学校をやめた本当の理由―校地内の喫煙禁止
 
大学を出てから民間の会社で7年勤めた。辛かったこともあれば,楽しかったこともある。思い出せばいろいろあったには違いないが,だれもが生きるように生きていたに過ぎない。その会社をやめたのは,特に理由はない,と今なら言う。
会社に対する無言の抵抗,上司への面当て,そういう思いがないわけではなかったが,本当のところは自分でもよく分からない。当時,営業所所長への昇格の打診があり,それを引き受けると言わなかったところで所長代理の肩書きにとどまった。やれ!と一声,強力に進めてくれなかったことに忸怩たる思いを抱き,引き金になったかもしれないという疑いは今も残る。その程度の,小さな権威指向,権力志向は,自分にとってもなかなか消しがたいものではないかと,自分について思うところがある。
会社の先輩が,お荷物として部下に配属されてきたことも,自分の心を乱すものとなった。どこかで,同情と優越感のようなものが頭をもたげて来ることが感じられた。そうした人事の経緯を話す上司の,人よりも組織優先の考え方が,たまらなく嫌だった。そういうことに反応して,泥のそこからガスが浮かび上がるように,さまざまな意識,言葉,感情を生み出す自分の心もまた,たまらなく嫌だった。
結局のところ,心の葛藤に疲れてというか,「しりぞく」志向性の資質と呼ぶほかない自分の選択が,退職の二文字を選ぶことになった。これは重大な決意であるけれども,また存外紙よりも軽い決意であるとも言える。簡単な事務的な手続きを終えると,後は会社とは無縁だ。引っ越し荷物を作りながら,あっけなさに,現実というものは言われるほどには重みのないものだと思った。
要するに自分は,清廉潔白な「よき人」では決してなく,普通一般の,俗物根性をいくらかは含んだ大衆の一人であるに過ぎないことを先ずは言っておきたかった。
 
昨年の三月,公立小学校教員の職を辞した。一度やめた経験がある,いわばすねに傷を持つ身だ。二度あってもよかろう。そう思った。
もともと学校や教育には胡散臭いものは感じていた。できれば近寄りたくない,一番の対象でもあった。だが,先の会社をやめた自分には妻も子もあった。職に就かなければならない状況と,学校や教育への自分の謂われのない嫌悪,及び誤解を覆す何かが発見出来るかもしれないという気持ちから,チャンスを得て,公立の学校教育の世界へ飛び込んだ。
もちろん,あまり真面目でも優秀でもない自分でも,採用してもらえたなら,一生懸命に仕事をするつもりではいた。
二十一年間,先生として,勤めた。子どもに教えるものとしても,組織の人間としても,決して優秀ではなかった。ひと言で言えば,ぱっとしない先生,ということでいいのではないか,と思う。
そんな自分でも,今回辞めることには相当の覚悟がいった。これから先,どういった生活をしていけばよいのか,出来るのか。前が見えない。給料,そしてボーナスがなくなることは,現在不況でリストラされたサラリーマンの自殺報道を思い浮かばせる。
何故,教員の仕事を辞めたか。それは前の退職と同様,「どうしてか分からない」という他はない。いろいろな理由を考えても,決定的な理由は見つからない。「辞めたいから辞めた」。自分には,それで納得させている。他人には,「飽きたから」とか「遊びたいから」等と,半分,本音を含ませながら言うことにしている。
退職の旨を校長に伝えた時には,よく相撲取りが言う,「体力,気力の限界」を借りて伝えた。これも,あながち嘘ではないと考えたからである。
自分以外の人は,この不況時に自分から仕事を辞める異常さに戸惑うに違いない。公立学校教員の職は安定した職である。世間的な信用も大きい。決して「おいしい」だけの商売ではないが,堅実であり,定年まで勤め上げたら老後もある程度の保証が約束されそうに思える。辞めるには,相当の理由がなければならない。だれが考えたってそうだろうと思う。五十を過ぎて,何故突然に辞めなければならないか。校長は退職の申し出を聞いて,「もったいない」と言った。それが,何はともあれ,率直な言葉であろう。
