「てならいのうた」
 
〈引きこもり〉考
 
引きこもりは
生涯をかけた反抗か
それとも単なるびびりか
とても微妙だ
ぼくの場合は
中途半端だから
どっちがどうとも言えないが
大勢(たいせい)は無視と無関心で
それがどうにも気に食わない
その時引きこもりは
自己防衛に似て
何かからの待避だ
厭なものからの待避だ
厭なものになじめないし
慣れたくもないってことだ
極論すれば
そこでは生きていたくないという
それほどの思いが滲む
厭だと思われる側は
厭さが何か分からない
理由も分からないから無視
 
引きこもりは個人で
対するのは社会や
世界という全体的なものだ
そうなると今の社会の仕組みでは
その後の生活が成り立たない
やっていけない
そういうことになる
とても残酷なことだと思う
高度な文明と文化を誇る社会で
そんな残酷なことが罷り通り
また一顧だにされない
社会と社会の成員は
自分たちの瑕疵に気づかない
だから反省もない
引きこもり者は
能力だ性格だ勇気だ何だと
言いように言われ
すべてが自己責任と見放される
ぼくはおかしいなあと思う
こういう社会にした人たちがいて
これになじめない人たちが生まれ
それはほったらかしにする
どう考えたっておかしい
どうしたって引きこもる個人より
多数の側が反省すべきと思う
なぜなら多数だから
だが現状は
多数は多数で我が事ばかり
友愛なんてどこ吹く風のシステム
このシステムを
どうにかしなくちゃ
よくよく考えて
改良していかなくちゃ
どうする人間
 
2025/05/13
 
 
「せいぜいお気張りやす」
 
わちゃわちゃしている
政治の一齣を
年甲斐もなくのぞき見したら
ああしてそうしてこうなったから
こうしてそうしてああすれば
こうなるだろうって話ばかり
技術文明と科学的思考を両輪として
一方的に進んでいく方向の
道を均し草をむしり
でこぼこを修復する
単純化すれば
それだけのことしかやってないのに
大言壮語して得意げな顔顔心
毎年毎年そうやって
失われた数十年に数十年を
性懲りもなく足すだけのこと
いい加減に目を覚ませよ
とは言うだけ無駄
のぞき見したものに
帳を下ろす
あるいは顔を背ける
「知らんがな」
夢も希望もない
最高学府の出身が
これまた最高の環境下で
どんどんどんどん
国と社会とを沈没させて行く
目先の対策目先の保身
目先の自利に走り爆速する
この国の最高の頭脳とおぼしき連中が
額を寄せ集めて最善策を講じたつもりが
現在という時代では
たいてい外れ馬券の山になる
今となっては
国のリーダーたる官僚も政治家も
その実体は
さすらいのギャンブラーってとこか
やっても無駄だが
やってみなきゃ分からない
「せいぜいお気張りやす」って
京都弁で言っておこう
 
2025/05/12
 
 
「縄文人のDNA」
 
学校行けよ勉強しろよ
人生について教わったこと
その最初と言えばこれだ
学校行けよ
勉強しろよ
とりあえずこれをやっとけば
何とかなる
そういう教えだ
 
何となくそうかと思い
少しは勉強した
けれども小学校では
休み時間は校庭にまっしぐら
中学になると部活で野球
聞く耳がなかったのか
教える者がいなかったのか
世間知らずのまんま
世間に押し出された
 
働いて飯食って
あとは文句を言わせねえ
そうやってやってきた
それは教わらなかったが
世間に相渉って
やっとひとつ学んだ
それしか学ばなかった
いい仕事とか
金を貯め込むとか
そこまでは手が回らなかった
知恵もなかった
あとは出来る範囲で
嘘をつかないとか
真面目にとか
無骨に不器用に
頑張りはしたんだが
どうしても上にはなじめず
好きにもなれず
ああはなりたくないって
最後は喧嘩腰さ
縄文人のDNAなのかな
渡来人には
やられっぱなしさ
 
2025/05/11
 
 
「でくのぼう」
 
小さい頃は
田んぼの水路で泥鰌を捕ったり
裏山にうさぎの罠を仕掛けたり
鳥もちで小鳥を捕まえようとしたり
川で鮒や鯉を釣ったり
いろいろやったなあ
成果はからっきしだったが
準備をしていざ始めるという時は
ずいぶん気持ちが高揚した
今ではそんなことはもうないなあ
いろんなことが自由にやれなくなった
 
少し成長してからは
なぜか気持ちは異性に向かったんだなあ
これも成果はからっきしだったが
運よく一人が仕掛けにかかってくれた
それも今ではもうないなあ
こころ高鳴る期待も何もすっかり消えて
昨今の趣味と言えば金のかからぬことが前提
こんなんじゃ生きてたって仕方ない
そう思うけど自死する元気もないし
成り行きで召されるくらいはよいが
明日死んでもきっと日常は変わらない
 
死んだことを自分も周囲も気づかずに
もし日常が続いたらそれは面白いことだな
そしてもしも本当に自分が死んで
周囲の動揺や影響が少ないとしたら
自分を誉めてやりたい唯一のことだなあ
公道の封鎖もなく献花の列もない
人を動かさぬことに徹した
自分の一生もそれほど悪いものではなかった
きっとそういうことだなあ
高揚は何にもない
でくのぼうでおしまいなんだな
 
2025/05/10
 
 
「不思議」
 
二千年近い前に大きな古墳を作っていた
その大きさに匹敵する大きな勢力が
この島国にいくつか点在した
武力もあり知力もあり
畏れられまた敬われる王や臣下もいて
下々に指示もしていたのだろう
畏れ戦いて下々は指示を受けたのだろう
それから二千年後の今のぼくは
初めてこの島国に住み始めた人たちの中から
どんな経過や経路を辿って
どんぐりの背比べに過ぎない同じ人間たちから
王様や奴隷になるような人たちが出たのか
よく分からなくて不思議だなと思う
縄文時代の遺跡には武器らしいものはなかったのに
いつの間にか集落同士で争うようになり
同じ島国の住民同士で戦うようになり
挙げ句の果てに支配したり配下になったり
どうして人の上下が当たり前になったのだろう
それからはもう
「止めようよ」という人は出てこなくて
力あるものは威張り
下々は力あるものに畏れ戦き
あるいは称えて偉人と遇してきたりした
そしてそれは何となく現在までも続いていそうだ
どうして今のぼくたちも
こんなことはもう「止めようよ」と言わないのだろう
強い者が好き勝手に他者を拘束すること
支配し言いなりにしようとすること
そんな者たちのことばに従って
心にもなく偉くて立派と称えたりすること
そんなことをもう全部
「止めようよ」と誰も言わないのが不思議だ
人間に上下二別がないのは
誰でも知っている
人間に尊卑の二別がないことも
誰でも知っている
また人間に優劣の別はないことも
今では誰もが知っている
それなのにどうしてみんな
ぼくらはみんな同じと言わないのだろう
人の上に人が立つ
過去の歴史は間違いだったと
もう反省したっていい頃なのに
誰もが強くなりたがり
誰もが偉くなりたがり
誰もが金持ちになりたがり
人間の気質や性格は
いよいよ優しくなって行き
いよいよ野蛮になって行く
 
2025/05/09
 
 
「消えて行く日本」
 
血縁もその他の関係も何もない
初任地に近い
それだけでこの地が終の棲家に
なろうかとしている
仕事以外には縁もゆかりもなく
退職後はとどまる理由もないのに
何も考えずに今日まで来た
そしてこれからも
引っ越すのも煩わしくて
ただそれだけで此処に留まるのだろう
 
たぶんぼくらの世代から
こういうことが当たり前のようになった
人間が生涯を過ごす土地との間に
何の思い出もなく
愛着も湧かないという無機的な関係が
大きく横たわってしまった
この団地の家々の半数以上は
同じ思いと境遇の人が住んでいる
古代から昭和の敗戦すぐの頃までは
こんなにも土地と疎遠な関係の
人また烏合の衆は
この国では見聞されることがない
歴史や和歌やその他の読み物にも
こんな世界の書き表しはない
おそらくこの国では初めてのこと
古来の風習にも伝統にも
掠りもしなければ引っかかりもしない
それらから切り離されて
ぼくらは寂しい一群の初代となる
江戸の長屋住まいにはまだしも
情感は路地裏にたちこめて匂っていた
此処にはその情感がない
非文学的で
伝統文化的なものとも
隔絶している
 
2025/05/08
 
 
「ほんとうらしさ」
 
学校に行かないと
学校の勉強が出来ないと
その後が大変だということは
現在の世の中的には
高い確率で本当らしく感じる
普通の言い方をすれば
出世が難しいとか
他人に軽く見られるとか
最終的には
人品骨柄についての
誤解に繋がることもある
それはちょっと違うんだけど
往々にして
難しい試験に合格することや
高い学歴を持つことは
それだけで何か人間として
秀でていると見られやすい
姿形の整ったタレントを
多くの人が憧れるように
学歴の高い人が一目置かれる
それは本当は
知的な判断でも何でもなくて
動物的なだけなのだ
動物的に価値が高いと判断し
感心したり憧れたりする
逆に言えば
そうでないとすると
見下されたり
関心を持たれなかったりする
往々にして世の中は
人格や人間性と無関係な所で
人格や人間性が測られる
どうしてそうなのか
どこにも謂れはないのに
世の中の顔は
みなそのように動きがちだ
そういう見識を芯に置かないと
「ほんとう」に近づけないが
「ほんとう」に近づくと
この世は生きにくい
いろいろと不条理に
この世は出来てしまって
責任は誰もとらない
誰もとれない
だから無力な声でも
絶やすわけにはいかない
真なるものは必ず蹉跌する
ただそれだけが
「ほんとう」らしい
 
2025/05/07
 
 
「五月のある日」
 
グルメ番組が毎日放送される
食べたいと思うけど
外食するだけのお金がない
牛肉のステーキなんか
しばらく食べてない
そう言えばセックスもない
生きると言うことは
食と性への欲求を
目の前にぶら下げてさ迷うこと
どっちも断たれては
出家隠遁どころか
牢獄の住処と変わりない
そんな境遇だと
聖書を読む
お経を読む
念仏三昧する
写経する
詩を書く
くらいのことしかないが
どれもこれもが胡散臭い
 
寝て起きて
テレビを見ては寝て起きて
あとは時々のお天道様を喜んで
外へ出ると小さな森や林の
あの若葉の色
生まれたてのような黄緑色が
いつの間にか
五月の空と風の中に茂っている
これからぼくは
少額の年金の少額を使って
買い物をする
少しの野菜と小魚を
出来れば値下げのものを求めて
食料品売り場をさ迷う
何にもいいことがねぇからイヤ
と言うことではなくて
平和と幸福の
これが現実かと考えると
それがたまらなくイヤ
 
2025/05/06
 
 
「不在の輪郭」
 
小さなリュックを背負い
乾いた道をゆっくり登って行く
いつの間にか
視界は開けていて
どこまでも緑の低木が広がっている
物静かな日差しの中を
若者の姿をしてぼくが歩いている
頭上に浮かんでいる雲を
気にとめてはいない
風だけは少し冷ややかで
気づくごとに強さを増してくる
山頂まではまだ遠い
なだらかに続く尾根の半ばに
少し道が膨らんで
腰を下ろせるほどの石がある
足腰に疲れはないが
喉がかれて
計画の無さを後悔し始めている
やる事なす事
何かが違っている
自分でも望んではいないことを
どうしていつも
やってしまうのだろうか
平日の下界は
誰もぼくの不在を知らない
すぐにでも山を下りて
不在の輪郭の内側に向かって
帰って行かなければ
みんなに気づかれず
魂の住処に帰らなければ
きっと大事になる
 
2025/05/05
 
 
「言説の二次災害」
 
現実世界には
善悪も正邪も貧富も共に棲み
入れ替わり立ち替わり
交互に原告被告の役に就く
そこにそうして立つだけで
複雑な関係の糸に絡まれてしまい
自分のつながりの糸を解きほぐすだけで
日々せいいっぱいの筈
またそうでなければ誠実でない
不誠実が極まると
他人の世界に首を突っ込む
かわいそうだとか
支援しなければとか
余計なお世話とお節介だ
 
そんな無知と薄っぺらな正義感ほど
ほとほと始末に困るものはない
むやみに現場をかき乱し
証拠も指紋も台無しにする
気がつけば
一万円ほどの強盗騒ぎの事件なのに
死者まで出はじめる
その原因は明らかで
関係ないのに首を突っ込む
お節介者たちのせいだ
正義感ぶった不誠実
社会派の顔した身の程知らず
必ずしも
事件は現場で起きるだけじゃない
現場の周辺で起きる二次災害
そちらでの被害の方が
大きかったりもする
 
現実の世界は
きみの善意とか正義とか
そうした「気持ち」で変わるほど
ヤワなものじゃない
善意は悪意にもなり
正義は不義不正にもなる
というのが現実というものだからだ
 
とまあ
田舎の団地の片隅で
生活にくたびれた老爺が
ひっそりと
「お気持ち」を呟いている
 
2025/05/04
 
 
「ことばをなくすという夢」
 
たいがいのことばは風に紛れて消えていった
風を起こしているのはわたしだから
世界に湧くことばたちは
すべてわたしの手で削除されるのだ
そうして世界はクリーンになり
世界をクリーンにしているのはわたしで
この労苦は筆舌に尽くしがたい
 
わたしの倒錯した老後の夢
それは世界からすっかりことばをなくすことだ
考えても見たまえその世界を
朝起きると窓からからりと陽が差して来る
地に沸き立つことばも
空を飛び交うことばも一掃されて
遠くまで澄み渡った世界が無声の内に表れる
太古のままの空気と水と空と森と山々と
目の前の団地や遠景の街々や
街裏の路地や街角がひとつの画布の中に
同じ比重をもって配置されている
世界は眠っているように目覚めていて
わたしたちはその世界を
抵抗なくどこまでも瞬時に移動できる
 
せっかくこの年まで
わたしは生きながらえて来たのだから
これくらいの夢の成就は
朝飯前に行えるくらいでなければならない
そういう老人としてわたしは
年若いみんなの前に
立っていなければならない
 
2025/05/03
 
 
「人間のする〈法〉は〈私法〉を出ない
 
国の特筆すべき働きは
最終最高の利害調整機関で
その任を第一にするところに表れる
この基本の仕組みは古来からのものだ
公正公平であるように
法を持ってこれを行うが
万人に納得出来るようには行えない
そりゃそうだ
法自体は人間が作るものだもの
完璧には出来ない
みんなで話し合ってまとまらない時は
王様とか一目置かれる長の意見が
ちょっと組み込まれもする
また見えにくいけれども
個人の意識や意志の色合いが
文字にも文にも付くものである
そもそもが
国の始まりに法を作ったのは王様で
王様やその臣下に都合よく
決まり事は出来たに違いないのだ
古代からずっと
それは時の権力者・統治者に継承されて
国民主権を謳う現代でも
政府や総理の意向が反映されて
立法されたり解釈されて執行される
それは当たり前にあることだ
意地悪な言い方をすれば
誰でも好き勝手出来る
そしてそれはどうしたって
完璧ではない人間が行うことだからだ
どんなに理路整然と
また公正公平のように装われても
国および集団というのは
本当は今も怪しげな集合体である
利害の調整など
正しく人間に出来ることではないことは
歴史を振り返ると容易に分かる
長らくそれをやってきて
長らく諍いが続くのは
そもそもの始まりに
原因も理由もある
どこまで行っても
人間のする〈私法〉を出ない
その一事に因っている
 
2025/05/02
 
 
「趣味の思想詩人のことば」
 
「この世の中って何か」
この問いをもう少し限定して
資本主義社会って何かって言うと
「金がほしいと考えて暮らす社会」
行き着くとこは
そんな所じゃないかと思う
これはしかし社会主義社会も
共産主義社会も同じようで
現代社会ではみんな金がほしい
いろいろあるが突き詰めて言うと
最後の最後はそうじゃないか
そしてそれは別に
良いとか悪いとかの話じゃなくて
そう考えるより仕方がない
そんな社会ってことだ
これが永久に続くわけでもないし
変えたいからって
すぐに変えられるものでもない
当分の間は金・金・金って
口に出したり
出さなかったりして行くんでしょうよ
 
少なくとも世界人口の下位半分
数でほぼ40億人は
毎日切実に金のことを考えているだろうな
しばらく前の統計で
世界的な大富豪8人の合計資産は
下位の36億人の資産の合計額と同じだって
発表されていたもの
金のことを考えなくても毎日入ってくる
金から解放された大富豪たちには
空気や水みたいなものかもね
彼らの見る光景は別の意味で異質だ
変態に近い孤独を見ている
希少な人種かもね
さてそれで膨大な資産をどう使うのか
たいていろくでもないことに使って
後世に銅像が建てられたり
偉人と遇されたりするんだろうね
 
つまんねえな
最低だし
かわいそうだな
 
自称趣味の思想詩人が
世界のぬるい底辺で
懸命に強がって
とりあえずそう呟いてみせる
彼もずっと
「金がほしい病」に悩まされてきたが
それは秘密にしている
 
2025/05/01
 
 
『贅沢』考
 
食うことに精一杯の時代からすれば
知識学問芸術などへの傾倒は
ずいぶんに贅沢なことだ
経済と対極の幻想領域のことだから
木の実でも穀物でもないそれらに
興味を持つのは特殊で
やはり経済的な余裕のある所でないと
幻想領域の進展はない
いにしえの王侯らの
物的な贅の限りを尽くした果てに
超える段階の贅として
学問や芸術の台頭はある
 
気に入られて召し抱えられ
非経済的な専門人となり
それぞれの分野で専念するようになった
王や臣下の回りでは
米や野菜や魚や肉より価値の高い
優れて人間的な営為
と考えられたかも知れない
しかし古代の庶民平民からすれば
学問も芸術も食えないもの
王侯貴族らに閉じられた趣味
あまり縁のないものだった
 
生涯をかけて学問や芸術に打ち込む
これはもう少し後の時代になるが
それ自体が贅沢となる
なんせ食い物を後回しにするのだから
普通に考えればそれ以上の贅沢はない
人生を棒に振るかも知れない
自分の人生をそれにかける
人生を
一生を
無駄に使う
考えるとこれ以上の贅沢はない
さらに言えば引きこもりも
人類史上最大最高の贅沢
そう考えられなくもない
無為徒労不毛蕩尽と来て
ぼくらは
かつての王や貴族や臣下を超えて
贅沢できている
と考えられもする
 
