「悩む力」ノート
 
 悩む、という言葉には、受動的な意味合いが感じられる。精神的な苦痛、煩わしさ、つまりは悩みを自分から引き受けようとする人は、一般的にいえば考えられないことだ。
 これを逆手にとったかのように、題を「悩む力」とつけて政治学者の姜尚中が本を出した。進んで悩みを引き受ける。それが人間的な力なのだと、姜尚中は言いたいのだろうと思いながらこの書を手にとった。
 一度読んで、面白いとは感じながらも、さほど印象に残らなかった。かえって同じ時期に読んだ太田光と中沢新一の対談、「憲法九条を世界遺産に」の方が鋭く印象に残った、というか、端的に言って面白かった。
 少し間をおいて、「悩む力」の何が面白くないのかをはっきりさせようと思い、これを再読した。そうしたら、これが結構面白いと思いながら読み進められた。自我の問題、内面の問題を中心に、読みながら私は三木茂夫や養老孟司、吉本隆明などの著作、その中で言い表そうとしている事柄を思い起こさずにはおられなかった。言い換えると、それぞれの、それぞれによる表現に、つながりや連関が見えてくるように思われた。
 ここでは「悩む力」を丁寧に読んで、文章の引っかかったところで立ち止まり、私の感想をもう少しはっきりとした形に表していけたらと考えている。
 
序章「いまを生きる」悩み
「世界を引き裂く臼」
 
 ここで著者は、自分の母の生き死にについての思いを述べている。その母は、悩み、苦しみが多かったが、それ故に「生きる意味への意志がより萎えることがなかった」と述懐されている。それは、その世代の人たちに、伝統的な慣習と信仰心が失われずにあったためではないかと姜尚中は言う。そして、そうした「伝統や信仰心の残り香すらも消え失せた時代には、悩みの海はただひたすら暗く、どこにも星が輝いているようには思えないかもしれ」ないと、昨今の社会事情、人間事情を捉えている。
 つまり、現在の社会においては「悩みや苦悩は、意味のないことであり、価値などには一切関係のない、『厄災』以外の何ものでもない」、あるいは「『悩む人間』『苦悩する人間』はただ、運の悪い不幸な人間にすぎない」のではないかと捉えられ気味の風潮に対し、そうではないのではないかと問いを投げかけている。
 ここに言われていることは、現代社会に生きる心の在りようとして、難しいことが言われているわけではない。「伝統や信仰心の残り香すらも消え失せた時代」とは、空虚で空っぽになった心を持つ私たちの時代をいうのだし、そのために生き方の他者と共有できる意味も価値も見失っている私たちは、自身を顧みればそのことを容易に理解する。そして少しずつ、「悩む」ことに疲れ、果たしてそこに意味があるのかと、懐疑的になっていることもまた、自身を顧みれば納得される。
 以前にはあったように思われる心の核を、
何故私たちが失ってしまったかは、ここでは詳細は語らないけれども、つまるところ科学文明の発達と、例えば日本においては太平洋戦争での敗戦とが二重に荷担しているように私には思われる。では、このような状況にあって私はどのように生きるか、その解はまだ手にすることが出来てはいない。ただ、社会が、現在に生きる人々が、そして私が、どうしてこのようにあるのかまでは理解されるところまで一応たどり着くことが出来ている。少なくとも、自分の人生について、何故こうなのかまでは自分なりの解釈が出来るところまで来た。
 そして私はこれからどう生きればいいのかということについて、一つには全く分からない状況にあるということが出来る。同時にまた、私は、自身が「それを分かりたい」と欲しているらしいことも理解できている。そこで、社会的にどのように生きればよいかについては成り行きに任せるところも出てくるけれども、「人はどう生きればよいのか」ということについて、自分の残った生を主としてその探求にあてることを、さしあたって自分の課題と考えることにしようと思っている。
 どう生きていけばよいのか分からない。生きている間にそれが分かるようになりたい。素朴に言えばそういうことで、自分にとっては、それがこれからの生きる理由である。
 このことはしかし、私にとって他の全てをかなぐり捨てて思考に没頭し、邁進しようということではけしてない。やむなくそうするのであって、積極的な意味合いは何もない。
 また、こう決意を示しながら、いつそれを放棄するか分かったものではない。だいたいが、残りの人生といえどもそういう生き方を私は好きではない。出来ればのんびりと、おもしろ楽しく暮らすことが私の理想である。それが出来そうもないから仕方なく、そんなことで残りをまっとうしようかと考えているにすぎない。
 
「二人の『炯眼』の持主」
 
 いまを生きるわれわれの孤独の苦しみ、変化に耐えなければいけない苦しみ。その元をたどっていくと、「脱亜入欧」のスローガンのもと、西洋の模倣を始めた明治という時代にたどり着きます。これを境に、日本には科学、合理的思考、個人主義といったものがいっせいになだれこみ、「近代の幕開け」となりました。広い意味では、グローバリゼーションもこのときが始まりです。
 すなわち、現在の我々の苦悩の多くは、「近代」という時代とともにもたらされたものです。
 そのとば口に立って、人間の行く末を見据えていた人がいます。それは、元号が明治に変わる前年の慶応三年(一八六七)に生まれた夏目漱石です。
 漱石は闇雲に前進していく世の中をある距離感を持って見つめ、時代の本質と、そこに生きる人間の内面世界を描きました。
 漱石の作品には『坊っちゃん』のようにユーモラスなものもありますが、明るい雰囲気を持っているものは意外に少なく、むしろグレー・トーンの作品が目立ちます。漱石の趣意は、文明というのは世に言われているようなすばらしいものではなく、文明が進むほどに人の孤独感が増し、救われがたくなっていく―というところにありました。作品に登場する人々を見ると、描かれている時代こそ違いますが、驚くほどいまのわれわれに通じるものがあります。漱石の作品を読み直すたびに、その炯眼に感心します。
 
 (中略)
 
 ウェーバーは西洋近代文明の根本原理を「合理化」に置き、それによって人間の社会が解体され、個人がむき出しになり、価値観や知のあり方が分化していく過程を解き明かしました。それは、漱石が描いている世界と同じく、文明が進むほどに、人間が救いがたく孤立していくことを示していたのです。
 
 「文明が進むほどに孤独が増す」。「文明が進むほどに、人間が救いがたく孤立していく」。漱石とウェーバーは、ともに文明の行く末を見つめ、暗い未来を示していたと姜は言う。この指摘に私は異存を感じない。周囲を見渡せば、それはいっそう明瞭に理解されてくる。
 
「戦争を挿んだ相似形」
 
 ここで姜尚中は、漱石やウェーバーが生きた十九世紀末から二十世紀にかけての時代と、私たちが生きる二十世紀末から二十一世紀にかけてとは、多くの点で似通った状況にあるといっている。それは近代のとば口で発生した問題が、戦争を中間点として折り返したか、問題が未解決のまま残っていて、戦後にも進むところまで進んできたのかもしれないと主張されている。
 侵略や経済市場を独占しようとする帝国主義は、戦後、「グローバルマネー」に形を変えて、世界を縦横無尽に徘徊しようとしている。そういう状況下にある社会、そして個々の人間に及ぼす影響もまた似通っていて、神経衰弱から、鬱やひきこもりといった不適応の問題がクローズアップされる。
 
「未解決の問題のヒントを探す」
 
 個人。自我。自由。金。労働。知性。その他に生きることの意味、人生の意味、死ぬことの意味、愛することの意味、これらのことをウェーバーや漱石の文章を解して考えることが出来るとしている。かつて、こうした問題は、知識人の考えるところであった。しかし、いまやすべての人々がこれらの問題を考えることが出来るようになったし、逆に言うならばすべての人々がこれらの問題に対峙することを強いられるようになっている。現代は個々人がこれらの問題に向き合うことが余儀なくされ、そのためにいっそう苛烈であり、深刻であり、重苦しくもある。いずれにせよ、こういう現在にある限り、解決のヒントを探す一つのあり方として、漱石とウェーバーの文章にそれを探すことが本書の成立の理由と著者は言っていることになる。
 
