「島尾敏雄における『愛の利己性』について」
 
 太宰治が、「家庭の幸福は諸悪の本」と書き、「父」や「桜桃」などの作品でも家庭の事情を書き続けたのはなぜだったのか。
 それらの作品の中で主人公たちは、家庭に思いを残しながら、あるいは魂を残しながら、抜け殻になったような身体を酒場の賑わいや仲間内の会合、異性との交遊の場に運んで行った。太宰は「義のため」といい、やるせない男の弱点だと弱々しく反駁して見せていた。 島尾敏雄は「帰巣者の憂鬱」で、文学的な闘いのためと思い込んで外に出て行く夫の魂が、家に帰ろうとするのを捉え、それが邪魔なのだと語って見せた。そしてそのあげくに、主人公の妻は神経症を病み、発作を起こし、夫を懲らしめ、苦しめる審問官となって夫の前に立ちはだかる、いわゆる病妻物を書くきっかけになっていったのである。その執拗な尋問の繰り返しと、強靱な論理を繰り出すマシーンと化した妻に対抗し、深い底なし沼のような関わりに、かえってしがみつくようにさえ見える夫の姿はもはや常人のものとは思えないものだった。
 島尾も太宰も、本来的に自分の体験したことを通してしか作品を構想し得ない作家たちであったといってもいい。もちろんそうではない作品もあり、その中には優れた作品も決して少なくはないが、その場合でも心理的な既体験のようなものが裏打ちされてあったように印象される。いずれにせよ、家庭ものにおける主人公の姿は、太宰、島尾ともに、事実として、描かれた主人公の姿に似たものがあったはずなのであると思う。
 それはまた、世間の多くの夫たち、父たちの姿でもあるのではないか。
 男たちばかりではない。女たちも家庭という巣を営む決心をした後に、いつしかそれを重荷に思い、耐えることを放棄して崩壊も辞さない姿勢になだれ込んでいる。
 一体家族とは何なのか。家庭とは何なのか。
 ひと組の男女が、収斂し、営巣が始まる。子どもが出来、家族が増えていく。そうして出来た、一時、幸せを絵に描いたような家庭、家族がどの家庭、家族にも訪れるものだという気がする。にもかかわらず、太宰や島尾を初めとする小説家たちが描いたように、その幸せは長くは続かず、解体や崩壊、もしくはその危険域を歩むほか無いような気がしてならない。それは何故なのか。何のために家庭を営み、そして何故それは常に危機に直面しながら進行しなければならないのか。
 若い時に、自分をふくめ、男女がくっついては離れ、離れてはくっつく現場を見聞きしてきた。若い時の過ち、それだけならばいい。しかし、年を重ねながら見る社会にも、たくさんの出会いと別れがあり、離婚の数も年齢を問わず増加してきているように思われる。 ひと組の男女が生涯を通じてともに暮らしていくことには先験的に無理があるのだろうか。私自身は無理があるのだろうと思う。人並み以上の忍耐をかいくぐるのでなければ。
 
 今、進歩的で現代的なひと組の男女を想定すれば、その結婚生活は互いに異なる人格の共同の生活であり、束縛せず、協力し合う関係を構築していくのではないだろうか。そして性愛について、もしもどちらかが家庭の外の異性に心を移すことになれば、協議によりスムーズな離婚へと話を進めることが出来るに違いない。もちろんよりを戻すということも可能であるし、別れてそれぞれが新たに別の家庭を築くように進んでいくこともあり得る。
 現在、私たちの性愛は、ただ一人を伴侶と決めて生涯を連れ添わなければならないという理由はどこにも見あたらないという気がする。言いかえれば、多少の無理、我慢をしてでも一緒にいなければならないという前提は、その根拠から希薄になっている。
 結婚という形式をとらず、同棲し、夫婦同然の生活をするという形もあり得る。そしてそれもまたいつか終焉を迎えることが予想される。
 
 離婚とは、殺し合いの回避である。また、自殺の回避であり心中の回避である。
 島尾敏雄の病妻物と呼ばれる一連の作品を見ると、心中、無理心中、自殺、離婚、それらのどれもが一度は試されたに違いないと思える。特に妻の発症により家庭生活自体がおぼつかなくなり、あるいは神経科病棟への入院が余儀なくされる事態にまで至った時に、離婚という思いは夫である島尾の脳裏にも浮かんだはずであると思う。そしてそれが一般的な私たち生活者の取りうる手段であるという気がする。