2025/04/30
 
 
「老後の決意」
 
そこはかとなく
なんとなく
妻子のことばは胸におく
物腰低く柔らかく
四五年ほどは我を捨てて
捨てて捨て得ぬ我も捨てて
波風を周囲に立てずに
行こうと思う
 
波風は
頭の内に収めてきた
そこでならどれだけ騒ぎ暴れても
溺れようが倒れようが
好きにさせてもらえた
これからもそこだけは不変
もちろん言われたら
何でもあっさり変えるけど
 
それよりも何よりも
物腰低く柔らかく
妻子のことばは胸におく
いつだって
時間の財布を取り出して
中身は全部差し出すが
金券ではないので
役には立たぬ
 
2025/04/29
 
 
「詩人たちへの嫉妬を表白する」
 
どこへ逃げようか
森の木々や小鳥や小動物にか
広大な山々や海洋へか
もしかすると
頭の中の網目に分け入ってか
影ある人の
街を散策する視線を追ってか
そうやってこころから
情緒を取り出すつもりなのか
あるいは亡くしたそれを
取り戻すつもりでいるのか
彷徨するだけしまくって
感受性をひけらかして
他者との約束に持ち込むのか
ぼくとは違うなあ
ぼくはそんなんじゃない
読者を魅了し感心させる技術がない
まして芸術の美も言葉の美も
ぼくはそんなに好きじゃないかも
強いて言えば完成形でなく
綻びや醜さもあり美を恥じらう
それが好きでそれが無いものはつまらぬ
詩人たちは協会や賞に向かって書き
共感のコミュニティー作りを為して
言葉の綻びを無くし
その詩は洗練されスマートになった
言いたくはないが
売れる詩を書けるようになった
羨望もしたがつまらなくも感じた
発表するどれもこれもが
すべて商業詩の完成した水準になった
あれからきみの詩は
道端で拾い読みする
そんな具合には読めなくなった
 
2025/04/28
 
 
「生活の質的向上」
 
AIで生活の質的向上
と言うフレーズをどこかで見かけて
またバカなことをと年寄りは思う
AIに頼むほど落ちぶれちゃいないよ
ただいまが質的貧困と
項垂れているわけでもない
CMに流れるさまざまな生活モデルや
オール電化の暮らしも
特殊詐欺また詐欺メールの片棒を担いでいる
としか思えない
そんなふうに被害者意識が強い
年取ると分かる
世の中はノイズだらけだ
金持ちや若者向けだけに消費を煽り
煽りが垂れ流しでうざったい
年寄りが住むとこじゃない
市も町も村も財政とサービスに
狂った世界になっている
介護サービスなんてどうでもいいや
「姥捨て山」を作れ
日に4本の送迎バスを運行し
強制連行せよ
天候が良かろうが悪かろうが
2時間程度を野に放し
明日も来るぞと脅しをかけよ
半年もすれば半分は
畑を作ると言い出して
一年たてば見違える
AIなんかに頼らずに
年寄りの生活の質的向上は
そうして実現する
 
2025/04/27
 
 
「今も継続する〈私法〉
 
さまざまに改革したり
修正したりを繰り返しながら
この国の歴史は今日まで積み重ねられた
進化や発達は目まぐるしい
人間は持てる力を発揮してきた
精進を重ねてきた
なのでずいぶんと
祖先を尊敬もし感謝もする
 
前置きはここまでで
この人間世界にひとつだけ
不審に思い続けていることがある
それは国についてであり
その成立の初めから
武力や権力による支配が続けられ
以後覇権の交代は幾度も成されたが
社会の上位に居座り続ける
国すなわち支配構造の是非を
本質真っ向から論じ
全体で議論したことは一度もなかった
例えば民主主義の今日においても
不問に付したまま
かえってみんな口を閉ざすようになった
 
これが現実だからしょうがねぇだろ
荒っぽい論はそうだ
それにこれを口にする機運でもない
だが逆に歴史を辿り
現在社会の出発点と言える所まで遡ると
国の創立時点に行き着く
その時から文字が多用され
国の創始者による法と罰の支配が始まった
それ以前の世の中を自然の世〉と呼べば
以後の社会は〈私法の世〉となり
要するに自然とも神ともまったく異次元の
動物の一員のそのまたひとりの人間の
恣意的な私法〉が
大勢の民を統べることとなった
〈自然法〉は公平公正
等しく恵みと厄災とを与えるものだったが
私法〉は上下尊卑を定め
税を持って不耕盜食また財を蓄え
兵の組織と臣下の従順にその財を用いた
 
日本の国の創始者
入れ替わり立ち替わりの支配の将軍たち
税と刑罰の法を基礎に置く
その構造はそのまま受け継がれて
今日に至っているでしょう
その始まりとその後の踏襲継続は
人間の在り方として
あるいは社会の在り方として
本当に正当で理想に適うものだったか
また現在においても正当なものであると
本当に言えるのかどうか
世の学者たち識者たち
あるいは先進のインフルエンサーたちの
すべての者にそれを問いたい
今もきみたちはただその前提に立って
国という在り方に疑義を持たず
あるいは不問に付して
それを利用してこれまで生きてきたし
これからも生きようとしている
 
2025/04/26
 
 
「むかしは良かった」
 
内部告発とか内部通報の問題
また公益通報者保護制度の問題が
大きく取り上げられている
こんなのが話題になること自体が世も末
昔から火のないところに煙は立たずと言った
煙が立ったら何かある
付け火なら誰かが見てる
高度な文明と科学技術がない時代の方が
嘘はすぐに見抜かれたし
嘘の見抜き方もよく知られていた
 
昔はどこの村にも諫める人がいて
「嘘はつくな」と言えばみんな従った
どうしても仕方なくて
つきたくない嘘をつく時は
体がブルブル震えた
そこまではっきりしなくても
顔つきや目つき
またしゃべる様子を見て
嘘かどうかは誰でも判定できた
世の中が便利に発達してから
人たちは巧妙に嘘をつけるようになった
勉強が出来て頭が良くなると言うことは
そういうことなんだと
このごろやっと気がつくようになった
悪いことも巧妙になって
数えきれぬほどに悪事も増えた
良いことが増えると悪事も増える
昔はその逆で
良いことも少ないが悪事も少なかった
悪事が少なければそれだけで
集落の家々はどこも年中鍵などかけず
隣家には自由に出たり入ったり
見透かしもし見抜かれもしていた
そうしてもう毎日は
朗らかに笑うしかないほど貧しかった
その日暮らしのようだった
そんな時代さ
そんな時代に砂かけて
さっそうと新幹線に乗り
また飛行機にも乗って都会に出て
柵の無いのをいいことに
ここぞとばかり
たくさんのいい夢も見たのさ
そうしていい年になって振り返って
さて今さらながらに
死語と化した常套句を思い浮かべている
老婆と老爺たちの頭や胸の内
もうこうなったらさ
念仏のように声に出していこうよ
さあみんなで一斉に行くよ
さん、にぃ、いち
『むかしは良かった』
 
2025/04/25
 
 
「トコトコ歩いて去って行く」
 
家族の見守る中に
ひょっこりと生まれてきて
それからは周りの力と
自分の力とで成長ということになる
言葉も身に付け
考えることも出来るようになり
少しずつ自力で生きられるようになる
まあそこまでは
そしてたいていはそこからも
喜怒哀楽や四苦八苦
変わり栄えのない人間の生き様を踏襲して
峠を登って行き
やがて峠は下る仕儀になるわけだ
 
どんな地域のどんな場所の
どんな時代のどんな家族のもとに生まれるかは
生まれてみないと誰にも分からない
気がついたらそこで育ったという以外に
何も言えない
たまたまとか偶然にとしか言いようもない
だがひとりの人間がそこに生まれ
そこに育つということは運命的であり決定的だ
拒絶は不可能であり受け入れるしか方途はない
しかも知らぬ間に
性格や能力は付与されたり
形成されたりしてしまっている
身を捩って変えようとしても容易ではない
それはある意味牢獄のようであり
生涯それを引き摺って歩まねばならない
もしもそれがメリットや利点とかでなかったとしたら
もしもそれがハンデキャップとして作用したり
機能するものでしかなかったとすれば
彼にとっての生涯とは
 
それでもわたしたちはこの地上を
誰もがそうするように
また他の生き物たちがそうであるように
呼吸をしたり水を飲んだり吸い上げたりして
トコトコ動き回ったりもして行くのだ
それは必ずしも悪いことばかりではない
例えば一枚の画布を用意して
指図なく好きかってして自由に絵を描く
そんな無償の遊びに興じる機会は山ほどもあり
また実際に行ってもいる
それは何とも人間冥利に尽きることで
誰もが体験的に知っている
そしてたったそれだけで人生をお相子にして
言葉の引き際に世界を許しながら行くのである
許しながら行きたいのである
無念を消して行こうとするのである
そこにはどうしても
わずかな哀しみが滲むのである
 
2025/04/24
 
 
「冷たい指先」
 
冷たい指先を
包んであげたことがない
過去のすべては
思い出から滑り落ちて
みんな風に消える
 
こころは
身ぐるみ剥がされ
寂しく貧しく
背を向けて震えていた
温もりから
黙して去らなくては
湿った家を
願望から消さなければ
肌をひっかく
茨を行かなければ
 
冷たい指先を
包んであげたことがない
愛という文字は
妙に霞んで読めない
冷たい指先は
包んだり包まれたり
するものではない
火にかざしたり
手袋をつけたりして
無言で時間をまたいで
行くものだ
多かれ少なかれ
他の生き物たちは
ひとりでに
そうしている
 
それではいけない
と言うのなら
やめてもいいのだ
とっくの昔から
人としての底は抜けていた
 
2025/04/23
 
 
「桜は散るぞ」
 
桜は散るぞ
いい気分で
花の下にて春死なんなどと
いつまでも浮かれるな
物価高騰
お買い得は茄子にトマト
安定のもやしに豆苗
ジャガイモと大根は
かさ増しに使う
最近は我が家の定番
米の値が下がらない
年金は目減り
貧困に増さる健康はない
まっすぐに明るく
飢えないことに専念
頑張ろうって
身と心とを集中させて
さあこれからの
季節に向かって対峙して
夏までは
家族みんなで元気に過ごせ
 
2025/04/22
 
 
「まだその身を休ませるな」
 
マスメディアとパーソナルメディアの対立
そんな構図が話題になっている
街中で喧嘩に出くわしたみたいに
悪いのはあっちでこっちは正当防衛だった
なんて考えるのはまずい
マスメディアはマスメディアとして劣化し
パーソナルメディアも見るところ
いい気なもので苦悩がない
それらの言説に見るべきところはない
引っ叩いたり足かけしたりしながら
やっていることは昔ながらの数頼みや
平板な善悪や倫理の訴えでしかない
立ち位置がだめ
足場がだめ
どちらも現在そして現実を肯定した上で
正義を取り合っている
無駄で無意味な喧嘩だ
生活者の困窮からの脱出や
階層から来る日々の抑圧の問題とは
縁もゆかりもない街場の喧嘩
ついどちらかに加担しそうになったら
もうきみも
ひとつの階層の一員として
自分を階層にはめ込むことになってしまう
悪くはないが
思想の自立は消滅する
苦しく飛翔し続けた自由も
足下に落下する
飛ばずとも浮かんでいるだけでよい
まだその身を休ませるな
 
2025/04/21
 
 
「意識の老い」
 
体はあちこちにがたが来ているのに
意識は自体として
がたが来ているようには捉えていない
体にがたが来ているのだから
本当ならば意識に影響が出ておかしくないのに
どうして意識は
不変のように振る舞うのだろう
意識を意識が眺めると
どこにも傷や故障が見当たらず
二十歳の頃と変わり栄え無く見える
数年の内に消えゆくもののようではない
要するにこれが
実感が湧かないというやつだが
もう少し丁寧に見ると
意識から欲動の薄まりは実感する
強いて言えば
このあたりが影響といえば言えるか
意識は少し穏やかになり
優しくもなる
悪について罪について
以前ほどの憎悪が湧かない
明らかに
糾弾の意欲も薄まっている
 
2025/04/20
 
 
「世の中は変わらんようにして変わる」
 
マイブームの切り替わりが
最近ずいぶん早くなった
外を見ても
最近の流行かと見ていると
あっという間に下火になっていたりする
急に盛んになって
急に沈静化して
対象だけが次々に変わる
 
こだわりも心配事もすぐに変わる
そういえば
最近の若い女優さんや俳優さんたちも
次々に顔立ちの整って似通った人たちが出て
やっと覚えた頃にはまた入れ替わったりして
だんだんと興味も薄くなる
戦争もあり紛争もあり災害もあり
次から次へとニュースもひっきりなしだ
ひとつの事件が解決する前に
畳み掛けるように事件は起こり
追いかけることも億劫になる
そう言えば学歴社会や
受験戦争に反対する声も以前はあった
今はどうなったんだ
 
世の中は変わらん
昔のように良いことも悪いこともあり
ただ情報化社会になった分
目まぐるしく情報が飛び交う
それでもう全体がうんざりし始めて
田舎から過疎が始まり
それで次第に都市にまで波及して
やがて少子化から少人化に進むのかな
その頃には世界的に
大いなる反省が起きるのかな
世の中は変わらんようにして変わる
ぼくらはその途次で
音もなく消えて行くんだな
 
2025/04/19
 
 
「『まっとう』論」
 
昔住んでいたアパートの近くに
食料品から雑貨まで売る小さな店があった
50前後の店主がひとりいて
そこでぼくはよく豆腐とキャベツを買っていた
ある日堅気と思えぬ客が二人店にいて
店主と言い合いになっていた
詳細は覚えていないが
その時の店主の言い分は今でも覚えている
 
店主が言うには
自分は「まっとう」な暮らしをして
「まっとう」に商売もしている
「まっとう」とも見えぬおまえたちみたいな連中に
とやかく言われる筋合いはない
顔でも洗って出直してこい
そんなことを言っていたように思う
ぼくは目からうろこで驚いた
普通のおじさんの「まっとう」という言葉が
そんなにも力強く光を放つことを初めて知った
どんな文学者や思想家の言葉にも
「まっとう」に籠もる力強さを感じたことがない
 
その時の店主の言い分を解説すれば
「まっとう」に生きるということは
一般の人が普通に生きる生き方を指すものであり
それは人間が生きる生き方の中で
最も普遍的で価値ある生き方である
そして偉人聖人であろうが
社会の落伍者や脱落者であろうが
文句のつける筋合いのない生き方であると
明確に断言するものであった
 
「まっとう」に生きようとしたら
曲がった生き方はしないし出来ない
そのために苦労したり不利益を被ったり
損をすることがあるかも知れない
けれども「まっとう」を
もっとも大事と心的な中心に置くところでは
そのために被る困難はさほどの障害にならない
どんな事態を迎えても
「まっとう」であろうとすることだけを
一番に心がければいいだけだからだ
 
「まっとう」が弱者になっていいはずがない
「まっとうでない」者が
「まっとう」の上に立っていいはずがない
けれどもこの頃の世は
これが逆転している気がする
かつての店主のように
「まっとう」に生きる人はもう少し
胸を張っていい気がする
「まっとう」を盾にして
「まっとうでない」言説を撥ね付けたり
蹴飛ばすくらいが丁度いい
「まっとう」は屁理屈じゃない
科学知じゃない
つい先だってまで
この島国に息づいていた
庶民の美学であり哲学である
 
2025/04/18
 
 
「何も見えない日」
 
籠もっていると風がない
子どもらの声からも遠ざかり
新たな風の驚きもない
季節はどこを過ぎようとしているのか
わずかにモニター画面が
季節の便りを映してみせるが
そのたびに拒絶が走り
画面を変えてしまう
 
新しい新芽のような風は
どこに起きているのだろう
獣たちの咆哮は
どんな森の闇を求めているのだろう
異物のように朽ちて行く感性と
きれいに磨かれた人工の大理石の感性と
すりすりとまたざらざらと
肌と肌とがすれ違うことがない
今のままでこのままで
名も無い花の落ち際が
遠くかすんで見えてこない
どこかで幻聴が
さざ波となって
聞き耳を立てている
 
2025/04/17
 
 
「個性」
 
不調でも
耳を澄まして
目を閉じる
それが合図となって
もう畑に
飛び出している
ひとつふたつ
鍬を打って
調子を見る
そこは畑は畑でも
言葉の畑だ
 
畝半分で戻ったり
4列分を仕上げたり
日によって
調子によって
バラバラに作業が進む
まあこれが
やっと見つけた自分かな
分かちがたい
個性かな
 
2025/04/16
 
 
「底が抜けたので」
 
底が抜けたので
バラバラと落ちて行くものがある
そこまでは分かっているが
その余のことは
驚きが大きくて記憶にない
突然大地がひび割れた
嘘のように陥没した
想定外のことが
現実に起きている
人間の暗黙の約束事である
それの底が抜けたのだから
どん底の底が抜けたのと同じだ
あり得ないことだが
こうなった以上
もっと下に向かって
次の突き当たりまで
掘り進むより仕方ない
異常が異常で無くなるのだから
正常の範囲に置き換わる
そんなことでいいのか
点検されないといけない
 
2025/04/15
 
 
「命なりけり」
 
やっと桜が咲き始めて
その途端に気温が急降下
今日は雲厚く小雨が降り続いた
ガクッと音立ててくず折れて
一日塞いでいた
心にはこんな日もあり
何よりもまだ
らしく反応も出来て
健全さの証だろう
そう自分に言い聞かせれば
にっこり微笑む
すぐにそんな日も来るさ
 
あったかに
膨らんだ日差し
真っ青な空
見上げる満開の桜
 
駄目なら
ドライブで北上
そんな手もあるし
だめならだめで
来年がある
いくらでも気を取り直し
気持ちを切り替えて
そうやって
ここまで越してきたもの
これからだって
〈命なりけり〉
行けるところまで
 
2025/04/14
 
 
「孤立死は最終表現」
 
孤立死が増えていて
これはしかし
生前の暮らしの延長だろう
ぼくらは予備軍で何とも思わないが
市町村で困るのだろうな
家族親戚知人らで
何とかしてほしいわけだ
またこれまでは
何とかしてきたわけだ
 
