほども理解してなく、喪主である長男の片腕として働きを示さねばならなかったはずなのに、ただただうろうろしたばかりだった。けして仲のよい兄弟ではなかったから、兄は相談事はすべて近隣に住む親戚たちとの間で済ませ、頼りない弟に結果を伝えることさえ煩わしく大筋では黙って事を運んだ。私はせめてできることをと思い、あまり意味もありそうもない雑事をこなすことに終始した。
 そんな私を見たら、相変わらずだなと父は苦笑したにちがいない。世間知に疎く、社会的に見れば引きこもりがちな私は、父や兄のように人の前に進み出て全体を掌握したり、リードする力に欠ける。
 出棺に際して故人の思い出の品を棺に収めるときに、それは筆と便せんとスーツやネクタイなどであったが、母親が背広とズボンを父の体の形にあてがったのを見て、ふいに嗚咽が走りそうになって私は慌てた。在りし日の父の姿に重なって、その姿がもう見られないのだと思った瞬間に、涙がこみ上げそうになったのだ。その時まで、死んだんだなあとは思っても、もう一度会いたいとか声を聞きたいとか思うこともない情の薄い私だから、その不意打ちは少し困った。誰も泣くものもなく、晩年に至ってもそれほど親身に面倒を見たこともない私が泣いたらわざとらしく映るにちがいないので、その時は必死にこらえた。私は親孝行らしいことをしてやることができなかった。出来るか出来ないか分からない親孝行をするために、この一、二年はできるだけ長生きしてくれることを願い続けてきた。もう少し、もう少し、死ぬのを待って欲しいと、そう思い続けた。それは虫のよい私の勝手な思いだが、父はその願いを知ってでもいるかのように、頑張ってくれた。それもまた勝手な思いに過ぎないのだが、私は「父は頑張ってくれている」と、そう思ってきた。
 八十八の米寿を迎えた今年、三月には千年に一度あるかないかといっていい東日本大震災が起こった。テレビを通して津波の被害を目にし、またその日以来の長い余震の連続に、父は耐えられるのだろうかと危ぶんだ。全く影響がなかったとはいえないだろうが、戦中戦後を乗り切った人たちの仲間である。父は容易にといっていいくらいに、しっかりとした気持の中で震災も、そしてこの夏の敗戦記念も乗り越えた。親戚の人の話では、本当は杖を使っても10メートルを歩くのも難しかったはずなのに、冗談めかしながら、九月には高齢者の自動車免許更新の三時間の講座にも参加したいと話していたという。
 
 父は子煩悩で終生変わらず優しかったと私は思う。愛情が広いというか、遠くから、しかし、愛ある深いまなざしでいつも見守ってくれていたように思う。だが、小さい頃から私は母親を慕う気持が強く、父は家庭にいるよりもいつも外にいて大勢の人たちの輪の中ではしゃいでいる人だという印象があった。もう少し母を大事にしてくれたらいいのに、そういつも思っていたような気がする。
 父の晩年、小さい頃の私のことについて繰り返し言っていたことの一つに、叱ろうとしたら私が逃げたので家の中を追いかけ回していると、私がパンツからおちんちんを取り出して「怒るんならオシッコするぞ」と畳の上で言ったということがある。これは私も記憶していて、追いかけられているうちにどうしようもなくなって、どうせ尻でもぶたれるなら父の嫌がりそうな逆襲に出てやろうとしたものかと思う。とうとう私は殴られずにすんだのだが、そのことは父にも私にも記憶の片隅にしっかりと刻み込まれたもののように思われる。私は父に対していつもそのような態度でいたような気がする。考え方や意見の食い違いに、私はいつも逆らうような選択をしてきた。今も私は自分の考えに頑なだ。
 もう一つすぐに呼び起こすことのできる思い出は、家の前の川で父と二人で魚釣りをしたことだ。はじめはたぶん魚釣りを楽しむ父の後を追いかけていたのだと思うが、いつからか私は一人でも魚釣りに出るほど好きになっていた。休日だったのか仕事帰りの時のことだったかはっきり覚えているわけではないが、私は一緒に魚釣りをしているときの父の背中や声の感触をおぼろげに覚えていて、それには郷愁とか温もりといったものが伴って思い出される。私はたぶん意識しはしなかったが、そうして一緒にいるだけで躍り上がるほどに嬉しかったにちがいない。あるいはまた、他では得られない最も心安らかなひとときを経験できていたと思う。
 こう言ってくると、いかにも自分が父のことを好きだったように聞こえるかもしれないが、実際にはこの年齢になるまでを通して考えると、反発や近親憎悪や、あるいは自分の考えとは無縁の人と、父を突き放す気分を抱いているときの方が多かったと思う。世代間の断絶、もしくは経験の差から来る言葉のやり取りにおける食い違いの溝は、どこまでも埋めることができなかったように思う。
 父のことで私がどうしても受け入れられないことの一つには、自分の利に結びつかないような人々への接し方が、ある場合非常に冷たく、また狡いと感じられるように映ったことだ。また病気などで弱っている人を進んで見舞うことを避け、父の行動はどうかするとそういう場所から遠ざかろうとする傾向にあった。貧しく陰気なところは好まず、いつも賑やかで明るい場所に自分の身を置きたがるような人格上の傾きを父に感じ、私はそれを好まなかった。
 死後数日を経ないでこんなことを書くのはルール違反、マナー違反であるかも分からず、また表現上の稚拙さから誤解を招かないとも限らない。あの世から、「おいおい、息子のくせに、そんなにもオレを理解できていなかったのか?」とクレームが来るかもしれない。ただ、父の真実とは別に、私にはそう感じられていたということのみが、ここでは言いたかったことなのだ。そして、葬儀を終えた今、私は何ほども父のことを分かってはいなかったのではないかと思うとともに、少しでも父についての考え事をすることが多少なりとも供養することに通づるのではないかと考えながら書いているのである。
 
 葬儀の執り行われる過程で、私は父のことを何ほども分かってはいなかったのではないかという思いを繰り返して考えていた。そして、葬儀を通じて父をもっと身近に感じたり、私の知らない父を発見したり、葬儀に参列し死を悼んでくれる人々がどんなに父を思ってくれていたのかについて、それを触知したいと私はひそかに希望していた。だが八十八と高齢であり、ここ数年何度も入退院を繰り返し、いずれ死が近いと誰もが思っていたにちがいない父の死は、すでに過ぎ去ったこととして、淡々と葬儀は進められていったのである。少なくとも私にはそう感じられた。形式的な読経、形式的な弔辞、もちろんそれぞれに心は込められてはいるのだが、いずれもが世間一般的で常識的な葬儀の規範に顔を向けて述べられ、語られたという気がする。いや、こんな言い方をしてはならない。葬儀は厳粛に進められたのであり、誰もが祭壇の遺影に向かって真っ直ぐに向き合っていてくれていたのである。その意味では社会一般にいう、よい葬儀であったのであり、それを強調しておかなければならない。ただ、私にとっては少しも父を理解することにおいて想定外の新発見のないことが、少し品のない言い方になるが不満に思われたということなのだ。別の言い方をすれば、葬儀の席上に浮かび上がった父は、それまで私が考えていた父の象以外のものではなかったのである。
 
 もう一度言いたいのだが、私は葬儀を終えた今でも、父のことについて何一つ理解していない気がしてならないのである。なぜこういう思いを持つかと言えば、私自身の生き方について理解しているものは自身以外には皆無であると私は思い、父の死を前に、結局のところ人は理解されないままに生き、理解されないままに死ぬべきものかと思うからである。父の思いの中にもそういう部分が皆無とは思われない。少なくとも、息子の私が分からないと言っている。母や肉親を除けば他に誰が深く父の人生を理解するであろうか。そう考えると、もしかすると葬儀の過程は深い理解のないままに故人を送っているのである。悪い言葉を使えば、用済みであることを宣言するだけのものだ。私の父の葬儀がそうなっているとすれば、誰の葬儀でも同じであろう。それで気が済むのはこちら側にいる者だけだ。こんな葬儀を果たして故人は喜んでいるものなのだろうか。「その年になって青臭いことを言うな」と、どこからか叱責がとんできそうである。おそらく父は、そういう事態、そういう状況を丸ごと呑み込んで揺るがない大きさを持っていたと思う。そしてこんな私の「言」を沈黙で返すことと思う。それはいい。私は私の中で納得したい、ただそれだけのことなのだ。
 父は享年八十八歳であった。二十歳の若者や子供が死んだのとは訳がちがう。親の悲嘆はない。また青年や壮年でもないから、妻や親友たちの深い愁嘆が籠もる葬儀とはならない。私が考えていること、そしてまた言い表したいと思っていることはもう少しちがうことだ。
 
 死ということについて私は理解できていない。いわば「死とは何か」ということだ。このことについて、知るものは誰なのか。また、どのような言葉で教えてくれるものなのか。 たとえば稚拙だが関連してこんなイメージを抱いている。アメリカインディアンの酋長が部族や種族の一員の死を前にして、みんなの前で彼の死について魂と肉体のこれからの行き場について述べる。そこには延々と続いた部族や種族の死生観がはっきりと受け継がれていて揺るがない。酋長の言葉を聞く若い者や子供には、またその死生観が受け継がれ、根付く。それはわが縄文人の集落の有様を思い描いても同じことだ。そこには親族単位、集落単位の習俗に不可分の萌芽としての宗教があり、やや儀式めいたことが行われていたかもしれない。そして故人を弔うあり方において、今日の葬儀とは決定的に異なる、弔いとしての濃密な空間がそこには現出していたと思える。
 原始的に、たとえば山頂の岩の上に死体を置いて、死者はあの世に旅立つとしてみな家に戻るとする。誰もがこれを疑わない。死や死後について、仮にそれが現在から見て幼稚と見える観念であっても、成員の誰でもが自明のこととしてそれを理解できていた。死とは何かを問われれば、みな同じ言葉を口にすることができたはずなのである。
 ひるがえって今日ではどうかといえば、輪廻や細胞などといったそれなりの言葉をいくら費やしても、本当は死について何も言わなかったと同じ結果になることになっている。もっと端的に言えば、死について誰も分かっている者はいないというに等しい。そしてひとりの人間の死について、その死を共有する場があまりにも縮退しているように思われてならない。肉体の死、細胞の死、そして精神の消滅についてはみな知る段階にある。だがそれは他者の死についての認識であり、自分の死についての認識ではない。もちろん自分の死を認識したうえでの他者の死ということについては、さらに述べることは不可能なところに留まっているのである。そればかりでなく、現象としての死は昔よりも格段に理解できるようになった変わりに、私たちはある種、死の認識の大事な部分の理解を失っている。死はただ不在であり、消滅であり、生の側の人間と無関係になってしまうただそれだけのものになってしまった。そんなことはないといわれても私にはにわかに信じられない。
すでに読経に含まれる仏教の言葉は死語となっていると思われるのに、単に形式的に僧侶の発声音のみが葬儀の空間に漂うばかりだ。
 私たちはどうしてこんな葬儀ですまして平気でいられるのだろう。現代の葬儀にどんな意味があるのだろう。にもかかわらず、私たちはこのような形での葬儀以外の弔い方を思いつくことさえできないでいる。そして現実には、誰も今の葬儀のあり方について文句を言いたそうには見えず、次から次へと続く葬儀への参加を、あたかもそのことが全てであるかのようにこなして、そして平気でいるように見える。そうして一つの葬儀を終えた瞬間、ネクタイを弛め、日常の顔付きに戻るだけのことなのである。
 現代の私たちは古代人よりも頭がよくなっているのだろうか。そう思いたいのだが、どうもそのようには思えない。分からないことが何かについて知ることができるようになり、だがそれを知ろうとする努力はせずに、澄まし込んでいることが上手になっているだけだ。私の中の天の邪鬼はそう思う。そうして死についての頭が空っぽなまま同席して、空っぽなまま解散ということになっているのが葬儀だという気がしている。このような習俗習慣がそんなに大事なことなのか。私の中のもう一人の天の邪鬼がそう言う。いやいや、と私は考える。そうは言っても今日において、この形態が最善だからこそ、仕事を休み、何をおいても葬儀の時間に間に合うように人たちは駆けつけるのだ。私たちは死者に対してこんな形でしか誠意を表すことができないのであり、それを無意味というのは少し参列者に酷に過ぎるのではなかろうか。
 
 父が死んだ。私は本当は何度も父の死を想定し、父が死ぬとはどういう事かを考えてきた。私にあったのは他者の死であり、親戚たちの死の前例である。それから言えば、たぶん、父の死もそのように過ぎていくのだろうという、考えの帰結があった。だが私にとって父の死は前例のない初めての体験であり、前例のない、つまりは想定のできない出来事であると思われて仕方なかった。そしてそれはその通りなのだろうけれども、ではほかの人々の死とどのように異なるのかは、やはり想定不能のことであるからには分かりようのないものと思われた。父が死んで、老齢であったこととともに、私自身もまた還暦を迎えた年で強い感情の起伏は起こりようもない。その意味ではここまで、前例の死に対した対し方と何ほども変わるところはなかったと言えそうに思える。
 もう少し意識の本音の部分に言及して言えば、私の「脳」の大半は、「分からない。父の死がよく分からない」という言葉に置き換えることができる。普通に言えば、そこから先に思考が進まないので、その時点で停止し、少々パニック状態であると見えなくもない。悲しさや寂しさも感じないから、私の中で、もう愛という感情が喪失しまっているのだろうか、そういう思いも起きる。
 さらに言えば、父の死後と生前と、私の中では何も変わっていないに等しい。これがどういう事かもよく分からない。私は実家に離れて住み、普段からやや疎遠であったし、分かれて今もその延長のうちにあるような気がしてならないのだ。確かに父の肉体の死は見届けた。火葬になって骨だけの父も見届けた。もう、あの魅力的な笑顔を二度と見ることはできないのだろう。しかし、それさえも近年では一年に一度か二度目にするだけのことであった。もちろん私の中で強烈に父に会いたいと思ったことはないから、下手をすると二年、三年、会わずに顔を見なくとも平気なはずなのであったと思う。
 冷静に考えれば、父の死の瞬間から決定的に何かが変わるということはないのだろう。それを今私は経験している。昨日と今日の流れに断絶がないように、相変わらずの今日が私にも訪れてくる。
 実は死の床に父を見舞ったとき、自然に私は父の死顔に手で触れた。心には、ありがとうの感謝と、お疲れ様でしたと慰労する言葉が、思いとともに湧いてきていた。瞬時に、死とはこういうものかと考えもしたのである。やってくるべきものがやってきた。それはあっけないほどの、向こうからやってくる事実なのだった。
 
 父との最後の会話は電話でであった。「お前は、電話をくれて親孝行だな」とその時父は言ったが、私はあまりに意外な言葉で苦笑してみせるしかなかった。また、たかが電話にありがとうという気持ちを湧かせた父が、ああとても弱っているのだなと私には思われてならなかった。そんな些細なことがうれしいと思うほど、年老いた精神や肉体には日々生きていることさえ大変なのだなと思った。私たちにとっては何でもない、呼吸をすること、体を動かし移動させることなどが、晩年はずっと苦しいように見えた。
 父の電話の言葉は、私には大きな内容を含んでいるように思えた。そんなにも体が不自由になった高齢者には、些細なことがうれしいと感じる場合があるのだなということ。そしてまた、私はそれ以外に何一つ親孝行らしいことをしてやれなかったということが含まれていると思った。情けない極みだが事実なのは事実なのだ。
 もう一つある。父にはその頃、自分の死が相当に身近に迫っていることが理解されていたのではないだろうかということだ。いわば、幾分かは遺言のような気持ちで電話口に出ていたのではないだろうかと今私は推察する。「お前は親孝行だ」という言葉を私に聞かせ、喜ばせ、安心させる配慮、そういう配慮がよくできる父であったから私はそう考えた。そういう言葉を、半分しゃべることさえ苦痛になりかけていた父は、自分の妹たちにはもちろん、妻や子どもたち、親戚やかつての仕事仲間や後輩、実家周辺の地域の人々にもかけていた形跡がある。あるいは葉書や手紙を、驚くほど精力的に書いていた形跡もある。そう考えると、私には父の死は見事だと映る。最後まできちんと自分なりのけじめをつけて逝ったのでは無かろうか、と。そして、もしもその私の推量が本当であったとするならば、かなわないなあと考えるほかはない。
 
 晩年に父が残した言葉の中で、もう一つ忘れられない言葉がある。たぶんこの一年以内のことだったと思うが、いつの時か、思うように動かせなくなった体を動かしながら、吐き捨てるように小さな声で「もう死んだ方がいい」という意味合いのことを言った。とっさのことで私は言葉を返すのに窮し、黙ってやり過ごした。これまで、そんな否定的な言葉を父から聞いたことがない。年を取るということ、高齢になるということはこういうことなのだと思った。その言葉には、私への批判や非難が込められていたかもしれない。その程度には私が父を「ほったからし」にしてきたことを、その言葉は物語っているように思われる。老人にそう言わせる社会はよい社会とはいえないし、家族もまたよい家族だったとはいえない。まして、私は。
 肺を切り、胃も手術で切った父は、食も若い時のようでなく、常に息切れしているようにも見られた。それでも七十代から三、四年前までは薬や健康食品を欠かさず、民間療法あるいは自分で考えるリハビリ的な健康法に必死と思われるほどに取り組んでいた。そのように前向きに取り組んだものの、つまりはその時の状態以上に回復できないことが分かってきた。その戦いに疲れたと言ってもいいし、老いて体のあちこちに痛みが生じるのも仕方のないことなのだろう。だが、それでも、父の体の痛みを理解し、思いやり、いたわり、見守りながら支え続けるたくさんの存在が周囲にあったら、おそらくそう思う時が何かの瞬間にあったとしても、けして「死にたい」という言葉を表に吐き出してしまうことはなかったと思う。その前に気分を紛らわすことができたはずだ。それが足りなかったために、一歩踏み込んだ、言ってはならない言葉をついに口にしてしまったのではなかったか。本当は、その言葉を口にすることは、聞いたものを凍りつかせることは父は知っていたはずだ。私が凍りつくことを予測できながら父はそれを口にした。それは、私への訣別の言葉だったのだろうか。
 私は老いた父がいちばん望んでいたことは何かを知っていた。それは顔を合わせて話をすること、いや正確には父の話を聞いて受け答えしてあげることだった。そういう時間を求めていたような気が、私にはする。物を欲しがることはなかったし、何か食べたいものはないかと聞いても、いつも何もいらないからという答えが返ってきていた。遊びに来い、というそれだけだった。私はそれにすら十分に応えなかった。いま思えば、親不孝の連続だったのであろう。だが私はそれ以外の生き方ができなかった。
 私が父から学んだことは、子供の生き方にあまり干渉しないということだ。そして子供が本当に困ったときには、そっと手助けする、それを恩着せがましくしないということだ。私個人は、自分の思い通りに生きさせられたと思って、今は感謝する気持ちの方が強い。時に人生の選択を一人でなさなければならず、その度に苦渋を味わうこともあったが、私はしたいことをし、好きなように生きてきた。けして地位や名声や富を得なかった代わりに、必然の中での自由を生きたと思っている。たぶん、援助とは見えないような援助、父が存在しているというだけで子供に影響を与える見えない援助を、存在としての父は私に対して放射することができていたにちがいない。あるいは私は太陽の光を浴びるように、父が放射する光とも愛ともいえない何かを浴びていることができていたのだと思う。それは私には「許し」という、敢えて言葉にすれば、そのような言葉になるのではないかという気がする。
 私は今、「許し」という見えない「たが」を永久に失ってしまったのかもしれない。それを確認する以前に、私は自分の子供たちに対して、父のような存在でありうるかが問われているのではないかと思っている。そのためには、私はできるだけ長く生きる努力をすべきではないのか。そういう考えがちらつく。だが、そんなにも懐深く、私は子供たちを見守ったり、全てを許容するような存在でありえるだろうか。本音をいえば「父親」としての「孤独」に耐えきれそうもないように思えるのだが、そのことは唯一残された、そして子としての自分に課せられた、父の「恩に報いる」という行為なのだという気が、いま、かすかにしているところである。
 
 これをもって、父をおくる私個人のはなむけのことばとする。
         平成二十三年九月三日
 故 佐藤司  二男 佐藤公則
 
 
 
  久々の高揚 2題 (2011.7.27)
 
   世界が認めた力
                11.7.22
 なでしこジャパン=A日本女子サッカー代表チームが、ワールドカップの大会においてアメリカを下し世界一に輝いた。
 生中継を見損なった私は、テレビのダイジェスト版、あるいは特集番組のようなものを通して何度もなでしこ≠スちの戦いぶりを見た。世界ランキング上位のドイツ、1位のアメリカ戦など(他の対戦相手を覚えていない)を繰り返し眺めているうちに、なぜかふと、太平洋戦争に敗れるまでの日本の軍隊の強さの秘密が分かった気がした。
 いや、もう少し丁寧にいえば、明治の開国以来、アジアの辺境のちっぽけな島国の一つに過ぎない日本が、中国やロシアやアメリカをはじめとした大国と互角に渡り合うという無謀がどうして可能だったのか、その一端をうかがい知る思いがしたといったほうがいい。
 
 体力的に、あるいは戦術的になでしこ<`ームが他国のチームより圧倒的に優れているようには見えなかった。体格では明らかに劣り、戦術や体力や技能の面でもよくて互角だったと見えた。圧倒的に有利な点はどこにもなかったといえばいえる。
 日本のなでしこ<`ームは、どうして、優勝決定戦でのアメリカ戦に、勝てたのか。 すでに世界ランキング4位に格付けされていた日本チームを、アメリカをはじめとする各国のチームが侮っていたとはけして思えない。日本チームの強さを認め、その上で十分な分析と対策を持って試合に臨んだはずだ。それなのに日本のなでしこ<`ームはドイツに勝ち、アメリカに勝った。
 なでしこ<`ームの強さはどこにあったのか。私には、解説者の言うような意味合いでの(というのは、近代スポーツにおけるという意味合いでの)チームプレーでもなければ、個々人の細やかなテクニックが素晴らしかったからでもないと思えた。もちろん要素としていえば、それらに加えて眼に見えないそれまでの豊富な練習量などが総合されているにはちがいないが、それだけでは捉えきれない何かが彼女たちのチームにはあったのだと思えた。
 一言でいえば、彼女たちには日本が古来から培ってきた団結力、共同体の瞬発力(もしそんなものがあるとすれば)、独自に発達してきた文化力、などの諸々の要素が集結されたがために、勝利を掴むことができたのだと思える。それらはかつて日本が世界史に登場しはじめた頃、貧しさや無智や野蛮さといっしょに、優れた観察者によって日本的な叡智として洞察され、そのために世界の中でもある種一目置かれる原因となるところのものであった何かである。
 なでしこ<`ームがアメリカチームに勝利したその時、戦争を知らない私がなぜか敗戦の呪縛から解かれた思いになっていた。
 純粋に日本的な古来からの人と人との結びつき、その姿が再生されたときに発揮する力から、これが戦時に迷いなく発揮されていたならば敗戦などなかったにちがいないとその時考えた。なでしこ≠フ戦いは、そんなイメージを私にもたらした。
 なでしこ≠フ勝利は、単に、西欧に発生し、発達した近代スポーツ科学のアジア的達成、その成果というだけでは足りない。もちろんそのスポーツ科学は内側で日本の勝利を解析し、きれいに分析してみせることができるにちがいない。その意味で、分析しきれない例外などないと自明のように結論づけるにちがいない。
 だが私には明治の開国以来失ってきた私たち日本人の原点、あるいは本来日本人が持っていた「力数を力数以上のものに結集する〈叡智〉」がそこに再現されたように思えてならなかった。百姓女の力であり、海女さんの力であり、集落の行事に台所で切り盛りする女たちの力、それら古めかしい昔の日本人女性のある種の逞しさがなでしこ<`ームの女性たちに再現(あるいは「新生」と言い直すべきかもしれないが)された気がしたのである。
 逆に言えば、今回のなでしこ<`ームの快挙に再現されたそれらの力≠アそは、開国以来東洋の弱小の島国でありながら外国人に「この国、あるいはこの国の民には、西洋の国々にはない何かがある」と認めさせる力であったと思う。
 本当はもっと詳細に、そして厳密に論じなければならないところだが、準備も心構えもできていないところで拙速にメモがわりにここに記した。何もいいことがない現在に一縷の希望の火が、私にとっては幻の如くに映じた。これが幻影のままに立ち消えていく事がないようにと祈りながら、ひとまずこれで終わる。
 
 
   久しぶりに河北
               11.7.26
 このごろ河北新報を読んでいない。家には毎日配達されてくるのだが、見れば腹が立つから見ない。ニュースはインターネットを介して見ることが多くなった。河北もネット上で見出しだけを覗く。全体に記事を詳細に読むことはしなくなった。理由は簡単で、記事
に嘘や欺瞞やそれらの糊塗が満載されているからだ。ところが、七月二十日の夜は、ついの出来心で河北を手にして読み始めてしまった。一面の大見出しは「宮城エンジン工場建設」で「トヨタ、東北復興支援策」、「大衡に企業内訓練校」の中見出し、小見出しが続く。そのとなり中央には「豊田社長、岩手・宮城知事と会談」の文字が躍り、「力ある拠点に」と続く。また、喜色満面の知事二人と手を重ねる社長の写真が掲載されていた。こういう連中は金がらみ、利益誘導がうまくいくとどうしてこうも喜びいっぱいになるのか。一に財源、二に財源、三四がなくて五に財源。使い道の中身などどうでもいいのだ。財源をたくさん持ってじゃぶじゃぶ使っているうちに、県民を喜ばせ、浮かれさせるだけの功績、実績がついてくる。多くの自治体の長はそう考えているにちがいないとおもえる。
 県民は、知事と名が付く人は頭がいいと思っている。事実、頭がよくて優秀で、優等生である人が多いと私も思っている。だが、それは摂取した情報量が多く、整理、活用できるといういわば脳のメカニカルな優秀さに過ぎないとおもえる。悪態をつけば、本当に創造的な脳の活用ができる人を知事の中に見たことがない。まあこれは私の視野の狭さと反批判されても仕方ないことではあるけれども。 ところで、言おうとしていたことはこのことではない。下部にあるコラム『河北春秋』に、以下のような記事を眼にした。
 
放射性セシウムを含んだ牛肉問題で、政府は福島県の肉牛の出荷停止を指示した。言い訳めいて響くが、農水省は事故後の3月19日、屋内保管の飼料を使うよう通知を各県に出してはいたのだという。同じ日、福島の原乳と茨城のホウレンソウから放射性物質が検出されている。だが、官房長官は「ただちに健康に影響は及ぼさない」と胸を張り、国は農地を含む広範で詳細な線量調査には否定的だった。野菜はどうか、果物は、コメは。食への不安は広がるばかりだ。信頼を取り戻すためには、牛肉ならば全頭検査が必要だろう。農地の放射能汚染の調査も同じだ。農家も消費者も望んでいる。
 
 おいおい、生産者側に肩入れをして、放射線量の調査などおくびにも出さないで風評被害に反対するキャンペーンを大々的に支援し、まかり間違えば汚染された農産物や畜産物を消費者に食べさせることに加担してきたのはお前の新聞社だろうが。白々しく二枚舌で、よくこんなことがいえるものだな。
 これが私の感想だった。知識が豊かで頭がよく、どんな話題にもコメントできる秀才、優等生のこれが典型である。時の正論を渡り歩いて見識を誇示はするが、自分が口にした言葉をけろりと忘れて、もちろん血の噴き出すような心からの反省の弁など一度も披瀝して見せたことはない。下手をすれば自分たちが県民をはじめとする消費者、子どもたちを被爆させる側に立って、根拠のない「安心・安全」、つまり本当の意味での「風評被害」の言辞をキャンペーンのように広めていたくせに、いざ放射能汚染が鮮明になると今度は政府のせいだけにして口をぬぐっている。とんだ食わせ物というべきだ。国がやらなかったら、直接県を動かすような記事を書いて、それを要請したらよかったじゃないか。読者のひとりとしてぼくはそれを望んでいたが、河北はいっさい県に要請する動きを見せなかった。いまごろのこのこと国を批判するだけでどうする。
 まえにも書いたことがあるが、福島原発の事故や汚染状況に関して、私がはじめに指針としてきたのは大前研一の言辞であり、その後、中部大学教授の武田邦彦のブログに出会い、現在ではいちばん真っ当で中庸の立ち位置にあることから武田の発言を最も高く支持するとともに、原発関連を考える際の指針にしている。
 事態は、武田の発言通りといってもよいほどに、汚染の実態や広がりが明らかになってきている。
 宮城の登米市においても、高濃度の放射性物質が稲藁から検出され、その藁を買って食べさせた他県の牛の肉が汚染されて消費者に届けられてしまったという。稲藁の集荷や出荷のために藁にまみれていた農家の人たちの被爆の危険はないのか、地域の人々、子どもたちはどうなのかと心配される。もしも宮城の人々の中に被爆に苦しまなければならない人々が出たとしたならば、東電や政府はもちろんのこと、全くなんの手も打たないで無策だった村井知事、そして一人一人の消費者よりも生産者サイドを一貫して支援してきた河北新報の責任は重いと言うべきだ。お前たちが汚染を広める役割を結果的に担ったということをゆめゆめ忘れるべきではない、と私なら言いたい。
 さらに言えば、最終的なつけは結局のところ生産者に回ってくることを農家や畜産農家、あるいはまた漁業関係者は学ばなければならないと思う。河北のように、いつも第一次産業を応援する素振りを見せ、後ろから煽る言辞に乗せられて頑張ってみても、ある期間を経た結果としては生産者はいつも空くじを手にする結果となってしまう。今回も、辛い結果となってしまうかもしれない放射線の調査などに言及せず、ひたすら生産者を防波堤のように守った県や新聞社などの姿勢が、結果としてかえってすべての県内の生産品の不買を全国的に誘いかねない事態を招いている。生産者個々は自立して、こうしたサイクル、悪循環に気づき、本当にあるべき生産者の姿に近づく努力を自らだけで行うべきであろうと思う。
 同日の三面に、前日の定例記者会見における村井知事の発言が記事になっているので紹介しておく。放射性セシウムに汚染された宮城県産稲藁が、肉牛用に与えられていた問題への反応で、括弧書きの知事の発言だけを引用する。
 
想定外の事態で東京電力、政府に強い憤りを感じる。牛の肥育農家には何の責任もない
 
国が(放射能対策の)しっかりした方針、考え方を早めに示すべきだった。
 
被害額がどの程度になるか分からないが、保証の責任は東電や政府にある
 
(屋内保管の稲わらを使うよう求めた)国の通知文書をそのまま使ったが、『粗飼料』という言葉に稲わらは含まれないと判断した農家もあった。表現があいまいだった〔と陳謝〕
 
そもそもの原因は福島第1原発事故。これを県の責任といわれても、責任の取りようがない
 
 宮城県と村井知事は、はじめから原発事故後の放射線測定をはじめとする問題に消極的だった。インターネットをしない人は分からないだろうが、ネット上では事故後の放射線に関しての宮城県や村井知事の消極的な対応がさかんに批判されていた。事実、線量調査もしなかったし、汚染の範囲について宮城がどうなっているか、東電や政府に問い合わせた情報を公表することもそれに関連した言及も一切なく、私たち県民から見れば意図的に沈黙し、知らぬ顔を決め込んでいたように映った。政治戦術的には、大変巧みだなと私は感じた。責任を問われそうな言辞を封じこめ、あたかも県内には放射能は流れ込んできていないことを装っていた。
 その姿勢は引用した言辞からもうかがい知ることができる。稲わらの汚染とその流通について、まず第一に、東電や政府に責任があることを強調してみせている。その際に「肥育農家には何の責任もない」と重ねることで、肥育農家の代弁者の位置に自分を滑り込ませている。それによって、東電、政府、県へと流れる批判の矛先を巧みにかわしている。言わなくても「肥育農家には何の責任もない」ことは誰の目にも明らかで、ただ、容疑者と考えられる東電、政府、県、個々の肥育農家の系列から「県」を外し、しかも「肥育農家」を擁護する側に「県」の立場を置き換えてみせる村井知事の「しゃべり」の巧みさは、特筆すべきものだと思える。
 まじめに考えることも馬鹿馬鹿しいが、放射線問題での村井知事の対応は、ひたすら東電や政府の対応や発表任せで、自らは何の口出しも手出しもせずじっとしていることだった。今回のような稲わらの汚染が表面化し問題となったときは、「東電や政府の発言を信じた」「方針に従った」などと言っておけば責任逃れができる。まことに小ずるいやり方だ。県民の生命や生活をあずかる長としては、いまひとつ信用して任せきることができない不安を感じる。
 村井知事は肥育農家への保証などという言葉を発しているが、従来から、その先の消費者について立場を守ろうとする視線は微塵も感じさせない人物だ。県や村井が率先して放射線量への対応を考えていれば、県内の稲藁についての汚染の恐れについて一考でき、万全の対策さえできていたかもしれない。そうしたらセシウムに汚染された肉牛は人の体内に取り入れられることがなく、内部被爆も未然に防ぐことになっているはずだ。地方行政の長として、その種の想像力の欠如、消費者への配慮の浅さは、結果として宮城の畜産のみならず、米や野菜までもが汚染されているとして全国的に消費者からの忌避に出会うことになるにちがいない。そうなったとき、村井は率先して県内の放射線量を調査し、公表してこなかった自分の誤った政策のツケを誰に転嫁しようとするのだろうか。結果として消費者も生産者をも苦しめることになってしまう。
 何と言えばいいのだろう。見てくれや表向きの成果ばかりでなく、本気で、生きる人々の幸福について深く考え、人々に寄り添って政治・行政にできることを精一杯になって取り組む、そんな政治家や行政人の出現を望むばかりだ。
 村井知事についてもう少し言えば、復興としての新しい街づくり、都市づくり、そして漁業に関連しての特区構想などを打ち出している。それらを私は詳しく調べたわけでも何でもないが、大ざっぱに言えば村井の構想のもとになっているのは大前研一の震災後の復興構想の発言だろうと私は考えている。基本的な骨子が似ているところが多かったから、少なくとも発想の元となる一つとして大前の考え方を拝借しているように思えた。もちろん真偽のほどは定かでない。
 私ははじめに大前の発言を目にしたときに、ブルトーザーのような力があり、人々を説得できる力をも兼ね備えた人物(たとえばイメージとしての田中角栄のような)なら、多少の反発を招きながらも実現に向けて構想をおしすすめることができるかもしれないと考え、そういうあり方も有りかなと大前の構想を支持したい気持になった。大前の構想はまたたく間に、政府自治体の長たちの間で広がりを見せていった。だが、当初思っていた以上に、特に漁業を生業とする人々の間で抵抗が大きく、ここ宮城では知事と漁協の話し合いが何度も行われ、なかなか合意点が見いだせないように推移してきている。
 復興構想に待ったをかけているのは、震災前と変わりない生活を望む住民の感情であると思う。たぶん私もはじめの頃はその感情を軽く考える傾向にあったと思う。それが新聞紙上やテレビのニュースで反対の大きなうねりとして紹介されはじめて、いや、やっぱり住民の生活感情というのは一筋縄で考えることはできないなと思うようになった。漁業権の既得権益などの利害感情も含まれているのだろうが、それでもやはり軽視できないなと今は思う。かといって旧態依然のままに復旧していくというのも、どういうものであろうかと思案される。村井知事は妥協点を探りながら、構想の基本は貫徹させたいように見える。それは政治的な戦略としてしたたかではあるが、見ているとどこか説得力に乏しい。やはり大物政治家にはほど遠く、官僚もしくは行政上がりらしい行政人だと思うほかない。
 それにしても、いったん構想を打ち出したからには、そう簡単に引っ込めないその固執というものも、実に官僚的、行政屋的であり、役人的である。前に述べたように、知事の構想は多くを有識者の構想から発案されたもののようであり、その意味では当初住民感情といったものは抜きで考えられたにちがいない。この上は住民感情と構想とを付き合わせ、復興構想自体に住民の思いを繰り入れ、構想自体をももっと練り込んで、より実態に合う構想へと深化拡大していくほかないと思える。またそうして欲しいものだと思う。
 大前研一の未来への提言、震災後の復興への提言は率直であり、論理的、合理的であり、面白くて学ぶべき点も多いと感じてきた。だが、こと住民感情、国民一般の生活感情についてはこれを組み込んで構想することは苦手なようだ。ここには大前の限界があるのかもしれない。できたらぼくもこのことをもう一度考え直してみたい。
 最後に、これを書き出してのんびり進めていたら、数日して宮城県知事の村井は県民の放射線の被爆量検査を国に依頼したとするニュースにふれた。しないよりはいいだろうが、ややパフォーマンスじみて見えてしまう。また、直接この件に関することではないが、国がないと地方自治は何もできやしないんだなという思いを持った。こんなんじゃ、地方分権なんて絵に描いた餅、夢のまた夢に過ぎないのじゃないかという感想を持った。
 
 
  「河北新報」批判(2011.6.5)
 
 ネットの河北新報社のホームページでひとつの記事を見かけた。それを読み、ちょっと気にかかって、社説ではどんなことが述べられているのかと翌日分である本日の社説を調べてみた。はじめの4日付の記事、そして翌日の社説と併せて下記に引用してみる。
 
 
福島市などの雑草から高濃度放射能 原発事故直後
 
 政府の原子力災害現地対策本部と福島県災害対策本部は3日、福島第1原発事故が発生した直後の3月15日に、福島市など4カ所で採取した雑草から1キログラム当たり30万〜135万ベクレルと非常に高い放射能を検出しながら、発表していなかったことを明らかにした。事故で放出された放射性物質が付着したためとみられる。
 食品衛生法による野菜の暫定基準値は放射性ヨウ素が2000ベクレル、セシウムが500ベクレル(いずれも1キロ当たり)。付近で栽培された野菜を食べたり農作業を行っていたりすれば、放射性物質を摂取した危険性もあり、政府や県の情報公開の姿勢が問われそうだ。
 最も高かったのは、福島市立子山でヨウ素119万ベクレル、セシウム16万9000ベクレルの計135万9000ベクレル。さらに川俣町役場近くでヨウ素123万ベクレル、セシウム10万9000ベクレルの計133万9000ベクレル。田村市船引町新舘でヨウ素86万2000ベクレル、セシウム10万6000ベクレルの計96万8000ベクレル、同市の阿武隈高原サービスエリアでヨウ素27万7000ベクレル、セシウム3万1100ベクレルの30万8100ベクレルを検出した。
 政府と県によると、測定は県原子力センター福島支所が実施。データを政府の原子力災害対策本部に集約し公表するはずだったが、事故直後の混乱でデータが紛れるなどしたという。
 県原子力安全対策課の小山吉弘課長は「公表されるべきだったが、結果的に抜け落ち、未公表自体にも気付かなかった。大変申し訳ない」と話している。
 
2011年06月04日土曜日
 
 
東日本大震災 被災地支援/訪ねて、買って、食べて
 
 震災と原発事故の影響で、農水産物の販売や観光客の入り込みに深刻な打撃を受けている東北を支援しようという動きが、大きな広がりを見せている。首都圏では連日、どこかで何かが行われている印象だ。
 東京都港区の商店街。約200店が参加し地域を挙げた被災地支援を進めている。東北の地酒や食材をメーンに据えた料理を提供し、販路拡大に貢献する一方、物販の売り上げの一部を義援金として送るショップも。
 台東区では商店街連合会などが被災農家を応援するチャリティー産直市を企画。全国農業協同組合連合会(JA全農)が野菜の提供に協力する。
 被災地産品の販売促進を行政も支える。
 東京都は岩手、宮城、福島など被災7県の農水産物や特産品を販売する中小企業、商店街、NPO法人などに助成する。店舗の賃貸費などのほか、生産者と小売業者らによる商談会の開催費にも充ててもらう。
 商店街の活性化という狙いもあるが、単発、短期の催しでは支援効果が限られるため、継続的な取り組みを促す。
 スーパーが個別に復興支援市を開き、被災農家と消費者の橋渡しを企画する企業もある。大手百貨店も中元商戦の目玉商品に「東北産」を据え、支援コーナーを特設する。
 商売を抜きにした取り組みも相次ぐ。私大は被災地の商品を取り寄せ、都内のキャンパスで定期的に即売会を開く。港区の大手家電メーカーは宮城県のアンテナショップと協力、本社ビル内で販売会を実施した。
 被害の甚大さに、ビジネスを超えた対応をせかされた側面はある。小さな取り組みも、数が集まれば力になる。長期的な取り引きにつなげる好機でもあり、被災地の関係者は一つ一つ、心を込めて対応したい。
 震災後、東北のホテル・旅館はキャンセルが続出。ゴールデンウイーク期間中の人出も昨年の半分近くまで落ち込んだ。
 客足が遠のく東北観光を盛り立てるため、旅行会社も続々、復興支援の商品を提供。風評被害に見舞われる福島県にコースを設定、会津地方などを巡る首都圏発のバス旅行を売り出し、宮城県南三陸町の福興市を訪れる応援ツアーも実施した。
 千葉県浦安市の複合商業施設は、PRイベントを練る。仙台七夕まつり協賛会、東北夏祭りネットワークと協力し、実演を交えて東北の「燃える夏」をアピール。支援に心が動く半面、風評への戸惑いに被災者らへの遠慮も重なって、二の足を踏む旅行者を被災地に誘う。
 観光産業の裾野は広く、入り込みの波及効果は大きい。地域経済を支え、復興に向かわせるエネルギーになる。精いっぱいのもてなしで応えたい。
 震災が結んだ縁を太い絆の構築につなげられるかどうか。被災地側の姿勢にかかっている。
 東北の農水産物を食べる。特産品を買う。旅をする。被災地を元気づける妙計だ。当然ながら、対象は首都圏に住む人に限らない。地産地消も極めて重要で、総参加の機運を高めたい。
 
2011年06月05日日曜日
 
 
 第一の記事では、政府と県の姿勢にあきれる。もう一度部分的に引用してみる。
 
 政府と県によると、測定は県原子力センター福島支所が実施。データを政府の原子力災害対策本部に集約し公表するはずだったが、事故直後の混乱でデータが紛れるなどしたという。
 県原子力安全対策課の小山吉弘課長は「公表されるべきだったが、結果的に抜け落ち、未公表自体にも気付かなかった。大変申し訳ない」と話している
 
 事故直後の多量の放射性物質の拡散は、様々な人たちの個人的調査や見解などからある程度の予測がつくことだった。あわせて、政府や福島県が必要なデータを隠蔽し、非公開にしただろうことも予測できたことだ。今回の政府と県の発表は、個人や団体の調査によって外堀を埋められ、しぶしぶながら後出しするほかなかったものだと思われる。その発表が上の記事に表れる言葉になるのだが、一言でいえば笑える。この臆面もない嘘は、我々の習俗であり、習慣である。
 記事では、「付近で栽培された野菜を食べたり農作業を行っていたりすれば、放射性物質を摂取した危険性もあり」と、はっきり状況がつかまえられている。言いかえれば県は事故直後に、仮に紛失したにせよデータを見た所員などからの通報により、多くの被爆者が出た可能性を把握していて政府に伝えることもできたはずである。かりにデータを紛失した(こんな時、データはこのように使えて便利である)といっても、ほとんど被爆が現実のものとなったということについて、その脅威と不安は人の口から口へと伝えられて政府首脳の耳にまで届いたことは疑いようがない。それさえできなかったりしなかったとなれば、拘わったものたちは小学生以下のレベル、いや言語獲得以前の乳児のレベルだといわれても仕方がない。早々に職場を立ち去るべきだと思う。
 いずれにせよ、今回の発表で、政府と福島県の少なくとも初動のミスは明確になり、また本当は意図的な情報の隠蔽がなされたのではないかという疑惑も相当に根拠を持つものであることが明らかになった。もとより、たとえば中部大学の武田邦彦教授などからの情報発信などにより、そんなことは我々国民生活者の一部には自明のことに捉えられてはいる。そして改めて怒りがこみ上げてくる思いを抱いている。
 さらに推測すれば、事故直後の情報として福島県や政府がつかんでいたものは、当然隣県の首長等にも伝わっていたに違いない。すなわち、この宮城県の知事である村井にも伝わっていたのであろうと思う。そればかりではない。もっとうがった見方をすれば河北新報社が知っていたのではないかと考えることもできる。
 私の憶測にすぎないし、これ自体は公開すべきではないと思うが、その根拠は上に掲げた記事を受けての二つ目の社説の内容にある。
 
 どう考えても、第一の記事に含まれる政府と県の情報公開の姿勢、隠蔽への疑惑は、報道関係者にとって見過ごすことのできない大きな問題となるように思えてならない。ちょっとでも疑惑の芽があるならば、それを徹底して取材、調査するのが報道記者の魂であろうと私は想像する。だが、河北新報はその記事を紙面にそっとおいて、そのまま収束されるかのようにひっそりとしている。これはどういうことなのかと訝る。
 知らず被爆した福島県民に代わって、その怒りの矛先を福島県や政府の関係者に向けようと何故しないのか。また、徹底的な疑惑を解明しようと何故動かないのか。宮城県についても同様である。
 翌日の社説の一部を、下記にもう一度転記してみる。
 
 千葉県浦安市の複合商業施設は、PRイベントを練る。仙台七夕まつり協賛会、東北夏祭りネットワークと協力し、実演を交えて東北の「燃える夏」をアピール。支援に心が動く半面、風評への戸惑いに被災者らへの遠慮も重なって、二の足を踏む旅行者を被災地に誘う。
 観光産業の裾野は広く、入り込みの波及効果は大きい。地域経済を支え、復興に向かわせるエネルギーになる。精いっぱいのもてなしで応えたい。
 震災が結んだ縁を太い絆の構築につなげられるかどうか。被災地側の姿勢にかかっている。
 東北の農水産物を食べる。特産品を買う。旅をする。被災地を元気づける妙計だ。当然ながら、対象は首都圏に住む人に限らない。地産地消も極めて重要で、総参加の機運を高めたい。
 
 これはどういうことなのだろう。この記事の底に流れる心情は、報道者のそれというよりは経済界と見紛う、いやもっと露骨にいうと、県の政治・経済・産業・通信・教育その他あらゆる面や領域等で組織する「サロン」の住人のそれであると思える。報道者が報道の精神を忘れ、政治家が政治の精神を忘れ、経済者は経済のまっとうな精神を忘れ、教育者が教育の精神を忘れ、それぞれがこの県をリードする役割を担ったエリートであると錯覚したサロンに集う住人。腐敗し、退廃した精神が県民の思考、感覚を根こそぎ自分らの思い描く方向にさらっていこうとする意図が秘められている。これは私の異常な感受であろうか。
 正しい情報を迅速に国民や県民に発信すべき役割を担った報道が、伝達すべき情報のデータを事故当事者、関係者たちが紛失したり秘匿したりして、言ってみれば自分たちの第一義である報道の仕事をあるいは故意に攪乱し、あるいは伏せることによって阻害したのである。これに怒りの片鱗のひとつも表さないというのは私には全く分からない。私の感覚の常識からすれば、記事の翌日の社説は、当然のことながらデータの紛失や隠蔽への抗議であり、徹底的に事実、真実を究明する意志の表明でなければならない。それが上記のような社説である。
 何を考えているのだろう、こいつらは。そんなに景気を上げ、宮城ならびに東北全体の雰囲気の盛り上げが急務だと考えているのだろうか。まるで、景気を上げることに血眼になっている宮城県知事村井の広報担当を思わせる、言ってみれば官報そのままの社説だ。お先棒を担いで、これが東北のインテリジェンスの粋かと思えば笑える。だが、こんなことは宮城の放射線量をきちんと測定した資料を収集したり、取材したりでその情報を県民に正確に発信してからすればよい。それなくしてどうして他郷の人をこの地に呼べようか。あるいはこの地の産物を提供できようか。そうした地道な報道の責務を回避して、安直な週刊誌や雑誌記事まがいの社説を書いて、県内の生産者をぬか喜びさせるかつての米、農業特集のような媚びた姿勢を、誰が指摘せずとも「天知る地知る」、ここにはっきりとさせておく。もう一つ言うと、県民の間には実は密やかに作物についての不安が広がっている。来年の米は食べられるのだろうか。野菜は大丈夫か、などというように。この不安を解消するには大々的で正確な放射線量の繰り返しの測定と、専門家による数値の解説がこれまた真正面から大々的に実施されなければならない。そういう声が大きくはどこからも発しられないこの県の、ある種不気味な社会システムは、特異なものかもしれないとこの頃私には感じられるようになって来ている。
 
 
  愚劣さに例外はないが…(2011.6.4)
 
 ここ数日のどたばた政治劇を見て思ったことの第一は、「鳩山もあほだが、菅直人って奴はほんとにひでぇ奴だな」というものだった。あと付け加えるとすれば、自民党の歴代の総理や大臣はもちろんのこと、社会主義者(?)であった村山富市、市民主義者(?)の菅直人と、どんな考えや立場を持つものであっても権力を手中にするととんでもねぇ醜態をさらすものだということを実感したことだ。
 菅直人の功績は、もはやどんな〜主義者であっても権力の座に座れば白痴化するものだということを白日の下にさらし、あるいはまたその個人の愚劣が表面化するものだということを私たちに教えてくれたことだ。言いかえれば自分をも含めた日本人全てがそれらの愚劣さを共有していて、これに例外はないということを教えてくれた。もちろん、これを今更分かったとカマトトぶるつもりはない。ただ菅直人によってそれが証明されたというだけだ。すくなくとも、〜主義者ぶる連中の全てはこういうものだと考えていいのではないか。私はそう思う。そしてそう思わせてくれたのは菅直人の功績である。
 
 もとより、政治家に全幅の信頼をおけるなどと考えたことはない。それよりか最低の人間に近いと考えてきた。それは政治の世界に身を置く以上仕方のないことだ。それがいやなら政治の世界に近寄らないことである。私たち政治と無縁のものは、自分の愚劣さをモンスター化させないために近寄らないのだと逆に言ってみてもいい。
 
 例外なく愚劣さを共有する私たち日本人が、それを見事に抑えて、最小限の発露にとどめていることは政治の世界に近づかないなどのほかに、様々な仕方で制御法を編み出し、考案し、生活を営む中でそれを実践してきている。それから考えれば例え政治家となっても、愚劣さを最小にとどめる制御を自らに課し、これを実践することは不可能なことではないと思う。
 
 村山も管も、最高権力の座にある自分を延命させるために、思想的一貫性をなげうち、無原則の言動に自身を委ねた。村山は従来の主張を翻して自衛隊を合憲と見なすことを承諾したし、管は場当たり的な言動に加え、原発事故に際しての情報の全面公開を、こともあろうか逆に隠蔽し知らぬ顔を決め込んだりした。要はそういうことをしなければいいのだ。そのためには己の分相応を知っていなければならぬ。分相応とは、自分は何のために現に今を生きているのかを考え、真摯にそれに向き合い、決して思い上がるなということだ。自分をたいしたものだと思ったときから歯車は狂う。村山も管も最高権力を手中にして、自分を見失ったと映る。それまで制御していた自分の中のモンスターに、取って代わられた。それは見方によれば痛ましいことだ。自分ではそう思わないだろうが、国民の大多数は心の奥の方でかわいそうな連中だと哀れんでいる部分があるに違いないだろうと私は思う。人間として、もっとも大事なことを忘れてしまう。それは日本人の多くが生活の中でつつましく実践してきた習俗や習慣の中に、当たり前のように存在していたものだ。誰もそんなものを口にしたりしない。あまりに当然すぎることだからだ。嘘をつくな。言動に責任を持て。私たちのような庶民、すなわち国民の中でも下層を形成し、それでもって率直な本音を最も有しているものの思いというもの、あるいは政治権力者および指導層にあるものに要求することはそれだけのことだ。私たちにとってそれ以上に大事なことはない。もちろん、欲望を口にして、ああしろこうしろの要求をいう場合もあるにはあるが、おそらくそれは二の次の要求なのだ。
 私などは政治の結果にあまり期待しないし、それだけの困難な状況ということに思い至るから同情できる部分もある。だから一国の総理として政権運営が稚拙だったとしても、仕方ないと思える。誰がやったって難しいのは難しいのだ、と。だが村山や管がやったような嘘や無責任は許すことができない。それらは国民の将来や生命に直結する大きな問題だ。一方は戦火の中に国民を投げ入れる可能性を秘め、一方は将来のある子どもたちの被爆を最小限にくいとどめる措置を怠ることとなった。「何もできなくても責めないから、嘘や無責任な言動だけはしてくれるな」。彼らには子どもをあやすように、そういってやりたかった。
 
 こんな連中や政治のどたばた劇などを見ていると、パチンコ店で見かけるおっさんのほうがよっぽどましに見えてくる。どういうことなのだろう。政治家も学者もジャーナリストやそれぞれの識者たちもまともなのはほんの一部で、あとは弊害のようにしか存在していないように私の目には映ってくる。テレビ、新聞などの報道もまたしかりだ。意図して風評をつくる作為が見え見えである場合が多い。我が国の指導層にいる連中は「残念」な奴ばかりだ。そうあからさまに言ってみたくもなる。
 
 
  状況を把握するために(発言の紹介)(2011.6.3)
 
 ニューズウィーク日本版オフィシャルサイトの中で、ジャーナリストの冷泉彰彦という方が(http://www.newsweekjapan.jp/reizei/)『被災地へ、被災地から(その2)』という文章を載せていた。6月2日の内閣不信任案の採択を巡る政争劇に言及して、マスコミや自治体の長らによる激しい非難が当然起こりうることながら実際には無意味な騒ぎであること、また政治家のジレンマの先にもいろいろな難題が山積みであることを冷静に分析している。その見解は私にはおおむね了承できるものと映った。具体的に打開策など持ち得ないのは素人の私同様だが、とりあえずこういう見方をしておいたら大きく状況を捉え損なうことはないだろうと思う。そこで安易なやり方だがこれを引用させていただく。下記に太字で表したものがそれになる。なお、上記アドレスでは日々更新される文章が掲載されているので参考にごらんになってはいかがであろうか。無断で引用させていただくので、そのお礼の意味をかねて推奨しておく
 
 
『被災地へ、被災地から(その2)』(冷泉彰彦)
 
 一方で、政治は迷走しているように見えます。とりわけ現在進行中の不信任案を巡る動きは、被災地が渇望している復興事業を停滞させるものとして激しい非難を浴びています。そんな中、週明けには被災地に隣接した高台では、住宅地ニーズを見越して土地が暴騰している、そんなニュースも伝えられています。
 
 では、このまま「政治を悪者に」し続けて、事態を更に悪化するのを眺めるしかないのでしょうか?
 
 あるいは、一切の政争を否定して現政権下での決定を急がせる、これに対して野党が妨害したとしても、それを被災地の「正義」の名で断罪し続ければ、とにかく何かが決まり、何かが動き出すのでしょうか?
 
 例えば、自民党の谷垣総裁が、突然「政争はやめます。復興会議の結論から政府案が出てきたら丸のみします」と宣言したらどうでしょう?何かが決まり、何かが動くのでしょうか?
 
 どれも違うと思うのです。
 
 私は現在の政争とは、別に政治家が無責任であるとか、被災地の心情に冷淡だから起きているものだけだとは思えません。混迷が示しているのは、与野党共に政策を絞りきれない困難であり、その困難とは財源問題という一点に絞られると思います。
 
 その一点とは何か?
 
 それは与野党それぞれが抱える深刻な「ねじれ」です。
 
 まず菅政権の立場ですが、基本的には日本経済の反発力と言いますか、再度の成長路線への回帰を志向していると思います。例えばエネルギー政策に関して言えば、原発へのある程度の依存を続けることをG8でも打ち出しています。いわゆるバラマキ的な支出には慎重ですし、復興計画に関してもビジネス的な観点から「採算性・成長性」を重視しているように見えます。
 
 ところが菅首相の近くには与謝野大臣がいて、増税という原資を強く主張しているわけです。現時点で強く増税を言うというのは、日本経済の現在の支払い能力から原資を出すということであり、基本的には将来への悲観論です。ここに「ねじれ」があるわけです。
 
 やろうとしていることは、リスクを取ってでも成長性を狙う話なのに、財源は現在の日本経済の実力に依存し、そこには将来への悲観論がある、これでは選択のしようがありません。「菅政権では復興はムリ」という批判は、この点では確かに説得力はあります。
 
 ところが、これに対抗する「自公+小沢グループ」は、30兆円のパッケージ提案(復興に20兆+景気に10兆)のように、かなり大胆です。また「政権交代時の公約順守」という流れでバラマキ的な姿勢も残っています。そもそも復興と景気を分ける考え自体、復興計画にどこまで「採算性・成長性」を考えているのかが曖昧です。
 
 エネルギー戦略も、過去の原発推進への責任や一貫性をすっ飛ばして「脱原発」ですが、仮に本気であるのであれば、これは「脱成長性」的な姿勢と理解すべきでしょう。問題は、にもかかわらず財源としての増税に反対し、国債などのファイナンスを考えているということです。返せるストーリーになっていないのに、カネだけ借りてバラマキを続ける、これでは、菅+与謝野路線とちょうど裏返しですが、支離滅裂ということでは同じです。
 
 要は、バラマキや脱成長なら、今の日本経済の実力内で、つまり増税という当座のキャッシュフロー内でやるべきだし、成長へとリスクを取ってやってゆくのなら、堂々と国際市場から資金を調達してやるべきだと思うのです。
 
 例えば、陸前高田のように失うものは何も残っていないところでは、恐らくは後者、投資リターンがプラスになることを中心に自立できる地域経済の再興に進むしかないように思われます。
 
 政争は醜悪ですが、騒動を通じて、なんとか財源問題の「ねじれの解消」へと向かう、それが政策決定のために必要です。
 
 
 次にまた引用だが、先日紹介した武田邦彦さんのホームページの中の最新の文章から2つを、これまたまるまる借用する。こちらは、引用は自由と記されているので気楽に借用させてもらう。こちらもまた毎日のように更新されているので、是非他の文章も一読してほしいとお薦めしておく。私はざっと読み流すだけだが、ためになることが多かった。「ほんまでっかTV」でもおなじみの人だが、いっそうファンになった。以前から、たばこ問題、二酸化炭素の排出問題などに独自のそしてやや常識破りの見解を示す人で、私は考え方が近く、好意を持って眺めてきている。今回の原発問題への言及はその好意をさらに加速した。ありていに言えば、立派な人だと思った。以下、
 
「科学者の日記110602 私たちは何を間違ったのか?」
 
目の前でこれほどの原発事故が起こったのに、まだ「原発は安全だ」を繰り返す人たちがおられます。
 
私たち(原子力関係者)は、何を間違い、どうしてこんなに多くの日本人の心と体を痛めたのでしょうか? 科学技術者は自ら好きなものを研究することができますが、それは多くの人に迷惑をかけないことが最低の条件です。
 
これほど大きな災厄(心配も含めて)をもたらしたのですから、原子力の関係者はこの事実を真正面から見つめることから始めなければならないでしょう。
 
「真実を見るには勇気がいる」(ダーウィン)
 
たとえ、それが友人を失い、職を去らなければならなくても、科学者の誠実さはそこにこそあるからです。
 
・・・・・・・・・
 
第1に、「軽水炉」は「核反応が爆発的に起こる」ことが「自律的に防止」できると思っていたからです.
 
第2に、若干の誤解をもたらすかも知れませんが、簡単に言うと「崩壊熱を忘れていた」ということ、そして、
 
第3に、「技術は事故が起こることを考えておかなければならない」ということを忘れていたこと、に集約されると思います.
 
そして、知識もあり分別もある人たちが、こんな簡単なことを忘れた深層の理由は、
 
1)  自分たちは偉い(判断力がある)と思っていた、
 
2)  国の支援を受けていた、
 
3)  原子力村の利権にまみれていた、
 
を上げることができるでしょう。
 
・・・・・・・・・
 
原子力発電の危険性は1にも2にも「放射性物質が漏れる」ということにあり、それを防ぐには「核爆発」を防止すれば良い、それがもっとも大切なことだという考えは、私も含めてほとんどの原子力の関係者が強く「信じて」いたことです。
 
私は日本原子力学会から、個人では始めて「原子力平和利用特賞」という輝かしい賞をいただき、それを誇りにしていました。原子力は平和目的で利用すれば人類に貢献できると信じていたのです.
 
また栄誉ある賞をいただいたのだから、なにか原子力に貢献したいと思っていましたが、それがこんな形になろうとは私の知識も判断力も貧弱なものでした。
 
・・・・・・・・・
 
やはり「軽水炉の過信と崩壊熱の軽視」が第一の原因でしょう.
 
発電用に使うウランは、燃料となるウラン235が3%から5%ぐらいしかありませんので、容易に爆発はしません。広島などで使われる爆弾には90%のものが用いられますし、「20%以上の者を兵器用」と言われているのです.
 
でも、「水」があると低いウラン235でも爆発します。だから「水を減速材に使う軽水炉」というのが誕生したのですが、しかも「水」は反応が暴走し始めると蒸発して泡が出来、中性子を減速しなくなるので、そこで反応が止まるという特徴もあります。
 
この水のもつ余りに素晴らしい性質に目が奪われ、水を使っているなら大丈夫だという錯覚が生まれたのです.
 
人間はある錯覚にとらわれると、そこで思考が停止して、「軽水炉は少しの放射性物質は漏れるかも知れないが、チェルノブイリのようなことにはならない」と信じ込んでしまったのです。
 
誤解の無いように、全体像を示しますと、原子力の世界では今回のような事故を「シビアー・アクシデント」と呼んで、警戒をし、研究もしてきたのですが、どこかに「軽水炉はそんなことにはならない」という甘さもありました。
 
「核爆発」にとらわれて「崩壊熱によって水素または水蒸気爆発をして、それまでに炉内にあった放射性物質が大量に漏れる」ということに考えが到らなかったのです.
 
・・・・・・・・・
 
そして、今でもまだ多くの原子力技術者は思い至っていないのですが、「技術はどんなに信頼性が高くても、事故が起こることを想定しておかなければならない」という基本中の基本を忘れたか、あるいは考えたくないとしていたのです。
 
原発が事故を起こして、レベル7になっても、原発からでる放射性物質を巨大なフィルターを持った「放射性物質吸いとり器」でとったり、素早く多くの人を待避させたり、田畑にビニールシートを貼ったり出来たはずです.
 
若干の被爆者を出しても、すぐ健康診断をして防護措置を講じれば、放射線の障害も減らすことができます。
 
でも、現実は正反対になってしまいました。責任回避を狙った政府は、こともあろうに「健康に影響がない」と繰り返し、原子力の推進をしてきた学者も口をそろえました。
 
ヒコーキが墜落して、負傷者が苦しんでいたら、一刻も早く病院に運ぶのは当然ですが、「キズは大したことはない、化膿することもない」などといって放置していたのと同じ結果になりました。
 
・・・・・・・・・
 
すべては準備不足でしたし、すべては判断が甘かったのですが、今でも同じ状態が「もんじゅ」も、他の軽水炉(原発)も続いているのに、どうも準備が始まりません。
 
地震や津波、そして洪水、想定外の竜巻や落雷など自然災害も多く、決して毎日が何も起こらないわけではありません。そしてそれは明日にも来るかも知れないのです。
 
なにをしているのか?と私はいぶかしく思います.専門家、自治体、そして電力会社は全力で「次の原発災害」の防止に取りかからなければならないでしょう。
 
また、「2度と起こらないだろう」などと思っていると、同じ事になります。
 
(平成23年6月2日 午後2時 執筆)
 
 
「3つのホットスポット」 
 
放射線を発する元素を「ホットアトム」と言います.もう少し専門的に言うと、放射線を出した元素は、その直後は特別な状態にありますので、それを「ホット」と呼びます(学問的用語).
 
一方では、福島原発からの放射性物質は重さ形も「火山からの噴煙(灰)」のようなものですから、風にながれて、まだらに地表に落ちました。これを「ホットアトムが多い場所」という意味で「ホットスポット」と呼びます.
 
4月からこのブログでも呼びかけて来ましたが、それを整理してみました。
 
・・・・・・・・・
 
【ビッグ】
 
今回は福島原発から西北に流れ、福島市まで行ってから南に流れ、二本松、郡山に達しました。
 
学問的には今後の研究によって明らかになると思いますが、4月初旬に放射線の増え方を見ていたら、その後、白河や宇都宮の横を流れ、柏市から松戸、三郷、葛飾、浅草、文京から新宿まで流れたような感じでした。
 
4月にこのような地域から「地面の放射線が強い」など読者からのメールをいただきました。
 
・・・・・・・・・
 
このような放射性物質の流れは、1000メートルということではなく数100メートルの高さのようで、山は越えられないようです。また、下降気流や雨、ビルへの衝突や気流の乱れなどで、ときどきまとめて地表に降りたようです.
 
このような場所を「ホットスポット」として意識すれば、被曝を少なくする手段があることになります。
 
・・・・・・・・・
 
【ミニ】
 
さらに、地表に降りる時に、これもまた気流の関係で「まだら模倣」になり、福島の小学校でも校庭の放射線が強い場所と弱い場所がありました。
 
5月になると、さらに地表に落ちた放射性物質が雨、風や人間の靴などによって運ばれて「二次的に集まる」ようになり、そこに「ミニ・ホットスポット」が出来ました。
 
つまり、
 
1)  ビッグ・ホットスポット
 
2)  ホットスポット
 
3)  ミニ・ホットスポット
 
の3つがあります。このことを先日、「女性自身」(週刊誌)で説明しました。
 
・・・・・・・・・
 
【被曝の下げ方】
 
本当は政府(自治体ではない)がやらなければならないのですが、国会がああいう状態ですから、市民と自治体が「命を守るため」に緊急出動しなければなりません。
 
子供は誰かが守らなければならないからです。大人が犠牲(大した犠牲ではなく、法律的にできないとか、自分の職務ではないという程度のもの)になったほうが良いでしょう。
 
1)  ビッグ・ホットスポットに入っている人たちは、「除染する」、「コンクリートの建物にいる時間を長くする」、「時々、日曜日などは日本海側に休みに行く」などが大切です.
 
2)  ホットスポットの中にいる人で、サラリーマンは朝、出勤してホットスポットからのがれますが、家庭におられる人は、「できるだけ放射線の少ないところに買い物や遊びに行く」、「家の回りだけでも雑草を取り、土の表面を少し削り、掃除をする」などが良いでしょう.
 
3)  ミニ・ホットスポットは地図を作り、特に危険な箇所には黄色い枠などをするのも良いかも知れません。これには自治体や地域のご協力がいるでしょう。表土を除いて校庭の放射線が10分の1になった郡山市の小学校でも、溝の舛のところは、私が測ったら10倍もありました。こんなところは黄色い枠でもしておくと、児童が気をつけるでしょう。
 
問題もいくつかあります。
 
ビッグ・ホットスポットのご家庭はある程度、掃除をしたら周囲に全体的に放射性物質があるので、線量が下がらなくなります.その後は、少しずつミニ・ホットスポットを見つけて除染すること、「法律では放射性物質を取り扱う責任は国にある」ということをことある毎に国に言うことでしょう。
 
ホットスポットにあたるところは、自治体や商店街が中心になって除染を進めることです。
 
「どこが汚染されているか判ったら客足が止まる」など大人の都合を優先せず、「被曝する子供達を少しでも少なくするために、大人が犠牲になる」ぐらいの気持ちになってほしいものです。
 
また、正確な測定値ではないとなどと、理屈をこねていると、その間に子供達が被曝します。少しいい加減でも実行が大切です.
 
・・・・・・・・・
 
いずれにしても、放射性物質は「噴煙の灰」ですから、それが目に見える(本当は見えませんが)ようにお父さん、お母さんが感じることができれば、今後も状態が変わっていきますから、良いと思います.
 
なにしろ、郡山の小学校のように、「除染したら何分の1」、「溜め舛に近寄らなければ何分の1」になるのですから、積極的に考えて「被曝しない貯金」を増やしてください。
 
・・・・・・・・・
 
空気中の放射線は激減しましたので、マスクは要りませんが、「かつて空気中にあった粒は、同じ量が地面に落ちているのですから、
 
1)  子供を地面に近づかせないこと、
 
2)  風の強い日は地面の放射性物質がまき散らされるのでマスクをする、
 
3)  雨の日は地面の粒が流れて水たまりに移動するので子供が水たまりで遊ぶのを注意する、
 
4)  母乳の人は自分が吸い込むと赤ちゃんに行きますから、気を配ってください。放射線は注意をすれば怖がることもありません、
 
などが必要です。
 
(平成23年6月3日 午前8時 執筆)
 
 
 これらについて、今日は一切コメントしないでおきます。とりあえずはこれらからだけでも、「風評」を一皮めくったときの実際の状況の一端をイメージできるかと思います。そうして自分なりのイメージを構築して現在に向き合うことが、これもまたとりあえずは状況に流されないために必要なことと考えています。
 最後に、さらに参考になりそうなサイトがあったら是非紹介していただきたいと思いますのでご、お手数でなければご一報をお願いして終わりたいと思います。
 
 
  思うがままに(震災や原発に関して)(2011.6.1)
 
 朝、フジテレビの「めざましテレビ」という番組を見ていたら、加山雄三が三陸の被災地を慰問し避難所で歌を披露する姿が映っていた。74歳とは思えない行動力と、画面内における加山の穏やかで包容力にあふれた言動に、こりゃあ参ったねと脱帽する気分になった。歌を聴いた避難所の人々は、歌と一緒に加山の気さくな人柄にも気持ちを許し、心から喜んでいるように思われた。涙を流し、また笑顔をも見せた避難所生活の人々の姿に、時に見かけられる善意へのお愛想といった儀礼のそぶりは感じられなかった。芸能界の酸いも甘いも、また天国と地獄をも体験してきたに違いない加山雄三の、破格の人間力がこういう事態を引き起こせるのだと思った。他の芸能人とは異なる加山の歌と話と交流とは、落ち着いた、安心感のある時間と空間とにその場を一変させたに違いない。
 ところで、その加山がカメラを回すスタッフに語ったと思われる言葉の中に、「歌には特別の力がある」と言う意味の言葉が聞き取れた。歌う本人と、見る人聞く人が一体になった時空を創出できるという意味でそれを言っているのだと思えるが、その時ぼくは「なるほど」と思い、同時に、ぼくらの「詩」や「批評」の言葉にはそういう力はないなと思った。残念だし、寂しいことだがそれが真実だ。こういった非常時に、人々の心を支える「詩」、あるいは「ことば」を文学は永遠に生み出すことができなくなってしまった。そうとまでは言わないとしても、「流行歌」や「歌謡曲」や「ポップス」と呼ばれる類のものが創り出す一般聴衆との接点という次元では、明らかに文学はその威力を失していると思われる。
 詩人が被災地で自作の詩を朗読する。文学者が被災地で無償で講演する。誰が喜ぶだろうか。もちろん、全く次元を異にする両者の世界ではあるけれども、文学の側には「歌謡のもつ力」への羨望をいつまでもなくしてもらいたくないとぼくは思う。
 
 震災つながりで、二、三気になること、気がかりなことなどを書き留めておきたい。
 ひとつは原発関連の発言に関して。最近、中部大学教授の武田邦彦のホームページをちょくちょく訪問して原発関連の発言を読ませてもらっている。もちろん分かりやすく、毎日のように更新され、おもしろいから何度も訪問しているのだが、また科学者らしくその発言の趣旨、論旨は首尾一貫している。武田の言っていることで印象に残るひとつは、福島原発事故から放出された放射線量の問題で、常に子どもと母親との立場に立って論を展開している点だ。
 武田によれば事故当初に放出された放射線がもっとも多量で、それは福島県の各所に降り積もり土壌を汚染している。その量は危険レベルで今も取り除かれていないから除洗は喫緊の課題だとしている。もう少し言うと、現在も完全に収束したわけではないがこの事故の最大の山場は事故当初であって、その後の爆発で放射線の放出が続いたとしてもその驚異は最初の一撃ほどの脅威にはならない、つまりもはや恐れるほどの威力は秘められていないと武田は言っている。逆に言えば最初の一撃が、報道や付随する識者や政府、東電、原子力関係者の言葉から印象された「たいしたことはない」というイメージとは異なり、実に「大変なこと」だったということだ。
 これをそのままにしておけば大量の被爆者が生み出される。その中でも子どもの被爆について考えたときに、これは何としてもおとなの責任問題である。文科省は一年に20ミリシーベルトを上限として安全基準内と発表したが、武田はそれまでの原子力関係者や学者の常識でもあり法律でも規定されていた1ミリシーベルトの基準を固守すべきだと主張した。その根拠は、ひとつは法律にもあり、現在までのところの世界基準でもあり、また実害はないと想定されるにしても20ミリまでは大丈夫だとする研究結果や実験結果等がないからだとしている。この主張は大変明快で、福島県の多くの児童の保護者に受け入れられ、文科省への抗議行動にも発展し文科省の見解に譲歩をもたらすまでに至ったとぼくは受け止めている。また武田の言っていることで、福島の畜産、野菜生産を擁護するいわゆる生産者サイドに立った発言は間違いであるという主張もぼくには新鮮に聞こえた。はじめの頃、福島のほうれん草が安いなら俺がばくばく食ってやるとぼくは冗談交じりに家の中で言っていた。だが、汚染量を数値で見、それを子どもたちが食べて体内に蓄積していくことを考えたときに、これまでの国内の報道を含めて全体の風潮が「生産者擁護」に傾きすぎていたのではないかという考えが湧くようになった。土壌からの吸い込み、それに食物や水などからの体内への取り込みを考えたときに、加算された放射線量はどれくらいにまでなるものかを考えると、無智なる故かぞっとしないではない。
 また武田は国内の原子力関係の学者、東電の経営に携わる関係者、原理力保安委員会、また政府首脳、さらに自治体関係者等への痛烈な不信、疑念を顕わにしている。それを読むと、本当に自己保身ばかり、私利私欲の肥大した連中ばかりがこの社会の責任ある地位に鎮座しているのだということがよく分かり、それぞれの背景にある事情を考慮に入れてもなおそうした連中への怒りがこみ上げてくる思いがした。是非一度目にしてもらいたいと思うのでアドレスを掲げておく。http://takedanet.com
 
 以前にここで紹介したように、震災直後の状況把握ということで大前研一の発言が参考になることを述べた。現在は、放射能汚染の問題としては大前の発言は修正を要するのではないかと思う。それに代わって武田の発言を重要なものであると見なしたい。
 そんな中でぼくが住む宮城県の放射線に関する情報が格段に少ないことを感じている。県の発表としても、知事である村井の談話としても、なぜか原発事故とそれに伴う放射線の宮城にどんな影響があるのかないのかの情報が全く伝わってこない。ある意味故意に情報を遮断しているのではないかと思わないでもない。隣の県で大騒ぎになっていることを、あるいは茨城や千葉、東京までをも渦中に巻き込んでいる事態に、あまりに無関心を装っているかのように思われる。これは県民に関心がないせいなのだろうか。もっと腑に落ちないことは、たとえば河北新報のようなメディアさえもが放射能に関しては沈黙を保っていたことだ。これは本日「東日本大震災 校庭の放射線量/着実な低減策と説明が必要」と題して社説に取り上げているが、ぼくにとっては河北が初めて放射線に言及する文章を掲載したと印象されるものだ。しかも、これはけして宮城の学校の校庭を含めた放射線量を詳細に測定すべきとか、低減すべきとかを県に求めたものではない。どちらかというと福島を中心に、隣県や付近の県を対象として文科省や政府に調査や説明を求めたものと感じられる。言ってしまえばまだよそ事としてしか放射線の問題を受け止めていないし、実感されていないように思える。来年、放射線に汚染された土壌で作られた米や野菜を食べ続けることになるのかというぼくたちの不安を、払拭させてくれる情報はどこからももたらされない。宮城には学者も知識人もジャーナリストも報道関係者もいないのだろうか。放射線の問題は、地震や津波の被災の陰に隠れ、問題視するに至らないのであろうか。甚大な被害から立ち直ろうとして、その前になお放射能という不安を直視するに耐えない状況があると言えばあるのかもしれないが、議会や知事や行政やメディアがもしそうとしてあえて口にしないということであれば、やはりなおそれは怠慢の謗りを免れない。放射線に関する早急な低減策や説明を要するのは、ぼくたち県民にとって第一はこの県自体である。全てを国に預けてこれを済ませてもらいたくはないのだ。
 
 ついでにもう一つ言ってみたいことがある。それは依然として与野党内での権力闘争、「管おろし」の動きがささやかれていることについてである。新聞の論調やテレビキャスターの言葉には、これに対して批判的であると印象される。相変わらずそんなことばかりやっている、もっと優先してやるべきことがあるだろう、というのがそういう主張の源泉になっている。確かにそれはそうだと思う。だがぼくの見方は少し違う。先の「武田邦彦」の文章を読み通してきたせいもあるが、現政権がいかにデタラメで無能無策かが彼の文章を通してよく分かる。こういう状況では、現政権が何をしたってとんちんかんなことをしでかし続けるに違いないとさえ思える。そんな中で政治の世界に生きるものがこの事態をなんとか改善したいと考え、総理の座から管を下ろさなければと考えるのはある意味当然だという気がする。まっとうな政策を迅速に行っていくためには現政権のままでは無理だ。そう考えるいわば壮士が、この日本国に一人もいないというわけではあるまい、そうぼくは思う。そしてそういう思いから管政権に反旗を翻し、首相という立場にふさわしい人材を首相に据えたいと願って行動するのはこれまた当然だといえる。もちろん、利権を求めての権力闘争や党派的な争いなどは論外なので、しかし、こういう事態に指をくわえて漫然と事態の推移を見たり、また政府の法律無視、隠匿体質等に荷担、協力することが必ずしも正しい行動とばかりはいえないように思える。全党一致の与野党の協力体制と言えば聞こえはよいが、これは悪くすれば現政権の都合のよいように政策決定が流れって行く可能性がある。野党の意見にも真剣に耳を傾けると言っても、文字通り表面的に耳を傾けるだけにすぎない場合もあり得るわけで、そんな「協力体制」には何の意味もありはしない。
 ぼくは「武田」さんの主張を読み、現政権が全く政権の態をなしていないように感じたので、これは早晩交代してもらわなければ震災復興、原発と放射能の問題、いずれにしてもよりよい解決ができないに違いないと考える。あてにできる政治家なんてぼくは知らない。だが、こんな基本的にデタラメな政権よりはましな政権の可能性はあるのではないか。少なくとも、そういう動きをマスコミのように全く否定する態度というものをぼくは取ろうと思わない。
 「武田」さんは、放射線の脅威を煽っているとさんざん非難されたらしいが、それを覚悟の上で先の主張を繰り返してきた。何より、自分の主張の根拠を明確にして毅然としている。学者としては久々に立派な人だなと思えた。でもこれだけ渦中の人になってしまったから、もしかすると学者としては学会に居づらくなっていくのかもしれないね。まあこの人なら教授を辞めても食っていけるだろう。
 そのほかにもネット上には隠れた立派なジャーナリスト、識者がいることが、今回の震災や原発問題を調べていくうちに分かった。NHKのテレビで放映された、福島のあちこちを回り、放射線量を測定し続けた人なんかも名前も分からないが「いい仕事をする」人だなあと感心した。また、たまたま見かけた「きっこのブログ」のページもおもしろかったなあと思う。これは原発の問題について書かれているが、詳しく読んでいくと、原発の利権について相当に突っ込んで取材している人のように感じられた。
 蛇足だが、ぼくがいいと思うのは、文章を読んでその主張に裏がないということがひとつの基準になっているようだ。その個人にある種の原理原則があり、しかもそれは他者に強要するものではなく自分の中にしっかり守り、その範囲で言葉を取捨選択し、何の夾雑物も挟まずに本音をストレートに展開している。ある意味愚直なまでに自分の本音を他者に届けようとする努力、一生懸命さが伝わってくる文章、それがいいなあと感じる。管首相も愚直だがその言動に一本の確かな芯がなく、行き当たりばったりの言動に映る。せめて「情報公開」という一事でもよいから徹底してくれていたなら、もう少し周囲、そして世間の評判は違ったものになったように思う。
 
 
  被災地からのリポート5(2011.5.27)
 
  「ちょいずるオヤジ」
 
 勤め先が地震の被害で修理中のため、契約社員の私は休業を余儀なくされている。休業中は有給を当ててもらって、いくらか懐に入るように手配してもらった。また、ちょうど2月に年金受け取りの申請をしたので、有給消化後もなんとか飢えずにすむ算段ができている。とはいえ、苦しいことには変わりがない。
 数日前、同じ勤め先の別会社の契約社員からアルバイトの誘いがあった。彼が会社から紹介された業務先に一緒に行ってみないかというのだ。とりあえずその誘いを受けて、二人で仕事先に向かった。
 場所は多賀城市とだけ聞いていたが、行ってみるとほとんど「仙台港」に近く、すぐに津波が押し寄せた一帯であることが直感された。私たちが向かった先は国道45号線沿いにあったが、そこから一歩海側に向かうと建物の敷地内に瓦礫が散乱していたり、入り口が壊されて無人の倉庫らしい建物が廃墟のようにたたずんでいるのがいくつも見られた。横倒しになった敷地を区切るフェンスや壁に残るしみあとから、押し寄せた津波の圧力の大きさや高さが推定された。それはかるく人の身長を超え、いったん呑み込まれたならば波の力のなすがままに浮き沈みを繰り返すほか無かっただろうと、絶望的な思いにとらわれた。
 
 私たち作業員はとある物流倉庫の一階に集められた。およそ十五人ほどの人数である。作業の監督者、担当者が三人ほどいて作業の説明や段取りなどを聞かされた。簡単に言うと、ある家電量販店の地震によって倒れたり水に浸かったりなどして廃棄しなければならなくなった商品を、さらに解体分別して廃棄場所に運搬する、いわば中間の工程に当たる作業を行うということであった。
 ざっと思い出せば、冷蔵庫、液晶テレビ、洗濯機、パソコン、生のDVD、プリンター、炊飯器、ポット、照明器具、コーヒーメーカー、その他家電量販店に置いてある小物類を含めた一切がその場所に運ばれてきて、それらのコードを切り、表面をハンマーでたたき、電動ドリルで穴を開け、さらに段ボール、発泡スチロール、紙類、ビニールと仕分けし、壊した商品をひとかたまりに積み上げる。
 作業は9時に始まり、昼食や休憩の一時間と三十分をのぞいて夕方6時まで続けられた。今時の肉体作業は私が牧歌的に考えているようなものではなく、無駄口をたたいたり、一作業が終わってほっと一息つけるようなものではない。荷物が載った一山を済ませると、次の一山に向かって作業は中断することなく黙々と続けられる。誰かがさて次にどの工程に入ろうかなどと思案して1、2分でも立ち止まっていようものなら、監督者からすぐに注意を受ける。
 私もまたとにかく手足を動かし続けた。いざとなったら、これくらいの作業はできる。そうして気づいてみたら手首が動かせないくらいに痛んだ。ヘルメットをかぶった額からはここ数年経験しなかったほどの汗が噴き出し眼鏡にしたたり落ちた。
 一日目の終わりは、疲れたと愚痴をこぼすよりは、その日の作業がともかくも終わったことのうれしさの方が大きかったように思う。それは反省的に振り返る余裕さえなかったことを意味する。
 
 私たちは三日間作業し、二日休んで次の週の一日目を勤め上げた。その二日目も同じように私の車で朝の通勤途上にあった。
 どちらからともなく、「この仕事はつらいね。」と言い始め、「やりたくない」、「やめようか」などと口にしはじめた。
 ばかばかしい、冗談じゃないよ、やってられるか。こういう気分になったらもう止めることができない。彼は会社に電話をして、仕事に行けなくなった嘘の理由を告げた。
 明らかな「さぼり」である。「ずる」である。いい年をしたおっさんたちであるが、やるときはやる。
 まじめにばかりは生きていられない。おとなしく、従順にしていれば本当はいいのであろうが、私という人間はそんな風にできていない。
 見方によるが、こういう今一歩の忍耐のなさが私の人生をどのように変えるものかを私は知りすぎるほど知っている。だが私はそれでもよい。いやなのだ。いやということをどこかではっきりと表しておかなければ気が済まないのだ。それがこんなちゃちな態度表明であろうとも、やらないよりやっておきたいと私は考えてしまう。誰もそんなもの気にとめるものではないが、私はしかし何かに向かって何事かを言明した気分でいる。「世界の中心で愛を叫ぶ」のフレーズをもじって言わせてもらうならば、「世界の片隅で」私は「否を叫び」たいのだ。誰に対して、何のために。そんなこと、知ったことではない。ただそんな衝動を持ち続け、今も持っているというだけだ。
 
 私の「ちょいずる」は、日給八千円をフイにする。十日働けば八万円で、二十日働けば十六万である。これは妻のほほがにっこりゆるむ額である。私はそのことを知っている。知っていてそれをフイにするのである。
 案の定、私が「ちょいずる」を敢行した夜の妻の機嫌は悪かった。私の「ちょいずる」を優しく受け入れてはくれなかった。私は自棄になって緘黙を押し通した。
 
 私たちを含め、その作業に従事した人たちは若者もいれば壮年も老年もいた。また、四十代、六十代と思われる女性もいた。おそらくは今度の大震災の影響で、職場が一時的に休業状態に陥ったり、あるいは全く停止状態になったりしたものであろうか、当座の働き場がなく、個々に集まったものであろうと思われた。それぞれに事情があり、作業期間いっぱいを働き通すものもあり、私たちのように途中棄権するものもいるかもしれない。それもまたそれぞれであり、同時にまたどうでもいいことでもある。だが、事態はと言うべきか現場はと言うべきか、そのように微少に微少に動いていて、大局を考え論じればすむというものではない。また局所に甘んじ、安住して済むというものでもない。
 
 私の発言はこのように無視される場所にあるから今後も同じように無視され続けるに違いないが、しかし同様に、この場所に降りることのない発言には縁がないからそれらの発言を無視することは容易だ。いわば無化できるということだ。そのように歩んでいるつもりである。
 
 
  被災地からのリポート4(2011.5.10)
 
 3.11の大震災の混乱から約ふた月が経過しようとしている。
 大地震の衝撃。ライフラインの中断。停電の中、ロウソクの明かりを灯し、余震におびえ、大きな揺れを感じると外に飛び出し、カーラジオからの情報に耳を澄ませた。震源は宮城の太平洋沖らしいことや、津波の被害があったらしいことも分かった。けれども実際、自分の住んでいる区域以外の被害がどの程度なのか、家屋が倒れたり地割れ、山崩れなどどこかに起きているのかなど被害の全貌が見えず不安に駆られた。実家の栗原とは前回の宮城岩手の山間部の地震の時と同様電話がつながらなかった。
 何日かして電気がつき、テレビが見られ、また号外風の薄っぺらい新聞が届いて、海岸地域が大津波で壊滅的な打撃を受けたことを知った。やはりラジオの音声から想像するよりも、直接視覚に訴えてくるそれらの映像媒体から得た情報は衝撃的だった。私たちが体で感じた揺れ、自分の目で捉えた地震後の周囲の変化、それらから想定できるもっとも大きな被害の程度を遙かに大きく上回った。海辺の町並みがそっくり消えていって、まるで映画の特撮そのままのような状況が映し出されていた。
 その後にはまた、徐々にではあったが福島の原発事故の詳細なかつ全貌を伝える報道に触れ、不安と緊張は極度に達していたといっていい。日本沈没、などと訳も分からずそんな言葉が浮かんできたことも、今思えば変な具合だが、無かったこととして記憶から消し去ることはできない。
 が、ライフラインが復旧するとともに、私たちの日常もまた徐々に以前の状態へと戻りつつある。被害の程度はごく少なかった私たちでさえ未曾有の出来事に震撼しつつ、それぞれが心の許容量を超える状況に必死に耐えて、なんとか現在の状態へと辿り着いた、そんな感がある。その間私たちの目に焼き付いたのは、毎日のようにガソリンを求める長い車の列であり、破損した店舗で在庫商品を販売する店に行列をつくる彼我の姿である。私にとってはひとつの擬似的な戦争体験以外の何ものでもなかった。ただ、そこには敵の姿がないだけであった。
 
 昨夜も二度ほど余震の大きな揺れがあり、そのたびに眠りの中から意識が呼び戻された。またかよ、という思いと、こうしているさなかに本震と同じくらいの揺れ、あるいはそれ以上の大きな地震がないとも限らないし、もしそうなった時は諦めるしかないな、などと考えながらまたいつしか眠りに落ちていた。少しずつ以前の生活に戻りながらも、そんな日々は続いているのだ。
 
 海沿いの地域の人々の生活はどうなるのか。復旧のための作業は進んでいるのだろうか。原発事故は報道で知られるだけの危険度と信じていいのか。危険区域から避難した人々がいて、区域外にいる人々はどんな思いで日々を過ごしていることか。
 心に浮かぶそんな思いはそれきりのもので、思考を遠くまで運んでくれはしない。ただ、地理的にそういった被害の場所に私が住むことを選んでいたならば、私はいまその渦中にあってそれなりの日々を送ることになったであろう、そう思うしかない。
 例えどこにあっても、基本は変わらない。私はなるべく自分の判断で動くことをする。手に入るだけの情報の中で、一番よいと思う判断を下し、それで結果が悪かったとしても仕方がない。再び大きな地震に見舞われるとか、原発事故が拡大して放射線を浴びる危険度が増すとしたら、たぶんそのときも自分は最善と思うことを行っていく以外にはない。それは生き物の反応と同じで、そういう反応に従った判断を下せればそれでよいと思う。向こうからやってくる問題に対しては、そういう対応しかないだろう。こういう問題に対して、私たちはこちらから働きかけるどんな力も持ち合わせてはいない。復興論議、原発論議についても参加するだけの余裕はない。そんなものはいつでも私たちの圏外で行われてきたことであり、これからも行われていくことにすぎないだろう。
 たぶん大きな被害にであった人たちは、自分に襲いかかってきた状況を受け止めるのに今も必死に違いない。それはいつ果てるとも分からない戦いのように感じられているはずだ。そうしてそれはどんな個人にも、老人にも幼児にも、個々に襲いかかってくるどこまでも孤独な心身の体験だといっていい。例え避難所にあって安堵した表情で座っているだけのように見えても、内面に行われていることはそういうことだ。
 
 昨日、今日と考えるともなく考えていることがひとつある。それは原発、原子力発電所についてのことだ。あるいは今回のような原子力発電所の爆発事故による放射線の放出についての問題だ。この問題は今述べたように、その設置や利用も、あるいは今後に停止や廃炉、原発そのものの廃絶があるかもしれないことを含めて、少しも私の問題ではないし、選択を求められたとしてもやはり圏外の問題であることには変わりがないと感じられる。
 そのように原発は稼働され始めるようになったし、事故が起これば電力会社や政府、行政の対応を見守ってくるしかなかったことである。
 原発に反対する運動があったことも承知している。
 私はそれらを、低いところを求めて流れていく水の流れのように、現在の時間性に沿って決定されるされることだろうくらいに考えてきた。その流れをせき止めようとしたり、加速させようと働きかける心づもりはあり得ようもない。たとえばよりクリーンで安全で、効率性もよい代替できるものがあれば、たぶんそれに取って代わるそれだけのことのように考えている。私個人にとって、電力の供給は必ずしも原発に頼る必要はないし、逆に原発は破棄すべしと言ってもそれに代わるものが見つからなければ、結局その意見は無効になるだろうと考える。
 
 同じことをもう少し自分にとって切実だと考えてきた問題と言いかえていって見る。それは車社会のことである。
 田舎生まれの自分にとって、子どもの頃、道とは人が通り時たま馬車が通るものだった。いつしか日に一、二本のバスが運行し始め、それとともにやはり日に一、二台の車を見かけるようになった。それが、道路工事が大々的に始まり、整備されるようになると車の数は増え続け、現在に見られるような圧倒的な車社会になってしまった。私自身はいつからか便利さよりも、過剰で、少なくとも歩行者には危険な凶器であるというように車のことを考えるようになった。しかし、ひとたびこれを運転する側に自分をシフトすると、これほど便利で、無くなって困るものはほかにはないと思うほどになる。私はいまも、もしこれに代わる安全で、空気も汚さない、歩行者を脅かさない快適な移動手段が発明されたらいいなあと思っている。そう思いながら、毎日のように運転している。車は道から人を追いやった。縦横無尽に大地を駆け回り、狩猟に明け暮れた古代人の末裔は地表から姿を消したのである。
 私は便利さと都会的な生活への羨望とで、自分の中の一部を犠牲にしてきたと考えずにはおられない。だが愚かな私は、はっきりと、便利さや都会的な生活を望み、それに向かって邁進してきた。そのことは否定ができない。もっと言うと、このことは人類が進んでいこうとする欲望の普遍的な指向性を、私に教唆する。
 原発についても私は同様に考えているということである。素朴な考え方からいえば、そんな危険なものはない方がいいに決まっている。だが、車と同様に、もはやこの社会になくてはならないかのように存在し、またその多大なといえる恩恵に私たちは与っている。原発をなくせというのは、今の社会から車をなくせというのに似て、よほどのことがなければそう簡単に実現するものではないと私は思っている。車は当分の所無くならない。原発も当分無くならない。私はそう考える。
 
 だが昨日(5/6)、管首相が浜岡原発の全面停止を東部電力に求めた。果たしてこれが全国の原発に波及していくのかどうか現在の時点では分からない。仮にそう進んだとした時に、これまで通り電力が使用できるかといえばたぶんそうはならないだろう。その時は使用制限や電力の配給制みたいなことが行われるかもしれない。景気が低迷し、経済が本質的に損傷する。私たちの生活は耐乏を余儀なくされる。管首相は東海地震が来て今回の福島原発の惨事と同様になったら、日本は崩壊すると考え、それよりは「最小の不幸社会」を目指す方がよいと考えてのことかもしれない。この選択は大きな賭けであると思える。
 管首相が「最小不幸社会」という時、たぶん彼の想像力は私たちのような底辺にある生活者の実際に触れ得ていない。彼の首相としてのこれまでの言動を報道で見る限り、いろいろな意味での対応の悪さ、ちぐはぐさは、彼の描く筋書きが決まって対手の思惑を正当に評価しきれない狭小さからきているように思われる。彼の言う「不幸」は「がまん」であり、原発との関連で言えば「みんなで節電して乗り切ろう」くらいの所である。だがこれ以上経済的に冷えたら真っ先に「凍死」するのは下層の生活者である。そういう下層にある生活者の生活が、いったいどのようなものであるのかを具体的に、あるいは体験的に知り得ようもない。また、想像力としても、そこに届くだけの威力を備えた想像力は持ち合わせていないと見える。自家撞着に気づきもしないで平然としていられるお気楽な市民運動家的な顔(これは私の勝手なイメージ)が、彼の言動の向こうに透けて見える。せめて、「地獄は一定すみかぞかし」と言った親鸞の衆生との間に獲得した下降する想像力を、何分の一かでも発揮してもらいたいものだと思う。そうしたら、避難所を巡る際に、その気はなくても一部の避難生活者を無視して、彼らの怒りを買うというようなことはなかったはずである。
 
 今回の震災で、二ヶ月あまりの間に考えたことがあと二つある。ひとつは私の狭い知見や生活の範囲の中でだけいえることだが、近傍の会社で、震災後パートやアルバイトを含めた従業員に手厚い処遇を施した会社がひとつも存在しなかったことだ。こんな事態でもさばさばと割り切った冷えた関係で、今後復興に向けて整備が進む中で、しかし以前よりもそれぞれの会社が発展するというようなことにはなっていかないだろうなと思える。事業が縮小し、解雇もやむを得ない事情も理解するが、政府の支援策などを利用し八方手を尽くした結果ならまだしも、それ以前のところで考えることも努力することも放棄している会社が多かったと見える。元々がそんな程度の会社だといえば言えるし、期待などできないといえば言えるが、このお粗末さは会社そのものに跳ね返り、経済のパイ全体の足を引っ張って縮小していくことになるような気がする。
 素人の勝手な思い込みでいえば、ここ数年、あるいは十数年、会社組織は自社存続の命運をかけ、いわゆる経営効率を重視し、数値上の利益を上げることに汲々としてきた。何といったらいいか、私の目にはそれ以外の面において、それぞれの会社はどんな成長も果たしてきていないように見える。もっというと昔からの商いや商人のイメージから一歩も出ていない。会社と従業員の関係は、大げさに言えば社会の基盤を形成するものに関係していて、どんな社会であるかに深く影響をもたらすと思える。それからいえば近未来が明るいかどうか予測するひとつの材料になり、その点で今回の展開はあまり喜ばしいものではないなと私はひとりで落胆している。自由な市場経済といった点でばかり論議されることが多いが、人間が生きていくということ、その中で真に働きがいのある生活を求める活動から振り返って、会社はどうあるべきか、どうあらねばならないか、そういった論議がなされその面での成長がなければ日本経済の底力は地盤沈下するばかりだろうと思う。
 最後にもう一つ。それはタバコの問題である。震災の影響で物流に支障が出、一時期好きな銘柄のタバコが買えなかった。さらに工場がストップしたことなどにより、この一、二ヶ月の間は慢性的な品薄が続いた。もちろん、期を見るに敏で金持ちの連中は相当のまとめ買いをして数ヶ月分もストックしたらしい。
 私は金がないので、買えるときはせいぜい5個くらいを手にして喜んでいた。なじんだ銘柄のタバコを吸えるのは格別である。
 そんなことはどうでもいいが、ここで言おうとしたのは、実はいざとなったらどんな銘柄のタバコでも自分にとっては我慢できることが分かったということである。他人にはどうでもいいことである。だが私には発見だった。人間あきらめがつくと、それまでと一変した状況を受け入れることができる。何だ、思っていたほどじゃない、と別の銘柄のタバコを吸いながら自然にそれを受け入れている自分に気づいた。
 タバコを入手すること自体が困難で、その時々に手に入るタバコはとりあえず何でも口にした。どうしてもこれは吸えないと思われたタバコはひとつもない。これはただこれだけの感想である。他に、意はない。
 
 
   被災地からのリポート3(2011.4.12)
 
 マグニチュード5から7規模の余震が間断なく続いている。岩手、宮城、福島、茨城、千葉の太平洋沖、それに長野なども震源地に連なり、日本列島を縦断する大地震の様相を呈している。
 報道では被災に伴う精神面での影響を危惧した情報が多くなっている。大人から子どもまで、何らかの影響を被りながら自身では全体を把握できず内側からこれをコントロールすることはできないという特徴を持っている。
 間断なく続く余震に、自宅で生活できる我々でさえ不安が不安をかき立てることに気づく。余震への怯えが、精神そのものの内奥からの不安と交叉するように感じられ、ふとしたきっかけであらぬ方向に暴走しはしまいかなどと妄想してしまう。知のはたらきは、この形のない不安に形を与えて、ある種、安定を図ろうとする作用だと気づく。昔は迷妄でよかった。天変地異を神や物の怪などの仕業と考えて祈祷などしたものだろう。我々おとなは精神史の過程から、物事を細分化したり詳細にしたりしながら、以前よりは科学的に把握することになっている。単細胞が環界に反応する仕方にくらべて、ずいぶん迂遠な方法をとっているものだと思うが、これが人間の流儀である。
 元教員であった癖で子どもたちのことを考える。幼児から小学生くらいまでの子どもたちのこころ、精神はどれくらいのダメージを与えられているものか。特に避難所生活を余儀なくされている場合などはたいへんなのだろうと思う。だが、現実は受け入れていかなければならない。
 小さい頃、どんな理由によるのかはわからないが、よく悪夢にうなされた記憶が残っている。それは、自分にとって何事かであると考え、折々に振り返って考えることをしてきたが、そのことはまた別の視点からは自分の成長の骨格を形成したと捉えられる。そして、いずれにせよそのようにしてしか精神が精神を越えていくことはできないもののように考えられる。
 夜中、避難所で悪夢にうなされたり、訳もないかのように突然泣き出す子どもたちがいたりなどもするのだろう。その子たちのケアはケアとして大事だと思うが、全てが的確に行われるという種のものではない。傷が癒えても、瘡蓋になり糜爛することになったとしても、それはそれとして自らに背負わなければならない宿命と言えるだろう。これは今回の緊急の災害時であろうが平和時であろうが区別はないと言えるかもしれない。たとえば戦時中であれば、子どもたちのこころのケアなどは考えようがなかった。それでもと言うべきか、子どもたちは成長し、こころはこころを越え、精神は精神を越えて生き抜いていったのであろう。その意味では悲観的に感じたり考えたりする必要はないように思える。 大同小異。そのようなことは全ての子どもたちに起きうる可能性があるといってよい。言いかえると、それは普通であるということの範疇の中に入る問題だと考えることもできる。何の取り柄もなく力もないおとなの一人としては、ただただ子どもたちの未来に幸あれと願うばかりだ。
 
 宮城県は、3・11の震災後ひと月を経て、「震災復興基本方針(素案)」なるものを発表している。その概要を読んだが、特に格別と考えられるようなことは何もなかった。一応おさえておく意味で要所を抜粋してみる。
 
(一)基本理念
 @県民一人ひとりが復興の主体
 A単なる「復旧」ではなく「再構築」
 B現代社会の課題に対応した先進的な地域づくり
 C壊滅的な被害からの復興モデルの構築
 
(三)緊急重点事項
@被災者の生活支援
 (仮設住宅整備(3万戸)、2次避難促進、被災者の生活確保、住宅補修支援等)
A公共土木施設とライフラインの早期復旧
 (道路・港湾・河川・海岸・空港・鉄道・上下水道・電気・ガス・通信の復旧)
B被災市町村の行政機能の回復
 (施設整備・人員確保・公文書の復元、情報システムの復旧等)
C災害廃棄物の処理
 (津波被害による膨大な災害廃棄物の処理、1年以内に撤去、3年以内に処理)
D教育環境の確保
 (幼小中高の教育確保、施設・教職員の充足、社会教育・体育施設の早期復旧)
E保健・医療・福祉の確保
 (被災施設の復旧、健康・衛生の確保、要支援・援護者の保護)
F雇用・生活資金の確保
 (被災者の雇用・生活資金確保、新卒者の雇用確保)
G農林水産業の初期復興
 (農地、漁場、山林の初期復旧、市場・流通・販売・金融支援等)
H商工業の復興
 (被災施設・設備復旧資金・運転資金等の金融支援、経営相談等)
I安全・安心な地域社会の再構築
 (防災体制の見直し、防災施設・設備の復旧、放射能等モニタリング、警察体制の確  保等)
 
 この中で、(三)緊急重点事項のC災害廃棄物の処理とF雇用・生活資金の確保、が私にはちょっと気がかりなところだ。うまくできるかな、うまくやってほしいな、そう思うところである。また、Fの初期復興、復旧もどういう意味合いかが分かりかねるので気になる。
 全体として災害復興の基本方針としては無難にまとめ上げられていると思うが、ぴりっと異彩を放つ箇所がないような気がする。悪く言えば、ずるずると間延びした復興の手順を取るのではないだろうかと危惧される。何が枢要なのか、大胆な提案を期待させるものがここには見られない。つまり、一部、あるいはもっとそれ以上の人々から驚嘆や顰蹙を買うかもしれないような思い切った施策を予感させるものはない。
 私ならば、被災者の生活支援について県が想定する支援の倍以上の支援策を考える。お金の支給と生活支援を、さらに負債を増やしてもやる。それから災害廃棄物処理も、宇宙に飛ばして放棄したり爆発させたりして処理するくらいの大胆な発想を持たなければ長く手間取る気がする。これも国と協議し、外国の航空宇宙開発支援を仰ぎながらやってみてはどうかと思う。もしも海外からの支援が数百億に及ぶなら、これを使い、開発協力の名目でロケットを借りる。コンテナに入れた廃棄物を積んで飛ばす。
 それからさらに蛇足になるが、県主催でシンポジュウムのような協議的場を仙台を会場としてばんばん開催すべきだと思う。専門家から素人まで、右寄りから左寄り、多種多様な団体にも声をかけ立場主張を元に多様な復興策を語らせたらどうかと思う。出番が与えられたと、喜んで来るのではないか。会場、ホテル、その周囲も賑わい活気も出て多重の効果が期待できよう。
 まあこんな与太話をいくらやっても意味がない。いずれにしても余震が早く引ききることを第一に願うばかりだ。そういう点からも地震学協会関係者には、もう少し役に立つ地震学を開発研究してもらいたい。それで食っているのだから、勉強を怠らずに、ということである。
 最後に、偶然インターネットでおもしろいサイトを見つけたので紹介しておく。他意はなく、書かれている記事の真偽も私には分かりかねるが、今回の震災に伴う外国からの援助を列挙しているのでおもしろいと思った。こういうことをコツコツする人もいるのだなあと、思わず感心してしまったので紹介しておきたいと思ってのことだ。
 タイトルは「東日本大震災 海外支援まとめ Wiki」とあった。アドレスは、
 http://wikiwiki.jp/h4j/
 
 
   被災地リポート2(2011.4.4)
 
 地震後二十と数日が経った。まだ品揃えが十分ではないにせよ、九割くらいのスーパーやコンビニが店頭に品物を並べて開店している。朝早くから店先に並んだ客の行列はなくなった。同様にここ二、三日で、あれほど数珠つなぎにガソリンを求めて並んだ車の列も見られなくなった。四月に入り陽射しに暖が感じられるようになり、地震後の二週間ほどはふと遠い出来事のように思われてくる。
 だが、余震はまだ続き、寝ていると地面の底から押し寄せる振動にはっと我に返るように夜中に目を覚ますこともしばしばだ。少し身を固くして振動を聞き分け、収束に安堵しながらまた静かに眠りに落ちていくことを繰り返す。家屋はこんなに数多く揺さぶられ続けて大丈夫だろうかと思う。よく耐え続けてくれている。木造だから、揺れるときは関節を柔らかく軋ませるようにして衝撃を吸収しているようだ。だがそれもいつまで耐えられるものなのか。
 前回のリポートに、千年に一度の災害規模ではないかなどいい加減なことを書いたが、大正時代に起きたという関東差大震災のことを忘れていた。死者十万人(最近の研究報告)というから、犠牲者の規模としては日本ではそれが最大かもしれない。二次災害としての火災の被害が大きかったとも伝えられている。
その当時に比べ、建物の耐震強度、津波に対する防波堤の補強、その他地震対策や津波対策も格段に進んだと思われるのに、今回の被災はそうした想定を越えて起きた。その上での死者数だから、私たちにはやはり忘れられない災害だったといっていい。
 原発事故の不安もまだまだ解消していない。こちらはまた、日をおって人災の様相を色濃くしている。放射能流出について、しかし宮城にすむ私たちにはまだ直接的な被害、影響はなくてすんでいる。
 
 今回の災害について支援の輪が大きく広がっていることに、私は関心を持つと同時に驚いている。世界からの励ましの声。芸能界やスポーツ界や経済界からの支援の声や義援金、寄付金をはじめとする復興支援は半端ではない。これらの善意はどこから来るのか。
 平和時には親殺しや子殺しなど暗いニュースばかりが目立って多かったのに、この災害時には善意のうねりが巻き起こっている。いったいこの善意は平和時にはどこに眠っていたのかと思う。
 殺到する善意のうねりに感嘆し、私はただすごいなあと思わずにはおられない。世の中すてたもんでもないんだね、とも思う。
 同時に、私はどこかしらけた、また冷めた気分でいる自分に気づいている。そして、どうして俺はこんな事態に手放しで喜ぶことができないのかと自問したりする。
 言ってしまえば、どうしてこれらの善意が平和時に発揮されないのかという一事につきる。この支援の規模の十分の一、いや百分の一でもいい。平和時に発揮されていたら世の中もっとましになるのではないのか、というのが私の感慨だ。世界が日本の復興、立ち直りに全面的に協力するという。じゃあ、アフリカなどの貧民の救済だって可能だということではないのか。中東の問題だって、この善意と熱意と決意とを持ってすればなんとかなりそうではないか。
 孫正義が百億を寄付するという。じゃあ、平和時にこの金を使って、失業者対策としての雇用を進める資金にだってできるじゃないか。儲かっている会社の社長はみんなそうすればいい。
 自分の生活水準、規模、程度といったものはそのままに、寄付や支援やボランティアが可能だったら普段にもその余力があるんだから発揮したらいいじゃないか。
 私は今回の地震で親戚一同大きな被害も受けず、ただ休業状態にあることと、いろいろな意味で不便を余儀なくされているというだけが個人的体験だ。日常的には本を読み、インターネットでドラマや映画を見、テレビを見、そしてここ二、三日自粛しながら開業を始めたパチンコに出かけたりなどしている。どこからか、不謹慎ではないか、の声が聞こえてきそうな気がする。だが現実には誰も私の無為を咎めはしない。
 私は立ち上がるべきなのだろうか。立ち上がってさて何ができるのか。
 私は何をすればいい?
 私は考えようとする。私にできることは考えることだ。考えながら文章を書く。文章を書くように考えることをする。しかし表に出てくる言葉は、この程度の不毛と思われる言葉が瓦礫のように積み重ねられるばかり。その馬鹿さ加減に耐えられなくて、ふとワープロの画面を消す。席を立つ。水を飲む。もうやめよう。
 
