言葉と思考と
 
言葉は思考のなくてはならない道具である。言葉を思い浮かべただけで思考ははじまっている。言葉は思考の結果でもある。ひとつの言葉にはいくつもの、数え切れない思考の揺動が封じ込められている。だから思い浮かんだときに、陽炎のような言葉の揺らぎを体験する。わたしたちの日常に、言葉は浮かんでは消える運命にあるが、その時、言葉は内在する思考の揺動を残り香のように感じさせる。
漠然とした想念のうちにある言葉は、話し言葉と書き言葉(文字)との中間に位置するように思わせる。漠然とした想念のうちに浮き上がる言葉は、想起と消去を繰り返すが、自分が自分に話しかけ、はっきりと答えるまもなく消えていくものだと言っていい。その意味では日常の話し言葉の位相に近い。
書き言葉(文字)はこれとははっきり違っている。書き言葉(文字)によってわたしたちは思考のループから螺旋状に進む体験を勝ち取る。これは思考の継続という事象にとって画期的な発明品だ。文字の発明によって、人間の思考は拡大し、飛躍を遂げた。
 
人類史から言葉(言語)だけを抜き取って考えれば、これは三つの区分で言い尽くすことができる。前言語の状態と、音声言語と文字言語である。現代ははっきりと音声言語と文字言語とが併存していることは誰もが認めるところだ。しかし、おそらくは前言語状態もすっかり消失したというわけではなく、無意識の影に隠れて存在するように思われる。たとえばそれは今日でも乳児の状態の中にそれをうかがうことができるし、わたしたち大人においては夢の形態の中に前言語のイメージの世界を思い浮かべれば足りる。つまり、前言語状態から人間は音声言語を付加し、さらに文字言語を付加してこれをすべて維持しつづけてきていると言っていい。三つの区分のうち初めの区分では前言語状態だけがある。二つ目の区分では前言語状態と音声言語とが同居する。そして三つ目の区分には前言語と音声言語と文字言語とが併存することになる。
 
言葉(言語)だけに限って、わたしたち人間は文字言語以上のものに進むことができるだろうか。わたしたちの思考が言語を介してでなければ行われないとすれば、文字言語にとどまるものかどうかは、その事としだいによって始めから人間の思考の限界を暗示しているもののようにも思われる。
2015/04/20
 
 
老いそして思考
 
年老いることは手足をもぎ取られることと同じだ。少なくとも現在の社会はそのように老いたるものを遇すると言える。それで老いたるものは胸に反発と抵抗を蔵するのだが、あるいは下る坂道に爪を立て、あるいはゆっくりずるずると下って行き、あるいは急激に転がり落ちていくというようにそれぞれの流儀で晩年を迎えることになる。
異議を唱えるべきかどうかは分からない。ほんとは老いたりとはいえ、当人は身を引くべき時とは思わないのに、社会からは無価値化を宣告されてしまう。
この齟齬にどう立ち向かうかはそれぞれだが、わたしは早くから流れに身を任せることを選択してきた。社会がわたしを必要としないなら仕方がない。もともと社会での自分の椅子などに興味を持たなかったわたしなのだ。残された時間を思考に費やすと英断して不都合なことが何かあるだろうか。密かにそんな思いを胸に秘める。
 
考える。思考する。考察する。これはわたしのように貧しい境遇にあっても、唯一金銭的に元手を必要とせずに行えることではないか。社会的に閉じられて行こうが、身体の衰えが加速しようが、思考することだけは老いにまつわる衰退とは無縁に、意志しだいで活き活きと行える可能性を秘めているもののように思える。
とはいえ、思考するとは一体何をどう考えていこうとすることなのか。
 
さしあたって、他者の思考と競い合うことは意味のないことである。とりわけ職業が即知識の占有と目される学者、研究者の類とは争っても無駄なことは言うを待たない。彼らは歴史的に蓄積された膨大な知をできるだけ多く脳髄にコピペすることを専らとし、それら先行資料を読解し、自分流の解釈を加えることが思考の本筋だと考えている。
わたしたちの方法はこれとは違っている。わたしたちは素手で、言い換えれば、目に見え、指に触れる世界がわたしたちに催促してくるところの何かからはじまって既存の知識に遡りながら考えることをしていきたいと思っている。既存の知識に多かれ少なかれ依存しなければ成り立たないことは共通しているが、一方は既存の知識を網羅することに重きを置きながら蒐集するのに対し、わたしたちの方法は網羅的であることを要しない。この差異を、わたしたちはここでは小さな声でそっと「動機の違い」だと言明してみたい気がする。もちろんこれとても条件の不利を埋め合わせる何ものも保証しはしない。
 
