静かな日々(日記風)
 
 
2018/02/04
(だいぶ以前から律儀に毎年風邪を引き、仕事から帰っては床に伏しということを何日かくり返す。自分の中では倒れる限界が分からなくて、仕事を休んだ時はズル休みをしたような気分になる。ズル休みかそうでないか、そこの区別がホントははっきり出来ない。もちろん故意に、ズル休みしようと意識して休んだ時もあるが、案外こんなところで休んで休息することが標準ではないかと考えたりもした。いずれにしても、ぼくのように考えたりせずに、変調を来したらあっさりと休めるような環境になった方がいいと思う。)
 
近頃は風邪も重たく感ぜらる
誕生日ゆえ明日には治れ
 
恒例の行事の如き風邪引きは
「主人」のごとく遇されにけり
 
 
2018/02/03
(昨日は夜警明け後に家に帰り、すぐに寝込んでダウン。追加の更新を考える余裕すらなかった。まあ仕方がない。まだ体力も気力も回復したとまでは言えないが、何とか起き上がることが出来、仕事にも行けそうだ。)
 
風邪ひどく1日半を寝続けて
こころに「辛い」が増幅する
 
 
2018/02/01
(喉の痛みと悪寒を抱え一日臥すが、好転しないまま出勤の時間。)
 
呼吸さえ面倒になる風邪の今日
足手まといの新入り迎う
 
 
2018/01/31
(まだまだ口まねしているだけで自分の言葉にならない。)
 
きみはきみの苦労の根源が
目の前の現実や
近親や近隣の人たちとから
なっていると考える
だがほんとうはそれだけではない
刷り込まれた物語の展開が
思うように行かない次元にさしかかり
きみの心はパニックに陥り
声にならない声として
内に向かって喚きちらしたり
呻吟するほかに手がなくなってしまう
つまりきみの内面の辛苦は
宿命的なものなのだ
これを克服し安寧を得るために
行きつ戻りつ
繰り返し繰り返し
きみは世界に働きかけ
押し戻され
少しずつ少しずつ折り合いのつけ方を学ぶ
きみにとって生きるとは
まさしくそうした過程を踏むことだと
言ってみることもできる
 
日々のルーチンの合間
ほんの少しの時間の透き間に
きみは立ち止まる
その時
労苦の重みと一緒に
きみは自分に向かって
慰安の視線を差し向ける
その一瞬のふとした弾みに
もしかすると
全ての存在はそのように存在している
のではないか
ときみは考えをめぐらし
束の間の安堵と休息を
手にできるかもしれない
きみは徐々に
世界に向かって
やさしい眼差しを注ぎ始める
かもしれない
 
 
2018/01/30
(「たいていの人は心のなかでそうとう苦労している」。)
 
目覚める時にすり込まれ
宿命として受け継ぐ
こころには不可解な物語が
埋め込まれるのだが
さらに無意識の奥へと
しまい込まれてしまう
 
飛翔と落下の夢
蛇の欲望に追われる時
原罪の鎖に繋がれ
もうきみの行く手には
何処まで行っても渇いた咆哮
の涙しか
ありはしないのだ
 
痛ましい孤独により
痛ましい孤独の彷徨が待ち受け
とある日きみは
痛ましい孤独のど真ん中に向かって
歩み始める
 
 
2018/01/29
(倫理の痩せ細りを体現してきただけかも。)
 
早くから感性の縊死
人道の
狭きに沿って細身に育つ
 
感性の異質に怯え
細々と
道なき道の踏破の惨き
 
乖離する宿命強く
抱きかかえ
春なき道の果てを歩まん
 
 
本当は岩木を生きる
ここちして
悠々たるも敢えて小心
 
どこかしら狂っていると
思う時
世の歯車も同じと見える
 
 
2018/01/28
(「これからだよ」って声がする。「真っ暗闇だぜ」。)
 
唯一肉体をテリトリーとして
生きるきみは晒されて
時間の中へと逃げ込む
着飾る知識や
ひとりよがりの金や
忖度された地位や名誉や
一切の現世的な利から
遠ざかり
了解や関係づけの
初源について考察する
そんなふうに
きみの精神は
時間の中で対話し続けたが
きみの肉体は
何処までも賑やかな街の
群衆の中の一人であることを
拒絶することが出来ない
きみは自己について
あるいは自己の由緒について
全て氷のように
疑問を融かすことが出来たとして
さてそれからあとは
一人の市井の人として
廃屋のようにやせ細った暮らしを
立て直さなければならない
そのために
やさしい小さな群れの中に
還って行かなければならない
 
 
2018/01/27
(テレビの「プレバト」のお題を借りて練習。)
 
@「氷柱」のお題で一句
 
清しくも
脆き氷柱の
ごとき恋
 
A「節分」を題に3句
 
「鬼は外」
付き合い程度の
2度3度
 
大まじめ
鬼面の父に
豆打つ子
 
「福は内」
福の何かを
知らぬ子も
 
 
2018/01/26
(もっと深く悲しみ、もっと強く苦しむというようなことは、こころの可塑性から考えれば存外難しくないのかも、と思う今日。)
 
悲しみが湧いて出てくる
川底に
横たえる目の終日ゆらり
 
光失せ水垢に覆われた鏡の目の
「これからだよ」と声ならぬ声
 
 
2018/01/25
(豪雪地帯では毎日の雪かき、雪下ろしに忙しく、ぼくが地元民ならミサイルからの避難訓練など軽薄に思うだろう。戦争ごっこをするくらいなら、本物の自然との戦いを手伝ってくれと言うだろう。だがここで言いたいことはそんなことではなく、この国の先人の偉大な精神についてだ。欧米とはまた別に、なかなかに深く広く、そしてどっしりと重い。)
 
悲喜苦楽
音無く招き
積もる雪
 
降雪の
ミサイル耐えた
人・村
 
畏ろしく
耐えたる人の
口重し
 
豪雪を
忍びし後の
春は無二ゆえ
 
 
2018/01/24
(今日は勤務先の高校の入学試験日。会場に車で送ってきた親も送られる側の子も、どこか不安げな面持ちに見えた。)
 
受験生送る車を誘導す
今年一番冷え込むこの日
 
受験などあほらしき事と思えど
当事者たちはそうは思わず
 
 
2018/01/23
(老々同伴。)
 
暦の上では
遠い先のことと分かっているのに
一日の中で何度も
「春はまだか」と
こころに呼び出してみている
 
傍らを歩く先輩が
「まだ甘い」と口にする
『そんなことは言われなくても分かっていますよ』
それはその通りで
もちろんみんな分かっていることだ
「そうなんでしょうね」
なんて相づちを打ちながら
ずっと冬の吹きっさらし
若しくは
ぼくとは別のぼくの作った
稜線の上を歩いてきたぼくは
みんなの世界の視線からは見えないはずだ
それでも「早く春が」とぼくが言えば
先輩は「そうだねえ」
「待ち遠しいねえ」と返してくる
先輩も先輩にとっての冬を
歩き続けてきたのかも知れない
 
 
2018/01/22
(一言でいうと、「やるせない」。)
 
学舎を捨てて捨て得ぬ心地なら
法師こころに住むというべし
 
出家から世捨てにいたる諸々の
形を変えて今の世にある
 
詩心無き法師といえど
太古より
畏敬で迎う情の民あり
 
道迷う浮浪のこころ友として
この世に問うて退いてゆく君
 
 
2018/01/21
(成熟なんて、ぼくには縁がなさそうに思える。でも、少しも嫌なことではない。)
 
老眼や
言葉の意味も
ふらついて
 
頼りなき
この細道を
寂々と
 
願わくは
真冬の白き
雪の下
 
道迷い
末路の近き
吹雪かな
 
 
2018/01/20
(塩漬けになっているからといって死んだわけではない。なあ、ドラゴン。)
 
言葉の出処は
大洋に浮かぶ孤島になった
すると詩は
深海の底でもっと孤独になる
その詩を呼吸する魚たちの心は真空の泡の中で
次々と表層に上ってゆき
水面で割れてしまう
それは魚たちが考えるよりは
悲しい出来事ではないはずだ
長い時間の後で
大洋にはきっと潮風のような
詩が匂い立つ
 
 
2018/01/19
(門を開けた後に、高校、大学の各棟を解錠して歩く。一連の作業を終えると、ぼくひとりコンビニに出かけ、空を見上げながらコーヒーを飲み、タバコを吸う。)
 
霜柱
サクサクと踏み
朝巡回
 
冬夜明け
カラスも鳴かず
飛びにけり
 
 
2018/01/18
(毎朝4時に校門を開ける。配送車はすでに門前に待機して、我々が開けるのを待っている。ちょっとしたプレッシャーだ。)
 
配送が
待つ朝の門
4時解錠
 
鍵穴の
凍るを溶かす
チャッカマン
 
 
2018/01/17
(精神はまだまだ長い階梯の途上にあるが、そろそろ引き返す時期か。)
 
ヨチヨチ
モタモタ
バタバタしたり
時には
スタスタ
スイスイ
ツカツカなんて
風切ることもあった
 
この頃はもっぱら
トボトボや
ヨタヨタや
ユラユラを
くり返している
 
螺旋階段は
どこからか
下り始めていた
 
 
2018/01/16
(忘れてしまえるなら、初めから記憶としてとどめておく必要は何処にも無いさ。)
 
 宮城内陸地震、阪神・淡路大震災、そして今度の東日本の大震災でも、ぼくはちょっとした時期の違いや場所の違いで大きな被害を受けることがなかった。宮城内陸地震の時は大阪に住み、阪神・淡路大震災の時には大阪での仕事を辞めて宮城に戻った直後のことだった。今度の東日本の大震災では地震に揺れる家にいて、倒壊の下敷きになるかと覚悟したが何とか免れた。沿岸の地域は周知のように未曾有の大津波に襲われ、多くの人命を海底へと呑み込んだ。
 振り返れば、70年代の学生運動が盛んな時にもぼくは周辺に位置していて、うねりの波に丸ごと呑み込まれたというようにはならなかった。だが、周辺から中心部の様を目撃し、以来今日まで自分の目にしたことを納得できるように反芻し続けた。もちろん元来の怠惰や無知などが重なって、はっきりと納得できるまでには到っていない。
 ぼくは気取った言い方をすれば、いつも惨劇からちょっとずれたところにいて、真っ向から被害を受けとめることがなかったことに負い目を感じている。いや、負い目とは少し違うのだが・・・。
 いずれにしても、草を食む牛のようにぼくは反芻する。体験はなかなか消化しきれないということもあるが、ぼくは消化するのにひとよりも余計時間がかかるということもあるのかもしれない。それで、いつだってぼくは置いてけぼりにされてしまう。みんな何処へ行ったのかと気が気ではないが、それらの事象はぼくを捉えて放さない。
 
 
2018/01/15
(震災記念などわけが分からぬ。)
 
記念日や記念碑などで
ぼくたちの
苦きこころを潜れるものか
 
心的な無限の問いを回避して
碑にしてすます利便打ちたし
 
 
2018/01/14
(1句と歌4つ。)
 
@
 
年長けて
マイナス5度に
勤む夜々
 
A
 
そこかしこペットにそそぐ眼差しの
内交流に立ち戻り行く
 
ペット連れ言葉以前に戯れし
老いも若きも闇(病み)抱えてか
 
欠損を埋めるかのごと誰彼と
ペットを介しさて何望む
 
自然から遠く離れて来すぎたか
言葉以前にペットと還る
 
 
2018/01/13
(まんま、です。気分はお天気しだいというところもあります。)
 
雪晴れや
林にからむ
雲ひとつ
 
雪山に
神の遊べる
明かる朝
 
雪晴れや
こころの雲も
何処かへ
 
 
2018/01/12
(練習のつもりの作。)
 
湯煙にことば少なき紅の頬
 
雪の夜に埋もれる如きモズの恋
 
 
2018/01/11
(ただ寒いというだけで、同じ仕事内容なのに疲れ方が違う。適応しようとする身体のメカニズムがエネルギーを消費するからだろうか。あるいは、気の持ちようか。)
 
雪雲を心に抱え街明かり
 
屋根雪の暗きを破り朝ぼらけ
 
しんしんと静寂も雪も夜もひとつ
 
 
2018/01/10
(膠着状態でどうしようも無いと思われる時には、心に風を。)
 
「恋と革命」に生きなさいなんて
久しぶりに聞いた
テレビの中の寂聴節はさらに
「不倫がないと小説が成り立たない」と続く
いやいや婆さんたちは元気だ
 
「地獄を生きなさい」
「地獄に生きることを楽しみなさい」
ぼくは寂聴さんの言葉を
そんなふうに翻訳してみた
恋も不倫も革命も
いずれ現実の生活過程に生じる何かで
苦悩への入り口と言えないこともない
けれどもやっぱり
若いうちはそれでいいんだろう
 
清浄な場所
たとえば浄土や天国ばかり夢見ても
地獄に生きないと
ほんとうは夢見ることさえできないのかも知れない
「苦悩の旧里は捨てがたい」ものだし
ぼくらもいましばらくは
この「苦悩の旧里」に身を置いて
地獄もまた楽し
という境地を悟るところまで
とぼとぼと歩いて行こう
 
 
2018/01/09
(座右の銘と言ってもいいくらい(^_^)。「心の向きはすぐ変える」。)
 
あっさりと
迷いをぬぐう
拙き句
 
詩が書けず
書かずにすまし
事もなし
 
受け取らず
差し出しもせぬ
歩みかな
 
 
2018/01/08
(「理念的に正しいことをいうのはやさしい。ちょっとでも知識・教養があればできる」。だが自分では出来もしないし、やれもしない正しさなんて思想的には意味が無い。)
 
思い込み思い違いが満載の
ひとの暮らしをなお送るべし
 
世界を震撼さすまで
行き着く「個」
メルトダウンの威力凄まじ
 
 
2018/01/07
(他人が理解できない、とは太宰が小説に込めた叫びであり最終の言葉であった。さてその上でどのように折り合うかは、それぞれがそれぞれに努めているところのものであろう。わたしの中では、ここで「母と子の物語」が浮上してくる。言い換えると、内コミュニケーションの能力がみな違うということに直面する。つまり、人と人との関係は思い込みと思い違いが満載で成り立っていると言うこともできよう。先人の知恵は、そこから敢えて目をそらすことで共同性を保った。これは個の封じ込めのようにも映るがそれ以外の仕方では親和性を構築できなかったのでもあろう。このことは喫緊の課題でもあり得るし、永遠の課題だと言うこともできる。素直に言えばわたしにはまだよく分からない。愛憎、また恋愛や破局などの成り立ちが、だ。)
 
それぞれに思うところのあればこそ
小さき溝を谷と見紛う
 
時々に「阿吽」もあれば
「あ」と「うん」の
分裂もあるやっかいな「差異」
 
 
2018/01/06
(言葉のない時代に人同士のコミュニケーションが無かったかといえば、あったろうと思う。また、年を重ねて、いちいち言葉にして物を言うことが煩わしく感じられる時がある。言葉の未来は、言葉以前に循環していくような気もする。)
 
「あわわわ」で
したり顔する
赤子かな
 
こうなれば
「あわわ」に託し
すれ違う
 
産道で
言葉以前の
行き帰り
 
 
2018/01/05
(正月だからか、いつにもまして夜明け前の闇は深く静かで、まるで地球の全ての命が眠りについているようであった。新年2回目の夜警の朝のこと。新聞配達のバイクの音も、あるいはその他の、いつもなら聞こえてくる生活音も聞こえなかった。)
 
闇深く宇宙を繋ぐ
夜明け前
静寂の底に寝入る命等
 
 
2018/01/04
(昨夜は雪が舞ったが、今日は朝から太陽が出て、午前中、机に向かいながらのんびりとしている。穏やかである。こんな日があるから世界は捨てがたい。)
 
日を浴びて屋根落つ雪の
音ドスン
しばしの視線文字から離る
 
きらきらと霙のように
融けてゆく
光も時も束の間の顔
 
 
2018/01/03
(地獄も、苦悩の旧里も、現世の社会か。)
 
地獄こそ住処と定め
捨てがたき苦悩の旧里
今日も歩める
 
 
2018/01/02
(年初の抱負に代えて。)
 
人生百年の時代なら
まだ三十年以上もある
その年月は
働きながら物を書き
物を書きながら働いて
ひたすら無口に過ごす
剰余の時間は
老いゆく過程の
観察に充てる
 
 
2018/01/01
(言葉は信頼に価するのだろうか。)
 
迎えた正月も上滑りする
言葉のようにただの名残
と化してしまう
 
父がいる時は
その背に触れる指先から
わずかにつなぎ止められていた
 
もう 遠慮も
配慮もなくしてしまい
風習からも慣習からも
あてにされない
わたしはただ
奴凧として空(くう)を舞う
 
これでいいのかと
無限の自問をくり返している
寂しさの冬
の顔を
誰にも見せられない
 
 
2017/12/31
(ただ、数打ちゃ当たるを頼りに、徒に手すさびをくり返した今年1年。同じ「今日」の今日も、何事もなく過ぎようとしている。)
 
貧しさは
中より下の
おらが春
 
雨風が
しのげるほどの
仮の庵
 
民の声
聞けるなら聞け
ロバの耳
 
せんかたも
無き年の暮れ
春寒き
 
「お正月」
籠もる呪的を
思い知り
 
「正月」に
言葉の呪性
思い知る
 
かけ声も
自棄くそ染みて
除夜の鐘
 
正月や
かけ声のみの
祝いかな
 
 
2017/12/30
(要するに、「中くらい」なんだろうか、今年の春。)
 
めでたさや
一茶は何と
呟くか
 
「中」ならばよし
届かぬは
いかがせん
 
おだやかに
白湯で年越す
心地かな
 
 
2017/12/29
(年末年始の風習は過半を超えて崩れつつあると聞く。)
 
彼の日から失念はなお広がりて
改まるたび世は地を離れ
 
混迷は静に深く潜行す
薄き仮装の賑わいの下
 
 
2017/12/28
(年の瀬押し迫るも、変わらず静かなる日々。伝統も風習も、半月に欠けたる月の如し。)
 
透明で且つグラフィカルな重なり
時空交えてカオス泡立つ
 
はじかれて飛沫の影かいちいちの
後追うきみのその時の仏
 
 
2017/12/27
(書いては羞恥し、ためらい、越えようとしてまた書き、書いてはまた羞恥する。)
 
寒冷化や温暖化
また春夏秋冬
深い闇の後には夜明けがやってきて
乾季や雨季
日照りから豪雪まで
自然のメカニズムは多彩である
 
人間の心は
そんな自然のメカニズムを受け継ぎ
ちょうどそれに見あった動き方をするものだ
いわば元の元はそれに違いない
 
少年が自殺する
 
ちょうど夜明け前の闇が
もっとも深いものであるように
少年の心も深い闇に閉ざされる
少年にはその時間が
永劫の時間のように感じられるかも知れないが
本当はそのすぐ後に夜明けがやってくる
労せずして夜明けはやってくる
だから少年の心の闇は深いのだが
けして剥がれることのない闇ではないのだ
 
少年は闇の深さにたじろぎ
怯えて恐怖したかも知れない
だが心のメカニズムから言えば
白々と夜が明けていく
その前の一瞬間の
通過儀礼的な体験に過ぎないのだとも言える
心を
自分のものと信じすぎてはいけない
雨は降るべくして降り
条件を満たすとやがて雨は上がる
心は内側を通過するものによって
いくらでも変転するものだ
 
少年よ
ぼくの心は届かぬだろうが
時に潔く
自分と自分の心とを捨ててはくれぬか
 
 
2017/12/26
(上辺の軽い言葉の羅列。しかし、深刻にまた真剣に考えたら決してこんな表現は出来ない。たまには軽口を叩くのも有りだと思い、敢えて。)
 
ぼくが市町村長なら
ゴミの分別をなくし
ゴミ袋を買わせたりしない
 
ぼくが総理大臣なら
徳政令みたいなことをしたり
たくさんお金のあるところから
これを拠出させて
年収の少ない個人や家庭に配る
 
ぼくが文部大臣なら
国立大学を全部つぶし
入試制度を廃止する
文部科学省もつぶす
 
こんな大ボラで
今年の締めくくりとすることは
痛恨の極みだが
明治や戦後の
外国人の手になる農地改革に匹敵する
根本的で大きな変革を起こせなければ
この国は夢も希望もない格差の
苦々しい十字架を背負うことになる
 
そうなったら取り返しがつかない
そうなってからでは
全てが遅い
 
 
22017/12/25
(もうずいぶん前になるが、ゴミの山が社会問題になり、テレビを通じて盛んに脅されたという記憶がある。さんざん脅された後には、結局は国民の義務が増えてそのまんま定着した。何か問題が起こるたびに国民の義務に転化されてきていて、国民の負担ばかり大きくなってきている気がする。行政サービスの名を借りて、政府が作る借金のために増税しなければならないなんてこともそうしたことの一環で、これからも何処まで膨れあがっていくのか分からない。)
 
節約から環境そしてリサイクルと
ぼくらは頭が上がらなくて
毎日せっせとゴミの分別にいそしむ
 
ゴミ袋を買い
ビンや缶を水道水で洗い流し
分別したものを
決まった曜日に指定場所に運ぶ
そこまでがぼくらの責任の分担
なんだそうだ
 
唯々諾々と文句も言えず
わずかかも知れないが
時間とお金を使って
ゴミの面倒を見てもらうことになっている
今どきの行政サービスってやつは
ちっともぼくら住民の
労力の解放にはなっていない
分担をただ嫌がるわけではないけれど
これって変ではないのだろうか
 
知らない間に
ぼくらは進んで従順になる
まるで飼い慣らされたペットのように
野生をなくしていく
みんながこれでいいなら
あえて波風立てないけれど
ぼくはゴミを分別するたびに
なんか変な具合になるなあ
 
それに住民同士
やたら監視なんかもしあってるし
 
 
017/12/24
(「いづくにもすまれずばただすまであらん柴の庵のしばしなる世に」西行。)
 
さようならは言わない
言わずに走り去る
 
『縁なき衆生よ』
と呟いて
足の塵を払う
 
けれどももう何処にも
逃げ込む場所がない
 
仕方がないので
縁なき衆生の中に
縁ありげな顔つきで暮らす
ぼくが「こんにちは」を口にする時
ほんとうは
「さようなら」を
告げていることになる
 
 
2017/12/23
(何が「救われず」なのかはっきりしないが、口をついて出たので。)
 
救われず
師走も残り
わずかなる
 
 
2017/12/22
(句でもない、歌でもない、詩でもない。しかし声を絞って出てくる言葉というものはある。)
 
欠点を刻苦勉励
克服しても
碌なことにはならないよ
欠点を凝視して凝視して
その先に
欠点という考えが消える
そんな処理の仕方がいいと
ぼくは思う
 
 
2017/12/21
(珍しく寒気の緩む日射しに洗濯物も触れると温かかった。師走の忙しい時期だが、団地全体が午睡でもしているかのように静けさを保っている。)
 
和らいで
日射しに眠る
団地かな
 
 
2017/12/20
(夜、学園のグランド越しに、泉ヶ岳のスキー場のライトアップが飛び込んでくる。巡回の合間に眺めていると、聞こえるはずのない賑わいが聞こえてきそうに感じられた。)
 
山腹に浮かぶライトと賑わいと
 
ナイターの山は明るく賑わえり
 
 
2017/12/19
(「芯」は「核」か、あるいは別の言葉に置き換えるか、迷うところだがとりあえず。)
 
ふるふると
吾の芯の空(くう)
震えおる
 
 
2017/12/18
(一昨日細い三日月形の月を見た時、空の傷に思えた。)
 
