養老孟司「新書本」論3
X 「死の壁」について
第1章「なぜ人を殺してはいけないのか」
パソコンをはじめ,人工物は複雑に見えても実は単純なシステムの重層化によって成り立っています。これに比べると生き物というシステムは複雑で高度な仕組みでできあがっています。宇宙ロケットは,自在に飛んだり止まったりできるという点で,一匹の蠅や蚊に及ばない。もちろん人間は宇宙ロケットを作っても,蠅や蚊をまだ作ることができません。
こうした自然のこしらえた生き物という,あるいは生き物の,システムは,破壊するのは簡単だが作り直すことができないという特徴があります。
人間もまた,自然が作った高度なシステムであるという側面を持っています。急所をつかれれば容易に死んでしまいます。死ねば元通りにならないし,二度と作れないし,取り返しのつかないことになります。
人間や生き物一般に内在する,この高度なシステムに対しては畏怖の念を持つべきです。 近世以後のヨーロッパに派生した「人間中心主義」は,人間における意識の働きだけを重んじる考えで,またこの意識尊重から,自分の思い通りになることが一番価値あることだという考えがいつの間にか広まりました。自分の思い通りになる方向にどんどん突き進み,逆に思い通りにならないことには攻撃的になっていったといってもいいかもしれません。自分自身についてさえ,思い通りにならない部分は考えないようになってきたと思います。あるいは,隠すようになってきたといってよいのではないでしょうか。
これが,人間が,実は意識の思い通りにはならない自然のシステムの一部だ,ということを忘れてきた一因になっています。ここから,自然への畏怖,自分も含めた人間への畏怖,生き物への畏怖が見失われてきたと思います。別の言葉で言えば,尊重や尊敬ということがなくなってきたのです。
現在,この尊敬や尊重が,誰を,どんなことを,対象にしているかを自問してみれば,ぼくたちのこの意識の働きがいかに意識的な事柄にしか反応しなくなってきたかが理解されると思います。
あるがままの自然,あるがままの人間,あるがままの生命を一番に畏怖したり尊重したりはしていないはずです。自分の思い通りに生きているように見える人々,会社の上司,学者,政治家,アーティスト,マスコミに登場しちやほやされる人々,等々を尊敬するようになっているのではないでしょうか。尊敬とまではいかなくとも,意識のどこかでそういう力を持ちたいと願っているはずです。
意識にとって利のないものを破壊してよいという考えは一種の矛盾です。人間は意識的な存在ですが,意識のみの存在ではありません。自然のシステムの一部として我があり彼があります。どんな存在であろうと自分と同じ存在なのです。そしてそれは高度なシステムとして存在しているのです。これは牛や豚であろうとも同じことです。ただ生命は他の生命の犠牲の上に生きるという宿命を負っています。それでも,むやみな殺生は回避することはできるはずです。
以上,養老さんの主張するところをぼくなりに受け止め,表現すると,こんなことになります。
じゃまなものはすべて殺したり破壊していいとなれば,意識以外のすべてを殺し,破壊することになるでしょう。それが意識の持っている特質で,結局は自分をも殺すことになるのです。「なぜ人を殺してはいけないのか」の解は,こんなところから自ずと理解されてくるのではないかと思います。
ところでどうして,こういう「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いが生まれてくるようになったかというと,自然と接する機会が減ってきたからだと,ぼくは思います。その結果,自然のシステムの一部であるという気づきが,なかなか訪れない。
日本中世の宗教家は,人間性の普遍的本質について,大筋のところは言い切ってしまっていると思います。そこから殺生についての戒めも伝えられてきています。そのころはまだ,意識は自然まみれといっていいほど,四囲を自然に囲まれ,その中に息づいていました。自然への畏怖があり,人間が自然の一部であるという実感も当たり前のように感受できていたと思います。そこでの意識は半ば半透明のように,自然を映し出していたと思うのです。
文字の発達と流通は,意識を意識することの加速化を進めました。意識は尖鋭化し,内向し,それまで浮かんでは流れていたものが,ダムのようにせき止められ,消えていくことを押しとどめられました。反芻され蓄積され,それらは知識として有用なものとなりました。そして,意識のそうした部分だけが,偏重されるようになってきたと思うのです。
象徴的にいえば,流れる雲に意識を使う時間を,喪失してきたのです。自己増殖のように,意識の上に意識を重ねてきた果てに,現代の若者たちは生き,彼らの間で「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いが生まれるのは,当然のことなのかもしれません。
