「迷走」記
 
 昨日は少しついていた。仕事帰りにパチンコをして儲かった。四千円が二万になった。それだけの所持金で勝てるとは思わなかったから、ラッキーということだ。
 元手の四千円を食費に廻したら、夕飯はごちそうだったろう。でも、使っちゃうのだ。そのおかげで、しかし、今日の夕飯には刺身が出るかも知れない。
 今日はどうしようか。
 詰め所の中でそんなことを考えるともなく考えて半日を過ごしている。
 テレビも半分の時間見ていた。今日は安倍新内閣の発表の日だとかで、朝から賑わっていた。見聞きしていると面白いんだけど、どうでもいいや。政治家とマスコミとジャーナリストと、日本をダメにする三悪が、相変わらず錯覚の茶番劇を繰り返している。どういうことかというと、日本という国や社会を左右する重大ごととして捉えているというところだ。もちろんそういう面がないわけではない。政府や国家の動向は私たち庶民の生活に密接に関連している部分が少なくないからだ。
 だが憲法があり法律があり、政治が国や社会の全体を取り仕切って右に行き左に行きしようと、それで個人ががんじがらめになってしまうわけではない。やむを得ない場合、私たちは知らん顔したりとぼけたりしながらそういうものと付き合っているということになる。つまり従うも従わないも私たちの勝手だということになる。個人のそういう判断まで法律や政治は介入しきることが出来ない。個人は国家の奴隷ではない。自殺者や飢餓者を出して、国民の命や自由、利益を保証しない国家なぞ、大きな顔ができるものではない。政治家の言う「国益」とは、いつだって仲間や支持者の「益」であって、庶民はそのおこぼれを頂戴していればいいと思っているだけだ。「ふざけるな」とギャンブラーは叫ぶ。
 
 
   孤立無援の思想
 
 金と異性。男も女も同じだよね。昨今のニュースはひっきりなしにこれらに起因する事件を報道している。
 どうも世の中の全体が、これらの事件の当事者たちを否定したがっているが、どうだろう。どこか病的な気がする。
 欲望は人間とは切っても切れない関係で、これらがないと逆に人間じゃない。理性が待ったをかけるのだが、理性の通りに人間がだれしも品行方正になれるものだろうか。
 善があって悪がある。悪があって善がある。善と悪とで一つである。江戸時代のある地方の町医者、安藤昌益の言葉だが、聖人がよいことばかりを説くと逆の結果になりがちである。たとえば「治」を説くことによって、以後に「大乱」が起きているというように。
 昌益は、言ってみれば、聖人が悪いという。聖人なんか世に出なければ、天下は小さな善と悪、小さな治と乱との繰り返しの中で、何とか事を大きくせずに済ますようにできているものだと言っていると思う。つまり知らんふりをしていれば社会というものはそんなに悪くならないで立ち直るシステムを持っている。それを聖人が、つまり意識や「頭」が、こうしたらよかろうと意図を加えるからシステムがバランスを崩すのだという。
 昌益は聖人や君主を嫌って、農民のように「直耕」、すなわち大地を相手に耕して自給自足するのがよい生き方だと象徴的に述べていた。他人が耕して収穫した作物を盗んでむさぼり食う、口八丁手八丁の知識人、権力者が何より嫌いだった。
 昌益の思想を現代的にアレンジしたら、かなり面白いものになると私は思う。学者も政治家も宗教人も経財界のあれこれも芸術家もタレントも、みんな等しくダメということになる。痛快ではないか。私が思ってきたことをみんな言っている。でも、孤立無援だな。
 
 
   参った、と言うしかない
 
 企業は儲けなくてはいけない。消費者は利口になりまた選別の権利を発揮するようになった。そう簡単に儲かる商品が作り続けられる時代ではない。
 こうなるとどうやって利益を上げるか、企業は真剣に考えるようになる。というか、いたって単純に人件費を抑えるという方向に向かう。昨今の就職事情はあからさまで、自社社員を抱えることを避けて、いわゆる派遣社員、契約社員、パート、アルバイトを雇って人件費の削減に努めている。
 おかげで企業は儲かり、下層の労働者はワーキングプアと呼ばれるように働いても苦しい生活が継続される人たちが多くなっているそうだ。私もその一人で、契約社員という形で使われており、賃金は安い。
 毎日、新聞の求人欄を眺め、今よりもよい条件で働ける口はないかと探し続けるが、五十六という年齢もあり、そう簡単によい仕事に巡り会えそうにはない。
 清掃員。警備員。年齢や資格などからいうと、そういう種類の仕事しか求人はない。人脈とか、そういうつながりを使って次の仕事を探せる人はいいかもしれないが、私などのように何の人脈も形成してこなかった人間には再就職は厳しいものだ。
 現状からいってどうしようもないので、私はこういう形で仕事をしている。私自身はたいていの仕事はやっていけるという自信を持っている。何だって出来るし何だってやれると思っている。障害になるのは「資格」であり、「年齢」であろうかと思う。年齢がよくても資格がない。これから資格を取っても年齢が合わない。そんなことばかりが多い。
 誰もが安定して豊かな生活を願う。競争ばかりとなると、下層のものは永久に下層に居続けるほかにはない。そう、社会のシステムが出来ているようで、これには参る。
 
 
   下層民の知恵
 
 このように題してみたが、なにか卓見を秘めてのことではない。
 消費を抑え、冬ごもりのようにじっとして生きて行く他はない。そういう手も足も出ない状態を自虐的に、シニカルに、そう表現してみただけだ。
 もちろんそれだけでは面白くない。下層を生きて行くとしても、そこになにか知恵のようなものを生み出せはしないだろうか。そういう期待のようなものもある。たとえば上層で生きる連中には手に入れることの出来ない、下層民だからこその生の豊かさとか、充実というようなものがありはしないだろうか。世を恨んだり嘆いたりばかりではなく、なにか逆転できる要素を見つけたい。そんなふうにも夢想するのだ。
 昔、親戚のおじさんが、商用の自転車を毎日ぴかぴかに磨いていたっけ。なにかそんな類の、自分にとって意味がある、大切にしたいもの、力を注いで取り組めるもの。そういうものを日常の中に発見したらどうだろう。
 私がこれまでやってきたことは、身を縮めることだけだったな。見知った人たちもそうして生きていた。鬱屈をどう処理するかだが、そう、体内にたまった老廃物が腎臓とかで処理されて外に廃棄されるように、自分の中で濾過して無害にし、小便とか吐く息のような形で外に出してしまえばいい。
 結局、貧しいなりに何とかやっていくほか無い。そんな当たり前の考えに落ち着いてしまいそうだ。
 もっとよく探せば、貧しい生活の中にも、生きる喜びのようなものは砂や小石ほどに転がっているものなのかもしれない。私よりも貧困にあえぐ人たちはこの世間にもたくさんいそうだ。そういうたくさんの人がなお生き続けているのは、その何かがあるためだと思う。そこにはきっと知恵もひそんでいる。
 
 
   飢えの向こう側
 
 人は何かに飢えていると思う。世間には、そして身の回りにもいやなことが多すぎて、それでも仕事だとか付き合いだとかは待ったなしに進んでいく。目の前に電車が止まり、流れるように客が下り、流れるように乗り込む客に混じって電車に乗る。そのように私たちはひたすらひたすら日々の流れに身を委ねる。気まぐれに立ち止まり、電車を見送ってしまえばどうなるか。そんな試みを試してみることさえ不安でならないのだろう。
 この社会は何かに飢えたもののように、たしかにガツガツと先に進もうとしている。
 このままではいけないと思っても、先へ進む。このままでは先には進めないはずだと思うようなことがあっても、委細かまわず全体としては先に進んでいくようだ。
 ゆとりや癒しが欲しいと全員が思っていても、たぶん世界全体が一瞬にして癒される瞬間は決して訪れないと思う。そうである限り、個人は細々と癒しを求めて旅するが、それは砂漠の蜃気楼にそれを求めるようなものだ。
 私たち一人一人の人間には、長い生物史から跳躍できない制限があり、ほどよく適した生活空間と時間とが本当はあるに違いない。それを超えて遠く遙かな彼方まで見えたり、めまぐるしく移り変わる早い時間の中では、たちまち不快な感覚に襲われるに違いないのだ。もしも現在それを感じないですんでいる人があるとすれば、それは何かに夢中になりすぎて人間らしさを失ったり、感覚が病的になっていたり、要するに普通ではない。
 社会の表舞台にしゃしゃり出るほどの人には、この普通ではない種類の人が多いに違いない。だから、ああする、こうするとばかり考えて、システムというものをさらに高度に複雑に積み上げていってしまう。
 そんなことで楽しくなったり、癒されたりするのは、普通でない結局ほんの一握りだ。
 
 
   テレビのトーク番組を見て
 
 今でもというか、昨今というか、国や国家を、国民を守るものと、さも大事そうな口ぶりで語る人々がいる。政治評論家、ジャーナリスト、そんな職業の人々に多い。
 過去に敗戦で国を失った。長年ダメな国だと烙印を押されたようで、いたたまれない思いで過ごしてきた人たちといえるのかも知れない。そんなに悪意ある人たちとは思えないが、私には国民相互を殺し合いにかり出した権力としてのイメージが国家にはつきまとい、そんなに国家、国家と大事に持ち上げるべきなのか疑問に思う。
 日本の国家の起源をどこに探し求めるかいろいろな論議もあるだろうが、さしあたってそれ以前にも社会が生じ、人々の生活はあったという事実があると思う。
 国家は最終の宗教であるという意味合いは、宗教の最終の形態が国家という形に結実したということである。簡単にいうと国家には規範があり、その規範は本を正せば宗教的な規範から法に転化したものだということだ。
 国家のもとには宗教があり、宗教は地域やその地域の風土に根ざしている。
 氏族的な初源の国家から民族国家、そして他民族連合国家と来て、これからどうなっていくかは自立した国家としての「日本」を念頭に置いているだけではちょっと古めかしいのではないか。
 日本人は先の大戦で、自国の「国家」権力にひどい目に遭わされたと思っている。それも当然で、二発の原爆を喰わされたもともとの原因は、自国の国家(指導者たち)にあるとしか考えられなかった。占領軍のアメリカ兵の方がよっぽどましに思えた。そういうトラウマがあるから、国とか国家についての発言にアレルギーを持っている。頭を使う人たちにはそんな国民の痛みを第一義に考えない人が多い。国民の品性を語る資格すらない。
 
 
   マンガについて
 
 安倍晋三首相が辞任し、自民党の総裁選が始まった。福田康夫と麻生太郎が立候補している。権力闘争には何の興味もない。自民党が適当に決めるがよかろう。
 麻生太郎は、マンガ好きで有名だそうだ。秋葉系のいわゆる「オタク」には、ひどく人気があると聞く。
 マンガを見なくなって、かれこれ二十年近くになるだろうか。それまでマンガ好きだった私は、その頃から本当にマンガを手にしなくなった。自分では気づかないが、内面に大きな変化が生まれたのであろう。同時に、外界や身の回りの環境にも大きな変化があったに違いない。また、漫画家の世代交代、あるいは衰退と、新人たちの台頭など漫画界そのものにも変化があったものかも知れない。
 とにかく、ある時期からぷっつりとマンガを読まなくなった。面白くない、集中して読む気にならない。そんなこんなで遠ざかっていった。
 漫画家でいえば、私はジョージ秋山という漫画家がとても好きだった。それも初期の頃のマンガが好きだったと記憶している。これに比べると、世に高名な手塚治虫や石ノ森章太郎は私にとってはその次ということになる。 赤塚不二夫のマンガも好きだった。
 もっと子どもの頃のマンガでいえば、「赤道鈴の助」とか「いがぐり君」とかいうマンガに熱中していた記憶がある。その他にもたくさん読んだ。「冒険王」、「まんが王」とかいう月刊誌があった。学生の頃には、「少年サンデー」その他の週刊誌が発刊され、金が無くてもとりあえず買って読んだ。
 貸本屋にもよく通った。単行本の全集ものなど、片っ端から読んだ気がする。一時期は文芸書から遠ざかり、漫画一辺倒だった。
 今は漫画からも遠ざかってしまった。時折手に取ってみても、その後が続かない。
 
 
   詰所の中
 
 毎日仕事場である詰所の中で、七転八倒している。理由はない。そういう性格なのだから、と諦めている。
 何が七転八倒なのだろう。実は、その中身はない。ひたすら、今ここにいる、そのことがどうにも気にくわなくて、意識が七転八倒、空転しているというわけなのである。少し誇張して言えば、この仕事に就いて一年、私はそれを繰り返してきた。
 これは結構辛い。刑務所の独房。ひきこもり。私はだからそれらのことに少し同情的である。
 自分の意識の前に正座して向かい合い、意識から目をそらさずにいると、蛇ににらまれた蛙のように今度は意識自体が身動きがとれなくなる。つまりずっと対峙したままで、いつ果てるともない意識を意識するという作業が続く。これには全く意味がない。ここから何か発見があったり、意味あることがみつけられた試しは一度もない。無駄なのだ。そうと分かっていてこの繰り返しを逃れることが出来ない。
 仕事場に限らない。学生時代に部屋に一人という状況の時から、私にはこれが一種の癖となって今日までつきまとわれているのだ。
 きっかけは、私というものの形成に与ってきたすべての衣を脱ぎ捨てて、「私」という純粋な無の中からさらに私というものを形成してみたいという願望からであった。らっきょうの皮むきのように空に突き当たり、空から私を生み出すことなどとうてい出来ないことだと思い知った。にもかかわらず、その無意味な営為だけは私の意志を離れて今も勝手にそのように動き出してしまう。まあ、身に付いてしまったということなのだ。
 灰色の壁に囲まれ、明らかに情緒が干涸らびていっているようだ。癒される何ものもここにはない。花一輪を!
 
