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  「浮遊の身体」
 
カメラの前に透明なビニール袋をかぶった男が横たわっていた
フラッシュが焚かれ シャッターが切られる瞬間
見開かれた目と 袋の上から縛ってあるヒモとが鋭く刺し込んできた
男の目は何も訴える光が無く そのことでぼくは酷く打ちのめされた
 
一人の男は乾いていた
彼は縛られた袋の中で身動きひとつせずに服を脱ぐことができた
ぎょっとしてぼくは目を伏せた
 
一人の男は濡れていた
彼の穴の開いた目から煙のような涙が立ち上っていた
ぼくの唇から血がにじんだ
 
一人の男は微笑んでいた
彼は消え入るような幽かな声で確かに「ごめんね」と呟いた
ぼくの目はパッキンのない蛇口になった
 
ぼくは 男が自分であるのだと感じようとして
ビニール袋をかぶり 肘から下を使って体にヒモを巻いた
巻いたヒモはずり落ちて
わずかに手首を使って絞められるだけだった
それからは マジックのような罠を仕掛けて時を待った
ぼくにとって それは人生の作法に思えた
 
男の生き方を 彼にとっての自然だと悟った
それは 肯定も否定もできないことだと感じた
また 男がいつまでそうしているのか 誰にも分からないことだと考えた
たぶん彼自身にとっても
 
水面に浮き上がりまた深海に沈む
ぼくはそんな生き方をしているのだな と思う
 
 
 
  「不汚不浄」
 
嵐は過剰が引き起こすのだ 地球のリビドー
正義とか真理とか 何かをしなければならないと焦燥したときに立ちのぼるもの
救済とか生命の安全とか国家の防衛だとか
 
理性もまた煩悩の掌の中にあって業縁に翻弄される
こうして人為の越えたところを自然(じねん)と呼ぶのであろう
 
わずか半世紀ほど前
人民の指導者たちは最も人民の心を理解せぬものたちだった
そして現在は なお鋭く深く差別が浸透する
制度から個人のレベルへとスライドしながら
 
旧き良き時代には愚かではあっても共に生きることが可能であった
たとえば人たちの心はそのようなものであった
時にはののしりながらも傍らにあることを認め合っていた
いつから邪魔者は締め出されるほどに人と人との関係は困窮してきたのか
そのことに誰もが不審を抱かぬようになっていったのか
父も母も友人も師も 見放すことにおいて等しく寛大になってくる
 
人という名の下に無条件に かつて成り立ち得た愛は半透明に消えかかっているのに
動物の愛護や自然を守れの声が聞いて呆れる
穏やかな善人の顔つきで 悩み苦しめるものをこそぷっつりと突き放してみせる
善と呼ばれるものの心の質が分からない
 
広くこれらをも自然と呼ぶものであるならばまさしく自然ではあるのであろう
だが 善とは悪を作り出すものの謂であればこそ
「善人なおもつて」の声がひときわ気高く響き渡る
千年の歳月をかけて
愚や悪や苦そして悩の理解においてその一声に及ばない
この国も民もそんな道をひた走ってきたのだ
 
 
 
  「床入りの儀式」
 
6時過ぎの夕飯を終えて
7時も過ぎれば 早眠くなってしまいます
まるで死の支度のように
人生というテレビを横になってながめ
ふっと目を閉じればそれで決まり
なあんて おあつらえ向きに行くものかどうか
 
ふと声をかけられて
我が布団にまで這いずっていき
服を脱ぎ捨てて潜り込む
この幸せも あと幾度を数えるものかと思いつつ
噛みしめる この無精の時
 
少年の日の其処此処にあった
全ての停止の中に開かれた視覚の中の映像
それは無生物と生物の如何を問わずに構成され
溶け合った一瞬としかいいようがない
美とはそういうものだ
そして迎える死もまた
その一瞬と永遠とへの入口にしか過ぎない
 
季節は 今もきみを着飾って
風景は何処までも光と影との割合の中に揺れている
モノクロめいたきみの心を引き裂くように
さっと色彩を引き裂けば
胎児のように濡れてよみがえる きみの初源
 
床入りの儀式の後で
明日のきみに
自由以外の何物も残されてはいない
 
そう夢の中で言い残し
言い残したいと思いつつ
いつしか眠る毎日
 
 
 
  「移ろう生」
 
陽の中にあるいは驟雨の中に 雷鳴の中に風の中に粉雪の中にまた陽の中に
呼吸し 舐め 味わい旨く 傷ついて 躍り上がり 震え縮み 浸かったまま
浮かび 繋ぎ止められ 注がれ 共鳴し リズムをうち リズムを打たれ
 
宇宙の中に 大気の内側に 子宮の壁に
守られ 暖かく 冷たく 翳り 晴れて 流れ 滞り 孤独と 共存と
会話と よそよそしさと 凪と さざ波と うねりと
 
産み落とされても 多分子宮の中の反復を生きてきた
内臓が 聴覚が 視覚が 触覚が 脳髄が 記憶していた
察知が未来を奪った
 
真昼時 ひと組の家族が庭に立ち
それぞれ思い思いの方向を向いて無言の時を過ごしている
こころの中に 花まじりの小雪が散っている
誰もが目をそむけて幸せを装わなければならない
どこまで見て見ぬ振りができるかが人生の行方を占う
そんなところに絶対の愛が住めるわけがない
唯一 絶対の諦念を共有し合う以外には
 
いつしか地上に子宮のバルーンが上がり始めた
胎児とその進化の幻が
切り離された一人一人の人間が
閉じこめられた子宮の中で地球の鼓動を聞いている
その目は閉じているようでもあり
かすかに陽を感じとっているようでもある

こころには
地球のこころが刷り込まれて行く
日々のニュースペーパーの活字のように
螺旋にねじり合いながら 
 
 
 
  「はからずに」
 
ひと日の日を紡いでいる仕事場の中の
今日はいい一日であったのか炉辺に笑いの花が咲いていた
誰もが善良であった 別れには
ひとりまたひとりと「お先に失礼します」の声に
「お疲れさまでした」の声が重なってくる
暗がりの中を乾いた足音が響き
そういえば若き日に
こんな暮らしを願っていたことを思い出す
 
