プチ「ひとり暮らし」2  09.7.14
 
 独身。単身赴任者。ぼくには息子が二人いて、どちらもまだ独身生活なのであるが、この三日間のひとり暮らしを経験していると、息子たちもふくめてこれはみなさん大変なことだなと一人ごちしている。
 学生の時のアパート住まいと違い、仕事しながら家の中、部屋の中をきちんとし続けることは、これは相当踏ん張らないといけない。なに、その気になれば造作のないことと思っていたが、とんでもないことだ。臨時のことなので、きちんとした生活を目標に妻のいない間の生活を送ってみようと企てたわけだが、わずか三日で心折れそうなところまできている。これが一年、二年、それ以上も続くということは、自分には耐えられそうにないと結論づけたくなった。だが、まあ、これに近いところで生活し続けている人たちもいるということだ。
 特に何があるわけでもなく、どうということもない生活を送っていくということは、とんでもない力業が必要だ。すぐに思いつくのはさぼること。目の前の仕事を次に延ばすこと。しかしそれをすれば、次々としなければならないことが後に溜まっていく。
 やろうと強く意志すれば、たぶんやることはできる。でも、毎日一生懸命で、きれいに片づいた家の中を保持しても、まあ気持の上ではさっぱりとすがすがしくはなるのだろうが、それだけでは何だかつまらないだろう。
つまらないが、それを抜かせばあっという間に部屋は散らかり汚れ放題になりそうだ。溜めてからするか。溜めないようにするか。ずるをして遊ぶか、遊ばないか。
 結論から言うと、ぼくはこういう生活はいやだ。いやだが、どこまでもいやだと言ってすますことができないように、ぼくらの生活はできている。当たり前に生きることさえ、その流れではできなくなる。頭が痛い。
 
 
   プチ「ひとり暮らし」   09.7.14
 
 妻が実家の法要に行き、家を留守にして三日が過ぎた。ずいぶんと長く感じる。というのも、この三日間ぼくは仕事に出ながら、炊事洗濯、掃除と、毎日こなし、もちろん弁当も作りと、いわば世の夫たちの鏡となるような生活を続け、そして今、若干こうした生活に疲労を感じ始めてきたからだ。
 たった三日間だが、家でろくにテレビを見ることもなく、きちんと生活するだけで一日の時間は手一杯だ。初日、ふだん掃除を怠りがちな寝室を、二時間以上もかけてきれいさっぱりと掃除した時の疲れが、ここにきて重くのしかかっていると感じる。
 今朝、目を覚ますと目覚まし時計の時刻は五時。少し早すぎると思って寝直したら六時に目が覚めた。起きて布団をたたみ、掃除機はかけずに階下に降りた。洗面所で顔を洗いながら洗濯機に水を入れ、洗濯を開始。それから居間と隣の部屋を掃除機できれいにし、台所に立ってタイマーで炊きあがったご飯を弁当に移し、夕べのおかずの残りを入れたタッパーと一緒に包んで弁当のできあがり。
 次にみそ汁を作り、わかめの酢の物を作り、キュウリとキャベツでサラダを作り、朝食。すぐに片づけてひげ剃りと整髪。室内に干した洗濯物を寄せ、洗い上がりの洗濯物をかわりに干す。今日はプラスチック収集の日なので、出がけに一袋持ってゴミ置き場に置き、そして出勤。
 帰ってしなければならないことは、山になった洗濯物をたたむこと。掃除機をかけて、今朝洗えなかった茶碗を洗い、夕飯の支度ということになる。漬け物と納豆と卵とハムがあるから、それで夕食は済ませそうだ。食べ終わったらすぐに片づけて、朝と弁当の準備をしなければならない。弁当のおかずになりそうなものがない。ということは、買い物にも出かけなければならないか。疲れそう。
 
