1 内臓とこころ
 
 「こころ」のでどころというか、もともとの働きというものを、三木成夫さんは「内臓の動き」だといっています。現代の科学では、「こころ」は脳の働きであると考えるの一般的ですが、三木さんだけが内臓の動きから来ると言っているのです。三木さんがどうしてそう考えるか、紹介をかねて、自分なりに理解を深めるために、以下、考えてみたいと思います。
 内臓というのは、唇や口腔、心臓や血管、胃や腸、おしっこがたまる袋や管などをいいます。魚でいえば焼く前に取り出す、鰓からおなかにかけての、あれです。
 「こころ」が内臓の動きであるという時、内臓そのものの動きがそのまま「こころ」の動きとして現れる場合と、目や耳などの感覚器官からの刺激などが、内臓の動きをもたらして「こころ」が動く場合と、二通りの道筋が考えられます。たとえば、空腹でイライラするとか、目の前に物体が落ちてきて、心臓がドキドキして怖い思いをするとかです。
 もちろん、これに脳の発達と働きが加わらなければ、人間の「こころ」は意識に登りません。
 三木さんは、動物にも「こころ」はあると言っています。それは食べること、子どもを育てること、という二つの本能の間を往き来しながら、この本能を宿した内臓の動きにしたがって生きる、そのこと自体の中にあるといいます。そして、動物の場合、その「こころ」が自分に意識されるということはないのです。人類も、「こころ」が目ざめる前は、全くこの動物状態だった時期があったはずです。原人の前の、猿人のあたりまではそうだったのではないでしょうか。
 三木さんの考えでは、人間もふくめた動物の内臓は、食と性の間を往き来しながら、生きて活動する際の主役で、目や耳、手足などの動物器官である体壁系は脇役にすぎないと言います。もっといえば、内臓は小宇宙といえるもので、天体の動き、自然の現象、その中のいろいろなリズムを宿し、そのリズムに応じて働く機能を持っていると言います。三木さんはこれらのことから、「こころ」とは、「体に内蔵された食と性の宇宙リズム」を本態とする、あるいは、これが「こころ」の根源の機能だと考えています。もちろん、夜になると瞼が閉じるように、体壁系の諸器官にも宇宙リズムが宿っていて、そうしたリズムに従って活動していると言えるのですが、目先の出来事に左右されることも多く、純粋にこのリズムに応じているのは主に体の内臓だと言っています。
 この内臓の波動、内臓のうねりが、内臓の声となって大脳皮質にこだまする。「こころ」の初源とはこれだというわけです。
 ちなみに、腸管の入口である口腔や、出口にあたる肛門部を除いては神経のはりめぐらしが行き届いていないので、内臓不快、つまり空腹や胃の病気でもいいのですが、それらが引き金となって百八煩悩が生まれるしくみになっていると三木さんは言います。胃が、何を言おうとしているのか、正確に大脳皮質に反映しないということなのでしょう。内臓が、「こころ」に強い影響力を持っていることが、この一事で分かるのではないでしょうか。
 さて、自分の「体に内蔵された食と性の宇宙リズム」の気づき。人間は、やがて、脳の発達に促されて、これを時の移ろいとして実感するようになりました。食と性の推移を、季節の感覚として実感するようになったのです。このとき、いわゆる記憶という作用が、陰で活躍しているのでしょう。その時に、記憶の実感を支えるのが、主として食と性の中心に位置する内臓、その内臓感受、だと三木さんは言います。さらに、三十億年前の生命発生以来の記憶から、生後のごく最近の記憶までのよみがえりといった機能が働くようになって、「こころ」の現れは奥行きあるものとなっていったとともに、多様になっていったと考えられます。
 生物学的にいえば、もともと一本の腸管から派生した単調な器官にすぎなかった内臓系の諸器官に、筋肉や神経といった動物器官が絡み合うようにして侵入し、植物的な営みをする内臓系と、動物的な営みの体壁系との相互連絡、干渉が起こるようになったこと、それに付け加えて神経の中枢である脳の高度に複雑化した発達、遠隔感覚器の発達、直立の姿勢と手の働き、等々が人類における「こころ」の発生と、内外のすべてのものに広く開かれていったことの大きな要因です。
 こうした内臓器官への動物器官の侵入によって(植物性筋肉や植物性神経はこれです)、内臓と目や耳などの感覚器官との連絡が付き、外界の変化にもいちいち影響を受けるようになったと言います。特に人間の心臓において、例のドキドキするという現象は、このことを端的に表す目立った例です。これが大脳皮質の表面に浮かび上がって、怖い、恥ずかしい、感動、などといった「こころ」の現れとして意識されるようになったと考えられます。もちろん、基本的には食と性から目ざめた「こころ」ですが、こうしてしだいにそれ以外の出来事にも「こころ」を動かすようになっていったのです。
 
