昭和五十二年発行の単行本「死の刺」は、十二の章からなっている。第一章の「離脱」は昭和三十五年四月に「群像」に発表され、最終の「入院まで」は昭和五十一年十月、「新潮」の誌上に発表されたもののようである。足かけ十七年にわたって書き継がれ、発表されてきた作品であることがわかる。
 ある執着のようなものをもって、この長い年月をかけ、書きつづって一冊にまとめられた「死の刺」にはどんな世界が描かれているか。
 簡単にいってしまえば、夫の浮気が原因で妻が精神に異常をきたし、それまでのような従順な妻ではなくなってしまったということから始まって、親子四人の生活が成り立たなくなるとともに、結局夫が付き添って夫婦二人で精神病棟に入院する、その直前までの作者の私生活が克明に描かれている。
 たぶんこんな概略で間違いないと思う。
 最終章が「入院まで」とあるように、この作品には続きがある。精神病棟に入院しての閉じられた夫婦二人の生活の物語だ。いわゆる病妻物と呼ばれた作品群である。いや、合わせて病妻物と呼ばれているのかもしれないが、要するに入院中のことを描いた作品群がまた存在する。
 中心となるのは、「疑問が生じた」といっては執拗に繰り返す妻から夫への尋問であり、過去の行為に後ろめたさを感じる夫の、果てしなく後退を繰り返し、妻に逆らえなくなった赤裸の精神の露出を読者である我々は目撃するということになる。
 読むことに、辛い作品である。けれども、読みながら知らずに、夫婦の愛、家族の愛といったものを感じさせられ、考えさせられる作品でもある。
 夫は過去の行為を悔い、夫婦生活、家族の生活を復活させようと試みる。それが、どこまでも持続する永久運動のような原動力となって、夫は妻に寄り添い続ける。
 私は学生の時に島尾の病妻物といわれる作品を読み、衝撃を覚えた。晶文社の島尾敏雄作品集を購入して読み、その後も寡作なこの作家の発表する作品や文章を追うように読み続けた。
 太宰治という作家に、私は「世間」というものに立ち向かって、戦って、最後には肉体を弾丸にして命を尽き果てたという印象を持っている。そうして私は自分の運命についても、どこかしら似たところがあるに違いないと感じていた。「世間」の中で、自分の精神は窒息してしまう、というように。
 島尾敏雄の作品群は、もう一つ息を小さく短くして、自分からの消耗を出来るだけ少なくして「世間」に相渉る方法を私に教えた。結局は酸欠がもたらされるにしても、騒がずに、徐々に事切れていくそんな末すぼまりに徹底的に耐えていくというようなあり方だ。そのことで、島尾敏雄という作家は私の脳裏から決して去ることはなかった。
 おそらく私は、島尾の病妻物に描かれる妻の中に、「他人」とか「世間」とかの具体的な始まりをみていたような気がする。それらはかつて私を育み、そして「私」の理由によって私から遠ざかった。私は作品の主人公が半ば狂気の妻にしがみつくようにして、徐々に関係の修復を試みたように、この世界との関係の修復を願っていたのかもしれない。主人公は性懲りもなく妻に近寄っては嫌悪に一打ちされ、絶望感にうちひしがれることを日に何度も繰り返し、それが何年も続いた。私はそれほど忍耐強くはなかったかもしれない。だがまだしがみついている、とは言えるのかもしれない。