「てならいのうた」
 
「新・新興宗教への躓き」
 
社会の繁栄とか
経済的な繁栄とか言われてもさ
それを進めたのは
公の側の人間たちで
農民も漁民も関知しなかった
代々の家業を
浮いたり沈んだりしながら
続けていければよかった
歳を取っても働いて
なんとか食いつなぐことができた
それで百年も千年も
変わらず同じ生き方をして
それの何がまずかったのか
 
上に立って指導する連中に
いいようにかき回されて
高度な文明へとひた走り
農業も漁労も
立ち至らないところまで
衰退しかかっている
工業も商業も
それからサービス業も
経済不安が加速して
全体生活不安が
とんでもない規模で社会を覆っている
羽振りがいいのは一部の業種
一部の人たちだけで
少子化は社会の生きづらさの
投影でもあるさ
高度文明化社会が聞いて呆れる
 
何かを切り捨てて
切り捨てたものを踏み台にして
信者たちだけのし上がろうとする
新・新興宗教みたいなものだ
文明も政治も
信ずるものは救われるって
確かにそうだろうさ
教義に逆らうもの
不信心は全部
悪魔のように扱われる
非人間のように見なされる
 
ぼくらはどこまでも
不信心を貫きたいけれど
生理的な疲労と困憊で
あるいは生活の困窮で
かつての玉音放送みたいにさ
耐え難きを耐え
忍び難きを忍び
全面降伏ってことになりかねない
それでも
それでも
反逆反抗の炎は打ち消せない
敗れ行く者へのエンパシィー
それは捨てられない
 
2024/01/29
 
 
「ことばの今ー高齢者の世界」
 
表層は目に見え耳に聞こえる
例えばぼくらが認知する社会
ざわざわと喧噪があり
色も形も言葉の発声もさまざまだ
内側で長いこと過ごしても
その実態はなかなかつかめない
目や耳に届かない深層に下りると
ざわめきは消え
モノクロ状の本質がたたずむ
 
ある人が表層で語り
ある人が深層でそれを受けとると
たちまち齟齬が起こる
深層の言葉を表層で聞いても同じだ
現象や実存の世界では埒が明かないので
本質とか原理的な場所で対応しようとすると
現象や実存の場に届かないし
その逆もまた真でどこまでもすれ違う
言葉はだんだんと規制されて
いつの間にか人は
当たり障りのないことばに終始する
そういう会話の世界へと進んでいる
そこではもうことばは退化して
動物や植物や自然に語りかける
ぼくら高齢者は
そういう世界へと
足を踏み入れてしまう
 
2024/01/28
 
 
「老いの不調」
 
退職して十日たつが
二日三日の頃と違って
心なのか頭なのか
ザワザワして
地に足がつかない
焦りとも違い
混乱しているのでもない
一過的な喪失感でもないようだし
加齢による不安なのかなど
いろいろ考えるが
これだという原因や要因がつかめない
その分からなさや
心当たりのなさが
ますます不安を深くする
 
この歳になると
仕事しないで
誰からの指令も指示もなく
好きなことだけして
いられるということは
願ってもないことと考えていた
なのに昨日今日
碇を積まぬ小舟みたいに
ふわふわゆらゆら揺蕩って
どうも落ち着かない
心配なのは
これが一時的なものなのか
これからずっと続くものなのかどうかだ
そしてこの症状を
的確に表現できる自信がないということと
言ったところで
誰にも取り合ってもらえないんじゃないか
という気がして鬱陶しい
それでいて
カランコロンカランコロン
心に空白が鳴り響き
このままどこかに
引きずり込まれそう
体を丸くして
何かに自分を繋留しなくては
 
2024/01/27
 
 
「自嘲めく自註」
 
気がつけば森を歩いている
目的がないので
いつの間にか森は空洞になっている
飛び交うのは小鳥たちではない
しばらくして焦燥の風も止み
言葉の気配を感じ始める
けれども気配には奥行きがなく
視覚野には届かない
こうなったらもう
力ずくで捕獲するしか方途がない
宙空から網を引き出し
手に持ってかき回すと
青い小鳥が網の中に飛び込んでくる
それを針で刺して標本を作る
小鳥は文字に変わる
名残のようにいつまでも
文字はばたつき
紙の上を跳ね回る
これが肝心だが
委細かまわず
他人の顔つきをする
すると文字は疲れ果て
紙の上で往生する
 
他言無用だが
ぼくの詩作の作法はこんなもので
全体ひどくでたらめで
他人にも自分にも役立たない
ほんの時間つぶしだ
迷惑度の小さい遊びだ
 
2024/01/26
 
 
「自由の方法」
 
貧しいこと
暗いこと
孤独な少数者
であることを嘆くな
目を伏せるな
 
そうしたことは
せき止め
まといつく
しがらみが無い
ということ
なので
できる範囲で
好き勝手して
生きられる
ということ
寂しさは
わずかな代償である
 
世界の善意など当てにするな
それは悪意と同じだ
世界の平和など信じるな
それは日常が戦場に化したと同じだ
絆とか支援とか
助け合いを呼びかける
メガフォンの声を耳にしたら
その甘く懐かしい声は
「投降せよ」と
呼びかけているのと同じだ
そんなことで
貧しいこと
暗いこと
孤独な少数者
であることから
決別しようとするな
 
善や善意に閉じこもり
引きこもり
閉塞して
くたびれかけているのは
世界のほうだ
自浄できない
その世界に
とどめの一撃を下す
その契機を
手にしている
貧しく
暗く
孤独な少数者
不安や恐怖や怯えが
心に芽生えるとすれば
それは世界の
不安と恐怖と怯えの裏返しだ
だから世界を一瞬に凍らせる
「ほんとう」の言葉を
もっと深く
もっと強く
もっと大事に
愛して貫け
 
そうして言葉を投げかけた後
自分を恥じるための
日常に還れ
 
2024/01/25
 
 
「断片ー表層と深層」
 
 表現の意志や意識の前に初動や初源はあるらしい。わたしたちが今とっさに動こうと意識した時には、すでに脳からの指示や指令が関係各所に送られているということになる。動こうと意志したり意識する以前に、すでに脳内においてそのことが決定され、行動を起こすための指示指令が神経回路を通じて行われているということは、その場合の意志とその意識は後追いであることを意味している。
 もちろん、わたしたちは意志したり意識して初めてそうした行動を取るという場合もある。ただその時の意志なり意識なりを一つの行いと見なせば、その意志なり意識なりが生じる以前の何かの動因が内在しているようにも考えられる。そしてそう考えると、意志や意識もまた一つの促しがあって生じたもので、普通考えられるような主体を構成するものとは見なせない気がする。
 
 単純にいえば入力と出力、受容と運動の関係に帰納させることが出来る。アメーバのような原生生物を単純化の代表と考えれば、人間は天文学的に複雑化した生き物の代表と見なせる。逆説的な言い方をすれば、限りなく複雑になった人間の言動を分析的にまた要素に分けて単純化していけば、アメーバ的な原生生物に辿り着く。生命としてやっていることは本質的に変わりなく、ただ存在として大量のエネルギーを要するかどうかの違いを持って存在していると言えば言えるだけに過ぎない。
 
 言葉もまた真性を意味するものである場合とそうでない場合とがある。意志や意識の直接の翻訳である時もあれば、意志や意識の誤訳の表現である場合もある。そしてその違いは受け手にはよく分からない。発する側もそれが自分の「ほんとう」だと誤解する場合もよくある。仲よくなりたいのに、つい憎まれ口をたたいてしまう類いだ。そういう時、言葉は関係をより悪化させる方に働く。反省しても後の祭りで、修復が利かなくなることも多々ある。便利と不便が表裏一体となる。
 
2024/01/24
 
 
「不戦への署名」
 
優しい文明は
戦う文明に駆逐される
それなので
滅びることを忌避し
戦力を増強する
 
個人としても同じようなことで
追い詰められれば反発する
いざという時のために
体を鍛えたり
武術の修行をしたり
 
孤独もまた
多勢からの駆逐を妄想し
心の鎧を固くする
皮膜のように薄く
感じやすいからのことだ
 
自己防衛とか自己保守とか
長きにわたって繰り返してきた
少しずつ少しずつ
後ずさりしてきて
墜ちて行くこともして
ここまで来れば
一線をも掃き消して
もっと墜ちて
もっと後退して
あの人のように
また別のあの人のように
優しく敗れ
滅びることも厭わない
そういうところまで
行ってみたらどうだろう
自ら進んで行くのは嫌だから
抵抗しながらだ
そして言葉に向き合いながら
言葉を紡ぎながら
言葉を身代わりにして
ぼくは負けて行く
墜ちて行く
異なる次元異なる位相へと
世界は一変する
かも知れないから
 
2024/01/23
 
 
「偏惑の種」
 
歴史が輩出してきた
優れた文学者や学者や思想家
また名を成した武道家やスポーツマン
あるいは世界的な著名人
芸術家や偉人聖人の類いの人々
おしなべて皆天才的で
同時に変な人
おかしな人たちではないか
 
ぼくが思うにまず努力がすごい
ただの努力ではない
超人的だ
植物にせよ
人間以外の他の動物にせよ
そんなに努力する生き物はほかにない
狂気の沙汰だ
生き物がすべて
そんなふうに努力をするようになったら
それはもう悲惨で陰惨で
凄惨な世界になる
 
普通に考えれば
生き物はほぼほぼいい加減だ
食には貪欲で
ある場合全力を傾けて
それを手に入れようとするが
その後ではゴロゴロ
体を休ませる
のんびりと
日陰にくつろぐとか
日差しを浴びてゆったりするとか
快状態を選択して過ごす
 
人が理想とする生き方も
そういうことでいいのではないか
さしたる努力もせずに生きられたら
願ってもないことだと
そんなふうに言えるのではないか
無意識の志向はそう行くはずなのに
人間界では逆向きが好まれる
そう考えると
人間全体が生き物としておかしい
そういう種だと
考えずにおれない
 
2024/01/22
 
 
「老いてみると」
 
 老いてみると、今の社会の在り方では動けないという気がする。いろいろな仕組みから枠組みまで、一般的な老人は何もすることがない。かと言って悠々自適な隠居生活なんか望むべくもない。 この社会で老いても活躍できるのは、政治家や医者や会社役員や天下り官僚、学者や芸能人などごく一部の人たちだ。後はまあ第一次産業従事者とかになる。
 学業中に資格を取り、いろんな職業に就けたとしても、たいていの仕事には何歳かで退職という決まりがある。それを越えてみると、実質その資格も無効ということになってしまう。
 つまりこの社会は、社会人として働き始める時から退職の間までのことはよく考えてくれているが、それ以後についてはあまり考えてくれていないという気がする。仕事している間に蓄財し、後は勝手にやれと放り投げているようなものだ。
 若い人は若い人で、現行社会にずいぶん文句もあるだろうが、それとは別にこうして老いてみると不要物になったようで嫌だ。誰も直接そうとは言わないが、社会の仕組みや作りがそうなっている。「もうあんたにはやれることがない」と、そう言われているような気になる。
 勝手にやれということになっているから、勝手にやらせてもらいますと、一応はそういう気持ちになる。でも何をやったらいいのか。せめていろんなことが無料で出来ますと言うことにでもしてくれないと、やれることはごくわずかのことに限られてしまう。 老人たちはとても元気だ。市道や町道、そして団地の中などでは、爺さん婆さんがとにかくウォーキングしたりジョギングしたりであふれている。それに通学時の交通安全に、ボランティアとして参加している人たちもけっこう多い。
 何ならこんな老人たちに政治を任せたっていいんじゃないか。大昔の長老会議みたいにしてさ。それを、今みたいな金がかかりすぎる政治なんかじゃないようにして。浮いた金は老人たちの活動の支援ということにしたら、これはけっこう理想の社会に近づくんじゃねぇか。
 
2024/01/21
 
 
「人間の世界から」
 
人間の世界から
言葉や文字を抜いてしまうと
とてもさっぱりとした
世界になる
 
あちこちで
ワニとヌーとの戦いがあり
スーパーでは
猿たちが餌に群がる
路上の至る所では
マイコドリやカイツブリが
求愛行動に励んでいる
湿った石の下のダンゴムシは
瞑想を欠かさない
 
人間の世界から
言葉や文字を抜いてしまうと
魂まで抜けてしまう
魂が抜けると
喜怒哀楽も抜けてしまう
 
苦海に沈んだ人間たちは
どこかでそうなりたいと望んでいる
人間であることから解放されたいと
 
それは人間としての死を意味するが
生き物としての死ではない
草花のように樹木のように
直接に宇宙に交流し
自然の摂理のままに生き死にし
不快を知らない
そういうさっぱりとした生き方を
したいものだと願っている
 
彼らの心には
人間界の人間は
死ぬまで愚かでいなければならない
そんなふうに思えている
 
2024/01/20
 
 
「白紙を前に」
 
白紙を前に
白紙のままにいると
天候とか山野の地形とか
動物とか草木とか
風や雨や注ぐ光
たまに人のこと
社会や世界の事件とか
要は喫緊の課題も
摘み立ての果実
のような欲望も
浮かんでは消える
だけだ
 
十歳前後
学校から家に帰ると
お店に走った
決まってくじ付きの駄菓子を買った
当たるとうれしかった
記憶では
五円十円を
自販機の下を探すみたいに
家中くまなく見つかるまで探し続けた
母の挙動を思い起こし
引き出しやタンスの中
落ちていそうなあらゆる場所
また時には母の財布の中
それでたいていうまく見つけていた
その頃の衝動のようなものと
根気と諦めの悪さと
ついこの間まであって
今もあり続けているのかどうか
薄まってきているのかどうか
薄まるものなのかどうか
 
共稼ぎで親は外
兄も妹も遊びに出て
ぼくひとり盗人じみて
いけないことも平気でした
今白紙を前にして
そんな衝動を思い出していると
生きると探すは同じことで
結局似たことをしているって思ってしまう
ぼくだけかも知れないけど
あれもこれも悲しい仕草だなと
生きるってそういうことだなと
そうして
こうして
少しずつ
白紙に文字が埋まって行く
 
2024/01/19
 
 
「無名者の危惧」
 
人間はもう変わらなくて
およそ二千年前の枠組みの中
バカゲーのキャラクターのように
トコトコと飛ばずに歩き回る
表通りを行く者もいれば
裏通りから袋小路に入り込み
そこで朽ち果てる者もいる
どこをどう歩いても
そこはすでに
人の足で踏み固められている
そこを行きたくなければ
茨や藪をかき分けて
越えて行かなければならない
切り開いたその先も
細部を除いて
ほぼはじまりの太古の思念が
痕跡を残している
 
もう人間についての曖昧な考察は
その大部は考察し尽くされている
末端の毛細血管を行く現代人は
木を見て森を見ない
枝葉を見て幹や根を見ない
太古には全体が見えて細部が見えない
現代は細部を見るが総合を見ない
全体や総合が分かり
同時に細部も見るというのが
これからの人たちの
目標とするところになる
その金字塔は誰かが打ち立てなければならない
そうでなければ文明知や科学知といった
ロボット化した頭脳の人間が
幅を利かせた世の中になる
閉塞した心を
誇るようになってしまう
現代に生きるほぼほぼの無名者たちは
きっとそれを危惧している
 
2024/01/18
 
 
「今日の自戒」
 
苦い思索が続く
どこへ向かえばいいんだ
穏やかな暮らし
互いに心を通い合わせる小集合
そこそこの便利さと快適さと
ほどほどの難儀と疲労と
達成が有ったり無かったり
それはささやかな願い
今の暮らしにほんの少し
努力を足したり
一瞬に心の向きを変えたりして
嫌なことの二つ三つをやりきれば
それはもう手の届く距離
誰もが日々刻苦する姿
 
思想も哲学も
その他詰めに詰めた専門も
どこかに向かう途次で
その成果は文字でもことばでもなく
生活の中で展開されなければならない
挨拶をするとか
時間を守るとか
小さく緩い自制のはたらきで
自分を律することだ
それができたら
きみはもうきみの役目を果たしたことになる
にっこりと笑いながら
老いて行けばいいんだ
 
2024/01/17
 
 
「魂を貢ぐ」
 
魂を焼くとのっぺらぼうになる
レバーのように切り分け
賢い悪魔がうまそうに頬張る
〈不耕貪食〉の輩たちだ
 
こうして人が人を食う歴史が二千年超
闇の中に続いた
魂を食われても人は生き続けられた
なので人食の事実は闇から闇だ
 
システムが巧妙になり
魂の抜き取りは
白昼堂々行われるようになる
痛みもなくて傷もない
血も流れないから
二十一世紀のポワロにも
ホームズにも見抜けない
当人たちだって
魂を抜き取られたことに気づかない
ふと闇雲に不安を募らせても
そのせいだとは気づけない
 
人社会はそんなふうに固定して
誰もがこんなもんだって認めている
そんなもんでいいなら
そんなもんでいいのさ
魂がなくても小さな波風は乗り越え得る
魂を捨ててこそ小さな波風は乗り越え得る
素晴らしき便利で快適な世界
魂を捨てた甲斐があるって
核のない心で考える
こうしてとりあえず
〈食〉の課題は解決に近づきつつあると
不満を残しながら人社会は進んでいる
 
《吐き気を催す現在社会だぜ》
《心よ内向して無意識の声を聞け》
 
2024/01/16
 
 
「気まぐれな自戒」
 
文字を記すことは慰めか
こころ鎮める儀式か
大海原に小舟を出して
森羅万象の声を聞こうとする為か
どんな為でもよいが
できるだけ
短い時間の中でやるがよい
 
書くことに
意味があると思ってはだめだ
価値があると思ってもだめだ
止むに止まれず書く時は
急な驟雨を駆け抜けるように
できるだけ短い時間で終えるがいい
そうでないと
あざとい仮面の下
記録者の素性がバレる
鼻持ちならない素顔が滲みる
脳内信号の暴走を
生の実感に変えてはだめだ
なので
早々に切り上げて
飯の支度や洗濯や
日常にやるべきことを全部やる
そんな心境に
すぐ立ち戻れ
 
2024/01/15
 
 
「〈政治資金規正法違反〉考」
 
《億単位のカネを隠して無罪放免》は
とてもよい知らせだ
そんなちゃちなことで驚いていてはいけない
所詮人界の〈法〉は人界の〈法〉
〈法〉の縛りを作る側は
〈法〉に縛られないあり方をよく知っている
もう少し突っ込んで言えば
自分たちが縛られない〈法〉の作り方を知っている
そしてきつく縛り付けられるのは
一般市民であり大衆ということになる
 
〈法〉の支配は統治側も拘束する建前だが
それは建前だけで実効性が無い
権力を持つ層が結託すれば
ちゃっかりとどんな理不尽も行い得る
国民の代表はそれをしがちだと言うこと
人たちが作って決める〈法〉は
不完全なものだと言うこと
この二つは頭にたたき込んでおくべきだ
《億単位のカネを隠して無罪放免》は
この二つのことを思い知るための
報道からのよい知らせだ
我々一般の生活者を代表する
あるいは代表できる政治家なんているはずがない
人間が作る〈法〉はこのように不完全なもので
人がどんなに頭を寄せ合って作ったとしても
〈私〉的な〈法〉としてしか成り立ち得ない
ぼくらはそれを学ぶ
学んだところで何の役にも立たないが
知らないよりは知った方がよい
いつになるか分からないが
理想の社会理想の暮らしを実現しようとする時
彼らではだめだ
彼らの支持する〈法〉ではだめだと
はっきりと表明するために
ぼくらは頭とこころとに刻んでおく
 
2024/01/14
 
 
「不倫雑感」
 
著名な社会学者の不倫
笑っちゃうよな
いい訳がダサい
あんなのションベンと同じなんだから
我慢できないし
我慢する必要も無いさ
ただし道ばたのションベンと同じで
マナー違反ルール違反でいじられる
それだけは覚悟しないと
 
不倫は戦いだ
倫理的かつ思想的な
不倫した後の厳しい詰問責めが予測され
それと対峙できるかまず考える
それからいかに露見しないようにするか
さまざまなシチュエーションを想定し
何度もシミュレーションしてみる
それでも露見が免れない
たいていの人間はそれを承知している
不倫は戦いだから
しかも負け戦を覚悟しての戦いだから
結末がどうなるか予測不能ながら
最後はエイッヤッて切り込む
 
笑っちゃいけない
性欲は生き死ににも関係する
戦国武将が何人もの側室
妾を持つのは家系の存続のためばかりではない
生死を分かつ場面に何度も遭遇する
そのストレスの多重さと抱える負担は
性に依ってしか軽減開放できないのだ
エロだグロだとあざ笑ってはいけない
必ず何かと切実に戦っている
そのことの証でもあるのだ
 
不倫の初期段階から結末に到るまで
人はたくさんの思考を費やすように出来ている
それは個的で倫理的な思考の営為だと見なせる
しかも必ず挫折する営為だ
負け戦だ
すべての批判や非難や中傷は
不倫の核に届かない
不倫は負けが前提の戦いであり
ほぼ革命的な行為だからだ
 
2024/01/13
 
 
「人類ー自然界にあって幻に引きこもるもの」
 
国なんてどこにもない
人の頭の中だけに存在している幻
国民を代表する政治家なんているわけがない
人は人を理解し得ないし
自分で自分を理解することだって難しい
もっと言うと分からない
自分を分からないものが
分からない複数の人を代表するなんてあり得ない
制度やシステムの便宜に使われているだけだ
そういう制度やシステムもまた
ただただ人の頭の中で生みだされ現実化された
 
自然物ではないから
人が作ったものは
いつか壊れたり消えたり無くなったりする
今の人の世は頭の中で生き死にし
頭の中に暮らしている
とても窮屈で狭い生き方をしている
幻の中夢の中に閉じこもっている
時々窓を開けて
山を見て森を見て平野を見て海を見て
一気に吹き渡る風の薫りに誘われ
種々の動物から一木一草にまでこころを渡らせ
ついでに頭の中も洗い流してしまえばいいんだ
幻は幻
賞味期限は人の生存期間だけだ
 
2024/01/12
 
 
「こころ以前のこころ」
 
見ず知らずの大人に抱かれた赤ん坊が
戸惑い怪訝な表情を見せている
見るともなしに見たテレビ画面の中でだ
その表情はどこかで見た記憶がある
それを今思い出していると
ああそうだ
YouTube動画の
犬や猫を扱った中の一コマ
人間とふれあっている時の
犬猫が時折見せる戸惑いや怪訝な顔つき
あの表情に似ている
そう思い当たった
 
あの表情は何なのだろう
おそらく感覚だけが働いている
その感覚的なインプットが
心地よいものではないと了解され
それが戸惑いや怪訝な表情
つまり運動として出力されている
そこでは犬や猫や人間の赤ちゃんも同じ
横一線に並んでいるように見える
ただ人間の赤ちゃんだけは
そこから言葉を獲得する段階に進み
次第にあの戸惑いと怪訝そうな表情も
少しずつ消えて行く
感覚的な差異に慣れ
もう一個上に駆け上がって
「同じ」と「違う」の判断へと
概念的に分離して行くことになる
そのステップ・ジャンプがよく分からない
感覚で世界に相渉って
それで充分じゃないかって
ぼくには思えるのだ
なぜなら
画面に見えた犬や猫や人間の赤ちゃんの
感覚から喚起された表情がとても豊かで
たとえそれが戸惑いや怪訝でも
そこにはこころ以前のこころが
満ち満ちて感じられるからだ
直接の反応を隠しもしない
そういう正直さに
遠い出自めいたことを思い
故郷でもあるかのように
時に恋しくなる
 
2024/01/11
 
 
「〈「非利」に立つ〉」
 
誰かを利する
役に立つ
それが自分であっても
他人であっても
そういう関係になることを
避けてきた
〈「非利」に立つ〉
無理に言えば
そういう言葉になる
〈「非利」に立つ〉
主観に過ぎず
曖昧でもあるが
そうとしか言えない
〈利〉と言うものに
生理的な嫌悪があった
諸悪の根源ようにも
思いなしていた
「非利」だけではいけないのだ
屹立しなければ
そしてたぶん
生涯の半分は棒に振った
それで得したことは何もない
近い人に苦労をかけた
 
自利を望むことも
利他を願うことも
悪いことではないし
むしろ自然な人間の性だ
あるいは利他は美徳でさえある
けれども利他に尽くすことは
見えない人の利を損なう
一方に利という善を尽くす時
もう一方には反利として現象する
そういう役回りは
どうしても性格的に出来ない
弱さと脆さが自分にはあった
誰かを利して誰かを利さない
それは差別だと
理解してしまった
つまらぬ考えで
得したことは何もない
だが日々の小さな小さな
避けられない自利と利他のほかは
大きくはやっぱり「非利」に立って
隙間の「非利」を行くしかない
時にため息をつきながら
幻想の驟雨を駆け抜けて行く
 
2024/01/10
 
 
「新年にあたって」
 
喪中で迎えた正月なので
正月らしいことは何一つしていない
正月飾りも初詣も
それもしかし
あまりイベントに興味のないぼくには
いつもの年とさして変わらない
古い日本の伝統行事が嫌いな訳じゃない
一般の市民から村民まで
真摯に伝統なり風習なりに溶け込んで
賑やかにまた厳かにやっていたりすると
『ああ、やってるな』
くらいに思ったりする
正月の風景も一つの風景で
否定することも肯定することも
同じように野暮な気がするだけだ
やりたいものはやり
消極的に迎えるものが居てもよい
 
やるやらないを決めるのは
頭ではなく社会的な立場やスタンスだ
もっと言えば関係だろう
関係がそれを強いてくる
自分の判断のように思われても
裏側で関係がその判断を強いる
だから全体がバラバラに見えたとしても
差し支えないことだ
もっと言えば
好き勝手出来る状況では
誰でもが思い切り
好きかってするがいいのだ
 
利他に届かず自利もない
今年もまたひたすらの自立に向けて
綱一本の道
静かに歩むのを祈願するだけだ
神仏には見捨てられていそうなので
ほかにない
亡き父と母に向かって
する
 
2024/01/09
 
 
「切迫する啄木」
 
また一つ年を取る
また一つ貧しさに沈む
そのうえ老々介護も忍びより
趣味の詩作なんかやってる時か
手を焼かせ匙を投げさせ
頑固な意固地に諦めて言葉なく
ただこちらに向かって心を届けてくれた
在りし日の父と母を思う
 
切迫する啄木
切実なる石川啄木
いのちの歌を
歌ってしまった啄木
言葉を捨て
歌を捨てたその他大勢の啄木
斜面に指の跡を残して
墜ちて行く
その息のつまる光景
今ぼくらもやっと立つ
もちろん見たことのない光景
新たなステージに立つ
《妙に明るい真っ暗闇さ》
 
2024/01/08
 
 
「見知らぬ人に許しを乞う」
 
世の中に叛き嫉み捻くれて
その立場その姿勢
またその身構えを貫こうと
苦しい按配を続けた
心や意志が挫けぬように
瓦解せぬように
今じゃない
ここじゃないって
慎重を期しながら
核に向かって進もうとした
そうしてまだそこに届かない
その渦中その途次にある
 
斧の一振りで
とどめを刺さなければならない
チャンスは一度きりなのだ
そのために何を耐えてきたか
何を口ごもってきたか
血のにじむ声
血のにじむ言葉を
ひた隠しに隠してきたか
 
ところで
この歳になって目もかすみ
すべてが幻と化しそうなのだ
小さなひとりの戦いは
さらに小さく萎んで消えゆきそうなのだ
許せない許さないってつぶやきも
呼吸のように薄くなる
こんなぼくを
許してくれるだろうか
遠い彼方を行く
同行の人よ
きみよ
 
2024/01/07
 
 
「妻の八朔」
 
土曜は朝遅く
物置き場になったテーブルの上に
まん丸な八朔が無造作に置かれている
夕べ妻が丸々一個を食べた残りの一個
梶井の檸檬みたいな色合いを放つ
妻の無精が何気なく発揮したある種の均衡
絶妙なバランスから
今にも八朔の香りが立ち騰ってきそうだ
 
朝遅く起きたぼく
妻がいないので即席の袋麺を取り出し
鍋に作ってどんぶりに移し
居間に運んでそれを食べた
八朔に見守られながら
どんぶりと箸を台所で洗った
ぼくを救うみたいに
仏の色を放って置かれている八朔
 
2024/01/06
 
 
「人の性についての考」
 
自然界に適応は遺伝子
社会への適応は理性
遺伝子はより根源的だから
時々理性を凌駕する
 
いつの時代でも
性の問題が話題となり
人たちの関心を引くのは
それが人間に内在した自然だからだ
社会における性の統御の担当は理性だが
しばしば統御不能に陥る
理性を越えて性が暴走する
この問題に関心を持たないなどあり得ない
 
BIOSやUEFIを遺伝子と考えれば
OSは人の精神や理性にあたる
通常BIOSやUEFIは意識せずにすむし
OSをアップデートしたり
メンテナンスを施しておけば事足りる
つまりパソコンとして
ここでは人間としての意味にもなるが
日常にさしたる支障が出ない
だからといってBIOSやUEFIを
下に見たり軽く見たりしていると
そのしっぺ返しが来て
OSが機能しなくなることもある
 
要は性の問題をおろそかに考えてはいけない
そういうことが言いたいのだ
エロだとかグロだとか動物的だとか言って
正面から見据えることを避けてはいけない
おそらく時代はもっと直視すべきと告げている
いつまでも中世や近世の扱いに
留まっていてはいけないのだ
毎日のようにあちこちで起きている
性にまつわる暴挙愚挙
ぼくら自身にも起きる性の衝動
こんな大きな問題を
今でも誰も何も
言っちゃあいない
 
2024/01/05
 
 
「初夢の記」
 
年が明けても絶え間なく朝が来る
昨日や一昨日だけでなく
ずっとずっと以前からの朝が
のっぺらぼうの同じ顔してやってくる
 
世界にはあんなことがありそんなことがあり
ちいさな人の心は疲弊して
また翌年にはこんなことから
そんなことまで起こりえて
疲弊した人の心は
ついには皺皺になり萎んで頑なになる
 
もういいよって声が聞こえた
父と母との最後の声だ
明日からぼくは言葉の保守点検を始める
今年からぼくは釣り三昧だ
やり過ごしやり残したとっておきを
すべて叶えるべく没頭する
 
だからもう時間を断ち切る
あの朝は来ないし世界も邪魔をしない
四季もなければ白昼も宵闇もない
永遠の一日として
今日に始まり今日に終わる今日が続く
もう生きてるんだか死んでるんだか分からない
境のない境を意志だけで歩いてく
遺伝子と細胞の反乱が今始まる
忍耐の極限から脳機能の改造へ
明日ぼくは瘋癲病院を出て
世界大へと液化する
 
2024/01/04
 
 
「解体の方法」
 
こちょこちょされると
耐えきれなくて声を出して笑う
子どもながらもあまりに過敏と思い
鈍感になるべく訓練した
これがうまくいって
以後
くすぐられても笑わなくなった
 
小学校教員で一年生を始めて担任した時
容姿から挙措振る舞いすべての面で
どうにも苦手と感じてしまう女の子がいた
どうしてそうなるのか考えても分からない
しかしそのままだと
自分の考え方にも教育的なスタンスにも
合致しない気がしてずいぶんと悩んだ
最終的には乗り越えて
他の子同様に
差別なく寄り添って接することが出来た
 
この二つの事例を挙げたのは
どちらの場合も
自分を生理的な部分で壊す行為として
同じじゃないかという気がしたからだ
こういうことをほかにも
ぼくはよくやってきたという気がする
うまく言えないが
ぼくの病気で有るような無いような
根源的な資質で有るような無いような
ぼくは一人でこんなことして
そしてほかの人たちには
何にも役に立たないことばかりだった
 
2024/01/03
 
 
「即興で紡ぐ」
 
飲み水と食料と寝床
それからトイレ
それにガソリンも必要になる
東日本大震災では
数日それらのことで頭がいっぱいだった
これからどうなることかと不安だった
古いストーブを焚いて
暖を取り非常食用の餅を焼いた
家内と長男と三人
食べながらぼそぼそ会話した
頭はパニックだが
細胞や遺伝子の出番とばかり
体の底から元気勇気が湧いた
変な話だ
変な話だが
追い詰められて
やれることをやるしかないと
開き直っていた
 
二千二十四年一月一日四時過ぎ
能登半島地震の報
テレビに映し出された情景を見ながら
二千十一年の震災時のことを思い出した
津波が小さい分
内陸に暮らすぼくらの被災に似ている
これからどうなるか誰も分からないが
人たちの思いと行動は
たぶんあの時のぼくらに近い
そう思い巡らしながら
たくさんの支援と頑張りがありつつ
自分たちのことは自分たちでやるしかない
そんなふうに覚悟する人たちも
たくさんいるだろうと考えた
 
頭から体にシフトを変えて
生きて活動するまた活動できる
それに集中してほしい
手足をもがれた気分の中で
縄文はこんなだって
訳の分からぬことを考えながら
ぼくは乗り越えようとしていた
つまり生き物としての人間を信じたら
後はもう成るように成るしかないので
気が楽になる
そういう非常時の平穏もある
こんな時こそ人間の力
人間力が露出して
言葉を失うものたちの
目の前を照らす
 
2024/01/02
 
 
「二千二十四年一月一日」
 
胎児の間に
脊椎動物進化の過程
五億年の走馬灯を
速やかに回顧する
誕生期に
二十万年前の
ホモ・サピエンスとなる
乳幼児期に言語を獲得するが
この過程は十万年前の再現
ここから九歳までに
基本的な生活言語を習得
縄文から弥生を経て古墳まで
いわゆる先史時代の再現
遊び戯れが活性化の黄金期
十歳以降は歴史時代を後追いする
文字の読み書きは
そこまで待って始まると考えてよい
この期を境に十歳以前は無意識へと収納され
先史の名残は習慣や風習の次元に落とし込まれる
 
そこからの青年期壮年期高齢期は
古事記・日本書紀以後の歴史に著された通りで
繁栄と衰退と平穏と不穏とを
短期に交互に繰り返し慌ただしい
同時に血縁から地縁
村社会から地域や日本全土と視野が広がり
アジアからヨーロッパ
そしてグローバリズムが押し寄せて
個としての人間は
消え入る一歩手前まで押し込まれた
ここからどうすりゃいいんだって
騒ぎ立てながら
時にわめき立てながら
内心に苦悶を抱えて
それをひたむきに押し隠している
一皮むけばみんなそんなだ
 
他人のことはとやかく言うな
きみやぼくが今を越えて行けなければ
すべての直接性が越え得ないと言うことだ
だから一度はしっかり目を閉じて
誘うものすべてに別れを告げて
年長けてなお一からの道に足を踏み出すのだ
徒労と不毛のその一本道に
果敢に挑んで行くのだ
 
2024/01/01
 
 
「刀折れ矢尽きる時」
 
母の死は晴れ晴れと
言葉も置かずに通り過ぎた
 
会えば「眠れない」
「聞こえない」「見えない」
と頻りに嘆くばかりになっていた
そのか細く小さな声は
ぼくには『助けて』って聞こえた
隠さずに言えば
ぼくは知らん顔した
何もしなかった
何もしないで通り過ぎるその日を
ただ待っているだけだった
死の前の視線にぼくは立たず
寄り添いもせず
誰もいない空虚を映して
母は逝った
 
その死はぼくの心のように
空虚に乾いていた
ぼくは頭に湧いて出る
人間の言葉を掃き集めては捨て集めては捨て
空っぽにして愛もなく
ただ『ぼくもあんなふうに逝くんだ』と
心に決めた
春四月 桜の季節だった
母がそれを願っていたか分からない
本当はしかし
人は人を見送ることも
人に見送られることも出来ない
季節と季節の織りなす風景の中
それらが見送り
それらに見送られるばかりだ
ぼくにとって
それを覚悟する母の死だった
晴れ晴れと
言葉も置かずに通り過ぎた
そんなふうにぼくも
言葉なんか置かずに去って行ける
そういうものでありたい
それを今思っている
 
2023/12/31
 
 
「小さな別れ」
 
なるべく小さな別れがしたい
卒業だの退職だの
どうしてあんなに厳粛めいた
「さよならの会」
「お別れの会」
「感謝の会」
なんて拵えるのか
そこに到る何年かの在籍が
その記憶や思い出が
全部すっ飛んでしまう儀式に
吸収されて終わる
白紙にされて終わり
抜け殻に作り変えられて
明日が始まる
 
疑念に懐疑
不信や嫌悪
また冷めた視線や
冷淡なあしらい
そうしたすべてをリセットして
「楽しかった」
「よい思い出ばかり」
「成長させてもらった」
「忘れません」
「忘れないで下さい」
なんて紋切り型の締めくくり
 
そんなのが社会性だとか
社会への参加なんだとしたら
なんて悲しいんだろう
事勿れに妥協
てっぺんから下の下まで
一本のレールの上を走らされて
そのほかの道がない
だから勇気を出して
道を踏み外して
荒野を行くことになるんだな
ぼくらは
 
なるべく小さな別れがしたい
出来るならそれさえなく
いつも通りにその場から
静かに去りゆくものでありたい
緩やかに消えゆくものでありたい
自然から見える出会いとか別れとかは
きっとそんなものでしかないのだから
 
2023/12/30
 
 
「大言壮語」
 
人為の過ちを糺すのは
人為によって為すほかにない
そう考えてそれを行えば
即座に過ちと化してしまう
 
 
人間が考えることと
それが現実化され
社会化されることとの間には
どうしようもない乖離が介在する
 
文字に記録されて二千年
歴史は過誤を反復し
呆れるほどだ
呆れるほどに代わり映えしない
 
朝廷が幕府に代わり
幕府が近代国家に変わっても
異を成すものが常に出て
反対勢力が興る
 
それは奈良や平安から
近代国家成立後の現在も同じで
統率者の失政や失策から
権力闘争が繰り返されてきた
 
為政者とその取り巻き
また家臣とか部下たちとかは
同じ轍を踏むことを
延々と繰り返すばかりだ
 
彼らは何一つ
生産しないし作り出さない
ただ頭に設計し
それを指示するだけだ
現実にするための労苦は
彼らとは無縁なものたちだけ
身体に汗し合間に憩う
その不条理不平等不公平に泣き
収奪されるより
収奪する側に回ろうと
誰もがその機会を窺うようになる
そしてまた上に立ち
下からの突き上げを食らう
そんなことを二千年も繰り返して
自浄の気配すら見えない
交代をいくら繰り返しても無駄だと
気づけない
 
国のため国民のために
命を賭す覚悟の人は
無報酬のボランティアとして働け
それがあんまりと言うなら
生活保護費程度の報酬と
あまりある名声とを与えることとする
そうでもしなければ
この二千年の歴史は断ち切れない
庶民生活者に金をせびるな
税金は最低限にせよ
詐欺窃盗
暴力犯罪殺人
一方に引きこもりいじめ
心的ストレス精神不安など
山ほど積み上げてきた
国家社会運営者たちの結果責任は
そういう形で贖罪されるべきなのだ
祖先たちの怨嗟を
そうした輩に叩き付けねばならない
まあ黙っていたっていずれそうなる
この国の雑多な船頭たちよ
心しておけ
 
2023/12/29
 
 
「師走に思う」
 
部活で運動と忍耐
文芸書で読解力
後年役に立ったと思えるのは
その二つくらい
知っとけばよかったと後悔したのも二つ
進化の流れから見るヒトの体
飯を食うという生き物の基本の戦略のこと
しっかり基礎が身についていたら
よかったなと思う
 
ほかのことは有っても無くても同じだ
ただいっぱい遊べと言ってほしかった
世界から「あるがままに生きよ。歓迎する」
という声を届けてほしかった
知識や社会性など要らぬ注入だ
とりわけ倫理は生涯の苦だ
そうしたものは成長とともに
否が応でも身につく仕掛けになっている
ああでもないこうでもないと
試行錯誤し傷ついたり挫折したりして
それこそが力となって過酷にも極限にも
しっかり対応して行くさ
 
放射冷却の朝早く
庭先で雀がちゅんちゅう鳴いていた
蟻さんは土の下
庭木も草もそれぞれに
冬越しの準備を終えているだろう
山茶花が貧相な花を二つ三つ
それでいい
僕んちの庭はこれでいい
冬の生き物たちの寂しい生き様は
すっかり僕を魅了する
 
2023/12/28
 
 
「趣味びとたちの序章」
 
大いなる思想も芸術も学識も
地球から宇宙に到る物質世界の前では
薄い霧のように立ち籠めた
人間のする言い訳のように思える
これに比べ草木や水陸の動物たち
鳥や虫たちの頑なな生活スタイルは
なんと潔いことか
本能のままに生きそして滅する
自らのそして種の営みについて
何らの弁明もしない
正義だとか善だとか美だとか
苦しく発明して
己の行いに結びつけようとしない
 
塀を建て
コンクリートやアスファルトを用い
自然との距離を置いた人間社会
乱雑さや不可解を許容しない
ある種の傲慢さをもって
脳世界の理屈で世界を把捉しようと企む
もちろんそれは人間にしか通用しない
幻でありイメージであって
大いなる独りよがりと言える
かつて大地を掠め取り
自然を掠め取り
それらに飽き足らず
今や同種同族同胞をも掠め取り
弱者貧民を食い散らし
「頑張ったものが報われる社会」
の名セリフを残す
もちろんその意味するところは
頑張って食い散らしたものだけが報われる
暗箱を覗けばそういうことだ
 
わたしたちはそういう世界に生きる
一粒の言葉たちだ
急流また大河にたゆたう
一粒の言葉の種子たちだ
そうしてつまるところ
全くの無力だと言うことだ
もちろんわたしたちにとって
これはほんの序章に過ぎない
ここからやっと始まるのだ
 
2023/12/27
 
 
「よく分からないもの」
 
僅かだが
世界大の周囲から
漂いはじめ
侵蝕する
気配のもの
個的な夢とは違い
不吉に忍び寄るもの
それが怖いかと言えば
よく分からないもの
 
日々触れていたものに
触れ得なくなること
歯ブラシや
メガネやライターや
愛用のペンや座椅子
それらが残されて
始末されるのを待つということ
箸とご飯茶碗と
雑多な書籍たちと
 
ゆっくりと壊れ
腐敗して行く前に
煙となって大気に委ねられ
静かに消えるもの
そんなことが怖いかと言われれば
よく分からない
ただ運命とか世界とか
社会とかとの折り合いのつけかた
それ自体はずいぶんと習いもし
経験も積んできて
どうにかなりそうな気が
今はしている
 
2023/12/26
 
 
「幼少期」
 
無から始まった気がする
幼少期だった
どちらかと言えば猫とか
犬とかお猿さんとか
彼らは無言で
じっと見ていたり
また視線の先が
あちこちに移動したり
飽くなき受容
受け入れて取り込んでを
繰り返している
 
ぼくも同じだった
一点を穴が開くほどに見て
かと思えば
めまぐるしく移動し
疑問と好奇心が
言葉を介すことなく
湧水のように溢れていた
言葉も思考も追いつかない
無が支配する幼少期だった
言葉は1割
沈黙が9割
 
だから今でも
言葉の動物であることが
そんな自分になったことが
その頃の自分に対して恥ずかしく
ただ恥ずかしく
出自は無だって
どうしても言っておきたくなる
 
2023/12/25
 
 
「って気がしている」
 
親子兄弟が仲よく暮らせたら
それが何よりだと誰かが言っていた
長く生きてみると
その言葉が腑に落ちたり
心にしみて感じたりする
 
たいていの家族の成り立ちは
一対の男女が夫婦となり
やがて子どもが生まれ
一気に幸福感に満たされたところで
まあ そのあたりから
社会という荒波に向かって
船をこぎ出す仕儀になって行く
櫓を漕ぎ舵を取り
未来には希望しか見えなかったりする
ところが岸を離れるにつれ
外海のうねりは高く
荒れた天候にもしばしば出合う
そんなふうに人間社会にも
たくさんの困難や障害が待ち受けている
乗り越えても乗り越えても
願う所に辿り着かない
 
ひとつの家族の内側に入ってみると
多くは幸せの絶頂からスタートし
幸せの絶頂からスタートするがために
よほどの運がなければ
それ以上の幸せには行き着かない
挫折したり頓挫したりと
家族にもそんな運命が待ち構えている
ぼくらのような老夫婦になると
努力したり頑張ったりした末に
気がついたら
身も心もボロボロになっている
なんてことも当たり前にあることだ
兄弟姉妹また親戚にまで視野を広げれば
おそらくはどこだってそうだ
親戚縁者どこにも問題がないなんて
家族はどこにもない
 
人類史も個の生涯も
繁栄があれば衰退があり
運・不運から善と悪
それに苦楽も一緒くたで
思い通りや
願う通りにはなかなか行かない
そこでぼくらのような年になると
非力なぼくらにも可能な
人生の一大事は何かって考える
それが例えば家族仲よくってことで
たわいもないが
それだって容易ではない
ただ可能性としてはあり
同時に生涯をかけるに価する
普通人にとっての唯一のものだ
って気がしている
 
2023/12/24
 
 
「迫り来るものの正体について」
 
草木の姿形は
命の構造と機能を
そのまま露出させたものだ
それはまた食と性を本質とし
動物はその構造と機能を
腹部に内蔵させる
いわゆる動物の内臓は
植物的な性質を内に包み
動物的な骨格と筋肉で
これを守る
 
これから考えれば
命や生命と言うものの原型
また本源は動物より植物に
動物においては内臓に
存在すると分かる
人間においても同じで
食と性を掌る内臓は
意識的な関与を
必要とせず働いている
 
人間的な本質はしかし
この生命的な営みを補助する役割から
そういう紐付けを断ち切るような
進展と発達を遂げた
いわゆる脳によって脳を耕す
意識化脳化概念化の道を辿った
言葉や文字を用いて
思惟やイメージ世界を構築したり
拡張することが
人間的本質であり人間性そのものである
と見なされるようになった
 
異常なまでの脳機能の発達は
今もなお留まるところを知らず
累乗冪乗に加速する
一方でこの人間的な本質と
不変の内臓的生命本質とに引き裂かれ
多くの人々が無意識の自己矛盾に晒され
解決のない不安に怯えるようになった
その片鱗はさまざまな形像となり
社会の表層に見え隠れし始めている
 
食と性の生命本質に身を沈め
過剰な幻をなぎ払う行き方もひとつ
逆に人間的な本質
幻想領域の加速する拡大に
身を投ずるもひとつ
いずれにせよ
個人においても共同性においても
意を決すべき時は
刻々と迫りつつある
 
2023/12/23
 
 
「小さな挨拶」
 
みんなとワイワイやる
楽しく仕事をする
そんな今風の考え方
やり方というのは
そこに生活の中心があるから
そこを楽しくしようって話だ
 
反対もないし文句もないが
こちらはちょっと
パンだけじゃないとか思って
半分ワイワイ
半分楽しく過ごせればラッキー
半分乗っからず
半分剥がれて
いや・あの・その
とかなんとか
 
いつも密かに後ろめたい
古いマニュアル車の
油を切らしたギア
チェンジの下手な操縦者
走りはいつもガク・ガクン
アクセルとブレーキを
一緒に踏んだりもする
 
建前には賛同します
民主主義でも絆でも
また思いやりや
優しさなんてことにもね
ただ前述のような次第でね
スムーズに相乗りとは行けない
ぼくはちょっと控えてますから
気にすることなく
苦にも思わず
好きにやってください
ほんとうにほんとうに
それでけっこうです
ぼくには
もうひとつ生の中心があって
そちらでも暮らしてます
だから重婚みたいでだめなんです
ぼくはけっこう本気で苦しんでいます
二重生活の苦しみに
夢中になっています
たぶん楽しみも
その苦の中で探せます
 
2023/12/22
 
 
「冬の神話」
 
喉を潜ろうとすると
いつも小骨のように支えてしまう
そのたびに
世界というシステムは
円を象った親指と人差し指を
大きく開いた口腔にゆっくり差し込んで
ぼくを排除しにかかる
 
パスワードを忘れていつもこんなだ
ノートのように世界を開けない
世界は親和を開かない
当然のように頭に来るぼくは
すぐさま呪いを呟く
下卑たことばを
これでもかと続ける
ぼくと世界の関係はいつもこんなだ
ギクシャクしてばかりいる
 
遠い昔の二月
雪の降る真夜中に
異和としてぼくは生まれた
廊下の窓ガラスに
影絵のような雪が舞っていた
凍てつく寒さが棘となり
シンシンと襲った
ぼくはその長い一瞬を
いまも鮮明に
映し出すことが出来る
 
2023/12/21
 
 
「退職そして就活へ」
 
更新の継続希望の有無を文書で問うので
思わず希望しないを選択した
選択したら途端にやる気を無くして
1月半ばの退職を願い出た
 
ぼくの中では事業所とは対等で
先のような問われ方をしたから
先のような答え方をした
どちらを選択するのもぼくの自由だから
ぼくの選択はこれだと言うことだ
更新を希望すれば
雇用は継続されただろうが
時給アップと
週休3日を交渉したかったから
まあそれが受け入れられなかった時と
結果的には同じことになる
 
ほんとうは希望有無の文書は
ぼくの方で出したかった
継続してぼくを雇用することを
希望しますかというようにだ
なぜかと言うと
ぼくには自信があるからだ
時給に見合う以上の働き方をしてきた
だからぼくを失うことは
会社側にとって損失である
こんなムリクリの論理を行使して
いつもぼくは相手方に《損失》を与えてきた
もちろんぼくにとってもかなりの痛手だ
どちらも得しない結果になる
けれども雇用する側である相手方の
無意識の優位性が
いつも気に食わなくてならなかった
みんな一人の被雇用者に対し
同一賃金で契約更新するだろうと
高をくくっている
中には契約更新は温情であるかのように繕う
担当者がいたりもした
特に地方の労使の水準はそんなものだ
そんなことの改革変革は
少しもやろうと思わない
 
黄色信号がともったら
ぼくはまた働くだろう
今どきの地方の若者は
高齢者の独占市場だった汚れ仕事にも参入し
ぼくらの市場も狭まって
少しずつ競合関係になりつつあるが
もっとやりがいのない仕事もたくさんあって
それを覚悟すれば
ぼくらに出来ることはまだまだたくさんある
ぼくにとっては別にどうってことない
新たなはじまりが
またやってきたと言うだけのこと
これもまたムリクリに
そう考えることにしている
そうして同じく老いたる妻に
どう説明するかは
これからじっくり考える
 
2023/12/20
 
 
「クソな歌」
 
下層民にとって
政治家はみんなクソだ
頭が切れて
人望があり
人心掌握に長けていても
みんなクソだ
 
理由は簡単だ
徒党を組み
仲間や支援者は大切にする
そうであれば
下層民は二の次になる
どうしてもその手法は
接点ある者に偏る
つまり初めから
取りこぼすことを前提とし
そのことについて
やむを得ないと
決めてかかっている
 
そんな者はみんなクソだ
文字の初めから
法の初めから
クソを自認し
クソを志すからクソだ
それがよいことだと勘違いしている
クソだからクソだ
もうそろそろ
クソはクソらしく
みんなから嫌われてしまえ
 
経済の落ち込みの底の底
幻の血の池から亡霊のように手を伸ばし
下層民は一斉にクソどもの足をつかむ
働くな
消費を切り詰めよ
一斉に役場に走り
生活保護の申請をしよう
貧困国家の汚名を
クソどもに浴びせながら
クソどもを道連れに墜ちて行こう
 
2023/12/19
 
 
「ある朝のイメージ」
 
イメージの中で
できたての餅をちぎる
ように頭をちぎる
思考をちぎり意識をちぎると
残るのは
いまそこに在る
という身体だけだ
紛れもない純な感覚だけだ
 
雪景色に朝日がまぶしい
ただそれだけで心弾む
「おいで」って手招きする外界
部屋には暖房があり
それは古代人の知恵と技術
からの歩み
やさしい贈り物
周りに敷き詰めて
痛みもなく
苦もなく
たぶんそれが快や安堵の正体だ
 
イメージの身体は部屋を出る
家を出て一目散に野原に走る
悠久の血縁を身にまとい
凍てつく大気を朝日が解き
寒くない
「みんなおいで」って
きっと誰もが
世界に声を届けたくなる
さて
ここからだよね
頭を脱ぎ捨てて
イメージの「拒絶」を打ち破り
「ほんとう」の
「ほんとう」を見つけたら
出合ったら
それに立ち合えたなら
ぼくらはもう迷わずに
歩き始める
冬の世界の真ん中に
ギシギシ
ドシドシと
進んで行ける
 
2023/12/18
 
 
「日曜日」
 
12月半ばの日曜日
何にも無いなあ
 
ほっとけば日がな一日
だらけていそうな
 
どこからもお呼びがなく
誰からの誘いもなく
詩を書く気にもなれず
考える気にもなれなくて
少し前から
ユーチューブで卓球を見たり
「吉田拓郎のオールナイトニッポン」
を聞いたり
ほんとうにダラダラーゴロゴロー
無駄に時間を過ごしている
 
外には少しだけ白いものが舞っている
雪がちらちら降っている
その雪のように脳裏をかすめる
声の小さな言葉がある
老いたものにはこれが幸せだって
告げている
まともに向き合って動じない
そんな強さがぼくらには必要なんだ
 
ということで詩も書かず
考えることも諦めて席を立つ
もちろん遊びを探しに部屋を出て
遊びを探しに家を出る
振り返って
See you
 
2023/12/17
 
 
「切り抜きの光景」
 
待機する学校の駐車場
保護者とか放デイのスタッフとか
みんな運転席でスマホだ
情報の検索かメールの送受か分からないが
一様に俯いて時々手指を動かしているのが見える
 
車にこもって
さらに電波の世界に没入して
互いに互いを気にかけない
必要な情報収集に夢中なのか
情報に振り回されているのか
世の中の縮図みたいなことが展開されている
中でも高齢のぼくだけは
駐車場脇の柿の木に残った柿の実を眺めたり
ぼんやり空を眺めたり
時流に取り残されたみたいになって
ついつい趣味の詩の素材なんか探している
自分の世界にこもっていることには
少しも違いがない
別にこっちが高級だって訳じゃない
家ではスマホならぬパソコンで
同じことをやっている
 
時間に浅ましくなったんだ
この世界は
効率だとか効果だとか
そんなことばっかり気にして
生きることを強いられているんだなあ
一陣の風のように野原を駆け抜けた
あの少年時代は何だったんだろう
懐かしい懐かしいぞ
三々五々駐車場に走り来る子どもたち
動き出す車に気をつけろ
 
2023/12/16
 
 
「跳ばずに歩いて行く」
 
老々の身の
ふたりして
差し向かう夕餉
食器が立てる音
ふたりの立ち居振る舞い
その気配の微か
カサカサとか
コトコトとか
ふたりの閉ざされた食卓
耳慣れて
目にも慣れて
ありふれてわけもなく
たとえばジャングルの中を
逃げ延びてきた人たちのように
安堵がふたりを包んでいる
 
時折夫は笑みを浮かべる
それを垣間見る妻にも
笑みがこぼれる
こんなことがあった
あんなことがあった
と二言三言
明日の不安が引き寄せる
ああ今この時までの生涯の奇跡
愉快なことだらけ
楽しいことだらけって
声が聞こえてくる
だったら間違いなく
明日もそうだよねって
無言が跳ね返す
そうして一日を
跳ばずに歩いて行く
 
2023/12/15
 
 
「鎮魂歌ー非知の鳴動」
 
知の頂に登り詰める
身体運動の頂に登り詰める
あるいはまた
感性表現の頂に登り詰める
いろいろな頂に向かって
人が鋭意精進また努力するのは
これはもう人のする
自ずからの行い
遺伝子の道
背押され促され
水路のように走る
 
先を競って走るが
そのほとんどは精子たちのように
徒労に終わる
それでも先へ先へと競う
どこか悲しい性だ
 
頂まで辿り着いた少数は
たいてい多数にたたえられて
偉そうな指導者になる
つまり行き着く先は陳腐なそれだ
そんなのは馬鹿馬鹿しい
そう思い考え
水路から抜け出る
それだけでなく水路を断とうとする
もちろん彼は手ぶらだから
適うはずもない
 
思想を制するに思想を持ってする
それが最も効果的だ
さらにこれを持って知を
身体運動や感性表現を
一蓮托生に制することは可能か
しかも遙か手前で息を切らし
未修練に終わった思想
あるいは根拠のない感情論で
水路を断つことは可能か
 
圧倒的多数の
知の頂に到らざる非知の声を
沈黙にして届ける
頂に登り詰めようとする者たちに
その沈黙の声を届けることが出来たなら
水路も曲がる
ただもう非知の声を
絶やさなければよいのだ
そのための小さな石ころ
小さな悲劇と大きな苦しみ
そういう人生を背負ったっていい訳だ
誰が見ずともぼくが見ている
黙して行け
悔し涙に
泣きながら行け
 
2023/12/14
 
 
「老齢からの展望」
 
食料品から日用品から
さらにはガソリンから灯油
それに電気ガス水道と
軒並み物価が上昇して
ジワジワ家計を圧迫し続けている
ぼくらのような下層の高齢者には
なかなか対応しづらくて
年金も実質年々目減りして
明るい展望は何もない
働き盛りなら
いざとなれば副業なども考えるが
体力も体調も下り坂の
老齢の身にはきつい
おとなしくおとなしく
老衰を受け入れるように
生活水準を落として行くことくらいしか
何も考えられなくなっている
 
日本人のメジャーリーガーの契約
10年契約でおよそ1000億円だそう
それをテレビやネットが連呼して
もうすぐ老々介護となる身のぼくらに
いったい何を考えさせたくて連呼するのか
いくらなんでも一人の身に
大金を集めすぎだろう
大海の水もどこかが高潮になれば
どこかが低潮になる
羨んで目標にして努力精進はいいが
ぼくらには精々
「たいしたもんだ、よくやった」
と言えるくらいのものだ
なんせ異次元の話なのだ
 
こんなに差があっていいものだろうか
彼に比すれば
ぼくらは虫けらみたいなものだ
人生の終わり近くでこんな思いにさせられて
しみじみしみじみ
人工の世は傷つけ合うもんだって思う
そして本当はそうじゃないって
言いたいのだが
負け惜しみではない言い方が
なかなか見つからない
うまく言えない
そんなところだ
 
2023/12/13
 
 
「床屋政談」
 
政府も軍隊も
それぞれの立場から理を詰めて行くと
最後は怪しいことになるな
 
もっと怪しいのは国民主権で
たいてい政府も軍隊も国民からの統制を離れ
独走しがちだ
つられて国民も一緒になって
憲法の理念を越すことがある
 
四の五の言わずに即刻停戦すりゃあいいんだ
一般市民から老人から子どもまで
巻き添えにして死なしてしまう
敵も味方もありゃあしない
双方の政府や軍隊の理屈や面子が
双方に犠牲者を生みだし続ける
もちろん召集された兵士たちも同じだ
 
結局二度の大戦から誰も学んでいない
ごくふつうの国民・市民・平民の願望
それを絶対の統制力として
死守する政府・軍隊なんか
どこにも存在し得ないのだ
だったら解体するか
あって無きがごとくに無化する装置を
全世界に準備せねばならない
軍隊に出兵命令を下す際は
全成人の8割以上の賛成投票を
必要とするとかなんとか
まずこれを自国の憲法改正で憲法に書き込み
もって国連の議案にかけ
全世界の国々の憲法に明記させる
これを一斉に
同じタイミングで行えばいいんだ
とりあえず日本がその先鋒となればいい
どうだい
そこの坂本龍馬好きのあんた
やってみないかい
粘り強く根気よく議論し
説得を重ねていけばいいんだ
 
2023/12/12
 
 
「理想」
 
われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する
 
憲法前文にずいぶん大層なことが書かれている
「全世界の国民」などと抽象を言うなら
その後に「我が国の国民に等しく」
など挿入してほしい
なぜならこの国においても
今日明日に
「恐怖と欠乏」におののき
身と心とを細めて生きる
そういう人が少なからず居るからだ
覇道も王道も
力の政治も徳の政治も
ハードかソフトかの違いで
すべての国民から
これを払拭する機構になったためしがない
かえってこれを生産する
多くか少なくかの違いだけだ
国民が徳の政治を望むのは当たり前だ
だがそれでさえ今日の有様で
不平等不公平は残る
 
自然がするそれではなく
人知のする不平等や不公平は
人間の内奥を深く傷つける
覇権を握る醜い争いなど
無くなってしまうのが
本当は住民生活者の理想なのだ
 
2023/12/11
 
 
「『初めて』に会う明日」
 
雨上がりの駐車場から少し先に
冬枯れ少し前の林が見えて
そのあたりにだけ陽光は注いでいる
枝に残る枯れ葉の色の
何ともわびしげに
日差しに溶けまた照り返し
ほらもうすぐ曇天の冬空が
痛い寒気を伴ってやってくる
と告げている
 
またもまたも
あの痛いほどの寒気を越すことになる
体をぎゅっと引き萎めて
心に抗いの力を込めて
へたらずにゆっくりと
越えて行けたらいいのだが
 
こうなったらもう
すべてを受け入れなければ
 
すべてを受け入れて
すべてを丸ごと抱きかかえて
真冬のど真ん中へ進まなくては
戦火の中も外も
全部凍えてしまえばいい
どんな境遇も楽しめる
と覚悟しなければ
もうこの先には進めない
 
生きていればこそ
明日はいつも
「初めて」に会う
あの樹木たちのように
「いつも」の中の「初めて」に
立ち会い続けるのだ
ひとりのする無力の営為を
黙って噛みしめながら
 
2023/12/10
 
 
「『公教育』考」
 
はじめて教わることは
誰にとってもムズカシイ
教えるものには簡単でも
教わる方にはムズカシイ
教えるとはそういうことだ
 
教わるものは
基本分からないこと
出来ないことを教わるので
いつも不安で及び腰だ
教わり続けると
教わったことよりも
不安や及び腰が定着する
そういう初動が身につく
 
道徳や倫理また善悪を教わる
そんなものは教えるものもそうだし
教わって高齢になってなお
日々の葛藤として残る
身体とその行動は
もともとそんなふうに出来ていない
圧や強制を持ってしても
やれる時もあればやれない時もある
教える彼自身がそうであるのに
自分にやれもしないこと
成れもしないことを口にする
建前というクローンを増殖するだけだ
 