わたしにとって考えることは大いなる無駄を指している。小さなころから、役に立たない考えは無駄なことだと教え込まれてきた。ところで、わたしが考えること、考えたいと思っていることはことごとく役に立たないことだ。社会に、文明に、個々の人間に役に立ちそうもないことばかりを考えている。わたしの考えることはそれらに益をもたらすことがない。だからわたしにとって思考とはそのまま不毛と徒労とを意味している。考えることはわたしにとって、ただに宿命のようなものだ。もはや考えること以外にわたしの生きる意味はない。老いて、観念の産道を彷徨い、産み落とされる世界を自分で選択する。産声のかわりに「思考だ」と呟く。わたしははじまりを予感している。
2015/04/24
 
 
思考の奪回
 
考えることは無駄なのかもしれないと思うことがある。
こんにち、「考える」ことは蓄積された知の体系の中からそのいくつか(実際にはその数が多いほど優れたものだと見なされる)を拾い出し、意味を深く読み取ることに代替されている。それは考えるというよりもむしろ、組み合わせや配置の置き直しなので、コンピュータのデータ処理の作業に近い。現在の知の世界、学者たちのする学問上の思考、考えるという行為はそのことを指しており、文献をはじめとするできるだけ多くの資料を読み解き、あるいは多くの事象を観察した上で成り立つものと考えられている。もはやそうした資料や観察のデータなしでは思考そのものが成り立たないもののように思われていると言っていい。現実は、もはや目に見え、手に触れ、心に感ずるものでも何でもない。現実はその膨大な資料の底に眠っているものなのだ。
このことを肯定するやいなやわたしたちは膨大な資料、すなわち言葉の大洋の中に投げ出される。わたしたちにはこれは即おぼれることを意味する。このとき、言葉の海をおぼれずに素手で水を掻いて泳ぎ切ることができるのかどうか、わたしには分からない。というよりも、ホントはほとんど不可能ではないかと考えられている。にもかかわらずわたしは素手で立ち向かうことに意義があると考えている。考えることは知識人や学者の専有物ではないと思うからだ。思考を、常民とか平民とか大衆の原像とかと呼ばれる、この世界に生きる人間の常態の手の内の中に取り戻したいと考えるからだ。少なくともその可能性は探らなければならない。思考を、わたしたちの手に。
2015/05/07
 
 
闇への入り口で
 
心的に闇という言葉を使うときは、それが比喩であろうとなかろうと言語以前のことを指している。言葉になる前の、あるいは言葉にならない心の状態のことを指している。「わたしの生涯は闇に覆われている」とわたしが考えたとすれば、それは自分の生涯を言葉に表して言うことができないということを意味している。言葉化できないということ。 人間的な意味や価値からは途絶している。
 
言語以前というときにわたしたちはすぐに、近似的なものとして乳児の心的世界や、人類の言語獲得以前の無意識的な心の状態を思い浮かべることができる。
 
黎明期。人類が言葉を獲得した時期をそう表現することがある。
闇に光が差す黎明期は言葉の発見と獲得だ。
 
言葉化しようとすることは人類の抑えがたい欲求だ。闇から黎明を臨む。
 
言葉としての闇に固執することは、無意識世界に固執していることと同じだ。意識は無意識世界を意識化できない。わかりきっていそうなことなのにさらにそこにとどまったり固執してしまうのは精神の病態の一種なのだろうか。それとも。
 
言葉化したもの、言葉化した世界、そのすべてにどこか信頼が置けない。あるいはむしろ、わたしはその世界の住人ではないという思いが残る。もしかすると、わたしは言語以前の世界にとどまっていてその世界への通路を探し続けているのではないのか。生まれてから今日までの時間を費やして。
 
