「教育」その終焉
 
 教育界の上の方でやっていることは、教育的なことでは決して無くて、政治まがいのことばかりです。より力あるものの傍や近くにいて、世間受けすることや教育の成果を取り繕うことばかりに精を出したり、自他の出世に関してあれこれ苦労してみたりと、教育の本質に関係ないことばかりするようになっています。もちろんこれは誇張した言い方ですが、それくらいに考えておいた方がいいのではないかと思うのです。
 教員になり立てのはじめには、児童理解や指導技術などの教育の研鑽に努め、その中で出来のいい奴は上に吸収されていって、市町村や県の教育委員会の指導主事になり、さらには教育長などといったようなものになる。そうなると、教育の道がいつの間にか教育や学校を管理する側の道を歩いているということになる。もうそこには教育の道なんて無い。
 一生懸命教育について考える若い先生は、そんな上の連中を見て、こんなアホらしいことはないと考えて、そういう道から逃れて、自分なりに教育とは何かを探っていこうとする。しかし、そう簡単に教育の実践者として迷い無く、日々の実践をやり通していくことは至難のことです。せいぜいが子どもたちに知識や技能を身に付けさせたり、学級の中で毎日をつつがなく暮らさせるくらいのところが精一杯のところです。
 そういう自分の実践を、さらに社会全体の中に置いて考えてみると、どういうことになるのか。社会人一般を再生産する、ただそれだけのことに過ぎないのではないかと思われるようになってきます。
 もちろんそれでいいといえる部分もあるのですが、ほとんどの教育者が辿る道のように、どうあがいてみても人間は周囲の状況に影響されずに、生き通すことが出来ません。もしも、一人の子どもが自己の中の「純」ということを大切にしようとして、それを守ろうとすればするほどかかる抵抗は大きくなる。孤独や苦悩を背負い込むということになります。 教育とは何か、それは社会の矛盾を知らせて、子どもを悩ませ、苦しめることではないはずです。では、逆に世の中をすいすいと渡っていく知恵を身に付けさせればよいのか。それではしかし、社会に幅をきかすいけ好かない利己主義者をふやすばかりです。
 貧富の差、学歴の差、もちろん能力や家系などの違いもあり、強者や弱者の違いもあります。世の中は決して楽しいことばかりあるわけではない。苦しいことが多いかもしれません。そういう場所に、子どもたちを送り込む。どんなに否定しようとしてみても、教育にはそのような働きがあります。一生懸命に頑張る先生は、結局、他者よりも幸せな人生を歩むようにという願いをこめて、精一杯の手立てを施すほかに仕方がありません。簡単に言いすぎると誤解されますが、弱者よりは強者、いわゆる勝ち組の人生を送ってもらいたいというか、負け組にならないようにと願うほか無いのです。つまり、こう言い切ると申し訳ないのですが、結局は現状を再生産する手助けをしてしまうことにもなるのだと思います。
 
 最近、小林多喜二の『蟹工船』という小説が売れて話題になっていました。ニートの若者がふえ、その種の人たちが働こうとしたときに、就職活動は手っ取り早く「派遣」でということになっていると思います。貧しさから這い上がろうとして、若者はしかし「派遣」という条件的には大変待遇も悪く、苦しい労働が強いられることがあるようです。心理的に見れば、一寸さきは地獄というようなすれすれのところを若者たちは歩いていて、それが『蟹工船』を読んで共感するということになっているのだと思います。
 凄惨で過酷な労働を強いられるとか、もっと以前には農作物の不作などで飢え死にするとかは、この日本においてもたくさんありました。その意味では現在、道端にのたれ死にしているというような光景はありえないことです。だから社会が大変なことになっていると言っても、昔に比べればマシになっているということは言えると思います。そういう観点から、現在は弱者強者といっても、生き続けられるもの、死んでいくものといった究極の差別の状況にあるわけではないから、社会や政治指導層への要求も、まだ緩やかな段階にあるといえるわけです。
 そうはいっても、現代は別の意味で大変きついところも出てきているのだという気がします。子どもたちの間のいじめ、自殺、非行、不登校、ひきこもりといった現象や、多発する大人社会の凶悪な犯罪の裏には、そういう事情が見え隠れしているように思えます。
 そうしたときに、教育の役割はいったい何かと考えてみると、これを社会や家庭の側から期待されることとして考えてみると、ものすごくたくさんの要望があると思います。
 まず勉強がよくできることというのがあります。勉強は出来るに越したことはないと思いますが、まあ義務教育の小中学校でいえばテストで七十点から九十点くらいは子どもにとってもらいたいと思う。次に健康で、サッカーとか野球とか、まあどんな種目でもよいけれども、何か得意なスポーツを持ってもらいたいと思う。その他にも、誰にでも優しくして友だちがたくさん出来ること、電車でお年寄りに席を譲るなどの道徳心にあふれていること、正しいと思うことをやり通すこと、善行に勤めること、先生や親の言うことをきくこと等々、言えばきりがないほどたくさんあると思います。学校教育によって、こういう子どもに育ててほしいという要望はこのようにたくさんあるのだけれど、十中八九、これは無理な要望だと思います。子どもはそんなふうに育っていきません。それが証拠に、こんなふうに育った立派な大人に、私たちは現実に遭遇することは滅多にないと思います。せいぜい、スポーツ選手やタレントや、音楽家、芸術家などにたずさわった人が、テレビなどでそんなふうに綺麗事に編集されて、紹介されるのを見るくらいのところだと思います。長所があれば短所もあり、長所だけの人というのは周囲を見まわして滅多にお目にかかることは出来ません。
 
