「障害」とは何か
              2016/04/28
はじめに
 熊本県を中心に起きている地震で避難所生活を余儀なくされている人々がいて、とりわけ心身に障害を持つ子どもや親が周囲の無理解のために大変困っているという記事をネットニュースの中に見た。
 記事の伝えるところでは支援物資をもらうのに長い列に並ばなければならないということで、障害を持った子どもは並んで待つことすらが難しく、親は支援のために働く人たちにそのことを説明するも理解されずに子どもの分をもらえないというようなことらしい。
 この記事を読むまでにそういう状況を考えもしなかったから、その時になって初めて「あ、そうか」と思った。そういうことは「あるよなあ」と思い、忙しく支援活動に没頭する人たちがそのことに気づけなかったということにも合点する思いになった。
 そういう状況が重なったところで支援センター側もやっと了解して対策を考え始めているというから、今後のその状況も改善されて行くに違いないと思う。もちろんできれば最初からそういう事態も考えた支援活動であるべきだとは言えようが、今となってはもう今後の教訓にしてもらうということを切に希望するほか仕方がないことではある。ぼく個人はその記事を読んで初めて気付いたから、支援センターの対応をとやかく言うことはできない。
 おそらく、この問題については今後、支援活動や支援センターのあり方について内外からの論議が尽くされていくことだろうが、それについて少し疑問が残る。ざっくりと言ってしまえば、結局のところこういう問題は社会の「障害者」理解という方向で検討されていくのだと思う。その時に、どうしても「非障害者」、「健常者」、「通常人」というような対立概念が浮上する。こういう対立項の枠組みの中で考えることが、本当にそれでいいのだろうかという疑問が、どうしても消し去りがたく浮かんでくる。
 それは、やはり、必要なのだという気もする。しかし、「障害者問題」と枠組みを拵えた時点で、その問題を考える側は自らを「健常者」の枠組みの中におくことになる。それで果たして本当にいいのだろうか。そういうことでほんとうに「障害者」、あるいは「障害」というそれ自体を理解できるのだろうか。
 
 実はこの4月から学習支援員として特別支援学級を担当するようになっていた。結論から言えば一週間ほど働いてから退職した。この去就のあり方は、自分で考えても普通ではない。普通ではないけれども、自分はそういう去就の取り方をした。これは誰にも理解できないはずである。自分でも理解できない。ただ自分の病理と個性をそこに見るだけだ。
 それはそれとして、「特別支援学級」とは、「知的障害」、「情緒障害」、その他もろもろの障害や発達の遅れなどを心身に持つ子どもたちが通う学級を指す。自分が現役の小学校教員であったころは、まだ「特殊学級」と呼んでいて、その呼び名が適切ではないということで「特別支援学級」の名称に変わったと思い込んできた。きちんと調べたわけではないから確かなことは言えないが、名称の変化とともに障害児学級に在籍する児童の数も、それから「障害」と分類される項目数も増えた気がする。この辺の事情は次のような文章を読むとのみ込みやすいので、それを以下に引用してみる。
 
それら、特殊教育で行われていた「知的障害」、「肢体不自由(脳性マヒ、プリオなど)」、「病虚弱」「視聴覚障害(盲・聾)」、「情緒障害(自閉症もこの分野で対応)」などの分野で教育的な対応がなされていました。
 しかし、重度から中軽度な障害が対象であった特殊教育制度では、障害とは言えないまでも、一斉授業に乗れない子どもたちへの対応が課題としてありました。
 その課題に対応するため文部科学省は、従来の障害教育に「LD、ADHD、高機能自閉症(アスペルガーを含む)」が加わる体制を考えました。そして二〇〇七年、特殊教育で行われていた教育分野に「LD、ADHD、高機能自閉症(アスペルガーを含む)」を加えて、「特殊教育」という用語から「特別支援教育」という用語での教育体制に替えたのです。
(玉永公子『「発達障害」の謎』論創社)
 
 自分の思い込みとは少し違っていて、これを読むと特殊教育の枠組みを広くして、従来は通常学級に在籍していた「LD、ADHD、高機能自閉症(アスペルガーを含む)」の児童を抱え込んで「特別支援教育」に替えたということのようだ。
 いずれにしても、少しずつ「障害」そのものを細分化し、それぞれについて適切な配慮が行えるような体制作りが工夫されてきている傾向にあると言える。
 ぼく自身は専任で特殊学級の担任をしたことがなく、関心はあっても障害児教育を深く考え抜いたという経験はない。現役の終わり頃には頻繁に「LD」や「ADHD」の名称がよく耳にされるようになっていたが、その区分の仕方は医療の現場から流れてくるものであり、やがてもっともっと細分化され、名称が増えるとともに対応の仕方も細分化されて行くに違いないと予想された。
 つまり、どう言えばよいだろうか。医学の発達が病気をなくしていくというよりは、結果として新たな病気の発見に結びつく現象をもたらしているように、「障害」の学は、新たな「障害」を生みだしていく、言い方を変えれば「障害」というものを増加させていくもののように見えてくる。
 そういうところでは、病気や障害への確かな処置というものはより精度を増した形で行われていくのではあろうが、これが極端に進めばあらゆる人間は、存在すること自体において何らかの病気や障害を持つ存在だということになってしまうという気がする。
 このあたりから「障害」についての積年の思い、疑問、不可解さが湧出してくるのだが、しばらくはその周辺のところを散策するように考えて行きたいなと思っている。先述したように、すでに学習支援の仕事を辞し、学校にも教育にも子どもにも関知せぬ身になったところだが、予定されていた「特別支援学級」との関わりで考えていたことからは少しずれたところで、しかしこの1年の中で「障害」というものを見直してみたい。とりあえず、こんなところから出発してみる。
 
 
「障害」とは何か
              2016/04/30
「彼岸」考
 前回、以前は「知的障害」「肢体不自由」「病虚弱」「視聴覚障害」「情緒障害」に対応した「特殊教育」が行われていたこと、そして二〇〇七年にはそれらに加えて「LD、ADHD、高機能自閉症(アスペルガーを含む)」にも対応した体制がとられ、その時に「特殊教育」の名称が「特別支援教育」に変わったことを見てきた。
 およそ20年の教員生活において、そのほとんどは校舎内の一隅に設えられた「特殊学級」を視野の斜めの方において過ごしていた。真正面に据えて見ることはしないまでも、視野の外におくこともできなかったという気がする。なぜそういう位置づけだったのかはよく分からない。ただ「障害」というものをどう了解したらよいのかが、いつまでたっても判然としなかった思いが残っている。
 当時も今も一番分かりにくいと感じているところは、ひとつの校舎内に、どうして通常学級と特殊学級(現在では特別支援学級)の閾が設けられなければならないかということだ。もちろん、それが「障害」を持つ子どもに対して適切に教育的対応するためだということは分かっている。またその逆に、普通学級の授業その他の運営をスムーズにする効果があることも分かっている。分かってはいるが、納得はできないのだ。そのもっとも大きな理由は、そのように閾を設け日常の生活圏を異にすることは、それぞれ通常学級、支援学級の円滑でスムーズな日常を構成するに違いないが、普通学級には障害者が不在になり、支援学級には健常者が不在になってしまうためだ。そうなると、それぞれの無意識の中に、不在であることが自然であり、互いに没交渉であることが自然であるかのような錯覚が形成される。それがどういう結果をもたらすかは自明なことで、つまりはお互いの理解、付き合い方を不能化したり無能化することになる。それはまたどのような結果をもたらすかといえば、実社会においても線引きし、閾を作るということに繋がっていくように思える。ある意味では我々自身もその渦中にあるわけだが、一般的には生涯に渡って没交渉の道を歩むということになってしまう。これは見方を変えれば、人間としての体験や経験の欠落や損失を招くものだと言っていい。
 普通どの学校でも通常学級と支援学級との交流の場は設けられていて、たいていは少人数である支援学級側から当該学年児童が通常学級に参加する形をとる。この逆がないというのも面白いといえば面白いのだが、この交流の実態からいえば、実質的には形だけの交流というほかはなく、支援学級の児童はお客さん扱いになってしまうことが多い。あるいは投げ入れられてほったらかしにされてしまう。そんなことなら交流などといわずにはじめからそこに在籍させてもよいように思えるが、授業や集団行動について行かれずに無為に過ごしてしまうからという配慮の元に、支援学級でそれぞれのペースに合った生活をしてもらおうということになる。
 おそらく人権的な意味合いからも、そこのところは教育界においてもありとあらゆることが考察されてきているに違いない。けれども唯一、発想されてこなかったこと、あるいは発想されてもすぐに撤回されただろう事があり、それは学校生活から勉強を除くという選択だ。少なくとも小学校段階だけでも、そこでの生活の全てが遊びだということになれば支援学級の存在は不必要になり、子どもたちの自治だけによって健常者と障害者の共生は成り立つように思える。そして子どもの障害者への配慮は、全ての子どもではないとしても子ども自身がよく行えることは疑う余地のないところだと思う。たぶんこれが低年齢の段階であればあるほどよき友人に恵まれやすいはずで、よき友人はひとりであってもかけがえのない価値を有するはずだ。また、仮に障害を持つ子どもの異質性に気付いた上でそれも含めてその児童につきあえる子どもがいたとしたら、その子どもの獲得するものは勉強によって獲得するものの比ではないとぼくには思える。どうして学校や社会は、人間力を育むに違いないそういう機会を奪うように構成されてしまうのか。
 その根源を辿れば、幕末と太平洋戦争後の2度にわたって屈した、欧米型思考、つまり科学的論理的思考に遠くその因を求めることができる。つまり、その思考方法に従属している限りはそうなるほかはないというものだ。そしてあえて言えば、教育世界においても、絶対の真を仮構した欧米型の科学的論理的思考方法はその消費期限が迫り、それに導かれたあらゆる対策、方策は綻びを見せはじめてている。学校でいえば、特別支援教育も通常学級における教育も、本当は中身のない形骸だけの教育になっている。それは言ってみれば教育の幕末期を迎えているということだが、ただ誰もがその予感に怯えていて口を閉ざすだけだから、表面化しないだけだ。だが潜在的にはどん詰まりであり、同時にそれは崩壊が始まっていることを意味している。
 こうしたところを理解させるように説明することは大変難しくて、実際のところ自分の手には余るところだ。それでもなおあえて言えば、今日の社会において、障害ある人々と、健常者と自他共に見なす人々との実際的な共生関係は、お互いに満足すべきものになっているかを振り返ってみればいい。
 誤解されても困るが、実際のところ現在の社会は学校における通常学級と同じく健常者を主体に組まれ、障害ある人々は特別支援学級に生活するように生活することを余儀なくされているように思われる。これが障害ある人々に対する欧米型思考の帰結の姿である。このような実態をどのように見てどのように考えるかはそれぞれだが、ぼくには欧米型思考の限界かなと映る。ここではそのことをいいとか悪いとかいうつもりはなく、ただそのところをどう越えていけばよいかを探りたいだけだ。とりあえず、ひとつのヒント、示唆になるような事例を挙げておく。
 渡辺京二「逝きし世の面影 日本近代素描T」(葦書房)に次のような記述があるのでこれを借用する。必ずしもここでの文脈に適しているとは思わないが、自分の繰り出す稚拙な言葉よりは無難な気がするのだ。
 
フォーチュンはディクソンら友人とともに鎌倉を訪ねたが、町中に入ると女が一人道路の真ん中に坐りこみ、着物を脱いで裸になって煙草を吸い始めた。明らかに気が違っているのだった。フォーチュンらが茶屋で休んでいると、彼女がまた現れて、つながれているフォーチュンらの馬に草や水を与え、両手を合わせて馬を拝んで何か祈りの言葉を呟いていた。彼女は善良そうで、子どもたちもおそれている風はなかった。フォーチュンたちはそれから大仏を見物し、茶屋へ帰って昼寝したが、フォーチュンが目覚めて隣室を見やると、さっきの狂女が、ぐっすり寝込んでいる一行の一人の枕許に坐って、うちわで扇いでやっていた。そしてときどき手を合わせて、祈りの言葉を呟くのだった。彼女はお茶を四杯とひとつかみの米を持って来て、フォーチュン一行に供えていた。「一行がみんな目をさまして彼女の動作を見つめているのに気づくと、彼女は静かに立ち上がって、われわれを一顧だにせず部屋を出て行った」。狂女は茶屋に出入り自由で、彼女のすることを咎めるものは誰もいなかったのだ。当時の文明は「精神障害者」の人権を手厚く保護するような思想を考えつきはしなかった。しかし、障害者は無害であるかぎり、当然そこに在るべきものとして受け容れられ、人々と混りあって生きてゆくことができたのである。
(太字―佐藤)
 
 渡辺京二の「逝きし世の面影」は、幕末から明治にかけて日本を訪れたヨーロッパ人たちの手紙、論文、エッセイその他を膨大に渉猟して、当時の西洋人が見た日本の姿を描いたものだ。「狂人」や「気違い」の用語は適切ではないが、要は、江戸時代までの日本において、心身に何らかの障害を持つものがどのように遇されていたかの概要は、ここから推察することが可能だ。
 引用文は少し極端なケースを扱ってはいるが、このような極端な場合でも、当時にあっては社会的に受け容れられ、人々の中に溶け込み、混じりあって共生できたし、共生していたということが分かる。つまり一般的な健常者と障害者との間の閾は限りなく低かったのだ。現代の日本人がかつてほどに寛容であるかどうかは分からない。だが、かつての日本人にとって、障害あるものとの間に「棲み分け」のような考え方は何ら必要とされなかったことは確かだ。そしてそういう寛容さ、受け容れ、共生の心性は、もしかすると当時までで、以後滅んでしまったと考えるべきかも知れない。ここではただ、欧米思考を越える心性の可能性に触れるに留めておく。この先にもしも展望が見いだされれば、熊本の避難生活の中に見られた障害児を持つ家庭の困惑は、何らの対策を講じずに解消されゆくものに思われる。
 
 
「障害」とは何か
              2016/05/04
「対立」考
 宮沢賢治の童話や詩には、今で言えば精神障害者を思わせるような登場人物が描かれていたり、「デクノボウ」というような言葉が使われていたりしたと記憶する。あまり熱心な読者とは言えないのではっきりとは言えないが、印象としては、宮沢賢治というひとは一般に弱者や障害者と見なされる人たちに、一種共感的なまなざしを送り続けたひとではなかったかなと思われる。もう少し言うと、ときにそういう人々の中に、菩薩や観音の化身を見ることのできるひとであった。
 このことは、弱者や障害者を聖化したり、偶像化することとはちょっとだけ違っている。
 その小さな差異も説明するとなるとなかなか難しいところだが、賢治の感じているところ、その接点については何とはなしに理解できる、共感できる、そんなふうに思ってきた。
 それからロシアの大作家ドストエフスキーは「白痴」と題する作品を書いたが、これは重度の精神障害を持つ人物を主人公としてキリスト的な「善」そのもののような描き方がなされていたと記憶する。
 宮沢賢治もドストエフスキーも、それぞれの著作において、「障害」を欠如や欠損のようには捉えていないし描いていない。共通するのはそれらの登場人物たちに全くの「善人」を見ているところだ。あるいは全くの「善人」というものをそのような姿として描いている。もしもそこに強いて欠如や欠損を見ようとするならば、概して、障害を持つ人々には「悪」こそが欠けているということになる。そう見て何が彼らにとっての「障害」かと考えると、逆説的な言い方になるが、その身に「悪」が欠けることが「障害」なのだと考えざるを得なくなるように思える。
 二人の作家に限らず、おそらく文学的な見方というものはそういう見方ができるものだと思う。そしてまた、少なくても精神障害、知的障害の意味合いにおいて、障害者は「悪」を作為することが不可能なのだとしてこれに過度の意味づけを与えている。文学的視線はそこに焦点を合わせる。
 しかし、作品世界にも十分に描かれているが、一般の人々、あるいは周辺に生活する人々は「障害」ある人をそのように見ることはない。自分たちの生活を翻弄する「お荷物」のような存在に見なすことが実際的だ。ここに乖離が生じる。
 文学的な見方、考え方に影響されてきたものからすれば、この乖離は大変悩ましいものだ。どちらかと言えば知恵ある一般人、健常者こそ「悪」を造作するもので、「善」なる障害者を見本に自らを戒めなければならない。かつて人間が到達し得なかった「善良」さの極限、そこに向かっての水先案内人として、唯一、障害を持つ人々の「善」がその役割を担うものではないのかという思い。
 前回の考察でも見たように、明治という日本近代の黎明の時期まで、精神に限らず障害を持つ人々は異質さを振りまきながら社会の寛容さの中で世間に紛れて存在し得た。褒められもせず、またそれほど苦にもされず、あるいは過度に周囲を巻き込んで翻弄するということもなく、時に無関心やほったらかしのように映る、だが暗黙の共同性の配慮の元に生活することが可能であった。現在社会ではしかし、その配慮が滅して亡んだ。代わりに人権擁護の名の下に、単純作業を教える施設の元で職業訓練に明け暮れる。それが悪いというつもりはない。ただそういう行き方だと、この社会ではいつまでたっても健常者に追いつけない、競いの中にあえぎ続けなければならないことは先験的だ。これでは、昔に比べてよりその存在が尊重された生き方になっている、と言うことはできない気がする。
 学校では特別支援学級に在籍し、通常学級よりはゆっくりと読み書きを習い、集団行動、基本的な生活習慣や一般常識的な日常の振る舞い程度のことを身に付けるよう学んでいく。これもまたこの方面でははじめから健常者の後追いというほかなく、努力という努力はただ「普通」を目指すところに目標が置かれている。そしてそのこと自体はあえて言えば、ぼくらのようにある意味での精神の過剰、倫理の過剰、それ故に「負」を自覚するところのものが「普通」を目指すところと相重なるところだと言うことができる。だが、ぼくらのようなものはいいにしても、障害あるものがマイナスからスタートし、プラマイゼロ地点に辿り着くことをもって、彼らの人生の宿命と是認することには加担できない。先述したように彼らが仮に「負」を持つと考えても、それを補って余りある「正」もまた共時的に獲得されていると考えることができる。まさしくその「正」の価値は「負」を補って余りあるはずなのに、学校教育の過程の中でその価値はすっかり消滅させられてしまって、ただ校舎内の一隅にのろのろと生活しているように仮構されてしまう。
 ぼくらは、「そうじゃないだろう」と思っている。ぼくらが見習うべき究極の「善」もしくは「聖(セイント)」は、自力で獲得したものではないとしても障害ある人たちの中の無意識に宿っているのであり、それを模範にして学ぶべきは健常者の方であろうと考えている。そしてその学びは肌に感じるようにして学ぶことからしか学ぶことができない。つまり一緒に遊んだり生活したりする中でしか学べないものだと言っていい。
 こんなことを言うとほとんどのひとは決まって差別がある、いじめが起こると懸念する。その懸念は妥当である。しかし、突然人生のどこかで交流が当たり前のように自然な交流ができると想定することは不可能だ。差別やいじめを懸念していたら、生涯に渡って没交渉の道を敷き、その道を歩く以外になくなってしまう。現に、今日の学校も社会も上辺はどのようであれ、実質はそうなっていると思う。「隔離」と言ってしまうと穏やかではすまないが、しかし、一人ひとりが心に思うこととは別に、「関係性としてのみ」捉えるならば、そういう関係性におかれているというほかないことは、誰がどう言おうと覆るものではない。
 障害を欠如や不足という視点から見て、これを自立的な健常の方に近づける支援というものと、以前の日本社会に見られた周囲の寛容と配慮と保護的まなざしと、本当はいずれが強化されなければならないのかは安易にこうだとは言えない気がする。現在では公的な機関などを通じて前者の方向に力を注いでいる分、周囲の健常者は障害者に接する機会は少なく、寛容や配慮や保護を心性上に発動する機会を失っている。あるいはそういうことは公的なサービス機関の役割であると分別されている。また、そういうものとして、障害者に対する関心は幕ひとつ隔てた第三者的なものになっている。こういった傾向、こうした流れはますます社会を健常者中心のものとし、あたかも車社会で歩行者が道の端に押しやられてきたように、障害ある者たちを障害専用道路を設けて歩ませようとするかに見えてくる。
 文科省や学校は、支援と称して科学的論理的「正論」を持ってこうした事態を助長して行っている。この「正論」の意味するところには誰も疑いの口を挟むことができない。まさしく「正論」だからなのだが、その実際は何度も言うようだがその意味するところとは違って、共生とは名ばかりの隔離、締め出しと違わない様相を呈するものになっている。これを不満とする健常者は少ない。確かに、特別支援学級に過ごす障害を持つ子どもたちは、その中に生き生きと、またのびのびと過ごしているように見える。いらぬ「負い目」から解放された生活ができているとも見える。
 通常学級と支援学級とが分離したところでそれぞれの学級がスムーズに進行していく。
 そういうあり方はしかし、そのように構成し運営していく側を楽にはするだろうが、それぞれを非分離の場所から疎外し、疎外された分だけ互いの存在は観念的なものに変容していく。これは、かつての、「男女席を同じうせず」に近似する。つまり、互いに無理解を助長していくだけのように思える。
 良いとか悪いとかとは別に、男女のパワーバランスについては歴史的には前後左右に揺れながら、時代によって落としどころというものがあったという気がする。しかし、ことが健常者と障害者とのパワーバランスと言うことで考えれば、現在、圧倒的に障害者側が不利な状況にある。これを不服として障害者が立ち上がり、声を上げるということ自体も想定しにくいことであるし、強力な代弁者になり得る健常者の存在ということも限りなく想定しにくいことだ。そうした意味では、障害を持つ人たちは今日の社会では全く受け身的に存在し、受け身的に存在するほかないように存在していると言えよう。それは健常者側からする支援に甘んじて生きるほかない、というようにだ。
 社会的には福祉的な視点から障害を持つ人たちへの支援が行われ、そのことで社会は責任を果たしているかのような錯覚を内在させている。だがおそらくは社会は障害を我が事のように感じているわけではない。ただそうすることがよいことに違いないと考えて、そうしているに過ぎないだろう。障害ある人たちは、概して押しつけの善意に逆らうことができないように見える。
 現在までのところ、障害の問題は福祉が充実すればよい、支援が微細な点まで行き渡るようになればよいということでは、解決にならないのではないかという気がする。そういうことが社会的に配慮され考慮されるようになってきたとはいえ、どこかそれは浅い表層のうちで行われていたり、あるいはそうして社会的問題に取り上げられていることをもって、かえって棚上げにされて来ているような危惧を覚える。つまり、あらゆる領域に見られる現象だが、ここでも人任せ、行政任せの傾向が見られる。もっと言うと、障害とは何かを深く掘り下げることなく福祉や支援の施行をもってのみ良しとされている。果たしてぼくなどができることかどうかは分からないが、もう少し根源的なところから、障害とは何か、どのように理解し接するべきか、そのあたりのところを本質的な次元から考えてみたいと思う。
 
