日記風2016年4月から
 
目次
 
 「森友学園問題」の見方、二様
 国家についての断片的な考察
 国家の起源をイメージするために
 国家と国家以前についての素描
 吉本隆明のフーコー論から
 障害の考察その後の懸念、危惧
 トランプ大統領就任についての私見
 武田邦彦の「戦争論」を問うパート3
 武田邦彦の「戦争論」を問うパート2
 武田邦彦の「戦争論」を問う
 無職 このごろ
 日本をダメにしても得する者たち
 イギリスのEU離脱を巡って
 オバマ米大統領広島訪問
 
「森友学園問題」の見方、二様
              2017/03/28
 今月25日の「更新と近況」で、「森友問題」に揺れる国会中継を見ての感想を少しだけ述べた。すると、同日には内田樹が、翌26日には山本哲士が、それぞれのブログでこの問題に触れていた。
 同じ問題に触れながら、両者の文章、また文章から覗われる問題意識というものはまるで違っている。この違いは、わたしには大変面白く感じられるものであった。
 内田の場合は、冒頭に
 
フランスの左派系メディア『リベラシオン』は森友学園事件について3月23日に次のように伝えている。事件の全貌と歴史的背景を簡潔かつ正確にまとめている。
 
とあるように、新聞記事をそのまま転載したもののようだ。とすれば、この記事内容はほとんど内田の考えと同じなのだと考えてよいのだろうと思える。
 わたしは両方をコピペして、パソコンに保存した。よく読み込んで、両者の違いをはっきりさせてみたいと考えたからだ。だが、2、3日寝かせている間に気持ちが変わった。それそれの言い分を解説してみせることが、意外に面倒だと思うようになった。特に山本の文章は独特の語彙、造語表現のようなものもあって、わたし自身がまだなじめないところもずいぶんある。
 それで今回は、両方のブログの文章をそのまま並べて転載させてしまおうというように考えた。これがいちばん楽である。
 先に結論めいたことを述べれば、わたしは山本の文章の方に分があると思っている。
 内田のものは元々が新聞記者の記事であり、その程度の問題意識とそれを元にした現実事象の切り取り、またそこからの読み取りといった形で記事が展開されている。言ってしまえば、ここでの内田の視線は新聞記者の視線とそれほど違わないと言うことができ、それは思想の水準としても言えることのように思える。
 記者の記事そのものは、外国人記者としては、客観性を保ちながらよく日本の政情を見ているものだなあと感心させられるものだ。その意味ではよくできていると思う。しかし、それは一般的なジャーナリストの知性の水準を出るものではない。
 内田のそれに比べて山本哲士の文章は、本源を遡ればフーコーに行き着く、高度な知の水準が見られる。つまりフーコーの核心的な思考をもって、現在現実の社会なりを解析すればこんなふうに読み解くことが可能だろうという、その地平が描かれているように思われる。もちろんそこに山本の知と思想の修練がかみ合わされてもいる。だが、ここはブログ上の、即興からなる文章である。誤字脱字もあり、展開が雑な感じも見られる。その上、主語制様式とか述語制様式をはじめ、国家資本、場所資本、象徴資本等々の用語を多用する山本の文章は、はっきりと理解するには容易ではない。わたしも未だなじめないところも多い。それでも通読すると、何を言おうとしているかは薄々理解される。そしてそれは今までにない視線であり視点であり、あるいは見えてくる世界であるなということが、分かるまでは至らないが、感じられる。
 今わたしが述べられるところはこれくらいのところまでで、さっそく2つの文章を掲げるので読み比べてもらうことにしよう。はじめは内田が転載する新聞記事からだ。続けて山本の記事ということになる。
 
 
2017.03.25
Libérationの記事から
 
フランスの左派系メディア『リベラシオン』は森友学園事件について3月23日に次のように伝えている。事件の全貌と歴史的背景を簡潔かつ正確にまとめている。
 
「安倍晋三はなぜ新たなスキャンダルに巻き込まれたのか?」
 
物語は延々と終わらずに続いている。無敵と思われた安倍晋三の任期5年目をスキャンダルの雲が覆っている。彼の妻、安倍昭恵を衆目にさらし、彼の防衛相を無力化したこのスキャンダルの影響は財務省にも及んでいる。
この長く、気違いじみた一日は首相が2012年の彼の政権復帰以来最大の政治的危機に遭遇したことを示した。そして、人々の疑問は決定的な問いのレベルに達しようとしている。「安倍晋三と彼の妻は嘘をついているのか、それとも彼らは利用されたのか?」
証人喚問はこの国家的事件の核心部分である。二月以来長く続くスキャンダルに材料を提供してきたのは籠池泰典という興味深い人物の繰り返される言明である。ナショナリストの私立機関である森友学園という学校法人の理事長であるこの人物は木曜に証人宣誓の下2015年9月15日に、首相の妻である安倍昭恵から寄付を受け取ったと証言した。これは彼が問題の多い条件で獲得された国有地に建設していた小学校への財政的支援のためのものであった。
「彼女は封筒に入った100万円(8260ユーロ)を手渡し、『どうぞ、これは安倍晋三からです』と言った」と籠池泰典は国会の委員会の席上で言明した。この様子は同日複数のチャンネルでテレビ生中継された。
彼の聴き取りにあたった議員たちは再三議会で偽証した場合には偽証罪に問われ訴追されると念押しをした。籠池はまばたきもせずに「私ははっきりと記憶しております。私たちにとってたいへん名誉なことですから」と語った。安倍晋三とその周辺は籠池の申し立てを必死になって否定している。というのは、首相は二月中旬国会で追いつめられたときに「もし私の妻あるいは私がこの件(何らかの寄付あるいは土地の取得)に関与していたことが明らかになったら、私は総理大臣も国会議員も辞職する」と言明していたからである。
安倍夫妻はしかし2月9日から始まったこの事件に無関係ではない。その日、朝日新聞は森友学園が国から大阪府内の8770平方メートルの土地を1億3400万円(111万ユーロ)で取得したという調査結果を伝えたが、これは政府が査定した土地価格の10分の1であった。驚くべきこの値引きはこの土地に産業廃棄物が埋められており、除去が必要だからということによって部分的に説明された。しかしこの説明は財務省からの政治的圧力が森友学園への土地払下げを有利に運んだのではないかという疑惑のすべてを解消するには至らなかった。
この取引が関心を引き付けたのは、首相の妻である安倍昭恵がこの学校の名誉校長になる予定だったからである。2015年9月5日、彼女は森友学園が経営する幼稚園に講演に招かれていた。スキャンダルが広がると彼女はこの職を辞した。安倍晋三はこの小学校が彼の名前を冠することを拒否したが、2007年に打ち続くスキャンダルと選挙の惨敗のあと政権を放り出すことになった事件の再演を恐れたのである。安倍夫妻は以後森友学園と籠池泰典と距離をとっている。
しかし、首相は過去に籠池とイデオロギー的意見を共にすると宣言していた。籠池泰典は安倍の周辺に集まる人脈に連なっている。彼は日本会議のメンバーであるが、これは日本における最強のナショナリスト・ロビーの一つである。全国48都道府県に35000人の会員を擁するこの運動は1997年に創設され、国会議員のうち300人、地方議会の1700人の議員がこれに加盟している。安倍も、麻生太郎財務相も、稲田朋美防衛相も日本会議の会員である。
この稲田防衛相もスキャンダルに翻弄されている。彼女は弁護士として2004年に森友学園のために弁護活動をしていたが、この事実を彼女は最近になって記憶の欠如を認めるまでは否定していた。
きわめて強い影響力を持つ日本会議は「祖国と日本文化防衛」のために戦っており、「子どもたちが日本の歴史と伝統に誇りを持つことができるように、教育改革を行うこと」をめざしている。籠池は神道を経由して軍国主義へ向かう、歴史修正主義と伝統主義からなるこのイデオロギー的潮流に与している。「小学校を創設することは神から託されたミッションである」と彼は二月に毎日新聞に向かって語り、彼の学校が子どもたちに洗脳を行っていることを批判する人々につよい懸念を与えた。
森友学園が経営する幼稚園では、彼はきびしい規律を課し、教科は戦前の愛国主義に基づいている。園児たちは天皇の臣民としてふるまい、市民としてふるまってはならないと厳命されている。園児たちは19世紀に制定され、1945年の敗戦で失効した「教育勅語」を暗誦させられる。この勅語では「危機の時には国家のために勇敢に命を捧げること」と「天皇制の繁栄を維持すること」が推奨されている。親たちの一部は子どもたちが「安倍首相ばんざい」と叫び、2015年の国論を二分した安全保障関連法案の国会通過を奉祝したことにつよい不安を感じていた。それ以外にもこの幼稚園では反中国、反韓国的な発言もなされていた。
籠池は辞職した。しかし、物語は続いている。
 
 
 以下からは、山本のもの。
 
 
森友学園と首相夫人、およびそこへの対応:国家資本の主語制様式の典型とその官僚構造の露出
  2017.03.26 Sunday
  13:32
JUGEMテーマ:興味深い話題・出来事など
 