そろそろとなったら
粗大ゴミのチケットを買ったり
火葬の予約券を買っておけ
ということになるのか
あるいは介護料みたいに
年金から差し引くのか
そういう準備を
役所はしておこうと言うことなのか
ぼくらとすればただ
大地に還ったり
大海に流れたり
して行くだけに過ぎないのだが
正直身を清め
身の回りも清めてと行けるのかどうか
死後のことは確証できない
なのでここはひとつ
今のうちから
環境整備費かなんかを蓄えて
大型機械でごちゃっと潰して
可燃ゴミで焼いてもらえば
それでよい
何ならそんな誓約書に
生前にサインしておいてもよい
ぼくはそんな待遇で十分だ
生前からもそうだったから
怨めしく
考えたりはしない
好きなようにやってくれ
型どおりの尊厳で扱ってもらうことは
これっぽっちも望まない
 
2025/04/13
 
 
「後追い」
 
胡座をかいて背を丸め
小さく息を吸ったり吐いたり
目を開いたり閉じたり
していると
知らぬ間に目が閉じて
知らぬ間に頭上から
時間の滝が
落ち始めている
 
こうやっていくらでも
隙間は埋まって行くものだ
老いたる人よ
気にかけたことも無かったろうが
いつかの父と母も
同じような佇まいで
駆け抜けて行った
同じその道を
その恰好で
 
ふと振り返る
そのまどろんだような
父と母との顔の中を
時間の行列が
滝のように音もなく
落下して行き
言葉たちがいっせいに
後を追って
離れて行った
 
2025/04/12
 
 
「『一掃プラン』という妄想の歌」
 
米価のつり上げや
物価高騰に無策の策を弄して
若者世代にこびを売り
とうとう高齢者叩き
老々介護夫婦を潰しにかかってきた
あと3年無策を続けたら
たいていのお荷物は一掃される
若者の負担は軽減し
支持された政党は躍進し
この国の未来を明るく照らす
 
もはや老いたる我々は
腹を立てても仕方がない
舵やハンドルは握られている
これが尋常な末路である
だってこのほかに
やりようがないんだものと
苦渋の決断かのように
会見の場ですずしげに語る
そういう連中が
舵やハンドルを握っているんだもの
明らかに白黒はついている
経済と政治が結びついた社会は
こういうことになる
これが普通なのだ
今さら慌てふためいても仕方ない
だいぶ昔から
この島国ではこうやって
大小様々な口減らしをやってきた
そうして上層者だけに
甘い蜜を貢いできて
いざとなると
こうした仕打ちを受けるのが
我々下層の大衆なのだ
 
子どもが減って
老人たちも減って
この島はこの先どうなるのだろう
嫌なら大金を稼げ
海を越えたアジアの片隅で
詐欺師たちは
口々に言っているだろう
生き残りをかけて
縄文も弥生も
歴史を駆け抜けた
 
2025/04/11
 
 
「人間には責任が取れない時代」
 
言葉に融かされて
社会の底が抜けようとしても
慌てるにおよばない
もっと風通し良く
底の方から吹き上げる
気楽さも見えてくる
この世界ではどんな個も
責任の取りようがない
ただ取ったかのように
見せかけが出来るだけだ
個自身に対しても
 
社会の底が抜けたら
きみの底も抜ける
伝統も風習も規範も抜けて
不安な自由の
まっただ中に投げ出される
何を言ってもやってもよいことになり
その代わりに羅針盤も
地図も持たない旅人となる
コンクリートとデジタルに
占領されたこの世界を
風に吹かれるように
成り行きで通り過ぎる
すべてのことに責任のない身軽さで
カッポカッポと歩いて行ける
人為による
人為的な底抜けの被害は大きいが
やるべきことはただひとつ
黙して行きつ戻りつ
道をこしらえて行くことだ
ただそれだけを
気楽にこなせ
それ以外のことを
気にしてはいけない
人間には責任が取れない
そんな時代だから
そんな時代が
始まっているから
 
2025/04/10
 
 
「妄想の少子化考」
 
集団で登下校する子どもらに
一列で歩きなさい
と声がけをする空しさは
すでに現実に屈服していた
教職を辞して二十年
少子化は屈服の証と思う
 
見事だった
保育と言い教育と言い
無事飼い慣らしを成功させた
危険から身を守るすべを
カルガモの子たちに
身につけさせた
大きくなった子ガモは
もっと進んで
危険回避のために
少子化を決めた
 
それにはさらに
より大きな理由もあった
親たちも先生も
車の進入を止める力を
持たないことだった
さらに社会全体が
社会の繁栄と子ども世界を天秤にかけ
社会の繁栄を優先させたところにあった
この国全部が
子どもひとりの命
あるいは子どもひとりひとりの心は
地球よりも重いと
本心から考えないところにあった
口先だけで
「命は大切です」
と平気でいうところにあった
大人になった小ガモたちは
自分たちも人間だと知って
絶望した
人間のままでは
子を養う資格がないと
成長の過程で細胞に刻んだのだ
それからはもう
自分が楽しく生きるために
どうするかだけを考えて生きる
そういう選択をした
現在も未来も
自分だけのものとした
 
ぼくらの声に出さぬ警鐘は
その選択を決断させるための
手助けをしたに過ぎなかった
教職在籍の二十年は
屈服の歴史に過ぎなかった
大きな声では言えない
ほかの生き物たちと見分けがつかぬ
野蛮な子ども期の世界を
跡形もなく
地上から消し去ってしまった
地上に残るのは
大人の人間たちの
明るく陰険な世界だけだ
大人世界に
平安が訪れた
見れば野蛮の極みだった
人間の究極の
願いだった
 
2025/04/09
 
 
「自己暗示」
 
生まれて来る命は
時と場所とを選べない
生まれた時にはもう
例えば地球は46億年前の誕生で
以後膨大な歳月を積み重ねて出来ている
人間の誕生も
その後の人間史の歩みも
人間社会の変遷も
考えられないほどの進化を遂げてきた
生まれて育ち
人間以外の動植物は
種の発生時とさしたる違いなく
自然の摂理に従って生きている
たかだか地域性や風土に規制されるだけだ
人間だけは少し違っていて
その違いが個の生涯に強く影響している
それは人間の社会に
上下の階層があったり
貧富や尊卑の別があったりするからだ
このことはずいぶんと
人間世界の悩みとなって今も続いている
勉強が出来る出来ない
資産家の家に生まれたかそうでないか
上流に生まれたかそうでないかなど
誕生の時点で
アドバンテージやハンディキャップを
背負って生まれて来る
もちろん是正措置も考えられて
学校教育などはその一例だ
だがこれも根本的な対策とは言えない
というよりも逆に解決から遠ざかっている
太古から比べれば
人間の暮らしは遙かに向上した
けれどもその一方で
人間の意識や精神の面では
暗く長いトンネルを
今も歩み続けることとなっている
そうして現在は
あろうことか自己暗示や自己催眠をかけて
生き抜こうとする時代に入っている
わたしは幸せである
わたしは満ち足りている
そう自分に言い聞かせて
乗り切ろうとしている
かく言うわたしもそうなので
これが異常でないとしたら
人間の世界はもう
終わりかけている
 
2025/04/08
 
 
「令和のおぼっちゃまくんたち」
 
昔の漫画に
「おぼっちゃまくん」があった
小林よしのりの
下ネタ満載のギャグ漫画だ
ほとんど忘れたが
登場人物の中には
「びんぼっちゃま」がいて
ちょっと覚えている
二人は好対照の金持ちと貧乏
おぼっちゃまくんは
あっけらかんと金持ちのバカ
びんぼっちゃまは元は上流家庭
今は貧乏と言うことで
プライドが高く意地っ張りだ
二人は性格的にも大きく違い
おぼっちゃまくんは周囲を和ませる
びんぼっちゃまは逆に周囲を緊張させる
その違いがある
 
このところ何気なく
都道府県の知事らの動画を眺めていて
たいていお殿様の雰囲気でいるから驚いた
ああ「おぼっちゃまくん」だと思い出した
知事にするにはあっけらかんとバカな
おぼっちゃまくんを推薦したい
びんぼっちゃまは少し屈折があり
プライドも異常に高いので
職員からすると扱いにくいと思う
そうなるとおぼっちゃまくんが無難だ
明るい県政になると思う
二人の友情のよしみで
びんぼっちゃまには人事部長をさせたい
意外に公正公平なところがあるからだ
 
2025/04/07
 
 
「人間性の破産宣告」
 
小中高と一貫して
先生や同級生の批判悪口を
専らにしていた
その頃の年代は誰もがそうで
ただ詳しくは知らない
嫌なこと
嫌な奴
そこには敏感な受信機を
みな備えていたのだろう
 
大学のゼミとかサークルとかは
活動を装って
実は異性を獲得するチャンスで
あの手この手を使う
自分もそうだったので間違いない
 
民間の会社員時代は
職場に中卒高卒もいて
仕事以外の生活を楽しんでいた
パワハラセクハラもやり放題
良い悪いは別にして
明るくエネルギッシュで活気があった
世の中のいい加減さと真面目さと
必死さや不敵さなど
いろいろ混じり合って
ハンパない刺激があった
二十数年教わったことのない
生の現実が目の前にあった
 
今も社会的な不祥事として
様々に報道されるあれこれは
昔からいくらでもあったことだ
初めて見たいに
蒲魚ぶって報道するのはおかしい
一事が万事で報道が駄目
会社や企業の政治的な動きが駄目
スポーツも芸能も
ことごとく駄目な部分を持ちながら
たいていひた隠しに隠し通す
政治だって経済だって司法関係だって
隠す隠す隠す
これでねえ
前向きにとか建設的にとか言われても
次の言葉が出てこない
 
駄目な社会だからと蓋をして
ああしてこうしてそうしなさいと
懸命に善だけ注入してもさ
子どもの感覚器は鋭敏でさ
みんな見抜かれて
そのあげくが現在社会の再生産とくれば
もう虚偽満載の社会の限界を迎え
人間性そのものの
破産宣告を告げられる日も
間近になったと言えそうさ
最後にボンと
破裂するのかしないのか
 
2025/04/06
 
 
「面白い見世物」
 
ある決まった階層・序列・秩序を崩そうとすると
正攻法では太刀打ちできないので
嘘やデマや誹謗中傷や脅迫など
あらゆる非合法まがいのゲリラ戦法をとり
立ち向かっていこうとする
そしてそこではちらほら暗躍する宗教もある
 
椅子の取り合いからの権力闘争
国を作ってからこの方
休みなくずっと続けてきていることだ
新規の参入者はSNSとか
YOUTUBEとかからの参戦
ゲリラ戦の形態はいろいろだが
内容には新味の欠片もない
専ら奇策や裏技を使い
知や学といった拠り所なく
このままでは早晩
居場所と行き場とを失う
面白い見世物で終わる
 
2025/04/05
 
 
「辺境からの疑義」
 
文字の記述による歴史は
関東より西南
また奈良から京都あたりの
権力闘争が中心になっている
記紀においては
九州や山陰の出雲地方も出てくる
さらに先進文明技術や
文化の発達の促進という側面で
渡来人たちの果たした役割も大きい
西日本が中心となり
大陸などと広く深い交流が為され
内側では次々と小国の併合が為された
ほぼ統一の目処も立った
いっぽう東日本は交流が遅れて
文字の伝来伝播も遅く
以前の文明や文化の
継承や洗練に長く足踏みしていた
その分古い島国らしさを濃厚に残していた
 
大陸との交流から刺激を受け
西日本は新たな島国へと転身した
それ以降新たに組み直された
統一的秩序および序列をもって
東また北方へと進出と侵出を進めていった
島の独立性とか独自性は
こうして徐々に希薄になって行った
駆逐された文明文化を
より古い日本と考えるべきかどうか
先進の技術や文化を受け入れて
新生日本を統一したそれを
遡るべき日本の源流と定めるべきか否か
未だに迷うところだ
 
東北や北海道は
未だに傷ついたままだという気がする
この島国のどこまでも古い純正な文明文化が
どうして大陸イズムの文明文化に
降伏しなければならなかったのか
もっと言えば外来を祖先とする文明に
どうしてこの島国を
乗っ取られてしまったか
頭を抱え込んで塞ぎ込んだままだ
東北や北海道にとっての故郷は
はるか縄文に遡る
そこには今も
この島国の古く純正な住民の魂が
眠っていると考古学は言う
 
2025/04/04
 
 
「物価高騰の腹立ちを歌う」
 
空襲警報発令
それ位の緊張感のある報道が
為されていいのじゃないか
物価高騰警報
一般の高齢者や少額年金生活者には
米や野菜に及ばず
生活必需品の高騰が何より痛い
おしなべて1・5倍から2倍
生活水準を半分に下げて耐えている
病気になれば
不自由になれば
成り行きのまま季節に朽ちる
草花の定めを踏襲する
ひとりならば甘んじてもいいが
見回すとみな似たようなもので
憂と鬱との顔ばかりだ
 
言っていることとやっていることと
あまりに違いすぎやしないか
人たちの暮らしに奉仕すべき
ぼんくらな公僕どもよ
胸を反って威張る
中身のない口達者な面々よ
不眠不休の働きは
何に向かって
どこに向かって
誰に向かってやっている
職務に誓った通りであるならば
君たちの思慮や能力は
とっくに現状を変えているだろう
それが出来ずにいて
自分たちの上級の暮らしは
不問に付すなんて何だ
報酬は当然とばかりの
その厚顔は何だ
おしなべて役立たずの厚顔に
下層の老人から庶民まで
顔を背けるだけが精一杯だ
 
2025/04/03
 
 
「幻想の潰し合い」
 
オーソドックスな権威が
ガラガラ崩されかけている
長年その権威に対し
その堅固さに対し
不満に思っていたぼくらに依ってではなく
権威を権威とも思わぬ者たちによって
いとも簡単に超えられてしまった
なんとその方法は無視という荒技だ
権威を権威と感受せぬ
無知の無視が勝利したことになる
権威の半宗教性が
無視や無知には通用しない
そういう弱点が露呈した
何ともあっけないことであった
権力者たちにとって朗報である
民主主義はこうして超えて行く
オーソドックスとは真逆の
ネオナチ・ネオファシズム
ネオスターリニズムの台頭である
オーソドックスな権威に対する
下剋上である
それでもいかにも日本的で
ちゃちで頓馬で馬鹿だから
まだ地方でしか生息できない
 
ぼくらは加担しない
どっちもどっちで
オーソドックスも異端も
いずれも盗み食い
貪り食いの常習者の別名だ
共倒れするのが一番いいが
そう上手くはいかないだろう
せめて高みの見物で
近寄ってきたら
撃ちてし止まん
 
2025/04/02
 
 
「少子化の道」
 
人間てのはなぁ
下品なんだぞ
道端で立ちションベンしたり
ところ構わず
たばこの吸い殻を捨てたり
つばを吐いたり
酔っ払ってゲロを吐いたり
五六十年前までは
そんな生き物だったんだ
じいちゃんのふんどしは緩み
母ちゃんはどこでも
子どもにおっぱいを含ませた
指に塩をつけて歯磨きしたぞ
頭にはシラミがいたぞ
夜布団を敷いたら
始めに蚤潰しをした
ぴょんと跳ねる蚤を捕まえて
プチップチッて
トイレは汲み取りでさあ
臭かったんだけど
それが当たり前でさあ
何でもないことだった
 
戦後だから
そんなんでは日本は駄目だって
上級国を真似て追って
ずいぶんと急激に変わった
中央の意に沿って
またぞろ一丸となった
誰も彼もが変わろうとした
みんなで進んできた
みんなで信号を渡ってきた
おかげで紳士淑女風になってさ
衛生的にもなり都市化も進んだ
みんな小金を手にしてさ
それからなんだか物騒になってさ
田舎の家々でさえ鍵をつけ始め
裁判沙汰も増えてさ
いつの間にか
どこもかしこもギスギスし始めた
田舎からも街場からも
子どもらの輝く目と笑顔とが
潮が引くように
さっと消えて行ったな
立ち上がれないほどに参ったさ
繁栄の裏の崩落
それは滅びの姿にしか見えなかった
時を同じくして
この国の人間は
見かけだけは先進国並みになった
下品が残るぼくらからすれば
上品なゾンビが闊歩する
そんな社会になったと見えるな
ゾンビとなった人間は
負け知らずさ
 
2025/04/01
 
 
「空っぽのカボチャ頭」
 
情報発信の媒体やツールが増え
公的と私的と
情報量は過剰で
その分逆に興味は薄れてくる
デジタルなので
放っておけば残る
見ようとすればいつでも見られ
たとえ消されても
似たような情報はまた
いくらでも無限に再生産される
そんなこんなで
いつまでも
情報に付き合う必要もなく
そんなこんなで
遠からず飽きもして
情報の流行も
早晩衰退するのだろう
残念なことに
思ったほどの価値ではないと
気づくだろう
知識や情報はすべて
デジタル館に貯め置かれ
人の頭脳を離れる
さてそうなると
空っぽのカボチャ頭で
ぼくらは何を考えようか
 
2025/03/31
 
 
「新しくどこかに進んでいる」
 
統一される以前から
この島国はあり
人は住み
社会的生活も営まれていた
統一以前を遡れば
一万年以上も続いている
 
島国が日本国と統一されてからは
長くても二千年足らず
だから統一される前の
数千年から数万年の間は
家族なり親族なり地域なりが
不統一でばらばらに
あるいはそれぞれの暮らしが
続いていたのだろう
そしてその間に
実にゆっくりとゆっくりと
日本国形成への流れは
日本国統一の準備段階は
進んだとみられる
 
とすれば
統一以後は統一以後で
今度は何かに向けて
どこかに向けて
着々と進み始めている
そういうことになるのだろう
現在がどこに向かっての
どの地点にあるのか分からないが
誰にも知られずに進んでいて
現在は何も知らずに
前を向いて進んでいる
 
2025/03/30
 
 
「首をひねる老後」
 
仕事はもうない
やれる仕事もなければ
やりたくもない
明日ぽっくり逝っても
おかしくない年になった
 
こうなってみると
 
人生の大半はノイズだ
それでいてそのノイズが
何と言うか
人生の9割を占める
ノイズは意識で
意識がノイズ
 
ノイズだというのは
この年になると分かる
クリアなのは
出生時と晩年だけ
目的も目標もない純粋に生
不思議なことに
その期間の生き方に
人間は慣れない
動物や植物の生き方に近く
無意識が増さる
 
こちらが余計なのか
あちらが余計なのか
まだ明確には分からない
ただこうして引いて考えると
ずいぶん遠回りして
そのあいだ
何のために誰のために
時間を使ってきたのかと
首をひねる
そんな老後だ
 