世相は重く沈んで殺伐とした雰囲気のにぎわいを見せている
手に入れた分譲住宅にはどこもかしこも物の怪だらけだ
いつものように車の扉を閉じると
玄関ごしの明かりの中に妻の姿が立っている
「疲れた」と言ってお茶を飲み干すのも いつもの通りだ
家族の人数に物の怪を交えて ここまで何とかやってきた
ぐい飲みをふたつ空にして明日は来るだろう
 
ごくふつうに生きてきて
苦さも甘さも味わってきた
死を思うほどの悲しみも苦しみも僕たちだけのものではない
これからもごくふつうに生きていくほかに僕たちの生き方はないんだ
楽しかった思い出がおまけのように僕たちの未来を照らしてくれる
ささやかでいいんだ
いつまでも闘わなくたっていいんだ
いろんな物差しにはかられながら
僕たちは物差しではかることをしないで生きていくんだ
やっぱり 僕たちは遠くまでいくんだ
小さな声で生きるんだ
小さな声を大切にするんだ
そうして呼吸の力が尽きたとき
静かに微笑むんだ

 

 

 

 「うかれないで生きるための箴言」

意味や価値のある生き方というものは
必ずしも主役を演じるということではないな
大勢の生き死にを視るにつけ
少数の讃えられる人々の生き死によりも
圧倒的多数の名もなき人生が好きだ

人を蹴落とすほどの自己主張もなく
威張り腐った態度もなければ
支配に追従することもなく
また人を支配下におくこともなかった
肉親や仕事仲間といった狭い関係の中で
ふっと自分の素顔を見せる
強さも弱さもきちんとわきまえて
自然に振る舞うことができていた
それが本当の人間の姿だとでも語りかけるように

天才も偉人も世に名を残した人々は
ふとした一瞬の気づきの中で
きっと名もない人生の達人に嫉妬したに違いない
と ぼくは 思う
それで満足できる生い立ちであったら
それが一番だったのだと

物的にか心的にかハングリーな生い立ちが
チャンピオンベルトに登りつめたように
満ち足りることを知る精神には
自分を優位に持ち上げるための刻苦勉励などは必要なかったに違いない
みんなからちやほやされる生き方など
ただ煩わしいことだと それだけの思いしかなかった
釈迦やキリストが考え抜いたことなど
考えることなく とうにその人生に刻んで過ぎていった人々は
少なからず存在していたのだ
意味や価値の幻影を振りまいて派手やかに生きた人々には
どこかしら悲しみの影がつきまとう

波風のないたいくつな航海こそ 本当は目指すに値する 



  「誰もが思うことについてのある日の思索」

きれいに整った顔がよいものだと誰もが思っている
そうでないものたちは 以前は早くから夢を諦めた
今は 洗顔に時間と金をかけ 化粧にも想像を絶するほどの工夫をする
それでも飽き足らなければ整形という奥の手もある

顔や容姿ばかりではなくて
脳の働きもまた競われるものになっている
知識理解に長け 表現力が豊かで 思考力もある
頭のブスがそのままでは許されない
そんな子どもになりたいとか育てたいとかと誰もが思っている
そんなふうになれない子どもたちは 以前であったら早くから夢を諦めた
進学する代わりに仕事で金を稼ぎ 自由に買い物することを夢見た
今は 試験の対策に時間と金をかけ 
合格に向けての学力だけはその身に着せてもらうことができるようになった
とりあえず 進学だけはしておこうという時代だ

顔も頭も良くなることは決して悪いことではない
けれども こうした現象には何かしら疑問を感じる

美しい顔がよいということ
勉強ができることがよいということ
この二つに共通して感じられるところのものは
一種の憧れであるとともに

なんだか現実離れのように感じられること
身近にあればあまり重要な事ではないに違いないと想像されることだ

人間を見るときに
こんな物差しではかられたんでは
自他ともにいやな思いでストレスを溜め込むばかりだ
顔や容姿にとらわれない
勉強ができるできないにとらわれない
そんな社会や学校のできることが
さしあたって必要なことではないのか

『きれいになりたい』とか
『勉強ができるようになりたい』とか
なんだかもの悲しいけれど切実な魂の咆哮が

今日も猫の鳴き声のように遠い闇の中から聞こえてくる

 

 

 

  「ルールの違い」

 
ケンちゃんはぼくから3メートルの距離を置く
2ヶ月たっても3ヶ月たっても変わらない
どんなに勉強しても どんなに本を読んでも
彼と本当には理解し合うことはできない
 
追いかけたり 脅したり
食べ物で釣ろうとしたり
ぼくは 自分に嘘をついているような気がして
結局は ケンちゃんにぼくの勝手な愛情を押しつけたがっていた
 
その頃に思ったことは
ケンちゃんを動物や縄文人や異文化の人のイメージに変えて考えることだった
動物とは失礼だが ケンちゃんはケンちゃんで
ぼくのことを悪魔だとか鬼だとかのように思っていたに違いない
ケンちゃんにはケンちゃんのルールがあって
ぼくにはケンちゃんの生き方のルールが分からない
その時 ぼくはぼくの頭が「今」という時代の
「ここ」という場所のルールが溢れるほどに詰め込まれていて
それ以外のルールを受け入れるほどの余裕のないことを知った
 
万が一ここに縄文の人が現れたり アフリカの原始の人が出現したとして
ぼくにできることは何だろうと ずいぶんの日数を考え続けた
言葉や理念や経験や その他の一切の共通がないところで共生は可能なのかと
ぼくの出した結論は簡単なことだ
規模の大きなところからの視点で見るというただそれだけのことだ
彼の今あるルールをどんな形であっても粉砕しにかかってはならない
 
その後ぼくはケンちゃんとメダカ取りやザリガニとりに出かけた
ケンちゃんはクレーン車やヘリコプターほどには興味を示さなかったけれど
ぼくには忘れられない思い出になった
彼との距離も1メートルくらいにはなったかと思う

 

 

  「冬の裸木の上から」

 
風に舞いながら降る雪の中に黒い裸木がある
枝には電線の雀のように
人間たちが丸くなって留まっている
 
飢餓に力無いミイラの骨格の露出した幼児や少年たち
そこにも あそこにも 人為のために
人為をこえて 助けを求めない その声
(きみだけではないG ぼくが見て見ぬふりをして 
   口ごもり そのことでいくつもの命の消失を食い止められなかった
 これから先だって きっとそうだG)
いくつもの沈黙 沈黙のうねりがうねりを生みだして
地表を飲み込む
 