 
   身体の衰え、精神の衰え
 
 ここ一、二年で下腹部がぽっこりと出て、両脇もつまめるようになった。明らかに体全体がだれて来たのだ。そういえば頭のてっぺんの方も薄くなってきている。鏡に映る顔も、中老のおっさん顔になっている。
 そのことを意識する意識は、どうも身体のように自身が老いているようには、まだ思えないらしい。意識は、はっきりと視覚で捉えることなどができないからであろうか。もっと、もの忘れがひどくなったりすれば、やはり意識的な働きも衰えていると自覚できるようになるのであろうか。
 意識、気持、心、精神、そういった、脳の機能でそれとして理解されるように理解しているものらは、若い頃と変わりがないように、今も若いつもりのままでいるようなのだ。で、あからさまな身体の衰えにもついて行けていない気がする。鏡を見ても、どうも納得できなさそうだし、このあたりで一念発起してジムにでも通えば、身体的若さは元に戻るような気になっているらしい。
 とにかく、私の意識や心は、今でも若い時代を引きずっていてそこから自由になれないところを持っているらしい。あるいはそれ自体として老いることができないものなのかもしれない。
 鼻歌などは、意識がどのあたりに止まっているかの端的な証明になるかもしれない。今は二〇〇七年になるというのに、七十年代のフォークやポップスが口をつくばかりだ。その頃から上手に歳を取ることができないに違いない。そういえば、文学も青春時代に出会った太宰や島尾や吉本から離れることができないでいる。その後の作家も詩人も関心が持てないできた。どうしてこういうことになるのかさっぱり訳が分からない。私の精神にはその後の成長も成熟もないということなのかなあ。逆にそれが精神の衰え、かな。
 
 
   迷走する家族
 
 二十一世紀の今日にも、盆や正月に都市から田舎への帰省ラッシュが続いているということは、根強い家族への思い、先祖への思いが今も日本人の中に生きているということなのかもしれない。
 私個人は、大変そのあたりが曖昧になってきていると感じる。
 私はこのところ、盆にも正月にも実家に帰るということがなくなってきた。これまでにも、習慣的に、世間の人たちを見よう見まねして帰ったことはあっても、そこに信念のような強い気持は何もなかった。
 両親も、強く招くことはなくなってきたから、ここ数年はつい帰ることをしなくなった。もちろん片道五十キロくらいの距離だから、いつでも会いに行けるという気持から、少しずつそういう具合になってきたという面がないでもない。
 私の息子たちも、東京、愛知と離れて暮らしているが、盆暮れに帰ってこようという気配を見せることはさらさら無いようだ。私は寂しいのだが、やはり、そのことで息子たちに煩わしい思いをさせたくないという遠慮がある。
 先祖や親を敬う気持が強く残っていれば、私は何をおいても帰ってくるように息子たちに強く働きかけたかもしれないが、私は両親が私に対してそうであるように、彼らが今考え、やろうとしていることを中断させてしまうことにためらいがあって、好きに任せようとしている。それがよいかどうか、本当はよく分からない。私自身は、風習とか伝統のようなものから自由であると同時に、どこか切り離されてしまったようで心許ないところもある。病める家族は、病める個人が「自然」に逃れたがるように直近の郷愁にすがろうとする。しかし、そこに理想があるとは私には思えない。数多の事件は家族の迷走を語る。
 
 
   仕事とゲーム
 
 仕事が人生そのものと考える人がいる。私はそうは思わない。実はバーチャルではないかと疑っている。ゲーム以外の何物でもない。そう勘ぐってもいる。
 人生の大半を、私たちは仕事に費やしているといっても過言ではないかもしれない。仕事をし、賃金を得て、私たちは生活を営むことができている。そればかりではない。人生の苦楽そのものが、そういう仕事に付随しているという面も見過ごすことはできない。ならば、やはり、仕事こそは人生の大事、ではないか。
 出世して課長や部長になる。世間的には、その肩書きが、その人を表している。世間はそれを承認し、それらしく遇し、個人がそのことを納得して、その人の姿形、人と成りとが形作られる。めでたしめでたしである。
 だが世間ではそれでまかり通っても、私個人としては少しもそれがその人の価値であるとは思えないし、納得していない。どうでもよいことだが、私は形作られたその部分をもってその人ととは認めることができない。それは世間の約束事の上に立って認めることのできる部分であって、私にとってはただそれだけのことだ。そんなものは人の倍努力したり、好機を引き寄せたり、偶然が荷担したりして手にできた姿形でしかないのだろうと思う。そしてそれが嬉しいのなら、素直に喜ぶがよかろうと思う。
 けれども、それはせいぜい社会に通用している一万円札みたいなもので、それ自体にそれだけの価値があるかどうかは疑問だという同じ意味合いにおいて、私はその価値をあまり信じない。仕事こそ人生というのも、たしかにそう言える面が皆無ではないとも思うが、そう豪語するほどに真理だとは思えない。人生ゲームに一生を棒に振ることとどこが違うか。ゲームを、舐めてはいけない。
 
 
   すべてを疑え
 
 人生は真剣なゲームである。あるいは深刻なゲームである。先に進んだり後ずさったり、推理を働かせたり、勇気ある決断を要したり、心理を読んだり読まれたり、上がりそうになって振り出しに戻ったり。そうして夢中な時間を過ごしている間に、色濃くなった死の影に、やがて怯える。
 といっても、ゲームは所詮ゲームである。人生は所詮人生である。儚いものに違いないのである。自分ひとり、特別だとは思わないほうがいい。
 さて、仮に人生がゲームだとして、そこで私は何が言いたいということになるのか。「しゃかりきになってもしょうがないでしょう」。たしかに、そう言ってみたい。反対に、「絶望してみたって始まらないでしょう」。そういうことも言ってみたい。人生そのものがある意味、仮想現実なんだから。
 そうすると、何もしないでぐうたらに生きるとか、考えすぎない方がいいですよみたいなことを言おうとしているように思われるかもしれないが、残念でした。そんなことはちっとも思っていやしません。正解は、「急がず諦めず、粘って粘って生きましょう」でした。
 体も心も何かしようと、動こうと、考えようと、していますよ。動こうとしている間は動きましょう。考えようとしている間は考えましょう。「私」という檻を取り除けば、身も心も開放されて、動きだし、考えはじめてくれるでしょう。「私たち」は、きっとその後に従って、動きやすく考えやすくなるように、ほんの少しばかり注意を払うだけでいいのではありませんか。
 私の五十数年の人生は、本当に何もない透明な人生そのものだったのですが、振り返ってみれば、常識を疑え、世間を疑え、すべてを疑えで通してきた、そんな気がします。
 
 
   詰所ぐらし
 
 刑務所ぐらしのような詰所ぐらしについては何度も紹介してきているが、この独房がまんざらでもないと思う自分もいる。で、気分んのいい時にはこんなふうに文章を書き、本を読み、詩を書いたりして過ごしている。ある意味、集中できる環境というわけだ。
 仕事の報酬はとんでもなく安くて、生活的にはこんなことはしていられないのだが、一人っきりで時間もたっぷりあるというこの環境はなかなかに捨てがたい。もちろん、報酬がよくて条件のよい仕事があれば、この詰所暮らしは今すぐに放り投げてもよい位には考えている。いかんせん、この年になっての中途採用は宝くじに当たると同じで、むずかしいことだと実感するばかりだ。
 思えば私の詰所暮らしは本当に刑務所暮らしに似ている。何故詰所に入ったか。本を正せば世間に逆らったからだ。小学校教員という、安定した職を、気分だけであっさりと捨てた。いわば、「世の中をなめちゃいかん」というお仕置きをこういう形で受けることになった。規則正しく作業をして一日が暮れる。妻と共働きで、やっと一ヶ月の家計がぎりぎり間に合うかの暮らしである。一ミリの余裕もない。ただただ毎日を繰り返すだけである。 埴谷雄高は、独房で「唯摩教」を読んだと聞いたことがある。私はそれを便所で読破した。全否定の元祖といえばよいか。
 ちらちらと硬質の思想や文学を盗み見してきたが、盗撮画像を覗き見るほどに夢中になれなかった。それでこの詰所暮らしである。もう少し、はちゃめちゃに生きてもよかったのではないかなと反省してみることもある。自分を外に出して生きることに遠慮があった。遠慮しなければならない理由はどこにあったのか。太宰は「こわい神様」と呼んだが、私にもまた私を監視する何かが存在しているように思えていて、それには抗えない。
 
 
   独房的思考
 
 詰所は四畳半程度の広さで、当然殺風景なねずみ色の壁に囲まれ、その中にちょこんと一つ開閉扉がある。天井には蛍光灯があり、明るさは保たれている。
 壁を見つめ、天井を見つめ、他にさしあたってすることがなければ本を読むか書きものをするかテレビを見るしかない。
 今、ぼんやりと壁を身ながら、「意識」というものについて、これもぼんやりと考えていたら、現代人の祖が誕生以来、悠久の時を経て、この私の意識があるという考えが湧いた。別に発見でも何でもなく、ただそういうものだろうなと再確認してみたという程度のことだ。
 意識は言語を生じ、言語は意識を意識できるところまで高めた。で、たぶんこれが他の生き物と人間とが大きく違うところの一つであると思う。
 さて、この意識という奴は、殆どの人が持ち、同時にその内容は一つとして同じではない。地球上には今、何十億という人間が意識をもって生きているわけだ。で、いろいろなことを思っている。そしてその一つ一つは働きを失い、やがて消えていく運命にある。だが、同じく新しい意識というものが生じ、総体としてあまり変わらない意識が依然としてこの地球上にはあり続けるだろう。
 個別の意識は消えるが、全体としてはあり続ける。
 私の意識は私のものかという問題がある。自分や周りを見ると、どうも自分の意識は自分のものだと思いたがっているような気がする。それには違いないが、同時に先に述べた悠久の時を経てきたものが私たちの意識の土台を形成しているという面も否定できない。すると、私のものであって私のものではないことになる。だが、やがて消えていくことを思うと、意識はそれを不安に思うらしい。
 
 
   独房的思考 その二
 
 意識だけを取り出して考えると、個においてそれは連続的に進化し続ける。まあ、単純にそう考えておく。だが全体としては非連続で、しかし非連続ながらこれもまた進化し続けると考えてよいだろう。進化とは言語を生み出しそれを自身活用していくことに他ならないが、それは累進的に加速する。
 個において意識は威張っている。意識は意識の中で自身こそがすべてだと主張したがる。俺という存在の実体は意識なのだ、と意識は意識する。このあたりがどうも疑わしい。
 しかし、他人とはいつもその人の意識として私との関係を関係づける存在であって、私に語りかけたり、無視したり、私を怒ったりはその人の意識がそれをするのである。私は彼の行動や態度から、彼の意識の存在と現在の彼の意識の様相とを認め、また把握する。 身体に助けられながら、私たちは意識的関係として関係づけられている。だから、この場合、他者との関係は意識が介在した関係である。対人間に限らない。私たちにとってすべての関係は、意識することによってはじめて関係として意識される。
 生きるということは、私たちにとって意識と不可分の関係にある。私たちは意識的に生きている。そうである以上、私たちにとって生きるということは、無意識をふくめ、意識的であり続けることに他ならない。
 意識を失うことは、意識にとって死ぬことに均しい。それは人生のすべてを失うことだ。死によって全てを失うとはその意味である。 人間はと言うべきか意識はと言うべきか、そのことがとても気にくわないらしい。死ぬことすなわち意識的な全てを失うことが、どうにも承伏しかねるようである。見て、感じ、考えること、その世界を離れがたく思う。それはまた、意識のはたらきの一つであるのかもしれないらしい。
 