もう一つ言いたいことは,他人を殺すということには,自分殺しが含まれているのではないかということです。自分を殺すというところがなければ,他人を殺すという意志は生じないのではないかと思えてなりません。自分の何を殺すのかははっきりしませんが,しかし,そこを通らないと他人は殺せないのではないか,そんな気がします。もちろんこれは,業縁があれば千人でも殺せると言う親鸞の言葉とは異なる次元のことではあるのですが。
あるいは知らないうちに自分を殺してしまっているということかもしれません。自分の生の部分にふたをした,抹殺した。どう言い換えてもいいのですが,自然のシステムの一部分としての自分が生きることを許さない,そういう,通常の自殺とは反対向きの自殺があるような気がしてならないのです。無意識の自殺が見えないところで行われていたのではないかということです。少年の犯行の場合,特にそんな気がしました。
いずれにせよ,「なぜ人を殺してはいけないのか」を教えたり説得する以前に,そうした言葉を受け取る側に,受容できるだけの土台がなければならないのです。現代は,残念ながらその土台を育むことにおいて,その時間と空間とが制限付きとなっています。以心伝心など,夢のまた夢となっているということでしょうか。危機は,想像以上に根深いものになっていると,そう,ぼくは考えています。
第2章「不治の病」
養老孟司さんが繰り返し言っていることの一つに,人間は変化し続けるが,情報は変わらないものであるという考え方があります。ところが,近代はこれを逆に考えるようになったと言います。「自分」は変わらない。変わっているのは世の中の情報だ,というようにです。これが「情報化社会」の本質で,言葉を換えれば「脳中心の社会」であると養老さんは言っています。
これが,なかなか理解できないというのは,脳中心の社会の真ん中にどっぷりとつかっている証拠でもあるわけです。ですが,心底から分かったと言えるには,時間がかかります。ぼく自身を考えてみても,自分とは何か,自分とは何かと考え続けてきて今日があるわけです。この間,自分は自分であり続けたと意識は思いこんでいます。意識は連続して自分は,自分はと言い続けてきていますから,ずっと自分だと考えるほかないのです。ここではまた,意識は一貫していることがなにやら価値であるみたいな,そういう思いこみも手伝って,一生懸命自分を連続させているような面もあります。
本当の自分を探す。実は,ぼくも含めて,現代人はそういうことを意識の奥で考えているように思います。「本当の自分」が,どこかにあるのではないかと,そう思いこんでいる節があります。ですが,養老さんは,今そこにいるのがお前で,それ以外のお前なんてどこにいるんだ,と言います。そこにいるのがお前じゃないか,と言うのです。ですが,往々にしてぼくたちは,ここにいる自分は現象としての自分で,本当の自分はまた別のところにあるのだと理屈づけることがあります。これが極端になると,自分に都合の悪いことは全部,「本当の自分ではない」という論理の行使に繋がっていきます。
「本当の自分」は変わらずに連続する。一貫して存在する。こう,意識が意識したときに,実は「死」に対する考え方,感じ方に変化が生じたと養老さんは言います。「死ぬ」ことを納得できないというか,「死」というものはないという考え方,あり得ないという感じ方。「死」なんてないんだという意識といってもいいかもしれません。
養老さんの言葉で言えば,「何が何でも死なない」という意識を持ってしまった,ということです。これには近代科学の影響による,「魂」という概念の否定が手伝っているということも言われています。「身体は滅びる。しかし魂は残る。だから意識は不滅だ。」という論理で成り立っていた自分への言い聞かせが,「科学的には魂は存在しない」ということから,破綻を来してきたというのです。
養老さんは,
近代化とは,人間が自分を普遍の存在,すなわち情報であると勘違いしたことでもあ るのです。それ以来,実は人間は「死ねない」存在になってきました。
と言っています。
意識が人間の本質であり,ここに個性が備わるという勘違い。これは「西洋近代的自我」という考え方の影響であって,個性は本当は身体に備わり,人間の本質は意識,身体,その他のトータルとして考えるべきものだと,そう養老さんは言いたいのではないかとぼくには思われます。
養老さんの文章は,このほかに死,うんこ,身体,その他人間に関わる自然性に目をふさいできた,背けてきた歴史などが簡略に紹介されています。そこから見えてくることは,「死」を実感できなくなった現代の人間像と,意識中心主義となった世界という,どこかおどろおどろしいイメージです。
