正しいこと、良いこと、の象徴として、僕はよく「善」と言う言葉を使ってものを考えることがある。
 例えば、学校は「善」で囲い込まれた何ものかであり、病院は「健康」で囲い込まれた何ものかである、と言うように。
 この時、本来「善」や「健康」は目指されるべきものであると認めながら、僕は「善」や「健康」を過度に強制されることへの否定の思いや、不満を語っていることになるのだと思う。いや、この社会では、学校そして病院から「善」や「健康」が生み出されるものと無前提に見なされていること、そして、ともすればそこから正当さを誇示するかのような圧迫感が押し寄せてくることに苛立ってしまうのだ。それは僕自身の資質を試されることにもなっている。そして、同時に、自分が「善」や「健康」であらねばならないと思いこむ脅迫感が直接この二つに起因するものではなく、結局は己の「後ろめたさ」のようなものから発しているとしか言いようのないことが、気にくわないことにもなっている。
 もうひとつ言うと、「善」や「健康」が、あるレベルを超えて流布される場所や時間では、「善」や「健康」への関心が高まり、一方では確かにそれなりの成果を上げながら、他方では逆に「悪」や「病気」を生み出す傾向にあること、そしてそのことにことのほか人々が無関心であることに、苛立ちや不満が起こってくる。
 教育や医療に対して、多くの批判や内在する矛盾が指摘されるにもかかわらず、それらの声はいつしかくぐもり、やがてまた、何事もなかったかのように、医療も教育もその流れを再開する。それはまるで権威と聖域の領分であるかのようだ。近代になって、「善」や「健康」を生産するために発明され、システム化されたこれらの装置には、しかし、僕には思いがけない欠陥があると思えてならない。
 たとえば哲学者「鶴見俊輔」は、教育テレビの対談の中で、明治になって学校ができ、その制度は、一番を目標とする知識の「学習」には適したが、「残像」を持たない人間の育成につながったと指摘していた。「残像」とは、「こころの残像」で、生活記憶、思い出、等々の言葉で表現できるところの幻想を言うものであろう。人間は、心の中でその「残像」あるいは固有な幻想の領野を行きつ戻りつして踏み固め、自分とっての意味ある理解を獲得するとともに知識として形成し、またそれを蓄積してきたと考えられる。けれども「学習」は、それまでにはない合理的なやり方で知識を頭脳に詰め込むものであった。そして、「残像」は逆に「学習」を邪魔するものと見られて駆逐されていった。「鶴見」は、俳句などの短詩は、作る側にとっても鑑賞する側にとっても、この「残像」の存在が背景にあってこそ成り立つものだと考えている。それは俳句ばかりではなく、日本の文化の形成、知の形成や理解にとっても欠かせないものだった。そしてまた「鶴見」は、江戸末期までの文化や知を同時代の西欧のそれと比較してみると、勝るとも決して劣るものではなかったと言っている。それが、明治以降、「残像」という背景を持たない知の量的な獲得が第一義とされ、競争を激化し、現在の社会の生成にいたっているという。「鶴見」は、それは本来の日本の在り方、日本人の在り方ではないだろうと批判していた。
 ところでさて、いま、よいこと、正しいことを象徴する言葉としての「善」について言えば、指導者然とした政治家はもちろん、新聞やテレビのニュースキャスター、それに各種評論家たちは、特にみなこればかりを語っている。しかし、語っているのは語ることが商売の人たちで、「悪」を「悪である」といい、「善」を「善」であると言っていればそれで稼げる人たちである。彼らが何万遍「悪」を糾弾しようが、「善」を押しつけようが、こちら側の印象としては、「それじゃあ君たちはこれっぽっちも悪いことをしたことはなくて、日々の一瞬一瞬に、良い行いや、正しい行い、あるいはその為の努力ばかりを積み重ねているのか?そうではないだろう。それに君たちの主張が通って、悪が改められた試しはないじゃないか。この現実をどう考えるの?だいたい本当に君たちには善悪を判定する資格があるのか?」と尋ねてみたくなる。もっと言えば、「善」に固執し、これが「善」だと言っていれば「善」なる生き方をしているような気になっているだけではないのか、と言いたくなるのだ。つまり彼らには「残像」のない、自分を棚上げにした論理を行使しているだけの、大いなる誤解と錯覚があると思う。
 「善」を唱えれば済んだ気になっている、そんな政治屋や知識者や各界リーダー、ニュースキャスターたちの、そしてもしかすると自分自身の、言ったもの勝ちという姿が気に入らないのだ。
 常に、善し悪しが取りざたされる「人間の生き方」、というようなものを柄にもなく考えてみると、中世の宗教家「親鸞」のことを思い浮かべる。格別宗教に興味があったわけでもないし、宗教についての知識を蓄積した経験を持つわけでもないのだが、敬愛する文学者、歴史家たちが何故か多く「親鸞」のことを取り上げていて、彼らの著書から影響を受けてきた。
 お粗末な聞きかじりの範囲の中で、僕にとって「親鸞」の時代の仏教は、大まかに二つに分けられる。
 一つは、学問や修業に打ち込み、自らを浄め、高めていく修行僧の姿に象徴される、いわゆる難行系統の仏教である。また一つは、自分は凡夫で修行などは覚束ないのだとして易行を唱える系統の仏教である。
 「親鸞」は、自らを「煩悩具足の凡夫」として、難行には耐えられないこと、だからもっぱら念仏を唱える易行に自分の足場をおいているのだ、と言っているように「歎異抄」の中の言葉からは聞こえてくる。
 「現在」を考えるにあたって、カルチャーとサブカルチャー、つまり、文化と大衆文化は先の難行と易行との相違によく似ているのではないかと、僕は考えてきた。そして、現在興隆を見せる大衆文化の通俗性は易行の姿に近く、難行の持つ高尚さから遠く隔たった人々の「必要」に根ざしたものなのだと思う。そして「親鸞」の時代も現在も、本当に救われなければならないのはだれか、本当に苦しんでいる弱者はだれかといえば、大衆文化の興隆を支えている、「素直で元気な明るい子」になれない子ども、「正しく清く美しく」生きられない大衆ではないのか、と言いたいのだ。