  明滅の中に ブッシュがいる フセインも シラクも
  金正日や小泉もいる
  テロとか戦争とか組織や国家を問題にして
  いかにも指導者や支配者の口振りが似合っているけれども
  要するにどの国にも国民が不在なんだ
  政治家や官僚が国家利益と称してよけいな外交を進めたりしなければ
  摩擦も介入も起こりえなかったはずだ?
  大きな儲けなど縁のない一般大衆には危機はいつも自国の上層部からやってくる
 
  世論を引き上げる反戦デモ
  マスコミのあきれた正義
  けれども本当の大衆はだまって日常の繰り返しを営んでいる
  彼らはどこの国のどんな民族であれ 身近にふれあう機会があれば
  昔からの知人のように挨拶を交わし 事に当たって協力を惜しまないだろう
  国際人とはそういうことだし
  あえて国際理解教育の成果を待つまでもない
 
 子どもらしい派手やかな防寒着を身にまとい
 小雪舞う校庭を駆け抜ける子どもたちの
 輝かしいこの時を寸断させてはならない
 自由な遊びを通して生きる喜びを味わえば味わうほど
 その反対の境遇に立ち向かう力がついて行くに違いない
 
裸木の上からそんなことを夢見ている
 
  「ぼくはぼくを死なせない」
 
いつもきみの良い隣人ではあり得ない
ふと幽霊になる瞬間がぼくにはある
きみに ぼくの姿が見えているのかどうか
きみの目が 本当にぼくを映し出しているのかどうか
きみの肉体も心も
その時には何の躊躇もなく通り過ぎていけると思える
 
これはとても怖い話だ
だからぼくは黙っている
黙っているけれども
毎日がこの怖さでいっぱいなのだ
 
幽霊でいるとき
大地も無精な草花も 踊る裸木も
小鳥の声も 耳に届かない騒音も 遠い青空も頭上の雲も
とても無粋で堅固で 敵対し 立ちはだかるものに感じる
 
意識とは何物であるのか
意識と化したぼくが縮かんで狂気を噛みしめている
もう死に神は降りてきている
もう少し もう少し先が見えたなら
 
語りかける言葉がない
隣人として利をもたらす術がない
届けるに足る愛とぬくもりがない
ただ どうしてぼくがこうなってしまったのか
内的な必然の大洋だけが器を超えて満ちている
 
そうして きみのいる風景の平和と幸福を願いながら
きみのいる風景からそっと立ち去る
きみのいる風景を汚さないために
きみのいる風景にかかる雲を吹き払うために
 
ぼくはぼくを死なせない
 
 
 
 
  「ランドセルの色いろいろ」
 
子どもたちの背負う色が変わった
コロンブスの卵のような驚きと衝撃があった
赤と黒だけのランドセルに
ピンクに水色 黄色に緑が新鮮に映えた
 
子どもが背負うものはいろいろだから
いろいろの色があっていい
本当は手提げ袋だっていいはずだが
子どもの選択肢が増え 判断が行使されることは先ずはすてきなことだ
 
ランドセルが赤と黒以外にもあり得ることを
五十余年を生きてきて 初めて知った
ぼくたちの硬直した精神が開かれる
心地よい痛みと愉快が 未来への希望と信頼を取り戻す
 
ランドセルには教科書とノート
筆入れや連絡帳を入れる
けれども本当は 家族の願いや期待が
ランドセルの隙間いっぱいに詰められている
 
さらにその底には〈母〉的なものとの物語が
お弁当箱のように包まれていることが分かるだろう
桃太郎の吉備団子のように
〈家〉を出るにあたって〈母〉的な誰もが用意する〈心づくし〉のようなものだ
 
一次的な気質や性格とはそういう種類のもので
そういう子が選んだランドセルの色は規格や善悪で裁断してはならない
子どもたちの背負っているランドセルの重さに
〈母と子〉の物語の重さを 静かに聞き取らねばならない
 

 

  「岸辺のない岸」

暖かな景と梅香漂う底で
新一年生の子がぼくのお尻を蹴ったり
指先を使って浣腸をしたりした
「ソンナコトシテダメナンダヨ」
とぼくは頼りなげに言った
強く叱ってはいけないとか
何にも言わないのはいけないとか
咄嗟に判断した中でのそれが精一杯だったのだ

こんなことが世の中で一番難しい
こんな時 
ぼくはダメな先生 ダメな大人
権力から最も遠い
中途半端な声をいつも演じることになってしまっている
特にこんなにも暖かで気持ちの良い
春という季節の中では

イラク戦争も終わりを告げる頃ではあるが
我が小学校の校庭の花壇にはチューリップの花がつぼみを開き
東側のサクラは満開に花開き
子どもたちは広い校庭狭しと遊んでいる
 『ネガハクハハナノモトニテハルシナンコノキサラギノモチツキノコロ』

確かにイラクでは当事者国の兵士が民衆が子どもが 死んでいった
同じ頃 中国では特殊の肺炎が流行し
日本の新聞の社会面には殺人の記事が毎日載っている
どんなに「あるべき人間の姿」を説いたって
わたしたちの社会と歴史の現在は「こうである」とはっきり言うのでなければ
子どもたちのすべての感覚器官から沁み入る不安や恐怖を
払拭することはできない もう
何が本当なのかを 何が正しいのかを
判断する基準は
砂浜の砂の皺のように消失してしまっている
語りかける師もまた
時間との格闘から飛沫のように吹き飛ばされ
いまや宗教の文言と化した題目を反復するヒステリックなテープに過ぎない

「善」を言えば 済むかのように錯覚している

 

 

 

  「軽快な口ごもりへと」

夕飯の後の眠たさは 重くのしかかる
もう ぼくには詩がないのだと
語りかける思いはもうないのだと
語りかける人はなくてもいいのだと
微笑みを持って言い聞かせている
このまま
もう起きなくてもいいのだと
なにか訳のわからないものとの戦いを放棄してもいいのだと
自分を含めた何もかもを許してしまっていいのだと
力を抜いたときに死は果たされているのだろうか

  現象としての「悪」と 語られる「善」との乖離は
  どうしてこんなにも大きくなっちまったのか
  またぞろ古めかしい倫理の衣装をつけて
  「明るく」「健康な」「善意」
  「清貧の思想」が大衆の口を借りて声高にいわれる季節に入ってきちまった
  なんだか怪しげな正論 不気味な啓蒙の衝動が社会に充満し始めている
  そして またしても教育は時代のお先棒を担ぐことを
  余儀なくされかかっているかに見える
  戦後五十余年は自分の人生に重なって
  まさしく笑ってしまえる歩みでしかなかったのかもしれない
  という孤立する不安を誰に向かって語りかけることができるか