 
   エンターテイナーのすごさ 09.7.8
 
 マイケルジャクソンの死や、石原裕次郎の大規模な法要が新聞テレビで取り沙汰されていて、改めて「へエー、すごいねえ、この人たちは」という思いに駆られている。
 石原裕次郎は二十三回忌というのに、往年のファンがまだ何万と法要に訪れるという。マイケルに到っては全世界が驚きと悲しみに揺れる様が毎日のように報道された。ぼく自身は、ファン心理はそれほど強くなくて、この二人に対しても淡泊な気持しか抱いていないが、それだけにこんなにもおおぜいの人間を引きつけて止まない人気のすごさに驚くほかにない。一般のファン、視聴者の立場に立っていえば、銀幕やブラウン管を隔てての芸能人との関係に、それほどの思いこみを持つことはぼくにはできない。できないんじゃないだろうかと、思う。どうしたらそれほどまで熱狂的になれるのだろうかという疑問も湧く。どこかで、そういった関係からは「宗教的」という言葉がせり上がってくるように感じる。つまり、ぜんぜん宗教的ではないけれども、そこにある熱狂、情熱には宗教的と類似の精神性が感じられる。うまく言えないし、うまくいう気もないのだが、石原もマイケルも、「もう一人のイエス」かも知れないようにぼくには感じられている。そういう人間的な魅力を、こういう人たちは持っているのだろうな、と思う。残念ではあるが、ぼくにはない。かけらも、ない。そうした意味では、ニュースを聞きながらどこか世間からつまはじきにあってでもいるような寂しさを少し感じた。石原にもマイケルにも、そこに見られるような熱狂を自分は持ちようがなかった。せいぜいが太宰治や吉本隆明に、しかも心の奥の金庫にしまい込んで、人知れずひっそりと熱狂してきたばかりだ。思いを共有し、集いに参加し、またその時間を共有することは、
決して悪いことではないとぼくは思う。
 
 
   日本というブランドヌ   09.7.5
 
 ブランド品を弄んでいる者のゆとり。たとえどんなに国防の脅威が差し迫ったものになっていると聞かされても、もっと身近に別の脅威を抱える我々には、櫻井よし子の発言もそのようなものとしか受け止めることができない。品格のかけらもない言い方をすれば、指導者然とした連中はみんな相応の恩恵に浴することができてきたじゃないか、ということになる。しかもそれは一部のものたちだ。
 北朝鮮や中国の脅威から国を守るために自衛隊を軍隊にし、軍備を拡充し、憲法を改正して戦争を可とする。もちろん侵略や進んで戦争をしたいがためではなく、国際的にも自立した一国として毅然とふるまい、かえって戦争の抑止力を発揮するためだ。その論理は分からなくもないが、中国の軍備費の拡大は中国国民に何をもたらし、同様に日本が軍備費を多くすれば日本国民に何をもたらすことになるか。言ってしまえば国民から乖離し、超越した両「国家」が我が儘勝手に振る舞っている図が見えてくるだけだ。ぼくには国家という国家が世界から一掃されたら、これほど人々のためになることはないだろうと思えてくる。また、本当に「国」が驚異に直面した時に、真っ先にかり出され、しかも、死に直面したり割の合わない部署につかされるものたちが、どういう階層の出身者になるだろうかということも予測できる。櫻井などは、そういうところまで踏み込んで、それでも国家存亡の危機を大声であげつらいたいのであろうか。そしてそんなにも本気ならば、かつての三島由起夫のように自衛隊に入隊して過酷な訓練を体験してくれたっていい。
 櫻井のような人たちが「日本」ブランドにどんなにご執心でも、国民の半数以上の人たちは関心をもたないだろう。郷土を愛することはできても、「国家」に恩恵を与らないものが雷同するわけがない。
 
 
   日本というブランドニ   09.7.5
 
 櫻井が「日本」と言う時に、そこには櫻井の心情のナショナリズムとともに歴史的文化的、あるいは地理的などといったいっさいが、込められているとぼくには思われる。だが国民の一人でもあるぼくは、決して櫻井と同じではない。誇張でも何でもなく、日々の暮らしの底で這いずり回っているのがやっとで、明日病に伏せたら家族は尻すぼみに、次々にこの世界からフェードアウトするしかないという不安に怯えている。日本が他国から侵害されてどうこうという前に、この平和時にも、ぼくらは日々の生活そのものの中でさえ「脅威」にさらされているといっていい。あるいは勤務先が倒産する。会社との契約が切れる。心配の種は山ほどに積み上げられている。
 ぼくらのような生き方や生活が、この国の中でほんの一握りであり、見過ごされ、一顧だにされないものとすれば、ぼくは運命として甘受するだろう。そうしたくないとしてもそうする他はない。だが、ぼくには、日本のこの平和裡にあってなお、生きるか死ぬかの「脅威」にさらされている人々は少なからずいると思われてならないのだ。たとえば老々介護の現場。ぎくしゃくと軋み音を挙げる家族関係。これらの中の「脅威」は必ずしも外敵からもたらされるものとは言えない。一つの国の中で起きている出来事なのだ。そしてそれに直面したり、身辺に近づく足音を聞くものは決して一握りではすまないのではないかと思っている。
 櫻井たちのような憂国の士にとって、日本とか国家という存在はそんなに価値あるものなのだろうか。中身の腐ったメロンを後生大事に神棚に上げている、そんな光景と同じことに過ぎないじゃないかなどとぼくなどは考えてしまう。今、生き死にの脅威を抱える者にとって、それ以外のことを考える余裕など持てない。中身のない国を守ってどうする。
 