 一見ちゃらんぽらんであり、ある場合には目をそむけたくなることもある大衆文化の興隆は、よくそのニーズに応えることができているからこそ、のことではないのかと思う。
 世界は、多くの煩悩具足の凡夫が構成しているのであり、一部のエリート、指導者たちのためのものでもなければ、彼らによって成り立っているのでもない。
 ところが、世の中の了解は、必ずしもそうなっているわけではない。指導層によって整備された秩序や規律が乱れれば乱れるほど、偉そうな奴らがでてきて、その収拾や対策のための「きれいごと」や「大義名分」、偽の「正しさ」、「奉仕の精神」「思いやり」等の言葉を並べ立てて、煩悩に流される凡夫を脅かしにかかる。凡夫はまたそんな脅しをご大層に受け取って、代理人か何かのようにさらに下層の凡夫に向けて、説教をたれるという構図を作っている。つまり善い悪いの物差しを振りかざして、大衆が大衆をいじめる、子どもが子どもをいじめる、そういう関係の地盤が成立している。そうして今や指導者層の間では、「愛国」「公共」という言葉までもが闊歩するようになった。
 それぞれが一個の人間として、全世界を感受している大衆を、子どもたちを、それは舐めきっていることではないか。指導層に住む住人たちの、思いつきや独りよがりの思いこみだけで、方針がころころ変えられたのではたまったものではない。そうして、それがうまくいかなければ、いつも下位層のものがそれを実現したり受容する力がなかったからだというように責任が転嫁される。そこでは常に「善」の強化が提案され、調教されなければならない存在として、大衆や子どもたちは考えられているに過ぎない。エリートや指導者は、いつの時代にも大義名分を掲げ、大衆を抑圧したり禁制や規律を設けて、自由な振る舞いを抑圧しようとする。「正義」や「善」は、自分たちの側にあり、自分たちが実現していかなければならないとうぬぼれている。非指導層にあるものは、弱者は、できないことが悪いことだとか、自分がだめだとかと思いこむように指導層に近接する同じ弱者から追い込まれる。本当は逆でなければならない。あるがままの大衆や子どもたちの生活の動向を、沈黙の声や主張として聞き取り、それに沿って社会や政治や経済のあり方が講じられなければならない。
 要するに、いつ見てもリーダーになる指導者やエリートたちの認識は、「善」や「正義」の認識に限定してみても、浅くて狭いとしか言いようがない。
 ここから、先の僕の嘆きの声が出てくる。「善」も「健康」も、息苦しいほどに僕らのまわりを取り囲むんでは、たまったもんじゃない、と言うように。これらは、悪くいえば「善」や「健康」の強制であり、どこか一人ひとりの「人間」を第一義におくよりも先に、まず「善」ありき、「健康」ありきの発想が一人歩きして、僕たちに窮屈な「しばり」を押しつけているようでならない。とにかく、「善」や「健康」は正しいのだと、ひたすら「悪」や「不健康」の要因をシャットアウトしようとする。結果は目に見えている。免疫機能が低下し、自己治癒力も思考力も減衰していく。
 「親鸞」は「善人なおもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」と説いた。
 「よく勉強をし、善い行いをし、人々のために役立つりっぱな人間。そうなるために努力しなさい。しっかり働きなさい。」等と「親
鸞」は言わなかった。それどころか、「そういう立派な人だって往生できるくらいだから、悪人や目立った善行などできなかった人々のほうこそが往生できるのが当然なんですよ。」
と言った。あるがままの、怠け者である姿、利己的な立ち居振る舞い、勉強嫌い、物欲の虜、そのままでいいという。それは何故か。
 ここには人間認識の大きな差異があり、千里の径庭がある。僕にとってもまた、こうした「親鸞」の言葉の本意が、どこにあるのかを正確に捉えることは難解なことであり、大きな課題であり続けた。
 かつて小説家太宰治は、作品の主人公にこんな意味の言葉を言わせた。「こうしたいと思って、こうしなければならないと言っているうちは本当の革命はできませんよ。ああしたいと思いながら、こんなことをしてしまったと、はっきり言わなければ、いつまでたっても世の中が変わることはないのです。」
 この太宰の言葉に「親鸞」の言葉を継ぎ足して考えれば、一つの人間認識のシルエットが見えてくる。
 もうひとつの刻苦勉励を強いる言葉、上昇志向型とでも言うべき言葉に備わる人間認識の型を、僕は孔子やヘーゲルといった為政者側の視点、あるいは国家観レベルの視点を有したものの持つ人間認識の型だと考える。特に、ヘーゲルの言説に見られた未開種族への偏見は、あるいは傲慢な無理解は、今なお現代に根強く生き残っているように思えてならない。卑近な例で言えば、自分自身が、ヘーゲルに象徴される近代主義、その歴史観や文明史観に圧倒されていて、目鼻ぱっちりのよい子モデル以外の子どもの心も思いも感性も、また声も言葉も実際には何一つ理解できていないくせに、既成の物差しを使ってはかり、その善し悪しをあげつらっていた。もちろん、それで結構他人よりも理解できているつもりでいた。これはついこの間、三木成夫の「ヒトのからだ」に関する著作を読んで、恥ずかしいかぎりであると骨身に感じた。
 僕は、たとえば鼻や口などのヒトの身体器官の由来、その機能などについて全く無知に近い浅い認識のままでいた。自身の体のいちいちの由来やその働きなどについて部分的な理解しか持たないままに、人間の「こころ」や「悩」の機能や作用などが、本当に分かるわけはないではないか。ただ思いこみや、信心や、物の本に書かれてあることの一部の記憶に残ったこと、要するに既成の物差しを手がかりに、愚かな判断、藪医者並みの処方を繰り返しているだけではなかったか。そう、思った。