午前5時
三日月ひとつ
闇に傷
 
 
2017/12/17
(昨日からの流れで。おそらくこの種のことは口にすべきことではないかも知れない。そう思うとぼくはかえって口にしたくなる。「ぼくの悪い癖」。)
 
あちこちに失意のかけら積み上がる
汚染処理の引き延ばしのよう
 
失愛に記念碑建たぬ失意にも
ただ悲しみの止めどなく流れ
 
汗しない金もて建てる記念館
近代以後の嘘の満載
 
 
2017/12/16
(被災地のあちこちに記念館や記念碑など作る話が持ち上がっている。口を挟む気はさらさらないが、本当に個々の被災者の気持ちが反映されてのことか疑問だ。その手の発想は、個の領域において生じるはずはない。もし生じているとすれば、個的なところで人知れずそういう努力、苦労の作業は行われてしまっているはずだ。むしろそういうものの方が貴重だ。)
 
安全の装備や配備にかこつけて
田村麻呂の碑あちこちに建つ
 
確実に見抜いたはずさフーコーは
統治目線の記念館や碑
 
 
2017/12/15
(働く老後も悪くはないが、理想でもない。)
 
たとえばきみの60半ばの父親は
警備帽を被り制服を着て
学園内のドアや窓の施錠解錠に
深夜と早朝に走らせられる
白い吐息が弾み
額から汗を流し
社会との関わりと
稼ぎとの両立をもって
今の時代にはこんな仕事も
悪くはないな
と考えさせられてもいる
 
いやいやいや
もしかして
それは平和な街中の二等兵
古びたコンクリートの校舎の
階段下の寂れた部屋には
豪華なソファーもベットもなく
参謀室のような机も広さもない
六畳一間に上等兵と二人きり
かつて夢に見ることもあった
慎ましくも自由な老後
自分や家族に集中する時間は
夢のまた夢の向こう側
 
そんなとこにいて
リタイヤのない在り方も
俺にはありだな
ときみの父親は考えさせられている
 
 
2017/12/14
(とりあえず荷は蓋されて完成した。けれど、ぼくはこれをどうするつもりなんだろう。)
 
年の瀬に一日かけて荷造りす
虹のかけらに時間に言葉に
 
 
2017/12/13
(東日本大震災で自然界の物理的な力のすごさというものを目の当たりにした。対するに、人間の側が発揮する力として現在も引き続き抗する力としての効果を表しているのは民間のボランティアだけだ。権力側に属する力は、どんなものであれ、後手後手を踏む。その違いはおそらくはその出処の違いに決定づけられている。わたしたちは、震災のような形で生活上に大きな痛手を蒙った時、国家的な規模と組織の力が本当にはわたしたちを治癒するようには発揮されないことを忘れずにいたいと思う。無ではないが有でもない。真の人間力が属するのは別の場所だ。)
 
震災の傷跡
治癒の
ボランティア
 
 
2017/12/12
(朝起きたら雪が積もっている。本格的な冬の到来だ。)
 
カーテンの
透き間も寒き
雪の朝
 
音消えて
団地も消えた
白き朝
 
おそらくは
明け方ちかく
死者もあり
 
タバコ吸う
8時9分
陽溢れる
 
 
2017/12/11
(年をとるということはこんなことの連続なんだという気がする。)
 
師走になり
「大掃除をするのは二人に一人の割合」
と聞いてほっとする気分になった
老いても共働きのぼくら夫婦は
やっぱり大掃除どころではないと
それぞれに感じているところだったからだ
これで日本の古き良き
ひとつの習慣や伝統というべきものが
衰退する方向に向かった
ということになるんだろうな
 
別に郷愁も危機感も持たないが
こういう成り行きは
末の末の問題のようでありながら
ぼくらの心にしこりを残す
それでいながらぼくらもまた
すっと話題を避けて
晦日のカウントダウンを
潜り抜けていくんだと思う
 
 
2017/12/10
(状況的、あるいは客観的な関係性から見るならば、こういうところも成立するかなと。)
 
権力の新たなツールに成り果つ
平等・自由・博愛の嘘欺瞞
 
「今」に知る理念というは支配の具
知の戦略の悠久の「時」
 
徹底的根源的に「非知」を行く
きみに魅(ひ)かれた理由が分かる
 
 
2017/12/09
(世の中にはもちろん楽しいことはたくさんあるだろうが、突き詰めると、意外にも日向ぼっこのようなささいな楽しみが動植物にも共通にあるような気がした。これでぼくら人間が満足できるかというと疑問だが、動植物にとっては根源的といっていい楽しみの1つに数えられるのではないだろうか。勝手な想像だけれど、そういうところで満足できないこと、そういうことに気づかないことは寂しいことだという気もする。)
 
冬空も日向ぼっこで微睡めば
褒美をもらう心地こそする
 
肩の凝る一切を脱ぎて日を浴びて
心泳ぐが命なるかな
 
 
2017/12/08
(夜半、各棟の窓の施錠確認のため懐中電灯の光りをあてながら息を弾ませ歩いていると、隣り合う棟の中間の上空に満月が見えた。一瞬、目をそらすことが惜しくて、懐中電灯の明かりを月に向け、さも施錠を確認しているかのように同僚の目をごまかした。漆黒の中に冴え冴えとして、とても美しかった。)
 
見上げれば
棟の間に
氷る月
 
サーチする
ライトの先の
寒月冴ゆ
 
 
2017/12/07
(小学の下学年の頃、友だちの家で大きなカリンをもらい、戦利品のように得意顔で持ち帰ったことがあった。カリンを知ったのはその時が初めてで、馥郁たる香りをその場限りのものとはしたくなかったのであろう。今年、勤務先でカリンの実を見つけ、思わず1個をもらい車の中に置き、時々実に触れて香を楽しんでいる。ちなみに、ぼく以外にカリンを持って帰る人はいないそうだ。)
 
学園の熟れたカリンに雪注ぐ
 
帰路急ぐかの香に止まる足もなし
 
スポーツと学業だけの学舎か
 
師も走り生徒も走る狭き道
 
年の暮れやり残したる心地する
 
夜勤明け淡雪降りて慰労とす
 
 
2017/12/06
(終わりがなく、また始まりもない。絶望も希望もなく、ただ継続だけがある。瀕死であるのか、逆に充実であるのかの判断さえつかない。そうしてただ何となくせわしなく、時を刻む音だけが明確に聞こえてくる。)
 
少年の日に
筏を作って遊んだことがある
3人の重みが中心に集まらないと
右に傾き左に傾きして
あわてて奇怪な笑いとも
喚声ともつかぬ声をあげた
あの遠い日
 
年長けて少年のひとりは
いま
幻想の筏の上で両足を広げ
不格好にバランスの調整をはかる
ことに忙しい
彼は揺れるたびに
地平線の向こうに夕日と
朝陽の幻を交互に目にして
嘆息とも呻きとも
決意ともつかぬような声を漏らしながら
遊んでいる
彼にはもう仲間がいないので
その遊びは
遊びではなくなってしまい
彼の顔からは
一切の弛緩が消えている
 
 
2017/12/05
(無関係に2つ。俳句風と短歌風と。)
 
相撲道架空に騒ぐ世間かな
 
姥捨てに好んで入りしあの日より
山の暮らしは心得ている
 
 
2017/12/04
(たとえばインスタグラムの流行の背景にあるものは何だろうか。思いつきに過ぎないが、その思いつきをそのまま。)
 
 「蓄積」は末端の神経や毛細血管のように展開してきて、それぞれの先端からさらに枝分かれして行くだけなのだろう。共通の場所からはどんどん遠ざかって行く。例え息づかいが聞こえるほどの隣同士としてそばに並んでいても、何も通じ合わないことがあり得る。
 
 
2017/12/03
(俳句の形を借りました。2句目は字余り。3句目は前の2つを受けて成ったもの。)
 
習慣と枠とでぼくはぶら下がり
 
逃避する心細さよ「真」と「ぼく」と
 
何故生きる答えの1つはそれだよ
 
 
2017/12/02
(なかなか風邪が治らず、気が滅入り、堂々巡りばかり。)
 
不機嫌が津波のごとく押し寄せて洗濯槽で溺れた下着
 
確信の出鼻をくじくこの波は沖の深海まで運び去る
 
 
2017/12/01
(巡回で落ち葉の深く重なったところを歩くと、絨毯の上を歩くようなふわふわの感触がある。ひたすら歩くだけの巡回の単調さの中でも、この場合は「足」がということになるが、「楽しもう」としているんだということが分かる。ぼくの場合はこの「分かる」ということがずいぶんと遅れてやってくる。)
 
ひとりでに落ち葉だまりを踏み進む
楽しきを我よりも知る足
 
ふわふわを楽しむように我が足の
落ち葉深きを選んで歩む
 
 
2017/11/30
(きみの涙の中に立ち止まれない。)
 
言葉を失うと意味も消える
きみの涙と血とはきみだけのものとなり
ただ空は青く澄んでいたり
鳥が視界を横切ったり
樹木やビルが林立する
だけの世界に変わる
ぼくらは肌すり合いながら
それがどういうことかを問うことができない
 
たぶんもう
そんな世界がぼくらの足下から
透明な闇として迫ってきている
ぼくらの望んだイメージ通りに
現実化に向かって動き始めている
 
世界は
意味ある世界と
意味のない世界とに
二分化されて行く
 
 
2017/11/29
(言葉は立ち現れるや否や姿を隠す。)
 
うつむいて目をそらす
それから寂しい湖の
岸辺近くに降りて行く
 
夜明けが来ると
小さな歩みで
水面に遠い
空の青を追っている
 
ぼくの
聞き手読み手のいない
言葉たちは
 
 
2017/11/28
(「物言えばくちびる寒し」という言葉があるが、文字を書くから「ペンとれば指先冷えし」とでもなるだろうか。)
 
斧振るうなら一撃で仕留めんと
急所を探す長き歳月
 
そのことを「遠く来たな」と回顧する
村人等とはついに無縁に
 
 
2017/11/27
(自分にいったい何が残っているか。身と魂とをゲヘナにて滅ぼしたと言い切れるか否かのところに、かすかな残渣が見える。それは捨ててもいいものだが、まだ捨てきれない。)
 
近頃はあれこれよしと思うなり
内なるものの影を薄めて
 
そは衰えか好きも嫌いも振り捨てて
仕事も家事もただ淡々と
 
ふと感ず内なる自然衰えて
抗いも捨て腑抜けなる様
 
いやしかし一矢報いる内奥の
志燃ゆ凍土の下に
 
 
2017/11/26
(霜害というものがあるが、白菜の本葉の色濃い緑を見ると生き生きとしていてとても枯れそうに思えない。負けずに大きく育ってほしいという願いを込めての句だが、時間切れで書き切れなかった。)
 
白菜の葉の青々と霜を受け
 
 
2017/11/25
(幼児教育の無償化だなんて、あっちもこっちも浮かれているように見えるぜ。まかり間違えば真っ暗闇だぜって小っちゃな声の1つくらいは添えなくちゃ。)
 
 幼児教育の無償化で、議員たちは票が集まると浮かれ、両の腕から愛するものをもぎ取られることを知ってか知らずか、負担が軽くなって清々することばかり思って、世の親たちも喜んでいる。本当にそんなんでいいのか、親たちよ。早くから子どもは社会に取り上げられ、家族のものではなくなっていく。子どもは本当にそんなことを望んでいるものだろうか。国家ってやつは戦時も平和時も変わらず、親の腕から子どもをもぎ取って行くものだ。それはもう歴史がそう進んできたのだから後悔しても始まらないが、何もそれを早めることはないじゃないかとぼくは思う。それでなくても現在は家庭愛、家族愛を育む時間は短い。基本的な生活習慣から道徳観までも埋め込まれ、子どもは社会が求める姿に育成されていく。上手く行くのは社会が要求する方向に、従順に付いていくことの出来る親がいる家庭なんだということは分かりきっている。つまり、親が一緒に教育的な共同の幻想に同致することを余儀なくされるって話なんだ。
 この問題に関する関連の法案は、さほど議論されることなく静に成立して行くに違いない。だが、人間の初期の成長段階に関し、とてつもなく大きな問題が内在すると同時に、目の眩むような大きな転換点であるということもここでは言っておかなければならないと思える。家族の宝を共同性に献上するようなもので、こうなればただもう誰もが目をそらさずに、今後に立ち会っていかなければならない。そこで、一本の釘が胸に打ち込まれてあることを知るのだ。
 
 
2017/11/24
(この年になると「自ずからなる」ものに逆らっても仕方がないと思うようになった。時々逆上気味に反発したくなる時はあるが。)
 
雪が舞う友も師もなき文の道
炬燵にもぐり暖を貪る
 
これはこれ自(ひと)り然(しか)する報いかと
吹雪の中にまた一人して
※(註)安藤昌益の「自(ヒト)リ然(ス)ル」の用法をアレンジした。
 
 
2017/11/23
(現実を置いてけぼりに去って行った人たちへの私の情。悲憤と見られてもよい。その拙い徴。)
 
詩人らめ
文学者らめ
時代に蹴散らされた言葉の藻屑
遠いいつか
趣味する人を
慰めるがいい
 
言葉よ
言葉の技巧よ
その幻の界から
永劫に抜け出せないものたちよ
 
 
2017/11/22
(トカトントンはどこまで通用するんだろうか。)
 
震災は
左斜め後方に逸らした
吉本隆明の死と
父の死とは
同じやり方で右斜め後方に
逸らしてきた
だが
確かな足音で迫り来る
自分の死だけは
その貧相な姿形で
受けとめなければならない
ならないがお前よ
こんなんでは
どこにも確証はないぜ
 
 
2017/11/21
(短歌、俳句、短歌みたいな。)
 
幹さらす林の秋は格別に
枯れ葉敷き詰め誘(いざな)うようさ
 
陽だまりに
複雑なアジア
の雲湧く
 
いざ捨てん心とこの世2つとも
初源の生の門に入(い)らんと
 
 
2017/11/20
(昨日の晩から初雪が降り、枯れ残った紅葉らの上にうっすらと雪化粧がほどこされたように見える。勤務明け後の帰り道、ところどころ雲の晴れ間から光が射して、そのあたりが特にきれいに映えて見えた。)
 
枯れ残る野山の赤黄
見納めと
重ねて淡い初雪の白
 
 
2017/11/19
(独り言の部類をつい口にしてしまった感じ。今日の作は辛い。)
 
何一つ思いどおりに片付かぬ
胸騒ぎして初雪を見る
 
初雪のしょぼく降りたる国道に
車の列が長々続く
 
苛立ちは我が意にあらず
こころ捨て
原初の触知活かして生きん
 
知も情もあてにしないと
言いながら
沈黙深く降下し得ない
 
 
2017/11/18
(買い物の途中、季節感あるものを探したら、干し柿とオーバーコートが目に入った。2句目の少女たち二人は、小学2年生くらいに見えた。危ないと思ったが、そんなにしてまで友だちと自転車乗りして遊びたい気持ちも分かる気がした。「遊びをせんとや生まれけん」である。)
 
曇天に
隣家の軒の
黒き柿
 
自転車を
コート着て漕ぐ
少女たち
 
 
2017/11/17
(葉を落とし、裸になった街路樹を見ていると、生物進化の系統樹が思い浮かんだ。ぼくらはほ乳類の枝の、さらにその先端部分ということになるだろうが、全体から見ると細くそして末端に位置していて頼りない感じがする。それでも、枝先近くに星が見えて、何か救われる気がした。人類が、希望となればいいなと思った。)
 
系統樹街路に立てり
寒々と
梢の先に星の輝く
 
幹からは遠く離れた末端の
進化と言うも頼りなき類
 
 
2017/11/16
(「させられる」ことの内にも、こちらに「よろしき」ことはある。それを見つけておくことはいろいろに言えるかも知れないが、ここでは思考に深みを添える気がするとだけ言っておこう。)
 
楽しきは夜勤明け後に朝湯して
大口開ける熱き湯のなか
 
「寒」「冷」を背負って歩く
明け方の
4時の頭の「空(くう)」のよろしさ
 
 
2017/11/15
(心をたこ糸に結んで空に飛ばす。)
 
十指の指さすところの
十目の見るところの
醜態が
生きるということである
身を殺し
魂も殺すことが
ごく普通に生きるということである
平気で
ということは無意識裡にと言うことだが
そこに大いなる凡人の
偉人を超える偉大さが潜んでいる
 
魂に慰安を求めるわたしなどは
まだ本当の過酷を知らぬ
 
 
2017/11/14
(内言語と言うべきものを「表出」する時の、何というかちぐはぐ感、不自由感。)
 
初めから後ろめたきの「言語」かな
 
へらへらと覚悟なき言の恥ずかし
 
沈黙を言葉に託す時の溝
 
すれ違い前提に成り立つ表出
 
 
2017/11/13
(「死の棘」の方法。)
 
ぶち壊して作り始める
手引き書も解説書も役に立たない
それでも作り始める
手始めは自分をぶち壊すこと
ゆるゆると四肢のあちこちが動き始める
ふたつの精神が
ニューロンの鏡の相互作用で
人間の形に
織り上がって行く
もしもそれを人間のと呼べるならば
再生は可能だ
 
 
2017/11/12
(大切なことはみんな見えず、聞けず、感じ取れないでいるのではないか。)
 
落葉を迎えた木々たちは
ここまで淡々と来たか
喘ぎ喘ぎ
まるで 人のようでも
あったか
 
ぼくらの感覚器の
不自由であることよ
 
 
2017/11/11
(断片の記述のみ。)
 
振り向けば
二十歳の頃までは一直線で
それ以前は別物の感がある
それはいわゆる子どもの世界と呼ばれ
狭く閉じられたうえに
以後の言語では刃が立たない
つまり単純な進歩や発達
とは言い切れない断絶がある
縄文から現代へと
いきなり飛び越えたようなものだ
 
ぼくらは人生というものを
ひとつの連なりのように考えるが
本当はそうではないかも知れない
大人になったぼくらには
子どもの世界を解明しようがない
言ってしまえば
それは非言語的世界だからだ
意味や価値も
まるっきり違ってしまう
 
 
2017/11/10
(庭先の山茶花の一本が白い花を咲かせていた。)
 
ひっそりと山茶花の花ひとつ咲き
枝葉に隠れ明日は散るかも
 
 
2017/11/09
(どうしても詩の形に出来なかった。また、まとめきることも出来なかった。覚書風の断片ということになると思う。)
 
 人間が動物と違うのは、意図的であり計画的であるというところだ。働くこと、生活することは意図的、計画的というところに含まれ、動物と一線を画している。
 ここで何が言いたいかというと、働くことや生活することは人間の基本になるということで、人間が植物でも動物でもない証になるかと思う。安藤昌益の「直耕」は文字通り直に耕すことであり、農業そのものということになってしまうが、これを働くこととか生活するとかに拡張して考えると、現在にも通用する概念に変容できる。
 安藤昌益は「直耕」を人間の基本の生き方と考え、ここから逸脱していく生き方を全て否定した。なかでも釈迦をはじめとする聖人、仏教や儒教やほかの自然思想の考えや教えを激しく非難した。みな、他人が働いて収穫した食物を掠め取って自らを生かしているからだめなのだというのが非難の骨子である。ここは捉え方が難しいところだが、働くことを一次的な働きと二次的次元の働きとに分けて考えると考えやすい。あるいは肉体労働と頭脳労働とに分けて考えてもいいが、いずれにしても安藤の捉え方とは多少ニュアンスが違ってくることに留意しておく必要がある。
 結局、安藤昌益が言おうとするところは、人間は働いたり生活したり以外に何もするな、何も考えるな、それが人間にとって一番の価値ある生き方だからということになるのだと思う。人間の価値ある生き方は基本そういうもので、それ以外はみな価値からの逸脱で、堕落なのだということだ。
 これらは現在の常識から言うと、とんでもない暴言であり、気違いじみた考え方ということになるかも知れない。とてもまともに聞く人などいないであろう。逆に昨今の社会的な風潮では、働くこととか生活の細々したことから逃れていこうとしたり離れていこうとする傾向が覗われる。つまり真逆のことを言っているかのようだ。
 わたしたちは先を競うように知識を詰め込み豊かにすることがいいことだと思いこんでいたり、アクロバティックな身体能力の開発をいいことのように思い込んでいる。またそういうところに価値があるのだとも思っている。安藤の考え方に依拠すれば、それはそうなって行く人間の自然過程に過ぎず、価値では無いということになる。
 
 
2017/11/08
(あなたも神だという考え方。)
 
八百万の神々
なんて考えた人たちは
どんなものにも
神を見出し
感じ取っていたんだろうな
 
ぼくらはその子孫だから
やっぱりどんなものにも
神ばかり見るのかも知れない
 
もちろん大きな悪の中にもさ
頼まれもしないのに
神を見つけてひとり往生したりしている
 
実はこの往生が
人間なのだと
ぼくらはきっと言いたいわけだ
 
 
2017/11/07
(本歌、ここでは本詩かな、があります。もちろん位負けはしています。)
 
年長けてなお
温かな家とパンとを大切にする
小さな群れと出会う
「こんにちは」と挨拶をして
今日からもう群れの一員となり
ぼくはもう昔のように
出て行こうとしないんだ
 
背中には今も
不安の冷気がぼくらを
凍えさすように狙いを定めている
群れの中はまた
今はばらばらな出身や職種や
世代で構成されており
さらに縦にも横にもバラバラで
正常と異常の見分けのつかない
個人個人の集まりでしかなくなっている
それでもぼくは
この群れの中にとどまる
 
群れの中でぼくは緘黙の人
と評判される
精神のひきこもりと揶揄される
ぼくはそれだっていいのだが
1つだけ言い訳を許してもらえば
古代の絵文字のように
心に奥に潜んだ
判読不能な文字の解読に
忙しくしているだけなんだ
今の世界にそれを探してみると
「自立」の文字が浮かんでくるが
ぼくの中ではまだ確信が持てない
そこでぼくはやっと
「おさむいですね」とか
「もうすぐ冬ですね」とか
挨拶の言葉をちょっとずつ増やして
異和を和らげようと努力する
   
本当に冬は
間近に迫っているのだから
みんな自分を大切にしてくれればいいのだ
相変わらずぼくはひとり
少しばかり居心地の悪い椅子の上で
解読の作業を急がなければならない
吹雪いて真っ白な心が
凍り付いてしまわないうちに
 
 
2017/11/06
(想定外のことはないと予測している。)
 
来日はゴルフのためか
変わりなく
炊事洗濯掃除買い物
 
昼飯は期限を過ぎた冷や奴
テレビでは
首脳会談間近と告げる
 
 
2017/11/05
(少しメイクしました。)
 
初霜や門扉の端の指の跡
 
木枯らしの落ち葉掃き溜め冴える月
 
 
2017/11/04
(この頃の巡視巡回時の光景を。)
 
淡々と落ち葉を散らす樹木らの
枝先強く夜空をつかむ
 
神経を思わす枝の複雑な
分岐の先に丸い月ある
 
目に刻む木枯らしの夜の
ひとりして
明かりの先に落ち葉踏み行く
 
またしてもこの寂寥を
友として
命現る夜の構内
 
 
2017/11/03
(表層をめくると太古の顔が見えてくる気がするが、それはそんなに上手くは行かない。)
 
歩いているだけなのに
どこかに後ろめたさを抱えている
 
森を眺め 丘を下り
街場へと続く道で
半分入眠状態の心地よさも
味わっている
 
時折 突風や驟雨もあり
それでも 過ぎてしまえば
自由さの中に
軽やかな足取りを
持続することが出来た
 
群れているように見える
草木も動物たちも
本当はぼくと同じで
ただ時々に
関わりを持っているだけだった
後は静謐の中に
自分と対峙する時間を持っている
だけなのだ
 