言葉のない世界から見れば、哀れに境界をさ迷う姿に見えるのかもしれない。
2015/05/11
 
 
超「人間」へ
 
「考えること」と、呪文をぶつぶつつぶやくようにして日々を過ぎている。気がつけば精神の乞食者の姿がそこに窺われてしまう。自らは作り出すことができずに、ただ飢渇しているそのことを呟くことで、本当は何も考えることに至らない。何を考えようとするのか、何が考えられねばならないのか、明瞭なことは何もない。それでも、日々、「考えねばならない」と決め込み、ぶつぶつとそれだけを呟く。繰り返し、繰り返し、繰り返し、…。無意味、徒労、不毛。
 
それでも、やはり、考えるほかないと思う。なぜか。答えにはならないと思うがひとつふたつ思い当たることがある。
ひとつは、これまでもずっと考えることをして生きてきたからだ。考えることは生きることに伴うものであった。そうである以上自分にとって考えることは生きることそのものを指しているように思える。考えること、それはつまり生の場を少しばかり考えるというところにシフトしようとする意図を含んでいる。さらに、それはつまり生きるために食うという場所からのわずかなシフト変更なのだ。老いるということ、老いて生きるということに自覚的たろうとすると、密かにこういうシフト変更が必要と感じられる。
もう一つ。こうしたことに関連するが、人が老いることに関して社会は冷淡であるか無関心である。すると、定年などを迎えて自らの老いを自覚することを迫られる個々人は、幾分か「老兵はただ消え去るのみ」という心境を強要されていくことになる。もちろんこの世界からの様々であり得るそうした撤退のドラマは、個人によって急激である場合もあれば撤退とは見えないとても緩やかな場合もあるには違いない。だがその「時」は人によって千差万別であっても、いずれ誰にでもその時期は訪れる。
これはホントは理不尽なことではないのか。
唯一、「撤退」などとは無縁のところのもの。それは「考える」というところに見いだされるのではあるまいか。もちろん老いたるものの戯言に耳を傾ける奇特な社会などは存在しないのかもしれぬ。だが、「知恵」としてならばこの社会の外縁に社会を支え助けるようにあり続けることができるのではないか。その「知恵」が有用か無用かなどは誰にも分からない。また有用か無用かが大事なわけではない。大事なことは、わたしたちの生存がもしかするとそうであるように、人間の悲喜を緩和もしくは増幅する鎖の一個のパーツのように、現在そして未来の世界に向かってわたしたちの考えが隣人のそれに寄り添うようにあり続けることが何事かなのだ。
 
考えること。自問自答を耐え続けること。単に外在する蓄積された知のコピーアンドペーストではないこと。人間を、超えて、行くこと。
2015/05/20
 
 
私的老人論
 
折り合いがつかずに居たたまれなくなったときに、静かにその場所から抜け出ることしかできなかった。それが自分も周囲をも救う道だと思った。黙って犠牲になることもいやだったし、かといって自分を押し広げて周囲の領域を侵犯したり変更させる結果になることにも抵抗があった。宙づりの自分の領域に不在を置いて、ただ消え去ることがよいことだという気がしたのだ。
その時からそれまでの一切の関係は変貌した。ぼくに結びつく一切の関係の糸の両端は、不在であるときには存在し、存在するときには存在しないものになった。それからぼくはずっとねじ曲げられた次元の中に生きてきた。
 
歴史とか伝統とかの中でぼくは限りなく透明に近い半透明の姿でつながれている。つながれているかのように存在しているが、つないだ糸には「意味」と「価値」とが抜けている。ぼくは自由なのだが、時にそれは最も恐ろしい深淵となる。ぼくは何食わぬ顔で、何食わぬ顔で、顔をなくした。
 
ぼくは何者なのか。無意識へと撤退した場所で虚空に現実と呼ばれるものを見上げている。するとぼくはいつの間にか内蔵を露出させ、めくれた知覚過敏の心に現実に飛び交う散弾のような言語を被弾しながら歩かねばならなかったのだ。そんな生存の仕方があり得るのかどうか。
 