養老さんが解剖台に乗せているのは,今では当たり前と感じられるようになった事象ばかりです。そこには,当たり前こそが疑わしいという精神の解剖学が息づいているように思われます。細部については,ぜひ自分の目で読んでほしい,そう思います。そうして,読んだからには,そこに答えを要求するのではなく,稚拙であろうとも自分なりに解を探すということが必要なのではないかと思うのです。ぼく自身についていえば,荒野にたたずんでいる。そうした状況に立たされたというだけにすぎないといえるかもしれないのですが・・・。
第3章「生死の境目」
結論から言えば,科学的には「生死の境目というものはないんだ」ということが言われています。脳や心臓の機能の停止,瞳孔が開くなど,死の兆候と言われるものは社会的な決め事としての「死」の判定に過ぎないというのです。
「死」とは何か。「生」とは何か。これを厳密に考えていくと,きりがありません。「生きている」という状態を定義しようとしても,そう簡単にはできません。これができなければ,「死」についての定義もできないことになります。
「死」についていえば,ぼくはすべての細胞の消滅,これをもって「死」であると考えてきました。一つ一つの細胞の死が,身体全体に行き渡り,全部の細胞が死滅した時を待って死が成就されたと見なすのです。もちろんこれはぼくの個人的な見解で,死は徐々に進行するという考えです。逆にいうと,その間,医者によって「死」が宣告されても,まだ死は果たされていないから,生きているというように考えています。その根拠となるのは,ぼくたちの身体が細胞という,一つ一つが生命であるところの集合体として成り立っているから,というところにあります。ぼくはぼくではなく,ぼくたちであるという考えです。最後に残った細胞一つもぼくであり,ぼくを構成しているもの,ということです。 こういう考えはしかし,あまり意味あるものとは言えません。ただ,「生とは何か」と考えたときに,「人間的な意識があってこその生だ」という考えを拡張したいという思いからこう考えるようになったと思います。
何かに境界線を引いたり,定義出来たりするというのは言葉の持つ典型的な働きです。 言い換えれば「死の瞬間」というのは「生死」という言葉を作った時点で出来てしまっ た概念に過ぎず,実際には存在していない,といってもいいでしょう。
「死の瞬間」なんて,言葉や意識上であたかも実在するかのように見なすだけで,本当はあり得ないんだということです。意識は生の上に成り立っているもので,いくら「死」について考えても,体験出来ない以上それは架空の考えに過ぎないのかもしれないのです。 生き物の生死は,意識の埒外にあることです。意識は,生きている身体という液晶プロジェクターが壁面に映し出す映像のようなもので,プロジェクターの電源が落とされれば,あるいは単に光源が切れるだけで消えてしまうものです。この意識が,「自分は自分だ」と言っているわけですが,また「自分」という意識もこの意識でしか意識出来ないことですが,しかし,自分というのはこのプロジェクター本体も考えなければならない問題だと思うのです。
システムとして機能するかどうか,あるいは再生するかどうか,さしあたってぼくたちが考える生死というものは,そういうところで一般的に判断しているように思います。それが法律上の生死の定義にも反映しているはずです。それはしかし,社会的な決め事に過ぎないということです。それは時代により変化するもので,絶対ではあり得ないものです。 「生」というものも,定義は難しいものです。変化しながら安定しているシステムとして存在するものが,生き物です。脳の損傷によって植物状態にあったとしても,生きているといえば生きていると言えるわけです。
「生き死に」について論議が重ねられ,詰められ,厳密に考えられるようになってきましたが,科学的にも,社会的な決め事としても,絶対であるというところまで来たとは言えないところにあると思います。かえって,分かってきたことによって分からない部分が大きく見えてきたという面もあるようです。
どこまでが「生」で,どこからが「死」だということは規定出来ない,養老さんはそう結論づけています。
極端にいうと,「生死」は言葉の問題,意識の問題に過ぎないと言えるかもしれません。ヒト以外,こんなことを問題にする生き物はないわけです。ほかの生き物は,生きている間,食と性を繰り返しているだけです。「死」は,あくまでも野ざらしです。その余のことは無言のうちにあるだけです。単純明快です。
第4章「死体の人称」
死体には,「一人称」,「二人称」,「三人称」といった「人称」があるのではないかという話です。当然,「一人称」は自分の,「二人称」は親しい人の,「三人称」はアカの他人の死体という意味です。ここで特別なのは「二人称の死体」で,思い入れが介入するということです。逆に「三人称」の死体は,何の思い入れももたないですむ死体となる場合が多いということです。