 これまでは、粗野な言動の子どもを注意するあまり、あるいは極端に言葉の表現が拙劣な子どもを愚鈍と軽んじ、精巧な身体器官の精巧な反応や作用、そしてそれらからもたらされる内面のあまりに人間的な、豊かな情感の動きなどに気づくことがなかった。注意したり、内心で馬鹿にしたりする前に、僕の方こそ彼らの内面を、同時にその裏で、精密時計内部の部品の芸術的な配置と動き以上の動きをしている身体器官の各部の働きをこそ、深く洞察すべきではなかったか、と今は思う。あるいは何よりもまず、その身体に刻まれた進化の過程、いや、進化の過程を刻んだ個々の身体及びその身体に備わった人間的な条件に驚嘆すべきだったのだ。三木流にいえば、人間は一個の星そのもの、宇宙そのものなのだから。
 文明人と未開人のような一方的優劣関係などは、文明人側の幻想に過ぎず、本当は対等な共存の関係がそこにはなければならなかったはずだ。それはしかし、相当意識的に自分の思考を「囚われた思考」として顧みなければ見えてこないものであり、見えてきたとしてたかだか共同幻想の影を引きずった思考から、オリジナルな個の思考へとスライドできたというに過ぎない。自分の手にある物差しが、せいぜい近代の発明物でしかなく、その時間と空間の範囲でしか通用しない代物であったと知るだけだ。そういうほころびが、いろいろな分野でいま、出始めているのではないかと思う。
 現代の社会はもちろん、現代の科学、知の体系も実は到達点では全然なく、ということは絶対的なものではなく、もっとはっきり言えば、やっと夜明けを迎えたと言うくらいの段階にあるかもしれないことを、理解していた方がいいと思う。全てはこれからも大きく変わっていく。
 たとえば、すくなくとも二百年を経ずして現在の国家の境界線というものは消滅していくと僕は予測できる。その他のことも未来からの視線で見直せば、現在から古代を見るように現在が古代からほんの少し発展した時代としか映らない。そういうことはもはや自明のことであると思う。「現在」に固着した思考の有り様は、時間に耐え得ない。そうであるならば「現在」を解体する中で時間と格闘するという課題を背負うほかはない。そして依然として、僕は赤ん坊の全体像さえ理解できないところにいると言わねばならない。 「親鸞」の時代の宗教家は、現在で言えば、学者、思想家、教師、あるいは医師さえも兼ねた存在であったであろう。「親鸞」は、僧でありながら僧をやめ、妻帯し、あらゆる宗教家としてのタブーを破った。挙げ句の果てには、宗教であることを首の皮一枚で保っていた「念仏」を、信じるも信じないも各々の勝手だと断じた。自分たちの教義を、「親鸞」自身の教えを、信じようが信じまいがどうだっていいというのだ。
 「法然」や「親鸞」の前の、仏教宗教家たちは、修行をして自ら悟りを開くとともに、またその教えを広めることが一つの眼目だったのではないかと想像する。多くの門派ができ、仏教に帰依する門徒も増えたに違いない。なるほど教えを受けたもののうちの多くのものたちが、善を行い、功徳を重ねただろう。だが、相変わらず生活に、煩悩に、苦しんでいる人々がいる。旧来の仏教では、そこまでは何故か手が届かない。否、本当に苦しんでいるものたちの心にまでは、彼らの教義は届かなかった。
 仏教思想家「ひろ さちや」は、「法然」が初めてユーザーの論理に立って法を説いたと言っている。それまでは造り手であるメーカーの論理で法が説かれていたというのだ。つまり、仏教に帰依し、そのことによって大きな恩恵を得るには、相当の知識と修行や努力が必要とされ、今まさに苦しんでいるものたちにとっては、実はどんなに立派な教えであろうと先験的に身に付きようのない教えに過ぎなかったというのだ。
 このことは今風にパソコンを念頭に考えるとわかりやすいかも知れない。パソコンは便利なものだといろいろなメーカーがらみの講習会が計画され、老若男女が参加する。確かに便利さは実感するが、分かったかといえば目隠しで象の腹を触ったくらいの実感しかなく、全体像が見えない。結局使えない。
 旧仏教の教えも、あるいはそこに含まれる理想の人間の生き方というものも、なんだか良さそうでも手が届かない。それを手にするために、お金もいる、技術もいる、勉強も努力も時間もいる。
 旧仏教者は、パソコンはこれからの生活にビジネスに必須だから、日々使い込んで堪能になりなさいと説く。これはやや脅迫がかっていると言えば言えるかも知れない。これに対し、「法然」はパソコンなんて、ゲームをして遊んで親しめれば今のところそれで十分ですから、と説く。「親鸞」にいたっては、パソコンなんてできようができまいが、別にどうってこと無いです、使おうが使うまいが各々の勝手ですから、と言ったかも知れない。もちろんその後に、私にはパソコンのない生活なんて考えられないくらい染まっているんですけどね、と付け足すに違いないのだが。 要するに、ユーザーにとってはあれこれ機能の付いたパソコン本体よりも、その一部であるところのゲーム機、デジタルパチンコ台のほうが、親しめるというわけだ。旧仏教の立場、聖道門の立場からは、やんわりと否定されるに違いないが、「法然」や「親鸞」はそれを肯定する。なぜなら、そこに必然の契機が潜んでいることを、人間の社会的な存在としての「自然」があることを洞察できていたからだ。
 ユーザーがそんなところにあるのに、高尚な機能を宣伝したところで一部のものにしか本当に使いこなせる訳がない。
 そしてそれはユーザーが、愚かだからと言うことでは決してなく、そうであらざるを得ない有り様が、この現実にしっかりとあるからなのだ。
 ここを指摘しているのが、「親鸞」の《縁の思想》だと、僕は思うのだ。
 