 東電が下請けの作業員の安全を考慮せずに、また危険を知らせずに、放射線に汚染された水の中で作業員に作業をさせていたという。この報道を目にしたとき、私はこれが日本の社会の現実だと思わずにおられなかった。下請けとして働く社員、またその下請けでもある派遣、契約社員、パート等への待遇の差別、人格差別、これらは東電に限らず、どこの企業、会社、現場もに蔓延している。もはやそういう社会システムとして固定されていると思う。私自身もいやというほど、そうした体験を強いられてきた。こうした下請けの立場にある労働者は、元親となる会社とか組織にとって、単に目的を遂行するための手段の一つに過ぎず、人と人との関係からは疎外された関係性のうちにある。
 たとえば私のように設備に従事するものは、高いところにある電球が切れたときに交換する仕事を負わされている。私が直接契約している会社も派遣先の会社も、いつどんな風に交換するかに口を挟まない。ただ私は交換する業務を請け負っている。高所で危険を感じ、私にはできないと断れば、では仕事を辞めてくださいといわれるかもしれない。できる能力を持った人に代わっていただきます、と。 この例えはうまくないが、言いたいことは、下請けと元親との関係は契約に記された業務をやるかやらないかだけで、危険であるとかないとか、その業務を遂行するに当たって一切の協議をする関係にはないということだ。皆無ではないだろうが、手段も方法もよく言えば下請けや個人に任せられる。だからうまくいかなくても下請けや個人の責任になる。こういうことは今の社会に数え切れないほどいっぱいあると断言できる。そうしてみんなが知っているのに、特に元親的立場にあるものは見ぬふりを決め込んでいる。
 避難所生活を余儀なくされた被災者に、支援の手を差し延べることは結構なことである。それで救われる人は何人もいるだろう。
 そういうことができるんだったら、下請的な立場に従事する労働者の現状を是正すべく、あるいは下請的な立場から解放すべく資金を提供したり、もしくは制度改革に取り組んだりと立ち上がることがあってもよいのではないか。少なくともさかんに善意を具体的行動に表しうる人々は、その可能性を保持している人々と私には見える。
 世の中には支援ができる人がたくさんいる。経済的にか心理的にか、それをしようと考えるだけの豊かさを持っている。善い人たちである。だが善い人たちになれない、なりきれない人たちもたくさんいることだろう。自分も善い人たりえない人たちの一人だからわかる。たいへん心が狭い。吝嗇でもある。他人の利益に供することを行うことが苦手である。善人でなければ悪人である。私は悪人かもしれない。私は悪人になろうとしてなったのではない。親鸞流に言えば、心が悪くて悪を行うのでもなく、心が善くて善を行うのでもない、ということを思い浮かべる。別に、支援者が善い人であるという前言を翻すつもりでこれを言うわけではない。ただ、何もできない人たち、しない人たちが私のように縮こまった考えを持つようになってはかなわないと思って考えているだけだ。私はやっぱり、ゆるゆるとでも考えることを放棄しないで生きていくよりほか、仕方がないように思う。
 
 
   被災地からの一私的な通信(2011.3.31)
 
 東北地方太平洋沖地震(2011.3.11)の被害は甚大で、宮城県黒川郡富谷町在住の私にとっても恐怖の体験であり、また震度4から5の余震が繰り返しおそってくる現在でもまだ、その恐怖はさめやらないといっていいと思います。しかし実際に数多く死者を出し、家屋が呑み込まれるなどの大惨事の中心的な現場は沿岸部で、直接的な大地の揺れよりも津波による被害が想像を超えて遙かに大きなものでした。私の住む富谷は宮城を東西に分け、また南北に分けてもおよそその中間に位置しているといっていいと思います。それだけに少し前の岩手・宮城内陸地震の時と同様、壊滅的な被害からは免れています。 どういったらいいか、先の内陸地震の時も、山崩れの大きな被害をテレビの画面越しに見ながら私はあっけないほどにのほほんと過ごしたという気がします。今回も、そのときよりは幾分ライフラインの停止などの混乱する状況の中で不安に駆られ、戸惑うことも多々あったにせよ、家屋が倒れ避難所生活を余儀なくされたわけでもなく、テレビや新聞に報道されているような被災地の困難に直面してはいないので、今ひとつ危機感を感じていないといっていいかもしれません。うまくいえないのですが、地震の前の日常生活と地続きで、気持ち的には不遇の程度がやや増したというくらいのところですんでいます。
 
 当日私は二階の自分の部屋にいました。突然家が大きく揺れる地震が来て、私は瞬間的にこの揺れがどれくらい続くだろうかと考えました。ということは、これまでの体験から、数秒あるいは数十秒で収まるに違いないと考えていたものと思われます。しかし、思いのほか揺れは長く続き、また強度が増してくるように感じました。立ち上がって次にどう行動しようかと窺っていた私は、揺れが続く経過の中でこれは尋常な揺れではないと感じるようになりました。ぎしぎしといつまでも横揺れに揺れる家屋が、力尽きて倒れるのではないかという思いが脳裏をよぎったとき、私はパソコンをおいたテーブルの下に身を隠しました。両手でテーブルの脚を支えるようにつかみながら、揺れは衰えずに強く激しくそして長く続きました。もちろんこれまで経験したことのない体験です。家はきっと倒壊する。そして私は家とともに倒れ瓦礫の下に埋まる。もはやそう覚悟しながらテーブルの脚にしがみついているほかありませんでした。
 その間、それが数十秒なのか数分なのかは定かではありません。家もろとも倒れると覚悟してからしばらくして、ふと揺れが弱まったと感じるときがあり、とっさに部屋を出て階段を下り、外に飛び出しました。
 それから停電、断水、ガスの供給停止が数日間続き、また頻発する余震の中で不便な生活が続きました。
 地震当日の夜から、家族は余震のことを考え、すぐに逃げられるようにと居間で寝ることにしました。朝晩の冷え込みがマイナスになる東北では、暖を取るすべがないことは大変にきついことです。もちろん津波に呑み込まれた人々のことを考えれば、地獄に対する天国ほどの幸運を享受していることになるのですが、だとしても寒いことには変わりがないわけです。以前必要があって購入した寝袋二つを引っ張り出してきて、その中に着の身着のままの姿で入り込んで寝ました。これは自宅内避難生活としては重宝しました。寒さもしのげ、扱いが手軽で、何より布団のように上げたり敷いたりしなくてすむのが便利でした。電気を使わない石油ストーブがあったことも幸いでした。小さいながらもこれで少しの暖がとれ、また買い置きしてあった餅をこれで焼いて食べたりすることができました。まあ、こうした知恵の出し合いで数日しのいだ後に、徐々にガス、電気、水道が使えるようになってきて、必要最小限の生活ができてきたことは幸いなことでした。
 私がこの間もっとも不便に感じたのは、乾電池の買い置きがなく家の中でラジオが聴けないことでした。もちろんこれとて、車に入り込んでカーラジオを聞けばそれですむ話ですが、乾電池と携帯ラジオがあったらなあとそのときは思いました。
 電気が送られテレビが見られるようになって、津波被害の様相が映し出されるとともに初めて被害の甚大さが実感されるようになりました。地震前にたまたま親鸞に関する文章や年譜などを目にしていたので、平安や鎌倉における災害規模を思い、今回の災害もまた同様に千年単位の災害規模になるだろうと考えました。鴨長明の書いた文章の中に、京都だけの死者数が四万二千を超したというその数字だけをうろ覚えに覚えていますが、今回の災害の犠牲者も二万を超す勢いといわれています。同時に、長明と同じ災害を指すものではないのですが、やはり災害で多くの人が死んだときの親鸞の次の言葉が頭に浮かんで離れませんでした。
 
なによりも こそことし 老少男女 おほくのひと〜の 死あひて 候らんことこそ あはれに候へ たたし 生死無常のことはり くはしく 如来の ときをかせ おはしまして 候うへは おとろき おほしめす へからす候
 
 去年今年と老少男女関係なく多くの人々が死んでかわいそうだった。ただ、このような人間世界の生死のはかなさについては、すでに仏様が充分にお話しくださっていることなので、今更驚き慌てふためくべきではないでしょう。
 そういう意として私はおおざっぱに解釈しています。また、ことの重大さ、規模の大きさに慌てふためいてパニックになるなという戒めとして私は理解していました。そして私は最低限自分たちの生活を維持すべく意を尽くそうとしてきました。我が家では食料などの物資調達に三度ほど店頭に並び、ガソリンスタンドに二度。それでなんとか食いつなぎ、必要最小限の車の利用もできたと思います。まあ、持ち合わせの現金も多くなく、買い占めに走り回ることもなしにすんできたというわけです。
 
 今後、自分たちの生活も含めて被災地がどうなるかなどはまだまだ予測できるところではありません。政府・自治体の動き、経済界や市民団体、ボランティアの動き、また世界各国の動きも私のいるところからは遠くにあって知るところではありません。加えて、福島にある原子力発電所の被災事故の顛末は、現在も緊張状態にあると毎日テレビ等で報じられ、予断を許さぬ状況にあるといっていいのでしょう。
 私の知るところでは、今回の大災害について原発の事故も含め、大局からわかりやすく、そして今後の指針も交えて語っているのは大前研一です。インターネットで、自校での講義のような形で災害に言及する動画が配布されているのを偶然目にしたのです。後は誰もが目にするテレビでの政府関係者や大学教授やジャーナリストなどの発言で、これは時間的な制約もあって発言が切り貼りだからあまり沙汰すべきではないと考えています。大前の「知」が生きて動く「知」だとすれば、後者の「知」は、いずれもその場限りのまた精密ではあっても小事の「知」に過ぎないと見えます。
 
 漠然とですが、私はいま敗戦後の混乱期を想像しながら日を送っています。テレビを見、車があり、コンビニやスーパーがありと、生活条件ははるかに恵まれてはいると思います。しかし家屋を失って避難所生活をしている人々はもちろん、私たちのように避難しなくてすんでいるものにとっても、勤務先の罹災による休業と慢性的な物資不足と社会システムの停滞や沈下や齟齬や機能不全の様相は不安をかき立てるに充分です。
 また、いまの私たち家族には頼れるものが何もないという状況が大変きついことのように思えています。個人、あるいは閉じられた一つの家族が、混迷する社会の中に素手で立ち尽くしている、そんな感じがしているのです。被害が甚大であったところは、かえって国や自治体や様々なボランティア団体が直接的に支援しています。ですが、なんとかやっていける私たちのような家族、私たちの地域では、何事も自力でしのいでいくほか道がありません。とりあえず今日を食いつないで生きる。その繰り返しで一月を持たせる。一月やっていけたらなんとか二月は持つだろう。そうやってしのぐしかないと思っています。私たちは、暮らしぶりの水準としてはともかく、精神的には戦後の焼け跡の混乱期の状況下が想定できるくらいのところに存在するのかもしれません。
 
 
  「不祥事問題」の投稿記事に一言(2010.11.29)
 
 人間は三つの局面を生きているというように考えてきました。一つは社会に顔を向けた場面での生活であり、二つめは家族や恋人に顔を向けた状態を指し、三つ目には自己自身に向けられた時というようにです。この三つに対する姿勢において、個人はそれぞれ異なった比重でそれに対していると思います。対社会に重きをおく人。対他関係(特にエロス的関係)をもっとも大事にする人。対自己を大切にする人。誰もがその三つの場面をもって生きていますが、どれに精力を注ぎ込んでいるかは個々に違い、また個人の中でも時によって重きをおく対象は異なることがあるのだろうと思います。
 数日前に河北新報の「時持論」(?)で、教師の不祥事に関した投稿記事を読みました。そこでは、最近導入された教師の査定昇給制度が不祥事を呼び起こす原因の一つになっているのではないか、という論が展開されていたように思います。
 同じ欄では同様に、これまでも多くの教育や教師に対しての投稿が掲載されてきましたが、それらの言い分にも一面の真理がないとは言い切れないものの、私自身はそれらの論にすっかり賛成するというわけにはいきませんでした。
 問題は教育現場や教師に何が起きているのかということですが、今回のような査定昇給制度の導入などといった程度のものはそこここの会社や職場における新しい制度の導入と変わりばえのないもので、教師の不祥事やその他の教育現場の問題の核心をつくものではないと思うのです。その他の投稿記事に関しても、特に教師の資質や資格、姿勢の問題については現行の教育行政寄りか批判の側に立っているかの立場の違いによる意見の相違と感じました。立場を越えた本質的論議は少ないのではないかと思いました。
 では何が問題の本質かといえば、私は現在に生きる私たちの「こころ」や「精神」と呼ばれるものの問題なのだろうと考えています。少し荒っぽい言い方をすれば、教育の理念や原理に同調できない「こころ」や「精神」が個々の教師に形成されてきたから、ということです。冒頭に述べたこととの関連でいえば、教師の使命といった社会的道義に自分を合致させることが出来なくなっているということです。これには様々な要因が重畳されていますから一言では言えませんが、仕事という社会的場面に家族的な関係とか個人の問題とかを持ち込む度合いが大きくなってきたことが考えられます。もっと言うと、「個人が大事」という時代的な背景が結果としてもたらした状況だという気がするのです。
 社会的立場から職業としての教師を眺めたときに、どういう姿勢でつとめを果たすべきかは頭では分かっているはずなのです。ですが、いつも教師の模範モデルに自分を合致させることはできません。教師ばかりではなく一般的な職業人も同じなので、「らしくない」言動を取ることは当たり前といえば当たり前のことだと思うのです。教師に、一般人と異なる人格を要求することは、そもそもが考えを改めなければならない気がします。
 私も教員生活を二十年ほど送りましたが、不祥事とはいえないまでも、それに近いことは少なからず起こしたことがあると思います。つまり誰もが不祥事に紙一重といっていい生涯を送ると私は思っています。教師だから不祥事を起こさないとか、起こしてはならないという考えは間違っています。投稿など、少し公的な意味合いの文章を書くときには、誰もが少し気取ったというかオブラートに包んだというか、そういう立場に立った物言いをしてしまう気がします。そうして書かれた文章は投稿者が不祥事などとは無縁な高邁な人格の持主を想像させますが、現実にはそんな人は私の前に現れたことがありません。
 不祥事を起こした警官や教師の上司、幹部などがテレビカメラの前で誤ったりしているのをよく見かけますが、あんなものにはなんの意味もないと私は思っています。規律順守を指導しても不祥事はなくなりません。規律順守を何度も指導した結果として不祥事は起きてきているのですから。昔なら公表せずにもみ消した不祥事もたくさんあったはずです。だいたいがこんな不祥事に大騒ぎすることはない。私はそう思います。
 不祥事は無くせない。私たちはそれを無くそうとして、しかしその問題を解決できません。たしかに私たち人間は、こうした問題を解決するにはまだまだ時間を要するのかもしれません。極論すれば世界のノーベル賞級の英知を結集しても、現実におこる大小様々の不祥事は無くせないと私にはおもわれます。だが、それでも私たち人間の理性は不祥事を根絶したいと願い続けるはずです。私はそれでいいのだと思います。
 ここまで来れば私がここで述べたいことが何かが分かってもらえると思います。一つは、教師の査定昇給制度に不祥事の原因を求めることには無理があるということです。原因はもっと重畳し錯綜していて、そんな簡単なものではないということです。加えて査定昇給制度に批判的だからといって、これを短絡的に不祥事と絡めて論ずることはある種のはかりごととして感じられます。
 個別の不祥事を別にして、社会全体として人々の意識内部に何が起きているかと考えれば、私は自らを省みて思うのですが、はっきりと何が正しいことかが分からなくなっているということではないのかと思います。それに加えて、所得を消費に使う際に自己裁量で決定できる度合いが大きくなった現在の段階が、個人の生活行動や精神の振る舞い方をも変化させ、ある意味では非常に自己本意な生き方を認めている現状があるということが原因の一つとしてもあると思います。
 私は教員であったとき、これでいいのか、ああすべきなのか、などと自問自答の毎日でした。何が正しい考えであり、何が正しい行いであるかも分からないでいました。こころのよりどころ、精神的な支柱を見失って彷徨していたといってもいい。そうして最後まですがりつく何ものかが見いだせないで、必死に自分のみで答えを見いだすべく悪戦苦闘をしていたと思います。おそらく同世代の誰もが似たかよったかで、広い大洋の中に漂流し、たどり着くべき岸辺を捜していました。
 冒頭に述べたこととの関連でいえば、私たち世代は社会的局面を内面から欠落させるか、あるいは不完全な状態で育成されてきた、あるいはまたはっきりしたものをもっていないといえるかと思います。どちらかといえば私自身を含め、個を偏重しすぎたり、個の部分にかかずらうことが多かったりしているかもしれません。それは出来合いの国家、社会、団体や組織からの有言無言の強制や命令で自分を律するのではなく、内面奥深くの本当の自分というものをフィルターとして「本当」や「嘘」、「善」と「悪」、「正しいこと」と「正しくないこと」とを見分け、ありふれた人間であろうと、毅然と生きていきたいという願望がもたらしたものだという気がします。それは悪いことではないと思います。私はそこからさらに、植物の根が地中の中にある種の活動の共通性で繋がっているように、私たち人間も表層ばかりではなく深層で繋がっている平等性を発見し、共同性というものを構築して行けたらと考えています。そのためにたぶん私たちは今もぐり込む季節にいて、多少個の偏重のように思われるギクシャクした関係の中にいて、様々な不祥事も過渡の中で避けられない不可避のことと思うのです。個々の人々が一生懸命考えれば考えるほど、こうした不祥事は数多く表面化すると私は思います。それは人類の成長の過渡期として不可避のことです。法律とか制度とかをちょこちょこといじれば解決するというような問題ではありません。少なくとも本気で教育を考えたり、教育的諸問題を解決する立場にある人は、もっと深く現在の私たちの精神とかこころとかと呼ばれるものの置かれた状況について、しっかりと目を見開いて考えて欲しいものだと私は思います。
 投稿する人々の「憂うる」気持を決してないがしろにするつもりは私にはありません。しかし事態ははるかに根源的で、遠いところから考え直し、考え尽くす以外に問題解決の道はないのでしょう。あるいは、一足飛びに解決はないのだといってもいいのかもしれません。でも、どんなに困難であるとしても、それを考えていくことが人間的ということなのかもしれないと私は考えます。そういう意味ではやはり、投稿する人々の思いは私たちの思いと時には交錯し、あるいはまたともに彼方に向かって照射する視線束のひとつひとつだといわなければならないと思います。
 
 
  この声は歌にはならぬ(2010.11.14)
 
 政治・経済がとんでもないことになっている。毎日、毎朝、ひでぇもんだなと思いながらニュースを見、だが、私などの知ったことではない。
 ただ、日々目にし耳にする「ひでぇ」ことの結果としてどんな社会が現前するようになったかは、昨日(10月25日)のNHK夜の特集テレビ番組、『日本の、これから』がその一面をよく伝えていたように思う。
 サブタイトルはいくつかあって、ひとつは〈▽無縁社会を変えろ!家族に迫る崩壊の危機。高齢者を襲う孤独の闇。あなたの親は大丈夫?〉であり、また〈▽失業・未婚・介護…無縁の若者たちの叫び。家族に代わる新たな縁。〉というのもあった。これだけの字面を追うだけで、現在の日本の社会の「負の部分」は容易にイメージできる。
 三時間近い枠の番組の、二、三十分見たか見ないくらいでわたしはチャンネルをよそに回したが、それは「重さ」や「暗さ」に耐えられないと感じたと同時に、出演者や進行を含めたNHKの番組自体に生理的な違和感を感じたせいだと思う。
 一般の視聴者としての立場からいえば、あんなもの(番組)は、単に善良なる市民や視聴者を巻き込んだひとつの「ショー」に過ぎない。しかも私に言わせれば拙劣なショーだ。たぶん。・・・参加して発言したものだけがある種の爽快感や開放感を味わうだけで、見ているもの、討論を聞いているものにとっては、歯がゆいだけであったり、どうにかしなければ、何かしなければ、という不安が助長されてくるだけのものにすぎない。少なくとも私はそう判断して、早々に番組から離れた。
 番組が描き出そうとした現在の社会の暗部について、私はこれまで個人的な見解を書き留めてきた経緯がある。家族の崩壊。孤立死。貧困。ワーキングプア。それらの個々の問題について折に触れて考えてきた。そこから考えると、今回のNHKの特集番組の制作の意図するところは、一般の生活者である多数の視聴者が自分たちの現実的な課題としてそれらを考えざるを得ないというように扇動するもので、かつ孤立する個人の切迫した状況の深刻さを伝えていると私は理解した。もちろん、社会の現実は大変なことになっているのだ。事態はそれだけ深刻化し、ごく一部であったものが全体へと浸透してきたということだと思う。逆の見方からすれば、指導層がする対策だけでは追いつかない事態が現出しようとし、また現に表れてきているということだと思う。
 私が予測するところでは、社会的ダメージはもっと深くもっと広範囲にわたることは自明のことだ。私の目にベクトルはそう向かっている。家族や地域はよりいっそう解体し、老若男女の孤立化も進み、リストラや非正規雇用も当たり前のように広まっていく。自分ひとり、自分と家族、がどうやって生き延びていくかに精一杯になる。まだあまり表面に浮かび上がってはいないが、精神の不安定、異常という問題も早晩より深刻にしかも規模が大きくなって突きつけられてくるだろう。
 地震でいえば現在は大地震の前の予兆の段階に過ぎない。と、まあ、最悪の事態にパニックにならないですむように、用心して私はそう思うことにしている。地震などの自然災害には慌てふためいたところでどうしようもないのだから、現在の内外の不安定さにも同様で、大騒ぎしてもはじまらない。
 NHKの番組では、絆や縁の切れた社会的孤立化に対するとりあえずの対処療法的対策をいくつか検討しているように思えたが、そこは私にとっては全くといっていいほど興味の外だ。
 私は自分の生きた時代の中で、誰も、何ものをも、あてにせず生きていくようにと学んだ。非力ながら頼れるものは自分ひとり。精神的には放浪者であったり、放蕩や堕落や世捨て人の系譜にあるにちがいないから、大勢の友や仲間や家族に囲まれて大往生できるなどと考えたことは一度もない。
 雪降る中での行き倒れ。老妻との前後しての餓死。診察料が払えない中での病死。その他狂死とか、異常死など、暗い孤立したイメージのままに死んでいくことしか思いつかない。つまり、イメージとしては現在の状況を先取りしていて、今さらこんな事態に驚いてみせることもないと思っている。
 少しばかり前になるが、俳優の長門裕之がテレビで、「年老いてからの人生は本当に辛い」と驚くほど率直に語っていた。傍目には羽振りのよい人生を送ってきたと思える彼でさえそう言うのだから、より貧乏でウサギ小屋にしか住んだことがないような私の将来がどんなものかは容易に想定できる。つまり、私のようなものの場合は精神の地獄に生き、現実の地獄に死んでいくにすぎないので、到底地獄の外に住む場所とてないのだと言える。そうであれば何が起ころうと、じたばたしてみてもはじまらないと腹を括るしかない。あるいは腹を括ったふりをするほかに手がない。
 闇の中から浮かび上がる光のように、現在の社会や個人的生活状況のなかからもしも光明のように浮かんでくるものがあるとすれば、私にとってそれは文学的な世界、あるいはもっと広汎の、言葉の世界としてしか考えられない。あるいはこういう状況においてこそ、文学は光芒を放つべきものだと考える。だが、現実には文学は瀕死の状態か死に絶えているようにしか見えない。思想や宗教もまた然り。現代の文学や思想や宗教の世界は、現実社会に生きる人々の沈黙に触手がとどかないばかりか、沈黙自体に無縁であるかもしれない。
 孤立し、孤独になって吸い寄せられる個々の精神はいずれにせよ未知の領域に向かう。ただ、この孤立と孤独の、言葉を失っていくすさまじい凄惨さだけは、かすかな繋がりの可能性に開かれている。縁やネットワークというべきものを想定できるとすれば、ここにしか考えることができないと私は思う。私たちの精神は一度この底をかいくぐった方がよい。
 生活者を襲うこの程度の苦境は、日本の歴史の中に何度も見ることができる。苦境に陥った精神の個的な戦いもまた。その一つでもある過去の歌や詩や小説の類を読むと、縦の時間軸のうちに共通項を見出すことができる。苦境の中、どう生きたかに学ぶこともできれば共感を寄せることもできる。縦にできた経験は横に応用することもできるはずだ。沈黙の中に言葉を読めばいいのだ。こういう考え方は、縁やネットワークの再生に繋がる一歩だと私流に解釈している。
 今日、私がイメージする大衆生活者の原型的姿はこうだ。社会の中で、働いて金を稼ぐこと。そのためには職場を探し求めなければならない。なんとしても、どんな職でもありつくために探し回らなければならない。究極にはどんな仕事でもよいとして求人に応募する。それが不可であればすべてのコネを使ってでも職にありつくまで探す。低賃金でも汚い仕事でもいい。そうして働いて、とりあえず自分たちで飯が食えなければならない。逆に言えばそれさえできていれば立派な大衆生活者だと私は思う。誰に恥じることも媚びることも卑下してみせることもいらない。そうすべき種類の人間は外にある。孤独や孤立を恐れるなと私なら言いたい。
 高齢者の孤独や孤立は悲惨だといわれるが、家族の中にある高齢者が孤独や孤立を免れるとは断言できない。もしかするともっときつい場面に立ち会うことがあるかもしれない。それは考えておかなければならないことだ。地域のコミュニティーやボランティアの対象として接点をもった場合でも、それですべての高齢者が孤独や孤立から解消されるかは、本当のところは個々人の内面を透過できなければ分からないことだ。他人の「おせっかい」は両面をもっている。一義的によいわけでも悪いわけでもないと思う。私などは、大半を、「ほっといてくれ」という人生を歩んできたので、どちらかというと不干渉の道を歩みたいという願望が強い。
 私の考え方からすれば、私の未来は暗い。悲観的だといわれるかもしれないが、私の感覚、身体のアンテナはどうしても私にそう告げる。磁力に吸い寄せられるようにそういう方に私は向かっている気がする。現状からの逃亡や救済を願わないわけではない。だが、現実というものが私にその道を強制してくる以上、自身がそれをはね返す力がなければ押し流されると私は半ば覚悟している。時代が、そして歴史が否応なく私をさらっていく。私はそこで何ものかとわたりあうことに必死で、他者の救済に身と心を尽くすゆとりがない。そうであれば私と同じ境遇にある同類の他者もまたゆとりを持たないだろうと考える。
 ここが肝心なところだと思うが、孤独な人や孤立する人を代弁して言えば「境遇のちがうものに私たちが理解できるか」という思いを私たちは抱いており、もっと言えば、「理解した素振り」を見せられることはたまらなく嫌なことなのだ。つまり、私たちの精神はそういう余裕すらなく何かに切迫しており、こうしたあくまでも少数派である「私たち」に対して多数派として存在する「あなたがた」には、この切迫が決定的に欠けている。この切迫は私たち自身でもありうる。さらに言えばそこには延々と続く精神の格闘がある。うまく表現できないが、「人道主義」的な善良さで丸め込まれるような精神の持主など誰一人いないといっていい。「私たち」を、もしも「弱者」と呼びたいのであれば、「弱者」は単純に「絆」や「縁」や「救済」を求めているだけの存在ではないのであり、あるいは切り捨て拒みした「強さ」を同在させるものかもしれないのだ。もちろん現実的には善良さに身と心をゆだねる場合もあるだろうし、そういう振りをしてみせることがあるかもしれない。だが本心では、善意を拒否できずに仕方がないという思いでゆだねることになるにちがいないとおもえる。
 ここまで来て、自分がここでこんなことを書いている根拠は何かの自問がやってきた。答えを考えていたらそれらしい考えが浮かんだ。たぶん私はフリーターやニートの先輩であり、孤立する高齢者の予備軍であり、地域の崩壊を傍観し、家族の解体の危機に瀕した経験を有するものとして、現在のこの社会の状況の渦中にあると感じられているのだ。私にとってそれらの社会的な現象は無縁ではない。そう考えて問題を内部からえぐり出そうと試みたかったにちがいない。無縁でない根拠として、ここから少しホイットマンの詩表現を真似て、独り言のように述べてみることにする。
 
 家族の崩壊の危機を予感しながら、崩壊を加速させているのは私だ。親の孤独を感じながらいっそう孤独にさせているのは私だ。失業する若者が私だ。失業に追い込むのも私だ異性とふれあえないのは私だ。ふれあえない異性が私だ。貧しさの中で介護を余儀なくされたり、介護を強いるのも私かもしれない。
 いや、それはあなただ。家族の崩壊を加速し、親の心や気持をないがしろにし、仕事なんかやってられないとやけになり、異性には及び腰になり、介護のきつさに耐えられなくなっているのはあなただ。
 いや、あなたは私だ。そう、それは私「たち」だ。
 善良なるボランティアの一人びとりもおなじく私たちだ。こころのどす黒い寂しさには手が届かないが、社会の負の部分に思いを致しその負を減らそうと考える頭の持主も私たちなのだ。小金を稼ぎまくるジャーナリストやコメンテーターといった人種も、本当に困窮する生活者の生活経験には盲な政治家も、ちゃちな実体に鎧を纏った官僚や経営者も、ちゃらちゃらした芸能人や若者たちも、すべて私であり私たちである。
 他人を誹謗し、中傷し、見下し、偽り、恨みに思い、呪詛し、また憤怒、淫心、欲念をもっていたのは私たちだ。へそ曲がりで、空元気で、弱いもの幼いものには威張り散らし浅薄で悪賢く、臆病で小心、怠惰、好色、拒絶、憎悪、欺瞞、それらすべてを私たちのこころは一つとして欠かしたことがない。
 だが、そんな私たちでも誰もがするような笑みを浮かべる。他人に語りかけ、挨拶を交わすこともある。地下鉄を出て高層ビルを見上げることもあれば、田園風景にこころ和む時を過ごすこともある。そして陽気で朗らかで、つまりは私たちがあなたがたであり、あなたがたが私たちである時をもっている。
 
 大きく見て、経済の不況と地域及び家族の崩壊とが一緒に訪れ社会不安を増長している。これに政治的外交的な不安材料を付け加えれば、日本の現在的な社会不安の源はこれらの混淆の中に発していると考えることができる。まあ、私はいま便宜的にこう言っているだけで詳細に検討しての結果ではない。
 これらについて個別に見るとともに総合的に判断しようとするときに、社会的なマイナス要因というものは否応なく強いられてくるもので、回避できない問題ではないかと私は考える。悲観的だが仕方がないことで、日本型資本主義の危機として本格化し、また表面化しつつあるというようにも思う。
 私たちは今、辛く苦しい道を歩いている。目を転じればすぐ傍を、「そうでないように見える」人々が歩いている。裕福でこころには不安や心配のかけらも見当たらないように思える。当然、羨ましい気もするが、嫉妬だけはしないようにしようとこころに語りかける。できれば「幸あれ」とつぶやいて見送りたい。一人の生活者としては、孤独や孤立、関係の貧しさは縁であり業であると解釈しておきたいところだ。いま私たちが現実の地獄から這い上がろうと自ら努力しなければ、これからさらにきつくなると予想される情況の中で、いったい子供や孫の世代が耐えていけるものかと私は思う。そうであれば、ありもしない「縁」や「絆」を社会システムとして構築してみせるよりも、孤立する高齢者やこの社会に縁薄く生きる若者たちの、歌なき歌をこそ聞き取る耳を持たなければならない。また、歌えるものは己が歌をこそ歌わなければならない。おそらく、「弱者」には己ひとりのみの救済を願うものなどひとりとしていない。だからこそ「弱者」という立場に己の身を着地させたのだ。「弱者」にも自尊心や誇りというものがある。それは厄介なものだ。こう考えながら、私は歌を歌おうとするのだが、この声は歌にはならぬ。
 
 
  大前研一『神の見えざる手』パート3(2010.10.11)
 
 本書の読み解きにいまひとつ興が乗らないのは、やはり大前研一のビジネスアドバイザーとしての視点が相当程度は入り込んでいるからだと思う。もともとこちらは政治・経済、ましてビジネスなど関心の外といってもいいくらいだから、これを読んで分析し、整理する手間に無意識にブレーキがかかる。
 経済の状況について大前は、日欧米などの成熟社会では途上国のように物を欲しがる状態ではなくなり、現在の経済不況下で将来への不安も伴って購買を手控えていると見ている。そして消費者としての「民」が、これまでいくぶんか触れてきたように一斉に消費を手控えたときに、今まさに現在がそうであるように不況が泥沼化していくのだとされる。 泥沼化に加担しているのは安値競争に走る企業であり、一方で政治の無策、無力が拍車を掛けている。現在の政治、経済の状況に肉薄するだけの認識の力と努力とに欠け、「打つ手」が正しく効果をもたらすように作用しないからだ。あからさまにいえば、企業の経営者も政治の執行者も能なしで誤った対策しか打てないでいるということになる。少なくとも大前はそう言っているように聞こえる。
 何が問題かは明確で、政治家も企業の経営者も、消費者である「民」の姿を最後まで見ようとする努力に欠けるということだ。逆にいえば消費者である「民」が望んでいることが何か、ふだんに情報を集め、解析し続けることによってしか効果ある「打つ手」は見えてこない。大前が言っているこの状況をもう少し詳細に考えようとすれば、経済における「民」の実力について検討しておかなければならない。
 大前は金融資産1400兆円を持つ日本の消費者が、お金はあるけれども「使わない」冷えた購買欲の心理を問題にしている。言い換えると、お金は持っている、これを日本における消費者の力の源と認めていることになる。私の知っている範囲でいえば、このことをもう少し詰めて考えたときに、所得の半分以上を選択消費に回せるようになったそのことをもって、消費者の実力が企業の経営者や政府の政策担当者を上回ったとした吉本隆明の見解が思い出される。潜在的に消費者の実力がそれらを上回ったという見方だ。それは現在の消費者の消費の手控えが、いっそう不況を深刻化しているという事実からも納得されることだと思う。
 不況で賃金が上がらず、就職もできずといったことで所得が減少したことが大きな要因としても、選んで自由に使える金が全くなくなったというわけではないと思う。ただ目減りした自由に使える金を貯蓄に回したり、節約したりということはあると思われる。大多数の消費者が、一斉にそうした行動を起こすと経済の規模が極端に縮小して、理論的には一人当たりの所得に占める選択消費の割合までには経済規模が縮小可能だ。そうなれば、消費者が自らの財布の紐を弛めないかぎりは経済の回復はありえないことになる。となれば、大前がここで言っているように、企業においても政策担当者においても、消費者がお金を使いたくなるような商品とその提供の仕方や、お金を使っても安心というような政策決定を確実に行っていく必要が生じてくる。それが今は的確にできずに、誤った方針や施策がなされているからダメなのだと大前は言っているのだと思われる。第一に、現在の経済不況の原因に対する認識の深さ、感覚的な鋭敏さがちがうと大前はいいたいのではなかろうか。
 当然、ビジネスにしても経済政策にしても現状を正しく認識するところから出発して戦略を立てなければならない。本書を読んだかぎりにおいて、大前の見解は世界的な視野から経済の世界、市場の動向をにらみ、分析し、また日本の経済社会についても消費者心理を反映する市場調査の目は行き届いているように見える。
 企業や会社に関連しての大前の指摘で印象に残るところは、一つは安易な価格競争の不毛についてだ。結果的に業界全体の首を絞めるといっている。消費者にとっては嬉しいことだが、考えてみれば消費者も会社員であったりするわけで、企業の利益が減少したりなくなったりすれば所得の減少につながる。それはまた次の消費行動に影響していく。もちろん、すでに単なる値下げによって消費者が飛びつくような現状ではなくなっていることを勘案すれば、そういう発想自体が経営者としては安易で考えが足りないといわれても仕方がないことになる。また、従来の核家族としての典型だった夫婦と子供二人といった世帯は減少し、単身世帯が急増しているという指摘、そしてその変化に見合った経営戦略が必要という指摘も感心させられた。なるほど、昨今のスーパーの売上高の減少は決してデフレ不況や給与所得者の所得の低迷によるばかりではなく、そうした変化に敏感に対応できずに従来の手法を繰り返すばかりの経営側の怠慢が一因でもあると納得した。また大企業のコストダウン一辺倒の姿勢に対する次のような批判もなるほどと感じさせられるところだった。
 
 これらの台湾、韓国、中国の経営者たちと比較して、最近の日本の大企業の経営者は、みんな「縮み志向」になっている。世界に打って出るという気概もなく、どこもかしこもコストダウン一辺倒だ。未だに研究開発から設計、製造、営業、マーケティング、販売までを一気通貫≠ナ垂直統合し、業績が悪化しても各部門をすこしずつ削りながら、すべての機能を後生大事に持ち続けている。しかし、それでは角材にカンナをかけて薄い板にしているようなもので、すべての部門が弱くなってしまうだけである。実際のコスト削減効果としては意味がないケースがほとんどなのだ。
 
すでに日本は経済成長、税収増、需要拡大、昇進・昇給が当たり前の時代が終わり、完全に「成熟国モデル」へと移行している。にもかかわらず、多くの日本企業が未だに右肩上がりの経済を前提にした「途上国モデル」の事業計画と経営システムで事業運営をしている。だから、業績も伸びないのである。
 
 大前研一は、現在の世界不況、日本社会の低迷を分析し、それでもビジネスチャンスは無限といっていいほどに散らばっているというようなことを述べている。消費者心理を丹念に解析し、潜在する需要を掘り起こすことで可能性が見えて来るというのだ。
 本書の第2章から第4章のそれぞれのタイトルは次のように組まれている。
 
 第2章(目前にある鉱脈)
    拡大する「単身世帯」需要を狙え
 第3章(外なる鉱脈)
    「新興国&途上国」市場に打って出る
 第4章(規制撤廃が生む鉱脈)
    真の埋蔵金=潜在需要はここにある
 
 「鉱脈」とはビジネスにとっての宝の山であり、潜在需要をも意味する。
 日本社会は「単身世帯」が増えているのに、百貨店やスーパーの販売体制は依然として夫婦と子供二人の核家族、あるいはもっと大人数の世帯をイメージした販売戦略を変更できていない。今後も「単身世帯」の増加が予想される以上、そういう社会構成を狙った経営戦略が必要で、品揃え、店舗の規模、従来にない出店の仕方など、工夫されるべき事は山ほどあるという。
 グローバル化した現在、さえない国内の需要に四苦八苦しているよりも、需要が多く大きい新興国や途上国に積極的に販路を求めるべきだということも言われている。人口比の割合で最も多い中間所得層を例に取れば、日本に比較的近い中国、インド、インドネシアの3国だけで日本の5倍近い。商品開発や営業の照準をそちらにシフトさせ、うまくいけばそこから膨大な利益を得ることが出来るということだ。
 これら二つのことは経営のイロハなのかもしれず、大前がどの程度のことを言っているか批評できる立場にはないが、それでも「狙い目」が何かについて大状況を鑑みながら核心が述べられているという気はする。つまり、いずれも大きな需要が期待できる観点から指摘されていると思えるからだ。
 私などは、日本の現状としてこんなにも、「単身世帯」や「夫婦のみの世帯」が増加しているとは想像できなかったし、合わせて5割を超えるとは思わなかった。私も現在は夫婦二人の生活だが、子供が同居していたときに比べてその生活スタイルは大きく変わった。端的な例を一つ言えば、コンビニの利用が大きく増えた。そして百貨店はもちろんのこと、近くのスーパーでの買い物が、すこしずつ現在の私たちの生活スタイルにマッチしていないと感ずるようになってきた。少なくとも私たちに魅力的ではなくなってきた。
 第3章では中国やインドネシア、ロシア、ウクライナ、ルーマニアなどの市場の魅力について述べられているが、私にはその中でもロシアについて述べられている件がいちばん面白かった。ここではロシアに関しての小項目を羅列しておく。【「ロシア脅威論」から「お客様論」へ転換を】【「核弾頭の再利用」でエネルギー100年分】【ウラン濃縮、原発建設、再処理で一石三鳥】【日本では敗者≠ナもロシアでは大活躍】、以上である。刺激的な言葉が並ぶが、読めばビジネスサイドとしては当然の目の付け所が語られているように読める。私はここを読んで、大前研一は物を見る目が自由だねと舌を巻いたというのが実際だ。羨ましくもあった。もっとも、私は大前研一をそれほどよく知らないし、傾倒しているわけでもない。本書を読んで現実的な経済人、あるいはビジネスアドバイザーのような人として優れているなあと個人的に感じているだけだ。
 第4章では、大都市「市街化調整区域」の計画的な再開発、湾岸地域の再開発のために土地の用途利用の制限緩和や撤廃、建物の容積率の大幅緩和など、要するにこれまで霞が関、各省庁、官僚が独占していた「権限」を無化しつつ再開発を進めれば、人、物、金が動き、凍てついた消費者心理を変えることに繋がるだろうといっている。つまり無駄な公共事業を繰り返すよりは、はるかにこの方が効果的だと大前は言っている。官僚主導とは官僚による「利権」の擁護だ。「利権」の喰い漁りといってもいい。これを無くすと同時に大規模な都市の再開発を計画し、実施すれば、内向きで沈みがちな日本の社会の今の現状を打破する起爆剤になると大前は考えているらしい。
 こういう考えを私は面白いと感じたし、疲弊した地域興しだといっては現実的でない綺麗事ばかりの発言には辟易してきた。人工の7割以上が都市住民だとすれば、まずはその7割以上が住む都市住民に夢と希望と活気とを取り戻す施策を講じた方が、よほど全体的に見ても効果が大きいと私は思う。まず都市から変えていこうというのが大前の発想だ。再開発の技術、ノウハウは、最新のテクノロジーと相まって民間に蓄積されていると思うし、その力はあるにちがいない。その力を眠らせていたり、瀕死の状態にしておくのはもったいない。権限を移譲した自治体と連携を取って、思いっきり能力を生かしさえすれば、どれほどの魅力的な都市建設、都市開発が行えるか。考えるだけでこころ踊りしてきそうではないか。一つの成功例は地方都市に波及し、地方にもまた活気が波及していくかもしれない。大前はここでは都市空間での「グッドライフ」を提案しているが、それが牽引役となって日本社会の再生を考えるしか手がないのではないかと私は思う。もちろんどのように再生を考え、農山村、漁村のグッドライフまで及ぶまでの道筋を考えるのは私の任ではない。
 この後第5章は(20年後のグランドデザイン)として「人材力」と「地方分権」について大前の見解を述べ、民主党の政策に対するの改善案など具体的に提示したりしている。
 そして最後に「エピローグ」として、個人が発想を転換して「グッドライフ」、すなわち生活の楽しさを求めることの必要性について特に50代以上の日本人に向かって説いている。このあたりになるとずいぶん大前もいい気なもんだと、半ばねたみを交えて思わないでもなかったが、まあ我慢して拝聴する外はなかった。最後の小項目では、【もう「政」「官」には頼まない】として、「民」が自らのグッドライフを求めて動き出すことに望みを託している。私には大前がビジネスとか経済とかから発想する、あるひとつの「革命」のシナリオを描きこんでいるように思われた。
                       了
 
 
  大前研一『神の見えざる手』パート2(2010.9.16)
 
 景気がよくならない。不況。失業。デフレ。円高。就職難。格差。貧困化。状況はいつか好転するかもしれないと期待しながら、しかし癌を患った患者が日増しに痩せ細っていくように、私たちの状況は確実に悪化の坂を転がり落ちている事に間違いがない。
 大前研一は『見えざる民の手』(小学館)の中で、日本及び世界経済の閉塞状況の背景となる大きな潮流として「ボーダレス経済」「サイバー経済」の深化拡大を指摘している。グローバル化や国際化と同義で、簡単に言うと一国に閉じられた経済が不可能で、世界が全体波及し合うようになったことをいう。遠くはそうした背景となる大きな潮流があり、それが現在の世界の経済の底を押し流しているということだ。
 これは高度資本主義経済が新たな段階に入ったことを象徴するものではないだろうかと私は思う(こういう指摘は以前からあったことではあるが、今日、私たち一般人にも、やはりそうだったと感じられるように顕在化した)。大前は、従来のマクロ経済学としての、たとえばケインズ経済学では現在の世界経済を予測できないばかりか無効であり、無力であると断定している。そしてミクロな経済学、つまりは個々人の消費者としての心理に依拠した「心理経済学」を提唱する。
 これも簡単に言えば、経済を左右する力は実質的にはすでに個々の消費者に移っているというようなことだろうと思う。だから個々の消費者の心理、消費動向を見極めなければならないと指摘する。政府がどんな経済対策を試みようが、消費者が財布の紐を緩めないかぎり経済は回復しないし景気がよくならない。このあたりの詳細を分かりやすく表記する力に私は欠けるので実際に大前の文章を読んでもらうほかないが、それはこれまでの日本政府の経済対策が功を奏さず、無力であったことによっても裏付けられていることだと思う。
 
金融危機後のアメリカで何が起きたか?1995年から2005年までの10年間にGDP(国内総生産)成長率の8割以上を担っていたともいわれるベビーブーマー世代が一気に消費を手控えたのだ。彼らは戦後アメリカの消費文化の象徴だった。(中略)ところが、リーマン・ショックで、いきなり積み上がっていたはずの運用益が吹き飛び、引退後の生活に十分な貯えがないということになった。
 それだけではない。年金不足で貯蓄をする人が増えたため、アメリカの貯蓄率は1%前後から5%にまで急増している。金額に直せば、実に40兆円ものお金が市場から消え、貯蓄に回されたことになる。
        (太字―佐藤)
 
 消費者が一斉に消費を手控えればどうなるかが端的に示されている。
 
 史上最悪の1兆5560億ドル(約140兆円)もの財政赤字を生んだオバマ政権の経済政策「オバマノミクス」は、そうした世代やセグメント(顧客層)ごとの経済行動を一切考慮しておらず、1930年代のルーズベルト時代と同じく公共事業主体になっている。ここで思い出されるのが、バブル崩壊後の日本でたびたび繰り返されてきた「緊急経済対策」だ。ざっと300兆円にも上る景気対策費用は、あらかた「緊急」とは思えない公共事業に使われたが、ついぞ景気は上向かなかった。給料が上がらないどころか、会社の倒産や失業現実となる中で、多くの世帯ができるかぎり財布の紐を締めようとしている結果が、深刻な消費不況と物価下落だ。民の見えざる手≠ェ引き締めへと一斉に動いたのである。それに対して、沖縄で橋を架けたり、北海道の道路を整備したりといった公共事業が効果があるわけがない。それと同じ轍を、アメリカもまた踏もうとしている。
 
 マクロ経済学としてのケインズ経済学の無効。政府による経済政策の無力。大前はそして、既知の経済学的な考え方は現在に通用しないんだということを力説する。単純化していえば、自由競争の場としての市場経済が怪しくなったときに従来は政府が介入したりすれば市場の動きをある程度左右することができた。今日その「手」が効かなくなったのは、従来の手法が通用しなくなったからであり、なぜそうかといえば、大前のいう「ボーダレス経済」とか「サイバー経済」などのように経済における環境が大きく変わり、併せて社会が高度化したことと密接に関わっている。 もっと言えば、社会経済的な環境や枠組みが高度化、複雑化を加速してきたのに、政治や経済にたずさわる人々の考えがそれに追いつかず、あるいは気づかないか気づいても知らぬ顔をしてきたかであると思う。
 
 アダム・スミス以来、我々は「神の見えざる手」という便利な表現をつかって市場や経済の動きを説明してきた。だが、もちろん、そこに「神」はいない。存在しているのは、無数の意志決定者である「民」だ。
 
 経済を実質的に動かしている力は、「民」に移行している。今は無意図的だが、「民」である生活者が一斉に財布の紐を固く結ぶとき経済の規模は縮小し、政府も企業も「民」の財布の紐を弛める手立てを模索しこれを実行するほかに打つ手がない。要するに、もしも「民」がその実力を知って意図的に一斉に買い控えをすれば、この数年に起きた政権交代や首相の毎年の交代と同じ政治の迷走が、これからは「民」の意図的な意志によって可能になったことを物語っている。
『民の見えざる手』の「プロローグ」、〔経済学は、もう未来を語れない〕を読んだかぎりにおいても、私はたくさんのことをこの書から示唆され、学ぶことがあった。本書はさらに第1章から第5章、そしてエピローグと続くが、全体を通してとても興味深く読むことができたと私は思っている。大前研一は、現状の日本の経済不況や世界不況の分析ばかりではなく、世界不況やデフレ不況下の日本においてどのようなビジネスや政策が有効なのかを具体的に探ることを本書の主な目的としている。その意味では企業の経営者や管理職、ビジネスマン及び政治家や行政官僚に向けて書かれている。べつの言い方をすれば、私などのような一般的な低所得者の生活者に直接役立つことは何もない世界が書かれている。しかし、そういう世界であっても私には面白くためになった。こういう現場の経済人の経済書、あるいはビジネス書としては素人にも面白く読ませる屈指の書だと思える。ここに書かれている世界は、現在の世界を認識するという場合において、経済的視点から認識できる最良の入門書といえるのではないだろうかとさえ思える。つまり、一般生活者といえどもこれくらいのところは把握しておきたいし、これくらいのところを把握しておけば経済のプロの言質を判断することを可能にすると思う。また、今日民主党の代表選が管首相と小沢一郎との間に戦われているが、財政や経済に対するどちらの認識がよりよいかを判断する材料を提供できているという点でも興味深い。いずれにしても、大前の提案は政治家にとっても取り上げるに値する内容をもっていると私は思う。(代表戦は9月14日に終わり、管首相が勝利した。)
 ところで、この書の具体的な内容に踏み込むまえに、もちろん踏み込むだけの力が自分にあるかどうかも怪しいのだが、とりあえずどうしても言っておきたいことが一つある。それはここまで紹介した大前研一の認識に関わることだが、この書全体の骨格となるある考え方に対して、いつかその考察の原型となる主調音をすでに聞いたことがあると私は思っていることである。
 それは約十五年近く前の、吉本隆明の『超資本主義』と題する本の中でだったような気がする。
 その中で吉本は、日本における資本主義が超資本主義といえる高度な段階にステップアップしたことを象徴するとして、サントリーが天然水を販売し始めたことを取り上げて論じていたと思う。さらに同じ文章で、生活者の所得のうち生活に必要な消費以外の選択消費が、所得の半分かそれ以上になっていることに着目し、そのことから経済の動きを実質的に支配する力をすでに民衆が握るようになったと述べていた。企業の設備投資の額についても同様の考察をして、当時すでにマルクスやケインズ及び亜流の経済学が現実的な経済の動向に無効であると述べ、いわばパラダイムシフトの転換の必要性に言及していたと思う。そこでは消費者が仮に意図的に買い控え、消費の手控えを一斉にしたならば、日本経済の規模は縮小し、どんな政権、政府も経済政策の質を問われ責任を問われるだろうという意味合いが語られていた。それから十五年、決して意図的な手控えから発したものではないが、所得の減少や凍てついたままの消費の不活発を主な理由として、消費者が一斉に購買を手控えたと同じ現象が政治の迷走劇の中に見て取ることができる。その意味では、政権交代は大衆の無意識が生み出した政治革命であったのかもしれない。
 ところで、大前研一の主張の内容は、吉本が主張の根拠とした消費者の所得の割合に占める選択消費の割合について何も言ってはいないが、消費活動を活発にさせる施策の必要性を述べているところ、従来の経済政策の考え方は無効で経済の動きを左右する権限は実質的には大衆の側に移っていることなど内容的に重なる部分が少なくない。大前が述べているところは、十五年前に吉本が考察したところを今日の状況にあてはめて、今日的に述べているに過ぎないとも考えられる。そしてよりいっそう経済現象、ビジネスシーンに敷衍して考察されたものと解釈すれば両者の主張は私の中で合致する。どちらがどう影響し合っているかなどは私の知るところではないが、その類似は私には興味深いことであった。 吉本はまた、たぶん同じ文章の中で、就業人口やGDPに占める割合から見て第三次産業を中心に経済対策を講ずるべきだと述べていたが、その意味するところと同様の発想は大前研一の次のような記述の箇所にも見られる。
 
 いかも、緊急でやるということは、逆にいうと、もともと計画していなかったことをやるわけだから、できることは限られてくる。たとえば、新たに土地が必要となる公共工事は、北海道や沖縄などの用地取得が容易な田舎しか緊急経済対策の対象にならない。しかし、最も緊急経済対策が必要で、最も費用対効果が大きいのは大都市である。なぜなら、そこには人が大勢いてニーズもたくさんあるからだ。また、これまで何もやってこなかったので、やらなければならないことが溜まっているからだ。(太字―佐藤)
 
 戦略的自由度において目的が「国民にグッドライフを届けること」であれば、答えや解決策はおのずと限られてくる。私はまず、国民の7割を占める都市住宅を対象にすべきだと思う。都市住民が人生の充足感や充実感を得られるようにするためには、まず大都市を再構築し、住環境を改善して通勤時間を短縮しなければならない。
 (中略)
 となると、大都市を再構築する方法は政治主導による「大規模開発」しかない。つまり大都市の大規模開発を政治のアジェンダにしなければならないのだ。
 そして、もし民主党政権が大都市の大規模開発を実行すれば、内需が拡大して日本経済も復活する。まさに一石二鳥である。
 
 経済対策は効果があり、結果の出せる対策であるべき事は当たり前のことで、大前も吉本も、たとえば患者のどこに注射を打てば最善の治療法になるかをよく見極めている点で共通しているように私は思う。要するに政府はヤブ医者で、これまで医療過誤ばかりを繰り返してきたという認識でも一致していた。
 
 
 
   大前研一『神の見えざる手』より(2010.8.29)
 
 新聞・テレビでは、毎日のように、世界的にもまた国内においても経済不況が続いていると報道されている。私のような貧困層にある生活者の身辺においても事は深刻で、低賃金の仕事にありついているだけましだという雰囲気が充満し、労働条件の劣悪さは日増しに増し続け、言ってみれば雇い主のいいなりに仕事をしなければならない環境へと追い込まれていっている。頭一個分首を縮め、不況の波が去るのをひたすらたえて待っているようなものだが、不況は底なし沼のように貧困の底へ底へと私たちを誘っていくようだ。
 いったい、世界の経済はどうなっているのか。そしてまた日本の経済は。
 私たち下位層にあえぐ貧困な生活者に、そうしたことに関しての知見などあるはずもない。ただ日々の報道を丸呑みにし、「ああ、景気がよくならないんだな」と力なくつぶやいて、ほんの少しでよいから生活が楽になるように周囲の景気が上向くことを願ったりしているだけだ。まあ、神頼み、人任せと言われても仕方がない。本当は、税金を納めて政治家や役人にその辺のところをよきに計らえとばかり託していると言えるのだが、彼らは威張っているだけで私たちの力になってくれそうには思えない。
 報道を丸呑みにしてはいるが、それを信じているというわけではない。無知は無知なりに、それでも自分の目と耳と、それから第六感というようなもので自分なりの判断をしなければならないときもあるような気がしている。その時の参考、判断の材料になりそうな一冊の本を見つけたので、ここに紹介してみたい。それは経営コンサルトとかビジネスアドバイザーとかで名の知れている大前研一の「民の見えざる手」という著書だ。今年の7月に小学館から発行されている。
 これを一読して私は、経済的な視点からの現状の認識や分析がとても妥当なものだと思われた。というよりむしろ、優れていると感じた。引用抜粋して、これをつなげたら一応の経済的な状況や今後の見通しをイメージとして提供できるのではないかと考え、それを試みたいと思った。
 力なく、最後まで行ききれてはいないが、ここで途中までの引用抜粋を示しておく。経済的な現状の把握に資することができれば嬉しいし、できれば現物を手にとって読んでもらうのがいちばんよいと思う。ここに掲示した以降については、個人的にはもう少し詰めていこうと思っている。ただ、この暑さの中、怠惰な私はいつ終えることができるか心許ない。正直、半分はこんなところで打っちゃいたい気持になってもいるのだ。また、何ヶ月も後になってこれを紹介してもあまり意味はないと思い、とりあえず、ここまででも何かの役には立つかと思い、以下にそれを示す。
 
大前研一『民の見えざる手』(小学館)
           引用・抜粋
 
私は一貫して「この先もずっと景気はよくならない」と主張してきた。なぜなら、少子高齢化が加速する日本は、労働人口が毎年40万人ずつ減少しており、国内市場の縮小と企業の海外移転によって、経済規模も雇用も税収も減る一方だからである。
 
結局、多くの人々が、口では「少子高齢化」とか「低成長時代」とか「デフレ経済」といって危機感を共有しているように見えて、実のところ、今のパラダイムシフトを本当には理解していないと思う。
 
「ボーダレス経済」
「サイバー経済」
 
金融危機後のアメリカ 消費の手控え
 
マクロな経済学では説明がつかない。
 ↓
 ミクロな個々人の心理
民の見えざる手
 「心理経済学」
 
 前述したように、バブル崩壊後の日本において「緊急景気対策」なるものが、投じた税金の金額以上の効果を上げた試しはない。そうであれば、次に考えるべきことは「税金を1円も使うことなく、いかに経済を活性化するか」である。そして、こうした状況下では、政府が金利の上げ下げやマネーサプライの調節、あるいは公共事業などによって直接的に経済のパイを大きくするよりも、国民が持っ
ているお金をいかに引き出すか 「その
気」にさせるか ということのほうが明
らかに経済効果は大きいのだ。そのための方策を考えるのが、私が一貫して主張している「心理経済学」である。
 
今、日本を含む多くの先進国では、国民がそれなりの資産を持っている。リーマン・ショック以後、その価値は目減りしているとはいえ、多数の国民がお金を持っているという状況に変わりはない。そのうえ、世の中の消費心理が緩んでくると、消費者は必ず自分たちの欲しいものを買おうという気になる。その実例は、次章以降で具体的に紹介していくが、今の日本では、政府が無意味な規制をかけたり、見通しがきついと発表したりして、そうした動きの邪魔をしているのが現実だ。
 最も有効な経済政策とは、金利でもマネーサプライでもなく、世の中に数多あるお金
国内の個人金融資産1400兆円と世界
の富裕層の資産8000兆円(うち約4000兆円が国境をまたいで投資されていると推
計される) が日本国内で活躍するような
政策であり、そうした巨大マネーを日本に引き込むための「無から有を生む」仕掛けである。つまり、これからの経済政策は、従来のマクロ経済学者が数式モデルで説明できる領域ではないのだ。官僚が主導する数々の規制を撤廃し、消費者が生活を最大限にエンジョイできるような環境を整えると同時に、今後の日本人が享受すべきグッドライフの全体図
を描いてみせる そうすれば、凍てついた
「心理」は溶け始め、死蔵されていた金融資産が市場に流れ出してゆく。
 こういうと、経済学者たちはおそらくしたり顔で「それを数式モデルで表せるのか?」と聞いてくるだろう。バカげた質問だ。「心理」である以上、数式などに還元できるはずがない。個人にしろ、世帯にしろ、ある程度
のお金 言い換えれば「打ち手」をいくつ
か持っている。それを郵貯や銀行に向かわせるのか、消費に向かわせるのかということは、従来の経済学では解読できない問題なのだ。
 
 最近の日本の大企業の経営者は、みんな「縮み志向」になっている。
 
 こうした企業や経営者の「縮み志向」は、裏を返せば、日本の消費者の成熟ぶり≠ニも深く結びついている。
 
 すでに日本は経済成長、税増収、需要拡大、昇進・昇給が当たり前の時代が終わり、完全に「成熟国モデル」へと移行している。にもかかわらず、多くの日本企業が未だに右肩上がりの経済を前提にした「途上国モデル」の事業計画と経営システムで事業運営している。だから、業績も伸びないのである。
 成功の方程式は、途上国モデルと成熟国モデルでは全く異なる。
 途上国では、生活の基本資材はすべて欲しい、という前提条件に立つが、成熟国モデルにおける基本戦略は、人々が潜在的に欲しいと思っているものを見抜いて提供しなければならない。ところが、日本の成熟社会は非常に特殊な市場で、それが通用しない。今の日本人はあらゆるものに対して欲望がなくなっているため、「お金があっても使わない」のである。
 消費者の心理はどんどん凍てつき、倹約志向が強まっている。流行っているのは餃子の王将やマクドナルド、ユニクロ、ファッションセンターしまむら、ニトリ、ABCマートなど、低価格を売り物にしている店ばかりだ。 こうした倹約による消費の落ち込みの中でも最大の問題は、自動車や家電製品などの耐久消費財の買い控えだ。
 
それはテレビや白物家電、家具など他の耐久消費財も同様だ。そういう行動を大多数の消費者が取り始めると、耐久消費財は簡単に対前年比20〜30%減少してしまうのである。
 
 結果的に、経済のパイ全体がシュリンク(縮小)して、企業も消費者もデフレの中で「縮み志向」がますます広がってきているのである。
 
 日本の補助金は、「新車登録から13年以上経過した自動車を廃車にして、かつ2010年燃費基準の新車に買い換えた場合」という条件付きだ。ドイツで「登録から9年以上経過」した対象車は全保有台数の約4割に上るのに対し、日本で「登録から13年以上経過」した対象車は全体の1割強に過ぎない。
 
 いずれにしても、消費者の財布を緩めるための政策に、いかにも役人らしく、二重、三重の条件を付けた時点で、消費者は完全に「その気」を削がれてしまう。
 
私たちが「日本の家庭」といった時にまず頭に思い浮かべるのは、夫婦と子どもが1人か2人の核家族世帯だろう。ところが、そういう世帯はもはやマジョリティではない。いま日本で最も多いのは「単身世帯(1人暮らし世帯)」なのである。(図9を参照)。
 単身世帯は1960年の約400万世帯から大幅に増え続け、2005年に約1333万世帯となって、「夫婦と子供から成る世帯」の約1464万世帯に肩を並べた。すでに単身世帯は夫婦と子供から成る世界を抜き、2010年中には1500万世帯を超えて全体の3割以上を占めると推計されている。さらに「夫婦のみの世帯」「1人親と子供から成る世帯」もじわじわと増え続けており、今の日本の家庭は、従来のイメージとは様変わりしているのだ。
 もうひとつ重要な点は、単身世帯の年代分布である。年齢階級別世帯数の変遷を見ると、1985年の単身世帯は20〜24歳が最も多く、おおむね年齢が上がるにつれて減少していたが、2010年の単身世帯は20〜24歳を除く全年齢階級で大幅に増えるとともに各年代でほぼフラット化しているのだ。(図10を参照)。これは未婚化・晩婚化、熟年離婚と夫婦の死別の増加などによるものだ。
 つまり、今や日本の標準家庭≠ヘ、すべての年代で「単身世帯」になったのである。
 
リーマン・ショック後の世界金融危機ではっきりしたことがある。それは、低迷する先進国経済を尻目に、内需が堅調な新興国は引き続き力強く成長しているということだ。中国やインド、ブラジル、中東、ASEAN(東南アジア諸国連合)は、09年のGDP成長率がプラスを維持したのである。
 
 なぜ新興国が繁栄しているのか?理由は二つある。
 一つは、より高いリターンを求めて世界を徘徊している巨額の「ホームレスマネー」がグローバル金融システムによって自動的に新興国に向かう仕掛けができたことだ。先進国でダブついた富裕層の資金が、アメリカの投資銀行(現在は「銀行」に変装≠オているが)などの金融商品にパッケージングされて、成長している新興国に大量に流れ込むようになったのである。これは21世紀の全く新しい経済発展モデルだ。
 
 もう一つの理由は、21世紀の新しい「雁行モデル」が誕生したことである。
 
 今の新しい雁行モデルの先頭は中国だ。その大きな雁の上にまたがって鞭を入れているのが台湾だといえば、チャイナワン≠フ姿がイメージできるだろう。さらにその後を他のBRICs各国(ブラジル、ロシア、インド)やVISTA(ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)など世界中の新興国が「(最近まで最貧国の一つに過ぎなかった)中国にできたのだから自分たちにできないわけがない」ということで、一斉に追いかけ始めたのである。
 
国債残高が700兆円を突破して国民1人当たりの借金=i公的債務残高/国債や借入金の合計)が約700万円に達し、財政再建が焦眉の急となってはいるが、他国からの借金である「対外債務」はほとんどない。日本の国債は大部分を国内の銀行や生損保、公的年金などに販売しており、海外への販売は約6%にすぎない。自国民とその子孫からは借金をしているが、海外からは借金をしていないのである。そういう国は、世界にほとんどない。だから経済政策は、すこしぐらい時間がかかっても、腰をすえて、やるべきことをやればよい。慌てふためく必要はないのである。
 
 ところが、日本政府は「緊急経済対策」ばかりやっている。なぜなら、通常の年度事業計画の中に入れることができない無駄遣いを補正予算や第2次補正予算でするためには、「緊急」という名目が必要だからである。緊急経済対策を繰り返した結果、1998年末の時点で427兆円だった公的債務残高が、2010年3月末の時点では2倍以上の883兆円に膨れ上がってしまった。
 日本を病人に喩えると、以前より衰えてはいるけれども、実はけっこう健全でゆっくり体質改善すれば元気になる段階の症状だ。つまり、明日死ぬかもしれない、という状態ではないのである。バブル崩壊以降、効果のない不要な緊急手術を何度もやったから、そのダメージが蓄積して体が弱ってしまっただけである。要は医療過誤≠ナあり、医者(政府)がヤブ医者なのである。
 しかも緊急でやるということは、逆にいうと、元々計画していなかったことをやるわけだから、できることは限られてくる。たとえば、新たに土地が必要となる公共工事は、北海道や沖縄などの用地買収が容易な田舎しか緊急経済対策の対象にならない。しかし、最も緊急経済対策が必要で、最も費用対効果が大きいのは大都市である。なぜなら、そこには人が大勢いてニーズもたくさんあるからだ。また、これまで何もやってこなかったので、やらなければならないことが溜まっているからだ。
 
 戦略的自由度において目的が「国民にグッドライフを届けること」であれば、応えや解決策はおのずと限られてくる。私はまず、国民の7割を占める都市住宅を対象にすべきだと思う。都市住民が人生の充足感や充実感を得られるようにするためには、まず大都市を再構築し、住環境を改善して通勤時間を短縮しなければならない。
 
 となると、大都市を再構築する方法は政治主導による「大規模開発」しかない。つまり大都市の大規模開発を政治のアジェンダにしなければならないのだ。
 そして、もし民主党政権が大都市の大規模開発を実行すれば、内需が拡大して日本経済も復活する。まさに一石二鳥である。
                つづく
 
 
 
   鳩山首相の辞意表明(2010.6.4)
 
 二日午前、鳩山総理が辞意を表明した。前日には辞意の素振りもかけらも見せず、かえって続投に意欲満々の姿と見えていたから驚いた。あんなにマスコミをはじめとする世論から批判や非難の声を浴びて火だるまのようになりながら、それでも意に介さぬふうに淡々と総理の職をこなしているかに見え、私などは、『鳩山君もなかなかだな』、と思っていた。この『なかなか』には、いろいろな意味がこもっている。私自身これを別の言葉で言い直すことはできない。尊敬も軽蔑もそれから揶揄の気持も入り交じっている。いずれにしても突然の辞任の意向の表明は、ああ、やっぱり抗しきれないのか、と私に思わせた。
 誰がやってもこの課題が山積みの状況でうまく切り抜けたり、状況を突きぬけて切り開いたりすることは困難だと思うから、交代などせずに続けるのも手かなと思っていた。どうせ誰に変わっても五十歩百歩なんだから、もう少しやってもらったって私個人はかまわない。かえってこんなに首相がクルクル替わっているばかりでは、事態がいっそう悪くなるばかりではないのかという懸念さえある。まあ、やる人がやればもう少しましなんだろうけれど、期待できないや。自民党の安倍元首相の退陣から、これで続けて四人の総理が一年もたないで退陣するという事態になった。とにかく出てくる人出てくる人が、世論に叩かれて踏ん張れずに辞意へと追い込まれる。この調子だとこれからもそうなるのではないかと思われてくる。そうなっても私はどうでもいいが、とりあえず私はふたつのことを思う。ひとつは国民の力が強くなり、もはや国民の声を無視して政権を運営できなくなってきたということ。もうひとつは国民の力が強くなってきたことはいいことだが、そうしてこれからも意に沿わない政権を批判し続けるだろうが、やがてそれもまた一種の不毛だと気づくときがくるに違いないということ。ま、その時が問題だろうなと、思う。で、まだまだこの混迷は続くでしょう。
 ニュースでちらっと顔を出した田中真紀子が、「小沢先生のようなプロの政治家が」前面に出て引っ張っていかないと、混迷の状況を抜け出せないだろうという意味のことをいっていた。政治と金の問題でやり玉に挙がった小沢一郎をカメラの前でそう公言できるのはたぶん彼女だけだろう。私も半分くらいは田中さんと同じに思うが、いっそのことアマチュアのごちゃごちゃを徹底して行けるところまで行くというのもひとつかなと思うところがある。何がプロで何がアマチュアかは私などが言えることでもないが、アマチュアとは首からうえで考え、プロは下半身でも考え得る人のことをいうのだろうと思う。しかし、世論は小沢の政治家のプロとしての手腕が表舞台で発揮されることを許さないだろう。おそらくこの先代表や幹事長の座に帰り咲くこともないにちがいない。
 民主党には事業仕分けなどにみられる税金の使われ方の洗い直しや、ひどい天下りの廃止、無駄な公共事業の廃止などに取り組んでもらえればそれだけでいいと思う。そしてもうすこしできる力があるものなら、財政の立て直しの道筋を見つけだすことくらいだ。それ以上のものは、あまり期待してもはじまらない。今回の普天間問題のように、欲張ってこじらせてしまうのが関の山だ。景気も安全保障も福祉も、これでいいと思える政策案はまだまだ先のことだ。もちろん今すぐにでもという思いが私たちの国民の期待や願いではあるけれども、期待や願いをどんなに声高に叫んでも実現が不可能なのであれば叫ぶことはやがて虚しくなる。
 こんな時私たち国民は、自分で生活の防衛策を講じるしか手はない。今の賃金で生活できなくなったら仕事時間を増やすようにしてもらうとか、内職をするとか、自己努力を重ねるしかないと思う。
 
 
   普天間問題が問題じゃない(2010.5.20)
 
 沖縄の米軍普天間基地返還と移転の問題が新聞やテレビの報道を見ると世間的には大騒ぎになっているらしい。2、3日前には一部施設の移転先候補地の一つとして政府案に名前の上がった徳之島で、数万規模の反対集会が開かれ、その後鳩山首相が徳之島の3町長と面会し徳之島を訪問するとかさせないとかの攻防があったという。
 この問題は政権交代時から県外とか県内とかが取り沙汰されていて、わたし個人は民主党のお手並み拝見と見て、傍目ながら気にかけてみてきた。感想としては鳩山首相は稚拙だなあというのが精一杯で、後はどうってこともないというのが結論だ。理想からいうと移転先が県外だったり、まるっきりよそにいってくれたらいいのにと願わないでもなかったが、無理だろうなという思いもずっと持ち続けていた。
 一番いいのは日本国に米軍の駐留が無くなることだと思っているが、そこに辿り着くためにはいくつものハードルを越えて行かなければならない。根幹には自国の防衛、そして安全保障の問題をどうするか、民意でもって決定しなければならないという問題がある。こんなこと、実際に日本の国で行われたためしがない。民意がないわけではなく、民意を背景として、それを武器に体をはってはっきりと意を主張する政治家が不在なのだ。どちらかというと一部の権益、一部の民意を代表する指導者が権力の座に着き、落としどころを探って決定していくという方式がいつもとられてきたと感じる。そしてそれはそれで日本的なあり方であったといえば言える。
 民意はどこにあるか、実はこれもなかなかには一つに絞ることはできない。表面的なことばとしては抑止力としての米軍の存在が不可欠とする声が多い気がするが、これさえジャーナリストの声に影響されての発言と見えなくはないからだ。その上でしかし、それが本音の民意ではないと主張することもできない。そう言ってしまえば誰にも意見がないことになってしまうからだ。あからさまに言えば、どこの県民も自分の県で米軍基地使用の負担を担ごうなどと言い出すところはない。みんな嫌なんでしょう。争いに巻き込まれたくない、余計な騒動で安穏とした生活を乱されたくない。いや、もっと自分の生活だけで手一杯だというのが本音のところかも知れない。
 国防に関して、私たち日本国民は一つのよりどころを持っている。日本国憲法だ。そこには他国との紛争においてこれを武力によって解決しないことがうたわれている。結局武力による戦争は自国と相手国との国民同士の殺し合いで、何一つよいことがない馬鹿馬鹿しいことだからやめようという、敗戦からの教訓が込められているように思われる。ならば徹底してその道を探るというのも一つの態度である。わたしなどが口にしてみても始まらないが、多くの犠牲者の上にたって、また多くの犠牲の上にもたらされた不戦の決意の憲法とみれば、まずはその意に沿って努力を傾注すべきなのが後世に生きるものの努めではないかと思える。
 このことは明確に国民の間で議論がなされていないか、日本国民の総意としての決定がなされていないようにわたしには思われる。少なくともそこまでに突き詰めてきた経緯が私たちの間には見えないと思う。戦後六十数年を超えて、日本が何を曖昧に置き去りにして過ぎてきたか、その一つの問題をいまこの普天間問題はあぶり出してくれているように思う。そして同時に、六十数年を一応の独立国であり続けてきながらこれからも米軍におんぶにだっこの姿勢は一個の独立した国とは言えまいと思う。もしも戦争放棄を自国でまかなうことができないのであれば、とっくに御旗を降ろして軍備拡張、富国強兵を復刻させればよかったのだ。
 少し前、普通の国家ならば軍備を持って当然だという風潮がやたらに流布されていたことを思い出す。当然抑止力としての軍備という予防は貼られていたが、それ以外に英知を働かせようとはしないのかとわたし個人は残念に思っていた。国家に普通である普通でないの区別があるかどうかは別にして、同じ論理で言えば一般的な国家の国民は戦争なんかいやだなあと考えているに決まっている。そんなことは当然で、そんな当然の民意を反映できずに軍備を増強するほかない現代的な国家など早くこの地上から消えてしまえばいいのだ。地球上の主役は国家などでは決してない。共生する自然そのものとしての地球であるし、そこに生きる生物であり、人間もまたそれらの中の一つの種であり、それらの一つ一つに目が注がれなければならないとわたしは思う。
 戦争放棄の憲法があり、戦争アレルギーの民意があり、非戦と平和志向をうたうわが日本において、今どうして核の傘や抑止力としての米軍の駐留が必要であろうか。中国や北朝鮮の脅威などというが、脅威は脅威と感じるから脅威なのであって、それを無化する知恵と認識、洞察などが他国を越えていればいいのだとわたしは思う。そういう考え、言ってみれば世界認識の仕方、世界情勢の把握、世界各国の国力の分析の仕方、データの収集と読解力や判断力やらが、今ひとつ甘かったり、生ぬるかったりするような気がわたしにはしてならない。日米構造協議で米国に指摘されたこと以上に、米国をはじめとする他国に対して状況の分析、問題点の指摘ができるようなら、文句なく世界から日本の発言が認められよう。核兵器廃絶の声が日本発として世界を巻き込むことができないのも、つまりはそれだけの発言だからだ。ここに政治家や知識人たちの力量が試されていて、いつも不発に終わる運命にある。たぶん相手を越える研鑽を積む以外に方法はないので、どんなに人間的感情に訴えて共感を呼ぼうとしても様々な国際的な軋轢があるなかで通用しないことの方が当然なのだと思う。
 
 ここまで書いてきて10日ほどたち、今日あたりの報道では先の自民党政府案にほんの少しの修正を加えた案が民主党案として固まりつつあるらしい。盛んにマスコミが煽ったこの問題も、大山鳴動して鼠一匹みたいなことで決着がつくのだろう。そして夏の参院選でまた大山鳴動してということになるのだろう。馬鹿馬鹿しいことこの上ない。つまらないのは沖縄県や徳之島などの人たちで、本当にやりきれない思いをしたと思う。反対集会に参加したお年寄りはもちろん、中学生や高校生の若者たちも本土に対する気持がどんなものか察するにあまりある。わたし自身もふくめて、こういう事態での本土の人々の沖縄に負担を押し続けてきた歴史的経緯にまたしても直面したにちがいない。何だ、本土の奴らは!と思うに決まっている。そう思うのが当然で、ここを契機にいっそう基地撤去に向けて考えて考えて考え抜く以外にこの基地問題は片付かないだろうと思う。政治家も知識人も、本土の連中はあてに出来ないことを、いやと言うほど身に染みて感じるところからしか明日は来ないのではないだろうか。
 それにしても、数万規模の反対集会の老若男女の声を、政策転換の起爆剤として活用できない鳩山政権の無能さには呆れるほかはない。すくなくとも基地撤廃や、東アジア地域の安全保障に関する戦略的見直しや練り直し、あるいは日本の平和戦略の推進に結びつけて米中間に立つ気概の片鱗も視られなかった。もちろんそんなものはないさと言ってしまえばそれまでだが、見方によっては北朝鮮ほどにも意気地がないと言えばいえそうな気がしてくる。これじゃあ、北朝鮮にだって舐められても仕方がないのではないか。
 
 余談になるが、日本には芯がないなあと思う。昨今の政治状況は特にそう感じさせる。何かその場しのぎ、状況に踊らされ揺れ動いている感じだけがする。かつてあった芯は日本的な殉教か、はたまた宗教的な迷妄か、いずれにせよ今日的に復刻できる体のものではないと感じる。日本列島の真ん中に空洞があって、そこを何で埋めていいのかわたしにも分からない。もしかすると、埋めない方がいいのかもしれない。空っぽですよと開き直った方がいいのかもしれない。そこだけは何だか明治維新前夜まで、歴史が止まっていて、事あるごとにその原日本的深層に郷愁が呼び戻される、みたいな。疲れたのでここで終わります。
 
 
   核密約についてのメモ(2010.2.19)
 
 米国の「核」が日本に持ち込まれているという情報は以前からあった。しかし戦後の自民党政権は一貫して「核」の持ち込みはないと否定し続けてきた。これを信用していた国民は皆無であったろうとぼくは思う。信用してはいなかったが、「核」持ち込みの「密約」が表に出ない以上この問題に関してとやかく言っても無駄であることを知っていた。
 実際には、極東に政治的緊張が生じた場合、米国は米軍基地内に「核」を配置したり「核」を搭載した船舶を日本の領土内に寄港できるという暗黙の了解が日米間にあった。今回、民主党政権は資料や元外務省官僚の証言やらを調査検証し、こうした「密約」があったことを正式に認め、旧政権が多年にわたって国民に嘘をつき続けてきたことを明らかにした。
 
 「密約」の存在が明らかになったところで大きく取り上げられなければならない問題は、少なくとも二つあるとぼくは思う。一つは日本国憲法にうたわれる「国民主権」についてで、歴代政府首脳は結局「国民主権」を名ばかりのものとし、実際には国民不在の「国家」に奉仕してきた連中だということだ。もちろん、こうした問題を国民の間に率直に投げかけることによって国全体に争乱を招きかねない、いわゆる国民の民度の低さに問題があったとする見方も成り立たないわけではない。しかし、それでも憲法に「国民主権」をうたっている限りにおいて、こうまで国民をないがしろにしていいという話にはならない。
 時の政府首脳、総理や外務官僚の「腹」一つみたいなものでもって紙屑同然にもなる「憲法」っていったい何なのか。またそこに記された「国民主権」の文字とは何なのか。都合の良いときに都合の良いように使われているだけにすぎないのではないのか。結局は統制であり、支配であり、理念や語義の通りに解釈され受け止めることなどこの国ではなされないのだと思ってしまう。つまりは元々が西洋を発祥地とした理念であり、東洋のこの島国には馴染めないものか、あるいは精神上の成熟度に未熟な部分が残っているからなのか。このことを徹底的に突き詰めない限り我々の精神風土は永久に孤立したまま彷徨い続けなければならないに違いないと思える。
 もう少しうがったところからいえば、アジアの精神の残査から我々は決して自由にはなっていないということだ。逆に言えばここからアジアの心性、原日本的な心性が窺い知ることができるかもしれない。
 システム的にこれを解決していくことはアジア及び日本的精神について考えることよりもたやすいだろう。現政権は米国等に習って外交的機密資料等の開示について、今まで以上により緻密で具体的な制限を設けたり法案を作成したりして、国民の知る権利に沿った方向で今回の問題を他山の石として行くに違いない。もちろんそうでなければならないし、そうしていくことがいいに決まっている。そうした意味では西洋への追従はこれから先にも果敢に推進されていく必要があるのだろうと思う。
 それにしても、本音と建て前のような、「国民主権」を唱えながら本当には「国民主権」を理解していそうにもないこの国の姿をどう捉えればいいのか。言葉に結実しない言葉以前のところでこの国の精神の風土は成り立っていると思われてならない。
 
 この「密約」の認定はまた、もう一つの重大な問題を投げかける。いわゆる「非核三原則」を貫徹しようとするときの他国の脅威、我が国の防衛をどのように構築するのかという問題だ。今回のことで、確実にこのことは国民の間に論議を呼び込まずにおかないし、論議してしかるべき問題なのだと思う。敗戦後、責任論等の総括の不徹底が「密約」を呼び込んだし、そのような形で戦争責任を曖昧に処理しなおかつ米国追従という形で経済的な発展だけは遂げ、反省的な意味合いからの精神上の相克をさけて沈黙か惰眠か分からぬ態で半世紀以上をすぎてきた。
 
 
   「第二の敗戦期」に関連して(2010.2.7)
 
 アメリカのオバマ政権の誕生、世界的な金融恐慌、日本における政権交代と、ここ1,2年の間にも現実社会の目に見える変化にはめまぐるしいものがあった。先日のハイチの大地震ではないが、地球規模の地殻変動が起きているようにすら感じられる。
 このような実際の変化、あるいはより以上の大きな変化の兆しを前にして、これをどう受け止め、さらにどのように対処の姿勢をとるべきかに苦慮する。いや、正確に言えば為すすべもなく呆然とこれらの変化の光景を眺めている。
 目を転じて自分の生活身辺に注げば、デフレ傾向により物価の上昇は抑えられているが相も変わらぬ低賃金労働に加えて雇用状況の悪化が叫ばれており、老若男女を問わず、人々の雇用、リストラされた人々の再雇用などは夢の夢物語にさえ感じられるこのごろである。生活はきつく、さながら終わりのない消耗戦を戦っているような気になってしまう。自己防衛。特別の能力もなく、年齢も六十手前となった自分の場合、ひたすら首を縮めて雪解けの日を待つ他力本願に撤する以外に方途はない。
 情けないことかもしれないが、これが実際の私の姿だ。沈黙するか、威勢が良いだけの与太話、ほら話を語って見せるしかないのではないか。そういう思いの中に揺れ動き、どんな努力も勉強もせずに、いたずらに日を流れている。
 
 このような日々の中でも継続して気にかかることがいくつかある。その一つは鳩山政権誕生後の現在の政治状況だ。いうまでもなく新聞、テレビはこぞって鳩山由起夫首相と民主党幹事長小沢一郎の政治資金収支報告書虚偽記載の問題を連日大きく取り上げてきている。(今日は平成22年1月26日)
 販売部数、視聴率稼ぎに走る報道姿勢は相変わらずで、紙面や電波に乗せた言葉をそのままに受け取れないのはもちろんだが、庶民には伺いしれない権力闘争の、それこそ地殻変動と見まがう激烈な戦いがアメリカや中国の影もちらつかせながら現象の奥底の方で行われているらしい雰囲気が感じ取られる。なるほど、それはそれですさまじいものなんだと、この年になって初めて目にし耳にし触れた部分があるというような気がする。要するに問題は選挙結果の当日に何かが変わったというのではなく、政権100日を経て、やっと変化の実際が表層に浮かび上がってくるということなのだ。そして変化を欲しないものの抵抗は、今日になってすさまじさを露骨に表してくるという状況に私たちは立ち会っていると言っていい。
 私はもとより自民党政権から民主党に変わっても、当面劇的な変化をもたらす施策は何もないだろうなと考えてきた。雨が降り、集まった水が低きに向かってさらに合流する地点に、必要な政策を打つという点でどの党が政権党であろうともそれほどの違いがでてくるとは思えない。世界の政治、経済の情勢、それに自国の予算となる財源の確保などの問題点が種々あって、いってしまえば手枷足枷の中で政策を打たなければならないという点では特に自民と民主の小さな差違の中で大きな違いは生じようがないと考えてきた。この小さな違いにはしかし、現在立ちふさがる大きな抵抗があることを私たちは目の前に見ている。そう考えると、日本における今回の政権交代は思った以上に革命的な変化なのかもしれないと私は思う。つまり歴史の大きなターニングポイントとして、何十年後かにみられることもあるのではないかと思うのだ。とすると、もう少しここは丁寧に変化の詳細をみておくべきなのかもしれないと思う。ちなみに、「革命的変化」というのは社会がよくなるとかを言っているのではなくて、国や社会の地核から根幹的に揺さぶられるほどの変化の兆しがみられるといった程度のことで言っている。またこのことの見極めはもう少し時間を経過しなければわからないとも考える。
 関連して、私は現在の日本の状況に経済の閉塞をみている。原因は自由貿易のいっそうの進展と、輸出依存政策の低迷と頭打ちにあるとみる。おおざっぱに言って情報網、交通網などの発達によって、生産に関わる技術のレベルは国際的に均質化し、後は人件費や資源や設備投資等のコスト的な問題になる。何が言いたいかと言えば、ものを生産加工し、輸出して外貨を獲得していく方法にはある種臨界点があると考えなければならないのではないかということだ。中国をはじめとする新興国、そして発展途上国と競争しても、競争するだけのメリットは得られないだろうという気がする。結局のところ中小、零細をはじめとして、どの種類の工場でも機械化が進められその度合いに応じて人手は巷にあぶれていった。それでは、どうしたらいいか、ということは私の考えることではない。
 
 ここ宮城県では、黒川郡大和町、大衡村にまたがってトヨタ自動車関連企業の誘致が進み幾分活況を呈している。それはそれで何もないよりは明るい兆しと県民には受け止められているようなのだが、私は少しく考えが違っている。それはなぜかと言えば、これから自動車産業を集積化したところで所詮は愛知県の二番煎じと言ったところだろうと思うからだ。それが悪いというのではない。これが思いもしない富県へ発展するきっかけにならないこともないだろう。だがしかし、世界の流れや動向などを考えれば、そう簡単に思い通りにことが運ぶとは思えないということなのだ。簡単に言ってしまえば、県の行政は経済の活発化と、それに伴う財政の豊かさを目指しているのだろう。そしてその先に県民への行政サービスに質の高さと量的な豊かさをも思い描いているものかもしれない。それはそれで叶えばいいのだろうと私は思う。しかし、それだけでいいのかと疑問に思うところもある。なぜならばそこに伺われる発想は、かつてどこかの都道府県が、あるいは国全体がたどってきた道であり、時を待たずしていずれ敗れ去る道へと続くような気がするからだ。本当に、自動車産業において今後も世界を相手に駆逐する勢いを未だ有しているのだろうか。諸事情により企業が移転や撤退を始めたときに、宮城県全体がずたずたに引き裂かれた状態に陥ってしまっていることはないだろうかと危惧する。私のこの危惧は恣意的には違いないが、決して根拠がないことではないと思っている。その一つは国全体にも言われていることだが、未来のビジョンが描かれていないところからくる。県の未来。県民の生活や全体としての文化的な将来像が少しも浮かび上がってはこないところから不安が生じる。地方自治体にとって、企業誘致とインフラ整備はセットになって希求され、そしてこの希求はかつてのバブル経済の前後から少しも変わってはいないものと私には感じられる。言ってしまえば自民党の政策や方針が今もそれぞれの都道府県の行政に影響を与え続けていると言っていいのだろう。経済の発展なくして成長なし、これは資本主義社会の常識なのだろうが、しかし本当にその道以外に私たちの歩むべき道は皆無なのだろうかと私は思う。階級や貧富の格差。いっこうに減らない自殺者の数値。鬱をはじめとする精神や神経を病む人々の増加。そういう面を見ない振りをしてやたらに産業の活性化に期待し、いかにもバラ色の未来が待っているかに喧伝する人々は、それによってかなりの恩恵が受け取られることが約束された人々という気が私にはする。少なくとも私のように知力も財力も気力も体力もないものにとっては、ほとんど恩恵はないと言っていい。いや、自分に恩恵があるなしよりも、結局は地方は大都市のいつかきた道をなぞる以外に方途がないのかと思えば、あまりにも情けなく悲しいのだ。
 
 数年前から吉本隆明が言っていた「第二の敗戦期」が今だという認識は、認識そのものとしては了解できていながら、「敗戦」の感覚を直に受け止めかねてきた。概念として、あるいは比喩的にしかとらえられなかったと言ってもいい。それがつい最近のワイドショー的な番組の中で、現在は「敗戦期」と極めて類似した状況に置かれているといった発言が飛び込んできたのを聞いて、いよいよこれは本物かなという思いに至った。発言者が吉本の言葉を見聞きしていたものかどうかは知らない。だが「敗戦期」は確実に深まりと広がりを持ち、その言葉が市民権を得るところまで近づいてきたのではないかと感じるようになった。つまり、昭和二十年の敗戦期に人々の心を占めた挫折感や敗北感が、今や再び日本列島をおそってきているように感じるのだ。、政治、経済、教育、その他のあらゆる分野で結局のところ「負けた感」が充満しているように思われる。
 景気、雇用、その他の多くの面で、発言者は「これ以上悪くなる懸念はなくなったのだから、敗戦の時のように明るくがんばるほかにないし、明るくがんばれば何とかなるのだから元気を出しましょう」という趣旨のことを発言していた。
 なるほど、それも一つだなと私は思った。ゼロから出発するならば、一つ一つ数値を積み重ねればいいだけのことだし、もしもマイナスからの出発であるならばとりあえずゼロに向かって邁進してみればいいだけのことだ。少なくとも生活者としての個人は、そこにだけ重点を置いて生ききればいいだけのことになろう。その他のものはどさくさ紛れの中での闇商売みたいなもので、いずれにしてもそういう世の中に期待できることはないし、実際期待してはならないのであろう。
 こうした意味では世のごたごたに紛れて、自らもごたごたの試行錯誤をして何ら恥ずるところはないともいえる。一生懸命でありさえすればよいのだ。もちろん成功も失敗もこういう状況下では当然の成り行きで、失敗は幾度重ねても誰からも文句を言われる筋合いのものではなくなる。この想念上の無秩序は、開き直りに近い勇気を私たちに与えるものでもある。
 
 言ってみたいことは、このように現在を「敗戦期」と捉える捉え方を、できるだけリアルにそして深化させて認識する仕方に可能性があるのではないかと言うことだ。この全社会的な混迷は、「敗戦期」としてみれば納得できる感がある。つまり経営的にも思想的にも、結果としては何一つまともなものはなかったのだということになろう。教育は無効である。政治は無効である。行政も無効であり、企業もまた自ら掲げる理念に対して無効である。すべての組織、組織体は総体としての現実に無力であり、それ故に今日の敗北の姿がもたらされている。そう考える以外にあるまい。
 敗北の責任はどこにあるか。その総括の前に政治家も経営者もとんずらしてかかっている。経営者は臆面もなく派遣や正社員の首を切って企業体という「形」を守ろうとかかっている。これが遁走の形態であり実態であると思う。多くの政治家もまた然り。派遣村のような貧困さの渦中に多くの者たちを導いておきながら、いまだに「成長なくして発展なし」とかいうお題目を唱え続けている。大東亜構想ではあるまいし、足下の現実をみて、あるいはその現実に共に生きて本当にそんなことがいっていられるのかと思う。
 私はそういうものみなから距離をおいて生きたいと切に思う。またそうしようとして尻すぼみの細道をやっとたどり歩いている。これがいいと公言する気は少しもないが、そういう行き方以外に行きようのない道を真摯に、あるいは半分やけになりながらも、何の虎の威も借りずにそれこそ「個人」の名において刻苦歩むものを、私は注目しつつ考えるときの支柱におきたいと思っている。
 
 報道によれば、政権発足直後には圧倒的に支持が高かった米国のオバマ政権も日本の鳩山政権も、今日では50%を切るところまで下落しているという。もちろんこれらの政権の誕生の裏には、それぞれの前政権支持率の急落により政権を委譲するほかなかったという原因があったのだが、米国においては初の黒人大統領の誕生であり、日本においては戦後初めての本格的政権交代で、これらの交代はある種単純な政権交代を意味するものではないなという気がする。だから、今日みられるような支持率の急落は交代によって生じた変化への軋轢の大きさによる混迷がもたらしたものであり、逆にみれば変化への抵抗がいかに大きいかが表れているように思われる。官僚の抵抗、地方の抵抗、その他いろいろ。こうした各所各場面での抵抗には米国のオバマ大統領はもちろん、鳩山首相も改めてそのすさまじさを実感しているに違いないと思う。
 我が日本における民主党の掲げる改革が、実現されるか不発に終わるか、それはわからない。また不発に終わるとしても、それでも地球は動いていると言うのと同じで、それでも民衆や大衆は生活を続けていくのだろうと思う。その意味ではどちらに転ぼうとも、私たちの生活には不易な部分が含まれている。
 改革や変化は、本格的であり根源的である度合いに応じてそれに対する抵抗も大きくなるのだろうと思う。民主党がどういった方向に舵を取ろうとしているのか、その実際はまだよくわからないところがある。元自民党や社会党だった政治家たちの寄り合い所帯でもある民主党の内部においてすら権力闘争は存在するに違いなく、限りなく右に近いところへと舵を切るのか、限りなく左の方向へと舵を切ろうとするのか明確には見えていない。ただ、いずれにしても前政権を否定して有権者である一般市民大衆は民主党に政権を執らせたのであり、民主党もまた前政権の政策等の否定の上に政権を奪取したのだ。だから、支持率の急落と言った現象を伴いながらも、それぞれの国の現実的混迷にも意味がある。そしてその行方は大変興味深い。
 
 素人なりに歴史というものをおおざっぱに振り返って考えてみれば、利益の争奪戦が繰り返されてきたとみることができるように思う。それが個人や部族や国といった位相の違いはあっても、それぞれの位相で絶えることなく、いわば円環し続けているようにも思われる。しかし、近年に「誰もが持ち合わせている個人の権利」という考えが発明されたように、少しずつではあるがこの同じことの繰り返しの様相にも進行方向を変える脇からの力が働いて、決して同じ次元の繰り返しとはいえない変化がもたらされてきていることも事実であろうと思われる。これもおおざっぱに言ってしまえば、誰もが平等であるという人類的な理想に向かっているのだろうと私は思う。たとえば古代の国家における一人の王の贅沢な暮らしぶりと現在の市民社会に暮らす私たちの暮らしと、中身的にどうかと考えれば現在の私たちの暮らしのほうがよほど豊かであるといった面があるに違いないと思う。つまりこのことは古代の人々の無意識の願望が、時を経て実現されてきているとみることもできるのではないだろうか。もうひとつ、このことは歴史に痕跡を残さない圧倒的な無名の人々のこれも歴史に残らない願望のなせる技であると思うのだが、現在は良い面も悪い面も含んでいるには違いないが大衆の支持や意向といったものが大きな力を持つようになってきたと思う。その意味で、あまりにも遅々とした動きではあるのかもしれないが、「国民主権」の理念が現実に進展し実現化の道をたどっているとはいえるのであろう。もっと拡大していえば、国民一人一人の思いが未来に向けて決して無視できない重さと影響を持つに至る途次にあると思う。これはマスコミの報道に見られるような表層の世論とは違う次元のことで、生活者の無言の願望、無意識の願望が、それこそ水を引き込む溝を形成し、政治その他の動きを誘導していくだろうという、半ば私の願望の上に成り立つ想像図だ。それは自らに、そして人々に、自分の命の限りだけで考えるのでなければ、それほど悲観する必要はないのだということを訴えたい意志の上に成り立っている。
 
 ここまで、断片的にそれこそ「きれぎれの発言」をつぎはぎしてきているのであるが、いたずらに日数も要し内容にぶれと揺れとが顕著になってきているところだ。これ自体はとても恥ずかしい文章であるが、現在という状況に対してちょっとした曲がり角だし、分析と認識を丁寧にしないと世論にのみこまれて間違えてしまうという自身の思いだけは表現できたと思うので、とりあえずここまでを掲載しておくことにしたい。
 
 
   「裸の個人」(2009・4・1)       
      (剥き出しの「孤独」)09.3.31
 
 立教大大学院教授であり哲学者の「内山節」が、河北新報の『あすを読む』欄に至極温厚な文章を寄せていた。
 
村では自然が「私」を包んでいる。村人が「私」を包んでくれている。村の文化や歴史も「私」を包む。ここにはいろいろなものに包まれている安心感があり、それが無事な時空を感じさせる。
 現代社会が弱体化させたのは、この包まれた安心感である。かつて人々を包んでいた自然や地域、風土から人間は離脱し、都市に暮らす個人になっていった。それでも少し前までの都市の暮らしには、まだいくつかの「包むもの」が残っていた。人々は家族に包まれていると感じ、友人たちもお互いを包みあっていた。終身雇用制や年功序列型の賃金制度をもっていた企業も働く人たちを包んでくれているような安心感を与えていた。
 ところが今日では、それらもまたハゲ落ちはじめている。家族に包まれていると感じなくなった人々もふえてきている。労働者を利益追求の道具のように扱う企業もふえ、今では労働者の三分の一以上が非正規雇用になってしまった。正規雇用であったとしても、定年までの安定が保証されていると感じる人がどれだけいるだろうか。
 
 私は、文章に表れた内山の社会状況の把握の仕方、見方といったものを否定するものではない。しかしながら、ある意味では正論が述べられているように受け取りながら、どこかしら腑に落ちない感じが残ることを意識しないではおられない。
 続いて内山は述べている。
 
 私たちは次第に「裸の個人」になってしまったのである。いろいろなものに包まれながら生きていた人間が、その包まれたものを失い、「裸の個人」になっていった。
 それは個人の利益を絶対視する思想を生む。自分以外に頼るものがない以上、すべてのものは自分が利益を上げるための手段になってしまう。こうして野蛮な市場経済が展開し、その市場経済からさえ退席させられていく企業や個人が増加する時代がはじまった。誰もが、たとえそれなりの形であれ、無事に生きて行く仕組みがなくなってしまったのである。 これで私たちの社会はもつのだろうか。私にはこの問いが、これから具体的なかたちで、私たちの前に現れてくる気がしている。多くの人たちが、さまざまな不安に怯(おび)える社会、というかたちで。
 
 新聞のコラムは、平易に、そして短く書かなければならないからこうなのかも知れないが、分かりやすいと同時に、私にはあまりに安易な図式じゃないかと思えた。内山が、かつての村社会にあった「包まれる安心感」と言うときに、私は戦前や戦後の一時期の村社会といったものを想像する。もっと言えば、内山は自分が育った過程における社会状況全般に、「包まれる安心感」を見ているのではないかと思う。要するに、昔はよかったと言っているに過ぎないような気がする。私もそういう後悔めいた気持を、この年まで少しも感じたことがないわけではない。しかし、私は思春期に、その村社会から否応なく押し出される受け身的な感受を持っていたから、内山のように「包まれる安心感」など感じようにも感じようがないのだ。「包まれる安心感」は、同時に、がんじがらめの束縛感や抜け道のない閉塞感を私に感じさせるものでもあった。私はいたたまれず、野辺に屍を晒すような、そんな覚悟で家出をしたという記憶を持っている。ふるさとの山村は、少なくとも私には懐かしくもまた惨たらしい記憶として存在する両義的な存在である。
 解剖学者の三木茂夫によれば、人類史は心のめざめから頭の発達を経て、現在は後発である頭の働きが優位となって逆に心は押さえ込まれるようになったという。頭の働きがもたらす欲望に歯止めをかけるものはなくなり、無限の欲望の末に人類もまた自滅の道を辿るだろうと三木の文章は暗示していた。
 全体から個へ、複雑から単純へ、人間の知は秩序を構成していく。おそらくそれは人間自身が生命を作り出すまで続くであろう。
 人間が「裸の個人」になっていくことは、私には不可避のことであったように思われる。
 
 近代社会の思想は、人間を単なる個体としてとらえた。「裸の個人」を絶対視したのである。私はそれは根本的な誤りであったと思う。そうではなく、いろいろなものに包まれているとき、個人にも安心感があり、無事を感じさせる一生がありえたのではなかったか。自然が人間を包み、人間の営みが自然を包む関係が成立しているとき、自然も人間も無事でありえたように、人間同士もまた、お互いを包み合うように生きて行かなければならなかったのではないだろうか。
 今日の私たちに与えられている課題は、自然をふくめて、人間たちが無事に生きていく方法の発見である。
 
 近代社会の思想とは、近代西欧社会の思想である。西欧近代の知の体系が世界標準である限りにおいて、個人が価値の最小単位であり、同時に公の最小単位であることも間違いない。こうした考え方が、根本的な誤りであったと内山は語っている。
 内山が言うように、西欧近代の思想に疑義を呈する人々は少なからずこれまでも存在した。先の三木茂夫がそうだ。その他に私が考えるだけでも、イヴァンイリイチ、マックスウェーバー、夏目漱石など思い起こす。
 吉本隆明もまた「アフリカ的段階」と題する著作の中で、先進諸国の現状、閉塞感を鑑みて、すべての民族、すべての国々が人類史の通過点としての西欧近代を経る必然があるのかと疑義を呈していた。その上で、現在のアフリカには世界史的な先進性もあれば未開も混在しているとして、もう一度人間についての考え方、人間社会のあり方をそこを起点として考え直すべきではないかと提案していた。
 結論から言えば、私は内山と違って、人間の歴史は一度は「裸の個人」をかいくぐった方がよいと考えてきた。その後にどのように自然や人間相互の関係を再構築するかが問われるのだと思っている。その途上において、先に挙げた知識人たちや内山のような考えも出てくる。あるものは、文明の必然的な流れに抗すべきだとし、あるものは抗しながらも逆らえないとして覚悟するものもある。私はといえば、こんなこと分かるわけがない。
 ここで内山が言っているのは、テレビコマーシャルにもしばしば登場する自然との共存・共生の考え方だ。そして、「今日の私たちに与えられている課題は、自然をふくめて、人間たちが無事に生きていく方法の発見である」と結んでいる。なるほど、そうなのだろうと私も思う。だが、そうであるならば、その発見を人任せにせず、内山たち学者がその発見までの道筋を切り開いてもらいたいものだと思う。そこまで分かっているなら、そしてそうまで言うんなら、早く発見して見せてくれ、そう私は思う。そのために、この社会は学者という席をつくって、ある程度の身分の保障をしているのだろうと思う。
 私にはしかし、内山のような学者がそれを発見できるだろうかと疑問でならない。現代の日本において、社会一般から教育の世界まで、西欧近代「知」の体系に支配されていて、そのことは個人の価値を根底において種々のシステムが構築されている世界だといっていい。要するにまだまだ「個」の究明の途上にあると言っていい世界だ。自立した個人になりきるために苦悶する世界である。おそらく、人類史上初めてと言っていい世界的な規模での「個」の確立といったテーマに遭遇し、その延長上にある。現代は、内山の言うように個人を「裸の個人」にし、全世界の人々をバラバラに引き離さずにはおかないだろう。内山はそれが「誤り」であったと断定しているが、私は正否は別にして、こうなってきたことは必然であったと信じて疑わない。もちろん、善悪ではない。
 文明が高度に発達し、個人が知的に上昇する。専門分化が進み、いっそう専門化していくとともに個人もいっそう個人化していく。バラバラになった個人は孤独を抱え、安心が奪い取られた存在になる。文明病。精神のない享楽人。現代的な公害。いろいろな言い方がされてきたが、共通していることは、そこに心を病んだ人間の姿が見られていることだ。 この流れは加速こそすれ、留めることは不可能であろうと私は思う。おそらくは先行きに保証のない、ごく少数に限られ赦されたドロップアウトが可能なだけだ。
 では、このまま三木茂夫が暗示したように、人間は自滅の道を辿るのかと言えば、内山のように西洋発の文明史観、発達史観を否定するものも出てき、資本主義、市場経済と心中するわけにはいかないと考え、これとの訣別の道を見いだすことが皆無とも思えない。だが、そんなことは今の時点では夢物語に過ぎず、はるかな時間の先にしか考えることはできない。内山とは違って、私などは個人として剥き出しの裸に近い個人といえるかも知れない。言い換えるともっと剥き出しの「孤独」を生きている、と言ってみたい。そして、都市や山村に限らず、私の視野に入る人々はみな誰も、「裸の個人」かその予備軍にしか見えない。私はそういう場所に生きて、この先もこの場所に生き埋もれていくのだろうと思う。
 
 
   どこへ向かうか、日本政治の行方(2009・1・30)
 
 インターネットの「ほぼ日刊イトイ新聞―2008年吉本隆明」に掲載してある、糸井重里と吉本の対話を紙に印刷し、何度か繰り返して読んでみた。
 ほぼ一年前の会話だが、いくつか面白い箇所があったので、紹介がてら感想のようなものも付け加えてみたい。
 年頭にあたっての吉本隆明の考える二〇〇八年という年はどんな年か?そしてこれからの世界はどうなっていくと考えるか?そんな問いを糸井は投げかけている。
 
 はじめの方で吉本が言っていることを要約し、おおよそのところを私なりの言い方で言ってみたい。
 まず、現在という時期は、戦後、日本の大衆から知識人、戦後の指導者たちを含めた大多数の人たちが願望したり、考えていたところの自由、平和、幸福、民主主義、そういった概念が、それぞれの心の中で崩壊しつつあるんだということを言っているように思う。あるいは現実的にも崩れつつあるんだということである。そして、これから四、五年のうちにちょっと違うところに移りつつあるとも言っている。
 この移りつつあるという判断の基準は西欧とアメリカ、特にアメリカの犯罪から経済までを見ると、日本においても同様にアメリカ的な段階にさしかかっていることが分かると述べられている。つまり、いろいろな面で日本は後追いをしているということだ。
 さらに、
 
 凶悪犯罪や子どもの犯罪も、西欧がやって、もうずいぶん長くなっています。社会に適応できるかできないかが、親子の葛藤とか殺し合いとかそういうことになって、日本でも現れてきてる。そんなことはもうアメリカでも西欧でも先進国はとうに体験してることなんです。
 子どもが悪いことばっかりして、親の言うことは聞かないというのもそうですし、完全に、日常の市民社会はそうなってます。ヨーロッパではもう、それをしずめている段階なのかな、って思います。
 
こう言った上で吉本は、アメリカのテレビドラマを見ると日本の先行きを予言するのもしやすいと言っている。つまり、ヨーロッパ、アメリカ、日本の順に社会状況が酷似して移り変わるとすれば、後発のアメリカの方が日本に近く、そこを見れば現在と少し先の日本の社会を考えるのに考えやすいということなのだと思う。
 
 つまり、日本の社会がこれからどうなるかを考えるときに、アメリカの同様のことの動きを見れば予測できるということが言われている。そこで、私たちは例えば、「ああ、当分はこういうようなところで推移していくんだな」等ということが分かるということになる。その意味ではアメリカの社会の動きは、日本の今、今後を考えるときの目安にすることができる事を言っているのだと思う。同時に、先に引用した子どもの問題などについて、ヨーロッパやアメリカが解決できていないのだから、日本においても即刻解決されることなど有り得ないことなのだ、ということも言っていることになるのだろうと思う。
 そうしたさまざまな社会状況の中で、もう一つというか二つというか、いくつか特徴的なことについても言及している。
 例えば自民党と民主党は本来対立するものなのに、「生活者主導」型の政治を標榜して利害関係が同じになっていること。また、言論界の話題は、温暖化と、民主、自民両党の動きを見ていればいいというようになっていること。そういう具合に多様性が言われながら、それぞれについては非常に単純な図式に置き直されて取り上げられるようになっていること。等々が言われていて興味深い。これは例えば政治的な主張からすれば、共産党や社民党その他の左翼系の主張は埒外におかれて、問題外のようになっている状況に触れたものだ。
 
 そういう中で歴史的な節目の兆候というものが、ここ四、五年の間にはっきり出てくるのではないかと言われている。
 この対話の時から半年後、アメリカはサブプライムローンに端を発した金融危機に陥り、年末には世界的な規模に膨れあがり、実体経済にも影響を及ぼすことになった。
 また年が明けて二〇〇九年になった今年、アメリカは初の黒人であるオバマが大統領に就任した。
 確かに一つの節目の時期を迎えている。吉本が四、五年の間に変化の兆しが現れると言っていたことは、もっと近いところで早速表れてきているといってもいい。
 
 ここで少しだけ付け加えれば、この対話で吉本は日本の政治的な問題については民主党を見ていれば先行きの見通しをつけやすいし、これからのアメリカの動向を推測するには自民党と民主党の協力や和合など、自民党がどこでどうなるかを見ていくと分かるといっている点だ。この言葉は感覚的にはよく分かる。民主党は日本的な保守とソ連共産党の影響を受けた人たちとの集合で、そこの動きは政治的な全体像の縮図として捉えることができる。右寄りになるか左寄りになるか。割れるか一枚岩を形成していくか。保守色を強めるか社会党右派系の色を強めるか。これらを見ていると全体がどう行くかを読むことが出来ると言っている。
 
 吉本の政治的な着眼点はいつも正確であると私は思い込んでいる。だいたいそういう見方をして、どう動いていくかが分かってくる。しかし分かってくることが何もゴールなわけではないし、分かったから偉いというものでもない。ただそれがしっかりしたものにならなければ、世界への発信につながらないということなのだ。もとより世界とは遠くをさす意味から言うばかりではない。すぐの隣人に話す場合でも、もしも自分の言葉に責任を持つという意味合いからは、そういう慎重さとそういう過程を経ることは必須のことだと私には思えるのだ。
 私は単なる庶民生活者のひとりに過ぎないから、正確な政治判断をする必要も何もない。ある意味では日本の動向や世界の動向に盲目であってもかまわない。だが流布される嘘を信じたり、ペテンにだまされたりするのはあまり気持ちのよいものではない。できれば自分の耳や目を使い、状況を把握して自分の進むべき道を進みたいと思う。私はそういうようにして生きて行きたいと思っているのだ。私は長い間自分の航海の羅針盤として、吉本の言葉を活用してきた。これからもそうしたいと思うが、吉本も高齢である。いつまで羅針盤として頼りにできるものかも分からない。できることなら自分が羅針盤となって自分を導きたいものだという願いを持っている。この頃はそういう心づもりを持って、最新の吉本の言葉に接したいと心がけているしだいだ。ひとりの庶民生活者として、自立できることが儚い望みだと言えば言えるのかもしれない。
 
 二〇〇九年の今年は、世界の経済危機とアメリカのオバマ新政権の誕生で迎えることとなった。世界大恐慌の二の舞になるのかどうか。イラクやアフガン、対テロとの戦いはどうなるのか。
 緊急の景気対策、雇用問題は日本も同様で、取り沙汰される衆議院選挙で自民党が勝つのか、民主党を中心とした野党が勝利するのか。その時にアメリカとの距離はどう変わっていくのか。日本の輸出中心志向はそのままか、それとも内需拡大に進むのか。あるいはオバマ新政権に倣って環境、介護等の新規雇用の創出に向かうのか、等々興味は尽きない。
 