「一人称」の死体は,自分の死体で,「ない死体」であり,存在しない,自分では見ることの出来ない死体であるということです。人間は,不可視であるこの「死体」について延々と考える傾向があります。見えないものであるから余計に考えるということになるのでしょうか。
ぼくの年齢になると「二人称の死体」には,何度かお目にかかっているわけです。ですが,どうもこの死体,死について納得出来たという記憶がない。逆に納得出来ないという思いがいつまでも残っています。「何なんだ」という,宙づり状態が続くわけです。これは意識が合理化しようとして出来ないところから来る思いなのかもしれません。そしてこの思いに,ぼくはぼく自身の不潔さを感じてきました。
この不潔さの思いは,動物とのちがいを比較するとはっきりします。例えば,この間テレビで見たのですが,母と二匹の子どもの猿のうち,年少の子猿が死んだときのことです。お兄ちゃんの猿が死んだ年下の猿をいつまでも肩に担いだり,抱き寄せたり,群れが移動する間いつまでも,いつまでも連れ回すのです。もちろん何日か後に,「諦め」のようなものが起こって,最終的に「死体」を遺棄することになるのですが,そのことが自分との比較においてとても清潔な感じに映ったのです。
「意識のもつ不潔さ」というもの,ここでぼくは,まあ自分なりにそういう思いに見舞われる訳なのですが,先の子どもの猿のほうが生き物としての純粋さを持ち合わせている。そう,思われるということなのです。意識をもつということの罪深さ。あまり大きな意味はないのですが,一人,そんなことを感じているという次第です。
三人称の死体は受け入れやすいと養老さんは言います。死んでいると認めやすいということです。しかし,死んだんだということはなかなか頭では分からない。つまりは「死」が分からないということです。これは,意識が「死」を体験出来ないところから来るのかもしれません。意識がかろうじて体験出来るのは,眠るなどの形での無意識状態の体験です。「死」を,「隠れる」とか,「魂」だけは残ると考えるようなことは,この,意識における無意識の形態をぼくたちが熟知しているからのことではないでしょうか。つまりはコントロール出来ないこと,人智では計り知れない部分があることを,人間はこの無意識の存在を感じとることによって受け入れてきたように思います。
「死体の人称」については,これくらいにしておきます。
第5章「死体は仲間はずれ」
ここでは,「死体は人間じゃない」,「死んだら最後,人ではない」という日本的な死体についての考え方,捉え方が述べられています。「死体」と「穢れ」という概念が結びつけられていることが指摘されています。慣習として残っている「清めの塩」は,象徴的な儀式だといいます。
養老さんは,戒名も同様で,要するに,「死んだ奴は我々の仲間ではない」というルールを暗に示すものだといいます。
死者は「世間」から区別されているということです。
現在の日本における「世間」の原型を,養老さんはこの死者の扱いと「非人」のカテゴリーを樹立した,江戸時代にできたものと言っています。
この指摘は,ぼくには大変面白いものに感じられます。一種のメンバーズクラブのようなものと養老さんは言いますが,そこでは死ぬことは強制的な脱会であり,逆にいうと死ななければ脱会出来ないという,メンバーとしての強固なルールも課されているというわけです。
退会があれば入会もあるわけですが,日本における「間引き」の伝統は,この入会に属する問題だと言います。生まれてもメンバーとしての受け入れが拒否されることがあり得ると言うことです。
これには,胎児が母親の一部,臓器と同じものと見なされているという,日本における特殊的事情が指摘されます。そもそも赤ん坊や胎児は,独立した人格を認められていないということなのでしょう。
いずれにせよ,日本における母子心中の多さは,子どもは母親の一部という感覚が強くあるところから派生する問題で,諸外国にはない特殊さが言われています。逆の面から見れば,日本の母親は,子どもを自分のことのように可愛がるということがあるのだと思います。その愛情の注ぎ方にはある種の価値があるようにもぼくは考えます。
このほかに,警察における嬰児殺しと一般の殺人との区別,日本にベトちゃんドクちゃんがいない理由,白人や黒人が日本人になりづらいわけ等々,日本的な共同体のルールの特殊性についての注意を喚起しています。
もちろん養老さんが言っているのは,どの共同体にもこうした暗黙のルールが存在しているのであって,その善し悪しが問題なのではないということです。こうしたルールはどこにも明文化されてはおらず,だからこそ,ある意味意識的に見ようとしなければ見えてこないし,見ることの大切さというものもあるのではないかと言外に言っているようにぼくには思われました。
第6章「脳死と村八分」