 
「障害」とは何か
              2016/05/15
「増加」考
 文科省の調査では、全国の公立小中学校で「通級指導」を受けている児童・生徒が初めて9万人を超えたとされている。調査の始まった1993年度との比較では7.4倍増だという。(「平成27年度通級による指導実施状況調査結果について」)
 通級指導とは、通常学級に在籍する比較的軽い障害のある児童・生徒が、補充的に自校内の別室で支援担当の先生などから教科指導を受ける制度で、それに該当する児童が増加しているということになる。具体的に言えばADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)、自閉症などいくつかの診断名があるが、実際のところこういう子どもたちの存在が現場の先生たちの手に余るようになってきているということだ。
 増加の理由として考えられることは、主としては発達障害の診断概念、適用範囲などが拡張され、またそのチェック体制が整ってきたためだ。昔は「悪ガキだ」「おっちょこちょいだ」「じっとしていられない」くらいの性格的な括り方ですんでいたものが、今日では「〜障害」という診断名を冠せられると考えておけばよいだろう。つまり発達障害を持つ子どもが近年になって増加したというよりも、昔からそういう子どもたちはいたのだが、そういう子どもたちを積極的に「障害」の枠組みに括るようになってきたと考えるべきことだ。それがなぜかは明瞭で、要するに指導効率、学習効率、知識、技能、道徳的規範などを高い水準で子どもたちに身に付けさせようとするところから来ている。つまり、教育効果を上げることが、至上命令のようにどこからか、なぜか、要請されていることによっていると思う。
 少し意地悪な見方をすれば、ちょっとでも「疑わし」ければ各々の家庭に診断を勧奨し、その時点でたいてい「軽度ですが〜の傾向があります」くらいの診断が下ることは予想がつき、実際またそのように診断される。
 意外なのは昨今の親側の態度で、昔は「障害」の名称に抵抗があったが、育児に手を焼く現状がそうさせるのか、かえって「発達障害」の診断にほっとする親も少なくないそうだ。つまり、そういう「障害」があるのであれば「治療」を要するということになり、それで子育て上の悩みからはいったん解放されるところがあるからなのだろう。
 発達障害の診断名がつくことは親のみならず担任の先生にとっても、倫理的な悩みを軽減する効果をもたらすと言っていいかもしれない。「障害」を持つ子どもがいるので日常の学級運営に支障が生じていると言えば、学級内に起きている問題がすべて教師の責任として背負わねばならないということはなくなるかも知れないからだ。
 通級指導によって、一斉指導ではおぼつかない学力向上が障害を持つ児童・生徒にもたらされれば、その子どもたちにとってもよいことかも知れない。一人ひとりの児童・生徒の実態に対応した取り組みという点からも評価できる。もちろん、障害と診断されない子どもたちにとってみれば、普段の授業が落ち着いた雰囲気の元に、これを遮断し妨害する者もなく、集中して授業に臨めるという利点も生じる。
 全てよいことずくめのように思えるけれども、しかし、問題がないわけではない。その第一のものは、学校、学級の体制がもともとそのようにこまめに一人ひとりに対応できるようなものにはなっておらず、担任をはじめとして関係する先生たちの負担が思いのほか大きいのだという。たしかにそうだろう。想像してみるだけでも、連絡、調整、打ち合わせ、ほかの子どもたちへの配慮等々、煩わしいと思えることが増える。あるいは通級する子どもたちへの偏見、蔑視が、学級内に湧いてでないとも限らない。結局のところ、現場の先生たちが指導しやすい環境を整えるための方策が、かえってこれまで以上に複雑な混乱をもたらすように見える。
 ここから次に考えられることは、公教育に投じる国家予算を増やし、教員の増員や発達障害支援の専門家の配置を、今後一層、現場サイドが要求するだろうということである。つまり教育に「金」を使えという声が高まっていくだろう。これは自然な流れとしてそうなっていくだろうということだが、しかし、現状ではそんな予算配分が期待できそうには思えない。となると、「こうすればよい」と考えられた方策も末すぼまりになり、かえって現場の混乱から学級崩壊や教育解体の道筋を鮮明にしていくことに繋がりかねない。
 教育的な状況の現在的な一面はこういうところにあるが、こういう状況を作り上げてきた考え方の根底に何があるかと言えば、通常学級、支援学級に在籍するか否かを問わず、相互の子どもたちへの質の高い学びの提供であり、そのことでもって国家、社会の力を高めようという発想であると思う。つまり、先述した学習効率をはじめとする教育効果の達成の目論見である。それがかなりシビアに要求されるようになってきているらしい。このことは今まで以上に発達障害の概念を後押しし、拡張させ、健常と障害を区分し、障害者の増加を現実化し、強いては教育予算の配分を増加しなければにっちもさっちもいかないような学校の現状を作り上げてきた。見方を変えれば教育組織体制の、教育組織体制による教育組織体制の強化、拡充の、内部的な衝動からなされていると言える。簡単に言えば現状における不備を認識し、その不備を補う形で改善を行いさらに不備を再生産する。そういう中で組織だけが膨れあがっていくことになる。これはひとつのループを形成する。
 このように、これまで以上に教育の推進を考え働きかけを行おうとする人々の間には、国家、社会の繁栄をもたらすものは「知」であるという、根強い盲信がある。なるほど、「知」は文明、文化の発展に寄与する。知識人、文化人、専門家、そして一般生活者に至るまで、ほとんどの人たちはそういう考え方で一致している。
 だが、その裏面に飽くなき自我(ここでは組織的自我)の跳梁跋扈があること、またそれは、互いに他を抹殺せしめようと働きかけるものであるということを忘れるべきではない。他のためによいことをするという発想で、実は自分の価値を至上のものとして高めるということを無意識にやってのけている。こういう個的(ここでは組織的)な生命戦略に気づかぬふりをすべきではない。
 そのように「知」は両義的であり、一元的な信仰は危ういものである。かつての「日本人」はそれを避けて「知」としての「私」ではなく、「無私」をよりどころにしようとしてきたのである。高度な「知」を形成する質の高い学び?それよりも大事なことが人間にはある、と考えてきたのだ。それは「情」や「心」であると言ってみたいところだが、たぶんそうではない。そうした概念や理念にまで結集、昇華されずに保留の状態にあるもの。あるいはまだ個人的な見解をでないと言えるもの。そこに立ち止まってきた。
 進化、進展、あるいは発展や発達という考え方。これはまた「知」によってもたらされるという見方は、阻害要因としての「障害」という概念を生み出し、細分化し、差異化し、しだいに異質とされるものを「障害」、すなわち、正常な進行や活動の妨げとなるものに仕立て上げてきた。だが、それが正常であるか正常でないかの見立てそのものは、自らを正常と見なす多数者の「知」によっている。その「知」はまた、異質な他者を数多く「障害者」に振り分け、振り分けることで何を目的とするかと言えば、絶対的「真」と優越性を持つ自分たちと同じように歩み、生きることを強制するものだと言っていい。これは近代欧米世界がアジア的世界やアフリカ的世界に向かって自らの優越性を誇示し、欧米化を促すパターンをそのまま踏襲していると見ることができる。つまり、パターンとしては同じものだと言えそうに思える。そしてそれは限りなく傲慢な精神と呼べるものだ。
 現在の世界において、相変わらずアジア的世界もアフリカ的世界も横並びに存在するように、健常者に対して障害者は横並びに存在していると言うことができる。つまり障害者という概念が指し示すところのものは、永久に消滅しないのだ。それどころか、概念の拡張により数が増えていく傾向を示している。であれば、本当は健常者に対する障害者という区分自体が無意味であり、理由のないことだと思えてならない。つまり、このような概念の拡張を無限に繰り返していくとすれば、ただいろいろな差異を分け合った人々がどこまでも横並びに存在しているということになりそうな気がする。そしてその差異を理解したり心底から認め合うためには、障害者の括りとか診断とか、要するに頭でする理解とか認識の仕方というものは、あまり有意義だとは言えないように思える。
 それは意味がないということではない。ただ、より大事なことは、場を同じくして接触する機会を多くすることに勝ものはないという一点である。接触する以外に共生、共存を担保する「知恵」が生じる場所はどこにもない。そして、「質の高い学びの提供」、「国力の増強」などという発想から抜け出ないかぎり、本当の共生、共存が可能になることはないだろうと思われるのだ。
 
 
「障害」とは何か
              2016/05/21
「障害」考
 生活保護を受けている場合を除いて、障害を持って働く人たちのうちの9割以上は年収200万以下のワーキングプアになっているという統計を見た。身体障害、知的障害、情緒障害、それらのいずれの場合も労働に関しては健常者に比べハンディを背負っている。それが対価に反映して、獲得賃金が低くなることは現在社会では仕方のないことかも知れない。だがもちろんそれでいいとは思わない。思わないが、では社会全体がどう変わっていけばいいかを含めて、「障害」というものにどう向き合っていけばよいかということになると、なかなか良い考えが思い浮かばない。
 こういう障害者の不遇とか差異とかについては、実態調査を待つまでもなく、何となくそうだろうなということは分かっている。この社会に普通に生活し生きていれば、何となくそういうことになっているだろうなと想像がつく。特に障害を持つ子どもの両親が心配することは、仕事とそれから結婚のことが一番悩むところじゃないかなと勝手に考えたこともある。
 そういうことを考えさせる周囲の環境は、自分にとっては以前は特殊教育と呼ばれ、現在では特別支援教育と称される公立学校の障害児教育にあった。そこでの教育の眼目、つまり主たる目標とか考えどころというようなものは、言い方はうまくないかも知れないが、ようするに障害ある子どもたちをできるだけ普通の子どもに近づけることが中心的な課題になっていたと思う。これは、そういう意識でなされていたのかは別にして、全体のベクトル、方向性で考えた時に、そうなっているようだと思われたものだ。これも言い方は悪いが、障害を持った子どもたちは普通の健常な子どもたちに比べてあれこれができない、いわば欠損や欠如、不足するところがあり、これを多少なりとも是正し補うことが教育の役割のように存在していた。漠然としたものながら、一種の共同の幻想、共同の観念として、あるいは空気感としてそれはそのように存在していたと思う。
 ところが、元々が普通の子どもたちのできる知識や技能の受け容れ、社会規範の受け入れが苦手だから障害者学級に在籍するわけで、これをどんなに時間をかけて指導してみても普通の子どもたち並みに彼らに習得できるはずはない。けれども障害児教育というものはそれを大目標にずっと同じことを繰り返してきている。果たして欠損や欠如は埋まるはずもなく、常に普通の子どもたちの後塵を拝するといった形に甘んじることを余儀なくされてきている。結局、健常児になりきれない、下位の存在のように障害児は扱われ、これはその後にずっと尾を引く。障害者は成人してもその道を辿り、社会システムにマッチしない存在と見なされ、自然仕事的にも単純作業中心の対価の低い仕事をするほかないことになる。つまり冒頭に述べたように、年収が200万に及ばないワーキングプアになることは避けられないことになる。
 にもかかわらず、小学校での障害児教育は何十年来同じことを繰り返している。ぼくの見てきたところではそうだった。
 ぼくの見てきた限りでは、障害児学級の日常はまずは挨拶をきちんとさせることからはじまり、学校という疑似社会の中での立ち居振る舞い、その他のルールを身に付けさせる指導が繰り返されていた。それが基本にあり、さらに簡単な読み書き、計算を、じっくり時間をかけながら指導していくパターンが実践されていたように思う。そういう学級経営、学級運営の在り方はぼくには何か障害児をバカにしたやり方のような気がして仕方がなかった。なぜかというと、やはり障害ということを通常のことができない能力の劣ったもの、低いものと見る見方があると感じられたからだ。具体的には、通常学級で行われている教育体制が前提に置かれ、それを単に障害児学級用にアレンジした、焼き直したにすぎない指導方法が貫かれていると思われた。これは繰り返すことになるが、障害者は健常者ではないということを自他に追認させる効果をもたらすだけで、障害は「NG」だと固定化するだけのようにも思われた。「発達段階」という見方、考え方の悪しき側面が、見事に制度化された例であり、結果であるとしか言いようがない。障害児は発達段階の下位のもの、段階の低いもの、劣ったものと見られがちで、障害児教育はそれに対応したものという考え方。それには、何をどう応えようが、発達段階の上位になければ通常の人間とは見なさないという錯誤が生まれる契機が潜む。
 担当の先生たちは教育上の取り決め、計画や目標に沿って活動することを義務付けられているが、おそらく、障害児と一緒に過ごす、共に過ごすという生活的側面からは、能力のあるなしや発達段階のような考え方とは無縁の、言い換えると、根源的な人間関係というものを自覚すると思う。するとそこでは、能力とか知識のあるなしや発達の早い遅いに関わりなく、ただに、一個の生命、一人の人間と直に向き合っているという感覚を必ずや体験することと思う。
 どう言えばいいだろうか。ぼくなどは障害を持つ子どもとの触れ合いの過程で、人間の価値概念がいっぺんにひっくり返る、逆さまになる、そんな思いを経験した。
 ぼくにとって彼らは、なによりも「こころの人」であって、頭ではなくむき出しの「こころ」で生きる人たちであった。彼らと一対一で接するためには、こちらも「こころ」をむき出しに差し出すほかはない。すると、そこでぼくは初めて「こころ」の対話が成立できたかのように思えた。これは別に恋愛とも友情とも違い、互いを深く理解し合うということとは違う。何も意味は無いけれども、ただ「ほんとう」のことで成り立つ「会話」がそこに見いだせたと思えたのだ。
 担任ともなればその関係はもっと濃密であり、言葉がなくても通じ合うところまで行くに違いない。だとすれば、本当は担任にとってはその時のありのままの子どもの姿がそのままかけがえのない存在であって、その場所からは低次の発達だろうが高次の発達であろうがあまり意味あることではなくなっているはずなのである。少なくともそういう視点からの見方は二義的なものになる。担任は、子どもを子どもとして、人間として、すばらしいところをたくさん持っていると経験的に理解できているはずなのである。そして口にはできないかも知れないが、その時、彼や彼女に接しながら心に思う思いの中に、実は自分の人間性が投影されているはずである。
 そのように、ぼくたちは障害ある子どもたちと接する機会を与えられることにより、たくさんのことを教わったり学んだり、あるいは自分について考える契機をもたらされたりしている。それはすぐに何かに役立ったり、あるいは言葉にならないことかも知れないけれども、貴重な経験になるだろうことは間違いないと思える。
 このことは通常学級の担任であってもそうだが、担任と児童との関係は仕事上の教えるもの教えられるものとの関係以外にも、いわゆる一対一、一個人対一個人というような関係が成立する。それはひとつの心とひとつの心の関係と呼んでもいいようなもので、年齢や性や能力的なことにも関係のない、いわば「ぼく」と「あなた」の関係としか言いようのないものである。
 もう少し踏み込んだところで言えば、つまり、「ぼく」と「あなた」との距離がぐっと近づいたところでは、「知力」や「理解力」が弱いとか低次だとかはさしたる問題にはならないし、また、弱くも低次なわけでもないことが分かる。それどころか、彼らがそういうところに「脳力」を発揮しているのではないことがはっきりと見て取れる。脳機能の働かせ方、使い方が、現在の教育体制が要求するのとは別方向に向かって開かれていて、いわば固有の思考回路、記憶術を保有しているのだと言っていい。
 教員は誰もがそれを実感し、経験しているはずなのに、その側面をあまり口にはしないし掘り下げようともしていない。そして職務上、どうしても発達段階的な面だけを気にして、そのあたりの議論ばかりに注意を向けてしまっている。それは職務上仕方のないことだけれども、個人には職業がそうであるように社会人としての顔と、それとは異なる家庭人の顔、それに自分自身という個人の顔の三層がある。そして、時として誰しもが一個の人間としての内奥の相を分かってほしいと望む時があるはずである。子どもといえども、児童・生徒の顔とは別に内奥に隠れた個人の顔というものはあるもので、言葉にしなくとも、誰かそこのところで自分を理解してくれと願っている。あるいは誰かが分かってくれるはずだと信じている。それでなければ「この世界はあんまりひどい」ことになる。
 障害児の心を本当に了解できるのは、日常的に彼らと接触する親と先生だ。そして実際にいま述べたように、個々の子どもたちの固有な心の動かし方、頭の使い方というものを肌に感じて理解しているのも親であり先生たちである。さらに親も先生たちも、「発達段階一辺倒」の考え方は、障害あるものにとっては「不当」なものである事実を把握している。だが圧倒的少数派故にかそれを声にできない。それでも障害ある子たちを擁護できるのは彼ら以外には存在し得ない。どうしても彼らは子どもを守るために、少しずつでかまわない、声を揚げていくべきなのだ。
 学校教育に採用されている「発達段階」の考え方が、低次から高次への縦軸を持って能力を測る物差しだとすれば、横軸にはそれとは違う「領域」の広がりが想定できるように思える。つまり横軸でもって子どもを捉えれば、「発達段階」の捉え方はささいな一面に過ぎなくなる。そして「領域」という考え方は、心的な世界の無限の可能性のような「広がり」として捉えられるようになる。その時、現在の解体過程にある人間についての概念は拡張するという方向に向かっての手がかりを得ることになる。
 親と先生の声は、遠くはそんなところまで谺する力を持っているとぼくは思う。
 
 
「障害」とは何か
              2016/08/31
「障害というカテゴリー」
 このシリーズの2回目に、渡辺京二「逝きし世の面影 日本近代素描T」(葦書房)から次の記述を引用した。
 
フォーチュンはディクソンら友人とともに鎌倉を訪ねたが、町中に入ると女が一人道路の真ん中に坐りこみ、着物を脱いで裸になって煙草を吸い始めた。明らかに気が違っているのだった。フォーチュンらが茶屋で休んでいると、彼女がまた現れて、つながれているフォーチュンらの馬に草や水を与え、両手を合わせて馬を拝んで何か祈りの言葉を呟いていた。彼女は善良そうで、子どもたちもおそれている風はなかった。フォーチュンたちはそれから大仏を見物し、茶屋へ帰って昼寝したが、フォーチュンが目覚めて隣室を見やると、さっきの狂女が、ぐっすり寝込んでいる一行の一人の枕許に坐って、うちわで扇いでやっていた。そしてときどき手を合わせて、祈りの言葉を呟くのだった。彼女はお茶を四杯とひとつかみの米を持って来て、フォーチュン一行に供えていた。「一行がみんな目をさまして彼女の動作を見つめているのに気づくと、彼女は静かに立ち上がって、われわれを一顧だにせず部屋を出て行った」。狂女は茶屋に出入り自由で、彼女のすることを咎めるものは誰もいなかったのだ。当時の文明は「精神障害者」の人権を手厚く保護するような思想を考えつきはしなかった。しかし、障害者は無害であるかぎり、当然そこに在るべきものとして受け容れられ、人々と混りあって生きてゆくことができたのである。
 
 ここで渡辺が記述している「『精神障害者』の人権を手厚く保護するような思想」とは、言うまでもなく近代西欧的障害観を指していよう。そしてそれは「身体障害者」に対しても同様であると言える。現在、われわれ日本人のほとんどは、この西欧的障害観を自明の前提として障害者を見、障害者と触れ合い、障害について考えるようになってきていると言っていい。
 この近代西欧的障害観がどのような過程で日本に根付いてきたかははっきりしている。大ざっぱに言えば明治の開国と太平洋戦争の敗戦を機に2度にわたって近代西欧の精神が移入されるとともに、日本人自らの思考の転回によってもたらされたことは間違いないと思われる。
 それ以前、明治初期までの日本では、引用文に見られるように、障害者と非障害者とはそれぞれのケースでそれぞれに折り合いをつけながら暮らしていくほかはなかった。今日常識となっている障害というカテゴリー、概念がまだ形成されていなかった。
 では西欧における「障害」あるいは「障害者」というカテゴリーは、どのよう経緯を持って発生したのか。
 日本学術振興会特別研究員の戸田美佳子は『越境する障害者―アフリカ熱帯林に暮らす障害者の民族誌』(明石書店)の中で、そこのところを次のようにまとめている。
 
 イギリス障害学の代表的研究者であるM・オリバーらは、「障害者」というカテゴリーの発生過程を、資本主義市場の成立と結びつけて説明している。「資本主義の登場に伴う排除の過程は、障害を医療の対象となる個人的問題という特殊な形態へと変化させた」。それは資本主義労働市場が「働くべき者(労働者)」と「働けない者(非労働者)」の区別を明確にしたことによる。その社会における「健常な人間」が確立されたと同時に、どのようにしても「健常な人間」になり得ない者が「障害者」とされ、子どもや老人と同様に扱われてきたのである。
 