「誰が語ったのか」、「誰が為したのか」、と主語探しと、その対象物との一致を探り当てる、真実か虚偽か、という設定の仕方が、攻撃する方も、守る方も、同じ土俵での茶番を繰り広げ、マスコミも、「誰が何を為し、言ったか」と主語制様式次元で、推測と解釈でやっている。
「記憶がない」というのも事実とされる主語制化の典型である。
だが、主体の個人化などに、問題はまったくない。犯人など、どこにもいない。構造的腐敗が露出しただけだ。
官僚界の、私的利害主体の存在を掻き消す仕方の典型構造が露出している。
「非利益」という「利益」のオフィシャルな遂行において、責任所在をまったきに消去させること、それが卓越した官僚的仕方であって、責任所在が存在してしまうのは、官僚的未熟さでしかないゆえ、徹底して「私的利益」の存在を消去し、責任所在を消去して、物事をすすめる「能力」が官僚的技術であり、関係者たちが利害に「わたしは関与していない」と主張しつづけられることが、その能力技術である。
追求する野党も、同じ土俵にたっているから、すりぬけられてしまう。無いとされて実行実現されたものを探しあてることなどありえない。
主体は、都合が悪いと、「記憶にない」と主語化によって霧散させる。主体に、物事の事実など実体化されていない。外―存在ex-sistanceされた物事が、事実であり、その事実のどこにもしゅたいなどは存在しないように排除、消去されているのが官僚処置である。
物事に利・害がないということなど、絶対的にありえないし、まして金銭関係に利害所在がないなどありえない。
だが、そこを官僚的<能力>技術は、責任存在を消し去ることで、それを実際遂行する。
「非利益」に「私的利益」がみられてしまったなら、非難される。文科省の大学関係への天下りは、その実例だ。その個人が、大学教官に就職した利益が実在しているからだ。
首相夫人が名誉校長になっていた、その「象徴効果」が、政治家や官僚の「非利益の利益」の動きを稼働させたのであって、「誰が」やったかではない。安倍政権の「構造」が、自民党の「構造」が、官僚界と結託して営まれている。そういう官僚行政であるから、構造が動いて機能している、責任所在をいくら探そうが、その証し等はどこにもない。
首相夫人は、自らが規制されている象徴効果に無自覚で物事をなしながら、しかし効果が派生することに調子ににっていた、無知への無知であり、森友学園はその象徴効果が経済利益になることをしっていたから、社会関係資本化して活用していた。売却価格の8億円の減額は、象徴効果の経済的結果である。だれがなしたか、見えないようにする官僚処置は巧みに履行されていたが、その痕跡はほとんど実在しまい。少なくとも責任回避は巧妙に構成されているはずだ。
うまくいくはずなのに、ゴミ処理費用を立て代えた、払ってくれとしたところから、つまり経済利益の露出を森友側がはじめたミスから、はじごはずしがまじまったはずだ。象徴資本作用は、現実界・想像界と切り離されることで作用するのに、そこにもどしたから、拒絶されていく。非利益作用を利益作用に還元した、あやまちの自業自得になる。大阪府の官僚処置は、あわてて正統化手続きにはしる。認可における、経済資本との関係はねじれる、そこに官僚的処置が機能しなくなっている現れといえよう。
主体など掻き消されているのに、主体的主語探しを追求している、言った言わないの犯人探しの証拠探しをしている。その仕方が、国家資本に収奪された、認知・認識構造であって、構造そのものを問題にする「政治資本」力が野党にまったくない。官僚と結合している自民党の政治資本の方が野党よりはるかに高い。「道義」で追い込めることはもはや、主語制様式においては機能しえまい。角栄、金丸事件で、そこをこえてしまう非利益の官僚構成化は促進されてしまっていたであろう。
「言った、言わない」などは、何の意味もない。壊乱した主体が、どうしていいかわからなくなっていく様態がうみだされるだけだ。
主語制様式の国家資本集中化は、主語主体がどこにもいなくなるという主語制化の本性をなしている、その消された主体を主体出現させようとしている転倒である、その実際が露呈したケースでしかない。均質の社会的代行為者がいるだけになっているのだ。
主語制様式に集中化された、その言語資本様態は、政治の完全不在に近くなっている。意図があったかないかなど、都合良ければ「ある」であり、都合悪ければ「ない」と言うだけの主語制様式だ。安倍首相の、主語制の「主観」発言は、その典型である。そこには、もう公的実体はない、「わたしが想っていないんだから、無いではないですか」という私人的主観化である。国歌資本の主語制化は、そこまできている、そこに国家意志がかさなる寸前である。
けだし自分がおもっていようがいまいが、象徴効果が派生することを、自らで否認したとき、象徴資本は守られるのではなく衰退していくことに、自民党、安倍首相自身が気づいていない。野党はそこをついて、象徴資本を壊すべく攻撃すべきなのに、分かっていない。
首相が関与したかどうかではない、首相の象徴資本が機能するに決まっている、それを森本学園は巧妙に使い、そして破綻した、官僚界の実際的な巻込みがなされず、象徴資本だけに依拠したからだ。野党は、象徴効果をまったく論理的に政治問題化することができずに、個人の想像界での真偽を問いただし続ける転倒におちこんでいるから、現実界の不可能さに舞い込む。
森友学園の想像資本は、教育勅語のような保守反動で保たれていた、それへの破綻宣告はむしろ保守の方からなされる。革新には、もう象徴資本がないから(社会主義の崩壊)、政治資本の文化資本度が低いまま、ただ主語制での個人攻撃のいちゃもんづけしかできなくなって、「事実をはっきりさせるべきだ」と客観への綜合が、中立性を偽装してなされうると錯認しかできない。
そんな次元は、党利しか考えていない自民党に一蹴される。党利益中心が、非利益だと想像資本化している、それも崩壊間近にある自覚が自民党自体に無い。
一方、官僚界の構造自体が、もう構造的な不祥事をまきおこすほかないほど、硬化している。不祥事の行為者を探し処罰したところで、構造はそのまま維持される。この「能力」の再生産様式が固定して滞留していることを、官僚自身が克服していかないと、官僚構造の崩壊は、不可避に起きる。「何もしないこと」が官僚界になっていく。それは、官僚界の消滅を意味作用するからだ。オフィシャルなこともしなくなるできなくなる、官僚界になっていく。それは、存在根拠を自らで失うことだ。官僚界の不祥事は、個人官僚の不祥事ではない、官僚界自体の構造が不祥事を発生っさえる閾にもうあるということだ。
官僚界の官僚的様態は、企業や個人など、一般化してなされている。自民党幹事長の官僚的言動をみればいい。政治が、もう官僚化している。そこまで、官僚界の「能力」は拡散した、つまり官僚的特権ではなくなっている、そこに矛盾は露出してしまう、素人が官僚的手法をこざかしくつかうからだ。官僚本性が、そこに露出してしまう。もはや、専門的特権ではなくなってしまっている、それが官僚役職自体へ突き戻される。つまり、官僚の機能と役職とが矛盾をきたしはじめている。人格統御不可能に飛散してしまっているからだ。
これで、もし安倍政権がもちこたえたなら、もう全体主義構造は、完璧に機能することになる。自民党内部から、その克服がなされないと、存在根拠の無いものが存在することになるから、それは国家意志が安倍個人化=主観化になることを意味する。ひどく低次元の国家資本になりさがる。日本だけではない、トランプ大統領のように、世界的に、そうなっている傾向にあるが、党内対立がなくなったとき、政党機能は全体主義化するのは、歴史が物語っている。低い政治資本から、一党独裁は効果する。その兆し=実在が、「共謀罪」法案になる。テロを防ぐことが実際になしえない「防衛」体制が、強権的に政府によって国家配備される。国家権力など実在しないのに、政府権力の実在化がなされることになる。国民の国家認識・国家思考が、大きくかわる指標になっていく。
文化的・経済的に高い、日本の国家資本の政治資本による落下である。
主語制様式が、蔓延し切っていることが表出した、この出来事である。豊洲も同じ構造である。東電も東芝も同じ構造である。原子力経済の破綻はもうおきている、日立も時間の問題であろう。読み誤ったのではない、最初から確立不可能な技術を、経済化しようとした誤りである、巨大科学への客観綜合は主語制による統御不可能になる、これも国歌資本の主語制化の結末である。
石原前知事はいみじくも言った、「風評に科学が負けるなど文明国の恥だ。国家の恥だ、」と、その「国家」は共同幻想疎外された国家であり、国家の実体などどこにもない国家であって、地下水が汚染している物理的自体に何関わりもない、国家である。地下水汚染は、地上の状態に関わりない、とする科学の評定も、「安心」の心的世界を融くことはできない、「国家」がなんであるのか、まったく分かっていない石原の言になっている。いや、国家の本性の布置を端的明証に指摘しており、ただそこへの無知に無知なだけの、認識していない認識アクトの典型を言明したということだ。
道徳の学校教育での復回も同じ構造である。
おしなべて、資本の「不能化」がおきている。
主語制化に西欧は、400年以上の歴史をかけている、表象体系からの離脱である。そしていまだに「主体」領有に彷徨っている。USAは主語化などしえないから、技術の客観綜合の方へ力点をおき、主体は個人の主観自由へ放置している。
日本は、主語制化にまだ150年であるが、物事の実際化をなしてきたのは述語制の力の方であるのに、そこにほぼ記憶喪失になってきている。主体化は、きわめてまだ未熟である。主観が、客観と述語制との間で浮遊しているままだが、述語制への忘却はもう構造化してしまっている。
資本は主語制様式にはない、述語制様式にあるものだ。主語制化によって、資本はひたすら貧相になり衰弱していく。
保守も革新も、右翼も左翼も、「資本」にたいしてあまりに無知である。資本が、国家資本に収奪された認知構造におかれてしまっているからだ。大学知も知識人思考も、そこに陥っている。
日本が、数千年において形成・蓄積してきた述語制様式でしか、またその論理を明証にしていくことでしか、日本を構築していく道は無い。政治においても経済においても。国家資本の負の壁の向こう側にいける実際を、日本の文化はもちえている。それが、それぞれの場所ごとの、場所資本の述語制様式である、文化技術である。そして、日本語自体に集積されている述語制言語の力である。
 
 
国家についての断片的な考察
              2017/03/14
 前回、共同体の上にもうひとつ、自分たちで動かし得る戦闘集団を持った、いわば支配共同体が成立した時点をもって国家成立の起源と考える考え方を示しました。もちろんそれは自分の独創的な見解ではなく、吉本隆明さんの考え方を自分なりに要約してみた見解です。
 その時点がいつかということではさまざまな論議があります。つまり日本の国家の起源の時期についてですが、これをヤマト王権の成立の時期、またその前後という考えもあれば、山本哲士さんのように近代国家が成立した明治以前には国家は存在しないという考え方もあります。日本の国家の、この具体的な歴史的な時期についてはそのようにさまざまの説があり、ここではさしあたって不問に付しておきたいと思います。
 しかしながら、冒頭に述べたところから言えば、共同体が国家の様相を呈した兆候は、ヤマト王権の成立の時期以上に遡って考えることができるように思えます。
 そしてここで考えてみたいことは、実際の国家の成立の時期をどこにとって考えたとしても、元のはじめとして基盤となる共同体が存在し、その上に(あるいは内部に)支配共同体があとから成立したというそのことです。基盤となる大きな共同体と、その上にできた支配共同体とは同じものではありません。対立するものでもなければ、同一ということもありません。二つの共同体は次元の異なるものです。
 もうすこし踏み込んで言えば、元の共同体の個々の成員の意志や意識の総和と、支配共同体の意識や意志は別物です。本来は基盤となる共同体から抽出された、いわば共同体の意志の総和である代表者によって組織されたものが、別の人格を持って一人歩きしていきます。もちろん形の上では共同体は統一したものでなければなりませんから、当然統一されます。しかし今度は元となる共同体そのままの自然的な意志の疎通、統一というよりも、支配共同体がこうしようと考える方向に統一化されることになります。当然のことながら支配共同体は共同体全体を支配するようになり、もはや成員が共同体を離脱することも許されなくなります。元々が自分たちで構成されていたはずの共同体が、いつのまにか自分たちの意志や意識を統制するものに変貌を遂げ、場合によっては服従を強いるものにさえなる。
 元の元からいえば、そのように変貌を遂げてしまった支配共同体を、基盤となる大きな共同体は否定して無効にしてしまうとか、取り替えてしまうとかすればいいわけです。しかし、大きな元となっている共同体にはそういう力はないのです。
 よくいえば、持ちつ持たれつの共同体と支配共同体の関係は、少なくとも2千年以上は続いてきています。これは逆から言うこともできて、数万年とも数十万年とも見られる人類史の中ではたったそれだけの年数で、ほとんどはそういった支配が及ばないところでヒトは闊達に生きていたという事実です。
 現代まで2千年以上も続いてきている共同体に乗っかった支配共同体の存在は、出現するべくして出現し、続くべくして続いてきているといえると思います。ですが、歴史上に出現するべくして出現したことには背景があり理由があるはずです。そしてその理由なりが、歴史的時間的な経過と共に次第に希薄になり、全く考慮する必要のなくなった時点では、継続して存続する根拠がないわけです。つまり消滅します。消滅して差し支えないものになります。
 共同体の個々の成員にとって、支配共同体、すなわち国家の存在は、本来なくてすむものならない方がいいというのがここまでの所のぼくらの考えです。
 単純な言い方をすれば、隣人とのもめ事から困っている人を助けるということまで、一切を自力で平和的に解決する力が身につけば、第三者的な調整力、支配力というものを必要としないのです。
 現在のところ、こうした考え方は妄想の類いに仕分けされてしまうと思います。ちっとも現実的ではないと思われるだろうし、そんなことを考えて何になるのと一笑に付されるかもしれません。そういうことに反論する気は少しもありませんし、それが実際的なそして実存的な考えであることも否定しません。そういうことはどうでもいいのです。ですが、素朴な疑問から出発して、素朴な考えを続けていきますと、どうしてもこのような考えに帰結してしまいます。ここではただそのことだけを述べておきたいと思います。
 