先のメンバーズクラブの問題がここでもテーマになっています。村落共同体のルールということです。物事を決めるときに,村の総意を抜きにしては進められない,そうした日本的な慣習法,非成分憲法,暗黙の了解の存在が語られています。
日本のと言いましたが,このルールはもちろん共同体毎に違った形で存在し,外交政策などに際して重要な鍵になる存在であることは申すまでもありません。
さて,この章では,まず脳死を取り上げて,日本の場合これがメンバーズクラブ脱会の問題だから,共同体のルールに関わるために大変に揉めたのだとする分析が語られています。アメリカなどでは脳死についてはたいして揉めなかったことから,このルールの国によっての違いも指摘されています。人工妊娠中絶についてはアメリカでは反対グループが爆弾を仕掛けたり,大変物騒なことになっているのに,日本ではあまり取り沙汰されずに穏便に事が運んでいることが対比されています。ことほど左様に,共同体のルールの問題は国ごとに違いが見られるということです。
イランでは火葬が禁止になっていて,日本に来ていたイラン人の死体を火葬にしたところ猛烈な抗議がなされたそうです。
中国は日本の靖国問題に敏感ですが,これも日本人にとっては,死者は別物の存在に変わるという通念があるのに対して,中国では祀られること自体,まだ影響力があると見なす見方をするために,いわゆる世界観の違いによる軋轢が生じるのだと養老さんは見ているようです。
そのほか,死刑法,臓器移植法,大学についても日本共同体のルールの在り方を養老さんは指摘しています。要するに,至るところにこの共同体のルールは張り巡らされているのであるということです。
実はこのルールは,以前はメンバー会員にとって周知のことであったと思います。養老さんがあえてここで取り上げるのは,このルールが今も共同体に息づいているのに,そのことを過小評価してしまう現実,その結果揉め事が多くなるところから,もう一度その存在を明確に意識させたいと考えたからではないかと思います。逆にいえば,この共同体の総意というものを,もう一度見直して作り上げる必要性を感じたからではないでしょうか。ある意味,この総意が今日本では崩れかけている部分があるということなのだと思います。また,崩れかけ,見失われようとしているにもかかわらず,影に厳然と存在するその強固さもあります。
いずれにしても,この問題は無視することが出来ないよと養老さんは言っていると思いますし,ぼくもまた継続して考えていきたいと考えます。
第7章「テロ・戦争・大学紛争」
まずはじめに絶対の正義を振りかざす,原理主義,一元論,への否定の思いが語られています。声高の正義は,押しつけがましいものです。
挿話として,戦時に隣に住んでいたおじさんが,外に出て八幡様の前を通るたびに最敬礼をして柏手を打っていた話が出てきます。
平和時の現在でも,この八幡様は別のものに取って代わって,しかし,構図としては同じ構図として存在しているとぼくは考えています。それは例えば,教育でもいいし,経済であっても,あるいは環境,ボランティア,等というものでもいいのです。ただそこに,意識上の強い思い入れが入り込むということ。このことが結果,正しいと思いこむ主体にとって,「お前らは何だ」という思いを持つことに繋がりやすいということなのです。「同じように必死に取り組め」という,暗黙の,押しつけがましい雰囲気を醸し出してしまうということなのです。
よほど用心しないと,そうなってしまう危険性は間違いなくあるのだと考えておいた方がよいと思います。
養老さんは,戦後,「騙された」と実感したそうです。戦時中の話,戦争理念,そうしたものの一切に騙されたと感じたのでしょう。そこで,確実なものを求めるようになったにちがいないと述懐しています。結果,解剖という科学に向かったということなのでしょう。
テロも戦争も大学紛争も,考えてみれば過激な自己主張が,言葉によってもこれでもか,これでもかと繰り返されるものでした。
ぼく自身についていえば,養老さんが騙されたと感じるような体験とよく似た体験は,大学紛争において経験したような気がします。全共闘の主張を半ば支持し,半ば疑問を持っていました。養老さんのこの文での言い方を借りれば,学生の中での権力者が,つまりは主導的立場にあたる指導者が,外の社会的な権力者に対峙して,自分たちにも力を与えろと主張しているようにも思えたのです。ぼくは権力そのものが生まれる過程,生み出される過程に敏感であったので,彼らとは違うなと感じたものでした。それでも彼らの主張するところには正論も含まれているような気がして,結局は後方部隊の末端に自分を置くこともあったのでした。
歳月が過ぎ,彼らは一体どうなったのか。
騙されたというよりも,真偽は宙づりのまま保留されているというほうが適切かもしれません。
ただ,準備もなく,大きな流れに飲み込まれ,翻弄されたという苦い思いが,今も残っています。だから,何か流行のような流れには,ちょっと危ないぜという勘が働くのです。