教えること
知の注入が大事だと
はじめに誰が言った
またその習熟度を分析し
評価しようなんて
誰が何のために言った
 
明治の富国強兵が
現在の教育においても
その根幹となり動機となっている
ひとことで言えば古めかしい
旧態依然
先進やらITやらで装う下の鎧
それがムズカシイの正体だ
自ら学ぶ力を減殺する根幹の正体だ
 
全身注入され尽くした知を誇る馬鹿もいる
膨大な知をデータとして持ち
そりゃあコパイロットみたいに
生成も発明もするさ
でもそれは生成AIの先駆け
人間のする自然直耕による
思考でも知でもないさ
土の匂いも
身体の汗のにおいも
薫ってこない
一番だめなのは
現実を言葉でしか構成し得ないところだ
それを科学と言い切るのなら
すでに輸入して受け入れた時点で
手違いが生じていた
 
2023/12/09
 
 
「逆襲」
 
地表の少し上空を
嵐のように情報が舞う
情報は次々と頭蓋を透過し
脳髄に受信される
頭の中をグルグル舞う
嬉々として
脳髄は繰り返し
キャパシティを超える
加速が止まらない
荒れる大気のように
人智によって統御できない
そんな次元に入った
細胞を音源とするアラートが
頭の内と外とに響き渡る
 
2023/12/08
 
 
「時代の関心」
 
世の中を賑やかにしているのは
賑やかな人たちが
経済と技術の進歩に
賑やかに携わっているからだ
そこが中心となって
周囲にはまた別の
二次的な賑やかさが裾野のように広がる
 
よく考えるとおかしなことだが
世間とか社会とか
世の中を表すことばには
いつも中心が出来ていて
子どもや高齢者は中心には入れない
中心にいるのは
俗に言う働き盛りの
賑やかな人たちだけだ
経済や技術の発展に寄与する
さまざまな職業人且つ購買力のある消費者
子どもも高齢者も
けして不服を申し立てないが
二の次の扱いとなっている
 
精一杯に生きているという点では
子どもも高齢者も
成人前期・成人後期の
働き盛りの人も
なんの区別も遜色もない
ただ経済や技術
つまり高度文明の牽引役かどうかで
社会とか世の中とかは
その人たちを中心に回ってしまう
その人たちだけの世界かのように賑わう
別の言い方をすれば
時代の一等の関心はただそれだけにある
経済や知や文明や技術の高度化だ
要するに頭の世界の外化だ
なんと貧しいことかとぼくは思うが
時代は何も気にしていないのである
 
2023/12/07
 
 
「『公共放送』考」
 
テレビのチャンネルを無作為に回していた時
偶然戦国武将たちの複数のイラストが画面に現れ
そこに「英雄」の文字が拡大表示されていた
 
そうなんだよな
国営局まがいの公共放送
NHKでは戦国武将をはじめ
権力者またその側近や
密なる関係者をずっと「大河ドラマ」で取り上げ
ずっと「英雄」視してきている
それを見る視聴者子どもまでも
「英雄」として描かれる描かれ方に
感動したり感銘したりと
つまりは影響力がある
かく言うぼくも若い頃は
そんな視聴者のひとりだった
そんなドラマを面白く見ていたひとりだった
 
だがあんなものは史実そのままではなく
ホントのように脚色したうそである
小説家や脚本家が
過去の資料や記録をもとに
ひとつふたつの頭で作り上げた
つまり個的な創作がもとになる
個々の小説家や脚本家と
日本放送協会と国民大衆とは共同で
登場者を「英雄」に祭り上げる
観念的幻想的
そしてイメージ的な力においてである
だがそれら付加した意識・心理
そうしたものをすべて抜いて
彼ら英雄たちの行いだけを見るならば
得手勝手な大事業の夢に
異常な殺戮集団を結成し
非道の限りを尽くした異常な人たち
そう見て見えなくはない
 
国営局まがいの公共放送NHKは
かたくなにその路線を守りつづけている
現在に生きるぼくたちにとって
はっきりとNHKが明記した「英雄」
その像として
入れ替わり立ち替わりの大河の主人公たちは
「英雄」と遇されてしかるべきなのか
そんなんではやがてNHKも
非凡な大事業を画策する得手勝手な夢を見て
「英雄」たちの後を追いかけて行くようにしか思えない
そんな公共放送は
公共放送の皮を被った狐だ
 
2023/12/06
 
 
「負けず嫌い」
 
年の瀬が来ると
老いたる人には老いが憑く
借りを返さなくちゃとか
身辺整理しなくちゃとか
知らんけど
時間が妙に押し迫ってくる
 
結局は何も出来ずに
あれもこれも踏み倒して年を越す
何度も繰り返してきたそれを
また繰り返すのかって
肩と腰が悲鳴を上げる
 
たいていのことは予想が出来て
それがまたうんざり
ひとつ背が縮み
ひとつ腰が曲がり
ひとつことばを忘れて
逐一こんなことを心に書きためて
年を越したら
またひとつ孤独を深くする
老いたわたしの生きがいは
それだけだ
誰も慰めてくれるな
 
2023/12/05
 
 
「ことばの風」
 
ことばが時代の空を渡る時
時代の風を呼吸する
 
「愛」なら「愛」と囁きながら
ことばの風は入れ替わり
わたしたちはそれを
ひとまとめに「あい」と発声して
「愛」だ「愛」だと
はしゃぎ回る
 
ところで
ことばの「愛」は本物だが
その「愛」を見たことはあるか
手に触れたことはあるか
音声と外形ばかりを気にして
ことばの「愛」に内蔵された
吸収・循環・排出について
考えたことがあるか
さらにその考えを
検証したことがあるか
そしてそのいちいちは
年ごとに入れ替わり
変わりゆくものと認識しているか
 
ことばが時代の空を渡る時
時代の風を呼吸する
 
ことばの風は入れ替わり
気づかぬわたしたちは
ことばをファジーに受けとって
あるいはファジーに了解し
ニコニコと笑って
おそるべき生き物なんだな
わたしたちは
 
2023/12/04
 
 
「自給自足」
 
昼の太陽みたいに大空を
すました暗喩が闊歩している
気配はつんと上品で
レースのドレスに日傘を差して
わたしが詩ですって顔してさ
 
世の中には
そんな詩もなくてはならない
誰がどこから見ても
素敵だって思える姿形があれば
憧れの泉は涸れないから
 
大空の片隅また地平線のあたりには
飲んだくれの直喩がくだを巻く
そんな光景もありっちゃありで
ダサいセンスで着膨れて
くさい言葉の息を吐き散らしている
 
世の中には
そんな詩もなくてはならない
反吐みたいな詩を書いて
あんなふうには成るまいって
人界の堕落に歯止めをかける
 
本当は潜在する詩は
かえってそちらの方なのに
泥水の中の蓮根
泥だらけのジャガイモみたいで
そのままじゃ市場に回らない
それでいいさ
自給自足に残余は放置
近くを通りかかったらどうぞって
紙札貼って
それから自分も散歩でスキップ
となりの畑で残余をもらう
そうしてみんなで
まずそうな顔つきして食らう
新鮮な詩はそうでなくっちゃ
詩以前の詩が
そうであったように
できるだけ
巫山戯たものでなくっちゃ
きみも自給自足しろ
 
2023/12/03
 
 
「まぼろしの峠」
 
年長けてなお険しい峠の坂
熾烈な自己否定が登って行く
若い日にならまだしも
もう老いだけで心折れそうな身に
追ってまぼろしの槍
容赦なく降り注ぐ
命なりけり
青さなりけり
まぼろしの峠の
かくも長く険しく
強く激しく
人身を責む
老いたる人を責む
 
まぼろし故に
流血もなければ傷もない
ただ一閃の悲鳴を帯びて
老いたる人のこころ
かすれた軌跡を残し
宙空を飛び
宙空に消えた
 
2023/12/02
 
 
「幻の黄金期」
 
生涯の中で黄金期はいつかと問われたら
たいていの人は幼年期を思い浮かべる
身の回り数メートルくらいには認知が届き
だがその先にはまだ行き届かない
世界の大きさを知るのはずっと後だ
 
無知が栄えた験しはないと言うが
幼年期は無知ゆえの黄金期
一番無知が華やぎまた輝く時
大人になり老人になると
知を蓄え視野も広がるが
怖いもの知らずのあの幼年期ほど
輝ける時は持てない
 
人類史の幼年期は
この倣いで言えば文字のない先史
無明の眠りの中
桃源郷は黄金期の別名
以後の文明や技術の発達は
壮年期を経て
やがて老年期に到る
知を蓄え視野も広がるが
進化と深化を
もう手放しで喜ぶことが出来ない
ふと背負った業のようなもの
重荷となって
長寿へと持ち越される
それからまたずっとずっと先に
もうひとつの幻の黄金期に
出会えるものかどうか
知はAIに外化され
もういちど人は知を逃れ
幼年期へと退行することが出来るものかどうか
悔恨を忘れて
また輝く時を持てるものかどうか
 
2023/12/01
 
 
「幻の詩人」
 
彼の詩は文字を嫌う
句を嫌い節を嫌う
 
彼は詩を空に書く
雲に書く
時にアスファルトの上や
光る水面に
 
そうそう
彼が最も好むのは
草原をなで
林の梢を吹き渡る
風の譜面に向かう時だ
 
泣いたり叫んだり
怒号を口走る
そんな激しさを
あれもこれもすべて無声にして
ミュートの視線で詩を綴る
 
まもなく彼だけの
幻の詩集が出来上がり
それと同時に
幻を打ち消して
彼は瞬時に幼年へと還る
それから
ゆっくりと一日をかけ
現在へと
既知の軌跡を駆け抜ける
 
幻の詩人
彼は自分をそう呼んで
俯瞰の視線から
永久に消えて行く
 
2023/11/30
 
 
「書き始め」
 
慢性的な寝不足でいらつく
と言うことばの後に
女はとか男はとか
だが詩は
慢性的なを削除
かと思えば取り消し
寝不足でいらつくを削除した
慢性的なを残して
一呼吸置いて
その時ふと
おぼろげなおぼろが浮かぶ
慢性的な不眠
慢性的な不景気
慢性的な金欠
慢性的な過呼吸
慢性的な孤独
慢性的な膠着状態
慢性的な支配構造
慢性的な歴史の愚
いろいろ浮かぶが
詩は詩の言葉を定めかねる
とうとう詩は
次のように書き始める
 
慢性的なすべてのことにいらつく
 
2023/11/29
 
 
「非詩ー日本論の偏奇」
 
日本という島国はずいぶん古くからあって
そこに居住を構えた人たちも古くから居て
そこにまたいろんな場所から
いろんな人たちが移り住むようになって
やがてそれを一つにまとめて日本国と称し
国境という幻が設定された
以後この国に誕生した者は日本人と呼ばれ
現在でいえば日本国民のひとりに数えられる
 
最近日本という国がどうのこうのと
論争や議論が起きているのを耳にすると
なんかおかしいなあと感じる
肯定派も反対派も総じて
国家制定後の歴史しか見ないで語っている
どんなに遡っても
日本というものをその時点からしか考えない
まるで呪縛されているかのように
日本は日本はと言いながら
日本国成立以前の「日本」について
言及することがない
 
もっとはっきり言うと
どこもかしこも
だれもかれも
国家体制を前提において意見を述べている
そういう議論や論争は不毛で
なぜ不毛かというと
すべて国家を中心とした運営論に
意識的無意識的になるからだ
そんな話はもうとっくに聞き飽きて
そんなことばかりいう連中はみんな
内閣府にでも召し抱えてもらえば
それでいいじゃないかと思ってしまう
そんなことでは相変わらずで
要は上からの視点しか持てていない
 
日本をどうするかという話はいつも
日本の国の運営論・方法論に終始する
それが万能薬かのように
語る者たちだけが語っている
けれど上・下二分の下の民は
上下が嫌だなとか
争いなく暮らしたいとか
イワシの缶詰ばかりじゃ飽きたなとか
そんなたわいのないことを
心に秘めながら
大気の中を浮き沈みしている
日本をどうするかという話は
いつもそういう人たちを圏外において
語られている
そんなんじゃだめだって
そんな話がなくなる社会になってほしいって
顔の見えない人たちと
顔の見えないぼくたちとは
同じように思っている
 
2023/11/28
 
 
「『佐藤』のやりくり」
 
個人の「佐藤公則」と
家族の間の「佐藤公則」と
社会における「佐藤公則」は
おなじ「佐藤公則」だがみんな違う
 
わたくし「佐藤」は
脳内に自動変換装置を搭載し
先の三つの場面に即対応
スムーズに行き来する
まあ見かけは
そんなところです
 
ですがですが
わたくし「佐藤」は
本物の「佐藤」を探せとばかりに
3つの間を右往左往
いずこに居を定めるべきか
今なお迷いに迷っています
勢いは個人と家族に傾き
社会における「佐藤」は
自然ほったらかし状態になってます
万遍なく3つに力を注ぐと
一つ一つが非力になり
かといって3つの内の
どれか一つに絞るのも難儀です
たとえ一つに絞れても
それぞれの中身はまた
ごちゃごちゃしてますし
これで3つの間を
万遍なく行ったり来たりして
すべて合格点に到達する
そんな人がいたら
「いやあ、立派な人だな」
とかなんとか呟きながら
その人に向かってすぐさま手を合わせ
きっと拝んでしまいます
 
2023/11/27
 
 
「〈老い〉から〈孤独〉へ」
 
身内から世界大の先まで
誰ひとりきみに期待などしていない
そのうえきみの存在などに目もくれない
見向きもしない
ところで
老いたものもきみと同じで
社会の片隅で孤独だ
きみと同じさみしさを味わっている
 
まずこの現状を
つまり社会的には無力の
何者でもないという事実
あるいはきみに内在する能力は
どこからも求められていないという事実
そういう事実を片っ端からかき集めて
集めた事実をすべて
いったん受容したり
許容したりすることにしよう
するときみは明日がない
未来がないというように思えて
きっと落胆したり
不安に怯えたりすることだろう
明日がない未来がないという思いは
急に「就活」なんて言い出す
老人たちも同じ思いだ
きみの境遇は
老人たちの境遇に似てくる
ぼくが老人の仲間入りをしたように
きみも老人の仲間入りをしたと同じだ
それでもひとつだけ違っていて
きみはまだ若いということだ
エネルギーがまだ満ち満ちていて
それが内に向かって
きみをより苦しめている
 
さてぼくらはこのように
やや似たところのある者同士なので
ぼくからきみに向けて
ちょっとしたアドバイスを送りたいと思う
いまきみは
孤独な姿で孤立していて
自分の人生は『終わった』と考えている
だがそれは違う
老いが老いの姿で続くように
きみの人生ももうしばらくは続いていく
孤立した孤独な姿のまま続くのだ
だからいいか
大向こうに対して
主役を張ろうなどと考えるな
そんな一発逆転を夢見るな
もいちど現状を再確認するならば
そんな夢や希望は邪魔なだけだ
羨望を捨てて
勧誘を捨てて
世俗的な欲の一切を捨てて
虚心になって捨て身になって
それから自分にこう問え
『すべてを喪失した今
 残余の時間をどう使おうか』と
 
そうさ
もうきみはためらわずに
残余の時間を自由に使える
そういう境遇と境地に立っているのだ
無の空間に対して
無限大の時間が目の前にある
どう使うかは全くの自由だ
きみはきみの時間を占有する
時間の中をどこまでも飛んで行ける
だから嘆いていないで
刀折れ矢尽きるまでその時間の中に遊べ
きみの考えるべきことを考え
きみのやるべきことをやれ
それが単なるコンピュータゲームだとしても
単なるゲームから
生涯をかけたゲームへとその時変わる
それが自分の価値であり
価値を託せる価値あるものと信じられたなら
何でもよいそのために時間を使え
そうしてその何かを決定できたら
ただひたすら没頭せよ
さらに没頭の楽しさの味を占めたら
次には延長また継続の算段をせよ
価値の延命のため
世俗に生き延びる算段をせよ
 
2023/11/26
 
 
「〈もっけの幸い〉ーぼくときみとの主戦場」
 
 仕事に就いて業績を上げ、周囲に認めてもらう。一昔前はそういう生き方がベーシックで、みんなそれに生涯をかけた時代もあった。けれど今は違う。
 ぼくはそういう流れの末裔で、若い頃にはそうしなければと思ってがむしゃらに働いた。けれどもちょっと疲れて、違ったなと考えるようになった。もちろん今でも、生きることはそういうことだって考える人もいてそれはそれでいいのだけれど、現在の一部の若者のように、「俺は働かねぇよ」というのもありはありだなと思うようになった。
 ぼく自身はしかし、まるっきり働かねぇとか、金なんかは要らねぇとか思わなくて、軽く単純で楽な仕事を短い時間がまんして働いて、あとはのんびりヌルッと生きられればいいと思うようになった。それだってまるっきり世間と相渉ることを免れない以上、いろいろ大変なこと、煩わしいこともある。でもまあ、そういうことも割と少なめな、そういう生き方でいいんじゃないかって思うようになった。そうやって、自分の力能を少なめに見積もった方が、いろんなことに負担が少なくてすみそうに思える。
 ぼくはもう先が短くなったということもあるし、現役から後退した身でもあるから、世間の風当たりの弱い吹きだまりのような場所に押し出されてきた。一抹のさみしさももちろん感じるが、それよりも、『おや、自由な時間が増したぜ』という発見があり、今こうした事態に至ったことを〈もっけの幸い〉のように感じている。この時間を利用しない手はない。
 そこでぼくが考えたことは、ぼくが一番大事だと考えてきたこと、大事にしたいと思ってきたことは何だろうかということだ。あるいは今大事だと思うこと、大事にしたいと思うことは何かということだ。そしてせっかくだから、余剰の時間をその大事の探求に使い、さらにその大事のために使いたいと考えた。これをするのに誰に気兼ねする必要もないし、誰からも文句を言われることがない。たぶん。
 ぼくにとっての大事は、心とは何か、人生とは何か、その問いに自分なりに答えを見いだすことだ。これは変わるかも知れないが、今のところはそう思っている。好きなペースで、好きなだけ考えて、納得できるところへ進んで行ければよい。
 こんなことは簡単にできそうで実際はそうではない。たいていは先人、それも有名な思想家や学者や研究者の話やことばを読んだり聞いたりして、それを自分の考えかのように錯覚し、自分の考えのように偽っていることがほとんどだ。
 そうではなくて、社会や先人の考えを自分の中に取り込んで終わりとするのではなく、それらを消化した上で、始めから終わりまで自分の考え以外ではないというように組み立て直したいのだ。
 
 こう考えてきた時に、ある意味社会に不適応の人たちにも、同じようなチャンスの目が訪れているんじゃないかと考えた。一般常識的に考えれば、そういう人たちは社会の主流から外れていると見なされるが、それこそ社会の主流が主流でも何でもないことを見抜く契機が、そこに出来ているんじゃないかと思えたのだ。今さらどうせ幻の社会の主流の仲間入りなど出来ない。では、内在のくすぶる力能をどこに発揮したらよいのか。つまらぬ社会の競争の中に浪費するのではなく、どこに消費したらよいのか。
 金や名声や地位といったものにはつながらない。それ故にそれらから自由で、純粋に、価値だと思えること、大事だと思えること、最も大切だと思えること、そういう所に労力を使える可能性が膨らむのだ。そこに全労力を注ぎ込むために、必要なら、かつての「沙弥教信」さんのように荷物運搬の手伝いをしたり、楽なバイトを探して、第二義の力をそこで使えばよい。現在のぼくがそうしているようにだ。社会の通念や常識などはどうでもよい。その埒外を主戦場とすればよいのだ。ではないか。
 
2023/11/25
 
 
「『愛』私論」
 
この歳になるまで
どうしても口に出来なかった
ことばがひとつだけある
それは「あい」で
文字にすれば「愛」になる
 
幾たびか
口に出して言うべき
機会はあった
そのたびに
喉元までこみ上げる
そのことばを最後
呑み込んできた
面と向かっていては
言えなくなってしまうのだ
「好き」とは言えた
「愛してる」とは言えなかった
 
「好き」は好きで
よく分かるし納得も出来る
だが「愛」ってなんだ
「愛」って何かが
納得できるように理解できない
分からない
「愛」のことばに感じてしまう
崇高な何か
その崇高さが
どこをどう探しても
自分の中には見当たらない
「好き」には崇高も何もない
自分の中に
ストレートに「好き」がある
 
社会通念として
観念の上で「愛」を理解するが
さて自分の中に
「愛」があるかと問われれば
途端に自信がなくなる
やっぱり「愛」が見つからぬ
ぼくには「愛」がない
身と心とを捧げて厭わぬ「愛」が
ぼくの中には見当たらない
長年にわたり
このことはぼくにとって
他者に対する
負い目のように作用してきた
ぼくの欠陥ではないかと
密かに思いなしてきた
身も心も捧げる
そういう覚悟が今も出来かねる
その場に立たないと
分からないと思ってしまう
それでも世の中に
ことばの「愛」は
光のシャワーみたいにまぶしく
降り注がれ続けている
 
2023/11/24
 
 
「戯れのうた」
 
戦後の農地改革みたいに
大きな鉈を振るう覚悟の
政治家政党はいないか
過多と判断される企業や富裕層の資産を拠出させ
再スタートの資金として
就職難民や貧困に喘ぐ層に贈与するとか
耕作放棄の田畑を買い上げ
無所有の人々に田畑や土地を分け与えるとか
ピンとキリとを無くし
中央の層を厚くして
もって多数の元気を取り戻す
そんな博打を打てる言い出しっぺはいないか
 
ちまちまと
さして効果のない策を
打って打って打ちまくって
やってる顔をテレビ画面に得意げに見せつけるが
視聴者はさらし者のさらし首としか見ていない
何遍そんなことをやれば気が済むのか
雇われ統轄者たちの能なしどもが
いっそのこと農地改革みたいなことは
出来ませんから能なし改革をします
みたいなことでもやりゃあいいんだ
子育て支援も介護や福祉のサービスも
結局その財源は与えて吸い取るじゃ
元気になりたくてもなりようがない
 
農地改革はほぼ進駐軍のお手柄だが
鎌倉時代には日本人だけで
徳政令など為したこともあった
それから言えば文明も文化も
教養も知力も格段に発達した
東大をはじめとする有名大学出身の
政治家と官僚がひしめく永田町で
そんなこともあんなことも
何一つ出来ないなんてありえない
本当はこれまでの停滞をフリに使って
大鉈を使うオチを用意してるんじゃないか
そうなんだろう
一気に逆転のサプライズを敢行する気で
慎重に策を練ってるんだろう
頼むよホント
焦れったいな早くしてくれ
 
2023/11/23
 
 
「句読点考」
 
どう書いてみても
その綴りには既視感がある
背中から
ぼくを介して
頭や心を操作して
ぼくのことばを装って
背後から強いてくる力や意志
 
だから書いても書いても
ぼくはぼくのことばに到達できない
不純物の残渣のような
先人のことばだったり
受けの良さそうなことばが混じる
おそらくはまだ
否定が足りない
反転が足りない
誰も抽象し得ないところまで行かないと
吹っ切れない
それは居心地のよい妥協だ
 
だがそんなにしてまで
そこへ向かう必要があるか
ことばに純粋を求めれば
ことばは指示を失い
意味を失う
それが本当にいいのか
おそらくそれはそうなのだ
行き着くところはそこだ
が 行き着けば
そこはただの中継点だ
 
自己表現の極致となって
その後でトボトボと
意味ある世界に戻るまで
はたしてやり抜くことが出来るのか
行ったっきりで済むと思うな
目指すなら
還りがけまで責任を持て
知らん顔をするな
おのれひとり孤立して
おのれひとりを救済して
倒れてはならぬ
ことばを
持ち去ってはならぬ
 
2023/11/22
 
 
「今日のいまこの時」
 
先のことを考えたら不安になる
暗くなる
だったら先のこと考えなきゃいい
今は今で
居間にいてボーッとしている
ぼんやりテレビを見ている
それはささやかな休暇で
浸るなら思い切り浸ればいい
深いリラックス
力を抜いてくつろぐ
その瞬間はそれに集中する
これはさ
動物や植物の生き方の極意
人間たちのように
長い先まで考えたりしない
 
考えたければ考えればいい
不安になりたければなればいい
それでうまい答えが見つかるなら
別に否定すべきものでもない
ぼくのような盆暗は
先見の明などこれっぽっちもなく
考えても考えてもこの結果さ
老後の蓄えなんて
これっぽっちもない
いまだに囚人の労役みたいな仕事して
気持ちはいつもその日暮らしさ
つまり目の前の現実に向き合って
気を逸らすひまもない
だったら寝転べる時は寝転び
遊べる時は遊ぶ
そんな風に生きるしか手がない
この継続この連続がすべてさ
これでもけっこう
幸せに遭遇する瞬間はある
 
天気のよい日の青空とか
今の季節なら
遠い山並みから近くの街路樹の紅葉
事業所に通う子らの笑顔
妻と一緒に食料の買い出しに出たり
分担して掃除洗濯をしたり
ひとりの時間をもらって
こんな風にパソコンで
詩のまねごとを綴ったり
おそらくは悪しき宿業を負った自分には
すべて有り余る喜びと言ってよい
地獄の住処における
過分な報酬である
そんなもんで
明日にどうなろうと
ぼくの知ったこっちゃない
どうしても先のことを考えてしまったら
こんな風にして
強く否定するだけだ
ぼくには今日のいまこの時しかない
ぼくには待ち望む明日がない
 
2023/11/21
 
 
「型の踏襲」
 
みんなが言うことには
ある型がある
類型や様式がある
それらは時代やその時代の社会の
無意識から醸成される
それを単純な一言で言えば
「らしさ」があるということになる
 
政治家の話には政治家《らしさ》があり
学者の話には学者《らしい》話しぶりがあり
学校の校長には同じく《らしさ》があるし
テレビの司会者やコメンテーターにも
それぞれの《らしさ》がある
さらに言うと
俳優や歌手やテレビタレントや
芸人にもそれぞれに《らしさ》がある
アスリートもそうだ
 
さらにこれらをひとまとめにしても
《らしさ》が抽出できて
それは言ってみれば
聞き心地のよいことだけを
注意深く選んで言っている
となる
コンプライアンス
法令順守
内心を含め
それぞれの世界の暗部
裏の楽屋話は表に出さない
内部批判もしない
我々国民も知らず感化され
話すことばは《らしさ》にすり寄ってゆく
 
その結果がジャニーズ問題となり
政治家の不祥事の露見となり
多種多様な炎上騒ぎになったりしている
聞き心地のよいことばかり
言ったり聞いたりしている足下で
どんな醜聞が進行しているか
口をつぐんだ結果がこれだ
「そうしなければならない」とか
「そんなことをしてはいけない」
などと言うばかりではなく
「こんなことになっている」
「こんなことをしてきた」と
はっきり言うのでなければ
型を超えて行くことは出来ない
自在になることが出来ない
もちろんそのためには
本音に寛容で
許容できる社会でなければならない
はたしてわたしたちは
型から自在になり得るのか
社会は型という
停滞した合意形成のようなものを
破棄することが出来るのか
これはもう人たちの
腹のくくり方ひとつだ
 
2023/11/20
 
 
「峠越え」
 
日々の朝の半分は
最初に
まずかったな
失敗したな
と言う気分がよぎる
空疎なのだが
胸に反響する
 
パジャマを脱ぎ服に着替え
布団をたたんで掃除機を手にする
この一連の流れは
気分を変えるルーティーン
たいていは
そんなんで収まる
 
朝は峠である
老いたものには悔恨があり
一日の始まりは
その峠越えから始まる
若くしては見えない峠だ
それは「小夜の中山」
けっこうな険しさ
ふとある日
それは始まる
 
2023/11/19
 
 
「世界は苦しい」
 
わたしたちの世界は苦しい
わたしたちの観念の世界は苦しい
 
こんな所に誰も引き込みたくはない
そういうことでわたしたちは
実にたくさんの人たちと
無言で別れの挨拶をする羽目になった
ささやかな幸せを手にすべき人たち
安穏なごくふつうの生活を約束されるべき人たち
そんな人たちが当たり前にそれを手にする
そういう世界は大切にされなければならない
そうでなければこの世界はあんまりひどい
 
わたしたちは彼らの視界の外で
わたしたちの考えを紡がねばならなかった
子どもが初めて作ったぬいぐるみのように
安物の詰め物を入れて生地を縫い合わせ
どこからどう見ても不細工で
およそ市販されたものとは似ても似つかぬ
偏奇な思想が出来上がった
それから修正に修正を重ね
いよいよ偏奇の度は増すばかりだった
見苦しく不快なぬいぐるみ
誰からも愛されず共感を得ぬ
目にすればすぐにゴミ箱行きのぬいぐるみ
素人の手による思想の限界がそこにはあった
 
わたしたちは呪詛した
こんな所にわたしたちを追い込んだ
観念の世界の職人たちを呪詛した
彼らの手が作り出した観念のぬいぐるみが
ささやかな幸せを手にすべき人たちに
ささやかな幸せを与えているのであったら
わたしたちは幸せを手にすべき人たちの仲間に
加わっていたかも知れない
もしも職人たちが名に恥じない
職人たちであったのなら
 
わたしたちの世界は苦しい
わたしたちの観念の世界は苦しい
わたしたちの手が作り出すものは
さらに偏奇で貧しい
そのすべてを抱えて
わたしたちはもうすぐ餓鬼の道に入る
 
2023/11/18
 
 
「灰色に輝く」
 
ここまで来たらもう
後戻りしている暇はないよな
形而下的にも形而上的にも
四の五の言ってられない
悩み苦しみを手放せないのだ
人間とは不便なものだ
生き物とは悲しいものだと
まあとりあえず
そんなことを知るだけの旅だった
それは個人的に言えば
旅としてはなかなかのできだ
楽しく愉快な旅だったと言ってよい
 
旅は自分ひとりの旅だ
きみのこの世界での不適応の色は
他者に分かるものではない
なんと分かったふりの多いことか
そんなことばは全部
時代と社会の型をなぞるだけのもので
ほんとうは空疎なものだ
悲劇にせよ喜劇にせよ
ある一瞬に
きみは世界の中心にいて
ため息ともつかぬ吐息を吐いて
世界を震撼させた
その時世界は確かに震撼したのだ
網膜に焼き付いたそれは
きみのお手柄だ
きみはそれを最後の関所に差し出し
それでもう
旅を終えられる
きみの所業はすべて
灰色に輝く虹となって消えて行く
 
2023/11/17
 
 
「ことばについてのひとつの夢想」
 
昔ことばには意味がなかった
赤ちゃんことばのように
アマママとかンバババ
とかのようにだ
そんな意味のないことば時代が
幾世代も延々と続いて
確実に発声の仕方を進化させて行った
その中で次世代につなぐあり方
つまり母から子への発声の刷り込みが
長きにわたって行われ
成長した子どもたちがまた
そんな遊びのようなやりとりを繰り返し
遅々としながらも世代を交代していく中で
徐々に発声の自在を獲得して行き
やがて意味あることばの形成に
自然に進んで行った
 
その長い長い過程は
現在にもことばを習得する初期の過程の中に
つまり母の語りかけに呼応し
子どもが真似るという形の中に
象徴的にうかがい知ることが出来る
現在ではすでにことばを獲得した母がいて
子がそれを真似るが
まだ意味あることばを獲得していない時代にも
母と子の交流は為されていた
そしてそのことに数千年数万年を費やして
表出欲求は次第に意味あることばの交流へと
飛躍を遂げて行った
ひとつふたつ意味あることばが
群れや集団の中で確定すれば
あとは一気呵成であったろう
意味あることばを獲得する過程は
魚類の上陸における肺の獲得のように
大きな飛躍だったに違いない
 
現在では乳幼児から幼児への短期間で
子どもたちはことばを獲得する
ここから人類史の
ことばの獲得にいたる期間を当てはめて考えれば
子どもたちの獲得の期間を
数千倍数万倍あるいはそれ以上に
引き延ばし膨らませて考える必要がある
ぼくらはことばを
空気や水のように
当たり前のものとして考えがちだが
それから言えばことばは
人の作り上げた空気や水だし
今や必要不可欠のものになっている
またこれを短期間に獲得する子どもたちは
それだけでもう
いっぱしの存在だと思えてくる
つまり不明と暗黙の内に
すごいことをやってのけている
 
2023/11/16
 
 
「独想のこと」
 
現在社会の経済活動また経済構造も
思想的・法的・政治的な観念形態
およびその組織や制度も
おしなべてみんな変でおかしい
とてもそのまま肯定できない
ひとことで言えば
富や権力や権威あるものたちだけに
都合よく偏重した仕組みや形になっている
そのために一般の
中層・下層にある人々も
多種多様な富と権力に憧れこれを羨み
我も我もとひしめき合い
金を求め色を求め力を求めるため
時に知力また腕力や謀略を用い
非合法さえ厭わず手に入れようと欲し
世は阿鼻叫喚の坩堝とさえなっている
意図的にこれを社会の活性と吹聴し
これを健全な社会の常態のように仮装し
明るさのように粉飾し
もって高度な文明と自画自賛する
一部の隆盛にスポットライトを当て
大半の没落や挫折は影の中に置かれ
頑張らないからそうなると
見くびりまた侮る
 
誰がどう考えたって
正義でも公正でもない世の中を
変だよおかしいよって言わない
あるいは言い続けることをしない
そういう正人であるべき人たちも
みんなぽしゃった
乱暴に言えばすべて大社会の大混乱は
文字と思想を持つまでに
人社会が発達したところから起こった
そこが源流であり分岐であり分水嶺だ
この社会を変えるには
そこまで遡って
何がどう誤ったのかを検証しなければならない
そして正すべきを正さなければ
明日の世界は今を拡大拡張して行くだけだ
一方に自分がよければそれでよい
とする考えが根強くあり
また一方では
みんなが平等に暮らせなければいけない
と言う考えも起きていて
源流に遡って見渡せば
混乱の歴史を経て
ほんとうに望ましい社会の
素朴な原形がそこに見えてくる
現在を沈没の終末と見なすのではなく
曙と見なす見なし方が
その先にやっと立ち現れてくるはずだ
 
2023/11/15
 
 
「喪中につき」
 
「喪中につき
 新年のご挨拶は失礼させていただきます」
と葉書に書いて送った
たった十枚の葉書だ
その十枚も来年にはもっと少なくなる
 
思えばずいぶん乱暴に
人との関係を断ち切ってきた
蔓の絡んだ藪をかき分けて進むように
あちこちがむしゃらに
切り付けて切り付けて
歩き続けた十数年の成果
 
身軽になって
好きなことをするんだって
毎日意識の追っかけをして過ごした
気遣いをせぬ安穏と傲慢
やりゃあできるじゃないか
やっぱりひとりでは
生きて行けないというのは嘘だ
ぼくの乱暴に刃向かって
一緒に歩こうって
しつこく肌すり寄せるものはいなかった
おかげでぼくは
奔放な意識の真向かいに
いつも対峙できるようになった
それで格別どうこうではないけれど
意識もことばもパンパンに膨れ上がって
遡上した鮭みたいにさ
あとは一気に放出する準備だけは整った
 
2023/11/14
 
 
「ひとりからの解放」
 
ひとりっきりで生まれ
ひとりっきりで死んで行くんだなあ
 
父のことも母のことも
あの笑顔とか
いっしょの笑い声とかしか知らない
夢や挫折や苦しみや喜び
どんな考えを形成し
家族や社会にどう貢献しようとしたか
そんな一つ一つについて
何も知らなかったし
あらぬ方に夢中な我が子への視線に
振り返ることもせず
ぼくはぼくで忙しく
目の前の事象物象に対峙していた
 
そういうもんだ
その繰り返しだ
父母の生涯について深く知りもしない
身内が寄り集まって
それぞれの断片を出し合っても
全体に届きはしない
いい人だったとか
やさしかったとか
そんなんでは結局
大半のことは自分で背負い込んでいった
ということなんだろう
 
人間ばかりではなく
動物や植物
ありとある生き物たちすべても
個に始まって個に終わる
そういうもんだって
納得してかしないでか
生涯を終える
孤立や孤独から
永遠に解放される
 
2023/11/13
 
 
「孤立の完成」
 
ぼくには敵がいない
憎むべき
人という対手がいない
何やら意識を操作して
そうなった
社会や彼らとの間に溝ができ
意識上の引きこもり
そのオーラを身にまとい
またはレンガのように積み上げて
孤立がもうすぐ完成する
 
ぼくには敵がいない
憎むべき
人という対手がいない
悪人も善人も
この距離からは等しく
ただ他者になる
悪も善もまた同等で
ときに困惑する
完璧に孤立したのだが
そろそろ退去も撤去も近い
 
孤立や孤独の組成により
ほんとうはここから
地面の下の樹木の根のように
自在な交流が始まる気がしていた
大気の中に気を放流し
どこまでも飛んで行ける気がしていた
電波よりも正確に
気の双方向が可能になると
夢を追ってきた
やっとそれが完成に近づいたのに
もうすぐぼくの休暇は終わる
老いた近親の完璧な孤立
そして見送るぼくの心身が
ぼくにそれを伝え
それを教える
 
2023/11/12
 
 
「平凡な人生」
 
腰を曲げた田舎の老女
みすぼらしい態(なり)で
ゆっくりと道を横切って行く
自分の生涯を打ち拉がれるように背負い
手入れが行き届かない髪や手足に
あからさまな老いを表しながら
一歩二歩と歩んで行く
 
腰を曲げた田舎の老女
若い頃はイケイケで華やかに生きた
けっこうモテモテで
人に言えない火遊びも何度か
そのたびに心を燃やした
 
腰を曲げた田舎の老女
若い頃は才女で輝いていた
高校から詩を書き始め
同人誌に名を連ねたこともあった
生死を彷徨うこともあった
 
腰を曲げた田舎の老女
シャッターの閉じた
小さな田舎の商店街の道を
寂しげに歩いて行く
今はもう歩くだけで精一杯のよう
 
その老女の生涯をあれこれ想像してみれば
ぼくやきみとさして違わない
細々(こまごま)とした生き様があり
それを世間では
「平凡な人生」と呼んで一括りにする
もうすぐぼくもきみも
そんな一括りへと進んで行くことになる
 
2023/11/11
 
 
「平凡な人生」
 
腰を曲げた田舎の老女
みすぼらしい態(なり)で
ゆっくりと道を横切って行く
自分の生涯を打ち拉がれるように背負い
手入れが行き届かない髪や手足に
あからさまな老いを表しながら
一歩二歩と歩んで行く
 
腰を曲げた田舎の老女
若い頃はイケイケで華やかに生きた
けっこうモテモテで
人に言えない火遊びも何度か
 
腰を曲げた田舎の老女
若い頃は才女で輝いていた
高校から詩を書き始め
同人誌に名を連ねたこともあった
 
腰を曲げた田舎の老女
シャッターの閉じた
小さな田舎の商店街の道を
寂しげに歩いて行く
 
その老女の生涯をあれこれ想像してみれば
ぼくやきみとさして違わない
細々(こまごま)とした生き様があり
それを世間では
「平凡な人生」と呼んで一括りにする
もうすぐぼくもきみも
そんな一括りへと進んで行くことになる
 
2023/11/11
 
 
「事業所の駐車場にて」
 
小さな団地の斜面に立つ家々
並んだ白壁に
夕日は明るく射し
ほんのり橙色がかった
透明な光が射し
老いて下る坂の凄まじさは
もうすぐそこと
やさしく教えている
その瞬間に気配が立ち止まり
気配は動き出す
 
突然というように
視野のこちら側から雀の一群が羽ばたき
右斜め上空に飛翔し
視野から消えた
上空はまだ青く明るい
夕日射す
あの白壁の家々のどこかでは
老々介護に疲れた夫婦が
ひっそりと
夕餉の支度を始めている
 
今日の仕事ももうすぐ終わる
軽度の障害の子らを
それぞれの家に送り届けると
夕日も落ちて真っ暗になる
定時には事業所を出て
帰路につく
これまでもこの先も
まだしばらくは
同じような日を送る
 
2023/11/10
 
 
「訛りから見る日本の勢力図」
 
しばらく前から
訛りことばに故郷を背負った
政治家たちを見かけなくなった
マイクを通した
没個性の標準語が主流だ
 
テレビのバラエティー
お笑い番組では
どういうわけか関西弁が奮闘
イメージ的に
標準語と二分する勢いだ
その他の地方は
東京大阪の二大都市に吸収され
見る影もない
京都と博多あたりが少々
我が東北訛りは
「王林」ちゃんだけが踏ん張っている
 
公共の場を通してみると
そういう勢力図になる
もちろん地方では
今も訛りは健在なのだが
中央が中央を中心とし
何でも中央を垂れ流せば済むと
中央官僚的志向におんぶに抱っこ
ほかになんの策も見出せない
そんな中央の驕りや集りが
マーブリングとなって
この社会の表象を飾っている
 
生活者の原像を顧みぬ
地方を吸い上げようとせぬ
そんな構図が
そのまま写し取られている
地方の疲弊も過疎も
そうして為った
地方にはもう
反骨の知も情もない
 
2023/11/09
 
 
「生活ということ」
 
イライラもイジイジも
細胞のように
ぼくらを形成する何かだ
微小で些末に思えるが
それでも確かに
ぼくらをどこかに駆り立てる
これを不問に付すこともあれば
読み解くために
生涯こだわり続けることも出来る
また中途半端に
行きつ戻りつもする
ぼくらはたいてい中途半端で
生活場面のあちこちに
あえて置き忘れたふりをして
それを含めて
人の生活なんだと考える
 
2023/11/08
 
 
「もしもの話」
 
若い頃の一時期
失業していた時があり
何とも言えず肩身が狭かった
もっと若い頃
ガールフレンドがいなかった頃も
同じように肩身が狭かった
付き合う異性がいたり
職にありついて
とりあえず働いていると
それだけで何か気の持ちようが違った
中身や内容ではなくて
とにかく彼女がいる
仕事をしている
それが安心感になって
大手を振って街の賑わいを歩ける
そんな気分だった
 
どうしてそんなことになるのか
高齢になった今でもよく分からない
瓦解寸前の関係だったり
毎日仕事に出かけたくない
仕事を辞めたいと考えていたり
詳細にわたって考えれば
けしてラッキーハッピー
とばかりは言えないことも多々あったが
彼女がいない
仕事がない
そんな時に比べたら
気持ちだけでも一人前の気分になれたんだ
 
どうしてそんなことになるのか
高齢になった今でもよく分からない
そうでない時は
とにかく最悪だったんだ
最悪な気分がいやだったので
是が非でも仕事にありつきたい
異性を振り向かせたい
それが原動力になって
人並みに言えば頑張った
そういうことになる
 
ほんとうに大事なことは
理想的な家族を作るとか
優れて価値ある仕事を為そうとか
そういう志なんだと思うが
それは二の次になった
それがあるととりあえず安心できる
それだけの衝動で事を為し
為した後で
これが理想か価値あることかと問い続けた
 
物事はいつも逆から始まった
無知から始まった
今になって考えると
仕事をしないという選択肢
家庭を持たないという選択肢
そういう選択肢も有りだったなって思う
はじめから知的で明晰な頭脳と
孤立も辞さない気概が
もしもあったとしたらの話だが
 
2023/11/07
 
 
「ある閉塞」
 
単独生活から家族
もう少し広げて血縁
地縁の群れ形成においては
合議によって物事は決定し
決定事項はほぼほぼ全員に納得され
周知徹底もされやすい
 
やがて小国家群立へと
歴史は歩を進め
統一国家が成立する頃には
統括する側とされる側とははっきりと分かたれ
成員全員の合議に依るどころか
統括側の合議による決定が
一方的な指示や命として
被統括側に下るようになった
支配と被支配が完璧になり
以降政権の交代は重ねられながら
二分するシステムは
今日まで続いている
地上の人社会は
国家で埋め尽くされている
 
国家成立の功罪は
わたしたちの目の前に
露出して見えている
その「功」は文明技術の発展となり
人々の暮らしの向上
生活の利便性など挙げればきりがない
一方の「罪」もまた
挙げればきりがないが
一番の「罪」は戦争の遂行に求められる
そもそも国家の前提には
利益主義が潜在し
確保や増大を求める運動体として
国家は存続している
戦争は国家を維持運営する
一部のものたちのために
一般の成員を課して
戦場に向かわせる
その構造は平時における就労と同じで
ひとりひとりの働きが
国家の繁栄と窮乏に関わる
対する他の国家も事情は同じで
駆り出された成員同士が
互いに血を流し合ったり
働きの一部をピンハネされて
それでも唯々諾々と
従うほかにない
なぜならこうした構造を
打ち破る手立てが成員にはない
 
月にでも出かけようかというこの時代に
戦争もあり窮乏も貧困もあり
それも明日は我が身でありながら
人は人らしさを失って
やみくもに働き
やみくもに考え
優しさも思いやりも
遠くまで羽ばたいて行くということがない
こじんまりと
ため息だけついて過ぎている
 
2023/11/06
 
 
「無視世界」
 
草原にひそむ虫たち
気配を殺しているのか
ぼくらが無視しているのか
虫虫無視の
実は最近気にかかる
虫たちの無視世界
 
虫のように無視されたり
無視したりして
たとえばムムムと詩を書く
書き終えて
何もすることがなかったら
居間に下りてご飯を食べる
歯を磨く
薬を飲む
あくびが出たら横になる
 
虫の知らせがないのがよい
虫の居所が悪くならず
虫の好かない人に出会わず
虫の息にもならず
虫も殺さぬ家族と
虫のよい人たちばかりの職場と
互いに無視したり
無視されたりしながら
ムシシと暮らす
そんな毎日に
変な心の虫が
湧きさえしなければなあ
 
2023/11/05
 
 
「頭の働きに普遍はない」
 
普遍性とか一般性とかの語は
文字として
辞書に意は記述されているが
たとえば
「@すべてのものに通ずる性質。」とか
「Aすべての場合にあてはまる可能性。」なんて
誰か見たことがあるか
触れたことがあるか
 
有りそうで無さそうな
無さそうで有りそうな
曖昧模糊とした
人間の頭にだけ明瞭に捉えられるもの
たとえば
「動物の目は二つ」と言う時に
一つとして同じ目のないことは捨象して
眼前の光景を受容する器官だけに抽象する
そうすると猫の目も
ウサギの目もワニの目も
「二つ」で同じということになる
現在考えれば
自明のことのように受け取られるが
これは主に西洋近代に発生した分類法で
古代特にアジアには
目という器官に絞って
いろいろな動物を同列とする見方がない
となると
普遍性を考える頭の働き自体に
ほんとうは普遍性がないと言うことに
なりはしないだろうか
時代によってどうにでも変わる
あるいは長い年月で少しずつ変わって行く
 
原理主義ははじめから矛盾しているし
真理は真理によって滅ぼされる
そういう運命に有る
 
2023/11/04
 
 
「いつか来る」
 
学校に行くことが善だとすれば
学校に行かないことは
行く以上に善だ
仕事をすることが善だとすれば
していないこと
もしくは出来ないということは
それ以上に善だ
これらの場合
もしも悪が考えられるとするなら
学校に行かないこと
仕事していないこと
ではなく
それをだめなことだと考えたり
後ろめたいと感じたり
あるいは人として
社会人として失格のように
思いなすことが悪だ
これは学校を通過し職に就いている人も
そうでない人についても
共通に言えることだ
 
ほんとうは善だの悪だのと
いつまでもそんな
せせこましい幻想に囚われていてどうする
勉学も職業も
やりたければやればよい話だし
やりたくなかったら
やらなければよいだけの話だ
生き物も人間も
本来はそうして生き
好き勝手やって
そして死んで行くのが尋常である
 
人間が人間を学業に縛り付け
人間が人間を労働に縛り付けるようになったのは
数十万年とも数百万年とも言われる
人類史の中ではごく最近の出来事で
しかもまだほんの短い期間に過ぎない
いっときの作為された幻想
神話と伝承の共同幻想を
絶対のように信奉し
そんなものに自分を同致させてどうする
 
自分は自分だと腹をくくったら
とりあえずぼくらは無敵だ
余裕綽々で
明日は学校に見学に行き
経験値を増やす目的で
職場にも出向いてやるさ
それから「えっへん」と胸を張り
どこかの街角を曲がったら
勇気を出して異性に声をかける
これもまた人の世の倣い
うまくいかなければ
次のチャンスは次の街角
きみのやり方でうまくいく時が
いつか来る
お気楽なぼくは
そう考えることにしている
 
2023/11/03
 
 
「絵画の秋」
 
少し古びた団地の幹線道路
両脇に高い街路樹
奥に向かって小さくなる
同じであって同じでない
枝の形や葉の色合い
その間をゆっくり車で走っていると
中央分離帯の低い植木が
また風情を作って見える
 
十一月のこの日
団地ごとに樹木の種が違い
赤茶けた通り
黄緑から黄色の多い通り
まだびっしりと枝についた葉の
大きいや小さいがあり
紅葉名所に出かけていないこの秋に
名所に負けない風情を
昨日はあちら
今日はこちらと
味わわせてもらえる
まあこれだけでも
老いの人生にとっては
お釣りを頂戴しているようなものだ
この視界は悪くはない
晴れた秋の空と
すっくと伸びた街路樹の幹
枝葉は天に向かって末広がりに伸びて
一瞬の視野に
一瞬の絵画が見え隠れして消えて行く
 
やがてこんなにも色づく葉を
一斉にふるい落とし
木枯らしがやってくるだろう
街路樹たちも裸木となり
枝枝に雪を抱き
水墨画風の景色に変わる
たぶんぼくらの老いもそんなだが
それはそれで凝視せねばなるまい
またその光景も
ひとつの絵画として
 
2023/11/02
 
 
「存知せざるなり」
 
親とか先生とか
大人の意見を素直に聞いて
素直に従っていればよかったのかな
「みんな違っている」と
その頃はいい気なものだった
狭い領域で
見えるもの感じるもの
だけを信じた
その先があるってことを
知るよしもなかったんだ
 
生きることが
楽しいものではなくなったな
あれもだめこれもだめって
負の与件だけをかき集めて
世界を
自分が生きがたいものに
コラージュしてしまった
かも知れない
ほんとうは見守られ
支えられ
応援も期待もされていた
かも知れないのに
孤立して拒絶して
負の遺産を
膨大なものにしてきた
かも知れない
 
こんなんでは何一つ
・・・・・
何一つ
・・・・・
人生とは何か
心とは何か
生きるとは何か
〔総じてもって存知せざるなり〕
で終わることになるのかな
 
こんなあからさまな姿を見る
きみにはまた
「すべてが違う」と
映るのかも知れないな
断罪するきみは
同じように世界を忌避して
安穏や安寧から遠離る
かつてのぼくたちのように
 
違うよ
違うんだ
あの森や
あの林の樹木を見たまえ
毅然とそして敢然と
ただまっすぐに生きている
それでなくてはいけないのだ
そこに辿り着くために
ぼくらの思想は
ずいぶんと遠回りしてきたのだ
日向ぼっこを楽しもう
午後の昼寝を楽しもう
ぼくらの為すべきことはそれだ
そして目が覚めたら
何もかも忘れて
あの樹木たちのように
無言で立ち上がろう
立ち上がってさて
何も考えるな
すぐに梢を風が吹き渡る
その風に従え
風に従って思想を整えろ
 
2023/10/31
 
 
「ことばのない目」
 
言葉以前というのは
言葉の前だ
言葉の前は目だ
ことばの前だ
目は見開かれて
不可思議や不可解を見ている
世界は目に映るものより
ずっと近く身近だ
 
表すものを持っていない
表す言葉を持っていない
少年は誰も無口だった
目を見開いて
網膜が受け止めて
人間は無口だった
少年のように無口だった
少年はみな無口だった
 
大昔
原始の頃
人間には友達がいなかった
人間には彼女がいなかった
遊ぼうって言えなかった
森を抜けて丘に登ろう
って言えなかった
ことばがなかったから
 
大昔ことばがなかった
少年にはことばが足りなかった
それだから
昔は違う生き方をしていて
現在の少年も
青年や成人とは違う生き方をする
違った生き方なんだ
ことば以前なんだ
 
野蛮で
理性が働かず
いつも見えない闇
不分明と戦う日々だった
不可思議と不可解に囲まれて
見開いた目で
常に格闘していた
いつもそんな現実に直面していた
 
ある日を境に
人間も少年も言葉を覚え
たくさんの言葉を身につけ
現実を切り開いていった
生き方が変わり
遠く地平線までをも
言葉で埋め尽くした
時を経て
ことばのない頃を
懐かしんだ
素性は野蛮だと
告白したかった
ことばのない目で
ぼくは今も生きていると
叫びたかった
 
2023/10/31
 
 
「幻想の沼からの脱出」
 
 沼にはまり込んで這い上がれない。幻想にも同じような側面がある。
 
 人間は現実的と幻想的と常に二重の世界に生きることを強いられている。現実的とは物的で生物的な営みを言い、幻想的とは現実的ではないもので意識や想念の世界を言う。人間のする想念は
すべて幻想であり、実際の事物や現象とは異なり、それ自体として独立した世界を形成している。
 人生がどん底だと見える時、しかし自分の身体も現実世界も昨日と何も変わらず、目の前にどん底の光景が出現している訳でもない。同じ世界が展開しているのにそれをどん底だと意識する、
そのことが人間のひとつの特徴ともなる。
 もちろんそれがあって社会が成り立ち、歴史も作られてきた。
だから人間にとって幻想作用は本質的であり、必要でもあるのだ。だが、しばしばその作用は過剰な自衛としてはたらき、現実の状況を実際より悪く、最悪な状況として想定しがちである。つまりどん底に思い込み、その最悪の想念で、もうどうにもならないと
自分を呪縛ことにもなる。
 こうなると沼にはまり込んで這い上がれなくなった時のように、
 
どん底の幻想にはまり込んで容易に抜け出せなくなる。
 ぼくもずいぶんとそう言う経験を重ねてきて、今思うことは、あまり想念、幻想、つまり頭の働きや動きを信じすぎない方がいいのではないかと言うことだ。現実の状況は自分ひとりではなかなか変えられないかも知れないが、頭で考えていることを取っ払うのは出来る気がする。ぼくの場合は、夢だ幻だということにして、後は四肢身体に任せる。そうしたらどん底と思えても、そこから少しばかり前に自分を進ませてくれる。呼吸もするし手足も動くし、食うことも出来、日常的な営みも体が自然にやってくれる。つまり幻想がなくても生きて行けて、何なら幻想が個体の生を邪魔するとさえ考えることもある。
 人間は幻想を持つ生き物である。そこが他の生き物と分かつところで、人間的とはそれであるが、それが働きすぎるとしばしば自分をがんじがらめにする。そんな時は、人間的であることをいったん休止して、動物的、植物的なところに降りていってもいいのではないか。ぼくは苦しくなるとよくそれをする。この世界に、地球上に、生きているのは人間だけではない。いろんな生物がいて、懸命に生きていることでは同じだ。そして生き物の生きる姿形としてはそれらの方が基本で、人間はそういう基本から大きく逸脱してきた。そのことは少しも高級だとか高等だとか言える話ではない。自然の生まれつきとして、人間もまた自然が作り出したものだ。あまり頭のよいことを自慢するもんじゃない。動物や植物の世界に逍遙すると、そういうことを教えられる。
 人間界から雑草だ獣だと見下げられてもいいじゃないか。雑草も獣も人間界から見下げられても意に介さないし、何よりこの地表世界にあって人間ほどの悪さをしたためしはない。人社会で息絶え絶えに追い詰められても、もっと規模の大きい世界では慰安も憩いも用意されている。そこではまた、たくさんの視点、大きな視点をつかみ取ることも出来て、それを人間界に反映させることだって可能になるかも知れない。きみにはその資格もあり、そういう力になってほしいとも思う。つまりそういう意味ではきみの未来は燦然と輝いているぜって、ぼくは言いたいのだ。
 
2023/10/30
 
 
「死について」
 
わたしたちに死はない
わたしたちの喪失や不在として
死はやってくる
わたしたちは死を体験できない
体験した時には死んでいて
だからわたしたちは死ぬことが出来ない
ただ死ぬだろうとか
死ぬに違いないと考えることは出来る
自分で判断したり
証明したり出来ないだけだ
 
自分で体験できないから
昔は死について理解できなかった
黄泉の国や
イメージとしての異次元に
旅立つと考えたのはそのためだ
ほんとうは今でも
自分の死については理解できない
何かおぞましい出来事のように思うが
たぶんそれは違う
他者や自然界に見られるような死を
悲しい出来事と見なすことも
どこか違う気がする
混乱や困惑や誤解が
悲しみを助長し増幅している
そんな気がする
だから死は恐れるものではなく
ただ自然の摂理のひとつとして
受け取るべきもので
それぞれの死から起因する感情もまた
そのひとつとして
受容すればよいのだと思う
つまり死を恐れることも
悲しむことも
それぞれの勝手だ
というようなわけで
今のところわたしには
「死」は不安で
それは理解できないはずのものを
理解しようと
頭がひとりでに回るからだと思う
 
2023/10/29
 
 
「伝えたいこと」
 
 あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ
 
こう唄った詩人がいた
きみにもこの詩のような
あたたかい風とあたたかい家とが
ほんとうに
ほんとうに必要だ
きみにはそれを求める権利がある
権利があるだけではなく
実際にそれを手にしなければならない
きみはそのために
たくさんの苦汁をなめ
きみはそのために
たくさんの忖度をしたり謙ったり諂ったりする
そうしたことがもし可能ならば
躊躇なくそれらを為すが善いのだ
なぜなら
あたたかい風とあたたかい家とは
人の生涯の内で最も価値あるもので
どんな代償を払ったとしても
それを手に入れるためなら
理として正しいと言えるからだ
 
ああほんとうに
 
 あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ
 
たいせつなんだ
 
正義面した連中
知識人面した連中の
安っぽい正義や善悪や
倫理の言葉に耳を傾けるな
 
そのことを伝えたくて
そのことを教えたくて
ぼくはもう気が狂いそうなほどだ
 
2023/10/28
 
 
「ほんとうのほんとうを」
 
空から一粒の雨となって落ちると
運命が待ち構えている
地表に落ちたとすれば
その先はただ低きに向かうだけだ
 
人として生を享ければ
制度が待ち構えていて
選択の余地なく従うほかない 
学校を通過し
多くは労働者の道を行くことになる
学ぶ権利と義務と自由
働く権利と義務と自由
と言いながら
子どもも成人も
唯々諾々と
従うほかないように仕組まれている
現在の息苦しさ
反抗や抵抗のしづらさは格別だ
不登校や引きこもり
ニートやパラサイト・シングルに
気づけばなってしまったものたちの
心の傷はいかばかりか
 
わたしならば暴れるだろう
わたしならば復讐を考えるだろう
わたしならば一矢報いようとするだろう
わたしならばただでは朽ちぬと決意するだろう
わたしならば負った傷を
世界に向かって投げ返そうとするだろう
わたしならば
わたしならば
こんな仕組みの世界を許しては置かない
だから世界が一瞬にして凍り付く
ほんとうのほんとうを
探さないではいられない
 
2023/10/27
 
 
「最終の夢」
 
 生涯の曲線。生まれ育ち仕事をし、結婚をして子どもを作り子を育て、やがて老いて死んで行く。人の一生を抽象すればただそれだけのことで、もちろん十人十色その生涯はみんな違う。
 ふつうに生きるとは、一般化された生涯の曲線、それに沿って生きることを指し、できるだけ曲線から逸れず、その時期に行うべき事を行い、暮らしや生活の営みに専念することを言う。
 人間の生存に共通する抽象されたひとつの共通項、それはしかしイメージとして想定しうるだけの話で、わたしたちの実際の生存はそのイメージの内側、その骨子骨格に向かうことはまずない。逆に逸れて逸脱する方に向かう。知識の獲得に向かい、運動能力の獲得に向かい、権威権力の獲得に向かい、あるいは生を厭う方向に向かうなどのように、絵に描いたような人間の生涯の基本モデル、そこにとどまって生きるのはかえって至難なのだ。従来の生き物の特性、それを超えて、余計なことをしがちだというところが人間の特徴だといえば言える。
 うかうかすると、人は遠く運ばれる。遠くまで行くんだという人間の意志は、ほんとうは人間的な自然の成り行きというものだ。自分という人間存在を向上させ上昇させたい願望が、人には自ずから備わっていて、それはまた容易に欲望へと転化する。それもまた自らの意志や欲望と言うよりも、その奥で実効支配する遺伝子、DNAのなせる技かも知れない。
 それでよいかどうかなど、誰にも分からない。ただ人間的な自然がそうである以上、肯定したり抵抗したり、人間的な四苦八苦がそこから生じて来るばかりだ。あらためてわたしたちは自らに問わなければならない。さまざまな問いに答えを導き出したその後、最後に、どんな夢がわたしたちの未来にとってふさわしいのかを。
 
2023/10/26
 
 
「不本意の瓦礫」
 
人はどう生きればよいか
と問う時
あんなふうにこんなふうにと
山ほどの解があって
そうしましょう
そうしなければ
と言ってる間に
こうしたとこうなったが
山ほど積み重ねられ
それらはみな
不本意の瓦礫
 
百年問い続け
考え続けたら
途中の解はすべて脱落し
ただひとつの解に誰もが到達する
「そんなの知ったことか」
で、はい終わり
 
どうして人は
無駄な問いを繰り返すのか
そこには止むに止まれぬ
人特有の秘密もありそうに思えるが
それは専門の研究者の仕事
「知ったことか」で
ぼくらは通り過ぎる
 
どんな人であれ
どう生きたかだけは
ポツリポツリと語ることはできる
それでもその人が
よほどの有名人でもなければ
聞きたがる者など
誰もいまい
だからふつうの人は
たいてい生涯を語らずに
逝く
こうして不本意の瓦礫は
永遠に闇に紛れる
 
2023/10/25
 
 
「ある夢想のこと」
 
戦後が終わったとか
ずいぶん浮かれた話も耳にしたが
よく考えるとまだ進行中で
ようやく芯に辿り着き
根こそぎがこれから始まる
そう言ってもよい地殻の変動が
地響きとなって聞こえている
 