それはどうということもない
ありふれたありかたではあるけれど
 
どうにか
街場に行ったり来たりにも慣れて
雑踏の中も不安ではなくなった
あえて言えば
日常的に反応をくり返す
その頻度が多く要求される
というだけのことだから
森と同じに
その見えない気配を
感じ取ればいいだけのことだ
 
そこでぼくは
言葉というものが
不要なものであることに気づいた
ぼくはそのことを
誰にも告げずにいるから
きっと 後ろめたさの感受は
そこから派生するのだろう
 
 
2017/11/02
(今更だが、「書く」ことはこわいことなんだ。少なくとも自分にとっては。)
 
息せき切って
駆け上がってきたつもりなのに
この丘の上の
ススキの原に見えるのは
静寂の澄んだ星々と
背を吹く風と
遥かな地平線の晦冥
 
ぼくはポケットに
入るだけの柿の実を詰め
《もういいよ》
妹の声を追っていた
ほんとうは
そこから登山路を
笑顔で降りながら
行き交う人と
軽やかに挨拶するはずだった
 
暗闇の中では
獣たちの押し殺した気配
植物たちの
上品な呼吸が入り交じっている
ぼくは遭難するかも知れないのに
誰の名前も呼ばない
ゆらりゆらりを味わうように
ゆらりゆらりと坂を下っている
もうすぐ
灯りが見えるはずだと
言い聞かせながら
 
 
2017/11/01
(ある自分と、あらねばならぬ自分とがせめぎ合う。)
 
ぼくひとり対する〈ぼく〉の三人は
社会と対と本音とで責む
 
向かい合い飛び交う唾を文字にして
詩を綴るぼくの〈ぼく〉はどっち
 
一年を呼吸のように詩を綴り
呼吸のように幕引き終える
 
 
2017/10/31
(高齢化社会というのは、見方を変えると「老人の時代」)の到来を意味するかも知れない。)
 
共同の夢からは覚めたから
これからは自前で
夢と希望を織り上げて
それらを追っていくさ
 
老いらくの夢
老いらくの希望
それらを探すことがまた
夢であり希望なのさ
 
老人たちよ
出し渋るな
タンス預金なんぞ
サギに引っかかって消えるのがオチさ
生涯にわたって培った知恵は
全て余さずはき出しちまえ
 
言葉として
行為として
そして
落ち葉のように
この劣化した社会に散乱する
不和や異和や諸矛盾を
拾い集めるように
浄化して歩け
 
ぼくの考えでは
それらのことはご老人にしか
出来ないことだからさ
 
 
2017/10/30
(最近は高齢者関連のニュースが多く、先行きを悲観しての痛ましい事件もよく耳にするようになった。痴呆症、老老介護など、ぼくにとっても他人事ではない。しかし、年を取るということは、悪いことばかり、暗いことばかりではないんじゃないだろうか。それが何か、まだはっきりと見えてこないが、まだまだこれからだぜって思う。また、多くの高齢者たちにもそう思ってほしいと考えている。)
 
尋常に枯れ行く際(きわ)の戯れに
色鮮やかに色とりどりに
 
 
2017/10/29
(夜警の巡視、巡回の合間に思いめぐらした2題。)
 
草木らの賑やかに枯れ
潔き
花咲かずとも葉こそ色めく
 
逞しき女子ソフト部の
子の真顔
「幽霊見たか」と翁に問う
 
 
2017/10/28
(楽しきは、秋紅葉の色合いが移りゆくを、しみじみ眺めやる時。)
 
黄色から赤への
巧みなコーディネートには
舌を巻く 秋
落葉植物たちの
目を楽しませてくれる配慮に
黙って感謝だ
 
寂しい秋も
紅葉の色彩を考えるだけで
ちょっと楽しい
そして
「戯れせんとや生まれけん」
「遊びをせんとや生まれけん」
の句を思い出し
マジになって
ムキになって
遊んだり楽しんだりすることが
順当だという気になる
 
そのための手段としての働きも
しっかりやりながら
年老いてもぼくらは
まっとうな自立の道を
ゆったりと歩いて行く
てくてく てくてく
歩いて行く
 
 
2017/10/27
(どうしても秋は寂しさへと傾いていく。)
 
ぱったりと
虫の音絶えて
秋深み
 
気がつけば
背中を見せて
通る秋
 
音絶えて
絵画の如き
秋景色
 
絵の中を
音無く落ちて
行く紅葉
 
 
2017/10/26
(今日は秋晴れのよい天気だったが、眠気と疲労感いっぱいで、これから仕事までの小一時間を横になって過ごそうと思っている。)
 
疲れているのかいないのか
分からないなんて
ひどい話だ
たいがいは一眠りするだけで
よい話だが
性懲りも無く
未完の詩を書き繋ごうとして
半開きの目蓋をこすっている
 
きみには詩が分からない
文学も芸術も分からない
そんなことを気にかけている連中が
一番嫌いだった
ただ心だけは飢えていて
この世界のどんな領域
分野にも満たされなかった
そして言葉が
言葉だけが微かな希望のように
篩の内に残った
最後のものであったのだ
もちろんきみは
本当はそれさえも
どうでもよいものであった
付き合いは長いが
明日 あっさりと
執着を忘れ去ることが出来る
 
つまりこの世界での
ごく普通の生活の肌触りを
取り戻せたなら
きみはここまでのきみの一切を
燃える炎の中に
焼き捨てることが出来るだろう
だがそうならない限り
きみの執着は続く
 
 
2017/10/25
(「すたこらさっさ」の響きとリズムが好きで、時々頭に浮かぶ。元々は太宰治の小説の中の、女性のあだ名である「すたこらさっちゃん」から来たものだ。小説の中味は忘れたが、「すたこらさっちゃん」とそこからの「すたこらさっさ」が妙に心に残るものとなった。)
 
家の中で考えることに詰まったら
「すたこらさっさ」と階下に降りて
家事やら洗濯やらに取りかかる
異界にも「すたこらさっさ」と出かければ
あの世にも「すたこらさっさ」と行けそうだ
万事「すたこらさっさ」と取りかかり
「すたこらさっさ」と切り上げて
「すたこらさっさ」と消えていく
小気味のよい 潔い
そんなふうに動けたり
生きたりをしたかった
ねえ きみ
 
ところでご推察の通り
真実は真逆だ
頭いっぱいに不満や不安を詰め込んで
どうにもならない考えや
くよくよとした悩みで
とっくに個人で抱えられる許容量を
超えている気がする
そんなことは褒められることでも何でも無いこと
と知っているのに
もうコントロール不能なのだ
いや きみだってそうじゃないのか
隠すなよ
 
ぼくは頭ですることを唯一だとは思わない
それで時々ばっさりと
「ねちねち」を切り捨てる
本当はそんなことどうでもよいという
大事な世界がこの世界にはある
それが「すたこらさっさ」なのだから
ぼくは「ねちねち」と「すたこらさっさ」の
両義を行き来して
お仕舞いはやっぱり「グッドバイ」
とウィンク1つ
 
 
2017/10/24
(大学祭の2日間は台風直撃の直中に行われ、盛り上がりに欠けたのではないかと心配だった。実行委員たちは準備のために、構内の施設である会館に泊まり込みでがんばっていた。その会館で大学祭の終了後反省会をかねた打ち上げが行われ、巡回時に前を通ると賑やかな笑い声が聞こえてきた。成功や失敗とは別に、学生たちは精一杯の努力をし、充実した手応えだけは感じていたものと見える。内心で『よかった、よかった』と胸をなで下ろすような気持になった。それでよいのだ。)
 
夜警には
誘いかからぬ
大学祭
 
大学祭
終えてはじける
子らの声
 
 
2017/10/23
(日本列島を縦断する台風と、以外につまらない結果に終わった総選挙との中で、つまりは中心に向かって歩くほかにぼくらの選択肢はないように思われる。そして、では中心はどこなのか、それを探って見つけ出すことが先ずは大事なことなのだろう。それぞれがその課題に立ち向かうことはそれほど困難なこととは思われない。)
 
指導層の劣化と
その雪崩現象に似た
すさまじい行程は
大衆の大衆的劣化と
上昇現象とに刺激されてのものだ
 
安藤昌益なら
「直耕」と檄を飛ばすところだが
ぼくらは深い眠りのように
静に目を見開くだけだ
そうしてその目はもう
ぼくたちだけの目ではない
 
蜘蛛の糸を懸命によじ登る
血の池の住人とカンダタとは
ついには見放されてしまうのだけれど
大いなる人よ
あなたの瞳の奥にある
酷なる意地の悪さよ
本当はもうひとつ
花園を開放するという選択肢が
あったのではなかったか
 
無いものは無いよ
その1つは希望というやつで
もう1つは絶望というやつだ
ぼくらはかかとが俵にかかるまで
利己的な保身や所有の欲望を肯定する
その上で
互いに宝くじの当選者をねたまない
ことを約束した
 
畑を耕さなくなったぼくらは
まだ生活を耕すことなら出来る
住まうことについて
家事することについて
親子や夫婦の関わりについて
町内会の当番制度について
たくさんのことが
時代に突きつけられた宿題として
残っている
そんな近場で
ぼくらはぼくらの生涯の全てをかけて
それらを解明していこうと思う
 
 
2017/10/22
(自分を知ることは他人を知ることだ。逆もまた同じだ。)
 
 ぼくの体にはそれぞれに人間の部分と動物や植物の部分とが併存し、あるいはまたそれ以前の初期生命のうごめきもあるようだ。心もまたそれらの各部と繋がっていて、人間的な心とか動物的な心、植物的な心の本源となり、それらを総称して心と呼んでいる。
 体も心も、自動でスイッチや変速機がスムーズに切り替えられて動いているために、ぼくたちは各部を行ったり来たりしていることに気づかないでいられる。つまり、「自分」は「自分」だと思っていられるわけだ。普通はそれで支障がなくいられるはずだが、どうも今日の時代ではそう楽天的に考えてばかりもいられないようだ。
 
 
2017/10/21
(イメージの宮沢賢治を冒頭において、本当はそれだけでもよかった。)
 
「えへん」と咳払いひとつくれると
森や林の草木から獣まで
にこにこせずにいられない
風も雲も
ひとしきりぴゅーっと吹いたり
ギューンと流れてみたりして
その時世界は変容するのだ
 
そんな場所で
かつて父も母も
汗を流して暮らしていた
さて
ぼくには何が残る
使い古しのパソコンや
朽ちた足回りの車なんて
誰も懐かしみやしない
ひとり産道を戻って
完結だなんて
つまらない世界だ
 
「そうではありませんか、みなさん」
とぼくは心に呟いて
やっぱり「えへん」と咳払いひとつ
これも心の中にイメージして
それからそれからはにかんで
それからそれからとことこと
虚勢を借りて歩いて行く
来た道の先へと歩いて行く
 
 
2017/10/20
(その薪をもっと炎に投げ入れろ。)
 
公園の柿の木の枝が
色づいた実をたわわにつけて
近隣の住民でもあるぼくを
一瞬画家の目にさせる
たわいもない
曇天の昼日中ではあったが
「自然は誘うよなあ」
とぼくに思わせた
 
ああこんなにも静寂で
無意味に人知れずする
感動は
腹の底に蓄積し
どこにも行き場を持たない
 
ぼくは知っている
自然の中にあることは
人間の社会の中にもあることを
一幅の絵画のような
調和した色彩と構図が
あちこちに隠れて存在することを
ぼくは口にはしないまでも
それを知っていて
心に燃える炎の薪として
使ってきたのだ
 
 
2017/10/19
(文学についての続きのようなもの。即興的であり、完了形もない。さらに思いつきであり、意味も無いもの。)
 
 俳句や短歌は新聞の投稿欄が今日も継続しており、一般の国民に趣味として普及する一助になっている。少し前までは詩の投稿欄も見かけたが、最近は見かけなくなった。全国的な傾向なのかどうかは承知していない。
 ところで、詩も短歌も俳句も、一般的に職業的に専門家というべき人たちがおり、それぞれ詩人、歌人、俳人などと呼ばれている。そこにはまた専門の集まりとしての詩壇や歌壇や俳壇がそれぞれについて結社とか協会とかの名で散在しているようである。おそらく、目指すところは大きく見れば皆同じで、「文学」的な質の向上であり、また一般への普及でもあるだろう。ただそこに方向性などにおける微妙な差異というものがあり、その限りにおいて、いくつかに分かれて派というものが形成されてしまうことは他の分野、領域においても見られるもので致し方ないことのように思われる。
 
 唐突に、しかも極論をあえて言うならば、現在の詩の世界も短歌や俳句の世界も、さらにもっと言えば文学及び知の世界の全てが、それぞれの世界の占有、若しくは独占の世界のように思われて仕方がない。つまりいずれの分野、領域も広い裾野を持ちながら三角の頂点に向かって高度化されるように仕上がっていて、そして閉じているように見える。わたしのように生活の現場に足をおいてものを考えようとするものには、どこかなじみにくく遊離したものに感じられる。そうは言いながら、もちろんわたし自身が、生活者に返せということを実現できているわけでもなければ、その端緒を見つけられているわけでもない。一般的に言って知は無知や非知から無限に遠ざかっていくことが自然の過程として認められるが、芸術一般についても同じことが言えるのかも知れない。けれどもいずれも発生の当初は一時的な基盤を心身にとっての身近な周辺生活から掬い上げ、そしてまた周辺生活に還元したものであったはずだ。その根本は、忘れられていても現在でもそれぞれが存在することの根拠であることは否定さるべきではないことのように思われる。
 いくつもの約束事や技術、技巧を積み上げて屹立する世界は、極限においてその母胎であるべき場所から遊離し、ついには消失すべき運命にあるのか。わたしなどには理解できないところだが、消失させるには惜しい気がする。そして本当は積み重ねられてきたものをガラガラと壊して、一からやり直してみたい夢想の誘いを、わたしは密かに抱き続けている。もちろん、こんなことを書くことは大ボラを吹くことと同じことだから、灼けるような羞恥を伴わないではおられない。そして確かに己を恥じながら、それでもわたしは書くことをするのだ。
 
 
2017/10/18
(力尽きて枝から離れて行くのではなくて、自ら散り落ちて行くまだ若い葉もあるような気がする。上手く言えないが、「惜しい」と思わずにおれない。)
 
秋冷に
先を競って
散る黄葉
 
黄葉らも
拒絶を散ると
見せかけて
 
枝先で
身を引きちぎり
散る黄葉
 
 
2017/10/17
(ちょっと息抜きがほしくて。文学については後日ということに。)
 
延命を考える装置が働いて
みんなそっちに向かった
それが住人たちにとっての
「考える」ということだった
 
なるほどね
一理も二理もあるね
とぼくは思う
思うがぼくは
そんなふうに「考える」
ということが出来ない
 
あれから
どんだけー
の笑顔を見送ってきたことか
えつこになつこにしおり
みんなダイソンに吸引されていった
 
「そっちじゃない。そっちじゃない」
と懸命に孫の手を引く婆さん
大丈夫
時代の見かけが違うだけで
孫も延命をわきまえている
おんなじ場所に行き着くさ
そんなふうに
システムの指令に
みんな従順でいる
安心していいんだ
ぼくが保証する
 
 
2017/10/16
(文学についての一考察。明日も継続できればと考えている。)
 
 歌は文字に書かれるようになってから、いっそう貴族などの教養という側面を担うようになり、また文学的な発達の過程を進むようになった。ある意味生活住民からはかけ離れた道を進んだと言える。それもしかし、現代においては新聞の投稿欄に顕著なように、一般の庶民にも親しまれるようになり、言ってみれば歌が先祖返りしたと見られなくもないようになっている。高度に洗練された過程を経てきてのことだから、多少取り澄ましてはいるが、ごく普通の生活者に、歌と言うよりは「文学」が根づいたということをこれらの事実は物語っている。
 そもそも文学などというものは、貴族や武士をはじめ、金と暇を持つようになった町人などに愛好される教養的な玩具だったと言ってよい。それがごく一般の普通の生活者にも行き渡ってきたのだから、時代というものが進むにつれよくなっていくことの側面をこのことは象徴するものだとも言えそうだ。
 ところで、歌の発生の初期を考えれば、いわゆる俗謡と呼ばれる謡いものらしきものがまず民間に起こり、それらのうちから一部洗練されていったものが次第に和歌の形へと昇華を遂げたと考えられる。さらに変化や洗練を重ねて今日の短歌、あるいは俳句といったものが出来上がっているわけだから、初期からすればいろいろな意味で高度になっていると言えよう。それを今日の生活者は高度という意識もなく読み且つ書くわけだから、生活者自身のレベルも昔の人にくらべたら相当高いものになっているはずだ。もちろんご当人たちはそのことをあまり意識しないだろうが。
 
 
2017/10/15
(今日は一日、心が尖った状態で過ぎた。)
 
形状はもみじの如き我が心
舞い落ちながらあれこれを突く
 
こころをば落ち葉に重ね地に捨てて
身軽に今日を過ぎて行きたし
 
 
2017/10/14
(自由とは寂しさであり、寂しさとは自由ということ。思考だけはどこまでも羽ばたいていくことが出来る。)
 
寂しくも「ほっといてくれ」
この間も
為すべき事を成さんが為に
 
寂しさが価値だと思うこの頃の
自分はどこか「変」かと思う
 
一人して大河の思考
かい潜る
そりゃ閉塞も窒息もある
 
 
2017/10/13
(夢や発想が「貧」の一字。と思うが、どこまでもあっけらかんと。)
 
きみとぼくさえない今日の一日を
生きてることの即ボランティア
 
反転の価値刻む目に本当に
腕組める日は遥か彼方に
 
 
2017/10/12
(種の連続という戦略から、個体の継続、膨張へと移行が始まっているのではないか。)
 
種の時代から個体の時代へと
人間存在が変異を遂げようとしている
 
どうりで
「恋」も「詩」も
死に瀕していると
かの詩人がうたうわけだ
 
「恋」も「詩」も
個体の長寿や肥満化に
「なんの効力も」
ないし
「魅力」で
あるわけもない
 
時代はもう
ぼくたちを超えて
ぼくたちを
置き去りにしようとしている
のではないか
 
緩やかに
この大転換が進む中
ぼくらは種と個体とを
どう処理すべきかに
「上陸」に似た過酷を
潜り抜けて答えねばならない
 
 
2017/10/10
(イメージと実際の行為とには隔たりがあって、この空隙をどのようにとらえればよいのかからはじまってこんな表現になった。まだ当たりの表現ではない。)
 
決まった順路で構内を施錠して歩く
単純だが
時々順番を抜かしたり
施錠忘れの窓を見逃したりする
どうしてそんなことがあり得るのか
行っている最中にはそれに気づけない
 
目的に対して注意が過剰に割り当てられる
目的が単純で安易に了解していると思い込み
無意識に溶融したり
すでに既体験だと錯覚する
等々のことが重複して行為を狂わせる
事はありそうに思える
 
ぼくは元々そういうところがあって
ちゃらんぽらんな上に
少しの楽天家だ
ぼくはミスしたら
後で補えばよいくらいに考えている
人間というのは
その程度に出来上がっていると思っている
 
ところで人間は大なり小なり
誰にもそんなことがあると思う
好きでミスするものはいない
ミスが多いか少ないかを競っても
互いに気まずくなるだけだ
だが 生活や仕事上での小さなミスは
考えようによってはとても重要なことだ
と思える
そこからたくさんのことが派生してくる
恋人との別れ
職場の不仲
そして恥の感覚や隠蔽まで
つまりそんなことが
けっこうの致命傷を運んでくる
ぼくはばからしく思って
人間や人間社会の水準を下限に置き
こんなところがいいくらいだと
高を括っている
 
いばるな
責めるな
卑屈になるな
 
 
2017/10/09
(自分の形が固まっていく。それを拒んだり、それに抗ったりしないで行きたいと思う。)
 
吹きだまり流れの淀み
そしてぼく
行き着く先にやがて行き着く
 
 
2017/10/08
(今日の心象ということで。)
 
見渡せば既知既知既知のこの世界
CMのごと過大で酔わす
 
奈落まで一人で落ちて見回して
さすがにこれは負け戦かも
 
いやいいよ少しの保身しがみつき
最後はきみに付いていくまで
 
しんがりを行くことに慣れ無言をも
貫くことは労苦にあらず
 
 
2017/10/07
(「察知)の周縁。)
 
 路上でも家の中でもいいが、わたしが一人でいて、ふと「世界」に耳を傾けたり目を凝らしたりする瞬間があるとする。わたしの場合はそんなことをしてもちっとも「世界」を読み取ったり聞き取ったり出来るわけではないのだが、そんな時のわたしとこの「世界」との関係は、どこか胎児と「母親」との関係に酷似しているように思われる。
 胎児にとっての「世界」は、その時わたしが「世界」ととらえる「世界」とは異なり、母親が「全世界」であるほかはない。羊水の中にいて胎児は四六時中、全環境としての母親の身体及び精神の変化に神経を集中し、あるいは平穏の中に包み込まれて微睡んだりしているのだろう。
 胎児が環境としての母親の変化を、心臓の鼓動や血流や、血の中に含まれる分泌物など、また温度的な変化などから感じ取るように、母親の体内から外界に産み落とされたわたしたちは今度は環界としての「世界」の中に、その変化の兆しを探ろうとする。それはいわば胎児体験の「反復」とも言えるものだ。
 ところで、胎児にとって母親はいろいろな形でコミュニケートしてくれたり、働きかけ、語りかけ、あたたかなまなざしを豊かに注ぐ存在である場合もあれば、よそよそしく疎遠で冷たい存在である場合もあり得る。
 わたしたちにとって、わたしたちの「世界」も同様に、存在としてのわたしたちを祝福するものであるかよそよそしいものであるかのどちらかとして存在するように思われる。わたしたちはその関係が良好の場合は維持することに努め、支障があると認められる場合には繰り返し改善の道を模索するもののように考えられる。
 
 
2017/10/06
(秋二題)
 
街路樹のまばらに木の葉色づいて
滴る緑ショールに隠る
 
年だけの数巡りきて
この秋の
暮れゆく「急」に「深き」に「凄き」
 
 
2017/10/05
(闘って血を流す革命というのはいらない。根源的かつ真の革命者は民衆それ自身だ。現在の世界的不安や、ある意味での末期的症状は、逆にそのことの真を象徴する出来事の諸般という気がする。またわたしたちに覚醒をもたらす前触れのようなものだ。)
 
民衆はいつも
時代から取り残され
取りこぼされている
とされていたが
この頃少し違う気がする
 
時代の最後尾を
ただ難民のように歩いているだけ
のように見えながら
時代は少しずつ
民衆を中心に回らなければ
存続不可能になりつつあり
やがて
黙っていても
民衆に
豊かさと自由とが
完全に受け渡される日が来る
のではないか
そう思えるようになってきた
 
とてものんびりとした
足取りであるとはいえそうに思えるが
確かな1歩1歩を刻んできた
民衆という無名の領域の中に
真の偉人がいつも隠れて存在した
彼らは歴史の
見えないディレクターであり続けている
そうして彼らこそが
無言と過酷を背負って
歴史を支え続けてきたといえるのだろう
 
 
2017/10/04
(ぼくはからっきしモテたことがないのでこんなことになるのだろうか。)
 