養老さんは,テロや戦争,大学紛争を正しいか正しくないかではなくて,あるいは理念の是非からではなく,エネルギーの発散の一形態,またコストパフォーマンスの視点から見るべきことも提案しています。確実に客観的な見方を,ということだと思います。そういう見方をすれば,第二次世界大戦の日本の敗戦も,そうとばかりは言えないということを言外に言っているのかも知れません。
エネルギーの蓄積と放射の観点は,かつてジョルジュ・バタイユというフランスの思想家がいろいろなことに当てはめて考察していたことがあったように思います。
いずれにしても言えることは,「思いこみ」の不確実視であり,「思いこみ」を検討することの不毛性を考えてのことだと思うのです。それよりも絶対的なのは,というか確実なのは,関係を客観的に捉える方法を確立すべきだということなのではないでしょうか。真実は,個々の意識の思いこみの中にあるのではなくて,関係という客観視出来る,それ自体の内にしかないということ。もっと言うと,個々の人間は,本来は真理や真実を口にする資格はないというべきで,ただ関係性の内にかろうじて真理や真実は浮かび上がるものなのだと言うべきかも知れません。
ぼくが正義や,数や勢いのもとに主張される言説,またその組織,グループから遠ざかろうとする性癖を持つのは,こんな考え方をしているからかもしれません。
養老さんは,例えば戦争に関してもっと冷静に研究すること,損得を考えることがあってもいいのではないかと言っていますが,そういう部分が少なかったことを考えると,これを認めてもいいとぼくは考えます。しかし,ここでは「意識」をどう捉えているかについて,ぼくと養老さんの違いを感じます。損得では,意識における文学性が成り立たないのです。文学を大切に考えると,どうしても戦争を損得で考える考え方には抵抗が生まれるのです。これはしかし,養老さんの文章には語られていない事柄に属する問題になってしまいます。
第8章「安楽死とエリート」
以前,安楽死の是非が盛んに論議されたことがありました。それに対しての養老さんの意見ということになる章です。
単純に解すると,安楽死の是非は言葉にして明文化出来るものではないし,明文化しない方がいいよということだと思います。言葉は悪いのですが,うやむやにしておけということだと思います。
明文化には,本音と建て前の一致に向かっての意志が感じられますが,これによって法律が作られたりすると,そのルールに機械的に則って事が運ばれるようになる危険性が生じます。それもまた目論見ではあるのでしょうが,これは人間が人間として当然考えなければならないことを放棄し,法律に委ねる結果となります。また,これですっきり肩の荷が下りるかどうかは,遺族,医師,双方とも,後になってみなければ分からない問題が,人間であるかぎり残る気がします。精神的な後遺症というか,PTSD等というようなものです。
安楽死の問題は,患者,家族にとっては感情的な問題,医師にとっては倫理的な問題として論議が行われたように思います。医師の倫理は,しかし医師の感情を考慮したものではないと養老さんは述べています。
ここで医師のように実際に手を下す側,汚れ役,もっと言えばある場合加害しうる立場に身を置かなければならない人々を,養老さんはエリートとして考えています。そして,戦後,こうした人の上に立つエリートが持っていなければならない責任や覚悟,重荷を負っているという自覚を持たせる教育が欠落していると言っています。
責任の重さを背負う。汚れ役に徹する。これは政治家たちを見ているとよく分かる気がします。当人たちも,よく自覚しているのではないでしょうか。しかし,昨今はこれに潔さというものがない。どこまでも汚れていって,きりがない。どこかきっぱりとした理念をもともと持ち合わせていないかのようなのです。
このことは政治家に限らず,どこを向いてもきちんと責任をとるといった姿勢が見あたらなくなったと思います。やはり,こうなったらこうするという,前もっての覚悟,それを個人として,きっぱりときれいに貫こうとする人は少ない。そう思います。
ぼくの知っているかぎり,会社の上司でも,教育界の上にある立場の人たちも,納得出来る形でその姿を見せてくれた人は皆無だったと思っています。
養老さんは,エリート教育の不在ということで,このことに近いことを言っているのだと思います。
エリート教育の不在。それは倫理観の不在ということでもあるでしょう。自分の考えの「生き死に」を賭けた決断が出来ない。
養老さんはこれが明治の人々まではあったとし,戦後,平等主義が蔓延して,このエリート教育がなくなったと考えているようです。