 
国家の起源をイメージするために
              2017/03/10
 前回国家や国家以前について考えてみた。うまく整理がつかなかったので、今回ももう少しこれについて突っ込んで考えてみたい。 まず国家の成立以前と以後を考えてみるとして、小規模の家族、親族単位の共同体から大規模な統一部族連合共同体までの移行ということで考えてみる。
 共同体の最小基本単位とも言える家族、あるいは延長にある親族のところまで、その集団の意志決定の中心は、親世代から上の年長者にあったと考えるのがふつうだと思う。
 そこから別の集団と合流して、血の繋がらない集団へと共同体は拡大していく。氏族、部族といった地域の集団へ。そこではそれぞれの集団の年長の代表者同士が集まって、話し合いをして意見をまとめた。このあたりではもう小さな集落から村の形ができていたと考えられる。さらにある地域に二つ三つと村が出来上がると、親しくなったり疎遠な時期を経ながら、たとえば他の地域からの侵攻みたいな事があって対抗する必要が生じ、一つにまとまったなどということも考えられる。いずれにせよ、時代が下るにつれて共同体の規模は少しずつ拡大することになった。
 縄文時代の遺跡といわれる青森の丸山山内遺跡ではかなりの大所帯が共同で暮らしていた痕跡があり、それはもう小国家と呼んでもいいくらいのものだったかもしれない。そんな規模の共同体が日本のあちこちに出現し、また消滅をくり返し、中国の史書に見られるように古墳時代までに小国の分立が長く続いていたと思われる。
 国や国家の始まりとか母胎となるのは、そうして大規模化した共同体が元になるが、すべての拡大して大きくなった共同体が国家を形成するようになるかといえばそうではない。たとえば広く知られるようにアイヌ民族やアメリカインディアンなどは、部族連合的な大規模集団となっても国家的な形まで進展しなかったように思われる。
 国家と国家以前にとどまった共同体の違いをどう考えたらいいかというと、これはすでに吉本隆明などの考えにあったことだが、共同体の上にもうひとつ次元を異とする共同体を構成したかしなかったかで違ってくる。
 つまり各部族の長老が集まった会議でもいいし、あるいは各部族の能力に優れたものの集まりで構成された集団形成と考えてもいいが、いずれにせよ大きな集団の上にもうひとつ独自に集団が形成され、その集団自体の中に自由に動かせる武装勢力が形成されるようになったとき、共同体は自らを国家へと疎外、言い換えると進展させていった。
 共同体の中に生まれたもう一つの共同体は、対外的には元となる大きな共同体の全成員の庇護的な役割を果たすことに効力を発揮したかもしれないが、内に向かっては独自に動かせる強力な武装力を背景に、成員を規制する力として機能するようになっていった。これは共同体を支配する共同体の誕生を意味し、国家共同体と国家以前の共同体とを分かつ象徴になり得る。
 はじめに、共同体の意志は成員相互の意志の直接的な反映であった。けれども、いったん支配共同体が成立すると、その支配共同体の意志が高次の意志となって共同体を左右するようになる。そしてここから統一国家への道のりは一直線となり、さらなる共同体の拡大化に伴い、これを支配する支配共同体が拡大していくようになることもまた、容易に想定されるのである。
 支配共同体以外の、つまり共同体の一般的な成員にとっては、自分たちの生活こそがすべてであり、極論すれば共同体が拡大しようが縮小しようが、あるいはまた別の共同体の支配下に代わろうが、自分たちの生活が平和的に継続していくならばそれでいいはずである。しかし、いったん支配共同体の一員に上りつめたものにとっては、そのことの維持、継続がすべてになる。そこに意識の分断、亀裂が生じる。
 巨大化した共同体の元にいったん成立した支配共同体(国家的中枢)は、姿形を変え、変転をくり返しながら現在へと続いていることは言うまでもない。時に一般の成員たちを抑圧したり規制したり、あるいは成員の生産したものを収奪したりしながら、その権力や勢力の拡大化は止むことがない。おそらく富を観点としてみれば、一般の成員の富の総和よりもあるいは支配共同体に属するものの富の総和の方が、現在、遙かに膨大に膨れあがっているだろうという気がする。もちろん支配共同体の成員が増加しているということもあるだろうが、未だ圧倒的数の一般成員を考えると、逆ピラミッド型を形成しているのだろうと思われる。
 このことは単なる想像でありどうでもいいことだと言ってもいいが、共同体の一般の成員の立場に立てば、どうして自分たちの意識や意志を反映しているとは言いがたい支配共同体を、いつまでも全体の上に君臨させておかなければならないのか、納得いかないに違いないと思える。
 そもそもが支配共同体の勝手な意志や判断の元に他部族との争いになり、仮に敗れてそちらの支配下となった成員にとってみれば、それ自体が不条理なことであり、取って代わった支配共同体とは元来何のゆかりも何もなかったのである。突然その支配下に組まれ、支配力を行使されるほかなくなったということになる。
 実際的な共同体内での社会生活と、支配共同体の意志とは直接的な繋がりを持たない。だが、互いに影響し合う関係である。
 一般的な成員にとっては、かつての血縁的な集団構成の元に、そこだけの合議でもって意志決定していく生存のあり方は、もはや適わぬ理想といっていいのかもしれない。全くの自分たちの自由な意志で、自分たちの運命を決定することはできなくなった。支配共同体の意志が絶対的な力としてそれを阻むからだ。単純に考えたら、社会生活を制御している支配共同体がなくなれば、生活はより貧しい方に転落するかもしれないが、それでも和気藹々と親和的で、笑顔が満ち、充足した家族生活というものが手に入るのかもしれない。そして、未だに全体の共同体を私物化するがごとく支配共同体が存在しているとすれば、確かにそれはなくなった方がいいのだ。
 だが、事はそう簡単ではない。つまり、支配共同体をぶっつぶせと言ってすむ話ではない。すでにそれは歴史的に証明されている。ではどうすればいいのか。このことを出発点として、思考を継続していく以外にわたしたちになし得ることは何もない。
 ここでは、支配共同体が自分たちの意志だけで自由に動かせる武力を組織するようになっ時点をもって、これを国家の始まり、起源にあるものと考える考え方を共通の認識として認識し合えればよい。以後のことはまた別の項で論じたい。
 
 
国家と国家以前についての素描
              2017/03/06
 日本の縄文時代の始まりはおよそ1万年前以上とされている。その頃はもう、人類史的にはよほど現代のわたしたちの生活感性に近い形で活動していたように思う。言葉を持ち、少数の群れが列島のあちこちに散在していたにちがいない。
 当時にはすでに人間的な社会生活が存在した。社会はあった。しかしまだ国家は成立していない。こう考えると、社会と国家はべつもので、起源としては社会が兄貴分と言えると思う。
 小さな群れは家族的集団から親族的集団まで、自然な形成の仕方で膨らんだり縮んだりしていたのだろうと思う。当時は寿命が短く、そのままの集団として大集団へと膨らむことは想像しにくい。
 やがてそれらの群れは互いに交流し合い、必要が生じた時点で氏族的、部族的集団へと発展して行く。
 ぼくはその道の研究者でも何でもないから断言はできないが、たぶんそんなところじゃないかなと思い、またそんなふうに勝手にイメージしている。
 一般的に縄文時代というのは狩猟採集の生活と考えられていて、けれども縄文後期には農耕も行われるようになっていたと言われている。集団や共同体の大規模化は、農耕の発達に関係してくるような気がする。つまり農業が盛んになったとされる弥生時代には地域集団、別な言い方をすれば部族集団が形成され、それはいっそう巨大化する傾向を見せ始めたにちがいない。
 いずれにしても、家族的な集団や親族的な集団では、その集団の物事の決定には自然発生的に生まれた家族の長、親族の長、普通に考えるとその集団の年長者の存在が考えられる。そこから徐々に氏族や部族集団に発展して行くことを考えると、小さな集団の長を単位として、それらが集まって長老会議のようなものが行われるようになっていったと推定される。
 このように集団が部族的な形成がなされるところまでは、たとえば他集団との諍いが生じると集団全員で戦いに参加するか、あるいは共同体の中に生じた自然な自衛組織でもって戦うことになっていたかと思う。そのあたりまでは、他集団、他部族との戦いは、共同体にとっての直接的な意志であった。
 ここまでの過程は、いわゆる村の形成過程として考えたほうが分かりやすいかもしれない。小さな村が出来上がった段階はこのようなものであったとイメージすると、要するに国家が成立する以前、またもうすぐ国家が成立する手前の状況として理解しやすいように思える。
 村を形成するようになったこのような集団、共同体が、どの時点で国家の形態に発展したかと見る場合に、単独の村からいくつかの村の連合へと発展したことがひとつ。さらにそうした村々のよせ集まりの中で、長老会議でもいいしそこから選抜されたさらなる長を中心にした首脳部のような存在がもうひとつの条件と考えられる。それは共同体の上にもうひとつの共同体が出来ことを意味する。それが支配層の共同体を形成し、村の成員の全体の意志とは別に、独自の自分たちの支配者的な意志でもって武装力を持つようになった時点で国家の始まりと考えるのがいちばんよいと思う。
 いわゆる学術的にも国家の起源についてのいろいろな考え方があるとは思われるが、ぼくはこういう考え方をするのがいちばん納得しやすい。
 はじめに集団を方向づける宗教が生じ、これが掟のようなものに昇華し、さらに法のようなものに昇華していく。ここにもうひとつ、長老たちで形成された支配層によって自由に動かせる武力組織が作られたところで、共同体は国家と呼べるものになる。
 そう考えて、では日本における邪馬台国とはなにかと考えると、小国家群(部族国家群)を統一した初期の統一部族国家であり、やがて飛鳥時代へと引き継がれ、奈良時代にいたって統一国家体制が確立していくという見方ができる。
 
 冒頭で少し触れたように、国家成立以前に社会は存在している。しかし、国家という形が成立して以後、社会と国家は不分離のように見なされたり、社会の上に国家がぴったりと重なって見分けがつかないもののようにとらえられてきた。けれどもやはり社会は社会で、国家は国家で、それぞれの歴史を辿ってきたと考えることができる。別物であり、さらに国家は後出しである。
 古墳時代から飛鳥時代、そして奈良時代に至るまでの過程は、およそ小国家群の林立から次第にそれらが統一され、日本国と呼べる形が出来上がった過程だと言い換えてみることができる。しかし多くの農民や、漁労、狩猟などを生業とする住民は、ほとんどは元からその地域に住み、生活していた。縄文時代や弥生時代にも社会的な生活はあったのである。そして、国家の形成に奔走したのは、昔からの生活の繰り返しを引き続きくり返すだけのそうした底辺の生活者ではなく、共同体の上の共同体を形成する一部の権力者たちによってであった。日本の初期国家が成立した時期、中央をのぞき、たとえば東北に居を持つ住人たちなどには、いったいなにごとが起きているか分からなかったであろう。また、そもそもがそうしたことに関心がなかったであろう。実際にはそういう現実の中で国家が成立していったのである。
 にもかかわらず、初期の古代国家が成立してからしばらくして、人々は人民も土地も、あるいは社会的な生活一切が国家のものであり、国家によってもたらされたものだと考えるようになっている。もっと露骨に言えば初期国家の祖である天皇からの頂き物、借り物のように昭和の敗戦まで思われていた。
 前回ここに記述した「吉本隆明のフーコー論から」と題する文章の中で、日本は現在でも近代国家以前を引きずっているのではないかと述べた。それは近代国家以後の法概念からして、法以前の掟や戒律や倫理、つまり社会の側に分類されるべきものの混在を憲法の中に認めてのことだ。このことはいま述べた国家と社会の同一視のあり方と繋がっている。それがどうしてなのか分からないが、本来なら共同体の中のもうひとつの共同体(支配共同体)の幻想に過ぎないというべきものが、全体の共同体の成員の意識に浸透し、共有されて存在する。そのために社会と国家はどこまでも分かちがたいものとして認識され、すべてが国家の中に包み込まれる。
 もちろん、さすがに現状ではそうしたところから徐々に離脱しつつあるとはいえようが、厳密な意味では社会と国家の区別は、わたしたちにはっきりと認識されるところまでは至っていないように思われる。
 特に何か新しいことを提起したというわけでもないが、そういうところをここでは確認しておきたかった。
 
 
吉本隆明のフーコー論から
 ―近代国家と憲法についての覚書―
              2017/03/03
 吉本隆明の講演した中に、「フーコーについて」と題した講演があります。これは糸井重里さんの「ほぼ日」の中で公開されていて聞くことができます。ぼくもここで聞いたのですが、時間にして137分と示されていたので、やはり少し長いと感じられるくらいの講演の記録です。
 これは簡単に言えば、ヘーゲルとかマルクスとかが考えた歴史や国家、権力の概念と、フーコーからする知の考古学という視点からの考え方との接点について述べたものです。吉本さんは、戦後になってヘーゲルやマルクスのとった考え方に影響を受け、その後さまざまに思想的な展開を果たしていき、その格闘は膨大な著作の中に残されているといっていいと思います。吉本さんのいちばんの思想上の功績は、当時世界思想として席巻していたマルクス主義に異議を唱えたことだと思います。マルクスの思想は肯定しながら、派生したマルクス主義自体には否定的でした。ソ連の崩壊に象徴されるように、その後マルクス主義は修正過程、分解過程をとりながら徐々に凋落していったのは知っての通りです。大きく考えれば当時の世界思想はマルクス主義の肯定か否定、いずれにしても何らかの形でマルクス主義の影響下にあったといっていいと思います。特に国家や権力を考える場合には、マルクス主義的な考え方を抜きにしては論じられないという状況であったと思います。
 フーコーは、そうした世界の思想状況からは全く飛び出し、それでいて、国家や権力の問題について、未来社会に向かって先進的となる考えを導く思考法を提供すると吉本さんは見ていたようです。つまり独創的な考え方をしていると評価していました。
 フーコーを知ったことは吉本さんにはとても驚きだったようで、マルクス自身の考えを継承し発展させようとしてきた吉本さんは、マルクスとは全く無縁のところから思想構築したフーコーの、いわば知の考古学を自分の方法の中に役立てられないかと試行するところもあったようです。そこでどんな組み入れ方をすれば良いか、吉本さん自身が実践的にどういう形でフーコーの方法を活用したかの一部を、この講演の中で紹介しています。つまり、ここではフーコーの業績などの全体像ではなく、吉本さん自身がフーコーの何を、どのように自分の中に取り入れたかが語られています。
 
 さて、以上はこの講演の全体の印象について述べたものですが、この中でぼくははじめて聞いてちょっとびっくりするところがありました。そこで、そのことをちょっと書いてみたいわけです。
 それはフーコーの問題とは直接関係がありません。またそのことについてうまく内容を要約して書けるか心配なところもあるのですが、まあやってみます。
 