男たちが上に登ろうとするのは仕方がない
てっぺんから見える景色を女たちに伝えるためだ
女たちがいつも見上げたしまうのは仕方がない
男たちの言葉を子宮に宿すためだ
 
生命は戦略上オスとメスとに分離し
オスとメスとはそれぞれに
また戦略を持つことになった
それが先の男と女の「仕方がない」話になり
遺伝子の存続の話に繋がる
 
ところでぼくは
ある時にてっぺんで目眩してしまい
落下してそれっきりになった
それからは「蜘蛛の糸」のカンダタと同じく
途中で落下することをくり返している
 
こんなぼくは近頃めっきり女性が嫌いになった
憎しみに近い感情さえ持つようになった
人間の範疇からする近親憎悪
というやつかも知れない
どうしても女性を
女性の人間性ってやつを理解できなくて
いっそ別の生き物と考えようかと思っている
 
ぼくはもう女性に関わりたくないと
この頃つくづく思うようになった
そしてなにやらこの感情は
乳幼児期から少年期にかけて
既体験の感情だった気がするのは何故か
 
 
2017/10/03
(引き続き「察知」ということについて。)
 
 何かを知ろうとする時に、わたしたちは言語を媒介としていることが多い。もちろん先に述べたように、ふだんの生活では空気を読むとか気配を感じ取るとか、推測・推察・類推など、必ずしも言語化しない領域で考えるということを行っているに違いない。今のところまだ上手く説明できないが、わたしたちは知るということのために、言語の領域まで浮上して把握しようとしたり言語以前の状態で何かをつかむということを並行して行っているという気がする。
 言語が出てきたついでに言えば、個人が言語を獲得する以前、つまり乳児期及び胎児期には言語での理解や思考、あるいはコミュニケーションも成立しない。そこでは察知やそれに類する形式で代替されるほかないように思われる。
 胎児や乳児は母親との接触において、言語以前の交流で接触している。それは動物に始まり、遠くは植物が気温の変化を感知するように外界を識別する様式に酷似する気がする。わたしたちは人間の精神作用が動植物とは比べものにならないほどに発達したと時に豪語するが、それは本当だろうか。わたしには、人間の精神作用の基底にも、動植物に通底する感知の機能が根源的に働いているという気がしてならない。言葉を換えていえば、わたしたちの精神には植物的な側面も動物的な側面も痕跡として保存されており、、さらに言えば人間的な側面が付加されているのだと考えたい。
 
 
2017/10/02
(「察知」ということについて。)
 
 ふだん、わたしたちの思考は推測・推察・類推・邪推などを反復しているが、1つの例として男女間に恋愛感情が発生した場合を考えると、それはおそらく例外無しに錯覚や誤解や勘違いなどから成り立っているように思われる。そうして、恋愛の成立の初期においてはお互いの勘違いが成立の条件として必要とされているとさえ言いたくなるほどだ。
 わたしたちには他者の内面を正確に把握する術がない。自分については慎重に内省したり確かめたりなどを繰り返し、どうやら本当に好きなのだと理解することも出来るが、対象となる異性が本当は自分のことをどう思っているのかについてはどこまで行っても確証が持てない。持てないが、個々に、『こうではないか』と結論する地点はありそうに思える。それは「察知」という言葉が意味するところのもので、わたしたちはそれぞれに精度の違いは持ちながらその能力を発揮しているものだと考えることが出来る。ところで、冒頭に述べたように、わたしたちの能力としての「察知」は本来的に錯覚などから成り立っている。「話をする時にあの子が上目づかいにぼくを見るのは、きっとぼくのことを好きだからに違いない。」などというように、自分勝手な妄想のようなものから、恋愛は始まりもし、また挫折したりもする。
 ここでは、恋愛の機微や錯覚などについて考えたいわけではない。わたしたちが典型として考える恋愛時にはもちろん、毎日の生活の全ての時点で同じように「察知」をくり返していること、そしてそれがおそらくは誤解や錯誤などから成り立っているだろうことについて、あらためて注意を喚起しておきたいのだ。
 
 
2017/10/01
(空気が澄む秋の、また快晴の夜はたくさんの星が見える。一昨日から句にしようと工夫しているところだが、上手くいかない。今日も試作してみた。空の向こうに宇宙が広がっていることは現代的な認知だが、ぼくらの生の視覚ではそのようには映らず、時に平面の画像のようにとらえられる。感覚器の受容と脳の中の了解の機能は、あまりに知識と隔たっているために上手くかみ合わない。それやこれやを全て込めてみたいのだが、・・・。)
 
星空や
シールはがせば
目の眩み
 
秋星の
シールのような
暗き空
 
シール貼り
秋快晴の
夜空かな
 
 
2017/09/30
(夢に似た願望。)
 
喉の奥に手を入れて
胃を取り出そうとすると
裏ッ返しに
内臓の全てが外に出た
 
脂肪や腫瘍や黒ずみを
川原の水で洗い
ぬかるみの湿地に
幹のような腸管を
真っ直ぐに突き立てると
濡れて不格好な
一本の樹木となり
カバンやポシェットをつけている
 
画布ならば
根元に横たわる
ぼくがいるはずだ
ところが
内臓を失ったぼくの体は
さっと踵を返し
見慣れた街の風景の中に
姿をくらました
 
 
2017/09/29
(満天の星空にしばし見とれていると、真実は黒いラシャ紙のようなものに針で穴を開けて星を作っているのではないかと思うことがあった。もちろん、そんなことはあり得ないことだと百も承知しているのだが、そうイメージしてみると、つまり星がその向こう側から漏れる光ということになり、空全体を引きはがしたらいったいどういう光景に出会うことになるのかと想像が膨らんだ。まばゆいばかりの黄金の光りか、はたまた浄土とか天国と呼ばれるような光景か。)
 
針先で
つついた先を
隠す夜
 
 
2017/09/28
(受け身的かも知れないが、それがぼくであるならばそれでいい。)
 
何でもありさ、の世界になって
何をしてもよいことになった
飢えて死ぬことも
飽食の果てに人を食らうことも
頭を隠してやれば自由なんだ
 
ぼくにはぼくだけの神様がいて
ぶつぶつ独り言を呟いている
ぼくには聞こえないように
囁いている
 
おかげでぼくは
動物から植物の世界にまで
耳を傾けて
神の啓示を翻訳しなければならない
それから、だんだんと
言葉を捨てて
思考を捨てて
街路やビルの谷間
を旋回する風のように
無機へと近づいていく
生活と
微かに笑えるだけの
呼吸に潜もうとする
 
 
2017/09/27
(どうりで、何でもない「普段」が苦しいわけだ。視線も孤独なわけだ。ただ、どうしてそういう姿勢を取るようになったかは即興でこたえることが出来ない。少し考えないと。)
 
逆立ちをして生きている
そう取れば
いろんな意味で辻褄が合う
 
明るさを飢渇する中
ただ一人
滅びの姿と比喩せし人
 
 
2017/09/26
(自分にしかない「本当のこと」は、誰にでもあると思う。それは、はっきりと正面切って言ってよいと思う。隠すことで保たれる平穏は、希に価値がある場合もあるが、おしなべて本物の平穏とは言えない。)
 
モニターに表示される学歴
仲間や子分に囲まれたカリスマの映像
なんかには
少しの魅力も感じない
 
いわゆるステータスシンボル
と呼ばれるそれらは
ぼくからすれば愚者の頂点で
目にするとさっと
心の内を「恥」(ち)が走る
 
きっとぼくは
反転したり逆さまになったりして
世界がそんなふうにしか
見えなくなってしまったんだろう
 
声が誰にもどこにも
届かなくなってしまった
場所に落ち込んで
時にしょんぼり佇んでもみるが
ここで目にすること
ここでしか言えないホントのことを
ぼくはいつでも言う
 
ぼくは世界によって反転させられたが
ぼくの言葉は
世界を反転させようとして
闘っている
 
 
2017/09/25
(孤独も無知も、境遇として悪いことだとは思えない。むしろそうしたことが現在の自分というものを形成してきた。)
 
中心は気味が悪い
居心地も悪い
それで周辺に後ずさる
ことをくり返した
周辺はぼくにとって大切なものだ
なくてはならない
思考の境界線だ
そこはいつも孤独で
寂しく
つまんない思いもたくさんするが
今となれば
ぼくというものが
そこでの地層から成っていることが分かる
考古学の視線が
自身を理解する時の根拠になる
 
 
2017/09/24
(無名の領域での小さな在り方、小さな生きかというものに関心を寄せてきた。)
 
きみは起きてから眠るまでの
きみの暮らしに向けた視線を
ちっちゃな宝箱に放り込む
いつからか
それが毎晩の習慣になっている
 
肌触りを失った君の頭脳は空っぽになり
きみはその中に探検に出かける
本当はそこに大切なもの
探し出したいものは何もない
と知っているのに
残渣のような影
若しくは傷跡が
ありはしないかと目を凝らす
 
きみは『この執着はなぜ』
と 自責するように問いかけ続けている
探す行為も
探し出したものも
みんな無為と徒労に直結すると知っているのに
心に結びつけられた錘鉛が重すぎて
心の向きが変えられない
 
その日のうちに見つかるものは
ひとつぶの砂よりずっとちっちゃくて
きみはそれを一日の終わりに
紙に留めて日付を入れる
振り向けば軌跡のように続いているそれは
すりつぶされた骨片の
ひとつひとつだ
 
体を横たえて
深い呼吸をいくつかくり返すと
きみはもう
小さないびきをかいて眠りについている
 
 
2017/09/23
(ぼくは誰ですか。どこにいますか。)
 
休日には
テーブル前に坐ったり
寝ころんだりして
ふと起き上がり
遭難者がメモした記録
みたいな
詩を書いている
埋もれて
朽ち果てることを
案じながら
 
一篇を書き終えると
その日はもう横たわる
 
 
2017/09/22
(意識をもって「ぼく」とするならば。)
 
世界には意味がない
肌触りもない
 
おかげでぼくは
生きては死に
死んでは生きてを
くり返す
幻覚そのもの
 
 
2017/09/21
(自己慰安及び自己肯定のために。つまり、自分や自分に似た人々を鼓舞するために。)
 
でこぼこの日常を行く蟻のごと
時間に挑む君の無意識
 
擬蟻化しさて平凡を読み解けば
海山続く冒険の日々
 
一日を小さく刻み時々に
ため息ほっとつくのもいいさ
 
 
2017/09/20
(苦しみから逃げることがあっていい。手段や方法はいくつでも見つけることが出来るものだ。逃げよ。逃げよ。どうせまた、立ち向かわなければならない時は、来る。)
 
秋晴れのただそれだけに癒やされて
悩める人もいつか出会えと
 
逃げるなら尻捲ってもただ逃げよ
心の向きをさっと切り替え
 
蟻ほどもちさくなれ君
砂敷く庭もサハラとぞ化す
 
 
2017/09/19
(歴史的な偉人という認知の仕方は、人間的な制約の中に閉じこもった、とても狭い見方のような気がする。)
 
小さくなれわたしよ
蟻の時間を借りて多感になれ
 
低くなれわたしよ
湧水の染みいる岩ごけのごとく
低きものを受けとめよ
 
もっと無為と徒労に徹し
そうだ
ヴェイユの言う
無名の領域に存在する
幻を映し出すために
いちど人間という殻の外へ
出てみるがいいのだ
 
 
2017/09/18
(生活人としてもぼくは三流くらいのところか。まだまだ修行中。)
 
台風が通過する昨夜
軒端の蜘蛛たちは
がんばって巣を広げて
たくさんの獲物を収穫していた
ちょっとずるいという気もしたが
蜘蛛にとっては
絶好の狩猟日和だったのだろう
台風の過ぎた今日からは
罠が光って悟られて
そうそう獲物もかかってはくれまい
ぼくは朝の巡視を終えて
それからいつものように帰宅したが
ぼくの暮らしは
蜘蛛ほどに知恵が回らない
 
 
2017/09/17
(忍耐か忍従かは問う必要がない。ぼくたちが忍耐であると認識すれば、それは忍耐以外のものではない。)
 
雨が降ると
いっそ うな垂れて
雨に打たれてみたいと思う
時がある
 
無力感に打ち拉がれて
どこまでも沈んで行きたいと思う時
本当はもっと深く情緒の底を潜り抜け
乾いた無力にまで到達すべきなのだ
 
すっぽりと雨雲に覆われた街の路上で
「台風が近づいているね」
「明日はだいぶ荒れるらしいよ」
と乾いた挨拶を交わす
それからぼくたちは
どうってことなく
アスファルトの路上で分かれる
濡れた無力から
乾いた無力の方向へと
立ち去っていく
 
ぼくたちの忍耐は
極限に耐えられる
 
 
2017/09/16
(「死」の意味を変えたいと思い続けている。)
 
時を刻む音が小さくなりかけ
秒間が広がっていく
ホームの一室で
老いたる人たちは
少しずつ未来をなくしていき
ひたすら「いま」に
向き合うことを強いられている
差し伸べた手を
握り返すことすらせずに
「いま」という入り口で
立ち尽くし
溶融しはじめているのだろうか
 
ぼくの差し出した手は
空を握り
言葉は地に堕ちて
やっと笑みを作ることが出来るばかりだった
『あなたに死はないんですよ』
ちょうどぼくに死がないように
ただ
あなた方はぼくになり
ぼくはあなた方になるだけなんだ
 
老いるということは
そう
自分を去って
自在そのものになっていくことだ
 
 
2017/09/15
(嫌な世の中だよ。だけど、こういう時こそ、生活の内側に向かって日々の味わいというものを一生懸命訪ね歩くことがいいと思います。)
 
ごっこ遊びもここまで来たか
 
「Jアラート」だなんて
何の役に立つのか
この島国の住民の
恐怖心を引き出そうとするだけのこと
 
誰が考えるかは分かっているさ
のんびり屋の住民を嫌悪する
威張り腐って
お節介で
かつ他人の頭と心に土足で進入し
指導者めいた言辞をわめき散らす
善意だらけの紳士淑女たちなんさ
 
こいつらは決して本音を言わない
庶民
国民
大衆
市民
民衆
何でもいい
とにかく貧乏で
頭のよくない連中が
みんな嫌いだ
とはけして言わない
それは
言えば自分の足下が
ぐらりと崩れることが分かっているから
言わないだけだ
でも心の底では強く思っている
住民が恐怖するのを
楽しんでいやがる
 
戦争は
恐怖心が恐怖心を呼び
「やられる前にやれ」という
気運が高まるまでは始まらない
 
「戦争はないよ。皆さん、慌てず落ち着いて、平静を保ってください。」
10年以上も前に語っていた人を
ぼくは知っている
 
 
2017/09/14
(虫たちにとって、自然の猛威は核の脅威どころではないんではないか、なんてことを思いついて作してみた。毎年、毎月、あるいは毎日たくさんの犠牲を出しながら、翌年、翌月、あるいは翌日、虫たちは何食わぬ(?)顔つきで営みをくり返している。それに比べるとぼくらの社会は軟弱なのではあるまいか。ぼくは少しだけ見習ってみたい。)
 
 
日は昇り
生命(いのち)目覚める
秋の朝
 
荒天の
過ぎて今宵の
虫時雨
 
宵闇に
染みいる
虫の声深く
 
台風のたび
死者未曾有
虫世界
 
虫たちも
難民ぐらし
彼岸前
 
日は昇り
虫鳴き
人も動き出し
 
日は昇り
日はまた昇る
「生きよ」とて
 
 
2017/09/13
(精密機械を超えるシステムを持つ生命が向かい合うと、ほかの因子が自動で立ち上がってきて、互いのシステムに誤差をもたらすことはありそうに思える。これを解析し、これに対応していくことは相当に大変なことだし、やがて不可能という臨界点に到達することは目に見えている。人間はこれを克服できるのだろうか。克服するとすればどのようにしてか。)
 
精密な機械を超える心身も
世界の中で誤作動を積む
 
精密が難解を呼ぶこの世界
累積の果て個の許容越ゆ
 
いざとなりゃ人から虫へまた草へ
未来を過去に探してみるさ
 
 
2017/09/12
(子どもの頃、息を呑み込むほどの凄絶な夕焼けに出会ったことがある。あるいはそういうように記憶を作ってしまったのかも知れないけれども。)
 
秋夕焼
精緻な瞳に
切り取られ
 
昔日の
声を失う
秋夕焼
 
我が家へと
散りゆく子らに
秋夕焼
 
 
2017/09/11
(最近、仕事がら(夜警)、朝焼け、夕焼けに出会う。80近い先輩はそのたびに「きれいだなあ」と呟くが、ぼくはその色が血の色じみて見えてきれいだとは思えない。ぼくはもう少し、黄色がかった橙色に近い方が好きだ。そういう色の方が不安にならない。)
 
ぼくはどこにいるんだろう
少し遠い記憶では
子宮内を急ぐ精子の群れの一個だった
次の記憶では
カンダタの住む血の池で
阿鼻叫喚の中に
浮き沈みをくり返していた
 
いまぼくは
どこにいるんだろう
もう先を競う群れは見えない
足の裏で触れた頭や肩もなく
頭や肩を踏む足の裏もない
仲間たちを裏切るように
魂が少しずつ
地球の喧噪を離れようとしている
 
これで
いいのか
 
 
2017/09/10
(昨日、ホームに入居している母と別のホームに入居している叔母とを見舞いに、ひとりで栗駒に出かけた。勤務あけの朝8時頃に出かけたのだが、天気もよく、あちこち美しい田園風景を目にしながら快適にドライブが出来た。
 以前よく通った大和町の農道を走り、高速道路の入り口近くで人家があるところの車道のやや斜め両脇に、一方に秋桜、もう一方に向日葵が共に花を咲かせていた。もちろん即座に『夏と秋とが一緒になった光景』を見つけた気分で、ついうれしくなったことを覚えている。これが偶然なのか、住人の粋な計らいであるのかは分からない。
 栗駒についてもそうだが、たんぼ道や山道を走っているとたいてい農家の近くにはいろいろな花が植えられていて、生活に彩りを添えていることがわかる。おそらく自分たちのためだけではなく、家の前を通り過ぎる車の運転者をもてなす心遣いの意味あいも持つのであろう。ここに、そっと感謝を置いておく。)
 
秋桜と
向日葵の咲く
車道脇
 
 
2017/09/09
(不倫がバッシングされているが、正気かねと思う。褒められたことじゃないかも知れないが、それにしてもつい、みんな嘘をつくなよと言いたくなってしまう。紫式部が源氏物語を書いた頃の時代の人々でさえ、自分の欲心にきちんと正面から向き合うことが出来ていたように思う。今日ではそれさえ出来ない、しようとしない。もちろんこれはメディアが作りだしている世界に過ぎないことは分かっている。それに反応するというのもおかしなことといえば言えるかも知れない。)
 
深海に降り積む塵の層のごと
無名も沈める色恋の塵
 
秘め事の心の闇は降り積もり
古からの層の分厚く
 
 
2017/09/08
(いわゆる、よくやる想念の一人芝居。)
 
膨らんだ幻想の領域を
ふと生活画面に切り替える
午後の5時過ぎに家を出て
6時前に職場に着き
仕事モードでいつもの手順を踏む
明日の朝の7時に職場を離れ
しかも
何と明日は休みときた
ちっちゃなちっちゃな
誰とも共有できない
喜びなんだけど
マジうれしい
公開できるぼくの秘密さ
きみにだって
なにそんな秘密のひとつやふたつ
探せばあるに決まっている
 
けど明日の朝
ぼくはもっと憂鬱な画面に切り替える
喜びも束の間なんだ
これがぼくの身過ぎ世過ぎの術だけど
きみにはつまらんだろうな
 
 
2017/09/07
(賢治の「心象スケッチ」という言葉を頼りに、心象の風景であるならばこんなものでもいいかな、と。)
 
 わたしたちの存在は、「いま、此処に、在る」ことを源基とする。時間的であり、同時に空間的でもある。時間的という時、そこに受容と了解作用が起こることを意味し、空間的という時に、空間的な識知や関係性が生じることを意味する。おそらく生命的な物は全て共通して、この空間性と時間性とから成立していると見なすことが出来る。これ以上の微細な把握も不可能ではないが、現在のわたしたちにとってはあまり意味が無い。
 さしあたって、動植物を含め、わたしたち人間も、その存在の仕方や生きることの根底において、了解作用と関係づけを基礎・基本として行っているととらえられる。つまり、あまりにも本質的に言えば、ただそれだけが生きることだと言うこともできる。そして、こう言ってもよければ、ただそのことの繰り返しがわたしたち生あるものの生涯ということもできる。しかも、そのことは生命の属性であり、そのこと自体は自動的であるから、わたしたちは気に止めたり意識的である必要も無い。つまり勝手な作用で働きなのである。
 
 さて、ここまでの面倒な部分をはしょって考えてみれば、いわゆる生あるものがどのように生きるものであるかと問う時に、単純に考えれば空間の把握とその了解の元に自己の行為を決定づけることと言うことができる。これはもっと上手い、あるいは精緻な言い方も出来るだろうが、先ずはわたしにとっては十分である。「なあーんだ、生きることの根本はごく単純じゃないか」。そう考えて肩の力を抜くことが出来るからである。みんな、草や木や虫や鳥や獣も、そして知識人や芸能人やあらゆる人々も、さしあたって同じだと考えることが出来る。しかも、このスタートラインはいつでもついて回り、わたしたちの存在の根底に居座り続けるものである。つまり、現在、生あるものは、本質的に言えばそうした作用と働きを根底においてくり返しているのだ。
 
 わたしはらっきょうの皮むきのように、生きるとは何か、人間とは何かを、「本質」に沿って考え続けてきた時に、このような考え方に出会い、その延長上に考えて、だいぶ気が楽になった。ここまでのことを「本質」とするならば、重く受けとめるべきはこの「本質」に関わるもので、その他のことはさしたる重要性を持たないと思えるようになったのだ。容姿や記憶力や資質、あるいは貧富や友人の多寡などという、ある意味でわたしたちを悩ませ苦しめ、時に己を卑下したり傷つけたりする原因となるそれらは、少なくとも生あるわたしたちにとって「本質」的なことではなかったことが理解された。もちろん、そうしたことに悩むことがわたしたち人間である。同時にしかし、それはわたしたちにとって「本質」的な事柄ではない。そう考えることは必ずしも全ての悩みや苦しみからわたしを解放することにはならないが、そこに向かって立ち向かうわたしを鼓舞してくれる。それは、本当をいえばささいな人間的な悩みや苦しみに過ぎないことを理解させてくれるからだ。植物や動物は泣き言を言わない。力尽き果てた時に黙って死ぬ。敵わないなあと思う。そしてこの心身の力尽き果てるまで、生きて働き、考え続けたいと思う。
 
 
2017/09/06
(この夏はなにか物足らぬ気持のままで過ぎてしまったようだ。)
 
平らかに移ろう「時」は
変わらねど
軒に届かぬ朝顔の蔓
 
 
2017/09/05
(とても届く力を持たないが。)
 
きみの背の無言重たし
夏終えて
始業が運ぶ苦のいかほどか
 
いや待てと巡視で出会う
子どもらに
すれ違いざま念送りたし
 
観念が「我」と教えて
その外に
命は無垢に生きけるものを
 
草木から虫と獣の
世界まで
命は命尽き果つがよし
 
苦に喘ぐきみの命を
虫と見よ
支配を許すものではないよ
 
きみはきみ命は命
別様に
併せて一つの在り様を生く
 
 
2017/09/04
(まだ詰めて考えなければならないことだが、この先はうつむく人にも一緒に考えてほしい。つまり、生きるということについて、今に流布されている考え方というものに必ずしも従う必要は無いとぼくは思う。頭上の雲を取り払うように、ぼくらを窮屈にさせる嘘の考えは皆吹き払ってしまえばいいのだ。とりあえずぼくの考える端緒の一つを。)
 
