親鸞の思想」と教育
 
 公立学校の教員になることは、いずれにせよ、高名な僧を輩出した立派なお寺に入門したようなものだ。
 そこでは僧侶の修行に変わり、「子どものため」を第一とし、子どもに尽くし、教育とは何かを問い、日々の授業研修から自己研鑽、果ては保護者や関係機関への適切な対応の仕方なども学ばねばならない。
 心から子どもたちを愛し、子どもたちのために尽くし、また指導の技術などを含めた、「先生」としての研修に努めること。これは頭で考えたり、理解したりすることは容易だが、実践となればなかなか簡単なことではない。個々の教員も、また子ども、保護者、周囲に接する人々も、その多くは煩悩具足の凡夫だからである。ただ教育界という世界にだけ、聖地の霞がかかっている。
 日本の中世の宗教界を概観すると、仏教を主として、その仏教の中にも多数の宗派が存在したことが見て取れる。そしてほとんどの宗派は、およそ修行や戒律の厳しさにおいては、ある特定の宗派を除いて共通して保持していたように思われる。例えば魚や肉を食べてはいけないとか、妻帯してはいけないとか、そういう「してはいけないこと」もたくさんあったことも広く知れ渡っている。
 教育の世界に入ると、もちろん中身は違うけれども、そこにはどこかしら当時の仏教界に似た雰囲気があるのではないかと私は思うところがある。努力を惜しまずにいろいろな面で勉強し、自分を高め、子どもたちに単に知識を伝えるばかりではなく、心や行いに対しても感化していく。そういうことが有形無形に求められる。
 ダメ教員というレッテルがある。それは戒律や修行について行けず、僧侶として堕落した、ダメな坊さんと二重写しに捉えられる。
私はそういう一人だったと思う。
 勉強してそれを世の中に役立たせる。勉強してよい会社に入り、高い給料を得て豊かな生活を手にする。いろいろに動機はあるだろうけれども、子どもたちや親たちの願うところを総合すれば、自他の幸福を求めて勉強するということになるだろうか。教育は、幸福を手に入れるために登らなければならない階梯である。だがしかし、そんなことが信じられたのもほんの束の間のことではなかったか、と私は思っている。加熱した受験戦争を契機に、世の中の人々はしだいに真の幸福とは何かを考えなければならなかったのだし、教育の延長上に必ずしも幸福が待っているわけではないことを知ったのである。もちろん子どもたちも受験戦争の過程で、多くの子どもたちが幸福の幻想を失ったに違いない。
 現場の先生たちも、比叡山のすぐれた高僧に変わる教育学者や文科省の指導官の有する高邁な教育理念を枠組みとして、その中に自己の思想を組み込み、同化させる必要が生じる。しかしおそらく生活体験や周囲の環境の違いから、それは簡単に可能になることではなかった。言ってしまえば、自分の体験及び社会や教育の実状は、旧来の教育理念をはみ出す部分が多すぎて、その中におさまりきらないジレンマを抱えることになったと思う。
 
 教育は本当に子どものためになってはいないじゃないか。先生たちは口では立派なことを言っているが、少しも世の中のことを分かっていないじゃないか。研修なんかしたって意味がない。立派な先生って、要するに古い枠組みにすっぽり収まることに過ぎないじゃないか。授業なんてマジシャン見たく凝りに凝る必要はないんだ。立派な考えも持つ必要がない。理論武装なんてしなくていい。ごく普通に、当たり前の接し方で子どもに接していればいいのではないか。
 理念だけは高尚な古い枠組みの中で、管理職も教育委員会も、文科省も、あるいは日教組も、教育組織のすべては腐っている。あるいは構造として腐っている。はっきり言えばそれらの組織の中枢には、俗世の栄達が、個々の動物以上に動物臭い欲望が根強く巣くっていて、手の施しようがない。私が教員当時に感じていたことはこんなことだ。これははっきりと言える。私自身が煩悩に無縁ではなかったし、私自身を介して他者の煩悩を理解できたように思う。綺麗事を強いられる組織はそういう部分を隠蔽する。それ自体は風土の問題でもあり、人間存在の本質の問題でもあり一概に悪いと言える問題ではない。だが、明らかに言うこととやっていることとが違う。しかもその違いにあまりにも無自覚すぎる。
 法然や親鸞という人は、既存の仏教界を飽き足りなく思い、反逆する形で、戒律も修行も要らない念仏称名することだけを唱えた。 オーソドックスな仏教の理念から見れば、法然や親鸞の考えは、明らかなはみ出しである。もちろん法然や親鸞のほうが旧来の理念を否定したからそうなった。
 私には法然や親鸞が、自ら学んだ旧来の仏教思想、理念が、いかに現実の状況にそぐわないものになっているかについて鋭敏だったからだと思う。言ってみれば仏教の教えが対象とし救済すべき筈の、貧しく、不遇にあえぐ人々に通用しなくなっていることを、それらの人々と触れあい接する中で身をもって知り得たからなのだと思う。つまり、仏教の言葉がそのままでは民衆に通じなくなった、何の力にもなれない、それを民衆に接する中でしこたま味わったに違いない。そうして民衆の声なき声に、どうやって応えるべきかを必死に模索したのではなかったかと思う。