 
   日本というブランドナ   09.7.5
 
 日本テレビ系列の『たかじんのそこまで言って委員会』に、ゲストとして「櫻井よし子」が出演していた。
 櫻井については、元アナウンサーであり、アナウンサーをやめてからはかなり保守的右翼的な過激な言辞をする人だなあ、というくらいの印象を持っている。はっきり言えば、よく分からないし、詳細を調べたこともない。美形でおしとやかだが、発言はきつい。そういう画面からのイメージを持っているだけだ。
 この人はよく憲法改正の話をしたり、軍備の増強が必要と話したりしていて、とても日本の政治状況を憂いていて、まあ世間に言う論客の一人かなあと思う。発言は時に鋭く深く、知識的という点ではぼくなどははるかに及ばないことが理解できる。「すごいねえ、この人は。」という思いもある。同じ女性ではあるが、「田嶋某」さんとは全然違う。櫻井さんの方が冷静で知的であるとぼくは感じる。
 彼女の発言で唯一気になる点が一つある。それはよく彼女の口から発せられる、「日本」、「日本国」、「国」、「国民」等の言葉だ。彼女がそれを口にすると、それは一つの「ブランド」のようにぼくには聞こえてしまう。危機的な日本。国が崩壊する。国民の安心。これらの言葉の中の、日本、国、国民、それらは櫻井よし子の頭の中で、どんな実態を持つものなのかがよく分からないのだ。たとえば彼女が言う「国民」の中に、ぼくは含まれているのだろうか、と思う。というのは、ぼくは国民の一人には違いないだろうが、櫻井はぼくの生涯を知らないだろうと思うからだ。もちろん国民の一人一人の生涯も知らないはずだ。「国民」について言いながら、今国民が何に窮しているか、おそらく彼女の想像力はそこを捉え切れていないとぼくは思う。
 日本や日本国民というブランドのために生き死にをかける。ぼくはそれは錯誤だと思う。
 
 
   気になっていること二つ  09.6.3
 
 さほどでもないのだが、気になっていることが二つばかりある。一つは、職業の世襲の問題である。最近、目立ってマスコミなどにも取り上げられているのは、政治家や、歌手とか俳優とかタレントとかの二世、三世の話題である。政治家においては、世襲の廃止論まで出るほどになっている。歌手やタレントとかの二世、三世の話題は、最近は特に多いと感じられる。
 世襲は昔からあり、今もある。昔からあるもので思い起こしてみると、というか、江戸時代あたりまではほとんどそれだったのではないかとすら思う。
 何年か前の養老孟司の文章に、「世襲で何が悪いか」と反語のようなそうでないような、見分けがたい文章があって印象に残っている。ぼくとしては、内心、『世襲はよくないんじゃないか』という思いがあって、それは利得を固定的にするという危惧からの思いだ。もちろん、反対に世襲のよさというものも否定できないように思うところもある。うまくすればとても合理的なシステムだとも言える。
 これがよくないと思うのは、仕事や財産、家の格式といったものの固定化と独占が生じ、元々そういうものとは無縁の層にとっては甚だ面白くないということがあるからだ。養老はこのあたりのことは不問に付している。ただ「世襲」に目を付けるあたりに感心するところがあった。
 紙数がないので二つ目。これは本当は短くは書きづらい。自分にとって世の中とはどういうものかと考えるときに、国会における政府の答弁を聞くようなものだということである。要するに社会とか文化とかを秩序立てているもの、それに対してぼくはずっと異和を抱いて生きてきているわけであるが、それに対して社会とか文化は文句を言いにくくさせる術を身につけている。これは、なかなかだ。
 