  またあるとき、親鸞聖人が、「唯円房は わたしの言うことを信ずるか」と尋ねられ ましたので、「もちろんです」とお答えし たところ、「では、わたしの言うことにそ むかないか」と重ねて問われましたので、 謹んで承諾しました。すると、「それでは、 たとえば、千人を殺してくれないか、そう すればあなたの往生はまちがいないはずだ」 と聖人が言われましたので、「お言葉では ございますが、わたしの器量では、とても 一人だって殺せそうにございません」と申 し上げたところ、「では、なぜ、親鸞の言 うことにはそむかぬと言ったのだね」と詰 問されました。「これでわかるだろう、全 てのことが自分の思う通りにいくものなら ば、往生のために千人殺せと命じられれば、 すぐさま殺せるだろう。しかし、たった一 人をさえ殺すだけの宿業が備わっていない から、殺害できないのだ。自分の心が善で、 それで殺さぬのではない。また、殺害しな いでおこうと思っても、百人千人を殺して しまうことだってあるのだ」
  (訳はたぶん、「ひろ さちや」氏)
 
 つまり、一見愚かなユーザーも、一見すごくて立派なユーザーも、「縁」というものでもってそこにその立場として存在するに過ぎない。そのことはまた、本人の意志を通り越した有り様なのだと、ここでは言ってみたいのだ。
 もっと言えば、僕たちは自分の意志だけで、あるいは自分の力だけで、何物かであったり、何事かを行うことはできない、そういう存在なのだと、僕は「親鸞」のこういった会話、言葉から学ぶことができる。もちろん、現代の僕たちに、なにも「親鸞」まで持ち出さなくともこうした理解が不可能なわけではない。しかし、一過的ではない理解の仕方を、ここでは掘り起こしていきたいのだ。
 僕がこの文を構想するきっかけとなった、「今だからこそ『歎異抄』」の著者「ひろ さちや」は、この「縁」について次のように言っている。
 