 解脱上人とか明恵上人とかの偉いお坊さんは、法然の考えを、旧来の仏教界の立場から堕落であると見なして批判した。
 解脱上人や明恵上人とは言わないまでも、私が教育界に入ったときに、たくさんのそれらしい先人がいるように思われた。日本ばかりではない、欧米を見渡してもたくさんの大御所がいて教科書や参考書という形の中で教えを宣っていた。それらの教えは崇高なもので、一介の田舎教師にはとても実現不可能な理想と感じられた。研鑽に努め、自分を高め、愛を語り知性を語り科学や文明の発達を語るそれらに圧迫され、私は身を撓めて崩折れるような思いを持った。
 教育界の奥の方に、三種の神器のように飾られた、燦然と輝く理念が鎮座している。
 が、しかし、そんなものは教師にも、子どもにも、もちろん保護者たちにも何の意味も持たない過去の遺産に過ぎない。
 
 学校、先生、勉強、教育。これらについて感じ方受け取り方は人によって違うだろうが、私自身は、風潮として、世の中の多くの人たちは否定的であり、批判的であると思っている。内心で、くだらないとか、アホらしいとか、馬鹿臭いとか、軽蔑しているところも少しあるように思う。しかし、それをあからさまに口にすることは控え、揶揄する程度にとどめておくか黙ってしまう。あるいは改まって問われると、厳粛を装って「大事」だと答えるのかもしれない。このあたりが微妙なところで、ばからしいも、大事も、矛盾しないと捉えなければならないのではないかと思う。同じ人間の心の中に共存している。文科省、学者を含めた教育の関係者は、だいたいがこの「大事」の側面ばかりを強調して話をしたがる傾向がある。比喩的に言うと、そこに「浄土」が存在するかのように扱いたがる。しかし、多くの人は「浄土」なんてないと分かってしまっている。
『歎異抄』の中で、親鸞は自分を「煩悩具足の凡夫」と見ている。これは煩悩具足の凡夫である民衆と同列に自分をおいていることになると思う。その上で、唯円の問いに答えて、自分も早く「浄土」に行こうという気が起こらないなどの、率直な心情を告白している。また、本当に「浄土」があるのかないのか知らないと言ったことも『歎異抄』の中に伝えられている。そして、念仏をするもしないもそれぞれの考えしだいだ、というところまで言い切っている。これは捉えようによっては、仏教そのものを否定する言葉になりかねない。しかし、親鸞は、だまされることになるのかもしれないが、いいんだ、自分はこれを信じるんだという言い方で、首の皮一枚を残しているように思う。
 現代の教育にも、この首の皮一枚で、「大事」だと見なせるところがあるように思う。しかし、たいていはインチキなところがある。結果として、民衆が貧しさや飢餓のただ中に立たされる中で、大伽藍が建立され、僧たちは自らの地位や名声に狂奔したと同じことが教育の世界にも見られる。子どもが親が、教育の名の下に苦しむ。勉強が出来ない。運動が出来ない。劣等意識に悩む。高校や大学に進学できない。待遇のいい会社に入れない。楽しんで努力できる仕事には就けない。そういう現状を知りながら知らぬ振りをする教育者たち。状況を教育の課題に取り込まずに、ひたすら高みに鎮座して、「這い上がることがすべてだ」とでもいうかのような教育者たち。しかし、未来の子どもたち、現在の子どもたち、過去に子どもであったものたちの多くは、もはや慣習以外の形で偶像としての教育を崇めることはないだろう。
 世の人々にとって、生きる現場にこそ様々な問題が山積しているのであって、教育の本質について関心があるわけではない。自分に役立つか役立たないか、その点から見てもどうでもいいやということになる。子どもたちにとっても、役立つ範囲において教育を受けておこうかというくらいのことだ。もっと露骨にいってしまえば、教師の言葉の大半を聞き流すくらいのところでしか教師に向き合ってはいない。それは現在の若者や大人たちを見れば、その教育の効果の程がよく分かる。そしてそのことは必ずしもいいとか悪いとかの問題ではない。そうなっているということであり、そういう状況の中で、どんな教育の明日があるのかという問題だ。おそらく、さまざまな対策、さまざまな広報活動がなされるだろう。しかし、かつての宗教のように形骸化していく道筋だけは避けられないに違いないと思う。教育信仰、教育神話の崩壊。こうした最中に一人の法然、一人の親鸞がこの教育界に現れるのかどうか。そこにこそ生き残りの鍵も隠されているのであろうが、おそらく期待できそうにもない。社会や文明が高度化し、より重層化した複雑さがこの世を覆っている。それはいっそう加速度を増し、遂に私たちはその速度から振り落とされずにはすまない。だが別に、こんなことが絶望をもたらすわけではない。紆余曲折を経て、なるようになるものであり、なった先は「浄土」でもなければ「地獄」でもない、ただそれだけのことであろうと思う。