 アメリカ、ブッシュの一国主義的な振る舞いは、世界から背かれ、挫折を迎えたと言っていい。それが民主党オバマ新政権誕生の引き金であろう。このことは日本の政権の行方を占うものでもあり、これから麻生政権がどんな政策に取り組もうとも、アメリカ一辺倒、つまりはブッシュ政権にべったり同伴した自民党が、国民に愛想を尽かされたその国民感情を打ち消し、回復させることなどできないに違いない。となれば、アメリカ同様政権交代が起きる可能性は極めて高い確率で起こりうることだと想定できる。もちろん、仮に民主党政権が誕生したとしても、オバマ新政権同様に、大きな嵐の中の船出となることは間違いない。どんな舵取りをするかは、また逆にオバマ新政権の舵取りに大きく影響されるところもあろう。そんな中で、民主党の保守派と進歩派との協調と離反とがどんな展開を見せるかは、オバマ政権の対外政策を占うものとなる。吉本はそれが政治全体の縮図になっていると言っていた。それを知ってどうなるのか、といえば、どうにもなるわけではないだろう。だが人間は知っておきたいと思う動物だし、知るならば嘘よりは本当のところを知りたいと思うものだ。世に流布する嘘の言葉ではなく、自分の目と耳を通した本当の言葉で日本、世界を把握できたら、それはその方がよいのだと思える。私たちの生活の場所はそれぞれに別物であり、私たちは吉本のように同じ次元で日本や世界の状況を捉えることは不可能だ。だが知識の多寡とはべつに、本質的な印象のようなかたちで、「本当」を掴むことは出来る気がする。そして一般的な庶民生活を営む私たちにとってはそれでいいのだと思える。それぞれやり方というものはあるものだとは思うが、私の場合は吉本を指針としてそうしているわけで、こういうやり方はどうであろうかと先ずは参考までに述べた次第である。
 
 
   雑感(2008.12.2)
 
 景気が悪く生活が苦しくなっている。殺伐とした事件、犯罪が頻発する。自衛隊関係者からの内にくすぶる声が、表面化してくる。政治や行政の、いわゆる要人の生命が狙われる事件が起きる。
 これらの社会的な事象の連鎖は、私たちにある種の「兆候」を感じさせる。不穏な気配。世直しを求める地の底からの声。
 マグマの噴出のように、社会を変える起爆剤になるものかどうか、私には分からないことだが、自身を含め、社会には現状に耐えられない怨嗟の思いが充満しているかに思える。根底から、何かを変えて欲しいと望む声なき声が聞こえてくる。何が変わればいいのか。これも私には分からない。
 救済を求める声であるのかもしれないし、我、人ともに消滅することを求める絶望の淵の住人が発する声であるのかもしれない。それが何か明確な声ではないとしても、その声が日増しに高まっていて、その気配だけは感じることが出来る。
 
 昨日、日曜の午前のテレビ番組で、民主党の小沢一郎を見た。対する自民党の麻生太郎首相は、毎日のようにニュースやワイドショーで見かけ、漢字が読めない、PTA会合の場で母親批判をしてしまうなど、その人格としての「軽さ」が取り沙汰されてきた。それを見ていると、麻生という人の半生は結局上澄みの「いいとこ取り」をしてきた人なのかなと私などは感想を持つ。
 反対にというべきか、小沢一郎という人には外見の強面の風貌とは別に、一種の「こもって」状況を見るとか、情勢を見るとかがよくできる人なのかなという感じを抱く。テレビなどにはあまり進んで出てくるタイプではなさそうである。
 日曜日のテレビでの主張は、大変率直に、思っていること、考えていることを述べているように感じた。そしてその主張の大半は首肯できるように思われた。とりあえず、選挙で勝利して民主党が権力を持ち、民主党内閣が出来たときに官僚主導を改めるというその決意、意志というものが伝わってきた。政権の交代無くして国民の生活が今よりもよくなることはない、そんな信念が伝わってくる。
 これは税金の使い方そのものの変革とも言えるが、従来各省庁から出された予算要求の仕組みを根底から変えていこうとするものだと言える。私のささやかな公務員経験から言っても、予算の要求というものは実績に対してかなりの水増しをするのが通例であった。これが、私のような末端に位置したものから、順々に上に上がってその水増しの金額がふくれ、最後にどれだけの水増し量になるのかと思えば目が飛び出るくらいのものだろうと思う。しかも、私自身としては、請求しなくてもよさそうな予算も例年通りに請求する仕組みになっていて、非常に無駄遣いが多いものだなあと思った。もちろん自分の金ではない。政府公認、県や町の公認の金だから湧き水のような感覚で請求し、使うということになる。 日本全国、津々浦々、こういう実態であると思う。
 たぶん、小沢一郎などはその実態を克明に知っていると思う。まず、国や県のレベルでそこのところを是正していけば、かなりの金が節約されると考えていると思う。小泉自民党は構造改革を叫んだが、そういうところまではまだ手が回らなかった。官庁の既得権を打破するには、官僚と一体となって政治を行ってきた自民党には、正直言って相当に難しいことなのだと言えると思う。政権が変わって初めてそれがやりやすい状況が出来る。小沢はそういうことも言っていた。これは、税金を安くするかもしれないし、景気の悪い今日、公務員と民間の底辺の格差感を解消していくことにも役立つかもしれない。
 また、小沢には消費が伸びなければ景気は決してよくならないという認識があるようである。普通の生活者の生活が安定し、消費を伸ばすことが今日の政治の役割の一つという考えもあるようだ。これにも私は同意したい。 小沢民主党が「生活第一」を掲げ、まずこれに集約して主張を展開していることは、政治の世界に一つの転換点が表れている兆候だと私は見ている。国民にそっぽを向かれたら、どんな企業も政党も成り立たない、そういう底上げされた「国民の力」の大きさが、顕在化してきているのではないだろうか。やっと政治家たちにもそれが気づかれ始めている。そして口先だけでは通用しなくなっているということも。私はそう思う。
 
 途中まで書いて放り出している内に、十一月の二十八日、公開の党首討論が行われ、テレビでそれを見た。
 見終わっての感想は、「つまらない」、それだけである。麻生も小沢も、新聞やテレビに紹介される発言以上のものは何もなかった。別に、ディベートといった議論の白熱を期待していたわけではない。それぞれ、国民の長であるとか、もう一方の代表であるとかの内に秘めた「情念」のようなものの手応えを期待していたのだったが、二人の様子からそういう面をうかがい知ることは出来なかった。 小沢は一言、総理の発言というものは常に国民に向かってのもので、その発言に責任を持たなければならないと言っていたことが唯一心に残った。小沢が、自分こそが真に国民の負託に答える考え方をしていると自信を持って言えるならば、それを根拠にもっと議論を押し進めてもよかった。
 麻生は金融法の改正案の成立をめざすの一点張りで、この討論会を乗り切ろうとしていた。そして、たしかに乗り切ってしまったかのように思える。小沢には豪腕の一打ちが足りなかったと思う。麻生の政策優先の主張が、言葉とは裏腹に政策にも成りえていない、真に国民が求める深さに達していないことを小沢は突くべきだったと思うが、それが出来なかった。
 これをボクシングにたとえてみれば、麻生はクリンチによって小沢の攻撃を防いだのであり、小沢は実力を発揮できずにふがいなくドローに持ち込まれた試合だったと見ることができる。両者ともに「ハングリー」が足りないのだ。元厚生事務次官を襲撃した「小泉」の犯行を産み出す社会の病弊、一人ひとりの国民の困窮する状況の厳しさに、政治家としての情念の矛先が届いていない。ちょこちょことジャブを繰り出し、効果的なボディーブローもアッパーも繰り出さずにクリンチに終始した試合は期待はずれの何ものでもない。そのように試合を見ていた国民の「思い」というものを、遂に麻生も小沢も脳裏に思いめぐらすことなく、ただひたすら対手のみが視野を塞いでいただけである。
 そうではないので、たとえ討論の相手を目の前にしていても、その対手の向こうに常に国民の姿を想定していなければならないはずであったのに、その国民の存在を忘れてただ目の前の敵と争っているだけであった。
 私たちはこんな政治家たちの体たらくに何を期待することが出来るだろう。私たちの代弁者として、代表者として、私たちの苦しみをもっと命がけで主張する政治家は誰ひとりとしていない。だからこそ社保庁の組織ぐるみの改ざんに始まり、田母神のような主張が湧出し、小泉のような犯罪が起きてくる。こうなってくると収拾がつかなくなってくる。
 
 十一月三十日の「やしきたかじん」の番組、「たかじん委員会」では、元の陸海空の幕僚長がゲスト出演して防衛問題について話し合っていた。レギュラーの三宅、宮崎、勝谷なにがし、その他のジャーナリストもいたが、結局のところは相も変わらぬ憲法九条と防衛の矛盾を指摘するに留まっている。そしておおかたは、他の国同様の軍隊を持ち、憲法に規定すべきだという論調が多いように思われた。
 話を聞いていて、小人たちが何を大騒ぎしているのかと思わずにおられなかった。別に自分が大きいと言おうとするのではない。防衛に関する発想の根本が、とても貧弱で貧困なのだ。彼らには、子どもにさえ発想できる、戦争のない社会、戦争のない世界が、一番まともであるし、望むべき世界だという考えすら失われているように思える。そして決まって北朝鮮が戦争をしかけてきたらどうする、というようなたわいもない発想に切り替える。いずれにせよ、いっぱひとからげに、「指導者成りたがり症候群」のひとりに過ぎず、事あれば何とかして指導層の枠組みに入り込もうとするに過ぎない連中だ。こういう連中のもっともらしい意見など、本当は眉に唾して聞かなければならない。
 どんな戦争にしろ、またどんな勝利国にしろ、必ず自国の国民の犠牲を強いられる。もっと言うと、自国の国民を戦争相手国の国民によって殺してしまうこと、それが戦争である。そんなもの、よくないに決まっている。そこで、第一にはどうしたら戦争を無くせるかを考えることが大事なことで、万一という発想がすでにおかしいことだ。
 私たち庶民は、防衛といえば自衛隊や軍隊にまかせて安心という考えを持っていない。言い方を変えると、自衛隊や軍隊といえば、その先頭に立たなければならないのは自分であり、子どもや孫であり、つまりは私たちの近親が参加するものと考えている。こういう場所から見れば、自分たちが戦場に駆り立てられるよりは、例えば伊達藩が徳川に取って代わられるほうがましで、極論すれば日本の政府がアメリカの政府に取って代わられようと構わない。
 日本というこの国の現状は悲惨である。現在の社会状況は、とてもこの国が誇れる国ではないことを私たちに示している。だがしかし、日々にふれあう人間は愛すべき人たちだと実感できる。私たちの生存を支えているのは、私たちの身近に存在するそうした人々であり風土である。決して「国家」によって支えられているとは思わない。「国家」とは、私たちのために存在するのであって、私たちが「国家」のために存在しなければならないものではない。私たちを守れない「国家」などは、私たちにとっては存在するに値しない。私たちに「危機」をもたらす「国家」は早晩すげ変わったほうがいいくらいのものだ。
 
 これらのことについては、もう少し本格的に考えなければならないことだが、とりあえずの思いつきを記しておくことにする。
 
 
   「田園漂流」批判(2008.6.29)
 
 河北新報の連載「田園漂流―東北・兼業農家のあした」が、6月26日付の記事を最後に終了するという。ずいぶん長い連載だった。はじめのほうでは一生懸命付き合って記事の内容への批判を書いたが、後のほうでは批判する気にもなれずに読み流していた。
 連載の最後は、宮城大客員教授アン・マクドナルドと宮城教育大教授の小金沢孝昭の発言が掲載されている。どちらも、「食と農を守れ」、「田園を守れ」という趣旨の発言で、これまでの連載の内容の繰り返しと違わないと思えた。
 アンさんの言っていることの中で、「都市の消費者は農村に足を踏み入れ、農作業を体験してほしい」とか、「農家自身も子どもたちを、もっと土に触れさせるべきだ」というあたりは言いたいことの意味合いがよく了解できる気がした。小金沢さんのほうでは、「兼業農家は本来、多様な農作物や加工品を作る、プロとしての力を持ち合わせている」という考えに同調できる気がした。発言の細部について、それを取り上げもっと異論を言いつのってもいいのだが、それもこれまで私が書いてきたことの繰り返しになりそうに思うので、ここでは取り上げない。ただ、最後まで「お客様」としての発言、「お客様」としての記事が多かったなという印象が残った。そしてそのことに対してはもううんざりして、批判するのにも値しないと思い、うっちゃってしまっていいという気になった。どうせ私は関係ない。責任もない。河北新報は自前の紙面で言いたいことを言い切った。一人の読者である私は、これでもかこれでもかと望んでもいない記事の望んでもいない主張を繰り返し強制的に読ませられたというそれだけのことに過ぎない。それさえ購買者である私が読まなければ済んだことだ。嫌いな主張を読んでしまった私が悪いのだろう。
 どうにもいらつく気分が抑えられないので、最後に「取材班からの提言」に思いっきり噛みついてやろうと考えながらこれを書き始めている。
 
 自然とともに生きる田園の暮らしは、地方に生きる豊かさの象徴だ。兼業農家は、ともすれば農外の暮らしに目が向きがちだが、足元の田園の価値をあらためて見直そう。環境にやさしい水田農業を担ってきたことに、自信と誇りを持ってほしい。
 
 提言はこう書き始めている。一見、何事もない文章にみえると思う。そしてもしかすると兼業農家への深い共感、理解、支援の思いがくみ取れる文だと錯覚を与えるかもしれない。確かにその思いを込めて表現しているのであろう。だが私はこの文章に、進歩的な(と自分たちが思っている)理念の傲慢さと、他人事への酷薄さとを感知する。
 「地方に生きる豊かさの象徴」?これは私には、「地方に生きる貧しさの象徴」と言い換えても同じことだという思いがある。文章の制作者は、本当に地方に生きる「豊かさ」とか「貧しさ」とかを身に染みて実感した上でこういう表現をしているのだろうか。逆に言えば本当に地方に根付いて生きてきた人々には、こういう軽い表現ができるだろうか。私にとってはここに見られる感性は、昔風に言えば「地主」の感性としてしか想像できない。もちろん私は地主なんかとは縁遠いから、また私の栗原市栗駒の実家周辺もそれとは無縁だから想像すらつかないが、あえて空想すればそんなところだ。
 「地方に生きる豊かさ」など、大声あげて言う農家の人々など、私の知っている範囲では誰一人いまいと思う。もし「地方に生きる豊かさ」があるとしても、あるいはあるとしたら、「自然とともに生きる」実感から来ると言うよりも、もっと微細な、生活や仕事の端々に一人一人が個別に感じたり発見したりする些細な感受それ自体の中に存在するのであって、それさえも自分がそう受け止めるにすぎないことで、一般化などできない性質のものだ。それはひっそりと、自分のこころに忍ばせているもので、忍ばせているということによってかろうじて地域の人々の中に共有できるものだと私は思う。「旅行者」のように、遠くから眺めるものに、その琴線など見えはしないし感知などできない。所詮、ここで言われている「豊かさ」など、「旅行者」が旅行者の目で、見えた光景に貼り付けたに過ぎない言葉であって、「あなた達自身が自分の豊かさに気づいていないのだ」とでも言いたげな、その押しつけがましい傲慢さに、文章の書き手自身が気づいていない。
 この記者たちははじめから錯覚している。農家の人たちの生活や心情を見つめ、その地下水のようなところから思いを汲み上げる地道な取り組みの前に、「自然との共生にこそ豊かな生活がある」という概念が先験的にあって、それを通して農家の生活や人々の心情を見ようとしているとしか私には思えない。いやな言い方をあえてすれば、「その生活がいいんだ、いいんだ」と、言っている。そう言われ、その気になる農家の人たちもいるに違いない。「田園漂流」のこの手の文章は、そういう弊害をまき散らす恐れがあり、しかも意図的にそう思わせようとしていることで私は悪質だと思っている。もし、これが本当によい生き方であり、人間の理想的な生き方であると考えているのならば、この文章の書き手たちは何をおいても自分が率先して農業に「参入」すべきではないか。大学教授をはじめとするこの連載の協力者たちも、四の五の言わずにすべてを投げ捨てて自分が飛び込めばいいのだ。そうすれば知恵袋もでき、意欲ある後継者の問題も解決し、日本の農業の未来は万々歳じゃないか。私はこんなにも農業が大事だと考える人がいるんだから、また立派な提言も対策も考えているんだから、そんな人たちが明日から一斉に農業人になれば日本の農業の再生などは簡単なことだと思う。一番問題なのは、なんだかんだ言いながら田んぼに足を踏み入れないこういう連中で、こういう連中が一斉に足を踏み入れれば現在の農業問題は一挙に片が付くと思う。「いや、俺たちが入ってもそう簡単にはいかないよ」ともしも言うとすれば、そういう大変なところにいる人々に向かって、「あんたたちはそれをやれ」とは口が裂けても言えないはずだ。そしてもしもそれを言っていれば、それがどんな意味で言っているのかこんなアホたちにも分かるはずであるし、分かった上で言っているという意味では確信犯的だ。つまり簡単に言えば、「一番大変なところは俺たちはやらない、あんたたちががんばれ」、そう言っているに他ならない。もっと言えば、ほんとは自分たちの知的な営為を、体を張って農業に従事することよりも高級なことだと無意識のうちに思い込んでいる。私は、兼業農家の人々は、河北が「田園漂流」でやっているような支援の声や、主張には、眉に唾して聞いた方がよいように思われる。
 「兼業農家は、ともすれば農外の暮らしに目が向きがちだ」という言い方も馬鹿にしている。「足元の田園の価値」を知らないのだ、と言っているに等しい。また、価値に気づかず、文明の利便性の方ばかりに目が向いていると批判しているのと同じだ。この文章を書いた記者の頭の中には、たしかに「田園の価値」が存在するのだろう。だが、長く農業に従事してきた人たちの中に形成されない「田園の価値」が、どういう意味合いの「価値」であるか、もう少し丁寧に考えるべきではないのかと思う。記者の言う「田園の価値」と、実在する農家の人々の無意識の「実感」と、どちらが重たいものでどちらを尊重すべきなのか。記者の言葉に促されて、「ああ、田園には価値があるんだな」と農家の人々が考えるようになったとして、これまで長い時間をかけて身に染みた実感とどちらに比重をおいて考えるべきかと言えば、私は後者の実感のほうこそを農家の人々には大事にしてもらいたいと思う。また、そう言うまでもなく、無意識の大きさで農家の人々はその実感を指針としてこれからの岐路に当たっての対処の仕方を考えるに違いない。
 仮に一つの農村の風景に、国の重要文化財的な「価値」があったとしよう。しかし、その土地を所有する農家にとって、風景の価値よりもその土地でどの程度の農産物の収入が得られるかの方が重要な関心事であることは言うを待たない。そしてそれは農家側に立ってみればごく当然のことであると思う。
 「農外の暮らし」に農家の人々の目が向くのは、俗に言えば「背に腹は替えられない」のことわざ通り、心に兆した自然な欲望、欲求によるものだ。そのことの必然的な無意識の願望というもの、そしてその切実さを、連載の担当者たちはより重く、もっと真摯に受け止めるべきだ。
 「環境にやさしい水田農業を担ってきたことに、自信と誇りを持ってほしい」。これもまた高みからの物言いをしてはいないだろうか。私はそう思うし、ここには綺麗事を言う時の嘘も含まれている。「環境にやさしい水田農業を担ってきた」だと?書く方にも読む方にも気持ちの良さを感じさせるかもしれないが、嘘を言ってはいけない。私の世代は子どもの頃に農業事情の激変を体験している。小学生の頃には田んぼで遊び、「ほり」と呼んだ用水路で、あるいは田んぼの水の取り入れ口や出口に「ど」と呼ぶ罠をしかけ「どじょう」を取った。取った「どじょう」は翌日か数日して食卓に並んだ。
 中学の時には「どじょう」は取らなくなった。化学肥料や除草剤などが田んぼに大量に播かれ、食することに注意を促されたとともに、その他の生き物も減少し、絶えていった。そうして川も用水路もコンクリートで固められ、どじょうもフナも、蛍も消えていった。少なくとも一時的にせよ、環境にやさしくない水田農業の時期があったことを蓋して隠すべきではない。仮に記者たちが体験上それを知らなかったとしても、「田園漂流」の連載の担当である以上、知らないで済むことではないし、本当に知らなかったとすれば連載を担当する資格さえないのだ。
 「自信と誇りを持ってほしい」という言いぐさにいたっては、いったい何様のつもりだと私なら言いたくなる。私が農業に携わる一人なら、怒りを通り越してあきれ果てるかもしれない。『我々に自信と誇りが見られないというのか、そうだとすれば、それは何の、そしてどんなせいなんだ。それを分かって言っているのか。仮に君の言う通りだとして、胸を張って自信と誇りを口にできないわれわれの現状を、君なんかに知り得るはずがない。こんなこと君ら若造に言われたくない』。私ならば、そう言って新聞を破り捨てるに違いない。自信と誇りがあったからこそ、これまでコメ作りをして暮らしを支えてきた。自信と誇りがなければもっと早くに田畑を放り投げているかもしれない。けれども、どう頑張っても暮らしが成り立ちそうもなくなってきたから、自信と誇りとが揺らぎ始めた。これはどんな職業で生計を立てていても同じことなので、倒産寸前に追い込まれ、第三者に「いいものを作っているのだから自信と誇りを持て」と言われても苦笑する他はなかろう。安易にそう言うが、その後の生活が保障されるならともかく、「誇りで飯が食えるか」と反論されたらどう答えるかと訝しく感じる。
 
 コメ作りの農村がはぐくんできた自然景観、田園のぬくもり、支え合いの心を大切にしよう。そうした魅力が、都会からの農業への新規参入者を呼び込む力になる。農業の現場から離れてしまった子どもたちを、田んぼに近づける努力も必要だ。
 
 取材班の文章は全くダメだと思う。こんな桃源郷かおとぎ話か昔話みたいな「農村の風景」を絵本みたいな風景に描いて、一人悦に入っているのは記者たち自身だけか、人のよい詐欺に遭いそうな人ばかりだと思う。これではひいきの引き倒しになるほかはない。また、外部の人間の体のいい「お世辞」の言葉にしかなっていない。「田園のぬくもり」と言い、「支え合いの心」と言い、少し意地悪な見方をすれば、これは共同体内部の人間がいつもこういう感じで生活が成り立っているわけではないし、場合によってはそういう振りをして付き合わなければ難しい面があるということも含んでいる。また、当然の如く、閉じた共同体の外からやって来るものに、容易に扉を開かない頑なな部分だって持ち合わせている。こういう三流のコピーにしか過ぎないような文章は、読者をなめてはいないだろうか。
 たしかに、都会の生活に疲れた人たちが、記者たちのいう同じ観点から田舎生活を夢見、移り住むことが最近は多いと聞く。魅力と写り、引きつける力も本当にあるに違いない。そうして善意に解釈すれば、資本主義社会が高度に発展すればするほど、文明が発達すればするほど、アジア的農耕社会を象徴するある種の親和性が恋しくなり、依拠したいと思う流れが広がることも予測しうる。おそらく、そしてたしかに、特に私たち日本人にとっては生活を営む上での理想と考えられるその一つに、農村生活は磁力を有している。
 あえて荒っぽくそして稚拙であることを怖れずに言ってみれば、便利さや好奇心などの心的な刺激という点からいえば都会生活のようでありながら、同時に農村生活のように自然が身近で周囲に人間同士の親和性が感じ取れる社会生活を、いま私たちは望んでいるのかもしれないと思う。だから農業問題が重大視され、農村生活がある意味脚光を浴び、衰退させてはならないとする声が上がることも十分に理解できる。だが、私にはいろいろな意味で、その条件はまだ整っていないという気がしている。だって宮城を代表する河北新報の記事でさえ、こんな体たらく何だもの。
 その上で、しかし、河北新報の提案は、都市に住む側の人々の考える言葉だという気がする。都会に住んではじめて分かったり感じたりすることがある。私はその意味では、農村に住む人々は一度都会に住むことがあってもいいのではないかとさえ考えている。それを、農家の人たちはずっと農家であり続けろというように聞こえる声が「田園漂流」などを通して聞こえてくるから怒っているのだ。本当に農家の人の立場に立ってものを考え、ものを言っているのか!というように。創業者も当時の記者たちもあの世で嘆いているさ。
 「農業の現場から離れてしまった子どもたちを、田んぼに近づける努力も必要」。これも決して一概に悪いと言いたいわけではない。ただこれを書いたり言ったりする人たちに、「それではあなたは自分の子どもたちに、それを強制しますか、出来ますか」と問うてみたいだけである。「田園漂流」の担当者たちはどうするだろうか。
 こういう発想や発言の一番よくないところは、当事者となる子どもを主体に考えた結果として言っているものではないことである。農業問題、農村問題を考えたついでに教育者まがいの発言をしている。それも本当にその時期に体験させることがベストなのか、自前で考え尽くした上での言葉でもない。実際に教育に携わる先生たち関係者でも、同じようなことを言う人がいる。それも、大抵は深く考えることをする人の言葉ではない。幼少時の経験にすがり、農業の手伝いは自分にとってよかったのかもしれないという思いつき程度の言葉だ。さらにそういう言葉を聞き、それもいいかもしれないと考えた若い人が言ったりする。本当に必要なら、どうして個々の家庭でそれをやらない。やらないには相応の理由がある。みんなそれを考えない。あるいは考えようとしない。
 ついでに言っておけば、いま学校では内外からの、「これを教える」べきだという声が多すぎるくらいあるはずだ。各領域の専門家、例えば省エネ関係、環境、パソコン、税の教育、金銭教育、等々。農業もその一つである。「大切なこと」が押し寄せ、その様は坩堝のようだといっても言いすぎには当たらないと思う。とにかく何でもかんでも教育現場に持ってくる。これをすべて現場に取り入れることは出来ない。軽重をおく。それでも一番大変なのは子どもだと私は思う。何が「本当に」大事なことか、分からなくなってしまうだろうからだ。味噌もくそも一緒に一つの入れ物に突っ込もうとする。なぜそうなるかと言えば、それぞれの専門があり、それぞれの専門からしかものを言わないからだ。自分の専門を全体の中に投げ入れて、その中で自分の専門分野にはどの程度の比重をかけるのがいいか誰も考えてものを言っていない。
 今回の河北の「田園漂流」も、兼業農家を中心に企画を考えているから内容は深くなるけれども、国際社会のグローバル化も含めた社会全体の中で、どのような流れの中でどのような未来が探れるのかまでは視野を広げていないと感じる。分かりやすくたとえれば、仮に農業の保護政策や、補助金制度を政策に求めるとして、国の財政や福祉や医療とのかねあいなども考慮し現在のすべての兼業農家をそのまま存続させていけると考えているのかどうか、そこのところをもっとはっきりと言わなければならないと思う。農産物の質を高めるのは大事だが、生産性の向上も確実な課題の一つであって、それは農家の戸数、就業数を削減することに結びつく。そのことは離農して他の職に就くことを意味し、その条件を迅速に整えることや心構えを作ることを喫緊の課題としていると思う。だからそれはそれとして、はっきりと物言わなければならないことだと私は思う。そのことを明言することに及び腰である。そして言いにくいことはこっそり袂に隠すようにして、聞こえ良いことばかりをいうのは政治家の選挙対策にも似て、厳しい現実を直視する社会正義の徒とはとても思えない。
 
 田園が活力を取り戻すには、消費者の理解と応援も欠かせない。都市と田園の交流をもっと深めよう。日本人の暮らしや文化の原点として、農家・農村の価値が国民全体にしっかり理解されること。それが農政の見直しや農家の自信につながる。
 
 これが「取材班からの提言」の最後になるが、ここにも嘘やごまかしや傲慢さなどが見られる。私はお米を購入して食べている消費者の一人である。その消費者に向かって、一方的に農業や農家、農村の価値を理解して応援しろと告げている。
 私は取材班のこういう文面の中の無神経に非常に腹が立つ。私たちお米の消費者の中には常に再上等のブランド米を購入して食べている富裕層もあれば、私のように長年金欠病を煩う層もあるのであって、一般的に言えばおいしくて安いお米を買いたいというのが消費者の心理である。私などは、最近はもっぱら味が劣っても安いお米を買うしかなくなっている。それだけに収穫後、親戚から少しだけ送っていただく売りに出せないお米にも舌鼓をうち、農家の人たちはたとえ私たちと同じく貧しくても、こんなおいしいお米が食べられるのだなと羨ましく感じている。最近は高齢社会、物価高騰、低賃金などが問題となり、年金受給者や高齢の生活保護を受ける人々の生活がテレビなどにも紹介されるが、そういう人々の食生活の厳しさは農家の厳しい現実に勝るとも劣らないと私は思う。いったい河北はこういう消費者を理解し、応援すべきだと逆提案したことはあるだろうか。あるとすればどうしてもっとそういう全体の中で農業や食の問題を取り上げようとはしないのか。
 それはさておいても、消費者がおいしくて安いものを求めるものだというのは動かせない事実であるし、供給する側は常にそのことを意識していなければならないと私は思う。もしもそのことを棚に上げて、ただ消費者に農業への理解と応援を求めても、それは虚しい努力に終わるほかないと思う。何故なら、取材班がここで言っている「農家・農村の価値」には、いま述べた「おいしくて安いもの」を供給できるというところに一つの価値の目安となるものが内在しているからだ。それなくして、価値を理解しろとだけ言われても理解できるわけがない。
 繰り返して言えば、「文化人」らが言うところの農業、農村の価値などは、ある一定の条件下で成り立つだけであって、普遍的であったり昔から認められている価値であるわけでも何でもない。要するにある意味殺伐とした都会生活から目を少しずらして農村の方を向いたら、そこに癒される光景が広がっていたというそれだけのことだ。だからといって彼ら「文化人」たちが、都会の便利な生活や享楽や刺激を享受することから離れて、田んぼに足を踏み入れるかと言えば、そんなもの余技ですることはあっても本気でやる人間はまず無い。そういう見せかけの理解者、応援者が何人いても、それは賑やかにはなるだろうが本質的な課題解決には何の力にもならないと私は思う。
 結局のところ、農業、農家は、消費者がおいしくて安いと感じる農産物を食べられるだけ不自由なく食べられるように供給できることによって、自ずから価値が認められるのであって、景観や環境保全、保水の価値などは二義的なものだ。
 「田園漂流」は、いま言った二義的な価値を連載全般にわたって強くアピールして来ているように思われる。そういう姿勢はどこかに錯覚があると私には思われて仕方がない。今回の二人の宮教大の教員の主張もそうだが、農村、農業の実態を知れと消費者に呼びかけるが、では、地方都市の契約や派遣やパート、アルバイトを含めた社員の生活の厳しさの実態を逆に農家の人々や農家を応援する農業関係の専門家たちは知っているのだろうか。低賃金で働く労働者たち、ワーキングプアの人たちは、とても農業の二義的な価値から高いお米を買ってまで応援する余裕などない筈だ。教員たちも取材班も、環境問題やエネルギー問題や、二酸化炭素排出問題など、地球規模の様々な問題に関心を示すプチ文化的市民派ばかりが消費者だとは思ってはいないだろうか。これが高じると、グリーンピースなどの反捕鯨運動のように、私たち低所得の消費者を「がまん」させたり、「犠牲」にして顧みない運動へと発展していく恐れがないとは言えまい。
 「日本人の暮らしや文化の原点として、農家・農村の価値」を認めろという主張にも、私などは即座には首肯できない。全く意見を異にするというわけではないが、特に東北には弥生の農業文化に先立つ縄文の名残が強くまた新しい。河北はかつて縄文の特集さえ組んだはずではなかったか。いつ、暮らしや文化の原点として農業、ひいては弥生文化を定見とするようになったのか。
 東北に残った最後の縄文の人々は、弥生の文化に押されながら、自分たち縄文の文化にはないその文化の価値の優れていることにも気づき、認めざるを得なかったに違いない。そして時々に抵抗を示しながら同化して行かざるを得なかった。だがしかし、東北においてはすっかり縄文が駆逐されたばかりではなく、弥生文化を挿し木のように受け入れた痕跡がないとは言えないと私は夢想したりする。つまりもっと底流に、もっと奥底に、縄文が田園風景の下に息づいているのかもしれない。そう思うと、この「取材班からの提言」の語る「文化の原点」の言葉を簡単に認める気にはなれないのだ。しかも東北の地方紙の代表格でもある河北新報の伝える言葉としてはさらに認めがたい。それは一つの通過点に過ぎず、原点はもっと奥底にある。
 こう考えると、優位な文化は少なくとも表層においては次々と広がり、以前の文化は塗り替えられていくという歴史における自然な流れというものは否定できないと私は思う。現在の農業、農村の沈滞とか停滞と見なされるものの内部にも、そういう面がないわけではない。そういう所はだからもっと厳密に、緻密に考えていかなければならないところであろう。
 縄文にとって身近に迫った弥生の文化は、徹底して否定すべきものだったのかどうか。否定して縄文の文化を守るべきだったのかどうか。私などには計り知れないことではあるけれども、いずれにせよ、歴史は厳然と動いたのである。その中に見るべきものを見るのでなければ、「知」の働きは、大きく誤って働くことがあることも歴史における事実であると私は思う。
 
 さて、「田園漂流」の終わりにあたり、同日付の第四面では読者から寄せられた意見や投書が反響特集として紹介されている。十一通のうち、そのほとんどは企画した河北新報の意に添った、揶揄して言えば「してやったり」の文章ばかりである。意見を述べた人は「田園漂流」を読み、素直に、虚心坦懐に感想を述べられているのであって、その文章を悪く言うつもりはない。素直に読み素直に感想を述べれば、こういう文章になるのだなあと思うばかりだ。
 だが、例えばはじめのほうで3通ばかり、食糧自給率が40パーセントを切ったことを問題にする文章があるけれども、本当は自給率の低さはいまに始まったことではない。自給率の低さは以前から言われており、それを聞いた時に私は、いま寄せられている反応とは逆に、私たちの食が他国の労働に支えられている部分が大きいことを思い、ありがたいことだなと考えた。歴史が進展するということは、また進歩発展するということは、こういうように世界全体が支え合うような方向に向かうということかと、未来を楽天する気持になった。しかしここ数年、急転直下、他国の脅威を元に、自給率を心配する声が大きく聞こえてくるようになった。そこにはナショナリズム、民族主義の雰囲気さえ交わって、私にはおやおやと思えるばかりだった。何だよ、お互いに不足するところを補い合う世界観の元に、順調に来ていたんじゃないのかよ。世界各国で農業の補助策をとって、またぞろおろかにも戦争の準備をするつもりじゃないだろうな。私は冗談半分だが、理由が分からずにそんなことを思った。それらのことについては専門家が分かりやすく言ってくれることを待つしかない。ただ、よそがそうだから、日本も万一に備えなければならないという昨今の声は、私にはどうも納得しかねる。戦争の脅威から、核を準備しろ、と言うのと同じ発想だと思う。被害妄想の類で、とても尋常だとは思えない。だが見渡せば、尋常でない流れが尋常を形成しつつある。いつの間にか自給率を高めること、もっと極端に言うと核を持つことが当たり前の、尋常な考えということになりかねない勢いである。核のことはいまは冗談に近いとしても、底流に流れている「脅威論」という意味では根を同じくしているものと私は感じる。
 このような脅威、脅威を多くの人が口にするようになると、幻であった脅威が、実態あるがごとき脅威へと変貌を遂げる。何故なら、それを口にすることによって他国への不審が徐々に心の中で膨らんだり、確信に変わったりすることがあるからだ。世論とはそういうように形成されやすい。そしてこれらの投書に見られるように、形成された世論に個人の考えは影響されやすいものなのだ。つい昨日まで、農業・農村のこと、自給率のこと、農政のことなど考えなかった人々まで、今日は「国は農業を保護し、支援すべきだ」と突如として言い出しかねない。河北新報は社会の公器として、そう言う世論を形成できる自分たちの力を知っているのだろうか。またその怖さを自覚しているのだろうか。
 私などは農業問題の一連の流れを見てきて、世論の流れに、ええっと驚かずにいられない。そして、意見を寄せる人たちの悪口を言ってしまうことになるかもしれないが、それらの意見の多くが、専門家の活字の言葉をつぎはぎして並べただけのような気がしてさびしい気分になる。もちろん、中には心の奥底から出た「自分の言葉」として珠玉のような輝きを放つ言葉が見られないではない。そしてそういう発言は、自分の生活身辺の目配り気配りの実感を元に語られていると感じることが多い。実感から発せられるものは重く、そして無意識の嘘が入り込みにくい。また流行や時流に流されるところも少ない。
 
 さて、連載の終わった翌日、つまり二十七日の第一面に「田園漂流」の活字が見かけられて驚いた。締めのつもりなのか、宮城県の村井嘉浩知事へのインタビュー記事が掲載されている。ついでだからと思って読んでみたが、格別コメントしたいと思うこともなかった。「兼業農家対策を強化していく」という行政責任者の、あれにもこれにも対応していかなければならない大変さばかりが感じられた。知事の発言で、勇気づけられたり、明日は明るいと感じたり、安堵したり、将来に意欲が持てると考える兼業農家の人はおるまいと思った。百年の計があるわけでもない。時々刻々の変化に対応するのがやっとだという余裕の無さも透けて見える。ご苦労様。頑張ってくださいというしかない。
 少し前、宮城県は自動車産業の誘致に成功した。他県から見れば垂涎をたらしそうな出来事だ。何故かというと、どの県も農業などの第一次産業中心ではやっていけず、工業や建設、製造業などの二次産業からさらに三次産業を活況にしていく以外に発展の道が展望できないから。これをもっと具体化した姿としていってみれば、割合として、山地、農地を減らし、一次産業の就業数を減少するのでなければ人工の集積化や町としての発展が望めない。つまり、農地や山地、一次産業の就業数の割合が多い地方都市は、人工の集積化が困難で早い時期の発展が望めないことを意味している。
 少し前になるが、全国知事会の会長か誰かが同知事会の決定として、ガソリン税の維持、道路特定財源の維持を国に求めた時、私は正直驚いた。
 低所得者層の生活の逼迫が伝えられていた時期なので、緊急措置的な考えとしてガソリン税の廃止などを訴える都道府県の首長が一人二人はいるだろうと思ったのに、全部が全部住民の一人一人のことを考えるよりも、とにかく予算の獲得、そして道路などの環境整備を優先していた。そういう考え方をしていたので、誇張でなしに驚いたのだ。そんなに器が大事なのか、そんなに企業誘致、産業の発展が大事なのか、と、そう思った。それならそれではっきりと言明すればいいのに、地元では「県民一人一人を大切に」などと言う。そういう行政の曖昧さ、あれもこれもの中途半端さが、私は兼業農家、あるいは農家全般をじわじわと苦しめてきた一因であると思っている。「田園漂流」の連載の最後は、宮城県知事に、農村、農業、そして特に兼業農家の逼迫する状況に対してどのような対策をするのかの問いを投げかけ、答えとしての対策を聞き出すものであった。知事はそつなく答えてはいたものの、政治、経済、社会学者、あるいはそれぞれの分野の専門家、文化人、そういう人たちが言いそうなこと、言ってきたことの延長で答えているだけで、知事の小役人的な印象しか残らなかった。村井知事も道路特定財源の維持を求めていた。その意味では、何を優先しているかは自明で、兼業農家対策はその次の問題としてしか考えていないことはすぐに分かる。離農する農家がふえ、農地が縮小することなどは口で言うほど、何とかしなければならないとは思っていないはずだ。そう思っていたとしても、おそらくは批判の声が上がらないための目配り気配りの類に過ぎないと思う。地方自治の首長たちも、県民に快適に暮らしてもらいたいと願っているはずである。そのためにはどうしても財源が欲しいということになる。つまり県民、県内企業から得られる税の収入を増やしたい。何をするにしても金がかかるからだ。
 私は今回、柄にもなく、「地方はどうあればよいか」と言うことを少し考えてみた。結論はもちろん、「わからない」だ。その中で、宮城はどうあればいいのかも考えた。もちろん分からないのだが、その過程で、望ましいのは「農業立県」か、「工業立県」か、あるいはもっと別の第三の特徴を備えた県をめざすべきか、というようにも考えてみた。そうしてみた時に、いくつかの産業の組み合わせから本県の理想の姿が考えられるのではないかと考えた。例えば漁業1、林業1、農業2、工業2、三次産業4の割合というような形でだ。この割合は就業者の数でもあれば、土地活用の割合でもある。そんな数式でこの県の理想の姿が追えないかと考えたのだ。そしてそこに、割合とは別に、かつての農業共同体が培った親和性を県民意識のベースに置くというような、ユートピアを思い描いたりもしてみた。もちろん私に理想的な産業の組み合わせや、その組み合わせから考えた地方の理想、宮城県の姿などおいそれと浮かんでくるはずもない。でも何かそういう形があれば指針にないりやすいと思い、首長たちにはそんな県の特色を備えた未来の形を分かりやすく提示してもらいたいものだと切に思った。そしたら兼業農家の人たちも、もう少し苦しくても頑張ろうとか、俺たちの土地は別の形で活用した方がいいとかの考えも湧き、先のことも考えやすく、悩むことも少しは減少していく気がする。もちろん行政はその姿に向かって、講じるべき手立ては講じていくということになる。今のところは例えば離農を考えるにしても、その後の仕事や生活が全くと言っていいほど見えてこない。ただ不安だけが増幅するだけなのだ。これらに関してももっともっと言いたいことは山ほどあるが、また別の機会にしたいと思う。
 
 以上、「田園漂流」を読んできての、私の最終的な感想である。私は河北新報の一読者に過ぎず、農業についてもその他への批判についても決して専門的な立場にあるものの発言ではない。こう思うということを素直に述べたつもりである。どんな団体にも所属してはいないし、どんな党派的な思惑も、主義主張に捕らわれてもいないつもりだ。書くことにおいて自分の考えをまとめたり、自分にも明瞭になるようにとの思いもある。また誰の目にも触れることのない少数意見が、しかし、見えるところにないから無いのだと考えられるのも癪で、とにかく文章化している。最終号を読んで、とりあえずの形で書いたので読みづらいものになっているかもしれないが、多々あるだろう無礼や失礼とともに許してもらいたい。ただ自分の真意はこめたつもりであるし、理解してもらえると思う。農業や農村の問題としては、とても言い尽くせるものではないし、これからも考え、またその考えをまとめる作業を行う機会があるかもしれない。その時はまたこんな形でホームページに半公開みたいなものだが、公開してみたいと思う。
 
 
   逃げよ(2008.6.24)
 
 秋葉原事件の加藤容疑者の供述を見聞きして、挫折、孤立、疎外、貧困、格差、差別、抑圧などの重層的な感覚から、ぐれたり居直ったり殺意を抱いたりという想念に辿り着くのは別に目新しいことではないと思う。そして異常でも不可解でもない。ただそれが、現代の若者の間では衝迫や想念の段階にとどまらず、短絡したかのようにいとも簡単に他者を殺傷する行為へと実践に移されるところが新しい。実行へと移る段階での壁がない、閾が低い、容易に跨ぎ越していく。そんな印象が持たれる。
 この事件に関して、河北新報の連載エッセー「水の透視画法」で作家辺見庸は、資本が生んだ「悪の核」はそれとして指ししめすことのできないものとなり、それはつまり万人が被害者であり加害者となるこの資本主義世界全体に求めるしかないと述べているのだが、とどのつまりは資本主義社会の成熟がもたらすものと言いたいようだ。。
 
どうやら資本が深くかかわるらしい原発悪が、ほうぼうに遠隔転移して、すべての人のこころにまんべんなく散りひろがってしまった状態が、いまという時代の手におえない病症ではないのか。万人が被害者であり加害者でもある世界。たしかにそれくらい悲しい時代はない。
 この世界では資本という「虚」が、道義や公正、誠実といった「実」の価値をせせら笑い、泥足で踏みにじっている。そのような倒錯的世界にまっとうな情理などそだつわけがないだろう。なかんずく、実需がないのにただ金もうけのためにのみ各国の実体経済を食いあらし、結果、億万の貧者と破産者を生んでいる投機ファンドの暴力。それこそが世界規模の通り魔ではないのか。つるつるのサイバースペース(仮想空間)にすぎない虚のモニター画面が、これも資本のしわざだが、人間の実像をしめだし、内面をも占拠してしまっている。実と虚が逆転してしまった世界では、正気と狂気の位相ももはや見分けがたい。秋葉原事件とはそうした中で起きるべくして起きた人間身体の発作ではなかったか。
 
 辺見の言いたいことは分かるし、言っていることについて異存はない。
 私はただ、辺見が言うような「被害者にもなり加害者にもなる」この世界が、極めて堅固であり、また極めて逃れがたいものであることを身をもって知り、私的なあるいは個的な救済策、解決策として「逃げ」てきたことを言っておくべきだと考えた。もちろん、私の「逃げ」の真意は辺見が言うところの「道義や公正」、「誠実」、それらの価値も守るためにだ。あるいは、「人間的なもの」を失わないためにだ。
 これは声高に言うことはできない。私自身、それが何かと問われたならば口ごもってしまうかもしれないそれらを、しかし、私は守りたいと考えてきたことに嘘はない。嘘はないが、そんな価値があるかどうかさえ私は知らない。ただそう思い、そう考えて、「逃げ」てきた。比喩としての「加藤」や「宮崎」から逃げた。群がって手をつなぐところから逃げた。数を頼むところから逃げた。「オタク」から逃げた。孤立や孤高から逃げた。会社から逃げ、教員という仕事からも逃げた。内面の嘘から、流布される言葉の嘘から、逃げようとした。逃げに逃げて、もう逃げ場所はないという地点に近いところまで逃げてきた。
 私は本当は逃げることがいいとは思ってはいない。できれば颯爽と、一戦交えて倒れることができれば格好良くていいと思うのだ。だが、逃げてきた。弱虫であり、臆病なのだ。だがこうやってしか守れないものがある。
 私はたいへんマイナーな考えかもしれないが、若者たちにも逃げて欲しいと望んでいるし、逃げてもらいたいと心の中にいつも思っている。何から逃げよと言っているのか。それは笑われるかもしれないが、すべての人々の内外に襲いかかる黒い翼を持った何ものか、という陳腐なイメージでしか伝えることができない。先の辺見の言葉の中から類推してもらってもいいのだが、そういうものから逃げることがとりあえずは第一段階なのだと私は考えている。
 さらに言えばそれは辺見の言う、「実」の価値の復権を遠くに望み見ている。
 私の言う「逃げ」の道が、唯一の道であるかどうかは知らない。だが私はそう思い、若者たちにもその思いを伝えようと思うだけだ。逃げて逃げて逃げて、どれだけの者が逃げおおせるか分からない。だが、逃げて逃げて逃げ切った果てに、残るものがあれば、それは希望に転ずるだろう。私の思いはそれだけに尽きる。
 矢を折ろうとはするな。ヒーローになろうとするな。疲れたら怠惰を決め込んでごろりと横になれ。時間を無駄に使え。稚拙でいい、「自分で考える」時間を持て。人間の歴史は、悩むことにおいては膨大な資料と参考書に埋め尽くされている。そこに救済の手がかりを探るのもいい。
 逃げ続けてきて思うのだが、人間には桁違いに立派な奴もいなければ、桁違いにダメな奴もいない。幸福も不幸も、見る角度の違いでどのようにも見えてくる。勝ち組とか負け組とか、その見方自体にも精神の狭量を見ることができる。何も簡単に片づくものなんて無いんだ。
 「加藤」容疑者は、被害者家族の感情というさらに重たい荷物を背負い込んでしまった。そういうところに行き着かないために、やはりもっと逃げることが必要だったのだと、私は思う。
 辺見の文章は、「いまという時代のおためごかしと酷薄を、若者たちは身にしみて感じている。」と結んでいるが、若者たちのそうした感受はおそらくは子どもの頃から積み重ねられたものであろうと私は考えている。誰も肯いてはくれないかもしれないが、私は小学校の教員の時に、そういう雰囲気がすでに子どもたちを囲繞していることを感じていた。それは大人たち、先生たち、地域社会がそうしているというわけでは決してない。「時代」が「人の姿」をまとって、「おためごかしと酷薄」を醸し出していると言えばよいだろうか。その中で私はドンキホーテのように、見えない幻を見、子どもたちに危険が迫っていることを教えようと必死だった。だが私の言葉は唖者のように、意味をなさない言葉の瓦礫として唇からこぼれたに過ぎなかったと思う。
 辺見にしても私にしても、こうした時代状況の中で何が為せるかと言えば何もないに違いない。事実辺見は先の結びの言葉で、若者への共感を示したに過ぎず、それは一陣の風ほどにも状況をそよがせはしまい。私などはもっと無力に過ぎないのだ。それを責める自分から私は例によって逃げる。そしてこんな私たちの姿もまた、若者たちからは「おためごかしと酷薄」の元凶と見えるのかもしれない。仮にそうだとしても、そうした状況の中から自分をどのように救抜するかは、個々に選択するほかないのであろうと、私は思う。
 
 
   メモあるいは覚書(「ヒューマニズム」への反乱)(2008.5.30)
 
 少し前に、高校を卒業したばかりの若者が、見ず知らずの無関係とも言える人を線路上に突き落とした事件があった。その前にはやはりある殺人の容疑者となった若者が、とある駅の付近で包丁を振り回し、無差別に数人を殺傷するという事件もあった。逮捕後には、「誰でもいいから殺したかった」というようなコメントがあったと記憶している。
 憎しみからにせよ、これまではある標的がいて、これを殺傷するというのがこの種の事件のパターンであったはずだが、これらはそうしたパターンから逸れている。そしてこういう、当たり前でない犯罪が、このところ多くなっているように思われる。ひところ新聞紙上をにぎわした、鈴香被告、もっと前には「サカキバラ」などの名も思い出す。
 私は今、これらの事件をひっくるめて考えて、「ヒューマニズム」への反乱という見方が可能ではないかという気がしている。もちろん、全ての犯罪は「ヒューマニズム」に反していると見ることができる。しかし、ここではそれと同列に考えようとしているわけではない。
 
 「ヒューマニズム」とは何か。これを人間愛的なもの、人間存在を大切に考えるということ、思いやるということなどと考えれば、「知」はこれを絶対的に否定できない。それは「知」の根源であり、根拠であり、根本であるからだ。そもそもの「知」の体系は、そこから派生してきたと考えてもよい。
 「知」の体系には「善」が内在し、「ヒューマニズム」が内在する。人間とそのかけがえのない生命を愛さなければならない。困っている人間を助けなければならない。近代的な「知」の体系はそこから出発し、行き着いた先がどこにあったかを私たちは知っている。「知」は宗教化し、その果てに弾圧と虐殺とをもたらした。仮に誰もが知的信仰までは行ききらなかったとしても、「善」や「ヒューマニズム」その他の人間にとって「よきことの思い」というものは世界の人々の頭上に広がりを見せていった。世界的規模での総「よいこと」への結束。これをイメージするならば、我々は身動きできない「善」、身動きできない「ヒューマニズム」に頭上を覆われ、抑えつけられていると言っても過言ではない。「空気を読む」という言葉があるが、私たちは、「よいことをする」ことへの意志をかき立てるような空気が、いたるところに充満していることを感じとることが出来る。そしてそれは私たちのいくぶんか重い足取りを促すように背中を押すものとなっている。少なくとも私たちは、建前的にはこれに異議を唱えることは難しい。全世界は、「ヒューマニズム」の荷を背に負い、坂を登ろうとしている。
 私たちの世界の現実は、しかし、表と裏が透けていて、全く逆じゃないかとも受け取れる。こうしようと言っていることと、こうしてきたという実際とが明らかに違って見える。システムは、だからこそ、「ヒューマニズム」の徹底をというのだろうが、言えば言うほど、やればやるほど、結果は意想外のものに相貌を変えていく。
 
 「善」や「正義」や「ヒューマニズム」に支えられた「知」は、ある種の状況において収斂することを促され、あるいは余儀なくされた時に、必ずと言ってよいほどメビウスの輪を辿るように価値が転倒する場所に行き着く。反転すると考えてもよい。「知」は、「知」によってこれを回避することは出来ない。具体的には現在も終結をみないアメリカと中東の関係をイメージしてもらえば分かりやすい。アメリカの「知」と中東の「知」とが、それぞれの収斂する箇所において対立している。対立は党派的になって互いに一歩も譲らない。傍からは、単なる殺し合いとどこが違うかと見える。犠牲者の数だけが日増しに増えている。理念に反してまでも理念を遂行する。「知」は、そういう収斂した地点で劣悪な相貌に変わる。ここまで行くと、「知」は宗教となり信仰に変わる。私たちはこれを否定したいと考えてきた。
 
 「知」は人間としての、人間的な働きではあるが、人間の全体性からみれば一部に過ぎないのだと言うことができる。そして脳が働いている時に始めて「知」たり得ているのであって、仮に脳が休んでいたり眠っていたりした時に、「知」もまた不在である時があるはずなのだ。しかし、「知」はそういう事実を捨象し、継続していると思っている。
 
 私は昨今の少年少女、若者たち、あるいは大人たちの間に発生する反ヒューマニズム的ともいえる事件を考えた時に、上に述べたような同じ力学が個人の間にも何らかの影響を及ぼしていたり、あるいは同じ力学が働いているのではないかと疑う。「ヒューマニズム」が身に付いていない、道徳心がない、あるいは知的に劣った野蛮な行為とみることは到底出来ない。たしか神は自分だと手記に記していた若者もあったかのように記憶している。そうとすれば、もちろん神は「善」の象徴であり、神のなす事はたとえ殺人であっても「善行」に他ならないという考えに帰結する。それはまた無差別殺人をさえ可能とすることにつながっていく。
 
 「知」の強制。「ヒューマニズム」の強制。社会には、そういう教育的な囲い込みの力が過剰に存在している。私たちの内の「知」の部分は、日常的に監視され、知的、ヒューマニズム的であるように絶えず追われ続ける。少年や若者たちの場合、あらゆる体験や経験の不足から、それを知的に反芻する機会も少ない。はっきり言えば、だらだらしたり、怠惰であったりする個のある部分を隠さなければならない。あるいは無いものとしてカモフラージュし続けなければならない。
 
 だらだらするということ、非知的であるということ、これらを内側に取り込んで、そこに自らを解消していくことを考えない「知」は、非知的なものを攻撃しようとする。そしてその攻撃は、自己の身体、他者の身体、もっと言えば生命そのもの、そして生命を抱え込んだ自然へと向かっているのではなかろうか。
 「知」とか「善」とかは、人間存在に意志的であるように促すが、人間とは元々そういうように生きられるものではない。それらは自分の非知の部分、すなわち身体、もっと言うと生命に向かって、言ってみれば生命の発露を阻害するように働きかねない。生命とは善でもなければ、それ自体、知的というわけでもない。「知」や「善」から見れば、ただ存在するだけの存在は「無用」なものと判断されかねない。自己の存在が無用となれば、自己内部において矛盾に切り裂かれる。生命自体は向日的に生きることを欲するのだが、「知」や「善」は抑制に向かって働く。
 自分が無用であれば他者の身体、生命も無用であるはずだ。
 人間の「知」や「善」と根源一体であるとも言える「ヒューマニズム」は、自然界の中においては卑小な、全く無きが如くのちゃちな人間のさらにちゃちなコミュニケーションツールを起源としているに過ぎない。それが言ってみれば窮屈な道徳的な価値意識において、本来荒々しい生命力を有し小児のような天真爛漫さで縦横無尽に地上に生きようとする人間を、いっそう小粒な近代人へと変貌させてきた。さらに現代においては知的に、神経的に、病者を再生産する元凶になっていると言っていい。この病者はしかし、感覚において全く健康故の病者である。この病気に罹患しない人間は、かえって手の施しようのない麻痺に脳髄を冒されている。そしてそれが分からない。あるいはまた逆に、だらしのない、鈍感な、非知的な面を許容して生きる人間ほど罹患を免れうる。「ヒュ−マニズム」耐性とでも言うべきそれは、しかし存在が明らかなわけではない。ただ思念においてのみ想像されうるだけだ。
 
 何が言いたいか。一言でいえば、社会に「ヒューマニズム」が過剰に飛散し、飽和状態になっているのではないかということが言いたいのだ。花粉症のように、アレルギーが敏感なものたち、免疫のないものたちに襲いかかる。もっと怠惰であり、いい加減であり、出来ない、うまくやれない、そういう人間のマイナス部分を再評価すべきだ。少なくともそこに耐性が宿っていることを認めなければならない。
 怠惰になれと言っているのではない。怠惰やいい加減さの価値を認め、「知」や「善」や「ヒューマニズム」の中に、組み込む必要があるといいたいのだ。社会全体の中にある「集合的無意識」のようなものの中に、いっそうそれが不足している。だからこそ、動機不明、異様と感じられる犯罪が突出してしまうのではないか。
 
 多くの大人たちも子どもたちも、こうしたいと思いながら出来ずにいるという体験を山ほどしてきているはずだ。そのことの実際はあまり口にはしないけれども、それを内側に処理しながら生きている。要するに思うところと実際の有り様との違いを受け入れ、現実生活の内部においてそれを解消することが出来ている。生きるということの大部分はそういうことなのだと思う。それはしかし、表沙汰にされることは少ない。それがなぜか分からないが、私たちはその部分を秘めて、努力しよう、ひとにやさしくしよう、環境を守れなどの綺麗事ばかりを口にする。地球の表面を覆うように、世界の表面はその綺麗事によって覆われているかのようだ。だが、その表面の薄皮一枚をめくれば、実際の世界というもの、世の中というものがヘドロのように露出する。それは綺麗事の薄皮が地表を覆ったために実世界が酸欠に陥り、窒息しかかっているのだ。
 
 よりよく生きることを強いられる。人間にとって、これ以上に抗しがたく、そして苦痛を強いられる状況はあるまい。少なくとも私はそのことによって、それを重荷に感じ、重圧に押しつぶされそうになりながらかろうじて生き長らえてきたのではなかったかと思っている。それは考えることにおいて、「誰もが願うところに生きられるのではない」というような詩句に似た考えを内側に取り込むことにおいてだった。逆に言えば、「どう生きたっていいや」という開き直りの強さを得た事による。
 昨今は、このあたりの重圧に耐え得ない少年少女たちが多くなっているのではないか。開き直りがうまくできないのか、はたまた重圧が以前よりも強まっているのか。
 
 
  「ひっそりと死ぬこと」に対して思うこと(2008.5.10)
 
 数日前に親子心中の痛ましい事件が報道された。八十過ぎて痴呆症になりかけの母を、五十を過ぎた息子が首を絞めて殺し、自分も首を吊ったという事件だ。悲惨だけれども驚かなくなった。これに類したことはいっぱい起きてきているし、また自分の身近にもありそうな話であり自分の近い将来も無縁だとは思えない、そうなりがちな話しだと受け止めている。新聞ではこの事件を後期高齢者医療制度や年金と絡めて、制度的な盲点として指摘した記事を別枠で作成していたけれども(河北新報4月12日)、私の関心はそういうところにはない。差し迫った問題として「明日は我が身」であるし、親戚の中には今日の問題として、まさにいつこういう事態になってしまうかと予想されかねない問題なのだ。
 二人の人間の死は、「金」がないところで起きている。母親を介護できる医療施設に入院させたり、それなりの施設に入院させる財力があれば、母を殺し、自らも命を絶つことはなかっただろう。徘徊があったために、息子は母親を一人おいて仕事に出かけることも出来なかったという。二人の妹がいたというが、たぶん今の世の中はそう単純に兄弟で相談すべきだったというようなことにはならない事情が間に挟まれていると考えた方がよい。金があれば、取り敢えずはこういう形で死を迎えることはなかった。このことは疑いようのない事実で、まずこのことは記憶にとどめておきたいと思う。
 金の問題のほかに、兄弟、親戚、地域という関係の希薄さも二人の死には影を落としている。それは強いられる希薄さで、ただそうなっているとしか考えようのないものだ。仮に私が兄弟であり親戚であり、あるいは隣人であったとしても二人に対してどういう事が出来たかは覚束ないことだ。たぶん、「母を殺し自分も死ぬ」つもりだと直に告白されない限りは彼らの現状に入り込んでいくことは難しい。息子の側では、それを告げることで兄弟であれ親戚、隣人であれ、迷惑をかけてしまうことに耐えられない心性になっていたに違いないと思う。同じような状況にあれば、私もまた同じような道を辿っていくような気がする。私たちはこういう時代の、こういう状況の中に存在している。 
 金銭的にも、人間的な関係においても貧しいものは、現在こういう最後を迎えることは珍しいことではないと私には思える。そしてこういう状況は行政サービスの拡充によっても変えることのできない流れのように思われる。これは私たち貧しいものにとってはただ遅くやってくるか早くやってくるかの違いでしかない。もちろん誰に訴えることも出来ない。親子ではなく、夫婦間の場合も同じだ。
 この男性や母親の場合のように、年金も大した額ではなく、仕事も出来ないとなれば、ましてその上に後期高齢者医療保険料を年金から天引きされたら生活そのものが出来なくなるといった家庭は、どのくらいの割合でこの日本に存在するのだろうか。新聞やテレビを見ての印象では増えてきているような気がするが、それでも全世帯の5パーセントに満たないようにおもえる。そしてこれが最下層の問題であるならば、新聞やメディアが珍しげに伝えても、大きな社会問題として扱われないのは当たり前という気がする。気にはなっても誰も本気で取り組もうとしないのが常だからである。そしておそらく一定の割合でこのような惨劇は繰り返されていくのだろう。
 このような事件がありましたが、何か問題でも?私には、社会が、お笑いの「おぎやはぎ」のように、そのように居直ってくるような気がして仕方がない。そう言われて私自身は口ごもってしまう。人間が二人死んでも、「何か問題でも?」と言いうる無神経さを別にすれば、私は社会に対して、状況に対して何を言い何をすることも出来ない。ただ私は妥協しない物語を創作し続けたいとだけは願う。
 仕方がない。そう思って、痴呆症や徘徊の症状を持つ母親の首をしめ、自分も首を吊るこの男性の内側に逃避していく気持を、私は共感を持たないではない。出来ることならそのように、ひっそりと始末をつけるやり方を私も願望するところがある。それから言えば悲劇でも何でもなく、昔から歴史の裏側にはいつもあり続けてきた事柄に過ぎないとおもえる。姥捨て山に母を背負ったあとに、残った自分の人生を全うしようとするのではない。すでに姥捨ての行為において自分の人生も切り捨てるという、そういう自分と他者との密着度が、私には悪いことではないように感じられる。ぎりぎりに、この場合は母である他者と自分との関係とを不可分のものとして感じ、考えなければこういう行為となって表れない。私には彼の母もあるいは無意識の中で納得済みのことではないだろうかとさえ想像する。自分が生きるのに、お前が邪魔なのだという声は聞こえてこない。想像を逞しくすれば、もはや生きることも死ぬこともあまり変わりがないことだ、と言う男性の内心の呟きさえ聞こえてきそうだ。 
 
 いずれにしてもこういう問題は、ある時代的な変換を施せば、過去にも未来にもある永続的な問題が含まれていて、にわかに制度や地域や近親のせいにしてすますことは出来ないという気がする。親戚や近所にお節介なじいさんやばあさんがいたら、あるいは解決することかもしれない。あるいは落語に出てきそうな地域の世話好きな重鎮がいたら同様に何とかなったかもしれない。だが、そういう古き良き時代を今に呼び戻そうとしても適わないことに違いない。
 当人に、この場合は息子である男性にということだが、生きようとする強い意欲が生じなければ、いかんともしがたい。もちろん生きようと欲し、いろいろな可能性を探ったあげく逆にその力は萎えていくことになったに違いない。その間の経緯を思うと、私にとってはとても他人事ではない。彼の結末は私をも萎えさせる。救いであるとか、藁をもつかむとか、死ぬ気になれば人のものを盗んでもいいとか、さんざんに考えたあげくに、彼の倫理はその道を選んだものでもあろう。そう考えると、私は言葉を無くし、絶句するほか無いように思われる。そして彼の死を見送るように、彼に続くものたちの死への旅立ちを無言で見送るということになるのであろう。
 こういう問題に、私が善意とヒューマニズムとにより、手を差し伸べ、あるいはそのための活動に奉仕しようとしないのはなぜなのだろうか。無力感や怠惰というだけではない何かが抑制として働くのだろうか。今まさに溺れ沈もうとするものが目の前にいれば、おそらく私といえども前後の見境無く手を差し伸べるに違いない。しかも手を差し伸べれば必ず助け仰せる保証はどこにもない。私たちは出来る範囲で動き、そしてその結果については全ての責任を負うことは出来ない。
 
 やや感傷的に以上のようなことを考えていたら、ミャンマーの大竜巻、暴風雨、続いて中国に大地震が起こりどちらも空前の死傷者が出たという報道を聞くことになった。そちら側にはもちろん各国からの支援が早急に表明された。当然のことと思う。そう思うにつけ、先の小さな不幸はかすんでしまい、予備軍には何の支援策も講じられないで、やはり痛ましい事件としていつか報じられることになるのだろうと思い、それはそれでやりきれない思いがする。
 ミャンマーの軍政による救済の遅延、中国政府の貧困地域改善策の後回しがつけとなった被害拡大など、天災が政災でもあることのやりきれなさは、総じて人間社会はまだこんな程度の段階にあるのだということを私に思い知らせてくる。それは私の心を暗く曇らせるが、各国からの迅速な支援体制の取り組みには明るさもまたほの見えてくる。遅々としてはいるがこの災難が多くの目と心とを開き、いっそう生活者大衆のための世界の創造に向けて政治を含めたすべての社会的活動が加速していくことを願わずにおれない。
 
 
   景気の悪さは政災?(2008.5.10)
 
 五月三日。暫定税率の再可決により、再びガソリンの値段が上がった。通勤途上のスタンドでは、軒並み百六十円近くなっている。「特売日」の看板を出している店は、それでも百五十四円程度で、会員価格は百五十円となっていた。
 一般生活者の立場として、道路財源がどうのこうのという話は関係ない。中央や地方が道路を整備するといっても、私たち個々の生活者の要望を第一としてのことではない。逆に個々の生活者の要望など無視されて、優先順位ははるかな遠くの当たりで決定されている。おそらくその是非を直接投票にによって国民や住民大衆に問いかけたなら、結果は目に見えていよう。そんな道路整備はしなくてもよいという声が圧倒的多数を占めるだろう。だから、道路財源のことなど、生活が逼迫する状況の中ではどうなってもいいことなのだ。 諸物価高騰の折りに、ガソリンだけでも安いままであってくれたらという願いは、しかしはかなく消えていった。生活はますます厳しく、苦しくなっていきそうである。テレビで、福田首相が全国知事会の代表者と会い、感謝の意を伝えられ、首相もまんざらではなさそうに「地方行政をしっかりおこなってほしい」と話したという。終始にこやかな笑顔が私には少し腹立たしかった。中央も地方も、為政者の頭には国民、県民、住民が不在だ。首相も知事も、この国では生活感の欠片もない人間がなる習わしにでもなっているのか。いま現に苦しんでいる多くの生活者にとって、よい政策とは何かという観点が少しも感じられない。
 地方は予算を獲得して、行政の執行が滞りなくおこなわれることを願っているだけだ。そうしてその際に消化される予算額が、回り回って地方内の民を潤すに違いないと考えられている。そんなことは馬鹿でも考えられる。まして、世界を見、日本を見、地域を見る目のない首長たちがこしらえる都市計画、地域興しの計画など、頓挫したってどうということはない。ここ数十年、拍手喝采したい業績を行ったことなど一度もなく、どうでもよい無難なことを無難な程度に行ってきているだけではないか。そうして、現在の地方、地域がどういう現状になっているか、積もり積もった債務がいろんな方面で露呈されつつある。どうしようもない馬鹿たちが計画を立て、予算獲得に奔走し、意味もない道路などを作って、はっきり言えば少数の関係者だけに喜ばれている。そうして一般的な生活者の懐具合はいっこうによくならない。春が来たのに、日々冷え込んでいく。
 ひところ、日本の国の成人の約九割が中流意識を持っていた。現在それがどう変わったか正確なデータを持ち合わせてはいないが、格差社会が進み、おそらく中流意識は半分を割っているに違いないと思う。おそらくこの消えていく中流意識は、勤め人の場合、給料の内から消費に費やす比率の中でも、選択消費の比率が極端に低下してきていることを内実として持っているように思われる。つまり、必要な生活を営むため以外に、趣味やレジャーやおしゃれなどに振り分けられる消費の比率が低下してきていることを意味している。我慢をし、余裕を失っている生活者が多くなってきているに違いない。このことは消費をいっそう低迷させ、持続化させ、ひいては日本の経済規模を小さくし、景況をさらに冷えさせる。そういう悪循環に拍車をかけていくものだと私は思う。初期の目的を達し、いま見直すべき時に来た道路特定財源としてのガソリン税などは、これ以上大衆の消費の冷え込みをもたらさないためにも、撤廃して何ら問題のないことではなかったかと思う。
 
 貧しい一生活者に過ぎない私がこういうことを語っても意味がないし、また、浅学をひけらかして、自分にとっても誰にとってもよいことは何一つ無いのかもしれない。だが十年以上も前に、吉本隆明が『試行』の中で独自の景況判断を示して以来、私はそれが忘れられずに折々にその観点から世の動向を眺めてきた。そうして新聞やテレビを見る限り、吉本の観点は誰に採用されることもなく、ということは吉本が示した不況対策は実施されず、景気の悪さはますます深刻になってきた状況を目撃してきたのだ。
 吉本が示した観点は、それほど多くもなく難しいものでもないように思われた。私の頭の中に残っているものでこれを示せば、二つか三つぐらいで言えそうな気がする。
 世界の先進国では、主たる産業が第三次産業となり、就業人口、また総生産でみても過半数を越えている。これが一つ目のポイントで、こうした先進地域では、中心となる第三次産業の景気の良し悪しが全体の景気にいちばん影響を持つことになる。
 ちなみに、第一次産業とは農林水産業、第二次産業とは鉱業、製造業、建設業、第三次産業とは卸売り、金融、小売り、保険、不動産運輸、通信、サービス等々である。
 日本はもちろん先進国の仲間入りを果たしていて、第三次産業に労働人口が集まり、また産み出す利益も全体の六割以上を占めているということになっていると思う。これが何を意味するかといえば、景気の好不況に第三次産業が半分以上の比重で関わっているということだ。分かりやすくいえば、たとえば景気が悪いときに政策的にてこ入れしようとするとき、第一次産業や第二次産業に公的資金を投入するよりは、第三次産業に投入した方が早く効果が表れやすく、また効果も大きいと考えられる。さらに分かりやすくいえば、就業率も生産性も低い第一次産業に援助をしても、その経済効果は微々たるものにしかならないことは理解されるかと思う。労働人口比数パーセントの人々が仮に潤っても、その効果は国全体としては有るか無きかの如くであろう。
 こう言われると、それでは不況の時は第三次産業を中心とした不況脱出のための対策を考えることが大事なのだなと、誰でも考えられると思う。私もそのことだけは覚えていて、政府が道路を作り、はこ物を作ることに多額の予算を組み、税金を投入するのを見聞きして、どうして効果の少ないことを繰り返すのだろうと腹を立ててきた。案の定、一部企業は好況となっても、中小の企業を始め国民の多くは不況感から脱しきれないで来た。
 日本の政治家が経済の不況に際して、どういう事を常に考えるかは言うことができる。公定歩合の引き下げ、国債の発行、減税、建設や土木工事や道路や港湾の改修、建設業への公共事業費の投入等々。これらは繰り返し新聞紙上をにぎわしてきたから、私たちは、ああまたかという気持でそれらを見てきている。要するに産業構造的に言って、公共事業費を投入するならば第三次産業に予算の過半以上を向けるべきなのに対して、以前として第二次産業を中心に考えた古い経済対策、不況政策が考えられてきている。逆に言えば、それは第二次産業が主体となっている地域にとっては、常識的な不況対策だということなのだ。
 私は別に経済や社会学を勉強してきたわけではないから、十年の間にどう推移してきたかはデータも持たず分からないが、現在も第三次産業の総生産比率、就業比率が最も大きいことは疑えない。そしてまた政府のおこなう不況対策が相変わらずであることも間違いない。
 もう一つ、吉本がそこで述べていたことは、このように第三次産業が中心となった先進国地域の個人所得は半分以上が消費に使われるようになっていて、さらにその半分以上が選択消費、つまり生活に必要な消費以外の選んで自由に使える消費に回っているということだ。これはもちろん当時の統計を基にして述べられていたことだが、基本は今も変わらないと思う。
 要するに日本のような先進国地域では、労働人口や総生産からも主体になった第三次産業が景気がよく、それによって第三次産業を中心とした人々の選択消費の比率が高い水準を保つことが、景気の維持に必須だということだ。ここがよければ、当然に他の産業の景気を引き上げ、引っ張っていくものと見なされる。
 吉本はまた、仮に国民が一斉に選択消費を控えれば部分的にでも経済は破綻するだろうと述べ、潜在的にはすでに国民や企業体の側に経済動向を左右する主体が移動し、どんな政府のどんな対策を持ってきても抗しきれなくなっていることを洞察していた。
 この見解には賛否があるのかもしれないけれども、私自身は吉本の考えが適切な指摘をしていると考え、これにそって社会の動向をあくまでも一人の大衆の目線で追ってきた。だが、私の見る限り、中央も地方も政治や経済の政策担当者、執行者たちは古い資本主義の経済対策に終始してきた。
 明らかな誤りは第二次産業の擁護の姿勢だろう。先にも述べたような不況対策を、大きく転換することはなかった。そのために、対策はあまり功を奏さない結果を示してきた。また国民の選択消費の意欲を高める政策も、取り立てて取ろうとしてきてはいない。
 ここのところ十年前後の間、政府や日銀などの関係筋は、景気が上向きだとか、緩やかな上昇、あるいは踊り場的などと、お茶を濁すような言い方で国民感情を言いくるめようとしてきたけれでも、私たち生活者の懐は冷え冷えとして、最近は最悪の事態に近いとさえ感じられている。もちろん、仕事上も地域性としても、周囲には低所得者層ばかりだからいっそうそう感じるのだろうが、こうした日々の中では景気がよくなった実感など本当に見あたらない。パチンコ店でさえ、客が集まらなくなったので一円パチンコに変わった店が数店舗有る。このまま行けばおそらく店を閉じるパチンコ店が増えていくに違いないと思う。
 政府の不況対策がとんちんかんで功を奏さない間に、企業体は徹底的なコスト削減、これは設備投資の抑制などより、人件費の徹底的な削減の方向に進んだと見える。非正社員の採用増加と、アルバイト、パートの賃金据え置き。これは見事に全国各地に広まった。恐らく地方自治体のようなところでもそうなっているに違いない。非常にお粗末な最低の処置で、これは先進国の名に値しないのではないかと私は思う。それはさておき、先の選択消費の問題に即していえば、消費の低迷から、回り回って企業の収益にも、自治体の税収にもやがて波及するだろう事は目に見えていることだと私には思える。政府はそういうところでも策がなかったが、遅ればせに最低賃金の問題や正規雇用促進などに取り組み始めようとしている。おそらくしかし、この社会構造の変化が何を意味しているものなのかを正確に見抜いているものは、いないのではなかろうか。
 
 私はやっとこさ日々の生活を食いつないでいるに過ぎず、力も関心も低くて経済のことなど今以上に勉強するつもりも学ぶつもりもないが、時代の推移と社会構造の変化に敏感に対応して、それこそ創造的な経済学、社会学が出現し、私たちの社会に役立ってくれることを願わずにはおれない。吉本の考察は一つのヒントになりうるかもしれないし、あるいは逆に全くの的はずれの論なのかもしれない。だが、経済学や社会学の発展のために宛てた一通の専門外からの書簡と見なせば、経済学や社会学はそれに応えなければなるまい。私の場所からはそういうやり取りは見えない。あるいは一方的に無視というように見える。そういう狭い専門性は、ヴェーバーの言うところの「精神なき専門人」そのままになってしまうだろう。そういうところでの見識や見解を、単なる国民に過ぎない私たちが欲するようになっているのだ。支配の学として向こう側のみをむいたアカディミズムなど、私たち国民にはもはや無用だというほかはない。
 
 マスコミもまた、社会が未知の段階に入ったという吉本らの主張を正確に理解するにはいたっていない。記事の文章の底には古い経済学が横たわっている。そんな程度の見解の社説が、まるで政策担当者のような口ぶりで政府に提言などしてもはじめから個人的な責任を負わない無人称の戯言だ。そうこしているうちに、消費が低迷し、三次産業が振るわず、二次産業主体の国へと後戻りしはしないか。まさかそんなところまで転落することはないだろうが、このガソリン税の道路特定財源に揺れた中央と地方の慌てぶりは全くのお粗末に過ぎる。特に各県の知事たちは、交付金目当てであることを隠そうともせずに必死に道路特定財源維持、暫定税率維持を国に求めた。もとはと言えば企業や国民の金である。国が徴収するそれに今度は地方が群がる。私のような貧困層にしてみれば、どんなにわずかな額であっても今日、明日を左右するお金である。そういうお金であるという認識、感覚がはたして知事らにはあるのだろうか。
 企業誘致や観光促進などのための道路整備。すべてが悪いとは言わないが、本当に予算に計上され、計画された道路整備がどれほどの経済効果を地元にもたらすのか。これまでもその手法で続けてきて、財政難に汲々とする自治体がどれほど存在するか。この上にまだ同じ過ちを繰りかえそうとしている。しかも全国画一的に、同じ方向を向いているというのが私などにはどうにも情けなく映る。誘致できる企業が、全県に渉るほど数多いだろうか。そうは思わない。必ず誘致できないところがあるはずなのだ。にもかかわらずほかに考えつかないからどの県もあの手この手の誘致を進める。
 俺の県はみんなとは違う道を行くよ、と言う県が無いものだろうか。そういうことを数年模索し、オリジナルに開花させる。そういう自治体が、多様性がうたわれる現代にあってもう少しあってもよいような気がする。税源を含め、地方への権限委譲が言われる昨今、現在のような地方におけるビジョンの無さ、将来に対する戦略の無さ、また時代を展望する見識のお粗末さ、また相変わらずの中央への依存型行政のあり方では、不安は幾重にも重なる。
 
 こんなふうに書いてきながら、しかし私個人は家計のやりくりにも、稼ぎ手としてもどちらかというと失格に近い方だから、あまり大きな事は言えない。せめて、行政に依存しないで自分たちの生活を防衛する算段は考えなければならない。これがけっこう難しい。しかし、時々こうして大口を叩いているのだから、それはしなければならない。私の場合、せいぜい頑張って休みを少なくして出勤数を増やし、その分の日当を増やすしかないのだが。…誰か高給で雇ってくれないだろうか。給料以上の仕事は確実にしますよ。
 何かこんなことを書いているのが馬鹿らしくなってきた。中央の政治家たちは、あるいは地方の議員や知事たちも、国民や県民には政治のことが分からないのだからという理由で高を括っている姿勢しか見られない。どんな仕事も内側に向かって専門性を鍛えていくものだから、その仕事に卓越していくことは一面で外の世界からかけ離れる傾向を持つことになってしまう。そのために、民の当たり前の生活とも乖離していく。だが政治は国民や県民のためのものだ。そこを離れてやれ未来の経済だ都市計画だと言ったところで、根本からかけ離れてしまえば繁栄した町に人っ子一人住めないという事になりはしないか。笑い話でも何でもない。公共サービスをうたって、少子化からさらに老人医療の弱体化で、何が残るだろうか。こんな事アホらしくて考えるのも嫌だ。
 

 

   知的悪弊(2008.4.20)
 
 河北新報4月17日一面に、シリーズ「田園漂流」―東北・兼業農家のあした―の、第6部座談会「食糧問題とコメ」が載っている。16日はこの座談会の@として「自給率」、17日はA安全保障、と題されている。昨日の第1回目には、この座談会を企画した意図が始めに書かれている。
 
 食糧問題は今、世界共通の重要課題になっている。新興国の台頭、バイオ燃料需要の高まりから、世界的に食糧需給が逼迫。食の六割を海外に依存するわが国では、自給率最後の砦ともいえるコメが果たす役割が一段と大きくなっている。しかし、生産の六割を担う兼業農家の病弊で、コメ作りの将来は危うい。世界貿易機関(WTO)体制の中で一段と強まる市場開放圧力もコメ生産を揺さぶる。世界の食糧問題とのかかわりを中心に、コメ作りや兼業農家の意義について三人の識者に話し合ってもらった。
 
 三人とは、農林中金総合研究所特別理事の蔦谷栄一、東大大学院農学生命科学研究科教授の鈴木宣弘、民俗研究家の結城登美雄らである。いずれも仕事柄、農業、農家の擁護派らしいことは見て取れる。結局のところ河北はこういうキャンペーンをはって、相変わらす、コメ兼業農家に「ガンバレ」と声援を送り続けたいようだ。
 まず自給率に関する話題が中心となった@の会話から、キーワードにつづめて主張の展開を見てみる。
 
蔦谷  日本の食糧自給率(カロリーベース)は39lと、先進国で最低だ。
鈴木  このまま放置したら自給率は、農水省が経済財政諮問会議に示した通り、12l    にまで落ちてしまう流れの中にある。ここで、その流れを断ち切らなければなら    ない。
結城  60年度の食糧自給率は79lだった。
蔦谷  国際分業に依存しすぎたことに問題があった。安ければいいという消費者の価格    志向もあり、自給率には無頓着だった。
結城  東北の食糧自給率(二〇〇五年度)は平均105l。コメは346lあるが、コ    メを除くと32lに落ちる。
鈴木  自給率が維持できるかどうかはコメ生産のおよそ60lを担っている兼業農家に    かかっている。
蔦谷  確かに、39lの自給率は、米価が下落する中で兼業農家が採算を度外視してで    も、コメ作りを続けているから維持できている数字だ。
結城  コメ作りがしっかりしていれば、他の畑作や畜産にも生産が広がる。田んぼが安    定していることが農業の基本であり、自給率アップの礎でもある。
鈴木  規模の小さい兼業農家にも手を差し伸べるような政策にしなければ、日本のコメ    も将来的に生産量が減ってしまい、食糧自給率がさらに下がるのは間違いない。
 
 言っていることは常識に近いことで、この程度のことなら読者にはさっと受け入れられそうに思われる。私自身、あまり文句を言うべきことは何もないように思う。
 自給率が低くて、こういう低さは先進国を見渡しても最低の率だ。日本の農業の実状を考えると今後もっと下がるかもしれず、と、まあ、そういうことを言っている。それだけではなくて、これ以上下がるのは問題だから、自給率低下の流れを断ち切るために政府の農業政策の転換が必要だという意味合いを暗にほのめかしているようにも受け取れる。
 自給率低下の現象は、だいぶ以前から指摘されていたことだと私は思っている。最近の問題ではない。穀物の不足、高騰、輸入食料品の安全の問題、つい最近こういう問題が重なって自給率がまた問題にされようとしている。もちろんこうした座談会を組む背景には、農業問題、コメの問題が控えている。それが主なテーマであり、それを展開するために、これらの主張は前振りの役割を担う。
 なぜ自給率が下がってはいけないか。話し合いの中では、「他の先進国にはない」ことが一つの理由のように上げられている。あとは、不安材料をこれでもかこれでもかと上げていくことになるんだろうと私は予測する。
 2回目の記事では、この理由にあたるものが少し語られている。
 
蔦谷  これまでは金さえ出せば食料は買えたが、今後はそうはいかなくなってくる。
鈴木  食料は戦略物資だ。米国やヨーロッパで食糧を自給するのが当たり前。(略)い    かに自給率が大切かが分かる。
結城  生命存在にとって大切な食料が、ほかの物に置き換え可能な、単なる商品となっ    てしまったことで、農業が過小評価されるようになってしまった。食料は、お金    を払えば自動販売機から出てくるものではない。
鈴木  世界の食糧事情が不安定な中で、輸出国と仲良くすれば、いつでも食料が手に入    るという考えは甘い。優先供給契約を結べば大丈夫だという議論もあるが、自分    の国が飢えたときに、協定があるからといって食料を輸出してくれるお人好しの    国は絶対にない。
 
 世界的な不況、あるいは食糧事情の不安定、さらに世界的な政情不安が識者たちの言葉の端々に影を落としている。戦争が起こらないとも限らない。世界的な作物が不作という状況を迎えたらどうするのだ。自給率が低くては、そういう非常時に国民は飢えなくてはならない。この程度のことは私たち貧困生活者であっても、ときおり頭を掠めていくことがある。もっと卑近に、あした病気で倒れたらどうするとか、身内に不幸があっても香典が用意できないからどうしようとか、本当はもっともっと不安な思いをいっぱい抱えている。言い換えれば、これから何かが起きるとこうなるからまずい、というのではなしに、今この瞬間瞬間に不安が充満している。戦争が起きたらとか、作物不況になったらとか、それはまだ未明のことである。つまりはまだ余裕がある連中の、お遊びみたいな言いぐさだ。そういうことはたぶんこの識者たちには分からない。ただ読者の不安を煽って、そうだそうだと思わせるだけの働きしかない。
 私には彼らの言葉がまるで政策担当者のような口ぶりに聞こえてきて仕方がない。おそらく、直接的には政策担当者たちに向かって話す言葉であり、読者や生活者あるいは農業従事者たちを背景に、そうだそうだの合唱を受けて、自分たちの主張が政策担当者たちに入れられることを願望として持っている。
 
鈴木  国際的に食糧需給が逼迫している中で、日本だけが自給率を下げても、自動車と    家電が売れればいいのか。国民に選択を問わないと手遅れになる。
結城  食糧自給率や食料安全保障を考えるとき、小さな農地でも大切なんだという視点    がなければならない。(略)農地が小さいからといって、兼業農家を軽視するの    は大きな誤りだ。
蔦谷  水田を水田として守っていくことが最大の備蓄になる。飼料も作り、水田放牧や    バイオ米も作る。コメ作りのような土地利用型農業は、国がしっかりと政策とし    て位置づけて支援しなければ、成り立たない。
結城  コメ兼業農業の将来は、東北という地域の課題にとどまらず、日本の食糧安保に    かかわる問題だということを、消費者もきちんと理解して欲しい。
 
 識者たちと河北新報との意図は合致している。あるいは利害という面でも合致しているのかもしれない。
 ここまで読んだ限りにおいて、識者たちは日本の農業を擁護すべきだと主張しているように思える。これはたぶん河北新報の底流にある考え方と同じだ。そしてまず、読者に主張の正しさを訴えかけている。そうして多数派を作り、世論の後押しを受けてこれが政策担当者たちを突き動かし、農業擁護の政策が実現するよう精一杯の主張を展開していると見ることができる。
 実現可能かどうか、さしあたって私には関係がない。その立場からは、仮にこういう主張が広がりを持ってゆくゆくは兼業農家の苦しみを軽減させることが出来たら、それはまあよかったよかったということになる。私はそのことに少しも異論があるわけではない。 異論があるのはただ一つだ。
 農業の大切さ、大事さをあれこれ考えられる限りの方面から取り上げて主張し、農業に従事する人たちをもその気にさせて、そのあげくに苦しませてきたのはどんな人たちでありどんな主張であったか、ということだ。
 当人たちは、政策担当者たちが農業政策、しかも擁護することの重要性をわきまえず、切り捨ててきたのが間違いだと主張するかもしれない。今回の話し合いの中にもそんな趣旨が見え隠れする。そう言って、人の所為にしていれば識者たちも河北新報も何の痛みも感じないですむのかもしれないが、本当にそれでいいのか。
 兼業農家の人々は、識者たちや河北が擁護してくれる主張を展開していることで喜んでいるかもしれない。この声が読者を動かし、政治家を動かし、擁護政策を打ち出すことを期待もしていよう。それはそれでいいだろう。ある層を代表し、その層の利益を主張していくことは間違ってはいない。
 しかし私には、これから半永久的に兼業農家を擁護していく政策がとられる可能性は小さいのではないかという気がしてならない。その理由の一つには自由化の波という問題がある。その流れに抗しうるかということ。もう一つは後継者不足、若者の農業離れなどに関する問題である。少なくとも第二の点からいえば、河北のこの企画は一方的で、要するに単なる参謀本部の持説の宣伝以外のものではなく、とても支持できるものではない。お上の保護政策のもと、安定した収入でハイテクが加味された現代的農業を楽しくできる、などの文句にどれだけの若者が喰いつくか。私は疑問に思う。おそらくこういう状況の下で農業に参画するほどのものは、かえって「金のなる木」という感覚を持つものしか集まらないのではないだろうか。ちょうど、介護を「もうけ」の対象に考えて参入するものが多くあったように。そうして実際の現場のきつさと混乱が生じたように、やってみて始めて大変さが分かる。農業もまたそういう職種に他ならない。
 そういうことを見ないふりをしているのか、本当に実態が分からないでただ理念を述べているものなのか、私はこの識者たちや河北新報の心の底がよく分からない。それほどの主張をするんならまず自分がやれよ。そんなに大事と思うなら自分がやれ。自分はやらないくせに、頭と口で人を動かし、若者を動かそうとするのは、私はよくないことだと思う。 極端な言い方になるが、北朝鮮のような国ならいざ知らず、国策で農業の振興を謳ってもテレビが国の隅々まで普及し瞬時に世界の動向を感覚出来るような日本の国で、農業が面白そうだから従事しようと考える子どもはまず少ないかほとんどいない。いないと思う。タレント、芸能人、アーチスト、夢はそんなところに行くのではないか。そうしてまあ無理だということになって、それじゃあ会社に入るか公務員になるか、そんなところに落ち着くのが大方の若者たちの向かう先だ。それだってうまくいってそうなので、現実には学校を卒業してもパート勤めやニートといった形で生活していくものも多い。今の時代に自分が子どもであり若者であるとしたら、たとえ農家の家督であっても、渋々か諦めのような思いなしに進んで後継者たろうとは、私ならばしないような気がする。
 財政問題も含め、いろいろな問題が山積みする中で、識者たちや河北新報が後押しするような兼業農家を保護する政策が、本当に兼業農家が望むような形で実現するなどとは私には到底思えない。私が思えないだけで、あるいは実現するかもしれない。そう思うから識者も河北も訴えるのであろう。まさか実現しないと思いつつ、こんな言辞をばらまいているわけではあるまい。よく分からない。だが、真の兼業農家の同伴者であるならば、これら識者、河北新報も、兼業農家がさらなる困窮に陥った際には死なば諸共で自らも困窮の中に身を投じるべきである。私はそういう考え方をする。 
 
 私は一介の消費者であり、生活者に過ぎない。あまり大きなことは言えない。だが、この農業擁護者たちのいつまでたっても同じことの繰り返しの言説は実に芸がないと思う。農業の良さをアピールし、こうなればこうなってしまうと不安と脅威を煽り、やはり農業は誰かがやらなければならないという必要性を植え付ける。誰かが。いつもそうだ。誰かにやらせるために、いいぞいいぞ、やれやれとけしかける。
 自給率にしても、食の安全保障というとらえ方にしても、本当はもっともっと他の視点からの多様な考え方も出来るはずだ。言っている中身は旧態依然のもので、だから本当を言えば現段階の情勢においては限りなく可能性がゼロに近いものだ。保守系の自民党政府が、遂に聖域に手をつけて農業の保護政策を放棄せざるを得ない事態を受け入れたということ。これには相当の現実的な要因があったに違いない。これを、識者たちの語っている程度の中身で覆すことが出来るなどと思うほうがおめでたいと私は思う。
 憲法と同じで、戦争放棄は他の国にはないから現実的ではないとかダメだというのと似ている。先進各国と比べて極端に自給率が低いから、たぶん国家としては危ういんだという考えになってしまう。自信がない。どうして他国との違いを、将来に向かっての自国の優位性に転換し、理想的な環境、発展に結びつけようという発想、創造性が発揮できないのであろうか。私などよりははるかに知的見識が広く深い人たちの筈である。子供だましでない、そういう鍛錬された考え方、知識を見たり聞いたりしたいのだ。
 だいたいが、私たち貧しい賃金労務者は、端から自給率がゼロ、食料の安全保障など無いに等しい。田んぼも土地もない。私たちの声の代弁者も擁護者もいない中で毎日の苦しい生活に明け暮れている。今さら国家としての不備を聞かされても、自分たちはその政策不備の中の不自由さを長年にわたって背負ってきている。そんなの、「なるようにしかならない」というのが私たち生活者の思想で、「なるようにならなければ、なんとかする」というのがまた私たちの生活思想だ。読者にもそういう層がいて、そういう生活者、消費者の見方、考え方、思いにも想像を馳せ、その底を潜りぬけて識者も河北も農業問題にも言及していかなければなるまい。そういう姿勢も誠意もまるでないのだ。こういうプロパガンダまがいの特集にどんな意味があるのか。先月だったか河北は兼業農家へのアンケートを実施して、農家の人々の窮状と本音とを引き出していて、私にはいろいろ参考になるところが多かった。もちろんそのデータは、私が実感的に推測するところと相違はなかった。その意味では、やはりとかそうだよなとかいう思いで受け止められた。そのアンケート結果を得て、こういう特集はあまりに安易だ。私が兼業農家に携わる人間であったら、「こいつらは俺たちにもっと苦しめと言っているのか」と考えると思う。自分たちのことを考えてくれる座談会だと言うことは分かる。けれども、自分たちの仕事や生活の内実を考慮しながらの発言だとは到底思えないと思う。少なくとも、私はそういう判断から、このようないちゃもんを付けているということになる。
 
 私のような素人の部外者では、言えることも限られていて、そろそろ限界に近いと感じているが、4月19日、20日の号では引き続き座談会のBとCの内容が掲載されている。まだ続くのかもしれない。取り敢えず出来るところまで踏ん張って付き合ってみる。
 Bでは、WTO、FTOが議題とされている。つまり農産物の貿易における関税の引き下げ、関税ゼロが問題として出されている。言うまでもなく、関税が低くなれば諸外国の価格の低い農産物が押し寄せ、価格の高い国産の農産物は売れなくなり、農家は大打撃を受ける。なぜ日本の農産物は価格が高いか。小規模、高コストで生産性が低く、外国の大規模、低コストの農業経営には太刀打ちできないことに原因がある。そのため政府は先頃品目横断的経営安定対策(水田・畑作経営所得安定対策)なるものを打ち出し、4f以上の農家の育成を進める政策をとっている。
 識者たちはこの政策を批判しているのだが、私もその中途半端さゆえに、あまりよい政策ではないと考えている。
 識者たちの批判の主要な観点は、とにかく日本の農村を守れ、農家を守れという一点に尽きる。これは農家の人々にとって心強い支援と聞こえるかもしれないが、そうではないので、日本の国の安全とか地域のコミュニティーとか、そういう視点からこれまで担ってきた農村の役割をこれからも担ってもらいたいと言っているのだ。私にはその意味はよく分かる気がする。しかし、賽は投げられたと言うべきか、それでも歴史は動くと言うべきか、歴史の発展の過程として、もはや堰き止められない流れに日本の農業は船出したのであって、その進展をいくらか遅くすることは出来ても元に戻すことは出来ないだろうと私は思っている。
 私は、どう考えても外国の農業とは太刀打ちできないのだから、兼業農家は主な収入源としての農業からどう離れるかを考えるべき時だし、そのための一時的な助成金の出来るだけ高くなるような獲得の算段を考えていくべきだろうと思う。
 もちろん農業を専門にやっていこうとする人がいてもいいのだ。現に、高いが品質のよいコメを求める外国の富裕層に向けての日本からの輸出を進めている農家もあると聞く。「甘王」と呼ばれるイチゴの品種も、高価だが輸出が盛んだと聞く。この意味では農産物の自由化は決して識者たちが言うようにマイナスばかりではない。
 Cでは、世界の農政に話が及んでいる。私にはその辺のところはさっぱり分からないから、しどろもどろになるかもしれない。半ば教わるような気持になってみていこうと思う。
 
鈴木  欧米では、主要農産物については、再生産可能な価格水準を目標に据え、実際の    販売価格との差額を国が農家に払うという考え方が主流だ。政府の支持価格、買    い入れ価格のようなものもある。あまった場合には、海外への援助や、さらに低    い価格にして政府主導で販路を見つけている。生産者は安心して生産できるから、    国内消費を上回る生産が維持され、輸出国になる。
 
 これはひところ日本のコメ政策に似た政策をとる外国の例が出されている。日本の場合にはしかしコメの輸出国とはならなかったと思う。
 ここから批判の矛先が日本の農政に向かっていく。鈴木は規制緩和の流れと自給率の低下を招いたことを批判し、蔦谷は農地の集約化、大規模化が安易に米国を真似たものだと批判する。結城は、一粒でもコメは大事とか、土台で日本的感性を培ってきたコメ作りを農政の担い手がダメにしようとしていると批判する。
 
鈴木  仮に、コメを全面的に自由化し、大半の水田がなくなれば、赤とんぼ四億匹、カ    ブトエビ四十億匹、オタマジャクシ四百億匹が死滅する計算になる。(略)北イ    タリアでは、水田の生物多様性や水質浄化力、ダムとしての洪水防止機能などを    評価し、米価に反映できない部分は市民が支払うべきものとして、稲作農家に直    接支払いしている。
 
 環境保護団体が聞けば泣いて喜びそうな話だが、以前には井上ひさしなどが同様のことを話していたように思う。
 後半は、簡単に言えば、「しんどい」仕事をしてもらって、さらにそれが環境などの役にも立っているのだから、その仕事の「引き受け代」として、お金で支払いますよということだ。それは別に異論はない。異論はないが、日本に導入するとして、はたして十分納得される金額を提示できるかどうかは疑問だ。ここでもやはり日本のコメ作りが小規模単位の内に為されてきていることと、人件費分としての支払い金額が他の国よりも高くなってしまうのではないかという懸念が生じてくる。
 
蔦谷  安心してコメを作っていける何らかの支援策を、コメ作りや水田のさまざまな役    割を評価する中で考えていった方がいい。
結城  将来を担う農家に、今の政策は早くも絶望感を与えてしまった。
 
 私は農業人ではないせいもあって、この人たちの言うことが本当によく分からない。どうしてそんなに農業、農家に肩入れしたいのか。ここまでさまざまに主張されてあるところを読んできたが、納得できない思いが残る。とても識者たちの説得には応じられない気持だ。逆に沸々と怒りさえこみ上げてくる。
 何度も言うように私は農業人ではない。土地、田畑も持たない、田舎町の賃金労働者として生活している。契約社員という身分で、支払われる給料はとても低い。夫婦二人で働いても毎月がとんとんで蓄えどころではない。主食であるコメは、当然お店で購入する。標準米であるとか、なるたけ安いものを買う。ひとめぼれやササニシキ、コシヒカリなどのブランド米はとても高くて買えない。
 コメに対しての消費者の思いはただ一つ、安くておいしいものを食べたいというただそれだけである。それが国産であろうと外国産であろうと、おいしくて安ければそれでいい。農政がどうのこうのというのはその余の問題だ。
 親戚には、けっこう兼業農家がいる。私たちにくらべたらはるかに羽振りがいい。もちろん昔も今も決して収入所得が多いわけではないが、土地田畑があるだけでいざというときの借金がきく。コメだけではなく、畑では当然家族が食べるだけの野菜なども作り、自前で食べている。すべて八百屋などで買うとなると、けっこうな金額になることは言うを待たない。つまり私たちのようなワーキングプアから見れば、結構なご身分の農家が少なくないと感じられている。いざというとき、土地を持っていることは強い。それは敗戦時の買い出しのエピソードを聞いたり活字で読んだりしたときに、特にそう思った。
 何が言いたいのか。日本の農業は、私たち貧困者にとって、システム的に見て決してありがたい存在ではないということだ。もう少し安くしてもらわなければ私たちは生活をやっていけない。外国産であろうが格安であれば私たちは飛びつく。安いことがありがたいのだ。正直に言って安全は二の次になる。だから中国産であろうが、安全に配慮されるようになれば私たちは値段の安いそれを求めようとするだろう。そしてもちろん、食べておいしければ、何も言うことはない。
 識者、河北新報などには、まずこういう実態があることを理解して欲しい。それが消費者の一部かもしれないが切実な声で、これに日本の農業などが応えられる状況にあるか、あるいは可能性としてもあるかどうかを見極めた上で論を展開して欲しいのだ。
 さらに言えば、東北はコメどころなどと呼ばれるが、歴史を振り返ってみるときに、私にはどうしても中央から背負わされた宿命のように思われてしまい、損な役割を担わされてきたのかもしれないという思いが強い。おかげでおいしいコメ作りをする技術の向上、経験の蓄積なども持つことになったが、これは東北の本音が欲したことの成就といえるのであろうか。
 私はここが一番の考えどころだと思っている。たしかに国としてみれば、どこかに自国の食料をまかなうだけの生産を担保する必要がある。東北に限らず、全国各地で農業振興としていろいろな施策も採られた。あるところまで、必要を要請する側と必要に応じる側との均衡が保たれた。しかし戦後復興となり経済大国と発展し、日本が先進国の仲間入りを果たしたときから、農業を支え発展してきた地域からも、ある変動の動きが出てきたのである。それは目覚めと言ってもいいものかもしれない。要するに、社会全体が見えて、「こんなの割にあわねえ」と農家自身が考え始めたということだ。都会を見て、「あっちは馬鹿におもしろ楽しく暮らしているじゃねえか。」といった気づきと言ってもいい。自分もできるならばあっちに暮らしたいと考えて、どこが悪いか。そうして、東北の歴史から見ても、やっとそういうことが出来そうな環境や体制になってきたところなのである。 私は本当に東北がコメ作りに適した土地や風土であり、東北人が本当にコメ作りに適した気質、性格を持っているのかどうかなどは分からない。しかし、農業ではない何かをやりたかったのに農業をやるほかなかったたくさんの人々が、歴史的に見て少なからずいたであろうことを疑えない。もちろん進んで農業に従事し、結果としてもそれでよかった、満足だと考える多くの人たちがいることも疑わない。それは、だから選択肢として、自由に選べる環境があり、実際に自由に選ぶとすれば、地域の人たちにとってそれがいちばんいいことではないかと私は思う。そういう一人一人の自由度ということを度外視に、やれ自給率だ、やれ景観だ、やれ水の保全だ、やれ非常時の食料の供給だというような、大所からの観点を先に出して論じられることに大きな不満を覚える。そうではないだろう。一人の人間として、どうであることがその人にとってよいことであるのか、よい環境であり条件であるのか、それを取り巻く識者たちや河北などのメディアの果たす役割は大きいのだ。識者ぶったこういう大所からの意見で農家の人々をその気にさせたり、農政批判などをやらせたり、あるいは読者を巻き込んで世論を形成したり、当人たちはしてやったりの気持になるかもしれないが、逆に理念的に農業に縛り付けその後の生活に何ら展望がひらけなかったとすればその責任は大きいと思う。だが、識者たちには端からその責任を取る考えなどあるまい。ここ十年以上前から、河北新報などを中心に農業を守れなどの声をあげる連中がいたけれども、その結果は先の河北のアンケートにあったように決して努力して報われたということにはなっておらず、経営や生活の逼迫は増してきていることが分かる。河北はしらっとその結果のみを掲載したが、農家の苦しみや苦悩に自分たちもいくらかは荷担していることを知らぬ顔すべきではないと思う。これは決して政府その他の政策のせいばかりではない。こういう記事をでっち上げて農家をその気にさせ、頑張らせること自体が知的な悪弊である。
 連載の続きがあれば必要に応じて論を興すつもりだが、これを一区切りとしてこの文章はひとまず終わることにする。
 

 

   「今日を読む」(2008.4.11)
 
 今日を読む。こんな題にしたのはかっこいいと思ったからだ。テレビを見、新聞の記事を読んで触発されたところを、あまり脈絡も考えずに書こうと思った。どういう文章になるか分からないが書き出すことにする。気持ち的には暇にまかせた与太郎話のつもりなので、そのつもりで読んでもらいたい。
 
 昨日、3月9日、NHKテレビで福田首相と民主小沢党首の会談の様子を見た。会談前から予測はついていたことだが、やはり話としては小沢氏のいうことが圧倒的に分かりやすかった。勝敗という見方をすれば、私には小沢氏の方が勝っていたと思う。筋が通っていると感じたのと、無人称の生活者についての考え方がより深いと思われた。中でも、政府・与党は従来の体制を前提とした考え方から一歩も踏み出さないが、小沢民主党は旧体制を根底から変えようとしているのだから、政府・与党はそのことを理解して対応しなければならないんですよと福田首相に丁寧に説明していたところは、認識力の差がはっきりとしてとても勝負にはならないと思われた。二重、三重に、小沢党首の方が状況把握に長けていると感じた。反対に、福田首相は論評する気にもなれない、子どものケンカでも見るような姿で情けない気がした。以心伝心の効かぬ外国首脳と、なにか事があった時にあんな対応しかできないかと思うとぞっとした。たとえば中国の胡錦涛や、北朝鮮の金正日にあんな主張や姿勢が通用するか。
 政府や与党は、体制の構成単位である中央官庁や地方行政に目が向いて、とても末端の国民である生活者にまで目を向ける余裕がないように思える。道路を整備してほしいといっても、利益供与に与れる人が議員に陳情するのだし、各県の知事たちもいろいろな思惑を胸に道路整備を訴え、住民や国民のためという言葉は一種のポーズに過ぎない。そういうことにまだ住民や国民が気付かないと考えているとすればどうかしている。
 小沢一郎は、先の参議院選挙の結果によってかどうか分からないが、国民アンケートによる内閣支持率が大きく政局を揺るがす力になっていることに気付いてきたような気がする。言い換えれば、政局は国民の潜在的な力によって左右される時代になったことを感知していると思う。いや、さらにいえば国民自体が自分たちの潜在能力に目覚め始めたことを察知している。さらに言い換えれば、国民の生活を本当に理解できなければ政局の流れを読むことが出来なくなっていることを理解している。まあ、少し願望を交えていえば、そう言えなくもないと私は思っている。
 小沢党首の話を聞いていると、そういう力を得た国民を主体として、今後の中央行政のあり方、地方行政のあるべき姿がぼんやりとだが見えてくる。官僚支配、天下り、中央依存型の地方行政、そうした明治建国以来の積もり積もった疲弊と、そこから生じた弊害を根こそぎ変える時期にさしかかっているという認識が根底にはありそうに思える。
 一方、福田首相は、これまで、ガソリン値下げで国民生活が混乱を来しているなどという根の浅い話に終始していた。混乱しているのは主にガソリンスタンドなどを主とした供給側だ。これさえ原油価格の上げ下げがあった場合、否応なしに対応しなければならない状況と本質的に異なるものではない。それを、「国民生活の混乱」と言う感覚がわたしにはわからない。多数の国民は、社会全体を抜きにして考えた時に、諸手をあげてガソリンの値下げを喜ぶはずだ。そして現に喜ぶ声が圧倒的多数である。ここに国民の本音があるので、建前側に立ち道路整備を心配する声を凌駕している。「混乱」どころではない、生活者の窮乏の実態が反映してあることをどうして見ようとはせず、将来の経済の発展ばかりに気を回す政治家が多いのか私には分からない。将来により反映したとして、そこに国民も県民も住民もいなかったとすればどうするのだ。それくらい今現在を必死に生きている生活者は決して少なくないと私は思う。
 日銀総裁の件も同様で、「こうすれば、こうなる」という自分の思いこみが通用しないとなると、策がない。拉致問題も何の進展もなければ議案にさえのぼらなくなってしまった。「慎重に考え」、「丁寧に対処し」、「善処」し、いつも間際になってあたふたとした醜態を見せている。原則のない臨機応変は、成り行きに流されるだけに違いない。あまりに稚拙と映る。
 政治の課題はもちろん、刻々に生起する問題に素早く対応する面もあるが、世界の政治経済、金融、その他の動向、そしてまた国内問題の様々な推移、国民生活の推移を見ながら、今本当に第一義に政治的に「課題」とすべきことは何かを見極める眼力が必要であろう。それにはやはり、基本、根本、本質、初源、そういったものを深く掘り下げる訓練なしには得られない。もちろん、「国民主権」の言葉通り、「国民の生活」が一番の上位にあるものとして考えられなければならないはずだ。そして、生活とは何か、が深く掘り下げて考えられなければならない。なぜならば、そこにこそ国民の原型的な姿があるのであり、政治はあらゆる政策を考えるにあたってそのことを繰り込む課題を負っている。それに照らして考え合わせれば、私には小沢党首の方が少なくともオーソドックスに政治家の王道を歩んでいるように思える。
 相手の認識を理解し、上回る認識で対応しない限り、討論で相手を説得することは出来ない。小沢党首が、あまりにも原理原則に固執していると見えたならば、福田首相はそれを持ってして、それのどこに欠陥が現れるかを自らの認識の深さによって主張すべきだった。
 
 つい調子に乗って余計なことまで書きすぎた。あんまり退屈なので、本当はさっと触れるだけにとどめるつもりが、口を滑らせた。もとより、一生活者の私見に過ぎない。一般の国民がテレビや新聞をみながら考える位相で、自分の思ったことを披瀝しているだけだ。生の印象であり、実感に過ぎない。たとえば批評ならば、ここから出発したとして、いろいろな例証、引用などをしながら先の会談を検討、分析して始めて文章を起こすということになるのだろうが、そういうつもりもないし力もない。まあ、ギャンブル好きな与太郎の、日記風な、メモ的な文章に過ぎないと思っていただきたい。
 
 ところで、河北新報の同日の4面には、他にも二つほど興味ある記事が載っていた。
 一つは、「日銀総裁人事決着」と題した、千葉商科大教授「斉藤精一郎」の文章である。 日銀の役割など、私はこれまで一度たりとも考えたことがない。貧困の庶民生活者には縁がない。総裁人事の件ではマスコミを通じて知るところではあったが、「どうでもいいや」というのが大方の生活者の受け止め方であろう。私にとってもどうでもよかった。精一杯の強がりを言えば、「よきに計らえ」である。私などに興味関心を持てと言われても困るし、誰も言わない。これからも、そんなこと考える気にもなれない。
 世間を騒がせている(マスコミが勝手に騒いでいる)問題なので、その興味一つで文章を読み流してみた。興味を引いた文章が少しあった。
 