 
   ある物語         09.5.31
 
 絶望したら死んだっていいのだ。そのように人間を死に向かって追いやるものは、絶望だけではない。戦場の銃弾があり、飢餓があり、細菌に冒されての場合もある。
 どうしたって、今もどこかで植物が枯れ、動物がのたれ死にをして、何かに絶望した人間が自殺に誘われるということは、止めようが無く、繰り返し起きていることに違いない。 絶望はしかし、人間的な、ある場合にはあまりに人間的な、誤解から生じるものではないのか。絶望という単語を思い浮かべた時点から絶望がはじまる、というように。
 悲観的な情況がそのまま絶望であるとは限らない。絶望的な情況の中で、それを絶望的と捉えなければそこに絶望は起きえない。
 人間的な特徴がそこに浮かび上がってくるのであって、そこにはまたいくつもの段階があるのであろう。
 絶望したら死んでも良いということは、死ななくても良いということと同義だ。そこにはだからとどまらねばならぬ理由など、これっぽっちもないと私は思う。
 私たちが認めなければならないと思うものは、煩悩のふるさとは捨てがたい、という一事である。
 母親の胎内から環境の極めて異なる外界に産み落とされたとき、私たちは最初からその後の人生においてもこれ以上にないというほどの絶望的な情況に遭遇したはずなのである。空気というものに初めて接し、その寒さを感知しないわけにはいかなかった。同時に呼吸法を瞬時に会得せねばならなかった。業火に灼かれこそしないものの、それは天国から地獄に突き落とされたにも等しい体験ではなかったろうか。悲しみ、おののき、怯えなどの、その後の個人的な資質にかかわる強度は、おそらくはその時の体験に根源的な刻印が押されたと考えることもできる。
 
 
   気になっていること二つ  09.6.3
 
 さほどでもないのだが、気になっていることが二つばかりある。一つは、職業の世襲の問題である。最近、目立ってマスコミなどにも取り上げられているのは、政治家や、歌手とか俳優とかタレントとかの二世、三世の話題である。政治家においては、世襲の廃止論まで出るほどになっている。歌手やタレントとかの二世、三世の話題は、最近は特に多いと感じられる。
 世襲は昔からあり、今もある。昔からあるもので思い起こしてみると、というか、江戸時代あたりまではほとんどそれだったのではないかとすら思う。
 何年か前の養老孟司の文章に、「世襲で何が悪いか」と反語のようなそうでないような、見分けがたい文章があって印象に残っている。ぼくとしては、内心、『世襲はよくないんじゃないか』という思いがあって、それは利得を固定的にするという危惧からの思いだ。もちろん、反対に世襲のよさというものも否定できないように思うところもある。うまくすればとても合理的なシステムだとも言える。
 これがよくないと思うのは、仕事や財産、家の格式といったものの固定化と独占が生じ、元々そういうものとは無縁の層にとっては甚だ面白くないということがあるからだ。養老はこのあたりのことは不問に付している。ただ「世襲」に目を付けるあたりに感心するところがあった。
 紙数がないので二つ目。これは本当は短くは書きづらい。自分にとって世の中とはどういうものかと考えるときに、国会における政府の答弁を聞くようなものだということである。要するに社会とか文化とかを秩序立てているもの、それに対してぼくはずっと異和を抱いて生きてきているわけであるが、それに対して社会とか文化は文句を言いにくくさせる術を身につけている。これは、なかなかだ。
 
 
   ある物語         09.5.31
 
 絶望したら死んだっていいのだ。そのように人間を死に向かって追いやるものは、絶望だけではない。戦場の銃弾があり、飢餓があり、細菌に冒されての場合もある。
 どうしたって、今もどこかで植物が枯れ、動物がのたれ死にをして、何かに絶望した人間が自殺に誘われるということは、止めようが無く、繰り返し起きていることに違いない。 絶望はしかし、人間的な、ある場合にはあまりに人間的な、誤解から生じるものではないのか。絶望という単語を思い浮かべた時点から絶望がはじまる、というように。
 悲観的な情況がそのまま絶望であるとは限らない。絶望的な情況の中で、それを絶望的と捉えなければそこに絶望は起きえない。
 人間的な特徴がそこに浮かび上がってくるのであって、そこにはまたいくつもの段階があるのであろう。
 絶望したら死んでも良いということは、死ななくても良いということと同義だ。そこにはだからとどまらねばならぬ理由など、これっぽっちもないと私は思う。
 私たちが認めなければならないと思うものは、煩悩のふるさとは捨てがたい、という一事である。
 母親の胎内から環境の極めて異なる外界に産み落とされたとき、私たちは最初からその後の人生においてもこれ以上にないというほどの絶望的な情況に遭遇したはずなのである。空気というものに初めて接し、その寒さを感知しないわけにはいかなかった。同時に呼吸法を瞬時に会得せねばならなかった。業火に灼かれこそしないものの、それは天国から地獄に突き落とされたにも等しい体験ではなかったろうか。悲しみ、おののき、怯えなどの、その後の個人的な資質にかかわる強度は、おそらくはその時の体験に根源的な刻印が押されたと考えることもできる。
 
