歩み   一〇.七.二五
 
 
歩いてきたのは岸辺
取り憑かれていたのは意味のない祈願
失われてきたものは光と熱
かすかになった遠い意識の中で
縋る藁の一本が見当たらない
 
歩いているのは岸辺
命の温もりの消えた岸辺
岩と砂とが交互に難儀を強いてくる
夢のように何もない
歩いた先から痕跡が消されてゆく
 
 
ほんとうに 何もない
あたりをゆっくりと見渡して
失ってきたものはすべて
『おまえは・・・ほんとうは・・・』
 
心に涙が止まらない
悲しみの色薄まり
澄んで沈むまで
 
風が・・・
『これからどうする?』
『一人っきりでいくんか』
 
そうだよ
白髪の明日から
録するような歩みを
誰も教えてはくれなかったその歩みを
 
 
 
 
   「異」なるもの 一〇.七.二六
 
 
自問自答の世界にのめりこんできた
それにはたぶん理由があるけれど
生活の場においては生活の場におけるように
生きなければならなかった
 
この生き方は世界に一つ
そう言えるだけの根拠があるにはあるが
それは語っても意味あることではない
だからまた意味のない沈黙に沈む
 
膜一枚を隔てて
きみにすれ違う
振り絞る愛はみんな
風に吹かれて
気圏に漂うだけのものとなる
 
 
 
 
   明日、強くありたい  一〇.七.二六
 
 
子どもが苦しい道を選択したとき
何も言えなかった
父母が老いという現実にひるんだときも
何も言えなかった
 
もっともっとあらゆる場面で
何も言えなかったわたしは
後悔に充ち後悔に溺れる
わたしは後悔する道を選択してきた
それ以上でもそれ以下でもない人生
そしてこれからも
 
だがわたしはこの道を後悔することは出来まい
なぜならそこには私の精一杯があるからだ
わたしの愛
わたしの人間力
わたしの真
そういうもののすべてが込められてきたのだと言える
 
わたしは明日
強くありたいと願う
 
 
 
 
   民の理念を  一〇.八.一九
 
 
どうでもよいことはみんな忘れた
このいのち
この年まで延命すれば本望
そう
内なる生命の衝動は
妥協してくれるかどうか
 
ひとの重しになったり
ひとのこころの刺や翳りなど
つまり禍の元凶にならぬよう
そればかりで過ごしてきた気がするのだが
こうしてすべての人と疎遠になってしまえば
煩わせないでと
声荒げられることもなく
これから先も
 
こうしてここまで大過なく
荒れた心に抗って生きられたことは不思議
あとはただ静まれ
魂よ静まれ
との
願い
理想の世界の民のように
民の理念を生きてみる
ほかに
己の歌う歌はない
 
 
 
   無名の演者  一〇.八.一九
 
 
 日々のうちのある日に、こんなんじゃ結婚などしなきゃよかった、とか、子どもなんかいないほうがよかった、とか。
 考えることがなかったとは言えない。
 関係を疑い、否定するところまで安易に踏み込んでしまう精神は今時のものだ。これは正しいとか正しくないとかの問題ではなく、われわれの目の前におかれた課題の一つだ。 否定するにせよ肯定するにせよ、どこに行くのかと問われている。
 無意識が望んでいる方向に、社会は解放、若しくは解体するかのように、雪崩を打って突き進んでいるのではないか。それがどんなに不幸の様相を飛沫のように飛び散らしても、その飛沫の向こうにしか展望が拓かれていないことはたしかだと思える。わたしたちはただ、無名の苦しみを負って傷ついたり、倒れたり、這いずり回ったりを演じてみせているだけだ。
 
 
 
 
   死のための歌                      10.10.13
 
 
蜘蛛の子の散る草の上で
戯れによろめいてみせる
けれどもそこは
誰もいない異数の世界
ひとりの時の安住の気安さから
小さく崩したバランスは
しかし思いがけず修正できないものだった
 