 
第一章「私」とは何者か
「『自己チュー』と『自我』」
 
 自我とは、「私とは何か」を自分自身に問う意識で、「自己意識」といってもいい。漱石は自我にこだわり、生涯それだけを書き続けた。姜はここでそう指摘している。
 
「『社会の解体』と『自我の肥大』」
 
 近代科学や合理主義の急速な発展があり、十九世紀頃から一般の人々も「切り離された自己」、すなわち「私」という単体になって行くことになる。それまで、人と人とは、宗教、伝統や習慣、文化、地縁的血縁的結合などによって社会の中で結び合わされていたが、以後、「個人の自由」をベースとした、「個人主義」が全盛となっていく。
 これは、「水」と呼んで済んでいたものを、酸素と水素の結合と考えていくことと見合って、「私」あるいは「個人」、「自己」という見方を強調するものであるし、自我とか自己意識とかを肥大化していくことになる。それは社会を解体していく作用を推し進め、解体する社会はまた、個人の自己意識を刺激するように作用して自我の肥大化をもたらす。 西欧においてはこのことは一応の歴史的な流れ、文化、伝統の上に立った流れであって、それを受け止める大衆にもその受け止め方の心得はあったのかもしれない。例えば、神の問題というのが西欧の人々の心の中には存在する。つまり、いざというときのよりどころとして、神や宗教の問題は個人を支えると言ってよいかもしれない。
 翻って、日本にはそうした支えとしての素地がない。日本文化、伝統、天皇制。日本人にとって、個人の問題、自我の問題は、あくまでも付け焼き刃的な輸入物である。しかし、明治維新後、また第二次大戦後、個人主義は日本全体を覆うものとなった。底は浅いが世界普遍性として、これらの問題は私たち自身の問題ともなったのである。これに無関心になったり、とぼけて知らぬ振りをすることはもはや出来ない相談なのである。そしてさらに厄介なことには私たちの内面には、西欧における「神」のようなよりどころは初めからないのである。
 
「『先生』の孤独」
 
 漱石の作品、「心」について述べた文章。ここでは、「自分」というものが自身の目の前に大きく立ちはだかっている現代に、個々人は底なしの孤独を味わうこと、あるいはそのことによって絶望感に襲われる事態を漱石の「心」を引き合いに、感想的に述べている。
 
「『自分の城』が破滅を招く」
 
 現代において自分を包み隠さずに表せば、必然的に自我と自我とがぶつかり合う。これが窮屈であったり煩わしかったりするので、他者との関わりを曖昧にするとか、自分を隠すとかの方法をとる人がいるだろう。大抵はそうした回避の方法をとってなんとか表面的にしのいだり繕ったりして過ぎている。それができない人もいる。漱石などはその最たる人であったといえるのかも知れない。だから著者も言うように、神経衰弱になったり胃潰瘍を引き起こしたりした。
 漱石は、「神経衰弱は二十世紀の共有病」と「断簡(メモ)」に書き記しているそうだが、精神や神経を病むことは現在では知識人
特有の病というより、万人にもたらされる公害と呼んでもいいくらいのものかもしれない。 姜は、肥大化した自我の持主は、いっそう自我を頑強にし、守り、強くしようと企てるが、そうすればするほど深みにはまりこんでいき、逆に自分を破滅させていくものだとする。
 
「『相互承認』しか方法はない」
 
 結局、私にとって何が耐え難かったのかと言うと、自分が家族以外の誰からも承認されていないという事実だったのです。自分を守ってくれていた父母の懐から出て、自分を眺めてみたら、社会の誰からも承認されていなかった。私にとっては、それがたいへんな不条理だったのです。単なる思いこみだったのかもしれませんが、当時の私には、どうしてもそうとしか思えなかったのです。そして、それまで一心同体であった両親さえも、対象化して見るようになってしまいました。非常に殺伐とした気持ちでした。
 この経験もふまえて、私は、自我というものは他者との「相互承認」の産物だと言いたいのです。そして、もっと重要なことは、承認してもらうためには、自分を他者に投げ出す必要があるということです。
 他者と相互に承認しあわない一方的な自我はありえないというのが、私のいまの実感です。もっと言えば、他者を排除した自我というものもありえないのです。
 
 姜はここで、自分にとって最も耐え難かったのは誰からも承認されていないという自覚であったという。言ってみれば、自我の占める席を社会に見いだすことが出来なかったことを言っている。自分とは何者かという疑問を、無限に問い続ける意識の持主を社会は欲してはいない。言い換えれば自分に固着した意識を、社会は必要としていない。それは個人の問題で、社会や社会を構成する人々の問題ではない。
 そこから姜は、自分、自分、と自分だけに固着する自我は、自滅していく以外にないのであり、生き延びるには他からの承認を必要とし、承認を得るためには自分を他者に投げ出す他にないと述べている。相互承認の必要性。とはいえ、それはどのようにして可能であるのか。姜は、自分には「これが正解だ」と述べる力はないといい、漱石の作品の中にあった「まじめ」という言葉に注目しながら次のように言っている。
 
 まじめに悩み、まじめに他者と向かい合う。そこに何らかの突破口があるのではないでしょうか。とにかく自我の悩みの底を「まじめ」に掘って、掘って、掘り進んでいけば、その先にある、他者と出会える場所までたどり着けると思うのです。
 
 姜の言いたいことはおそらくこれに尽きると言っていい。また、いかにも夏目漱石が好きだと言いそうな人の言い回しだとも思える。 それはさておき、私はここで姜が言っていることに全く同感であり、経験的にも同じように考え、同じように掘り下げてきたという気がしている。その意味で姜の言うことに全く異論はない。もちろん、私は姜と違って、決してまじめな秀才であったことはないから、苦しい自我の悩みなどうっちゃってしまおうとしたり、生活に没頭して乗り切ろうと計ったり、紆余曲折を経てきた。にもかかわらず、最終的には姜の言葉に同意するほかないと、いまは思っている。
 心の問題、精神の問題、あるいは総じて自分というものを掘り下げることにより、それは自分を知ることに通じ、他者を知ることに通じる。つまり、掘り下げた底の地下の水脈あたりで、人間の共有の問題に突き当たると言っていい。それが本当にそうなのかは別にして、経験的に言えば、私はそこで他者というものを理解し、連帯感のようなものさえ感じられるようになった。そしてそれだけを見れば人間というものは誰もが徹底的に孤独で、悲しい存在なのだと了解した。
 そのような理解の仕方によって、他者を見る目がまた変わっていった。もちろん、現実的な社会生活の上では和解など出来そうにない個人と遭遇することなどはしばしばである。しかし、例えそうであるにせよ、根源において人間は悲しい存在なのだと了解した地点に降りて再び考えるならば、そのことは、他人に対する接し方や行動になにがしかの影響をもたらすものに違いないと思える。
 私はいまも孤立的で、みんなと手をつなぐというところからは遠いところに位置している。しかし、なぜそうであるかについて、私は漠然とだが了解できているところがある。つまりそのことで、私は孤独の苛烈さからは免れ得ている。それが若い時との違いだといえば言える。いや、苛烈さから免れているとは言えないかもしれない。ただ苛烈さに襲われた時に、どうするかの対処の仕方をいくぶんか心得てきたとは言える気がする。
 
第二章世の中すべて「金」なのか
「たかが金、されど金」
 
 漱石の作品には、キーワードとして「お金」の問題が出ていると姜は述べている。
 
「『成り上がり』が時代を創る」
 
 十九世紀末から二十世紀にかけての日本とドイツは、ともにある種の後発国家として、イギリスなどの先進国に「追いつき追い越せ」で必死になっていた。国家が富を築いて「成り上がって」行こうとする時、国民の中に無数の「成り上がり」が出現する。それら新興ブルジョワジーの力は、実質的に国家を興隆へと導いていった。当然彼らの価値観が世の中を動かし、古い権威や価値観をひっくり返してしまうほどのインパクトを持った。
 姜がこのように当時を解析していることは面白い。
 これら新興ブルジョワジーは、一代で事業を興し、成功を勝ち取るくらいだからハングリー精神に充ちていることはもちろん、儲けを第一義にエネルギッシュに活動したに違いない。拝金主義、あくの強い性格。それらを漱石もウェーバーも嫌ったとされる。だがしかし、今日の世界の繁栄は、こうした人たちの強欲的なまでの勢いにたぶんに引きずられての結果であることに間違いはない。もちろん私たちは恩恵を被っているということになる。
 姜の指摘するところを考えると、私などは気持がくじけそうになる。要するに「いけ好かない」連中の力によって発達した文明社会に暮らすことが出来ている、と考えるからだ。私たちの今日の生活は、哲学者や思想家の言葉によって支えられているものではなく、こうした新興ブルジョワジーの牽引力によっても支えられてきたことをあらためて感じる次第だ。
 
「末流意識という『あきらめ』」
 
 明治や戦後のように、ある必然があって時代を創始した人々とは違い、できあがった時代の中に生まれたものには世の中の矛盾が目につき、創った世代に対する不満が生じる。その結果、「頑張っても何も変わらないさ」的に、どこか虚無的になる。そうした人々の意識を、姜は「末流意識」と呼び、漱石もまたそういう意識をもっており、作品に登場する人物たちにもその意識がうかがわれるとしている。
 
