応答 教育と子どもの現在へ
 
四 おわりに

 ここまで、吉本隆明氏の言葉、藤井 東氏の言葉、そして山本哲士氏の言葉によりながら、学校教育の問題、子どもの問題に自分の考えを披瀝してきた。
 吉本氏からは大学制度の改革という新しい視点を、藤井氏からは社会に適応する一部の子どもたちの姿を、そして山本氏からは学校や教育を良しとする前提を覆し、自律的な学びの世界を回復させることの必要性を教わってきた。
 いずれも学校そして教育が抱える危機、いや、子どもたちに降りかかる危機的状況、の出口を考察し、追求してきた言葉が辿り着いた世界を示していた。
 そこから示唆されたことは多く、自分の視野が広がり、現在の情況にもう一歩認識的な接近がなされたようにも思う。
 だがそれがなんなのだという思いもわずかに残っている。
 ここまで進めてきて、一番不満なことは教育の良さ、学校の良さに触れていないことである。これでは片手落ちではないのかという気がしている。学校や教育の制度の、システムのもたらす悪を言いつのってきただけで、これでは教育がよいと実感する人たちの心に届かないのではないかという不安がある。また、学校の良さ、教育の良さが、自分の中に実感されたことがないと言えば嘘になり、その点もはっきりさせておきたい。まして現職の教員として、この職にとどまっていることの理由には、単に生活の糧を得るためだけではない、なにか歓びや生き甲斐を感じる瞬間が存在するからという、そこも伝えておかなければならない。
 また、ここまで、問題を起こす子どもや子どもの家族に、非難めいたことを言わないで来たことも誤解を招くかもしれない。
 これについては確かに、ぼくは基本的に子どもが、その家族が、悪いという考えは持ったことがない。引き起こした事件、当事者の心情、また家族の対応について、市民感情として言えば、多くの人が思うように悪いことは悪いと考える。しかし、きっかけと言うことで言えば、きっかけがあればぼく自身が事件を起こす可能性もあるわけで、事件の責任の半分は当事者を超えたところにあるという考え方を、ぼくはしている。そういう時代や環境に生まれ、そういう育ち方をして、そういうことを体験したら、きっかけがあればそういうことをしてしまうよな、問題の半分はそうした背景にあるに違いない、と考えるのである。けれども、それは人殺しも場合によっては仕方が無いというのとは意味が違う。どんな場合にも人を殺すことは良くないと言うのは、ぼくにとっても自明の前提である。
他者を傷つけたり、自分の弱さを人のせいにすることなども、ぼく自身はいやだなと考えている。しかし、個人には、どうしても悪が不可避の選択である、という状況に取り込まれる場合があり得る、と、ぼくは思う。
 少し回り道をするが、戦争物の小説を読んで目が開かれる思いをしたり、これが本物だよと感じる体験をしたのは、あまり多くはなく、島尾敏雄の戦争を題材とした小説群はその一つである。
 そこには戦争における渦中の日常が抑制された文体で淡々と描かれていて、よくある戦争の悪の面を強調して描くというところがなかった。悲惨な被爆の描写も、特攻隊員の運命に対する呪詛の言葉もなかった。だが、戦争のもたらす悲惨さや運命の理不尽さは、十分に読みとれた。また運命の日々の中での愛や、信頼、思いやりや人間的葛藤なども戦争という非日常の中の日常として、十二分に描かれていた。
 同じような見方をすれば、ここまでのぼくの文章は、教育や学校の悪の部分を知らしめたいあまり、性急すぎたかもしれない。
 ぼくたち現場の教員にとっても、現在の教育の状況がどんなに異常な状況であれ、その中に当たり前の営為が繰り返えされている。それがぼくたちの日常であり、日々の生活である。その中で、ぼくたちは子どもたちと向き合っている。
 たどたどしいが真剣にみんなの前で本を読む姿。誇らしげに算数の解答をする姿。プールの中の遊びで喉の奥、腹の底から歓声を上げ笑顔を振りまく姿。跳び箱に向かって、不安を持ちながらスタートを切ろうとする姿。よけいに声を小さくして養護の先生に不調を訴える姿。歌が苦手で口だけを小さく動かしている姿。
 ぼくの勤める小学校では、こんな様々な子どもたちの姿が見られ、それを目にするだけで何か人間の原型に触れるような、言葉にならない感動がえられる。
 これが何だといえば、いいようがないが、ただ、危機を感受しながら自分の目には日々子どもたちのたわいもない姿が映り、どう危機の影が忍び寄っているのかをぼくは、感じとろうとしている。この子どもたちは、陰惨ないじめに走り、不登校に陥り、非行や暴力で手がつけられなくなる子どもたちとどこがどう違うのか。やがて中学や高校に行き、この子たちの誰かがそうならないとも限らない。それは誰にも予測がつかないことだ。逆に言えばこの子どもたちの誰にもそうなる可能性があり、そうなったときに少なくともぼくらはこの子たちを擁護しなければならない、とぼくはよく考える。
 乱暴な子ども、嘘をつく子、友だちを中傷する子、が決していないわけではない。非行や暴力の芽と心配される面もないわけではない。小学校だからこれくらいですんでいるという見方もできる。だがそれはぼくたちの時代にもあり、ぼく自身、物理的な反抗こそ少なかったが、現在の学校に置き直せば問題児と言えるような子どもだった気がする。あのころは先生も周囲も、ある程度ほったらかしにしてくれていた。子どもの世界に入り込んでこなかった。今思えばそれはぼくたちにとって、とても救いだった。
 学問の発達は文明の発達に結びついていたし、ぼくが今こうして考えることができることは、教育や学校、また先生達のおかげであることも事実である。学校や教育を否定的に見ることは、だから、後ろめたい気分が残る。けれども、現在はその土台が揺るぎ始めている時代だ。そして要因の一つは、これまで述べてきたことの中に含まれている。
 これまでとは違う何かが全世界的に起きている。それを早く察知して、根本的な対策を考えなければならない。それはぼくの背丈をはるかに超えているが、つま先立ちしてでも、人々に問わなければならない。なぜなら、ぼくには子どもたちが、救いと魂の代弁を求めているように思えて仕方ないのだ。
 石を刻むように言葉を刻んでここまで来たが、果たして、これが子どもたちの声に応えたものなっているのかどうかは、はっきりと言って自信がない。初めに、見えてきたと思われた問題が、ここに来て、思ったほどではなかったという感慨もある。ここから先が問題なのだが、力尽きようとしている。

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