 これは国や地域の産業形態としてみれば、農業や漁業、林業などの第一次産業から、製造業、建設業、鉱工業など、第二次産業化する過程で発生する括りであり考え方であると思う。もっと言うと人間を労働生産性の視点から見て、有用か無用かで判断しようとするものだと言っていい。それは近代西欧的障害観に結びついている。
 先に続けて戸田は、「このような『障害者』という枠組みは、共同体の中で生業を営むアフリカ諸国には本来存在しなかった可能性がある。」と述べているが、先の明治期以前までの日本の状況を考え合わせると、それはアフリカ社会だけではなく、アジア的社会にも存在しなかったのだと考えていいように思える。つまり、この本の中で調査対象となった数人の事例を読みながら、私は過去の日本の障害者たちの生活を垣間見る思いがした。そのように読めたのである。
 日本学術振興会特別研究員というもったいぶったような肩書きを持つ戸田が、アフリカはカメルーンの熱帯雨林に暮らす人々の中の障害者の現地調査、研究を行い、アカデミックな論文の体裁で書き上げたこの本は、私などにはとてもまだるっこしくて、この程度のことなら日本にいても考えられることだと思った。ひとつの調査報告で、それなりに意義はあるのだろうし、フィールドワークとはこういうものかもしれないとも思った。そういう中で、あえて戸田の真意を探ろうとすると、次のような語句がそれに該当もしくは抵触するのかなという気がした。
 
それでも私はどのような(正当な)理由があるとはいえ、外部者が地域社会に対して自らの基準に立って線引きを決めることには警戒せざるを得ない。このような新たなカテゴリー化を生むような線引きが外部からの力として働くならば、(中略)彼らを憐れみの対象や時として差別の対象にしうる状況を地域社会に与える危険性があるのではないか。その点を考慮せずして、地域に暮らす障害者の本当の意味での福祉とはなり得ないのではないだろうか。
 
 この言表にはとても重要なことが含まれている気がする。だがそれを言い表してみることはとても難しくて、また今のわたしにはその力がない。
 カテゴリーとして理解すれば、障害は個人的な心身の機能の問題であり、また社会的な問題でもある。機能の問題と考えれば、現在これは訓練とか開発という形で非障害者に近づけることを当然のように見なしている。そのため、機能回復の訓練とか開発のために医療的であったり教育的であったりという自他の働きかけを必須としている。
 もう一つの社会的な問題という捉え方では、社会的な組織や制度や施設の充実という側面と、言ってみれば健常者と括られる側の障害とか障害者とかに対する人権的な理解が求められるようになっている。あるいはまた社会として、障害あるものに理解と共感を持って接し、障害者も健常者と同様の生活が送られるように、あらゆる方面からの配慮を講じるべきだとされている。
 だが、こういう近・現代的な考え方には何かが欠けている。あるいは何かが過剰になっている。
 戸田がアフリカのカメルーンに見た障害者や障害の実態は、たしかに西欧近代以降の障害のカテゴリーからすれば不備で不徹底で、あるいは放置と見られるような、要するに恵まれていない状態にあった。そしてキリスト教的な慈善事業の普及を含め、カメルーン指導層もまた西欧近代的障害観を身に付けていく過程で、たしかに緩和された過酷さや悲惨さ、救済という現実もあったに違いない。言い換えると、お仕着せのような外部からする西欧近代的障害観は、一定の効果をもたらしたといえば言える。
 戸田は『越境する障害者―アフリカ熱帯林に暮らす障害者の民族誌』の中で、なるほど従来言われていたように、西欧近代的障害観から見た障害者へのケアは皆無に近いか、もしくはほとんど進展していない現状についても述べている。だがそれで、障害者に対する「ケアのないアフリカ」という認識が正確であるかというと、そうではないのではないかという疑義を挟んでいる。冒頭に引用した渡辺京二の「逝きし世の面影 日本近代素描T」に描かれていた狂女のように、障害に対する特別のケアのない世界の中で、しかし、「当然そこに在るべきものとして受け容れられ、人々と混りあって生きてゆくことができている」、主として身体障害者数人のケースを紹介している。
 これはどう言えばいいだろう。わたしには近代的国家という枠組みに内包されていても、実際的な生活基盤としての地域社会、地縁・血縁の共同体が死滅したり崩壊していないところでは、そうした自然生成的な、差異への寛容が存在するのではないかと思える。そこでは障害を持ちながらも、障害者自身のできる限りでの折り合いの付け方が尊重され、認められていたのではないだろうか。障害が、ごく当たり前のことのように、少しも特別視されずに、また健常者との間に境界を設けられずに生活することができていた。人たちは気を遣うという意識なしに気を遣うことができていたし、ケアするという意識なしにケアすることができていたのだと思える。
 今日の日本社会は人権や福祉に過敏で、障害者に対するケアも小学校段階から子どもたちに意識させる教育施策が進んでいる。それを否定するわけではないが、そうした意識を持つようになればなるほど、逆に障害者は自分とは別物だという特別視が強まっていき、「彼らを憐れみの対象や時として差別の対象にしうる状況」が深まってきているような気がしてならない。
 戸田が調査した地域の、現代的視点から見ればローカルな未開種族社会では、産業経済的に言えば狩猟採集及び農耕が主たる生業となっていた。これは吉本隆明の歴史概念に置き直せば、アフリカ的(プレ・アジア的)段階(狩猟採集社会)とアジア的段階(農耕社会)とを意味し、日本社会ではつい最近まで存在した強固で閉鎖的な地域社会、農耕共同体、地域共同体といったものをイメージすれば近似の像が得られるように思われる。特に親和的な地域のつながりとか相互扶助的な面は、社会が先進的になればなるほど消滅していったり欠落していくものだということが、ここでは重要なこととして押さえておかなければならないと考える。
 吉本隆明は「〈アジア的〉ということ」と題した講演の中で、マルクスがイギリスのインド植民地支配の分析、考察したことを受けながら、次のようなことを述べている。
 
 どのようにこわしたかということは、それこそいってみれば簡単なことです。インドでは村落共同体の経済的基盤になっているのは、農業と織物です。インド更紗のような名産物があるでしょう。そういう織物が、農村で家内工業的・家庭工業的にやられていました。インドは木綿の原産地で、インド産木綿をヨーロッパ市場に輸出してそれでもって長い間村落共同体をまかなってきたのです。イギリスは、ヨーロッパの産業革命の最新の機械を使って作った織物を、逆にインドに入れていきました。それからインドにより糸を入れていったわけです。するとインドの家内工業は近代化した工業に移っていくわけです。そしたら、今まで村落共同体を独立させてきた基盤である、農業と織物の家内工業的な結合は破壊されることになり、農民たちは近代化した都市の工場へ働きに出ることになってしまったのです。
 インドの何千年来続いた、村落共同体の独立と閉鎖性とは、イギリスのこの政策によって根こそぎこわされたのです。マルクスは、こういう述べ方をしています。インドの歴史は、外国人によって侵入されたり征服されたりしたけれども、その侵入とか征服とかでもインドの表面をなでていったにすぎなかった。しかし、イギリスがインドにやったことは、そんなものとは比べものにならない。インドにおける〈アジア的〉村落共同体は根底的にこわされてしまった。このために、インドの村落共同体民は、徹底的な飢餓状態にさまようほかなくなってしまった。この悲惨さは何ものにも比べられない。これは根底的な破壊だ。
  (中略)
 
 マルクスは大変なヒューマニストですから、その悲惨さ、無茶苦茶さというのは、我慢ならないほど根底的だとおもえたにちがいありません。しかし一方で、歴史というのは何だろうか。歴史というのは何をこわして何を残していくのだろうかを考えていきますと、村落共同体にはよくない面もあります。例えば、ほかの村落共同体とかその上位の国家自体がどんなひどい破壊をやっても、また逆に破壊にさらされても、孤立した村落共同体の内部の村落民たちは、平気で我れ関せず、自分の利己的な生活さえ破壊されずに保存できればいい、というようになるからです。また孤立した村落共同体の内部だけが世界全体になり、蒙昧な宗教や迷信や呪術に支配されたり、ほかの村落共同体やほかの国家に対しては残忍で冷酷なことを平気でやるようにもなりうるわけです。
 こういうことは、現在でも〈アジア的〉な地域で残存していますし、私たちの間でも、歴然と意識の中に残存しています。自分よりも上位の共同体とか制度とか権力とか、そういうものがどんなに抗争して交替しようが、どんなひどいことをしようが、そんなの知らないという、閉鎖的な概念は今でも生々しい意味を帯びています。極端にいいますと、村落共同体が世界の広さであり、地球が世界の広さではないのです。自分の利害に関係のないところでどんなことが行われようと、あるいは、自分の利害に関係のある、膨大な権力のところで悪いことをしていたって、自分のところに響いてこなければ関係ないよという概念は、わたしたちのあいだでも残っているでしょう。
 わたしたちは、思い当たるのです。これは〈アジア〉では特徴的です。全部思い当たるはずです。思い当たらなかったら嘘だとおもいます。それは存外、超近代的な形をもっているかも知れませんし、前近代的な形で残っているかもしれません。
 はじめにヨーロッパが市民社会を獲得したときに、自己意識だけで世界を見渡すことができるんだ、その理解の仕方がどんなに誤っているか偏っているかは別として、一応眼の中に世界を納めることができるんだという意識に到達したというお話を致しましたが、村落共同体の独立性だけでは、この視野の攫取は不可能です。
 個々の人間が自分の意識でもって、自分の考えでもって世界を見ることができることが、人間の歴史にとって進歩だとすれば、その面からは〈アジア〉における、例えばインドにおける村落共同体の破壊は、歴史の必然なのかもしれません。そうすると、イギリスがインドでやったことは凶暴であり圧倒的な植民地化でしたが、しかし、歴史の必然に加担したことにもなります。この二重の概念の中で、マルクスは揺れています。その揺れというのは当然なことです。その揺れの中にこそ、本当の問題が横たわっているようにおもわれるのです。またその揺れの中に、たくさんの貴重な問題が含まれています。
 
 山田明「通史 日本の障害者―明治・大正・昭和」(明石書店)の本文は、次のような記述から始まっている。
 
 近代社会は障害者にとって何であったか。加藤康昭は、それを、「部分的には補助的な農業労働力として生産に組み込まれつつ、家族を中心とする血縁的・地縁的共同体の相互扶助に吸収されていた」とし、そこからはずれた者の一部が非農業的な作業に従事していたとする。ところで明治維新後の農民層の窮乏化と都市化の進行に特徴付けられる近代社会を、障害者はどのように生きたのであろうか。加藤のいう血縁的・地縁的共同体の相互扶助はどのような形態をもって存在したのだろうか。
 地縁的相互扶助の中心は五人組であった。一八六九(明治二)年の京都府郡中制法は、五人組の意義を強調した後で、次のように定めている。
 
村内懇和し、吉凶相助、善を勧め悪を戒め、共々渡世の安穏をはかるへき事、付 孤独疾無告之窮民ハ村内互に申合、常々心を付け、救助申出等遺漏沈滞不可有之事。
 
 同様の五人組帳による規定は他の地域にもみられることから、近世以来の隣保相扶制の中で疾者が生存していたことがうかがえる。
 
 この後、日本における近代国家体制の確立から戦争、戦後期を経て、経済成長期、成熟期に至る過程での障害者問題とその発展が素描されている。
 言ってしまえばそれは、西欧近代的障害観、障害という概念とカテゴリーの日本社会での浸透の祖述であるとともに、アジア的血縁、地縁共同体の枠組みから障害者問題が引き離され、国家的な政策の問題へと分離していく過程をも描くものとなっている。少なくとも障害問題に関して、アジア型の親和性、相互扶助的な精神は出る幕がないところへと極端に追い詰められてきたと思える。
 なるほど、今日の日本社会では、小学生の子どもから老人に至るまで、障害者に対する意識・理解は深まったかも知れない。だがそれとは反比例するかのように、障害者の姿はごく普通の生活者の視野からは遠ざかり、障害者というカテゴリーの中、枠組みの中へと囲い込まれてしまった印象が持たれる。それはたとえば小学校において、同じ校舎内に暮らし、頻繁に校庭や廊下ですれ違いながら、特別支援学級の子どもかそうでないかの薄膜に隔てられて存在するといったようなものだ。その薄膜が何を意味するのか、特別支援学級の子どもにも健常者の子どもにもよく分かられてはいない。いや、実のところ、教員たちも、そしてわたし自身もよく分かっていない。制度的に出来上がっているそれを追認しているだけなのかも知れない。時として、障害を持つ子どもは健常者である子どもたちに対して、萎縮していることを示す態度や姿勢を示す場面が垣間見られることがある。それは瞬時で、次の場面では何事もなかったかのように切り替わる。見過ごせば仲むつまじい交歓が行われていると誤解したり、共生が成り立っていると錯覚することもできよう。だがわたしには障害を持つ子どもとそうでない子どもとの間に、はっきりと乖離が横たわっていると感じられる。これをうまく掴みたいと考えてあれこれ考えてみているわけだが、どうもうまくいきそうにない。解答を必要としているのは今のところわたし自身だけであり、その意味でこの考察は自身のためだけのものに過ぎない。
 
 
「障害」とは何か
              2016/09/26
「境界」考
 障害と健常の間には公的な基準があって、普通はそれが両者を隔てるものになっている。その基準は客観的に現在的な水準での公平、公正が担保されているに違いない。しかし、それでさえ、現代という時代精神の枠組みが拵えた基準に他ならない。つまり、その時代の思想が色濃く反映されてある。
 極端な考え方かも知れないが、いま、そうした基準は実は恣意的なもので、観念や幻想の現代的な水準から広く流布されているものに過ぎないと考えてみる。これをさらに考えると、こうした類別、カテゴリー化は、自然界や現実界には存在しないもので、人間個々には、ただ無限に微少な差異が続いているだけだと言うことができそうな気がする。
 たとえば、空想の中で今世界中の人間を背の高さや幅、太さといったもので順番に横並びに並べてみれば、端から端までの差異は明らかであり、だが隣同士ではあるかなしかの微妙な差異であることがはっきりする。
 これを視覚の視力差で空想すれば、数キロ先の物体をはっきりと認識できる視力もあれば、目の前が全く見えない視力まで無段階に連続していると想像することができる。そして大事なことはその視界に映り込んだ(映らない)ものが、その個人にとっての現実だということである。その意味では、実は、現実は人間の総人口数に等しく存している。あるいは、ひとの数だけ世界という現実が存在するということになる。
 こういうことで何が言いたいかというと、主観的なところから言って、本当は自分が障害者であるかそうでないかということは、分からないことに属するのではないかということだ。つまり、目が見えないということはその人にとっての現実であるけれども、そのことが普遍的な意味で障害になっているかどうかということは、誰にも言えないことではないだろうか。見えないことが先天的であった場合は特に、その人にとってはそれが普通のことであり、彼の現実の世界はその世界が唯一のものになる。目が見えるものには彼のその世界が見えない。見えないもの、知り得ないものたちが、空想によって彼の現実世界が不幸なもの、あわれなものだと決めつけるのはどこか違うのではないだろうか。
 また、客観的に見たところでは、障害と健常の境界は、微少な差異の連続をかなり離れた場所から見て概括的に基準を設けたまでのもので、特に心的な意味での境界というものは、今日の社会ではとても広く曖昧なものになっているという気がする。
 障害の概念は、個々の障害者が自らの意志によって作り出したものではないと思う。また家族や近親が作り出したものでもない。障害からは隔たった第三者によって考えられ、また形成された。それは近代に発明されたもののひとつだと言ってもいい。これはある時には近世までの村落共同体の相互扶助や親和性の代わりとなり、ある時には第三の権力であるかのように、障害と健常の間に起こったいざこざを仲裁するものとなる。しかしまた一方で、両方の生活をはっきりと分断し、分断を前提とした上での共生、それはつまり現実世界の二重化を目指すものに思える。
 それはどこまで行っても本当に混じり合うということがない。その典型が学校教育における通常学級と少人数学級、すなわち特別支援学級の生活形態の中に見ることができる。
 学習支援員として2年間勤務した時、わたしたちの控え室は特別支援学級の近くにあった。当然のことながら、控え室と支援に出向く学級に行ったり来たりを繰り返す中で、しょっちゅう特別支援の子どもたちと廊下ですれ違った。その子どもたちが、たとえば職員室前や校長室前の廊下で、通常学級の子どもたちとすれ違う場面に遭遇した時も多々あった。一瞬だがその時、特別支援の子どもたちは廊下の端の方にすっと身を移動させたり、伏し目がちになったりという表情を見せた。特に特別支援の高学年の子どもほど、あからさまに遠慮がちにすれ違う。通常学級の子どもたちが威張ったふうで通っているというわけではない。ただ、特別支援の子どもたちには自然にその習性が身についてしまった、と考えるほかないように思えた。もちろん、習性のように彼らがそんな身のこなしを身に付けるようになった原因は、はっきりと学校という環境の中に存在するはずなのである。
 よく通常学級の子どもたちが差別的な言葉や態度を示し、問題になることが以前からあった。だが問題はそういう言葉や態度を示した子どもたちにあるのではないと思える。子どもたちはただ、植物の枝や根のように外側に張り巡らせた感覚の先っぽで、世にある差別意識といったものを受信し、真似るだけに過ぎない。あるいはそれに憑依されるだけだと言い換えてもいい。だからわたしはそういう子どもたちを批判的に見ることはないし、それではダメなんだよと教え諭そうとしたこともなかった。ただ、萎縮する子どもの側に対し、それは理由がないことだよと伝えたい気持ちだけ持っていた。ふっと心で寄り添い、けれどもかける言葉もなく、すれ違いを繰り返すことを常としていた。それがどうにもやるせなかった。どうしてこういう現実が変えられないのか。見過ごされてそれっきりというように、それがどこまで行ってもそのままで過ぎていくのか。
 現在の特別支援教育体制を内に抱えた、全体としての学校体制を批判する声はわたしの耳には皆無に近い。それは障害を持ち、支援を要すると見なされた子どもたちが教師の目と手が行き届く形で教育を受けることができ、その成果を誰もが認めるからだろう。
 たしかに、狭い意味での知識や技能は身につきやすいかも知れない。また、あからさまな差別的な言辞や態度からも隔離的に保護され、常に劣等意識に駆られながら生活しなければならないということからの解放という美点も付随するかも知れない。けれども、差異はありながらも、あるがままの差異は差異としてそのままに、みんなの中に、そのことが当たり前であるかのように混じりあって暮らすことで生じるに違いない生命的な安堵感、その一点に比べれば、知識や技能の獲得や囲いの中の平穏が何になるだろうか。
 昔がよかったというのではない。だが今日の日本社会は、たしかに障害を持つものに対しての「人権を手厚く保護する」体制を完備させながら、もう一つの大切な何かを置き去りにし、忘れてしまったという気がしてならない。たわいのない言葉でそれを言ってみれば、ともにそこに在ることが当然だという寛容の心である。全ての動植物に心を開いてきた日本人の根源の心性だとここでは言ってみたい。それを現在の中に取り戻し、付加できないのかということが、さしあたって今わたしの心を占めていると言っておこう。
 