「『清貧』から生まれた資本主義」
 
 ウェーバーは、プロテスタント信者が私利私欲を持たず、信仰の一つの努めのように労働に向かい、得た富を浪費せず、いっそう蓄積し続けていったことで資本主義の発展に大きく寄与したことを、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中に表した。
 しかし、その後のさらなる展開の中で、プロテスタント的な倫理は資本主義の精神の核からは後退した。資本主義は暴走し、便利さや豊かさを地上化しながら、それを享受する人々を「精神なき専門人、心情なき享楽人」に化していった。
 姜は、こうした展開を示した後で、文化発展の最後に表れる「末人」というウェーバーの言葉の意味を、「ものの意味を考えるのをやめた人間の末路」と言っているが、もちろん、三木茂夫的にいえば「頭の働き」と「心の働き」とに分けて、「心の働き」の「喪失」の意味合いからそう言っているのだ。
 
「昔『帝国主義』、今『ウォールストリート』」
 
 資本主義が人間性を変える。資本主義の象徴でもある「金」が人間性を変える。そのことの「危うさ」を、ここで姜は指摘している。そして「道草」の健三のせりふ、「みんな金が欲しいのだ。そうして金より外には何も欲しくないのだ」に漱石の絶叫を聞き、「金」のために人間が狂い始めていることを暗示しようとしているように思う。
 健三の言葉、それは漱石の言葉でもあると姜は考えるのだが、その言葉の裏には、健三、そして作者漱石の、本当は愛を求めて苦悩する姿が彷彿とする。愛を求めてとは、さすがに漱石も憮然とするかもしれないから、もう一つの魂、もう一つの心を求めていたと言い換えてもよい。だから、みんなが「金より外には何も欲しくない」ことが理解できなかったかもしれない。私はそう思う。そして、だからこそ「金」の問題をぞんざいにはしなかったのではなかろうか。
 
「金に悩む小市民」
 
 こういう社会でどう生きるか、姜はここで自分の覚悟、同時に諦めや妥協でもある言葉を語っている。
 
漱石たちと同じように、できる範囲でお金を稼ぎ、できる範囲でお金を使い、心を失わないためのモラルを探りつつ、資本の論理の上を滑っていくしかない
 
 これは「平凡すぎるでしょうか」と姜が問うているように、平凡な帰結である。しかし、これ以外の言葉も生き方も、言えばたちまち「嘘」に転化する。そういう意味からも、こう言う以外に言い方はないのだと思う。
 私はただ、姜と違って、言葉の上では「モラル云々」にこだわらない。それが致し方なければ、「心」を失っても仕方がないことだと思っている。特に、姜たちとは違ってプチブルどころかワーキングプアのような立場にあるものたちにとっては、「心を失わない」こと自体が、非常な困難を要するに違いないと了解するからだ。何と言っても姜は東大教授である。姜が言う、漱石やウェーバーの普通の小市民性とは、おそらく本当の普通の小市民とは似て非なるものがあると私は思う。そして、姜もまた自身を小市民に擬したくても、小市民の資格を欠いている。「心を失わないためのモラルを探りつつ」など、小市民にはそんな余裕さえもない、と私は考える。それはしかし、ここでは問わないことにする。
 
 
第三章「『知ってるつもり』じゃないか」
「『情報通』は知性か」
 
 たくさんの知識を蓄えている人。知識の量はさほどでもないが、考えることによってそれらの知識に脈絡がつき、個人の中で有機的に知識が活用できている人。姜は、ここで後者の方が本当の「知性」に優れた人なのだと言いたいように思う。そしてその方が大事なのだとも考えているようだ。
 ここを読んで、私などはそんなに「知」が大事かねと思ってしまう。言っていることは間違ってはいないとしても、本物の「知性」に項を割くこと自体が、私にはなんだか「知の優位性」を主張しているようで鼻持ちがならないように感じられる。何も東大教授だからといって、そんなに「知性」を持ち上げなくてもいいじゃないか、そう思う。私などは、知識の量においても姜などとは比べようもないくらい少ない。それでも、考えることに有効に知識を活用しているのであれば同等に知的であると言われているように聞こえるが、それを首肯することはとてもできることではない。知識の量も、考える中身も、劣っている。やはり、姜などの立場に比べ、割いている時間の量が圧倒的に違う。さらにまた、「脳」の出来具合が違うだろう。とすれば、姜が言っているのは「職業知識人」の問題を言っているのであって、一庶民、一生活者の私たちの問題とは別の世界の話をしているということになる。ならば、そんなこと、私の考えるべきことではなくなる。
 このあたりがこの書を読んでいて、時折不満に感じるところだ。
 
「科学は何も教えてくれない」
 
 人間の知性は本来総合的なものであったのに、科学技術の発達と関係して、分割され、断片化されていった。科学は主知的合理化するものと言ってもよい。そのことは、また決して私たちの生活についての知識をふやしてくれるものではない。医学もまた生命を維持することのみに努力を傾け、患者や患者の家族の意志や置かれている状況に関係なく振る舞う。このように科学は、人間が本来的に欲する意味や価値に答えるものではなく、科学的真理に従って自動的に振る舞おうとする。それは私たちが何をなすべきかということについて教えてくれないばかりか、人間の行為がもともと持っていた大切な意味をどんどん奪っていく。ウェーバーやトルストイの言葉を要約しながら、姜は以上のようなことをここに述べている。
 
「船で運ばれるのも不幸、海に飛び込むのも不幸」
 
 ここでは漱石の講演「道楽と職業」が引用されている。面白いのでここに孫引きしてみる。
 
 現代の文明は完全な人間を日に日に片輪者に打崩しつつ進むのだと評しても差支えないのであります、極の野蛮時代で人のお世話には全くならず、自分で身に纏うものを捜し出し、自分で井戸を掘って水を飲み、又自分で木の実か何かを拾って食って、不自由なく、不足なく、不足があるにしても苦しい顔もせずに我慢をして居れば、……生活上の知識を一切自分に備えたる点に於て完全な人間と云わなければなりますまい
 
 結局は文明批判ではあるが、漱石もウェーバーも、進んでいく時代の流れに抗することはできないことを知っていたと姜は捉えている。又漱石の「夢十夜」の中の「第七夜」に書かれた船に乗って運ばれていく男の話を解析し、訳も分からないままに時代に流されるのはいやだが、逆らって旧時代にこだわるのはもっと愚かだという趣旨が、そこには籠められているのではないかと書いている。
 
「唯脳論的世界」
 
 観念論、唯心論、唯物論などの言葉に並んで、最近は唯脳論という言葉がよく使われるようになっている。私は養老孟司の著作でこの言葉を知ったが、真に存在するのは「物」でも「心」でもなく、「脳」だとでもいえばよいのだろうか。脳がなければ物を認識することもできないし、観念を持つことだって出来ないよと云うことだと思う。もちろん、これだけならばさしたる問題はないのであるが、現在の世界が、この脳の外化した姿、脳が描く設計図をもとに表現された世界であると考えてみれば、だれしも一抹の「不安」を感じないではいられないのではなかろうか。
 真に存在するのは心であるとか、人間の精神を形而下的に規定するのは物質であるとか、さまざまな言い方があり考え方があるが、今や私たちは脳の創り出した世界の中で蜘蛛の巣にからめとられた小虫のように、がんじがらめになっているのではないかとも考えられている。「自分勝手な人間の脳が恣意的に創り出す世界」。あふれんばかりの情報や、人工物。現在の世界にかけているのは何か。それは主体であるはずの人間にとっての「人間性」、そしてかつて存在したはずの「生命力」だと言っていいのではないだろうか。いつの間にか私たちからは存在の基底にあったであろう、意味や価値といったものが抜け落ちていて、まるで蝉の抜け殻のように、内部に空洞が広がり浸食し続けている。
 明らかに私たちはかつて云うところの「人間」から、「別物の存在」へと変身を余儀なくされているように思える。
 言葉は別だが、ここで姜が言っていることは同じ不安を別ざまに言っているように思える。
 
「『ブリコラージュ』の可能性」
 
 ここで姜は、私たちの知性がたどるべき方向性は二つ在る、という。一つは知の最先端をひた走りに走ることであるという。つまり、全体性は犠牲にするけれども、細分化の極地としての知の一点を強行突破するという、そういう形での行き方である。この果てに全体性に突き当たることがないでもないという楽観主義が、少し感じられる。
 今ひとつの行き方は、「生活知」とでもいうべき自分の生活身辺、可能性としての経験の範囲に限定して、知悉するという意味合いでの知性の働かせ方である。これは、先との関連で言えば、身体感覚を通して個における全体性の回復をめざした行き方といえるかも知れない。この全体性は、即人間の全体性を回復するとは言えないが、こうした試みの総和が何かを指し示すとか暗示することがないとも言えない。
 姜は少しも目新しいことを言っているのではないと私は思う。また、ここから何かが生まれてくる、発見されてくるということも確定的に言うことはできない。やむなくこうするのであるし、こうする以外に道はないとも言える。希望も絶望も言うことができない、そういう次元での発言のように思う。
 