2 こころの目ざめ
 
 いま、人類が言葉を持つ前の「こころ」の有り様を想像してみてください。これは、現在の赤ちゃんの様子から、うかがい知ることができるように思います。
 生後すぐは、赤ん坊はおっぱいを飲んでは寝ることを繰り返します。やがて目が見えるとともに諸器官が発達し、舐め廻しの行為が始まります。これは、「心の目ざめ」の準備段階だと三木さんは考えています。
 一歳の誕生を迎えるその前後、幼児に「指差し」のしぐさが見られます。窓辺で雀を見たとき、抱かれたまま、小さな人差し指を伸ばす。すぐに部屋の中へ向きなおって、今度はガラガラの小鳥の飾りを指差す。「おなじ」だというのでしょう。ここに、「こころ」の目ざめの最初の標識があるのではないか、三木さんはそう言います。
 視覚からくる目前の印象像に、記憶の回想像がよみがえった、つまりそこに二重映しがあったのです。同じものを発見したという経験は、生まれて初めての経験で、ひとつの感動がそこにあったと思います。
 これは、私たちにも分かりやすい、ひとつの「しるし」であって、けっして「心の目ざめ」そのものではありません。当然、これ以前に「心の目ざめ」があったと想定しなければなりません。「指差し」は、「心の目ざめ」が起こったことを証明する標識にすぎないのです。
 母親の顔を認めて、微笑む表情に、すでに「心の目ざめ」を了解すべきなのかもしれません。あるいは、食と性のリズムに立ち返って考え、からだを揺すっておっぱいをねだる、その勢いの激しさに見るべきかもしれません。また、おむつの不快を訴えて泣くところに、それを認めるべきかもしれません。いずれにせよ、内臓感受系に起こった動きを主なものとして、それに皮膚や目や耳といった感覚器官などからの刺激が加わり、それが大脳皮質にこだましているところに、初期の「こころの目ざめ」が考えられると思うのです。
 原初の人類もまた、似たようなことではなかったでしょうか。お腹がすいたという自覚から始まって、風景への感動、自然への畏れ。体を使った動きや声を発声しての表現、そして、いつの日か、あの「心の目ざめ」の標識となる「指差し」が行われたのではないでしょうか。そこには進化と、発達のための十分な時間が必要だったかと思います。
 さて、幼児の指差しには、やがて「ワンワン」「ニャンニャン」などの呼称音が伴うとされています。「ことば」の、最初の姿です。「あー」とか「ワンワン」とか声を発しながら、風景の中の一点を指差す。言葉を介してしか物事を捉えきれなくなった私たちには、よく理解できないのですが、ここに人間としての、初期の目ざめた「こころ」の存在が認められることは誰にも否定できないことだと思います。また、ここには「こころ」の存在とともに、初期の指示思考、象徴思考、つまり考えることをする、「あたま」の働き、その萌しが出ています。
 このころ、赤ん坊は立ち上がろうとします。「視界拡大の衝動」というクラーゲスの説を三木さんは紹介しています。簡単に言えば、遠くを眺めたいという衝動、「遠」に対する強烈なあこがれ、好奇心、これらが人類に直立をもたらしたものだとする考えです。もちろん赤ん坊にとっては、もはや長い歳月の間に本能と化した「立ち上がり」であり、二足歩行なのでしょう。
 いずれにしても、これら「指差し」、「呼称音」、「立ち上がり」こそ、動物から人間への第一歩のサイン、「心の目ざめ」の決定的なサインなのだと三木さんは言います。
 