 
「障害」とは何か
              2016/10/05
心的障害1
 民間会社を辞めた後に小学校教員になり小さな子どもたちと接触した時に、自分の言葉、つまり自分で練り上げ自分のものにしたといった感じのそれが、全く子どもたちに通用しないものだと分かった。言葉そのもののやりとりはできるが、感覚、概念、イメージのやりとりができなかった。平たくいえば意思の疎通が成立しないとも言えるが、その時、存外言葉というものは不自由なものではないかなと思った。
 そういう気持ちがずっと残っていて、数年後のある時に、教室で一日普段の言葉を使わずに、「ニャー」語(猫の鳴き声)で過ごしてみないかと冗談交じりに子どもたちに提案したことがあった。子どもは最初の内こそ興味を持って取り組んだが、すぐに飽きて、なし崩しに終わってしまった。
 それから小さな学校で教務主任をした時に、それと兼務の形で軽度の自閉症の子どもと毎日2、3時間過ごした。その時はいっそう自分の言葉の未熟さ、思いや考えが交流できない歯がゆさを味わった。
 これらのことでもう少しつんのめった言い方をすると、その時代、教員としてその職業柄、子どもたちに何かを教える、啓蒙するという意識を持って対したものの、ことごとく跳ね返されたと実感している。もちろんここにはわたしの感受の質が反映していて、そのように受け取ってしまうわたしの性格、体質のようなものも考えに入れなければならない。ただ、感覚的にそう受け止めていたことはたしかなことだ。
 ひととおりの考え方からすれば、ただに人間理解、子ども理解が浅かったということもできるが、教員用の手引き書、研究書、あるいは専門書の類いを読んでみても、当時の思いに答えてくれるものに出会うことはできなかった。
 特に自閉症の子どもと接する中で、言葉や心が通じないんだから、これはどうもわたしたちの祖先の弥生や縄文から、それを超えて縄文以前の時代の人が現在に現れて、その人に接していると考えてみればいいんじゃないかと思った。
 架空な話ではあるが、実際にそんなことがあり得たとするなら自分はそんな人たちにどんな態度で接するか。野蛮で未開の人たちとさげすんだり、凶暴な人たちとおそれるか。いや、そうはしない。仮にも祖先である。それなりに敬いを持って遇さなければなるまいと思った。具体的にどのように接するか、こと細かにはイメージできなかったけれども、子ども、そして自閉症の子どもには、かつての祖先を二重化して見る視点が必要だと思った。それはつまり、子どもや、拡張していえば障害を持つ人たちの中に、わたしたち人間の原型、初源が保存された状態を見ることだった。
 それからは特に自閉症の子や、あるいは一般の子どもたちを前にした時に、言葉の現在における先進的な水準から語りかけるということを止めた。同時に、メッセージふうの色合いが言葉に籠もってしまうことを避けるようになった。極端に言えば、彼らとは言葉以前の段階で接しなければ、その意志や思考が見えないと思うようになった。何もない。ただそこに、無害であり、当然あるべきものとして存在し、かつ混じりあう時間をともにすることで、これまで見えなかったものが自ずから見えてくるようになると信じられた。
 そうした日々のある日に、インターネットを検索していたら『読書クラブ通信』というホームページを目にした。そこには吉本隆明さんや三木成夫さんといった、わたしの好きな著作者たちの考察に対する好意的なコメントがあり、またその延長上に自らの考察を進め、そして障害児教育に携わっている人という印象がそうした文章に垣間見られた。それらを読むと、自分とよく似たことをしているけれども、はるかに打ち込んで考えている人だと思った。おそらくは現場で障害児教育に取り組む先生だと思ったが、先生という中にもこういう人たちはいるんだと深く感心した。そして、わたし自身は専門に障害児教育に携わったわけではないので、ただ、障害について考えるならこの人の文章を参考にすればいいと考えた。実際、特殊教育、特別支援教育の学級担任の先生に、このホームページを紹介したこともあった。
 迂闊なことに、パソコンが故障してOSから再インストールしなければ事態が起こった時にブラウザの「お気に入りも」消えて、それ以来そのホームページから遠ざかっていた。そしてつい最近、何か著作を検索していた時だと思うが、たまたま『読書クラブ通信』の文字を目にして、「あっ、あれだ」と思い起こし、ずいぶんしばらくぶりにそこを訪れてみた。
 以前のわたしはこのホームページの作者に興味がなかった。どんな名前のどんな年の人か、あるいはどんな経歴の持ち主か、それらとは関係なしに、ただ書かれたものを読めばそれで済むと考えていたのだ。そして実際にそうした。基本的には今もそれにかわりはないが、ここで取り上げるために掲載されているプロフィールに目を通してみたら、「松本孝幸」さんという名前の人だった。養護学校勤務の経歴があり、数冊の著作を出版されていることを初めて知った。また、かつて吉本隆明さんが主催した雑誌『試行』の寄稿者でもあった。その時の文章が掲載されていたので読み返してみると、確かに『試行』の読者だったころに読んだという記憶がよみがえった。まあ、わたしが当初思っていたよりも、かなり本格的な探索者だったということだ。
 そうした新しい発見があったと同時に、このホームページに新しく掲載された記事がいくつかあった。その一つに『動物・自閉症・人間』と題し、「不定期連載」と著者がことわり書きしている文章があった。著者は『動物感覚』の作者「テンプル・グランディン」の次の記述を引用し、それに自身のコメントを付けている。
 
…自閉症をもつ人は動物が考えるように考えることができる。もちろん、人が考えるようにも考える。そこまでふつうの人とちがうわけではない。自閉症は、動物から人間へいたる道の途中にある駅のようなものだ。そのおかげで、私のような自閉症の人は「動物のおしゃべり」を通訳する絶好の立場にある。私は、動物の行動のわけを飼い主に説明できる。だからこそ、自閉症を抱えていながら成功できたのだと思う。
 動物の研究は私にうってつけの分野だった。
(『動物感覚』 テンプル・グランディン)
       ○
 ここでテンプル・グランディンが、「自閉症は、動物から人間へいたる道の途中にある駅のようなものだ。」と言うとき、そこには、どんな偏見をも介在させてはいない。何よりも、自閉症者である自分自身がよくわかって言っているのだ。純粋に真実を言っている言葉なのだ。
 自閉症者は、「人間」と「動物」の中間にある「駅」のようなものだ、ということは、自閉症者を理解しようとするときに、人間の側からは理解できない奇怪な行動であっても、動物の側から見ると普通に理解することができる、ということを意味している。そして、確かに、そんな風に考えた方が理解しやすいケースがたくさんあるのだ(!)。
 そして同時に、僕がそれまで漠然と考えていたことが、ここではハッキリと明確に書かれていた。
 一般的に、人間は、「進化」してきたと考えられている。
 「動物段階」から離脱して、「人間」となり、その後も、進化として「アフリカ的段階」「アジア的段階」「西洋的段階」というように、一方通行的なものだ、と考えられている。
 だが、テンプル・グランディンは違っていた。「感じている世界」として言えば、人間よりも動物や自閉症者の方が、遙かに広くて深い世界を体験しているのだ、とハッキリと言い切っていた。
 もしも、ヘーゲルが現代に生きていたら、テンプル・グランディンの言うことはまったく認められなかっただろう。反対に、テンプル・グランディンから見たら、ヘーゲルは、抽象的思考に凝り固まった「視覚と聴覚に障害のある人間」ということになるのではないだろうか。
 
 ここを読んだだけでも、わたしは「松本孝幸」さんというこのホームページの作者が、わたしとよく似たことをわたしよりもより深く考察し、究明している人だと分かる。
 言ってみれば、こういう人がこういうことを書いているのだから、ここはもうお任せしていいのじゃないかと思う。そして、この人のこういうホームページの文章があるのでそれを読んでくださいと宣言すればすんでしまう。その方がより確かだし、より深い考えを読み取ることにもなる。まずそれを宣明しておきたいと思う。つまりわたしは「ぬかって」いたのだ。
 その上で、もう少しこの作者の考察を追って、同時にそれを学んでみることにしたい。
 作者はさらに、テンプル・グランディンの『動物感覚』から次の文章を続けて引用している。
 
 人間が大きな前頭葉をもつためにはらった代償は鈍感になったことで、ある意味では自閉症の人や動物は鈍感ではない。ふつうの人は絵を構成している細部を見ずに、絵の全体だけを見る。それがふつうの人の前頭葉の働きだ。動物は絵の中の細部をなにもかも見る。
   ○
 人間とくらべると、動物は周囲のものごとを知覚する驚くべき能力をもっている。
 動物が知覚する世界は、人間が知覚する世界よりもはるかに豊かだ。それにひきかえ、人間は視覚と聴覚に障害があるのではないかと思える。
   ○
 ふつうの人が自閉症の子どもを「自分の狭い世界に閉じこもっている」と判で押したようにいうのを聞いて、いつもなんとなくおかしくなる。動物を相手にしばらく仕事をしていると、ふつうの人にも同じことがいえるのがわかってくる。彼らがほとんど受け入れていない広大な美しい世界があるのだ。たとえば、犬は私たちには聞こえない音域の音を聞いている。自閉症の人と動物は、ふつうの人には見えない、あるいは見ていない視覚の世界を見ている。
 
 わたしはテンプル・グランディンや、ホームページの作者である「松本孝幸」さんの言いたいことが即座に分かるような気がした。それは、松本さんが記した以下の言葉に要約できるのではないかと思う。
 
 人間は、植物も動物も、障害も自閉症も、内包した<総体としての人間>として生きているのだ。
 (略)
 初期の人間は、もっと「感覚で考える度合」が強かった。自然はもっと豊饒であり、細部にいたるまで鮮明なイメージで見え、それをもとに思考していた。
 つまり、人間は、かつては誰でも、大なり小なり「自閉症」であったし、大なり小なり「発達障害」であったのだ。
 
 松本さんの言葉には、三木成夫さんや吉本隆明さんの考察の影響が感知される。そしてその影響のもとに、さらに新たな思考の次元を切り開こうとする姿勢が読み取れる。その姿勢の先を見通し、そこに立って逆照射すれば、松本さんの最後の引用部分は以下のように言い換えることができるのではないだろうか。すなわち、現代的に「ふつう」の人と見なされているわたしたち人間は、概念世界に閉じこもった「自閉症」であり、自然界から見れば大脳皮質の異常な発達によってもたらされた、大なり小なり「過剰発達障害者」であるに過ぎないというように、だ。
 そして何よりも、現代の人間は自分たちがもっとも進化・発達した生き物で、他の生き物よりも優れていると錯覚した「思考障害者」なのだ。それは動・植物といった自然界から見れば、知覚の鋭敏さを消失した奇形であり、異形の輩であるに過ぎないかも知れない。
 テンプル・グランディンの「自閉症は、動物から人間へいたる道の途中にある駅のようなものだ」という言葉から、松本さんは自閉症のみならず、現在心的な障害と目される全てに渡って、言語獲得以前・以後の人類史のいずれかの段階に位置づけられると考えているように思う。つまり、単純な言い方をすれば、いろいろに仕分けされた感情や思考など精神的な障害の全般は、いずれに原因があるにせよ、人類が動物的な段階から人間へと至る過程のどこかで、ごく普通にあり得た存在様式だというところまで射程を引き延ばしている。そこでは、障害が生活上に支障をもたらすという視点からばかりではなく、人類史的なかつての時代のおもかげの現出という視点からの捉え直しがある。
 現在、わたしたちは現在的なわたしたち人間世界が全てであるかのように思い込んでいるかも知れない。だがもしかするとそれは閉じられた世界の中で考えているに過ぎないことかも知れず、世界は開かれた可能性として、わたしたちの狭い思考の外側に広大な無辺として存在するかも知れない。
 わたしたちはかつての時代をおもかげとして現出させる障害者の姿を通して、それは開かれた可能性の象徴と見なすことができるのではないかと考える。テンプル・グランディンが教唆したように、そこからわたしたちは動物の世界や植物の世界の豊穣さを垣間見ることができるようになるのかも知れない。そしてそのことは人間世界に、いっそうの広がりと豊かさとをもたらす可能性を秘めていると言うこともできよう。
 ところで、ここで松本さんの記述に触れながら啓発されて考えたところをいくつか述べておきたいと思う。
 一つは、ここまで見てきたように、障害の区分から言えば主として精神的な側面での障害が対象とされている。そしてそれは、段階という概念を前提にすれば、動物段階から現代までの人類史のいずれかの時期に位置づけられると見なしてきた。この考えは魅力的でわたしもそれに倣ってきたつもりだが、わたしにはもう一つどう考えたらよいかその端緒さえつかめずにいた肉体の障害という問題がある。松本さんの文章、さらにテンプル・グランディンの文章を読む中で、やはり人類史の段階、あるいはさらに遡って霊長類、哺乳動物史、さらに遡って脊椎動物の進化の歴史の中のどこかに位置づける考え方で考えられないだろうかと思い始めている。これについては、もう少し考えを深めた時点で別の機会を設けて触れてみたいと思う。
 もう一つはテンプル・グランディンの『動物感覚』『自閉症感覚』を読む中で漠然と考えたことに拘わる。
 一番最初に引用した中に「自閉症を抱えていながら成功できた」という言葉が見られるが、つまり、どう言えばいいか、テンプル・グランディンの著述の動機が、障害者の社会的な成功という方向性で書かれているところが気になった。
 ここはとても難しいところで、迂闊なことは言えないけれども、障害の問題にとってやはり社会的な成功ということは避けて通れないことかと思った。折しもこの少し前にリオのパラリンピックがあり、日本の障害者の活躍が連日報道された。これは障害を持つ人々の、社会的な活躍の場の広がりを象徴するもので、喜ばしいと思える反面、本当に諸手を挙げて喜ぶべきことかという疑念も併せ持った。
 選手の顔は生き生きとして躍動感に溢れる。おそらく、生きていることの実感、充実感というものも選手たち個々は手応えとして感じていることだろう。障害を持つ人々のほとんどが、そのように充実感を持って生きられるとすれば、それは理想的な社会と言うこともできるだろう。そして現にそういう機会が増えていることも確からしく思われる。しかし、オリンピック同様、充実感を得て「成功」者になり得るものは一部の人に過ぎない。その下に注目と関心を寄せるその種目の競技人口があって、さらに圏外には生活事情に手一杯の観客層、あるいは無関心派層が裾野を形成している。それはオリンピックも同じことだ。
 わたしたちの社会は今なお社会的成功を課題として、営為、日夜努力を傾けていると言っていい。しかし、本当に成功が全てなのだろうか。
 テンプル・グランディンは彼女の著作において、障害者の個性と才能を理解し、伸ばし、開花させて成功に導く方法を教えている。だが、社会的な成功という点では、健常者であれば全てに可能性が開かれているかと言えばそうではないと思う。その意味では、障害者の誰にとっても社会的な成功が目標になり理想になるかと言えば、少し違うのではないかという気がする。
 彼女の考えは、まず社会が存在し、その社会に適応するために障害ある者たちが何を獲得し、そのために社会の側から何を提供しなければならないかが問題とされている。それは今ある社会システム、教育システムのスタンスの延長上に位置する考え方であると思う。それが悪いと言うつもりは少しもない。ただそこに目新しいものは何もないという気がするだけだ。そこでは様々な次元で、また様々な状況で、本人及び周囲の人々、環境における営為改善が求められる。そこではよほどの偶然、幸運がなければ彼女のような成功が収められることがないだろうと思われてならない。少なくても全員が成功に導かれることは決してないだろう。
 ならば逆に考えたいというのがわたしの考えだ。どういうことかと言えば、まず、成功という概念を無効にすることから考える。そのためには社会が障害者のありのままの在り方のほうに降りていくということになる。それはどういうことか具体的に語れる段階にはないが、イメージとしてはそういうことになる。当事者や一次的な関係者からすればわたしは第三者的な傍観者の立場でしかなく、無責任な衆愚の一人に過ぎない。ここではだから声を大にして批判したり、自分の考えを冗長に述べることは差し控えなければならないと自戒するところである。
 
 
「障害」とは何か
              2016/10/28
身体的な障害をどう考えるか
 心的な障害とか病とかについては、その根本や本質というところでの、自分なりのイメージが持てるようになってきた。つまり、そこでの根本的な問題、本質的な問題というのはこんなところじゃないかということが、一応の当たりが付けられるところまできた。これが正解であるかどうかは分からない。たぶん正解ではないのだ。まだ2、3詰めて考えておくべき事があると思っている。
 またここまで考えてきたのは、本当は「障害」についての正解を求めるためではない。正解は、今の段階ではもっとずっと後のこととしか思えない。だから今はそうではなくて、「障害という世界」について、自分はどう認識するか、自分なりにその認識について満足を得られるところまで行きたいのだ。極論すれば、他人がどのような障害観を持っていようが、それはその人のもので自分のものではない。自分はどう思うか。どのような捉え方をするか。それが問題なのだ。だから自分の認識が、どんなに稚拙で拙劣なものでもかまわないと思っている。ただ、自分で納得できるかどうかが問題なのだ。その意味ではここまでの考えはどれも満足できるものではない。それどころか、考え始めるとこれが本当に難しい問題で、難しい問題だということの方がよく理解され、認識できるようになってしまった。
 特に、この間、もう一方の障害である身体の障害を合わせて考えた時に、そちらについては考えれば考えるほど、逆に皆目見当がつかない感じになって困った。これは今現在においても変わらない。ただ前回に述べたように、かすかにだが、脊椎動物史という広い領域と範囲の中において考える考え方が、遠くの方に小さな明かりのように感じられている。
 そしてまた身体の障害の問題は身体の問題でありながら、同時に、心的あるいは精神的な問題でもあるというところが特徴的でもある。つまり、人間の心や精神というものが存在しなければ、身体の障害というものは存在しないという関係になる。精神の作用が機能しなければ障害を障害と認知できない。障害が障害であることを理解しえないのだ。その意味では心的な問題も加味して考えなければいけないと思う。
 もう一つ、これは障害という概念からは離れる部分があるが、機能的な不自由ということだけを考えると赤ん坊やかなり年のいった老人は、その生活のほとんどはほぼ肢体不自由者の生活である。その意味では身体の障害は乳幼児期の延長や、早めに訪れた肉体の老人期という見方ができなくもない。
 大変複雑な問題に足を踏み入れた気がするが、とりあえずこの回はだから、身体の障害に関して少し考えておきたいと思っている。
 
 インターネット上の「ウィキペディア」を見ると、「身体障害」の項の冒頭には次のような記述が見られる。
 
身体障害(しんたいしょうがい)とは、先天的あるいは後天的な理由で、身体機能の一部に障害を生じている状態、あるいはそのような障害自体のこと。
 
手・足がない、機能しないなどの肢体不自由、脳内の障害により正常に手足が動かない脳性麻痺などの種類がある。視覚障害、聴覚障害、呼吸器機能障害、内部障害なども広義の身体障害に含まれる。
 
 これを、「身体障害者障害程度等級表」に示される種別で表せば、以下のようになる。 
障害種別
 
  視覚障害
  聴覚又は平衡機能の障害
  音声機能、言語機能又はそしゃく機   能の障害
  肢体不自由(上肢):欠損または機   能の障害
  肢体不自由(下肢):欠損または機   能の障害
  肢体不自由(体幹)
  肢体不自由(乳幼児期以前の非進行   性の脳病変による運動機能障害)   :上肢機能・移動機能
  心臓機能障害
  じん臓機能障害
  呼吸器機能障害
  ぼうこう又は直腸の機能障害
  小腸機能障害
  免疫機能障害
 
 このように身体の障害を種別に見ると、いずれの項目においてもそこに障害があれば、著しく生活上に支障が生じるだろうと想像されるばかりである。そして、本来それはあってはならないこと、あるいは、身体としてはそんな障害が無いことが理想的だという考えが、少しずつ強化されていくように思える。
 そうした時に、普通一般的常識的には、それらの障害に対する適切な治療や、機能の維持・回復訓練、環境適応のためのリハビリ、義手、義足などの補助具によって、本来の健康的な身体機能にできる限り近づくことが課題とされる。
 これは、現在に生きるわたしたちからすれば当然の考え方であり、反射的にイメージされることであると思う。しばらく前から、身体障害についての漠然としたイメージを拵えたり壊したりをしながら、わたしもそういう考えに追い込まれ、捉えられてしまうようで弱った。あるいはそれ以外に考えようがないじゃないかという気持に押され続けた。しかし、わたしは自分がそのように考えたとして、その時に、わたしは障害を持たないものの目で、障害を持たないものの行動や所作振る舞い、もしくはその身体機能を優位に見て、その高みから見下ろして考えているようで気分的に不満だった。いや、無意識のうちにそう考えているのではないかと思っていた。わたしも陥りそうになるそういう障害の捉え方は、少しも悪いことではないけれども、そういう場所から考えた障害問題の解決の方法は、障害を持たないことを無意識のおごりとした発想のような気がしてならなかった。
 こう言うと、おそらくは障害者自身のことばや手記をアリバイのように持ち出して、障害者自身の夢や願いという形で、健常者の肉体的機能に近づくことを正当化する反論が出てくるに違いない。それが唯一の解決方法だ、と言うように。だがおそらく、持ち出された障害者自身のことばと言われるものも、本当は先だって存在する健常者のことばに反応し、一つの化学反応のようにその場に現れ出たことばに過ぎないように思える。ひとは環境としての周囲の考えを学ばずして、自分の考えを作り上げることはできないからだ。
 さて、普段わたしたちは人間の顔を、イケメンだとか不細工だとか、美人やブスだとかという見方をしている。あるいは肉体についても、アスリートの引き締まった体をほれぼれと眺め、中年の太鼓腹を醜悪だと蔑んだりしている。これは顔や体について自分の関心に基づいて眺めた一面的な見方に過ぎず、しかも非常に小さな窓から眺められた景色でしかない。顔本来の意味と価値。身体本来の意味と価値。わたしたちはそれらを全く知らずに、あるいは全く反省してみることもなく、毎日を過ごしている。だがそれはわたしたちの意識の向こう側に、広い野辺のように存在する。このことは現在一般に流布される血圧や、コレステロールの数値に関する話題を考えてもすぐに分かる。報道で耳にする医学界や厚生省などからの聞き伝えを、絶対の真理かのように思いなし、日本中の人々がそのことを信じ、世間的な常識というものを作り上げている。けれどもそれを信じ切るわたしたちに、心臓、脳、血管、血流、またそれらにともなう肉体の代謝などに関する基本的な知識は築かれていない。鵜呑みにしているのだ。
 障害についての見方考え方も、実はこのことと同じく、健常者の小さな窓から眺められたイメージでの、身体障害の景色に過ぎないのではないだろうか。つまり関心が集約する側面とは言えるが、それが身体障害の問題の全てとは言えない気がする。ほとんどの人は自ら身体の問題、身体の障害の問題について考えようとせず、常識化したイメージを鵜呑みにしているだけと見える。そして障害者自身もまた、そういう見方、考え方を知らず知らずのうちにとってしまっているのではないかと思う。
 わたしたちはあらためて、身体障害問題の「現在的な関心」の外側からも、このことについて問わなければならないと思える。
 