 教育の総本山を守るために、最近も学力テストや教員免許の更新などのお触れが出されている。いずれもばかげたことで、これで総本山が安泰と考えるなら愚かなことだ。誰もが教育離れして行く流れをとどめることなど出来ないだろう。いっそう流れに拍車をかけて、後は野となれ山となれとなる対策に過ぎない。もちろんこれからも何度も何度も対策の過ちを繰り返していくだけのことだ。
 子ども一人一人、教員一人一人は、教育内外の声や施策がどうであれ、上手にかわしながら自己防衛するように自分たちの生活を堅持し、楽しむだけのゆとりを持ってもらいたいものだと思う。また、切にそれを願う。
 
 教育における「称名念仏」を比喩として使えば、その実態は何か。
 親鸞は、「浄土」に生まれ変わるのに努力は要らないと言っている。修行をしたり、徳を行ったり、善行を積み上げたりなどの一切のことが不要なのだと説いている。論理的にそういう詰め方をしている。最終的には、悪人こそ「浄土」に行きやすいんだと説いた。そして念仏をいっぺんでも唱えれば「浄土」に行ける、そのことを信じなさいとだけ言っているように思う。
 親鸞の考え方を真似て、これを教育の世界でたとえると、幸福になりたいとか不安や迷いを払拭した生き方をしたいとか、要するに一切の「苦」から逃れたいと考えるのであれば、一度でいいから本気になって勉強してごらんといっているのと変わりないように思える。いや、そうではなく、勉強して幸福になるか不幸になるかは分からないが、やったほうがいいと思う、ということにでもなるだろうか。もちろん、現代では来世など信じられてはいないのだが、親鸞の生きた時代に教育を持ち込めば、そういうことになるのではないかと思う。「称名念仏」はだから、形式的な勉強であり、そのことが幸福につながるかどうかは分からないことだけれども、とりあえず外に何もなければこれを心から信じて、一度でいいからやってごらんということだと思う。もちろん、学ぶことに無理な努力をするな、秀才になるな、お利口さんになるな、かえって能力の劣る子が一度本気になって勉強してみることがあれば、そのほうが救済の道をたどれるんだ、そんなふうに考えられる。
 形式的な勉強が幸福に結びつくとはどういうことか。勉強とは、どんな教科や課目であれ、「知」の働きを伴う。形式的に、いっぺんでも「知」の働く経験を持つこと。これによって、他の生き物とは違い、人間の幸福には「知」が不可分に関わることを意識的無意識的に感得する。そのことが大事なのではないか。もちろんこの場合、「知」は体系的なものをさすというよりは、徳や善といったものも含む「叡智」をいうのであり、「叡智」と人間的な幸福観とが一対のものであることを瞬時に悟るのである。
 だが、こういう言い方はとてもつまらないことをいっているような気がする。私は仏教信者ではないと同じように、教育を信仰する人間でもない。逆に、考えれば考えるほど、教育なんてくだらないものだと心底感じてきた。公教育が崩壊して全滅しても、今の私は困らない。子どもたちだって本当は困らないかもしれない。それはそうなってみなければ本当には分からない。だから、おそらく、いつまでたっても分からない。国家の崩壊や消滅も同じで、だが、例えば敗戦時の空白や、東ドイツ、ソ連の崩壊時の空白において、以前として社会生活は存続したことを私たちは知っている。つまり、公教育もまた恒久的になければならないものでは決してない。あってもいいし、無くてもよい代物かもしれない。親鸞の宗派も、信仰とは無縁の私たちから見れば、形骸のように今も残っていると見える。形骸として学校が残り続けて悪いという法はない。しかし、当初にあった意味が薄れるように薄れて残っているだけだ。
 仏教がかつての役割を終えて形骸化したように、いずれにせよ学校もまた形骸化していくものであろう。仏教の形骸化は、僧侶の側にももちろん問題はあったのであろうが、それよりも、時代の流れとともに流れる存在でもある、民衆のある種の選択と考えることも出来る。民衆が求めていないものは、やはり廃れていく他はないのだ。民衆の無意識の自然な選択こそは、権力を越える最終権力であるのかもしれない。
 もしも学校教育に、本当にその再生の道を考えようとするのであれば、考えるべきことは一つであり、子どもたちやそれぞれの家庭が求める心を把握するという一事に尽きる。この場合、子どもや家庭の求める心とは、言ってみれば無意識層にある欲求や要求のことで、単にアンケートをとって明らかにできるというようなものではない。またそれに媚びればいいというものでもない。
 子どもや家庭の欲求や要求は、社会の状況とともに移り変わる。その移り変わるものを、普段に教育課題として繰り込んでいく。それを組み込まない教育の思想は、子どもや家庭の支持を得られないし、離反されてやむを得ない。教育の再生どころか、やはりかつての仏教寺院のように、葬式のためだけの宗教、資格を得るだけの教育として、形骸化の道を辿るほか無いのだろうと私は思う。