壊滅解体の危機は
根こそぎと言っても
おそらくは奈良朝以降の日本
その文化・風習・伝統の類いだ
分かりやすいのは墓じまいや
家族葬に見られる死者および先祖の扱いで
仏教の形式的な発展が頭打ちとなり
衰退から壊滅期に入った象徴と見える
これは西欧化・欧米化
またあえて言えば戦後の植民地化の
文明的・文化的な
高度な到達点の時期と重なり
対比的に反比例のように
受け止められるかも知れないが
わたしたちはそう考えない
西欧も欧米も閉塞し
ひところよりはずいぶんと衰退して見える
つまり総合的な壊滅・解体の危機が
この期において
いっそう加速しているのだ
 
これらはしかし
降り積もって堆積した地層の
表層部分の壊滅や解体の話に過ぎない
表層が取り除かれて
新たに露出してくるものは
奈良朝以前古代以前の地層であり
その文化や風習が岩盤として露出し
現代に立ち上がってくる
かつて存在した富の平等な分配だとか
他者に寛容な共生・共存の精神とかが
再評価され新たな指標として蘇る
つまり現在の衰退期の不安や苦悩は
新たな時代の到来
曙を招く産みの苦しみと為し得る
不安と混乱と恐怖に耐え
それを為されなければならない
わたしたちはその過渡期に立ち会っていて
敗戦と植民地化が招いた高度成長
その後の崩壊現象を体験し
今この島国の沈没を予感もするが
壊滅は根源に届いた方がよいのだ
わたしたちは統率者・権力者以前に遡り
一からやり直すことが出来るかも知れない
高度な技術文明システムと
万有を尊重し
人も生き物も自然も
染み通るように理解する仕方とが合流する
そんな夢を想い描く
やはり
そんなふうに
夢は大きく美しく
見る方がよいと考えている
 
2023/10/24
 
 
「音と言葉」
 
音は耳で聞くが
言葉を耳で聞くことは稀だ
言葉は目で見るもの
対手の口元や目の動きや
いい加減さや熱心さや
瞬時に見分けながら
放たれた言葉を理解しないと
言葉は腑に落ちない
活字のように
よそよそしくなる
だから言葉は目で見るもので
耳で聞こうとすると
文字となり
記号となってしまう
 
本来は稀なはずだが
日常はみんな
言葉は耳で聞くもんだと思い
それで過ぎて行っている
それでまかり通る
 
ラジオだって
一度イメージ化を通らないと
うまく受容できない
さざ波のBGMとして
ただ遠く漂う音になる
 
2023/10/23
 
 
「ごくふつうに暮らす」
 
穏やかな暮らし
ごくふつうの国民の体で
公共の約束事は
なるべく順守しているつもり
ただし関係は最小に
迷惑がかからぬように
引きこもりがち
 
考えてきたことは
反国家や非国家化
反学校や非学校化
強共同幻想の壊滅や解体
それも原理的には
組織も運動もなしに
個人的にのみ
明らかにすること
系譜なく点として
表して消える
 
それだけで
生存を脅かすような
物騒なものを
上着の下に身につけて
上面だけの
穏やかさを演ずるしか
方途がない
自分がいつ
何をしでかすか
ほんとうに分からないのだ
もちろんリンチにも暴挙にも
自死にも否定的なのだが
閉塞し追い詰められて
窮鼠猫を噛むごとく
何かを為出かさない
とも限らない
 
誰かに迷惑をかけるのは心苦しい
それが家族であっても身内であっても
それ以外でも
だから引きこもる
だからごくふつうの
国民の体で暮らすことを
心がけて通す
 
2023/10/22
 
 
「金とセックスの問題」
 
食と性は生き物の特性で
人間もしばらく前は
そちら側に存在した
けれども特に最近の状況を見ると
人間の特性は
食と性と言うより
金とセックスと言い換えたいくらいだ
 
食と性からバージョンアップした
金とセックス
芸能事務所社長が行っていた
未成年の所属タレントへの性的虐待
あるいは歌舞伎界の伝統的な性の闇など
毎日の報道は
こうした話題に事欠かない
 
生き物の特性だから
人間がこれを
金とセックスの問題に
拡張することは致し方ない
もともとは河原者とか河原人
そして河原乞食などと
蔑称されていた者たちも
ずいぶんと出世した
これらと真反対が
権力層であり
統治層であり支配層であるが
元凶はそこから発した
下にあった者は上を羨み
上を真似て
まあこういう成り行きになった
 
これを上下に置き
中間にある者もまた
影響されずにいられない
羨み真似をしたがる
蔑視するより
人間に課された重要な案件
と考えた方がよい
生き物の特性に紐付けだから
手強い案件で
中間の倫理や善悪で
片付けることは
できない
 
2023/10/21
 
 
「今が見頃の老い」
 
色づいた街路樹の葉
人目を引き
緑から黄から赤茶へと滲む
一枚一枚の
形から色味も違い
虫に齧られた痕も違っている
 
人の老いは
こんなに派手やかではない
通りがかりの一瞬にでも
街路樹の葉の移りゆきに
心を留めるように
老いたる人の前で
心を留めるものはない
ただ「老い」と言う一括りで
了解したとばかりの
頷きですれ違う
 
老いたる者たちの秋は
理由がなくただ寂しい
寂しさを超えて悲しい
夕暮れとなり日も落ちて
群青色の空に紛れるように
街路樹も色味を無くす
人の老いはそんなだ
そうして初めて
思いつきで動き回った
若き日のがむしゃら
個の生存の輝きは
そこにあったのだと気づく
苦しかったのに
人知れず悩んでばかりだったのに
その先に酬いがあるとばかり
信じ切っていたのに
ただ暗い夜に辿り着いた
だけのような
その夜の道を
車のライトで照らし
我が家へと帰る
 
老いの日々はこんなだが
若き人よ
子どもらよ
これでも老いたる者の心は
「今が見頃なんだ」と
呟いてもいるんだぜ
 
2023/10/20
 
 
「後の祭り」
 
 何をやってもだめだと分かるまでにずいぶんと歳月を要した。
 
 今は昔の、とある小説家が、講演会後にその会の主催スタッフとの談話で、「何をやってもだめで、それで物書きになったんだ」という旨の発言をしていた。そこには謙遜もあるだろうが、聞き手の青年たちにはじめから虚業を目指すべきじゃないことをやんわり諭したものと思われる。実業が基本ですよと。
 ぼくもずいぶん頑張ったけど、実社会、実業社会では一途に徹することが出来なくて、あるいは揺れ動く心が居心地悪さを誇張して、自ら舞台を降りることがしばしばだった。もっと単純化すると、押しくらまんじゅうで押し出されてばかり。時には自分から外に出ることも多かった。終いにはそれが癖になって何度も舞台に上っては、降りるを繰り返しそれが平気になった 。
 
 何をやってもだめだったから、ぼくにも虚業の資格はありそうだが如何せんそちらにも縁がない。虚業は虚業。目指してなるもんかと、これがぼくの五分の魂なのだが、虚業の才がないという、ただそれだけのことかも知れぬ。いずれにしても、もうすぐみんな後の祭りだ。
 こうなるともう、ぼくが口に出来るのはただひとつだ。「だめでいいじゃん」。
 ぼくが見てきた限りでは、たいていの人たちはひとつふたつの後悔を胸にぶら下げて生き、そしてまた死んで行く。些細なものであれ、重大なものであれ、あるいは一個か百個かには関わりなく、個人にはその重さは同値として感じられるものだと思う。
 苦しげなやつにはきみだけじゃないぜと言いたいし、自分の人生に悔いはないなんて顔つきの連中には、思わず『かくすなよ』って呟いてしまう。人間の生涯はみな、後悔するように出来ているから後悔するんだ。もしも後悔しないというやつがいたら、それはきっと『もぐり』だな。ぼくらの考える人間じゃ、ねぇ。
 
2023/10/19
 
 
「今も詩は」
 
そうか
今も詩は
詩人たちによって
書かれているのか
 
だいぶ前に
地方都市近郊の
書店から消えて久しい
詩と詩人たちとは
大都市や地方都市の
中央の書店や
ネットの中で
詩人協会を謳って
つまり
何だろう
柵を巡らした
村社会をつくって
仲間内で
褒め合ったり
助け合ったり
それから苦吟したりも
しているんだ
 
今も詩は
詩の世界の
内側でつくられて
詩の協会や
詩人たちの間で
流布されて
評価したりされたりして
そうしていくつもの
力作が生まれ
読まれて
いるんだなあ
知らなかったなあ
すごいなあ
まだ生きてるんだ
そうなんだ
 
2023/10/18
 
 
「世界は心でつかめ」
 
 寝食を忘れて本を読む、考え事をする。
 この言葉は、集中し、夢中になって本を読んだり考え事をしている状況を語っている。だが、それを語りながら、別の意味合いを無意識に表象している。それを言ってみれば、本を読んだり考え事をするという頭の働きは、寝食を忘れさせてしまうほどの威力また魅力を持つということだ。
 寝ることや食うことは日常生活で欠かせない、基本中の基本、いわば本能的な部類に入る。頭を使うということ、そしてこれが過剰にまた過激に発揮されると、寝食という人の自然な生存形態にまで影響を及ぼすことがある。最も基本的で大切なことを二の次にしてしまう。冒頭の言葉を意図的に深読みすれば、こんなところまで読み取れるような気がする。
 確かに、寝食を忘れるほどに頭を行使することによって、高度な文明をわたしたち人間世界は持ち得たかも知れない。だが一方で、寝食に類いすることがらを軽視し、寝食をはじめとする生活全般から起因する人々の豊かな心情の一つ一つは、文明史上からは見えないところまで追い詰められて来た。
 深層において自然全般および人と人との関係にも心を通わせてきたわたしたち人間は、次第に理解するという方向にシフトチェンジを果たしてきた。今や心はひとりぼっちになり、自閉し、鬱に塞ぐようになった。理解し得ないもの同士は即敵対する。心情よりも理性的精神が勝る世界は、どこまでも心情の外に世界を運んで行くだろう。考えるな。大事なのは寝食だ。寝食に付帯する心だ。世界は心でつかめ。実感でつかめ。心を羅針盤として頭を行使せよ。
 
2023/10/17
 
 
「楽しむ」
 
今が楽しめなければ
楽しい未来なんか来ない
しかし今はいつも憂鬱だ
この憂鬱をどう楽しさに変えるか
 
楽しい楽しいと
自己暗示にかけるのも一つだが
あまりに空々しい
空々しくて馬鹿馬鹿しい
『これだな』
楽しくない現実があって
それを受容し反応し
退屈だとか苦しいだとか
不安だ焦燥だって
逃げ回る自分を見て
ドラマのように
映画のように
突き放して
他人事にしてしまう
 
現実が目の前にある
自分も現に今ここに存在する
水面に浮かぶ浮きのように
こころもぷかぷか浮かんでいる
一秒先の未知に
それらはどう変化するのかしないのか
それは観察するに価する
ああもしも悲しみのどん底に沈むとき
ぼくはどんな風にうろたえるのか
一寸先は分からない
ぼくはぼくを予測できない
未来は見知らぬ事が満載で
小さな事大きな事
すべて予測不能の展開が待っている
それら逐一を
ぼくはぼく自身に向けて
実況中継をする
生きてる間
これからぼくは
ずっと忙しい
 
ぼくはこうして今を楽しみ
未来を楽しむことにする
 
2023/10/16
 
 
「不能日々」
 
あるところには戦争があり
そして飢餓があり
あるところでは群衆が愛を叫び
またあるところでは
課される善意と思いやりの
サービスがある
わたしたちは
そうした人界の現状を
リアルタイムでつぶさに見て
知ることが出来るが
それに対して
わたしたちが出来ることは
それほど多くない
助けを求める声すべてに
耳を塞ぐか
個々の救済に奔走するか
あるいはすべての救済を
一挙にやってのける
そんな方法を編み出すか
そんなことは夢物語だと否定し
笑い飛ばすか
考えても
考えても
現実世界と同様に
意識界にも
多種多様の渦巻いて
ただぼんやりと
ついぼんやりと
時の海に溺れかけ
クローズアップされる
わたしたちの不能
 
2023/10/15
 
 
「野蛮」
 
学校のほかに
塾があり
スポーツクラブがあり
またさまざまな種類の
習いごとがあり
いわばたくさんの
成長途次の補完を必要とする
現代の子育ては
補完無しに
子ども時代を通過するのが難しい
そんな生活環境
社会環境であることを教えている
 
組織的・機構的補完のほかに
心的な支援とか
心的なケアとか
大人たちの
腫れ物に触るような
子どもの扱いも
ずいぶんと増し
善意の包囲網は
蟻の入る隙間もないくらいに
拡充され続けている
ように見える
それらの多くは
なかば職業化していて
どんなに低く見積もっても
サービスが過剰になる
 
ぼくらは小学生頃まで
親の目や大人の目のない所で
けんかや悪いことも
たくさんした
時々大人に見つかると
げんこつを食らった
そんな野蛮な村に育ったから
ぼくらの心にも
どこかに野蛮が住まった
社会では役に立たない
そんな野蛮も
窮地に陥ると現れて
難しい問題の解決に役立った
鉈を持って振り下ろさないと
解決つかない問題が
この世界にはあり
ぼくの生涯にも時々あったのだ
 
2023/10/14
 
 
「三日月」
 
夕まずめを過ぎて
群青の空の三日月
ヒヤリと滑り落ちて行く
きみの病を追う
 
どうせなら
下駄の音高く
カタカタガタガタと
響かせながら
さらには異議申し立て
憤怒も憎悪もまき散らしつつ
後先なく世界からの
嫌悪や忌避を身に浴びせつつ
人界の外へ
躊躇なく墜ちて
ああもうそれでよい
きみが行くんならそれでよい
ぼくは黙って同伴しよう
 
この世界はあんまりだ
光と影とがあんまりだ
ぼくは是認しない
ぼくは許容しない
 
ひとりの人間の心が追い詰められて
辛いだけになるその時に
世界はいつも素知らぬ顔だ
仕方ないでは済ませない
あの三日月を片手に握り
墜ちる勢いで
世界に向かって切り付ける
ぼくは墜ちながらそれをする
ぼくならば絶対それをする
ぼくならばそれが出来る
ぼくならば絶対それが出来る
この世界の終焉は
墜ちながら切り付けた
その時のちいさな傷口から始まる
 
2023/10/13
 
 
「ある遺書のようなもの」
 
もうすぐ死と生の戦いが
ぼくの肉体の場において行われる
酷暑から急に紅葉が始まった
山々からの便りを耳にするように
やがてきみの耳に
ぼくの紅葉から落葉の便りが届く
まあそれは四季の移り変わりを
目にするような
何の変哲もない出来事の一つ
 
訃報を耳にすると
ぽつんとちいさな穴が開く
穴は風が運ぶ塵芥に塞がれ
アリが行列をなして過ぎる
夢も刻苦も
苦しい倫理や
苦い善意の影も
斎場の煙とともに喪に服す
生死も消えて
人間のしょうもない性も消える
きみよ まだ若き人よ
悩み多く挫けそうな人よ
焦らなくても
きみにも間違いなく
死はやってくる
 
目の前が真っ暗で
何一つ希望の光が見えないとき
その暗闇こそは
光を失った目の
無数に集まって構成された闇だ
だからいいか
人間がほんとうに始まるのは
そこからだ
暗闇の無数の目もみな
そこから始めるしかないと知っている
きみのほんとうの始まりも
そこからだ
だからつぶさに
闇の間にある闇を黙視せよ
幻視が現れるまで黙視し続けよ
 
一瞬にしてきみの察知は
稲妻となって闇を切り裂く
動物や植物の垣根を越えて
さらに生命と非生命の境界を越えて
物質の元基にまで遡る
きみの察知に浮上した光景を
いつかきみは重たい口を開いて
闇の目たちに語らねばならぬ
それをきみは使命として
何気ない顔つきで語り尽くすために
刻苦を生き続けねばならない
そうしてその余のことは
どうでもよい
その余のこととして
運命に従うように従え
戯れと解せ
愚に生きよ
呆けに生きよ
卑屈・卑小でもよい
謙るな諂うな
ただひたすらに
己を全うする
きみが光となる道は
そこにしかない
 
2023/10/12
 
 
「行脚」
 
草の葉の影を縫い
歩き立ち止まり
また歩き立ち止まり
時々座し
時々横たわり
足をいたわる
影の外は輝きに満ち
光に満ち
眺めては微笑みをこぼし
気配のように憧れる
その一瞬を
かき消すように
また影を行く
 
2023/10/11
 
 
「微温」
 
待ち焦がれた秋は
記憶を裏切る
家庭でも職場でも
「寒い」の連呼
冬はなお嫌われて
待ち望む声は聞かれない
 
冬は詩人の一節を思い出す
 
  あたたかい風ととあたたかい家とはたいせつだ
  冬は背中からぼくをこごえさせるから
  冬の真むかうへでてゆくために
  ぼくはちひさな微温をたちきる
      
冬になると
こころにはいつも
この詩の言葉がしがみつく
しがみつかれて昂揚し
こころは過酷の極限に
出ようとするが
たいていは厚着にダウン
厚手の靴下手袋の重装備
思いと行いとが
そっぽを向く
 
寒いのはいや
冬もほんとうは苦手
温かい風呂から出て
暖かい布団にくるまって
寝るのが一番と思っている
 
ああ冬が近い
冬が近い
身も心も凍えそうになる
苦手な冬がすぐそこに
ぼくの柔な二元論を試そうとして
秋の向こうから
こちらを窺っている
ぼくに逃げ場はない
ぼくは微温を断ち切れない
 
  (※引用の詩は「ちひさな群への挨拶」吉本隆明)
 
2023/10/10
 
 
「いらっしゃい」
 
毎日の送迎
そして学校の駐車場で
よく空を見る
あ、筋雲だうろこ雲だ
やっぱり入道雲はカッコいいなあ
なんてぼんやり
そしてのんびり
子らを迎える添乗員が
子らと一緒に戻るまで
車での待機は特に
ほかにすることがない
 
十月に入り
とある団地の幹線道路
送迎の運転をしていると
またしてもあっと思った
街路樹は緑と決め込んだ脳が
枝先の葉のまたその先に
ちらほらと赤味
黄色味を見つけて驚いた
そう言えば十月だもんな
当然のことだ
と納得した
 
今夏の暑さは
大げさじゃなく
心身ともに参る暑さだった
また長く続いた暑さだった
記憶ではこんな暑さは初めてだった
それでいて急に秋が
目に飛び込んできて
やっと合点できたという訳だ
十月だよ秋だよ
涼やかな秋だよ
「いらっしゃい」だよ
こんなに待ち焦がれた
秋はない
 
2023/10/09
 
 
「脱落じゃあない」
 
昨年小・中のいじめ・不登校が
過去最多という文科省の調査報告
それで対策強化を行うそうだが
これまでも毎年のように対策を講じ
そのうえでの最多だから
文科省も学校も
「わたしたちにはできません」と
事実を事実のままに
一度認めるがいいんだ
教育や社会の中核にあるシステムが
賞味期限切れだとか
消費期限切れだとはっきりと
正直に言えばいいんだ
 
当事者や関係者は
とっくの昔に気づいていて
ただ自分の代で終わらせる
勇気も潔さもなくて
毎年数万から数十万の
いじめ・不登校を現象させ
そのことに誰も責任を負わない
そういういかがわしい集団が
今も教育だ道徳だって
笑わせるんじゃねえ
 
もちろん多少なりとも
よい面があるのも知ってる
だがねえ
そのことを持ってしても
君たちの一番の執着が
自己保身にあるということを
打ち消すことは出来ないんだ
お山の大将でいられる学校生活を
一番楽しんでいるのは
自分たちだろう
そのために努力している
苦労していると
たしかにアリバイ作りには
奮闘しているみたいさ
生活がかかっていることも分かる
部下たちの生活を守らねば
という思いも分かる
でもねえ
それを言うなら
いじめ・不登校の当事者たちの
未来の生活だってかかっている
何割かは生涯を負い目の中に生き
何割かは自死を考えることもある
直接的な責任はないにしても
間接的には教育も学校も
誘引する組織や機構として
その責任は免れない
一員でいる限り
組織・機構の維持に加担し
年にそれだけのいじめ・不登校を
作り出すことに
間接的に関わっていること
もっと強く言えば
積極的に作り出している
その一員と見なされても仕方ないんだ
それが本意ではないと
誰もが知っている
だからってそのうえに胡座をかくな
外部からのこんな言い草は
それこそいじめ同然だから自重するが
自分でそう考えて
自分をいじめられる当事者に想定して
そこからの打開の方策を
自分なりに突き詰めてみるがいいんだ
第一は足のちりを払って
その場から遠ざかること
その後のことは考えるな
いじめ・不登校の子どもたち
その立場と同じになるだけだ
一緒になって
各々が新規の道を辿る
つまり幻想の共闘だよ
ふつうの暮らしを目指して
やり抜けばいいんだ
泥沼に浸かったままより
生きがいはあるし
そのことを生きがいとすれば
その余はなんとかなる
脱落じゃあない
逆だ
 
2023/10/08
 
 
「分離と統合」
 
 意識が無意識からの疎外・表出であるとすれば、そこにわずかに接点を見いだすことが出来る。見えない出入り口、でなければ一方通行的な入り口、出口を想定することが出来る。つまりすべてではないにしろ、無意識の一部を意識上に浮かび上がらせることが理屈上は可能だと言えるはずだ。
 そう考えると、意識のほんの副次的な役割として、無意識や非意識を意識上に掬い上げる、そういう何らかの信号受信のはたらきも期待しうる。
 動物や植物の無意識、あるいは非意識を意識に翻訳して受信する。もしそんなことが可能だとすれば、(そして実際に、日常においてわたしたちはしばしばそれに類いする光景を、ペットや室内に置かれた観葉植物などに語りかけるという形で目にしているのだが)翻訳だから誤訳がつきものだとはいえ、稀に正しく訳せるという場合もあるには違いない。
 何を言おうとしているかと言えば、持てるものは優位を振りかざすのではなく、持てないものをカバーするために持てているのだという考えに立つべきではないかという話であり、今のところその消極的な提案である。
 意識を持つ存在は、持たぬ存在のために存在する。そう考えたいのだ。持たぬ存在から委託されて、それを請け負うことになった。だから意識を持つようになった。多分にSFがかったファンタジー色が濃厚だが、知にせよ力にせよ、あるいは経済的範疇においても、持てるもの富めるものはその対極にあるもののために存在する。そう考えてみたいのだ。今なら荒唐無稽に思われるかも知れないが、たぶん人間世界はそのように動いて行く。
 初源において意識は不分明で未明の世界そのものであった。そのことはすでに意識が到達すべき地点を暗示している。不分明な世界そのものから、明瞭な世界大への指向。個と世界との不分離から、個的な分離の経過を経て、不分離もしくは同一意識へと円環して戻って行く。
 不連続の波の一つ一つが連続を形成する要素の一つ一つとなっている。もちろん未知にとってかけがえのない一つ一つなのだ。その一つ一つがあるがまま、思うがままに生きて、ざわめく意識は自らを未来へと運ぶ。わたしとあなたと世界と、分離しながら統合される世界へ。
 
2023/10/07
 
 
「渇望」
 
夕暮れに着く村のバス停
降り立つ客の一、二、三
母を探し母を見つけて
幼い少年は「かあさん」と
手を振って呼ぶ
 
川向かいの高台
その家の庭から
聞こえよとばかりの大声で
少年は毎日叫んでは
グルリ遠回りの道を
一目散に母のもとに駆けつけた
 
今思うとその頃のわたしは
周囲がどう見るか
母がどう思うか
委細かまわず行動し
衝動のままに叫んでは走った
村の中でそんな子は
わたしひとりだった
 
盲目的に
ただ母だけを追い求めた
あの頃の衝動が
どこに端を発したものか
今はもうよく分からない
周囲に気兼ねしたり
そういう振る舞いは
明け透けにするべきじゃ無い
その後はそういうことを
たくさん学んで
静かに年を重ねてきた
 
今となっては心も体も
衰微を辿る一方だが
遙か自分の奥底で
時折あの頃の衝動に似た蠢き
それも微かに微かにだが
感じることがある
『ああ、まだ何かに渇(かつ)えている』
そんなふうに了解するが
何に渇えているか
どうすれば満たされるか
母は亡くなったし
母に代わる何かも見当たらないし
ただその衝動に向き合うべく
奥底に降りてみるが
何の教示も得られない
このままでは
ただ飢えに始まり飢えに終わる
それだけの
寂しく悲しげな人生じゃないかって
気ばかりが焦ってしまう
この渇望はなぜ
 
2023/10/06
 
 
「とある所感」
 
ことばが人を傷つける
いかにもありそうな話だが
ことばにその力は無い
どんな乱暴なことばも
辞書の中では無力だ
だから本当は
それを発した人の
憎悪や無神経が
ことばとともに
あるいはことばに乗っかって
聞く耳に届くから
それを聞くものは
ことばが切り付けてきたと
とっさに思い込む
 
「太ったね」とか
「死ね」には
悪意も無ければ
傷つける意志もない
ただこれを口にするものや
これらのことばを聞く側に
心的な励起を引き起こすアクションが
あらかじめ起きていたときに
これらのことばは
またどんなことばも
凶器となり得る
 
言ってはいけないことばなんて無い
ことばと付加されたものとに傷つく心
また傷として表象することになってしまう
送受者たちのあらかじめの関係性に
問題は深く広く潜んでいる
 
さらにこうしたことをきっかけに
これまで人は
多くを学んできた
本来は学びの端緒でしかなかったこと
これを知恵へと昇華できないのが
現在の病ではないか
 
かつては子どもでも満身創痍
幾百の矢の飛び交う下を潜り抜けた
自然の猛威や過酷を体感し
シンプルで根太い愛に庇護されて
人のする悪意にも
無作法や無神経にも
何ほどのものかと耐え得た
自分の育成を
自分でする力がまだ残っていた
 
ことばを頭で送受する
そこに力を注いでも
ことばの半身にしか触れ得ない
 
2023/10/05
 
 
「執着の是非」
 
毎日書き続け公開していると
その徒労や不毛の意識に
身も心もずたずたになる
これをマゾヒスティックと呼ぶのか
常態と化しても
何食わぬ顔でいられる
 
問題は
この執着はなぜ
またこの執着の是非だ
ただこの持続に関しては
強烈に戒律を課している
暮らしに支障をもたらさぬ事だ
執着がそこを侵すとすれば
単に過剰な嗜好に過ぎない
ひとつの倒錯に墜ちる
 
書くこと考えることが
もしも意味を持つとするならば
二十五時間目を作り
その中で行うことによってだ
また虚妄を否定するために
虚をもって為すという以外に
その行いが意味を持つことは無い
そして吐かれた言葉
いったん記された文字は
人を動かす力となってはならず
ただちに人の脳裏から
消え去るものでなければならない
人を動かす権威
権力となってはいけない
 
さてそこで
なぜ書くか
なぜ執着するかだが
そんなことはこの愚禿の身に
分かる訳が無いのだ
ただそんなことになってしまい
なっているだけだ
この執着に意味は無い
 
2023/10/04
 
 
「自動記述風」
 
宇宙の営み
地球の営みはすべて
壊しては作る
作っては壊すの繰り返し
八戸の人は
それを称して
「直耕」と名付けた
人がする
田畑の耕しに同一だとする
 
田畑を掘り返して
穀物を生産する
土を耕すは壊すに同じ
穀物の生産は
作るや生成に同じ
宇宙や地球の自然は
それしかやっていない
故に人も同調すべしと言う
食と性は
個々に課せられたプログラムで
万人が準じるべしとも言った
真摯に「直耕」を行えば
ほかのことをする暇も無い
よって悪しきことは減ると
 
とても魅力的な考えだが
人というものはそれに逆らうように
人の歴史を作り上げてきた
ひたすら「直耕」から
遠ざかり離れようと進んだ
「遠くまで行くんだ」
なんて呟きながら
たしかに遠くまで人は来た
遠くまで来すぎて
何が何だか分からなくなった
それでもより遠くへ
遠くへって
人の頭は加速する
グルグルグルグル
激しい回転は
なおも勢いを増している
機能の増した高度な電子計算機に
負けないくらいのスピードで
人たちの脳も加速してきたのだ
明らかに「直耕」と対立する
その営みは
その飽くことなき好奇心は
どこへ行こうとしているのか
何を目指しているのか
好奇心と
好奇心の満足だけが
目的と化している
ように思えなくは無い
すべての人の幸いなんて
もう二次的にしか
考えられていない
 
偉人聖人の誕生
そこから世の騒乱争奪は激化し
ありとある悪が闊歩し始めたと
先の八戸の人は言った
支配と被支配
富と貧
上と下
貴と賤
が生まれ
世は混乱に陥って
もはや回復するすべは無いと
 
新たな偉人聖人の誕生
人の歴史は
新たな負のステージへと
駆け上がって行こうとしている
八戸の人のように
共同幻想において
価値の反転を企む人はいた
ふつうの暮らしに身と心とを投じ
精を出す生き方こそが
最も価値ある生き方であると
主張する人たちだ
しかし魅力あるその声も
一部にしか伝わらない
知は非知ということを
力は無力ということを
好奇心は無関心ということを
内に取り込まねばならぬのに
すべて蹴散らして疾風怒濤に進む
けれど全体と個とは瓦解して
断絶と孤立が進む
 
その果てが見えてこないので
中流にとどまれず
下層に墜ちてきたぼくは
無為の底に楽しもうと
心がけて暮らしている
 
2023/10/03
 
 
「意識論的断片」
 
 人間には内臓と体壁がありこれは植物と動物の同居だ。人間の脳は他の動物に比べて飛び抜けて発達し、人間を特別なものにしている。人間的とか人間らしさとかはほとんどこの脳の働きの側面から言っていることが多い。
 脳の働きを意識の面で捉えれば、意識以外は本能や遺伝子など
意識の及ばない領域となる。つまりそれは、環境も含めて自然のこしらえ物だ。人工物は意識の産物である。ここに人間のこしらえ物と自然のこしらえ物との二別がある。
 言葉や文字そして概念、これらも人間のこしらえ物だ。文学、芸術、学問それに文明や技術や文化、その世界は多岐にわたる。意識は個体の内と外とを媒介する。
 こうして意識世界、別に言えば幻想世界は膨張に膨張を重ね続けてきて、これからもその蓄積と重層化は拡大の一途を辿る。つまりこれは人間的とか人間らしさとかの未来に向けての行程だとも言えるのだが、とりわけナイーブな感性や感受性や心情的部分がどうなるか気になる。これらは人間的とか人間らしさの象徴でもあり、意識の主役であってほしいが、最近ではどうやら消耗や摩耗が激しく進んで見える。この社会がその価値を大きく取り上げれば取り上げるほど、声高く大切だと訴えれば訴えるほど、実は危機的状況の証なんだと思う。どうすればよいか。答えはまだ見つけていないが、長い間ぼくたちはそこを考え続けてきた。
 
2023/10/02
 
 
「ポジティブ思考」
 
言葉や文字や
頭の話をしたらきりが無い
幻想の世界は宇宙より広い
個人と対と共同と
オートマチックに行き来して
それぞれがまた
その懐は果てしない
そのうえ宇宙みたいに
どこまでも膨張して行く
 
張り合ってもしょうがないから
人任せにしよう
人の作り上げた傑作を
うまく使おう
うるさいノイズには耳栓で
煩わしい人のつながりは
ぷつりぷつりと断ち切って
今このときの静けさを
悠々自適
何にもせずに
耕さず諂わず
無駄に無為に時間を費やす
最強にして最大の
勇気を持とう
 
とある秋日和の昼時
えっへんと咳払い一つ
玄関を出たら野原まで
テクテク歩く
出会うのは虫と草木だけ
「ごきげんよう」
テクテクテク
「虫さん」
テクテク
「草木さん」
テクテク
でっかいチンチンぶら下げて
ぼくはひとりでテクテクテク
野原の奥深くに向かって
テクテクテク
でっかいチンチンを
ねじ込むように歩いてく
ぼくのチンチンは宇宙よりでかい
ぼくのセックスはきりが無い
いつかビッグバンを起こすまで
オートマチックに行き来して
ぼくのセックスは果てしない
 
2023/10/01
 
 
「ネガティブ思考」
 
 OSは戦後すぐのものでかなりの年代物だ。二十歳過ぎまでバージョンアップは数回されたが、それ以降は当時のまま今日にいたっている。使っているアプリもその頃のまま。更新したり、削除して新しいアプリをインストールするということも無い。
 
 進化したデジタル社会においてそんなもんはほとんど過去の遺物。老いてはほとんどアナログに近い。そんなマシーンで現代のデジタル社会に対処できるはずも無い。案の定「非対応」と社会の隅にはじかれて、廃棄寸前になったり、ジャンク品扱いされて段ボールに投げ込まれたりしている。
 
 期限切れで利用価値も無い。そんなマシーンがカタカタカタと懸命にキーを打ち込み思考を紡いでも、ほら、紡ぎ出した言葉に誰ひとり反応するものも無い。
 おそらくは哀れなだけだ。それなのにひとりカタカタカタって憑かれたように、復活のドン・キホーテのように、世界に戦いを挑んでいる体(てい)で、全身を震わせている。
 
 そんな時代錯誤の独りよがりが、よく見るとあっちにもこっちにも、ポツリポツリと、小さな白い灯りのように点在している。
 そんなふうにしか老いたるひとは生きて行けない・
 どこまで行けるか分からぬ残生を、わたしもまたそんなふうに生きてみるしか方途が無い。
 
2023/09/30
 
 
「ぼくたちは負けない」
 
今日の一日は昨日から続く一日であり
また明日に続く一日に過ぎない
いつもと変わらぬ退屈な一日を
過ごすことになっているし
そう過ごさねばならない
つまり時は止まって見える
 
けれども10年20年
ぼくらのように40年
50年と経て振り返ってみると
とんでもない誤差が生じていて
若い頃には思いもかけぬ晩年が
目の前に差し迫っている
 
もうすでに初期の一歩
その踏み出しの角度が
違っていたかも知れないし
毎日の反省からの誤差の修正に
判断のミスがあったのかも知れない
いずれにせよ
考えもしない方向に
良きにつけ悪しきにつけ
人の生涯というものは運ばれて行く
 
これを面白いと言わずして何と言おうか
これを楽しいと言わずして何と言おうか
きみの波瀾万丈はきみだけの味わいとなり
きみを作る
あなたの艱難辛苦はあなただけの味わいとなり
あなたを作る
見知らぬ人の浮かれて華やかな生涯には
微笑みを持って見送る人でありたい
あなた方もわたしも
力不足にして手中に出来なかったのだと
言えるところまでは
考え抜いていきたいものだと思う
もちろんこれから先だって分からないんだ
運ばれた先ですべてを見尽くして
そこから先だってたぶん
ある
ぼくたちは
AIなんかに負けない
 
2023/09/29
 
 
「尋常な過酷」
 
波高し
水平線の上には
暗雲も立ち籠めている
が航海は至って平常通りに進めている
どこを見渡してみても
この先の進路に平易な箇所は見当たらない
この先を思えば
ここまではうねりに上下しながら
つつがなく来たと言えよう
もちろんこの先だって
小刻みな体重移動で
揺れの負担を軽減しながら
耐え続けることは必須だが
 
人にまつわる老いの過酷さは
口では言えぬ
極めて尋常な過酷である
 
つまりそれはそういうものだという話で
それを負うのはまた自然の過酷でもある
苦しく悲しく老いたものたちは
正しく老いたものたちは
荒波の内に沈まねばならないのである
 
阿鼻叫喚は内に秘めて
そっと愛するものたちを
突き放さねばならぬ
死ねば死にきり
本当はいつだってそんなもんだぜって
 
喪に服すそんな暇があったら
おまえの高波に抗え
幻想の暗雲に対峙するか
逃げるかを決めろって
 
そして口にはするな
どんなしょうもない生き様も
ただそれだけで
正当さ真っ当さの
比喩になるって
 
2023/09/28
 
 
「国家考」
 
 法の世は近代国家成立から現代の国家へと進み、これはやはり、すべてをご破算にしてそれ以前の世界に戻すことは出来ない。
 それ以前の世界とは、日本で言えば縄文時代をイメージすると分かりやすい。多くの人が、そうした先史の時代を理想郷のように思い、その後の時代は悪くなる一方だと嘆く人も少なくない。けれども、一方にそうした考えを持つ人がいながら、世の中は否応なく今日の世へと進んだのである。
 心ある人は、法の世以前の自然世に戻ることは出来ないけれども、法の世でありながら自然世であるかのごとく組み替えることは出来ると考えた。
 同じ理屈で、国家の体裁を保ちながら、まるで国家が存在しないがごとく再構成できると考えた人もいる。実際に、現在の日本社会では、社会への国家の介入が薄まる一方で、また有権者である国民は国政選挙にもほぼ半数が関心を持たず、投票することを放棄している。経済や産業の動きも、国家の枠組みを易々と超えてグローバル化に邁進している。
 国家的な権威も権力も、明らかに衰退し、解体の方向に向かってはいるのだが、そのたびに保守反動は盛り返し、隠然と既得権益の争奪戦が水面下に行われている。
 国家を具象化すれば、時の政府となるのだが、前述したようにそんなものは権威も権力も失墜しつつある。そのために、あの手この手でそうでないように偽装することに躍起となっている。
 問題はしかしそこにあるのではない。国家の本質はヘーゲルが語ったように共同の観念であり、共同幻想(吉本隆明)なのだが、これが国民個々の個人の観念にぴったり同致して、国家を保守する城壁のようになってしまっている。極端な言い方をすれば、国家の無い世界を思い描くことさえ出来なくなっているのだ。これとよく似たことは交通や学校についても言えて、それが無いという想定や発想さえ出来ないという事態になっている。自分たちを支配し、規制し、時に子どもたちを道の端に追い込み、コンクリートの教室に押し込み、受験戦争だ、いじめだなどとさわがれ続けたにもかかわらず、それは必要なものだと固く信じて疑われない。おそらく、国家も同様で、国民の9割以上、あるいはほとんど十割近くが無くせないものだと思い込んでいる。
 わたしは国家も学校も、あっても無きがごとくに出来ると思っている。交通に関しては大まかなところで、再編可能だと考えている。最低でも人が、子どもが歩く道は広く専用の道を確保すべきだと考える。
 もうずいぶんとぼくらには分の悪い世の中になった。息絶え絶えだが、保守にも革新派がいて、ずいぶんと近い考え方というのも耳にすることがある。そういうところにも届くような声なり考えなりを研鑽することは、こちら側でもしなければならないところだ。
 国家が、小さくは時の政府が、国民に乖離して自由意志を持つ限り、戦争は無くならない。国民の直接的な意志の総和は、戦争の是非について、八割を超えて否定に傾くだろう。それを反映しようとしない国家はない方がよいし、国民が国家を監視し、支配するように変わればよいのだ。
 
2023/09/27
 
 
「生きる理由」
 
 急に折れて萎れて立ち上がれないときが、これまで幾度となくあった。というよりも、そういうときの方が多かった。そのたびに、わずかな残り火に薪を足して、炎を燃え上がらせて心を鼓舞してきた。
 ところで、そんなことで、自分が生きてあることの罪の感覚を消すことは出来ない。少なくともわたしの生存は、他の何物かの犠牲なしに行い得ないものと思われていた。強い贖罪の意識がわたしを奮い立たせ、しかしわたしの延命は犠牲なしに行い得ず、たしかにわたしのそばに近く在ったというだけで人たちはその後に苦しい生を強いられた。わたしの心か身体のどこかに、毒気のような、人を苦しませ、悩ませ、不幸せに導く要因のようなものが存在するに違いない。
 もともとわたしは異質物のように存在した。異和としていつも震える産毛のようであった。息苦しさ、いたたまらなさ、そういうものが存在の底にいつも停留していた。誰もが本当はこんな思いで生きているのであろうか。何食わぬ顔で、あるいは強いて陽気に明るく振る舞っているのであろうか。気弱くもう絶えられないと思ってばかりいるわたしは、甘やかされて育った希代の軟弱ものに過ぎないのだろうか。劣性遺伝の突然変異みたいなものなのか。
 いろいろ考えても何も解決しない。明瞭に理解できたこともない。わたしはわたしの心を内に潜らせ、他人の表情を真似るように暮らした。もっといえば動かぬ能面の顔つきで日々を暮らした。 こう言ってくるといかにもわたしは不幸な生い立ちで、不幸な人生を積み重ねてきたと思われるかも知れないが、そうではない。何も取り柄がなく、ただ人混みに紛れ、その群衆の流れに乗って何をせずとも流れの行き着くところまで行けたのである。つまりちゃっかりとレールに沿って運ばれ、運ばれたところで群衆のひとりとして遇されもした。
 また現在は、低所得者層の一員となっていることが示すように、うまく立ち回り、人生を相渉ったということにはならないが、ふつうでありたいという願望に手が届くところまでは来ることが出来たのである。つまり、せこく、人並みの社会人の顔つきでここまで暮らせてきているのである。
 わたしはゼロからスタートして、プラスに向かって人生を紡いできたなどとは思っていない。マイナスから出発して、どうにかゼロ地点まで辿り着こうと努力を積み重ねてきたと考えている。もちろんそう考えたとおりに進んだかどうかは、自分では定かではない。ただそう言う以外に言いようがないのだ。
 時折、わたしは、この人もマイナスからスタートした人かなと思える人に出くわすときがある。そんなときはなぜか、心から精一杯の応援をしたくなる。その応援もしかし、私流の無骨なものでしかなくて、ひっそりと人目に触れないところで文字を刻み、こんな形で言葉を紡ぐことしか出来ないのだ。ゼロでいいじゃないですか、ゼロまで行きましょうって、念仏のように呟きながら。もちろん、こんなことでわたしの罪は消えはしない。死ぬ理由を求めて得られない、あなたもわたしも、まだ歩き続けねばならない。あなたにも、死ぬべき理由がない。
 
2023/09/26
 
 
「横並びの世界で」
 
世の中のルールと価値観
そのへんに感じる違和感
または幼年の日の孤独
見えないものが見え始めてきたとき
それがすべてのはじまりだ
 
ところで
そのいきさつは至極当たり前だ
前後左右どちらに転んでも
人世界が考えるほど
重要なことではない
 
人世界は実にさまざまで
貧困で餓死することもあれば
富裕の享楽を持て余すものもある
説話や物語や小説などを超えて
横並びに悲喜劇は開かれている
 
つまりは時間軸と空間軸の座標に
すべては映し出されていて
わたしたちにはもう
特異なことが
特異でも何でもないと知れた
 
金太郎飴の絵が少しゆがむだけで
世界はずっと続くものになった
時間は未来に押し出され
飴の顔その口や鼻の配置は変わらない
つまりいつまでも世界はここにある
 
そういうことになった
ヘーゲルの歴史観はもはや
最先端ではなく
フーコーの考古学も
世界に激震を走らせ
配置の再編を促すものとは
今のところなってない
穏やかで揺るぎない世界のシステム
戦争さえ一幅の掛け軸に描かれた
素材の一つとしてしか
わたしたちの目の前に置かれていない
「あわてふためくな」
って言う人もいたが
身体が為すべきことに集中して
本当にそれだけでよいのかと
終わりの始まりに
たぶんわたしたちは
ひたすらな無言で問うている
 
2023/09/25
 
 
「鼓舞するもの」
 
青空が見えて
地上に光が注がれて
家々や緑の山野の間を
そっと秋風が流れて行く
それはとてもよいことだ
意味もなく理由もなく
わたしはよいと感じている
 
事業所に来るボランディア
高校生か大学生か
がっしりした体つきの男子
階段をぞうきんがけ
トイレも丁寧に拭いてくれている
慣れてきたせいか
隅々まで行き届くようになった
 
自然界もよいが
人間界もよい
職員はみな
少しばかり心が不器用で
また表向きには無愛想なのだが
視線も瞳もまっすぐで
口には出さないが
ボランティアの彼の動きを
しっかりしてきたその動きを
黙ってしっかり
無愛想な心で受け止めている
 
人間界はそれがよい
人間界はそれでよい
もちろん自然界が曇ったりするように
人間界もしばしばざわめく
だがどんなざわめきも
こうした価値の前では些細なことだ
少なくとも
わたしを支え
鼓舞し続けてきたのはそれだ
 
2023/09/24
 
 
「秋分の日に」
 
お彼岸の墓参り
先祖の供養
春分の日秋分の日は祝日
国を挙げての催事
元は春季皇霊祭
秋季皇霊祭からの改名
日本古来の「日願」信仰と
仏教伝来後の「彼岸」の考えが結合し
現代にも根強い風習として
人々の生活様式の一部として伝わる
 
もちろん仏教が
葬儀のための宗教と化してきたように
先祖の供養なんて事も
現代人の心には薄まって来てはいよう
ほとんど形だけ
お墓参りの習慣としてだけ
残っているようにも見える
 
是非はない
やってもやらなくても同じ事だ
親鸞ならそう言うだろう
タイミングよく
出来るときはやり
できない時は無理せず
やらなくてもよいと
吉本隆明さんなら
ぼくは割とまめにやる方でした
そう言うかもしれない
安藤昌益さんは
ばかばかしいと切り捨てて
人それぞれでいいんだ
先祖に対する自然な心持ち
それを飾り立てたり
儀式的に盛大にやろうなんて
そんなのはだめだ
なんてことを言いそうだ
 
こうした人たちの考えを受けて
ぼくはどうかと言えば
父母が存命の間は
まあまあにお付き合いをしてきまして
父が亡くなり
今年の四月に母が亡くなり
それ以降ぷっつりと
葬儀仏教の思惑に加担するだけの
この風習に嫌気がさし
気分がよく
元気なときだけ行くことにしよう
なんて不埒な考えを
この秋分の日にしています
 
2023/09/23
 
 
「戯れ言戯れ歌」
 
産道を下り
この世界に産み落とされ
胎児から新生児に切り替わる瞬間
誰もが深く強く
心的に傷を負う
対処しきれない環境の変化
突然の肺呼吸への転換
 
赤ん坊にとっての
この不条理劇は
そのまま鬱の
病的な症状の源泉として
無意識に仕舞い込まれる
後年鬱を発症するのは
この無意識の記憶が
擬体験として
心的に蘇るからではないか
 
言ってみたいことは
心的な環境がそれに合致すると
人は鬱に入りやすく
だが鬱とはまるで未体験でも
あるいは人を超えた異常でも
人に非ざる病というわけでもなく
人間的な心の
原形をとどめた
一つの有り様と見なせる
ということだ
 
赤ん坊の場合はその後
母親や母親代理などから
手厚い愛情と世話とを受け
当然のように外界への関心と
好奇心に満ちた存在へと転身して行く
 
鬱の人に必要なのもそれだ
 
世界には悪意がないこと
そればかりではなく
世界はどんな存在も無条件に歓迎し
支えると公言すべきだし
実際に誠意ある行いをを行うべきなのだ
そんなことは社会とか世界とかの
当たり前に行うべき事で
そうでなければ人間社会
人間世界の存在の意味がない
逆に言えば
現行の社会や世界は
生誕時に味わう
心的な衝撃や苦痛に近いそれを
意図せずにまた無作為に
罪無き人に与えているということが
言えるように思える
 
この世界はただ胸に手を当て
赤ん坊にも鬱の人にも
幸いあれと祈るがいいのだ
 
2023/09/22
 
 
「一途考」
 
思いは届かぬ事が当たり前だ
他人のそれまで受け止めていたら
とてもじゃないが身が持たない
それなのに届けたい
届けようって
愚かにも繰り返す
 
悲しいっちゃ悲しい
意志しない一途さに振り回され
自分を突き動かすのが自分でなければ
自分を支配し
自分に指示するのは
いったい誰なんだという話になる
 
この歳になると
ひとりでに分裂が進み
二つに引き裂かれ分身となる
こちらが危うくなると
そちらに乗り換えて危機を脱する
自分ともうひとりの自分とで
意識と身体と
バラバラな系統で依って立つ
 
これを自衛の核として
意識からの指示と
身体からの指示と
うまい具合に聞き分けて
進むしか手はないと画策し
時に一途を回避しつつ
人として
卑怯な振る舞いにならぬかと危惧する
自己の合理化
誤魔化しで
晩年を乗り切って
さて
何が楽しい
 
2023/09/21
 
 
「人間的な触手」
 
人間はガキっちょ
生命のステージでは新参者
文明を発達させ
科学や技術を進歩させ
言葉を持って
すべての事象を言葉化し
分かったつもりになる
でも「分かる」って
意識の上だけのことだから
人間はすごいんだって
自画自賛しても
人間以外には認められていないし
役にも立てない
国家以後はことさらに
都市化文明化以外
平和も平等も実現できていない
 
もっと長く地上に君臨する
植物種動物種の類いは
「せいぜいおきばりやす」って
京言葉を投げかけているかも
「ぼくらは恐竜全盛時代も知ってるし
 その後の絶滅も見ている」
「そこから見れば
 種の最強最大の武器や利点は
 最大最悪の弱点や欠点にもなり得る
 と言えると思う」
 
なんてことはないけれども
語らずして語っている
それぞれの種の生き様を虚心に見れば
「いい気になるな」
という警告を発しているかのようだ
 
多分人間の知は
非知の先輩たちから教わるための
人間的な触手なんだろうと思う
しかもその能力は
対手への敬愛なしには発揮されない
 
2023/09/20
 
 
「心惹かれる」
 
高台にある団地の法面は
いつも雑草がよく茂っている
緑色の葉は生き生きとして
濃い色だが明るく
見れば生命力にあふれている
春から夏にかけて
何度か草刈りしているのを見かける
けれどもそれほど時を経ず
あっと言う間に草が伸びて
伸びた頃にまた草刈りが行われる
 
雑草の生命力はすごい
断トツにそのことをまず思う
次に
飽きもせず諦めもせず
人は伸びた雑草を刈ることを止めない
何というか
それもまた別の形の生命力と思う
雑草は生え人はそれを刈る
 
団地が出来て50年
繰り返されてきたそれは
これからも続くのだろう
これまでどうして
こんなことが続けてこられたのか
緑が好きだからとしか考えられない
でなければとっくの昔に
石やコンクリートで敷き詰めて
草が生えないようにしたはずだ
 
やっぱり緑の景観なんだろうなあ
この地の人の風土絡みの心性
この地に生きる人に備わる
存在から喚起される倫理
もしくは倫理以前
何気ない形で
何気ないところに
脈々と受け継がれてきた地域的な心
日本的と集約される前の
源流としてのそれぞれのパーツ
しかもひっそりと目立たぬ
パーツでさえないもの
 
ああなんだか
無名の人みたいに
そこにいるのかいないのか
そこに本当にあるのかないのか
法面に草は茂り
人はそれを刈り
文化遺産でも自然遺産でもないそこに
ああぼくは本当にほんとうに
心惹かれる
 
2023/09/19
 
 
「雑感」
 
東北の今年の夏の暑さ
ガソリンの高騰そして高止まり
何かと
初めての経験が多い中
相変わらずってのもある
「赤木ファイル」絡みの裁判で
財務省の公文書改ざん問題
捜査資料の不開示は妥当の判決
 
国と司法もいざとなればこんなもんだ
相変わらずのがっかりする結果だった
上から目線と下から目線とでは
こんなにも違う
 
 
世界の国家百九十余国
このうち民主主義国は
非民主主義国より少し少ない
国家の本質からして当然の成り行き
本当の民主主義なら
国家の枠は平気で超える
国家内にとどまる民主主義には
歪みが生じる
 
司法も国家を超えて行かない
日本の国家も司法も
残渣のアジアを引きずる
この頃はつくづくそう思う
欧州アメリカの真似ばかりして
スタイルも足の長さも似てきたが
アジア的風土に育まれた心性は
欧米型の概念や論理の扱いを
消化しきれない
 
何も考えなければ
事は明々白々なのに
当然や当たり前が通用しない
それが政治かそれが司法か
上目線の当然や当たり前と
下目線の当然や当たり前の
この乖離は千里の径庭
天地雲泥の差をもたらしている
馬鹿馬鹿しいにも程がある
 
ひとりで憤っては
消耗し疲弊するばかりなので
終いには声も言葉も出なくなる
これではいかんと
時々は居住まい正してメモを取り
そのメモは
こんな形で無造作に
そして無意味に放擲され
後は行方知れずに
 
2023/09/18
 
 
「八戸の安藤さん」
 
八戸の安藤さんは
文字が読めてよく本を読んだが
長い間読んで考えているうちに
文字の読み書きに秀でた人は
みなそれだけで得意満面の
ちょっと嫌な連中だって思った
そして文字には
指し示す意味内容とは別に
書くものの主観や
身勝手や嘘が混じると見抜き
知らないうちに騙される
そういう力もあるとして
いつしか文字を嫌った
 
文字をよく使う連中
学者や研究者や
藩の侍やまた僧侶たちは
教え指示する側に立って
どうも一般の人たちに向かって
偉そうにしている
そのくせ人にとって最も大事な
自分の身を維持するための食料を
その人たちの生産に依存している
本来なら立場が逆で
己の不耕貪食を恥じるべきが
そうではない
 
安藤さんは腹が立って
それら悪癖の文字群を
自らの正なる文字によって
駆逐せんと原理に立って書を成した
偉いのは師なく弟子なく
群れも党派も組まず
大著一冊を人任せにして
自分はさっさと実家秋田に帰り
書にも示した直耕を実践し
文字世界と縁を切ったことだ
 
それが正しかったか
正しくなかったか
ぼくには分からないのだが
一貫して筋の通った生き方
あるいは考え方に見えて
この国ではめずらしく
貫徹した希有な世界観を持つ
数人の中のひとりとして
ぼくの中ではすごい人だなあって
感心しきりで
また潔い人だって思う
 
ちょっとね
独学というか
系統に属さずアカデミック臭もない
そういうスタンスがね
是非を超えて魅惑的だ
思想は修正が利くが
スタンスは修正も真似も利かない
並外れた知の力こぶが
可能にしているんだと思う
メディアでヘラヘラしている連中は
ちょっとは反省したらいいんだ
吐きかつ記した言葉や文字
それに命を吹き込むのは
結局そういうことなんだぜ
ってね
 
2023/09/17
 
 
「言葉は役に立たない」
 
言葉はどこにも行かない
ずいぶん考えたことも
しばらく頭の中を
ぐるぐる巡って消える
 
政治とか経済とか
お金とか学問とか
社会に役立つものに比べて
とても分が悪い
 
言葉は役に立たない
大人や子どもの前で話しても
ぼくの言葉は素通りして
すり抜けてしまって
意味がなかったってことが
とても多かった
好きな人の前ではだから
夜を徹して話さないと
好きが伝わらない
いつもとても疲れた
疲労困憊の極みだった
 
こうして言葉との付き合いは
半生を超え
そろそろ言葉の方が
ぼくを見限ろうとするかのよう
新しい言葉は降りてこず
手垢のついた
田舎味噌みたいに匂う
古びた言葉しか湧いてこない
 
そんなんで文字を刻み
詩にするんだなんて
たまげた人だよぼくは
性懲りもなく
今日も無の詩を書いて
これだったらもう
ぼくが書くというのではなしに
言葉によって
書かされているという方が
よいくらいのものだ
言葉に翻弄され
言葉にあざ笑われながら
夜に青ざめながら
 
言葉は役に立たない
人を傷つけることにしか
役に立たない
 
2023/09/16
 
 
「大事なこと」
 
放課後ディサービスの3つの部屋には
いつも子どもたちの声がある
笑い声や
戦いごっこの声や
いつもの子のぐずった声が
部屋を超えて響き渡るときもある
 
それらの声を後にして
たいていぼくは駐車場に向かい
送迎車の清掃をする
 
子どもたちが
大きな声を出したり
叫んだり
泣いたり笑ったり
感情をむき出しにする
そんな時間と空間があることは
きっとよいことだ
小学生なんだから
なおさらだ
 
活動に入らずに
ずっと遠巻きに眺めている
ぼくはことのほか
このことがお気に入りだ
 
子どもたちがやがて
幸せになろうがなるまいが
不登校になろうがなるまいが
あるいはいじめっ子に
なろうがなるまいが
そんなことは些末だ
今そこでそうしている
子どもたちがいるということは
ただそれだけで
とてもとても
大事なことだ
ぼくにとっても
子どもたちにとっても
 
2023/09/15
 
 
「言葉は死んで」
 
言葉は死んで
文字となる
記された途端に
生身を失う
墓碑に
死者の名が刻まれるように
記された文字には
作者の名が残る
たとえばそんなふうに
生身は死んで
痕跡だけが残るなんて
いやなこった
恥ずかしいこった
って
また文字を記す
また文字に
なる
 
2023/09/14
 
 
「源流考」
 
光景に嫌気がさして
川を上る
沢を登る
流れの源流を探し求める
やっと辿り着いたところで
流れを変えようと試みる
うまくいけば
新たな水系が出来る
下手をすれば
すべてが混乱し
崩壊を招く
 
大小の岩石に鉄槌を振るう
砕けた欠片を寄せ集め
元の流れを堰き止め
新たな角度に
誘うように石を組む
それを為し得たら
後は地形に沿って
水は低きに流れて行くだろう
 
さてそこでだがしかし
ぼくの妄想はそれで途切れる
源流の探索と原理の考察
孤独に引きこもる
ひとりの生活者の趣味と
素人じみた冒険の
顛末はそこで終わる
源流にも原理にも届かない
だがぼく個人の
原理源流には
もうすぐ
手が届く
 
2023/09/13
 
 
「かすかな秋の気配」
 
日本の原住民から
わたしたちの祖先まで
紆余曲折を経て
悠久の時をまた何度も繰り返し
所作や姿形から心の有り様に至る
日本らしさを培ってきたもの
多分それは本当は
この島国の地形であり
気候であり
大雑把には
自然環境だった
 
祖先からわたしたちまで下って
わたしたちには
祖先の心性が受け継がれてきた
と考えがちだが
半分はその通りで
あと半分は違っていると思う
 
至る所に繁茂する緑があり
遠く見渡せば山々や森があり
また高所にあって遠望すれば
海が見渡せる
平地から歩いて
海も山も一日がかりで
たいていは辿り着く
春夏秋冬の四季があり
峰にたなびく雲があり
山の端の月もまた
人たちの心性に
強く影響した
 
それだからって別に
何か言いたかった訳ではない
ただそんなもんだよなって思い
そんなもんだよって沈み込み
昼の熱暑を脱ぎ捨てて
初秋の虫の音に
聞き耳を立てている
とまあ
そんなとこなんだ
 
2023/09/12
 
 
「端緒を開く」
 
ぼくらの親の世代は
間違ったのかな
田舎から都会へと
子を送り出した
田畑の耕作なんか
ちっともいいことなんかない
学歴がないと
ずっと下積みに沈む
そんなんじゃ
子どもらが可哀想だって
ただただ子どもらの幸福を願って
都会へ送り出した
 
ちょっと
自分らの生活環境を
あるいは生活そのものを
過小評価したんじゃないか
日本が欧米と比較して
かの国々の文明を羨んだように
田舎は都会を羨み
田舎人は都会人を羨み
自然に内在するもの
田舎の生活に内在したもの
つまり自分たちにとって
あまりに当然のものを
優しさとか
思いやりとか
相互扶助の精神とかを
大気のように
いつどこにあっても
存在するものと錯覚した
田舎の
古代から続く伝統の価値を
心性を育んだ土壌の価値を
自分たちが気づいていなかった
のではないか
 
人も土地も
神(生き神)のものだって信じ
最終的には神(生き神)に
己をも捧げるものだと信じ
みな同じ思いを共有して
その部分では互いに
平等であると信じていた
神(生き神)というそれは
多分誤った考え方であったが
そう考えることで育んできた
世間とか
付き合いとか
敬虔に生きるとかの
村落内から国内に至るまでの
人々の心性の形成に与る意味合いは
大きなものがあった
これも例えば神(生き神)を
自然とか地球とかに置き換えれば
その考えや意味合いは
現在でも十分通用する
小コミュニティー形成のための
基盤となり得る
 
たしかに崩壊と喪失は
計り難い大きさであるし
根底的でもあったが
この国の伝統は
もっと遙かに遡ったところから続いていて
そこまで辿れば
まだ十分に蘇生が可能だ
と考えることが出来る
そこでまあその端緒を
ぼくらは開かねばならないのだ
 
2023/09/11
 
 
「あっけらかんと笑う」
 
自分のつらさ苦しみなど
どうにでもなる
悲しみ怒り
時にはそんなものと一緒に
放り投げてしまうことが出来る
例えば眠りと一緒に
忘れることも出来る
つまり
いざとなったら
根拠のない幻想だ
価値も意味も無い
そう言うことに
何の憚りもない
なぜなら
そんなものに執着しない
囚われないと決意して
心の窓から放り出したところで
間違いなく明日は来て
その次の日も来て
為すべきことは無尽蔵なのだ
明日もまた
新たなつらさと苦しみ
新たな悲しみと怒り
そういうものが
向こうから押し寄せてくる
だから昨日までのそれ
今日のそれ
片付かぬそれは放り出して
明日また抱え込んで
考え抜けばいい
立ちすくんで考えるか
歩きながら考えるか
そんな程度の違いだが
たぶんぼくらの抱える問題は
未来に続く問題で
喫緊にけりがつく問題とは別だ
そこは明瞭に区別して
誤解してはいけない
 
思い悩みと抜き差しならぬ関係になったら
尻捲りをして逃げろ
一瞬でもよい
意識を捨てて
動物また植物の世界へと擬態せよ
考えない方が賢い
そう思わせる世界がそこにある
そうすればもう
あっけらかんと笑うだけだ
 
2023/09/10
 
 
「ゼロの天才」
 
何の問題も無く
ごくふつうの生活を繰り返し
晩年までたどり着くひとは
果たしているんだろうか
退屈な暮らし
その枠を外れずに
きっちり納まって
逸れずに行ける人は
四囲への目配り気配りはもちろん
空気もよく読めて
他人との距離感よろしく
間もよくて
自在な立ち位置
しかも自身を弁えて
他人に不快や
不安を覚えさせない
そんな人でもあるだろうな
ただ鈍感で
木偶の坊のように
突っ立っているだけでは
なしえない
けっこう正確無比の
計算手順作業手順をこなし続けて
誤らない
 