 しかし、島尾敏雄が選択したのは、子どもたちは夫人の実家に近い奄美の親戚に預け、夫婦して病棟に入院することであった。もちろん、島尾自身は夫人への付き添いとしてであったが。
 長編「死の刺」をはじめとして入院期までをふくめた病妻物への読者の評価は、島尾敏雄の、すべてをかなぐり捨ててなお夫人への献身的な愛、というとらえ方で賞賛されたのではないかと思う。それは一つの間違いとは言えないとらえ方ではあると思うが、はたしてそんな生やさしいものではないという気が、私にはする。
 作品を見る限り、夫人は夫が外に女をこしらえていることを知っていた。我慢をし、苦悩し、やがて耐えきれなくなってそれまでのような生活が出来ないようになっていった。その時点で、離婚という道に進んだら、その後の凄惨な修羅場を迎えずにすんだかも知れない。しかし、夫婦の選んだ道は夫婦関係と家庭生活の立て直しであった。少なくとも夫はそれを妻に提言し、妻はそれを頭ごなしに否定することが出来なかったのである。しかし、関係の修復と生活の立て直しに向かって歩み始めようとする時に、すでに妻の理性は神経症の発作に脅かされるものとなり、例の飽くなき尋問を繰り返さずにはおられないようになっていた。繰り返し発作の症状を露わにしては、目が覚めたように自分の行為を嫌悪する繰り返しに、妻もまた耐えきれない苦痛を味わわねばならなかった。
 島尾敏雄は、浮気がばれた時に、同時に妻の発作の症状を目の前にした時に、とっさに夫婦生活、家庭生活のやり直しを考えたようである。これはもともと家庭を崩壊させても浮気相手との関係を大事にするという考えを持っていなかったことを意味する。家庭は家庭として存続させ、ただ性愛についてだけ浮気相手との関係を保ち続けたいという、いい気な両立を思い描いていた。これは世の夫たちの多くが思い描く構造だと言っていい。あわよくばばれないで関係を持続することだ。だが、関係がばれたら一体どういう事になるのか。
 島尾夫婦が、俗世間に生きる私たちと同類の俗にどっぷりと身を浸しているように見えながら、ほんの少しどこか異質と感じられるところがある。それはたとえば妻の夫に向ける愛憎の一途さである。生理的な異変を引き起こすところまで、明らかに自己コントロールを失って、自分の愛憎の感情に引きずられてしまうありかたは、その愛憎の体験の少なさに理由があったと言っていいかも知れない。もう少し都会ズレしたすれっからしのような女性であれば、慰謝料をふんだんに取って別れるとか、夫と浮気相手に復讐のようなものを企てて多少なりともストレスを発散するとか、そんな形で自分の危機は回避しようとしたかも知れない。あるいは、もっとしたたかに、知らぬふりをして相手の女性との関係の瓦解を待ったかも知れない。
 夫としての島尾敏雄にもまた、私は作品に見られる限りの言動からは一種の一般的ではない、異質さのようなものを感じる。こちらは、夫人とは違って、異性との交遊の経験は少なからず経てきたもののように思われる。そして、浮気がばれた時に妻がどのように取り乱すかについての予測もある程度量れたに違いない。そんな彼が、妻が自分に対する態度を一変した時に、どうして懐にしがみつくように内側に飛び込んでいったように見える姿勢をとったのかが、よく分からない。それまで、彼女の腕からはなれ、次第に遠くへ行こうとしていたにもかかわらずに、だ。そこには、誤解を恐れずにいえば島尾の無意識の悪意があったとさえ私には想像される。
 妻の姿勢の一変は、島尾の姿勢を根幹から揺るがすに値した。あわてふためき、パニックに陥ったとしか思えない姿が見られた。おそらく、そうなってしまうまでには、そうなりそうな予測、不安を感じながら、どこかに高を括っているところがあった。
 それにしても、作品の主人公の動揺は、予想を超えるものがある。並みの男なら、妻の発作を前にとっさに逃げ腰になったり、どうせ遠くなった関係からさらに遠ざかっていこうとし、場合によってはすっかり切れてしまうことを覚悟して行動をとるように思われる。しかし主人公である島尾は、混乱の故か、かえって妻の懐に飛び込んでしまう。まるで恐がりなのに進んで怖い映画を見るようにだ。それを島尾本人の気質とか性格とかに帰してしまえばそれまでかも知れない。しかし例えそうであっても、私にとってその謎は解明されなければならない謎である。
 