ぼくは,養老さんの言うこのエリート教育がある方がいいのかない方がいいのか,実のところよく分かりません。養老さんの好む江戸時代の思想家たちの言葉には,知識人,あるいは権力者たちの,岐路に立っての立ち居振る舞い,あるいは口にする言葉,等々が考察されていたのかもしれません。そういう,ある場合に自分を決定する根拠,その模範とすべきものがあった。それは何か時代の精神といったものを感じさせます。現代に,それを蘇らせることは不可能です。よく文科省などがやるように,無防備にそういうことを「やる」と,混乱をもたらすだけのように思います。
エリート教育もまた,消えてもいいから消えて行ったということではないでしょうか。 ぼく自身も,エリート教育は受けたわけではありませんし,ただ感性的に上に立ったときの責任の重さを受け止める能力のなさから上に立つことへの拒否反応がありました。それはアメーバーか何かの反射行動みたいなもので,高邁な精神がもたらすものでも何でもありません。危険を察知し,カタツムリが角を引っ込めるように,後ずさりしたに過ぎないのです。臆病といっても言いと思います。そういう力がなかったということでもあります。ぼくは逆に,上に立とうとする人たちの気持ちが分からないのです。
養老さんは,戦争を決断するときの国家元首のことも例として言っています。これは権力の問題にもなりますが,ぼくとしては,そうした力をもつことへの拒否の力といったことを考えてきました。それでは社会が成り立たないというのは,現在しか見据えない場合の物言いです。しかし,現在の権力の構造,権力関係が未来永劫続くかどうかは分からないところです。というより,それが無い未来のユートピアを想定し,そこから現在を見たときに現在がどうあればよいかを考えると,ぼくには養老さんが言うエリート教育の必要性に疑問を感じるのです。
東京大学の教授でもあった養老さんには,やはり,エリートという存在に対する意識の合理化が働くのかなという気がします。それがちょっとぼくの不満な点でもあるわけです。もうちょっとこっちの立場でものを言ってくれないかな,と。
もう少し自分の思いを述べてみます。戦場に兵を送り出す国家元首ではありませんが,ぼくは小学校の教員をしていたときに,中学校に,社会に,子どもたちを送り出す側に立っているんだなという意識をいつももっていました。そして送り出す先の中学校や社会に対しては,実は嫌なところだと思っていました。送り出すに忍びない,そう思っていました。けれども,子どもたちは歩く歩道に乗っているように,順繰りにそちらに向かって行っているわけです。ぼくがもう一度行けと言われても嫌な所に子どもたちを送り込んでいる。因果な仕事だと思っていました。
ぼくは学校,会社,広く社会の仕組みが嫌で嫌で仕方のない人間でした。どこに所属しても,内心では,「こんなのアホらしくてやってられない」と思っていたと思います。必ずどこかに嘘があるのです。
結果,自分が生きる場所をいつも探してきました。ある意味ぼくは不適応だと思います。自分の意識を,海面に上昇させると,そこは荒れる波がぶつかり合う場所で,ぼくは大げさに言えば死にたいという思いに駆られました。意識を深海に下降させると,ぼくは生命体として何の迷いもなく,当然に生きていこうとする生命力にあふれた生き物であるという感じを持っていました。まだ,生きていける,のです。内心,これを後のものに伝える使命感も感じていました。
嫌であっても生きる場所はここしかない。これが誰にとっても着地の場所でしょう。ですが,「此処」はまた,自分の思いでほんのわずかな選択肢の中からでも,変えることができる「此処」です。
ぼくが教員の仕事を辞めたのは,こんなことを考えていたからです。身の処し方は,他人にはどうこう言えることではありません。ただ,そういうことを考えたことはあるのかと聞いてみたい気持ちはあります。子どもの気持ち,人の気持ちをどう考えるのか,ということです。独りよがりの善意,意識の合理化で口をぬぐっている人が多すぎる。ぼくはそう思っていました。
不登校,引きこもり,非行,暴力,それらの言葉がどんなに頭上を飛び交っても,学校は何一つ変わりはしなかったのです。あたかも,車の事故死者がこれほど多いのに,誰一人車を廃止しろと言うものがいないように,それがない世界を構想する力が持てないのです。他人の事故死が平気であるように,他人の不登校や非行は平気になってしまいかねません。これをおかしいと感じる感性は,不動の現実の前に麻痺してしまいます。
仕方がないという言葉を,ぼくは認めています。ただしかし,それならそれで,一切の偉そうな口ぶりや素振りや止めてくれと叫びたい気持ちがあります。見かけが卑野であろうと高邁であろうと,偉そうなことをぼくはすべて認めないということです。そして,ただそれだけのことです。
養老さんの文章に戻って言うなら,上の立場に立って感じる痛みに,それほど思い入れをこめて受け止めなければならない理由がどこにあるか,そういうことになると思います。言いかえれば養老さんへのぼくなりの批判です。
終章「死と人事異動」
自分の死は存在しない。だから悩んでも無駄だ。