 
   書きにくいということ   09.5.5
 
 日課のように、ひたすら表現し続けるということ。その先に何があるか、あるいは何もないかそれは分からない。ただ、こころにあるものを、たとえば家財道具を庭先に並べてみるように、表に取り出してみる。ここ数年の自分はそんな動機、そんな気持で表現というものを考え、実践してきた。それに疲れたと言うべきか、空しさに襲われたというか、最近はめっきり意欲が落ちてきたと言える。新聞は眺め、少ないが読書もしてはいる。空しさや徒労や不毛の感覚は、当初から感じていて覚悟の上のことであった。そこから出発したのだと言ってもいい。
 もちろん今の停滞の感じは、それほど深刻な状態にあるというわけではない。マンネリ。飽き。そんな程度かも知れない。いずれ、書こうとする意欲はまた湧いてくるに違いないと思う。つまり、まあ、いつでも誰にでもあり得るような、そんな軽い停滞期なのだ。
 とはいえ、少し気になるところは、いわゆるアメリカ発のサブプライムローン問題に端を発した、百年に一度と言われる世界不況のこの時期に重なるところだ。日本でも派遣切りや、正規労働者のリストラが盛んに行われるようになった。経営者はなりふりかまわず、企業の存続を第一とするほかないほど追いつめられて見える。ひるがえって日本の社会では、毎日のように親の子殺し、子の親殺しの事件が起きてきている。言ってみればどこを眺めても、よい兆しが見られない今日である。 世界の、そして日本の現状を見聞きするに付け、無力感が増幅して感受されてしまう。自分が表現からやや後退してしまっているように感じられるのは、自分の言葉が混乱する現実の様相に食い込む力が足りないからではないのか。結果、書くことに尻込みすることになっているのかも知れない。確かに、現実の諸問題の所在は、広汎に渉るものと言える。
 
 
   病むこころ        09.4.21
 
 ここのところ、数週間ほどであろうか、時折訪れるこころの空虚に囚われている。
 簡単に言えば、知的な面に関しての意欲が削がれた状態が続いている。それでは、ほとんどの日常は知的に興奮状態かというと、そうではない。普段は標準的であるのに、いっとき、血の気が失せるようにさっと知的な興味が落ち込むのである。
 しかし、さて、これで生活に支障が起きるわけではない。仕事も無事にこなすし、おそらくは普段の自分と見分けがつかないくらいのところで生活ができているはずだと思う。
他人から見て、鬱を疑うような状態に落ち込むところに到るわけではない。
 自分自身ではというと、これでなかなかたいへんなのである。体温が極端に落ち込んだように、脳の働きが仮死状態に落ち込んだような気がする。気がするのだが、これは、読んだり、書いたりの世界にだけ訪れる仮死状態のようなのだ。
 こうなる理由が自分には見当たらない。あえて言ってみると、ある心の励起状態があって読んだり書いたりが続いたあとで、ある日ストンとそういう状態に落ち込む。またさらに言ってみれば、読むこと書くことにある有用性を感じて継続した後で、その有用性の感じが消えて、梯子を踏み外したときのように自分を支えるものがなくなったときに、そんな状態に陥る。
 こうなってしまうと、何もかもが嫌になったり、すべてが消極的な色合いに染まったようで身動きとれず、死について思いめぐらすことが多くなる。こんなこと無意味だと知りすぎるくらい知っていても、この状態を抜け出ることは容易ではない。
 何に不満があるものか。そうこころに言い聞かせようとするが、何の効果もない。ただひたすら、その時を待つほか術がない。
 