ぼくは生き直そうとした。意味と価値の世界に。
身と魂とを焼き尽くした。
焼き尽くしたときに初めて人と人との関係の世界に足を踏み入れた。関係に耐え、関係が招き寄せる荷重に耐えた。つまり生存との折り合いをつけたのだ。つかの間、関係の糸を太く育てて見せた。本当ならそのままの姿で埋もれるべきだったかもしれない。
 
どう言えばよいのだろう。自分は宿命にあらがい続けてきて、目に見える姿形としては社会人としての義務を果たし、また自分を解放するかのように表層に生きてみせた。そこらがたぶんぼくの善意の辿り着いた限界値だ。これ以上はどうすることもできない。
 
 
おまえはもう死んでいる。
そうだ。ぼくはもう死んでいる。
そういう場所が、この世界には残っているような気がする。生きているのに死んでいるような。死んでいるのに生きているような。そんな世界が。
 
告白しよう。ぼくはかつてない目で、いまを生きはじめている。
2015/06/02
 
 
言葉が消え去るところから始まる
 
一冊の本のために、言葉が書き連ねられることは、言葉にとって不幸なことだ。その本が、誰かの手に開かれて、読み終えられてしまうことも不幸なことだ。この二つの不幸に覗われるのは、言ってしまえばヒトの愚かさだ。
 
夢はいつもあの日の出来事を繰り返す。つまり、ふりそそぐ眼差しは「いつもそばに居るよ」と語っていたのに、つと見上げると、雲に隠れた日差しのようにどこを探しても見当たらない。胎児は記憶する。「どこに行ったの?」。「一緒に居るって言ったのに、嘘なの?」。
 
わたしたちが心の中に分け入って、文字にする言葉を訪ね歩いたり、本の中に文字になった言葉を読み解こうとする衝動の元になっているのは、その時の胎児の体験と記憶である。
 
言葉以前の言葉を言葉によって表そうとすると一冊の本になる。言葉以前の言葉を言葉によって理解しようとすると、一冊の本が読まれることになる。一冊の本を書くことも読むことも、ただヒトが生まれてから老いて死ぬまでの生涯のように、言葉以前の言葉の記憶から遠ざかっていくだけなのだ。
 
一冊の本は、胎児のする不可解の記憶から書かれ、そして読まれるのだといっていい。時に、そこに、胎児の涙が、形になって流れるときがある。その時わたしたちは合点するはずである。言葉が消え去るところから始まるのであることを。
2015/07/18
 
 
幼児期及び児童期そして家族をめぐって
 
目を開けたらいつも視野いっぱいに広がる乳房。ふっくらと緩やかな曲線に触れる目と指先。眠りの時を除いて、365日のまた四六時中母が体現する全世界に浸っている。そしてとりあえずの未明の歴史を通過する。次に母の肩越しに母ではないものを見る。幼児期の始まりは家族の始まりでもある。
 
軒遊びを過ぎるころに、幼児期すなわち家族期(主に家族内生活が中心の時期)は新たな局面を迎える。母のまなざし、家族のまなざしの届かぬところへ、好奇心に駆られて歩を進めていく。きびだんごを持たされる桃太郎のように、母や家族からは「ことば」をはじめとして、現在までの歴史的累積性の全てが無意識の形で伝達されていると見ることが出来る。それは生涯に渡って引きずられていくことになるのだが、さしあたって親族や氏族、せいぜいが小さな部族単位のところまで拡張されて、そこまでにおいて緩やかに自己形成されていくことが望ましい。
 
問題はどこまでを幼児期として考えられなければならないかだ。家族世界内に留まっていることを幼児期と考えるか否か。あるいは地域内に行動範囲を広げて、そこまでを幼児期とするか否か。以前は発達区分というようなものはなくて、一人一人の発達の程度や状況に応じて大人の仲間入りをしたり、しなかったりしていた。
 
現在でも、母を通過し家族を通過することは必須とされている。そこから先、以前には地域社会を通過し、やっと一人前になることが出来たのである。それぞれが個人に何をもたらすものであったかは別として、通過の過程で身につくものはあった。それが即自然な成長、発達の過程そのものであった。
 