深淵はいつもこんなふうに
ふいに広がる
初老とはかくも孤独に
世界の無関心を誇張するようにしてやって来る
ひかりのとどかない底深く
深く深くまた降りて眠ろう
すべてのわたしに対する批判や否定は
関係から始めて骨の髄までを
きれいに腑分けし 啄み
痕跡を残さないだろう
 
ああ 明るく華やいで
いつも地上に君臨してきた「世間」よ
本当にわたしたちの姿が見えるのか
腐敗し放蕩し常に「否」を全身に表した
わたしたちの魂の純粋を
永遠に地中の鉱脈に隔離する
それがきみたちの生きる目的であったのか
そして最後に
わたしたちに問いかけてみせる
「いまでもきみは泣いているか」と
もちろん
きみたちの勝利に
わたしたちの苦悩は消滅することができる
 
 
 
 
   失敗                            10.10.13
 
 
生きることは失敗である
おねしょをしたときの失敗と同じような失敗である
 
ひとを愛したことは失敗である
愛は負担を強いるものだから
長い間の疲労に抗えない
 
働くことは失敗である
人生を知りつくしてしまうから
こころあるものは希望を失う
 
人間の世界が存在することは失敗である
広大な宇宙の中でも稀な
神のおねしょであるような失敗である
無数の悲しみと
無数の瞋りと
無数の喜びと
無数の慈しみとが混沌として漂い
産み出されてくる神話から
けっして「人間的」以外のものを産み出さない
 
わたしたちは失敗である
わたしたちが生きることは失敗である
生まれては消える泡のように
次から次へと地上に降り立っては消える
わたしたちのざわめきは失敗である
 
だがしかし
この失敗ばかりのざわめきをのぞいては
この宇宙は
激しい音と光を伴いながら衝突するだけの
ただの「アホウ」のように虚ろなばかりなのだ
 
 
 
 
   ある風狂                         10.10.15
 
 
夏の午後の屍の烈しい悪臭
蛆虫と一緒に乾涸らびた腐肉
 
風が
田園を涼しく吹き抜けて 秋
繁き緑の葉が病のように
一斉にはらはらと落ち
はらはらと落ちる
その一瞬の不可解
通りすぎて翌日
たわわにあかく実を結んだ柿の木の姿
 
風は
明らかにループする言葉のように循環する
言葉を玩具のように弄んだものは
いつしか言葉に弄ばれる
引きこもって
明日の記憶をつくれない
風には
たどり着く場所と休らう場所とがない
 
嫌悪が絡み合い
こころには愛の感情が不足している
こうなったら酒を浴びるか
遊びほうけるしか手がない
男の顔が
やけに仏のようなよい笑顔でいたら
気をつけろ
 
 
 
 
   「宿命」                         10.10.19
 
 
やけになる
神らしい物は「らしいもの」にほかならず
いまは少しも欲しくない
 
やけになり
ことごとく乱暴で捨て鉢な思考をする
「あのね」と意識がつぶやいて
無意識から無意識の核にまで向かって
幾機もの探査機を打ち上げる
神ではないが
「上からの声」が
そこから発しているらしいからだ
 
やけになる
やけになり
やけに徹してみせる
哲人の声にも
導師の声にも
達人の声にも
世間の声や天の声にも
父や母の声にも
女や子供の声にも
その他の常識や非常識の声にも
媚びず
諂わず
抗い続ける
 
すべては
「上からの声」を越えて
「宿命」を葬り去ってしまうために
それだけのことをしなければ
辿り着けないから
 
 
 
