「母的な問題」
 
 昭和四十八年、弓立社から発行の「幼年期」という島尾敏雄初期作品集の中で、「階段をころげ落ちた事」という2ページにも充たない小さな作品がある。
 
 母が恋しかった。それで母が今自分の傍にゐないのは、それは母の方が悪いのだと思った。然しはっきり母を非難する考へをまとめる能力は出来てゐなかった。階下で誰か珍しい客があって母はその方に気を配ってゐるのに違ひないので、母が彼の方にやって来られないのはどこにも非難を持って行きようがないことに思へた。二次郎は母の方に寄って行かうと思った。
 
 これがその作品の書き出しである。
 主人公は幼稚園に通う前後の少年らしく思われる。あるいはもっと年齢的に上か下か、この作品からだけでははっきりしない。それでしかし読み解くのに困るものでもない。
 少年は病気で床に伏していたものかどうか、状況もはっきりしない。そういう一切の設定といったものが外されていて、唐突に、と感じられるように主人公の内面に入り込んで「母が恋しかった」と吐露させている。
 
 母が恋しかった。それで母が今自分の傍にゐないのは、それは母の方が悪いのだと思った。
 
 この短い書き出しに、ふと幼児から少年にかけての時期の心的な体験の記憶が呼び覚まされるような気がした。
 たぶん幼年の時の、どういう理由でか一人で過ごす時間の中で、急に母を恋しく思う瞬間があったのではないか。そしてそこに母がいないのは、一方的に母が悪いと理由なく思い込んでしまう。そういう幼児の、勝手な思いこみが、自分の幼児期にもあったのではなかったかと、島尾の文章を心に転がす中に、次第に、たしかにそんな事があったはずだという具合にイメージは鋭くシャープになっていくように思われた。
 幼児にとって、自分が今母を恋しく思っているとすれば、その思いは瞬時に母に届き、自分の傍らに来て優しい眼差しをかけてくれるか、しっかりと抱き留めてくれる存在でなければならない。それはどうしたって、幼児にとっては当たり前の気分だという作者の理解が裏側に貼り付いているように見える。
 今、自分の傍に母がいないのは母の方が悪い、という心的な働かせ方は、何と幼児的であろうか。私は少しずつ作者の、幼児期の心理の記憶に驚嘆を感じ始める。まるで皇帝か権力者の思考のように、自分の傍にいるのが母の義務だとでも考えているような、そんな見事なエゴが再現されていると思った。三十前後の男が、こんな記憶を生々しく取り出せるものだろうか。もしそうだとすれば、作者の心理はどこかで幼児期のそれにまだ地続きの部分を隠し持っているのではないか、とそんなふうにも思われた。
 自分を考えると、記憶の断片は時折蘇ったが、どんなに記憶を辿っても幼児期の自分の心理にまで遡る事は出来なかったと思う。
 私は幼児、あるいは少年はこういう心理の働き方をさせる事があると思う。いや、おそらくはその時期に普遍的な事であるとさえ考える。
 この後、主人公「二次郎」は母のいる場所に行こうとして、階段の方に走っていき、しかも段々があることを失念していてものの見事に階段を転げ落ちてしまう。そして、落ちながら、極端に冷静ですっかり落ち着いてしまうという例の事故時の不思議な心理状態を体験する。
 
 はっと思った時はもう下に届いてゐた。然しその間随分色々なことを考へたと思った。先づ落ちることは当然だと思った。それは自分の罪として認めることが出来た。そしていつもは階段を落ちることがあんなに恐怖されてゐたに拘わらず、この調子なら度々落ちてもいゝと思ひ込ませるものがあった。さう思った時に又以前落ちた時のことを思ひ出し、その時にあゝいう風に身体を縮めたのだといふことが思ひ出され、その通りにしたのだ。そして何でもありはしないと思った。さぞ大げさなこぶが出来るだろう。それも二次郎は計算してゐたようだ。
 