「白川日銀」が長いデフレや停滞から脱却させ、日本経済を復活させるため、有効な金融政策を果たして遂行できるのか。
 
 ここを読んで、まず日本経済は「長いデフレや停滞」の渦中にあるのだと専門家が見ているらしいことが分かった。また経済の復活に金融政策が一役買うことも分かった。ただ、有効でなければうまくいかないらしい。
 これまでも金融政策は為されてきているはずだから、そんなに功を奏した政策は為されてこなかったのだなということも分かった。プロ中のプロといってもたいしたことがない。庶民感覚からすれば、自動車の整備のプロがきちんと修理できなかったことと似て感じられる。何だよ、たいしたことない奴じゃないか。第三者はこう受け止める。
 
戦後一貫して日銀総裁職が大蔵・日銀の「たすき掛け人事」でルール化され、しかも欧米と違い日本の財務省人材はすべて「プロパー」という「生え抜きの子飼いシステム」だから、「財金一体論」こそ「おかしい、特殊」なのだ。
 
 政府・与党の主張する「適材、適所」は、こういう既存の枠組みがあっての言葉であることが分かる。一種のペテンである。本当は、誰にも、どんな仕事にも、白紙からの適材適所なんて分かりはしない。ある立場にとって都合がよければ、適材といわれるに過ぎない。世間ではほとんどこういうルールが罷り通る。「適材、適所」で選ばれたはずなのに、大した業績も残さずに去る人間も多い。そんなの理由にも言い訳にもなりやしない。
 
日銀トップの座は大蔵省(現財務省)を基軸とする戦後日本の「官僚内閣制」の象徴的な要所だった。この官僚支配構造から「金融統治力」を切り離すとの趣旨で1998年に新日銀法が施行され、「財金分離」原則が確立し、日銀が「独り立ち」して今年でやっと十年。日本的な組織力学がまたぞろうごめいた今回の大蔵人材の「天下り」の企てを断った意味は大きい。
 
 斉藤は大学教授だ。経済を専門とするらしいから、私のような与太郎の文章とは違うと見ていいと思う。民主に肩入れしているのかどうかまでは分からないから、そのあたりを差し引いて考えても、識者の中にはこういう味方をしている人もいるんだなというくらいの理解の仕方をしてもいいのだろうと思う。
 
 さて、白川新総裁に望むのは言行の金融政策に突破口を開く明快なシナリオと確固たる政策実行力だ。デフレ脱却を狙って日銀が世界金融市場、異例の0l台金利にしてから十二年半たつが、政府はなお「デフレ脱却」を宣言できない。03年度以来の実質成長率2l台の回復軌道も今や1l台に下振れ、さらに失速リスクも迫る。株価も95年末に比して現在3―4割も安い。これも日本だけの異常現象だ。
 
 これを読むと、酷いことになっているのだなあと思う。しかも、「日本だけの異常現象」といわれているではないか。政府も日銀も無策無能ということなのか。
 
 福井俊彦前総裁時代の日銀は、量的緩和策と0l台の超低金利策で「生産・所得・支出の善循環メカニズム」が作動し、景気拡大は確実という「復活シナリオ」を言いはやしてきた。だが、日本経済には重い雲が垂れ込めたまま。サブプライム問題の直接的悪影響が少ないのにだ。
 
 外需と0l台の超低利による円安に過度に依存する日銀が演出してきた輸出主導策はほころびている。
(中略)
しかし、現行0.5lを0.25l、さらに0lに引き下げれば、円安が進んで輸出が増え、景気拡大が軌道に乗ると本当に楽観できるか。そんな安易な輸出主導策を「白川日銀」も踏襲するのか。
 
 ここまで来ると、政府や日銀の景気対策が、いかに効果がなかったか、容易に想像されてくる。どちらも国民から選ばれたという体裁を取るに違いないから、任せた側の責任もあるといえばそうに違いないが、その割にはそうした連中はいやにシラっとした顔で、偉そうな態度を崩そうとはしないぜ。意地悪くいえば、現在の景気の悪さは人為的な不景気じゃないか。その原因は輸出主導策にあったと私ならば思う。というか、斉藤教授がそう言っているのだから、私がこう思っても私の責任ではない。さらに斉藤教授は日銀を「金融公家集団」呼ばわりする。なあんだ、「おじゃる」の集団か。やっぱり私には無縁だ。
 ここはこれくらいにしておきたい。へえ、こういう見方があるんだ。こんな考えを持っている人もあるんだ。そういうことを確認できただけでいい。庶民生活者も知的レベルが高くなったが、この程度である。誰にも文句はあるまい。
 
 映画「靖国」の問題が世間で賑わっている。のかどうか。少なくてもマスコミには連日取り上げられて報じられる。上映の自粛、国会議員の介入など、あわただしいことだ。
 河北の記事では、有村治子、自民党参院議員が中心的出演者の話として「靖国」シーンの削除を希望している旨主張していて、映画の監督がこれに政治の介入だと反発していることが書かれている。これに先立って、「週刊新潮」が「反日映画」と報じ、やはり自民党の稲田朋美衆院議員が、異例の国会議員向け試写会を文化庁に要請したことにこの問題は端を発している。
 さしあたってどの人たちの言い分が正しいかは分からないが、国会議員も結構重箱の隅をつつくようなチェックをしているものだなあといった感想を持つ。私もやたらに批判的言辞をまき散らすと、痛い目に遭うのだろうか。いやいや誰の目にとまることもない、いたって細々とホームページを公開しているに過ぎない。安心してよかろう。 
 反日映画だから助成金支給が問題だ。国会議員はそう考えたらしい。
 私のような与太郎から言わせれば、第一にこの映画の監督は助成金なんかもらわなければよかったのにと考える。結果的にだが、そんなに上手い話はないということになりはしないか。欲しい気持は理解できるが、えてしてこんなことになりがちだ。
 第二に、二人の女性議員は、空気が読めなさすぎと感じる。馬鹿だとも思う。思うが言わない。お節介おばさん、そんなことも言わない。
 となると、もう言いたいことがない。
 浅はかな女史たち。功を焦ったのか。自分をPRしたかったのか。取り敢えずどういう落とし前をつけるのか、事態収拾に向かうのかお手並み拝見だ。これまでのところ、二人の女史は週刊誌の記事に反射的に行動して、単に振り回された道化役に過ぎないのか、明確な政治的な意図を持って行動したのかは明らかではない。渦中でどう自分の見識を披瀝するか、あるいは出来るか、その推移を待って判断するしかないと私は思う。予想外の有意な意見を披露できたら喝采ものである。
 それにしても、いわゆる「靖国問題」を、自分の内臓を剔りだしてみせるように真正面から立ち向かうということは、日本人の私たちにとっても極めて難しいことだ。以前に少しだけ考えたことがあるが、自分にすっきり納得できるまで考え抜いたといえるところまでは行っていない。それを日中合作で中国の監督が作ったというのだから、個人的には何はともあれ、お礼をしたいくらいなものだと思う。女史議員たちも、その他のわが日本人たちも、そんな勇気はないし、現にやってこなかったじゃないか。せいぜいが、戦犯合祀が是か非かを論じてきただけだ。内側からえぐり出せないものは、外部から剔りだしてもらうがよかろう。それで、もう一つ自分の中の考えが深まる。
 中心的出演者となった刀匠夫妻は、騒ぎが大きくなって困惑している様子だが、とても気の毒に思う。左翼、右翼とも、巻き込まないでもらいたいものだ。
 先日、上映中止のきっかけを作った街宣車を乗り回す、21歳になる右翼の青年がテレビにちょっとばかり出ていた。たぶん、明らかな「反日映画」は許せないといった意味のことを言っていたが、実際には映画も見ていないという。週刊誌記事を鵜呑みにしている分、まだ考えが浅いし純粋でもあるんだろうなと思ったが、青年期はそういうものだ。自分にも覚えがある。彼を責めることも出来ない。
 ドキュメンタリー映画なのだから、それとして優れているかどうか、私はその一点にかかっていると思う。そして「靖国」がテーマであるらしいから、そのことをどれだけ掘り下げ得ているか、また映像としてどう評価されるか、現在の騒動は上辺だけをなぞっているに過ぎず、これからもしかするとましな論争が繰り広げられるということになっていくのかどうか、注視してみたいと思う。
 
 
  「くぐもり」と「表現」と(2008.4.10)
 
 辺見庸の名前は、以前吉本隆明との対談の相手として印象に残り、よく覚えている。作家らしいことは紹介されてあったが、どんな作品があるか読んだことはない。
 河北新報に以前から時々エッセーを寄せていて、その度に目を通してはいた。内容は忘れてしまった。だが、何となくといった形で親しみのようなものは余韻のように残っている。強烈に好きというのではないが、好感が持てる文章を書く人だと密かに思っていた。 その河北新報平成二十年四月八日の号に、「水の透視画法」と題した連載の三話めが掲載されていて、それを読んだ。これまでと同様の受け取り方をした。
 この日の題には「乳白色の暗がり」という言葉が掲げられている。副題として「くぐもる『個』の沈黙」という言葉も見える。もしかすると題の主と副は反対かもしれない。そのあたりは私にはよく分からないし、あまり気にもとめない。取り敢えずどちらでもよいことにしておく。
 作者がカフェでお茶を飲んでいると、四人の盲目の中年男女が盲導犬を先頭にそのカフェにやってきた。店にはばらばらに客がいて、四人が一緒に座れる席はなかった。四人のための席を作ろうとすれば出来ないことはなかったが、店員も客もそうしようとしなかったので盲目の中年男女四人はそのまま帰っていくほかなかった。もちろん辺見もその場に居合わせたのであるが、辺見自身も声を出さなかった。 
 内容的にはそれだけのことだ。現代において、どこにでもありがちな情景。
 ある日常の一こまの情景を文章にするということは、作者の視線の中にあるこだわりのようなものがそこに含まれてあることを意味していると思う。だからこの文章には、辺見の思想や考え方はもちろん、彼の性格や資質というものまで影を落としているのだろうと私は思う。そういう細やかな目線、ちょっとした日常の小さな窪みのような、あるいは異和というものに考えをめぐらす彼の文章は、一瞬私を立ち止まらせる。
 
この国ではいつもそうだ。∧私たちは相席をして、この人たちの席をつくりましょう∨と立ち上がって大声でいえない、あるいはいわせない、くぐもった空気がつねにある。若者が「空気が読めない人」と揶揄したりもする。すぐれた「個」の表現には、しかし、空気をあえて無視した、しばしの乱調がつきものだ。私も言い出せずに犬を見ていた。大問題が出来(しゅったい)していたにもかかわらず。
 
 私にとって辺見のこの日の文章は、辺見の前に現れた盲目の四人の、目の前に現れては去っていく姿に似ている。ふと気にかけて、少しすると忘れてしまうような日々の中の一こまで、事実私はこの文章を読んで新聞の次のページをめくろうとさえした。
 それを、この書くという行為に結びつけたものは何か。
 私は辺見の文章から、辺見の差し出す心の「思い」といったものを汲み取り、そしてそれで終わっていいはずだった。それくらいの文章だろうと私は思う。立ち止まって、長考するほどのものはない。私はそう判断した。もしかすると、辺見自身にもこのエピソードについて、稿料をもらって書き記すだけの価値があるかどうか考えるところがなかっただろうか、と思いめぐらしてもみる。
 書くとは何か。次のページをめくりかける手前で、私は一瞬そんな疑問にかられて、これは少し立ち止まって考えてみたいと思った。辺見にとって書くとは何か。それはとりもなおさず私にとって書くとは何かと問うことでもある。
 先にも言った通り、辺見の描いた情景はいつどこででも起こりうる日常の一こまで、ありがちなことだ。たまたま遭遇した辺見をはじめとする客や店員たちは、この日のように押し黙ったままで成り行きに任せたり、ある場合には誰かが声をあげて盲目の四人のための席をつくり、その場を友愛的な雰囲気に変えるということもあり得るかもしれない。日常や現実とはそういうものではないかと私は考えている。もしも私がその場に居合わせたなら、たぶん辺見のように押し黙ったままかもしれない。だが、同様の場面に遭遇したら、十回に一、二度は声をあげて席をつくろうとするかもしれない。十回あれば十度声をあげる。残念だが現在の私たちはそういうように出来るようには成熟していない。私にはそういうように思える。それを「非」として責めるのは間違っているし、責められるとすればたまったものではない。
 辺見は、「大問題が出来(しゅったい)していたにもかかわらず」、大声で席をつくりましょうと言えなかったことを問題視する。それは辺見にとって、盲目の人々にくつろぎの場所をつくってあげなかったことが「大問題」と認識されるからに違いない。私にはしかし、それさえも日常茶飯のことと思える。盲目の人々は、ここではハンデを背負った人々の比喩になっている。さまざまに不遇な人々に無関心になった社会。そういうことが想起される。辺見の言わんとするところはよく分かる気がする。にもかかわらず、盲目の人々はやはり自分たちで席をつくる努力を、もっとし続けるほかないのではないかと私は考える。
 振り返って考えれば、私はこの人生において、この状況になぞらえて言えば、ある時は辺見その人であったり店員や客であったり、またある場合には盲目の人であったという気がする。そのように立場はころころ変わるものであったように思う。盲目の人の立場である時、もちろん他人の善意は望んだが、もう一方でそれを望んではならないという気持があった。プライドもあり、思想もあったということだ。
 もう少し気楽に、軽快に、この時のカフェで盲目の人々に席が設けられるようになることは社会の理想といえる。辺見に劣らず、私もそういう社会の到来を望む。だが一気にやってこないことも確かだ。おそらく辺見には、「永久革命」の思いが脳裏によぎっている。人間社会の最終的な課題。こういう小さなしかし根源的な問題は、最後まで社会につきまとうに違いない。そしてもちろん個人にも。これを解決するには、永続的に問題視していく以外にはない。人から人に伝搬し、何度も不可能性に直面し、打開や克服を試み、挫折しという体験を幾世代も経過していくという以外に早道などどこにもないに違いない。おそらく辺見にとってそのことは周知の筈だ。そうして彼は、その思いを胸にこの文章を書いた。たぶん。だから彼にとって「書く」ことは、彼の文章をもってしてその理由に応えているということになるのかもしれない。
 ところで、私たちはどこかで、みんながこう考えたら「こうなるに違いない」という錯覚を手放すことが出来ないでいる。
 まず、その場その場でみんなが同じように考えることはあり得ない。場によって、自分の考えも行動もころころ変わる。反対する異分子がいるから、そうならないのだというのではない。ここで辺見が言うところの、「くぐもった空気」に、ひとまず責任を押しつけてもいいかもしれない。私たちはそうしてこれまでもやり過ごしてきたし、これからも長くそうしているのかもしれない。私たちは、「くぐもった空気」を読むことにさえ、あるいは敏感すぎるのだ。そしてそこには「功罪」共にあるに違いない。
 辺見は、取るに足らない日常の小さな一つの情景をあえて拾い上げて提示して見せた。そしてそれが政治にも経済にもあるいは教育にも解決不可能な、それゆえに「大問題」なのだということを私たちに伝える。読者としての私たち、一般生活者としての私たちは、しかしこのことをどれだけ深く掘り起こして考えることが出来るだろうか。一読して心にとめ、そして数分後には忘れてしまうかもしれない。「くぐもった空気」は社会的な場に漂うばかりではなく、私たちの心の中をさえ、支配的に覆っていると考えなければならない。だからこそ、「くぐもる『個』の沈黙」と題されるのであるが、それは同時に消極的な私たち「個」の意思表示でもあると見なさなければなるまい。私たちは、世間が言うほどには隣人を「愛」せない。そこからはこう読み取ることも可能だ。
 政府関係者ばかりにではなく、「問題は山積している」。
 「文学」はすでに、表舞台からは退席して、隠遁生活を送っているかのように見える。役割を終えてしまったというかのようだ。だが、こういう領域にこそ、本当は文学の活躍の場があったのではないのか。
 私個人はここ三十年あまり、「文学」よりも「現実社会」の読み解きの方が余程興味深いと感じ、小説も詩も熱心に読むことはなかった。というか、面白く思えなかった。辺見の言葉を借りれば、「すぐれた『個』の表現には、しかし、空気をあえて無視した、しばしの乱調がつきものだ」という、あえて「乱調」を演じてみせる、その種の文学者が不在であった。
 振り返って考えてみれば、富裕と貧困の格差社会、少年少女のひきこもり、政治と経済の低迷、目を覆うばかりの親殺し子殺し、そして無関係な人々をねらった衝動的殺傷、もつれる恋愛、不倫、離婚、等々。とりわけ、これらの事件や事象の背後に潜む、人間的な考え、心の問題こそは、文学の得意分野とでもいうべき領域に属するものではなかったか。これに対して爪を立て、社会のくぐもった意識秩序に乱調をもたらす文学、文学者の声はあまりに低調であった。少なくとも、そこまでの認識の射程が届く文学は不在だったのだ。 もっと稚拙でいい。単調でいい。現在の日本の上空を覆っている「くぐもった空気」を蹴散らすような、乱調を厭わぬ、真実の文学者の出現は期待できないか。
 先の引用部分を読んだ時に、私がとっさに思い浮かべたのは太宰治であった。場面を社会全体に置き換えた時に、くぐもる空気に逆らい、乱調を厭わず真実の声を発することの出来た、日本では唯一の作家であると私は評価している。徒党を組まなかった、数を頼まなかった。おのれひとりの真実、しかしそれを確信し、それ一つを頼りに叫んだ。
 昨今のお利口で、お上品で、文学的な趣向を凝らした作品が書ける作家にはない、小説家としてのプライド、意地、志があった。それは現実をねじ伏せようとする言葉の力こぶだ。現実に対し、沈黙することは言葉の恥であり、文学の恥でなければならない。少なくとも太宰の文章の端々には、そういう思いを感じさせる言葉の気魂が感じられた。
 辺見が、新聞に掲載のこの文章を、「乱調」になることを気にかけずに書き上げたならば、おそらくはこういった私の主張に近い文章を書き上げていたのではなかろうか。だが辺見は引用部で昂揚した気持ちを静めるかのように、無難な結びに終わらせている。「よいしょ、よいしょ」と去っていく中年男女の姿を、余韻として残すように。
 辺見に文句があるわけではない。彼の文章の中にもしっとりとした日本的な美意識が働いていることを感じ、やはり日本の文学の底流にあるものとはこういうものかなという思いを抱きつつ、しかし私自身にはそこが欠けていたなという思いと反省をを強く持った。私には文学とは学生時代のように、遠くす去ったものでしかないのかもしれないという感慨も呼び起こされた。しかし、今回の辺見の文章に触発されて、文学にはもう一つの側面があることを再確認できた気がする。それは「くぐもった空気」を打ち払おうとする、一種、乱調をもたらす表現の意志とでもいうようなものだ。これは、もしかすると文学的な美の要素を犠牲にしかねないものかもしれない。だがそれはそれとして他のジャンルに入れず、しかも言葉を用いた表現である以上、大きく文学的領域にあるとみて差し支えないのかもしれない。それは世の中を映し出す文学ではなく、世の中がこうであってほしいと願う文学だと取り敢えずは言ってみたい。
 文学書の売れ行きが低迷する中、素人作家や素人詩人たちは雨後の筍のように増加し続けているのだという。もちろん私もその一人で、既存の表現に飽き足らなく思ってきた一人なのに違いない。「その場の空気を無視したしばしの乱調」、表現し続けるならば、その立ち位置をこそ私はとり続けたいと密かに思うところである。
 
 
  「準・国民投票」の期待(2008.3.23)
 
 河北新報社は東北六県の有権者を対象に、三月十九、二十の両日道路財源問題に関するアンケートを実施し、その結果を二十二日の朝刊に掲載している。それを見ると有権者の約七割が道路特定財源の一般化とガソリン税などの暫定税率廃止に賛成し、特定財源維持と暫定税率延長の政府・与党案への賛成は約二割にとどまっている。また、自分たちが暮らす地域の道路整備については約六割が現状に満足している実態も明らかになっている。道路整備を求める人の理由には、日常生活の利便性や震災対策などの安全性などから生活道路をもっと整備して欲しいと望み、高速道路の整備を求める声は少ない。問題にされている道路特定財源の使い道にいたっては、約八割を超える人々が批判的であった。
 私は少し前にこの問題を考えてこの「きれぎれの発言」に掲載したが、今回の河北新報社のアンケート結果は私の実感的な考え方にぴったりと見合う結果で、納得のいくものであった。
 河北新報もまたこの結果を受けて、二十三日の社説にこの問題に言及した文章を掲載している。おやっと思った箇所がある。
 
 私たちは、東北地方の産業・生活基盤としての道路整備はまだまだ満足できる水準に達していないと考えてきた。それだけに、これは意外な数字だった。
 
 数字の意外とは、道路整備状況に満足しているという六割の回答をさしている。河北新報そして社説の主は、ここで一般の生活者との乖離に戸惑いを覚えていると言える。
 乖離、隔たりは、生活者と新聞にだけあるのではない。社説の文章はアンケート結果から見えてくる政府、さらに県知事たちとの距離感の違いに目を止め以下のように続けている。
 
 こうしてアンケート結果を見てくると、東北の人たちと政府・与党の主張に隔たりがあるという印象を持つ。しかし、それより問題だと思うのは、東北人たちと「地方代表」を旗印にする全国知事会との距離感だ。
 知事会の立場を整理すると、「暫定税率の維持」「道路特定財源の一般財源枠拡大」「税制改正法案の年度内成立」だ。
 暫定税率の四月廃止にともなう地方行財政の混乱を避けたいという気持や全額一般財源化に対する慎重論がその背景にある。
 私たちは昨日の社説で、行政執行責任者の知事と生活者たる県民の声は必ずしも同じでなく、知事会の意見イコール地方の声とは見ていないと書いた。
 現に全国知事会の立場とアンケート結果には相当の開きが認められる。東北各県の知事と県民との関係もしかりだろう。
 知事や市町村長は道路問題で住民との対話を始めるべきだ。そして、地方の息遣いを与野党の修正協議に伝えてほしい。
 
 生活住民の実感と行政執行者たちとの認識の乖離については、一般生活者に過ぎない私がすでに発言してきたところのものだ。その意味では河北新報の方が鈍感すぎるのだと思う。なぜそうかということは、アンケート結果の数字を意外と見る河北の、情況に対する姿勢と感覚の違いからいうことができる。私は生活者の立場そのままに認識を働かせようとしているが、河北新報のような新聞社は、どうしても指導的な側に立った「頭」を使うことに慣れ親しんでしまっているから、その分、行政執行者の言い分も理解し、そのために立ち位置がそちらにシフトしてしまうからだと思える。
 かつてニーチェが、新聞は近代社会の病患であってすべてを摂取しながら何一つ消化せず、垂れ流すばかりで文化を創造しないという意味合いのことを書いていたのを思い出す。まさしく昨今の新聞テレビの報道を見るとそういう感が強くもたれる。
 いずれにせよ、私たちには新聞人も行政執行者たちも本当には生活者たちの理解者であり、代弁者であり、同伴者であるようには思えない。
 しかしながら、今回の河北新報のアンケートの実施と結果の掲載を見て、私はいくつかの示唆と兆候を示されたような気がして、始めて河北新報を誉めたい気分になった。そしてアンケート自体も客観的でよいアンケートだ思えた。実は、ここのところ河北はいくつかのアンケートを実施している。先には農業問題についてのそれがあったし、今回も含めてアンケートづいているように感じた。
 社説の中にも同じ意味合いの言葉があったが、要するにこれまでは生活者の実感からする考えが行政執行者たちには届いてはいなかったし、形式的には別として聞こうともしてこなかったと思われる。これは新聞社なども同じで、どちらかといえば世論形成のために都合のよい意見を取り入れようとしたり、やや意図的な感じがあるアンケートの仕方をしていた感がある。これに対し、今回も含めた最近の河北のアンケートは、実によく生活者の声に真摯に耳を傾けようとするアンケートに思われた。大事なのは建前の声ではなく、本音の声である。
 今回国民全体を巻き込む形となったこうした問題に対して、生活者の本音を探るアンケートを実施したことには意義がある。
 私は各県各都市の新聞社が、連携してこうしたアンケートを実施したらどうかと夢想した。ラジオ、テレビなどの放送各局を加えてもよい。
 少し前に憲法改正の問題に関わって国民投票が話題になったが、各メディアが協力連携したアンケートは国民の直接的な投票に準ずるものになるのではなかろうか。河北新報はこれを提案してはどうか。
 これだけはっきりとしたアンケート結果が民の声として活字に表されたならば、おためごかしの「国民、県民、住民のため」という言葉はもはや通用しない。
 メディア各局は、たとえば選挙速報などでは全力をあげて得票数などを伝えたりしてきているが、面白みはあってもそれほど意義あるものではないと私には思える。
 新聞は社会や世界全体の姿を国民に届けてきたと言える。それから言えば逆向きの流れは投稿欄などを通じて、ややローカルな面でのみ効力を発揮してきたという気がする。
 社説が「知事や市町村長は道路問題で住民との対話を始めるべきだ」と述べているが、そうではなく、今回のような形で住民の声を集約して知事や市町村長に届ける。そういう働きがあってもいいのではないだろうか。本当はそれをこそ視聴者は、つまり一般生活者は心の底から望んでいるように私には思われる。今まではそれを誰がやってくれるか、何を介して声を届ければよいのか、「生活者の味方」がどこにいるか見えていなかったのである。そしてもっと大きな問題に関してはメディアが協力して、国民の生の声を与野党政治家、政府、関係省庁に向けて届けてくれることを願いたい。
 もう一度言えば、ここで私が言いたいことは、国民全体に関わる大事な問題について国民の直接的投票という形すら行われていない今、せめてそれに準ずるような問題についてのみでもかまわないからメディアの協力体制の基に国民の生の声を明確に出来るこういうアンケートを実施してもらいたいと言うことだ。それぞれの地域のメディアが協力して、東北道路アンケート、関東道路アンケート、山陽道路アンケート、そういう形で全国的に一斉に実施して結果が出れば国民の声はいっそう政治に反映するに違いない。おそらくは放送協会とでも言うような取りまとめ機関があるだろうから、そういうところを中心に動き出せば可能になっていくに違いないと思う。これは大手新聞の全国調査とはまるっきり異なる。またそうしなければならない。
 道路問題に限らない。一部の声を意識的に無意識的に「国民の声、住民の声」と偽る弊害を無くさなければならない。おそらく誰でもが、聞こえてくる声しか耳に聞こえない。取り巻きや、利害を同じくするものだけが声の授受を盛んにしているだけだ。報道メディアが中心となって動き出せば、メディアに新しい使命が加わる。埋もれた声の発掘、国民多数の本当の声の発掘である。河北新報の試みが、発展していき、そういう道筋をつける試みになることを期待するとともに深く心に願うところでもある。
 今回の道路問題の肝心なところ、そして住民と行政責任者との思いや考えの差異は、住民の生活不安が深刻であることによって生じているものと私は思う。住民はリスクがなければ道路整備はどんどんおかまい無くやってくれと言っただろう。ただ個人の生活にもかげりを感じ、国はもちろん、夕張のように自分の県や市町村の行財政が厳しい現在、優先順位的に見ても道路、道路と言っている時ではないだろうというのが生活者の判断であろうと思う。その意味では行政執行者がなぜ道路というかも理解してはいる。しかし、生活者に不安を覚えさせたのはそういう先行投資、公共事業の結果である。そしてその結果責任はいつでも曖昧である。その結果、赤字財政ばかりが膨れあがった。もういい加減にしろよという声である。生活者は収入が少なくなってどうするかと言えば、我慢をするのである。出費をなるたけ抑えようとする。どこまでも借金を重ねていけるわけでもない。そういう感覚が行政には抜けていると思わずにはおられない。
 
 
  「稲作経営について一言」(2888.3.11)
 
 サラリーマン時代、自民党の農業政策が手厚い手当で農家を擁護しているようで気にくわなかった。少しずつ農産物の輸入が進み、米までもが輸入されるようになるとそれまでの農業への待遇も変わった。ここ二十年ほどで農政は大きく転換をとげようとしてきたと言えそうに思う。もちろんこれは私の感覚的なとらえ方で、今、根拠在る資料などを見ながら語っているわけではない。ここではさしあたって細かなデータを必要としない話をするつもりでいる。
 いずれにせよ、農政や農業にはなんの関係もない私だが、東北は宮城の片田舎に生活し、団地を少し離れると田園が広がる風景が目に飛び込んでくるあたりに生活し、意識せずともそれらの話題は耳目に届くところとなる。それらを漠然と見聞きしながら、さて農業も辛い時代を迎えているなと幾分同情を持って、その推移に無関心でない程度の関心を寄せてきた。それさえ新聞記事に目を通し、テレビのニュースに耳をそばだてるといった一般の視聴者と何も変わらない。逆に言えば、その視聴者の位置でこれを書こうとしている。
 今日では、稲作経営の危機が本格化してきて、日本の食糧自給率の問題、農業の将来など、懸念材料として取り沙汰されてきている。
 私は日本が先進国の仲間入りをはたしてから、我が国における農業は衰退の一途を辿るのが自然な過程だろうという考えに同調してきた。
 第一に私たちの同世代は、家督と呼ばれる農家の長男であっても、進んで農業に従事したいという考えのものはすでに少なかった。出来れば都会に職を求めたいと、あるいはそれが適わないまでも公務員になったり、給料生活を望んでいたように思う。また田舎の人々は、総じて都会の便利さを自分たちの生活の中にも求めた。私には、田舎もまた都会になりたがっている、そういう印象があった。そしてもちろん農業経営も近代的になり、米の生産力も高まり、逆に米あまりがもたらされた。田舎が近代的になり、少しでも都会の文化が入り込んでいくということはそういうことである。
 農業は割に合わない仕事である。どう考えても私にはそうとしか映らない。大変な仕事である。国民の食に関する重要な仕事である。だが、理念的なことのみの理由で仕事を選択したり継続したり出来るわけではない。作の好、不況が天候しだいという面もある。機械化されても肉体労働がなくて済むようになったわけではない。汗もかき、汚れもする仕事である。余程のことがない限り、若者が農業を選択する時に賛成しようと言う気にはなれない。特に自分をその立場に立てて考えた時に、とてもうまくはやっていけるものではないと思うから、人にも勧められないということになる。
 出来れば農業を辞めてしまいたい。現在少しばかりの田畑の所有者である農家の多くはそう考えていると思う。
 こういう現状で農業を再生しようとするには、相当の経費とエネルギーとが必要ではないかと私は思う。そしてなおかつそういう試みが為されたとして、果たしてそれが成功するかどうかの確率はそう大きくはない。少なくても現状で、近い将来の農業にバラ色の夢を見る材料はとても少ないと私には見える。
 
 平成20年3月9日、それは今日だが、河北新報の一面は、「兼業追いつめる米価下落」の見出しを持って、稲作経営と暮らしの実態に言及している。これによれば、「米価下落、地方経済の低迷で、兼業農家が追いつめられている」ということになっている。記事の根拠になっているのは同社の行った農業モニター調査によるものだが、5年前と比べた収入の変化を表したグラフをみると農家全体の約70%が減ったと答えている。また、専業農家と兼業農家とでは農業収入の減収は、兼業農家のほうが大きかったことが表れている。そして記事の終わりのあたりでは、農業継承の危機が調査から読み取れるとしている。
 具体的には第3面で、「経営」、「農地」、「継承」の各項目ごとに調査をまとめた記事を作成している。「経営」では、兼業農家が農業収入を増やす取り組み、たとえば農協外への米の出荷、付加価値米の栽培などにおいて専業農家よりも消極的であった結果が導き出されている。また、国が推進する生産調整については全体的に農家の生産調整離れが進みそうだと記事では推論している。「農地」では、耕作面積が小さくなるにつれて規模拡大を考えない傾向が現れている。全体としても水田を購入して規模拡大を目指す考えは少ない。逆に、農地を手放すという思いも個々の農家にはなく、後継者がいない場合には作業を委託するという考えの農家が過半数近くになる。米づくりを子どもに継がせるかどうかについては、小規模、低収入の農家ほど「継がせたくない」と考えているようだ。  
 
 私の印象では、河北新報は農業の衰退に歯止めをかけることを模索する記事を多く掲載し、いわば農家を応援する姿勢を持ち続けてきた新聞だ。言うまでもなく、宮城は新潟の「コシヒカリ」と並ぶ、「ササニシキ」、「ひとめぼれ」などのブランド米を持ち、稲作が盛んであった。新聞の読者としても、農家は主要な読者層であったろうから河北新報が農業、米づくりを紙面の多くを割いて掲載する理由はよく分かる。
 けれども、記事を読みながら私には腑に落ちない気持を捨てきれなかった。というのは、農業、農家に肩入れするような記事が多く、公正さにかけるような気がしていたのだ。もちろん肩入れしたい気持ちは分かる。農家を応援したいという気持も理解できないわけではない。しかし、ある時期から、これはひいきの引き倒しになるのではないかと危惧した。 農業が衰退する。前兆は、政府の農業政策に長い間目を注いできたならば、嫌でも分かったはずである。作家の井上ひさしなどを招いて、農業問題の講演を主催するかあるいは後援したこともあったと思う。要するに農業や農家について、「くちあたり」のよい話を繰り返し広める役割を担った。
 私は密かに、これは罪ではないのかと思った。それらの講演や記事を真に受けて、農業や稲作に使命感を抱いた人々も少なからずいたのではないだろうかと私は思う。そういう人々に、現実がいっそう厳しくなってきた今、どう弁明するつもりなのかと、私ならば考える。苦しい台所の中でさらに苦しみを背負わせて、それで「善いこと」を言ったつもりになっている新聞社や井上などは気分がいいだろうが、農民はこうして悲痛な声をあげはじめている。
 私はここで農業問題に言及するだけの力を持たないが、それでも、農業を守れなどと言えない状況を迎えつつあるというくらいの察しはつく。私の考えの根本にあるのは、日本が先進国の仲間入りを果たした現在、そして将来に後進国に後戻りしようと意志しない限り、第一次産業などのようなものはどうしても衰退の一途を辿るという歴史的な、自然過程に順うに違いないというただそれだけのものだ。もちろん、農業も漁業も林業も、衰退の過程でおきる様々な要因から一進一退を繰り返すことは間違いない。政府のてこ入れ、需要と供給のバランスなどから一気に消滅に向かうなど、あり得ない。しかしながら、ふるいにかけられながら農業就業者数が今以上に減少していくことは当然に予測されうることだと思える。全体としての農耕地も徐々に、そして速やかに他に転用されていくだろう。
 米づくりを子どもに継がせたいか継がせたくないかという意向を問う調査に対して、継がせたくないと回答する農家が増えている。「米価が安すぎる」「生活できない」「サラリーマンの方が収入が多い」と、農業経営の厳しさが反映している。反対に継がせたいと回答した理由には、「先祖代々守ってきた土地だから」「田を荒らしたくない」などが多かったという。ここに、農家の人々の思いの縮図が見えるような気がする。田んぼをやっていっても赤字が続くばかりで将来にわたっての展望はひらけず、かといって土地を手放すわけにはいかない。このあたりの思いが思いとして、農家の人々の数だけの重さを付け加えて感じられてくる。
 
 食の安全や食糧自給率の問題などから、農業は大事で再生されなければならないと農業政策担当者のような口ぶりで言ってみることは容易い。けれども、本気でそう思うなら自分が率先してやれ、と私は思う。篤農者がいて、新規に農業を事業と考える者がいて、確かにやりようでは成功者も出てくるかも知れない未知の領域という視点から農業を見直す動きも出てきている。しかしそれは、誰にでも出来ることではない。そういうことを知りながら、自分の淡い夢を、牧歌を、人に聞かせ、人を動かそうとしてはなるまい。私はただそう思うだけだ。この構図は戦争の中にも見ることができた。頭を使う参謀本部の連中と、肉体を使って戦う兵士たちとの間にあるものと同じだ。傷ついたり痛手を負ったりするのはいつでも体を使って働く人たちの方で、頭を使ってあれこれ言うだけの連中は大抵の場合、いつでも最後の危機を回避する。彼らは言葉を粉飾することに長けている。要は頭で考えていることを現実化したい。それも自分の体を使ってではなく、人を使ってそうしようとするのだ。おそらくそうした時に端から責任を取るつもりなど念頭にはない。よかれと思うことを言う、ただそれだけのことだ。そのことを私たちは肝に銘じて知っておかなければならないと思う。自分で判断し、動かなければならない。私はそう思う。
 
 日本の国の農業はどうなっていくのか。そんな大問題に私が答えられるはずがない。おそらく私には第一次産業に就く従事者が今後爆発的に増えていくとは思えない。だが、全く皆無だとも思えない。二次産業、三次産業と進み、日本経済は経済大国の席から滑り落ちようとしている。これは私たち生活者に相当のダメージを与えずにはすまないはずだ。日本政府の世界経済動向の読み違えや無能無策が拍車をかけることになったのは間違いないことだが、景気はかなり落ち込み深く停滞すると思う。
 日本に経済的な未来があるとすれば、日本には一次産業から三次産業まで規模の大小はともかく百貨店的にあるのであって、これを資本として再出発を考える他はない。すなわち、日本全体が研究室という形で各産業上の研究を進め、それを世界に向かって提案、発進していくあり方である。
 たとえば米づくりについて、品種の改良、害虫防除法、土壌改良など、日本の持つ技術は高いものがあると思う。この技術を海外に向けて輸出していくのである。日本は各分野においてこうした技術の研究室的な役割を担っていく行き方が考えられる。この場合国内の農業は実験室的な意味合いから生産性や供給力は問題にされず、技術の輸入によって得た利益により次なる開発のための研究の意味から継続されていくことになる。国内においては試食の意味合いから格安で販売され、消費者のフィードバックはさらなる研究のための資料として活用する。他の産業においても日本は生産や製造の拠点としては成り立たないと思われるので、私にはこういう行き方がベストではないかという気がしている。とはいえ、これは一貧困生活者の直感でしかないので、ここではただ座興としていってみるというだけのことになる。ついおしゃべりが過ぎた。思うことの半分くらいは出せたかと思うのでこのあたりでやめることにする。 
 
 
  「社会の迷走と個人の自立」(2008.3.6)
 
 ガソリン税の道路特定財源、暫定税率維持か廃止かの問題で、与野党の対決からさらに全国の知事、市町村長を交えた論戦が激しく戦わされている。
 下層庶民の一人としては、廃止して欲しいところだ。焼け石に水でも、低所得、物価高、家計が火の車の中、いくらかでも出費を抑えられるとなればそのことに賛成したい。道路事情が少々悪くても、個人としては我慢をする。というか、私たちにはあまり支障はない。
ガソリン税に限らず、所得税から住民税、消費税と、税額が小さくなることを下層庶民としての私たちは心から願っている。
 全国の首長たちはこの特定財源等の問題で、ほとんどが自民の継続案に賛成している。あるいはもともと地方のそうした声を自民案は反映して出来ているように思われる。私には奇異であるが、首長たちを含めた継続派が何をどのように考えているかはうっすらと理解できる気がする。その上で、彼らの目線がいつもどこにむいているかも理解できる気がした。
 河北新報の3月3日の号に、道路特定財源をめぐっての正反対の主張として、立谷秀清・相馬市長と片山善博・前鳥取県知事に聞く記事が掲載されている。これを読むと維持派、廃止派の両者の主張の違いが鮮明にあぶり出されて面白いと思った。簡単に言うと、立谷は道路を造りたいのだし、一方の片山は財源の使い道は地方に任せることで、一般財源化すべきと言っている。立谷は全国の首長の考えを代表していると見なせる。片山は立谷よりは進歩的な考えをしている。そういう感想を持って、そしてあとは特別の感慨はない。強いて言えば、「リストラ、非正規雇用が増え、家計の所得が減っている中、ガソリン高騰が直撃している。主張は住民の生活の安定を一番に考えなければならないのに、高い税率を課すと言っている。もっとバランス感覚を持って欲しい」と言っている片山の主張の方に私は少しばかり好ましさを感じた。
 立谷ばかりでなく、たとえば今注目を浴びている宮崎県知事の東国原にしても、その地方の経済的な好況を何とかしたい思いの一色なことが、私には地方の根本的な遅れと映じて仕方がない。どの自治体も同じ方向を向き同じ事を願って計画運営に当たっているかと思うと、うそ寒い気もする。別にそれ自体を悪いというつもりはないが、みんながみんな同じ思いでいるということは、悪くいえば、こいつら馬鹿かと思う。どいつもこいつも策がない頭ばっかりということだ。馬鹿の一つ覚え、能なしを意味しないか。そう、思う。もちろん彼らが、国民、県民、市町村民の生活を考えていないわけではないのだろうが(そうであれば首長の資格すらなく首長に選ばれるわけもないが)、民の生活を思うあまりに実は民の生活に疎くなっていることに気付いてはいないのではないかと私などは考えてしまう。そうでなければ、せめて片山くらいの認識を、主張する言葉の端々に示してもらいたいものだと思う。大を見て小を見ないとか、将来を見て今を見ないとか、ともかく原油価格の高騰を受けて諸物価は跳ね上がっているところに、輸入する小麦などの不作などからさらに諸物価は高騰し続けそうな気配なのである。
 私たち下層庶民の感覚からいえば、借金財政を抱えてなおかつ道路を作って云々などという悠長なことをいっている場合なのかというのが正直な感想だ。
 国も自治体も金がなくて大変だと言っている。借金まみれだという。だから税金をもっと取りたがる。私たち下層庶民の感覚としては、金がなければ出来るだけじっとして腹を減らさないようにするというのが常套手段である。要するに出費を抑えて我慢をする。民のものにそんな世知辛い暮らしをさせておいて、やれ整備だ投資だと言って公共事業ばかり進め、企業が誘致できればそれでいいか。その企業さえ来るかどうか分からないし、もし来たとしても景気が激変する時代、いつさっさと撤退されたり倒産されたりしないとも限らないではないか。そういう時にきちんと国や自治体を守れますか。もっと国造り、地方づくりに理念が、理想が、哲学が、なければならないのではないだろうか。
 私たち日本国民は、みんな心優しく我慢強く、馬鹿を怒ったりしない。「ああいう仕事は馬鹿にやらせておけ」というように、割に合わない大変な仕事は「人任せ」にする。だから多少の失策も、多少の利権の「くすね」もおおめに見がちである。そしてただ「愛想」を尽かす。そして自分たちはギャンブルや酒や異性や遊び、そして家庭の小さな幸せに夢中になったり汲々としていたりする。いずれにしても、金に支配される世の中と言っていい。終末を迎えたと言わないまでも、歴史上の大転換が忍び足ですり寄り、その序章を奏で始めたといったところかもしれない。だがその足音、その気配を感じながら、それは五感に届くほどに明らかなものではないゆえに、私たちはただイライラを募らせているだけに過ぎない。その意味で日本の政党政治が、二大政党の樹立だの、政界再編などといっているのを見聞きすると大変牧歌的な光景と写り、感じられてくる。いったい策のない烏合集散をいつまで繰り返せば気が済むのか、他にやることがないのだろうと五里霧中状態を察すれば、大変「お気の毒」にも思われる。だがそうは感じられても多数の民が路頭に迷ってもいるのである。舵取りは慎重に願いたい、などと、冗談では言えてもほんとは端から期待などしていないのである。それが下層庶民としての私の本音である。私の声が首長たちに届かないと真逆に、首長たちの理念や政策は私の心に少しも訴えるところがない。私たちは、きみたちの視線が届かないもっと深い井戸の底の底のところに住むことを余儀なくされている。便利な「自己責任」という言葉が覆い被さっている。さて、理由のない恨み辛みを内蔵して、後半生の残されたわずかな時間、どのような「理由なき反抗」を示してこの世とおさらばするか、高齢者は密かに策を練っている。努々忘るべからず。  
 
 私は、自分が無知無能な人間であることを知っている。騒がしい世間に、なんのお役にも立てない、その意味での情けなさも感じている。
 今、ふと思い浮かべるように、時折私は現代に舞い降りた縄文人という妄想を膨らませる。すると、政治の混乱や社会を騒がせる日々の騒乱はまるで気候をはじめとする自然の脅威であり、天変地異の如くに感じられたりする。
 古代の人は、そういう自然を前にして、あるいは迷妄に走り、あるいは身を縮めてじっと我慢するしかなかったかも知れない。私はそのことを思い、縄文人として、人的に引き起こされる嵐のようにさわがしい世界、社会を自然のそれのように思いなしてみる。それらの事件や出来事は、私たちの手の届かぬところにあるから、止むまでに手をこまぬいて見ている他はない。傍観者的だという批判はあり得る。しかし参加して騒ぎを助長するよりは、対岸の火事として、知らぬ振りを決めてもいいのではないか。
 
 現代に一人取り残された縄文人として、私は食料調達を第一義として生きる。世界は嵐のように騒然として感じられるが、雨風の合間をぬって私は食料を獲得する必要がある。それさえ容易ではない。それでも何としてもそれだけは続けていかなければならない。そしてそれ以外に私の為すべき大事は何もないのだ。
 言うまでもなく、現代において私のようなものはどのように生きたらよいのかの道を私は手探りしている。そしてすこしずつ、探り当てたかも知れないという感触だけはここに来て感じられるようになった。要するに現代か古代かを問わず、あるいは古代から現代へとかすかに通じる一本の小径を私は模索する。そしてそれは語る。
 生きることの基本に立ち返ればそれはなんの変哲もなく、食うことという事実に突き当たる。さしあたって、最低限、人間は人間としてそのことをしていけばいい。そう考える。あとのことはその余の余裕の産物であろう。順序が逆であってはいけない。当たり前のこんな帰結が、やっと私のたどり着いた場所だ。どんなに笑われてもよい。
 これは実は私が他者を見る時の価値の尺度になるものだ。つまり私はそのように人間を見るということだ。これが出来ていれば、その人を私は偉い人と考える。そしてそれは他のいっさいがないことを前提とする。なんとなれば、それは「揺るぎない基本」だからだ。
 
 たいていの場合、人間はこの基本の姿から逸脱することを余儀なくされて生きることになっている。偉人、有名人、犯罪者などはみなそうだ。それは耐えられず、流されてそうなっていくのであり、少しも価値ではない。流されるのではあるが、結果としてそこに留まるのであれば、それは理想に近く、価値に近いと言わなければならない。
 
 私の、考えるという行為は、これは価値でもなんでもなく、ただそれは自己存在を価値に近いところに高めたいためのものだ。要するにそのように現実化されなければ意味はない。そのための手段である。「考え」は消える。文字に残したとしても、それは名残をとどめるだけで、消えていいし、また実際私からは消えるのである。そしてただ私のこの世界での存在の仕方にいくらかの影響を及ぼすかも知れないというだけだ。
 
 私はここで、私自身と、私の生活的な境遇に近い人々に向けて、大変な時代であり世相ではあるけれども、慌てず騒がず、卑下することなく、恐縮することなく、淡々とそして堂々と、生活に邁進しましょうとエールを送りたい気分があって、こんな文章を書き始めた。貧しさや身分や、生活のレベルの問題など、歴史的に積み重ねられ付け加えられてきた概念の装飾など、埃を落とすように体から払って、「ただのひと」のところで頑張ってみましょうと、そう告げたかったのだと思う。この声は決して届かないかも知れないが、取り敢えず風船に結んで上げる気持でここに記しておく。
 
 
  「人喰い」(2008.1.4)
 
 魯迅の小説に、「同胞を喰らう」というようなことばがあったと記憶している。同じ支那人が同胞を欺き、陥れ、食い物にする、そういう当時の中国の世相を嘆き、憤激の情を迸らせるようにして書き記したことばと記憶する。国の、あるいは民族の同胞の犠牲の上に、金を得、富を得、権力を得ようとするもの達への怒り、憎悪、嘆きが混じり合い、情熱の火柱が高く舞い上がって感じられる文章であった。
 太平洋戦争の終戦時近く、食糧の補給もなくなって山に逃げ込んだ日本兵達の中には、死んだ仲間達の肉を食った者もいる。そう想像されるような記述の文章を読んだこともある。私の中でその真偽は定かではない。ただ、そういうことはあり得ることではないかなと、私は思う。
 現在の日本社会は、魯迅が生きた当時の中国とは違い、また山地に追われた兵士が目をぎらつかせて獲物を探すという状況にあるわけでもない。
 しかしながら私には、「人を喰う」という点で、共通するところがあるように思える。簡単にいえば、人が生活できない程度の低賃金で働かせるシステムが、何の疑われるところもなく、否定されるところもなく、堂々と罷り通っている現在の日本のこの社会は、「人喰い社会」以外の何ものでもないだろうと思うからだ。派遣社員、契約社員、パート、アルバイト。そうして働きながら、働いても働いても賃金が家賃や食費や光熱費などに追いついていかない。物価が上昇すれば、かえってマイナスが増えていく勘定になる。自由主義経済。市場原理。私はそういうことはよく分からないが、強い者が弱い者を、弱い者はより弱い者を食い物にする世の中だとは感じている。富む者は貧しい者を、貧しい者はそしてより貧しい者を食い物にして生きながらえようとする。
 昨今はそれがより加速し、しかも、必要に迫られてではなく、ひとつの戦略として人件費の削減、賃金の抑制が恒久化してきていると感じられる。「これはなかなか美味ではないか」というのが、賃金を支払う側に気付かれたのだ。しかも、法の範囲内でうまい汁が吸える。賃金を上げなくても、仕事をしたいという奴はいくらでもいる。文句があるなら辞めてもらって結構。代わりはいくらでもいるから困りはしない。しかも、辞めさせられては困るから一生懸命働く者もいるし、中には優秀な人材が混じっていないこともない。人件費の抑制は雇う側にとって見れば、労働を提供する側の競争という、意外の効果もあったことになった。
 「人喰い」ということばで、もう一つ思い出すことがある。それは江戸時代の地方の町医者、安藤昌益の思想だ。
 聖人、賢人と言われる者はすべて、たとえば農民が耕作して収穫した穀物を奪い取って貪り喰う輩であると言った。奪い取るとはこの場合、力でねじ伏せて奪うような蛮行を意味しない。逆に、農民自らが進んで献上するような形で奪い取ることを言っている。面倒だから細かいことは言わないが、要するに自分では耕作しもしないくせに、ちゃっかり収穫物は自分の懐に呼び入れる、そういう有り様をみそくそに叩きつぶすかのように批判している。体裁はどんなに繕っても、結局は横取りしているに過ぎないじゃないか、とまあそういう批判の仕方だ。そういう目線で見れば釈迦も孔子も、頭を使い、口先を使って、農民が汗水たらしてさらに年月を重ねて耕作した収穫物を横取りしているに過ぎないという批判になる。
 頭を使い口を使うのは、戦争時では参謀本部の人で、銃弾の先頭に立つ兵士ではない。平和な社会では、肉体作業をしない人々である。
 頭を使うか肉体を駆使するか、だから昔から分業はあったといえるのであるが、安藤昌益は歴史を遡って考えて、人間の本来の生きる姿は自分の体を使って収穫を獲得するところにあると考えたようだ。そこで、頭を使い何を使おうが、ひとまず人間は自分が採集や耕作をして自分の食い扶持を得ることを本来的な姿と見ている。
 聖人、賢人といえども、自分の口に入れる物は他人が体をはって収穫したり獲得したりした物だ。自分の生命を維持するために摂取する物が、自分が直接体で克ち得たものではなく、他人の収穫物に頼っているのだということは恥ずべき事で、人間存在のあり方としては農民以下の存在に過ぎない。安藤が本当にそう考えたかどうかははっきりできないが、当たらずとも遠からずではないかと思う。
 
 働く者の生活を考慮しない企業、経営者、雇い主。それらは、できれば底なしの低賃金が、経営や運営上、利をもたらすものだということが分かったに違いない。さらに、賃金を抑えたままでも労働力は市場にあふれ、いくらでも取替可能だということも分かった。働く者の生活などどうでもよい。法に則って、法を犯すことなく利益を追求するその一つの手段として人件費を、賃金を、削って削って削りまくる。
 人間の力、労働力を、そのようなものとして扱い、働く者の貧困を顧みようとしない社会。それが日本の現在の社会の有り様に見られると思うが、これはもはや社会が堂々とそして合法的に「人喰い」を始めたと見ることができるのではなかろうか。人の犠牲の上に、人の苦しみを知りながら、しかもなおそのことに関して「何とも思わない」人間が増加して利益を貪ろうとする。働き手は働きながらどんどん貧しくなっていき、やがて生活保護を受けるか、飢えるか、自殺を考えるかしかなくなっていくに違いない。いずれにせよその生涯は、他の人間に身を喰われ続ける生涯と言っても過言ではなくなるのかもしれない。つまり、貧しい彼を追いつめるものは自然の天変地異や災害ではなく、疫病や細菌といったものでもなく、極悪非道の人間達というわけでもない。戦争のない平和な社会の中に存在するシステム、あるいは合法的な経済活動に従事する「あたりまえに生活する人々」によって、彼は身を喰われることになってしまう。
 私はいま、ほとんどそれに近いか、一歩手前のぎりぎりのところで踏みとどまった生活を余儀なくされている。どう考えても、ここからゆとりのある生活を自力で取り戻すことなど出来そうにも思われない。諸々の環境条件的なものがそう告げている。どんなに力を尽くしてもここに踏みとどまることが精一杯で、たとえば病気になったとしたらそれだけで現在の生活は瓦解する。永遠の綱渡りなのだ。私と同じかあるいは私よりも条件と状況がいっそう過酷な人たちはたくさんいるに違いない。「人喰い社会」。他者を犠牲にしてまでも利を貪ろうとする社会。私は間違いなく現在の日本の社会がそうなっていることを確信する。
 
 さて、とりあえず労働力を市場原理に任せたとして、この先どうなっていくか。先にも言ったように雇い主は、禁断の果実、「人喰い」の旨味を知ってしまった。そう簡単に犠牲になる人々を何とも思わないという「人喰い」が止められるわけがない。そうなると貧困労働者は増加の一途を辿り、そのことでまず第一に消費の冷え込みが恒久化していくだろう。これは生産供給する側に規模の縮小を含めて大きな打撃を与えるに違いない。社員の給料も減少し、消費はさらに落ち込むことが想像される。そうしてさらなる悪循環を繰り返していく。このまま手をこまねいていれば日本経済名沈没寸前のところまでいくだろう。いや、もう沈没しているのだと言ってもいい。本当は十年も前に、政府は景気の予測を消費動向に置き、消費が順調に伸び、活発であることを経済的な指針として持つべきであった。そして伸びが鈍化したり低迷したりした時は、それを活発にさせる対策をまずは講ずるべきであった。そうした意味では政治家も経済人も、日本においては明日の読めない無能な烏合の衆と言っていい。
 定年過ぎの高齢者が増える。私もそうであるようなワーキングプアーが増える。若者達もまた働き口がなく、アルバイトや低賃金労働でその日暮らしをするものが増える。いずれにしても、多数派となるに違いないそういう人たちにも消費をしてもらう以外に経済が立ちいかなくなることに気付く時が来るに違いない。そのために、消費税を課す品目を考えなければならなくなったり、あるいは最低賃金を千円以上にするとかの大きな政治的決断を要する局面を迎えるだろう。それまで、私たちは短気を起こさずに生活の中で自衛策を工夫しなければならないだろう。無駄を無くしていくというそのことに尽きる。あるいはまた、文化的な生活以下の生活も覚悟しなければならないかもしれない。同時に、もう少しすると私たち貧困層の、消費者としての潜在的な力が再注目される時が来るような気がしている。つまり、貧困を貧困のままにしておいて、他に経済が発展する道はないことに気付く時があるように思われる。そこまで、とりあえず出来る自衛策をもってして耐えて欲しいと、貧しい境遇の人々には声を掛けておきたいと思う。
 
 
  「教育力の根幹にあるもの」(2007.11.27)
 
 河北新報11月16日の「持時論」で、利府町に住む71歳の主婦阿久津さんの文章が載っていた。内容は題にもあるように、戦後教育は先生の威厳低下などもあってたいへんな様相を呈しているが、「正しい」という誇りと信念を持ちそれを貫く教育をお願いしたいというようなものだった。
 素直に心境を述べられているような文章に、心うたれる思いがした。おそらく、新聞、テレビに登場するどんな知識者とも異なる、ことばの質がそこにはある。それは大衆のことばであり、母のことばであり、そのことばには大変素朴ではあるがかけがえのない「思い」というものが籠められてあるように思われた。
 私は数年前に、ちょうど阿久津さんのことばに背くような形で、願いを背くような形で小学校教員の職を辞した。阿久津さんの語っているような願いや思いに、私個人としてはどうしても力不足で応えることが出来ないと考えたからだ。
 この国にとって、教育は何より必要で大切である。だから先生たちには信念を持って正しいと思ったことを貫いてもらいたい。そう阿久津さんは言っているが、多くの先生たちは信念が揺らぎ、何が正しいことなのかがかえって年々分からなくなってきているのではないかと思う。私自身が、そうであったような気がする。
 
 明治以降、この国は天皇主権の国家として、その形態は第二次世界大戦の敗戦まで続いた。その間天皇、国家、家という「公」が重視された縦社会が貫かれてきた。このような社会は縦の価値観がはっきりとして揺らぎがない。戦後、大転換が起こった。公私でいえば公から「私」へと価値の系列が逆転した。個人に重きを置き、個人を優先する考え方へと変わろうとした。憲法が変わり、民法が「私」の人権を保障した。日本国の歴史において、はじめてと言っていい出来事である。おそらく、多くの人々は喜んでその転換を迎えたに違いない。
 元々が個人を優先する考えなど無かった国である。にわかに個人主義が移植され、個人の権利を主張していいのだということになって混乱をきたした。教育をふくめ、現在のさまざまな混乱や混迷も、基を質せばここに帰着するように思われる。
 敗戦により、それまでの世間の法は崩壊し個人主義に取って代わるのだが、元々の気質、体質が変わったわけではない。免疫検査もせずに移植された臓器が合わなかったように、古い因習や黙契と新しい考え方とがひとつの器の中で反発しあって、障害を来しているというのが現在の状況であるように思われる。いや、それは戦後始まってすぐからのことであるが、古い形がこわされたのは徐々にであって、今、完膚無きまでに壊れかかる事態を迎えたのだと私は考えている。そのため、日本的な世間は無秩序の様相を呈して見える。
 それではまた元に戻せばいいのかというと、自前の臓器はすでにホルマリン漬けにされているか捨てられるかして、使用不可能になっている。反面、移植されたものの、不慣れな個人主義は孤立主義、利己主義などに錯覚され、迷走している。
 それやこれやで免疫不全の症状はあちらこちらに瀰漫している。この症状を正しく診断し、正しい処方が行わなければならない。それをすることは私にはできないことである。誰かに提言してもらいたいし解決してもらいたいと思っている。それまで混乱と紛糾は続くし、学校はもちろん、教育審議会とか文科省とかの対策が誤りを重ねる類となることは言うを待たない。それもまた上記したことに起因する、免疫不全の症状のひとつである。
 
 こうして考えてみると、残念だが私には阿久津さんの願うところがすぐに叶えられそうにはないだろうと予見される。それどころか、信念が持てない、何が正しいか分からなくなる、先生という職業に誇りが持てない、そういう先生方がますます増えていくような気がする。そしてそれ自体は決して悪いことではないと私は思っている。なぜならばそこにはマックス・ヴエーバーのいう「精神なき専門人」ではなく、「精神性を持つ人間」の姿があるからである。そしてこの精神性は、実は阿久津さんの「思い」そして「ことば」につながると私は思っている。大げさに日本人の原質につながるといってみてもいい。
 日本は敗戦から五十年、六十年を経て、やっと何を失って何を得たのかを分かりかけてきているといえるのかもしれない。遅れてきた敗戦を、戦後生まれの私たちが今体験していると言ってもいい。
 混乱や混迷の中でよりはっきりしてきたこと、鮮明になってきたこともありそうに思える。その一つは阿久津さんの文章に見られるような「思い」というようなものであろう。要するに思いやりを持って共生、共存しましょうという願いに多くの人の考えが集約しようとしている。互いに認め合い尊重し合う関係。結局はそういうようなところに落ち着いていくに違いない。それならはじめからそうすればいいのだが、先の免疫不全の話に戻ってしまう。
 なれあうまで、時の経過が必要である。それを待つしかない。もちろんただ待っていればいいというものではなく、「思い」と「願い」とを持ち続け、持ち続けることによってそちらに誘導していくという流れが必要である。つまり民意として形成されるまで持続されなければならない。「思い」や「願い」というようなものの総和、これは人を教え、子どもを教える教育力の根幹にある姿形であると私は思う。新しい世間の法の確立と、個人としての考え方の成熟。それが形成されていくための産みの苦しみに、すべての人々が立ち会っている。
 
 
 この文章は河北新報に投書してみようと思い、書き始めたいわゆる草稿である。何回か書き直して以下のような字数になんとかまとめてみた。その違いも面白いかなと思って重複するが投書文をそのまま以下に掲載してみる。
 
  「迷走の源流―
       教育力の根幹にあるもの」
 
 河北新報十一月十六日の「持論時論」に、利府町に住む七十一歳の主婦阿久津さんの文章が載っていた。戦後教育は先生の威厳低下などもあって大変な様相を呈しているが、誇りと信念を持ち、「正しさ」を貫く教育をお願いしたいというようなものだった。素直に心境を述べられているような文章に、心うたれる思いがした。どんな知識者とも異なることばの質がそこにはあり、また、多くの人々に潜在する思いではないかと思われた。同時に、渦中にあるとそれがなかなか大変なことなんだよなあ、と考えた。数年前、私は先生を辞めた。社会全体に歪み(ひずみ)が生じている時、教育の世界だけは一人健康で、毅然としていられるわけもない。迷走の源流を遡っていくと、水源のひとつと思われる場所に考えがたどり着いたので、それを言ってみたい。
 
 明治以降、この国は天皇主権の国家として、第二次世界大戦の敗戦まで続いた。その間、天皇、国家、家という「公」が重視される縦社会が貫かれてきた。このような社会は縦の価値観がはっきりとして揺らぎがない。しかし、敗戦後、大転換が起こった。公私でいえば「公」から「私」へと価値の系列が逆転した。個人に重きを置き、個人を優先する考え方へと変わろうとした。新憲法、そして改正された民法。おそらく、当時、多くの人々は喜んでその転換を迎えたに違いない。
 これにより、それまでの家族制度を核とする「公」の重視という世間の法は崩壊し、突然「私」の権利を尊重する欧米型民主主義に取って代わるのだが、元々の気質、体質がすぐに変われたわけもない。免疫検査もせずに移植された臓器が合わなかったように、古い因習や黙契と新しい考え方とがひとつの器の中で反発しあって障害を来し、症状は悪化をさらに深くして現在に到っている。そのため、次第に日本的な世間は無秩序の様相を呈してきた。自前の臓器は、すでにホルマリン漬けにされているか捨てられたかして使用不可能になっている。免疫不全の症状は例外など無くあちらこちらに瀰漫し、これに速効の処方はないと言っていい。問題は、私たちの精神内部から社会システムの安定や成長や繁栄を支えてきた「世間」の法や倫理意識が取り払われ、代わる何かが見つかっていないということであろう。どう取り繕って見せても、私たちの内部は空っぽのままなのだ。これは、マックス・ウェーバが言ったところの「精神なき専門人」(「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)に占められた社会のありようを彷彿とさせる。
 
 私たちの精神の空虚を埋める、新しい世間の法と倫理の醸成、そして個人としての考え方の成熟は、何とかしたいという人々の「思い」や「願い」というようなものの総和から生じて来るものではなかろうか。これは人を創り、子どもを教える教育力の根幹になくてはならないものでもある。望まれるのはそれらで、これには人々の「思い」を継続させる力と、歴史が培うという意味での長い年月が必要である。これに向かって私たちにできることは何か。私にはさっぱりわからない。私のような貧困な生活者が考えるべきことでもない。ただ、大きな流れの中にいるという視点は持っておいて損はないと思い、ここに提示してみた次第である。
 
 
   「小沢一郎の代表辞任劇報道」について(2007.11.8)
 
 はじめに書こうとする事柄を覚書風にメモし、それから文章として書き始めた。メモは@〜Fまで。空白をおいてそのあとが本論となる文章だ。今回は、このままの形で掲載してみる。
 
@小沢民主党代表の辞任劇は、マスコミ主導で、評論家、政治家、国民を巻き込んだお祭り騒ぎに発展している。
A風が吹くと桶屋が儲かるのたとえで、マスコミとジャーナリスト、政治評論家、政治学者、その他諸々の新聞、テレビに登場する連中の糧道を潤すことになっているに過ぎない。また、世論を煽る馬鹿騒ぎ以外の何ものでもない。
B新聞の記事やテレビの報道を読み聞きしても、事実に添って客観的に伝えているとは思えない。あるのは憶測や、推測、風評の類が殆どと言っていい。この国の報道のレベルはこんな程度のものだということがはっきり分かる。そういう報道で国民を巻き込んでどうする気なのか。
C「精神のない専門人,心情のない享楽人。この無のものは,人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた,と自惚れるだろう」(マックス・ヴェーバー)
D政治党派のすったもんだの問題に、これほどにマスコミが喰いつかなければならないのは何故か分からない。テロ特の問題などを抱え、たしかに政治情勢は緊迫した状況にあるといえるのかも知れないが、連立構想もその一環で、今さら手法をとやかく言っても始まらない。
Eマスコミが大きく取り上げるこれらの問題は、やがて「成るようになる」問題で、騒ぎ立てたからどうなるという問題ではない。騒ぎ立てて得したり、自分たちの都合のよいほうに持っていきたいねらいを持つものもあるのかもしれないが、そんなことの御輿を担ぐことは馬鹿臭いことではないか。私は政治をめぐる今回の一連の動きにあまり興味が持てない。つまり、いずれにしても言われるほどには大問題ではなく、極めて小さな問題にすぎないと考えている。これらの動きに比べると、私には少し前の北九州市で起きた、生活保護を認められずに男性が餓死した事件の方が余程驚きであったし震撼した。豊かと言われる日本の社会で、餓死者を出すほどに行政が無慈悲になっていることに暗澹とした。こういうことこその方が、私にはとてつもない恐怖で、こういう問題ではマスコミも政治家もいたってことば少ない。
 いったい、こんなことがあっていいのか。瑣末な事件と見る向きもあるかもしれないが、こういうことこそ大きな問題ではないのか。つまり本質や真相がよく分からないのだ。
 二十一世紀の平穏な社会の中で、日記をつけるほどの「文化的」な男性が、どうして「餓死」するということが起きるのか。日本の社会が、こぞって「おもいやり」や「福祉」や「人権」や「いじめをなくそう」など、綺麗事のことばが飛び交っている状況の中においてだ。こういう社会は私には極めて不可解で、ある意味不気味でもある。
F小沢一郎は、国民生活を第一として、その政策実現の近道としての連立を、協議の価値有りと判断したようだ。政党や政権のまえに、国民の生活ありきという考えは私には肯定されるべきことのように思える。また、国連の要請によって自衛隊派遣を可能とする恒久法について福田首相の合意を得たとして、全体として連立を協議することを提案したことは私は間違っているとは思えない。おおざっぱに言えば、民主党が自民党に寄っていったのではなく、自民党が民主党ににじり寄った形と見えるからだ。それだけの大幅な譲歩と民主の主張を取り入れさせた会談の成果は、これは内実として民主政権と呼んでも差し支えないことではなかったか。党員や支持者にとって大事なのは権力か、国民のための政策実現か。国民のためであれば一考を要すると思う。
 これらのことが実現できれば、仮に自民党政権下にあっても決して汚点となるものではないと私は思う。政治家は、そして党首たるものは、ある場合に党員や支持者の意見、国民の意見を度外視にしても、本当に国民一人一人のためになると考えた時には背任と見られかねない大きな決断を強いられるものではないのか。これがその時であるかどうかは私にはわからないが、小沢にとってはその時と見えていたように思える。少なくとも虚心坦懐に発言を読めばその真意は伝わってくる。それが誤解であり間違いであると他人が捉えることは当たり前にあることであり、他人はそれをそうと主張すればよい。そしてただそれだけのことだ。あとは政党内部の問題であり、内部で処理するほかにないだろう。それを背信だ背信だと支持者である国民にたきつけたり、党員にたきつけて騒ぎを大きくするのは報道の出過ぎではないか。私は国民の一人だが、報道が「国民が納得しない」という時の国民の仲間に私は入っていないことが多い。その場合の「国民」とは誰のことか。簡単に「国民、国民」といわないでほしいものだ。正々堂々、「私は納得できません」と言ったらどうだろうと私は思う。納得しないのはあんた(報道側の当事者)であって、「私」じゃない。そして納得するのもあんたであって、「私」じゃない。気安く、私たちの代弁者みたいな顔付きはしないでもらいたいものだ。それは記者やレポーターたちの傲慢以外の何ものでもないと私には感じられる。
 
 
 
 福田首相と小沢民主党代表の会談、大連立構想、そして小沢代表の辞任劇。一連の経過の中で私が最も気にかかったのは、新聞記事内容、またテレビによる報道の言葉についてだった。新聞の記事も、テレビでのコメントの発言のどれをとっても、ずいぶんと推測、憶測、風評、勝手な解釈のことばが多いと感じた。そして新聞もテレビも、政治通、事情通の匿名の人物のまことしやかなことばを取り上げて、いかにもそれが本当だという具合に思わせるような伝えぶりに見えた。
 小沢一郎の辞任の弁は、一視聴者としての私にはわかりやすいものだった。彼の良さももろさも露呈する内容に思えたが、真っ直ぐな姿勢に好感が持てた。私はそれでしか彼の本意を判断する材料を持たないが、それで充分だと思う。民の一人として、それが一般的な理解の仕方だ。
 新聞で発言内容を何度か繰り返し読み、そういう考えかと納得した時点でそれは終わった。一人の人間の考えである。自分と違うということもあろう。小沢一郎はそう考えてそう行動した。それまでのことである。事情通は裏を読み、曲解する。それを報道は真偽のほども分析せず、垂れ流す。国民である「私」が判断するために、本当は必要最低限の材料があればいいので、分析を迷わせる過多な情報は邪魔になる。
 たかが一党首の去就である。どうしてこんな馬鹿騒ぎをしなければならないか。辞任の発表から撤回まで、ほとんどの報道は憶測や上っ面の冗談話の紹介に終始していた。もっといえば、空疎で意味のないでたらめ、放言や中傷の羅列だ。それが政治で、また報道の使命でもあるかのような大騒ぎと見える。特にひどいのは、事情通、政治通のやたらに大げさに複雑に、世論をかき回す類のことばの横行で、新聞もテレビもそういう情報を無原則に取り上げ羅列しているように感じた。仮にそれらのことばが当たっていたとして、そういうことはそういう連中に任せておけばよいと私は思っている。政治記者たちは「暗躍」を覗き見したい願望に爛れすぎてはいないだろうか。私は一国民として、そんなことを半端に知ったとて何の足しにもならないから、どうでもいいことだと思っている。
 私は、「精神のない専門人」というヴェーバーのことばを思いだした。報道陣として、何を追求しなければならないのかの判断の核になる、精神の芯が欠けているかねじ曲がっていると思う。
 一国民として、私は貧しい日々の暮らしに目を注いで何とかしてほしいと願っている。とにかく早急に何とかしてほしいものだと思っている。それを叶えてくれるならどんな政党が権力を握ろうが構わない。もちろん現在の日本の政党間にそんな違いがあるとも見えない。権力を握れば主義主張などころっと変える。そんな程度に主義主張はもろい。少し前の社会党、村山富市政権下の自衛隊問題もそうであった。
マスコミが大きく取り上げるこれらの問題は、やがて「成るようになる」問題で、騒ぎ立てたからどうなるという問題ではない。騒ぎ立てて得したり、自分たちの都合のよいほうに持っていきたいねらいを持つものもあるのかもしれないが、そんなことの御輿を担ぐことは馬鹿臭いことではないか。私は政治をめぐる今回の一連の動きにあまり興味が持てない。つまり、いずれにしても言われるほどには大問題ではなく、極めてマニアックで小さな問題にすぎないと考えている。これくらいのことで民主党が大打撃を受け、へこんでしまうというなら、もともとがそういう政党だと考えるしかないではないか。
 政権奪取はあくまでも政党の問題であって、国民の第一義の問題ではない。報道は選挙民への裏切り行為などと小沢の連立への傾きを批判しているが、そういう批判の仕方自体が私はおこがましい感じがして仕方がない。これは国民に、「裏切りですよ、裏切りですよ」と耳元で囁く卑劣感の口ぶりに似ている。報道記者連中に、そういうことをいえる資格があるのだろうか。そうして国民を煽ってどうしようという気なのか。国民が判断の材料にする事実、客観的情報を詳しく正確に伝えることが第一義ではないのか。国民もまたそういう報道にならされて、似たような口ぶり、似たような感想を洩らしている。アンケートなどを読むとそう思う。マスコミの土俵の上でものをいい、自分の日々の生活の実感から醸成されるべきことばを失い、忘れているようにさえ思える。もしくは誰もがそれほど生活に困窮してはいないのだ。
 これらの政治家の動きでしかない動きに比べると、私には少し前の北九州市で起きた、生活保護を認められずに男性が餓死した事件の方が余程驚きであったし震撼した。また、国民も有識者も、あまり問題意識を持続できずになし崩しに忘れ去る風に見えることに危機を感じる。豊かと言われる日本の社会で、餓死者を出すほどに行政が無慈悲になっていることに暗澹とした。こういうことこその方が、私にはとてつもない恐怖で、こういう問題ではマスコミも政治家もいたってことば少ない。よく考えてもらいたい。
 いったい、こんなことがあっていいのか。瑣末な事件と見る向きもあるかもしれないが、こういうことこそ大きな問題ではないのか。つまり本質や真相がよく分からないのだ。
 二十一世紀の平穏な社会の中で、日記をつけるほどの「文化的」な男性が、どうして「餓死」するということが起きるのか。日本の社会が、こぞって「おもいやり」や「福祉」や「人権」や「いじめをなくそう」など、綺麗事のことばが飛び交っている状況の中においてだ。こういう社会は私には極めて不可解で、ある意味不気味でもある。
 餓死した彼にとっては、今回の政局騒ぎは他岸の火事でしかなかったであろう。そこではどの政党も餓死を救う救世主にはなってくれなかった。政党とはそんな程度のものだ。政治家はともかく、報道が「政治」をそんなに持ち上げてどうする。要するに視聴率や発行部数の獲得のためと揶揄されても仕方ないのではないか。
 もう一度いえば、どの政党が政権を取ろうが私たち国民にとってそれが第一義の問題なのではなく、あくまでも生活をよりよいものに働きかけてくれることを期待して政治を見守っていると言っていい。その意味では「政治の裏表」に興を覚え、興に淫している余裕はないし、それらはマニアにおけるマニアックな話題として流通していればいいので、それを公的な報道の前面に打ち出すのは、どこか力のいれどころが違っていると私には思われる。先の餓死事件をどう捉えるか。報道においても、批評家たちの口からも納得できるような意見を聞いた覚えはない。どうしてそんなことが起きるのかよく分からないままに事件は風化していく。一市町村の行政の怠慢という小さな出来事としてすまそうとしている。はたして、行政の怠慢と片づけてすむ問題だろうか。かつて太宰治が「家庭の幸福」と題した小説で、善良で家庭的な公務員の日常的で平凡な勤務の裏で、ある事情を持って訪れた相談者に絶望を与え自殺させてしまったという内容を描いた。そしてそのことから太宰は「家庭の幸福は諸悪の本」という結論を導かれたと提示して見せた。今回の場合も、あるいは悪人はいなかったのかも知れない。餓死した当人も、彼の生活保護の認定にあたった行政の役人も落ち度という落ち度がなくて、そうして餓死という痛ましい事件が起きたのかもしれない。地域や知人、また親戚はどうかということもあるだろうが、片方で先進国といい、国際貢献といい、経済大国というそのギャップに言葉を失う。それより何よりも政治家も報道も、いや私たち国民も、衝撃に蓋をして黙って通りすぎようとするそのことにこそ大きな問題がありはしないかと私は思うのだ。残念ながら、私自身は衝撃を受けたままで、どう考えてよいかよく分からないところにいる。もしかすると私たちの「思考」は、こういうことを理解するところのレベルにないのかもしれない。
 
 今回の騒動を受けてくどくどと書いてきたが、書き直し書き足しなどしながら、遠慮して注意深く丁寧に書いて説こうとすることが腹立たしく感じられてきた。
 河北新報11月8日の社説は、小沢一郎の代表続投表明を受けて「小沢氏は国民見て語ったか」と題した文章を載せている。私は新聞は河北新報しか取っていないから、前述した新聞記事とは河北の記事であり、そのいい加減さに苛立っていたことをまずいっておかなければならない。この社説の題をもじっていえば、「河北新報は国民、県民に事実と真相を伝え、判断の材料として適切なものを掲載したか」と問わなければならない。だが、総じて見られたのは河北新報の報道理念を核とした記事というよりは、狭い政治理念に引き寄せられた記事内容ではなかったかと私は思っている。虚心坦懐に騒動の真相を見極めようとする時に、何面かに分けて掲載された記事はいずれも幾分かの雑音を挿んでいて、読み解く邪魔になるとさえ感じた。記事は材料の提供というよりは、政治記者たちの政局に淫した「精神なき専門人」の、遊び道具にしかなっていない。私たちは、記者たちの目線が知りたいわけではない。また記者たちの政局感が読みたいわけでもない。記事は最初から「色」がついている。これが河北の報道理念の象徴であるのか。
 もっともらしく書かれた今回の社説も、内容ははっきりと空疎だと言っていい。「小沢氏としては政治生命に関わる重大問題」、「まさに国民を置き去りにした政治の暗部が明らかにされた格好だ」などとそれこそ格好良く書いているが、こんな言い回しは古い政治屋がよく使う言い回しの焼き直しで何の意味もない。要するに政治通を吹聴したいだけの文章だ。だいたいこの社説の書き主は、安倍前首相の就任の際のことばや所信表明演説などから、どんな理念を持ち、思想背景を抱え、どこに目線を据えていたかなどを見切っていたわけではあるまい。理念の中の国民と、実際の国民との混同と乖離に気づいていたわけでもない、ぼんくらに過ぎないと思う。私は小沢一郎やその他の政治家との縁も一切ない。もちろん小沢一郎の肩を持つ気などさらさら無い。しかし、小沢の口からは「政治は国民のために良いことをやるのが最終目標」ということばが何度も出て、本音でそう思っているんだなというくらいは理解できる。社説の主は、それこそ貧困や仕事にあぶれる国民や県民を見据えながらこんな政局の一こまを大問題と考えているのだろうか。ただに自民と民主との対立構図を面白がって、連立話が浮上して約束が違うと慌てて批判しまくっている報道を先鋒として周辺に群がる連中ばかりだ。国民は報道の論調を判断材料にするしかないから、そうして長い間それにならされているから、報道がこっそりとひそませたねらいに沿った反応を示す。要するに政治家に手枷足枷を掛けたいだけだ。その結果としての責任は重いものがあるが、その時おそらくは、報道が伝えるような「稚拙な」小沢一郎の責任の取り方さえ取らずに、知らない顔をして逃げ通すというのがこれまでの報道の常道だ。現在の「読売」においても、またしかり。私たち国民、県民も、感性的には報道のいい加減さをお見通しだというのは、しっかりと胸に納めておいてもらいたいものだと思う。
 
 最後に、同紙11月6日に掲載された「小沢代表辞任表明こう見る」の欄にある、山口二郎北海道大教授、「連立より政権交代必要」の文章を見てみる。
 山口はここでまず、「この十数年、政権交代可能な政党システムの構築を主張し続けてきた」ことを述べている。そこから、「日本にとって必要なことは、政権交代であり、民主党の政権参加ではない」と説いている。そして、「七月の参院選で国民が示した意思も自民党に変わって政権を担える政党が出現してほしいという願望であった」と解析している。だから、連立を模索するよりも政権交代の夢にまっしぐらに民主党としては進むべきだったという論旨で論じている。ここまでを読んで、政治学者と政治家の違いを私は漠然とだが思った。学者は図面の上を歩き、政治家は図面は頭に、足は道の上を歩くと言っていいだろう。
 この後が少し気になった。たとえばこうだ。「政党は最初から全体を代表することはできない存在である。政党はその主義や理念に基づいて社会の中にある人々、ある利害を代表し、公共空間に表出する」。なるほどと思った。英語では「政党」の語源は「部分」であるというそれを、裏打ちする文章なのだ。しかし、と私は思う。現在の日本において、政党と国民との関係は、その通り合致しているだろうか。さらにそれは固定したものではなく、流動的なものではないだろうか。そうも思った。
 さらに結論部で山口は、「小泉、安倍時代に推進された改革路線も所詮はある部分の利害を反映したものであった。この路線で打ち捨てられた部分の利害を代表したのが参院選における民主党だったはずである。民主党が政権を取りたいならば、自分たちの代表している部分の利害を徹底的に主張し、それを公共的な政策に鍛え上げるしか道はないはずである」と述べている。
 山口は、民主党が現在のままの対決姿勢をとり続ければ政権が転がり込んでくると読んでいるようだが、はたしてそれだけが「正解」なのだろうか。もしも実際に衆院選が始まり、予想に反して自民が勝つということは想定できないことだろうか。国民は本当にそういう博打を望んでいるだろうか。政治に関わる当事者として、今の時点での早急な政策の実現と、見通しの立たない政権交代の道と、どちらを選択するかは相当に難しいことではないのだろうか。ちなみに私個人は、政権交代などはどうでもいいから、私たちの貧しいものの利に適う政策実現を早急に行ってもらいたいものだと思っている。
 自民はダメだが民主はいいなどと、私は少しも思っていない。どの政党も、政権を取り、政権を持続させようとすればあっちにいい顔、こっちにいい顔せざるを得ないに決まっている。おそらく、現代の政治は山口の考えるような、政治の法則によって成立しているものではない。それを考えた時に、どうして政権交代に執心するものが多いのか、ずぶの素人の私などにはよく分からない。政権交代がないよりは、あった方がいいのはいうまでもない。しかし、それを目的と考えるのはどうかしている。
 報道はこぞって政権交代劇に参加したくてたまらないらしい。連立の話が出て、とたんに裏切られたと小沢一郎をバッシングする。
 山口は、今回の騒動における小沢の錯誤と、民主党再建の方向を考えるということでこの文章を書いている。それが政治学者の仕事なのか。政党政治の確立。なるほど。その先に国民の真の幸福が見えてくるといいたいのだろう。
 そうかな。
 現実はもっとぶっ飛んでないか。
 ここでも「精神なき専門人」のことばが思い浮かんでくる。この手の文章からは、書き手の生活の実感が、匂いが、少しも感じられない。学問とはそういうものかもしれないが、そして分析はなるほど優れているかもしれないが、要するに山口も、私たちほどには政治を「希求」してはいないのだ。分かりやすくいえば、自民党政権下で不足のないある程度の生活ができていて、「政権交代」を言う時は、ただ理念として、学者として、その行き着く考えの元に語っているに過ぎない。今回の騒動における報道関係の連中もまた。そういう連中は弱い者に同情する素振りを見せるが、「同情するなら金をくれ」、古いフレーズだが、貧しい国民の一人である私は彼らのする「国民寄り」が何の保証にもならないことをよく知っている。そういう議論や記事を決して私たちは読みたいと願っているわけではない。
 
 もう一つその欄には駿河台大学長、成田憲彦の文章が寄せられている。「待ちの政治できぬ性格」と題して、小沢一郎の政治家論という側面から今回の騒動を分析している。こちらは細川政権の首相秘書官などを経験した人らしく、小沢一郎の人間的な面をよく承知しているようで、小沢の性格から事の顛末を述べている。そして、「民主党が、小沢氏の辞表を受理するのも一つの選択肢、総選挙を頑張ってくださいと続投を求めるのも一つの選択肢だ。全員一致で求めれば続投するのではないか。」と冷静に予測し、代表続投が決まった今、この予測は当たっている。
 要するに、今回の騒動に関しては、成田が述べているようなところが穏当なコメントであり妥当であると私は思っている。「政策原理主義的な小沢氏の性格を政権側にうまくつかれた」。そしてせっかちな性格だから、「衆院解散まで待ちきれなかった」。そんな程度の話ではないか。そして代表続投という、これまでからは考えられない小沢一郎の変貌の姿も今回は見られた。またよってたかって一人の政治家の失脚を作り上げようとする報道の過剰なまでの攻撃性も見た。政治はもう劇的な様相は見せない。それは何故かうまくいえないが、たとえそれが政権交代であろうとも、それを作るのは政治家でも報道でもなく、国民の中にある、ある潜在的な力によるものなのだろうと私には思われる。
 最後に、これだけ言って終わる。
 報道のインチキ性に一番無自覚なものは報道だ。今回の茶番劇とはこれをさすのだし、性懲りもなくこんなことは繰り返されるに違いない。
 
 
  「阿部次郎記念賞」受賞作を読んでの感想(2007.10.31)
 
 第1回青春のエッセー「阿部次郎記念賞」自由作品の部入賞作と課題作品の部入賞作が、河北新報10月27日号に掲載されていた。各部の最優秀作品が1点ずつと、優秀賞各2点ずつが紹介されている。「阿部次郎記念賞」がどういうものでどういう審査が為されているか知らないが、みな高校生の作品である。
 今時の高校生の頭の中はどうなんだろうと、覗き見半分冷やかし半分で全てを読んでみたが、なかなかどうしていずれも立派な文章だと感心した。主題に向けた視点、姿勢、切り口、そうして表現力と、自分の高校生の時を考えると月とすっぽんに思われた。あるいは今こうして文章を書いていて、自分の進歩の無さを痛感した。明らかに掲載された高校生の文章の方がよいのだ。その意味ではとてもがっかりするところもあったのだが、逆に言えば、若い人たちはすごいね、と再確認できて嬉しくもあった。こうでなくちゃいけない。感性のみずみずしさは、決して枯渇するものではないようだ。
 課題の部の最優秀は「弁当」をテーマにした作品で、一生懸命に作り、そして見事にできあがった弁当には日本の職人魂が生きている、という独自の視線があった。その目線の働かせ方には感心し、面白いなあと思った。なにげない日常生活の一部でしかない「弁当」の話ではあるが、その日常の一こまを大きく意味あるものに広げ、深め、説得力ある表現で論を展開することは、いざ自分で書こうとすると難しいことだ。たしかに、「弁当文化」には日本独特のものがあるように思う。「食文化」については多くが語られているようであまり興味が持てないが、「弁当」だけに絞ってその歴史的な変遷がどうかということにはいつか機会があれば触れてみたい気持にさせられた。
 掲載された中、唯一の男子生徒の優秀賞の作品は、「改憲問題」に真っ向から取り組む硬派性が感じられた。こちらは4つ5つの著書などからの引用があり、よく錬ってまとめていると思った。世間での憲法改正論議の中心のひとつでもある「押しつけ」の見方に対し、押しつけられたのは憲法ではなく民主主義ではないかという意見が述べられていて、感性の鋭さに舌を巻く思いだった。また、それによって日本の社会がどう変わったか、現在の在り様をその視点から捉えなおせばまた面白いのではないかという気がした。こういう見方考え方が出来るようになったのは、私自身は最近になってのことだ。高校生といっても侮れない。
 もう一つの優秀賞はボランティア問題を扱っていて、実際に海外研修生としてタイ国に行き、ボランティアに対する自分の考えの変化を丁寧に詳述して見せてくれている。この中で、国際的なボランティア活動を推進している仙台市出身の山本敏晴の講演を聴き、感動したことも伝えているが、私も過去に同じように講演を聴いたことがあったので、その思いはよく了解できるように思った。山本さんの講演からは、ボランティアは彼の生活の一部となっていることがうかがわれ、ボランティアのあり方として私ごときにも是認できるものに推測された。そして著者にも、ゆくゆくはそういうボランティアを心がけてもらいたいと思った。つまりボランティアが大事と思っているうちはまだダメで、それが自分にとって当たり前の生活だというようなところまでいけなければ、本物にならないと私は思う。
 自由作品の部の最優秀賞は、自宅に飼っている犬の死について書いた作品である。文学的な香りの高い作品だ。エッセーというよりも、小説を思わせる文体で、描写からは緻密さを感じさせられた。また犬の死から人の死まで、そして死一般について作者の追求的な視線が投げかけられ、鋭く死を掘り下げている。後半はやや哲学的な叙述になって、難解にもなっている。私も死について考え、考えたことを文章に表すこともあるのだが、この作品ほどには格調高く書けないと思う。感じたことを表現する際の言葉の選択についても、かなり的確に選択できていると私には写った。
 優秀賞の一つは、「二十一世紀のよだか」と題して、宮沢賢治や谷川俊太郎の名前などが出てくる。作者が言いたかったところは次のような箇所に要約して考えることが出来る。「私たちは、毎日他の生き物の命を食べる。けれども、よだかのように星になることはできない。自分が食べてきた命を背負って、生きていかなければならない。精いっぱい生きていく以外に、失われた命を大切にしていくことはできない。そもそも、人が生きるために他者の命を絶つことは、殺すことではない。自分の中で生かすことだ。私たちは他の生き物と共に生きている。そのことを自覚し、自分を支えている命に感謝しなければならない。」
 私個人は、こういう「重い」考えは頭から切り離して生活するように心がけている。そして自分にとっての実践の問題であるに過ぎず、他にとやかく言うつもりもない。ただ昔も今も貧乏で、食べ物を残すことには抵抗がある。これはいたく身に染みついている。
 最後の作品は、作者が中学3年生の時の国語教師について書かれたものである。小柄で初老で、どうひいき目にも美人ではなく、生徒にも厳しいと評判の先生だ。作者もこの先生の堅苦しい授業が嫌いで、先生にも反感を抱いていた。しかし、課題で書いた小説を返され時にその先生が自分を認めてくれたように思われて、それをきっかけに先生に対する見方が変わった。つまり好意を持つようになった。
 そんなある日、一人の男子生徒が先生にひどい怪我を負わせた。「わたし」は怯え、悲しみ、狼狽した。先生に好意を持つ自分の気持ちを手紙に表そうとしたが、書かないまま日が過ぎた。卒業式の日、最後の学級通信に、その先生からの「みなさんには、自分のような人生を送らないでほしい」というメッセージがあった。「わたし」は、それを見て「ふるえた」。そうして、「先生、自分で自分の人生を否定しちゃ駄目だよ」と書く。先生の姿も表れ、また作者の気持ちもよく伝わってくる文章であった。
 
 以上の作品を読み終えて、私は自身こういう高校生ではなかったと思った。これらの作品を書いた高校生は、スポーツに優れてマスコミに登場するような選手の、知的な表現者版といったところかもしれない。つまりは優秀な子どもたちだ。才能も努力もあるのだろう。できればこれからの生活にすり減らないで、才能も努力も長持ちさせてほしいものだと思う。スポーツはよく分からないが、知的な面では若くして優秀である人がそのままの初心を維持して成長するとは限らない。多くは気にくわない言動を見せるようになってしまうように、私たちには了解されている。そこをどう乗り越えていくかが楽しみでもあり不安でもある。
 それぞれの書き手たちの知的なレベルと感性のレベルは、私は高いところにあると思うけれども、少し視線をずらせば、ある条件のもとに頑張れば誰にでも手にできる認識と表現力の範囲かもしれないと思う。作者たちはたまたまその認識と表現力を得て、またたまたま審査の基準に合致して表彰されるという事態になったに過ぎないのかもしれない。
 作品はどれも案外真面目で少々ストイックだ。そしてどれも現実社会にもまれる前の純粋で片足立ちしているような不安定な一面も感じられる。表現されたものがどう見えようとも、その表現の内側には無数の一般の高校生の姿が二重写しに見えてくる。作者たちと他の一般の高校生たちとは、それが例え作品の中にもあった暴力に走る高校生であっても、本質的な点で私にはさして異なるようには思えない。その意味ではこれらの作品には与えられた猶予の中にあって、猶予の上に立った主張という側面がないでもない。つまり、子どもとしての到達点は示し得たが、これは全ての到達ではなく同時に始まりでもあるので、これを始まりとして次へと進まなければならないことに、私はいたく同情的になってしまう。もっと言えば、あるいは不幸なことではないかとさえ予感する。秀才であることに力を尽くし、この先へとへとになってしまわないでもらいたい、そういう老婆心も働く。これがまあ、締めとしての感想ということになる。
 
 
  「宮城へのトヨタの進出」について(2007.10.25)
 
 10月25日付の河北新報一面トップは、トヨタ自動車グループの生産子会社「セントラル自動車」の宮城進出に関しての記事で、その経済効果、雇用関連効果などを歓迎する旨が報じられている。また、村井県知事の談話や写真が掲載され、そしてこのことは社説にも取り上げられて、県全体としてお祭り騒ぎのような喜びに沸いているように印象された。県内での仕事不足を痛感していた私にも、ちょっと喜びたい気がしないでもない。雇用面、生活面で困っている人々が恩恵を被るかもしれないと、県民の一人として思うからだ。
 これには村井知事をはじめとする行政の企業誘致に対するこれまでの努力、姿勢があったことは間違いないことで、評価されるべきことかもしれない。一躍宮崎を有名県にし大きな経済効果をもたらした東国原知事も、企業誘致、県外からの移住誘致策を推し進めることに必死になっているようだから、今はどの県においてもそういう策が必至の課題であるのだろう。
 この万々歳の成果の喜びに沸くいま、私の気分は少し複雑である。というのも、この話がどこか宝くじにでも当たったような喜びに似ていると感じるからだ。それは少しも悪いことではないが、そして県民の喜びように水を差す気は少しもないが、先の東国原知事の話をテレビで聞きながら、地方自治がやはり企業誘致など、外部の力をあてにしなければやっていけないものなのかとがっかりしていたところだったからだ。
 私の意とするところを簡単に言うと、47都道府県が競争して企業を誘致したとして、勝って自分のところに誘致できる見込みはそれほど高くはないのにリスクを負いながら力を入れて取り組まなければならないことだろうかというものである。競争に勝って企業を誘致できた今、宮城県にとって結果的にそれは正解だったかもしれない。だが地方自治の観点から見て、私は果たしてこれでよいのかと疑問に思う。
 地方自治にも、地方の政治、行政にも私はずぶの素人だからあまり口を挟むような真似はしないが、地方交付税をあてにしたり、公共事業費の補助をあてにしたり、外部の企業が来てくれることをあてにしたりと、どうにも地方に自主自立の発想と気概と工夫とがないような気がしていた。もちろんどうしたらいいかなど私の考え及ぶところではないが、大きな会社には倒産や規模縮小などのデメリットなども考えられる。
 
 私は地方公務員という安定した職を捨てて、今や食いつないでいるだけの困窮した生活を送っている。出来ればもう少し余裕のある生活をしたい。しかし、生きるということは安定して、文化的な生活を可能にする賃金を得ればそればかりでよいというわけではない。やはり生き甲斐というようなもの、生き生きとしていられるなどのことが必要である思う。正直に言って、私は苦しい生活をしているが私個人としては今でも小学校教員の職を辞めてよかったと思っている。続けていれば、おそらくは今以上に苦しんでいるはずだと思うからだ。
 
 今回、立地先となったのは第二仙台北部中核工業団地であり宮城県北部の大衡村ということになる。当然大衡村は財政面でも潤うことになるのだろうが、他の市町村は指をくわえて柳の下のドジョウを願うわけにも行くまい。
 私が危惧するところは、こんなに上手い話はそうそうあるものではないから、本当は外部からの企業の移転などの力などをあてにするのではなく、現在の中でそれぞれの市町村は自治体としての体力、底力をつけるべく工夫と努力を必要としているのではないかということである。
 夕張市は財政破綻をきたして、逆に市民が一体となって再建に向かっての努力を進めている。破綻する前に、今行いはじめている創意工夫を行っていたらどうなったかを考えるのである。破綻をきたして出来るのなら、破綻をきたす前にだって出来たはずなのである。知られるように夕張はかつて炭坑で栄えた町だ。企業に依存する自治では、いざとなった時にそのつけが回ってくる。
 河北新報の社説では、「今回の立地をきっかけに、東北全体が協力して新たな自動車産業をつくりあげるくらいの意欲を持つべきだ。」などと、移転騒ぎを煽るような意見を述べているが、それが本当に東北の未来に有益なことなのか、私は推移を見守りたい気持でいる。少し前に、河北新報は「米づくり」の特集などもよく組み、いわばこの地方にとって農業は継続されなければならない旨あれこれの角度から喧伝してきていたと思う。しかし今年の米価の下落の予想のように、現状は厳しいものがあり、明るい展望は見えていない。そんな程度の提言でこの地方のジャーナリズムは何かを言った気になっている。いい気なものだと思うのは私だけだろうか。現在、そしてその先へと、農業経営は大きな痛みを伴う問題を抱えている。みすみす痛みを伴うことを知っていてそこに出向くか出向かないかは当事者に判断させるべきだ。環境や景観など、美名を持って生活を左右する問題にジャーナリズムごときが口出しすべきではないし、責任の取りようのないこともはっきりしている。
 
 宮城をふくめたどの県も、あるいはどの市町村の自治体も、一部を除いて財政不安を抱えているに違いない。喉から手が出るほどに金が欲しいに違いない。それは一部の個人の生活者と同じだ。どんなことをしても今を生きなければならない、というのは私も同様だ。しかし、どのように生きたいかは、同じように大切な、考えてみなければならない事柄だと私は思う。その意味で行政の指導部は、県民に、町民に、あるいは村民にどのような未来の暮らしを提案するか、またそれが哲学的な意味もふくめて本当に住民の幸福感に寄与するかどうか深く掘り下げたところから考えて、先進的な自治を展開してもらいたいものだと思う。
 
 ここまでは少し遠慮しながら、気を使って書いてみた。でも書いてみて面白くなかった。何よりも、満面の笑みをたたえた村井知事の顔写真、社説の昂揚した論調が後を引いていて黙っていられない。
 村井にしろ社説の論者にしろ、セントラル自動車を地元に迎えて、まるで鬼の首でも取ったかのようにはしゃいでいるが、これから工場で働く者の身にもなってみろよ。そんなにはしゃいで働いていられると思うか。この田舎もんのボケナスが。働くのは俺たちのような食い扶持に困った連中で、金をもらいたいから仕方がないが、本音では時間やノルマに追われて機械と一緒の工場なんかで働きたくないと考えるに違いない。
 ただ、人が働ける器が出来たというだけで、そんなに喜ばれたんじゃ、こっちが恥ずかしくなるや。
 こんなこと、俺たち県民が理想とするところでも何でもないぜ。ただ、今まではこういうことすらなかったというだけに過ぎない。
 もちろん、俺たちのように貧しい連中は喜んで面接に殺到するさ。でもよう、全部が全部生き甲斐を感じながら働けるってもんでもないだろう。工場だぜ。もっといえば宮城もやっと工業化の後進県てわけだ。それがそんなに有頂天になって迎えるべきことなのかなあ。そりゃあ雇用増にもなり、経済効果も高いさ。夢も見たくなる。でも実際に働くのはあんたたちじゃないし、今時流行らない二次産業を持ってきて本当に働く者の幸福につながるのかね。
 要するに未来のビジョンも何もない、行き当たりばったりの幸運を拾ったというだけじゃねえのか。こんな事で浮かれちゃっていいんですかねえ。そう茶々を入れてみたいのさ。村井さんの、してやったりの満面の笑みがのった写真を見せられてね。
 
 
  「所得格差問題」に関して(2007.10.23)
 
 河北新報10月22日の「あすを読む」欄に、ロンドン大学政治経済学院名誉客員のロナルド、ドーア氏が文章を寄せている。
 氏はここで日本における所得格差の拡大を取り上げ、セ−フティーネットの充分に機能していないことを指摘し、イギリスにおける対策を紹介している。それによるとイギリスにおける主要な対策は賃金補填だということで、私はそれを面白く感じた。氏によれば、週三十時間以上働いて、収入が一定の水準に満たない場合、そのギャップを埋める給付が与えられるのだそうである。労働所得が上がっていけば、当然給付は減らされていくが、そこでも労働意欲を損なわない配慮が為されているのだそうである。
 氏はまた、元自治省役人の岡本全勝氏の最低賃金制を論じたブログから、「生活保護を下回る賃金は、憲法違反といえないでしょうか。生活保護費との差を公費で補填すべし、という議論が出てこないのでしょうか」いう文章を引用している。岡本氏はドーア氏の紹介するイギリスの対策を知っていての先の文章なのかもしれないが、こういうことをきちんと考える人が日本人にもいると知って嬉しかった。いや、本当はもっとたくさんいるのかも知れない。ただそういう声が、日本の社会ではなかなか通らないということなのかもしれない。
 ドーア氏は先の岡本氏の引用文に続けて、「まさに出てこないのは不思議だ」と述べている。これには財源の問題、行政上の問題などがあって一筋縄ではいかないのであろうが、最後に、「格差問題を嘆く社会科学者よ、真面目な検討を」と投げかけて結んでいる。
 
 「生活保護を下回る賃金は憲法違反」ではないかという岡本さんの指摘は、読んでいて虚をつかれた感じがした。つくづく私は憲法になじんでいないし、憲法に使われる言葉を本当には理解できていないと思った。意味内容ではなく、法的な言葉を法的な言葉として理解できていないと思った。もっと言うと、指し示す語の概念が私たちにはなじみが薄いのだ。憲法に使われる「国家」という語さえ、私たち日本人は欧米人に比べ何となく曖昧にしか理解していないのかもしれないという気がする。
 だから、生活保護を下回る賃金は憲法違反という解釈は出てこないし、生活保護費との差を公費で補填するという考えもなかなかに浮かんでは来ないのではないだろうか。ドーアさんはこういう考え、議論が出てこないのはまさに不思議だと述べているが、多くの日本人、政治家、学者たちにとってみればそういう考えが出てくることの方が不思議なのかもしれない。
 そう言えば、国家は国民の生命の安全や財産などを守るとなっていたのだったかなあ。私たちにはそうは書かれていても、それは単なる建前であって、どこか遠いよそ事のような縁のない文言のように思いなしている節がある。でもこういう文言をきちっと読みこなせば、岡本さんやドーアさんのように考えるのは至極当然なことでもある。日本の会社の社長は、生活保護を下回る賃金を払っていても、憲法違反をしている自覚は持たないだろう。私たち国民一人一人も、人件費を上げたら会社が倒れるんだろうなあと、どこまでもお人好しで過ごしているのかもしれない。
 会社とは何か。国家とは何か。生活保護を下回る賃金しか払えない会社。中流文化に属していた男性を餓死させてしまう国家。そうした会社や国家は憲法の水準に達していないダメな会社、ダメな国家と言うべきだ。そしてそれらの会社や国家の横暴に溺々と従っている国民も、ダメな国民と言うべきかもしれない。私は何もここで暴動を起こすべきだと唆すつもりもそんな力もないが、もう少し勉強すべきだとは反省した。少なくとも私たち一人一人の生活者が知的にも自立した力をつけなければ、後世に遺産として何ものも残すことが出来ないに違いないからだ。私たちの目が明らかになり、見通す力を持ち、経営者や指導者たちをリコールする力を持つのでなければ、この国家も会社も変わりようがないことは確実だと思える。
 
 
  「届かない声−テロ特措法」について(2007.10.22)
 
 テロ特措法の延長とか新テロ特措法の問題で、自民党、民主党を中心に論争が繰り広げられているらしい。国会中継もあったが、朝のニュース番組などでも特集の形で取り上げられ、政治家をはじめコメンティーターがここぞとばかりに登場していたりする。
 民主党は小沢一郎の国連至上主義的な主張を中心に、言ってしまえば自民党との対抗姿勢を崩そうとはしない。自民党はもちろん、安倍前首相の辞職前の「強い決意」が象徴しているように、何とか特措法の延長に漕ぎ尽きたかったわけだ。それにしても、テロ特措法の延長が民主党の反対によって危うくなりかけたあたりの安倍前首相の、正常さを欠いた一連の動きは何だったのか、私には不思議でならない。すでに体調の悪化があったのかもしれないが、主要国の集まりのなかで、足下の危うさを感じていながらどうして「職を賭して」延長に努力するなどと大見得を切ったのか。私たちには分かりようもないアメリカとの裏取引などがあって、それに縛られ、大きな賭にでも出たのではないかと思われるような印象さえ持たれた。そうでなければ、素人目にもあの頃の安倍前首相の言動はお粗末すぎると思える。ただ、私にはそう印象されたと言うだけで何の根拠もない。一人の生活者としては、そんなにテロ特措法の延長が大事なことかと思うだけだ。
 自民党側の主張を聞いていると、結局は、世界的な対テロ活動の支援から外れたら、世界から仲間はずれにされる危険が伴うと言っているように聞こえる。そして、国益、国益、と連呼するが、これにも、疑問が生じてきてすっきりとしない。だいたいこれまで国益が守られてきたとして、私たちは週四十時間以上働いても生活保護手当以下の賃金しか受け取っていない、あるいは同程度の賃金しか稼いでいないという現状なのだ。国益を損ねて現状以下になるとして、これ以上どれほど落ちていくことが出来ようか。今流行のことばで言えば、私たちのような下層のものには「そんなの関係ねえ」。
 以前に小学校の教員であった私は、自民党の主張を聞いていて、ふと子どもの世界の諍いの一場面を想像してしまった。それはたとえばこんなふうだ。
 学級内に大きなグループと小さなグループとがあって、小さなグループが大きなグループの一員に対してちょっと悪いことをした。大きなグループは協力して小さなグループに仕返しをしようと計画した。大きなグループの中に一人浮いた子がいて、頭もよく、グループ全体のためになることもしているのだが、今ひとつみんなからのウケが悪く、その子はグループの中枢に食い込めない。かといってグループの末端にいるのではなく、言ってみれば中枢の末端につかず離れずで存在する。いつか、しっかりとグループのリーダーとしての中枢に位置したいという野望を持っている。
 その彼が、中枢のメンバーたちによる仕返しのための役割分担の話を立ち聞きし、ここで目立った働きを大きなグループの中で示したいと思った。彼は手を挙げ、周囲の中枢のメンバーたちも喜んで彼の「ヤル気」を讃え、その任務を彼に与えた。
 ざっとこんなところだ。
 さて、学級内のこんな様子を見知った担任の先生はどうするだろうか。一つはほっとくという手がある。介入するとすれば、私ならば「争いはつまらないから止めろ」と一言いって終わりにするに違いない。それで争いに発展したら、とりあえず大事にならないところで止めにかかるだろう。それでも争うようだったら、大きなグループと小さなグループを集めてきつく叱るに違いない。大きなグループの前に、そして小さなグループの前に立ちはだかり、仮想敵としての相手を消して、代わりに自分が相手になってやるというわけである。その場はたいていこれでおさまる。ぐずぐず燻り続けることもあるので当面注意は怠れないが、時間がたてばその時の高ぶった気持も落ち着いてくるし、敵対心も薄まってくる。そうして何かを学ぶ。
 話がずれたかもしれないが、そもそもテロとの戦いがその程度の戦いではないか。先生の立場に立ったらどっちも悪いと見えるに違いない。だから止めろと言う。
 結果として、それぞれの国民が傷つくことになるんでしょう。兵士も民衆も本当は殺し合いなんかしたくないんじゃないですか。それをうまい言葉で戦地にかり出そうとする一部の指導者たちが「私法」のために利用しているだけじゃないですか。
 そうして先生は、先の一人の子どもに対しても、「あなたのしようとしたことは正しいことですか。そもそも小さなグループからあなたはどんな被害を受けましたか。みんなが仕返しをするから、自分も手助けをするというのは本当の勇気ですか。どっちも止めろと言うのが本当の勇気なのではありませんか。」と、お説教をするとか、しないとか・・・。
 
 要するに、自民党の主張する国益が本当に国益かどうか。そしてまた本当に民意が反映しているかどうか。私は疑問に思う。
 仲間はずれにならないためなら、何をやってもいいのか。子どもにだったら、仲間はずれを怖れずに、正しいことを言い、正しいことを行う勇気を持てと教えるのではないか。もちろん昨今はいじめが強力で、それを言うには耐える力があるかどうかの見極めも必要かもしれない。今の日本にそういう力はあるか。たぶん、ないんだろうな。特に外交官や政治家には。で、結局、なるようにしかならないんだろうが、そんな特措法に血道を上げ、一方で貧困にあえぐ人々を、たとえば日記を書くようなある意味文化的な中年の男性を餓死に追いやって恥じない、この国内の現状を、いったいこの国の政治家たちはどう考えているのかと問いたい。世界の真ん中で愛を叫ぶ資格があるのかどうか。崩れかかっている足下をもっとしっかり見直して下さい。お願いだから。・・・なんてね。
 私は小沢一郎の国連軍への自衛隊の参加についても、あまり同調することが出来ない。「普通の国家」志向がそもそも気に入らない。普通である諸国家を見て、それらの国々が目標に出来るなどとは少しも思えない。我が国にもダメなところはあるが、よその国だって似たか寄ったかではないか。アメリカ、フランス、イギリス、ドイツ、中国、ロシア、どこの国を見ても理想的な国とは見えない。それらの国々にならって、我が国も兵隊を出すくらいのことはということだが、そうしたらいつまでたっても武力抜きの世界の紛争解決はありえないことになってしまう。これが厳然たる世界の現実だと言うだろうが、誰もが世界の平和共存を望んでいることも厳然たる事実であろう。そしてその望みに向かって現実は打開されなければならないはずだ。その知恵が足りないから武力に頼る。それで「普通の国家」に成り上がるのか、成り下がるのだったら、「普通でない国家」であって何か不都合が出てきますか。これまではその「普通でない国家」できて、今よりはマシにやってきたんじゃないの。自分の身丈にあった、それ以上を望むから「普通の国家」志向が出てくるのでしょう。
 もう一度言えば、グローバルな視点から世界を見ることもいいが、もう少し内政を顧みなければこの国は足下から崩壊していく。もしかすると崩壊の途上かもしれない。いや、もっとはっきりと言えば、とっくに崩壊しています。
 国益とは、国の利益であり、国の利益とは最終的には国民の利益でしょう。国民の利益とは、一部の国民の利益ではなくして、国民全体が平等に均しく利益を得てこそ国民の利益なのであって、国内に餓死者まで出す政をしておいてよく国益だなどとしゃあしゃあと政治家たちは口にできるものだと思う。
 私は国益のためなどという言辞を弄されても、国民の一人である私のために考えてくれているとはちっとも考えていない。それどころか、本当は利得に群がる連中のためにしかなっていないと解している。現に私は時給七百五十円で週に四十時間以上を働いているが、月にすれば十万そこそこで、夫婦どちらかが倒れたらともに餓死するほか手がない。自国の貧民を切り捨てておいて、諸外国にはいい顔をしてみせるなんざ、自民党も民主党もその他のプチ政党の連中もとんだ野郎どもだ。彼らは、私たち低所得にあえぐものたちをどうしようもないクズとしか見ていないのだろうと思う。そう見られてもどうと言うことはないが、政治も学問も商いも、そういうものたちの生活的、文化的向上に与ることを最終的な課題とすることを忘れるべきではないと思う。そうでなければ国民のためなどという言辞を弄さず、はっきり自分たちのためと公言すべきではないか。少なくとも、そうすれば今よりは建前の嘘は減っていき、世の中もすっきりする。
 社民党や共産党などは、民主党側によりながら武力に頼らない支援活動をといっているようだ。確認していないが、そんなところだったと思う。これもいいようで、しかし私はどうかと思う。第一には、どちら側にも立たない姿勢を貫くべきだと思う。有閑夫人風のお節介などは現に慎むべきだ。
 私のような一生活者で、専門に考えたこともないものがあれこれ言うのはよくないのかもしれないが、国会などでのお粗末な論議を聞いてたまらず口を滑らすことになってしまった。もちろん独り言に過ぎないので、それに、この声はどこにも届かない声だ。
 