3 初期のことば
 
 やがて、部屋の中や、まれには庭先をハイハイするだけだった幼児が、歩くことによって活動範囲を広げていきます。一歳半をすぎたこの頃、「ナーニ」と頻繁に尋ねるようになります。まわりの世界がしだいにはっきりしてきて、すべてが新鮮で、興味深いものに映るのでしょう。
 幼児たちにとっては、手にとって眺めたり、舐め廻した記憶のない、つまり初めて接するイメージのつかめないものが問題になります。このことは、幼児にとってはそのままにやり過ごすことのできない、切実な問題なのでしょう。
 印象がない、実感が持てない、ことは、不安や混乱をもたらすのかもしれません。
 三木さんは、このとき幼児が求めているのは、過去の印象や実感に代わるものを、「ことば」として求めているのだと言います。要するにその名称、名称の持つ音声の響き、心地よい肉声の響き、それで、幼児は満足するのだと言います。つまり、過去の、繰り返し舐め廻す行為や手にとってしげしげと眺める行為に置き換わるものが、「ことば」というわけです。これはとても大切なところだと思います。特に、名称をきいて満足する、安心するというところが大事なのだと思います。 さて、幼児と同様、初期の人類もはじめはたどたどしく「ことば」を口にし、使うようになっていったでしょう。「もの」と「なまえ」。「ことば」の発生、それは指示思考、象徴思考の産物です。初期の「ことば」には、だから「もの」と「なまえ」の根源の類似があったはずだと三木さんは言います。たとえば、これはあくまでも分かりやすい例としてですが、「な・め・く・じ」の語感。いかにも、それらしいです。声が言葉としての機能と意味を持つ。そこには、脳における感覚の「互換」が保証されていなければなりません。少なくとも視覚と聴覚が連合繊維で橋渡しされている必要があります。
 原初の人類も、記憶にあるもの、あるいは初めて見るものを指差し、「あー」とか「うー」とか、隣の仲間に教えていたものでしょう。そうして、しだいに、雨を「あ・め」、雲を「く・も」と発声していったのだと思います。ところで、この「あー」とか「うー」という単音を伸ばす発声は比較的簡単ですが、「あ・め」とか「く・も」を発音することは、相当困難だったと思います。それは、それまでに経験のない、一瞬の呼吸調整、唇や喉の筋肉の操作が必要だったからです。ことばが使われはじめの頃は、これらに相当の集中力を要したでしょう。現在の私たちは、幼児も含めて、簡単に言葉を話しますが、当初はそうだったと思います。
 また、声の発生源について言うと、のど仏の喉頭筋で発した音源、つまり声ですが、これを言葉に直す咽頭から口腔にかけての複雑きわまりない筋肉、これらはすべて魚の鰓呼吸の筋肉の衣替えしたもの、と三木さんは言っています。脊椎動物の五億年の歴史、魚類から両生類、そして爬虫類から哺乳類、そして人類へと進化の歴史を遡ると、否応なしにこの事実につきあたるということです。
 ですから、人間の顔は内臓の露出した部分と見なすことができて、はらわたの視覚的なシンボルだそうですが、人間の言葉は聴覚的なシンボルで、露出した腸管の蠕動運動と言うよりは、もはや「響きと化した内臓表情」「はらわたの声」そのものだということです。 サメの口の奥の大広間、この領域の感覚と運動は最高度の分化を遂げているといいます。 休むことのない鰓呼吸によるガス交換。同時に獲物の大きさを見分け、小動物も鰓から出さずに食道に導く。この食と呼吸、つまりは命に関わる最前線に位するこの内臓の筋肉を、人間は「声」や「ことば」に使っているわけです。いかに「声」や「ことば」が、私たち人間にとって命の維持に匹敵するほどの大切なものであるか。こうしてみると、実感は難しいのですが、理解は、できる気がします。
 これらのことから、三木さんは、優れた言葉の形成は、豊かな内臓の感受性から生まれると導き出しています。
 逆にいえば私たちの周囲の「ことば」は、こうして作られ、伝えられてきたものであり、新しい命の心情の育成にとって、この「ことば」がどれほど大切か、と言うことだと思います。それは、実は「こころ」の継承を、内部に秘めているのかもしれません。二歳から三歳までの言語修得の期間、これが、どれほど決定的な意味を持つものであるか、……。三木さんは、そう訴えます。
 ですから、これは勘に類するのですが、私たち人間の「こころ」にとって、文字以前の、書き言葉以前の、ことばというものは、非常に大事なのではないかと思うのです。そこのところが現在では何となく早めに通り過ぎて行ってしまっています。いわゆる文字の学習、お勉強。日本は、中国などに比べて、文字の発明が遙かに遅く、しかも漢字を借用してやっと表記ができるようになりました。遅くなったことには、かえって「こころ」の豊かさというおまけがありはしなかったか、と思うのです。なぜか、懐かしく感じられる縄文の
「こころ」といったもの。このあたりの究明は、迂遠なことですが、実は現代の「こころ」の問題のカギを解く、大事なところではないかなと考えられます。
 