どんなに平凡で
いつも落ち着いて見える人でも
生涯に何度かの
不測の事態に直面し
泡を食ってパニクって
問題を広げてしまったり
大きくしてしまったりと
一瞬でも平凡の外に
出てしまった経験はあるはずだ
そこから言えば
凡人を貫き
ごくふつうを貫き
退屈な暮らしを貫くのは
相当天才的でないと務まらぬ
ひとまず
最も目立たぬ天才
ふつうを逸れぬ天才と
ここでは考えておこう
世に言う数多の天才たちより
難しいことをやり得ている
とぼくは考える
数多の天才たちには師弟が存し
協力者理解者もいる
ゼロの天才には
おそらくそういうものはない
 
2023/09/09
 
 
「すれ違う物語」
 
聞き入れてもらえない言葉たちは
秋の虫となって鳴き始める
 
もちろん団地の庭々の鳴き声たちも
ふと住民たちの小耳をかすめて
 
家々の暮らしのたてる音に紛れては
夜更けの深まりに向かって
気にもとめられない
 
昔の
山際に建つ一軒の家の
 
隣家とは適度に離れ
秋月に照らされて静まりかえった光景
 
虫の音は高く低く
遠く近く地から湧いて地に還る
 
虫たちのする物語は
みんな忘れられた
 
歌と一緒に
みんな忘れて行った
 
ひとりの人の
低く控えめな
けれども幾千の
想いを込めたその言葉の
かすかな嘆きの調べを
気にとめるものは
どこにもいない
 
喧噪にせかされた現在の
日々の生活が強いてくる現実は
もうそれどころではなくなっている
バーチャルな空中綱渡り
その息を呑む展開の
一瞬一瞬が心を占めていて
表層世界の接触がすべて
薄っぺらな言葉世界がすべて
それらの世界に流通する
意味や意義こそがすべて
のように思い込まれている
 
虫たちの声なんか届かない
 
2023/09/08
 
 
「個性」
 
仕事を辞めたい
 
仕事を辞めたら
図書館に通い
本を借り
フーコーと
吉本さんを読み尽くす
朝から晩まで
読んでゴロゴロ
合間に掃除や洗濯をして
時には買い物
また料理までやって
溌剌と
また溌剌と日を送る
 
そう考えて
すぐさま
そんな訳無いと否定が入る
今までも
考えた通りに順調に
事が運んだことなど
まあ無いことだ
口実で
こじつけで
正直に言えば
『疲れた』って
ただ言えば済む話だ
それを
『仕事を辞めたい』
とするところに
愚かなぼくの
個性があるな
 
2023/09/07
 
 
「生涯の大半は賃労働」
 
生涯の大半は
賃労働に明け暮れて過ごす
生きていくため
分かりやすいのは会社勤めだ
農業漁業
ほかに自営業など
親や祖先からの受け継ぎってこともあるが
現在そういう仕事のあり方は
少ない気がする
 
賃労働
与えられた仕事をして
報酬としてお金をもらう
それでもって生活したり
遊んだりってことが出来る
今では生きてゆくことの基本は
それだってことになっている
打ち込んで報酬も上がり
個人としての評価も上がり
ある程度の満足も得る
でも生涯の大半が
そのことに使われたってことでもある
生きてくためには仕方ないけど
自分の大切な時間の大半を
しかも一番活動的な時期を
そこに費やしたということ
費やすしかなかったということ
退職したり
辞めてしまえば縁も切れ
仕事に打ち込んだ満足感や
仲間たちとの思い出を別にすれば
何も残らないということだってある
 
仕事が人間の値打ちを決める
そうした考えもあるにはあるが
それさえ一時的なもので
老いて影響力を失えば
まあほとんど相手にされなくなる
人間の値打ちと言ったって
そこは普遍的なものじゃない
そこでもう一度
生涯の大半を賃労働に費やす
投入する
そういうことでよかったのかどうか
あえて心に問うてみる
結果論的に言えば
もったいなかったぜって思う
なんせ下手をすれば
大半どころか
その間のほとんどを
仕事中心に回す
そういうようになってしまう
仕事に携わっているときは
そういうもんだと思い込めた
今はそうじゃない
とはいえこのあとは
後続の人たちの判断
ということ以外に
言えることもない
 
2023/09/06
 
 
「詩を書いてみないか」
 
詩はいいよな
書きたいことを書いて
これは詩ですって言えば
それで済んじゃう
偉そうなやつが
「そんなの詩じゃない」
と言ったら
「ああそうですか」と言って
そんなやつとは
口を利かなければいい
 
詩はいいよな
紙とペンがあれば
簡単に書ける
一行でも詩
千行でも詩
気がむいた分だけ書いて
それで済む
公開してもいい詩
公開しなくてもいい詩
密かな罵詈雑言の羅列でも
自分で詩だと思ったら
それはたしかに詩だ
 
詩はいいよな
褒められたり
上手に表現できたり
なんてことを望まなければ
思うがままに
また自分の好き勝手に
書きたいだけ書いて
自己満足に浸り
ちょっとイカすぜって
思えたり思えなかったり
 
詩はいいよな
普段の生活で言えないこと
口に出来ないこと
自分の本音
ほんとのほんとの思い
それをいっぺん外に出して
紙や画面に映し出して
さらにそれを
ゆっくり読んでみて
自分ってこんなか
という発見もできる
それがなんだという訳でもないが
自分が自分の一等の
理解者でいられるなんて
それ以上に自分を鼓舞できることは
ほかにない
 
どうだろう
いっぺん詩を書いてみないか
詩とは何かなんて
まるで分かっちゃいないんだが
五十年
のんびりゆったりと
言葉に向き合った
実績はある
趣味の詩を続けるこつは
身につけたかも
 
2023/09/05
 
 
「終焉という思考」
 
総合がない
総体を見渡す思想がない
専門が出しゃばって
総合の顔つきしても
一部にしか伝わらない
 
そんなことばかり繰り返して
劣化したマスメディアの知が
先導するものだから
マスメディアの倫理が
扇動するものだから
身をかけて抗う思想も絶えて
老いた反抗の種子は
みな干からびて
若き天才たちだけが
処世よろしく
表層の効果を狙っている
 
それは仕方の無いことか
それは仕方の無いことだ
祖父母の世代がそうだから
親の世代もそうだ
親の世代がそうならば
子の世代もそうなり
子の世代がそうであれば
孫の世代も
そうなるに決まっている
血縁から
公共の指導機関
公共の洗脳システムまで
こぞって
はき違えた専門馬鹿たちの
訓導のことばに包囲され
身動きが取れず
摩擦を避けて流れている
それは仕方の無いことか
それは仕方の無いことだ
本当の手がかりには目を背け
顔を背けて来たんだ
知の海に溺れ
非知の海に溺れ
そこから這い出し
上陸して
さてどうなるかという過酷さが
意地悪く
未来からの視線で見据えられている
だがわたしたちは
わたしたちが考えているよりも
ずっと脳天気で
楽天的だ
『スイーツはどれにする』
というくらいの感覚で
明日もやっていけるさ
だからそれはそれ
あれはあれという
位相や次元をわきまえて
今日のようなあっけらかんで
行けるだけ行くさ
 
2023/09/04
 
 
「浮遊する思想」
 
人の思想は最後
例えば『死の棘』の
妻になって
夫を糾弾したり
規制したり支配したりする
それと同じように
他者を規制したり支配したり
したくなる
 
厳密に言えば
思想の質の問題と言うよりも
頭から身体に降りた
感覚や内臓に宿る神
それの齎す
宗教心の声であり
信心の声だ
もっと言えば
生の衝動の
人間的な現象化だ
 
最後の最後
自分の支配欲を止めることも
他者の影響や支配から
離れて自由でいることも
至難の業だ
そのためには孤立して
関わりを薄く薄く
保ち続けねばならない
その上で
軽量化を果たした思想について
軽やかに論じ
また深く
聞き入るべきだ
その
浮遊する思想を
 
2023/09/03
 
 
「秘事」
 
もうすぐ休暇が終わる
そう言って瞳を閉じた人の
影もふいっと消えた
師と呼ばずに慕ったものたちは
気がつけば
みな荒野にぽつんと取り残された
 
知ったかぶりをするな
隊伍を組むな
かすれた声が
吹く風に混じって
時折肌を刺す
恨み言は鋤に変えて
足下を掘り続ける
掘り続けながら
紙の上に文字を記す
やがてその文字は一斉に唸り始め
紙の上で喚きちらし
食いかけの残飯みたいに
次から次と
穴に向かって落ちて行く
そうして一生分のことばが
穴を塞いだら
そのうえに土をかぶせ
雨のように涙を注ぐ
 
非なる
法事・法要の読経は
風に乗って
止むことが無い
 
2023/09/02
 
 
「ことばを失っていく」
 
誰もいない
事業所の駐車場
作業に区切りをつけ
一歩敷地を出て
たばこを吸う
 
隣の団地の奥にのぞく
小さな森から空と雲を眺め
安藤昌益を想う
「自然真営道」に
「直耕」思想を表し
後に郷里に帰り
自らの思想を実践
それを生きた
 
当時農民を生きることは
ふつうの生き方だった
普遍の生き方を信じ
昌益はそれに準じた
そこから離れたものは
みんなだめだ
実践から離れた
思想も学問も芸術も
みんなだめだと考えた
それで文字以前の先史を
どう蘇らすかに腐心した
 
現代は真逆に
加速して進んできた
どこかで
前古代に憧れる心を
一層強くしながら
人社会は真逆に突き進む
そういうもんだから
そう進んでいるだけのこと
 
こうしてぼくは
ことばを失っていくのだが
人としての当たり前の暮らし
それは手放さず
小さな苦楽をそのままに
身に負ってゆく
小さなやさしい群れに
いつか合流できるんだって
そう固く思い込んだところを
生きて進もうとする
 
火を消す灰皿と
吸い殻を入れる灰皿と
毎日その二つを持って
その時間を過ごす
ひとりも悪くないんだ
流れと逆行する
こんな考えは
孤独な方がきっとよい
 
2023/09/01
 
 
「関係」
 
ごくふつうに暮らしてきて
人並みに山あり谷あり
けっこうそれで手一杯で
許容量すれすれ
 
あちこち手広く
「関係」を拵え
築き上げていくのを見ると
自分の懐の狭さを
痛感するばかりだった
もちろん何食わぬ顔をして
いっぱしの
人間面は出来たけど
人間は怖い
人間は分からない
 
かと言って
虫が好き
動物が好きという
訳でもなくて
草花が好き
な訳でもない
どんな対象との「関係」も
それだけで重荷に感じる
とても重くて
この年になればなおさら
減らすことに
躊躇いがない
 
2023/08/31
 
 
「心にずっと」
 
けっこうな年になっても
あれがしたいとか
これがしたいとか
あんまりない
 
うまく生きた人は
世界旅行だ
豪華客船で
日本一周のクルージングだ
とかに出る
それほどでもない人は
山登りだ
川や海に出て釣りだ
とかって
言ってみれば
「有意義」に過ごそうとする
それがなんか
無いなあ
 
振り返ると
子どもの頃からこんなだ
日々に喜怒哀楽はせわしなく
それで疲れてか
あるいは充足したものか
起居を超えて
遠く夢も希望も
翼を持ち得なかった
それは現在もそうで
なんか損したのかな
つまんなく生きたのかなって
思わないでもないが
今日もまた
ありきたりの立ち居振る舞いで
一日を終えようとしている
こういう生き方以外の生き方は
生きたことがないので分からない
分からないから望まない
なんかねえ
夢や希望と違うけど
心にずっと
生き続けるものが
ひとつある
 
2023/08/30
 
 
「やさしい手」
 
寄り添い支え合う
優しさや絆は大切だ
けれども
賢治のような
無償に徹する奉仕は稀だ
一生に一度
身近に見られたら
見たものの生涯は
強く影響される
 
ほんとうは
他人に影響を与えることも
他人に影響されることも
避けるべき
と考えるのがよい
 
手を取り合って
輪を作り合うと
次の段階では
輪を乱すものは誰かの
探り合いになる
無償の奉仕は
一瞬だからこそ輝ける
 
それを強く求めるのは
長くとどめ得ぬものだからだ
五体の皮膚から産毛にかけて
不在の冷気を感じているからだ
本当は世界が分からないことの代償に
結び合う手を
母の手を
求めているだけなのに
 
2023/08/29
 
 
「人間性について」
 
 人の生の基本を動物に置く。それは食と性。つまり、食べて個体を維持しながら類的には子孫を残すことを柱としている。この特性は植物由来のものだ。植物は動かずにそれを為す。この植物の基本の営みは人も含めた動物の内臓に引き継がれている。
 動物は植物のはたらきを内臓に包み込み、ただ手足を携えて食と性のために移動を繰り返す。餌を求め、繁殖のために対象を求めて探し回る。そのため、たくさんのエネルギーが移動のために費やされ、またそのエネルギー源を補給するために動き回らねばならなくなる。
 動物に比べて植物は、種から生じてその場に根付き、一生離れることがない。食について言えば、地面と大気や太陽の光とを活用して賄えるように出来ている。繁殖する、子孫を残す、そういう観点から見ても、成長して花を咲かせてそれを為す。何から何まで効率的で省エネ的でもある。
 地球上に現れた順序から言えば、植物から動物、そして動物から人間へと進んできたと一般的には考えられる。進化論的な考えからは、後発の種ほど進化したものと思われがちだ。単純から複雑、低級から高級へと進むと考えると、考えやすいし分かりやすい。けれどもそうした見方は人間的なもので、自分たちが優れていると錯覚するからそう考えているに過ぎない。人間以外に、人間が優れているとか高等な生き物だとか考えたり、言ったりしているものはいない。もっと露骨に言うと、眼中にない。
 ここからが本題だが、人間も動植物に共通の特性を持ち、本質的には似たような生き物であると言える。しかし、人間には地球上の他のあらゆる生き物には見られない特徴があって、それは脳の働きを異常に発達させたところにある。これによって人間には意識や内面などが生じ、動植物的な生き方とは別に幻想的な世界、観念的な世界というものを作り出して、そこに複雑膨大な領域を形成してきた。
 人間とは何か、人間の特性とは何かを考える時、この観念や幻想の世界を抜きにして語ることは出来ない。これをもう少しシンプルに分かりやすく言えば、心を有し、現実世界と心的世界を共時に生きる存在が人間であると言えばいいだろうか。
 人間らしさ、人間的であるなどと言うことは、心を持っているということ、また心的な世界を作り上げ、心的世界に生きるということ。そこに他の動植物にはない人間性というものが顕在する。
 
 わたしたちはその人間的な領域に、人間的と冠することによって時にある期待を寄せてしまう。つまり科学や技術であれ、芸術や学問であれ、そうした領域の進化や深化が、わたしたちの社会をよりよくすることに貢献するだろう、というようにだ。 
 意識世界、観念世界、幻想世界、そして心的世界、ことば世界、これらはみな共通してわたしにはどこか、信じ切るには怪しさが残ると思われてならない。けれどもこれが人間的なものであり、人間らしさの典型とも言える訳だから、これを疑うことは自己矛盾とか自己否定とかと見なされても仕方が無いという気がする。そこでどのように考え処理するのが適切であるのか、わたしは引き裂かれたまんま宙づりになって、醜い姿を晒してしまうということになる訳なのだ。未だにこの先に進めない。
          (冒頭、三木成夫さんの考えを借用)
2023/08/28
 
 
「撃ちてし止まん」
 
俗に言うマザコンなのか
母が亡くなって
心的枠組みが消えた
そのひとつの要素でもある
両親が築きあげた
子に孫に
引き継がれるべき関係も
一緒に消えた
 
元気なうちはよいが
老いてからは
築いた関係のすべてが
怪しく映った
利をもたらさぬ関係は
不要とされる
生きてるうちから
関係もまた
晩年を迎えていた
ゆるやかに
消滅を待つだけだった
 
そんなものを引き継ぐ余裕など
どこにもない
自利にも働かぬが
利他に働く力も無い
アジア的心性からは
ずいぶんと非難され
嫌悪されたり
憎悪されることもあるだろうが
それぞれの事情に向き合えば
そういうことになるのは必須だ
そんな流れに身を委ねるのも
悪くない
どこへ運ばれてゆくか
目を見開いて
つぶさに見届けて
力尽きるまで
撃ちてし止まん
 
2023/08/27
 
 
「マスクの下」
 
マスクをつけなくなった
子どもたち
時々外す職員たち
少し前から
事業所ではそういうことになった
 
見知った顔ぶれの中に
初めて見る顔の子がいた
だがその子はみんなから
いつも来る子の名で呼ばれていた
 
常時マスクをつけていた
この約2年間の間に
ぼくはその子の鼻や口元を
勝手に作り替えて
マスクの下に納めていたことになる
 
ひとり二人ではない
また子どもだけでなく
マスクを外し始めた職員の顔も
名前とは別人の顔が
首の上にあって
思わず
『初めて見る顔だ』って
何食わぬ顔の下で
深く傷つくように
戸惑っていた
 
約2年の間に
マスクの下の顔を
ぼくは勝手に作り替えていたんだ
そしてこんな顔なんだって
思い込んでいて
マスクを外したら
途端に冷や汗もので
どうもこれは
まるで認知症か痴呆症の
前触れか擬似的体験か
『大丈夫なのか俺』って
不安になる
 
判断が狂ったことに対する
衝撃とか恐怖とか
加齢はいろいろ呼び起こす
せっかくなので
この初めての経験
『楽しい』の部類に整理して
思い出としても
残しておこう
 
2023/08/26
 
 
「身体と意識」
 
 自己とは外界のすべてから疎外された身体であり、身体から疎外された意識を含めての全体が自己であると、ひとまずは考えることが出来る。もっと単純化して言えば、個的な身体と意識をひっくるめて、わたしたちはこれを自己だとか自分だとかと考えている。
 ところで、ふだんはそういう自分なり自己なりが揺るぎなく存在すると思い込んでいる。自分がここにいるんだから、自分は存在するというように。そこで、では自分とは何か、と考えると、とたんにその「自分」なる代物が曖昧な存在だと気づく。
 例えば身体を取ってみても、自分が作ったものでも自分が育てたものでもない。知らぬ間に出来ていて、知らぬ間に大きくなったものである。どうして自分のあずかり知らぬものが「自分」ということになってしまうのか。またどうしてそういう身体を自分の身体と考え、自分のものと考えてしまうのか。
 このことは自分の意識(ことば)についても言えることで、生まれたばかりの子どもは自分の意識(ことば)を持っていない。あるとしてもそれは無意識で、当然のことにことばも思考もない。 身体も意識(ことば)も授かったもので、自分が作り出したものでも拵えたものでもない。
 
 結論から先に言おう。ここで何を言いたかったかと言えば、「自分」とか「自己」と呼ぶものは、今のはやりの言葉で言えば「バーチャル」なものと言ってよく、物理的にまた実際的に、「自分」や「自己」 と言うものはどこにもない。
 身体は両親、特に母親によって基本の構成が拵えられ、生誕の初期には授乳によって成長が促進される。離乳食後には日本人であれば主食の米と、野菜、肉、魚を摂取することで大人としての身体が形成されてゆく。身体を作るのはそれらの栄養素だ。そこから言えば、そもそも身体とは自分のものと言うよりも、米や野菜や豚や牛や鶏などの肉、それから魚などを素材として、これを体内に取り入れて成ったものだ。身体のどこにも「自分」なんてものはない。
 意識(ことば)もまた、自分のものであるものなど何一つない。意識を意識する時や、意識上で思考する時、そこには必ずことばが付帯する。ことばに意識が付帯すると言っても同じことだ。
 一般的にことばは生誕後、真似て学んで習得するものだ。ことばがそうである以上、意識もまた同様に真似て学んで行くところに内実が構成されていく。そこには長い人間の歴史によってもたらされた意識的、言語的体験の累積が、当然のごとく投影されている。つまりそこにも自分なんてものはどこにもない。
 
 いろんな寄せ集めから成るものを「自分」だと仮称して、「自分」があると錯覚してこれを問いただせば、そこには自分など見当たらない。すべて自分以外のものから成っている。「自分」や「自己」とはそういうものだということになる。
 そう言えば、どんな意見や主張を聞いてみても、どこかの誰かの考えが元になっているなとか、まねしてるなとか、影響されていそうだと思うことがよくある。誇張して言えば、世に流布することばや考えはみなそれだ。逆に言えば、影響なしにどんなことばも考えもわたしたちは口にすることが出来ない。わたしたちにおいても、わたしたちの「私」は「空」だと言うことになる。
 
2023/08/25
 
 
「段階としてのアフリカ」
 
 戦後日本の出発は、アメリカおよびアメリカ軍の統治下のもとに草案された新憲法の、平和国家実現に向けた理念や理想を核として進められた。そのことは、概ね日本国民に賛同と協力を持って迎えられ、復興は着々と進み、やがて高度成長期を迎えた日本は世界第2位の経済大国となるに至った。
 原動力は西欧に後追いの民主主義および資本主義であり、具体的には欧米の文明文化への追従策が功を奏した。
 こうして日本国は再興の道を突き進んだが、その過程で、初めに地域社会、次に家族、そして現在においては個人のアイデンティティーが崩落の危機に直面する事態を迎えることとなった。日本的な内実の総崩れである。
 東日本大震災後の復興は、これとは違っている。統治、監督は日本国家と各自治体であり、新たな地方自治の理想や理念を生みだすことも出来なければ指し示すことも出来なかった。ただに住民の生活復興の声に寄り添うように進んだに過ぎない。結果的に、従来の既得権益の保全、再興のためにじゃぶじゃぶと税金を注ぎ込んだだけだった。これが住民大衆の一致団結した賛同や協力を得たかといえば、そんなはずはない。旧態依然とした、既得権益にしがみつく地方の特権階級とその傘下が、以前の安泰を取り戻しつつあるというだけのことだ。
 この2つを比べて思うことは、行くも地獄帰るも地獄ということだ。統治のいい加減さ、でたらめさだけが実感される。政治家も官僚も地方自治もだめ、報道関係者も学者も論客者達もみんなだめで当てにならないってことだ。
 そんな中で、ごくふつうの国民、住民大衆の行動、態度といった、あるいは日常的な所作振る舞いといったものだけは、すべての崩壊現象の底にあって、なんとか底支えして持ちこたえる力になっている、そんな風に思えて、これだけは希望かなって考える。前期縄文、段階としてのアフリカ、それがこれかなって思う。
 そうして考えた時に、崩落や上滑りは徹底的であった方がよいので、ただその時に最も過酷を強いられる住民大衆のモチベーション維持はどうすればよいのか、そのことが頭をよぎる。もちろん大衆の力能を信じてはいる。ただ少しでも強いられる過酷さを和らげる手段があれば、それはないよりはあった方がよい。
 今のところ、見た目や声の大きさにとらわれず、ゴロゴロだらだらの生活そのままでいいのです、と言えるだけだ。なぜならまったく意味や価値がないように見えるそこにこそ、実は凝縮された生きることの意味と価値が内在していると考えられるからだ。大衆存在は最もそこに近接している。そしてもしも、非知力が力を持ち得るとすれば、つまらぬと感じる生活の底を掘り下げ、そこに凝縮された意味と価値とを掘り当てた時だ。非知の力は反転させ得る力だ。『生きるって、存外甲斐があるじゃないか』と考えられたら、それはもう一つの革命が成就されたことを意味する。
 
2023/08/24
 
 
「似非老人」
 
時間は薄く
どこまでも拡散してゆく
日常はなだらかで
険しい起伏も
異次元の彼方に
すぐに追いやられてしまう
大切なことは
何も起こらぬことであり
何も変わらぬことであり
何も考えないことであると
考える先から
心身はアメーバの面に変態して
現実に墜ちて伸縮している
 
帰結はそんな帰結だが
だがしかし
しかしさて
さてもさても
だがしかし
暗闇から暗闇へと
渡り歩いて
だがしかし
少しも楽しくないし
面白くもないぞ
そんなんでは確実に誤っている
もういっぺん
一から考え直せ
わたしよ
似非老人よ
 
2023/08/23
 
 
「店じまい」
 
熱いくらいの日差しで言葉を見失うと
いつの間にかシャッターを閉じた店の並ぶ
田舎町の通りに立っている
東西にまっすぐに伸びた道の西側の奥には
船形連峰の山々が小さく点在し
さらにその奥には船形山が控えている
『店じまい』
『終活』
この夏ひとつ下の後輩が
終活するから年賀のやりとりを控える
といった内容を知らせてきた
その時はただ
『そういうもんかね』と思っただけだが
少しずつその気持ちが分かりかけて
『店じまいっていうのも尋常なことかも』
と暑い日差しに音を上げ
ふらつく足取りで考えた
 
2023/08/22
 
 
「半信半疑」
 
 一日の大半は、どんな人もたわいのない些細な所作を繰り返している。日常の平穏とはそういう所作の繰り返しを指しており、誇張して言えば、そうしたありきたりの所作が実はわたしたちにとっての歴史の主柱だと考えられなくはない。
 人類の歴史もあるいは個の生涯も、些細な所作を繰り返す生の営みが圧倒的なボリュームを持ち、厚い層をなしている。
 年を取ると、心騒がすざわめきも、突発的な「事件」も、それほど重要な出来事ではないという気がしてくる。狂騒し、混乱し、慌てふためいて為した何事も、そうした普段の営みの分厚い層を背景に持ち、そこから湧き出た気泡が花火のようにはじけたに過ぎないように思える。耳目を集めはするが、それらの出来事は本当は些末な部分だ。
 草木の一日の変化は微細だ。動物たちも種ごとに特徴を持つが、普段に見聞きできる種ごとの営みは極めて凡庸だ。
 おそらく人間の高度の文明、技術の進歩からする暮らしの大きな様変わりも、近接の植物や動物たちにすればただ凡庸で、同じことを繰り返しているに過ぎないと見えているに違いない。意識を除いた姿形、そして所作。そこにひとつの隠された秘密がありそうに思えるのだが、そうは言ってもぼく自身がこういう考えにまだ半信半疑だ。
 
2023/08/21
 
 
「一線を越えて」
 
たたむ
店をたたむ
おえる
修行をおえる
布教をおえる
 
たたんだり
おえたりするには
理由がある
きっかけがある
老化であったり
上洛して
愚禿の姿を
全うするほか無かったり
消失によって
現実の融解がおこったり
とにかく早急に
たたんだり
おえたり
といった衝動が
稲妻のように
脊髄から
脳に向かって走る
 
その身は巷に晒しながら
意識を他界に縮退させる
一線を越えて
〈私〉となり
〈私〉となって
〈私〉を超えて行こうとする
 
2023/08/20
 
 
「16時間の不安」
 
トップギアが8時間だとして
低速に切り替えて8時間
それに家族との時間と
自分の時間とを割り当てる
つまり社会とプライベートとは
結構絶妙な時間の分配で
精神の配分でもある
 
家猫みたいに
勝手気ままに16時間
まるまる自分と家族だけなら
長年の願いが適うと思いがちだが
現代人はそんなに長い時間
自分が自分であり続けることに
慣れていない耐えられない
トップギアの8時間は
オートマチックに
個から社会人へと切り替わることで
別人格のオラオラになったり
イケイケになったりして
有り体に言えば気分も切り替わる
リフレッシュ効果にもなる
 
社会性薄く籠もりがちなぼくならば
勝手気ままな怠惰から
低速ギアで奈落の底にまっしぐら
まずは夜昼とっ違え
家族も巻き添えにして
前後左右見境無く熱中
タバコは吸い放題
コーヒーを飲み放題
自制を失って
ブレーキが効かなくなり
とどのつまりはそういうことで
最後の最後どっかでは
家族を信頼し
助けてもらおうという魂胆が
心の奥の奥の方に
しまい込まれているんじゃないのかな
その時は諫めてくださいね
家族の皆さん
『よろしく』なのだ
 
2023/08/18
 
 
「自己都合」
 
大気が不安定になる要因は
元々の自然的な要因に
人為の無意識の要因が重なり
どちらにしても今のところ
人社会は為す術を持たない
 
人の情緒あるいは精神
そうしたものの
今日(こんにち)不安定なり
落ち着かない様も
先の話に似ている
ひとしきり荒れ狂い
さしずめ大雨暴風波浪の
警報警鐘を鳴らすが精一杯か
 
見えないものは見えないところで
よく乱れるものらしい
だが考えてみると何と言うこともない
大気は乱れるもんだ
生涯安定した情緒なり精神なりは
直線の心電図みたいなものだ
死んだ人間ならそうなる
 
「異常」もヘチマも無い
ふだんと違うという感受は
「ふだん」の捉え方が
自分の生涯を一歩も出ない
「みみっちさ」に起因している
つまり地球誕生なり
人類誕生に遡れば
いずれも正常平常の埒内に置かれる
「異常」という捉え方は
現代人の自己都合によるものだ
そんなものに
耳を貸すな
 
2023/08/17
 
 
「不穏」
 
真夜中にバケツをひっくり返したような大雨
瞬間的にだーっと来て程なく止んだが
これが続くと『線状降水帯による顕著な大雨』
となるのかも知れない
そんなことを考えた
 
これに対し猛暑日がまた長く続いている
いったい気候だとか大気だとかの変動は
どうなっていることなのか
雨の被害も大きいが
猛暑による熱中症なども
もう他人事では無くなってきた
エアコンの部屋と外出時の熱風と
出たり入ったりは一度でたくさん
と言う気持ちになる
体が温度差について行けなくなっている
それほどの過酷さと言うべきか
あるいは単なる加齢により
過酷さを増幅させて感じているためなのか
判断が難しくなっている
もちろんどっちもという選択肢もあり
それが順当なところだろうが
ずいぶんと自分を頼りなく感じる
 
この倦怠感や疲労感
それに無気力なども重なって
頭からは知識や思考が浮いて
地に足がついていないと同じで
意識も言葉もフワフワの緩々
心も心からの幽体離脱
なんかおかしいねえって
毎日思う
 
2023/08/16
 
 
「それだけのこと」
 
群れから離れた
迷子の羊であろうが
誰にも理解されない
孤独な変人であろうが
その寒しげな影に向かって
可哀想などと
決して思ってくれるな
群れて激しく互いを気遣い合う
蕩尽や消耗が
性に合わなかっただけだ
 
ひとりでに
塀の近くまで押しやられ
それからは塀に沿って
さらに塀の上に昇って
地平線の向こう側まで
眺めたりしたんだ
塀の内と外とを比べ
どうして塀は作られたか
誰が作ったか
そんなことを四六時中考えた
それからそれから
塀の中にひしめく
意識の真偽について
今も悩んでいる
それだけの話なんだ
力至らず
有用の言葉にも巡り会えない
ただ対峙し続けている
すべてを視覚に捉えて例外はない
例外はないぞって
それだけの話なんだ
 
2023/08/15
 
 
「変わりゆく」
 
いつの間にか自然は
その手触り肌触りをなくし
目に見て頭で考える
だけのものになった
わずかにこの夏の猛暑
あるいはにわか雨などにより
その内に在ることを
実感させてくれる
 
自然まみれに遊ぶことも
自然まみれの生活からも
遠くなったいまごろになって
懐かしんだり
よりを戻したいと思っても
別れた異性を思うことに似て
感傷に浸ることと変わりない
自然から人社会から
個に引きこもりたい願望が
わずかに覗いて見えてくる
要するにこの世界に
ひとりぼっちなんだよって
身と心とで表現したいのに
もどかしくもできずに
ただ関係を断ち切り
断ち切られた関係に
怯えてみせているだけだ
もちろん言えたからどうだ
と言う問題もあれば
集団から離れた
働き蟻の未来の問題もある
 
文明と技術は高度に向かい
水のように雲のように流れ続ける
押し上げられ
引きずられる人の生活もまた
変転を余儀なくされる
やってみなければ分からない
行ってみなければ分からない
変わりゆく人社会の生活に
怖じ気づいていても仕方ない
バラバラになろうとも
成るように成ればいい
成るようにしか成りようが無い
 
2023/08/14
 
 
「わたしの天下」
 
おとなしくして
受動性を本分とする
自然にも社会にも
 
それでいて
ニュースから
天気予報から
外的世界の動き
またそれらの状況は
逐一知ることはできる
 
明日は曇りのち雨
洗濯を控える
ガソリンの高騰
卵も以前よりずいぶんと高い
しばらくは買い物頻度を少なめに
一食につきおかずも減らして行こう
 
とりたてて大きな変化も無く
可も無く不可も無い日々
老いた身には
猛暑酷暑だけでも大変なのだ
 
この成り行きを
成り行きとして引き受けてしまえば
一瞬一瞬はなんと平穏なことか
手習いとしての趣味の詩を
一日一作
それだけでもう
思い掛けず
お釣りをもらえた気分になれる
何を書こうと
何を考えようと
その時はもう
わたしの天下だ
 
2023/08/13
 
 
「ぼくのものはぼくに」
 
社会性がない
人付き合いが悪い
そんなふうに言われても
そんなふうに人から見られても
もうどうでもいいやって
考えることにした
今年の四月に母が死んで
十年ちょっと前に父が死んで
ぼくがどんなふうに余生を生きようが
父母に迷惑をかけることは
もう無いのだから
静かに
生きてるんだか
死んだんだか
わからないような
そんな生き方をして
極力自分の世界に引きこもって
煩わしい身過ぎ世過ぎは
最低限に控えて
そうして後は
ひたすら心と頭が整うように
残りの時間を使う
見かけはそれこそぼんやりと
退屈そうでだらだらしてて
でも胸中は忙しく
時間が無い時間が無いって
焦る日々だが
まあ孤独な時間はある
世間から引っ剥がして
「ぼくのものはぼくに」
奪い返した時間の中で
大いに遊び
また大いに集中もするのさ
まるで無意味のような
子どもの時間のようなその中で
砂の城を築いては壊し
築いては壊し
するんだ
 
2023/08/12
 
 
「学校は面白い」
 
学校は面白い
社会人の育成を目標に掲げ
子どもに社会性を身につけさせる
なんて言いながら
半世紀ほど前から
子どもたちは登校拒否や
不登校で応戦
社会問題化し
大いに世間を騒がせ
事例は増え続けている
それでも学校の目標なり
意義なりは
同じを繰り返していて
ちょっとこれは違うぞとか
おかしいんじゃないか
なんて先生たちが気づいて
内側から変わっていくとか
内側から崩壊していくとか
そんな気配はおくびにも出さず
血の通わぬ能面みたいな
そんな外観のままだ
学校は面白い
賛否両論ある中で
「否」は圏外に抛擲して
「賛」だけ熟考吟味して
あらあら教育って
学習って
はたまた「指導」するって
そういうことなのねって
思わせてくれる
だから学校は面白い
いつまでたっても面白い
ああその姿形から仕草まで
この世にはびこる
すべてのものに似て
含羞もなく照れもなく
ものすごく無意味に無駄に
あらぬ方向に刻苦勉励
本質を糊塗することに
奔走し続ける
おかげでぼくらが羞恥して
代理のごとく引きこもり
学校の面白さに
腹を抱えて苦しむばかり
 
2023/08/11
 
 
「誘導」
 
生きることを支援し
人を生かす政治へと
現代の統治は変貌した
けれども
その機構を存続させる財源は
多種の税を主とする
低所得者層も例外ではなく
今や誰が何をするにも
税と関わらずにはいられない
 
剛政治から柔の政治へ
統治を統治として維持するために
統治の技術は高度になり
住民の間に網羅した
学校や病院や交通を使って
社会生活へと誘導する
住民にとって統治は
生き延びるために
不可欠の機構と思い込むようになる
羊飼いの最善の導きは
たしかに羊たちを心地よく
過ごさせ生かさせはする
けれどもその恩着せがましい
最善の導きは恣意的で
羊飼いの献身や犠牲の下に
成り立っているだろうか
そうとは言えず
そもそもそうすることが
ゆくゆくは羊飼いを利することになる
 
遠く群れの中で
群れの中の幻想から離れたぼくらは
羊飼いの誘導を
最善の導きとは考えないようになった
従順に家畜化されることを
否定しはしないが
ぼくらは羊ではない
ぼくらは飼われるものじゃない
また人を飼うこともしない
ぼくを誘導できるのは
ぼく自身だけだ
ぼくを飼い殺ししようとする
すべての誘導を拒絶する
 
2023/08/10
 
 
「先陣のこと」
 
子どもに向かって
勉強しろとか
考えろとか
つまり指導する
仕事をしていたとき
真っ先に自分が
勉強してやる
考えてやるって
対抗心を燃やしていた
 
この年になっても
まだ若い人よりも
多く悩んだり考えたり
しなくちゃって思って
そうするんだけれど
それはマウントを取りたいから
ではなくて
なんだろう
勉強なり考えることなり
あるいは悩むなりってことが
足りてないのは
明瞭にそれと知れるのが
自分だからだ
 
ぼくが若かった頃
ずいぶんと悩み苦しんだりもしたが
前の世代を見ると
先陣を切って悩み考える人が
たくさんいた
ぼくはそれに勇気づけられた
その人たちの背中を追って
自分もそんなふうでありたいって思った
初めは主に知の課題についてだったが
あるときから生活者の背中も
追うようになっていた
もうずいぶんと
どちらからも引き離されてしまって
徒労や不毛の仕業に
成り果てようとしているが
せめてそこだけは
全うしたく思っている
ぼくは変わらず
徒労や不毛の先陣を切って
走って行く
そう考えているが
近頃はすこぶる怪しい
 
2023/08/09
 
 
「病む人へ」
 
目が覚めると
少しずつ昨日が起動する
それから始まりの上に立つ
 
昨日から今日にかけての退屈
ゆっくりめの起動は
平安であり平穏である
継続であり更新でもある
 
むかしは考えたこともない
この一瞬から
次の一瞬への更新は
老いたこころを悩ます
この先
かつて経験したことのない
途方もない幸福が
訪れることはあり得ない
願っても考えても無意味だ
となるとつまり
今この一瞬の方が
まだましだ
ということにならないか
おそらくその通りなので
今この一瞬が
どれだけ貴重なものであるか
ここに幸福を見いださなければ
わたしたちは生涯それに触れ得ない
わたしたちの幸福は
日常という埃にまみれ
灰色に覆われてはいるが
洗って磨きをかければ
唯一無二の
宝だと気づくはずだ
わたしたちはそれを手にしていると
大いに自慢していい
一瞬一瞬
幸福の峰だけを歩くからだ
 
老いたる人よ
病む人々よ
どうせ老いどうせ病むなら
そこまで老い
そこまで病めばいい
 
2023/08/08
 
 
「秘密基地」
 
ひっそりと階段を降りて行くと
秘密基地のようなそこに
ことばや文字
思念や想念の欠片が
所狭しと散らばっている
そんなものをいつ集めてきたものか
また何のために集めたか
その理由の断片もまた
あちこちに散乱して
手の施しようがない
 
それらの欠片や断片を
丁寧に拾い集めて
ほこりを払い
汚れを拭い取り
クロスワードパズルや
ジグソーパズルを完成させるみたいに
根気よくつなぎ合わせ
意味あるものにする労苦は
どうなんだろう
やりたくはないな
でも病気として秘密基地に遊び
無駄な時を過ごすのは
嫌いという気がしない
どうせやがて
人たちに同じく
身体と一緒に
どこかに運び去られてしまう
それでいいのだ
というよりも
そういう成り行きと
定まっている
 
2023/08/07
 
 
「年たけて」
 
勉強したことはすべて身になるかと思っていたら
もうみんな忘れてしまった
忘れて身軽にお気楽に
余生を過ごせるものかと考えていたら
そんなことはなくて
なんだか不安でいっぱいで
縄文や弥生の人が突然現代に現れたみたいに
訳がわからずに
ただ習慣だけで日に流れている
 
きみに教えることも
語れることも何もない
大事な伝えるべきことも
無いような気がする
 
まるで野良犬や野良猫のようで
これからどう行けばよいのか
膨れた猜疑心だけで前方を見つめている
ゼロからのスタートなんだ
きみにかまっていられない
今日ぼくは「虚心」を発症した
いや単に「呆け」が始まったに過ぎない
こんな年になってまで
どうして初めてのことに
直面しなければならないのだろう
結構な難所
ここに朽ちて
悔いなしと思うべきか
 
 年たけてまた越ゆべしと思ひきや
 いのちなりけりさよの中山
             (西行)
 
2023/08/06
 
 
「もっと深層へ」
 
金銭に換える文字は使えない
そこでぼくらは
金にならぬ文字を扱う
ふとした思いつき
猛暑に打ちひしがれた体の
底の底からのため息のようなもの
それらを文字にして
思想にならぬ思想
知識にならぬ知識
けして蓄積されることも
伝達されることもないそれらを
自己慰安のためだけに記す
引きこもる室内
あるいは地下においてだ
 
ずっと長く果たせなかった
生活者の沈黙の文字化
ひっさげてラップ
アニメの若者たち
見ていると
たいていは上って行くんだ
それらのことばや文字
すべては巨大な
ショベルカーのアームで
高みに吸い上げられてしまう
すると沈黙は雄弁に変わり
評価を得て市民権を得る
するとまた
もっと高みを目指すことになる
その時点で
文字は換金され
マイナーはメジャーになる
開かれた時代は悪くないが
そんなふうに取り込まれて
沈黙の文字化も終わる
 
沈黙の表層を掬うだけでは
そんなことにしかならない
もっと深層を掬わなければ
沈黙の理由に届かない
もっと墜ちて
手探りでかき分け
苦の手触りと一緒に
掬い取らなければならない
飄々とそして平然と
無言を貫き
息を止め
潜り続けて
深海の人に
ならなければならない
生還できる者は
いない
 
2023/08/05
 
 
「今日の軽口」
 
関係はみんな錯覚から出来ていて
恋愛関係を筆頭に
国家・社会
会社・学校
いずれも思い込みから外れて
ぞっとする局面をみせることがある
あわててこりゃあ違うと気づいても
あとは包帯でも巻いて
傷口を広げないようにする
それくらいが精一杯だ
 
我々の頭は
錯覚のマシーンだ
これが世界の混乱と
相反する秩序の形成に与る
ものでもあり
皆さん気をつけてって
今日の軽口はこんなところ
すこぶる後味は悪い
 
退屈な生活の澱の底
掬えることばは
こんなにも陳腐で
意味も欠片のことばの羅列
困窮の生活者たちよ
孤立の群れの同胞よ
文字は諸刃で
ぼくらの手には負えない
ぼくらの次元にはない
読むことまでは出来ても
使って親しむに足る
ものではない
 
2023/08/04
 
 
「小さな会釈」
 
人間とは何かと自問しながら
若いときには
人間的というよりは
男性的であった
高齢になると
男性色は薄まり
その分中性的になり
人間的な考え方を
するようになった
かも知れない
でもこうなればなったで
こころに隙間風も吹き
寂しげな気分も湧く
そしてそれは
生きる欲動の減衰
をも引き連れて
言ってしまえば
生き物としては枯れかけの
スカスカなり
カサカサなりの状態に
至ったという事のようだ
 
部分からより総合的なイメージが
獲得されそうに思え
よしこれからだって
思うところもないではないが
どうもそこのところは
老衰と見分けがつきにくい
下手に俺が俺がと出るよりは
老齢の知恵は小出しに
するくらいでよい
若気の至りを繰り返し
誤る事を繰り返し
若さとはそういうものだ
その繰り返しの
妨げになってはいけない
知る者は知らぬを貫いて逝け
往きと還りのすれ違いざま
居合いのごとき
一瞬の小さな会釈で
 
2023/08/03
 
 
「苦の増幅」
 
職員名簿に名前はあっても
名簿の中にぼくはいない
別の人格が猛暑の中
ひとりマット洗いなんかして
大汗をかいて
退勤時間きっかりに
「おさきします」
って声を出す
 
いい事なんて何もないや
そんなオーラ丸出しで
家に帰り飯を食い
疲れも出て眠くもなり
限りなく黒に近い
灰色のこころ
灰色の日々なんだけど
通勤には車
家もあり
エアコンもあり
落ち込んで暗い
気分の理由がわからない
 
上等だよって頭は言い
草木や動物
他の生き物たちにも
見劣りしない生き方だったと
言えそうに思うけど
どうしても軽みとか
明るみのようなところに
手が届かない
過ぎた幸福はいらない
超のつく富裕も
過分な友情も愛情も
困惑するだけだ
 
人間だから
ただ生きているだけなのに
重くなる
人間だから見聞きする
人間だから考える
この入出力のバランスと
比重の差異に
たぶん人間の苦は
増幅するのだ
 
2023/08/02
 
 
「考える人」
 
人は考えるね
考えた末に悩むね
悩むために考えている
そう言ってみたいほどで
考え方が下手だ
それでも
考えては悩む
そういう下手さは嫌いじゃない
 
人は悲しい生き物だって
心から思えて
その悲しさに
愛おしさが漂って沿う
たぶん自己愛の投射
にすぎないのだろうが
それさえもなく
人を道具として見下す
上昇志向一本の
知性よりはましだ
道具と堕して
気づかぬ欺瞞の
知性は嫌いだ
 
2023/08/01
 
 
「猛暑雑感」
 
猛暑はアスファルト
エアコンの室外機がうなる
冷蔵庫に頭を突っ込んだり
水風呂に入ったり
してみたいって
頭がふざけ出す
 
太古に猛暑は滝と
滝口から滝壺と遊び
時々繁茂の木陰に涼んだろうか
 
ずいぶんと昔の人も
基本的には現代と変わらず
頭の働かせ方なり
工夫の仕方なりは
たいして違わず
あるものでまかなった
当時は結構それでしのげた
今から見れば
究極の省エネ法だが
どこかのどかで
楽しげに思える
 
2023/07/31
 
 
「関係の死」
 
霊魂があろうがなかろうが
死ねば死にきりの自然界
動物も植物も
今を生きる営みに懸命である
 
以前死について考えたとき
いっぺん死んでみようと思い立った
もちろん一種の遊びでだが
ざっと言ってみれば
友達もいらないし
死んでるんだから
世間に対して思う事もなく
世間からの視線も消える
あっけないほどの
相互に無関係無関心だけが
ひときわ際立った
これは別に実際に死ななくても
その状況を作ればよい話
そして作れもするし
動植物に遡らずとも
太古の人の
狭小な関係世界に
それは近いのだと思えた
 
あれからぼくは
結構死んだままだ
時々生き返っては
妻や子に叱られる
叱られて
生きてる事を実感する
 
2023/07/30
 
 
「夢」
 
夢を持てとか
夢を諦めるなとか言っているのは
その代表格はスポーツ選手や
歌手やタレント
芸能ごとに携わる人たちに多い
少なくとも引きこもったり
障害を持っていたり
貧しかったりする人たちは言わないなぁ
 
彼らの言うところの夢は
まさしく夢で
言いかえれば幻想のことだ
夢まぼろしの幻想を持て
幻想を諦めるな
と言うのは
ある意味理にかなっている
本体が夢まぼろしなんだから
醒めたらアウト
この世界から消えてしまう
消さないためには一定数
夢を見続けなければならない
夢を生きる者も
これから生きようとする者も
なんか知らんが
しゃかりきにもなるさ
 
頭が作り出す世界は盛況で
生物本来の「食と性」もそっちのけで
棒で丸い球をひっぱたいて
やんややんやって楽しんでいる
まあ生きているという実感が
たいてい夢まぼろしに移っちゃって
しょうがないよね
ってなっちまった
だが所詮まぼろしは幻
夢は夢
いつかは醒めて
別の夢に取って代わられる
いつまで繰り返すんだか
革新の兆しと交互して
まだしばらくは
行きつ戻りつするんだろうな
 
邪魔はしないけど
仲間にもなれない
 
2023/07/29
 
 
「未来の考古学」
 
歴史に名を残したいなら
残せばいい
たいしたもんだって讃える者もいれば
関係ないって無視するやつもいる
大勢が讃えるから
それに与するってだけなら
刻まれた歴史も
ずいぶんと軽い
 
歴史に残る者と
歴史から消える者と
どちらが貴重なのかって考えれば
ぼくならば断然後者を選ぶ
歴史を編み
歴史を残したい共同意志から
隔絶した存在だからだ
広告塔にも
プロパガンダにもなし得ない
遠い遠い存在で
潜在的な脅威なのだ
これに比べれば
どんな領域や分野の
どんなスーパースターもアイドルも
ヒーローやヒロインも
天才や秀才も
たいしたリスクもコストもなく
最大限の宣伝効果を発揮してくれる
現今の体制の産物だって
言うまでもなく全体に周知してくれる
 
たかだか数千年の歴史時代
先立つ先史は数万年から数十万年
先史の闇の深さに比べれば
表層に浮かぶ有史の
忖度や策謀や
それぞれに我田引水と恣意の手の入った
ねじ曲がったくそみたいな
歴史の文字列なんか
透けて見えるほどに薄くて軽い
文明と文化に耽溺した
人類史上そして生物史上
生命を軽んじた最悪の時代だったって
いつか言われる時も来る
そして考古学は
ブラックホールに光を当てる
記されなかった
本当の価値を探し当てる
 
2023/07/28
 
 
「嘘」
 
格差社会の是正のため
障害者支援や福祉のため
そう考える事自体は悪くない
また悪くないという雰囲気が
社会的合意のように
この社会を覆っている
だが考えている者達が考えている
その場所は
それら様々な不利益
不均衡を生みだし
かつ現状を前提にしている
つまり現状を維持する場所だ
例えば障害と健常を分かつ
思考の枠組みなどがそうだ
基本的な概念が疑われていない
 
よい事を考えているつもりの者達は
みな「こころして」おくべきだ
自分を「健全」な場所に置き
「公正」「公平」な場所に置き
被害者にも加害者にもあたらぬ
と考えるのは嘘だ
 
2023/07/27
 
 
「立場」
 
意味が無い
邪魔であり無駄である
人間が人間について
そういう思いを抱くようになったのは
つい最近の出来事である
 
そういう思いを持つのは
人間として悪い人間だからではない
おそらくは近似の経験を持ち
恐怖を覚え
行使される側から
行使する側に転位した
 
ある種の人間が無駄だと見なす事は
ひとりの人間に
ある日突然発想されるはずがない
その地盤なり基盤なりがなければ
たぶんあり得ないのだ
それがどこから来るか
またそれに
自分は感染していないかどうか
どちらも確かめる事は難しい
 
社会通念
常識とか社会の価値観とかに
まんまと乗っかると
知らず
加害者を演ずる事になる
また人間は
生身以外の立場に立つと
邪魔だとか
無駄だとか
そういう見方をしがちになる
だがほんとうに無駄や邪魔なのは
その「立場」というやつの方だ
 
2023/07/26
 
 
「非社会性を生きる」
 
きみの心
またぼくの心が病んでいるとは
とうてい言えない
ぼくからすれば
病んでいるのは健全なと形容される
この世界でありこの社会であり
そこに健全な社会人として
甲殻の鎧を着けた人たちの方だ
もしくは日常とか
健全さという概念の方が
病んでいるのだ
 
異数や少数を
先住民を迫害したように
隔離すれば済むと考える
現代社会やその構成員たち
ぼくたちはただ
身と心とに体現して
迫害される先住民のように
それは違うと申し立てをしているのだ
本当に病んでいるものたちには
その警鐘が届かない
だからきみもぼくも
この生涯をかけて
生涯を棒に振るようにして
警鐘を鳴らし続けるのだ
その生き様が無意味であるはずがない
無価値であるはずがない
異数の人として
険しく屹立しているきみもぼくも
敷かれたレールを拒絶して
道なき道を
ここまで歩いてきた
それはとりもなおさず
共同幻想の否定の歩みに他ならない
 
2023/07/25
 
 
「きみの生涯は」
 
世の中のありきたりな生き方を
生涯を通して生き抜こうとして
生き抜いてきたこの身から言えば
ふつうを嫌って閉じこもり
引きこもりするきみの生涯は
つまらぬ生き方であるとか
価値のない生き方であるとかとは
とうてい言えない
 
今の世の中が好きではない
 
時に氷に閉ざされた凍土のように思い
また時に灼熱の地に思え
居心地よくいられるところも皆無だ
それならば
せっかくだからど真ん中へ
というのがぼくたちの考えだった
 
きみは社会の「きわ」にいて
ぼくらは「ふつう」の「ど真ん中」にいて
教育された社会人
飼い慣らされた羊たち
その群れの中に「復帰せよ」なんて
ぼくの口から
到底言えることではない
ぼくは「ど真ん中」のどん底にいて
きみは「きわ」のどん底にいて
さてこれからは
落ちたどん底をさらに掘り進める
つまりきみもぼくも
ここまで来た事の序でに
それぞれの生涯を全うしましょうと
ただそれだけの話になる
きみの見た光景はいつか
世の中を変える力を呼び起こす
きみは
先駆けのひとりになる
きみの背負っているもの
背負ってきたものは
きみの自覚するところよりも
はるかに重い
 
2023/07/24
 
 
「地上の話」
 
雲の上で語っていることは
雲の上の話で
表層を超えて
上層の光景を
お気楽に語っているに過ぎない
いまや誰にでも理解もでき
参考にすることも出来るが
雲の上の話は雲の上の話
お付き合いはその程度に
留めておくのがよい
 
問題は地上の話
地上を這い回る話
時には地下にも潜ったりする話
そういう話がメインとなって
雲の上の話と拮抗する
そういう時代が
いつか来なければならないと思う
雲の上からデータや
アンケートを採るだけじゃだめなんだ
中層から深層にかけての
実感とか考えとかの方が
歴史的にもレアで貴重なんだ
まずは負の担い手たちから
ボソボソと
話を切り出すのがよい
 
2023/07/23
 
 
「一分(いちぶん)」
 
引きこもると言いながら
引きこもらず
展示を続ける文字列
恐縮しながら
またはにかみながら
「うんざり」の大河の
片隅を下って行く
 
いずれは無為の大洋に溶け込み
抗いの軌跡も痕跡も消える
生活者の「一分(いちぶん)」は
みなそういうもので
ほらあの高みの雲の中
骨片のように光る粒子の間に
大洋から上昇した
無数の「一分」が横たわっている
そうして稀に
「沈黙」に執着する収集家が
あの雲を訪れては
かつてぼくらもやったように
無言の「一分」を拾い集めて行くんだ
 
そんな風にしてしか届かぬ
貴重な声というものを
かつて拾い集めた「一分」に
同調させたり
伸展させたりするようにして
ぼくらは発しているという訳だ
現在の無為や徒労や不毛は
けして永遠にそうだという訳じゃない
もちろん少しも確証はないが
ぼくらがそうであったように
後の世代にも必ず存在する
彼らに笑われぬ
ごくふつうの生活者の「一分」を
崩さずに
手放さずに
保ち続けられたら
あとのことは成り行き次第
任せてしまえばいいんだ
 
2023/07/22
 
 
「ことば(文字)についての註」
 
ことば(文字)はいつも不機嫌で
かたくなに正体を明かさない
意識はいつから
そんなことば(文字)の虜になったか
ことば以前の思考は
混沌に終始していて
その頃はただ
遺伝子に頼っていたのだろうか
 
もう文字を読む気になれない
衰えた視覚のせいもあるが
多分それだけじゃない
文字世界に対し
生理的な嫌悪が喚起され
自分のことば自分の文字が
引きこもるように縮退するのだ
大気のように取り囲む
ことばや文字が
ウィルスのように口から鼻から
また毛穴からも浸入してくる
 
日々の生活には
わずかな文字やことばがあれば足りる
するとざわめく森も
川を流れる水の音やきらめきも
もっと鮮やかで
もっと親しいものになる
遙かに豊穣な
ことばや文字以前が
そこかしこに溢れかえっている
人間のことばも文字も
かつてそこから派生した
 
土に還るように
そんな世界に戻りたいと
誘う声が内に聞こえる
たぶん瀕死に近い
ことばと文字の
それが浮遊した声なのだ
 
2023/07/21
 
 
「抽象論」
 
事件や誹謗中傷に始まり
毎日社会は問題だらけだ
これはどうにかしなくちゃと
頭よさげな連中が
声張り上げての説教から
いろいろな手で啓蒙するが
効果が無い
それどころか
そういう声が上がるたびに
反って悪化して行く
社会もそうだと
家庭も個人も
似たような経過を辿って行っている
ように見える
 
ほんの一握りの現象だと言えば
それはたしかにその通りだが
一年のうちの一日二日
事件なり問題が発生すると
自分に引き寄せて考えれば
他人事ではないし
無関心ではいられない
またそういう事態に
無縁とも言い切れない
そういう事態になった時に
どれほど見事な対処の仕方を
みんな出来るものかどうか
おそらく出来ない
学校でも教えてくれない
もっと小さく
さわりのような経験を
たくさん積み上げてこそ
最善策も浮かぶが
その経験値が絶望的に低い
みんながよかれと思い
ああすればこうすれば
と考えての
これが結果なのだから
今までとは違う
根源的にまた本質的に
思い切った反転の発想こそが
打開の道だ
もちろんそれだって
ずいぶんと遠い話ではあるのだが
 
2023/07/20
 
 
「梅雨に」
 
梅雨の朝の静けさも悪くない
しっとりと小雨に濡れる紫陽花
日が照ろうとすれば陰に隠れ
あえて起伏のない退屈な色に染め抜いた
きみの生涯の自画像に似る
 
向日葵のようには咲かぬ
春の陽と夏の陽の境目の
雲が光を遮る時期に落とし込む
あわく悲しげな戦略に
身勝手な批評も口を噤みがちだ
 
長雨が続き
家々の窓は閉じられ
乾いた喧噪が
潮の引くように静まる
それはよいことだ
そういう日がなければならぬ
そういう生はなくてはならぬ
しんとして
静寂に満たされた命の鼓動が
波動となって
どこまでも広がって行く
 
2023/07/19
 
 
「朝起きて」
 
朝起きて
高温多湿に気が削がれる
つまり自然というやつに
抗しがたくなってきた
 
顔の部の
目や耳や鼻や歯も
みな少しずつ衰えて
旅の終わりを気づかせる
 
大きな自然の中にあって
小さな自然の旅が
絶えることなく繰り返される
だからそれはそれぞれにそういうもので
小さな意識も
やがて大きな無意識の内に
溶解する
 
旅の終わりの手前では
おそらくこうして立ち止まり
感慨にも浸るのだろう
でもまあそれだってたいしたことはないさ
これからも衰えた感覚器官をはじめ
あらゆるものを酷使して
その光景を楽しむしか方途はない
ものみなを無為の遊びに切り替えて
おなじくひとりの寂に戯れて
未明に向かっては
乾いた笑い声を放つ
 
2023/07/18
 
 
「生きにくい世を生きる」
 
生きにくい世の中だって誰かが言ってたけど
生きやすくなったよって言っても同じじゃないか
 
大学紛争からずいぶんと子どもの主張には
耳を傾け心の声にも寄り添った
今では夫婦で子育ての気運も高まった
もちろんおっかなびっくり
愛想笑いが混じったりはしていたけど
おかげで日本人の幼少期
縄文や弥生にも関心が持たれるようになった
 
こちらを立てればあちらが立たずと言うように
今度は文明の最先端人工知能やAIが語られて
あっちもこっちもやりきれねえって
大人たちも苛々がつのる
ひとりの内面でヒステリックとパニックと
さらにはカオスも混じってどうなるやら
日常を形成してきた仕事から
細々した身の回りの生活にも
影響が出かねないくらいにまで
我が身を振り返ってもそんな気がする
つまりは空中綱渡りみたいにさ
ひとりひとりがとても不安定な
そんな生き方になっているようさ
こんなんで明るく陽気に振る舞える人が
いるとすれば
まれに見る幸運なやつだって事になる
みんなでいいねいいねと言ってあげればよい
少なくとも1割弱の
この世が生きやすいと思える人が出る
 
さてそれで自分はどう生きようか
って話になると
花も嵐もがまんがまんというような
とても情けないことになるんだ
孤独だ孤立だと考えながら
身に絡む関係の糸は厳然と存在するからね
むやみには動きたくないんだ
のほほんと詩や思想に
戯れている場合じゃないんだ
真夏の炎天下みたいに
ただいるだけでも身が持たねぇ
心には涼風が必要だ
頭には遊びが必要だ
そのうえで
貧しく拙い言葉に生きる
思想に生きる
 
2023/07/17
 
 
「自然と生活と」
 
自然豊かな地域と言ったって
遠く山を眺め
森や林や雲や空を
通りがかりにちょい見する程度
 
事業所出入り口の植木に
スズメバチが寄るようになった
それも2匹くらいのもので
大きな一匹が
幹の樹液にすがりつき
チロチロ舐めている
ように見えたのだ
小さい一匹は
ご相伴に与りたくて近づくが
なかなか交代してはもらえない
ほんの時折大きいのが留守をして
その合間にチロっと舐めて
羽音が近づくとまた離れる
カナブンが一匹やってきて
どうなることかと見守ってみたが
どうもならない
少し離れたところに
しばらく居座っていた
 
自然が豊かと言ったって
ぼくらが普段眺めているのは
自分の居場所から見える
緑などのほんの一角に過ぎない
虫たちや草木の生活の豊かさなんて
知ろうともしない毎日さ
ファーブルが見飽きなかったように
見飽きない世界がすぐそばにあるのに
そのおもしろさは
無意味だからって切り捨てて
意味の地獄にはまり込む
経済性に合理性に効率性
そんな生活で
自然など
見えているはずがない
 
2023/07/16
 
 
「奇跡のような一日を」
 
あえて泥水を飲む
泥をかぶる
そういう度量の大きさとか
懐の広さとか深さとかは
あんまりない
そもそも
それでもって手に入れられる何かに
興味というものがない
そこに生じる貸し借りを
政治的に使うのを
目にするのもいやだ
やるんなら黙ってやって
すぐに忘れるのがいい
ただそれも
繰り返せば損ばかりだから
なるべくしがらみのない場所で
遠ざかっていたいと思う
 