 
第四章「青春」は美しいか
「恥ずかしい『青春』」
 
 ここでは青春という言葉へのこだわりが述べられている。
 
「三四郎と私」
 
 青春という時期は、身体的には拡張していくものであり、精神的には引きこもるものである。肉体的な若さの謳歌と、精神上の思い悩みとが一緒にやってきて、大抵はどちらかの極に引き寄せられる。逆に言うと、青春とは、どちらかの極に偏向する時期だ。
 姜は自分の青春を、漱石の「三四郎」のようであり、漱石やウェーバーのように答えのない問いに苦しみ続ける「青白い苦悩」を抱いた青春を送ったとここでは述懐している。
 
「無垢なまでに意味を問う」
 
 青春とは、無垢なまでにものごとの意味を問うものであり、一皮むけば死と隣り合わせにある残酷なものではないかと姜は言う。どうしても通過しなければならない険峻の谷間が横たわり、落ちるか乗り越えるかの危うさもある。成人になるための、避けて通れない時期。ならば徹底的に悩み抜くという行き方もまた、青春の象徴と言っていいのではないかというようなことを、ここでは言っているように思う。
 
「脱色されて乾いた青春」
 
 ここで姜は、自分とは何か、人間とは何か、と問い青臭く悩み抜く青春とは別に、面倒なことは避けてさらりと過ぎていく昨今の青春は、乾いた青春、不幸な青春ではないかと述べている。
 ゲーム文化、パソコン文化と呼べば、そこには一種の機械的要素が入り込み、人間の情念的なものとか、煩わしい倫理性といったものが入り込む隙がないように思われる。そしてそのことは、姜や私たちの世代にはあった青春の青臭い悩みを、あっけらかんと捨て去った世代の登場を意味する。
 私は姜とは違い、ナルシスト的な苦悩が青春の普遍ではないと思う。だから必ずしも私たちの世代のように苦悩してみせることが大事だとは考えない。
 私は、たぶん全共闘世代の最後に属していて、以後、自分より若い人たちがそういう運動に無関心であり、また存在すら気づかないように学生時代を過ごす過ごし方を見て、不可解であると同時に余計なことを考えずにいられてよかったと思った。それこそ身の回りの小さな範囲の中で、考えが生活に密着して充実するそんな行き方が、本当は好ましいことのように思われた。私などは、末端でデモに参加したことがある程度の関わりに過ぎないが、それでも当時の全共闘運動に翻弄され、もみくちゃにされたという実感があるから、それに触れないで済んだ後の世代はよかったなと思っている。
 若い人たちが、姜の言うように、湿気と微温の入り交じった苦悩に囚われていないとすれば、時代や社会が彼らにそれを強制しないのであり、若い人たちの責任では少しもない。もちろん私は若い人たちが苦悩していないとは少しも思わない。かえって、湿気と微温を断ち切られた、乾いて寒々した苦悩に対面させられているのではないだろうかとさえ想像している。そうした意味では時代は個々人にもっと過酷な苦悩を強いてきているのではないかとすら想像する。
 ウェーバーの言う、「精神なき専門人」とか、「心情のない享楽人」という言葉は、プロテスタント信者の倫理が資本主義経済を支える精神だったことを言い、やがてその精神、心情が個人からも社会からも消失していったことを解き明かしたものだ。では、日本における資本主義経済の繁栄を支えた精神は何かと言う問題はあるが、今あえてそれを問わないとすれば、同じように心に空洞を抱いた、「末人」としての現代人を日本の社会の中にも認めることができるのである。
 今や資本主義先進国社会は「精神」や「心情」といったものの内実を、空洞化させるように働きかけている。プロテスタント信者の倫理のような、明瞭なものではないものを、一切排除しようと働きかけてくる。
 養老孟司は現代を「脳化社会」と呼び、現代の目に見える風景、象徴すれば「都市化」を、「脳の外化」した光景だと言った。いわゆる地上の人工化であり、自然の排除に結びつく。
 上手く言えないが日本の社会を見ても、働き手、遊び手である二十代から五、六十代人たちの、脳に浮かぶ事柄、脳によって作り出された事柄が中心になって社会を構成し、また社会を壊したり作ったりを繰り返しているように思える。そこにこどもの入る隙、老人たちの入る隙はないように見える。それは子どもや老人が、より「自然」に近いところにいるためだ。子どもは「脳化」がまだ未熟であり、老人は「脳化」の弊害に気づき、そこからの離脱を試みるものなのだ。よく考えれば、この社会は子どものため、老人のためといいながら、何一つ子どもの立場になり、老人の立場に立ってなされていないことが分かるはずだ。せいぜいが子どものためになるだろう、老人のためになるだろうという発想からなされているというだけである。「こうすれば、ああなる」。しかし、実際のところは「そうはならない」ことの方が多いのである。 言いたいことは、文明の発達、科学の発達という歴史の進展は、明らかに「脳」の発達を意味しており、その「脳」の独走が今日の社会を作り上げたということだ。人間におけるこの「脳」の異常とも見える発達は、人間の心情や情念を自然界の虫たちと同様にアスファルトの下に埋め込もうとする。しかし、だからといって人間から「こころ」の働きがさっぱりと消えてしまうことはないはずなのだ。ないかのように装いながら、身体の奥底にしっかりと貼り付いている。そして自然そのものと言っていい身体がある限り、「こころ」が無に帰すことは決してないはずだ。
 奥底に駆逐された「こころ」とか「情念」とか呼ばれるものは、それ以上の行き場を失い、後は忍従か生理的反発のようなものとして爆発せざるを得ない。
 
「青春は年齢ではない」
 
 ここでも姜は、ナルシスト的に自分の暗い青春時代を振り返り、純に青春時の「苦悩」に傷つくことがいいのではないかと感想を述べている。私もどちらかといえば孤独に苦悩の味を嘗めてきた方だが、姜と違って、若い人にはそういう選択すら許されない状況が、見えない形であるのではないだろうかと思われてならないのである。
 姜は、東大教授としてか、政治学者としてか、「成功者」としての落ちつきの中で、現在や過去の振り返りをしているように思われてならない。俺がこのように立派になったのは、漱石やウェーバーのように、「まじめに苦悩」したからだ、とでも言っているように私には聞こえてくる。果たして本当にそうだろうか。私は時折テレビでの討論会に出席し、おとなしい声音で物静かに話す姜の口ぶりを見てきたが、その話の内容から姜のことを立派な政治学者だと認めたことは一度もない。その文明や社会や政治への批評が、飛び抜けて切れ味鋭いと感心した覚えも一度もない。ただ誠実に話をする口ぶりに、少しだけ好感を覚えてきただけだ。
 姜がこの本「悩む力」で言いたかったことは、「若者たちよ、まじめに悩め」ということに尽きるのだろうと思う。悩みの底で、現状を切り開く力を身に付けろと言いたいのだろう。また、そうでしか、現状を打開する方途は無いとも言いたかったのだろう。そのことは、よく分かる気がする。
 
 私は青春のころから自分への問いかけを続けてきて、「結局、解は見つからない」とわかりました。というより、「解は見つからないけれども、自分が行けるところまで行くしかないのだ」という解が見つかりました。そして、気が楽になりました。何が何だかわからなくても、行けるところまで行くしかない。今も相変わらずそう思っています。
 氷の上を滑るようにものごとの表面を滑っていたら、結局豊かなものは何も得られないと思います。青春は挫折があるからいいのだし、失敗があるからいいのです。
 
 こういった物言いにも、私は格別文句がつけたいわけではない。また、「行けるところまで行くしかない」というあたりでは、私も同じようなことを考え、歩んできたと思っている。ただし、この文章からうかがう限り、姜は自分への問いかけの果てに「豊かなもの」を得たと感じているらしいことが見て取れる。これに対して、私はそういう感受がない。何か得たかもしれないけれでも、私にはそれを「豊か」とか「貧しい」とかで受け止めることができない。またそのように理解し、納得してはいけないのではないかという思いもある。それは単に、知的特権に居座ることができている、それを表すに過ぎないのではないかという気がする。悩み続けられるということは、当人の意志ばかりで果たされることではなく、何かが荷担しているので、その何かを勘定に入れない回顧は意味がないと思える。 私はこういうところに姜との違いを感じるので、漱石もウェーバーもたしかに偉大であるかもわからないけれども、それはやむを得ず人間の生きる価値から遠ざかった生き方をしたのであって、それを肯定し、それを基準として人間の生きる意味や価値、生き方を考えてはいけないのではないかと思う。
 私の言いたいことはただ一つで、「姜よ、お前の人生はまだ恵まれている方じゃないか」ということであるし、それはそっくりそのまま無名の大衆から私に突きつけられる言葉として、常に耳に届いている言葉でもある。そしてさらに、「表面を滑っている」ように見える若者たちの声なき声であるというように私には感じられている。
 