 少し前に、私は「階段をころげ落ちた事」というとても短い作品を取り上げてみた。それは幼少時の体験の記憶に基づき書かれたものと私は判断したのだが、島尾敏雄の感性に写った母と子における子の側からの物語が描かれていた。
 5,6歳くらいでもあろうか、主人公の「ぼく」がおそらくは病気のために2階の部屋の布団に寝ていたが、目が覚め、母が恋しく感じられて「母さん」と呼びながら起きあがる。母は階下で客と応対していて、「ぼく」の側には来られないらしい。
 島尾敏雄はここで、母を恋しく思っているのに母がここに居ないのは「母さんが悪い」という主人公の身勝手な心理を描いて見せている。この心理には、私にも思い当たる節があった。子どものエゴイズムというしかないのだが、私には幼児に普遍的な感情のように思われる。つまり誰にでも思い当たる節はあるのではないか、というように。
 自分が必要とした時に、母はそれを察知して自分の側に瞬間移動してでも来なくてはならない。少し誇張していえば、それがある時期までの子どもの論理である。
 母が誰かと応対しているために自分の側に来られないことを察した主人公は、自分が階下に降りていこうとして階段を踏み外し、頭から転げ落ちてしまう。少年の怪我はこぶをこしらえたくらいですんだのだが、子どもらしく泣きわめくどころか、『しょっちゅう階段から転げ落ちてこぶだらけになって、死んでやる』というような過激な思いを抱くことになる。これにも私は思い当たる気がしている。
 少年の内面のドラマにおけるクライマックスは、ここに来て絶頂に上り詰め、後は緩やかに下降していく。
 階段を転げ落ちるその物音に気づき、母はびっくりして子どもの側に飛んで来て気遣うが、主人公には階段を落ちる前に呼び求めた母の像と、階段を落ちてから飛んできた母とが決定的に乖離していて、自分がさっき呼び求めた「母さん」は側にいる母さんとは違うと感じてしまう。そして、自分が呼んだのは誰だったのだろうと一瞬戸惑いを覚える。そして、そういう感じ方をしてしまった自分が母に対して「背信」という「罪」を犯してしまった気になるところで終わっている。
 少年のこうした心の動かせかたを、私は異常だとは思わない。この作品を通じて記憶の中に入り込んで考えると、自分にも似たような体験があったような気がする。そして前にも言った通り、大なり小なり誰にでも共通するところもあるように思える。
 島尾敏雄の作風から想像する限り、私には島尾がこの作品を書いた時期に、この幼少時の心理的な体験を思い起こさせるに至った同様の心理の桎梏が目の前にあったのではないかと考えている。そうしてその意味が、やっと自分の中に鮮明になったがゆえに、その体験は書かれたのではないかと推測している。そしておそらく、それは夫婦として数年を経過した妻との関係の中に、ある種のつながりが発見されてのことではないかと考えられる。
 
 妻に対して、ということは関わりを深くした異性に対して、自分が幼児のようなエゴイスティックな位相に入り込んでいく。その時期、島尾敏雄はそのことを発見し、「階段からころげ落ちた事」という小さな作品を書き上げた。そう私は推測する。もちろんこの推測は根拠のないでたらめだと見なされてもよい。
 人間が成人し、家庭を営もうとする根源の衝動とは何か。綺麗事でなく答えるならば、私には作品に書かれたような幼児期のエゴが基底に居座っているような気がする。幼児において、母親は何が何でも、いつ何時といえども、自分が欲求する時には自分の側にいて、どんな要求をも満たしてくれるものでなければいけない。男性が結婚をし、家庭を持つという決意の裏側には、幼児が母を求めた郷愁が湧き上がりながら、そのことによって決意を促すものでなければならない。私はそう考える。少なくとも男性は、妻となる若き異性の姿に、幼児期の母の姿を郷愁のように二重写しに見ているものかもしれない。