4 人間の思考
 
 二歳から三歳にかけて、幼児は、「こころ」優先の天翔ける象徴思考、象徴の世界から、「あたま」だけの概念思考を獲得する時期だと言われています。同時に、私たちに理解しやすいところでは、言葉をたくさん覚え、いろいろ見立てをして豊かな象徴の森を思いっきり跳びはねる、まさに黄金の日々と呼ぶにふさわしい歳月ということです。また、自分というものができてくるので、おのれの条件に合わないと、反抗的になる時期だともいわれています。
 さて、この時期に注意したいことは、遊びに熱中しながらときどき呟いている、その呟きです。このころの子どもというのは、考えたことはみな口に出す、というより、ものをいいながら考えるのだそうです。おとなは黙って考えます。「思考」とは、自分の中で、「無声の対話」を交わすことをいうそうで、幼児のこの呟きが消える時期が、考える人―ホモ・サピエンス―の誕生を象徴的に再現した時期ではないのか、と三木さんは言っています。
 この時期の呟き、私は鼻歌にも似て心身の快調さを象徴するものではないか、と感じています。この呟きが、ふと消える。子育てを経験したことがある人なら、あぁ、あのころのことかなと思い当たるのではないでしょうか。何か勝手なことをぺちゃくちゃいいながら遊んでいる。いつものことだと安心して遊ばせていると、気がつけば例の声が聞こえない。どうかしたかと飛んで行ってみると、何のことはない、同じように遊んでいる。ただ声がないだけです。こちらはしゃべりまくって疲れただけと思っていたわけですが、実はこれが思考の入口でもあったのです。ですから、ここではかえってよけいな口出しはしない方がいい。十分に一人の世界に浸らせる、こういう体験が子どもには大切なのでしょう。もちろん、子どもによってはいつまでもこの「無声の対話」が身に付かない。そういう子もいるわけですが、焦る必要はない。機が熟するのを待つことが、その子どもの、こころと頭の調和のためには最適な方法ではないかと思います。
 
5 こころの育成
 
 さて、三木さんは「こころ」にとって、あるいはその育成において、ひとつには内臓の感受性、その機能を高めることが大切だといっています。母乳への吸い付き、畳や床から始まって何でも手に取りながら舐め廻す、あの舐め廻し、それに膀胱がいっぱいに膨らんだことを正しくつかませる訓練等々をたくさんさせるということです。言いかえれば、大人の勝手な都合で、安易なしつけ、教育、調教をすべきではないと言うことです。
 例えば、トイレの自立も、問題なのは子どもの膀胱感覚が育つことで、おむつの洗濯が大変だからという理由で、即効性の解決策をとるのは「こころ」の問題にとっても良くないだろうと言うことです。また、時間で授乳することや、衛生的に悪いという考えから、舐め回しを阻止したりすることも、内臓の感受性や機能を育てるうえでけっして行うべきことではないようです。
 もうひとつには、「ことば」の問題です。幼児の問いかけに、ゆったりと応えてあげること。「ナーニ」、「ドウシテ」は、私たちにとって時に煩わしく感じられることですが、心にゆとりを持って、また、穏やかな肉声でもって、子どもが満足するほどに十分に応えてあげられたら、こどもたちの心は豊かになって行くものかもしれません。また、先に挙げた独り言、そしてそれに続く「無声の対話」の時期を十分に味わい尽くさせることが必要で、あまり、先先と急がせない方がいいのだと思うのです。そこではまた、かまってやる、放っておく、そのタイミングが大事なようです。放りっぱなしもどうかと思うし、かまい過ぎもまた正常な発達を損なう原因になってしまいかねません。
 自分もそうでしたが、親は頭の悪しき弊害、競争と優劣の意識いっぱいで、ついつい自分の子どもを早く、優れたものに、仕立て上げたいと思いこむもののようです。期待にそぐわないと判断してしまえば、逆に親はこころの向きを変えて、別なことに一生懸命になる。
 こう考えてきながら、なんだか自分もその典型だったようで、我が身がつらく感じられてきました。
 
