太宰治と島尾敏雄には似たところがある。大きくは、安定した家族経営が出来なかったところが共通する。妻以外の女性と交際し、その先は末すぼまりに死の淵に歩みを運ぶほかなかった。二人に限らず、文学者、近代的知識人といった種類の人間の脆弱さを象徴しているとみていいだろうか。
 太宰治は家族を置き去りにして、覚悟の上でか泥酔の末にか、ともかくも世を去った。島尾敏雄の場合も、幾分か同じ道筋を歩いていた印象が読み取られる。だが、そういう流れにあった運命を、妻の神経的な発作が押しとどめ、そう言っていいのかどうか分からないが、彼を救った。
 二人とも、ありきたりの家庭の幸福では満たされない何かがあったためだろうか、外に女をこしらえている。それは結果的に家庭における倍の居心地の悪さとなって彼ら自身にはね返っていくものともなっただろう。もう少し金もあり度量もあり、柔な善意の観念に囚われさえしなければ居直って、外に女を作って何が悪いと主張できたはずだ。時代が少し前ならば、経済が許せば妾の一人や二人を囲って当たり前の時があった。
 二人は優しく、気が弱いところもあった。そのためにかえって結末を悪いものにした。もう少し堂々と「悪いこと」をしていたならば、そんな最悪の結末を迎えなかったに違いない。少なくとも太宰は、自分の作品の中でそういうことの考察はしきれていた。小出しに、作品の主人公や妻たちの口を借りて、手を打ってはいたはずだ。それなのにどうして、と思うが、肉体的精神的疲労が追い打ちをかけた。島尾の場合は妻を疑惑をかき立てた末の発作へと押し込んでしまった。
 太宰の妻は通常妻たちが耐える耐え方を、尋常に耐えたに違いないと私は思う。それはもともとが近代的な素養を持ち合わせていたためと、太宰の周到な準備のためだ。島尾の妻は、南東の島国の生まれで、言ってみれば古代の心性に地続きのマレビト伝説を背景に持ちながら育った女性であり、嫉妬や憎しみの経験に欠けていた。いざそれに見舞われた時に心の中でどう処理すべきか持ちあぐねてしまったように見える。
 
 私は島尾敏雄の「病妻物」を読んだ時に、何故か、太宰治を超えるものという気持を喚起させながら読んだような気がする。もっと言うと、私の中の太宰を生き延びさせる方法がここにあるという思いを持った。
 その頃私の内面には一人の太宰が住んでいて、それは八方ふさがりのような感じでほのかに見える明かりの先には死しかないという、精神状況を象徴するものであった。島尾敏雄の「病妻物」はその時、象徴としての太宰的なものを妻の尋問の前で解体させていくという方法をとっていると読めた。むろんそれは方法のない方法であったかもしれない。しかし、私にはむしろ啓示的でさえあった。
 自我の解体。もっと言えば「生まれつきの解体」。私は漠然とそういうことを考えていたらしい。どうしてそうなるのかと言えば、そうしなければ太宰のような行き方に引きずり込まれるほかないように思えたからだ。
 こんなことは私の妄想に過ぎない。そしてたわいのない、密かな物語だ。けれども私は本気でそんなことを心中に囲っていた。
 また、そのちっぽけな物語の中で、太宰ははたして島尾の凄惨な自己解体劇に島尾のように耐えられただろうかと問うてみた。答えはない。が、しかし、その裏で太宰はこのように超えられなければならないという確信を私は抱いてた。太宰の表向きを超えるのではない。底を潜りぬけるように超えられなければならないのだ。