 
   独房的思考 その三
 
 倫理的な意識というものがあると思う。私たち日本人について考えてみると、倫理的な意識の形成は、知られる限りまず仏教に、そして次に儒教に、影響されてきたように思える。日本に仏教が伝わる以前は、では倫理的な意識は未明のままだったかといえば、そうではないだろう。ただ、もう少し緩やかで、おおらかでというように形成されていたように思える。おそらくそれまでは倫理的な意識の「太古」があったに違いない。
 その「太古」とはどういうものか。それを考えるには逆に、仏教や儒教に影響を受け、今日に日本人の意識の水脈に受け継がれてきた倫理意識について考えてみなければならない。それはたいへん窮屈な狭苦しいものになってきているのではないかというのが私の考えである。
 私にとって、「太古」はそれを開放する。それは硬直化していない、伸びやかで、しなやかで、おおらかな倫理意識であるということが出来る。
 仏教は儒教はインドや中国の教えであり、思想である。それらが生み出されるには、それらの国々に生み出されるべき事情が生じていたに違いない。日本にそういうものがなかったのは、当時の社会にそういう考えの必要が生じていなかったのであろう。人口の少なさや集落の小ささなど、大陸とは条件を異にしていた。仮に文化度が低かったにせよ、それは逆に生存の条件があまり厳しくなく、割と平和的に暮らしていたことを意味するものかもしれない。
 仏教の伝来以後、儒教が伝わって以来を漠然とながら考えてみると、戒律が人間をしばり、自分が自分を戒め律する、そういう具合に人間的意識が展開するようになってきたと印象される。近世の武士の切腹もその延長にあり、これは完全に倒錯に至ったと言える。
 
 
   独房的思考 その四
 
 倫理的な意識の形成は、より人間の人間らしさとでも呼ぶべきものを形成することと、基を同じくするものであるかもしれない。少なくとも無関係ではなかったに違いない。
 その意味でも、いたずらに否定すべきとは思われない。しかし一方で、どうして私たちはこんなに窮屈な倫理意識に縛られなければならないか、疑問に思う時もある。つまりそこでは倫理意識の過剰さが意識されているのだが、それは私たち人間の出力、たとえば行動や思考にブレーキをかける働きかけをしてくる。私たちが時としてそのことに窮屈さを感じるとすれば、私たちの存在自体が決して倫理的な存在であるとはいえないところに起因していると思われる。
 私たちはどうも見かけ的には他の生き物、たとえば猿たちと遠くかけ離れた存在とは見えない。それらの生き物たちにはしかし、人間が持つような倫理意識はおそらくは形成されてはいない。そしてそこでは、あるがまま、なるがままに生き死にを繰り返す、宇宙自然の厳然とした無意識が支配する世界があるだけだ。人間といえども本当はそこから逸脱できるわけではない。他の星からうかがえば、地球上をせかせかと動き回っている生き物の一種類でしかなく、個々に倫理的な意識が働いているなどとは分かるわけもない。
 私は遠い祖先に郷愁を感じているのであろうか。そしてさらに、この体内にはるか昔に別れた他の生き物との共通の歴史的記憶の痕跡を感じとり、退行的になっているのだろうか。つまりは、この意識を捨てたい、と。
 もちろん、そんなことは夢物語の一部に過ぎない。そうではなくて、人間的でありながら、太古の、もう少し原初的な存在に添った倫理というものを構築できないかと問うているのだ。張り巡らされた法の網の目から、人間の初源を回復したい思いが、強いのだ。
 
 
   独房的思考 その五
 
 ドストエフスキーの「罪と罰」におけるラスコーリニコフのように、若い日に屋根裏部屋的思考に耽溺した覚えがある。動機や理由のない殺人が、最近この日本の社会の中にも聞かれるようになり、その作品の先見性にあらためてすごさを感じた。私などが部屋にこもっても、どちらかといえば異性への思慕の念に悶々として、妄想の類を盛んにしていただけだが、近頃はかの主人公ほどに思い詰める若者が多くなったということかもしれない。
 殺意に近いものが瞬時心に閃いたことはあっても、私はラスコーリニコフのように殺人願望にまで考え詰めることをしたことがない。どちらかというと自死を考える方のタイプだ。 ただ、同じく今自分がおかれている状況から抜け出して自由を得たいという衝動が、どちらにもありそうに思える。
 独房のようなこの詰所で私は今、現在の状況から逃れ出ることを考えてはいるけれども、それは実行可能な生活面でのことであって、前述の逃れ出ようとする思いとはまた別の次元のことである。先の話の続きでいえば、私は今逃れることは不可能であるし、逃れたい思い事態が何かチャンネルの掛け違いに過ぎないというような気がしている。それは自分の意志であるようでいて、自分の意志ではない。何かから強制される意志なのだと思える。それに抗うことが、私にはいまとても大切なことだと思える。
 とは言っても、私にしても、いつなんどき法を犯すようなことをしでかさないとも限らない。意識が意識として耐えられなくなった時はどうなるのか。
 意識とは意識にとって一つの檻であるという側面を持っている。この檻は外界と内面と、要するに雑多なものが混在して檻となっているのだが、これが意識を形成し、また意識の自由を阻害することにもなっている。
 
 
   天の邪鬼、的
 
 働かない若者が増えている。二十代から四十代までと層が広い。若者といえるかどうか。 パート、アルバイト、フリーター、ニートと正社員になれない、ならない。そんなことでいつまで暮らしていけるのか、生きていけるのか。学校の先生が勉強のできない子を案じるように、案じるむきも多いだろう。余計なお節介である。多国籍軍であり、国際治安支援部隊である。自国の国民はよっぽど不満や文句がない国なんだろうな。
 私は、両親の願いに背くように生きてきた。特に、要所要所でそうであった。自分の子どもにも、だからああしろこうしろとは極力言わないようにしてきた。そして太宰治の「子どもより親が大事と思いたい」のことばを範として、弱いのは自分だ、ダメなのは自分だ、と考えて、自分を高めようと自分に向き合ってきた。それなのに私はちっとも立派には成れないし、他人や社会の役に立つようにも生きられないでいる。人様にあれこれ言えるような立場ではないのだ。
 若い時から、どういうわけか漠然と辛く寂しい道を行きたいと思っていて、今そういう道を私は歩いている。というか、そんな気がしている。気がしているだけかもしれない。いずれにせよそんなわけで、息子たちが、やはり私の目から見てそっちに行かない方がいいと思える道を歩み始めたとして、私はやめろとはいえない。思うように生きてみるしかない。私はそう思う。だから世間の若者たちにも、社会の役に立てなどと偉そうなことはいえない。
 負け組と一口に言うけれども、負けることがそんなにこわいかと私ならば思う。価値を低く見られることがこわいか。役に立たないと言われることがこわいか。私はこわいと思い、そう思うことが癪でそれに抗ってやれと決め込んだ。天の邪鬼、なのだ。
 
 
   パチンコは遊びだ
 
 パチンコは遊びだ。仕事にはならない。稼ぐことはできない。金を払って、もしかすると儲けることができるかもしれないと、夢と知りつつ、夢を抱いて時間を過ごす。終わってみればしこたままき上げられて、ハイ、それで終わり。
 何度も繰り返してきて、さすがにいい加減もう足を洗ったらどうだと自分に言い聞かせる。そう、やめた方がいいに決まっている。でもこれがなかなかやめられない。煙草がやめられないのと同じなのだろう。どちらも脳が介在していて、止められなくなってしまっているのかもしれない。と、脳に責任を転嫁すると、少し気が楽になる。
 この頃、一玉一円の店に行くようになった。普通は一玉四円であるから、同じ玉数でいえば四分の一の貸し玉料金である。また同じ料金だと四倍の貸し玉数となる。これは安く遊べる。これなら大当たりが来なくても今までの四倍の玉を投入できて、相当粘って打ち続けることもできる。その結果、その後の大連ちゃんを引き寄せることも夢ではない。
 そう思って打ち続けるが、店側も考えているのだろう。なかなか粘っても大当たりが遠い。さらに当たっても一回や二回で終わることも少なくない。さらに、換金率も四分の一かそれ以下のために一箱が千円にしかならないのだ。一玉一円の店だと一箱で六千円くらいになるから、六千円を取ろうとすると六箱分大当たりを当てなければならない。余程いい台でないと、そうはいかない。安く遊べると思ってつい足が向くが、そして、たしかに一度に使う金は五千円以内と少なくてすむが、結局は負けて帰ることが多かった。パチンコ店も新台の設備投資をふくめ、経費の回収を急がなければならない事情もあるのだろう。そうである限り、当分、客は勝てる見込みのない遊びとして打ち続けるしかない。
 
 
   生活
 
 目指す生活とは何か。朝起きて顔を洗う。妻とおはようの挨拶を交わす。二人で軽く掃除をして、朝食を作ってそれを食べて片づける。二人仕事に出かける。仕事場で、明るく元気に、てきぱきと仕事をこなす。周囲から、よくやっているなと認められる。気持ちよく仕事を終えて帰宅の道につく。
 帰ったら一杯の茶を夫婦で飲んで、それから簡単な部屋の片付けをして、掃除機で隅々までほこりを取る。きれいになったところで、飲み物を片手に台所に立つ。冷蔵庫を開け、あるもので何を作れるか、ひらめいた料理を作り始める。ささっと三十分で作り終える。テレビを見ながら、会話を弾ませ夕飯を食べる。食後にお茶を一杯。少ししてコーヒーを一杯飲む。それから片付けをして茶碗を洗う。台所をきれいにする。
 ぼくはそれから一時間ほど自分の時間として読書をするか書きものをして過ごす。何ものにも代えがたい無償の時間である。妻は洗い物の整理か、繕い物をする。
 休日は夫婦で庭の手入れである。草をむしり、植木の形を整えたり、花や樹木に肥料を施したりする。縁に腰掛け、ゆっくりお茶をすすったりする。前を通りかける人と挨拶したり、二言三言会話を交わす。
 午後から映画を見に出かける。サスペンスもの、アクションものでいい。見終わったら隣のショッピングセンターでゆっくり買い物をする。少し余裕のある時は店内にある飲食店で食事をする。
 ざっとこんなところかな。こうして書いてみると、中高年の夫婦としてはどこにもありがちなたわいのない生活の一こまだ。
 けれどもぼくにはとてつもなく遠くにある夢のまた夢のような話だ。その気になればできそうなことが、自分にはどうしてもできない。生活不能者ではないつもりなのだけれど。
 
 
   生活 その二
 
 どうしてそういうことになるのか分からないが、仕事を終えて家に帰ると、ぼくは家を抜け出したくなる。休日の日には、妻が家にいてもいなくても、とにかく家のことは放っておいて外に飛び出したくなる。家にじっとしていることがたまらなく辛くなるのだ。
 閉塞状況。家にいると一気に何かが襲ってきて、ぼくの意識は身動きがとれなくなる。糸の結び目が何重にもこんがらかって、ほどこうとすればさらにこんがらかる、そんなときの精神状態に一足飛びに陥ってしまうといった感じなのだ。
 そうなってしまう大きな原因の一つは、金がないことであることははっきりしている。金がないために、すっかり余裕がなくなってしまった。
 金。そう言い切ってしまうと、それはそれで何か嘘が残るような気がする。
 若い頃は同じく金がなかったが、妻と二人でいるだけで楽しかった。その頃はぼく一人の働きで何とかやれた。妻は家にいて、掃除洗濯炊事を担当した。ぼくは帰れば風呂に入り、飯を食うだけだった。
 焦り。やはり金がないことから来る焦りなのだろうか。金があってもこの焦りのようなものはぼくを襲うのだろうか。
 金に窮しているのは長く勤めた仕事をやめたからだ。小学校教員として、その建て前的な生活に嫌気がさした。本音と建て前を使い分ける生活の器用さがなかった。本音で通したいと思いながら、その世界に在り続けることは非常に窮屈なものとなっていった。金魚が水面に浮き上がるように、ぼくは水面に浮き上がり、終いには教育界という水槽から飛び出すことになった。だから、元々の原因は、ぼくの生き方や考え方にあったのだろう。日々に心を切り替えて、生きていることの楽しさを自分に言い聞かせたいのだが・・・。
 
 
   独房的思考 その六
 
 埴谷雄高について、どこかに名前くらいは書いたことがあるような気がする。実は私にとって、奥底の方で心惹かれ続けてきた文学者である。彼の作品はほんの一部しか読んだことがないのだけれど。
 純粋培養の独房的思考。埴谷に対する私のイメージはそういうものだ。自同律の不快。彼のことばであるが、このことば一つで私の思考はさらわれた。自分の存在に対する根源的な不快感。そういうものが私にもあった。 私はしかし、そういう方向に突き詰めることをしなかった。世界との和解、共生を探ろうとしてきた。不快に、目をつむってきたのだ。なんにしても、突き詰めることは苦しい。 埴谷雄高の目線は、ひとつは政治を通して社会に向けられ、いまひとつは意識そのものに向けられている。私はここで、埴谷を論じたいのではない。意識というものを考えてみたくて、そういえば先達としての埴谷雄高という存在がいたなあと思い出したしだいである。ついでに、島尾敏雄について考えているところでもあるので、意識について、島尾と埴谷の接点という形で見ることができないだろうかと思っているところだ。
 意識というものは厄介なものだ。死ねば消える。死んだことがないので分からないが、たぶんそうだ。ところが私たちにとって、この意識こそが私たちなのだ。つまり私たちのこの意識は、私たちは意識的存在なのだと主張している。意識は、脳の働きのひとつに過ぎないといえる。意識を失っても私たちは私であるといえるか。意識はその時失われているから「私」を主張できないが、他人から見れば、「私」が意識を失っているとしか見えない。その時私はあり続けている。他者に対しては身体が、その存在の形を持って「私」を主張していると言っていい。どうもこのあたりがごちゃごちゃして、目眩しそうだ。
 