そのおかげでというか
だいぶ前から友も仲間も
からっきしで
頼ることも頼られることもなく
すべては自己決定
自己責任という道を
歩いている
これには利点も欠点もある
煩わしい騒音もなく
日々の思いつきをことばにして
自己満足だったり
自己慰安だったりを手に入れる
こんな所業を続けられるのも
利点のうちの一つだ
人生を無駄に消費する贅沢は
財を抱えて喜ぶ連中には
決して分かりっこないさ
ある日地表に一人
ぽつんと突っ立って
心も体も解放し
宇宙を感じ
宇宙を受け止めているんだぜ
人間ごとの細かな思念に
右往左往している暇はないんだ
なあきみ
そろそろきみも
ちまちまとした人間ごとに
飽きてきてはいないか
紫陽花の花のごとく顔を上げて
雨に打たれてみるがいいんだ
それから何事もなかったかのように
掃除をしたり
買い物に出かけたり
代わり映えのしない日常に立ち戻って
奇跡のような一日を
奇跡として楽しむがいいんだ
 
2023/07/15
 
 
「最高の一日」
 
梅雨の間に
からっと晴れて真夏日
波状の風心に届く
今日もまた
かけがえのない今日
日々更新される
最高の一日
仕事日は送迎の運転
車両清掃
動きを汗にすれば疲労
ぼくの考えからすれば
最高の一日とはこういうもんだ
 
帰宅して夕飯を食らえば
後にすることもない
宵越しの金をどうしようか
という心配もなく
頼ったり頼られたりという関係も
とうの昔に絶えている
一本の立木の
根を張り枝を張り
枝先に葉を茂らせて
直に宇宙と対峙する
その姿に心ときめかせ
密かに範となし
それをとやかく言う声もなく
こっそりとひっそりと企む
その企みの
世間にも世界にも
阻止するものは何もないぞ
この最高の一日を携えて
どん詰まりの思考を
ぼくは掘って
掘って掘りまくる
一日一日が
ぼくにとっては価値だ
ぼくだけの
価値だ
 
2023/07/14
 
 
「思考を生きるということ」
 
たいていは勘違いに終始する
たぶん恋愛から人生のすべてについても
勘違いが悪いかといえば
そうでもないのではないか
異性のことや人生についてを
ありのままに
正しく認識し把握したとしたら
おそらくは恋愛も人生も
世間一般のようには成就しない
勘違いがあるから恋愛は成就し
人生にも絶望しない
ということはあり得る
 
勘違いこそは人を生かす源だ
と言えば言える
人の遺伝子に備わる
もともとの戦略であるのかもしれない
だとしたら
真を追い求めることに
それほどの価値はない
そんなにむきになるな
勘違いをおそれるな
早急に真にたどり着こうとするな
 
それはのんびりゆったり
切れ味鈍い鈍刀のごとく
腑分けし続けるだけが取り柄の
ぼくらの思考に任せるがいいのだ
結論や成果を出すことに
ぼくらは慌てない
いつまでも
考えることを止めない
ひとつひとつの検証を
疎かにしたりしない
 
2023/07/13
 
 
「気がついたら」
 
気がついたら生きていて
気がついたら
すっかり生かされていて
知らぬ間に
誰もが負う荷を負っていて
人の暮らしをそのままに
引き継いだみたいになっていた
 
これはこれでそういうもので
襷をかけて闇雲に
町から村をひた走り
案内もなくゴールも見えず
ただ荒れた呼吸を耳に聞き
『つらいなあ』って思ったり
景色が開けたときには
『ああきれい』なんて思ったり
 
ずいぶんとできの悪い走りで
いっぱしの口をきくのは気が引ける
出来るならただ
『消え入りたい』を分かち合う
同行の人に手を振って
寂かな草を踏みしめて
穏やかな顔のまんま
また一人を行く
「そう言えば
最近見かけないね」
なんて思われながら
 
生きた証なんか
残そうなんて
これっぽっちも思わない
雑草や地を這う虫と
同じでよい
 
2023/07/12
 
 
「税についての一考察」
 
本来の「法」は「自然法」で「公法」はそこにしかない
けれども「私法」をもって自然の「法」のごとく「公法」となすのは
ことばと文字の力を持ってこれを成す
ことばと文字とが「公法」と指し示せば
たちまち「私法」も「公法」となる
「公法」の中に「税法」を組み込めば
「税法」は「合法」となり民の「義務」となる
本来の「公法」である「自然法」に「税法」などあるはずもなく
「税法」は人の作った「私法」に他ならない
これを「公法」とする人の技は
後々まで民に負担を強いることとなり
また後々まで
自然に変わって「法」を課す者らに
濡れ手に粟の財を与えることとなり
ただでむさぼり食らう階級を不動にしてしまった
このような構造およびシステムは
今に至るまでに延々と続き
統治のスタイルは変わっても
「税法」を破棄するだけの見識と胆力を持った
政権担当者も集団も皆無である
それだけではなく
あろう事か民といい国民といい
幻想の統治の傘の下に
「税法」を自然の「公法」のごとく
また天下の「公法」のごとく順守して疑わない
「そういうもんだ」って自らに納得させる
 
民衆は統治者および統治集団を崇めつつ養い
統治者はまた民衆を大切にする
持ちつ持たれつ互いに認め合って
よい国だなあと思いながら祭りを楽しんだりしているが
いい加減上も下も
自分のことは自分でやるって
依存し合わないでいられないものか
それを考えるのは上に立つものたちの責務だ
考えることを実現する
上にいるということはそれをする立ち位置にいるということだ
更地に立ってみんなが同じ
権利と義務を持ちましょう
といえばすむ話
どうしてそれをしようとしないのか
どうしてそれが出来ないのか
上に立つことの快感と
快感が作り出す「バカの壁」が
どこまでも立ち塞がるからだと思える
 
2023/07/11
 
 
「一等賞の値打ち」
 
競争競争に明け暮れて
勝って才能を金にして
豊かな暮らし
楽しい生活を手に入れて
万事めでたしめでたし
というか
そんなんで
人の生涯を終えられるか
何かし残した
大事なことを忘れてやしないか
 
一等賞を取ったその力を
もちろん金に換えてもいい
その金をゲームや遊びに
湯水のごとく使ったっていいさ
それで満足だというならそれでいい
でもそんなんで本当に満足か
満足できたのか
つまりきみの心ってやつは
そんなんで満足するほどの
底の浅い薄っぺらいものだったか
 
競争競争に明け暮れて
きみの失ったものは
ことのほか重大なものだ
そのことが分からない
見えないことがまず致命的だ
一等賞に磨き上げた力は
ほんとうは何のために使おうとしていたのか
何のために刻苦勉励があったのか
胸に手を当てて聞いてみるがいい
大事なことはそこにある
大切なこともそこにある
今ならば誓って言うことが出来る
この先のきみにはもう
虚栄のむなしさしか
残っていやしない
つまりどんでん返しの敗北が
最後に待っている
きみという人間の値打ちは
相当にちゃちだ
はじめから損得の圏外に住む
民衆の無欲からはぽつんと浮いて
救いようがないほど孤立している
 
2023/07/10
 
 
「最重要のこと」
 
若い人たちの間では
大事なこと
やらなければいけないこと
価値のある最重要のこと
それらを見失っている
あるいは
為なければならないことなど
何もない
事がほんとうのことなのか
 
とりあえず
自分にとっての最重要のことが見つかれば
それに時間を費やしていけばよいだけで
あちこち気を散らしたり
心配したり不安に思ったり
する必要がなくなる
 
この歳になると選択の余地なく
もうこれしかないとか
これしか残っていないなあとか
そういう局面に出会うことは容易だ
つまり老人にとっては
それが最重要のことと同義になる
駆け足気味にか
ゆっくり目にかは別にして
その一つ事だけを道標のようにして
あとはみんな
うれしいおまけのような
喜怒哀楽にして
艱難辛苦にして
いけるところまで行くだけのこと
何となく
「生きるとはこういうことか」
なんて思いながら
 
2023/07/09
 
 
「老いの下り坂」
 
プラスチック製のバットを持つ子に
ゴムのボールを投げた
打ちやすいところをめがけて
投げるつもりだが
ボールが手を離れる瞬間
何ともいえない違和感があり
不安があり
体の使い方から力の入れ方まで
すべてがばらばらで
ちぐはぐで
案の定ボールはずいぶん手前に落ちた
 
子どもの頃に
夢中で遊んだ遊びの中で
体の使い方から力の入れ方まで
ひとりでに習得したものを
仮に一つの財産と考えれば
ここ数年ですべてを食いつぶしたことになる
たわいのないことだが衝撃であった
スムーズに狙ったところに投げるには
少年の日の夢中さと
繰り返しの労力と時間が必要だ
そんなこと
これからやるはずもなく
出来るはずもなく
ただただしょげかえって
老いの途次の下り坂を下る感触が
とてもリアルだった
 
そういえば数週間前
こっそり逆上がりを試して
出来なかった
その時は
『なに、何度かやったら出来るさ』
くらいに考えていた
それだってどうだか分かったもんじゃない
って今なら思う
 
2023/07/08
 
 
「とびきりの笑顔」
 
叱れない
怒れない大人をからかって
発達障害のM君は
ここ数年で一番の笑い顔
仕掛けたいたずらが楽しくて
仕方がない様子
 
M君が送迎車に乗り込むやいなや
大人はスライドドアを閉めようとする
すっかり閉まりかけたところで
とっさにドアノブに手をかけ
M君はこれを阻止する
これが気に入ったようで
何度も繰り返す
M君にとっては一番の遊びを見つけた気分だが
大人たちは一様に困惑
仕舞いには自動開閉を解除
ドアノブに手をかけても
無反応の仕儀になった
 
いやあそれにしても惜しい
あの笑顔は活動中にも見ることがなかった
生き生きしたとびきりの笑顔だ
活動中にこそほしい笑顔だ
ぼくは意地悪く横目で見ながら
これをやめさせたり阻止するのは惜しい
そんなふうに考えていた
ぼくならば飽きるまでやらせたいし
なんならM君の活動のメインに
この繰り返しを取り上げたいなって思った
 
いやああの笑顔
小手先で引き出せるもんじゃない
惜しかったなあ
惜しかったなあ
いやあ惜しかった
「M君、それはやっちゃだめよ」
の言葉を漫才のフリのようにして
M君はドアを開け
支援者はそれを閉めようとし
そのいたずら戯れを
支援者が遊びと理解して
何度も何度も繰り返したら
このことはM君の
幸福の記憶として刻まれて
ああ本当に楽しい経験として刻まれて
いつか自分を支えるもののようにして
蘇ることがあったかもしれない
 
「危ないからだめよ」
と阻止することは躾の常套であるし
それが大人の常識というものだが
安全安心一辺倒はぼくの流儀にはないなあ
現在社会の
流儀ではあるなあ
今どきは預ける方が裁判でも強い
みんなで寄って集ってダメにして行く
そんなに堕ちて行きたければ
堕ちて行けばいい
そう簡単にぼくは堕ちて行かない
流されては行かない
未練たっぷりにずるずると
堕ち流れては行くんでしょうが
 
2023/07/07
 
 
「人間知」
 
学問知や仕事知は
人間知の相手にならない
役立つかどうかをメインにした
効用功利性の知に過ぎないからだ
人間知には物差しがない
混沌の中に混沌を把握する知だからだ
そういうものがあるかどうか分からない
ただあることを信じている
AIじみた頭脳ごときが
立ち向かえる相手ではない
定義しようとすると
身を翻し逸れてしまう
捕まらぬそれを
野暮ったくいつまでも追いかける
それもまた人間知に付帯した
宿命的な業で
専門人でなくても
研究者でなくても
あるいはそれらでないからこそ
いつまでも追い続けることが出来る
追い求めることを強いられる
そんな人間知こそ
知の最上位にあって
ごくふつうに生きる人々の
いつまでも追い続ける
知の領域である
 
2023/07/06
 
 
「人の道」
 
穀物を栽培して食す
それを「直耕」と名付けて
人が行うべきことは
それ以上でもなく
それ以下でもないと
安藤昌益は説いた
つまりそれが
安藤の言う「人道」であり
「人倫」になる
とてもシンプルで
儒教のような統治の法とは
大きく違う
統治をすることもされることも否定した
 
穀物を栽培して食す
それ以外はなるべくやらない方がよい
安藤は言外にそうも言っている
ずいぶんと楽で
負担もストレスもない
生き方に聞こえるかもしれないが
自然過程に内在する
向上心や上昇志向と
ふだんに拮抗して
そちらに流れるなと言っているのだ
これはかなり難しいことだ
 
現在では安藤の「直耕」は
意味をなさない
当時は9割近くが農民だった
今の時代に翻訳して言えば
「賃労働」が「直耕」にあたるか
さらに言い換えれば
得たる金銭を持って食料を購入して食す
人が行うべきことは
ただそれだけとなる
そしてただそれだけを
ひたすら繰り返すことだけが
人の道であると
 
現在の常識的な価値観とは
ずいぶん違っているが
これを支持するとすれば
割に容易に可能になりそうなことだ
また万人が手に入れやすい
それで十分立派な個人ということになり
難易度も低い
逆にここから外れれば外れるほど
遠ざかれば遠ざかるほど
人の道を踏み外したことになる
 
負の自覚に立つ時
わたしはこれを
自分を唯一支える思考法のひとつとして
長く心にとどめ置きたいと思っている
そしてこれからも
現在の主たる価値観
常識のように振る舞う価値観と
渡り合っていこうと思っている
 
2023/07/05
 
 
「文明の深層」
 
文明の歩調に合うものと
逆行するものとがある
今はそんな時代だ
表層では
そんな色分けがされる
その中間で戸惑っている
ものも多数
だが明日どうなるか分からない
 
目移りばかりして
あっちへよろよろ
こっちへよろよろ
情けない酔いどれの足取りで
行ったり来たり
ありきたりの凡夫の体(てい)で
一見流されて見えるが
実は全身で空気を読み
ほどほどの不幸と
ほどほどに幸福な生活を
持ちこたえている
日本の庶民のバランス感覚は
不死身だ
捨てたもんじゃない
ちっとも合理的でも
効率的でもない経済
なんとかなるって図太さ
「お互い様」っていう叡知
深層の水脈は豊かだ
 
2023/07/04
 
 
「無に刻す」
 
大衆知と専門知とを行き来していたら
現実ではどちらとも疎遠になった
知識学問に向かっては
専ら大衆のように立ち回り
大衆の間では知の立場を捨てきれない
おかげで大衆の友人も
知識者の友人もなく
飽きるほどのひとりの時間
溺れかけてもまたひとりの時間
 
まあそういう人間も存在したらしいと
他人の脳裏にサッと浸入するくらいの
言葉や詩句を紡ぎ出せたらと
毎日儚い試みを続けている訳さ
褒められもせず苦にもされず
生涯の時間を無に刻す
 
本当は人間種以外の命はそんなものだ
どうせ道ばたのヒメジョオンの生涯も
よく駐車場で見かけるハクセキレイの生涯も
きみだって分かるまい
気にとめてもいないだろう
だからいいんさ
好きに咲いて好きに囀る
みんな得手勝手に
生きて死んで行けばいいんさ
ぼくもそうする
立派でなくていい
偉くなくていい
ヒーローでなくていい
自然はいっそ潔い
 
2023/07/03
 
 
「届かぬ声だが言っておく」
 
聖人偉人の時代から
人の道など説かれ
家族や社会や国家の立場で
個がどう振る舞うべきか
手枷足枷が課せられる
 
まったく無視という訳にも行かないが
中には過剰なほどに受け止めて
身を苦しめる人もいる
そんな教えは一応の指標や建前として
意味があるのであって
人間を自分を
苦しめるものとして機能してしまうなら
捨てた方がよいのだ
時々は知らん顔をしたり
また時々はできる限りにおいて
それに沿ったふうの言動を
心がけたら良いというくらいのものだ
 
それを最もわきまえているのは
大衆の中でも大衆的な人たちで
へんに堅苦しく
倫理とか人倫とかの言葉に
縛られたりしない
「そうしなければいけない」
「そうするのが正しい」
なんて言う人がいたら
ふつうの人間には出来ないことを
やらせようとしているのだ
と疑った方がよい
実際そう言う人は
自分では出来ていない人の方が
ほとんどである
半世紀を超えて生きてみて
人の道を踏み外したことのない
人は見たことがない
氷山の一角だが
毎日のテレビのニュースを始め
様々な情報媒体によって
そのことはうかがい知ることが出来る
なので取り敢えず
自分を苦しめるものがあったら
そこから即逃げろ
脱出しろ
大事なのは「人の道」じゃない
自分の心であり命だ
若くして苦悩する人たちよ
 
2023/07/02
 
 
「人間の世界」
 
人間の世界から
とりあえず言葉と文字を抜き取れば
地球を舞台に
蟻のような動線を描いているに過ぎない
砂糖に群がるように利害に群がり
あとは三々五々
ひたすら動き回っている
何をしているのか
はるか上空から眺めると見当が付かない
別に知る気にもなれない
 
言葉と文字を抜き取れば
人間界は超クソつまんない
悲喜交々もない
言葉って何だ
文字って何だ
こころって
何だ
何だか
分からなくて
疲れる
 
人間の世界から
とりあえず肉体だけを消し取れば
言葉と文字と
あとは見えない
こころの
うごめきだけになる
何だか
怖い
 
2023/07/01
 
 
「罵詈雑言」
 
きつい
汚い
危険
そういう仕事は
他人に任せろとばかり
 
狩りや採集や農耕や
漁業など
体を使った仕事も人任せ
 
すべて合法化された
不耕貪食の手口
 
不耕すなわち
自らの手で生産しない
税や年貢を搾り取り
根も葉もない
浄土や地獄を持ち出して
民衆を脅し
教義を教える謝礼として
金品をかすめ取る
国民のためと称する
政治家官僚の類いも同じだ
知に巣くう
学者研究者の類いも
みな不耕貪食の輩
 
民衆が体を使って獲得したもの
そのささやかな
生産物や賃金の
さらにその一部を寄せ集め
ちりも積もればの財として
体を使わずして為す
合法化された
偏った分配のシステム
蓄財のシステム
そのシステムを支え
認証を与える
教育と学歴のシステム
 
門戸は開かれている
望めば誰でも
不耕貪食の徒になることが可能だ
って推奨もする
競争させて煽れば
希望者も殺到し
我も我もと上層を目指す
かつて罵りであった不耕貪食も
今では目標であり理想であると
正当化され
公式に公認されもしている
恥も外聞もなく
人の頭人の肩に足を乗せ
子どもみたいに
勝った勝ったと笑っている
文字通り餓鬼なんだよ
その姿は
知には長けても
心は言いようもなく
貧しく空っぽ
そして卑しい
 
2023/06/30
 
 
「ほんの少し」
 
ごくふつうの生活者の
その生活や暮らしを
考えの根底に常に位置づけておく
そういう知もあるように
普通の生活や暮らしに
本質に届いた知的な精髄
原理の考察を
ほんの少しだけ取り入れる
ということは可能か
 
普通の生活や暮らしの中に
こっそりと浸入する
権力の構造から
個々に拒絶する
力を持つことは可能か
あるいはまた
持った力から
自らを解放し
自由でいられることは可能か
 
すべて
可能かどうかも分からないままに
すでに
後戻りできないところまで
歩みを進めてきた
強要しない
顔を持たない
自分に問いかけ
自分で答えるだけの
旅であった
 
やせ我慢すれば
度々の困窮も
なかなかの刺激として
退屈な生涯に
起伏をもたらしと言えよう
いかにも人間だというような
複雑さも深さも
少しは増してくれた
という気もする
 
2023/06/29
 
 
「暗黙の肯定」
 
頼朝や徳川家康を
主人公とするテレビドラマ
それに「本能寺の変」の
黒幕は誰かなど推理する番組
最近立て続けにテレビで見かけ
うんざりした
嫌になった
 
要するに地方か中央かの
トップの政治家の
政治的な手腕とか能力とか
あるいは個性とか人徳に絡め
どう成功に導いたか
戦いに勝利したか
結局はすごいね
たいしたもんだねと
賛美するようなものばかりだ
 
今から見れば
日常的に殺し合いをする集団の
トップに君臨する連中の話で
本来なら悪鬼の所業を繰り返したとして
批判され非難されて当然
SNSがあればバッシングの嵐だ
庶民には重い年貢を課し
気に食わぬとなれば家来や仲間も殺す
要するに勝ったもん勝ちの世界で
勝つための権謀術策に長け
他人を陥れ首を刎ねることも厭わない
どう見ても異常の人たちで
悪に平気な人たちでしょう
これをドラマ仕立てにしたり
陰謀論を組み立てたりして
世に広める制作側の人たちは
その手の世界を肯定的に
また好意的に見ていると言うことでしょう
 
社会を腕力や武力で私物化すること
そのためにあらゆることを画策して
ライバルたちを根こそぎにして
世界を統括すること
それが人間の真実の世界だと誤認して
誤認した世界を是認する
そういうバカや生半可の知が
社会の表層を構成し
また表層に蔓延っている
歴史学者や研究者も同じだ
なんて脳天気なんだ
これが社会をリードする
リーダーの端くれのように振る舞って
またそんなふうに持ち上げられて
そんな構造が疑われもしないのだから
まあ仕方がない
もちろん持ち上げるのは界隈の身内だけで
持ち上げる下層庶民は
ずっと不在なんだ
どこを見ても似たり寄ったりで
この社会は末期もいいところさ
本当はみんな架空の舞台で
踊り歌っているだけさ
支持し支える何ものもない
わたしたちは静かに
悲喜こもごもの生活を
たしかな足取りで
歩くことだけを願っている
 
2023/06/28
 
 
「不器用な人狡猾な人」
 
逃れようとして
自分を追いつめる
不器用な人もあれば
自分を追いつめることで逃れる
狡猾な人もある
 
ぼくは後者に違いないが
状況からすれば
不実とは断定できない
皮膚から筋肉の鎧から
瑕をこさえてこれ見よがしだが
内臓は無傷だ
表情も苦悶に満ちているが
致命傷まで至らない
 
ピュアでナイーブなきみ
若き人よ
ちょうど真逆な人よ
美しい鎧は無傷だが
衝撃は内臓で受け止めたために
きみの痛手はより深刻だ
やがて鎧にまで波及する
 
ぼくは狡猾な詐欺師か
苦しみのたうち回って来たようで
どこまでも繰り返し耐えてきた
見かけは傷ついてなどいなそうな
きみの無言若き笑顔の内側を
臓器は赤く傷ついて
出会うたび見るたびに
酷く「いけないこと」
と思えて辛い
 
極限に耐える孤独
過酷に耐える肉体というのは
本当のことか
鎧はすべて弱さに変えて
時代という刺客から
逃げて逃げて
逃げ切る範を
示すべきではなかったか
 
2023/06/27
 
 
「〈そんなつもりはなかった〉」
 
あぁそうそう
そうだよねと共感できる
言葉に出くわす
そこではもう捕らわれている
 
寂しくてか
悲しくてかは分からないが
いつか知か情かの言葉に
出会ってしまっていた
 
〈そんなつもりはなかった〉
森と林に囲まれ
田んぼの真ん中を川が流れ
川岸には草が茂り
所々によく見かける木が
川面に影を映していた
光景の中を歩き
光景を眺め
子どもの頃の
知のない生活は
少しも嫌いでなかった
ただ少しばかり過剰になった心が
もうここには居られないと
そう独り言していた
 
〈本当にそんなつもりはなかったのだ〉
ぼんやりと手に取った一冊の本
言葉の世界
知と情とが
ぐしゃぐしゃに綴られた世界
無知で渇えた心に
雨のように沁み込んだ
〈そんなつもりはなかった〉
出自は山村の自然
知に染まぬ言葉の世界
田舎の生活世界
漬物の匂いの染みついた婆さん
いつも酒臭かった爺さんたちが
賑やかにまた時に寂しく
視線の向こうにいる
それが故郷だ
今も懐かしい故郷だ
近代知の入り込めなかった
古びた日本の生活世界
出自は無知の宝庫
今でも心は満タンに
非知を詰め込んでいる
それが本性である
だから本当は言葉が嫌いだ
文字が嫌いなんだと
言葉と文字を綴って
それを言っておきたくて
でもずるずると今も引き摺っていて
止め時を見失っている
田舎もんに知はそぐわない
田舎もんに知の言葉はそぐわない
非知の生活世界のことなら
知に聞かず
田舎もんに聞け
 
2023/06/26
 
 
「自己表出欲」
 
たくさんの歌と詩は
どうして生まれたのか
どんなに言葉を積み重ねても
言い切れない何かを表そうとして
繰り返し歌は詠まれ
繰り返し詩は書かれてきた
 
詠まれまた書かれるべきものは
明瞭に存在した
歌人や詩人は
たしかにそれを見
それを感じ
言葉を連ねて表そうとした
詩や短歌は
そうした意味では
言葉以前または未言語を
既存のそれを駆使して表現した
超「言語」
超「言葉」とも言える
 
言葉はどうして生まれたのか
同じ理屈で考えれば
目に見え心に感じられたものについて
歌や詩の技法以前の技法を
数万年の単位で試み反芻し
その気の遠くなるような年月を経て
言葉また言語として表現されるようになった
詩や短歌の超「言語」超「言葉」も
今はまだ未明の何かに
結晶する時はあるだろうか
いつか気の遠くなるような歳月のあとで
 
人たちの表現欲求
自己表出欲は
いつまでも満足せず
衰えもしない
 
2023/06/25
 
 
「出入り口をまたぐと」
 
出入り口をまたぐと
会社の一員になる
喜んでなる人もあれば
嫌々なる人もいる
いずれにしても
たいていはすぐに業務に携わるわけで
頭も心もひとりでに切り替わる
 
何課の何担当の業務を
熱心にテキパキと進めて行く
みんなが真面目に働くので
ぼくもそれらしく働く
時間分の給料の対価として働く
 
ぼくは高齢だし臨時雇用だから
どのように評価されても結構という立場
始業から退勤まで
個人的な部分は脱ぎ捨てるが
自己流は通す
 
ぼくにとって
会社員のぼくはぼくではない
評価されてもされなくても
どうでもよい
評価されてもうれしくない
ぼくじゃないんだから
内心で『時給を上げろバカ』
くらいに思ったりする
気の入らないセックスみたいにさ
義務的にやってるだけだから
それを評価されたってね
見ていると
気を入れたセックスみたいに
仕事をする人もいてさ
そりゃあ疲れるわって
いつも思う
そういう重心のかけ方も
あるにはあるんでしょうが
人間は3分割
社会人に家庭人
それに個人があって
それぞれに油断できないよって話
知力も体力も
うまく割り振らないと
綻びも出る
 
2023/06/24
 
 
「世界がぜんたい」
 
 世界がぜんたい幸福にならないうちは
 個人の幸福はあり得ない
 
宮沢賢治はこう綴っていて
これを読んで感動した覚えがある
賢治は本当に
みんなの幸せを願っていた
その真摯な思いが伝わり
共感したのだと思う
 
考えてみるに
みんなの幸せを願う賢治の思いに
どうして強く共感したのだったか
前提として近しい考えを
ぼくもしていたと言うことだろうが
それ以外にどんな理由があるか
 
自分ひとりの幸いを考えるより
みんなの幸いを思う方が
価値が高いと判断していたのではないか
若い頃はそういう判断をしたが
それは正しかったろうか
また賢治の思いの強さにも魅かれたから
〈自分を犠牲にしても
 みんなのためになることを
 強く心に思うこと〉
そういうことが
精神の格付けとして上位になると
思っていたのではないかと思う
 
いまはそうではない
少し違う
そうした精神の動きや働きを
価値があると言ったり考えたりしては
いけないのではないかという気がする
〈自分の幸せを第一として
 強く願望すること〉
それと同等と見なすべきではないか
という気がしている
みんなのことを考えたら高級で
我欲なら低級だというのは
本当は成り立たないのではないか
世界平和の願望はよくて
ゲームをしたい欲求は俗だという
区別はあり得ない
そうしてさて
地に落ちた善意なる価値を拾い上げ
ふっと埃を吹き払い
持ちあぐねて
やっぱり佇んでいるだけの
ぼくら
 
2023/06/23
 
 
「梅雨空に」
 
曇天の梅雨空から
ぽつりぽつりの雨
するとたちまち意識の底から
ChatGPTみたいに
「うっとうしい」が
自動で起ち上がってくる
 
なんだかなあ
自分というシステムでありながら
自分のシステムでありながら
近視に乱視に老眼も混じり
この総体がはっきりと見えない
「なにやってるんだおれは」っていつも
意識は自分を完全制御できないで
悔やんだり嘆いたり
 
考えればそうやって数十年
生き物それぞれの生活みたいに
ヒト科の生活に沿って
生活してきたということになる
ほかから見たら
「おめえらみなおなじだ」
と言われそうな生活を
それでもって確信もなく
解決も結末もなく
ダラダラと中途半端に
おさらばして行くんだが
ヒト科の未練の象徴で
儀式に飾られ
重石を乗っけられる
見渡す限りヒト科だけ
ぼくはと言えば
自然界に向かって
何か羞恥
〈嫌いではないが
 孤立し
 引きこもってきたぼくら〉
 
2023/06/22
 
 
「還る」
 
愛も不倫も死語だ
使っても意味がない
ついでに善も正義も
みんな死語にする
だとしたら
明日からは何にすがって生きて行く
すがる物がない
救済がない
地にあってペタペタと
足裏の感触だけを信じて
幻想は迷妄へと送り出す
騒いだっていずれそうなる
 
言葉に結晶しない
「愛」とか「不倫」とか
「善」とか「正義」とかが
境界の手前で行きつ戻りつする
言葉へと飛翔しない
言葉に飛びつかない
想いのところで
人は幹へと還る
人は佇む
 
2023/06/20
 
 
「ブラックボックス」
 
パソコンもテレビも
車や洗濯機や電子レンジも
どんなふうに動いているのかよく分からない
ただ決まった操作にしたがって作動させると
それぞれに決まった動作をしてくれて
そうしたいと思うことをやってくれる
ただどうしてそうしているのか
その中身や仕組みについては分からない
知る必要もないらしい
ただスイッチを押したり回したりすれば
勝手に機能を発揮してくれる
 
これは社会全体も同じで
ありとあらゆる物が
システム的に融合し機能しあい
ぼくらがそこに参加し
どこかに所属するだけで
とりあえず生きていけるように出来ている
現行の社会とは何か
どうしてそういう社会が成り立つのか
そんなことは知らなくても
日々を送ることに何も困らない
 
便利に快適に生きている
と言えばたしかにその通りだが
なんだか不気味だ
衣食住の何から何まで
自分の拵えたものはなにひとつなく
他人が拵えたお米や野菜や肉を食べ
他人が作った電化製品を使い
他人がするサービスの上に
生活が成り立っている
まるで王様のような扱いで
翻って考えてみると
不能化の極致に立っている
生活を作り出す
また生みだす立場になく
ひたすら消費の道を
歩むだけになっている
王様ほどには財源がないから
いざとなったらお手上げで不安だ
小屋ひとつ建てられない
複雑な機械の修理も出来ない
栽培の知識も技術もない
何か肝心なことを
すっぽり抜かしたまんま
時代に流されてきた
そんな後悔がちらほら
見え隠れするように
感じられてきた
自立どころじゃねぇな
たぶん
ぼくらより若い人はもっとだ
金がなければ最悪だぜって
たいていの人は考えてる
そりゃあ犯罪にも走るさ
 
2023/06/19
 
 
「どっちでもいいよ」
 
高齢期を迎えての日常は
心も体も疲れやすく重だるい
夕食後はすぐ眠くなり
これは生理的老化のせいなのか
精神機能の低下によるものなのか
どちらが先か
またどちらが主たる原因か
とてもわかりにくい
もちろん「互性妙道」で
体が衰えれば自ずから心も弱り
心の衰えは体から活気を奪う
つまり相伴っての老化だ
その意味では体と心とでひとつ
 
老化に抗うには
心にも体にもうまく負荷をかけることだ
忙しく体を動かし続けること
様々な課題に頭を働かせ続けること
それは分かるには分かるが
それほど強く抗おうという気になれない
たいていの人たちは
まあ抗いも中途半端だ
「雨ニモマケズ」の賢治のようには
言うことも考えることも
高齢者にはきつい
それでもって
若々しくあろうが老けようが
老化に抗おうが受け入れようが
どっちでもいいよって思う
何なら今すぐコロリでもいいよって
高齢者なら一度は考えたことがあるはずだ
みんなそれぞれに
そう言えるほどの人生を送ってきたのさ
 
取り敢えずぼくの場合は
成り行き任せの無頼派で
時々はこっそり
健康サプリを買って飲む
 
2023/06/18
 
 
「非詩的な独断と偏見」
 
生き物の特性は
「食と性」にあるとされ
根幹の問題
その中で人界における
性被害加害の問題は
当事者を中心とした
とても微妙でデリケートな問題で
第三者は静観に甘んじるべきだ
 
成人同士なら
それなりの機関を通して
決着をつけることになろう
成人と未成年の間の問題となれば
どんな過程を辿ったとしても
悪いのは成人の側だというのは
言を俟たない
まして今回のような
事務所社長と所属員の関係ならば
どっちがどう悪いかは明白そのものだ
ひどく悪質でもある
さらに組織がらみの隠蔽かどうか
捜査機関が明らかにして行くことだろう
 
人気タレントまたグループが関わり
大勢のファンもいきり立ち
騒然として社会問題の様相を呈すが
問題は至ってシンプルである
まっとうな組織
まっとうな社会人
まっとうな個人
そしてまっとうなファン
それらがまっとうに対応する限りは
至極まっとうな結論がでる
それだけのことだろうと思う
その際どうであろうとも
被害者の人権を全的に守ることが
メディアや法が
最低でもなさねばならぬ使命であることも
これまた言を俟たない
 
ここからもう少し潜ったところで言えば
要するに金でしょう
人気でしょう
夢でしょう
才能とか個性とかを
それらに変換して
輝かしい未来を手に入れたいと
そう考えるんでしょう
悪く言えば
昔通ったことのある
ストリップに似て
身体や容姿
あるいは才能や個性
自分にあるそうしたものの一部
を売り物にするってことだ
そういう気概は嫌いではないし
時に感服することもある
ただねえ
金か名誉か地位か権力か
はたまた愛か絆かは分からんが
求めるものが
欲するものが
昔から大して代わり映えしない
ってことは言えると思う
つまり元々は羨望から発している
またこれを促し利用する
社会構造がある
こんな報道にあれこれ口をはさむより
そうした悪魔的な誘いに
どう拮抗すべきか
ひとりひとり身をそぎ落とすように
考えることが大切だし
何度も反芻し
発酵するまで温めたら
もうそれはそれでよしとすればいい
 
2023/06/15
 
 
「ある所感」
 
狩猟時代は石器を使い
さまざまな獲物を捌いた
これは知識として教わったことだが
その時代には
生き物の解体の光景は
ふだんの生活の一齣であったか
 
すでに解剖学教室はあったか
皮を剥ぎ内臓を取り出し
腑分けして
食える食えないを伝えたろうか
長い長い年月の間に
生き物の器官それぞれについて
どんな働きをするのかも
知り得ていたろうか
 
言葉こそ
脳や心臓や肺や腸などと
名称されなかったろうが
手に触れ目で見て
頭の中では
「ナンダロウ」が駆け巡ったはずだ
見て触れる数万年の経験
その蓄積は
想像を超えた重さとなるに違いない
 
現代人は
映像や図解や言葉により
それぞれの機能とか役割について
いつでも知り得るようになっている
けれども現物を見て
手に触れるということは
まずなくなったと言ってよい
頭で表層をなでているだけだ
 
今昔で知的な差異はあるのだろうか
本当に進歩の概念は成立するのだろうか
日々いのちと直面したものたちと
いのちから遠ざかり
顔を背けてきたものたちとで
どちらが本当に
「いのちの尊厳」を理解できるものか
内実のない言葉だけを連呼して
命が大切とか尊いとか
口で言っていれば
それで済んだ気になっている
現代のわたしたちが
はるかに優れて文明的だとして
優位に立つことはできない気がする
 
2023/06/14
 
 
「試詩G(おとこどもよ)」
 
心も体も痩せこけて
野良犬みたいな風貌で
オロオロしたりしなかったり
追われてもないのに
行くところなく追いつめられて
悠然と山をみる
昔の人のようにはいられない
 
戦火の焼け跡よりも底深い
この明るさの虚無
喧騒のむなしさは何か
便利という便利に囲まれて
電化製品にも囲まれて
なぜかもう一つ
今は古びた団地の一画の
この家がこの庭が
愛せもせず
誇りとも思えない
おとこの不明
おとこの過誤よ
 
いつもの暮らし
ありふれた暮らし
退屈な暮らし
明日よりは一日にひとつ
「気」を入れる
老いたる人よ
おとこどもよ
風呂水を溜めるその時に
洗濯物がはためくその時に
花咲けばその花弁の中に
ぐつぐつ煮込んだ料理の
スパイシーな香りに
ひかりを
金のひかりを探そう
見つからなければ
そこにつくりだせ
 
2023/06/13
 
 
「幻想から自由になるための註」
 
すべて幼児期から少年少女期にかけて
すり込まれた価値観や注入された知が
誤っていたとすれば
とても運命的なことだ
わたしたちはこれを
どう取り除くことができるのか
クソみたいに稚拙な評価指標で
あらゆる人事を評価して
混乱と炎上をもたらしているこの世界から
どのように自由でいられるか
 
つまるところ猫なのか草木なのか
人的な欲望からさらりと抜け出して
デクノボウ的に
本当に小さく身近な我欲しか持たない
自然で目立たない自由人でいられるために
どのように世間と付き合っていけばよいのか
人に好かれること
人のために尽くすこと
地位や金や名誉にしがみつくこと
これらを全部犠牲にしなければ
ただ生きている
というところには届かない
しがらみもできプレッシャーも強いられ
時に人を人と思わずにぶん殴れる
そういう本末転倒も平気になる
 
すべてが幻想だぜって気がついて
そんなのたいした価値じゃないぜって気がついて
自足空間を作るのには
どうしても時間がかかる
焦らず行こうぜベイビー
 
2023/06/12
 
 
「言葉にするな」
 
おとといは晴れて
青空と
明るくオレンジ色の夕焼けが
完璧にグラデーションして
きれいに輝いていた
『ああ、ぼくの生涯はこのためにあった』
と一瞬甘美な感傷が
心をサッと掃いていった
 
詩人だねえ
いつから
そんなまねをするようになった
孤独な意識はそんなふうになりがちだ
ぼうっとして
ぼけっとして
ニコニコするだけでいい
そんな時は
 
勢いに乗って
意識をたぐり寄せるな
言葉にするな
文字にするな
同意を得ようとするな
弱虫め
 
2023/06/11
 
 
「試詩F(ある羨望)」
 
街と言えば街
山と言い海と言えば
山や海以外の何ものもない
そういう言葉の使い手は
実は稀だ
影や余韻やグレイが滲んだり
我欲我執が自己憐憫や嘲笑が
時に傲慢や進歩臭も
透けて見えたりしがちだ
 
シンプルに
ただそれだけをストンと
語ったり
文字にできる人は少ない
男にも女にも
ただひとりの女流詩人以外には
 
時にそういう言葉遣いで
詩が書けたらと羨望してしまう
気風のよい
涼やかに腕まくりする言葉群
 
2023/06/10
 
 
「わたしの大震災(若き同行者たちへ)」
 
呆然と立ち尽くした
大震災の日の
あちこちが瓦礫と化した
という感覚と経験
虫たちのようなわずかな入力と出力で
取り敢えずやってみるしかなかった
昨日今日明日
人間たちの創った世界が
いかにたわいのないものであったか
同時に最後にすがるところも
そこにしかなかった
 
つまり
そこまでは
いつでも降りて行ける
降り立ったら
またいつでも
そこから始めることができる
取り敢えず今日をどう生きるか
食うためにという選択肢
それ以外の何ものもない
いっそ気楽なもので
その余のものは
みんな遊びになった
拘束のない
マニュアルのない
不安と自由さがあった
 
つまり世界は
そちらの方向にも開けている
どん底に落ちたら
どん底をもっと掘り進めばいい
古代へ
弥生へ
縄文へと遡ることができる
もちろんもっと以前にまでも
 
金がない
仕事がない
友達もいない
みんなに蔑まれて
もう人生は終わりだ
なんて凄んでみせるな
道がないから
もう歩いて行けないなんて
甘ったれたことを言うな
少なくともきみは
遠く進化してきた現代人で
前提なく賢いはずさ
そしてその賢しらがない分
大昔の人たちは道なき道を進み
生きることに自在だった
われわれの知は
生きる自在を代償として獲得した
この賢しらな知を
いったんないものと仮想すれば
活動的で活発な古代の人性が
前面に躍り出る
これがわたしの空論で
賢しらなきみは
どう受け止めてくれるか
 
2023/06/09
 
 
「桜桃の季」
 
 子供より親が大事、と思いたい
 
太宰治「桜桃」の書き出し
その心は
「親のほうが弱い」からなんだと
常識からすると親の方が強い
家庭を守り子を守り
世間に立ち向かって負けない
太宰はしかし
そうであるが故に
特に父親に至っては
満身創痍で
倒れんばかりと反転する
少し小突かれると
ばったりと倒れかねない
子どもというのはまだ
そんな世界に
足を踏み入れてはいない
親の艱難辛苦は知りようがない
 
親は弱い
大人は弱い
すでに満身創痍だから
時に心ならずも頭を下げ
強者に諂い
信念を曲げ
正義の剣も投げ捨てて
闇の中に
頭を抱えることもある
頑張るべきはこの親である
大人である
子どもではない
親は弱い
大人は弱い
満身創痍である
だが親は倒れてはならないのだ
大人は倒れてはならない
わたしは倒れてはならない
大事なことは
自分が倒れてはならない
ということだ
自分は倒れておいて
子どもたちや
ほかの誰かに
戦えとは言えない
親が大事
自分が大事
とはそういう意味だ
 
このごろはしかし
少し考えが変わってきた
親も大人も自分も
どうせ満身創痍なら
あっさりと白旗を揚げる
という選択肢もある
その方が誰にも
無言のプレッシャーを
与えないんじゃないかと思う
時には頭を下げ
諂いおもねり忖度し
服従と見せかけて
猫はこっそり意を貫く
我が国の民衆はそうやって
少しずつ少しずつ
何代もかけて
指導者たちを変えてきた
そんなに気を張って
きみひとり戦っても埒があかない
きみの時間はもうそんなにない
 
6月のこの季節
七色に花々は咲きそろい
色濃くこぼれ落ちる緑葉は
山から里から繁茂して
きみの目の前に光り輝く
その一瞬一瞬
その一刻一刻こそは
永遠であると言ってよい
その時空を
さあ貪れ
 
2023/06/08
 
 
「花がきれい」
 
バラの花がきれいに咲いている
あそこの庭にも
こっちの庭にも
ほらそこにも
去年今年と
いろんな花が大振りに
また鮮やかに
たくさん咲いている
って言ったら
若い娘さんが
「わたしもそんな気がしてました」
なんて応えてくれた
 
そう言えば
葉っぱも元気に光っているし
草木の幹や茎や先っぽに至るまで
すごく力強い
「ぼくが枯れかけだから
 余計そう思うのかな」
と言うと
若い娘さんは
「そんな」と言いながら
ただ笑っていた
 
わたしたちの世界も
気がついたら
美しく力強く
みんないきいき生きているねって
見えるようだといいのに
あの花たち
また草木たちのように
 
そう願いたいね
って言いかけて
さすがに
はしゃぎすぎかもと自重した
 
2023/06/07
 
 
「雲の上に」
 
雲の上に散らばる
言葉になりきらなかった欠片
パーツを拾い集めて
一行の文にしてみようと
あれこれ思いを巡らして
年月を経た
物言わぬ非知の人の
言葉以前
 
もうすぐ
ぼくの無言も散らばる
「仲良くしてくれベイビー」って
誰かが完成させる
ジグソーパズルを
こっそり準備してきたつもりだ
謎解きは簡素で
単純で簡単な方がよい
悩まずに読み解いてくれ
 
2023/06/06
 
 
「奪還のための註」
 
なにかしら
どこかしら
とりあえず
グチャグチャで
ガチャガチャで
末期的に
壊滅的に
感じられる
この国の社会だが
ゆで卵の薄皮を剥ぐように
前頭葉の薄皮を剥ぐと
半身はけして
居心地が悪い訳でもなく
毎日おいしい白米にも
お目にかかれて
相変わらずの青空や
雲や樹木や
そこら中に滲んだ緑や
カラフルな花々にも囲まれて
なんだか気持ちのよいことと
気持ちが暗くなることとが同居する
毎日毎時間毎分ごとに
行ったり来たりを繰り返し
そうしたくてそうしているのか
ただ振り回されているだけなのか
自分のことでありながら
よく分からない
「苦しい」を
言葉や文字にすれば
生涯が「苦しい」の連続のように
受け止められはしないかと
不安になって口ごもる
「楽しい」と言うのも同様で
やっぱり口ごもってしまう
終いには
犬猫のように寝そべって
寝てるのか起きてるのか
分からぬ視線を
ぼんやり送って
ふとまた目を閉じて
かと思えばやにわに起ち上がり
視野から消える
まあそれが
人生の大半ってやつで
人以外の生き物は
それを考えずにやっている
逆に言えば
人はあれこれ考えて
考えないほかの生き物たちと
同じ結果を生きている
時に生存の中身の濃さを誇り
時にその幻想を恥じ
同じ大地に帰る
 
教訓はひとつ
超天才たちは寂かに枯れて行け
この社会を非知と凡人で埋め尽くせ
 
2023/06/05
 
 
「暗闘」
 
太宰治という作家は
他者から疎まれ
場合によっては蔑まれるような
人間の内面の負を
主人公が誇張してさらけ出す
そんな文章をよく書いた
読者のわたしは
「そうだそうだ」とか
「分かる分かる」とか
首肯しながら
共感しながら
食い入るようにして読んだ
そういう記憶が
今も鮮明に残っている
 
マイナスから出発して
座標軸ゼロの地点
つまりふつうの所まで
自分を押し上げることが
さしあたっての目標であった
ところが長く性格とか気質とか
本性とか性分とか
変わらぬままで
マイナスの底は深い
わたしは今も格闘し続けているし
先頭を切って闘っていると自負する
なぜなら
闘わねばならぬ課題を抱えるのは
誰よりも自分自身であり
年を経た今でも
その苦しみは切実だからだ
ニコニコと余裕をぶちかますほど
苦い焦燥から免れているわけではない
もう一度言う
わたしは今も現役で闘い続けている
つまり幼くまた若い人々の苦しみと
そのことが強いてくる闘いとは
まだ始まったばかりだと
わたしは告げておきたいらしい
 
2023/06/04
 
 
「グルグル」
 
単純化すると
渦巻き状を
外に向かってグルグル
内に向かってグルグル
してきただけで
中身を問わなければ
やってることはみな同じだ
そこまで抽象すれば
たいしたことをやっていないと分かる
 
稀にそこから大発見
大発明が生まれたりするが
これだけの数が
しょっちゅうグルグルしてれば
誰かが棒に当たる
今だって80億が
いっせいにグルグルしているんだ
誰かが棒に当たってもおかしくない
 
すべては陶器のような器の中
あるいは器と不可分だから
器の外でグルグルできない
世紀の発明や発見も
元々が器の中に蔵するもので
発見されるべくして発見され
発明されるべくして発明された
 
世の中のせわしない時間を
夢中に過ごしてきて
年経て体のあちこちにガタが来て
グルグルのことは
さして気にならなくなったし
そんなに気にかけるほどのことでもなかった
って思うようになった
この先はもう
ぼくらの任ではない
元気なその道の人
たとえばグルがやればいい
ぼくらは早期にリタイアして
妙にひねくれて不可解な
孤独な帰りがけの道を
手探りでゆく
 
2023/06/03
 
 
「移動」
 
家の階段を下りる
リビングと台所と
トイレとを行き来する
玄関を出て駐車場まで数歩
 
事業所の駐車場に下りて
出入り口から入る
階段を上り2階の事務室へ
階段を下りて駐車場へ
市内の学校を巡って
駐車場に降り立ち
また2階の事務室へ
それから駐車場と
事務室を3度往復
5時前に駐車場を出発
子らを家に送る
戻って駐車場
2階に上って下りて帰る
 
家の駐車場から玄関へ
10歩たらず
框を上がり廊下へ
台所と居間を行き来
食後2階へ
また2階から下へ
 
アフリカ起源の人類は
移動に次ぐ移動を繰り返した
世界中に広がり分布した
現代は移動は頭で行うようになった
頭の中に拵えた
半分でたらめな俯瞰の地図
そこを闇雲に
ぐるぐる巡っている
ひとつ所に
じっとしているのが不得手だ
その習性は宿命的でさえある
おかげで副産物は
たくさん産出されたが
脳を駆使した移動も
地図のすべてに行き渡って
やがて限界を迎えるだろう
その先にも
移動の衝動は
衝動であり続けるだろうから
どうなるんだろうかって思う
自分たちで
進んで苦しい道を
歩いているって気がする
 
2023/06/02
 
 
「試詩E」
 
夕方5時になると
防災無線のスピーカーから
「家路」が流れる
それを合図に
君たちはいっせいに
下りてゆこうと誓い合っていた
 
機械を止めた
織物工場の裏手には
若い男女の織工がたむろして
危うく談笑している
黒光りする汗も
田舎漬けの
饐えた香の臭いも
白く洗われている
「ドヴォルザーク」
「ああ、あれね」って
瑕もなく
割れた世代の言葉が
小さなコガネムシとなって
口を衝く
 
 
方舟は
昔の座礁の傷が致命的で
まして洪水の気配もない
黄昏から真っ赤な夕焼けにかけて
下りゆく道も消えている
ないまぜになった方言を
狼の咆哮のように
よだれと一緒に
道ばたに吐き散らす
つもりはつもりのまま
ただ見渡す限りの風景から
「しなければならぬ」
そのひとつことが無くなっている
 
君はそこにそうしていて
ぼくはここにこうしていて
だからといって
互いに運がよかっただなんて
思える訳もないんだ
 
2023/06/01
 
 
「片言の日常」
 
いつの間にか
片言の日本語になる
仕事場で10人に会い
ポツポツと
5つ6つの会話
「暑いね」とか
「金曜は雨らしい」とかの類い
縄文から弥生に抜けて
いま仙台近郊富谷市
富ヶ丘にて
送迎車を操り
また車の清掃に携わる
集まる子らのことも
若き同僚たちのことも
何も知らぬ
彼らからすれば
縁なき衆生と言うところか
私情は持たぬ
空に雲あり
団地を越えた森には
風が渡る
このエリアの中
時にルンルンと
また別の日に
フーフーと
快適かつ少しの難儀を
黙すれば
日は進み
明日の食料も賄える
縄文から弥生に抜けて
今日も明日も
古代の狩猟また農耕に
「行ってきます」
を繰り返す
 
2023/05/31
 
 
「白昼夢」
 
森の枝葉は鬱蒼と繁り
内なる生き物たちの営みは
深く隠されて見えない
遠い昔
祖先の営みの一部が
あんな所にあったこともあろうか
外的や雨風から身を守り
他の生き物たちのように
感覚だけを頼りとして
 
緑濃く繁った森は
いつ見ても懐かしい
森の内部はほの暗く
ひんやりと心地よい
そんな記憶も蘇る
 
団地を下りると
国道をはさんで真向かいの小さな森
仕事先への行き帰り
季節の移ろいを
何度も何度も目にしてきた
 
出自を同じくする
地球上のあらゆる生き物は
みんな懐かしい
もっと遡って地球そのものも
さらには宇宙そのものも
出自のまた出自だ
 
宇宙へと身を乗り出す
最先端の技術は
開拓と言うよりは
本当は回帰願望によって
引き寄せられるのではないか
そしたらそれは
人類のもしくは地球そのものの
帰りがけといった様相を呈する
やるだけはやってみたらいいさ
ただし帰りがけであるとすれば
文明の頂は上り詰められたこととなり
先のない異次元の光景に
一歩を印したことになる
 
2023/05/30
 
 
「今を盛りの花々も」
 
今を盛りの花々も
ひとつまたひとつと地に落ちる
もうすぐ長雨の季節となり
紫陽花が咲き出すだろう
 
巣ごもりの生活も
捨てたもんではないと
村の老婆が言っていた
せっせと庭作りに励み
庭を手入れして一日を暮らす
 
この島の悠久の時を経て
生活が紡いできた結晶が
老婆の人となりとをこしらえて
老婆は庭をこしらえて
それはそれで
長雨の時にも美しい
 
少しの寂しさと悲しみとは
しあわせのためになくてはならない
 
2023/05/29
 
 
「擬詩」
 
階段を上り下りしている間に日が暮れる
意味あることもありそうなことも失われた時代
ひとりはでくの坊のように突っ立って
ひとりは口から出任せを勢いだけで吐いて
ひとりはムキムキの体を見せびらかしている
生きる意味も理由も見失っているのに
生きているそぶりだけを巧妙に取り繕って
楽しく元気に創造的にって
実はくだらないことだけに血道を上げている
樹木で言えばそれってみんな枝葉末節
幹は階段の上り下り
意味なく徒労で不毛で無為の出来事
肝心なのはいつでも隙間のそれだ
 
それじゃあこの先
力を込めて踏ん張って
階段を上り下りすればいいかというと
また話は別だ
働くこと飯を食うこと
それを目標にしてどうする
働かなくても生きていけそうだと気づいた時代
この先どうすればいいかって
誰もが分かったつもりで分かっていない
静かに狂って狂っていることの自覚を持たない
平和ぼけした嫌な時代だ
 
2023/05/24
 
 
「試詩D(放課後の子ども)」
 
草むらにカナヘビを探す
積み木を蹴散らす
ダンゴムシを3つ
残念な生き物図鑑に夢中になる
チョウチョを追う
狭い部屋で鬼ごっこをする
 
奇声を上げる
緘黙する
アンテナを立てる
大人との会話を得意とする
擬音が多い
不満を引き金に泣き止まない
群れる
群れない
終始おとなしい
騒がしく体を振り回す
 
およそ日中は明るく
夕暮れ時には平穏ないしは不穏
明日は明日の風が吹く
 
2023/05/23
 
 
「それがもし望みなら」
 
悩むことはないさ
ひとりでも生きて行けるし
ひとりで死んで行くことも出来る
何なら引きこもり家族が
順番に死んで行くこともある
それがもし望みなら
そうすればいい
もちろんこれっっぽっちも
嘆くことも要らない
 
  ひとりつきりで耐えられないから
  たくさんのひとと手をつなぐといふのは嘘だから
  ひとりつきりで抗争できないから
  たくさんのひとと手をつなぐといふのは卑怯だから
 
生活の中で自立と共生を
どう案配すればいいかなんて
誰にも分からなかった
ただ詩人の言葉について行って
たとえ詩人に騙され誘われて
孤立や孤独の地獄に落ちたとしても
後悔などというものに
誘われたりなんかしないさ
まだ明日がある
明日が来る
未知の道を遊行し
ここからあそこから
脇道に入る楽しみもある
 
そう言えばよく口ずさんだ
「みちのくひとり旅」
ずいぶんヒットしたから
たくさんの人が口ずさんでいた
それだけでいいよ
同じ時代を彷徨して
ある時は同じ感傷に浸った
手をつないでもひとり
軽快に
明るく
グッドバイするさ
 
2023/05/22
 
 
「とりあえずの言明」
 
人間にあって動植物にないもの
それは意識生活かな
また精神とか理性とかと呼ばれる
諸々のこと
これにはあまり反論がないだろう
 
ではコンピューターを使った
人工知能(AI)
さらにChatGPTなどの進化形と
人間の違いは何か
まずこれらは人間の脳機能を
特化する形で発達したもので
今や全体として人の脳に相当に近づきつつあり
一部の機能は超越するところまで来た
いずれ人格を有するというところまで
行き着くのかもしれない
 
今の時点で明らかな違いは
人間には身体があり
その身体は細胞が集まって形成されている
コンピューターや人工知能(AI)には
それがないというところだ
いずれ細胞までもが作れるようになれば
そこもクリアーされるかもしれない
すると生殖以外の仕方で
人間が人間を作り出す
そういう時が来るのだろうか
 
コンピューターやAIの業界
またその分野領域の人たちは
進化の一点に集中して
ひた走りに走り加速に夢中だ
彼らを頭のよい連中だと呼ぶならば
頭のよい連中はすでに自身をAI化して
最短距離を走り続けようとする
言ってみれば自分を高度なAIに寄せている
人間や人間社会に役立つ
ということを建前と解するならば
彼らの隠された野望は
人間を超える優秀な人間を
作り出すことだと考えられる
ついでに動植物も作ってしまうかもしれない
これは極端に言えば
人間や人間世界の計量化からする
人間や人間世界の支配
その変異変形にあたると思える
その上自然世界の支配にも触手を伸ばす
 
文明や技術の進歩
それに脳の進化形が手を組んで
人間世界の新たなステージが
切り開かれようとしているのだが
ごく一部の人間たちによる
大衆の支配という点で
なんら過去の支配の衝動と変わりない
これがよい世界をもたらす
と考える点でも一致する
 
わたしは文明や技術の発展の先に
縄文時代のような
適度な大きさのコミュニティーで
争いも支配もない平和な世界
そんな世界の構築を夢見てきた
それは小さないさかいと大きな平安が
無作為に織りなされる世界であり
足りるを知り
自然世界との共存共生を夢見るものだ
これは牧歌的といえばその通りだが
ごくふつうの標準的と言える
わたしのようなものにとっては
そういう世界こそが理想に思えてならない
過去の歴史のように
わたしたちごくふつうの生活者の思いは
知者賢者には届かず
その思いが歴史を作った試しもない
だがわたしのような凡庸なものには
頭のよい連中も
力のある連中も
異常に発達した少数の人間たちであり
その少数に異常な世界に導かれる多数
という不条理は出来れば忌避したい
凡庸さと関わりない遠い世界で
好きにやってくれれば良い
わたしたちを巻き込まずにだ
 
2023/05/21
 
 
「べつに」
 
『べつに詩じゃねぇし』
 
『金払ってまで知りたい思想なんてないし』
『学問もないし』
 
『専門人には生活がない』
 
『そんなものはパズルのパーツに過ぎない』
『台紙が必須だろ』
 
もうじき休暇も終わる
歴史の洗脳から醒めた言葉を
手向けに置いておく
全体の課題はそんなところだが
たぶん性悪な好奇心と
性悪な優越の意識とが
奈落をめがけて突き進む
けど
そんなことはどうでもいいんだ
憂うる以前に
すべての生き物が生きている
ように生きなくちゃ
今日と明日の食と
つがいの形の理想型に向かって
やるべきことに限りは無い
刻々と
生き抜く術はほかにない
 
『鈍なことこそがワイルドで
 ダイナミズムを秘めている』
 
『言って聞かせるのは
 もうこれくらいでいいさ』
 
『遊びだから』
 
2023/05/20
 
 
「試詩C」
 
胸をえぐられた狼たちが
人影となっていっせいに駅を出ると
家路を急ぐ蜘蛛の子となった
夢のように遠い日のことだ
今はもう絶滅して
夢と希望を胸いっぱいに膨らませた
パパ活女子たちと
パパになれない仲良し男子たちが
いっせいに駅から出てくる
狼の面影からは遠く
雨に濡れる捨て猫のよう
ビルの谷間を行き惑い
吹きだまりとなった橋桁の下
 
橋上の人の群れは
「雨と街路と夜がほしい」
と頭を垂れて気取って歩いている
橋の下ではたばこを燻らせながら
薬や粉や草の売買で忙しい
そこにはもう文学もなければ
ひとりの詩人の姿もない
柔らかな従順が堕落へと急ぐ
その回路を作ってきたのは
いつも知者たちであり
賢者たちだ
 
2023/05/19
 
 
「ひとりでいると」
 
ひとりでいると
なんだか疲れる人生だったと
よく思うことがある
そんなときは
この思いは嘘だって
言い聞かせるようにしている
 
洗濯物を干し終わって
小さな庭を見ると
黄色い大きなバラの花
5つほど咲いている
ほかにツツジが7分咲き
台所横には小さな赤いバラ
プランターには
マリーゴールドから
パンジーやマーガレットなど
咲いている
 
身近なところで
小さな花の芽のような
小さな喜び
小さなさいわいの芽は
見ることも摘むことも
してきたはずさ
戦禍の中にも
貧困の中にも
難民生活の中にも
人と人とが織りなす
日常の一瞬一瞬に
それは見え隠れして
ぱっと表情をほころばせたり
輝かせたり
ということはあり得る
あるとわたしは信じる
 
苦境にあってなお
わたしたちが俵に足をかけ
これ以上引き下がらないと
踏ん張り続けるのは
同じかもっと苦境にある人たちの
一瞬の希望
不屈の声が
沈黙のさざ波として
わたしたちの心にまで届くからだ
その共鳴を
わたしたちも届かせねばならぬ
 
わたしはひとりでいると
なんだか疲れる人生だったと
よく思うことがある
そんなときは
この思いは嘘だって
言い聞かせるようにしている
 
わたしの精神は孤立している
かもしれないが
孤独になりきることを
許されてはいない
 
2023/05/18
 
 
「試詩B(裏口)」
 
目眩が取り巻くので
わたしは出られない
泡立つ微小な不明の
ずっと深い起源から
それはやってくる
 
呼吸をする
植物の仕方で
呼吸を止める
石の仕方で
すると一瞬は
無の情景まがい
と思いきや
しゅぽしゅぽの気泡
にかき消される
 
たしか
時間が揺らめくのです
身体を借りて
一つ一つの細胞を借りて
何かを成し遂げよう
としているみたいで
だれもなにも
それを告げようとはしないのです
それでも人は
あり得ないそれを歴史と呼んで
朱色の文字にして
今日も
刻んでいるようです
 
だからわたしはシエン
だからあなたがシエン
大気と化したシエン
消えて行く
シエン
 
2023/05/17
 
 
試詩A
 
老いた腰抜けじじいたちは
祭りの宵の
腐った酒の臭いの中でしか
大声で怒鳴り散らせない
ふだんは婆様連中に
寄って集っていびられる
 
都会へ行け
朝靄の中の馬屋の前
二日酔いの男たちは
吐瀉するようにそう言う
都会へ行け
ふるさとは臭い
ふるさとは消える
発掘する遺跡のあとも残さない
 
田舎の純朴で素直な
息子たち娘たちは
みな喜んで旅立った
頭のてっぺんから爪の先まで
喩法で串刺しされた街へ
子らはみな直喩になり暗喩になり
身体の風土を枯らし
見知らぬ田舎者たち同士で
無国籍新東京を創った
その年ふるさとというふるさとの
井戸が涸れ水が涸れた
 