 
第五章「信じる者」は救われるか
「『スピリチュアル』百出」
 
 スピリチュアル流行の現代は、私たちの「心」が「かなり抜き差しならないところまできている」せいだと姜は見ている。それは、いまを生きる私たちの心の問題として、「何も信じられない」というところに発しているのではないかと言う。
 現代の多くの人は、誰もそういうことは明言しないけれども、現象としてスピリチュアルが流行しているということは、そういう「心」の状態にあるに違いない、というのだ。壊れかかっている、瀕死の状態にある、その他いろんな言い方ができるのであろうが、危機的状態にあると見て間違いない。養老孟司は、現代こそ「心の時代」だと言っていた。心が病み、心が飢渇している。そう受け取ればいいだろうか。
 
「宗教は『制度』である」
 
 かつての宗教は「個人が信じる」ものではなく、「個人が属している共同体が信じているもの」と姜はここで述べている。この指摘は、云われてみればなるほどと思う。
 これによって、個人は自分で細かなところを考えたり詮索する必要がなく、すべては共同体の方で答えを用意してくれていたから、個人はそれに従っていればよかったというものである。
 もう少し誇張して言えば、過去には「個人」というものの概念規定は曖昧なところにあり、共同体が優先されていたからそれでよかったのだともいえる。
 私たちの意識や思考の発達は、まず大ざっぱなつかみ方をして、時代を経て、少しずつ細分化や厳密化がはかられてきたと言っていい。ちょうど幼児の時に漠然と感受していたものを、成長して徐々にその意味内容を理解していく私たちの個の発達に、あるところまで見合っているのだと思う。文明、科学、知の発達により、私たちはいっそう、細かく、正確に理解することを強制されてきている。歴史の進展がそれを強制してきたと言ってもよい。
 これは個にとって、かなりの負担になるのではあるまいか。
 
「人は『自由』から逃げたがる」
 
 近代以前にあった覆いがはずされ、「個人」にすべての判断が託されてしまった近代以降、解決しがたい苦しみが始まったと姜はいっている。また、「現代人は心を失っている」という言い方は間違いで、「前近代の方がよほど心を失っていたのです」、と解析して見せている。つまり、一切の価値基準は前近代までは、特に日本の場合には「世間」にあったと、そこからは考えることができる。
 「心」と言うと曖昧になるので、これを個人の意識という面で考え直すと、近代以前は共同体の意識無意識、集合的意識無意識、あるいは共同幻想が個に不可分の形で意識されていたのであり、近代以降、個人の意識からこの共同体内部に浮遊する集合的意識無意識、共同幻想が徐々に剥離されていき、個の意識が剥き出しになってきたといえる。人類は、近代以降、比類なく内向的になったと言ってみてもいい。そして内面を凝視するほどに、そこに何も存在しないことを知ったのである。
 価値基準としての「世間」が内面から抜け落ちた時、私たち個々は、それを自前で作り出さねばならなくなったのである。だから多様な価値であり、価値の多様性が言われるようになる。
 「前近代の方がよほど心を失っていた」というのは、心がなかったという意味ではなく、心という器の中には共同的な観念が充填されていた、と言うほどの意味を持つものであると思う。その中に、現在ほど「自分」を探し求める必要はなかったのである。
 現在、前近代において心を占めていた共有する共同の観念は内部的に消失している。その上でらっきょうの皮むきのように、心の内部を自分探しの旅に彷徨っているというのが私たちだ。近代以降、よく近代以降の人間であることを象徴できる人々こそ、心の空虚を自覚する人々であり、それ故に心の充足を求めてやまない人々であるといえる。言ってしまえば心の飢渇が近代以降としての人間の証しなのだ。
 
「『一人一宗教』『自分が教祖』」
 
 何かを信じたい現代人は、疑似宗教、スピリチュアルに魅力を感じたりする。かといってそれを信じ切り、満足感が得られているかと言えば疑問だ。いずれにせよ、そうした対応も個々ばらばらで、おのおのが感ずるところに従ってそうしたものを探し求めているといった状況だ。結局信じるも信じないも自分次第で、それは自分ひとりの宗教、自分で自分を信じるほかないといった状態に追いつめられている。
 
「確信するまで悩むしかない」
 
 ここは姜自身の覚悟を述べているところで、懐疑の底、悩みの底をくぐって「確信」へと到達する以外に道はないだろうということだ。そしてそれは決して唯一の道ではなく、「知」にこだわりを持つ自分にとってはそうする以外に選択肢はないというように言っている。 私はどこかで「知性」というものを信じ切っていないところがあり、まして姜のように「東大」に飼われた「知性」など、いつ放してもいいくらいに思っているので、姜のようには考えない。
 漱石の苦悩が胃潰瘍をもたらすなら、私ならさっさとそんな苦悩はうっちゃってしまった方がいいと思う。それは姜との、信じるところの違い、宗教の違いなので、私は「知性」に殉教しようとする姜の「知」に、それこそ知のナルシズムを嗅ぎとる。そんなのやめちゃえばいいじゃないか。そんなに立派でなくてもいいじゃないか。私はそう考える。何故かというと、知が権威化したり権力化したりすることはよくないと思うからだ。姜の言葉には、それに対する配慮がない。すなわち、「知」の「非知」化の課題が姜には欠けている。私にはそう見える。
 知性というのはくだらないもんだよ、といえない知性を私は認めない。知性は脇にあるもので主役ではない。また先天的なものでも普遍的なものでもないと、私は思う。ただこれもまた私の宗教に他ならないから、特段強く主張したいとは思わない。
 
 
第六章 何のために「働く」のか
「金があったら働かないか」
 
 金があったら遊んで暮らすと誰もが言うけれど、ことはそう簡単ではなさそうだという話である。
 
「金があるから働かない」
 
 漱石の「それから」の主人公代助は、金持ちの親に寄生して「高等遊民生活」を続ける。 代助は仕事をしないことに理屈をつけるが、姜はそんな代助を「上手にたかっている」と批判する。
 代助の親が「働いてこそ一人前」と言ったのと同じ位相に姜の言葉はあり、どうしてもそういう考えの方に分があると私も思うが、大きな視野を持つという点に於いて、代助の主張、考えも魅力があって捨てがたい。
 大きな視野を持つというのは何物にも縛られないことだが、普通、仕事をするということはその仕事について知識や経験を蓄積し、そのことについては専門的によく分かり、プロ化していくことを意味する。つまりそのことについて詳しくなる反面、それ以外のことについてはいっそう素人化していくということになる。学者馬鹿などの言葉はその典型かもしれない。これはその仕事の領域、分野にひきこもるということだが、視野が限定され、社会全体、世界全体の動向に疎くなったりする。もっと精神的に多種多様なことを知りたいと望んでも、そうした意味での余裕がなくなっていく。それは世間一般には、一人前の人間として成熟していくことを意味するのであるが、それは大きな視野を持つということを犠牲にするという代償を払うことにもなる。
 
「漱石の復讐劇『それから』」 
 
 だいたいの仕事はみなくだらなくて、働くのは馬鹿らしいが、生きるためには仕方がないから仕事をしている。そのように現実的な生活者に落ちていくことを免れることはできない。そのへんのことが、ここでは言われている。
 
「精神のない専門人」
 
 十八世紀から十九世紀にかけての西欧を中心とした「知」の発達はめざましいものがある。
 フーコーの『言葉と物』を読んだ時に、それ以前との「思考法」の決定的な差異が、その頃行われたのだなと読み取った。「知」の分類とか、関連づけとか、整理法とか、要するに現在の社会の基礎となるところの「知」の体系が、整備されるようになった。歴史的な曲がり角が、「知」の領域において見られるように思った。
 それ以降、迷妄は迷妄として片づけられるようになった。この西洋に発した「知」は、これ以降世界を席巻していく。それは神経組織のように、あるいは血管のように、世界の隅々にまであらゆる領域において浸透していく力を持っていた。この「知」には、合理性、効率性、専門性、細分化などの属性が備わっていた。
 この「知」の潮流が進む中で、職業もまた細分化、分業化を進めた。労働者としての人間は、体系、組織、システムなどの一部分としてのみ必要とされるようになった。
 気がつけば、人間は全体性を失っている。漱石は「片輪な人間になる」と言い、ウェーバーが「精神なき専門人」と呼んだものは、こんなところに由来している。私たちはいつの間にか職場に設えられた小窓を眼鏡として、そこで見える世界を、まるでそれが世界の全体であるかのように錯覚しているのである。個は個性という差異の集合となり、他者は領域の違う専門性として疎遠になっていくばかりである。
 