多くの人は,会社勤めであれ何であれ,宝くじで3億円でも当たったら即刻仕事を辞めてもいいと,冗談交じりに考えているものだと思う。実際,一緒に働くことのあった同僚の先生たちとは,炉辺でそんなことを語り合ったことがある。だが,こういう冗談には,そういうあり得ないことでもなければ仕事は辞めることが出来ないという深刻さが潜んでいる。だから,ある意味,途中退職には,3億円が当たったほどの,それに匹敵する重みのある理由がなければならないと考えるのが当たり前なのかもしれない。
冗談交じりに言う,「仕事を辞めたい」の言葉は,仕事にともなってのさまざまな困難が,日常的に転がっていることを物語っている。どんな仕事をしても,だれにとっても,そういう気持ちにさせる出来事は無数にある。それを抱えながら,だれもが仕事をしているのだと言っても良い。そのことは,だから,ことさら口にすることではない。
先に,会社をやめた経緯について少し思い出すままに言ってみたけれども,教員を辞める経緯についても,さして大きな理由があるわけではない。だれもが感じるだろう日常的な悩みなどが,積もり積もって,ある日はけ口が見つからないほどに大きく膨らんだ。自分の許容量を超えて,身辺に溢れる恐れを感じた。いつ,どっと堰を切るようにそれが溢れ出し,自分を失うことがないとも限らない。そういう恐怖を感じたのだったか。
悩み,とつい言ってはみたが,それを「悩み」と名付けてよいかどうかも,本当はよく分からない。まして,その中身を他人に理解してもらえるように話すことは,気の遠くなるような思いがする。
ここまで書いてきて,ふと思い当たることがある。
それは結局のところ,他人と言葉が通じない,他人と思いが通じない,そういうところでその場に居合わせることが耐えられなくなったのではないかということだ。
仕事上の苦労は共有することが出来る。けれども見ているものが違う。そういうことなのかも知れない。目の前に展開する同じ光景を見ていても,それがどのようにその人に映っているか。ある事象をきっかけに,自分の目の映し出す光景が,だれとも共有することの出来ない,孤独そのものであることが分かった。自分にはしかし,どう目をこすってみても,そうとしか見えない。それはもう,ごまかすことの出来ない事実だ。自分にも,周囲の同僚,子どもたちにも,ごまかし通してその場所にあり続けることがどうにも辛くてならなくなった。
 
ある日,新聞に,学校敷地内での禁煙を決定したとある市の教育委員会の記事が掲載された。そこには,子どもへの悪影響を断つのは当然のことと,その決定を持ち上げる教育長の談話も載っていた。飛び火するように,県内のあちこちで,同様の決定が公表されるようになった。
禁煙運動がテレビ,新聞などマスコミで大きく取り上げられるようになって,すっとそのスローガンに手を伸ばした県内の教育界を,学校を,その決定に協力したものを,自分は,心の底から許せないと感じた。
たぶんこの気持ちは分かってもらえない。分かってもらうためにはたくさんの言葉を費やし,一から話さなければならない。それはとても億劫なことだ。それに,分かりやすくたくさんの時間を費やして言葉を継ぎ足したところで,確実に理解してもらえるとは限らない。まして,そんな「悪」の決定を,「善」の決定であると嬉々として喜んでいる連中に,何を言っても分かるわけがない。
教育界に,学校に,見切りをつける良いチャンスだと思った。リストラされるのではない。こちらからリストラしてやる。密かに,そういう思いを抱いた。
それまでにも,さまざまに不満はあった。そのたびに我慢をし,忍耐もした。生きるということは,食べていくということは,そういうものだと自分に思わせ続けてきた。