遊びの面だけを切り取っていえば、乳幼児から幼児期までは内遊びから軒遊びまでの時期に当たり、次なる外遊びは範囲の拡張ということから当然の成り行きというものである。そうすると、遊びの面からは幼児期の延長というようにも考えられるし、外遊びを持って次のステップに入ったと考えることも出来る。その命名はどうでもよい。どうでもよいが、外遊びがメインとなる時期であることは忘れてはならないと思える。それを切断して児童期と名付け、知識や技術、道徳などを早期に詰め込むことは大いなる錯誤というべきだ。それがいかに錯誤であるかは現在の義務教育課程における混乱ぶりを眺めれば足りる。本当はそこに、国家規模の共同体の作為が挿入されてはいけないのではないか。
 
近代国家成立以前、人類史上最も人間的かつ最高度の共同性の形態は家族形態であった。国家といえどもその権力の上位には必ず家族が切り離されずに存在した。それは家族の中の家族、言い換えれば最高位の家族と言ってよく、さらに言い換えれば家族は人間の創り出した共同性の中で最も普遍性を持ちうる形態と言える。しかし、近代国家成立してから後、新たな枠組みの中で家族形態は権力の座から後退し、それとともにすべての家族は国家に従属するものとなった。共同体の中央権力の行使に際し、家族視線の影響は次第に認められなくなっていったのだ。
 
人間が努力して獲得できる共同性の最高傑作としての家族は陳腐なものになった。それはいつも上位の共同体から侵害され、修正や矯正を加えられ、支配されるものに過ぎない。家族は社会の中に威厳と誇りを持って屹立するものではなくなり、その動揺と揺動は家族そのものを解体の瀬戸際にまで運んで行き、子どもたちは家族を意味あるものと感じられなくなって来たと言っていい。家族の動揺や揺動は子どもたちの無意識の中に転写され、それは子どもたちの言動の核にあってあたかも言動がそのまま動揺や揺動の放射であるかのように現象している。
 
少しずつ見えてきてはいるのだ。幻想の中から、幻想の中で、幼児期、児童期と区分される子ども期を救抜すること。そのために幻想の家族共同性を再構築していくこと。西洋的な統合方法の誤りを糺すということ。
2015/12/30
 
 
人間的な生と死について
 
植物を見よ。それはわたしたちの腸管の裏返った裸の姿である。大気の中に寂しく孤立し、また無言を貫いている。そして温度や湿度、光や影、水や大気の反応に感応し、つまりは45億年ともいわれる地球年令とともにひたすらに「食と性」を繰り返し、わずかに遺伝子情報の書き換えといった程度のことを進めてきた。
 
動物及び動物としての人間は、この植物を内蔵し、体壁の活動をもってあちこちに移動していくものだ。植物の変形である内臓に刻印されてある「食と性」の求めに応じて、動物的な活動は促進され、また制約されていると言っていい。
 
人間において、この植物と動物、つまり内臓と体壁とは言葉に結実し、言葉の価値と意味とに生物学的な根拠を与えている。言葉の価値は意味に先立ち、言葉を獲得する前の赤ん坊の身もだえ、または口元を動かす意思表示にそれを読み取ることが出来る。その後の赤ん坊の指差しは意味形成を暗示し、これによって言葉の獲得は時間の問題となりほぼその基礎は出来上がる。
 
価値のおおもとは内臓に起因し、その本質は生命表出にある。意味のおおもとは体壁に起因し、その本質は情報の共有を目的とした表出にある。価値は根幹を形成し、意味は発展や拡張を担う。
 
沈黙は価値行動である。また言葉以前の、つまり非言語の心の状態は価値に満たされている。生物にとっての生命現象を食と性に代表させて考えることが出来るように、人間の場合はこれに言語の活動を加えることが出来る。生命としての人間はだから食と性と言語の活動を特性とする。言語は人間の生命線であり、心もまた人間にとっての命である。だから臓器としての心臓死や脳死を待つまでもなく、死は生体にも内在することが出来る。死は現在に蔓延すると考えても、あながち誤謬とは言い切れないかも知れない。
2016/01/17
 
 
言葉の返上
 
わたしたちは遡る。たとえば人の本性は獣で、獣の本性は草木で、草木の本性は石塊や土や岩や、であるというように。するとそれは草木のように移動を止め、ただ呼吸するだけのものとなり、呼吸という動きさえ止めた状態にまで行き着こうということになる。
 