 わがことのように「自分」を愛してくれるもの。あらゆる欲求をかなえてくれるもの。思いさえをも察知してくれるもの。愛の名の下に、すべてを許してくれるもの。
 しかし、幼児は錯覚している。母が世界のすべてであり、万能の神であったのは母の胎内に過ごしたほんの短い時間の中でだけである。産道からこの世界に生まれ落ちて後、母とは、別の個体としてしだいに遠ざかっていく存在である。つまり、幼児ばかりをかまってはいられなくなる。
 島尾の「階段をころげ落ちた事」という作品には、そんな母子の関係に対する、子の側からの自立していく過程での心理的ドラマのある種のパターンのようなものが鮮明に描かれている。生まれたという事が、胎内から放り出された事を意味するのか、あるいは子ども自らが胎内に別離を告げる事を意味するものなのか、深読みすればそういう根源的な問いさえ孕んでいるように感じられる。母の背信なのか、子の背信なのか、というように。
 少なくとも私はそういう読みをした。もちろん、作者である島尾敏雄はそこまで考えてこの作品を書いたわけではない。
 この作品では、主人公の最も信頼し、愛し、そして恋しい対象としての母親が、主人公の内面でふと変質してしまう、その瞬間の深い裂け目、深淵、を切り取って描き出している。主人公が「母さん」と呼んで母を求めた時の、側にいて欲しいという思いの強度。さらに母の側に寄っていこうとして階段から落ちてしまった時の敗北感のようなものの強度。それを母親のせいにして、「死んでやるから」と考える主人公の甘えの強度。作者は主人公の甘えをよく知っている。しかし、それは母親を恋い慕う思いの強度と表裏一体でもある。
 階段から落ちた子どもを心配して駆けつけた母を前にした時、主人公の内面では「母さん」と呼んだ時の声の余韻が残っていて、主人公はそちらの方に気を奪われ、駆けつけ抱きとめている母が別人のように感じられた。そして呼び求めていたものは、どこか遠くの方へ見失った感じがした。
 階段から落ちた事によって、主人公の心には母に対する想いの上で、ある変質が起こった。おそらくその時に主人公の中では自分の内部に起きた変質がよく理解できなかったのではないかと思う。そして、作品に書かれた事件の一瞬の後、あるいは数日後には、事件そのものが大した問題でもなかったように見過ごされ、どこにでもある母と子の関係が続いたに違いない。
 後年、記憶を呼び戻して作品に書き表したのには理由や意味がなければならない。これも私の勝手な憶測だが、島尾はこの事件の時の母に対する自分の心理を、対人間との関係における一つの自身の原風景と見なしたのではないだろうか。
 つまり、結婚をし、妻との家庭を営んでいく過程に、かつての事件の記憶を読みがえさせるある共通の心理の動きを自分の中に発見したのではないか。かつての母は妻として、そして主人公は今やその妻の夫となった自分であるが、自分がこうと思った時に思い通りには対応してくれない妻に、作品の主人公のような、「自分はこの人を求めたのではない」という変質の瞬間が、夫島尾敏雄にもあったのではないだろうかと私は思う。それは作品と同じに、一瞬の見えない劇としてあるいは瞬時にかき消えてしまうありふれた人生のひこま、夫婦生活の一こまに過ぎないのかもしれないが、これを拡大して記憶に写し取り、執着する人間もこの世界にはいるのである。もちろん島尾敏雄とはそういうひとの中の一人だと言っていい。
 
 後年、島尾敏雄の長男、島尾伸三は、島尾が当時を述懐して、妻は母親のように「何をしても許してくれる」ものだと錯覚していた旨の発言があった事を文章に表していた。
 つまり妻との関係の底に、母親との関係が二重写しにに写って輪郭をなぞったという事が考えられてくるのではなかろうか。そしてもしもこれが男性一般に共通する本質を指し示すものとしたら、世の女性、妻たちは、とんだ災難でもあるし逆に言えば光栄な事であるのかもしれない。そして現実的には、家庭の形成と同時に、家庭の解体は約束されていたと言えるものなのかもしれない。何となれば、妻を母親と思いなしてしまう男性の初源的誤解に対して、女性はまた男性とは別の誤解を持って男性に出会っているに違いないからなのだ。