 憲法の問題です。はじめに明治憲法から入ってみます。
 単純な言い方をすれば、近代国家というのは憲法をもった国家を指します。日本は明治維新によって、当時の先進的な欧米並みの国家体制に変わろうとしました。その時に、ヨーロッパ、特にドイツの憲法を模範として、わるくいえばよそ様のいいところを真似して自分のとこの憲法を作りました。吉本さんは、そこのところをこんなふうに評しています。
 
明治憲法っていうのは、これは岩波の『世界憲法集』っていうのに書いてありますけど、それ以外になかなか見つけるのがむずかしいでしょうけど、それを見ると、のっけからまた、のっけから二番目ぐらいですかね、「天皇は神聖にして侵すべからず」っていう項目があるんです。
そうしたら、これは法律か、道徳か、日本の市民社会で守るべき道徳なのか、それとも法律なのか、それとも、市民社会における道徳を普遍化したものが、この条項になっているのかっていうふうに考えると、なかなかこれ、問題になってきます。
しかし、知恵は知恵だし、明治維新はひとつの革命であることには違いないと思えるのは、つまり、それ以下の条項をみると、だいたいほかの国の、つまり、ヨーロッパの国の憲法の条項らしき条項がぜんぶ揃っているわけです。
ただ一か所、ちょっと付随するのがあります。ぼくが考えると、統帥権っていいましょうか、軍隊を動かす権利だけは、直接、天皇にあるっていうのは、明治憲法のあれですけど、それは、ちょっと問題になると思いますけど、第一条っていうのは、これは道徳であるのか、それとも、法律であるのか、あるいは、国家を規定するあれなのか、市民社会だけを規定するあれなのかっていうのを、ちょっと区別しがたいっていう項目であることに間違いないです。だけど、項目はだいたい、西洋の近代国家における憲法と、ほぼ同じような条項っていうのは、ちゃんとつくられているっていうふうにつくったわけです。
ところが、どうしても、天ぷらじゃないけど、衣だけ衣替えしたって、なかなか西洋並みにはならんですよっていうのが、第一条によくあらわれているので、昔ながらの、つまり、守るべき法律なのだか、国法なのだか、それとも、ただの道徳的な規定なのかっていうのが、すこぶるあいまいであるっていうような、そういう項目を、どうしても、一条一カ条のっけから載せておくことによって、古来からの、日本の憲法っていうのは、聖徳太子以来、あんまり、道徳だか、なんだかわからないような、そういうことしかつくってこなかった、できてこなかったっていうのに対して、かろうじて、そういうところとの接続点を設けているわけです。
だけども、ほんとうに、そんな外国に行って、ヨーロッパに行って、むこうの憲法を勉強してきて、おんなじようにつくろうじゃないかっていうふうにして、そういうつくり方をしないで、鎌倉幕府法とか、諸藩の持っている、各藩が持っている藩法っていうのがありますけど、それをよくよく検討して、明治維新、あるいは、幕末の連中が、それを一生懸命、研究していて、そこから道徳的要素が比較的少ないっていうような項目だけをもってきて、それを、一種の普遍的な要素として、拡大したら、拡張したらこういうかたちになるぜっていうふうに憲法をつくったら、たぶん、それこそ理想的な、つまり、日本の憲法が理想的なっていうのは、たぶん、ふさわしい日本の憲法が自発的に、自律的にできたってことになるのでしょうけれど、それよりも手っ取り早く、とにかく留学して、むこうへ行って、むこうの憲法を全部さらってきて、それを、うまくあんばいして、古来からの日本の憲法っていうものの考え方っていうのも、どっかで入れて調和しないとっていうので、第一条みたいなものを、「天皇は神聖にして侵すべからず」みたいなものを入れたと思います。
(「ほぼ日」に収録の、講演がテキスト 化されたものから引用)
 
 ここを読んでぼくが思ったのは、ひとつは明治時代の日本国というのは西洋の近代国家を模しているけれども、それは体裁上のことであって、実質的にはまだ近代国家になりきっていなかったんじゃないかなということでした。ヨーロッパのそれぞれの国についてはよくわからないけれども、憲法だけからいえば自発的、自律的にできたものにはなっていない当時の日本は、近代国家以前を引きずっていたように思えるのです。さらに戦後の新憲法を考えてみても、これは当時の占領国の強い影響下の元に作成されたもので、やはり自前の近代国家と呼べるにふさわしい憲法を持つ国とはいえない気がします。極端に言えば、未だに近代国家とは呼べない状況下にあるという何とも情けない疑念が払拭できません。これは端的に言えば、我が国は未だかつて自分の国にふさわしい、自発的で自律的な憲法を作ったことがないじゃないかというところからきます。
 もうひとつ思ったことは、では日本はどういう憲法を作ったらよかったのかということです。これについては吉本さんが引用の中で言っていますが、幕末に維新を遂行した連中が、鎌倉以来のいろいろな幕府の法、諸藩の法などを検討、研究して、そこから憲法にふさわしい形に練り上げていけば良かったんじゃないかと述べています。
 このあたりはちょっと難しいので、直接吉本さんの発言からくみ取ってもらうのがいちばんいいのですが、ぼくは吉本さんのここでの発言を聞いてちょっとしびれたのです。このことがここで書きたかった第一のことで、言葉にするとこんな短い言葉で終わってしまうのですが、どうしても書いておきたかったことです。こんなことはほかで聞いたことは無かったし、最近の憲法論議にも聞かれなかったと思います。
 背景に憲法改正論議が盛んになってきたこともあり、このあとで吉本さんは、憲法についてひとり一人が自分の考えをもったり作ったりすることもいいと述べていますが、特に先のように過去に遡って考えろとは言っていません。そこはたぶん明治という時代と現在との状況の違いがあるからでしょうが、それにしても、思ったことの後者に述べたように、法から国家へという道筋に内在すべき理というものの指摘は、これはすごいと感心させられました。
 わたしは人の言葉に簡単に影響されやすいところもあって、ここでもすぐに鎌倉、室町、徳川のそれぞれの幕府の法、あるいは藩政時代の各藩の法を読みたいと思いました。ですが冷静に考えますと、学者でもないわたしにそれが読み切れるはずもありません。また、たぶん、根気もないはずです。おそらくは無味乾燥な言葉が連ねられているだけかもしれないのです。もちろん、そういう中にこころの源流といいますか、日本人の感性や精神が脈々と波打っているともいえますが、無味乾燥な言葉の中にわたしがそれを読み取れるとも思えません。ですが、吉本さんの指摘するところがきわめて大事なところだろうというのはよく分かったつもりです。そして、とりあえずは分かったというところまでで今のところは満足しておきたいと思います。どこかでこのことを思い出すことができれば、それでいいのだと思うのです。
 
 
障害の考察その後の懸念、危惧
              2017/02/24
 この間まで吉本隆明の「心的現象論」の一部をテキストとして、身体の障害の問題を考えていた。一介の生活者には荷が重いことを承知で考えてみたわけだが、結論としては、障害の状況を短絡や思い込みや倫理、同情といったものに曇らされずに、詳らかにすることが大事なことであるということだった。もっと言えば、障害の本質に観察や考察が行き届くことが必要だが、意外にこれが医学的にも心理学的にも到達できていない。その理由は、倫理、同情、思い込みなどによる短絡がそれを邪魔しているということになる。
 これにも関連することだが、わたしたちは生きることにまつわる死に近い生存の在り方を必然のように感覚的に受けとめていて、それを集約した形で体現する障害者に投影し、それを痛ましいという感覚の形で喚起するほかないこと。さらにこの痛ましさをわたしたちは対自的に究明してこずに、倫理、同情、親和などに短絡させて考えがちになることなどを吉本のテキストに学んできた。
 おそらく、社会や社会制度としてはこれらの部分はいちばん不問に付されてきたことだ。顧みられずに、義手や義足の開発、訓練やリハビリ、自立支援という側面などが強調されて、障害者自身も周囲の空気や雰囲気を読み、自分をそういう課題に押し込んできたと思う。 それらは現実的にはやむを得ない解決の方向性であり、やはり現実的にはやむを得ない唯一の解決の仕方であると思う。
 しかし、それらが現実的なとりあえずの解決の仕方であることは認められても、障害にとっての根源的な解決の仕方ではないということも確かなことだ。そのことは吉本のテキストを読み込み、これを考察することで自分には自明のことになっている。そのことを大きな声で主張するつもりは少しもない。
 だが、それらのことを考察した上で現在でも気にかかることは人間の生存に関わる根本的なことで、だれもが人間存在やその生き方を意味づけたがり、価値づけたがり、発達や進歩の呪縛から逃れられないように見えることだ。逆向きに言えば、停滞する存在の仕方に対する肯定的な視線が欠如している。
 わたしは現在も吉本隆明の「大衆の原像」という考えが好きで、これには障害者か健常者かの区別はいらないと思っている。もしも存在することに価値概念を強いて付与するとすれば、「大衆の原像」はその基底にあるものだと考える。これは類存在に対する個の、生から死に至る自然過程を、その、生まれ、育ち、婚姻して子をなし、老いて死ぬというそのリズム自体を肯定すると共に、そこに準ずることの覚悟性を示している。これは何のことはない、少し分かりにくい言い方を敢えてするが、疎外の解消こそが夢になり目標になると言っていることに等しい。
 このことをもう少し具体化して言うと、非知や無知、究極には自力を放棄した存在の仕方をそのまま丸ごと肯定して、それを価値の本源とすることだと思える。
 フリージャーナリストの佐藤幹夫は、彼の著作『ハンディキャップ論』第四章「社会の中のハンディキャップ」、その2の「わたしの提案したいこと」の中で、以下のように記述している。
 
 たとえば、少し前にアメリカのメジャーリグに、隻腕のアボットという投手がいたことを記憶されていないだろうか。隻腕というハンディをもちながら、彼をメジャーリーグにまで押し上げたものは何だったのか。言うまでもなく、投げてから守備に入るまでの一連の動作を編み出し、鍛え上げたことである。
 
 (中略)
 
 くり返すが、振りかぶったとき、グラブは右腕の脇に抱えられている。投げ終えると同時にグラブを左手にはめ、守備に入る。その一連の動きを目に見えるようにしたこと。目に見えるようにしたということの意義の大きさを、わたしは言いたいのである。ハンディを持つ人々のこのような「工夫」が、さまざまなかたちでわたしたちの目の前に現れ、後に続く人たちが増えていく。「工夫」が共有されることの意義の大きさである。
 
 (中略)
 
 そしてハンディを持つ側の人々も、その鍛え上げた「技」がどのようなプロセスを経たものであるか、できるだけ発信していただきたいということである。それが共有の財産となったとき、あとに続く人たちにとって、きわめて大きなものとなる。言うまでもなく「健常/障害」という垣根を低くすることにも通ずるはずである。
 
 この著者のこの著作に示されたヒューマニズムをわたしは評価したいと思う。だが、この文章に底流する文脈を丁寧に読み込んでもらえば、ここに、「向上」に対して視線が動く著者の無意識が働いていることが理解されると思う。これが悪いというつもりは毛頭ない。けれどもこういう視線の働きは、健常者のごく普通の生き方に対しても同じように作用するにちがいない。「技」、「工夫」、「向上」。これらはいずれもわたしたちの生存にまつわる自然な過程、自然な流れとも言えるが、下手をすれば「停滞」を軽視してしまいがちになりそうな懸念が持たれる。もちろんそれでもいいのだが、先にも述べたようにわたしはごく普通の生活者の、誇張すれば箸にも棒にもかからぬ「向上」などない生き方を、そのまま丸ごと肯定したいと思うのである。「あとに続くひとたちにとって」、何の夢も希望も与えない、生き方をしたとしても、だ。
 健常者でも障害者でも、輝くように生きている人はいるものである。だが、そうはいかなくて、言い方は悪いが、くすぶるように生きている人もたくさんいるはずである。わたしも当然そのひとりなのだが、輝いて生きることを必ずしも希求しない。
 わたしにとって障害者も他者の一人であるに過ぎない。わたしが健常者である他者に対して偏見を持って接したり冷淡に接したりすることがあるように、わたしは障害者に対しても偏見を持って接したり、冷淡であったりすることがあるにちがいない。健常者に対して人見知りであるわたしが、障害者に向かってだけ人見知りから解放されて接したりするわけがない。
 すぐれてヒューマニスト的であるといえども、健常と障害の間に横たわるある陥穽の場所から全く無縁であることは難しい。
 わたしには佐藤幹夫の引用部の表現は、本当はもっとさまざまにある思いの中から取捨選択して、社会に通用しそうなところを掬って表にした部分なのだろうと思う。だが、わたしは障害を持つ子どもと実際に接した経験において、能力を開発しようがしまいが、何もいま以上である必要はなく、動けるこちら側が動けばいい話ではないかと思える。
 まだ考えは行き着いているとは言えないが、ここではとりあえず、ある懸念や危惧について独白してみたと言うことになると思う。
 