たとえば受験戦争。たとえば校内暴力。たとえばイジメ。たとえば不登校。たとえば少年犯罪。あげればきりがないほど教育界は社会的問題として,マスコミの格好のネタに取り上げ続けられてきた。だがそのいちいちに毅然と対応し,明快な言葉で応対してみせた教育関係者を,知らない。また,混乱の一切の責任は自分にあるとして公言し,部下を守り,生徒を守ろうとする教育関係者もまた,目にしたことがない。何が教育か,何が人間か。彼らの言を聞いて呆れる。だが,それでも,自分の家庭は,生活は,重い。この重さはまた,彼らの言動を左右する重さであったのかもしれない。そう考えた時,また一つ頭を下げて,耐えることを学んだ。
近辺の問題として,当時,少年法の改正問題もあった。テリトリーに抵触する問題であるにもかかわらず,教育界からは何の発言も行われず,議論に参加する要請さえなかったように,こちら側にいるものからは見えた。何のことはない。偉そうにしていられるのは業界の中だけで,現実社会においては飾り物のように軽んじられているではないか。もちろん,中身が軽いことを見透かされているからのことに違いない。そんなことを思った。
だが,それでもまだ耐えることは出来ると思っていた。
そんな折りに,まるで鬼の首でも取ったかのような,嬉々とした学校施設,学校敷地内禁煙の決定と公表である。
「ぜいたくは敵だ」という世論がおこれば,子どもたちに,ぜいたくは敵だと詢詢と説いた戦前の教育,その精神が今も生きている,と絶望的に思った。
喫煙者でもある自分は,副流煙の害も知り,なるべく嫌いな人の前ではタバコを吸わないように心がけてはいた。だが,自分に害があると知っても,喫煙を止めることは考えなかった。校地内禁煙が発表された折りも,同僚には,冗談半分に,この管内でもそういう決定がなされたら仕事をやめてでも喫煙を続けると公言した。
もちろん,ホントのところはどうしても吸い続けたいと思っているわけではないし,吸い続けることに意味があると思っているわけでもない。吸わないですむものなら,吸わない方がよかろうとさえ思っている。ただ,喫煙が当たり前の時代に育ち,未成年のうちにいたずらすることが当たり前の時代に育ったのだ。今さらやめたところで,肺の色が元に戻るか。そういう思いもある。
禁煙運動自体,あるいはそれにともなう議論を否定する気は毛頭ない。麻薬を含め,何故人類は長い歴史の中でそういうものを求めるようになったか,根本的な議論は大いに興味を感じるところだ。
しかし,突然のように巻き起こった禁煙運動には,当時からある漠然とした疑いや,不可解さを感じていた。
一つには,関係機関のデータの取り方と公表の仕方についてである。素人目ながら,肺ガンと喫煙との直接的な関わりから取られたデータで,影響が認められたから禁煙禁煙と大騒ぎになるところがどうしても理解出来ないのである。影響からいえば,大気汚染や日常的に摂取している食品群にも認められるデータが存する。そちらについては,どういう訳か,あまり大騒ぎされていないような気がする。また,喫煙について肺ガンとの関係ばかりではなく,もっと多角的な調査とそのデータの集積が実施されてもよかろうと思うのに,それはまだ目にすることがない。
こちら側の印象としてはだから,はじめに敵ありきというか,喫煙というターゲットがあって,それをやっつける目的を持ったデータだけが集められたとしか思われない。
また,この禁煙運動には,ある種の環境保護団体の活動や捕鯨禁止運動の活動等にみられるような,自分の主張を強引に押し通し,相手となる関係者の習慣や気持ちといったものを顧みない,一方的で,数や力で押し切る「嫌な正しさ」,その傲慢さが感じられる。そこに共通するのは,どこか反論を出来にくくさせる,「善」の旗印を掲げている点にある。この「善」こそが絶対だとして,その主張を押し通す。反対の立場にあるものの主張に耳を貸すこともなければ,その生活に思いを寄せることもない。