 身体障害の問題を先のように、健常者の後追いをするような目で眺める時、実は問題そのものがとても軽いものになってしまう。その結果、医師や訓練士任せみたいなことになり、そのことについて考えることを止めてしまう。さらに当事者となる医師や訓練士や支援学級の先生たちも、立場的な関係を通しての接し方でしか考えなくなり、結果、障害問題の解決をそこでもまた軽く見てしまう。つまり、言い方が難しいが、たとえば支援学級のカリキュラムに沿って訓練や指導をしているんだからそれでいいんだ、それで終わり、となってしまう。さらにいろんなことでうまくいかなかったり効果が出なかったりすると、障害があるから仕方がないんだ、力がないんだと見なすようになったりする。それら一連のことは、結局のところ障害というもの、障害者というものに対して、差別的になる基を作り出しているという気がする。
 今日では小学校の段階から福祉教育、障害を理解する教育というものは積極的になされるようになってきている。子どもたちはそれらのことについてよく勉強し、知識も得ている。そして障害ある人たちにどのように接し、生活上の配慮をどのようにすべきか、その正しい行いとか善悪とかということも頭に入っていると思う。だが、残念ながら、そのように教わってきた子どもたちは、そして大人たちも、そのように教わってそれについて知識を持つことで満足し、そのような知識を得て理解力を持った自分が、あたかもそのことだけで障害や障害者を理解したつもりになり、自分はそのことを理解できる立派な人間になったかのように錯覚する。
 だがそれは外側にある立派な考えとか知識を自分の頭の中に納めたまでのもので、それと実際の生活上で立派な振る舞いのできる人間かどうかとは一切関わりがないことだ。
 極端に言えば、言うこととやることが違う人間は数多くいる。考えること、言うことが立派であっても、実際の生活の現場で他者を蔑んだり差別したりすることもあれば、教養もなくたいして立派な考えを持っていないのに、無意識に平等に親切で優しく接するすべを心得ているものもいるというように。
 知識や教養というものは獲得するところに意味や価値があるのではない。むしろ、それを日々の行いの中にどのように実現していくかが問題になる。人間が生きるということ。生活するということ。そこを潜り抜け、自らを切り開いていく力のない知識や教養などはただ邪魔になるだけである。知識や教養の真価はそんなところにない。知識や教養それ自体にとっても、いわば還り掛けの位相でどうかということが大事なことなのだと思える。
 こうした考え方の道筋から眺めれば、現在行われている一般教養的な障害教育、福祉教育の類いは自他にとって表面的で洗脳的なだけだ。そこでは「身体とは何か」とか、「身体にとって障害とは何か」を根本的に問う力が、教わることによって逆に決定的に損なわれてしまう。そうすると身体障害の問題が、単に機能的な問題に集約されて考えられるようになってしまう。
 現実的にはそうなっているし、またそれが現在的な障害問題の理解の段階であり、水準だと言えば言える。だがこれが最終的な、あるいは全面的な解決の方向を教えるものかというと、とてもそうは思えない。思えないが、実はこの「思えない」が、わたし自身をふくめ、現在は徐々に多くの人々に気づかれ始めているという気がする。つまり、よかれと思って言ったりやったりしていることが、結果的にすっきりしないなあということを体験したり、そこでの実感から個々人が内省するようになっていると思うのだ。そのことが即解決とはとても言えないが、そこに解決の糸口が徐々に見いだされるように思える。
 
 わたしが見るところ、記憶に留めたところでは、吉本隆明が障害や障害者の問題に言及しているのは『心とは何か』(弓立社)の中の「障害者問題と心的現象論」という、これは講演テープを文章に書き起こしたものが唯一である。残念ながら『心的現象論本論』に目を通したことがないので、その中にそういう部分が含まれているか否かは定かではない。吉本を論じたり、彼の文章を引用している文章を見ても、真正面から「障害問題」を論じ、記述している文章は見たことがない。なので、一応の正面切っての言及はこれが唯一かと思う。わたしが不思議に思うのはこの問題についてこれだけ吉本が寡黙であることと、さらにこの論考に対して吉本を敬愛する読者たちがあまりに寡黙であることだ。このことはわたしにとっては一考に値することである。というわけで、このことを次回の宿題としたい。
 
 
「障害」とは何か
              2016/11/04
「障害者問題と心的現象論」について@
 吉本隆明の『心とは何か』(弓立社)に所載のこの文章は、題が示すように現実的な障害問題の解決を考察するものではない。もちろんそのことをも含むが、吉本は直接的に障害問題に関わるものではないし、当事者でも実践家でもない。彼の主要作の一つである「心的現象論」が併記されているように、障害問題、障害者問題をどのように捉えるか、どのように考えるか、そのこと自体を問う哲学的な考察と言っていいと思う。もう少し言えば、障害の概念を問うていると言っていい。
 ところで、この考察の中で吉本が繰り返し強調していることは、自分がこの問題に関して唯一言えることはこの問題が大変「むずかしい」ことで、最終的な解決というものは人間の歴史の最後になるだろう、という言葉だ。この「むずかしい」ということ、人間の歴史の最後まで引きずる問題だということを繰り返し強調している。
 この繰り返しと強調が何を物語っているかを考えれば、たとえば今日的な障害の問題の捉え方、問題解決の方策など、全て人類の歴史の途中経過の中に行われる、中途半端なものだということになろうかと思う。
 わたしには、吉本が言う意味での障害問題の「むずかしい」側面、その解決が人間の歴史の最終局面にまでもつれ込むという問題意識を何となく理解できそうに思える。けれども、裏を返せば現在の解決や解決の方策が全て途中経過であり、やむを得ざる中途の解決に過ぎないという強調を、どのように受け止めたらよいのかに戸惑う。
 つまり、じゃあどうすればいいのと問えば、たちどころに独り荒野に取り残された感じになり、さらに一陣の風が吹きすぎて何も残らない。これではこの文章を読んでも読まなくても、さしてかわりばえがしないじゃないかと思う。たしかにそれはその通りで、吉本自身が最後に自分の考えに速効性は何もないんだということを認めている。ただ心にとめて、何かの時に役立ててくれたらいいのだという言い方をして講演の最後を閉めている。
 この文章、講演記録全体を通して、自分の考えに速効性はないが「何かの時に」役立ちうる、という吉本の自負だけは伝わって感じられる。「何かの時に」とは、言うまでもなく障害の問題が切実に、自分の問題として、自分に降りかかってくる時をいうのであろう。わたしは今、その切実さの中にはいない。しかし、「何かの時に」役立ちうるかも知れないというその考え方自体を、自分の「ためにする」視点とは別に、そのもの自体として問うことはできる。当事者に役立ちうる考え方とは何か。そういうところからもう一度吉本の文章を読み直し、読み解いてみたい。
 
 「障害者問題と心的現象論」は1から5までの数字で区分されていて、便宜的にこの区分に沿って読み進めてみる。
 1は問題提起の部分で、冒頭では「身体の問題」、あるいは「身体障害の問題」のむずかしさが語られている。
 
 人間の「身体の問題」について何か喋言(しやべ)れることがあるとすれば、〈むずかしい〉ということがいちばんじゃないかとおもいます。あるいは、皆さんは、〈身体とは何か〉ということも、〈身体障害とは何か〉ということも、簡単にかんがえておられるかも知れませんので、〈実はそれほど簡単ではないんだ〉ということをお話しできれば、ぼくがきょう出てきたことの役目は果たせたということになるとおもいます。
 
 そして、ここではその難しさが起因する根源として、二つの問題が提起されている。
 一つは、人間の個人は自分の身体を、名称は別にして、手や足や胃や心臓として意識したり了解したりしながら、同時に〈身体の像〉〈肉体の像〉、あるいは〈身体のイメージ〉〈肉体のイメージ〉として思い浮かべているということである。端的に言えば、身体を身体そのものと、イメージの身体というものの二重性として、人間は身体を捉えているということが言われている。
 ここで問題なのは、イメージを持ってしまうということで、ほとんどがそこで実際の身体との食い違いを招いてしまうということである。それは、こと自分自身の身体に関しても実際とイメージとが一致しないし、イメージとして考えれば、その人が持つ自分の身体へのイメージと、他者がその人の身体に抱くイメージとはおよそ一致することがない。自分に対しても誤解するし、他者に対しても誤解するその根源はイメージを持つところにあり、イメージ自体が錯覚を生じさせる作用を本質的に持つと考えるほかはない。
 吉本はこれらをありふれた一つの例として個人の美醜から説き、よくある勘違い、食い違い、錯覚などを、実感的に想起させる言い回しをしている。みんなはかわいいとかよいスタイルだとか思っているが、その人自身は案外太っているとかかわいくないと思っているとか、世にその種の食い違いは多く見られる。それはおそらくは人間にしかないイメージの作用がもたらすものだ。
 吉本はここではそれ以上のことに言及しないが、これを敷衍すれば、身体の障害に関してもわたしたちはあるイメージの作用から逃れられないことを意味していよう。そこにもつまりは自分の身体に対する自身のイメージもあり、身体そのものとの食い違い、あるいは他人が抱くその人の身体へのイメージとの食い違いが推察されてくる。わたしはここで、「障害だ」という自分自身の見方にも、当然イメージが付着するものと考える。そう考えると、当事者の意識と、またその肉体的な姿とも、食い違いがそこに必然的に生じていると考えないわけにはいかない。
 吉本はまたこのイメージ、身体のイメージが、時代によって異なったイメージとして移り変わることも伝えている。それはここでは二つ目に語られていることに属するが、手足がないとか精神が普通じゃないという時に、現代においてはこれを精神の障害や身体の障害と捉えることが一般的だが、以前にはそのように意識されない場合もあったという。
 語られている例をいちいち取り上げるのはいささか面倒なので、区分1における結びを引用すれば次のようなものだ。
 
 精神障害でも、身体障害でも、それ自体に宗教的な意味がついたり、あるいは、国家や社会や村落の共同の一つの象徴といいますか、名物という云い方をしてもいいんです。そういうものであったときには、障害というものが、それ自体としてさほど問題にならなかったといえます。障害者自体もそれほど意識しないで、ごく一般的に紛れて住んでいたということがありました。
 
 同じような障害、これは普通と異なる姿形と言い替えてもいいと思うが、それは時代により、受け止められ方や待遇のされ方、あるいは身の処し方などが変遷するものだということが知られる。ここではまず、そういうことが語られていたと理解しておきたい。
 次に区分の2を見ていけば、初めに1の延長で平安時代の身体や病気の捉え方の特徴が、『枕草子』の記載から把握されている。そこから、〈身体とは何か〉という問題は〈肉体としての身体〉、〈像としての身体〉(〈イメージとしての身体〉〈身体図式〉に同義)の二重性で考えられている、ということの理解が重要なことだと、再度指摘される。またそこにもう一つ、時代によって違うという、歴史概念に似た〈身体年表〉という考え方が
追加される。しかし、ここまではほぼ1の内容の範囲内である。
 ここから吉本は、身体そのものは原始時代から現在までほとんど違わない、基本的には大きく変わらないこと。これに反して、身体に対するイメージは各時代で大きく様変わりしていること。この両者に見られる齟齬の関係もそうだし、原始未開や古代の人間が身体に抱くイメージと現代の人間が抱くイメージがたいへん違っていること、このこともきちんと把握しておくことが重要だと述べている。
 吉本はここで、時代によってどうして身体のイメージが変遷して行くのかを解こうとはしていない。おそらく、これは言ってみれば吉本が作り出した概念である、個人幻想、対幻想、共同幻想にまたがる幻想の問題であり、これを解くこと自体が全く別の問題であり、それ自体がまた大きな困難を強いる考察を必要とする事柄だからに違いない。ここではそこまで踏み込むことはできないし、また、してはいない。ただ、そのさわりのようなところには触れているわけだ。
 そこで、わたしなどはこういう局面で、大きな訳のわからなさに直面して身動きがとれない感じに襲われる。そういうところから、吉本は次のように言及する。
 
このたいへん違うということが重要です。そのことを無視したら、身体の障害、精神の障害という問題をほんとうの意味で解くことができない、とおもいます。
 ほんとうの意味で解くことができないというのは、どういうことかといいますと、それと社会的欠落・欠陥とか社会的障害とを、すぐに短絡してしまうとか、〈身体障害とは何か〉とか、〈精神障害とは何か〉ということ、そのこと自体をかんがえることを止めてしまうからです。止めてそれを全て有効性・無効性の問題、利益や損害の問題などに転(てん)嫁(か)してしまうことになります。
 
 とりあえずこんなところで引用を中断しておくが、これだけでもわたしにはたいへん難しい。まず、吉本が「ほんとうの意味で解くことができない」という時に、本当の解を、どういう次元または水準に置いているのかがよく分からないのだ。そしてまた、吉本自身にはそこが実際に遠望されているのかどうかということもよく分からない。あるいは、本当に解けるという地点は未知であるが、現在の暫定的解決策が究極の解決ではない、ということだけを理解できているという意味なのかどうかも分からない。また、文脈を捉えた時に、短絡が本当の解を妨げることは了解できるが、障害自体をかんがえることを止めた時に解に至らないということも、考えればよく分からない。そしてもっと正直に言えば、現在ごく一般的に見られる、「有効性・無効性の問題、利益や損害の問題などに転(てん)嫁(か)してしまう」状況が、どうしてダメなのかということも、ダメだという感じ方としては一致しながら、いまいち自分のそうした感受に信用がおけないでいる。それは何故かというと簡単なことで、ダメだという感じ方、捉え方が、この現実社会にあってあまりに少数派だと考えられるからだ。つまり、大多数が現状を是認している状況の中では、それに圧されて、こっちが間違っているという不安を打ち消せない。だが、人間の生涯を有効性・無効性に収斂させて考え、それだけで済ませてしまうということにどうしても納得ができないということもたしかなことである。
 わたしが、障害問題を考えて何かを言おうとすれば、様々な現実的実際的な障害や障害者への対処は現在的な意味からはベストに近いんだろうな、それ以上のことって、自分にはできないだろうなということだ。だから、そうした次元では一切もの申すべき何ものもない。ただ、そうはいっても、ここのこの部分はちょっと違うんじゃないの、言っていることとやってることに一致がないんじゃないの、と思うことはないこともない。そこは実際どうなの、ということを、できれば明らかにしたいという思いは強い。そうしたところで、自分の感じ方と類似したところで障害問題を考察し、地平を切り拓いて見えている先人は、視界に収まるところ吉本一人である。にもかかわらず、未だに十全にそれを突き止めることができない。いったい、どこが本当の解決の地点なのか。
 唯一慰めであることは、吉本にも最終的な解決の地点は見いだされていないと考えることだ。先に続けて吉本は言っている。
 
究極的にこの問題の解決は、人類が最後に残す問題だとおもいます。ですから、そんなに簡単に解決されないに決っています。この問題は、社会的な障害の問題に結びつくのは当然であり、それが解決の道であることもまた当然であるわけです。また身体に障害があれば精神力で克服せよという人間とか、補償をたくさんとりつけ、なんとかせよ、という福祉の問題に転嫁しようとする人間とか、そういう解決の方法が一般的です。一般的ですけれども、それはちっとも最終的な解決ではないのです。それ以外には解決の方法がないというのが、身体にまつわる困難な現在までの段階です。
 
 社会的な施設や制度の問題としての解決の仕方。精神力の問題としての解決の道。あるいは補償や福祉の問題として障害問題を捉えるということ。これらは全て現在的な段階における障害問題の解決の仕方の諸相であり、現在的な段階における最善の解決策、逆向きに言えば、こうしたこと以外の解決の方法は今のところ見つからないということだと思う。しかし、そのことと、現状を是認する以外ないからこれを是認するということとは別だと思える。現状を是認することは必要なことである。生きるということはこれを前提に成り立つからだ。そうしてわたしたちが現状を生きようとする時に、必ずやまたそこに新たな矛盾を見いだしてしまう。よかれと思ってとられた解決策が、完璧なものではないことを知るのだ。人間の歴史はこれを繰り返す。だとすれば考えを止めるわけにはいくまい。
 吉本は独特の言い回しで、この問題の解決が「どのような解決の方法をとっても、どのような闘い方をしても、ちっともすっきりしない。本音のところはここらへんに隠しておいて、すっきりするところだけ簡単に処理して」いるだけになっているという。
 この「すっきりしない」面、「本音を隠す」というあり方。わたしの問題意識の一つはこうしたところに集約される。
 障害を持つ子どもと持たない子ども。障害を持つ子どもの親。障害児学級を受け持つ先生。そして同じ学校の先生たち。これに自分自身もふくめて、いずれもその「思い」はすっきりしていないじゃないか、どこかに「本音」を隠しているじゃないか、と思わずにおられない。
 本音を隠していてもいい。だが、それだったらせめてそれらしい顔つきでいたり、それらしく振る舞うべきだ。そうではなくて、純真無垢、素直で明るく、公明正大、誰に対しても対等、平等に接し、人権尊重、願うは世界平和みたいな雰囲気を身にまとうべきではない。と、太宰治ならば言うべきところだ。
 わたしはこれまでいささか性急に、障害問題の本当の解決、最終的な解決は少しも果たされていないじゃないかという側面を強調しすぎてきたかも知れない。そこにはいま述べてきたことが含まれているし、多くの人がそこを問わないことに業を煮やしている部分があった。今もそうだ。問題の本質はこういうところにある、と指摘したいのだが、多くの人の問題意識は全く別のところにあり、わたしが感じ、考えていることが受け容れられ、生きられる場所がない。もちろん、そんなことはどうでもいいし、自身、生涯を通して負うべき宿命のようなものだとも思っている。  また、仮に現在の解決が本当の解決や最終的な解決ではないとしても、障害を抱える本人や関係者にとって、一時凌ぎではあっても解決の道筋が見いだされることは救済であり得る。それを邪魔するどんな言説も、無効であり、またそこに錯誤もあろう。それはしてはならないということも承知している。
 吉本は2の項の最後に、
 
身体の欠損のイメージは、イメージというかぎり精神のイメージなんですけど、その問題は、各時代によってさまざまに変わっていくことが重要だとおもいます。それがいわば、肉体についてその時代の人が考えていることとは、必ずしも一致しないということ、矛盾するということ、そのことが、この問題をむずかしくしている根本的な問題だとおもいます。ぼくは、そのことがわかることが大切だとおもいます。
 
と述べている。これは整理していえば、身体に対する人間のイメージは時代によって移り変わるものであり、現在のわたしたちが身体の欠損をイメージ的に見ている見方は過去の原始、古代とも違い、また将来的な未来の見方とも異なる可能性があるということだ。もっと言えば、いつ頃の未来かわからないが、欠損を欠損と意識しない見方がありうるかも知れないことを、示唆するものだと捉えることもできる。
 現在世界を生きているものにとって、現在世界が全てと言える部分があることは承知している。だが、同時に、人間の歴史を考える時に、現在の世界が全てだと言い切れないこともたしかなことである。わたしたちの現在の身体のイメージの仕方、身体の障害をどうイメージしているか、どう捉えているかについて、それ自体が一致していないと同時に未来にも変わっているだろうということ。その障害の捉え方の変遷があることと、未だ本当には肉体や身体が、突き詰められて人間自身に理解されていないことが大きな問題として横たわっている。ここではとりあえずこうしたことを頭にとどめ、もう少し先に進まなければならない。
 
 さて次に3の項を読み進んでみる。先に重複する部分もあるが、ここは身体障害者の手記とか記録を読んでわかったことが中心に述べられている。
 まず、多くの障害者たちにとっては、結婚や就職の問題がいちばんの難問として意識されていることがわかると述べている。
 これはわたしなどが障害を持つ子どもの親と接して感受したことと同じで、親たちもこれを一番に心配している。おそらく、子どもがそれなりの年令に達すれば、同様にそこを難問とすることは予想ができる。
 吉本はそれから、就職と結婚という難問の解決の方向性として、型で押したように3つの向き合い方が見られると言っている。言うまでもなくその一つは、義手、義足を付けたり、リハビリテーションの訓練を通し、障害のない人の肉体的機能に近づけること。もう一つは、障害者の悩み、被害感、心の歪みから解放されるために障害者自身に宗教を要求するということ。さらにもう一つは、洋裁などを普通の人と同じか、それ以上にできるというように超人的な努力で自分を鍛え上げるということ。これら3つの方向性が就職や結婚という難問を前に、直接的、間接的に向かう向かい方として共通していると述べている。 一つ目については施設や病院を直接訪れた時に目にしたり、テレビなどを通じて目にしたことがあってすぐに了解することができる。また三つ目についても、たとえばパラリンピックの中継をテレビで見たりした時に、競技者がおそらく超人的な努力を重ねてきたんだろうなと想像することができ、これは他の分野でもあり得ることだと予測することはむずかしいことではない。二つ目については、これはちょっと第三者的な立場のものには目につきにくいもので、具体的、また実感的なところでは一番理解しにくい。だが、大きな苦しみ悩み、そういうものと宗教が結びつくことは知られるところで、そこから類推すれば頷くことはできる。
 いずれにしてもそれらのことは障害者自身ばかりではなく、家族などの周辺が一緒になって解決しようとして辿る道だと考えていいのだろう。そのような取り組みが、全て就職と結婚という難問をクリアすることになるかどうかということは、障害を持たない人の就職や結婚と同様にわからないことだ。
 ところで、吉本は現在的な解決の3つの方向性に触れた後、次のようなことを述べている。
 
それが(解決の方向性―佐藤)いいのか、間違いであるのかどうなのか、ということができません。しかし、そういう解決の方向にまつわる一種の重苦しさとか、息苦しさとか、倫理性というものが必ずあるのです。悟りすましたという人の手記を読んでも、やっぱりあるのです。一種のモラリズムなり、宗教があるんです。このことが〈何か〉だとおもっているわけです。ですけれども、〈それが何かだ〉というほどぼくは切実ではありません。
 
 話の脈絡からいえば、吉本はここで解決の方向性が正しいか間違っているかの判断に重点を置いているようには思えない。それよりも、解決の方向にまつわる重苦しさ、息苦しさ、倫理性といった、付帯するものに視線を向けている。それはモラリズムとか宗教という別の言葉で繰り返され、さらに「このことが〈何か〉だとおもっている」と強調されている。そして次の段落では、ここまでのことを受けて、
 
そのひとつとして〈身体図式〉ということと、それから〈身体年表〉ということをいいました。こういう考え方をすることによって、たとえば息苦しいという問題を、もう少し突き詰めてかんがえていくきっかけになったら、ぼくは、もうそれでいい、という感じがするんです。
 