「他者からのアテンション」
 
 ここで姜は、なぜ働かなければならないかの問いに答えようとしている。そして、他者からのねぎらいの眼差しを受け取り、他者にねぎらいの眼差しを向けるためだ、と答えている。
 この答え方は、『それから』の代助が考える、働くことは人間性のうちのある部分しか必要とされないから、他の部分も同様に発揮させたいと望むと働くことができなくなる、という考えの批判として出されている。
 現実には、働かないで一生をまっとうする生き方というものはなかなかできるものではない。ならば働くことにどんな意味があるかということで先の姜の答えはあるのだが、代助の考えを否定するようでいて少し次元が異なっているように思える。
 次元の違いがどこから来るかと言えば、今の社会にある職業、仕事はいやだという代助の考えに対して、姜はそれを「働く」行為そのことだけに抽象して考えているところから来ると思う。丁寧に隠されているけれども、マジックがあり、その種を姜は伏せて明らかにしていない。
 「働く」ことの意味を考える姜は、現代社会の中でのことに限定して考えているように私には受け取れる。しかし、「働く」という行いは、人類のどの社会どの時代にもあったことであり、今に限定して考える必要はない。代助はもちろんそういう一連の流れの中で「働く」ことを考えているのであり、「働くこと」そのものを嫌がっているのではないように私には受け取られる。
 働くことは古代には自然の恵みをいただくことであった。それから人間は、恵みをふやしたり、大きくするためにいろいろな工夫を凝らした。働くことは、直接その恵みを自分の手中に収めることであった。その時、働くことは生きることそのものであるか、あるいはその大半であることを意味した。
 現代社会では、働くことは労働を提供することである。もっと誇張して言えば、働く機械になりきることを要求される。その人の個性、人格は無視されるか邪魔にされる。こういうと言いすぎかもしれないが、突き詰めればそういうことになると私は思う。そういうところで姜のように、労働、つまり働くことで「相互承認」のきっかけが出来るからといって、それが働くことの意味だと断定するのはおかしいと感じる。それは事実かも知れないが、「相互承認」の前提ではない。あたかも社会における孤独や疎外感が、働かないところから来るように言うのはマジック以外の何ものでもないと思える。
 姜のように考えれば、「自分は見捨てられている」、「誰からも顧みられていない」という思いを持つことは、この社会で「働く」という責任を果たしていないからだということになる。それは一面において真実ではあるだろうけれども、では人間は社会に従わなければならないのかといえば、私はそうでもあるし、そうでもないと考える。これはたとえば良くない譬えだが、北朝鮮のような国で働くことを想像してみればはっきりすると思う。かの国では金正日のために働くことを要求されるとして、はたして「相互承認」の理由だけで進んで仕事しようという気になるだろうか。少しでも世界的視野を身に付けたものならば、働かなければならないが、それでも嫌だという気持になってしまうのではないだろうか。代助の気持ちはそれに近いものがあるのであって、姜のように、働けばいい、働くことによって社会の一員としてのスタートラインに着けるという考えを、私は素直には飲み込めない。
 逆の言い方をすれば姜のように、東大教授の椅子にしがみつくものが多いからこの社会も職業も固定し、個々の人間にとってその椅子の争奪がいっそうきつくなるのだし、その椅子の価値だけが株価のように跳ね上がっていく。そういう現状を維持し、いっそう強固にしていくのに与っているのはきみたちの協力によるものではないかという言い方さえできるのかもしれないと思う。
 ちなみに私は生活のために仕方がないから仕事をしているが、生活者としての自分と考える主体としての自分を分けて考えていて、考える主体としての自分は誰からも認められていないという思いをずっと持ち続けている。年数から見て大きく三つほどの職業を変遷してきたが、どこでもいつも半身は「誰からも顧みられていない」ことに身もだえてきた。だから仕事をすることが、生きて行く上で百パーセント不可欠だとは考えない。他者から認められなければ生きられないというのも、本当に実践して生き切ってみなければわからないことだと思う。
 また私が今勤めているギャンブル場には、定職についていない常連が多いが、同好の士として承認しあっているように見える。姜が指摘したテレビドキュメントのホームレスの男性についても、ホームレス仲間があって「相互承認」なされている場合だってあるだろう。
 姜は私よりもより現実主義的といえるのかも知れないが、私には既得権の行使の印象が強くて、姜の讃える漱石やウェーバーに遠く及ばないと思う。漱石やウェーバーの思考には、隙あらば枠から飛び出すことも辞さないといった覚悟が感じられるが、姜の考え方には枠内に留まってそれを肯定しようとするに比重が置かれているような来さえしてならない。もちろん、それはそれでいいのだが、私は同時代の人としてそれを飽き足りなく思い、また情けないという一縷の思いを抱く。
 姜は働く意味として、他者からのねぎらいの眼差しを受け、他者にねぎらいの眼差しを向けることだというが、それは今姜が周囲に認められるそれを感じて言っているものなのだろう。言い換えれば今の姜の働く環境が、そういうところにあることを物語っている。大変結構なことではないかと思う。その分、彼の文章にはおだやかさと充足感と暖かみとがその行間に反映しているように思われる。結構なことである。そして外には何も付け足すことはない。
 
「コミュニケーション・ワークス」
 
 製造業などの第二次産業中心の時には、ベルトコンベアーに象徴されるような部分に固定されるような仕事が多かったが、二十一世紀の今日の日本ではサービス業が主流で、これは人間関係をメインとする「情動労働」と呼べると姜は指摘している。
 サービス業という職種はマニュアル化しにくく、肉体労働、単純労働と違い、ある意味では「どこまで」という制限もなくて、果てしなくのめり込むきつさもあるとされる。
 
「『全人格性』を取り戻す可能性」
 
 前項を受けて、サービス業にはそれだけに大きな可能性があると姜は言う。
 
ウェーバーが言うように、専門分化の進んだ社会では職業人は一面的たらざるをえませんが、現代のサービス業は、逆に全人格性を取り戻す可能性を秘めていると言えなくもないのです。
 
 果たして今日のサービス業は姜が期待するように、全人格性を取り戻す可能性を秘めているものなのだろうか。
 
 私自身、サービス業にたずさわる者として、毎日多くの人とコミュニケーションをしますが、疲れながらも、やはり多くのものをもらっていると思います。そして、その場合に得るものは、やはり働くことの第一義である「他者からのアテンション」の一種ではないでしょうか。
 
 姜は、このような自分の体験から考えて述べているのだが、大学教授という職業の、サービス業としての実態を私は知ることができない。私は小学校教員として、少しばかり似たサービス業の経験を持つ。そこでは主に子どもとのコミュニケーションが中心で、しかし姜と同様に、疲れながらも、そこから多くのものを学び、得たという気はしている。しかし、現在の学校の教員という仕事では「他者からのアテンション」をそれほど望めないし、難しいと感じる。それは「評価」とも結びつくが、アピールの巧拙にもよると私は思う。また、サービス業というその世界で、誰に何を期待され要求されるかによっても、その成果は異なる。その意味では同じサービス業という範疇にはいるとしても、大学教師と小学校教員とでは比較できないものがあるだろう。現に多くの小中の公立学校教員は、精神的に不安定になったり悩んだりしているといった調査を見かけたこともある。全人格性を取り戻す可能性どころか、逆に精神的苦悩のもとになってしまっていると捉えることもできるのではあるまいか。
 サービス業を含んだ第三次産業の隆盛により、第二次産業が盛んな時代の公害病である結核に置き換わる公害として、以前、吉本隆明は精神的な病をあげて主張していた。私はその主張は面白いと思っていたし、漠然とだが時代や社会状況を正しく捉えた見方ではないかなと感じた。
 姜はここで逆に、ウェーバーが言うところの専門分化に特出した職業人の人格の一面性が、全人格性を動員するかのようなサービス業によって変わる可能性を示唆していて、それはそれで面白い視点だと私は思った。だが、姜が自己体験から振り返って見いだしたその可能性が、姜が言うほどに楽天的に他のサービス業などについても言えることだろうか。私はいささか疑問に思う。
 