 一口に男と言っても、男性度8女性度2の割合もあれば、男性度4に女性度6の男もいる。女性もしかりで人間存在は多種多彩なのだ。一般的に男女を分かつ基準は性器で識別されてきているが、それだけではどうも説明しにくいことが多くなった。
 人生の成功と失敗、幸福と不幸の問題を考えても、現在という時間においては二分法では間に合わないような気がする。そういう捉え方よりも、それこそ「多種多彩」な在り方としての側面から考えてみると、とりあえず「失敗」とか「不幸」とかのイメージが薄まったり消えていくという気がする。つまり窮屈な倫理性から少し解放されるように思える。 人生に失敗や不幸はない。ただきみは多彩な在り方の、その一つの在り方というものを体現しているだけであって、それを社会は失敗とか不幸とかのイメージで上塗りするだけだが、そんなイメージは、はっきりと言えば今此処だけのものだ。そんなことで落ち込む必要はないと、ぼくはぼく自身に、そして若い人たちに言っておきたいと思う。
 
 
2017/09/03
(夜警の仕事を終え、仮眠前のひととき。ぼくはコーヒーを飲んでもすぐに眠りに落ちる。)
 
三日月に
預ける一句
缶コーヒー
 
 
2017/09/02
(ただ、多様性の広がりがあるだけで、本来的にそこに価値は含まれない。生命の運動は純粋に運動的だ。人間の意識は遅れてついて行くだけのように思える。例えそれが意志の形を借りていたとしてもだ。)
 
潔く朽ち果て逝きし物みなは
無念の生など無きと告げ行く
 
 
2017/09/01
(未来は暗い。そういうイメージを払拭して、明るく楽しげなものにしたい。すると、何を残して何を残せばよいのかを考えればよいことになる。さらに、そう考えると、現在の自分のありようがどうであればよいのかも見えてくるようになる。ぼくらの年になると、もうそれをどこまで続けていけるかだけだ。)
 
ごくあたりまえの生活世界に紛れて
異数の世界は区別がつかない
仕事場で同僚とスポーツ談義をしたり
配偶者とスーパーで買い物したり
時にパチンコで散財したりする
これが異数の世界かと
異数の世界の住人も
困惑することがある
 
彼の革命の座標の基点には
ごく普通の生活世界が置かれるはずだから
しだいに異数性が薄れていくことは
理想に近づくことでもあった
ただこの生活世界には
薄められた異数世界が広がり
相変わらず難しいことに変わりない
彼は革命が成就する
千年後をイメージして
河原の石を積んだり
積んだものを壊したりして遊んでいる
 
 
2017/08/31
(ここ宮城の今夏の記録的な日照不足は一ヶ月を超える。玄関先に張った蜘蛛の巣にも、小さな虫がひとつかかったきりで、それが風に揺れてとても侘しげである。そろそろ米の実入りの少なさがニュースになるだろうと心配される。)
 
蜘蛛の巣や
食卓の
いと侘しげに
 
 
2017/08/30
(ここまで来ると、偏りの色の濃さの度合いも知れる。)
 
コンビニで朝のコーヒー飲みし時
心の病告げし人あり
 
何故かくも偏奇を招き寄せ来たる
心の類の生きがたき縁
 
 
2017/08/29
(アフリカ的以前は、人間では乳児期をさらに遡って胎児期に相当するような気がする。さらに無機的段階に遡るにはどういう経路を辿らなければならないかは、以後の課題。)
 
草木とか虫とか獣世界へは
アフリカ経由の回帰線で
 
 
2017/08/28
(心痛みし宵に。)
 
草叢からの声に
そっと
耳を澄ましていると
涼しい気配の
すぐそこに
虫の世界の入り口が
隠れていそうな気がする
 
 
2017/08/27
(夜7時からの夜警勤務。構内はひっそり静まりかえり、巡視巡回が始まる。)
 
刈り取りし
草に紛れて
虫の声
 
 
2017/08/26
(そこには意志のようなものがうごめいているから。)
 
深夜にタバコを切らして
団地内のコンビニに向かうと
数軒の家の2階には
まだ明かりが点っている
 
あの明かりは
不明な夜の視界のように
不明になった世界
と交信するために
静寂の中に耳を澄ます
胎児の感知の手法を
反復する
呪術的な一種の儀式なのだ
 
胎児は母の意志を聞こうとし
団地の住人は世界の意志を
闇の中に探ろうとする
たぶん昼の世界では
それを聞き取ることが
不可能に近くなっているからだ
 
 
2017/08/25
(まだ先があると思える時は、意識的に憩うことがあっていい。)
 
ほんの少し人目を避けて
あるいは
ほんの少しの無理をして
賑やかさが
ほんの少しの通りを歩く
 
歩道の脇には雑草が生い茂り
まばらに伸びたエノコログサを手にし
エアーねこじゃらしの遊びも出来る
 
ゆったりとのんびりと
たまには自分を
遊ばせてみるのもいい
 
 
2017/08/24
(ぼくには心に癒やせない傷のようなものがある。)
 
「善」の顔した「悪」はまだかわいいものだ
こわいのは底のない「善」そのものだ
ユダにとってイエスは底のない「善」であった
ユダはイエスを憎んだ
イエスのような「善」にはなれないことが
イエスの近くにいると分かったからだ
「善」としてのイエスを
ユダは許すことが出来なかった
ユダはイエスの「善」に深く傷ついていた
その「善」は違うと
ユダは腹の底から声を絞り出したが
誰も聞くものはなかった
 
ぼくは昔
教員や保護者また子どもたちの誰からも慕われ
非の打ち所のない校長先生の下で働いたことがある
2年ほど経過してから
たぶん唐突に
「もうあなたの顔を見るのも嫌だ。異動させてくれ。
それが叶わないなら辞職する。」
と脅迫まがいの暴言を吐いた
物わかりのよい「善」ほど扱いにくいものはない
ぼくはそうやって
全ての「善」から距離を置いて過ごしてきたのだ
 
 
2017/08/23
(人見知りのぼくは内側に自分を探したり、かつそれを守ろうとしているかのようだ。たぶん本当は人それぞれで、どちらでもよいことだ。)
 
複雑な社会に見あい
人格を
自分の中で振り分けている
 
それぞれの場所空間に
対応し
苦労なかなか誰でもそうさ
 
社交性あるかないかは
どちらでも
個に求心か否かの交互
 
 
2017/08/22
(境界、そして出口、もしくは入り口のようなところで。)
 
くるりと踵を返すと
そこにはもう誰もいない
もう一度振り返れば
もしかすると
たわいもない会話に憩う
そんな世界に戻れたかも知れないのに
丸ごと世界を拒絶して
異次元に身を捨てた
するとぼくは
暗がりの中に
入り口を見つけた
 
その先には「草木や虫や獣の世界」が
果てしなく広がっているはずであった
 
ぼくの精神はそこを通過しようとして
この身を巷の賑わいに置き去りにした
 
もうだれも「ぼく」を探すことはできない
 
 
2017/08/21
(今年の夏はほぼ一ヶ月にわたる長雨で気温も低かった。老いては過ごしやすかったとも言えるが、こんな気候では心も生活もいっそう単調であるほかなかった。そう考えたところで、いや、これは気候のせいではなく、老人一般の心象なのかも知れないと思った。ぼくも、そういう期にさしかかったということなのだろう。)
 
この夏は長雨続き
老いの身に
あっという間の記憶で去りし
 
 
2017/08/20
(内側のこと。あるいは、振り向けばすぐに突き当たる「青春の壁」。)
 
何げなく振り向くと
透明なトンネル状のものが見える
 
ここへ辿り着く間に
背景としての環界あるいは世界は
次々に切り替わり
テレビ画面のように多種多彩だったが
ぼくの内面史は青春期のまんまで
トンネルの奥行きに空間がない
 
さらに遡れば幼い日々や
臍の緒に繋がれた胎児期から
内面のトンネルは続いているのだろう
 
このトンネルには
倫理的な匂いが立ちこめ
また
とても狭くて窮屈だ
 
 
2017/08/19
(2時間坐って何も浮かんでこないので。)
 
叶うなら母音を捨ててやり直し
金切り声でがなり立てたい
 
 
2017/08/18
(反復という概念を考えた時に、その初発は胎児の母親からの分化、分離の過程に求めるほかないように思える。そうして、以後は、その折の関係と了解の形式を反復するという理解になりそうである。もしも個人の生涯も、あるいは人類の歴史においてもそうだとするならば、わたしたちの日々の営みはいったいどういうことになるのだろうか。ここでは、留保という形でただ提示してみるだけだ。)
 
否だけの倫理(母)の声に縛られて
徒手空拳を演じ来たかも
 
異数なる世界の底に孤絶して
わたしは今も呼んでいるのか
 
是の声を聞くためだけの
反復か
あれやこれやの模索に迷走
 
してみれば知の集積は
恐ろしき
進歩と見なす錯誤なのかも
 
 
2017/08/17
(これからは年金だけでやっていく、という後輩を思いながら。)
 
取り敢えず、木の実を探すお猿さんとおんなじでさ
毎日仕事をするんさ
 
好きも嫌いもないし
そんなに束縛されるものだという実感もない
 
木の実がたくさん採れる日もあれば
全く採れない日もあり
胸を膨らませたり萎ませたりしながら
仕事もおんなじようにくり返すだけなんさ
 
お猿さんの採集と
ぼくらの仕事はさ
種を縦断する反復なんよ
形を変えて「生命」が反復するんよ
 
だからさ
嫌だって思う時もあるけど
これから先も
ぼくは狩りをしに出かけようと思っている
力尽き動けなくなるまでは、ね
 
 
2017/08/16
(物語はもうすぐ終わりそうな気配。だが、まだだ。ここで終わらせるわけにはいかない。)
 
「生きるな」という声ばかり耳にして
ぼくは今まで生きてきたかも
 
宿命を乗り越えるべく思想して
普通に生きることの価値知り
 
負を背負い負を開放し
もの皆を
わが身のごとく思いけるなり
 
 
2017/08/15
(「宿命」あるいは「母と子の物語」への抗い。)
 
宿命の刻印は消えぬどこまでも
さても己を捨てぬ限りは
 
この頃は少し自分を解放す
身を焼く怨嗟猶々消せずも
 
 
2017/08/14
(乳児の心身の虚弱は胎内生活の失敗の反映である。母親はそれを本能的に察知し、またそれを負い目として感じ、その後の生育過程に過干渉になっていくのではないか。)
 
心身の虚弱を案ず若き日の
母は「世界」の視線と化して
 
まなざしを跳ね返すべく刻苦して
ぼくは現在に到っている
 
 
2017/08/13
(子の生育に責任を負う「母」の姿というものは、胎児の時にどのように接していたかというところからすでに始まっているのではないか。)
 
心身の虚弱を案じ若き日の
母のわたしを見る目の屈折
 
この頃はぼくを案ずることをやめ
齢九十母は任解く
 
 
2017/08/12
(生まれ落ちた新生児の様子から、子宮内生活がどんなものだったかがうかがえるのだという。)
 
新生児子宮の中の居心地を
刻んで生まれ落ちて伝えし
 
宿命のように全てを受け継いで
母から離れ児は誕生す
 
 
2017/08/11
(この頃は花火大会に出かけることもなく、音を聞くだけになり、夜空に開く大輪の花はしばらく目にしていない。)
 
夕食(ゆうげ)後の
静寂(しじま)に届く
音花火
 
 
2017/08/10
(半分ふざけたやりとりと見えていた北とアメリカの関係は、いまや一触即発の緊張関係までに発展した。日米韓北(この並び順はどうでもよい)の国民を、この危機的な地平にまで運んだ責任はいったい誰にあるのか。どの国のトップも全てアホ面に見えてくる。もちろんこうしたトップ連中の誰も、核の矢面に立つことを考えてもいまい。いつも安全な場所にいて戦況を見つめることしかしない連中だ。)
 
秒針が刻む無音の
底知れず
不気味に危機の迫り上がり来る
 
 
2017/08/09
(昨日台風が接近し、うねるように風が吹き始めた。ふと眼下に一匹のダンゴムシが見たが、ふだんとは違い、どこかあたふたとかけずり回っているかのように思えた。狭い範囲を行きつ戻りつするその姿は、目的もなくただ徒に動き回っているだけのようであった。一瞬、心配性の老婆の姿が重なって見えた。虫たちも異変を察知して、避難でもするつもりなのか、と、そんなことを思い起こしながらの作である。)
 
台風の近く庭木もざわついて
老婆のようにダンゴムシ急く
 
 
2017/08/08
(ひきこもりは悪くない。いじめは無くならない。相も変わらずそんなことを思う今日という日。ぼくは引きこもって戦う。大人だってイジメに屈する時がある。大人になってもイジメに屈しないためには、おそらくはそれ相応の修練が必要なのだ。)
 
立ち尽くす
立ち往生するぼくの四肢
の内側で
言葉たちが乱舞している
密かに制御する術を探す
くり返して場にとどまる
 
万華鏡のように
変化(へんげ)する内面
に見とれる
美しい光景もあり
奇っ怪な光景も見える
長いながーい入眠状態
のまんま
時間が経過していく
 
はてさて
どこかで均衡は
破られなければならない
 
やおら
我に返った少年のように
一歩ずつ
夕暮れの中の街
を目指して歩き始める
 
 
2017/08/07
(25時間目の意味。)
 
 誰にも与えられた一日の24時間は、誰もが使っているように使う以外にない時間である。仕事をしたり、家事に追われたり、合間をみてほっと一息ついたりする時間としてほとんどは費やされる。24時間のうちの8時間を睡眠に使うとして、あとの16時間にぼくたちの持ち込める時間というものはほとんど予定されていない。
 もちろん、仕事を放棄したり、家事を放棄したりすれば時間は作れるが、それでは「みんな」から離反してしまう。そこで、25時間目を作ろうとするわけだが、一番手っ取り早いのは睡眠時間を削ることだ。理想としては、たとえば5時間で8時間分の睡眠内容を消化することだが、これはなかなか理屈通りには行かない。
 ほかには、1時間の中の4分ほどをかすめて自分のものにしてしまうという方法も考えられる。そうすると、16時間の中で約60分を浮かすことが出来て、24時間の中で25時間目を作れる計算になる。もちろんこれも理屈通りに行くものではない。
 いずれにしても、無いものは自分で作っていく以外にないわけで、ぼくはこれまで、上のようなやり方をごちゃ混ぜに自分の時間(25時間目)というものを拵えてきた。そこで考えてきたことは貧相だが、そもそものスタートはそういうところから始まらなければならないとぼくたちは考えてきたのである。
 
 
2017/08/06
(ぼくの頭はいつもうろつき回っている。)
 
 学園では朝晩に猫を見かける。野良猫か飼い猫かぼくには見分けがつかないが、2、3匹のいずれもがあまり上品そうな毛並みではない。彼らはしかし、あまり悪さをするようでもないし、校舎内に侵入することもないので、夜警のぼくらもあまり気に止めない。
 猫たちは、単に何かよいことがないかなとうろつき回っているに過ぎないように見える。その姿や行動が、どこかぼくの日頃の、頭でしているうろつき具合に似ている気がする。「何かいいことないかな?」「楽しいことがないかな?」と、ぼくは毎日探すのだが、ほとんどは見つかることはない。仕方なく、ぼくはタバコを吸ったり、冷蔵庫の飲み物を出して飲んだりするのだが、このことは小さな「いいこと」であったり「楽しいこと」のようにも思えるが、はてさてどうであろうか。
 
 
2017/08/05
(動物に比べ、人間であるぼくは言い訳が多い。)
 
ひっそりと力尽き果て
野に朽ちる
動物生は潔きかな
 
さ迷いし野良猫のごと
闇踏んで
力尽き果て倒れて「さらば」
 
 
2017/08/04
(「アジア的」における世界遺産考。)
 
生きとしに生けるものとの共存は
頭にあらず心生くこと
 
片手間な思索は何も産み出さず
一人の景色をセピアに染めし
 
ただ一人ただ一人こそ物みなに
尊く溶けて慈しみ行く
 
受け入れし海・山・空と生き物と
全て「私化」して後「私」を開く
 
 
2017/08/03
(言葉以前、言葉の現在、言葉以後、などのことを考えながら。)
 
仕事をば抵抗ととらえ
負荷かけて
虐めて老いる暇を与えず
 
物忘れよし非知に入り
無手の児の
ごとくに未知に向かわんとする
 
 
2017/08/02
(「もっと夏の日射しを」と記した島尾敏雄の言葉を思い浮かべて。)
 
行く夏を
惜しんで老いの
深み行く
 
 
2017/08/01
(勤務する学園内には珍しい山野草をはじめとして、いろいろな樹木も見られる。今はしかし宮城は梅雨の真っ盛り。連日雨模様で蒸し暑く、緑を楽しむどころではない。特に校舎内はサウナ状態で、うんざりしてしまう。毎日汗をふきながらの巡視巡回ではへとへとになり、暑さにうんざりするあまり、繁茂する草木にもうんざりが乗り移ってこんな句になった。)
 
蒸暑にて
樹木は樹木
草は草
 
山野草
涼味埋もれる
溽暑かな
 
 
2017/07/31
(不毛の道。徒労の道。ぼくが究極に追いかけてきたのはそれだ。ぼくの中で、またぼくにとって、それが理想であったからだ。)
 
ずいぶんと長い間
草叢の中を歩いてきた
方位も行方も知らず
語りかける人さえ
いなかった気がする
 
立ち止まれば
寂寥の風に怯えてしまうから
黙ったまんま
足の動くにまかせてきた
 
本当はもっともっと
厳しく考え続けなければならない
ところだが
どことなく
黄昏の迫る気配がする
もう
過酷な道を踏破する意欲は
失われておぼつかないが
まだ
一人っきりには耐えられる
惰性のようにではあっても
きっと足は動いてくれる
 
 
2017/07/30
(山を切り開いた高速道路脇の斜面に見かけた。一面緑だらけなので、白い花はすぐにそれと分かる。色といい姿形といい、強く主張しているわけではないが、目立っている。ほかの草よりほんの少し丈が長く、そういう咲き方をしているところがどうしてなのかと気になる。)
 
草叢に
丈伸ばしたる
百合の花
 
山百合の
花ひとつほど
伸びし丈
 
 
2017/07/29
(65歳のぼくと同期の新人が、80間近の先輩にくり返し叱責を受け、辞めてしまった。ぼくを含めての高齢者3人はいったい何をしているのか。こんな実態では誰も長生きなんか望まないさ。高齢者、ファイト。自分、ファイト。)
 
つぶし合う爺3人
の職場
知恵も勇気もまた夢もなく
 
 
2017/07/28
(自己資本を活かせない生き方、あるいは生活に活かせない自己資本とはなんなのだろうか。)
 
自己資本を活用するとすれば
本当は塾のようなものでもはじめれば
よいのかも知れないが
その用意が出来なくて
この年になってまた賃労働を選択した
 
そのためにぼくはまた
無言で数年を費やさなければならないかも知れない
外側の規制や規則や決まり事に従って
自由気ままな振る舞いと
ここまで自分が考えてきたことなどとは
無縁な時間を過ごさなければならない
しばらくは
新しい環境になじむための時間が必要になり
先輩の動向の中にその知恵を見極めなければならない
 
新たな職場に身を置くということは
そういうことだ
ぼくはそれを今までに何度もくり返してきた
そのたびにまるで小学生のように
そこでのルールや慣例を
一から学び従うということになった
ぼくはそれを横にくり返してきて
縦に上りつめていくことが出来なかった
ひとつの「命なりけり」ではあるのだろうが
ある種不毛の循環という気がしないでもない
 
 
2017/07/27
(年取ると、ちょっと大げさな「物言い」をするかも。)
 
月末はぼくと妻との給料日
またひと月後にも生きているかも
 
「いまここ」に小石のごとく在るだけで
抗い刻む内在の「行」
 
 
2017/07/26
(内臓の研究あるいは仮説みたいなこと。別にいえば、人間の考えが届かぬ範疇のこと。)
 
ひたすらな野草のごとき
緘黙も
出来かねるらし人の過剰は
 
陽に射され雨にも打たれ
風襲う
樹木の悲喜の見え隠れして
 
 
2017/07/25
(頭が勝手に回る時、うるさいと感ずる時がある。)
 
戻り梅雨シャワーのごとく
街路樹の
枝葉を洗い清めて流る
 
世の中は針小棒大
阿鼻叫喚
枯れ木賑わう山の如しか
 
 
2017/07/24
(読みにくい文字の記述。)
 
歴史という概念が信じられるものとしていえば
それがどこに向かっているかはぼくたちにははっきりしている
みんなの幸いがぼくたちの幸いになり
ぼくたちの幸いがみんなの幸いになる
そういうとある地点に向かってだ
 
こんなことは根拠を明示するまでもなく
ざっと人類史を眺めるだけですぐに感得される
もしもそうでないとするならば
人類史のずっと初期の段階で人類は消滅していただろう
さまざまな困難や危機を超えてここまで継続してきたことは
自分や肉親ばかりではなく顔見知りやまた未知の人々を含め
ぼくらの中にそうした無意識の願望が
根強く刻印されているからに違いない
そうでなければここまで続いてきたことの説明がつかない
とぼくたちは考える
 
もちろん無意識の願望がかならず実現するとは限らない
これまでと同様に歴史は前後左右にぶれながら
時間を積み重ねていくものであり
これからもまたいくつもの困難や危機を迎えていくだろう
そのたびにまた軌道修正をくり返さねばならないのだが
どこに向かうかがはっきりしていれば
大きく軌道を逸れていくことはない
ぼくらはただその無意識に対して
ほんの少し意識的になればいいだけのことだ
 
 
2017/07/23
(ぼくにとって「死」は長い休暇のようなものだ。決して悲しむべきことではない。)
 
涙を湛えた集落の緑は
魚の目のような優しい沈黙
の中に沈んでいた
 
「あれから7年」
と呟いて
歳月は本当は無意味なことを
知っているのは
自分だけだと思い知る
 
過ぎた「父の死」と
やがて来るだろう「母の死」は
ぼくだけには同じものだ
 
そんなふうに歳月は
止まったり流れたりして
あるとかないとかの論理を超えていく
その先に
確かにぼくの死が
予定されている
 
 
2017/07/22
(年を取ると基本が大変になる。重力に抗し、気圧に抗しと、直立したり呼吸をしたりというこれまで何ともなかったことが急に力業だと思い知らされる。)
 
幸福も不幸もなくて
ひたすらな
人生があるぼくらの今日
 
年ごとに対応遅る
寒暖の
辛きを負って老いは来にけり
 
 
2017/07/21
(毎年夏前は、全身に夏の日射しを!と乞う気持でいるのに、実際に夏が来てみるとすぐに日陰に逃げ込んでしまう。そして、そうこうしているうちに夏が終わる。毎年そんなことの繰り返し。)
 
乞う夏も
日射しに耐えず
逃げ惑い
 
迎え撃つ
気持も日和る
酷暑かな
 
 
2017/07/20
(武田邦彦がブログで、幸福を統計から語っていて、それを聞いて違和感を覚えた。たぶん統計学的にはけして変なことをいっていないのだろうが、語る主体の核のところでこちらをイライラさせる何かがある。それがまだ上手くつかめない。)
 
分布とか確率とかで
貧困も
不幸も論ず冷たき科学
 
 
2017/07/19
(無季です。ど素人のぼくには五七五は制約に感じないが、季語は窮屈なものになってしまう。また、短歌や俳句は生活場面のあちこちでついリズムを刻んでいることがあるが、詩については机やテーブルの前に坐ってでないと作れない。そういう違いがある。この2作は茶碗を洗いながら発想した。新聞の俳句や短歌の投稿欄が継続するのは、たぶんこういうところも関係すると思う。つまり実生活との密着度が非定型の詩よりも高いということが理解される。)
 
五七五で
積み木遊びの
台所
 
気がつけば
立つ流し場の
書斎かな
 
 
2017/07/18
(「母型論」での遡行の試み―だらだらと書きました。)
 