行政が制度的にいったん喫煙禁止を決定すれば,それは確かにそうなっていく。よりよい社会の形成に向かって,行政がリーダー的役割を担っていくことは使命でもあろう。先進諸外国においても,喫煙防止の流れは大きな潮流を形作っている。だから,それはある意味で疑いようのない,当然の施策といえば言えるように一般の人々の目にはには映る。健康に悪いことを,止めようと提唱することに何のやましいところがあるか。それは,そう言っているようにも聞こえる。
その部分では,繰り返して言うが,決して異論があるわけではない。
自分の身の回りを見渡すと,若い人々の喫煙者がほとんど皆無なのに驚く。早晩,喫煙の習慣は日本の社会からは姿を消すだろう。そういう気さえする。様々な形での健康教育,その中での喫煙による健康への害を教えてきた効果として,それは功を奏したものと言える。教育の効果は若い人々から浸透していく。絵に描いたように,これは成功しているのではないか。だからこの方法と体制をしっかり堅持していけばいい。少なくとも,五十年後を見通せば,この問題は文句なく解決出来ると断言出来そうに思える。
問題は,何故ことさらに制度的な施策を講じて解決を急ぐのかということである。しかも,その施策は,喫煙がすっかり心身になじんでしまった中年以上の大人を,公共の場所から無理矢理締め出すように進められている。どうして,そうまでして急がなければならないのかが,分からない。
喫煙問題が,政治的に利用されている。解剖学者の養老孟司さんは,その著書でそんな疑義を発言されていた。
養老さんの言うところでは,肺ガンにもっとも影響を持つのは大気汚染ではないかということであり,この大気汚染を進めているのは飛行機,車等の,いわゆる化石燃料の消費が結びついているということである。そしてもしそうであるならば,対策の矛先は第一にこの化石燃料の消費に向かわなければならないはずなのに,その視線を外すように,禁煙運動が異様な速度で盛り上がりをみせたことを指摘している。裏に石油関連,その他の関知が,示唆されているように思われた。
こうなると最早現実はミステリーの世界そのままであり,底知れない恐怖と疑念が生じてくる。
 
自分がここで言いたいことは,本当は簡単なことだ。
どちらかといえば個に関わる比重の大きい喫煙に対して,敷地内禁煙などのような制度的な施策で押さえつけるべきではないということ。「公共の利益」という美名の下,喫煙者をじりじりと公共の施設から締め出す,あるいはそのことによって喫煙を続けるか禁煙するかの選択を迫るやり方は,間違っているということ。若い女性に喫煙者が増えたそうだが,何故増えたかの理由を考え,解明することが先になければならないのに,その解明という時間もかかり,困難でもある作業を怠り,制度でもって一刀両断の下に喫煙を減らしていこうとする施策は,結果として,あらゆることに新たな制度を付け加え,それによって生活を息苦しくさせ,制度によってがんじがらめになった未来の生活を予測させるものになる。
もっとある。自分ではよく考えもせずに,ただただ世論の流れや,「善」の旗を振りさえすれば良いというように,もしかするとある種の陰謀に加担するような施策を講じて嬉々とするのは愚かであるということ。
第二次世界大戦を振り返って伝える声として,個人の本音をかき消すかのような世論の台頭があり,まるで現在の北朝鮮に見られるような世論の統制が,マスコミをも利用した形で,個人の言いたいことを否応なしに言わせぬ力をもって吹き荒れていたことを聞いたことがある。
禁煙問題も,それに近い何かを含んでいる。喫煙を認める声はしだいにくぐもり,やがて音として空気を震わす力を失って行くであろう。「ぜいたくは敵だ」の声の下に,物言えなくなった大衆の姿に,それは重なって見えてくる。これは目に見えない,「平和時の戦争」への傾斜そのものなのではないか。戦時に置き換えれば,敷地内禁煙の施策は,何になるだろうか。肉体の鍛錬の強制になるだろうか。形のことを言うのではない。暗黙の力で,拒否権をなし崩しにする「正義」の怖さについて言っているのだ。