この章の始めのほうで,養老さんはそんなことを言っています。人間は,一瞬の事故死,また寝ている間に死ぬという可能性もあります。死は体験出来ないと言うことです。体験したときには自分が存在しません。だから自分の死というものはないものも同然なのです。 ところで,この章の題,「死と人事異動」は,自分の力の及ばない所からやってくるもの,ある意味理不尽にやってくるものということで共通するところから使われているようです。
結論的に言えば,あわてないで肯定的に考えましょうよ,と養老さんは言っているように思います。病気になったり,降格されても落ち込まずに,よい方に考えようと言うことです。言葉は簡単ですが,もちろん難しいことかもしれません。でも,結局そう考えるしかないことも一面の真実です。
生きる上での自分の態度や姿勢の選択は,周囲に多大な影響を及ぼすということに養老さんの注意は向いています。だから,不幸だと思われる事態にどう対処するか,真価はそこに表れるということではないでしょうか。
死を考えることは,無駄なことでもあり,大切なことでもあると言っています。無駄というのは人智を越えたところにあるものだからであり,大切ということはそれを考えることでいろいろなことの理解を深められるものだからということです。
養老さんの個人的な体験としては,子どもの時の父親の死に際し,「さよなら」の別れの言葉が言えなかったことが挨拶の苦手として,五十近くまで心を縛っていたことが述懐されています。このエピソードを読んだときに,とても感動的だったことを覚えています。 死は,大事だなと思いますし,こういう側面での死については考えるべきだなと思いました。家族に,周囲に,どんな死というものを感じさせることが出来るのかな,ということでもあります。これは,人間を,世界を,どう考え,受け入れるかということにも関わる問題だという気もします。出来ればエールを送っている,そう感じられる死に方が出来たらいいのですが,これはもう自分でとやかく出来る事柄ではないことは勿論です。
「仕方のないこと」。これは死にも人事にも言えることですが,ボケや知的障害者に関しても言えることだと養老さんは語っています。自然が介入する部分については,「仕方がない」と言うしかないということです。このあたりを読んでいて,日頃考えていたことが一つ思い浮かんできました。
それは,「普通」とか「標準的」なこととは何か,ということです。
いろんなことに言えるのですが,例えば障害ということでも,ある意味障害がない人はいないと考えることは出来ないか,と日頃考えることがあります。厳密に考えれば,ちっとも障害のない人なんてあり得ないのではないかと疑問に思うことがあるのです。そうしますと,程度の問題になるだけで,人間はすべて障害者だといっても良いことになるのではないでしょうか。そう考えると,障害者を特別な視線で見ることはなくなるという思いを持ったのです。
健康だって,厳密に見ていったら別に100パーセント健康であるということはあり得ないはずです。
こういうことはしかし,あまり言い過ぎると誤解を招くかもしれません。ただ,不登校問題も含め,世の中にはどうも決まったレール上,制度上のルールに従順でなければいけないかのように思いなす風潮がありすぎるのではないかという思いがあります。極端にいえば,不登校だっていいじゃないか。特別視することはない。そう,ぼくは思っているところがあります。全員が不登校になれば,問題がないということです。逆に制度が問題になり,それが変わらなければならないということになるのではないでしょうか。学校に行くということが何も歴史上普遍的なことでも何でもない。ただ,現在の社会においては,その後の生き方が難しくなるというただそれだけのことでしかないでしょう。社会空間をバリアフリーに組み替えるように,生きる場所を広げる努力を社会の側が行えばいいだけです。脅したりすかしたりして壁の内側に押し込む必要はないのではないかと疑問に思います。世間が許さないという時の世間は,実はいつも「あなた」であって,「あなた」が許さないというだけなのではないでしょうか。壁に押し込もうとしているのは,実に「あなた」一人一人であると,そう,ぼくは思っています。そして彼らを差別視しているのもまた。
そういう意味でも,ぼくは現在における「普通」の意味合いを,もう少し拡張して考えるべきだと考えてきています。世論的にはしかし,この「普通」を狭めるようにというか,がんじがらめにするようにというか,逆に流れてきているような気がしてなりません。規則や法律が重視され,あるいは増やされてきているということは,かえって混乱を増していく要因になるのではないかと危惧します。
養老さんが指摘するところの「曖昧さ」や「仕方がない」の主張は,そこのところを突いている問題だと思い,興味を持ちつづけてきたもとになっているものなのです。
了