2023/05/16
 
 
「試詩@」
 
鳥は飛ばず
這う蟻の姿も
草かげにひそむ猫も
いつからか見えなくなった
木立は枝や葉を失い
草たちもただ一色の
敷物に変わった
世界は人の心を閉め出す
わたしたちの心は
世界から追い出される
 
心は世界に触れることが出来ない
わたしたちには
渇望の世界に触れるべき心が
もうない
 
2023/05/15
 
 
「田舎育ち」
 
商業施設や学校から
てくてく歩いて少し離れると
五月の空の下
農民のいない田畑に
「弥生」が広がる
 
迷わず歩いて
てくてくととことこと
田畑を突っ切ると
そこは森の入り口で
細くくねった道が
ゆるやかな上り坂になり
続いている
ぼくは田舎生まれの
田舎育ちなので
手には何も持たない
ツンと清ましこんでもいない
 
急な登りの先に
平坦な荒れ地があらわれ
そこはもう住居跡や
土器のかけらが
草地の上に覗いていたり
地中に散らばっていたりする
「縄文」の地だ
 
こうしてぼくはひとりっきりで
行ったり来たり
とことこてくてく繰り返し
考えもせず
記録も取らず
誰にも語らず
時を過ぎて行くんだ
 
2023/05/14
 
 
「愛についてのひとつの偏見」
 
「恋」は心の中に
簡単に見つかる
異性を「好き」と思うこと
異性を求めること
たとえそれが錯覚でも
心の傾きとして認識可能だ
「愛」はもっと高度な抽象で
「愛」という言葉や文字
そのものに近く概念的だ
心の中をどんなに探しても
容易に見えてこない
「神の愛」とも言うように
そもそも人間に属するかどうか
さえ分からない
愛が人間の意識の
至高の顕現のように見なされて
さかんに使われているが
言葉や文字が先行しているに過ぎない
これを口にすると
あたかも実在かのように思いなされる
だが本当はこれを目にしたり
実感するという経験を
わたしたちは持ったことがない
 
愛について語り
愛とは何かを問うことも
ただ心を惑わせるだけのもので
愛という言葉を口にし
考えたりすること自体
おかしなこと
本末転倒の極致なのだ
たしかに人は
「パンのみにて生くるものにあらず」
と言えるが
パンなくして生きた試しもない
たぶん愛は語るものでも
口にするものでもない
まして考えるものでもない
人としてのふつうの暮らし
生活の場面での耕しの中で
ひとりでに心の耕しが生じる
そのこと自体の中に
芽生え育ってくる何かだ
賢しらに言わぬものにこそ
愛は自ずから宿るもので
賢者には
それが見えにくい
 
2023/05/13
 
 
「個人と家族と社会と」
 
紛争の火種は
自分の中にできる
心とはマグマの出口だ
孤独にこれを閉じたり
開いたり
火傷したり傷ついたり
勝手にやってしまう
 
家族とは
ひとりひとりのマグマが
家庭という枠内で
噴出し合って
互いに飛び散り合う火の粉で
傷つけ合う場だ
トラブらない家族なんて
そもそも家族の体をなしていない
そういう家族だけだ
 
社会では
個人も家族も逆立ちする
個人と家族の部分を
背後に見えないように遠ざけて
社会人として
モデルのように立ち回る
時に鎧兜で武装して
そこに自分の本来の姿があると
錯覚する輩も出る
そんな社会に
直接触れるようになると
個人の柔らかな心に
マグマが湧き出る
孤独に立ち返ると
マグマの処理が追いつかず
火傷したり傷ついたり
それから家庭では
みんなの火の粉が飛び散り
舞い上がり
結果倍増する
 
いつからか社会は
個人にも家族にも
優しいものではなくなった
支え合い助け合う性格の
地域社会は壊滅し
均一の都市型社会が波及して
全体がよそよそしくなった
個人の心にマグマを焚き付け
家族にトラブルをもたらし
社会内には争いや犯罪や
混乱を誘発した
 
社会が悪いと言って済む話ではないが
見渡してみたらいい
今産み落とされる新たな命を
幼い子どもたちを
少年少女やその家族を
ウエルカムって
楽しく暮らしてくれよって
迎え入れる
そんな社会になっていると
本気で思えるか
 
2023/05/12
 
 
「ハトの巣」
 
 事業所前のマサキにカワラバトが巣を作った。表部分はたくさんの葉が茂るが、建物側はうろになり、生け垣ふうに5本並ぶ一番端っこの内側にそれは出来ていた。急ごしらえの小枝を集めたその上に、一羽のハトがちょこんと乗り、マサキの葉裏の色合いに似て一瞬それと分からない。顔も目も微動だにさせないために、そこに鳥がいるとはすぐには気づけない。こちらが気づいて、すぐ目と鼻の先で凝視してもまったく動かない。地に降り立っている時にはすぐに逃げたり飛び立ったりするのに、こんなに近距離でじっとしているのはどういうわけか。最初に気づいた時にはつい、そこにハトの形をした置物が置いてあると錯覚してしまいそうになった。そう錯覚するくらい、見事に気配を殺すことが出来ている。
 少しして、どうしても動けぬ、あるいは動かぬ理由があるのだろうと気づいた。卵を抱えているからに違いない。急ごしらえの巣はそのために作ったのだろう。おととい、昨日と、その気配はみじんも感じ取れなかったのに。
 でも、もしも卵を抱えているなら、縄張りを無視したわたしの至近距離の接近に、脅威を感じて威嚇してこないことが不思議だ。緊張の度が過ぎて、固まってしまったようにも思える。だが、事務所でひとしきり話題にしたあと、2度3度と様子をうかがいに出向いても、そのハトの対応は少しも変わらない。その様子は次第に、凜として高貴な精神性さえこちら側に感じさせるほどだ。いずれにしても、卵を守るための、そのハトにとっての最善を尽くしてそうしているに違いないと思えた。
 事業所としては静観することになった。
 生け垣ふうのマサキと建物の間は人ひとりが通れるくらいの隙間があり、放課後に送迎車に乗ってやってくる子らの多くは、そこを通り抜けて出入り口へ行く。一応、何かあっては大変だという配慮から、そこを通れないように誰かが障害物を置いた。
 ついいつもの悪い癖で、『何かあってもいいじゃないか。せっかくなんだから遠ざけたりしないで、いつも通りに通らせて、そのハトとの出会いを体験させたらいいのに。』とわたしは考えてしまう。でも、そう考えてもそれは口には出さない。逆にこれは、若い職員たちの体験でもある。静観すると結論したら、それでもいいのだ。彼らは責任を背負ってそうすることに決めた。
 でも、見たかったなあ。赤ちゃんが出来るからそっと見守ろうという子がいて、怖くて近寄れないという子がいて、なかにはまた追い払おうとする攻撃的な子がいて、侃々諤々、しばらくはこの話題で持ち切りになりそうで、楽しめそうな気がしたのに。
 
2023/05/10
 
 
「画面」
 
清貧というのも
あるところにはあるのかもしれない
けどぼくは
縁なき衆生の1人に過ぎない
からぼくは
いつまでも青く歯ぎしりして
雨上がりのあとの
水たまりに浮かぶ白い雲や
飛んで行く小鳥のようにはなれない
濁りの中の微小な粒となって
ずっと深い底に沈んで行く
そこに呪詛や怨嗟が
伴っているかと問われたら
こんな歳になると
そんなものはかき消えてしまう
位相か次元かが
不意に別物になって
ただ沈むことによって澄んで行く
都会の喧噪から音韻が消える
そう思ってもらえれば
それがぼくの見ている
現在の画面に一番近い
それを見るのが
ぼくの趣味になっている
清貧からはほど遠く
汚濁も汚辱も
染み渡る
 
2023/05/10
 
 
「冗長な放言ー引きこもる自分にー」
 
水と栄養を吸い上げていれば
草木はなんとかやって行ける
あとは環境が
太陽の光とか気温とか
雨風によって幹や枝を育て
新芽や花を催促し
用がすめば葉を枯らし
雪が降ればその下で
裸形の姿形で草木は耐える
 
食べ物と水分と摂取すれば
動物も人間も
あとは何とかやって行く
適切な環境を求めて
あちこち移動できる四肢もある
日照りもあり嵐もあるが
逃げ惑い身を隠し
難儀もあれば
過ぎて手に入る恵みもある
 
生き物はたいていこんなもので
飲み食いできれば
あとは成り行きに任せて
何とかやってきたし
これからもやっていく
環境に身を任せ
人間の場合は
人間が自身のために作った
社会という環境に
さらに身を委ねることが出来る
万一社会での立ち振る舞いが
うまくいかない時は
セーフティーネットがあり
「なんとかしてよ」
と言えばよい
それは大衆の力が
大衆のために用意したもので
「ご利用ありがとう」なのだ
 
人間は凝り過ぎなんだよ
幻想に向き合うに真面目すぎる
発達した意識はだから
時に自らを苦しめる
そんなときは初心だよ初心
人類原始の初心
動植物の初心
生命の初心に立ち返りゃあ
明日生きることに
何の問題も無い
いずれ死ぬことも分かっている
問題なのは
自分を分かったつもりの
他人を分かったつもりの
それから世の中や
世界までをも
分かったつもりでいる
人間の意識というやつだ
意味を合成する言語ってやつだ
過大視するから
現実が反転する
超便利ツールが
最悪の凶器に変わる
つかず離れず
適当に付き合えばいいんだ
意識的存在が
人間のすべてじゃあないさ
 
2023/05/09
 
 
「頭のウオーキング」
 
寿命が延びちゃったんで
不要不急の高齢者は
金をかけずに遊ぶか
運動するかの二択になった
道を歩けば犬と散歩か
2人3人のウオーキング
夫婦でというのも少なくない
 
「わたしたちもやりますか」
と真顔の妻
「いやだよ」
と即答するわたし
 
なんか分からないが
恥ずかしさが先に立つ
みんなの後追い
それ自体が嫌だ
それに健康志向というだけなら
わたしは以前から
頭のウオーキングに努めてきた
わたしには
衰えは頭にも来るんだろう
と思えるし
見えにくい分気がかりだ
体の健康は
仕事先の作業で賄っている
 
見落とされがちだが
頭の健康だって
本を読むとか
クイズや勉強で頭を使うとか
そんなことだけじゃない
身体で言えば体幹と柔軟性
頭にも
同じことが言えると思うよ
そのために無駄なことを考える
生きるとは何かとか
心とは何かとか
少しも生活の足しにならない
みんながやりたがらない
そんな事柄をさ
 
2023/05/08
 
 
「否」
 
友を捨て
村落を捨て
父も母も兄弟も捨て
自分を捨てた
 
それからは新たに
生きねばならぬ場も
仲間も
流行も不易も
みんな捨てた
都市も田舎も
みんなだ
 
妻も捨て
子も捨て
ただ観念と感覚を
生き延びさせて
挙げ句の果てに
それも捨てた
すべてを捨てて
捨てたつもりでも
生活の場だけは残る
関係の糸は断ち切れない
やがてその糸に
手繰られる日もあり
何気ない
旧知の語らい
日常に繰り出す言葉
けれども
どうしても残ってしまう
秘めた惨劇の記憶と
隠しきれない
罪悪感
凄まじ
 
2023/05/07
 
 
「私試論」
 
現代に解体した家族や村落の再生。知の先端ではそうした問題意識が提案されている。それは考えとして、正常な方向性を有している。しかし、せっかく個に引きこもり、個の再生と建設の途次にあるものにとっては厄介な問題である。
大きなコミュニティーの解体から、小さなコミュニティーへの移行には賛成だが、今の段階で早急にそれを行おうとすれば、出来ないことはないがその先には必ず失敗が待つ。なぜなら個の引きこもりは、まさに小さなコミュニティーからの撤退に始まったものだからだ。
個が傷つかず、個が生きるコミュニティーを目指しながら、そのコミュニティーに傷ついてきたのが引きこもる個なのだ。例えばわたしは小さなコミュニティー作りに不安を隠せない。
それは現存の個の引きこもりを無視することからしか始められないから。新たな引きこもりを作らぬと言うところからの発想だ。
引きこもりは弱者だというのは当てはまらない。大きなもの、多数であるもの、見方によればそうしたものに妥協しない強さ、強靱さのせいだと言うことも出来る。
個の引きこもり、あるいは単純に個ということでもよいが、そこに潜んでいる何かしらの未解決の問題を脇に置いたまま、形だけ小さなコミュニティーを目指しても、善意や友愛がそれを為そうとしても無理だ。引きこもる個の繊細な心のつぶやきに耳を傾け、それに何事かを教わり理解するというところからしか本当は始まらない。
ではどうすればよいか。その解は思いのほか簡単だ。現実がそうであるように、すでにもう何事かが始まっている。
引きこもる個も、小さなコミュニティー作りも、それぞれがそれぞれに試行を繰り返せばいいだけの話だ。もっと深く引きこもりたければもっと深く引きこもればよいし、小さなコミュニティー作りがしたければ試行を積み重ね、何度失敗しても繰り返せばよい。それぞれがそれぞれの場所と自分とをを深く掘り下げて、気がつけばどこかで落ち合うというところにしか希望の芽は見いだせない。
 
2023/05/06
 
 
「あるひとつの晩年」
 
《明るく素直で元気》
小さい頃は一網打尽に
そんな網でくくられて
遠足にも行った
妙に気になったのは
かえって暗さや
屈折や怠惰を
自分の心に見たからだ
収まりきらない
意識の負に怯え
幼く傷ついていた
授業も遠足も
いつしか上の空だ
 
悩ましい停滞の中で
とある小説家の文章が
衝撃だった
線で語れない
負の意識の点描が
我が事のように描かれ
覆い被さる網を
素手で引きちぎろうと
言ってみればそこに
知的な格闘を見た
 
投げかけられる網を
拒絶していいんだ
闘ってもいいんだ
 
それからは
誤って首が絞まらないよう
細心の注意を払いながら
網と闘い続けての
今日のわたしさ
気づけば年老いて
人生を語る友もなく
仲間もなく
地位も名誉も財もなく
家族の冷たい視線
を気にしつつ
今も投げかけられる網と奮闘
もちろん成果無く
徒労と不毛の中
残ったのは家族の形
ただそこだけの
自分の立ち姿
その修正に
明け暮れている
 
2023/05/05
 
 
「意識についての注」
 
やめてくれよ
嘘をつくなよ
って日がな一日
ブツブツと
意識半意識の発酵
宥めて
賺して
振り返れば
そんな生涯
というのも嘘だから
意識を振りほどいて
善悪もなく
好悪もなく
愛も憎しみもなく
正不正とか
公平不公平とか
の概念もなく
知もなく
不知もなく
ついでに情もなく
要は
そこから疎外された
自然に向かって
回帰願望が半分
無理だというのが半分
宙づりのまんまだ
 
いずれ嫌でも自然に回帰する
それは確実にそうなので
ならば意識ある間は
これを苦にせずに
うまく付き合えば
よかろうと思うのだが
そうこうして
ここまで存えて
解が見いだせない
重い荷を
負ってるようで身も辛い
世の中を背く気持ちは
さらさら無くて
ただ人の出自をうらめしく
本意は遠くそこにある
ひとつの解は
意識を高級なものと
見なすことだが
現状はひたすら
我欲を満たす
手段として
行使されているだけだ
下劣なものへと
加速してきている
 
2023/05/04
 
 
「風渡る」
 
風渡る
五月の新緑の森
陽光は枝葉に遮られ
内部はぼんやりと明るい
幾本もの幹が立ち並び
幹の根元には
朽ち果てない枯れ葉が
降り積もったままの姿で
吹き溜まっている
それでもやがて
ゆっくりと地に溶けて
豊かな森の土壌に生まれ変わる
 
黄緑色の新葉は知らず
すべて上空の輝ける陽光に
感度を合わせて追う日々を過ごす
新生の葉はそういうものだから
それはそれでよい
精一杯のそれがよい
 
朽ち行くものたちには
ゆっくりとした時間が流れ
流れに委ねて朽ちて行く
ゆっくりと時間をかけて
朽ちて行くのだ
それもまたそれでよい
やがて地に溶けて
次々に根から幹へと登り
新しい枝
新しい葉となることを繰り返す
朽ち行く過程もまた
生きるということである
 
2023/05/02
 
 
「生きていて」
 
生きていて
陽射しを浴びりゃあ
なんとかなるって
動植物の生き方はそんなだ
雨風に打たれ
氷雪に閉ざされたって
陽射しを浴びたら
なんとかなる
捕食されたら
その時はお終いっていうのも
考えようによっては潔い
 
蓄えのない
キリギリスの晩年
それはそれで
ここまでなんとかやってきた
嫌なことは嫌だと言った
したくないことはしないで来た
歌うこと
夢見ることは大いにやって
そのほとんどは
世に阻まれて全うしなかったが
それでも自分には
意味があることだった
幸不幸とか善悪とか
小さな振り幅で行ったり来たり
尊卑にも縁が無いようにと
障害競走みたいな歩み
クソつまんない
気づかい先行の日々ながら
いまもこうして
気持ちいいなあって
陽射し浴びれば
身ひとつ
心ひとつ
持ちこたえられる
 
冬枯れの木立の無言を
イカしてるぜって思う老爺さ
今日のわたしは
 
2023/05/01
 
 
「デジタル教」
 
平安から鎌倉にかけて
日本仏教の始祖
各宗派の開祖が多数あらわれた
それと似たように
およそ千年の時を超え
今に盛況なのがデジタル教
そこから派生した
IT教やAI教や
その他類似の新興宗教で
始祖開祖も乱立する
もちろん彼らはすべて
天才であり秀才であり
一言発すれば
ネット民の心を掌握する
 
彼らに師事したら
よい人生が送れるかもとか
これからの世の中は
よくなっていくかもとか
って熱狂するネット民
しばらくこれらの宗教の
賑わいと盛況は続くかも
いやまったく
めでたいめでたい
 
昔の教祖がそうであったように
今時の教祖も大変頭がよい
政治や経済に関して提案したり
若者や大衆に向けて
こんなふうに生きるべきなんて
結構な御宣託も述べる
まるで救世主
ただねえ
なんかねえ
昔とあんまり似ていると
不耕貪食の金ピカ大伽藍が
最後に残るって
そんな不安が的中しないかって
心配になる
それって
虚飾を剥ぎ取れば
詐欺の手口だからね
大衆は貧しいまんま
次の戦国時代に向かうなんて
くわばらくわばらって
ぼくは思う
 
2023/04/30
 
 
「春の風」
 
春の風が
森の枝葉を吹き渡る
梢を揺らし
浅い黄緑の葉がそよぎ
貼り付いた目の中で
いつまでも飽きずに
そよそよ
さらさら
しゅらんしゅらんと
リズミカルに
また流れるように
動いている
 
ふと真逆の情景を叙した
実朝の歌が思い浮かぶ
 
 大海の磯もとどろによせる波
    われて砕けて裂けて散るかも
 
 
荒波寄せる不穏な海
 
穏やかな森にも嵐はあり
荒海が凪いで
たゆたう波に訪れる静けさもある
人の世もそんなことを繰り返す
虫たちも魚たちも
それぞれの対処の在り方については
本能がわきまえている
 
慌てふためいて騒ぎ立てるな
今日のわたしよ
今日の社会よ
 
2023/04/29
 
 
「非詩の暴論」
 
隅々にまで配備された
電波網に乗って
都市の賑わいと喧騒が
過疎にも伝わる
 
めまぐるしい人社会
幸福の尺度が
すべて人社会での
関係の意識
その中にあると告げる
 
だが本当に世界は
人との関係
対人関係がすべてか
もしそうならば
孤立や孤独の行き場はなく
人社会から引きこもるか
意識を絶つしか
方途が無くなることになる
 
そしてたしかに都市では
身体は観念の虚飾に過ぎなくて
意識と意識のうごめきだけがすべてだ
観念は身体のように振る舞い
身体は観念のように正体を隠す
 
身体は自ずからに成った姿形で
自然に属する
その自然な身体が
人の場合身体自体から
意識を疎外・表出し
意識は自然な身体から
引き剥がされたいと望んでいる
それが都市化と過疎の成り行きだが
その過程は自然喪失の過程
とも言える
これは人社会にとって
世界が半分になったことを意味し
半分が全世界だから
意識世界の重要度は倍になる
孤立や孤独の辛苦も倍になる
逆もまたしかりで
輝けるものの輝きも倍だ
 
こんにちの人社会において
孤独や孤立にくすぶるものは
たいそう分が悪い
最大の自衛は自然への遁走であり
動植物などの自然物への同化だが
人社会の進化と
どう折り合いをつけるか
そんなことは知ったこっちゃ無い
と穴を捲るのも時によりけり
運命のさじ加減は
だれでもない
自分で持っておけばいいさ
 
2023/04/28
 
 
「したがふ花のうらめしき」
 
 梢ふく風の心はいかがせん
    したがふ花のうらめしきかな
 
この季節に適いそうな
西行の歌
風に散る花々を
恨めしいことと詠む
 
梢吹く風は流行の追い風
時流でもあるか
これに乗って
花がハラハラと舞い落ちる
花に喩えるのは
密かに敬してもいる
人たちの言葉や思想
時勢に流されて
支配や権力の側に寄ってゆく
 
 したがふ花のうらめしきかな
 
骨太い
骨のある
風にも抗い咲く花は
どこかに
きっとある筈だ
 
2023/04/27
 
 
「日の始まり」
 
久しぶりに朝からの雨
座した視線から
窓越しに空を見上げると
空一面の灰色に
ふと漂うクラゲの
揺らぎがある
そのクラゲの触手の先に
団地のあちこち
また街路のあちこちに点在した
春の花々の饗宴が
どうなっているかを尋ねてみる
もちろん
こんな朝では
そんなことでもしてみたい
それだけの理由で
もう足りている
 
こんなふうに
今日の始まりは始まる
鬱陶しい湿度の絡まりの中
神経の明滅ダラダラと
午前を過ごすつもり
ふと老齢の知恵で
灰色の明度を上げる
明日の予報は晴れ
大気も花々もいっきに
澄んでまぶしくなる
 
閉塞を乗り切る
下層民のダサい秘技は
億劫な揺らぎと共に
今日も健在だ
 
2023/04/26
 
 
「緩やかな声」
 
細分化され
緻密になった学問知
には目もくれず
「腹が減ったねぇ」とか
「暖かくなったねぇ」とか
そんな次元で暮らしたい
 
それなのに昨今
過密になった
あらゆる分野と領域の
専門性を持った情報が
手軽な媒体を通して
生活次元を超えて押し寄せて来る
鼓膜を破り
網膜を痛めつけ
脳に不安を煽り脅かす
非知を宣言しても
シャットアウトなんかできない
「なんなんだこの状況は」
って叫べない
 
優秀なって言われる
頭脳に先導されて
こんな社会になっちまった
便利で快適で
王朝の暮らしが
あたりまえになった一方で
アンビバレントな
分裂症的な
カオスの内面に
苦しむようになった
専門化や細分化の果てに
人はもう
統一した全体像を
内部に結べなくなった
 
日なたぼっこして
「快」に寝そべる
ネコちゃんの姿にさえ
ほど遠く
意識的にまた無意識に
競い合い
争い合い
蜘蛛の糸一本に生涯をかけて
攀じ登ったり落伍したり
息を切らし
息をつまらせ
「ニャア」って一声
伸びやかに
緩やかに
声にすることも出来ない
 
2023/04/25
 
 
「<ほんとう>」
 
島の生活にも慣れ
ここ数年
めっきり心が緩くなった
そのせいか食が進み
おなか周りがどうなったか
言うまでもない
安穏で怠惰になったのだ
 
たしかに折り合いはついたが
屈服や諦念と違わないか
内心史の日々は
そんなことを
もぞもぞと繰り返している
ああ遙かだなあ
後退ばかりのつまんない日々だった
 
花咲き風そよぐ
今日の日の慰めも
一人っきりで受け
一人っきりで歌わねばならない
 
左右に頭を振って
微かに呼ぶ声のする
森に向かったその時から
ずっとすれ違ってばかりで
<ほんとう>を
持て余してきたんだ
 
そんなことはけれども
島の住人みんなの
あたりまえと言えばあたりまえの
秘めた内心史だ
日々の生活はそこから先だ
人たちの社会は
そういうものだからだ
異和と気づかれぬよう
<ほんとう>は
今日も引きこもりのさなかにある
 
2023/04/24
 
 
「この島は今」
 
ほっとけば
この島では草木が育つ
それを目当てに
虫も動物も鳥も集まり
そのうえで
明日を思い煩うことなく
人たちもこの島に暮らした
 
ほっとかれた子どもたちは
ほっとかれたまんまで育ち
大人になれた
知識や人としての振る舞いは
家族のうちで賄われ
普段の暮らしの中で伝播された
子らは裸で遊び回り
遊び回ることが
大人になる準備のすべてだった
 
何の制約もなしに
やりたいことをやる
この世に生を受けたものの
根源の願いはそれだ
幼い人の子らの遊びも
結局はそれで
遊びといえども
人生の大きな部分が
かけがえのない局面が
そこには見て取れる
 
いくつもの不慮の死を
見聞きしてきた
親たちの究極の思いは
今この時
思いの丈を生ききる
子らでいられるようにと
ほっといて
遠巻きに見守って
遊ぶがままに遊ばせた
 
この島ではかつて
そんな時代があり
子らには生きる喜びが
たしかに培われていた
生きる喜びと楽しさが確実にあった
意識化の現代では
子としての
人生の時間を犠牲に
知識や技術や道徳
社会性やコミュニケーション能力
などの獲得に
駆り立てられるようになった
立派な社会人を育成するため
と伝えられているが
その完成形に触れることは
まずない
そのせいかどうか
この島は今
伝説の幻の島となった
 
2023/04/23
 
 
「ママンの死」
 
青空であれば
太陽はいつだってまぶしい
殺人の動機になるはずはない
しかしムルソーは
動機はそれだと答えた
 
ママンが死んだ
ムルソーは涙を流さなかった
古い人間の概念越しに見れば
情の欠如と見なされた
 
意識や精神と呼ばれるものに
もしも個々に個性的な
倫理に紐付いた枠組みがあるとすれば
それは母的なものから受け継いだ
三種の神器のようなものだ
歴史的現在を生き抜く道具として
心的に埋め込まれた
 
ムルソーにとっての母の死は
それの消失や喪失として感知された
そうなれば犯罪も殺人も
これを否定する根拠は
心的には消滅してしまい
押しとどめる箍は外れ
ただ索漠とした自由が
眼前を覆うように現れる
自由が
解き放たれた自由が
自由
その宇宙から受け継いだ
螺旋のエネルギー
そしてすさまじいカオス
 
母が亡くなった日に
真っ先に考えたのは
こんなことだった
 
2023/04/21
 
 
「四月の詩」
 
裸木から
浅い黄緑色の新葉まで
気づいた時にはもう
街路樹も森も林も
すっかり変わっている
森や林の所々に
白い山桜咲く
 
ものみなは生き生きと
つまりは春めいている
人社会には
新入学だとか
新社員だとか
それでなくても楽しげな
笑顔の語らいがあり
夢や希望も
そこら中に溢れかえって
それはもう一つの喧騒
と言ってよい
 
一方で
数十人に一人の女性の引きこもり
とか
失うものが何も無い
若者のする首相襲撃事件
とか
この世界や社会にとって
深刻な綻びが
様々に広がりを見せている
むろん
関係ないねって目を背けても
バカだ愚かだ無知無学
と罵ることも
言葉にするだけなら自由さ
 
陽も陰も
おしなべて狂気の沙汰だ
生きるってことを
誰もが勘違いしてはいないか
犬派か猫派か
はたまた草木派かは知らないが
何事も
自他の肯定からしか始まらないことを
肝に銘ずるべきなんだ
陽は陰を肯定し
陰は陽を肯定し
陽は陽を陰は陰を
肯定してはばかるべきではないさ
 
働けない引きこもりは詩を書け
失うものが何も無い若者も
内なる怒りを言葉に代えて
十年毎日詩を書き続けろ
うつむくな
自滅に向かって悲壮ぶるな
考えて考えて
たどり着いた考えのすべてに
そうだ 墨を塗れ
そうして意識に別れを告げたら
無意識の場で
新たな生活が始まるんだ
 
貧しいって何のことかな
孤独って辛いことかな
知があり学があるって
偉そうにすることかな
仕事一筋といったって
生涯丁稚と変わらんよね
とかなんとかそんなふうに
一つ一つについて
配布された回答からではなく
自分の言葉で答えるんだ
答えられなくてもいいさ
誰もがコピペで通しているんだ
それをしないだけましだ
生きづらさ生きにくさの半分は
きみのせいではないさ
それでも重荷を背負って
無名を生きる偉大な先達はいる
歴史の外で時代の外で
普遍を体現してる
一度その背を目にしたら
「いづれの行もおよびがたき身なれば」
「地獄は一定すみかぞかし」
って聞こえて高笑いさ
「どうだっていいんだ」
そう思いながら
どうでもいい道をたどらない
たどれない
きみの価値はそれだよ
 
そうこうして藻掻き苦しみつつ
結局のところは
趣味の詩を書けとぼくは言いたい
白紙に文字は恥ずかしい
というのなら
あの空にあの雲に林に森にあの山に
草木や小鳥や生き物たちに
きみの歌を聴かせたらいい
それらは返歌を返すから
心にそれを書き留めろ
 
2023/04/20
 
 
「シン・知性人へ」
 
時代の表層を
筋斗雲に乗って滑空する
Y世代シン・知性人
新しいカリスマの登場に
若者市場は夢中だ
敗北に次ぐ敗北
退却に次ぐ退却の後の
時代の旗手
知性と教養の復活
言葉の切れ味鋭く
ロジックは相当に高度だ
この光景はセピア色のフィルム
どこかで見た記憶がある
 
現在から未来に向けての
知の胎動を感じる
それでも
どうやら
どや顔で決め込んだ
その知にも
パトロンなしには成り立たない
不安が透けて見える
土台が
官製の河口に置かれているためだ
いちゃもんをつける訳ではないが
不耕貪食
自らは耕さずに貪り食らう
その末裔たちの
無頓着なエリートづらが
気に食わぬ
気に食わぬがマジエールを送る
筋斗雲の飛ぶ先に
一筋の淡い光が
幻のごとく差し込んで見えるから
 
彼らにはもう少し
偉人聖人の歴史の延長
それに与してしまう怖れについて
作られた上・下の
下を犠牲にして成り立つ
文明・文化また知の興隆について
出来合いの観念思念を排した上で
真摯に向き合ってもらいたい
わたしの行き方では
もう遙か後塵を拝する
歩にしかならないと思うから
 
2023/04/19
 
 
「幻の戦場」
 
日が落ちた
とあるホームセンターの
駐車場出入り口
老いた警備員ひとり
誘導棒を持て余すようにして
立っている
出たり入ったりの車に
為す術を知らない
どの車もスルーするような
不審の誘導を繰り返す
 
わたしよりも年上に見えて
70代後半か80代
まるで路上生活者が
手に入れた警備服に身を包み
暇つぶしに交通誘導を
真似ているかのようで
場にそぐわない
 
もう少ししたら
わたしもあんなふうになろう
出来ないこと
不似合いなことにも
一切関わりなく
その日その日の食い扶持を稼ぐ
誰にどんなふうに見られたって
何をどのように言われたって
矜恃も捨てて捨てきって
ただ一日の
その日その時の要請を
黙って引き受ける
わかりきった場違いも
無様な対処も覚悟の上で
平和と繁栄の
底に沈んだ戦場を
彼の背を追うように
よろよろと駆け抜けて行こう
たぶん
わたしはドン・キホーテ
幻の戦場に立ち
無名の偉大な先達の姿を
本当に目にしている
 
2023/04/18
 
 
「雑想」
 
桜の花散り
野山には若く浅い緑
春風に踊る
ブレイクしたり
タップしたり
遠く丘の上の林では
空を掃くような
日舞もある
 
引きこもったかな
父にも母にも
心を開けばよかった
それがそうならない
ひとつの理由は
浅い緑の心が
不規則に揺れ動くからだ
心や意識は
ほんとうは心や意識の
所有ではない
ひとりがこんなでは
世界ではどんなだ
色になり
波動になった心や意識は
どんな色の
どんな形のオーロラになる
 
毎年
地に縛られる草木の
希望と絶望を繰り返し
希望と絶望に反応し
色分けする
個と全体の調和よ
心の花はどう咲かそうか
 
2023/04/17
 
 
「ぼくを生きるのが趣味」
 
ぼくは趣味で詩を書いている
趣味で趣味の詩を書いている
そう考えてみたら
こう書かなければいけないとか
こんな書き方じゃ駄目だとか
こんなの詩じゃないだとか
つまり「バカの壁」が取っ払われて
開放された気分になった
好きで続けていることは
みんな趣味になる
これは使えるって思った
 
例えばこんなのはどうだ
趣味で人間をやっています
人間をやり続けていますでもよい
こうすると
人間としての不完全さに
あまり負い目を感じないで済む
趣味でやってるんだから
欠点短所も緩くなる
また完璧ではない
人間としての自分を緩く
冷静に見つめ直すこともできる
仕事をやっているのは趣味です
趣味で夫を続けています
父親も趣味でやってます
こう考えてしまえば
いろんなことから開放される
仕事はこうでなければとか
夫や父親としては
こうでないととか
無理に自分を当てはめなくてもよいし
そこからはみ出す自分を
仕方がないなって許せる
貧乏は趣味だ
引きこもるのが趣味だ
知識も技術も持ち合わせない人間が
どんな人生をたどるのか
それを体験してみることが趣味だ
というように
何でも趣味にしてしまえば
これは無敵かなって思う
生きづらさが軽減される
後は客観的な記録と
記憶をどうするかだ
どんなふうに
次に生かすかだ
 
ぼくを生きるのが趣味
趣味には研究と探求が欠かせない
さすがに犯罪が趣味ですとか
不倫が趣味ですとは
使えない
使わない
 
2023/04/16
 
 
「天才は病だ」
 
頭は体壁系を象徴するので
ものすごく頭が切れるとか
天才的だとかは
標準からすると
両端の狭い領域の右サイド
高血圧と同類の
一種の病いだ
病んで明晰な分析なんて
烏合の衆には意味がない
そんなものは
エリートたちの特許物で
躊躇なく早急に
この国を統括する層に「ぺこり」ながら
お伺いを立てるほかないんだ
天才の知に興味を持つのは
そういう輩だけだからだ
それでなきゃ
若い「あんぽんたん」たちの間で
カリスマに祭り上げられて
終わりを迎えるさ
どちらにしても
もう末路に向かっている
いいんだよそれで
少しは山の賑わいの
足しにはなる
 
烏合の衆の1人に過ぎない
ぼくらのような
くそつまんない人間からすれば
これもどこかで見てきたような
対岸の火事の一光景さ
理解も共感もできるはずがない
彼らから見れば
無知で愚鈍で
くず人間てことになる
ただまあそれが標準なんでね
この領域が動かなければ
天才たちの仮説も検証も
ただのお遊び
机上の空論と言うことになる
アカデミズムの駄目さは
先験的なんだ
どこまで行っても
釈迦の手のひらの上の
孫悟空と同じだ
文明や技術やパフォーマンスは
高度になるだろうが
標準領域の生活者たちの
不満と愚痴は消えない
「そういうもんだから」だ
天才たちには
そのことが永久に分からない
マイナー領域になった文学は
これだから
そしてここからが
おもしろい
 
2023/04/15
 
 
「非中立のこわさ」
 
自然は中立だ
恵みも災害も
意志や意図によるものでない
 
人間は中立でいられない
1人の時にあり得ても
二人三人になると
中立の確保は難しい
誰かを助け
誰かを攻撃する
人間の意志や意図は
ほったらかせば
蔑んだりいじめたり
悲惨な因果も作り出す
恵みの意志を働かせるなら
自然のするがごとく
例外なくすべての存在に
そして同等に向けられるべきだ
それができないなら
敢えてその意志は
懐に戻すべきだ
何もしないほうがましだ
 
回転の速い頭ほど
そんなことに無知だ
例えばオピニオンリーダの
間抜けもそこだ
古代の偉人聖人の偉業が
後世どれほどの進歩や発達に結びつき
どれほどの悲惨や害悪をもたらしたか
どれほど狂喜と絶望の脳内物質を
人の頭にもたらしたか
頭の回転は技術を進歩させるが
人間の幸福感について
計算は不能だ
 
偉人聖人たちの偉業の延長上に
生きることを強いられ
生存の仕方を左右され
逃れられない無名
自然と人工的にと二重の制約下で
精神は日々のリセットなしでは保てない
また特に人為的な災いは
身に及ぶにせよ遠望するにせよ
不快極まる
同じ人間のする所業で
どうしてここまで
わたしたちの生存は
翻弄されなければならないか
 
大衆を嫌う知的エリートたちは
万一の時にどこまでを救助すべきか
はじめから考慮の上で策を講ずる
そこから下は犠牲もやむを得ないと
 
支配の学
統括の知
それから始めるものは
すべて権力に迎合して行く
本当は知は
無名に奉仕すべきはずなのに
逆に学も知も無名を呪縛する
功罪は量り知れないが
功は多く上部に
罪は多く下部に
振り分けられる
知や学が
国家に従属する限りは
 
2023/04/14
 
 
「緩やかに」
 
田舎のただの
鬱っぽいじいさんに過ぎないから
明るさや賑やかさや
暗さや静けさ
また危険や不安や長閑さが同居し
錯綜した世界には
もうついて行けないな
ついでに個人や対や
集団の問題もごちゃごちゃと
 
鬱らしく
手持ちの触覚には
否定的・消極的
マイナスの事象ばかり
感知されてくる
それでも
頑張ってる若い人たちはいるから
プラスの事象もちらほら
よりよい社会にって
よりよい世界にって
英知を求め磨いている
人の語る言葉は
希望を託すに足りると思う
切り口鋭く
現在の先端の光景を
たしかな仕方で捉えきっている
ように見える
そしてそれに感化される
若き大衆の存在もまた
 
手にした自作の解剖刀は
刃こぼれしたかさび付いたかして
もう用を足さなくなっている
鬱っぽいじいさんにできることは
時折目にする若い人の
あるかないかの小さな論理の穴を
細かな紙片でペタペタと塞ぐ
そんなことを趣味として
楽しんでみるということだけ
これならできそうな気がする
緩やかにまた緩やかに
前を向いて
どこまでも
 
2023/04/13
 
 
「どうでもよいことを」
 
狭い生活圏で
密度の濃い生活をしたら
言葉や行動に
込められる思いの強度は
格段に強かったはずだ
例えば万葉の歌
流れる情感の単純とか素朴とかは
ノイズを排して
情感と言葉とが一体
言い換えれば
言葉と作者の情感とは
分かちがたく結びついている
太く強く
もちろん同時代の読み手には
同じように伝わる
太く強くそして長く
 
これに比べれば
わたしなどの作は
どうでもよいことを
どうでもよいふうに書き流し
自分にも読み手にも
あってもなくても影響はない
そういうものを書き続け
書き続けて
量でか質でか
いつか古代の一篇に伍したいと
考えもするのだが
繰り出すのは頭の作ばかり
足下から世界の動向まで
気を散らせ
気が散って
心の分解が
進んで行くばかりだ
空々しい言葉を
羅列して行くばかりだ
 
2023/04/12
 
 
「今日の思い」
 
宇宙の膨張と
人間の生涯の長寿化と
ちょっと似たところがあって
密度が薄くなりはしないか
って思う
たぶんそんなせいで
あれもやりこれもやりって
たいしたこともない生涯に
迷惑な欲望だらけの人生に
何でもかんでも
詰め込もうとし始めている
それが豊かな生き方だとか
そこに価値や意義があるだとか
こぞって自分の命を輝かせたがる
隣がそうだと
ぼくもわたしもとざわめきだし
壮大な狂想曲を奏で始め
また一つの流れができて
狂ったように
己の膨張と成長と
上昇・昇華と高みを目指す
 
まあいいんだけどね
地上の人間が
みんなイーロン・マスクみたいに
なれるんだったら
イーロン・マスクだらけに
なっても
地球が耐えてくれるんなら
でもね
嫌になっちゃうでしょ
地上が釈迦だらけ
イエスだらけになるのと同じで
きっと許されるのは1人まで
 
老いてきて
時間が余るようになってきて
有効活用って気になるが
どうかな
ぼくはダラダラと
日がな一日無為に生き
お天道様とそよ風と
草いきれ匂う原っぱで
せいぜい日向ぼっこするくらい
がお似合いか
大昔から
無名の庶民の理想は
そこにたどり着くんじゃないかって思う
一つだけ贅沢を言えば
気兼ねすることなく
一緒にいられる人たちとね
 
2023/04/11
 
 
「亡き母に」
 
車窓は満開の山桜
東北自動車道北上
母の葬儀に向かう
朝曇天の空
寒さが戻り
低めの暖房
右車線にはセダンやワゴン車
前後にはトラックが列をなす
ありふれた
春の高速道路の情景
ありふれた
車内の会話
 
開花を待って力尽き
息絶えた母
何かのメッセージかと
探すのはこちら
そんなもののあるはずもなく
粛々とただ粛々と
納棺・出棺・火葬と進め
昨日は妹夫婦が通夜に添った
死者を送る一連の流れ
取り乱すことなんて無いさ
 
我が家に来なよって
強く言えなかった
老後を不慣れな土地で過ごすなんて
きっと想定以上に過酷だし
一つ屋根の下の生活はまた
想定以上に角が立ち
情に流れ互いの意識もきしむ
来たければ来ていいよって
言葉にするのが精一杯だった
多分そういうこと全部を察知して
母はホームの入居を選んだんだ
迷惑をかけられないって
かけたくないって
ホームには
そんな覚悟の人ばかり
引きこもるようで
引きこもれない世界
 
ずいぶんと
自然に衰弱して行く中でも
いつもおまえが心配だって言っていた
こっちはこっちで
あんたが心配だって言いたかった
面会のたびに
「眠れない」って嘆いていた
小さな鬱に苦しんでいた
母さん俺には金がない
救済出来る知もなくて
ほったらかしする後ろめたさだけは
しっかり胸に刻んで
手放すまいとしていた
十字架ってやつかな
ありふれて
人の生は悲しい
いろんな意味で
解放されたとは言えるのかな
ぼくならば意識からの解放が
最も重大だって気がする
どこまでもついて回る嫌なやつ
そう言ってはいけないのだけれど
人間の本質であり根元に在るものだ
 
実は母の生涯について何も知らない
どんな人生観を持ち
どんな思想を持って暮らしてきたか
人間の平等や自由について
どんな考えを持っていたか
この生活世界では
そんなことはどうでもよくて
目を塞いでいる
母よぼくはその無名の思想を
発掘しまた
耕そうとしてきた
と言ってよい
力不足で成就出来そうにないが
ずいぶんとかき集めて
考えの中に繰り込んできた
そうして母よ
ぼくもまた無名の1人として
誇りを持ち
あなたを追って
無名のど真ん中に朽ちようと思う
善も悪もない
尊も卑もない
あなたの生き様は
無名が抱き体現する
人間愛の姿であり形であったと
今この時にあたって
そんなふうに思い
そんなふうに
言っておきたい気がする
 
2023/04/10
 
 
「生きることを趣味にして」
 
心閉じたり開いたり
周囲に溶け込んでみたり
引きこもってみたりと
様々に工夫してみたが
草木のように呼吸して
猫のような自在を得
他人様には
居たり居なかったり
仲間であるような無いような
結局はそんな立ち位置を
通すことになった
 
居心地はよくもないが
悪くもない
もうここに着地したって
よい歳だ
吹きだまりに吹き寄せられて
もう抗う気力も失せた
こんなところで折り合って
働けるうちは働いて
息ができる間は息をして
考えられる間は考えて
書ける間は詩を書いて
真実また真理を追い求め
どこまでも泥臭く
青臭く
無名の間に分け入って
無名の奥のまた奥の
人類史の背骨のど真ん中に
ぼくはいつか飛び抜けて
それから静かに横たわる
これはひとつの
今に残った
ぼくの趣味でもあり
また目標でもあるんだが
おそらく
誰も
分かんねえだろうなあ
錯覚と
無理解だけの人生さ
 
2023/04/10
 
 
「さようならはまだ言えない」
 
火葬の帰り道
散る桜の花の下を
歩いて帰る
何気なく立ち止まると
見知った3、4人の
会話へと
その詩の展開が続く
 
そういう詩を
たしかに読んだ記憶がある
短い会話の中に
はっとするような哀悼の意とか
とてつもなく深い
人間洞察の示唆に富む内容が
そこには込められていたという気がする
 
火葬場の脇に建つ喫煙所から
駐車場奥の満開の桜を見ながら
どうしても
その詩のディテールは
思い出せない
詩人の名も思い出せない
友人の火葬だったのか
どんなふうに桜散る情景だったか
大切なことはみんな
思い出せなかった
 
わたしの場合は
老いた母の死だった
そのための火葬で
98歳という大往生でもあり
今生の別れとか
悲しみに誘われる何事もなかった
強いて言えば
少しずつしぼんだその華奢な体で
力尽き果てるまで
よく戦ってくれたものだと
ひとり孤独に
よく戦えたものだと
驚嘆が先に立つ
だから思い出した詩のような
深遠な思いは何も生じない
 
心に残るものはただ
子どもの頃に
いつまでも強く母を求め続けたのは
3人兄弟のなかでは
真ん中のわたしだったというイメージだけ
72のこの歳になっても
「一番心配していたよ」って
2人からは揶揄され続けてばかり
嫉妬ほどではないけれど
「あんたに愛情が注がれた」って
きっと2人は言いたいのに違いない
けれど振り返ってよくよく考えれば
『いつも注意され
 叱責されることが多かった。
 褒められた記憶はあまりない』
って思う
母の琴線に触れるような
見逃せない欠陥が
わたしだけにあったのだろうと思う
この歳になれば
怖れずに目を向けられそうなのに
母は逝って
もうそんなふうに指摘するものはいない
 
昔教員だった母らしく
それを「宿題だよ」って
解を探せって
わたしに残したものかどうか
さようならはきっと
その後に言うことになる
 
2023/04/09
 
 
「葬式はいつも」
 
葬式はいつも不快になる
故人との思いを
べりべりと
引き剥がす力が
その場全体に働く
 
葬式は演出と演技である
僧侶が家族が親族が
そして弔問客が
式場の空間を
ひとつの脚本に従い
共同の幻想を構成するために
協力し合い
作り上げて
その場の全体を埋め尽くす
故人との1対1に閉じた
対の観念も
あるいは個の観念も
一様に後景に退ける
そうした力が発揮される
 
けれども僧侶の読経も
一連の仕草や様式も
茶番であり
はったりであると透けている
市長の弔辞は空っぽの記号だ
そうして喪主の謝辞には
肝心なところに
決まってカーテンが掛けられている
 
嘘だ嘘だ嘘だって
協調出来ない個が飛び出てくる
ライラライ
ライラライラライラライ
ライラライ
って歌が聞こえてくる
 
みんなで作る
故人のための鎮魂の儀
思いはひとつという猿芝居
そんなものがあるか
寄って集って
あっさりとこの世から追い出す
魂胆の儀ではないか
そこに集うひとりひとり
生前の故人にどう向き合ったか
どんなふうに軽んじたか
どんな非難や批判を
陰で行ったか
拒絶し罵倒し
善意さえも曲解し
踏みにじったことか
それこそライラライじゃ無いか
嘘嘘嘘じゃ無いか
また人間にはもっと
不善も不徳もある
共同幻想の裏に
そういうものを隠して
悲しむふりをするな
儀礼なんかで簡単に
あの世に旅立たせるな
 
自他共に
洗い浚いをさらけ出し
人間という器の
深遠さに対峙する
見送りの儀はひっそりと
自由な無の空間という
泉に集い
三々五々に散って行く
ひとりひとりの創作の儀
のようなものでよかろう
ではないか
 
2023/04/08
 
 
「砂の島」
 
足下は砂だからねと言うと
みんな怪訝な顔をした
それから異星人の顔つきになって
島の中央へ
山の頂をめがけて歩き出す
みんなの足下には
山道であったり
舗装路であったり
飛び石の岩であったりが続いている
 
見送ることには慣れて
旅が円滑に進むようにと
願いもする
一人っきりの幻視という事態にも
幾分か慣れ始めている
というよりも
受け入れるほかに手立てが無い
 
この島で生きるには
山頂を目指すほかに無いと
いつの間にか神話が掟となって
人々の心に刻まれている
それが生きやすさにつながり
生きがいにつながり
居心地の良さや楽しさ
欲望の享受にも繋がっているから
止めろと言えない
エールも送る
 
この島の歴史と
生きるためのシステムが
もう島民には
抗し得ないものに完成されている
島の統括部にも
手に負えなくなっている
という噂も聞いた
 
砂の道を
よろめきながら歩き
海岸線に出ると
もうそこにはひとりの老夫が
瘋癲のように立ちすくむ
映像が流れているばかりだ
力尽きるのも
間近だと思える老夫
 
水平線から
白装束のひとりの人が
波の上を渡ってくる
しばらくして立ち止まり
こっちだと手招きする仕草に
浜の方からもうひとりの
背を向けた白装束が近寄って行く
ふたり並ぶ姿や背格好から
父と母だと分かる
慌ててそっと手を振ってみると
「こっちのことは心配するな。元気でやれ」
と昔ながらの声
言い終わると並んで大きく手を振り
振り向いて水平線に向かって歩き出す
『誰もぼくの幻視をわかってくれない。
 やるだけのことはやった。
 もうすぐぼくも行くから』
喉まで出かかった言葉を呑み込んで
消えて行く姿を見送った
 
足下には砂の道が続いている
どこに出口があるのか
ひとしきりさ迷ってみても
行くべき方角の見当もつかない
人々の目指す山頂も
すっかり視野からは消えている
もう夜の闇も間近に迫っている
よろけながら
立ちすくみながら
帰るべきあても見失っている
 
2023/04/07
 
 
「今日、ママンが死んだ」
 
  今日、ママンが死んだ
  もしかすると昨日かもしれないが
  私にはわからない
 
「異邦人」の冒頭はこんなだ
この数ヶ月
何度も脳裏に思い浮かべた
いやもっと前からだ
 
老いた母が足を骨折し
車椅子生活になってから
元気をなくした
『母が亡くなったらどうなるんだろう』
それを考える時
すぐに冒頭の句が思い浮かんだ
「ママンが死んだ」
その後に何も続かない
ただ漫然とその句を繰り返してきた
 
今日の未明
「母が死んだ」という知らせがあった
それがどういうことか
わたしには分からなかった
「母の死」ではなく
それが「どういうことか」がだ
享年98歳
悲しみでもなく
混乱でもなく
ただ微小な歯車のひとつが欠けて
それでも正常に機能している
精神のその不可思議に
目眩を覚える
時が経過すれば
欠けたものが埋められ塞がれ
自己修復の力が
働きだすものなのかどうか
 
今日の未明に母が死んだ
もしかすると昨日かもしれないが
今のわたしには分からない
分からない
それが
きっと
正しい
 
2023/04/06
 
 
「大河」
 
抗しようのない流れの中で
流れの緩やかな箇所に差し掛かると
踏みとどまりたい思いに駆られる
もちろん手も足も出なくて
名残惜しげに下って行く
 
川下は緩やかだ
ただし大河の圧は
よりいっそう抗しようが無いと分かる
満員電車の中のように
自由度は失われ
行き着くところまで行くしか無いと
すっかり諦めの心境へと加速する
 
この流れではだめなのだと
思いっきり叫びたいのに
そして確信してもいるのに
流れの中では声を出せない
ずっと賑やかに
明るく弾んだ声も聞こえていて
ひとつの声ではかき消される
と分かっている
それでもひとつ
またひとつと流れから脱落するもの
弾き飛ばされるものもあり
知らぬ顔ではいられない
流れに乗じて
笑ってなんかいられない
 
声なき声
悲しみと無念さとを拾い集めても
堤防は作れない
流れに抗することはできない
消費期限も間近に迫り
せめて川底深く
土石を削って下って行く
 
2023/04/05
 
 
「異動願い」
 
天国でもない
地獄でもない時と場所で
天国でもない
地獄でもないズブズブの
グダグダの生き方を通してきた
それだけのことで
なんとなく辛いとか
悲しいとかの感受が
経年劣化の身体に
色素のように沈着している
 
苦しかったと言ってもよいし
ああ楽しかったと言ってもよいけど
そういう意識は幻で
あてにならない
もちろんあてにはしないけど
それしか無いこともたしかで
困ったもんだって
最後の最後の幻は
きっとそんなもんさ
 
意識に翻弄されて
生涯を棒に振ったのかどうか
そもそもが
棒に振らない人生って
あり得たのかどうか
この人間のする内省ってやつは
どんな成功者にも
権力者にも等しく襲いかかり
人知れず苦しめる
人知れずだ
その意味では
平等の成就と言えるのだが
こんな平等は
あんまり喜べない
願わくは
過度の内省から解放されたいが
意識があるからっていい気になるなと
自然の摂理は
そこまで組み込んでいるのかも
それでもってほかの生き物や
無機物との釣り合いを保てるって
そういうことなんだろうか
 
それならそれでせっかくだから
とことん内省するのも悪くない
それでもって来世は
そちらに行かせてと
異動願いを叩きつけてやるんだ
 
2023/04/04
 
 
「生」
 
逃げる
メディアから
過剰な情報から逃げる
戦う
情報の操作と
誘導について疑う
 
逃げる
嫌いな場所
嫌いな関係から逃げる
物理的に去る
意識上で自分を不在にする
戦う
最小限の居場所を確保する
そのための労働は忌避しない
戦う
空間よりも時間に立つ
時間の中で自由に
奔放に飛び回り
そして遊ぶ
了解を深く豊かにする
戦う
空間に生き
空間を占めるものたちを
敵と見なさないこと
 
考える
人生とは何か
心とは何か
そして自分を救済することは
世界を救済することと同じであり
世界を救済することは
自分を救済することと同じである
という考え方の方法をもとに
無謀かも知れない冒険に
もうぼくはとっくに旅立って
旅の終わりに近づいて
いるのさ
報酬も成果も
特になしだ
 
2023/04/02
 
 
「春の薫り」
 
春は薫りが暖かい
冬にはもう少し冷たくて
薫りは鋭く萎縮した匂いだった
 
咲き始めた花たちかな
木々の枝先にも
地の草たちにもつきはじめた
それだけじゃない
光が
明るさが
薫っている
 
団地の家々の
屋根からもベランダからも
片言のように
聞こえる人たちの声からも
いっせいに
暖かな薫りが薫っていて
光を
明るさを
さらに薫らせている
 
あらゆる原因菌の引き起こす
人社会の社会臭
世界臭とはまた別に
感覚の受容範囲では
春の薫りは暖かい
ぼくは季節を
たしかに受感出来ている
 
2023/04/01
 
 
「桜花」
 
桜の開花を心待ちして
我ながら
本音のところは緩いんだって思う
そりゃそうで
これが俗界俗人のいいところさ
あるかなしかの恵みは
喜んで享受しなきゃという話
べつに倫理の痩せ細り
ガリガリの清貧が
優れて模範という訳でもない
垂涎もので
今か今かと桜待ちわびても
倫理に悖るというものでもない
 
梅に桃
コブシにハクモクレン
地にスイレンやチューリップ
そうしてやっと
やっとの桜花なんてね
 
寒冷を乗り越えて
老後の不安と
関係の貧しさとを
乗り越える勇気を
陽光と共に運んでくる
季節の恵み
目にごちそうの贈り物
タクトの一振り
一瞬の開眼
「まだまだやるぜ」って
告るほどのことではないけれど
 
2023/03/31
 
 
「砂の言葉」
 
夕暮れになると
いつも西日を追って
島の海岸線に出る
「一足お先に失礼します」って
西日の声がする
砂浜までたどり
もうこれ以上
追いかけては行けない
足下で寄せては返す
波のリズムが
次第に意識から遠ざかる
波打ち際に沿って
歩いた足跡が
あとかたもなく消えて行く
そう言えば
「人間も」って
誰かが言っていた
 
夜の砂浜には
たくさんの黒い魚たちが上陸してくる
押し合いひしめき合い
島を埋め尽くし
朝までにはみんな
人たちの夢に紛れて消えて行く
夜明け前に
夢たちはいっせいに砂浜に集まり
返す波に乗って順々に沖へ繰り出す
やがて深海へ
淡い光となって降り注ぐ
 
もう この辺りで
秘め事はキャパシティーを超える
もう抱えきれない
徘徊の終わりが来る
「一足お先に失礼します」って
おしゃれに言えるかどうか
島はみんな幻になる
瞳に焼き付いた
幼かった頃の集落も
孫と戯れていた父の笑顔も
みんな「お先に失礼します」って
幻になって行く
精神の底まで明かし合った
ただひとりの友は
精神病院からの頼りを最後に
音信不通
最後の幻として
白濁した視野をよぎる
 
2023/03/30
 
 
「痒み」
 
頭皮が痒い
そう思い始めてから
ずいぶん時が経つが
いっこうに治まらない
あれはたぶん
白髪が出始めた30代後半からだ
 
頭髪は毎日洗う
シャンプーを替え
リンスを替え
頭皮に塗布する薬も使ってみた
けれども
一日のうちのどこかでは決まって
頭が痒いと感じる時がある
長く激しい痒みではないために
病院にも行かず
他人に相談することもない
これしきのこと自分で解決できる
と思い込み
ネットで調べ
シャンプーやリンスの効能を読み
手入れやメンテナンスなど
いろいろと試してみたが
ふとした時にはもう
2度3度頭を手でかいている
これまでの生涯の経験知
そして形式知のすべてをかけても
たかが頭皮の軽い痒みひとつ
解消することができないできた
知性だ感性だ
あるいは論理だと騒ぎ立てて
この態は何だ
 
愚かにも善悪を考え
人間とは何か
生きるとは何かを考え
平和や戦争
自由や平等について考え
あるいは呻吟して
詩もどきをでっち上げたりしてきた
長い間の頭皮の痒さは
わたしには
高級・低級の境目なしに
同等以上に手強い
 
2023/03/29
 
 
「ネガティブな」
 
感覚も意識も
そして母との間の
内コミュニケーションもあり
胎児の微睡む時空は
次の出来事を予期しない
 
産道を降り
不意に産み落とされる
排便のように
まるで老廃物であるかのように
どうして外界に
投げ出されねばならないのか
 
胎乳児にとって
肺呼吸への変換は
あまりに過酷な分岐だ
産道から外界への過程が
どれほどの衝撃をもって
新生児に刻印されたかは
しばらく火がついたように
泣き続けるその姿から
容易に想像される
いったい何が起きているのか
個体として生きるシステムへの変換
不快やストレスへの反射
どうして
微笑みながら生まれる子は皆無なのか
母の胎内に生き
母の死とともに死ぬことは
すべての胎児の願望ではないか
どうして
つらい始まりから
この世界に生きることを
始めなければならないのか
どうして人だけが
泣きじゃくるところから始まるのか
なぜ
泣くことが
遺伝的にセットされているのか
ネガティブな
その始まり方
 
2023/03/28
 
 
「幻の島へ」
 
ある年齢になると
幻の島のゲートを潜らなければならない
しかも逆立ちしてだ
ひとつの約束事であり
はっきりしないが
雲の上から指令が出ているらしい
 
いったんゲートを潜れば
幻の島から抜けることができない
契りを交わし
杯を交わしたと見なされる
誰も潜る時には考えないが
潜ってしまえば
既成の事実となる
 
幻の島の実態は
共同の観念を本質とし
いったん島に入ると
知らない間に
構成員の義務と権利が付与されている
本当は誰も
その島を目にしたことがないのだが
遠い昔から
幻の島の伝説は伝えられ
誰もが実在を信じ
島へ島へと呑み込まれて行く
そうすることが当たり前で
伝説を信じる者も信じない者も
生きて行く上での
不可欠の儀礼であり
必須なのだと思い込んでいた
そしてその思いがまた
後続の者たちの
思い込みを促すものとなり
仕組みを堅固にする
 
ある日ひとりの少年が
ゲートの前で泣きわめいた
「ゲートを潜るのが怖い」
「行きたくない」と叫んだ
周囲のものはみな驚き
目を見張り
あの手この手の懐柔策で
少年を口説いた
さてそのあと少年はどうしたか
どうなったか
誰も口をつぐんで語らない
 
2023/03/27
 
 
「人世界への扉」
 
田舎道を歩いていると
所々で拡張工事が始まっている
運んだ土を平らにならし
その上に砂利が敷かれた
町と町をつなぐ道の途中に
その建物はあって
子どもたちは
朝から行列をなして
そこに向かう
大人たちは口々に
権利であり義務であると
繰り返していた
システムへの入り口
通過儀礼の
それが始まりだった
 
川にはフナやオイカワが棲み
裏山にはウサギや狸の足跡
枝葉に隠れる小鳥たちは
いつも視野をかすめて飛んでいた
蟻やダンゴムシや
トンボや蝶たちとの訣別も
その時が始まりだった
子どもらも大人たちも
そういうもんだと思い込み
すでに開かれている
システムの入り口から
奥へ奥へと
自らの身体を送り込んで
迷わなかった
そういうもんだと
思い込んでいた
 
人世界への扉をくぐったら
もう後戻りできない
 
2023/03/26
 
 
「幻影の視線」
 
生涯人のために尽くす
それはたまたま地位を得
付随する力を得たものがなせばよい
それ以外にそんなことを考えるのは
ただの処世術だ
世の中でうまく立ち回りたい
自分の願望でしかない
 
いい加減にそんな拙い夢や
自己欺瞞の願望からは
目を覚まし
足を洗った方がよい
人の生涯は
そんなふうにできていない
組織に入れば駒となり
徒党を組めばパシリから
嫌って孤高を目指せば
利他の機会は失われる
つまり実際のところは
グダグダでズダズダの
思い通りに進まない
目の前を横切るその人の
さえない歩みこそが
人の生きる本来の姿というものだ
なめてはいけないんだ
それこそが刻苦勉励
困難辛苦の果ての姿だ
 