 二次郎は、「先づ落ちることは当然だと思った」のだが、彼にとっては至極当然と感じられていても、読者の私には少しも理解が出来ない。そしてそれがどうして「自分の罪」として受容されるかという理由も本当はよく理解できない。だが、まったく分からないということでもない。ただ、作者が「罪」という言葉を使うところに、作者の考える幼少のころの島尾自身の性格の特異さとか、資質とかを考えてしまうことになる。それは文字通り失墜感や齟齬や挫折感に他ならないと思うが、幼年にしては「落ちることは当然だと思」うこの潔さがどこから来るのか、これもまたわかりにくい。
 階段を落ちながら、「この調子なら度々落ちてもいい」とはたして考えるだろうか。又以前に落ちた時を思い出し、身を縮めることが出来て、「何でもありはしない」と思ったりするだろうか。たぶんどちらも当時の島尾少年の心理を正しく再現し、決して虚飾を加えているわけではあるまい。そしてここまでは特異でありながら、さほど少年としての心理に異常を感じるというのでもない。
 少年らしさは次の文章の中でいくらか復活する。
 
然しさう底の方で楽な考へ方をしてゐたが、やはり母が充分注意してくれなかったから、こんなことになったのだと甘えてゐるところがあった。
 
 そして二次郎の二次郎らしさは、すぐ後の次の言葉に表れている。
 
しょっちゅう階段から転げ落ちてこぶだらけになって死んでしまってやるから。
 
 この少年と母の間には何があったのだろうか。作品では何も書かれていない。母が来客があって少しばかり少年のそばから離れた。ただそんなことが想像されるだけだが、少年の心理は唐突に「死んでやる」というところまで飛んでしまう。この少年の「母」に対する異常な執着は何か。私はそう思うのだ。「しょっちゅう階段から転げ落ちてこぶだらけになって死んでしまってやるから。」というのは、少年の復讐心であろう。しかし、この少年の壮絶な覚悟は、何かしらユーモラスだ。それはたぶん、少年の心理の徹底的な「独り相撲」という印象が覆えないところから来る。母には少年の一連のどんな思いも届いてはいない。「死」という、最後の切り札を頭上に高々と挙げながら、少年はこの後自分の責任において、その札を密かに懐にしまわなければならなくなるにちがいない。
 それをそうと直接的に書いているわけではないが、作品の終末における次の引用部はそのことを象徴しているように思われる。
 
「まあ、次郎ちゃん。どう? 大丈夫、どっか痛くない?」
 二次郎が求めてゐた母が傍に来たのであった。然し、二次郎はさっき自分の叫んだ母さん!という声の余韻が虚しく耳の底に残ってゐることに気を奪はれてゐた。おや! 自分は誰を呼んでゐたのかしら。母はこんなにも身体一ぱいで二次郎を抱きとってくれたのに、二次郎は彼が呼び求めてゐたものは、どっか遠くの方へ見失ってしまった感じなのであった。階段をふみ外して二階からしたに転落した間に彼は自分が変わってしまったことがぼんやり感じられた。それは母に対して背信であるやうに思へた。その罪の贖ひのためにも、こぶ位どんなに大きく出来ても構はないやうな気がした。 
 
 階段から落ち、驚いて母が二次郎の傍に飛んでくるまでに、二次郎の内面世界においてはなにかが始まり、そうしてすでになにかが終わってしまっている。それは私には胎児期の母との直接的な意識の交流、もっと俗な言い方をすればテレパシーのようなものの結びつきの終焉を作者は語ろうしていたかに思える。
 二次郎が心の中で、「しょっちゅう階段から転げ落ちてこぶだらけになって死んでしまってやるから」と考える時、彼の理想の母は、瞬時にその心を察知し了解する母でなければならない。また、母さん!と呼んだ時、瞬時に二次郎の寂しさや全部を察知し了解し、彼のもとに瞬間移動してくる母である。
 二次郎は、はっきりと、現実的な実際の彼の母親が、そういう存在ではありえないことを知り、それをこの時に認めざるを得なかったのである。それは産道を通って母親の身体から外界に産み落とされ、別個の、個人として切り離された存在に他ならないことを思い知るきっかけでもあったのである。そしてそれは、全く切り離された存在としての自分を自覚することであるし、その自覚によって、二次郎は「自分が変わってしまった」と感じたのである。そしてまたその変貌は母の変貌ではなく、自分の変貌の自覚であったがために、母に対する背信として背負うほかなかった。同時に、二次郎には、自分が母さん!と呼んだ母さんが、胎児として一体であった時の母への郷愁が含まれてある母さん!を呼んだものに他ならず、そのことでそれを二重の背信と受け止め、そのために、「その罪の贖ひのためにも、こぶ位どんなに大きく出来ても構はないやうな気がした」のである。
 
