「家庭崩壊に結びつくある苦悩のようなものとは何か」
 
 島尾敏雄の作品の中に「家の中」と題する小説がある。これは晶文社の「島尾敏雄作品集第四巻」では、病妻物の系列に収められていたが、後に長編小説として構成された「死の棘」においては外されている。
 
 そのころ私の心は家の外にあった。昼間はおおかた眠っていた。眼がさめると外に出かけて行き、もし帰宅するとしたら夜中の一時とか二時とかに終電車でもどってきたが、そのまま泊まってくることも多かった。だから家の中で何が起きているのか、さっぱり分からない。家の中どころでなく、のめりこむように一箇所ばかりに気持ちが執着していたから、自分がどこをどう歩いたかもそのとき誰がどう自分を観察していたかにも気のつきようはない。まだ小学校前の子どもが二人、母親に言いふくめられて、朝寝をしている父親の眼をさまさないように足音をしのばせて歩く気配、それでもにぎやかな音をたてているので妻がしのんで叱っているつきささるような声、夫の機嫌をそこねないために気を配れば配るほど余計に生彩を失って身も魂もだんだんやせ細っていく妻の落ち着きを失った立居、それが家の中の全てとして私に映った。
 
 冒頭の「私の心は家の外にあった」というのは、もちろん他の女のところにあったことを意味している。この作品以外にも、主人公が妻を、子どもたちを、ないがしろにして、外出する描写は見かけたような気がする。何が言いたいかといえば、この主人公の姿は、太宰治の小説の「父」や「桜桃」とかの作品における主人公の姿と酷似していると言いたいのだ。そして家庭の状況もよく似通っている。
 太宰の小説では、「義のために遊んでいる」とか何とか、必死に言い訳を考えながら外に出かけて遊ぶ主人公に、「義?たわけた事を言ってはいけない。お前は、生きている資格もない放埒病の重患者に過ぎないではないか。」というような自己否定の言葉を言わせてもいるが、おそらく島尾の作品の主人公にもそれなりに考えるところがあっての行為だったのだと私は思う。
 
 太宰も島尾も家庭崩壊の寸前まで行っている。この後、太宰は心中し、島尾は妻の神経が耐えきれなくなって発作を起こし、子どもは妻の実家に預け、夫婦はともに精神病棟に入ってしばらく生活するということになる。
 二人をそこまで運んだものは、芸術的あるいは文学的苦悩というようなものだろうか。あるいは人間的な苦悩といってもよい。確かに何かしらの苦悩があって、それが結果的に外に女を作ることにつながり、さらに自分の家庭を不安定なものに陥れることにつながっていった。このことを私たちはどのように了解したらいいのだろうか、というのが、今私が考えていることなのだ。このことを、生活不能者の言葉で一蹴することは私には出来ないことに思える。もちろん、そう言い放ってあざ笑う立場もあるかも知れない。だが私はそういう立場に立つことが出来ない。
 私には深い疑問がある。なぜ二人の文学者は酷似するような形で家庭の崩壊の危機を招き寄せてしまったのか。そして、そういう結果をもたらさざるをえないような苦悩をどうして背負い込んだのか。