家の門先から田んぼに降りていくと
幅4メートルほどの小さな川があって
夏はそこが遊泳場になり
近所の小学生が集まった
ぼくたちは男の子も女の子も
みんなふだんの下着姿で
飛び込んだり
ただ水に浸かったりと
さまざまに楽しんでいた
 
水面から180センチくらいの
高い土手が一カ所あって
そこから飛び込めることが
男の子たちの勇気・かっこよさ
そしてグループの順位を決める
象徴であった
高学年になると
ぼくも何とか飛び込めるようになったが
ホントは少し苦手だった
その気持ちを悟られないように
平気を装っていたが
何度くり返しても
平気になれなかった
 
当時の飛び込みの高さは
いま思うと何ということもない
高さだったと思える
でもその時にはそうではなかった
 
あれから社会に出て
いろんな経験をしてきたが
そのたびにあの高さから
飛び込む気持を
心にくり返してきた
ホントはたいしたことでもないのに
その時その瞬間には
その思いが覚醒してしまうのだろう
 
この年になって
何食わぬ顔つきでいられることは
ずいぶんと上手くできるようになった
だが本当は
いろいろな時にあの頃の
あんな思いを
フラッシュバックのように
心に映し出している
 
それはたぶん
目の前の事象に原因があるのではなく
何事かを前にすると
条件反射のように
身がすくむということなのだろう
また心象の反復を
くり返すということなのだろう
その理由や原因は
小学生のその時よりも
もっと遡って
探すことができる気がする
 
 
2017/07/17
(啓蒙できる柄でもないが。)
 
根に届き天に伸びゆく
機知なくば
地域興しもただあちこちで
 
挫折なき若者文化
それとして
真なるものに真なる蹉跌
 
 
2017/07/16
(この年になって仕事と家事の半分をやっていると、それだけで大変。どちらもおおよそ同じことの繰り返しだが、特に茶碗洗いは心に我慢と忍耐の文字を浮き上がらせながらやっている。つまり、どこかにそれをすることが不毛であり徒労であるという捉え方をしているんだと思う。それが、『嫌だなあ』という思いを運んでくる。『いや、そうじゃないよ。これは金のかからぬ修行なんだよ。』と自分に言い聞かせながらでないと、ぼくの場合は続けていくことが難しいようだ。)
 
あらためて家事全般の
修行かな
礼は要らずに理屈も要らぬ
 
なるほどね女性のえらい
その訳の
一つが修行の史的累積
 
 
2017/07/15
(朝起きてすぐの巡回時、学園を水底に見立てて足を運ぶことがよくある。)
 
ふわふわと
海月漂う
朝の靄
 
朝靄に
太古を見立て
浮く海月
 
 
2017/07/14
(言葉以前にあるもののうちから。)
 
子どもの頃
自然というものに興味がなかった
なぜかといえば
うんざりするほどに
僕らのまわりを取り囲んでいたからだ
「空」と呼び
「風」と呼び
「雨」と呼び
「草木」と呼んで
それらはみな
改めて眺めてみるまでもなく
いつも僕らの視野の大半を占める
何かだった
 
ちょうど植物器官である
内臓について
健康な時はほとんど
あえて顧みることがないように
僕らは環界としての自然を
同様に顧みなかったんだと思う
 
今は内臓と自然とを
近しいものと感じていて
いろんな意味で
僕らの根幹にあるものと
考えるようになっている
そのうえで
もしかして僕らはまだ
「本当のことを」口にしたことが
ないのかも知れない
と内省する時がある
 
 
2017/07/13
(太宰治は今。)
 
長い時間をかけて
ひとつだけ
分かったと言えることがある
それは
「人が分からない」
「人の心が分からない」
ということで
遠く
母の胎内での
母とのコミュニケーション
の失敗に起因するのではないか
 
はじめに
母の心のリズムに同一であった
ぼくの心は
少しずつ自分の心を目覚めさせていった
非分離が分離していく過程で
ぼくは寂しさを味わったかも知れない
簡単な言い方をすると
親離れがうまくいかなかった
なぜ胎児のぼくの期待に母が背くのか
ぼくはどうしても納得できなかったのだろう
 
ここに来て
ぼくはたびたび
妻がどうしてぼくを理解しないのか
腹を立てて困らせることがある
せめて第三者の他人はどうであれ
対を形成するもう一人に
理解されないのでは辛い
というのがぼくの言い分だ
けれどもそれはすぐに
ぼくが妻の気持ちを理解していない
ことも指し示す
 
こういうところから
人間は本当にはわかり合うことはできない
と結論したのは若かりし時のことで
今では自分の心の核の部分に
帰着する問題だと考えるようになっている
解決ではないけれども
ほんの少し
折り合いのつけ方を学んできたのだ
 
 
2017/07/12
(自立した芸術性ではありたい。)
 
鑿の目の視野を見据えて
自ずから
表る思想・文字を刻まん
 
双眼(ふため)して奥行きを取り
片眼ずつ見たもの合わせ
わたしはわたし
 
 
2017/07/11
(日中34度ほどの暑さでしたが、庭の額紫陽花が凛として涼しげです。)
 
猛暑日も
額紫陽花の
佇まい
 
 
2017/07/10
(買い物先のスーパーのまぢかにある雑木林を見て。)
 
雑木林に風が渡り
ゆらりゆらり
ざわざわ
あちらこちらの
枝葉が揺れていた
 
林の真上には
青い空が広がり
なぜともなく
『あそこに賢治さんがいるんだ』
と内心に呟いた
風が笑っているのか
枝葉が笑っているのか
賢治さんもにこにこして
一緒に
愉快そうに
笑っている
 
世の中がどんなであろうと
ぼくは端から救済されている
という気がした
 
 
2017/07/09
(戦後の復興は、危篤に陥った人間が見せる奇跡的だが一時的な回復のようなものではなかったか。それが過ぎてみれば、依然としてこの国が負った本当の傷口、またその重傷の度合いが見えてくる。経産省の若手次官たちの立ち上げたプロジェクト「不安な個人 たちすくむ国家」の題にそのことは象徴されている。だが、この先長い療養生活が待っていることは次官たちには自覚されていないかも知れない。)
 
本当の敗戦は現在(いま)
見渡して
無くしたものの大きさを知る
 
せわしなく「絆」を告げる
その口に
八月の傷の深さを思う
 
 
2017/07/08
(現在社会の風景は、評価は別として、敗戦後の最後の場所という気がする。そして、なんだ、戦後からここまでの歩みは日本的な遺産の全てを食い尽くしてきただけじゃないか、それがここに来て皆無になったんだ、という気がしている。別に悲観するでもなく、いっそせいせいして、誰にも気兼ねすることなんかないやと思う。英国の東インド会社によるインド支配と同じように、アメリカ、ヨーロッパによって日本の近代化は想像以上の発展を遂げたが、その裏で日本社会は完膚なきまでに破壊された。と、ぼくは考えている。)
 
土台なす地域と家族ほころびて
「絆」と言うも空しく聞こゆ
 
荒地といえど賑やかに
何もかも見ゆ戦後の着地
 
 
2017/07/07
(モデルなき時代、僕らの欠陥も少しずつ露わになってきた。)
 
気がつけば
この目に見えぬおおかたは
賑わう視野に隠れて廃墟
 
 
2017/07/06
(「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる。」『高村光太郎』。「老人の前に道はない。老人の後ろに道はできる。」『ぼく』。)
 
長き梅雨のよう
高齢の「道程」は
 
 
2017/07/05
(人間的なそして生理的な不自由とか限界とかに関心があります。)
 
「梅雨厭う」
からも悲喜劇
呼び込まれ
 
 
2017/07/04
(コインランドリーで洗濯中、外で一服していると上空に鳶が見え、悠然と旋回をし始めた。地表は蒸し暑く今にも雨が降りそうな中、気流に乗った鳶は涼しげであった。)
 
トンビめが溽暑の喘ぎ見下ろして
螺旋の後は北へ一筋
 
 
2017/07/03
(異なることの二つ)
 
姿見の白き肌こそ
卑しくて
老いぬ仏の老いを映さん
 
学園の生徒のように
迷い来た
解錠の途次に鶯の子
 
 
2017/07/02
(思えば「文」にも「武」にも縁が薄かった。)
 
親鸞の「非僧非俗」を
もじるなら
「非文非武」とぼくならば言う
 
 
2017/07/01
(文字を刻む人)
 
書かれた文字などに
見向きもしない
そんな
本当に届けるべき
ところと心に
届かぬ文字と思想
また
そんな
届けるべき
真の所在を
知らぬ書き手
 
 
2017/06/30
(今朝、天気のよい中を、日傘をさして歩いている人を何人か見かけた。)
 
ときめいて
梅雨の晴れ間を
行く日傘
 
 
2017/06/29
(篩にかけられて三ヶ月。ごたぶんに漏れず、世相のあり方はぼくら三人の上にも。)
 
三人の「じじい」で廻す
夜警のローテーションは
それぞれにリズムが違い
好悪もはっきりしてきて
またそれぞれに柔軟性も
失われてきているようで
変だ
 
これでは超人間どころか
お互いに偏屈な厄介者に
成り下がってしまいそう
知恵をさがせ三人の爺よ
これぞ超人間の生き方と
範を示せ
 
 
2017/06/28
(庭に咲くアジサイ、ガクアジサイとも花の色は青く、地味めに映る)
 
しっとりと
紫陽花青く
朝の庭
 
アジサイの
奥ゆかしげに
青き色
 
ツツジすぎ
庭アジサイの
青曇り
 
 
2017/06/27
(夏の日射しを目一杯受けようと準備するかのよう)
 
梅雨の下
みどり日ごとに
深み増し
 
梅雨空の下
音立てず
繁る葉ら
 
曇天に
かくれて緑
深みゆく
 
 
2017/06/26
(即興で、自分でも意味は分からないが。)
 
こんなに長く生きるとは
思ってもなくて
準備を怠ってきた
 
気がつくと
これから先にも
モデルはなくて
横目で右を見たり
左を見たりして
進んでいくんだろうか
 
モデルがなくても
立ちつくすわけにはいかない
ぼくたちは超人間を目指すんだ
既存の人間のモデルは
みんなダメだ
あれもこれも否定して
あれにもこれにも
ならない道だけを選んで
ぼくらの道とする
 
超人間の
道とする
 
 
2017/06/25
(逃げるのではなく、一歩退いて見渡すということ。)
 
風が少しばかり強い日に
団地から国道の方に降りていくと
向かいの小山の木々たちは
繁る枝葉をゆらして「笑って」いた
 
  それがあんまり笑顔で
  手足をばたつかせる赤ちゃんに似ていたので
  ぼくも一緒に
  ゆれる気になった
  涼しい風が
  内臓を吹き抜けていった
 
  風は いい
  風の詩人が懐かしい
 
見れば街路樹にも
いっせいに笑いが満ちていた
 
せわしげな人間社会に同居して
意識一つ隔てた世界は
こんなふうに初源を貫いている
ことは
疲れた人間たちを
小さく
救済してくれる
 
 
2017/06/24
(不穏な世界。だが、その波に呑み込まれたくはない。)
 
「絆」とは武力・腕力頼まずに
自他守り抜く「住民」の知恵
 
 
2017/06/23
(昔から、どこか自分の心、意識、感情などの内面と呼ばれるところを、自分が信用していないという、変なしこりを抱き続けている。)
 
目にて告ぎ
胸にも刻み
果つ瞋恚
 
自傷して
日々更新(リセット)す
我が心
 
※更新(リセット)は、やや無理があるが、あえて。
 
 
2017/06/22
(許せないといった「思い」も、翌日までには緩和されているものだ。)
 
その人の言葉に深く傷ついて
ひとり静に狂って耐える
 
 
2017/06/21
(深刻を突き抜けたら、嗤ってくらすようになる。ぼくはまだ中途半端です。)
 
貨幣等の
一泊もせぬ
年金日
 
妻も子も
金・金・金と
喉に詰め
 
働いて
なお働いて
つまし夕
 
 
2017/06/20
(年のまだ若き人たちに)
 
目の前の崖を見て
獣等は
登るものもあり
下っていくものもあり
あるいはまた
尻込みして引き返すもの
迂回するものもある
 
ぼくもまた
時々を
そんなふうにして過ぎてきた
 
どれが正しいかなんて
言えるもんじゃない
ただ獣等のように
促されて成せることを成せば
それでよい
 
内なる声以外の声は
気にするな
 
 
2017/06/19
(大きなことを「うやむや」にする手口。古いなあ、日本。)
 
「森友」の下火になって露骨なり
格差と意向満載の捜査(操作)
 
籠池をしょっ引くんなら
せめてもに
昭恵夫人の「申し開き」を
 
 
2017/06/18
(この年になっても変わらず感情に振り回されてばかり)
 
身体と心のリズム綾を成し
悲喜こもごもを運び来るかな
 
経年の身過ぎ世過ぎもとりあえず
制御できぬと思い知られて
 
 
2017/06/17
(悲喜こもごもは思いもよらぬ形で襲ってくるなあ。)
 
平凡の
思いもよらぬ
悲喜の波
 
梅雨の間の
感謝を誘う
天の海
 
 
2017/06/16
(不快なことがあり、深夜まで怒りさめやらぬところ、眠りに入ろうとすると急に雨脚の早まる音とともに雷が鳴った。ちょうど頭の上であるかのように鮮明に聞こえ、少ししてどこかに落ちたかのような激しい音響が聞こえた。自然は恐ろしい、そんなことを思って目を閉じていたら知らぬ間に眠ってしまった。)
 
梅雨闇に
瞋恚を払い
唸る神
 
昨晩の
歯ぎしり今朝は
消えており
 
昨晩の
瞋恚打ち消す
眠りかな
 
 
2017/06/15
 
素人の
分からず綴る
十七音
 
定型に
呼び寄せられた
詩心かな
 
 
2017/06/14
(期待した姿とは違ったなあ。せめてこれを他山の石として記憶しておこう。)
 
答弁に
むごさ滲ます
元「ヤンキー」
 
「ヤンキー」も
「夜回り」も釣る
その世界
 
淋しくて
日陰を歩く
心地よさ
 
地を這うも
大気を吸いし
深々と
 
 
2017/06/13
(日常生活が教科書であり啓蒙書である)
 
 歴史的に見れば、樹木の幹や根に該当するものは、生まれ、育ち、食を求め、あるいは異性との間に子を生み、老いて死ぬという生涯の繰り返しということになるだろう。その他のことは枝や葉や花ということになり、文明や文化といわれるものの諸々の産物はそれにあたる。
 あまりにもありきたりに見える生涯の繰り返しについて、わたしたちはそれがわたしたちの生涯にわたる、幹や根といった根幹にあたるものとは認識してこなかったかも知れない。しかし、例え時代によって様式や形態に変化は生じても、根幹そのものに揺るぎはない。この植物性から動物性にかけての、いわゆる生き物としての生涯の過程は普遍のものであり、わたしたちはこれを免れない。
 逆に言えば、わたしたちはこの過程をいかに豊かに、またあらゆる障害から隔絶して通過していくことを根源的な課題として、これをひとりひとりが担って生きているのだと言うことができよう。
 このことは個人的な努力目標であることはもちろん、共同性や世界性にとっても第一義に重要なことであり、人類的な最終課題とも考えられる。
 明確に言い切ってしまえば、多くの人々の生涯の過程の根幹にあたる部分をより豊かにし、そしてまたその過程におけるさまざまな障害を克服する人間的などんな営為や思考もわたしたちにとっては歓迎すべきものなのだ。このことをまた逆向きに言えば、そのことに抵触しないどのような政治、経済、文化などの人間的な諸活動も、枝葉の賑わいというほどの意義しか持たないことは明白と思える。もちろん幹や根のない枝葉はあり得ないし、枝葉のない幹や根だけというのもつまらない。幹や根が大きく太くなれば、枝葉もまた豊かに茂り、花や実もまた賑やかさを増すことは考えるまでもない。わたしたちはこうした意味での真の豊かさへの志向を怖れるべきではない。また、大胆に追い求めることを恥ずべきでもない。なぜならその希求があらゆる存在の共通の希求であることに思い至り、やがて人間はその希求を手助けすることを次の課題にしうる可能性を潜在的に秘めた存在と言えるからだ。わたしはこのために、書くことを止めない。
 
 
2017/06/12
(ぼくたちは何を見、何を聞こうとしてきたか)
 
 言葉は樹木の枝や葉のようなもので、幹や根に繋がっていてもそれで幹や根を理解することはできない。幹や根は言葉以前、あるいは言葉の母胎なのだ。
 人間から言葉や表情や仕草などの表象を引き算すると、人間の幹や根が見えてくる。そしてそれは沈黙に耳を傾けることと同じだ。ぼくたちはそうやってすれ違うことを常としてきた。
 
 
2017/06/11
(思想の生活化、あるいは生活の思想化などを考えつつ)
 
思想者の言葉に惹かれ思想して
悟空は今も釈迦の手の中
 
掌を泳ぐも愉楽
卑下せずに
ここまで来たと思うべきかも
 
 
2017/06/10
(人の生涯において成すべき事は、そんなに多くない。呼吸する。働く。飯を食う。そういうところは動物器官と植物器官が連携して何とかやってくれるものだ。感じたり考えたりでそういうところを邪魔するようなら、かえってそのほうを変えた方がいい。主客を転倒してはいけない。)
 
世に倣う心の機微は
それとして
我がなすべきは二つ三つ四つ
 
お駄賃はタバコのほかに
二つ三つ
ありきたりなる命なりけり
 
 
2017/06/09
(毎日の生活に目を向けるとこんな感じ、か。)
 
ばかばかし
あるがままにて候と
昼寝決め込むそれも愉快か
 
昼寝してさらに不足と昼寝して
慌てて起きて仕事モードに
 
 
2017/06/08
(日々の正体とはこんなものかも)
 
ここに来て寄る年波の億劫に
『侵されそう』と対策を練る
 
時折は「見る前に飛べ」
と自分を叱咤している
拍(はく)を重視の
 
 
2017/06/07
(自分の「ほんとう」はどこにあるんだろうか。その問いに答え続けてきたが、それで納得できたことはない。今も。)
 
拒食症患者のように
病的に削り続けてきたのではないか
と後悔しそうになるがもう遅い
 
日は暮れかかり
少年の日の集落の
燃える薪の匂いが
すぐそこに立ちこめている
 
倫理はどこでみんなからはぐれたんだろう
 
追っても追っても
父や母の年に追いつけなかった
せめてここで妻や子を待ち受けて
手をつなぎ
並んで歩くことにしよう
そのために
気がかりは全て
捨ててしまっていい
 
 
2017/06/06
(「先行する無意識」というものか)
 
梅雨前の青空めがけ
袖あげて
軒いっぱいに洗っては干す
 
目も耳も鼻もあやしく
なってきて
頼れる手足を先導とし
 
いつかにもこころ手足に
引きずられ
越えてきた壁あり現在(いま)も
 
何もない一途に生きて
何もない
ことは宝と庭に埋めたり
 
艦隊の旗のごとくに
波打って
洗濯物の白く目を打つ
 
 
2017/06/05
(記号の森の渇望)
 
夏向かい
無言に繁る
草木たち
 
心なき
やりとりのごと
ひとの世の
 
きっぱりと
空見上げたる
ツメクサ等
 
 
2017/06/04
(そっちかこっちかではなく、そっちもこっちも、である)
 
「官邸」も「文科」も
同じ穴の中の狢
喧嘩すればたいていは「官邸」が勝つ
今度の喧嘩では
いろいろと色がついて
「文科」が予想以上に健闘している
のが面白い
 
こういう喧嘩を見ていると
しだいにどっちかは正しくて
どっちかは悪である
ように色分けされがちだ
でも本当のところは
どっちも同じ穴の中の狢
同士が戦っているだけで
いわば狢の世界の
綱の引き合いに過ぎない
どっちが勝っても負けても
穴の外の人間には関係ないやね
 
そう考えて観戦するのが
見る気も無いのに見せられてしまう
ぼくたち一般生活者のする
妥当な観戦の仕方というものだ
 
 
2017/06/03
(構内巡回、解錠の後。いつものコンビニでコーヒーとタバコしながら。)
 
平凡に朝を迎える夜勤明け
 
子ガラスの甘える声に夜は明け
 
構内に降る朝の雨の冷たき
 
雨繁く遠雷を聞く朝の街
 
 
2017/06/02
(WHO・国立がんセンター・厚労省とそろえば、何でも通るのか。かつて地域や隣人間で決せられたことも最早通用しなくなった。喫煙を根こそぎにしようとするこの強い意志はどこからのものなのだろうか。)
 
矢継ぎ早息もつかせず
がんセンター
厚労省と禁煙誘導
 
長年の官僚「善」
貫いて
タバコ根絶ご都合データ
 
文明の先進地域
こうだよと
かざす物差しの名は「西欧」
 
布教の名かたって世界
股にかけ
従属させた「過去」の「今」は
 
 
2017/06/01
(「死の棘」の後)
 
団地の朝晩は
ゴミ出しする高齢者は珍しくないが
最近は男性が多くなった
それにまた
夫婦そろっての散歩も多い
 
なんとなく
労りあうオーラが包み込み
ここに来てやっと
大事なことが何かに
気づきはじめたのだろうか
世に蔓延する家族崩壊の危機が
老いた男たちあるいは女たちを
駆り立てて
こんな光景を創り出しているように見える
 
だれかれに後ろ指さされても
陰口をたたかれても
夫婦なかよく家族なかよく
という関係が築けたら
それが何よりだといった詩人の
声が聞こえてくるようだ
 
住人に
詩人も思想家もいないだろうが
奇しくも同じ詩心が
共有されているように見える
関係の崩壊の後の構築に向かって
動き出しているように映る
 
 
2017/05/31
(生活者大衆は我慢比べのように耐えている。これをじり貧と受け取るか、正統かつ本流のパワーであると見なすかではだいぶ違ってくる。現在の状況で、これを「活路」と見なすべきだと思う。)
 
我慢して耐えている皆
もう少し
拮抗破るパワー得るまで
 
象徴の悲劇のテロの
その背後
我慢の底の「人間」を見よ
 
諾々とうなだれる民と映ずるが
「人間力」の深化が兆し
 
さらさらに信仰心は皆無だが
「人」なるものはなお捨てきれず
 
 
2017/05/30
(すでに完全犯罪は成立している)
 
森友や
加計から分かる
システムの
 
 
2017/05/29
(社会には有言、無言あるいは集団、個人の強制力がのさばっている)
 
振られ続けるように詩を書いてきた
きみもぼくも
 
とうとう
それが生涯といっていいほどの時を経て
受け入れられない
無念とも何とも言えない思いを
ただ胸に抱き
こうして
今日も生活に追われている
 
もしもぼくらに取り柄があったとすれば
思いを届けたい相手を
けして恨んだり憎んだりしなかったことだ
そうなりそうになった時に
もっと深く内省し
届ける思いと
それをのせる言葉とを
どうしたら届くのかと
繰り返し繰り返し探り続けてきたことだ
 
つまりそれは
相手の自由に
決して手をかけないという無言の戒律が
ぼくたちにあったということだ
 
ぼくたちはぼくたちの自由が
束縛されることを嫌い
そのためにまた束縛することを
恐れた
そうして誰もが自由なまんまで
心のつながれるのを願った
 
 
2017/05/28
(朝のコンビニ前でツバメの子が5、6羽群れていた)
 
ツバメの子
遊びに飽きて
また遊び
 
追い追われ
「飛ぶ」を楽しむ
ツバメの子
 
飛ぶツバメ
見えない顔の
見えそうに
 
 
2017/05/27
(またしても苦肉の「句」)
 