 
   独房的思考 その七
 
 平和とは何か。それは私たち個が、意識の呪縛から解放されることなのか。そういう疑問がひとつある。心の平穏、意識の平穏。日常において、それを感ずる場面、あるいは時間は、限られているような気がする。
 私たちの意識が活発に活動している時、どうも平和とか平穏とかとは結びつきにくい。それは私だけの感受かもしれない。意識が休む時、眠りの時、私自身は一番安らかな時ではないのか、と私は思う。そう考えると、死は恒久的な安らぎである。
 平和とは、意識が平和であると意識するから平和なのであろう。戦争とはかけ離れた日常生活を送っていても、気持が平和と感ずるのでなければ個にとっての平和はない。目に見えない諍いは、もしかすると個の内部に渦巻いていないとは言い切れない。心配事が心から去らない時、私たちは本音ではその時が自分にとって平和だとは思えないに違いない。 意識が休める状態。それは意識の習性からいって平和な状態を指すに違いない。意識はぼんやりとして過ごすことができる。戦争の渦中にあっても、意識がぼんやり過ごすひとときがあれば、その時意識は平和と感じることができるかもしれない。
 私はときおり意識が邪魔だと感じる時がある。それはこうして詰所にいる時などに感じることであり、意識が邪魔だと意識しているということになるのであろう。何故邪魔と感じるかというと、意識は意識しようと思うから意識しているのではなくて、コントロール不能の面があるからだ。今、考えたいわけでもないのに何かを考えている。それがなんだかうるさく感じられる。そんなとき意識がふっとなくなってしまえばいいと思うことがある。自分の意識で意識を無くすことはできない。私が主体で意識を行使しているのか、意識が私を捕まえているのか、分からなくなる。
 
 
   それでも、ギャンブル
 
 少ない生活費をつぎ込んでパチンコをして、挙げ句の果てに借金を重ねるひとが多いそうである。テレビでそう言っていたのを聞いた。他人の話として笑ってはいられない。明日はわが身、いや、今日のわが身かもしれない。それくらい自分にとっては身近な話である。 パチンコして何が悪いか。そう思ってきたし、そう言ってきた。ただし、限度があるだろう。それを前提としている。貸金業者から金を借りてまでやってはいけない。そう思う。そう、自戒している。時々ではあるが、それでも借りてすぐ返したらどうかくらいのところまで考えたことはある。気が弱いから実行できない。できなくて正解なのだと思っている。煙草を止めないように、パチンコも止めない。そう思ってきた。同じように、煙草好き、ギャンブル好きに対して、どことなく連帯意識を感じてきた。それをやらない人たちには分からないだろう。分かってもらおうとも思わない。
 自分は弱い人間である。それは否定しないし、それを自慢したいわけでもない。煙草やパチンコは、一時的にではあるがぼくを救ってくれることがある。誰にも相談できない、孤独に耐えるほかない状況の時に、煙草を吸い、パチンコをして、何とか自分を持ちこたえたという事実がある。人によってそれは草花であったり一人の友だちであったりするのかもしれないが、いずれにせよ個人にはそういう何かがあり、そういう事情を考えるならば個人の嗜好や趣味的なことにとやかく口を挟むべきではない。
 残念なことだが、パチンコがさらに個人の生活を破綻させてしまうものになってしまうことに、とてもくやしい気持を持つ。やっぱりギャンブルは悪だといわれてしまう。ギャンブル好きは、本当は根が優しく気が弱いはずだ。だから早く人生を枯らす。
 
 
   それでも、ギャンブル2
 
 ぼくの知っている限りでは、パチンコ好きには余裕のない人が多い。金、心、両面に余裕がない。あるように見えても、無い。
 ぼくの場合は、金があれば、と思うようになってから加速した。乱暴に言えばそういうことだが、もしかしたらもう少し丁寧に言った方がいいのかもしれない。
 子どもの頃、どちらかといえば生真面目だった。これも丁寧に言うと、手を抜くことが下手だった。勉強やスポーツも、根性ものほどの一徹さはないものの、そこそこに頑張っていた。高校三年生になって、勉強の手を抜いた。落第するくらいの成績まで落ちた。ここから大学へと、勉強面では手を抜かずに落ちることに専心したと言ってもいいかもしれない。卒業して就職し、仕事漬けとは言えないが、そこそこに真面目な仕事ぶりだったと思う。内面的にはいやいやなところもありながら、どうしてもごまかしてさぼるというような要領の良さが身に付かなかった。それは教員を辞める数年前まで続いた。三つ子の魂百まで、というところがあったように思う。 そういう変な自縛するものがあって、煙草を吸ったりパチンコをしたりということの中には単に遊び的な要素を越えた、自虐的な色合いも含まれているような気がする。いいと思っているわけではないが、悪いと思っているわけでもない。善いとか悪いとかを考えてしまうそのことが、いやだなあとか、そういう思いから抜け出したいなあとかを考えさせているように思う。
 軽快に明るく落ちこぼれていく、その中で、次々と襲ってくる不遇に毅然として立ち向かう。それが何となく自分にとっての理想、原生的な意味合いでの理想と断った上での理想のような気がしている。
 それにしても自分はややこしい病気にかかっていて、治らない病気という気もする。
 
 
   求めない、勝たない
 
 テレビで萩本欽一が、「損をするタイプの人間」について語っていたのをたまたま見た。前後に斉藤清六の名前が出ていて、斉藤もそういうタイプのひとりという印象で聞いた。なるほどと思った。ぼくもどちらかといえばそういうタイプに入るように思う。いや、そう思ってこれまで暮らしてきた。「損だなあ」という思いを度々味わってきたという気もしている。しかし、ぼくはどこかで「損をする」ことに抵抗してきたところがある。「すっかり損をするのはいやだ」、そういう思いがあった。斉藤清六という名前を聞いて、ハッと思った。要するに世の中にはぼくよりも無器用で、「損をするタイプの人間」はたくさんいるだろうことにあらためて思い当たった。
 先日、運転していた車で右折しようとしたところに、右からの直進車がぶつかってきた。ぼくの印象ではそうだが、保険会社では直進車の優先ということで、はじめからこちらが悪いものと決め込んで交渉に当たっているようであった。
 交差点の停止線に止まった時、前方からの直進車が一台すでに停止していた。何台か続きの左右の車がぼくと同じくらいに停止線で停止し、前方からの車がまず交差点内を通過した。ぼくは右折だったので一呼吸おき、左右の車を通過させてから出ようとした。左右の車が通過し、並んでいた次の左からの車が停止線でしっかり停止したのを確認して、右からの車も同じタイミングで停止するだろうと考えゆっくり発進した。ところが右からの車が停止するどころか近づいてくる。まさかと思いながら、しかし右からの車がどんどん近づいてくるのでブレーキを踏んだところに相手の車がぶつかった。これを説明して分かってもらうのは骨が折れる。相手の言い分も別にある。欽ちゃんの話を聞いて、損をしてもいいか、と考えるようになった。
 
 
   社会の嘘、教育の嘘
 
 教育を行うことは、一般的に、尊いことだと考えられている。教育者は知識や技能を教えるだけではなく、人格者でもなければならない。公的な教育の場では、特にそのことは大事だとされる。錯覚であり、誤解であろう。かつて小学校の先生をしたことがある私は、別に人格者でもなんでもなかった。また同僚や諸先輩にも、求められるほどに立派な人格者のモデルになりそうな人を見たことがない。だからどうしてもそんなものは活字の上でのトリックだとしか思えない。たしかに活字の中では、人格者としてこういうことをしたとその立派さが描かれるが、そこに描かれるのは彼の生活のほんの一面であり、全貌をうかがうことは出来ない。表面上の行いや功績をたたえることは容易い。どこから見ても非がない人などこの世にあり得た試しはない。
 教育上、熱心な先生たちは過去にいくらでもいたに違いない。しかし、成育歴も教育歴も違い、当人を取り巻く諸条件も違う。どうあがいても皆が皆「求められる教師像」に近づけるとは考えにくい。けれども、「求められる教師像」は、暗黙の押しつけとして個々の教員たちに働きかけてくるようになる。私の知っている世間は、そのへんをうまく利用し、突いてくる。人間はこう生きなければいけない。先生はこんなふうに努めなければいけない。子どもの頃、私たちは「こうしなければいけない」ということばかりを聞かされてきたような気がする。しかし社会に出て、人間は学校で教わったようには生きていないじゃないかと思った。教わったことは嘘だと考えるようになった。その意味では先生たちも「求められる教師像」のようには生きられないので、その実態や現実の姿から、あるいはそういうものだというところから制度も含めたすべてを変えていかなければならないのではないかと思える。
 
 
   お飾り
 
 日本の中世の思想には、人間は自然の一部に過ぎず、自然のお飾りに過ぎないとでも言えそうな考えが滲んでいると思う。
 人間は短期に生き死にを繰り返す、非常に儚い生き物である。これに比べれば、自然は堅固で周囲に実体として存在している。この世界は自然が主であって、人間は従として存在しているだけなのかもしれない、と考えられてでもいたのではなかろうか。
 人間社会は、自然という実体から見れば、やはり従ということになると思うが、個人としての人間から見れば主と考えるほかにない。個人はそこでも従の立場にあり、そこに基礎をおくからこそ「公」を優先する考え方が支配的になったと思う。その基礎は、独特の日本的な自然観にある。
 日本の自然自体が独特であることもそうした考えに与ったかもしれない。何しろ植物の繁殖、再生が尋常ではない。自然には、かなわない。そういう考えが日本人の心を占めてきたとしても少しでも不思議ではない。
 この世界において私たち人間は主役でも準主役でもなく、脇役の、それもその他大勢の中の一人に過ぎない。料理でいえば添えられたお飾りであり、刺身のつまの類だ。
 現代に生きる私たちにはこういう考え方には抵抗がある。義務教育でも、生命の尊厳や個人の権利を教わってきている。個人の生命は何よりも尊いとか、地球よりも重いとかのことばさえ聞いたことがあるように思える。 しかし、現実というか実社会では、これが混交して統一されていない。「公」は「滅私」を求め、「私」は「滅公」を求める。挙げ句の果ては何がなんだか分からない世の中になった。敗戦時、滅私奉公や神風特攻が反省され、時に乗じて欧米型の「個人尊重」の民主主義が移植されようとした。結果、免疫不全を生じて、内側から苦しむことになった。
 
 
   時代は良くなっていく?
 
 食品の偽装、偽表示が問題になって大騒ぎになっている。この大騒ぎを演出しているのはテレビ、新聞などのマスメディアだ。「嘘」は徹底して叩く、この報道のあり方は不気味だ。この不気味さを感じさせる背景を考えてみると、報道する側の、「無人称」「無人格」「無人間性」、つまり、それを主張する主体が見えてこないところに起因すると感じられる。誰が、何のために、こんな「絶対の正義」を声高に主張するのかが、見えてこない。
 嘘をつき、そう行動するのは、人間だからだ。当然、報道に携わっている人たちの中にもたくさんの嘘つきがいるに違いない。経験的に言えば、全員が嘘つきに違いないと私などは思っている。嘘をつく人間であれば、嘘をつかねばならぬ事情があったことや、それがばれて後悔する気持ちを理解できる。糾弾するにしても、本能的に限度を知って抑制する。昨今の報道にはそれがない。毎日、毎日、その問題を取り上げてバッシングを繰り返す。人間であれば、自分の嘘は棚に上げて他者の「非」ばかり繰り返して叩くことはできない。本能的な行動抑制や反省が起こるからである。報道のあり方を見ていると、非人間的な「正義」が一人歩きしているように感じる。これは、私には怖い。
 しかし、このような執拗な報道のおかげで、食品偽装や賞味期限の表示の嘘が無くなり、ついでに社会から煙草や酒もなくなり、「健全な社会」ができあがっていくのかと思えば、「メデタシ、メデタシ」である。そう強烈に皮肉るのは、実は私ではなく、養老孟司さんである。十二月十四日の河北新報に、「これからもどんどん時代は良くなるだろう」という意味の文章が載っていた。良い時代。なるほど文句のつけようのない、良い時代ではあるのでしょう。でも養老さんの真意を代弁すれば、これは病的な時代ということだと思う。
 