 
 「新聞の投稿文に感じたこと」(2007.10.20)
 
 河北新報、平成19年10月19日の「持時論」欄に、元宮城県生涯学習審議会公募委員「佐藤寿彦」さんの「社会教育どう充実―地区の一体感高めよう」と題した文章が掲載されている。
 
 社会教育でまず手掛けなければならないことは「倦怠感」「空虚感」「方向性とモラルの喪失」をいかにして改善するかにある。それには「意欲」「達成感」「所属感」「向上心」を高めるための具体的な方策が構築され、実践されなければならない。端的に言えば、人々に有用感と豊かな人間関係を得させることにある。
 
 はじめにおかれたこのような文章を読みながら、いかにも肩書きにふさわしい内容であり、物言いだなという印象を抱いた。不当だとは言わないまでも、これくらいのところは生活者の多くが考え、肌に感じ、どうにかしたいものだと思いながらどうにもできないものだと諦め、心の底にしまい込んで口にはださない事柄だと言うことができる。つまり、社会教育とやらに座席を持った経験がないとしても、ふだんの生活の積み重ねから実感されうることだ。
 以前に、社会教育に関係する近辺に出入りしていたらしい佐藤氏は、「人々に有用感と豊かな人間関係を得させる」方策をどうやって構築し、実践していくかが「社会教育」が抱える急務の問題だと指摘する。
 まあ、そうなんでしょうねえと言えば、部外者である私はそれで済んでしまう。「社会教育」が何をして、どうなろうと、「そんなの関係ねえ」。
 どうでもいいことだが、あえてここで立ち止まり何かコメントをしたくなったのは、こういう肩書きの人たちの書く文章から、決まって感じさせられるある「傲慢さ」みたいなものをここでも強く感じたからだ。実に地方紙の投稿欄に掲載された、地方のおそらくは良識人の発言ではあるが、少しばかり、見過ごせないという気がしている。
 上記引用した文章を要約すれば、「社会教育に携わる関係者は、一般の地域の人々に、有用感と豊かな人間関係を得させる」方策を探って実践していかなければならないと警告しているのだろうと思う。警告といわずに教唆、啓示、指導、何でもいい。とにかく先の内容を伝えたいわけだと思う。まあ、長年の経験から、そう思っているということを発言していると見てもいい。実は、こういう物言いは、小学校教員の経験を持つ私は、いやになるくらい見聞きしている。見聞きするばかりではなく、自身こういう物言いを見真似口真似してきたこともあると言っていい。そして見聞きすることに、自身が口にし言葉にすることに、苦々しい思いをうんざりするほどに味わってきた。
 何が問題なのか。それはたとえば、「人々に有用感と豊かな人間関係を得させる」と書いてしまっているところにある。そしてそれは、「社会教育」とやらには可能にすることが出来る力があることが、前提として何の疑いもなく信じられているらしいところにある。
「やれるものならやってごらんよ。人生五十有余、寡聞にして、そして不幸にして、そんなことが可能になった例を一度も見聞きしたことはない。」
 本当はそう呟いて立ち去ってもいいのだが、今でもこんな程度の現実把握、そして紋切り型の対策が有効であると、地方紙の紙面を飾るほどに一般に流通しているかと思うとどうにも寒々しくてならない。学校や教育の現場で、こういう発想がどんなに無力であることか、どんなに実態とかけ離れたことか、いやと言うほど身にしみて感じてきた。そして教育修正主義者たちは、相も変わらずこういう物言いに終始して憚らない。
 人々に有用感と豊かな人間関係を得させる。口でいうのは簡単だが、まずこれを自分に向かってやってごらん。あるいは妻や子どもや年老いた両親に向かってやってごらん。そうすれば、これがどんなに至難の大事業であるか、実はたった一人の人の意識を変え人間関係を変えることだってままならないことだと思い知るに違いないと思う。私は一個人として、全力を傾けても意図通りに他人を変える力はないと思っている。それが、「社会教育」とやらに関係するだけで神通力を得るというのだろうか。
 私は今、個人として、と言った。佐藤氏は個人とはいわずに「社会教育では」という言い方をしている。それは構わないのだが、そういうことによって抜け落ちてしまう何かがある。責任である。社会教育というものに、実体としての主体はない。
 
 本論にあたる部分で、佐藤氏は次のように述べている。
 
 具体的な地区コミュニティーの姿は、昔の地区のコミュニティーを想起すれば分かりやすい。かつて、地区ごとに地区民総出で行われていた伝統的な行事(神社の祭典、お花見、お祭りなど)があって、地区のコミュニティーは濃密に構築されていた。この行事を復興し地区民全員が参加し、一体感を満喫することである。地区の高齢者は伝統行事を懐かしんでいるし、そのマニュアルも熟知している。この財産を埋没させず、行事の主人公に位置づけることである。
 
 言いたいことはよく分かるというべきかもしれない。要するに、地域のコミュニケーションのあり方として昔のほうがよかった、昔が懐かしい、そういうことであろう。が、伝統的な行事を復興すれば昔の地区のコミュニティーが復活するとも思えないし、全員が参加できると考えるのは楽観的だという気がする。
 伝統的な行事は、それだけであったわけではない。その背景に、たとえば田植えや稲刈りの時の隣近所助け合っての大勢での作業。結婚式、葬式などでもそうであった。そういう生活の上での助け合いや支え合いや協同作業などがあって、はじめて祭りなどの形に昇華できたのであって、その生活上の隣人、地区内の関係が崩壊し孤立化を進めているといってもいい現状で、もとの形に戻すことはすこぶる困難なことだ。だいいち、そうなる原因は敗戦後の憲法、とりわけ大きく戦前と変わった民法の成立に求めることが出来る。すでに制度の上では、現在、欧米並みに個人が最小の公的な単位となっていて、現実の一方の大きな流れはそれを後追いし、つまり個の確立に向かっており、もう一方ではそのために核家族化やなれ合いとも見えかねない地域の結びつきの解体が進んでいるのである。もちろん実際はこんな単純な解析では尽くせない錯綜し、重層した原因や理由や状況がいくつもあるに違いない。
 結論の部分で、佐藤氏は、先の引用部分につなげて、高齢者を活用することで地区コミュニティーを再建しようと訴えている。そして最後を次のように結んでいる。
 
 この熱気を喚起する仕掛け人として町(公民館)職員が活躍することである。そのためにも職員のコーディネーターあるいはプランナーとしての資質が問われるところでもある。職員が地区に出向き、地区民の願いをしっかり受け止めて、自らも地区民の一員であるという自覚のもと、行事の裏方として助言・支援に尽力することこそが肝要である。
 
 人間は少し見晴らしのいい場所に立つと、見えることが自分の知力、眼力だと錯覚する。しかし多くの場合、外的条件が考えさせた事柄である。残念ながら、佐藤氏の言葉には実感から考え抜いて血肉となった言葉が一つも聞こえてこない。違った角度から言えば、氏の言葉は町職員の本音とも無縁だし、おそらくは一部の高齢者以外の多くの高齢者や人々との本音とも交錯するところがないのではないかと思われる。いや、意識の上では、佐藤氏の言葉に共感する人たちがいっぱいいるのかも知れない。だが、実際にそういう考えの基に方策が講じられても、氏の思う通りには事は運ばないものと思う。
 述べたことが氏の本気の思いであれば、高齢者を募って自分も一翼を担ってやればいい。また町職員などあてにせず、自分が仕掛け人となって活動すればいいではないか。それこそ手弁当でやれる仕事ではないか。題目にもあったが、氏の文章の影の部分に、「社会教育」をどう充実させるかの考えが先走って、地区のコミュニティーの充実は、実は後回しになっているという気がしないでもない。「社会教育」の機能が氏の本当の関心事で、「地区のコミュニティー」を考えるのは「社会教育」に関係しているからだというような、そんな感じに思われるのだ。そんな立場から物言いされても、実は誰も動くものはいまい。私はそう思う。それは学校が子どもを問題にしながら、常に学校をよくしようとするのを優先させてしまっているようなものだ。おそらく、氏のようなこういう文章は政策担当者や町役場の幹部連からは好意的に受け取られるように思われる。そういう立場に身を置いて考えて書いているからだ。学者が新聞などに寄稿する文章にもこの手の書き方が横行している。自分の考えが実効性を持ちたいという願いが彼らに存在するからだ。行政は決まって自分たちに都合のよい、よいとこ取りだけをする。それに合わせて書く。こんなことでよいことが行われた試しはおそらくは皆無の筈だ。
 私は佐藤さんの善意や、一部の町職員の善意、一部の地区の人々の善意や、よかれと思って考える考えをくさすつもりはない。地区コミュニティーの崩壊とその立て直しの現状に憂いを抱く人々の気持ちも分からなくはない。けれどもはっきりと言って佐藤氏が提案するくらいの、現状の分析と対策ではちょっと甘すぎるだろうと思われてならない。現状がこうなってしまった背景には、おそらくは解析してみなければならない複合した問題が想像を超えて存在していて、それを考えると私などはめまいしそうにさえ感じられてしまう。そして、もし本気で考えるとすれば、寝る間を惜しんで集中して取り組まなければ方策を講じる端緒に立つことさえ適わないのではないかと想像する。何より私はそうした関係に従事するものではなく、もとより対案を考える気はさらさら無い。また片手間の考えで方策が出来るとも考えていない。
 最近、地方自治の財政破綻や危機、それに伴う財源や権限の委譲などが取り沙汰されている。それはそうなっていくのだろうと思うが、地方にその力量と体力があるかと言えば、私はすこぶる怪しいと思っている。これまで国家に、中央に、依存してきた部分があまりに大きいと思うし、地方それぞれにそんなに「やり手」が潜在しているようにも思われない。潜在はするのかもしれないが、おそらくは認識が甘く、危機意識もまだまだ薄いのだろうと考えざるを得ない。もちろんこれは地方の人々の責任ばかりではない。だが、おそらくは世界は、現実は、もっともっと速い速度で流れている。
 地方のコミュニティーの中核であった農業の現状を考えても、今後成り立っていかない危機の条件はいくつも考えれれている。米あまり、自由化、後継者不足。全体として取り組むにあたっては、中央の識者や政治家に任せていても埒があかない現状であるのは明らかであるが、では、地方に現状の危機を打開する考えと方策を打ち出せる人材がいるだろうか。あるいはそのための独自の知の財産は蓄えられているだろうか。多くは人任せであり、第三者的に携わってきたというのが本当のところではないのか。
 私はこと農業や地区のコミュニティーの問題に限らず、さまざまな面、分野、領域で現在的諸問題に太刀打ちできる力を磨いてきている人々は、この日本にはほんの一握りの数えるほどの人しかいないのではなかろうかと思われてならない。毎日の、新聞紙上に見られる問題の多さと、解決するどころかさらに問題を複雑にしていくように見えるその後の迷走とは、私に、いっそうの危機感を強いてくる。
 私はそういうものの担当者ではない。担当する気もないし、頼まれてもいやだ。それは困難の重さを了解できると思っているからだ。そんなところにわざわざ出向くものの気が知れない。しかし、困難を知った上で出向くものがあるとすれば、そんな奴は偉い奴だと言うしかない。だが、出向く以上は、それ相当の覚悟と並はずれた知恵的な腕力が必要であろう。前首相の安倍晋三は、困難を知って手を挙げた一人の象徴的な人物であったのであろう。結果は誰もが知る通りである。安倍のような優等生、秀才であっても、読み違えは起こすのである。況や・・・、推して知るべきであると思う。
 生活者として、私はコミュニティー不足、孤立的状況、そういうものに吹きっさらしのように晒されて存在している。生活圏の中で地区の一体感など持ちようがないように生活に逼迫しながら生きている。私にすれば、諸々の条件から必然的に辿り着いてしまった現状なのであって、個人でもどうにもならず、また「社会教育」なるものが何とかできるものだとは少しも思えない、ある意味、押し寄せる自然の猛威ほどに個々の意識ではどうにも出来ない事柄に突出した、歴史的現在として認識しなければならない事柄だと考えている。個人の生活者としてはだから、真冬の風に首を縮めるように、どうにかしてやり過ごすほかない「時」なのであると思っている。我慢をする、その一事だ。そのうえで、押しつぶされそうな気持を、どうにかして押しつぶされないような知恵を個人的に見いだし、個人的に対処していくしかないと思っている。
 地区コミュニティー問題にしても、早急に結果を求めず、一定期間程度は苦労しながら考えることを個々に詰めていかないと、本物のコミュニティーには辿り着けないのではないか。崩壊や解体は一瞬だが、再生には悠遠の時間がかかる。古人は、それぞれの地域において、長い年月をかけあっちに行きこっちに行きしながら少しずつ精錬し、古き良き時代のコミュニティーを形成してきたはずなのだ。新しい形のコミュニティーもまた、そういう自然形成的な部分をも含め考慮しながら創り上げていく以外に方途はないものと私は思う。そういう意味ではもちろん、佐藤氏の考えや町職員の努力やらがすべて無意味だと私は言いたいわけではない。ただもう少し事態は複雑であり、混迷は根深く、難しくもあり、単純には行かないのではありませんかと一考を促してみたかっただけである。

 

 

 「安藤昌益」に関しての覚え書き(2007.8.1)

 

 最近、たまたま江戸時代中葉、八戸藩の町医者「安藤昌益」の手になるという「自然真営道」、「統道真伝」の現代語訳を目にして、はっきりいって、驚いた。
 そこには肥大した人間的な知性と感性のこしらえあげてきたもの一切に対する、根源的な批判が内蔵されていると感じられたからだ。釈迦をはじめ、孔子、孟子、他のすべての聖人に対するラジカルな批判。それはまた、宗教、法、美や芸能、思想、学問、他の人間的な発達とこれまで思われてきている一切に向けて批判が広がっていく。これほど無造作に過去の偉人たちを切り捨てる鈍刀の荒技とでもいうべき文章の魅力を私は他に感じたことがない。しかもその鈍刀には、「直耕」という二文字が刻まれてあるだけだ。
 すなわち、土を直接に耕し穀物を収穫して喰う。それ以外になすべきことは不要だと安藤はいう。それが人間の道であり、また天の道であると。
 安藤の根拠となっているところは、中国の易学、それに内在する自然哲学を批判的に取り入れ、独自の組み替えを行って自分のものとしたところにある。これを語るには少しばかり準備と研究が必要である。今はそれをするどころではなく、一読しての衝撃を幾分覚え書き風に書き留めておきたいだけだ。
 
 今、極めて大まかにいえば、安藤の「自然観」はある種の独特なニュアンスがあって、私には時代的なまた空間的な制約の下で安藤のこしらえあげたその「自然観」に、肯定的な気持を誘われる。
 安藤昌益がいう「自然世」は、「法世」が始まる以前の、いわば自然の摂理に充足していた頃までの世界であり、「法世」とは自然の摂理に反して人為的に作った政法や礼教に支配されるようになった世界をいう。言い方を変えれば、人間の生活や社会が自然の摂理に反しない程度の発達段階にあるまでを「自然世」と考え、それ以降が「法世」となって、自然の摂理にかなわないものだとして批判の対象にされる。
 人間は、あるところまで「自然世」の内側に留まり、そうである限りにおいて、宇宙的な摂理に不可分で、小宇宙として、大変調和的な存在と見なされる。つまりは耕して喰うという一事に、自然そして宇宙と人間との調和のとれた関係が成り立つのであって、人間は分を守り、その埒内に生きるのが正しいと主張しているように思われる。
 
 安藤の自信は、自分が宇宙とか自然とか、あるいはまた天とかという言葉で呼び習わされるところのものの、内在する法則、摂理、そういうものを正しく認識できているのだというところにある。それは、はなはだ怪しいものではあるけれども、しかし、そこから釈迦や孔子を初めとして並み居る過去の聖人の主張をすべて、私人の手になる「法」で有り、つまるところは「私」の「利」にかなうばかりで誤った主張であるとする論調と論断は、ある意味、爽快でもある。
 批判の対象となるものは、自ら耕して喰うことをしないすべてのものといっていい。それらの対象はすべて、農民の作った穀物を盗んで食っているのだと見なされる。王も君主も釈迦も孔子もあるいは僧侶も、一緒くたにされて、ようするに他人の手になる生産物をピンハネしているに過ぎないとされる。
 私には安藤の言いたいことがよく分かる気がする。同時にまた安藤の主張の限界も直感する。
 
 青森は八戸の、いわば田舎の町医者に過ぎなかった安藤昌益が、同時代の伊藤仁斎や荻生徂徠とは全く隔絶した環境や状況の中で、一人思索を研いでいたということは感嘆に値することであると私には感じられる。
 自分のおかれた状況の中での実感から、人間とは何か、という問いを問わずにおれなかった昌益が、人間にとって永遠普遍の「食」に目を向け、耕して喰うという営為に人間の根本なる姿を置いて考えたことは評価すべきことと私には思われる。人間の生き方にとって「標準」というものを考えるとすれば、そういうところに考えるほかないのではなかろうか。そして、いずれにせよ、人間はそういうところから逸脱してしまう存在なのだ。釈迦にせよ孔子にせよ、こういう視点からは逸脱も甚だしい存在であり、その生き方や考え方を人間の「標準」とすることはとうていできない相談である。
 安藤昌益は、世の中に「乱」が起こるのは「治」を考えたためだという。私人が考えた「治」の法は、私人の考えたものであることによって、かえって「世」の「乱」を大きくしていくものであると論理を進める。賢人の、私製の「法」は世の中を、あるいは万民を被えないものだとする考えがそこに読み取れる。
 
 私は安藤昌益の主張するところの半分は、現代においても通用するというような気がしている。
 なんだかんだいっても、偉そうなあるいは立派そうな物言いをあちこちでしている連中は、そのしゃべり、その考えが自分を「利する」ことにしか役立っていないじゃないか。風評的に、経済的に、うまいことしゃべり考えて人のためといいながら実のところ、「利」が自分に向かってくる。そうして実際に体を使って耕したものたちが産み落とした利潤をそういう連中がかっさらっていく。そう意図しようがしまいが、「関係」がそれを教えてくれているではないか。安藤は、そういう「関係」を見ぬふり知らぬふりをする聖人、君主たちに憤りがおさまらなかったに違いない。
 もちろん、超資本主義、超消費社会の現代に、安藤の考えたところをそのままあてはめることはできないだろう。つまりそれは、「農耕」を中心として世界を組み立て直してみる考え方だ。また、他にもたくさんの欠点が彼の考え方の中には含まれているという気もする。
 私のような浅学の者にも、一読して安藤昌益は学者として二流、三流なのだろうなと思わせれるような箇所が見つかる。
 しかし、思想家としては、日本人の日本人による例のない日本独自の思想の表出をなした希有な思想家だという気が私はする。それは思想的系譜継承がつかめない、同時代における孤立した思想家としての姿が、逆に、自己の実感から出発した自立的な思想家であったことを物語っているように思われる。私にはよく分からないが、当時の学者といえば中国の儒学、朱子学といった、外国の文学、思想に学び、その範疇を出ない人たちが多かった様に思うが、安藤は易の思想に影響は受けながら独自の解釈をなし、そして自分なりの世界観を構築し、それを原点として人間の「考えるところ」を徹底的に批判していった。主張の核は、「よいことを言っていそうなもの」は、みなダメなのだという論調だ。こういう思想家は世の中に受け入れられないだろうが、私にはとても貴重な存在で、その是か非かはともかく、一度は彼の言うところに耳を傾けることも悪くはないのではないかと思う。日本人としては珍しく独創的な世界観を持った独創的な思想家であり、その思想の表出という困難な営為をよくぞ成し遂げたものだと思う。
 
 取り敢えず、一読しての驚きの一端だけでも表したくて、ここに覚書として書き留めてみた次第である。後日再読して自分の思いのなかに進展が見られれば、またどこかに書き留めてみたいという気持だけは強く心に残っている。

 

 

 「『真贋』(吉本隆明)に見るいじめ問題」(2007.6.26)

 

 今年の2月に発刊された「真贋」という本の「まえがき」で、吉本隆明が、さわり程度ではあるがいじめ問題についてふれて書いている。
 結論から言えば、いじめるほうもいじめられるほうも、「両方が問題児」なのだという従来の考え方をここでも踏襲して述べている。これは一貫した吉本の考えで、いじめ問題についてはこれ以上のことをことさら子どもたちに向けてメッセージとして投げかける言葉はないとし、さらに吉本が子どものころに同級生をいじめた経験をあげて、その相手から抵抗を食らった時に相手の「真剣に自分の人生を生きている」ことに気づかされたことも併せて語っている。そして、「誰もが生死を懸けて自分の人生を生きている」と続けている。
 さらに、「誰もが生死を懸けて自分の人生を生きている」ということは「当たり前なようで、誰も当たり前には思っていないのかもしれない」と、現代社会の人間模様を眺め、疑義を提出している。
 素朴な言い回しだが、何を言おうとしているかはよく分かる気がする。世の「いじめ問題」に向けた言説の、「あまりにも常識的な『問い』と『答え』にあふれ、実は本当に考えるべきことを考えずに、考えなくてもいいことを考えているのではないか。」という疑問を投げかけている。そしてその様は、吉本において「滑稽ですらある」と受け止められているようなのだ。
 そこから、「まずはどうでもよさそうなことから考えてみる。そういった視点が必要なのではないか。これまでとはちょっと違う部分を見る。そうしたことで少しは世の中の見方が変わっていく可能性があるかもしれない。そんなことを期待して本書に取りかかることにした。」と、本書が成立するに至る動機を述べている。この本、「真贋」は、べつにいじめ問題に言及した本ではない。いじめについてはほんのわずかにこの「まえがき」でふれている程度だ。だが私にとってはこれだけで、いじめ問題における本質的な出口と入り口の問題は言及されているように思われ、取り上げてみる次第だ。
 
 ここには、教育関係者も知識人もジャーナリストも、いや、日本中の大人から子どもに至るまで、総じて「誰もが生死を懸けて自分の人生を生きている」という極めて基本的な認識がすっぽりと抜け落ちている現状が指摘されている。
 吉本の日本の現状を見るこういう見方ははたして正当だろうか。私は、誰にも客観的な正否をあげつらうことは出来ないように思える。ただ、私個人は、吉本の言わんとするところがよく分かるような気がするとだけは言っておきたい。
 誤解を恐れずに言えば、いじめている子どもも一生懸命になっていじめている。大げさに言えばそれこそ生死を懸けていじめているのだと見てもいい。それが例え遊びのように見えていても、無意識という背後からの促しに抵抗できずに、彼にとっての必要に急かされて行動しているのだ。言い換えれば、彼もまた見えない傷を負い、いじめてみることでしか癒されない荒みを内側に抱え込んでいる。である限り、いじめられる子も相応の気構えで向かわない限りは問題は解決しないのだと見ていい。逆に言えば、そういう心的な構えがとれれば、いじめの問題の本質は解決する。それは結果として、吉本が体験したように、いじめられる側が反逆するという形をとる場合もあれば、忍従という形をとる場合もあるかもしれない。人間と人間との関係は、極端な場合には大人であれ子どもであれそういう関係は起こりうるし、個はそれを乗り越えなければならないということがあり得るのだと思う。そして大事なことはかつて私たち大人の誰もが、その経験を積んできているということであり、そしてまたその大事な経験をそれと分からずに手放してしまって、世の、あるいは先人の、きれい事の言葉で置き換えてそのことを考えようとしていることが問題なのだ。自分が経験してきたことを掘り起こす作業が、そしてそれを言葉にする作業が、そこでは綺麗さっぱりと忘れられている。
 いじめ問題について、さまざまなことが言われ、さまざまなことが問題視され、さまざまな提案や対策が講じられもした。しかし、そうした騒ぎの途中、あるいは出尽くしたかに見える議論のあとにどうしても割り切れない思いが残った。それは言ってみれば「当たり前」の議論や対策に終始して、中心にぽっかりと真空が残っているといった感じなのだ。そしてその中心の真空についてはいつも素通りして、何も本質が変わらない現実が私たちの目の前にまたぞろフェイドインしてくる。おそらくそれは今述べてきたように、言葉が自己の存在とかけ離れたところで飛び交っているに過ぎないという現実からやってくるように思える。
 
 吉本の、いじめに関しての言葉をその文脈に沿って理解しようとすれば、私には、いじめられる子どもにもいじめる側の子どもにも何か欠如しているものがあり、言ってみればその欠如しているものは「誰もが生死を懸けて自分の人生を生きている」という「必死さ」と「本気」さとの経験や認識の不足であろうと考えられる。特にまた、いじめられる側の無限に後退ししぼんでゆく姿からは、動物生の、追いつめられた時の条件反射的に反発する力の無さが強く印象される。
 どうしてそういうことになってきたのか。そうしてまた、それはどのようにして克服されねばならないか。本当はそういうことを探っていかなければならないのに、おそらく教育の現場でも当たらずさわらずの善意の説教に終始しているにちがいない。例えば校長の、全校児童を前にしての、「命は尊いものだ」、「いじめはよくないことだ」などと繰り返すだけの講話などの形で。
 そう語ることが無意味だとはいわないまでも、そういう常識的なことを何度言ったっていじめは決してなくならないだろうし、現になくなることはあるまいと私は思う。こういうことは、私がこれまで生きてきた中でも、いやというほど繰り返されてきた。そして実効性が皆無であることもまた同様だ。これを、滑稽ととらえられない教育関係者は、長く教育の内側にとどまっていることにより、よほど感性が麻痺し、くたびれ、爛れきってしまったと言わざるをえない。私はそう思う。
 
 少し前に「騒音おばさん」の問題があった。最近もよく似た事件がニュース等で報道されていたが、従来なら当事者間で何らかの解決に近い形がとられて、報道に聞くような長期にわたっての事件にはならなかったはずである。それが、現在では当事者間ではどうにも決着がつかずに、警察や町役場などの第三者機関の介入が必要とされるようになった。そして最終的には法律の、しかも何となく事件の本質とは関わらないながらも、かぶせるような適応の仕方をして収拾を図るかのようにみえる。
 たしかに、それでもいったんは事が収まるかのようには見える。しかし、誰がどう見てもそれで事の本質が解決したようには思えまい。「騒音おばさん」も、被害を訴えた相手も、ある意味両者の関係は何一つ変わってはいまい。おそらくおばさんには本当の意味での反省は訪れることはないだろうし、被害者にもどうしてこういう事になったのかについての了解はもたらされないにちがいない。
 たしかに、一時的にか永久にか、騒音はなくなるだろう。だが、果たしてこういう解決で終わっていいのだろうか。
 法律や、精神医学上の異常の有無などが、事件とか問題とかを解決する際に用いられるけれども、果たしてそれは私たちにとって本質的な解決と言えるのだろうか。
 
 いじめの問題にしても、世に言われ、対策として行われようとしていることは、この「騒音おばさん」の問題と本質的に同じではないかと私には思われる。取り沙汰される事柄の中に、どちらも本質が見えてこないのだ。そうして、事が事件として大々的に報道されれば大騒ぎになって、何となくうやむやな事態の収拾が進んで、沈静化すると事件からの教訓など何一つないままに忘れ去られていく。それは問題の収束にはなっても、真の問題の解明や解決にはなっていないという気がする。少なくとも、そういう形での収束は、被害にあった児童、加害の側の児童、どちらにも事件を介してのある種の飛躍的な成長といった変化はもたらされないにちがいない。その意味では事件は、勉学などと比較できないくらいの大きな成長をもたらす糧と見なすことも出来るし、そこで口をつぐんだ「教育」に「教育」の名を冠すること自体がおこがましいことではないかと思える。
 
 そこには、私たち一人一人がおそらくは自前では何一つ考えることが出来なくなっているという現実が、ぽっかりと暗黒の口を開けて横たわっているにちがいない。少し、注意して自分の考えというものを見つめてみるといい。それはきっと、どこかで誰かから聞いたことのある言葉であることに思い当たるはずだ。自前で考えることの苦しさを放棄して、あちこちのデータを継ぎ接ぎしてインプットし、あたかも自分で考えたかのように錯覚しながら口に出しているだけだ。もちろん、考えるということ自体、そういう側面を持ち合わせていることも事実にちがいないが、あまりにも安易なところで考えることをやめてしまっている。
 
 私は元小学校の教員だったから、いじめの問題を通しての子どもの理解について、教育や学校の世界でこそ、本質的な解明がなされてほしいと願うところがあった。だが少年法改正には何の声も上げなかったことや、いじめ問題についての対策として挙げられた教育再生会議の提案や政治家やジャーナリストたちの言いたい放題の言説にどんな声も上げないかに見える学校教育界に、はっきりと幻滅を覚えた。
 何が専門性か。子どもたちについて一番身近に接し、凝視し、親とは違った角度から子どもを客観的に考えることが出来るのは個々の教員たちではないか。いじめの本質的な解明もまた、本来であるならば個々の教員の責務だといっていい。何故なら一番間近な場所にいるのだから。
 
 吉本が「まえがき」に述べていることは、いじめ問題にふれながら、その先に実は最近の日本における人々の話す言葉、ものの考え方にひそむ、硬直化、偏った方向性、そういうことを意識しての発言のように思える。私はその感覚の鋭さ、敏感さ、繊細さに舌を巻く思いをしているのだが、はたして彼の主張がどこまで世に通じるのか、ある意味、絶望的な思いに駆られないでもない。
 
 いじめの問題に戻っていえば、私はここで吉本の言葉に示唆を受けながら、問題の本質的な解明と解決の道筋とについて充分な言及が出来ていると自負している。たとえそう見えないとしても。
 具体的な方策は私の知ったことではない。それこそそれぞれの立場の人が、悩み苦しみ、自分で考えることを通して方策を立てていくしかない。それは自明のことではあるまいか。 私の知る限り、教員たちは最も大事なことからは目をそらし、考えることをせず、例えば現在、ブームとなっているところの環境や省エネやその他の「よいこと」を「よい」と繰り返し言っているに過ぎない。そしてそれは思考の創造的な苦しみを経ての考えた結果ではなく、すでに出回った中から拾い集めて、さも自分の考えであるかのように糊塗して自分にも他人にも納得させようと言っているに過ぎないようにも見える。
 もちろん私はなにも、個々の教員にいじめ問題を解決せよと迫りたいわけではない。音楽の専門であれば、音楽の楽しさ、音楽の授業の楽しさを子どもたちと共有する。そのための努力を惜しまずにすることが何よりも大事だということも理解できる。だが、教育のその根底にある子どもたちの間の関係が社会的な問題となるまでに露出し突出した今、単純に知らん顔は出来ないでしょう、と思うばかりだ。何故なら、教室に、授業が成立するための前提が欠けていることをそれは意味すると私は考えるからだ。

 

 

 「参謀本部の人−養老孟司」(2007.5.28)

 

 地球温暖化が問題になって久しい。原因は特定されないが、二酸化炭素による温室効果の説が有力である。国際的な問題として誰もが「どうにかしないと手遅れになる」と主張するが、思うように排出規制が進まないのは、一部政治問題としての要素があるからなのだろう。それはつまり石油の問題がからんでくるということらしい。
 河北新報、2007年5月25日の『現代の視座』欄に「養老孟司」さんがこの問題に触れた文章を寄せている。それを読んで、上記のような感想を持った。というか、文章の半分くらいをそのように私は理解した。あとの半分は、温暖化問題は人類全体の問題であり、中でも排出ガス半減を達成するために最も重要な国々は、アメリカ、中国、EU、ロシア、もちろんその他日本をふくめた国々の努力も必要であること、そして次に引用する最後の段落が、最も私の関心を引きつけて、これは何か一言いっておかなければならないという気持ちにさせられた。私の思いがうまく伝わるかどうかわからないが、ともかく最後の段落を引用してみよう。
 
 この問題の根本はアメリカ文明だということは明白である。アメリカほど石油に強く依存している文明はない。石油に限らない。高エネルギー消費文明といってもいいであろう。それを主として支えたのが石油だった。その石油が二面から終焉(しゅうえん)が見えてきた。一つは実際に石油がなくなるという埋蔵量問題であり、もう一つが二酸化炭素による温暖化問題である。この二つをどう解決するか、大げさにいうなら、そこに現代文明の未来がかかっている。
 ここで代替エネルギーを考える人もあろう。十分に論じる余裕がないが、それはダメだと私は考えている。代替エネルギーが現実にないというだけではない。もはや高エネルギー消費文明を許すべきではない。私はそう思っている。なぜなら、結局は人間の質を落とすからである。つい人は「やすきにつく」からである。
 自分の身近なものごとを考えてみても、それは明らかであろう。昔の人が楽に出来たことが、いまの人にはできない。たとえば、田舎では暮らせないからと、過疎地ができる。では昔の人はどうして暮らしていたのか。いつの時代でも、根本はモノではなく、人なのである。
 
 私にはいろいろな意味でこの文章が衝撃であった。それはちょっと複雑で、簡単にその内容を言ってみることができないような気がしている。
 考え込んでいても始まらないので、思いつくままに言ってみる。アメリカ文明が石油文明であり、世界がアメリカの後を追ってきたことは間違いない。そしていまその高エネルギー消費文明が二つの意味で岐路に立っている。言うまでもなく、埋蔵量と温暖化である。ここからどう未来を切り開くか、これには養老さんが言うように現代文明の未来がかかっている。ここまではいい。なるほどと納得する。
 私は、その先を漠然と、「代替エネルギーの問題なのだろうな」と、何の疑いもなく考えてきたところがある。ところがここでの養老さんの文章は、もっと思い切って突っ込んで、「高エネルギー消費文明」の終焉を提案している。これにはちょっと度肝を抜かれた。もちろん養老さんのこれまでに発表された文章からして、行き着く先はこういう主張になるだろうという予測はついていた。しかし、こんな地方の新聞の、こんな小さな欄でそれを読むことになるとは思いもしなかった。これはかなり腹を括った、相当に思い切った発言だ。
 言うまでもなく、先進国の人々は、「高エネルギー消費文明」の恩恵をしこたま受けて今に至っている。これには例外が無く、養老さんにしても私にしてもそうだ。私などは喜んで恩恵に与ってきたから、これを否定する論拠など思いもつかない。養老さんの言い分は「高エネルギー消費文明」が、結果として「人間の質を落とす」かららしい。これも一見、なるほどなと思うけれども、何を基準として質が落ちると考えるか、考え方によって違ってくるだろうと思う。近年、私などは人間そのもののとらえ方、いわゆる概念のほうが変わりゆかねばならないのかもしれないと考えてきたから、養老さんの主張は古いとらえ方のままという気がしないでもない。「人間の質」とは、人間の心、人間の精神の質とも言えるだろうから、私などは紀元0年の後先千年くらいに最上の時代は終わったという気がしている。そうしてその後現在に至るまで、その質は低下する一方だという見方をしている。が、それは、今の私たちが考える考え方であって、はるか未来のほうから眺めて現代もまた古代の範疇に入れられて心性の未開時代と括られてしまわないとも限らない。 私などは「質」もよくないし、「やすきにつく」こと甚だしい。人間はこれではいけないのだろうか。人間の質の高い人だけが人間らしく、また立派なのか。たしかにそういう人は尊敬の的になる。感心もされる。けれども人間はそんなに立派でいなければならないものだろうか。昔の人が苦労し苦心し、工夫して、過酷な自然条件とある時には戦い、ある時には調和して暮らしてきた。それはたしかに素晴らしい。人間としての充足、生きることの満ち足りた味わいもそういうところにあったのかも知れない。けれども、そんな立派な人たちだって、便利さや、豊かさや、贅沢などに誘惑されて、喜んで身を投じてきて今に至っていると言えるのではないか。
「質の高い人間」は理想ではあるけれども、私などはすっかりそれを諦めているのかもしれない。なぜなら、私のような中途半端な生き方をしたって、私にしてみれば並大抵ではなかったのだから。
 
 養老さんよりも少しだけ先輩筋の解剖学者三木茂夫さんは、脳という臓器、脳という器官の発達はとどまるものではないこと。そしてそのとどまることなき発達のために、人間という種に滅亡がもたらされるに違いないことは生物学的にも言えるとして、我々の未来を暗示していた。そうして、人類の終焉を遅延させるために、わずかに内臓の感受性を高めることによって「心」の機能を強くし、精神の暴走を食い止めなければならない旨を盛んに提唱した。 
 つまるところ、二人の解剖学者は、それぞれに個性ある自説に添いながら、期せずして同じく言っていることは、間接的ながら、「昔に帰れ」というものである。そう私は理解している。
 
 私なりに歴史を振り返ってみると、一面で、それは人間の「やすきにつこう」とする衝動を原動力にしてきたと見える。政治は、そういう人間の本質から生じそれをうまく操作してきた。宗教は「やすきにつく」ことを戒め、逆に「かたきこと」を求めた。
 何が言いたいのか。一つはこうした歴史的な役割というものを考えた時に、三木さんにしろ養老さんにしろ、その語る言葉は科学者の言葉でありながら、とても宗教的な言葉に思えるということだ。
 また一つ。かつてイヴァン・イリイチが言っていたことで、交通・医療・学校などに関して、ある点を超えた高度化は人間あるいは人間社会にマイナスをもたらすものだという主張を思い出す。そしてそれは養老さんの主張に本質的なところでとてもよく似ているという気がするということだ。
 脳による高度な概念化の発達もふくめ、科学の発達、技術の発達はとどめることのできないもので、これはどんなにブレーキをかけても水の低きに流れるように、社会や歴史を進むべき方向に推進していくと説くのは吉本隆明である。彼は「イメージ論」などの著作で、今よりもはるかに近未来的になった都市化のイメージなどを、超高層ビルを例に思い描いて見せていた。その吉本がしかし、「アフリカ的段階」という著作によって、文明は必ずしもアフリカ的段階、アジア的、そしてヨーロッパ的と経過し発達ていくものとは限らないのではないかと疑問を投げかけていた。もちろんこれは優劣の問題ではないことも確実である。
 
 こうしたことが走馬燈のように頭を駆けめぐり、そうして、二度三度養老さんの文章を読み直し、批判めいた苛つきが生じるのをどうしようもなく感じた。
 
 自分の身近なものごとを考えてみても、それは明らかであろう。昔の人が楽に出来たことが、いまの人にはできない。たとえば、田舎では暮らせないからと、過疎地ができる。では昔の人はどうして暮らしていたのか。いつの時代でも、根本はモノではなく、人なのである。
 
 これはいかにも養老さんらしい「正しい」発言である。この発言の中に、私は養老さんは自分を「昔の人」の仲間に入れて考えているのではないかと疑う。ある意味で辛い苦しい田舎暮らしを、苦心、工夫、苦労を重ねて乗り越えてきた。この苦心、工夫、苦労できることが人間だと言いたいに違いない。そして当然、自分も、田舎暮らしではないにせよ、生きることにおいてそうしてきたというように、養老さんの内心の声が聞こえてきそうだ。
 要するに、「お前ら、田舎で苦労しろ」と言いたいのではないか。
 人間の質を落とすといい、易きにつくといい、言っていることは「まとも」だと言う気がするが、どうにも、「質の高い人間が好きだ」、「難きことをいとわぬ人間が好きだ」と言っているように聞こえてきてしようがない。もっと言えば、エリート人間好きの匂いをこれらの言葉の端々に感じる。エリート好きでもいい。ただ、今を生きる人々に、少なくとも、頭脳労働を担当する以外の生き方を余儀なくされている人々や若者たちに、もう少し目を向けた考え方や発言が出来ないものかと少しさびしくなる。
 今、戦時になればどういう人々が頭脳担当の側にいることになり、どんな人たちが実際に弾の飛んでくる前線で体をはって働かなければならないかは大方の予想はつくだろう。その肉体労働担当は平時の社会生活においても同様の部分を担当しているものだと言えると思う。好きこのんでそうなっているとは言えまい。
 苦心、苦労、工夫を怠ってそうなってしまったのかもしれない。「やすきにつく」ことに安住したがためにそうなってしまうのかもしれない。「人間の質」の高さを研鑽しなかったがためにそうなってしまったのかもしれない。だが、本当はそれが「あたりまえ」で、時代に翻弄されるように生きてしまう人々にこそ「まとも」な部分があるのではないか。またそういう人々から、「苦」を取り除くことこそ「知」の役割ではないのか。
 養老さんの発言が、誰のための、誰のためにする発言であるのか、以上のような疑義を感じるということだ。
 私は、養老さんが褒める「昔の人」が、今の世に、どんな人となって現れているか、そのような生き様で現れざるを得ないか、そういうことをもう少し考えてもらいたいと思う。きつい言い方をすれば、養老さんはいつでもその発言は参謀本部の異端児の域を出ない。つまるところ、「参謀本部の人」なのである。それが、私には気にくわない。
 はたして現代文明の未来が、どういう人々のためにこそ切り開かれていかなければならないのか、理想とする社会の未来はどんな姿か、養老さんのこの小論文からは見えてこない。結局のところ、「知」と「非知」の問題は棚上げのままで、今本当に苦しんでいる人々の苦しみの「質」に、理解の手さえ届いていないように思える。この層からの視点に立てば、高エネルギー消費文明が仮に終焉を迎えたとして、世の中の構成は何一つ変わらないと見える。となると、当然ながら、未来の文明など知ったこっちゃない、となるのではないか。
 養老孟司はもはや「高僧の一人」にすぎない。「人間の質」の高さを誇る東大名誉教授として名を残すがよかろう。だが、その「質の高さ」は私にはあまり高級なものだとは思えない。
 これ以上言えば愚痴にしかならないので、これで止める。

 

 

 「ひまつぶし問答」(2007.5.8)

 架空の読者を想定して、問答のように進めてみたらどうだろう。面白いかな、面白くないかな。たぶん面白くないだろうな。などと考えながら、取り敢えず書き出してみることにした。
 仕事中ながら、温度計測の仕事の合間を縫って、テレビも飽きたし、新聞も読み終えて、目を閉じても飽きてすることが無くなって、やってみようかと思い立った試みである。仕事中に私的なことに時間を費やしていいのか、と思われるかもしれないが、これが、いいのである。説明は面倒だからしないが、詰め所に一人待機しているだけで立派な仕事になるのだ。所詮、文章は手すさびである。書いて、余程のことがなければ誰からも文句は言われない。面白かろうが面白くなかろうが知ったことではないという利点もある。害もなく益もない文章を、ひたすら暇をつぶすために、書く。
 
読者 きみは元教員だそうだけど、仕事をやめた理由がきみの文章を読んでもよく分からないね。
佐藤 自分でもよく分からないというのが本当のところで、まあ、魔が差したと考えてもらっててもいいですよ。教育の現場から煙草を締め出そうとする動きが、全国的に聞  こえ始めてから、自分が居住する宮城県内にも広がって、「こりゃあやるな」と考え  たことがきっかけにはなっていますね。話が、分煙で留まっている分にはまだよかっ  たんですが、全面禁止となると「冗談じゃない」と思ったわけです。
読者 それにしても、たかがそんなことくらいで仕事をやめるなんてきみはどうかしているんじゃないか。理解できないよ。
佐藤 たぶんそれは誰にも理解されないと思っていました。公的にはだから、辞職の理由は「体力、気力の限界」で通しましたよ。
 今、あなたはたかが煙草の問題で、というようにいいましたが、本当にその通りですよ。たかがそんなことで辞職を考えるなんて、自分でも本当に情けなかったです。もちろん馬鹿だと、結論してもいました。ただ教育現場から強引に煙草を締め出すというこの問題は、圧倒的に明るく、建設的で、善でと、全く異論が出しにくい形で出ているんです。そこに、権力のように、力をもった機構が、決してやってはいけない条例の出し方をしたという問題意識と、何の抵抗も行わないことへの危機意識がありました。
 この問題には本当はもっと大事なことが含まれているような気がするのですが、ぼくはまだそれを明確にすることが出来ていないと思います。一つは喫煙という非常に個人的な問題を、公的な機関が公的な問題として扱っているという、個人的な問題に目をふさいだケリの付け方をしているという点。もう一つは、喫煙者と非喫煙者との問題という点。さらにいえば、政治や行政が、他の問題点や課題や不安みたいなものをたくさん抱えていて、つまり今、何をしたらいいか分からないということがあって、取り敢えずこんなことをやっておきゃあいいんじゃないかというような形で条例を作成しているということ。施設内の喫煙禁止でよいことといえば、煙草を吸わない人が、嫌な臭いを吸わないですむということと、ゴミや汚れになる煙草が減るくらいのところだと思います。先進的世界全体、社会全体が健康信奉で、禁煙の方向に進んでいるという情勢をみての便乗主義の傾向も感じられます。
 確かめたわけではないですが、市町村の教育長で、学校施設内禁煙を提唱する人たちは、自分が喫煙の経験がないか、若い時に喫煙していたが健康を考えて禁煙した人ではないかと思います。後者のような経験をした人は他者にもそれを勧めたがるし、また、やらせたがります。まさに教育的なお節介の象徴みたいなものです。
 学校の管理や運営に責任を持つ人たちは、子どもたちをふくめて学校教育の現場に訪れた異変に早くから気づき、不安を覚え、警鐘を鳴らしたいと考えてきたはずなのです。少なくとも、どうにかしなくちゃと考え、どうにもならないことに気づき、自分たちの無能さも思い知らされているはずです。
 教育の現場は、今、平和の中の戦場と化しています。本物の戦争と違って弾が飛んでくるわけではないですが、代わりに、言葉が、善意と悪意が、希望と絶望、夢と虚無といった目に見えないものが飛び交っていると思います。下手をすれば、つまらぬ人生を送ってしまうという根拠のない不安さえ、圧倒的に個の幻想を浸食してしまいそうな、そんな、切実な状況にあると思います。施設内禁煙だなんて、取っつきやすいスローガンに飛びついて、したり顔すべきじゃないと思います。子どもたちは頭じゃない、体で感じて、よく状況がわかっています。そのきつさから、事件はいろいろな形を借りて噴出しているのが現実です。そういうところを理解しないで、時流がそこにあるというだけで「喫煙は悪だ」みたいな取り上げ方をするのは、戦前の「ぜいたくは敵だ」を思い起こさせます。それが、戦前のように軍当局の指導の基ならともかく、一市町村の教育機関、教育関係者から言い出されたことに、ぼくは大きなショックを受けたのです。このことに、地方新聞をはじめ、どこからも体を張った反対表明がなされなかったこともショックでした。なし崩しに行われると予想された時、「教育」から足を洗うことは自分の流儀からいって当然のことと思いました。
読者 きみの意見はわからないでもないが、全体に少し時代がかってやしないか?きみの口ぶりは相当の思想家の口ぶりのようにさえ聞こえるな。単なる教員で、また一般大衆の一人に過ぎないきみが、飯の種を失うところまで思い詰めることはないだろう。反対意見なら新聞の投書欄もあることだし、そこに書き送って自分の立場をはっきりさせておく程度のところで妥協してもよかった気がする。
 たしかにヨーロッパをみても公共の間では喫煙を締め出す対策がとられているようだし、全体の流れだからという安易な考え方があるんだろうね。だれもきみのように、詰めて詰めて、この問題を考えている人はいないんじゃないか。でも、だからといって仕事を辞めるっていうのも、ちょっと悲愴すぎる。
佐藤 おっしゃる通りというほかはないです。いっぱしの思想家の口ぶりを真似てみたかっただけなのかもしれないです。おかげで食い扶持に困り、働き口を探すために東奔西走しました。こんなこと、だれにも勧められやしないですね。ほかに対応の仕方があったのかもしれませんが、たぶん、煙草の問題はきっかけになったにすぎず、以前から教員でいることには嫌気がさしていたのだと思います。
 太宰治の小説に、学校の先生は、子どもを愛するという点では親に及ばず、世話することにおいては保育士以下で、持っている知識・技能は学者以下、遊び友だちとしても中途半端で、まるで全体、先生なんてなんでもねえ、みたいなことが書いてあったように思いますが、ほんとにそうだと思います。輪をかけて、世間では「先生、先生」と呼びこそしますが、その実、とても嫌がられている存在でもあります。だいたい世間の人の八割以上は先生と呼ばれる職業にある人を嫌っているのではないでしょうか。その人その人の人格がどうこうというより、「先生」という器をそもそも嫌っているような気がします。
 先生でいることにいたたまれなかった。ほんとのところはそういうところだったかも知れません。
読者 教員を辞めたきみに訊くのも何だが、安部内閣が教育基本法の改正を終えて、今は「教育の再生」に取り組んでいるようだけど、どう思っているの。
佐藤 上からの改革には一定の効果があると思います。政治は、秩序の安定を第一義とするから、例えば学力を目標にしたり、しばりを設けたりすることで、現場が一方向を向いて単純化がなされると思います。取り敢えず、それだけで急場を一時的にしのげるということはあるのではないでしょうか。しかし、子どもと先生の心とか感性とかに入り込んで考えると、何の効果もないような提案ばかりという気がします。勘どころが悪いというか、急所がどこかということについて諮問委員会のメンバーはだれも何も気づいていないと思いますね。有識者、学者、元教師、文化人、だれも言っていることにはそれなりに妥当だといえる部分はあると思いますが、それでも、大衆が新聞記事に目をこらして半年読み続けたらだれでも言えるようになることを言っているに過ぎないように見えます。つまり、ある意味で着想が陳腐です。びっくりするようなことを考えたり言えていたりしている人はいないと思います。
 改革は、細かいところをカミソリの刃で切っても意味無いと思います。鈍い刃の「まさかり」でいいですから、芯というか中心というか、そういうところをついてどーんと振り下ろす思考の力こぶをみてみたいものですが、いずれも期待はずれです。どうでもいいような瑣末のことをあれこれ言っているだけに見えます。
読者 教育に関するきみの文章はちらちら読んだから、言おうとするところは何となくわかるけど、きみ自身はこれからどう教育の問題に関わっていこうとしているの?
佐藤 基本的には無関係です。本当は教育について考えるのも嫌なんです。ぼくの知ったことではないというのがぼくの今の基本的な立場ですが、しかし、ものを考えようとする時に、実はこれからますます教育の問題を抜きにしてはものを考えることが出来ないという気が、少ししています。何せ先進国では子どもたちの10割が学校を通過するわけだし、しかもその学校が非常に問題を生じているわけですから、これから特に人間を考えるにあたっては当然問題にせざるを得ないと思います。いろいろな社会的な問題も含めて、教育に収斂して、その場所から物を言うことが可能であるし、それをいろいろな場所に敷衍して考えることが出来そうな気もするのです。その意味で、しんどいんだけれど、未来の展望を開く一つの窓として、考えられれば考えていこうかなと思っています。
 いじめや暴力や不登校や学力などの問題は、昔からあることだと思います。ただ、以前とは、質と内容と規模などが違ってきています。原因は、社会の高度化が進んだことと世間の崩壊、家族の解体化などが、大きく外的条件として変わってきたことがまずあげられます。こういう条件の変化に伴って、中学の時期が一番、日本人の人生の初期の問題が集中して押し寄せる時期にさしかかっていると思います。識者によっては「隘路」という言い方をしていたりするようですが、要するに、社会という現実が否応なく身近に迫ってきます。イメージとしては、目の前にあった広い道が急にくびれてきて、単純な言い方をすれば、「この先どこへ行くか」という課題が浮かび上がってくる時期と言っていいでしょう。
 問題の一つに、個々の子どもたちが抱えている家族の背景が、個々バラバラだということがあります。家族の生活、家族の考え、家族の慣習、そういうものが子どもの数だけてんでんばらばらだということは、見た目はそんなに変わらない子どもたちですが、共通のグラウンドが少ないということでもあります。何かという時に、違いは顕著に現れるでしょう。
 情報の発達などによって、自分の将来が何となくぼんやり感じられるというのも、この時期における現代的な特徴のような気がします。そのうえ、それがテストの成績などで決まっていくような状況にあるから、成績が上がらない子はしこたまつまらない思いをするかもしれません。「生きるってこういうことか」と、悲観してしまうかもしれないです。
 この時期までに、徹底的に自然の中などで感覚的な生活の経験を積んでいれば、それが精神の外枠として、あるいは閾として、突飛なところへの飛び出しをセーブしたり、忍耐とか知恵とかを発揮して状況を乗り切る力となるのでしょうが、子どもたちにはその経験が足りないです。戦後の、経済的な繁栄に気をとられて、社会も家族も子どもたちの成長面をおざなりにしてきたのかもしれません。しかし、新たな時代の新たな局面や新たな事態に、大人たちがうまく対応できればよかったのですが、そういう事態を自分たちの手で作りながら、大人たちは子どもたちに関しては、ちょっと危ないとなった時に、自分たちの過去の体験的なところから親として大人としてというところに戻って対応しようとします。それが、如何にとんちんかんであり、通用しないものであるか、現実が教えています。それでもなお、政治家をふくめて、無理解は大人たちに浸透しています。時代の新しい局面にあって、本気で、愛国、忠孝、古い倫理道徳の教えをもって事態を変えられると信じているのでしょうか。
 いじめにあっても、不登校しても、将来豊かな生活に手が届かなくても、充分に生きて行くことは出来るし、また充分に生きるに値する生活は可能であると、伝えられる生活を大人たちが出来ればいいだけのことです。その意味では大人や親が問題なのです。自分がやってみなきゃ、結論なんかそう簡単に出るものではありません。
 余談ですが、ぼくは昔1年生の担任だった時に、どの子どもも可愛いと思えるようにと努力したことがあるのです。相性の悪い子というものはあるもので、なかなか好きになれない。どうしても可愛いと思えない子がひとり、最終的に残ったのですが、とうとうその子も好きだと感じられるようになったのです。たぶんぼくのほうで、何かが変わったのだと思います。月並みな言い方をすれば、子どもから教わったということだと思います。今考えると、その学級の父親として30人を、どの子も好きだといえるようになったということは、すごいことだったと思います。教員の職というものは、こういう体験も与えてくれました。いま先生でいる人たちには、教員としての業績などどうでもいいから、これに似た体験を一つでも持てたらいいなと思います。それは指導技術や指導力の向上などをはるかにしのぐ体験になると思います。そしてぼくはそれで充分恩恵を得ると思います。先生という職は、そういう体験を可能とする、そういう意味での特殊な職だと思いますし、またやりがいもあるといえば言えるのではないでしょうか。
 
 この辺で話題を変えましょうよ。
 あなたはぼくのホームページの読者ということですが、本当に読んでくれているのですか。というのも、ぼく自身、よそ様のこういうホームページを熱心に読む気にはなれないものですから、ちょっと疑ってしまいます。
読者 いやあ、正直に言うと、パソコンの画面で文字を読むというのはきついね。また、きみの文章はユニークなところがあるけれども、面白い文章ではないし、役に立つというわけでもないし、読みたい気分にはならないよ。
佐藤 ああ、じゃあ、通りすがりに読んで、どんな奴かということで我が家に立ち寄ってくれたということですか。
読者 まあ、そんなところだよ。
佐藤 そうですよねぇ。面白くないですものね。
読者 きみは教育、文学、思想と窓口をこしらえて文章を書いているけど、何をメインとしているの。
佐藤 若い頃、小説や詩を書きたい気持があって、友人たちと同人誌を創っていたことがあります。でもそれ一本にという気持になれなくて、まあ世間とか社会とかを知ろうとして会社に入って仕事をしながら、多少は文学にも興味を持ちつづけていたわけです。でも、少しずつ、文学から離れていきました。書くということは、相当、産みの苦しみのようなきついところを経なければいけないような感じで、とてもぼくには無理だなと思ったのです。それで家族の生活のためということもあって文学にはおさらばしたつもりだったのですが、日常だけでは解消しきれないモヤモヤが残って、頭脳が考えることを要求しだしたと思います。それで、出来ることは、ちょこちょこと、詩的なものを書くという作業をすることでした。それでも、詩人になろうという気はあんまりなくて、取り敢えず仕事をしながら、満たされないところを詩を書く時間で埋めようということだったと思います。でも、書いたものをみてもらうと一目瞭然ですが、才能がなくて、満足できる、詩と言えるような作品が出来なくて、まあ時間つぶし、暇つぶしをしてきたというにすぎないのです。
 全共闘世代なので、思想的なことにも無関心ではいられなくて、でもこれにしたって自分の中で慰めのように断片的に読んだり考えたりを継続してきたに過ぎないものです。また教育は、小学校の先生という職に就いたこともあり、学校って何か変だなという直感的なもので、どういうことになっているのかということをまるっきり個人的に考えてきたのです。
 ぼくは昔から仲間の間でも孤立する傾向があって、何をするにしても、自分で納得できないと前に進めないんですね。指導的な立場の人間からああだこうだと助言されても、動けないんです。ですからいつもグループの一番後ろあたりにいて、自分だけの試行錯誤を繰り返して、最終的にはひとりぼっちになっているということになります。でも、志とか思いとかは続くんですね。非常に歩みは遅いんだけど、歩いているんですよ。現在も、その延長上にあるんだと思います。当時の仲間たちとは付き合いもないし、新しく付き合うこともほとんどなくなっているのですが、その頃の延長でいまも歩いています。周囲には人っ子一人見あたらなくなったこの道を、どうしていまも歩き続けているのか自分でもわかりません。黄昏れて暗くなっても来ているし、本当にどうしてとぼとぼ歩く羽目になっているのでしょうね。そういうことも自問しながら、ただ継続しているだけに過ぎないと言えそうです。ほんとはもう辞めたいんですがね。
 ですから、結論を言えば、メインといって何もないです。いまは力んで書くこと、考えることをしているというわけではありませんし、趣味的にこういうことをしている大衆の一人と言っていいのではないでしょうか。
読者 徒労と不毛の表現ということだね。
佐藤 考えてみると、脳は、それこそ無駄と思えることをいっぱい考えていますよね。自身だけを考えても、その一部を文章化しただけに過ぎないと思います。本当はもともと浮かんでは消える運命にあったものを無理に文章化しているのですから、元に戻って運命のように消えていくべきものと思っています。
読者 わかったようなわからない話だけど、疲れたからもう帰るよ。
佐藤 すみません。つまらないことしか言えないんですよ。またホームページを見に来る機会があったら寄って下さい。出家して山深い庵に蟄居するものの、俗世間に未練たらたらの僧のように、来客は飛び上がるほど嬉しいものなのです。ありがとうございました。どうぞご健康で。さようなら。
 
と、まあ、こんなことになりました。以上、終わりです。

 

 

 「教育の再生問題」(2007.2.1)

 河北新報1月29日の『あすを読む』欄に、千葉商科大学長の加藤寛が文を寄せている。―「教師は聖職」の認識 再生はそこから始まる―と題した文章だ。

 

 教育再生会議が「社会総がかりで教育再生を―公教育再生への第一歩」と題した第一次報告書を提出した。議論百出で委員の方々のご苦労を評価したい。授業時間の10l増加、いじめた子どもの出席停止、高校での奉仕活動の必修化、教員免許更新制度導入などを盛り込んだ。特に、いじめた子どもの出席停止は論議が多いことだったと推測できる。

 ゆとりある教育の是正として授業時間の10l増加は一歩前進であると言える。既に、これに対する批判は多く出されているが、「教師は聖職」であるという言葉を棄てた時、この誤りが始まったと私は考えている。教師は「子どもたちの未来を定める聖職である」と認識してこそ、サラリーマン教師は廃絶できる。学校で授業が終わればこれで一日の仕事が終わったという意識は、子どもが日曜日も存在していることを忘れているからだ。

 

 教育再生会議自体の報告書も、それを読んだ加藤の感想も、話にならないお粗末な見識に裏打ちされている点で共通している。加藤の、綺麗な銀髪か白髪かで「ゆとりある教育の是正として授業時間の10l増加は一歩前進である」と紳士風な口ぶりで言われた日にゃあ、かなわない。お笑い芸人以上に笑わせてくれるじゃないか。大笑いだよ。

 一歩前進も二歩前進もあるか。鰯の頭でだって考えつきそうなことに過ぎないじゃないか。こんなこと、有識者(?)たちが集まって、議論百出の上に考えつくことか?こんな案は数年前から出ることは予測していたし、馬鹿で無策な連中なら考え出すだろうことが分かり切っていた提案だ。できれば、そんな、教育の現場と教育そのものとをなめきった案は出ないようにと願っていたが、一番安易な提案で終わっている。

 学力向上の数値を手っ取り早く上げるには、誰もが考えつくことに過ぎない。いったん時数を減らして、こんどは増やしてと、そうしてまた何かの問題が出ればまた減らしてと、行ったり来たりしていればいいのか。子どもも現場の教員も、いいようにかき回されて、かわいそうだよ。会議に出ている連中や加藤みたいなエリートは、自分の考えが政策に反映されて、社会を動かすことが楽しい生き甲斐なんだろうなあ。自分が、子どもや先生だとして、そういう意見を喜んで迎えたり、自分たちのためになると納得できると思うか?教員も子どももおまえらの考えを実現するための道具なんかじゃない。今という時間を共に生きている同胞なんだよ。頭を冷やして、当事者の気持ちに立ってから考え始めろよ。

「教師は聖職」?まずお前が、学長のいすを棄て、中学の教壇に立って、これから5年でいい、聖職の道を示して見せてから言え!この、阿呆が!

 こういう連中は全部が全部、自分をその現場から除けて考え、自分はしたくないことさえ人にさせようとする。自衛隊派遣を言う連中もそうで、自分は行くことが無いだろうと考えるから、簡単にそういうことを口にする。

 

 私もかつて中学校の教師をしていたころ、夜勤の時は子どもたちを宿直室に呼び込んで話し合いをした記憶がある。もちろん場合によっては顰蹙を買ったが、淋しい子どもたちがたくさん集まってくれた。

 辞めてからも多くの子どもが集まり、土・日・休日に関係なく私の個人生活は後回しだった。それは私が教師を聖職と思っていたからだ。ところが、世間は今や聖職と認めてくれず、「月給取り」と呼ぶだけだ。アメリカでも給料引き上げは教師の権威を引き下げるというという調査がある。(フリードマン夫妻『奇跡の選択』)

 

 批判を見越してか、加藤は丁寧にも自己の教師体験を語って見せている。「辞めてからも多くの子どもが集まり、土・日・休日に関係なく私の個人生活は後回しだった」と手柄話のように書き記す加藤の神経が私にはわからない。

 加藤自身が個人生活を犠牲にするのはよい。だが、その体験から、教員の職を本気で努めたら加藤個人ばかりではなく、誰にとってもそういう現状と実態にあること容易に考えられたはずだ。その時、加藤は、同僚の誰もが加藤のように振る舞わなければならないと考えたか。少なくとも加藤は加藤の後輩たちに、自分と同じように個人生活を犠牲にせよと、そういう生き方を進めただろうか。

 私は発想が違う。個人生活も大切にしながら、仕事も子どもたちのためにしっかりとしたいと考えただろう。少なくとも加藤と同じ立場ならば、後輩には個人の生活を犠牲にしてほしくはないと思い、制度の問題、システムの問題、さらには家庭の問題、子どもの問題、社会の問題、教育の問題を総合的に捉え返すことを考えたにちがいない。

 それから加藤は、教育職を今や世間が聖職とは思わなくなったことについて、あたかも給料が上がることと関係があるように言っているが、これは作為的なでたらめを言っているのか、アホなので誤解しているかのどちらかだと思う。

 これは至極単純な結果で、それは進学率の上昇から考えられるように、大衆の知的レベルが上がるとともに、昨日まで一緒に遊んでいた連中が教師として勤め始めるのを見聞きできた親たちが圧倒的に増加したからだ。「なんだ、あいつが先生になるのか。先生なんて、あんなんでもなれるんだ」。これは実際、大学の時の私の感想でもある。教員の質が下がったのではない。教員の数の必要と資格取得の機会の増加から、そういう面が全くないとも言えないが、教員採用の中身が誰にも想像つくようになり、簡単に言えば、「ああ、あんなものか」と格別神聖視して見なくてもよいことに国民の多数が気づくように推移してきたからなのだ。

 大学に入学し、数回の授業で、「ああ、大学教授とはこの程度のものか」と学生が見切るように、国民も教師たちを見切るだけの力をつけてきたのだ。これはもちろん、皮肉でもあるが教育の成果の一つだと言っていい。

 

 学力低下は、二〇〇二年度から学習内容が三割削減され、起こるべくして起きた。学校完全週五日制が導入された後、子どもたちはゲームに浸り、塾に通い、家庭の経済力格差による学力の差を生じさせてしまった。子どもの教育は学校だけで出来るものではない。家庭と地域社会との絆が弱くなった今、公教育の役割は増している。

 そこで第一に再生会議に決めてほしかったのは、「教師は聖職」であるという認識である。この意識なくしては、校長は教育委員会や父母会の意見に右往左往してしまう。いくら副校長を増やしても効果はない。

 奉仕活動は小学一年生からやらせるべきだし、一昔前の日曜奉仕を想い出してもらえば多くの方は肯けるはずだと思う。高校からでは遅すぎる。

 

 加藤のいくら専門外だとはいえ、こんないい加減な嘘八百は許されるべきではない。しかし、かつて東大学長まで勤めた人間も、こんな程度のものかを知ることは読者にとっては反面でよい見本になる。

 まず、学力低下は加藤の言う二〇〇二年以前からあった筈というのが一点。それから子どもたちがゲームに浸り云々以下も、拍車をかけたかも知れないが、決して「完全週五日制が導入された後」の現象ではない。たとえ「ゆとり教育」や「週五日制」が憎かろうと、全部をそれに帰そうとする加藤の作為的な言い回しは、それこそ学者としての品格を疑われる。学力低下、ゆとり教育、週五日制、いずれにも私なりの考えはあるが、推進した文科省にも、反対派だったらしい加藤にも組みしないし、これらを同じ穴の狢と思っている。私はいま現在、時給七五〇円の契約社員という最下層の人間に過ぎず、専門性や知識の多寡、地位や名誉や預金の額において彼らに遠く及ばないが、考え、感じる力において彼らに勝るとも劣っているとは少しも思わない。

 これは、加藤の『「教師は聖職」であるという認識である。この意識なくしては、校長は教育委員会や父母会の意見に右往左往してしまう。』ということについての考え方の違いからも言える。まず、「聖職」を作るべきではない。これを作ったら次は「自衛官は聖職」である、となる。こう言ってわからなければ、この文は読まなくてよろしい。私は名文家ではないので、読み解くには読み手の想像力を駆使してもらわなければ困る。人並みの想像力があれば、私が何を言いたいか容易にわかるはずだ。

 次に、「聖職」の意識なくして右往左往する校長など、辞めてしまえ!と言うのが私の言い分だ。いじめ問題のときもそうだが、何かことある時の校長たちの対応には目を覆いたくなるものがある。テレビ等を見る限り、例外はない。本質的に、人間的に欠陥が露呈している。人間として最も基本的で大事な何かが欠けている。例えば「正直」。例えば「愛情」。例えば「平等」「公平」「公正」。自分の中で、鍛錬し、鍛えたと見られる「それ」がない。表面に着飾った飾りの言葉としての「正直」や「おもいやり」はよく口にするが、人間力として発揮される「それ」らが全くない。実態がそうであるのに、この上「聖職」という虎の威を借りてどうなるのか。私ならば逆に、人間としてもっと「あたりまえ」のところから出直すべきだと言いたい。教育理念とか組織の問題とか、そういう余計な理念は取り払って、一個の人間として、その実感に根拠をおいて物事を見、物事に対処できるようになったら、もう少しましになるにちがいないと思う。そしてそれが受け入れられない時は、潔く足のちりを払えばいいのではないか。

 私もそうであったが、教師という職業の一番のネックは、生きることの根底にある生活防衛という興醒めな形而下的動機に促されて存在しながら、人間はさも他の価値で生きなければならないように自らも考え、また人にも教えるという矛盾を常に抱えるというところにある。その意味では、他にない、場合によってはその職にあるというだけで苦痛を強いられる職業なのだ。このことは、加藤の言う「教師は聖職」の言葉の裏側に存在する。そしてこのことはもっと多くの人に知られてよいと思う。

「奉仕活動は小学一年生からやらせるべき」という発言も、加藤のような「クソじじい」の言いそうなことだ。「お前がやれ」、お前がやっていけないという法はないのだから。何なら頭を丸めて奉仕活動の全国行脚に廻ったらどうだ。どうしてこういう連中は人を、子どもを、動かすことばかりを考え、言いたがるのだろうか。自分は、もう「済んだ」ということなのか。奉仕に終わりはないだろう。

 奉仕活動と、名前こそ美しいが、別名は強制労働じゃないか。「一昔前の日曜奉仕」を私は知らないが、単なる懐古趣味じゃねえのか?これもご丁寧に、「高校からでは遅すぎる」などと付け加えている。

 加藤をはじめ、多くの大人たちは従順な子どもたちを求めている。自分の子ども時代、あるいは思春期のころの実感を忘れてはいないか。「嘘じゃねぇか」、「言いなりになりたくない」、そんな思いを体験しなかったか?

「教員免許更新はよいことだと思う」とも言っている。これも私は逆に、これ以上教員を苦しめてどうするんだ、と思っている。百害あって一利なし、だと断言できる。先にも言ったように、教師という職業はその職業にあるだけである苦痛を強いられる。何と言おうと、現在教師の職にある人の多くは、ゆとりなく、苦しんでいるのは間違いない。この上、免許更新のための勉強なんか強いられてみろ。現場に混乱が生じるのは目に見えている。教育再生会議の連中といい加藤といい、さも自分とは違って「劣った人間」が教師になっていると勘違いしていやしないか。

 はっきり言って、教育を荒廃させてきたのはこいつらのような提案者たちが、その時々の思いつきで、薄っぺらな見識を臆面もなく提出して、ああだこうだと現場を振り回してきたことにも一因があるのじゃないか?

 今回のような報告や加藤のような言辞を見ると、特にそういう感が強くする。再生会議を主導する安倍のような政治家も、いかに政治的な勘所がアンポンタンかがすぐにわかる。教育について専門家でもないから、詳細はわからなくてもいいのだが、問題の核心がどこにあり、その核心をつくのにどこにメスを入れたらいいのか直観的にわかる資質が必要である。その勘は、見当違いも甚だしいところに向けられている。あの茫洋として、一見大人物かも知れないと思わせる容姿の内側で、いかに薄っぺらな見識しか持っていないか、そしてその風貌が、はったりで底の薄さを隠しているものであることが理解できる。もちろんこれは、政治家としての活動の積み重ねや経歴、努力、研鑽、積み上げたすべてをこき下ろしていっているのではない。私などに計り知れない力量を認めた上で、しかしまた、私のようなものにも明らかに愚かとしか見えないことを愚かと言っているのだ。

 

 暇をもてあまして、ついつい加藤の文章を読んでしまったのがいけなかった。教育の問題は難しくて、誰がどう語ってもいいのだが、同時に誰がどう語っても言い尽くせない広い領域を懐に抱えている。その意味で、やたらに語るべきではないということを、これまで教育についての考えたことをいくつか書いてきた中で学んできた。にもかかわらず、また手を出してしまった。私のようなものが満足できる本格的な論を、学者でも誰でもいいから、きちんと書いて発表してくれればいいのだ。専門家たちはいったいどこで何をしているのか。今回も現場からの本音の声が、どこにも反映されず、誰にも拾えてもらえていない様子なのが淋しい。教育現場の状況を拾い集め、丁寧に見て、突貫する方法を獲得して後、再生の道は示されるものと思うが、状況ははなはだ悲観的だ。呻吟は、続くのではないかと思う。

 

 

 「ある日、仕事場で」(2007.1.30)

 施設内の循環業務の合間、約一時間あまりを詰め所の中で過ごす。小型テレビを見たり、本を読んだり、新聞を見たり、あるいは何をする気も起きなくて、腕を組み、目を閉じてじっと時間が来るのを待っている事もある。
 今日は、少しばかり体調が怪しくて、一度目の巡回を終えてすぐ目を閉じた。お腹の調子がよくないのと、巡回中にずいぶんと咳き込んで、気持ちが何だか沈んでしまっていたからだ。
 暖冬とは言え、さすがに冬だけあって風邪気味なのかも知れなかった。相変わらず、生活は規則的に不規則だから、変にならない方がおかしいと日々思っている。
 それに加えて、懐具合の寂しさが、ぐっと体温を下げているのかも知れない。家内が言うには、半月を一万五千円で生活しなければならないと言う。昨夜にそれを聞いて、出来るとも出来ないとも考えず、ああそうなのかと、それはそうするんだろうし、そうなるんだろうなと思うばかりであった。それでも、本当に金が底をつくとは実感が出来ない。まだ、本など家の中にあるものを売って、ラーメン一杯、煙草一箱は買えるように思っている。その先に給料日は来るのだから、何とかなる。
 これはこれでスリルのある生活である。一年持つか、半年持つか、いや次の一ヶ月は無事に暮らせるだろうか。残念ながらいまの我が家はそういう状況なのだ。残念ながらと書いたが、本当は少しも残念ではない。他と比べればそういう言い方が妥当かと思うだけで、謙虚にそう言ってみただけだ。冒険は何も、野口某みたいに著名な山々に挑むだけではあるまい。生きるということは微生物から人間まで、全てに冒険がつきまとっている。
 なんて、そんなことはどうでもいいや。
 言いたい事は何だろう。「貧乏なみなさん、がんばりましょう」、か。「貧乏したって生きていけらあ」と言いたいのか。「絶望するにはまだ早い」と言いたいのか。もちろんそういうこともある。だが、そんなことを言ったって始まらない。
 貧乏は、こりゃぁ、しょうがねえ。第一に脱出を考えるのが常套だ。だが、脱出もままならないとすれば、どうするか。貧乏人は自分のように次の段階でそれを考えるにちがいない。昔話のおじいさんとおばあさんのように暮らすというのが一つ。まあ、貧乏なくせに、生涯仲良く暮らすって事が出来たら、それはそれですごいことだわさ。ちょっと、自分には自信がない。だが、一つの目標ではあるわね。
 最後は、夫婦で畑泥棒をしたって言い訳だし、降参の白旗を揚げることだって出来らあ。そういうところまでは考えてますよ。
 貧乏でもテレビくらいは見られるご時世なんだよね。毎度安倍首相が出てね、「やる気のある人が再チャレンジできる社会を作る」とか、「憲法改正は国民の声をしっかりと聞きながら」とか何とかいってるわけ。で、「国民のお一人」でもある僕は、とてもそんな悠長なお話に付き合ってる余裕はない訳よ。安倍さんて大政治家なんだろうけど、大政治家はえてして長いスパンで歴史を見て、国民の未来、人類の未来に目を据えるあまり、足下で、生涯波間に浮き沈みを繰り返し、それだけにエネルギーを費やし、それが生きることであるような貧乏人からわざと目を背けているよね。
 そう言えば、芥川の「蜘蛛の糸」に書かれた釈迦も、見方によるとひどく意地悪だよね。地獄の血の池に阿鼻叫喚で彷徨う餓鬼たちに、一本の細い蜘蛛の糸を垂らしたりして、それでどうしようと言うんだろう。案の定我先にと蜘蛛の糸に取りすがり、反目し互いをけ落とす役割を演じさせ、ああやっぱりあいつらはダメなんだと、納得させる、そういうドラマを仕組んだに過ぎない。釈迦なんだもの、一瞬で血の海から全てを救い出し、仏に変えてしまえばいいじゃないか。やる気になりゃあそれくらい朝飯前なんじゃないの?それをあんな小細工なんかしやがって、一瞬の希望を持たせ、そのあと、ドーンだ。そんな、心を弄ぶようなことはやるなよ。え、お釈迦さん。地獄の池での生殺しなんざあ、西洋の悪魔にも考えつかない究極の拷問のようにさえ思える。釈迦でもそうなんだから…。
 そういえば、医学の進歩によってなかなか死なないということにでもなれば、貧乏人は似たような状況を迎えることになるのかな。
 都会の片隅での高齢者の餓死、一人暮らしの人々の変死。倒錯した心理にはちがいないだろうけれど、僕なんかは、「ああ、いい死に方をしたな」とうらやましく思わないでもない。一種の憧れでもあるといえば言える。
 こんな僕も、「国民のお一人様」じゃございませんか。「自分の考えについてこないのは国民じゃねぇ。」と、どこからともなく天の声が聞こえてきます。「そんなことを言ったり考えたりするんじゃ、私たちの仲間じゃないわ。」という、同じ「国民の声」も聞こえてくる。
 法改正、対策室、審議会、「はい、やっております」と政治家や役人は言う。それをまねて教員や教育委員会も言う。「いじめ問題に取り組んでおります」。「いじめ相談を始めています」。
 そうじゃないんですよ。それですませてはダメなんですよ。じゃあ、どうすればいい。養老さんなら「怠けるんじゃない、自分で考えろ」の一言で、はい、終わり。
 自分が当事者になりきる、なりきりの想像力。それが必要なんでしょ。そこの実感から始まらなければならないのに、それを実践するものと教えるものとがどっかに消えてしまったのがいまの世の中だ。教師や文学者たち、想像力といえばそういう人たちの出番なのに、みんな用心深く保身につとめているだけじゃないのか。
 結構です。自分のことは自分でやりまっせ。教育の世界が腐っていると思えば、その世界から足を洗えばいいんだ。くだらねぇ会社だと思えば見切りをつければいいんだ。どう生きるかは自分で考えればいい、決めればいい。泣き言は言わない。出来るだけヒトに迷惑をかけない。つらく汚い仕事でもする。ただそれだけのことじゃないか。あとは宝くじでも買って、億万長者の夢でも持つさ。
 ついでに、あのハゲの三宅。子供は徹底的に管理教育すべきだと言ってやがった。石原慎太郎、安倍晋三などと腹の中は同じだ。何のことはない。遠く、ヘーゲルが語っていたことに起源を持つ考え方だ。由緒があるから論破するのに容易ではない。この対局が自由教育。教育の現状は、おそらくこの管理教育と自由教育の間で、もっと言うと中途半端な管理教育と中途半端な自由教育との間を揺れ動きながら施行され、同時に子供たちの内面にこの揺れを生じさせている。
 日本でいえば、このことは、「家庭」のあり方にちょうど見合うように思える。家父長的なガチガチの家庭と、核家族化した現代の家庭の違いに見合う。年寄りは、芯のしっかりした昔の家庭へのノスタルジアを呼び起こそうとし、若い連中は本音では今の方が幾分ましだと思っているにちがいない。
 論議は全て現状の支配の論理に沿って取り上げられる傾向にあるから、考えは、支配という観点から発想されがちである。そうして支配にとって好ましい考えだけが採用される。安倍首相の「国民の声を聞く」というのは、あからさまな、ご都合主義の公言でしかない。方向は端から決まっている。あとは都合のよい「声」が出てくるのをじっと我慢すると言っているだけなのだ。子供の気持ち、実感など、考慮するに値しないと思っているのであろう。子供だって社会人の予備軍ではない。今を楽しむ権利がある。三宅のハゲの子どもも孫も、さぞ立派に育ったんだろうなあ。めでたしめでたしさ。

 

 

 「大国への道」(2007.1.8)

 先日、日本の国際連合加盟五十周年記念式典というものをちらっとニュースで拝見した。その席で安倍総理は、日本の、これまでの国連への貢献について述べ、よりいっそう貢献するために常任理事国入りを果たしたいというような意志を表明していた。もちろん、これまでの歴代の総理の何人もが同じことを言ってきたに違いない。
 その話を聞きながら、またその日の夕方の記者会見の話も聞いて、教育基本法の改正によって「公」を打ち上げ、憲法九条の改正をにらみ、その先に常任理事国入りというような道筋を考えているのが見てとれるように思われた。
 感想を言うと、日本の偉い人たちはどうしてこうも、ぼくたちが生きるこの日本という国を、世界のリーダーというような輝かしい場に持って行きたがるのだろうと疑問に思う。なぜそんなに世界に貢献したがるのか。なぜそんなに世界平和を推進したがるのか。いや、世界から賞賛されたり、ありがたがられたりしたいのか。
 お金のことでなんだが、国連への拠出金は、世界でも二番目の多さだというように聞く。へえーっと驚く。だって親戚や親族、あるいは自分が住む地域周辺には、億万長者は見あたらないし、御殿に住んでるものもいない。みな、つましい生活をしているものばかりだ。ぼくたちの日常的な現実感覚からは、とてもそんな有り余るお金などというものは想像がつかない。しかし、それはまあいい。元々自分の手元にあった金ではない。
 言いたいことは、日本には、そんなに余裕があるのか、ということだ。少なくとも自分の身の回りにはそんな余裕は見あたらない。もう一つ、政治家や財界人、有識者、知識人と並べて、果たして日本が常任理事国の仲間入りをしたとして、リーダーにふさわしい活動が本当に出来るのかしらという疑問を持つ。だって、国内の目から見たって、そんな人材がごろごろいそうには思えないのだもの。
 無理して、常任理事国入りなんてしなくてもいいんじゃないの。まずはそう思う。それだけの力が備わっていないじゃないの。と。
 だから、常任理事国になって力を付けるのだというかもしれない。でも、この国の外交、経済政策、文教政策、それから曖昧な言葉になるけれども人間性とか考え方とか見識とか、どれ一つとっても、これからの世界のリーダーとして誇れる資質が不足している気が、ぼくはします。国内的にも、もっと国民から信頼され、国民の不安を払拭し、国民を豊かにすることが出来るのなら、それは世界にも通用していくのかもしれません。けれども、国内的にも山積みの諸問題を抱えているくせに、このうえ大きな問題を抱えてどうするの、とぼくならば思います。
 世界第二位の経済大国といったって、せいぜいが豪勢なウサギ小屋に国民を住まわせているにすぎないくせに、世界に向かって金持ち面をしてみせるなど、よせやい、と言いたくなって仕方がない。分不相応な、「出たがり」にしか見えない。
 
 日本という国は、イギリスやヨーロッパの国々、あるいはアメリカやその他の国々と違って、昔から隣国との軋轢も少なく、他国に押し寄せようとすることも極端に少ない国であったと思う。本質的には野蛮な民族では無いという気がする。
 どちらかというと、戦いを避けて避けて、大陸の東の隅の島国にたどり着き、そんなへんぴな島には誰も関心を示さなかったから、そこにひっそりと住まわったのが祖先ではなかったのかとさえ思う。
 
 戦後の日本は憲法に戦争放棄をうたい、唯一の被爆国として特殊な国であると言ってもよかった。
 先の戦争は、明治開国以来の、国の外に目を向け、諸外国に肩を伍すという国民の上昇志向の感性を土台として、進められた戦略の、一つの帰結であった。日清・日露戦争をはじめ、勝利をものにし、発展を進めてきた東洋の島国は、そのこと自体でも、ある意味特殊であった。そして完膚無きまでの敗戦。
 露見したのは多分、諸外国との争いの、歴史的に見ての決定的な不慣れであったのではないだろうか。押したり引いたり、戦ったり仲良くしたり、そういう体験的な経験不足がこの国にはあるとぼくは思う。
 一人の子どもに喩えていえば、決してガキ大将の育ちではない。どちらかと言えば「うらなり」に近く、家の中で遊ぶことの得意な優しい子どもである。小学校に上がって、いろいろな子どもたちとも付き合わねばならなくなった。初めて諍いを経験して、この子は手加減というものを知らない。それこそ全身の力能を振り絞って勝利した。家の中に遊ぶことを得意としてきた少年は、他の少年たちとの付き合いがことごとく気にくわない。それで毎日けんかけんかで明け暮れた。はじめ、ひ弱な奴と見て取ったガキ大将やわんぱくたちは、「うらなり」の意外な抵抗に面食らった。だが、長期戦になれば、じわじわと地力が発揮されてくる。奇襲も奇策も、やがて通じなくなって行くに違いない。
 日本という国は、外に向かうときに、この少年と同様で、他者との交流にどこかなじめないところ、未熟なところを有していたのではないか。そういった意味での個別・特殊性も一つ感じられる。
 
 日本の国柄、国民性に伺われるある種の特殊性に目を塞いで、憲法の点から日本の政治家はこの国の「特殊」を云々している。「普通の国」であるために、憲法の改正が必須であると唱える。
 元々が特殊であると思われるのに、何を今更「普通の国」になりたがるのか。それがよくわからない。いまどき、あんな国にしたいと思われるような、うらやましい国がどこかに実在するか?「普通の国」の、何がよいのか?内戦で傷つけ合い、国境を寝ずの番で守る、そんな国に本当にあこがれるか?
 諸外国と同じ「普通の国」にならなければ、諸外国に相手にされないから「普通の国」になるというのだろうか。その「普通の国」が、核をたくさん持つのであれば、自分の国も核をたくさん持つ「普通の国」にならなければならないのか。
 経済大国になったお礼に、世界に貢献する必要があるという事かも知れないが、それがどうして兵士の派遣に結びつくのか分からない。武器や武力ではなく、世界から紛争をなくす方策をなぜ必死に開拓しようとはしないのだろうか。特殊な国の「特殊性」を武器に、本当は新たな紛争解決の方策を、世界に向けて発信できなければならなかった。唯一の被爆国として、惨状を訴えるにとどまり、そういう努力を本当に怠ってきたといってよい。それは良くも悪くも、対米安保条約の傘の下に安住してきたツケによるものではないかとぼくは思う。
 
 どうせこの程度の国ではないか。アメリカや中国、世界の先進国に負けて何が悪い。高齢者や庶民の暮らしが不安になっている今、何が世界貢献か。笑わせるな。政財界のお偉方を筆頭に、この国の指導者たちは、見かけの繁栄に自己陶酔して、もはや使い物にならない連中だと言っても過言ではない。最先端の箱物や技術などといったものばかりを眺めて、ご満悦のお大尽に成り下がっていないか。そういう連中の下手な舵取りで、我々もまたとばっちりを受けなければならないという事態に至ったら、それこそ泣くに泣けない。いっそのこと優柔不断のまま、小国のままでいい。お願いだから余計なまねだけはしないでくれ。
 

 

 「出席停止」(2006.11.20)

 教育再生会議と称する安倍総理の諮問機関(?)から、いじめ対策として緊急の提言が行われるようである。新聞、テレビでは、「出席停止」の文字が大きく踊り、センセーションを巻き起こしている感がある。
 その文字だけを見て、ぼくなどは最初『ちぇっ!』と舌打ちしたい気分だった。ところがメンバーの一人であるヤンキー先生こと「義家」さんの話を聞いているうちに、やむを得ない緊急の対策として、ありかな、と納得されるようになっていった。
 はじめ、「出席停止」のことばを、処罰の意味でのみ受け取っていて誤解したのだが、義家さんによれば、一時的な緊急避難の意味合いがあるらしいと知った。とりあえず、いじめの加害者と被害者を分断し、距離的にも時間的にも間をおくための方策として聞いた。相撲で言う、「待った」であろう。
 義家さんの話で、支持できると思えたところがいくつかあるので、それをちょっとあげてみる。
 @ いじめの問題を被害者と加害者だけの問題とせず、傍観者、見て見ぬ振りをするそ  の他大勢の存在を重く見ている点。
 A 最終的には子どもたち全員が参加して、子どもたち自身の手で解決していかなけれ  ばならないことを認識しているところ。
 B 加害者、被害者、傍観者それぞれに指導が必要であり、その中で、全員で問題解決  を図れるような(話し合いできるような)前提を整えるという意識があること。
 C 以上のことを想定しながら、個人と集団とがそれぞれにレベルアップし、問題解決  が自分たちの手で行われるように成熟していかなければならないという認識があるこ  と。
 以上、少し乱暴ではあるが、これらのことから義家さんの主張は支持しても良いように思われた。
 けれども、これでいじめ問題は解消かというと、そんなことは全然ないと思う。義家さんを含む再生会議のメンバーの誰もが、そんなふうに思ってはいないに違いない。ただ、社会的な混乱を鎮めるために、何か手を打つということで、その一点で、わずかに意味ある対策にすぎない。
 本格的な教育再生は、ずっとずっと先のことだし、会議のメンバーたちで、そもそもそういう提案が生まれるようには少しも思えない。
 
 小学校でしかないが、ぼくは先生を経験している。毎日のように、子ども間のいじめを見聞きしたといってよい。「先生、だれだれちゃんが、なかまにいれてくれない」と、低学年。そのたびに間に立って、「一緒に遊んであげようね」と言う。毎日、そして休み時間ごとに、その手の相談はひっきりなしに子どもの口から聞かれたものである。
 いじめの問題は、こういうところを端緒に、年齢と共に、少しずつ深刻度を増していく。成長に伴って、どうしても起きてしまう問題だ。自分がそうであったが、教師は、自分のクラスにそれとなく目配りをして、ちょっと深刻だなとかきついなと感じたとき、少しだけ介入するというのが普通だと思う。大抵は、それで、長期の陰湿ないじめには発展しないものだ。指導のせいではない。普通は、そんなに長い期間、特定の相手に対して関わっていられるというものではないからだ。年齢が低ければ低いほど、興味関心の対象はくるくる変わっていくものである。
 もちろんこれは、田舎の規模の小さい学校でのぼくの体験から言えることで、都市近辺の大きな学校、中学や高校の実態には結びつかないかもしれない。
 
 高学年の子どもが、二人くらいで、廊下で一人の子に足でけりを入れていたのを目撃したことがある。とっさにぼくは、いじめ、と感じ、激しく注意をした。とりあえずは、平気で人を蹴ったりするような行為は、してはならないことを強く言った。
 うまく言えないが、その場の様子で、蹴るなどという行為が習慣的に行われているような気配があった。けれども当人に問いただすと、蹴っていない、いつもじゃないなどの言葉となって返ってくる。これを、しつこく糾弾して、追い詰めるのは、もしかしてあるかもしれないいじめをいっそう陰湿にし、強まるおそれもあるため、とりあえずは蹴ることはしてはいけないという注意だけにとどめた。担任ではなかったので継続しては見ていないが、その後、同じような場面を見かけることはなくなった。
 見かけたときに、悪いことは悪いと言ってやることは必要だと思う。ただ、背景については無知なところが多いのだから、必要以上にねちっこく、根ほり葉ほり糾弾すべきではないとぼくは考えていた。ただ、どうしても微妙な問題なので、こういう問題に解答はないと言うべきで、ぼくは自分の指導の仕方に自信を持ったことはない。
 
 ぼく自身、実は小学生5,6年で、隣の席の女の子をよく殴っていたという記憶がある。クラスにけんか相手がいて、しばしば彼らに対して示威行為というような形で、彼らのほうを見ながら隣の女の子をサンドバッグみたいにたたいたりした。あくまでも示威のつもりなので、そんなに強くたたいたわけではないが、今思い出しても冷や汗が出る思いになる。なんて愚かだったんだろう、と。これも一種のいじめで、ただその子をいじめようという意志のないいじめだった。知らず、他にもやっていたかもしれない。
 いじめることも、いじめられることも、人間には避けて通れない一つの過程だという気がする。これがあって、自問があり、反省がおこり、成長があると考えてもよい。このことは少しも直接に死に結びつくものではなかった。昔はまた、これに限度があり、内的な歯止めもあったに違いない。
 いつからか、いじめる側が歯止めが利かないようになった。その体験は、幸か不幸か今のところ自分にはない。
 いじめられるということにも、昔とは異なる面が生じていると考えられるところがある。無限にいじめられ続けるというのか、いじめ自殺の報道を見るたびに、どうして反撃しないのかが合点いかないところがある。いじめられる側が、無限に後退する。そういう印象が強い。もしも、いじめの飽和点で、なりふり構わず本気でつかみかかって行ったら、いじめていたものはたじろぎ、結果として自殺という悲劇的な結末を迎えなかったのではなかろうかといつも思ってきた。今時の言葉で言えば、危機を感じるところで自衛の本能が働いてスイッチが入る。このスイッチが、今の子どもたちには入らないようなのだ。この辺がともかくも最近のいじめにうかがわれる特徴のような気がする。  
 田舎生まれの田舎育ちであるぼくたちの同世代は、ともかくも今の子どもたちよりも動物的であり、自然本能的なところを多分に持ち合わせていたように思える。教員になった頃、どんな田舎の子どもでも、この動物的本能的な面が薄れ、上品でおとなしくなったように感じられた。悪くいえば、家畜化されたと言いたいくらいだ。ペット化したと言っても良い。よい子、お利口さん、優等生。それが徹底した。窮鼠猫を噛む、それがなくなった。田舎の子どもでそうであるから、都会の子はもっとそうかもしれない。
 
 いじめの問題は、いじめをなくそうという問題ではなく、いじめによる自殺をなくそうという問題だ。いじめはなくならないことははっきりしている。しかし、いじめを契機として自殺する子どもが出てくるということは、無視できない問題だ。つまり、許容できるいじめの範囲にまで現状を引き戻さなければならない。この点で、先の教育再生会議の緊急の提案は一石を投じるものである。
 大人たちが全員で、それはダメなことなんだと本気で子どもに向き合えば、最小限で何もしないよりは効果があるに決まっている。
 しかし、より根本的なことを考えるならば、主要な点に絞って、とりあえずは次の二つのことが考えられなければならないことのようにぼくには思われる。
 
 一つは子どもの成長過程の見直しである。そして、それに基づいた子どもの環境作り、環境選びの視点である。
 国づくり、町づくり、その他の面において、この社会で一番に欠けているものは子どもの視点である。大人は子どもが大事と口では言うが、まず、子どもを知らない。心の成長過程、体の成長過程、どれをとっても認識が浅い。それに気付いてさえいない。それでいて子どものことを第一に考えているような振りだけはする。
 団地の作り。これをいっぺんゆっくりと眺めてみたらいい。おざなりの公園が付け足しのようにあるが、これが現在のおける大人たちが考えられる子ども向けの環境らしい。これ一つとっても、子どものためという思いが実際のところ、どんなに貧困なものかが理解される。つまり、ぽつんとこういう器を拵えて、団地の構想者も親たちも、満足している。ないよりはいいだろうというくらいのものだ。本当はみんな大人たちの都合によって出来たものだ。本当に子どもによい環境なんて、この社会では真剣に考えられたことがないというのがたぶん現状だ。あちこちで単発になされていることはテレビなどで見かけたことはあるが。
 通学路だってそうだ。体すれすれに車がばんばん通る道を通う。車が通らないように規制できないかといえば出来ないという。何を優先しているか一目瞭然だ。
 子どもにふさわしい環境を、もっと足下から見つめる必要がある。子どもの成長段階にふさわしい環境を考えて、町づくり、団地づくり、家づくりが、もっともっとなされてよいと思う。
 国も町も、社会は大人たちのもので、子どもはただ大人になってのみ参加できる仕組みになっている。それまでは親同伴であったり、あるいは道の端っこを小さくなって歩くだけの存在である。ただただ調教と勉強によって、社会の表層に浮かび上がることが許されるのであって、保護の名の下に、建物の内部に暮らすことが多い。
 子ども中心の社会を作れと言うのではない。そんなことは無理に決まっている。ただ、これまで本気で考えたことがなかった子どもの世界を、広い視野から見直すべきではないだろうかと言いたいのだ。
 たとえばぼくは、家を買うときに、やすくて支払い可能なことと、何となく治安の面でもいいかなと団地の建て売りを購入した。子どものためということで何を考えたかといえば、個室がある、ということを考えただけだった。あるいは新しい家に住むという喜びのようなものを、子どもたちに与えたかったということもある。けれどもそれらは表層的なことで、本当に子どものことを考えて購入を決定したとは言えない。その意味では何も考えなかったに等しい。

 

 

 「再び、いじめ」その1とその2(2006.11.15)

その1
 いじめについて、もう、言うべきことはそんなにない。
 当分、残念ながらいじめはあり続けるだろう。自殺者もあるかもしれない。学校が温床になるのは仕方がない。そういう場所なのだと言うほかない。大人たちは、カマトトぶらないで、じっと自分の子供時代のことを振り返ってみたらいい。どんなに憂いてみせ、深刻な顔つきと口振りでテレビの画面に登場してみても、所詮大人たちは傍観者であるほかはない。
 別府市で自殺した中2男子のいじめ事件は、教育委員会がいじめと自殺の因果関係について実態調査に乗り出すということになったらしい。
 はじめに担任教師が生徒をからかい、そこからいじめへと発展し、いじめた子供たちは反省の色なく今度は別の子供をいじめているという報道も聞いた。テリー伊藤をはじめとして、コメンティーターたちの声は少しずつ加害の側の子供たちに罰則を加えろと言い始めるようになった。弁護士の一人はアメリカ式に、けんかをしたら退学などのような校内規則で対処する方法を提案していた。理由や弁明などは一切なしに、とにかく規則に準ずるというもののように聞いた。
 
 何から言おう。
 いじめる側の子供たちの心の傷について、そのことに気づき、考え、ケアをしてやるという視点、発想を、これまで教師をはじめとする大人たちは怠ってきていたのではないか。まず、このことを言っておこう。いじめられる側の心の傷ばかりが取りざたされて、いじめる側の心の傷には、目をふさぎ、配慮をしてこなかったことが一つ言えると思う。そのことの方がもしかすると、あまり考えられることがなかったという意味で、重大かもしれない。
 本当の意味での愛情を豊かに注がれて育った子供は、度が過ぎる執拗さで、死に至るまで追い詰めていくということは、その神経上できないことに違いないと僕は思う。また、彼らの感受性に、周囲の状況がある異常さを秘めて感じられるものでなかったならば、度を超えて陰湿ないじめにまでは発展しないものだとも思う。彼らが本当かどうかはわからないが、いじめ被害の子が死んだことで、「せいせいした」と発言したとすれば、彼らにとっての日常は、飛躍しすぎるかもしれないが、戦時の兵士が陥る異常さに匹敵するものがあるのではないかとすら感じる。子供たちは平和と歌われるこの社会で、実は兵士のように不安なのかもしれない。何に対してどんなふうに、それは分からないとしても、現状に、そして未来に対して、不明からくる怯えのようなものが感じられはしないだろうか。
 南京虐殺をはじめとして、日本人は戦地において信じられないほどの非人間性を発揮したという話を見聞きしたことがある。もちろん日本人ばかりではあるまい。状況によって人は変わる。性格も変わる。いじめに見られるいじめっ子の、それが本性なのだということは出来ない。罰を与えればすむ、そういう問題ではない。そういうことで過ぎようとするのは、大人たちの事情によるものであろう。面倒くさい。本音を言えばそんなところなのだ。もちろん、考えることは面倒くさいに違いない。だがこの面倒くささを素通りしたり手を抜いて、子育てというものはあり得ない。面倒なこの子育てを、最近の社会の大人たちはよってたかって邪魔なものと思い、放棄さえしてきた。そうして言葉だけは、上辺だけは、「子供のため」と言い続けてきた。それは自分が体験したことだからよく分かる。「もしかすると、俺は自分の子が邪魔と感じるときがなくもないのではないか?」そう、反省することが、決して少なくはなかった。そしてこれは自分の父性や性格といったものに一義的に責任があるのではないようにも考えられた。つまり、親は親であっぷあっぷだった。これについては誰が考えてくれるわけでもなかった。社会や生活様式や、経済、交通、そうした諸々の変化の上に、核家族の親たちは、子供とは何か、家族とはなにかを考えながらさまよい歩いてきたのである。教師も親も、本当は、言うほどには子供のことを考えたり、見たり、手をかけたり、世話したりはしないし、出来ないものだということを率直に認めた方がいい。そして子供は子供で、仮に死を考える出来事に遭遇しても、そのすれすれのところまでは親にももちろん教師にも介入してほしくないという、いわゆる子供の世界があるように思える。
 そういう子供の世界に対し、いじめ問題に対する大人たちの言葉は、とてもおおざっぱで乱暴で、話にならないと思う。その典型は教育委員会などの教育関係者に、はっきりと見て取れる。いじめと自殺との因果関係の調査などと、今頃そんなことを言い出して、少なくても二十年は遅れている。しかも調査したところで結果は見に見えている。「調査により、明確な因果関係は認められない」。せいぜいそんなところではないか。こんなことは調査しなくても分かり切ったことだ。どんなに執拗ないじめを受けても、現に自殺しないで耐えた子供たちはいっぱいいたはずだからだ。だからといって自殺した子が弱いとか、別の原因や理由で死んだということはもちろん言えない。
 ことの問題の難しさとか、深刻さとか根深さとかを一番肌身に感じて知りうる立場にあるものは現場の教員であり、教育関係者である。
 彼らが取材を受け、言葉足らずを見せつけるからよけいに事態はねじ曲がる。報道が一部しか取り上げないというなら、交渉し、時間をもらって、報道陣が逆にもういいと言うまで、勇気を持って自分たちの正直な意見を述べるべきなのだと僕は思う。言葉足らずの弁明が一番良くない。そうして内輪だけで、解決を図ろうとしてしまう。それは学校の保護者説明会などの様子を見ても同じだ。どうせ理解が得られないからといって、会が長引かないようにしようとするのではなく、根気よく、保護者の理解と協力を得ようと努力する方がいい。「分からないんだ」、「むずかしいんだ」というのでもいい。問われたら、正直なところを2倍も3倍も言葉を費やして話す必要があるのだ。そうしなければいつまでたっても教員一人一人の思いは届かない。僕はそう思う。もちろん、正直なところを言って、保護者から糾弾されないとは限らない。だから、勇気が必要なのだ。
 自殺した児童の一年時の担任で、自らがからかい、いじめていたと言われている教員も同じだ。洗いざらい、自分のやったこと、その時の気持ちなどを正直に話すべきだと思う。そこまで行かなければこういう問題はとうてい明らかにならない。たぶんそういう機会はないだろう、が。
 
 さて、安倍首相が教育再生などといっているが、言っていることはまともに聞くことも出来ない古くさいことだ。古くさいのが悪いと言うことではない。国民一人一人よりも、国や国家を優先した考え方が底に透けて見え、従来の為政者と変わらない発想が陳腐なのだ。この場合、「教育」もまた、その発想の根底にある個人よりも公に比重を置いた「教育」の面でしか考えられていないという限界を持っている。そんなものがまかり通る現状ではないという認識すら持ち得ていない。
 教育とは、建前的にも、日本国民にふさわしい人材育成を願って子供を教え育てていくことでしょう。
 さて、問題です。私たちが社会に出ていくときに不可欠なものは何でしょう。英語力ですか。世界史の認識ですか。日本の歴史を知っていないとダメ?せめて二次方程式は解けないと、・・・?
 僕が今一番思っているのは、そう、「正直さ」ですかね。これがあれば、言動は不良でも、僕はその人とつきあってもいいですね。使い古されて手垢のいっぱい付いた言葉かもしれないけれど、これがあったらたぶん世の中は文句なく一員として受け入れてくれるんじゃないでしょうか。つまり最低でもこれだけを身につけていれば、世の中にはでていける。僕はそう思います。でも、現在は、その他のものがいっぱい身に付いているのに、一番これを身につけないで世の中にでていく若者が多いような気がする。もちろん、個人の中にはあるのでしょうが、これを正面にひっさげてでていく人がいないように思う。たとえていいうと、「正直」を名詞に書き込んでいる人がいない。これが現状の教育の一番の問題点だと僕は思う。
 愚直にまじめである。そういったものの価値は、今の世の中ではどうなっていますか。「正直」は、他に対してばかりではなく、自分に「正直」という側面もここでは考えています。自分につく嘘を常にチェックし、「正直」に、「正直」にと問いかける作業を伴います。これにはちょっとした戦略的な面もあって、「正直に言っているのに、これでダメなら仕方がない」と、開き直ったり、言い返したり出来るところがあるわけです。ある意味、トランプのジョーカーのように、一番強い持ち札でもある。持ち札はこれっきりで、切り札にすることも出来る。これ一枚を持ち歩いて、十分にこの世の中のあちこちで通用するのではないでしょうか。あとのことはみんな教えてくれるし、いざとなったら本気で学べば、それで遅いということはそんなに多くあるとは思えない。
 これを子供たちに身につけさせ、使わせない手はないな、などと今僕は思っています。これを教えたら後は副次的で、どうでもいいんじゃないかという気がします。教えると言ったが、もっと言えば、本当は大人たちが「正直」にならなければいけない。真の教育再生って、結局は大人たちが変わらなければ始まるものではないという気がする。。
 結局のところ、いじめをはじめとする教育問題の根幹、本質は何かということでしょう。今日の教育制度上で最初に問題視され、大きく社会的な広がりで取り上げられた問題は受験戦争だったように思います。そこから波及する問題が何一つ解決されていない。
 戦争はどんな戦争だってなくなった方がいいに決まっている。だがこれを日本の社会はなくせなかった。文科省を始め、繰り返し小手先ばかりの改革でなんとかしようとして、何も出来なかったと言っていい。やることが中途半端で、誰に気兼ねしてか受けのいいソフトな妙案を考えては、よけいに混乱を与えてきた。本当なら、首相を始め、関係者全員の首をかけて大胆に改革するのでなければ、問題は片づかない。
 ゆとり教育しかり。総合的な学習の時間しかり。評価など一切なくして、ばっさりと改革すべきだった。いわゆる東大に象徴されるような学校間格差など、一切無化する方策が考えられなければならなかった。問題は、「権威」が再生産される過程にある。それを、その根幹であるところをそのままに、「ゆとり」などを持ってくるから現実との矛盾が膨らんで、塾による詰め込みなどがまた盛んになる。そんなことしても無駄ですよという保証がなければ、いつまでも、何をしても、問題は広く、深く、またいっそうこじれていくと考えるべきだ。
 
 教員の評価だなんて、笑わせるなと言いたい。安倍君、まず国会議員に評価制度なるものを取り上げてごらんよ。政治は、良くなっていくか。だいたいが、現行の文科省の下で、教育委員会の下で拵えられるそんな制度が、どんなものになるか容易に想像がつく。おあつらえ向きの教員ばかりが評価されて、現場の教員たちには不満がくすぶり、逆にとんでもない結果が待ち受けていることは目に見えている。それでなくても、今だってどこの学校の職員室にも魑魅魍魎は飛び交っているものだ。一人一人、考え方も価値観も違っているし、教育は何かということにも、それぞれに考え方の違いを持っている。人間にはみないい加減なところがある。教員だって例外ではない。だったらそのままでいいので、そのいい加減さをのびのびと発揮させよと言いたい。教員はみな訳のわからん子供を相手にしているんだ。基本的な事柄さえ身につけていない子供たちを四十人近く任せられて、「学力」云々の前に、これをまず何とかしてほしいと、心の中で悲鳴を上げているに違いない。目の前の処理しきれない錯綜した現実と、教育への使命感、性格的な善良さの板挟みになってもがく教師を見て、子供たちもまた変にならない方がおかしい。
 内閣府や文科省、教育委員会なんていったって、臆面もなく、やらせのミーティングなどやっている連中だぜ。あっけらかんとあきれた連中さ。みんな東大を出たり、京大を出たり、その他一流どころの大学で学んだ連中なんだろうな。やるならもっとうまくやれよ。馬鹿どもが。
 安倍って男も、そんな程度の統率力しか発揮できない。
 安倍君も含めて、何が原因なのか、その本質は何かをとっくり考えてみてもらいたいものだ。君たちには金輪際分かりっこないとはいうまい。かえって、分かりすぎるくらい分かるはずなのだ。ただ、その根を断ち切るためには、自らの根底を剔る内省力と、社会の根底にメスを入れるような決断を必要とする。そんな意気込みは、残念ながら安倍君以下、現行の指導者連中にはあるまい。教育基本法の改正など、もてあそんでいる場合ではない。

 