 季節と時間とにずるずると引きずられていく
 なんだか正しいこと 意味ある生き方は向こうにあって
 ぼくはたった一人で誤っているのかもしれないのだけれど
 誤っているのは君たちの方だと
 全世界の指導者や 権力者や 有識者や
 要するに民衆とかごくふつうに生きる人々に頼りにされている奴らに向かって
 言い返してやりたくて仕方がない
 その思いばかりが今のぼくを支えているような気がしている

奥歯に挟まった
食べ物の滓か何かのように
ぼくはぼくの生き方を見つめている
真っ当であることはどういうことであるかを実証しようと
綱渡りのように生きている
身軽さと微笑みと 失語とを持って    

 

 

 

  「宇宙視線から」

 
うつむく足元の先にも明るさは満ちている
  太陽の光は 旨いよね
体の内側から 奥底から
喜びが湧いている
 
ぼくはぼくであると威張って歩く
子どものように無邪気に歩く
あっけらかんと心を空っぽにして歩いてみせる
  善いことも悪いことも
  健康も病気も
  一緒くたにここには溢れかえり
  生き生きと躍動している
  理想があり 現実という名の限界がある
 
 
うつむく足元の先にも明るさは満ちている
  太陽の光は 旨いよね
体の内側から 奥底から
悲しみが湧いている
 
きみはきみであると威張って歩け
こどものように無邪気に歩け
あっけらかんと心を空っぽにして歩いてみせろ
  善いことも悪いことも
  健康も病気も
  一緒くたにここには溢れかえり
  生き生きと躍動している
  理想があり 現実という名の限界がある
 
 
宇宙視線をかりて勇気を持とう
闇とか孤独とか そのほかたくさんの恐怖
ふとした流星群の襲来にも怖じけないで行こう
ぼくたちはきっと宇宙を解明できるはずなのだ
見えない差別 見えない不平等に
立ち枯れてしまってはならない
 
 
 
  「息子の夢」
 
今にも触れそうな近さにきみの笑顔が喜び
喜ぶきみの瞳にぼくは有頂天になっていた
 
ぼくの視野は
きみの瞳に塞がれ ゆっくりと
舐めるように
もう一方の眼球が
ぼくの視界にあらわれ始める
青みがかった灰色のそれは
乾いた小石
 
笑っている きみ
小さな石ころの眼球の中央には
涙のように白い斑点
 
咄嗟に 不安が全身に凍り付く
 
 (きみは無邪気に笑っている)
 
きみは気付いていない
ぼくはパニックを呼び込み
暗澹とした思いに沈んでいった
 
夢はそこでとぎれた
ぼくは息子のことをそんなふうにみていて
本当のことは告げられないままに
今に至っているのだと思った

 

 

 

  「生活」

 
肉体は狭いコンクリートの間を移動し
ときおり 肌色のことば
温めの視線に出会う
裸の細胞には妻や子の姿
 
分け入って次元を彷徨う
泣きそうなほどに疲れて
早足になる
回路はいつも未知につながる
 
どこで手を離したのか
触れるほどの距離にいて
届かない
感覚が脳の中で 多分跳びはねている
 
ふと ワイシャツを着てネクタイを締めた体が見えた
町を泳ぎ デスクに向き合い
コマ送りの早回し
表情もうまくこしらえられて見える
テーブルを挟んだ昼の食事
肩寄せ合う喫煙
すべて完璧なターミネーター
 
玄関を開けるやいなや
頭皮を剥ぐ
むきだしの悩に渋茶をかける
風呂場のハンガーに
無造作にひっかける

 

 

 

 「焦燥の向こうへ」

 

笑いの輪の中で
ぼくの人型だけのブラックホールがある
フラットな共存の関係を危うく成り立たせて
ぼくの心は胸をはって拮抗できる 

立派なことを言わなければならない
人々の苦しみ
職業の苦しみ
分かっている

いつか これでいいのだと
善意や良心を振り回す教育者や指導者の
陥りやすい壁の中の共通了解
分かっている

けれどもぼくはもう老いて死ぬばかりだから
出張っていくだけのエネルギーに欠ける
奥へ奥へ引きこもる
底に出会ったものとの対話に
焦燥を超えて忙しい

顔つきが凍り心が凍る
残った時間を贅沢な遊びに費やしたいばかりだ
教育?
薄ら笑いが止まらない

 

 

 

 「笑う少年」 

 

笑う少年は話さない
笑う少年は作文が書けない
笑う少年は字形が幼く拙い

笑う少年は椅子の上で笑う
傍らの少年少女の間で
何気に言葉を交わして笑う
少年の心が見えない 

ことばをかけると
少年はごくふつうに言葉を返す
なぜか会話のとぎれるような言葉で

悲しい少年には悲しさがよく似合う
待つことはほっといてくれということと同義だ
そんなスタイルでどこまで耐えていけるのか
笑う少年は爆弾を抱えて
爆発の瞬間の不安に怯える

笑う少年からはますます笑いが消えずに残る
しだいに言葉が消えてゆく
ついに救済は訪れない
笑う少年の狂気が生きのびる道
獣のような勘が少年を導く
その道が悪であろうと何であろうと
人間には裁定を下す資格がない 

歴史はまだ未開にあると考えていい

 

 

 

 「螺旋とリズム」


日当たりの良い場所に我が物顔で咲き誇る花も
陽が射さぬ薄暗い湿った場所に咲いた見えないほどの花も
その食と性の作法に変わりはない

差異はほんの一瞬この世界に現れ荒らして去る
人間たちのこしらえもの
砂の皺
波がほどなく消してくれるにちがいない

ぼくたちも花
風の中の香りを浴びる
朝夕の気温に弛緩し緊張するリズムを快とする
雨の中に過去を回想し
季節を季節のままに生きて死ぬ

なにものの情けも受けぬ
螺旋の言葉の発するままに欲望し
生を放射し
螺旋の鎖のやがて力無くくずおれるままに
生を育む一部にかえる

 

 

 「旅にて」

 