過度のぜいたくの戒めを,あるいは適度の肉体の鍛錬の必要性を,建前上は大声で否定するものはいないであろう。それは人間として生活していく中で,あまりにも当たり前に心に降りてくる知恵に属する部類の何かだからだ。しかしそれが,ある目的を持った強制の働きを持って,性急な世論の形成と結びつく時,おぼろげな恐怖が実感あるものへと変貌を遂げる。そのことに反すれば,村八分にされる。すなわち,共同体からの疎外が待ちかまえているということになる。
なにを大げさなことをお前は言っているのだ,と思われるかも知れない。禁煙問題は,教育の問題や自衛隊などの政治的な問題に比べて小さい問題である。そういう意識が,一般の人々だけではなく,校地内禁煙という事態を迎えつつある教員の間にもあるのであろう。日頃,教育行政に批判的な教職組合においても,あまり大きくな問題としては取り上げることがなかったように思う。また,論ずること自体のむずかしさを含んだ問題だという気もする。そして,だからこそ,大きな大きな問題であると自分は感じていた。そして,そのことを口に出して言わなければと思った時に,自分にはその場所も,相手も,無いということが分かった。
教育への批判が吹き荒れた時期に,口をつぐんで黙していたものたちが,言いやすい時に言いやすいことを言い,やりやすい時にやりやすいことを行う。しかも,そのことがまんまとある種の黒幕たちの思惑に乗った,絵に描いたように単純な,愚かな愚かな決定をしている。
このことは,もう少し分かりやすく説明する必要があるかも知れない。
ここのところ教育界は内外の不祥事等もあり,後手後手の防戦一方の対策に追われていた観がある。管理者として,行政として,世論をあっと言わせるような,さすが学校,さすが教育と思わせ,感心させられるような,教育的な先手の施策が喉から手が出るほどにほしかった。そういう事情があったのだろうと思われる。いわば,どうにもならないほどの閉塞状況が,末端の一教員が日々の実感としてそう感ずるほどに教育界を取り巻いている。そんな中で,少なくとも,長という肩書きがつくものは,在任中の業績として,なにか形として残る業績を上げたいと望むものらしい。そこで目をつけたのが,校地内禁煙施策であった,と自分は読んだのである。世界や世論の動向,潮流を眺め,それを積極的な形で教育界に引き寄せれば,人々の耳目を集め,運動団体からの喝采を浴び,先駆者ともてはやされ,教育界からのメッセージ,アピールともなり宣伝ともなると考えたのでもあろう。そう推測出来る。だが,それは所詮,内外からの疑念や批判的言辞に対する教育の本筋,本質について根源的に応えるものではない。逆に,それを考えることの苦しみを回避し,批判などの矛先をかわす,そういう意味の施策にしかなっていないと思う。そこには,機を見て敏なりの小狡さと,卑劣,横暴としか言えないエリートの,突き詰めて考えることもしない傲慢な精神や心情が反映している。
校地内禁煙施策に,どんな教育の理念が内在している?これが子どもたちにもよい影響を及ぼすと言いたいらしいが,それなら,覚醒剤や麻薬がなぜ若者たちをとらえる?ある意味,魔女狩りのような前近代的な方法的施策をとって嬉々としている無神経が,どう考えても理解出来ない。
たくさんの子どもと職員の舵取りが,こんな程度のことしか思いつかないな,できないのだと思い知った時,しかも,子どもも関係職員も,舵取りが指さすはるか彼方に霞んだ旗に書かれた文字が,確かに「正義」の二文字に違いないと信じ切っている時,最早だれに語る言葉も失い,静かに決断は強いられるものだった。
 
このように映る光景,そしてそれを見る自分のこの目を信じるならば,そしてそれが周囲を見回す中で自分がただ一人であるならば,最早この場にいて語ることも,聞くことも,ある断念を持って示すほかないのではないか。
子どもたちに,同僚たちに,心を伝えるどんな別れの言葉もなかった。ただ胸の内でひと言,「さようなら」を呟くほかには。
 
もしも,百度辞職の理由を尋ねられたら,この文章に書かれたことをもって答とするほかはない。今も,そう,思っている。