 人間というのは、「自分が自分として生きるために働く」のです。「自分が社会の中で生きていていい」という実感を持つためには、やはり働くしかないのです。
 
 なぜ働くかについての結論を、姜はこう書いている。半分は肯定できるが、半分は疑問として残ると私は思っている。
 多少のブランクはあるけれども、私もまた長い間社会の中にあって働いてきた。だが、その結果として、姜のように考えたことはなかったし、今もそのように考えることができない。
 これを単純に、では定年退職した人間はどうなのかと考えてみても、姜の言うことは半分しか言い切れていないと思う。働かないんだから生きていられない、ということになってしまう。
 労働の初源は、もっと単純なものであったと私は思う。作業そのものばかりではなく、働くことにつながる関係や構造や一切のものが、ひどく単純だったはずだ。それが現代では社会そのものの複雑化とともに、働くことにまつわる一切が複雑化し、高度化し、システム的な編成に組み込まれてしまった。ここを了解せずに、単純に「働く」ことに抽象して論じても無意味なのではあるまいか。
 私は、働く行為の背景の歴史的な激変に、人間はすでに対応しきれないところまで来ているのではないかという気がしている。例えば都会の満員電車を例に取ると、あれはもう人間の動物的なテリトリーという側面を無視しないと成り立たないのであって、かつて人間が持っていた動物的な本能の一部を切り捨てるほかにそこに居続けることは難しい。見知らぬものどうしが、肌が触れあうことさえ厭わずに日々を繰り返すということは、動物本能的な見方からすればすでに異常な事態である。人間の理性はそれを我慢するように自分の本能を飼い慣らした。それと同様に、本当は、人間は超人間にならなければ働くことさえままならなくなる時代が、目の前に到来しているのではないかと感ずる。第一次産業から二次産業、そしてサービス業を含む第三次産業と産業形態が複雑化するにつれ、私たちの「働く」行為は、意識すると否とに関わらず、高度化し、複雑化していっているのである。その高度化、複雑化した形態に、生身の私たちが耐えられるか否かということが問われてきているのではないかと私は考える。
 いっそう、古い人間性をかなぐり捨てて超人間、新人間に一皮むけていくのか、あるいは古き人間性に立ち戻ろうとするのか、おそらくこの二十一世紀には歴史の曲がり角を迎えてしまうのだろうと私は想像する。
 こういう考え方から見れば、姜の文章はなお牧歌的に映る。果たしてそんな段階なのだろうか。姜の言葉に目覚め、ニートやフリーターが、「自分として生きる」ために、あるいは「社会の中で生きていていい」という実感を求めて、「働く」ことを再認識して懸命に努力をするというように変わるだろうか。 私には、若者たちの精神の飢渇は、私たちの世代よりもさらに一段深くなって、手の施しようがないところまで行き着いているような気がしてならない。もっと言うと、本能を規制したり、切断してきた度合いに応じて、すべての意識的な根拠がどこに依拠しているかわからない状態に陥ったと見るしかない。 働く働かないなどはもうどうだっていいのだ。制御不能になった自分をどう生かすか、自身の手の届かぬところで、もはや虫の息の本能に身を預けるところまで行ってしまっている。
 漱石やウェーバーは、姜が考えるよりもよほど先の未来を射程に入れて考えていたように私は思う。文明はいっそう発達していくし、分業分化はさらに細分化するのかもしれない。専門人からはいっそう精神が抜け落ちていき、想像を超えた片輪な人間がより多く生まれ続けていくのかもしれないのである。そうとすれば、姜の言葉にどれほどの効果が期待できるものか。ただ自分を満足させ、自分を充足させる効果を持つというだけではないのか。私はそう思う。
 
 
第七章「変わらぬ愛」はあるか
「純愛ブーム」VS「マゾ的性愛」
 
 現代は「愛」について多くのことが語られたり、扱われたりしているけれども、「愛」が何か、分かりにくくなっているのではないかということが言われている。
 
「恋愛幻想の果ての『流刑地』」
 
 漱石は近代知識人の「恋愛幻想の悲劇」を描いた。頭の中の「愛」は美しいものだが、現実に具体化されると変貌する。「結婚は人生の墓場」という言葉は、そうした真実の一端を示す。
 
「『自由』が愛を不毛にする」
 
 恋愛の自由。自由な恋愛。それらの自由さによって、かえって愛は不毛な、不可解なものになってきている。
 
「『絶頂』で終わらせたい」
 
 若い時に、好きあっている、愛し合っていると相互に認められている時点で、心中するのが一番美しいのではないかと考えた時期がある。それは、所詮、愛情とか、心に思うことはすべて変わるものだと、心に問うて知っていたからである。今は、あまりそういう考え方はしない。
 
「相互のパフォーマンスの所産」
 
 どんな形であれ、相手の気を引こうとする行いが続く限り、愛は継続しているという考え。そして姜は、「結婚してよかった」と結んでいるが、勝手にしろと言うほか無い。
 
「灰の中の残り火、それも愛」
 
 漱石は、夫婦の不毛に見える関係を多く描いたが、所々に光が見え、灰の中の残り火のようなぬくもりが感じられると姜は言う。また、「漱石は、日常的な男女のあり方の中にこそ、最大のアバンチュールがあると考えていたのかもしれません」とも述べている。そして、考えてみれば漱石の作品の主人公たちは、決して愛に対して怠け者ではなかったとも言っている。
 姜の指摘は、だいたいにおいて当たっているのだろうと私は思う。ただ私には、漱石は愛を探求はしたが、愛や愛情生活を体現した人ではなかったという思いがある。姜は、その点で漱石の愛の探求にこそ、現実的な愛の姿を見ているのかもしれず、もしもそうであれば私は姜の言うところに異論はない。
 ここで私はどうしても島尾敏雄の、夫婦を描いた小説群を思い出す。夫の不倫を契機に、妻は精神に破綻をきたす。家庭は崩壊の危機に直面し、夫は妻の神経症の治療のための入院に付きそう。病棟での壮絶なエゴのぶつかり合いは果てしなく続き、どうしてそこまでして人は人を求め、また憎み合わねばならないかと呻きとともに思った。姜の考えを引き延ばせば、これもまた、いや、これこそは愛の姿と言えるものかもしれないが、私には最早「愛」という言葉など無意味に思われる程の、超越した一対の男女の関係がそこに露わになっていたのであって、これは衝撃以外の何ものでもなかった。そして同時に、人間にしか演じられないドラマが眼前に突きつけられているように思われた。
 そのドラマから「愛」だけを取り出せば、私たちが普通考えるところの「愛」は、何度でも終わりを繰り返したに違いないと感じる。けれどもドラマの終わりに、夫婦の存在の奥底からかすかに浮かび上がってくる、一筋の光がたしかに見えてくるのだ。私にとっては、それを「愛」と名付けようが名付けまいが、最早どうでもいいことになってしまう。言葉を失った果てにこそ、真実は浮かび上がってくるものだとでも言うように、それは今も私にたくさんのことを語りかける。そしてそれは安易な言葉にしてはならぬと教える。心あるものはただ、島尾の小説を読み、言葉を失って後、失語の中から熟成した発語を自分の中に待ってみろと言うしかない。
 姜は、しかしここで私の言うところが分からないわけではないと思える。結びに彼は次のように言い、「愛」の概念を別次元に引き上げようと試みているからだ。
 
 繰り返しますが、愛とは、その時々の相互の問いかけに応えていこうとする意欲のことです。愛のありようは変わります。幸せになることが愛の目的ではありません。愛が冷めたときのことを最初から恐れる必要はないのです。
 
 これは押したり引いたりを、どの程度同一人物に対して持続できるか、それを執拗に持続できて愛と呼べると言うのに近い。もちろんストーカーのように、一方の思いこみばかりでは、恋とは呼べても愛とは呼べないことも含んでいる。そしてその関係の絆が、太く、強くなっていくことが、より本物への愛へと育っていくものだと姜は言いたかったに違いない。もしもそれを「愛」と言う以外の言葉で表すことができないものとすれば、私にとっても肯定すべきものかもしれないと思える。
 
 
第八章 なぜ死んではいけないか
「例外状況」と「臨戦態勢」
 
 安定した法や秩序が無力となる危機的状況、生きている意味がわからない不安な状況、こうしたものが相まって個人は精神的、生理的に不安定になり、そういう雰囲気の中で心の「臨戦態勢」を整え、精神の緊張状態を持続させている。
 こうした姜の指摘は、現在の社会の現象や世相をよく写し取っていると私は思う。
 
「死は無意味、ゆえに生も無意味」
 
 トルストイの言葉、「無限に進化していく文明の中で、人の死は無意味である。死が無意味である以上、生もまた無意味である」、を紹介し、先へ先へと猛進していく時代の生きにくさについて述べている。生き甲斐の無さ、生きている実感の無さ、代替可能な気分から生きている意味が摩滅していくという。
 
「慣習による抑止力も無効」
 
 昔は慣習、慣行のような、ある種共同幻想といえるものから抑止力を受け、苦しくても生きる力になっていたものはある。しかし、現在は、「自由」が進み、何でも自分で決めなければならない。言いかえれば共同幻想から死ぬことを思いとどまろうと考えることがなくなった。当の自分はあやふやだから、それは否定を否定する力にはならない。そういう時代だとここでは言っている。
 