 
   生きる                          10.10.19
 
 
生きる
ということは
 
交差点で信号待ちをしているということ
慣れた手つきでいつもの仕事を繰り返すこと
時間の経過を待ち望んだり
約束の時間が迫る事への不安でこころがいっぱいになること
 
夜 理由もなく意識が暴走し始め
泉の底から陰鬱な思考が途切れることなく湧き出すこと
朝 視覚が発する光に周囲が反射し
久々の躁に身と心を浸すこと
 
生きるということは
鳥や樹木を見てそれと認識すること
風であり雲であること
大地であり宇宙であり
一瞬で同化できること
 
通勤電車の中で目を閉じること
思考を休ませること
助平心にたじろいだり
果てしなく流されてしまったりすること
 
生きるということは
人生の中で幾度か
にんまりできる瞬間が持てるということ
たとえ九割九分が艱難辛苦に彩られていようが
一杯のラーメンのおいしさ
一つの詩の言葉
寒い夜の明かりや身を包む布団の温かさ
それだけで
明日に向かって一歩を踏み出してしまうもの
生きるということは
逆らえない「自然」を生きるということ
 
 
 
 
   わたしの生                      10.10.22
 
 
内臓が汚れている
黒くドロドロに溶けて
どの臓器も形をなしていない
臭ってさえいそうだ
骸といえそうな状態を
ビニールのように人間の皮膚が包んでいる
といえばよいのか
ただこの皮一枚が
わたしをつなぎ止めている
 
生きることにか
「わたし」というものにか
あるいはこの世界になのか
分からないほどなのだが
またそれは強制の鎖によってか
救済の藁一本によってなのか
不明なのだが
皮一枚の状態で
つなぎ止められていると
ただそれだけを
わたしは感覚している
 
わたしは目を見開いて空を凝視する
川を下る死者の群れの一人ではない
わたしは折り重なって積まれる
樹木の下の廃棄された死者の一人ではない
 
団地の隣人と朝の挨拶を交わし
仕事場では控室を出入りし
作業をしたり打合せをしたり
日に何遍も会釈を繰り返す
賃労働者の一人だ
休日には
唯一の趣味といっていいパチンコに興じ
いつも有り金をまきあげられている
平凡で穏やかな生活を繰り返す
無名の生活者の一人だ
 
わたしは利を捨てて生きることの辛さにたえているのか
完全犯罪のように
誰にも気づかれない緩慢な自殺を遂げようとしているのか
いってしまえばもう
そんなことは全く分からなくなってしまった
ただもうこの世にありえない形で生きている
そうとしか思えない気分で
生きていることはたしかなことだ
 
 
 
 
   欲望                           10.10.22
 
 
内臓が腐っているので
形式に縛られて生きるほかに手がない
うまいもの
あるいは五感が喜びそうなことを手にいれても
正しく消化されない
セックスには目的がない
ファッションも玩具も
欲望だけはきりがないのだが
欲望にははじめから充足が欠けている
あるいは願ってさえいない
内臓が腐っていれば
なるほど
欲望は異常としてしか表出されない
もしかすると欲望は
欲望の湧出としてしか
欲望されていないのかもしれない
 
 
 
 
   「資質」考                        10.10.26
 
 
少年の日の悲しみや苦しみや不可解は
「死」に結びついていた
いまも変わらぬその感受性の質
極端な激しさ
ヒステリックな発作を
超克してきたのだとは言い難い
 
この資質はたぶん
「母的」なものとの関係から形成された
 
「愛」か「死」か
「真」か「死」か
「正義」か「死」か
「仁」か「死」か
こんな言葉の並べ方は不健康で
それは
死者の「愛」
死者の「真」
死者の「正義」
死者の「仁」
というのと同じで
それ自体が
同列におけないものを同列に置く
一種の不条理なのだ
とはいえ
これらを同列に置く感受性の根拠はかすかに存在する
それは言葉が動的で
未完成であると考えられた場合だ
そこではたしかに
「愛」も「真」も「正義」も「仁」も
「死」に近似した何かであり
もしかすると広義の「死」に包含されてしまう
 
こう考えてくると
資質としての個にも存在の根拠があるように感じられてくる
病的であり異物のような存在でありながら
普遍的でもある