 
   生きること        09.4.10
 
 六十にも近い初老の私に向かって、電話のたびに両親は「健康」であるようにと、ひとくさり語って聞かせる。毎度のことなので、私は「ハイハイ」と聞いた振りをして電話を切る。頭が上がらない、ということかもしれない。
 生きることへの執着と言っては言葉が適切ではないかも知れないが、生存する親の世代の人たちを見ると圧倒される。生きることへの意志、向日性、そういう姿勢が私には理解ができない。感心する。それは、正しい姿勢なのだろうと思う。そういう気が、する。
 報道で見聞きされる「金正日」の姿勢も、私には分からない。たくさんの浮浪児を産みだしながら、なおも現体制の維持にそんなにも執着せねばならないのか。当たり前ではないような気がする。私に分からない、あるいは自分に欠落しているこの二つのことがらは、それ自体としてはまったく無関係の、そして縁のないことがらなのだが、私という場所からは同じものとして見えなくもない。
 それは、今現に生きているというその場所に内在していることを必須とすることを意味していると私は思うのだ。言い換えると「生きている」というそのことを、そうした執着や姿勢はそのまま現しているのではないかと私は思う。生きることそれ自体ではないかと言ってもいい。
 私は内部的に、そこがぽっかり空洞を示しているのではあるまいかと感じている。それは、よくは分からないことである。だが、そう考えると、私には自分にまつわるいろいろなことがよく分かるような気がするのだ。
 私は長生きがしたいなどと考えないし、そのための努力も億劫でやる気がしない。よかれと思って大きな悪をなす立ち位置も嫌いだ。同時にこれでは生きている甲斐も、あるいは無いのかも知れない、と思うことがある。
 
 
   優れるとは何か      09.3.12
 
 有名な詩人や小説家の作品を読むと、すごいなあと感心することがある。どう逆立ちしても自分にはそのような詩や小説は書けないと思う。そう思ったときに、自分には才能がないと考えることももちろんあるが、もうひとつには、自分は、文学的環境に恵まれなかったのではないか、という思いも自然に内面に浮かんでくるようなのだ。有名などんな文学者も、たいていは幼くして文学に目覚め、目覚めた同士が類を呼んで仲間が形成され、いっそう文学的な素養を豊かにして力量をつけていく。幼少時の家庭環境。地域の文化的な環境。その他の諸々の環境が作家や詩人としての資質の形成に与っているように思える。
 東北の田舎の、県境にある山の麓に育った自分には、知的、また芸術的環境は皆無であったという気がする。小さい頃は田圃や野原で走り回るだけの毎日であった。
 文学というものに興味を感じたのは、中学の教科書に載っていた石川啄木の短歌を読んだのが初めてだと記憶している。しかも当時の自分は部活で野球をやっていて、短歌に興味を感ずることすら気恥ずかしくて隠しておくべきことであった。もちろん、視野に収まるところ、どこにも文学の「ぶ」の字も見当たらないと言ってよかった。
 文学について大真面目に読み、語らったのは大学に入ってからだ。しかし、それも正規の文化部の組織には入部せずに、児童文学を主とするサークルに加入した。つまりそこでも真正面から文学に対面することにはためらいがあった。このためらいは生来の倫理感といってもいいのかもしれないが、まだどこかに「避けるべきもの」として「文学」の二文字が心の隅にしまわれていたからだと思う。もっとあけすけに言い切ってしまえば、真逆になるが、本当は「文学」はそういう「文学、文学」したところにはないというのが本音の思いであったかも知れない。
 そこで、文学についてはいつもその脇を辿ってきたという気がする。思いには熱いものはあるが、しかし、いちども「書くこと」について勉強したことはない。あくまでも自己流にとどまり、既存の文学的価値観に自己の作品を問うてみることもなかった。もっともそれ以前に作品と呼べるものを書ききっていないということもある。こういった自己の体験から思うのだが、作品が優れていると評するとき、言葉や文字や文法を基礎として、表現力が巧みであるということなのだろう。自分はその巧みな表現力を身につけることができなかった。そういうことになる。そこには努力、修練の不足もあるのだろう。しかし、それは致し方ないことではなかろうか。自分にはそこまでの執念のようなものはなかった。優れることは悪いことではない。ただ、それ以上の意味や価値があるかといえば無いという気がする。理想的な姿でも何でもない。