 
   私にとって美とは何か
 
 心の中の花一輪の美しさを私は大事に守り続けてきた。こう言うと何か気障なようだが、たぶんそんなことでいいのではないだろうかと思うところがある。独房のようなこの詰所に、私が居続けているのはそのためではないのか。自分自身に問うて、それ以外に世にこういうあり方を耐えていける理由が私には見つからないように思える。
 五体不満足、不治の病、環境の劣悪、いろいろな不遇があり、その中でしっかり生きている人もいるはずだが、その人たちを支えているものも、もちろん他者ということもあるだろうが結局のところ自分の内面に自分を生かす支えを持っていなくては適うまい。そしてやはり、心の隅に何か光るものがあると感じればこそ生き続けられるのではなかろうか。 私が不遇をも顧みずに大切に守り続けてきた何かを、いま仮に花一輪と喩えてみたが、本当はそれが何かはよく分からない。そして自分では美しいものだと思っていても、他人の目から見ればそれほどのものでもないということはあり得る。有るか無しか、あるいはダイヤか石塊か、よく分からないものに、ともかくも私は人生を懸けてきた。人生を棒に振る、そういう覚悟を人知れずしてきたと言ってもよいかもしれない。
 そんなもの、うっちゃって構わないと考えた時もあった。要するに自己愛に過ぎないではないかと。そしてたぶんそれはその通りに違いないのだと思う。しかし、自分はどう生きればいいのだと、自分はどう生きたらいいのか、と思い迷う時、その内面にある小さな光の輝きは決まって私の向かう道筋を示してくれていたと思う。人はそれを愛といったり、善と呼んだり、人間らしさと語り合ったりしているものの核にあると考えるのだが、無器用な私は表に現すことを躊躇して、どこまでも隠し通し続けてきたという気がする。
 
 
   再び、美とは何か
 
 私が死ねば、内面に咲く一輪の小さな花など、ともに跡形もなく消えてしまう。どうしてそんなものに一生を棒に振らなければならないか、自分にもよく分からない。ただ、遠い遠い未来に、人類はそれを大輪の花としなければならないし、すべきだと私は思っている。そのために、いま何としても大事に守り続けなければならないと、理由とか根拠とかは示せないが、私は考えているようだ。
 こんなこと、まともに語りかけるなど、以前なら気恥ずかしくてとてもできないことであったが、もうそんな抑制など解いてもよい頃だという気がこの頃してきたので、この冗舌がある。
 私の中の密かに暗闇の中に光り輝くそれは、はじめから私の中にあったものではない。おそらくそれはこの世界にあって、肉親を含めた他者から、少しずつ少しずつ与えられてきたものかもしれない。種がまかれ、水分や養分を注がれ、そして私はそれを見守り、枯らさないようにしてきた。他者のそれに感応し、他者のそれを守り通してきたと言いかえてもよい。あるいは受け継ごうとした。
 私が私の中のそれを枯らすことは、他者のそれを枯らすことと同じだ。枯らせないし、私は不遇だからという理由で、死んだりできない。そうはいっても、それは当てにできない信念と同じで、明日どうなるか本当には分からない。そんな程度の弱々しいもので、影の薄いもので、華奢なものといえる。そしてこういう事は滅多にしゃべらない方が賢明なことだ。けれども私はいまあらためてそれは美しいものだという気がしている。こういうものを無くしたら私は動物のように生きるほかないと思うし、あるいは欲望に捉えられて欲望の赴くままに生きるほかないと思う。もちろん、そういう生き方をしたっていいとは思うのだが、それが私を許さない。
 
 
   人食鬼
 
 国際競争の激化。これは経済における戦争であろう。主体は企業で、勝ち残るためにコスト削減が強いられた。仕入れを安く、材料費を安く、下請けを叩き、それでも足りなくて人件費を削る。
 人材派遣会社からの派遣社員。これは企業にとっては人件費が安くつくメリットがあり、求職者側に立ってみれば、とりあえずは働き口が見つかりやすいということで、こちらにもメリットがあるといえば言える。
 日本の社会は坂道を転げ落ちるように、一気に人件費の抑制の道になだれ込んだ。契約社員、アルバイト、パート。正社員の採用などは馬鹿馬鹿しくて、経営する側からは考えられなくなったのではないかと思われるくらいだ。どんなに賃金が安くても、働く場所がないよりはいい。働き手は雲霞のようにどこからでも湧いてくる。
 私は経済学者でもないし経済を勉強したこともなく、かえって経済には疎い人間だが、このような有様を見て、人が人を喰い始めたと思いなされて仕方がない
 人を喰うことは暗黙の内にタブーとされていた。仮に喰ったことがある者がいたとしても、口をつぐんできた。闇の世界に押し隠してきたと言っていい。
 現在はタブーも何もない。人肉を喰らった。大変美味であった。それが経営者たちに一気に広まって、こぞって人肉を喰らうようになった。こんなに旨いものを食べたら、手放したくなくなるに決まっている。市場の原理。低賃金。法がそれを認めているのである。
 さすがに大企業の経営者たちには反省の色もある。だが時すでに遅しで、人肉を喰らう鬼たちは社会に蔓延している。喰われる方も実は家畜化して為す術がない。魯迅を思い出す。飢餓状況を強いられた戦時の兵士を思い起こす。現在の人喰いは、いっそう不気味だ。
 
 
   人食鬼2
 
 人を喰って平気である。あるいは人を喰っていて、人を喰っているという自覚がない。まさか自分が人を喰っているなどとは、誰も思ってはいないのである。にもかかわらず、この社会は人喰い社会と化している。何をもって人喰い社会というのか。その根拠は至って薄弱である。私の感覚がそう捉えているというに過ぎない。
 私がそう感じるのは、経済における人件費の削減に端を発している。コストの削減から人件費の削減に向かうことは、経済にとってあまりにあたりまえのことなのに違いない。けれどもこの過程で、何かがぷつりと音を立てて崩れたような気がしてならない。言ってみれば、経済の法則が市場から人間性というような曖昧なものをすっかりと断ち切ってしまった、そういう感じが私にはしているのである。元々そんなものはないと言われても私は経済のことなど知らない。私はただ、これまでの「経済」の主体が「人間」であったのに対し、「法則」がそれに取って代わろうとしているように見えるだけのことだ。その兆候が見える、というのではなく、もはやその現象が至る所に発しているように思える。
 人を喰っているのはだから人のようでいて人ではない。社会というシステムが人を喰い始めている。人間を犠牲にして「経済」を成り立たせようとしている。私にはそう感じられる。そういう社会が到来し始めている。
 働いているのにいっそう貧しくなっていく。働こうと思っているのに、働き口はやっと生きて行くことが出来る程度の働き口しかない。こういう現状に世間が気づいて、最低賃金の引き上げや、パート労働者などの正社員化が検討され始めている。だが、労働市場からいったんかき消された「人間性」のようなものは、もはや二度と以前のような位置を取り戻すことはあり得ないのではなかろうか。
 
 
   人食鬼3
 
 人材派遣とは、極めて合理的な形態である。必要な職場の必要な職種に、適切な能力をもった労働力を供給するということ。資格や能力をもった個人は登録をし、資格や能力に応じた勤め先を紹介してもらう。雇用主からすれば、自分のところで必要な人材を必要に応じて紹介してもらうことが出来る。期間は一年などと規定されて、相互に不服がなければ更新して期間延長もあり得る。派遣業者は労働力を適切に売買することによって自分の収益とすることが出来る。下手な紹介は出来ない。そういうリスクももちろんある。
 こういう形態が、現在盛んに行われているということは、雇用者にとっても労働者側にとっても何かしらの利点があるからに違いない。一方に利点があり、一方には不利だというのであれば、一時的でなくこんなに盛んであり続けるというわけにはいかないであろう。だから、ある意味で理想的な形態であるという含みも感じられる。これにはしかし、「仕事」というものに関しての新たな地平という意味合いというものも感じられる。合理的に、直線的に、仕事の目標が達成されるということ、それに向かってこういう形態が発案されたものなのだろう。少しずつ、「仕事」そのものにゆとりとか遊びとかの部分がなくなっていきそうな気がする。雇う側がすべてこういう形態、姿勢を取るようになると、能力などの点で条件が合わないものは「仕事」から疎外されていくようになるのではなかろうか。つまりこの形態になじまないものは永久に「仕事」にありつけないということになるのかもしれない。従来は、雇う側にも若い人材を育てるという余裕があった。それはなくなっていく。こういう社会では誰かが犠牲になることは目に見えていて、そのことを一顧だにしなくなる。人間社会から人間らしさが消えていく。それを私は人喰い社会と言う。
 
 
   いずれ、楽になる
 
 若い頃にもあったが、この年になっても、情けないこととは思うが死にたいと思う時がある。「いずれ、楽になる」。養老さんの書いた文章を読んでいたらこんなことばに出会った。なるほど。急いで死ななくても、そのうちに死は確実にやってきて、現世の四苦八苦は感じないですむようになる。要するに時間の問題だ。そう思って少し気が楽になった。今すぐに楽になりたい人もいるであろう。私もどちらかといえばすぐにでも楽になりたい怠け者だが、もうちょっと待とうか、それくらいのことは考えられる。まだ、少しのゆとりは残っているのかもしれない。
 いずれ楽になるという言い方には、この世に生きている間には楽というものがないという考えが含まれている。生きるということは四苦八苦するということであり、なりふり構わずのたうち回ることさえあるのである。逆に言えば、四苦八苦する役割を負わされるということが生きるということなのかもしれない。四苦八苦するようにこの命というものが与えられたものとするならば、もう少し四苦八苦を続けて見せなければいけないかもしれないと思う。
 生き物という生き物は、あまり長くもない命のある間、この世で四苦八苦を演じ、そして死を迎えることによって実は楽を手にする。楽する時間の方が圧倒的に長い。それに比べたら生きている間の四苦八苦はほんの一瞬に過ぎないという見方も出来る。死が楽になるということであるならば、そしてそれは百パーセント確実にやってくるものなんだから、この四苦八苦をとことん体験するとして五十歩百歩の違いしかないのかもしれない。
 草木も、鳥獣、虫や魚たちも、生きている間四苦八苦している姿と見れば、これはもう宿命として投げ出すべきものではないように思えてくる。そう考えておきたい。
 
 
   四苦八苦
 
 人生は四苦八苦である。詰所の中でそんなことを考えていると、何が四苦八苦なのかとふと疑問に感じる。というのも、ここ最近気持がおだやかだからである。ほとんど毎日を独房のような詰所で暮らし、肉体的にはそれほど辛くもない仕事をこなして家に帰る。夕飯を妻とテレビを見ながら食べて、風呂に入って寝る。翌朝、また同じ事の繰り返しである。こういう生活を続けている分には四苦八苦も起こりようがない。
 四苦八苦は、一歩世間に向かって足を踏み入れる時に起きてくるような気がする。
 金が欲しいとか、権力を持ちたいとか、みんなから尊敬されてみたいとか、結婚式や葬式などの世間的付き合いをしなければならないとか、そういった諸々を考える時に、どうも頭を抱えることが多くなりそうである。
 私は隠居生活をしているというわけではないが、そういう世間的なお付き合いにはとんとご無沙汰で、かえって清々しているところがないでもない。お付き合いのダイエットみたいなことをしていたら、ほとんどのお付き合いはなくなった。おかげで寂しくなったが煩わしさからは遠ざかった。それでもこうして生きて行くことは出来ている。これがなんだか変だ。四苦八苦や煩わしさの省エネ生活である。決して楽しかったり愉快であったりしているわけではない。どちらかというと何となくつまらない日々である。でも、余計な気苦労をしなくてもよい分、何かいいかな、と思っているところがある。
 何のために生きるかなどと考えていた時は、自分の人生に箔をつけたいというか、何かしら意味のようなものを探っていたのかもしれないという気がする。百歳過ぎのご老人をテレビで見る機会があったが、ご老人はそんなことどうでもよさそうに見えた。あれ位年とったら面倒くさいことは考えなくなる。
 
 
   四苦八苦その2
 
 年老いると、細かいことはどうでも良くなっていきそうな気がする。若い時に頭を悩ましたことも、高齢になれば自身の今を支えることに精一杯でそれどころではなくなっていくはずである。寝たり起きたり、生きてあるところの基本的なところで四苦八苦しなければならないものかもしれない。
 悩むというような意味合いでの人生の四苦八苦は、若い時にこそ重くのしかかるものなのだろう。自分の容姿に悩む。友だちや恋人が出来ないことに悩む。仕事がうまくいかなくて悩む。自分がどう生きるべきかを考えて悩む。自分の将来について不安を感じて悩む。若い人は大変だ。いずれそんなことに悩んでも仕方がないと思うようになるからあんまり悩むな、といっても聞いてもらえないだろう。だからまあ、黙って見守るしかない。自分も通過してきた道である。愚かさという点ではちょうど同じくらいと言っていい。
 九十以上の高齢者がたとえば先生になったら面白いだろうな。試験はしない。問題を考えるのも採点も面倒だからである。ただ遊ばせておく。勉強をしたい奴は勝手にやれ、で終わり。ニュースキャスターやコメンテーターも九十以上になると、そんなニュース、どうでもいい、で終わり。テロや海上給油も、わしらの知ったこっちゃない、となる。年金については、もう少し給付を増やせぐらいはいうかもしれない。もしかすると、今現在の日本の社会では、かなり高齢のお年寄りの身の上にしかまともな人生はないのではないだろうか。もちろんこれはかなり偏った見方ではあるかもしれないが、どうも壮年にも若年にも、この社会は病的な像を映し出させているのではないかと思われてならない。私の年老いた両親は、静かな老衰を迎えようとして、日々懸命に格闘しているように見える。私には真っ当な行き方のように思える。
 