 
トランプ大統領就任についての私見
              2017/02/12
 2つのことを思う。1つは自由・平等・博愛を旗印として、世界を欧米史観、あるいはその近代精神のもとに、一つに結集しようと企てた欧米近代の理念が敗北したことである。これは前大統領のオバマ政権に象徴的に体現されたとわたしは見る。平和、核の廃絶を唱えながら、現実はその理想から遙かに乖離して世界の期待は落胆に変わった。
 その後のトランプ大統領の就任である。オバマ政権時、その政策推進の原動力には理想主義と現実主義が混雑してあったと考えると分かりやすい。実態に足をすくわれ、理想主義的な側面は思うようには推進できなかった。現実主義はまた逆に、理想に抑制を駆けられて大胆な施策を実行するに至らなかった。
 それが欧米の精神、理念が最終的に着地した地点である。もうこれで、世界の人間に期待する精神の神話は終焉した。トランプ大統領の就任はそのことを象徴するものだとわたしは考えている。
 トランプは欧米精神の理想主義的な側面などこれっぽっちも感じさせずに、アメリカ国民の経済生活の上昇という現実的側面にコミットすることを強調して登場した。これはいざとなったら他国を侵略し、他民族を根こそぎ殺戮した白人系人種の圧倒的な暴力性、つまり彼らの本質部分に繋がる。欧米はその本質的な暴力性を理性によって抑制してきた。この理性や理想主義をかなぐり捨てて、自国の繁栄に重点を置いた政策をアメリカが進めるようになったらどうなるのか。第2にわたしが注目しようと思うのはそこである。
 トランプ個人に対しては、今のところわたしは何も思わない。歯に衣着せぬアメリカの経済人、それだけしか印象がない。
 参考にわたしが注目するブログの著者たちはどうかと言えば、武田邦彦はトランプにやや好意的で、内田樹は否定的、そして山本哲士はそれらよりももう少し距離を置き、客観的な見方をしているように思われる。
 
 
武田邦彦の「戦争論」を問うパート3
              2017/02/08
 2月5日付のブログ、『先の戦争の本質(5)靖国の偉人』と題する中で、武田邦彦は、人類が狩猟採集の時代から農業生産へと移行し、さらに鉄器ができ、鉄の鍬などが普及することによって過剰生産がおこり、直接労働に従事しなくてもよい層を生み出したという認識を述べている。そして、その2、3割のヒマな人たちが「王様になり、貴族になり、思想家になり、学者になり、まあろくなことはなくて」というように続けて述べている。いわゆる支配層の出現、成立についての武田なりの見解を述べたもので、さらにこれを紀元前500年頃と考えれば、これ以降から現在までの約2500年にわたってこのピラミッド型の下で生活する人々がほとんどで、その人たちにとっては不都合な歴史だ、という見解も披瀝している。
 支配層の出現が人類にとってろくなことではなかったというニュアンスの見解とか、ピラミッドの底辺に生活しなければならなかった人々にとっては現在までの歴史は不都合なものだという認識の発言は、これまでに無くすっきりしていて、わたしはあらためて武田邦彦という人の発言の基底になっている部分、その一部に触れた思いがした。
 武田の肩書きは中部大学の教授であり、学者ということになり、武田が先に述べたことの関連で言えば支配層の一員ということになる。武田自身が言っているように、学者という在り方も、社会のピラミッド型の支配構成も、本来的に言えば「ろくなもの」ではない。武田はそのことを自覚している。今回の武田のブログ発言はそのことを教えている点で、わたしにとっては収穫であった。また、そういうところまでは一応視線が届いていることが分かって、少しほっとするところがあった。歴史の主体がどこにあるべきかについて分かった上で、いろいろなことに発言しているんだなということも理解できた。
 もうひとつ、武田がここで歴史的な見解として示しているところは、先の歴史に重ねてその古代から現代にいたる時期が、横向きには少数民族による他民族の支配形成という形になって表れたと指摘している点だ。もっと言えば、白人系の民族による他民族の植民地化の歴史であると概括的に述べている。
 歴史の時間域に共同体における支配の成立と成熟過程を見、空間域にヨーロッパの他民族支配過程を捉える武田の捉え方は、結果、あるいは事実としてみれば、なるほどと納得できるところがある。
 植民地化などによってヨーロッパが世界制覇を進めていくその最終段階において、要するにヘーゲルなどを中心として確立されていった欧州史観、欧米史観が隆盛となって今日までそれは基底にあり続けている。
 世界の先端であり中心となるのはヨーロッパ世界であり、アジアやアフリカは遅れてくるものであり、あるいはそれらの地域世界を歴史の外に追いやる史観である。
 武田が言いたいのは、そのことによって世界の出来事が全て欧米、そして白人種に都合のよいように解釈されてきたし、今日においてもいまだその状況は変わっていないということなのだと思う。
 日本の戦後教育は占領下ということもあり、従来の日本型社会の考え方を根底から覆すように欧米の論理、思想を子どもたちに注入することになったと思う。
 戦後生まれのわたしなども、それが欧米型の論理や思考や思想などとは少しも疑うことなく、言ってみれば世界普遍のものと思いながら受け容れてきた。もちろん、そこには論理、思考、思想上の圧倒的な欧米勢の優位性は存在していたのである。つまり、生活様式ばかりではなく、心的な位相においてもわたしたちはすっかり欧米化していった。
 このことがわたしたちに何をもたらしたかと言えば、要するに欧米の論理、思考、思想を身に付け、言語的に言えばネイチャーに分かちがたく自らを革新していくことであったと思える。だから頭だけは欧米並みにしようとして、欧米の論理、思考、思想を自分のものになそうと努め、刻苦勉励し、さらにその行使に努めてきたと言っていい。
 しかし、それは結果論的には、欧米産の作物をかき集めて輸入し、加工して販売したようなもので、わたしたちの風土にこれを根付かせ作付けし、自らのものとして生産、収穫できるに至ったとまでは言いがたい。
 武田はこういうことが指し示す顕著な例として先の大東亜戦争、太平洋戦争に言及し、ここから現在流布された圧倒的な欧米史観の影響を取り除き、言ってみれば仮に日本中心主義的な史観の想定のもとに眺めると、弱小国、有色人種からするヨーロッパの世界覇権の阻止という観点から、限りなく有意義なものであったと評価できるとしている。
 武田はようするに、たしかに先の戦争で日本は形式的には負けたけれども、アジアの辺境の日本国の欧米への抵抗は、アジア諸国アフリカ諸国の欧米からの独立運動の導火線となり、以後の世界の平和への模索、人種差別の撤廃運動等に寄与するものだったと主張する。これは少なくとも欧米史観を身にまとい、仮の衣に気づかずに、欧米史観の優位性を自分の優位性と錯覚して主張する連中よりは、はるかにましな見解だとわたしは思う。
 だが、武田のこういう大局的な歴史の捉え方、日本型史観に偏した捉え方は危なっかしい捉え方であるとわたしには思える。
 世界、あるいは世界史の認識という点において、必ずしも欧米の史観が絶対的な客観性をもっていると言えないことはたしかに武田の言うとおりだが、それに対する武田の日本中心の史観と言うべきものが絶対の客観性を保持していると見ることはできない。それでは、目くそ鼻くそを笑うの例えが示す程度の違いでしかないとわたしは思う。
 武田はもう少し時代が下って人間社会の歴史が欧米史観に影響されない形で整理されていけば、太平洋戦争などの形になって現れた日本の欧米への抵抗が、世界の世界による平和へと歩みゆく結節点として、高く評価されるようになっていくだろうと述べる。そしてまたさらに、先の戦争を主導した、天皇、東条英機をはじめとする枢要の人々や靖国神社に奉られた人たちが、やがて復権し、世界的な偉人として評価され、褒め称えられる日が来るにちがいないと言っている。
 武田のこうした発言に対し、欧米型史観によって批判することは容易である。だがそれでは他人のふんどしで相撲を取ることと同じだと批判されても仕方が無い。
 そうでないようにするにはどうしたらよいか。
 武田の発言をきいていると、これらの発言とは別に、戦争は不可避のものだというニュアンスの発言が見られる。これはわたしには科学からする発想の短絡に思える。そのために、国家共同体の護持や維持に何ら関知せず、責任を持ちうべくも無く、本来的に動物的なテリトリーを範囲として、その生活圏内に至極普通に生きる人々が、国家共同体の意志や拘束に左右されることなく、ただ自らの自由な意志のもとに生きることを前提とする発想が取り得ない。
 立ち位置を少しずらすならば、戦争を不可避と考えようが考えまいが、戦争はない方がいいと思えるにちがいないし、そうである以上、どうしたら戦争を回避し、無くすことができるかに重点を置き、その究明の方向に思考を費やすことになるはずなのだ。
 武田の言うように、いずれ先の戦争の歴史的な再評価があり得るものとすれば、何もいま現在において性急にそれをなすことが緊急の課題のようには思えない。それよりもやはり、大多数のピラミッドの底辺に生活する人たちが、それ以上の不利益がないように暮らせる暮らし方を模索することに意味があるのではないのか。
 武田は日本型ピラミッド、いわゆる天皇制を、これまで人類が形成してきた支配、被支配の構成体の中で、唯一現実社会の中に平等を実現してきたものと高く評価する。だが仮に相対的に見てそういうことが言えるとしても、武田も言うように、大多数の人々にとってピラミッドそれ自体が「ろくなものじゃない」という思いが、人々の無意識にも潜在することは間違いない。あるいはもう少しくだけた言い方をするならば、だれもが一度はその頂点に立ってみたいと願望しているかもしれない。そのことも含め、これらの問題は内省的に、ということは、ピラミッド自体の消滅の方向に、この先もまだまだ考え続けていかなければならないことだと思える。
 歴史的に生成したものは歴史的に消滅する。あるいは生誕したものは老熟しつつ生誕に帰っていく。そういう見方、考え方を取れば、わたしには戦争は少しも不可避として決定づけられるものでは無いように思われる。そこからは、歴史的にであっても評価できる戦争などは皆無だとしか言いようがない。
 武田の言ってみれば欧米史観に対する日本中心史観は、せいぜいが欧米史観の裏返しに過ぎない。そんなことに興じて悦に感じたり自己満足に浸れるのは支配層や指導層の一部でしかない。わたしたち日本人がそんなことで矜恃を取り戻し、世界に向かって優位の顔つきで対するようになることが、いまわたしたちに必要なことだとも思えない。自虐的である必要も無ければ、偉そうにしなければならないということもない。そんなことは成るようにしか成らないことだし、見方を変えればいずれ成るように成るものである。
 武田は最初に、「ろくなものじゃない」人類の過去の歴史を根源的に否定する位置に立ちながら、その位置を固執することをしなかった。過去の根源的な否定は、未知の、それも根源的な創造に繋がるはずである。であれば、ほんとうは近年の戦争の機能主義的、あるいは構造主義的とも言えそうな再解釈で満足するのではなく、ピラミッドの生成と消滅の考察に向かわなければならなかったとわたしは思う。
 今回はとりあえずこんなところで終わっておく。
 