  また、私たちは自分の意思で自由に背を 高くするわけにはいきませんし、目の色だ って、自由に変えるわけにはいきません。 「ロビンソン・クルーソーは無人島に漂流 して一人で生きたじゃないか」という人が おられるかも知れません。しかしかれは、 まったく何もなしにぽつねんと放り出され たのではなく、文明の利器をごっそり抱え て漂流したのです。もっとわかりやすくい えば、その無人島に食料になる植物が生え、 動物がいたからこそ生きていくことができ たのです。
  わたしたちは無の世界で生きることはで きません。植物や、動物や、他の人びとや、 文明の利器などなど、すべて他との関係の 中ではじめて生きていくことができます。 つまりわたしたちは「一〇〇パーセントの 自力」で生きられるわけではありません。 もしかりにクラスで一番になれたとしても、 それは自分が努力したということだけでは なく、努力できる環境をまわりの人たちが 作ってくれたからです。
  こうした他との関係を「縁」といいます。 そしてその「縁」によってわたしたちが日 々生き、行動することを「縁起」といいま す。
  ロビンソン・クルーソーも、たどり着い た無人島に植物が生えているという「縁」 によって生き続けることができたのです。  わたしたちはそういう大きな「縁」とい う世界のなかで生きています。いいかえる と、わたしたちはみんなそういう「縁」に よって生かされているわけですね。
 