その2

 先の文章を書いている途中に、「いじめと自殺」に関する報道が毎日のように増え、事件のあった校長に自殺まで報じられるようになった。これに、世界史の未履修の問題も重なって、教育界が惨憺たる有様になっているような印象さえ持たれるようになった。もちろん、何事もなく無事に過ぎていっている子供、教員、そして学校があるには違いないのだが、こうした問題が潜在しない確証はどこにもないというべきかもしれない。
 僕自身が教員だった頃、自分の子供を学校に預けるに当たって、まず学校や先生たちはあてにすまいと思った。教員という仕事に携わって、自分自身が、すべての子供にすべての責任を負えるという自信は全くなかったからだ。自分に出来ないことを、他者にだけ強要することは出来ない。
 いくらがんばったって、一年という間に、全員の子供が一度ならず、心を痛め、傷つくことが、自分の持ったクラスの中で起こることは避けられないことだと思った。これは実際に先生をやってみれば分かる。
 自分の子供も、学校に行っている間に、対先生との関係、子供同士の関係で傷つき苦しむことはあるだろうなと想像した。自分の通ってきた過程を振り返ってみてもそう思う。そしてそれは、一種の通過儀礼のようにも考えられた。つまり、どうしても避けて通れない過程ではないかと思われる。
 子供は、そういう経験を積んで、成長していくほかに、どんな安穏な近道もないと言ってしまいたいところだ。
 教員なんて、自分の体験をふまえて言えば、期待するに値しない。精神科医の町沢静夫が言うように、社会的に言えば「かわいい子羊ちゃん」という蔑称がよく似合う。町沢の講演を聴いたときには、「なにを、生意気な」と思ったが、教員の世界は、よくて「善良な子羊ちゃん」の群れと言ってもいい。悪く言うわけではないが、たかが未履修問題で自殺する校長もいるくらいだ。また逆の例では、いじめと自殺との関係調査云々と、格好だけは誠実そうな振りをする校長がいる。後者もまた、本当は気の小さい、そして弱い子羊ちゃんの一人なのに違いない。どちらも肝っ玉が据わっていなくて些細なことに大きく動揺する。いかに、日々平穏で、いかにまた日々、こういう問題について考える機会がなかったかがよく分かる。
 そういうことで、学校とか教員とかは、端からあてにすべきものじゃないと僕は思う。善意の人が多いかもしれないが、ただそれだけだ。そしてそういう人たちは、えてして無意識のうちに、善と思って悪をなしていることが多い。この人たちは、教育の中での人づくりを、活字上のモデルを理想として考える傾向がある。はじめから了見が狭い。社会を知らない。そのくせ、教育は崇高で、それに携わる教育者も崇高でなければならないし、自分はそれを目指している点で崇高さに一歩近づくことの出来た人間の一人のように錯覚している。
 本当はただきれい事の言葉を弄ぶことを商売にしているだけで、自分が偉くなったかのように勘違いしている連中が多い。特に管理職にはそういう傾向が見えた。田舎の議員のように、狭いその区域だけで偉そうにしていられるだけだということが分からない。
 
 たまたま吉本隆明の十一年前の著書「超資本主義」という本のページを開いていたら、現在の状況によく似たいじめ事件についての彼の意見が書かれていた。短いので全文紹介してもいいのだが、半分くらいには縮めて紹介しておきたいと思う。
 ここで吉本は、自分の認識と経験の範囲で言えることだけを言ってみるとして、3点のことを言っている。
 
|わたしはこの自殺にまで導かれた中学生の「いじめ」事件の背景には現在の受験進学体制の最大の隘路が中学校にあるという問題が潜在しているとおもう。
}ジャーナリズムや識者に象徴される意見の大半は、校長や教師や父兄が「いじめ」の実態に気付かなかったり、「いじめ」を受けたり「金銭をせびり取られたり」していることを、当の自殺した中学生が父兄や教師に相談してくれたらいいのにと、今更のように騒ぎ立てたりしている。しかしわたしの小学校や中等学校での体験的な実感からいえば、教師(まして校長)や父兄に、小学生や中等学生どうしの「いじめ」や「いじめられ」の実情などわかるはずがないとおもえる。つまり教師や父兄には一切責任がないと同時に、それほど個々の生徒同士の被害や加害に関与したり関心をもったり、配慮していない。そんなに生徒やじぶんの子どもに関心をもっている教師や父兄がいるはずがない。公的教育制度の学校の教師は生徒とのあいだにもっと疎遠な関係しかもってはいない。自殺事件がおこって、急に校長が全校生徒をあつめて説教してみたり、黙祷してみたり、またジャーナリズムのまえで責任が至りませんでしたなどと反省のふりをしてみたりするのは、ユーモアとしての唯物論か魂の唯物論的擁護でしかない。また父兄が、自殺するほど「いじめ」に苦しんでいるのなら何故相談してくれなかったのか、などとかき口説くのも、心情としてもっともだが滑稽だとしかおもえない。(後略)
~「いじめ」られた生徒の自殺や遺書をめぐって生徒たちが、教師や父兄になぜ相談せずに自分で苦しんで死ぬほどの辛さを秘していたのかという論議が、もっともらしくおこっている。また文部省が何やら指示めいたことを全国の中学校に通達したと報道されている。しかしこの論議は見当が外れているようにおもえる。前思春期や思春期初葉の時期には、同年代の友人どうしでは打ち明けえても、父母や教師には話せない世界を心の内部に持つようになり、それは精神の階梯にとって重要なのだ。この近親や長上にたいして閉じられた世界を形成することは、肯定すべきことではあっても、否定したり、無理に親や教師がこじ開けようとしたりすべきものとはおもえない。あくまでもじぶんたち生徒どうしで「いじめ」の集団を叩きつぶすことができるまでに、相互の信頼と不信と傍観の問題を煮つめてゆくべきものだ。
 
 事件と、事件にまつわる周囲の大人たちの反応とが全く酷似していることに驚く。何よりも、自分もまた、過去の同様の事件をすっかり忘れていたことに驚いた。つまり、僕自身にとって、記憶に値しない事件だった。事件そのもののことを言うのではない。当事者でない限り、この種の出来事を長く記憶にとどめるということを、ぼくたちはしないものだ。あるいは、そんなふうにできているのだ、ということを言っておきたかった。
 この時の吉本の考えは、今回の「いじめ」事件とその報道にあたっても、このまま当てはまるという気がした。同時に、学校関係者も父兄も、文部省に代わった文科省も、相も変わらぬ対応をしている点で、驚きを禁じ得ない。
 吉本はこの文章で、「いじめ」の解決の可否は、当事者であるいじめっ子といじめられっ子と、その周囲に存在する、いわゆるクラスという共同体間にあるとはっきり言い切っている。同級の子に、理解者や心理を分かち合える子がいたら、あるいはクラス全体がいじめを取り上げて話題にしえるような段階にあったら、自殺にまで行かなかったろうと言う。
 僕は十年前にこの文章を読んでいたはずだから、この「いじめ」解決について、もっと考えておくべきだった。どちらかと言えば、大人たちの愚かさについての言及に同感して、そちらのほうにばかり思いが行っていたように思う。
 
 あらためて吉本の言うところを考えてみれば、「いじめ」問題に教師や父兄をふくめた大人たちは口を挟むな、介入するなということだ。そして、子供間での解決が、もっともいいということになる。
 しかしながら、これでは子供たちが「いじめ」に同調しない、「いじめ」を許さない、「いじめ」に屈しないで反撃する力をもつ、そういうように変わっていくことを待つだけではないかという疑問が湧く。
 ぼくたちの子どもの頃は、集団の中にそういう機能がはたらいていたし、個々人にも正義感をもつ子がいて、弱い子をかばうという側面も少なからずあった。そういうことが今は希薄だったり、なかったりということかもしれない。
 核家族社会の反映のように、子供社会の集団にも、かつてのまとまりがなくなった。集団が、個人の集合というよりはむしろ、関係が希薄で、疎遠な、私人の集合になっている。個人として集団の中でどう振る舞うべきかが身に付いていない。もっと極端にいえば、日本人全体が自分を見失っている。これは敗戦の後遺症であり、ここで話題にするには話が大きすぎる。しかし、そういうところまでかいくぐる考えなしに、とうてい解決などおよびもつかないことに僕にはおもえる。
 
 じゃあ、どうすればいいのか。結局この問いに帰着する。
 考えつづけること。そして子供が、子供の集団が、力がついていくように働きかけること。今の僕には、これくらいのところをいうのが精一杯である。そして、親や教師たちが、「らしさ」や「そぶり」といった見てくれの体面に気を遣わず、ということは、みんなが「こうしなければならない」ことを言うのではなく、「自分はこうしていた」、「こう考えていた」と、正直に、自分のしたことをそうとはっきり言えるようになってもらいたいものだと思う。

 

 

 「北海道小6女児自殺報道」を読む(2006.10.5)

 いじめには積極的ないじめと消極的ないじめという二つの側面があるような気がする。積極的ないじめは確信犯的で、いじめに対して意図的で計画性もある。これに反して消極的ないじめというものは、無意図的で、ただ共同体全体がその個人を干すというかたちである特定の個人から遠ざかるというようなものである。
 また、いじめには狭い意味でのいじめ、広義のいじめというものがあるように思う。狭い意味でのいじめの典型は、身体的精神的に暴力性が伴って被害者に傷を負わせる。いじめを広義に解すると、こちらでは目に見えるような形での暴力性が窺われず、傷つき具合も他からはとても分かりにくいものだということができる。
 昨年、2005年の9月に、北海道滝川市の市立小学校の教室で6年生の女子児童が首つり自殺していたという報道が、最近、家族が女児の遺書を公表したことによって再び新聞テレビ等で報じられている。たまたまテレビを見ていたら教育委員会の指導室長という肩書きの人が、いじめによって自殺したとは認識していない旨の発言をしていた。それを聞いて一瞬むらっときた。いじめでないといえば、それですむのかと思った。相変わらずだと思った。こういう連中がいるから俺は学校の職を辞したのだ。俺は学校をやめ、こういう連中が相も変わらず学校教育を牛耳っている。教育再生をいうのなら、文科省の大臣も首相もこういうところを重く考えるべきであろう。もちろん、こんなことは言っても届かない。
 この指導室長の発言を、テレビ朝日の鳥越を始めキャスター、コメンテーターたちは激しく非難していた。その主張するところは、児童の遺書を読めば、いじめがあったことは明白であり、これをひた隠しにしてきた教育委員会やこの指導室長たちの保身とそれを背景にした隠蔽は許されないものだという主調音であった。私も多少そういうことを思うが、むらっと来たのは別の理由だ。
「子ども」が、「教室」で「首をつった」のだ。それ自体をもっと重く受け止めるべきであろう、と思った。マスコミは教育委員会やそこに携わる人々を攻撃しようと意図しているし、教育委員会関係者は防戦体制一色に身構えてしまう。両者ともその前に、考えるべきことがあるでしょうと、私は言いたい。一年も経過して、関係者もマスコミも、まだいじめがあった、なかったで言い争っているのは論外だと思えるし、馬鹿でとんまで、一人の女児の死の扱いを軽んじていること甚だしいと思った。
 女児が自殺の場所を「教室」に選んだことを考えると、私は悲しい。そうして、マスコミや教育関係者、保護者たちの対応を見る限り、女児の声はついにだれの耳にも届かないと思えて、痛恨の極みというほかはない。
 女児は、「教室」で死んでみせることによって、少なくとも学校教育全般を否定してみせたんでしょう。それもたった一人で。
「教室」で「子ども」を死なせるような「教育」があってたまるか。
 そうでしょう。彼女のその行為に短絡や錯誤があったとしてもいい。それを矯正する機能さえ、今の「学校」、今の「教育」には「無い」ということを、女児は明らかにして逝ったと言っていい。女児が生存する我々に突きつけるのは、そういうことではないのか。
 そのことに誰もがもっと驚愕すべきではないかと、私は思う。一人の女児による「教育」の否定。ショッキングに受け止めて犯人探しをするだけではなく、「教育の現在」を、真摯に考察すべきだと私は思う。少なくともこういう事件が起こる教育界、学校、教室は、何かがおかしい。そう思って当然ではないか。ならば、教育の機能を即時停止してでも、本当はその原因や理由を突き止めようとすべきなのだ。だが、そこまで主張するものは誰もいない。たぶん、いないだろうと思っていい。それは何故か。世間は、口で言うよりも一人の人間の命を重く感じていないせいであろう。教育委員会しかり。
 私には、学校教育機能、しかもその内の読み書き計算程度の機能の停滞を、よほど重要視しているようにしか見えない。もちろん、仮に学校を休みにしたとしたら、保護者もマスコミも騒ぐことは間違いないだろう。だが、世間の人々に聞きたい。それがそんなに大事なことですか?
 突然の休校などがどうしても無理ならば、子どもたちと先生たちと、事件の真相を、誰もが納得するまで話し合うというのはどうだろうか。先生も子どもも、事件に目をつぶるように過ぎて、いったい教育の何が機能するといえるのだろう。教育は女児に問われている。「私がこんなことをしても教育は成り立つのですか?」とでもいうように。その問いに、真正面から本当は答えなければならないのに、教育界はいくつの事件、いくつの自殺や死によってもその問いに応えた試しはない。そのことに私は心底うんざりしている。今の教育なんてそんな程度のもんだ。さらば教育。そう言って、足の塵を払い、私はその町を去ったが、子どもたちはそう簡単には去ることができずに、言ってみれば囚われの身であるともいえる。もちろん多くの子どもたちが楽しく過ごす術を持っていることも確かなのだが・・・。
 
 先のテレビのキャスターたちと、インタビューを受ける父親らしき遺族(首から下しか映っていないので分からない)は、教育委員会の対応をともに非難している。私はもっともだと思うと同時に、2つのことを同時に思った。
 ひとつは、わりと冷静にというか知的にというか、事件を分析している遺族代表のような人が、委員会がいじめを認めようとしないことを非難するのだが、その口調の底にもしもその人が父親であるならば親としての反省や自己批判の匂いが少しもしないことだ。まるで第3者のように、女児が一方的にいじめによって自殺したと信じて疑わない様子なのだ。これは私は疑問に思った。私ならば、学校や委員会を非難するにせよ、一言自分の責任についても言及するに違いないと思う。そういう、親としての(あるいは家族の側としての)反省めいた言葉がなかった。
 こういうことを言うのは、子どもの自殺は少なからず親の代理死としての性格を持つ場合が多いからだ。親が何かの理由で生きていたくない、あるいは死にたいと思っていると、何かをきっかけにして子どもが代理のようにして死に向かう場合がある。親はそういうことを考えたことはないのだろうか。あるいは一生懸命反省して、そういうことに思い至ることはなかっただろうか。もしも、そういう心の微細に目をふさぐようにして委員会の非難ばかりを口にしているとしたら、実は指導室長の発言の位相と同じだと私は思う。つまり、両者ともに心に思ったところの大事な部分、大事なところを、触れないようにしながら発言しているということになる。
 もう一つの思いというのも、言ってみれば同じことを角度を変えて言うことになる。つまりその人の立ち位置に関係するのだが、管理の立場に立つと、先の指導室長の口振りになるのは仕方がないよなという気持ちを私は持ったということだ。反対に女児の遺族の立場に立てば、あんな風に言いたくなるよな、とも思う。
 こういうところをさわやかに解決し、発言できた人をこの種の事件では見聞きしたことがない。大人たちは悲しいものだ。
 この女児は、遺書にはっきりと書き残している。「6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました」と、言いたくないところをはっきりと言うことができている。一方的に周囲の子どもたちの言いがかりによるものではなく、自分にも非があるかもしれないとはっきりと反省し、認識できている。大人たちに比べ、どちらが本当の意味で幼稚であるかは歴然としている。大人たちの発言の愚かさ加減が浮き彫りにされていると私は思った。
「遺書には『いじめ』という言葉が一度もでてこない」と発言する指導室長の、同情したい気持ちもあるがそれ以上に、小学生低学年以下のレベルの言い訳めいた言葉に、憤りを抑えられない。こんな連中が、先生たちのトップにいるんだぜ。誰か何とかしろよ。もちろん首をすげ替えたって、同じことだ。これはもう個人の問題ではない。私だって、うかうかと彼のような立場に立たされたら、似たような発言をしてしまうかもしれない。立場が言わせてしまうというような言葉が、世間には、ある。それが苦になって、言いたいことがいえなくて、彼のような発言になってマスコミから激しくたたかれる。そんなことは枝葉末節で、叩かれる側はさらに鎧を幾重にも身にまとい、心は萎縮してなおさら本当のことは言えなくなっていくに決まっている。
 
 この事件に関して、もう一つ言っておきたいと思うことがある。報道や遺書を見聞きする限り、私は過去の教職にあった時の体験を思い起こす。
 それはやはり女子児童であったが、担任ではない私がある関わりでしょっちゅうあるクラスに出入りしていた時に、何となく一人の女児がクラスの中で浮いているなと感じた時があった。どうも、ほかの子どもたちとうまくコミュニケーションがとれていない、と映った。何気なさそうに、しかし彼女の言動を注意してみていると、どうもその女児の本音というようなものが伝わってこない。この子のことはよく分からない。そう感じさせる子どものように思えた。
 その子のクラスの雰囲気の中で、はっきりとその女児を追いつめようとするような意志は感じられなかった。しかし、その女児が孤独感にさいなまれることがあるのではないか、ということははっきりと感じ取れた。
 北海道の女児の場合と酷似していたことは、たとえば修学旅行のグループ分けで、女児のグループのどこからも誘いがなかったことだ。その結果は担任ではなかったので把握はできなかったが、そのクラスではしかし、彼女に救いの手をさしのべようとしてきた一人の女の子がいた。その子は、いろいろな意味で優等生と呼べるような子どもであると私は感じていた。たぶん、孤軍奮闘して孤独な女児をかばっていた。
 はっきり言うと、クラスで孤独な存在に見えた女の子は、わがままであったり、自分本位であったり、時に自慢をしたがったり、嘘をつくことがあったりと、つき合ってみるとつき合いにくい子ではなかったかと思う。そういう子はいるものだ。しぜん、クラスの者たちからは相手にされなくなってしまう。
 担任も気にかけて苦慮していた。先の優等生的な女の子に、もしかすると協力を持ちかけていたのだったかもしれない。また、女の子の母親が何度か来校し、いろいろと相談にも応じているようであった。
 結論から言えば、卒業するまでその女児とクラスのみんなとの関係は改善されないままであったように私には思えた。とりあえず小学校段階までは自殺はもちろんのこと、不登校に陥るという所まで行くこともなく、過ぎていった。これには、最善ではなかったにせよ、児童自身、両親、担任、クラスの子どもたちみんなの、それぞれの立場による努力があったためではないかと私は思う。少なくとも最悪の結果はさけられた。下手をすると、北海道の例に見られるような事態に到らなかったとは断言できないと私は思っている。それほど微妙で、また、その種の種は全国の至る所に転がっているに違いないと私は思う。無事ですんでいるのは運がいいとか、それなりに努力しているせいだという気がしている。
 私はしかしそれで万々歳だとは思えない。女児の孤独は残り、これからも板きれ一枚の上を歩き続けていくのだろうと想像しないでもないからだ。そういう運命というものを感じながら、私は自分がどうすることもできないことを思い、辛く感じる時があった。その女児の孤独を完全に癒すことはできない。
 言いたいことは、自分の人間としての心情の告白ではない。
 彼女の場合、集団によるいじめが行われていたとはどうしても断じがたい所があった。意識、無意識に集団が結束して何か彼女を特別視したりしているようではなかった。けれども、雰囲気として、彼女の人間性がこういうものでそれに関わり合いになりたくないという気分は、周囲の子どもたちから受け取れた。周囲の子どもたちにも、遊び相手を選ぶ権利はある。そうこうする中で、彼女の周囲の子どもたちから彼女に向けて否定的な言動が飛び交うことは幾度となくあったには違いない。周りの子どもたちはその言動をごく当たり前の思いや態度なのだと思い、彼女にとっては悪意のこもった、意地悪で陰湿ないじめのように思いなされていたかもしれない。
 一方はとても辛い思いがあった。また一方は、全くその辛い思いを分からなかった。周囲の子どもたちは、あいつとつき合うのはいやだと、人間としてごく当たり前の反応をしていただけなのかもしれない。これを「いじめ」ていたと断じたら、周りの子どもたちがかわいそうかもしれない。では、「いじめ」がなかったとすれば、周囲からの冷たい視線を感じていた彼女が、それは妄想に過ぎないということになり、これまたあまりに冷たい判断だという気がする。
 いじめはなく、そしていじめはあった。そして大事なことはいじめのあるなしにあるのではない。在る無しをいくら論議しても実状はけっして見えてこないだろう。また何を解決できるわけでもない。
 私は、北海道の女児の問題も、似たところがあったのではないかと思っている。
 
 根本の問題は何か。
 いじめやそれに近似した疎外というものは、昔から在り、今もある。私の小さい頃にもあり、いわれなくいじめ、あるいは侮蔑した経験を私自身も持っている。
 私たちの時代と現在の子どもたちの世界との違いはどこにあるのだろうか。自己主張を貫く強さの違いにあるような気がする。たとえばグループや班づくりの過程で、以前はいやだと思う人が入ってきたり、あるいは逆にいやだと思う人たちのグループに入り込む場合、養老孟司さん流に言えば、「仕方がない」を認めることができた。そしてたぶんそれは親を通して世間から学んだものだ。親や世間は、思い通りにならない「自然」やあるいはまた「世間自体」から学んだに違いない。
 それが、いつからか、「仕方がない」を認めない世界になっていった。「嫌」なものはイヤだ。「個人」を、「私」を、譲らないようになった。
 養老さんはこれを「都市化」の流れでとらえているようだが、私はもはや日本中の誰もがこのように変貌してきたと思う。
 誰もが自己をしっかりと主張する。そのことは私は少しも悪いことではないように思える。言いたいこと、主張したいことは遠慮無く言い、そうして主張すればいいのだ。だが、そうなれば当然問題が起きることははっきりしている。互いに譲らないことを徹底しようとすれば、相手を抹殺するところまで行き着くかもしれない。それでは問題があろうということになり、ではどうすべきかという時に、先の「仕方がない」が、再登場してこなければならないのだろうと私は思う。そうした、生きていくための「知恵」が、今は、どこからも生まれてくる場所がない。
 誤解されるのは嫌だから蛇足をおそれずに言うが、私は安易な「仕方がない」という諦めは嫌いである。とことん妥協せずに、しかし考えに考えて、どうしても割り切れないこと、思い通りには行かないことが世の中にはあるものだという地点にまでたどり着いた時に、「仕方がない」が生まれてくることは、それこそ「仕方がない」ことだと私は思っている。こういうこと以外に、「あってはならないこと」を防ぐ手だてはないのではないか。そして、こういうところを「教育」が引き受けずして、誰が引き受けるのか。昔はこれを「人の道」といい、これを教えることが教育と呼ばれていたのではないかと、私は思う。
 
 北海道のケースでは委員会側の言葉として、「心のサインがつかめなかったことは申し訳ない」という言葉があったが、心のサインはつかめていたはずだ。ただ、学校も担任も、どうしていいか分からなかったというのが実際だと思う。相談にのるなど、それなりに対応はしていたようなので、女児の側の切迫がその対応を越えていたということだったのだろう。こういうケースは本当に指導が難しい。いくら考え詰めても計算の答えのような答えはでない。分かっていても、「こうすればああなる」と割り切れないことが人間の関係にも心にもある。それを、まず認めるところから始められなければなるまい。
 
 もう一つ付け加えていえば、北海道の女児の遺書を見る限り、彼女は好きな子がいなかったということが問題であるような気が、私はしている。
 嫌われていた、冷たくされていると感じた、などのことは書かれているが、自分がクラスの子たちにどうだったかは書かれていないように見える。というのも、私にも友達がいないという時期があったことを思い出すからだ。
 振り返って考えると、自分の方から好きだと思える友だちがいなかった。私自身が、学年やクラスのみんなを好きになれない時期があったように思う。もっと言えば、今でも友だちと呼んでいいような友だちはいないというのが実状だ。友だちと一緒にいる時間よりも、私は一人でいることの方が気楽で、そちらの方を選んで私は生きてきたような気がする。だから私にとって、寂しいと感ずることは仕方のないことだった。私はクラスの中で、ほかのみんなと適当な距離を置いてつき合った。とりあえず、そんなもんでいいんじゃないのか。教室で教えるような「友情」など、自慢ではないが経験した試しはない。私は「友だち」の定義として、一切を捨ててその人のために身を投げ出したり、許すことができる人、というような具合に考えていたと思う。そういう他人がそうそういるわけがない。そこで私は友だち、すなわち、好きな同性がいないと考えるようになった。
 常識的に言えば、友だちとは、一緒に長時間いても疲れの感じない気の合う人で、長い時間を一緒に過ごせてきた人のことを言うのだと思う。そういう人が存在すれば、そういう子は、好きな子だと言える。好きな子がいないということは、まだ出会えないということだ。一生出会えないかもしれない。そうだとすれば、多少自分の側に、特異なところがあるからに違いない。それならそれで、友だちごっこみたいなことは諦めなければならない。それで、生きて行かれないということは誰にも言えないはずだ。現に私は多少なりともそうして生きてきたような気がしている。
 私は、「友だちが多くいると見せかける人たちはたいがい嘘をついている」、と言い切るほどの自信はないが、よくよく観察すれば、人間は孤独な生き物であるというのが本当のところではないかと思う。
 私は今でも、辛くなると死とか自殺とかについて考えることが少なくない。小さい時からそうであった。それをくい止めたものは、なにも自分に何かの力があったり、誰かの救いの手や導きがあったりしたせいだとは思えない。ただ、何者かの力が、むんずと背中をつかみ、私がそちらに行こうとするのをくい止めてきたのである。その「何ものか」は、誰とも見えない人間の愛の力だと考える時がある。そういう過去の人間の愛の記憶があれば、人は危機を乗り越えられるようにできているのではないか。だから、もしも少年少女に行きすぎた逸脱があったとするならば、その背をつかんではなさない背後の力の弱さによるものだと私は考える。第一に、親が反省すべきだというのは、そうした私の考え方による。親は、いじめだと言って、他人のしかも子どもたちに、娘の死の原因を丸投げにして責任の一端を持たすべきではないような気がする。教育委員会や学校なんてテレビで取材されている画面に表れるように、所詮、あんなもんだ。批判しても、向こうが謝っても、実は実体がない。そんなものに謝られたって、空しいだけのような気がする。委員会が謝って、何人かが更迭されて、テレビ等は報道を断ち切るが、肝腎なところはたぶん何も変わらないし、何も明らかにならないままに集結するのだろう。そんな大人たちの手打ちみたいなことを女児は望んではいなかっただろうと、私は思う。
 
 この件の考察を通して、私は幾分自分の従来の考え方が変化してきていることに気づいている。それはまた別の機会に明らかにすることとして、これはこれで終わることにしたいと思う。

 

 

 「小児の拒食症と養老孟司の文章と」(2006.10.2)

 この夏も、いやというほどいろいろなことがあった。ありすぎて、うんざりして、何も書く気が起こらなかった。今思い出そうとすると、何も思い起こすことができない。俺には関係ない。脳みそはそうとらえているのかもしれない。
 いずれ、それらのことについて、専門家やテレビのコメンテーターとやらが、喜んで解説し、こんな対策が必要、などとご宣託をのたまうに違いない。
 さしあたって、そんなもんでいいじゃないか。世の中は、これまでもそうしてやってきたし、これからもそうしてやっていくさ。
 
 垂れ流しされる政治、経済、社会的諸事件や諸事象を、垂れ流しに見送っている中で、一つ、小児の拒食症増加を伝える新聞記事が気になった。
 それは、身体の発育の遅滞や停止。ひどい場合は死に至ること。また、脳の萎縮や沈下を引き起こすというようなことも伝えていたように思う。
 詳しくは記事を読み返さなければならないが、なぜ子どもが拒食症になるのかについては、いわゆる世間の、体重の増加というものに対するある種の共通の観念、それが子どもの心の深層に脅迫となってのしかかり、拒食症に至るのだという印象で自分は受け止めた。言葉で、そう書いてあったかどうかは定かではない。ただ、読んだとき、ぼくはそのように理解した。
 小児の間にも静かに浸透してきた、この拒食症の問題は、とても象徴的で大きな問題を抱えているような気がした。いや、大きな問題の兆しを感じさせたといってもいいかもしれない。記事は小さく、たくさんの事件などに紛れて、あまり注目されるようにも思えなかったが、それだけに僕には恐ろしいもののように思われた。あくまでもこれは一例である。大人の観念の子どもの世界への浸食は、この例に見ることが出来るのではないだろうか。
 環境破壊によって、動植物の絶滅などが騒がれているけれども、この場合、小児を取り囲む観念的な環境が、小児たちを生きさせない働きを持つものとして、いま、目の前に姿をはっきりと現すようになったと、ぼくは思っている。これは恐ろしいことであると同時に、氷山の一角かもしれないとぼくは密かに感じた。
 若い女性が拒食症に陥る。そのことは幾分、仕方のないことかもしれないと思うところがある。だが、小児にまでその観念が襲いかかるという事態は異常だ。ぼくにはそう思われて仕方がない。子どもの世界は、どうなってしまうのだろう。子どもと大人との境界が見失われていくような気がする。子どもの世界が、大人の世界に浸食されていく。そんな気がしてならない。
 
 9月22日の河北新報に、養老孟司さんの文章が載っていた。「現代の視座」の欄である。養老さんの文章は文章そのものがおもしろい。ぼくはファンといってもいいくらいのもので、だから気になるのだ。
 今回の文章は子どもの問題、教育の問題に抵触する。
 はじめに、最近起こった事件、友人にお金を払うからということで母親殺しを依頼した事件を取り上げている。
 なぜこんな事件が起きるようになったかというと、養老さんは、都会人のつくる世間の中からこういう子どもが生まれてくるのは当然で、起こるべくして起こる、と言っている。直接養老さんの文章を読めば、それは理解できる。今の世の中、今の世間のあり方を考えれば、説明を聞かなくてもある程度の想像ができる人はいるに違いない。簡単にいえば、何でも他人のせいにする、訴訟を起こす、抗議をする。そして、がまんや、辛抱や、「仕方がない」という現実を認めようとしない、そういう大人が多くなっているからだ。
 養老さんは、子どもが悪いことをするのは大人に責任があり、まずは大人自身が反省すべきだという。それは、悪いことをした子どもを罰しないということではない。それはそれ、これはこれで、まあ一方で大人たちが大いに反省すべき点はあるということを言っている。その中で、親が子どもに当たり前のことを教えていないということも言われている。教育現場に行くと、親を教育しなければならないということがよくわかるという。
 例として、学校が子どもたちに雑巾を持ってこいと言うと、母親から抗議の電話が来ることを取り上げている。「どうして私が雑巾をつくらなければならないのか」、というように。こういう例は実際にありがちだが、また経験的によく見聞きしたが、これは本当はイヤなら作らないですむべき問題のはずで、ただそれを黙って実行できないから先生に抗議の電話を入れるということになる。この場合、明らかなのは、母親は自分のことばかりを考えていて、学校と親との間に挟まった子どもがどう感じるかなど、全く考慮していないことである。
 家庭において、掃除の仕方、刃物の使い方、その他生活技能の基本が子どもたちに伝えられていない点も、家庭の教育力の低下に上げられるだろう。
 養老さんは、これらは、ひとり親のせいではなく、世間の変容、崩壊のせいであろうという。実際、自分が子どもを育てる時に、住宅事情その他でそういう基本を教える機会はなかった。自分が育った育ち方と自分が子どもを育てる環境とが、あまりにも食い違っていた。自分が子どもの時に手伝ったようには、自分の子どもたちに手伝いをさせる機会はさしあたってないという状況だった。世間の変容が家族の形態の変容をもたらし、私たちの世代はそんな中で親になっていった。たぶん、日本的な慣習や伝統、歴史というようなものから乖離して、全くの手探りの子育てがどの家庭でも行われた。こんな親たちに育てられた子どもたちがどうなるか、それは現在の世相に反映している。
 
 最後に養老さんは次のような言葉で締めている。
 
その世間は相変わらず、だれが悪いと、他人のせいにしている。子どもを預かる側の身にもなってみろ。全国の教師はそういいたいはずである。
 
 最後の言葉を読んだならば、全国の学校教員からは拍手がわき起こるに違いない。先生たちは、こういう有名人からのこういう言葉に、長いこと出会っていない。溜飲を下げるとはこういうことかもしれない。我が意を得たり。そう思ったに違いない。
 
 教員時代、刃物を使えない児童、掃除のできない児童をいやというほど見てきた。子どもの家庭や親が学校に注文をつけたり、文句を言う姿も見聞きしてきた。子どもが親に文句を言い、親が先生や学校に文句を言う。
 それを私は、〔戦後〕が多くの犠牲の上に獲得した何かだと感じるところがあった。つまり、プラスのものと考えたかった。戦後、大衆も子どもも、知的にか感覚的にか、上昇した結果だと思うところがあった。そこに、何かしら混乱が生じたことは肌に感じてはいたが、過渡期の、やむを得ない状況のように思いなしていた。少なくとも、<私>が、「仕方がない」と諦めているばかりよりは、いいだろうという気がしていた。戦後60年は、一人一人が楽しいこと、自分に都合のいいこと、そういうものを求めてきたと言っていい。
 公中心から私中心に逆転した関係は次のような図式で表すことができるかもしれない。すなわち、世間>家>個人(父>母子)が戦前だとすれば、戦後は、個人(父>母子)>家>世間、というように重み付けが全く逆転したのである。これは戦後の当然の成り行きだと私は思う。社会が、戦後こういう方向を向いて歩いてきたのだ。私は今でもあながち間違いではないだろうと思っている。おそらく日本人が初めて経験する事態だといえる。
 ところで、戦前までの、世間>家>個人(父>母子)のシステムは長い間かかって築き上げられてきた日本の伝統であり慣習である。戦後はこれを破壊し、個人(父>母子)>家>世間の逆向きのシステムに変えようとしてきた。一方は千年を下らない歴史的な時間を費やしてこしらえあげてきたシステムであるのに対して、また一方はたかだか戦後60年の時間を費やしたにすぎない。これが日本に定着するものであるのか、しないものなのか、とりあえず流れは変わらないとするならば、これからも混乱はより深く、また考える以上に長く続くものかもしれない。その過渡の問題として、先に挙げた小児の拒食症なども起こってきていると私は考える。拒食の理由はどうであれ、それは生きることを拒む姿である。少なくとも自然界の植物や動物の世界ではまったくあり得ない。どうしてこういうことになってしまったのか。これを解き明かすことが急務だと思えるのに、私はそれを考えることが出来ないでいる。思いばかりが切迫し、だが、教育者も政治家もこういう事態を気づきさえしていないように見える。
 
 はじめに、書く気が起こらないことを言った。小児の拒食症と養老さんの文章とで、何かが書けるかもしれないと思った。でも、やってみればこんな程度のことだ。養老さんの文章を繰り返し読む中で、さらに気が重くなった。現実の読み解き方の参考にはなるが、問題の解決を示唆する糸口は見えない。もちろん養老さんは解決の実践を試みる人ではない。逆に解決の糸口が見えないということだけが真実かもしれない。
 教員の世界では免許法の改正や教員評価の問題が取りざたされているようである。そんなものに何の意味もないとぼくは思う。根本的で根元的な問題には相変わらず触れることがない。
 
 どうすればいいのか分からなくなった時には、さしあたって、究極の理想の世界での人間の生き方を考えてみることに私はしている。
 平穏なその世界で人間は、当たり前の生活を当たり前に続けているだけなのだろうと思う。朝起きて、仕事に出かけ、仕事場では自分の責任をこなし、帰宅してやがて眠るということを繰り返す毎日。理想の世界は実に平凡な生活の繰り返しにすぎないはずだ。
 迷ったら、とりあえずそんな生活を心がけて実践すればいいのではないか、というのが私のさしあたっての処方箋だ。
 
 あなた方は、今をどう生きているのだろうか。

 

 

 

 「吉本隆明『家族のゆくえ』をめぐって」その4(2006.6.12)

 家族がバラバラになり解体していくというのは、日本の国の選択であった。生活水準の向上と個人重視の考え方が、急速にそのことを推し進めてきた。私たちの世代は、そのことをよく実感してきた世代といっていいのではないだろうか。

 仕事をふくめ、日々の生活に従事する傍ら、視野の端のほうでたしかに家族の解体や崩壊が進んでいるのを目にとめていた。けれども、それを正面から考えるということはしてこなかった。生活はけっこう綱渡りに似ている。足を踏み外さないよう、意識を集中させなければならないことが多い。

 家族の解体を横目に見て、自らの家族にも不安を覚えながら私たちは暮らしてきたのであるが、そして自分たちの家族にもその解体の兆しは浸潤してきていることに恐れおののくこともないではなかったが、ともかく現実的な崩壊がないようにと努める以外になかった。それぞれの家族は、たぶん手探りで、解体や崩壊から免れうるという確証は何らもたなかったにちがいない。何とか保っていられたとすれば、運がよかったというほかないのだろうと私は思う。

 この事に関して、私はマイナスとばかり考えているわけではない。代償は大きかったというべきかもしれないが、その代わりに大多数の個人は知的に上昇したと思う。考えるようになり、自分なりにものを見、意見を持つことができるようになった。このことだけは、歴史の無意識の産物として評価すべきだとおもっている。

 大衆の知的な上昇と家族の解体現象とは、表裏一体の関係にある。私はそう思っている。そして次の段階として、この壊れた家族をどう立て直すかの時期にさしかかっているというのが私の現在の認識だ。もちろん、この家族の解体はもっと極限までいきつかなければならないものなのかもしれない。しかし、理論的には、解体した『家族のゆくえ』を考察する時期になったということも出来る。そして、どうやら私たち人類の未来というものを想定するときに、どういう形態にせよ、家族というものは残っていくものだという気がすることだ。

 私には、現在強固な枠組みと考えられている国家というものが、思うほどに強固なものではないという「思いこみ」がある。いまある国家がなくなっても、家族は残るだろうと、そう漠然と考えている。先の大戦を振り返るまでもなく、歴史は国家の吸収と独立の連続といってもいいからだ。それに比して、たとえ国が他国に占領され吸収されても、家族という形態は変わらずに生き残りつづけてきた。最小で最後の共同体。いずれ私たちはこのことの意味を問わずに済ますことはできないのだとおもえる。

 

 インターネットで、『家族のゆくえ』に対しての一般読者の批評記事を目にしたので、次にその内容だけを紹介しておく。

 

@家族やこども、教育などについて、理論的な構想(理想や本質)と実感との両方に橋をかけてくれた吉本隆明の最大の著だと思う。これまでの持続的な思考をまた大きく食い破って別次元での展開がなされている。

 発達心理学でいう成長の段階論に移行期をはさんで考えることの必要性、老年期を正面から追求していく姿勢が日本で未成熟なこと、家族と社会階級発生の関係、同性愛についての比重の置き方、などなどへの言及が印象に残る。漱石や鴎外への言及はいくつもなされてきたが、同性愛の要素を加味しないと解けないとここまで踏み込んだ論者は橋本治以外にいなかった。家族の解体と社会階層の固定化という欧米の道を進みつつあるが、まだ別の道があると説いていることに少しほっとする。
 最後に「歴史の傍流」を見いだしていくしかない、という言い方に、知識人たちが日本を歴史の本流にしたがっている現状と大きく食い違っていておもしろい。
 
 
A●この人が、オレのオヤジだったとしたら....
 オレが間違って人を殺しちまったら、当たり前だけど警察が追いかけてくるし、被害者の家族に罵しられる。それに、そのへんの人から村八分にされる。
 でも、オヤジはきっと迎えにくる。オレの間違いを叱りつけ、オレを殴り飛ばすためにな。
 オレが学校で<悪いこと>をしてPTAにウケのいい先生にこっぴどく叱られたら。オヤジはきっとガハハと笑うだろう。それで「誰か友だちに迷惑をかけたか?」って聞かれる。友だちと仲のいいオレだったら、それで終わり。もうオヤジは何も言わないと思う。
 オヤジは本を読みながら猫にエサをやってる時がいちばん幸せらしい。
 
●この世をコワすものは何か....
 男女同権法が夫婦をコワし、介護法が親子をコワし、金融法が経済をコワす....端的にいって著者はそう指摘し続けてきた。そして本書では先生が学校をコワし、母親が子をコワすことが鋭く指摘されている。もちろん理論的にであり、例証とともにであり、その理論こそが<対幻想論>だ。左翼学生運動をはじめとして<共同幻想>という用語は多くの人に使われた(正誤は問わず)が、それに比べて対幻想論は引用され使用されたケースが圧倒的に少ない。そもそも理解されていたとは言い難い概念だった。その対幻想論が本書のテーマなのだ。
 本書では具体的に家族という対幻想の集合態が解き明かされていく。私見だが対幻想は共同幻想と個人幻想の起点であり、ちょうどシーソーの支点のように認識(幻想)の遠隔対称性の根拠を形成している。補注として収録(『共同幻想論』から転載)された「対幻想論」の文末の2行はだけで『親族の基本構造』一冊に相当するのは熱心な読者には理解できることだろう。
 
 
Bこれまで吉本さんが書いてきた家族論というか対幻想に関する文章の焼き直し感はいなめないが、真偽がハッキリしないものをそこまで書いたらヤバいんじゃない」というようなことも、軽々と飛び越えているような感じは受ける。例えば、フェミニストたちは勘違いしているようだが「徳川時代以前のほうが女性優位だった面があり」「少なくとも、むかし母権制だったことがはっきりしているのは日本だけだとおもえる。これは一種日本に固有の特殊性と見ていいようだ」(p.139-)みたいなところ。
 
 あとは、少年少女期は遊ぶことが生活の全てである障害唯一の時期で、この理想が実現できなかったら、おどおどした成人ができあがる、みたいなところも新しいか(p.59)。埴谷雄高さんについての言及も久しぶり。「クモの巣のかかったような部屋に引きこもっていたって革命家は革命家なんだと、明言した。そこまで言い切った人はいない。世界中にひとりもいないといってよかった。社会主義政権をとっているところはたいてい後進国だ。『やる』ことが重要だと教えられている。埴谷さんは、クモの巣のかかった部屋でゴロゴロしていたって永久革命なんだと言い切った、考えることが大事なんだと断言したるそんなことをいったのは埴谷さんが世界で最初だとおもう」(p.50)あたりも、もう、晩年のケンカは忘れようということなのか。
 
 イエイツの「わたしはかつてないほどよく考え、計画をたてることができるのだが、計画し考えたことを実行するこがもはやできないのだ」と引用しているところは悲痛(p.164)。
 
 
C本の帯に「渾身の書き下ろし」とあるように、久々の書き下ろしです。
それを証明するように表紙の裏に手書き原稿の写しが掲載されています。
本文は、書き言葉と口述の中間の文体となっていると思います。
著者独特の晦渋な詩的表現がないぶん読みやすいと言えます。
ただし、最終第5章【老年期】では、実体験に基づき通説の誤解を批判して、力強い文体となっています。
内容は、対幻想論の現在への展開です。
原理論的な変更、新しい見解と思われることが2つありました。
1つは、「同性愛において家族は生じない。親子が血縁化できないからだ。」(109頁)
フーコーは、同性愛は家族という中間項をもたないから、
「個人と社会が直接つながるかたちがありえうるかどうか、それが同性愛者の問題だという意味のことを答えている。」(120頁)
もう1つは、社会集団を作ると言うことに関して地域によって異なっていることに着目して、
「本来は個人ないしは夫婦だけでいたいとおもっていたのに、
社会的必要から集団ができ国家ができたとと考えられているが、
じつはそうではないのかもしれない。」(154頁)
これらのことは、共同幻想論の原理的修正と言えるのではないでしょうか。
また、唐突にですが、郵政民営化について語られている箇所は愉快でした。(147頁)
巻末に『共同幻想論』改訂新版より転載として『対幻想論』が抜粋されていて、新鮮な気持ちで読みました。
 
 以上が、偶然目にしたもののすべてで、引用に関して特別の意図はない。これだけでもこの著書の概要がつかめるかもしれないと思ったまでのことだ。また、これらを読んで、私以上の知識を持って、この書を深く理解している人もいるのだなと、一般読者の広くまた深い層といったものにも思いを巡らすことができた。

 断りなく引用させていただいたが、不都合があれば指摘していただきたい。

 

 この書『家族のゆくえ』第五章、【老年期】―「老いとは何か」の考察がまだ残っている。吉本がいうように、学問的にもこの時期の考察はおざなりにしか為されていないし、私たちの関心もまた薄いというべきである。老人に思いやりやいたわりの心をという割には、あるいはまた親孝行などと聞こえのいいことはいいながら、内実は、気にもとめていなかったのかもしれないと思い知った。「敬老はいい、ただ理解を」という老人の思いにはせた言葉は、耳に痛い。この章は、もう一度よく読んで、それから何事か言及してみたいと思っている。

 

 

 「吉本隆明『家族のゆくえ』をめぐって」その3(2006.6.9)

 第四章では「変容する男女関係」として【成人期】について論じ、第五章では「老いとは何か」として【老年期】が論じられている。

 三章までは教育との関連もあり、その角度から眺めてみる事も出来た。四章以降はその角度からそれて、私自身のメスの入れ方にも迷いが生じてしまう。とりあえずは、最も関心の抵触する部分を取り上げておこうと思う。

 

 思春期の後半から成人期の前半にかけて、中間の移行期をふくめて最初に公開されるほかないほどの規模であらわれたのは家庭内暴力(ドメスティック・ヴァイオレンス)という社会現象ではなかったかとおもわれる。この場合の「移行期」のあらわれ方は、最も地域と種族の固有性に包まれていて、はっきりと固有さを把握するのはむずかしい。純粋に社会総体的といえることに帰せられるのは、家族の大部分が飢餓を脱出した先進地域の問題で、たぶん親と子のあいだに起った。特に日本国では母と男児のあいだに起ったとおもえる。男児の側では乳幼児期に母親から不充分にしかかまってもらえなかった欠如感が潜在し、母親の側からは、経済生活上、充分な子育てが出来なかったという罪責感に喰い込まれ、男児の内向的な無気力感が体力の弱い母親や代理の姉妹に向かうことになる。そして体面にこだわりの多い日本社会では抑えられて家庭外に開かれていかない。

 この問題が一般社会に拡大した社会の病像とおもえるまでになったのは、父親が男児の家庭内の暴力に耐えかねて男児の就寝中に金属バットで殴り殺して刑事裁判になり、父親のかなり納得のゆく内心の告白供述が公開されたときだったと覚えている。

 これが現在の日本社会が、犯罪でもまた先進の欧米社会なみになった象徴だった。以後、まるでつるべ落しのように家族犯罪は進化する。それとともに男児の家族犯罪において凶悪化が病気であるのか(弱分裂病)正常であるのかの境界が消失して、統合失調の総体が読み取れるようになった。

 シュンペーター的な言い分を延長すると、現在の欧米社会の先進性をもっともよくあらわしているのは階層の固定化だといえよう。わかりやすい言い方をすれば、雑用係の子供はやはり雑用係にしかなら(れ)ない。小学教員の子は小学教員にしかなら(れ)ないというようなことだ。階層という言葉はもちろん社会階級といっても同じことだ。そして日本も兆候としてこの階層の固定化がはじまりつつある。政治家の子は親の地盤をゆずられて政治家になる(なりたがる)、また俳優の子は俳優に、芸術家の子は芸術家に、というぐあいだ。家族の親が子にそう仕向けることもあるだろうが、それは問題にならないほどの理由にしかならない。高度化社会の無意識といってもいいものだ。

 これは唯一社会要因(日本の現在の場合、経済的不況・不安定が加わっている)として、家族犯罪の凶悪化を加速し、多様化させている。もっといえば、家庭内暴力のような初期高度社会の問題をはるかに超えてしまっている。親が自分の愛情(性愛)生活の荷物だと考えて幼児を餓死させたり、殴り殺したりする。少年少女が同級生を刺し殺したり、少年や前思春期の男子が、集団強姦に走り、逆に女子高生が金銭で性行為に走ったりといった事件の報道やテレビ映像が日常的になっている。

 これらの思春期までの子とその親や兄弟姉妹のあいだに起っている事態は、欧米社会ではそれなりの対応の専門家によって裏づけられて存在するのに、日本ではその専門的な対応の準備も整わないままに野放し状態に近いありさまになっているとおもえる。

 思春期から成人期への移行のむずかしさは、別の言葉でいえば、家族としては子から親への転換のむずかしさだといえる。もっとつきつめていえば、出生した子供の成育が、否応なしに中心課題としてあらわれる。特に母親に変貌した女性にとっては専業に近いところから、かつて自分が経験したものを母性として少なくとも前思春期までは背負わねばならない。

 これはたとえ専業主婦だとしても耐えられないほどの負担にちがいない。かつては母親の母親などが分担して援助することがあった。現在の核家族ではままならない。専門の育児や教育の施設に委ねたとすれば、その分だけ子供がどう育つかは、母親の予断を許さないことになる。親として子供にかかわるだけではない。家族の根幹として継続する夫婦の関係も変わらずに持続しなければならず、そのうえ夫の側の親、小姑とのかかわりも新たに加わってくる。これは男性の側にくらべてはるかにむずかしく複雑なものとなる。

 この成人期の関係は親子関係と夫婦の関係を軸に、成人期の家族の主な課題を生み出し、病的な場合の犯罪は現在ではほとんど極限の配慮を要求されるものになっている。かつて思春期から成人期に移行する時期に、階層や階級が固定化されてどうすることもできない挫折感におちいったら、屋台の車を曳くとか、タバコ屋の店番に雇ってもらうとか、冗談半分、まじめ半分に仲間たちと気炎を上げていたことがあった。欧米にくらべて、まだ牧歌はあるとおもっていたからだ。だが、日本社会もすでに犯罪や欠如意識まで先進社会の後を追うようになってしまった。

 階層や階級の動かしようもなく見える状態も、家族の崩壊につながる家族内犯罪の凶悪化も、米欧先進社会の状態を後追いしている状態も、すでに露出しはじめている。これは希望でもあり絶望でもある必然と考えてよい。わたしがじぶんの貧弱な思弁と体験的な実感と、現在まで持続してきた思想的な営為とをあげて率直にいえることは、人間力(人間が理想の可能性を追求する力)と「想像力」を個々人がもつことだと考え、そう述べてきた。米欧なみのこの負の先進性を極限まで後追いすることを回避するためには、この負の先進性を自己慰安的な意味で自意識化するほかにないからだ。社会や政治権力の文化史と文明史に基づく先進性が必然だとするなら、自己意識の底まで届く内省のほかにないとおもえる。いいかえれば、自意識的に自分たちの構想力を付け加えるべき時に至っているとおもえる。「構想力」「理想力」、あるいは勝手な言葉を使えば「人間力」、それを持って歴史の傍流をつくり出すほかない。わたしにはいまそういう思いが蔽いがたくやってくる。

 

 引用した部分の中でも最後の部分は特に分かりにくいかもしれない。ここではあえて解説しないでおきたいと思う。その力のないことももちろんだが、わたし自身もふくめて、これをどう読むかはそれぞれの責任において努力することが大事だと思うからだ。

 わたしはこれを、考えることをやめないことだ、と受け取っている。

 現実の社会は、こういうことについての考えるという行為の持続を許さないようにできている。いつしか考えることの専門家に任せて、背を向け、去っていくことが普通だとおもえる。わたしの友人、知人たちの多くもそうであった。離れて悪いなどということは、わたしは爪の先ほども思わない。ただ、針の穴ほどの極微の可能性は、やはり持続し、構想し、吉本が人間力とよぶそういう力を蝋燭の炎のように絶やさずに、個々の人間に伝搬し広がりと深まりをもたらす以外にないのではないかと思っている。

 

 家族の経営も健全化も、もし本気で腰を入れれば、政治や社会の国家的経営と同じように「男子一生の事業」を要求する。それを忘れて、家族問題を見くびるわけにはいかないのだ。事の大小も、重要さも変わらない。何に身を入れるかは、重要さの問題ではなく、選択の問題にすぎない。

 

 これもまた傾聴するに値する言葉だ。現在、家族の内と外との関係において、よき関係を築く事ができていたら、それだけで大変立派なことであると思う。夫婦、親子、親族、近隣と、どの関係のおいても一触即発の問題は地雷のようにあちこちに転がっているのが当たり前だと思う。我慢をしたり、知らない振りをしたり、やり過ごしたりして、何とか乗り切っているというのが、一般家庭のあり方ではないのか。一瞬後には、本当はどうなるか分からない、そういう危うさはどの家族にもつきまとっているにちがいない。決定的な亀裂をもたらさない、そこに、世の親たち、夫もしくは妻たちの手腕がある。そういっても過言ではあるまい。

 

 いまは、家族関係は持ちたくないけれども性愛だけは重要視するといった矛盾が事件になってあらわれている。げんに、夫婦で子供を虐待して殺す事件も起ったりしている。それはやはり夫婦関係のおける「性愛」と親子関係における「家族愛」が矛盾をきたしている現象だといえよう。それが現在の犯罪の問題にもつながっている。

 

 とにかく家族問題には次元のちがう三つの事柄がからまりあっている。

 国家とか政治とか法律といった問題(共同幻想)、それから社会生活における家族それ自体の問題(対幻想)、そして家族の中の個人の問題(自己幻想)、これが全部からまりあっているのが家族問題の大きな特徴だ。これだけは解決の見通しがなかなか立たない。家族問題に比べれば政治問題や社会経済問題あるいは社会生活問題なんて、それ自体はもっとずっと単純ではないかといえなくもない。

 

 あまりあてにならないわたし自身の体験を振り返ってみても、例えば、わたしは両親の職業である教員にはなりたくなくて、学生時代に教員の資格に要する単位を取得しなかった。子供に教えるといった自信もなく、そういう柄でもないとおもっていたからだ。もう一ついうと、子供であるときに、わたしは大人が想定する子供の範囲に存在する子供ではなかったという実感をもっていた。もっというと、わたしが巡り合った大人たち、先生たちは、わたし(ついでに他の子供)のことを分からない存在だと考えていた。本当に、何一つ分かっちゃいないと、そう、考えていた。

 たぶんそこにはあまりにも強く、分かってもらいたいという希求にも近い願いが働いていたのかもしれない。

 わたしはそうしたわたし自身を見つめながら、大人になり先生になって自分のような思いを持つ子供に対したときに、きちんと一人ひとりの思いに対しながらその思いの一つ一つに答えられるかどうか自信がなかった。それだけの力量は、自分にはないと思った。そうであるならば、先生などにはならないほうがいいというのが当時のわたしの結論だった。

 性愛についても、わたしは個人の自由な結びつきのほかに何も考えてはいなかった。結婚とは、家族を持つことに繋がり、その維持や運営面にある尻込みのようなものを感じていた。相手の異性に、いつまで愛情を持ちつづけられるのか、自分の心に問うて自信がなかった。心は変わるというのが、それまでの自身を見つめての実感だったからだ。まして、自分の子供、ということでは、わたしは親になる自信はまるでなかった。こんな世界に生まれてくる子供は可哀想だと、漠然と思っていたし、わたしのようなものを親にもったらなおさら不幸になるにちがいないと確信していた。

 と、まあ、私たちの世代というものは、すでにこんなことを考えている世代であったことをちょっと言っておきたいと思った。

 現在のはっきりと露出した教育問題や家族問題の、萌芽を予感していた世代だと言ってもよいかもしれない。

 こうして生きるほかはないという箍が弛んで、自由で、ということは一人ひとりが自問自答しながら道を切り開くほかないのだが、私たちの世代は自分に対する自分というところでもがくことを強いられた世代といってもいいかもしれない。

 結婚し、子供を育てるということは大事業であることには間違いない。だれしも、一時でもそこから逃げ出したいと思う瞬間をもたなかったものはなかろうと思う。

 男性が舞台裏に引っ込み、表舞台に女性が登場してきて、自分とは何か、人生とは何かと試行錯誤し、身もだえしはじめていると感じとったとき、わたしはある程度社会の混乱、あるいはもっといえば社会の産みの苦しみのような事態が生じるような気がしていた。かすかに、これは希望でもあるかのように感じたものだ。

 はっきり言えることは、結婚をし、苦悩する主婦が増えたことだ。その苦悩が浸透し、やがて融解していく、そういう場が主婦の周辺から消失していたことと、主婦自体に女と母、女と妻、とが分裂しながら内在しているようにうかがわれた。とてもきついところに女性は登りはじめたのだなという気がしていた。

 

 私たちの社会が、欧米先進国の生活スタイル、あるいは個人主義のスタイルを真似、後追いをするようにして今日に至ったことは間違いのないことのようにおもえる。その結果、今日のような事態に至ったのであるが、これに関して吉本は次のような感慨を洩らしている。

 

 わたしは思春期までに、西欧の文化とか学問にあこがれていた時期がある。もしかすると青春期から成人期にかけてもそうだったかもしれないとおもう。その頃は、西欧は文化の模範だとおもっていた。ところがある時期から、自身は後進国の人間何じゃないか、そうおもったほうが実状に合っているのではないかとおもうようになった。

 それを期に「非・西欧的なるもの」に関心をもつようになった。

 イエスとか釈迦とか孔子、そういった聖人君子がいっていいることはいまでも凄いなとおもうが、そのあとの時代は精神性が下がる一方なのではないか。たしかに細かいことをいうようにはなったけれど、いっていることはくだらないことばかりだ。そうおもえるようになった。

 すると、後進地域のほうが家族問題や個人の親愛の問題、さらには食べるための生活もうまくやっていたのではないかとおもえてきた。いまから見るとたしかに、なにか幼稚なことをやっているように見えるが、当時の人は精一杯そうやっていたわけで、実は彼らのほうが幸福だったのではないか。時代を経るに従ってどんどん複雑な要素がからんできて、悪くなってきたのではないか。

 日本人はつねに先進国に統合していこうと考えてきたわけだが、どうもそれは間違いだったんじゃないかとおもうようになった。

 アフリカ―それも西欧の影響があまり及んでいないアフリカ南部、あるいは南北アメリカでいえばアマゾン川流域、そういうところの未開の人たちのほうがかえって親和的な暮らしをしているのではないか。家族問題でいっても、ほとんど文句なしというくらいの調和を保ってやっているのではないか。

 これは将来を見ないとわからないが、もし西欧の文化文明を日本がまだ到達していない将来だとすれば「ああ、これがいい」とはいえない。家族問題、男女の問題でいえば、「西欧がいいぞ」とはとてもいえない。

 

 西欧の家族や男女の関係の実態がどういうものであるかはわたしには定かにはわからないが、言わんとするところはよく分かるような気がする。

 私たちはしかし、家族問題、男女の問題に関して、すでに故郷喪失者のように、寄って立つ場所を失っている。故郷自体が完全に破壊されているといってもいい。糸の切れたたこのように、勝手にあちらこちらと彷徨っているというのが現在のあり方だというような気がする。戻れるところもなく、行き先がどこだという当てもない。一つの家族を形成する主体の一人であるとして、わたしはそう実感している。そして極端かもしれないが、現状は家族の数だけ試行錯誤が行われている、それが日本の家族の実際ではないかと思っている。

 大事なところではあるが、いま、わたしはこれ上進んで考えることができない。しばしまた休憩、ということにする。

 

 

 「吉本隆明『家族のゆくえ』をめぐって」その2(2006.5.29)

 第三章は、「前思春期」と「思春期」を考察している。この時期は、何といっても「性」が中心の問題になる。吉本のいうところでは、「前思春期」は、何となく性の情操が入ってくる時期で、「思春期」はその性的関心が旺盛になってくる時期ということになる。

 

 前思春期から思春期への移行は、展開さえ適切ならば問題は起こりようがない。

 (中略)

 前思春期と思春期の中間のところで考えるべき問題は何か。それは性的な問題だとおもう。前思春期は思春期ほど性的関心が本格的では無い。しかし性的関心がないことではない。そういう時期から性的関心が旺盛になってくる思春期に移る。

 その代表的なケースが折口信夫について触れたような「年上の女性」との出会いだ。近縁の人、親や姉妹に類似している要素があると同時に、そうでなく異性として惹かれる引力もある。しかも性的にも円熟していて経験もある人から、からかい半分に性的にかまわれると、それは相当に大きな影響をもたらす。その問題は前思春期と思春期の中間にあってよく考えるべきことに属する。注目しておいたほうがいいとおもえる。

 

 ここで言われていることは、同性愛的傾向もふくめた、性的なつまずきのことだ。

「前思春期」の問題としては、「不登校」も取り上げられている。

「不登校」は時代的なものとして、現在、あって当たり前の現象とおもえる。吉本ははっきりと、これを親の責任と見なしている。それ以外に責任を帰すべき場所はない。乳幼児期とそれに続く少年少女期の育て方がよくなかった証である。

 大事なことは、これをあまり倫理的に受け止めてはならないと言うことだ。「不登校」はあって当たり前、そしてその原因は親の育て方にある。そして親の育て方が悪いのは、ある時代的な必然が荷担している。とはいえ、親の責任は免れないし、それ以外に子供に責任を持つべき何ものもないことも自明なのだ。親はひたすら反省する他はない。ということは、自分たちの責任だという覚悟を持つということであり、育て方が悪かったと受け止めて、何がどう悪かったのかを考えつづけることが必要なのだと思う。過剰に受け止めてはいけない。かといって、自分たちのせいではないと逃げるのもよくない。

 絶対のよい方法など何処にもない。絶対の悪い方法もまた何処にもない。取り巻く周囲の状況、それぞれの事情がある中で、どの家族もが脱出法を実験的に試みている段階にある。そういうふうに進む以外に、誰も何も進めることはできない。

 人間には吉本がいうように、三つの側面がある。いわゆる個人として、家族の一員として、また社会の一員としてというように、個人は存在する。どこに重きを置くかは、それぞれに意識的無意識的に重み付をして生活しているというのが実際であるとおもう。

 「不登校」などでは、親にとってはぎりぎりのところで「家族」をどうするのかが個々に試されているのだと思う。社会人としての自身を優先するのか、家庭人としての自身を優先するのか、あるいはまた個人であるところの自身を優先するのかということである。逆に言えば、「不登校」は親に、家族としての子供をとるか、自分をとるかという窮極の選択を突きつける。言い方を変えれば、親は本気の愛情を試されるのだ。

 いずれにしても、本格的な「不登校」は、親にも子にも「一」からのやり直しを強いることは免れないように思われる。子供は、どういう形でであれ、「素の社会」に出て行かなければならないときがくる。必ずそういう苦労に直面する。

 大切なことは倫理に結びつけないことだ。もう一つはNPO的な団体、組織、あるいは営利・非営利の機関に丸投げをしないことだ。いずれにしても親の責任という自覚の元に、何度でも再出発の覚悟を持っていればいいのではないかと思う。よその家族がうまくいっているように見えるのは、隠したり我慢をしていることを、うわべだけはうまく取り繕うことができているだけだとおもえる。そう思った方が無難な気がする。

 

 この章の最後は「性教育」の問題に言及しているが、吉本はこんなふうに締めくくっている。

 

 ではどうすればいいのか。

 放置することだとおもう。個々の人によって環境もちがうし家族も考え方も違うだろうが、少なくとも幼児期および少年少女期の全般まではできるかぎり自由にすることだとおもう。これをもっと引き延ばしていえば、大学を卒業するまでは学問技術は教えても、あとのことはいっさい教えないこと。道徳、善悪、正邪に関することは教えない。何も教えないで育てていくのがいいとおもえる。特にいけないことは善悪に関与することを教えることだ。

 自分の子供たちに対して、それにほぼ近いことしかしてこなかった。(吉本自身が子供に対してはそういう事柄を教えることはしてこなかったことをさす−註:佐藤)善悪、正邪に関することは教えるのがむずかしい。性教育も同じだ。そして自由に任せてきた。一般社会から見ると、欠陥も出てきたかもしれない。欠陥はないほうがいいかどうか、わたしにはわからないが、欠陥が出てきたら最終的には親の責任だと思い定めてきた。そう考えてきた。

 乳幼児期、もっといえば体内七〜八か月で人間らしくなったとき、その親なりに愛情を籠めて子どもに顔を向け、本気で育てたら、その子が長じてから強姦することなどありえない。

 

 ここには、子供が長じてから強姦や近似の凶悪な性犯罪に手を染めなければ良しとする、そういう考え方があるとおもう。逆に言うと一歩手前のヤケドや、やんちゃはあり得てもいいということになる。他の道徳、善悪、正邪についても同様だ。

 人間はその程度のことは誰でもするものだ。聖人君子面してもはじまらない。

「一般社会から見ると、欠陥も出てきたかもしれない。欠陥はないほうがいいかどうか、わたしにはわからないが、」という件も、相当深い言葉だという気がする。

 吉本が、「欠陥はないほうがいいかどうか、わたしにはわからない」というとき、親鸞の「善悪もつて存知せざるなり」という言葉を思い浮かべる。どちらも、目先の小さな視野の中での「善悪」や「欠陥」の受け取り方を拒否している。もっといえば、そういうとらえ方は相対的なもので、たいした意味はないよということをいっている。

 いずれにせよ、欠陥が出てきたら最終的には親の責任だと、そう腹を括ることが必要だと吉本はいっている。そしてそれで必要十分なのだと。

 

 この後、第四章では、成人期を「変容する男女関係」という視点から考察し、第五章では老年期を「老いとは何か」と題して考察している。いずれも深い内容と示唆に満ちた考察が展開されているが、ここで継続して論じていくことはぼくの力量では困難だ。少しの猶予期間をもらいたい。

 現在、核家族化の進行を出発点とした家族の解体現象は、誰の目にもはっきりと見えるようになっている。この、「家族」のゆくえが、どこに向かうのかは、現在引き起こされる様々な犯罪のゆくえに密接に関連する。

 ここでは、かろうじて教育に抵触する部分での考察を、しかもほんのさわりという形で触れてみたにすぎない。それは自分がかつて教員の職にあったからだ。教育の明と暗のうち、暗の部分をやや拡大してずっと考えてきた。ここでもその流れに沿って考えている。明の部分を考えるのは自分の柄ではないということもある。また子供二人は不登校の経験を持つ。その意味でもぼくは教員失格、父親失格の前科者である。いずれ太宰のように「人間失格」まで持ち出さなければならないのかもしれない。苦しくなってきた。ここで中断させてもらう。

 

 

 「吉本隆明『家族のゆくえ』をめぐって」その1(2006.5.25)

 『家族のゆくえ』の序章において吉本は、一方に青春時代に感銘した太宰治の「家庭の幸福は諸悪のもと」という言葉が、また一方には経済学者シュンペーターの経済的な考察が、過去の優れた「家族観」を著したものとして念頭にあったことを述べている。

 

 青春期に感銘した(太宰治の−佐藤註)「家庭の幸福は諸悪のもと」という家族論(観)は、家族論として一方の極にある優れた極論であり、ジョセフ・シュンペーター(『帝国主義と社会階級』)的な言い方をすれば、親子、夫婦、兄弟姉妹の利害をめぐる争い、いいかえれば社会階層・階級の発生の元であり、法的にいえばあらゆる現在の血縁、交友、精神障害をめぐる凶悪犯罪の基をないしている。

 

 また、

 

 私には「家族」論という領域は「身体の考古学」ともいうべきものを根幹にして、対なる幻想とその振る舞い方と、それが現実社会に及ぼす影響を、現在起こりつつある精神的異常や法的な逸脱をふくめて考察することに帰するとおもえる。

 

と、要するに、現在の社会的な様々に生起しつづける諸問題が、「家族」のあり方や、「家族」の問題を考察することによって見えてくるんだよ、ということだと思う。そして彼の以前からの主張である対幻想とか、三木茂夫さんの「胎児の世界」などの著作からの影響をもとに、それと関連しながら現在の「家族問題」を論じている。

 

 学生のころから吉本隆明の著作を追い続け、今なお私の精神的な支柱でありつづけていることを認めざるを得ない私にとって、『家族のゆくえ』に表された彼の考えは、すでに以前から親しんできたところのものだ。ある意味で、「老いの繰り返し」を聞かされているような気が、しないでもない。それでも、歎異抄における親鸞ではないが、教義的(専門的で難解)な言葉とは異質の、生身の人間が生活の中に得た本当に大事だという実感を、何かの覚悟をともないながら吐露しているような気がして、そのように読まなければならないものだと考えている。

 こういう「言葉」には、文章の言葉としても、人間の一生のうちに一度出会えるか出会えないかだと、私は思う。大変むずかしい事柄を、易しい言葉、易しい語り口で言い切っている。家族問題、社会問題などを論じた幾多の本がある中で、この本に書かれてある内容は質の高さにおいて群を抜いている。とまあ、力んでいっても仕方がない。

 

 第一章「母と子の親和力」では、「身体の考古学」と吉本が呼ぶ内実の一部としての発達心理学による年代区分、「乳幼児期」についての考えが述べられている。

 ここでは胎児および乳幼児における母親および母親代理の心的状態の影響の大きさが指摘されている。いわゆる子どもへの心の刷り込みをいうものだが、ある意味子どもべったりの従来の日本の育児法はうまくいけば大変いい方法であるし、下手をすればその後の子どもの人生に取り返しのつかない影響がもたらされてしまうことも指摘されている。その例として、ここでは夏目漱石、太宰治、三島由紀夫の悲劇的な育ち方が振り返られている。つまり、世の中とどう折り合いをつけていくかという課題を背負って、その後の人生に向かわなければならない。彼らの生涯は、ある意味で苦心惨憺の歴史である。もちろん、無名の人々もまた、見えない苦心惨憺の人生を背負わされていくのかもしれない。そのように、初期の母親と幼児の関係はその後の人生に決定的にちかい影響があるという考えのようだ。

 早期教育、胎児教育は、そういう母と子の関係、胎児や乳幼児の受容的な発達の仕方に目を向けたものだが、吉本には肯定できないものとして考えられている。分かりやすくいえば十三、四歳で大学に入れるくらいの[成果]が見られるかもしれないが、長い生涯を通してみれば、せいぜいそれくらいのところではないかという。

 そんなに急いで成長させて、けれども後年くたびれてしまうならば、あんまり急がせて成長させても意味がない。「生きる」ということについて、本当に大事なことは何かという点での認識の仕方に、勘違いしているのではないかという考えもいわれている。

 逆にお年寄り向けの「生涯教育」の中身などにも、本質的な勘違いがあるのではないかということもいわれている。無理矢理教育施設みたいなものを増やして、人間的理性的に高度な生涯を送れるようにというようなイメージでレールを敷く感じだが、そんなことよりはただで遊べる施設や安くて一流の料理人が作るようなおいしいものを食べさせてくれる公営食堂のようなものができたら、お年寄りにはよっぽどありがたいに違いないという。確かに、同じく税金を使って施設を作るなら、ベクトルが違っているねと私も思う。

 

 吉本の指摘するところを読んでいくと、生まれてから老いたところまでの人の生涯を、時代の〈知の体系〉ともいうべきものが盛んに仕切ろう仕切ろうとしているように見えてくる。そしてそれは、身体を忘れた脳味噌の、勝手な思いこみ、自己満足を満たすためだけのそういう振る舞いに、私たちが引きずられているように思えてくる。

 世の中の流れは、いったい誰が作っているのか。たとえばそれは一介の役人の手を借りて、教育施設を作ったとして、それが本当に役に立つかどうかは一介の個人としての役人には知り得ようもない。ただ役に立つに違いないという思いこみとも言えないような思いこみが、空のように世の中の頭上を覆っている。

 幼児や老人がそれらを求めているのではないことだけは確かである。誰かがそれはよいことだと思い、「善意」から政策は作られ施設が作られる。主導するものはいる。だが、それは見えない無人称で、そのために仮に失敗したとして、その責任を取るものはいない。そういう形で、本当は不毛と消耗が世の中の流れをつくってはいないだろうか。私はいつもそういう不安を思う。

 なんとなく世の中を支配しているようにおもえる考え方。ある考えの流れのようなもの。そこに群がり寄生する存在。問題を問題たらしめているのは、そこの部分に核心があるのであって、パラサイトやニートの比ではない、そう、思う。そうした存在が積み重なって、霞のような雰囲気を形成している。そこに無知が存在するとして、いったい誰が正すことができるか。乳幼児の実感も手放し、老人の心の奥にしまい込んだ声に耳を傾けないものたちの、想像力の枯渇した似非合理主義、安易な観念の時流に乗った姿勢がこの世界を牛耳っている。

 こういうことを、読みながら思わずにはおれなかった。

 

 第二章では、「学童期」が取り上げられているが、吉本はこれを「少年少女期」と言い直したいといっている。この時期は、『「遊び」が生活のすべてである』ということから、「学童」という呼び方が気に入らなかったのだと思う。その意味からすれば、あるいは「遊童期」と呼んでも差し支えなかったかもしれないが、ニュアンスとしてあまりなじまないと考えられたかもしれない。

 はじめに、「乳幼児期」からここでいう「少年少女期」のあいだに、柳田国男は「軒遊び」という中間の時期を設定していることが紹介されている。これははじめて知ったことで、私は読んでなるほどと思うところがあった。簡単に言えば発達度に従って、家の中の遊びから次第に外に出て行く成長過程が考えられるとして、完全な外遊びが成立する前の、家の庭や軒端で遊ぶ時期である。これは段階的に考えても妥当な見方だと思った。また、思いの外重要な、そして微妙な時期かもしれないと感じた。というか、この時期の大切さが、今はともすると顧みられていない、子どもを見る視点として欠けている要素かもしれないと反省した。

 親子の関係でいえば、互いの存在が見えたり見えなかったりする、そういう微妙な関係の時期かもしれない。ここから完全な外遊びとなると、互いに視野にその存在は消えてしまうことになる。子どもは少しずつその視野から親の姿が無くなっても平気になっていく、そういう過程にあるといえる。となれば、自然な振る舞いに任すほかないが、重要な時期には違いないと思える。

 

 さて、これにつづく少年少女期は、「生活がすべて遊びだ」を実現すべき時期だと吉本はいう。遊び以外の、もちろん勉強などは全部余計だと極論している。

 私は二十年あまりの小学校教員の職にあって、こう言い切りたいと思いながら、言い切れなかったという思いが残っている。学校という「現実」があって、とてもここまで徹底して考え詰めることができなかった。子供たちの卒業の先には中学があり、高校がある。私は遊びが大事だと思いながら、子供たちには勉強も強制した。私は矛盾に引き裂かれ、その痛苦を子供たちに伝搬させてしまったと思う。たぶん無意識の中に、私自身の苦しみを味わわせてしまったに違いない。そういう責任を私はいつか取らなければならないと感じていた。私が教職を辞した背景には、そういう思いも含まれている。もちろん、それでチャラにできるはずもない。私はただ生涯その重荷を背負うだけだ。そう覚悟してみせることしか私にはできない。私はこういう生き方しかできないのだ。

 吉本は言う。

 

 少年少女期の定義は何かといったら―「遊ぶこと」がすなわち「生活のすべて」である生涯唯一の時期だ。「生活がすべて遊びだ」が実現できたら、理想の典型だといえよう。遊び以外のことは全部余計なことだ。この理想が実現できなければ、おどおどした成人ができあがる。もちろん、わたしもそうだ。これは忘れてはならないことにおもえる。

「遊び」が「生活全体」である、というのが本質だから、できれば遊び以外のことはやらせないほうがいい。どんな大金持ちの息子であろうと、どんな貧しい家庭の子どもであろうと、生活全体が遊びの時期であるという意味では隔たりがない。みな同じだ。後白河法皇の『梁塵秘抄』ではないが、「遊びをせむとや生まれけむ、戯ぶれせむとや生まれけむ」は、思春期や成人期では遅すぎる。ただのつまらない引き延ばしになってしまう。

 

そして、学校制度がある以上多少勉強を背負うにしても、それは本を読むのも遊び、勉強も遊びという、遊びを本質にしたものであるべきだと言っている。

 

 結局のところ、現在まで学校は「つまらない秀才作り」に汲々としているといってよいのではなかろうか。経験的にもそう思う。大都会の学校から、地方の田舎の学校まで、そうだ。私自身の経験から言えば、ふだん校長や教頭のいない分校勤めの時に、はじめて「先生はこうでなければならない」という思いから解き放されて勤務することができたように思う。ということは、こういう子どもに育てたい、こういう大人になってもらいたい、そういった小さな範囲で人間を捉えないことが出来たということだ。

 もうすこし説明すると、僻地といわれた分校の地域住民たちは、誤解を恐れずに言うと「ウルルン滞在記」等にみられるような文化的には遅れて見えるような人たちが多く、しかし当然少なからず誇りを持って生活している。文字の読み書きや理路整然とした話し方といった点では、子供たち以下かもしれないという大人たちもいた。それでいて一対一で接すると、一瞬でその人の心の針の小刻みな動きが、気配りの細やかさが、そして何よりも伴って生起する情愛の濃密さが、とても優れて人間的だと感じられた。正直言うと、それを知るためにはある程度の期間を必要としたかもしれない。ただ私は、近代的理性とは異次元の、勉強ができるとかできないとかには関係ない、矛盾する言い方だが、人間の中に人間性の崇高さを感じとることができたように思う。それは、自然の中に神を感じる感じ方にちかいかもしれない。一本の樫の木を見上げ、その自然の妙に打たれるように、私は言葉にはできないけれども人々に親近を感じ、また敬いを伴った畏怖を感じた。

 子供たちもまた、都会の子供たちに較べて、とても読み書き計算が身に付かない子供たちだった。口も手も達者ではなく、日常の挙措もとてもきびきびしているとは言い難かった。私は子供たちのすばらしさを思ったが、それをどう表現し、どう伝えるべきか分からなかった。子供たちは何かに努力して素晴らしくなったのではない。ただ、教育とか勉強とかではない、自然や地域性に育まれてそのすばらしさを手に入れたに過ぎないのだ。同時にそのすばらしさは何かに役立つすばらしさとは違う。悪くいえば役に立たないすばらしさかもしれない。

 本校の親たちや子供たちは、そうした分校の大人たちや子供たちを見くびる傾向にあるように思った。これが教育の成果、多少なりとも教育的にましになっていくことの、成果(?)かと思うと実に暗澹とする。なんのことはない。何が大事なことなのかということに盲目になっていくだけのことではないか。そう思うこともあった。

 学校や教育によって「つまらない秀才」が育成されたとして、彼らがどのような隣人に成長するか想像してみると、私の言いたいことが少し伝わるかもしれない。それで世の中がうまくいき、ましになってきているだろうか。そういうことが言いたい。つまらぬ軍備拡張を扇動したり、汚職や横領に手を染めたり、その他世間を騒がす連中にはこの手のかつての「秀才」たちが数多くいるのではないか。または官僚や組織の中枢として、いくつもの勘違いの対策や提案を出してはその責任逃れに終始してきた。何よりもそういう連中の言うところ考えるところに従って世の中が動かされ、人々が動かされている現実が腹立たしく感じられる。そういう「秀才」を育成し、増やしていくことがそれほど大事なことだろうか。その点で、私は世間一般の考え方と反転している。

 分校の子供たちを前に、私は何も教育的なお仕着せを理念的にも生活具体的にも施さないほうが、余程教育的によいのではないかとさえ感じた。教育は邪魔だ。少なくとも文科省の主導する教育は、子どもの中の人間らしさの発露を疎外する方向に機能するばかりだと思った。教育しない方が、大人になって「たちの悪い」悪をなさない。

 子どもにはどの子にも長所と短所のように、善と悪とも混在する。教育による強制的で急激なな善の注入は、放っておけば個人において適度にバランスを保つところを人為的な介在によってそのバランスを崩してしまう。それが後々、拒否反応に結びつく。学習の面にもそういうことはいえそうに思う。

 現実には、そういう子供たちが、中学、高校、そして社会人へと成長していく過程でどうなっていくかは分かり切っている。たっぷりとした情感、親和性が失われていき、やがてとげとげした「そつ」のない精神構造を強いられていく。

 

 芸術といえばミケランジェロといいダビンチといい、文化面した連中は彼らの作品をもてはやし、取り澄ました面持ちで眺めてみるに違いないが、ミケランジェロもダビンチも窮極のお手本としたのは自然の観察にあるのであろう。都会人は陳列された作品ばかりを眺めていて、作品の根拠となった自然を忘れている。あるいは自然の中から芸術を読み取り感動する力を失っている。あるのは見せかけだけの、おあつらえ向きの感動の姿ばかりだ。だからきれいか荘厳か壮大かの景色ばかり単純に追いかけるようになる。画一的になってしまうのだ。本当はそんなものではない。だが、「教育」もまたはじめから視野が狭く、画一的で合理的な体系のもとに子どもの成長を促進しようとしているに過ぎない。それは養老孟司さん的にいえば脳にとって都合のよい考え方だからだ。

 

 かつての田舎の人々は日常の仕事に伴って自然に接し、折々に芸術を自然の中に読み解き聞き取り感じとっていたかもしれない。ただそれは深く心の内臓に蔵し、他に伝える技術も方法も持たなかった。ただ地域では以心伝心に共有できるものであったには違いない。そういう我々にとって大切なものを、歴史は無価値と見なし、振り返ることをしないできた。残ったのは何か。金がなければ生きる甲斐がないという、そんな惨憺たる人生というものへの無力感ではないか。麻薬が切れたように金を追い求めて、何がニコチン中毒か。「金銭」中毒の世の中を、誰も疑ってかかろうともしないし警鐘も鳴らさない。

 

 自分の教職経験を思い出すところから話がだいぶそれてきてしまった。

 吉本は、この少年少女期に、親も学校の先生も子どもを遊ばせたり、一緒に遊んでやることが大切であるということを繰り返し繰り返し言っている。

 

 小学校の先生は勉強なんか教えなくて、子供たちといっしょになって遊んでいればいい。一番いい教育は休み時間にいっしょに遊んで、喧嘩の仕方を教えたりキャッチボールのやり方を生徒に教えてやることだ。

 

 小学校の先生が親代わりであり得る場面でも同じことがいえよう。休み時間に子供たちが遊んでいたら、一番いいのは自分もいっしょになって遊んで、ときどきは子供たちと同じように膝をすりむいたり突き指のような怪我をしたりすることだ。そういうふうにしたほうがいいにちがいない。それがいちばんいい遊び方、遊ばせ方だとおもえる。だが、親も先生ももって生まれた無意識の性格は動かせない。親や先生も少年少女相手はむずかしいのだ。

(中略)

 中学一、二年生あたりまでは同じ地平に立つのがいちばんいいような気がする。いっしょになって遊んで、足をくじいたり擦りむいたり、子供たちと同じように遊ぶのがいい。ところが先生はそこまではやらない。気まぐれでやることもあるだろうが、本気で生徒と遊ぶことはほとんどない。でもほんとうは、休み時間にキャッチボールでも何でもやって、自分でもけっこう楽しんでしまうのが理想的だ。「生活がすべて遊びである」という少年少女期における理想はそういうことだとおもえる。本気で課目を教えることより、その方が大事だということが、ほんとうにはわかられていないとおもう。

 

 吉本が理想であるというように、私もまたここで吉本が言っていることは理想だと思う。その意味は、なかなか実践できるものではないということだ。現実にこういう姿勢で取り組んでいた先生を私は一人知っているが、実際には子どもと遊びつづけることで自分も楽しめるという人は稀だ。私などのようなものには、相当の努力がいった。体力的にもきつい。一時間、一日だけならともかく、一年間通すことは無理だと言い切りたいほどにむずかしい。私の知っていたその若い先生は、よく徹底できていた。しかし、親や他の教師たちから暗黙の非難、あるいは教員として軽く見られる、そういう雰囲気に取り込まれていたと思う。誰も面と向かって言わないが、「教えるべきことを教えろ」という目つきで、彼のことを見ていたという気がする。

 私は彼に「本当はきみのやり方がいちばんいいのだ」と言った覚えがあるが、自分では徹底していなかったし、今振り返ればまだまだ周囲の評判を気にかけていたのだと思う。大きなことを言える立場ではない。

 また当時の私が本当に「子どもと遊ぶだけでいいのだ」と割り切れていたかどうかは疑わしい。どこかに、まだ指導が必要だという思いを断ち切れないでいたような気がする。あるいはその中間に、彷徨っていた。それには子供たちの将来が関わっている。分かりやすく言えば、漢字をおぼえなければ次の学年で苦労するだろうということだ。私自身が担任である時に理想的な状態に過ごすことができたとして、それは一年だけのことで、次の年からは学年相応の学力の獲得というノルマが強いられる。その時困らないようにと、私たち教員は考えてしまう。これを敷衍すると、要するに今ある社会に子供たちが適応できるようにと子供たちを指導するところに学校というものの存在があるということになる。まず、社会ありき、なのだ。近い将来では中学という「社会」に合わせて、勉強を教えていく必要が生じる。そこに行って困らないようにと考えれば、どうしたって遊びよりも勉強を教えなければと思ってしまう。

 吉本は、「本気で課目を教えることより、その方が大事だということが、ほんとうにはわかられていないとおもう」と述べている。この意味を突き詰めて考えることは重要なことであると思う。

 

 序章でも指摘したように、子育ての勘どころは二か所しかないと考えている。

 いちばん重要な時期は胎児期もふくめた「乳幼児期」で、二番目の勘どころはこの「少年少女期」から「前思春期」に至る時期だとおもえる。肝要なのはこの二か所だけで、この時期にだいたい人間の性格の大本のものは決まってしまう。この無意識の性格を動かすことはまずできない、というのが私の基本的な考え方だ。そのあとは、それを「超える」意識的な課題になる。

 この二か所で母親ないし母親代理が真正面から育てていったら、まず家庭内暴力のような深刻な事態には立ち至ることはないはずだ。極論すれば、乳幼児期の一年〜一年半と前思春期の数年だけにかかっているといってもよい。もちろん、悪ガキあるいは悪童ぐらいにはなるかもしれないが、いきなり人を刺してしまったり殺したりすることはない。

 第一の時期で重要なのは、前述したように母親ないし母親代理の人がうまく、ということは心から可愛がって、おっぱいを飲ませたりオシメを取替えたりすることだとおもう。

 それが心からできていれば大丈夫だ。親や同じ仲間に危害を加えることなどないと見ていい。

 第二の時期は、「生活がすべて遊び」という時期だから、思う存分遊ばせることだ。それができれば、まず大きな問題は起こらない。

 

 吉本が何を言おうとしているかは明白であると思う。子ども同士の残虐な殺傷事件、親殺し子殺し、今世間を騒がすこうした社会問題がどうして頻発するようになってきているかといえば、「乳幼児期」と「少年少女期」から「前思春期」に至る二カ所の時期の子供たちの育ち方くぐり方がよくないためだ、と言いたいにちがいない。そうして陰惨な事件を防ぐには、そういう時期によりよい育て方が出来なければならないといっている。それによって、まずは最悪の事態が防げる、そういうことなのだと思う。小さな諍いは私たちの生活にはつきものである。それを皆無にすることは不可能かもしれない。だが現在社会に蔓延しつつあるかのようにおもえる陰惨な事件は、私たちの考え方を変えることによって防げるかもしれない。

 私は現職の間、子供たちの自殺をふくめ、陰惨な事件が起こるたびに憂いていた。そんなことがないようにと願わずにはおられなかった。原因や理由を考えた。止むに止まれぬものだったが、私は今当時の私の、そういう思いを反省している。そこには思い上がりがあった。自分が何とかしなければとか、自分に何かができるという思いこみがあったように思う。結果として、私は自分の心を辛くし、そのことで、対する子供たちの心を辛くさせたにちがいないと思う。問題は、そういうところにあるのではない。そういう事柄を子供たちに考えさせても意味がないのだ。それよりも、のんびりと、それこそ勝手気ままに全身全霊で遊びに興じさせるべきである。そういう体験が何よりも大事なのだ。

 多くの先生たちは、私と大差ないか、あるいはもっとゆったりと構えている人も多かったかもしれない。のんびりは救いである。たぶん育ちがよかった人たちである。そういう人たちと接するほうが子供たちにもよい影響を与える。

 悩むことは人間的であるかもしれないが、それでよいかどうかは別のことになる。私のように悩んで考えて、そのこと自体に酔っているようでは意味がない。客観的にいえば、悩もうが悩むまいが、この時期、子供たちにとって遊びこそが全てである、そういう認識の徹底こそが必要なのだと今は考える。

 

 テレビに出てくる「プロ教師」や、いい先生、著名な先生と言われる人たちが子供を教えているところ見ていると、全くお話にならないとおもう。こりゃダメだよというほかない。相手が小学生であれ中学生であれ、子どもだと思ってバカにしているだけのことではないのか。自分はプロだからといって高を括って、子供は何も知らないとおもっている。

 たしかに、教える技術は上手だ。冗談をまじえながらうまく教えている。しかし、それでいいと思ったらとんでもない間違いだとおもえる。いくら上手に教えてもそのことに意味がないのだ。一時しのぎにしかならない。

 この時期の子供たちは、この先生はどういう人なのか、はじめからもうわかっている。上手に勉強を教えようが教えまいが、先生というのは子供たちにすべて見抜かれているとおもったほうがいいに決まっている。この先生がどういう先生か、性格的にはこうこうで、今日の課目について夕べは下調べをやってこなかったなと、そういうことは子供のほうで全部わかっている。子供は、知っているけどいわない(いえない)だけだ。口ではいわないけれど、でもそんなことは全部知っている。そう解釈するのが妥当だとおもう。

 先生にとっていちばん大事なことはふだんの「地」を出すことだけだ。自分がふだん何を勉強しているか、ふだん何をやっているか、また性格はどんなふうか、自分の本来の姿を隠さず出せればそれで十分なのだとおもう。それが子供たちの持っている印象と合致したとき教育は成立する。

(中略)

 プロ教師のいちばんいけないところは、そうした「人格」がないのに技術だけが見えてしまうことだ。授業の進め方や教え方はうまいかもしれないけれど、生活の英知の影がない。そこがいちばんの弱点だ。

 プロ教師に教われば、たしかに受験勉強がよくできるようになって、いい高校には行っていい大学へ進めるかもしれない。だけど、そんなのは全然ダメだぜとおもえてならない。

 そういう教え方がいちばんダメなんだとおもう。そっぽを向いて授業してもいいから、自分の地を出して地の性格のまま子供に接すればそれでいい。それが生涯に残るいちばんいい教育なんだというのが私の理解といえる。

(中略)

 たいていの先生は、熱心にわかりやすく教えれば子供たちも授業に熱中するはずだとおもって、悩んだりしている。でも、そうはおもわない。

 先生がうまい口調で教えていると、その場はいかにもわかったように見えるし、はたからもすごくいい授業のように見えるかもしれない。でも、それは嘘だとおもう。上手に教えて子どもも熱心に聞いているように見えるのは、先生の側も生徒の側もうまく上辺をとりつくろっているその場のことだ。その場かぎりの熱心さにすぎない。そんな授業が効果を上げたとしても、まあ、いい高校へ行くのがせいぜいで、こころの底から生徒が「いい教育だ」と感じることはないはずだ。

 熱心な先生、そしてそれを熱心に聞く生徒、というのはいつも「見かけ」だけだ。

 少年少女期は遊びがすべてなのだから、学校の先生も遊べばいちばんいいに決まっている。

 この時期の子供たちの遊びは全身的なものだ。先生も全身でぶつかって授業をしようと考えるのは勘違いだとおもう。先生のほうは年齢をとっているわけだから、自分は遊ぶ代わりに好きな勉強でもして、その合間にちょっといっしょに遊んだり教えたり、というぐらいの気分でいればちょうどいいに決まっている。そういう接し方が、生活全体が遊びだという時期にふさわしいやり方だとおもう。そうでなければつくりものだ。タテマエだけの嘘になってしまう。先生のほうも、自分の声でいくよ、自分の性格どおり自然にいくよ、と構えればいい。この時期に仮面のかぶり方を教えられて生徒は生涯を台無しにするに決まっている。

 ところが先生というのは得てして、子供に悪いところをみせてはいけないとか、子供を可愛がっているんだからそれを見せようなどと考えがちだ。自然の自分ではなく演出した自分を見せようとすると、子供がちょっと反抗したりイヤなことをしたとき、それが気になってノイローゼになってしまう。いつでも子供たちから「いい先生」とおもわれようとしていると、ますます自分を追い込むことになってしまう。職員室を神聖な場所にしてしまうのはそういう先生たちだ。

 平気な顔をして自分の性格のまま振る舞えばいい教育に決まっているとおもう。子供たちから「いい先生」とおもわれようなどと考えないほうがいい。自分は先生なのだから心性に見せなくてはいけない、道徳的にもそう努めなければいけない、なんておもうのはどうかしている。

(中略)

 肝心なのは生涯の問題か瞬間の問題か、ということがいいたいだけだ。そこをちゃんと区別しないといけない。何事であれ、熱心に教えれば子供が乗ってくるかもしれない。だがそれがどうしたというのだ。大事なことはそこにはない。生涯にかかわる問題をもっともっと大事にすることだ。

 せっかくの少年少女期は二度と来ない。一生読み返せる作品がいい。瞬間の問題か生涯の問題かというのもそれと同じだ。時期を択ぶべきだ。

 

 昨今のテレビや新聞紙上をにぎわす事件には、殺伐とした光景、異様性を感じさせる光景が広がっている。大人から子供たちまで躊躇なく、いとも簡単にこころの閾値を踏み越えて人を殺傷するところまでに至っているように見える。

 吉本はその主なる原因を、発達心理学の年代区分を元にしながら、理想的な育ち方からの逸脱の度合いに関連すると見なしているように思う。

 大事なことは、目先のことではなく、「人間の一生」という生涯を見据えた観点から、その時期、その時期に、どんな育て方をしなければならないかをみんながしっかりと理解することだ。「生涯にかかわる問題をもっともっと大事にすることだ」というのは、そういうことだと思う。

 乳幼児期に母の愛情をたっぷりと受けて育ち、少年少女期には飽きるくらいまで遊び、といった環境が欲しいのに、現状の家族の実態は、社会の実態は、とてもそれどころではない。この著書の中でも触れているように、母親が充分に子供に愛情を注げない要因があり、またその改善は社会全体からもないがしろにされている。そういうことがいっぱいあるわけだ。少年少女期についても同様で、全く子供についての無理解がはびこっている。現代ほど、子供、子供と騒ぎながら、子供を取り巻く環境が最悪である時代はなかったろうと思う。

 

 たとえば政治の場面では、今教育基本法の改正が提案され、「愛国心」などをめぐって自民、民主を中心として活発な論議が為されている。

 5月22日の河北新報の「あすを読む」欄で、ロナルド・ドーア氏は、冒頭に「教育基本法のような法律は日本以外の国にあるだろうか」と一種の皮肉を込めて述べている。氏によれば、教育基本法は敗戦後、「新憲法をもって再出発した日本が、教育制度も完全に方向転換するという宣言として意味があった」にすぎないものである。

 今、あえて改正を持ち出す目的は、若い世代に「国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」ことにある。だとすれば、些細な文言をあれこれ飾り立てるより、尖閣、竹島、北方領土問題で、相手国に摩擦を解消するためにも国際司法裁判所に委ねようと提案する方が、つまり行動で示した方が余程効果的ではないかと氏は続けている。

 私も同感だ。「愛国心」がどうのこうのと、何を無駄なことにエネルギーを割き、時間を割き、経費を割きしているのだろうと思っていた。ドーア氏の言い方をすれば、教育基本法の存在の意義がすでに時効を迎え、改正するしないの問題では無かろうということだ。もっといえば基本法自体を削除してかまわない、なんの不具合も生じない、ということになる。

 外国の学者に、こんなにあっさりとやられて、改正論議にかかわる日本の政治家や学者は自分の間抜け振りをどう繕ってみせる気だろうか。どう見たってやることが抜けているし、みんながみんな、どんだ勘違い野郎どもなのだ。そのくせテレビに出てくる画面では、いかにも大人ぶった顔つき身振りだけは堂に入っている。そういう役者まがいのでたらめさを、いかにもへいごもっともと追従する小役人があり、地方の教育委員会があり、校長会があり、教頭会がありと、すべて勘違いの間抜け野郎どもの荷担によって、愚策がまかり通る。いったいその責任は誰がとるのか。すべて同罪じゃないか。雁首並べて討ち死にするがよかろうと私ならば思う。

 こういう連中のやることに、何の展望もないことははっきりと理解しておいたほうがいい。吉本の言う、瞬間瞬間の問題に右往左往して、大局的には意味もないことを大げさに演じて見せているだけだ。

                                  つづく

 

 「心が病むということ」(2006.2.11)

 2月11日付けの河北新報に、「心の病SAD」が企画特集されていた。最近よく聞くようになった「社会不安障害(SAD)」という病である。

 これについては、これまで「対人恐怖症」という病気がよく似たものとしてあって、症状として一致する部分もあるようである。この「対人恐怖症」と「社会不安障害」との違いについての専門的な比較はできないが、記事を見ると、「社会不安障害」の患者の例では親しい友人からは社交的な人と見られる人もあり、そこらが「対人恐怖症」との違いかなと思われた。

 いずれにせよ、病ということになると、明らかに日常生活に支障を来すということがなければならない。

 「社会不安障害」の症状としては、たとえば社内の会議でプレゼンテーションをするとき、結婚式で記帳をするとき、昼ご飯をみんなで食べるときなど、頭の中が真っ白になり、顔がほてる、手足や全身が震える、激しく発汗する、吐き気やめまいがする等の例が上げられている。これらの症状は、軽度なものは誰でも経験したことがあると言えるのかもしれない。だが、これらの症状が長く継続し、そして症状の度合いが強いとなれば、病気ということになっていくものなのだと思う。

 治療は薬物治療が中心で、通院しながら薬の効果を待つようにじっくり時間をかけて治していかなければならないようだ。

 

 この記事を読んで、この間見た昔の洋画の中に、こういう症状を持った人物が描かれていたなということを思い出した。

 要するに、症状としては以前から知られていたことで、それなりにもともと問題視されていたことであること。そしてそれは時代とともに少しずつ類型化され、一つの病気のパターンとして確立されてきた。そういうことなのだと思った。あるいは、少し前までは「対人恐怖症」という範疇の中で一緒くたに考えられていて、そこからまた分化して考えられてきたと言えるのかもしれない。

 つまり、病気というものは、大ざっぱに捉えられていたものから徐々に細分化され、しだいに個々に独立した病名として確立されていく傾向にあるということを思った。そう考えると、病気というものは将来にわたって細分化し、分類され、何処までも病気の種類としては増えていくということなのだろう。もっと言うと、病気というものはなくなるどころか、かえって時代や時間とともに増えていくものなのだということだ。そして大げさにいうと、こういうところから「知」の宿命というようなものをぼくは想像してしまう。つまり、「果てしのない物語」というように。

 

 「対人恐怖症」といい、「社会不安障害」といい、ある程度に通った症状は昔からあり、けれども病気と認定される前までは性格の問題として片づけられていた部分も少なくなかったに違いない。

 現にぼく自身、振り返ってみれば若い時には「赤面症」ではないかと不安に思うくらい人前に立つことを嫌に思う時期があったことを思い出す。それでも何か、人混みにまぎれ、必死に平常心を装う術を獲得し、ごまかすようにしながら克服しようと努力し、そうしてこの年になってようやくそんなことを忘れてしまうくらいになった。恥のかきすてではないが、「赤面」でもなんでもいいやと開き直るような気持ちが、自分を楽にさせたというような思いもある。

 けれども、それが本当になくなったかといえば、多分そうではないと思う。たとえば床屋で髪を切ってもらう時、どうしても緊張して堅くなってしまうクセは今も治らない。そのために、反射的に頭が小さくぶれてしまうことが時々ある。どうしてこれが意識的に矯正出来ないのか分からない。これは、そうならないようにと意識すればするほどかえってそうなってしまうことが経験的に了解される。こういうところでの意識は、だから意識すまいとしても意識しないでいられるものではないということだ。

 

 そういうことを考えると、ぼく自身はこういう病気に近いのかとも思う。症状がやや軽度で、ぼくらの若かった時代には「病気」と認定されていなかったから、ぼくはたぶん性格の問題だろうと考えていることが出来た。今、「対人恐怖症」や「社会不安障害」という病気として本格的に知られるようになってきた時代に自分があったならば、それとしてぼくは自分に不安を抱いているかも知れない。

 努力して治そうという気持ちと、病気だから治療しなければという気持ちと、そこでは気持ちの向きが異なることになるだろう。いいとか悪いとかではないが、何か割り切れない思いが感じられる。

 だいたい、病気の治療法だって時代とともに変遷する。ぼくたちはそうしたいちいちに振り回される。これは変なことではないのだろうか。

 

 「社会不安障害」の発症のきっかけや年齢は、さまざまだという。「小学生の時、先生から急に当てられて」「就職後、初めての会議でのあいさつ」など、いろいろなケースがあるようである。患者数も多く、精神疾患の中ではうつ病に次ぐ多さだという。

 活発だった子どもが、発症後、ひきこもりがちになることもあるそうだから、学校がこの病気を引き起こし、知らないでいるということもあるのかも知れない。たとえ先生たちがこの病気を知っていたとしても、子どもを指名して発表させようとすることが発症につながるから、「もう発表させることはすまい」ということにはならないだろう。

 こうなると、もう何がなんだか分からなくなる。

 ただ、社会全体のシステムが、こういう症状を先鋭化したり、きつくして、個人をしてより病的な方向に押しやる作用を働かせていることは間違いないことのように思える。

 言えることは、子どもや大人に関わりなく、置かれている環境、周囲の状況が明らかに過去とは違っているということなのである。

 現代には、牧歌的要素がどんどん無くなってきている。それとともに、精神疾患の病は、増え続けてきている。人間的なキャパシティーを超えた社会、そんな社会の到来、というようなことを考えてしまう。

 

 文章全体の流れでは、「社会不安障害」は病気であり、治療法も確立されてきて、一人で不安や悩みとして抱えずに、早期の受診が効果的だからそうするようにという論調であった。

 確かに、それはそうなのだろうと思う。「案ずるより生むが易し」という言葉にもあるように、あれこれ自分で悩むより治療を受けた方が早いということは言えるかも知れない。しかし、そうはいっても腑に落ちない感じは残る。それは、どうしてそういうことになるのかという詳しい原因が不明であることと、その原因の是正に少しも向かっていないところからくる。

 つまり、もとを断てば病気もなくなるという発想が生まれてこないのだ。とりあえず、病気だから治療して治す。そこに比重が置かれている。

 病人は、どんどん生まれる。治療しても、患者は後を絶たない。医者が繁盛する。こういう社会になっていて、そのことがどうにも腑に落ちない。もっといえば、本当は社会が変わらなければならないのに、医療の発達は、後ろ向きにこういう社会を支え、いっそう助長させていくように思える。明らかな破綻が生ずるまでは、ずるずるとこういう道をたどっていくのであろう。これは仕方のないことなのだろうか。

 

 もうすこし、この記事から考えが刺激された部分はあったと思うのだが、考えながら書いているうちにあまりたいしたことでもないように思われてきて、当初の思いはどこかに消えていった。テンションの低いままの文章になったが、ここで終わることにする。

 

 

 「ライブドア」事件に関連して(2006.2.7)

 先の文を書いたあとで。今日、7日の河北新報を手に取った。その中の「文化」の紙面の欄に、先頃「国家の品格」とか言うたいそうな名前の本を出したお茶の水大学教授で数学者の藤原正彦の文章が載っていた。

 藤原はまず、今回のライブドア事件は個人の法律違反として矮小化してとらえるべきではなく、日本の将来をどのようにしていくべきか、高所に立った見地からの論議が何より求められていると、大風呂敷を広げて見せている。

 藤原が言うには、ライブドアの堀江がIT寵児として国民にもてはやされたが、彼のような虚業家の背後には市場原理主義が後押しするものとして存在し、その市場原理主義自体が根本的に誤っており、問題であるのだと言うことになる。要するに規制を撤廃し、自由競争の世界をつくるということは、勝ち負けに二分される社会構造を推し進め、貧富の差は広がり、貧しいものはより貧しく、弱者はより弱い立場に陥るということになるのだろう。

 また、国民には、堀江は日本に立ちこめる閉塞感を突破してくれる改革の騎手に見えたのだが、閉塞感の元凶が、実は市場原理主義であり、彼がその象徴、申し子であることに気づいていなかったとも述べている。

 藤原の毛嫌いする市場原理主義が、その行き着くところは、アメリカのニューオリンズ市のハリケーン被害に象徴できるとして例を挙げている。被害者は貧しく、退去命令が出ても、逃げる車はない、長距離バスの切符も買えない、というように。また最近のアメリカは医療保険に入れない貧困層が多く、赤ん坊が一歳まで生き延びる確率はキューバよりも低く、経営者の収入が一般労働者の約四百倍という数字も上げている。

 そして日本も確実にそういう社会に向かっており、いつも争い、心穏やかに生きられない、アメリカのように多くの弁護士や精神カウンセラーを必要とし、拝金主義がはびこる、そういう社会が目前に迫っており、それで人々は幸せになれるかと問うている。

 

 藤原は、市場原理主義は共産主義と同じくいずれ破綻するものだが、そのときの傷は深く、だから早く脱しなければいけないとも言っている。

 ここまではいいとしよう。また、この程度の認識など、かつての共産主義の破綻の時からある程度予想できたことだ等とも言うまい。ただ、ここに見られる認識の浅はかさの程度は、そのあとに語られる対策のあほさ加減にはっきりと見て取ることができる。

 藤原は、次のように述べている。

 

 方向転換には教育の力が必要だ。かつて新渡戸稲造が「武士道」に著したように、日本には江戸時代から武士道というすばらしい行動基準があった。誠実、忍耐、正義などいろいろあるが、中核は「惻隠の情」。つまり弱者、敗者への共感。今まさに失われているものだ。

 武士道精神を復興するには、初等教育における国語が最も重要だ。徹底的に読み書きを鍛え、自ら本に手を伸ばす子に育てる。たとえば伝記や物語を読むことで貧困を知り、美しい詩で美的感受性を磨く。そうやって少しずつ情緒力を高めていくほかないだろう、と私は考えている。

 

 私は、紛れもなく藤原が言うところの弱者であり敗者であるに違いないが、藤原のようなアンポンタンに「惻隠の情」も、共感も望みはしない。同情するなら金をくれ、そう悪ぶってみたいところだ。

 武士道だ?教育だ?笑わせるな。自ら本に手を伸ばす子ども?伝記や物語を読むことで貧困を知る?美しい詩で美的感受性を磨く?あー?そうやって少しずつ情緒力を高めていくほかない?あー?

 全部がふざけた言いぐさだが、第一、そんなことに期待してたら、それが実現する前に市場原理主義の破綻がやってきてしまうんじゃねえのか?ってことは、何もしなくたって同じことじゃねえか。早く脱するも何も、何の対策にもなっていないことは見え見えなのだ。おまえのような連中が、いなくなればいいんだよ。知の市場原理主義に支えられて、こんな毒にも薬にもならない文章をぬけぬけと大衆紙に書き散らしている連中がな。

 武士道精神なんて笑わせるな。言ってることは、現代版エリート主義にすぎないことだし、そんなもんで片が付くほど現実は甘くはないやい。武士道精神の復興には国語が最も重要だなんて、本気でそう思っているのか。馬鹿野郎。言ってみるだけの無責任さが藤原の文章には充満していて、考えれば考えるほど反吐が出そうだ。何が「国家の品格」だ。まず自分の品格のなさを検証しろ。おまえこそ現に勝ち馬に乗った一人じゃないか。

 いかにも善人ぶり、弱者への共感、貧者の味方を装った有識者、ジャーナリスト、知識人は多い。それは彼らが善人だからではなく、それを旗印にさせる現行の社会からの無言の圧力のようなものがあるからにすぎない。言ってみれば、悪人でも善人でもそれを旗印にしておかなければ発言できない環境が出来上がっている。だから、何を言うかではなく、どのように言うかが問われなければならない。藤原の言っていることは、社会から言わせられる言葉で、言い換えればこの程度のことは誰だって口にすることのできる内容をさももっともであるように書いているというだけのことだ。

 河北新報も、今名前が売れているからといって、よくもこんな程度の低い文を書き殴らせて、文句の一つもいわず黙って掲載しているものだと思う。何の苦労も苦悩も感じられない文ではないか。汗も苦吟の呻き声も、見えてこないし聞こえてはこない。偉そうに、柄ではないのに高所に立って、そうしてあほな見解を披瀝している。藤原にそれを許しているのは、河北新報にも責任の一端はあるのだ。一般の読者は、著名人の文章ならどんなものでもありがたがって読むに違いないと高をくくっているのかもしれない。

 「武士道」については今ひとつ必要に迫られるところがなかったから本格的に調べたことはないが、最近のことでいえば、政治家の倫理綱領みたいに、「武士道」としてまとめ、公にする必要があってできてきたという背景については想像してみることができる。もう少し言うと、公務員としての武士への世相的な風当たりが強くなった時期があっただろうということ。それに対して、権威や尊敬や威厳をそれ以上崩さないようにするためや、維持していくために「武士道」というようなものを詠わなければならない必要に駆られたからという背景などもあったに違いないと思う。現在の公務員や役人や政治家を見ての勘で言うしかないが、たとえ「武士道」という立派な規範が行動基準として確立されたにせよ、それをそのまま当時の武士たちが100%実践していたとは信じがたい。一部には一途にその道を探求するものもあったかもしれないが、かえって、本音と建て前を使い分ける悪しき伝統の基になったかもしれないとも思う。

 藤原の言っている「武士道精神」は、一昔前の「清貧の思想」と同じで、貧乏人の日々の暮らしも、その中での思いにも無頓着なものの言いぐさで、とうてい庶民に受け入れられる代物ではないに違いない。仮に表向きは受けたとしても、それは頭の中だけでのことに終わるに違いない。

 私も、弱者への共感、貧しいものへの思いやりなどの言葉を口にすることはあったが、

まさか武士道とは言わない。私たち人間が、うちに植物と動物とを祖先として抱えこんでいるために、必然的にそういう情というものを抱え込んでいるものであり、そういう自分の本源というものに出会ったときに、自然にそういう思いというものに駆られるものだという意味で言っている。

 「教育の現在」についても、藤原はたぶんこれまで何も考えたことがなかったに等しいと思う。「方向転換へ鍵握る教育」等とは笑わせる。現在でも、この手の、「教育」に期待する言辞は何故か多いが、要するに洗脳を夢見ているのだ。そうして現在その手の思惑はすべて不可能であると言わざるを得ないと思う。教育の現場は、藤原などが考える以上にもっともっとバラバラで、もはや文科省にも誰にも手がつけられない状態になっている。

 道徳教育の成果を考えても明らかである。先生たちが不真面目だからではない。生徒たちが新人類だからでもない。道徳の副読本に書かれている内容が、いかにも人間らしさを装って、実は、先生にも子どもたちにも、つまりは現に生きている人間としての自分たちにどうしてもなじまないもの、「絵に描いた餅」、あるいは「人形」などのような、非人間的な姿しか描かれていないから、どうしても遠ざかってしまうものになる。そうして先生も子どもたちも「道徳の時間」が嫌いになってしまうのだ。

 ほんとうは、そこで子どもたちも先生も苦しんでいる。そこが分からない連中に何を言っても始まらない。そういう連中は自分の現実的な生活や職場で、そういうジレンマとは無縁であるに違いない。だから想像力が働かない。「善」を為せないことに、わだかまりを感じないで見過ぎ世過ぎができているからに違いない。そういう連中に精神や心を語る資格があるか。自らがのっぺらぼうの精神や心の状態にあるから、「教育」で「善」を働きかければ「善」に作用するに違いないと夢想して、それで何か良いことを言ったと勘違いしている。愚かなだけだ。

 藤原は、自分が本を読み、伝記や物語を読んだ体験を基に、そのことが自分を高めてくれたと思っているのだろう。辛辣な言い方をすれば、藤原は、自分を良い人間だと思い、自分のような人間が育てば社会はよくなっていくと考えているに違いないと思う。この手の錯覚は多くの人々が抱く錯覚で、学校の教員もまた、本を読んで知識を広げ、情緒が豊かになることが、自分のように優しい人間を育てることだと信じ込んでいる。たぶん。だから、読書教育は何処でも盛んだ。しかし裏を返せば、貧しく教養のない人間、知識もなく、粗野な人々に対して、さげすむ気持ちを持ってしまうことにはならないだろうか。人間の価値というものは、そういう面だけでできているものなのだろうか。私にはそうは思えない。もちろん私はここで、無知にこそ価値があるのだと言おうとしているのではない。

 私もまた、いっぱしには読書家であり、たくさんの本を読んできたと言えるかもしれない。だが、どういう訳か本を読んできたことがよいことだとはどうしても思えないところがある。読まないですむものならば、読まないでもよかったのではないだろうかと思っている。本には、現実世界にはないおもしろさがあった。現実の退屈さに飽き飽きしたとき、私は辟易して本の世界に飛び込み、あるいは逃げ込んだ。時に、現実よりも真実の世界がそこにあるという錯覚に陥ることさえあった。考えてみるとしかし、そこにはある倒錯があったような気がすることがある。生身の人間世界よりも、頭のこしらえた世界、本の世界が、本当のものだというような倒錯が。

 精神的なものが人間的であることは私も疑わない。しかし、人間は精神によってのみ人間なのではないと思う。内部には植物性もあり、動物性もある。そこに蓋をしたり、見ぬふりをして精神のみを振りかざして、それで破綻をきたさないで本当に進んでいけるか?