ある時期に、そんな病的な遡行が流行した。そこではだから、生の本質は死であると解され、本質的に生きるということは死ぬことであると曲解された。これは日本的な思考の極限に達したひとつの考え方だと見ることが出来る。
つまり、本当に人らしく生きるということ、人間的な純粋な生き方、生というものを希求するところに、死の姿を見いだした。生きるために早く死にたいという倒錯が、当時の知の水準の頂に上りつめたと言える。
 
知は易々と錯誤を越えていくことが出来る。この知の過ちに気付いた時、知は知によって知を超えねばならなかった。知によってする知の倒錯からの脱出。それは遡ることからの逆行を意味する。ありていに言えば、石塊や草木や獣にはないもので人だけに付随するもの。先人はそれを苦の感受と見て、苦をもたらす煩悩こそが人の本性と暴いた。
 
それまで人が行ったであろう全ての善事や悪事、あるいは様々に表れた人間社会の一切を煩悩と契機が織りなす文様と見た。あっ、ああ。
あれから千年、人界には南無阿弥陀仏の声だけが響き渡った。
2016/03/17
 
 
物語ることと終わること
 
一人ひとりの物語を批評しない。一人ひとりの物語とすれ違わない。ぼくの糸はそういうところにないことだけはたしかだから、架空の糸を架空の場所から取り出して撚り合わせて作る。縦の糸を撚り合わせる。横の糸を撚り合わせる。縦糸と横糸を交互に手作業で織り込んでいく。こうしてぼくだけの完結しない織物を織り込んでいく。完結しない物語を完結しない生涯のように、ただ縦糸と横糸とを織り込んで紡ぎ出していく。ひとつ織り込んで何も変わらない。2つ織り込んで何も変わらない。変わろうが変わるまいが俺の知ったことかとうそぶいてまたひとつ織り込む。
 
ひと(ヒト)としての自分が織り上げるのだから、言葉になるのかと思ったら言葉にならなかった。芸術になるのかと思ったら芸術にならなかった。暗闇の片隅で、アメーバ様のものがかすかに笑っていた。なるほど、完成すれば天真爛漫な笑いに変容するに違いないが、織り込んでいる途中はむごたらしい色合い、寂寥を超えて猥雑になった草木のざわめき。中身が失われたひょうたん物語。
 
委細かまわず手当たり次第に織り込んでいく。言葉以前の言葉、こころ以前のこころ。呼吸以前の呼吸。
物語はすぐに終わる。ぼくの物語は読む前に終わる。1ページ目を開いたところで全てがかすかな風とともにたち消える。その先には書かれなかった歴史のような白紙がどこまでも綴られているだけだ。
完結しない物語が終わったところで、ぼくはそこからたくさんの彩りを探しに出かける。2016/05/18
 
 
「家族」その理想
 
長く生きてみるとこの世界にはただひとつだけ理想と呼べる立ち位置のあることが分かる
 
ただのひとりの人間が
男であるか女であるかには関係なく
富めるものであるか貧しきものであるか
偉人であるか凡人であるか
あるいは悪人か善人かの有り様に関わりなくそこに辿り着けたらという
究極の場所がただひとつだけ
存在する
 
人間らしさの集約する場所
愛とか信とか
情とか理性とかが
銀河系のように漂い浮かんでいる場所
 
あらゆる願望や逃亡や反抗や拒絶の
その先にあるもの
 
つまり君という存在にまつわる
すべての「関係」が
形となって現れたものがそこに浮上する
言葉として「家族」と呼ばれるそれは
わたしたち万人が構築しうる唯一の共同性である
全世界とどのように折り合いを付けているか
どのように折り合おうと願っているか
言ってみればそれは
先人のイーハトーブの住人の
「芸術」の概念を具現するものとなる
 
「生活」という大海原に漂い
息絶え絶えの中で君が望んでいるもの
君の手が虚空に掴もうとするもの
 
ああ すべてはこれからの歩みである
2016/07/09
 
 
 