 勉強ができる子もできない子も、必ずしも努力したからできたのでもなく、怠けたからできなかったわけでもない。怠けていても理解できる子もいれば、どんなにがんばってもその時点ではわからないという子もでてくる。一〇〇パーセントとは言えないとしても、自分の、そうしようという意思や計らいを越えた「縁」に左右されることがあるのだ。非行や暴力、その他の「悪」もまた、「縁」を契機として、己の計らいを越えたところに現れる時々の表象である。そういうことを、「ひろ」はここで言っているのだと思う。
 人間のすべての行いは、「縁」によって左右される。
 それならば、全ての向上心、よいことに向けた努力というものは意味のないことなのだろうか。
 人間は一人で生きられるものではないから、必ずしも彼の意図したことがそのまま結果に反映されるものではない。小さな努力、小さな善の積み重ねなど、意味はないと言わないまでも、往生のためには一切いらないのだと、「親鸞」は言いきっていると思う。
 娑婆苦を離れ、浄土に生まれ変わるということが、「親鸞」の生きた時代、当時の人々にとっては一つの願いとしての救済であった。「縁」というものから、「親鸞」は絶対他力への道を説いた。少しでも、自力が入り込んだらかえって救済が遠くなるのだというのが、辿り着いた最終の地点だった。もちろん、弥陀の誓願を信じる、というただ一事が、「親鸞」の思いを支えることになっている。
 少しでもよいことをすれば浄土にいけるのではないかという、比較の思い、個人の計らい、そういったものは初めから弥陀の不思議の力を信じていないことを意味する。そうであれば、救済に対して何の計らいも持たない悪人こそ、真っ先に救済されると考えられた。 当時の仏教界から、浄土教は大変な非難を浴びたに違いないと想像できる。口先だけで念仏を唱えるだけというのは、それまでの仏教者の菩提心、慈悲心が外に現れて念仏になるのだという考えからは、到底受け入れがたいものだったに違いない。ましてや、悪人こそ救われるという言説は。
 多分に想像の範囲をでないのだが、当時の大衆、ごくふつうの生活者たちが、度重なる戦乱や飢饉、疫病、また一方で権勢を誇り、贅を尽くす人々のいることに、疑問や、悩み、生きることの不安や不満を感じるようになってきた。そして権威ある仏教者たちはどうかといえば、きれい事を口にしながら実は修行から離れて、地位や名声、寺や宗門の繁栄に忙しくかけずり回って堕落の極みとなっている。ふつうに生きる人々にも、これらの矛盾やいろいろな疑問が感じられ、見えない関係が見えるようにもなっていたと思う。
 ふつうに生きるところから少し滑り降りてみた怠惰のなかで、愉快な遊びを覚えるなかで、ほんの少し、吹きっさらしのなかで生きていることを忘れることができた。まわりを見渡せば、誰もが似たように生きている。もちろんふと我に返る瞬間に、地獄の穴からこちらを窺う目の恐怖に戦慄を覚えるのだが、何喰わぬ顔で笑っていなければならない。
 建前だけの「善」なる生き方の教えには耳を貸さず、不確かな未来に背を向け、その場の楽しさ、快楽を求める生き方を、もう、真っ向から対峙して心を入れ替えさせる力を持ったものなど、誰一人いない。
 こういう状況のなかで、なお、修行にこだわり、自らを高め、そこから大衆に向けて啓蒙の言葉を発することにどんな意味があるのか。また、なかには啓蒙の言葉を真に受けて、営為精進する大衆の心に生じる「己がよければ」という思いや、芥川の「蜘蛛の糸」に描かれた餓鬼たちの、それ自体が地獄絵である先を争って地獄からの脱出をはかる姿は、そのままその人々の心を映し出すシルエットとして浮かび上がってもいたであろう。
 「法然」も「親鸞」も、こうした現実を前に相当考え込んだに違いない。
 仏教はこの現実を前に、どう答えられるのか。
 彼らには、自らも大衆の一人と違いがないという視点があり、そのフィルターを通して大衆の心を潜り得なければ、自らの思想が立ち行かないことが自覚されていた。そして、ごくふつうに生きる人々には、数え切れない煩悩があり、怠惰があり、諦めがあり、世を厭い、怨みや妬みを持つ、それらを自覚しながらどうすることもできない無知や非力、切羽詰まった生活の苦しみもあった。大衆の心の暗闇、深海の底をくぐり抜けられない言葉は、到底大衆の支持を得られるはずはなかった。
 この、大衆の心を、自分のことのように考えられるかそうでないかは、千里の径庭よりも大きな溝として存在した。
 思うに、「法然」や「親鸞」を批判するものたちには、ユーザーの論理、すなわち大衆の気持ちを把握し、その底をかい潜ってこそ真実が開けるという視点がなかった。いや、宗教的な教えなどに見向きもせず、関心をなくした大衆を前に、仏教はどう答えられるかという課題の自覚すらなかった。ただ、強いて言えば、高みから見下ろす、聖道門の慈悲心と大いなる憂いと「邪悪」なるものへの嫌悪とがあるばかりだった。そして、大衆の思いはついに、悟りを開いた高僧の胸に拾われることはなかった。
 現代の社会で言えば、知識もあり、教養もあるものたちが、なるほど修行も研鑽もし、立派な物言いもできて、いかにもこうすれば解決できるという改善策が提案される。それは星の数ほども無数にでてくると言ってもいいほどだ。しかし、昔の高僧のように、あまりにも、煩悩に囚われて苦しんでいる大衆や子どもたちの、無意識をも含んだ心や、「縁」に左右される存在の在り方を知らなさすぎる、と僕には思われてならない。あるいはまた、彼らの知識も教養も、善や正義を愛する心も、自分の力以外のものによってもたらされた何かだと考えるだけの想像力が欠如していると感じられてならない。それは、彼ら自身の、自分を掘り下げる、倫理的な腕力が不足しているのだと僕は思う。
 要するに、この現実を前にした答えになっていない。政治も、思想も、文学も、教育も、それぞれの現実を前にして、有効な答えを見いだせていないのではないか。そこから遠ざかる大衆の、子どもたちの動向が、そのことを物語っているだろう。
 ついでに言ってしまえば、庶民生活の下層にあえぐ僕のようなものでさえ、本音では、彼らの思考や意見や論説など、遠く言えばせいぜい西欧近代の借り物、今や仮装大会でしか身につけるほかすべがないような衣装を身にまとったものに過ぎないと軽蔑さえしている。無言の大衆の中にもそういう思いが潜んでいることを、彼らはふと心に浮かべてみることはあるだろうか。ただ、呆れて口に出す気にもなれない、そんな沈黙というものもあるのだ。
 有識者といわれる彼らに、「縁」の思想など入り込む余地などない。高々受験のための無駄な勉強、知識の獲得を、全て自力でつかみ取ったとか、量の豊富さを誇り、自分の能力が優れているとか、東大を出たとかを自慢したいだけなのだ。あるいは精進努力してつかみ取った地位、そこにいられることだけで自分を偉いと思いこんでいる。そうでなければ、どうしてのこのことメディアに登場して、自分が確信してもいない対策を述べたり、薄っぺらな現状分析などを意味ありげな顔つきで語ったりするだろうか。雑誌、刊行物、対談録などにおいても、いかにも憂いた口振り、現代社会の難しさによって解決が困難なことなどを吐き散らかしている。少しは自分の無力さや馬鹿さ加減を恥じらう気持ちはないのか。
 メディアに作られて、ちやほやされていい気になって、自分を見失ってしまう十代の若いアイドルと大差ないじゃないか。思い込みによる自分の善良さや教養にうっとりとして、ファッションのようにただそれを披瀝しているだけだ。
 冗談ではない。多くの子どもたちも大衆も、自分の一生を棒に振るようにして、遊びや悪の姿を借りて、あるいはその姿になりきってなけなしの抗議の声を発しているのに、高みから偉そうに、そしてにやけた調子で、あたらず触らずのことばかり小出しにしている。「善」の顔つきを見せるだけで済む問題ではないことが、彼らには分かっていない。
 こんな奴らをのさばらしたり、担ぎ上げたり、鸚鵡のようにそっくり暗記して、同じことを大衆や子どもたちに向けてしゃべったりしていることの方がどうかしているのだ。
 僕がこの文章のなかで言いたかったことは明らかだ。全ての指導的立場に回ろうとする、あるいはその立場にある者たちへの、根源的な不信感と彼らの言説への批判の表明だ。僕の立場は、「親鸞」を巡って述べている僕の考えのなかに言い尽くされていると思う。もちろん、現代の世相を前にして、「親鸞」がとるであろう立場を模索してみたいのだ。
 成りたがりの指導者たちに欠けているのは、「縁」すなわち〈関係性〉の認識と、大衆の心と、大衆に見放されているという自覚のなさ、そして時代に振り落とされない強靱な知の鍛錬だ。
 仮に十年、二十年、あるいはそれ以上の知的な営為の継続は、確かにそれだけで何事かであると思う。しかし、その程度の営為は、その安穏とした場所にとどまらなくても為しうるものに過ぎないことを知るべきだ。
 北斗の拳風に言えば、「オマエハ、モウシンデイル」ことが分かっていない。
 幽霊の言葉はやがて消えるが、幽霊は生まれ続け、言葉もまた消えては生まれ、生まれては消えることを繰り返すだろう。しかしこれら幽霊たちの言葉に惑わされ、騙され、傷つく者たちのあることを悲しむ。
 ごくふつうに学び、あそび、働き、年老いていけたらそれがいい。そのほかは全て逸脱であって、いつかそれに気づけばそれでいい。そういうようにしか、生きられないようになっている。怖がることは何もない。ごくふつうであると感じる人々こそ、誇りを持っていいのだ。躓き、不遇に近づく者の感性を、僕は、信じる。
 「親鸞」が、「縁」の思想を突き詰めた果てにたどり着いた場所は、「歎異抄」の中の「親鸞」の言葉として記された、次のような箇所にあると、僕は思う。
 