と言っている。
 吉本の障害問題に対する関心、問題意識がこういうところに表れていると見ればいいのだろうが、それにしてもわたしにはそのことがよく理解しにくい。
 話を整理すると、この3で吉本は障害問題における当事者たちの解決の方向性について三つのパターンが認められるといっている。しかし、それらの解決の仕方はちっともすっきりとしたものではなくて、そこに重苦しさ、息苦しさ、倫理性や宗教が挿まれてしまうといっている。つまり、言外に、真性の解決にほど遠いと言っているかのように聞こえる。そう理解してよいかどうかもわからないが、ただ後の引用文と一緒に考えると、現在的な解決に付帯する息苦しさとか倫理性や宗教を取っ払いたいという願望を感じる。つまり、それらを取っ払うことがすっきりさせることに通じるという主張だと思う。
 わたしは先に、障害問題がいつもすっきりしない問題として現前するという状況認識に同感してきた。結局、ここでも同様のことが言われているわけだし、ここではそこの問題を、〈身体図式〉や〈身体年表〉という考え方をすることでよりすっきりと展開できると言っているのだと思う。またここでの吉本の云い方をもう少し積極的に変えていえば、こういう考え方をした方がいいし、こういう考え方以外には貫いていける考えはない、ということなのだろう。わたしはいま幾分そういう考えを肯定するところにあるが、しかしまだそれを実践できているわけではない。
 3での最後で吉本は、〈身体の像〉と同じように〈精神の像(イメージ)〉というものがあることに言及している。
 わたしたちは普段はそれをあまり意識しないでいるが、あの人は精神的にちょっとおかしいんじゃないかと思うような時には、〈精神の像(イメージ〉が基準となってそういう判断ができる。つまりわたしたちはみなそれを所有している。それは健全で健康な精神についてのイメージというもので、それを基準におかしいとか、おかしくないを判断する。個人によって差異はあるけれども、時代時代で見れば共通の基盤を持ち、およそ共通したイメージが構成されることになる。このイメージの水準は、しかし歴史のそれぞれの時代で移り変わり、時代ごとに全部違うと言っていい。今日わたしたちに通用している〈精神の像(イメージ〉も、十年後、百年後となると通用しなくなるかも知れない。
 吉本は〈精神の像(イメージ〉をもとにそんなことを述べているのだが、わたしはここですぐに、実は〈精神の像(イメージ〉について言いながら、同時に〈身体の像〉についても述べているのだなと直感する。この直感が正しいかはどうでもいいが、〈身体の像〉に置き換えてここを読むこともできるのだ。そしてそれを〈身体の障害の像(イメージ〉に置き換えることも可能だと考える。これは端的に〈障害の像(イメージ〉と言ってもよいと思うが、このイメージは時代ごとの水準があり、必ずしも現在通用している〈障害の像(イメージ〉が、どんな時代にも普遍的であり得るわけではない。
 わたしはここで短絡して、時代ごとのイメージから解放されて自由になることが、先ずは大事なことだという考えに誘惑される。しかし、吉本はそこまで言っていない。〈身体図式〉、〈身体年表〉の概念を使って問題を捉え返すところに、解決の糸口が見えてくると思う、とだけを述べているのだ。
 とてもたよりなく感じられるのだが、これが世界的な思想、哲学を視野に入れて思考し、考察するものの掛け値のない本音のところから出た言葉と解すれば、障害の世界に内在する難解さと奥の深さとにあらためておののき、驚嘆するばかりだ。
 
 
「障害」とは何か
              2016/11/18
「障害者問題と心的現象論」についてA
 吉本は『心的現象論』の本論の部分で「身体論」を展開している。吉本の「身体論」の基軸になっているのは、一言でいえば「了解」と「関係」だということができる。
 4の初めは、この「了解」と「関係」にシフトを移して、話が進められている。
 
〈身体とは何か〉、〈身体の像とは何か〉というふうに、人間が身体のイメージをつくるばあいに、その根本になっているのは何かといいますと、それは大きく分けて二つあります。一つはじぶん自身の身体をどういうふうに〈了解〉しているか、ということなんです。じぶん自身の身体を、あるいは、じぶんが他人の身体をどのように〈了解〉しているか、ということです。
 (中略)
 それからもう一つあります。これは、じぶんの身体とじぶんがどのように〈関係〉をもつかということです。つまり、じぶんがじぶんの身体とどのように折り合いをつけているか、その折り合いのつけ方がもう一つ根本的な問題です。
 
 ここに使われている〈了解〉また〈関係〉という言葉、それに付随した概念は、吉本の「身体論」そして『心的現象論』の主要な、あるいは中心的なもので、大げさに言えばその骨格をなすものである。ここで、吉本の言う〈了解〉って何、〈関係〉ってどういうこと、と問うと、またそこからひもといて読まなければならなくなる。実際にわたしなどはそういう経験を何度もしてきているので、ここではすんなりと吉本の言うところをそのまま受け止めておくことにしたい。で、ここではまず、「自分がある」ということを前提にして、その自分が自分の身体を了解し、また自分の身体との関係を持っている、というように受け止めればいいということにする。
 とりあえず、わたしたちは自分の身体を了解し、共時に自分の身体とのある関係の仕方をしていると、吉本はここで言っている。そう捉えておけば、この時点ではあまり問題なくこのことを受け入れていけそうに思える。
 ところで、問題はここからだが、吉本はここでいう自分の身体の了解、また自分の身体との関係は、あらゆるほかのことの了解や、ほかとの関係の仕方の基準となり、根本になると考えている。たとえばここでは、「ある時代の物事の理解の仕方の根本は、じぶんの身体をじぶんでどのように理解するか、という問題の中に基準がある」と言い、また他者との間に障害が生まれる場合、「その障害の根底にあるのは何かといいますと、じぶんの身体に対して、自分とどのような折り合いをつけているか、ということが根本になっているのです。」というように述べている。
 つまり、〈了解〉や〈関係〉というのは、そういうところまで引っ張って考えられている。違う言い方をすれば、〈了解〉と〈関係〉の2つで全ての事象を切り取る、言い尽くすことができるというくらいの意味合いが持たせられている。吉本は別のところで〈了解〉は時間性であり、〈関係〉は空間性であることを述べている。ある意味で、あるいはある抽象性の水準で、この世界は時間と空間からなり立ち、世界を時間、空間の言葉で言い尽くせるという言説をきく場合がある。吉本はその時間と空間の出処を人間世界において見たばあいに、身体の了解と身体との関係の仕方にその発生の根拠を置いているように、わたしには思われる。そしてそのことは先の発言につながれていて、すなわち、自分の身体の了解(理解)が他を了解(理解)するときの基準となり、自分の身体との関係(折り合いのつけ方)が他との関係(折り合いのつけかた)の根本だという言い方になるのだと受け止めている。
 一応このように考えて受け止めるとして、すぐに思うことは、了解も関係も正解なんてないということ。重要なのは時間と空間の問題なのだということ。さらに、この了解や関係の仕方のそもそもが、個別的で、その人その人で固有であるだろうと考えられることだ。
 個々人が、不完全でしかも個々バラバラな了解の仕方(固有時間性)、関係の仕方(固有空間性)という制約性を、はじめから持っているものとすれば、これはもうそもそもが他者とは一致することなどあり得ないじゃないかと思う。たぶんそれはその通りで、ただわたしたちの現実はそれほど厳密にそのことに支配されているわけではなく、ほどほどのところで許容し合えるようにできている。つまり、差異の中にある共通項を見いだすことができるようになっている。吉本は言っている。
 
 しかし、現実に生きている人間は、大なり小なり、みんなその折り合いがうまくいっていないのです。つまり、じぶんがかんがえているじぶんの身体と、じぶんがかんがえているじぶんの〈精神図式〉(注―ここはほんとは〈身体図式〉を持ってくるべきところだと思う。次も。―佐藤)というものと、他者からみたじぶんの身体というもの、あるいは、じぶんの〈精神図式〉というものは食い違っているのです。これが、現実に生きている人間のさまざまな悩みの根底にある問題です。そして誰でも、大なり小なりじぶんのじぶんにたいする身体の感じ方と、他者のじぶんにたいする感じ方とは食い違っています。食い違っていても、それがある境界内に止まっているときには、〈正常〉だとおもわれていたり、あるいは、じぶんの精神の内部で処理して外にボロを出さないですんでいるわけです。それがぼくであり、皆さんです。ボロを出さないだけで、ほんとうはそうしたことを想い悩んでいる、ということがわかります。
 
 そして吉本はさらに、個々人がバラバラで、しかもじぶん自身においても食い違い、他者をみるばあいにも食い違うこの了解と関係のあり方が、「身体障害とか、精神障害とかいうものの根底にある」本質的で根本的な問題なのだと指摘する。
 さらにこの4の終わりのところで、これは身体の問題でありながら他者との関係の仕方を規定することにもなるので、このこと自体が〈社会〉というものを提起してくるのだと言及している。すなわち、必然的に〈社会とは何か〉、〈社会の障害とは何か〉という問題意識が浮上すると述べている。
 ここまで、吉本の言うところを急ぎ足でなぞるように辿ってきた。文字面としてはさらりと読み流せたのだが、実際にはその過程でいくつもの問いや疑義のようなものを呑み込んできている。簡単に言うと、分かったようで分からない。分からないようで、分かっているかも知れない。そんな不思議な気分で通り過ぎてきた。いや、わたし自身は、はっきりとは分かった気分にはなっていない。そのこと自体がどうしてなのかよくわからない。ドシンと、腑に落ちるような形で理解できていないと思う。これには二つ理由がかんがえられる。一つは非常に高度に観念的であるということ。もう一つはこれを理解する能力が自分にはないこと。しかし、わたしはあきらめずに、しがみつくようにしながらこの問題を考えようとしてきた。分からないことは仕方のないことなのか。それとももっとしがみついて考え続ければ、やがて分かったということになるのだろうか。わたし自身は後者だと思ってきたし、そうであってほしいと思い続けてきた。いろいろな理由、いろいろな成り行きから、たとえばわたしならこの問題を理解するのに百年かかるとして、じゃあゆっくりとでも断続的でも百年考え続けようじゃないか、そういう考えをわたしはとっている。その流儀から、ここで全てが腑に落ちるように理解されなとしても、やがて理解できる場に辿り着くために、もう少しすこしこの4全体を振り返って考えておきたい。
 まずここでのわたしにとっての大きな問題は、後出しのように出されてきた〈了解〉と〈関係〉についてで、先に述べたようにこれを最初不問に付した。しかし、やはりこれは今考えておかないと、どうしてもすっきりしない気がする。これを考えることはわたしにとってはたいへん面倒なことで、またむずかしいことであるが、とりあえず考えてみる。
 言うまでもなく〈了解〉と〈関係〉は、吉本の身体論の骨子をなすものだが、言ってみればこれらは身体の属性のように考えられ、扱われている。たとえば目や耳といった受容器官は、対象となるものと結びつき、その上で神経回路を通じて対象物は脳に到達する。この一連の流れは、吉本の言い方をすれば、まず対象を対象として関係づけ、それから了解に結びつく作用だと見なせる。これは無意識の場合もあれば意識される場合も想定できる。無意識という場合には動物的な次元、意識的と言うときには人間的次元と見なせば、便宜的だが考えやすいと思う。わたしたちは別に哲学的であろうとしているわけではないので、ここは別に厳密であることを要しない思う。
 さて、吉本の「心的現象論」の考え方からは、この〈了解〉と〈関係〉に、時間と空間の概念が付与される。〈了解〉は時間性として、〈関係〉は空間性と結びつけられる。またそれぞれには時間化度、空間化度のように、度合いの違い、差異があると見なされる。動物的次元と言っていい身体そのものに貼り付いた〈了解〉と〈関係〉、時間性と空間性、時間化と空間化、あるいは時間化度や空間化度に対し、人間のそれは人間固有として、それぞれ「固有時間性」「固有空間性」と説明される場合もある。
 そこで、わたしなどはこの時に、人間にのみ固有の時間化度や空間化度、つまり〈了解〉や〈関係〉があるとして、しかしこれは動物的な次元の〈了解〉と〈関係〉を基底に持ち、その上に成り立っているだろうと理解する。
 そしてしかも、動物的な次元の〈了解〉と〈関係〉を規制する、それぞれの感覚器官や脳の性質にも個々の差異があり、これはまた人間的な〈了解〉や〈関係〉を規制するものとして、それぞれの差異をもたらす基底になっていると考えられる。
 動物的な次元の〈了解〉と〈関係〉を基底として人間的な次元の〈了解〉と〈関係〉があり、これは一次的には自分の身体のうちに発現される。さらに、意識的にも無意識的にも、このことはじぶん自身の〈了解〉と〈関係〉に結びつき、そのことはまた他者とか他の事象とかを〈了解〉し、〈関係〉する場合の基準となる。吉本はそう言っているようにわたしは思うのだが、これがまた分かるようで分からず、分からないようで分かるような気がする。
 いずれにしてもここまではただ固有性が種としての人間全般について、そして個々の人間にもあるといえるだけで、障害とか異常とかの概念が入り込む隙はない。ただ、一人ひとりの固有性があまりに固有で他とかけ離れている場合、そしてそれが他者との関係の中に置かれたばあいに、はじめて障害とか異常とかが認知されることになる。逆に言えば、他者との関係の中に置かれることがなければ、障害とか異常とかという言い方が成り立たないともいえる。このことは、わたしとすれば、精神の障害や異常に関してであれば、とても納得できる考え方だ。つまり、こういう言い方は無責任かも知れないが、ここまでの話が成り行き上、身体の問題も心的な問題のように扱われてきており、それが主になっているからだと思う。吉本もまた、
 
この問題は、他者との関係づけ、関係の仕方というもの、それから人をどのように了解するか、了解の仕方というものの食い違いが、身体障害とか、精神障害とかいうものの根底にあることがわかります。
 
と述べている。つまり身体の問題も捕捉するものだというわけだが、しかしわたしとすればここまで追ってきた吉本の考えと、例えば手足がないという肉体的唯物的部分の、考え方の処理上の問題が、どうもすんなりと腑に落ちてこないところがある。吉本の言うように、根底、あるいは本質としては、ここで吉本が言うとおりなのかも知れない。けれども、身体障害にはもう少し違った側面があり、心的現象としてだけ論じきれないものがあるように思える。もちろんこの講演録の題が示すように、「障害者問題と心的現象論」について、つまり心的な側面から言及しているものであるわけで、わたしの思いは無い物ねだりのような次元のものと言えるのだろう。
 吉本の話がその種のことを全く踏まえていないわけはないのだが、その論理的な抽象性の高度な思考に追いつけない思いが残る。このあたりはやはり、宿題として胸に抱えておくほかはないのだろうか。
 今はそのように考えるほかはなく、とりあえずここからは5の方を見ていくことにする。 5では、この考え方の流れを受けて一つは次のような捉え方が述べられている。
 
 そこで問題は、身体の障害・欠損・欠陥とか、〈身体図式〉の欠損・欠陥とか、あるいは、〈精神図式〉の障害とかいうものの意味あいが、社会の障害・欠損・欠陥とかと結びついてかんがえられていく。結びついていく必然性をかんがえてみますと、今いいましたように〈障害〉という概念も、〈社会〉という概念も、それから〈図式〉という概念も、それから〈身体〉という概念も、いずれも観念の図式と、具体的生理的なものとの二重性においてかんがえられていることがわかります。このことが〈身体障害〉という問題が、容易に社会的な領域にまでまたがっていく根拠であるといえるとおもいます。
 
 すなわち、身体や精神が個別的でありながら、それが他者に繋がり、社会の問題に繋がっていく契機について述べられている。それをここでは「観念の図式と、具体的生理的なものとの二重性」に求めているわけだが、これは4での指摘とは微妙に異なっている。4の最後では、他者との関係の仕方に社会を提起する契機があり、そこから社会とは何か、社会の障害とは何かという問題が必然的に提起されると述べられていた。つまり、必然的に提起するのは、個人の他者との関係の仕方に社会化の契機が内在するからだということになる。5では、少し視点をずらして、精神や身体の障害・欠損・欠陥と社会の障害・欠損・欠陥がどのように結びつくかというところから、どちらも、具体的生理的な障害・欠損・欠陥とイメージとしての障害・欠損・欠陥の二重性を持つからだと説明されている。
 わたしなりにこれを解釈すれば、現在のわたしたちは個人であると同時に社会的個人の二重性を背負い、身体や社会の実態的な障害・欠損・欠陥と、理想とする身体や社会のイメージから見た身体や社会の障害・欠損・欠陥の中にあって、そういう二重性において障害の問題を考えているということになろうかと思う。
 吉本は5の後半部分において、主題に対しての結論めいた言及をしている。
 
 それではどのように、たとえば社会の障害・欠損・欠陥と、それから社会のイメージ、つまり政治制度の障害・欠損・欠陥ということと、身体の障害・欠損・欠陥、あるいは〈精神図式〉の障害とが、同一の地点にまたがってしまう現在の必然的な在り方とが、どこへ向かって解決の道をつけたらいいのかという問題は、たいへん困難なことだとかんがえます。ただ一つ楽観的材料とまではいえませんが、それがかんがえられるとすれば、身体に関する障害と社会の障害との価値観のつけ方が、時代が降りるにつれて、極度に崇高な、精神障害が神様に近いんだ、とおもわれていた未開時代から、現在ではそうではないもの、それは別にかわらないんだ。それはどこに境界を設けていいのか、ほんとうはわからないんだ。つまり、生活の必要上で境界をつけたらおかしいという考え方が徐々に出てきています。
 神のように崇められた古代から、働けないから人間以下だ、と蔑まされた近代社会に至るまでの目も眩(くら)むような価値観の変遷というものが、障害にたいして与えられてきたわけです。けれども、これに対して現代は、徐々にではありますけれども、身体障害というものは、〈神でもなければ人間以下でもないんだ。それは人間なんだ〉という概念が、少しずつ既得権といいましょうか、少しずつその概念が闘いとられてきつつあるということ。そのことが、ぼくの考えでは、大きな解決、唯一の解決の糸口なんじゃないかとおもわれます。つまり、解決の基礎になる問題じゃないかとかんがえます。
 
 引用しながら、わたしはこうした物言いの骨格を吉本の別な文章や対談の中に見聞きした覚えがある。たとえば、偉いことをした立派な人こそが人間なんだということではなくて、怠けたりさぼったり、ちっとも立派なことをしないそういう人たちこそが人間らしい人間なんだという主張を記憶している。これもまた主調音としては先の発言に通じるものがある。
 わたしたち人間の持つ向上心とか上昇志向性とかは、近代になってこれを自由とか平等とか博愛とかの理念にまでそれを結集させた。理想のイメージを持ち、強くこれを追い求めるようになった。この時、理想を追い求めてはるか前方に視線を注ぐあまり、そうでないものは軽視することになってしまった。そうとまではいえないとしても、価値あるものは全て理想の先にあると錯覚せられた。
 だが、ほんとうの価値はまだ見ぬ理想の先にあるものだということはできない。それでは無いものにこそ価値があり、現にあるものには価値がないという倒錯を生み出してしまうではないか。視線を呼び戻し、周囲を見渡してみればいい。本物の人間がそこに実在し、さまざまな差異を連続させながら、さまざまな姿形であり続けている。それがどんなに多種多様であっても、わたしたちはそれが人間なのだと言ってみせるほかない。
 吉本は先の引用部分で、障害と非障害との境界が、現在、なくなりつつあることを指摘している。また、障害があろうがなかろうが、それをひっくるめて人間だという概念が勝ち取られつつあると指摘する。そして、現在さまざまに実践されている部分的な解決とは異なる、しかし、大きな解決、ただ一つの解決の糸口になるものじゃないかと結論づける言い回しをしている。
 このような吉本の物言いをどう受け止めるかはさまざまであり得る。繰り返し強調している「たいへんむずかしい問題」という言い方や、「人間の歴史が最後まで解決を残す問題」だという言い方と絡めて考えれば、わたしなどはすぐに、この問題について考えないこと、言わないことと、さして変わり映えしないじゃないか、無駄じゃないかと思ってしまう。そして、それが普通のあるいは一般的な反応として正解なのではないかと思う。つまり、そこから先は考えが及ばない。及ばないから考えることを止める。止めるから機能的な解決や、超人的な努力や、宗教的な解決というところが野放しになる。いわゆるある種の放置にすり替わる。
 ほかにも吉本が提起するものは少なからず残っているようにも思われるが、ここでは最後に一つのことを取り上げて検討しておきたい。それは引用文に見られるように、結局のところ吉本が究極の解決をどこに見ているかと言えば、障害と非障害の境界がなくなり、欠陥や欠損がありのままに、ただそのままに、そこに障害の概念が入り込まない世界を想定しているのではないかと思えるそのことである。もちろん明確な断言は避けられているし、それは解決の糸口でしかないという言われ方もしている。だが、引用文に語られている先を想定するならば、わたしにはどうしてもそのように思えてしまう。こうした考えが指向するところは、ともすると、手足のないひとは手足のないままに、他者との関係に障害を来してしまう精神を持つ人もまたそのままに、放置することと近似する。そういうことをわたしも怖れないではない。だが、ほんとうはそれとは違っている。
 まるでおとぎ話みたいな、マジックの世界みたいな話になって恐縮だが、そこでは一切障害という見方が消えてしまっている。他者がそう見ないというだけではなくて、例えば手足のない当人にも、手足のないことが少しも意識されずに、ましてやハンデだという意識が成り立たない世界。そういう世界がほんとうに到来することがあり得るかどうかはまた別にして、吉本が珍しく恐縮がちに、また空想がちに示唆する先はそういう世界ではないのだろうか。
 その世界では、現在、障害者と呼ばれる人々と全く同一の状態にある人たちの生きる条件はすでに整っている。それがどういうものかはわからないが、社会の側としての条件整備はすでになされているのだ。
 残念ながら、わたしの空想はこんなところで途切れてしまう。ただもう一つ言えることは、そこではもはや義足や義手を必要とすることもなく、五体満足に同等となる超人的努力も要さず、あるいは強迫観念に怯える必要もないということだ。障害にとって、ありのままの姿形で、ありのままに過ごせることは、それはもはや障害ではないことを意味しているようにわたしには思われる。そしてその場所から逆向きに眺めれば、現在における障害の認知と、認知された障害者にたいしてそれなりに接しよという教育的な在り方は、どこか、そして何かを取り違えているように思われてならない。
 