 

 藤原のように、武士道精神やら教育の力などで市場原理主義を乗り越えられるなどとはとうてい私には思えないのだ。

 二極分化は、確かにますます深くなる傾向を見せているし、残念ながら日本の社会は上流と下流に二分されていくのであろう。しかし、藤原の言うような弱者、敗者への共感といったようなものは、富めるものの傲慢な施しをしようとする姿に他ならない。私は弱者であり敗者として、藤原のようなものから共感を得たいなどとはゆめゆめ思わない。弱者、敗者にもそれなりの生き方があるものだと思うし、生きる喜びや幸せを感じる瞬間もある。なによりも、今の社会が抱いている生きるということのイメージを払拭した生き方を見つけたいと願っている。

 こんな私には、藤原のような意見や考えは落胆させ、がっかりさせるものとして働きかけてくる。本当に弱者を大切にしようとするなら、もっと、しっかりとした考察をしてくれと腹の底から絞り出す思いがわいてくる。私たちをむち打つものは、強者の顔をした強者だけではない。弱者への共感の顔つきをした強者もまた、絶望への鞭をふるっているものであることを忘れてほしくないものだと思う。

 毎度支離滅裂だが、こんな感想を持った。

 

 

 「報道」問題について一言(2006.2.7)

 河北新報2006年2月6日(月曜日)の「あすを読む」欄に、コロンビア大学教授ジェラルド・カーチスさんの文章が載っていた。

 簡単に言うと、昨今のライブドアの粉飾決算に伴う堀江バッシングの報道に、ジェラルドさんはその報道が異様なほどに過剰であり、問題点も多いと指摘している。

 ジェラルドさんが問題と感じている点のいくつかを整理してみると、まず一つには、メディアが、前の総選挙で自民が堀江貴文を応援したことに責任を問うという姿勢で批判しているところにある。これは民主党と一体となって、ぼくには、その火付け役が民主党なのかメディア側なのかよく分からないくらいだ。要するにメディアと民主党がつるんでやっているように見える。ここで、ジェラルドさんは、選挙中、堀江容疑者は容疑者ではなかったのだし、誰もそれを予測できなかったのだから、その後の展開から選挙中の支持まで批判するのはおかしいだろうということを言っている。

 二つ目に言っていることは、自民党にしろ民主党にしろ、選挙に勝つことだけを目的として候補者を担ぎ上げ、結果として国会が素人集団になりつつあること、そして国会議員にふさわしいかどうかに関係なく候補者を立てたことが本当は問題にされるべきで、この問題には触れずに先のように堀江容疑者を支持したことを争点として批判や弁明に追われていること自体がおかしいことだと言っている。

 いずれも、ぼくにはまっとうな見方であり、感じ方であるように思われた。

 もうひとつには、日本の報道の取り上げ方は、このライブドア問題が世界で最も重要な問題のごとくに大々的に取り上げているように見えるが、ライブドア事件は「横柄な若い男が法的問題に問われているだけ」で、「歴史的な大事件として扱われる価値があるだろうか」と報道の様相に疑義を述べている。

 また、この件の報道では、違法行為と違法ではないが倫理上問題のある行為が混同して報じられていることも指摘されている。そして、「堀江さんはまだ有罪となってはいない。法治国家では、有罪と判断されるまでは無罪と推定される権利を持つ」という民主国家のイロハを教えている。

 ここまで丁寧に言われなければ日本の報道の側もそれを受け取る民衆も、勢いづいてわーと盛り上がってしまう民族なのだろうか。そうは思いたくないが、この種の事件はマンション偽装問題も含め、本質的な解明と解決を後回しにしながらまるで祭りのような大騒ぎになってそうしていつの間にかしんと静まりかえってしまうのが相場だ。

 ぼく自身は、こういうところから、日本は民主国家、法治国家として、本当はまだ未成熟であると感じているし、底流に、「日本的」な何かがあるのだろうと推測している。論理的になれない部分。感情的、感覚的な盛り上がりに、歯止めがかからない部分。そういう部分を、まだ持っているのだと思う。そしてこういう傾向は、物言う人々、言える立場に立つ人々の間に受け継がれてきているものだと感じている。そして物言わぬ民衆はいつもそこに巻き込まれる。

 

 ジェラルドさんの他の指摘を箇条書き的にあげておく。

 ○当局は毎日のようにメディアに情報をリークして、彼は有罪であるという世論をつく り上げようとしているようにみえる。堀江さんは公正な裁判を受けるべきで、感情的な リンチを受けるべきではない。

 ○日本では容疑者はさげすまれて、呼称から「さん」付けがはずされるが、これは偏見 で、有罪とされるまでは推定無罪であり敬称を付けるべきではないだろうか。

 

 そして最後にこう指摘している。

 ○メディアは堀江ブームを手助けしてしまった。そして、今、過剰に堀江バッシングを している。こうしたメディアのあり方を問題視する声が聞こえないことは特に気がかり だ。

 

 ジェラルドさんの指摘するところは非常に大事なところだと思う。

 ぼくの文章を読んでくれたことのある人々には、折りにつけてぼくがメディアや報道のあり方への危惧を繰り返し語ってきたことに気づいてくれていると思う。この問題は、どんなに語っても語り尽くせないくらい大きな問題なのだ。この、報道の我が物顔の暴走を規制する術は今のところないように思える。報道を規制すべきと言うのではない。規制してはならないと思うから、その暴走ぶりが不安なのだ。もしかすると、その影響や被害は、目には見えない影響や被害だけにマンション偽装やライブドアの比ではないのかもしれない、そう思われるところがある。

 報道に携わる人々すべてがジェラルドさんの指摘するところにすべて盲目であるとは思えない。分かっているし、どこかおかしいと感じている人はいるはずだ。だが、結果としてこのような報道が大手を振ってまかり通っている。この問題を解くにはこんなちゃちな文章ではどうにもならないし、ジェラルドさんの指摘でどうなるわけでもないに違いない。もっと根深く根強い、歴史や社会のあり方の根本から説き起こされなければならない問題なのかもしれない。

 感覚的にだけ言えば、ここには金、金、金という世相に共通する、ある方向性への力学が働いている、あるいは潜んでいる、とぼくは感じている。自浄化はたぶん期待できない。精神は、理性は、性善かという疑問にまで到達する。

 これ以上踏み込んで考えることはできない。とりあえず、こうした報道への疑義を、手放すことなく持ち続けること、不毛や徒労の思いに負けずに踏みとどまること、そのことの大切さを述べて終わることにする。

 

 

 「不安に思うこと二つ」(2005.12.15)

 塾の講師が女子児童を刺殺した事件と、いわゆるホテル・マンションの構造設計に関わる偽装問題とが重なって社会問題となっている。

 報道では、塾講師の過去が取材され、また偽装問題においてもそれぞれの関連人物がやり玉に挙がって、見方によってはハイエナに群がられているような気さえしてしまう。いずれにせよ、そうした形で少しずつ、視聴者には事件の真相が明らかにされていくものなのだろう。また警察などの捜査の手によって、およその全貌は明らかになっていくものなのだろう。そのことに、取り立てて言うべきことは何もない。死んだ女子児童、路頭に迷うマンション住人、ホテル経営者。視聴者の一人としての自分には、ただ、うーんと唸るほかに、口に出して語る言葉もない。

 

 二つの、全く異なる事件を前にして、ぼくにはしかし、両者がぼく自身の内部で結びつきがあるように感じられて仕方なかった。それを考えてみると、要するに、それぞれに近接する体験の記憶があるということだ。

 

 塾の講師の事件について言えば、かつて教員時代に同じように折り合いのつかない女子児童がいて、結構悩んだことを思い出す。その女子児童の場合は、はじめはぼくに積極的に関わるようにして、自分を認めさせたがっていたような印象がある。しかし、たぶん思うような対応をぼくがしなかったことで、やがてぼくを忌避するようになっていった。そういう時に、子どもは怖いものである。彼女のノートに、(ぼくをさして書き記したものに違いないが)「この学校から消えろ」という意味の言葉が書かれていたのを発見して愕然としたことを覚えている。自分が精一杯対応しているつもりでも、生きた人間と人間の関係においては、それがたとえ教員と児童との間であっても、どうしようもなく深い溝が生じてしまうことはある。この場合、担任を終える三月までの時間の経過を待つほかはなかったし、それ以上の関係の悪化をもたらさないように注意することで精一杯であった。教員として恥ずかしい体験であり、あまり大きな声で言えることではない。だが、個々の思いの中で生起し、個々の思いの中だけで霧消していく、いわば表に出ないこんなドラマは、実は無数にあるだろうと想像されるし、あると確信してもいいような気がする。

 時代が経て、いまは当たり前のように子どもは親に実情を告げ、親は改善して欲しいという要求を塾に、学校に、突きつける。それ自体は決して悪いことではない。あっけらかんと言いたいことを言う。それは繰り返して言うが、よいことだと思う。

 ぼくはただ、今回の事件の当事者である講師が、その時、それが錯誤であれ何であれ、非常に追いつめられた気持ちになったのではないかと想像するのだ。

 状況を打開する方策は、いくらでもあった。塾を辞める。首をすくめて時の経過を待つ。だが、誰が考えてもあのような愚かで惨たらしい犯行へと突き進んだ。

 その短絡的な行き方が、どうしても分からないが、その短絡的な行き方が、今と未来とを象徴するような気がして、どうにも不安でたまらない。そしてこの不安が、もう一つの事件に対しても、同様に感じられてくる。

 

 もう一つの偽装問題についても同様な不安を覚えると書いたが、こちらも経験的に言えば、事の真相はこんなところだろうと予測出来るところがある。具体的なところはともかく、事の本質は、日常の社会にありふれた関係の積み重ねだ。その常識から言えば、自身の利益のために、Aは、Bが法を犯そうが犯すまいが関係ないとみなす資本の論理と言っていいのか、組織の論理と言っていいのか、関係の論理と言っていいのか、そういうものだろうと思う。民間の会社勤めをしていたころ、今回の事件の背景にあるような利益追求の姿勢は、世の中にいくらでも転んでいることは十分に見聞きしてきた。

 総研や木村建設、ヒューザー、イーホームズ、これらの会社は、突き詰めれば世に溢れている。いわば似たもの同士が世にひしめいていると言っていい。そうぼくは思っている。そして、常識的な見方をすれば、そう見るのが当然ではないのかと言いたい。

 報道などでは、あたかも大問題であるかのように取り上げているが、そしてそれにはやむを得ない点もあるが、本当はそうではないだろう。法を犯す予備軍はいくらでもあるし、現に法を犯しながら巧妙に隠蔽に成功している個人や会社はいくらでもあると考えるのが当たり前ではないのかと、ぼくならば思う。

 

 安全な住まい。今時、そんなことを第一義に考えて仕事をするものがいるのだろうか。それがぼくの疑問である。姉歯のように、追いつめられた時に、自分や家庭を犠牲にしても法を遵守しようとする人間はいるか?居るかも知れないが、そうでない人の方が圧倒的に多いのではないかとぼくは思う。それが人間で、それでも、法よりは人間に価値があるのだという考えにぼくは立ちたいと思っている。

 報道は、全てがそういうところを見ようとはせずに、ひたすら正義を振りかざすばかりである。そうして悪人をやっつけるには何をしてもいいというように、人道を犯すすれすれのところで報道合戦に汲々としているようにさえ見える。報道が、こんなにも単純で恣意的な見解しか持たないということは、ぼくには姉歯問題よりもはるかに深刻で恐ろしく、不安なことだと思われてならない。そしてまた、そう語る人が少ないこともぼくを暗澹たる気持ちにさせる。

 

 

 「憲法改正」問題について一言(2005.12.12)

 自分を愛し、大切にする事と、自分以外の他を愛し大切にする事とは、時としてその利害がぶつかり合う事がある。たとえば現在、ぼくは自分を守るために仕事から身を引くという形で社会から離れ、自閉的な生活を送っている。好むところではないが、自分の考えるところと、職に従事することとの間には大きな溝が出来てしまって、そこにあり続けることは自分が引き裂かれるような思いがあったのだ。引き裂かれたままに生き続けることが出来ない。そこでぼくは社会から一時退却するという道を選んだ。

 うまくバランスを取ること。自分を生かし、他を生かすという形で世の中に、社会にあり続けることが出来れば、それは一つの理想的な形だ。それはいまでも目指していきたいと思う。しかしそれがなかなかにむずかしい。とは言っても、多くの成人はそんな形で何とかやり繰りして世の中に相渉っているものだと思う。多くの人々の努力はそこにある。

 

 何が言いたいのかと言えば、「憲法改正」も、詰まるところ国家による国家の自己反省であり、自分自身がこれでいいのかという自問に始まっているという気がするということだ。自身は国家としてまともであるかということ。さらには世界に向かってどう相渉っていけばよいかということ。ある見方からすれば、たいへん個人的な、どう生きるかという問いを問うことに似ているのだという気がする。

 よりよい憲法を模索することは、よりよい国家という、国家の在り方、行き方を模索するものである。その意味では今回の「憲法改正」の問題は、起こるべくして起きた国家としての当然の課題ではないかという気がする。

 

 自分に引き寄せて考えると、ぼくは自分の信条から、ある意味自閉的な行き方を余儀なくされている。

 現行憲法の第九条はまた、ある意味日本国を他国とは切り離された特殊な信条を持った国として、自身を他国とは異質な存在として感じさせるものとなっている。

 それは戦争の放棄であり軍備の放棄であるが、集団自衛権さえ認めない世界に孤立した憲法では、消極的に考えるところからは、それこそ世界から相手にされず、世界の中で自閉する日本というイメージが作られてくる。

 しかし、これを積極的に捉えるならば、他に真似の出来ない、国家の憲法としての、ある先進性をすでに獲得しているということになる。世の中がそうであるから、どうしても自分も世に習わなければならないというわけではない。かつて「連帯を求めて孤立を怖れず」という言葉があった。個人にも、国家にも、あてはめて考えることの出来る言葉ではないか。

 

 「憲法」についての考え方で、ぼくが支持したいと思えるのは次のような吉本隆明の見解である。(「ならずもの国家」異論−光文社−2004・1)

 

ぼくじしんは平和憲法第九条についてこういう思いを抱いています。あの非戦の条項は敗戦間もないころの国民大衆の実感に適っていたし、しかも百数十万人の国民大衆の戦争死によってあがなわれた唯一の戦利品だということです。敗戦直後の焼け野原、食べ物その他の生活必需品の欠乏、あるいは職もなく家もないという状況のなかで、戦争はもうたくさんだという国民大衆が心底から同感した条項、それが第九条でした。思想的にも世界に先駆けたすぐれた条項で、どの資本主義国にもどんな社会主義国にもない「超」先進的な世界認識だといえます。だからぼくは、日本はこれを外に対しても具体的に主張したり宣明できるようになるべきだとおもっています。いいかえれば、この非戦条項を外に対しても打ち出すことによって、アメリカやロシアといった軍事大国だけでなく、世界中の国家意志を変更させること、それを日本の積極的な外交活動の目標とすべきだとかんがえているのです。

 国際的にもち出すときは、いまの憲法第九条にともなう非戦的な平和条項をさらに大きく拡大していくのがいいとおもっています。非戦の範囲をもうすこし広くとるわけです。それをすることは保守勢力とのせめぎあいになるでしょうが、そうした作業をぜひやるべきです。憲法にある「非戦」という思想をできるだけ広く開くこと。どこかの国が攻めてきた場合以外は自衛隊を動かせないというのではなくて、動かせないならもっと広範囲に動かせないようにしてしまうことをかんがえてもいいわけです。

 平和を保持するために、また非戦条項を国際的にするために、非戦や平和ということについては日本が主導権をもち、また責任も負うようなかたちで世界を変えてしまうことができるなら、それがいちばんいい。国際的に通用する条文をつくってアメリカもロシアも納得させられるような、さらにいえば旧西側諸国に敵対的だといわれている北朝鮮や中近東の国々も納得せざるをえないような非戦条項をもち出すことが理想です。そうできればいちばんいい。

 理想論、空想論でもいいから、日本の姿勢をはっきり打ち出すことが重要です。

 いちばんまずいのは、いまのようにどんな変え方もしないことです。第九条と前文とはそのままにしておいて、それに違反すること、たとえば自衛隊の存在や活動は内緒にしておいたり、一時的な取り決めをつくって曖昧にしてしまうことです。いまのまま条文は何もいじらないで、アメリカとそれに敵対する勢力との確執や戦闘がはじまった場合はつねにアメリカ一辺倒で、アメリカを全面肯定するというのがいちばんだめなやり方です。

 

 「憲法」に対するスタンスとしては、ぼくは全く吉本の意見に賛成であり、同様の立場に立ちたいと考えている。

 

 ところで、12月2日の河北新報の「現代の視座」欄に、文芸評論家の加藤典洋が「9条堅持基盤に立憲愛国主義を」という題で文章を寄せている。

 簡単に言えば、十月に発表された自民党の「新憲法草案」を読んで見えてくるのは、アメリカ一辺倒の発想で、「日米同盟」の重視であり、同時にまた過去の日本の伝統(天皇制を精神的な支柱とした)に立脚した「愛国主義」の影がちらつくと、加藤は言いたいのだと思える。

 加藤がここで指摘しているように、かつて「第九条」は世界平和と結びつけられ、「愛国」の対極におかれた。そして確かに、「世界平和」の唱和の前に、「愛国」の言葉はこの国ではどこかに沈んでしまって見えなくなってしまった感がある。「自虐」と捉える見方が出てくる素地はあったといえるかも知れない。その反動が、いつ奔流しないとも限らない。

 加藤がここで、憲法に立脚した愛国主義、「立憲愛国主義」を唱えるのは、これも簡単に言えば、「非戦」を憲法に謳ったこの国に誇りを感じ、「日米同盟」か「アジア重視」かの二者択一の形ではなく、どの国とも仲良くするという方向で考えたいということなのだろう。「非戦の国としての日本」を自愛せよということだ。

 この、「非戦」を貫くかぎり、日本は不安な世界情勢の中においても、最も安定する。そのために、憲法第九条に含まれる「非戦」の理念は必須であり、堅持されなければならないというのが加藤の主張だ。この主張の根拠となる加藤の見解は、次に引用する箇所によく表れているという気がする。

 

確かにこれは(第九条)、GHQからの借り物である。また、この戦争放棄条項が、憲法制定時には昭和天皇の運命および象徴天皇制の保持と、一対となり、その後も、米軍基地の存在、日米安保条約の堅持とあいすくみで戦後日本の欺瞞の構造をつくってきたことは、よく知られている。

 しかし、この憲法の理念は、米国をはじめとする世界とつながり、中国、韓国の信頼をつなぎとめる最後の絆となっている。そのことを通じ、日本の将来により広い選択肢を提供し、また、それに劣らず大切なことだが、国民を過去の反省と戦争の死者の哀悼へとつなぐ、過去との絆となっている。

 かつて「第九条」は世界平和と結びつけられ、「愛国」の対極におかれた。しかし私はいま、この二つを結びつけることで、新しい論の地平が開かれるのではないかと思う。

 

 ちょっと見には、吉本と加藤の主張は異なっているように見える。吉本は憲法改正に積極的で、加藤は護憲というように。だがこれは、憲法における「非戦」の理念を、加藤はどう内側に向けて納得させられるかで筆を進めているかに対して、吉本はどう外部に開いていくかに主眼をおいて語っていることから来る差異に過ぎないと思う。要は未来永劫に「非戦」を見据え、それはどうしたって希求の対象なのだから、その道から外れるべきではないことを言っている。

 

 加藤が言う「愛国主義」は、ぼくらのような世代にも、まだどぎつい響きをもって感じられる。「愛国」そのものに、アレルギー的な反応があるのだ。加藤が、あえてその言葉を用いる意味は、理解が届きにくい部分もある。

 いまこれをぼくなりに考えてみると、この国を振り返ったときに、この国の何を愛せるかと問うことで加藤の言うところに近づけるのかも知れないと気がしている。その当否はともかく、そう問うたときに、自然や人情などという生活の根幹に潜むものとともに、世界の中でも最も「平和」の意義について戦後60年を考え続けてきた国として、その部分だけは評価し、また愛することができるような気がしている。

 他国を侵略しただめな国として過剰に卑下することでもなく、その反動で純潔の他に優れた民族と威張ってみせることでもなく、唯一誇れるものとして、その「世界平和への願い」「非戦の思い」、などがあり、そういう立場に立って、世界に自立する日本を形成していくところに、日本のあるべき姿も夢見ることができてくる。

 そしてそこには、自ずから「立憲愛国主義」の姿が立ち現れてくるのだと考えることはできないだろうか。

 そういう文脈で考えたときに、加藤の言わんとするところはおぼろげに理解されてくる。

 加藤の文から触発された思いは、およそ以上のようなところだ。付け加えて、自分がどう世の中に立ちゆけばよいのか、そのことも一緒に考えさせられたことを申し添えておきたい。

 

 最後に、自民党提出の「草案」に対して一言。要するに現状を追認、自衛隊の存在が矛盾しないようにという程度のわずかな改正に過ぎず、これが通ってもアメリカ主導の世界秩序に貢献するだけのものにしかなっていないように見える。自民党も民主党も、どこかアメリカ一辺倒で、つまりは「日米同盟」ありき、なのだ。もちろん、新しい理念などが盛り込まれる余地はさらさら無い。その意味では、社民党や共産党も含め、どの既成政党の「憲法論議」にも、周りがこうだから日本もとか、宗教としての護憲論議という程度の志の低い論議しか聞くことができない。何のために戦後の60年があったのか。

 今回の改正に向けての一部始終を新聞の風刺マンガにたとえれば、知らないうちにマラソンのトップに躍り出て、誰もいないことに不安を感じて後追いの集団を待って、その中に紛れ込もうとする図に似ている。それこそ、小泉が靖国に参拝したところで、到底戦没者は浮かばれまい。世界に自立する日本であって欲しい。窮極には、そういうところにまで願いは昇華していたはずだからだ。

 

 「マンション耐震強度偽装」問題についてのメモ(2005.11.29)

 今回のような事件は、業種を問わなければ過去に何遍もあり、これからも何遍も何遍も起き続けるにちがいないと思う。たとえば農産物や魚介類の産地偽装その他、金のまつわるところに嘘が入り込まないためしはない。もう呆れて本気でこういう問題を考えることが出来ない。

 テレビや新聞は、一生懸命この問題を報じているが、その姿勢は相変わらずで、どうしてお前達だけが正義面出来るのかと疑念を覚えないではいられない。

 少し前に、メディアにおいては、記者による記事のねつ造の問題などがあったばかりである。自身については本気の解明もなく、曖昧に終わらせて、いわば自分たちの問題は棚上げにして、他の問題については執拗な追求をする。けれども、問題の根幹は、全ての業態、業種において同じ根から発するのだと思う。要するに自己保身と利益追求だ。政治も経済も、かならずどこかにごまかしを含んでいる。

 熾烈な競争の前に、レポーターは異常なまでの取材攻勢に奔走する。そこには個人としての生活がかかっているだろうし、その世界での生き残りがかかっている。それは一介の記者の身の上にも降りかかる。そして違法すれすれ、嫌われ者になるすれすれのところで自分の仕事を果たしていかなければならないところへ追い込まれる。

 今回、売り主や施工主、建設業者が利益を追求するあまり、犠牲となったのはもちろんマンションの購入者ではあるが、視点を変えればもう一つ、個人事業主という弱い立場の姉歯建築士であろう。違法行為と知りながら、自分で違法行為に手を染めたのが姉歯である。その他の事業者は、直接的な違法に手を染めずに済んでいる。ヒューザー社長の、鉄筋を少なくしろと言っても合法の枠内を前提とした上での話だというような、言い訳めいた言葉は象徴的である。そう言える立場に、他の事業者は立つことが出来る。違法をしろ、という指示は出さない。しかし、こうでなければ取引出来ないという条件下で、その取引を望むならば、偽装を犯さざるを得ない。そういうことはあり得る。下請けのような弱い立場にあったものたちは、何度もそういう苦い目を体験してきているにちがいない。それでも、「否」は言えるはずだし、言わなければならないと思う。姉歯個人にどんな事情があったかは分からないが、偽装自体は許されるはずもない。

 

 ここでは本当は何を問題にしなければならないのか。

 私はマンション住民の不安やその解消のための意見を述べる立場にはない。建設業者の、仕事上の倫理を問題にする気もない。すでに業務上の人道や倫理といったものは、金銭欲の前に駆逐される感さえ感じているからだ

 

 私はかつて教育の世界にいて、教育の建て前に自分は合致出来ないことに気づいた。どう考え、どう努力しても、よい先生ではあり得ない限界があると思った。同時に、建て前は嘘だし、みんなで嘘を塗り固めるようにして、その世界にあり続けているのではないかというような疑念にかられた。極端に言えば、ヒューザー社長が、マンション住民の生命財産が大事というようなレベルで、子どものためにと言っているにすぎないような気がしていた。現に何人もの子どもが不登校になり、非行化し、いじめや暴力が顕在化しても教育界は自己解体してみせる力さえ持ち合わせなかった。

 私は内部告発や内部変革の道を願わなかった。到底、そんなことで何とかなるような状況にないと諦めた。私に残されたのは、その場を去るという以外にないように思われた。 そういう立場からは、姉歯をはじめ、その業界に使われ、その業界内の嘘や悪を感じとった時に、そこから離れていくことが一番いいのではないかと思っている。自分が犯罪に手を染め、犯罪に荷担する前に、去って悪いという法はあるまい。

 企業の体質は、企業内に存在するものが一番よく分かっているはずだ。所属する個人が、生活レベルの維持や自己保身のみに終始するのであれば、今回のような事件は絶えないと思う。これに歯止めをかけられるのは個人が組織を越えて自立するという、人間の生き方の根本に関わってくると思う。そしてそういう生き方は可能ではないかというのが、今、私が思うところである。もちろん先行きの生活の不安、苦しさはあるにちがいない。

 私は何も清貧であれと言うのではない。自営業者がささやかな税金逃れを講じるように、自分の利を願うことはあってもいい。自分が満足してその組織に留まっていられるならば、それはそれでいいのだ。ただ、目先のことから少しばかり未来を覗いた時に、個々人が組織に依存しなくても生きていけるような、そういう力を蓄えていくことが必要ではないかと思うのだ。そうでなければこの種の問題は永遠に片づかない気がする。自立した個人。これは知識人から提案され、かつて議論され尽くした感があるが、実は着地した場所は、強者が弱者や、弱体化した部分に対して自分の権益を主張する、そういう偏った傾向を示したにすぎない。また、組織から見れば、再編成しか意味しなかったと思う。そうしてなお、自立する個人といったイメージは、今後も課題として残されているというような気がする。

 

 もう少し言っておこう。私はこの問題をテレビであれこれ取り沙汰している連中がことごとく嫌いだ。「みのもんた」、「大和田漠」の怒り。「古舘伊知郎」の口調。全てに反吐がでそうだ。お前達にマンション住民の苦しみなんか、分からないだろう。それなのにどうして代弁者のようにヒューザーの社長なんかに非難の声を浴びせたり出来るのか。もしかして、お前達は同じ不動産関係者に有名人としての便宜や優遇を受けたりしたことはないのか。ないとしても、耐震を気にしなくてもいいような立派なマンションや家屋に住んでいるんだろうな。そんなに住民のことが気になるんだったら、私財を少しなげうって、助けてあげたらいいじゃないか。

 私は、昔に団地の建て売り住宅を購入したが、専門的な知識もなく、購入に当たっては悪質な物件でないことをただ願うほかなかった。多くの購入者は、今でもそんなものだと思う。そしてそれは家だけに限らない。何を買っても半信半疑で、値段相応なのかどうかよく分からない。購入したものが、万一値段に相応しないものであれば、よっぽどのことがないかぎり、まあ、自分の鑑定眼のなかったことを悔いて終わることになる。

 マンションの購入者達は、私たちとたいして変わらない人たちだ。安く、よい物件を探し、何とか満足出来そうなものに出会った。それがいかがわしいものだと分かった時の、落胆振りはよく分かる気がする。こういうことは私たちに身近で、時々出会い頭のようにぶつかる場所に私たちは生活している。言ってみれば、危険度は日常茶飯なのだ。この種の問題の種は、異なる形でいくらでも転がっている。こと住宅の問題だけではない。なのに、ジャーナリスト達は初めて見聞するかのように、大げさな身振りで怒って見せたり、建設業界側に加害者の衣を着せて被人間性を強調して非難したりしている。けれども、自分たちだってそうして利益を得た企業からのCM料を得て、そうして懐を肥やしているんじゃないか。いわば企業の手助けをし、もたれ合って成長していると私たちには見える。私のような一視聴者にも、ありがちな事件の一つにすぎないと見えるのに、カマトトぶって正義面して怒るそのパフォーマンスの意図が分からない。一庶民としての私たちはどうすればいいのか。この現実から逃れる術はない。逃れるには、有名人であること、べらぼうな高額所得者であること、そういう条件無しには考えることが出来ない。

 

 たとえばテレビに向かって言いたいことはこうだ。ワイドショウで取り上げるのもいい。パフォーマンスを仕立てて悪を懲らしめようとするのもいい。けれども、その時々の事件の悪の追求ばかりではなく、もう少し根幹に関わるシステム的な問題の把握と対策について、じっくりと考察し深めていく番組を作ってもいいじゃないかということだ。スポンサーがないという言い訳は、ヒューザーなどの言い訳に近い。NHKのように、視聴料を取るのでなければ難しいだろうか。しかし、そういうことであれば、現在の建設業界の実態を変えようがないと言うことをいっているに等しくなる。ジャーナリズムの本筋に叶った、もう少し本格的な番組があってもいいじゃないか。そうでもなければ今回の事件の教訓は、何一つ残されないと、私のような素人には思われてならない。

 

 「NEET」問題についてのメモ(2005.11.11)

 最近話題の杉村太蔵(?)議員が、職にも就かず学生でもない若者との討論会を行ったことがテレビのニュースで取り上げられていた。いわゆる「NEET」と呼ばれる一群の若者達との意見交換であるが、若者達と共感的に接しているように見えて好感が持てた。その中で、ニートも国会議員に転身した自分も「紙一重」というようなことを言っていて、その感覚はよく分かるような気がしたと同時に、支持したい気持ちになった。要するに、国会議員に転身した自分と同じに、ニートの若者達もまた、転身可能なことをいいたかったのだと思う。そしてその感覚は、まっとうなものだと評価出来る気がした。

 その番組のコメンテーターとして加わっていた、たぶんどこかの大学の教授である福岡政行の反応はぼくとは180度も違っていて、吐き捨てるように杉村の言う「紙一重」を口にしながら、テレビの画面で一枚の紙を放り投げて見せていた。福岡のそのこらえきれないような過激な、それでいて怒りをこらえるような仕草に、何かひと言いってみたい気持ちになった。

 

 福岡は、政治学者だと思うが、これまで選挙や政治問題を扱うテレビ番組に何度も顔を出し、その見識や勉強振り、あるいは汗して情報収集などする姿を想像し、なかなかな人じゃないかなと思って見てきた。一方、杉村議員については、シンデレラというか棚ぼたといおうか、まあひと言で言うならあんぽんたん議員としてしか見てこなかった。これについては今もそんなに違っているわけではない。また、双方をそれほど注目してみてきたというわけではない。その意味で、これが一般の視聴者の立場から、視聴者のひとりとして感じたことを言ってみるだけに過ぎない。

 

 さて、テレビで見たその時の福岡の怒りは、「政治を舐めるな」、「薄っぺらな紙一重で国会議員などになってもらっちゃ困る」ということに尽きるのではないかと思う。要するに福岡の、これまでの政治学者としての営為、プライドを、杉村のマスコミ向けのひと言が刺激したことで、ああいう仕草になったものと思う。その気持ちも、よく分かるといえばよく分かる。福岡の概念からいえば、杉村のように元々は政治とは無縁の一会社員であった若者が、志もそのための勉強も修練も下積みもなく、一夜にして国会議員になることがもともと許し難いことなのに違いない。その杉村が、ニートの若者達に向かって言った、国会議員が不特定多数の政治に無縁な若者にも紙一重の可能性としてあるという発言に、怒り心頭に発したというところだろうか。つまり杉村は、誰でも政治家になれるということを言ったことになる。

 福岡の怒りは尤もだという気もするが、しかしそこにぼくは知識人や有識者のある越えられない溝を見る気がした。

 それはうまく言えそうにないが、ひと言で言えば社会の「現在」に対して感性的に後退してしまうというようなことだ。

 言うまでもなく、明らかに杉村の感性は若者達の日々の生活の中に息づく感性に近く、あるいは何の苦もなく彼らの感性の中にとけ込むことが出来ている。要するに社会の現在というものが、どういうものであるかについて、頭での理解ではなく、肌身に受け止めている世代であり、直感的に杉村は彼らの代弁者たり得るのではないかと考えているように見える。そして政治家としての自分の存在価値を、そこにおこうとしているかのように感じられる。これは「NEET」を困った問題としか捉えることの出来ない世相の中で、一つの新しい風として評価出来るのではないだろうか。

 一方の福岡は、学生から学者への一本道を歩み、政治学者としての研鑽を積み、社会的評価も相応に身にまとってきた。言ってみれば他人には見えない苦労や努力の果てに現在の地位を築いてきている。「NEET」の、勉強にも働くことにも夢中になれないジレンマとは無縁だ。

 

 福岡をはじめとする学者、政治家、有識者、ジャーナリストたちの見識ある言葉(?)によって、ニートの若者達のこころを揺り動かすことは出来ない。かえって杉村の言動が、たとえそれがどんなにあんぽんたんな言動であろうとも、影響を与え、若者のこころや行動を揺り動かす可能性を持っているに違いないと思う。現在という社会の中に、見てきたもの感じてきたもの、あるいは現に見ているもの感じているものが、福岡と杉村ではおよそ異世界のような隔たりがあるのだ。それは見えるもの見えないものの全てを通じて、そうならざるを得ないのだ。社会の高度化、高度に分化された社会によってもたらされた急激な変化が、それぞれの経験や体験を孤立化させてしまうからだと言っていい。

 テレビ・新聞を見ている限り、その世界で幅をきかせている「言葉」は、従来の古典的な人間性の概念に準拠しており、また何故か為政者のような高みから社会に起こる出来事や事象を眺め、そして専門家の意見を述べることになっている。もちろん、媒体からの要請があるからなのだが、そこには、「生身の人間として自分がどう生き、その問題にどう対処してきたのか」、その実感的な部分が欠落している。高みからではなく、自分が現に生きてきた現場、その地を這うような低い位置からの、実感の伴う「言葉」が聞こえてこない。

 たとえば福岡は、自分が所属する大学の組織や制度といったものに、「やってらんねえ」と思ったり、「馬鹿らしいや」と思ったりしたことはないだろうか。大学に勤めることも学者でいることも嫌だと思うことは、一度もなかっただろうか。本音を生きれば「NEET」になるほかはない、そんな「紙一重」を感じはしないか。

 福岡は、「孔子」のように政治を語っていたいのだろうが、大部分の大衆や「NEET」の感性からは大きくずれている。それでもかまわないのだが、大多数の人々の現在的な欲求や願いが分からなくて、また彼らの感性に盲目であり、彼らの感性に価値を見ようとしない政治論が空疎なものに終わるほかないことは言うを待たない。

 歴史は「孔子」が作ってきたものでもなければ、為政者によってのみ作られてきたものでもない。仮にそう見える場合にも、大多数の民衆の日々の営為の積み重ねがなければ、歴史は成り立ちようがないに決まっている。

 

 福岡と違って、ぼくは若者が「NEET」である現状を肯定的に見たい。学校の勉強なんかくそ面白くもないに決まっているし、働いてみたい仕事、会社もどこにも見あたらない。何にもする気がなくなって当たり前じゃないか。ぼくならば、やがて夜の世界、闇の世界、裏の世界に身を投じるかも知れない。現に、過去にはそういう一歩手前までいったことがある。

 杉村のように、シンデレラボーイという偶然や他力本願が手伝わなければ、「NEET」の住人であることを止めることはむずかしい。もちろん止めなくたっていいし、ただ、「NEET」であることの苦労や難しさがつきまとうだろう。彼ら自身がどうにかするほかはない。杉村は、そうした存在としての「NEET」の現状や実際を共感的に理解できていて、だからこそ、政治家として彼らの役に立ちたいという考えを披瀝して見せた。杉村と同じように、若者達もまた現状に満足している訳ではない。大部分は消去法から「NEET」になっただけであり、そこからどこに行くかを考えるきっかけを杉村は若者達に与えることが出来たらという思いでいるのだろう。それは見方によってはどこまで行ってもあんぽんたんな発想かも知れない。けれども、この「負の実感」を切り捨てずに、そこから大衆としての「NEET」に寄り添い、それを政治家の初心として実践して見せようと意志したものは、ぼくには杉村が初めてであったように思われる。言ってみれば、初めてのまっとうな「あんぽんたん議員」なのだ。芸人、タレント、プロレスラー等、これまでに多くの「あんぽんたん議員」は存在した。しかし、彼らはすでにそれぞれの分野において知名度を持つほどの活躍を見せていたものたちだ。杉村は、無名の大衆が大衆のままで議員になった初めての国会議員といっても良いかもしれない。これには、政治の大衆化を予感させるような時代の動向が荷担している。まさかというようなマジックが、自民の公認と、大衆の投票という選択に顕現された。これから杉村がどういう政治家になっていくのか、自民の杉村の教育担当にどこまで飼い慣らされてしまうのか、見当もつかない。だが、史上初めての「NEET」政治家杉村に、初心忘るべからずと期待しないではいられない。

 杉村のような議員が誕生することは、福岡の考えるだろうこととは違って、唯一の時代の手柄であって、一筋の光明だとぼくは思う。

 一方で、かなり政治家として活躍しそうなマドンナ議員が今回の選挙でも誕生した。片山といい、佐藤といい、どこか男性の政治家に互角に相渉っていけそうな雰囲気を醸し出している。これらの議員は、実務上かなりの力を備え、即戦力としても使えるのかも知れない。だが、その程度なら女というだけで、従来の職業政治家の範疇にすっぽり当てはまり、何の新味も感じない。実際の政治的な手さばきはお手の物という感じで彼女たちも担っていくのだろうとしても、どこか従来の政治家のように、高みにおさまって、政治家然とした嫌な体質が匂ってきそうに感じられる。彼女たちに、どんな期待もかけようがないことはいうまでもない。辛辣な言い方をすれば、権力好きしそうな、嫌な女達だ。現在という社会の段階で、政治家として登場するのは、せいぜいがこんな程度の女達だ。彼女たちを持ち上げる自民党の幹部や、またマスコミ、報道のレベルも、この社会の段階に見合っている。時代の一歩一歩はこういう迂遠な過程を経て進んでいくのであろうが、どのような世の中の到来がよいのか、どういう社会が目指すべき社会か、少しずつではあるが見えるようになってきていると思う。その未来の社会を見据えたところで現在を見直せば、何が希望で何が停滞かが、流布される言説とは異なって見えてくる。多くの大衆は、いまだに新聞の社説などが、一般常識を備えた、立派な見識を代表するかのように思いこんでいるかも知れないが、本当はくだらないことをくだらないと言えない悲しさに満ちている。啓蒙的な使命という枠組みを脱することが出来ない。これが現在的に脱することが不可能な運命にあるのだと仮定しても、未来的に無くならなければならないことを否定するものではない。ごく当たり前の感覚からすれば、アホさ加減は天井を突き抜けていて、たとえ「NEET」でなくても、ばかばかしいやと世の中を見ないではいられない。そういう感性が社会の底流を支えていて、しかも決して表層にその全貌を表さないことを、福岡らもまた、知らぬ振りをしてはならないと思う。

 政治が、薄っぺらな紙程度になることは、本当は未来への希望だ。誰もが政治家になれ、政治の世界が特殊な村社会でなくなることは理想ではないのか。もっと言えば政治という概念が解体するほど無化され、当たり前のように大衆の中に埋没していくことが理想だ。逆に言うと、大衆が高度化することによって、現在的な政治の世界の専門性が意味を成さなくなる地点を遠望して言っているのだ。その意味では「NEET」存在は、不可避の過程にあるものと考えることが出来る。杉村のような「NEET世代の政治家」の将来は未知数だが、今後も素人政治家は増えていくだろうし、増えていくことがいいのだと、ぼくは思っている。願わくば、杉村には自分の出発点を忘れないでもらいたいものだと思う。

 

 

 「靖国神社」についてのメモ パート2(2005.11.9)

  「靖国」について前にメモ的なことを書いたが、消化不良の気持ちが残った。徹底的に言おうと思えば、底知れない根深さが感じられ、それをまるで胡桃の実をほじくり出すような執念深さで探っていく作業が必要だと思った。

 怠惰なぼくにはとてもそんな作業は耐えられそうにもない。それに誰もそんなことをぼくに望んではいまい。関係ないや、といえば言える。

 たまたま11月7日の河北新報に、ジェラルド・カーティスさんの「政治家による靖国参拝日米関係悪化の怖れ」と題する文章が載っていて、それを読んでモヤモヤしていた気持ちが少し晴れたので、そのことを考えておこうかと思った。

 ジェラルドさんの「靖国」についての認識の一端はこうである。

 

 多くの日本人にとって、靖国神社は単に自国を守るために戦死した人たちを祭っている神社である。小泉首相も、同じように考えているのだろう。与党自民党の一部議員とは違って、首相は日本の軍国主義を正当化したり、戦犯とされている人たちの無実を主張したりしていない。首相は戦争で犠牲になった若者を敬うこと、平和を願うことを参拝の目的としている。

 

 そこで、靖国をめぐっての日本の世論が、外国からとやかく言われたくないという雰囲気を醸し出すものになっているのは、驚くべきことではないというようなことをジェラルドさんは言っている。

 これはとても一般的で平均的な見方が出来ていて、ぼくは好感が持てた。

 こういう心性のレベルにある日本人には、中国や韓国をはじめとする諸外国からの非難や懸念が不可解に感じられる。そしてそこから、諸外国の思惑を推し量るようにして日本人らしい気弱な配慮が働き、政治家やジャーナリスト達からは他の施設の創設や分祀を言い出す声が挙がってくることになる。同時に、それが「外圧」に屈するという見方も見られるようになる。

 一番の問題はしかし、ジェラルドさんの次の指摘に核心があると思う。

 

だが、靖国神社が戦死者を祭るだけの神社ではないことが問題である。靖国は、戦死者を祭ると同時に、軍国主義時代に兵士達を戦場に行かせた政府の政策を正当化しようとする特別な神社である。

 

 そして、そう認識する理由として、次のような靖国の姿を紹介している。

 

 八月初めに、私が訪問した際、靖国神社にある博物館「遊就館」で、「大東亜戦争」を起こした日本の軍事行動をたたえる映画を上映していた。真珠湾攻撃は自衛のための先制攻撃であり、アジア大陸で戦ったのはアジア解放のための崇高な行動だと言わんばかりである。

 

 「靖国神社」にこのような特異性、政治的メッセージの発信の意図があるかぎり、いわゆる「靖国参拝問題」は今後も糸を引き、日本自身の手では解決の出来ないぐちゃぐちゃのままに推移していくのではないかと思う。軍国主義時代の政府の政策は、今もなお亡霊となって、一部の生者を突き動かす動力であり続けているのかも知れないのである。

 靖国神社が行うこういう政治的メッセージの発信は、日本人の総意に基づくものではない。それなのにこういう恣意的な行いができるのは、一宗教施設であるからであろう。この一宗教施設にすぎないものが、公共施設であるかのように日本の戦没者の多くを祭り、A級戦犯をも祭っているから、ことが厄介になる。また、これに首相をはじめ国会議員が参拝することが、ともすれば「靖国の政治的なスタンスの支持表明」に見えてくるから厄介なのだ。これは同じ日本人であるぼくにも、非常に判断の出来にくい面を持っていて、もしかするとという疑いも消すことはできない。

 ここから見えてくることは、日本という国が、国として、自身の手で先の戦争そして敗戦に本当の決着をつけていないと言うことだ。責任がはっきりしていないということ。戦争責任をうやむやにしてきた結果である。そう、思う。

 

 ジェラルドさんは、「靖国参拝」によって、日本の首相が、不幸な歴史を導いた政策に間接的にでも敬意を表することになることを指摘し、そのためだけに戦後の平和国家としての日本の歩みがご破算に帰すことに危惧を抱いている。そこに氏の日本びいきがにじんでいるが、「靖国」ではない追悼施設の新設が日本の歴史問題の解決に不可欠だとする指摘はやや疑問が残るところだ。

 本当はどの国の追悼施設も風化していくことが希望ではないのか。ということは、為政者が戦争という手段を取らず、よって民衆から兵士を駆り立てるということがなくなればいいだけの話だ。過去に戦争があり、追悼施設があり、そこに参拝することは当然のこととして、それでは未来永劫その追悼施設は追悼施設であり続けなければならないかといえば、そうではないだろう。「靖国神社」も国家規模の追悼施設としては、たかだか明治以降のもので、それ以前には形を変えあちこちに点在したものを一カ所にまとめて慰霊するという形を整えてきたにすぎない。いわゆる近代国家の成立とともに成立したと言っていい。戦国時代にも存在しただろうそれぞれの領地内における追悼施設はどうなっているか。たぶんその地に住む人々にとっても分からないくらいひっそりとしたものになっていたり、わずかに領主及び直近の子孫達、末裔達が縮小した形で祭りを受け継いでいるにすぎなくなっているのではないかと思う。「靖国」もまた、やがてそうした歴史の運命をたどるに違いないのだ。また、そうでなければ未来の平和は望めない。これ以上戦没者が増え、「靖国」が盛んになっては(?)ならないのだ。

 首相の参拝は、国家指導者の責任において国民を戦地に送りんだ以上、国家が続くかぎり、やはりその後の国家指導者の立場上当然であり、また、やむを得ない参拝であると思う。それが最高責任者たるもののつとめとも言える。だがもう、そんな立場なんかはなくなった方がいいのだ。少なくとも、そういう立場のない未来を模索していった方がいい。大統領、総理大臣、首相、それらがいない。もっといえば国家がない。そういう社会の在り方は、今はまだ夢物語にすぎないかも知れないが、昔の夢物語は科学の発展によって数多くが現実のものになった。いわゆるイマジネーション、想像力、それらによって描かれるユートピアこそ、実は未来を切り開く原動力になる。

 国家がなく、首相がいなければ首相の参拝はない。参拝しなければ、隣国との軋轢は生じない。これはまた隣国についても言えることである。

 これはあまりに非現実的かも知れないが、より現実的なことをいえば、やはり首相の参拝は止めるのが最善であろう。厄介な問題が多すぎるし、首相をはじめ、誰ひとりその問題にきっちり答えることのできるものはいない。当然国内においても、また諸外国から見ても、いろいろに疑いを感じさせる参拝になってしまっているのだ。その参拝に付着する厄介な問題を払拭出来ない以上、説得出来るだけの理論や理念を積み上げるか、参拝を止めるしかない。自国民の多くにも疑問を持たれるそれを、我を通すだけで突っ切ってみせるだけでは最早何をか況やである。

 では、参拝を止めてどうするか。ぼくならば参拝の主旨となっている戦争の犠牲者への敬いや平和への誓いを、たとえば八月十五日の国会での黙祷後に、あらためて首相表明として述べるか、内外に向けてのコメントという形で公表するかすればよいと思う。場合によってはこれは国民的行事として執り行ってもいいと思う。その際、特に先の開戦と敗戦に関しては、首相自らがどう認識しているか分かるように、自分の言葉ではっきりと明確に述べることが必要である。そういうことも勉強し直すことが必要になる。

 いろいろ言ってきたが、これらは全て言ってみるだけのことを言ってみただけに過ぎない。こんな文章を気にとめるものなど誰ひとりいない。

 「靖国」の特殊性。参拝問題のキーワードはやはりここにある、そう、ジェラルドさんの文章から啓示されて、少しばかりここで語ってみた。人を右の思想や左の指導に引き込もうとする党派の言葉とは、ぼくの文章は無縁である。ただいつまでも素人の域を出ないことが悲しいと言えば悲しい。

 

 「郵政民営化選挙」について(奉仕と指導の混同)(2005.9.13)

 小泉首相の強烈な思いこみと強引な手腕によって、今回の選挙は郵政民営化に賛成か反対かを問う選挙となった。選挙の争点が、小泉主導で決定され、民主党などが掲げた政策論争の主張はついに実を結ぶことがなかった。

 結果は自民空前の圧勝で、反対に民主の惨敗に終わった。

 今回の選挙を見てきて、特に有権者の投票率が大きく上がったことに意外感があった。多くの国民がどちらかと言えば小泉首相の改革の続行を期待し、改革は実施され、継続しなければならないという思いの、それは現れなのかも知れない。法案に反対した造反組も、民主も、あるいは他の野党も、党派を越えてこの国民の声に耳を傾けなければならないと思う。「この国の現状をなんとかしてほしい」、「この国が変わってほしい」、そう言う声の表れなのだと思う。それはもしかすると、悲鳴に近い声なのかも知れない。

 ところで、選挙に至る過程から選挙当日までの経緯を新聞やテレビなどで見るにつけ、それは相当に面白い娯楽番組のように見えた。こんなことを言えば不謹慎なと叱られるかも知れないが、いろいろな人のいろいろな思惑が窺われて、とても「渡る世間は鬼ばかり」などの比ではなかった。もちろん、ドラマ同様の安っぽさが至るところにあり、国中を候補者の声、有識者の声が駆けめぐり、やがて悲しき、という思いになった。この間の、人間の生み出すエネルギーの総和を考えたら、とてつもない量になるのではないか。そしてそれが、本当に大事なところで、ここぞという時に使われているか?そう言う疑問も生じた。打ち上げ花火のように、華やかな賑わいと美しさとはかなさとが混じり合って空を染め、やがてそれっきりに消えてゆく。

 いつもの光景だと言えば言える。改革の実現が、結局のところ、分厚い国民層のいったいどの層に都合のよい改革にすぎなかったかは、一夜の夢の後に見えてくるに違いない。「国民」という声が、いったい誰を指して言っている言葉か、与野党、有識者、マスメディアを通じてそれぞれに都合のよい「国民」でしかないのであろう。

 もしも自分が国民の一人の声として、次のような発言が許されるならば、あるいは権利として持てるものならば、こう言ってみたい。『妄りに「国民」の言葉を使わないでもらいたい。少なくとも私はあなた方の「国民」でもなければ、あなた方のイメージする「国民」の一人でもない。あなた方はよく、国民の声、国民の思い、等という言い方をするが、私は常に、いやそれは俺の声ではない、俺の思いではない、と思い続けてきた。あなた達からは、ついぞ、この声や思いを掘り起こす実践の努力を見たためしがない。となれば、私の隣人たちの声と思いについても同様な黙視をしてきたに違いないと推測する。』

 

 こんなことはいくら書いても仕方あるまい。

 この選挙期間を通じて、かすかに感じてきた思いについて、それを言葉にする努力を少ししてみたい。

 どういう事かというと、政治家、学者、ジャーナリスト、その他選挙期間中に選挙に関しての番組や紙上の記事に登場してきた全てのものたちに関してのことだ。もう少し言うと、そこに表れた価値観についてのことだ。

 つまり、そこには何か、常に、いいことをしている、正しいことをしている、立派なことをしている、そう言う雰囲気が充満していた。少なくともぼくはそう感じてきた。みんな、いいことをやっているつもりだし、価値あることをやっているつもりでいるように見えるのだ。政治を語ること、それはそんなに立派なことか?各党首、各幹事長及び代表、各候補者、三宅久之、田原総一郎、筑紫哲也、久米宏、櫻井よしこ、福岡政行、その他大勢とマスコミ各社と・・・。

 何かを論じているつもりになり、何かを知っているつもりになり、何かを動かしているつもりになり、それはとても価値あることだと思いこんでいるように思える。けれども、結局のところ、きみたちが潤っているだけの事じゃないのか?・・・ともすれば、全てがハイエナのように見えてしまう。もちろん、ぼく自身もまた、機会あらばとねらうハイエナの一匹にすぎないことは言っておかなければならないことかも知れない。

 

 何かひどく憂鬱になりそうなのだ。指導者になりたがり、ご意見番になりたがり、せっせと汗水を垂らす。間違いとは言わない。けれど、それは何のためだ?初心を振り返って考えてみれば、悲しい人々、悲しい命、それが権力の名の下に、権力の影に犠牲となって闇の中に沈むことの無いようにというのが願いであったのではないのか?今のきみの姿は、とてもそんな重荷を背負っているようには見かけられない。「国民」を背負うかのような大言壮語はしかし、明らかにきみの言に背くものを切って捨てているのではないか。きみの言葉のよき理解者だけの数を増やすことだけに躍起になり、そのよき理解者にだけよい顔をしてみせる。しかし、きみたちの初心は、元々きみの声の届かぬところ、きみの願いの届かぬところ、きみのさしのべる手の届かぬ先に、ひっそりと、息をひそめるくらいに生きる人々に向かっていたはずではないのか。

 候補者たちは選挙中、これでもかこれでもかというくらい頭を下げまくっていた。それは、きみたちの前に、きみたちの本音の声を聞こうとする顔が並んでいるからであったろう。だが、聞いてくれる顔が目の前にあるものたちはまだいいのだ。そういう顔の一つさえなく、白昼の中にまた闇の中に、ひたすら頭を下げて顧みられない多くの存在があるだろうことを忘れてしまってはいないか。きみたちはたぶん、候補者である自分が有権者に向かって頭を下げているという認識しかないだろう。だが、それは逆に、きみと同じかそれ以上に、きみに向かって頭を下げている有権者がいるということを考えるべきことだ。その声は涸れ、きみの耳には届かないかも知れない。だが、きみは空に消えたその声を、地に落ちたその声を、かき集めて耳に入れなければならないはずだ。

 それを忘れて、ぬけぬけとマスメディアなどにしゃしゃり出てくる者の、何と多いことか。そういう連中が結局のところ、社会の新たな重石として君臨してくる。そうなることに気づこうとする者は、画面の中には皆無であった。そしてこういう構図が疑われることなく幅をきかしている間は、まだまだぼくたちの社会は未成熟の途次にあると考える他はない。

 もう一度言う。多くの幸運な機会を得て、そういう立場を得たものは、政治家であれ学者であれジャーナリストであれ、全ての者は、一人一人の人命の尊重とよりよい暮らしの実現に向けて立ち上がるべく切符を手にしたということであろう。それは指導者というよりも、辛い奉仕者の立場に立ったということであり、自分を勘定に入れずに、他利に奉仕するということに他ならない。特定の他者に向けての奉仕であってはならない。利することのない者に向けての奉仕であるべきだ。だから、誰がいったい利に恵まれていないかについて、常にアンテナを張っておかなければならない。永久にそれだけを繰り返す、そのことが嫌になったら辞めなければならないし、元々そういう気がなかったならば、害あって益無し、始からそういう道に進むべき器ではないから自重すべきであったのだ。

 とりあえず、言葉にして言ってみたいことの一端はこんなことだ。いつかまた、この思いについて深く探っていく機会を持ちたいと思う。

 

 

 「靖国神社」についてのメモ(2005.8.15)

 問題点。

 靖国は、現在、厚生労働省によって主に公務と認定された戦没者を祀る神社である。簡単に言うと、「お国」のために死んでいった人たちを祀るところである。大事なことは、遺族からの合祀の申請を審査するとともに、また、今のところ家族からの申請によって合祀から外されることが不可という点にある。

 申請されたものの審査をどういう基準で誰がどう決定していくのかという疑問もあるが、遺族の意志で合祀から外すという自由がないことも大きな疑問に感じる。当人が死んでいるから、当人の意志もここには反映されてはいない。見方によっては、国家の上層部が勝手に犠牲を強い、死してなお勝手に靖国に祀られると見えないこともない。地下に眠ってなお当時の軍国主義のままでいるなら、それも妥当かも知れないが、戦後60年を経て、死した本人たちはどう思っているだろうか。

 生き残ったものが、英霊に手を合わせることは当然であろう。国のために戦ったと評価するのもいいとしよう。感謝もあり、それぞれにより複雑な思いもあるだろう。

 ぼくが納得出来ないのは、A級戦犯も祀られているというところにあるのではない。

 祀られるならば、犠牲者も含め、先の戦争が何らかの因になって死んでいった全ての人が祀られなければならないのではないかということだ。戦後の繁栄等を考えた時に、心底国のためにという考えを胸に抱いて死んでいった人々ばかりではなく、戦争を遠因として、思わぬ不慮の事故等で命が絶たれた人々もいるはずである。繁栄は、そうしたもろもろの犠牲の上に成り立っているのだと考えれば、「国のため」と考えた人々を優先しなければならないと考える根拠はないように思える。死においてもなお、なぜ審査があり、優先の順位らしき配慮が働かなければならないのか。それが不思議でならない。「国のため」と考えることが崇高で、何も考えずに偶然被弾して亡くなった人の死は意味がなかったと言うことなのであろうか。

 どうしても、「国のため」という滅私的犠牲的な精神を讃えなければならないか。また憂国の士を優先しなければならないか。思いは同じであったろう。魂に、上下の区別、美醜の区別はつけられない。知性の優位、精神の優位が、どこかに匂っている。

 ぼくには先の戦争では、指導者と、指導者の比ではない多数の兵士たちがいたと思っている。戦場でよく死んだのは多数の兵であり、死に赴かせたのは指導者たちであった。そして戦後、多く生き残ったものたちは中枢にあった指導者たちであり、戦後息を吹き返し再び指導する側に回ったのもまた彼らであり、あるいは彼らに身近なものたちであったという印象が強い。そして、大きく栄えた企業もまた、戦時に活躍した企業が、結局はそのまま発展していく姿を見る。

 つまり、国内における権力層、金持ち層はもっとも打撃が少なく敗戦を通過することが出来た。これでいいのだろうか。

 日本の国の立て直しに、彼らは大きく貢献し、大きな業績を上げたといえば言えるのかも知れないが、本当にそれだけでよかったのか。

 

 戦前靖国は国家の施設であった。それも、明治政府の決定によるもので、国の施設としてそれほど古いものではない。戦後は国家の施設とは離れたものになった。だが、奔走するものがあり、厚生省に結びつき、現在はその関係を厚生労働省が引き継いでいる。国家の施設ではないが、戦没者家族の援護の意味合いから、遺族年金の授受とも深く関わっている。

 明瞭に言ってしまえば、靖国は天皇に対する忠誠心を発揮し、天皇を頂点にいただいて行われた戦争に、貢献があったと認証される主に戦死者を祀る施設であろう。発端となる明治には、明らかにそうした施設として存在していて、その証拠に、官軍賊軍に色分けした賊軍側から祀られたものは存在しない。

 戦後、形の上では国家から切り離されようとはしたものの、それを復権しようとした何らかの動き、働きがあった。大衆の、底からわき出る思いではない。そういうものに手が届く位置にあるものたちの、恣意的な意志と言っていい。その意志はいつも国のためとか、国民のためとかという言葉を使う。そしてその立場を決して手放そうとはしない。

 A級戦犯と見なされ、刑死したものたちを合祀することになった経緯にも、一般大衆には関わりない、何かの力が働いたのだろう。明治の殉死者、乃木希典は祀られていない。殉死が祀られず、刑死が祀られるということには、その死がやはり戦争との関わりの度合いがどうであったかに比重があるようだ。

 

 国内において明らかに二つの立場がある。一つは先の国内外に多くの犠牲者を産みだした戦争の先導者として、指導者には責任をとらせるべきだとする立場である。もう一つの立場は、先の戦争において指導的立場にあったものも、国のため、国民のため、そして天皇のために、いわば公務として働いたのであって、彼らにのみ責を負わすべきではないと考えるものである。この二つの立場は、おそらくは指導の側に比重をおいて考えるか、被指導の側に身を置いて考えるかの違いが反映している。

 祀りの本質は、いずれにせよ、生者の側の思惑である。そういう意味では死者には何の権限もない。だが、心あるものは、それがどんな「思惑」にせよ、生者の特権として抵抗出来ない死者の死を、「思惑」にまかせて思い通りにしてよいとは考えまい。そういう法がまかり通ってはならないのだと思える。しかし、現実には「思惑」が横行している。

 

 先の戦争に関して、全員責任論が根強く残っている。自虐的で卑屈な思想である。どう考えても乳幼児には責任があるまい。責任があると自覚するものが責任をとればよいのだ。だが、責任がありそうなものたちほど、責任逃れをして見事に再生してしまう。それらはいつも責任の取り方を間違っている。当時は日本の再生のために身を捧げるという虚偽によって、現在は危機の回避に全力をあげて取り組むことが責務を全うすることだという言い訳を用意することによって。

 本当はそういう自分本位の悲壮な決意や覚悟が、どんなに自体を複雑なものにし、分かりにくいものにし、今現在に至る混乱を産みだしてきたか、まるで分かっていない。

 敗戦の責任は誰が負うのか。形の上では天皇が負い、A級戦犯たちが負った。それが如かし国民全体が納得の上でのことかと言えば、外から強いられた側面が強い。戦後60年を過ぎてなお、日本国民自身の手で、それの決着を果たすことが出来ていない。国内でさえそうであるから、他国民にたいしての責任の自覚も曖昧である。よくも悪くも、これが日本的ということだ。国内だけであるならば、この曖昧さに自国民は馴れている。長い歴史がそれを教えている。ほんの少し前の時代、見せしめや生け贄によって、すなわち割腹やさらし首という手段を用いて、曖昧さは消されていた。だが、その手段を封じられると、「潔さ」は指導層からも解体してしまったのだ。

 それならば最早、生にしがみつき、利権にしがみつく日本人ということでいいではないか。腹を割ってしまえばピンからキリまで餓鬼であるのだと。外に向かってそう公言すればよい。あなた達だって同じ穴の狢でしょう、と。他国の指導層が全て立派な聖人君子ばかりというわけでもあるまい。大なり小なり、同じような問題は抱えているに違いない。

 地上における人間の行いを、論理によって、言葉によって、理性的精神によって全て割り切ろうというのは、西欧的な発想である。東洋そして日本には、それになじまぬものがある。遡れば、靖国の問題も、そういうところまで行き着いてしまう。

 

 

 

 「郵政解散、思いつくままに」(2005.8.12)

 毎日暇にまかせテレビを見ていることも多い。ひところ若手のお笑い芸人の活躍に興味を覚えて拍手を送ってきたが、少しずつ飽き始めていた頃に、終戦60周年記念番組と郵政民営化の参議院での公開審議・討論が画面に流れ、面白くてついつい見てしまった。

 

 終戦記念の特別番組については、新しく発掘された情報などもあって、参考になることも多かった。戦争や原爆の悲惨さについて、従来よりも踏み込んだ取り組みが感じられ、概して、力が入っているなという印象を持った。

 画面によっては、はげしく心を揺さぶられて、軋みとともに涙のようにも血のようにも感じられる熱い何かが迸るようであった。一時の高ぶりに過ぎないのだが、この高ぶりが消えても、焼き付いた思いは終生自分の心に残ることを、つまりはその程度にはぼくは自分を信じている。

 戦争について、真っ向から何かを語ることはしてこなかったし、たぶん今も語ることは出来ない。戦争反対の声をあげたこともなければ、そういう運動に参加することもなかった。見聞きする戦争の始まりと終焉までのその実態は、とてもそう簡単に、言葉や行動のような運動としての表出につながるものではない。特に今年は、被害者の間にはまだ戦争が続いていることが実感されて、引き裂かれた心は時間によっても埋めることも出来なければ癒されないこともあるのだという思いを持った。

 報道は、さまざまな角度から、なぜ戦争が起きるのか、戦争を無くすにはどうしたらいいか、の道を探って、視聴者に問おうとしているようにも見える。そうしてそうした営為が戦争の回避につながることを期待しているように思える。戦争の悲惨さを語り継ぐ。過去の戦争を問い直す。

 これは一見まっとうなことであるかのように見える。だがぼくには、例えば、少なくとも戦後の日本の平和を支えたのは、こういう報道の取り組みでもなければ平和運動を旗印にしたいろいろな取り組みでもないと思われてならない。

 平和を訴える力の大きさによるものではない。

 本当は、被害の未曾有の深さと広がり、言葉にならない茫然自失、それを現世に引き受けることになった人々の、その引き受けた事実の総体からもたらされた平和なのだ。それは暗い闇の底からもたらされた奇跡の平穏であり、虚無を裏返した平和でさえある。何故となれば、何一つあの戦争から解決したものはないからだ。何故、何故、何故。終戦からこのかた、戦争体験者も非体験者も、自分一人ひとりの心にこだまするこの問いに、たぶん何一つ答を見いだすことが出来ないでいるに違いない。そう、何一つ問題は解決していない。この徒労とも思える永遠の問いかけ、これは明晰な頭脳の産物ではない。けれども、この、答のない「何故」を手放さず、あるいは手放せず、体現している人々の存在によって、ただその存在のみによって、戦後のこの平和は保たれてきたといって過言ではない。この問いを回避したものだけが、多弁と冗舌とを手にすることが出来る。

 

 戦争が問いかける問題に、ぼくは答えることが出来ないでいる。そこでは平和を口にすることも、反戦を口にすることも、ある種のためらいを覚える。言葉と、数に頼むことは、危ないことである。戦争体験の風化を危惧する声が聞こえてくるが、だからといって耳目を集める活動にこぞって集まる必要はない。とりあえず、いざというときにしっかりと世論に迎合せずに価値判断出来る自分というものを持ちたいと、ぼくは思っている。そういう大衆のひとりになりたい、ということだ。そして、残念ながらこれ以上のことを言うことが出来ない。

 

 ところで、こうした戦争をテーマにした番組を見るにつけ、一方にまた騒がしく報道される郵政民営化にまつわる政界のごたごた、参院否決、衆議院解散総選挙は、他のお笑い番組、スポーツ番組、ドラマなどに較べ、ダントツに面白くて仕方なかった。

 どうしてこうもしょうもないことに50,60のいい年をした連中が、エネルギーを費やして空騒ぎが出来るのか、どうしても理解出来ない。出来ないから、乾いた笑いを笑うほかなかった。全体が、よくできた高度のお笑いになっている。もちろん、幕の終わりには乾いた悲哀も用意されているに違いない。

 演じるものたちには、たぶんこの寸劇の全体は見えていない。シナリオは、現代の社会の彼方から匿名で送られてきて、演者たちの無意識を規定している。中身のないどたばた劇でありながら、演者たちそれぞれの異様な思い入れが、内容を越えて、この劇空間をリアルなものと錯覚させる力だけはもっている。ちょっとしたボタンの掛け違い、ちょっとした気持ちのすれ違いから離婚に発展する夫婦のドラマにも似ている。また、子どもたちの間に起こる、たわいもないことでの喧嘩の世界にも似ている。

 もともと、郵政民営化が構造改革の要という見方は、小泉の思いこみに属していた。民営化なしに利権構造を解消したり、既得権の肥大化の防御や、関係省庁の改変、公務員の切り捨てなどがむずかしいために、いっそ民営化すればすっきりするに違いないと見込んだだけだ。

 こういう性急な改革は、日本人や日本の風土にはなじまない。そういう意味では、小泉首相でなければ出来ないことだという見方は出来そうに思える。けれどもこれが構造改革の要であり、本丸であるかどうかには疑問が残る。

 日本全体が、民営化か官製のままか、その賛否について色分けされそうな勢いである。だが、個人的には郵便局とそれほどの付き合いもないぼくらのようなものには、民営化されようがされまいが生きている間の生活にそれほどの影響を感じない。言ってみればどっちでもいい。郵便貯金もなければ、年賀状や、たまの小包、支払いのための振り込みに利用するだけだからだ。今の郵便局を守らなければならない何ものもないし、民営化しなければならない必要性も少しも感じない。

 反対派勢力の予想以上の反発も、あまり意味あるものとは思えない。ただ、日本において日本人の手で速やかな改革を実現しようとすれば、必ずこういう連中が出てきて改革を阻止する方向に働く。それで改革は中途半端に終わることが多いのだが、これがよくも悪くも日本的な決着のあり方を示している。反対派は、口をつぐんでいるよりはその意を鮮明にしたほうがいい。しかし、気になるのはそこに至るまでの経過である。反対派はいずれも小泉を党の総裁に抱き、総理に担いだ責をになっているはずだ。その時点でこうなることを予測出来なかった自分たちを、まず恥ずべきではないのか?あるいは見通しの甘さを率直に反省し、その総括を国民にはっきりと提示した上で自分たちの主張を展開すべきであった。しかし彼らは、その点を少しも明確にせず、争点をすり替えることによって状況を潜りぬけようとしているに過ぎない。賛成派も反対派も、旧来の政治手法から一歩も抜け出てはいないのだ。それがまだ大衆に通用すると高をくくっている。

 民主党から共産党に至るまで、右も左も政治家は代わり映えがしない。優位に立つことが目的で、そのためにはどんな破廉恥にも堪えられる。それはそれで、泥をかぶれる図太さはある意味驚嘆に値する。だが、こんな次元で政治家気取りをしていられるのも、国内に限られることは、先の六カ国協議における蚊帳の外状態の日本代表の姿を見れば明らかだ。あれが本当は日本の政治の実力であろう。井の中の蛙。内弁慶。その姿にいきり立って無理に国外に存在感を示し、自己PR、自己主張を断固行おうとすると、小泉首相のように近隣諸国からの反発を招いてしまう。要するに大陸の空気が読めない、ピントがずれてしまう。そういうことになる。

 小沢一郎を抱える民主党も、その点では自民党と大差ないように見える。というより、同じ大きな自民党の中で影あるところに追われている人たちの集団というイメージが強い。その主張するところは、あるいは寄って立つところは、差異がない。いっそ自民党に復党して、その中で総裁指名をおこなった方が、権力に近づくことになるのではないか。その上で小泉のように反対派を追いやったらいい。これはまあいってみるだけの冗談だが、日本の政治家、政党は、日本政治党という一つの党の中にあって、ただ派閥同士の揚げ足取りに終始しているだけだという見方も成り立つのではないかという気がする。

 本当に、国民のことが考えられているのだろうか。党派、党略を越えて、今、成さねばならぬこと、成すべきことを、一致協力してすみやかに行う必要はないのだろうか。

 現在の政治的課題は多く、困難は大きいと、素人目にも見え、そこに従事することの大変さと、苦しみに同情することも出来る。しかし、ある程度の才能もあり能力もあり、環境も持ち合わせた人々にしかその仕事が出来ないのだとすれば、その人たちに期待する他はない。その期待が、どうにも出来ない。

 

 報道も含めて、政治家の言を注意して聞くと、「国家、国民のため」という言い回しをよく聞く。必ず、「国家」が先に来る。どの政党の政治家もそうであり、報道側に位置する有識者、解説者、あるいはキャスターたちもこの言い回しをスムーズに受け入れている。このことが何を意味するのか、気に掛けるものはいない。だが、ぼくにはとても違和感が感じられてならない。国家が先か、国民が先か、とどうしても考えてしまう。聞けば、たぶん、国家=国民という答がはね返ってくるだろう。不可分であり、どちらがどうだとは言えないことだと。

 しかし、ぼくにはその言葉のままに、どこか国家優先の思いが潜入しているのではないかと思われてならない。国民は、国家に従属するものだという、そういうニュアンスが聞こえてくる。もっと言えば、「国民のため」という言葉は具体性をおびて感じられるが、「国家のため」という時、具体性が抜け落ち、抽象的にしか聞こえてこないのだ。

 「国家のため」とはどういうことか。その時の国家とは、具体的には何を指しているのか。また、「国益」という言葉もよく聞かれるが、この「国益」という言葉もよく分からない。国民一人ひとりに還元される利益のことかと思えば、どうもそうではないようで、一部の権力者、経済的に富裕なものの権益というようにも聞こえてくる。

 多くの政治家の顔は、「公私」の公に向いている。「私」としての国民は、「私」のままでいるかぎり、一顧だにされないことを骨身にしみて感じている。政治家の空に突き上げる指を握りに行かなければ仲間になれず、仲間になれなければ、益に与ることが出来ない。そんな益にすがりつかなくても社会生活は成り立つ。政治に期待出来ないようにしてきたのは、政治家たちだ。政治に無関心になっても、自分の生活には自分の責任を持てばいいだけだ。そしてそれは、自分の生活を、政治のせいにしなければいいだけのことだ。そう考える大衆が多くなっても仕方がない。政治は最早、政財界と報道との中で、ああだこうだと取り沙汰されているだけのことに過ぎない。当事者たちもそれで満足して、何かを行っている気になっている。「私」たちには、「私」の心に届かない、それはテレビ画面の中に見られるドタバタ劇の、ほんの一コマとしか映らない。

 「私」たちの先人は、あるいはまた親、祖父母の世代は、戦後の政治の全くの空白を体験し、空白の中も生き抜いてきた人たちである。いわば政治空白のなかでも、生活は続くことを証明してきた。いざとなったら、どん底をくぐればいいだけの話だ。先進国に追いついたからといって、格好つける必要はない。ぼくは戦争を経験しない世代、若い世代にも、共通にその血は流れていると思っている。いざとなった時に、あるいはとことん疲れ切ってから、さらにいっそう粘ることが出来る。日本人にはそういう人が多いと思う。その自信の裏返しとして、政治への無関心は拡大している。ぼくはそう思っている。今度の総選挙に、国民として一票を投じなければならないと啓蒙する人たちは、報道を含めて政治を取り巻く世界が間違っているか、無関心から棄権する大衆が間違っているのか、その判断を、誤っていると思う。

 

 

 笑える「日中関係改善」(2005.7.11)

 河北新報の「あすを読む」欄に、コロンビア大学教授のシェラルド・カーティス氏の文章が載っていた。

 暇だから読んでみた。題は「政治家選ぶ国民の意識 日中関係改善の鍵」である。

 だいたいの筋はこうだ。

 

 日本の今の小泉政権における外交は洗練されたビジョンがなく、日米の同盟関係の強化はそれ自体が外交の目標になってしまっているように見える。小泉首相の姿勢もブッシュ政権にばかり注意を払い、アジア外交、とりわけ中国との関係にそれほどの関心は示していないようだ。経済的にはかつてないほど重要になっていながら、日中の政治関係は最悪の状況に陥っている。

 関係悪化の責任は中国にもあって、反日ナショナリズムを煽るから、自民党内では靖国参拝を中止しても関係改善は望めないとして、逆に強固な態度で交渉すべきという意見も強くなってきている。

 靖国参拝は中国や韓国ばかりではなく、最近はアメリカのマスコミでも話題になり、疑問視されている。

 靖国参拝をやめるのは、日中関係を改善するための前提条件である。だが、その後に日中相互の関係改善に向けた努力が必要になる。その第一歩は、何と言っても、対話であり大胆な人的交流だろう。そういう計画を考えなければならない。

 

 だいたいはこんなところだ。そして最後に、中国滞在中の講演で、自民党の個々の政治家の発言と一般の日本人の考え方を区別すべきだと話したことを付け加えている。そしてさらに、「民主主義国では、政治家の発言の責任は究極的には、政治家を選ぶ国民にある。特に、小泉首相の次のリーダーが、多くの日本人の常識とバランス感覚を反映する対中政策をとるために、有権者一人ひとりが緊迫した日中関係を真剣に考えるべきであろう。」と結んでいる。

 

 日本の外交政策については、以前養老孟司さんも言っていたように、目も当てられない無能であることがここでも言われている。ビジョンがないというのは、シェラルド先生が言う通り、たしかにブッシュ一辺倒から明らかに見て取れる。

 中国の対日姿勢、小泉首相の靖国参拝についてのシェラルド先生の見解にも、概ねなるほどなと納得させられるところはある。

 日本の一般人である自分には、両国政府の関係は、どっちもどっちだなと見える。はじめから、仲良くしようと言う気がないのではないかという疑問も湧いている。互いに小馬鹿にしあっているというか、まるで若貴兄弟のように関係修復は難しいと感じる。そして日中関係であれ、若貴であれ、どうでもいいことだ、自分には関係ないと思ってしまう。

自分の目先の暮らしには関わりないことだ。まあ、仲良くすればいいのに、と、それ位は思っている。

 シェラルド先生の文章は、これまでもよく囲み欄で目にしてきた。どちらかといえば、よく見ているんだなと感心しながら読んでいたように思う。ここでも、おおよそ納得して読むことが出来た。そして、いったんはページを閉じ、新聞をたたんだ。

 

 少しして、ふと、ほんの余韻としてだが気に掛かるところがあることに気づいた。それは、「政治家の発言の責任は究極的には、政治家を選ぶ国民にある。」というくだりだ。これは、よりよい指導者を誕生させるために、ぼくたち国民によりよい政治家を選び、また政治を浄化させるような高い見識を持てと言っていることなのか、と感じた。

 こういう言い方は、進歩的知識人、文化人といった種類の人たちの口から何度か聞いたことがあるような気がした。まあ、自分の声を反映させろということであり、政治や社会に積極的に参加しろということなのだろうと思う。しかし、本当を言えば、こういうことが言えるのは、自分の声が世論に届き、また政治や社会の中で一目置かれる特権的な立場にある人たち、若しくは票集めに走るものたちの言いぐさに過ぎないのではないかと疑念を感じる。

 民主主義国家であろうが何であろうが、五十年以上を生きてきて、自分の思いや言葉が、「そっち側」に届いたと思える経験はぼくには皆無だ。永遠に、「そっち側」には行けないのだ。なぜかぼくはそう思ってしまっている。そして、そう思っているのは、ぼくだけではなく、この民主主義国家の中にも大勢いるのではないかと思っている。民主主義国家だから、「そっち側」に行ってもいいのだと言われても困る。行けないということもあり、行きたくないということもある。

 シェラルド先生の母国では、この間ブッシュが再選された。アメリカも民主主義国であろう。アメリカ国民はブッシュを選び、ブッシュの発言に責任を持つということになるのであろう。しかし、それを心の底から思いこんでいる人が何人いるだろうか。民主主義国がみんなそういう綺麗事が言えるものだとするならば、そしてそれを信じる人々がブッシュの再選を選んだのだとすれば、大いに笑えるではないか。

 

 日中関係改善の鍵が、政治家を選ぶ国民の意識にかかっていると言うのだろうが、政治を語る者はいつの世も何かと言えば「国民」の言葉を持ち出して、「国民」をあちこち動かすことばかりを論じている。たまには「国民」を持ち出さずに、「国民」を休ませ、「国民よ眠っていていい。その間に、全ては俺たちが変えてみせる」。そう、啖呵を切って見せたらどうなのだろうか。

 日中関係改善など知ったこっちゃない。それは政治家の仕事だ。そして、子どもの頃学級委員を選んだり生徒会長を選んだ時に感じたように、選ぶという立場を回避したいという気持ちは、大人になって政治家を選ぶ時も同じだ。誰を選んでいいか分からない。誰が政治家としてふさわしいか分かりようがない。子どもの時と同じで遊び友だちを選ぶ、義理を感じる相手を選ぶ。そんなことになりそうなのだ。そんなことが民主主義国家の選挙のあり方の、偽らざる実態の一つであるとするならば、これまたもはや声高らかに笑うべきことではなかろうか。

 

 中1少年の妹殴打事件について(2005.7.2)

 時事通信の記事に次のようなものがあった。
 
 長崎県平戸市で小学6年の妹(11)をバットで殴り重傷を負わせたとして補導された中学1年の少年(12)が、事件の4日前に書店で漫画を万引きし、事件直前に担任や教頭が自宅を訪れ、万引きについて指導していたことが2日、分かった。
 平戸署は殺人未遂の非行事実で少年を佐世保児童相談所に通告。同相談所から送致を受けた長崎家裁佐世保支部は、少年の観護措置を決定した。少年は万引きのことが親に知られるのを恐れていた中で、妹を殴打するに至ったとみられ、家裁支部が詳しい動機を調べる。 
 
 担任や教頭の行った指導は、仕方なしに行った指導だという印象が持たれて仕方がない。
放っておく訳にもいかず、かといって、効果ある指導が出来るという確信もなく、ただただ脅しに近い指導しかできなかったのではなかったろうか。
 少年の内面に配慮した指導を、自宅に赴いて指導しようとした事実から、学校側としては配慮したという見方は出来る。しかし、何か釈然としない。
 まず、少年が万引きした時点で、それ以前の小中での指導、教育が無効であったという点に、先生たちは気づくべきではなかったろうかと思う。先生たちのそういう思いや願いが届いていない。少年の心に届いていない。そこに指導や教育が成立していく基盤など見あたらない。自分たちが参加し構成している、そうした教育のシステムそのものの欠陥がそこにはあるのだろう。先生たちはそこで苦悩するどころか、伝わらないそのことに、あまりにも無関心であり、反省もない。自分たちの教えの無力さ、教育の機能としての無力さをどう背負い込むか、そのへんの葛藤は伝わってこない。
 もう一つ、教え子たちが犯した犯罪に、師にある立場としてどのように責任を感じているかという事が不明である。少なくとも、もう少し前までは、教え子の犯した罪はその大半を自分の責任として背負い、もって教え子の罪意識を軽減しながら自分たちの関係を通してあるべき人間関係を伝えていたのではなかったのかと思う。
 もっとある。万引きや泥棒まがいの行為は、どうしても若者にはありがちの事であり、いつの時代にもあった事だという事である。必ずしも世間が言うほど全てが全て極悪犯罪という未来につながるものではない。愚かではあるかも知れないが、度胸試しや悪ふざけの延長につながっている場合が多い。そこでは、その場で適当に処理してすませればよい事なのに、自分たちが経験したはずのそういった小悪からの教訓さえ身に覚えがないかのように取り繕い、放棄し、世論の声に怯え、生徒の人間性に信頼が持てなくなった先生たちのとる態度は、いつも指導にはじまり指導に終わる。そしてそれがよい結果をもたらす事は多くはなかっただろうと考えていい。
 
 先生たちは、自他から窮屈に縛られている。それを感じ、自覚するとともにそれを否定したい衝動に駆られたなら、教職を辞するしかない。今はそれが一番まっとうなあり方ではないかと思われてならない。そうでなければ、幼稚園の先生たちのような身の回り全般のお世話役としてしか、学校の先生たちの役割は存在し続ける事が出来ない状況にあるという気がする。
 
 自宅を訪問しての指導など、本当に目を見開いて考えたならば、誰だって愚行としかとらえる事の出来ない行為にすぎない。結果として、そのことから1%たりともよい結果がもたらされるだろうとは誰にも想像する事は出来ない事であろう。そのあまりにもあたりまえで自明のことが、担任にも教頭にも見えなくなっている。自分がそんな事をされたら、どうなるか、そういう想像力さえ、先生たちには枯渇してしまっているのだと思わずにいられない。担任や教頭にあるのは、自分たちが指導したという実績やアリバイ作り以外の何物でもない。もちろん、その行為には自信もなければ、少年を心底から諭すだけの力もなかった。
 
 自分でも、そう出来るかどうか自信はないが、自分がもし担任であれば、少年と一緒に謝りつつ万引き代金をいったん自分の懐からだして商店に渡し、それで丸く収める事を一番目に考えるだろうと思う。もちろん、今度からするなよと少年に語りかけるだろう。それから教頭に少年の名前などは伏せて報告し、少年のその後の指導を含めた一切は自分に任せてくれと願うだろう。先に、学校側に商店から通知された場合にも、この程度の事であれば担任という責任において自分に任せてほしいと願い出るに違いない。
 この程度に少年を援護し、信頼する事があっても良いだろう。それが甘いというなら、もともと教育の世界は自分には無縁だ。仮に少年に裏切られ、少年が再度罪を犯し、自分が責任をとるほかなくなったとして、教育者としての椅子を失うだけの事ではないか。そんなにその椅子は大事か。もともと椅子に座っていられるほど、自分はたいした人間ではない。
 
 教育を熱心に考える。天職として実践に努める。そういう努力をすればするほどどういう結果をもたらすか、その反省は、ヴエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
のなかに垣間見られた。そのことをぼくは誰に問えばよいのか。
 
 長渕剛の「トンボ」ではないが、「死にたいくらいに憧れた、教育のバカヤローが、知らん顔して黙ったまま突っ立ってる」とでも形容したくなる。もちろん、少年にバットを持たせたはずの教育のバカヤローが、知らん顔して黙ったまま突っ立ってる、と言い切りたいのだ。

 教育の危機、そのかすかな片鱗について(2005.6.15)

 ニュースを見ていたら、またまたいじめによる女子生徒の自殺、男子生徒のいじめへの仕返しとしての爆弾事件、などの報道を目撃した。

 相変わらず教員も教育も無力のままだなと思う。

 この二つの事件は、いじめを真ん中において、全く逆の解決方法をとったというように見える。この両極の間に、たぶん無数の、表面化しないいじめと、解決や未解決が存在しているのだと思う。

 

 こういう問題には自分の考えを言い尽くしてきて、特に付け加えるべき事もないという思いだ。だから、コメントする気はなかったのだが、ただ一つ、女子生徒の自殺をめぐっての校長や教育長の対応に、何かしら気にかかるところがあったので、それを言っておきたいと思う。

 

 テレビの報道を見る限り、相変わらず校長や教育長の対応はお粗末のひと言に尽きる。自殺といじめとの因果関係に確証が持てないという言い方をしていたと思う。

 彼らが言う意味での確証は、こういう問題でははじめから持ちうるはずのないものであるといって差し支えのない種のものである。どんなに掘り下げたところで、いじめと自殺とは直に結びつかない。もっと複合している。しかし、だからといって関係がないと言う事は出来ない。

 ここでぼくが問題にしたいのは、校長や教育長の人間性や人格の問題ではない。もちろん、彼らが人間性や人格の点においても、すぐれた資質を持ち合わせているとは到底思う事は出来ない。くだらねえ連中だ、と思う。

 彼らはしかし、自分をそう見てはいないだろう。そこが少し気になった。

 

 校長も教育長も、子どもたちや教育について一生懸命考えて、そして良心的に努力してきた人たちであろう。今度の事件に対しても、誠意をもって対応しようと思い、そしてまたそう対していると信じ込んでいるに違いない。自分たちの良心や善意や、誠意、教育愛、そういうものを信じている。そしていろいろな状況を総合的に判断して、こういう対応をしようとした自分たちの決断を間違っているとは思っていないだろうと思う。

 要するに、校長や教育長といった制度上の立場からは、ああいう対応しか取り得ないのだろうな、とぼくは思った。

 彼らが話す事は、即、公的な意味合いを持ち、場合によっては町や県の補償問題、弁償問題等に発展する可能性を持つ。個人的な見解で、簡単に、いじめが契機となって自殺したのだと思う、とは言えない。

 

 職業に就いていると、職業的立場が物を言わせるという事があるのではないかと考えてきた。その職業にいなければ、そうは言わないだろうという事を、自分の口から言ってきた事が自分の場合にも何度もある。ぼく自身は長い間、そこが不愉快でならなかった。発言の少し後で、あれは自分のホンネではなかったなと、いつも反省する事になっていた。だが、仕事上のその立場では、ホンネであろうがなかろうが、その時にはそう言う以外にないように、ある流れというものがある。

 

 剥き出しの個人ではあり得ない。ぼくたちはそういう場所に生きている。少なくとも生活を支えるために、仕事をしなければならない事を肯定するかぎりは、そういう場所に生きる事は避けられないと言っていい。しかしそのことでぼくたちは何かを失ってしまう。

 

 制度上の立場が、いつの間にか個人を支配してしまう。その是非はともかく、ぼくは今そのことが気になって仕方がない。ぼく自身は、自由な個人でいたいとか、個人が他の何よりも大きなものであるというようにならなければならないと考えているのだが、今の世の中はその個が主張されているようで、それでいてその個がどこにも見あたらない透明なものになっているように感じられる。

 先の校長や教育長の言葉、態度、振る舞いもまた、透明な、個の何事も伝わらないそういう言葉、態度、振る舞いと見えて仕方がなかった。

 教育の危機とは、本当はそういうところにあるのではないのか。そういう問題の片鱗を、ぼくはこの事件の報道に感じたのだが、このことはもう少し考えを詰めなければならないと思っている。とりあえずここではこういう問題意識のある事を表明しておきたかった。

 

 

 中国における「反日デモ」の見方について(2005.4.23)

 このところ毎日のように、中国での反日デモの様子がニューで流れてくる。その論調はしだいに「ゆゆしき」問題のように扱う傾向を見せている。

 同じように、中国政府首脳及び関係機関の態度の硬化が顕著になっている。「日中関係の悪化」が前面に押し出され、これにはアメリカのライス長官の懸念するコメントも混じって我々一般大衆の中にも少しずつ不安の色が見え隠れするようになってきたと感じる。

 かつて、「反米デモ」を見聞きし、飲食店の店先で匂いを嗅ぐ程度ではあるが、自らのデモ体験もある私には、しかし、どうって事ない問題であると思われてならない。当時のことを思い出せば、それは国内の問題であったし、若者の権利主張の問題であった。政治的、また思想的には未熟で、一過的な「運動」であったと総括してよいと思う。

 同様に、中国における反日デモも、中国国内の問題を反映した運動であり、感情的に「反日」というお題目の念仏を唱えているだけのように見える。中国の人たちが、それほど日本、日本国内のことを理解した上で、「反日」を唱えているようには少しも思えない。私たちが「反米」「反ソ」を唱えた程度の、つまりは「仮想敵」の象徴が、「反日」になっているだけのような気がする。

 

 少し前、若い韓国の俳優が、日韓の領土問題に触れて時代錯誤的だと言っているのを聞いて、若い人たちの感性の方が余程ましだと感心した。インターネットをはじめ、世界からは境界が失われ、グローバルな交流が行われはじめている時に、境界云々の固執が未だなされていることをしなやかに否定していた。未来の視点に立って言えば、話題となっている土地への自由な行き来が出来るような、そういう方策を両国が考え出していけることがとても重要なのではないかと思う。超国家的な未来の視点、そういう芽を、考え、産みだしていくべきなのだ。

 若い人たちが、そういう考えを持っていることに、救われる思いがすると同時に、その力を信じたいと思う。

 中国においても、若い人たちの考えは、伝えられる以上にグローバルであり、平和友好的な土台に立っていると推測出来る。日本の被爆二世、三世の人々が、必ずしも個々のアメリカ人を憎むという考え方をしていないと同じく、かつての侵略、南京虐殺などは歴史的事件と把握する一方で、過ぎ去ったことと冷静に受け止める若者、一般大衆が中国においても大部分ではないだろうか。過去のことに、くよくよしても始まらないことを、みんな知っていると思う。そうではなく、これからどんな関係を築いていくか、築いていけるか、そちらの方が大事だと考えているに違いない。

 私たちも、人種の差別や偏見なく、どの国の人たちともつきあいたいと考えているのではないだろうか。私たちがそうであるなら、中国のごく一般的な人たちもそうなのであろう。その一般人の、ごく当たり前の、穏やかな思いというものがニュースや報道一般には反映されない。

 

 問題は、政府同士にあるとしか思われない。

 日本国政府のトップは、国民の総意とも言えない靖国参拝を勝手に行い、隣国との摩擦を招く。民族の宗教性の違い、その認識の誤差に鈍感だというアホさ加減はともかく、自分のまいた種は自分で刈り取ってほしいものだ。ある意味、首相個人の問題が国家間の問題に飛び火し、そのまま国家間の問題として扱われることになれば、それは国民にも影響し、個々人を巻き込むことにもなりかねない。

 中国政府もまた、日本人の宗教意識を知ってか知らずか、靖国参拝に執拗にけちをつける。両国とも、危機を作り、危機を招いているのは政府同士だという気がしてくる。そして両国とも、政府は、国民の過半数を代表する機関になっているとは到底思えないような、勝手に指導的立場に居座る専制的な組織に堕した存在と見えてくる。

 そういう政府であっても、いっこうに差し支えない。それに変わるもの、より民意を反映する機関が現実的に実現不可であるならば、それは仕方のないことだ。しかしそれならばそれで、いろいろな政府間の問題は、政府間の問題にとどめ、政府間の中で決着させるという機構を持ってもらいたい。

 最後は、両国の閣僚が、同人数広場に集まり、殴り合いでも良いしゲームでも良い、そこだけで決着して後に尾を引かないようにしてもらいたい。いたずらに民の心を煽り、世論を形成するというようなことはしてほしくない。

 「両国の関係悪化」と言われても、私たちには何のことかさっぱり分からない。私個人は中国とは直接的な関係を持ったことはなく、これまで中国人との交際も一切ない。その意味では良好な関係も悪化も意味を持たない。関係悪化は私が原因ではない。もしも、私個人が中国人や中国と現実的な関係を持っていたとすれば、故意に関係の悪化を望むことはないし、悪化しそうな気配を感じたなら悪化の回避に向けた努力をするだろう。それでも悪化するならば、たぶん私なら黙って遠ざかるということをするだろう。これは、どういう誰に対してもそういう対応をするということだ。

 

 国家というものは、約束事の世界の建築物で、個々の人間の生きる現場は必ずしもその内部に限られるものではない。社会という概念は、国家よりも広く個々人を包み込むが、個々人はまたこの社会をもはみ出すことのある実在である。だから、いざとなったら、個々人は国家や社会の意志に反した行動を取ることが出来る存在である。逆にいえば国家や社会の拘束には限界があるということだ。

 ある極限の、人間の実存に関して、国家や社会はその言動を裁く根拠を持ち得ない。

 「日中の関係悪化」、「日朝関係の悪化」などといえば、いかにも両国民がいがみ合う光景を思い浮かべるが、実際には個の関係はそういう次元とは別のところに位置する。

 

 以前から、人々が、国家を代表するかのような立場に自分を擬して、見解を披露することを苦々しく思ってきた。どうして国家の政策者の立場でものを言おうとするのか、またそういわなければならないと思いこんでいるのか、それが分からない。自分をそこに擬することで、天下国家を論じる爽快感や、偉い人物になった錯覚を楽しんでいるのだろうか。あるいは、それで本当に自分を偉いと思いこんでしまうのか。

 私は以前から、世の中の仕組みも約束事も、その他一切が、その人たちのためにあるべきだと思うその人たちが、一般大衆の無人称として存在していると思うので、その無人称の人たちが一番偉いのだと考えてきた。そこで、全ての考えの基盤は、その場所から発想されなければならないと考えている。それがごくごく当たり前のことであろうと思いこんでいる。だから、大臣や首相に擬して考えを述べることに対し、疑問を持つ。彼らは奉仕者である。誰の奉仕者か。もちろん、先の無人称の人たちに奉仕すべき義務を担っている。無私となって奉仕に徹すれば、それなりに偉いとも言えよう。だが、要求せずして奉仕を受ける立場にあるものが、やはり、偉いところがあるから黙っていても奉仕を受ける立場にあるのだろうと思っている。

 その、一番偉い立場に立って、こう思うということがなぜ言えないか。「そんなことは分からない。そんなことはどうだっていい。働く場所があって、食べることが出来て、毎日の生活を楽しいと感じられるように、よきに計らえ。」

 そう言っていていいではないか。

 中国の反日デモ、それに関して反日教育、教科書問題にまで関心が向いていっている。「憂慮すべき事態だ」「けしからん」。日本の政策者の感情が流布され、国民の一部にまで伝搬していく。だけど自分の生活には関係ないでしょう。あなたは国家でもなければ閣僚でもない。デモの矛先も、一人一人の具体的な日本人に向けられたものではなく、幻想の国家、日本政府に向けられたものだと考えていい。それなら政府が対応すべき問題で、閣僚でもない外部の人間がとやかく言うべきではない。一般人の無人称は、政府に、「よきに計らえ」と言っていればいいことで、政府閣僚に能力がなければ諦める他はない。あるいは責任を取らせ、交代させれば良いだけだ。

 

 こういう問題にあまり関心はないが、あまりにも連日の報道が過熱していくと感じられたので、ひと言いってみたくなった。不勉強で誤解があるかも知れないが、また言い尽くしてはいないが、要は、日本国に向けられた非難ではあっても私たち個々の問題ではなく、報道に惑わされてはいけないというようなことを言いたかった。もっと地に足をつけた見方、考え方を身につけたい。個人的にはそういう意図が働いている。

 

 

 うんざりと言うほか無い「教育問題」について(2005.3.26)

 河北新報(宮城の地方紙)の「現代の視座」欄に、東洋大助教授「白石真澄」の『「ゆとり教育」廃止より再構築を』という文章が載っている。

 この文章では、一つには、学校は閉鎖的な世界で何をやっても内輪の「まあまあ」で過ぎていくから、「教えのプロ」としての自覚的な集団機能が発揮されていないということを言っている。

 二つには、読解力や数学・理科の学力が国際的に急降下したという表層的な事実だけで、「ゆとり教育」の旗を降ろそうという文科省の姿勢を批判している。そこには、学力低下がなぜ起こったかの議論が無いと言うのだ。

 三つ目には、日本の先生には雑用が多すぎ、「教えのプロというより、見過ぎ世過ぎにおぼれるサラリーマンに近い」実態が言われ、教師が「教育」に専念出来ない状況が指摘されている。

 また、群馬県太田市の教育施策を取り上げ、現場のニーズや実態を把握しやすく、敏感に対応出来る地方自治体の特徴をあげ、自治体を単位とした教育の改善に期待を寄せている。

 これらのことから、白石は、国は自治体間の財政的な格差を埋める予算配分と、大まかな教育目標を定めるだけにとどめ、その他の関与を極力減らすべきだと提言している。その上で、自治体の創意工夫、「教えのプロ」としての姿勢を持った学校と学校の競争、教員相互の切磋琢磨などから、新しい「ゆとり教育」を目指すべきではないかと言っている。

 

 どれももっともな意見だと言えば、もっともな意見だとは言える。昨今の風潮から言えば、「ゆとり教育」をさらに推進すべきという意見は珍しく、自分の意見は言っているなと思った。

 だがこんなことは、大学助教授の白石に指摘されるまでもなく、誰の目にも見える光景の一部が、そのまま言われているに過ぎないように思える。要するに、フィンランドやオランダなどの外国の学校を「お手本」に、日本の教育の現状を変えようという提案だろう。

 骨子は、国の関与を弱め、自治体が学校を「教えのプロ」集団組織にダイナミックに改変し、学校自体が個性を競い合い、学校選択の自由を認め、現状のように先生たちが安穏としていられないような状況を生み出すことをねらっているのだと思う。

 このねらいもまた、よく分かると言えばよく分かる。

 だが、この「よく分かる」の意味は、「どうだっていいよ」ということだ。

 こういう論議は、もううんざりだ。

 仮に、白石の提案を受けて、国が、自治体が、学校が動いたとして、相も変わらず「教育問題」が取り沙汰されるだろうことは目に見えている。過去の10年、20年、いやその前から、同じように取り沙汰されてきた。そのたびに表層は変わっても、変わらぬ本質はあった。それは近代的学校教育のシステムへの「信仰」である。現代の学校教育制度の根本的な、本質的な、是非が問われていない。

 学校をどうするかという論議の全ては、学校の存在を前提に語られる。その意味では全ての論は修正案にとどまるに過ぎない。あそこをどうして、ここをどうして、というような論議に、教員生活を中退したぼくは興味がない。まして一般大衆にとっても、どうしても分かりにくい世界の内輪話という印象にしか映らないであろう。

 とにかく、無事に通過してくれればいい。それが多くの親の平均的な子どもへの思いであり、実はその程度にしか学校のことは考えてはいないものだと思う。

 つまり、学校は変わっても変わらなくても、自分の子どもが他の子どもと同様に卒業したという事実を手にすればそれでいいのだ。ホンネの底をたどれば、そういうことになるのだと思う。

 施された教育で自分が変わったと思える人が何人いるか。教えられることはどの世界にもあり、あるいはどんな些細なことにも教えられるということはあり得るが、実はそれがそのまま身に付くというものではなく、自分を変えていくのは「経験」というものを通して自分の潜在能力を開発していく極めて個人的な営為なのだと思う。そこに、苦しみや苦労が介在しないで、真に自分の血肉となることなど何もない。周囲の支えはあったとしても、自分を、自分の現状を、切り開いてきたのはやはり自分自身であったな、という感慨を持たない大人がいるだろうか。

 人間には、切り開いていく能力が誰にでも備わっている。それは老若男女、障害がある無いに拘わらず、誰にでも備わっている。それこそが真に認められるべきで、その意味で学校教育はもっと背景に退くべきだとぼくは思っている。

 たとえてみれば、教育の現状は、畑に野菜を育てることに等しい。畑に白菜がきれいに並ぶ。そんなイメージで子どもたちを育てようというのが、現在の学校の在り方になっていると思う。学校は畑であり、あるいは工場であり、工房である。画一化は免れない。これが絶対であるとは思えないが、今そうである以上はそうであるより仕方がない。ただ、これの影響が少なければ少ないだけいい、そうぼくは思っている。

 畑に育ちながら、実は本来は野に自生する草花の、生き、成長しようとする、自然の力強い生命力を受け継いでいる。子どもたちにはそれがあり、ただそれを阻害しているのが、大人たちの、それも<知的な目>という比喩で語る他ない何かであるということだけは言っておきたい。

 白石の言葉は、平均的な知識人層の教育観を代弁しているものと思う。こんな程度のものが大衆紙のコラム欄を飾り、大衆の中のインテリ層が感心しながら読む図式は、うら悲しくてならない。同時に自分の非力と、犬の遠吠えのような見解の自己満足を、ちゃぶ台のようにひっくり返し、水を浴びせかけたくなって仕方がない。

 こんなものはこの程度にして、パチンコ勝負に出かけたくなった。そう思ったらいても立ってもいられない。なに、無為以上に人に優しい生き方を、ぼくは知らないのだ。

 

 

 「親殺しから担任殺しへ」

      寝屋川市の小学校教員刺殺事件について その(3)

                      (2005.2.20)

 少年のその後の警察での取調の供述に,「劣等感」と「どうしてか分からない」という2つのキーワードが存在する。劣等感は,不登校,ひきこもりにより,学校へ行けなかった期間があることからもたらされているように思われる。塾にも行くようになり,いわば社会に登校しはじめた矢先だけに,今回の事件が残念であるとともに,いかに学校に行かなかったことが少年にとって大きな傷となって残っているかが理解される。

 感性も鋭敏で頭もよかった少年の,将来に向けた努力の一歩が,その大きな一歩が,しかし少年自らの手によって,台無しにされた。これはどういう事か。

 学校に行かなかったことに劣等感を感じ,少年はどうしても自分にそれを許せなかったのであろう。大きく世界に目を開けば,そんなことが取るに足りないことだと,少年には理解出来なかった。あるいは,劣等感を抱く自分を許せなかった少年の傲慢さについても考えてみなければならないのかも知れない。

 劣等感を感じて,いいのだよと,ぼくならば言いたい。ぼくもまた自身の劣等感に苦しんできた一人だ。人間はそういうものなんだ。それが人間らしさの証でもあるんだ。そういう劣等感を抱きながら,けれどもどこかに風穴を開けて,自分を開いていかなければならない。不登校を,汚点と考えることも,それを自分に許せないと言うことも,本当は傲慢以外の何物でもない。人間はそういうことがあり得る生き物であり,それを許せないと考えることは,他の不登校の人を,差別的に見る,そういう側に立ちたいという意識の表れであり,それは,人間をそういう視点から見る悪しき,そして愚かな見方であると思う。何も,大多数だからと言う理由だけで,そんな見方に与することはない。そういう見方から自由になることが,本当は社会の未来には必要なことだ。少年は,そういう考え方が出来る契機を自らの手で葬った。それは悲しいことだ。

 もちろん,それだけ苦しかったに違いない。学校からの脱落が,社会からの脱落のように,少年の心にとっては大きな空白であった。なぜそれほどまでに学校が大きな存在でなければならないか。それがわからないと同時に,ぼくの学校に対する憎悪の原点になっている。

 そうではなく,学校なんて行っても行かなくても,どうって事無いぜと,心の底から言いたいのだ。そんなことに劣等感を持って,自分を苦しめるのは,意味無いぜと言いたいのだ。

 少なくとも今の社会に,大学受験失敗,落第,中途退学,そしてもちろん不登校,ひきこもり等々の若者たちは五万といる。みんな劣等感は抱えている。もちろんうまくいっているように見える連中にも,端から順風満帆に見える一人一人にも,口に出せない劣等感は種々にあるはずなのだ。そしてそれらの劣等感は,よくよく考えれば,全て劣等感として感ずるべき根拠を持たない,自らの脳が産み落とした思いというものに過ぎない。

 意識は,自分の脳がつくり出すものに過ぎない。そう感じようとすれば,そう感じることが出来ると言うだけに過ぎない。そんなものにとらわれ,こだわる必要がどれだけある。まして,そんなことから人を傷つけることに至る経緯に,何の関係がある。

 少年が,当初,いじめを理由に担任を恨んでいたと報道されていたが,それはとりあえず理由を口にしなければならないから言ったことばだろうとぼくは推測していた。たとえそれが本当に少年にそう思いこまれていた理由だとしても,それは何かを探した時に,それと選ぶしかないということに過ぎず,本質は,口やことばでは言えない何かだと考えていた。

 少年が,動機を「よく分からない」と話す時,それは素直な,正直な発言だろうと思った。人間の行いは,本来そういうものだという気がする。突き詰めて,なぜかを考えていくと,自分の行為には理由が見つからなくなる。

 

 報道を見る限り,各地の学校関係機関の反応は,防犯対策の強化といった方向性でのあわてふためく対応策につきる。一人の少年の行為に,それこそ,全国の学校が揺れたのだ。

 こんなにばかばかしいことがあるか。誰もそう思わないだろう。しかし,そもそも少年を犯罪に駆り立てたのは,この社会における学校の肥大化した在り方だろう。たかが,学校に行きたくなくて行かなかった子どもに,強い劣等感を感じさせ,右も左も分からなくなるほどに苦しませ,やってはならない犯罪まで行わせてしまった。

 そんな犯罪行為に学校は無関係だとは言うな。

 その学校が,肥大化した在り方を顧みることもなく,ただただ身を守る安全策ばかりを考えている。これをおかしいと思わなければどうかしている。少なくとも,ぼくは,そう思う。教育はどこへ行った。もはや抜け殻なのであろう。

 一昔前ならば,どうしてこんなことをする少年が出てきたのかを考え,少年にこんな犯罪を犯させないようにすることを第一義に対策を講じたであろう学校が,そしてそれこそが教育や学校にしかできなかったことであろうが,それさえも放棄して,ひたすら物理的な安全のみに配慮している。

 子どもたちの心がわからなくなったのであろう。子どもたちの心に通じる教育が出来ないことを露呈しているのであろう。すでに教育の本質を手放し,形骸だけを守ろうとしている。そんな実態で,そんな場所に子どもたちを集めて,どうする。まだ何か,教えることのできるものを持っているか。

 そんな学校に行かないことで,劣等感を抱くということもまた,悲しいほどに無意味なことだ。

 文科省は,不登校の子どもたちにも門戸を広げるような対策をとっているとして大きな顔をして見せているが,実態は,たとえそうであっても,子どもたちにはその先が見えない不安が大きな口を開いて待っているに違いない。

 自分たちにだけ都合のよい社会を作っておいて,それを拒否する感性にはとことん辛い思いをさせ,彼らの将来がどうなろうと知ったことではないそんな対策でお茶を濁している。犠牲者を,死に追い込んだものは,遠くは,そういうあたりに因を発したものだと,ぼくには思われてならないのだ。

 

 

 「親殺しから担任殺しへ」

      寝屋川市の小学校教員刺殺事件について その(2)

                      (2005.2.18)

 自分が世の中をうまく了解出来ない,世の中にうまく受け入れられない,そのあたりで悩み躓く子どもたちは,少し前まではそのいらだちの矛先を親に向けることが普通だった。いわゆる精神分析における親殺しである。

 父親は,家庭にありながら,時として社会を代弁する者のように振る舞い,あるいは社会の約束事を自分に突きつけてくる存在となる。本人は愛情から小言を言っているつもりでも,それを聞く子どもは世の中からも親からも否定されたような気持ちになる。ひどい時には,被害妄想に近く,「おまえはだめだ」と言われているような気さえする。それは,全世界からの否定と同じに聞こえてくる。