  本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、 念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもお そるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほ どの悪なきゆゑにと云々。
 
  念仏は、まことに浄土に生るるたねにて やはんべらん、また地獄におつべき業にて やはんべるらん。総じてもって存知せざる なり。
 
  いづれの行もおよびがたき身なれば、と ても地獄は一定すみかぞかし。
 
  このうへは、念仏をとりて信じたてまつ らんとも、またすてんとも、面々の御はか らひなりと云々。
 
  煩悩具足のわれらは、いづれの行にても 生死をはなるることあるべからざるを、あ はれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪 人成仏のためなれば、他力をたのみたてま つる悪人、もっとも往生の正因なり。よっ て善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、 仰せ候ひき。
  聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、 かなしみ、はぐくむなり。しかれども、お もふがごとくたすけとぐること、きはめて ありがたし。浄土の慈悲といふは、念仏し て、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもっ て、おもふがごとく衆生を利益するをいふ べきなり。今生に、いかにいとほし不便と おもふとも、存知のごとくたすけがたけれ ば、この慈悲始終なし。
 
  親鸞は父母の孝養のためとて、一返にて も念仏申したること、いまだ候はず。
 
  親鸞は弟子一人ももたず候ふ。そのゆゑ は、わがはからひにてひとに念仏を申させ 候はばこそ、弟子にても候はめ。弥陀の御 もよほしにあづかって念仏申し候ふひとを、 わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼のこ となり。つくべき縁あればともなひ、はな るべき縁あればはなるることのあるをも、 師をそむきて、ひとにつれて念仏すれば、 往生すべからざるものなりなんどいふこと、 不可説なり。
 
  念仏は行者のために非行・非善なり。わ がはからひにて行ずるにあらざれば非行と いふ。わがはからひにてつくる善にもあら ざれば非善といふ。
 
  久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里 はすてがたく、いまだ生まれざる安養浄土 はこひしからず候ふこと、まことによくよ く煩悩の興盛に候ふにこそ。なごりをしく おもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなく してをはるときに、かの土へはまゐるべき なり。
 
  わがはからはざるを、自然と申すなり。 これすなはち他力にてまします。しかるを、 自然といふことの別にあるやうに、われ物 しりがほにいふひとの候ふよし、うけたま はる、あさましく候ふ。
 