 
「障害」とは何か
              2016/12/14
「障害者問題と心的現象論」についてB
 前々回、前回と「身体障害」について考えたが、その中に初歩的、基礎的な誤りがあったのではじめにこれを訂正しておく。それは「身体図式」と「身体イメージ」についてで、わたしは前々回の文章で
 
〈像としての身体〉(〈イメージとしての身体〉〈身体図式〉に同義)
 
というような書き方をした。
 前回をアップしてから何気に雑誌「試行」60号を取り出して、吉本隆明の「心的現象論」をチラ見したら、「身体イメージ」と「身体図式」が全く違う概念であることがそこに触れられていた。それまで大ざっぱに似たようなものだろうとして、あるいはその差異は自分の文章の意図や趣旨からはささいなものとして扱ったが、「同義」という言葉を使った手前、そこは訂正しておくべきだろうと感じた。同義では、ない。
 身体のイメージと身体図式の違いについては吉本の「試行」の文章を引用してもいいと思ったが、ネットの「脳科学辞典」掲載の文章がわかりやすそうだったので、以下にそれを引用させてもらう。「身体図式」の文字を入力したら、最初に次のような記述がある。
 
 じぶんが今椅子に座っていること、また、右足を左足の上に組んでいることをひとは観察によることなく直接知っている。あるいは、暗闇であってもじぶんが蚊に刺されれば、即座にその身体箇所に手のひらを持っていくことができる。このような場面で働いている身体に関わる潜在的な知覚の枠組みのことを、身体図式という。
 
 またこれに関しての補足事項や身体イメージとの違いが、以下の文章に示されているので会わせて引用しておく。
 
身体図式とは
 
 身体図式という術語は、心理学、神経科学、哲学、ロボティクスで広く用いられ、心や意識の身体性、感覚運動統合を論じる上で重要な概念である。一方で異分野間、研究者間で身体図式の確立した定義について合意が得られていない。これまでのところ、身体図式には次のような特徴があると言われている。身体図式は、
 
 1.再帰的な意識、自覚を必要としない。身体運動を意識下で調整している主体である。したがって、ひとが身体図式に対して顕在的な知識を持っているとは限らない。
2.サル、ヒトの脳に共通して、大脳皮質の頭頂葉連合野および運動前野が身体図式に関わっている。ヒトでは特に頭頂連合野の損傷によって、身体図式の障害が起こる。
 3.身体図式は変容する(可塑性を持つ)。日常的には、ある道具の使用に熟達すると、私たちは道具を持っている手そのものではなく「道具の先端」で対象を感じがちである。身体図式は感覚運動学習の結果、あるいは実験的に作り出された錯覚によって、一時的に変容させることもできる。
 
身体に関わる意識
 
 意識下で作動する身体図式は、身体イメージとは区別される (body image)。身体イメージとは、「私は、身長170cmで、?せ型である。大きな耳を持っている。」というような顕在的な自己身体に関する知識を指す。自己概念としての身体と区別して、潜在的な身体図式の存在を主張する根拠とされてきた現象が、幻影肢である。幻影肢とは、戦場での負傷や交通事故などによって、四肢を切断する手術を受けたひとが、既に存在しないはずの手足の末端に痛み(幻肢痛)やかゆみを感じる現象を指す。幻影肢は、特に手足の切断手術の場合は90%以上という高い頻度で出現するが、四肢に限らず、顔面、乳房、耳、内蔵など身体のどの部分でも生じ、時間の経過とともにほぼ消失すると言われている。
 
 ここで要約してみると、身体イメージとは
「顕在的な自己身体に関する知識」で、身体図式とは「身体に関わる潜在的な知覚の枠組み」ということになろうかと思う。
 ただこれだけのことだが、とりあえずここでは「同義」という言い方はできないということで、これまでの言い回しを訂正しておきたい。
 
 さて、そうした上でここまで考えてきたところを振り返ってみれば、依然として身体の障害の問題について、あるいはその理解について、はっきりしたことは何もないということになる。全てがはっきりせず、曖昧でありうやむやなのに、現実的には曖昧さとうやむやの中に全てが進行しているといえよう。
 その中で、わたしがかろうじて辿り着いた場所は障害の概念、障害についての考え方を「障害」あるものに向けて無化する方向である。平たくいえば現在の社会制度で「障害」と認定されている人々に対して、それは少しも「障害」などではなくて、ただそこに「人間」がいるだけだと見なすことである。
 たしかに、肢体不自由者などの身体に障害を持つという場合、身体的には数が少ない状態であり、障害を持つことで自己自身の拡大が不全化を起こし、あるいは他者との関係づけで不全化を起こし、対象物に対する関係で不全化を起こすということはできる。しかしそれらのことは少しも人間的な価値の有無とは関わりがないし、不全化はまた程度の問題で全ての人々に共通する問題だと言うこともできる。もっと言えば、ほんとうはそれぞれの人々にとって、自己了解、自己関係づけの次元の問題、明瞭な自己把握の問題に過ぎないように思える。さらに、言い換えると根底には個人の問題という側面が厳然として存在する。だから本質的な解決の方向性として、障害あるもの自らが、人間の価値の問題、自分の身に起こる不全化の問題に関して、徹底して考え、解決を探るほかにこの問題から解放されることはないように思える。単純な言い方をすれば、それらのさまざまな不全化と普段にどのような折り合いをつけるかが生きることにまつわる全ての発端と見ることもできよう。そのことが、現実に生きていく上での問題として、必ずしもうまくいくかどうかということとは関わりがない。それはたとえば、障害を持たないと見なされる健常者の場合にもおなじで、健常者の生が、全て順風満帆に行くものでないことは、あらためて言うまでも、そして考えるまでもないことである。 
 このあたりで、吉本隆明の「障害者問題と心的現象論」という講演録の考察を切り上げたいし、また「障害」問題全体からも離れたい気がしている。ほんとうはまだ入り口の辺りをうろうろしただけだし、考察とは名ばかりでちっとも先に進まない。おそらく、これ以後は降参ということになるか、長い休息を持つことになるかもしれない。
 
 学習支援の仕事を退いてから、およそ9ヶ月が経過した。子どもや学校や障害児教育やらは気分的にもだいぶかけ離れてきて、切実さも一気に薄れたと思う。3月まで、障害について考え続けることができるかどうか。また考え続けたとしてその内容が意味あるものになるかどうか不安なところだ。
 
 身体と精神の障害問題を考えるにあたって、先ずは吉本の「心的現象論」の本論部分を読み解く必要を感じる。そこをきちんと踏まえなければ本格的にこの問題を論じることはできないし、先に進めないと思う。福祉教育、障害教育、そのほかのどの角度から障害問題を眺めても、肝心なところは取り残される。その肝心なところをつくものとして吉本の考察はあるように思える。
 
 ところで、吉本の「心的現象論」は雑誌「試行」に連載された。そのうち、最初の部分は「心的現象論 序説」として単行本になり、わたしはこれを所有している。だがそのあとの本論部分は長い間書籍化されず、またわたしが「試行」を取り寄せるようになったのは40号以降で、障害に関連した部分の掲載はそれ以前で直接読むことができない。
 少し前に、専門は社会学者といっていいのだろうが、吉本との対談を数多くこなしてきた山本哲士の手によって「心的現象論本論」は書籍化された。しかし、これが廉価版で8000円、序説と込みにした愛蔵版が14000円を超えてわたしなどが手にできる値段ではない。この件に関してはわたしは山本のやり方に不満で、生前の吉本さんもこの価格設定にはあまり肯定的ではなかったように思える。山本にすればそれだけの価値があるという思いなのだろうし、採算の問題もあって仕方のないことかもしれないが、この時の山本をわたしは評価しない。おそらくこの本は全国の国公立の図書館にも寄贈されることはなく、所蔵されてはいないだろう。となるとわたしたちは目にし、読むということができない。一部の熱烈な吉本ファンだけのものとなってしまう。
 この本の実際の出版は、吉本が他界する前後のことだったと思うが、それから数年して晶文社から吉本全集が出版されることになった。もちろんそこでは「心的現象論本論」も予定されている。全部で30冊を超える冊数となり、一冊がおよそ6000円くらいと記憶する。こちらも値段は安くはない。また、わたしが期待する「心的現象論本論」を納めた号はかなり発売日が後回しになるようで、いずれにしてもわたしの目に触れる日は限りなく先のことになるようである。あるいは目にしないで終わる。
 
 最後に、ということになるかどうかわからないが、障害に関する雑談めいたことをひとつふたつ書き残しておきたい。
 1つはつい先日と言ってもいいくらいだが、『五体不満足』の著者として有名な乙武洋匡さんの不倫問題が世間を賑わした。
 このことについては、わたしはネットのニュースの見出しを追ったくらいのことだが、たしか5人くらいの相手がいたとかで、真偽の程はよくわからないが、「やるもんだねえ」と思ってなんとなく痛快になった。なぜ痛快になったかと言えば、やはり、身体の障害が恋愛に関して絶対的なハンデを負うという常識を覆すように思ったからだ。少なくとも、手足のない乙武さんは、手足を持つわたしよりも女性にもてていたことは間違いない。少しばかり不遜な言い方になるかもしれないが、わたしからすれば、乙武さんは対女性ということでは手足のないことを逆に武器にできているように思えた。これは手足を持つことを武器にできないわたしとは対極にある。もちろんそれが正解かどうかわからないし、それを武器にできていたかどうかということも勝手な推量の域を出ないことだ。しかし、障害があるから絶対に結婚できないとか、絶対に恋愛できないとかは言えないことを、乙武さんの不倫報道は実証的に証明してくれるように思えた。
 乙武さんについては、文筆家、タレント、元教員などの肩書きを持ち、一般に広く知られたように多方面で活躍されていた。それは詰まるところ、自分と自分の周囲のそれぞれについて、また相互の関係性についての把握の仕方が的確だったとか、すぐれていたとかということによるものだったと思える。そういう意味では、乙武さんの力能は肢体健常者のわたしをはるかに凌いでいる。もちろん陰の支援者もたくさんいただろうが、そのことも含めて、やれ障害があるからとか健常者だからだとかの次元を、はるかに超えて活躍し、わたしにはそのことが痛快に思われた。
 わたしは五体満足だが、乙武さんのようにモテた試しはない。またどんなにがんばってみても乙武さんほどに社会的に、また職業的にも重きを持つ存在であり得た試しなどもない。もちろん今も、そしてこれからもそうであろうと思う。つまり、言いたいことは、未来に向かっては必ずしも障害のあるなしが生を決定するとは限らない、そういう扉がすでに開かれつつあるのではないか、ということだ。
 現在は、障害のあるなしの境界が一方では明確、明瞭化させられていると同時に、また一方ではそのことに対する疑念も強烈に提出されてきている。境界がはっきりさせられていると同時に、はっきりしないものとして二重化されて、同義のように存在している。それが互いに拮抗し、障害の問題を考えること自体をきついものにしているように思える。だが先に述べたように、この拮抗やそこから来るきつさは、必ずしも絶望すべきものではない。わたしはそう思っている。
 
 吉本が、障害の問題を人間の歴史の最後にまで持ち越される課題と述べるとき、逆に言うと、人間はこの問題を最後まで放置しないで考え続けるということだ。容易に答えは出ないが、課題として持ち続けるかぎり、答えの出る可能性はいつまでもあり続ける。それは明日であるかもしれないし、何百年後かもしれない。もちろんそんなことは現在に障害を生きる人々にとって、何の意味も無いことは承知している。周囲の人たちを含め、彼らの現在の苦痛や困難を軽減しはしない。それはしかし、苦痛や困難の概念上の問題として考えれば、健常者であってもおなじことが言える。健常者であっても、軽減しない苦痛や困難を持ち続けるということはある。わたしはそれがある水準を超えたところでは、健常者と障害者の区別、境界を越えたところに表象されるにちがいないという気がして仕方がない。
 雑談めいた記述だからどう書いてもいいと思うが、例えば手足があるなしの差異、言葉を持つ持たないの差異として健常者と障害者とを比べたときに、この差異は決定的なように思えるが、さらにこれを考えれば、体験を含め理解の孤絶というところに問題は収斂するように思える。しかし、また、さらによくよく考えれば、この理解の孤絶は健常者においても、しばしば陥入りがちなものに過ぎないように思える。
 つまり、障害ある人にとって、障害を抱えた自分の人生をもっとも苦悶するところが孤絶した体験にあって、その体験から派生するさまざまな心的、あるいは神経生理的な孤絶感にあると見なせば、それは健常者といえども皆無ではないと思えるのだ。そこまでいけば人間はみな哀れで、可哀想な生き物なのだ。 
 今回、ここまでこのように焦点の定まらない、拙劣で荒れた書き方をしてきた。それはそれでいいが、まだ言いよどんでいるところ、考えを控えているようなところがあるような気がする。それは寝たきりのような重度の障害の場合についてであり、ここまでの考えではそこを拾い切れていないように思える。
 あらためてそこを考えると、すぐに次のような考えがおこる。すなわち、重度の寝たきりのような生涯も、健常者の生涯と同等だと見る見方、考え方ができるように、自分の思考を詰めていくべきだ、というようにだ。そういう境地に立ちたいとわたしは望んでいる。それを、言葉によって埋めていきたいとねがっているのだ。わたしとすれば、わたしの出来るそれが唯一の救済の方法であって、しかも障害を持つ人にとって全く何の意味も無いことだ。わたしは転倒や錯誤を生きる愚か者だろうか。だが、こう考えていくより今のところ方途がない。やがて、人間社会の歴史が、わたしたちの心に向かって追いついていけばいいのだ。
 
 
「障害」とは何か
              2016/12/31
「障害者問題」と「心的現象論」
 三交社から発行された『吉本隆明が語る戦後55年』全12巻のうち、第11巻の「詩的創造の世界」を所持していた。たまたまこれを見たら、このシリーズの中に「心的現象論」が資料として連載されていることを知った。そうだった、すっかり忘れていた。
 たぶん、この雑誌の刊行には山本哲士も関係している。「心的現象論」が資料として付け加えられているのは、「試行」にしか見られないこの文章に、もう少し日の光を当てたいというような山本らの意図があったのかもしれない。前回、ちょっと山本の悪口を書いたので、これは撤回しなければならないという気がした。日の目のあたらなかった「心的現象論」に、山本は日の目をあてようとしていた。そういう努力は評価しなければならない。ただ、1巻は2000円と高額で、当時もなかなか全巻そろえて買うという気がしなかったことを思い出す。最近の山本の、文化資本とか象徴資本とかの概念に関わるところだが、わたしなどにはそういうことよりも、本は廉価であるということの方がありがたい。ただ、こうした取り組みをしてくれたおかげで、なにも単行本になった高額の「心的現象論本論」を手にしなくても、おなじ文章を目にする可能性は広がる。早速、宮城県図書館の検索を利用したら、やはり全巻所蔵されていると知った。寄贈されたのか、図書館のほうで購入したものかはわからないが、しかしこれで無料で読むことができる。
 
 わたしが目にしたいと思った「障害問題」とのかねあいでいうと、「身体論」のなかに、「不具・障害・病気」という項が、(1)から(6)まである。またそれに続いて「不具・障害・病気その心的世界」という項が(1)から(3)まである。今回はこれらを読んで、もう少し身体の障害という問題に迫ってみたい。まずは不具・障害・病気(1)から(6)まで、引用やそれに対するメモのようなコメントを加えて記述することにしたい。うまくいくかどうかわからないがやってみる。
 
不具・障害・病気(1)
 
 この問題(身体の不具や損傷の問題―佐藤)に倫理的にあるいは善意で接近しようとすると、どうしても〈他者〉の身体は〈自己〉の身体ではないという絶対的な壁につきあたるようにみえる。つまりこの壁のところで倫理は傍観者や非体験者のやくざな、傲慢な〈同情〉や〈親和〉感に、いわば宗教や公共体の〈事業〉に似たところに転化する。あるいは、心情は〈他者〉の身体に同化し、利己心だけは棚に上げてたれからも触れられたくないという分裂と矛盾に見舞われる。そこで迂遠なようでも、この問題に接近する回路を手探りしたほうがよいようにおもわれる。
                     一般的にわたしたち健常者が障害を持つ人たちと向き合ったり、障害の問題を考えようとする時に陥りがちなことについて述べたもので、倫理的にとか善意とかで接近するのはダメだということを言っている。なぜダメなのかはその次に理由として言っていることで、倫理的な接近が優越感の貼り付いた〈同情〉とか〈親和感〉に転化したり、あるいは善意の心情というものは利己心を棚上げしたままに〈他者〉の身体に同化するという分裂や矛盾に見舞われるから、ということになる。
 こうしたところの、いわば人間性の内面を深く抉った言葉は、実際に自分の心の動きを内省するところから生まれるもので、吉本自身がこの種の経験をし、そしてそうではない接近の在り方を探っていこうとしていると見える。
 ここはわたしも全く同感するところで、引用に見られるような接近の在り方には不満である。わたしの感性は、そこに嘘があるだろうと見てしまい、嘘のない見方、考え方、接近の仕方を望む。
 じゃあどうすればいいかということで考えてきているわけだが、ここまでのところ、どうも吉本にしてもわたしにしてもこの障害の問題が自分の問題であるかのように、込みにして考えているように思わずにはおられない。つまり、ちょっと言い方を変えれば、考え方自体が厳しすぎないだろうかという懸念が生じる。どうして吉本とかわたしなどのようなものは、宗教とか公共体の〈事業〉に似たところに転化することを忌避してしまうのだろうか。あるいは自己利益を放棄することのない、障害ある〈他者〉の身体への心情的な同化をそのまま見過ごせないのであろうか。
 もちろん、吉本もわたしも、皆が同じように考えるべきだと主張したいわけではない。どちらかといえば、ただ自分はそうありたいという思いで別な回路の接近というものを探ろうとしているに過ぎない。つまり、同行者や支持者のあるなしなどを考えずに、ただ自分の思いに従って回路を探し出したいと望んでいるのだ。わたしにすれば、これはもうわたし自身の問題と不可分の形になってしまっているようにすら思える。
 
不具・障害・病気(2)
 
身体の〈不具〉あるいは〈障害〉の概念も、まったく医学的にはここでの〈病気〉の概念に包括されるようにおもわれる。たしかにこの境界内では普遍的に妥当する身体の〈不具〉、〈障害〉、〈病気〉の概念は必要ではないし、不可能であって、具体的にどこそこに疾病があり、そのために身体はどういう運動や機能の不備をもち、それからどういう身体感覚上の異和の訴えがあらわれるかが摘出されればよいことになる。
 ところが、この身体の〈病気〉がどんな事態をもたらすのかを、〈人間〉という概念にまで拡大し、その影響を人間の生存のための全領域にまで拡張しようとすれば、どうしても医学の境界を越えて、普遍的な〈病気〉、〈障害〉、〈不具〉の概念が必要であるようにおもわれる。
 
 医学という境界内での不具・障害・病気の概念は、一般的普遍的な意味あいでの不具・障害・病気の概念とすることはできない。また医学はそれを必要としない。身体の不具・障害・病気の普遍的な概念を持とうとする時に、医学的な考え方はそのままでは役に立たないのだとも言える。
 吉本は、「医学の境界を越えて、普遍的な〈病気〉、〈障害〉、〈不具〉の概念」を「必要」とする時に、実はそれが成り立ちにくいものであるとして、次にそのことについて検討している。
 
 普遍的な〈病気〉、〈障害〉、〈不具〉の概念が成り立ちにくい理由については、おなじところでヤスパースが明晰に説いている。それを任意に拡げてみれば、ひとつには平均的な概念と理想的な概念が必要になり、この二つの概念がいずれも曖昧なことである。〈病気〉、〈障害〉、〈不具〉の概念を普遍化するには、大多数の大過なく身体の機能を発揮し生活をくりかえしていく存在を〈健全〉の基準にもってこなくてはならない。また医学的にいってもそうであるが、身体のある部位の〈病気〉を具体的に摘出し対応するためにも、その部位の身体器官の機能の〈理想過程〉が無意識に想定され、この〈理想過程〉は、〈健全〉な身体の所有者からも大なり小なりかけ離れた願望にしかすぎず、ともかくも〈健全〉に生存し、生活をくりかえしている大多数の存在形態からも遠いものとなるほかはない。もうひとつ、普遍的な〈病気〉、〈障害〉、〈不具〉の概念をうるために、どうしても価値観の基準が必要となることである。身体が〈健全〉であることはそれ自体で価値あることであり、〈病気〉、〈障害〉、〈不具〉は価値の少ないものであるとかんがえれば、疾病状態にある人間はそれ自体で価値のない状態であるということになる。身体の〈病気〉、〈障害〉、〈不具〉を身体から見れば、たしかに価値の少い状態であるといえるかもしれないが、人間としてみたときには、そういう価値の基準はまったくあてはまらない。
 