2025/03/29
 
 
「つよがり」
 
迷惑をかけないように
しがらみを断ち
孤独になって孤立して
その代わりに
好き勝手を言う
誰もが躊躇するような
ことも言う
 
変人と見られても
愚か者と指さされても
一人なら耐えられる
反発も出来る
観念の村八分にも
逆村八分で対抗
一人なら
怖いものなしに行ける
倒れるのも
一人なら平気だ
 
そんな条件も環境も整って
いざとなったら歯が抜けた
腰が痛む目が見えぬ
鼻はつまるし
食後はすぐに眠くなる
好き勝手言う間もなく
考えてはすぐ疲れ
考えなくてもすぐ疲れる
そんなこんなで
もうすぐゴール
直前で足が絡まり
ばったり倒れ
這って這ってたどり着く
そんな晩年に幸あれ
そんな晩年にこそ
あこがれる
 
2025/03/28
 
 
「システムの始まり」
 
自然のすべてに神が宿るという考え
それが祖先の考え方だった
そう主張する人たちがいる
いかにも尊い考えのように言うが
祖先の一部にはその神々を利用して
実際は聞きもしない声を
自分に乗り移った神の声だと嘘偽り
あるいは信じ込んで
神を私物化するものが現れた
神の声を聞く者と自称し
神と人との間の天子と言い放って
一つの国を作ってしまった
従属して功あるものには褒美などの恩恵を
逆らい抗うものには罰を
その時から主従二別が制定されて
更新を続けて現在に至る
 
今から思えばその時が
豊かな社会生活をもたらすOS
新しい生活社会システムの誕生だった
現在知られるOSと言えば
主たるものはマックとウィンドウズ
まるで資本主義圏と共産圏のようだ
さてシェアNo.1はウィンドウズだ
No.1でありながらすこぶる評判が悪い
悪いにもかかわらずNo.1
資本主義圏のウィンドウズ国家
はじまりから今日まで
ずいぶんと怪しげな作りなのだが
わたしたちの社会はこれからも
これらを使うしか方途がない
と言うことになっている
ウィルスもありバグもあり
経年劣化の故障もある
新たなそして画期的なOSは
まだ当分発明されそうにない
うそから始まったこの国の歴史
その根源からやり直すべきだと思うのだが
馬鹿正直が世論の中を埋め尽くす
そんな日が来るのかどうか
誰にも分からない
 
2025/03/27
 
 
「老後の再生速度」
 
動画の再生は
普通は標準速度で見る
速度を早めたり
ゆっくり再生したりもする
わたしたちの日常は
ずっと標準のままで
早めたり遅らせたりが出来ない
動画を再生するように
ときどきは倍速で回ったり
時が止まる位の早さに出来ないか
と願望する時があったりする
 
倍速になったら
動きも早くなるし
考える時間もあっという間だ
考えてるか考えてないか
分からぬうちに
死の側にいたなんてことも
悪くないジョーク
生きてる内容が同じなら
早回しも不都合な気がしない
毎日の生活を
そんなに嫌ってるのでもないが
ふと疲れた気がしたり
飽きた気分になった時は
スライダーを右端いっぱいに寄せて
動画を終わらせる
そういうことでも悪くはないと
思ったりもする
これがもっとゆっくりとなり
2分の一倍速などなれば
とても耐えられそうにない
ほとんど地獄だ
 
2025/03/26
 
 
「今日のぼくは」
 
雪雲が溶け始めたら
春光の中に
花を探しに出よう
梅の匂い
目を射る連翹の黄
それらに始まり
桜並木の
あの街道まで
一気に出かけよう
 
そんな日がなくてはならない
そんな気に
ならなくてはならない
分からないけど
そんな気がする
そんな気になる
今日は
よい一日だ
今日のぼくは
光と熱を放っている
 
2025/03/25
 
 
「竪超と横超と戸惑いと」
 
凡夫が凡夫のままでありながら
一瞬にして仏になる
横超という言葉には
そういう考え方が籠もっている
 
乳児や幼児は人間として未熟か
それともそのまま人間か
竪超の考え方を離れたら
人間の金太郎飴だ
 
歴史的段階という概念を否定すると
世界は横ざまに平面的になる
人間の生涯もひたすらに
どこまでも横に広がり続ける
 
ただ横ざまに拡張し
軽重がなくなるように見える
深浅が広狭に変容する
とりあえずぼくらは
大いに戸惑うことになる
 
2025/03/24
 
 
「横に超える」
 
すでにこの社会に存在するもの
たとえば金だとか階層だとか
その他諸々の階段を
上り下りしないで生きて行く
そんなことは可能か
 
考えられるのはただひとつだ
それは逃げることだ
遠くへとか
物理的な意味ではなく
居ながらにして逃げることで
それは横へ
言葉を換えれば
異質へと一挙に飛び越えることだ
歴史的に追認され
現在にまで引き延ばされてきた
常識的な意味や価値とは
まったく異質な
意味や価値を創造することだ
それ故に異質となり
異数となり
社会においては点となる
既存の歴史にも痕跡を留めない
だがおそらくはそれ故に
人事を排した本当の
平等や自由の意となる
 
そんなことが可能かどうか分からない
だがそうでもしないと
汚濁に満ちた社会から
平等や自由は勝ち取れない
金ひとつに振り回されて
世界も社会も躍り続けている
 
竪の意味や価値を
横ざまに飛び越えたら
とりあえず一切の柵は消える
それだけでもう
ただちに世界を救える
そんな存在へと切り替わる
 
2025/03/23
 
 
「庵」
 
快適で住み心地のよい庵
少々安易で軟弱な方法だが
出家とか隠遁とかの現代版に
成るのかどうか
巣籠もる引きこもる
難しい意味はさておいて
色合いは似ている
 
廉価版が流行る現代に
手っ取り早く
居ながらにして時空を超す
そこまで意志を通し
覚悟するならば
言葉もかけずそっとしておけ
ただわずかでも
縁を感じていたいなら
一人籠もる戸の前に
そっとむすびを置いて去れ
 
冬を越せたなら
雪解けの水に誘われて
縁側の雨戸が開くだろう
顔を合わせたら会釈をひとつ
小さく交わせ
 
2025/03/22
 
 
「幻想の荒野へ」
 
頭のいいやつとか
腕力の強いのとか
金持ちだとか
目の前にすると圧を感じる
ペコペコもしてしまう
情けないけど
その方がいいんだ
頭が鈍い
腕力も劣り
生涯金欠
まずそれだけで
大悪とは縁がない
そんな一生だろうと
想像する
 
驚くほど華やかで
賑やかな現代の社会では
悪を成さないのは珍しいのだ
見てみな
地位も名誉も財もありそうな
テレビや新聞でも
ちやほやされるあの連中を
ああは成りたくないなって奴が
数え切れないほどいる
そして逆向きに彼らも高見から
こちらの方を
同じ気持ちで眺めている
 
ああは成りたくないなって
あちらからも思っていて
そうなればこちらからも
ああは成りたくないと
見返してやればいいんだ
上にいることは
それだけで駄目な証拠だ
上は悪の指定席だ
人間を羊のように飼い慣らす連中
いつまでもそこに居座るのは
人として下劣な証だ
そんな下劣な連中の下劣さを
羨んだり真似る必要なんか
どこにもない
晴れやかに胸を張れ
あるがままに成るがままに
お天道様を見上げろ
そうしてカラカラと
笑い飛ばして
幻想の荒野を駆けて行く
それくらいの人生が
ちょうどいい
 
2025/03/21
 
 
「転換期」
 
70年も前の田舎では
道は人が歩くもので
そのほかには犬や猫が歩いた
農繁期には
牛や馬の姿もあった
しばらくして道は拡張され
その道を
数本のバスが走った
現在と違って
乗用車はほとんど
走っていなかった
あれからあっという間に
村にも車が普及した
 
ずっと以前には
村には牛や馬もいなかった
誰かが飼い始め
あっという間に
村中に普及したものだろう
それぞれの時代の村人にとって
牛馬への羨望や憧れと
乗用車への羨望と憧れとは
よく似たものだったろう
たんぼ道を
牛馬が歩き始めた頃
砂利が敷かれた道を
車が走り始めた頃
それぞれに
時代が大きく変わったと
大人たちは考えるともなく
考えたことだろう
 
2025/03/20
 
 
「最後の困難」
 
何もしていないと言っても
呼吸はするし
目は開き
耳も音を捉える
そこまではだから
原生生物や植物と同じだ
おなかがすいて台所に立てば
それは動物だ
 
歳をとると
これくらいでもよい
という気になる
やっぱり世の中は
若者に任せるのがよいというか
ぼくらの知ったこっちゃないというか
社会正義とか理想の社会とか
自立する若者が
自力でめざせばよい
 
然る後に私利と戦え
それが最後の困難だから
戦うに足る本当の戦いはそれだから
その余のことは
その他大勢でも出来るから
一番難しいそれを目指せ
私利がどこまでなら許されるか
境界線を確定せよ
 
2025/03/19
 
 
「ぼくの考える人生」
 
掃除機の吸い口ヘッド部分
部品の蛇腹ホースを交換した
うまく出来て満足
たったそれだけのことなんだが
それが結構嬉しい
自分で言うのも何だが
手先が結構器用で
これまでいろんな修繕をした
換気扇を交換したり
縦の雨樋の交換や
玄関ドアが閉まる早さの調整
網戸の張り替えから
戸車を調整したりなど
考えてみると
日常の一コマとして
たくさんのことをやってきた
すべてを覚えてはいないが
その時々は夢中になれて
楽しかったんだと思う
その意味では
時々の仕事にも夢中になれた
 
生涯にやれたことは
せいぜいそれ位のことと思う
それでもぼくには十分に
満足できて納得出来て
それ以上のことには
あまり欲もない
ぼくの考える人生では
それ位が丁度いい
その上で
隙間時間の虚を虚とし
こっそりと観察し
ひっそりと
考察もしてきたんだなあ
 
2025/03/18
 
 
「気づいた時は遅い」
 
何のために生きるか
その問いに対する答えは簡単だ
植物や動物を見れば
食と性に生きていて
そこに原理を見ることが出来る
食べることと子孫を繋ぐこと
実に明確なことだ
生き物というフレームの中では
人間も含めてそこは同じだ
しかし人間は意識が目覚めた為に
他の生き物とは別に
食と性以外の
意識的な生き方が加えられた
つまり思考が加わった
本来は食と性の為の
補助的機能に過ぎなかった
意識の目覚めが
次第にそれ自体として
巨大な幻想領域を構築した
食と性の原理だけでは
すまなくなった
人間性とか人間らしさ
高次のそれを生きるようになった
人間は大変である
時代が下るほど大変になる
まだ便利で必須のツールと思っている
気づいた時は遅い
こうなったら進むしかないが
進めば進んだで
原子力や温暖化みたいに
予期せぬ障害に
行く手を阻まれる
 
2025/03/17
 
 
「最期の知」
 
「無知が栄えた試しはない」と
それはそうだろう
けれども
栄えるためには知が必要だとして
栄えることがそんなにも必要か
そこが分からない
栄えることが無前提に肯定されている
しかも急激に栄えることを
目的とするものもいる
世界中の濃淡
地域の人々の中の濃淡
急激な繁栄を求めるものは
全体からすれば少数派に属している
富を横取りし人を支配する
それはけして多数派ではない
けれども世界は
そういう者たちに引っかき回され
言いように引き摺られてきた
「無知が栄えた試しはない」とは
そういう者たちの合い言葉になっている
植民地化は力だけが為したのではない
いつも知が寄り添って
それを助けてきた
 
世界の大多数の人々は
本当にそれを望んでいたわけではない
だが富と力の支配による暴走に
無力であったことも確かだ
栄えた知に向かって
本物の知はそこにあるのではないと
言える知でなければ
暴走を食い止めることは出来ない
生活の中に見いだしてきた
大衆にとっての価値ある知だと
それを証明する知が
これまでの一面の知を
駆逐して行くのでなければ
未来はあんまり酷い
 
2025/03/16
 
 
「木々の生き方」
 
しんみりと
またシミシミと
木々は根を張り幹太く
枝広く虚に伸ばす
地に芽を出して枯れるまで
身動きせず
虚に叫ぶこともなく
つまんねえ生き方だと
嘆いたりもせず
裸の命で立っている
木という宿命を負って
まっとうに
命を生きている
環境と語らいながら
嘘もなければ私利もない
嵐に耐え
氷結に耐え
良きことも
悪しきことも語らない
ただしんみりと
シミシミと
昨日も今日も
あの丘の上に立っている
結構それでいて
木々なりの苦労も
抱えている
自分本位の人間には
永遠に分からない
木々はそんな生き方をする
 
2025/03/15
 
 
「自己との対話の道」
 
田舎育ちながら
自然を友としたわけではない
記憶をたどると
人間のことしか頭になかった
そんな気がする
人との接し方というところで
とても不器用であった
 
それは不幸なことであった
人間関係に執着する意識は
上手くいかないと大きな傷になる
それが生きるすべてになって
毎日蛇に追われる
夢の蛇はおそらく自分自身だ
逃げる場所がない
すぐに見つかる
逃げるのも自分
探すのも自分だからだ
唯一の趣味は川釣りだった
釣れても釣れなくても
それが救いだった
夢中になって
人との関係を忘れていられた
夢に戻るまでは
 
運命的な内面
それと闘う半生だった
社会的には意味がなかろう
意味がない闘いに
自分のすべてを費やした
社会とは社会的な意味だけが
重要とされる場だ
意味ない闘いに明け暮れる
そんな者がいてよい場などない
人間の顔をして紛れた
何のためにここまで生きたか
と自問するならば
命に導かれてと答えるしかない
命の後を追ってきた
楽しいこともあったから
悔やんではいない
老後だから
まっすぐに向き合う
〈私〉は人生そのもので
人生とは〈私〉そのものだ
自己との対話の道だ
 
2025/03/14
 
 
「要救助者多数」
 
平然として嘆いているのか
嘆きながら平然としているのか
はたまた無言無言無言
何でもないさと
視線を避けて避けて
何でもないさと
人型のフレームを残す
そういう在り方も無くはない
3月11日は追悼式
式にも黙祷にも縁が無い
毎日毎年
今この時にも
地上の幻に呑み込まれ
引き込まれ
人の言葉を失う者多数
また喉を塞がれて
瀕死者多数
サイレンが鳴り
幻の救助隊の出動を要請
どこに行けばよいのか
誰を探せばよいのか
白昼に幻の救助隊が走る
死者の魂と
生者の死んだ魂と
同じように悼むべきではないか
同じように
救助に向かうべきではないか
波間に浮き沈みする者を
あのときのように
総力挙げて助けなければ
黙祷に頭を垂れる
今この時にでも
 
2025/03/13
 
 
「解体が進んでいる」
 
解体が進んでいる
どこもかしこも揺れている
国も地方も
企業も団体も家族も個人も
瀕死であることを
隠したり取り繕ったり
微笑んだり
鼓舞したりして
なけなしの虚勢を張って
国会の答弁さながらに
余裕をかましてる
がしかし
現在の状況は
破綻が差し迫っている
見ぬふりや
知らぬふりや
楽観的に
どうにかなるさで
乗り切ろう
逃げ切ろうとしている
生きてる大人達は
みんなだ
そのために
状況はさらに
悪化の一途をたどるだろう
そんな予感がどこにも
誰にも差し迫っている
旅の恥は掻き捨てと
覚悟の時間だけが残っている
せいぜい足掻くがいいのだ
我が世の春を気取ったり
薬中みたいに目を見開いて
激しくハイテンションで哄笑して
楽園に居続けたらいい
これもひとつのバブルとして
失われた百年と後世に伝えられる
そんな突然の陥没が
もうすぐ始まる
始まらなくても疲弊して
尋常に異常である
そんな世界になって行く
 
2025/03/12
 
 
「羽のある言葉」
 
広告文や標語には
羽の付いた言葉が使われている
しばらくすると羽ばたいて
どこかに飛んで行く
そんなふうに
どこまで本気か分からない
羽のある言葉が
気がつくと
この社会に蔓延している
いっそのこと
羽のない昔気質の言葉は禁止して
羽のある言葉を
標準語に指定すればよい
言葉はもっと気楽で
軽いものになる
「愛してる」も
「国民のため」も
「民主主義」も
「正義」や「善」や「誠実」も
すべて一様に
賞味期限を三日とする
それ以後については責任は取れないと
信じるのが悪いのだと
はっきり明記されなければならない
それほどにこの世界は
いい加減なものだって
小学生の段階からしっかりと
教えておかなければならない
そうしたらみんな
愛想を尽かして
この島を離れて行ける
 
2025/03/11
 
 
「歪な実験」
 
生まれた時には水槽の中
金魚の姿である
これはもう仕方がない
大海原を悠然と泳ぐ鯨ではない
金魚の姿で水槽の中
自由はあるが限定的である
 
金魚が何を考えようが考えまいが
命は心臓とともに
終わりを迎えるまで終わらない
そこではどうも
主人公は金魚というより
心臓であり臓器であるらしい
臓器はまた細胞からなり
細胞にはDNAがあって
遺伝情報が刻まれてもいる
金魚はその情報を元に金魚となり
金魚と情報との関係は
情報が主で金魚は従なのである
であるからには
金魚は己が主と錯覚して
生きるまでのことで
遺伝子や細胞は
金魚の形態や性能を生きることで
次世代で己を書き換えていく
そんなずるい戦略をとっている
金魚がどんな運命をたどろうが
遺伝子らには痛くもかゆくもない
ただ螺旋として
生き延びるだけを命題として
細胞に臓器に潜行する
運命の中に放たれた金魚は
運命に抗い
そして死んで行く
それは神のする歪な実験
のようにしか見えないが
神はいない
 