消えてゆくことば
消してゆく
後悔の海の航海にゆらぎはない

刻むのは虚空
時を経て
霊のように音もなく降り積む
遠い戦禍 そして近い被災

ツアーの旅の途中に
濡れて緑は陽を奪う
眺める視野の中はいつも午後の憩い

古びた町並みの看板をよぎると
数千年の雨ざらし
変わり果てた田園の
鋭く荒れた草花の葉裏に
死屍累々のため息を聞く

バスの中では太古のカラオケ
目を閉じて
全ての流れとリズムに心を開く
見失うとき
かすかに幻を見る

予定された循環路
運ばれる不安と心地よさ
いつしか疲労のように意識は落ちて
「愛」と呼べることば
両掌の中に掬っている

『ぼくはまだ 死んではいない
         死んではいないよう・・・!』

この姿
小石となって沈んでみせる

 

 

 

 「生命」

 

光が精子のように降りそそぐと
地球には無数の生命が開花する
羊膜の中で刺青のように微笑
嘆き 恐れ 愛されて
三十億年の幻の歳月を生きて後
地球の上に一瞬の夢を見る

また新陳代謝
大気圏外への銀河鉄道に乗り
宇宙細胞のひとつに結合する
母なる地球からの
さらなる回帰の旅
そこではまた生は一瞬の思い出
つかの間の幻 

胎児の小さなあくびにも及ばない
かすかな出来事
無意識を刻む永遠の始まり
だからこそ その意識の世界において
きみは宇宙を内蔵する言葉たれ

 

 

 

 「自閉の森へ」

 

自閉する瞳
引きこもる瞳
空虚な穴を介して
外界のパノラマを撫でる 

笑っている 吠えている
口元の開閉を眺める
書き割りの背景
癒される望もなく 

わずかに 激しい収縮によって
痛みを覚えるこころ
内臓の奥の恐怖
白面の顔のままに 

たわしのように
剣山を使って洗う
キミモヒトツドウダ
後頭部から真っ赤が吹き出す 

数千の夜の難産
見知らぬものなど何もなかった
知らん顔をして
めくられてゆく今日の日 

繰り返したのは
毎年のカレンダーの写真
月ごとに季節ごとに
ぼくを訪れる 

ある日
自閉症児に自閉する
ぼくに ぼくは接触する
一瞬にすれ違い
擦れて火花を散らす幻
きみにすれ違う

ふとぼくは誰を生きていることになるのか
乾き干からびそうな細胞の核から
涙のように痛みが走る
母の子宮に訣別を告げて
辿り着くべき冬のど真ん中にいたらない

自閉の森
氷で閉ざし
春を呼ぶ

 

 

 

 
 「学校で教わったこと」

 

民間の会社に勤めたことのあるぼくに
同僚の先生達は学校勤務との違いを尋ねることがある
ぼくはつい口ごもってしまうが
本当に言いたいことはこんなことだ 

 

『学校で教わったことは,大概のことがうそか,
 役に立たないことばかりでしたね。
 役だったのはひとにぎりの知識や技術だけでした。
 社会は,とてもダイナミックで,生き生きいしていたし,
 いたるところに失敗や挫折があって,
 でも,思いっきり憂さ晴らしもできるところでした。
 学校では悪いと教わったことが,
 社会では一面的に悪いとは言い切れない,
 いろんな重なり,深み,広がりがあって
 異質な掟もありました。
 ぼくは一面でとても感心しました。
 なんて言うか,息抜きや手抜きが
 生きる英知や知恵といった一面を持つのだという
 そういう生の“にんげん”が生きる現場が
 社会であり,世間というものだと実感したものでした。
 学校で教える道徳は。
 社会の表層に表れる一部を見聞して
 誇大妄想して伝えることばです。
 机上の空想です。
 あんなもので暴力やいじめ,非行が改まったり,
 社会が変わるなんて到底思えません。
 学校の,先生達の自己満足ですよ。
 現在の学校教育の世界が特殊部落であることを知らないのです。
 こんなにしゃかりきになって,子ども子どもといっていたのでは
 必ず子どもがダメになっていきます。
 しゃかりきになるのは,社会や存在の背後にあるものに不安を感じるからです。
 自分がそちらにきちんと対峙しないで,
 子どものためという善意の影に隠れて,
 本当に戦うべき相手との戦いを避けているようでは,
 学校はいつまでたってもダメでしょう。
 先生達の見えない自己欺瞞にやがて子どもたちは気付くものです。
 いっそのこと給料泥棒になって,何も言わない方がましなんです。 

 教育を全般に施すことなんて
 考えてみればとてもむごいことですよ。
 犬や猫や豚や猿をいっしょに飼って
 同じえさを与えるようなものです。
 また,同じようなしつけをしようとします。
 猫が犬と同じように,「待て」なんて,聞くはずがないんです。 

 大半の人たちは学校や教育の価値とはちがう局面で生きているんです。
 机上でそれを真似ることはできないんです。』

  

 「ぼくはなぜ生きるか」 

足元から忍び寄る寒気
コンクリートの棺桶
両の掌を見つめる無意味 

瞳瞬いて 呼吸
釘づけの思考
『死ぬって何だ』 

戦争 殺人 わいせつ 強奪 詐欺
政治 環境 不況 町おこし 異常
法則 力学
食いっぱぐれもやりっぱぐれもない世界
満ち足りて 生の過剰
お節介の洪水
善意の投げ売り
気付かれないエゴイズム
品性を裁く品性はいつも問われない場所にいて

勉強もした 恋もした 酒も飲んだ
スポーツもし 音楽も聴き 写真も撮った
仕事をした 映画も見た
家出もして けんかもした
ドライブもした 釣りもした
山にも登って 海に泳いだ
テレビを見た 遊んだ
詩を書いた 嘘をついた
子どもと妻を愛した
両親に感謝した 

今 休日にはよくパチンコをする
他にやりたいこともなくなった
無理をして本を読むとき以外はテレビを見る
友だちはなくとも生活に困らない
出世もしなければ地位も名誉も権威もない
それだって生きることに何の差し障りもなかった

そうしてぼくはたった一つのものを手に入れた
自由という名の寂寥
孤独の極み
ぼくが生き続けることは「何か」なのだ
そしてぼくの思考が歩み続けること
その切り開く地平に
ぼくの生き続ける価値が生まれる

時間が空からぼくを見つめる
ぼくにはもう休暇が残されていない
はじめに善意を抛ち
関係に別れを告げ
地に立ち姿のままに入れる穴を掘り
静かに潜り込む
瞳を閉じる
せせら笑いを無効にする 