 
   人生の意義
 
 よく人生に目標を持てといわれる。目標に向かって努力した果てに、努力が実を結び目標に到達する。人々に讃えられ、人生の成功を納める。人生を意義あるものとすることは、そういうことだ。
 残念ながら私には縁がなかった。人生の目標ということも、私は遂に手にすることがなかった。五十半ばになって、まだどう生きるべきかに悩んでいる。もう時間がそれほどないはずなのに、これでは仕方がない。
 人生に意義はあるのだろうか。無いとも言えるし、有るとも言える。人生に意義はないという立場は、「そんなもの、頭がこしらえた世界にすぎないじゃないか」と考える。意義があると考える側は、人間は他の生き物とは違うという立場を取る。私は人間を特別視しないで、生き物全体を考えて、生きるということにおいて意義というものはないと考える。まずその立場に立って、その上で架空かもしれないが意義というものを考えてもいいのかもしれないと思う。無くてもいいし、あってもいい。酷くでたらめな考え方である。どちらかといえば人間の考えることには信がおけない。頭で考えることはすこぶる怪しい。どうも、人間という身内だけで通用する考え方しかしていないと思う。
 人間はどう生きたっていい。最終的にはそう考えている。どっちみち人間の生き方から大きくそれて、神のような生き方とか悪魔のような生き方など出来ないのである。その意味では人間の生き方などどれを取ってみても高が知れている。大同小異。似たかよったか。目くそ鼻くそ、である。目標があって生きようが目標無しで生きようが、これも大同小異。アラブの石油王であろうが現代日本のワーキングプアーであろうが、これも似たかよったかで人間が理解できる範囲での違いしかない。生活の差は大きいが、人間の差ではない。
 
 
   人食鬼4
 
 頭を使うものたちの間で私たち労働者は、その中でも正社員にならないものたちは、おこぼれに与る蟻や虫たちのように思われているのではないだろうか。頭を使うものたちは優等で、頭が使えないばかりか資格や能力のないものは下等であると差別されているような気がする。
 この場合の差別は、意識的な場合もあれば無意識的な場合もあるという気がする。意識的な差別というものは、同じ人間としてみて、私たちのような働き手をくだらない連中だと見なしているように思う。無意識的な差別は、これは端から問題外と見なされ、つまりは同等であるというような視点が見られない。彼らにとっては居ても居なくても構わない存在で、言い換えれば全く気にならない、無の存在と化している。もっと言えば、我々の存在が人間として見えていない。人間として意識されていない。そういうことだろうと思う。もちろん、当人達にとってそんなことはこれっぽっちも感じられていないに違いないが、これっぽっちも感じられていないというそのことが、逆に言うと現代的な且つ恐ろしい何事かであると私は思う。私が「人喰い」という言葉を持ち出す背景には、今言ったような現実が深く関わっている。「他者」が「人間」として見えていない。これはひどく現代的な現象である。頭のいい、頭をよく使う人々は、ことばではよく人間としてとか人間らしくとか言うが、反面で、すぐ近くに存在する人間を人間として見ていない場合がある。それらしく接し、遇することが出来ない。人間、人間と口にしながら、すぐ傍にいる人間を人間扱いできていないことに気付かない。契約社員、派遣社員、パートやアルバイトという形態を取ると、同じ職場で働いていても身内意識はもてない。仕事上のつながり、書類的なつながりでしかつながりを感じられない。
 
 
   人食鬼5
 
 雇用者が被雇用者を自分たちの経営する事業によって生じた利益に与るもの、と考えているとすれば、これは変わらなければならないのではないだろうか。けれども、そう考えている雇用主は多いかもしれないし、被雇用者もまたそういう意識で雇われていることが多いかもしれない。昨今の雇用状況は、経営のスリム化を第一義とし、コスト削減、その中でも人件費の削減に活路を見いだそうとしている。それによって、経常利益を多少でもプラスにしたいという意向が見え隠れしている。派遣業の盛況、パートやアルバイトの雇用形態の普及からもそれは読み取れる気がする。被雇用者の生活など考えない、やみくもの利益追求の姿と言っていいだろうか。
 コストを抑え、よりよい商品やサービスを消費者に提供する。企業や事業体のなりふりかまわぬ生き残り作戦の影で、被雇用者は低賃金の、その日暮らしに近い辛い生活を強いられるようになっている。ボーナスもなければ昇給もない、そういう被雇用者に悪条件の雇用が常態化してしまった。日本経済は最悪の状況と言っていいのではないだろうか。ひとりの生活者として、日々の暮らしの中で私はそれを実感する。
 この不況の底で、経済社会は遂に「人喰い」を始めたというのが私の近年の感想である。じり貧になって、どこからも利益をもたらすものが見つからなくなって、ついに「人喰い」に手を染めて利益だけは上げておこうとする、それは姿だと映じる。しかもそれは自社の社員に冷や飯を食わせるというのでもない。派遣業者側との契約により、雇用者の低賃金に責任を感じないですむ形態を取るというところが極めて人間不在を象徴している。契約は他企業との契約だから、実際に働く者は他の会社の社員である。生活の困窮は消費の低迷をもたらす。回って企業の業績を悪化させる。
 
 
   消費者の購買力
 
 経済の不況や不景気により、企業体などがどのような態様を示すかは昨今の雇用状況によってはっきりと見ることができる。末端の弱い被雇用者を切り捨てたり、しわ寄せを与えて平気である。これは当たり前のことである。おそらく誰もがそう思っている。仕方のないことだが現実とはそういうものだ、と。 これはしかし、政治のみならず、経済や経営にとっても賢明なやり方であろうか。私にはそう思えない。そしてそろそろこういう愚かな循環の繰り返しは断ち切られなければならない段階に来ていると考える。
 そう考える理由はいたって簡単である。政府が講じる政策がことごとく失敗に終わっているか、あるいは中途半端な結果しかもたらさない連続だからだ。大企業中心に景気回復の兆しが見られることを政府は強調するが、おそらくそれは日本経済全体の底上げをもたらすものにはならない。ニュースを見たり、日々の生活の中の感覚的な体験から、逆にますます冷え込んで行きそうな気さえしているところだ。雇用状況がよくない。パート、アルバイト賃金が低い水準で固定している。おおざっぱに見て、こういう状況では消費は伸びていかないだろう。消費が伸びなければ生産に結びついていかない。日本経済の全体を底上げするには、どういった産業に占める従業員の数が多いかが検討され、従事者の多いその産業の発展が不可欠になる。つまり、その業種の従事者は消費者でもあるのだから、懐が潤えば消費が活発になると単純に考えることが出来る。消費が伸びれば生産力がアップする。もちろん他業種への波及も容易に想像することが出来る。せめて、最低賃金の大幅なアップの促進や正規社員の雇用促進の補助政策などを政府は進んでやるべきなのだと思う。いずれにしても消費者の購買力の向上なしに景気浮揚などはあり得ない。
 
 
   蜘蛛の糸
 
 芥川龍之介の作品に、「蜘蛛の糸」と題する作品があったように記憶している。地獄に送られた亡者が、血の池で阿鼻叫喚しながら浮き沈みしている様子が描かれている箇所があり、今も強く印象に残っている。このごろ、それはまさしく世の中の現実的な姿であると実感される。誰もが救いを求め、あるいは欲望のままに、己ひとりの事しか考えられずに他人を押しのけへし合いすることを強いられている。人間が生きるということ、生きていることはまさしくこういう姿なのだと芥川は表現したかったのではなかろうか。人間社会に生きる人々を、芥川はそのような姿として己が心の目に映じたままを表現したのであるが、私の目にもまた同じような姿として映じる。人間はこのようにしか生きられない。人間はこのように生きることを強いられた生き物だ。そんな思いに囚われ、暗澹とする。こういう見え方はその後の生き方に影響するかもしれない。たとえ比喩であっても、人間はこのように生きているものだと考えてしまうことは、どこか悲しくもあり、「資質の不幸」ということばが思い浮かんでくる。それは、そう浮かんでくるというだけで、何がどうと確かなことが言えるわけではないのだが。
 阿鼻叫喚の地獄図。そんなものは概念的なこしらえものに他ならず、現代社会とは無縁であり無関係であると、現代的におっしゃるむきもあるだろう。そういう声が圧倒的に多いのかもしれない。そこでも私は孤独に沈むしかない。ひとり耐えるほか無い。
 血の池の中では力尽きて沈み込もうとするものたちがいたり、沈みかけたものたちを足場として身を起こすもの、逡巡して浮き沈みを繰り返すもの、さまざまいるだろうと想像される。もちろん氷山の一角のようなそれらのものたちの下に、無数の亡者が沈み込んでいるだろうことは言うを待たない。
 
 
   蜘蛛の糸2
 
 毎日のように親殺し、子殺しのニュースが目に入り耳に飛び込んでくる。阿鼻叫喚の地獄絵で、殺す方も殺される方も悲惨であるとしか感じようがない。人智を越えた、動かしがたい運命のようなもの、そういうものに人間は翻弄されるものだという思いが日増しに強くなる。人々はそれを、まずは阻止しなければならないものと考えるものだ。親殺し子殺しのような悲惨な事件を無くさなければ、というように。私にしても例外ではない。
 原因は何か。どんな対策を取ればいいか。納得でき、説得力をもって他者に提示できる答を見いだすことは一般の生活者である私たちには困難である。そこで、学者や研究者や知識人といった類のものたちがその処方箋をコメントにして表す。新聞紙上、あるいはテレビのインタビューに応える形のことばを私たちは目にし、耳にする。けれども私は不幸にしてそれらの繰り出されることばに心底納得できた試しは少ない。
 うまく言えないのだが、それらのことばはいつも五十点以下の内容で、言っていることは正しいように思えるが、どうしても当事者のすべてを掬い上げての論になっていないと感じられる。要するに傍観者の意見に過ぎない域を出ないために、今まさに当事者になろうとする人々に向かっては全くの無力であり、害もなければ益もなく、ひたすら紙上に、画面の中に、乱舞するだけだ。もちろん本当は、私たちに多大なストレスを感じさせるだけだから害有って益無しと言いたいところだが、それで糧道としている連中もいるのだし、あまり大声で言いたいとは思わない。現実とは芥川の「蜘蛛の糸」に描かれた地獄絵のようなもので、誰もが均しく「血の池」の中に浮き沈みしているに過ぎないと見れば、どこにも救済はないことになる。私たちはだから、あるがままを生き切るほか無いのだと思える。
 
 
   蜘蛛の糸3
 
 人間は悲惨な現実を見れば、どうにかしたいと考える生き物だ。だから、どうにかしたいと考えること自体を否定することは出来ないだろうし無意味でもある。同時にまた、どうにかしたいと考えて即刻どうにか出来る現実はどこにもない。それでも人々はどうにかしたいと思い、悩み、辛苦し、そういう思いの総和が幾代か経て、現実というものはほんの少しずれる。歴史とはそういう積み重ねであろう。それは地獄の血の池の中の様相と寸分も変わらない。現実とは地獄の血の池である。普通、生活者としての私たちは現実を地獄の血の池としては見ていない。芥川にはしかし、発達した文化、文明のもとで、近代的な装いの男女が近代的な暮らしをしているそれが、精神や心の面を取り出してそれだけを見れば、地獄の池にのたうち回っている姿と見えた。それは漱石の苦悩から学んだことが幾分かは影響していたかもしれない。
 単純な自己の欲望を満足させるためだけの苦しみや悩みに囚われようと、偉大な哲学的、思想的苦悩に絡み取られようと、それらは同じように「何とかしたいともがき苦しむ姿」であって、「精神の飢え」、「精神の餓鬼」を象徴するもののように思われる。人間の内面は、いずれにせよ、のたうち回って一生を過ごす。この場合、地獄の血の池は人間の精神史であり、精神史の風景である。
 私は人間の内面と、そういう内面を抱えた人間が暮らす社会を内面に限定して切り取って、血の池に浮き沈みする姿として比喩した芥川の感性を哀しく思う。彼自身もまた血の池に浮き沈みする亡者の一人に過ぎないからだ。そこには人一倍飢えた精神の持主が想像される。知ること、見ることは飢えを充たすことにも救済にも少しも役に立たない。にもかかわらず探求すること、真理を追い求める衝動から自由になることが出来ない。
 