2025/03/10
 
 
「遠い昔からの掟」
 
 政治家の嘘八百は天井を突き破っている。相変わらず国民目線、県民目線などの耳障りのよい言葉は多用するが、それも嘘だというのははっきりしている。ほとんどの選挙の際の投票率は半分かそれ以下だ。それは政治にも政治家にも期待しない、無関心であることを物語っている。つまりもう相手にしていない。
 民衆の目線に立つならば、立ちたいならば、政治をやめ政治家を辞めるがいいのだ。それが一番手っ取り早い。不耕貪食を断って耕す民衆となり、民衆の目線を獲得するがいい。そうでなければすべて嘘を言っていることになる。それはもう考えなくてもわかりきったことだ。
 民衆の残り半分は政治の言葉に呼応している。物言わぬ民衆の場から吸い上げられて、言葉の人という衣装を配布され、はっぴのように着込みはじめる。宙を飛び交う信号にとりつかれ、言葉の人へと上昇し、善くも悪くもあちこちで声を上げはじめる。
 その際に、知と知の言葉との力に目覚めたもの、知と知の言葉とをあらゆる事に利用できると考えるものは厄災である。厄災の種ではなく、厄災そのものである。そのようにして神話は何度も塗り替えられてきた。神話でない本物の歴史は、民衆の心身と生活とに刻印されているのに、それを見ようともしなければ読み解こうともしない。俯瞰する猛禽の目は、民衆の見上げる目線に交錯することがない。民衆から巣立った猛禽は、もう地を這う生活には戻れない。猛禽になることを恐れて、民衆は自らに羽ばたくことを禁じている。ああは成りたくないし、ああ成ってはいけないというのが、この島国の遠い昔からの掟だからだ。
 
2025/03/09
 
 
「救済の呪文」
 
視線を正面に据えると
右上方に浮かび出る
それがたぶん伝説の場
一番死に近接した場所だ
そこには物質という物質もなければ
物質の概念もない
わずかに霞んだ思念だけが漂う
そこに立つと
その先の向こうには死も見える
せせらぎに入れた指のように
死の感触にも触れられる
慣れてくると
怖くないことも知れる
物の執着もなく
私や私欲も無くなっている
死に向かってのダイブの
水慣れ死慣れ
準備とか心構えも出来上がる
 
もうひとつやるべき事がある
老いて資格を得た物は
すべての民の救済を図り
それを実践しなければならない
一挙に一斉に
場合によっては一瞬に
それをしなければ
死が許されない
墓碑のように言葉として
救済の呪文を
速やかに書き残す
それを潜る途次で
意識の喪失も許される
 
2025/03/08
 
 
「おとぎ話への誘い」
 
 意識は賛同を得たがり、力を持ちたがる。意識には言葉が貼り付いて、言葉は他者との間にかける橋となる。その性質から言って、言葉の最も抑制的な部分は沈黙であり、逆に最も尖鋭的と見られるのは政治の言葉である。
 政治家の発言、政治家のする議論を見聞きするたびに、よくもまああんな嘘八百を、真実であり、正義であり、善であるというように、自分をも他人をも言いくるめることに必死になれるものだと感心する。虚を有にし、嘘をも正しいものとしてしまう。国民を置き去りにしているのに、それが国民のためだと自分が思い込んだら、絶対国民のためになることだと信じ込んで、あとは何も見えなくなる、見なくなる。とても便利な仕組みを蔵している。
 
 危ないのは、我々が思いつくこととは違って、おそらくは政治家という人種ではない。意識や言葉が、人に憑き、人をして暴れまわらせる。だから、時代が変わっても、顔ぶれが変わっても、人に憑き、人を動かして政治的言説に呼び込んで絶えることがない。
 誹謗中傷や罵詈雑言や聞くに堪えない野次など、意識や言葉に内在する呪術的、戦闘的な一面はそういうところにも散見される。
 意識や言葉は協調、共生のツールというだけではない。そういう面も持ちながら、いざとなるともっとグロテスクな面が殻を破るように露出してくる。それは我々のツールではなく、我々のツールであるかのように偽装した、多細胞連結体の戦略的なツールのメタモルフォーゼと解すべきかも知れない。半分はおとぎ話として、我々はこのような物語世界にも、一歩足を踏み入れて行かなければならない。
 
2025/03/07
 
 
「路傍の言葉」
 
感性や感受性の鋭さとか
どうでもよかった
求めたり
競ったりする前に
お茶碗を洗いながら
圧殺したり
洗濯物と一緒に
洗い流したり
生活の邪魔になるとして
削ぎ落としてきた
誰にも伏せてきたが
おかげでぼくの心はつんつるてん
鞣し革みたいに
言葉を弾き飛ばし
文字も上から下へ
右から左へと滑らせる
 
「寒いね」とか
「明日は雪だね」とか
普段着の言葉しか
もう残ってはいない
そんな絞りかすみたいな言葉を並べて
一体ぼくは何が言いたかったのか
何を言おうとしていたのか
磨いても磨いても
石ころはただ石ころで
生活にすり減った言葉は
ただのすり減った言葉だ
息を吹きかけ
磨いても磨いても
光を失った
ただの路傍の言葉だ
 
2025/03/06
 
 
「同級会」
 
飲んだ語り合った日々
学生仲間や職場の仲間など
幾度かの自由や解放の遍歴が懐かしい
結構幹事やなんかして
盛り上げ役なんかもした
 
そんな季節もたしかにあった
いっぱしに「無頼」を口にして
弱者の味方をすると息巻いたりもした
そう言いながら言いつのりながら
要は謳歌していたんでしょう
ヒューマンな自分に満足し
そんな自分を愛し
はっきり言えば
楽しんでもいたのでしょう
 
ある年に厄払いの同級会が開かれ
主催側の代表として挨拶に立った
調子よく飲んでいて
不参加者の噂話にもなって
参加できない理由も知れた
何のことはない
参加できた連中はこの社会で
なんとかやれてこられた連中ばかりだ
そうしてそんなことを確かめ合って
無病息災を喜び合っている
中には不参加の者を
あしざまに罵る者をいた
年を経ての同級生や仲間と言っても
内実は昔のままで
いたずらに年を経ただけだ
 
あれからもう二度と行っていない
何ならもっと寂しい側に回って
孤独や孤立に引きこもり
ひとつのサークル的なものの
その発起と終焉について
いまなお考え続けてもいる
あの世でなら
全員参加の同級会は
為し得るかも知れないが
現世では無理だ
 
2025/03/05
 
 
「海に」
 
富谷市から「海」までは
車で小一時間ほど
津波の日から
まだ一度も行けていない
思えばあの日から
生活範囲が
どんどん狭まった
 
もう広がることはないだろう
 
どんどん狭まって
人型の箱に収まって
目を閉じる
そんな寸法で行くはずだ
もうすぐ追いつける
止まった時が
動き始めるだろう
失った言葉は失われたままで
時が動き始めたら
空白も虚も
長旅のように終わる
生きて死んでいたり
死んで生きていたりということの
神話が終わる
その前に一度だけ
「海」を見ておかなければならない
高を括っていた心の傷を
「海」の水に潜らせなければ
言えなかった「さようなら」を
言っておかなければ
 
2025/03/04
 
 
「懐かしの西行」
 
成功というボールが飛んで行くと
みんなが追いかける
勝利というボールが蹴られると
同じように群がる
高度で複雑になった世界で
どういう訳か
非常に単調な世界が到来した
成功か失敗
勝利か敗北
そんな色分けで
世界が成り立っているのではないのに
0か1かのコンピュータ
そんな世界に近づいている
 
吉野山 こぞのしをりの 道かへて
まだ見ぬかたの 花を尋ねむ
              (西行)
 
ぶらぶらと逍遥する
去年とは歩く道を変えて
そちらの道にどんな花が咲いているか
楽しみに探しながら歩く
けれども今ではもう人生とは
そんな風に楽しめるものではない
ということか
 
成功はよくて失敗はよくない
そんな単純にしか
人間の世界を見ることが出来ない
歴史が進むほどに
どんどん歴史の泥が堆積し
底上げされた河のように
世界は浅く薄っぺらくなる
成功か失敗か
勝利か敗北か
こんな単純にしか語れなくなった世界は
世界としては失敗であり敗北である
のではないのか
豪華に着飾った貧しさであり
人類史に築かれた駄作でさえある
のではないのか
成功や勝利に向かって
人間は人間を超え
獣よりも獣臭い立ち居振る舞いで
我が手にしようと必死だ
人間の欲望は人間らしく果てがない
進歩発達と引き換えに
失ってきたものが
時に懐かしまれる
 
2025/03/03
 
 
「庶民の系図」
 
国家の実際は政府である
国家の本質は共同幻想である
憲法は共同幻想を明文化したものだ
 
共同幻想は長い時間をかけて
編み上げられ織り上げられ
作り上げられて
人々の頭に精神に構築されてきた
だから国家の本体は
頭の産物であり
言葉に閉じ込められてもいる
本当を言えば
創始者および代表者
維持運営に関わる者以外
国家は切実でない
庶民には朧であり
うやむやなものでしかない
 
国家共同体=サークルの維持と
運営の為には
代表者と代表メンバーが必須だ
また世代交代など
バトンの受け渡しも必須だ
サークルにとってのエリートは
綿々と受け継がれる
もちろん下剋上もありながら
闘争もありながら
エリート達は
必死にサークルを継続する
 
一般のメンバーにしてみれば
そこが楽しければいいのだ
安全で快適であれば
さしあたって文句はない
代表者がどうだろうと
能書きがどうでも
どうだっていい
本当はエリートは居ても居なくてもよい
サークル内での活動が
自然と同じように
恵みも災害も公正公平平等であれば
それでいいと思っている
供物程度の貢納は惜しまない
欲を言えば
何度もサークルを選び直せたら
それが一番よい
特になければ
親族規模のサークルを建て直し
それに戻るのもよい
互いに喜び合い助け合い
そこそこの活動が成り立つのであれば
どこに所属しても同じ
運営には関知せず
活動に没頭し活動に明け暮れて
老いて死ぬ
 
2025/03/02
 
 
「冬場の烏」
 
冬は雪
雪深き山々
山里の
雪に埋もれた庵
静寂の中に
烏の衣
小さな焔
青くまた赤く
ゆらぐ
 
世を捨てて隠遁
世に棄てられて隠遁
インスタント隠遁
現代に隠遁
インスタント隠遁
様式は違えど隠遁
都市も田舎も隠遁
部屋の中での隠遁
冬こそ隠遁
雪だから隠遁
 
非僧非俗
冬場の烏
ひっそり啄む
雪上の実
雪上の虫
過酷な生態系の
尋常さ
 
2025/03/01
 
 
「『正人』考」
 
政治と宗教と言えば
総じて不耕貪食
あるいは不耕盜食という
あまりに人間的な願望がちらつく
昔風に言えば
自然の道また天の道に成り代わり
強引に取って代わって
地の上に立とうとする
おかしな連中を生みだし
おかしな連中が
生みだされる場でもある
 
初めからそこに矛盾も嘘もあり
昔から騒乱混乱を招く元凶でもあった
オブラートに包んでいても
現在でも諍いの皮を捲っていくと
真の正体
黒幕はそれだということになる
偉人聖人立派と遇される人は
たいていみんなそれだ
「耕」さずして貪り食う
どんなに巧みな言葉遣いをしていても
世に尊敬や人望を得ても
「不耕」というただひとつの視点から
信頼に値するか否かが分かる
「耕」を原点として
そこに自分を落とし込めるか否か
本当の「正人」か否かが分かる
「耕」して疲れ果て
無口なるものは「正人」である
「耕」して粗暴となり
抗い食ってかかるものも「正人」である
「耕」して孤独となり
引きこもる者もまた「正人」である
「貪食」せぬ者は「正人」である
「盜食」せぬ者は「正人」である
「正人」は「正人」であるがゆえに
いつも損をしてしまう
「一言発すれば去る」
そんな寂しい生き方をする
それでいて
少しも寂しく感じない
それが「正人」である
 
2025/02/28
 
 
「言葉の力」
 
生き物はすべて
平等に自然に翻弄され
害と恵みとを受ける
 
自然の支配を
人間だけが真似て盗んで
取って代わろうとした
 
天道を盗んだ
その盗人の系譜が
政治家という種族だ
 
民のためと言いながら
民を利用するだけの系譜
言葉や文字を武器とする
 
最終兵器とは核ではない
一瞬にして世界に広がり
内側から腐らせる
言葉の力
束ねる力
 
2025/02/27
 
 
「何が違うかクイズ」
 
たとえばAチームは
中原に太宰に島尾として
Bチームには
谷川と村上と吉本(ば)とする
 
なんか違うよねAとB
何が違うかがクイズ
ちなみに正解はない
それぞれで考えてみて
 
ぼくの答えは以下の通り
Aはカクカク
Bはスムーズ
車に例えれば
マニュアル車と
オートマチック車との違い
 
ぼくはマニュアル車が好きだが
日常ではオートマチック車に乗る
その方が安全で快適である
そんな気がするから
でもそんな気がするだけ
 
Aチームは傷だらけで
読者も傷つく
Bチームは
共感と勇気づけに比重を置く
AもBも同じにすごいんだが
どちらかと言うと
ぼくはAの方が好き
Aは刺激が強く
Bは刺激が弱い
でもさすがに
寄る年波には勝てなくて
Aの刺激は強すぎる
Bくらいが丁度よい
そう思っていると
世は高齢者の
免許証自主返納の時代
読書も運転も
足の洗い時かも
 
2025/02/26
 
 
「わたしたちの責務」
 
想いはどこにも飛んで行くが
行ったきりでは
置いてけぼりになる
飛んでいった先で紡ぐ言葉と
身体を包む言葉と
互いに行き来させたり
問いを交わしたり
時には戦って
言葉をいつも
磨いて置くのが大事だ
そうしていると
生きることと
考えることとの違いに気づき
どちらの行いも試行
すなわち
験しの領野のことと
知ることになる
そうなると
何をやっても考えても
やる事なす事
人類史上初の体験となり
希有の結果報告となる
それらはすべて
唯一無二の成果となり
そうなれば
それが楽しくない訳がない
苦なら苦の実相を
快なら快の実相を
できるだけ克明な言葉にして
サーバーに転送せよ
それがこれからの
わたしたちの責務だ
 
2025/02/25
 
 
「大事なこと」
 
毎日出かける
仕事でも散歩でもなく
玄関の扉も開けない
それでいて
遙かに向かって飛んで行く
釈迦の掌の上の
悟空のように飛び回る
どこまで飛んで暴れまわっても
掌の上
というあれを
かれこれ幾数十年
 
遠くまで行くのが
眼目というのではなく
ただ行くことに意味がある
というのでもない
強く意志しなくても
ひとりでに
誰でもがやっている
 
大事なことは
毎日戻ってくることだ
自分の場所に
いつもの自分に
毎日出かけて
毎日戻る
魂を意識を
今ある場所の
今ある自分に
すっぽりと戻す
 
「自分を知る」ということは
そういうこと
それを知れば
とりあえず無敵だ
それができていれば
あとはいかに楽しむかだ
と言うよりは
すべてが楽しめる
 
2025/02/24
 
 
「老化のステージ」
 
季節を忘れ
暑さ寒さも防ぎ
ひたすらにただ
網をかけ
言葉を文字を
捕らえて過ごす
 
遊びのように
楽しくもないが
苦しくもない
昔の人は
修行と称したが
今ならば
暇つぶしと呼ばれる
 
言葉も文字も
概念にまみれて
網目を抜ける
「アイ」の発音は
「あ・い」と表記され
深刻な病状が
露呈する
診断書には
ステージ4と記載される
 
2025/02/23
 
 
「耳目を集めない生き方」
 
もうすでに堅固な社会が存在し
生まれたからには
社会のルールやしきたりに
染まっていくほか生きようがない
もちろん
ああしてそうしてこうすれば
ルンルン行けるよと
案内も指導もあって
うまくいけば順調に大富豪だ
大富豪か大貧民か
落差の大きい社会ができたのには
きっと訳がある
調べる前に汲々として
働いたり学んだり
永遠に浮上できない気分に
閉じ込められたりもする
そうなってしまえば
分に応じ分をわきまえて
ぼくらのようにぱっとしない
耳目を集めない生き方を
することになる
けれども項垂れるにはまだ早い
孤独や孤立を飼い慣らし
寂しさの中にも五分の魂
生きがいってのも見つけ出せる
下流や下層の底には
たくさんのものが沈殿し
磨いたら光るものも
たくさん埋まっている
それを探し当てる楽しみもある
沈黙が綴る歴史も
明らかにすることもできるし
沈黙の声を
生で聞けたりもする
 
2025/02/22
 
 
「いつかのために」
 
口から出任せの虫に
ピンを刺し込んで
言葉の標本を作る
あの列の いうえお
かの列の きくけこ
一通り並べたら
次には配列を変えて並べてみる
そうこうしていたら
いつか意味ある言葉ができ
いつか意味ある文章が
できるかも知れない
それ位がいいさ
遠い いつか
それ位でちょうどいい
 
焦るな
慌てるな
引きこもりも
十年続けたら一丁前さ
達人の域も近い
知らないうちに意味がつき
知らないうちに価値が付く
かも知れない
きみの心に
きみの言葉に
誰もが聞き耳を
立てる日が来るかも知れない
その時は躊躇なく
きみが見た景色を
きみが感じた世界を
語って聞かせるがいいさ
その時のために
準備と練習だけは
毎日しておけ
黙ってしておけ
 
2025/02/21
 
 
「朝は白粥に」
 
朝は白粥に
ふりかけや梅干し
これがおいしい
動かなくなったので
全体的に少食になったが
食べている時は
質素でいても幸せに思う
 
最近の味噌汁
すする時に味噌と
具の野菜の香りが立ち
入り交じって
なんとも心地よい
野菜農家と
味噌職人と
最後はかみさんの目分量で
ほっとする味に仕上がる
 
周囲への感謝はね
だれかれなく
また存在するか否かに拘わらず
あらゆる方面に向かって
尽きない
 
口にしたことはないが
昔からの思いだ
実はこういう思いはたくさんあって
こころには録している
表にしなかったには理由がある
もっと考えるべきこと
もっと言うべきことが
目の前にたくさんあったからだ
そのいちいちに隠れて
言い出す暇も余裕もなかった
そして それらのことが
考えることや
文字を記述する前提として
有るからできるんだよと
あえて言わずにやってきた
もしも悲観に耐えて
これからもやって行けるとすれば
理由はそういうことだ
人たちへの感謝とか愛とかが
横ざまに超える力となって
ぼくを駆り立てる
 
朝の白粥は
ぼくに
徒労と不毛へと駆り立てる
 
2025/02/20
 
 
「後退する自然」
 
食と性に飢えては動き回り、満たされては安息して横たわる。
人間はそこに欲と記憶を足された。食と性とを満たしてはさらなる欲にかき立てられる。その欲にはきりがない。仕舞いには他のどんな生き物よりも飢えに乾ききる。
抑制すべき理性が、抑制を果たせなくなった。欲と理性とが合体して。さらに欲は強化されて行く。
 