雨上がり
雲間に夏が
のぞき込む
 
新緑の
濡れてざわつく
生命界
 
 
2017/05/26
(朝から曇天で気が滅入りそうだ)
 
代議制と言ったって
代弁してくれるものなんて
少しもいないさ
偉い連中はみんな
ぼくたちの生活にとって大切なことを
偉い連中同士で決してしまう
ぼくらの思いは
どこにも届かないというのが本当のところだ
 
こんなシステムはどうしてできてしまったんだ
こんなシステムを前にして
ぼくらにはいったい何ができるんだ
 
考えるけれども回答が見いだせない
そうして毎日
今日をどんなふうに過ごそうか
明日どんなふうに過ごそうか
に明け暮れる
瞋恚はいつか
自分を食い破るように内向する
またそこからの自衛に疲弊する
 
 
2017/05/25
(生活から得たものは生活へ)
 
生涯の全てをかけて立ち向かい
面・胴・小手とやられっぱなし
 
負け戦知りつつ向かう子のように
疲弊の後も立っていけるさ
 
 
2017/05/24
(100%の力尽くしてもなかなかに追いつけぬのが「生活」)
 
物嵩み整理がやっとの生活
家庭も思惟も後手後手を踏む
 
いつの日か先手をとって胸張って
日を楽しむの境地を得ん
 
 
2017/05/23
(行きはよいよい帰りはこわい)
 
虚空に浮かんで
男が一人
手足をばたつかせている
何をしているのかと尋ねると
絵を描いているのだという
にわかには信じられず
しばらく眺めていたが
それはまるで絵空事のようで
君子危うきに近寄らずとばかり
静に立ち去ったのだった
 
そんなふうにたくさんの人が
男の前を通過していった
いま思えば
男はきっと
不毛とか徒労とかを
ひたすらに塗り重ねていたのだ
 
そしてそこに
男は意図しなかったであろうが
人が人に影響を与えるとか
影響されるとか
の機微は
内在していたに違いない
 
 
2017/05/22
(第一次内閣の時からの継続的な印象)
 
「尊大」と「不遜」以外の何もない
国民遊離の象徴総理
 
権力を笠に着る子の様に似て
手がつけられぬ末期の政治
 
 
2017/05/21
(知は戦略でもあるシリーズ3)
 
知の西欧情のアジアと言ってみて
人を踏む知のなんの優位か
 
西欧でみんなやるから禁煙と
日本は今も「知」に媚びていて
 
 
2017/05/20
(知は戦略でもあるシリーズ2)
 
傷つきし国と国との諍いに
冷酷なイジメの結末見る
 
知を武器にことばを武器に君臨す
その構造をどう断ち切らん
 
 
2017/05/19
(知は戦略でもあるシリーズ1)
 
願わくは繰り返す事無きがよし
アジアの果てに起きた惨禍を
 
目には目をの小国を取り巻いて
孤立させるをイジメとは言う
 
 
2017/05/18
(5月は仕事の疲れや慣れが出てくるころで、これもその影響か。)
 
眠りの前には
全てがどうでもよいこと
のように思える
 
半端な思想であること
からっきしの孤独であること
人見知りが治らないこと
つまらぬことに時間を費やす
生涯であったというようなことを
どんなにくり返し考えても
何一つ変えることはできやしない
 
本当にそんなことは
どうだっていいことなんだ
どうだっていいことだから
眠れるんだと思う
 
つまり眠りはリセットなんだ
どうでもよいことがどうでもよくなるように
摂理としてリセットされ
もっと大事なことは
明日にむかって開かれている命の
ただ明日にむかって開かれているという
そのことではないか
 
積み重ねられてきたものを
かなぐり捨てて後
捨てたものをまた背負い
ぼくらはただ生活とか暮らしとかいうものを
くり返していく生き物である
 
明日ぼくらは生活を
暮らしを
続けていくんだ
遠くまで行かないんだ
存在の深ーい奥底からの声に
しっかり耳を傾けて
聞くんだ
 
 
2017/05/17
(北と昔の日本の最大の違いは「天皇制」にあると思うが。)
 
アジア的好戦派とはかくなるか
金と安倍とはよく似て見える
 
国守る大義に隠れ雲の上
雷鳴って下は困惑
 
 
2017/05/16
(行きつけのコンビニの前の街路にツツジが咲き出したのを見て)
 
コンビニがある市街の道に
棺の形に整えられたツツジが
街路樹を真ん中にして
ある間隔で続いている
 
雨上がりの早朝に立ち寄り
一杯のコンビニコーヒーを持って
外の灰皿の前でタバコを吸っていると
いつの間にかツツジは
たくさんの花をつけていると分かった
 
朝陽が降り注ぎ
柔らかに光る緑の葉の間から
ポツポツといくつかの
大ぶりなピンクの花が顔をのぞかせ
めずらしくわたしは
きれいだと感じ
こんな棺だったら
喜んで入ってもいいと思った
 
花の盛りの少し前
でもあるのか
物足りなさを感じさせるほどの花の数が
濡れた緑の葉に対し
ちょうどよい比を作っていると映った
 
 
2017/05/15
(池や水たまりばかりを思い浮かべていたら、実は野外プールだった)
 
鳴き声を
辿ればプールと
洒落ガエル
 
ゲロゲロゲ
時には遠く
また近く
 
 
2017/05/14
(構内に見かけたことのない蛙の鳴き声が突然聞かれるようになった)
 
蛙鳴く
広き構内の
何処かに
 
静まりし
構内の日暮れ
鳴く蛙
 
古池も
ない構内に
鳴く蛙
 
雨を呼ぶ
声のみ届き
見ぬ蛙
 
 
2017/05/13
(ひたすらなる懐疑の道を、懐疑の風を)
 
「全てを疑え」ということばを信じ
ここまでくすぶり通してきた
しかも余力を残している
これから
どこへ行く
予定もなく
生あくび一つしたら
とりあえずまた立ち上がる
風を感じたら
自然と
歩き出す方角は知れてくる
 
 
2017/05/12
(仮眠5時間の後、家ではなかなか寝れないが、そのかわりにうつらうつらと過ごしていることが多い。)
 
繁栄と敗戦とが混じりあった町中で
「眠らない」なんて言えなくなったぼくが
ネオンの点きはじめる黄昏時に
途方にくれている
 
たしか生まれた土地は
あっちの方角にあったはずだが
戦火の間に過疎となり
忌憚なくぼくを迎えてくれる知り合いは
一人もいなくなったはずだ
かといって廃墟となった団地の
あちこちいたんだ陋屋には
ひっそりと息を詰めた妻がいて
ぼくが戦士となって出兵することを
望んでいるに違いない
繁栄の町のど真ん中に
小銃を構えて立つことを
 
赤い目をこすりこすりして
ぼくはこんな岐路にさしかかっても
横たわるとすぐにうつらうつらしてしまって
考えることを止めてしまう
 
そんな年齢になってしまった
 
 
2017/05/11
(これらはみな表現されてもされなくても同じことなのだ)
 
学園の春は
辛夷に桜にレンギョウにツツジ
それから地面に
タンポポに水仙とチューリップが
入れ替わり立ち替わり咲いて
その中に男女の
高校生大学生がやはり
咲き誇ったように闊歩している
 
この4月から勤めはじめたわたしは
この構内に溢れる活気に
足を止めて見入るまもなく
親戚筋の4つの訃報に出会い
なにがなんだか
人生の巡り合わせの
不幸な影みたいな感じ方をして
それ以上の何も考えられずにいる
 
これからの人たちと
還り掛けを行くものとの
勢いの違いでもあろうか
ただ一切は過ぎていくという光景の中
「こんにちは」「さようなら」
のことば通りに交差する
無縁にふと立ち止まる
 
 
2017/05/10
(橘曙覧の「独楽吟」は「生」の肯定を企んだ歌なんだろうと思う。)
 
時々に数える「苦楽」比べれば
「楽」より多い「苦」の苦々し
 
「苦」の水に顔をそむけてひたすらに
「楽」の泉をさがす毎日
 
 
2017/05/09
(世界各国でトップリーダーの選挙。みな不細工なドングリにしか見えぬ。)
 
過ぎ去りし時間が全て夢に溶け
老い人の群れのような驟雨
 
楽しみは夜勤明け後の一服の
ほかに出てこぬことの痛まし
 
 
2017/05/08
(知人が入所した老人ホームを訪れてみた)
 
車いす
生活かくも
苦なるかな
 
子猫らの
顔して並ぶ
老いの宿
 
他人(ひと)の手を
借り慣れぬゆえ
個性消し
 
身動きが
とれぬホールの
静まりて
 
尊厳も
かき消されそう
な空間
 
 
2017/05/07
(逆に言えば雑音を気にせず没頭できる環境にあるということだが)
 
ことばを拾って
水切り遊びのように投げてみたが
水面に届かない
 
繰り返し拾い集め
繰り返し繰り返し投擲して
気がつくと日は暮れている
 
「こんなおそぐまでなにすてだのや」
と声をかけてくれる場に
ふと帰りたい誘惑(おもい)
 
 
2017/05/06
(ヒマなときに去来する思いを)
 
クジ運の浅き生涯映すよに
老後の暮らしなかなかなもの
 
「もういい」と
長寿に近いひとの声何度か聞いた
『ひとだけだなあ』
 
 
2017/05/05
(思いついた仕事関係を短歌形式で)
 
年老いた今もうれしい初給与
まだ続けるぞ25時間
 
それなりの仕事ですむと思いきや
フルボッコされ息絶え絶えに
 
甘くない甘くはないぞ夜警備
ドア窓施錠電気消灯
 
高校棟大学棟を駆け巡り
施錠確認二度の巡回
 
各棟の帰る職員後追って
モグラたたきか施錠に走る
 
全て閉め明かりの消えた構内に
中天の月ほっとひといき
 
 
2017/05/04
(ぼくらが理想とする生活者の原型のイメージとは)
 
ありきたりの家庭に生まれ育ったものは
ありきたりの人間になって
それがどこか標準の正しい人間
という様相を呈するものだ
つまり ありきたりの
愛のやりとりの仕方を身につけ
ああでもないこうでもないと
言ったり振る舞ったりしながら
やってはいけないことの枠組みを
とても大切に生きていく
なんだか分からないことなんだが
理想の姿形というものは
案外平凡なそんなところに見え隠れしている
ものなんじゃないか
 
かれはきっと愛の戦士なんかになれっこないが
人間の一番よい性向を持ち合わせたとは言えよう
ちっぽけでありきたりな愛を実践し
いがみ合い戦い合うことを厭う
持っている力は絶無かもしれないが
長い長い長い時間の果てに
やっぱりそこが着地点でなければならない
と思わせる生き方を
すでに体現していたと人々に気づかせるだろう
ぼくらのようなはみ出しものを
収斂させる場になっていくだろう
 
 
2017/05/03
(北と日米韓の軍事演習と、憲法改正とがワンセットで進んでいる状況で)
 
いつのまにか
危ない社会になってきたけれど
それは少しずつ少しずつ
傾斜してきて
いつの間にかこんなところまで
みんなで来てしまったんだ
 
はじめに一人の羊飼いの少年が
オオカミが来たと嘘をつき
その嘘に乗って二人三人と
オオカミが来たと言い始めた
みんなが言い出すころにはオオカミが実際になった
 
嘘をつくにはそれぞれに
動機もあれば原因や理由もある
悲しいかな
人間社会にはカタストロフィーを望む性向があり
そのスイッチがいったん入ると
危険なことも顧みない
もちろんほんとうは
レミングの集団自殺が誤解であったように
ぼくらもそんなことにはなりたくないのだ
けれどもこんなふうにして進んだ流れを
どのように食い止めたらよいのかは難しい
嘘・嘘・嘘からきたまことは
どんなふうに始末をつけたらよいのか
始末をつけることができるのか
 
とりあえずみんな
一度自分の考えを自分から引きはがして
冷静になって
もう一度考え直してみようぜ
と訴えていくほかない
 
戦いはぼくらの得にはならない
過去の歴史ははっきりとそれを教えている
 
危機を凌ぐ叡知を準備するために
ぼくらはここまでの日々を開放する
武力による戦いは
「やっちゃいけない」と声を挙げる
 
 
2017/05/02
(一日の中で)
 
一日の中での楽しみは
家事毎の一段落で
タバコを一服するとき
やるべきことは粗方やり終えて
ネット動画でドラマを見るとき
仕事を終えて
職場を離れるとき
それから
いつでもというわけではないが
苦しんだ後の表現が
なんとなくうまくできたと思えたとき
その時のうれしさは
何ものにもかえがたいなあ
 
 
2017/05/01
(ぼくらは細胞を通過していく水のようだな)
 
躁鬱を
小ぶりに刻み
ひとの河
 
ひとは行き
ひとは変わって
世が残り
 
細胞を
入れ替わる水
のごとくに
 
入れ替わり
立ち替わりして
「世」の活性
 
ひとの河
世を世たらしめ
循環す
 
 
2017/04/30
(願わくば生物の今に連帯したいという思い)
 
今朝もまた昨日を夢に投げ込んで
新生のごとこの世見渡す
 
毎日の積み重なりを拒絶す
重厚さなど性に合わない
 
 
2017/04/29
(通勤路と勤務先の学園の光景で)
 
田に降りた白鷺むかしいたかしら
 
春来たり土筆タンポポオドリコソウ
 
松多き構内乱し朝の声
 
 
2017/04/28
(超えていくということ)
 
桜の木の枝振りはおよそ
扇形にうまくまとまっているものだが
新しい勤め先の構内には
そうでない枝振りの木があった
天辺から
まるで2段推進のように
ぐんと1本の枝が伸びて
それがまた
先の方に扇形に広がっている
 
桜の花満開の折に
その容姿の不格好さに
心が突かれるような思いをした
天命を受け入れ
あえて調和を破り
もう一度生き直す覚悟を
それは青き空に向かって宣言している
と思えたのだ
 
 
2017/04/27
(この時期、毎日せわしない感じに過ぎている)
 
帰り路の朝の町並み陽の差して
静まる中を雀たち舞う
 
穏やかに昇る朝日に水さして
テレビ告げたる老姉妹「自死?」
 
閉塞の世は世としても
ひとたちの
暮らしに願う思いの律儀
 
この世とは気にかかること胸に留め
明日よきことと願うを指すか
 
 
2017/04/26
(「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」)
 
当てにせずもう当てにせぬ為政者ら
法政ごっこに明け暮れており
 
心なき法律のみの世になりて
下層弱者に添う気概いずこ
 
 
2017/04/25
(嘘とホントを見分ける目がほしいと思う)
 
嘘・嘘の世は閉塞して堅牢
瓦解の論理言葉まだ無く
 
黙しても心に叫べ
血の声で
犠牲しずかに広がりてあり
 
苦しきは民の竈と見た過去の
為政者の目の襟の正しさ
 
 
2017/04/24
(言語にとって真とは何か)
 
取り立てた税金の奪い合いして
政官癒着その他もろもろ
 
人食いを超える貪食
者みなの
武器とも見える言葉や理念
 
武器として利用されし言葉の恥ずかし
文芸者は何をしている
 
 
2017/04/23
(カッコつけて黙してばかりじゃダメだ)
 
羽振りよい奴らばかりの声が満つ
世では悪さも遊びもするさ
 
いつまでも「ちっきしょう」と声挙げるぜ
負け犬だろうが何だろうが
 
 
2017/04/22
(命とはとりあえず地球の表層付近にあるもの)
 
加速して止まらぬふうの春よ春
 
風が鳴り庭草光り土筆は陰に
 
みんな逝くやがてやがてもみんな逝く
 
泣き濡れてただ泣き濡れて別れ告ぐ
今年の春は辛き春かな
 
 
2017/04/21
(老いの静かさなどと思っても案外そうではないなあ)
 
世知辛く桜花をうたう愚かさよ
人生の味読は夢の夢
 
腰据えた静かな日々はどこへやら
ゴミ屋敷然の頭と心
 
 
2017/04/20
(自分よりも年少の従兄弟の死に合いて)
 
悲しきは他利の力の無きを知り
空無に浮かぶ南無阿弥陀仏
 
救済の力及ばぬ我が苦悶
弱きに添えず何の命ぞ
 
見過ごしてただ見過ごして過ぎてきた
苦悩を抱え黙する人を
 
悲しきは寂しき人をそのままに
ほったらかした親族らの血
 
散りかけた桜花のように
きみの死の
救いの歌を歌い上げたい
 
その時は父ちゃんが来て優しげな
微笑み持て迎えたと思う
 
安らかにまたゆっくりと待っていろ
俺が逝ったらいっしょにあそぼ
 
「ちきしょう」と言うしかできぬ
鼻をかみ
また鼻をかみ自責むなしく
 
 
2017/04/19
(夜桜を見て)
 
外灯の映す桜の見事さよ
一個の花弁の妖しきも見た
 
 
2017/04/18
(それぞれの国の生き延び方というものを考えて)
 
北朝鮮がどうして核実験を強行するのか
よく考えないと分からない
これを非難するのに
過去にたくさん実験をし
現在も大量に核兵器を所有する
国々には本当は資格がない
どうしてかといえば
その力を背景に
暗黙裏に他国の譲歩を勝ち取り
世界で優位の立場を築いている
と言えるからだ
簡単に言えば
そうした核大国と対等に渡り合うためには
核を所持するのが手っ取り早い
そうたやすく相手の主張を呑まなくてすむ
 
かつての白人系一人勝ちの世界で
煮え湯を飲まされた日本は
時が違えば
北朝鮮に拍手喝采して
おかしくないかもしれないではないか
 
もちろん現在の日本は武力放棄
戦争放棄をうたい平和を目指す国である
ことを宣言している
であれば
北朝鮮の核実験を非難するばかりでなく
アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国
そしてインド・パキスタンをはじめ
世界に向けて核の放棄を訴えなければならない
 
この動きが遅々として進まない
とどうしてもぼくらには見える
世界に受け入れられないのは説得力がないからだ
ぼくらはどうしたって
それしかない未来の理想を切り開いて行ける
力を持っていない
さしあたってそうした力の元となる
理念と論理を磨き
鍛え上げることが先決だが
今は個々に
道を踏み固めていくことしかできない
 
 
2017/04/17
(静かな明日はこんなふうにやってくる)
 
明日になれば
衣服を着てその上に
重い荷物を負うように
人は「性格」を背負い
「境遇」を背負い
真一文字に口を閉じ
とぼとぼと
ときにはずんずんと
山道を登るような
心地抱きながら
仕事先に出かけるだろう
 
 
2017/04/16
(じわじわと個の領域が狭められてきている気がする)
 
自由に
川で魚釣りができない
罠を仕掛けて
小鳥を捕まえてはならない
庭で不要のものを焼却しては
いけない
なんてことばかりが増えて
いやになっちゃう
そのくせ税金が増え
電気料や水道料やガス代が高く
ゴミの分別に
ゴミ袋の購入まで強いられる
諾々と
唯々諾々と
従っている自分の個は
何とも情けない姿で
しかも
この年になってぐうの音も出ない
遊びは金のかかることばかりで
仕事に疲れて帰って
それからどんなふうに過ごせばいい
ぼんやりとテレビを見たり
見なかったりして
人間としての個の矜恃など
繕う場所も暇もない
 
 
2017/04/15
(いい年なんだしそろそろこんな心構えでも)
 
今日からは花のみ想い
煩いは
心に秘めて無しと装わん
 
 
2017/04/14
(どうだっていいんだよということ)
 
怖くない
死星のようにひっそりと
生きることも死ぬこともでき
 
 
2017/04/13
(統治および権力の功罪というようなこと)
 
通学路にたくさんの人が立って
車や子どもたちに
安全を呼びかけている
緑を身にまとったボランティアの人たちから
中学生や高校生や
学校の先生たちもいる
 
車を減速させて走らせながら
あたたかな光景か異様な光景なのか
測りかねている自分がいる
仕事帰りの仏頂面を凍り付かせて
歩道の人並みに視線を流していると
じんわり孤独な寂寥に襲われたまらない
 
 
2017/04/12
(気を取り直すということは何度でも)
 
5億年の時が砂のように流れていて
砂のひとつひとつは
命の形をしている
目の前を歩いているのは人間たちだ
わたしもその中にいて
酷く辛そうな顔つきで歩いている
ように流れている
死んでも
生きているときと同じように
さらさらと歩き流れていかなければならない
魚類も両生類も
条件は全て同じで
流れを飛び出すことが出来ない
砂の流れはどこまでも続き
いつまでも続いていく
ただそれだけだ
イメージとしての命は
みんな無口で
流れているだけ
もうひと歩き
なんてものじゃなく
何度でも
気を取り直さなければならない
 
 
2017/04/11
(自利と他利)
 
いいひとと
呼ばれるひとは
他利のひと
 
ひとは自利
他利に見えても
自利のうち
 
自利かくし
他利を装う
厭な奴
 
他利願い
自利の首掻く
無残かな
 
自利捨てて
他利に届かぬ
生涯
 
いいひとに
なんかにならぬ
乞い「自然(じねん)」
 
 
2017/04/10
(やっと桜が咲き始めたが曇り空)
 
さくらばな
空が命と
見えにけり
 
待ちかねた
桜は雲に
かき消され
 
これじゃない
待っていたのは
これじゃない
 
恋といい愛といえども
桜花
かすんだ空の雲に泣くかも
 
 
2017/04/09
(我慢の限度を超えたら言わねばならぬ)
 
忖度と阿吽で出来た村社会
主体が消えて言葉も消える
 
ぼくじゃないよと子ども言う
さすがは大人もっと賢く
 
批判などする気は無いよ
上昇の末晒す破綻の
 
馬鹿騒ぎするならすれば
洗濯掃除主婦(主夫)は不乱に
 
時々は一刀両断
頭踏んで得意の輩を
 
言うだけの研鑽積んできた
相手にとってみな不足あり
 
糞詰まる配管のごと今の世は
ただひたすらの愛の修行場
 
愛叫び叫んだあとの空しさに
これからだよと人の声する
 
戦うはひとの声ゆえ
それぞれの
持ち場持ち場でやれることして
 
 
2017/04/08
(「ゴミのポイ捨ては止めましょう」と叫ばれて久しい)
 
秒針が一周する間に
ゆったりとのんびりと
日暦はめくられてしまう
その間に隠れて分針が
こっそりと月暦をめくっていく
黙っていると
今度は時針があっという間に
年暦を書き換える
 
あり得ないことだと思うかもしれないが
ぼくにはそうではない
 
もうすぐに
ぼくに与えられた紙数は尽きてしまう
 
残された紙の上に
どれだけの落書きができるんだろう
そしてくしゃくしゃにして
子どもなら屑籠にポイだ
 
 
2017/04/07
(立ち止まっている暇はないというような思い)
 
惑うとも
振り切り今日(いま)に立ち合いて
新しき道ひとり始めん
 
 
2017/04/06
(ただ野原を駈け回り、花など気にかけぬ風の子ども時代だったが。)
 
はてさても子どもごころの桜花
夢見ごこちで目を瞠りけり
 
 
2017/04/05
(東北宮城、富谷市の桜は4月中旬?)
 