 ここで吉本が言っていることは、わたしたちが日常、〈健全〉だとか〈病気〉、〈障害〉、〈不具〉とかを分けて考えるときに、意識的あるいは無意識的にいろいろな基準をもとに判断していることを言っていると思う。そしてその時に使われる基準というものは、個別的であったり学的であったりとさまざまであり、さらに厳密に言えば、それぞれの基準そのものがそれぞれに曖昧なものなのだということを指摘していると考えてよい。
 
 ここまでのところで少し整理しておくと、身体の障害とは何なのかとあらためて問い直してみて、自明のように思われてきている身体障害の概念について、それほど自明のことではないんではないか、結構疑わしかったり曖昧なところがありそうだというところでさらにあらためて考えているところだ。
 ここまでのところで、吉本の記述の流れも同様に、全体としては身体の障害とは何かというところを問うている。で、倫理的、あるいは善意というもので接近しても納得できる理解とか把握は不可能だということで、次に医学の領域からこれを眺めてみたが、ここでも曖昧だったり難点だったりするところがあることに触れたということになる。そして、吉本の記述は次に、心理学的にはどういうことになっているかというところに向かっている。
 
不具・障害・病気(3)
 
 たとえば、ひとりの人物が先天的にか、あるいは偶発した〈事故〉によって四肢の一つに欠損があった。この状態に適応しようとする医学と心理学と障害社会学の方法は、ほとんど固定的にこの状態を把握する。その過程は、身体の欠損部位の物理的な認知→欠損部位の人工的な補充(義手・義足のような)→訓練による欠損部位の正常化への試み→生活社会へ復帰するための職業的な養成過程。そしてこの過程で差別感の固定化と宗教的な諦めとが二つの極限としてやってくる。ここには肝要なことがぬけおちているようにみえる。もし、肢体不自由者が右の手首を欠いたとする。この肢体の欠落は、けっしてたんに右の手首が物理的に欠けたということではない。いわば心身相関の領域での全変容を意味している。右の手首を欠いたために、かれの左手は、まえよりも利き手として鋭敏になったかもしれない。またかれの眼は身近な手の届くかぎりの対象について遠近の感覚に微細な狂いが生じたかもしれない。また右手の欠損は把むことを不自由にしたため、触覚の野に変化が生じたり、身体の筋肉は変化を蒙ったかもしれない。総体的にある直接的な対象の領域は、心的に全体的な変容を受けた。この変容はたんに感性的な対象についてだけではなく、人間の存在そのものの変容である。心理学はこの存在そのものの変容を無視している。そして右の手首の欠損は、たんに右の手首の物理的な欠損であり、またこれにともなう心的世界の変容は、たんに右の手首を欠いたための心理的な変容で〈右の手首がなくなってしまった、おれは片わ者である〉、〈おれは醜い身体になってしまった、結婚も恋愛もできやしない〉、〈おれは利き手を無くしてしまった。これではまともな職にもつけない生活の破産だ〉……等々の劣等感とその代償の世界に短絡させてしまっている。対象世界の全体的な変容として構造を究めようとする試みも企ても、また方向づけもない。そのために肢体不自由者自身も、身体の欠損した部位に局所的に全部の意識を集中させ、心的世界はそれだけに成れと絶えず口説かれているのとおなじである。もちろん、かれの心的な世界が、不自由な肢体に自閉され、集中されているわけではないことは、かれ自身がよく識っているのに、心理学や社会学はそこへ集中せよと命ずるのである。 
 
 この項における全体の三分の一程度の長い引用になってしまったが、あらためて読むと、ここではとても重要なことが指摘されていると思う。それこそ吉本の文章を取り上げる最大の理由でもあるが、例としてあげる右手首の欠損から、「心身相関の領域での全変容」、「心的に全体的な変容を受けた」、「人間の存在そのものの変容」というところまで、ダメージを拡張して捉えきっている。また、「心理学はこの存在そのものの変容を無視している」と言い切るところもまた、わたしにとっては最大の吉本らしさと感じる。
 結局、懸案であったところの「身体の障害とは何か」という問いに対して、一応この段階で、「それは人間の存在が変容しちゃうことなんだよ」と、わたしたちは言えるようになったのだと思う。もちろん、ざっくりと存在が変容しちゃうと捉えればすむ話ではなく、変容の全体構造の究明が必要なのだが、それはしかしまた別の話である。
 引用の末尾の記述も、わたしには読み流しにできないところだと感じられる。長く学校にあって障害児教育の在り方を見聞きする中で、障害を持つ子どもは無意識のうちに自分の障害のありかを常に意識せざるを得ないように追い詰められる。訓練という形でもそうだし、それ以外によっても、学校生活全体を通して、あるいは家庭生活においても常に自分の障害について意識を集中するように命じられているようなものだ。
 だが、ほんとうは、吉本が言うように、「かれの心的な世界が、不自由な肢体に自閉され、集中されているわけではない」。逆に心的世界の本質から、普段は障害の意識を離れて健常者一般の生活がそうであるように、たわいのない直近の出来事の受容と了解に努めている場合がほとんどだと思える。つまりその時、心的な世界は不自由な肢体のことを忘れているはずなのだ。吉本が言うように、心理学や社会学は、そしてもっと言えば肢体不自由者を取り巻く社会や世界は、彼らの障害者意識以外の心的世界の価値や有意味性をおざなりにし、そのために彼ら自身もまた自らのそうした部分について意識的に考えることも語ることもしなくなってしまう。だがほんとうに人間的な部分というのはそちらの方にあり、障害問題を解決していくときの糸口もまたそちらの側に隠れているのではないだろうか。
 
不具・障害・病気(4)と(5)
 
 (4)と(5)では、〈幻肢〉、つまり「四肢の切断や欠損があったとき、何らかの心的または現実的な理由から、あたかも切断や欠損の身体部位が存在するかのような知覚が、長期にわたって消失しない現象」などの考察を中心に、肢体の欠損が当事者にどのように直接的に、また自体的に影響するかを検討している。
 〈幻肢〉は、実際に四肢の切断や欠損があった場合に起きる心的現象の一つと言えるが、先の項との関連からいえば「心身相関の領域での全変容」、「心的に全体的な変容」、「人間の存在そのものの変容」における「変容」そのものの具体的な現象である。つまり前項を受けた形で(4)と(5)でこれを考察しているという形になる。注意すべきは(5)で身体欠損によらない〈幻肢〉の記載例を示し、身体図式の異変、すなわち身体の自己関係づけ、自己了解の異変が、脳の器質的欠陥とは別に、心的に起こりうることを考察している点だ。
 
不具・障害・病気(6)
 
 身体の〈不具〉、〈障害〉、〈病気〉が心身の世界にあたえるものが自己関係と自己了解における〈変容〉であるとすれば、このばあいの〈変容〉は直接的であるとともに自己対象的である世界ということができる。ここでは身体の〈不具〉、〈障害〉、〈病気〉は対他的であるよりも対自的なものとしてあらわれるほかない。かれはたとえば上肢を欠損しているとすれば、その不自由や美醜よりも、どんな〈幻肢〉がどうあらわれるかというような〈変容〉の体験にむかう。この体験は未踏の体験であるために心身の相関する世界は新たな相であらわれる。もしもこの世界を個体の世界に限定するとすれば、かれは他者につげることができないかもしれないが、肢体の欠損によって生じた心身の〈変容〉に意識を強めざるをえないかもしれない。しかしこの世界はかれ自身に属し、かれ自身の世界を体験させるだけである。
 しかし、おおくの肢体不自由者は、先天的であるものも、偶発的な事故によるばあいも、自己自身に属し、自己自身に体験される心身の世界の〈変容〉を、ほとんど全く記述していない。
 
 ここの記述が、吉本の、身体の〈不具〉、〈障害〉、〈病気〉に対する考察がたどり着いた、その頂点にあるものだという気がする。
 ここから吉本は、ほとんどの肢体不自由者の記述の世界は〈結婚〉や〈就職〉に関連するものだと例示し、それが対の関係や共同の関係世界だと述べる。そして、
 
かれの〈結婚〉や〈就職〉にたいする危惧や不安は、肢体健全者のだれもがもつ〈結婚〉や〈就職〉や生活を維持することにたいする危惧や不安とすこしも質的にはちがはない。いわば、程度の問題であって、けっして、〈特殊性〉の問題ではありえない。
 
と明言している。
 
 
「障害」とは何か
              2017/01/19
「障害者問題」と「心的現象論」その2
 わたしたちにうかがい知れない肢体不自由者に固有の世界は、かれの身体の〈不具〉、〈障害〉、〈病気〉が、「かれ自身の心身の直接性の世界であるか、あるいはかれ自身に属する心身の自己関係づけと自己了解の世界に存在している」。その世界について、わたしたち健常者は体験することができないし、またどんなに想像力を駆使して肢体不自由者の心的世界の記述を読み込んでも、そこに心的な普遍性、その世界を再現することはとても難しいことだ。吉本はしかし、ここまで見てきたように、「心的現象論」の中で、医学、心理学、あるいは福祉や障害の学的視点を超えて、ほとんど独自の方法でこの難関に挑んでいる。そして、決して全的な究明とは言えないまでも、針の穴を通すほどに難しい、ほんとうの解決の糸口と言える方向性を提供しているかに見える。わたしたちは次に、そこのところをはっきりとさせておかなければならない。
 
不具・障害・病気その心的世界(1)〜(3)
 
 (1)では先天的な聾唖の世界の記述から、その心的理解の試みがなされている。また(2)では全盲者の心的世界を推考できる記述からそれが試みられている。そしてそれぞれについて、原始未開の識知や造形の在り方との類似性や違いが取り上げられ明確化されていく中で、聾・盲のそれぞれの心的世界の本質がしだいに浮き彫りにされていく。
 
 ここのところを、ほんとうはわたしは詳細に取り上げ、吟味し、検討し、その過程をそのまま記述していきたいと考えていた。けれども、どうしてもそれができなかった。ページ数とすればたいしたページ数ではない。だが、要約すらできかねる気がして、それ以降どのように挑んでみても逆に中に入り込んでいくことができなくなってしまい、精神的に吉本の記述から遠ざかってしまう気がしてならなかった。
 わたしはこの間、自分の「障害」に対する切実さの欠如にその因を求めようと考えたりした。すると、自分が何のために「障害とは何か」を考えようとしてきたのか、その初発の動機から曖昧なもので、簡単に言うと、こういうことはやるべきじゃなかったのではないかというところまで気持が落ち込んでしまった。
 
 しかし、自身の状況はともかくとして、吉本の論自体は、ある局面に向かって相当きわどいところを言い切る、つまり、核心部分に迫っているという手応えだけはたしかで、これは手放すことができない気がした。言い換えれば、それだけが残っている。その記述はもちろん(3)の中にある。ここのところが吉本が「障害」について考え、最後にたどり着いた地平である。わたしにはそう思える。その地平がどういうものか、すこし長いけれども引用してみる。本来なら(1)(2)を丁寧に辿った上に示すべきところだが、先述の理由からそれを割愛することを許してもらいたいと思う。
 
 先天的な知覚障害と発言障害とを原始または未開の心性と関係づけることによって、最後にのこる問題は、この双方がけっして関係づけのなかに入ってこない心的な領域である。この心的な領域は、けっきょくは、原始も未開も何ら障害ではないために、それ自体の世界にふさわしい世界像をもっていて、その世界は像完備(コンパクト)という印象をあたえるが、全体的な了解の構造が未成熟であるというほかないこと、また、知覚や言語の障害は、その心的世界にふさわしい世界像をもっておらず不備であり、だがしかし、了解の構造は熟しているということ、に由来している。だから原始または未開の心性によって表現された造形は様式化と抽象化が、ひとりでに生命をもっているが、知覚や言語の障害の表現は、それにふさわしい様式化や抽象化が不可能であり、したがって、いつも〈不完備で生々しい具象の世界〉の表現になる。この〈不完備〉と〈生々しい〉という矛盾した心的な表現が与えるものは〈痛ましさ〉の感じである。なぜならば、この矛盾は人間が存在することの〈痛ましさ〉を象徴し、また集約し、そして拡大している現存の人間にまで普遍化されうるからである。
 わたしたちは、縄文式の土偶や土面をながめても、未開の心性を感ずるがけっして〈痛ましさ〉はもたない。これは〈時間〉の隔たりが〈痛ましさ〉の感じを打ち消しているからではなく、かつて往古にわたしたちの心性がそうであったにちがいないことを納得するからである。この納得のされ方は対象のどこからやってくるか。それは、土偶や土面の単純さと力強い未開性が、一種の抽象化された様式性とちょうど見合っているからである。
 ところで現存する聾唖や全盲の心性(その表現)は、〈痛ましさ〉の感じに連結している。それは時代を同じくし、焦眉の社会問題であり、また政治問題であることを知っているところからくるのではない。また、〈もしもじぶんが聾唖や全盲であったら〉という感情移入の可能性からくるのでもない。また、それらの心的世界の表現が原始未開の心性に類比されうるような〈立ちおくれ〉をみせているからでもない。〈立ちおくれ〉はあるばあいには表現の利点となりうる。たぶんわたしたちは現代の〈生存〉そのものの〈痛ましさ〉を集約してくれている存在を、不具・障害・病気の心的世界にみているのだ。
 わたしたちは、不具・障害・病気に出遇うときに感ずる〈痛ましさ〉を、しばしばすぐに心情・倫理・同情におきかえようとする。しかし、この短絡は思いちがえを含んでいる。わたしたちが感ずる〈痛ましさ〉は、じぶんの生存することにまつわる〈痛ましさ〉についての自己省察の反映であるという本質をもっている。わたしたちは、じぶんの生存を大なり小なり〈痛ましさ〉の感じで受けとめているからこそ、不具・障害・病気にたいして〈痛ましさ〉の感じを喚起されるのである。
 不具・障害・病気はたしかに〈痛ましさ〉を不可避的にあたえる。これは、じぶんが肢体健全であり、死にそうもないし、生存をおびやかされることもないのに、不具・障害・病気はこれらをすべて欠いているという対比のうえで成立っているのではない。そう錯覚されるところでは、わたしたちはいつも局外者であるほかはない。本来的な〈痛ましさ〉は生存の与件のなかにあり、不具・障害・病気は、この与件を偶然にか必然にか集結しているからこそ、わたしたちは〈痛ましさ〉を感ずるのである。
 
 原始未開の心性は、今日のわたしたちから見れば全体的な了解構造が未成熟である。にもかかわらず、たとえば神話の世界や、壁画、土偶などの造形表現には、当時の心性にふさわしい世界像(当時にあって一つの完成され、共有されたと考え得る世界像というほどの意味)を見て取ることができる。
 それとは逆に、知覚障害や言語障害の表現(心性の)は、心的世界における了解構造は熟して前提を整えているものの、それにふさわしい様式化や抽象化が不可能で、全体的な世界像を形象し得ない。吉本はそれを「〈不完備で生々しい具象の世界〉の表現」と呼び、そこから〈痛ましさ〉の印象が浮かび上がってくると述べている。
 〈痛ましさ〉を喚起させる、〈不完備〉と〈生々しい〉という矛盾した心的な表現はしかし、わたしには造形や記述からだけ喚起されるものではないという気がする。日々の生活ぶり、生存のありようを、これもまたあえて一つの心性の表現と捉えるならば、そこにもまた〈不完備〉と〈生々しさ〉とを共時に感受させる現象を見て取ることができるにちがいないと思われる。
 わたしたちはこの時、対象である障害の当事者を〈痛ましい〉存在と錯覚する。だが、厳密に言えば、心性が〈不完備〉で〈生々しい〉と感じさせる存在はこの世界にあり得ても、自体が〈痛ましい〉存在などこの世にあり得た試しはない。
 吉本はここで、わたしたちが喚起する〈痛ましさ〉の感じは、
 
じぶんの生存することにまつわる〈痛ましさ〉についての自己省察の反映であるという本質をもっている。わたしたちは、じぶんの生存を大なり小なり〈痛ましさ〉の感じで受けとめているからこそ、不具・障害・病気にたいして〈痛ましさ〉の感じを喚起されるのである。
 
とはっきり述べている。
 吉本の、不具・障害・病気に出遇うときに感ずる〈痛ましさ〉の感受、あるいはその感性に普遍性があるのかどうか、わたしには分からない。また、わたしたちが本当に「じぶんの生存を大なり小なり〈痛ましさ〉の感じで受けとめている」かどうかについても、自信を持ってそうだと断定することはできにくい気がする。ではこれがたんに吉本の個人的な見解に過ぎないと言い切れるかと言えば、それもそう簡単には行かない。つまり、こういうところでわたしは揺れて悩んでしまう。
 ここからさらに、吉本は、有機水銀中毒症、すなわち水俣病と命名された病理の記述を挙げ、次のように結論していく。
 
 この脳と神経細胞が有機水銀化合物の作用によって欠落してゆく結果の〈痛ましさ〉は、現在水俣病として企業公害であることが明瞭になり、政治問題にまで拡大されている。
 この〈痛ましさ〉の識知は、被害者の「植物的生存」の病変退化が、非人間的生存である段階から非動物的生存である段階をへて無機的存在(死)へつらなる連鎖の最終段階にまで生存がおいこまれてゆくことの識知に基いている。意識しているかどうかにかかわらず、生存の最小与件にまで、生存そのものが追いこまれてしまっているということが、この〈痛ましさ〉の本来的な意味である。同情、倫理、公害、政治問題という連鎖は、問題の一部にしかすぎず、人間の存在にとっての最終の問題がここに微弱な匂いで象徴されているとみることができる。この問題は社会問題、政治問題のかげにかき消されることなく、問題それ自体の構造を持たなくてはならない。
 たぶん、身体はその生理的な死にいたる過程のどこかで、この生存の最小与件の状態を体験するのだということができよう。しかしこの状態は、普遍性をもっているにもかかわらず自己体験の状態としてはありえない。〈痛ましさ〉の感じはつねに他者に属している。そして、このばあいも身体が体験する心的な世界は、うかがうことのできない〈植物的な生存〉の世界である。この世界は自己体験できないからは(「できないからあるいは」の誤植とおもわれる―佐藤)、記述することもできないかもしれない。しかしこのばあいでもその身体の不具・障害・病気が蒙る心的世界の自体構造を記述することの必要性は控除されるものではない。正確にいえば、状態そのものの世界を把握することなしに、状態の倫理を記述することは不可能であり、状態の恢復について記述することも実施することも不可能である。そして人間にとって根源の問題はいつもこれとおなじ矛盾をパターンにしてあらわれるようにみえる。
 
 ここでいったい何が語られているのかを、自分にしっかりと納得できるように了解することは容易ではない。ただ、なんとなくということであれば、おおよそのところは了解できる気がする。
 いま末尾の部分の文脈に頼って怠惰な言い方を許してもらえば、わたしたちの社会の現在の段階において、身体障害の心身の世界は正確に把握されているとは言えず、にもかかわらず、さまざまな倫理的な捉え方、さらに恢復のための諸種の実践がなされている。正確な把握が未明のところに行われるそれら一切が、もとより、原始未開社会の迷妄さと同質であるとまでは言えないまでも、本来的に言えば不可能なところで行われている事柄に過ぎず、もっと露骨に言えば、原始未開の呪術や迷信や錯誤、こじつけの世界とあまり変わり映えしない段階にあると考えることができる。もちろんそのように考えたとしても、事態は何ら変わるものではない。あいかわらず真の解決法を見いだせないままに、しかし、対策的にさまざまな試みが行われて行くにちがいない。そういう、いわば果てしない運動として障害の問題は存在する。
 そこで問題は、吉本の記述に暗示されているように、障害の世界の正確な記述と、そのことから得られる障害の状態そのものの世界の正確な把握が、不断に追求されていくことであるように思われる。そういう地道な作業や、作業自体の積み重ねが無い限り、現状を超えて正確な障害の把握はできるはずがない。そしてまたそうであるかぎり、正確な障害からの恢復の手立て、または障害問題の解決に向かった対策、あるいは倫理的な意味づけや捉え方がうまくできるはずもなく、ただ先の積み重ねを積むことで徐々に徐々に、真とか正確さとかと言われる事柄に向かってにじり寄っていくほか術がない。わたしたちはいま、そうした迂遠な方法にしか解決の糸口を見いだせないと考えている。これは承認されてしかるべきか、または否定されてしかるべきか、いまのわたしにはよく分からない。
 
 身体の障害をどう考えたらよいのかという素朴な疑問から発して、吉本の講演録や「心的現象論」の記述を元に、ここしばらくの間考えてきた。
 ここでいったんそれらを振り返り、整理し、まとめてみれば、身体の障害とは一言でいうと心身の変容、人間の変容をもたらすものだということになる。この変容の内実について、わたしたちはさまざまな短絡などによって正確な把握を妨げられ、故に今もって同情、倫理、公害、政治や社会問題に安直に結びつけて論じられたりすることが多い。だが、本質的な問題、障害問題の本当の解決の糸口は、そういう流布された言説の間には存在しない。
 健常者は不具・障害・病気を抱える当事者たちから、不可避的に〈痛ましさ〉を感じ取る。しかしそれは、健常者自身の生存にまつわる〈痛ましさ〉の感受が、障害者たちに無意識的に投影しているにほかならず、言い換えると、自分の〈痛ましさ〉を障害者たちに重ねて見ているに過ぎないとも言える。この〈痛ましさ〉の感受から、短絡的に同情、思いやり、寄り添い、ヒューマニズムを発動させても真の解決には至らない。なぜなら、それは少しも「身体の不具・障害・病気が蒙る心的世界の自体構造」の把握に結びつかないからだ。それなしに、つまり正確な実態の把握なしに、問題の真の所在も、問題解決の手法や手段、恢復の道筋を講ずることも不可能だからだ。
 たぶん、わたしが身体の障害の世界に接近できるのはこういうところまでである。