けれどもよく考えれば、これは近現代の物語である。
前古代の多くの人たちと、古代から近世にかけての農民や漁民、つまり自然に近く暮らす人たちはそこから遠かった。自然から離れて暮らすようになった人たちとは違い、食と性の欲はそれほど過剰にならなかった。それで一日が過ぎれば、次の日もまた同じように暮らすだけだった。周囲では過剰に富を追い求めるもの、独占しようとするものは存在しなかった。それよりも何よりも、平穏な日常、相互扶助的で親和的な集落の中のつながりに充足し、それ以上の欲望を必要としなかった。
 
自然は四季を巡らし、災害をもたらすかと思えば恵みも与える。獲物に襲いかかる獣たちも、食を満たせば穏やかな表情で帰巣する。動物も植物も棲み分けをし、うまく周りと折り合いをつける付け方を知っている。
そうしたことをすべて自然から学び、学んだことを暮らしの中に生かし、そこに現代からは想像することさえ難しくなった異質な世界を築き上げた。本当に日本的というのは、「花鳥風月」の歌にあるのではない。また「葉隠」に記されたところにあるのでもない。本当の日本的というのは、農民などの下層民において育まれた風俗、風習やしきたりなどの中にあった。
 
明治維新後の西洋化の波、西洋近代文明と西洋近代知の波は、この国の平民や下層民の知恵によって築き上げたその世界を根こそぎ破壊し尽くした。この国の近代化は、そうした犠牲を影で払うことで成し遂げられてきたものだ。
失ったものを一言で表せば、日本的自然というものだ。代わりに西洋知、西洋科学知が輸血され、注入された。
ここに至って、食と性、富と快楽に向かう日本人的なほどよい抑制は、その力を失って行く。
知を得て自然から遠ざかり、生き物たちの、「食と性に飢えては動き回り、満たされては安息して横たわる」という淡泊な習性からも人たちは遠ざかるようになった。制限を解除された欲望が、きりなく発揮されはじめた。
子ども達も過剰な夢と希望を語り、追い求めるようになった。
 
2025/02/19
 
 
「苦しい時はただの命であれ」
 
雪混じりの風の中に
林の裸木は立っている
どうしてこの時期に
葉を茂らせて
身を隠すことをしないのか
 
そういえば人間もまた
苦境の時には
似た姿でいるなと思う
寒波の中に身を晒し
逃げるでもなく
冷気を浴びるままだ
 
ぼくならば真っ先に
ダウンを着込み
部屋にこもり
こたつやストーブで
暖を取る
風雪から逃げ
寒冷を避け
己の感覚感性が指示するところ
それに従う
ぼくの裸はそこだ
 
鋼色のきみの精神
冷たい風雪の林の中に
裸木のように立っている
即刻精神を棄てて
家に帰れ
暖の中に逃げ込め
風雪の林の中に
自分の価値と
自分の精神とを
置き去りにして還れ
何度もそうしてきた
ぼくのように
苦しい時は
ただの命であれ
 
2025/02/18
 
 
「一瞬の光芒のために」
 
爺さんには夢も希望もないし
そんな明日もない
けれどもそんなことは
少しも寂しいことではなくて
アメーバや虫さんたちと同じだ
生きとし生けるものはみんな
食と性につながれて
ほぼそれだけのために生きている
 
生き物たちの中に人間もいて
人間も出だしはそんなだった
夢や希望がなくたって
落ち込むには及ばない
動いて食にありつく
いざとなったら
動物のようにさ迷えばよい
諦めずに動き回る
それが生きると言うことだ
 
いずれ爺さんになると
動き回ることすら出来なくなる
誰でもいずれそうなる
命は有限だからだ
夢も希望もしぼんで
食にも性にも執着は薄くなる
老いとはそういうものだ
けれども人間の老いは悪くない
こころや精神とかが
比類のない輝きを見せ始める
すべてを了解できて
腑に落ちることが起こりうる
人間としては
そこまで行けたら果報者だ
若者よ 諦めるな
老いたる人よ 諦めるな
惑わされることなく
たどり着けたらそれでよいのだ
それがよいのだ
人間ならではの
その一瞬の光芒のために
 
2025/02/17
 
 
「こたつ放談」
 
労働者不足と
エリートもメディアも言うが
ほんとかな
正確かな
見方を変えたら
労働に見合わぬ低賃金
昔は学がないからと
無理にやらせた仕事
今はあほらしくて
誰もやりたがらない
代わりに外国人を呼んで
間に合わせようと画策
垣間見える
前近代的な人権意識
非人道の地下水脈
 
これからは
誰もやりたがらない
そんな労働にこそ
大きな対価を払うべきだ
何となく軽く見られがちな
そんな労働ほど
本当は尊くて価値がある
エリートとか
役員とか取締役とかなどは
なり手は数多で
我も我もと手を上げるだろう
人骨卑しからず
さぞ立派なんだろうから
ボランティアでお願いしよう
銅像を建てます
そう言って誘おう
 
逆転の兆候はあり
これからの時代は
力のないもの達が力を得
力のあったもの達は
力を失っていることが
あからさまになる
だから心して
世の中を見直すべきだ
価値観と発想は
逆転されるべきだ
 
2025/02/16
 
 
「現実が走る」
 
小説より奇なり
現実社会が
文学以上に文学的で
読み解くに難解
刺激満載
ぶっ飛んだ展開
飽きない
予測不能の結末
その面白さ興味深さ
一週遅れて
小説よ
詩よ
上品すぎて
つまらんぞ
退屈だぞ
 
進歩や発達とは
ハチャメチャな現実を
もっとハチャメチャにして
手のつけられない
モンスターに
成長させることか
面白い
面白いぞ
高度文明化社会
西欧近代科学知による
世界植民地化の成功
この島国もまた
近代化の恩恵のもと
社会の特にエリート層の
劣化とハチャメチャ化を
実現させてきた
苦笑いの民衆も後を追い
見限ったつもりが後を追い
もうすぐ島中が
エリートだらけになる
二十世紀の幻想の枠組み
すべてを粉々にして
エリートだらけの現実は
制御不能
見えない秩序を破壊し尽くす
ハチャメチャな市場が
もうすぐ島諸共に
グローバル化の波に
飲まれて消える
非知の風土と共に
人間主義も終焉する
すべてを道連れにして
現実が走る
 
2025/02/15
 
 
「鬼達の酒盛り」
 
瘤取りじいさんみたいに
賑やかな声の方へ
つい誘惑される
楽しく酒盛りするのは鬼達と
相場が決まっている
ちょっとだけ遠目に見て
ちょっとだけ匂いを嗅いで
踵を返す
 
今のぼくならそうするだろう
様子をうかがって
楽しそうだなと羨望して
きっと引き返す
はっきりとした理由はないが
きっと引き返す
そうと決まっていて
それで納得出来ている
 
2025/02/14
 
 
「老いてなお惑う」
 
将来を悲観するとか
将来に絶望するとか
よくあることだ
生き物の危険回避の性能
でも人間社会での回避は難しい
たいてい成り行き通りになって行く
最悪のケースは自棄だが
棄てぬ方がよしという考え方が一つ
自棄も認めるというのも一つ
ここらに来て
どうしても回避すべき
という理由も見当たらない
また許容してはいけない
という理由も見つけかねる
自棄しようが老衰で朽ちようが
終わりは終わりだ
変わりはない
 
ぼくらはどうして
自棄を止めようとするか
尊い命とか可哀想とか
本当にそうか
無邪気な考えに過ぎなくないか
高みに立って言ってはいないか
高等遊民や有閑マダムとかの
憐れみの薄さ愚かさで
語ってはいないか
対等なところで言えば
何はともあれ
自由な選択をしたのだと
その選択に敬意を払う
そういうことでも
いいのじゃないか
 
よくないか
 
2025/02/13
 
 
「過剰な向上心は諸悪の根源」
 
この世から無くしたいもの
一つは健康と不健康
二つには幸福と不幸
それに善悪や
美醜や優劣や尊卑などなど
あげたらきりが無い
それらの概念と言葉とを
全部無くしたい
手持ちの辞書からそぎ落としたい
全部無くなれば
ずいぶんと思い患いが減る
不健康でも不幸でも
そもそもの言葉と概念がなければ
心配もしなければ悲観もしない
違和感を覚えても
そういうもんだと諦めて
そんまんまで前に向かっていく
昔の人はそうだった
先史の頃はもっとそうだった
辛くて体を横たえるとか
欲する物の為に努力するとか
自分で考え工夫する
立ち止まらない
停滞しない
それよりも何よりも
考えすぎなくなる
それが重要だ
進歩や発達はありがたいが
健康や幸福だけ求めたら
それはそれで
不健康で不幸だと言える
この頃は度が過ぎて
意識から遊びが
猶予の範囲が
失われている
人間関係も軋んできた
諸悪の根源は
向上心と表裏の関係にある
 
2025/02/12
 
 
「ダブルスタンダード」
 
よい家主さんがいて
考えてくれて
守ってくれて
至れり尽くせりしてくれて
ペットみたいに
安逸な暮らしができます
感謝です
ありがとう
 
こころはダブルスタンダード
二律背反
 
まったく真逆なことを
感じ考えている
この世界の端から端まで
作りから仕組みまですべてが
だめじゃないか
否定すべきじゃないかって
謀反じゃないけど
腹を立ててる
 
気持ちがダブルスタンダード
二律背反
 
感謝してるけど怒ってもいる
安楽だけど苦しくもある
誰のせいでもないけど
こんなんじゃないって気もする
むかつきが治まらない
嫌悪がひとりでに
あちこちに打つかりはじめる
じっとしてても飛んでく
横になっても不愉快不快
 
二律背反面従腹背
内憂外患馬耳東風
感謝しながら
癇癪も止まらない
いつまで続く自己分裂
ダブルスタンダード
ダブルスタンダード
二重規範
二律背反
疲労困憊
止めてー
止まらない
 
2025/02/11
 
 
「宗教的な生き物」
 
境目は
線ではなく層になっている
そこに立つと
両側が視野に入る
 
境目から戻ることも出来るし
そのまま超えていくことも出来る
もちろんしばらく停留することも可だ
そして超えた先に思念を飛ばし
いくらか周遊した後で
来し方に戻ってまた
何かを検証することだって出来る
 
未来からの視線で振り返ると
進化や発達の歴史
ほぼゼロ地点のあたりから
何がどのように積み上げられたかが
よく分かる
どのように幻想が構築されてきたか
また人間が幻想に幻想を重ねて
どのように自らを拘束してきたか
自由とは裏腹な
精神の「しばり」を実現したか
過去と未来とを一直線に通して
それらのことが明かされる
 
それらのことから言えば
人間は宗教的な生き物である
有象無象を前にして
信じるか信じないか
0か1か
その判断は瞬時だ
そのあとで決まって
言葉はアリバイ工作として使われる
百万言を費やして
かつ論理の衣装を凝らしながら
その内実は宗教である
 
2025/02/10
 
 
「伝説の場所」
 
産道を下り落ちて
落ちた場所で
ひとしきり動き回ると
やがて目の前に
幻のトンネルが現れる
産道に似ているが
潜った先は
誰も見たことがない
徐々に影が失われて行く
そんな世界だと
まことしやかに語るものがいる
 
一歩足を踏み入れるか否かの所に
少しの間隙がある
トンネルの手前に当たるが
はっきりとこちら側というのでもない
こちらとあちらとの境目で
そこにちょっとだけ
厚みのある層が出来ている
そこに立つと
こちらとあちらの両方が見える
生きているのでもない
死んでいるのでもない
そんな不可解な実感にとらわれる
まさしくここが伝説の場所だ
ただ一度だけ聞いたあの伝説の
 
伝説を聞き知っているものは
踵を返さねばならない
ひとしきり動き回ったあの場所に
そのど真ん中に
還る猶予が与えられる
そうしてみんなに
この地は幻だよ
観念の作り物の世界に過ぎないよと
告げて回らなければならない
すべての困苦の由来もまた
何一つ根拠がないと
説いて回らなければならない
すべての困苦からの救済のための
説き伏せる力を
言葉を尽くすことによって
実現しなければならない
 
2025/02/09
 
 
「人間の外にある世界」
 
業績もなくて何者でもない
そんな生き方は耐えられないと
そう考える人もいるだろうが
それほどでもない
耐えることは難しくない
大多数の人がたいした実績も表せず
著名にもならずに生きている
何者かになる欲望は悪くないが
優秀さや優位を望むのは
状況に流され状況に作られる
人間の意識の弱さというものだ
とりあえず上に行っておこう
おおかたの動機はそんなところだ
スタートはみんなそんなものだ
適うものだけが行く
行きたいものは行かせればいい
人生を競争や戦いと考える
人の上に立ちたがる
絵に描いたように分かりやすい連中
何者でもないことに
彼らは耐えられないだけだ
そうして立派であろうとして
表裏あるこんな世界をでっち上げた
責任を誰かに押しつけ合って
結構危ない世界が出来た
人の上に立ちたがり
人を動かしたがり
能力あるもの実績あるものと称えられ
いい気になってしまうお人好したち
世界は人間が
あるいは不特定の個人が
思いつきの理想を実現するために
存在しているのではない
また実現するための場でもない
人間がこしらえた理知や思念の世界
それらの外にある世界が
本当の現実の世界だ
我々は閉じた幻想の世界に生きている
それを知ることを覚醒と言い
我々人間はこれから
新たな次元を走って行くのだ
 
2025/02/08
 
 
「寂しさの前を行く」
 
話し言葉では
思いの丈が語れない
語っても通用しない
ならば書き言葉を趣味として
思いの丈を綴ろうとした
それでもなかなか書き切れなくて
書いても思いは届かなくて
そうこうしている内に
ずいぶん年を取った
考えることも感じることも
分かってもらったことがない
もしかすると生涯に一度もなかった
のかも知れない
 
こうやって人は生き
また老いて行くのだろうか
ぼくだけだろうか
みんなもそうなのだろうか
ごく当たり前のことなのか
それともぼくには
他の人にはない
人間としての致命的な欠陥が
あるのだろうか
 
こんな思いを抱いて
ずっと抱き続けて
ぼくはよくここまで
生きながらえたものだ
ここをどん底として
けれどもぼくはまだまだ
この底を掘り続けて行きたいと
そう思っている
 
寂しい人よ
孤独な人よ
もっと上手がいる
同行の列の前にぼくがいる
だからもう
寂しいなんて言えないはずだ
言わせない
ひとりの人よ
初めて見る光景を
人たちに明かせ
 
2025/02/07
 
 
「老いて知る」
 
社会的評価という山の
七合目あたりから引き返して
麓からさらに
海岸線に向かって滑り落ちてきた
標高で言うとゼロ地点
とりあえずこれで
洗脳から解き放たれることができる
 
ここはゼロ地点
やっと振り出しに戻っただけだ
ここからまた賽子を振って
出た目の数だけ上って行く
上ったらまた賽子を振る
社会に対して
家族に対して
自分自身に対して
それぞれの山道を
共時に上らなくてはならない
老いの苦さに一息つく
そんな時間はもらえそうにない
時計の針のように
秒針のように
今を刻んで
また今を更新し続ける
 
人間というものと
生きることについての
本当の考えは
ここから始められるという気がする
老いることは
こんなにも新鮮なことと今さらに知る
そうしてただ延々と更新を反復する
上りまた下りするうちに
いっさいの境界はおぼろになる
その幽遠の中に
やがて霞んで消えて行くのである
 
2025/02/06
 
 
「素朴な希望」
 
先史には国家がない
ということは
教育や勤労や納税の義務がない
国家が無くても生きていけて
勉強しなくても
働かなくても
税金を納めなくても
生活も小社会も成り立っていた
 
勉強も労働も納税も課されないのは
夢のようで羨ましい
興味のない勉強をやれとも言われず
毎日決まった時間に出退勤もしない
まして自分が収穫した食料とか獲物とか
いっさい取り上げられることがない
想像するだけで清しい気持ちになる
 
どうして「される」側にいるんだろうな
先祖代々だからかな 血筋かな
「する」側に回るチャンスもあったけど
何となくで拒絶して
何となくで過ぎてきた
 
けして戻ることはないけれど
先史の自由さがいいな
抑制も強制もないのがいいな
一周回って義務らしい義務がなくなったり
極微になったりするといいな
国の形がこのままでも
中身が少しのんびりゆったりと
先史のよいところを再現する
そういう未来に向かって進むといいな
かつてあり得たことだもの
絶対無理とは言えないな
寄せていくのは出来るかな
国民主権と言うくらいだから
これも国民の夢だから
その夢にダイブして
そんな夢を捕獲する
真の代表者が出てくるといいな
人生の終盤近くになって
希望しておきたいことはこれだな
 
2025/02/05
 
 
「今日から世界はわたしのものだ」
 
頭の中がどんなに絶望でいっぱいになろうと
部屋の中にはテレビがあり書棚もあり
目を覆うばかりに配線コードが散らばっていたりする
カーテンがあり小さな物入れが積んであったり
周囲のどこにも絶望の兆候も象徴も見当たらない
 
そこでどこにも絶望はないよと頭に語りかけてみる
そうだねと頭が応えてくる
気のせいだねぼくのお得意の妄想だから忘れてと続けてくる
じゃあそうすると言ってぼくは階下に降りて
頭の中の絶望を洗濯かごに放り込む
 
捨ててしまうほどには思い切れない
以前から浮かんで消えしてきたからちょっとした愛着もある
汚れを洗い落とし陽に干して乾燥させれば
絶望もまだ使い道はあるかも知れない
いったん頭から放してみるとなんだか気分がよい
 
しばらくは頭の中が空っぽでスッキリする
洗った絶望からは汚れと古びた糸くずが取り除かれ
絶望の文字も思考の文字に変わっている
煤けたように黒く汚れていたのがよくなかったのだ
黒い絶望の文字に心が影響されたとも言える
 
気を取り直し窓を開け心に風を送ろう
長く無意識にこわばった顔の力も抜いて
いま流行の自然体とやらも照れずにやってみよう
一秒前の自分さえ永遠に見ることが出来ない
あやふやな記憶にはもう背を向けてもいいさ
あと二日で満74才の誕生日を迎える
今いっさいを水に流して玄関の戸を押し開き
今日から世界はわたしのものだと叫んでもいい訳だ
ふたたび頭に汚れが溜まる頃はもう
立ち上がるのもやっとという頃合いになるはずだ
 