花はまだ
陽のみ和みの
午睡かな
 
 
2017/04/04
(庭草が生き生きと萌えはじめてきた)
 
春草や
去年の薬剤
糧にして
 
 
2017/04/03
(行き着いた場所は場所ではなくて)
 
町外れの乾いた道を
足に引かれるように歩いたことがある
その先に大学の校舎があり
その途次は頭の中で何度も斧を振り上げた
失敗すると踵を返し
そのまま駅に戻るのだった
身体の意志に従うことを肯定したはずなのに
それでも心は静にしてくれない
そんな日もあった
 
別の日に山道を登りながら
何度も何度も何度も語りかけた
草木も小鳥たちも
風も雲も
黙ったままだった
嘘なんだ
そう思って山を下りた
もう
行くところはなかったけれど
 
一つのことばに出会った
居るべき場所が見つからなかったとしたら
時間の中に場所を作れという詩人の言葉だ
 
そのときから
どこに存在するかは
あまり意味のないことになった
どこに居ても
どこに居るかが重要なのではなく
どんな時間を占めているかが大事なことに変わった
そんな変位と転位があってから
時間に集中しようとした
あいかわらず身体は
いつまでも場末の町を徘徊し続けたのだけれど
心の目は「美」を求めて
またそれだけを映し出そうとしてきた
それだけは
誓って言うことができる
 
 
2017/04/02
(理解しても折り合いがつかぬことしばしば)
 
「思い」こめ「許」「許」「許」を刻み
やすやすと
結界破る我がこころかな
 
 
2017/04/01
(関係というものはとても怪しいものだ)
 
ずいぶん久しく
誰かに会いたいということも
誰かと話したいということも
ない
それが長すぎたせいか
この先も思うことはないだろう
人間嫌いではない
「誰か」は
存在しない「誰か」だからだ
 
十七のころ
理由もなく家を飛び出したことがある
その時も同じで
日常生活に何の不満も不足もなく
ただ自分の「過剰」が苦しくて
その地域の空気から逃れようとした
 
あれからずいぶん時が経ったが
自分と外界としての人間社会の関係は
何度も同じことをくり返してきた
離職はそれを象徴するが
子供じみた理由で押し通し
いくつかの仕事を辞めてきた
家出もそうだったが
自分にも判然としないことを
他者が納得できるように説明できるわけがない
 
これがすべての始まりと終わりである
 
ことばはどうしてもこれを尽くせない
そこで
いつも今日の自分と出会い
今日の自分と話すことになるのだが
会話は尽きることがない
 
 
2017/03/31
(昔 母からよく「あまのじゃく」と揶揄されていた)
 
ねじまがりが道を歩くと
角をすぐに曲がる
またすぐに曲がるから
螺旋の袋小路に入る
後戻りしてはじめからやり直してみても
何度もそれをくり返す
 
ねじまがりの心には
物語が生まれるんだが
こんな調子だから
他人のそれと歩調を合わせて歩めない
角を曲がる
それですぐに見失う
 
 
2017/03/30
(ネットの記事で目に止まったもののひとつから)
 
 60歳を超えたら「余生」、あとはひっそり好きにやるだけ、なんてことをジュリーが言ったんだとか。
 
 ジュリーの真意は、これから何に気兼ねすることなく、自由にやっていくということだと思うけど、「余生」の「ことば」が気にくわない。「余生」の「ことば」には、暗に人生の活動期を過ぎたという含みがあるからだ。
 
 アイドル歌手として一世風靡したジュリーが、現在はメディアからは距離を置いたところで地道にライブ活動をしていると聞く。だったら活動期を過ぎたわけでも「余生」を送っているわけでもないと思う。かえって今こそが本当の活動期に入ったと言えるのではないか。
 
 世間一般に流布される活動期は、主に経済活動を主とした時期で、その時期を人間全般の活動期としてしまうのはおかしい。子どもの生活も年寄りの生活も、成人の日々の生活よりも軽いというものではない。成人期のそれはかえって社会に拘束され、また社会の影響を受けやすく、へんにねじ曲がったものになることが多い。その意味では人間本来の活動期は子ども期と老人期にあると考えるほうがまだましだ。
 
 ジュリーよ、これからが人間の活動期、本番が始まるんだと言ってくれ。また、本当はそう言いたかったんだろう。
 
 
2017/03/29
(ことばは伝え合うだけのものではない)
 
「知」は遊び
必死の「道具」では滅ぶ
 
 
2017/03/28
(ああ、懐かしの昭和初期を想い)
 
我が儘は「タバコ吸いたい」
気兼ねなく
居間に寝ころび窓みな開けて
 
 
2017/03/27
(無職になって一年を経た)
 
古稀待つ身
三日を伸ばす
無精ひげ
 
 
2017/03/26
(聖俗の境目を生きるというようなことを考えて)
 
あの世にもこの世にも在る命かな
 
平穏に一日を終え床のなか
 
このこころ無ければ安き春の宵
 
抗いも不満も見せずネガを生く
 
淡々と欲ある様で欲を断ち
 
 
2017/03/25
(老いびとの鬱と戦う姿から)
 
悲しきは心を捨てる心ばえ
行き行きの世に花も散り失せ
 
訪ねてみれば心には
言葉なく悲喜のかげなく
面の幼さ
 
愛といい恋といえども束の間の
戯れごとや老いを行くひと
 
帰ろうとしているんだと思われて
見送るようなまなざしのぼく
 
引き留めてまた引き留めてみたいけど
世の習い真似
こころ引く我
 
 
2017/03/24
(ある人の心の「執着」が薄れた様に接して)
 
切れていく糸が1本また2本
言葉以前に帰りて沈む
 
母よ母
どこへ行くんかまたしても
此処に在らずの母の心よ
 
 
2017/03/23
(貧しいものは幸いである―○○伝第△章)
 
地面の一点を見つめていたときに
少年は放心していた
そうして「時」が停止した視野の中で
何かが動き出すのを待った
 
少年はまた雨の日
屋根から落ちて
一本の線のように地面に突き刺さる
雨の様子を飽きずに眺めていた
そのとき少年は時間を感ずるよりも
視野が塗り重ねられて
層を積み重ねていくと感じていた
 
少年は
そういうときだけは
極微の差異や変化に
敏感に反応するだけのものであり得た
 
 
2017/03/22
(個と類そしてまた個ということ)
 
四つ足で這い回る男を見たことがある
ところどころ赤さびの見える
町工場ふうの建物の陰や
人気無い公園の木立に遮られた場所に
怯えた視線を落としていた
男の姿を見るたびにどこからか
「見るんじゃない」と声が聞こえた
 
見なかったことにして
あれからずっとリハビリを続けた
 
逃げて戦って
戦って逃げて
ぼくはどこに
行こうとしていたんだろう
記憶は少しずつ薄らいだのだが
いまも 顔を上げて
雲の合間を眺め続けている
 
 
2017/03/21
(続憲法読み日本編)
 
第一章及び第二章の
象徴天皇制と戦争放棄の明示
これは他国の憲法と比べた時
大きく異なって特徴的だ
 
ものすごく古いものと未来的なものとが
隣り合い混在している
 
古いものは象徴天皇制だが
ここには主権は国民にあるが
その国民は「日本(国)」の「象徴」としての
「天皇」の存在を前提として
はじめて国民である旨が
無記載だが暗に示されている
これは民主制を表看板とするなら
憲法から外したほうがよいし
天皇制を護持するなら
この国の一切が天皇の所有物だと
明示すべきだ
もちろん今日の時代を考えれば
どちらにすべきかははっきりしている
 
新しく未来的なのは
戦争放棄をうたった第九条で
他国においてはどこでも明記できない
遠未来的な理想の先取りになっている
世界はこれに倣って一斉に改憲するか
もしくは国連の場において
紛争を解決できない場合のやむを得ぬ解決策として
政府要人同士10名による戦いで決着させるよう
提案を当事国に通達できるものとすればよい
もちろんこれは冗談で
冗談ついでに
スポーツ種目で決着をつけてもいい
直接的な利害に関係ない
たくさんの国民を招集し
戦火に死なせるより
よほどいいに決まっている
 
ルンルンとそんなことまで夢想したが
その他の項目には
あまり触手が動かなかった
 
 
2017/03/20
(続憲法読みカナダ編)
 
カナダ憲法のはじめには
女王・総督の文字が見え
「そんな国だったっけ」とおどろく
 
また英語と仏語が公用語とされ
英仏の植民地だったことが分かる
 
立憲君主制で
軍隊の指揮権が女王にある
ということもはじめて知った
 
あとは読んだ先から忘れてしまい
実はちょっと複雑なお国柄
という印象しか残っていない
 
 
2017/03/19
(非詩 退屈凌ぎの憲法読みアメリカ編)
 
世界憲法集を読んでみたが
分からぬつまらぬ
ひとつ
アメリカでは
武器の保有権が明記されていた
 
「ああ、あれのことだ」と思った
使うか使わないかは本人次第なんだろうけど
どうなんだろう
やっぱり社会の合意で
禁止に向かうのがいいんじゃないか
争いはもう少し穏やかな形で
やればいいんじゃないか
そうでないと
核兵器だってなかなか廃絶されない
アメリカは
百年くらいかけて
自国内での論議を尽くすべきだ
 
 
2017/03/18
(歌の発生の初期に思いをめぐらして)
 
家族して
大笑いする
子は歌人
 
 
2017/03/17
(ぼんやりとした一日であった)
 
春陽に大活躍のハンガーも
庭木に芽なく土に草なし
 
飯食って風呂入るだけ
春まぢか
 
草花に木の芽に蝶に暖の空
 
 
2017/03/16
(無力もまた一つの戦略になり得る)
 
花をうたったのではない
花が うたわせた
 
自然を守るのではない
自然が 守らせる
 
 
2017/03/15
(定型に収めたくない時もある。ある詩人の言葉に対する即興的な反応。)
 
終活だなんてもっともらしいこと言うきみのあざとさ猫の媚態や犬の献身無へと逃げ込み実態のない悲劇へ異常と正常の境界へベットを持ち込んでそんな暮らしに嫌気がさしただけなのに弱気が忍び入っただけなのにそれまでのことがいかにも何事かであったようにけじめをつけたがるそれが現代詩かふざけたこと言うなそんなものみんな言葉をあきらめた無名の生活者の無言によって正体を明かされてそして遠く地平線の向こうに放物線として破棄されたそっから先じゃないかきみのもてあそびに過ぎない言葉の終活はなのに疲れ切ってボロボロになってもういいやと妥協して戦いから帰還して帰還兵みたいなもっともらしいそぶりの枠におさまりかえって記念写真で決めポーズしようとしている帰ってくるなこっちの世界へそうして野垂れ死んでしまえ枯れ草が腐れ切った草原のベットで今更かしこまった僧のように終活だなんてつぶやいてみせてもそんな都合のいいこと誰がさせるかきみの戦いに終わりなんてないきみの言葉は人間嫌いの旅人が旅するように旅の途次に倒れ虚空に片手を差し上げて未完に朽ち果てるのがふさわしいそれが引き裂かれた境界に陣を張ったきみの宿命ではないか無名にたどり着く道のりではないか
 
 
2017/03/14
(生産性に取り憑かれた社会の偏狭さに抗して)
 
生誕から死までの道のりは
未熟から成熟を経て老衰に至る過程
のように考えられている
だが本当は子供や高齢者を
未完とか役割を終えた過去の人
のようにみなすことは
成人を完成品とみなす錯覚から来る
考え方のひとつでしかない
子供にも高齢者にもそれぞれの「今」があり
それぞれの仕方で
世界を入力し
世界に出力を働きかけている
子供は子供として
高齢者は高齢者として
世界に対する流儀をもっている
貧しく偏狭な「ヒト」の思考法で
掬い取られるような存在の仕方は
していない
 
 
2017/03/13
(各論のあとの総論)
 
ステージは変わったけれど
よく見ればなじみの荒野
ルンルンで行ける
 
 
2017/03/12
(冬、深夜の浴室、身と心の貧しさが際立つ)
 
脱衣して湯に入るまでの滑稽は
着衣のあとの鏡にはなく
 
 
2017/03/11
(孤独というのは言葉や思念の狩りである)
 
孤独な高齢者というのは
世に言われるほどに悲しい現実ではない
会話と言葉の節約は
原始のそれと一緒で
観念の未明の森を歩くためだ
その森で
誰も知らない言葉や思念を
狩猟するためだ
内面には子ども期とはまた別の
豊かな世界が息づいている
 
 
2017/03/10
(バランスの取り方)
 
思考者と気取ってみても
妻の目の
ちくりちくりとさらにちくちく
 
 
2017/03/09
(1日はどれだけ重くまた軽いのか)
 
一日を
一句にこめる
賭にでて
 
 
2017/03/08
(黙して沈んで底で繋がる)
 
6年をもて囃され来た
文字「絆」
深い孤立の影は潜りて
 
 
2017/03/07
(明け方近くになって書き留めたが、たぶん
 これからの高齢を生きるだろう自身に向かっての鼓舞だ)
 
わたしにとって考えるという営みは無駄なものだ
けれども今ではこの無駄がわたしというものを支えてくれている
若き人よ
大いなる無を嘆くな
それはいつかきみをきみたらしめる証にもなる
有の形に変わりもする
 
 
2017/03/06
(全力を挙げる日々がこうなのだ、隣人の多くも)
 
くらしとは
じわりと明日を奪うもの
 
無防備に世に出て生きて
知りて死ぬ
 
苦しきも生きているから
蛍の火
 
 
2017/03/05
(このごろは朝起きて台所に佇むのが日課)
 
散らかって流しに残る食器見て
コーヒー淹れタバコ3本
 
 
2017/03/04
(東北の雪深き温泉場の映像)
 
雪山の露天に憩う猿の仏
 
しかとして長湯する猿の雄弁
 
浄土から何処に猿の道の難
 
 
2017/03/03
(倫理から自由になればそれでいいのか)
 
この四肢と胴体とから
こころから
逃げようとしている頭部
あるいは言葉
 
 
2017/03/02
(匂いのない世界で)
 
集落はいつも匂っていた
朝は草木の呼吸のあとの匂い
昼は畑に蒔かれた肥の匂い
夜は家々の夕餉の匂いと薪の燃える匂いとが
住人の背丈の高さに漂っていた
いまは街中ばかりか
故郷の集落のどこにも懐かしい匂いはない
 
鮭ならば
帰るべき故郷を見失い
産卵の場所を失い
死ぬまで海に巡回をくり返すばかりだろうか
 
 
2017/03/1
(老いとは世界の拡張である)
 
忘れられ退屈つのる楽しさよ
動植物に再生回帰
 
回帰して空山を見て鳥を見る
縦グローバル広がりてあり
 
言葉なき世界の無辺に降り立つ
こころ新たに生きんと思う
 
静かなる日々の底にて時折は
寿司ステーキの夢に溺れん
 
 
2017/02/28
(なにごともない一日の終わりに)
 
ふと妖し
肌張り詰めて美しき
風呂の香の衣妻は他人に
 
 
2017/02/27
(男のやや身勝手な論理)
 
妻と母とは性格がまるで違うが
どちらにも愛情は抱くことができる
つまり 使い回しがきき
愛は一途とは言えないのかもしれない
 
 
2017/02/26
(老後は日々合戦の如し)
 
チラシを見て買い物リストを拵える
洗濯と食器洗いのあとで
いそいそとスーパーに出かける
 
利益主義の大風よ吹くならば吹け
我こそは宵越しの金持たぬ一庶民
古くて狭隘なる家屋の守人
 
経営陣よ売り場担当者たちよ
我が眼中にあるは赤札プライスのみ
こころして さらに値を下げよ
 
 
2017/02/25
(人知れず)
 
晴れた日は
「険」の影立つ
目もと脱力
 
 
2017/02/24
(今朝は鉛色の空に小雪が舞っている)
 
父に付き合って行きしあの沢の水路
雪解けの冷たさと静寂を緑に変えて
わたしたちを待っていた芹の群生は
今年も絶えずに美しくあるだろうか
 
 
2017/02/23
(ひとを呑み込んだ海の産)
 
家人が躊躇する地元産の牡蠣を
およそ6年ぶりに買って食した
美味だった
ただ 美味だった
 
 
2017/02/22
(バグをきたす関係の根源を問うて)
 
たいていは見限られて腹を立て
心を閉じた
特定の他者への執着を 愛を
断ち切るために
 
 (斧を振り上げた現場の蓄積)
 
母よ
反復する
この性の悲しき
 
 
2017/02/21
(詩になり得ない言語についての考察)
 
幼児期に耳にし口にした言語を
少しして「方言」と知るが
その名称は政治的すぎる
 
その地域ではそれこそが「母語」で
「標準語」は強制された「異国語」なのだ
 
賢治の詩の
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)の一節は
標準語に書き換えれば
「雨雪を取ってきてちょうだい賢治兄さん」
くらいになるが
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)を
直接耳にしたものには
それでは「開放」にはならぬ
絶対に
 
逆の現象は外来語や「ヤバイ」などの新語に見られ
それらの意味や感性などは
今度は反対に旧知の言語によっては満たされない
 
すべての表出と了解とが
「あ」で成り立つように出来ていたら
人間もまた
神仏の位に坐っていたかもしれない
 
 
2017/02/20
(喜々としていていいのかこれからの自分)
 
夜遅き
春一番の
過ぎし今朝
 
カーテンの
すき間をついて
ひかり充つ
 
飛び跳ねて
家事全自動
に発進
 
 
2017/02/19
(ただ賢しらだけを纏った社会に)
 
赤人の歌
『黙然居りて賢しらするは
    酒飲みて酔泣するになほ如かずけり』
 
「いいね!」(クリック)
 
   (およそ1500年前は現代の範疇)
 
ギスギスもストレスも
世の中に「馬鹿」や「二日酔い」が無くなったせいだ
細胞液がカラッカラなんだ
 
二十一世紀のたけしのCM
『バカ、ヤロウ』
も同じことを言っているので
「酒飲め」「タバコを吸え」「「スケベをしろ」などの
ちょっと人から後ろ指さされるくらいのことを
してみろということだ
それでなかったら
人というものについてホントの許容や受容が成立しない
そんなところで行われる「よいこと」は
本当は「悪いこと」で
「悪いこと」が「よいこと」だったりする
 
世は小賢小善の花盛りで
いずれも局所的で限定的だ
赤人やたけしの大賢や大善が成り立つ場所がない
 
だれもがどこかで
いまに流布された「価値」を
うっちゃる仕方を身に付けなければ
世を楽しんで生きることは難しい
 
 
2017/02/18
(振り返ればいつもそこには君がいた)
 
骨細で貧相な痩身を
ずっと恥ずかしく感じてきた
詩もそれで
出来上がったものはイメージの理想にほど遠い
詩は一人前のふりして去って行くので
仕方なく背中に向かって声かける
『きみはきみの歩幅で歩いて行け』
 
 
2017/02/17
(起きてみたら快晴の朝に)
 
眩しげな空哄笑し春告げる
コーヒー三杯
あたまの靄晴れぬ今日
 
毎日は霧の林を行くごとく
手ぶらで出かけ手ぶらで帰る
年金支給日は休む
 
声荒げ叫ぶものなし休日の
朝の団地に老いの気配満つ
この世は「ろくなもんじゃない」
 
 
2017/02/16
(目にした詩誌の読後に)
 
目に映し心に映す一切の現も夢も悲し明滅
人類史の長き時間の内在も外在もただ
星のごと蛍のごとく見えるかも
 
今にする火花
枠組みの中でする沸騰
いよいよ激しく熱く
いよいよ他を寄せ付けず
白熱
   するがいいさ
 
昆虫小僧よろしく
手には世界の珍種新種の標本
拡大鏡片手の
「鋭い感性」
「理性の透徹」
ごっこを
気が晴れるまで
   やるがいいさ
 
ぼくは「鈍い感性」と「幼稚な理性」とをもって
「遠くまで」ただ「遠くまで」
   遠ざかる
 
それから役場に「非在」を届け出て
原始未明に向かって
「赤い林檎」の実を
狩りに出かける
 
 
2017/02/15
(風邪を引き、コーヒーを作ることが面倒なときに気づいた)
 
目盛りに合わせて汲む水の
律儀さ 生真面目さは
コーヒーの粉の入れ加減でどうにでも成る
ことを
今年の誕生月に発見する
 
老いてなお
日々新たの喜びもつかの間
「目盛り」にとらわれたこれまでの「時間」を
そのとりかえしのつかなさを
痛ましく感じないではいられない
 
 
2017/02/14
(テンプル・グランディンの「動物感覚」を思いながら)
 
幼少の感覚鋭く闇とらえ
闇豊かに膨らんでいた
夜の眠りの中にまで押しかけて
 
ところで
幼年を稚拙な概念に置き換えて
あれからどんな海を
泳ぐように生ききったと言えるだろうか
 
闇とは呼べないなにかに閉塞して
疲弊して
ボロボロになって
気がつけば
今に老いてきただけだった
 
 
2017/02/13
(完璧な芸術性は自然の中にあるような気がするときに)
 
立春を過ぎて
ここらは本格的に雪が降りはじめる
 
どこを見ても墨絵の世界
とりわけ繊細な枝々の
見事というほかない白黒の網目模様は
東北人の心模様となり
色づく四季の奥所に
根雪のように固く凍り付いている
わたしは思う
 
 
2017/02/12
 
努めねば薄まりゆくだけの関係
薄まりて
今年の年賀状の束
さらに薄く
 
いっそのこと
だれとも縁を絶ちきって
それからどれだけ生き延びられるか
試してみたいと思う
 
みんなみんな
あちら側の住人になっているという思い
もう手が届かないという思い
 
ぼくは病のように
この現実の全てを受け入れようとしないでいる
 
この場所がどこか
息せき切って
手探りしている日常
 
 
2017/02/11
 
死んだ父が居間に座って笑っている
「ああ、…よくきたね」
ところでぼくは何のもてなしもできない
 
『母さんのところに行ったか』
と父が言う
「ああ、母さんか、…行ってないね」
とこたえる
 
「とりかえしがつかない」思いにいっぱいになり
「ぼくはどう思われても平気だ」
自分に言い聞かせるつもりになっている
 
 
2017/02/10
 
風に屈折して光届く
あっ
と 触手揺れて走る
「喜々」
 
それは原始の「飢え」
または「飢え」の原始
環界の「はたらき」を見込んだ体制
 
「飢え」ひっくり返し
光に晒す
水に濯がれるように
「冷たき」広がる
 
 
2017/02/09
 
喉・鼻・頭が山手線
ノンストップの風邪いつ止む
 
電気炊飯器でおかゆ作る
つもりが
最後に「ふつう炊き」のボタンを押していた
一合の米無残
 
こうやっていつも
ボタンの掛け違いばかり
してきた
んじゃないか
たぶん身体の底
残り透けて見える
これからの「わずか」
 
 
2017/02/08
 
5寸に満たぬ積雪の朝七時
カリカリと音立てて雪掻く隣人の
その小賢しげな生活思想が気に食わぬ
 
我は雪の子雪国育ち
年に一度の風邪に臥せって
大げさに頭など冷やしている
 
窓越しに音無く雪は舞い降りる
見れば大小入り交じり
冷気は底から押し上がる
 
静かな生活
静かな日々
 
反復の「時間」だけが降り積もってゆく
 
 
2017/02/07
 
ほんとうに〈痛ましさ〉であるのか
ほんとうにほんとうに〈痛ましさ〉であるのか
イメージのその小刻みに震える球体は
 
小刻みに震えるその球体が
凍り付くように静止するとき
 
 
2017/02/06
 
わけもなくあてもなく
寝ては起き
起きては寝ることをくりかえしてきた
これからいくつくりかえすのか
ずっとくりかえしていたいような
もうくりかえす必要も無いような
 
わけもなくあてもなく
 
ひとつぶの日射し
ひとしずくの雨
一片の雪の
なんと
賑やかな
万華鏡であったことか
 
 
2017/02/05
 
いまはこまる なんだか困る
わずかにだが尿意を感ずる
ローンの返済もある
 
準備も整理もできていない
別れの言葉は聞いてもいないし
告げてもいない
 
その時が来る前に
やっておきたいことはたくさんある
今日は
ハッピバースディ(トゥ ミー)