 父親が,世の中で公的な地位にあればあるだけ,たぶんその壁は大きく,自分にのしかかるように受感されるに違いない。

 生活の中で,そういう見えないやりとりがあり,子どもは自分の小ささや愚かさを知らしめられて,なお反発や反抗を重ね,自分というものを立て直し,自立した存在へとはい上がろうといろいろに努力をする。その過程で一般的には,父親も含め,大人というものは同じ過程を経て今に至っていることが了解されてくる。父親が,成人した子どもと酒を飲むのを楽しみにするというのは,子どもがそこにたどり着くことを待ちわびる心なのだろう。

 時として,抑圧が強く感じられると,本当の親殺しに走ることがある。経験を振り返って言えば,心の中では父殺しを何度か行ったことがあると実感出来る。ただ,本当に手を振り上げ,斧を振り上げるという経験はない。心の中でのことと,現実の世界でのそのこととの深い溝は,自分には本当には分からない出来事に属する。

 

 本来は,親子の間にあったはずのこの関係が,どうかするとずれてきているのではないかと,ぼくはこの事件を聞いて直感している。いや,校内暴力が取り沙汰される頃から,何となく今述べた意味での親子関係が,転移,あるいは形を変えるということが行われているのではないかと疑問に感じていた。

 親が乗り越え,克服すべき存在であるように,子どもたちにとって学校もまた第2の大きな壁,乃至は自分を評価する世の中の象徴となっている。言ってみれば,第2の関所と言ってもいい。ここをうまく通過出来るかどうか,と言うことは,うまく通過出来ない場合があるだろうことを想定していうのだが,心的には大きな影響を持つ。

 

 事件の少年にとって,親子の間は,一応の乗り越えを可能にしてきたように思える。もちろん,まだ明確にはなっていないと見るべきだが,それにしてもなぜ,この第2の関所で事件は起きねばならなかったかが問題となる。何度でも言いたいが,本質は父と子の相克であるべき問題が,そこはスムーズに過ぎて,学校の担任と生徒との関係に過度の比重がかかってきている。これはどういうことなのか。考えられなければならない本質は,少なくともこの周辺に存在すると,ぼくは思う。

 今の段階で推測すると,一つは,親が世の中の代理人ではなくなっているということが起きているのかも知れない。子どもにとって世間を象徴するものが学校として実感され,そのまた象徴として先生が,担任が,見えてきているのかも知れない。

 

 自分がうまくいかないのは親のせいだ,先生のせいだ,そう考えることを全て肯定するわけではないが,子どもがそう考えてしまうことは仕方がない部分もあると思う。今の自分がどこから来たかの由来を,過去に遡って問いかけるならば,全ては自分のせいだと自己責任の自覚に目覚めることは子どもたちには,まだ難しい。大人たちでさえ,責任転嫁の状況ばかりである。

 いい年をした大人が,新聞の読者欄に,何十年も前の担任の先生から傷つけられたひと言というような内容で,文章を投稿することがある。死に近く,生きてきて,もう人生が取り返しがつかないことを分かっていて,まだ恨みが残っているのだろう。思いの外,昔から,学校や先生は大きな心の壁であったのかも知れない。

 

 教育界には,受け手の側に教育が,学校が,先生が,どう映るものかを考える研究が少ない。先生たちは自分が子どもの頃に,夢の中で,学校や教育や先生がどういう姿に形を変えて自分を脅かしたかを,けろりと忘れているに違いない。そして,「こうでなければならない」ことばかりに一所懸命になっている。努力や善意といった綺麗事を前面に押し出し,それがいいことだと思って,子どもの前にこれでもかこれでもかと突きつける。

 突きつけられる方はたまったものではない。「正義」や「人間性」等を盾に,こんなふうにやられたのでは,とうてい反論も何も,最初から勝ち目はないのだ。

 大抵は,ペットのように,我慢をしてお行儀よくしてみせる。はけ口は,対学校や先生に面と向かうのではなく,どこかよその場所に見つけようとするものだ。

 ことばも自分の思いを込めるのが不可と感じ,体ごと我慢が出来ないと感じられれば,最早キレて見せるしかないだろう。キレて暴れるくらいはまだいいのだ。その時に事の本質をしっかりと見極めていれば,学校もなんとか変わりようがあったかも知れない。けれども「ゆとり」などとかの「ちょろまかし」,果てはそれがよくなかったと「学力向上」等を口にするアホを大臣にしておく等,最早「ハハハハハ」と,力無く遠くから笑って見ておく他はない。

 

 新聞によれば,少年に殺された男性教諭は評判のよい立派な先生といわれている。記事を見る限り,同僚としてぼくも傍にいれば,立派な先生と思うに違いない。ぼくらは,現場にいて,実践するものとしていろいろなことに遭遇する時に,自分の出来る精一杯をしてみせるほかに仕方がない。それがもしも間違っていたとしても,取り返しがつかない,そういう現実の一瞬一瞬に立ち会っている。そういう厳しさがある。そんな中で教育に情熱を持ち,子どもたちを愛し,信じることにしたがって学校という中で仕事をしてきた彼のような人は,職業人として,先生として,褒め称えられて然るべきであろうと,ぼくも思う。

 だが,「言ってみるだけ」に過ぎない自分の考えをあえて言ってみるならば,彼の立派さは立派さとして,もう一つ別の視点,大勢の中で自信を失い,自暴自棄に近い心を持った子どもの視点で,学校や教育界の全てを見渡してみる,そういう努力が学校にも先生たちにもあってよいのではないか。そう,思う。今回の事件で,学校がそこを掘り下げることが出来るかどうか,今後,注目したい点の,これも一つである。

 大国アメリカとテロリストの関係は,われわれの身近な居住空間にも関係性の影を忍び寄らせている。どちらが正義でどちらが悪か,視点の違いによっていくらでも解読の変更が可能である。どちらも正義であり,悪でもあると言うことも出来るであろう。考えてみれば正義や悪はどちらでもいい。要は現実から悲惨さを軽減したいのだ。それがたぶんわれわれ一般人の,口にはしない祈願なのだ。

 少年のとった行為は,おそらく多くの人々の非難を浴びるに違いない。もちろんそれに値する行為である。しかし,少年は異常だったのではない。彼をその行為に駆り立てたものが何であったのかを,もちろんわれわれ大人は考える責任がある。だが,もっとも責任を持つべきものは,誰が何と言おうと教育や学校にある。そう,ぼくは思う。

 担任に恨みを持ち,結果として無差別に先生たちを襲った少年の行為。

 昔,卒業時に先生を呼び出し,校舎の裏で殴ったという話は今牧歌として聞こえてくる。

 失われたものは何なのか。

 

 都市部では,さっそく防犯対策に取り組もうとしている。とりあえず「命を守れ」主義が先行して,自分の地域,自分の学校の安全に,それこそ血眼になろうとしているかに見える。そのために,いつも肝心なことは話題にすることすら出来なくなっている。話題にしても,考えを深めることも解決することも出来ないと端から信じ切っている。

 防犯対策として,ガチガチに守られた学校は,もはや目の前に来ていると見るべきだろうか。それが一時的に安全をもたらすとして,たぶん永久ではないことは今回の,また昨今の事件がすでに示唆している。

 たぶん,見えない学校の役割を公にすることでしか,事件を起こすことの無効性,見えない学校の役割の無化は,もたらされないだろう。

 その間,学校は常に今回の事件のような危険性にさらされ続けることになるだろう。ぼくには,そう見える。

 

 「学校が象徴するもの」寝屋川市の小学校教員刺殺事件について

                      (2005.2.15)

 昨日,寝屋川市にある小学校に,その学校の卒業生である少年が侵入し,教員を刺殺する事件があった。子どもを対象とするのではなく,教員を襲ったというところが,前の宅間守などとは異なっている。

 テレビの報道では,またもや少年のゲーム好きや,登校拒否,ひきこもりの現況などを紹介し,それらが問題であるかのように印象づけている。

 詳細はまだ分からないが,直感的にぼくが受け取った印象はまったく別のものである。来るべきものが来た,そういう印象であった。また,少年は大変率直であると感じた。

 どんな理由があれ,殺人はよくない。これは公正に法的に裁かれるべきである。

 ただ,少年の取った行動について,こういう見方もあるということを言っておかなければならないような気がしている。

 

 社会は,自らの維持を目的として,子どもたちを教育するという制度を持っている。そこでは個々の教員は社会から委託され,目的にそった教育を施す役割を担っている。社会が積み上げてきた「知」と「道徳的なるもの」等々を,それぞれの教員は,子どもたちの身に付くように世話をするわけであるが,そこでは云わば,正解であり,正しいことであり,綺麗事であることを教えることになっている。

 

 小学校の教員であった時,難しいと感じたのは,「教える」という行為である。簡単に言えば,教科のことでも道徳的なことでも,こちら側に堪えうる蓄積がなければうまく行かないということである。例えば,すぐれた大学教授くらいの専門性を持っていたらなあと思うことがしばしばであった。もちろん,一介の小学校教員に,そんなことは望むべくもない。それが無くても,一応は教員がつとまるようにはシステムは出来ている。

 そういうわけで,深く問われればお茶を濁すことが多いけれでも,常識的に「こうだ」と言えることを「こうだ」と教えることになる。

 人の道,「道徳的」なことについても,つい口を滑らせて話をしてしまう機会は多い。そこには個人としての本音以外の部分も付け加えられることになる。教員である以上,模範的なことをしゃべらなければならない。畢竟,社会での綺麗事を言うことになる。

 そこに矛盾があると思えてならないのだが,自分の場合,それを言うとそのことば通りに自分は社会の中で生きているのかと,度々自問しなければならなかった。

 例えば,「正しいと思ったらそれを貫く」等のことばでもいい。子どもには言いながら,自分はそれが出来ているかというと,それが出来なくて,出来ればいいなあと思ってそれを子どもの世代に押しつける。結局,そういうことになってしまっているように思われた。

 「悪」の前に立ちはだかって,「悪」の行為を妨げる。そうでなければいけないと言いながら,では,社会の中の「悪」に向かって,自分はどういう態度を取っているのか。ただひたすら黙って,無力を感じているだけだ。それ以上のことは何もしないし,時には見ざる聞かざるを決め込んでいる。威勢のいいことを言い,いい格好をしてみせるのは子どもの前にいる時だけだ。そういうことは,実は数限りなくあると,感じていた。ここを子どもたちから突かれたら,言い逃れはいくらでも出来る。だが,自分に対して,心の真実に対しては,言い訳が出来ない。自己合理化によって,それは越えようとするのではあるが,言われた子どもに対しての責任が,抜け落ちる。

 正義の先生がいる。だけど,権威や権力に対しては,からっきしじゃないか。

 言うことばが,「教育的」枠組みという制限付きだから,客観的な関係性の中で見れば,「嘘」として見えることが多くなる。職業上,そういうことになってしまう。別の職業であれば,そういう「教育的」ことばを口にする機会は滅多にあるものではない。

 

 学校は,先生は,言うこととやることが違うじゃないかと見られる場所にあって,いつもそう見られる可能性があることを覚悟しなくてはならない。そこには社会のシステムがはらむ矛盾が顕著に現れる。学校も先生も,こういう矛盾を押しつけ,場合によっては社会が子どもを苦しめるその先鋒となり,象徴ともなってしまう。

 少なくとも,友だちや家族の間で解消出来ない不満を持ち,一人で悩む子どもたちには,学校や先生が元凶であると,そう,受感されるのではないかと長い間思ってきた。

 毎日の学校生活に異和感を持ち,これをストレートに身体的に受け入れてしまったら,学校を憎むしか方法がない。学校の肉体化としての教員を,憎悪するほか仕方がない。

 やっとと言うべきか,とうとうと言うべきか,現実は,そして子どもたちは,ここへ到達した,と言うのが偽らざる今のぼくの思いである。その意味で,この少年は全ての子どもの代弁者であり,ある意味では犠牲者であると思っている。

 

 

 

 「権威に飾られた死語」佐伯啓思批判

                      (2004.12.24)

 河北新報12月24日付の「現代の視座」欄に,京大大学院教授,佐伯啓思の文章が載っている。

 若者の国語力の低下を取り上げ,「日本の若者の学力は急落しており,もはや世界トップレベルではなくなった」ことなどをグダグダと書いている。
 言葉のこと,国語のことを一般化された言辞でしたため,さらには政治世界の中の表現力についても批判的に語っているが,言いたいところは文末に集約出来る。
 
 実際には,インターネットのような簡便なメディアに抵抗出来るものは「文化」としても国語だけなのである。また,政治の世界を支えるものも,自前の言葉で自己の信条を語ろうとする言語力だけなのである。とすれば,若者の国語力の崩壊が暗示するものは,今日の日本の文化の無残な姿というほかないであろう。
 
 佐伯が何を専門とする教授か,ぼくは知らない。知ろうとも思わない。また,この文章の大意について,少なくともその見かけ上の意味合いを,批判する気持ちも毛頭ない。一読して,「まあ,そういうこともあろうか」という程度にしか思わなかった。少なくとも,もっと国語を大事にしろとか,国語力を養成しろとか言っていない分,スマートな文だと考えていた。
 気にかかったのは,今の日本の文化が「無残な姿」であるという時の,佐伯の立ち位置である。大学教授の肩書きである。
 『まてよ。オメェだって,今の日本の文化に貢献する立場にあったんじゃねぇのか?少なくとも文化の担い手の一人ではあったんだろう。教授という肩書きを見たら,俺のような一般人はだれだってそう思うはずだがな。』 
 しかし,佐伯の文章は,「無残な姿というほかないであろう」と締められていて,まるで自分とは関わりがないように印象づけられる。読むものは,高みに立ってそう述懐する佐伯の,その鳥瞰する目線の高さを,佐伯の思想の高度さと誤解するように意識的にか無意識的にかできあがっている。
 こういう連中に感ずるのは,いつも,「無残な姿」に,自分は無縁だと主張するかのような思い上がった姿勢や態度である。自分だけは高尚で,周囲が自分を理解せず,自分の言を勅語のように扱わないからこんな事態になるのだとでも言いたげなのだ。
 佐伯は,言葉は,「他者に伝えるための公的な道具である」とか,「心」という言葉には,日本人の感受性や思考が集約されている,という程度の解説しか行っていないが,これだけを取り上げてもいかに中途半端な思想の持ち主であるかが理解出来る。言葉についていえば,コミュニケーションの道具としてだけではなく,自分にだけ通じる言葉としての側面も考慮に入れなければお話にならない。また,心についても,三木茂夫の生物学的な考察を通過した上で,少なくとも留学生が考える以上に,自分なりの把握を前提としてもっていなければならないと思うし,方言の問題を絡ませずに言葉や心の問題を言ったつもりになることは,想定する読者としての大衆をバカにしているものと言えるだろう。
 ぼくは,無残な日本の文化の底で,毎日をパチンコに費やす無残な生活をしている。その目からは,若者の言葉の乱れは,希望に見えて仕方がない。もちろん,佐伯のような形骸化した思想の支持者が,現実からふるい落とされる,その現実を若者たちが担っていくに違いないと考えるからだ。ぼくにとってそれは,爽快な出来事以外の何物でもない。
 

 

 「学力低下問題」について東大学長佐々木毅への批判

                      (2004.12.22)

 昨今問題視されている児童生徒の学力低下について,東大学長の佐々木毅氏は,河北新報の「あすを読む」欄において,「学力問題は教室の問題であることを越えてわれわれの社会システム管理体制の問題である」と述べている。

 氏は,学校で得ることの出来る学力について,一つは学校組織内空間,つまりは教室における授業の質の改善を中心とした対症療法によって一定程度のかさ上げは可能であるという。これについては文科省が対応策を講じれば,早晩解決する問題と見なしている。
 もう一つ,学校を取り囲む環境整備について,これがやはり学力形成に関係することを指摘している。佐々木氏によれば,学校教育における学力の涵養には,外部との遮断が必須で,人工的に作られた空間として効果的に学力を注力出来るものとなっていなければならないのだという。それはしかし,現在の社会状況を思い浮かべればわかるとおり,有形無形に大人社会の問題の影響が広く,そして深く浸透してしまい,教育の効果もまたそのために実効性を失ってしまうものと見ている。
 この,第二の問題は,政治行政,そのうちの教育行政の問題であると指摘している。学校の「社会化」,「開放」施策もまた問題であるのだ,と。
 こうした「学校」の問題は,日本社会のあらゆるところに見られる病状であり,つまりは官僚制的統制の崩壊現象の中に生じる出来事であるという。
 であるならば,この官僚制的統制の復活か,若しくはそれに変わるシステム管理の新たな形態が生み出されなければならないのだが,氏の論は,そこまでは踏み込んではいない。
というより,今の段階では,それを代行するものとして「社会化」や「開放」が行われており,そのために雑然とした状況,関係者のいらいらが募っていると指摘するにとどまっている。
 テレビの報道などを見ている限り,一般に学力低下の問題は,「ゆとり教育」や「総合的な学習の時間」をやり玉に挙げたり,薄っぺらな教科書を指摘したり,繰り返しの学習訓練の不足等を取り上げることになっている。
 そういう中で,「社会システムの問題」であることを指摘する氏の論は,それなりに見落とされがちな,しかし,まことに重要な視点を提供し得ているものということが出来る。
学校教育の内部だけを論じてもどうにもならない状況にあり,内部の改革の効果は微々たるものだということもまた,暗に含みを持たせて読むものに感じさせる。先生たちが頑張る。そのことは教員の間には「心の病」の増加を促し,児童生徒への窮屈な関わりをもたらし,耐えられない児童は不登校や非行に走ることになると思う。佐々木氏は直接にはいわないが,氏の文章からはそういう構造も浮かび上がって見えてきそうに思う。
 「よっ,さすがは東大学長!」 私は,半分揶揄する気持ちでそう思った。
 何故半分揶揄が入るかというと,本当はこの程度の洞察など,市井の人だれもが,たとえうまく言葉に出来ないにせよ,感覚的には了解出来ている程度のことに過ぎないじゃないか。そう,私は思ったからだ。
 問題は,佐々木氏の中に巣くう学力観で,それは秀才たちの中に生き,秀才たちの間でだけ取り沙汰される学力に過ぎないという面を持っていることだ。そんな学力など,一部のエリートたちだけが所有し,弄んでいればいいだけのことじゃないか。そう,思う。
 「学力低下は社会システムの問題」と,それはそうには違いないが,何も大衆紙のコラムに掲載するほどのものか。
 学力の低下は,機械の発達により,労働を追われた労働力に比して考えると考えやすい。人工知能と言うべきコンピュータ等の発達により,児童生徒の記憶能力および計算能力等が,その座を追われる羽目になっているのだ。社会はそんなものは不必要だといい,ただ学者のような研究者にとってのみ,ここでいう学力は必須の前提になると考えられているだけだ。まして世界のトップレベルかどうかなどに一喜一憂するのは,それこそ「日本人」として正気の沙汰ではない。
 東大学長という華麗なる?肩書きを持つ氏は,もっとはっきり言ったらいいじゃないかと思う。つまり,「学力問題を取り沙汰すること自体がくだらないことだ」と。学力などはいい加減なところで妥協しておくことがいいので,たまたま非常に関心と興味を持つことがあれば,その時は本気になって取り組めばいいことに過ぎない。
 東大学長がそういう主旨を主張することで世の親たち,先生たちの気持ちがどれだけ救われることになるか。それを「社会システムの問題」と,視点を行政側にかけて,日頃の鬱憤?を解消して終わりにしている。行政の無能とバカさ加減など,先刻承知のことであろうし,それを指摘してどうにかなるなどと考えているわけでもあるまい。それが本気ならば,何もこんな地方紙でそっと言ってみるなどという手段を取らずに,堂々と真っ向勝負の喧嘩をしたらいい。「大きな看板」を背負っている割には,やることがみみっちいんだよ。もちろんそんな気がないからこんなところでお茶を濁している。こういうちょっとした秀才面のトップの連中はみんなそうだ。小利口で,それなりに敏感に感じとってわかっていることを,いわば自分の目に見えた真実を,自分の人生や生涯をかけてまでは大声で主張しないというところがある。きみたちがやらなくて,一体だれがやれるんだ?何のために,その博学や鋭い洞察力を修練し,蓄積してきたんだ?
 何も私は彼らに「世直し」をしてくれと頼みたいわけではない。ただ,物事の道理をわきまえる立場にいて,その立場を得たことは,とりもなおさず大衆の無意識の期待が込められた立場に立つことを意味するものであり,そのことを自覚するならば,もう少しどうにかならないかと言いたいのだ。負け戦とわかっていても,生涯に一度,それをしなければいけない時が佐々木氏のようなエリートにはあるのではないか。私は,そう思う。

 

 「独立左翼論7」(三上 治)について(2004.8.29)

 この文章は,三交社が発行する「吉本隆明が語る戦後55年」に連載形式で書かれているもののようで,ぼくの目に触れたものは先の14回目の配本,「独立左翼論」としては7番目にあたるものではないかと思う。確認してはいない。

 冒頭には,こうある。

 

  ぼくは独立左翼という概念とイメージを1960年の安保闘争とブントという存在か ら得てきた。そこに出発点をおいてきた。だからこの概念の現在性を明瞭にするために, 今一度そこに立ち戻る必要を感じてきた。けれども,それは現在のためであって,それ 以上でも以下でもない。1960年のブントと全学連主流派の学生たちによって展開さ れた安保闘争を起源にした闘争は,1970年代の半ばころまでは,全共闘運動などと して継承された。しかし,それらをイメージさせる運動や闘争は雲散霧消して何処にも 存在しないように見える。あれは歴史の一時期に存在した陽炎のようなもので,「壮大 なゼロ」だったという言葉も存在しないではない。確かに政治運動や社会運動としてそ れを受け継いでいるように見えるものはほとんど存在しない。それはごく少数の形で存 続しているだけである。

 

 1969年にぼくは大学に入学した。全共闘運動が華やかなりしころだった。たぶんこのころ大学生になったものたちは,誰もが無関心ではいられなかっただろうと思う。先輩や友だちなど,身近な人々の中にも活動家が存在した。

 熱狂的な流れがあって,否応なくその流れに翻弄される学生たちが多かったのではないか。そう思う。ぼくもまたその流れに翻弄された学生の一人であった。

 とはいえ,田舎育ちのぼくには,その流れがよく理解できてはいなかった。「安保反対」,「首相の訪米阻止」,等のスローガンを口にしながら,市民運動的なデモ行進に数回参加しただけであった。参加しながらいろいろな矛盾を感じた。渦中にいると何かをしているような気になる。しかし,考えると雰囲気で参加しているだけで,自分の行動の意味も価値も思想的に理解したうえでの行動ではなかった。

 全共闘運動とは何なのか。市民運動とは何なのか。それを知るためにいくつかの書物を読みあさりはじめるが,運動の主体者,中枢の幹部に向けて主に反感を感じるようになった。大衆(一般学生)の蜂起。言ってみれば,自らの主張,思想を実現化するために,ぼくらのような無知で,気分で付いてくる一兵卒を利用している。そう,思った。

 それはある集会やデモで,機動隊が来るというとき,真っ先に主催者側の枢要な幹部たちが雲隠れするという事態から,そう思った。情報は,彼らが握り,末端のぼくたちには届かなかった。機動隊に蹴られ,催涙弾を打ち込まれて逃げまどうのは,ぼくたち「善意の人々」,すなわち「お人好しの人々」であった。

 「善」だからといって,訳のわからないものにかり出されて,何の説明も相談もなく,集まってただ帰る。それだけではなく機動隊に捕まるかも知れないというリスクも負っている。こんなバカなことをやっていられるか。しだいにそう考えるようになった。

 本気でやりたいやつは,大勢を巻き込まずに自分たちだけでやったらいいじゃないか。そうでなかったら,既成の政党と同じような手口で,大衆を利用する姿に酷似してしまう。

巻き込まれる学生たちの悲喜劇を,彼らは想像することすらしまい。それは,彼らが闘おうとする当の相手と,同じ次元に位置するということを意味する。要するに自分らだけが運動を支え,歴史を作ろうとしていると錯覚し,はしゃいでいる。そう,思えた。

 当時,全学連,全共闘と二つの組織に別れていたと思う。それぞれを代表しているかどうかは確かめていないが,記憶に残っているところでは,山本義隆,秋田明大の名前が浮かぶ。彼らはマスコミにも登場し,本なども出ていた。たぶんその頃は読んで理解できるレベルに自分がいなかったせいか,内容などは記憶にない。ただ,彼らは何かを思い,何かを信じ,何かをやり遂げたいという情熱にあふれ,その意味では輝いて見えていた。

 彼らがそこに至ったのは,しかし,偶然に過ぎない。今ならば,そう思うことができる。当時,今でいうカリスマのように,頭の良さ,人格,すべてにおいて自分たちよりもはるかに優れているところがあるのだろうなと思っていた。けれども,偶像化されて押し上げられてしまった時点で,彼らは既成の権威あるものたちと何ら変わらない姿になってしまう。ぼくには,そう感じられた。つまり末端のものの気持ちなど,理解できなくなってしまうのだ,というように。そういうものに,ぼくはついて行くわけにはいかない。運動の趣旨,展開の仕方とは別に,そんな次元でぼくは判断したのだった。

 

 愚痴を,言うつもりでこれを書き出したのではない。

 世代的に言えば一つ前に当たるが,組織の中枢を担っていたでもあろう一人の運動家が,かつてをどう振り返っているか興味があった。ぼく自身もまた,当時のことは課題として積み残しているままだ。三上の文章をきっかけに,自分のかつてをオーバーラップさせて多少なりとも振り返りをしておこう。そう思った。

 三上はブントや全学連が表現しようとしたことは二つあったと総括している。一つは「社会主義」と「自由主義」の二つに異議申し立てをしたこと。もう一つは運動を運動として展開するということ。つまり運動の自立性を提起し,党勢拡大や組織強化のための運動の否定するという,この二つであったという。

 その上で三上は,彼の言う独立左翼という概念と新左翼との思想的な区別を主張している。そこでは,新左翼は旧左翼に対する左翼反対派的なものだとされ,マルクス主義の枠に未だとどまるものだという指摘がなされている。当然,三上は独立左翼をマルクス主義の枠に入りきらないものととらえ,従来の革命概念との差異,国家や国家権力についての思想的なとらえ方の差異を鮮明にし,新左翼との違いを思想的に析出しようと試みている。

 分かりやすくいえば,もともと独立左翼という概念は存在せず,ただ新左翼という概念が存在した。三上は自分もブントも新左翼にひとくくりされるのが嫌だったのであり,新左翼の中で矛盾として存在したことを言いたいのだろう。その微妙な差異を,この文章では苦労して析出して見せていると言えば言える。

 ぼくが見るところでは,それはかつての運動には,国家観,権力観が欠落していた。三上は,新左翼との違いを革命概念の違いに帰着させたいようだが,そんなことは実はどうでもよいことだとぼくは思う。新左翼,独立左翼ともに,全共闘運動としてかつては議会制民主主義に異を唱え,直接民主主義的な形で国家的な権力の変革を目指した。しかし,その思想は理想的であり,その政治的運動は非政治的であり,国家観,権力観という本来持つべきものを欠いていた。もちろん,すでにできあがっている国家観,権力観に収斂されない,まだ未明の国家観,権力観が内言語という形でイメージされてはいたのかも知れない。だが,それを形にして表すことはできなかった。言葉にはならなかったのだ。そういうところでの運動は,流行のように熱気を持ってぼくたち一般学生の心にまで届いたが,気が付けば祭りの後のそれのように,内部の空虚さだけが残り,この先何処へ行けばいいのかが分からずちりぢりに雲散霧消したと言えば言えるだろうか。

 三上は今,それを言葉にしようとしているとぼくには感じられる。たぶん,成熟のための長い時間が必要だった。

 結論的に言えば,一口に国家といっても,そこには幻想国家の領域があり,政治国家の領域,経済国家の領域と重層的に存在し,これを明確に分離して理解し,戦略を持たなければならなかったということを三上は言っている。権力的にはまた官僚制が浮上してくる。これはその通りであると言えばその通りで,異議はない。

 たぶん政治運動家の立場に立つであろう三上は,

 

   ごく最近の個人情報保護法案,有事法制案など重要な法案が次々に法制化された。  これらに対する反対の動きを見ていて,制度的な言葉で対抗する力の不在を実感した。

 

と述べているが,それはぼくらも実感するところだ。しかし,ぼくがどうしているかと言えば,関係ねえや,と無関心を装うしかない。ぼくの周りには,どんな組織もなければ,どんな団体も存在しない。孤立したこの身に,制度的な言葉で対抗する力などありようもない。だが,制度的な言葉を無化する,そのための智慧を生きようとはしている。そこに三上たちとは違ったぼく自身の長い時間がある。自分で納得できないうちは,どんな「善」を目指した運動であろうと,決して影響は受けまいと心に決めてきた。三上たちとは違って,これが現在に向けてのぼくの振り返りの精一杯のところだ。制度的な言葉に浮上する誘惑,それが単なる誘惑に終わらないことを三上のために,遠くから願うばかりだ。

 

 

 「いわゆる拉致問題」について(2004.7.2)

 7月2日の河北新報の,「現代の視座」欄に養老孟司の「日本は真の実力を身に付けよ」の文章が載っている。

 冒頭,「じつは,拉致問題は個人的には考えたくない問題である。」とある。本音とはいえ,大胆である。その理由を,少し難しい言い回しで後の記述に述べている。

 簡単に言うと,大日本帝国の支配下に置かれていた時代,その後朝鮮戦争が起こり,アメリカと旧ソ連,そして中国が南北の問題に関与していた時代,そしてそれに引き続く現代と,北朝鮮の抱える問題の背景は複雑である。その複雑な背景が拉致問題にも絡まっているからというのが,先の発言の理由だということになる。そう,ぼくは理解した。

 その上で,北朝鮮問題も台湾問題も,もともと日本の問題でもあったのに,その日本に解決の能力がなかったということを,養老さんは指摘している。日本国家には,民族の問題,国家の問題,そうした問題の処理能力がなかったということ。実質的に,そのために先の戦争に負けたのであるという見解を,養老さんはここでとっている。

 

  「戦争に負けたこと」自体が,日本国家には,こうした問題(国家間,民族間の紛争, および国際的な紛争問題等―佐藤)の処理能力がなかったことを示したのである。その 日本を大国だというのは,どこのだれか。

 

 このとらえ方はユニークである。ぼくにとっては初めて聞く見解である。処理能力がなかったことと敗戦とを,このように結びつけた見解が,である。これはすでに,戦争を始めるにあたって,敗戦が内在していたことを指摘しているものと思う。

 見れば,拉致問題に関係して重要になっているのは,米国,中国,ロシア,相も変わらずそれらの国がどう考え,どう関与するかだ。当事者間では解決できない。養老さんの指摘するとおり,日本がどう考えるかに,さしたる解決の糸口など見えてこない。つまりは,戦前と同じく,処理能力が欠如したままではないのか。そのために,拉致問題が,ほとんど「拉致家族」の問題になってしまった感がある。それならば,ぼくたちには最早口を挟むことができない。そう,ぼくなどは思っていた。

 この件にも関連して,昨今「日本は経済大国になったから,国際政治にも応分の口を出すべきだ。」とする見解は,政治家の口からも,報道キャスターの口からも,また,報道を信ずるならば世論にも,よく聞かれるようになってきた事柄である。「私はそれにだまされるつもりはない。」と,養老さんは言う。なぜなら,かつても現在にも,そのような実力は日本には,あるいは日本の政府には,存在しないからだ,というのが養老さんの言い分であろう。「本当に力があれば,相手は自然にこちらを重視するようになる」。日本経済の発展,日本製品の世界的な普及はその典型である。そう,続けている。そして,「これからの日本にとって大切なのは,真の実力を身につけることである。」といっている。

 ぼくは,養老さんのこうした指摘は重要であると思う。国際間に限らず,実力があれば無視し続けることはできない。言ってみれば,個人にもあてはめて考えることができる問題でもある。

 このところ,養老さんの本が売れ,講演その他に引っ張りだこのようであるが,それは養老さんの考えが世間的に重視されるほどの実力を持っているということになるのだろう。この実力の根源がどこにあるのか。膨大な知識,知性,教養,解剖や虫の標本作りで培われた丁寧な事象の見方と取り扱い等々,いくらでも考えることができるが,この紙面でも控えめに使われているけれども,「正直」という言葉に,その根源があるのではないかとぼくは思う。

 養老さんといえども,何でも知っていて,何でもできるというわけではない。逆に「分からない」,自分には「できない」,ことを,自分にはっきりと認めるところから,自分の考えを立てている。そこに見えてくるのは「正直さ」以外の何物でもない。正直さこそが強いのだ。ある意味で,そこには誰にとっても無視できない,実力そのものが反映しているのだから。もちろんこの「正直さ」は,あっけらかんとした物言いを意味していない。解剖である箇所の毛細血管を探り当てるように,自分の中の「正直」の所在を探り当てなければならないのだ。なおかつ,「正直」であり続けることに努力し続けること。養老さんの文章や発言が,ウケている理由は,そこにあると思う。

 ここでひとこと付け加えれば,養老さんの文章には具体的な対策がない。これは残念ながら弱点ではあろう。だが,これは「正直さ」ゆえのことである。そこまでの力がないということであるが,なに,これが日本の実力の「現在」であり,知の最良の部分の「現在」と考えていいことだと思う。

 いきり立った「対策」のあれこれは,すべて無効というのが本当のところであると思う。あえて,具体的な対策がまだ発見できないという,それこそが具体的な真実なのだ。その真実から目をそらさないで,ものを見る,ものを言う,その忍耐を潜りぬけた営為の後に,自ずから「対策」は姿をあらわしてくるものと,ぼくは思う。

 

 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」について(2004.6.6)

 これはマックス・ヴェーバーの著作で大塚久雄訳,岩波書店から出されている文庫本である。マックス・ヴェーバーはあまりにも有名で,名前だけは知っていた。この題名の本は,新聞か何かの書評,あるいは紹介で,読んでみようかと思った。二日で読み通し終えたが,面白かった。今のところ,そう言う以外,読後感を表すことができない。難解である。だが,何を言おうとしているか,それが分かった。

 この本は,簡単に言うと,近代資本主義を形成し,支え,興隆させてきた,そしてまた自らが構成要素となる資本家および労働者の精神が,ともにプロテスタント的世俗内的,あるいは職業的禁欲倫理を背景として,内在化させるところに成立してきたことを主張している。そこにはまた,天職観念,天職義務というキーワードが置かれていて,それが資本主義の精神に転化していく道筋が詳細にたどられている。ぼくの受け取ったところを今ある言葉で率直に言おうとすれば,そういうことになる。この要約は,あまり信用しないで欲しい。直接読んでもらいたい。そうすれば,この本の持っている重要な意味が理解できるのではないかと思う。100年前の著作である。だが,言っていることは今でも十分に通用する。

 これは,学校においてなぜ先生たちがまじめであり,なぜ子どもたちの多くはまじめであるかを読み解くのに大きなヒントを与えてくれる。少なくとも,ぼくにとってはそういう書だ。もちろん学校の世界だけではなく,会社の世界についても,世の中一般を見る際にも,上辺だけではない見方を可能にする,あるひとつの視点を提供してくれる。そういうものとして,ぼくは受け取った。

 

 以上だけでは味気ない。印象に残るところを振り返りながら,それらの箇所をいくつか引用してみよう。

 本書の大半の部分は,「ピュウリタニズムの天職理念の宗教的基盤を明らかに」する作業に費やされている。問題は,そのあと,この「天職理念」が「営利生活に及ぼした影響を究明」する部分にある。まず,禁欲的プロテスタンティズムの天職観念が作り出したものを,このようにまとめている。

 

 このことからして,個々人にとって,恩恵の地位を保持するために生活を方法的に統御し,その中に禁欲を浸透させようとする起動力がうまれてきた。ところで,この禁欲的な生活のスタイルは,すでに見たとおり,神の意志に会わせて全存在を合理的に形成するということを意味した。しかも,この禁欲はもはや義務以上の善き行為ではなくて,救いの確信をえようとするものすべてに要求される行為だった。こうして,宗教的要求にもとづく聖徒たちの,「自然」のままの生活とは異なった特別の生活は―これが決定的な点なのだが―もはや世俗の外の修道院ではなくて,世俗とその秩序のただ中で行われることになった。このような,来世を目指しつつ世俗の内部で行われる生活態度の合理化,これこそが禁欲的プロテスタンティズムの天職観念が作り出したものだったのだ。

 最初は世俗から去って孤独の中に逃避したキリスト教の禁欲は,世俗を放棄しつつ,しかも修道院の内部からすでに世俗を教会の支配下においていた。しかしそのばあい,世俗的日常生活のおびる自然のままでとらわれるところのない性格を,概してそのままに放置していた。いまやこの禁欲は,世俗の営みの只中に現われ,修道院とはきっぱり関係を断つとともに,他ならぬ世俗的日常生活の内部にその方法意識を浸透させ,それを世俗内的な合理生活―しかし世俗によるでも,世俗のためのでもなく―に改造しようと企てはじめたのだった。これがどんな結果をもたらしたか。われわれはその点を以下の叙述で明らかにしたいと思う。

 

 以下,詳細な叙述を概括してまとめられた部分は次のように記述されている。

 

 プロテスタンティズムの世俗内的禁欲は,所有物の無頓着な享楽に全力をあげて反対し,消費を,とりわけ奢侈的な消費を圧殺した。その反面,この禁欲は心理的効果として財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放った。利潤の追求を合法化したばかりではなく,それを(上述したような意味で)まさしく神の意志に添うものと考えて,そうした伝統主義の桎梏を破砕してしまったのだ。ピュウリタンをはじめとして,クエイカー派の偉大な護教者バークリーが明らかに証言しているように,肉の欲,外物への執着との戦いは,決して合理的営利との戦いではなく,所有物の非合理的使用に対する戦いなのだった。(中略)禁欲は有産者にたいして決して苦行を強いようとしたのではなく,必要な,実践上有用なものごとに所有物を使用することを求めたのだ。(略)

 

 私的経済的な富の生産の面では,禁欲は不正ばかりでなく,純粋な衝動的な物欲とも戦った。―というのは,この衝動的な物欲こそ禁欲が「貪欲」,「拝金主義」などとして排斥したもの,つまりは,富裕となることを究極目的として富を追求することに他ならなかったからであり,所有そのものが誘惑だったからだ。ところが,まさしくこの点において,禁欲は「つねに善を欲しつつ,つねに悪を」―禁欲の立場に立った意味での悪,つまり所有とその誘惑を―「作り出す」力だった。なぜかというと,禁欲は旧約聖書と同様,また「善き行為」の倫理的評価からの類推でもって,富を目的として追求することを邪悪の極地としながらも,〔天職〕職業労働の結果として富を獲得することは神の恩恵だと考えたからだ。そればかりではない。これはもっと重要な点なのだが,たゆみない不断の組織的な世俗的職業労働を,およそ最高の禁欲的手段として,また同時に,再生者とその信仰の正しさに関する最も確実かつ明白な証明として,宗教的に尊重することは,われわれがいままで資本主義の「精神」とよんできたあの人生観の蔓延にとってこの上もなく強力な槓杆とならずにはいなかったのだ。そして,さきに述べた消費の圧殺とこうした営利の解放とを一つに結びつけてみるならば,その外面的効果はおのずから明らかとなる。すなわち,禁欲的節約強制による資本形成がそれだ。利得したものの消費的使用を阻止することは,まさしく,それの生産的利用を,つまりは投下資本としての使用を促さずにはいなかった。(略)

 

 しかし,禁欲的信仰者は次のような逆説的感慨を思わずにおれない。ジョン・ウェズリーの文章が引用されている。

 

「私は懸念しているのだが,富の増加したところでは,それに比例して宗教の実質が減少してくるようだ。それゆえ,どうすればまことの宗教の信仰復興を,事物の本性にしたがって,永続させることができるか,それが私には分からないのだ。なぜかといえば,宗教はどうしても勤労と節約を生み出すことになるし,また,この二つは富をもたらすほかない。しかし,富が増すとともに,高ぶりや怒り,また,あらゆる形で現世への愛着も増してくる。だとすれば,心の宗教であるメソジストの信仰は,いまは青々とした樹のように栄えているが,どうしたらこの状態を久しく持ちつづけることができるだろうか。どこででも,メソジスト派の信徒は勤勉になり,質素になる。そのため彼らの財産は増加する。こうして宗教の形は残るけれども,精神はしだいに消えていく。純粋な宗教のこうした絶え間ない腐敗を防ぐ途はないのだろうか。人々が勤勉であり,質素であるのを妨げてはいけない。われわれはすべてのキリスト者に,できるかぎり利得するとともに,できるかぎり節約することを勧めねばならない。が,これは,結果において,富裕になることを意味する。」(これにつづいて「できるかぎり利得するとともに,できるかぎり節約する」者は,また恩恵を増し加えられて天国に宝を積むために,「できるかぎり他に与え」ねばならぬ,という勧告が記されている)。

 

 つづいて述べられているところは,こうだ。

 

 こうした強力な宗教運動が経済的発展にたいしてもった意義は,何よりもまず,その禁欲的な教育作用にあったのだが,ウェズリーがここで言っているとおり,それが経済への影響力を全面的に現すにいたったのは,通例は純粋に宗教的な熱狂がすでに頂上をとおりすぎ,神の国を求める激情がしだいに醒めた職業道徳へと解体しはじめ,宗教的根幹が徐々に生命を失って功利的現世主義がこれに代わるようになったとき―すなわち,ダウデンの言葉を借りれば,民衆の想像力のなかで,(中略)伝道もする孤立的経済人が姿をあらわしたときだった。

 (中略)

 宗教的生命にみちていたあの十七世紀が功利的な次の時代に遺産として残したものは,何よりもまず,合法的な形式で行われるかぎりでの,貨幣利得に関するおそろしく正しい―パリサイ的な正しさとわれわれは確信して言う―良心にほかならなかった。「神によろこばれることは難しい」は名残もなく消え失せた。独自の市民的な職業のエートスがうまれるにいたったのだ。市民的企業家は形式的な正しさの制限をまもり,道徳生活に欠点もなく,財産の使用に当たって他人に迷惑をかけることさえしなければ,神の恩恵を十分にうけ,見ゆべき形で祝福を与えられているという意識をもちながら,営利に従事することができたし,またそうすべきなのだった。そればかりではない。宗教的禁欲の力は,冷静で良心的で,すぐれた労働能力をもち,神のよろこび給う生活目的として労働に精励する,そうした労働者さえも彼の掌中に与えた。さらに,それに加えて,この宗教的禁欲の力は,現世における財の分配の不平等が神の特別な摂理のわざであり,神はこの差別を通して,恩恵の予定によってなし給うのと同じに,われわれのあずかり知らぬある秘密の目的をなしとげ給うのだという,安心すべき保証をあたえたのだ。

 (中略)

 営利を「天職」と見なすことが近代の企業家の特徴となったのと同様に,労働を「天職」と見なすことが近代の労働者の特徴となった。

 

 これらの章句についてもまた,本来はこの書に直接当たって,大いなる文脈の流れに沿って個々に読み解かれねばならない。ここではその一端を紹介し,この書への誘いとしたかった。この目的が果たされるか否かは別として,ぼくが驚嘆し,目から鱗が剥がれるような思いをしたヴエーバーの,この書の結末部分の文章を,最後に引用しておかなければならない。やはり,少し長いが,読むに値するはずだ。

 

 ピューリタンは天職人たらんと欲した―われわれは天職人たらざるをえない

というのは,禁欲は修道士の小部屋から職業生活のただ中に移されて,世俗的道徳を支配しはじめるとともに,こんどは,非有機的・機械的生産の技術的・経済的条件に結びつけられた近代的経済秩序の,あの強力な秩序界を作り上げるのに力を貸すことになったからだ。そして,この秩序界は現在,圧倒的な力をもって,その機構の中に入り込んでくる一切の諸個人―直接経済的営利にたずさわる人々だけではなく(むろん子どもも含まれる−佐藤註)―の生活のスタイルを決定しているし,おそらく将来も,化石化した燃料(石油等−佐藤註)の最後の一片が燃えつきるまで決定しつづけるだろう。(中略)運命は不幸にもこの外衣(近代的経済秩序を構成する条件を言っているのだろうと思う−佐藤註)を鋼鉄のように堅い檻としてしまった。禁欲が世俗を改造し,世俗の内部で成果を上げようと試みているうちに,世俗の外物はかつて歴史にその比を見ないほど強力になって,ついには逃れえない力を人間の上に振るうようになってしまったのだ。(これだけに終わらない。以下の分析がまたすばらしい−佐藤)今日では,禁欲の精神は―最終的にか否か,誰が知ろう―この鉄の檻から抜け出てしまった。ともかく勝利をとげた資本主義は,機械の基礎の上に立って以来,この支柱(禁欲精神をさす−佐藤註)をもう必要としない。禁欲をはからずも後継した啓蒙主義のバラ色の雰囲気でさえ,今日では全く失せ果てたらしく,「天職義務」の思想はかつての宗教的信仰の亡霊として,われわれの生活の中を徘徊している。そして,「世俗的職業を天職として遂行する」という,そうした行為を直接最高の精神的文化価値に関連させることができないばあいにも―あるいは,逆の言い方をすれば,主観的にも単に経済的強制としてしか感じられないばあいにも―今日では誰もおよそその意味を詮索しないのが普通だ。(この意味するところは重要だ−佐藤)営利のもっとも自由な地域であるアメリカ合衆国では,営利活動は宗教的・倫理的な意味を取り去られていて,いまでは純粋な競争の感情に結びつく傾向があり,その結果,スポーツの性格をおびることさえ稀ではない。将来この鉄の檻の中に住むものは誰なのか,そして,この巨大な発展が終わるとき,全く新しい預言者たちが現れるのか,あるいはかつての思想や理想の力強い復活がおこるのか,それとも―そのどちらでもなく―一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化することになるのか,まだ誰にも分からない。それはそれとして,こうした文化発展の最後に現れる「末人たち」にとっては,次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人,心情のない享楽人。この無のものは,人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた,と自惚れるだろう」と。―

 

 100年を経て,このヴエーバーの預言はどこに着地することになるのか。いまこの社会に生きる人々の,ぼくたちの,心の中に満ちるものの実態は何なのか。愛なのか,機械的な大いなるニヒリズムであるのか。「人間性のかつて達したことのない段階」は,ぼくたちのすぐそばに足音を忍ばせている。「自惚れ」?いや,それどころではない。背筋が凍るようなとんでもない時代だ,と,少なくともぼく自身は考えている。数日前の小学生の同級生の殺害も,この書の文脈の流れで,実はぼくは考えていたのであることをいま実感している。

 100年前に考察されていた資本主義は,現在,高度資本主義,超資本主義,消費資本主義,などとよばれるように,決して以前のままの考察ではとらえきれないほどに発展している。だから,ヴエーバーの見解を,現在におきなおす思考の作業は必要だ。けれども,それはこうしたヴエーバーの見解の価値を,重く見るものではあっても,軽んじるものではない。こう書きながら,ぼくはこの興奮が誰かに届くことを夢見ている。(了)

 

 「小6女子による同級生殺害」について(2004.6.4)

 イラク問題,拉致被害者家族の問題,不況・年金問題など,国の内外にわたっていろいろな問題が押し寄せている。私的には自分の退職のことや,家族の怪我治療のために,時間とお金と気持ちとを費やしてきた。

 そんな中,6月1日,小6女子による同級生殺害の報道が飛び込んできた。

 3月まで,小学6年生を相手に,理科の授業を行ってきた。その子どもたちと変わらぬ子どもが,被害者となり,加害者となった。憤りは,親や家族に対するでもなく,社会に向けてでもなく,すべてを通り越して自分に向けられてくる。それが何故なのか,少し言っておきたい気がする。

 人を殺害することに関しては,親鸞の言うように,「業縁」の有る無しで言い切れると考えてきた。簡単に言えば,「きっかけ」である。「心がよくて(善)殺さぬのではない。」

すでに中世において,そう,はっきりと言われている。

 「きっかけ」といえば,何か特定できるもののように考えるかも知れないが,これを特定することは不可能だ。裁判などでは,裁判官が動機を特定したりするようだが,これは現実的な処理上の理由によるもので,本来はそんなことははっきりと断定できるようなことではない。言葉は行為などを四捨五入することによって,その行為を言葉で言い表すことができる。行為は行為であり,本来は言葉になどはできないものだ。しかし,言葉にしなければ社会生活が成り立たないから,お約束でぼくたちは言葉にして授受しているのである。

 整理すれば,少女は,同級生を殺害しなければならない,抜き差しならない事情,きっかけ,そういうものがあって事件を起こした。仏教の言葉で言えば,宿縁,業縁,それに突き動かされるようにして同級生を殺害することになった。その「縁」や「きっかけ」はいくら探し出そうとしても,特定することは不可能なものだ。加害者の少女の一生,被害者の少女の一生,そして彼女たちを取り巻く社会や世界といった環界のすべてが必然を組むようにして事件に向かってなだれ込んだと考えるしかない。ぼくは,そう,考える。

 インターネットも,カッターナイフの所持も,その他のこともすべては「きっかけ」として重要であり得るし,それらのひとつひとつはまた,取るに足りない事柄でもある。

 教員として,こういう事件が起こりうる可能性はいくらでもあると思っていた。そして,それを阻止することはできないとぼくは考えていた。無力であると痛感していた。ほんの少し前まで,理科の授業をしながら,どうにかしてそういう世界観,人生観を伝えておきたかった。

 子どもたちは知らなくてもよいことをたくさん知っている。そして,知らなければいけないことをほとんど知っていない。これは,全く教育的な配慮のおかげであると言っていい。もちろん,皮肉を込めて言っているのだ。環境問題,ボランティアに取り組む,見かけだけは立派な子どもたち。だが,自分の残虐性,<悪>を解放する場所も時期も与えられていなければ,対自的に考える機会も失われている。

 <心身ともに健康な児童の育成>のおかげで,立派な子どもができた。けれども,この立派な子どもたちは,大人たちの言いなりでしか生きていけないように見える。自分というものがない。そもそも,自分というものを形成する上での体験というものがないのだ。社会の通念を感受し,それを受け入れるにしても抵抗するにしても,通念はあまりにも実態であるかのように堅固で,絶対的なもののように見える。そこに生きながらまるで過呼吸のように,自分の中に社会の通念があふれかえっているのだ。

 そんなものは幻想に過ぎない。そういいきれる大人はどこにもいない。大人たちもまたその通念にどっぷりとつかり,身動きできない状態でいる。この閉塞状態に風穴を開け,せめて風通しよくしなければならないのだが,ぼく自身自分を立て直すことだけに精一杯だったのだ。

 子どもたちを置き去りにして,子どもたちに語りかける言葉を見失ったまま,ぼくは学校を去った。そしてまだ,その言葉を獲得できていないというのが本当のところだ。今回の事件が,自分自身への憤りを感じさせるのはそのためである。

 

 「鳥インフルエンザ」について(2004.3.27)

 3月26日の河北新報に,「現代の視座」と題して養老孟司の「生きものの多様性認め共存を」の文章が載っている。

 いわゆる鳥インフルエンザの問題である。

 養老は,飼育条件が統制され,大量に飼育される家畜化に問題があるとして,現在の家畜経営形態そのものが,コンピュータの中のシステムと同様に「ウイルスが広がるようにできている」ことを指摘している。

 また当面の解決策は,インフラを整備し,動物を衛生的な環境におくといった対策がとられるだろうと予見している。

 養老はしかし,「次に起こる問題は何か。ヒト社会の問題と同じであろう。そうした状況で飼育された動物は,はたしてまともな動物かという問題である。つまり都市社会を当然として生きているわれわれは,まともな人間か,ということである。」と,新たな問題提起をしている。

 一つの結論として,多様性を保つことによって疫病が広がりにくいシステムを開拓しなければならないということ。それが「飼い主である」資格をもつことにつながる,と述べている。生きものの生き方の多様性を認める飼育の仕方,方法を考案していかなければ,鳥インフルエンザの問題は姿を変えて繰りかえし訪れるだろうことを,それは予見している。いや,すでにBSEやコイの問題は起きている。

 いま家畜に起きている疫病は,かつてのペストの大流行のように,人間社会に起きたことの遅れた繰り返しの様相を呈している。だから人間社会がとった効果的な対策を施せば,一時的な解決はなされる。だが免疫をもたない大量飼育の家畜たちには,ほかの疫病が流行する不安は解消されない。だから,飼い方に多様性がなければならないというわけだ。そこでは少なくても流行の蔓延は幾分かは食い止められたり,遅くすることはできるだろうと。しかし,多様性とは同時に,生きもの固有の生活スタイルを尊重するということでもある。

 生きものが行動したいように行動させる,そんな飼育の仕方はあり得るだろうか。

 いや,一生を鳥かごの中にいて卵を産み続け,人工の飼料を食べさせられ続ける鶏は,まともな鶏といえるのか,と養老は問題を投げかけているのだ。その鶏を,ぼくたちは食べることにもなっている。もしも鶏たちがまともな動物ではないとすれば,食するぼくたちも最早まともな人間ではなくなっているのではないか,そう養老は言っていると思える。

 養老の指摘は,実はこの騒動の向こうに透けて見える,都市化社会に住み,さらに都市化を推し進めるほかないように見える私たちの生き方についても考えさせるものである。つまり,あなたがたはこうした家畜の暮らしとどう違った生き方をしているのか,と問うものでもある。

 大量飼育の問題は,人間社会の問題であるとともに,ぼくの関心に引き寄せれば「学校教育の問題」でもある。鳥インフルエンザのような疫病が発生したら,ひとたまりもないということはあり得るのではないか。ある疫病の流行が始まると制圧は困難になる。子どもたちは社会の毒をウイルスのように体内に大量にため込んではいないか。学校はそうした大量飼育の場になってはいないか。ことは身体の問題ばかりではなく,「こころ」や「思い」の問題として,ぼくは危惧する。

 養老は,近代思想が「生きる」とはどういうことかを置いてけぼりにしてきたたことに,家畜の大量飼育の問題,もっといえば現代社会の混迷の問題の遠因の一つをあげている。ぼくには,そう読み取れた。

 

 ぼくの場合,向こうからこうしろといわれることについては適当にあしらい,ぼんやりと何をしたらいいかを考え,その見つけたことにさしあたっては時間を費やすことを繰り返してきたばかりだ。それはもしかすると誰とも共有できない無駄で無意味なことであったかも知れない。だが,「きみはいったいどう生きたいのか。生きている間に本当にしたいことは何か。」と問われたときに,それが答えを出す手がかりになるような気がしている。それはぼく自身の中で,ウイルスが広がるようなシステムを解体するための手段ともなっていると思い続けてきた。

 教えられることを鵜呑みにするような,堅固な教育体系,「善」の包囲網。それは,日増しに強まっていくばかりだ。そしてそれは,子どもたちの勝手気ままな行動,勝手気ままな考えを上手く延ばしていくというようにはなされていない。教室空間のように,幾重もの枠でがんじがらめになっている。

 養老の言い方にならって言えば,そこではまともな人間が育つはずがない,ということになる。

 ぼくに言わせれば,文科省の統括がすでに学校における「大量飼育の家畜化」をもたらすものだ。そこには教育条件の統制があり,子どもは,人間は,こうあらねばならないという,たかだか人間の一部分でしかない脳が生み出した,都合のよい人間を育てるための規制が存在する。

 「生きる」とは,養老がよく言うようにコンピュータにすぎない脳に理解しきれるものではない。日々の言動,いちいちの動物としての,人間としての営みは,そのすべてを脳が理解し制御しているものではない。逆にほとんどすべてのことを脳は分からないままに,ぼくたちは生きているといえる。

 

 飼い主は,生きものの多様性を認めた飼育のシステムを考案しなければならない。養老はそう述べているが,飼い主を為政者,政治家,管理者全般の喩ととらえるならば,彼らは国民に,多様性を保ちまともな人間らしい生活ができるシステムを考案しなければならない,ということになる。それができなければ「飼い主」の資格はないということだ。

 そしてその多様性とは,始に規制ありきの家畜化の中では発現されるはずもないものだ。すでに野生としての本能が消失してしまっている。

 少なくとも一時的であれ自然の中に野放しでいる体験。それは動物にとっても人間にとっても必要なことではないのか。そう,養老は言いたいのだと思う。

 

 このごろの出来事について(2003.12.20)

 毎日いろいろな事件がありすぎて,いちいちについて考えることが億劫になってしまう。

 今日,NHKで,安全保障の問題についての討論会があり,他局でおもしろい番組もなかったのでついつい見てしまった。みなさん憂国の士みたいで,かっこよかったね。中曽根さん,後藤田さん,それにノーベル賞作家の大江さんもいたな。結局何を言っているのか分からなかった。第2部は,現役政治家さんで,与党対野党で自衛隊派遣,集団自衛権などについて討論していた。ま,政治はこの人たちが任されてやっているんだから,思ったことをやったりいったりするしかないよね。でも,この人たちの言っていることは,普段の生活の延長で考え得ることばかりだよね。困っている人たちへの援助だとか,暴漢に襲われたらどうしようとか。庶民であるぼくたちはいつも自前でどうするかを考えながら生活しているような気がしたな。

 ぼくの場合だと,困っているひとへの手助けは,したりしなかったりだな。ぼくよりも上手に手助けできるひとがそばにいる場合には,その人にまかせるし,ここはやるしかないと思うときは,意を決して手を挙げる場合もある。でもまあ,こんなぼくに手伝ってもらったり助けてもらわなければならないような人たちは,よっぽどの人たちで,身近にはそうはいない。かえって,ぼく自身が助けを求める側にいると言ってもいいくらいのものだ。お節介にならないように援助するというのも難しく,その人のためにならないと判断すれば,あえて知らん顔する場合もあるだろうし。

 やられたらやり返す。これはもう是非や善悪の問題ではないな。圧倒的に不利な場合には,そこから逃げ出す手もある。これって結構生活の中で遭遇するよね。仕事ならば上司から圧力をかけられたり,過剰な儀礼を要求されたり,ひどい扱いを受ける場合もあるのじゃないかな。どっちにしてもぼくの場合は,がまんができなくなったら,やっちゃえばいいというのが基本にあるから,その基本に従うだけだ。これってしょうがないことじゃないか。戦争だって,あるきっかけがあって,がまんしたり,抵抗したり,文句の言い合いがあって,それでもどうにもならないときはそれじゃあやるぞと,そうなっていくのじゃないだろうか。

 テレビ討論会の終わりに,18才の子のコメントが紹介されていたな。こういう問題に真剣に考え,議論することが大事だって。ぼくも同じ年頃のころは,安保の問題だとか,大学紛争の流れの下層の方で渦にもまれ,考え,本を読み,友だちと話し合ったりしていた。でも,今日のような話で大事なことは,政治家でもないものが政治の話に深入りしていくことが大事なことではなくて,自分の生活を見つめ直すことじゃないかな,と思った。

きみはきみの身の回りに起きていることで,きちっと解決した上でものを言ったり考えたりしているかい?どうも,ぼくはそう言いたいらしいのだ。きみの身近でかつあげされた友だちがいたとき,きみのクラスの子が不登校になったとき,きみには一体何ができた?どう,振る舞った?ぼくの場合は,身の回りの人々の不幸も救えないばかりか,自分自身をさえ扱いかねていることが多いと反省する。立派でも何でもない人間だから,どこかに出張っていって,立派に振る舞って見せなければならない理由もない。国内の現状を見ると,日本だってそんなに立派だとは思えない世相だ。政治家だけがなぜ,世界のリーダーとしての日本などと意識過剰になってしまうのだろう。中味が伴っていないじゃないか。それが一国民としての実感だ。それとも,有識者や政治家は,国内にこんなに陰惨な事件や暴力的な事件が多発しても,また国民が不況に苦しんでいても,彼らの見識や理念は世界的には超一流で,国益や世界平和に貢献できる人たちだと言うことなのだろうか。そうではあるまい。ただただ足元が見えない,生活のなんたるかの実感が持てない,それこそ仮想世界に生きる人種だということではないか。それは,世界という単相,政治という単相にしか視線が向かわなくなってしまったからではないだろうか。

 少年や,青年たちに言いたいよ。あんな,日本の代表だみたいな顔つきをする大人にはなるなよって。彼らにはそういう思い込みを反省する知恵が欠けている。本当に立派な人は,きっと,きみたちの近くに,それと気付かぬ形で存在しているにちがいない。そう,言いたいな。

 

 さて,ここ2,3日,小学校への暴漢の乱入が続いた。少し前には,特に女子高生や中学生への強姦目的の暴行事件が多発したと記憶している。どうにもやりきれない。

 学校への乱入,児童への暴行は,もう,タブーがなくなったという印象が強く持たれる。かつてのヤクザにも,万が一,そういう行為は想像さえできなかったことが,現在易々と実行されている。「悪」への大衆化。それはこんなタブーを超えた犯罪に結びつくものだったとは,考えもしなかったことだ。この荒れはどこから来たのだろうか。

 これは上の話の続きで言えば,テロということか。

 学校の管理,抑止力が取りざたされているが,当事者としては暴漢者の侵入を前提として学校を続けていくことには問題があると感じる。そうしたものが,無いと前提にしなければ,学校なんてやってられない。敷衍して考えれば,教師がそうなったらどうするのだ,というところまで行き着くにちがいない。完璧な安全なんてあり得ないのだ。それは地震などの自然災害にしても同じことだと思う。保護者が子どもの安全を願うのは分かる。だが,一切の災害から子どもを守るつもりなら,家に金庫を用意して,その中で過ごさせるしか方法はない。それだって,病気から免れることの確証はあるまい。

 朝,子どもが出かけたら,もう会えないと覚悟しろ。と,ぼくならば保護者に言いたい。家を離れる,手を離れるということは,本来そういうことだとぼくは思うからだ。そんなに社会を信じちゃいけない。そんなに自然を信じちゃいけない。そんなことは自明のことではないのか。どんなに手を尽くしたところで,学校というところは,こういう事件に対して無防備でしかない。無防備が前提であり,それがこれまでは社会的な暗黙の了解事項として,犯罪からは一応は縁のない場所であった。

 第一,がちがちに管理された学校に通う子どもたちは,自分達が狙われる対象であることを自覚しながら成長することになる。そのことが,将来どんな性格形成,人格形成をもたらすものか,想像するだけで背筋が寒くなる。

 何もするな,できない,と言っているわけではない。現に,それぞれの教育委員会ではなんらかの対策を考えるように各学校に呼びかけ,また性急にマニュアル作りや見直しなどを行っている。しかし,いま一方で,なぜ事件は起こるのかの,原因追及とその根本的な対策について考える必要もあるだろうと思うのだ。

 なぜ,幼稚園ではないのか,というのも,ある種目を向けなければならない気がする。というのは,ぼくにはやはり,「学校」「学校教育」そのものにも,刃は向かっているのではないのかと推測されるからだ。

 この件については,また触れる機会もあると思う。12時も過ぎたので,今日はここまでで終わることにしたい。

 

 禁煙運動に一言 その(3)(2003.10.20)

 喫煙者の吸うタバコの煙を吸ったら肺ガンにかかりやすから「禁煙」しろと言われているが,これについては「厳密な上にも厳密な研究を重ねて,医学的根拠を明確にしないかぎりは本当には主張できないはずだ。」と述べているのは,我が吉本隆明,その人だけではないか。
 どの程度の調査,実証研究が妥当であるのかは,学者の領分で,素人のぼくらにはわからない。だが,調査に要する年月,標本の数など,厳密であるためにはそれ相当のものを必要とするだろうことはぼくらにも想像がつく。

 実際のところ,そうした医学的,科学的な立証を経ないで,いわば素人を脅すような手口で,タバコの害を拡大し,ズームして喧伝しているふしが見受けられる。

 たしかに,副流煙にも害はあるのであろう。だが,同じ部屋に20年以上暮らしてタバコの煙を吸い続けると必ず肺ガンになるというのか,月に1回だけ宴会などに同席してタバコの煙を吸っても肺ガンになるというのか,そういうところもしっかり根拠を明確にして説明する責任はあるだろうという気がする。昨今の主張は,とにかく煙は体にいいことはなくて悪い,害になることはまちがいないのだから禁煙すべきであるという主張だ。

 それは待ってくれと言いたい。歯に悪い食べ物は食べるなとか,目に悪いからテレビを見るな,本を読むなとかという主張にそれは近い。
 固い木の実のようなものを食べていれば,もちろん歯にはよいだろう。だが,それでは現在,そうした食生活にもどることができるかといえば,無理というものだろう。それに,ぼくたちは歯の健康だけを目的に生きているわけではない。
 肺の健康,体の健康を目的に生きているわけでもない。ある遊びや,冒険に夢中になったりして危険を承知で挑むということや,害になると知りつつ行ってしまうということが人生には,いくらでも起こりうる。
 たばこの害を告げる医者たちの,稀に見られるあの診察の時の横柄な態度に接した記憶を持つ人は皆無ではないだろう。中にはそういう連中もいる「医者」たちの「ことば」だぜ。どうして誰もが用心してかかろうとしないんだ?本当に連中の差し出す資料は信頼に足るものなのか?きみには理解できるのか?医師の権威と,黒ずんだ肺の写真にびびり過ぎてはいないか?ぼくの心も脳も,タバコの害で肺が不健康になる以上に,「現在」という「不可解」や「奇怪」に襲われて「瀕死」の状態になっていて,タバコ云々なんて悠長なことを言っていられない程の恐怖を実感しているぜ。
 ニコチンの作用のせいなのか,タバコを吸うという行為によるものなのかは判然とはしないが,少なくとも喫煙はその恐怖を一瞬でも中和してくれるものになっている。

 最近の「禁煙運動」の前線は,公共施設からのタバコの煙の締め出しだ。特に宮城県では,学校敷地内での全面的禁煙の流れが有無をいわせぬ形で進行している。これは,ぼくなどには,政府のイラク自衛隊派遣に向けた法案可決と同様,まさに雲の上の決定であって,地方も中央もお役人というものは勝手な政を進めて,身勝手さの自覚症状がない救えない連中だと思われることだ。たぶん彼らには,「善い」ことをしているから「いいのだ」という思いしかないのだろう。偉い奴っていうのは,大多数の,別によいことばかりをしたり願ったりしているわけではない庶民の生活,その中で意識に浮かび上がったり消えたりを繰り返す精神が分からないし,分かろうともしない。そしてその役職に無ければ,あるいは権力が無ければ言う気にもやる気にもなれないことを平気で言い,おこなってしまう。庶民的な場所から考えれば,即座に異常なことであることが分かるのに,それが分からなくなってしまう,救いようのない,悲しい連中だ。
 また,彼らの言うことがふるっている。「教育効果の円滑な推進」みたいなことを,真顔で言っているのだ。タバコの煙を学校敷地内から締め出したところで,そんなことができるんだったらやってごらんなさい,と言いたい。
 「禁煙策」の推進は,見せかけだけの効果しかないよ。そしてそれは悪しき効果だ。
 子どもたちの現状,そこに憂えるべき問題があるとすれば,無意識が織りなす「学校」の嘘,「教師」の嘘,「社会」の嘘以上の問題はない。
 かつて,ぼくらが学生か,学生を卒業した頃だったかに,「PTA」の母親たちを中心として「悪書」追放運動や,エログロ雑誌の自動販売機撤去の運動などが盛んだった時期があった。当時ぼくは,何を見当外れなことをするのかと,母親たちの馬鹿さ加減にあきれていたことを思い出す。新聞をはじめ,テレビ,雑誌,世の中の論調はおおむね母親たちの動き,その運動を認めていたような気がする。はっきりと批判できていたものは少なかった。
 全くの自由で平等な社会が成立し,個人が自分の生き方について思う通りに進んで努力できるような世の中になったら,「悪書」を見てもどんな感興も起こさなければ,当然作り手もいなくなる。
 モグラたたきのように,叩いてもたたいても別のモグラが出てくるのだから,そのやり方は無効だし,第一母親たちが自分の「性」に目をそむけて,そむけたぶん外に向かって攻撃するという姿勢が,ぼくには気に入らなかった。
 いま,社会の「現在」を見て欲しい。その主張と実践は,どんな効果を上げ,どんな結果を得たと言えるだろうか。また,その後の社会現象とまでなった「金妻」は,どんな世代の母たちがモデルとなったものか。

 同様に,良識もありご立派だと言われる,規制を考え実施に踏み切った皆さんの視線が向かう,その「矛先」がちがうのではありませんか。克服すべき第一の課題は,組織や体制や,自己の内部にあるのではありませんか。それを出し合うという最も困難な問題を回避して,綺麗事ですませられると高を括っていたら大間違いではないですか。

 「現在」の「情況」をそんなことでくぐり抜けられると考えているとしたら,レールから外れてしまう子どもたちが余りにも不幸だと言うしかない。彼らの感性は,いつまでも孤独に,賽の河原で石積みを繰り返していることだろう。
 吉本隆明さんは,「禁煙」を声高に唱える風潮や現象に向けて,こんな警告を発していました。

  一見,健康的な主張のように見えて,実は,そうした主張の仕方自体にものすごい病 的な要素が入っているんです。その一番ひどい例は,「グリーンピース」ですね。あれ は,病気だと思います。病気のように見えない,“集団病”だと思います。

 「公共施設内禁煙」「学校敷地内禁煙」は,「集団病」を超えています。住民や保護者や外部からの批判や非難にさらされた部署での,「何かしら善いことをして信頼を回復したい」願望のなせる技なのか,「悲しくも喜劇的な錯誤の勇み足」がそこにはあると思えてなりません。「否」の声が,かき消されてしまうことも,不気味です。
 これも,吉本さんからのたぶんに受け売りなのですが,タバコの煙の問題など,かつての欠如の時代にはなかったということ。今,何かしら過剰の時代という季節を迎えて,そういえば,あれもこれもと,「問題」であると取り上げる時代。おそらく発展途上国あたりや後進国あたりでは取り上げられることのない問題が,加速してさも大事なことであるかのような装いで俎上にのぼる。がまんや譲り合いといったことで済んでいた,事象を,善悪の倫理からではなく,過剰な解決の仕方で決着させるやり方。その,有り様は常に同じ様相を示している。集団であること。「否」の声が封じられるような形で伝染し,進行していくこと。目の前にそれを見たら,第一に気をつけなければならないことは,その方程式に当てはまるかどうかの確認の演算だ。
 最後にはっきりと言っておきたいと思います。「学校の敷地内禁煙」を打ち出し,決めたものたちは,根源的に愚かである。これに,「異」や「否」を唱えられなかったものも,その無力を心に刻まねばならない。戦後の「公私」の「私」優先の思想は,多くはそのすぐ下の世代の手によって,今その炎を消されようとしている。少なくともぼくの目には,そのように映って見えている。

 禁煙運動に一言 その(2)(2003.9.29)

 塩分の摂りすぎが云々されたときもそうだったが,健康の問題になると日本人は他の国とくらべて過剰反応するようだ。たばこの害をいうときも,これでもかこれでもかとたたみかけてくる。愛煙家のぼくにとっては辛いことだ。

 体に悪いことは,実は教わらなくても十分に体から教わっている。副流煙の,つまり受動喫煙の害について知ってからは,分煙を実践することに努め,なるべく煙がたばこを吸わない人に行かないようにしている。他人の迷惑にならないように,個人的にではあるが考えて吸っているつもりである。

 インターネット辞書で見ると,たばこについては次のような記述が見られた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

タバコ【タバコ(煙草)】

熱帯アメリカ原産のナス科の多年草。しかし温帯では一年草。高さ1〜2.5m,葉は卵形で互生し,長さ60cm内外,夏,漏斗形の淡紅〜白色の花を総状につける。高温の地を好むが温床の利用により温帯北部でも栽培される。ただし多湿条件には不適である。普通,早春に播種,苗を移植し,夏収穫。乾燥させた葉は樽(たる)につめられ1〜2年堆積,発酵を促し,のち工場で発酵,加熱,加香などして味付けされる。世界生産量の1/5以上は米国で,ほかに中国,インド,ブラジル,トルコなどが主産地。甘味ある黄色種,軽いバーレー種,香り高いオリエント種,葉巻種などが主。日本では葉巻種以外はほとんどの品種が栽培され,茨城,福島,熊本などが主産地。主成分はニコチン。葉を重ね巻いた葉巻(シガー),細かく刻み,煙管(きせる)やパイプで吸う刻みタバコなどもあるが紙巻(シガレット)が一般的。味を柔らかくするためのフィルター付紙巻も作られている。また特殊なものに,鼻に粉をすりつける嗅(かぎ)タバコ,香料などを加えおし固めた噛(かみ)タバコなどがある。
 
 喫煙はアメリカ・インディアンの風習であったが,コロンブスの新大陸到達後,ヨーロッパへ伝来。以後,各国に広まった。日本へは16世紀にポルトガル人がもたらしたといわれ,たちまち普及して,煙管,タバコ入れ,タバコ盆などの喫煙具も発達した。明治以後,タバコ生産は一段と発達したが,政府はまず1876年にタバコ税を課し,1904年には製造から販売までを国家が独占する専売制をしいた。この制度は1949年以後は日本専売公社が運営,1985年4月以後は専売制の廃止に併い日本たばこ産業が製造・販売。
 
 タバコの成分のうち特に人体に悪影響を与えるのはニコチンとタール分で,強度の喫煙によりニコチン中毒が起こり,タール分は肺癌(はいがん)の発生に関係するとされる。少なくとも統計的にはタバコ(特に紙巻)常用者に,肺癌発生率が高いことが明らかにされている。なお日本では法により未成年の喫煙は禁止されており,1972年から米国の例にならって有害表示がなされている。また,非喫煙者がタバコ煙にさらされ吸煙を強いられている状態は受動喫煙と呼ばれ,その危険性が指摘されている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 喫煙者の中には,国がたばこを作っているからダメなのだという人がいる。禁煙運動に説得力がないのだという。ぼくはそう考えない。こういう個人的な嗜好の問題を,国とか自治体とかの公共機関や組織体で規制することが間違っているのだと思っている。少なくとも日本では五百年,アメリカ・インディアンによる喫煙の始まりからはそれ以上の年月にわたって吸い続けられてきた事実を考慮すれば,もう少し議論があっていいと思う。

 受動喫煙にしても,本当は個人対個人で解決できる問題だし,そういう解決の仕方を目指すべきだ。それを公共の場に持ち込んで解決を図ろうとするのは,最も安易で,人々の小児化傾向を反映するものだ。そうしてみそもクソも一緒くたに公共の機関で規制する方向に突っ走る。これはベクトルは違っても,構造的にはファシズムやスターリニズムに共通する。この不気味さに言及しない,「エリート」や「教養」や「善良さ」の衣を被った

意見や考えは,現在,一般的・常識的と受け取られるであろうが,誤っている。

 世界保健機関,医師たちの忠告は,その立場から当然なものとして受けとめていい。けれども,彼らは残念ながらその存在の場所からして,ひたすら害のデータをこれでもかこれでもかとあげつらうことしかできない場所にいるのだ。はじめから,害はどれだけあるかという前提から調査をし,データを蓄積する立場にある。しかも,それはデータとして分かりやすい,病気との因果関係の証明を主とする。

 仮に喫煙者が患者だとして,医師たちは喫煙の悪を責め,因果の「しくみ」を根拠として一方的に喫煙を阻止しようとする。

 三木成夫が言うまでもなく,「しくみ」はコンピュータのような冷徹な「あたま」の働きが対象を見る視点であり,そこに「こころ」のもつ,病める姿を見守る(看護)視点はない。ただひたすら,病めるものは「治療しなければならない」対象となる。

 それにしても,大きな場所(WHOや国や地方自治体を含め)や権威の衣を被った者たち(医師等)が「禁煙」と言えば,どうしてかくも右ならえのようにそこかしこで「禁煙」を言い出すのだろう。そうしてこれが,大義となって社会を規制していく在り方は,戦時中の在り方以外の何ものでもないことを,どうしておそれる者がいないのだろう。社会全体に,こういう大きな「うねり」が生じたときに,「個」に徹してその全体主義的な在り方に抗戦する声は少ない。「贅沢は敵だ」という声のうねりをもつ国の大衆は,おおむね貧しいものだ。公共体が「禁煙」を掲げるとき,たぶん,公共体そのものが最も「不健康」を象徴するものと言っていい。

 ぼくは社会が進歩していくにつれて,なだらかに喫煙者が減少していく傾向にあると考えている。つまりほっといても少しずつ減少していくと思う。それがよいか悪いかは別にして,少なくともぼくたちの子どもの時のような,それは大人への一歩といった象徴的な意味合いは少なくなってきていると思う。社会の変化は,喫煙のイメージも徐々に変える。

 

 もうひとつ,不安に思うことがある。それは,少年や女性の喫煙の増加を抑制しようという意味合いが込められる禁煙教育についてだ。そこには,喫煙を悪として,対処療法的な手段としての抑制力しか感じ取れない。健康に悪いと知りながら,なぜ喫煙するかの,喫煙者の側にたった共感的な理解が見られない。皆無と言っていい。あるいは「心が弱い」などの浅薄な理解しかできていない。相手の行為の底を潜り抜けての,原因を深く追求する姿勢も根気もねばり強い探求心もない。要するに,人間性や心の屈折などについて,無知なもの,想像力に欠けたものたちが多いということ。そういう,無神経な欠陥者が,世間のいたるところに出張っているし,出張っていこうとしている。そういう連中が徹底的にダメであることを,そろそろ気付きはじめてよい頃ではないかと思う。

 

 ついでにもっと言っておこう。

 禁煙運動推進の柱に,受動喫煙があるが,考えてみれば子どもの登下校における車の排気ガスはどうして大きく取り上げられないのか,とても疑問だ。臭いも,本当はたばこの比ではないはずだ。他にも考えられるが,要は,たばこに集中砲火が浴びせられるのは,意図的な何かが潜んでいるからなのだということに,たとえ善意でもってこの問題に取り組んでいる人たちに考えてもらいたいと思っている。それは後になって知らなかったでは済まされないことだ。また,車や道路事情に言及して非難の声を上げることに躊躇を感じる人々には,何に対して非難の声を上げるか,無意識であってもそこに選択の力が働いているのであって,それが何に起因するのか,十分に内省しておいてもらいたいと思う。そこは考えるに値することだ。

 最後に,職場で子どもが,「あ,たばこだ。悪い。」という声を発するときがある。この声をぼくは社会が言わせることばだとして聞いている。何の考えも無しに,公の,大文字の「正義」を口にする。これが教育の結果であったり,ヒューマニズムの浸透であったり,「健康」な社会の創造の一歩と勘違いするものがあったとしたら,ただただ悲しいだけである。友だち同士で,こんな「正義」のことば,無神経な中傷の思いが,飛び交うことのないことを願うばかりである。

 

 

「きれぎれの思い−ふたつ」(2003.9.28)

 ひとつは,テレビなどによる暴力などの事件の報道によって,子どもたちは衝撃を受けているという調査結果が新聞にあった。それによると,子どもたちは実際の事件とゲームによるそれとのちがいを理解しているということだった。

 ゲームはもちろん,漫画やアニメの戦闘シーンや暴力描写についても,たぶん子どもたちは作り物であることを理解した上で受容している。しかし,現実の事件である報道における戦闘シーンや,暴力についての報告は,不安に駆られるものとなって受容されているようだ。昨今の通り魔。誘拐事件。おそらくは無意識の中で,不安は膨張していくものとなっているのではないか。だから,注意や呼びかけは,大人の意図と違って,不安の確信へと結びつく結果になっているのかも知れないと思う。

 ぼくたちを取り巻く,こうした様々な事件的な環境の問題を,子どもたちの生活に即して考えているものは少ない。これらが子どもたちの人格形成に対して,どれだけの影響を与えているのか。教育などは,ただただ人間の一部のしかも表層にしか影響をもたらさないだろうが,個人の外としての地域や国や世界の問題は,個人をまるごと,しかも無意識や生理の内奥の層に向かっても影響を与えていると思う。

 地域社会の教育力というが,これは子どもたちにとっては第二の母ともいうべき世界なのであって,信頼と安心を与えるものであることが理想だ。何かを教えるとか指導するとかが大切なのではなく,ただ母親の胎内のように,暖かく包み込んでくれるものであればいい。それが殺伐として,陰惨でむごたらしいイメージをもたらすものであったとしたら,子どもたちの精神は,やがて病的なものへと発展して行くにちがいない。

 

 ふたつめには,フロムの「悪について」を読んでのことだ。

 人間は生まれて,期待と信頼をもっては裏切られるという感覚的な経験を繰り返すものだということ,そういうことをまず読み取った。母や父,友達。そんなことはないというむきもあるだろうが,これから免れて生きることなど不可能なのだ。これはたとえば,胎内にいるあいだにも,また赤ちゃんの時代にも一般的にあり得る。授乳や汚物による不快が,常に期待通りに与えられたり取り除かれたりすることはないことだ。そこに一瞬でも,思い通りには成らない,不信や絶望,挫折感が生じることは起こりうる。

 人生はその繰り返しであるという見方も成り立つ。だが,それはあるとしても,さらに強い愛や信頼を感じる事後処理があったなら,絶望の度合いは薄まるにちがいない。

 絶望の経験はあって当たり前と考えた方がいい。そのあとでどう人生に立ち向かうか。現代の子どもたちに大切なことは,そこの所ではないか。何か今の子どもたちは短絡的であることが印象に残って仕方ない。キレル,爆発する。そこには,脈絡や経路といったものが感じられない。ぼくには,ぶつかり合う,不満を表明したり伝えあったりしてコミュニケートする場が抜け落ちているような気さえする。あったとしても,何か自然ではない。争わないという前提が,過剰なほどに設けられていて,その前提の中で人間らしい解決ばかりが求められている。動物的な部分での接触が,タブー化されている。そこの部分で自らが自らを超えていくという経験を経なければ,経験は血肉化しないのではないのか。

 みんな仲良くなんてできるはずがない。嫌いなものはいつまでたっても嫌いなままであり続けることがある。仲よくなれなかったら,そこからどう接したらいいかを自らの考えと行動で対処していくところに「知恵」が生ずるのではないか。この「知恵」が,最も育まれにくい時代に現代の子どもたちは存在しているのではないかという気がする。

 「悪について」では,その後人生に対する破壊衝動をもつようになるというのだが,そしてそれぞれに,たとえば金銭欲や出世欲によってその衝動を代償することなどが述べられているのだが,これらについてはまた別の機会で触れてみたい。

 

 とりあえず,メモという思いでふたつ,取り上げてみた。

 

「インターネット時代の学校」について(2003.9.20)

 ある新聞のコラムに,インターネット時代の学校はどうあればいいかの調査をしたところ,対象となった中学生,大学生共に,勉強後に集まって遊ぶ場として存在して欲しい旨の結果が紹介されていた。ある建築家の文章であったが,「はっ」とさせられた。

 本来,ぼくらはわいわい集まってしゃべったり遊んだりすることが大好きなのだ。調査の結果は,そんなことを思い起こさせた。

 現実の学校には,集団になじめない子,ひとりで絵を描いている方が自由でいいと考える子など,様々な子どもがいる。しかし,仲間がいて,楽しく過ごせるならば,それが本来の,自然な姿なのであると思う。

 「学校」が,インターネット時代においても,無くなっていいとは考えられずに,逆にそうした有り様において存在して欲しいと思われているということは,学校現場がもう少し学校における子どもたちの遊びについて考えるべきではないかと筆者は提案している。これまで,授業の合間としてしか捉えてこなかったこと,授業をどう進めるかに偏った考え方しかしてこなかったことも指摘している。

 インターネット時代に,勉強はこれまでのように学校での授業でしか学べないとは考えなくてもいいと思えるようになってきた。パソコンで,図書館や博物館や美術館,その他の施設利用によってまかなえる可能性が否定できなくなってきた。だが,大勢がわいわいやって過ごせる空間,施設は,現行では学校以外には考えられない。それが何とも魅力なのだろう。

 一昔前の青年団の組織。はるか昔にも,男組,女組などの組織があった。いざこざもあり,事に当たって一丸となることも多々あったことだろう。そういう場での内輪もめ的な

ことは,かつてはその内部で何とか解決するほか無かったし,実際解決できていたはずなのだ。そこに何か成長に結びつく学びがあったはずだ。そういう場や機会が,今はどうも見あたらない。

 筆者はこれからの学校において,遊びが「ポイント」になるだろうと予想している。正直言って,ぼくはとても妥当な考えではないかと思った。近頃頻繁に取りざたされる「心の教育」は,こうした方向からしか育ちようがないのではないか。そう,思う。

 パソコンやインターネットの普及に伴い,個に応じた効率的な学習を推進すると共に,学校現場においてもっと遊びや自由な時間を増やす。そんなユートピアを描いてみたいと思った。

 

 

「引きこもり」について(2003.8.17)

 若い頃に,あることから心が萎縮し,引きこもったことがある。道を歩いていて,辛くて辛くて,つい乾いた涙を流した。重たい足を引きずるように歩きながら,『辛いと感じているのは精神で,精神から解き放たれた足は辛いとは思わずに,どこまでも交互に歩みを進めることができるはずなのだ。』などと考えた。

 その時の引きこもりの状態は,精神の共通の場所から疎外され,疎外するという両面があった。誰とも,何とも,自分の精神が「出会えない」,あるいは関係づけることができない,そんな気分になっていた。

 自分のそうした体験からいえば,「引きこもる」とは,自分対全世界の関係に入り込むことで,まさしく,異和としての自分の存在を感じることだ。その在り様を現実的な生活の中に実現すると,部屋の中から出ないという行動になる。

 ぼくの場合は,アパートにひとり暮らしをしていたから,自炊のための最低限の買い物を一日に一度は行うために,必然的に外に出ることになっていた。

 積極的に引きこもるということは,実は何かの解答を探しているのだ。

 本当に精神的に異常になるかならないかは,紙一重かも知れないし,下手をすれば自殺につながることがあるかも知れない。自分の経験をもとにいえば,結局もがき苦しみながら,自分の手で,自分の足で,自分の精神で,解答を自分に与えるか,何かの選択の決定をしなければならない。

 そこでどうなるかは全くわからない。しかし,ぼくには,どうなろうとも自分で決定するということが,とても大事なことだという気がしている。

 「引きこもった」経験のない人はいないだろうと,ぼくは思う。ただ程度の問題があるだけだ。

 世間的,社会的な有用性を自分が発揮したい場合,それは意味としての社会性を自分の中で重きを置くことになる。社会に流通する自分は,意味としての流れを自分がもつことであり,逆に意味としての流通をせき止めたとき,価値としての存在が浮上する。

 最近,コミュニケーション能力などという言葉をよく聞くけれど,言ってみれば,社会的に良いかっこうをするとか,他人にスゲエや,と思わせたり,思われたりするというだけのことにすぎない。そこに「意味」はあるが,「価値」じゃないんだ,ということを言いたい。「意味」の極限は,「価値」0の状態であり,「価値」の極限は,「意味」0の状態であると,今,ぼくはイメージしている。

 言語的に言えば,流通する言語と流通を拒絶した言語とがある。詩的な言語は流通を拒絶する場合があるが,意味として共通に,大多数に,理解され支持されないかも知れないが,価値としてみれば流通する言語よりもはるかに大きな価値を含んでいる場合がある。「ひきこもり」の子どもたちの,こころや精神の価値について,もう少し積極的に意義づける識者がいても良いのではないか。

 現今の風評は,昔から延々と続く価値観に満ちて,少しも進歩がない。しっかりしなければならないのは,悩みのない,アンポンタンなお前たちの方だ。テレビなどにしゃしゃり出てくる批評家ども,覚えておけ!

 と,つい興奮してしまったが,要は,レポーターたちや識者たちは,いかにも自分はそうした負の面について無関係であるような顔つきがおもしろくないのだ。そうして,自分はそうでないにもかかわらず為政者や,秩序の守護人のごとく,その<範囲>内での言動に終始する。それはどうしてであるか,胸に手を当ててよく考えればわかるだろう。大向こうに受けたいだけなのだ。だから無理にその<範囲>内の言論に自分の考えを押し込めようとする。社会に《復帰》することは,そんなに良いことなのかH社会に出張っている連中は,そんなに立派なやつばかりなのだろうか。ぼくには到底そう思えない。逆に,いやな連中,指導者然として,堅苦しく,やけにお説教じみたことばかりを言う連中だと思っている。そんなやつの前にいると,ふっと後ずさりして,その場から立ち去りたい気持にさせられるのだ。そいつらの言葉通りに従うなんてまっぴらだ。そう,思わないか。

 ぼくは,ぼくが「引きこもる」ように仕向ける何かと,戦ってきた。

 

少女売春問題について(2003.8.13)その(1)

 少し前,少女4人がマンションに監禁されていた事件があった。同じ部屋に,少女たちを誘って監禁したと見られる男の自殺体があって,その異様さに報道関係者はもちろん視聴者もまた恐れと驚きとを隠せなかった。

 成年男性の,「性のおもちゃ」という側面から報道は事件を扱う傾向があり,その中で少女は犠牲者,性の子羊であり,狼どもの牙から守らねばならない者としての図式が敷かれる。

 問題はしかし,そんなことだろうか。

 というのは,そんなに「性の問題」を追いかけてきたわけではないので詳しくは分からないが,以前からその手の「警告」はあったのではないか。つまり,少年・少女の性に関する問題についてのある程度の論議はこれまでにもなされていて,たとえばひと頃学校でも「性教育」が必要であると叫ばれ,盛んに実践がなされてきた。

 大人の側からのこうした見方による論議,それを受けての学校教育においての性指導の実践。果たしてこうした対処に効果はあるのか,というのが率直な感想として,今ぼくは心の中に思っている。

 もっと言えば,すべての見方を否定したい,そう思っている。

 道徳的なとらえ方が一番ダメだ。その思考は自閉していて,情況には目が向かない。

 様々な角度からのとらえ方がある中で,問題は何かと言うこと。これは要するにぼくはどう捉えるかという個的な関わりで言うのだが,どうも何かが違うぞと,言ってみれば,いじめ,非行,不登校,引きこもり,こうした問題,あるいは不倫を含めての大人社会の問題と絡めて考えなければならないのではないかという勘が働く。

 それは何かと言えば,「新たな未知の社会の到来」という思考軸を設けて捉えなければ,問題を正しく捉えきれない事態を迎えたということだ。

 細部であれこれ論議しても,社会全体の状況が捉えきれなければ見通しが立たない。根幹に,社会の総体が見えない,捉えきれなくなったという情況がある。個々の頭の中に成立している社会の姿,形は,個々の恣意がこしらえたもの,あるいは従来の概念が教えてきたところの部品を行使しての成立したイメージにすぎないもので,こうした概念を組み替えなければもはや現実を捉えきることのできない情況が押し迫っているのではないか,と思う。

 社会が変わった。大変な社会が来る。高度情報化社会。こうしたふれこみは十年前からあった。そうして多くは,そうした認識で一致していたが,たとえばその大変な社会,高度情報化社会の「内実」はどうかという点について,おそらく正確に見抜く見識や見解は皆無だったのだ。たとえば,その実証は政治家に見られる言説を考えれば簡単に理解できるだろう。表層的に垂れ流されることばに寄れかかり,その実,行動の規範とする内言語とでも言うべきものは旧態依然としている。

 それは,実はこと政治家だけではなく,学者,教育者,そしてわれわれ一般人もそうなのだ。

 変わってきた社会。第二次産業が盛んな時代の公害は,大気汚染だったが,第三次産業,あるいは第四次産業というべき産業を主とする社会の公害として,この「精神」にまつわる「不可解な現象」,「不確実性」,もっと言えば「異様さ」をこそ,問題とされなければならない。そして,どこかに自由な「二十五時間目」をこしらえて,この問題を扱うのでなければ,おそらくこれらの諸問題と格闘することすらできない。そんな事態に立ち会っている。

 

 情報によれば,女子高校生の約半数が,初体験済みであるという。中学生でも約9%という数字があがっている。

 こういう流れは大人が止めようとして止まるものではないと思う。また,止めようとして社会的に制度的に規制することも,実はあまり意味がない。ひたすら内向し,陰湿化していくだけだからだ。

 「乱れている」と多くの人は思うだろう。だが,そう思う「思い」とは,何かがあって判断しているのだ。「現在」は,その「何か」が問われる時代だ。生活空間の中にあっては,常識的な思いは流通してよい。しかし,言論の内側にあっては,軽々しく「常識」を振りかざして非難中傷に終始してよいという権限は誰にも許されない。そう,ぼくは思う。

 私的に告白すれば,この事件に接し,その密室において行われたであろう行為を思い,「ニヤリ」とする自分があったことを認めねばならない。この「ニヤリ」は何処からくるのか。そして,これは品性であるか,生理であるか,いずれにしても言説の内側で格闘し打ち倒すべきものか,あるいは放っておくべきものか,ぼくはぼく自身で分からない部分があるし,もしかしてきっかけがあればぼく自身もそうした行為に及ぶことがないとも限らないと自分をおそれる気持もある。買春の当事者にもなりうるかも知れない。現実の場に生きる存在としてのぼくらは,そんな程度のものに過ぎないのではないのか。そう考えなければ,事件の当事者たちを,まるで異質の者たちと隔離し,倫理的に断ち切って済ましてしまうほかないだろう。それはひとつの宗教となる。

 

 先の初体験の数字から,女の子をもつ家庭も大変だなと言う素朴な感想を抱いた。もちろん男の子は男の子であるだろうが,問題のない家庭はないのかもしれないとも思う。

 問題のない家庭であればいいのかと言えば,いいとも言えるし,それも問題かもしれないという気もする。その根拠はあいまいだが,大文字の「情況」に触れ得ないために,逆に何世代か後に,その反動が押し寄せるという気がしないでもないのだ。だから,免れるものなどないと言っていいのかもしれない。

 援交と呼ばれる売春を経験してしまった子どもたちはどうなるかと想像すれば,将来家庭を持ったときに大変だろうなという気がする。家庭に収まることのできない子も出てくるし,その逆に新しいとらえ方で家庭の在り方といったものを考え,構築する子も出てくるかもしれないという希望的観測も一方でしている。

 「性」のトラブル,つまづきで,人間が汚れたり,ダメになったりというのは,迷妄の類として退けるべき時代が来たのではないかとも思うし,いや,そんなふうにゆるめてはダメだという思いもある。

 三木学から言えば,本来自然過程であるべき「性」が人間において規制され,その「性」は動物よりも動物臭くなったと言うことか。あるいは規制された「性」の復習劇をそこに見るべきなのか。

 いずれにしても,「性」にまつわる精神的に不毛な悩みからは,少女たちは解放された方がいいし,ぼくたち自身もまた解放されなければならないと思う。「考える」とは,そういうことを目指すものでなければならない。

 

 まだ言い足りないことがある。

 少女たちを大人の性の「犠牲者」としてみる見方は,間違っている。それは「犠牲者」体験に似た体験すら一度たりともしたことのない,幸運で不誠実な連中の言いぐさであり,言辞だ。太宰治流に言えば,本当に悪いやつは,ちゃんと自分だけは「犠牲」にならない道を選んで歩くし,「犠牲」になるものを尻目に「自分」だけの幸福を手にする者たちだ。それは賢い生き方であり,責められるものではないが,少女たちを「犠牲者」と見て済ます傲慢さは,少しも当然のことではない。

 少女たちを「犠牲者」と見る見方は,本当に少女たちを「犠牲者」にしてしまう視線だ。そのことが分からない連中に何を言っても無駄だろう。特にメディアからする報道のことばとしては最悪のものとなり,少女たちを閉じこめる原因になる。悪質な性犯罪を糾弾する道具としてだけ事件を取り上げてはならない。旧来の「性」意識を課題として,解体か再構築か,組み替えか,こんな時こそもっと大きな風呂敷を広げて論議してもらいたいものだと思う。

 

 

 

長崎 12才少年による幼児殺害事件について(2003.7.28)その(4)

 新聞紙上に,関連する記事は少なく,また小さくなってきている。テレビの報道においてもまた然りである。

 少しばかり前になるが,現場を訪れる人々の弔意が供え物となって並べられている映像を見た。その中に,ある高校教師の,被害者に向けた弔いのことばが書かれた画用紙大の紙があって,話題になった。簡単に言えば,昔のよき地域社会は「かお」=他者に関心を持っていて,今回の事件のように繁華街の通りを歩いている中学生と幼児がいたら,気にとめて尋ねたり,少なくとももっと注意していただろうと言う内容が書かれていた。

 そして「隣を歩く人にさえ,関心を払わなくなった」ということに改めて驚愕の思いを表出していた。その上でまた,教育上,人の命の大切さを子どもたちにしっかり教えたいと言っていたように思う。

 テレビの報道では,美談の色合いをつけて報じていたように思う。

 確かに,一人の教師としての,本音が偽りなく吐露されていたと言えなくはない。その善意に,彼の個人的な良心の呵責に,茶々を入れたくはないのだが,しかし,ぼくには疑念が残った。

 ひとつにはなぜその場にメッセージはおかれねばならなかったのかと言うこと。大勢の人々の目に触れ,新聞,テレビの記者の目にも止まるだろうことは予測できたことだ。それは悪いというわけではないが,そんな程度のメッセージならば誰にでも言える程度のものにすぎない。それをその場に置いた時点で,ある意味,高校教師はそんな程度だと言うことが知れてしまう。決意も意志も,生の倫理として表出したならば,ただの「言ってみるだけ」にすぎないという構造上,関係上の反省がない。

 もうひとつ言えば,メッセージの内容にも関係することだが,被害者に「ごめんね」と語りかけたり,社会の現状を嘆いて見せたりすることですむ問題ではないだろうと言うことだ。その熱い語りかけによって,周囲の人々を満足させ,また自分自身の決意表明によって自らも酔いしれることができるかも知れない。こう言えば,きっと激しい怒りを買うことになるだろうが,要は現状の社会の分析の難しさ,人命の尊さを教えることの難しさが,彼のメッセージの文面からは読み取れないことを言いたいのだ。本当の困難を見据えた上でものを言っているのかと言うこと。

 

 

 

長崎 12才少年による幼児殺害事件について(2003.7.12)その(3)

 

 この事件の目に見えないショックが,同年代の,そしてそれよりも下の年代の子どもたちに与える影響はどのようなものだろうか。気がかりだ。

 そう考えたときにまた,テレビでも放映された飛行機テロとイラク戦争の影が,どのように子どもたちの心に刷り込まれたのか,全くの影響がないとは考えにくい気がするし,あるいは今度の事件にもなんらかの作用を及ぼしているのではないかと思われてくる。今のところ,これはぼくの勝手な思い込みだ。生身の体にぶつかってくる情報の重たさ,その衝撃の強さをどう処理することもできない。どしんとぶつかってそれっきりだ。脳しんとうを起こしたか,内臓に傷を与えたか,自身ではそれさえも分からない。日常生活に立ち返り,何事もなかったように生活せねばならないが,何か心の空洞,無力感,そういったものを引きずってはいないか。

 祈りのようなものがほしいのに,何に祈るべきか,見つからない。ただ一人,白日の下に,しかも闇のような無の中に格闘を演じなければならない。それはただ,日々を繋いでいるだけにすぎないように見えるかもしれないが,多分誰もが行っている。それは養老孟司さんが言うところの,脳の必然的な動きなのだろう。そういう衝動が起こっているはずだ。もちろん,脳で処理できないほどの問題であれば,自衛のために忘却という手段を用いるのかもしれない。だが,不可解や不能があり得るのだと言うことは無意識の奥底に沈められて,人格の形成がなされていくのだろう。

 いま,テレビに登場してくる評論家などの見解の中で片が付くような問題など何一つない。

 

長崎 12才少年による幼児殺害事件について(2003.7.9)その(2)

 一夜明けて,河北新報を見る。

 気になったところは,中学の校長のコメントと長崎県警のコメント。

 校長のコメントは,「生徒にどう説明したらよいか。」と言い,涙ぐみながら困惑の表情で記者会見したという。

 相変わらずだし,こいつらはバカだなと思う。乱暴な言い方かもしれないが,そういう以外にないと思う。身近にこういう事件を想定してみることもできない,平和ボケの典型だと思う。これほど少年犯罪の多発や深刻化が表面化している中で,「もしも自分の学校でこんなことが起きたら」というような思いをもたなかったとしたら問題外だし,一度でも考えたことがあるとしたら,その対応策をしっかりと実行に移せばよいだけだ。涙ぐんでみせればそれで済むと考えるのはどうかしている。結局何も分かっていないからそんなポーズをみせるほかないことになっている。いやしくも校長として,こんな非常事態の時にこそしっかりとした対応ができなければ,他の誰ができるだろうか。こんなことで,生徒たちは何を学ぶかを考えたことはあるのだろうか。だらしのない校長の姿から,いざとなったら頼りにできない<裸身の>学校,教育の姿が透けて見えてしまうに違いない。

 「道徳教育や命を大切にする教育の必要性」など言っていたようだが,思わず苦笑してしまった。本当にそんなものが通用すると思っているのかね,と思わずにはおれなかった。

いったいいつ頃からそんなことばかりを言い続けてきていることか。いい加減目を覚ませよと言いたいし,かまととぶるのもいい加減にしろとも言いたい。そんなことでは太刀打ちできないことも,無力であることも十分に実感しているくせに,それ以上の究明に睡眠時間を削って考察することもなければ,諦めてはっきりとお手上げだと言明することもない。

 

 もう一方の県警のコメントでは,任意同行を保護者には事前に知らせたが,学校には知らせなかったことが明らかにされた。

 要するにこんな時,学校は問題外だし,全面的にコケにされ,バカにされていると言えるだろう。教育的な配慮が一番考えられなければならないケースなのに,学校も,その中に満ちているはずの教育的価値も,学校外からは無視される体のものに過ぎなくなった。もう少し学校が,校長が威厳のある姿勢をもつことができていたら,こんな事態は起こりえないことではないか。誰もが教育の大切さ,必要性,そして教育の効果に期待をしながら現実にはこんなにも軽々しく扱われている。このことは,もっとよく考えてもらいたいと思うし,今後の動向にも注目していってもらいたいことではある。

 

 

長崎 12才少年による幼児殺害事件について(2003.7.9)その(1)

 

 今日,長崎における幼児の殺害事件の犯人が中学1年の少年であることが報道された。どのテレビ局でも「衝撃」と捉えてセンセーショナルに報道していた。

 少年法の問題として,またどう更生させていくのかという点などに関して,課題が大きいことも指摘していた。

 それらの中で心に残っているのは,「現在までのところ,現行の社会はこうした少年犯罪を想定していなくて,社会における受け皿がないから今後真剣に検討しなくてはいけない」というコメンテーターのことばだった。つまり,予想さえしていなかった事態だから,どう対応していったらよいかの準備がまったく整っていないというのだ。

 ぼく自身は,容易に予想されたことだと思っている。なぜなら,これまでの少年事件の推移から,犯罪を犯した少年たちはある特殊な異常者とは見なされないと考えてきたからだ。つまり事件や,被害者あるいは加害者の背後には,無数の予備軍が存在するだろうと考えていた。誰もが少年のような加害者になりうる可能性がある,そんな社会なのだと思っている。それは,水素と酸素があれば水ができる,という発想から,簡単に推理がつくことだ。水素が社会で酸素が家族だと,とりあえず単純化して考えてもらってもいい。

 

 ぼくが幼児の親だったら,相手が誰であろうと首を絞めながら憤りの一声を発せずには済まないところだ。多分,幼児のご両親もそんな気持ではないか。復讐心,が自然なところだろう。逆に言えば,「少年法,云々」のようなことは言ってほしくない。そういうところは専門家に任せた方がいいだろう。

 

 問題なのは加害者の両親だろう。また,学校だろう。

 まだ,詳細は明らかになっていないので,今後そういったところの解明に注目していく必要がある。

 

 TBSの安藤優子キャスターは,さかんに「抑止力」と言うことばを使っていたが,了解はできるが,「核による抑止力」と同じで現実的な対処という意味では肯定できてもそれ以上の意味合いはない。学校教育の現場においても,そればかりが問題にされ,その上での対策ばかりが講じられてきたような気がする。

 抑止力で最も効果的なのは,年齢を問わず即死刑というのが一番だろう。それ以外はすべて中途半端に終わる。それが問題だというならば,やはり殺人にいたる衝動がどうして起こるかの解明を明らかにして,原因を取り除くなどの根本的な対策をすべての英知を結集して考えていかなければならない。冗談ではなく,主義主張,すべての垣根を取り払っての知的に汗する取り組みがなければ,しかも今の段階でなければ,今後もますますエスカレートして行くに違いない。

 

 そうしてぼくはまた,明日も学校に行き,補欠のクラスの授業を進めたり,理科を教えたり,校務の流れをスムーズに進めるための整備に努めなければならない。

 こうして,ホームページに自己の見解を刻むことがやっとのことなのだ。

 

 

「自然」についてのとらえ方 その(1)

「自然」について知っていることは,そんなにない。
自然とは,人工的なもの,精神的なもの,以外の全てである。自然が身の回りに豊かであるということは,文明が発達していないということでもある。
 
 ぼくらは幼いころ自然にまみれて生活していたが,自然の恩恵をそれほど感じないで育った。そこでは自然は無意識の領域に存在した。
 自然は,改良すべきものとしてあった。河川工事,道路工事,また田んぼの拡張のために,人間の手が加わって自然は形を変えていった。自然と人間との交感はすでに失って久しかった。
 
 自然を大切にしろというが,ぼくは自然を大きく破壊したことはない。だからそれはぼくが聴くべき言葉ではないと考えるし,ぼくの口からいうべき言葉とも思えない。
 自然を大切にしろと言う言葉は,かつて道を切り開き,農地を開拓し,文明社会をもたらせと喧伝したと同じ声が発する言葉だとぼくは感じている。その声の主が実は自然を破壊してきたのだし,その声が今度は自然を守れといっているのだ。
 
 ぼくは自然とは別なところに注意を向けて生きてきたと感じている。つまり,自然を大切にしてもこなかったし,粗末にしてきたわけでもない。少なくともぼくには注視するには対象外の存在だった。
 
 いま,自然とのふれあいが大切なことだという主張の流れがある。これは大きな流れだが,ある不可解さを感じる。今頃になってなぜこんなことを言い出すのだ,というような,不可解さである。
 
 文学の流れでいえば,戦争時の四季派のように,社会の総体を捉えきれないために,自然帰りした教養人の後退現象といったことを思い起こしてしまう。いわば時代に対して後ろ向きに関わろうとするかのように思われてならない。
 
 自然に対してどう向き合えば,この現代社会の課題に抵触することができるのか。つまりなぜ自然なのか,これが分からなければ,ここでもまた流行に組みするだけになってしまう。
 
 自然について少し知っているとすれば,フォレスト・カーターの『リトル・トリー』という小説の経験があると言えるだけだ。そこでは,インディアンが自然,植物,生き物と交感する能力を持ち,言葉や情感を通い合わすことができたことが描写されていた。
 日本においては「古事記」「万葉集」などに,わずかにこうした交感の姿がとどめられていたと思う。
 もちろんごく最近まで,僕らの少年時代まで,自然は僕らの身の回りにむせかえるほどにあふれていたし,ごくありふれた農民や生活者,子どもたちの間には,空や風や雲や草木が何かを教えてくれる教科書であり,辞書であり,読み物であり,娯楽を提供し,遊びをともにする仲間であったかもしれない。
 先のカーターの別の著作『ジェロニモ』では,「ここでは,草や木たちがひとつの共同社会をきずいている。百万年の昔,植物たちは南方から出発し,北上するにつれて環境への適応を深めてきた。水分を求めて根を伸ばし,蒸散をより少なくするために葉の茂りを抑制し,生きのびるために知覚力を高めてきた。植物たちは母なる山と熱く乾燥した平原の中間地帯であるこの一帯を選んで,きわどい均衡を保って生き続けてきた。生き残るために,危険に対する知覚力は研ぎすまされており,けっして鈍感ではない。」というような表現がある。
 
 これは現在の学問的な理解の仕方とはかけ離れている。人間と植物とが同じ次元で,人間の精神の内側で内在的に理解されたところで表出されている。いわば植物を人間と同等に扱う精神によってしか理解し得ない,理解の仕方が為されていると思う。
 これはヨーロッパを中心として発祥し発展してきた学問,植物学からすれば,根拠のない迷妄に過ぎないかもしれない。
 

禁煙運動に一言 その(1)

 少年法の改正に声を上げなかった。教員の能力査定を肯定した。この二つの最近の出来事は,教育界の変節を象徴するものとして,あるいは教育の変質,変貌を物語るものとして,ぼくは心にとどめている。
 いずれも,従来の日本の教育が何を大切にしてきたか,その大切にしてきた部分をなし崩しに放棄したものと,ぼくは理解した。それは古いものの中で,よいものであった。
 教育は,それを捨てて,外側からは完全にビジネスの範疇に組み込まれ,内側からは,大義のないボランティアに過ぎなくなったと言える。
 ところで,仙台市教委の施策をきっかけに,宮城県内では各市町村単位の学校のあちこちで敷地内禁煙が実施され始めた。
 気仙沼市の教育長は,新聞紙上で,すべての子どもたちをたばこの煙から完全に守るのは,学校として当然の義務という旨のコメントを発していた。
 一部には拍手喝采の向きもあるかもしれないが,本当は教育者もここまで落ちたのかと,嘆き,悲しむべき事態なのだ,と,ぼくは,思う。
 狭く言えば,遠慮しながら職員室の外で,あるいは唯一許された暗く陰湿な場所で肩寄せ合いながらたばこを吸う教員が嫌いなのであろう。喫煙者の弱い心,ニコチンへの依存が,許せないのであろう。
 だがそれは,視線を子どもたちに転じたときに,子どもたちの中にある負の部分に蓋をして,ダメなものとして片付ける傲慢さに直結する怖さはないか。
 教室の中の日常は,社会の縮図のようにいろいろなことでごったがえしている。小さな諍い,嘘だほんとだが毎日繰り返されている。教員に必要な資質は,こうした日常に辛抱強く付き合い,また,辛抱強く子どもたちの言動に目や耳を傾け,冷静に対処し,世話を怠らないことだと言ってもいい。そして,とりわけ小さな声や,人間的な弱さに「義」のない愛を降り注ぐことが求められている。
 見識のないものが,みんなにほめられようとするとき,うっかり大きな悪を為してしまう。そんな典型の光景を,いま,ぼくたちは目にしていることをすべての人々は心にとどめておいてほしいと思う。