「島尾敏雄」について
 
 古い筑摩書房の新書版サイズの「太宰治全集」を読みながら、また、読み終えて、しばしば島尾敏雄の小説世界を思い浮かべた。学生のころに読んで、作品から感じられた島尾敏雄の人柄、「家族」という問題、それを私は忘れてはいない。
 思い立って、自宅脇のごく小さな物置小屋に半ば封印していた彼の作品と、彼の世界を論じた関連する書物とを取り出して部屋に運んでみた。晶文社の「島尾敏雄作品集全五巻」と冬樹社刊の「島尾敏雄非小説集成全六巻」のほかに、いくつかの単行本と、彼の世界を評した書物とで二十冊を超えた。
 こんなに読んでいたのだろうか、というのが最初の感想だ。そして、これらを再び読み返すのにどれだけの時間を要するだろうかと思った。
 
 島尾敏雄は、学生時代に友人が読んでいたことから、ぼちぼちと自分も読み始めるようになった。そうして、ついには卒業論文に島尾を取り上げるまでにいたった。おそらく、自分の性格からいって、その時期、飯を食うことも忘れて彼の作品にのめり込んでいたにちがいない。
 あれから三十数年、私は島尾の名を忘れたことはなかったけれども、彼の文章の大部はほとんど記憶に残っていないと言っていいかも知れない。それでもなお、島尾という名とともに、ある感慨のようなものが生々しく今でもよみがえることを否定できない。それは、夫人の精神が尋常でなくなり、島尾自身もまた平常を保てなくなる中で、夫婦で精神病棟に暮らすという衝撃的な世界が忘れられないものになってしまったことによる。
 
 島尾敏雄が亡くなって、二十年にもなろうとしている。また、先日は夫人の「ミホ」さんの死が、新聞等で伝えられていた。
 島尾本人の死も、彼の奥さんの死も、その訃報を知った私自身にとって、衝撃というものはなかった。私にとって、現実の島尾夫妻とは接点がなく、作品の著者とは知っていても心の動かしようはなかったのだ。ただ、島尾の表現したものは作品として残り、物置小屋から引っ張り出されたそれらは目の前にあって、今も私に怪しい陽炎にもにた「ゆれ」を感じさせる。そして作品は今も生き続け、私に、何かの決着を待ち望んでいるように見える。
 これは、私が彼の作品に対して何かを引きずっているものがあって、いわば読みが宙づりのままに中断されてきたからにちがいない。作品は、私に向かって何か言い足りないらしい。また、私自身が作品からの声を受け止めきれない、そういう関係が未決のまま残っているのだろうと思う。
 
 文学、とりわけ純文学は今の時代、人気がないのだという。すでに多くの月刊誌は店頭から姿を消して久しい。島尾敏雄の作品も書店に探し出すことは難しいのではないか。一部のマニアや熱烈な文学ファンを除いて、島尾の作品を手にする人はどれほどいるのだろうか。私自身が、文学にそれほどの興味・関心を抱いてこなかった。もっと手軽なテレビ、そうして仕事や生活を通しての現実に、充分に刺激され、そこで満たされていたと言っていいのかも知れない。まだるっこしい純文学の小説作品を読むことなど、遠ざかれば遠ざかることが出来たのだ。
 今さら島尾の作品を引っ張り出して、その世界を振り返り考察する意味などどこにもないのかも知れない。また私の視覚・聴覚の範囲には、そういう動きや気配すら感じ取れない。すでに現実の急激な変化の前に埋没してしまったか、過去のものとなってしまったということなのか。
 
 私が今なお島尾敏雄に心的な引っかかりの感じを抱き、忘れることが出来ないのは、彼の作品世界の中でも、家族、そしてペアの問題を含めて対人関係の問題が、私の中では理解が行き届かず、今なお未処理のままであるからにちがいない。
 たとえば、妻が精神の病を発症して、ついには島尾自身の精神も危うくなるところまで徹底して妻の詰問に付き合うその対し方を、どう受け止めればいいのか。夫婦の諍いと一男一女の子どもたちに与える影響。夫婦ともに精神病院に入院し、子どもたちは親戚や知人に預けられるといった凄惨さ。島尾敏雄が極悪であったり、人格障害をもともと持っていたというわけではない。
 事の発端は、夫である島尾の浮気であった。今ならば簡単に離婚で片が付く。現に、私たちの身辺にもその例は事欠かない。巷にあふれている。その代償は大きいか小さいか、世代交代の時期を待ってその影響は現れるような気がする。
 島尾の場合、浮気の代償は、即、酸鼻を極める形で表れた。どうしてそこまで行かなければならないのか、そこに、島尾敏雄の特異な資質と特異な体験との二重の特異さが関わっていたように思われる。
 
 彼の作品の、いわゆる「病妻物」から、教訓めいたものが読み取れるのかどうか。つまり、私たちに直接間接に役立つものがあるのかどうか。それが、よくわからない。何かありそうだと思いつつ、いや、特殊個人的なもので、普遍性にまで持って行くことの出来ない体験ではないかという一抹の不安も感じる。
 私にはしかし、夫妻の、時として訪れる精神の平常時の、極限的とも呼びたいひどく人間的な心の動きと、平常さを失った時の脳の機械的な異常さとの落差のようなものを目の当たりにする時、心のふるえとともに「ああ」と、うめきとも何ともつかない思いが湧き出るのを禁じ得ない。そして、いったい人間とはないか、生きるとは何かという、問いにならない問いが押し寄せ、私を飲み込んでいくように思える。
 
 その世界にもう一度踏み込んで、見えてくる世界を言葉にしてみようというのは、私にとってはある意味、最終の挑戦になりかねない。そういう思いを、私はいま、抱いている。