 

 「逆説は 今」

生活の苦労が無いこと
多くの庶民はそれを願っていた時期があった
生活が便利になって人々の苦労が軽減すると
人々は時間をもてあまし
考えることをはじめる
言語や文字をはじめとする視聴覚情報が
思考を追いつめる 

  『こころからこころにものを思わせて

          身を苦しむる我が身なりけり』 

大人たちの不安と破壊性は子どもたちに反映する
情報の洪水の中で
子どもたちの感受性の処理は不能になり
剥き出しになった不安と苛立ちで
内面は明るさと朗らかさの中に荒んでいく
誰がそれを見抜き得るだろう
また 引き裂かれてあることの不調を

個人の中に集中点を持ち得なくなった
拠り所とする生理も苦労も信じられなくなった
孤独や死や痛みから遠ざかってきた人間には
そのことが分からない
逆説は 今



 「刻印」

恋とか愛とかは善悪の問題ではない
欲望もまた言ってみれば人智を越えたところのものだ
時に秩序を 関係を 破壊するもの
最悪には生命を奪い合うもの

乾いた宇宙視線からは紫外線のように見えないもの
溶け合うものと拒絶し合うものとしての「こころ」のもてあまし
その激情の悲喜劇は

激情の悲喜劇として現れ そして消える 消える 消える

眠れるもの 怒れるもの 倒れるもの 傷つくもの 奢れるものら全て
その時節にはよく眠り よく怒り よく倒れ よく傷つき よく奢り
過ぎてゆくのがよいのだろう
善も悪も飲み干した身体
そこできみはきみのあらわれを
索漠とした宇宙に向けてどう問いかけるかだ
微笑みあるいはせせら笑い
螺旋にこだまする
きみの愛と憎しみの激しさを
きみは幻想の石碑にならって刻印することができるか

小さな奉仕
まどろむ愛撫
ひと皿のスープ
乳児の寝顔

また きみは神の一人のように在るがままで在りうるのか

 

 

 「産道にて」

硬質の風の背広の上に
無邪気で無意識な顔がある
壊れたガラスの破片でもなく
ニガウリのぶつぶつでもない
緋色に透過したこころを
激しく内臓に引きこもらせて
太虚の視界をさえ奪うひかりの隘路に身を置いている
きみは世界一の役立たずで
今頃になって「ことばってなんだ」と本気で考えはじめている
そしてもう一度幼児期の体験を反芻したいと思い詰めている

生活をそつなくこなしていける年齢にはなったのに
常識とか良識とかの衣を脱ぎ捨て
裸のまんまの四つ足のようでありたいと願う
言葉を返す 知識のちゃぶ台をひっくり返す
自分で確かめたことしか信じない
警戒する目線を自分のものとし
愛されない理由を噛みしめる
人間失格といい修羅といい届かぬ悲しみはすてる
音もなく声もなく死した大衆の懐に抱えた自然をこそ畏れよう
本当の歴史は二千年後に始まるかも知れないのだから
そのときまでに地上の影に隠れよう
雨に叩かれ風に刺され雪に凍り付き透明な光りに焼かれ
きみは粒子の姿を手に入れる
もうどこまで突き進んだらいいのか分からない
闇と恐怖に全身が総毛立ちながら
なお促され産道を急ぐ
 
 

 「区画された世界で」

昼は先端の形に触れ
夜に原形を探る
形作られるものに込められた
“なりたち”に向かって鉛を垂らす
圧倒する時の前
口を開く間もなく呑みつくされる
せせら笑う時間に抗するために
ぼくたちが支払った代償はあまりに大きい
文明の恩恵を浴びるだけ浴びた
ぼくたちの生活から
“温もり”と“実感”とが消えてゆく
届かぬ怒りで
狂ったように上空にさっと線引けば
こぼれる前に涙は乾き
明日はまた何事もなかったかのように
区画された世界にぼくたちを閉じこめる
何事もなかったように
ぼくたちの日常は繰り返されるだろう


「生きてゆくことは辛いばかりだ」と狡いきみが言う
「生まれてこない方がよかった」と卑怯なきみが言う
「楽しいことは何もなかった」と嘘つきのきみが言う
しばらくの沈黙の後できみは顔を上げる
たとえばそんなふうに
危ない時は重たいものを投げ捨ててしまえばいい
軽やかな自在さで
時間の気流を利用する
笑いの舞を舞うのがいい

 

 「昨日の両親殺人事件から」

若者には平穏の時がない
子どもたちにも平穏の時がない

小さな秘密の場所を共有するために
ひと組の若すぎる男女はそれぞれの家族を殺さなければならなかった
殺された親たちは何に対して鈍感であったか
殺した子どもたちは全てについて無知であったか

殺すものは自らを殺すことなくして殺意を遂行することができない
だから 異常な精神が殺人を犯したのではない

太虚のはてしない光
そのまばゆいばかりの日常からこぼれ落ちたかけらによってできた影
飼育された健康で聡明な精神からこぼれ落ちたもの
健全な精神が決断を下すとき
その行為には靄のように異常がたち騰る

「命の尊さ」などと
おとなたちは努々軽はずみに口にすべきではない
きみはきみの隣人の死に際してさえ
可哀想にの“ことば”ひとつで過ぎてきたはずなのだから
そうして次の瞬間にはけろりとして
きみの精神とやらをひたすら自利のために費やしてきたはずだ
きみはただ 殺すことなかれの主張を
自利に役立つ範囲の中で口にしてきた
若しくは きみが苦しむ必要のない次元の中でのみ声に出してきた
「命が尊い」などといきり立って叫ぶことなど要らないのだ
自利を超えて きみが万人の幸せを願って行為するとき
ひとりでに「命の尊さ」は訴えられ
きみの背から学ぶものたちがある
それをただ信じて揺るぎない思いでいればよい

きみが善意をちらつかせて何事か片づくものがあるほど
世界はけして単調ではない

若者たちもまた
死の底からはい上がってこなければならない
それはまた海からの上陸劇を演じた祖先の苦しみ
その精神版にも擬せられる
 
明るく派手な色彩の反乱
その中で若者たちが夢見たものは何であったのか
だれもが願うところの小さな夢の成就
それを阻止する存在の排斥
小さなアメリカ小さなイラク

今はもう 引きこもる者たちの謙譲こそがなつかしい
引きこもれ引きこもれ
徹底的であればあるほど引きこもることがいい
自己破壊寸前の自己防衛
ぼくらはそこからはじめたいと思う
 