かけがえのないものほど簡単に崩れる
かけがえのないものほど
ありきたりなものと錯覚される
擦れあった皮膚の摩擦が忌避するもの
自分の世界だと見紛うほどに至近のもの
皮膚を引きはがすように
消してしまいたいと望まれるもの
けれども
それはすべて行きがけの行程に生ずる感覚や感情である
 
「遠くまで行くんだ」といった時の遠くまでとは
実はもっともっと遙かな彼方だったのだ
 
あらゆる問答が意味をなさず形骸と化してしまうほどの彼方から啓示としてやってくる
 
「温かな家は大切だ」
 
具現化する愛や善意や人間力と呼ばれるようなものが集約する場所
個が個を逸脱しないで
個の総合を発揮できる場所
創造的な関係を構築できる場所が唯一「家」なのだ
他を圧しない共同性であるともに
どこまでも深くひろく
限界を超えて温もりを可能とする場所
仲がいいという概念を実証できる時空
たぶん「家」は
それらを現実化しうる唯一無二の場所だ
2016/07/17
 
 
家族
 
個としての人間が社会に繋がる生き方を目指す時に
全ての試練は家族という形の中に結晶化する
理想とするきみの愛の指先も
降り注ぐまなざしの温度も
そこではきみの意として
家族の姿形となって表れる
 
けれども無残にか陰惨にか
あるいは形骸だけのようにか
家族は変形する
床がきしみ
壁紙が色あせるように
家族の中の関係も劣化と疲弊に見舞われる
そのたびにきみは整理と清掃と
こまごまとした修復に追われ
いつしかガラス戸の隙間から
労苦という思いも忍び寄ってくる
 
あらゆる善意を擲ちたい思いと
全ての悪意を断ちきりたい思いとが交錯する中で
台所の流しに溢れるように乱雑に放置された食器を前に
きみはキッチンの椅子にへたれ込む
そして肩を落として考え込む
 
(大方の予想に反して)
命は動くものだときみは考えてみる
皿を洗い鍋を磨く
そのように配偶者と子どものために
命は彼らのために望むところに添って動いていけばいいだけのことなのだ
 
きみがどのように生きたのか
きみが生きることをどのように考えるのか
家族というひとつの小さな共同性の中に
全ては込められる
2016/07/17
 
 
遺言
 
歩いているとひとりでに集落の外れまで辿り着いていた。集落の外は観念の他界に繋がっていて、小さな丘や山間や谷間に鬱蒼と草木が生い茂り、暗闇の中に荒涼とした空気が漂っている。それからはもう、歩くたびに町の外れ、団地の外れ、工場の外れ、繁華街の外れ、耕作地の外れ、人家の外れなど、身体が可動できる範囲のぎりぎりの境界に立ち、他界を目に焼き付けることが癖になった。
 
言葉に甘えようとした。言葉は呟くことによってひとつの現実を創造し、言葉は書かれることによってあたかも現実のことであるかのように機能する。だがそれは、本当にそうなのだろうか。
 
夕暮れなのか終末なのか、漠然と思惟は、見慣れたただそれだけの視界の中に融けて流れ出ようとする。
 
もう帰ってしまいたい。
 
たくさんの人たちと、人間ごとの世界でああでもないこうでもないと論じ合い、反目し合い、傷つき、傷つけ、引きずったり断ち切ったり、おののいたり怒りに青ざめたり、笑ったりあきらめたり。突き動かされて。
 
生きるとはどう考えてもね、先輩筋である他の生き物をお手本にする以外にないじゃないですか。近代西欧に収まらないのです。そこをどこに向かってどのように超えていくのか。そこだけはまだ考えるに値するし、心的世界を内在させたわたしたち人間の背負うに値する課題であるとは思っているのです。
2016/08/21
 