2025/02/04
 
 
「真っ直ぐに歩き続けた先」
 
律儀に歩き続けながら
耳鳴りの下
内なる声に耳かたむけ
真っ直ぐ進んだつもりが
砂浜に降りている
ありふれた港町の景色なのに
潮風に錆び付いて
人の気配がない
 
昔はそれは町外れだった
寂しさは苦かったが
この砂浜ほどに
断たれた感じはなかった
見回すと
しがらみが見当たらない
挙措も風俗も習慣も
しばらく前に
亡き両親に送り返していた
 
カラカラに乾いてひとり
ひとりだけ
心の道を踏み外している
迷っている
真っ直ぐに歩き続けたのに
恥じないように
律儀に歩き続けただけなのに
しがらみなく潮風の中に
立ち尽くしている
愛する人たちに隔絶して
声を押し殺している
 
もう少し寂しさに埋もれたら
目を閉じて波に運ばれる
さよならの言葉は
ずいぶん前に灰にして
風に運んでもらっている
しがらみがないので
名残を惜しむ言葉など
もう必要がない
真っ直ぐに歩き続けた先は
こんな所だ
 
2025/02/03
 
 
「その器を壊さなければ」
 
人が死ぬ政治
人を追い込む行政
思い切って根を絶たなければ
季節ごとに繰り返し
徒花ばかり咲く
 
根ごと引き抜く
仕組みを壊す
一度すっかり更地にして
そこからやり直すのでなければ
酸鼻の政治は止まぬ
人ではない
器が人を作る
人は器に作られる
その器を壊さなければ
 
入れ替わり立ち替わりして
どれだけ人が入れ替わっても
問題は一定起こり続け
人の死や事件としての露出は
しかも氷山の一角
今の我々の能力では
それを超えていくことが出来ない
理想の人間
理想の社会の実現を
おそらくは
我々に求めることは酷だ
 
150年以上も前に輸入した
思想や制度の綻び
何遍もつぎはぎして
ファッションとして言えば
汚れて古びた衣装を
使い続けるつもりのダサさ
新しい仕組みを作る発想も能力もない
思考する腕力のか細さ
せいぜいがごろつきの政治屋
欧米のパクリ屋
また小型の侏儒たちが
偉人聖人の顔つきして噴飯ものだ
無限に折衷案を繰り返し
折衷案に踊り狂う愚物どもの饗宴
問題の核心から遠離る修正主義
現実も本質もそこにない
幻の舞台から降りてみなければ
すべてを取り違えてしまう
せいぜいがその程度なのだ
我々の理知は
 
2025/02/02
 
 
「葉も花も散らせてしまう」
 
ある古代の家族を中心として
親族から氏族へと
一族の影響力は行使された
そこまでは
普通にあり得ることで
この島国ではこの時点までは
どの一族にも
統一部族の長となる可能性はあった
 
並び立つ部族の長
つまりは豪族の長から
抜きん出た一人もしくは部族が
全体を束ねる形で飛躍して
王を名告り王家を名告る
それもまた偶然の積み重ねで
可能性としては
どこの誰にでも部族にでもあり得た
王家に諂わないとすれば
そういうことだ
 
この国の成り立ちまた経緯は
大雑把にそんなところだとして
どんな忖度が必要だろうか
奴隷であろうがなかろうが
大多数の無名者なくして
この国の曽ても現在もない
試みにこの国のどこかに
独立国を立ち上げて
覇者願望のものだけで運営すればよい
早晩と言わず消滅する
 
一本の草木が草木であるためには
根や幹が大事なのであって
だから「根幹」の言葉となる
花や葉や枝先を人はもて囃すが
それらは元の根と幹があってこそ
また年ごとに生え替わる
どちらが主で従か考えるまでもない
根や幹の沈黙をいいことに
花や葉や枝先ばかり出しゃばり
「我が世我が物」の振る舞い
根と幹とを震わせて
葉も花も散らせてしまう
そろそろそういう時が
来てもよい
 
2025/02/01
 
 
「我慢の成果」
 
物価高騰と年金給付の抑制で
けっこうな四苦八苦は
食料品の買い物に出かけて行くと
よく分かる
 
もう通常の値札には手が出ない
肉の代わりにモツ
魚の切り身ではなく頭や鰓
そう思っても
数ヶ月前の倍の値段だから
さっと目をそらす
サンマ一匹の塩焼きは400円
開いた口が塞がらない
そうして周りを見渡すと
買い物行動は
みなよく似た雰囲気だ
みんなの顔つきが
ちょっと険しい
買い物かごも六七分
 
もっと苦しくなっても
ぼくらはこれまで通りだろうな
羊のようにおとなしく
ご飯一杯を半分にして
なるべく動かず静かに過ごし
ゆっくり枯れる選択をする
政治も報道も行政も
昔から他人事だ
分かったふうは言えても
分かっちゃいない
切実の度がまるきり違う
 
彼らでは救えない
せいぜい
お仲間ぐらいしか救えない
「国民のため」なんて
出来もしないことは言うな
彼らのまわりにばかり
明るい談笑はある
それはよいことだ
暗闇に灯る明かりだ
名も無い大衆の
我慢の成果だ
 
2025/01/31
 
 
「『ドロステ効果』の歴史」
 
昔から
政治も報道も芸能も
批判はあった
 
たいして今と変わり映えなく
華やかで闇もありという
そんな世界だった
いずれもきれい事の裏では
金と忖度が蠢く世界だ
そんなことも昔から知れている
それぞれに堅牢な村社会を築き
人生の大半は村に過ごす
騒がしい顕示欲の人たち
野の生活者には縁遠く
心の半分は拍手喝采
あとの半分で
盗食や貪食を嘲る
 
村社会のゴタゴタに向かって
正義を振りかざしてもだめだ
金科玉条の民主主義を盾にしても
対手の非道をあげつらっても
全部だめだ
そんなことも昔から繰り返してきた
決着はいつも霞がかかり
見かけよりはもっと
うやむやに終わるものだ
この歳になると
もうあれもこれも見飽きた
モグラ叩きのような世界が
ずっとこれまで続いている
待ち構えて叩いたり
叩き損ねたり
それに叩くのもモグラだから
入れ替わり立ち替わり
叩き叩かれている
 
小さな正義と小さな悪の小競り合い
失う命だけが痛ましい
あちこちで火の手が上がる
知ったかぶりも出来ないが
知らん顔でも通りにくい
 
2025/01/30
 
 
「互いに告発しあう世界」
 
告発の数は
日増しに増え続けている
こうなると
塀の中の全てが告発人で埋まり
人間は告発のために生きる
そんな世界になる
 
毎日大量に生産される告発状
塀の中の人たちは
血眼になって書き続け
電波に乗せて架空に飛ばす
送り手たちは同時に受け手となり
互いの告発を見て
共感したりしなかったりする
仮にたくさんの共感を得れば
さしあたって報われる
 
告発は良いことか悪いことか
そんなことは分からない
ただ限りなく湧いて出て
これがこの時代の象徴とも見える
よくよく考えてみると
人が告発に
目利きが利くようになったことと
彼らの生存空間に
告発すべきことがたくさんあることと
この二つの要因が存在する
つまりは成るべくして成った
歴史の流れの途次に起きた出来事
互いに告発し合って
傷つき傷つけ合って
ぼろぼろになるまで止まらない
かつて塀に仕切られたこの世界は
自然災害や外圧によって
自滅を免れてきた
神風が吹かなければ
異常度を増して行く
もうすぐ
注意報や警報の発表もあるだろう
こうなればとりあえず
避難場所の確保が必要だ
 
2025/01/29
 
 
「内部告発」
 
告発状を書こうと机に向かうが
一度も完成したことがない
下書きの段階でいつも
くしゃくしゃに丸めてしまうから
 
仮に告発が受理され
上層部が一掃されたとしても
変わるのは顔ぶれだけ
構図や構造そのものは変わらない
だとすれば
同じ問題は繰り返し起きるだろう
 
上層部の顔ぶれの交換を超えて
ぼくの告発が有効で意義あるためには
組織の構造や存立基盤を
問い糺すものでなければならない
なぜならそれが
不合理な問題を発生させる
根本の装置だからだ
けれどもぼくのこうした考えでは
上層部の顔ぶれを変えるばかりか
組織そのものを解体する主張になる
上層も下層もなくなってしまえ
そういう乱暴な主張になる
そんな告発を受理する機関が
いったいどこにあるだろう
 
それやこれやで
ぼくの内部告発状は
ずっと以前から引き続き
未完成のまんまだ
 
現状の組織もその作りもみんなだめだ
そのままで良いものなど
どこにもない
上層もだめなら
修正すればよいと考える告発も
本質的にも根本的にもだめだ
そこまでは分かっているが
その先の告発が
どうしても完成に至らない
ぼくはこの先もずっと
告発の下書きに終始することになる
 
2025/01/28
 
 
「ニッポンチャチャチャ」
 
みんな適度に正常で
みんな適度におかしくなって
気づかないまま
気づかれぬまま
日本よいとこ一度はおいで
なんて
歌っているとかいないとか
そんな社会を半数は誇って
半数は俯いて
併せてもってこの国が
成り立っている
 
また別に
この国がどうであろうと
冬の日の
日溜まりを探して
あちこちを
うろうろうろうろ
今日の日を
健康にただ健康に
過ぎて行きたいと
見猿言わ猿聞か猿の
穏当の群れ
 
そうかと思えば
真実を知っているのは
自分や自分たちだけと妄想する
「頭よい病」症候群とその予備軍が
じっとしていられず
言葉で撃ち合っている光景もあり
こうしてそうして
正常ですよと
こうしてそうして
異常ですよと
言い合いながら
手を携えて
夕陽に向かって走って行く
 
青春万歳
年金万歳
そうして猫も杓子も
愛愛愛と大合唱
幸福度ランキング51位(※)
微妙だぜニッポン
最長の歴史を持つ国
思いやりの国
おもてなしの国
微妙な51位の国ニッポン
誇り高き
51位の国
        (※「2024年_世界幸福度ランキング」より)
2025/01/27
 
 
「3つの枠」
 
個人と家族と外の社会と
3つの枠を往来することで
人間の生活は成り立っている
3つの枠を
赤白青などの3色に譬えると
カメレオンのように
体色を変化させることに似る
だが体色を変化させるのではなく
人間の場合は幻想とか観念とか
頭の中で切り替える
切り替えて3つの枠を行き来する
 
個人としての原理原則
恋人や夫婦としての原理原則
社会人としての原理原則
それらの異なる3つの原理原則を
行ったり来たりしていることになる
個人としての原理原則のまま
対の関係に入り込んだり
社会に我を通そうとすると
たいてい反発を食らう
これを知るのと知らないのでは
ずいぶんと違ってくる
オートマチック車でも
仕組みを知っているか否かで
ずいぶん違うのと同じだ
現代人も生きていくことは
なかなかに難儀なものである
ただし幼児と高齢者だけは
個人と家庭人との往来で
ほぼほぼ済んでしまう
青年や成人はひとつ次元が多い
社会との接触の機会が多いためだ
なのでエネルギー消費も
突出して大変になる
個人と家族と社会
どこに重きを置くか
いまのところは
それぞれによって
その対応は異なっている
 
2025/01/26
 
 
「ある羨望の光景」
 
 山間の古い家にひとりで住む老婦が、あんこの入った草餅を作り、数匹の猫がその一部始終を見守る動画。
 
 ほぼほぼ無音で無言の動画を、ヨモギを摘むところから、小豆を煮てあんこをこしらえ、ヨモギの餅の中に詰めて草餅が完成するまでをついつい見続けた。
 
 老婦の、時間はかかるがスムーズな移動や作業手順。その間、猫たちはずっと老婦につきまとい、後を追う。ほぼほぼ材料を集めて、台所で餅作りの工程に入ると、猫たちは老婦にくっつき、体をすり寄せるようにして、じっと作業に視線を注いで飽きずにいた。
 
 猫たちは遠慮深く、ほんの時折ちょっかいの前足を出すが、老婦は気にもかけない、苦にもしない。遮りもしなければ、止める仕草も全く見せない。いよいよ完成間近になると、猫たちは餅に触れるか触れないところまでは足を伸ばす。がしかし、抑制的で、しっかりと触れるところまでの行為には及ばない。まるで猫たちが自制を心得ているように見えた。
 
 そういう所がまた、よく分からないながらもこちらを唸らせる。素朴で自然さだけの老婦と猫との関係。躾など不用になったその関係は、どのようにして構築されてきたものか。また老婦に対する警戒をみじんも感じさせない猫たちの、その全きの信頼はどのような軌跡を辿って作られたものか。教科書には記載されない歴史が、そこにはまた流れているのだと思えた。
 
 そうしてただただ羨ましかった。何か分からないのだが、羨ましという気持ちだけがずっと心に響き続けた。
 
2025/01/25
 
 
「老いの生き死に」
 
片足どころか
両足入れた家の中
生死の境目を行ったり来たり
死んだように生き
生きてるように死んでいる
スイスイと
水槽のメダカのようにさ
何の因果か
そこにそうしているんだから
ひたすら鰓呼吸だけして
いつか止む
 
生きられるだけは生きるんでしょう
病気になる時は病気になり
成るように成って
悲しいとも愉快とも思わずに
ただ時を刻むように
水槽の中でスイスイする
濁り水か清水か
それはどちらでもいい訳で
そこにいるんだから
それが全てだから
それが世界の全てだから
逃げ出せないから
始まりが終の棲家だから
淡々と
スイスイと
藻の間を
移動しては止まり
止まっては移動する
腹を上にして
浮かび上がるまでは
いつまでもそうしている
生きることに意味なんか無いさ
ただどうすれば居心地よくいられるか
刻々にそれを探し回る
突き詰めるとそれだ
 
2025/01/24
 
 
「レミング神話の呪い」
 
アジア的な段階の生活から
少しだけ跳躍して
ふと目を地に転じると
着地場が消えている
万歳の恰好をして
ゆっくりと下降して行きながら
どこまで落ちて行くのか
予想も付かない
もちろん足も踏ん張れず
腕を回してみても
指先に触れる何ものもない
落下の夢を
果てしなく見続けているようだ
気がつくと
胸に酔いも回っている
 
少し先を行くのは
ヨーロッパやアメリカの影
同じように酔って下っている
救いようのない知的肥満症候群が
先頭を切って落ちて行く
蟻地獄のような
近現代の終焉の始まりならば
さしあたって
落ちるところまで
落ちて行くしか仕方がない
見えない時間だけが
疾駆している
 
2025/01/23
 
 
本当の愚かさ」
 
大都市からのUターン組のぼくは
故郷の人たちを舐めていた
田舎は遅れているとか
精神文化的水準が低いとか
それに比べて自分は
最先端の都会で暮らし
広く深い視野を持った人間だと
勘違いをしていた
 
表層だけを言えば
確かにそう思うのも仕方がない
ところがある
けれども言ってしまえば
そういう広く深い視野を持ってしても
田舎では通用しない
人たちが馬鹿で無知だからではない
生活基盤存在基盤が
田舎と都会とでは
全く異なっているからだ
都会からは
田舎の人は視野が狭いと見えるが
それは田舎の人が
それで動いていないからだ
頭と五感の働かせ方が違う
 
簡単に言うと田舎では
本当に打ち解けるには時間を要し
その過程での人間性や
親和性が試される
知や思想を認めるのは
ずっとその先だ
人格や性格の観察があり
また地域との関わりが重要視される
頭の良さや知識量
あるいは視野の広さ深さなどは
二義的以下になっている
なのでしばしば
都会人は誤解する
田舎人に対し
教え込んだり啓蒙したり
指導しなければならないと
けれども考えてみればいいのだ
どちらが本当に地に足をつけ
ずっしりと重く生きているかを
長い伝統にどんな意味があるかを
 
最近の若い政治家や
大衆に影響力を持つ発信者たちが
既得権益や既存勢力と戦う
など口にするが
その際に根拠になるのは
表面的なものにすぎず
自分たちのほうが開明的だとか
優れているという思い込みだ
だから最終的には溶け込めない
力でねじ伏せる
そういうことになる
表層だけの仕組みを変えても
根付かない
中央の先進的な社会思想を
そのまま田舎に持ち込んでもダメ
大抵そういうことになり
かえって地域をずたずたにする
変革の志はよいとして
拙速にすぎると必ずそうなる
その土地に居を構えて十年
経なければ地域のことは分からぬ
分からぬ土地に
どの種をどんなふうに蒔くか
実はそれさえも知らずに
蒔こうとしていたことになる
本当の愚かさとはそれだ
 
2025/01/22
 
 
「精神の内在史を概観する」
 
縄文時代にも
階層があり奴隷がいたと
研究者の一人が言っていた
 
奴隷という下に向く視線があれば
上に向く視線もあったはずで
遙かなものは神だし
より身近には
神の御宣託を聞くものが
その資格を持つものが
存在したのだろう
 
そういう意識が
縄文にもあったと言うことは
縄文は遠いものではない
と感じさせる
人間的なものは
ずいぶん昔から人間的であった
そういうことが言えそうだ
 
当時の感覚としてはどうだったのか
階層があり上下があると言っても
近代の奴隷制ほどに
厳格で絶対的だったとは思えない
縄文から現代までの時間の中で
意識や言葉や思考などを
この島国に生活きた人々は
どのように更新してきたのか
優れて高度なものに変貌させたか
思うほどに差は無いのか
理想に向けて展開してきたのか
そうではなかったのか
誰もが断定に迷うところだろう
 
上下に増幅したとはまず言える
それから欲望や羨望が
堰を切るように流れ込んだ
というようにも見える
つまりわたしたちの理知は
巷間言うほどに
たいしたものではなかったと
そう感じさせられてしまう
 
2025/01/21
 
 
共同幻想という舞台」
 
共同幻想がせめぎ合う
そういう場では
人は観念として参加し
観念として数えられる
厳密に言えば
生身の個人でもなく
家族の一員として
入っているのでもない
端的に言うと
社会や組織の一員として
好き嫌いに関係なく
ある役割を担って
存在していることになる
 
素の個人でいられるのは
社会から身を引いた
つまり一人の時や
せいぜい家族と共にいる時で
そこでは名刺や肩書きは要らない
名刺や肩書きに向かって
自分を寄せていくと
時に本当の自分でなくなる
普段は三つの次元を
無意識に切り替えて支障ないが
ギアが噛んだりすると
生活上に不調を来す
そういう危うさがある
 
そうなった時は即座に
名刺や肩書きを放るのがよい
着込んだ役割を脱ぎ捨て
家族や個人という更地に降りて
頭と身とを低くする
いざとなれば
何時でもそこに立ち還る
その覚悟を覚悟しておくべきだ
見渡す社会には
いつも共同幻想がせめぎ合う
そこは危ない場所だ
役割が強いられ
役割に適った演技が強いられる
そういう場所は危険だ
自分を見失う
主体的参画のようでいて
主体が消されている
 