考えてみな
あっけらかんの明るさも
過剰な深刻さも
ともに滅びの姿かも知れない
もう何も誰も信じなくていいさ
さてその上で
手の施しようもなくなった
なけなしの自分と他人とに
点滴のように注げ
意味なく価値なくただひたすらの
幻影の視線を
無の視線そして慈愛の視線を
それは現世上の利他には
少しもならないかも知れないが
彼我を救う
最終兵器の材料や原料
ではあり得るかも知れない
 
2023/03/24
 
 
「詩は苦虫をかみつぶす」
 
派手やかな文明史に対比される
ボロボロの精神史
その衣装をまとって
詩は苦虫をかみつぶす
 
この国の文明は
およそ80年近く前
壊滅的な敗北を喫し
崩壊して瓦礫と化した
その文明の墓場から
瓦礫をかき分けて
ヒーローのように蘇ったのは
精神の領域の住人
中でもアイドルや天才たち
文学や思想や
研究者や芸術家たちの一群
冥い熱狂で人心を虜にした
 
ほどなく文明が復興し出すと
精神の領域は衰微していった
深さも冥さも忌避され
ひとりふたりとアイドルたちも消えた
明るく軽いサブがもてはやされた
文明の高度化と
深く冥い精神の領域とは
思った以上に相性が悪い
悪いんだぜえ
 
苦虫の詩は片隅に追いやられ
いっそう苦々しい顔つきになる
そうでなければ
忖度の詩や
愛想笑いの詩や
小遣い稼ぎの詩となって
雑誌の1ページの飾り絵となる
この領域にはもう
しばらくの間
天才もアイドルも
現れないことはたしかだ
 
若者たちよ
躊躇なく
今現在の天才やアイドル
彼らの活躍する領域を追って行け
それが最も賢明だ
そうしていつか
そんな領域もあったよねと
深く冥い領域を
思い出すくらいがよい
 
2023/03/22
 
 
「たゆたい流れて」
 
朝方に桜開花の夢
『おっ、咲いてるじゃん』
内心のつぶやきと
桜の像のありありと
ともに鮮明
 
昨年から今年にかけての
気候や季節感
そのあるかなしかの違和
陽射しの透明度が違うとか
体を包む寒気の厚さの違いとか
微妙な狂いや差異が
老いのためなのか
地球環境のせいなのか
 
似たことは社会の動向
日本そして世界の
特にロシアとウクライナとの戦況
不気味な影が
オーロラが視野で変幻するように
揺れて見える
これも老いのせいなのか
見たことのない風景に
立ち会っているような
いないような
かつて有ったことがあるような
ないような
 
ともかくも
「花のもとにて春死なん」
口ずさみつつ
日をたゆたい流れてぞ行かん
影さす雲に心あらば
せめてこの時期だけでも
霧散せよと念じつつ
 
 
2023/03/22
 
 
「頭の取説3種」
 
漱石の草枕冒頭
 
 智に働けば角が立つ
 情に棹させば流される
 意地を通せば窮屈だ
 兎角に人の世は住みにくい
 
このあと漱石は
生きにくさの解消として
詩や芸術があると説く
 
江戸時代八戸藩の町医者
安藤昌益は
知を捨て文字を捨て
情にも信仰にも溺れず
芸術・芸能にも
過度に入り浸ってはならない
と説いた
 
令和のこの時に
下層のごくふつうの生活人
わたくし佐藤は
年中あっぷあっぷで
息絶え絶えながら
時々頭を捨て
心も放ち
黙々と飯を食い
甘んじて身体の後塵を拝し
様子をうかがい
隙をうかがい
もってまた
知と情と意地と呼び戻し
何食わぬ顔して
それを繰り返しているのさ
 
2023/03/21
 
 
「春はあけぼの」
 
一斉に沼地を飛び立つ鴨たちのように
未来に向かって羽ばたき
夢を追うたくさんの卒業生たち
はじまりの3月
水面を蹴って
上へ上へとのぼって行く
 
上昇し続けるには
体力も要り努力も根気も必要だ
その果てに成功者として
輝きと称賛とを手に入れる
それは異性にモテたい思いと同じで
人の持つ習性であり
人の自然な指向性だ
善なる行いでも何でもない
 
挫折し脱落し
地に墜ちて
失敗者の烙印を押されても
墜ちることは悪ではない
挫折も脱落も失敗も
それ自体は
少しも悪い行いとは言えない
成功者に対し
萎縮することも
遜ってみせることも
本当は必要がないことだ
むしろ
人間社会の有り様をつぶさに見るならば
未来に向かっての可能性は
後者の側に期待される
 
失意に沈むな
春3月
過ぎた冬を背に
きみの前には
もっと過酷な凍土が待っているのだ
きみは平然と
ど真ん中に向かって歩き出す
過酷さはきみを孤独な戦士に変える
戦士とは
ただ己の倫理と善とに殉じ
ひとり戦い行くものを言う
きみはもう
前人未踏の領域を歩む
偉大なる凡人であり戦士なのだ
何食わぬ顔で
非力な生活者の群れに
紛れ込め
 
2023/03/20
 
 
「裸の王様たち」
 
小五レベルの問題を解くクイズ番組で
ひとりの算数嫌いの男の子がいた
彼が言うには
「1+1=2が分からない」そうで
1をふたつたして「2」という
へんにグニャグニャした形になるのが
さっぱり分からないのだという
これは「2」という記号を
記号の概念また数の概念としてでなく
単純に視覚情報の次元で捉え
その感覚に忠実なためだ
 
この場合彼の感覚が邪魔をして
2という数字の概念理解の
妨げになっているのだが
逆に言えば
感覚的には100%の答え方をしている
棒のような「1」をふたつあわせて
どうして「2」のような形になるのか
彼の言うところを追認すれば
「11」と表記して「に」と読むのが
正解ではないかということになる
そして感覚的にはそれが正しい
「1」と「1」とで「に」なのだから
これを「11」と表記して
それが「に」だと言って何が悪いか
 
「王様は裸だ」と喝破した少年と
彼はよく似ている
目で見たありのままを言うところと
感じたありのままを発言する
というところがだ
幼児性と言ってもよい
これは子ども時代に
十分に発揮されるべきだ
ある意味世の中の常識に無知な彼は
子どもとしては逆に
第一級の子どもだ
 
テレビはこの逸話を
微笑ましいものに編集していたが
わたしは少年の指摘に驚き
この驚きは後々まで尾を曳き
わたしにたくさんの思考を
結論の出ない思考を誘発した
わたしを含めて
この世界の大人たちはみな
「王様」になってしまった
 
2023/03/19
 
 
「愚禿の一分」
 
ここ数年
どんどん頭が禿げてきて
そこだけは平安・鎌倉の
剃髪した宗派の親玉
彼らの御影に似つつある
 
時々は足跡を感嘆し
時々は金ピカ本堂に反感
「不耕貪食」の輩
隆盛を誇ってどうする
と嫌悪
 
そうは考えても
たくさんの信徒を惹き付ける
人間としての魅力
人間力は
それはすごいねと舌を巻く
わたしはそういうところからは
一番遠くはなはだ非力だ
例えば妻は
わたしの思索に一切興味なく
問いかけてくるのは
「テレビが映らない、どうして」とか
しまむらで買った服を着て
「これ500円だから買ったの。似合うかしら」
などといったことばかり
はては息子たちなど
言葉をかけてくることもない
 
わたしだって人生について
心について
また世界や社会や
教育や思想や文学について
さらには政治や経済について
師なく弟子なく同行者なく
半世紀以上にわたり
独学の苦労を重ねてきたんだ
 
一度くらい「すごいね」
「えらいね」って
おだててくれても良いじゃないか
それが100%のガン無視
近親の近親がこれなんで
さすがに宗祖・開祖の
偉業・威力の程度は分かる
分かるけど
人気度・実力ともにゼロの
わたくしだって
逆から見たらNo.1
禿かたひとつで見れば
引けは取らない
 
2023/03/18
 
 
「異邦人の杞憂」
 
毎日子らの送迎と車内清掃
所内で支援の職員と違い
子らと遊ぶことがない
もうそんな興味も気力も体力もないさ
良寛さんの
日が暮れるまで遊んでいるなんて
どこをどうとっても
ぼくには無理さ
犬猫に興味が持てないのと同じで
関心の向きは別のところに貼り付いて
もう戻せないんだ
  遊びをせんとや生れけむ
  戯れせんとや生れけん
ものごころつくまでは
そんなことがあったかも知れないが
記憶の限りでは
無邪気にキャッキャなんて
遠い夢の世界のことのよう
いつもどこか暗いカオスの中
ひとり佇んでいて
夜の眠りの中で
狂気にあえいでいた
 
それだからかどうか
子どもらにはいつも
何食わぬ顔つきのまんま
「気をつけて」って
声なき声を吹きかける
それが異邦人の
杞憂であることを
半ば願いながら
赤の他人の
ままがいい
 
2023/03/17
 
 
「意識編」
 
「好きだ」も「愛してる」も
すこぶる怪しい
浮かんでは消え
消えては浮かぶ
固定されて動かぬということがない
意識の状況を
仮に言葉に託して述べるのだが
意識は流動的で
かつ幻影的である
そんなもの信じられないという立場もあるし
それしか信じないという立場もある
わたしは前者に属するが
「好きだ」は言えて
「愛してる」は口にしたことがない
考えに考えてそう区別してきたのだが
またやむを得ずそう区別してきたのだが
さすがに「生涯好きで居つづける」
とは言えない
そこはわたしなりの精一杯の誠意で
なるたけ嘘をつかないようにだ
それにしても実体の見えない
意識や言葉のせいで
ずいぶんと苦労する時代になった
こんなところでつまずいて
気がつけば伝説の森深く
ひたすら足踏みを繰り返す
「参ったなあ」って言いたいけど
「参った」って何だ
と問う声もあり
 
いずれ遭難して朽ち果てる
ひとりじゃあ
ないさ
 
2023/03/16
 
 
「あまりに個人的な祝辞」
 
春3月と言えば卒業式
小中高と経験し
いつもいぶかしく思いながら
締めくくりでは前途洋々
将来が明るく希望に満ちて広がっている
ように錯覚させられて終わる
一種のパフォーマンス
演出にやられる
 
演出に携わった経験があるので分かる
送辞も答辞もたいてい嘘っぱちだ
というか
大人たちや主催者側が期待する
あるべき心持ち
児童生徒をそうした心的状態に
送り込むべく計画し進行する
一つの揺るぎないパターン
柱ないし骨格というものが存する
うんざりするほど見事な
日本的儀式
 
言っときますが
「将来が明るく希望に満ちて」
なんて 大人たち主催者たちは誰も
信じてはいませんよ
子どもであるきみたちだって
中高と進学したその後の日々を考えれば
すぐに分かることだ
進学して1年もたてば
がっかりだったでしょ
何が「明るく」
何が「希望に満ちて」だ
って 思ってたのと違う毎日に
もやもやや
どろどろや
ぐだぐだがつきまとって
心から笑える日々は
数えるほどにしかない
 
卒業式ではまず祝辞がだめでしょう
校長挨拶がだめでしょう
底に秘めた願望が本当だとしても
戦ってないから
お祝いの席だからって
良いことばかり
演出に則ってしゃべるでしょう
作り物こしらえ物
みんな舞台の演者になりすまして
誰も自分の本当を口にしない
そんなのに意味がありますかって話だが
もちろん大きな大きな意味が
そこには流れているんですよ
個々の思いを
後景化するという大きな意味が
まあこれだってどうでもよくて
大事なことは
疑ってかかるという感性の持ち方で
卒業式は(入学式も)
誰もが違和を受け取れる
分かりやすい最初の
儀式的な場だ
 
お行儀よく萎縮して
ひたすら終わりを待つだけの
私語禁止
本音禁止の
大人世界への階段が
「ようこそ」って
口を開いて待っている
呑み込まれるしか手がないし
呑み込まれて良いんだけれど
一つだけ言わせてほしい
「論理を真似ず感性を貫け」
 
2023/03/15
 
 
「力尽き果てるまで」
 
コロナ後
小康状態が続く母の転院
高速に乗り
顔を見に駆けつける
 
96歳の老いたる母は
寝台に寝たきりで
白髪の顔がさらに老い
妹が声をかけても
反応は微かで目も開かない
 
「聞こえているよ」と
妹は確信した調子で話すので
「公則だよ。がんばってね」
とわたしも声をかけた
反応がなく
本当に聞こえているのか
わたしにはいぶかしい
妹の確信もまた
だが たぶん本当なのだろう
 
骨格に皮膚を貼り付けただけ
のようになった母の顔は
けれども戦士の顔で
未だ抗い戦っていた
(ぼくらにはどうすることもできない)
そうして力尽き果てるまで
一人戦うのだと
寝たきりの姿で語っている
 
帰り道
ざわざわの心は
すっかり消えていた
もう思い惑う必要は無い
ただひたすらに
力尽き果てるまで
藻掻き抗えば
それでいいのだと
無音に沸き立つ
声が聞こえて
きっと耳に貼り付いて
 
2023/03/14
 
 
「きみは流離いのガンマン」
 
きみが目の前にしている現実社会は
超怪獣であると
幼児性を持って口にしなければならない
また疎外されて持てた
疎外した側の共同性の横暴についても
報告せねばならない
もちろんきみの恐縮や萎縮や緘黙が
それを物語っていると見ることもできるが
それはどうしても
きみ自身が訴えるべきなのだ
 
その上できみは
もう一度その社会へ
幼児性と異邦人の顔つきのまま
戻らなくてはならない
冬の荒野のど真ん中に歩み入る
流離いのガンマンのようにだ
腰の二丁拳銃には
「嘘つき」
「狡猾」
「強欲」
といった鉛玉が込められている
もちろん予備の鉛玉は無数だ
きみの前に立ち塞がるものがいたら
とっさにきみの拳銃が火を噴く
右に左に前に後ろに
容赦はしない
 
きみは幻想のガンマンとなって
言葉の鉛玉を
ひたすら打ち続けて行くべきなのだ
腐熟の共同性
腐熟の社会の解体と革新に
きみの体験
きみの言葉
きみの固い決意こそが必要だ
だがきみの内心は震え慄き
極限できみは倒れる
その前にいいかよく聞いてくれ
その時こそはすべてを投げ捨て
ごくふつうの生活者の中に
紛れ込め
 
2023/03/13
 
 
「意識への傾き」
 
自分の生涯を一言で言えば
意識を眺めて過ごした
そういうことになるのではないか
そう思えるほどに
意識を意識する
ぼんやりとした
優柔不断な
無為な
そんな時間の流れの中
漂う
クラゲの様と
回顧される
 
そこにどんな意味も
価値も見いだせないが
ただ自分にだけは
とてもおもしろい
そして一番興味の持てる
現象であったのだろう
引きつけられ
取り憑かれたように
視線は釘付けになった
別に何も生まない
神秘でさえない
なぜそういうことになるか
老いた今でも分からない
そしてただそうなのだと
告げる相手もなく
告げてよいことかどうかさえ
分からずに今に至る
 
時折あまり根拠のない
孤立や孤独の言葉を多用する
主たる要因はそれだ
それを世間は許さずに
こう言う
「怠けるんじゃない。働け」
ごもっともで
言い返す言葉もないが
資質は変わるもんじゃない
これはもう
自分の意識へのストーカー行為
泡立ち浮かぶ
言葉の卵を網で掬う
これがぼくの好きなこと
ぼくが楽しんでやってきたこと
だったんだねえ
 
2023/03/12
 
 
「小さな感動」
 
3月気温上昇の日
事業所奥の隣家
その庭の立木に
『あ、花』
たくさんの小さな花が
枝先についた
梅でも桃でもない何か
白い小さな花
 
夕暮れ時送迎車を運転
一人の子どもを降ろし
次の子の家に向けて走らせていると
団地の家々の隙間から
真っ赤に燃えるような太陽が見えた
「あっ、太陽が真っ赤だ」
思わず口にすると
「どこどこ」と子らの声
「あっち、空が少し赤い」と指さすと
「見えた。ほんとだ」
「きれいにオレンジ色に光ってる」
「まんまるだ」
「あんなの初めて見た」
と次々に声が飛び交う
しばらく平行に走って
太陽が見えなくなるまで続いた
 
驚きは内心の声になり
口をついて出る声となり
声は価値と意味とを伴って
人の言葉となる
 
こんな一日はありがたい
きっと子どもらは毎日
こんな驚きを繰り返し
今までもそしてこれからも
繰り返して行くんだろうなあ
それはまた
無意識へと沈んで行くんだ
 
2023/03/11
 
 
「遠い過去からの帰結」
 
赤紙が白紙に変わっても
「科挙」にまつわる一片の紙切れで
人の運命を左右することは間違っている
そのシステムを考案した者には
その資格が与えられたには違いないが
資格を与えた者は神仏ではない
神仏に取って代わり
ということは天に取って代わり
と言うことであり
さらに言えば自然にとって代わり
と言うことだが
その略奪とも言える所業により
取って代わった者が
付与した資格というものに過ぎない
つまり公を装ってはいるが
完全なる私的な恣意に基づいている
そんなものは現在世界に持ち越すべきではない
故に本来なら
人から付与された資格という資格は
ただちに返上されるべきである
不耕貪食の輩のもたらす
空手形なのだ
 
子どもはおもしろいことはやり
おもしろくないことはしない
また難しいこと
理解できなこともやりたがらない
感覚的体験を積み重ねる時期に
早々に概念を注ぎ込まれる
適応するものとしないものがいて
その差は成績の差となり
適応の遅いものは下位に沈む
そうなれば行きたい学校にも行けず
成りたい職業にも就けない
そんな未来が待ち受けているなんて
無垢な時代の子どもに分かる訳がない
世界から突然
この制度に適応しないものは
生きる資格がないと宣告されるようなものだ
暴れるしか手はない
引きこもるしか選択の余地がない
そこまで行かないとしても
子ども事情を経てきたものには
結婚をし子どもをなすことに
躊躇いが生じる
 
この人間世界は成るようにして成ってきた
晩婚化も少子化も成るべくしての帰結だ
今さら騒いでみたって
深刻な事態だなんて深刻ぶったって
手厚い支援をと言ったって
すべてが後手後手の連鎖で
政治家は遺憾だとか
記憶にないの一点張りで
民衆は俺の知ったこっちゃないと言い
メディアは批評を涸らした魂で
「受験シーズン到来」と連呼し
もうこの国の「本気」は死語と化し
一部の若者たちだけなんだ
「まだやれる」って気概を
紙一重で持ちこたえているのは
それだって明日どうなるか
知れないのだけれど
 
2023/03/10
 
 
「嫌いの羅列」
 
優位の顔つきをする者が嫌いだ
善意の顔つきをしている者も嫌いだ
品がありげな者
教養がありげな者
学識がありげな者も嫌いだ
ふんぞり返って人に指図し
もって指導者面する者が一番嫌いだ
 
自分より優れている者はみんな嫌いだ
自分が持っている力よりも
もっと強い力を持つ者が嫌いだ
涼しげな顔立ちでモテるやつが嫌いだ
爽やかな身のこなしで
人望を集める無欲の者が嫌いだ
人間が好きって言う者が嫌いだ
戦争を止めろとか
環境を守れとか
子どものためにとか
人間としてごく当たり前の願望を
スローガンに掲げて
何かを言ったりやったり
している気になっている者が嫌いだ
嫌いだ嫌いだ
自分以外の生き物はみんな嫌いだ
 
当然ですが
普段こんなことは言わない
言えば病院を勧められる
だからじっと我慢をして口をつぐむ
そして傍目には
おとなしい人
優しげな人と見られるような
振る舞いをする
そしてまたごくごくたまには
こんなふうに紙の上でわめき散らして
溜飲を下げてバランスを取る
こうでもしないと
やってられない時がぼくにはある
隠さなくていい
きみにだってあるはずだ
 
2023/03/09
 
 
「日の戒律」
 
毎日リセット朝起ち上がる
キッチンに下りコーヒーを淹れる
小さな椅子に半分腰掛け
コーヒーを飲みながら
遅くなった起動の終了を待つ
たいていは2杯で終える
これが毎朝のルーティンだが
ずいぶんと時間がかかるようになった
モヤモヤとか
モタモタとか
起動を遅らせる原因が
どこかにあると分かっている
いろいろと試して
結局ここに立ち戻る
たぶんメモリもHDも
パンパンになって
限界に近づいているのだ
 
溜めるな吐き出せ
状況から言えば
もうそれしか選択の余地がない
昨日を引き摺らない
明日に持ち越さない
今日の自分は今日にしかいない
朝に産道をくぐり
夕べには荒野に朽ちる
淡々と
その繰り返しを課す
 
2023/03/08
 
 
「ウォーキング」
 
道という道はいつか
人の往来から車の往来へ
また今日では
健康志向の老人たちが
散歩したりウォーキングしたり
つまり本来の用途とは別の
使われ方もされるようになってきた
 
この光景はどこかで見たような気がする
 
都会でも田舎でも
歩け歩けの大合唱が鳴り響き
止まない
 
健康で長生き
万事めでたしめでたしのゴールに向けて
しだいに「猫も杓子も」
の状況になってきた
この光景はどこかで見たような気がする
が 似たような光景がたくさんあって
なかなか特定に至らない
 
今老人たちの多くが
健康で長生きの生き方を選択した
つまり周囲を隣人を家族を
あてにしないとか
迷惑をかけないようにしたいとか
そういう選択をした
見上げた心構えであり
人間的な発想であるとも思える
ならそれでいいじゃねえか文句は言うな
ってところだが
なんだかなあ
背景が殺伐として見えるんだよなあ
簡単に言えば核化ってことだし
一気に孤立・孤独ってことにならないか
それがほかにやることがなくて
健康だけが目的化したとしたら
いや 度胸は買うよ
社会がどうだろうと
どうなろうと
よその国で戦争があろうが
あるまいがわたしには関係ねえ
という考え方も素敵だ
 
そう言えばこっちも
頭のウォーキングを専らにしてきた身だ
彼我にそれほど違いは無いさ
どちらも25時間目をひねり出し
その中で何かを産みだそうとして
試行錯誤していることは間違いないんだ
一般生活者は
感覚知・感性知の具現化ってやつを
無意識に行っていると見ていい
文字にならない思いが
それにはいっぱい詰めこまれている
そう こちら側では考えるべきなんだ
 
2023/03/07
 
 
「時事への反応」
 
歯止めがかからぬ少子化
宗教法人の献金
また輸血拒否とムチ打ちの問題
教員切りつけ殺人未遂
毎年2万から3万の若者の自殺者数
 
挙げればきりが無い
こうした負の世相は
安心で楽しく
評価に偏りがなく誰でも平等で
暮らしやすい社会では起こりようがない
それが頻繁にニュースになるのは
少なくとも暮らしやすさからはほど遠い
現在社会だということを示している
 
識者やコメンテーターに聞くまでもなく
国民大衆は肌で感じて
すべて分かっている
政治の貧困
学者や知識人の無力についてもだ
 
救済は局所で行われているが
なぜか宝くじと同じで
自分には回ってこない
そう考える人がどれだけいることか
やむを得ず
信仰に救いを求める
またその瀬戸際まで追い込まれた人々が
どれくらいいることか
実際に信仰に至った人と数を合わせれば
いったいどれだけになることか
高度に発達した文明
科学技術・科学的思考隆盛の
今日社会において
どうしてこういうことになるのか
 
宗教・法・国家
これらは共同幻想を本質とし
ただ形態および段階を違えているだけだ
宗教法人は国家内国家と言ってよい
いざとなれば政治的権力
また武力・戦闘力を持ちたがる
 
経済難民や国民大衆の実感は切り捨てて
きれい事だけがまかり通る
この社会への反抗
そして拒否や拒絶の反応が
事件となり
事件を起こす犯罪者や
被害者を演ずる役者に転化される
それでも
人および人社会の歴史は
進化・発達の王道を進むと
きみは言い切れるか
 
2023/03/06
 
 
「鳥たち」
 
鳥たちの一生は想像もつかない
翼を広げ嘴を突き出し
宙に舞い地に降りて啄む
 
海より出でて陸に集い
上陸の衝迫の再現か
空へと舞い上がる
小型化し
肩甲骨を張り出し
羽ばたきをいくら数えたか
 
好奇心
遊び
先立つ宙の虫たちを
求めて
あるいは真似て
 
そこに自由はあったか
人間の好むメリットのようなものは
あったのだろうか
 
強く地を蹴り
大気の間を飛翔し
けれどもまた陸に降りる
中には
陸から海に舞い戻った一群がいるように
地に降りて二度と舞い上がらぬものもある
その境目について
鳥も魚も
なにひとつ教えない
ただ 今の有り様を
そのままにいるだけだ
 
人が人として
地をさすらい往来し
泣き
笑い
怖れ
憩い
それでも大地を故郷として離れぬように
宙をこそ住処として
往来する あの鳥たち
命の表現者たちの一群よ
 
2023/03/05
 
 
「執着がたどり着いた場所」
 
何も言い得ていない
語り得ていない なのに
繰り返すことだけはやり得ている
その執着だけは
この殺伐とした貧しさの中で
何ものかである
その余のものはどうでもよいことだ
たとえば
飛び散った飛沫のように滅して行くもの
蜘蛛の糸にすがって上階に運ばれたもの
好悪と正義と力とを結びつけるもの
徒党に身を捧げ
それなしには生きられぬもの
みんなどこか間違っていて
その全体が現実を形作っている
 
「そうなっているもんは仕方ないだろう」って
何かの巨匠が偉そうに言っている
「あんたは偉い」って反射
『でもそれだけじゃないか』って無音
 
「冗談じゃねえ。人間がAIに似て来てるんだよ」って
またまた巨匠の言葉
たしかにそれも正解に違いないんだが
あんたのその正解だらけの科学は
実はAIの得意とするところと違わないんだ
人間にはあってAIにないものが何か
分かってはいるんだろう
大家のあんたに足りないものもそれだよ
科学とAIの顔つきは同じなんだ
正解の功はあんたが持ってよい
だが民衆が望むもの
欲するものは正解なんかじゃない
いまこの瞬間の救済なんだ
だから正解と希求の狭間にあって
なお狭間にとどまって
もがき続けるものがあった
「芸術言語論」はそうして成った
執着がたどり着いた場所だ
巨匠になる寸前に留まり得た
血のにじむ思想の生き様が
そこにははっきりと見えている
自己表出ともう一つの自己表出が
ぶつかり合うのはそこだ
 
2023/03/04
 
 
「狭間論」
 
あちらの方に歩いて行った
分からない後ろ姿の人がいる
知らない人は怖い
ついて行けないから
見知った集落に戻る
馬鹿に明るくて賑やかで
狂気と殺気だけが
陽射しの下に温んでいる
ここならまだ
拙い擬態も通用する
 
あちらに向かった人は
いくらか見知った顔だ
同じ技を使う人で
時折振り返りながら
舗装された道を下って行った
道の両脇には草花が繁茂し
よい匂いの風が
その背から放たれていた
「ああ」って
ただ「ああ」って思いながら
見送る
手の甲を鼻に翳すと
嫌な臭いがする
この場にとどまっていると
気にならないのだが
 
本当のことを言えば
シンシンシンや
カンカンカンが鳴り止まない
聴覚を放り捨て
何食わぬ顔で旅立ちたかった
寂寥の夕暮れ
あの人もあの人もいなくなった
この集落では
どんな構想も湧かないし
制作意欲も起きてこない
擬態の限界だって
いつ来るかも分からない中で
コクコクと責め続けられるのは
ただ「つらい」
 
2023/03/03
 
 
「世界はいつだって」
 
世界はいつだってこんなもんだ
戦争があり貧富があり
尊卑があり上下があり
しっちゃかめっちゃかな
活気に溢れていたりもする
 
古代から
自由や平等や平和を希求する
そうした想念は存在した
存在したが実現することはまず無かった
なぜかと言うとそうした想念自体は
古代に戦争を起こし
貧富や尊卑や上下を発生させた元凶を
ついに超えることがなかったからだ
 
思想なき世
文字なき世には
支配も不平等も戦争も
狭い地域に起きはしたろうが
また狭い地域内において
これを解消する手立てが取られていた
つまり 自由とか平等とか平和とかに
より近い桃源郷は
古代という時代より以前の
前古代にあったのであり
未来に用意されたものではない
前古代はすでに文字の隆盛後
思想の体系化以後を
超えていたのである
 
だがそうした自明のことを
一人二人が唱えても歴史は変わらない
いたずらに支配をカモフラージュし
世の中の乱れを法や規範でがんじがらめにし
窮屈な人倫を強いて
人の歩みを狭い道に追い込んできた
暴れるしか手がなくなったものは暴れ
法を犯すしか手のなくなったものは法を犯し
余のものはひたすら耐えて
耐えかねて
匿名で罵り合っている
上は下を蔑み
下は上を羨む
世界はいつだってこんなものだった
夢は抜け駆けだけだなんて
ちゃちな世界だ現在は
言葉や思念によっては変わらない
つまりきみの正義は
いつだってつまらぬものだ
ぼくらは意識の無為に遡って
ひたすらの生活へと
引きこもる
 
2023/03/02
 
 
「出人間界のすすめ
 
学業不振
進路
入試
子ども自殺の三大理由
 
近い場所であがき続けた経歴がある
もしかすると今の今まで
尾を曳きづっているかも知れない
これは言っておかなければならない
みんながみんなではないとしても
大人たちもまた無縁ではないということ
 
成績不振ということ
管理職への階梯の途次や
種々の面接というもの
それらの失敗や挫折の数々
強迫性の妄想
蔑まれるとか軽んじられるとかの妄想
そして幻想
それらはすべて人間と人間社会に生じる
イメージであり想像であり
極論すれば
頭の中だけに起こる出来事である
そういう想念が
彼我の頭を孫悟空の「緊箍児」のように
締め上げているのだ
 
脱することは難しくない
底辺こそ自分の住処とすること
身についた価値や評価の基準を抛つこと
人間世界が世界のすべてではない
ということを知ること
動物界や植物界に逃げてみて
そこから人間界を見直してみること
 
孤独であること孤立していることは
死ぬ理由にはあたらない
連帯の初源に過ぎず
覚醒の端緒なのだ
生きよ
きみは極限まで耐えられる
人間だから
きみは限界を超えていける
開きなおれ
四肢が歩む歩みに
おくれを取るな
僕たちもまたそうしてきて
いまを抗い続けている
僕たちがその先に目にするものは
未知なる人間界に通底する
未知なる景色というものなのだ
 
2023/03/01
 
 
「隠す」
 
身体を衣服で隠す
身体を衣服で飾る
身体を衣服で守る
内面を外面で隠す
内面を外面で飾る
内面を外面で守る
 
思いつきで並べてみたけど
また思いつきで言ってみれば
ぼくの場合は隠すに特化しているかなあ
ぼくにとっては恥ずかしいもの
ずっとずっと
消え入りたいって気持ち
この歳まで持ち続けていて
あざやか
何でかなって思う
考える
 
ぼくの核なのか
もっと深みに潜って
あるいは生命の核に
もともと付随しているものなのか
とどのつまりは
無機からの疎外が主たる遠因か
 
2023/02/28
 
 
「北へ」
 
どうしてこんな寒い土地に
人は住み着いたものか
吹雪も襲い
水面も凍らせる
冬晴れに陽射しが出ると
わずかに枯れ草が
合間に顔を覗かせるが
人たちの心は雪に埋もれたまんま
そりゃあ口数も重くなる
頬を締め上げる大気
瞳を潤す涙さえ凍りそう
 
北へ北へと
無意識の贖罪に促されて
気がつけばこの地に
根を下ろしたということか
 
2023/02/27
 
 
「趣味者の日常」
 
父ちゃんと母ちゃんが喧嘩すると
子どもはヤバイ
父ちゃんは母ちゃんが悪いと言って責め
母ちゃんは父ちゃんが悪いと言って責める
子どもは母ちゃんが好きで
母ちゃんに助太刀したいんだけど
そうすると父ちゃんがかわいそうに思える
 
母ちゃんは父ちゃんが言うほど悪くない
よいところがいっぱいある
父ちゃんも母ちゃんが言うほど悪くない
母ちゃんと同じによいところもいっぱいある
父ちゃんも母ちゃんも
家族みんなのことを考えて
そうして仲良く幸せに暮らしたいと望んでいる
 
学校の友達のS君とM君も同じで
喧嘩になるとヤバイ
S君はM君を攻撃し
M君はS君を攻撃する
S君の肩を持つものはS君を擁護し
S君と一緒にM君を攻撃する
M君の肩を持つものはM君を擁護し
M君と一緒にS君を攻撃する
どっちにも肩入れしたくない者もいて
争いから身を引いて立ち尽くす
終いにはなんか
彼らが仲違いして喧嘩してるんだけど
一つの空間
一つの時間を共有し合っている
仲間のように見えて
取り残された寂しさを感じてしまっている
 
こっちから見るとあっちが悪く見え
あっちから見るとこっちが悪く見えてしまう
と言うことはよくあることで
そんなこと百も承知の老いぼれが
ある日コンビニでたばこを買った
電子たばこのソフトをカートンで購入しようとした
「カートンを切らしているのでバラでもいいですか」
「いいですよ」
「レジ袋がいりますか。3円になりますけど」
「好きでバラを買う訳じゃないし、まとめてほしい」
「袋は3円で売っています」
「もういいです。よそで買います」
老いぼれは気が利かない店員だと思い
店員はモンスター級の嫌な客だと思う
 
ああその時
にっこりと余裕の笑顔で
「3円ですね、分かりました」って
どうして言えないのかね
スケッチをしたり思索をしたりの趣味の人は
器の小さい小心者で
ケチなクレーマーだ
 
2023/02/26
 
 
「我が収支」
 
現実が無意識の場だというのは
どんなに理性や意識を働かせても
結果についてそれらが半分しか寄与しないからだ
残りの半分は世界の出方次第で決まってくる
すると現実の生活は
個人の意図しない結果になりがちである
 
ならばそんなものは
夢うつつの出来事だと考えて悪くない
とぼくは思い ついでに
何でもありだなと思えるようになった
コントロールできる訳がないんだから
コントロールし得ないものと決めて
刹那でいいことにした
 
自分の言動のもたらす結果の半分は
世界の側に責任があるのであって
残りの半分の責任を自分が取ればよいという訳だ
そしてつまりは刹那刹那の判断で
あるいは本当のことを言い
そうしたいと思ったこと
そうしようと考えたことに従って
世間というものに相渉ってきた
 
関係の貧しさはその結果である
また金銭的な貧しさ
知的貧困
名声や人望のなさもその結果だ
人としての未熟さ浅さ
利他的な功徳を積めないのもそれが一因である
この責任の半分は自分にあるから
自分が半分の責任を取ればよいのだが
世界は知らん顔だから
結局は自分が全責任を取ることになる
ぼくはこれを承諾する
だって世界のうちの誰も俺に責任がある
と言ってくれないのだから
自分が負うしかない
世界とはそういうものだ
 
ところで
割に合わないとは思いつつ
あまり後悔していないのが不思議だ
自分がこうしたいと思うことをやってきて
こう言いたいということを言ってきて
ぼくはずいぶんと我が儘気ままに生きてきたのだから
後悔なんかできる立場ではない
ということになるのだろう
 
現実の生活の場って言うのはいつもそんなだ
それが24時間の世界の繰り返しだから
意識的な場は25時間目に考える必要がある
そこでは世界は邪魔にならない
100%自己責任の理性や意識の時間だ
もちろんここでも孤立を余儀なくされる
そのうえ根っからの怠惰で思考ははかどらない
悲惨で壮絶でってことを誰も言わない
本気で平和や自由や平等を考えたらそうなる
つまりは「よせやい」ってことだし
「なんも言えねえ」ってことだし
不毛な荒野に置いてけぼりってことさ
「それでもいい」って声が聞こえる
「南無阿弥陀仏」って無言が返る
 
2023/02/24
 
 
「夕餉の匂い」
 
山間の集落の真ん中を南北に川が流れている
東西を小さな山で囲み
人家は両側の山際に沿って点在している
また真ん中の川から東西の家々の間には
細長く水田が続いている
集落は小さく狭くどこからでも一望できてしまう
母の乳房を離れて
次に目に焼き付いたのはそんな光景であった
雨の日もあれば快晴の日もあり
雲が流れ雲に覆われ
嵐や吹雪で幽かにしか見えない時もあった
また太陽が輝き
山も水田も川の水も
その他あらゆる物が光を帯びる
そういう時もあった
 
遊びに夢中で帰りが遅くなり
暗くなりかけた夕暮れの道を歩いていると
集落はまた深海の底に変わり夕餉の匂いが深く立ちこめる
すると足早に帰路を急ぎながら
少年のぼくの心にはふと怨霊めいた気配が忍び込むのだった
いるはずのないお化けや幽霊を
少年のぼくは自分で作り出して自分で怯えた
それから家に着いて
ほころんだ顔で居間にいる家族に「ただいま」って言う
 
子ども時代の日常とはそんな怪しげなものだった
事実と幻との境目がなかった
 
2023/02/23
 
 
「途次の試みの向こう側に」
 
金儲けを企んだり
組織を言いなりに動かそうとしたり
自分を過大視して威張ったり
複数の異性と交遊したがったり
有名になろうとしたり
することは
これはエゴとして
是認してもよいのではないか
 
おそらく太古ほど
その現れはまっすぐで
歯止めがきかないものだった
幼年の我が儘はこれを彷彿とさせる
誰もが一度はたどる道であり
人の歴史もまたその過程を
くぐり抜けなければならない
そして現在はまだその途次にあるのだ
 
紛争も戦争も
平和も自由も平等も
いまこの時代にきみが解決できるものではないし
きみごときに解決される問題でも無いさ
それこそ自分を過大評価するなだ
この時代の混迷は
人の生涯になぞらえたら思春期にあたる
これから青年期また壮年期を迎え
老年期になってやっと解決の糸口が見えてくる
にちがいない
そこまでは誰も生き延びることが出来ない
 
だとしても
平和や自由や平等の実現について
真摯に考えることは悪くない
たとえ無為であり徒労であり不毛でも
そうした途次の試みや挑戦がなければ
そもそもが未来においての課題として
引き継がれていく訳もない
だからきみはきみでよい
またきみのようではあり得ないものも
幼年に似た立ち振る舞いの中に
エゴの中に
実に深遠な理由を持っている
それは人間よりも動物
動物よりも植物というように
遡って考えなければ明らかにならない
平和や自由や平等は
その解明の向こう側だ
 
2023/02/22
 
 
「遙かなる望郷」
 
近辺に何カ所かある
雑木林の
冬の裸木の様が
その幹から木末に向かって
扇形に広がる様が
同じようでいて少しずつ違い
違いながら同じと見える
そこにおもしろさが
尽きないおもしろさがある
 
虚空に根を張るとでもいうか
徒手空拳とでもいうか
真冬に波打つ「いのちだな」って思う
あるいは葉をふるい落とした
植物の冬眠の形
 
ある程度の距離を置き
整然と肩を並べている
そこに緻密の計量を見る
でなければ
あんなにも
あんなにも
人の目を引きつけて止まぬ
姿形でいられようか
 
凍てつく大気の中
陽射し明るく
雪のちらつくその中で
立ち尽くす木々たちは
きっぱりと潔い
 
時に郊外の喧騒を消し
遙かなる望郷に人の心を連れ去る
この雑木林の
裸木たちよ
 
2023/02/21
 
 
「人としての道」
 
存在に喚起される倫理
存在が喚起する倫理
どう言ってもよいが
ここで留意すべきは倫理ではなく
存在のほうだ
 
存在はしているのではなく
させられていると考えたほうがいい
しかも人間存在は観念を疎外するもので
その観念は思念を表出する
そしてそれには
先行する長い長い観念や思念の産物が
積み重ねられ積み上げられ
存在倫理の枠組みとして個に表れ出る
 
つまり存在した時にはもう
存在の内部に倫理は埋め込まれていて
それはきみが獲得したものではない
すでに倫理や非倫理の素養として
きみという存在に背負わされていたのだ
それだけがここで言いたかったことだ
もっと言えば選択的な過去の顕現として
今はきみの所有となっていると偽装された倫理
そんなものは一度放棄した方がよいし
解体し倫理の部屋を空室にしてしまい
思念から外してしまった方がよい
 
「人としての道」などというものは
過去を向いてしか言うことが出来ない
明日や未来に向かって使うことが出来ない
なぜならば明日や未来というものは
過去の人が一度たりとも通ったことがない
そんな未知へと踏み込むことだからだ
考えるな
考える前に存在自体が
きみを「人としての道」へと導いてくれる
きみの生き方が「人としての道」となる
 
2023/02/20
 
 
「普通のこと」
 
さほどよくもなく
悪くもなかった生涯は
門を出て繁華街に至る道すがら
すれ違う人の群れほどありふれて互換可能
そんなに気にかけるほどではないさ
例えば出来なかった親孝行とか
知人への不義理の数々
いつまでもくよくよ忘れられないでいる
あんなこともこんなことも
人として不出来だったと悩んでふと足を止めるなんて
大なり小なりみなやってきたことだ
そうしていつか余命が絶えて
立証されなかった犯罪のように
暗い足跡も消える
 
誰もが悔いのように思いなしながら
駅の構内に入って行き
ビルの角を曲がり
商店街を抜けて
住宅地へと帰路をたどる
さほど善いことなど出来るものではない
それがこの世での普通というもので
ああすればこうなるという確証なんてない
あまり理や知を信じるな
虫たちを虫けらなんて思うな
種々の草も雑草とひとくくりに考えるな
太陽と惑星の合作からなる
すべては偶然の産物で共生する彼我の交流
有機から無機への解体
無機から有機への結合
 
きみの悔恨はもうすぐ終わる
だからもう
はばかることなく強く後悔してもよい
後悔した先からそれを忘れて
何食わぬ顔で一日を終えたっていい
何も唱えるな
ただひたすらに今日の日を超えて行け
 
2023/02/19
 
 
「生き死にの舞台」
 
食うことと
子どもを育てることと
人がやってもよい努力は
その二つに限る
結果として莫大に蓄財したり
立派すぎる育て方をしたら
それはどこかが間違っている
 
その余の時は
草木のように宇宙の波動になびいたり
虫たちのように落ち葉の陰に隠れたり
あるいは動物のように
日差しを受けて微睡むがいいだろう
 
幻想やイメージに引き摺られて
埋没してしまっては
悪く言えば中毒症状
ニコチンや酒より悪い
ほどほどにすべきなのだ
 
きみもぼくもいずれ死ぬ
生き死にの舞台は
ぼくらには選べない
 
2023/02/18
 
 
「2月午前」
 
2月は午前9時の選択肢3つ
先ずはモニターに開かれた罫紙
何本もの罫線の間に文字を埋め込む
次に束の間に晴れ渡った今日の天気
気温3度の中洗濯して干す
3つめは一番楽な海外ドラマの視聴
午後からの仕事の前
ダラダラと時間を貪り尽くす
 
すぐさま始めたのは洗濯
洗濯かごの上部から
手当たり次第に洗濯槽へ放り込む
風呂の残り湯を利用
洗剤入れてスタート
終了まで37分
合間に洗濯干しハンガー4つ
屋外の物干し竿に設置
 
さあどうだ
プロの詩人よ
雇われ知識人に学者連よ
参ったか
詩も小説も読まねえよ
思想書も哲学書も
ついでに漫画もエロ本も
もう飽きた
 
タオルをパンパンパン
下着もズボンもパンパンパン
最後はくるりと気分をめくり
洗濯ばさみにはさんで
パンパンパン
心の中でパンパンパン
これがぼく流
72歳の生き様さ
反吐が出そうなくらい楽しげだろう
 
そうこうしてる間に11時半
これから髭剃りにちょっとした身支度
軽い昼食と歯磨きと
天気予報の確認と
まだまだ日常は続くのだ
 
2023/02/16
 
 
「境界にて」
 
紙の裏と表のような境界まで
時間の流れに運ばれてきた
この場所には何度か立ち寄った
と記憶が語りかけてくる
 
ゆっくり振り向いてみると
黄昏の中に近隣の町や村が
小さくひっそりと控えている
かつて不可解であった人の暮らしが
ここでは懐かしいものに見える
怒りや憎しみも
知らぬ間にどこか遠くに運ばれていった
 
世界は境界の外にも
曇天と同じように続いている
思念で高く仕切られた塀の上に立つと
見えない世界まで見えてくる
思うよりも地球の裏側も近い
地球から宇宙から
ものみなは互換性で成り立っていて
音声や文字を超えて
伝え合っているものだ
 
小さな小さな
人の倫理や善悪の海に泳ぎ
さかんに優劣をつけて騒ぎ立てたりするが
そんなことで威張ることも
身を縮まらせることも
幻想に振り回される
人間の業のひとつに過ぎない
膨張する幻想
幻想の膨張
而してその実体は
火葬炉で拾い上げる遺骨
その貧相な物に収斂される
つまり人間性ってやつは跡形もなく消える
心も言葉もただ消えて行く
それが
自然ってことだと語りかける
時間が
ゆっくりと浸食している
 
2023/02/15
 
 
「放課後等デイサービス」
 
校舎裏の駐車場から見上げていると
ただうすらでかい建物の中で
子どもの世界の悲喜劇が繰り返されているのにと思う
でももう知ったこっちゃない
大人世界は集めることが好きだ
軍隊に収容所に養鶏場に養豚場に
厩舎に牛舎
心を込めて育てて
これもまた世界が望む仕事のひとつだからと
 
教員として指導者としてふさわしくありたかったけど
自分ごときが個の人生に関わるなんて
といつも逡巡が去らなかった
休み時間の校庭や校舎内の子どもらが
せめてのこと
感覚や思念を遠く羽ばたかせて
超えてくれることを願ってばかりいた
もうずいぶん昔のことだ
 
いまは「放課後等デイサービス」の送迎車で
学校から事業所へ事業所から家庭へと
心を無にして
言ってみれば子らを配達している
その間無傷であるように
事故がないように
それだけが責任だ
もう関わらないほうがいいんだ
かつて関わった子どもたちへの責任も
もう取りようがないんだし
 
「放課後等デイサービス」で遊び興じる子どもたち
その顔と声と自由な四肢の振る舞いと
ああただそれだけを目に焼き付けて
もう何も考えたくはない
 
2023/02/12
 
 
「アジ詩一篇」
 
今日の一日がきみの人生である
だからといって何かやらなければならないものではなく
何かが出来るという訳でもない
いつも通りのルーティンでしかないような
ちょっとした不意打ちを仕掛けられたような
そんな一日がきみの人生であり
けれどもその人生は
今日の一日にしかなく
またいまのこの瞬間にしかないものだ
 
これは是認してもしなくてもよいことだ
ただ仮にそのように考えたとして
その一瞬にきみの今日は重く
そしてかけがえのない一日に変質する
きみの意識の核のあたりで
 
するともしかして
きみの覇気のなさや怠惰や韜晦も
障害も引きこもりも痴呆さえも
いまこの時この瞬間の
この世界と対峙する
きみの心身のする
きみの無意識がする
かけがえのない
唯一無二の
選択されたあるいは選択した
存在の仕方であり在り方であり
言えば存在のする
この世界に向かっての主張である
〈生きたくない〉
〈苦しい〉
〈すべてが嫌だ〉
〈疲れた〉
〈もう耐えられない〉
 
なんということだろうか
この一瞬の人生において
喜びや楽しみを求めるのではなしに
自らの不遇について懸命に語っている
人間世界の不条理
あるいは社会の不平等や虚偽について
きみの感覚を抹殺しにかかる
圧倒的な論理知の攻勢について
きみは一瞬の人生をかけて語ろうとする
それはもう敗れることを承知の
捨て身の戦いと同じだ
 
今日の一日がきみの人生である
だからといって何かやらなければならないものではなく
何かが出来るという訳でもない
いつも通りのルーティンでしかないような
ちょっとした不意打ちを仕掛けられたような
そんな一日がきみの人生であり
けれどもその人生は
今日の一日にしかなく
またいまのこの瞬間にしかないものだ
 
きみよ
もうよい
きみのするきみの知らない戦い
その勝算のない戦いはきみ自身で止めよ
そうして何事もなかったかのように
次の角を曲がれ
もし出来ることならその時
きみの湧き出る心という心をすべて閉め出せ
しかる後に身を原始において歩き出せ
 
2023/02/09
 
 
「人生の25時間目」
 
2月。ため池の土手を横切り道なりに数十メートル進むと、不意に林の右手に小さな用水路と田んぼが表れる。四囲を雑木と藪とが囲み、まるで隠田のようなたたずまいだ。
 
林の足下も田の畦もまだ雪が残っている。用水路は青々とした芹がびっしりと水面を覆っている。鎌を片手に、長靴を水路に入れ無造作に芹を刈り取っているのは震災の1年後に死んだ父だ。
 
刈り取った芹をビニール袋に入れ「持って帰れ」と言う。その間に濁った用水路の水は澄んで底が見える清水に変わっている。「ここの芹は田んぼの持ち主も取らないから、いつ来ても取れる。欲しい時はここに来れば取れる」。
 
70歳頃の父は、よく地元の同級生とつるんで山野を歩き回り、春には山菜を、秋にはキノコを採りに行き、また近場の温泉にもよく二人で出かけていたらしい。楽しかったからだろう。また故郷と故郷の自然が大好きだったようだ。人生の24時間は仕事に捧げ、25時間目をそんな風に過ごした。温泉には母も同行した。
 
そんな人生の25時間目を、父は本当はわたしたち子どもたちと過ごしたかったのではなかったかと、いま思う。しかしそれぞれに所帯を持ち、父に付き合う余裕は誰も持てなかった。父も、そういうところはよく理解していたはずだ。
 
自分にも人生の25時間目が訪れようとしている、いまこの時、わたしは故郷から少し離れたところに住んでいる。ここには子どもの頃の記憶は無く、人生の24時間は仕事先と住まう家との往復だけで、気がつくとこの地について何も知らない。通り過ぎる旅行者とどれほどの違いも無い。この先、どう人生の25時間目を生きればよいのか。24時間も25時間目も達人のように生きた父に相談を持ちかけたいところだが、それは叶わない。時にこうして面影に問いかけるばかりだ。
 
2023/02/08
 
 
「自己決定」
 
金もない
友達もない
言葉もない
気がついたらすっからかん
いっそ気楽で
すべてのことは
自己決定している
 
自己決定権のない仕事
それに5時間を割り当てる
睡眠には7から8時間くらい
その余の時間は
必要であれば
全部家族に注ぎ込む
 
つるんでは遊ばない
理解者を求めない
ただし自分とみんなとの
互換性は否定しない
みんな苦しんで
苦労して
そしていつまでたっても心から
寂しさが抜けなくて
明るさや元気や
飄々とした
賑やかさの奥で
世間はどことなく
やっぱり悲しい
永遠に
 
ところがぼくたちは乗り越える
地上を幻に塗り替える
その幻の
あり得べき形さえ見つかれば
本当の本当が見つかれば
非幻の地上にもきっと夢は蘇る
ぼくらは
貧しさから夢を織り出すパイオニアさ
 
2023/02/07
 
 
「真冬の知」
 
真冬のど真ん中で
知の世界は無知で栄えている
取り澄ました
マニアックな言論
事情通の自慢話
つまらない
整頓された知識のひけらかしだ
自虐がない
反転して笑いに変える芸も無い
破滅を抱きかかえる
勇気も知恵も無い
 
過疎の村で
さらに引きこもって
坊主の修練を積んでどうする
そんなことは散々繰り返し
繰り返し
秘伝の儀式のように継承されてきた
パターンのひとつに過ぎない
作務衣を着て背を伸ばし
厳かに口を開く
なんてね
雪解けの
白の隙間に覗くきみどりの
蕗の薹ほどの
新鮮な喜びも驚きも
あるいは
すべてを忘れさせる
圧倒的な生命感も
君たちの言論には感じようがないんだ
澄まし込むなよ
言葉で上に立つなよ
 
上品で紳士的で
仲間内だけで盛り上がる思想は
嗤える
 
2023/02/05
 
 
「幻の岐路」
 
島がみんな幻で出来ているとしたら、この幻の島は幻のままあり続けなければならないだろうか。たしかにそれは一つの考え方としてあり得る。それとは別にもう一つ考えるとすれば、幻の発生時に向かって遡り、すべての幻から解き放たれることだ。現在に、本当にそんなことが可能かどうか分からないが、かつてにはそんな人が理解できる範囲でひとりだけはいた。そのやり方は自給自足をもっぱらにしたことである。農事でありながらこれを産業ではなく、すべて自然の営みに包括させて考え、「直耕」と命名したのみならずこれを実践して見せた。幻に信を置かなかった。
                        
後年の解剖学者は、人の身体には植物と動物が同居しているが、これがさらに観念を獲得することで現代人に通じる人間がこの世界に出現することになったと述べた。それから言えば、人間が人間であるのは心的な幻想性、つまり幻の世界の構築、その深化と拡大に向かうことにあると考えられる。それは人間の人間性を象徴するものである。
 
誰が何をどう考えるかは別にどうでもよいとして、人間性とか人間らしさについての2つの決定的な見解というものがここに顕在化する。
そのひとつは、ビッグバンにはじまり膨張する一方の宇宙のように、人間世界もまた獲得してしまった観念や幻想の深化と拡大の運動に身を投じ、これをいっそう加速させようというものである。
これに逆行するまたひとつの考え方、これまで主張したものは数えるほどしかいなかったと思われるのだが、人間の人間らしさの象徴と言える人間性を一定の割合で封じ込めねばならないとする見解、考え方が、ある。
 
どこまでも人間らしくありたいものは前者に、生き物としての幸福を人間にもたらすべきだと考えるものは後者に、加担するだろう。
われわれはしかし、生涯かけてどんなにこの島中を歩き回ったとして、2つのいずれかに行き着く道の岐路に差し掛かってさえ、それが岐路とは悟り得ないのだ。なぜなら、このような考えそのものがすでに幻なのだからである。
 
2023/02/04
 
 
「荒野」
 
種をまいたら芽が出る
その結果がこの荒野だ
誰にも文句を言う筋合いではない
何十年もかかって
自分なりに真摯に生きてきてこれだ
まき散らした種でこの結果だ
 
でもってこの結果の唯一の取り柄は
この結果そのものにある
「そういうもんだぜ」ってことと
「荒野も捨てたもんじゃない」ってことだ
なんせ起きがけの寝床のように
かすかな匂いとぬくもりとが残っている
 
つまり「俺の荒野よ」ってところだ
 
たぶんこれでいいんだ
最後の落とし前の付け方に
わずかに個性の光芒が
尾を曳くように流れたらそれでよい
 
2023/02/03
 
 
「絶頂期は今その姿で」
 
朝起きて始まり
夕べに終わる
きみの人生の絶頂期は
平坦である
今日より前にそれはなく
今日より後にもそれはない
ただひたすら
絶頂期が更新するだけだ
 
この絶頂期には由緒があり
責任の半分は自分に
もう半分は世界にある
 
いまこの時が
絶頂期ではないと言うためには
一瞬で
あるべき絶頂の次元に
移動しなければならない
できるはずもなく
だからそれがきみの最高の瞬間
絶頂の様式であり形態である
 
テレビのワイドショーを見る
時々台所に立ってお茶を飲む
スーパーに出かける
塩鯖と鶏肉
それから豆腐と納豆と
もやしにジャガイモを買う
もちろん赤札値引きを中心に
 
人生の絶頂期は世知辛い
けれど年を経るとわかる
今が絶頂期でないとすれば
絶頂期の生き様がほかにあると
無意識に信じていることになる
けれどそれはない
(それはないんだ)
今が沈滞期だとかどん底だとか
そう考えている時も同様だ
どこかに違った生き様が
あるはずだとか
あったはずだとか思い込んでいる
もちろん
それはない(それはないんだ)
きみの人生の絶頂期は
ほら今きみが見せている
きみの姿
この瞬間である
 
2023/02/02
 
 
「地上の根 地中の枝」
 
冬枯れの庭先
片隅の南天の枝にも雪
実の赤きにもポツン
ポツンと白い絵の具
筆先でポツン
 
しばらく眺めていると
不均衡で不揃いの枝枝は
地中を伝う根っこの
地上の姿に思えた
いわゆる形態変化
 
根っこは地中に水と養分を探し
枝枝は空中に光と
必要な気体とを求めて
どちらからも
ある懸命さが伝わってくる
 
ひとりの人間を
一本の立木のように
地中に立たせれば
きっと同じことをするのだろう
天空をつかもうとする腕と指先
地中をもがく足指
誰でも大抵はそんなものだ
食と性 つまり生活ってものは
大抵はそんなものだ
そこに例外はない
ただ個別の環境が違いにより
流儀が違ってしまうだけだ
 
唯一無二の生涯の軌跡も
無限の種の多様性
変態の多さに比べれば
まるで同じ軌跡と見えて当然だ
どんな生物も
卑しいと言えるものでもなければ
格別尊いと言えるものでもない
そう考えたいと不安がるのは
(断言してもよい)
いまどきの人間だけだ
そして
いまどきの人間の生活には
それが欠かせない
 
2023/02/01
 
 
「紛れてなんぼの世界」
 
雪まみれのあけの平団地に
朝日の差して
(関係なく)
世界も地球も
共時を刻んで行く
 
「ミカン」とは
言葉であり文字であるが
「ミカン」類を総称するものでもある
言葉と物は全く別ものだが
互いに呼応する
(関係なく)
世界とか人間社会とか
そこにあるのだろうと確信する
人々の信心に
どうしてもなじめない
 
今冬の朝はどことなくずっと明るい
(飛び交う電波がね)
(上層は軽快で明るい)
(視線の元も下層も
 真っ暗闇と言いたいところだが
 本当は魂が抜き取られたみたいに
 反応できないでいるんだ)
一日は繰り出す1歩
あっという間だ
 
怯える野犬はとんとご無沙汰
狂気は隠されてなんぼのご時世
川底の小石みたいに
身を潜め合って忍従
そうしてひたすら待つのは
「あなた」じゃあない
 
2023/01/30
 
 
「ヒトの事情」
 
遊び戯れて
二足立ちして背筋を伸ばした時
遊び戯れて
「ん・ま」と息を吐き出した時
ひっそりとそのヒトから
そのヒトの深みに沈んで
消えて行くものがあった
その時永久に分かたれて
(永久に分かたれたんだぜ)
ヒトは地上の寂しさという寂しさを
すべて背負い込んだ
 
長い長い歳月を
光と闇にさらし
歓喜と恐怖と
無為と徒労と静寂と嵐
との間で
入力と出力とに明け暮れた
幾代にわたり
退屈な繰り返しが積み重ねられた
薄っぺらな地表が
いつか地層の一部を形成するように
それもどこかで層をなしている
 
自然から分かたれたことと
人間の本質
つまり人間性が表出されたこととは
表裏の出来事だった
その時獣という獣が去り
笑って風に揺れる木の葉も
離れていった
孤独を代償として
積み上げられた観念の層が
振り返れば雲の上に
逃れることの出来ない宿命のように
高く聳えている
 
ある時は考える
行き着くところまで走って
落陽と一緒に瓦解するほかない
またある時は願望を剥き出しにする
始源と普通とに回帰したいと
だがいずれ個になぞらえて考えれば
類にも疲労と衰弱と
類としての寿命はやってくる
つまりその時ヒトは
この地球から消え去るのだが
残された地球はただ
永久に静まりかえることになる
 
2023/01/28
 
 
「嫌なことはするな」
 
これから先もこれまでも
いいことないやって
感じる不思議は
本当に不思議かも
 
秋空に雲が浮かび
澄んだ日ざしが
山々の斜面を飾っている
そんな真っ昼間に
人の心だけが
閉じたまんま透明に浮いている
 
小刻みに刻めば今
瞳も網膜も心地よいはず
静寂は四方に満ちて
時を忘れさす
一瞬の翳りを永遠と見なす
思考の癖なんか
まるで信ずるに足りない
いいことがないことに安堵して
悲痛にはまって見せても
慰めも救済も
ちっぽけなよいことの兆しでさえ
やって来はしない
 
万事休すの
きみの今日の生き様と
夢なく金なく希望なくの
老人の余生がタイアップ
縦型社会から横すべる
今日からはもう
お払い箱と挫折とは同盟し
やりたくないことはやらないでおこう
それだけだとルーズに過ぎるから
当たり前の暮らしだけは努力して
その余は好きなことを
自分の過去に向かって探しに行こう
そこで自分の資質を見つけたら
楽しめること
好きなこと
面白いこと
ひとり黙々とやれていたそれを
未来に向かって探す
探して実践する
ただそれだけでいいさ
焦るな そして
この合い言葉だけは覚えておこう
曰く「嫌なことはするな」
過分な使命感
義務感からは永遠におさらばし
異質な世界を形成する
 
2022/10/21
 
 
「ある希望のようなもの」
 
地に落ちた一枚の枯れ葉が
厳しく分かち合えず
取り返しのつかない
寂しさや絶望の思いに
囚われたとしたなら
その時こそは
誓ってもよい
拘束という拘束は解かれている
 
延々と続いた懸垂におさらば
あれもだめこれもだめって
地に落ちて
契機に巡り会う
あれもだめこれもだめなら
だめでいいじゃん
尽くすこと
耐え忍ぶこと
役立つこと
全部だめなら
呪縛の歴史時間に決別すればよい
新たな時間に
屹立すればよい
 
風に吹かれていいんだよって
吹きだまりに寝転んでいいんだよって
そこが居心地よいんだったら
そこにいて気持ちが安らぐんだったら
日向ぼっこみたいに
充足が味わえるんだったら
飛び石を飛ぶように
やりたいことだけやって行きましょうって
いますべてが一変して
いけないという法はどこにも無い
無名のきみももう
新世界のパイオニアとなる
世界が変わり
歴史が変わり
人の生活が
横様に変わって行く
 
2022/10/19
 
 
「ある失錯」
 
少年の日の一日は
意味もなく価値もなく
ただぼんやりと遊んで過ごす
風の中のススキは揺れ
遠く鳶が
大きな輪を描いて飛ぶ
少年もまた一枚の絵の中に
完全に完成した姿で
立っている走っている
 
そこに
少年の生の
意味と価値が充足する
未熟だとか未発達だとか
大人の物差しで見て何になる
ススキはススキのまま
鳶は鳶のまま
少年は少年のまま
ただその日を全うする
 