 
 「真夜中の読経」
潔癖な僧でありたかった彼は
修行の途次 巷の驟雨に打たれ泣き喚いた
孤高などでいられるものか
非僧非俗
落ちた先は幻想の棲み家だった

偉そうに見えるものはただ疎ましかった
罪人の 弱者の
心根など永遠に理解せぬもの
彼の目にはそう映った
権力者 威信あるものの救済など知らぬ
かつて愛され 存在をまるごと認められる記憶がなかった不幸にくらべれば
その悩みにさえ古里の名残は漂う
あたりまえの場所であたりまえに生き
ひとつの契機で居場所が失われる者たち
被害を受けた者たちへの同情よりも
加害者となり非道を歩む羽目になった者たちの救済を思った
人的災害はまた自然が時に示す数多の災害の範疇に入れることができると信じられた
救済は天の道人の道けものの道を逸れて歩まねばならぬものにこそ
もはや 実体としての神も仏も信じるものではない
投げ出され 絶対の孤独に震えるこころ
ひとりにしておかぬ
真夜中の読経が時空を超えて響き渡る
真理は幻の中にあると

 

 「林の中にて」
瞳に映える枯葉まじりの紅葉の雑木
車の中の小さなため息
きみもぼくもその後が続かない
澄んだ青い空の困惑
道のない行き止まり

声もなく車を降りて林に分け入ってみる
カサカサと落ち葉を踏みしめ
どこまで行けるものか
交わすことない視線のままに
ひとりずつの意識を背負って歩く

きみは正しい人であったと
いまもなお大事な人であると
思いを背負いながらその重さに口を塞ぎ
塞ぐことで負い目を感じてしまうぼく
きみは気配を思いやって
つかずはなれずの場所にいてくれているのだろう
どこか見上げるそぶりのきみの横顔
またひとつ沈黙が降り立ってくる

きみよ
これ以上歩いたってどこにも行けない
辿り着ける道はこの先にないんだ
ここまで来られたことが幸せの過程というものだったんだ
そう 心の中できみの夢を引きちぎり
振り向きながらきみに微笑んでみせる
「帰ろう」
黄昏はすぐにやってくる
「帰ろう」
けれどもただの断念ではない
「老い」という豊かさを手に入れるための帰路だ
ゆっくりと老いてゆくその寂しさを
きみよ
ぼくたちは分け合うように味わってゆくのだ
きみをひとりにはしない
 

 「ぼくの小鳥と落ち葉とに手をふれるな」

この光る青空に流れる温もりの
全てをくれてやるから
ぼくの小鳥と落ち葉とに手をふれるな
傷付いた小さな友人たちの秘密について
ワイドショー並みの言葉でならべたてるな
気安い友人のように
善良な顔つきでぼくを見るな
ぼくはいまも暗い憂鬱な空を見上げ
冷酷な星たちを恨めしく感じている
棘のついた金網の心で
きみたちとの間に一線を画している
だからぼくの前で<外界>だけの言葉を使うな
社会という手の施しようのない錯綜の中
先を争って<善意>と<健康>と<正義>が駆け回り
駆け回るほどに<悪意>と<中毒>と<独裁>とが極彩色に反転してゆく
そんな世界とはたしかにきみたちの拵えものだから
その世界の温もりの全部を
ぼくはきみたちに投げ返す
だからいいか
ぼくの小鳥と落ち葉とにだけは決して手をふれるな
そうして この世界に息継ぎできないみんなを
いいか 決して悪し様に言うな

 

 

 「転位」

今日 ぼくは胎児の姿になって町に出かける
昨日 ぼくの子どもたちは家を出て
今ごろは樹海の中を離ればなれに歩き進み
窪みに立ち止まり 梢の隙間から空を仰いでは
ことばを飲み込み
瞳を真っ黒に光らせているはずだ
もう ぼくは子どもたちに出会えないかも知れない
 
父と母とがとっくにぼくを諦めていたように
ぼくは妻に言い聞かせなければならないのかも知れない
けれども妻は諦めきれないようで いつまでもあらぬ方を見ていた
憤怒も怒りもない腰抜けのぼくは社会に従順で
あちこちに目配り気配りをしながら生きてきた
子どもたちがかえらぬ今 それが何になろう
ぼくは大義のない嫌悪でいっぱいになり身につけた全てを脱ぎ捨てる
 
今日 ぼくは胎児の姿になって町に出かける
忘れかけていたものの全部を取り戻すために
押しつけられた忍従をさっぱりと忘れるために
秩序と組織の求める人材育成機の部品であることを辞め
人々に人間の来し方を振り返らせるために
本当の未来を取り戻すために
今日 ぼくは胎児の姿になって此処を去る
 
 
 「そのときは静かに席を立ち」
そのときは静かに席を立ち
「さようなら」も言わず
ただかすかに頭を下げて去ってゆくだろう
 
やさしく子羊のように柔和な眼をした人たち
ぼくを受け入れることのできない「善意」の人たち
ぼくはそんなに澄んだ世界には生きられない
きみたちの願う世界は
ぼくの口と鼻とをゆっくり塞いできた
 
だから そのときは静かに席を立ち
「さようなら」も言わず
ただかすかに頭を下げて去ってゆくだろう
一人きりでは生きていけないと決め込んだきみたちの
やさしさと温かさとでつなぎ合う手と手は大切だ
心からの思いやりが世界に行き渡り覆い尽くせば
世界が変わると思いこむ純粋さは貴重だ
だからもうそれはそれで
救われた世界がそこにある
きみたちの仕事ぶりは誠意に充ち
きみたちの生活は慎ましくまた豊かなものになる
支え合い助け合うきみたちの頭上に寒波が押し寄せてはならない

 

だから

 
今は静かに席を立ち
「さようなら」も言わず
ただかすかに 時空に向けて黙礼を返し
微笑みの中に去ってゆくだろう

 

 

 「ぼくが本当に望むこと」

 
ぼくが本当に快活だったのは
幼いころの家庭の中でだけだった
父母兄妹を前にして
ふざけてみんなを笑わせる
みんなは笑いながら
しょうがない奴だといいたげにぼくを見ていた
 
あのときのぼくの快活さはどこに行ったのだろう
あの頃の これでもかこれでもかと言うほどの
仕合わせで生き生きした気分はどこに行ってしまったのだろう
あの時間と空間が
今はどこにも見あたらない
 