2025/01/20
 
 
「裸木」
 
裸の木々の
幹から枝へ
枝先へ
動脈から細動脈を経て
毛細血管へ
その指先のような
枝先で空をつかむ
ぴたりと
空に張り付く
 
枝先で空をつかむ
するとそれは
大地に根を張る姿と
ちょうど逆さまで
そのとき空は
気化した養分で満たされる
神経網が
探し当てる
 
葉を落とした裸木
言葉や文字を
使い果たした老爺
指の骨を宙に掛けて
ゆっくり細く揺れながら
大気をかき混ぜる
 
明日からはただ
春を待ち
日数を数えて暮らす
裸木
 
2025/01/19
 
 
「相違と断絶」
 
社会を考える立場に立てば
自然災害からの教訓を
忘れないようにとも言うだろうが
そうでなければ忘れてしまう
社会に生きる一員として
駄目と言われると
たしかにそうだろうけれど
その前に
自由気ままでいたい個人だから
自由に選択するならば
危険から遠離る一手一択だ
各地の追悼の記念式典など見ていると
その政治的意味合いだけが強く
何となくゆるいなあーと思う
大昔の大仏建立みたいだと
それならもっと実効性のある事業に
労力も金も使ったらと考える
マスコミを中心に
厳かな追悼の雰囲気を作ってさ
普通の生活者たちの見立てとは違い
そこはどうも交わらない
あっちがよくてこっちが駄目な雰囲気で
もうそこからして
階層間の相違と断絶があからさまなのだ
財産・職業・学歴・年齢を単位として
式典に集う人たちは
鎮魂の意と未来への希望を繋ごうと
だがその他の人たちは
過去も未来もどうでもよくて
今やるべきことに追われている
善や徳や義を行うだけの余裕がなく
口にする気にもなれないでいる
「誰もが安心して暮らせる社会の実現」
などではなくて
自分たちの暮らしの安心のため
そのやりくりを必死にやっている
それはもう誰もあてに出来ない
そういう社会なのだと
身に染みて
知らされてきている
 
2025/01/18
 
 
「耕し続けるもの」
 
冬の凍る道を歩いてきて
ここで倒れる訳にはいかない
いつも心にそう呟いてきた
ほんとうに
ここで倒れるわけにはいかない
すべての必敗の戦いの終わりに
なお戦えるものが
残っていなくてはならない
靄の立ち籠める墓場から
ひとり立ち上がり
敗れざる戦士として
敗れた戦士たちの無念をかき集めて
そのすべてを
あの陣営の中に放り込むため
突き返すために
最後のひとりとして
残っていなくてはならない
そのために
ここで倒れるわけにはいかない
そう呟き続けてきた
理でもなく力でもなく
不屈の二文字を心に刻むもの
倒れないと念じ貫くもの
大衆の中にあって
無力に耐えうるもの
無能の底で
言葉を掘り続けるもの
言葉を
耕し続けるもの
 
2025/01/17
 
 
「冬は寒い」
 
冬は寒い
雪は冷たい
 
母に付いて
薄氷を砕いた川で
洗濯を手伝った
子どもの頃
 
いまはもう
厳寒の中へ
連れ出すものも
誘い出すものもいない
自分から飛び出す
覇気も無い
 
冬は寒い
雪は冷たい
 
老いを包む
この暖かな部屋の中で
きみは自分の心を
手放したいと
考えてはいないか
 
2025/01/16
 
 
「それなりに老いても忙しい」
 
若い人は仕事でも遊びでも
きっとあちこち吹っ飛び回っていて
生きている実感が
顔からも態度からも伝わってくる
今から考えると たぶん
ぼくらの若い頃もそうだった
知らず知らずにそうだった
 
老いてくると
そんなことも無くなって
活動圏は狭く限られる
ただ溜まりに溜まった記憶が
時にフラッシュバックして
頭や胸がきゅっと収縮したり
顔が赤らんだり
いまでもまだ生々しく
戻った実感に翻弄されることもある
なのでつまりは
やることが何もないと言うこともなく
それなりに老いても忙しい
確定申告か収支報告か
出来れば自分に向かって
そんなものをまとめてみたい
そんな願望もある
刀折れ矢尽きるまで
まだまだ考えるさ
まだまだやるさ
納骨室のような狭い生活空間だが
幻想世界は広がり続ける
世に役立たぬことは
若い人より得意とする分野だ
だから孤独に見えて
けっこう元気さ
ぼくのことは気にするな
きみたちは
きみたち自身を気遣え
そこには
きみたちの本体はないのだから
 
2025/01/15
 
 
「唯一の心配事」
 
狭い部屋の中で
電子煙草をくゆらせていると
何はともあれ
一番落ち着いて快適だ
そう気づいてみると
残りの生涯を
これ一本でやり通すのが
ぼくの幸福となって
よいことになるのではないか
 
他にはねえ
もうやりたいことも
考えたいこともないし
意味だ価値だと騒ぎ立てるのも
みみっちい人間の性だ
それなら虫や草木と
同列に生きて
同列に死んで行くのが
カッコいい
そう思ってしまう
最後には花のように
言葉が萎んで落下して
終わりさ
 
この部屋に籠もって
ただ日めくりをして
嫌ではないそんな生き方をして
気づかぬうちに死んでいる
自分の人生は
それで十二分かも
ただそんなゆるーい時間に
脳内の回路が
同期出来るかどうか
それがこれから数年先の
唯一の心配事だ
 
2025/01/14
 
 
「もうひとつの認知法」
 
昔の田舎は家がまばらで
夜には薄暗い橙色の裸電球がひとつ
灯るくらいのものだった
日が落ちれば家の中も外も真っ暗
暗がりには必ず
蛇とか幽霊とか怖いものが潜んでいた
 
いま考えると
自分で自分の意識に
怖いものを呼び寄せていたんだと思う
世界の半分は
少しも恐怖ではないけれども
残りの半分の世界は
少なくともぼくには恐怖だった
それはぼくの心を決定した
世界の半分は恐怖で出来ている
そんなふうに心は
ふた色に染みて
それがぼくの心になった
 
それ以後ぼくは
世界とは怖いものだ
という観念を打ち消せずに
いまに至っている
心の底に不安や懐疑が
打ち消せずに残っているということ
そしてその正体が
よく分からないということ
理性的には承知しても
感覚的な恐怖が去らない
生涯ずっと
正体不明の怖さが
ついて回ってくるという
そのまた恐怖
 
年老いて
ごまかす術だけは身につけた
それでいて
いつどこにいても
自分で居心地を悪くする
これはもう
ただ辛いという以外にない
変わらない
性格というよりも
もっと動物的な何かだ
動き回る原虫の
おそるおそるの手探り
のようなもの
 
2025/01/13
 
 
「生涯の流儀」
 
村八分が怖かったからね
子どもや大人のいじめもね
いじめの当事者たちより
黙って見過ごす多数が
問題かなと
 
わりと声を上げてきた
そんな人の末路は
ぼくを見ると分かるんじゃないかな
友達もいないし
社会的にも孤立状態
 
自分の考えを大事にしたり
思ったことを
思った通りに言ったりすれば
大抵こんなことになる
それは分かるからね
 
嫌なら迎合すればいいんだ
誰にも咎められない
咎めるものは
自分を隠しているからね
みんなそれを知っているから
 
ぼくはこうするより仕方なかったから
こうなることも納得して
わりと耐えられたから
自分だけはそうはなるまいと
必死に藻掻いてきたから
 
2025/01/12
 
 
「ごまかし村社会」
 
地図を広げて
いくつかのルートを示し
道案内をしてくれる
手っ取り早く
その声に従うのも悪くない
峠を越えたら視界は開け
そこそこの自由度もある
善し悪しは別にして
暖かい家と
温かいパンのために
最初の岐路は
確かにそのように
昔から設定されている
 
戦後最大の思想家も
娘たちに言ったそうだ
歩けるなら
峠を越えるルートを
選択するのがよいと
特に良いこともないが
ほかのルートはきついと
ぼくは言えなかったなあ
というか
言うタイミングがなかった
もっと早い段階から
落ちこぼれて行くものがあって
スタートから
諦め坂を降って行った
 
大過なく
社会生活を送れるものは運がいい
捨てることはないさ
ただし運から見放されたものは
自棄になって暴れるしかない
精神的に暴れまくるか
肉体的に暴れるか
その二択しかない
人間としては
そうすることが普通の反応だ
そういう所は
世の中は解決しないよな
見ざる聞かざる言わざるで
マズいことには蓋をして
知っているのに蓋をして
とにかく火葬の日まで
逃げ切れればいいと
思っていやがる
 
2025/01/11
 
 
「上下を超える」
 
人身売買もしくは斡旋業
表向きはお仕事紹介
と言う機関や組織がある
すべての紹介先をはっきり言えば
どれも女郎屋勤め
好き好んでやるもんじゃない
のは当たり前で
出来ればもう
駆け落ちでも何でも理由を付けて
遠くへと逃げたくなるし
逃げるなら本気の方がいい
もちろん失うものは大きいが
気にするな
一番大事なものを失わなければ
世界に屹立できる
いつか自力で自分を救える
 
仕組みやからくりがバレてきて
働かないものがふえてきて
人手不足と騒ぐだろう
こっちも苦しいが
向こうも苦しい
そんな状況ですよ
我慢比べですよ
頭を使う連中が
国の停滞とか衰亡とか
あるいは滅ぶとか言い出して
警鐘を鳴らしたりしてるでしょう
あれは嘘です
国が国民がと言いながら
本当は自分たちがと言うこと
考えているのは
国民大衆の頭の上でする生活が
どうしたら
維持できるかと言うことだけ
ふざけるなと言ってやろう
 
ぼくらは人の上に立たないのです
ぼくらは人を動かすことも
人を使おうともしないのです
下に行きたいのではなく
上下のない次元に
横っ飛びに
飛び越えたいのです
 
2025/01/10
 
 
「ひどく悩ましく」
 
ひどく悩ましく
蓮池の下を眺めている
 
イメージとしての世界が
底に映し出されている
 
何色もの絵の具を
打ちまけたような世界もあれば
墨絵のように沈黙して
地下を流れているだけの世界もある
 
やがて蓮池から離れて行って
また明日の朝に通りかかり
池底を覗く
ただそれを繰り返して行くだけなのだ
わたしたちの意識の番人は
 
「解雇せよ」
「きみ自身の特技を封じよ」
夢の去り際に
仲間のひとりが叫んでいた
 
汚れた心を洗うと
きれいな心も流れ落ちて
消えて行ってしまう
 
そうなれば大地に柱を立て
荒れ地と戦う
あの悠久の時が待っている
耐えられるとも思えない
 
両手で時を温めながら
成り行きの峠を
越えて行くしかないか
 
白装束の
葬列の姿として
時がわずかに
温もってさえいれば
 
それはそれでいいさ
 
2025/01/09
 
 
「始まりに向かって」
 
ブラックボックスの中飛び交う
小さな羽の分子たち
闇雲にぶつかり合い軌道を変え
またぶつかり合っている
間近には滅びのトルネードも差し迫り
見えない言葉たちは
人の心から去って行こうとしている
見えないドラマが後を追い
始まりに向かって
激しく滅び始めて行く
 
2025/01/08
 
 
「報道知性へのかえしうた」
 
新春からさりげなく差し込まれる
「不登校乗り越え甲子園に」や
受験シーズンにまつわるいろいろな報道
 
半世紀近くなっても同じ方向で伝え
同じようにほぼ同じことを繰り返している
錆び付いた報道知性は胸くそが悪い
 
例えば不登校や引きこもりは
乗り越えなければ
ならない
とされ
病気と同じに
社会へ復帰するとか参加するとか
その一方向に向かってのみ筋立てされる
さらにみんなで応援しましょう
なんて付け加えられたら
ただ当事者たちは恐縮し
迷惑かけてすみませんなんて話になる
冗談じゃない
その知性は驕りで傲慢だ
病んで腐乱しているのはお前たち
錆び付いた知性のほうだ
 
報道知性がこうだってことは
見かけ上の社会の大半がこうだってことだ
つまり錆び付いて劣化して硬直したまんま
半世紀近く我が物顔でいる
その知性はエンタメ知性であり
本質的根本的な考察など
けして期待できないことを表している
 
すべてそうなれとは言わないが
一部でもいいから身を入れて
不登校から引きこもりのまま生き抜く方法
病気のまんま生き抜く仕方
科挙の当時と変わらぬ選別の廃止の方策
など打ち立てようとする
二十一世紀のフロンティア知性に向かうべきだ
現状に胡座をかいて
ややましな現状の維持と
自己保身に安住しきっているからそうなる
すべては逆なのだ
救済されなければならないのも
病から立ち直らなければならないのも
本当は真っ逆さまだ
 
暖かな家と温かなパンはたいせつだ
この時代は繁栄の中でも凍えるから
きみが動けとは言えない
ただ臆面もなく
意味も内容もない
支援の振りの言葉
善のそぶりをした言葉
それら錆び付いた知性の言葉群を
空砲を
撃ち続けて生業とすることだけは
もう止めにしないか
 
2025/01/07
 
 
「ヒロシです」
 
「一番マグロ」は二億七百万円
ウニは最高値の一枚七百万円
豊洲市場の初競り
 
ウニ一貫は四十万円になるそうです
 
もちろんぼくには
どちらも食べられません
なので逆に
とてもおいしそうに思えます
おいしいんだと思います
おいしいに違いないのです
食べられません
 
ヒロシです ヒロシです
ヒロシ…です
 
2025/01/06
 
 
「2025年のぼくの初夢」
 
経済から情報や芸術に至るまで
易々と国境を越え海を渡り
季節風や流れる川のように
地上の人々を通過する
世界が
ひとつのエンターテイメントで
盛り上がろうとする時
頑なに逆らおうとする者たちがいて
それは政治という分野の執行者たちだ
せっかく風通しのよくなった世界なのに
あれはよくてこれは駄目
これはよくてあれは駄目と
調整役なのに
エゴで調整を出来なくさせている
ほかのものはみんな境界を越えた
なんなら世界中の政治と
政治家たちだけが
博物館送りだ
それが世界の安定や平和のための
最終最後の障害だ
 
2025/01/05
 
 
「小さな森」
 
近くのスーパーの裏手に
こんもり小さな森があり
裸の木々はみな
親戚や親族などの
血縁に見える
もちろん足下には
ぜんぜん違う笹のような
植物も見られるが
概して大きな木は同じ幹の太さと
空中への枝の張り方が似ている
大きな木にも
別種は混じるかも知れないが
同種の木にとっては
そこは最適の地なのだろう
別種のわずかな木は
流れてきて定着したか
はじめから温かく迎えられたか
蔑まれながら徐々に定着したか
例えばこんなふうに森を見てみると
森にもまだ明かされない物語が
たくさんありそうだ
集団形成の仕組みは
どうなっているか
歴史書みたいに知れたら
楽しめる
 
2025/01/04
 
 
「今日の遺言」
 
後ろめたい気分を残しながら
我が家の正月の装いは何もない
もう舞台から退いたのだから
役柄も衣装も脱ぎ捨てて
習俗や風習からも距離を取り
何にもないよ
ぼくは息を吸って吐いて
そして死ぬ
 
2025/01/03
 
 
「言い争い」
 
立場や考え方の違う相手に
SNSなどでは
「頭が悪い」という言い方が
よく聞かれる
子どもじゃあるまいし
本気で頭がいいとか悪いとか
今でもそんな言い方をするものかと
ちょっと驚きだ
 
聞いていると
頭がよいのがよくて
頭が悪いのは駄目と言うことのようだ
そういう次元で相手を批判したり
また非難してマウントを取ろうとする
お互いに優位に立ちたくて
交互にマウントの取り合いになって
どこまでも平行線を辿る
まるで子どもの喧嘩だ
どっちもどっちで
良い悪いで言ったらどちらも「頭が悪い」
言い争うなら
相手がぐうの音も出ないような
本質に沿った根拠を指し示さねばならない
それが出来ないから
「頭が悪い」の言い合いになる
 
「頭が悪い」と言うのは
別に思うほど悪いことではないし
「頭がいい」と言うのも
別に考えるほど良いということでもない
頭が良くても
人間的に変だというのはいっぱいいるし
逆もまた真だ
それに頭がいいなんて
絶対自分の力じゃないからね
そんなのを誇ったって仕方がないんだ
もっと言えば愚かだし時代遅れだ
曲がり形にも知識人・教養人なんだろうから
「非知」や「頭の悪さ」と言うものを
考えに取り込んだ上で
問題の核心は何かを考えなければならない
それが出来たら
頭の善し悪しなど
取るに足りないと分かってくるさ
同じレベルで言い合っている時点で
もうアウトなんだ
言い負かしたって
自分が気持ちよくなるだけだ
何も解決はしない
もっと違う考え方をしないと
いつまでも同じだ
いつまでも変わらない
 
2025/01/02
 
 
「老後の遊び」
 
マスメディアやSNSで脚光を浴びる
役者や歌手や運動選手たちも
そもそもの出自を辿れば
隣町のお兄さんやお姉さんだったはずで
知らぬ間に雲の上の人になった
隣町にいたら生涯知ることもない
そんな路傍のひとりひとりだった
 
そんなふうに
有名人を舞台から引きずり下ろして
隣町の住人に仕立てる
時々そういう遊びを好んでしている
 
日本の神話時代の話も
隣町の現実の出来事と想定して
それをもとに作られた話と仮定すると
ずいぶんと身近なものになる
「みこと」とか「かみ」とかと呼んでも
実際にはありきたりの
何ら変わらぬふつうの人のことで
実際には東征も
隣県程度の距離と縮小して考えると
古事記や日本書紀も
「盛った」話にも思えて面白い
 
こんなことはただの遊びだが
一年を通して遊んでばかりいて
誰かに対してか
何かに対してか
申し訳ない気もする
それでも害は無さそうなので
これからも長く遊び続けたいと思う
どんなことにせよ
有名人をやっていくのは辛そうだ
当然のように何かを問われる立場になって
正当性や弁明を常に用意して
精神的な重圧もきつそうだ
ぼくらは気楽だ
気楽に遊び気分であれこれ批評して
時折にんまり笑ったりする
好き勝手に考えて
好き勝手に書く
金もかからないこんな楽しいこと
やらないという手はない
 
2025/01/01