干渉するな
絶滅保護種にするな
少子化は
少年の日の記憶の投影である
 
2022/10/15
 
 
「生涯最後の絵をどう描くか」
 
生涯かけて一枚の絵を描く
もしくは一枚の画布に
自分の生涯を描く
さらにもしくは
生涯の最後に一枚の絵が完成するとすれば
その絵はどんな絵に仕上げたいか
 
実際に描かなくてもいいんです 別に
また描けなくてもいいんです 別に
大事なことは考えてみること
そして考えたら一旦忘れて
時々ひょんなことから
また考えたり思い出してみること
 
今日のわたしの場合は
どんな絵も完成しないように思える
構図にも輪郭にも たぶん
無数のやり直しが繰り返されるだけだ
けれど 願わくは
色調だけは明るくありたい
そういう色合いが
見る人の瞳と網膜に届いて
「捨てたもんじゃないな」とか
「悪くないな」とか
一瞬一過の交流がそこに成り立てば
それこそは「以て瞑すべし」だ
 
2022/10/13
 
 
「届かぬ人」
 
<なにものでもない>って
うまく融けこめて
<なにものでもない>って
自分と折り合えた
「教信」さんは
わたしにとってそういう人だ
 
けれども布教するとか
念仏を勧めるとかとなると
そこは信仰という異質さで
わたしには分からない
残渣を引きずって
見える
もっとクダッテイクコトガ
できる気がする
 
仏よりも神よりも
偉大で尊いものはほかにある
 
自ずからそうなっている
ひとりでにそうなっている
光であり影であり
海であり山であり
草木であり鳥獣であり虫であり
空であり川であり
丘であり道であり
 
また人の考える
偉大とか尊さとかから
最もかけ離れたもの
遠いもの
例えば気がつけば
<思考の圏外>
<感覚の埒外>
に存在するもの
同じくまた
人の道を知らず語らず
人の道を歩く
自ずからの人
民衆の奥の
そのまた奥にいて
どこまでも届かぬ人
個性なくオーラなく
年齢も性別も
不詳の人
 
いつも群衆の中に佇んでいる
それなのにけして出会えない
ヒーローの向こうから
わたしたちに視線を送り続ける人
たぶんわたしもきみも
その視線の送り主
「まぼろし」を
訪ね歩いている今も
 
2022/09/18
 
 
「本日ヒマしてます」
 
啄木は秋
 
コスモスの花
 
「生活だよね」
「やっぱり生活だよ」って
 
風にのって言葉が
ひらりキラリと
 
後ろ姿
セピア色と
フィルターと
 
本日ヒマしてます
 
2022/09/14
 
 
「世界の果てから帰還する」
 
言葉が
世界を掴まえたころ
ひとはやっと
成熟と死との重なりに出会う
ひとつの世界は
そこまでが限界なのだ
 
踵を返し
発展途上の世界とすれ違い
すれ違いざまに
沈黙のエールを送る
賑わいや孤独や
緘黙や饒舌や
苦悩や歓喜も
すべてがマグマの
沸騰のように見える
地表は堅く冷えている
もう戻れないと知りながら
足はマグマに向かって
歩き出している
 
2022/09/12
 
 
「面会」
 
秋の始まりのように
また秋の深まりのように
老いたる母が老いてゆく
「うっ」と言葉が閊える
「うっ」と言葉をのみこむ
何処かにささやく言葉たちがいて
何処かでざわめく言葉たちもある
油断すると
一瞬で「うっ」に取り憑いて
取り憑かれた「うっ」は別物になる
 
とある老人ホームの玄関で
アクリル板の向こうに
母は前回の訪問時よりも
小さくなって車椅子に座っている
面会とは不自然なものだ
不自然に顔を見合って
「うっ」とは別物の言葉を交わし
「ではまた来ます」
「また来てけらいんね」
こしらえた笑顔で手をふり
振り返って手をふり
「うっ」の扉を静かに閉ざす
 
扉の向こうの母は
仕事帰りの母を迎える
幼少のわたしに変わっている
 
2022/08/29
 
 
「シアワセ感」
 
窓とカーテンを少し開けて
カーテンが風に揺れたら
それはシアワセってことにしちゃえよ
 
納豆の糸のヌメリで
茄子漬けが何度も落っこちた
朝ご飯のあの時もシアワセってしちゃおうか
 
こりゃあちょっぴり恥ずかしくって
おおっぴらには言えないけどよ
年寄りにしかできない
人生の裏技ってやつじゃねえか
 
震度計の目盛りを極微にとって
心の針を大きく揺らす
若いもんにはできまいね
 
欠点が一つある
そのままの状態で
不用意に政治的言説に出くわすと
針が目盛りを振り切って
制御不能になる
その後数日は怒りが収まらない
シアワセ感から遠離る
 
2022/08/19
 
 
「寝転んで非知」
 
有名なマルクスの言葉
「無知が栄えた試しはない」とは
元々はヒステリックな威嚇
に聞こえる
 
時代を超えて
時は大航海時代からの植民地支配
アフリカやアジアや南米各地に
次々とヨーロッパの国々が侵攻した
「知」に注目すれば
それは大ヨーロッパの「文明知」の
世界各所に点在する「文化知」の駆逐だ
 
見方を変えると
「有知」による「無知」の駆逐で
微妙にマルクスの言葉通りになる
「知」は直接には血を流さない武器であり
現在にも依然として通底している
勝つか負けるか
勝ち組か負け組かっていう闘争の論理
表沙汰にはならないけれど
21世紀は豊かさに隠れて野蛮
明け暮れている
 
勝ち負けがなくなること
それは理想ではなく空想だ
勝ちと負けとで一事
「勝」と「負」との文字と言葉とが
死語と化すことが遠い
遙かに遠い未来での希望だ
その時まで
いや その時を超えて
「知」に安らぎがない
だから
今日のところはグッバイ
 
2022/08/18
 
 
「人間
 
「夢だ愛だ平和だ」って自分を焚き付けて
思いを重さや強度で量ろうとする
けれどもそんなことは
「南無阿弥陀仏」と
強く唱名念仏する宗教に同じで
何を「信仰」するかの問題でしかない
 
モチベーションが上がらなければ
生きる甲斐がないと考えることは
人間病の一種で
人間が人間らしく病んだ典型である
これらはみな行き着くところまで
行き着くほかないように見える
人間が最大限に人間らしさを発揮した後は
つまり調子に乗りすぎたその後に
待ち受けているものは
強みが弱点に転落するその分岐点
もちろんその兆候は「現在」に潜在している
 
言葉を覚えはじめのその時
文字の使い始めのその時
宇宙からの1ミリの誤射角(※)が
すっぽりと地球を覆うように
その時の1ミリの誤射角が
歴史的現在に向かって放射された
かも知れない
ということは頭で考えたことは
信用しすぎるなということ
すべてについて
「存知候わず」のスタンスを保持
心がする察知を読み解けばよい
つまり動物がする寝そべりのように
いっぺん人間を
やめてみればよい
 
※「誤射角」という言葉があると思っていましたが、辞書等にはなかったです。それでもあえてそのまま使っています。そう難しく用いているのではないので、意味合いは伝わるだろうと思うからです。
 
2022/08/17
 
 
「あと少し」
 
あと少ししかないから
「人生、楽しまなくちゃ」
って言うけど
「じゃあ何すればいいんですか」って話
 
名所巡りとか
世界一周旅行とかですか
それとも鉢植えの山野草や
卵からメダカをふ化させたり
はたまた温泉の旅
魚釣りに山登り
いずれもこの歳になってからでは
しんどい、疲れる、たいへん
いまさらあわてて始めたところで
慣れないことはするもんじゃないって
結末になる それに
それほど「楽しまなくちゃ」
という気分になってるわけでもない
 
パートナーが是非にと言えば
それは是非に及ばず
ただそれだけのこと
やりたいのにやれずに来たこと
やり残したこと
そんなものそうそうあるもんじゃない
自分にとって譲れないことなら
とっくにやってみてきているに決まっている
その余のものはみんな
譲って惜しまないものばかりに違いない
ホントのことを言おう
ぼくが望んできたこと
どうしても果たしたかったこと
言ってみればそれは
自分から「自由」になるってことでさ
さんざん抗ってみたものの
自力では成し得ず
けれど違った形で違った行き方で
それがもうすぐ実現する予感
だからいまさら
外に楽しみなんて求めないさ
 
2022/08/16
 
 
「沈黙ということ」
 
70才も過ぎると
日々の立ち居振る舞いに始まり
なにかと身体に痛みを伴い
心にも痛みを走らせて止まない
そこで『もう十分だよ』とか
『これ以上長生きしなくていいよ』とか
誰にともなく憚られる言葉が
嘔吐のように喉元にせり出す
 
以前に父や叔母が
それをぼくに聞かせてくれたことがある
『人間は底なしに孤独なんだよ』って
ぼくは勝手に翻訳して聞いた
何も言い返せなかったなあ その時は
いまなら少しおべんちゃらを交え
「ぼくより長生きの人はみんな尊敬します」
なんて言うかも知れない
だって重力や大気の圧力に拮抗して
長く生き続けることはそれだけですごい
はたまた日々の混沌やその変化に耐えて
ナイーブな心を平常に保ち続けるなんて
それもまたいまのぼくには
奇跡的としか思えない
 
ぼくは父のことも叔母のことも
それから多くの親類縁者を野辺送りしたが
本当には誰のこともよく
理解していなかったと思う
父のことも分かっていたことは
ごくわずかのことしかない
社会のことも国家のことも
人間のことも子どものことも
もちろん自分のことだって
よく理解できているとは言いがたい
それで歳と共に口数は少なくなり
黙りがちになり
引きこもりがちになり
つまりは父や叔母をはじめ
先人の背中に倣い
沈黙を友とするようになったのだ
 
みんな語らないで逝った
沈黙はしかし時として饒舌だ
ぼくはたくさんたくさん想像し続けた
だからぼくもまた
語らないで逝くことで
たくさんの沈黙を残したい
 
2022/08/15
 
 
「ある問いのようなもの」
 
それが時代の風ならば
山から森を抜け
平野を突っ切って河口に下る
言葉に言葉を冠した
きみの無意識は「あり」なのかも
 
老いたわたしには想像もつかず
この断絶におののくばかり
言葉の子らよ
概念の子らよ
時にわたしに教え
時にわたしを導く子らよ
 
完璧なる人工土のうえで
完成間近のAI脳を搭載した近未来の人間たちよ
 
動物生とその愚昧さを忘れて
本当にこの先やっていけるのか
 
自然が遠退く分
理解は簡潔になされるかも知れないが
混沌や不可解は捨てられて
とても狭くて窮屈な世界がすべてにならないか
 
いつの時代も
ピンポイントに強いてくる
ことは避けられないことなのかも
わたしたちの年代には
それは一次方程式の解法という形で
強いられたものだった
 
2022/08/13
 
 
「『国家意思』考」
 
どっちがどっちか分からないが
ロシアとウクライナは
プーチンとゼレンスキーを搭乗させた
ガンダムでありエヴァンゲリオン
みたくなってる
 
エヴァのパイロットといえば碇シンジ
ガンダムはアムロ・レイ
アムロが誰でシンジが誰か
これはどっちがどっちでもよいが
どっちもパイロットがいないと動けない
ロシアもウクライナも
プーチン(たち)とゼレンスキー(たち)
がいないと動かない
プーチン(たち)がいてロシア国であり
ゼレンスキー(たち)がいてウクライナ国であり
だから国家同士の戦いも
もとはと言えば
パイロット同士の戦いなのだ
 
とりあえず世界からは
こんなパイロットたちがいなくなったらよい
そしたら少なくとも国同士の戦い
つまり戦争はなくなる
一緒に国家の境界もなくなる
国家は国家として機能しなくなるが
社会は機能する
地域の再生がそこから始まり
新たなネットワークが構築される
間違いなく混乱は起こるが
それが火事場のなんとやらで
これも間違いなく
人々は能力を高め合ってゆく
一人一人がガンダムとなりエヴァとなり
パイロットとなる
 
これは地上の住民の願いだが
世界はまだこの願いを叶えたことはない
 
2022/08/11
 
 
「言葉の森の素描」
 
言葉の森の入り口には
大きく口を開けた羞恥が居座っている
気配に促されてのぞき込むと
打ちひしがれたいくつものエピソード
行きつ戻りつ犇めいている
暗澹として諦めて
茨を体に巻き付け様子見する
 
また言葉の森の入り口では
言葉は失われ言葉の代わりに
言葉以前や概念以前の世界が
視野を塞ぐように立ち現れる
生まれる前の世界が
遠くどこまでも流れて止まない
系統樹は海洋へと下って行く
 
言葉の森の中は無意味な混沌である
ただし混沌の中で見た夢は
たちどころに現実になる
街を夢見ると街ができ
駅舎を夢見ると駅舎が建つ
そのように言葉は混沌から
現実を紡ぎ出す
だから言葉は根拠のない
若しくは実体のない
万能の杖のようなものだ
しばしばこれが駆使されて
詩が書き上げられる
 
2022/07/26
 
 
「空想の挽歌」
 
強いリーダーシップで
「日本のため」とか
「国益」を優先してとか言えば
何をしても許されるなんて思うな
多少の犠牲はやむを得ないなどと言うな
口癖のように語る
「日本のため」の「日本」て何か
「国益」の「国」って何か
辞書やWikipediaの
記述を超えて考えたことがあるか
朝廷や幕府といった
統轄そして支配の機構から
現代の民主制国家まで
日本国はずっと
日本国だと考えてはいないか
しかし日本国成立以前から
原始日本は存在し
住人の暮らしの積み重ね
物的心的また言語的な交流がなされていた
なされていたはずである
そこには支配も搾取もなく
島国の気候や地形に沿った
自然発生的な社会生活の営みが
豊かに繰り広げられていた
そうした土壌が土台となり骨格となり
その後の日本国形成にも
深く関わったのである
当然そこまで遡らなければ
「日本」や「日本国」の
本当の解明などおぼつかない
 
支配と統轄の以前には
住人を規制し抑制するものは
あるとしても血縁内からのものだ
そこには「日本のため」とか
「国益のため」とか
「公」を優先するとか
婉曲な規制抑制も
一切はなかったのだ
いまだ自由な天地の島国に
何人が最初に唾をつけ
自分(たち)のものだと宣言したのか
その後も入れ替わり立ち替わり
自分(たち)のものにしたがる
連中は後を絶たず
そういう連中が口を開けば
相も変わらず一つ覚えの
「日本のため」
「国家のため」
もちろんAIの本音翻訳機には
「自分(たち)のため」と表示される
馬鹿馬鹿しいにもほどがある
 
ぼくらの敬うべき祖先は
日本創始の氏族や部族を超えて
縄文から縄文以前の
旧か原かの日本人まで遡る
彼らの存在なしに
その後の日本も
日本国もあったものではない
彼らは後世に
支配や階級差別の社会を
統一部族国家の成立や
こんにちのような競争社会格差社会を
想定したり望んだりしていただろうか
もちろんそんなはずもなく
ただひたすらに公正で公平で平等な社会
家族親族が仲良く平和に暮らせる社会
一人一人が自由にかつ充実していきられる社会
そんなことを願っていたに違いないと思える
つまりは彼らの目先の現実が
いつまでも続くものと信じていたのだ
そこで現在の保守派も進歩派も
そこまではこぞって射程を届かせるべきだ
 
2022/07/22
 
 
「曰く」
 
追悼の意の強弱を窺い
友愛にもまた強弱を問い
仁や孝にも強弱をたずねる
終いにはNPOやNGO
それからボランティアなどの
公益性や利他性に強度を求め
はてさて世を挙げて
「強」を演じ諂い巧み忖度し
「聖賢愚不肖の隔」を作る
 
安藤翁曰く
「前方後円墳」などもってのほか
あるいは曰く
慈愛に溺るるべからず
また悪むべからず
そして又曰く
相互扶助や公益性を声高に連呼するは
有閑マダムの優位の玩び
即刻止むべし
 
この機に乗じて佐藤翁の曰く
奢らず諂わず
物事心事はすべて自然に倣い
過なく不足なく
私事なくひたすらに地を耕す如く
黙して事をなすべし
そうして時折
童の声する近くにあって
私欲を消して四囲を眺むべし
 
2022/07/19
 
 
「とある断片」
 
高齢を生き抜くのは
ただそれだけで試練かと思う
肉体の自然は衰退し
徒手空拳の倫理は
逆らう対手を失って
衰退の内側を荒らし回る
探し求めるものは起源
たどり着きたいものは起源
見つからないのが起源
たどり着けないのが起源
万物の元基
物質的な冗談
老いたるヨブは
ついには言葉を奪われたか
だが人間の抵抗は
絶滅まで続く
 
2022/07/17
 
 
「収奪の構造」
 
変わらない変わらない
構造が変わらない
仕組みが変わらない
新興宗教の貢納制が変わらぬように
民主主義というお告げのもと
税制という献金が罷り通る
支部から本部から
集まった献金は
極めて有効に使われるらしい
知らんけど
江戸時代のとある町医者は
これらをまとめて次の言葉に集約した
「不耕貪食」
脳みそを働かせる連中の座右の銘
でもあろうか
肉体の3Kは他人に強いて
俺は意識の3Kをやってるんだと豪語
誰もそれには刃向かわない
刃向かえない
だって「不耕貪食」のプロは
心理に長けたお告げのプロ
語りのプロ
でもあるのだから
人心の操作は
オレオレ詐欺より格段に格上だ
気をつけろ
最悪の宗教
最悪の国家は
骨までしゃぶり尽くそうとするぜ
 
2022/07/13
 
 
「老いの笑い」
 
下層は縄文のその日暮らし
晴れたと言って笑い
雨だと言って笑い
肩触れあって
朝から晩までは笑う
 
こうなったらもう
笑うしかないんかいと
覚悟の老齢期
怒ってしまえば終わりだぜって
声も聞こえる
生きてるだけでボランティアって
声に出す
 
未知の道の道草も
もう日が暮れて終わる
帰るあてはないけれど
帰れる場所はただひとつ
嘘になるから苦楽は言わず
樹木に倣い
ひっそりと立ち枯れる
ただそれだけを理想として
笑う
余韻を読み解けよ
世界
 
2022/07/08
 
 
「ぼくの景況判断」
 
国道が縦に流れる新興住宅地
最近やたらと外車が目につく
ベンツにBMWにアウディーに
らしいといえばらしいけど
ぼくには思いもよらない
いったいどんな稼ぎ方をしてるんだって
 
そう言えばまた最近
5軒あるうちの一軒のパチンコ店(屋)が潰れ
あっという間に更地になった
一気に客離れが進み
業界もピンチなのだろう
下層の懐具合はもっとピンチなのかも
 
行きつけのパチンコ店(屋)は
だいぶ前に一玉4円が2円になり
2円が1円となって
1円がこの辺の相場となった
それがなんとごくごく最近
台の半分が0.2円となって
客の大半はそちらの台に押し寄せている
言うまでもなく年金の爺婆たちだが
そこそこの繁盛ではある
でも0.2円って
ギャンブルというよりゲーセン
昔庶民の安月給でも投資できた金額が
今は無理ってこと
 
ぼくの景況判断は
こんなところが元になる
一部の職種・職域が好景気
庶民かつそのうちでも高齢者は
遊興費を縮小して自衛の傾向
でもまだ遊び心は健在
といったところか
総合すれば格差は広まり
下層民は近い将来に
強い不安を持って慎重
賢明にもちこたえている
 
2022/07/03
 
 
「ち・か・ら」
 
ち・か・ら がきらいだ
ぼ・う のちから
わ・ん のちから
ち のち・か・ら
もだいっきらいだ
 
なかまをまもり
なかまにつくし
りたにいき
りたをほどこし
いじん・せいじん となり
だんけつの ち・か・ら
きょうどうの ち・か・ら
はんえいの どうりょく
となって
たかきぶんめいと
ぶんかをすいしん
なかまごと
ゆたかや
べんりとともに
らくどをいきる
 
そうして けれども
そのはんえいと
かたりつがれるえいがへの
みちのりは
いっぽうで
このちじょうから
いちばんたいせつなものを
はかいしつくした
それをわたしは
む・ち・か・ら
がきずきあげたせかい
とよんでみたい
いあつのない
ひとりひとりのてりとりー
にそったせかい
かつてはあり
いまはほろびたせかい
 
ここからはきずきあげ
きたえあげてきたちからを
みなおすときだ
ぼうのちからから
ぼうのむちからのちからへ
わんのちからから
わんのむちからのちからへ
そして ちのちからから
ちのむちからのちからへと
 
「デクノボウ」のように
いあつのない
むちからのいきかたこそが
ひーろーなのだと
かちをはんてんする
せかいへと
かじはきられねばならない
 
わたしは
ち・か・ら がきらいだ
ぼ・う のちから
わ・ん のちから
ち のち・か・ら
それらぜんぶがだいっきらいだ
 
2022/06/28
 
 
「老いはその日暮らし」
 
働いてりゃ
誰からも文句を言われる筋合いはねえや
くらいに思って働いて
ただひとつモットーは
誰かのなにかの役に立つ
ように働くってこと
特に不平はないけど
毎日の気分は曇天さ
知らんけど
 
知らんけど
いつも小さな楽しみを探す
職場であう子どもの顔を見て
ひとつふたつ言葉を交わすこと
送迎の道沿いや
団地の庭庭に咲きほこる
花々を目にとめること
好きなおかずで夕飯を食すこと
部屋でドラマやバラエティー動画を見ること
さくさくと詩もどきが書けること
どうしたら戦争をなくせるか
について考えること
それからそれから
なんだかんだと一日を
忙しく終えること
 
まあそれで
曇天のままの明日を(も)
つつがなく迎えることが出来る
たぶん
 
あさってのことは知らんけど
 
2022/06/23
 
 
「どっかおかしいぜ」
 
マスコミが取り上げて話題にする
ブーム作りに成功すると
異や反を唱える言論はほぼ壊滅
いろいろある中で
タバコ撲滅運動は
不気味なほどに見事かも
民主的な強制力で
あっという間に紫煙が消えて
タバコの歴史も消滅した
私的な自由も
公的な公正も
いっせいに口をつぐんだ
 
こんどのターゲットは
憲法改正に防衛力の強化か
国民の生命を守る
は伝家の宝刀
もしもこうなったら
もしもあんなことになったらって
言うんじゃない
そりゃああんた
もしもシリーズなら無限に語れる
ただし言い出しっぺと賛成派は
防衛の最前線に並んで盾となり
逃げ出さないでくださいね
それくらいは約束してもらわないと
とうてい加担は出来かねます
 
「どっかおかしいぜ」
「報道は政治家とつるんで見える」
「急に応援席も埋め尽くされた」
くらいのレジスタンス
ちっぽけなちっぽけなそれ
観念のゲリラ戦は
引きこもりの部屋から始まる
一斉にネットを埋め尽くせ
 
2022/06/18
 
 
「異世界への入り口」
 
音のない森のてっぺんを風が渡る
枝先の葉がいっせいに波打ち
くねくねと笑いだす
あ 真昼の空は青く濡れて光っている
子どもの頃なら飽きずに見ていられた
 
意味も価値も要らない
時の刻みに同調して
日めくりをめくるように
自己史をめくってゆくだけだ
いらだつ意識をどうにか宥めながら
みんな幻
言葉も心も身体に馴染まない
病は深く
人事の日常に立ちくらみ
立ちすくみ
アンバランスに安堵する
 
ここは仙台近郊
杜の都の外れ
虫と獣と植物と
異世界への入り口が交差する
遠野物語から約百五十キロ
南に下る
 
2022/06/14
 
 
「夢想花」
 
六月のとあるよい天気の日に
黒黴の精神を引っ張り出し
物干しハンガーのピンチにひろげて掛けて
天日干しをする いや してみたい
 
湿気が消え
やがてカラカラと干からびて
精神は無音の粉となり
サラサラと風の中に紛れ散る
 
プランターのマリーゴールドが
その一部始終を見ている
いや 見届ける
ぼくはとうとう陽気になって
ミツバチに変身する
花から花へと巡る
群れに出会おうと
する
 
2022/06/09
 
 
「薔薇 初夏」
 
見かけは自由を装う
それはどこからかやってきて
手枷足枷となる
 
島はみんな幻
幻の中には「先生」がいる
真似て学び解へと誘導される
発信される真理も自由も平等も
焼き鳥屋の店先のにおいである
すべて美しき理念は教える側が所有する
そこに幻の錬金術も見えてくる
 
ぼくたちは
庭先の薔薇一本を拝借
抗議と抵抗の棘に触れ
これを一輪挿しに差し込む
 
2022/06/01
 
 
「ある羨望のようなもの」
 
子どもの頃の悲しみには
だまって涙が湧いたものだ
大人になると
悲しいことがあると
「悲しい」の文字が湧いてでる
おなじように
子どもの好きの素振りには
瞳に輝きが湧いて出て
大人の好きの素振りには
「愛」の文字が使われる
 
どっちがどうだというわけではないが
一昔前の大人たちには
まだ涙も瞳の輝きも残っていて
心は心として沸き立っていたのだろう
良いとか悪いとかは別として
 
2022/05/26
 
 
「片詩その四」
 
@
「あい」でも「アイ」でもない
「愛」を目にしたその時から
なんて素晴らしいものなんだと釘付けになった
少年はそれから「愛」にあこがれ
「愛」と呼ぶ文字の姿形をまね
こころに「愛」の合同また相似を紡いだ
そしてそれが少年の「愛」になった
事実はしかし
少年のこころの中で
自覚のない拒絶反応が起きて
錯乱した文字「愛」は消失し
こころの場には空虚が残った
少年にはもう
ダサい「あい」か「アイ」しか
残されていなかった
 
A
大切にしてきたことは
嘘をつかないということ
「ほんとう」を生きるということに
こっそりと全重量をかけてみるということ
もちろんそんなことばかり考えてきたために
ぼくはたくさんのことを台無しにした
 
こんなふうで得したことは何もない
かろうじて残っているのは
青く晴れた日の山
青く晴れた日の林
それを動物の目で見ることの
小さい秘め事のような一瞬
それでもなんだか
悪くなかった気がする
 
B
憤りや悲しみも底をついた
残ったのは思考の老い
身体イメージのずれ
怠惰に溺れる日常
のど真ん中
 
ビッグバンなみに
意識を飛び散らせようと
あるいは収縮に忙しく
気がつくと異界に
飛び抜けている
 
そう
ぼくはもう
ぼくの中にはいませんよ
 
C
範を持たぬことを範とするために
生き方も考え方も
大変きわどいことになってしまった
言葉を交わせばたちどころに否定し
自分から出る言葉は
他者の耳に届くやいなや無意味と化し
この世界はもはや
派手で賑やかに脚色されたドラマの
とある病棟か牢獄のようなものだ
かと言って
ここで愚痴をこぼし
嘆きを口にしたい
というのとは少し違う
迷宮に入り込んだ雲が
言葉の枠組みから抜け出たいと
主張しているのだ
とりあえずほかに出て行くあてもないのだが
 
D
もうすぐ休暇が終わる
「それがどうした」って声が聞こえる
「をしなべてしゃかもだるまもねこもしゃくしも」
ちっとも気にかけちゃいない
意識の癖ってやつが大げさなんだよ
山積みの宿題があるとかなんとか考えて
だけどそんなものはありはしない
言葉が言葉にしがみついているだけなのだ
 
楽しかったこと
辛かったこと
それらの思い出と共にぼくの休暇も終わる
録せねばならぬことなど何もない
書き留められた文字も
はらはらと紙の上から散り落ちる
残るのは一瞬の白い沈黙だけだ
それから不在の時間が動き始める
ぼくはもうぼくを忘れている
ぼくらが生きた証なんて
ダサい感傷以外の何ものでもない
 
2022/05/25
 
 
「国家についての断片的な一考察」
 
 もともと国家とは、縁もゆかりもない衆からなる観念の共同体を本質としている。また別に幻想の共同体と言ってもよい。つまり物質的実体的に存在するものではなく、人々の集まりが集まり自体の中で共通の意味や目的を共有し合う、いわばそうした頭脳的な部分で結びついた集団に過ぎない。こうして成り立つ国家という共同の観念、共同の幻想は、これは現実的には強度の共同規範に転化し、またこれを形成する。
 これに対して社会は実際生活を行う場の全体を総称するもので、一部で重なるところがあるものの、政治性を抽象してなる国家とは別物である。基盤となる社会から政治性を抽出してなる国家は、本来は社会よりも狭い概念で、言ってしまえば社会から生成されたと見做すこともできる。
 国家は、内部に縁もゆかりもない衆によって形成された軍隊を持つ。軍隊は専門の戦闘要員で組織されたもので、これを抱えたところにまた国家の本質がある。国家はこれを積極的には発信していないが、もともと戦争や戦闘を予見して組織された機関である。だから国家をもってして永久の平和を願うなどは、端から矛盾するものと言ってよい。戦争を抑止するための口実など、何時なんどき破棄されてしまうか分かったものではない。
 縁もゆかりもない衆が集められ、組織された集団は、その時点で縁とゆかりが生じるわけだが、これは特殊だ。たいへん薄いものだ。これに対し濃厚な縁やゆかりというものは、例えば血縁だとか地縁だとかというようなものを指す。そしてこれらは逆に強度の共同規範というものを必要としない。
 現在のわたしたちは、もともと無関係な人たちが集まった集団の中で暮らすことが普通になってしまった。学校はは同じ年齢というだけで集められた集団だし、会社もあるいは団地生活などもほとんど縁やゆかりがない人たちで構成されている。そしてこういうところで何が問題になってくるかというと、決まって「いじめ」が生じるという点だ。これは軍隊のような場所でも生じると聞いたことがある。
 視野を拡大すると、人種間、民族間の差別、いじめ、極端には殺戮、虐殺、戦争が生じてしまうことを、歴史及び現在社会を通じてわたしたちは知ることができる。
 このように、もともと縁もゆかりもなく集まった、あるいは集められた集団を1つの単位として、その中に我が身を投じ続けることが本当にベストなあり方なのかどうか、わたしは疑問に思い続けている。
 国家という形態の発生とその維持には、人的な戦略があるのかも知れない。類として存在し続けるための無意識的本能的な戦略だ。けれども、これにはさまざまなリスクがある。前述したいじめもそうだし、戦争もそうだ。さらに国家は内部に支配と被支配や階級、貧富の格差などを生んでしまう。そしてこういうリスクを負うことによって国家内秩序は常に不安定に揺れ動く。
 
2022/05/08
 
 
「片詩その三」
 
@
あの人たちの手にかかると
河原の小石たちも
たちまち有機的に繋がりあったり
喩を構成しあったり
高度な次元に飛び立つ
ぼくなんかは持て余して
いたずらに積んではガラガラの繰り返しさ
 
詩にも詩人にも
修行めいた年輪を感じるな
坊主の修行を匂わせるので
少し距離をとる
 
A
正直が取り柄だけの男が首をくくる
男の時間は止まるが
止まった時間も
止まった時間のその後も
誰も知らない
 
B
冬は乾いたまんま濡れ行き
退屈な生活が氷の下に続く
 
C
今から46億年前地球が誕生した
50億年後には
この地球が消滅すると言われている
同じように人類の誕生から消滅まで
最長を考えても数百万年を出ないだろう
そういう予測が出来る
そう考えると
地球96億年の歴史の中で
人類が跳梁跋扈する時間はとても短い
ことが分かる
 
その中でヒトは
どう生きることが正しいのか
価値ある生き方なのか
あるいは善悪について考え
あるいは自由 平等
さらには民主的ということなども考えてきた
けれどもこれらは人間界の内輪の話で
地球を中心に見れば
何の意味もない儚い幻想に過ぎない
立ち止まって
それをちょっときみにも考えてもらいたい
 
D
プチプチを潰すように
関係を潰してきた
頼りなさと少しの自由さが残った
暮らしの狭い範囲で
ぼくはゆっくり上陸し
肺呼吸を始める
見慣れた地形よ
見慣れた三つばかりの道よ
高速で突き抜けて
情緒も情感もあったものではない毎日
剥ぎ落とし
身を削り
ガラスの目を持って苦海に沈む
 
こんなふうに一人離れて
沈黙の行を進みたかった
そうしていつか
虫の世界じゅもくの世界へ
降りていくつもりだったのだ
 
2022/05/03
 
 
「片詩その二」
 
@
こころに従え
こころの底を流れるものに従え
 
飛び交う情報〈知〉は
沈むものだけ捕獲し
余のものは蝶のように放て
ひらひらと
ひらひらと舞い上がらせ
野に送れ
 
誰にもうちあけずに
言葉以前のこころと耳目と
心臓の鼓動と
 
A
言葉以前の森に帰ろうとするのだろうか
妙に犬・猫を可愛がるじゃないか
 
言葉の子は
どんなふうにもてなせばよい?
 
もてあまし
ただ可愛がるだけの関係からは
はるかに遠のいてしまった
誰も彼もそれはもう
人間の子の可愛がり方
ではないところまで踏み込んだ
 
じだいじだいじだい
しだいに消えかかる
アフェクシャンの炎
 
B
未練かな
のべつ幕無しに考えている
今という時間の流れを
必死に食い止めようと
この時をどんなふうに過ごし
どんな詩どんな思想どんな言葉が
落ちてくるかと
 
無い物ねだりか
いや神頼みか
他律の揺動を流れ流る
アニメなら
とうの昔に打ち切られているだろうに
いつまで
名残惜しんでいるつもりだ
 
C
いつの間にか桜だらけになった
この国の脳化は異様に見える
 
だからなんだ
 
だからなんだだからなんだ
だからなんだって過ぎてきて
今もそしてこれからも
 
D
働いて飯を食え
飯を食って働け
ほかに言うことはない
いや その余はひたすら遊べ
 
確かなことはほかになく
観念の荒野で
観念環境の破壊が
雪崩のように進んでいる
働け飯を食え
そして生き延びよ
絶体絶命の窮地を超えて
薄っぺらい知と
知の言語とを無効にせよ
それがきみの「出エジプト記」なんだ
 
2022/04/27
 
 
「もうひとつの妄想」
 
風薫り光り満つ朝はのどか
窓を開ければ
団地は静止して声もなく
ただ遠く演習の砲弾
間隔を置いて
彼方に余韻を残す
 
遙かな戦禍とその惨状が
確かなものとして伝えられる
たった一人の妄想が
巨大な妄想へと伝播し
知性も理性も打ち砕かれて
もはやその残虐を阻止する力
かすかな抵抗すら
蹴散らされている
たった一人の意識が
どうして世界を坩堝と化す
力を持ってしまうのか
先進の科学 文明 AI
教養 学問と
日頃誇らしげな顔つきのそれらが
あざ笑われ
避難の子どもの瞳から
光を失わせている
 
人の意識とは何だ
人の幻想とは何だ
人の妄想とは何だ
ひたすら脳化を突っ走ってきた社会よ
この結果責任はどこにあるのか
いざとなったら口ごもる
知的従事者たちよ
早急に解を示せ
人は脳のみにて生きるにあらずと
 
2022/04/20
 
 
「教信は今なお遠し」
 
送迎の車を運転し
終わって室内外の清掃
背を丸め
座席の下をのぞき
その繰り返しを
繰り返して2年の半ば
バイブルは在俗の沙弥教信の
農作業及び荷物運び
念仏せず
教えも適わず
ひたすら黙して笑む
 
家に帰れば
おちょこ一杯の酒に酔う
ネットをぶらつき
西方も見ずに
ドラマとバラエティー三昧
目減りする年金額に
溜め息つきながら
そこに教信はいない
たまに気が向くと
パソコンに文字を刻む
侘しくアップアップの
アップロード
無駄じゃないかって誰かが言う
意味ないじゃんって誰かが言う
馬鹿だアホだ滓だって
誰かが追い打ちをかける
薄っぺらな令和の教信は
力なく覇気なくうなだれて
やっぱり黙して微笑んで
一束のわらに
すがりつきたい思いを隠さない
教信は今なお遠し
 
2022/04/15
 
 
「歌謡風」
 
野良犬みたいにさ
うろつき回り嗅ぎ回り
懐かしい匂いにふと立ち止まり
思うんだよね
この心 心であるだけで切ない
 
道すがら
咲き誇る桜花
なんとはなしに奥ゆかしげな
白木蓮に辛夷の白
アクセントをつけて連翹の黄
ちいさな民家の庭々も
春が香る この香り
分かち合いたくて
分かち合えなくて
文字を刻む
数十年の歳月
いま 過ぎ来し冬をめくる
 
2022/04/14
 
 
「って言いたいよね」
 
官民の不正や改竄や無責任の横行と
「水戸黄門」放映の減少
あるいは時代劇ものの衰退は
何か関係があるだろうか
 
良くも悪くも絶対的正義の箍は外れ
自分に箍を掛けるか否かは
個人の裁量に任されるようになった
一神教は厳しく
仏教は緩い
自分にも緩く
他人にも緩い仏教圏では
一神教のような責任追及はできない
そして できないから 
本来はそういう場所に立たない
 
しっちゃかめっちゃかになって
規格外の日本人に出世した連中は
世界という舞台にいきり立ち
一神教の衣に袖を通した
田舎者にすぎないさ
いっぱしの指導者面
成り上がりの半端な知識で
次々に社会を改悪していくだけの
無残な
民が不在の国家信奉者たち
「この紋所が目に入らぬか」
って言いたいよね
 
2022/04/13
 
 
「桜」
 
開花宣言は8日だが
昨日11日
通勤途次に桜7分咲きほどを見る
最高気温24度前後のここ2、3日で
あっという間のマジック
1週間前は10度前後の日もあり
乱高下を体感
 
開花予想が話題になる頃から
「今年の桜はひと味違う」
そんな思い入れのようなものが
密かに湧いた
いや 違っていなければならない
 
だが開花した桜を間近に見たら
思い入れはたちまち拡散してしまって
心にかげも残らなかった
「いつもの桜」
数日後には散ってゆく桜だ
そして西行の願望
「春死なん」からの
余韻
省略や沈黙や
 
超えて発する言葉が脳裏にちらつくが
陽気に霞んで読み取れない
今年の世界もまた
身体細胞のように入れ替わる
そんな世界なのだろうか
 
2022/04/12
 
 
「片詩その一」
 
@
「ねえ、見て見て」は分かる
そのあとにひときわ瞳を輝かせ
もどかしく体をくねらせながら
「スルフンダドッボーン」って
何だ
目と目を見合う位置にいて
何かを語りかける
訴えるような 独り言のような
ただ口にしたいだけの衝動のような
気がすむと異次元に後退する
「スルフンダドッボーン」って
何だ
分からない
いや分かりかけてきている
「スルフンダドッボーン」
これは黒曜石の切片
「スルフンダドッボーン」
気まぐれな風のような
気まぐれな
声帯の震え
 
A
内臓が繁茂する森から
神経網の絡みつく林へ降り
さらに茨をかき分けて水辺に至る
ヒト科はそこで村を造り町を造り
沸き立つ愛と欲望とに目覚めた
ここに 怯える者たちと
より覚醒への道をたどる者たちとに
分かたれる
 
B
身の丈ほどの善も悪もやりきった
概念が邪魔だ
棘のように眠りを妨げる
 
C
出自のせいかも
押っ取り刀で幻想の都市へ
炎上する意識の坩堝へ
弾かれて飛沫の影となり
 
D
それならばと
ごく普通の暮らしに憧れて
爪の先ほどの権力
そのひとつひとつを
切り落としていく生活
いつのまにか
干しあがった川底に転がり
下層の景色のただ中で黙
 
E
なあ ただ嘘をつかないだけじゃ駄目だ
自分につく嘘がすべてを台無しにする
気をつけなバスティアン
 
2022/04/09
 
 
「ある反応」
 
きな臭い視聴のあとに
たまたまの水一杯のうまさ
寝静まった時間の台所で
しみじみと
じんわりと
感じているか感じてないかの境界
溶解しまた融解し
超えて水となり
排水口をくだる
 
あ、すべては意識のなせる技かな
発生し 展開し
理性だとか理念だとか
遂にはむちゃくちゃなものさえ
己の精神の所産と
またそこに真が宿ると
自我的に自賛する
人間的な
あまりに人間的な
概念どうしの戦いよ
 
轟音と共に
血が飛び散る
血飛沫が飛び散る
あちこちで断末魔の声が
強く弱く高く低く
また長く短く
響き渡る
煙が上る
瓦礫と残骸の中に
老人たちがいる
子どもたちも
いる
 
ウラジーミルよ
ぼくよりも1才年下の
ロシアの人よ
他国人の殺戮と
自軍の兵士を他国人に殺させる
侵攻の代償
その犠牲や損害は計り知れない
妄想の人よ
賢しらなる愚昧の人よ
寝首を掻かれることを恐れる
小心の人よ
臆病で卑劣な柔道家
礼なき儀なき欲望の人
今すぐ小人に還れ
 
歴史は繰り返す
何遍でも何遍でも繰り返し
反復のキルケゴールは
いつまでも憂鬱だ
だとしたら
「現在」の発生の根源
反復以前に遡り
新たな反復の歴史を
未来に向かって積み上げるしかない
欲望の自我以前
文字以前
歴史以前
「戦争はだめだ」と声上げる
世界の多数の人々の目に
以前の世界
以前の暮らしが
立ち上って見えてくる
そこから未来を始めようというように
その思いは
枠組みを突き崩す
力をすでに包んでいる
 
2022/03/26
 
 
「先へ未知へ」
 
あっち側からはああ見えて
こっち側からはこう見えて
あっちとこっちでいつもすれ違う
あっちからこっちが少し見えて
こっちからあっちが少し見えても
やっぱりあっちはあっちで
こっちはこっちになって
終いには争いになって
どっちも傷ついて行く
 
よく見た風景
よく見た光景
真ん中で ぼくは
終いに
役に立たないんだ
って心で泣いた
そんな幼年の日のトラウマ
刻んだ焼きごて
あれからぼくの辞書は
「理解」の項を消失したが
不思議なことに
孤独の炎に背押されて
感じて感じて感じて
考えて考えて考えて
という運動に
耐えられるようになった
また耐えてきた
つまり傷を生きてきた
傷がぼくを生かしてきた
 
老いてなお 未明の傷たちは
老いのまだ先に行こうとしている
 
2022/03/17
 
 
「ほつれ」
 
服や下着の縫い目には
いくつかの「ほつれ」がある
それが当たり前で
さほど気にかけない
「ほつれ」は恋人同士にも
家族にも組織にも
社会にも世界にもある
あるのが当たり前で
常態になっている
 
ヒトの血管や神経にも
「ほつれ」があるにちがいない
そして成長するごとに
大きさも数も増していく
こう考えてくると
見えない心にも
見えない「ほつれ」があり
これも成長するごとに
大きさも数も増していく
と推測される
いわゆるヒトの「個性」とは
こうした「ほつれ」の
合算されたものと言える
のではないか
 
2022/03/08
 
 
「意識の中を」
 
意識の中をあちこち
あちこちあちこち
あちこちこちこち
息せき切って
赤く熱した鉄板のマメか
ほらもう捜し物は見つからずに
日は沈みかけている
 
遠く朱に染まる空
「わたしはあなたの何だったの」って
背後から声が刺す
『君がいたから闇雲に闇の中でも』
なんて言い返したら
それはやっぱり
いいように利用したねと
誤解されかねない
だって
逆の立場ってことも
 
ショッピングに温泉巡り
ドライブしながら名所旧跡へ
映画や水族館にも通いたかった
って言いたげな
横顔をずっと読み続けてきて
今更に思う
この執着はなぜ
どこかで
折り合っていければよかったものを
沈みかけてなお
悔恨の日々の鮮やかに
引きこもれよと
強いてくる
 
2022/03/06
 
 
「〈ファイト〉」
 
古希を過ぎてなお
季節に急流を上る魚たちのように前に進むには
〈個体がすべてだ〉
力強く鰭を掻き
身をよじって流れの間隙を縫う
稚魚から成魚また老魚は
急流の今にさしかかり
横並びに等しく抵抗を受け止める
手を差し伸べる力なく
間断ない呼吸の為に
かける言葉を発しえない
人の世ではこれを
「お互いさま」と言う
だから差し伸べられる手のないことを
恨むな
励ましてくれる言葉のないことを
嘆くな
それはもう急流に向かうそれぞれの個体
それ自体において発信されている
そんなふうに今ある時
情念や情緒は第一義とはならない
ただひたすら感覚を研ぎ澄まし
水の性質をかき分けろ
沈黙の深く降りてゆく場所に
すべてにつながるように
〈ファイト〉の衝動が潜在している
 
2022/03/03
 
 
「ベルカーブの右端」
 
偉人聖人そして
刻苦勉励が好きな国柄か
大河は鎌倉だとよ
いつまでたっても
ベルカーブの右端よりで
あきれるくらい
泣きたくなるほど
現在知性を
象徴しまくっている
もちろん売れっ子脚本家
大家の作品で面白くはある
面白いので多くの人が見て
登場人物たちの心情
考え方などを追体験する
それはそれで楽しくて
いいじゃないですか
と思うけど
羨望させ
憧れさせ
時に学びの場とさせて
支配者や指導者としての資質
素養の幾分かを
身につけた気にさせる
まあまあそれでも悪くはないが
みんながその気になって
生活の場にそれを持ち込んだらどうなる
行き着く先はもちろん
現在の社会に投影されていて
偉ぶった奴がのさばる
こんな世になっちまった
ベルカーブの右端ばかりが
価値じゃないんだぜ
と言うよりも
それは不治の病のゾーンで
いち早く脱するがいいんだ
 
2022/03/01
 
 
「おいしい水」
 
2月の晴天の日
一瞬のまなざし遠く
稜線をかける
すぐ手前には裸木の林が
神経網のように
氷点下の大気に絡みついている
さあ 瞳と心とを開いて
おいしい水を探しに行こう
通学路の近場のちいさな崖の
草むらに隠れるように湧いていた
原始の風のようなあの水を
BGMはなつかしのスタンド・バイ・ミー
静寂の底から湧いてくる
老人期からの決別を胸に
団地の坂を下って
2マイルあまりの範囲
スーパーと病院と学校
また携帯販売の店舗
床屋とコインランドリー
などの脇を
いかしたブルゾンで颯爽と通り抜け
たどり着くカフェテラス
おいしい水はそこにあり
笑顔の店員が
ぼくのお気に入りさ
 
2022/02/28
 
 
「厭世」
 
あ ゆめかな
部屋の中は虚偽に溺れかけている
振り払う手の先から汚れが増すばかりで
ついでに顔も洗おうと
すーっと階下に降りてゆくと
火事の現場に
取り返しのつかない顔が
宙に浮いていた
こんなんじゃトイレもできない
と ぼくかその顔か の声
空気が読めないんじゃなくて
読みたくないんだバカヤロー
次の声がそう言うと
今度は言葉のバカヤローが一人歩きして
玄関から外に出て行くのが見えた
一難去ってまた一難とはこのことだ
あああああーと
焦ってしまったぼくは
瞬時に血縁が絶えるようにと祈祷し
痕跡の虚偽を消そうと試みた
 
家の外では
雨がバラバラと津波のように襲っている
バラバラばらばらと
何もかもが打ち砕かれる
団地は一変し死後の世界の静けさに透ける
透けている透けているぞと
わめきながら街に向かって走り出すと
街は誰かの分身でいっぱいになっている
あちこちで流血の惨事も起きている
少しずつ時が終わりかけて
一帯は泣き笑いの貌で埋め尽くされてしまった
 
2022/02/27
 
 
「非詩的な極論」
 
人が人を「支配」することを始めて
それから後の世そして現在まで
形態は多様でありながら
「支配」が絶えたことはない
こんにちこの社会もまた
歴史的に見てこの「支配」の延長上にある
 
この「支配」はもともと人の欲望から発生するが
知力や策謀また腕力や武力の力を借りて
これらに優れた者が支配者の位を手にしてきた
 
不思議なことに この国もこの社会も
人を「支配」する歴史を
一度たりとも解消しようと努めたことがない
主権在民 基本的人権 平和主義
自由 平等 友愛
どんな理念また概念あるいはスローガンを
掲げてみても
「支配」構造を残したままでは成り立つはずがない
人が人を「支配」することは間違っている
人が人に「支配」されることも間違っている
芸術や学問そして思想が
何を語ろうが表現しようが
いまだ「支配」が蔓延るこの世では
「何をか況んや」である
 
江戸時代の安藤昌益は
聖人君子出現以前に戻れと
象徴的に述べた
「支配」が行われる以前の
古代を今に引き寄せて
「支配」のない世の中に組み立てなおす
その方途を示唆した
それは継承するに価する
考えだという気がする
 
2022/02/24
 
 
「ある空虚さ(未定)」
 
上るように降りてゆく倫理。そのほかに夢見ることはなかった。
はにかみながら、うつむきながら、口数少ないことを苦にされないのであったならと。
同僚たちと小さく笑い合って、仕事とプライベートとありふれた毎日を過ごせたら、それに勝るものはないと思っていた。
小さき者、無用の者、愛されない者、少し寂しげなそんな役回りも決して嫌いではなかったし、自分にはふさわしく、かえって気が楽だという気もした。
息せき切って、知や美や善にすぐれ、競い合う世界なんかもともと無縁なのだ。
 
山間のちいさな集落に育ち、太陽と雲の空と土塊と雑草と木立と1本の川の流れとが、心象の大半を占めるそんな生い立ちであった。そしてそこには音楽以前のメロディーとリズム、絵画以前の色彩や光や影、また知や歌などの成立以前の世界が、四囲の稜線の内側に漂い、うずくまり、あるいは拡散していた。
時は流れ、流れた分だけ出処はかすみ、消えかかってしまった。もちろんそれは表層だけのことで、近代から現代そして現在に至る世界知が取って代わることはない。つまり、根付くことはなく、二度にわたる接ぎ木で集落はあかるく枯れ果て過疎に向かった。
 
2022/02/21
 
 
「無詩」
 
長いこと自分と付き合ってきたが
今でも自分のことはよく分からない
自分のことが分からないんだから
人様のことはなおさら分からない
分かったふりをするけれど
言葉が通用する範囲でだけだ
 
誤解か錯覚か知らないが
例えば恋愛なんかそうでしょう
わかりあえてるつもりでいて
家庭内別居や離婚という末路の
なんと多いことか
みんな「思い込み」から発しているんでしょう
好きと思い込み
よい人と思い込み
自分を愛してくれていると思い込み
彼や彼女を愛していると思い込み
そうしていつか
見たこともない彼や彼女に遭遇し
思い込みから覚醒する
人間って分からない
心って分からない
自分のことも
パートナーのことも
そこに覚醒できたら
もう少しいたわりあって
生きていけそうな気がするのに
涸れない人間の妄想が
茶番劇を繰り返す
 
宇宙を解明する勢いの
人間の知性のどこが高級なんだか
委細かまわず猫ちゃんは
一番よい場所でお昼寝しているなあ
 
2022/02/18
 
 
「転換期?」
 
陽射し春めいて
家の外は妙にあかるい
感染者数最多更新
のネットニュースの見出しも
妙に弾んでいるような
はつらつとした響きが聞こえてくるような
もうみんな
進んで罹りに出向こう
としているのだろうか
そんなふうに思えてしまう
 
と思えば
土日のスーパーの出入りは
混雑の時間帯を外れると
やはり閑散としている
少しずつ少しずつ
懐具合も息苦しくなって
買い物かごの中は
値引きシールが重なっている
レジに並ぶ列の表情は重く
我慢の限度を超えているのに
やりどころのない憤懣を
さらなる憤懣によって相殺し
淡々と黙々と
何食わぬ顔の下に隠しきっている
 
「バカヤロウ」と叫ぶなら
いっそ健康で害がない
ついでに「税金どろぼう」とか
「かくすな。うそをつくな」とか
「ニヤニヤすんじゃねえ」とか
「善人、聖人の顔つきをするな」とか
「もっとやりがいのある仕事をくれ」とか
「時給を倍にしろ」とか
「年金を上げろ」とか
「生きることが苦しいんだよ」とか
「こんなんじゃ死んだ方がましだ」とか
我慢せずに口にしてみたらどうか
 
昨日まで普通と見えていた家族の
家庭内殺人 児童虐待死
普通の生活者と見えていた人の
窃盗 暴行 殺人
SNSを使っての誹謗中傷
日常と化した性犯罪
若年 壮年 高齢者と
なにがなんだか さ
 
なんたって国権の最高機関である国会で
平気で嘘をついて
誰もが嘘だとわかりきっているのに
知らぬ存ぜぬ 記憶にないと言う
政治家や官僚の連中は
あれはまともな人間と言えるのか
さらに口を開けば「国益」のためなど言う
「冗談じゃあないよ」(鬼瓦権蔵の口調)
まともな人間が言うのならともかく
まともな人間じゃない嘘つきの
淀んで腐った「国益」をほしがる国家なら
いっそ解散させちまうか
今後一切無給のボランティアとして
働いてもらおうじゃないか
だって「国益」のためなら
何だってやるんだろう
自分を犠牲にすることなど屁でもないさ 
 
とにかくそんなふうにでもして
今までとは真逆の考え方をするのでなければ
どうにも収まりがつきそうにない
つまり とうとうそんなことを考える時代に
突入したって話になる
うそかほんとうか
いずれにせよ
閉塞して息苦しい世界の重層性の果てで
ヒステリックな打開の予感が
ヒシヒシと感じられてくる
転換点を見誤るな
 
2022/02/15
 
 
「とどまる記憶」
 
つぎあての入ったよれよれの着物
ゴム製の短靴(たんぐつ)を履いて
駆け回った田んぼのあぜ道や川土手
蛙(びっき)葉や酸模(すかんぽ)は
至る所に群棲していた
肥の匂いの漂う
ちいさなちいさな集落
どこにいったのだろう
あの時代は
目と耳と鼻とに
まだかすかに
だが鮮烈に記憶をとどめている
どこにいったのだろう 
好奇と不安の入り交じったあの頃は
そしてそれからぼくの足は
いったいどこに向かったのだろう
 
自由の街へか
戯れの街へか
繁栄の街へか
それぞれの街の記憶はあっても
感覚器にとどまる一切の記憶が空疎なまま
ただただ息せき切って歩いてきたのか
とりつかれたように善や真や美を
追い求めた日々
追いながらそれが
価値あることと信じていた
だが視覚に記憶された何事もなく
聴覚に記憶された何事もなく
また嗅覚に記憶された何事もなく
いたずらに脳の回路を
電気信号として駆け回った
だけの日々に過ぎなかったのではなかったか
青年期から壮年期にかけて
人は意味ある言動の渦中と錯覚して
ほんとうは価値ある生き方というものから
はるかに遠ざかってしまっていた
だけのことかも知れない
 
2022/02/13
 
 
「無」
 
無名の中核
さらにその奥に広がる領域に
降りてゆこうとするならば
背に重い「いし」を負い
上るように降りてゆくほかに無い
もしきみがそうしたいと望むならば
 
神(しん)や仏(ぶつ)の対極にあり
非知の声を聞き
非知の言葉を発し
無名の愚昧としてたつ
それは究極の「人柱」
土と大気と光と水とに化して
生きるのでもなければ
死ぬのでもなく
ただそこに大いなる受動性として
あるようにあれ
 
2022/02/12
 
 
「天気がよいと」
 
天気がよいと
古代の向こうから
ほっこりが ほっこりほっこりと
やってくる
最近ではこれが無上で
次に寒い夜の湯船だったり
半分目が閉じて滑り込む布団だったり
ありきたりでたわいの無いことが
とてもとても嬉しかったりする
 
整然として貧しく
呼吸音も憚られる階層にあっては
あと二つ三つほど
こんな喜びを探し出したいところだ
リミッターを外した子どもの歓声
仕事合間の一服のタバコ
炊きたてのご飯の湯気
たぶんこれくらいのことがあれば
これからの老齢期も
力尽きるところまで行くことができる
無名の大衆の
さらなる奥処に向かって
ということは古代に出会うようにして
歩を進めてゆける
 
2022/02/10
 
 
「案ずるな」
 
ひっそりと呼吸
吸ったり吐いたりの言葉たち
酸素を発生させ養分を作り
いみとかち
とろうとふもうと
かんねんのとるねーどをひきおこし
まきおこし
 
それじゃああんまりで
言っていることと
やっていることとが違いすぎる
そんなんじゃ誰も説得されないでしょう
という人間社会の今に
浮遊したり漂流したり
呑み込まれまいとすんでで踵を返し
返した先でまた途方に暮れて
きみよ 案ずるな
誰もが正解のない生き方をしている
 
2022/02/09
 
 
「別にいいけど」
 
大卒知が世の中の前線を占めている
という人がいて
なるほど表向きはそうとも言えるな
と思う
 
象徴的なのは
人の生涯を勝ち負けで二分する考えで
そこでは勝つことが価値と見做されている
半分くらいは本気で言っているのかもしれないが
そして社会に横行していると見えなくもないが
古くさくていやになる
別にいいけど
それで知的なセンスが自分でいいと思っている
大卒知の なんていうか
知性の底の浅さと
人の生涯についてのなめた見識とが
無性に腹立たしい 別にいいけど 
 
2022/02/05
 
 
「たたずみ」
 
「きょうはたのしかった」と
ぼくが運転する送迎車の中の
きみの言葉しみじみ
小学一年生だよね可愛い
子どもはしばしば天才詩人で
ちいさな唇から詩句がこぼれる
こう思うのは音声の中に
自己表出が満タンに込められている
と感じられるから
年老いたぼくでは斯うはいかない
自己表出が枯れかけて
体内には不満分子がいっぱいだ
常に葛藤している
それが声にも貌にも
たたずまいにも露わに出る
子どもたちの感覚は鋭い
ぼくが変な奴だとはっきり分かる
分かった上で少しだけ
傍らにいることを許容してくれる
子どもたちなりの
それは感覚的な儀礼のようなものだ
ぼくはそれで救われるようなところがある
 
送迎車を運転するぼくは
子ども等と遊ぶ時間がない
送迎のほかは
主に車の清掃をしている
車に乗っている間は気持ちよく過ごしてほしい
そう考えて室内の汚れや砂をとって
きれいにする
毎日のそれが日課である
もうこれ以上のあり方は
望まない年齢になった
文学や思想のカテゴリーではない
「言葉」や「声」で
ぼくはいいんだよね
 
2022/02/04
 
 
「主戦場」
 
深夜に重たい冬の風が
家の屋根や壁におそいかかる
震災に耐えて10年
身体のようにあちこち不具合を生じている
家屋の倒壊
を思わず予感してしまうぼくは
まだ暖まり切らない電気敷き毛布への
不満を抱きながら
ふと『家のない人もいるのに』
と考えたりしている
そしてこれが人間の弱さだよなと
誰かになにかに釈明しつつ
ゆっくりと意識の剥がれ
その穏やかなリズムに委ねる
 
宇宙旅行を楽しめる
人類の歴史的な繁栄の最先端
その突端には
貧困の果ての餓死もあれば
孤独死も自死も同居している
極端な格差 極端な多様性
貧富 尊卑 上下
そんなものまでが生々しく
解消されずに今に引き継がれている
つまり平等を謳う国家にあってさえそうなのだ
けれどもこれを醜態と呼んでいいなら
こんにちのこの国の美醜の責任の一端は
ぼくたちにもあるのだろう
目眩く酩酊
自ら病むぼくらの精神
 
日常の生活を主戦場として数十年
ぼくらは息絶え絶えで
自らを支えることに労力を使い果たしてきた
社会にも地域にも隣人にも
貢献もしなければ
忌避も示されないできた
そうして自分の考えだけは
何度も何度も繰り返し変えてきた
いつか
これがほんとうのかくめいの姿だよと
呟くことを夢見ながら
つまり 自分を変えるそのことだけが
ぼくらには可能なことで
半永久の繰り返しに
今もぼくは挑んでいる
 
2022/02/02
 
 
「叶わぬ夢」
 
一日の終わりはいつもいたたまれない
自室にこもり
ネットをぶらついたり
テレビをつけたり消したり
それからいつものように
逃げ場がなくなって さて
詩なんか書きたくないから
階段を降りてバスルームに向かう
 
ぼくには文学なんてない
白紙に書き込む文字もない
バスルームなんかなくて
ひとむかし前の風呂場だ風呂場
貧しくて貧しくて
それでも毎日湯を沸かし
喩を考え
体と髪とを洗い
キレイキレイして何様のつもりなのか
 
夢が叶うなら
ゆ・め・が・か・な・う・な・ら
ファンヒーターで暑いくらいに暖めた部屋で
悔し涙に暮れて
ボロボロボロボロ加湿して
それからまた泣いて
泣いて
泣いて
泣いて
こらえてきたもの一切
を涙にして流し尽くしながら
71才の誕生日を祝い
明け方近くに眠りに落ちて
その眠りと共に
美しい1日を始めたい
 
2022/01/31
 
 
「コミュニケーション」
 
そう言えば
大事な話を切り出せない
生涯であったと思う
知人はもちろん
肉親や友だちにも
いつか何かを打ち明けようとして
いつか本心を聞き出そうとして
いつも言葉はそれにたどり着けなかった
 
だからいまに残るのは
『あなたの生涯についての立体を何一つ知らない』
という悔いのようなものばかりだ
 
あのときあなたはわたしの目の前にいて
ただ穏やかな笑みをたたえて
そうして父や母や友人や知人としての
振る舞いを振る舞うだけであった
その時わたしは
相対しているというそのことに満ち足りていて
その場の雰囲気を壊したくなく
言葉をのみこんだ
そういうことがずっと
ずっと
ずっとだ
 
それでよかったのだろうかという問いが
今頃になって切実なものとなり
心をのみこむように襲いかかってくる
 
なんて
 
通俗なインテリふうを装えばそんな話になるんだけど
そこが結じゃない結びじゃない
言っておくが
踏み込めなかったのは心が弱いからではない
言葉なんだよ言葉
不自由で無骨で
繊細のかけらもない無数の言葉群なんだ
心が沈黙に引きこもる
言葉以前でなら
ぼくは断言できるがすべてに到達していた
溶けて流れて絡みつき
境界が失われる
あなたとぼくの境目がなくなる
それがぼくのコミュニケーションの仕方
 
2022/01/29