 
武田邦彦の「戦争論」を問うパート2
              2016/09/25
 武田は、近代の戦争を戦ったわたしたちの先祖に対して敬意を払わない昨今の風潮は、おかしいのではないかと意見する。おじいさんたちが命がけで日本を守り、そのおかげでわたしたち子や孫やひ孫の世代が、平和を享受することができているのだからというものである。けれどもこういう言い方には無意識のペテンが入っているし、この程度のことはどこにでもいる近隣のおじいさんが口にできる言いぐさに過ぎない。
 大別すれば、これは先祖好きの庶民が言いそうなことだし、先祖嫌いの庶民は反対に、
外国に攻め入ってさんざん悪いことをしたり迷惑をかけてきたなどと悪口を言ったりする。あるいは、個人的には悪いとは言えないが、軍部にそそのかされ、言いなりになったと批判したりしている。
 どっちもどっちで、いずれこういう論議は水掛け論に終わって対立が続くだけだ。
 こんな論議のどちらかに加担しても建設的だとは思えない。
 戦争を語るときの立ち位置によって、その内容は決定的に違ってきてしまうのだが、わたしは常々戦争を語るときには独立した個人生活者の位相でこれを語ろうと思っている。武田のような知識文化人、学者、オピニオンリーダーの位相でこれを語れば、必然的に共同体を舵切る者の立場に憑依して語ることになってしまう。この国の主権が国民ひとりひとりにあるという憲法の精神を遵守するならば、生活住民のひとりとしての自分の生活実感を手放して戦争を語ることは矛盾の中に迷走する。
 戦争は、ひとりの生活者の意志という次元のところでは、誰にとってもやってはいけないことだということははっきりしている。やりたくないし、逆にいえばやらないことが生活の中に内在していると言い替えてもいい。戦争の次元とは異なるが、わたしたちが日常生活に心がけることでは隣人との摩擦やいざこざを避けるということがある。それは半ば生理的、本能的と言っていいくらいのもので、誰もがこれを避けることに留意しながら日常生活を送っている。住民生活者にとって戦争はその遥か向こう側にあるが、日々の生活の延長の上にしかこれを考えることができない。嫌なものは嫌だという、これを乗り越えて戦争に導く論理は、一生活者の立場を跳躍させる支配共同性からする圧力以外にない。
 現在、戦争を定義するならば、国家間の争い、国家同士の戦いという考えが妥当であると思える。国家は部族間を調停する第三の機関として発生し、次第に調整役から各部族を支配し、命令しうる権力機構へと変貌を遂げてきた。こうなれば早晩、部族の意志、ましてや生活者民衆の個々の意志には関わらないところで、統一共同体の運命を左右する力をもつものとなるのは考えるまでもない。
 絶対の権力を持つようになった国家は民衆の意志を離れ、時の権力者の意志を共同体の意志、国家意志のように仮託させるようになる。住民一人ひとりの意志の総和ではなく、支配者側の一部の意志が、その統一国家共同体全体の意志として顕現することになる。現在でいえば政府の考えや意志が、本当は民衆の直接的な意志の総和とは言えないにもかかわらず、そうであるかのような仮象を身にまとう。そして、それを共同体全体の意志だというように逆に民衆に是認させるようになっている。これは政府側からする解散総選挙という手法によく見られることだが、政府の考えを共同体の意志として支持するか否かの二者択一を迫る。これは一見すると民主的な手続きのようであるし、実際に現在的な民主的手続きの限界のような形で通用しているのだが、よくよく考えれば政府等に都合のよい任意の二つの選択肢しかないのだから、意志の共有という押しつけの要素が入り込む。
 わたしは一人ひとりの生活大衆の意識や意志を離れ、一人歩きをする第三権力、第三機関としての政府(狭義の国家)が、時にわれわれ大衆とは無縁の、あるいは単に大衆の労働の対価としての益を収奪する集団や機関のように思える時がある。また、大衆的存在の生活意識などについて無知で、かつそれを軽視する、とても代表者とか代弁者とか思えない人たちで担われる組織、機関のように思うこともある。つまり国民意識とはかけ離れて、好き勝手なことをしている連中だと思えるのだ。わたしたちが税金を納めているのは政府(国家)を構成する連中に好き勝手をさせるためでは本当はない。
 戦争というのは、国民大衆の側から言えば、大衆が実際に生きて生活している場としての生活圏を越えた第三機関、つまり一つ次元を異にした国家、政府同士が、他国のそれと争うもので、直接大衆の生活圏内に起こる争いではない。
 元々が国家というものは部族間の調停をしたり、大規模の公共工事を担当する機関であったものが、他国のそれと争うようになり、住民の意志とは無関係に独自に武装集団としての軍隊を持つようになった。これを調停するものとして第四の、国連というような機関が発足したが、今のところこれはアメリカなどの大国の意志に左右され、公平、公正さに欠ける半端なものでしかない。
 武田邦彦のブログの発言を聞くかぎりにおいて、武田の戦争観、歴史観には、生活圏内でしか意識を働かせないという普遍的な生活者大衆の像がすっぽりと抜けている。そのために、現実主義的な口ぶりで、近々には戦争は無くせないのだと考えているように思われる。そして戦争になる場合を想定して自衛策などにも言及したりしている。
 だが、見てきたとおり現代の国家間に起こる戦争は、少しも住民の生活意識を発端として起こるものだとは言えない。全く別の次元を異にするところから発している。そのために住民大衆の生命が脅かされることになる。極論すれば、政府(国家)が存在するから戦争が起こると言うこともできる。そういう戦争が、どういう発端や経緯からであれ、あるいはどんな大義名分があるにせよ、生活者大衆の利益の供与ということからはこれに相反するものであることは間違いない。そうである以上、英知を捧げ、戦争を否定し、戦争を回避する道を探ることが武田ら学者、文化知識人らの責務だと思える。
 吉本隆明は前回引用した著作『私の「戦争論」(発行 株式会社ぶんか社)』の中で、太平洋戦争は必然的に起こったと思うが、あれを回避する道がひとつだけあったと述べている。
 
 だけど、当時、一つだけ、戦争を回避する道はあったと思うのです。それは、当時の日本国の責任者、日本政府の首脳が、アメリカ、フランス、イギリス、オランダといったアジアに植民地を持っていた欧米諸国の首脳たちよりも、もっと高度な観点を持ちえて、事態に対処していれば、戦争を回避できたんじゃないかということです。これは難しいことではありますが。いくらABCD包囲網≠ナ経済封鎖されても、欧米諸国の首脳たちを凌駕するだけの観点があったなら、つまり、欧米諸国の文明・文化というものや、欧米諸国の軍事力、欧米諸国の国民国家のありようというものを、さらに一段高い世界史的視野から眺められるだけの見識と器量があったなら、戦争は回避できたんじゃないかと思うんです。  (中略)
アメリカみたいな文明の先端にいる国、しかも軍事力も世界一という国から要求を突きつけられた場合、それをはねのける方法は一つしかありません。それは、アメリカ首脳よりも、もっと高度な世界史的視野を持つということです。その高度な世界史的視野、観点から世界情勢を眺めれば、ここのところがアメリカの弱点で、こうすればアメリカの態度を和らげることができるだろうとか、アメリカの要求のこの部分だけはのむべきであるとかいった判断が下せて、アメリカとの戦争が回避できるはずなんです。
 そうでない限り、後進国というのは先進国にやられっぱなしです。特にアメリカみたいな国が強硬に出てきたら、手を挙げるしかないんです。
 
 これは後では何とでも言えるというような見解とは異なる考え方で、現在においても唯一の戦争回避の方法という次元で受け取ることが妥当だと思える。
 吉本自身、「これは難しいことではありますが」とことわっているように、わたしたちはこのことの有用性に言及することができない。ただ努力すべき課題のように考えることはできる。この時、人類の英知という言葉を思い浮かべるのだが、これが戦争を回避できずして何の英知か、という思いもよぎる。
 武田は福島原発の事故以後、原発の推進から停止の側に回ったと自認している。存外、簡単にころころと意見を変えることのできる人かも知れないが、それはそれとして、武田の中でかつての原発推進の考えと大東亜戦争を肯定する論理とは、どこかで共通する部分があったという気がする。事故によって安全神話が崩されたように、実はアジアの解放という大東亜戦争の大義の神話も、何百万という命を失ったことを考えたら、「原発は止めろ」というのと同じような意味合いで「戦争なんか止めろ」と主張するのが当たり前の感覚のように思える。原発反対側に回った武田が、先の戦争における一部分のみを強調して、「大東亜戦争肯定論」をぶち上げること自体がおかしい。それだったら今もまた、原発推進の大義をオウムのように繰り返していたらよかろうと思う。
 STAP問題その他では個人を重視する立場を貫きながら、こと戦争に関しては集団を指揮する側にたった発言を繰り返す。これがどうにも歯がゆい。
 わたしは、どんな戦争もダメだという地点まで考え詰めて辿り着きたいと思っているが、こうした批判的な発言の中ではまだまだだなと実感する。だが、めげずに、何度でも繰り返し考えていくつもりだ。
 