 私は学校の先生になり、退職を決意するまでの間、子どもたちのあえぐ声を聞き通しだったような気がします。もちろんそれは私の勝手な妄想の類とも言えるのですが、どんなに学校で誉められるような「よい子」であっても、私はその子の背後に、その子の苦痛の顔が見えるようで仕方がなかったのです。可哀想、私の二十年にわたる教員生活の一番の、それが子どもについての私の感想だと言ってもよいかもしれません。
 学校の現状は、中世の仏教が盛んだった時代とよく似ているような気が私はします。どういう事かというと、法然などが言っていた聖道門と浄土門の区別、それによく似た構造があると思うのです。学校教育における聖道門というのは、旧来の神聖な教育観をベースにしていて、師弟共々自己研鑽に励み、善行を積みといった戦前から引き続く教育観といえばいいでしょうか。これはしかし、滅私奉公の極端な形である「特攻」を産み、敗戦を境に、違うんじゃないかという考え方が出てきました。これも極端な形で「個人」を優先する形になったのですが、しかしどこか中途半端で、教育にはやはり社会に役立つ人間の育成というような面が残されてしまいます。つまり綺麗事をいうところがあるのです。
 私は、この綺麗事を建前とする教育の面を聖道門になぞらえて考え、学校も社会も現状はそうなっていないじゃないかといつも不満に思ってきました。綺麗事を言うその裏に、どろどろした欲望の本音が見え隠れしている。言ってみれば聖道門の立場はいつも不可能な理想ばかりを言っている。そうしてやっていることは典型的に俗なことばかりではないかとさえ思えました。
 聖道門から離れ、浄土門を起こした教祖たちのように、私は聖道門的な教育はもう全然ダメではないのかと考えました。それはつまり、今日における学校教育は子どもたちや家庭のニーズに合わないというばかりではなく、子どもたちや家庭の抱える「状況」に、聖道門の認識が届いていないことを意味するように思われました。では、教育の場にあって浄土門的立場とはどういうものであるべきなのであろうか。私は聖道門的な教育の考え方が一切ダメだというように考えることが、その第一歩だと思います。ちょうど、法然や親鸞が聖道門を象徴する「自力」を否定し、あるいは放棄したように、「聖人」の生き方を模範として、そういう生き方を励行するような考え方、教え方はダメなのではないかと思うのです。なぜそうなのかはうまく言い表すことは出来ないのですが、現在の社会人や子どもたちが生きて行く「状況」といったものを考えたときに、そういうのではもう、通用しないだろうと思うからです。では、何が通用するのか。残念ながら私はそれを見つけられずに、自分が教育の場を去ることで自分なりの解決を図りました。浄土教は弥陀の誓願のうちから「他力本願」に活路を見いだしました。そして易行としての「称名念仏」を唱えることで民衆の支持を得ていったと理解しています。私は教育の中で、それにあたるものを考えつくことが出来ませんでした。
 親鸞は、「歎異抄」を読むと、浄土真宗の宗徒に対し最終的には「信心するもしないも面々の計らいである」と述べて、信者を増やすという宗教の本来的な態度を放棄し、実質的には自己解体さえしてしまったように見えます。これは学校教育に置き換えて言うと、学校には来ても来なくてもいいとか、勉強はしてもしなくてもどっちでも良いと言っていることと変わりないことだと思います。そして私もまた、最終的にはそのように考える他はなく、自分の中では学校の問題も教育の問題も解消してしまったような気がします。つまりそれ以上のこと、それ以外のことは何もなくなってしまいました。