ぼくをあの時間と空間から連れ去ったのはだれだ
あれ以来 ぼくは異国の地を彷徨い
眉間に深い皺を作り
他人を警戒してばかり暮らしてきた
けものの小心さで万の夜を過ごしてきた
ぼくは一体いつだれに何の理由で拉致されたのか
 
ぼくが本当に望むことはだから
自分本来のあの快活さでみんなと一緒に暮らすことだ
そこには第一に 勝ち負けがない
人を物差しではかる視線がない
「こうであらねばならぬ」といった「嘘」の科学
「科学」の嘘 がない
 
あの頃ぼくは肥だめのにおいを嗅いで育った
おやつには母がふかしたサツマイモを食べた
朝晩には庭はき 板の間ふき 便所掃除もやっていた
小鳥をはじめ 小動物へのえさと水やりをやった
雪の降る冬に川で洗濯を手伝うこともあった
夏は兄妹で蛍を捕まえて 蚊帳の中に放して寝たこともあったっけ
柿の木のてっぺんに残った柿はなかなかとれなかった
紫蘇で色づけしながら庭に干した梅は柔らかく
そのときにしか味わえない味わいがあった
 
他に 生きるに値するどんな生き方があるというのか

 

 

「生きること」

 

冬 永い眠りを眠る
一切の活動の留保 だがそれは無機質への回帰ではない
時折 母なるものの夢に微笑む
 
春 一本の小さな一年生草本の発芽
赤ちゃんの のびをする
宇宙が震える 祝福の嵐
 
夏 数ミリの成長
傘のように葉を広げ 雨と地と光と大気に反射
偉大なシステムの元に 見えない命を精一杯に生きる
 
秋 極微の花と実をつける
小さな恋の物語
気流に託す 星の宿命を知らされる
 
母なるもの そして父なるもの
涙は 知らない
取り乱すところなく 枯れる様を枯れてゆく
枯れることもまた 生きることであるように

 

 

 「閉じこもれ できればもっと激しく」

 
身体はこの社会の中に霧消した
足は電車と自動車に
手は重機と諸々の電化製品その他に
そして胃腸はレストランとスーパーのお総菜売り場とに
 
つまり 心が霧散したんだ
おかげで本物の身体は社会から引きこもり始めた
その身体から さらに脳が引きこもる
居場所なんてないんだ
意識はただ意識の中に閉じこもり
らっきょうの皮むきに忙しい
それはそれでいいんだよ
昔 肉体が肉体として従事した
土塊のほっくり返しと同じことだ
 
考えても見たまえ
どんなにエライ連中が取り澄ました顔つきでいたって
この世界の流れ来た流れ また今日という日は微動だにしない
今日を積み上げる明日もまた
きみを哀れんでみせる人たちの生き場所も
どう考えたって意識の仮構のもとに成り立った
そんな程度のものに過ぎない
 
きみは植物のように部屋にこもる
植物が自ら栄養を合成する変わりに
母なるものがきみに栄養を与える
次にきみは動物の敏感さで巣に潜む
動物が食を求めて徘徊する代わりに
母なるものがきみに栄養を与える
するときみは植物でありながら植物でない
また動物でありながら動物でない
同時に 植物でもあり動物でもあると言わなければならない
意識というやつが邪魔をしなければ
きみはただもう命の発現としてその場に位置するだけだ
 
きみよ 邪魔になった意識が意識として働くのはそこからずっと先に向かってだ
その先に 人間が始まるのでなければならない
閉じこもって初めて見えてくる世界がある
そして 植物にも動物にもないその人間的な意識を
どう働かせるか 
人間が地上に登場した真価が
今きみにもぼくたちにも問われるのだ
 
意識を取り外して植物のように世界を見たまえ
餌に飢えた動物となって四囲を眺めたまえ
それがぼくたちのもともとの在り方だった
だから 閉じこもることにどんな意味や価値の正負もない
ただ ひたすらな意識への言葉への懐疑があるだけだ
懐疑はできるだけ徹底的であることがいい
だから きみよ
閉じこもれ できればもっと激しく
そうしてきみが見たもの感じたものを
見えないぼくたちに向かって
見えない信号として言葉として発信し続けよ
 
明日のパンに思い煩うな
足下の頼りなげな一本の草も蟻さえも
大きなものに肩を並べ 
何の遜色もなく生きていけているではないか

 

 

 

 「階段」

 
 T
 
きみは目を閉じて
慎重に左足から一歩
見えない階段の一段目に足をかける
その左足で体を持ち上げ
床にある右足を引き上げる
 
手すりのない階段で
きみは不安に駆られ
同じように一歩一歩と
階段を上ってゆく
時に左足を上の段にかけた姿勢で一息入れながら
 
そんなふうにきみは階段を上ったことがあるか
年を刻むこと
生きるということはその繰り返しに似ている
その果てしのない繰り返しに
 
きみは長い夢を見て
階段を上り続ける
その先に
望むものが待ち受けているはずであることを信じて
きみの耳には けれども
きみの傍らで階段を踏み外した男の悲鳴が
いつまでも残っている
また 先を上るものの忠告の声も
 
「考えるな ただひたすら上ることに集中せよ」
 
掟はいたって単純
目を開けるな
降りるな
 
 U
 
きみはまた
見えない階段を
目を閉じて降りていったことがあるか
一段降りるたびに
影のような訣別が待ちかまえている
見えない風景から光が失われてゆく
そうしてきみを見送る無数の怪訝な顔を残して
降りて行くときはいつもたった独りだ
 
その先に何が待ち受けているのか
ただ墓穴のように
きみの足裏に階段は続いている
降りてゆくきみには穴よりも深い後悔があり
生命であることへの止みがたい罪の意識がある
息苦しさと重たさと
きみはきみの感じるところのすべてを
一人で背負って降りてゆかなければならない
 
どれだけ降りてゆくことができるのか
小さくなった頭上の星たちから
無数の哀れみが降り注ぎ
深として
きみはわずかな心の温もりに
そっと手をかざす
この温もりのある間は耐えられる
そう 心に言い聞かせ
そう 心からの声を聞き
けれども凍えそうな不安の中で
きみは原始の人のように
すべてのものに開かれる
きみにはもう明日がない
一歩を降ろして
今日を積み重ねる
わずかに この一日が残されてあるだけだ