 
武田邦彦の「戦争論」を問う
              2016/09/14
 武田邦彦の戦争観は怪しいなと思ってきた。そこには「公」「私」でいうところの「私」の発想がない。
 最近の武田のブログでは、『終戦の日から人類解放の日へ』というタイトルで、16回ほどの連載がなされている。要は、日本における終戦というその期を境に、歴史的にみればヨーロッパの植民地政策の終焉がもたらされ、アジア・アフリカ世界の有色人種差別も撤廃する方向に進んだとして、日本の先の戦争を肯定的に見ている。いや、もっと進んで人類解放のための戦争だったとして賛美しているし、人々にそうした戦争史観を広めようとする意図を含んでいる。
 結果的に見れば、日本が過去に行ってきた戦争に、アジア諸国、アフリカ諸国の独立を促したと言える面があるには違いないが、それは結果としてそう言えるだけで、戦争が他国の民衆や自国の民衆にどのような悲惨さや災いを与えたかまでを勘定に入れなければ嘘になる。そのことを考えたら、アジア、アフリカ後進地域における独立運動のきっかけになったというその一点で、安易に戦争賛美をできるはずがない。
 以前から武田にはそういう思考の片鱗が見られ、たびたびそのことを取り上げ、ここ『日記風』のシリーズでも検討を加えてきた。今回は、明治からの一連の日本の戦争体制が白人世界からのアジアの解放というドラマ仕立てにまで及び、これはすんなりと見過ごしてはおけない気がした。
 シリーズ16回目の『(16)なぜ、日本の学者は間違ったのか?』では、ブログの表紙に「西尾幹二」の写真が掲載されていて、音声においても西尾を尊敬している旨をはっきり発言している。
 やはりそうだったかと思った。同時に、かいつまんでいえば武田の戦争観は、西尾はもとより、以前に過激な発言で話題になった、マンガ家「小林よしのり」の系列に繋がるものだと分かった。あるいはほとんど同類だと言っていい。
 これら保守派の論議を受け止め、根源的にまた全面的に否定し尽くして見せたのは「吉本隆明」であった。
 吉本の『私の「戦争論」(発行 株式会社ぶんか社)』は、小林よしのりの『戦争論』を、一言でいえば戦後民主主義へのアンチテーゼ、裏返し、戦後の過去に対するやり方への反動に過ぎないと一蹴している。そして、現在、またこれからの時代を読み解く新しい視点や理念が見られないということも述べていた。つまりそこには歴史や世界の総体を掴むことを射程に入れた考えがないということであり、言葉を換えれば、好き勝手なことを言っているだけだけだ、ということになると思う。
 吉本には、「戦後民主主義の嘘」への嫌悪があり、そのことは唯一保守派の考えと一致した部分がある。だがそこからの思索の過程、あるいは洞察の凄味は保守派文化人、知識人たちの比ではない。それはインタビュー記事としてできたにすぎない『私の「戦争論」』においても容易に見て取れる。これを読めば、武田邦彦の論議も過去の論議の蒸し返しに過ぎず、何ら検討するに値しない、すでに吉本によって否定し尽くされた内容以外ではないことが分かる。だからこれでおしまいと言ってしまえばそれで済みそうだが、もう少しだけ付き合ってみる。
 さて、先の吉本の論を踏まえて言えば、保守派の連中(筆者の頭の中には今、小林や武田や西尾の他に、西部邁、江藤淳、石原慎太郎、三島由紀夫、さらに現在の日本の首相安倍晋三などが浮かんでいる)は、みなどことなくエリート意識、指導者意識を抱えた連中である。そして実際にそうした立場にあった連中であるかも知れない。たぶんそのために、彼らの中では自分と「日本」とが不分離で、いつも同一視する視線が挿入されてしまう。彼らの心底には常に「日本」はダメだ、「日本」を何とかしなくちゃいけないという、「日本」と自身とを同一視した発想がある。またエリート意識を持っていなければ、「日本」を何とかしようという発想は持ち得ない。それは本当は「自分」を何とかしなくちゃいけないという意識と同義だし、もっと言えば、現状肯定的な保身意識と上昇志向をぬぐえていないことの証である。それ自体は悪いとは言えないが、その時の「日本」の概念自体は非常に曖昧なもので、「日本」という言葉の中に、日本国からはじめ日本人、日本民族、日本文化、そういう思念、感覚が全てひっくるめて入ってしまっている。しかもそれら一つ一つの概念がまた非常に曖昧なもので、既成の知識や思い込みだけで捉えられているように見える。彼らの国家観、日本人観、民族観、文化観は共通して中途半端なもので、そこを創造的に切り開く労は惜しまれているとしか考えようがない。
 彼らに共通してもっとも欠如しているのは、この列島の一住民に過ぎないという視線や意識であろう。いや、太古には血縁などの小規模の共同体で生活を営み、何ら国家成立に寄与し得なかった人々が、本当はこの列島の初源の居住者かつ主体であるという考え方であり、今日においてもまた「日本は」などという言説を弄さない人々が、現在生活社会の主体にならなければならないという考え方をけしてとることがない。小林よしのりにも、武田邦彦にもそういう観点は見られない。もっと露骨に言うと、国家成立の時期に、被支配側にあった村落共同体の一員としての住民の立場に立つのではなく、支配共同体側の一員の目線に乗り移って日本というもの、日本の歴史というものを捉えている。それは知識者にありがちな自然な視線の移行であり、自然に起きる転向である。そのために、よほど意識的にならなければ、市民(生活)社会における主体者としての住民から主体の観念が抜け落ち、結果、支配目線でものを見、考えるようになってしまう。
 近代の戦争とは、厳密に言えば国家間の出来事であり、地域の異なる住民生活社会相互を起点とする争いではない。国家は住民生活社会の上に乗っかった、今日で言えば「政府」に同義のもので、戦争などはそれを中心として起きたり起きなかったりするものだと考えていい。そして、比べれば、住民生活社会の方が国家よりはるかに広義の意味合いを持つものだと言うことができる。国家とは社会の上に被さっているものなのだ。
 この住民生活社会の主体は、個々の住民一人ひとり以外ではない。彼ら個々の住民一人ひとりは日々の生活を考え、営み、何ら「日本は」などという言説や思考を要さない存在であることは言うまでもないことだろう。彼らが日々の生活を愛し、豊かにしていくこと、それが彼らが主体になることの意味合いである。それを妨げるものは、それがたとえ国家であろうと真実の思想であり科学であろうとも一片の価値もないものだと断言していい。
 武田邦彦は先の原発事故の問題やSTAP問題に関しては、徹底して「私」の側にたって論じておきながら、こと「戦争」に関しては故意かどうか分からないが「公」の側にたった発想しかなそうとしない。もし意図的なものでないとすれば、国家についての考察の未熟さ、本当には大衆の生活(意識)が分からないこと等々に起因すると思われる。
 武田は、自身「科学者」としての立場を力説し、ときおり人文系に対する批判めいたことを口にすることがある。だがそれは裏を返せば、「科学者」ではない者の、誇張して言えば一般の大衆と呼ばれる者たちの「心の機微」に鈍感だということでもあろう。「心の機微」にはよい面もあればよくない面もあるが、それらをひっくるめて主体の内実と考えなければならないし、その内実に介入し、かき回すどんな権力も「公」の働きも認めるわけにはいかない。科学が心の機微を低く見積もるのは本末転倒で、ただそこを切り開く方法をまだ獲得し得ていないということだろうと思う。つまり科学の方が心よりも小さく狭い概念だ。その意味では過信する科学の目で戦争を論じるのは、かつての科学者たちが原爆・水爆を発明したと同じような錯誤に見舞われる危険性もある。
 武田は言論、学問の世界で孤軍奮闘、戦争を戦っているつもりかも知れないが、またそのためにあんな戦争観(戦争賛美)を披瀝するのかも知れないが、生身の戦争はもっと卑小だったり愚劣だったりするものだ。それは直接戦争を経験しなくても、遭遇する喧嘩や暴力沙汰を想起すれば簡単に拡大して類推できることだ。
 国家の指導者や指揮官の立場に立って戦争を論じるだけでは片手落ちである。親和と相互扶助の共同生活に充足し、そこから一歩も出ない閉塞した思考の住民が、ある日国家権力に招集され一兵卒として近代兵器の前に身をさらさなければならない。殺すか死ぬかの世界など普通なら忌避してしかるべきところである。そんな世界に意義や価値を認めるなど、大衆の立場から離脱した人間にしか考えられないことだ。そういう連中は最後には必ず大衆に敵対する。そんなことは歴史的にすでに自明のことになっている。武田もその道を辿るかどうか分からないが、せめて現状流布された思念に胡座をかいたところで、「日本国」、「日本人」、あるいは「戦争」を語ることはしないでもらいたい。またどうしても語るならば、先人の思考の成果として頂点にある吉本の戦争観、国家観、日本人そして日本文化に関する考察などを潜り抜けた上で語ってほしいものだ。武田は吉本の著作を読んだことがないだろうし、他の知識人、学者と同類で吉本を無視しているかも知れない。だがどんなに彼らが知らぬ顔をしても、彼らの考え、彼らの言説を乗り越え、世界史的な次元に吉本の考察は飛び越えてしまっている。そしてその思考は、表層に流布されこそしないかもしれないが、着実に継承されていくだろう事はたしかである。
 つまり武田のような表向きに飛び交うような言説とは別に、より根源的で本質的な思索が武田らの目に見えないところで積み重ねられている。それは表層に表れなくていいのである。逆に一般大衆、一般生活者の方に逆流し、浸透していくべきものだからである。いずれにせよ、やがて日本の大衆は、いともたやすく無言のうちに武田らの言説を乗り越えてしまう時がくるに違いない。非力ながら、今はわずかな人々とともにそういう日が来ることに力を尽くしていきたいと思う。これはまたそういうことのための地味なる作業の一つだと考えている。
 
 
無職 このごろ
              2016/08/11
 前回、「眠らずに考えるべきだ」などと勇ましいことを言っておきながら、言葉の創出の点においてはこの一ヶ月以上眠りの中に過ごしてしまった。
 原因ははっきりしている。失業中の身なので、パート勤めの妻の後方支援という思いで家事全般に奮闘してみた。台所仕事、洗濯、掃除に始まり、買い物、庭の草取り、サッシの戸車とレールの清掃、障子の敷居スベリの交換等々に打ち込んでいたら、そちらの方が主になってしまった。
 以前は主婦の仕事と言われていたそれらは、本気で取り組んでみると奥が深くまた幅広い。やり始め、考え始めるときりがないというような種類のものだ。しかもコツコツ続けていると、見た目にも家の内外に変化が生じ、つまりきれいになったり整理されたりしてきて、そこからもう少しこうしようという考えが生じてきたりする。今夜の食事をどうしようかということも、はじめはなかなか考えつかないが、少しするといろいろに考えられるようになっていく。深みにはまってきた。
 専門にやり出したら、これは相当に自分を表出できる領域である気がしてきている。
 実際、この生活を続けていたらこのことが一義的になって、本を読んでいる暇さえなくなってしまった。と言うか、億劫で、本を読んだり考えたりすることは一義的ではないというところへと押しやられてきた。
 家計のやりくりにも手を染めるようになると、我が家のような低収入家庭では日々綱渡りのようなものだから、自然、意識はそこに集中してそこから逃れることができなくなってしまう。どうしようとばかり思って、そこから逃れることができなくなる。どうしようもないことと分かっていて、しかし、どうにかしようともがき始める。もがくということは一生懸命になっているということだ。ひとつのことに一生懸命になっていたら、他のことは当然のことだが後回しになる。ここでは考えたり文章を書いたりすることが後回しになる。それがいいか悪いか、答えが出る前に、次々に用事が出てきてひとつひとつこなしていくことが一義的になる。
 そして、本当はそれでいいのではないか、という気がしてくる。
 生活にかまけている間に社会的にはいろいろな出来事が次々に湧き上がり、車窓から見る風景のように変転していった。たしか、参院選挙があり、障害者施設の入院者たちを殺傷する元職員の事件があり、利権と名誉の幻想に群がる東京都知事選というものもあった。そしてそれから少しして、今はリオのオリンピック競技の報道で花盛りという感がある。
 それらのニュースと一緒に、ネットでは相変わらず武田邦彦さんや内田樹さんのブログを視聴していたが、印象としては日本の政治、経済、報道や教育をはじめとして、全体的に悲観的にならざるを得ない状況にあるなあと思うほか無いもので、それにいっそう拍車がかかってこれをくい止める手立てはどこにも見いだせそうにない。つまり社会的にも負け、自分自身においても今後負けが込んでいってどうにもできないという気分に打ちのめされる思いになった。もっと言うと、考えることはすべて無駄だよということになりそうな気がして気が滅入りそうなのだ。だが、そんなことはもともと承知の上でここまで来て、今さらこんなふうに生活に逃げ込んで黙り込んでしまうわけにも行かないという思いもかすかに残っている。
 そんな中、山本哲士がひとり気を吐いている感じを彼のブログの中に見た気がした。内田樹の最近の悲観的な教育論議を批判した文章が見えたのだが、内田のその認識が皮相的なのだと指摘していた。ここでは細かなところに言及しないが、山本は現在的な状況を自明の前提として分析、把握すべきもので、それらは何ら悲観してみせるに価しない現実であり、事実であると述べているように思われる。内田は日本の教育から大学からすべてがダメになった、崩壊だ、というスタンスで、その責任の所在を文科省をはじめとする行政者、立法者、つまりはその道の指導層に帰そうとする。しかし山本は、政治家や官僚の「教育」の捉え方、「教育」についての考え方は、現に現象として目にされるまでのもので、それ以上でも以下でもなく、これに何かを期待して数十年手を拱いて無能とバカさ加減をさらけ出してきた大学教授連こそ問題であると指摘する。
 内田は「現在」のと言うべきか「現行」のと言うべきか、根本のところでは「教育」に対して肯定的で、山本はこれを根源的なところから否定する立場に立っていると言える。少なくとも国家規模で画策される「教育」体制に、「教育」の本源はないという立場に立っている。ぼくはそう捉えている。
 だが、山本にもどこか最終的には「知」への信奉を断ち切れない弱さが感じられる。そこでは内田も山本も同じ穴の貉で、どこかで「非知」よりも「知」のほうが優れているのだという思いの残渣が感じられる。この点でも依然として、山本の今後の活動は注視に価するなあと感じている次第だ。とりあえずここではそのことだけ心に留めておきたかった。
 