 
   教育の課題
 
 文明国、経済大国。日本が戦後の復興からこう言われるほどに成長してきて、おそらくその間、教育の果たす役割は大きいものだったに違いない。先進国の仲間入りを果たし、アメリカ、ECなどと肩を並べるほどの力をつけた時点で、もしかするとそれまでの教育の使命は終わっている。教育は、実際のところそれを叶えるための手段として、主に実践されてきたという側面を持っていたに違いないのだ。だからこそ、日本社会が先進国入りを果たした時に、それまでの目標はかき消されることになっていった。教育は何を目指すべきか、どうあればいいか、新たな模索が始まった。要するに課題を見失ったのである。
 もちろんいくつかの課題は現在もはっきりしている。ひとつは日本人の教養の質を落とさないということであろう。また、いっそう国際的な観点に立ってものごとを考え処理できる能力の育成も求められている。
 教育の問題は、日本の社会が世界に位置するその在り方と密接に関わっている。かつて欧米を目標に、追いつけ追い越せで来た日本社会は、肩を並べるまでにいたって世界における先進国としての課題に直面することになった。ふと周りを見渡せば、見本となり、手本となるべき共同体、あるいは国家というものはかき消えてしまっていた。後は最先端に位置する先進諸国の課題として、未来との対話の中でどういう共同体、国家を形成していくかが同じように試されることになるといってよい。教育の目標は当然その後に出てくる。
 アジアの東端の島国に過ぎないところから世界の先端に突出した日本は、自力によって未来を切り開かねばならないという課題に始めて直面するのであって、政治や経済の混乱や低迷はそれが主因であろう。教育の迷走もまた、そうした事情から当然のように迷走を重ねる。良薬は当分見つからない。
 
 
   教育の課題パート2
 
 文科省が「ゆとり」から時間増や学力向上などと、揺り戻しともとれる施策をとろうとしていることは、迷走の渦中にあり、霧の中に入って視界ゼロの中を車が走っているのと同様である。走らざるを得ないから走っているのだが、どこをどう走っているのかさえ分からないで闇雲に前に進んでいるだけだ。
 社会として、国家として、どういう方向に行ったらいいか論者の数だけ考え方があり、かえってまとまりがつかないように、教育においてもまた論議の方向性さえ共通理解できず、政治も含めたあらゆる場面で交通渋滞を引き起こしていると言っていい。
 もう一度焼け野原に戻ったら、国民一丸となって全てのことに当たれるのではないかと荒っぽく考える連中も出てきそうだ。たしかにそういうように考えたくなる気持ちも分からないではないが、要するになってみれば、先進国も良いことばかりがあるわけではないということに気付かされたというところか。 いじめなどの問題もひっくるめて、教育の問題は社会の変化に引きずられて問題化する。本質的な意味で言えば、だから本来は国や社会の問題が教育の現場にも反映し、波及して問題化すると考えていいのではないかと思う。要するに子どもたちにも先生たちにも責任を押しつけてすむ問題はひとつもないと言っていい。仮に、生き死にに関わる問題が頻繁に顕在化するようになったとしてもだ。問題はそこに集約化し、収斂してくるように見えるのは何故かということであり、当然詰めて考えておくべきことのひとつだということだ。 さて、日本における現在的な教育の課題に立ち戻って考えてみれば、誰もが教育を受けられる機会の均等が達成されていて、基本的には教育課題は新たな次元に跳躍するべきものだ。そこで考えられてくるのは教育制度やシステムの解体である。
 
 
   教育の課題パート3
 
 教育においてこれまで試みられたことがなかったもの。教育的に見ても未知の段階にさしかかっていると考えられる今日、これを考えてみることも悪くはない。理念上でいえば、徹底した管理教育、徹底的な自由教育。これまで、いつの時代のどの国の教育もこの二つの狭間を、内容や質は別にしてより管理的かより自由度が高いかを行きつ戻りつしてきたに過ぎないと言える。残されているのは極端なこの二つだけであると思える。極端なこの二つ以外は、改革するといっても小手先だけの、してもしなくても良いような名前だけの改革に止まるに違いない。そうした例は日本のこれまでの自前の教育改革という名の下に行われた施策を見れば明らかである。やってもやらなくても変わり映えしないという改革が多すぎたか、結局のところ改悪になってしまったというものが多いように思われる。
 もう一つだけ、ほとんど試みられたことがないことがある。改革などしないという改革である。現在の学校のあり方、授業の形態など基本的な姿はそのままに、ただ世間の危惧する声に過剰反応しないようにすることである。教員も管理職も、あるいは他の全ての教育関係者も、そしてもちろん子どもたちにも、現状を変えていく力などを期待してはいけない。ありふれたありのままの教員であり、子どもでありという姿で学校生活を繰り返していってもらうだけということになる。教員の資質向上のための研修や免許の更新制度の導入などはもってのほかだ。いたずらに先生たちを苦しめて、いじめて、よいことなど何一つ無い。要するに先生たちが手枷足枷と考えているところのものを、全て取っ払ってしまえばいい。後は個々の先生たちの思い通りの授業をしてもらったり、子どもたちの面倒を見てもらったりすれば良いだけだ。そうすることによって子どもももっと楽になる。
 
 
   教育の課題パート4
 
 かつて小学校の教員であった私にとって、教育目標はもちろんのこと、目指す児童像とか、目指す教師像とかいうものがあって、これはたまらなく嫌なものであった。しかし、職業上それはそういうものであって、民間の営利企業であれば売り上げ目標とかのように、一年間はそれをめざして仕事をするという形ができあがっている。
 民間の会社にいた頃、毎月の所長会議で提出されるそれぞれの営業所からの売り上げ目標は水増しされていて、たいてい達成できないことを承知で計上されていた。各所長はもちろん、社長、専務も当然そのことは知っていたはずである。嘘と知りながらそういう会議をやっている。学校も同じだ。目指す児童像とか教師像のように子どもが育ったり、教員が謳われているように一年間仕事を努めることなど出来ないとは初めから分かっていることだ。けれども一生懸命会議などをもってそれらの事について話し合う。私は本音ではいつも、そんな子どもに育ったりそんな先生がいたりしたら気味が悪いし怖いと思っていた。そういう会議も嫌いだった。大きな大きな嘘だと感じていた。仕事にはけれども、それを越えなければならない高い閾があり、嘘と思わずに本気でそれが正しいと信じるように自分を変えなければならない地点があるのかもしれない。私はいつもその地点にさしかかると逡巡し、どうしてもそれが正しいと信じ切ることが出来なかった。言い換えると、向こう側に行けなかった。釈迦や孔子が立派な人格者だったとして、あるいは松下幸之助が偉い経営者だったとして、私たちはその人たちを真似て生きなければならないものだろうか。私はゴメン被りたい。第一、人真似で生きられるほど私たちは生まれつきを容易に変えてしまえるものではない。人間の生涯はもっと複雑怪奇に動いている。
 
 
   教育の課題パート5
 
 学校に勤めている間、私はやくざな教員であった。切ったはったをしていたというのではなく、教育的には役に立たない教員であったという意味でだ。研修という研修が嫌いで、出来ればすっぽかしたいとばかり思った。子ども相手の授業も面倒くさいと感じた。三十人以上を相手に遊ぶこともまた骨が折れる。子どもとはいえ、生身の人間をそれだけ相手にするということは、相手をしているそのことだけで相当に疲れる。休み時間はもちろん、時々自習にして職員室で煙草を吸っていたい気分に襲われた。本当は子どもたちだって、時々先生が休んでくれたらと思ったに違いない。昔自分が小学生だった時、担任の先生が休んで自習になると嬉しかったものだ。
 何が言いたいかといえば、息が詰まるような窮屈さが学校から無くなればいいということだ。子どもも先生も、自然のままに振る舞えたらそれがいちばんいい。先生は子どもに遠慮したりせず、怒る時は怒り、遊ぶ時は本気で遊ぶ。そういう自然な、本来的な姿から、子どもたちは先生を通じて人間性についての多くのことを学ぶに違いない。おそらくそれは学力が向上することよりも、ずっと大事なことだ。そのためには大人としての先生が、本当の姿、本当のこと、つまり本音で子どもたちと接しなければならない。自分をよく見せたいと創った自分の姿で接しようとすると、子どもの印象としては、大人は複雑怪奇で分かりにくい生き物だと思い、嫌なものだと考えるかもしれない。あるいは本音を隠し、同じように建前だけで人前に出る人間に育つかもしれない。長い目で見ればそれは決してよいことではない。本音でもって教師の理想の学校、子どもにとっての理想の学校がイメージでき、その双方が交わる地点が算出されたら、それは現在考えることの出来る理想の学校の原型になると見ていいと思う。
 
 
   教育の課題パート6
 
 先生たちの勤め先としての理想の学校。子どもたちが一日の大半を過ごす先としての理想の学校。この二つが交わる地点に描かれる学校を基本形として尊重し、各家庭、行政を含めた教育関係機関が協力体制を取ることによって、巷間にいわれる教育の復活の第一歩となる。私は単純にそう思うけれども、どうだろうか。
 学力向上など、第二義以下の問題でしかない。教育委員会や文科省などはこう公言して学校を擁護しなければならない。また、教員の質の向上など、官僚の質の向上、政治家の質の向上、学者の質の向上、公務員の質の向上、会社員の質の向上などと抱き合わせで考えると、絶対にあり得ないか、いびつな人格をつくり出すだけだから止めろと言いたい。免許の更新制度なんかもやらない方がいい。これを導入させた安倍前首相なんか、自分で首相を更新させた。教員をいじめるだけの法案を出させて、たかがそれだけのことで教育再生の一端になると考えるのだから、自分を更新させたのももっともなことだ。だがそういう中身を吟味せず、知りもしないで、こうすればああなるという拙速さが、年金問題などでもその稚拙さが露呈してしまった。一言でいえば、馬鹿丸出しの坊ちゃん宰相だった。おそらく、免許の更新制は実施されるだろうがそれほどよい結果も悪い結果ももたらさないだろう。税金の無駄遣いと人力の消耗、個々の教員の不毛な苦労とが結果として出てくるだけだ。その結果責任を安倍は初めから取る気はさらさら無かっただろう。蛙の面にしょんべん、である。
 世間も病的で、目に見える施策を講じないと承知できない。いじめがあるといっては大騒ぎする。だいぶ以前はPTAかヘルメットをかぶった女たちだが、現在は男も女もこぞってヒステリックに騒ぎ立てている。
 
 
   教育の課題パート7
 
 学校は子どもたちの遊び場で、時々勉強するくらいがいい。そうでないと、子どもの人格が壊れる畏れがある。そもそも家庭が怪しくなっている。分業の悪いところで、学校は学校だけの理想の学校を追い、子どもや家庭の実態とかけ離れた目標を立てる。何、今の社会や家庭の何が本質的に問題で、子どもがどういう場所に立っているか、誰も分からないのだ。そのくせ、分かった振りをして専門家面をしたがる。学校の悪い癖だ。学校の悪口を言うつもりではない。子どもたちにとって学校は一般的にいって楽しいところだ。仲間がいて、思いっきり汗をかいて遊ぶことだって出来る。そういう楽しさは無類のものだ。雨が降れば、先生に注意されながらも室内で走り回ることも出来る。それぞれの家庭では狭すぎるが、何といっても教室や廊下は広い。大目に見てくれる先生だっている。
 小学校の先生にとって、たくさんの小さな子どもたちを見ていることは、それだけで何となく微笑みたくなる気持になれる。それもまた無類の楽しさであると感じる先生たちもいるに違いない。教室で子どもたちに接する楽しさも、社会の他の場面には決してあり得ない。ちょっとしたガキ大将気分になるといえばいいか。威張ったり、命令したり、怒って見せたりすることも出来る。お山の大将でいられる。そういうことが、先生としてあるまじき事だと言われるかもしれないが、教壇の前に立ってみれば分かる。肩書き無しに世間に出れば誰にも相手にされそうもない大衆の一人に過ぎないが、先生というだけで、子どもたちには絶大な存在として見上げられる。これもまた先生にとって楽しくないはずがない。つまりは子どもたちにとっても先生たちにとってもメリットはあるのだから、妥協できる範囲の中でお互いに譲り合って過ごせればいいのではないかと思える。
 
 
   教育の課題パート8
 
 教育の課題と題しながら、そのことに触れていないのではないか。そうとも言えるしそうでないとも言える。別にごまかすつもりはない。教育は一定の役割を終えた。年齢別に分けた義務教育の過程をほとんどの子どもが通過している。高校や大学の進学率も、おそらく世界でも有数の進学率に達していると思う。細かいことを抜きにすれば、これらのことからそれまでの教育の方針は転換期を迎えたということになる。後にはどんな課題が残ることになるのか。それぞれの中身を効率化したり、精細にしていくほかに課題は見あたらない。そしてたぶん公立の学校の主な活動はその周辺に集中し、またマンネリ化していることだろうと思う。嫌味な言い方をすれば、成熟し、後は腐敗を待つだけだということになる。そういう兆候は、校内暴力や非行、不登校やいじめの問題として以前から社会的にも顕在化された。そして、全ては起こるべくして起こってきたことだ。もはや組織やシステムこそが腐敗の進行を進め始めているとさえ言える。時代は教育に何を求め何を要請しようとしているか。それは求める数と同じくらいの異なった要望となって、逆に教育は対応できなくなり立ち往生を余儀なくされているかに見える。つまり課題は山積みだが、多すぎて何を課題としたらよいか分からなくなり、それは主たる課題がなくなったことと同じだ。これは教育にとって相当に辛い時期にあたる。教育を越えたところから主に腐敗の要因はやって来るのだが、腐敗が教育現場で起こるために非難の矢面に立たざるを得ない。文科省や政府は、非難に対抗するために本当は非のない教員たちに研修を課し、資質の向上などといった最悪の策を弄し、より根源的な課題に答えることを回避している。こんな時、先生たちはどうあるのが一番いいのか。私はこれまでの文章で暗示したつもりだ。
 