6 頭の優先
 
 さて、以上、三木成夫さんの「内臓のはたらきと子どものこころ」を中心に、「こころ」について考えてきました。そこでは、脳の発達が、「こころ」の目ざめと切り離して考えることができない問題であることもわかりました。
 しかし、歴史を振り返り、現代という社会に目を転ずれば、脳の発達、「あたま」の世界の発達は、とどまるところを知らず、ついには、「こころ」の世界との衝突を経て、今まさにそれを飲み尽くす、あるいは抹殺しようとしているかのようです。
 豊かな心情に満ちあふれた古代の世界から、理性に象徴される「あたま」(精神)の支配する現代への大きな歴史的な流れ。これは現在の幼児、子どもたちの生育に、象徴的に再現されると言ってよいかもしれません。つまり、これ以降の子どもたちが飛躍的に脳を発達させ、精神の支配する生活過程に入っていくそれ自体が歴史の再現でなくてなんでしょう。
 三木さんは言っています。「自然に対するわれわれの感動は、いつのまにかこれを利用しようとする考えにかわっていく。人と人との間柄はしだいに優劣・利害といった関係にその形を変えていく。」 (「ヒトのからだ」)
 そして、限界まで動物器官を発達させてきた「動物の宿命」という言葉で、未来を暗示していました。すなわち人間も、精神を使いすぎることによってあらゆる他の動物よりも動物くさくなってきた。そして精神の機能をつかさどる脳の発達はとどまることを知らない。これぞ動物の宿命で、限界まで、つまりは種の滅亡を呼び込むまで発達せざるを得ないのだろう、ということです。
 子どもたちの進む先にも、この歴史の流れは大きく口を開けて待ちかまえています。好むと好まないにかかわらず、無意識のうちに
飲み込まれてしまう、そんな見えないシステムが、私たちの意識や意志を超えて存在する。そう、思います。
 
 豊かな心情の時代。しかしそれは、三木さんは言葉にしませんでしたが、野蛮さも隣り合わせにあった時代でした。豊かな心情を失いかけ、優劣や利害で動く現代。しかし人々は口々に「愛」や「平和」、そして「自然」や「環境」の保護、「福祉」、「介護」、などを訴えています。
 私の考えでは、紆余曲折はあっても、時代は人に優しくなろうとしてきました。
 「思」という字は、「あたま」が「こころ」の声に耳を傾けていることを表しているそうですが、ある意味で歴史は、「よくしよう」と「思い」続けてきた、先人の優しさの集積であるかもしれません。これからも、多くの困難や難問を抱えながら、また、危機や絶望に直面する事態を迎えることもあるのかもしれませんが、それでも、歴史は、多くの人々の思いを、願いを内包して、「よくなろう」とし続けるにちがいありません。
 なぜならば、身近に接してきたほとんどの人々は、良い人間であろうとしていたし、やさしく、思いやりのある人間になろうとする人たちばかりだからです。
 また、子どもたちについても、良いことをしようとし、やさしくなろう、いい子でいようと、一人一人の子どもは考えていることが見て取れるからです。
 現代は、しかし、にもかかわらず、「あたま」で考えた優しさになってはいないだろうか、と私は密かに思うのです。三木さんに投げかけられた警告が、こころをかすめます。 優しさへの思いは、「あたま」が、「こころ」の声に耳を傾けようとして、「こころ」不在のまま、そう思いこんでいるだけにすぎないのではないか。あるいは「こころ」の声を聞き取れないところまで、「あたま」が追い込まれているのではないか、そんなことを、思います。
 頭とこころの対立から、頭優先の時代へ。三木さんの言うところの歴史の流れと、現代的な「心の現在」についての私の密かな疑問は、また別な展開として考察していくということで、ひとまずこの拙文を閉じたいと思います。
                                                                              了