 
心的な世界の考古学その1
 
 小さいころに極端な恐がりだった。覚えているのは、いつもトイレにひとりで入ることができなくて、母親を呼んで扉の外に控えてもらっていたことだ。それはたぶん夜であることがほとんどであったと思うが、日中はひとりで用を済ませることができていたかというとどうもそのあたりは定かではない。母に応援(?)を頼めないときは、兄や妹に声をかけて、できるだけついてもらうようにした。どうしてもひとりで入る以外にないときは、とにかく大声で歌を唱うなど声を出して用を足した。昼夜を問わず、しーんとする瞬間に自分ひとりが向き合う、立ち会うということがとても怖いことだった。
 このことはけっこう自分にとっては深刻なことで、小心とか恐怖心とかということでは長い間心から去らずに、どうして自分はそうなのかと気にかけ続ける対象であった。その頃は何とか克服したいと考えていて、しかし、思うようには簡単に克服できなかったと記憶している。心理学や身体、あるいは脳の生理学といったいろいろな方面からのさまざまな解釈はあり得るのだろうが、しかし、そうした知の働きでもって恐がりそのものを解消できるものとは思えない。
 還暦を超えた今、当時の恐怖心の生々しさは幾分かは記憶の中で和らいでいる。とはいえ、すっかり忘却しているというわけでもない。生活上の実体験として、今、夜の暗がりや闇に恐怖心を持つということはほとんどない。逆に、当時の生々しさを懐かしく感じるほどだ。
 
 あんなにもその頃は克服したくてたまらなかったことが、それが薄れたりほとんど無くなった今となれば、何かしら自分が生き生きと生きた時代の象徴であるかのようにおもわれるから不思議だ。今思うと、何かが豊かだったのだ。それは何なのだろうか。
 狭い視野の中に判然としない暗がりの部分が大部を占めていた。その世界は単純で、世界の全体がまた狭小なものでもある。けれども、狭小なのは「思」の面で切り取るとそうなのであって、これを「感」の面でとらえて反転してみると、それは広大で豊かなひろがりをもった世界に変貌しそうなのだ。ここで「変貌しそうだ」というのは、現在その世界を生々しく実感できないからそう言うのだが、ここでひとつ言えそうなことは、世界はそこに、変わらずに在るということだ。
 
 わたしたちはこれまで、自分や人間の成長過程を、進歩や発展の過程と見なして考えてきた。それはひとつの揺るぎない真であるような気がする。しかし、真がひとつでなければならないという理由は無い。つまり、成長の過程が時間軸を縦に見ての進歩や発展の過程ではなくて、空間軸を媒介に、たんに位相や重力場の変更として、言い換えればそれを単なる変化の過程としてみることができるのではないかと思うのである。
 これは分かりやすく単純な図式にしてみれば、感覚と思考とを両極に置き、わたしたちの生涯はただその間を移行するものだというように見なすことだと言うことができる。感覚と思考に差異はあっても優劣はない。同じ世界をより感覚的に受け取るか、思考という働きで受け取るかの違いがあるだけだ。世界は変わらず、同じものが目の前にある。この場合、年齢による時間的な積み重ねは、一般的に言えば比重が思考のほうに移行していくことを意味している。けれどもこれは少しも価値の概念に結びつくものではない。また必ずしも感覚から思考へと一方向に変更したり移行して行くものとも思われない。もちろん時々に割合は変化するものの、全体としては少しずつ思考の割合が勝るように移行するとは言えそうに思う。 
 
 わたしたちが環界を環界として受け取る仕方は、おそらくはっ老若男女を問わず一定である。またそれは他の動植物とも差異はないはずである。なぜなら環界は環界として差異はなく、生命的なものはその環界をすべて、丸ごと、一挙に、受け入れるするはずだからである。ただ一身(一心)に環界を受けとめながら、受容の切り口とでもいうべきものだけは違っている。
 
 わたしたちは幼いころに闇を恐怖として受感した仕方を、単に迷妄として嗤うことはできない。それは世界とか環界という言葉で指し示すものを把握する仕方の、ひとつの方法、戦略であるからだ。そういう仕方で世界を把握しているということだ。それは一挙に、そういう仕方で世界をつかむ。
 老年になったわたしは、世界を恐怖という形でつかむことはしない。もしもそれを恐怖に代わる言葉で表そうとすれば、不可解という言葉がぴったりするように思われる。それは暗がりや闇といったイメージを喚起しない。それよりも白くぼんやりとした靄とか霧とかのイメージが喚起されてくる。
 
 恐怖にしても不可解にしても、どこかその世界観は狭苦しい。内側に向かって視野を狭めてくるもののようだ。
2017/03/04