「太宰治と島尾敏雄」その2
 
 太宰治は最後の代表作といってもよい「人間失格」において、結局のところ、人間が分からない、他人が理解できないということを繰り返し訴え、自己の資質にひそむ他者に対する疎隔感を拡大して読者に向かって突きつけて見せた。
 しかし、これは太宰の全容をまとめたものとは受け取りがたい。生涯の中の恥ずかしい部分、暗い部分のその点在をかき集めて、陰惨な一枚の絵に仕上げて見せたというにすぎまい。明るく健康で、また闊達に知人や友人たちと交わり、ある時には座の中心にいて場を盛り上げる、そういう位置を平気でこなすことの出来る一面もあり得たに違いない。そうでなければ、戦後に流行作家として名を馳せることさえ出来なかったはずだ。
 けれども、作品において、人間が分からぬ、他者が理解できない、という心の奥深くからの声は幾度も取り上げられ、解決されない疎隔感の深さと持続する長さとから、この作家の宿命的な痼疾を感じさせられた。
 島尾敏雄の作品にもまた、人と人との関係のちぐはぐさ、人との関係に対する違和感がふんだんに盛り込まれている。他者とうまく交わることが出来ない。思いをうまく交流させることが出来ない。そこから、自分を人と人との関係が織りなす局外においやり、その位置からの関係の持ち方をあみ出そうとするようでもある。
 二人の作家の、対他的な関係障害はだれしもが一度は怯えてみたことがあるといった程度の中身であるかもしれない。そしてしだいに慣れ、熟知し、それほど固執しないですむようになったり、あるいは時間の経過の中で溶解していく、そういうものであるかもしれない。だが、作品を見る限り、彼らは生活の中にその思いを解消し、埋没させてしまうことが出来なかったように見える。
 二人の作家の、人と人との関係に対する違和感のようなもの、あるいは不安、怯え、そのような匂いに親しみを感じたのであったか。私もまた同種の人間だとして彼らの作品ににじり寄っていったものか。そうして、彼らの、同じく自分という存在を消し去ってしまいたい願望のようなものが私に手招きしてみせたものだったか。いずれにせよ、私は島尾にも太宰に感じたと同様の心の近親を感じ、いつかその読書体験を文章にしてみたいと考えていた。
 ところで、二人の作家の、他者の心が読めない、他者との関係への不安、怯えや疎隔感は、特に芸術家や知識人たちとの交友関係について、結構うまくやっているじゃないの、と見える。そして外に女をこしらえるという術においても、人並みかそれ以上のものだと思える。何が対人恐怖かと思ってしまう。
 彼らが資質的に対人関係に障害をもたらすものを持っていたとして、克服の努力もし工夫もし、あたらずさわらずの生活が出来るところまではいっていて、ただ一点、結婚をし、子どもを作り、というその場面で、何やら遠くその原因を彼らの資質としての人との関係の疎隔感、違和感、他者の心のわからなさ、などに求められるような夫婦の危機に、期せずして直面するように思われる。それは運命的と言っていいほど、決定的な場面との遭遇とも見える。そしてその結末に、二人の作家の特異性が認められる。
 それは私だけの思いこみに過ぎないかもしれない。
 人と人との関係から、自分だけが隔てられているという思い。この疎隔感を埋めるために異性に対して一縷の望みを託すことはあり得るかもしれない。だが当座の疎隔感は性愛の中に忘却することが出来ても、男女の性愛は本当をいえばそれほどの時間の持続を約束できない一時的な気まぐれを本質とするものなのかもしれない。
 私は太宰そして島尾と読み親しむ中で、しきりに「心中」というものを思い描いていたような気がする。それは決して太宰の死に様を思ってではない。一瞬の心と心の触れあいを本望とし、次の瞬間に離れていくそのことを食い止めるための「死」という意味なのであった。心が分かり合える、そのことがどんなに困難なことであるか、また分かり合えたと思った瞬間、移ろい行くものが心の正体であると見なしていたので、私はそのことを理想としていた。そして、もしもそれが出来ないとするならば、少なくとも私は家庭を持つべきではないと考えていた。私はその資格に欠けるに違いないと考えていた。逆に言えば家庭を持続させる自信がなかったし、一人の異性とそのような一つ所で心を支え合えるなど思いも寄らないことであったのだ。
 島尾敏雄の「病妻物」を読んだ時に、凄惨な思いのなかに、ある羨ましさのような感情を極微に感じた。妻の発作に直面する中で、二つの魂が軋みこすれ合う様が見られた。これは寂しさを感じる個の魂にとっては何事かではないのか、そう思った。私は混乱し、作品の中の主人公の姿に、もう一つの「負の資質」が示す「殉死」の姿がそこにあると思われた。「負の散華」といってもいい。
 私にとっては、悩ましい魂の殺し方がそこにはっきりと図示されて見えた。
 身を殺して魂を殺し得ぬものどもを畏るな。身と魂とをゲヘナにて滅ぼし得るものを畏れよ。
 太宰治は何度も作品の中にこの章句を取り上げ、魂を殺す術も知ってはいた。しかし、ついには魂の完全なる死に立ち会うことなくこの世を去ってしまった。決して魂の死がよいものというわけではないけれども、島尾の作品にはその魂の死と未来における復活の暗示とが刻印されている。それは私にとって、驚嘆に値する何かであった。