 私は島尾敏雄の、他者との心的な関係の原型のようなものを、この作品の母と子の物語の中に読み取ろうとしている。すでに、島尾自身がその発見をこの小さな作品という形で密かに提出していたものであって、私にはそれ以外の理由によってこの作品が書かれ、残されたとはとうてい考えられない。
 この作品から5,6年を経て、島尾敏雄には病院期や死の刺を書くきっかけになったミホ夫人の神経症の発症が起こってくるのだが、また、すでに夫人との結婚生活はこのじきで3,4年を経過していたものに違いないが、すでにイントロめいた調べがこの作品から聞こえてきているような気さえする。
 
 二次郎が求めてゐた母が傍に来たのであった。然し、二次郎はさっき自分の叫んだ母さん!という声の余韻が虚しく耳の底に残ってゐることに気を奪はれてゐた。おや! 自分は誰を呼んでゐたのかしら。母はこんなにも身体一ぱいで二次郎を抱きとってくれたのに、二次郎は彼が呼び求めてゐたものは、どっか遠くの方へ見失ってしまった感じなのであった。
 
 二次郎は母を求めた。しかし、直後に階段を落ちたことで、その求めは宙に浮いたまま成就されもしないし消えもしないで余韻として残る。階段を落ちたあとの二次郎は、すでに先の求めを願った二次郎ではなく、母を求めた二次郎はもはやそこには存在しない。自分の意図しないその変貌を、二次郎は母に対する背信のように思いなす。
 作者はここで何が言いたいのだろう。いや、逆に、私はこれらの文章を、どう批評的な言葉で表現できるか、ではないか。
 二次郎が母さん!と呼び、その存在を引き寄せたかったのは階段を落ちる前のことであった。その時にこそ真に母を必要としていたのだ。だが、母が二次郎を心配して飛んできたのは、階段から落ちてあとのことだ。その微妙なズレは、二次郎の心理に奇妙な空隙をもたらした。二次郎にとっては悲しい体験であった。それは初めての大きな他者との関係の食い違いであり、二次郎にとっては暗澹となる以外のものではなかった。
 
 後年、島尾敏雄は特攻隊の隊長として、一年あまりを約束された死を果たすべく、出撃待機の状態で奄美の島に過ごした。その時知り合った島の女性、ミホと愛し合うようになるのだが、出撃命令は下されず終戦を迎えた。おそらく目の前には死しか見えない中での島の娘との愛は、その極限状況からして、ファンタジックで純粋なものであった。
 敗戦の一年後、二人は結婚をし、神戸に暮らした。
 状況が変われば、二人が互いに相手の違った面に気づき、その時の状況の中で見た姿と異なる部分にも接することになる。
 私はこの作品を読んで、目の前の妻に、島で愛した女性とは異なった女性を感じ取っている島尾敏雄の感情が投影しているように想像しながら読んだ。おそらく妻は妻らしく自分の身の回りをかいがいしく世話を焼いてくれているのだが、島尾自身は彼女の中に島で愛した女性の面影を探している。その女性をどこか遠くの方に見失った感じさえ抱いたにちがいない。そして自身は市民社会の中での変貌がまっていて、自身の変貌と妻への思いの変質とから二重の背信の思いに駆られたのではなかろうか。妻を裏切る端緒は、すでにこのころに兆しを見せ始めているのだと私には見える気がする。