 
   教育の課題パート9
 
 教育は聖職である、というような馬鹿な発言をする、以前東大の学長をしたこともある加藤某のような人物を筆頭に、善も悪もあり、勤勉も怠惰も持ち合わせる人間をぎりぎり聖人、賢人に仕立て上げようと考える輩や彼らの主張を支持する風潮は今も教育界に根強く残っている。愚かなことである。たいていは自分の糧を得るのに直接耕して得ることを厭い、他人が耕作した物をぶんどりかすめ取って、それを引け目に感じて過剰に倫理的になってしまったものたちの典型的な言いぐさだ。それはもはや病気と言っていい。
 第一次産業の従事者たちのように、自然を相手にする職業の人々を考えれば分かる。
 自然は恵みを与えてくれることもあれば、冷酷な災害をもたらすこともある。天候もまた、晴れて機嫌のよい日もあれば、荒れて暴風雨となることもある。そういう自然に常に接しているものたちは、自分たちの中にもそれと同じように白黒や陰陽、つまり相反するものが混在していることを承知できている。それでもって人間だ、と言うことがよく分かっている。彼らが時として他人に対して寛容であるのはそういう理由による。また彼らの中に生ずる絆という面でも、同じ厳しい自然や風土に相渉っているという側面が関与しているに違いない。そして彼らは自然や風土を怖れ敬いながら、自然ほどに周囲に猛威を振るってはならないことを自覚していった。
 ある限度を超えた悪は封じねばならない。そこにある思想はそういうもので、悪はなくしてしまえという思想ではない。逆に言えば悪は無くしてしまうことが出来ないことをよく知っていた思想だ。ヘーゲルはその著作で、子どもはほっとけば平気で悪を為す存在だから徹底して教育すべきと説いた。それは強引な矯正として今日にも生きている。日本古来の子育て観とは決定的に異なるものだ。
 
 
   教育の課題パート10
 
 政府や文科省、教育委員会、他に教育の専門家や評論家たちは、先生たちは雑務で忙しすぎるとか、先生たちの教員としての資質を高めなければならないとか、免許の更新制を導入しようとか言っている。誰でも言えそうなことをもっともらしく言っているに過ぎない。こういう連中が社会の上層にいて仕組みをいじくっているのかと思うとたまらない。 これらの発言の内から少し気になるところを取り出すと、全体に教員の質が落ちているようだからこれを高める策を取ればいいのではないかという声がひとつ聞こえてくる。現役の一部の教員がわいせつ罪で逮捕、などの報道が為されたりするのだからそう考えても仕方ないが、ここから教員研修や免許の更新制度の考えに結びついていくものだろう。
 これにはしかし、少し極端に言えば、教員には聖人君子ばかりそろえろと言っているように私には聞こえてくる。寝ても覚めても子ども子どもと考えていなければならないように強いられてくる気がする。そんなこと、よほどはまった教員でなければ無理なことだ。たしかに、わずかな数だがそういう教員然とした教員はいると思う。しかし、一握りのそういう教員をモデルにされてそれを真似ろと言われても他の教員は困惑するばかりに違いない。第一、普通に考えたらその一握りの教員の方が変なのだ。普通は出来ないことをやっているのだから変というしかあるまい。その変を真似ろと言うのも変な話だ。私は、その他の多数の教員を、その教員たちのあり方を、基調に置いて考えるのが組織論としては当たり前の考え方のような気がする。そういう大多数が無理なくやっていけるやり方で行くのが一番いいのではないか。教員たちは威張らずに、説教じみずに、教員らしくしすぎずに、一人の人間として子どもらに接したらそれでいいように私は思う。
 
 
   切迫と迷走
 
 このところ、仕事が終えてからでも毎日のようにパチンコに出かけている。一円パチンコで儲からないのだが、いや、損をしてばかりなのだが止まらない。ふと、これは中毒かもしれないと思う。
 家にいて、テレビを見て過ごすということが不安でもあり怖くもあって、ついパチンコに出て行こうとする。
 テレビを見て過ごすほかにやることはないのかといえば、本を読む、文章を書く、部屋の掃除や整理整頓など、やるべき事はたくさんあるはずだが、そういうことがしたくなくなっている。何かから逃げたい、逃げて逃げて、そうしてパチンコに走っているようにも思われる。以前はどこかで踏みとどまれたのである。その、踏みとどまろうとする踏ん張りが無くなった。環境の違い、条件の違いなどもあるのだろう。とりあえずパチンコだけは夢中になってやれる。
 家の中が荒れ、わずかな給料も目減りして暮らしが据えすぼまりになっていく不安も増していく。パチンコに行ってよいことは何もない。ただ自分の気持ちをその時だけはごまかせる、そんな利点があるだけだ。それを利点と考えればのことだが。
 人間はこのように落ちていく、と見本を示していると考えればいいのか。反対に、これくらいのことも平気な顔で、何でもないようなクールさを装って生きるしたたかさが必要だと考えるべきなのか。しかし、内心では一瞬一瞬が「生か死か」を選択すべき刻々であるように、追われ、切迫して感じられている。 これでも必死に耐えているつもりなのだ。闘っているつもりなのだ。何に対して、どのように。それをはっきりと声にすることは出来ないが、剥き出しの本音を言えばそういう気持ちでいっぱいだ。精神的側面から見ると、いつも無防備な太古が目の前に見える。
 
 
   密かな願望
 
 縄文時代のひとは、狩りをしたり、木の実などの採集をしたり、あるいは住まいや身に付けるものの心配や調達をして、暇があれば適当な遊びを見つけて遊ぶしかなかったであろう。なんだ、今の私とそんなに違っていやしないじゃないか。私はそう思って、現代に生きる縄文人だと自分のことを考えてみる。いたってひ弱な縄文人ではあるが。
 彼我とのちがいは、もちろんいろいろあるのだが、私は「こころ」に一番の大きな違いがあるように感じている。結局のところ私も働いたり、生活のための細々した所用を為し、暇を見つけては遊んでいる。高等な生き方などどこにもない。ただ、どうしてもその日暮らしに近い同じような生き方をしていながら、こちら側は心が病んでいるとしか思えない。きっと縄文のひとは地に足がついた生き方をしていたに違いないと、羨望ともつかない思いが湧いてくる。
 私は考えすぎているのかもしれない。意識が始終脳の中で勝手にぐるぐる回っているのだ。私はこれがうるさいと思う。これは病気ではないのだろうか。
 心と行動がぴたっと一致している。私はそういう生き方を欲している。昔のひとにはそれがあったのではないかと思う。しかし、今に生きている私は、意識が働きすぎて、自分の行動と乖離している、そんな不安を常に抱えてしまっている。
 いや、そうではなくて、縄文でも弥生でもいいが、私は今を古代の人のように生きられないかと考えている。それは私にとって、ひとつの理想のようなものだ。つまり、今この瞬間に一喜一憂していたい願いが強くある。家で、仕事場で、遊びの時、その時その時の自分の背丈に、すっぽりとおさまっていたい、そういう願望だ。その他の余計な意識できりきり舞いしたくない。私とは、「過剰」だ。
 
 
   精神と孤独
 
 何故か知らないが物質があって宇宙があり、地球がある。地球には生き物がいて、私たちは身体を持ち、それを土台として精神なるものを持つ。この精神は、宙空に画像を浮かび上がらせるように、実体がないにもかかわらず、あたかも実体があるかのように感じられるというものだ。現在までのところ、この人間の持つ精神と同質の内容を持った生物の存在は知られていない。そういう枠内でいえば、私たちが何となく感じているこの世界でも、私たちが精神と呼ぶこのものは異質であり、もっと言えば余分だ。泥の中からわき出るあぶくだ。そして人間が人間であるところの所以は、この余分さの中にあるといってもいい。 人間だけの特質、ということは、誇るべき事とする考え方もあり得るだろうが、それよりも私は全存在の中での人間の孤独というようなものを思い浮かべ、可哀想だという気がしないでもない。つまりどう言ったらいいのだろう、種や類として、他に範とすべき存在が見あたらないのだ。今のところ人間は精神を持つ存在として先端に位置するから、その先には何ものも存在しない。先頭に立たされて、ふと見渡せば目の前は断崖絶壁。そんな感じといえばいいだろうか。
 私たち人類は、どうしてこの精神なるものなどを持つことになってしまったのだろうか。こんな邪魔なもの、まるでこぶとりじいさんの瘤のようなものではないか。ちなみに「こぶとりじいさん」の「こぶとり」は「小太り」ではありませんよ。はじめから「瘤取りじいさん」と表記すればよかったのですね。なんて、私は「どんだけ」疲れているのか・・・。 瘤のついたじいさんは二人いて、一人は瘤を嫌い、もう一人はあまり瘤のことを気にしない。というか、密かな愛着を持っている。精神は私にとって、時には邪魔物と感じ、時には愛惜の対象ともなっているようだ。
 
 
   タバコ問題
 
 NHKの午後の番組で、和田アキ子がゲスト出演していて、タバコのやめ方を視聴者から教えてもらうということをやっていた。
 それほど真剣にタバコをやめようというようにも見えなかったが、出来ればやめてもいいくらいには考えているのかもしれない。
 和田アキ子がタバコをやめようがどうしようがどうでもいいことだが、どう見てもタバコが世の中から消えていくことはそれほど遠くない時期に実現するだろうという気がした。歌手であってもヘビースモーカーでならした和田がこうなのだ。世の喫煙愛好者たちが次々に白旗を揚げて禁煙していくのも無理はない。大声に小声、多勢に無勢、である。
 喫煙を止めさせようという流れは、世界保健機構や医者などによって健康被害が盛んに言われ出してから拍車がかかった。私個人で言えば、子どもが生まれた頃住んでいた小さなマンションで、子どもに煙を吸わせないようにベランダに出てタバコを吸ったが、その頃からタバコが締め出されていく運命は決まっていたのかもしれないと思う。隙間無くきっちりとたてられた先進国のウサギ小屋は、喫煙によるけむりの処理など初めから考えていなかった。昔の家は、作りも広く、家財道具もこぢんまりとしていたし、何より煙が出ていくほどの適度な隙間があった。
 若い頃に読んだジョルジュ・バタイユの著作の影響で、蓄積と蕩尽は二つで一つという考えが身に付いた。簡単に言うとプラスがあればマイナスがないと理屈に合わないという考え方だ。健康面から言えば、健康を積み重ねた先には、その積み重ねに見合う不健康が生じるという考えになる。また国が栄えれば戦争や内乱が生じるというように。個人的に、若く健康な時は精神が猛々しかった。それを押さえるのに適度な不健康が必要と感じた。それが、私のタバコ問題だと言いたかった。
 
 
   タバコ問題2
 
 肉食動物はやることが荒々しい。肉食文化も同様だ。体に有り余るエネルギーでも生じるものか、やることがエネルギッシュと印象される。これは私の偏見かもしれない。
 喫煙を止めろと言う声は、「善」である。「善」もまた、やることが荒っぽく徹底的だ。タバコ問題では有無を言わさぬ包囲網が張り巡らされた。もちろん「善」にはそんなつもりはこれっぽっちもないのかもしれない。だが喫煙を続ける私には、そう感じられる。そして、こう感じる私の内なる声に耳を傾けようとするものなど誰一人いない。これでいいのだろう。「善」は、この世界からタバコの煙を締め出してはじめて気が済むのであって、別に私の人格や生活の全体に危害を加えようと意図するものではないのだから。私の辛さは「善」に荷担しないところから来る。これを自業自得という。「善」の側ではおそらくそれくらいのこととしてしか考えられていない。これもまた当然かもしれない。
 私にとって、しかし言わせてもらえば「善」とは冷酷なものなのである。一寸の虫にも五分の魂。私にだって「気持」というものがあり、誰かに理解してもらいたいという思いもあるのだ。だが「善」の側からは、誰からも心の内に入り込んで「気持」を理解してやろうとするものはいない。私は少しも納得しないままに、少しずつ公共の場所から締め出され、次第に追いつめられているような心的状況に陥る。私は何か悪いことをしたのであろうか。ただ、以前からの同じ習慣を繰り返していただけなのに、そしてそれは大っぴらに認められていたと思うのに、いつの間にかこういう事態を迎えてしまった。世の中とはこういうもので、私のような閉じた思いは「声なき声」と呼ばれる。そうして成り行きに流されて、それで終わる。奥山住まいにタバコを栽培し、紫煙を味わう生活は、無理か。