  善悪のふたつ、総じてもつて存知せざる なり。そのゆゑは、如来の御こころに善し とおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、 善きをしりたるにてもあらめ、如来の悪し とおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、 悪しきをしりたるにてもあらめど、煩悩具 足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこ と、みなもつてそらごとたはごと、まこと にあることなきに、ただ念仏のみぞまこと にておはします。
 
 最後に、「親鸞」の「善悪」観について述べておきたい。
 「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり」と「親鸞」が言う時、「ひろ さちや」は、「絶対善」「絶対悪」という考えがそこに含まれるのだという。どちらも、過去から未来を突き抜けて、またどんな世の中、どんな社会であっても「善」であり、「悪」であるものが「絶対善」「絶対悪」であるという。「親鸞」は、これは如来にしかわからないことで、われわれ凡夫には簡単に善し悪しの判断なんてできないのだという。
 これは「大善」「大悪」と言い換えてみてもいいと思う。
 これに対して、僕らが日常使う善悪は「相対善」、「相対悪」と考えられ、これはまた「小善」「小悪」と考えてもいいかも知れない。
 いずれにしても、僕らが言う善悪は僕らの物差しでもって決めているのであり、立場や状況や時代や国というものによって判断基準が変わるものに過ぎない。同時に、人間の為す善悪というものは、たかだか知れた程度のものだということも含まれている。それがたとえ、ヒトラーやスターリンの「悪」であったとしても、だ。
 もちろん、僕らはきっぱりとヒトラーやスターリンを否定する。彼らの行った虐殺は、二度と行ってはならない人類の汚点とさえ思う。しかし、これもまた「縁」を抜きにして個人の人間性に帰して考えたならば、誤ってしまう。彼らにそうさせた「縁」、心の契機と言ったものを構造的に理解できなければ、同じ過ちを繰り返す恐れはいくらでもあるのだと考えた方がいい。なぜかと言えば、現在でも小さなヒトラーやスターリンはそこら中に出没していて、客観的に見れば、否定する自分もまた実はそうだったということが、決してあり得ないことではないからだ。
 さて、「親鸞」は、本当の「善」とか本当の「悪」とかは人間には分かりようがないのだから、おれは善いとか悪いとかの判断はしないよ。そんな物差しは捨てている。そう言っているのだと思う。もっといえば、どんな些細なことだって、そう簡単に善し悪しなんて言えないものなんだよ、少なくとも如来ほどに見通せていなければ本当のところは分からないものなんだ、と言っているように思う。
 僕らは、便宜的に判断基準を設けたり、あるいは自分自身の手に持つ物差しでもって善悪をあげつらったりしているけれども、仏教の、あるいはこの「親鸞」の全き価値の転倒と見える善悪観に、千年の近い時を経て、どう決着をつけてきたと言えるのだろう。
 近いところでいえば、ブッシュの「善」とビンラディンの「善」とのぶつかり合い。北朝鮮の「正義」と日・米・韓の「正義」のぶつかり合い。歴史をふりかえると、「正義」や「善」を己のものとするためには、勝者であらなければならないことがわかる。つまり歴史とは、これまでのところ、勝者のそして支配層によって作られた歴史なのだから。
 「親鸞」ではないが、本当に「よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことにあることなきに」という心境になってしまう。そしてこの思いは、果たして僕らだけのものだろうか。
 「親鸞」は、念仏以外の全てを捨ててしまったかに見える。それは一切の恣意による物差しの行使を、放棄することを意味した、と僕は思う。判断の保留、停止に近似している。
それは同時に、全てのあるがままの肯定の姿にも近似していた。
 
  これにてしるべし。なにごともこころに まかせたることならば、往生のために千人 ころせといはんに、すなはちころすべし。 しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁 なきによりて害せざるなり。わがこころの よくてころさぬにはあらず。また害せじと おもふとも、百人・千人をころすこともあ るべし。
                  了
 
 
 
 
 あとがき
 
 たくさんの言葉、情報が飛び交っていて、それに押しつぶされたり溺れたりといった被害妄想に近い心的状態になる。本当は、趣味や興味あることを広げ、静かにそれに没頭していけばいいのだと思うが、時折、たまらなく血が騒ぐ。いじめられっ子の、我慢の限界点で、ここでワアッーとぶつかっていかないともうそのまま立ち上がれないような心境に近い。
 仏教や親鸞について、勝手なことを書いていて、その誤りや無知、一切の責任は自分にある。いつの日か、もう少しましな理解ができたら、その時はもっと正面から論じてみたい。
 不毛と徒労の二文字は、自分の証明になってしまった。こんな大それたわがままが許されることに限りなく感謝する。
     二〇〇三・一   佐藤 公則