「何が生きる力になるのか」
 
 抑止力になるものを精神の伝統とか慣習から得られないとすれば、それに変わるものは何か。姜は、結局のところ、個人の内面の充足、すなわち自我、心の問題に帰結すると述べている。
 つまり、他者との心のつながりだと姜は言う。
 私は姜の言葉を否定するわけではないが、もう少し根本的なところで、遡れば胎児からの育てられ方の問題があるような気がしている。一歳になるくらいまでの間に、平穏に、愛情豊かに育てられたら、その無意識の記憶は生きる意味や価値の壁を形成して、それを越えて自殺することを困難にするのではないかというように。
 姜はここでも「一人では生きられない」とか、他者との相互承認の大切さを述べているが、そもそも漱石の暗さや、孤独は、その生い立ちに原因があるという見方もできる。そして小説の上ではぎりぎりのところで他者との相互承認の関係を描いても、自らの実感としてそれに安住できたことなど一度もなかったというように見ることも可能だろうと私は思う。
 姜が言う自我の孤独とは、意識の上で言えば表層か中間層に起きる問題で、無意識の深層、あるいは核に当たる部分の問題ではない。 逆に見て、無意識の深層や核の部分に孤独が住みついていれば、それは後々自我の孤独として表に露出すると見ていい。
 漱石が、『心』において、人とのつながりを求める人間の切実な気持を書こうとしたのではないか、という姜の指摘は間違いではない。しかし実際に漱石がそんなつながりを信じたかどうかは別だと思う。
 
「つながりを求めつづけろ」
 
 ここで姜は、人と人のつながりが大事であることを述べている。そして自らも「人との間に相互承認の関係を作ってきたような気がする」と言っている。また、「自分が相手を承認して、自分も相手に承認される。そこからもらった力で、私は私として生きていけるようになったと思います。私が私であることの意味が確信できたと思います。」と続けている。この本全体を通じてだが、姜が「人との間に相互承認の関係を」築いたり、「相手を承認して」「相手に承認される」と言うときに、いったいどういう人、どういう相手を指しているのか、またどういった相互承認なのか、その具体性が私には少しも見えてこない。あるいは仕事上の相手である学生や他の大学教授、あるいはマスコミ関係者、知り合った政治家等のことを言っているのであろうかなどと思う。そしてそれならば、相互承認の関係づくりとして自分を認めてもらうために刻苦勉励し、教授の職を得たことなども含むのかと考えてしまう。
 だから、どうかするとこの項は、成功者の自慢話のように聞こえてしまう。
 だがもう少し謙虚になって姜の言いたいところを推察すれば、ときに煩わしくもなる人との関係において、短気になったり自暴自棄になったりして自ら関係の糸を断ち切るようなことはするな、ということなのかもしれない。押したり引いたりしながらねばり強く、何度も何度も相手の懐に入り込むことを繰り返しながら承認を勝ち取り、同じように相手のことを繰り返し繰り返し理解するように努めろと、そういうことなのかも知れない。
 それを、「つながりを求めつづけろ」「人とのつながり方を考え」ろという言葉で言っていると思うのだが、おそらく、それを求めつづけて解が得られるのだとは私には思えない。やはり、機が熟すということがあるのだろうと私は思う。人とのつながり方を夢中になって考えているうちに、あるひと山を超えてしまった。そんなふうな危機の脱し方もあるのではなかろうか。とすれば、自分にとって真に切実な問題を、一生懸命根気よく考えつづけるということ、言いかえればそういうことに帰結するのではなかろうか。そしてこう言ってしまうと、内実は何も言わないに等しいと思えてくる。
 この章は、「なぜ死んではいけないか」という問いに答えようとするもので、生も死も軽んじられる最近の世相に向かって、姜は知識人としての精一杯の思考をし、言葉を紡ぎ出そうとしたと見える。そしてその姿勢を私は肯定する。立派な態度であり、覚悟であるとも思う。
 私は少しばかり姜の考えと違うと思うところは、現実の他者との関係を、姜ほどに重視しようとしないところにあると思っている。なるほど、若いときに私も「自分が何ものでもない」、「誰からも承認されない」そんな思いを抱いていた。私はそこで承認されない自分を肯定し、何ものにもなるまいという考え方をしようとした。それはおそらく変遷してきたのではあるが、その時私は別のところに「生きる根拠」を探ろうとしていたのだと思う。それは幻想の中、観念の世界の中での「他者との共通」、すなわち「つながり」を根拠と考えたのであって、現実の人とのつながりについてはある断念、若しくは最小のつながりでよいと覚悟するところがあった。
 私は「なぜ人は死んではいけないか」に答える用意はしてこなかったが、「なぜ私は死なないか」については言うことができる。
 死にたいと思うことはあった。しかし、そう考えるのは意識で、意識は私の全体ではない。死にたいという意識は、言ってみれば意識自体が消失したいという意識であって、その消失は身体の死をもってしか消失しにくいという困難がある。私はどこかで、「私」とは決して意識そのものではないと思い込んでいるところがある。意識は「私」全体の中で、重要な一部であるに過ぎない。その一部分が全体を左右することは、どこかおかしいと考えた。
 生死は、人間の脳に一つの根拠を置く意識ごときが左右すべきものではないというのが私の考えだ。命は尊いものだとか、大事にすべきだとかの議論の以前に、そういう意識を産み出す根源にあるものであり、それを左右することは意識にとって絶対的な矛盾であり、それによって初源から意識とは「信用のおけない」あるものであると私は考えてきた。もちろん私たち人間は、意識を指針として生きる生き物であるから、これをはじめから不信と見なすには抵抗があるに違いない。私が言いたいのは、意識は意識であるに過ぎないというただそれだけのことだ。意識は一面で純粋な脳の働きであって、それをどう活用し制御するかもまた脳の働きであり、意識を意識する意識の働きであろう。私はそう考えるというだけだ。こういうことをぐだぐだ考えていると、いつしか死にたいという気持も通りすぎていく。意識には、一過性という側面もある。だから信用をおきすぎてもいけない。 姜が中途半端にではなく、大いに悩めと言う言葉の裏側には、悩み続けるということが生きることなしにできないものであること、悩むことに底もなければ限界もなく、悩みの過程で死に至ることはないということ、また人生にはあることに夢中になっているうちにふと気がつくと、見知らぬ平野を歩いていたというような転機の訪れが必ずあること、そうした人生経験が貼り付けられているように思われる。いずれにしても、最後までやってみなければ結果はわからないのであり、結果が見えたときには人生にさよならを言う時を迎えたということであり、そういうことでいいのではないかと姜は言い、私もそう思うと言うことになると思う。
 
 
終章 老いて「最強」たれ
「彼らは若かった」
 
 漱石は五十歳、ウェーバーは五十六歳でなくなった。老いについて考えるときに、意外に先達は少ない。
 
「分別のない老人ばかりになる」
 
 老人は分別があり、老成しており、枯淡であるというイメージは昔の話で、これからは通用しない。
 
「老人力とは『攪乱する力』」
 
 老人とは子どもと同じように、「社会の規範からはみ出した者」。定年を迎えて無職になれば、「社会人」とは言わない。
 これからの老人力とは、生産性や効率性、若さや有用性を中心とするこれまでの社会を、変えていく「攪乱する力」となる。
 
「『死』を引き受けて、『恐いもの』なし」
 
 近隣の死を体験することにより、死に対する心構えが出来、丸ごと引き受けてしまえばよいと考えたという。
 姜は別な言い方もしている。子どもは死というものを知らないから、死に対する恐れもない。そのように自分をもっていけばよいということらしい。もちろん、死を知った上での子どもになれ、怖がるな、ということらしい。
 これを私なりに解釈してみれば、例えば子どもは怖さを知らずに無謀な冒険をすることがあるが、それをすれば死ぬかもしれない怖さを知った上で、あえて子どものように冒険をしろということなのかもしれない。
 
「『一身にして二生を経る』」
 
 恐いものがなく、分別もないんだから、何でも出来る。姜は今そう思うことがあるという。
 姜のやりたいことは、一つは役者、もう一つはハーレーで日本縦断、そして朝鮮半島の南北縦断の旅をすることらしい。
 最後に、結びを引用して私の「悩む力」体験を終わる。
 
 事実、いまの時代はいろいろな意味で突きぬける必要があると思います。政治も経済も知の世界もいっぱいいっぱいになっています。重箱の隅をつついても、小競りあいを続けても、閉塞感は打開されないでしょう。
 見まわせば、小悪人とか、小悪党とか、プチナショナリストとか、プチ潔癖性とか、「小」「プチ」がつくものが多すぎます。どうせなら、もっとスケール感のあるもののほうがいいと思うのです。「ちょい悪おやじ」などは、そろそろやめにしたいところです。
 若い人には大いに悩んでほしいと思います。そして、悩みつづけて、悩みの果てに突きぬけたら、横着になってほしい。そんな新しい破壊力がないと、いまの日本は変わらないし、未来も明るくならない、と思うのです。