 
日本をダメにしても得する者たち
              2016/06/26
 最近の武田邦彦さんのブログには、「経済再生の科学」というシリーズが展開されていて面白く聴講している。25日のそれはシリーズの11ということで、政府の借金が話題になっていた。
 簡単に言うと、政府が政策を実行するのに財源が不足するようになり、これを国債という形で借金し、施策に用立ててきた。これが今日では1000兆円あまりになるという。武田さんのブログでの論旨は、政府は消費税を上げて財政赤字を是正する、つまり借金を返済すると言っているが、これはできない相談だということだ。なぜできないかは実際にブログの論を聞いてくみ取ってほしい。
 わたし自身はこの問題については今更ながらのことと感じている。つまり武田さんの論に何も目新しさを感じなかった。ただ、武田さんなりの視点から言われていることがあって、これに少し興味を抱いている。
 このこと(政府の借金問題)がテレビや新聞でよく取り上げられたのはしばらく前と記憶しているが、NHKや新聞の報道で覚えているのは、この財政赤字の借金額を「国民一人あたりに換算すると」約800万円程度になるというものだった。
 当初は、「俺は国に対して800万も借金した覚えはない」と考えたりした。そして、「要は、政府の金遣いが荒くて、収入(税金など)以上の支出を繰り返してこうなったんだろう。責任は歴代の政府、官僚にあるさ」と考えるほかはなかった。
 この時、報道がこぞって政府の借金を「国民一人あたりに換算すると」としたことが不可解であり、トリックのような気がして仕方がなかった。何がトリックかというと、明らかに政府の失態と見るほかない借金を、国民一人ひとりが返すほかない借金のようにシフトを変えているように思えたからだ。メディア、マスコミがそのように巧妙にシフト変更を企てなければならない理由がよく分からなかった。政府直属ならいざ知らず、独立した報道はそこまで政府寄りになる必然性はないはずだと思っていた。
 もう一つ、そこにはある不可解が潜んでいる。それはわたしたちの風土にも関係するのか、議会制民主主義の形態では代議員として国会議員は国民の代表ということになり、国会によって指名された内閣総理大臣はさらにその代表であり、つまり、それを頂点とする政府全体も国民の代表だから、政府の行うことにも国民は責任の一端を担わなければならないという考え方である。こういう方向で考えを突き詰めると、政府が建前上、国民へのサービス向上のためのいろいろな政策のために財政赤字を引き起こしたとして、最終的には国民が負担することになっても致し方ないという考えになる。先の報道の、「国民一人あたりに換算すると」の言い回しにはそのあたりが含まれているという気がする。
 わたしたちからすれば、歴代の政府関係者らはいずれもカードローンに手を出して法外な金額を借り出し、その多くは直接的な国民へのサービスに降りる前に補助金という形で様々な団体にまわり、周辺を潤すことに役立ってきたと思う。膨大な額の借金の金自体はそうしたところに回った。さらにそれは支持団体、後援会、その他のあらゆる名目を持ってぶら下がった利権に巣くう、群れなす蜘蛛の子のようなものに回ったとも言えるのだろう。そういう利害構造の基盤の上に様々な施策を考案し、財源を赤字国債に依存し、借金を国民の皆さんで負担してくださいとはふざけた話で、まともに聞く耳が持てない。
 現在の政府をリコールするだけでは腹の虫が治まらないので、本当は次の政府もまたその次の政府も、いや、もっと言えばその母胎となる現行の議会制民主主義もぶっつぶさなければ借金問題も永久に片がつかない気がする。好き勝手に赤字経営をしておいて、結局のところ誰も責任を取らない。せめて田畑を売り払って穴埋めをする政治家、官僚はいないものかと思う。
 政治家の多くはそこそこの資産家でもあるようだから、一斉に資産の一部を提供したらいいじゃないか。少なくとも、赤字財政を解消すると言ってできなかった歴代の政府関係者であった政治家そして官僚連中はそうすべきだと思う。国民のため、国家のためと言うのなら、そういう行動が一番分かりやすい。やったらいいじゃないの、末代まで名を残すよ。それをやったら、立派だなと認めていいと思う。
 だが、一方で国家財政を危機に落とし込み、日本経済をがたがたにしておきながら、彼らは自分たちの資産だけは絶対に目減りさせない。それどころか在任期間中、順調に蓄積しているのじゃないだろうか。最近話題になった舛添要一の「せこさ」は政界の一端を覗わせるものだ。わたしは報道で露見せられた舛添の政治資金の使い方は、どんな政治家も、あるいは本人でなくても秘書などを通じて行っていることだと思う。その意味では「せこさ」は本当はまだ誠実を心にとめた小心の証で、よってたかっていじめるべき筋のものではないという気がする。本当のどす黒さはもっと巧妙ではないかと思う。
 政治家と金の問題はけりがつかない。何故かと言ったら金、利害に興味と関心があるから政治家になるので、それに興味、関心がなければ政治家になどならないとわたしは思っている。
 まず、「志」なんてものは信ずべきではない。組織の運営、経営で一番いいのは、手弁当で、当番制で、「しょうがねえな」といいながら奉仕的に事務的に仕事をこなすような形だ。今のところはそういうようになれば一番それがいい形で、それ以外のこと、「国民のため」「国家のため」などを一義的に口にしている間はダメだ。そんなのは信用できない。百年、二百年を振り返ってみたら、そういう建前は全てダメだということはだれでも分かることだ。分からないのはバカな当人たちだけである。そうした世界でのしがらみから構造から全てがぶっ壊れなければ、貧窮にあえぐ下層の生活者はいつまでも政治の愚にあっぷあっぷの暮らしから抜け出すことができない。
 武田さんは以前のブログの中で、これまでの日本社会はヨーロッパ型の貧富の差が少ない社会を目指していたが、最近はアメリカ型の貧富の差の大きい社会へと移行してきていると述べていた。わたしも同様に思っている。何故このように変わってきたのかはっきりとは分からないが、上層階級が上層階級のための社会作りを目標としてきていることは肌に感じて分かるようになってきている。権威も権力もある者たちが自分たち本位の社会作りを目指すようになったら、これは強い。わたしたちは今のところは個々に対抗手段を考えなければならない時期だと思える。絶望している暇があったら眠らずに考えるべきだ。
 
 
イギリスのEU離脱を巡って
              2016/06/25
 イギリスの国民投票でEU離脱の意向が過半を占め、決定したようだ。このことが世界にどのような影響を与えるのかは把握できないが、日本のマスコミ、メディアではまことしやかな話が飛び交い喧噪状態を呈している。
 それらとは関係なく、関心もなく、EUについては「国家」の動向、「国家」の行方ということで常に意識の片隅においてきた。つまり、現在的な世界における「国家」の枠組みが「連合」という形のもとに解体していくものなのか否かというようなことでだ。今回のイギリスの欧州連合からの離脱は、元の「単独国家」に戻ることを選択したように見える。これは、現在という歴史段階においても「国家」という形態の堅固さを示唆するもののように思える。何か不都合なことがあれば、「連合」から脱退し、すぐに「国家」というものに戻ってしまうということを今回の事態は教えているのだろうか。かつてソ連邦が解体してしまったように、やがてEUという資本主義圏の「連合」も同じ道を辿ることになるのかどうか。このことは「グローバル化」の流れが、けして単純に一本道なわけではないことを教えるもののように思える。
 今回のイギリス国民の決定には、移民の流入による自国民の仕事の減少、あるいは生活保護的な負担、そして「連合」維持の財政負担などに対する不平等感、不公平感への苛立ちが感じられた。このことは本当は国家内部においても中央と地方の差異として、常に存在するはずのものだ。そしてその感情を徹底していけばすぐに地方独立、地方自治など、日本におけるつい最近までの地域への権限委譲の問題に結びつく気がする。
 いずれにしても現在の先進国社会においては「共同体規模」を無意識裡に模索する動きが潜在しているように思える。それは個々の生活者にとって、どの程度の大きさの「共同体」がしっくりくるのか、どんな大きさの「社会」が「社会」として認知されるべきか、今後も試行錯誤を繰り返しながら変動していくように思える。一方で、情報から物的、人的、全ての面での交通、交流、グローバル化の流れを押しとどめることができないこともある意味で先見的なことだ。それは一方では身を縮めようとしながら、一方では開いていくことを共時に行おうとするようなもので、これは相当に難しい道を辿らねばならない。だが、意外にもこれはわたしたち生活者個々人がやりつつある、あるいは無意識の中ですでにやっていることかも知れないという気がする。すると、もしかすると、わたしたちがこれまで「社会」とか「国家」とかの動向からわたしたちのあり方の示唆を受け取っていたことに反して、逆にわたしたちのあり方から「社会」や「国家」の行方を占ったり、あるいは個の生き方から「社会」や「国家」がどうあるべきか、そのあり方に影響を与えることができるのかも知れないという気がしてくる。つまり個を徹底して掘り下げるところに、「社会」や「国家」のあるべき姿が露出してくるのだと考えてみたい。
 自己と非自己、自己と社会に引き裂かれながら、その全体が自己でもあり社会でもあるというような想定をしてみたいが、それはまだちょっと思いつきだけのことになる。
 
 
オバマ米大統領広島訪問
              2016/06/12
 昨日(5月27日)、オバマ大統領が広島を訪問し、その動向や平和記念公園会場での演説が話題になった。言うまでもなく、戦後初めての現役大統領の広島訪問だから、国内はもとより世界から注目を浴びたに違いない。
 これを日本の一生活者に過ぎない自分の目から眺めると、日米それぞれの政治指導層にある者たちの、ちょっとよい言葉を使えば高次の関係、交流で、雲の上の出来事でしかない。だがその一方で、どういうことになっているのかという好奇心も全くないわけではなくて、少しの間テレビの映像を注視してしまうことにもなった。
 正直なところを言えば、このことに関してのコメントは大変しづらいものに感じる。では黙ってやり過ごしてしまうかというと、何か言っておかなければならないような責務みたいな気持も湧いてくる。
 意外にも、新聞、テレビの社説や論説やコメンテーターの発言には、それぞれにあまり強い論調、思い入れみたいなものは感じられなかった。それから、幾人かのジャーナリスト、学者、知識人のコメントにも格別のものはなかったり、あるいは無言の対応しかなかったりで、同じように難しいと感じるところがあるのかなという思いを抱いたりした。
 それでも、一般的な反応のうちから拾い上げると、一つ二つの特徴的なことは言えるような気がする。その一つは「核の廃絶」に向かっての期待感であり、いまひとつは未来志向という形でのさらなる「日米同盟」の進化と強化への期待感である。それからもう少し日米の繊細な国民感情から言えば、アメリカ側には原爆投下の正当化という問題があり、広島・長崎の被爆関係者からは「謝意」を求める感情というものもあった。
 いずれにしても、すべては私自身の身体の範囲、身体が行き来する生活範囲、また実感に根拠を置いて思考できる範囲を大きく逸脱する問題がほとんどのこの件について、私は発言する資格を欠いている気がする。それがおそらくは二の足を踏む理由になっている。そこには「戦争と平和」を語る資格のある、偉大な人たちの見識に匹敵する思索と研鑽が無ければならないもののように思える。私にはそんなものはない。そんなものは何もないが、あえて何か言ってみたい衝動だけはかすかに心の奥に蠢いている。いまはその蠢くものを取り出してみる。
 日米の開戦から終戦へ、そして71年を経ての今回のオバマ大統領の訪日、広島訪問までの一切は、それぞれの国におけるピラミッド型の階層の頂点層を起点として行われている。開戦と終戦がそれを起点に行われたことは、今になってこれをあれこれ考えてみても仕方のないことだ。それらは起こるべくしてそのように起き、そして決着した。もちろん今回のオバマ大統領の訪問にしても、日米両政府の思惑から何からをひっくるめて様々な合議、調整を経て実施の運びとなったことは言うまでもない。それで、何となくだが密かに思うことは、終戦から71年を経たけれども、両国ともの機関及び国と国との関係構造という点でも、何一つ開戦時と変わらないじゃないかというものだ。つまり、「戦争」を遂行した母胎やら機関やら構造やらが変わらずに、ただに時間の経過をもって今度は「平和的協力」関係の推進を印象づけるように動いている。これは信用してもいいものだろうか。
 そのような疑いが生じるのは、本当に先の戦争に対する深い反省が、象徴となる「原爆」を投下した側と投下された側の当事国である日米双方においてなされていたとしたら、71年の時を待つまでもなくもう少し互いに国の形が変わっていて然るべきことのように思われるからだ。もちろんそれがどのような形にということはわたしなどの想像できる範囲ではない。ただ、国とか国家とか呼ばれる共同性が組織されるところでは必ず「共同意志」というべきものが生み出され、どの国や国家においてもこの「共同意志」が成員である個々人の「個人意志」を超えて一人歩きするようになる。つまり国家という本来は無機的にすぎない制度に、「心」が宿ってしまい、これは個々人の「心」を呑み込んで、国家をひとつの有機体のように仮構する。もっと言えばその「心」は個々人を支配するようになる。 比喩的に言えば、生活存在としての一人の人間を一個の細胞とし、それが有機的に結合して誕生した多細胞生物が国家となり「心」を持つ。この「心」が「国家意志」「共同意志」になるが、これは他の同じ段階、同じ水準の「国家意志」「共同意志」にしか関心を示さない。つまり、このことが国家的「友好」や「敵対」関係をもたらす根源ということになる。国や国家という共同性あるいはその枠組みが堅持されるところでは、必ずそういうことになる。
 そういうものはわたしたち生活者個々人の「意志」や「心」をはるかに超えたところにある。わたしたちからすれば好むと好まざるとに関わらず、そうなっているということだ。そして、そういうところから脱却しなければ常に戦争や平和の問題が立ち上がり、わたしたちはその問題から解放されることができない。
 今回のオバマ大統領の広島訪問に際し、日本国内における、ひとつは友好的な受容、もう一つは「謝罪」のない訪問は無意味とする姿勢がわたしの心には引っかかった。けれどもわたしにはどちらに対してもなじめない思いが残った。それは日米どちらの国においても、リーダーが国民の全権を託されたかのような仮構の上に筋書きが成立しているからだ。わたしはそういう物語を認めることに承服しがたい。さらに言えば今回の出来事は日本やアメリカという国家相互については重要な節目を形成したかも知れないが、わたしたち個々の生活者の意識の次元とはかけ離れたところで行われた出来事に過ぎない。つまり、個々人の「意志」とはかけ離れたところでの「共同意志」の発現が見られたまでのもので、わたしたちはそれに対して関知することができないのだ。そんなこと、「どうでもいいことじゃないか」、思わずそう言いたくなってしまう。だが別次元のそうした出来事が、やがて回り回ってわたしたちの身に影響をもたらすことがないではない。
 わたしは、たとえば広島、長崎の問題を、現代世界における、「国家」という共同体の枠組みがもたらした大いなる「負の遺産」のように考えたい。「国家」という形態を維持するかぎり、核の行使の問題は危機的状況を温存したままでいるほかないと思う。これを解消するには国家観の利害を消滅させる方向を模索し、先ずはその中で、場合によっては「国家」の解体を考えなければならないと思う。もう一つは核の無効化、つまり武器としての威力を徹底的に失効させる研究が必要で、これは気の遠くなるような時間を要するのかも知れないが、科学がこれを開発した以上、科学はこれを終演させる方向で模索すべきなのは当然のことだ。開かずの扉を開けたのは科学だから、科学はこれに決着をつけなければならない。科学はまだそれに応えていない。